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車輪の国、向日葵の少女【19】

 

・・・。


 

前日の雨はどこへやら。


その日は、異常なまでの快晴が予測された。


天高くそびえる山の向こうが白み、ついで鮮やかな黄金色の朝焼けを見せたかと思うと、あっという間に濃い青色の夏空となった。


さちにとって最も重要な一日の朝がやってきた。


午前七時。


相変わらず日差しは重々しい。


向日葵たちも、体から雨の残り水を落としていた。


湿っていた土の匂いもすぐに乾いて、やがて辺りは草花の香りに包まれるだろう。

 

「いい、朝だねえ」

 

目を覚ますと、開口一番に大きく伸びをした。

疲れによるのか、顔の筋肉にたるみが見えるが、動作や声色には活力があった。

すでに、さちが絵を描くための準備は整えてある。


「よぉし、今日という今日はびりっとがんばるよーっ!」


軽く地面を蹴って、キャンバスに向かった。


「・・・・・・」


あとはただ、待つだけだ。


その場で腕を組んで、少女の背中を祈るように見守る。

 

・・・・・・。


 

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午前九時。


昨日の続きなのか、さちは画面全体に鉛筆を走らせていた。


ときおり、下に置いた一昨日まで描いていた絵にちらちらと視線を落としている。


「はあっ・・・ごっほ、ごほっ」


たんが絡むような咳を何度も繰り返す。


けれど、筆を持った右腕だけは、決してぶれることはなかった。

 

・・・・・・。



午前十一時。


向日葵畑に熱気が立ち込めてきた。


「さち、食事を取るか?」
「・・・・・・」


小さく首を振るだけだった。


吊りあがった眉。


火照った頬。


額に玉のようにうかぶ汗。


「・・・っ・・・ふうっ・・・」


さちは焦っている。


昨日の時点で、大まかな塗りは終わらせておきたいと、さちは言っていた。


とにかく、時間がないのだろう。


絵を見ると、影の濃い部分や遠くの山々には色が入っているものの、全体的に見ると手付かずの白が目立った。


地面に置いてあった水差しから、さちが筆を引き抜くと、水滴が陽光にきらめいた。


「・・・まなっ・・・」


不安を払拭するかのように、絵筆を紙に力強く押し付けた。

 

・・・・・・。



午後一時。


携帯電話が鳴った。


さちの集中力が乱れるのではないかと思ったが、杞憂に終わった。



「森田です」


―――完成するのか?


法月将臣はそう言った。


「まだ、時間はあります」


法月は、午後八時ちょうどに、まなを連れてここにやってくると、簡潔に告げた。


その時点で絵ができていなければ、そのまま、まなを町の外へ連行すると。


「入金は、明日の九時でしょう?」
「お前がその気になれば、中途半端な駄作を買い取ることもできるのだったな?」
「いえ、そんな真似はできません。
それは、さちやまなに対して失礼ですから」
「三ツ廣は、妹のように可愛がっていた少女のために絵を描いているのだろう?」
「ええ、そうです。

仮に、完成した絵にまなが不満を抱くようなら、私は絵を買い取りません」


法月が、珍しく感嘆の吐息をもらした。


「実に、楽しみだ」


そうして、電話は切れた。


電話ついでに、金の準備ができているかどうかの確認をした。


お世話になってた銀行の頭取から、例え夜中であろうとも、指定口座に金を振り込むと頼もしい回答を得られた。


さちの絵を買えば、おれはすぐに現金化できるほとんど全ての財産を失うことになる。


まあ、そういうのもいいだろう。


高い買い物ではない。


懸命に筆を取るさちの後姿を見て、そう確信している。

 

・・・・・・。



午後三時。


日中の暑さが最高潮に達し、遠く道の先がぐにゃりと歪んで見える。


「はあっ・・・ふうっ・・・」


さちが、タオルを求めて、一度絵の前を離れた。


「はあっ・・・やばいかも・・・っ」
「・・・・・・」


顔をぬぐいながら、つらそうに目を何度も瞬かせていた。

 

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「あと、四時間か・・・。
もう少し画面を引き締めてから・・・水性ペン・・・いや、とっととまなを描かないと・・・全体のコントラストも・・・」


どうやら、画面の中央にまなの姿を描き入れるつもりらしい。


「太陽が夕陽になる前に、色合いだけは決めちゃわないと・・・」


迷っている。


絵が完成しなければ、まなが戻ってこないのだ。


「いまのうちに、風景を正確に捉えなきゃいけないような部分は描いておいた方がいいんだろうな」
「うん、やってる。

それはそろそろ終わるよ。
問題は、まな。
こんなときに、いまひとつあの子のイメージが固まらないの。
ずっと、一緒に暮らしてたのに。
いっつもニコニコして、あたしにかまってくれてたのに。
はあっ・・・つまり、あたしの中のまなのイメージなんてその程度のものなのかって・・・。

そんなふうに、軽くまなを意識していたのかって・・・」
「さち!」
「えっ・・・?」
「考えすぎだ、黙って筆を動かせ。
まなのことをどうでもいいと思っているのなら、どうしてお前はそんなに悲しそうな顔をしてるんだ?
どうしていま、眠いのに寝ないんだ?
きついのに休まないんだ?
お前の内心なんて知らないが、体は立派なお姉ちゃんの行動をしているよ」


さちの眼の中に、おれが映っていた。


「・・・ありがと」


再びおれに背を向けた。


・・・三時か。


まだまだ、時間はある。

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 



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午後五時。


血のように赤い夕陽が空を焼いていた。

さちの右腕は休まることがない。

さきほどちらりと覗いた限りでは、すでに絵は想像の領域に入っているようだった。

ときおり夕空を眺めていたかと思うと、青っぽい絵の具でキャンバスに筆を走らせていた。

青や赤の向日葵もあり、大きく伸びた葉が、まるで手が生えているように見える。

さちは、すでに色のついた箇所に、何度も何度も別の色を重ねて塗っていた。

にもかかわらず、まったく濁ることなく深みのある色を作り出せるのが、素直にすごいと思った。


「はあっ・・・」


一度、大きなため息をついた。

首ががっくりとうなだれる。


「さち・・・?」
「・・・だ、大丈夫・・・」


か細い返事。


「・・・っく・・・やらなきゃっ・・・!」


自分を叱咤して、背筋を伸ばした。

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。




午後六時を過ぎて、さちの様子に明らかな変化が訪れた。


「うぅ・・・はあっ、やばいっ!」


呼吸は荒々しく、地面に小突いた足先に落ち着きがない。


「このままじゃ・・・」
「・・・・・・」
「はあっ・・・はあっ・・・。
く、くそぉ・・・。

これも全部、あたしがいままで時間を無駄にしてきたからだ。
最初の期限は十日もあったのに・・・。

十日もあれば、余裕でもっとすごい絵が描けるのに・・・」
「・・・間に合わないのか?」
「・・・っ!?」


いまさらおれがそばにいることに気づいたらしい。


「いや、やってみるよ。

やってみるよ、やってみるけどぉっ・・・!」

 


・・・・・・。



絵を見て、愕然とした。


中央の、おそらくまなの肖像が入る部分がほとんど真っ白だったのだ。


その視線に気づいたのか、さちが言った。


「ほかは、ほとんど終わってるんだけど。
どうしてもそこだけ描き進められないの・・・。
まな・・・。
まなに会いたい・・・一目だけでも・・・」


パレットから絵の具を拾いながら、祈るようにつぶやいていた。


「このまま・・・このまま、もう二度と会えないだなんて。
あたしのせいで、まなが外国に連れて行かれるだなんて・・・。
あたし、これからどの面下げて生きていけば・・・」


それまでどんなに咳き込もうとも、精密に動いていた筆先が震え始めた。


「六時半だ」
「あ、あと三十分・・・!?」
「できるか?」


三十分で、例の空白を描ききれるのだろうか?


・・・。


そのとき、さちが勢いよく立ち上がった。

 

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「賢一っ!」
「うん・・・?」
「賢一・・・あたしっ・・・あんたに・・・」
「どうした?

おれとしゃべってる時間なんてないだろ?」
「そうだけど、そうなんだけどぉ・・・!
どうしても・・・どうしても、頼みたいことがあるの・・・!」


おれは息をひそめた。


「あたし、どうなってもいいからっ!」


鬼気迫る表情。


強制収容所でもなんでも、連れて行ってくれてかまわないから!」

 

本気らしいな。


だが、さちのように監督が簡単な義務すら守らせれなかったのならば、おれの特別高等人としての人生も終わりだろう。

 

「お願いだから・・・っ!
あ、あたしの・・・じ・・・」


その先を言うのだろうか。


時間を増やしてと、懇願するのだろうか。


「・・・っく!」


けれど、下がりかけた頭が妙な角度で止まった。


ゆっくりと面を上げる。


「なんだ・・・?」
「・・・違う」
「え?」
「それは、大きな間違い。
賢一に助けてもらおうだなんて、自分が怠けてた尻拭いをしてもらおうだなんて・・・。
危なかった。
まなだけじゃなくて、賢一にまで迷惑かけるところだった」
「・・・そうか」


よく、こらえた。


自己中心的なさちが、誰にも頼らずに、一人ですべてを背負おうとしている。


「がんばれっ!」


気づいたときには、そう叫んでいた。

 

 

だが・・・。

 



・・・・・・。

 

・・・。

 

 


画面の中央の部分。


まなのバストアップ。


そこだけが、あからさまに塗りが浅かった。


素人目にもわかる。


絵は完成していない。


「あ・・・あ・・・え?」


呆然と口を開けて、おれの顔と景色と自分の絵を順番に見ていた。


「え・・・も、もう・・・?
もう、三十分たったの?
う、ウソォっ!?

だ、だって、さっき描きはじめたばっかり・・・。
そ、そんな・・・やだよ・・・」


焦点の定まらない瞳で、未完の絵を眺めていた。


わななく唇から、いまにも寄声を発せられそうだった。


「こんな、こんなことって・・・!」

 

・・・。


そうして、時計の針が七時を差した。

 




・・・・・・。


・・・。



午後八時ちょうど、時間ぴったりに法月将臣が現れた。


左足をひきずりながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


すぐ後ろにいる小さな影。


異民の少女。

 

・・・ 。



「賢一ーっ」



ぱたぱたと走る。


相変わらず、そそっかしそうな足取り。


「まな、久しぶりだな。 元気だったか?」
「うんっ。

なんにもしなくても、毎日ご飯出てきて楽チンだったよ」


とっつぁんの丁重なおもてなしを受けていたらしい。


「あれ・・・?」


ふと、まなが道端に目をやった。

 

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・・・。


「現状の詳細な報告を」


あごを上げて、おれを見下ろした。


「報告・・・といいますと? 現状は見ての通りですが?」


すると、いまにもおれを殺しそうな目つきで言った。


「どういうことだ?」


「・・・どうしてぇ?」



「現在は、午後八時を回っているな?」
「・・・それがなにか?」
「どうして、三ツ廣さちが・・・」
「・・・・・・」

 

 ・・・。





「罪を許されているのだ?」

 

 

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「お姉ちゃん・・・!」

 

午後八時。


すっかり陽の暮れた向日葵畑の中で、さちは未だに筆を取っていた。


「活動を許可したのは私です」
「それはつまり、職務怠慢ということか?」


種はわかっているのに、わざわざ問い詰めてくる。


「怠慢ではありません。
先日、私は特別指導の名の下に、さちの一日を十時間にしたり、八時間にしたりしていました。
けれど、それは法典の内容に触れる越権行為だとご指摘いただきましたので、彼女の基本的人権を考慮し、勝手に奪った時間を後日に充当した次第です。
少女の一日を十二時間として考えると、ちょうど合計で十二時間の補填が必要でした」
「小賢しい・・・!」
「・・・っ!」
「始めから、そのつもりだったのだろう?」
「とんでもない・・・」
「お前は、三ツ廣の危機意識をあおるために時間を奪い、やがて三ツ廣が真に時間を必要とするその時間を待っていたのだ。
だらけている状態ではどうせ無駄にしてしまう時間を、上手く貯金していたつもりか?
流石もと経営者。
資源の無駄遣いをよく避ける」


あんただって、この状況を読んでいたはずだろ?


だから、一度目は警告で済ませたんだ。


「だが、警告したはずだ」


二度目は、どうするつもりだよ?


「貴様のやったことは、特別指導の範疇を越えている。
一人の高等人が、何の申請もなく活動時間を操作することは許されない」
「・・・どんな罰でも受けましょう。
ただし、三ツ廣にはなんの責任もないことをご理解ください」
「駄目だ」
「は・・・?」
「お前に、自分が間違っていると叩き込むには、どうやら三ツ廣の助けがいるようだな」


ゆっくりとさちの方へと歩いていく。


まなが、不安そうな顔でおれを見ていた。


「つまりは、こういうことだ。
いま、懸命に筆を取る三ツ廣の腕を、へし折らなければならない」


こいつ、正気かよ・・・?


「三ツ廣にどれだけ才能があろうと、もともと、まともな市場価格に照らし合わせて、森田が財産のほとんどを投げ出すような価値のある絵になるはずがないのだ」
「おっしゃるとおりです。
けれど、将来の可能性を考えて投資しているのです」


おれの説明に、法月はゆっくりと首を振る。


「同情しているのだろう?

力のない人間が努力している姿に、その熱意や意志というものに、お前は巨額の金を払う気なのだ」
「確かに、そういう心持ちもなくはありません」
「いや、それが全てだ」
「・・・わかりません」
「これから、お前が心の奥底で崇拝している、その熱意や意志というものが、どれほど弱いものか証明してやる」


腕を伸ばす。


その先には、法月に目もくれずに絵を描き続ける、さちの右腕があった。


とっさに身体が動いた。


「さちに、触るな・・・!」


おれは、法月将臣の手首をつかんでいた。


「悪くない顔つきだ。
さすがに南方紛争を生き残っただけのことはある」


薄く笑った。


「簡単なことだ。
特別高等人には、人を管理、成長させる能力が求められる。
管理する人間の数が増えれば、感情よりも数字や結果を重視したほうが、効率が良くなる。
これは知っているな?」


頷く。


「だが、我々はいつも惑わせる。
情けを乞う人の姿に。

涙して誠意を示すその表情に。
あるいは妹のために昼夜努力するその一枚の絵に、私たちは判断を間違える」
「なにが、言いたいんですか・・・?」
「許すなと、言っているのだ。
貴様は甘い。

期日までに結果を出さなかった人間に対して、抜け道を用意していた貴様は甘い。
そんなことでは、いつまでたっても、一度に複数の人間を監督できない。
だから今すぐに、お前が情けをかけている三ツ廣の腕を折り、貴様の信奉する意志の脆弱性を見せ付けてやろうというのだ。
精神が、身体という枠を超えることなど決してないという事実を理解させてやる。
森田よ。
一時的なものとはいえ、暴力ほど効率のいい指導はこの世に存在しないぞ」


そのときだった。



―――やってみなよ。


 

口を開いたのはさちだった。

 

 

 

 

「左腕があるから、さ」



筆を止めずに、さらりと言う。


けれど、法月はそれすらも予測の範疇だったようで、悠然と応じた。


「では、左腕も折ろう」
「口もあるけど?」
「喉をつぶし、唇を針で縫おう」
「じゃあ、足かな」
「お前があきらめるまで、私は何度でも肉体的な苦痛を味わわせてやる」
「あ、そっ」
「実際に、痛みがないから、余裕でいられるのだ」
「そうかもね。

本気でやられたら、泣いちゃうかも」
「いまはいい。

妹の前だ、かっこつけることができる。
だが、時間を置いてじっくりと痛みつければ、どんな人間も身体に正直になる」
「ははっ・・・かもね。あきらめちゃうかもね。
あたしってさぼりぐせあるから」
「その過程を、お前の愛する森田の成長のために、見せてやる気はないか?」
「・・・ふふっ。遠慮しとく。賢一も見たくないと思うし」
「法月先生。それくらいにしてください」


捕まえている手首に力を込めた。


「今現在、三ツ廣さちを監督しているのは私です。
いかに試験中とはいえ、あなたにさちをどうこうする権利はないはずだ」
「その通り。よく言った。最初からそのように私を止めるべきだったのだ」


すっと腕の力が抜けた。


おれもつかんでいた手を離す。


――――ッ!!


けれど、次の瞬間、めまいを覚えたかと思うと、おれは夏の夜空を見上げていた。


「・・・ぐっ!」


何が起こったのかまったくわからないまま、背中に叩きつけられるような衝撃が走っていた。


「け、賢一ぃっ!」
「やはり、甘い。
許すなと言ったそばから、憎き私を解放する」


即座に起き上がり、法月をにらみつける。


「明朝、九時。
口座を確認した上で、ここに戻ってくる。
入金がなければ、そのまま少女を連行する」


そうして、振り返らずに去っていった。


視界から法月が消えるまで、目を離せなかった。


とっつぁんが、あの強烈な瞳の奥で、何を考えているのか未だによくわからない。


けれど、結果として、おれの越権行為は見逃された。


さちも、まなも無事だ。

 


・・・・・・。

 

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「賢一、大丈夫?」
「おれのことはいい。騒がせてすまなかった」


そう、いまはおれのことより・・・。


「お姉ちゃん・・・」
「まな、あたし、あんたになんて謝ればいいか・・・」
「お姉ちゃん、いまはそんなこと言ってるときじゃないんでしょ?
「そうだね。

謝るのは、絵を完成させてからっ・・・!」


すぐにでもまなを抱きしめたいのをこらえて、さちは再びキャンバスに向かった。


さちにとっての最後の挑戦が始まる。

 

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


雲ひとつない空に月が冴えている。


さすがに気温も下がり、虫の声も涼しげだった。


設置した証明の下で、さちは一心不乱に両手を動かしていた。


筆の通った後には、ライトの明かりに照らされて、淡い色が浮かび上がる。


左手で持ったパレットから色をすくうと、針に糸を通すような慎重な動作で同じ箇所に色を重ねている。


まなは、そのかたわらで、姉の顔を凝視していた。


「・・・・・・」


息を呑むような表情。


これが、あのさちなのだろうか。


そう全身で叫んでいた。


まなが、これまでずっと願っていた姉の姿が、いま目の前にあるのだ。


お姉ちゃんのためなら、なんでもするよといつでも笑っていた。 


いつも、さちのわがままにつきあっていた。


お下がりの服を着て、さちがギャンブルをする姿を見ていた。


けれど、絵を描かせることだけは、忘れなかった。


「・・・っ・・・うぅ・・・」


その願いが、ついに届いたのだ。


「うぅっ・・・くぅっ・・・ひっく・・・」


自然と涙が溢れてきている。


「お姉ちゃん、お姉ちゃんっ・・・!
ごめんね、邪魔して、ごめんね、こんなそばで泣いて・・・。
でも、でもぉっ、まな、うれしいよぉっ。

うれしいんだよぉっ。
・・・ずっと、お姉ちゃんのそばで絵を見ていたいよぉっ・・・」

 

そのときさちが、ふっと乾いた吐息を漏らした。

 

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そっと伸ばされた優しい手。


頬を覆うように添えられている。


まなの涙はさちの手についていた絵の具に染められて、淡い色を灯しながら、首筋をつたっていった。


「ずっと、ここにいてね」


やつれきった顔で最大限の笑みを花咲かせた。


たとえ、このまま時間が過ぎ去っていっても、この瞬間だけは、記憶に残るのだろう。

 

――永遠に。

 

「よく、顔見せて。
よくいままでがんばってきたね。
この小さな顔が、あたしを見捨てずに、辛抱強く待っててくれたんだね。
はじめて会ったときさ、かわいいなぁって思ってたんだよ。
こんな子と一緒に住んだら、楽しいかもなぁって。
ほんとに、ペットを飼う感覚だったみたいだね。
ごめんね。
助けられているのは、あたしのほうだったのに」
「そんなこと、ひっぐ、そんなことないよぉっ!」
「そっかぁ。そんな顔して泣くんだね」
「うっ・・・うぐっ・・・うああ・・・」
「あたしにひどいこと言われても、ずっと我慢してたんだもんね」
「うあ、うあああああっ・・・!」
「やっと、あんたの本当の泣き顔見れたよ・・・ふふふっ」
「あああっ、お姉ちゃん・・・うあああんっ・・・!」
「ありがとう。

おかげで最後のイメージが浮かんだよ。
この絵、まなっていうんだよ。
だから、なにがあっても、最高の作品にしてあげる。
少しだけ、待っててね。いままで散々待たせたけど、あと少しだけ、待っててね・・・。
あと少しだけ―――!」

 

そうして、さちはまた色を奏でる。


迷いなど感じられない。


すでに、体力的には限界だろう。


さちの全身をよく見ればわかる。


定まらない足元。


小刻みに震える左腕。


肩でしなければならないほど荒れた呼吸。


力強い瞳も、ときどきかすんだように焦点を外していた。
それでも、どういうわけか、筆を持つ手だけは画面に吸い付くように正確に動いているのだ。


理屈では考えられない指先の舞に、神秘的な美しささえ感じた。


気づいたときには、まなの手を握りながら、膝立ちになっているおれがいた。
さちという、一人の画家の矜持に、ひれ伏していた。


汗と日焼けで黒ずんださちの顔に願いを捧げる。


恥も外聞もない。


法月の指摘するとおり、この絵が完成したとしても、いくらなんでも億単位の額は到底つかない。


けれど、そんなもののために描いているわけではない。


この少女は、そんなもののために、必死なわけではない。


「・・・お姉ちゃんっ、がんばってぇぇえぇ―――――!」


幼い期待に応えるために、ただその喜ぶ姿をみたいがために、全身全霊をかけているのだ。


「・・・っ!」


一日が二十四時間しかなかったとしても。


たとえ、いままでその半分しか与えられていなかったとしても。


そのせいで悪夢を見て、自堕落な生活に陥っていたのだとしても。



『―――弱いっ!』




そんなことはない。



『あたしは、弱いっ――!』

 


そんなことはないんだ。


くだらない義務なんかに負けるな。


歪んだ社会の、おしつけたレールに屈するな。


「お前は、強いっ――!
三ツ廣さちは、強いっ――!」


おれなんかが教えられることなど何もなかった。


だから、あとはその腕に向かって頼み込むだけだった。


正義の象徴を描き続ける少女に、努力の報酬を。

 



――ささやかな幸福を!

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・

夜が明けた。

東のそらが明るくなり、強い日差しによって向日葵畑にも深い陰影が刻まれていった。

 

「あ・・・うぅっ・・・!」

 

さちの頭が一回転したかと思うと、ゆっくりと力を失って後ろの地面に落ちていった。

「さちっ・・・!」

とっさに背中を支える。

「く、ううう・・・」

時刻は、八時。

絵を見てみる。

薄い色彩で作られた向日葵畑を舞台に、手前の中央に満面の笑顔を浮かべるまながいた。
赤や青など様々な色をした向日葵たちが、まなに向かって祝福の手を伸ばしている。
全体的なタッチは優しげで、さちのまなへの想いやりが感じられる。
それ以上、その絵をなんと表現してよいのか、素人のおれにはよくわからない。
ただ、いつの間にか涙腺が緩んでいた。

 

「・・・すごい・・・」

 

息を呑むしかない。


呆然と、これを描いた人物の能力を称えるしかない。

 

心を奮わせる、傑作だった。

 

 

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・・・

「賢一、いつの間に起きたの?」

「えっ・・・?」
「あのね、賢一ね、ちょっと倒れてたんだよ」
「嘘だろ? ぜんぜん記憶にないぞ」
「いや、三十分くらいかな・・・白目むいてたよ」
「・・・そ、そうなのか?」

 

まったく覚えがなかったが、おれも最近は一睡もしていなかったから、ありえない話ではない。

 

「そんなことより、さち。おめでとう」
「・・・うん」

 

精魂尽き果てたのか、気のない返事だった。

 

「まなも良かったな。さちの最高傑作が見れて」
「うんうんっ。いい思い出ができたよっ」
「さちも、やればできるじゃねえか。まったく、てめえは心配ばっかりかけさせやがって」

 

ばしっと背中を叩く。

 

「あぅっ・・・はは・・・」

「なんだよ、こんにゃくみたいにふにゃふにゃした身体してんな」
「いや、なんかぜんぜん力が入らなくてさ」
「そうか。またおぶって部屋まで運んでやるよ。
義務の解消も申請しておくから、しばらくしたらお前は晴れて自由の身だ」
「あたし、自由なの? なんで?」
「なんでって・・・まあ腹黒い話をすると、お前の絵が金になるからだよ。
お前に一日二十四時間与えた方が、もっと莫大な金を生み出しそうだからね。
特別恩赦が認められてる義務は、たいていそういう理由を申し添えれば義務が解消されるんだ」
「そっか。あたし、これで自由になれるんだね。
なんか申し訳ない」
「いや、お前はがんばったよ。研修中のおれよりすごかった」
「そうかな・・・?」
「・・・・・・」

さちとまなは、よほど疲れているようであまりおれの会話に乗ってこなかった。

「よーし、いまからこの絵は森田様のものだ。額に飾っておくとしよう」

 

携帯電話を取り出す。

 

「お金を振り込むの・・・?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
「待って」
「ああ、もしもし、頭取。いやあ、相変わらずお若い声ですねー。
ええ、私ですか? 私なんか、いつ地球が崩壊するかとハラハラしていますよ・・・」
「賢一・・・」
「ハハ。私は非常識が売りの社長でしたからね。
スーツなんか着たことありませんし。
ええ。代表を退いて、株主の方々もほっとしてますよ」
「ねえ、賢一・・・」
「それでですね。いっちょお願いしますよ。
ええ。例の持ち株をね。ええ、ええ。
いやあ、大変だったでしょう? あんなに現金を作らされちゃぁ・・・」
「賢一、聞いてっ!」

 


「聞きたくねえよっ!!」

 

・・・ 

携帯電話を切った。

「お前らの顔見れば、なにがどうなっているのか、予想がついちまう」

まなが小さく首を振った。

「絵、できてないんだよ」

無邪気に絵を指差す。

「ここね。色にムラがあるでしょ? あとね、ここね、まだ色が乾いてないからわからないけど、もうちょっと塗り足さなきゃだめなの。
それからね、ここの向日葵はもっとのびのびした感じが出てなきゃいまいちなんだよね。
それから、それからねっ・・・」

まなの行動が、まったく理解できない。

「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「うんっ!
お姉ちゃんはね、ぜんぜんダメだったってことだよぉ」
「なん、だと・・・?」
「お姉ちゃんね。もうギブアップなんだって。ねえ、お姉ちゃんっ」

さちが幽霊のような顔でおれを見ていた。

「う、動かないの・・・腕が・・・」
「だから、左腕で描けばって、まなは言ったんだけどね。
そしたらお姉ちゃん、本気で描き始めて・・・。
ミスって、ちょっと色を濁らせちゃったの・・・。

そんなの、無理に決まってるんだよ。
あの、ほーづきって人の言った通りだよ。
身体が思うように動かなきゃ、どんなことだって無理なんだよ」

 

 

 

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・・・
「う、あああ、あああ・・・」
「お姉ちゃん、焦って何度も描き直しはじめたの。
そういうのが一番良くないのに、どんどんどつぼにはまっていっちゃったの」
「あぅっ・・・ぐぅっ・・・」
「まながね、何度ももういいからって・・・。
も、もういいからってぇ・・・もういいからぁって、まなは、何度も止めたんだよぉ・・・。
で、でもぉ、でもねっ、お姉ちゃんはずっとあきらめなかったんだよぉ。
まなの、お姉ちゃんは、す、すごいんだよぉっ!
すごかったんだよぉっ!」

しゃくりあげるような声を出した。
厳格なる指導者が、顔で怒って心で泣いていた。

「でも、ダメなのぉっ!
この絵はまだまだできてないのっ!
だから賢一も、これを買っちゃダメなんだよぉ」

さちをもっと成長させたい。
これから先の将来、もっと優れた画家になって欲しい。

だから、叫んだ。

「まな、こ、こんな絵じゃ、ぜ、ぜんぜん満足じゃないもんっ!」

胸、張り裂ける思いで。

しかし、おれは認めない。

「さちっ、いいか。おれは絵の良し悪しなんて知らん。
でも、この絵は素晴らしい。おれにとっては万金に値する」
「ダメっ!」
「いいな。買い取るぞ。まなの人生がかかってるんだ」

その一声に、まながおれをにらみつけた。

「まな。いいもん! まなの故郷の王国でもっといい暮らしするんだもん。
こ、こんな、田舎のぉ・・・まなのこと変な目でみる人がたくさんいるところなんて、嫌だったんだもん。
ま、毎日お洗濯とかして、学園にも行けなくて、お友達もいないのが、つ、つまんないんだよぉっ。
お姉ちゃんの、わ、わがまま・・・わがまま聞くのもぉ・・・お下がりの服・・・お下がりの服も・・・こ、こんなのぉ・・・」

聞くに耐えない。

「さち。ぼうっとしてるんじゃねえ。この子はちょっと興奮してるんだ。
何を言われたか知らねえが、黙っておれの言うとおりにしろ」

「・・・うぅ・・・うああ・・・」
「完成したと言え」
「賢一、ダメだよぉっ!」
「あ、あうぅ・・・うああああっ・・・!」
「この絵を買い取れと言え!」
「お姉ちゃんは、がんばりが足りなかったんだよ。
賢一が時間を伸ばしてもできなかったんだよ!
だ、だからぁ、甘やかしたらダメなんだよぉ!」

いい加減頭に来た。

「まなっ!
お前、自分の言っていることの意味がわかっているのか?
おれが金を払わなかったら、大好きなお姉ちゃんと離れ離れになるんだぞ?
さちも、寂しい思いをするんだぞ! SF小説の影響かなんか知らねえが、勝手なことばっかり言うな!」
「違うもん! まなが自分で考えたんだもん!」
「まな・・・!」

相手を威圧する表情を作る。

 

「いい加減にしろよ。子供の分際で」


「賢一こそ、まなのお姉ちゃんにとやかく言わないでっ!」

 

・・・引かない?

 

「まな、お前は普通じゃない。ありえない。
お前みたいなヤツは本当にありえない」

いままで何人の人間をこの表情で震え上がらせてきたと思ってるんだ?

「賢一には関係ないもん!」

どうして本気の怒りを見せたおれに刃向かってこれる?

「まなのお姉ちゃんは、賢一が思っているより、ずっとすごいんだよぉっ!」

この小さな身体のどこにそんな勇気が?

「賢一みたいな優しい人は、ときどき人をダメにするんだよ!」

おれに、説教をしようってのか?

「くっ・・・!」
「まなのお姉ちゃんは、まながいないくらいでダメになっちゃうような、そんなよわっちぃ人じゃないんだよぉっ!」

は、話にならん!

「・・・さち、なんとか言ってやれ」
「うぅ・・・」
「泣いてばかりじゃなくて、真剣に考えろ。
まなが、いなくなってしまうんだぞ?
あんなに可愛がってたまなが、去っていってしまうんだぞ?」
「くぅっ・・・!」

さちは、胸に手を当てて呼吸を落ち着かせていった。

「はあっ・・・賢一っ・・・」
「・・・・・・」
「賢一は、やっぱり、最後にはなんとかしてくれるんだね」
「・・・・・・」
「でも、その優しさは受け取れないよ」
「うんっ!」


「なっ・・・」

おれの中で、何かが音を立てて崩れた。
こいつらはあまりにも愚かだと、誰かが言う。
けれど、この姉妹を称えるべきだと、誰かが言う。
混乱した脳裏に響いたのは、さちの力ない声だった。

「・・・二人で話し合って決めたの。
あたしも、いまの賢一みたいに怒ったけど、まなはぜんぜん言うこと聞かないの。
だってそうだよね。いままで四年間もずっと、絵の事だけは妥協してくれなかったんだもん。
いまさら、許してもらえるはずないじゃん」
「・・・それでいいのか?」

するとさちは、すっと息を吸い込んだ。

「いいわけないじゃん!
くやしぃけどぉっ・・・!
悲しいけどぉ・・・どうしようも、ないのよぉーっ!!」
「そう、か・・・」
「・・・賢一、お姉ちゃんをお願いするよっ」

おれはがっくりと膝を落とす。

「・・・かなわねえよ、お前には・・・」

この利発で勇敢な少女なら、どんな土地でも生き抜いていけるのではないだろうか。

もはや、おれは絵を買い取れない。

特別高等人ごときが、踏み込める領域ではない。

 

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・・・ 

「まなっ・・・うぅっ・・・まなっ、ありがとう・・・」
「お姉ちゃん、まだまだがんばんなきゃだめなんだよぉっ」
「うん、うんっ・・・あたし、がんばるよっ!」
「お姉ちゃんなら、きっともっとすごい絵が描けるよぉっ」

時刻はもう、九時になる。

「じゃあね、お姉ちゃん」

去っていってしまう。

「・・・まなね、お姉ちゃんにいっぱいお礼言わなきゃ」
「お、お礼・・・?」
「拾ってくれて、ありがとうっ。
一緒に暮らしてて、すっごい楽しかった」
「あたしもっ、あたしもだよっ」
「しょーにゅーせき、ありがとうねっ! 大事にするよぉ」
「あ、あれは、たいしたもんじゃないから、さ」
「まなのベッド作ってくれてありがとうねっ」
「ホントに、あんたは押入れが好きなんだから・・・」
「あんまり、パソコンやってると目を悪くするんだよぉ」
「わかってるって、もうしないよっ」
「ありがとうねっ」
「あたしもっ・・・あたしも・・・ふっ、うぅぅっ・・・!」
「お姉ちゃん・・・」

さちの肩が震えだす。

「こ、こんな、こんなのって、ないよ・・・やだ、やだよ・・・」
「・・・うぅ・・・」
「・・・っ! まなっ、まなあぁっ! やだ! あたし、やだよぉっ!
お願いっ! うぅっ・・・まな、お願いだからぁっ!
――あたし、まなが大好きなんだよぉっ!」

さちの絶叫が、夏の青空に尾を引いて消えていった。

「まなも、お姉ちゃんが大好きだよぉ」
「だったら、だったらさあ・・・ねっ。
お願い、お願いだからっ、今回だけでも――――!」
「まなのお姉ちゃんは、すごいんだよぉっ!」
「あっ・・・!
う、うぅぅ・・・!」

不意に、さちの気配が変わった。

「・・・しゃい」

ぼそりとつぶやいた。

「・・・行ってらっしゃい」

そう言って、肩を叩いて妹を送り出すのだった。

「でも、すぐに帰ってくるんだよ。
あたし、超ビッグな画家になって、あんたをまたこっちに呼び戻してやるからねっ」
「はーいっ!」
「ふふふっ、まなはいっつも元気だね」
「お姉ちゃんほどじゃないよぉっ」
「はは・・・」

 

笑い合う。

 

お互いの強さを褒めあうように、精一杯の笑みを交わす。

おれは、教えられたような気がする。

義務を負った人々を監督する側の人間が逆に学ばされた。

姉妹の人間としての強さを。

厳しくも優しい愛情を。

大きくため息をついた。

広い空はどこまでも果てしなく続き、勢いを増した日差しが向日葵畑に降り注いでいる。

せみの大合唱が耳につき、山風も鈍い熱気を含んでいる。


「ばーいばいっ!」


―――真夏が、すぐそこまでやって来ていた。

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

まなは、法月に連れられて、町の外へ出て行った。

まなの姿が地平線の向こうに消えたとき、さちは狂ったように泣いた。

瞳から滝のように流れる涙は、地面をいつまでも乾かさなかった。

やがてさちは、激しく咳き込んで道端に倒れこんだ。

体力の限界が来ていたさちを背負って部屋まで戻ってきた。

 

それから、おれたちは眠りについた。

 

 

 


・・・

 

・・・・・・

 


久方ぶりのケムリを吸う。

「ふうーっ・・・一服したらとっとと、申請書を書き上げるかね。
ラリって妙な文章にならねえようにしないとな、ケケケ」

首を回して、腕を伸ばす。

「申請は、通るかな・・・?
まあ、あんたも知っての通り、さちはがんばったんだから、なんとしてでも義務を解消してやらねえとな」

 

背後で砂利が鳴った。

 

 

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「またブツブツ言ってるし」
「おう・・・もう起きたのか?」

パイプの火を消す。

「うーん、まだちょっと気分悪いけどね」
「気が抜けて、一気に風邪がぶり返してきたんじゃねえか?」
「かもね・・・あー、しんどっ」

だるそうにあくびをした。

「賢一は、そろそろ他の人の担当になっちゃうんでしょ?」
「多分な」
「じゃあ、しばらく会えないね。
浮気とかしないでよぉ・・・」
「おれは、そんなに器用じゃないって」
「はははっ。信じてるって! ちょっとからかっただけだよっ」
「あ、そ、そうなのか・・・? そういう機微はよくわからんからな・・・」
「ふふふっ、あたしの賢一だぁっ!」
「・・・う、うれしそうだな」
「でも、浮かれてる場合じゃないね」

急に真剣な顔になった。

「まあ、この町にはいるから、いつでも会えるだろ」
「いやぁ、今度はあたしが忙しいから」
「そうか・・・」

さちは、ゆっくりと歩き出した。

「いままでどうもありがとうっ」
「がんばれっ」

軽く手を振ると、笑顔が返ってきた。

「さあて、今日もびりっとがんばるぞーっと!」

その右手には、画材道具の詰まったカバンが握られていた。
まなのプレゼントを手に、少女は夕陽に向かって歩いていく。

その背中を、いつまでも見送っていた。

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


・・・
「ふざけるなっ!」

 

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法月将臣の机を両手で勢いよく叩きつけた。

怒りで、頭が割れそうだ。

「いい報告書だ。私から推薦文を書いておくとしよう」

法月は、涼しげな顔でおれの提出した書類に目を通している。

「三ツ廣さちは、晴れて自由の身だ」
「そのことじゃねえよぉっ!」
「詳しく聞こう」
「このっ・・・!」

動悸が激しい。

「はあっ・・・はあっ・・・。
・・・おかしいとは思ってたんだ。
洞窟から帰ってきて、すぐにまなの様子がおかしい。
聞けば南の王国の大使が、まなを買おうとしているだって?
そんな突拍子もない話がありえるか!?」
「ここに、王室直筆の契約書類がある」

とんとんと、机の上にある用紙を指差す。
確かに、本物のようだ。

だが・・・!

「一度、まなを救うための金額がつりあがりましたよね。
あまりにおかしい。いくら政情が不安定な国とはいえ、一人の少女にあそこまでの額を払うなんて馬鹿げている。
おかしいと思って、あんたが指定した銀行口座を調べさせてもらいましたよ。
銀行の役員にあんたの名前があった。すごい偶然だと思わないか?」
「私が取引を仲介しているのだ。不自然なことなどなにもない」
「他にも腑に落ちない点はある。例の大使様とやらは、どこに行った?
こんな田舎町に、なぜやってくる? しかもピンポイントでまなをねだるなんておかしすぎないか?」
「大使は私の知人だ。私に会いに来た。ついでに町を案内したところ、例の少女に出くわし、亡き国王の娘に面影が似ていると絶賛した。
それだけのことだが?」
「それができすぎてるっての!」

めまいがする。

「おれはこう思ってる。
あんたは、この町にいる適当な外国人を捕まえて、この部屋でわざと状況を話し、それをおれに盗み聞きさせたんだ。
あんた、言ったな? この状況はチャンスだと。
まんまとひっかかったよ。さちに絵を描かせる絶好のチャンスだとおれも思った。感謝したくらいだ。
ああ、おかげでさちは素晴らしい人間に成長したよ」
「問題ないではないか」
「まなとさちの人生をもてあそぶような真似をして、なにも問題がないだと!?」
「何かを得るには、何かを失わなければならない」
「それはもういい!」
「まな、という少女には戸籍もなく、なんら社会保障もない。
かの少女は教育も受けられず、あのままでは社会に貢献できなかったのだ。
私が、この申請書が素晴らしいというのは、そんな無価値な人間が、姉の将来を憂い、自ら犠牲になった点だ」
「素晴らしい・・・?」
「そう。もはや、三ツ廣に怠惰は許されない。
絵で金を貯めて、大切な妹を取り戻すのだ」

芝居がかった口調。

「それをマスコミは拾い上げるぞ。 

うら若い、容姿のいい少女が、懸命に妹のために絵を描くのだ。しかも過去に盗作まがいの傷を負っているというドラマ性もある。
世間は感動し、三ツ廣の絵は実力以上に評価されることだろうな。
そう・・・。

絵画ブーム、とやらになるやもしれん」

――笑いやがった。

「その経済効果を見込んで、素晴らしいと褒め称えているのだよ」

――この男は・・・。

 

まったく、恐れ入るぜ。

「森田よ。

特別高等人とは、社会の権化だと知れ。
一手先、二手先なら誰でも読める。
だが、我々は常に社会を監視し、大局を推察しなければならない。
病人がいなければ医者は失業する。
戦争がなければ軍人は解散する。
罪人がいなければ特別高等人も必要ない。
私のような憎らしい悪役が、三ツ廣のように日向をいく人間を動かす。
万物は流転する。
そこに多少の善悪があろうとも、今日も太陽は東から昇ってくる。
それはまるで、車輪のように・・・」

おれは言った。

「SF小説の話ですが、車輪とはある種の拷問器具を指すようです」
「・・・・・・」
「あなたはもう少し、車輪の下にいる人間について考えるべきでしょう」

もう一度、法月の冷たい瞳を見据えた。

 

「人を甘く見るな」

 

まなとさちを見て、おれはそれを学んだ。

 

「覚えておいたほうがいい」

 

 


・・・。