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亜希に会うために新宿駅西口の託児所までやって来た。
「あなたは・・・?」
・・・ん?
そこには亜希の姿はなく、経営者の林由香子の姿があった。
「どうも、お久しぶりです」
「どうも・・・」
子供達の相手は亜希ではなく、別の職員がしている。
一体、亜希はどうしたのだろう?
「あの・・・。今日は亜希さんは?」
「ええ、今日、急に休みたいって・・・。体調でも崩したのかしら」
「そうですか・・・」
ますます心配だな。
「何か心当たりでも?」
「・・・いえ、わかりません」
「そう・・・」
「あの、明日は亜希さんは出勤すると言ってましたか?」
「・・・ええ、何か申し訳なさそうに明日は朝から出勤すると言っていました。そんな無理する事でもないのにねぇ・・・」
明日の朝か・・・。
「そうですか・・・すみません、お忙しいところ」
「いえ、大丈夫よ・・・」
「では、失礼します」
「はい」
至る所に子供達による落書きがある。
・・・。
これだけ子供がいるんだ、仕方ないだろう・・・。
「亜希さん・・・。まさか今日の事を・・・」
「ああ・・・恐らくな」
「・・・」
俺達は託児所を出た。
やれやれ・・・。
今日はやけに疲れた一日だったな。
亜希・・・大丈夫だろうか。
明日には元気になってくれているといいが・・・。
・・・。
俺達は一日の調査を終えて、事務所に戻ってきた。
「お帰りなさーい」
春菜が待ってましたとばかりに俺達を出迎えた。
調査の進展が気になって仕方なかったのだろう。
「で、どうでした?何かわかりました?」
俺達がまだ一息もついていないというのに、春菜は興味津々で聞いてくる。
「先生、今日の調査のまとめをしましょうか・・・」
「そうだな」
俺は今日、一日の調査を洋子君と春菜と共にまとめてみた。
「今日はようやく亜希に遺品を渡す事が出来た・・・」
「でも哲三さんや静江さんの思惑は、亜希さんの子供を大河原家の跡取りとして引き取る事・・・」
「・・・奥様や旦那様を悪く言うつもりはありませんが・・・。ひどい話です」
「しかし、亜希は子供はいないと言った」
「それって・・・」
「ああ・・・。しかし、これはちゃんと本人に確かめる必要がある。たとえ、また亜希を苦しめる事になっても・・・」
「でも、今日は亜希さんは出勤しませんでした・・・」
「ああ、おそらく今日の朝の事で疲れてしまったのだろう」
「では、明日は亜希さんに会いに行くんですね」
「ああ・・・林の話では明日、亜希は朝から出勤する予定だから、朝から託児所に向かうとしよう。そして・・・貴之には手に入れた物について聞かないといけない・・・。明日は朝から忙しくなりそうだな」
「そうですね・・・」
「じゃあ、私は屋敷に戻ります」
「ああ、ご苦労だったな」
「明日も来ますからね」
「念を押さなくても分かってる」
「洋子君ももう上がってくれ。また明日、頼むよ」
「はい、お疲れ様でした」
俺も今日は明日に備えて休むとするか・・・。
やれやれ・・・今日は肉体的にも精神的にも疲れた日だったな。
書斎に入ると途端に力が抜けていくのがわかった。
さすがに疲れが溜まって来ているようだ。
俺はこの心地のいい空間に身をゆだねながら、街を流れるネオンを見つめた・・・。
3月15日 神宮寺探偵事務所
俺は太陽の日差しを受けて、長くも浅い眠りから目覚めた。
どうやら、机で調書をまとめている途中でいつの間にか眠っていたようだ。
俺は重くなった身体を無理やり起こした。
・・・洋子君たちが来ているかもしれんな。
ドアを叩かれる前に仕事場に行くか。
俺は眠気を覚ましながら仕事場に通じるドアを開けた。
「・・・あっ! おはようございます。・・・ちぇ、そろそろ叩き起こしに行こうと思っていたのに」
「ここから先は立入禁止だ」
「一度は探偵の書斎ってものを見学させてもらいたいなぁ、なんて思うんですけど・・・。ほら、なんていうか後学の為っていうか・・・」
「春菜が探偵になったら、自分で書斎を持つといい」
「それじゃ意味がないじゃないですかー」
「そうすれば、人に見せられるようなものじゃないとわかるだろうからな・・・」
俺が春菜と朝一番の軽口をかわしていると、洋子君が笑いながらやってきた。
「おはようございます」
「・・・おはよう」
「・・・あっ、おはようございます」
「春菜さん、今日は随分早いのね」
「もちろんです! 調査に対する意欲の表れです!」
「じゃあ、今まではやる気がなかったという事か?」
「ち、違いますよ!もう、神宮寺さん。朝からうるさいですね!」
うるさいのは春菜の方だろう・・・。
「フフフ・・・」
「で、神宮寺さん。今日は・・・」
亜希の様子が気になるな、さすがに少しは落ち着きを取り戻していると思うが。
確か、今日は朝から会える筈だ。
今日は朝から託児所に向かおう。
一日経って、亜希も落ち着いていればいいが・・・。
「もう一度、亜希と会ってみる。一晩経って少しは落ち着いただろう・・・。それに遺品についても少し話を聞いておきたい」
「今から託児所ですか?」
「ああ、今日は朝から亜希が出勤しているはずだからな」
「あ、そういえば昨日の夜、そんな事言ってましたね・・・」
「全く・・・忘れていたのか・・・?」
「いえ、思い出せなかっただけです!」
「それを『忘れる』というんだ」
「むぅ・・・」
「フフフ・・・」
「あっ、そういえば・・・」
「何だ・・・?まだ何か忘れていたのか?」
「何ですか! 失礼ですね! 思い出したらいいじゃないですか!」
「ハハハ、そうだな。・・・で、何だ?」
「今日は奥様が報告に来て欲しいと言っていましたよ」
「そうか。じゃあ、亜希に会った後に報告に行くとするか・・・」
「では先生、早速、私達にも指示をお願いします」
「そうだな・・・今日は、春菜に付いてきてもらおうか」
「さすが名探偵!さ、早く行きましょう」
「洋子君は留守番を頼む」
「わかりました」
「じゃあ、早速、行くぞ」
「はーい」
とにかく、亜希に会ってみよう。
ただし、できる限り彼女の傷口に触れないよう細心の注意を払わねばな・・・。
これ以上、彼女の傷をえぐる権利など、誰にもないのだから・・・。
「亜希さん、昨日よりは元気になっていますかね・・・」
「少しは落ち着いてはいるだろうがな・・・。とにかく今は託児所に行って亜希に会おう」
「はい! はりきって行きましょう!」
・・・。
俺達は託児所前へやって来た。
託児所の前には亜希の姿があった。
「あら、神宮寺さん。昨日はありがとうございました」
亜希の目は泣きはらしていて、化粧でそれを誤魔化している。
やはり亜希は昨日の事をまだ引きずっているようだ・・・。
ここは様子を見つつ、慎重に話をしよう。
「今日はどうしたんですか? また何かあったんでしょうか?」
「いや、様子を見に来ただけだ」
「すみません、わざわざ・・・。でもこの通り、もう平気ですよ」
亜希はもう平気だとばかりに笑顔をみせた。
だが、それが空元気である事は誰の目から見ても明らかだ。
人に心配をかけまいと強がる姿がむしろ痛々しくもある。
「今日は朝から働いているようだが・・・。もう大丈夫なのか?」
「ええ、でも・・・なぜそれを知っているんですか?」
「ああ・・・昨日、林さんから聞いてな」
「そうですか・・・。でも私、もう大丈夫ですから。心配いりませんよ・・・」
「そうか、ところで・・・」
俺が亜希に話しかけようとした時、後ろの方から声がした。
声の感じから言えば子供のようだったが・・・。
「せんせーい!」
「・・・?」
「やあ、先生」
「あら、貴之君」
「・・・!!」
「・・・!! な、なんでお前がここに!」
「・・・お前こ」
「え、神宮寺さん、貴之君を知ってるんですか?」
「知っているというか・・・」
「ここで何してるんだよ! 先生に何かする気か!」
貴之の顔が今までになく険しくなっている。
昨日のせいとも思えるが、どうもそれだけではないようだ。
「子供は黙ってなさい」
「子供扱いすんなよ」
「だって、子供でしょ?」
「ふん・・・」
何かいつもの貴之とは勢いが違うようだな・・・。
「貴之君、目上の人に向かってそんな言葉遣いをしちゃ駄目だって言ったでしょ?」
「でもコイツらは!」
「貴之君!」
「・・・」
亜希の一喝で貴之は大人しくなった。
今の状況を見る限りでは、どうやら亜希に弱いようだ。
亜希が注意しただけで急に大人しくなってしまった訳だしな。
しかし、まだこの二人の関係はわからんな・・・。
亜希と貴之が知り合いだったとは意外だ。
貴之は亜希を『先生』と呼んでいた。
二人のつながりは何だろうか?
「おそらく・・・。貴之はこの託児所出身なのだろう」
「なるほど・・・ふむふむ」
「・・・貴之は以前ここにいたのか?」
「え、ええ・・・。貴之君は小学校に上がる前によくここに預けられていたんです」
「なるほど、それで先生か・・・」
「な、なんだよ・・・ どうせガキだとでも思ってるんだろ!」
「いや、妙な縁もあるもんだと思ってな・・・」
「学校はちゃんと行ってるの?」
「・・・い、行ってるよ」
この時間にこんな場所にいて、学校に行っている訳はないのだが・・・。
「でも今日は平日じゃないの?」
「今日は創立記念日なんだよ」
「・・・貴之君、嘘をついたら悲しいわよ」
「・・・」
見つめる亜希の視線に耐えられず、貴之は決まり悪そうに顔を逸らした。
ここはどうしたらいいだろうか・・・。
「学校に電話しましょう!」
「春菜・・・学校に電話する・・・か。まあ、もっともな意見だが、ここは貴之を助けてやろう。そんな事をしなくても、本人は反省しているだろうし」
「・・・神宮寺さんも甘いですねぇ」
「創立記念日かどうかは知らないが・・・。さっき俺が見た時には学校は休みだったようだな」
「え・・・」
「あらそうなの。疑ってごめんね」
亜希は俺の嘘を簡単に信じてくれたようだ。
多少良心がとがめるが、この場合は仕方ないだろう。
「貴之君はよくここも抜け出したし・・・。大人の人にも誤解されやすいから、ちょっと心配になっちゃうのよ」
「・・・」
「貴之君、学校は楽しい? 学校が嫌いになったりしてない?」
「そ、そんな好きだ嫌いだとか言うようなガキじゃねーよ、心配なんかすんなよ」
「それならいいんだけど・・・。・・・で、今日はどうしたの?」
「べ、別に用は・・・」
「あら、でも貴之君は何かあるとここに来るじゃない」
「そ、そんな事言うなよ! おい神宮寺! 先生の言う事を信用するなよ!」
「貴之君、目上の人にそんな言葉遣いしちゃ駄目って言ったでしょ」
「で、でも・・・」
「いいから言ってちょうだい。何かあったの?」
「ちっ、しょうがねぇな、お前にも見せてやるよ」
貴之は俺の方を何度も横目で見て、ようやくポケットから何かを取り出した。
「先生、これ何かわかる?」
貴之が取り出したのは『ゆうちゃん』を追いかけている時に、貴之が拾った物のようだ。
・・・初めてそれを見た俺は、驚きのあまり、動けなくなった。
一体、どういう事だ?
「じ、神宮寺さん・・・。あ、アレって・・・」
「・・・」
俺は貴之が手に持っている物を食い入るように見つめた。
なぜ、それが貴之の手元に・・・?
「先生・・・どうかしたの?」
貴之の声で、亜希も俺と同じように驚いている事に気付いた。
いや、俺よりも亜希の驚きの方がはるかに大きいようだ。
亜希は瞬きすらせずに、貴之の掌に乗っているそれを見つめている。
それは俺が亜希に渡した時計。
つまり哲司の遺品と同じ懐中時計・・・。
どういう事だ・・・?
「・・・た、貴之君。これをどこで?」
「俺、幽霊を探してるんだけど、その幽霊を追っている時にこれを拾ったんだ。あの幽霊が落としたのかな・・・?」
「貴之君、まだそんな危ない事をしてるの?」
「だ、大丈夫だよ。夜中に出歩いたりしてないし、本当だよ、嘘じゃないって」
「そう・・・貴之君それを先生に貸してくれる?」
「え、ど、どうして?」
「あ・・・あのね、先生それの持ち主を知っているかもしれないのよ」
「でもこれは・・・」
「お願い、先生を信じて」
「・・・」
貴之は亜希をじっと見つめていたが一瞬、俺の方を見た。
おそらく貴之は貴之なりに、何かを悟ったのだろう。
貴之はしばらく悔しそうに下を向いていたが、黙ってその時計を亜希に渡した。
「貴之君、これの事は調べておいてあげるから、今日はもう帰りなさい。
先生、これから神宮寺さんとお話があるから」
「・・・俺は邪魔なのか?」
「そうじゃないの。でも・・・重要な事なの」
「・・・」
俺を見た貴之の顔は、あの生意気な子供とは思えない悲しげな顔だった。
「わかった。 俺は行くよ・・・」
「・・・」
「先生を泣かせたら、お前の事なんか二度と信用しないからな」
「俺は信用されていたのか?」
「・・・フン! じゃあ、先生、俺は帰るよ。もう心配すんなよ!」
元気よくそう言うと、貴之は走り去っていった。
少し気にかかるが・・・。
今は亜希と話をしよう。
俺もあの時計の事は気になる。
一体、どういう事なんだ・・・?
「その時計は・・・?哲司の遺品と同じようだが・・・」
「・・・」
「何があったのか、話してもらえるか?」
「神宮寺さんはどこまで知ってらっしゃるんですか?」
「亜希が話してくれなければ、俺には何もわからない」
「そうですね・・・。これは哲司さんがくれた時計だという話はしましたよね。6年前・・・。私達は愛し合っていました。結婚の約束もしたんです。私達は哲司さんの両親に結婚の許しをもらいに行きました。でも、ご両親からは反対され、特にお母さんには激しく反対されました。私はお母さんから本当に哲司さんを愛しているなら、身を引いてくれと言われま
した。私と結婚する事は、哲司さんを追いつめるだけだと」
「子供の事を哲司は知っていたのか?」
「哲司さんにはまだ言っていませんでした。私の妊娠を見抜いたのは、お母さんでした。私はお金の入った封筒を渡され、子供を堕ろすように言われました」
「・・・」
「こんな茶色の封筒ですよ。どこにでもあるような無地の・・・。でも私は哲司さんが苦しむ姿を見たくはありませんでした。私は悩んだ末に、哲司さんの前から消える事を選んだんです」
「その時に子供は・・・」
「・・・。私は、ひょっとしたら哲司さんが追いかけて来るかもしれないと思っていました。だからいつ哲司さんが来てもいいようにと・・・。でも、そのあと哲司さんは別の女性と結婚したと聞きました。わかっていたはずなのに、私はひどく落ち込みました。悔しくて・・・。悲しくて・・・。でも私は・・・。子供を堕ろす事ができませんでした」
「では、子供は・・・?」
「・・・子供はいません。私、不安で仕方なかったんです。一人で産んではみたものの、これから育てていけるかどうか。それに、その子は哲司さんにそっくりで・・・。その子を抱いていると哲司さんを思い出さずにはいられませんでした。だから私は・・・」
「・・・まさか」
資格・・・。
償い・・・。
という亜希の言葉・・・・・・
ひどく後悔の念に駆り立てられている、亜希の表情。
その意味がようやくわかったような気がする。
「・・・。・・・私は、あの子を捨てたんです。新宿駅のコインロッカーに・・・」
・・・。
「・・・まだ生まれて間もないあの子を置き去りにしました。この時計はあの子と一緒にコインロッカーに入れました。せめてあの子と哲司さんを一緒にさせてあげたかったんです。ひどい母親だとはわかっています。この罪がゆるされるなんて事は、絶対にないって事も。でも、これだけは信じて下さい。私、やっぱり後悔してあの子を取り戻しに行ったんです。でも、あの子はいなくなっていた・・・。子供を捨てた私への天罰なんだと思いました・・・。何度も悔やみました。ほんの一時の愚かな気持ちで、あの子を失ってしまった・・・。もうあの子は戻ってこない・・・。取り返しのつかない事をしてしまった・・・。私は一生、この罪を背負って行くんだって・・・。今でもあの時の夢を見ます。子供を捨てる私と、いなくなる子供・・・それから・・・。恨めしそうに私を呼ぶ子供の声が聞こえる気がするんです」
・・・。
亜希は小刻みに肩を震わせている。
亜希にとっては過去に犯した罪が相当な責め苦となっている事は疑いもない・・・。
「そうだったのか・・・」
6年前にいなくなった子供。
一緒に消えた時計。
その時計が今になってこうして出てきたのは、いったい何を示しているのか。
「子供はコインロッカーからいなくなっていたんだな?」
「ええ、まるで消えたみたいに・・・」
「鍵はかけていたのか?」
「・・・よく覚えていません。もう自分自身でも何をしているのかわからなくて・・・」
「・・・そうか」
亜希の話はだいたいわかった。
巡り合わせというには、あまりにも運命的だ・・・。
俺達はすでに亜希の子供に出会っていたとは。
あの時計を落とした可能性のある人物を考えれば、答えは一つしかないはずだ。
──『ゆうちゃん』だ。
「これから俺の言う事を落ち着いてよく聞いてくれ。俺達が追っていたのは、都市伝説ともなりつつある、『ゆうちゃん』だ・・・」
「わ、私も話くらいは聞いた事あります」
「俺達は先日、『ゆうちゃん』と思われる白い影に出会った・・・。しかし、その白い影の正体は5、6歳ぐらいの子供だった。そして、時計を落としたのはその『ゆうちゃん』と考えていいだろう」
「・・・!!えっ・・・と、いう事は、私の・・・。あの子は生きているのですか・・・?そ、そんな、まさか・・・」
「確証はないが、その可能性は高い」
「もしも、もしもその子が、本当にあの子だったら・・・うぅ・・・神宮寺さん、お願いします。お金が必要なら用意します。だから・・・。その子を探してください!」
亜希の切実なこの願いを断る理由など、俺にはない。
「あぁ、任せろ・・・」
「ありがとうございます。では・・・私、そろそろ戻らないと・・・」
「・・・大丈夫か?」
「・・・。正直なところ、今すぐその子を探したい気持ちです。でも私なんかが探して見つけられるかどうか・・・。それに見つけたところで・・・。私は・・・なんて言えばいいのか・・・」
「・・・大丈夫だ。今は俺に任せてくれ」
「・・・はい」
「じゃあ・・・」
「・・・あ、そうだ。コレを・・・」
「・・・ん? コレは・・・」
「よろしければ、持っていって下さい。こ、これは哲司さんの時計です」
「しかし・・・」
「きっと・・・哲司さんが助けてくれます・・・。そ、それに私の時計は帰ってきましたし・・・。もしあの子が誰かの手で幸せに暮らしていたら・・・この哲司さんの時計をあの子に渡してあげて下さい・・・。せめて哲司さんとだけでも一緒に・・・」
「・・・わかった。預かっておく」
「よろしくお願いします」
亜希は揺れる感情を必死に抑えながら、薄暗い託児所の中へと入って行った。
「・・・まさか、本当にゆうちゃんが亜希さんの子供だったなんて・・・!」
「・・・春菜。まさかこの事をわかっていたのか?」
「はい!ちょっとだけ推理してました!」
「推理・・・?ただの勘じゃなくてか?」
「そうとも言います! それだけ私が鋭いって事ですね!」
適当に考えていたのがたまたま当たったという事か・・・。
・・・。
俺達は静江に報告をする為に大河原家にやって来た。
亜希のさっきの話・・・。
果たして静江に伝えるべきだろうか。
しかし、もしも『ゆうちゃん』が亜希の子供だったとしたら、様々な思惑が動き出す。
今の段階で無闇に事態を混乱させるのは得策ではないだろう。
となると・・・。
静江に何と報告しようか・・・。
「神宮寺さん、亜希さんの子供の事を報告しましょう」
「春菜・・・子供について、何を話すつもりだ?」
「えっ、それは・・・」
「亜希の子供の事を最優先と考えるならば、静江には報告するべきではないだろう」
「うぅ・・・確かに。でも、もし奥様が亜希さんの子供の事を知ったら、すっごく喜ぶと思いますよ」
「だからこそ、下手に言う訳にはいかないだろう? ただのぬか喜びで終わる可能性もある。もちろん、それ以外にもいろいろと問題があるしな」
「そうですけどぉ・・・言いたいなぁ・・・」
・・・。
「どうも、神宮寺さん。お忙しいところ、すみません」
「いいえ・・・」
「で、神宮寺さん。早速ですが・・・亜希さんの様子はどうです? 少しは落ち着かれていましたか?」
「ええ。昨日よりは随分と・・・」
「そうですか・・・。それを聞いて少しは安心致しました。それで、神宮寺さん・・・。亜希さんの子供についての調査はどうなりましたか?」
「ええ、調査は進めてますが・・・。まだ進展は・・・」
「そうですか。では引き続き、よろしくお願いします。」
「・・・」
「・・・神宮寺さん、どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません。では失礼します」
「・・・よろしくお願いします」
俺達は応接間から出た。
「あ、すみません。私ちょっと・・・」
「どうかしたのか?」
「ちょっと待っててください。すぐ済みますから。お願いします」
「・・・トイレか?」
「ち、違いますよ!」
春菜は早足で屋敷の奥へと消えていった。
焦って誤魔化していたようだが、何かあったのか・・・。
あの様子からすると大事な用事を忘れていたという感じだったが・・・。
あの春菜の事だから下らない用かもしれないが。
しばらくすると春菜はまた駆け足で戻ってきた。
「お待たせしました」
「何か大切な用でもあったのか?」
「いやあ、ちょっと・・・あはははは」
「・・・あまりトイレは我慢するなよ」
「だから、トイレではありません! ・・・さあ、また調査に行きましょう!」
「いや、まず事務所に戻って話を整理しよう」
「えー・・・。またそういう、私の出鼻をくじくような事を・・・。もっとこう、ビシッと調査してバシッと解決しましょうよ」
「一歩一歩状況を整理していく事が結果的に近道になるんだ」
「はーい・・・。じゃあ、戻りましょうか・・・事務所へ」
「ああ、そうだな」
・・・。
「あら、お帰りなさい。早いですね」
「ああ・・・。今日わかった事を整理し、今後の調査の方向性を決めるために戻って来た」
「そうですか・・・。ところで亜希さんはどうでした? やはり、まだ出勤してませんでした?」
「ああ、その事なんだが・・・。亜希が妊娠していた事は覚えているな?」
「ええ・・・」
「実は亜希は自分と哲司の間に出来た赤ん坊を産んだのち・・・。赤ん坊を新宿のコインロッカーに捨ててしまったようだ」
「えっ!?」
「今はひどく後悔しているようだが・・・」
「・・・」
「哲司との思い出の懐中時計は、最初なくしていたと言っていたが・・・。その赤ん坊と一緒に置いていったそうだ」
「そうだったのですか・・・」
「そして・・・」
「・・・?」
「白い影を追った時に、貴之が拾った物があっただろ?」
「・・・ええ、私もずっと気になっていましたが・・・」
「貴之が拾った物とは、懐中時計だった・・・哲司の遺品と同じ物だ」
「・・・!! ・・・という事は」
「そうだ・・・。『ゆうちゃん』は亜希の子供である可能性が高い」
「・・・!」
「以上だ・・・」
「・・・かなり深刻な展開になってきましたね」
「ああ・・・そうなんだ」
『ゆうちゃん』という正体不明かつ、神出鬼没のものを追うよりも、確実な方法がある。
確実に存在した亜希の赤ん坊を追う方が今は近道だろう。
亜希の話によれば、コインロッカーの赤ん坊はすぐに姿を消したという。
恐らくは誰かに見つかったのだろうが、問題は誰に見つかったのか。
鍵が開けられていたのだから、この場合は管理している者に見つかったと考えるのが妥当だ。
では、赤ん坊を見つけたらどうする?
答えは簡単だ。
その答えを考えれば、おのずと次に取るべき行動も見えてくる。
「神宮寺さん、で、どうするんです?」
「そうだな・・・」
「先生、私が一緒に行きましょうか?」
「・・・そうだな。洋子君、調査を手伝ってくれ」
「はい、わかりました」
「えー・・・私は留守番ですか?」
「ああ、頼んだぞ」
「ちぇ・・・」
・・・。
俺はここで今後の事を考えるために、一息つく事にした。
「依頼では亜希さんの子供を探すんでしょう?」
「ああ、そういう事になる」
「でも、神宮寺さん・・・。それだけわかっているのに、奥様にはまだ『ゆうちゃん』の事は言ってないでしょう? どうしてです?」
「まだ確証がないのが一つ。それから、これは亜希のプライバシーとも深く関わる。それに静江は、亜希の子供を大河原家の跡取りとして考えている。静江に亜希の子供の話をしては、面倒な事になるだけだ。・・・以上の事から、静江には報告はしないで最優先で子供を探す事にする」
「・・・なるほど」
「今後は調査もその報告も、慎重に進めなければならない」
「でも場合によっては、亜希さんに子供はいなかったって事にするって事ですか? それとも、もしも亜希さんが言わないでくれって言っても、調べた事は報告するんですか?」
「それを今の段階で答えるのは時期尚早というものだろう。ただこれだけは言える、俺が依頼者を裏切る事はない。依頼者が俺を裏切らない限りは・・・」
「では、これからの調査はどうなさいます?」
「またゆうちゃんを地道に探すんですか?」
「いや、ここまで分かっているなら亜希の子供についてもう少し調べてみる」
「えー、どうやるんですか?」
「・・・ここはやはり熊さんに頼った方が手っ取り早いと思うんだが」
「確かにそうですね・・・」
「さすが神宮寺さん、すごいです!」
・・・ちゃんと真面目に考えたのか?
「警察が探偵の調査に手を貸してくれるんですか?」
「ただ6年前の事件を調べてもらうだけだ。熊さんならすぐに調べてくれるだろう」
俺は早速、電話を手に取り淀橋署の熊さん直通の電話番号を押した。
・・・。
「おう、淀橋署!」
「熊さんか・・・?」
「ん?・・・何だ?俺様は・・・。んん? もしかして、神宮寺か?」
「ああ、そうだが・・・」
・・・?
この声は・・・。
「ちょっと待ってろ・・・熊さんだな」
「ああ、すまない・・・」
「おう、熊さん、神宮寺からだ・・・」
「おお、そうか・・・」
・・・。
「神宮寺君か? 何だ?」
「ああ、熊さん。ちょっと調べて欲しい事があるんだ」
「挨拶もなしとは、ずいぶん急いどるのう?」
「それはすまなかった。できるだけ早く調べて欲しいんだ」
「ほう、ほう。で、何を調べる?」
「詳しく話すと長くなるが・・・」
「なら、ワシがそっちに行くから、そこで話そうか。ちょうどワシも君に話があってのう・・・」
「『ゆうちゃん』の事ならまだ調査中だぞ」
「いやいや、それとはまた話が違うんだ・・・。君もよく中央公園辺りには行くのだろう?」
「ああ、ゆうちゃんがその辺りによく出るらしいからな」
「ふむ・・・。やはり君の耳にも入れておいた方が良いだろうな」
「何の話だ?」
「詳しい事は行ってから話すわい」
「わかった」
熊さんの話とは何だろうか・・・。
まあ、いい。
今は熊さんが来るのを待つとしよう。
「熊さんも俺に話があってこっちに来るそうだ」
「熊野さんの話というのは?」
「さあな・・・。詳しい事はこっちに来てから話すそうだ」
「あ、そうだ。ちょっと電話借りますね」
「ええ、どうぞ」
「それじゃあ、お借りしまーす」
春菜は黙々と電話のボタンを押し、電話で話し始めた。
「あ、もしもーし。私、春菜ですー。任せて下さいよー。もうバッチリですー。え、今ですか? ・・・です。だからぁ。・・・ですってば。それでー・・・」
・・・。
「・・・じゃあそういう事で。わかりました。お任せをー・・・」
・・・。
「はい、洋子さん。ありがとうございました」
「・・・誰に電話をかけていたんだ?」
「えっ・・・。それは・・・内緒です」
「・・・?」
「先生、春菜さんのようなお年頃の女性に、電話の相手を聞き出すのは失礼ですよ」
「・・・そうか」
「そうですよ、失礼ですよぉ」
・・・やれやれ。
俺は熊さんを待つため、事務所で束の間の休息に入った。
・・・。
漆黒の闇が次第に空を包み始める。
それと同時に外灯とネオンが点り、昼間とは違った活気が満ちてきた。
俺が何気なく視線をドアに移すと、やっと熊さんが俺の事務所にやって来た。
「おおう、神宮寺君・・・」
「やけに遅かったな、熊さん」
「ちょっと急用が入ってな・・・。すまん、すまん・・・」
「いや、いいさ。久しぶりにゆっくり出来たよ」
「ふぉふぉ、そうかい」
「あら、熊野さん、いらっしゃいませ」
「おお、洋子君。お邪魔するよ・・・」
「どーも・・・」
「おや、こちらのお嬢さんはこの間の・・・」
「池内春菜です。熊野警部ですよね」
「おお、そうだった。ほぉぉー、女性がいると神宮寺君の事務所も明るくなるもんじゃのう」
「熊野さん、どうぞお座りになって下さい」
「ああ、すまんな・・・」
熊さんは嬉しそうにそう言うと、どっかりと椅子に腰を下ろした。
「さぁ、春菜さん。こっちへ・・・」
「ふぇ・・・なんで?」
「いいから・・・」
洋子君の気遣いに感謝しつつ、俺も椅子に腰を下ろした。
熊さんに聞きたいのは捨てられた亜希の子供についてだ。
果たして6年前、警察にロッカーに赤ん坊がいるという連絡はいったのか・・・。
それについて確認を取っておきたい。
「で、熊さん、早速なんだが」
「おお、そうじゃったな」
「俺が調べて欲しいのは・・・。5、6年前の事だが・・・」
「ふーむ、5、6年前のう・・・」
「新宿駅のコインロッカーであるものが見つからなかったか?」
「あるものとは・・・何だ?」
「赤ん坊だ」
「・・・うむ。5、6年前・・・?コインロッカー・・・?赤ん坊・・・?うむ・・・ワシの記憶にはないのぉ」
「一応、調べてみてくれないか?」
「それは構わんが、どうして赤ん坊など?」
ゆうちゃんの事を話してしまっては・・・。
これから熊さんに調べてもらうにあたって、余計な先入観を与えかねないな。
ここはとりあえず、現状だけを少しだけ話すか・・・。
「実は『ゆうちゃん』と関係がある事なんだが・・・」
「・・・おお、そうか。それで・・・」
「ここまでだ・・・」
「何じゃ、つまらんのう」
少しだけ話すという推理は中途半端に終わったようだな・・・。
こんなんだったら言わなかった方がよかったな。
「・・・わかった、調べてみよう。そのぐらいなら時間はかからんだろう」
「もし見つかったら、その子が今どうしているか、どこにいるかが知りたい」
「ふむ・・・。それは、ちと時間がかかるかもしれんが、分かった時点で連絡しよう」
「ありがとう、頼む」
・・・そう言えば、熊さんも俺に話があると言っていたな・・・。
一体、何の話だろう?
「熊さんの方の話というのは?」
「おお、そうだったな。神宮寺君・・・最近、よく中央公園の辺りに行っておるのだろう?」
「さっきの電話でもそんな事を聞いていたようだが・・・それがどうかしたのか?」
「うむ、中央公園で妙な噂を聞かなかったかね?」
「妙な噂?」
「最近どうも、あの辺りのホームレス達の様子がおかしいようなんじゃ」
「おかしい・・・とは?」
「ワシもよくわからん。まだ噂でしかないようだし、きちんとした情報は入ってきておらんのだが・・・ホームレス達が浮足立っていると言えばいいか・・・。様子を見に行った同僚の話では、ホームレス達が遠巻きにこっちを見ていたそうだ」
「・・・」
「何かに怯えているというか、警戒しているようにも見えたそうだ。君はよく出入りしているようだし、気を付けるに越した事はないだろうと思ってな・・・」
「それだけか・・・?」
「・・・それに、何か知っておったら教えてもらえんもんかと」
「フ、そうだろうと思ったよ。しかし、その話は初めて聞く話だな・・・。昨日も中央公園辺りに調査に行ったが、特に普段と変わりなかったと思うんだが」
「そうか・・・。ワシも聞いたのは今朝の事だから詳しくはわからん」
「・・・もし何かわかったら熊さんにも連絡しよう」
「ああ、そうしてくれ。じゃあ、ワシはこのへんで・・・」
「もうお帰りですか」
「ああ、これでも忙しくての。じゃあ神宮寺君、さっきの事は調べておくから、ワシの方の事も頼むよ」
「ああ・・・」
熊さんはそう言うと体をゆすりながら帰っていった。
「・・・それで先生、これからどうなさいます?」
「どうするんです?」
「そうだな・・・」
熊さんのさっきの話・・・気になるな。
新宿中央公園に行ってみるか。
「亜希の子供については熊さんの情報を待つしかない。熊さんの言っていた事も気になるし、その間にホームレス達の様子を見ておくか」
「わかりました」
「はーい」
さて・・・。
「洋子君、一緒に来てくれ」
「はい」
「いってらっしゃーい」
「・・・今日はやけに素直じゃないか?」
「・・・そんな事ありませんよ」
「そんなにドラマが見たいのか?」
「もちろん! あっ、違う、違う。私なんかが行くよりも洋子さんの方が効率的ですよぉ。私はおとなしく留守番してますから・・・」
「・・・やれやれ」
「さぁ、行った、行った!」
「・・・」
「・・・もしかして、怒らせちゃいました?」
「・・・いや」
「怒ってるじゃん・・・」
・・・。
「熊野さんがおっしゃっていた中央公園の噂・・・。気になりますね」
「ああ・・・一体、公園で何が起こっているんだろうな」
「きちんと調べて見る必要がありますね。
もしかしたらゆうちゃんに絡んだ事かもしれませんし・・・」
・・・。
俺達は熊さんの話していた噂を確かめるために新宿中央公園にやって来た。
「見た限りでは特に変わった様子はないようだが・・・」
「そうですね・・・」
洋子君もきょろきょろと辺りを見回しているが、何も変化は感じてないようだ。
「熊さんの話ではホームレス達の様子が変わっているそうだが」
俺は辺りを見回した。
この時間になるとホームレス達はすでに寝入っている。
まさか起こして話を聞く訳にもいかないだろう。
しばらくこの公園の様子をうかがいたいところだが・・・。
俺達は辺りの様子を観察しながら、しばらく公園の中を歩く事にした。
「公園はいつも通りといった感じですけれど・・・」
「ああ・・・とにかく辺りを見回ってみよう。ちょっとした変化も見逃さないよう、最新の注意を払ってな」
「はい」
・・・。
公園の西側へ移動した。
ホームレス達の寝床である青いビニールシートが転々と公園の中にある。
それらは石畳の端っこや、ベンチの横や茂みの影などに、身を隠すようにしてある。
・・・木陰の奥は薄暗い闇に包まれている。
この時間帯になると公園はいこいの場から豹変を遂げるな・・・。
・・・。
新宿中央公園の北側へ移動した。
・・・?
茂みから呻きのような声が聞こえ、俺は驚いて振り返った。
「洋子君、今の声が聞こえたか?」
「ええ。こちらの方から聞こえたような気がしますが・・・」
洋子君はベンチの近くを見た。
「先生、あの人・・・」
洋子君の視線の先には、一人のホームレスがうずくまるように座っていた。
「・・・どうした? 大丈夫か?」
うずくまった女性は一瞬驚いたようだったが、すぐに苦しそうに背中を丸めた。
「ごほっ・・・ごほっ・・・うぅ・・・」
「一刻も早く医者に診せた方がよさそうだな・・・」
「先生、すぐ救急車を呼びますね」
「待ちな・・・何て事ないよ」
ホームレスの女性は初めて口を開いた。
「無理して話す必要はない。今、医者を呼ぶ」
「大丈夫さ。一時的なもんだよ・・・。ほら、よくなった」
「何を言ってるんだ」
「ごほごほ・・・」
「無理をなさらないで下さい」
洋子君はゆっくりと女性の背中をさすった。
その女性は洋子君のおかげで少しは呼吸が楽になったのか、深く息をする。
「ふうぅ・・・」
女性は大きく息を吐くと俺達の前にゆっくりと立ち上がった。
「ふう、もう大丈夫。心配かけてすまないね。この通りもう平気だよ。おや、アンタ達は・・・」
「一昨日もお会いしましたね」
「ああ、やっぱりそうかい。 妙な縁もあるもんだね」
「・・・明らかに無理してますね」
「ああ・・・」
女性はさっきまでとは打って変わり、笑顔で立っている。
だが、その顔色はまだ青い。
予断を許さないだろう。
「おや、仲がいい二人だね。 夫婦かい?」
「フフフ・・・」
「いえ、これは・・・」
「いいんだよ! 照れる事ないよ!」
やれやれ・・・。
「あっ、そうだ、お礼言うの忘れてたね。ありがとうよ・・・」
「どこか痛んだのか?」
「どうって事ないよ・・・こうして静かにしてればすぐに治っちまうからね」
「体は大切にした方がいい」
「ああ、そうだね」
そう頷いた彼女はまるで他人事のように笑った。
「すまなかったね。もう平気だから行ってくれよ」
やれやれ・・・。
どうやら、随分、気の強い女性のようだな。
しかし、さっきの様子を見る限りでは・・・。
「そんな調子で大丈夫な訳がないだろう」
「何だよ、余計なお世話はやめてくれよ・・・ア、アタシは帰るよ・・・」
「待ってくれ・・・。ちょっと協力してくれないか」
「・・・? 何だい?」
「・・・先生、ちょうどいい機会ですから今、調査している事について聞いてみてはどうです?」
「そうだな・・・」
「ちょっと聞きたいんだが・・・この辺りで妙な噂を耳にした事はないか? 最近になってホームレスの間で話題になってると聞いたんだが・・・」
「噂・・・? 一体、どんな噂だい?」
「詳しくはわからないが、何かホームレス達が怯えているという話なんだが」
「ああ、アイツの事かい」
「アイツ?」
「この辺りに出没する怪しい男の事さ・・・。アタシぁ見た事も会った事もないんだがね。ここ数日、急にこの辺りに出てくるようになったって噂だよ。何でも黒い服を着ていて、一人でホームレスを観察するようにジロジロ見ているそうだ」
「まさかとは思うが、俺達の事じゃないだろうな」
「・・・アンタ達の事なのかい?」
「・・・」
まずいぞ・・・。
このままだと俺が怪しい男になってしまう。
何か決定的に俺とは違うという事を証明しなくては・・・。
「確認したいんだが・・・。その男は一人だったよな?」
「ああ、いつも一人だって話だよ」
「それなら、俺達じゃないな。この数日は必ず二人で行動しているからな」
「あ、確かにそうだねぇ」
「・・・で、その男はどんな奴だ?」
「わからないよ。噂でしか聞かないからね。ただ仲間の話では、ホームレスの何人かがそいつにやられたって話だよ」
「やられた?」
「殺されちゃいないけどね。でも襲われて怪我をしたって話は聞くよ・・・。アンタ達には助けてもらったし、できれば協力したいけどさ・・・。アタシは見た事がないし、本当に知らないんだよ」
「急に妙な事を聞いてすまなかったな」
「いやぁ、アタシこそ役に立てなくてすまないね」
「いや、十分だ」
「それじゃあアタシは行くよ」
「・・・大丈夫か?」
「今は大丈夫だよ、本当に。ほら、アタシの顔をよく見とくれ」
・・・確かにさっきよりずっと顔色がいいな。
「アンタ達、心配してずっとついていてくれたんだね。ありがとう」
「いや・・・では、気を付けてな」
「ああ」
ホームレスの女性は俺達に手を振って北の方角へと去っていった。
「今は大丈夫のようですけれど、また悪くならないか心配ですね・・・」
「ああ・・・」
「・・・」
「この時間だともう調べても無駄のようだな。今日は調査を終了して、俺達も事務所に戻ろう」
「はい・・・。でも、どうして突然、中央公園でホームレスの方が襲われ始めたんでしょうか・・・」
「その目的はまだ不明だな」
「何だか嫌な予感がします・・・。早くその男が捕まるといいんですけれど・・・」
「ああ・・・」
・・・。
俺達は一日の調査を終えて、事務所に戻ってきた。
「あ、お帰りなさーい!」
まるで留守番させていた犬が主人を待ちかねるかのように、春菜が出迎えてくれる。
「今日の調査はどうでした? 何か新しい事がわかりました? 何か事件とか? あ、まさかもう解決しちゃったとか!?」
相当退屈していたのか、春菜は一気にまくし立てた。
とりあえず、うるさい春菜が落ち着くのを待った・・・。
「落ち着いたところで、今日の事を整理しておこう」
「よっ、待ってました名探偵!」
「・・・いいから黙ってろ」
「フフフ・・・」
「さっき、新宿中央公園でホームレスの女性に聞き込んでみたところ・・・。新宿中央公園では黒い服の怪しい男が出没しているようだ。
男の素性も目的もわかっていない。ただ、ホームレスを観察するように歩き回っているそうだ。とにかく気を付けた方がいいだろう」
「・・・で、先生。今後は・・・?」
「ああ、そうだな。まず、亜希の子供探しを優先的に行う。しかし、現状は熊さんの報告待ちになっている訳だが・・・」
「怪しい男はどうするんです?」
「確かに・・・ついでに調べておいた方がいいだろうな」
・・・。
「こんなところか・・・二人共ご苦労だった。今日はもう帰ってくれ」
「はーい。私はまた屋敷に戻らないと。面倒だなぁ、もう・・・」
「それでは、先生・・・お休みなさい」
「ああ、お休み」
・・・。
静かになった事務所から外の情景を眺めた・・・。
闇の空に光る星がいつも以上に輝いて見える。
・・・亜希の子供も、どこかでこの空を見上げているのだろうか・・・。
そう思いつつ、俺は酒を手にどこまでも広がる夜空を見つめた。
・・・。