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G線上の魔王【23】

 

・・・。

 

両側にカシやシイの並木を配した参道のような道をしばらく歩くと、そこは一面の雪景色だった。


富万別市の東区、小高い丘に幼い水羽とユキの憩いの場があった。


 

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「お姉ちゃん、この子になんて名前つけるー?」



二時間ばかりかけて、子供の背の高さくらいの雪だるまを完成させた。



「水羽が名前つけなさいよ。 あなたがほとんど作ったんだから」
「んーん、お姉ちゃんにつけて欲しいの」



両親の前ではぶすっとしている水羽も、ユキのそばでは屈託のない笑顔を見せた。


「じゃあ・・・」


腕を組みながらユキは言った。


「雪太郎は?」
「うん、雪太郎かー、かわいいなー」
「やっぱり、違うのがいい」
「なににするの?」
「水羽の好きな男の子の名前にしたい」
「そんなのやだよー、恥ずかしいよー」


冷たい雪が、ふんわりと姉妹の肩に降り積もっていた。

足のつま先にじんわりと溶けた雪が染み込んでくる。

雪と同じようにやまない、水羽の笑い声。

懐かしく幸福な記憶。

二人は、暗くなるまで、いつもじゃれあって遊んでいた。

家には帰りたくなかった。

水羽の母と、ユキの母。

二人のお母さんがいる異様な家庭が、姉妹の帰る先だった。

どういった経緯で同居することになったのか、物心つくまで、ユキは詳しくは知らなかった。

ただ、ユキの母は、白鳥の家にとって必要な存在ではあったようだ。

父の会社の秘書として、てきぱきと指示を出していた母の姿を、ユキは覚えている。


「水羽ねー、お姉ちゃんと結婚するんだー」


甘ったるい声が耳についた。

不快ではなかった。


「ほーりつでねー、姉妹は結婚できないんだってー。
でも、水羽とお姉ちゃんは、ちがくて。 うん、とにかく結婚できるんだよー」
「そうね、私が男だったら良かったわね」


かわいらしい妹だった。

まぶたに落ちた雪が、あどけない笑みに涙のようにきらめいている。


「お姉ちゃん、水羽のこと好き?」
「ええ、もちろん」
「えへへ、水羽も大好きっ」


そのうちに、水羽がとことこと歩き、地面に溢れた雪をかき集めだした。


「どうしたの?」
「えへへ」


水羽はいたずらっ子の表情で、雪の球を手に握った。


「ちょっと、まさか私にぶつけようっていうの?」
「そんなことしないよー。 これは、雪太郎のご飯だよ」
「ご飯って・・・」


優しい、女の子だった。

どこか冷めて大人びたユキには、せっせとおむすびらしき雪球を作る水羽がまぶしく見えた。


「ねえねえ、おむすびのなかになに入れたらいい? やっぱりウメボシかなー?」
「ウメボシなんてないでしょ」
「じゃあ、なに入れるー?」
「言葉を込めてあげなさい」
「言葉?」
「そう。 言葉はとっても強いの」
「つおいの?」
「ペンは剣よりも強しっていうくらいだから、絶対よ。
千の銃剣よりも三つの敵意ある新聞のほうが怖いともいうし」
「お姉ちゃんは、物知りだからなー」


小さな首を、何度も振ってうなずいていた。

子犬のようにつきまとってくる妹が愛しくて仕方がなかった。


「ウメボシを入れても、しばらくしたらなくなっちゃうでしょう?」
「うん、ウメボシも死んじゃう」
「でも、言葉は決してなくならないわ。 私たちが覚えている限り」
「おおー、そっかー」
「たとえ雪太郎が溶けちゃっても、私たちが残した言葉は永遠になくならないでしょ?」
「なるほどー、言葉って、とっても強いんだねー」
「水羽も、なにかあったら、まず話すのよ。 どれだけ怖い人でも、話せばわかってくれるから」
「パパとママも?」


ユキはにっと笑った。

幼いユキはまだ純粋で、言葉の影に追従する暴力の重要性を知らなかった。


「もちろんよ。 さあ、雪太郎にご飯をあげましょう?」
「うん、もう言葉は決まってるんだー」
「なあに、教えて?」


妹は、うきうきして言った。


「みずははいつでも、ねえさんの味方だよって」


ユキもたまらず、顔から笑みがこぼれた。


「ちょっとちょっと、そんな言葉を雪だるまに食べさせないでよ」


笑い声が、冬空に広がった。

陽はだんだんと沈んでいくが、姉妹はいつまでも晴れがましい。

やがて来る別れの面影など、これっぽっちもなかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


 

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深夜三時。


時田たちは港付近で消息を絶ったという報告を受けた。

夜の波止場に到着したところで、宇佐美から着信があった。


「浅井さん、いまどちらです?」
「港の近くだ」
「なるほど。 ユキはおそらく、どこかの倉庫のなかにいます」
「なぜだ?」
「つい先ほど、わたしの携帯に画像つきでメールが届きました」
「どんな画像だ?」
「水羽です。 手を後ろにしばられていました」


人質ってわけか。


「・・・で、メールの内容は?」
「理事長を連れて、いま浅井さんがいる倉庫付近にまで来いと」
「来なければ?」
「おわかりでしょう?」


白鳥を殺す、っていうのか・・・?


「とにかく、急いでそちらにうかがいます。 理事長も写真を見て承知してくださいました」
「わかった。 おれたちは時田のいる倉庫を探し出して、囲んでおくとする」


・・・時田も、なにをたくらんでいるんだ?

まさか、白鳥を殺すつもりはないだろう。

狙いは、あくまで理事長だろうか。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「フフ・・・いっぱい集まってきたみたいね」


倉庫の外から慌しく複数の足音が聞こえてきた。

倉庫内から明かりは漏れているから、居場所は簡単に見つかったことだろう。

ややあって、シャッターを蹴りつける音や、怒鳴り声が聞こえてきた。


倉庫の出入り口の鉄扉は固く閉ざされている。

相手はただの街のチンピラどもだ。

強行突入のための破砕具など持ち合わせているわけもない。


「姉さん、どうするの?」
「なあに?」
「もう、逃げられないわよ?」
「そうかしらね?」


さもおかしそうに肩をすくめた。


「逃げ切ってみせるわ」
「・・・どうやって?」
「正面から堂々とよ」
「そんなことが・・・」
「できるのよ、言葉は力だって教えたでしょう?」


水羽は思い知った顔になって、唇を噛んだ。

それを上から見下ろしながら、ユキは交渉の段取りを決めていった。


簡単なことだ。

相手は素人の集まり。

理事長も体面を気にして、すぐには警察を呼ばないだろう。

ハルにしても、まだまだ会話ではユキに及ばない。


問題は、最後の決意だった。

ユキの父、時田彰浩への謝罪。

彼は心優しき父親だった。

娘が罪を犯せば父の出処進退にも関わるだろう。

せめて一言、別れの言葉を告げたかったが、それもかなわないか・・・。


「姉さん、お願い。 考え直して?」


ユキの迷いを見透かしたように言った。

その媚びるような顔が、薄汚い実父と重なって、ユキの心は憎悪に燃え上がった。


「賽は投げられたのよ、水羽」


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――



・・・。




・・・・・・。





約一時間後、宇佐美が白鳥理事長を連れて現れた。

潮風に宇佐美のうすら長い髪が揺れている。

 

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「宇佐美、あれだ、あの倉庫だ。
窓からうっすらと明かりが漏れているだろう?」
「間違いなさそうですね。 どうやって入ったんでしょうか?」


宇佐美の疑問はもっともだが、答えようがなかった。


「いったい、今度はなんだっていうのかね?」


憔悴しきった表情で、白鳥理事長がおれに食いかかってきた。


「真犯人は、ユキだって?
あの娘の母親はうちの会社の金を横領したんだぞ?
本来なら警察に突き出してやるところを、追放するだけで許してやったんだ」


感謝こそされ、うらまれる筋合いはないと、息をまいていた。


「まったく、犯罪者の娘も犯罪者か」
「・・・・・・」


風が強くて理事長も助かったことだろう。

長い前髪の奥でかいまみえた宇佐美の理事長を見る目つきには、浅井権三のそれに近いものすら感じた。


おれは言った。


「なるほど、理事長。 横領すらも警察沙汰にしなかったのですから、今回もなるべく穏便にことを進めたほうがいいんですよね?」
「ああ、君だってそうだろう?」
「ええ、まったく」


内々に事を収めることができれば、時田にも未来はあるだろう。


「・・・・・・」


いや、時田の未来なんてどうでもいいが、ヤツはそれなりに優秀だ。

手なづけておけば、きっと、おれの将来に役立つだろう。


「ユキに連絡します」
「ああ、例の機械でおれにも時田の声が聞こえるようにしてくれ」


宇佐美はさっそく携帯を持ち出して、準備に入った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

着信があった。

 

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「遅かったわね、ハル」
「ユキ、そこにいるんだな?」
「ええ、今度こそ、ちゃんと倉庫のなかにいるわ。
小細工はなしよ、ハル。 理事長は連れてきたんでしょうね?」


そこで、お目当ての男の声が割って入ってきた。


「おい、ユキ。 貴様、いったい自分が誰を相手にしているのかわかっているんだろうな?」
「愛人がいないとなにもできない、甲斐性なしの男でしょう?」
「な、なんだと・・・!?」


真っ赤になった顔が目に浮かぶ。

ユキは挑発しながらも、本当に倉庫の外に理事長がいるのかを耳で疑った。

潮風のうなるような轟音が響いている。

まず、そこにいると考えていいだろう。


「ユキ、望みはなんだ?」
「フフ・・・ハル、立て籠もり犯にいきなり要求を聞いてはいけないわ」
「まずは、仲良くなってからって言いたいのか?」
「そう。 いまの私は、あなたの知らない人なのよ」
「馬鹿を言うな。 ユキはユキだろう。 水羽もきっと悲しんでる。
わたしもそうだ。 いまだに信じられない」


感情にたかぶった声を、ユキはあざ笑ってやった。

そうしないと、罪悪感が押し寄せてくるから。


「まるでコントね、ハル。
『お前たちは完全に包囲されてる、ほら、田舎のお母さんも泣いているぞ』って?」
「ユキ・・・!」
「少し黙ってよ、ハル。
あまり感情をぶつけてくると、犯人が興奮して取り返しのつかないことになるわよ?」


冷たく言いながら、縛られた水羽を見下ろした。


「私の要求を言うわ、ハル」


ユキはいきなり切り出した。


「いまから一時間以内に、車を一台用意すること」
「それだけじゃないんだろう?」
「さすがにわかる?」
「逃げるだけなら、わざわざ理事長を呼んだりしない」
「話が早くて助かるわ」
「・・・理事長を車に乗せて、どこに行こうっていうんだ?」
「さあ。 少なくとも理事長にとって楽しいドライブではなさそうね」


ハルが、息を詰まらせるのがわかった。


「わかった? 質問はない?
これから先、車が届くまでいっさいの交渉は打ち切るわ」


交渉人は、なんとかして犯人の反応を得ようとする。

相手がまったくの無反応ならば、さすがに打つ手がないからだ。

ユキはそれを知って、ハルとの必要以上の接触を避ける算段だった。


「待て、ユキ。 要求を呑まなかったら、どうするつもりだ?」
「あら、なんのための人質だと思ってるの? 水羽は置物じゃないのよ?」
「嘘はよすんだ。 ユキにそんな真似はできない」
「なに、勝手に決めつけてるのよ、ハル」


ユキは平静さを装って、内心で怒りを爆発させていた。


「あなたが私のなにを知っているっていうの?
逆に聞くけど、ハルだって、私に"魔王"のことは教えなかったじゃない?」
「・・・・・・」
「いい? 誰にだって深い闇があるのよ。 親にも友達にも相談できないようなストレスを抱えているの。 あなただってそうでしょう?
だから、友達だから、とかそういう甘ったるい考えはやめてもらえる?」


その瞬間、ハルの声質が変わった。


「"魔王"のことは教えなかった、だと・・・?」


ユキは、つい、自分が"魔王"とつながっていることをしゃべっていた。

しかし、そんなことはどうでもいい。

ハルがなぜ"魔王"を追っているのか、それこそ本人にしかわからない深い闇だ。


「私は"魔王"を知っているわ。 ええ、宿を借りたことすらある仲よ。
彼は歪んでいるけれど、信念を持った男だわ。 あなたと同じようにね」


挑戦状をたたきつけたつもりだった。


「わかったよ、ユキ」


ひしひしと緊張が募る。


「お前が"魔王"と関わっているのであれば、そして"魔王"を肯定するのであれば、わたしも容赦はしない」
「へえ、怖いわね・・・」


事実、ユキの笑みは引きつっていた。


「とにかく、一時間以内よ。
遅れたら勇者の大切な仲間が傷つくことになるから、急いでね」
「いいだろう」


短く言って、ハルのほうから通話を切ってきた。


「姉さん・・・」


妹は不安そうに、けれど、それでもユキを心配するような顔で見上げてきた。


ハルは怒りを覗かせた。

交渉人の緊張が高まれば犯人の感情もたかぶる。


「自分の心配をしたら、水羽。 いまの私の話を聞いていたでしょう。
私があなたを傷つけないだなんて、甘ったるく決めつけないで」


水羽の目に恐怖が宿り、ユキはようやく満足した。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「時田のヤツ、本気なのか?」


通話を終えてなお、その場で微動だにしない宇佐美に聞いた。


「昔、ユキは、お母さんと二人でひっそりと暮らしていたときのことを、面白おかしく話してくれました」
「・・・・・・」
「頼れる親戚もなく、北陸の小村にある町工場で住み込みで働いていたそうです。
お金がなくて、着るものにも困る有様でしたが、いつでもお母さんが助けてくれました」


・・・どこかで聞いた話だな。


「あるとき、村にダムを誘致するしないで、村中が賛成派と反対派に別れ、もめたことがありました。
ユキのお母さんは、建設会社に勤めていた経験から、工事の必要性を感じ賛成派に回ったそうです。
しかし、結果的に、ダムの建設は中止になりました。
すると、賛成に票を投じていた人たちはどうなったと思います?」
「ああ、わかったわかった。 そういう話は苦手だ」


おれは、うんざりして首を振った。

似たような経験は、おれにもある。


「小さい村ってのは、家と家とのつながりがなにより大事だ。
時田は親子ともども、村八分にされたってところか?」
「ええ、ユキたち親子の住む家も家事で全焼したそうですよ」
「おいおい、それは、いくらなんでもやりすぎだろ」
「いいえ、ユキは放火だと言っていました」


裁判に訴えたところで、問題の根本的な解決にはならない。


「が、そこにいらっしゃる理事長の話が本当なら、それも自業自得ってもんだ。
会社の金を横領して家を追い出された結果だろう?」

「ユキの話では、横領の事実はなかったそうです。
それについては、とても信憑性のある話を聞きました」
「そんなもん、真実はわからんだろうが」
「それでも、ユキに非はありません」
「なんにしてもだ、宇佐美。 てめえがなにも悪くなくたって、不幸は襲ってくるもんだ。
そんなもん、ずっと根に持っててもしょうがねえだろうが」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


・・・なにを言い争っているんだ、おれたちは?


「目の前の現実に目をむけよう」
「・・・はい」


おれたちは身を寄せ合って、小声で話しあった。


「時田は車を一台要求してきた。
理事長を人質に、さらなる逃亡をはかる予定だ。 目的は理事長の殺害にある」
「まさしくその通りですね」
「じゃあ、どうする? 要求どおり、車を用意するか?」
「・・・ひとまずは」


なにやら考えるように黙り込んだ。


「わかった。 一時間もかからん・・・」


おれは車の手配を進めた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

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「ねえ、水羽」


ユキは退屈を弄ぶように髪をかきわけながら言った。


「けっきょく、京介くんにはあのことは伝えられたの?」
「・・・いま、そんなことはどうだっていいじゃない」
「いまが最後のチャンスになるかもしれないっていうのに?」


水羽をまじまじと見つめた。

毅然としているようで、いまだに身に降りかかった不幸を信じられないという顔をしている。


「そのマフラー、暖かい?」


水羽は、こくりとうなずいた。


「いつあげたのか、覚えてる?」
「・・・私が、かぜをひいたとき・・・」
「うれしかった?」
「うん・・・」


うっすらと目を細める。

昔を懐かしむように。


甘い女の子だ。


不意に聞いてやった。


「どうして、便りの一つもくれなかったの?」
「・・・それは、だから・・・どこに住んでるのかも知らなかったから」
「探してくれてもよかったじゃない?」
「・・・ごめんなさい」
「私の母さんが肺炎で倒れたとき、マフラーのことを思い出したわ」


ふと、水羽がしゃくり上げるような声を出した。


「・・・私にあげなければよかったって、こと?」


目に悲しみをみなぎらせた水羽を、ユキはあざ笑った。


「だって、あなたは、私を探さないで、父親のもとでぬくぬくしていたんでしょう?」
「・・・そんなつもりは」
「今回だってそうじゃない。 水羽は私の誘いを断った。
あなたさえ協力してくれれば、もっと楽に理事長を脅迫できたのよ。
つまりあなたは、私より、父親を選んだってこと」
「姉さん、もうやめてよ・・・こんなの姉さんらしくないよ・・・」
「水羽こそ情に訴えるのはやめてよ。 私はもう、あなたと雪だるまを作ってたころの私じゃないのよ?」


水羽は目を伏せ、言った。


「・・・そんなに、父さんが憎いの?」
「当たり前でしょう」


ユキは目を見開いた。


「いっときの感情に身を任せて復讐しているわけじゃないの。
あいつに対する恨みと憎しみは、時がたつにつれて消えるどころか、どんどん強くなっていったわ」
「でも・・・姉さんたちが、家を出て行ったのには、理由が・・・」
「横領の話? 私の母さんがそんなことするはずないでしょう。
それは、あなたの父親の内部工作よ。 平たく言えば、愛人に手切れを言い渡したかっただけ。 証拠を見せましょうか。 私はちゃんと調べたのよ」


一年前、それも"魔王"の力を借りて。

思えば悪魔を頼った時点から、復讐の車輪は回りだしていたのかもしれない。


「家を追い出された当時、母さんが病気がちだったのは覚えてる?」


水羽の返答はなかった。

幼かった水羽は覚えていないようだが、ユキはいまでも思い出す。

血の混じった咳をして、ユキになんでもないと笑って見せた母の顔を。

そんな人間を、よくぞ冬の寒空に放り出してくれたものだ。


「そりゃあ、わかってるわよ。 愛人だもの。 いつかは切られる運命にあったんでしょうね。
でも、不倫にも筋ってものがあるでしょう。 なにも露頭に迷わせなくてもいいじゃない?」


ユキは、母の無念と苦痛を水羽に訴えても仕方がないとわかっていながら、どうにもならなかった。


「あいつが母さんを殺したも同然なの、それはわかってよ水羽・・・!」
「・・・なにも、こんなことしなくても・・・」


ユキは観念した。

妹とはいえ、しょせんは他人。

わかってもらえるはずがなかった。

実際、多くの犯罪者と対面してきたユキも、彼や彼女の生い立ちや、犯罪にいたるまでの過程を、どこか他人事のような冷めた顔で聞いていたものだ。


ユキはいまや寛容に言った。


「復讐が問題の解決にならないことは知っているわ。
でもね、救いにはなるのよ。 復讐こそが唯一の救いだと思い込んでしまったら、もうあとには引けないわ」


直後、着信があった。


ユキはひと息ついて、応答した。


「早かったわね、ハル」
「望みどおり、車は用意した」
「上出来ね。 すぐ出られるようにエンジンはかけっぱなしにしておいてちょうだい」
「本当に逃げられると思っているのか?」
「カーチェイスをするつもりはないわよ。 ぜったいに追ってこないでね。
追手の影でも見えれば、その場で海にでも突っ込むわよ」
「正気じゃないな・・・」
「正気でこんなことができると思う?」
「たとえ、わたしたちを振り切ったとしてもだ。 警察がユキを追うぞ」
「でしょうね。 今度こそ、警察を頼らない理由がないもの」
「一生逃げるつもりか? 今日捕まるか、明日捕まるかっておびえながら毎日暮らすのか?」
「あらあら、容赦はしないとか言っておきながら、まだ説得しようっていうの? 甘いんじゃないの?」


しかし、ハルは挑発には乗らず、ユキにとって一番痛いところをついてきた。


「ユキを追うのは、ユキのお父さんだぞ」
「そんなはずないじゃない」


冷たく言った。


「娘が罪を犯したら、捜査から外されるわ。 父さんもまた田舎に逆戻りよ」
「よくわかってるじゃないか。 もう一度言う。 いまなら、まだ『こと』は公にはならない。
まだやり直せる。 いますぐそこから出てくるんだ」
「投降したとして、"魔王"の仲間であるわたしはどうなるの?
あなたや、京介くんのお仲間さんたちに暴行されるんじゃないの?」
「そんなことは・・・ない」


語尾を濁すような言い方に、ハルの戸惑いが確認できた。

ハルはともかく、"魔王"を血眼になって探している園山組のヤクザたちは、ユキを捕まえれば、徹底的に絞り上げるだろう。


「話はこれまでよ。 次の要求を言うわ」


ちらりと水羽を見た。

妹はすでに言葉を失ったように、絶望に暮れているだけだった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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スピーカーから時田の要求が聞こえてきた。


「そこの理事長に質問があるの」
「・・・なんだ、なにが聞きたい?」
「重要なことよ。 正直に答えてね」


前置きして、続けた。


「私と母さんが北陸の小さな村に住んでいたとき、うちの家に火を放った男を知らないかしら?」
「・・・な、なにを言っているのかわからん」
「いいえ、知っているはずよ。 あれはあなたの指示?」
「知らんものは知らん」
「本当の目的は、母さんが持っていたあなたの裏帳簿よね?
おかげでなにもかも燃えちゃったわ。 良かったわね」


理事長は狼狽しながらも、しきりに首を振った。


「あのときは、村の人もわたしたちに冷たかったから、ろくに調べもしなかったわ。
家がなくなったおかげで、母さんの病状も悪化した。 この意味がわかる?」


時田の母親の死期を早めた人間がいるようだな・・・。


「教えなさい。 あなたの手の者だっていうのは、わかっているのよ?」
「ひ、火を放てなどと、命じてはいない・・・」
「盗みに入れって命じたんでしょう。
でも見つからなくて、めんどくさいから火をつけた。 こんなところかしら?」
「違う。 あれは、お前たちを心配して・・・そうだ、片倉くんにはお前たち親子の近況を聞きに行けと・・・」
「片倉っていうのね。 あなたの会社の社員? たいそう出世したんじゃない?」
「・・・取締役の一人だ。 それがどうした?」
「決まってるじゃない。 片倉もここに呼びなさい。
共犯のなかなんだから、身近に置いているんでしょう?」
「馬鹿を言うな。 放火の証拠なんてないだろう?
それに、いま何時だと思っているんだ? 無関係な人間を巻き込むな」
「無関係かどうかは、私が決めるの。
わからない? ここは私が法廷なのよ?」


背すじが寒くなるような、冷たい声だった。


・・・。



「理事長、ひとまず要求を呑むしかないでしょう」
「しかし・・・」
「まあ、いざとなったら、父に頼んでいろいろと揉み消して差し上げますので」


でたらめをしゃべったが、効果はあった。


「やむを得んな・・・」


渋々とうなずいた。


「部下への連絡が終わったら、なかに入ってきてもらえる?」
「・・・なぜだ?」
「いやなの?」


時田の声は怒気を含んでいた。


「あなたが来れば水羽を解放してあげるわ」


理事長の顔には汗が滴っていた。


「実の娘の命がかかってるのよ? あなたみたいな鬼畜でも、さすがに水羽は見捨てられないでしょう?」
「ま、待て、私になにをする気だ?」
「それは来てのお楽しみよ。 さあ、早くして」
「くっ・・・!」


彼は救いを求めるように、おれを見た。


「どうなさいます?」


おれに強制する権利はない。


「・・・っ・・・」


瞬きを何度か繰り返し、握りこぶしを作った。


「・・・わ、わかった・・・」

 

 

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「待ってください」


宇佐美が携帯電話を片手に、理事長の肩をつかんだ。


「危険すぎます」
「・・・しかし・・・」


「ハル・・・なんのつもり?」


直後、宇佐美は確信を持った様子で言い切った。


「ユキ、お前に水羽を傷つけられるはずがない」
「へえ・・・」
「これはつまり、人質が人質としての意味を成さないということだ」
「ふうん、そう思ってるんだ」
「だからこそ、理事長をそちらに行かせるわけにはいかない」


白鳥は殺せないが、理事長は殺せる・・・そういうことか。

理事長を人質に取られたら、今度こそ時田は容赦ない要求を突きつけてくる。


「なるほど、さすがはハルね。 私の思惑をあっさりと見破ってくれる」
「・・・・・・」
「でも、誤解をしているようだから、ちょっと教えてあげるわ」
「なに・・・?」


瞬間、ぱちんと皮膚を弾くような音が走った。

同時に、


「きゃあっ!!!」


白鳥の悲鳴があった。


「聞こえたかしら・・・?」


「・・・っ・・・うぅ・・・」


酷薄な時田と、悲嘆にあえぐ白鳥。


「・・・ユキ・・・」


眉間にしわを刻み、宇佐美は言った。


「いまのは、なんだ?」
「頬を殴ったの。
ちょうどいま、倉庫のなかで古びた釘を見つけたわ。 次は、これを使おうかしら」
「やめるんだ」
「私の言うことをおとなしく聞いてくれれば、やめてあげる」


耐えかねたように、前に飛び出す人影があった。


「わかった! いま行くから、娘を解放してくれ!」
「フフ・・・いいパパじゃない。
その優しさを少しは私にも分けて欲しかったものだわ」


おれは努めて冷静に言った。


「おい、時田。 理事長を引き渡せば白鳥を解放してくれるというのは本当なんだろうな?」
「もちろんよ。 信じて」


「信ずるに足りるものが見当たらなくてな」
「さすがは京介くんね。 初めて会ったときから、あなたと私は似た者同士だと思っていたわ」
「合理的なところが?」
「いいえ、心に複雑な闇を抱えているという意味で」
「戯言はいい。
もし、白鳥を返さなかった場合、おれたちは倉庫の中に乗り込むぞ」
「強行突入ってこと?」
「ここに屈強な男が何人いると思ってるんだ?
カギをぶっ壊してでも、なかに入ってやる。 そうなったらお前はおしまいだ」
「でしょうね・・・そういうところ、ますます気に入ったわ」
「ふざけていられるのもいまのうちだ」


実際のところ、倉庫内への侵入口はあたりをつけていた。

倉庫の外壁に窓がついている。

窓の高さは地面から五メートルほどだが肩車でもすれば簡単によじ登れるだろう。

しかし、それは、最後の手段だろうな。


「どう、京介くん、私と組まない?
私はそれなりに役に立つと思うのだけれど?」
「そうだな。 それもいいな。
具体的な話は、ひとまずお前がそこを出てきてからだな」
「そうね、じゃあ、理事長を引き渡してちょうだい」


「・・・っ」


「だめです」


倉庫の入り口に向かった理事長を、宇佐美は再び止めに入った。


「離してくれ。 もう私が行くしかないんだ」
「いけません。 犯人は、あなたを殺害するつもりなんですよ?」
「・・・・・・」


宇佐美がついに、時田のことを犯人と言った。

それは、友人であることの私情を排除するための措置なのかもしれない。


「強情ね、ハル。 そこの男は最低の類の人間なのよ?」
「たとえ、最低の人間だとして、見殺しにはできない」


時田が鼻で笑った。


「あなたはだから友達が少ないのよ。
そうやって正義風を吹きまわしているとね、みんなうさんくさいって思うものなのよ。
勇者様が人々に尊敬されるのはゲームの中だけよ?」
「とにかく人質の交換はしない」
「そうやって強硬な姿勢を取り続けていると、最悪の事態が待っているわよ?」
「だめなものはだめだ。 理事長、下がってください」


宇佐美の剣幕に気圧されたのか、理事長も二の足を踏む形になった。


「まったく・・・優秀なネゴシエーターね」


皮肉と舌打ちが返ってきた。


「また連絡するわ」


宇佐美がため息といっしょに、携帯を持つ腕を下げた。


「宇佐美、いいのか?」
「理事長を人質に取られたら、終わりです」
「それはわかっているが、かといって、白鳥を見殺しにもできないだろう?」
「ユキは水羽に危害を加えたりしません」
「まだそんな甘いこと言ってるのか? さっきヤツは白鳥を殴っただろう?」
「いいえ、あれは、はったりです」
「・・・どういうことだ、たしかにばちんって肌を張られたような音がしたじゃないか?」
「よく考えてください。
もし、ユキが本当に水羽の頬を平手でぶったのであれば、ばちんという音と同時に水羽の悲鳴が上がるはずがありません」
「・・・む・・・」


そうだな・・・普通なら、頬をぶたれたショックで白鳥は絶句しているところだろう。


「おそらく、水羽の目の前で自分の両手を叩いただけでしょう。 猫だましみたいなものです。 水羽は驚いて悲鳴を上げただけです」
「ということは?」
「犯人には、まだ良心が残っているということです」


まだ、な・・・。


「いまのはユキのミスです。
そんなはったりをしてこなければ、我々も二の足を踏むものを・・・」


たしかに、本当は白鳥を殴れないってことをおれたちに教えてくれたようなものだ。


「先ほども言ったように、これはつまり、人質が人質として機能していないということです」
「つけ入る隙があるってことだな」
「ええ・・・」


宇佐美はうなずき、倉庫の壁を見つめた。


「あそこに窓がありますね・・・」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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困ったことになったと、時田ユキは思った。

腕組みをしながら、水羽の周りを歩き回る。

問題は、やはり、人質が人質として機能していないことだ。

ハルは、さすがにその点に気づいていた。

先ほどの脅しなど、簡単に見破られたことだろう。

早めに理事長を人質として迎え入れなくては・・・。


「姉さん・・・」


口を閉ざしていた水羽が、顔を上げた。

虚ろな目。


「さっきは、驚かせてごめんね」


思わず口をついた言葉は、ユキの本心だった。

安全な家庭で育った妹はたしかにうらやましく、ねたましいが、暴力を振るうには、ユキはまだ気持ちの整理がついていなかった。


「いいの・・・」


つぶやいて、またうつむいた。

ユキは、間近に迫る強行突入に焦りを覚えていた。

水羽を傷つけられないとばれた以上、踏み込まれるのは当然のことだった。


侵入口はおそらく窓だろう。

窓から這い出てくるところを叩けば、一人二人なら追い払うこともできるだろうが、敵は頭まで筋肉でできているような男たちだ。

きっと、無尽蔵に攻め込んでくる。


「・・・っ!」


ハルの行動は早い。

窓の向こうに黒い人影。


――どうする・・・?


水羽を見下ろした。

水羽もこちらを見上げていた。


「姉さん、あのね・・・」


甘ったるい声だった。


腹をくくるしかない。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


「なかの様子はどうです?」


おれは権三の手の者に聞いた。

小柄な男が肩車をされる格好で、窓の向こうを覗き込んでいた。


「よく見えませんね・・・窓、ぶち壊しましょうか?」


おれは何気なく宇佐美を見やった。

 

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「いいんですか?」
「かまわんだろ。
言い忘れたが、この倉庫は、浅井興行が管理している物件だ」
「・・・それは、すごい偶然ですね」


言われてみればそうだな・・・。

時田はなぜ、この倉庫を立て籠もり場所に選んだのだろうか。


・・・まあいい、小さなことだ。


「よし、じゃあ・・・」


窓を破ろうと声をかけたときだった。


「ちょっとお待ちを・・・!」
「なんだ?」
「ユキからメールです」
「メールだって? 電話ではなく・・・?」
「画像が添付されています・・・これは・・・」


宇佐美の顔が険しくなった。

思わず、宇佐美の携帯を覗き見る。


「・・・なんだと・・・」


なにか鋭利なもので切り裂いたのだろう。

白鳥の太ももから、糸のように血が滴っている。

傷口は浅そうだが、その鮮血の意図するところに戦慄を覚えた。


「時田のやつ・・・」


やりやがった。

おれも学園生活に毒されて甘くなっていたのかもしれない。

なにが、姉妹だ。

心が凍りついていく。


「おい、宇佐美。 突入はひとまず見合わせるぞ」
「・・・・・・」


衝撃に口も聞けないらしい。

目を見開いて、携帯の液晶画面を見つめていた。

その携帯がけたたましく鳴る。

宇佐美は、茫然自失といった様子で、応答した。


「画像、見てくれた?」
「ああ・・・」
「私が本気だってこと、わかってもらえたかしら?」
「・・・・・・」


宇佐美は答えず、代わりにおれが口を開いていた。


「人間追い込まれればなんでもするんだな」
「そうね・・・ひどく腐った気分だわ。
生まれ変わるってこういうことなのかも」
「お前は地獄行きだ」
「あなたもでしょう」


おれもどこか、時田に気を許していたのかもしれんな。

時田の本性に寂しさを覚えていると、背後で理事長の声が上がった。


「事情はわかった・・・もう、勘弁してくれ、ユキ・・・」


娘の流血に色を失った理事長に、時田はあくまで冷酷だった。


「だったら、とっとと来てもらえるかしら?」
「ああ・・・いま行く」
「片倉への連絡は済んだ?」
「先ほど済ませた。 三十分以内に来るそうだ」


今度は宇佐美の腕は伸びなかった。

とぼとぼと倉庫の入り口に向かう理事長の背中を目で追うだけだった。


「おかしい・・・」


ぼそりと、なにかつぶやいた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


ひどく腐った気分というのは本当のことだった。

一度通話を切り、ユキは水羽の太ももの傷を見やった。


「これで・・・いいんだよね、姉さん・・・」
「ありがとう」


かろうじて言った。

 

あのとき・・・。


窓に人影が見えた直後、不意に水羽がうめいた。


『姉さん、あのね・・・』


ユキは目を見張った。

水羽が自ら足だけで立ち上がり、倉庫に点在するコンテナに身を寄せた。

なにをしているのかと止めに入ったときには遅かった。

水羽は左の足をコンテナの角に摺り寄せ、そのまま勢いよくしゃがみこんだ。

鉄コンテナの角は、切っ先の鋭い刃物となって、水羽の生足を容赦なく切り裂いた。


水羽は苦痛を訴えるでもなく、姉に告げた。


――これで、信じてもらえるでしょう?


考えるより先に、傷口の写真を撮り、ハルに送っていた。


ひどく腐った気分だった。


・・・。

 

 

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ユキは水羽をしばっていたロープから解き放ち、傷の具合を確認した。


「だいじょうぶよ。 もう、血は止まっているみたい」
「もう痛くないから安心して」
「それにしても、なぜ?」


水羽はかぶりを振った。


「姉さんに味方するって、決めたの・・・」
「嘘をつかないで。 いまさら遅すぎるわよ」


言いつつも、ユキはこの期に及んで妹を信じられない自分が嫌だった。


「私は、あなたの父親を殺そうっていうのよ? それに加担するっていうの?」
「うん・・・」


すべてをあきらめたようにうなずいた。


「納得がいかないわ」
「だって、姉さんのすることだから。 私、姉さんのこと好きだから」
「気持ち悪いこと言わないでよ」
「考えたの。 さっきからずっと」
「なにを?」
「いままでの私。 怖がりで、思ってることも口に出せなくて、子供っぽい私のこと。
声をかけたい人とも、まともにしゃべれなかった・・・」


水羽は口を結び、ユキを見つめてきた。


「姉さんが来るまで、友達らしい友達もいなかったの。
父さんが警察に容疑をかけられて毎日肩身の狭い思いだった。
姉さんが来て変わったわ。 ここ数日は、本当に楽しかったから」
「・・・・・・」
「クラシックの鑑賞会、楽しかった・・・」
「そう」
「あのあと、浅井くんとご飯食べてたんだよ。 彼、A型だって」
「ふうん」
「ぜんぶ、姉さんのおかげだよ。 昔から、姉さんといるといつでも楽しかった」


ユキは水羽の真っ直ぐなまなざしを受け止めるのが、つらくなってきた。

 

「雪だるまの名前覚えてる?」
「雪太郎でしょ。 くだらない・・・」


水羽が力なく笑った。

 

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「またいっしょに作りたいなって思ったら、決心がついたの。
私、姉さんといっしょに地獄に落ちるよ」


胸がうずいた。

水羽の全身を観察する。

目、手、足、口元・・・仕草から嘘をついている様子はひとまず感じられなかった。


「いいのね、水羽?」


もう一度、慎重に吟味してみた。


「父さんは、世間で知られている以上に、悪いことをたくさんしているの。
姉さんたちだけじゃない。 いつもうまいことやって切り抜けてきたみたいだけど、そろそろ報いを受けるべきなのよ。
警察じゃなくて姉さんに裁かれるんなら、しょうがないと思う・・・」


ユキは、水羽の言葉の影にひそむ幼稚さを感じ取った。

極限状態におかれ、感情がたかぶっている。

いっときの感情で、少女は父親殺しに加担するというのだ。

きっと本心では、理事長もユキも救われるような事態を望んでいる。

甘さを隠しきれないようだ。


「でも、どうしてだろうね・・・」


寂しそうに言った。


「どうして、わたしたちは、こんなに違うの・・・?」
「違う?」
「ぜんぜん違うじゃない。 見た目も、雰囲気も、話す言葉ひとつとっても違うわ」
「そんなもの、育った環境が違うからに決まってるじゃない」
「そうだよね。 そして姉さんは、それを恨んでるんだね」


ユキは、つい、語気が強くなっていたことを自覚した。


「似ていたかったの?」
「うん」
「なぜ?」
「なんとなく、姉妹だから」
「血は半分しかつながってないのよ」
「だから?」
「いまからそれすらも断ち切ろうとしているのよ。
二人の唯一の共通点である、父親を殺すのだから」
「唯一?」
「あなたが言ったことじゃない。 私たちは、まるで似ていないわ。
私はおしゃべりが好き。 あなたは寡黙。
私は現実的で、水羽は夢見がち。 なにか似ているところがある?」


ついでに言えば、ユキは私生児で、水羽はちゃんとした嫡子。

歴然たる溝がそこにある。


「私、人前だと姉さんの真似をして、気位が高そうに振舞っていたの」


ユキは思わず吹き出した。


「馬鹿ね。 自分を偽ったって、すぐにわかるわよ」
「うん、馬鹿だった。 今度からしない」
「今度があると思うの? 親を殺しておいて、未来があるとでも?」


きつく言うと、水羽は押し黙った。

指先がかすかに震えている。

怖くなったのだ。

ユキは嘆息して、目を伏せた。

やはり、この子に犯罪は無理だ。

そして、この純真な少女を傷つけることも、自分にはできない。


「思慮が足りないわね、水羽」
「え?」
「もういいわ。 私を助けようだなんて、軽々しく言わないで」
「そんな・・・私は、本気だよ・・・?」
「いいのよ、さっきのはうれしかった。
私が困っているのを、ただ見ていられなかったのね?」
「本気だってば。 姉さんの力になりたいんだって!」
「無理しなくていいの。 私に嘘は通じないって、よく知ってるでしょう?」


そのとき、倉庫の入り口の扉が強く叩かれた。


「おい、ユキ! ここを開けろ!」


母の仇の声だった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


白鳥理事長が、倉庫に向かって叫んでいた。

自ら人質になるつもりだ。


「理事長、いいんですか?」


おれはそばに立って聞いた。


「その場で殺されるかもしれないんですよ?」
「じゃあ、どうしろというのかね? 娘を傷物にされて、黙っていろとでも?」
「あなたは、娘にはお優しいんですね」


見れば、相当な悪人面だ。

ずるがしこい狐みたいな顔が、いまは醜く歪んでいた。

時田の親だけあって背は権三なみに高いものの、萎縮したように小さく見えた。

宇佐美の携帯を通して時田の声が届いた。


「いまから扉を開けるわ。 言っておくけど、下手な真似をしたら水羽の命はないわよ?」
「・・・・・・」
「聞いてるの、ハル?」
「・・・もうやめよう、ユキ」
「何を言い出すの? これからがいいところじゃない?」
「終わりにしようと言っているんだ」
「なにそれ?」
「出てくるんだ」
「話にならないわ。 京介くん、聞こえてるんでしょう?」



「ああ・・・」
「いま、私は水羽の首に釘を突きつけている。 この意味がわかるわよね?」
「扉が開いたときに、おれたちが乱入したら許さないってことだろ?」
「じゃあ、準備はいい?」


おれは理事長を見やった。

理事長も扉の前でうなずいた。


「開けるわよ・・・」
「ちょっと待て、ユキ!」


また宇佐美が邪魔に入った。


「少し時間が欲しい。 もうちょっと待ってくれないか?」
「・・・どうして?」
「頼む」
「自分の立場を考えてよね。 あなたの頼みを聞く理由がないわ」
「とにかく理事長はそちらには渡さない!」


おもむろに通話を切ると、宇佐美が倉庫の入り口の前に立ちふさがった。


「おい、君っ!」


「宇佐美、どけ」


おれは、もはやどうにでもなれ、という気さえしていた。

もともとおれは警察でもなんでもないし、とくに時田や白鳥の友人というわけでもない。

なぜ、こんな厄介ごとに園山組まで動かさなければならんのか。


「待ってください。 まだ、ユキが水羽を傷つけたという確証がないんです」
「おいおい、あの画像を見ただろう? 白鳥が血を流してたのはなぜだ?」
「わかりませんが、水羽がユキに協力したという可能性があります」
「それはおれも考えたがな・・・自ら血を流してまで人に協力するヤツなんているか・・・?」
「ありえない話ではないです」
「そんなヤツは物語のなかにしかいないっての。
それより、おれは、どこまでも時田を信用しようとするお前が薄ら寒くて仕方がない」
「わたしが寒いのはこの際どうでもいいです。
とにかく、もう少し様子を見たいんです」
「だ、そうですが、理事長どうします?」



「宇佐美くんと言ったね。 君はユキの友人だそうだが、いったい何者なんだい?」
「わたしが何者であるかもこの際どうでもいいです。
とにかく、理事長。 あなたが中に入ったら、我々はおしまいです」


再び、宇佐美の携帯に着信が入った。

しかし、宇佐美が電話に応じる様子はなかった。

時田の指示がなければ、理事長もなかに入るタイミングがつかめない。


「まあ、好きにさせましょうか」


理事長にあごをしゃくった。


「片倉さんがいらっしゃるまで待っても、そう状況は変わらないでしょう」
「ユキはいますぐ私が中に入ってくることを望んでいるんだぞ?」


おれは肩をすくめた。


「いますぐ入らなくても、娘さんを殺すってことはないでしょう。 大事な人質なんですから」


最悪の場合、窓を破って入ればいい。

白鳥が危険にさらされようと、知ったことじゃない。


「しかし、宇佐美」
「はい」
「犯人の怒りを買うことになったが、なにか考えがあるんだろうな?」
「・・・・・・」


・・・だんまりかよ。

 



・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


――まったく、どういうつもり?


時田ユキはそれから二度、ハルに連絡をしたが、つながらなかった。


「どうしたんだろうね?」


水羽が恐る恐る聞いてきた。


「なにがあっても理事長を引き渡さないつもりね。
まったく、馬鹿げてるわ。 犯人からの入電を無視するなんて。
私が異常者だったら、とっくに人質は殺されてるわよ」
「姉さんは異常者じゃないよ」
「そう思ってるつもりだけどね・・・」
「だって、私のことは大事に思ってくれているもの」
「・・・・・・」
「ノリコ先生にも悪いと思ってるんでしょう? 無関係な人を巻き込みたくないからよ」


しかし、現実には巻き込んだ。

窮地に追い込まれれば、わからない。


「また、どこか怪我してみせようか?」
「やめなさい」


即座に言った。


「逆に怪しまれるわ」


なにより妹の血など、見たくはなかった。


「ハルには、ばれちゃったのかな。 私が、わざと怪我をしたって」
「断定はできないはずよ。 だからこそ、彼らも窓からの突入をためらった」


ユキは現状に危機感を覚えていた。

水羽が人質として機能としていないことは、ユキの最大の弱みだった。

これでは、交渉もなにもあったものではない。

しかし、ハルにも打つ手はないはずだ。

少なくとも、いまのところは・・・。


「もう一度、電話してみたら?」


水羽はあくまでユキに協力する姿勢だ。

ユキはかぶり振った。


「いいえ。 向こうからかけてくるのを待つわ」


そのときは、ハルもなんらかの策を用意してくるだろう。


――後手に回っているわね・・・。

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


三十分ほど膠着状態が続いた。


その間、宇佐美は腕を組んでじっと倉庫を見据え、理事長はいらいらとタバコを吸い散らかしていた。


やがて、見慣れぬ高級車がけたたましいエンジン音をたてて滑り込んできた。

運転席から出てきた男を、白鳥理事長が出迎える。

どうやら、片倉が到着したようだ。

背が低くて小柄な男だった。

事情を説明している理事長に見下されながら、小さい手がせわしなく開いたり閉じたりしていた。

切れ長の眼鏡の奥で、残忍そうな光を放っている。


・・・栄市がふけたらあんな感じになるのだろうか・・・いや、片倉は栄一なんかよりも真に狡猾な顔つきをしているな・・・。


「宇佐美・・・どうするんだ? このまま朝日でも拝もうってのか?
携帯の電池もそろそろなくなるんじゃないか?」
「・・・ですね」


宇佐美は、理事長と片倉を横目に、ひとつうなずいた。



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「そろそろ、勝負を決めましょう」


視線が、おれの目を射抜いた。


「浅井さんは、わたしが正義の味方かなにかと思っていらっしゃいますね?
「・・・まあ、つまらん正義感をふりかざすのはやめてほしいな」
「そんなつもりはまったくないんですよ」
「そうかい」
「いまから説明するやり口を聞いたら、納得してくださると思います」
「お前が、正義の味方じゃないってか?」
「はい、むしろ外道です。
できることなら、こんなやり方はしたくなかった。 でも、他に方法が思いつきません」
「へえ・・・興味が沸いてきたな」
「しかも、賭けの要素もあります。 成功したとしても、ユキが抵抗をあきらめるという確証がありません。 我ながら情けない話ですが」
「もったいつけずに教えろよ」


宇佐美は、躊躇するような間を取ったが、やがて口を開いた。


「お願いがあるんです、浅井さん・・・」
「なんだ?」
「どうか、ユキを助けてもらえませんか?」
「助けるって?」


わけがわからない。


「なにが、時田を助けることになるんだ?
あいつを捕まえて警察に引き渡すことか? それとも時田の復讐を助けてやればいいのか?」
「理事長も死なず、ユキも警察の厄介になることはない」


つまり、ハッピーエンドってやつか・・・。


「もちろん、おれだって警察に事情を説明するなんて厄介ごとは回避したいがな・・・」
「わかってます。 浅井さんには、関係のない話だというのは。
ここまでつきあってもらって、ありがとうございました」
「・・・・・・」


なんだってんだ・・・。


「最後にもう一度だけ、力を借りたいのですが?」
「・・・・・・」
「お願いします」


・・・まあ、ここでやめるのも寝覚めが悪そうだな。


「ヤツは、"魔王"を知っているらしいからな。
ぜひとも話を聞いて、権三への手土産にさせてもらおうか」
「ありがとうございます」
「どうせ、嫌らしい策を立てたんだろう? それなりの付き合いだからな。
お前のもったいつけた言い回しは、もう慣れたよ」
「うれしいです」


気持ち悪いな、まったく・・・。


「わたしはいまだに、ユキを信じています。 水羽を含め、無抵抗な人を傷つけたりはしないと。
たとえば、いかに憎き理事長とはいえ、命乞いをされればユキも思いとどまるかもしれません」
「どうだろうな・・・」
「そこで考えました。
これは、なんとも危険な作戦です。 しかも、作戦を立てたわたしは安全という卑劣な・・・」


宇佐美は指を一つ立てて、話を続けた・・・。

それは、たしかに賭けの要素の高い手口だった。

 

・・・。

 

G線上の魔王【22】

 

・・・。

 

おれと宇佐美は、時田の報告を受けて、真っ先に理科準備室に向かった。

 

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「落ち着きましょう、浅井さん」
「わかってる」
「人が消えるなんてありえません」
「ああ、時田は妹が心配で、ちょっとしたパニックに陥ったんだろう」

 

おれたちは、廊下を駆けて、理科準備室に飛び込んだ。

 


・・・。

 


たしかに、もぬけのからだった。

 

 

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「さっきは、取り乱してごめんなさい」
「いや、おれもいま驚いている」


「橋本のやろう、どこいったんだ!?」


栄一も落ち着きなく、室内をうろついていた。


おれはざっと、辺りを見渡す。


橋本が飲んだを思われるペットボトルと、紙コップが一つ、机の上に置かれている。

さらに、橋本が使っていたと思われる懐中電灯。

 

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「浅井さん、床に手錠が・・・」


白鳥の自由を奪っていたと思しき黒い手錠が、床に転がっていた。


「手錠を外したということは・・・」


時田が無念そうに、唇を噛んでいた。

失意に打ちのめされたのか、続く言葉が出てこないようだ。


「・・・いったい、どういうことだ・・・?」
「時間稼ぎだったのよ」


気を取り直したように時田が言った。


「車を用意させて、さも正面から逃げるように油断させておいて、こっそりどこかから逃げたんじゃ?」
「ありえない。 ヤツはまだ、校舎のなかにいる!」


おれは叫んだ。

そして、外の園山組の連中を動かした。

徹底的に学園を捜索する。


「出入り口はきちんと固めていた。 外に逃げられるはずがない・・・!」
「本当か? どこか穴があったんじゃないか?」
「穴?」
「たとえば、秘密の出入り口とかよ・・・」
「栄一、馬鹿な冗談は・・・」


ふと、悪寒が走った。


「・・・待てよ」


おれの顔は激しく歪んでいることだろう。


「そういえば・・・この学園って・・・拡張工事してるんだよな?」
「・・・ええ」


そうだ・・・。

 

それがもとで、こんな事件が起きているんだ。


「もう終わったのか?」
「いや、でも、ほとんど終わってるって」
「それは、どこだ?」
「まだ立入禁止だからよく知らないけど、一階に新しく通路ができてるとか・・・」
「その通路には、当然、窓もありそうだな?」


栄一も、たまらずうなずいた。


・・・くそ、なんてことだ!


「すまん、おれの手抜かりだ・・・!」
「しらなくて当然です」


「そうね。
学園の関係者か、水羽ならあるいは知っていたかもしれないけど」


橋本は、白鳥から秘密の抜け道を聞き出したってことか。

 


「なんにしても、追うしかない」


おれは戸口に手をかけた。


「あとはおれがやる。 お前らは帰れ」


ヤツが逃げたのは、いまから三十分ほど前だ。

辺りを大勢でしらみつぶしに捜索すれば、まだ追いつく。


「あ、オレも行く!」


おれの背後で、栄一が駆け出す音が聞こえた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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時田ユキは苦悶の表情を浮かべ、理科準備室の窓の向こうに広がる闇を見渡していた。


「やられたわ、ハル・・・」


背後のハルに向かってため息をつく。

すると同じようなため息が返ってきた。


「残念な結果になったね・・・」
「私がまずかったのよ」
「水羽の手錠が外されたこと?」
「そうよ、それが何を意味するかわかる?」


聡明なハルはすぐさま答えた。


「水羽が、橋本さんに協力したことになる。
そうでなければ、手錠を掛けた人質を連れて逃げるわけがない」
「足手まといになるものね」
「どうしてそんなことに?」


ユキは、頭を振った。


ストックホルム症候群よ」
「なるほど・・・」
「ストックホルミングはプラスの面が多いから、普通はネゴシエーターもそれを助長するように働きかけるの」
「でも、今回は違った」
「言い訳をするようだけれど、普通はこんな短時間でストックホルム症候群なんて発生しないわ。
過去の事例をみても、百時間とか、半年とか、そういった長い時間をかけられるのが通例なの」
「通例は、通例だったと?」
「水羽も、父親の理事長を快く思っていなかったわ。
つまり、同じ事情を抱える橋本くんに同調しやすいといえる。
私はそれを見誤っていたのよ」


背後のハルには、慰めの言葉もないようだ。


「人の心にマニュアルなんて当てはまらないってことね」


ユキはもう一度ため息をついた。


「まだまだ、訓練が必要だわ」


直後、ハルの声が背中に突き刺さる。


「いいや、ここまではすべて計算ずくだったはずだ」


ユキの全身が凍りつく。


「そうだろう、ユキ?」

 

・・・。

 

 


そうね、ハル・・・ユキは心の中で笑った。

 

笑いはすぐに表情に出た。

 


―――――あなたさえ、いなければね。

 

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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おれの『かわいいぼうや』が楽しいことをしていると聞いていたが、果たしてどうなったかな・・・。

まあ、それなりに楽しい詐術だとは思ったが、宇佐美相手には通じないだろう。

共犯とは、ボロが出やすいものだからな。

そういった助言をしてやるべきだったか。

まあ、親の助けなど必要としなくても、子供は育つものか。


「フフ・・・」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「どうしたの、ハル?」


ユキは薄笑いを背後に飛ばした。


「まるで、私が真犯人みたいな言い方じゃない?」
「事実、真犯人だ」


ハルは厳しく言った。


「最初から、すべてユキが仕組んでいたことだ」
「どうしたの、ハル。 私たちは親友でしょう?」


しかし、ユキは内心ではわかっていた。

一番の親友は、自分がおかしいと思ったことを決して曲げない。


「ハル、落ち着いてよ。
橋本くんは水羽を連れて、拡張工事のあった廊下の窓から逃げたんじゃないの?」
「違う」
「じゃあ、どうやってこの部屋から消えたっていうの?」
「普通に、一階のどこからでも逃げられたと思う」
「それは、おかしいでしょう。
京介くんのお仲間さんたちが、学園を取り囲んでいたのよ?」
「だから、取り囲む前に、逃げたんだ」


ユキは、半ば観念していた。

にもかかわらず、会話に興じたくもあった。


「橋本さんは職員室に忍び込み、ノリコ先生を襲った。
そこに駆けつけた我々を校舎の外に出すと、ノリコ先生を理科準備室の隣の薬品室に閉じ込めた」
「私が学園に到着する前の出来事ね。 続けて」
「その後、橋本さんは理科準備室に立て籠もるわけでもなく、さっさと逃げてしまう」
「ちょっと待ってよ。 橋本くんはここにいなかったっていうの?」
「そうだ。 さも、わたしたちを見下ろしながら交渉をしているように見せかけて、実際は別の場所で電話を受けていた」
「別の場所、ねえ・・・」


ユキは驚いたように肩をすくめた。


「じゃあ、この部屋で、懐中電灯がちらついていたのはどういうこと?」
「懐中電灯は橋本さんが学園を出る前に、この部屋に残していったんだ」
「でも、あなたも見たわよね? ライトが明滅してたじゃない?
懐中電灯が勝手についたり消えたりするの?」
「いろいろ方法はあると思うが、最も簡単なのは、あらかじめ残量の極端に少ない電池を入れておくことだ。
そうすれば、懐中電灯はついたり消えたりを繰り返して、やがて消える」


正解。


「初めは、この部屋のカーテンが閉まっていなかったから、不自然だとは思ったんだ」
「カーテン、ね」
「普通、立て籠もりをするなら、カーテンは閉めるだろう。
外から室内の様子を探られるかもしれないし」
「そうね、ちょっと不自然ね。 でも、それだけで疑われるものなのかしら?」


ハルは、太い声で続けた。


「ユキが到着して、カーテンの閉まっていない窓に向かって手を振っただろう?」
「ええ・・・反応が鈍かったわね」
「鈍いはずだ。 窓の向こうに、橋本さんはいないんだもの。
おそらく、あらかじめ決まった時間に電話をよこすように指示していたんだろう?」


あれは、ミスといえばミスだった。

もとはといえば、ハルが手を振ろうなどと言い出さなければよかったのに・・・。


「どうしても私と橋本くんが共犯ということにしたいみたいだけれど?」
「残念だけど」
「ノリコ先生はどうなの。
あなたは記録係だからちゃんと覚えているでしょう?」
「うん、隣の部屋から橋本くんの怒鳴り声がしたと、解放された先生は証言した」
「じゃあ、それはどう説明するの?」


しかし、ハルはひるまなかった。


「賭けてもいい。
いま、ユキのポケットに小型のICレコーダーか、とにかく録音した声を発することのできる機器がある」


ユキはおかしくなった。

まさに、その通りだった。

あらかじめ橋本の声を吹き込んだICレコーダー。

橋本が学園を出る前に、この部屋に残させておいたのだ・・・。


「でも、そんな録音した声くらいで、隣に人がいるって先生に錯覚させられるかしら?」
「だから、解放された先生に、ユキはあまり質問をしなかった」


まったく、ハルは面白い。

ユキが、怪しまれるかもしれないと思ったところを、すべて突いてくる。


「あれはおかしかった。
中の様子を知る唯一の人物を、なぜ聞き上手のユキが放って置いたのか」
「たまたまよ。 疲れていたのかも・・・」
「録音した声は、ひと言ふた言なんだろう? それなら、恐怖に震える先生を騙すこともできそうだ」


ユキは手を上げたくなった。


「わかった。 わかったわ。 それで、身体検査を始めようっていうの?」
「別にやらなくても、まだ証拠はある」
「ぜひ、聞きたいわ」
「この紙コップだ」
「差し入れた紙コップ? それがどうしたの?」
「ペットボトルの中身はなくなっていて、紙コップも少しふやけている」
「橋本くんがドリンクを紙コップに注いで、水羽が飲んだってことにならない?」
「でも、口をつけたあとがない」


・・・さすが。


「ドリンクはすべて、流しに捨てたんだろう?」


だから、理科準備室を選んだともいえる。


「これはユキと橋本さんが共犯でなければ成り立たない手口だ。
そうでなければ、ドリンクを差し入れしたり、ケースを届けにいったユキが、中の様子を偽る意味もわからない」
「ふう・・・」


ユキは降参したくなった。


「さすがね、ハル・・・」


ハルの視線を痛いほど感じた。


「認めるんだな?」
「やっぱり、あなたを記録係にしたのが間違いだった」
「だから、チームでやろうっていったとき、渋っていたんだな?」


ユキは、背後のハルにわかるようにうなずいた。

あの時点で、負けは確定していたようなものだ。


「お約束だから聞くけど、最初に怪しいと思ったのは?」
「ユキ・・・!」
「教えてよ、怖い声出さないで」


ハルは悲しそうに言った。


「バスケットボールの話をしていたとき・・・」
「やっぱりね」
「橋本さんがこう言ったんだ。 『ほらあのアイスアリーナを見ろよ』って」
「あのときは背すじが凍ったわ」
「そこの窓から、アイスアリーナなんて見えないはずなんだ」


ユキはそれを悟られまいと、窓辺に立っていたのだが、まったくの無駄だった。

橋本に足を引っ張られた形になったが、責任は自分にある。

彼はもともと単純な男だった。

黒板にいたずらする程度の、つまらない男。

そんな人間を、目的を持った冷静な立て籠もり犯に仕立て上げるのは、いささか無理があった。

調子に乗って初体験がどうのと本性を覗かせたときには、殴ってやりたい気分だった。


「いま、水羽は、アイスアリーナの見える場所にいるんだな?」
「そう。 橋本くんと一緒にね。 あらかじめ私が睡眠薬を飲ませて運んだのよ」
「・・・なんてことを・・・」
「だって、あれだけくだらない父親にまだ義理立てしてるのよ? 信じられる? どこまで人がいいのかしら」
「本当は、水羽も犯行に誘う予定だったんだな?」
「残念なことに、交渉決裂よ。
ある有名なネゴシエーターも家族だけは説得できないって言ってたわね」


言い切ると、振り返ってハルを見据えた。

 

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「ユキ、お金はまだこの部屋にあるんだろう? 隣の部屋か?」
「それを返したら、全部許してもらえるのかしら?」


ハルは押し黙った。

そのつらい表情に胸が痛む。

しかし、ユキは冷然と言った。


「許さないわよね。 あなたは、正義の勇者様だもの」


ハルは頭を振った。


「動機は、やっぱり理事長への復讐か?」
「たいしたことじゃないでしょう。 不正に受け取ったお金なのよ?」
「不正に受け取ったお金を、不正に泥棒していいのか?」
「警察も、ついに理事長を逮捕できなかったのよ。
だったら、誰が悪を懲らしめてあげられるの?」
「わたしは、それがユキでないことを願っていた」
「甘いわね、ハル。 善人は馬鹿を見る時代なのよ?」
「わたしは時代に生きているわけじゃない。
わたしはあくまでわたしの考えに基づいて生きている」


"魔王"と同じようなことを言う。

さすがは勇者といったところか。


「そこをどいてよ、ハル」


ユキはあごをしゃくった。


「どこへ逃げようというんだ?」
「そうね。 京介くんを敵に回したら、この街では暮らせそうにないわね」
「ユキ、聞いてよ」


ハルが両手を広げて立ちふさがった。


「聡明なユキのことだから、やむをえない事情があったのだと思う。
でも、ユキは間違ってる」
「ありがとう、ハル。
いろんな人に迷惑をかけたことは心苦しく思っているわ。
とくに、ノリコ先生には本当に悪いことをした。
京介くんたちは、いまごろ必死になって犯人を追っているでしょう」
「だったら・・・」


ハルの訴えをさえぎって言った。


「もう、遅いわ。 私はとっくに悪魔に魂を売ったのだから」


ハルの目に絶望の色が宿った。

その刹那、ユキはハルを両手で突き飛ばした。

 

ハルがうめく。

よろめいて、体勢をくずした。

足を払うと、長い髪が揺らめいた。

床に転がったハルを置き去りにして廊下に飛び出る。

すぐさま理科準備室の戸を閉める。

鍵を鍵穴に勢いよく押し込んでがむしゃらに回した。


一か八か。

 

「ユキ!」

 

 

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扉がきしむ。

ハルが無念そうに戸を叩きながら、わめいている。

運よく鍵が壊れたのだ。


「逃げるな! いまならまだやり直せる!」


ユキは普段からそうするように、薄く笑った。


「交渉において、怒鳴ったら負けよ?」


そう、やり直せるはずがない。

あとは振り向くことなく、暗い廊下を走り去った。

ハルの悲痛な声が、いつまでも耳に残った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


宇佐美の連絡を受けて、おれは再び理科準備室に戻ってきた。

 

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「どうも、ご迷惑をおかけしまして・・・」


事情は聞いた。

時田が主犯だったこと、そしていずこかに逃亡したこと。

親友に裏切られた宇佐美は、それでも平然としているようだった。



「ユキを追いましょう」
「ああ・・・」
「あの状況で逃げるということは、ユキにはまだやり残したことがあるということです」


宇佐美の顔が、再度引き締まった。

 

 

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「水羽も、心配です」


もう時刻は深夜の二時を回っている。

理事長はすでに帰宅し、この件についてはもう一度話し合うことになっていた。

栄一はノリコ先生を送っていった。


「わかった。 全力で時田を探そう。
この時間に制服でうろついている背の高い美人だ。
街にいる園山組の人たちに声をかけてみる」
「すみませんね、いつも」
「まったくだ・・・あまり関係のないことでヤクザを動かしすぎると、本当に指をつめることになるぞ?」


宇佐美が力なく笑った。


「関係なくもないと思うんですよ」
「・・・え?」
「この迂遠なやり口。 人を弄ぶような犯罪。 誰かの入れ知恵とは思いませんか?」
「まさか、"魔王"?」
「わたしの考えすぎですかね。 そうですよね。
ユキが"魔王"とつながってただなんて、そんなはずないですよね?」


何も言えなかった。


「ユキのお父さんは、時田彰浩さんと言いまして、そりゃあ立派な方なんですよ。
警察の、警視正っていうものすごく偉い人なんですよ。
だからユキも、そんなお父さんの恩を仇で返すような真似はしないはずなんです。
ええ、そうです。
そりゃ、白鳥理事長には恨みもあるでしょう。
でも、脅迫して復讐するなんて、おかしいじゃないですか。
ユキは時田警視正の下で立派に育ったんです。
いまのお父さんでよかったと、自慢げに言っていたこともあります」


感情のたかぶりを抑えられないようだった。


「こんな根暗なことしなくてもいいじゃないすか・・・なんでまた・・・こんな・・・ユキならもっと考えて・・・そう、もっとうまく理事長を見返してやれるはずなんです・・・」


だんだん声が震え、手が震えてきた。


「おかしいですよ・・・あれはユキじゃない・・・」


宇佐美はただ、悪を求めているのだろう。

宇佐美の知る時田を宇佐美の知らない時田に変えた悪が存在しなければ、心が納得しないのだ。

悪への信仰だけが、唯一人を救う場合もあるのではないか。


「宇佐美・・・」


気の迷いか、宇佐美の肩に手を置いた。


「・・・・・・」


宇佐美は嫌がるでもなく、おれの体温を受け入れていた。

いつもうざったく、気持ちの悪い宇佐美が、いまはとても小さく、おれの手のひらにすっぽりと収まってしまいそうだった。

やがて夜は深まり、一等厳しい風が寒さを運んで窓を叩く・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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時田ユキは、ネオンが織り成す繁華街の雑踏に紛れ、善後策を練っていた。

計画通りにことが運んでいれば、いまごろ大金を持って、橋本と水羽の待つ安アパートに向かうはずだった。

悪いことは重なるのか、アパートの近くまで来たというのに、橋本と連絡がつかない。

なんらかのアクシデントがあったのか、とにかくいま、アパートに入るのは危険だった。


ユキは暗がりに寄って、ビルの壁に背を預けた。

制服姿は目立ちすぎる。


――"魔王"を頼るべきだろうか。


こうして追われる身となって、改めて"魔王"の周到さがわかる。

この街に潜伏しながらも、裏社会に根を下ろした園山組から見事に逃げおおせている。

"魔王"ならば、身の安全も保証してくれるだろう。


――でも、私は"魔王"の手下ではない・・・。


"魔王"から、今回の計画の立案にあたって、ささいな助言はあった。

あとは水羽を眠らせるための睡眠薬を調達してもらった程度だ。

いま思えば、まさに魔が差したのかもしれない。


きっかけは二年も前。

一つの電子メールだった。

相手は自らを"魔王"と名乗った。

ただの変質者のいたずらにしては、やけにユキの身の上を調べ上げていた。

私生児であること、母がすでに亡くなっていたこと、まるで探偵の身辺調査のような報告書を突きつけられて、ユキは"魔王"とやらに興味を覚えた。


何度かメールのやりとりをしたあと、田舎から単身で富万別市にやってきたユキは、好奇心から"魔王"と会うことにした。


・・・。

 

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そのクラブは、セントラル街の奥まった場所にあった。

入り口で名前を告げると黒と赤を基調とした広いVIPルームに通された。

天井にライトはなく、足元からの間接照明だけが頼りの薄暗い部屋だった。

なによりユキが眉をひそめたのは、店員から客に至るまで、ほとんどの人間が仮面をかぶっていたことだ。

性的倒錯者が使用するような切れ長のアイマスクや、派手な飾りのついたサテン生地のフード。

まるで中世ヨーロッパの絵画に出てきそうな、悪魔の被り物をしている者もいた。


「はじめまして、時田ユキ。 私が"魔王"だ。
わざわざ田舎から飛行機で来てもらってすまなかったな」


"魔王"も周囲の人間の例に漏れず、『オペラ座の怪人』を思わせるような白い仮面をつけていた。

ユキはとくに気にせずに、会釈した。


「お招きありがとう。 ずいぶんと素敵な場所ね」
「気に入ってもらえたかな。 ここではどんな地位の人間も子供になって遊ぶことができる」


そこかしこから、男と女の矯正が聞こえてくる。

酒をあおり、女をはべらせ、ふしだらな行為に興じている。


「それで、私になんの用? つまらない用事だったら、警察に駆け込ませてもらうけれど?」


仮面の向こうで、低い哄笑(こうしょう)があった。


「あちらにいらっしゃる御仁がわかるか?」


"魔王"があごを向けた方を見やると、ぶくぶくと肥えた中年の男がいた。

丸裸の下半身に紙おむつだけを履いて、ソファにごろりと転がっている。

そばに立つエプロン姿の女性が、まるで赤子をあやすようにガラガラと音がする玩具を振っていた。

その光景の異様さに、ユキは思わず目をそむけた。


「あちらは、警視庁の天上人だ。
夜は素敵なプレイに興じられているようだが、朝になれば正義の警察官として、私のような犯罪者を追い詰める。 面白いだろう?」


ユキは呼吸を整え、平静さを取り戻そうと試みた。

しかし、状況の異常さが、それを阻む。

 

"魔王"は目の前に高々と積まれた大金にはまったく触れようとしなかった。


「警察や暴力団への根回しなしで、こんな店が日本で営業できるはずがないだろう?
お父上に恥を掻かせるような真似はよすんだ」
「よく知っているわね、私の父が警察官だって」
「ああ、だからこそ、お前に声をかけた」


ユキは落ち着いて、"魔王"の声色と仕草を吟味した。

顔の表情が見えない以上、"魔王"という人物を知る材料は限られてくる。


「聞けば、時田は長年、犯罪心理学を勉強しているとか?」
「探偵でも雇ったのかしら?」


"魔王"はそんなところだと、うなずいた。


保護観察所に縁者を装って何度も通ったそうじゃないか。 なかなか楽しい子供だったようだな」
「ありがとう。 おかげで変な目で見られたけれど、いまでは友達もたくさんできたわ」


薄く笑いながら、"魔王"を観察した。

さきほどから二度、足を組み替えている。
手には話に合わせて開いたり閉じたりと、忙しない。


典型的な外交タイプだ。

ユキはそう判断した。

こういうタイプは論理や理屈を組み立てて判断を下す。

手を動かすとき、指先の一本一本に至るまで表現を忘れない。

かなり細心な男のようだ。

それが、ただの小心からくる落ち着きのなさなのか、それとも慎重を期すタイプなのか、ユキには判断がつかなかった。


「いろんな犯罪者と会って、どう思った?」
「どうもこうも、みんないい人ばかりだったわ。 私とよく遊んでくれたもの」
「彼らも寂しかったんだろう。 娘ができた気持ちだったのでは?」
「そうね・・・」


相づちを打ちながら、ユキは警戒していた。

さきほどから、会話の主導権を"魔王"に握られている。

"魔王"は一切自分のことを語らずに、ユキの心の領域に踏み込もうとしていた。


「ところであなたは、どうして"魔王"なの?」
「悪の権化としてわかりやすくていいだろう? そういう時田は、なぜカタカナでユキという名前なんだ?」


・・・やり手ね。

質問をさらりと受け流し、逆に質問を返してくる。

応酬話法を心得ていることから、企業のビジネスマンかと思われた。


「名前の由来は私も知らないわ。 お役所に届けるときにうっかりしちゃったんじゃない?」


ユキは戦略を切り替えることにした。

こういう外交的なビジネスマンタイプの人間を質問攻めにしても効果は薄い。

こういったタイプは、とにかく話したいのだ。

話し相手が素直に受け答えに応じるようになって初めて心を許す。

そうなれば、あとは勝手に自分のことを語りだす。


"魔王"がまた足を組み替えた。


「かわいそうだな。 子供は自分の名前を選ぶことができない。 実の父を恨んだことは?」
「それは、何度も」
「母の葬儀にも来なかったそうじゃないか?」
「ええ、あの夜は、どうやって思い知らせてやろうかと、それだけを考えていたわ」
「それをいま、実行に移そうとは思わないか?」


ユキは、わかるように声に出して笑った。


「フフ・・・クロージングをかけるには、早すぎるとは思わない?」


"魔王"も笑う。


「これは失礼。 時田に復讐を実行させることが私の目的ではないのだが、そう聞こえたのなら、すまなかった」


おどけるように手を広げ、もう一度、足を組み替えた。

ユキも微笑を浮かべながら考えた。

"魔王"は会話を切り出す直前に足を組みかえる。

この反応がなにを意味しているのか。

足を組みかえるという行為は、緊張を緩和させる場合が多いとされる。

つまり、嘘をごまかしているのではないか・・・?


「じゃあ、本当の目的をそろそろ教えてもらえる?」
「時田と、遊びたかった。 それじゃダメか?」
「こんな場所で遊ぶ趣味はないわ」
「わかった。 本当のことを言おう。 目の前に何がある?」
「お金ね。 何億あるのかしら」
「実は、あることをしてもらいたいんだ。 報酬ははずむ」
「聞くだけ聞いてみましょう」
「簡単なことだ」


そのとき、"魔王"が再び足を組み替えた。


「銀行口座を一つ作って欲しい。
そして、いずこかから振り込まれた金を、私に渡してくれ。 受け渡しは、この部屋だ」


ユキは確信を持って強く否定した。


「嘘はやめて」


"魔王"は言葉を詰まらせたようだ。


「銀行口座? なぜ私なの?
あなたは私の家庭環境から能力まで細かく調べ上げて、けっきょくはそんな誰にでもできるような仕事を任せようっていうの?」
「なにごとも、信頼関係というものがある。
まずは小さな仕事からお願いしたいと思っても不思議はないだろう?」
「いいえ、あなたは嘘をついているわ」


鋭い視線で、"魔王"の膝を射抜いた。

落ち着きのない長い足は、またもう片方の足に乗ろうとしていた。

"魔王"がうなずきながら余裕そうに言った。


「面白いな」


"魔王"は、ぴたりと手足の活動を止めた。

それからもおかしそうに聞いてきた。


「そうやって、人の心を探らねば、不安か?」


言いながら、両手の指先を合わせ、ソファに深く腰掛けた。

ユキは憮然としながらも、内心では焦りを覚えていた。

 

これまでとはまるで雰囲気が違う。

両手の指先を合わせるのは、威厳や威信を示す表現とされているが、この男はそれを知っていてわざとやっている。


「ちょこまかと手足を動かしていたのは、わざとね?」
「どうかな・・・」


今度は仮面から飛び出ている前髪を指で遊ばせた。

不安や自信のなさの表れとされているが、"魔王"が恐れを抱く理由はどこにも見当たらない。


「なんなのよ・・・!?」


思わず、いらついた声をだしてしまった。

"魔王"はそれを好機とばかりに、一気に身を乗り出してきた。

それはユキのパーソナルスペースを侵犯する距離だった。

まずい、と感じたときには、"魔王"の力強い声が迫っていた。


「私の仲間になれ、時田ユキ」


次の一言がユキの心をえぐった。


「そうすれば、その類稀な好奇心を満たしてやろう」
「・・・好奇心、ですって?」
「ごまかすな、時田。 罪を感じているのだろう?」


仮面が、にたりと笑ったように見えた。


「現に、お前がこれまで会ってきた犯罪者は、模範囚の善人ばかりではないか」
「だったら、なんなの?」


ユキは、言い返さなければ勢いに呑まれると危惧した。


「そうよ。 私が見てきたのは、刑期も半ばで仮出所してきた人たちがほとんど。
根がいい人なのは当たり前。 でもそれがなに? 何か悪いの?」


声のたかぶりを隠すことはできなかった。

それは、ユキがこれまで鍵をかけてきた心の病室だった。

 

悪いに決まっている。

 

興味から人を観察しようなどと、心から反省して出所してきた人たちに対して、失礼極まりない行為だった。

罪悪感にさいなまれるユキに、いつも悪魔はささやきかけた。

あのときは、子供だったのだから。

複雑な家庭環境に育ち、人を信じられなかったから・・・。

悪魔の王たる"魔王"が、そんなユキの心のすきを見逃すはずもなかった。


「なにも悪くない。 なにも悪くはないが、もったいないとは思う」
「・・・もったいない?」
「世の中にはもっと、おかしな人間がいる。
欲望に歯止めのきかなくなった真の凶悪犯や、嘘を真実と信じたまま話すことができる社会病質者。 目的のためなら手段を選ばぬテロリスト」


ユキの胸が、不覚にも高鳴った。


「時田はいずれ、父にならって警察官を志すのだろう?
ネゴシエーターの必要性は、近年になって日本でもようやく認められてきた。
お前はその卵だ。 いまから実地訓練をしておいて損はなかろう?」
「つまり、なんなの?」


ユキはしゃべるたびに冷静さを失っていった。


「あなたのお仲間になれば、いままで私が見たこともないような変人を紹介してくれるっていうの?」


仮面が、深くうなずいた。


「いくらでも」
「・・・そんな、嘘でしょう?」
「嘘かどうか、たしかめたくはないか?」


また、ユキは迷わされた。

返答に詰まっているうちに、"魔王"が言った。


「これから、ここで、ある外国人と会うことになっているのだが、いっしょにどうだ?」
「・・・外国人?」
「ああ、鼻毛を切らない習慣があるが、気のいい男だ」
「でも、犯罪者なのでしょう?」
「ただの商人さ」
「あなたは犯罪者って名乗ったわよね? 犯罪の密談を警察官の娘が黙って見過ごすと思う?」
「そう構えるな。 酒を酌み交わすだけだ。 そして、この金の一部を渡す」
「豪邸でも買ったの?」
「余裕が出てきたな。 乗り気になってきたと思っていいのかな?」


"魔王"が、またソファに深く腰掛けた。

ユキの胸のうちでは警鐘が鳴っていた。

同時に抑えられないくらいの好奇心が、病室の壁をがりがりと引っかいていた。


「お前は、なにも知らなくていい」


"魔王"が優しく言った。


「私が何者で、どんな商売をしていて、なにをたくらんでいるのか。
犯罪につながるようなことを一切知らずに、ただ貴重な体験ができる」


たしかに、"魔王"を知ってしまえば、犯罪を容認することになる。

それは、越えてはならない一線だった。


「どうかな、悪い話ではないと思うが?」


ユキは、悩んだ。

しかし、それは正確には悩んだふりにすぎなかった。


「訪問販売なんかでは、玄関のドアを開けさせたら、もう勝ったも同然らしいわね?」
「押し売りをする気はないがな」


"魔王"に会った時点で、すでに運命は決まっていたようなものだったのかもしれない。

もともとユキは、父親には黙って上京してきていた。

嘘をついたわけではないが、とにかく行き先を告げなかった。

きっと、これからも、そうするだろう。


「それで、"魔王"?」


肝心なことを聞かずにはいられなかった。


「親切に私の好奇心を満たしてくれるのはいいけれど、見返りに何を求めているの?」
「・・・・・・」
「私の父に関わるようなことだったら、お断りよ?」


父に迷惑はかけられない。

"魔王"は犯罪者だ。

警察官の父を利用しようとたくらんでいるのかもしれない。

ユキは毅然として、"魔王"をにらみつけた。


"魔王"は、仮面の向こうで、赤子に語りかけるようにゆっくりと言った。


「とくに見返りを求めているわけではないが、強いて言えば・・・」


"魔王"が仮面に手をかけた。


「魂、かな・・・」


冗談には聞こえなかった。

 

契約は成った。

 

素顔をさらした"魔王"からは逃れられそうになかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

その後は、だいたいひと月に一度、"魔王"との密会があった。

"魔王"の知人を交えた面談は、富万別市で行われることもあったが、不思議と日本海沿岸の福井や新潟の小村が多かった。

ユキは様々な人間を紹介された。

モスクワの闇市場を支配するチェチェン人、テログループの一員と思しきイスラム教徒。

"魔王"はよく漁港で現地の漁師からスーツケースを受け取っていたが、中身が何であるかの説明はなかったし、またユキも聞くつもりはなかった。

日本人の場合は、子供が多かった。

彼らは政治家や大企業の御曹司であると教えられた。

なんからの事情でお日様の下を堂々と歩けなくなった少年少女。

皆、一様に心に病をかかえていた。

彼らはユキにとってある意味逸材といえた。

自立支援施設にでも行かなければ面会できないような子供たちだったのだ。

ユキは、バラエティに富んだ普通ではない人々を次々と知っていった。

同情し、同調し、共感しながら、経験則を培っていった。

好奇心に歯止めが利かなくなるのに、そう時間はかからなかった。


何度も顔を合わせたものの、"魔王"の存在は依然として謎だった。

多くの資金を持ち、怪しげな人脈を開拓している様はいかにも"魔王"といった感じであったが、実際に犯罪の瞬間を目撃したことは一度もなかった。

かといって、心を許せる相手では決してなかった。

 

 

・・・。

 

 

 

 

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「まさか、ハルが追っていた人間こそが、"魔王"だったなんて・・・」


前の田舎の学園でも、ハルがなにかしら目的を持って、人を探していることは知っていた。

しかし、いくら仲良くなろうとも、ハルはユキに"魔王"のことを教えなかった。

ユキがそれを知ったのは、つい先日、"魔王"に利用されたらしき西条という男を尋問したときだった。


ユキは、"魔王"の連絡先――おそらく複数あるだろうが――を知っているし、間近で何度か相対している。

そういった情報をハルにもたらすべきなのか、しばし迷った。

迷っているうちに、今回の立て籠もり事件を"魔王"に吹き込まれた。

当初は理事長以外の誰にも迷惑をかけるつもりはなかった。

橋本の素性を明かすつもりもなかったし、ノリコ先生を巻き込むつもりもなかった。

水羽を説得した上で、立て籠もりを偽装し、理事長にささやかな復讐を遂げるはずだった。


――それが、なぜ、こうなってしまったのか。


答えはユキ自身の弱さにあった。

爆破事件を起こした"魔王"の関係者であることを、警察官の父に打ち明ける勇気はなかった。

ハルに、嫌われたくもなかった。

そもそも、理事長を脅して、いくらかの現金を受け取ったとして、いったいユキのなにが満足するというのか。


『気が済むではないか?』


"魔王"は、そう言った。

心にわだかまりを抱えたままでいいのかとけしかけてきた。


『理事長という最も制裁を受けるべき相手を放置したまま、優秀な警察官になれるとでも?』


もちろん、理事長には言いたいことは言わせてもらった。

母を捨て、葬儀にも出席しなかったことを、力の限りなじってやった。

けれど、理事長は形ばかりに頭を下げるのみだった。


『なぜ、理事長が反省しないのか、それは、時田に力がないからだ』


"魔王"の言う、力とは、純粋に暴力としてのバックボーンだった。


『あまりこういう大きなたとえは好きではないが、この世界を見てみろ。
軍事力の最も大きい国が、最も大きな発言力を持っている。
力のない人間がどれだけ素晴らしいことを言ったところで、一部の美談好きの人間しか耳を貸さない。 けっきょくは凶弾に倒れたり、多数派の迫害を受けることになる』


優秀なネゴシエーターの背後には、例外なく優秀な特殊急襲部隊がいる。


『私は子供が大好きでな。
時田のような優秀な子供が、話せばわかる時代を創り上げてくれると信じているが、いまはまだ早すぎる。
まだまだ数と、金と、握りこぶしがものを言う』


ユキは悪魔の誘いを甘受した。

思えば、"魔王"と二年もつき合って毒されぬはずがなかった。

"魔王"は常に冷静で、魅惑的で、そしてなにより若者の心を捉える刺激を備えていた。


その結果、ユキはハルを裏切り、水羽を傷つけ、暴力団に追われることになった。


――自業自得ね。


暗がりに踏み入る一つの影があった。

 

 

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「あら、水羽」


水羽は、憮然として、そこに立っていた。


「話は全部、橋本くんから聞いたわ」
「へえ・・・」


腕力には信頼のおけそうな男だったが、女相手と油断したのか。


「私を縛ってたロープ、ゆるんでたから。 すきをついて彼のナイフを奪ったの」
「すごいわね。 そんな度胸があるなんて知らなかったわ。
その勇気の一部でも、京介くんに向けられたら良かったのにね」
「・・・姉さん、本当なの?」
「なにが?」
「本当に、姉さんが学園で事件を起こしたの? 私の父を脅迫したの?」
「本当よ」


にべもなく即答した。


「そうしないと気がすまなかったの」
「それで、気はすんだ?」


ユキは曖昧に首を振った。

 

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「なに、その手?」
「困ってるんでしょう?」
「助けてくれるっていうの?」
「うん」


ユキは薄笑いを浮かべながら、ちらりと水羽の顔を見た。

嘘をついている顔ではなかった。


「自首、する気はないんでしょう?」


当たり前だった。

警察に出頭するくらいなら、ハルの制止を振り切って逃げたりはしない。

そもそも警察の介入を避けた一番の理由は、県警の捜査一課に務める父に知られたくなかったからだ。


「まだ、やり残したことがあるからね」


ユキは再び黒い炎を胸中に宿した。

けっきょく現金の入ったスーツケースは理科準備室に残してしまった。

つまり、ユキは苦労のわりに、なにも得ていなかった。


――もう一度、思い知らせてやらねば。


「まだ続けるのね?」


悲しみを押し殺したような水羽の声があった。


「水羽、どうして私が、いままであなたに会いに来なかったかわかる?」


わからないだろう。

わかるはずがない。

母の哀しみと苦痛を理解できるのは、ユキだけなのだ。


「なぜ、私のほうから、あなたたちに会いに行かなければならないの?
頭を下げるのはあなた方でしょう?」
「・・・・・・」
「まあ、わかってるわ。 水羽は悪くないもの。
それでも、水羽に会いに行くことは、母さんを裏切るようで気が引けたの」
「私も、姉さんに会いたかった。 でも、どこに住んでるのか知らなくて・・・」
「わかってるわよ。 わかってる。 そうね、水羽は何も悪くないわ」


ただ、無知に、平和に育っただけ。

ユキとは違う。


「さあ、おしゃべりはここまでにしましょう」


歩き出そうとしたユキに、水羽が手を差し伸べたまま言った。


「姉さんは、私を恨んでるの?」
「まさか・・・」


ユキはいつもどおり、穏やかな笑みで言った。


「あなたは大事な妹よ」


交渉人は、嘘をついた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「この近くで時田を見たって話を聞いたんだがな・・・」


おれと宇佐美は、真夜中のセントラル街に足を踏み入れていた。

 

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「さきほどちらりと聞こえましたが、ユキのほかにもう一人いたとか?」
「うん、橋本だろう」
「ということは、水羽は解放されたんでしょうか?」
「いや、待て。 ・・・女だと言っていたな」
「・・・つまり?」
「ああ、白鳥だろうな。 二人して、どこに逃げたのやら」


宇佐美が、一呼吸置いて言った。


「おそらく、ユキは、もう一度理事長を脅迫する気でしょう」
「可能性は十分にあるな。 けっきょく、金は奪えなかったわけだし」
「自分は、理事長のお宅にお伺いするとします。 ユキから電話が入るでしょうから」
「わかった。 おれは、引き続き、時田のあとを追う」


おれたちは散会した。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

 

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息も切れ切れになりながら、ユキは水羽をつれて夜の波止場(はとば)までやってきた。


「まったく、京介くんは怖いわね・・・」


あのあと、すぐに追っ手はやってきた。

その筋の者がセントラル街でユキに声をかけてきたのだ。

有無を言わさず手を引かれたものだから、振り切って逃げ出した。


二度、タクシーを乗り継いで追っ手をまこうとしたが、無駄だった。

タクシーは信号で止まるが、ヤクザ者は交通ルールを守らなかった。

どこまでも食らいついてくる。


「姉さん、どうするの?」


遠巻きに、巻き舌の怒声が聞こえてきた。

見つかるのは時間の問題だった。


「私に考えがあるわ、だからここまで逃げて来たの」


水羽の手をひいて、ユキは目的の倉庫を目指した。

倉庫の重い鉄扉は閉じられていた。

しかし、ユキは一度"魔王"と倉庫の中で会ったことがある。

入り口には番号を入力するタイプの鍵がかかっているが、ユキは"魔王"の押したその数字を記憶していた。

 

・・・。

 

 

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倉庫の中は薄暗く、かび臭い。

鍵をしめると、ユキは水羽と向きあった。


「こんなところで、何をしようっていうの?」


水羽の疑問はもっともだった。

ユキは不安に暮れる水羽を横目に、その辺の資材を結んだロープを手に取った。


「協力してくれるんでしょう、水羽?」


水羽の目が、はっきりと怯えた色に染まった。


「これは芝居よ、水羽」


唖然とする水羽を抱き寄せ、後ろ手にロープを結んだ。

水羽はうめき声を漏らすだけで、拘束を拒まなかった。


・・・。

 

 

 

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「いい顔ね、そのままでいて。 写真を撮るから」


ユキは携帯のカメラを構え、縛られた水羽に向けてシャッターを切った。


「姉さん、説明して・・・!」


少しは自分で考えろと言いたくなった。

これからなにが始まるかなんて、わかりきっているではないか。


「あなたを人質に、理事長に死んでもらうの」


ユキは水羽に、お前の親を殺すと断言した。


「私には覚悟が足りなかったのよ。 たった五百万くらいで許してあげようだなんて甘かった。
だから、ハルに見破られたんだわ」


水羽の目に、狂気に恍惚としたユキの顔が映っていた。


「ね、姉さん・・・本気?」
「あなたの父親が、私と母さんを家から追い出したときなんて言ったか知ってる? 知らないわよね?」


――のたれ死ね。


ユキは、はっきりと覚えている。

雪の舞い落ちる寒空の下、着の身着のままの格好で外に放り出された。

いま、水羽は恐怖に震えているが、あのときの寒さと将来への不安に比べればなんということもないだろう。


「やめよう、姉さん・・・そんなことしたら、姉さんだって・・・」
「少しは、私の役に立ってよ、水羽」


押し殺すような声には、水羽を黙らせるのに十分な迫力があった。


「姉妹でしょう?」

 


あまり似ていない妹だった。

 

外見もそうだが、中身がまるで違う。

 

ぬくぬくと育った証拠を示す厚ぼったい頬。

 

好きな男とろくに会話もできない甘ったるさ。

 

そんな平凡さが、ささくれ立ったユキの神経を刺激した。


水羽の首元を見やった。

 

妹は、後生大事に、姉からの贈り物を身につけていたようだ。


「私、寒かったのよ。 そのマフラーすら返して欲しいって思うくらいに」


水羽は絶句し、姉の目にいくらかの迷いもないことを知ると、もうなにも話さなくなった。


「さて・・・」


ユキは、携帯の画像を送信することにした。

 


――第二幕の始まりよ、ハル・・・。


・・・。

 

G線上の魔王【21】

 

・・・。

 

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一時間と経たずして、園山組の若い衆が学園に集まってきた。


「いやあ、坊っちゃんも、自分らをこきつかってくれますねえ」
「本当に申し訳ありません」
「いやいや、坊っちゃんのためならたとえ火の中、水の中」


権三には連絡がつかなかった。

仕方なく堀部に電話したのだが・・・あとが怖いな・・・。


「あ、たったいま、囲みがおわったようですよ。
自分らも借金の追い込みで家を囲んだりしますけど、学園ってのは初めてですわ」


また、悪魔みたいに口の裂けた笑みを浮かべていた。

これで、蟻一匹、学園の外には出られないだろう。


「で、あれなんですよね。 例によって桜田組(警察)にはわからんようにしたいと?」
「はい。 極力、目立たないようにお願いしたいのですが?」
「わかりやしたよ。
誰か通りかかったら、ちょっと黙っててもらうことにしますわ。 そういうのは得意でしてね」


通行人がいたとしても、ヤクザ者には関わりたくないと思うだろう。


「なにかとありがとうございます」
「いいんすよ、借りはお金で返してもらえればね」


高くつきそうだな。

彼らは、学園で立て籠もり事件が起こったとしても、なんら正義感の動くところはないのだろう。


「んじゃ、あとは好きに使ってください。 手前は、仕事がありますんで」


嫌な笑みを残し、堀部はベンツに乗って去っていった。

 

・・・。

 


「お、おいおい、京介、これどういうこと?」
「パパの知り合いの・・・悪い人たちだよ」
「ちょっとお前を見直したわ」
「見直す意味がわからんが、このことは黙ってろよ」
「わかってるよ、東京湾に沈められたくないし」


橋本からの電話はまだないようだ。


「ただいま戻りました」


宇佐美は、一度学園を離れていた。


「おう、道具を取りに帰るとか言ってたが、なにを持ってきたんだ?」
「先日、アキバの電気屋で手に入れたんですけど・・・」


言いながら、小型のラジオのようなものを見せつけてきた。


「これは、携帯電話に取りつけることで、ハンズフリーで双方向会話ができるというシロモノです」
「ああ、会議なんかで同時会話するためのものだな」


「それを、私の携帯につけようっていうの?」


時田がやや不満そうに言った。


「わたしも、犯人の声を聞きたくて」
「・・・なるほどね」
「もちろん、交渉はユキに任せる。 わたしはなにもしゃべらないから」
「そう・・・」


時田は納得がいかないようだった。


「ユキは昔、言ってたじゃないか。 交渉ごとはチームで行うのが普通だって」
ニューヨーク市警なんかではそうね」
「必要なのは、交渉役と、補佐役と、記録係と、あとなんだっけ?」
「指揮官と、雑用係よ。
でも、補佐・指南役は大きな分署でも派遣してもらえないことがあるわ」
「だったら、ここに、ちょうど四人いるじゃないか?」


時田は、考えをまとめるように指で眉間を揉んだ。


「気が散るかな、と思ったのよ。 でも、わかったわ。 みんなで取り組みましょう」
「それぞれ、どういった役割なんだ?」
「そのままよ。
交渉役は実際の交渉に当たる。 記録係は状況の記録を残す。 指揮官は決定を下す。
重要なのは、それぞれ他の仕事に首を突っ込まないってことね」
「交渉役は決定を下さず、指揮官は交渉を行わないってことか?」
「そうやって、客観性を持たせるの。
たとえば交渉が進んでいくうちに、交渉役が犯人に感情移入しすぎて、つい相手に有利な条件を呑んでしまうことがあるの」
「決定権が別にあれば、そういったミスは犯さないってか?」
「さらに指揮官と交渉役を分ければ、戦術が一つ増えるのよ。
この前もそう。 西条っていう人と仲良くなるために、私はあなたを悪者にしたのよ」


いまさらだが、納得がいった。


「『私は西条を助けたいのだが、京介という悪役が首を縦に振らない。 さあ、困ったな西条さん、どうしようか』・・・って感じか?」
「勝手に利用してごめんなさいね」
「まあ、わかった。 なら、どう振り分けたものか・・・」


おれは一同の顔を見回した。

・・・時田が交渉役なのは当然として・・・。


「おれが指揮役を預かったほうがよさそうだな」
「ええ。 あなたは冷静だわ。 いつも利害で動いているような人だもの」


・・・わかったような口を利くが、実際その通りだ。


「具体的には、たとえば犯人がタバコを要求してきたとしましょうか」
「うん」
「そういうとき、私は必ず、あなたに一度確認を取るわ。
あなたは自分の判断で私に決定を下して」
「おれがタバコなんてやるなと言ったら、お前が反抗してくることもあるわけだな?」
「そうね。 お互いケンカにならないようにしたいものね」


役割分担の性質上、そういう摩擦は必ず生じるだろうな。


「となると、宇佐美は、記録役だな」
「仰せつかりました」


「できればメモを用意して。
私と犯人の会話の流れを記録に残しておいて欲しいの。
文章を読めば、いくらか冷静に状況を把握することができるわ」


「わかってたけど、ボクって雑用なのね?」
「オチみたいになってるけど、重要な役割よ?」
「え?」
「たとえば犯人が夜食に弁当を要求してきたら、あなたが買いに行くのよ?」
「うん、それはわかってるけど?」
「そのお弁当が温まってなかったら犯人の機嫌が損なわれると思わない?」
「わかりました!」


栄一の顔が引き締まった。


「じゃあ、準備をしよう」


時田の携帯に同時会話の機器を取りつける。

宇佐美は懐からメモ帳を取り出しペンを構えた。


「あとは・・・待つだけね」


そう、あとは、橋本からの入電を待つだけだった。

ややあって、時田の携帯がけたたましく鳴った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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時田ユキが犯罪交渉術に目覚めたのは、幼い子どものころだ。

ユキの母は過去において、それなりに著名なアーティストだった。

ボランティア団体や暴力団関係筋の要請で、たびたび刑務所の慰問に訪れていた。

幼いユキは、刑務所の外で母の帰りを待つうちに、高い塀の向こうに暮らすことを強要される人々に興味を覚えた。

母から刑務所内にいる囚人の様子を聞くと、ユキの心はなおさら高鳴った。

悪いことをしてはいけないと諭す大人が、悪いことをしているのだ。

犯罪者と呼ばれる人たちの心を知りたくなった。

なぜ、人が人を殺すのか、どうしてお金を盗もうとしたのか、なにがその人をそこまで追い詰めたのか。

ぜひとも犯罪者と話がしてみたい。

子供の無邪気だが遠慮のない興味は、母を大変に困らせた。

母に付き添って刑務所の門をくぐろうとしたことすらある。

反対されればされるほど、気になってしかたがなかった。

子供は入場を許されない闇がそこにあるのだから。

それでも、ユキは犯罪者と接触することができた。

慰問に訪れた母に宛てて、囚人から手紙が届くのだ。

中身を読ませてもらうよう母に拝み倒したが、良識ある母親は決して子供の目に触れさせなかった。

しかし、賢い少女は、手紙の中身こそ読めなかったが、囚人の姓名を記憶していた。

それは、やがて時がたち、便りを寄せた囚人が仮出所したとき、保護観察所を訪れるための口実となった。


――昔、母に手紙を出しましたよね?


念願かなって、ユキはついに元服役囚と対面することができた。

そのころには、母も亡くなっていて、ユキも福祉施設で暮らしていた。

施設には心を閉ざした少年少女が多いなか、ユキは活動的だった。

積極的に周囲に話しかけて人の心を知ろうとする。

それは、父に捨てられ、母も死んだ自分への慰みだったのかもしれない。

ユキと同じような境遇の子供たちを知ることで、自分自身を知ろうとしたのかもしれなかった。

前科を持つ人々と会うのに恐怖はなかった。

母から話をよく聞いていたし、なにより、孤独となったユキには、もう失うものなどなかった。

ひと月に一人か二人。

心優しい人がほとんどだった。

なにかの間違いで犯罪者となったとしか思えない。

娘のように扱ってくれたこともある。

ユキは規律の厳しい施設の監視の目をかいくぐって、過ちを犯した男たちとの対話を楽しんだ。

ユキはあとで知ったことだが、こういった少女の"お楽しみの時間"は、警察対テロ部隊における人質交渉班の訓練と同期するものがあった。

人質交渉班における犯人像の特定、すなわちプロファイリングは、科学的手法だけで達成されるものではない。

他人の心理を把握する公式は存在せず、マニュアルはヒントにしかならない。

 

「習うより慣れろ」

 

実際に、人質交渉班の人間は刑務所を直接訪問し、様々なタイプの犯罪者と面接を行う。

実地経験を通して感覚を磨くのだ。

経験則が鍛えられれば、実際に事件が起こったときにも犯人の心理状態のベースを把握することができた。

とはいえ少女のユキには心を開く犯罪者も、お上の命令を受けてやってきた警察官には嘘をつく場合もあるという。

こういった経験のなかで、ユキは知らず知らずのうちに目的と感情を持って犯行を起こす犯人像にいくつかのパターンがあることを学んでいた。

はたから見れば気味の悪い子供だった。

少女漫画に傾倒する友達の横で、犯罪心理学の本を読みふけった。

そうして、自らがすでに体感した犯罪者のパターンに、学者が作った言葉を当てはめていく。

そんな作業に没頭する少女は、いつしか大人びた、どこか達観したような人間へと成長していった。

いま、ユキは自分をこう分析する。


――父に母子ともども捨てられたくらいで、人を分析しなくては信用できなくなった、つまらない女・・・。


そんなつまらない女にも、譲れないもの、守りたいものはある。

ユキは、呼吸を整え、内面からネガティブな感情を追い払った。

 

犯人との交渉が始まる。

まず、交渉の目的を定める。

目的を持って人と話すのはなにより重要なことだった。

ユキは、犯人を無意味に刺激せぬよう、穏やかな声音を選んでしゃべりだした。

 

 

・・・・・・。

 

 

 

・・・。

 

 

 

―――――

 

 

 

・・・。

 

 

 

・・・・・・。

 

 

 

 

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「また連絡してきてくれて、うれしいわ――」
「時田、なんの真似だ!?」


宇佐美が買ってきた端末機器から、橋本の声が響いた。


「警察に連絡するなと言っただろう!?」
「追い着いて欲しいわ、橋本くん」
「ああっ!?」
「警察じゃないわ。 よく見て、橋本くん。 パトカーのランプでも見える?」


橋本が息を詰まらせるのがわかった。


「じゃあ、なんだっていうんだ!?」
「彼らは京介くんのお友達よ」
「浅井の!?」
「そう、やけに柄が悪いでしょう。
警察とはある意味対極にいる人たちだから、まずは落ち着いて聞いて欲しいわ」
「てめえ・・・学園を囲みやがったな?」
「否定はしないわ」
「ふざけるなよ、このアマ。
どういう状況かわかってるんだろ。 おめえの腹違いの妹をぶっ殺されたいのか?」


歪みきった声。

橋本とは同じクラスでもたいして話をしたことはない。

おれと似たような年齢の男が、人質を取って立て籠もるなんていまだに実感が湧かない。

世間ではたまに増加する青少年の犯罪がどうのというが、それを目の当たりにしてなお、テレビの向こうの出来事のように思ってしまう。

いったいなにが、こうまで橋本を追い詰めたのか。


「親父が刑事だかなんだか知らねえが、あまり俺を怒らせるなよ。
ためしに、隣の部屋でびいびいうるせえ先公を窓から突き落としてやろうか?」
「そうね。 あなたにはいま、それだけの力があるわ。
ただ、橋本くん。 ノリコ先生を殺すのが、あなたの目的ではないと思うのだけれど?」
「それはそうだが、見せしめってのは大事だろう?」


時田は一瞬、目を伏せて、何事か考えるような間を取った。


「橋本くんをみくびっていたことは認めるわ」
「なに?」
「橋本くんは、せいぜい黒板に落書きするくらいのことしかできない人だと思ってたの」
「そうかよ、いまさら反省しても遅いぞ」
「まったくだわ。
まさか、夜中に学園に忍び込んで水羽とノリコ先生を人質にとって立て籠もるなんて、誰が想像できたかしら」


そう言うと、橋本の声に優越感の色が混じった。


「ふん、お前は心理学を勉強してたって? 笑えるな?」
「好きなだけ笑ってちょうだい。 実際、私も少しかじった程度の素人なのだから」


そして、ため息混じりに付け足した。


「あなたを学園でなじったことは謝るわ」


たしか、廊下で橋本を追い込んでいたっけ・・・。


「そうやってご機嫌を取ろうとしたって無駄だぞ」
「わかっているわ。
あなたはスポーツも得意だけれど、成績も優秀みたいだし。
そんな人が、計算もなしに無茶を犯すはずがないもの」


嘲るような笑いが返ってきた。


「いいだろう、時田。 のせられてやる。 俺の目的を知りたいんだろう?」
「教えてもらえると、すごくうれしいわ」


橋本は余裕そうに要求を言った。


「金だ」
「・・・お金?」


さすがに時田も眉をひそめた。


「250と5万、それに慰謝料の300万を足して白鳥理事長に払ってもらおうか」
「250、5万?」
「わかるだろう?
理事長が着服した金だよ。 5万はゴルフの優待券だったかな?」


・・・まさか、金とは・・・。


「差し出がましいかもしれないけれど、それがあなたの本当の望みなの?」
「おいおい、まだ俺をみくびってるみたいだな」
「・・・というと?」
「理事長は腐った野郎だよ。
俺の親父を警察に売って、てめえだけは助かろうとしやがった。
本来なら警察に出頭させたいところだ」
「てっきり、そういう要求かと思っていたわ」
「でも、俺の親父もそうだが、まず実刑なんてあり得ないんだよ。
警察に引き渡したところで、執行猶予だのとくだらねえことになる」


たしかに、橋本の言うとおりだ。

収賄事件なんかは、執行猶予がつくのをよく見る。

橋本が真に望むように、理事長が刑務所に入れられることはまずないだろう。


「なるほど、だから警察には関わって欲しくないのね?」
「俺にだって将来があるのさ」
「あなたはバスケットボールの名プレイヤーだものね」
「ノリコ先生には悪いことをしたと思っている。
本来は白鳥だけを人質にする計画だった」
「だったらなぜ?」
「白鳥を校門の前でさらって、学園のなかに入ったとき、偶然廊下で出くわしたものでな」
「学園に立て籠もったのはなぜ?」
「お前らが警察を頼るとも思ったからな。
その場合、当然、俺は終わりだが、学園の評判もがた落ちになると思わないか?」


・・・なるほど、立て籠もり事件があった学園なんかに、誰が進んで入学したがるものか。

最悪の場合、自分が破滅してでもこの学園に復讐するつもりのようだ。


「私たちが今日、学園に来ることはどうして知っていたの?」
「おとといだったか。 お前と浅井が教室でそんな話をしていたのを聞いたんだ。
寒空のなか、待たせてもらったよ」


時田は、わかったわ、とひと息ついた。


「肝心の水羽はもちろん無事なのよね?」
「無事じゃないと、さすがに取引にならないだろう」


そこで、なにやら、ごそごそとくぐもった音が響いた。


「姉さん・・・!」


白鳥の声。


「水羽、怪我はない?」
「うん、少し頭がずきずきするくらいで・・・」


「おしゃべりはその辺にしてもらおうか」


橋本が割って入ってきた。


「わかっただろう。 かわいい妹は無傷だ。
もっとも、これからのお前のがんばり次第だがな」
「私を指名してきたのは、水羽の姉だから?」
「そう。 必死になって理事長を説得してくれるんじゃないかと期待している」
「なるほど、なかなか考えたわね。
ひとまず、理事長をこの場に呼んだほうがいいのかしら?」
「いますぐにだ」
「すぐには無理よ、ここから南区の水羽の自宅までがんばっても一時間はかかるわ」


・・・一時間は言いすぎだと思うが・・・。


「娘の一大事だぞ? 車を飛ばして来させろ」
「気持ちはわたしも同じだけれど、きのう今日と、けっこうな雪が降ったでしょう?
だから、あっちこっちで通行止めになってるみたいなの」
「くそが・・・」
「でも、なるべく急いで来るようかけあってみるわ」
「三十分以内だ」
「難しいわ。 せめて四十分」


橋本の舌打ちが聞こえた。


「わかった。 少しでも遅れたら白鳥の顔に傷をつけてやる」


とんでもない脅しに、時田は顔色一つ変えなかった。


「ありがとう。 急ぐわ。 理事長が到着したら、また連絡すればいいのね?」
「ああ、番号を言う・・・」


橋本の携帯番号を、宇佐美がメモにすばやく書き取った。


「急げよ。 もう一度言うが、俺は本気だ」


通話が切れた。


・・・。

 

 


通話を終えた時田が、腕を組んでうなるように言った。


「ひとまず、要求を聞くことはできた、けど・・・」
「どうだ?」
「彼は肝もすわっているようだし、頭もキレるわ」
「そうか? おれは橋本はそれほど気が強そうなタイプには見えなかったが?」


「うん、学園でも、けっこう寡黙なほうだよ?」


「『あまり俺を怒らせるな』『俺は本気だ』とか、なんとも程度の低そうなことばかり言っていたぞ。 あまり度胸がありそうな男とは思えないが?」


時田はゆっくりと首を振った。


「犯人が本当に臆病な場合はね、たとえば銃弾のはいっていない拳銃を警察に向けたり、わざと警官に見えるように人質にナイフを突きつけたりするの」
「・・・ふむ」
「でも、彼はどう? 言葉こそ粗暴犯のように振る舞っているけれど、自分の将来、保身を考えて、実現可能な範囲の要求をつきつけてきたわ」
「そうか・・・たしかにな」


時田は、目を細めた。


「ここで講義をするつもりはないけれど、立て籠もり犯のタイプにはいくつかあるの。
そのなかで彼は、要求が明確で冷静なタイプ」
「そういうタイプにはどう対応していくのがいいんだ?」
「時間をかけて現実を直視した交渉を行うだけよ。
犯人側も冷静だから、交渉の過程でお互いに譲歩しあうことで、たいてい決着がつくわ」
「なんとも、抽象的だな・・・」
「マニュアルに書いてあることだからね。 でも、お互いの譲歩はすでにあったでしょう?」
「ああ、お前が理事長の到着を一時間と言って、ヤツは三十分と言ってきた」
「そこで、私が四十分と言ったところ、彼は受け入れたわ」
「なるほど、橋本がただのキレた野郎だったら、とにかく三十分で来いとか言いそうなものだからな」


不意に、栄一が手を上げた。


「えっと、とりあえず、理事長を呼んだほうがよくない?」
「・・・そうね、その前に栄一くん、初仕事よ」
「え?」
「コンビニで、携帯電話の即席充電器を買ってきて欲しいの」
「あ、うん、わかった」


途中で電話が切れたらシャレにならんからな。


「本来なら、携帯電話なんて使っちゃいけないんだけれどね」


栄一はすぐさま走り去った。

ノリコ先生のことが心配なのか、いつものふざけた感じがまったくなかった。


「それじゃ、水羽の自宅に電話するわ」
「来てもらえるだろうか?」
「だいじょうぶだと思うわ。 あの人は、私に引け目もあるし・・・」


時田の声に、少し影が落ちた。


「宇佐美、なにかあるか?」
「いえ・・・書き留めるのに精一杯でした」


宇佐美のノートを見る。

 

 

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「って、てめえなに書いてんだ?」


アニメのキャラクターがそこにいた。


「ル○ンですけど?」
「おい!」
「三世ですよ、三世」
「何世とか問題じゃねえんだよ! てめえなにしてんだ!」
「すみません、危機的状況に陥ると、素数を数えながらル○ンを描きたくなるんです」
「・・・もうどっからツッコんでいいのかわからねえよ」
「というのは冗談で、いちおう橋本さんの似顔絵です」


あ・・・。


「まあ、たしかにちょっと似てるかもな」
「ええ、自分、速記ができるわけじゃないんで、これだけの会話を記録しようと思ったら、絵に頼った方が理解しやすいかなと」
「わかったよ。 回りくどいヤツだな・・・」
「で、記録係の意見ではないんですがね」
「うん?」
「ほら、理科準備室の窓、見てくださいよ」


おれは、言われた場所を見上げる。


「懐中電灯の明かりがちらちらしてますよね?」
「それがどうした?」
「いえ、ユキの見立てでは橋本さんは冷静だということですが?」
「・・・・・・」
「落ち着きなく、室内をうろついているようにも見えませんか?」
「そうだな・・・なにか向こうであったのか・・・」


さりげなく時田を見やると、すでに理事長との交渉の真っ最中だった。


「ええ、状況はおわかりでしょう?」
「し、しかし、信じられん」
「ですから、その目で直接お確かめください。
犯人の要求を呑むかどうかは、そのあとで決めても遅くはありません」
「こ、こんなことが、世間に知れたら・・・」
「落ち着いてください。 犯人も警察の介入は避けようとしています。
もっとも、あなたがここに来ていただけないことには、最悪の事態が待っていますが?」


時田の声には、いつも柔和な時田らしからぬものがあった。

理事長は、時田を母子ともども見捨てたというのだから、心中穏やかなものではないだろう。

おれだったら、娘の命がかかっているのだから、早く来いと怒鳴りつけているかもしれない。


「お願いします、お父さん・・・」


目を見張った。

時田が憎き父に頭を下げたのだ。

妹の命のため、自分のプライドを捨て去った。


「・・・わかった。 すぐにそっちに向かう」


押し殺すような声を最後に、不通音が鳴り響いた。


「ハル、あなたの言うことはもっともだわ」


すぐさま気を取り直したように言う。


「私も、犯人像の特定を急ぎすぎたのかもしれない。
もう一度、こちらから連絡してみるわ」
「ちょっと待て。 理事長が到着してから、電話をかけるという取り決めだったはずだぞ?」
「あの様子では、四十分以内に来るとは思えないわ。 時間を引き伸ばす必要もあるのよ」
「わかった・・・」


おれは渋々うなずいた。


「ただ、まあ、よく理事長を説得したな」


褒めたつもりだったが、時田はやるせなさそうに目線を落とした。


「本当は、犯人の要求する人間を連れてきてはいけないものなのよ。
犯人の本当の目的が、たとえば理事長を殺害することだったらどうするの?」
「・・・・・・」
「それでも理事長に来てもらうのはね、責任を取ってもらいたいからよ」


時田を責めることはできなかった。


「ごめんなさいね。 私だって人間だし、思うところはあるの」

 

・・・・・・。

 

 

 

間をおかずして、時田が橋本に電話をかけた。


「やけに早いな」
「いいニュースよ。 理事長がいまこちらに向かってる」
「それは良かった。 で、時間通り来れそうにはないから、もう少し待って欲しいのか?」


時田は声に出して笑った。


「あなたに嘘はつけそうにないわね」
「なめるなと言っているんだ」
「それは、十分承知しているわ。 ところで、橋本くんは、いま何をしているの?」
「何って? お前の妹ににらまれているよ」
「水羽は、理事長に似てとっても気が小さいの。
虚勢を張っているだけだから、許してあげてもらえないかしら?」


ふんと、橋本が鼻を鳴らした。


「そうだな。 親のやったことは子供には関係ないからな。
俺だってそうさ。 親父のせいで部活でも白い目で見られる。 理不尽な話だとは思わないか?」
「まったくだわ。
ただ、あなたは学園にとってなくてはならない存在でしょう?」
「おだてるなよ。
転入してきたばかりのお前は知らんだろうが、この学園はスポーツも盛んでな。
バスケだけじゃない、ほらあのアイスアリーナを見ろよ。
浅井花音みたいなのがなくてはならない存在っていうんだよ」
「でも、私はあなたもすごい選手だと聞いているわ。 ポジションはセンター?」
「当たり前だろう。 それがどうした?」
「私も背が高いでしょう?
バスケ部とバレー部からは、しつこく勧誘を受けていてね。 それで、ちょっと興味を持ったのよ」
「お前みたいに筋肉のない女には無理だ」
「そのとおりね。
ためしに前の学園でちょっと入部してみたの。
ピッペンっていう選手がモデルのバスケットシューズも買ったのに、一週間で履かなくなったわ」
「スコッティ・ピッペンか・・・ありゃ、いい選手だった」
「シカゴブルズの人だっけ?」
「昔の選手だがな。
巷じゃ、みんなジョーダンばっかり褒め称えてたけど、ピッペンがいたからブルズは強かったんだ」
「なにごともチームワークは大切よね」


そこで、橋本の高笑いが響いた。


「そうだな、いまのは一本取られたな」
「どうしたの?」
「チームワークだよ。
たしかに、俺もお前の協力なくしては目的を達成できない」
「さすがね。 だったら、お互いに歩み寄れるはずよ?」
「お前らが素直に要求を呑めば、すべて丸く収まる。
明日からは、また何事もなかったように学園が始まる」
「そう願っているわ。 あなたが怖い人たちにボコボコにされるところなんて見たくないもの」
「俺だって、妹を殺されて悲しみに暮れる時田を見たくはない」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


・・・時田の言うように、橋本はそれなりに頭がキレるな。

常に、時田の先を行くように会話を進めようとしている。


「で、我らが理事長はまだなのか?」
「残念なことにね」
「それは困ったな。
あまりもたもたしていると、近所の人のいいおばちゃんが、警察に通報するかもしれない。
そうなったら、悲しい結末になる」
「承知しているわ。 私だって、一刻も早く理事長には来てもらいたいと思ってる。
だから、そうね・・・」


含むような間を取って言った。


「なにか、欲しいものはある?」
「懐柔しようってんだな? まあいい、理事長をあっさり説き伏せた手腕は評価しよう」
「ありがとう。 それで、ハンバーガーでも食べる?」
「あいにく腹は空かせてない。
ドラマなんかで立て籠もり犯がピザと引き換えに人質を解放するところを見るが、実際こうなってみると食欲なんて湧かないもんだ」
「そう? アメリカではけっこうそういう事例もあるけれど?」
「わかったよ、あまりに空腹になったらお願いするとしよう。 でも、いまはいらない。
代わりにお前の初体験の思い出でも聞かせてもらおうか」
「あいにくと、私はプライドが高すぎるのか、男性とおつきあいしたことがないの」
「本当かねえ・・・」


下卑た笑い声が上がる。

こういうところは、青臭いガキって感じだが・・・。


「私を動揺させようとして、わざとそんないやらしいことを言ったのね?」


橋本が息を詰まらせた。


「・・・ああ、そうさ。 さすがだな。 小細工は通じねえか」


なんとも狡猾な野郎だ。


「一度、電話をきるぞ、 しゃべり疲れたんでな。
差し入れをくれるってんなら飲み物を用意しとけ。 スポーツドリンクがいい。
お前の妹も喉が渇いたみたいだぜ?」
「スポーツドリンクね。 それじゃ、またね」


・・・。


再び、辺りは静寂に包まれた。


「理科準備室から、懐中電灯の明かりが消えたな」
「ですね。 橋本さんも落ち着いてきたんでしょうか」


「なかなか、手こずらせてくれるわね」
「お疲れ、ユキ・・・」
「ハル、飲み物」
「あ、はい! コーラでいいすか?」


いきなりパシリと化す宇佐美。


「甘口のコーヒー。 ついでに、橋本くんご所望のスポーツドリンクも」
「お金を!」
「あ、待って。 コンビニで紙コップも買ってきて」
「紙コップ?」
「ええ、ペットボトルのドリンクと紙コップを差し入れることで、犯人が人質に危害を加える確率が下がるの」


「どういうことだ、時田?」
「聞いたことない? ストックホルム症候群って」
「うん・・・犯人と人質が、いつの間にか仲良くなっちまうって話だろ?」
「そう。 長い緊張状態を共にすることで、連帯感が生まれるの」
「ああ、なるほど・・・つまり、こういうことか?
橋本は、白鳥も喉が渇いたとか言っていたな。
てことは、紙コップとペットボトルのドリンクを差し入れれば・・・」
「そうよ。 橋本くんが、水羽に飲み物をついであげなくてはならないでしょう?
それが、犯人と人質の連帯感情を高めるの」
「そうだな。 もちろん、橋本は白鳥を無視して一人でドリンクを飲むかもしれんが、そこにコップがある以上、白鳥を意識はするだろうな」


時田もうなずいた。


「ストックホルミングは、多くの場合、人質交渉を助けてくれるわ。
犯人が人質を大切に思えば、それだけ解放の時間も早まる」


「とりあえず、わかりました。 ダッシュで行きます」


時田から駄賃を受け取って、宇佐美は近場のコンビニに向かった。


「それで、指揮官の京介くん。 犯人にスポーツドリンクを与えていいかしら?」
「かまわんだろう。 反対する理由が見当たらない」
「そう言ってくれると思ったわ」
「しかし、お前って男いなかったんだな」
「あら? 私に興味あり?」
「本当なのか?」
「交渉中は嘘をついてはいけないわ。
嘘をついたら、それまで積み上げてきた信頼関係が崩れてしまうもの」
「信頼関係か・・・西条のときもそうだったが、犯人と同調するっていうのは重要なテクニックなのか?」
ネゴシエーターがあくまで強硬な姿勢を貫くと、交渉ごとは20%も合意に達しないの。
逆に、相手の要求にたいして見返りを求めていくような協調体制を確立できれば、80%もの確率で事件が解決するわ」
「そういうものなのか・・・」


時田は、おれが感心しているのを読み取ったように頬を緩めた。


「私だってFBIの特別な訓練を受けたわけじゃないのよ。
でも、考えてみてよ。 人生って毎日が交渉の連続じゃない?」
「そう言われるとな」


おれもうなずいた。


「朝起きて何時までに帰ってくるよう言われて、学園で先生からあれやこれやと質問されて」
「まあ、たいていの場合は、いまみたいに差し迫った状況じゃないけど、毎日が選択と交渉の連続なのはそうだな」
「あなたなら、接待もするんでしょう?」
「ああ、仲良くなるのは、当然商談をまとめるためだ」
「だから、誰もが交渉人なのよ。
私はたまたま、犯罪者に興味を持ってしまったからそっち方面を勉強してただけ」
「おかしな女だ」
「ええ、だから恋人もできない」


自嘲すると、時田はまた鋭い目つきで、理科準備室を見上げていた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


「ただいま、なんか進展あった?」
「ああ、たったいま、理事長が到着した」


理事長は、服装こそ立派だが、頼りなさげな中年といった印象だった。

後退した前髪に脂汗を浮かべて、時田から事情を聞いていた。


「あの、校舎を取り囲んでいる連中は?」
「おれの知人です」
「あ、君は・・・」
「正月にお会いしましたね。 そうです、父の組の方々ですよ」


理事長は深いため息とともに、頭を抱えた。

時田は、そんな父を憮然と見据えながら言った。


「要求は、合計して555万です。 用意できますか?」
「そんな大金・・・」


目に狡猾な光が宿ったのを、おれも時田も見逃さなかった。


「どうやら、用意できるようですね」
「しかし、こんな時間だ・・・銀行だって閉まってる」


「たしかに銀行は閉まっていますね。
しかし、不正に受け取った金をそのまま銀行に預ける馬鹿はいません」


「以前、水羽を尋ねてご自宅におうかがいしたとき、金庫があるのを確認しましたが?」
「・・・っ・・・」
「問題は、着服した250万に上乗せされた300万ですが、それもだいじょうぶでしょうか?」


最悪の場合、おれが立て替えるという手もあるが・・・。


「わかった、すまなかった。 まさか、こんな大事になるなんて・・・」
「答えになってません。 全額、いま用意できるんですか?」


死人に鞭を打つような口調だった。


「ああ、できるとも・・・たったの500だろう?」


たったの、と強がってはいるが、この人はそれでいろいろなものを失ったことに気づいていないようだ。


「ありがとうございます。 それでは、犯人に連絡しますので」


・・・。


数回のコールの後、陽気そうな橋本の声が届いた。


「理事長のご到着か?」
「ええ、待望のね。 お金も用意できるって」
「そうかそうか、銀行が閉まってるだのと見え透いたことを言われたら、娘を傷物にしてやるところだった」
「安心して。 もう、あなたの望みはかなったも同然よ」


「その前に、娘は、水羽は無事なんだろうな!?」


不意に、理事長が口をはさんできた。


「さっき声を聞かせてやったんだがな? もう一度聞きたいか?
今度は悲鳴を上げさせてやってもいい」


「やめて。 あなたの目的はお金でしょう。
水羽を傷つけたって、なんの意味もないはずよ?」
「クク・・・冗談だよ、時田。
そのくたびれたおっさんを黙らせときな。 じゃないと冗談が本気になるかもしれん」


時田が、理事長を一瞥する。

理事長はわなわなと震えながら、押し黙った。


「さて、金の準備だが・・・」
「そうね、いまから自宅に現金を取りに帰るから、往復で二時間見てもらえれば間違いないわ」
「理事長の妻を使って、金を届けさせろ。 そうすれば、一時間で来れるだろう?
「それが可能かどうか、聞いてみてもいい?」
「そうだな。 ついでに、飲み物も持って来い」
「いいわ。 その代わりといってはなんだけれど、ノリコ先生を解放してもらえる?」
「ジュースと人の命じゃ割りに合わないが、まあいいだろう。
もともとノリコ先生は無関係だからな」
「じゃあ、いまから栄一くんに持っていってもらうわ」


「えっ!?」


栄一の顔に緊張が走る。


「お前が持って来い、時田」
「私が?」
「俺はお前が気に入った。 なぜだかわかるか?」
「私だって、理事長を快く思っていないからでしょう?」


橋本は我が意を得たりと、笑った。


「つまり、俺たちは仲間ってことさ。 かわいいぼうやだ」
「・・・・・・」


その瞬間、宇佐美のメモを取るペンが止まった。


「ご指名ありがとう」


時田はあくまで落ち着いていた。


「いまから飲み物を持っていくわ」


・・・・・・。

 

 


時田は買ったペットボトルを持って、校舎の闇のなかに入っていった。


「つーか、オレいまだに実感湧かないんだけど・・・」
「まあ、気持ちはわかる」
「マジ、ノリコ先生、解放してくれんのかねえ」


「いままでの会話はけっこう順調だったからな、宇佐美?」
「そうですね。 さすがユキです。 正直、自分なんてなんの役にも立ってません」
「それはおれも同じだ。
交渉ごとはチームでやるとかいうが、ほとんど時田に任せているようなものだ」
「いや、ホント、ユキは頼りになります。 自分の唯一の友達ですから」
「あいつもちょっと変わってるし、妙にウマがあったのか?」
「一度、家に泊めてもらいましてね。 それ以来、主従の関係となりました」
「・・・・・・」
「朝は起こしてあげて、昼は胸を揉まれ、夜は肩を揉まされました」
「お前、それでよく友達でいられたな」
「なぜか、頭が上がらないんですよ。
さすがにトサカに来たぜって思っても、相対してしゃべってると、まあいっかーってなるんです」
「ま、いるよな、そういうヤツ・・・」
「しかし、私がお金に困ると、いつもラーメンおごってくれました。
誕生日にはペンギンのぬいぐるみももらいましたし・・・いやはや、懐かしい、遠い日の記憶です」
「まるで死んだ人みたいに言うなよ」
「私はユキの誕生日に、『世界の拷問』という本をプレゼントしました」
「いやいやいや、あいつにそんなもん与えるな」
「すごい喜んでましたね・・・いやはや懐かしい、在りし日の追憶です」


遠い目で、校舎の窓を見上げていた。


「浅井くん・・・」


理事長が遠慮がちに声をかけてきた。


「どうです? お金は持って来てもらえるようですか?」
「ああ、妻がいまからタクシーを拾って来るそうだ・・・」


うなだれるように言った。


「これで、全部丸く収まるのかね?」
「ひとまず、この事件が表ざたになることはなさそうですよ」
「だと、いいんだがね」


重いため息が返ってきた。


「まさか、娘がこんな目に合うなんて・・・こんな、こんなことなら・・・」


その言葉の続きを予測するのは容易かった。

とっとと罪を認めておけばよかったのだと、理事長は疲れきった顔を両手で覆っていた。


「・・・・・・」


おれの父も、こんなふうに、息子を思って嘆いたのだろうか。


・・・っ。


いかんな、頭がふらつく。


何も考えないようにしよう。


ようやく両親の呵責に目覚めた無様な父親が、そこにいるだけだ。


「京介、どした?」
「む?」
「いや、お前ってたまーに、すげえ目つきになるよな」


「・・・ですよね」


「そうか?」
「うん、なんか悩みあるなら、人生経験豊富なオレに相談しろよ?」
「フフ・・・」


「・・・・・・」
「どうした、宇佐美まで?」
「いえ、自分もなにかお役に立てるのであれば、と」
「役に、か」
「・・・なんです?」
「いいや、そんなことより、時田が戻ってきたようだぞ?」


「あ、ホントだ、ノリコ先生もいる!」


時田がノリコ先生の肩を支えながら、玄関を出てきた。


「ただいま」
「ユキ、なにもされなかったか?」
「ええ、意外と紳士よ、彼は」


「先生、怪我はない?」


ノリコ先生は、恐怖に腰が抜けたのか、その場にへたりこんでしまった。


「・・・ご、ごめんなさい・・・だいたいの事情は時田さんから聞いたわ」
「中の様子はどうです?」


「残念ながら、まったくわからなかったそうよ。
真っ暗な薬品室に閉じ込められて、恐怖に震えていたみたい」


「隣の理科準備室から、たまに橋本くんの怒鳴り声が聞こえてね・・・ああ・・・とても現実とは思えないわ・・・」
「だ、だいじょうぶだよ、ボクがついてるよ!」


さっと手を取る栄一だった。


「時田はどうだ? 理科準備室の様子はどうだった?」
「ええ、廊下の窓から覗いたのだけれど、水羽は後ろ手に手錠をかけられていたわ。
橋本くんはナイフを片手に、飲み物を廊下に置いていくよう指示してきた。
私はそれにしたがって飲み物を残すと、隣の部屋のノリコ先生を助けに行ったわ」
「どうして橋本は、ノリコ先生だけ隣の部屋に閉じ込めておいたんだ?」
「そうね。 二人いっしょのほうが、管理しやすいのに・・・」


宇佐美がノリコ先生を見ながら言った。


「ノリコ先生のぶんの手錠なりロープなりがなかったからでしょう」
「なるほど。 橋本くんもノリコ先生を人質に取る気はなかったみたいだし、用意がなかったのね」


「時田との交渉中にいきなり襲いかかられでもしたら、たまらないからな」


ふと、理事長がノリコ先生に向かって頭を下げていた。


「・・・先生、このことは、内密にお願いしたいのですが・・・?」
「な、内密にって・・・こんな犯罪をですか、白鳥理事長?
いますぐにでも警察に連絡するべきです」


もっともな意見だ。


「犯人は警察に連絡すれば、娘を殺すと言っているんです。
親として、そんなまねはできません・・・」


本心なのか、それとも自らの学園を守るためか、とにかく理事長は必死だった。


「まずは、人質の命を優先しましょう。
犯人は要求さえ満たせれば、水羽を解放してくれます」


自信ありげに言う時田に気圧されたのか、ノリコ先生も戸惑うような顔でうつむいた。


「・・・時田さんが、私を救ってくれたのだから・・・わからないわけでもないけれど・・・」
「先生、おれも考えましたが、いまさら警察を呼ぶというのはないです」


警察が来たら、集まってきた園山組の極道たちがなにを言い出すかわからん。

下手すると、ヤクザと警察でひと悶着あって、交渉どころではなくなるかもしれない。


「・・・あなたたちは、いったい?」


時田が微笑んだ。


「勇者とそのご一行ですよ」

 

・・・・・・。

 

 

 


「しかし、時田・・・」


現金が届く前に確認したいことがあった。


「このまま、犯人の要求に従って、金を渡すのか?」
「・・・どう思う、指揮官?」


逆に挑戦するような笑みを浮かべた。

おれは、少し迷いながらも答えた。


「白鳥の安全を確保するのが一番の目標だ。 すると、やはり、金を渡す必要はあるな」
「同じ意見だわ」
「ただ、金を渡せば人質を解放するという確約がない」
「私の見立てでは、彼は目的さえ達成できれば約束は守るタイプだと思うけれど?」
「まあ、もちろん、橋本が白鳥を殺したところで、なんの得にもならないがな・・・」
「ええ、彼が本当に殺したいのは・・・」


ちらと理事長を一瞥した。


「だな」


おれは時田と理事長を交互に見比べながら、判断を急いだ。


「宇佐美は、なにかあるか?」


宇佐美は、あごを手の甲で撫でて、なにやら考えていたようだ。


「・・・橋本さんは、現金を受け取ってどうやって逃亡するつもりなのでしょうか?」
「逃亡する? ヤツは、逃げるってのか?」
「ええ、彼は、自分にも将来があるとか言っていましたが、どうなんでしょう?」


これは、おれたちにとって重大な見落としといえた。


「人質を取って、校舎に立て籠もったんですよ?
その上五百万からの現金を奪って、明日から何事もなかったかのように部活にせいをだす橋本さんがいると思いますか?」
「ハルの言うとおりだわ・・・」


「水羽を解放してしまえば、我々も理事長も、もう彼の命令を聞く必要がありません。
一度奪われた現金も、なんとかして取り返すでしょう?
警察ではなく、我々に挑戦してきたのは、単に、我々のほうが与しやすいと思ったからでしょう。
さらにいえば、ユキへの復習も兼ねているのかもしれませんが。
浅井さん、もともと、橋本さんは目だし帽をかぶっていましたよね?」
「ああ、顔をすっぽりと覆うような・・・実際、声を上げるまで、橋本だとは気づかなかった」
「ということは、橋本さんは、変声機でも使い、自分の身元を隠して交渉に乗り出す予定だったのでしょう。
しかし、わたしと浅井さんがいち早く現場に駆けつけたものだから、やむを得ず正体をさらしたんです」
「・・・かもしれんな」
「橋本さんは、自分の正体をばらさずに現金を奪うつもりだった。
これならば、明日から何食わぬ顔で学園に来るつもりだったとしても、おかしくはありません」


おれも納得がいった。


「しかし、正体を晒している以上、ヤツはもう終わりだ。 逃げるに決まっている」
「問題は、この包囲網のなかで、どうやって逃げるのかということです」


「一番考えられるのは、水羽を人質にしたまま、用意させた車で逃走するというパターンね」
「・・・・・・」


宇佐美は、さっきから、いやに怖い顔をしている。


「どうも、おかしいですね」
「・・・・・・」
「勘ですがね」


おれは、半笑いで聞いた。


「また、"魔王"の気配でも感じるのか?」


宇佐美がおれを見据えた。


「ええ、ビンビンに」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 


事件発生からおよそ三時間がたった。

園山組の人々も、上の命令とはいえ、我慢の限界のようだ。

だるそうに芝生に腰を下ろし、ところかまわずタバコをふかしていた。

タクシーの運転手が、学園の様子を不審そうに眺めて、走り去っていった。

ようやく、犯人の要求する現金が届いたようだ。


「橋本くん、お待たせ」


すかさず、時田が交渉を再開する。


「ええ、スーツケースに五百万入っているわ」
「スーツケース? そりゃまたかさばるものに入れてくれやがったな?」


・・・かさばっては困るということは、やはり、橋本は逃げるつもりか・・・。


「まあいい。 なら、それをこっちに持ってきてもらおうか」
「わかったわ。 また、私が持っていけばいいのよね?」
「ああ、他の連中は信用ならんからな」
「じゃあ、そのときに、水羽も解放してもらえる?」


すると、橋本が低く笑った。


「慌てるなよ、時田」
「・・・あら? どうしたの? 私とあなたの仲じゃない?」
「そうだな。 金をきっちり用意したんだから、俺もお前の役に立ちたいとは思う。
しかし、白鳥を解放したら、俺はどうやって逃げればいいんだ?」


やはり、か。


「車を用意してもらおうか。 ボンボンの浅井にでも頼め。 できるだろう?」
「それは、聞いてみないとわからないわ・・・」


車か・・・浅井興行の事務所から一台用意することはできるが・・・。


「いいか、車は絶対に用意しろ。 ここは譲歩できん。
時田もわかるだろう? お前が犯人だったら、どうだ?」
「ええ、まったく妥当ね。 逃げられる算段が整っているのならね」


だが、この街にいる以上、園山組からは逃れられないぞ。


「わかったな? まずはケースを持って来い。
車の到着を確認したら、こっちからまた連絡する」


通話が終わり、時田が肩をすくめた。


「というわけだけれど、京介くん」
「よし、車を用意してやろう」
「やけに早い決断ね」
「ヤツは、おれの親父がどれだけこの街を支配しているかを知らない。
車で逃げたところで、すぐに捕まえることができる」


西条のときもそうだった。


「わかったわ。 私も、いまから、お金を届けに行くわ」
「おう。 無茶をして、橋本に襲い掛かったりするなよ?」
「水羽になにかあったら、さすがにわからないわ」


時田はほほ笑んで、ケースを手に再び学園に向かった。


「い、いよいよ、大詰めってヤツか?」


栄一がノリコ先生のそばでつぶやいた。


「なんかよ、椿姫のときもそうだったけど、凶悪犯罪ってけっこうあるもんなんだな」
「ああ・・・」


おれは、何気なく宇佐美を見やった。


「・・・・・・」


こいつが転入してきてからだな・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

さらに三十分後、逃走用の車が到着した。

同時に追跡用の車も、学園の周辺に待機させておいた。


「時田、なかの様子はどうだった?」
「二人で仲良く差し入れのドリンクを飲んだようね。 いい兆候とはいえるわ」
「なにか話したか?」
「いいえ。 すみやかに出て行くよう言われたわ」
「わかった。 とりあえず、こっちの準備は万全だ」


あとは、橋本からの入電を待つのみ。


「浅井さん、学園の包囲は完璧でしょうか?」
「というと?」
「いえ、この学園は外の塀が低いので、校舎から出られると、あとはどうとでも逃げられるのではないかと」
「一階の窓、玄関、職員通用口・・・およそ人が出入りできそうな場所はすべて固めたが?」
「なら、いいんですがね。 みなさんも、お疲れのようですし、ちょっと不安になりました」
「お前も疲れてるんじゃないか? 橋本は車を使って正面から堂々と逃げるつもりなんだぞ?」
「あ、そうでしたね、なにを言ってるんすかね、自分は・・・」


てれくさそうに頭をかいた。


「時田は、平気か?」
「うん?」
「いや、疲れてないかと」
「うれしいわね。 じゃあ、肩でも揉んでちょうだい」
「減らず口がきけるなら、だいじょうぶだな」


とはいえ、時田も長時間の交渉に疲れたのか、口数が減っていた。

ここから先の逃走劇は、おれの手腕にかかっているといっていいな。


「京介くんって、特定の女の子いるの?」
「なんだ、いきなり?」


時田は笑う。


「これもストックホルミングかしらね。
長い間チームを組んでたものだから、あなたと妙な連帯感を覚えているの」
「それはおれも否定しないが、おれはやめておくんだな」
「・・・そう、残念ね」


時田らしからぬ冗談だな。


「浅井さんには自分がいますもんね」
「死んでください」


「・・・あらあら、阿吽の呼吸とはこのことね」


なにやらニヤニヤと腕を組む時田だった。


「それにしても、連絡がないですね・・・」
「そうだな。 上から車が見えているはずだし、車のエンジンはかけっぱなしにしてあるから音でもわかるはずだ」


「もう少し、待ってみましょう・・・なにかあったのかも・・・」
「下手にこちらから連絡して、橋本を刺激するのもよくないだろうな・・・」


「でも、待つにしても限度があるでしょう?」
「そうだな、あと十分待ってみよう」

 

・・・・・・。


・・・しかし、十分たっても、なお連絡はなかった。

 

 

 

「つながらないわ・・・」


時田がさきほどから、二回も電話をかけているが、すべて空振りに終わっている。


「どうします?」
「悩みどころではあるな・・・」


なぜだ?


「時田、どう思う?」
「正直予測がつかないわ」
「橋本が急に手のひらを返したとか?」
「それはない、と断言したいわね。
これまでの交渉過程で、私は私の持てる力をすべて出し切ったわ」
「じゃあ、なぜ、ヤツは連絡してこない?
ヤツの要求をこれまで全部のんできたはずだぞ?」
「・・・・・・」


時田が厳しい目でおれをにらんだ。


「・・・いや、すまん。
そんなことお前に聞いてもわかるはずがないな。 問題は、いま、どうするかだ」


「様子を見に行くしかないでしょうね」
「そうだな。 おれもそう思う」


誰が見に行くか、だ・・・。


「お、オレが行こうか?」


意外なところで手が上がった。


「なんつーか、さすがにオレも一発くらい橋本をぶん殴ってやらねえと、気がすまねえっつーか」
「殴りにいくわけじゃねえんだよ、栄一。 白鳥の命がかかってるんだぞ?」
「でもさ・・・」


そのとき、時田が一歩進み出た。


「いいわ。 私と栄一くんで行きましょう」


「ユキが・・・?」


「たしかに、お前なら、橋本と顔を合わせているし、相手をそう刺激することはないだろうが・・・」
「京介くんは、ここで、全体の指揮があるでしょう」
「そうだな・・・」


「ハルは、京介くんを補佐してあげて。 いままでずっとそうだったんでしょう?」
「まあ・・・」


「ふん、なぜか宇佐美といっしょに事件に取り組むことが多いからな」
「ええ、なにかあったら、助けてちょうだい」

 

・・・。

 


「僕が守ってあげるよ」
「心強いわね」


時田が栄一を選んだのは、おバカで評判の栄一なら、橋本も油断するかもしれないと踏んだからだろう。

おれや宇佐美が行くよりは、ぜんぜんいい。


「それじゃ、行くわよ・・・栄一くん」
「はい!」


二人はやや緊張した面持ちで、校舎のなかに消えていった。


「いったい、橋本になにがあったんだろうな・・・」
「最悪の場合、水羽がもう殺されているかもしれません」
「おれもそれは考えた。 乱闘になって、二人とも倒れたんだ。
だから、橋本も電話に出られない」
「ユキは、それを覚悟の上で、校舎に入っていったんでしょうね」
「勇ましいもんだな、お前の友達は」
「かっこいいんですよ。 本当に、かっこよすぎるくらいです」


宇佐美が言った、その直後だった。

携帯がけたたましく鳴り響いた。

無論、時田のものではない。

おれの携帯。


「なんだ、どうした時田!?」
「信じられないわ・・・!」


珍しく、時田の声が震えていた。


「なにがあった!?」
「落ち着いて聞いて・・・」
「ああ・・・」
「いないのよ・・・」
「なに!?」


時田は呼吸を整え、自らを落ち着かせてようやく言った。


「水羽も、橋本くんも・・・いない」
「・・・そんな、馬鹿な話が・・・」


その瞬間、時田が怒鳴った。


「あるのよ! 二人とも忽然と消えてしまったのよ・・・!」

 

・・・。

 

 

 

G線上の魔王【20】

 

・・・。


翌朝学園に足を運ぶと、宇佐美が待ち構えていたように目の前に立ちふさがった。



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「ついに、動き出しましたね?」
「なんだ、ご挨拶だな」
「ほう、ほほう。 しらばっくれるおつもりですか?」
「は?」



一歩近づいてくる。


「なんだ、なにかあったのか?」
「・・・・・・」


宇佐美の目つきは鋭い。


「ほほほう、ほっほー。 見に覚えがないと?」
「つきあいきれんな」
「ふむ・・・ですよね」


宇佐美を置いて、教室へ。


・・・。

 


 

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「おい、京介・・・」


教室に入るや否や、栄一が声を潜めながら聞いてきた。


「お前、やたら派手なことしやがったな?」
「・・・なんだ?」
「とぼけんなよ、お前だろ?」
「宇佐美にも同じようなことを聞かれたが、まったくなんの話かわからない」


毅然として言うと、栄一も首をかしげた。


「黒板に落書きしてねえの?」
「落書きだあ?」


黒板を見やるが、なにも書かれていない。


「いや、宇佐美が消したんだよ」
「なんて書かれてあったんだ?」
「それがよー」


察するに、白鳥に関することだ。

 

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「『白鳥理事長は罪を認めて、自首すべきだ』」


突然、時田が割り込んできた。


「なんだって・・・?」
「いま言ったとおりよ」


時田は口調こそ穏やかだが、目には厳しい光が宿っていた。


「要するに、朝学園に来たら、そんな檄文(げきぶん)みたいなのが黒板に書かれてあったってことだな?」
「なにか、思い当たることはない?」
「犯人についてか?」


時田はうなずいた。


「少なくともおれじゃないぜ?」


「ぼ、ボクでもないよ?」



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「ですよね」


いきなり宇佐美も顔を出した。


「どうにも浅井さんらしくない。
こんな普通のいじめのような真似は、チープな復讐にこだわる浅井さんのやり口ではないのでは?」
「チープとはなんだ」


「チープじゃないすか」
「・・・だが、白鳥の親父を非難するような真似をしても、おれの気分は晴れん。
CDを真っ二つに割ってくれたのは、白鳥本人なのだからな」
「いつのまにか真っ二つになったことになってるし」


「いずれにせよ陳腐ないたずらだわ」


背の高い時田は、クラス全体を見渡すように首を左右に回した。

教室に潜む犯人に静かな怒りをぶつけているようにも見えた。

 

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「姉さん、いいのよ」


白鳥は、平然としていた。


「何も、気にしてないから」
「本当に?」
「事実だもの」


他人事のように言う白鳥に、時田はゆっくりと首を振った。


「たとえ事実だとして、それがなんだというの?」
「え?」


時田は、まるで我がことのように言った。


「水羽がこんな仕打ちを受ける理由があるのなら、ぜひ教えて欲しいものだわ・・・!」


声は、白鳥に向かっているようで、クラス全体に響くような凄みがあった。


「(こ、こええな、この女・・・)」
「(うむ・・・だから言っただろ? 時田が敵に回ると厄介だと)」


クラスの人数は三十人ほどだが、このなかに犯人がいるのだろうか。


「姉さん、もういいよ」


時田はがんとして動かず、腕を組んで不機嫌そうな顔をしていた。


「犯人は簡単にわかるわよね、ハル?」
「まあ、多分」


「そうなのか?」
「犯人は左利きです。 黒板にそういうあとがありました」
「そういうあと?」
「手の側面? とでもいうんでしょうか。
文字を左手で書くと、自分で書いた文字の上に手がかぶさって、文字がぼやけることがありますよね?」
「そうだな。 チョークなら、なおさらそういうあとは目立つな」
「文字に、ちょうど手刀のようなあとがありましてね」
「つーか、だったら、なんで右利きのおれを疑った?」
「いえ、そういうふうに見せかけたのかな、とふと裏を読みたくなりまして」


まったく、前科者はつらいな。


「なるほど。 左利きで、かつ、昨日の放課後から今日の朝一番までに教室にいたヤツが犯人か。 そりゃ、しぼられてきたな」
「ちなみに昨日、一番遅くまで学園に残っていたのは、男子バスケット部の人たちらしいです」


うちのバスケ部はそれなりに強いらしいからな。


「なら、決まりだな。 うちのクラスには左利きのバスケ部員がいる」
「はい。 しかも、その人物は昨日逮捕された教頭先生の息子さんです」


名前は橋本だったか?

百九十センチの身長を誇る、ふけ顔の男だ。

なんでも前の学園で問題を起こしたものだから、親父の教頭を頼ってこ学園に転入してきたとか噂されてたな。

選手としてはかなりの名プレイヤーらしい。

だったら鬱憤はスポーツで晴らしてもらいたいものだ。


「まあ、もちろん、証拠を掴んだわけではありませんよ」


しかし、それも時間の問題だろうな。


「ちょっとお話を聞いてみてもいいのよ?」


しゃくったあごの先に、当の橋本がいた。

スポーツ刈りの頭を手でいじりながら、いまいましげに時田から目を逸らす。


「二度と、こんな真似はしないことね」


まったく、宇佐美と時田が組んだらこういうことになるのか。

宇佐美が理屈を積み上げ、時田が自白を取る。

反対におれの陣営はどうだ?

おれが策を練り、栄一がやらかす。

・・・うーむ。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「京介、どうするんだ?」
「今日中に動こうとも思っていたが、ちょっとまた考えさせてくれ」
「怖気づいたのか?」
「なんとでも言え」


ふと、屋上の隅で、宇佐美と白鳥がいっしょになってパンを食っていた。

 

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「・・・宇佐美さん」
「だから、ハルでいいと」
「ごめんなさい。 いままで、あなたのことも、好きじゃなかったから」


・・・なんだあいつら?


「わたしが、浅井さんと仲良くしてるから?」
「ええ、それもあるのだけれど・・・」


なにやら、白鳥は声を潜めた。


「・・・学園に入学するときに、住民票を提出しなければいけないでしょう?」
「・・・なるほど」
「ごめんなさい。 先生方のなかで、噂になってたって父に聞いて・・・」
「いや、担任の先生もそうだけど、皆さんいい人だ。 いやなことは黙っていてくださる」


・・・なんの話だ?


「ひょっとして、宇佐美さんも私と同じような境遇なんじゃないかって思って、そしたら、なんだか悪い気がしてきて」
「わたしはわたしだし、水羽は水羽だ。 父親は関係ないよ」


そのとき、おれは初めて見た。

白鳥の顔に笑みが浮かんだのだった。

 

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「今日は、ありがとう・・・ハル・・・」


なんだか気味が悪いので、栄一を連れて屋上から退散することにした。

 

・・・・・・。

 



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「おい、あれ、ユキ様と橋本じゃね?」
「だな・・・」


つーか、ユキ様ってなんだ。


「やべえよ、ユキ様、相当キレてるよ」
「すげえギラギラした目ぇしてんな」


橋本を廊下の壁に追いやり、居丈高にガンを飛ばしている。

口元には不敵な笑み。

橋本は、苛立たしげになにかわめいている。

が、時田の反論を前にしては、口をタコみたいにすぼめるしかないようだ。


「関わるのはよそうぜ」


おれたちは教室へ。


・・・。

 

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「おい、栄一、1~4までの数字をとりあえず選んでみろよ」
「は? もちろん、1」
「そうか・・・やっぱりな」
「なんだよ、それ?」
「いや、昨日、時田とゲームをして、まんまとしてやられたんだが・・・」


「どうしたの?」


不意に、時田の笑顔が目の前に現れた。

 

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「ねえねえ、ユキさん。 ボクにもゲームしてよ」
「ええ、いいわよ」


時田は、おれを楽しそうに見つめる。

・・・こいつ、サドだな。


「じゃあ、問題ね」
「はい!」
「世界で一番長い川は?」
「川?」
「A アマゾン川 B ガンジス川 C 江戸川」
「もちろん江戸川だよ!」
「ぶー、京介くんは?」


ナイル川だ」
「正解」


「ちょ、ちょっと待ってよ! ABCってなにさ!?」
「ABCから選べなんて言った?」
「あいたー、騙されたー!」


なんにしても江戸川はねえから。


「ところで、京介くん」
「なんだよ、いつもニコニコしてんな、お前は」
「土曜日か日曜日、どっちか空いてない?」


土日って、明日かあさって、ってことじゃねえか・・・。


「ふん、どうせお前にとってはどっちでもいいんだろう?」
「さすがに知ってるわね。
私はどっちも都合がいいのに、あえて相手に選ばせてあげる。
約束を取り付けるときの基本ね」
「仕事じゃ、常識だ。
相手も自分が選んだわけだから、約束を守ろうとする」
「じゃあ、空けてくれるのね?」
「そうは言っていない」


「ボクでよかったら空けておくよ?」
「そう? 水羽とデートだけどいい?」


「は?」


「え?」


おれと栄一は息を呑んだ。


「あの子ね、最近は、ほら、星?」
「星?」
「そう、天体観測が趣味みたいよ」
「で?」
「ロマンチックだと思わない?」
「だから?」
「あさってには、すごい星が大接近するみたいよ?」
「んなてきとーな」
「じゃあ、あさって。 決まりね?」
「いやいや、なにも決まってないから」
「でも、水羽のこと、嫌いじゃないでしょう?」
「・・・まあ、な」


・・・仲良くなりたいと言った手前、下手な嘘はつけんな。


「水羽に興味を持ち始めたのは、たしかよね?」
「そうだな・・・」


話しながら、じっとおれの目を覗くように見つめてくる。


「じゃあ、こうしましょう?」
「なんだ?」
「明日、クラシックの演奏会があるのは知ってる?」
「ああ・・・暇があったら行こうかと思っていたが」
「なら、水羽とクラシックの演奏会に行くのと、星を見るのとどっちがいい?」
「そんなもんは、クラシックの演奏会に決まって・・・」


・・・しまった!

 

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「じゃあ、決まりね」


時田の笑みが深くなる。

いまの二択は、さっきの川の問題と大して変わらん。

二択の答えしかないように思えて、実際はそうじゃない。

白鳥と遊ばない、というおれが一番選びたい答えがあったにもかかわらず、つい・・・。


「いま、やられた、と思っているでしょう?」
「くっ・・・」
「私にはわかるわ。 あなたは潔く負けを認める人。
責任感も強いから、決して自分の発言を取り消したりしない」


そういうレッテルを貼られては、ますますあとにはひけん。


「京介くん、負けず嫌いだからねー」


・・・くそ、クラシックに釣られたか。


「まあ、いいだろう。 明日の演奏会だな?」


たしか、セントラル街の劇場に、さる管弦楽団が来てたな。


「そして、あさっては、いっしょに星を見ましょう?」
「わかったよ。 もうどうにでもなれだ」
「いいわね、水羽」


ふと、おれの後ろに声を飛ばした。

振り返ると白鳥が、仏頂面で立っていた。

 

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「姉さん、勝手すぎるよ」
「なに言ってるの? あなたも納得したじゃない?」
「・・・それは、姉さんが無理やり・・・」


白鳥も時田に言いくるめられたみたいだな。


「別に、いいじゃない? 二人っきりってわけじゃないんだから」
「姉さんも来てくれるのよね?」
「栄一くんもね」


「え? あ、うん。 ボクはもちろんオッケー牧場博多駅前支店だよ」


栄一もにたりと笑みをこぼした。


「(オイオイ、なんかしんねーけど、ユキ様とデートかよ。 コレ、たなぼたってヤツじゃねーの?)」
「(ちょっと待てよ、おれたちの復讐はどうなんだ? なにダブルデート(笑)とかすることになってんだ?)」
「(もういいじゃねえかよ、過去にとらわれるなよ)」
「(この野郎・・・)」

 

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「水羽が演奏会のチケット用意してくれたのよ」
「姉さん!」
「どうやら、京介くんのCDの件、悪いと思ってるみたいよ」


「・・・・・・」


白鳥と目が合う。


「・・・そうなのか?」
「別に・・・」


そっぽを向く白鳥。

・・・なんなんだ、まったく。


「フフフ、すべて、わたしの計画通りね」


時田だけが悦に浸っていた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


学園が終わり、久方ぶりに、権三宅に出向いた。

"魔王"が家の前に停まった車に爆弾をしかけてから、およそひと月たった。

いまでは、うるさくつきまとう警察に人間もいない。

 

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「"魔王"はどうした?」


いきなり聞いてきた。


「どうした、と・・・いえ、あれから何も接触はありませんが?」
「宇佐美はどうだ?」
「いえ、なにも・・・普通の学園生活を過ごしていますが」


権三は一度目を閉じた。


桜田門と、それからここの県警にも家畜を飼っているのだがな・・・」
「はい・・・」
「爆破事件は、表向きはヤクザ者の縄張り争いの一環と発表されているが、実際には、"魔王"という存在を追って公安も動き出している。
しかし、"魔王"という犯罪者は、国内、国外ともにリストに該当なしだ」
「左様ですか」
「車を爆破したときに用いられたのは、プラスチック爆弾だ。
出所は、北アイルランドの武器商人。 ブツはロシア経由で日本に渡ってきたらしい」
「まるでテロリストですね、"魔王"は」
「事実、不穏な動きはある」


浅井権三をして、不穏と言わせるような事態がこの世にあるのか?


「ここのところ、ガキどもの誘拐、失踪事件が続いているのは知っているか?」
「・・・いえ、申し訳ありません」
「わかっているだけでも十人。 ただのガキではない。
銀行屋の跡取り、代議士の息子、自衛官の卵。
共通しているのは、親になんらかの社会的権力があり、かつ未成年であるということだ」
「・・・未成年?」


しかし、それが、なんだというのか。


「それから、つい先日、この県警の捜査一課特殊班で、薬物濫用の不祥事があった。
免職になったのはたった一人の刑事だが、背後には大きな内部犯グループがからんでいると見られている。
それを受けて、新しく赴任してきた時田という男がいる」
「時田?」


まさか、時田ユキの父親か。

 

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「人事としては異例だ。
時田はもともと、警視庁の特殊班にいた。
交渉人制度の必要性に迫られてFBIにも留学しに行ったエリートだ。
だが、警察内部の闇を正義感丸出しで突いたものだから、田舎に左遷となった」


そのとき、ふと、権三の目に過去を回想するような不思議な光が宿った。


「・・・お知り合いなのですか?」


権三は、答えなかった。


「実は、いま、うちの学園に、時田ユキと名乗る女が転入してきまして・・・」
「知っている。 ヤツは有能な人間だが、子宝には恵まれなかったからな」


ニタリと哂った。

権三に、人間扱いされるというだけで、時田の父親の優秀さが垣間見える。


「肝は、一度左遷させた男を、復帰させなければならないような事件(ヤマ)が、この街の裏で進みつつあるということだ」
「・・・まったく、僕には想像もつかないですね」
「そうか?」
「え、ええ・・・」


なんだ?

やけに落ち着かない。


「"魔王"は捕まえ次第、八つ裂きにする」
「・・・は、はい」


決して、警察に引き渡すつもりなどないのだろうな。

権三は、それだけ言うと、あとは黙って、酒を飲み始めた。

おれも、用なしと見て退室した。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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・・・しかし、権三は恐ろしいな。

体調を崩した母さんの見舞いに行かせてもらえるよう話を通すつもりだったが、つい、二の足を踏んでしまった。

ひとまず、母さんに電話をしてみよう。

しかし、母さんの携帯には直接つながらず、入院先に連絡をいれることになった。

担当の医師と話をしたところ、容態は悪くはないらしい。

しかし、精神的に不安定な状態が続いているのだという。


「・・・・・・」


明日は、白鳥とクラシックの演奏会か。



・・・。



なにをやっているんだ、おれは・・・?


いや、弱音を吐くな。


あと五年・・・いや、三年以内に、おれは権三のもとから独立してみせる。


そのとき、母さんと一緒に暮らすとしよう。


ひとまず、寝るとするか。


明日は雪になりそうだな・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

日中、いくらか浅井興行に顔を出して、夕方になるのを待った。

冷え込みを厳しく、雪がちらついている。

 

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「なんか、あの二人遅くね?」


待ち合わせ場所に時間通り来たのは、栄一だけだった。


「まったくだ。 もう十分も過ぎてる」
「しかし、我慢だな。 オレちゃんの忍耐が試されているぜ」
「おれは我慢せんぞ。 まさか遅刻しやがるとは・・・」


イライラしながらたたずんでいると、ようやく姉妹が現れた。

 

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「遅れてごめんなさい」
「お前なあ」
「そうね。 謝るわ。 あなたは、時間にうるさそうだものね」


「おい、白鳥、なんで遅れた?」
「・・・別に」
「ああっ!?」


「フフ、私がわざと遅れて行こうって言ったのよ」
「・・・てめえ、それはまたアレか、詐術だな」
「ごめんなさいね。 相手の時間を消費させることで、その人がどれだけ私たちを大切に考えているかを調べようとしたのよ」
「でたよ・・・時田の罠が」
「まあ、私が悪かったわ。
でも、水羽は終始早く行こうって言ってたわよ」


「い、言ってないわよ・・・!」
「遅れると悪いって、私の袖を引っ張ってたじゃない?」
「そもそも、姉さんが起きないんだもの。 ただ寝坊しただけじゃない?」
「・・・ネタをばらしちゃダメよ、水羽」


・・・ただの寝坊って、いまは夕方じゃねえか。

時田はいつ寝てるんだ?

 

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「ねえねえ、ボクは京介くんと違って、ぜんぜん気にしてないよ!」
「そうよね。 京介くんも、ささいなことは気にしないはずよね?」


「もういい。 とっとと行くぞ」
「行くぞって、開演までまだ一時間もあるわよ?」
「バカ野郎、開場は三十分前だ。
その前に、パンフレットとか読むだろうが! 広告のビラとかチェックするに決まってるだろうが! あわよくば奏者と会えるかもしれないだろうが!」
「あ、うん。 わかったわ」
「いいか、てめえら、絶対物音立てんなよ!? 携帯の電源切ってなかったらマジ八つ裂きにすんぞ?」


「わ、わかったって・・・」
「だいたいよー、ただでさえマナーの悪い客ってのはいるんだよ。 そもそもクラシックは大人の社交場であるからしてよー!」


「浅井くんが一番うるさそうね」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

「どうだった、てめえら!?」


神聖なるコンサートが終了し、おれは三人を見渡した。

 

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「まあ、素敵だったわ」
「ああっ!? オメーちゃんと心で聞いてたんか?」


「うん、ユキさんが素敵だった」
「オメーは寝てただろうが!」


まったく、どいつもこいつも・・・!


白鳥がぼそりと言った。


「一番端のチェロの人、怪我でもしていたのかしら・・・」
「おおっとぉ、こいつは驚いたぜぇ!」
「な、なに?」
「白鳥、いいとこ目ぇつけたな?」
「少し、タイミング合っていないときがあったような気がしたの・・・」
「そうなんだよ。 なんかおかしいんだよ。
おれがレクター博士だったら彼を生かしてはおかない」
「でも、全体的にとても良かったと思うわ。 『くるみ割り人形』なんかはとくに」
「なんだよ、てめえ、ちょっとは話せるじゃねえか」

 

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「ちょ、ちょっと顔近いんだけど?」
「おれも『くるみ割り人形』が一番だったな」
「・・・単にヴァイオリンの音が好きなだけよ」
「おれもヴァイオリンが一番好きだよ。 楽器の女王だと思ってる。
なんで女王かっていうとだな、そもそもヴァイオリンの歴史を振り返らなくてはならないんだが・・・」
「ふうん・・・どういうことなの?」


・・・。


「(なんかいい感じね、あの二人)」
「(そうかなあ? たしかに京介のトークについていけるのはすごいけど・・・)」
「(水羽ね、クラシックに詳しいのよ)」
「(へえ、意外)」
「(京介くんみたいに好きで詳しいわけじゃないわ)」
「(どういうこと?)」
「(部屋に『マンガでわかるクラシック』っていう本があったの。 かわいいじゃない?)」
「(んー?)」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「・・・というわけでよ、白鳥。
けっきょく、バッハが最高ってことになるんだが、ここまではいいか?」
「それはわかったけど、食べないの? 冷めるわよ?」


いつの間にか喫茶店に入り、いつの間にか食事を注文していた。


「あれ・・・?」


そして、いつの間にか、白鳥と向かい合わせの席に座っていた。

 

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「お前、なにトマト残してんだ?」
「好きじゃないの」
「ふぅん、かわいらしいねえ」


つーか。


「あれ? 時田と栄一は?」
「とっくに帰ったわよ」
「マジで? おれたちを置いて?」
「あなたが暴走して手に負えなくなったからよ」
「記憶にない」
「そうやって、すぐ忘れるのね」


口を尖らせた。


「お前はなんで帰らなかった?」
「なにその言い方? しょうがなくつきあってあげたのに」
「むぅ。 そうか、すまんな」


おれは、目の前の肉を平らげることにした。



「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


しばし、無言。

気まずい。


「なにか、話せよ」 「なにか話したら?」


・・・。

 

「・・・む」
「ん・・・」


白鳥と二人でメシを食うなんて、これまで想像もしなかった。


「お前って、何型?」
「O型だけど?」
「ふうん」
「浅井くんは?」
「A」
「ふうん」


・・・なにこれ?


「お菓子が好きって本当か?」
「姉さんから聞いたのね?」
「本当なのか?」
「・・・少し、作るくらいね」
「へえ、もうちょっとでバレンタインだな?」
「・・・・・・」
「なんで黙るんだよ?」
「バレンタインがどうかしたの?」
「いや、手作りチョコとか、かますのかと」
「そんな相手はいないわ」
「あ、そ」
「興味のない話はやめれば?」
「興味がないって?」
「あなたが本当に好きなのは、お金でしょう?」
「じゃあ、いまから円相場について話せばいいのか?」
「どうぞ」


・・・なんだ、コイツ?


「あのよー、お前って、なんでおれが嫌いなんだ?」
「・・・え?」
「まあ、知っての通り、おれは園山組っていう極道の回しもんだけど、別にお前には関係ないじゃねえか?」
「でも、悪いことしてるんでしょう?」
「法律に触れるような真似はしてない」
「それでも・・・」


一度、口を結んで言った。

 

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「人の好意を踏みにじるようなこともしたでしょう?」
「そんな抽象的なこと言われてもな」


善意でうちの勢力圏に入ってくれたクラブが潰れそうになったとき、なにもしなかったことはあるが。


「まあ、いいわ・・・」
「いいのかよ・・・」
「これからは、少し、仲良くしてあげる」
「はあ・・・そいつはどうも」
「姉さんが、もっと人に心を開けって言うからよ?」
「そうかい」
「あなたに好意を持っているわけじゃないのよ?」
「わかってるって」
「わ、わかった?」
「だから、わかったって」
「ならいいのよ・・・」


またそっぽを向いた。


「お前が、そんなにすれてるのは、やっぱり、家庭のストレスとか?」
「なんの話?」
「いや、どうでもいいが、ほら、白鳥理事長の一件」
「さあ」
「正月にちょっと会ったよ。
娘をよろしくって言われたが、どういう人なのかまったくわからなかったな」
「じゃあ、いまから会いに来る?」
「冗談はよせよ。 お前の彼氏とか勘違いされたら死ねるって」
「そうね、父さんは怖いわよ。 この前も週刊誌の人をスタンガンで撃退してたから」
「スタンガンって・・・オヤジ狩りに会うような身分の人でもないだろうに・・・」
「暴漢と間違えたって言いわけしてたわ。 あなたも、暴漢と間違われないようにね」


おっかねえな・・・。


「食事中に変な話してごめんなさい・・・」
「・・・いや、いいけど・・・」


もう時間も遅いし、店を出るとしよう。

 


 

・・・。

 

 

 

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「うわあ、雪・・・」


そのひと言が、あまりに素だったので、ちょっと驚いた。


「なんだよ、雪なんていつも降るじゃねえか」
「・・・そうね」


ばつの悪そうな顔で、おれを一瞥した。


「それじゃ」
「ああ、ちょっと待て。 明日、星を見るとか言ってたが?」
「・・・・・・」


照れくさそうにうつむいた。


「どこに行けばいいんだ?」
「学園に、九時ごろ」
「え? 夜の九時か? なんでまた学園?」
「屋上は空が広いから」
「まあ、山のなか行くよりはいいけどよ」
「じゃあ、浅井くんの部屋にする?」
「おれの部屋には、テラスもあるけど・・・って、なんで知ってんだ?」
「あ、それは・・・姉さんに聞いて・・・」
「時田もおれの部屋に来たことはないが?」
「だから、姉さんが、ハルに聞いて・・・そういうことよ」


・・・まあ、どうでもいいか。


「そんな夜遅くに、学園に入っていいのか?」
「いちおう、ノリコ先生も来てくださるから」
「ノリコ先生?」
「天文部の顧問だから」
「お前、天文部だったの?」
「・・・幽霊部員だけど」


知らんかった。


「じゃあ、制服で来いって話か?」
「そうね」


めんどくせえな。


「器材は持ってるのか? 器材っつーか、望遠鏡?」
「ちゃんと持っていくわ」
「はっきり言って、おれ、星とかぜんぜん興味ないからな」
「教えてあげる」


・・・別に、教えてもらいたくもないんだが、まあいいか。


「じゃあな」
「ええ・・・」


白鳥は、駅に向かって歩いていった。

その背中を見て、おれは・・・。


・・・。


白鳥の背中は、人ごみに紛れ、やがて見えなくなった。

さて、帰るとするかな。


・・・・・・。

 

・・・。

 


部屋に戻り、ひと息ついていると来客があった。

 


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「ふー、寒いすねえ」
「なんか羽織れよ」


ジャージ姿の宇佐美だった。


「で、なんだ、大事な話って?」
「は?」
「いや、大事な話があるから部屋に上げてくれっていわなかったか?」
「浅井さんとの雑談は、わたしにとってかけがえのない大事なお話です」


・・・要するにダベりに来たのか。


「どこか行ってたのか?」
「ええ、アキバに」
秋葉原?」
「あの街では、この格好もコスプレということで認知されました」


本当かよ・・・?


「なに買ってきたんだ?」
「来るべき決戦に備えて、いろいろと」
「はあ?」
「爆薬さえあれば爆弾も作れるくらいなんでもそろえてきました」
「どこを爆破する気だよ」
「もちろん、あなたの心です」
「うまくねえよ、ぜんぜんうまいこと言ってねえ」
「いやあ、浅井さんのツッコミは的確ですねえ」
「感心してんじゃねえよ」
「ともかく、明日は天体観測するらしいじゃないですか?」
「ああ、白鳥から聞いたのか?」
「ええ、まあ。 なにやら楽しみにしているみたいですよ?」
「今日も、クラシックの演奏会に行ってきたんだがな」
「それも聞いてます。 楽しかったっすか?」
「まあ、おれはな」
「なんで自分も誘ってくれなかったんすか?」
「ああ、なんだよ、悪かったな・・・お前も来たかったのか?」
「いえ、ぜんぜん」
「うーん・・・また泳がされちゃったよ、おれ」
「いやいや、浅井さんがいなかったら自分もここまで暴走できませんでした」


なにか、悲しくなってきたな。


「それじゃ、もう宅帰(タクキ)しまーす!」
「・・・・・・」

 

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ツッコンでこいよ、みたいな顔。


「宅帰(タクキ)しまーす!」
「はいはい、宅帰(タクキ)しろよ」
「宅帰(タクキ)して座銀(ザギン)のちゃん姉(チャンネ)と飯食(シーメワークー)しまーす!」
「うるっせえんだよっ!」


蹴飛ばして、玄関に追い払った。


「明日の水羽とのデート、自分も邪魔しに行っていいすか?」
「デートじゃねえし、来たかったら勝手に来い。 九時に学園だ」
「はい」


宇佐美は、ドアを閉じて、去っていった。


「はあ・・・」


どっと疲れた。

宇佐美ってなんなんだ。

やたらおれにつきまとってくるが・・・。

しかし、ヤツがおれに気がないのは、正月にわかったことだ。


「・・・まあ、どうでもいいか」


とっととベッドに寝転がることにした。

少し、いつもの頭痛もする。

そろそろ、秋元氏のところに顔を出すべきだろうな。

前回、なにか無礼を働いたような気がするが覚えていない。

まったく、おれが病気だなんて・・・そんな・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

 

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雪はいい。

おれに、怒りを忘れさせないようにしてくれる。

おれは、例によってアシのつかない携帯を駆使し、様々な指示を出していた。

"坊や"たちは続々とおれの下に集まる。

彼らは救いを求めているのだ。

どうすれば、無力な少年のままでいずに済むのか。

いま受けている電話の向こうの、"坊や"もそうだった。


「なるほどわかった。 橋本くんは、つまり、父の無念を晴らしたいわけだな?」


おれは優しく言った。


「聞けば、なかなか見事な犯罪計画だ。
まず、警察の介入を極力避けようとしている点がいい。
なにも映画や小説のように特殊班のネゴシエーターと真っ向から戦う意味はないからな。
しかし、白鳥理事長が、それでもお前の要求を呑まなかったらどうすればいいと思う?」


相手が、言葉を詰まらせるのがわかった。


「フフ・・・決まってる。 人質に死んでもらうしかないだろう?」


白鳥、水羽にな・・・。


「もし、失敗したら、私のもとに来い。 もう一度、力を与えてやろう」


通話を終えて、おれはまた夜の闇にまぎれた。

さて、かわいい坊やが、どれだけの事件を見せてくれるか。

宇佐美がまた、少しでも成長してくれるといいが・・・。

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


今日の朝方まで降り続いていた雪はようやく止んだ。

翌日の午後八時半。

 

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「で、どこで待ち合わせなんすか?」
「うん、おれもそれを知りたかった」


「ユキさんに連絡してみれば?」
「それが、ぜんぜんつながらなくて」


「まさか、また寝てるのか?」
「ユキは、寝たいと思ったときに寝る癖があって・・・」


社会不適合者め・・・。


「寒いし、ひとまず中に入ろうぜ」
「自分は、ぜんぜん寒くないすけど?」


「ボクも」




おバカと変態を引き連れ、校舎に入った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


夜の学園は不気味だ。

 

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「誰もいないね」
「まあ、日曜の夜だからな。 部活も終わってるみたいだ」


「つまり、この広い校舎には我々だけということですか?」


・・・なに興奮してるんだ、こいつ。


「いや、ノリコ先生がいるらしいぜ」
「そういえば、職員室に明かりがともってましたね」
「挨拶しに行くか?」


「・・・いや、いいよ。 やめておこうぜ」


まだ、失恋の痛手から立ち直ってないらしい。


「どうする? まだ九時まで三十分もあるが?」
「ここで部活じゃない?」


「それ、いいっすね」


こいつらのノリがまったくわからん。


「ていうか、宇佐美も部活のこと知ってたんだな?」
「いや、みんな知ってますよ。
浅井さんと栄一さんが、理科準備室でくだらないことしてるって」

 

「まあ、いいか。 鍵、持ってるのか栄一?」
「鍵?」
「理科準備室の鍵だよ」
「ああ、教室の机のなか」
「んな、盗まれそうな場所に置いとくなよ」
「誰が盗むんだよ?」
「まあな・・・」


そのとき、携帯が鳴った。


「ユキです・・・はい、もしもし!」


時田の声が、宇佐美の携帯から漏れ聞こえる。


「ごめん、寝坊したわ」
「もうっ、そんなことだろうと思ったよ」
「だって、水羽が起こしてくれないんだもの。 まったく、私を置いていくなんて薄情だわ」
「きっと愛想をつかされたんだよ」
「水羽、もうそっちに来てる?」
「ううん、まだ」
「校門前で待ち合わせってことになってるけど、いまどこにいる?」
「校舎のなか」
「じゃあ、表で待っていてちょうだい。 一時間もしたら行くわ」
「一時間って・・・早く来てよ。 寒いんだから」
「わかったわよ。 全員分のお弁当買っていくから」


・・・。

電話は終わったようだ。


「聞こえてました?」
「ったく、マイペースな女だな、ホント」
「とりあえず出ましょう。 水羽も来てるかもしれないし」


渋々、校舎を出ることにした。


「どした、栄一?」


きょとんとして、棒立ちになっていた。


「あ、いや、いま、幽霊いなかった?」
「なに嘘ぶっこいてんの?」
「いや、ホント、階段のとこに誰かいたんだよ」

 



「そのお化けは、こんな顔だったかい?」



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「ぎゃー・・・・・・って、バカ!」


宇佐美は、ぱっと見、お化けみたいだからな。


「まあ、見間違いかねえ・・・」


おれたちは、再び外へ。


・・・・・・。

 


校門前に戻ってきたが、白鳥の姿はない。

もう九時になるというのに・・・。

 

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「あれ?」


宇佐美がふと、門のそばに座り込んだ。


「このケースってなんすかね?」
「ケース?」


見れば、長い筒状のケースだった。


「中に望遠鏡とか入ってますけど」
「勝手に開けるなよ」
「すいません、爆弾の可能性を失念していました」
「そういうことじゃなくてだな・・・」
「これって、水羽の天文グッズじゃないすかね?」
「は?」
「いえ、取っ手についてるかわいらしいキーホルダーに、M.Sって・・・」


「サドマゾってこと?」
「正解!」


「はいはい、白鳥のイニシャルな」


とはいえ・・・。


「なんで、ここにそんなもんが置き去りに?」
「トイレにでも行ったんじゃない?」
「いや、それでも、こんな場所に物を置いていかないだろ」


一同、首を傾げる。


「そういや、自分らって水羽の携帯番号とか知らないんすね」
「お前が知らないなら、おれたちにもわかるはずがない」


・・・なにかあったのか。


学園の周りは、あまり人気がない。

市の体育館と陸上競技場が近くにあるだけで、住宅地からはやや離れている。

過去に、変質者がうろついていたこともあったという。


「まさかとは思うが・・・」


再び、宇佐美の携帯が鳴った。


「またユキです・・・はい、もしもし?」


宇佐美の表情が曇る。


「水羽と連絡がつかない?」


おれたちにもわかるよう、会話を復唱しているようだ。


「いや、こっちにも来てないよ。 門の前に、水羽のものらしき望遠鏡があるだけ」


宇佐美は携帯電話を片手に、白鳥のケースが置かれている場所にしゃがみこんだ。


「・・・わかった。 ちょっと探してみる」


電話は終わったようだ。


「なんか、ヤバい予感がするぜ?」
「・・・・・・」
「冬は変態も合法的にコートを着れる時期じゃん」
「・・・・・・」


栄一の心配をよそに、宇佐美はじっとケースと地面を見つめていた。


「ひとまず、校舎のなかを探してみるか?」



「これは・・・」


宇佐美がなにか言いかけた、そのときだった。

 


――っ!!!



「・・・っ!?」


心臓をつかまれる思いだった。


瞬間、宇佐美は動いていた。


悲鳴の沸きあがった校舎に向かって駆ける。



・・・。



「助けてっ!!!」


・・・白鳥か!?


おれも宇佐美のあとを追って走り出す。


「え、お、ど、どういうこと・・・!?」


・・・。

 

「あの窓からです!」


宇佐美が指し示す方向から、悲鳴は上がっていた。


「職員室だな!?」


学園の玄関に飛び込み、土足で階段を駆け上がった。

慌しい足音が廊下の果て、闇の先まで反響している。

宇佐美の素早さは目を見張るものがあった。

階段を三つ四つと飛ばして、あっという間に職員室のある二階までたどり着いた。


「悲鳴が止みました・・・」


しゃべりながらも、まったく息を切らした様子がない。


「まずいです!」


悲鳴が止んだということは、無理やり口を封じられたか、抵抗する気力が失せたということだ。

 

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職員室を目前にして、再び悲鳴があった。


「来ないで!!!」


思わぬ叫びに、足がもつれた。


「来ないで! 来たら殺すって!」


入り口の窓ガラスに、ノリコ先生の恐怖と狼狽にまみれた苦悶の顔がへばりついた。

何者かに脅されているのは明らかだった。

明かりの消え去った職員室のなかに暴漢がいる。

なんらかの目的で、ノリコ先生に危害を加えようとしている。


「やめてっ!」


不意に、鋭い光が走った。


ナイフ。


半狂乱になった女教師の首筋に、黒い手袋をはめた手が迫っていた。


「で、出て・・・って、校舎から、出て・・・」


いまや涙ながらに訴えた。


「浅井さん・・・」


宇佐美は、職員室を見据えながら言った。


「出ましょう・・・」
「しかし・・・・・・!」
「ここは退くしかありません」


やむをえないか・・・。

すぐに警察に・・・。


「時田を呼べ!」


窓の向こうに、目出し帽をかぶった暴漢の姿があった。

ノリコ先生を背後から羽交い締めにしながら、また叫んだ。


「警察は呼ぶな! 呼んだら二人とも殺す! 俺は本気だ!」


この声・・・!


そして、あの長身からして、暴漢はクラスメイトの・・・!


「橋本!?」
「黙れ、浅井! とっとと校舎から出ろ! いますぐにだ!」


「ユキを呼べばいいんですね?」
「そうだ! 時田と話をさせろ! あの女は俺に恥を掻かせやがった!」


ナイフを暴れさせると、興奮しきった様子で職員室のドアを蹴った。


「早く失せろ!!!」


宇佐美がちらとおれを見て言った。



「出ましょう」



おれたちは、橋本の言うとおりにするしかなかった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「な、なにが起こってるの!?」
「職員室に暴漢が現れた」
「ええっ!? の、ノリコ先生は?」
「人質にされた」
「白鳥も!?」
「ああ、ヤツは、おれたちが警察を呼んだら、二人とも殺すと言った」


「浅井さん、ユキに再度連絡しました。 大至急こっちに来るようにと」


携帯を下ろした宇佐美に聞いた。


「橋本は、いったい何が目的だと思う?」
「わかりません」


きっぱりと言う。


「ヤツは、職員室に忍び込んでなにかする予定だった」
「・・・なにか?」
「たとえば、理事長の収賄の証拠を物色していたとか」
「・・・・・・」
「橋本は、教頭の息子だ。
自分の親父だけが捕まったことを恨んでいるのでは?」
「それは、動機として考えられます」


「ちょっと待ってよ。 橋本って、バスケ部の橋本か?」
「先日黒板にいたずらした橋本だ。 時田を呼べと言っている」
「なんで?」
「わからんが、逆恨みしているっぽい」


「水羽は、無事でしょうか・・・」


宇佐美が、置き去りにされた白鳥の望遠鏡一式を見やった。


・・・たしかに、白鳥の安否は不安だ。

ここで襲われ、無理やり校舎のなかに連れ込まれたのか。

白鳥を人質にするあたり、やはり橋本の目的は、理事長がらみか?


「だから、幽霊見たって言ったじゃん!」
「ああ、悪かったな・・・」


橋本は顔をすっぽり覆うような黒い目出し帽をかぶって、校舎に潜んでいたんだ。


「警察に連絡するべきか・・・」


悩みどころだった。


「あの様子では、本当にノリコ先生を殺しかねませんが・・・」
「おれもそう思う」
「当然、これは学園生が人質を取って校舎に立て籠もるという、大きな事件です。
我々が素人探偵を気取って解決しようというのはおこがましいともいえます」
「そうか・・・?」


宇佐美は、椿姫の一件以来、自分がしゃしゃり出ることに慎重になっているのか。


「ヤツが時田と話をしたがっているのはなぜだと思う?」
「そこがひっかかるんです」


宇佐美が目を細めた。


「犯人の要求が、たとえば理事長に警察への出頭を求めるものだとしましょう。
だとしたら、たとえ交渉相手が警察でもかまわないはずなんです」


・・・しかし、警察は呼ぶなという。


「時田の到着までひとまず様子を見るのが得策だと思うが、警察に連絡せずにもたもたしているのもどうかと思う」
「・・・・・・」


・・・どうするかな。


警察を呼べば、人質を殺すと言う。

もちろん、ただのはったりかもしれない。

しかし、もし本当に殺されてしまったら?


「ちょ、ちょっとまずいって、オレのノリコ先生が死んじゃうよ!?」


おれに責任が取れるわけがない。


「・・・・・・」


唇を噛みしめて言った。


「時田を待とう・・・ひとまず」

 

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校舎を見上げる。

宇佐美が、おれの顔色をうかがうように言った。


「わたしも、ユキを待つべきだと思いますよ、浅井さん」


穏やかな声音には、おれの不安を自分も負担しようとする優しさを感じた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「なるほど、橋本くんは私に恥を掻かされたと言っていたわけね?」


数十分後、時田がタクシーに乗ってやってきた。


「思い当たるふしはあるな?」
「水羽に楽しいことしてくれたから、少し、お灸をすえてあげただけよ」


こんな状況だというのに、時田はいつもの薄い笑顔を崩さない。


「さて、私が来たはいいけれど、なにがお望みなのかしら・・・」
「話をさせろと言っていたが」


校舎のなかで、明かりのついた部屋はない。

職員室も沈黙を保っている。

 

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「あそこって、職員室でしょうか?」


宇佐美が指をさした方向の窓を見た。

室内の暗闇に、一筋の光がうっすらと見えていた。

懐中電灯かなにかの光だろうか。


「いま、あの部屋にいるってことか」
「そうなりますが、職員室ではないですよね」


「あれって、オレたちの部室じゃない?」
「理科準備室か・・・そうだな、間違いなさそうだ」


「職員室から、移動したということですか・・・ふむ・・・」
「なぜだろう?」
「狭い部屋の方が、二人の人質を管理しやすいと思ったのか・・・」
「理科準備室の隣には薬品室もあったな。
そこは窓のない暗室だし、うっかり人質に逃げられる心配もなさそうだが・・・」


時田もうなずいた。


「そうね。 犯人は、なるべく人質を身近に置きたいと思うはずよ。
暗室に閉じ込めておけば自由も奪うことができる」


宇佐美が確認を取るように言った。


「ひとまず、あの窓に向かって、手を振ってみましょう」
「大声を張り上げるのはまずいわね」
「うん、近所の人に聞こえてしまうかもしれない」


「通報されるわけにもいかないからな」


周辺は公共施設ばかりで、民家はあまりないが、用心したほうがいいだろう。


「通報といえば、学園の警備会社の方が異変に気づくという可能性は?」
「いや、警備員が直接巡回しにくるわけじゃないからな。
セキュリティもノリコ先生が解除しているだろうし。
教員が遅くまで残業しているようにしか見えないんじゃないか?」
「それでも、あまりに夜遅くなれば、おかしいということになるでしょうね」


「なるほどね。 犯人にはタイムリミットがあると考えるべきね」


感心したようにつぶやきながら、時田が窓に向かって手を振った。

 

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「・・・・・・」


しかし、理科準備室からはなんの反応もなかった。


「おかしいわね。 向こうからはこちらが見えているはずよ」
「うん・・・外のほうが明るいんだからな」


「です、ね・・・」


しばし途方に暮れるしかなかった。


「・・・マジかよ・・・オレ、突貫しちゃうよ・・・?」


あながち冗談でもなさそうだった。

 

「ん・・・?」


電子音の鳴った方を見やると、時田が携帯をつかんでいた。


「・・・犯人から?」
「おそらくね。 橋本くんには番号を教えていないはずだけど」


「白鳥から聞き出したんだろう」
「そうなるわね」


時田は携帯を耳に当てた。


「もしもし、橋本くん・・・?
そうね、遅れてごめんなさい・・・ええ・・・水羽は無事なの?」


ときおり、橋本の罵声が漏れ聞こえた。


「ええ、それはありがとう・・・」


時田はあくまで穏やかに、深々とうなずいていた。

何度かやりとりを繰り返したあと、時田は話を打ち切るように言った。


「ひとまずわかったわ」
「『また連絡する! 逃げるなよ!』」


ひときわ大きい声が時田の携帯から溢れ出て、通話は終わった。


「どういうことだ?」


時田は目を伏せた。


「とりあえず私に文句を言ってきたという感じね」


首を振った。


「校舎に入るな、警察には連絡するな。 その二点を押していたわ」
「橋本の目的は?」
「それも、これからだわ」


小さく笑った。


「思い出すわね、ハル」
「うん」


「どうした?」
「前の学園でも、警察沙汰になるような事件がありましてね。
一人の女子が、カレシにふられたとかいう理由で、そのカレシを人質に立て籠もったんですよ。
先生方がいくら説得してもダメで、もう警察を呼ぼうってなったとき、ユキが交渉役を買って出たんです」


「それで、あっさり解決したんだな」
「あっさりじゃないわよ。 危うく殺されそうになったわ」


「たしかに・・・」
「なぜだ?」

 

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「そのカレシくん、迷惑千万なことに私のことが好きになったらしいのよ」
「そりゃ、修羅場だな。 その女の子にとっては、お前は恋敵だったわけだ」


しかし、そんな不利な条件のなか、相手を説得できるとは・・・。


「話を戻しましょう。 橋本くんがもう一度接触してくる前に、京介くんに頼みがあるの」
「頼み?」


嫌な予感。


「できるだけ人を集めて、この学園を封鎖して欲しいの」
「おいおい、まさか・・・」
「ええ、なるべくそっちの筋の方がいいわ」


・・・園山組のヤクザ連中に来てもらおうってのか!?


「犯人を逃げられないようにする必要はあると思います」
「宇佐美まで・・・」
「学園の出入り口をすべて抑えるには、人手がたりませんから」


たしかに、玄関だけでなく、一階の教室の窓からでも自由に逃げられるからな。


「ちょっとそれっぽいこと言わせてもらうとね、事件発生から三十分くらいは、"怒りの段階"と呼ばれる、最も危険な状況なの」
「・・・なんだそれは?」
「犯人も人質も興奮状態にあって、誰にも手がつけられない状態のこと。
犯人が人質を完全にコントロールするために、暴力を振るったり、近寄った警官を問答無用で射殺したりする」
「やばい状況なのはわかっているが、どうすればいいんだ?」
「この段階では、犯人への包囲網をいかに築き上げるかが交渉の決め手となるとされているわ」
「だが、それは、犯人を刺激することにならないか?」
「なるわね。 集まってきたのが怖い人たちなら、なおさらね」
「だったら、なぜ? いたずらに橋本を怒らせるような真似はやめろよ。
これから交渉ごとをやろうってんだろう?」


その瞬間、時田がおれを見据えた。


「これから交渉ごとが始まるからこそ、敵を威圧する必要があるのよ」


珍しく、時田の目に怒りが見えた。

おそらく、自分の妹が危険にさらされたという怒り。


「話した感じ、橋本くんは相当追い込まれていたわ。
いまにも水羽を殺しそうな勢いだった。
そんな凶悪犯に、本当におしゃべり一つで立ち向かうことができると思う?」


おれは黙るしかなかった。


「たとえば警察の交渉人と呼ばれる人たちが、どうして頭のおかしな犯罪者と対等以上に渡り合えるかわかる?」
「それは・・・そういう交渉術の特殊訓練を受けているからだろう・・・」


時田は、もちろんそうだとうなずいたが、直後に口を尖らせた。


「大前提として、交渉人の後ろに特殊急襲部隊が控えているからよ。
警察側に強行突入っていうジョーカーがあるからこそ、犯人も人質を殺すっていうジョーカーを出し渋るの」


・・・それは、たしかにその通りだ。


「でも、いまの状況はどう?
犯人は、いまでこそ理科準備室に立て籠もっているけれど、いつでも人質を殺して逃げることができるのよ? これで、まともな話し合いになると思う?」
「わかった。 抑止力が必要なんだな」
「言葉は武器だと思うわ。
けれど、しょせんは暴力のバックアップがあってこその武器なのよ」


どこか哀しそうに言った。

もはや、おれに選択の余地はなく、携帯をいじって権三に連絡を取ることにした。


「・・・長い夜になりそうだな」

 

 

・・・。

 

 

G線上の魔王【19】

 

 

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・・・。


年が明け、宇佐美との初詣をへて、再び学園に通う毎日だった。



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「しかし、花音がいないと、いまいち盛り上がりませんねえ」
「ひと月もしたら帰ってくるよ」
「椿姫もなにやら家事と学園の行事に追われているようですしね」
「暇なのはおれとお前と栄一くらいだ」

 

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「誰が、暇だって?」


ヒマ人が、顔を出した。


「なんかさー、今日から新しく転入生が来るみたいだよ」
「へー、こんな時期にかよ」


「どんな人ですか?」
「フン・・・」
「あれ?」


なにやら、宇佐美にそっぽを向く栄一。


「宇佐美さん。 ボクはね、怒ってるんだよ?」
「あ・・・」
「きれいなお姉さんを紹介してくれる話はどこにいったの?」
「ま、誠に申し訳ございませぬ」
「形だけの謝罪なんていいんだよ!」
「は、ははあ・・・!」
「お前らはいつもそうだ! 安い頭を下げれば許してもらえると思っている!」
「か、返す言葉もありませんが・・・実はその・・・」
「言いわけは聞かん!」
「音信不通になりまして」


「へえ」
「いまとなってはなぜ、ユキがこの街に来たのかもわかりません」
「じゃあ、しょうがねえな」

 

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「けっ!」
「そんなにむくれるなよ。 おれもその女に会ったが、どうにも一筋縄じゃいかなそうだったぞ?」
「ボクに限ってだいじょうぶだよ」


この自信はどこから来るのか・・・。


「最近、忘れてるみたいだけど、ボクってかわいい系なんだからね」
「すっかり忘れてたわ」
「あーあー、転入生が、そのユキって子だったらなー」


「そんな馬鹿な・・・」


「んなお前の都合のいい展開になるわけねえだろ」
「だよねー」
「まあ、あきらめるんだな」


「ほんとにすいませんでした」
「ふう、ミラクル起きねえかな・・・」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


・・・が!

 



 

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「はじめまして、みなさん。 時田ユキです」

 

「・・・・・・」
「・・・・・・」


おれは宇佐美と顔を見合わせるだけだった。

 

「グレイトだぜぇ♪」


栄一の天下が到来した。


「趣味は、人と話をすることです」


眼光をらんらんと輝かせる栄一。


「どうぞ、よろしくお願いします」


頭を軽く下げたとき、ふわりと、ストレートの髪が揺れた。


「シビレるぜぇ」


栄一の口元が邪悪に歪んだ。

教師が時田の席を探していると当然のように起立して言った。


「ボクの隣がいいと思うな!」


これまた都合のいいことに、栄一の隣は空いていた。

時田はその席へ。



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「こんにちは、ボク、相沢栄一。 栄一でいいよ」
「はじめまして、栄一くん」
「なにかわからないことあったら、なんでもボクに言ってね」
「ありがと、私のこともユキでいいわ」


子供みたいに無邪気な顔に、時田は穏やかな微笑で返す。


「(おいおい、いいじゃねえの、いいじゃねえの? 宇佐美の友達にしては礼儀正しいし、知的なスメルがするぜえ)」


心のなかでヨダレを垂らす栄一。


「・・・どうかしたの? じっと見て」
「んーん、背が高いなーって」
「そう?」
「髪もすごいキレイだなーって」
「ありがと」
「モデルとかやってるんでしょ?」
「やってないけど、うれしいわね」
「(へっへっへ、女は褒め殺してなんぼだぜぇ)
ユキさんって、なんかすごい、いい匂いするね」
「ふふ・・・そう?」
「(へへ、効いてる、効いてるぅ)」


・・・効いてる、のか?


「ねえねえ、動物とか好き?」
「猫は好きね」
「ボクも猫が一番好き。 気が合うね」


栄一が一番好きなのは、爬虫類だったような気がするが・・・。


「あ、ごめんなさい。 犬のほうが好きかしらね」
「あ、じゃあ、ボクも犬が一番好き」


じゃあ、ってなんだよ・・・。


「まあ、でも、一番好きなのは・・・」
「うん?」


じと目を送る栄一。


「ん、ううん、なんでもないっ」


突如、きゃわいい感じで首を振る。


かなりキモイ。


時田は笑顔を崩すことなく言った。


「そうね・・・頼りにしてもいいかしら、栄一くん?」
「うんっ!」


こうして、新年早々栄一の春がやってきた・・・のだろうか?

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「それでね、そのパティシエがね、すっごい気さくな人でね・・・」


昼になっても栄一の攻勢は続いていた。

時田はそれをうざがらず、ときおり相づちをうって、栄一の話に耳を傾けていた。


「へえ、茶道が趣味なんだー」
「ううん、サドよ。サド」
「いいよね、ボクもお茶大好き」


・・・栄一は幸せなヤツだなあ。


「時田、この前は世話になったな」


いきなり会話に割って入った。


「いいのよ。 楽しかったわ」
「え、なになに、どうしたの?」
「この前少し、京介くんと遊んだのよ、ね?」
「(なんだと、京介ぇ!?)」


「あ、いや、遊んだっつーか・・・宇佐美もいたけどな」
「そういえば、ハルは?」


「お友達なんだよね?」
「ええ、前の学園でいっしょだったの」
「なんでこんな時期に転入してきたの?」
「お父さんのお仕事の関係でね」


転勤か・・・。


「お前って、歳いくつなんだ?」


「京介くん、そんなこと聞いちゃだめでしょ?」


「京介くんは?」
「おれはいちおう、飲酒も喫煙も許される年齢だが?」
「あらそう。 けっこう、留年したのね?」
「まあな。 でも、この学園にはそういうヤツもちょこちょこいるぞ?」
「芸能スクールみたいだものね。 さっきアイドルグループの子を見かけたわ」
「ああ、あいつはそのうち休学するだろ。 そしてダブって卒業。
歳をごまかして芸能界にもまれる、と」
「夢があっていいじゃない」
「そうだな。 とくに裏で活動とかしてないのは、おれの周りじゃ、椿姫と宇佐美と・・・おれ・・・」
「ふふ・・・」


おれに裏があることは、時田も知っている。


「そんなもんかな。 とくに、うちのクラスは、たいがいどっかのタレント事務所に所属してたりするから」


「栄一くんは?」
「ボクは、フリーだよ」


「ただのボンボンだろ?」
「やだなあ、ボクはみなしごだよ」
「まあ、ここに通ってるのはたいがいボンボンか、一芸持ってるやつだな」


・・・って、あれ?

椿姫は、たしか特待だかなんだかで学費免除で通ってるが、宇佐美は?

あのクソ貧乏な宇佐美も、実は、どっかの社長令嬢だったりするのか?

その宇佐美は、昼休みになると速攻で逃げ出した。


「ボンボンといえば、京介くんと白鳥さんが二大巨塔だね」
「白鳥はこの学園の支配者だからな」


つい先日、警察の捜査が入ったが、けっきょく無罪放免となったようだしな。


「そいつは、学園の理事の娘なんだよ。 だが、ひどい突っ張った性格でな」
「へえ・・・今日は来てるの?」

 

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「来てるよ。 いつも一人でいるみたい。 でも、あの子はさー・・・」
「かわいそうね」
「そ、そうだね。 かわいそうだよ、うん」


栄一は、手なづけられつつあった。


「それにしても、ハルは?」
「知らないが、宇佐美は、なんでお前から逃げるんだ?」
「わからないわ。 嫌われる理由は見当たらないのに」
「お前に胸を揉まれるのが嫌だとか・・・」


その瞬間、時田の目に鋭い光が宿った。


「そんなはずないわ。 ちゃんと感じてたもの・・・!!!」


「・・・・・・」
「・・・・・・」


「あれ? わたしなにか変?」
「ん、んーん、ぜんぜん」


・・・また変なのがおれの周りにやってきたな。


・・・・・・。

 

・・・。

 


さすがの宇佐美も、授業中は逃げられない。

 

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「ねえ、ハル・・・」
「な、なにかな?」


ビクっと肩が震える。


「そんなに、あのときのこと怒ってるの?」
「あのときというと・・・?」
「ほら、わたしが、こうやって腕を回して・・・」
「や、やめろぉっ!」

 

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「おーおー、相変わらずロングすぎる髪ねえ」
「さ、触るなー!」
「なに、嫌なの?」

「嫌に決まってるだろー!」
「なら、おっぱいならいいの?」
「それが一番ダメだ!」
「ひどいじゃないの。 なにがあったの? 前は私のこと大好きだったじゃない?」
「・・・うぅ、だってぇ・・・」
「あなたはわたしよりいい胸を持っているのに、なにが不満なの?」
「・・・不満はない、けど」
「あなたが言ったんじゃない? 『わたしは勇者だ。 お前を仲間にしてやろう』って」
「あ、うん・・・で、でもこんなセクハラしてくるなんて・・・」
「私のこと嫌い?」
「き、嫌いじゃないよ・・・」
「そうよね。 お誕生日プレゼントくれたもんね」
「うん・・・いっしょに、水族館も行った・・・」
「そうでしょう」
「ご飯も、たくさんおごってくれた・・・」
「そうでしょうそうでしょう。 じゃあ、言ってみて」
「わ、わたしは、ユキが大好き。 うん、間違いない」


・・・なんだ、洗脳されてんのか?


「うれしいわね。 なら、仲良くしましょう?」
「くぅぅ・・・」


なにやら、じゃれあっていた。


・・・。


やがて、授業が終わって宇佐美が席を立った。

 

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「ユキ、なにしに来たんだ?」
「え?」
「なぜ、引っ越してきたんだ?」
「ハルに会うためよ」
「それなら連絡くらいしてよ。 こっちからかけてもつながらないし」
「ごめんね。 引越しの準備で忙しかったの」
「まったくもう・・・」


すねるように頬をふくらませる宇佐美が、初めて普通の女の子に見えた。

 

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「改めてよろしくね」
「うん・・・ただ、わたしは・・・」
「知ってるわ。 "魔王"、まだ追ってるんでしょう? この前の事件もその一環?」


二人は、なにやらわけ知り顔で話を進めていた。


「それじゃあ、わたしは帰る」
「ええ、バイトがんばってね」
「・・・・・・」


友達にだけ見せるような安心した笑みを浮かべて、宇佐美は去っていった。


「ねえねえ、ユキさん」


栄一がすかさずゴマをすりに来た。


「あの子が白鳥さんだよ」


いまにも教室から出ようとする白鳥が、栄一の声に反応してこちらを振り返った。

 

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「・・・・・・」

時田は白鳥を見て、軽く会釈した。


「・・・・・・」


白鳥は冷たく見返していた。


「ねえ、白鳥さん、ちょっとおいでよ」


白鳥はおれを一瞥し、険しい顔でこちらに足を向けた。

 

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「なに?」
「こんにちは、あなたが白鳥さん?」
「だったら、なに?」


「(相変わらずトゲトゲしいな)」
「(まったくだ)」


なんのホラーかわからないが、おれと栄一はたまに心で会話することができる。


「ごめんなさい。 忙しかった?」


白鳥は黙って首を振った。


「浅井くんには近づかないほうがいいと思う」


「(おいおい、お前なんかしたのかよ?)」
「(ぜんぜんノータッチな。 頭がおかしいんだよ、こいつは)」


「それは、どうして?」
「裏表がある人だから」
「そう。 怖いわね」
「相沢くんもそう」

 

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「え? ボク?」
「かわい子ぶってるけど、本当は違うの」
「ちょ、ちょっとちょっと、なにさ、やめてよ!」
「本当のことでしょう? この前だって、職員室に忍び込んでテストの答案書き直したじゃない?」
「そ、そんなことはなかった!」
「施設で育ったとか女の子に言ってるけど、お父さんはホテルのオーナーでしょう?」


白鳥も知っていたか。


「くぅぅ・・・!」


時田は、驚いたような顔をしていた。


「あら、そうなの? 栄一くん?」
「ち、違うよ、違うよ! ボクを信じて!」


「とにかく、そういうことだから」
「なるほど、あなたは裏表がある人が大嫌いなのね」
「好きな人なんている?」
「でも、あなただって、いつもそうやってしかめ面してるわけじゃないんでしょう?」
「・・・・・・」
「ふふ・・・ごめんなさい。 用があるから、今日は帰るわ。 またお話しましょう」


「あ、ユキさん・・・これからスウィーツでも食べに・・・!」


追いすがる栄一。


「じゃあね、栄一くん」


時田は、さっそうと去っていった。

その後姿を、うらめしそうに見つめる白鳥。


「・・・いつも、よ」


ぼそりと言って、時田のあとを追うように、教室を出て行った。

取り残された栄一は、わなわなと震えだした。


「あ、あと一歩・・・あと一歩のところで・・・!」


・・・あと一歩だったらしい。


「・・・ちくしょう・・・ちくしょおおおお!」


直後、おれは栄一に腕を引かれた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「で、またこの展開なわけだな?」
「マジ、許せねえっすよ、神、マジで!」
「わかったわかった。 白鳥水羽だな?」
「死を与えましょう。 なんかもうすごい死を。
エロ本買った帰りに事故死みたいな」
「うーむ・・・たしかになー、白鳥は神にたてつく愚か者ではあるが・・・」
「ですよねー」
「ぶっちゃけ、どうでもいいっちゃ、どうでもいい」
「どうでもよかねーんすよ!」
「ちょ、ちょっと近い、顔ちかいっての」
「なんか策をくださいよ!」
「えー」
「えー、じゃない!」
「あー」
「あー、じゃない! なにかわい子ぶってんだ!」
「つーか、どんだけ完璧な策を立てても、どうせお前がやらかしてくれるじゃん」
「今度はだいじょぶだって! これほど激しい怒りを見せたオレを見たことがあるか!?」
「けっこうあるね」
「ぜったい、だいじょぶだと何回言わせるんだ!」
「いやそれ、ぜったいフリだから。 やらかしますよーっていう、前フリだから」
「もういい、神は死んだ!」

 

・・・・・・。

 

 

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「さあて、CD買いに行こうかな」
「くそ、なにほくほく顔ぶっこいてんだ!?」
「だって、今日がなんの日かわかるか? 待ちに待ったワーグナーだぞ?
お前も花音の演技を見て、ワーグナーの良さはわかっただろ?」
「うるせえキモオタだなあ」
「じゃあな。 復讐はいかんよ、復讐は」
「くそう・・・」


栄一をおいて、おれはプライベートタイムを楽しむことにした。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「よう、宇佐美じゃないか。 バイト終わりか?」
「浅井さんこそ、なにやらうれしそうですね?」
「いやいや、わかるだろ? 今日はワーグナーが手に入ったんだ」
「は、はあ・・・」
「しかし、おれとしたことがよー、一枚しか予約してなかったんだなー。
だから、ほかの店探し回ってようやく二枚目ゲットよ」
「浅井さんはクラシックのことになると、まるで人が変わりますよね」
「まあ、これから帰って仕事を片付けて、一日寝かして、ようやく聞けるわけだが」
「そんなに好きなんすか?」
「クラシックと出会わなかったら、犯罪者になってたよ」
「むしろデス信者っぽいこと言ってますが?」
「最近は忙しくて、ぜんぜん生で聞きに行けないからなー」
「やっぱ、生派すか?」
「とくにヴァイオリンなんかはな、如実に出るじゃん。 違いが」
「・・・です、ね」
「なんだよ、お前も聞くのか?」
「いえいえ」
「まあいい、じゃあ、明日な」
「あ、浅井さん、明日もそのCDは学園に持ってくるんすか?」
「当然だろ、一日寝かしてなんぼなんだよ」
「・・・・・・」
「じゃあなー、時田と仲良くしろよー」


手を振って、別れた。

 

「・・・・・・これは、壮絶な前フリでは・・・?」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


次の日、学園にて。

悲劇は唐突に起こった。


「ぐぅあああああああああああああっ!」


廊下で叫ぶおれ。

注目するクラスメイトたち。

 

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「ごめんなさい」


おざなりに言う白鳥。


「き、き、貴様ああああっ!」


吠えるおれ。


「どうしたの。 ちょっと肩がぶつかったぐらいで」


けげんそうに眉をひそめる白鳥。

そして、廊下の床に落ちたワーグナーの新譜。

妙な落ち方をしたらしい。

ケースの角が、欠けていた。

床に崩れ落ちるおれ。


「そんなに大事なものなら、なぜ鞄に入れて持ち歩かないの?」


カチンと来たおれ。

いままで大目に見てやったのが間違いだったと知るおれ。


「おかしな人」


おかしな人よばわりされたおれ。

おれは、ついに神となる。

神が叫ぶ。

ヘリの上から。

機銃を持って。

ワーグナーだ、ワーグナーをかけろ・・・!

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「我々は生きている! 復讐するは我にあり
おれが天下に背こうとも、天下がおれに背くことはゆるさん!」
「サー、イエッサー!」
「おい、新兵! いまのおれの気持ちを言ってみろ!」
「サー、まったくわかりません!」
「たとえばよー、オメーのかわいがってるペットを傷物にされたら、オメーどうよ!?」
「でもぶっちゃけ、肩ぶつかっただけらしいじゃないすか」
「F○CKYOU!」
「な、なんすか・・・?」
「ヤツはそのあとなんて言ったと思う?」
「え?」
「おかしな人、だぞ!? おい、悲しみに暮れるおれに向かってそれはねえだろうが!」
「い、いや・・・ごめんなさいって、謝ったとか・・・」
「オメーはバカか! 謝られておれのワーグナーが返ってくるのか!?」
「ま、また買えばいいじゃないすか」
「黙れ! とっとと白鳥をぶち殺してサーフィン行くぞ!」
「あ、じゃあ、とりあえずこの曲は止めますね」


大音量で流れていたワーグナーが鳴り止んだ。


・・・・・・。

 

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「・・・・・・」
「なんだ、栄一?」
「いや、神が立ち上がってくれてうれしいっす」
「おうよ。 次こそは、華麗なる犯罪を見せつけてやる」
「具体的にどうするんですか?」
「くくく、慌てるな」
「さすが、神すね。 おうかがいしましょう」
「おれは、自分が最も楽しみにしているものを奪われた」
「はい」
「ヤツの最も楽しみにしているものとはなんだ?」
「・・・はて?」
「うん?」
「いや、わかりません」
「そうなんだよ。 おれもわかんねえんだよ、これが」
「ちょっとちょっと!」
「花音と違って、あいつは妹でも友達でもないからな」
「じゃあ、どうすんすか!?」
「彼を知り、己を知れば百戦あやうからずという」
「それ、知ってるよ。 百回も戦えばいろいろわかるから、とりあえずいっとけーって話だろ?」
「お前はもう少し己を知った方がいい」
「あ?」
「ひとまず、白鳥に探りを入れようと思う」
「探り?」
「ヤツは、なにが好きで、なにに興味を持っていて、どんなことを大切にしているか・・・それが知りたい」
「でもどうやって?」
「簡単だ」


ふっと、笑う。


「友達になるんだ」
「ええーっ!?」
「お前の言いたいことはわかる。 おれだってにっくき敵と寝食をともにするなんてまっぴらだ」
「寝食をともにする?」
「そうだ。 あいつをおれの女にしてやる」
「げえっ! なんて大胆な!」
「そして、結婚指輪を渡して式場まで押さえた瞬間に音信不通になってやるのだ」
「さすがにそれは嘘だろ!」
「くっくっく」
「卑劣にもほどがあるよ」
「卑劣だと?」
「いや鬼じゃん」
「お前らはいつもそうだ。 そうやってすぐ悪に優劣をつけたがる。
逆に聞きたいが、卑劣でない悪などあるのかね?」
「ほ、本気なのか?」
「くっくっく」
「いや、笑うところじゃねえから」


・・・まあ、ぶっちゃけ飽きたらやめるだろうな。


「ひとまずお前は、女子連中に聞いて、白鳥についての情報を集めるんだ」
「ええ・・・」
「どんな噂が立っているのか。 男はいるのか。 友達はいるのか。
習い事をしているのか。 テレビは見るのか、見るとしてどんな番組を・・・」
「わ、わかったよ・・・わかったって・・・」


なにやら、怖気づいている様子の栄一。


「おいおい、忘れたのか? お前は、白鳥のせいで時田との関係を壊されたんだぞ?」
「あ、そうだった。 マジ殺す」


すばらしく単純。

 

「よーし、オレ、やるよ。 やってやんよ」
「頼んだぞ。 じゃあ、解散だ」


栄一はおれに敬礼し、去っていった。

さて、おれも・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


教室では、時田の周りに人が集まっていた。

 

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「へえ、お父さんが警察官なんだ」
「栄転して、この街に赴任したの。 それで私もくっついてきたってわけ」
「じゃあ、お父さんと一緒に事件を解決してたりしたの?」
「ふふ、まさか。 一度、感謝状をもらったくらいよ」


かっこいい、だの取り巻きの黄色い声があがった。


「父は、いまはけっこうな偉い地位についたのだけれど、昔はいわゆる交渉人っていう、犯人と会話で駆け引きするような仕事をしていたわ」


白鳥を探していたのに、思わず立ち聞きしてしまう。


「そんな父を毎日顔を合わせていたものだから、私もおしゃべりが好きになってしまってね」


時田の話は、内容も刺激的だが、話し方もうまい。

一人一人に視線を合わせてしゃべり、微笑を浮かべながら、たまに冗談を言う。

時田は容姿も抜群だし、友達に不自由することはないだろうな。


「でも、私は、養女なの」


人だかりの気配が変わる。


それを察してから、時田は話を続ける。


「子供のころ、いろいろあってね。 施設にも入ったわ。
でも、私はそのことで惨めな思いをしたり、引け目を感じることはないわ。
それくらい、いまの父が素晴らしい人だから」


おれは時田を尊敬し、同時に嫉妬した。

そんな話を、よく人前で明るくできるものだ。


「あら、やだ。 引いちゃった?
ごめんね。 私は、みんなと仲良くなりたいから。
仲良くなる前に、必ずこういう話はしておくって決めてるの」


たしかに、一歩間違えばただの痛いヤツ。

しかし、時田の容姿と、穏やかな笑みと、切実そうな視線が、クラスの連中の心をつかんだようだ。

それが証拠に、あの白鳥すら遠巻きに、時田を囲む輪に加わっていた。


「白鳥、ちょっといいか?」


時田の話に聞き入っていたのか、ほうけているような顔をしていた。

 

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「なに?」
「いや、昼間は、取り乱してすまなかったな、と」
「・・・・・・」


頭を下げたおれに、値踏みするような目を向けてくる。


「なあ、悪かったって」
「あなたは、私が白鳥建設の令嬢だから声をかけてくるんでしょう?」


いいや、もはやワーグナーの恨みを晴らすためだ。


「単純に、お前と仲良くしたいと思ってるだけだ」
「なぜ?」
「なぜもあるかよ。 同じクラスだからだ」
「・・・理由になってないわ」

 

「どうしたの?」


不意に、時田がおれたちに声をかけてきた。

いつの間にか、時田の取り巻きはいなくなっていた。

 

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「白鳥さん、あなたも私の話を聞いてくれたの?」
「悪い?」


時田は白鳥の目を真っ直ぐに見た。


「私に興味を持ってくれてうれしいわ」


白鳥はよそよそしく、視線を逸らす。


「ねえ、良かったら、これから遊びに行かない?」
「え?」
「驚いた?」
「・・・なぜ、私と?」
「可愛い子大好きだから」


間髪いれず、時田は言い返した。

完全に意表を突かれたのか、白鳥は頬を赤く染めてうつむいていた。


「こっちに越して来たばかりだから、お店とか教えて欲しいのよ」
「事情通の浅井くんと行けば?」
「その前にあなたにお願いしたいの」
「なにそれ・・・」


おれは思案した。

これはこれでいいかもしれんな。

時田は白鳥を知るための、いい緩衝材になりそうだ。


「お願い」
「しつこいな・・・」


戸惑うように視線を床に落とした。


「ほかの人に頼んで」
「私は、白鳥さんがいいのよ」


妙に気持ちが入った言い方だった。


「わかったわ・・・」
「ありがとう。 優しいのね」
「こうやってぐだぐだ話してる時間がもったいないだけ」
「なんでもいいわ。 行きましょう」


「あ、おい、おれもいっしょに行っていいか?」
「嫌よ」
「だと思ったよ」


「ごめんね、京介くん」
「・・・ああ、またな」

 

・・・と、言いつつ、おれはあきらめていなかった。

今日は、浅井興行に顔を出す必要もないしな。

 

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「おい、京介、いま白鳥について聞きまわってるんだけどな」
「話はあとだ。 行くぞ」
「え?」
「ヤツらを、つけるんだ」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


白鳥と時田はセントラル街の喫茶店に入った。

おれは電柱の影に隠れ、店内の出入り口を注視していた。

 

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「警部、あんぱんと牛乳買って来ました!」
「おう、ご苦労さん」
「しかし、こんなところで立ち食いしてたらよけい目立ちませんかね?」
「黙ってろ、新米」


おれはスポーツ新聞を読むふりをしながら、店の窓ガラスの向こうを探る。

窓際の席に座る二人。

時田のややおおげさなジェスチャーが目についた。


「しかし、あれですよ」
「なんだ?」
「収穫ゼロでしたわ」
「なにぃっ!? てめえ、ちゃんとたたいたんだろうな!?」
「だって、白鳥って、一人も友達いないみたいっすよ?」
「んなことはわかってんだ。
それでも学園生活を営む以上、まるで会話しないってこともないだろ?」
「うーん、スポーツは得意みたいすよ。
成績もほら、椿姫と同じくらい良いみたいっす」
「いわゆるデキスギくんか」
「学園のクラブに入ってる様子はないっすね。 速攻で帰るし」
「そうだ思い出したぞ。 ヤツは毎朝、花に水をやっていたな」
「まさか、その花を・・・!?」
「そのまさかだ。 毎朝ヤツより先に来て、花に水をやってやるのさ」
「それ、手伝ってあげてませんか?」
「クク・・・人間というものは、たとえ親切で手を貸してもらっても、てめえの仕事を奪われると居心地が悪くなるものだ」
「は、はあ・・・」
「でも、やっぱやめた。
毎朝早起きするとかめんどいし、なにより美しくない」
「あ、ほら、なんか噂になった事件があったじゃないすか」
「ああ、理事長の贈収賄疑惑な」
「そこをガツンをついてやりましょうよ。
なんか社会派の匂いがします。 これでオレたちの悪にも正当性が認められます」
「バカやろう、悪に正当性なんて求めんな。
悪は常にシンプルイズベストだ。 サーフィンしたいからベトコンの基地を焼く。 これで十分だ」
「それにしても、白鳥がどんなヤツなのかまったくわからないんじゃ手の打ちようが・・・」
「おい、待て。 ヤツら出てくるぞ」


おれたちは、さっと身をかがめた。


「これから、どこ行くんすかね?」


たしかに、そろそろ日も暮れようって時間だが・・・。


「よし、追うぞ」


心なしか、白鳥の足取りが軽くなっているように見えるな。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「うーむ、白鳥の家の近くまでやってきたぞ」
「いいかげん、真っ暗で寒くないすか?」
「だな。 もう、たるいし帰るか」
「明日からじっくり、追い込みをかけてやろうぜ」
「おう・・・・・・」


そのとき、白鳥家の門の前で、尾行対象が立ち止まった。

なにやら声を荒げて・・・。

いや、すすり無き・・・?

 

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「・・・水羽、会いたかったわ・・・」
「嘘、だよね・・・」
「嘘じゃないわ・・・だって、それは、そのマフラーは・・・」


涙に声を濡らしていたのは、あの冷静な時田だった。

おれと栄一は声を潜めて様子をうかがう。


「ど、どど、どういうことだ?」
「わからんが、あいつら、顔見知りだったのか?」


白鳥の声まで震えだした。


「そんな・・・な、なんで・・・どうして・・・」
「ひと目見たときから、そうなんじゃないかなって思ったの」
「こんな、偶然・・・」
「偶然じゃないわ。 私はずっとあなたに会いたかったの。
だから父に頼んで、この学園にしてもらったの」
「あ・・・あ・・・」


・・・なんだ、なんだ!?


「おい、京介。 なんか部外者は空気読んだほうがいい展開になってね?」
「待て、慌てるな。 ここでひくわけにはいかん」


時田が腕を伸ばす。

白鳥の首元、そのマフラーに向かって。


「私があげたマフラー、まだ大事に持っていてくれたのね」
「・・・あ、や、やっぱり・・・」
「いっしょに雪だるま作ったわね?」
「私も、もしかしたら、もしかしたらって・・・思ってたの・・・」
「ええ、そうよ、水羽」


その瞬間、おれと栄一はほぼ同時に喉を鳴らした。

 

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「姉さん・・・!」

 

「なっ!」
「なっ!」

 

なんだってえええええっ!?

 

事情はさっぱりわからんが、時田と白鳥は姉妹!?

何年も会っていないような口ぶりだった。

いわゆる感動の再開に、おれはいてもたってもいられなくなった。


「ひ、ひけ、ひけえっ!」


おれたちは、脱兎のごとく逃げ出した。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「くそっ、なんてことだ!」
「つーか、なんで全力疾走で逃げたんすか?」
「あんな暖かいシーン見せられたら、溶けるだろうが」
「日陰もんですもんね」
「それより、困ったことになったぞ」
「え? なにがです?」
「時田がおれたちの敵になった」
「敵に?」
「ああ、あの様子じゃ、白鳥になにかしたら時田がすっ飛んでくる」
「なんか、まずいんすか?」
「まずい。 ヤツは頭がキレる。 その上、べしゃりも立つ」
「べしゃり、すか」
「くそ、宇佐美だけでも手がかかりそうだというのに」
「え? また宇佐美の野郎が邪魔してくるってんすか?」
「よく考えろ。 おれたちには前科(マエ)がある」
「しかも、動機が前とまったく同じですもんね」
「まずいな。 宇佐美に時田がついたら、手がつけられん」
「神にもボクという軍師がついてるじゃないすか?」
「なるほど実に頼もしい・・・って、死ねえええ!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「京介・・・どうやら、本当にまずいみたいだな」
「わかってくれたか」
「オレはお前のツッコミだけはそこそこ評価していた。
しかし、そんなぬるいノリツッコミをする京介なんて見たくもない」
「・・・とにかく、ハードルが上がったんだ。 どうするかな・・・せめて、宇佐美だけでも・・・」

 

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「え、呼びました?」


「げえっ! お、お前、いつからそこに!?」
「いや、お二人こそ、自分のバイト先の前で、なんですか?」


・・・気づけば、宇佐美の勤めるドラッグストアの看板があった。


「おい、宇佐美。 ここで会ったが幸いだ」


おれは一計を案じた。


「お前が義理堅いヤツだな?」
「なんすかいきなり?」
「おれはお前につきあって、クソ忙しいなか、初詣に行ってやったな?」


「え? そうなの?」
「ああ、そうだ。 こいつが誘ってきたんだ」


「その節はどうもありがとうございました」
「そこで、だ!」
「はい?」
「おれに力を貸せ、宇佐美」
「なんでしょう? 邪悪なお誘いはお断りしますよ?」
「世界の半分はくれてやる!」
「めちゃめちゃ邪悪な誘いじゃないですか」
「ひとまず話を聞けよ」
「おおかた、CDを傷モノにされた腹いせに、水羽に復讐しようってんでしょう?」
「・・・さすがに気づいたか」
「それで、いまは、復讐のネタを集めているってところですか?」
「そこまで見抜かれていては仕方ないな」
「いやもう、あきらめてください。
水羽になにかあったら、真っ先に浅井さんを追求しますよ?」
「しかし、証拠がなければどうにもなるまい」

 

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「それは、宣戦布告ですか?」
「クク・・・お前の首は柱に吊るされるのがお似合いだ」
「なるほど、では、また明日・・・」


宇佐美はちょこんと頭を下げて、歩き去った。


「おいおい京介、なにしてんだ?」
「うーん、まずったな。 交易しようとしたら、つい、宣戦しちまった」
洋ゲーのよくある話はいいんだよ。 どうすんだ?」
「どうするもこうするも、もう少し様子を見るさ」
「頼むぜ?」
「ああ、ひとまず解散しよう」
「お前、いきなり飽きてやーめーた、とか言うなよ?」


栄一は疑うような目でおれをたっぷり眺めてから、去っていった。

ぶっちゃけ、もう飽きつつあるのだが、時田と白鳥の関係は気になるな。

明日から、どうなることやら・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


翌日の学園にて。

朝から雰囲気の違う二人がいた。

 

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「京介くん、紹介するわ。 私の妹の水羽」
「ちょっと、姉さん」
「いいのよ、こういうことは黙っていても広まるものよ」


白鳥が、時田に手をひかれ、おれの席に現れた。


「姉妹?」


おれはいま知ったように驚いた顔を作った。


「意外?」
「そう言われると、少し、目鼻立ちが似ているような気もするが?」
「母親が違うのよ。 ねえ、水羽?」


白鳥は、居心地悪そうに、こくりとうなずいた。


「私はね、白鳥家に居座っていた愛人の娘なの。
捨てられて母子ともども、家を出て行く羽目になったんだけどね」
「おいおい、昼ドラにはまだ早い時間だぞ?」
「昼ドラなら、もっともったいつけた演出が入るはずよ」


さらりと言う時田には、何も気にしてないという、悟ったような明るさがあった。

 

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「両親は終始ごたごたしてたけど、私と水羽は毎日遊んでたわ」
「だから、そんなこと浅井くんに話さなくても・・・」
「そんなに彼のこと嫌い?」
「・・・ええ」
「じゃあ、好きにならなきゃ」
「・・・え?」
「彼も、きっといろいろ事情がある人よ」


ねえ、と目を流す。


「おれは時田みたいに、自分のことをぽんぽん語るつもりはないがな」
「京介くん、水羽をよろしくね」


「は?」
「昨日、ひと晩一緒だったんだけどね、なにかとあなたのことが気に入らないみたい」
「姉さん、やめてよ」


「おれはかまわんよ。
おれだって、いつまでも嫌われてるってのは、気分のいいものじゃない」
「・・・・・・」


「水羽、ほら。 いいかげん、仲直りしなさい」
「・・・・・・」


白鳥は、なにが不満なのか、けっして首を縦には振らなかった。


「困ったものね」


肩をすくめた。


「でも、良かったじゃないか」


白鳥に言った。


「やっと、お前の味方ができたな?」
「・・・ふん」


白鳥は鼻を鳴らして、自分の席についた。

 

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「ごめんね。 根はいい子なんだけどね」
「根より実のほうが問題だ」
「私の前では、おいしそうな果実が成るんだけどね」
「ぜひ食いたいもんだ」
「いまの言葉本気?」
「さあな」


時田は薄く笑う。


「あの子、男を・・・いえ、人を知らないから。 かわいがってあげてね」


ああ、ワーグナーの復讐のためにな。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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昼休み。

いつもの面子に、今日は時田と白鳥まで加わっていた。


「これで花音がいれば、勇者パーティが一堂に会してましたね」
「なに、勇者パーティって・・・?」
「はい、ならえ!」


宇佐美がおれたちを整列させた。


「番号!」
「は?」
「花音のぶんは浅井さんにお願いします」
「え?」
「はい、番号!」


「あ、いち!」
「に、二!」
「三!」
「四」
「・・・・・・」


「こぉら、そこぉっ!」


宇佐美が怒鳴りつけた。

 

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「ぼ、ボク!?」


栄一に。


「ひ、ひどいよ宇佐美さん」
「すいません。 スライムも仲間になるんでした」



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「ねえ、私って、役職は賢者でいいのよね?」
「うん、文句なし」
「水羽は?」
「む・・・」


一同の視線が白鳥に集まる。


「なにか、希望は?」
「・・・くだらない・・・」
「先日、海外の花音から電話が来た。
花音は、みんなのあだ名をつけた。 それを紹介する。
『宇佐美オンデマンド』
『椿姫騎馬隊』
浅井長政
『白鳥ウヨクサヨク』、以上!」


「え、ボクは・・・!?」

 

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「もう一度聞く。 なにか希望は?」
「・・・ないってば」
「じゃあ、右翼で」


「勇者、戦士、僧侶、賢者、スライム、右翼ね」
「スキがないね」


・・・栄一はスライムを受け入れたらしい。


「いつも、こんなくだらないことしてるの?」
「いや、今日は新入生歓迎会みたいな感じ」
「それって、私のこと?」
「他に誰が?」


「白鳥さんとお話できて、うれしいよ」
「・・・・・」


椿姫の真っ直ぐな目に射すくめられたのか、白鳥は気まずそうに顔を逸らした。

椿姫には裏表なんてない。

相手にしにくいことだろう。


「うーん、仲間も充実してきたな。 晩餐会でも開くかな」
「そこで、この中に裏切り者がいるって話だろ?」
「ええ、浅井さんは要チェックです」


昨日、宣戦布告してしまったからな。


「・・・・・・」
「水羽ちゃん、水羽ちゃんでいい?」
「・・・いいけど」


「水羽ちゃん」


おれが言うと、キッとした視線が返ってくる。


「あなたはダメ」


「水羽、よろしくな。 なにかあったらすぐわたしに言うんだぞ?」


宇佐美はなぜか、でかい態度。


「ハルは、私より頼りになるわよ」
「・・・姉さんがそう言うなら・・・」


そして、置いていかれるおれと栄一。


「(おいおい、なんかフレンドリーぶっこいてんなあ)」
「(ふん、いまのうちに楽しんでいるがいいさ)」
「(頼んだぞ、京介)」


お互いに黒い笑いを漏らし、昼休みをやり過ごした。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


次の休み時間、時田がクラスメイトと談笑している姿が目についた。

もう、学園になじんだらしい。

その時田が、ふとおれに声をかけてきた。

 

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「京介くん、なにか悩み事?」
「・・・いや、白鳥ってさ、趣味とかねえのか?」
「あれ? どうして急に水羽のことを?」
「いや、ふと、気になってさ。
あいつって、いつも一人でいたし、どんな生活してるのかなって」
「・・・・・・」
「なんだ?」
「ううん。 水羽の趣味は、そうねえ・・・かわいらしいわよ?」
「もったいつけず、教えてくれよ」
「お菓子よ。 食べるのも作るのも好き。 よく、クッキー焼いてもらったわね」
「そりゃ、意外すぎるな」
「ま、あくまで昔の話だから」
「他には?」
「全体的にかわいらしい物が好きね。 雪だるまとか」


雪だるまといえば、今年は雪が少ないな。

もう積もり始めていてもおかしくないのに。


「なにたくらんでるの?」
「え?」


不意をついたように、時田は言った。


「なんの話だ?」
「・・・ふふ」


怪しげな笑み。

・・・そういえば、こいつは西条とかいう異常者を手球に取ったんだったな。

しかし、人の心なんて読めるものか。


「おいおい、おれを尋問にかけようってのか? 勘弁してくれよ」
「あなたはどうも、嘘をつくときに攻撃的になるみたいね」
「なに分析してるのか知らんが、おれはただ、白鳥に興味をもっただけだ」
「ただ、興味を持った・・・"ただ"、ね」
「よせよ、なに観察してんだ?」
「いいえ。 あなたがどういう人かなんとなくわかってきたわ」
「ふん、なめたこと言うなよ。 なにがわかったって?」
「からかうようなこと言ってごめんなさい」


と、前置きしてから、切り出してきた。


「じゃあ、ちょっとゲームをしない?」
「・・・ゲーム?」
「1、2、3、4」
「なんだその数字は?」
「いま言った数字のなかから、好きなのを選んでもらえる?」
「・・・・・・」
「私には、あなたがどれを選ぶか、予想がついているわ」
「なるほど、見事言い当てられたら、お前は、おれのことを少しは理解しているということか?」
「そんなに固くならなくてもいいのよ。 ただのゲームなんだから」
「そうだな・・・当てずっぽうだって、四分の一の確率でお前の勝ちだからな」


時田は一度おれに背を向けて、メモを取った。

どうやら、あらかじめ自分が言い当てる数字を書き残しておいているようだ。

時田はノートの切れ端らしきメモ紙を、スカートのポケットにしまうと再びおれに向き合った。


「準備万端よ」
「よし、じゃあいいか?」
「どうぞ?」
「3・・・」
「・・・・・・」
「と、言いたいところだが」


おれは腹の底で笑った。


「1、だ」


これは、知っている。

1から4までの数字を前にすると、控えめな日本人の大半は3を選ぶのだという。

次に多いのは2。

1は、一番というイメージが強く、偉そうな感じもあってなかなか選ばれない。

反対に、4は、卑屈すぎるし、日本には『死』というイメージもあって無意識に選択から外すという。

だから、時田は無難に3を選んできたに違いない。


「フフ・・・」
「どうした?」
「本当に、1、でいいの?」
「そうやって揺さぶりをかけようとしても無駄だ」
「確認しただけよ」
「このゲームはあらかじめ答えが決まっているうえで、その答えを強制的に選ばせるといったものだろう?」
「フォース、ね。
手品ではマジシャンズセレクトっていうんだっけ? このゲームにそこまでの強制力はないわよ?」
「そんな話はどうでもいい。 さっさと、お前の予想を、そのメモを見せろ」
「慌てないで」


時田は、ポケットの数字の書かれたメモを取り出し、おれの目の前に掲げた。


「・・・む」
「残念。 1、でした」


返す言葉がなかった。

紙切れには、たしかに、1と書かれている。


「予想通りでしょう?」
「・・・まったくだな」
「京介くん、あなたは複雑な人よ。
あなたの本質は1なんかより、4のほうが近いんじゃないの?」
「どうせ日陰もんだよ、おれは」
「でも、あなたは、きっと数字の意味を考えて裏を読んでくると思ったの。
そういう知性も備えているわ。
だとしたら、まずあなたの本来の性格とはかけはなれた1を選ぶだろうと思ったの」
「ひねくれ者で悪かったな」


言いながら、おれは時田に歩み寄った。

そして、いきなり、スカートをつかむ。


「どうしたの?」
「黙って、ポケットのなかを見せろ」
「フフフ」


時田は、観念したように笑った。


「よく見破ったわね?」


案の定、ポケットから、四つ折りになった三枚の紙切れが出てきた。

 

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「そうよ、京介くん。
あなたの言うとおり、これはどれを選んでも、私が勝つように強制されるゲームよ」


おれもうなずいた。


「たしかに、おれもペテンはなしだとは言わなかったからな」
「どうしてわかったの?」
「さあな、お前から声をかけてきただろ。
お前にはもともとペテンを準備する時間があった。 だから、疑ってみたんだ」
「ますます予想通りの人ね、あなたは」
「負け惜しみはよせ。
お前は、あらかじめ全部の数字が書かれた紙を用意しておいただけだろう?
おれの性格なんてなにも関係ない」
「いまのところ、ハルとあなただけよ。 ここまで見破ったのは」
「そうかい、そいつはありがとう。
いままでは、よほどたいしたことないヤツを相手にしてきたんだな」
「そうね」


時田は目を輝かせた。


「でも、これはどう?」


三枚の紙切れが開かれた。


「な、に・・・?」


てっきり、2、3、4とそれぞれ書かれているのだと思っていた。


「全部、いち・・・?」


三枚とも、1、と書かれていた。


「どういうことだ?」


時田は妖艶に笑うだけだった。


「だから、聞いたじゃない。 本当に、1、でいいのって」
「それが、なんだ?」
「強いて言えば、私には、あなたがどの数字を選ぼうと、改めて1を選ばせる自信があった、ということね」


・・・答えになっていない。

ただ、やられた、という感情だけが残る。

まさか、宇佐美も、こんな感じで餌付けされていったのだろうか。


「それじゃ、妹に優しくしてあげてね」


見透かしたような顔で、席を離れた。


・・・むう。


時田と直接対決するのは避けよう。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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最近は毎日のように部活である。


「か、神!」
「どうした、なにをうろたえている?」
「け、警察が来ました!」
「はあっ?」
「なんかいま、職員室のほうでごたごたしてます!」
「・・・マジで?」
「きっと、オレたちを捕まえに・・・」
「いや、慌てるな。 おれたちはまだなにもしてない」
「じゃあ、なんでマッポが突然乗り込んでくるんすか!?」
「・・・あれじゃねえの? 理事長の、白鳥の親父さんの件」
「あ、そっか。 なーんだ」
「で、誰かパクられたのか?」
「なんでもよー、教頭のハゲいるじゃないすか?」
「ああ、おれたちが体育倉庫の鍵を盗んだときに、お説教くれたヤツな?」
「そいつを探してたみたい」
「へえ、じゃあ、そいつが黒幕だったのかねえ」
「どうでもよさそうっすね?」
「いや、どうでもよくねえよ。
学園帰りにマスコミが来るだろ? カメラとか向けられたらどうするよ?」
「ホント、神は目立つの嫌いっすね」
「しっかし、けっこう、長引いた事件だけど、ようやく静かになるな」
「そっすね、去年の十月くらいからゴタゴタしてましたからね。
なんでこんなに時間がかかったんすかね?」
「どうでもよくね?」
「まあ、そっすけど、いちおう、白鳥に関わることじゃないすか?」
「ふむ・・・」


おれは、ちょっと新聞などで読んだ記事を思い起こしてみた。


「要するに、この学園の、どっかの施設を拡張するんだろ?
そのときに、理事長が特定の業者から金受け取ったって話だろ?」
「だったら、とっとと白鳥の親父をムショにぶち込めって話じゃないすか?」
「まあ、なんつーの、収賄ってよー、基本、公務員にしか適用されないんだわ。
今回の件なら、市の土木課かどっかの職員か?
白鳥の親父さんは、別に、公務員じゃねえだろ?」
「え? あ、うん。 建設会社の社長だろ?」
「だからよー、別に白鳥の親父さんがいくら業者から金もらったってパクられはしねえんだよ。
まあ、詐欺とかになる場合もあるかもしんねえけど」
「じゃあ、なんで事件になってんだよ?」
「それでも収賄でパクられそうになるってことはよ、市の職員と共犯だったってことになるんだわ。 口裏合わせて、悪いことしてたってことだ」
「うん」
「警察は、どうにも、その辺を立証するのに手間取ってたみたいだな」
「手間どんじゃねえっての。 こっちは税金払ってんだからよ」
「お前は払ってないでしょ」
「はい」
「ほら、詐欺を立証すんのはむずいっていうだろ?
同じようにさ、理事長もたしかに金はもらってたわけだな。
でも、市の職員なんて知らねえってばっくれられたら、その嘘を見破るのに手間がかかると思わねえか?」
「まあ、よくわからんが、理事長が捕まらないで、なんで教頭が捕まるんだ?」
「さあ・・・そいつもグルだったんじゃねえの?」
「あれじゃねえ? トカゲのシッポ切り」
「さすがに爬虫類に関するたとえは知ってるんだな」
「ワニの子育て」
「は? そういう意味もあるの?」
「ない」
「うーん・・・ここでお前に一度泳がされる意味がまったくわかりません」
「じゃあ、けっきょく、白鳥の親父はお咎めなしかね?」
「いや、きっと理事長は解雇だろ?
こんだけ世間を騒がせといて、まだ学園に居座ってたらすげえよ」
「白鳥ってよー、さすがに、ちょっとはイジメられてたみたいよ?」
「ふーん。 しょうがなくね?」
「それで、友達がいないんじゃね?」
「いや、あいつとは去年も同じクラスだったけど、もともとヤツは孤独キャラだよ」
「よく知ってるな?」
「おう・・・おれにしては、よく覚えてたな」
「お前、なんか嫌われてるけど、なにかしたんじゃね?」
「ははあ、忘れてるってことか?」
「レイプして、記憶が飛んで、おれ無罪」
「なにその一句?」
「お前ならそんぐらい、やりかねんってことだよ」
「なんにしても、おれのワーグナーを叩き割っていいということにはならん」
「叩き割られたわけではないと思うが?」
「なんだてめえ、まさか白鳥に同情してるのか?」
「え? いや、ちょっとだけな」
「おいおい、鬼畜モンの風上にもおけねえな?」
「だってよー、親父が悪人だったらさすがにトガるって」
「そうかねえ」
「いままで信頼してたパパがよー、裏で不正な金もらってたとか知ったらどうよ?」
「・・・さてね」
「オレらみたいに裏表のあるヤツが嫌いになるっつーのも、まあわからんでもなくね?」
「ふーん」


なんとなく興ざめして、おれは部活の終わりを宣言した。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「勘違いすんなよ。 復讐は復讐だからな」
「なんか土壇場で改心して、お前だけいいとこ持っていきそうだな」
「だ、だいじょぶだって」
「ひとまず、解散しよう」
「え? まだ策が出来上がっていないんですか?」
「いまひとつな・・・」


お菓子が好き・・・だから、どうしたという感じだ。


「まあ、明日には動こうと思っている」
「頼みましたよ、神」
「じゃあな・・・」


手を振って別れた。


・・・まったく、白鳥に同情するとは栄一も存外ふがいない。

おれは白鳥の親父じゃない。

おれを嫌うのは筋違いというもの。


「とはいえ・・・」


やたら、おれにつっかかってくるのはなぜだ?

栄一の言うように、おれがあいつになにかして、忘れてるとか?

そんなはずは・・・。


・・・。


どっちにしろ、覚えてないものは覚えていない。

だいたい、なにかあれば言ってくればいいじゃないか。

さて、帰ってミキちゃんと電話したら、復讐の計画でも練ろうかね。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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その夜、おれは浅井興行からの電話を受けていた。


「そうですか。 ここのところ、ごたごたしてましたからね。
明日にでも、顔を出させていただきます。
は? ガキども? ええ、あのドラッグ回してた連中ですか?
父にしめられて、さすがにヤバい商売からは手をひいたと思っていましたが・・・。
へえ・・・でも、まだ、目立った動きもないんでしょう?」


わりとどうでもいい話をして、ようやく仕事の電話を打ち切った。

また、いつもの頭痛を覚えたので、少しベッドに横になる。

 

・・・それにしても。

白鳥を、どうしてくれようかな。

お菓子好きというが、ヤツが学園でそんなもん食ってたような記憶はない。

なんとなくテレビをつける。

ニュースが、いきなりうちの学園のことを報じていた。


なになに・・・。


捕まったのは、やっぱり教頭か。

教頭が、業者との取引の窓口役だったらしい。

驚いたのは、教頭は容疑を認めているが、理事長は無実を貫いているということだ。

たしかに、理事長と市職員との関係を裏づける有力な証拠はないようだ。

でも、金を受け取ったのは事実みたいだから、容疑者さながらの扱いを受けるのも無理はないな。

白鳥も、マスコミの目を避けるような毎日を送っているのだろうか。


おれも・・・そうだった・・・。


そこまで考えると、ふと、頭痛が襲ってきた。


「寝よう」


ひとりごちて、布団にくるまった。

一瞬にして眠りに落ちたと思う。

もう、目が覚めなくなるのではないかと危惧するくらい意識が飛んだ。

闇に落ちる間際、玄関で物音がしたような気がする。

いや、おれが自ら、ドアの鍵を開けて外に・・・?

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「ふ・・・」


理事長の収賄か。

学園は、それなりに騒がしくなりそうだな。

おれも、うかうかしていられんな。

来るべき、復讐のときに備えなければ。


・・・・・・。

 

・・・。

 



相変わらず底冷えするような寒さが続いているが、雪が降るほどではない。

闇に紛れ、ひと目を忍ぶように目的の場所に向かう。

予期せぬ人物に出会ったのは、通りの角を曲がったときだった。



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「あら、こんばんは」
「・・・・・・」
「ん? どうしたの?」
「・・・いや、偶然だな」


おれは自然に振舞う。


「どうしたんだ、こんな時間に?」
「いままで妹に会ってたのよ」
「ほう・・・」
「やっぱり、なんだかんだで落ち込んでるみたい」
「というと?」
「父親が犯人扱いされてるから」


・・・気持ちはわかるが。



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「実際、収賄の事実はあったのか?」
「どうやら本当みたいよ。
水羽にもマスコミによけいな口を利かないようきつく言ってたみたい」
「だが、証拠は挙がっていないのだろう?」
「いいえ、水羽を含め、家族が証人よ。
逮捕された市の職員が、以前、水羽の自宅に何度か訪れていたって」
「それで、収賄を示唆するような密談があったと?」
「ええ、水羽はつい、聞いてしまったって」
「なるほど。 検察が優秀なら、家族が証言台に立つことで、まず有罪に持ち込まれるな」


それにしても、家族のいる場で犯罪の話をするなど間抜けな話ではないか。

家族だから、裏切らないとでも思っていたのだろうか。

ふと、時田の視線に気づいた。


「あなたも、家族が恋しくなったりしないの?」
「いつも恋しいさ」


時田はじっと見据えてくる。

 

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「・・・なにか、違わない?」
「違う?」
「あなたよ。
目つきにしろ、仕草にしろ・・・気のせいかしら?」
「フフ・・・かまをかけるのはよせ」
「別に、詮索するつもりはないけれどね」
「お前は物分りがよくて助かる」
「知らなければ幸せということもあるから」


薄く笑った。

おれも笑みを返し、時田に別れを告げた。


「では、気をつけてな・・・」
「ええ・・・お互いにね」


時田の脇を通り抜けた。

背後に視線を感じる。

時田がおれを怪しむような目を向けるのは当然だ。

しかし、なにもわかるまい。

とはいえ、時田もそれなりに鋭い。

宇佐美と同じように、始末しておかねばな・・・。

 

 

・・・。

 

G線上の魔王【18】

 

 

・・・。

 

・・・さて・・・。

 

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腕時計の針を確認する。

あと十五分ほどで八時だが・・・。

西条から連絡が途絶えたことをどう判断するか、だ。

計画をしゃべったか、しゃべったとしてもどこまで情報を漏らしたか・・・それが問題だ。

おれがニット帽をかぶっているという話は出したか・・・。


まあいい。

行動に移ろう。

 

 

 

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壮絶な死を与えてやる・・・。


・・・。


おれは、服の下に隠し持っていたニット帽を頭からかぶり、廊下を進んでいった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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会場内は大きな盛り上がりをみせていた。

いよいよ、花音の出番が近づいているのだ。

日本の期待を背負った優勝候補が、練習のためリンクに姿を見せた。


大歓声のなか、ハルは不意に肩をつかまれた。


坊っちゃん見なかったかい?」


堀部というヤクザだった。


「いいえ、連絡してもつながらなくて・・・」
「こんだけ混み合うと電波の状況も悪いみたいだな」


心配だった。

京介はかなり顔色が悪く、足元もふらついていた。


「もう時間がありません。 我々だけで探しましょう。
きっと浅井さんも、必死になって"魔王"を追っているはずです」
「黒のニット帽だっけ?」
「はい、なんとしても、阻止しなくては」


ハルは堀部と電話番号を交換した。

同じ電話会社だったからか、それとも機種の相性のせいか、かろうじて連絡は取れるようだった。

目を隅々まで這わせながら、ハルは人ごみを縫うように進んでいった。


・・・・・・。

 

 

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八時ちょうど。


練習中の選手たちは、思い思いに氷の上を滑走し、飛び跳ねていた。

練習風景を眺める観客も多く、選手がジャンプを成功すると拍手がそこかしこで上がる。

ハルが客席のリンクに近い位置まで来ると、目の前を花音が疾走していった。

目があった、とハルは思った。

しかし、花音の脳には、それがハルだと認識されなかったようだ。

集中しているのか、他の選手の動きすら気にしている様子はない。

客席をくまなく探し、振り返ったそのときだった。



――いた!



黒のニット。

あの後姿。

忘れもしない。

セントラル街ではあと一歩のところで取り逃した。

ハルは階段の上の通路を歩く男をしっかりと目で追った。

猛然と駆け出しながらも、堀部に連絡を入れるべく携帯電話を耳に添えた。

幸運なことに、通話はすぐにつながった。


「堀部さん! 聞こえますか!」
「見つけたぞ!」


足を動かしながら、聞き返した。


「見つけた?」
「いま追ってる!」


しめた。

ハルの足取りが軽くなる。

堀部のほうでも"魔王"の姿を確認しているなら、今度こそ・・・。


堀部が息を切らしながら叫んだ。


売店だ! ヤツはいま、売店にいる・・・!」
「――え?」


一瞬、頭のなかが真っ白になった。


なぜ?


思わず、立ち止まってしまった。

だって、いるじゃないか。

あそこに、"魔王"が――。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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ふ・・・。


いまごろ宇佐美は困り果てているだろう。

頼みの綱のニット帽が、この時間になって、そこらじゅうに現れだしたわけだからな。

囮はなるべく、おれと似た背格好の人間を選んだ。

この街には、海外から出稼ぎに来ている外国人のための、集落のような地域がある。

そこに金をばらまけば、喜んで雑用を引き受ける人間が集まる。

おれは彼らにチケットを渡して、ニット帽をかぶり、黒いコートを羽織って会場内をうろつけと命じた。

日本人の顔はみな同じに見えるというような連中だが、用心して顔はさらしていない。

渡した金も、番号不揃いの使い古された紙幣だから、まず囮からアシがつくことはあるまい。


さあ、どうする、宇佐美・・・?

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「また、ニット帽ですか?」


堀部の声は切迫していた。

会場の入り口付近に一人、トイレにも一人、黒のニットをかぶった男は、次々に沸いてきた。


――なんてことだ!


不安はあった。

"魔王"はなんらかの策略を講じてくるだろうとは思っていた。

西条を捕まえたことは、"魔王"も予測しているはずだからだ。


"魔王"はおそらく、西条がニット帽の情報を漏らした場合を想定して、このような手を打ってきた。


「いいえ、"魔王"は日本人です・・・ええ・・・」


落ち着け。

通路に溢れる観客と肩をかすらせながら、ハルは手近にいるニット帽を追った。


「そう人数は多くないはずです」


堀部に言いながら考えを巡らせる。

"魔王"は、外国人を囮に差し向けてきた。

もちろん、そこからアシがつかないようにするためだろう。

用意したチケットの枚数もそう多くはないはずだ。

オークションなどで何十枚も落札していては、さすがに目立ちすぎるというものだ。

ネットオークション用に複数のIDを用意していても、警察が調べれば同一人物だとわかってしまう。

なにより、これは、即席の策である可能性が高い。

本来なら西条一人に任せるはずの犯行だった。

それが西条のミスで計画を路線変更したのだから、準備の時間も限られていたはず。


「落ち着いて、一人ずつ、捕まえていきましょう」


選手たちの練習時間は、まもなく終わりを迎えようとしていた。

試合が開始すれば、観客は席に戻って通路の混雑は解消される。

しかし、その分、派手な動きはできなくなる。

ハルは警備員の視線を感じながら、ようやく目当てのニット帽の真後ろまでやってきた。



・・・違う。



横顔を覗くと、目の色が青だった。

ハルの接近に動じた様子もない。

ただうろついていろ、とでも命じられたのだろう。

念のため声をかけるが、溢れ出たアルファベットは、"魔王"の音色ではなかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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確認したところ、追っ手は宇佐美を含め十人といったところだった。

そろそろ演技が始まり、会場にも静寂が訪れるころだ。

ばたばたと駆けずり回っていると、不審者と思われる。

花音は三番目の滑走だから、演技が開始されるまで、あと十五分程度か・・・。

リンク上に花束が投げ込まれるまで、あと二十分足らず。

しかし、また鬼ごっことはな。

元気な女だ。


・・・せいぜい追いかけまわしてみるがいい。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

選手の登場がアナウンスされた。

大歓声のあと、潮が引いたように客席に静寂が訪れる。


そろそろ駆け足をやめなくては。


そう思うのだが、なかなかあきらめきれない。

花音の演技終了まで、あと二十分もないからだ。


また堀部から着信があった。


「こっちは三人! そっちは!?」
「二人です。 どちらも"魔王"ではありませんでした」
「まったくどうなってんだ、くそがっ!」


ハルは考える。

冷静に、冷静に、状況にのまれないように下腹に力を込める。


「こうなったら、花音嬢ちゃんの演技が終わった瞬間にリンクに飛び込むしかねえな。
なんとか嬢ちゃんは助けねえと」


そんなことをすれば、大きな騒ぎになるだろう。

ニュースでも報道される。

しかし、花音の命には代えられないか・・・。

そのとき、視界の端に、また黒のニット帽が見えた。

これで、六人目。


「おい、宇佐美ちゃん」


堀部がまた焦った声で言う。


「あんた、根本的に間違ってるんじゃないのか?」
「・・・はい?」
「いいか、"魔王"は西条が捕まったことを知っているわけだろう?」
「はい」
「なのに、ご丁寧にニット帽なんてかぶってくるか? 西条がゲロすることくらい予想してるだろ」
「それならば、なぜ、いま、この時間になって大量のニット帽が現れたんですか?」


ハルは六人目のニット帽の男を確認してから続けた。


「堀部さんのおっしゃるとおり、"魔王"は西条が計画を漏らしたことを予測しているでしょう。
だったら、一人で会場に現れればいいのです。
我々は、"魔王"の素顔を知りません。
それこそニット帽をかぶる必要もなければ、囮を用意する意味もないのです」
「・・・つまり、どういうことだ?」


・・・それが、わからない。

なぜ、"魔王"はわざわざ囮を舞台に上げてきたのか。

共犯者を増やせば増やすほど、どこかで完全犯罪に綻びが生じるはずだ。

この囮にはそういったリスクに見合うだけのリターンがあるはずなのだが・・・。


また、裏をかいているつもりなのだろうか。

いまごろ"魔王"はニット帽など脱ぎ捨てて、客席で悠々とフィギュアスケート鑑賞しているのか。

それならば、やはり、囮は必要ない。

現に、ハルたちが騒がしく走り回っていたものだから、警備員の目も厳しくなっている。

警備の雰囲気が変われば、"魔王"が爆弾を投げ入れて逃走する際の障害になるのではないか。


「ニット帽を追いましょう。 全員捕まえるんです」


――『かわいいぼうやおいでよおもしろいあそびをしよう』

 

最も考えられるのは、"魔王"が、また遊んでいるということだ。

椿姫のときもそうだった。

リスクを承知で鮮やかに身代金を奪ってみせた。

複数のニット帽のなかに"魔王"がいる。


――捕まえてみろということか。


一人目の選手の演技が終わったようだ。

高らかな拍手が波のようにせり上がり、また引いていった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


おれは道端のロッカーからリュックサックを取り出す。

中身はあらかじめ用意しておいた。

さる爆薬とコンピュータ制御の起爆装置だ。

便利な世の中になったもので、おれでも十分に操作できる。

かなり値は張ったが、人の命を奪えるのなら安いものだ。

歩きに歩き、移動を続けた。

時計を見る。

そろそろか・・・。

宇佐美も焦っているのだろうな。

焦りながらも頭脳はますます冴え、おれの姿を探そうとしている。

花音の命がかかっているのなら、当然だろう。

が、まだまだといわざるを得ないな。

これだけサービスしてやっても、おれを捕まえられないのだから。



・・・む。


「・・・・・・」


いかんな、少し遊びすぎたようだ・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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ハルの足が止まった。

警備員が近づいて声をかけてくるのとほぼ同時だった。

謝罪して追い払うと、すぐさま目の前のニット帽を追った。


これが最後であって欲しい。


堀部の話と合わせると、これで十人目だ。

これ以上の数の囮がいれば、時間的にも限界だった。

なぜなら、すでに花音の演技が始まっているのだから。


ワルキューレの騎行』がひんやりとしたアリーナに響き渡っていた。

何度も凄まじい音量の拍手が沸きあがっている。

花音の人気は、やはり絶大だった。


ニット帽に迫った。

腕を伸ばせば届く距離。

ハルは、"魔王"の背格好をもう一度思い出した。

記憶のなかにある長身で細身の男は、目の前の男と比べてそう違和感がなかった。


「すみません・・・」


ぴくり、と男の肩が震えた。


「"魔王"・・・か?」


少なくとも日本語は通じるようだった。

男はハルに背を向けながらも、通路を歩くのをやめていた。

左の肩にリュックサックをかけていた。


「"魔王"だな・・・?」


ハルは動いた。

男の腕をつかもうと手を伸ばす。

が、空を切った。


男は突然走り出す。


逃すまいと、床を蹴った。


・・・・・・・。

 

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無我夢中で追いかけ回し、ようやく男を廊下の壁際まで追い詰めた。

男は観念したのか、呼吸を整えながら、ゆっくりとこちらを振り返った。


整った顔立ちだった。

高い鼻に、暗く鋭い目つき。


「く・・・」


くやしさにうめき声が漏れた。

"魔王"ではないとわかった。

男は狼狽し、カメラは持っていない、などと言っている。

会場内に一般客がカメラを持ち込むのは禁止されている。

リュックのなかを見て確信した。

なんでもない、ただ花音の衣装姿を隠し撮りしたいだけの青年だった。


――どうする、どうすればいい?


ハルは立ち止まり、途方に暮れそうになる自分を必死で奮起させた。

花音の演技は終わる。

もう終わる。

やがて観客たちが一斉に立ち上がって手を叩く。

何も知らない花音は、四方の観客に礼をしながらリンクを軽く半周する。

そのとき投げ込まれる祝福の花束は、破滅をもたらす爆弾なのだ・・・。


このまま何もできずに終わってしまうのだろうか。


椿姫を失望させたときのように、母親が死んでしまったときのように・・・。


・・・。

 

 

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・・・おかしい。


ハルは土壇場で、集中力を取り戻した。

周囲の物音が一切聞こえなくなった。


そうだ、おかしいぞ。


思い出せ、そうだ・・・。


あの違和感。


脅迫状が届いたときから納得できなかった。

ハルはこの事件を最初から考え直した。

不審な点は、まるでジャングルに建てられた人工のビルのようだったが、やがて森林が成長するにつれて目立たなくなった。

刹那、ハルの思考回路が一本の線で結ばれた。


「――しかし、確証がない」


ハルは瞬き一つしなくなった。

まるで動けなかった。

やがて、観客のどよめきが上がった。

悲鳴にも聞こえる騒音のうねりが、ハルの耳奥の神経を蝕んでいく。


宇佐美の負けだ・・・ハルにはそう聞こえた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


・・・少し遊びが過ぎたようだ。


危うく南区に向かう電車に乗り遅れるところだった。

アイスアリーナに長居をしすぎたということだな。

何事にも失敗の気配はつきまとう。


たとえば西条。

宇佐美を甘く見た結果、捕えられた。

共犯者を利用すれば、アリバイ工作をしたり、囮となって捜査をひっかき回したりと、たしかに犯罪のバリエーションは多彩になる。

同時に、共犯者は、リスクの塊だともいえる。

事実、西条は、おれの計画を漏らした。

西条のような最低な人間に、あれだけ優しく接してやったというのに、ヤツはおれを裏切った。

つくづく、共犯者などただの足手まといにすぎないと実感させられた。


ただ、おれは、笑わずにはいられなかった。

ほっとしているからだ。



西条がおれのフェイクを素直にしゃべってくれて――。


なぜなら、おれの本当の標的は花音などではなく・・・。




浅井権三、お前だからだ。

 

 

・・・。

 

 

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フィギュアスケート会場はすぐに出ていた。

あんなカメラだらけの場所に長居は無用だった。

途中の駅近くのロッカーから爆弾入りのリュックを拾い、急いで権三の屋敷にやってきた。

まったくもって悪魔はおれに優しい。

半ば予想・・・いや、期待していたことだが、権三の屋敷には抗争の真っ最中だというのにボディーガードらしき人物がなかった。

ここ一週間ほど、園山組を引っかきまわしてやった結果だろう。

まあ、権三の移動用のベンツの腹にもぐって、たった一分ほどの間、爆弾を設置するくらいだ。

警備の人間がいようと、やってのける自信はあったが・・・。


今夜九時、総大将自ら出馬される。

園山組にたてつく雑魚どもを完全に叩き潰すようだ。

これは裏社会の人間なら誰でも知っているような情報で、当然おれの耳にもはいった。

まもなく権三を迎えに、車が門の前に停車するだろう。

ドライバーが車を降りて、権三を呼びに向かったときを狙う。

権三も、よもやそんな殺され方をされるとは思うまい。

なぜなら、車を爆破するなど、ヤクザの手口ではないからだ。

彼らは、必ずナノリを上げる。

犯行声明を掲げて、正面から堂々と殺しにかかる。

敵のタマを取るならそういった手順を踏まなければ、箔がつかないのだ。

古風な新鋭会ならなおさらだろう。


問題は警察だった。

警察も、同じ理由で、権三殺しは新鋭会の手によるものではないと考えるかもしれない。

しかし、そこまでだ。

まず、おれが犯人だと示す証拠はなにも残らない。

ニット帽をかぶっているのは、ジョークの意味もあるが、髪の毛を現場に残さないようにするためだ。

もちろんオペ用のゴム手袋を着用し、指紋は残さない。

服の繊維は残ってしまうかもしれないが、いま着ているコートもズボンも、その辺のデパートで安売りしているようなどこにでもある品物だ。

まあ、そこまで用心しなくても、爆弾がいろいろな証拠物件を吹き飛ばしてしまうだろうがな・・・。

そしてここが肝心なのだが・・・。

権三が殺されたとき、最も怪しいはずの"魔王"はなにをしていたか?

フィギュアスケートの現状を憎み、その尖兵たる浅井花音にご執着のはずではないのか?

そのために、西条を利用した。

もっともらしくフィギュアスケートを批判してやった。

熱く語ってみせた新採点方式への批判など、実にありきたりなものなのだが、西条にはわからなかっただろう。

政治に対する意見もそうだ。

この国の将来など、おれはまるで興味がない。

映画の感想をのべるくらいの、無責任で無害なものでよければ語ってやれるかもしれんが、その程度だ。


おれはただ、おれの信念に基づいて行動を起こす。

行動が、完璧であればなおさらいい。



・・・む。


自動車が近づいてきている。

近場の家の高い堀の影に隠れ、様子をうかがっていると、ベンツが門の前に滑り込んできた。

スキンヘッドの大男がドアから降りて、屋敷のなかに消えていった。

 

 

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さて・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

 

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周囲に人の気配はなく、爆弾の設置はあっさりと完了した。

装置はちょうど八時五十分に起動する。

いまから十分後だ。

新鋭会の組事務所のあるセントラル街までは、急いでも車で十五分はかかる。

九時には現場に到着していなければならないだろうから、遅くても八時四十五分には車を発進するだろう。

となると、爆破は走行中で、付近の歩行者や対向車などにも被害が及ぶかもしれんが、まあ運が悪かったと思ってもらおうか。

生きている限り、理不尽な死刑も、ままあるということだ。


おれの父がそうであるようにな。


「・・・・・・」


真冬の冷え切った夜道を歩く。

浅井権三を殺すことに、なんのためらいもなかった。

権三は、殺してやらねば気が済まない存在だった。

母の心が壊れたのは、間違いなく権三の非道なまでの追い込みが原因だ。

医者もそう言っていた。

権三は、いま、新鋭会と花音に気を取られている。

獲物がすきを見せているなら食い殺されるのは必然だろう、権三よ・・・。


やがて、時計の針がまもなく八時五十分を指そうとしていた。

しかし、宇佐美も成長しない。

西条のゴミ袋を漁ってプラザホテルに向かったときも同じだ。

西条の口を割って、そこから得られたヒントに固執している。

大局を見れば、おかしな点はいくらでもあるというのに、つい目の前の手がかりをさぐってしまう。


・・・八時五十分。


ずしりと腹に響くような轟音があった。

権三宅の方向の空が明るくなるのを確認した。

近所から上がる悲鳴という悲鳴。

富万別市で最も平和で安全と思われる住宅地は、一気に狂乱した。



浅い地獄だ。


まだまだ浅い。



おれは窓やバルコニーから身を乗り出した人間の群れを軽蔑していた。



もうしばらく待て。


もっと面白いものを見せてやる・・・。


 

口元を引き締め、慢心せぬよう、自分を戒めた。


今回のおれの勝利も、戦略的に見れば、ささいなものなのだから・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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女子ショートプログラムは、すべて終了し、会場から出てくる人影もまばらになっていた。

おれの体調に呼応でもしたのか、携帯の調子が突如悪くなり、宇佐美たちと連絡が取れなくなった。

頭がふらついていてよく覚えていないが、おれはニット帽の男を追っていた。

しかし、人の波にのまれ、逃げられてしまった。

幸いにもアリーナ内で、爆破事件は起こらなかった。

花音の無事が確認されたときは、思わず肩の力が抜けたものだ。

"魔王"が失敗したのか、それとも宇佐美が阻止したのか。

不意に、周辺を歩くカップルの会話が耳についた。


――南区の住宅街で爆弾事件。


気になって、会話に耳を傾けた。


ヤクザ、組長らしい、抗争やってるからね、物騒ね・・・。


近場の公衆電話を探そうとしたとき、声をかけられた。


「浅井さん・・・」


鋭い目つきをした宇佐美がそこにいた。

 

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「いままで、どちらにいらっしゃったんですか?」
「いや、すまん」


おれは事情を説明した。


「心配してたんですよ。 倒れてるんじゃないかって」
「気にするなと言っただろう。 それより、いま大変なニュースが流れているみたいなんだが?」
「はい。 そうでしょうね」


宇佐美はいきなり背中を向けた。


「・・・どうした?」
「いえ・・・」


わずかに口元が震えていた。

 

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「すみません、ひどく悔しくて・・・」


おれは押し黙るしかなかった。


「こんな顔、あなたに見せたくなくて」


いつもの気持ちの悪い宇佐美とは明らかに違う。

苦渋の表情。

大きな声を出したいのを、やっと抑えているような自制。


「そのまま聞いてもらえますか?」


もはや、ほとんど知らない女の声に聞こえた。


「いまとなっては負け惜しみのようですが、最初からおかしいとは思っていたんです。
まず、第一の被害者です」


花音の衣装をてがけたデザイナーだったな。


「脅迫状では、さも"魔王"が殺したように書かれていましたが、実際のところどうなのかと引っかかってはいたんです。
階段から突き落としたくらいで、確実に死ぬと思いますか?
実際現場に行ってみました。 階段はたしかに急でしたし視界も悪いです。
しかし、らせん状の階段でして、たとえ転げ落ちても途中で止まるのではないかと思いました。
わたしは、これは警察の発表どおり、殺人ではなく事故なのではないかと過程しました。
"魔王"は、殺人を装った。 本当はたまたま事故死した人をさも自分が殺したように見せかけたのではないか。 確証は取れませんがね。
すると、次に殺人を装えそうな人物がいました。
二ヶ月前から帰国していて連絡の取れないバレエダンサーのユグムントさんです。
わたしは念のため、彼の不在を確認しに西区の港まで行きました」


・・・そういう推理を働かせていたのか。


「ユグムントさんを殺されたように見せかけたいのなら、自宅付近でなんらかの事件が起こるのではないかと思いました。
そこで、辺りをうろうろしていたら、西条とばったり出くわしたわけです。
そこで、不可解な事件が起こっていました。 海に続く血です。
西条がユグムントさんを殺したのかと思いましたが、彼のコートに血はついていませんでした」


ナイフで刺した現場をとらえたなら、西条は返り血を浴びているはずだからな。


「のちのち西条の荷物を物色してわかったことですが、西条はどうやらユグムントさんの外国人運転免許証を拾ったようなのです」
「免許証・・・」


おれはようやく口を開いた。


「しかし、おそらく偽造でしょう。
たとえユグムントさんが海に落ちたとして、どうして都合よく身分証が現場に残るんですか」
「"魔王"が、あえて残したんじゃ?」
「しかし、海に落とすということは、被害者の身元の判別を遅らせるためでしょう? とても考えにくいですね」
「では、"魔王"は、またしても殺人の偽装をしていたと?」
「はい。 しかし、それは我々には知らされないことでした。 西条は信じ込んでいたようですがね」
「"魔王"は、なんのためにそんなことをしたっていうんだ?」


西条しか知らない偽装殺人なんて、いったいなんの意味が?


「そこが、わたしにもわかりませんんでした。
しかし、この二件の偽の殺人こそが、今回の脅迫事件の全体像をつかむ有力な手がかりだったんです」
「手がかり・・・?」
「なによりもおかしいのは、"魔王"はなぜ、花音を直接脅迫しなかったのでしょうか?」
「・・・そうだな・・・」


権三の住所すら知っているのに、花音の住所を知らなかったとは思えない。

住所がわからなかったとしても、学園やスケート会場など、脅迫状を花音の目に触れさせる機会はいくらでもあったはずだ。


「家族なのだから、そのうちばれてしまうと考えていたのか・・・。
いや、それにしても、そんな悠長なことをする意味がわからんな」
「わたしは、また、"魔王"が遊んでいると考えていました」
「そうか。 椿姫の身代金のときもそうだったからな。 あえてお前に挑戦してきたんだ」
「しかし、実際は違いました。 "魔王"は本気でした。
緻密に計画を練り上げ、さもわたしと遊んでいるように見せかけて、我々を欺いていたんです」


宇佐美は、目を伏せ、敗北を噛みしめるように首を振った。


「"魔王"の本当の標的は花音ではなかったんです」
「なんだって・・・!?」
「間違いありません」


事実、花音は無傷だったわけだが・・・。


「"魔王"は巧妙に、自分がさもフィギュアスケート会場を狙っているように我々を誘導していました。
その最もな例が、西条です。 西条がよほど優秀な人物ならわかります。
けれど、西条は"魔王"にとって足手まといに過ぎませんでした。
けっきょくは、わたしたちに計画を漏らしています。
しかし、それこそが、罠だったんです。
西条が足手まといであればあるほど、"魔王"にとっては有能な犯罪者だったのです。
"魔王"はおそらく、西条がユグムントさんの殺害の件もしゃべると予想していたのでしょう。
おかげでますます、我々の目はフィギュアスケートに集まっていきました」
「でも、"魔王"は西条に優しく接して、忠誠を誓わせていたんだよな。
もし、おれたちが西条を捕まえられなかったり、西条が口を割らなかったりしたらどうするつもりだったんだ?」
「そこは、"魔王"も懸念していたことでしょう。
今回は権三さんとその組織もついていました。 暴力団の拷問に耐えられる人間などいないと踏んでいたのかもしれません」


そして、その読みは当たっていたわけか。

"魔王"は相手の程度に応じたマジックを用意してくると宇佐美は言っていたが、そのとおりになった。


「二日に渡る尋問の末、ユキの力も借りてようやく聞き出した"魔王"の計画です。
わたしは、ホテルに誘導されたときと同じ失敗をしてしまったんです」
「いや、おれもだ・・・そう落ち込むなよ。
お前がトスブーケを使った爆弾の投げ入れ方を解いたときは見事だと思ったさ」
「・・・・・・」


宇佐美は、哀しそうな目で、おれを一瞥するだけだった。



「どうも、ありがとうございます」


別に、なぐさめたわけではないが・・・。


「話はわかった。 言われてみれば、"魔王"が花音を陥れる理由がわからんな」
「わたしは、"魔王"がわたしの仲間を狙っていると勘違いしていました」


椿姫のときもそうだったわけだからな。


「では、実際に狙われたのは・・・?」


ふと、さきほどのカップルの会話を思い出す。


「はい。 その答えにたどり着いたのは、花音の演技が終わる直前でした。
"魔王"は、手の込んだ誘導を仕掛けてきましたよね?」
「ああ・・・」
「今回の事件で、最も振り回されたのは誰です?」
「お前と・・・」
「浅井権三です」


おれは息を呑み、喉を鳴らすだけだった。


「だからこそ、脅迫状はわたしと権三さん宛に届いたんです」


・・・親愛なる勇者と怪物殿へ・・・。


「実際、わたしも命を狙われました。 権三さんはどうでしょう?
いま別の暴力団とも敵対して大忙しですよね?」


まさか、"魔王"の牙が己に向けられているとは権三も思うまい・・・。


「ただ、それはあくまで推測でして、また裏をかかれているのではないかと疑心暗鬼にかられてしまいました。
それで、権三さんへの連絡が遅れてしまったことが悔しくて仕方がないのです」
「そんな・・・!」


声が割れた。


「じゃあ、南区の住宅街で爆破事件っていうのは!?」
「権三さんを狙ったものでしょう」
「信じられない」


あの権三が・・・死ぬだと!?


「権三に連絡はつながったのか?」


間に合わなかったというのか・・・!?

おれは、はやる気持ちを抑えられなかった。


「とにかく、おれは権三の家に行ってみる。 いや、病院か・・・くそっ・・・・・・!」


ヤツは鬼畜だが、それでもおれには、これまで生かしてもらった恩がある。

死ねばいいとすら思うこともあったが、実際こうなると・・・。


「お優しいんですね、本当は」
「ふざけたことぬかすな! 権三が死ねば、おれみたいなコバンザメ小僧も終わりなんだぞ!」
「安心してください、浅井さん」
「なに?」


宇佐美が、穏やかに言った。


「権三さんは、ご無事ですよ・・・」


手足の力が抜けた。

まばたきが止まらない。

おれは、安堵していた・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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その後、堀部が迎えにきて、おれと宇佐美はセントラル街の高級クラブに招かれた。


店内に一般の客の姿はない。


ホステスも席につこうとしなかった。



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「・・・俺が死んだと思ったか?」


巨漢が濃いウィスキーをあおりながら言った。


「・・・はい・・・よくご無事で」


低い笑い声が返ってきた。


「"魔王"は、迂遠(うえん)な策を弄するのは得意なようだが、殺しというものがわかっていない。
狩をしようと思うなら、自らも食われる覚悟で望まねばならん。
実際"魔王"は、俺の屋敷に乗り込んでくるのではなく、時限式の爆弾を用いて保身に走った」
「では、車に爆弾がしかけられていたことは、見抜いていたと?」
「いいや。 "魔王"の手口そのものは巧妙だと言わざるをえん。
証拠の一つも残していないのだろう。 どんな手段で俺を殺しにかかるのか、見物ではあったが予測のしようはなかった」


・・・見物ではあったが、だと?

自分の命だろうが。


「最初からヤツがおれの命を狙うことはわかっていた。
なぜなら脅迫状は俺に届いたのだから。
宇佐美が説いたような細々とした理屈はあとからつける。
読みどおり、不審な点はいくつもでてきた。
階段から突き落として殺すなど愚の骨頂というもの。
事故と殺人の区別がつかないほど鑑識(シキ)は甘くない。
他にも西条というかませ犬、不意に勢いづいた新鋭会のカスども。
だから、俺はわざと、自分の動きを知らせるような情報を裏に流した」
「では、今夜九時に乗り込みをかけるというのは・・・?」
「俺は旧態依然とした新鋭会とは違う。 獲物を狩るのに、なぜ声をあげねばならん・・・?」


極道にあって異端であることは承知していたが、こいつの哲学には理解しがたいものがある。


「お話中失礼します。 いま新鋭会の内藤組長が見えてまして」
「おう」
「組長(オヤジ)に面通しを願っていまして、どうやら手打ちを申し出てるようですが?」
「和睦したいのだな」
「ええ・・・指(エンコ)も詰めてきたようでして・・・」
「指などいらん。 金をもってこさせろ」
「それは・・・納得されないでしょう、組長にも面子ってもんが・・・」

 

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「納得させろ。 それが、俺に従うということだ。 できんのなら皆殺しにすると伝えろ」

 


組長自ら頭を下げに来たというのに、それを門前払いするとは・・・。

 


「というわけだ、京介。 "魔王"が車を爆破したころ、俺はここで酒を飲んでいた」


高みの見物をしていたわけか。

大局を見据えていたからこそ、そんな余裕をみせられるのだろう。


「わかりました。 とにかく無事でなによりでした」


もう話すことはないと、おれは一礼して戸口に向かった。



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「宇佐美」
「はい」
「わかっていると思うが、京介から目を離すなよ」
「・・・・・・」


宇佐美は、何も答えず、おれのあとに従った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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・・・。


詰めを、誤ったというのか・・・。

たしかに、標的の顔も確認せずにことに及んだのは失策だった。

少し、そう少しだけ、宇佐美と浅井権三を甘く見ていたというわけか。

潔く敗北を認めるとしよう。

失敗から学ぶことは多い。

浅井権三は、なかなかの大物だ。

一丁の猟銃では殺せぬか。

次は、必ず、仕留めてやる・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「たっだいまー」
「おう、今日もすげえ得点出したみたいだな」


花音は、えへへー、と頬を緩ませながら、手に持っていたバッグを開いた。

ぱたぱたと、衣服を詰めていく。


「・・・どした?」
「のんちゃん、もう帰るね、おうち」
「そうなのか? 別に、いてもかまわんが?」
「ありがとっ」


またにっこりと笑う。


「兄さんはうさみんとパパリンといろいろ忙しそうなので、気が散るのです」
「また偉そうな口をたたきがやって・・・」
「ごめんね、わがままで」
「なに・・・?」

 

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驚いて、花音の顔を見た。

あろうことか、瞳に涙を浮かべていた。


「わたしは、もう、こういうふうにしか生きられないから。
自分が一番すごくて、いつでも正しいって思わなきゃ、やってられないから。
ごめんね、もう、ばいばい」


突然の別れ。


花音の決意は固いようで、荷物を整理する手は止まらなかった。

 

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「・・・なにか、あったのか?」
「なにもないよ」
「でも・・・」
「なにもなかったから、今度こそ、踏ん切りがついたの」


そのまなざしは切なげで、おれを責めているようでもあった。

おれは花音の前で立ちすくんだ。

花音が、なんのためにおれを頼ってきたのか、もっと考えてやるべきだったのだろうか。


形だけの兄妹。


なにか、力になってやれることがあったに違いない。


「なんかね、毎日楽しかったよ。 帰ってきたら兄さんがいるって思うと」


おれはなにもしていない。


「ああ、家だなって。 味方がいるなって。 スケート以外にも世界があるんだなって」


おれは、狼狽し、焦燥し、苛立っていた。

吐き気のようなものが喉までこみ上げてきて、言わずにはいられなかった。


「いてもいいんだぞ」


花音に向けて手を広げた。


「すまなかった。
おれたちがお前に隠し事をしていたように、お前もそうやって胸になにかを溜めていたんだな」


しかし、花音は、あきらめきった口ぶりで言った。

 

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「氷の上がわたしの居場所。 だいじょうぶ。 納得してるから」


微笑みながら、おれの視線を穏やかに押し返した。


「わたしはわたしの道を行くよ。 オリンピック絶対行くから、見ててね」


花音はもう、心を塞いでしまっていた。

言うべき言葉がなかった。


「じゃあねぇー」


ふにゃりとした見慣れた笑顔の裏側を、もう決して覗かせてはもらえないだろう。


「あー、シャツの襟が曲がってるぞー」


細い指先が、おれの首にしなやかに伸びてきた。


「まったく、兄さんはぬけてるとこあるからなー・・・まったくもー・・・」


感情が昂ぶってきて言葉を詰まらせたようだ。

花音が、おれの身だしなみを気にしたことなどいままで一度もなかった。

ささやかな思いやり。

らしからぬものを残して、義理の妹は玄関へ出て行った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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冷たい潮風が肌を刺す。

漆黒の夜空には星が輝いて、さらなる冷え込みを予感させていた。


ハルはもう一度、事件を洗いなおしていた。

今回は、浅井権三の力を借りて、どうにか引き分けといっていい結末を迎えることができた。

非力さを感じている少女の胸のうちで、携帯が鳴った。

すぐさま闘志が募った。

鳴ったのは"魔王"から届いた携帯電話だった。


「・・・勝利の余韻を味わっているのか?」
「冗談だろう」
「それを聞いて安心した。 お前たちはまだ私を捕まえていないのだからな」


電話の向こうに意識を集中しながら、ハルは腰をかがめ、海の底を見やった。


「あの血は、動物かなにかだったのか?」
「近くのスーパーで魚を安売りしていたものでな」
「警察が調べればすぐに殺人なんて起こっていないことがわかる。 だから西条に確認させ、西条の口からわたしたちに告げさせたんだな?」
「そこまで考えていたわけではない。
私はただ、西条に力があるところを見せつけてやるつもりだった。
死体があがらぬ海などと、いかにも怪しげな嘘もついたが、彼は純粋だった。
換気扇に投げ入れるだけで店の人間をすべて殺せる劇薬を、簡単に作れると信じれるくらいに」
「C-5番の席にあった紙袋にガムテープで封がしてあったのは、西条のミスではなく、"魔王"の指示だな?」
「ふふ・・・気づいてもらわねば困るのでな。 いいヒントだったと思うが?」


ああ、まったく・・・。


ハルは心のなかで舌打ちした。


「おかげでわたしたちは西条を追うことに必死になった。
その間に、"魔王"はじっくりと西条を手なづけていったわけだな?」
「手なづけるという言い方は心外だな。
彼は、誰でもいいからかまってほしかった。 私はそんなかわいいぼうやと少しだけ遊んでやったに過ぎない」
「同じことだ」
「いいや違う。 彼は楽しかったはずだ。
私と出会ったことで、捨て鉢のような人生にようやく春が訪れた。
たとえ破滅が待っていたとしても、普段は味わえない興奮と期待を覚えていただろう」


ハルには"魔王"の次に続く言葉が予想できた。


「お前もそうだ、宇佐美ハル。 やっと私にめぐりあえた。 お前はただの死に損ない。
お前に必要なのは、愛でも友情でもなく、敵であり悪であり、そう仮託できる思い込みだ」


ハルは胸のうちをえぐられる思いだった。

顔がこわばり、息が浅くなっていく。


「だから、ヴァイオリンも捨てたのだろう?」


押し黙り、耐えた。

耐えるしかなかった。

憎しみをみなぎらせてなお、彫像のように立ち尽くした。


「まだまだかまってやる」


"魔王"は優しげに言った。


「けっして春の訪れない冬の遊び場で」


いつの間にか、不通音が耳に届いていた。


――ヴァイオリンか。


ハルはわき目も振らず、歩きに歩いた。

何も考えたくはなかった。

夜の闇を蹴飛ばし、苦痛のうめきを漏らし、怒り続け、呪い続け・・・唯一憎悪に身を委ねた。


そうしないと、一度は捨てた大切な玩具を、また手に入れたいなどと思ってしまいそうだから・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

―――――

 

 

 

 

・・・。

 

 


・・・・・・。

 

 

 

 

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「今回の一件、誠に申し訳ない」
「まさか、君が失敗するとは・・・」


染谷は、おれが花音を敗退させられなかったことを嘆いている。

もともと、スケートなどどうでもよかったわけだがな・・・。


「ただ、そう、悔やまれることもないと予言いたしましょう」
「なぜだ?」
「たしかに、浅井花音は全国大会で勝利しました。 世界行きも確定し、次はオリンピックでしょう。
しかし、あなたの子飼いの瀬田という選手も悪いものではない。
むしろ、心の強さは、花音より上とみました。 そう、遠くない将来、必ず春が訪れます」
「そんな慰めは聞きたくないが・・・いまは納得するしかないな」
「期待を裏切ったことはお詫び申し上げます」


染谷は不機嫌そうにおれを見つめていた。


「しばらく、謹慎いたします」
「そうかね?」
「ええ、体調もすぐれませんし・・・」


なにより、準備があるからな。


「わかった。 君の力がなくてもやっていけるとまでは言わんが、さしあたって、重要な案件もないことだし・・・」


これでいい・・・。

染谷との関係に距離を置くには、失敗を犯したというポーズが必要だ。

無能と思われなければ、おれを、そうそう野放しにするまい。


「それでは、ごきげんよう・・・」
「次に会うときは、いつになるかな?」


おれは、わからないと、首を振った。


本当はわかっていた。


次に会うのは、この会社が破滅するときだ。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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時計の針が十二時を指し、ついに新年を迎えた。

あれから、花音は勝ち進み、ついに世界への切符をつかんだ。

今月からしばらくアメリカに滞在するらしく、疎遠なつき合いになりそうだった。

花音は、心に危ういものを抱えていたようだが、杞憂だったのか・・・。


「・・・ふう」


それにしても頭がずきずきしやがる。

ヤクザの宴会につき合わされ、こっぴどくしぼられた。

さすがの権三も総和連合のなかにあっては神様を奉らねばならないようで、憮然としながら、儀式めいた行事に参加していた。


「さて・・・これから、二件ほど挨拶に回らないと・・・」


シャワーを浴びて、着替えを済まし、外出の準備を整えた。

 

「ん・・・」


宇佐美?


「おう、どうした?」
「あ、新年明けましておめでとうございます」
「ああ、おめでとう」
「んじゃ、行きましょうか」
「なんだって?」
「神社です」
「は・・・」


そういえば、思い当たるふしがあった。


「完全に忘れてたわ」
「いっしょにおみくじ引くって約束してくれたはずですが?」
「そりゃ、ないな。 おれの性格からして」
「とにかく待ってますわ」


強引に話を進めて、宇佐美は神社の場所を言った。


「わかった。 そこまで言うなら行ってやる。 でも、けっこう遅れるぞ」
「おっけーです。 でわ」


なんか、ソワソワしてきたな・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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元旦の朝五時。

 

ようやく宴会が終わった。

飲み会の席で、驚いたことが一つある。

まさか、白鳥の親父さんと顔を合わせることになるとは思わなかった。

建設業だけあって、多少は暴力団とのコネもあるということか。

娘をよろしく、などと言われたが、最近、白鳥のことなど頭の片隅にも置いていなかったな。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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宇佐美と待ち合わせたのは、この近くのこじんまりとした神社のはずだが・・・。

まさか、宇佐美と初詣とはな。

しかし、それにしてもどこで待ってるんだ?

連絡を入れてみる。

携帯はすぐにつながった。


「待ちかねましたよ」
「いや、いま、どこにいるんだ?」
「えっと、鳥居らへんです」
「って、言われてもな・・・」


まあ、あのうすら長い髪は目立つからなんとか探せるか。


「自分、超おめかししてますよ?」
「おめかしだあ?」


想像もできん。


「期待がふくらんできたでしょう?」


宇佐美も着物とか着るんだな・・・。


「わかった・・・って、あ」


あの、イカみたいな前髪は・・・?


「見つけた・・・そっちに行くぞ」

 

・・・。

 

 

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「・・・・・・」
「・・・・・・」
「あれ?」
「はい?」
「おめかしは?」
「してるじゃないすか」
「ジャージじゃね?」
「おめかしじゃないすか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・まあ、ちょっと中乃ブロードウェイ入ってますよね」
「いやいや中乃ブロードウェイに失礼だよ! お前のそれはただの部屋着じゃん!」
「おかしいな・・・めいっぱいキメてきたつもりなんですが」
「ったく、マラソンでもする気かよ」
「はあ・・・」
「第一、寒くねえのか? いま氷点下って話だが?」
「はあ・・・」
「そういえば、お前、いっつも学園の制服だったが・・・」

 

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「はあ・・・」
「あ、やっぱ寒いんか・・・」
「もうかれこれ二時間は待ってましたからね」
「いや、おれは悪くないぞ。 遅れるって言ったじゃないか」
「連絡あってもよかったじゃないすか」
「む・・・それは、そうだな。 すまん」
「せっかくのデートなのに・・・」
「気持ちわりいことつぶやくなよ」
「だって・・・」


・・・な、なんだこいつ・・・。


「す、すねてんのか?」
「けっきょく、自分の格好については、何点くらいなんすかね?」
「なんだいきなり?」
「何点なんすかね?」
「いや、わかんねえけど・・・」


宇佐美の体を上から下まで見る。

が、ジャージはジャージだった。

しかし、宇佐美も本気みたいだし、褒めてやったほうがいいのかもしれんな。

いやいや、それは自分を偽ることになる。

・・・どうしたものやら。


「これが美少女ゲーだったら、確実に選択肢でてますよ」
「うるせえよ」
「正解は二番の『手放しで褒める』でした」
「別に正解しなくていいよ」
「なんでそう、冷たいんすか」
「・・・な、なんだよ、変だぞ、お前」
「別に、いっすよ」


鼻をすすっていた。


「なんだよ、元気ねえじゃねえか」
「お腹がすいて力が出ないのです」
「あ、そういう腹づもりな」


ようやくピンときた。


「おれに飴だの甘酒だのおごらせようって腹だな?」


直後、宇佐美の顔がひきつった。



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「フフフ、フハハハハ、ふははははははははははっ――!」
「!?」


・・・。


「はあ・・・」
「笑い出したかと思えばウツになって・・・どういう芸だよ・・・」
「愛するものが、死んだときには、自殺しなきゃ、なりません」
「わ、わかったよ、おら、とっととお参り行くぞ」
「ここでさりげなく手を引いてくれるわけですよね?」
「・・・はあっ!?」
「だって、メチャメチャ混んでるじゃないすか」
「だから?」
「『は、はぐれると、い、いけないから・・・ハアッ、ハアッ』みたいな・・・」
「お前のなかでおれはそんなキモイのかよ」
「・・・・・・」
「なに見てんだよ」
「見ちゃダメなんすか」
「・・・い、いや・・・」
「手もつながない。 見てもいけない。 服も褒めてくれない」
「・・・・・・」
「お決まりの言葉はいつも、髪切れよ、だ」
「・・・・・・」
「まったく、自分は浅井さんのなんなんですか!?」
「いや、なんでもなくね・・・?」
「フフフ、フハハハハ、ふははははははははははっ――!」


ダメだ、こいつ・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


そろそろ夜が明ける。

 

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「おい、初日の出見ようぜ。 東はどっちだ?」
「お日様は西から登るのだ」
「天才うぜえよ」
「そんなことより、自分、大凶だったんですけど?」
「うん、おれはいま、非常に気分がいい」
「まさか、浅井さんも大凶すか?」
「なんでだよ。 大吉だ」
「まあ、自分も二回目は小吉だったんすけどね」
「二回もひいちゃだめだろ」
「三回目でやっと大吉が出ました」
「バチ当たるぞ、お前」
「にしても、寒いすねー」
「重ね重ね言うけど、その格好のせいだぞ」
「はあ・・・不評すねえ」


・・・なんか知らんが、マジでキメてきたつもりらしいな。


・・・あ、いやちょっと待てよ。


目を凝らし、宇佐美のジャージを見る。


「あれ、そのジャージって・・・」
「気づきましたか」
「ああ、ブランドモノじゃね? 三万はするだろ?」
「上下で二千円ですがなにか?」
「ですよねー」


見間違いだった。


「いやいや、気づきましたか、の意味がわかんねえよ」
「は?」
「いや、気づきましたかってなんだよ?」
「ですから、この服装の、良さに、です」
「そんな歯切れよく言わんでも・・・」
「じゃあ、ジャージの語源知ってますか?」
「知らねえよ」
ジャージー島の漁師さんの作業着から来てるんです」
「へーへー」
「いまじゃ、ベストジャージスト賞ってのもあるくらいです」
「へーへー」
「どうです? ちょっとはオシャレに見えてきたでしょ?」
「いやでもお前のは二千円だから」
「自分、そんなおかしいすかね?」
「うん、おかしいよ」
「具体的にどの辺が?」
「いや、だって、ジャージ着て街歩くなんて、ヤンキーかちょっと間違ったB系くらいじゃん」
「あとは仲間ユキエさんすかね?」
「あの人はドラマでそういう格好してたの! なにフフンて顔してんだ!」
「芸能人のファッションだと思って、参考にしてみたんすけどね」
「参考にするとこ間違ってんよ」
「はあ・・・」


宇佐美はため息をついて、がっくりと肩を落とした。

 

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「なんか、すいませんね」
「え?」
「いや、自分みたいの連れまわして恥かかせてしまったかなと」
「・・・・・・」
「ほんと、すいません」
「いや、別に・・・」
「・・・すいません」
「・・・・・・」


目を伏せ、申しわけなさそうに身を寄せてくる。


「浅井さんは目立つの嫌いなのに・・・」
「いや、気にしてねえよ」
「いえ・・・」


そのとき、目の前を通った人を避けたせいか、おれの胸に宇佐美の頭が触れた。



「あ・・・」
「・・・・・・」


宇佐美がおれに寄りかかるような格好。

 


「お、おい、宇佐美・・・?」
「すいません、浅井さん・・・」


震えていた。

 

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「もう少し、もう少し、このままで・・・」
「な、に・・・?」


いま、こいつ、なんて言った?


「お願いします、もう少しだけ・・・」


まさか・・・。


一気に全身の血液が沸騰した。


「お前・・・」


そういえば、なぜこいつは、おれを初詣に誘ってきたんだ?



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「ようは、わたしを選べってことです」


・・・。


・・・そんな、馬鹿な・・・。

 


「宇佐美・・・?」
「・・・・・・」


宇佐美は押し黙り、じっと何かに耐えていた。


「・・・・・・」


なんてことだ。


まさかまさかと思いながら、目の前にはそういう現実があった。


「本気だったのか?」
「・・・っ」
「お前、本気で、おれに気が・・・」


・・・。


「――超あったけえ」
「暖取ってただけかよ!!!」
「あぎゃあ!」

 

 

・・・。

 

 

 

 

 

G線上の魔王【17】

 


・・・。

 

 

早朝、"魔王"と呼ばれるおれは、山王物産のビルの地下にいた。

 

 

 

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「また、フィギュアスケートの大会が始まったわけだが・・・」
「進捗状況を確認したいと?」
「かんばしくないようだね」
「種はまいています」
「ぜひ、その種の開花時期を教えて欲しいものだね」
「そのうち勝手に咲きますので、どうかご安心を」


まったく、小さなことを気にする・・・。


「もう一つ聞きたいことがある」


よほど心労がたたっているのか、染谷の顔色はいつも悪い。


「新鋭会はわかるな? 総和連合の中でも小粒の集団だが、最も古風でケンカ気質な連中だ」
「それがなにか?」
「とぼけるな、武器の横流しをしているのは君だろう?」
「・・・さて」
「いま新鋭会と園山組で小競り合いが起きている。
園山組といえば新鋭会とは比べ物にならんほど大きい組織だ。
少人数の新鋭会に戦車を持たせたところで勝ち目はないぞ?」
暴力団の抗争は、私が描いた絵だと?」
「それ以外に考えられんがね」
「なんにせよ、あなたには関係のないことでしょう」
「君が関わっているのであれば、いずれうちにも警察の手が及ぶ」


・・・おれの裏切りを心配しているようだな。

おれは会社の内部の人間ではない。

いつでも会社を捨て石にすると思われるのも当然だ。


「会社に迷惑をかけるつもりはありません」


静かに、けれど威圧の意志をこめて言った。


「山王物産は、私の父の会社ですから」


染谷は唖然としたが、すぐさまおれの言葉の裏を読もうと目を細めた。


「信じよう。 君は"魔王"だったな。
もともと現実にいるはずのない存在だ。 そして私は忠実な悪魔崇拝者でいるべきだ」
「信仰は力なり、ですか・・・」


要するに、自らの考えを放棄するということだ。

もう用はないと見て、染谷に別れを告げた。

 

 

・・・・・・。

 

 


・・・。

 

 

 

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・・・それにしても。

西条からの連絡が途絶えた。

どうやら宇佐美にしてやられたようだな。

問題は、西条がどこまで口を割るか、だ。

それなりに手なづけておいた。

計画をぺらぺらと安易にしゃべられるようなことはないと思うが・・・どうだろうか。

情報を漏らすだろうか。

せめて明日までには・・・。


「・・・・・・」


まあいい、明日の準備をしよう。

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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昼前に、おれは権三に呼び出された。

宇佐美もいた。


正座を崩して立ち上がる。


 

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「遅い。 なにをしていた、京介?」
「申し訳ありません、少し体調がすぐれなくて」


そんな言い訳が通じる男ではないが、嘘をついても無駄だった。

しかし、今日の権三には、おれの"教育"よりも大事な用件があるようだった。


「例の男だが、なにも吐かん」


西条か・・・。


「しかし、あの堀部さんの尋問でしょう?」


おれはこの世で堀部よりもサディスティックな男を知らない。

水、火、鞭、動物・・・あらゆる手段を使って、囚人に自分が人間であることを忘れさせる。

だからこそ、権三も拷問を任せているはずだ。


「あとは自白剤打つくらいだが・・・それも確実とは言えん。 失敗すれば、ただ死ぬだけだ」
「"魔王"に忠誠を誓っているということでしょうか」


おれの問いに、権三は憮然として言った。


「しゃべったが最後、殺されると思っているだけだ」


それもそうだ・・・忠誠なんて、生きるか死ぬかの暴力の前にはなんの意味もない。


それまで黙っていた宇佐美が口を開いた。


「つまり、西条は、まだ生きたいと思っているわけですね」


権三は頷いた。


「調べてわかったが、ヤツは幼少のころ、実の妹を絞殺している。
その後、自立支援施設に入ったが、まるで罪の意識に苛まれた様子はないという」


・・・まともな人間なら、自殺を考えてもおかしくはないな。


「ヤツはこう思っている。 俺は何も悪くない。 なぜ、自分が死なねばならんのかと」


ふてぶてしさを通り越しすぎていて、もはや理解できない。


「あの、自分に任せていただけませんでしょうか?」
「えっ・・・尋問を? お前が?」


無理に決まっている。

非人道的なやり方でも口を割らない男が、宇佐美なんかに情報を漏らすわけがない。

しかも、宇佐美は西条を捕まえた張本人だ。

西条も、こいつにだけはしゃべるまいと口を固く閉ざすだろう。

当然、権三も、それをわかっているはずなのだが・・・。

 

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「よし、やれ」
「ありがとうございます」


「お義父さん、しかしですね・・・」


「なんの打算もなく名乗り出たわけでもあるまい?」


どぎつい視線を宇佐美にぶつけていた。

さすがの宇佐美も恐ろしくなったのか、指先がかすかに震えていた。


「では、さっそく・・・」


おれは納得のいかないまま、部屋をあとにした。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

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「おい、宇佐美・・・!」
「わかってます。 自分には無理だとおっしゃりたいのでしょう?」
「当たり前だ。 お前はヤクザの拷問を知らん。
あれでしゃべらん人間がお前なんかに・・・」
「はい、自分には無理でしょう」
「ざけんな」


冗談言っている場合じゃない。


「明日から、また花音の出番だ。 "魔王"は必ずなにかしかけてくるぞ」
「承知してます。 あまり時間はありませんね」
「だったら・・・」
「ええ、もう我が身を捧げる覚悟です」
「は?」


宇佐美は、おれが昨日の夜返した携帯を操作した。

いやに、思いつめた表情だった。

やがて、通話がつながったようだ。

 


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「や、やあ・・・もしもし・・・?」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 




約三十分後、おれたちは喫茶店にいた。

コーヒーを注文してカウンターに腰掛け、人を待っていた。

 

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「・・・・・・」
「なんだよ、さっきから黙って」
「・・・いえいえ、なんて言いわけしようかなと」
「言いわけ?」
「連絡を取らなかった理由です」
「んなもん知るか。 忙しかった、とかでいいじゃないか」
「それで納得してくれますかねえ・・・」


・・・なにを怯えてるんだよ。

そのとき、チャイムとともに、店のドアが開いた。

背の高い女が外からの風を運んできた。

時田ユキは、前に会ったときと同じような服装、同じような微笑を口元にたずさえて、ゆっくりと宇佐美の席に近づいてきた。


「や、やあ!」


ガタッ、と立ち上がる宇佐美。

 


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「久しぶり。 急に呼び出してごめんね」
「・・・・・・」
「さ、最近なにしてるの? どうしてこの街に来たのかな?」
「・・・・・・」


およそ、宇佐美らしからぬ言葉づかい。


「・・・どうしてすぐ連絡くれなかったの?」
「そ、それは・・・いそがし・・・」
「忙しかった?」
「忙しかったから・・・なんだな」
「なんでちょっと『裸の大将』入れてくるの」
「そんなことより、聞いてよ!」


ガバッと両手を広げた。


「ええ、頼みがあるんでしょう。 その前になにか注文してもいいかしら?」


しなやかにコートを脱ぎ、軽く会釈しながらウェイターに預けた。

 

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アールグレイをちょうだい」


細長い指の裏で下唇をなでながら、ささやくように言った。

なんとも誘われるような魅力があった。

反対に、宇佐美は水を一気飲みして、プハーとかやったあと時田に言った。


「急いでるんだ、ユキ。 早くしないと死人が出るかもしれない」
「死人が出るかもしれない?」
「いま、この街でフィギュアスケートの大会やってるだろ?」
「やってるわね」
「一人のコーチが狙われてるんだ。 コーチだけじゃなくて、大会関係者全員が危ない」
「危ないの、そう」


時田は、ふと、切れ長の目を細め、表情を作り変えるような間を取った。


「どういうことかさっぱりわからないわ」
「だ、だから、凶悪犯がフィギュアスケート会場を狙ってて、んでその共犯者を昨日捕まえたはいいけれど全然口を割らなくて途方に暮れていたところユキのことを思い出したわけ・・・なんだな」
「・・・・・・。 話はわかったわ」


わかったのかよ!


「私はいまから、その共犯者にお話をうかがえばいいんでしょう?」


・・・しかし、こんな得たいの知れない女に、浅井興行や園山組、そして脅迫事件のことを知らせていいものだろうか。


「私から質問していい、ハル?」
「なんなりと!」
「対象は何者なの?」
「西条っていう、まあ、変質者」
「変質者? 下着泥棒くらい? それとも殺人鬼?」


運ばれてきた紅茶に口づけながら、物騒な言葉を平気で吐いた。


「道端で、人をナイフで刺した。 子供のころに、妹の首を締めて殺した」
「そんな危ない人と、どうして知り合ったの?」



「まあ、待て」



おれはおもむろに立ち上がって、時田の隣の席に座った。

ちょうど横座りになる格好で、時田の質問を中断させた。

 

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「おれは浅井京介。 前にも会ったな」


足を組み、横目で時田の反応をうかがった。

時田は動じた様子もなく、穏やかな笑みを浮かべていた。


「あまり詳しい話はできない。 知らないほうがいいってことだ。
言っている意味がわかってもらえるとうれしい」


時田はまたにこりと笑った。


「よくわかったわ。 私はその変質者を捕まえた経緯も聞かないし、またどういった人たちに捕まえられたのかも興味がない。 これでいい?」


・・・やけに、物分りがいいな。


「すまんな。 あんたは宇佐美の友人だそうだが?」
「前の学園でいっしょだったの。 ねえ、ハル?」


「はい!」


宇佐美はまた、水を失った魚みたいな顔で返事をした。

・・・しかし、宇佐美と同じような年齢には見えないが・・・。


「うさんくさい?」
「まあな・・・」


ただ、おれも情報を隠そうとしている以上、時田のこともそう多くは聞けないだろう・・・。


「私はあなたとあなたの背後関係に深入りしないわ。
そのかわり、私のことも話せない。 というのはダメかしら?」
「いまちょうど同じことを考えていた。 妥当だと思う」
「ふふ・・・ありがと。 そう言ってくれると思ったわ」


・・・なんだ?


「聞き出したいのは、その変質者が、"魔王"という男からどんな犯罪計画を吹き込まれていたかだ」


いきなり"魔王"といわれてもわけがわからないことだろう。

しかし、時田は顔色一つ変えずにうなずいた。


「尋問するにあたって、対象の履歴くらいは教えてもらえるかしら」
「名前と、住所、職業、年齢くらいでよければ・・・」
「けっこう。 じゃあ、行きましょう」


時田はいきなり席を立って、レジに向かった。

 


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「おい、宇佐美・・・」
「はい?」
「なんだ、あいつ? 本当に尋問のプロなのか?」
「ユキは人の心が読めるんです。ですからわたしもピュアな裸の大将になりきっていたわけです」


・・・ただのモノマネじゃねえか。


「ユキはもう浅井さんのおおまかな性格くらいはつかんだと思いますよ」
「んな馬鹿な・・・」


レジの前で時田が呼んだ。


「浅井さんは、割り勘がいいのよね?」


「・・・・・・」
「ほ、ほらっ」
「なにがほら、だ」


・・・ほとんど初対面だからな。

仕事上のつきあいでもないのに、おごったりおごられたりするものか。


「とても美味しいお店ね、また来るわ」


ウェイターに向かって、微笑んでいた。


・・・妙な女だ。


まあ、時田が西条の口を割ってくれれば儲けもの・・・そんなふうに考えておくしかないな。

おれたちは店を出て、西条のもとに向かった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 



むっとする。


浅井興行が所有する築二十年のビル。

一階は消費者金融、二階と三階は総和連合の組の事務所となっているのだが、地下に役所に届出
のない空間がある。

日光の届かない階段を下りて、重い扉を押した。

小さな部屋の床はぬめり、ところどころに、水なのか血なのかよくわからない色の水溜りができていた。

入り口から離れた壁の前に、西条がいた。

手錠をした腕を後ろに回され、うなだれるように丸椅子に沈黙している。


「どうです?」
「まだまだ元気ですわ」
「まだしゃべれるほどに?」
坊っちゃん、拷問っていうのはね、あくまでゲロを吐かせるのが目的なんですよ。
自分だって、本当はひどいことなんてしたくないんですよお」
「は、はあ・・・」
「こんなに苦しいなら死んだほうがましだ、って思わせたらいかんのです。
とくに、"初めて"のお客さんはね」


堀部も元気そうだった。


「ヤツはいま、しゃべったら殺されると思っています。
それをしゃべらなければ殺される、って思わせなきゃならんのですわ。
これがまた、オツでねえ・・・」


その残忍な笑顔に、この部屋でなにがあったのか想像する気も失せた。

時田は平然とした様子で、部屋の唯一の証明の白熱電球をぼんやりと眺めていた。


「よう、宇佐美。 宇佐美じゃないか・・・ハハ・・・」


西条の粘ついた声が上がった。

なにやら恨み言を延々と叫んでいた。


「浅井さん、私が口を開いている間、みなさんに黙ってもらうよう指示してもらえる?
それと全員、なるべく対象から離れて」
「・・・わかった」


時田が、その辺に転がっていた丸椅子を持って、西条の近くに寄っていった。



「こんにちは、ここ、いいですか?」

 


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時田は、西条と向かい合うように座った。

時田が足を伸ばして届くか届かないかの距離だ。

腕の自由を奪われているとはいえ、いきなり襲い掛かられたら危険な近さだ。


「西条さん、私は時田ユキ。 ハルの友人です。
あなたに質問したいことがあってここに来ました」



――馬鹿か、こいつは!


いきなりこっちの手のうちを晒すような発言をしてなんになる!?

しかも、宇佐美の友人だなんてばらしたら、西条は警戒心をよりいっそう強めるだろう。

案の定、西条は腫れあがった唇を汚く動かした。


「宇佐美の友人? てことは、お前もヤクザもんだな?
話を聞きたいだって? 冗談じゃない、私はなにもしゃべらないぞ」


ふてぶてしく、怒りの表情で時田をにらみつけた。


「ごめんなさい」


時田は、穏やかに笑った。

そして、丁寧に、切実な口調で言った。


「なら、なにも話してもらわなくてけっこうです」
「・・・なに?」
「私は別に、彼らにお金をもらっているわけでもありません。
あなたのお話が聞けなくても、私はなにも損をしないのです。
それでもここに来たのは、私が西条さんを救えるかもしれないと思ったからです」
「嘘をつくな。 弁護士だって金を取る」
「そうですね。 弁護士は高くつきますね。
私は弁護士ではありませんが、恐ろしい暴力団の方から、唯一あなたとの対等な交渉を許された人
間です」


そのとき、西条の顔にわずかに動揺が走った。

唇をなめ、時田から視線を外す。

 

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「西条さん。 私はお役に立てないようなので、帰らざるをえません。
残念ですが、あとは後ろの連中にお任せすることになります。 すみませんでした」


後ろの連中という言い方がひっかかった。

さっきは恐ろしい暴力団の方と言っていたが・・・なにか意味があるのだろうか。

おれの疑問をよそに、西条が吐き捨てるように言った。


「おい・・・」


席を立とうとした時田を呼び止める。


「対等な、交渉だと?」
「はい。 お望みでしたら、私も手錠をかけてもらってかまいませんが?」


そう言って、薄く、唇から吐息が漏れるか漏れないかの笑みを浮かべた。


「なんのつもりだ、お前。 もう一度言うが、私はしゃべらない。
そもそも"魔王"のことは少しも知らないんだ」


おれは思わず息を呑んだ。

時田は、知ってか知らずか、西条から"魔王"という単語を引き出した。

一気に質問攻めにするべきだ。


「"魔王"なんて、私も知りません。 私が知りたいのはあなたのことです、西条さん」


・・・なぜだ?


「私の?」
「ええ、差し支えなければ、西条さんの下の名前から教えていただきたいのですが?」


・・・なにをじれったいことを!?


「いけませんでしたか?」
「・・・則之だ。 それがどうした?」
「いえ、ありがとうございます。 私は、カタカナでユキなんです。
珍しいでしょう? どうして漢字の雪じゃないんでそうね」


今度は、くすくすと、さも楽しそうに笑った。

その後、時田は次々に意味のない質問を浴びせていった。

住所、職業、年齢、配偶者の有無・・・わかりきっていることばかりだ。

しかし、どういうわけか、時田は西条の答えにいちいち深くうなずいていた。


「おい、時田。 いいかげんにしろ。 こんな質問になんの意味がある?」
「私は、あなたのことを深く知りたいのです。
なぜ、こんな非人道的な扱いを受けているのか不思議で仕方がない。
あなたは質問にまともに答えられるのに、与えられたのは暴力ばかり、違いますか?」
「ふん、そのとおりだ。
そんなに知りたいなら教えてやる。 私はヤツラの仲間を一人、ナイフで切り裂いてやったんだ」
「・・・ナイフで切り裂いた」
「連中は社会のクズだ。 なにが悪い。 死んだほうがこの国のためではないか」


時田は、また深くうなずいた。


「たとえ人を傷つけたとしても、こんなところに閉じ込められるのはおかしいですね」
「そうだ、不当だ。
私は過去に人を殺したときも、ちゃんと法の裁きを受けた。
なのに、こいつらときたら・・・おい、クズども、聞いているのか!」


西条の挑発に不安になって堀部の顔を見たが、サディストはただ笑っているだけだった。


「どうもありがとうございます。
ようやく西条さんのことがわかりかけてきました。
あなたには不当な拘束から自由になる権利があります」


・・・だいたい、時田のこの礼儀正しさはなんだ?

ヤツは自分の妹をくびり殺しておいてなんとも思わないような鬼畜だというのに。


「すると問題は、連中がどうしたらあなたの正当性を認めるのかということです。
よろしければ、その辺をいっしょに考えていきたいと思うのですが、どうでしょうか?」
「・・・いっしょに、考える?」
「はい。 お役に立てればと思います」
「話しても無駄だ。 連中は頭まで筋肉でできている」


そのとき、時田の目つきがやや険しくなった。

 

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「私は違います。 真剣に西条さんのお話を聞く用意があります、少なくとも私だけは」


心なしか身を乗り出して、西条との距離を詰めた。


「連中は、あなたから何かを聞きたがっています。
それは、あなたをこんな場所に閉じ込めておいてでも知りたい情報です。
逆に言えば、あなたさえ話してくれれば、解放の道も見えてきます」


西条は押し黙り、また唇の端をなめた。


「・・・"魔王"のことは話さんぞ」
「はい。 あなたは暴力を受けながらも、"魔王"という人物に義理立てしている。 なかなかできることではありません」


西条が目を伏せた。

時田も同じように一度視線を外す。


「では、"魔王"のことは話さない。 いいですね?」
「ああ・・・私はなにをされてもかまわんが、仲間を売るような真似はしない」
「けっこうです。
それでは、あなたは、もしこんな場所にいなければ、今後なにをなされるつもりだったんですか?」


なるほど・・・。

おれはようやく時田の戦略を理解した。

これは言葉のトリックだ。

"魔王"のことは話さないが、西条のことは話してもらう。

西条の行動はすなわち、"魔王"の指示の一環に違いないからだ。

事実、時田は、西条から『私はなにをされてもかまわんが』という言葉を引き出した。

周到に、西条の自尊心をくすぐっていたのだろう。


「今後、なにをするかだって?」
「はい」
「さあな、普通に暮らすつもりだったが・・・」
「もちろんそうですよね。 いま話題のフィギュアスケートの試合でも観にいかれますか?」


・・・なかなかうまいな。

さりげなく事件の方向に会話を誘導している。


フィギュアスケート? そうだな・・・それもいいかもしれん」
「ですよね。 ただ、チケットはなかなか手に入らないと聞きますが?」
「そうなのか?」
「もしかして、お持ちだったんですか?」
「ああ・・・」
「すごいですね。 私も一度、浅井花音という選手を生で見たいと思っていたんです」
「浅井花音か・・・どうも人気選手らしいな。 だが、ま――いや、人格に問題がある」


ここだ・・・。

いま、西条は言葉を詰まらせた。

『"魔王"に言わせれば』としゃべりかけたのだ。

ヤツは動揺しつつある。

そもそも、フィギュアスケートのチケットが入手困難であると知りもしない西条が、どうやってチケットを手に入れたのか。

時田はその矛盾をついていくだろう。

すると、"魔王"がチケットを手配したと判明する。

西条をスケート会場に潜入させて、なにをするつもりだったのか。


ここだ・・・ようやく獲物が網にかかったぞ。



「なるほど、いい週末を過ごせるといいわね」


ところが、時田はにんまりと笑って言った。

 

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「西条さん、お食事は取られましたか?」


不意に肩の力を抜いた。


「少し、休まれてはいかがです?」
「・・・話はいいのか?」
「お疲れのようですので、ひとまず中断しませんか? 私はいつでもかまいませんので」
「わかった・・・なら、酒をくれ。 ウィスキーがいいな」


・・・この野郎、ぬけぬけと!


「浅井さん、お願いできるかしら?」



・・・なんのつもりだ、時田?


おれは怒鳴りつけてやりたい気持ちを抑えて、冷静に応じた。


「わかった・・・時田、少し話がある」
「ええ、しばらく休憩しましょう」


「堀部さんも、ここは僕に預けてもらえませんか?」
「いいですよお、自分は坊っちゃんの命令は組長(オヤジ)の命令だと思ってますから」


・・・つまり、尋問が失敗すれば、権三の面子を汚したということになる。


「出よう・・・」


宇佐美と時田を連れて、暗い牢獄をあとにした。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


外に出ると、冬の陽射しの照り返しにまぶしさを感じた。

 

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「おい、時田・・・!」
「なにかしら?」


あくまで余裕そうな顔に食ってかかる。


「おれはお前に、西条の小間使いを頼んだ覚えはないぞ」
「ふふ・・・」
「なにがウィスキーだ。 今度は酒のしゃくでもしてやるつもりか?」


「まあまあ、浅井さん。 ユキには考えがあってのことだと・・・」
「そうだろうな。 だからおれもあの場では黙ってた。 だが、もう限界だ」


時田は満足そうにうなずいた。


「浅井さんは冷静ね。 冷静だけどいろいろなストレスを抱えているみたいね」
「ああ、そのストレスの一番の原因はお前だ」


まったく、宇佐美だけでも気持ち悪いってのに・・・。


「でも、西条のストレスの比ではないわね。 あれは難物だわ」
「無理なら帰ってもらっていいんだぞ」
「無理じゃないわ。 いまのところ順調だもの」
「順調?」


信じられない。


フィギュアスケートの話を出しておいて、なぜもっと切り込まなかった?」


「そっすね、自分もはたから見て、会話の流れがよくなってきたな、と思ったんだけど?」


時田は首を振った。


「いいえ。 あそこで質問攻めにしたら、それこそ終わっていたわ。
彼はフィギュアスケートという言葉に、高いストレス反応を示していた」
「ストレス反応?」
「ごめんなさいね、変な言葉使って。
要するに・・・そう、聞かれたくない内容なのよ」
「でも、そこを聞きただしていかなきゃ話にならんだろ?」
「あのタイミングではダメなの。
告白するのにもムードってものがあるでしょう?
まず仲良くなって、電話番号を聞いて、おしゃれなレストランを予約してからじゃなきゃ」
「仲良くなる? 西条と?
おいおい、あんな異常者と仲良くなってどうするってんだ?」
「彼のタイプから考えるに、それが一番有効なの。
彼は自分のことを理解してくれる人が大好きなの」
「そりゃ、あいつは、いままでの人生、誰にも相手にされなかったんだろうが・・・」
「じれったい?」
「ああ、花音の試合は明日からなんだ。 もう時間がない」
「本来なら彼のような人間を操るのは簡単なんだけれどね。
お友達になってあげればいいんだから。
でも、あなた方が理不尽な暴力をふるったものだから、殻に篭もっているの。
最初は無理かな、とも思ったのよ。
私のほうがたくさんしゃべっていたでしょう? 正直、最悪の状態だったわ」
「まさか、本当に帰るつもりだったのか?」
「ええ。 彼が、唇の端を舌でなめなければね」
「・・・それがなんだ? たしかに、西条はそんな仕草をしていたが・・・」
「それでわかったのだけれど、彼は、口では大きなことを言うけれど、本当は怯えている。
暴力の恐怖から身の安全を求めている」
「おれはそういうのは信じないな。
心理が態度に現れるってヤツだろ? たとえば腕を組むと拒絶だったか?」
「ええ、よく知られてるわね」
「そんなもんはただの癖かもしれないし、わざとやるヤツだっている」
「そうね。 でも、西条が何度唇を舐めたか見ていた?」
「さあな・・・二回くらいだったか」
「四回よ」


確信を持っている口調だった。


「もちろんあなたの言うとおり、たった一つの反応で決めつけてはいけないわ。
ボディランゲージはもちろん、声の調子、使われた言葉、目線を合わせるのか、逸らすのか・・・。
様々な反応の細い糸を、全体像を想像しながらつむぎあげていくの。
しかも、同じ刺激に対して同じ反応を示すものでなくては意味がない。
西条が唇をなめたのは、私が、救いたいだの、解放の道だのと、安全を示唆するような言葉を使ったときだったわ」


おれは曖昧に首を振った。


「お前が、西条をよく観察していたのはわかった。
でも、助かりたいと思ってることくらい、誰にだってわかるだろ」


暴力団の拷問から逃れたくないヤツなんていない。


「そうね・・・ふふ」


時田は、また妖しい笑みを漏らした。


「彼はいままで、しゃべったが最後、殺されると思っているからしゃべらなかったの」
「そこは、同意見だな。 "魔王"に義理立てしているとか言っていたが、あんなもの嘘だろう」
「半分は本当ね。
自分をよく思いたいし、他人にもよく見せたいの。
なんとなく誇大妄想の気があるんじゃないかとにらんでるんだけど、どうなの?」
「・・・たしかに、いかにも政治的な主張があるような団体を作っていた。
団体といっても、やたら小規模なものだとは思うが」
「なるほど・・・ますます利用されやすいタイプね」


時田は腕を組み、控えめな微笑を浮かべた。


「時間を置きましょう」
「どれくらいだ?」
「そうね。 せめて明日の昼までは」
「なんだって!?」
「彼をじらすのよ。 唯一の理解者である私の再来を、いまかいまかと思わせるの」
「そんなに待っている余裕は・・・」
「いやならいいわ。 拷問を再開したらどう?
私は別になにも困らない。 でもあなたには責任があるでしょう?」


・・・こいつはどうもやりにくい女だな。


「明日の昼まで西条を放って置いたら、ヤツはお前のことを恨むぞ?」
「怒るでしょうね。 その分、私と再会したときに振り子みたいに心が大きく揺れるわ」


・・・どうするかな。


堀部から場を預かってしまった以上、西条が口を割らなかったらおれの責任になる。

 


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「じゃあ、こうしない、京介くん?」


いきなり名前で呼んできた。

西条に相対していたときとは打って変わって、挑発的な笑みを浮かべていた。


「もし、私が失敗したら、あなたの代わりに私が組長のところにでも行って頭を下げてあげる」
「なめるな、女」


にらみつけた。


「おれの仕事だ」
「ふふ・・・どうするの?」
「のせられてやる。 やってみろ」
「ありがとう。 あなたとは気が合いそうだわ」


くそ・・・完全にはめられた形になったな。


「最後に一つだけ」
「なんだ?」
「明日の昼までの間、彼に危害をくわえないこと。 食事もきちんととらせること」
「・・・・・・」
「そうしないと、私が嘘つきになってしまって彼との信頼関係が崩れるわ。
私の指図一つで暴力団がおとなしくなったと彼に信じさせる意味でも、拷問は絶対禁止よ」
「いいだろう・・・」


渋々うなずくしかなかった。


「それじゃ、明日の昼ごろに、またこの辺で会いましょう?」
「連絡先を聞いてもいいか?」


時田は快諾し、お互いに電話番号を交換した。

 

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「ハル、行くわよ。 あなたにはたっぷりとお礼を・・・あれ?」


宇佐美がいつの間にかいない。



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「逃げたな、あいつ・・」


・・・いったい、時田と宇佐美はどういう関係なんだ?


・・・・・・。

 

・・・。

 



部屋で仕事をしていると、花音が帰ってきた。

 

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「ふぃー・・・」


もう、夜はだいぶ更けていて、外には雪がちらついていた。


「さむぃよぉー、にいさあぁあん」
「抱きついてくんなっての」
「ねえ、お風呂いっしょにはいろーよー。 髪あらってー」


ぐいぐい袖を引っ張ってくる。


「お前さー、もう何回言ったか忘れたけどよー、甘えてんじゃねえよ」
「だって、明日から本番だもん。 かまって欲しいんだもん」
「なんだよ、緊張してるのか?」
「んーん。 ソワソワしてるだけ」
「緊張してるんじゃねえか」
「違うなー。 のんちゃんは、あんま緊張しないんだよー。
コレはなにか不吉な予感だなー」
「はあ・・・どうすりゃいいんだ?」
「兄さんがぎゅってしてくれればなんとかなる」
「やめろよ、マジで」


花音は、コートを脱いで顔を洗ってくると、不意にかしこまった。

 

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「兄さん、大事なお話があります」
「ん・・・?」
「本当に、ほんとーに、大事なお話です」


なんだろう・・・とても嫌な予感がするが・・・。


「これを言うために、兄さんの家に居座っていたのだ。
でもねー、なんか言ったら、兄さんにものすごく迷惑かけるような気がするの」


花音がおれに気を使っている。

ますます、聞くのをためらわれた。


「兄さん、忙しいでしょ?」
「お前もな」
「そうなんだよ、お互いよけいなこと考えていたらいかんのですよ」


冗談めいた口調だが、目だけは真剣だった。


「だから、言わないっていう手もあるんだけど、どうする?」
「どうするって・・・聞かなきゃよかったって展開もあるのか?」
「そう! のんちゃん、怖い。 兄さんに嫌われたくない」


・・・なんなんだ、いったい!?


ふと、魔が差したように、昨日の夜、花音に抱きつかれたときの感情が蘇る。


あの匂い、ぬくもり。


「そういう、話か・・・?」


ごくり、と喉を鳴らした。

おれの口元は引きつっているだろう。

 

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「たぶん、そういう、話だよ・・・」


寂しげにかぶりを振った。


「・・・そうか・・・」


迷った。

眉をひそめ、唇を噛み締めた。

なぜ、どうして、という気持ちはある。

だからこそ聞いてみたいが、聞いたら最後、もうあとには引けないような気がする。


おれは、慎重な選択を迫られていた。


・・・本当にいいのだろうか。


おれは自問する。

花音の表情から察するに、冗談はない。

切実な思いが伝わってくる。

そもそも花音は嘘をつかない。

大事は話だといったら大事な話なのだろう。

本当に、聞いてやるべきなのだろうか・・・?

・・・。


「えっと・・・」


咳払いを一つ。


「すまん、やめとこうぜ」
「あ、そう?」
「おう。 悪いな」


おれは努めて冷たい声を出した。


「わ、わかったよ。 ごめんね、変なフリして」
「いろいろ忙しくてな」
「うん、知ってる」
「さ・・・風呂入って来い」
「はーい!」


そそくさと脱衣所に駆け込んだ。


「・・・・・・」


なにも、感じない。

窓の外の、無常な雪。

しんしんと降り落ちて、朝方にはあとかたもなく消えている。

おれはもともと花音を金の成る木のように考えていた。

それだけだ。

これからも、それだけでいい。

頭が割れるように痛くなってきたので、その夜は、早めに寝ることにした。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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翌朝、花音を送り出すと、新聞を広げた。

スポーツ欄は花音の話題でもちきりだったが、おれの読みたい記事は別にあった。


・・・園山組と新鋭会の抗争激化、とある。


昨日の深夜、セントラル街の外れで発砲騒ぎ。

新鋭会の一人が死亡、園山組の二人が重傷。

おかげで表の商売にも影響が出ている。

セントラル街の飲み屋の売り上げが落ちる一方で、おれも忙しいことこの上ない。

ここんところ、頭痛が襲ってくるのもそのせいだ。


しかし、"魔王"がけしかけてくるとしたら、今日だろう。

花音の演技は、また夜の八時くらいからだが、なるべく早めに西条の口を割りたいものだ。


・・・・・・。

 

・・・。

 



まさか、白昼堂々ドンパチやっていることはないと思うが、おれも狙われないようにしないとな。

 

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「ちわす」
「おう、時田はまだか?」
「ユキは朝弱いので」
「もう昼だぞ」


やっぱり宇佐美の友達は、どこか狂ってるな・・・。


「それより、一ついいですか?」
「どうした?」
「西条が宿泊していたホテルから、西条の荷物を確認してみたんですが」
「なにか出てきたのか?」
「気になるのは、パスポートと航空券ですね。 航空券は今日の予約でした」
「海外に逃げるつもりだったのか?」
「香港行きのチケットでしたね」
「今日の予約ってことは、やっぱり、今日中になにか事件を起こして、その足で逃げるつもりだったんだろうな」
「ええ、そして、海外まで逃げなければならないほど、大きな事件を起こす気だったのです」
「それこそ、警察が出てくるような?」
「でしょうね」
「となると、"魔王"が逃亡する可能性も考えて、空港にも人をやっておく必要が出てくるな」
「そんな余裕はあるんですか?」
「お前も新聞くらい読むんだな。 そうだよ、いま殺し合いの真っ最中だからな」


園山組が一千人を越えるというのも、当然、準構成員とよばれるチンピラもどきも数に入れてのことだ。

もちろん、彼らには戦争中だろうと、ノルマの厳しい仕事も課せられている。

花音の事件に動けるのは、どれくらいだろうか。


「浅井さんは、タマ狙われたりしないんすか?」
「おれの顔はあまり割れていない。 なんでもない学園生を装ってきたからな」
「なんにしてもお気をつけて」
「安心しろ。
たとえば、おれを人質にしてどうこうしようとしても、権三は眉一つ動かさない。
そういうことは、知れ渡っていると思うぞ」
「それはそれで、寂しいお話ですね」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


なんだこいつ、じっと見つめてきやがって・・・。



「お待たせ」

 


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声がして振り返ると、時田がいた。


「やけに遅かったな?」

 


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「だってハルが起こしてくれないんだもの」
「いや、わたしは、五回くらいモーニングコールしたよ?」
「昔は、家まで迎えに来てくれたのに・・・」
「だって、家知らないし・・・」


「ぐだぐだやってないで、とっとと行くぞ」


おれたちは細かい路地を抜け、西条のいるビルに向かった。


「おい時田、昨日あれだけ大きな口を叩いたことを忘れるなよ?」


時田は、自信ありげに微笑んだ。


「簡単よ、すぐに終わらせてあげる」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 



 

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「おい、時田、遅いじゃないか?」


時田が椅子に座ると、西条はいきなり叫んだ。


「まったく、すぐ戻ってくるものだとばかり思っていたが、いったいなんの真似だ?」


時田は申し訳なさそうに眉間にしわを寄せて、上目づかいになった。


「本当にすみません。 私がいない間、なにかありましたか?」


うまい返しだ。

何もないどころか、三食昼寝付きの高待遇だったわけだからな。


「実は、とても残念なお知らせがありまして・・・」
「なんだ、どうした?」


時田は、首を振り、目を伏せ、十分に間を取ってから言った。


「連中は、あなたを・・・その・・・。

許すつもりはないようなのです・・・」


西条は絶句した。

時田の口調には誠意があった。

それだけ、深刻そうな響きがあった。


「すみません、本当に・・・」


さも、いままで話し合いでもしていたのか、と思わせるような蒼白な顔をしていた。

しかし、時田は嘘はついていない。

西条を許すつもりがないのは、わかりきっていることだ。

西条と対面したときも、馬鹿正直に宇佐美の友人だと名乗り出ていたが、嘘をつかないのは、なにか交渉ごとのルールのようなものなのだろうか。


「それでも私がここに戻ってきたのは、まだお話の途中だったからです。
望みはあると思っています。 そう、なにか、取引になるような材料さえあれば・・・」
「・・・取引だと?」


西条は、時田を食い入るように見つめていた。


「ええ、あなたが許されるに足りるような材料です」
「それはつまり、"魔王"の計画を話せということだろう? 昨日も言ったが、それは・・・」


言葉尻を濁した。


「だいたい、話せば助かるという保証はあるのか? ないだろう?」
「京介」


時田が不意におれを呼び捨てで呼んだ。


「どういう取り決めになっているか話してあげて」


きっと、この場の権力者が時田だと印象づけるためだろう。


・・・なるほど、おれは汚れ役を演じればいいんだな。


「話さなければ殺す。
"魔王"の情報を話せば今回の件は水に流す。
おれは園山組組長の息子だ。 そのうち跡目もつぐだろう。
おれの決定は、組の決定だと思ったほうがいいぞ」


でたらめをしゃべってやった。

組長の息子を呼び捨てにした時田は、再び西条を向き合った。


「というわけだけれど、残念ね。 あなたはとても義理堅い人だから・・・」


西条は押し黙った。

口を閉ざすしかないのだろう。

焦点のぶれた瞳で床を見つめながら、顎を食いしばっている。


「こういうのはどうかしら?」


低くささやくように言うと、西条は目の色を変えて時田の話に聞き入った。

 

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「西条さん、昨日の話の続きをしましょう」


いつの間にか、かしこまった敬語を崩し、姿勢も前傾に傾いていた。


「昨日の話、覚えてるわね?」
「私の話だったな・・・」
「そう。 あなたが、今日、何をするつもりだったのか詳しく話して欲しいの。
別に、"魔王"の話をする必要はないわ」
「・・・・・・」
「あくまであなたがあなたの行動を話すのであって、それがたとえば"魔王"の計画を漏らすことになったのだとしても、私にはわからないわ」


時田はきっと、こう言いたいのだろう。



私だけは、あなたを軽蔑しないと――。



「だいじょうぶよ。 真実を話してくれればいいだけなんだから。
真実は好きでしょう? あなたは世の中のいろんな嘘や欺瞞(ぎまん)に疲れてる。 違う?」


おそらく、これが決め手だろう。

抽象的でかっこうのいいセリフが、男の誇大妄想を膨らませ、自尊心を刺激する。


「お願い。 これが最後よ。 力を貸して・・・」


沈黙が訪れた。

西条の足が震えだす。

うつむき、やがて顔を上げて時田を見据える。


しゃべるのか・・・?


わなないていた唇が、開いた。

西条は怯えた目でおれを一瞥し、ぐったりとした様子で肩を落とした。


「狙いは浅井花音。 リンクに向けて爆弾を投げ込む予定だった」

 


「爆弾だと!?」


思わず声を張り上げた。

宇佐美も唐突に口を開いた。


「荷物を調べさせてもらいましたが、あなたは爆弾を持っていない」


西条は、憎らしい宇佐美の登場に気を悪くしたのか、躊躇したように閉口した。


「詳しくお話してもらえるのよね、西条さん。 あなたは、約束は守る人でしょう?」
「・・・会場で受け取る予定だった」


「"魔王"からですね・・・?」


宇佐美が訊くと、西条は答えなかったが、肯定しているも同然だった。


「浅井さん、フィギュアスケート会場に爆弾なんて持ち込めるんですか?」
「爆弾のことはよくわからんが、小型のものもあるんだろう?
だったら簡単だ。 正面から堂々と入ればいい。
入り口で荷物検査はされるが、カメラの類をチェックされるだけで、バッグの中身を全部出させられて、じっくりと観察されるようなことはない」


おれは西条に詰め寄らざるを得なかった。


「なぜだ!? なぜ、花音なんだ?」
「それは、私の知るところではない。 私はただ、友に協力するだけだ」



「いいえ浅井さん。 "魔王"の目的はずれていません」
「なに?」
「今回の脅迫事件は、もともと花音に負けるように指示するものでした」
「なるほど、直接、力に訴えて来たってわけか・・・」


爆弾の威力はわからないが、怪我でもさせれば花音は終わりだ。


「いつだ? いつ爆弾を投げ込む予定だったんだ?」
「詳しい手口は知らない」
「嘘をつくな」


時田が手で制した。


「嘘はついてないわ」


「リンクに投げ込むと言いましたね?
ということは、タイミングは、演技前の練習のときか、演技中・・・花音が現れたときですね」


宇佐美も西条に迫った。


「爆弾を受け取る予定だと?」
「ああ・・・」
「あなたは、"魔王"と顔を合わせたことがあるんですか?」


そうだ・・・西条は、どうやって爆弾を受け取るつもりだったんだ?


「会ったことはない。 今日、初めて顔を合わせるはずだった」


鼻の頭を指でなでながら言った。


「どこで待ち合わせる予定だったんですか? 会場のなか? 外?」
「会場内だ」
売店? トイレ? 客席?」
「それは、時間が来たら連絡すると言っていた」
「時間はいつ?」
「八時近くだ。 携帯電話が鳴るまで、私は客席に座って待機していればよかった」


宇佐美はしきりにうなずいた。


「わたしからの最後の質問です。
あなたのご友人は、たとえあなたの協力が得られなくても、目的を成し遂げようとすると思いますか?」


直後、西条が吹き出した。


「当たり前だ、宇佐美。 彼は現在のフィギュアスケートを憎んでいる。
浅井花音とかいう生意気な小娘を許すことはないだろう」


笑い声は大きくなって、部屋の壁に反響していた。


「そうだ。 私がしゃべっても意味はない。 "魔王"は賢い。
私が捕まったとしても、必ず貴様らの裏をかいた作戦を用意して、ことに望むだろう。
"魔王"はもう二人も殺している。
にもかかわらず警察の手も及ばないほど有能な犯罪者だ・・・ハハ、そうだ、私が何を言ったところでかまうもんか」


・・・まるで、口を割った自分を弁護しているようだった。


「二人だって?」


おれはもう一歩詰め寄った。


「誰だ? デザイナーだけじゃないのか?」
「おや? まだ知らないのか? バレエダンサーの男だ。 海に突き落として殺した」


・・・そうだったのか。


「さあ、私を解放しろ。 約束は守れよ、時田?」
「まだあるわ、西条さん」


首を振った。


「まだ話し足りないことがあるはずよ」
「・・・・・・」
「そう、たとえば、"魔王"の風貌ね」


西条の眉がぴくりと跳ねた。


「顔を合わせたことがないというのは本当でしょう。
でも、待ち合わせにあたって、"魔王"はなにか自分の特徴を口にしていなかった?」
「ふん、いいだろう。 ニット帽だ。
黒のニット帽を被った細身で長身の男が"魔王"だ」
「どうもありがとう」


時田はこれまでになく、穏やかな笑みを浮かべた。



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「さようなら。 もう会うこともないでしょう」
「なんだって・・・?」


西条が驚愕に目を見開いた。


「ま、待て・・・お前・・・!?」
「あなたは私のハルをナイフで切り裂こうとした」


ぴしりと言った。


「嘘はついていないわよ。 私は弁護士ではないのだからね」
「・・・わ、私を救うと・・・!?」
「ええ、あなたは妹を殺しておいて、なにも省みなかったようね。
そういう人間が救われるには・・・」


時田の目が妖しく光った。



「ねえ・・・ふふ、わかるでしょう?」



西条は身動きもせず、その目を見つめていた。


打ちひしがれた惨めな男の姿しか、そこにはなかった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


すでに、日が暮れ始めていた。

 


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「会えてうれしかったわ、京介くん」


握手を求めてきた。


「こっちも助かった。 今度、礼をさせてもらおう」
「礼なんていいのよ、ねえ、ハル・・・」


「はいっ!」


なぜか敬礼する宇佐美。


「大変な事件が起こってるみたいだけど、がんばってね」


時田は、手を振って繁華街の雑踏に消えていった。


「さて、おれは、権三に報告しに行く」
「浅井さん、スケートのチケットお持ちですか?」
「ああ、おれの分をやる。 先に入っていろ」
「ひとまず、会場の出入り口を見張っておくとします」
「そうだな・・・すでに"魔王"は会場内にいるかもしれんが・・・」
「よし、じゃあ、解散!」


やけに声を張り上げて、宇佐美は走り去った。


ふう・・・。


妙に気だるいな。


こんなときにまた体の調子がおかしいなんて・・・。

 


・・・・・・。

 

・・・。

 

 


権三の家に駆け込むと、おれは事態を説明した。

 

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「今晩九時、新鋭会の事務所を一家総出で囲む。 あまり人は動かせん」
「事情はお察ししますが、花音の命がかかっています」
「乗り込みは、もう連合全体に告知したことだ。
俺も自ら出向く。 いまさら取りやめられん」
「ええ、しかし・・・」
「この家にいる者を使え」
「しかし・・・?」


・・・あんたは、だいじょうぶなのか?


「わかりました。 チケットは前もって十枚ほど用意しておきましたので」
「そっちの指揮は堀部に任せる。 うまく使え」


狩を目前にして、権三は高揚しているようだった。


おれは堀部に連絡を取り、アイスアリーナに向かった。

 


・・・・・・。

 

・・・。

 

 


すでに、六時近くになっていた。


リンクの上では海外の有名選手が奮闘し、観客を熱狂の渦に巻き込んでいた。

 

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「浅井さん、すみません」


人の波にもまれながらも、宇佐美と合流できた。


「"魔王"らしき人物は見当たりませんでした。 見落としていた可能性もあります」


この賑わいじゃ仕方がないな。


「西条の話では、"魔王"は黒のニット帽をかぶっているとか?」
「ええ、しかし、いつもかぶっているとは限りません」
「それもそうだ。 目立つからな、帽子は」
「おそらく、花音の登場時間が近づいてからが勝負でしょう」
「わかった。 ひとまず、"魔王"がもうこの場にいるものとして、会場内を手分けして探そう。
長身で細身の青年だったな?」
「あまり効率的とはいえませんが、いまはそれしかなさそうですね」
「一周したら、またこの辺で落ち合おう」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 



「堀部さん、どうです?」


会場内に連れてこれたのは、堀部以下八人の男たちだった。

堀部は電話越しに言った。


「いやあ、無理でしょ、坊っちゃん
もうちょっと特徴がつかめねえと。 細身で長身の野郎なんていくらでもいますからね」
「すみません。 それは、わかっているんですが・・・」
「気が焦るのはわかりますがねえ。
まあ、またなにかわかったら連絡ください」


・・・おれは焦っているのか。


しかし、なにもしないわけには・・・。

 


・・・。


くそ、また頭がふらつくな・・・。


・・・。

 

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「浅井さん、どうです?」
「いいや。 自分の馬鹿さ加減に呆れていたところだ」
「いえいえ、やっぱりがむしゃらに動いてみるものですね。
わたしは"魔王"の犯行の糸口をつかみましたよ」
「なんだって?」
「西条が、どういう方法で爆弾を投げ入れるつもりだったのか、ということです」
「爆弾を投げ入れる・・・方法・・・?」


・・・。


ふらつく視界を正すべく、眉間を揉んだ。

 

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「だいじょうぶですか?」
「気にするな、それより、なんだって?」
「あのお店をご覧下さい」


宇佐美が指差した方向には、天幕つきのカウンターがあった。


「お花屋さんですよね?」
「そうだな・・・それが、どうした?」


宇佐美は意外そうに目を細めた。


「・・・本当に体調が悪いみたいですね」
「だから気にするなと」
「いいですか。
西条は、香港行きの航空券を持っていたんです。
ということは、犯行後、逃げるつもりだったわけですよね?」
「ああ・・・」
「ユキには悪いですが、西条の話は、どうも荒唐無稽というか、現実的ではないなと思っていたんです。
だって、リンクの上に爆弾なんて投げ入れて、逃げられるわけがありません」
「そうだな・・・この会場にはおれたち以上の数の警備員がいるはずだ」
「はい。 席を立ってそんなものを投げ入れたら、まず確実に取り押さえられるでしょう」


・・・なるほど、だんだん呑み込めてきたぞ。


「しかし、さっきから会場を見ていれば、観客がリンクに近づき、自由に物を投げ入れられる瞬間があります」


おれも大きくうなずいた。


「トスブーケだな」
「て、いうみたいですね。
演技が終わった選手に客席から花束を投げ入れるんです」
「考えたな・・・」
「花音はいま、日本で一番人気がある選手です。
演技が終わればみんなリンク際に駆け寄ることでしょう」
「そして、投げ入れられた花束のなかに、爆弾が混じっているというわけだな」


花音のことだ、氷上にちょっとした花園ができるくらいの量になる。

それこそ、誰がやったのかわからなくなるくらいに・・・。

もちろん、警察が調べれば、投げ込まれた方向や、客席にいた人物の情報までは簡単にわかることだろう。

しかし、その間に海外に逃げられれば後を追うのは難しくなる。


「ということは・・・どうなる?」
「この混雑です。 花音の演技終了までに"魔王"を見つけられなければ、ジ・エンドです」
「状況が厳しいことに変わりはないか・・・」
「ひとまず、花屋さんのそばを監視しておくとします」
「それでも、花を会場に持ち込まれたりしていたら無駄だろうがな」


・・・花だけではなく、人形なんかも投げ込まれるみたいだからな。


「西条は、八時近くに"魔王"と接触する予定だったそうですね」
「勝負はそのときだな。
ちょうど選手の練習時間で、客席も自由に動ける」
「しかし・・・」


宇佐美が不満そうに首を振った。


「どうにも後手に回っていますね・・・」
「そうか? 西条から情報を聞き出せたのは、大きな前進だと思うが?」
「・・・それは、そうですが・・・」


考え込むように黙り込んだ。


「なんだよ、怖くなったのか?」
「いえいえ」
「怖いなら、逃げてもいいんだぞ?」
「知らなかったんですか。 大魔王からは逃げられないんですよ?」


にやにやしながら、花屋に足を向けた。

おれも、なんとか探すしかないな。

花音の命がかかっているんだ。

花音は尖ったところもあるけど、正直で純粋な少女だ。

理解者は少ないだろうが、せめておれだけは認めてやらねば。

形の上だけでも兄貴なわけだしな。



「ぐっ・・・」



こんなときに・・・。



くそ、頭が・・・。

 

 

 ・・・。