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車輪の国、向日葵の少女【18】


・・・。




朝七時。


さちは向日葵畑で目を覚ました。

 


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「おはよっ!」


それまで青かった表情に赤みが差す。


「っく・・・!」


吐き気を催したのか、口元を押さえてうつむいた。


「だいじょうぶか?」


支えてやるが、だいじょうぶではなさそうだった。


せめて、しっかりとした睡眠が取れればまだ体調も回復しただろうに。


「はあっ・・・うぅ・・・ごっほ、ごほっ!」


背中をさすってやる。


どうやらさちは、季節の変わり目の嫌な風邪を患ってしまっているようだ。


「んっ・・・自業自得だよね、マジで・・・」


不規則な生活をしているから、余計に長引きそうだった。


「こんなときに風邪だなんて、馬鹿みたいじゃん」
「風邪薬飲んどけ」


水と一緒に、質のいい薬を飲ませた。

昨日は一睡もしていないから、眠気がきついだろうな。


「ありがとう、ホントに。

賢一がいなかったら、絶対めげてるよ」
「・・・おれはなにもしてないよ」
「夢に、出てきたよ」
「おれが?」
「あたしを助けるために、一生懸命洞窟の岩を砕いてた」
「そんなこともあったな」
「あのときさあ、賢一はあのおっかない人に殴られた傷が治りきってなかったじゃん?
なのに、あたしったら、自分のことばっかりで、無理やり洞窟に誘っちゃってさあ・・・」
「確かにお前はおれを誘った。

けれど、ついていくと決断したのはおれだ。
だから、そんなこといまさら気にするなよ」
「そうかな・・・そう言ってくれると、ちょっとは気が楽になるよ」


力なく笑う。


「元気系のくせに、疲れた顔見せてんじゃねえよっ!」
「はは・・・」
「まったく、貴様ら庶民は優しくするとすぐつけあがる。
いいかあ! おれはまだまだ貴様のその腐った性根を叩き直してやる気満々なんだからな。
人間ってのはなぁ、あんたも知っての通り、すぐには変われねえんだよ。
相場と同じで、伸びがよければ落ちも速いんだよ。
いまはいいさ。
まなのことがあって、いまは真剣になってるお前がいるよ。
でも、どうせしばらくしたらまたギャンブルの毎日に逆戻りするんだろうが」
「そ、そんなこと、絶対にない!」
「フンっ! お前の言うことなんて信じられるかよ。
なんでもするって言っておいて、けっきょくいままでだらだらしてたんだからな」
「う・・・っ・・・」
「わかったら、とっとと絵を描きやがれ。
風邪で熱があろうが、昨日一日寝てなくてきつかろうが、とにかくお前には絵を描くしか道はないんだよ」
「わかってる・・・」


さちの瞳に活気が宿った。


「お前の絵を盗作だとか馬鹿にしたやつらを見返してやるんだろ?」
「わかってる・・・」
「まなに・・・帰ってきてもらうんだろ?」
「わかってるって!」


さちは、拳を握り締めてキャンバスに向かった。


その背筋は凛としていて、足取りにも重みがあった。


「・・・・・・」


まったく、おれは、本当に偉そうなヤツだぜ。

 

 


・・・

 

・・・・・・


風が出ているため、暑さは昨日より和らいでいる。


けれど、日差しの照り返しは相変わらず傍若無人なまでに強い。


さちはときおり苦しそうに咳き込みながらも、そのたびに姿勢を正して絵と向かい合っていた。


意地というか、気迫のようなものが伝わってくる。


「も、森田さん・・・」
「あ、なっちゃん、いつの間に?」

 

 

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さちの背中に見とれていたためか、すぐそばに立っていた夏咲に気がつかなかった。


「え、えっと、さっちゃん、まだ絵を描いてるんですね」
「いま本気モードだよ」
「そ、そうみたいですね。声をかけるのをためらってしまいますね」
「どうしたの? いつもの散歩?」
「い、いえ、さっちゃんの様子を見に来たんです。
これ、差し入れです」


言いつつ、スーパーの袋を地面に置いた。


お茶のペットボトルのようだ。


「ありがとう。

よかったら、なっちゃんも後ろで見守ってやってくれないか?」
「えっ?」
「あいつ、寂しがり屋なんだ」
「は、はい・・・わかりました」


夏咲はおれからちょっと離れたところに腰を下ろした。


「ごめんね。なんか用事とかなかった?」
「あ、いえいえ。いつも暇してますから」
「夏休みの予定は?」
「特にないです」
「そう・・・」
「・・・・・・」


・・・・・・。


相変わらず会話が続かないが、おしゃべりをする気分でもなかった。


やがて、夏咲がぼそりとつぶやいた。


「すごいな、さっちゃん・・・」
「・・・・・・」
「・・・うらやましい。

がんばって・・・」

 

・・・・・・。


・・・。



太陽がちょうど頭上に昇ってきた。


夏咲はぼーっとすることもなく、食い入るようにさちを見つめていた。


「ちょっと、さちを休憩させようと思う」
「はい・・・。

少しは休まないとダメですね」


・・・



「・・・さち、十分くらい安め」


すると、さちは水差しに筆を入れた。

休むのかと思ったが、そのまましゃかしゃかと水をかき回し始めた。


「ちょっとは休まないと、逆に集中できないもんだぞ」
「・・・いい」
「さち・・・」
「時間がないから」


昨日さちが言っていたとおり、ぱっと見て絵はあまり進んでいないようだ。


「夏咲に、ありがとうって言っておいて」


・・・後ろにいることに、気づいていたか。


「わかった。 つらくなったら言えよ」


しまった、なんて失言を・・・。

つらいに決まってるじゃねえか。


「お茶、置いておくから・・・」
「ごめんね。

あんまりかんばしくないから、もうちょっときりのいいところまでやらせて」
「そこまで言うなら仕方がないな」

 

・・・・・・。

 

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・・・・・・。


・・・。

 

「さっちゃん、がんばりますね」
「無理しすぎなきゃいいんだかな」


とたんに不安になってきた。

がむしゃらになって描き続けても、いい結果が出るとは限らない。


「か、考え事ですか?」
「うん。 いつものリスク管理
「森田さんは、悩み事が多そうですね」
「そんなつもりはないんだけどね。

ついつい悪い方に頭が回るんだ。
例えば、さちが次の瞬間には倒れたりしないかと思うと気が気じゃないね」
「・・・な、なんだかわたしまで不安になってきました」


けれど、おれの見たところ、さちの精神力は並じゃなさそうだ。


簡単に潰れはしないだろう。


「なにか、わたしたちにできることはないですかね?」
「おれたちの仕事は、あいつが一番描きやすい状況を作ってやること」
「ぐ、具体的には・・・?」
「もう、ほとんどできることはないよ」


そのとき、さちが激しく咳き込んだ。


椅子の上で上体をよろめかせたが、すぐに持ち直して筆を握り締める。


「さっちゃん・・・」


夏咲は切羽詰った声を出した。


「い、いったい何が、さっちゃんをあそこまで駆り立てるんですか?
具合が悪いなら、後日改めて絵を描けばいいのに・・・」
「いろいろと事情があってね」
「それは、わかります。

あんなに真剣なさっちゃんは、見たことないですから」
「あんなに生き生きとしたさちを見るのも、初めてかな?」
「生き生きと・・・?」
「おれにはそう見えなくもない」
リスク管理を言う割には、意外と建設的な見方をするんですね」
「さっき、なっちゃんはうらやましいって漏らしてたよね」
「え、ええ・・・」
「おれもそう思う。
いま、さちは、後で思い返して、あのときがんばってよかったって思える時間を作っているんだ。
えてしてそういうひと時は、誰の力も借りれない、孤独な努力だったりする」


昔、とっつぁんからそんなことを教わった。


「おれたちにできることは、もう、ほとんどないんだ。
寂しいことに、ね」
「じゃあ、さっちゃんを、信じましょう」
「おれたちが信じようが信じまいが、あいつはやり遂げるだろうさ」
「こ、根拠は?」
「特にない」


すると、珍しく夏咲が口元をほころばせて言った。


「そういうのを、信じるっていうんじゃないんですか?」


夏の午後は過ぎていく。



・・・・・・。


・・・。


 

 

 

もうちょっときりのいいところまでやらせてと、さちは言ったが、一向にそのときは訪れなかった。


おれも夏咲も無言で、夏の熱気に身をやつしていた。


磯野と大音が口論をしながら現れたのは、三時を回って向日葵の影が砂利道まで伸びてきたころだった。

 

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「だから言っただろう、さちさんたちはここにいるって」
「くぅっ・・・川辺じゃなかったか」


「なにしに来たんだ?」

「お見舞いに来たんだよ」



「応援でしょっ」



「さちさんはお元気・・・っ!?
これは・・・。

軽口が叩ける雰囲気じゃなさそうだね」



さちの後姿を一目して、眉を吊り上げる磯野だった。



「磯野は邪魔する気満々だったんだよ」



確かに、磯野は葬祭用の花束を片手に掲げていた。



「さちさんには、向日葵こそふさわしいな」



昔を懐かしむような目をしていた。



「こ、こんにちはっ」



脇で小さくなっていた夏咲が小首を傾げた。



「みんなで集まるのは恩赦祭の時以来だね」



「大音はなんで来たんだ? さちが甘えるから近づくなと言っておいたはずだぜ?」
「ああ・・・忘れてた・・・。

でも、やっぱり友達だしね」
「そうか・・・」


「例の、まなさんは見つかったのかい?」
「ああ・・・法月のとっつぁんが保護してる」
「それは、リアクションに困るね。

それでよかったのかい?」


おれは首を振って否定した。


「さちは、いま、まなのために絵を描いてるんだ」


みんな一斉におれに顔を向けた。


「多くは説明しないが、とにかく、あいつには死ぬ気でがんばってもらっている」


「では、僕らも死ぬ気で応援するとしよう」
「なにかできることないかな?」


夏咲と同じようなことを言うな・・・。


「さ、さっちゃんが、寂しくないように見守ってあげましょう」


その提案に、一同は口を閉じた。

そろって、さちの後ろで絵の完成を待ちわびるのだった。

 


 ・・・・・・。

 

・・・。

 


 

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「さち、すごいね・・・」

「素敵だ」

「ですね・・・」


さちはこの長時間、一度として手を休めることがなかった。


おれたちの方を振り向くこともなく、気まぐれに後ろ髪を揺らす夏風に心を乱されることもなかった。


疲れや、睡眠不足、カゼのつらさにも負けていない。


全員が、そんなさちの奮闘に見惚れていた。


だから、さちが筆を置いて椅子から立ち上がったとき、おれたちはこぞって腰を上げてさちを迎えた。


「みんなして、どうしたの?」


やつれた顔で笑う。


「さちっ! 絵、できたの?」
「ううん。まだ・・・」


くやしそうに、頭を振った。


「正直に言うけど、今日はほとんど何もしてないようなもんなの」
「えっ・・・?」


「あ、あんなに集中してたのに?」
「・・・どうしても、いまいちしっくりこないんだよね」


そこで、また咳き込んだ。


「あ、でも、みんなありがとう」
「邪魔じゃなかったですか?」
「ぜんぜん。むしろ、やらなきゃって気持ちになった。
あたしって、根がダメダメだからさあ。

みんながいなかったらさぼってたかも」



「冗談でしょ?」
「いや、たくさん前科あるから。

絵を完成させるまでは、少なくとも、賢一とまなはあたしのこと許さないでしょ?」



「・・・許すとか許さないとかじゃないよ」
「・・・でも、許してほしいんだよ」


見つめ合う。


自分の弱さをさらけ出した、純粋な目をしていた。


「さあて、僕はそろそろ盲導犬のステファニーに餌をやらないと・・・」


「わたしも、そろそろ勉強しないとお母さんに怒られる」


「ああ、ごめんね。なんか雰囲気暗くしちゃって」
「ふっ」


磯野を含め、みんなが面食らったような顔になった。


「まさか、さちさんが、人に気を使うとはね」


「さち、あんまり無理しちゃダメだよ。熱でもあるんじゃない?」
「だから、熱あるんだってば」
「あ、そうか・・・」
「な、なによ・・・あたし、なんか変かな?」



「ううん。いいと思うよ、ね、日向さん」
「ええ・・・びっくりしました」


さちに、尊敬の眼差しが集中した。


「そろそろ七時だ」
「・・・うんっ」


気が抜けたのか、大きく息をついた。


「みんな、マジでありがとね・・・。

おかげで今日もサボらず絵を描けたよ」
「明日も来るねっ」

「わ、わたしも・・・」

「僕も来るよ。それじゃあ、さようなら」


「またな」

 

・・・・・・。



三人とも、笑顔で去っていった。

 

「賢一も、たまには休んだら?」
「おれは毎日がっつり寝ているよ」
「ウソ。

夜通しあたしの手を握ってくれてたんでしょ?」
「・・・なんで知ってるんだ?」
「あ、やっぱ当たった? そんな予感がしたんだよ」
「おれなんかより、自分の体調を整えることを考えるんだな」
「そうだね。 明日には治っていてくれることを祈るよ」

 

さちは、クスリを手のひらにのせて見つめた。

 

「まったく、時間の無駄だよ。
やりたいことがあるときって、本当に時間が惜しく感じるものだね。
・・・まあ、全部あたしのせいか」


気だるげな動作でクスリを口に運んだ。


「んっ・・・ごほっ、ごほっ」

 

とたんに震えだす。


明日になってもきつそうだったら、少しは休ませないとまずいな。


クスリを飲んでも眠気が取れない以上、もう二日も寝てないことになるんだから。

 

「はあっ・・・ふうっ・・・。
こういうときに、誰かがそばにいてくれると、落ち着くよね」
「・・・・・・」
「今日も、手、握っててよ」


さちの頬が朱に染まる。


「それくらい、甘えてもいいかな?」


手を差し伸べてやると、さちは安心したように瞳を閉じた。


さちの身体をそっと地面に横たわらせてやった。


画材道具を片付けると、さちを背負って家路についた。

 

 

・・・・・・


・・・

 


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「うぅ・・・」

 

またうなされている。


寒気も取れないようで、首までかかった布団の中で小刻みに震え、身をよじらせていた。


ジュラルミンケースの中にあった抗生物質を注射してみたものの、あまり効果がないようだった。


ひょっとしたら、さちのクスリとの兼ね合いが悪いのかもしれない。


「・・・まな・・・っ・・・」


うわごとで、その名前を何度呼んだことだろう。


まな、絵ができたよ。


まな、どうかな?


まな、この絵、どうかな?


どうかな、下手かな、ごめんね・・・。


夢の中では、どうしてもまなに認められないようだ。


「・・・・・・」


それから、全身をタオルで拭いてやった。


そっと手を握る。


少し肉が落ちたように思える。


「せめて、睡眠を取れるだけの時間があればな・・・。
一日十二時間か・・・。

真剣になにかを打ち込んでいる人間にとっては少なすぎる」


けれど、さちもようやく時間の大切さを身をもって理解し始めたようだ。


絵が完成したら、すぐにでもさちの義務が解消されるように申請書を整えておこう。


やたら長いレポートを提出しなきゃいけない。


お互い、徹夜だな。


・・・。


「んっ・・・ご、ごめん・・・」


枕元で、さちの手を握りながら書類を作成していった。


いつの間にか外から虫の音が消えていた。


集中していたから耳に入らなくなったのだと思っていた。

 

 

 ・・・・・・。

 

・・・。

 



「今日は、絵は描かない?」


電話越しの大音の声は眠そうだった。


「ああ、みんなにも伝えておいてくれ。委員長だろ?」


そうして、電話を置いた。

 

・・・・・・。


まったく、移ろいやすい天気だ。


大粒の雨が、窓ガラスを殴りつけていた。


窓越しから空を見上げると、灰色の分厚い雲がうかがえた。


朝七時、今日を入れて残り二日だというのに、いつもより暗い朝が始まった。

 

 

「む・・・うぅっ・・・」

 

 

さちがベッドから身を起こす。

 

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「う、ごほっ、ごほごほっ!」
「さち・・・」


肩を支えて背中をさすってやる。


「ああ・・・おはよっ」
「立てるか?」
「もちろん・・・あっ・・・」


ぐらり・・・。


「あっ、馬鹿! 無理しやがって!」


昨日ずっとそばについていたからわかる。


さちの具合は思わしくない。


「頭、ぐらぐらするか?」
「んんっ・・・なんだか賢一の声が賢一じゃないような気も・・・」


かなり熱がある。


「って、あれ?」
「なんだ?」
「あたし、どうして部屋にいるの?」


うらむような視線を向けられた。


「外は、大雨だ。

それにお前の体調もいい加減やばい」
「休めってこと?」
「ああ・・・」
「悪いけど、そんな暇ない」


そう言って、画材道具の入ったカバンを手に取った。


その手におれの手を重ねる。


「待てって、雨が降ってるんだぞ?

紙が濡れて色が変わっちまうじゃねえか?」
「それもそうか・・・」


苦々しくため息をついた。


「じゃあせめて、もう少し向日葵を眺めてイメージを固めてくる」


どいてと、短く言った。


言葉の端々に、熱い吐息が混じっている。


「少し寝たほうがいい」
「・・・だ、ダメだって。

休んでる時間なんてないのっ」


以前、雨が降ったときと、まったく立場が逆転していた。


「・・・はあっ・・・はあっ・・・。
うっ・・・こっから先は閃きが必要だから、少しでも風景に触れていたいのっ」
「でも、お前は晴れた日の向日葵を描いているんじゃないのか?」
「雨に打たれる向日葵を見れば、何か閃くかもしれないじゃん」
「雨に打たれるのはお前の体だ。

どんだけ熱があると思ってるんだ?」
「いや、あたしとしてはたいしたことないから」
「・・・・・・」


説得するしかない。


「さち、お前はすごい。
ちょっと前までとはまるで別人だよ。
ただ、今日ばっかりは状況が悪すぎる。
はたから見てて、限界が近いと思う。

倒れちまったら、元も子もないだろ?
少しだけ、そう、三時間くらい寝て雨が弱まるのを待とう。
それが一番賢い」


ゆっくりと、さちの目を見ながら身振りを交えて説明をした。


「・・・賢一」
「うっ・・・!」


少女の瞳を見て、自分があまりにも矮小な話術を披露したことに気づかされた。


「ごめんねっ、苦労かけて」


笑うのだった。


「心配かけて、ごめんねっ」
「な、なぜ謝る?」


たじろいでしまった。


「よくわかんないけど、賢一は、優しいなぁって。
あたしみたいなのにかまってくれて、うれしいなぁって。
なんか、あったかいなぁって、よくわかんないこと感じるの」
「感じる・・・?」
「はは・・・。

頭ぼうっとしてるヤツの、たわごとだと思ってよ」


覚束ない足取りで、戸口へ向かうのだった。


おれの助けを求めようともしない。


小賢しい理屈の説明に耳を貸そうともしない。


「行ってくるねっ。

賢一こそ、昨日も寝てないんだから、休んでなよ。
いろいろ言ってくれてありがとうね。

でも、さ・・・。

なんだかんだ言って、けっきょくさあ・・・。
あたし、絵描くのが好きだからっ」


おれはただ、呆然とその笑顔を見詰めるだけだった。


おれは、過去に特別高等人として様々な訓練を積んだ。


心理学や人を管理するための知識、人の心を動かすテクニック。


だから、こんな田舎町で暮らす少女の一人や二人、簡単に監督できると思っていたのかもしれない。


さちがおれをなめているんじゃない。

おれが、さちを甘く見ていたのだ。


幼いころに誉れの高い絵画の賞を取り、内乱で両親を亡くし、一人で生計を立ててきた人間を、その精神を、軽んじていたのだ。


待て、さち・・・」


改めて、接しなければならない。


「なあに? 顔洗ってないんだから、あんま見ないでよ」
「・・・行こう」
「えっ・・・?」
「おぶってやる。 その間だけでも寝てろ」

 

 

・・・・・・


・・・




雨空の下、向日葵たちはされるがままに水を浴びていた。

 

「賢一、ありがとっ」

 

・・・。


傘を差して、二人で狭い空間に身を寄せ合いながら向日葵畑を見つめる。


「・・・っ」
「・・・・・・」
「ふうっ・・・」

 

横顔を覗いてみる。

 

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・・・。


やつれた頬の上に、ぎらぎらと輝く瞳があった。


ときおり左右に動き、目をつむり、また何かを捉えるために一点に集中する。


さちの頭の中で描かれる風景が、どんなものなのか、おれには想像もできない。


「・・・はあっ、ごっほごほっ!」


咳き込んでも、視線を外そうとしない。


「あー、なるほどね・・・」
「ん?」
「そっか・・・ふふっ・・・」
「なにか掴めたのか?」
「うんっ。

このままじゃダメだってことがわかった」
「というと・・・?」
「何かがね、足りないっぽいよ・・・」
「・・・そうか」


さちの抽象的な言葉に相槌を打って、話を聞いてやる。


「赤、青・・・黄色・・・向日葵・・・。
なんだろう、わからない・・・」
「うん・・・?」
「・・・ごっほ、ごほっ」
「大丈夫か?」
「んっ・・・焦らない焦らないっと」
「・・・はは」
「うーん・・・」
「なあ、さち。

素人意見で申し訳ないんだが・・・」


恐縮する。


「今回の絵のタイトルって決まってるのか?」


その瞬間だった。


「あっ――――!」
「な、なんだどうした?」
「決めてなかったよ、はははっ・・・。
テーマも決めずに描いてた。

だからかぁ・・・」


くすくすと笑いながら、身をよじらせた。


「危なかったよ。このまま描いてたら、いつまでたっても完成しなかったと思う」
「そうなのか・・・?」
「いや、あたしさ、昔と同じ構図で描いてるって言ったじゃん?」
「うん」
「リベンジのつもりだったんだけどさ、それって間違ってたわけだよ」
「どういうことかな?

おれみたいな愚民にもわかるように説明してくれ」
「つまりね、ガキのころの自分と闘ってもしょうがないってこと」
「・・・・・・」
「技術は完全に衰えてるし、感性も変わってるのに、どうして同じような絵を描けるっていうのよ」
「ほお・・・」
「あー、やっちゃった。

なんかずれていくなって思ってたんだよね」
「どうするんだ?」
「考え方そのものがずれてたのよ。

賞を取ろうとしてどうするのよ」
「・・・そうか、なんとなくわかってきたよ」
「子供のころの恐れを知らない感性があればまだしも、だらだらしてたあたしがいまさらご立派な絵を描こうだなんて、そりゃ無理な話よ」
「でも、過去のお前にはなくて、いまのお前が持っているモノがある・・・」
「そうっ! まながいるじゃん!
まなに帰ってきてもらうために、絵を描いてるわけじゃん!」


澄んだ瞳に、張りのある声。


「タイトルは、『まな』で決定!」


金も名誉も望まない、純朴な想いのつまった水彩画。


「はは・・・雨の中、景色を見に来てよかったな」
「うんうん。 さっそく帰って描き直すよ」
「もう、いいのか?」
「あとは、だいたい頭の中の作業だよ。
もちろん、景色を見ながらの方がいいけど、雨じゃしょうがないしね。
昨日まで描いてた絵を見ながら、また一から描き直すよ」
「ま、間に合うのか?
描き足すってことはできないのか?」
「色は、塗る順番が決まっててさ、下手にやり直したりすると余計に時間がかかったり、完成度が落ちたりするのよ。
大丈夫、あたし、下絵を描くのは早いから、きっと一日でも描ききれると思う」
「そっか・・・。

だから、一日で描くとか言い張ってたんだな」
「そそ、やる気の問題ね。

あとはいいモチーフに恵まれるかどうか」

「わかった。任せるよ」
「うんっ」


さちは満足した様子で指を鳴らした。


底なしの活力には、風邪の菌も逃げ出すしかなさそうだ。

 

 

・・・・・・


・・・




さちを背負って部屋まで帰ってきた。


すぐに目を覚ますさち。


「おい、なにか食べた方がいいぞ」
「・・・んっ」

 

洞窟探検に持っていった栄養保存食を、目の前に掲げてみせる。

 

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「ありがとっ。

ついでに、あの超まずいジュースも飲ませてよ」
「本気か?」
「ふふっ、いまならゴキブリだって食べてみせるさ」


不敵に笑って、携帯食の袋を開けてかじりついた。


食欲なんてまったく無いはずなのに。


「この部屋で絵を描くのか? だったら片付けるが」


さちはモグモグしながら、『廊下で』と言った。


「準備をしておくな」

 

・・・・・・。


椅子を置いて、イーゼルを起こした。


しばらくすると、さちが昨日まで描いていた絵を持って姿を見せた。


「その絵はどうするんだ?」
「基本的な構図はこのままだから、途中までは模写しようと思ってね」
「そうか、あとはほとんど想像で描くんだな」
「まなをね、画面の中央にのっけてやろうと思ってさ

「それは、いい感じだな。イメージもしやすいだろうし」
「でしょ?

・・・っく!」

 

・・・突如、腹を押さえるさち。

 

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「お、おい・・・?」
「い、いや、平気。

なんかさっき食べたのがお腹にきたみたいだね・・・。
吐いたら、余計疲れるしね」

 

歯を食いしばった後、大きく深呼吸していた。

 

「それじゃ、いっちょやりますか」

 

椅子に腰を下ろし、筆を握るさちだった。

 

 

・・・・・・。


・・・。



その後は、静かにさちを見守った。


鉛筆のカリカリという音が、雨音を裂くように廊下に響いていた。


他の寮生が部屋から顔を出すこともなく、さちの集中力を妨げるものは何もない。


「・・・はあっ・・・んっ」


ただ、ここ数日ほとんど眠らずに、極度の集中を要する作業に没頭するさちには、正直不安を隠せない。


どれだけ前向きな気持ちがあったとしても、人間には体力の限界というものがある。


長引く風邪も、さちの体力を十分に蝕んでいる。


物理的に不可能と、よくビジネスマンが言い訳するが、この状況にこそ相応しいフレーズだ。


しかし、さちの気持ちはさちにしかわからない。


どれだけ重い体をひきずっているのか、健康なおれにはわからない。


「んっ・・・はあっ・・・」


描写を開始してから、二時間ほどで、さちは絵の具を使い始めた。


新品のパレットの上で、色を調整していく。


そのときだった。



「あっ・・・!」



それから起こったことの詳細をよく覚えていない。


廊下を蹴ったこと。


さちの苦しそうな顔を覗き込んだこと。


ぶちまけられた絵の具のこと。


我に返ったとき、おれは必死にさちの名を呼び続けていた。


「・・・んっ・・・うぅ・・・」


壁に背を当てて横座りになっていた。


「さち、しっかりしろ!」
「はあっ・・・んっ・・・」


震えている。


「あっ、くっ、いたたたた・・・。

う、腕が、なんか・・・つぅ・・・!」
「どういうふうに痛むんだ?」


とっさにさっきまで絵を握っていた右腕を取る。


「い、いや、なんかビキビキって・・・」
「つったみたいだな」


触ってみると二の腕の筋肉が固くなっていた。


さっきの雨で冷えていた体を、休むことなく動かしたからだろう。


「はあっ、はあっ・・・はあっ・・・。
っぐ、いや、マジで・・・っ・・・いきなり酷使しちゃったからねー。
・・・く、くぅぅ・・・くっそ・・・」


泣く気はないのに、涙が出ていた。


「深呼吸して」
「はあっ・・・はあっ・・・」


伸縮した筋肉を温めるようにマッサージをしてやる。


「んっ・・・はあっ、はあっ・・・。

はあっ・・・」


脂汗を額に滲ませていた。


「痛みはすぐに引くから、安心しろ」
「はあっ、うん、だんだん楽になってきた」
「ちょっと待ってろ。 お湯につけるから」

 

・・・・・・。



「け、賢一は物知りだねぇ」
「もう、痛くないか?」


風呂桶にお湯を張って、そこにさちの腕を沈めた。


「うんっ。

さっきはマジで目の前に星が見えたけどね」
「しばらくは、動かしたらダメだ」
「え?」
「そんな目で見ないでくれ。
どれだけお前に才能と実力と意志があっても、身体が追いついていかないんじゃ無理だ」
「し、しばらくって、どれくらい?」
「少なくとも今日一日は、やめておいたほうがいい」
「そ、そんな・・・間に合わないよ」
「さち、頼む。

肉離れでも起こしたら、本気でまずい」
「うぅっ・・・でも、でもぉっ!」


さちの表情から余裕が消えた。


「今日中に、せめて大まかな部分だけでも塗っちゃわないと、明日の十二時間だけじゃ・・・」
「すまないが・・・」
「なっ、そ、そんなふうに頭を下げられたら・・・」
「ごめん」
「・・・っ!」


誠意を持って、さちの熱意に水を差す。


「はあっ・・・わかったよ。
全部、あたしのせいだもんね。
いままで少しずつ描いていれば、こんなことにならなかったんだもんね」
「・・・・・・」
「だから、明日でやるしかないね。

ごめん。心配かけて。
前、雨が降ったときさ、あたしすごい不機嫌だったじゃん?」
「うん・・・?」
「体調がマジで悪くてさ、眠くてさ、なんか八つ当たりしないと気がすまなかったっていうか、どうかしてたと思う」
「いまのお前は、そのときよりもっとひどい状況なのに、ものすごく柔らかい」
「・・・いや、ぜんぜんダメだよ。
そもそも、本当のプロはこういうときに身体壊したりしないもん。
ゴールを決めるまで骨折に気づかないサッカー選手とか、ツアー中に風邪をひかないミュージシャンとか・・・」


それは、ごく一部の美談を持ってきているだけだ。


実際に故障で仕事をしていないプロがどれくらいいると・・・?


そう思ったけれど、口には出さなかった。


「あたし、天才とか呼ばれたことあるけど、ぜんぜんそんなことない。
―――弱いっ!」


吐き捨てるように言った。


「あたしは、弱いっ・・・!」


故障した右腕を左手で恨みを込めるように強く鷲づかみにしている。


「・・・だから、やらなきゃっ・・・!」
「明日に備えて、今日は七時まで寝よう・・・」
「・・・くっ・・・」


絵を一瞥した。


「うぅぅ・・・」


未だに、色ががついていない。


「ごめんね・・・」

 

次の瞬間にさちが漏らした言葉は、絵のタイトルだった。

 

・・・・・・。



「はあっ・・・ふう・・・」


なかなか寝付けない様子のさち。


布団の中で、何度も寝返りを打っている。


くやしくてしかたがないのだろう。


「賢一・・・」
「眠れよ」
「うん・・・なんか、興奮しちゃって。
すごい眠いはずなのに、眠れないときってあるでしょ、そんな感じ」
「・・・何も考えずに、目を閉じろ」
「・・・ねえ、賢一」


寝てろってのに・・・。


「・・・明日で、ひょっとして、賢一ともお別れなのかな?」
「別れ・・・というか・・・」
「なんかたくさん、書類あるよ」
「絵が完成したら、お前のいままでの行動を記録した文章を上奏して、義務の解消を申請しようと思っている」
「あたし、そんなにがんばってないよ」
「いや、一枚の絵で莫大な金額を稼ぐんだ。
さちに時間を与えた方がもっと社会に金が回るとお偉方が判断すれば、義務の解消は十分にありえるよ」
「あたし、まただらだらし始めるかもよ?」
「・・・・・・」
「またネットカジノにはまって、寂しさを紛らわすために誰かと暮らして、強引に洞窟探検に誘ったり・・・」
「さち、そんなに自分の悪口をいうなよ」
「でも、賢一の言う通り、あたしって根がさぼり屋だからさ。
いまはいいけど、絵を描いてまたちょっと慣れてきたときに、いまと同じ気持ちでいられるかどうか・・・」


お前ならそんなことはない、と言い切ってやりたかった。


けれど、名声や財産を手に入れたが最後、初心を忘れたのか、あっさりと転落していく経営者をおれは何人か見てきた。


だから、励ましの嘘はつけなかった。


嘘つきのくせに、こういうときだけ現実的なおれは、まったくもって嫌な野郎だな。


「賢一は、あたしの監督が終わったら、次は灯花とか夏咲の面倒を見るんでしょ?」
「ああ、しばらくはこの町にいるから。
時間を作って様子を見に来るよ」
「本当は、ずっとあたしのそばで、あたしのマネージャーをして欲しいんだけどね」
「まあ、すぐに完全に義務が解消されるわけじゃないから。
SF小説でいう、執行猶予みたいな仮の解消期間があるから。
その間は、ちょくちょくおれと顔を合わす羽目になるよ」
「そっかぁ・・・世話になるね」
「おい、寝てろって・・・」
「うん。すぐ寝るから」


じっとおれの顔を覗き込むように見ている。


「賢一を、無理やり部屋に誘ってよかったよ」
「そうか。

おれも宿があって助かった。
誘われるがままに部屋に泊まるなんて非常識だったがな」
「ふふっ・・・。

タバコ、やめたほうがいいよ・・・」
「部屋で吸うなんて、うっかりしすぎてたな」
モリケンブームも、もう終わりだね」
「正直に言わせてもらうが、お前はちょっとブームを取り違えてるぞ」
「そんなことないって、賢一が遅れてるだけだよ」


笑うしかない。


「洞窟探検、やばかったけど、楽しかったよ」
「お前の運動神経には感心したよ」
「溝にはまったときさ、マジで賢一を疑ったよ」
「ククク。

ちょっとびびらせてやろうと思ったんだ」
「いや、あれはあたしが、勝手に先に進んだせいだしね。
ごめんね、わがままし放題で・・・」
「それがお前のウリだよ」
「テンション高いかな?」
「いまは、おとなしいな」
「はしゃいでいられる状況じゃないしね・・・」


そこで、軽く咳き込んだ。


「わがままついでに、もう一個だけ最後のわがまましていいかな?」
「・・・なんだぁ?」
「いや、みんなには悪いんだけどさ」
「みんな?」
「うん・・・。 明日は、賢一がいいの」
「えっ?」
「いや、だから・・・。

あたしって、マジで賢一が好きだからさぁ・・・明日は、二人きりがいいなぁって・・・」
「い、いきなり恥ずかしいこと言うなよ」
「いいじゃんっ。

これからずっとデートとかできなさそうだし」
「ふ、不謹慎なっ! 明日がどれだけ重要な日か、お前が一番よくわかっているはずだろ?」
「そんなの知ってるって、ただ、賢一が、賢一だけがあたしを見てくれてるって状況だけがアガるの」
「・・・っ!?」


鏡を見なくても、自分の顔が耳まで赤くなっていることがわかる。


「お願いっ・・・あたしのこと、好きなんでしょ?」
「あ、ああ・・・」
「みんなにも、一日中あんなくそ暑い場所にいさせるのも悪いしね。
夏咲は暑さで倒れたこともあるみたいだし、灯花もお母さんに言われてる用事がたくさんあるだろうし」
「・・・わかったよ。電話しておく」


恥ずかしいな。


「包み隠さず、さちが二人きりがいいって言ったからって伝えてね。
なんか後ろめたいから」
「お、おう・・・」

 

・・・。


微妙に言い回しを考えないとな。


 

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「それじゃあ、また明日ね」
「がんばれよ・・・」
「ありがとう。いままでありがとう・・・。
ずっとそばにいてくれて。
見捨てないでいてくれて。
まだ絵は完成していないけど、あたし、絵が完成した瞬間にぶっ倒れそうだから、先に言っておくね」


すっと胸を張った。


「本当に、お世話になりました」


澄み切った青空のような笑顔で、深々と頭を下げた

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


そうして、さちは短い眠りについた。


一日が十二時間しかない少女の最後の挨拶は、まるで囚人が出所するときの台詞のようだ。


けれど、さちに、罪人とか囚人という言葉は似つかわしくない。


怠惰が犯罪になる社会に行き過ぎを感じながら、おれはそっとさちの枕元にたった。

 

「何もしてやれなくて、ごめんね。
明日で、お前は自由だ。
必ず、自由になれるよ」

 

いつもの独り言をつぶやいて、さちのやつれた手を握った。


雨音が、静かに遠のいていった。



・・・。