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・・・。
さて、経過報告書をとっつぁんに提出しに行かなきゃならない。
経過報告といっても、まったく進展がない。
京子さんの管理も、おれの監督もかなりいい加減だし・・・。
とっつぁん、キレるんじゃねえかな・・・。
うぅむ・・・胃が痛くなってきた。
・・・・・・。
・・・。
工事は続いているようだ。
炎天下の中、作業着に身を包んだオジサンたちを尻目に、校舎に入る。
・・・。
ノックをして入室。
とっつぁんは、いつものようにおれを真っ直ぐに見据えている。
「経過報告をします」
「必要ない」
「え? それは、どういう・・・?」
「・・・・・・」
おれの疑問を無視し、黙ってにらみつけてくる。
それは、まるで無言の虚無僧にも似て、不気味というしかない。
やべえぞ、おい。
「なんら、進展がないのだろう?」
なんで、わかるんだよ・・・?
「いまのところ、現状維持です。
せめて、親子の経歴がわかれば、なんらかの・・・」
「現状維持だと?」
「え? はい・・・」
法月は怒りをあらわにしているわけではない。
なのに、おれの能力不足を責めているように感じる。
「いつまで、現状維持が続くのだ?」
・・・知るかよ。
「即答、できかねます」
「では、大音親子は、いつから現状を維持しているのだ?
いつから、娘は義務を負い、いつからこの町で暮らし、そしていつまで茶番のような毎日を過ごしているのだ?」
「茶番?」
「あの親子に、義務は必要ない、そうは思わんか?」
確かに、灯花に対するしつけは甘い。
勉強をしなさい、部屋を片付けなさい、掃除をしなさい・・・。
これらは、世間一般の普通の家庭でも命令されるようなことばかりだ。
しかも、たとえ命令を破ったとしても、京子さんは灯花をかばう。
・・・確かに、茶番といえるかもしれない。
「お前という特別高等人の監督がなくても、あの親子は、たいした不自由もなく生活していけるのだ。 そう・・・現状を維持したまま」
義務を負った人間の多くは、ある種の不幸を背負う。
けれど、あの家庭は・・・京子さんも、そして、灯花さえも、義務の解消をたいして望んでいない。
なぜなら、それほど不幸ではないから。
「大音京子が、なぜ娘の義務を取り下げないのか、森田にはわからんか?」
それがわかれば、灯花の監督も終わる。
「現在、調査中です。
よろしければ、灯花の戸籍を閲覧したいのですが?」
「よかろう。 特別に許可する。
それから、数日後に、大音京子に対して親権者適正研修を実施する予定だ」
「・・・・・・」
やはり、か。
「研修免除の手続きは?」
灯花が、京子さんを立派な母親だと認めている場合、京子さんは研修には行かずに済む。
「三日以内に、大音灯花を連れてこちらに来い」
「わかりました」
・・・。
それ以上のやりとりはなく、おれは部屋を出ることを許された。
進展がないことにお咎めはなかったが、相変わらず、なにかが引っかかる。
・・・・・・。
・・・。
「ふぅ・・・とっつぁんと会うと気疲れするねえ・・・」
おれは、家の玄関先でケムリをふかしていた。
一服したら、京子さんに研修実施の告知をしないとな。
そんなとき、一台のバイクが近づいてきた。
郵便のおっちゃんだ。
「ご苦労様です」
一枚の封筒を受け取る。
おっちゃんは、バイクにまたがって去っていった。
封筒の表には『大音京子様』と書かれている。
「森田賢一!」
「どうした? 息を切らして」
「いま、郵便物届いたでしょ?」
「ああ・・・でも、京子さん宛だぞ?」
そう言うと、少しだけ残念そうに肩を落とした。
「誰から届いたの?」
「えっとな・・・」
封筒を裏返す。
・・・。
・・・・・・ん!?
息を呑む。
「どうかしたの?」
「あ、お母さん・・・なんか手紙が届いてるって」
「そう・・・どちら様から?」
「大音幸喜様から」
「えっ!?」
一気に顔色を失くす。
「大音、幸喜って・・・ひょっとして・・・?」
・・・猿でも予想がつく。
直後、親子が同時に踏み込んできた。
「見せなさい!」「見せて!」
思わず一歩身を引いてしまう。
「とりあえず、落ち着きましょうや」
腰の後ろに隠す。
「森田くん、渡しなさい」
「み、見せて・・・お願い・・・」
「灯花、あなたは引っ込んでなさい」
「や、やだよぉ・・・せっかくのお父さんからの手紙・・・」
「灯花!」
「やだってばぁ!」
父親からの手紙が、親子の関係にひずみを生んでいる。
「森田くん! 早く渡して!」
おれは、この手紙を・・・。
・・・。
・・・無駄だろうが、灯花の気持ちを汲んでやるか。
「ほれ・・・」
灯花に向かって封筒を差し出す。
「あ、ありがとうっ!」
「ダメよ!」
横から伸びた京子さんの手。
「ああっ!」
「はあっ・・・これは、私の物よ」
「ひ、ひどいよ・・・!」
「黙りなさい!!」
手紙を胸の前で握りしめながら、灯花をにらみつけた。
やっぱり取り上げられちまうか。
「・・・まったく、今さらなんだっていうのよ・・・!」
乱暴に開封する。
「・・・・・・」
そして、そのまま目を大きく見開いて中身を読み始めた。
「お、お母さん・・・?」
「・・・・・・」
京子さんの肩が震えている。
「お母さん、ちょっとでいいから、私にも見せて」
「・・・・・・」
「お父さん、元気にしてるのかな?
こ、この前の電話じゃ、何もわからなかったから。
私の名前呼ぶだけで、何も話してくれなかったから・・・心配で・・・」
けれど、娘の嘆願は京子さんには受け止められなかった。
「はーっ・・・」
糸を引くような細長いため息をついた。
読み終えたのだろうか。
ちらっと見えた限りでは、癖のある、汚い字だった。
「お母さん・・・?」
――っ!
「なっ・・・!」
「や、やめてよぉっ!」
手紙をひきちぎっていく。
「ちょっと、お母さん! やめて、やめてったらぁ!」
「黙りなさい! 何度言えばわかるの!!!」
「ひっ・・・!?」
いままでの京子さんとは、迫力の違う叫びだった。
「・・・灯花には関係ないわ」
「で、でも、お父さんからの・・・」
「だったらなんだっていうの?」
びりびりと、恨みでも込めるように手紙を四散させる。
「・・・お、お母さん!?」
灯花も仰天したのか、その場に立ちすくんだ。
「灯花。 父親のことなんて忘れなさい」
灯花が、喉を鳴らした。
「あの人のことを、覚えていてもしかたがないわ」
「なんで? なんで、そんなに隠そうとするの?」
もしかして、名前すら知らなかったのだろうか。
だとしたら、徹底的な情報操作だな。
義務による命令で禁止していなきゃ、簡単に調べられていただろう。
「だ、だって・・・電話じゃ、優しそうだったよ。
優しそうに、灯花って呼びかけてくれたよ?」
「灯花が父親についてどう思おうと、それは自由だわ」
「意味がわかんないよ!」
「灯花のお父さんは、優しい人。 それでいいじゃない?」
「よくないよ! だったら、もっと教えてよ!
どこでなにしてるの!? どんなふうに話をして、どんなことで笑うの!? ねえ、どう優しいの!?」
「・・・・・・」
京子さんは、おれを見据えた。
「なにか?」
「森田くん。
なんの因果か知らないけれど、あなたがこの家に来てから、少し家庭が乱れているわ」
「・・・そうですか」
家庭の乱れ、ね。
おれには、京子さんほど、ことの重大さを感じられない。
だが、たいした不自由もなく生活していた親子の関係に、少しずつ亀裂が生じているようだ。
「お母さん、私の話を聞いて!」
「知る必要がないことなのよ。
そう、親にはね、子供に有害な情報を与えないようにする義務があるのよ」
「有害・・・?
どうして? どうして、お父さんについて知るのが有害なの?」
京子さんは首を軽く横に振る。
「灯花、黙って部屋に戻りなさい」
「お母さん! そんなのずるいよ!」
「命令よ。 わからないのかしら?」
「やだ! 教えて! 教えてよ!」
「・・・森田くん・・・。
私の娘が義務に違反しようとしているのだけれど・・・?」
不意におれに向けられた目は、あまりに冷たいものだった。
「・・・灯花、来るんだ」
腕をつかんだ。
「くっ・・・! さ、触らないでよ!」
「命令に、従うんだ。 さもないと・・・」
「わ、わかったよ・・・!
どこか恐ろしい場所に連れて行くって言うんでしょ!?」
「戻ろう・・・」
「くっ・・・」
突如、つかんでいたおれの腕を勢いよくふりほどいた。
「・・・・・・」
おれと、京子さんをにらみつける。
「わけわかんない!」
一喝して、玄関に入っていった。
・・・おれも、わけがわからない。
「京子さん、おれも、あなたたち親子がよくわかりません」
「・・・そう。それで?」
多少、声が震えていた。
「ただ、研修が実施されます」
「えっ・・・?」
「家庭の事情がどうあれ、あなたは子供に義務を負わせている親権者であるので、研修には参加していただきます」
「そ、そう・・・やっぱり・・・」
・・・不安か。
確かに、地獄の研修という悪い噂が流れているからな。
「とにかく、伝えましたよ」
京子さんを一人残して、おれも家の中に入った。
・・・。
「・・・灯花」
ノックをするも、返事はない。
灯花の部屋からは、物音一つ聞こえない。
「あのな・・・京子さんが、研修に行くことが決まったんだ」
灯花は黙っている。
「でも、お前の一筆があれば、研修は免除される」
部屋の中で、何をしているのだろうか。
「お前が、京子さんこそ、自分の母親にふさわしい人物だと認めればいいんだ」
部屋の隅で膝を抱えているのかもしれない。
枕を抱いて、呆然としているのかもしれない。
「とにかく、三日以内だ。早めにな」
いずれにせよ、研修を告知するタイミングが悪すぎた。
日が暮れていく。
大音家は、不気味なほど静まり返っていた。
・・・・・・。
・・・。
夕飯の時間になっても、灯花は部屋から出て来なかった。
「困った子だわ・・・」
買い物から帰ってきた京子さんは、部屋の前で立ち往生してしまった。
「しばらくは、放っておきましょう」
京子さんも同意した。
「疲れるわね・・・」
まったくだ。
事情もわからず振り回されている、おれの身にもなってくれ。
「いやあ、天岩戸って感じですね。
おれたち二人で騒いで、灯花を引っ張り出すとしますか?」
「・・・・・・」
「飲めや歌えの宴会をしましょう」
「・・・・・・」
「そのためにも、美味しい料理が必要ですよ。
人間、腹が減ってると怒りっぽくなるもんですよ。
美味しい夕飯を用意して、灯花を迎えてやろうではありませんか?」
・・・いい加減、おれのピエロっぷりもウザいな。
しかし、たまには手料理が食いたいね。
「料理ね・・・」
「ん?」
ぼそりとつぶやいて、京子さんはいつも外出しているときに持ち歩いているバッグを開けた。
「どうしました?」
「・・・・・・」
バッグの中でなにかをつかんで手を引き抜いた。
「・・・果物ナイフですか?」
「どうしてこんなものを持ってるのか不思議でしょう?」
「ええ・・・料理をしないあなたが、どうして、そんなものを携帯しているんですかね?」
よく見れば、ナイフの柄に綺麗な色をした石がはまっている。
「土産の品かなにかですか?」
「さすがに、観察力があるわね。
そうよこれは・・・」
灯花からの贈り物かな。
「灯花が小さい頃、修学旅行で買ってきてくれたのよ」
「あいつ、なんてモノを土産に選ぶんだ・・・」
「あの子はね、ヒーローモノのテレビとか好きだったから、よく刀とか拳銃の模造品を欲しがったのよ」
・・・やんちゃな、子供だったのかな。
「それにしても、果物ナイフですか・・・」
まじまじと見つめる。
「メッセージでも込められているんじゃないんですかね?」
「メッセージ・・・?」
「わかるでしょう?」
―――お母さん、料理作って・・・。
「・・・・・・」
「果物をむいたりもしないんですか?」
「それくらいは、たまに・・・」
「ケーキはどうです? 昔は、ケーキ屋を営んでいたんでしょう?」
「ケーキ屋?」
「あれ? 灯花がそう言っていましたよ?」
「・・・灯花が、そんなことを?」
「違うんですか?」
「・・・・・・」
また、黙秘かよ。
「で? 京子さんは感傷にひたっているんですか? そんなナイフを突然持ち出して・・・」
おれは、正直、京子さんの煮え切らない態度にいらだっていた。
「そのナイフでりんごでもむいて、部屋でもんもんとしている灯花に持っていってやったらどうですか?」
「そうね・・・」
「そうね・・・って、そんなにしょんぼりしないでくださいよ。
おれでよければ、相談に乗りますよ?」
京子さんが、並々ならぬ事情をかかえているのはわかる。
「森田くん・・・」
京子さんは、手に持ったナイフに視線を落としながら言った。
「人間って、大人になればなるほど、素直じゃなくなっていくものね・・・」
大人になっても、素直な人はたくさんいる。
そう思ったが、黙っていた。
黙って、京子さんの感傷につきあう。
「年を重ねれば重ねるほど、世間を・・・怖いものを知って、臆病になっていく・・・そういうものでしょう?」
「まあ・・・」
そうして、京子さんは深いため息をつく。
重苦しい空気が室内に充満する。
「あ、ごめんなさいね」
突如、正気に戻ったかのように、きりっとした顔を作る。
世間を・・・怖いものを知った、臆病者の顔。
「おやすみなさい。戸締まりはまかせたわよ」
ナイフをバッグにしまう。
「いつも、持ち歩いているんですか?」
「ええ・・・灯花が私にくれたものだから」
「・・・おやすみなさい・・・」
京子さんは、本当は灯花に料理を作ってやりたいのかもしれないな。
娘に火傷を負わせてしまったから、か。
それ以来、料理をやめた。
ずっと、弁当と外食。
「ありえないね・・・」
京子さんの、覚束ない目つきを思い出す。
「ありえない、弱さだ」
しかし、世の中には、まなのように想像を絶するほど強い人間もいる。
その逆も、あるのかもしれない。
「寝るか」
床に寝転がって、ゆっくりと目を閉じる。
意識がぼんやりとしていく中で、灯花の部屋からごそごそと物音が聞こえたような気がした。
・・・・・・。
・・・。
「森田くん、起きて!」
「・・・っ!?」
跳ね起きて、おれの肩に向かって伸ばされていた、京子さんの手を振り払った。
「ど、どうしたの・・・!?」
「あ、ああ、すみません・・・寝起きは凶暴なんですよ」
軽く咳払い。
「血相を変えて、どうかしましたか?」
「灯花が・・・」
灯花の部屋に向けられた腕が震えていた。
「灯花が・・・灯花が・・・」
おれは、京子さんを置き去りにして灯花の部屋へと駆けた。
・・・。
「灯花!」
・・・いない!?
部屋を見渡す。
布団の中にも見当たらない。
隠れるような場所もないし、灯花が隠れる理由がわからない。
「・・・家出か?」
京子さんの慌てっぷりから、もっと悪いケースを想像していたが、杞憂に終わった。
「森田くん、灯花は?」
「夜中に家を抜け出したんでしょうね」
「あ、朝・・・今日のスケジュールを書いたメモを、枕もとに置きに行ったら・・・姿がなくて・・・」
「初めてですか?」
「え、ええ・・・。
あの子が自分から出て行くなんて・・・」
信じられないってか?
「確かに、灯花にしては思い切った行動に出ましたね」
「も、森田くん、これはあなたの監督不行き届きが招いた結果・・・じゃないのかしら?」
・・・おれのせいですか。
ちょっと、テンパりすぎだぜこの人。
「すぐに、探しに行きます」
そう言って、部屋を漁る。
「ちょ、ちょっと! なに娘のタンスを勝手に開けているのよ!」
「特別高等人は、被更生人のプライバシーを侵害しても許されるのです」
灯花には悪いが、手がかりを探させてもらう。
・・・ふむ。
どうやら、長く外泊する準備を整えて、出て行ったようだな。
「京子さん、灯花は散財する方でしたか?」
「い、いいえ・・・こづかいはあげていたけれど・・・」
使い道がないか。
すると、やっぱり町を出て行ったな。
お父さんに会いに行くつもりなんだ。
住所もわからない父親に。
都会に出れば、なんとかなるとでも思っているのだろうか。
その辺の浅はかさが、灯花っぽいな・・・。
「森田くん・・・どうするの?」
京子さんは、ショックで自分を見失っているようだった。
「電話があるかもしれませんから、京子さんは、家で待っていてください」
「あなたは? ちゃんと、灯花を見つけてきてくれるんでしょうね?」
「夜までには、必ず連れて帰ってきます。
約束しましょう」
・・・・・・。
・・・。
町の入口へ向かう。
この、向日葵に挟まれた一本の道こそが、険しい山々に囲まれたこの町から出る、ほとんど唯一の出入り口なのだ。
「あ、賢一っ!」
「おう・・・さち、朝早くから精が出るな」
無駄話をしている時間はない。
「てかね、聞いてよ」
「うん・・・?」
「朝一で絵を描きに来たらね、灯花を見かけたんだよ。
声かけたんだけど、シカトされちゃったよ・・・」
「家出したんだ」
「え? マジでっ!? どうしちゃったの?」
「父親に会いに、当てのない旅に出たらしい」
「なにそれ・・・なんでまた急に?」
「おれもよくわからん」
「灯花って、けっこう思いつめるタイプなのかな」
「だろうな。
まさかいきなり逃げられるとは思わなかった」
「賢一、ひょっとして失態? 大失態?」
「あんまり笑えないが、失態だね」
「じゃあ、あたしも手伝うよ」
「いや、いい。
これから、州境までかなり歩くから」
「いや、でも、やばいんでしょ?」
「灯花も、この町からは出られない」
「え? なんで?」
「義務を負っている人が町を離れるときは、担当の高等人の許可がいる。
きっと、検問所で引っかかっているはずだ」
「あ、そっか・・・」
「さちは、ここで待っててくれ。
なにかの間違いで、行き違いになるかもしれないし」
「オッケー。
絵描きながら、神経張り詰めとくわ」
「それじゃあな・・・」
・・・・・・。
・・・。
道なりに、かなりの距離を歩いている。
正午を過ぎても、陽射しの勢いは一向に衰えない。
「ふぅ・・・この町に来たときは、もっと涼しかったんだがな・・・。
灯花は、きっとこの先の検問所で、立ち往生しているはずだ。
検問所が灯花を見つけて、いまごろ自宅に電話がいっているはず。 ・・・焦る必要はない。
ちなみにだ・・・、ただ歩いているだけだと、暇なので、おれはいつものようにぶつぶつとつぶやく。
この町にどうして検問所が設けられているのか。
理由の一つは、動植物の検疫だ。
この町は一応、農産物が主な収入源になっている。
検問所では、他の州から持ち込まれる害虫や病原菌をチェックする。
過去にそういった被害があったようだ。
もう一つの理由は、この町が罪人の溜まり場だった名残・・・。 差別の足跡だな。
特に、大罪人である親父の故郷でもあるわけで、取り締まりは、他の州よりも厳しい。
・・・以上、久しぶりの設定的退屈な手続き」
・・・・・・。
・・・。
道はどこまでも果てしなく続いている。
最終試験を受けにこの町にやって来たときは、途中でぶっ倒れるかと思ったほどだ。
「灯花も、暑さにやられて、道ばたで倒れてたり・・・?」
そう考えると、次第に駆け足になるおれがいた。
・・・・・・。
・・・。
ようやく検問所にたどりついた。
途中、灯花の姿はなかった。
おれの姿を見つけたのか、小屋の中から人が出てくる。
「止まってください」
厳粛な制服に身を包んだ、がっしりとした体格の男だった。
「私は特別高等人候補生の森田賢一です」
いろいろ聞かれると面倒なので、さっそく国家権力をふりかざす。
「ここに、義務を負った少女はやってきませんでしたか?」
「あなたが、担当の高等人ですか?」
げんなりした声で言う。
「大音灯花という少女です。 ここに来ませんでしたか?」
「実は、つい先ほどまで、事情聴取していたんですがねぇ・・・」
男の眉が、制帽の下で不機嫌そうに歪んだ。
「許可なく州外に出ようとしていたので、一時的に拘留しようとしたんです。
そうしたら、逃げられましてね・・・」
「逃げた!?
まさか、この検問所を越えたんですか?」
「いえ・・・向日葵に向かって突っ込んでいきました」
右手に生い茂る向日葵畑を指し示す。
「いま、人をやって捜索しているところです」
・・・あのバカ、なんで逃げやがったんだ。
・・・まずいな。
担当の高等人から逃げようとしている者として、追われてるってことだ。
下手に抵抗すると、射殺される。
「では、捜索隊に連絡してください。
手荒な真似はしないように、と」
「そう言われましても・・・逃げた少女に対しては、発砲警告と、威嚇射撃を済ませています。
その上で逃げ出されたわけでして・・・」
次は撃つってことかよ。
「とにかく、担当の高等人がここにいるんだ。
あんたらは、すっこんでいてもらおうか」
「それはできません。
もし、少女がこの町を出るようなことがあったら、私どもの責任が問われます」
まったく、マニュアル社会万歳だぜ。
「そもそも、自分の担当している罪人に逃げられるなんて、あなたの管理能力に問題があるのではありませんかな?」
これ以上、こいつと話しても時間の無駄だ。
向日葵を目掛けて、地面を蹴った。
・・・。
背の高い向日葵の間を縫うように進む。
闇雲に走り回るわけじゃない。
折れ曲がった茎を見つけ出す。
それは、人が向日葵をかき分けて通った跡だ。
「それにしても、なんで逃げるかね・・・」
よっぽど焦ってたんだろうか。
それとも、あの検問官たちに手荒な真似でもされたのだろうか。
あいつらは、灯花がこの町を出るようなことがあったら責任を問われるとか言っていたが、そんなことは、まずありえない。
検問所を通らずして、この町から逃げ出せるわけがないのだ。
たとえば、検問所を避けて山越えを試みたとする。
おれは一度通ったからわかる。
この向日葵畑を抜けると、とあるいわくつきの丘に出る。
そこは古戦場だ。
七年前の内乱が残した不発弾や地雷が地面にたくさん埋まっている。
さらに進むと、標高三千メートル級の山々が待ち構えている。
とてもじゃないが、灯花みたいな普通の女の子がなんの装備もなく踏破できるほど甘くない。
ちなみに、特別高等人候補生の多くはこの町にたどり着けずに死んだ。
おれたちは、検問所を通ることを許されなかった。
山越えが、試験の一環だったからだ。
運良くこの町にたどり着いたのに、遅刻したが最後、殺されてしまった人のことを思う。
南雲えりさんだったか・・・。
惜しかったな。
あんたの分までがんばるとか、そういう気持ちにはなれない。
高等人の試験は、段階が進めば進むほど、死と隣り合わせになる。
彼女も、覚悟していただろう。
そこで、ふと、妙なことを思いつく。
要するに、この町そのものが、閉鎖された監獄じゃないだろうかと。
・・・・・・。
・・・。
「はあっ・・・」
雑草や向日葵の根で生い茂った地面をよく観察する。
不自然に折れ曲がった雑草・・・そこだけぽっかりと踏まれたような靴の跡があった。
灯花のものにしては大きすぎる。
検問官も、ここを通ったってワケだ。
こうして、足跡による追跡を試みているものの、灯花の足跡は一度も発見できていない。
てっきり逃げ惑っていると思っていたが、実はじっと動かずに、隠れているんじゃないだろうか。
そうなると、逆に発見しづらい。
「腰を抜かしたか、どこかで気を失っているのかも・・・」
向日葵の太い茎をかき分け、道を切り開いたときだった。
「うっ!?」
何かがおれの顔に向かって跳ねた。
手で触って確認してみると、それは粘着質な赤黒い液体だった。
よく見ると、同じ色が向日葵の葉に付着している。
――血だ。
この暑さでまだ固まっていないということは、犠牲者は、まだ近くにいるはず。
点々と先に続く血の跡を追う。
冷静に、最悪のケースを想定しながら。
・・・。
「脅かしやがって・・・」
血を流していたのは、野うさぎだった。
向日葵の種を求めて迷い込んでしまったのだろう、胸の辺りを弾丸が貫通している。
しかし、誤って発砲したにしては、クリーンヒットしすぎだぜ。
射撃の腕はなかなかのもんだ。
お役所仕事で溜まった日ごろの鬱憤でも晴らしたのか。
かわいそうに・・・まだあたたかいじゃねえか・・・。
埋めてやる暇はない。
向日葵の葉っぱを数枚ちぎり、うさぎの体の上に、まるで布団でもかけるように、置いてやった。
・・・ちくしょう、後味悪いな。
いよいよ急がなきゃならない。
ヤツラ、灯花を見つけたら、見境なく撃ち殺すぞ。
口の中で合わさった奥歯がきしんだ。
・・・・・・。
・・・。
太陽が傾いてきた。
乱立する向日葵も、西の方へ顔を向けている。
おかしいな・・・。
あらかた探し回ったはずなんだが・・・。
―――パンッ・・・・・・!!
銃声!?
焦る気持ちを抑え、音の方向へ駆け出す。
「おい、撃つな!!!」
おれの叫びが聞こえたのか、向日葵の向こうから、返事が帰ってきた。
「誰だ!?」
「高等人の森田だ。
少女はおれが探すから、あんたらはもう帰っていいぞ」
「それはできかねます」
「固いこというな」
言いつつ、近づく。
「罪人を逃がすわけにはいきませんので」
「灯花は罪人じゃねえよ」
親が勝手に義務を押し付けただけだ。
「とにかく発砲はよせ。 相手は少女だぞ」
「不当に逃亡しようとする罪人は、射殺してもよいという規定がありますので」
男の姿がうかがえる位置まで来た。
「・・・そうかい。
・・・そこまでいうなら仕方がないな」
瞬時に飛び出す。
不意を突かれて気が動転したのだろう。
男は銃口をこちらに向けて、引き金に手をかけた。
けれど、男の人差し指が曲がるよりも早く、おれは頭を下げた姿勢で男の腹に体当たりをくれてやった。
よろめいた男の体は、向日葵の太い茎に衝突して種を撒き散らした。
その胸倉をつかみ、ぐいっとねじり上げる。
拳銃を払い落とすことも忘れない。
「こ、公務執行妨害だぞ!?」
真っ赤に染まった顔で、生意気なことをぬかしている。
「お役目ご苦労さま。
ただし、おれだって、灯花を監督しているんだ。
おれの邪魔をしようとしているあんたも、十分に公務執行妨害だぜ?
裁判で争ってみようか? 言っておくが、おれは金持ちだぞ」
「・・・・・・」
「頼むから帰ってくれ。
お前らみたいに拳銃持ったおっかない連中に追われてたんじゃ、そりゃ、灯花も逃げ出したくなるって」
そうして、ひとつ、こいつらが大好きな言葉をくれてやる。
「責任は、おれが取る」
男の目の色が変わる。
「あんたらは十分働いてるよ。 真面目すぎるくらいにな」
「・・・わ、わかりました」
「どうも・・・」
男を解放する。
彼は腰に下げた無線機で、仲間に連絡を取り始めた。
撤収の声を確認すると、おれは再び向日葵の海の中を疾走した。
・・・・・・。
・・・。
夜になってしまった。
「おーい! 灯花!」
ライトの明かりだけが頼りだ。
「とおぉーかあぁーーーーーっ!!!
返事しろや! いるんだったらいるって言え!
いないんだったらいないって言え!
灯花! 灯花! 灯花!」
――んっ!?
「・・・るさいよ・・・」
いた・・・。
「なにやってんだ?」
向日葵によしかかって、膝を抱えている少女がいた。
「うるさい」
「家出、失敗だな」
「うるさいっ!」
「もう一度聞くけど、なにやってんだ?」
「うるさいうるさいうるさい!」
「ふてくされんなよ。 ほらっ、帰るぞ」
手を伸ばす。
が、無視される。
「・・・大人は何もわかってくれないんだ」
「大人だって何もわからないんだよ」
「向日葵の種、たくさん頭についてるよ?」
「面白いか?」
「ぜんぜん・・・」
「なんで、検問所で逃げたりしたんだ?」
・・・危うく殺されるところだったぞ。
「だって、家に送り返すって言われて・・・」
「それが彼らの仕事なんだから仕方がないだろう?」
「で、でも・・・いきなり撃ってくるなんて・・・」
怖かったろうな。
「・・・町から、出られないなんて・・・知らなかった」
「まあ、ちょっとした社会勉強になっただろ?」
「偉そうに・・・」
力なく言う。
「帰ろうや。 京子さんも心配してるぞ?」
「帰りたくない・・・あの家は息苦しい・・・」
「おいおい・・・」
大音家は、母子家庭というだけで、そこまで不幸な家庭には見えないぞ。
まあ、幸福か不幸かなんて、他人が決めるものじゃないけれど。
・・・・ちょっと、こいつの性根を叩き直してやりたくなってきたな。
昼間から駆けずり回って疲れていたおれの口調は、自然と荒々しくなった。
「お前って、ホントにガキだな」
「・・・・・・」
「父親に会いたいのはよくわかったけど、いきなり家を飛び出してどうするんだよ?」
「う、うるさい!
昨日一晩ベッドで考えて、自分なりに決めたんだよ!」
「無計画すぎるよ。
町から出て、それからどうするつもりだったんだ?」
「・・・そ、それは・・・。
とにかく、もうお母さんの命令なんて聞きたくないのよ。
朝起きて、運動して、勉強して、掃除して・・・」
「それが、そんなに大変なことか? 普通の家庭の親でも同じようなことを命令してくると思うぞ・・・」
「でも、守らなかったら大変なことになるって言われてたら、なんだか息苦しいよ」
「しかし、京子さんは、たとえお前が命令に違反しても、かばってくれてたんだろ?」
「ん・・・」
思い当たる節が、多々あるようだ。
まったく、義務なんて名ばかりだな。
「なんにせよ、帰る家があるってのはいいことだろう?
こういうのを比較するのはどうかと思うけれど、おれも、さちも、なっちゃんも、磯野も、一人暮らしなんだぞ。
お前は母子家庭な義務とか言っていたけれど、おれたちは両親がいない義務だよ。
それが、普段の生活において当たり前になっているからたいして不幸にも思わないだけの話でさ、ふと、お前を見ていると、片親でも親がいていいなあって思う瞬間もあるのかもな」
「み、みんな、そう思ってるのかな?」
「いや、おれはお前をうらやましがるようなことはないよ」
「そっか・・・」
いまの話は効いたようだ。
「わ、私・・・ちょっと・・・。 ああ・・・」
悩ましげに細い息を吐いた。
「そっかぁ・・・ああ・・・」
大音灯花は、優柔不断で行き当たりばったりなところがあるけれど・・・。
「ちょっと・・・ぜいたく言ってた・・・」
・・・優しい、女の子だった。
・・・。
町へ向かって、夜道を歩く。
「お母さん・・・許してくれるかな?」
「お前は、今日の朝、京子さんのメモを見る前に家を出たんだ。
少なくとも義務の違反はない」
「心配してるだろうね・・・」
「ああ・・・朝なんか、まるで別人みたいだったぞ」
「そう・・・悪いことしたな・・・」
おれの耳に、しょんぼりとした吐息がかかる。
「つーか、なんでおれがお前をおんぶしているんだ!?」
「えっ? なにをいまさら・・・」
「腰が抜けてただと!?」
「だ、だって、銃を持った人に追いかけ回されてたら・・・そりゃあ、腰の一つや二つも抜けるってものでしょう?」
「よく捕まらなかったな。 悪運だけは無駄に強そうだな」
「・・・もう、下ろして。 自分で歩く」
いきなり機嫌が悪くなったらしい。
「・・・家まで連れてってやるよ」
「お、下ろせ。 下ろせってば、馬鹿!」
「な、なんで暴れるんだ!?」
・・・。
「はあっ・・・いきなりなんなんだよ?」
「むぅ・・・」
「だから、なぜにらむ?」
顔を真っ赤にして。
「こ、こんなところをお母さんに見られたら恥ずかしいでしょう?」
「はあ?」
「つきあっているわけでもないのに・・・馴れ馴れしいのよ森田賢一は・・・」
「はあ・・・」
・・・やっぱり、食生活が不安定だから、情緒も不安定になるんだろうな。
「だいたい、頼んでもいないのに、私を助けに来てくれ・・・あ、いや・・・。
勝手に探しに来るなんて、森田賢一も本当に暇人なんだね・・・」
「いや、仕事ですから」
「仕事? 仕事だから、私の面倒見てるっていうの?」
「ええ、まあ・・・そういうこともあります・・・」
「なんなのよ!」
・・・お前がなんなんだ。
「森田賢一みたいに、暇人で、変態で、偉そうで、タバコ吸ってて、変態で、いつもニヤニヤしてて、変態で・・・」
なんか知らんが、ボキャブラリーを総動員しているらしい。
変態、が多いな。
「森田賢一なんか、も、森田賢一・・・森田けん、けん――あっ!」
舌を噛んだらしい。
「あつつつつ・・・」
「あのよぉ・・・呼びづらいならやめろよ、フルネーム」
「くっ・・・!」
「何度も聞くけど、なんでフルネーム?」
「だ、だって・・・賢一って呼ぶのも、慣れ慣れしいじゃない?」
「はあ・・・」
「で、でも、森田って呼ぶのも・・・他人行儀でしょう?」
「ええ、まあ・・・。
いや、お前はさちのことをさちって呼ぶし、磯野のことは磯野って呼ぶじゃないか?
なんでおれだけダメなんだ?」
「も、森田賢一はダメなの!」
「はあ・・・」
なんか、付き合いきれんな。
「帰るぞ・・・」
「・・・け」
「ん?」
「・・・けん、いち」
「はい?」
「け、賢一・・・」
「うん。 おれは森田賢一だ」
「けんいち・・・けんいち・・・」
「け、賢一ですけど?」
「ふ、ふふっ・・・けんいち・・・」
なんか、怖い・・・。
「だ、だいじょうぶか?」
「あっ、き、気安く触らないでよ!」
我に返ったようだ。
「しょうがないから、賢一って呼んであげる!」
「はい」
「馴れ馴れしいって思わないでね!
あんたがしつこいから、しょうがなく名前で呼んであげるだけなんだからね!」
「はい」
「わかればいいのよ・・・じゃあ、賢一、おんぶしてよ」
「はい」
灯花の手を取る。
「・・・ん?」
小刻みに震えていた。
「な、なによ? 早くおんぶしなさいよ」
「怖かったか」
そう言って、抱き寄せる。
「な、ば、バカ! へ、変態っ! はなせっ!」
「まあまあ」
「は、はなせ、はなしてよぉ・・・」
「まあまあ」
「い、いいかげんに・・・」
威勢の良さも、徐々にしぼんでいく。
灯花のことだ、拳銃なんて初めて見たんじゃないか?
「うぅ・・・ん・・・」
「落ち着いたか?」
「うん・・・」
「もう、心配ないよ。
怖い目にあわせて悪かったな」
「・・・賢一は、悪くないよぉ」
耳に響く、甘い声。
おれの眼下で、胸に顔をあずけてくる灯花は、いつもより小さく見えた。
「・・・りが、とう」
「うん?」
「ありが、とう・・・うれしかった・・・泣きそうだった・・・。
真っ暗で・・・このまま誰も助けに来てくれないのかなって・・・」
ぽつりぽつりと心情を吐露する灯花に、おれは相槌を打ち続けた。
灯花がしゃくりあげるような声を上げると、おれの胸がシャツの外側から熱くなっていく。
・・・。
「あ、あのね賢一・・・こういう話知ってる?
女の子が、一番初めに恋をする相手は、お父さんなんだって」
しんみりしがやって・・・。
「お、お父さんって、こういう匂いなのかな?」
顔をうずめてきた。
土の匂いに混じって、灯花の、女の子の匂いが鼻の奥に広がった。
「けんいちぃ・・・」
灯花は、おれに甘えたいようだった。
しばらくの間、好きなようにさせてやった。
おれとしても、誰かに頼られるというのは、心地いいものだった。
・・・・・・。
・・・。
「お母さんに悪いことしちゃったなあ・・・」
遠くに町の明かりが見えてきた。
「私が、ビスケットの缶とか隠し持ってるように、お母さんだって、言いたくないことあるよね」
「え? それでいいのか?」
「う、うん・・・お父さんには会いに行きたいけれど・・・。
・・・お母さんが困るって思うと・・・なんだか、私ってわがままだなあって思うの」
「いや、それは我慢しているだけだろ。
本当は、お父さんのことを詳しく知りたいんだろ? だったら、京子さんとちゃんと話をしようや」
「そ、そうしたほうがいいかな?」
「すっきりしないだろ?」
「でも、お母さん、お父さんのことになると、すごい怖い顔するし・・・」
「たとえ、そのことでちょっとケンカしても、すぐに仲直りできるさ。
親子っていうのはそういうもんだろ?」
いまの臭いセリフは、ただの知ったかぶりであって、おれの悪い癖であり、安いテレビドラマからの引用である。
「・・・そうだね」
灯花にはヒットしたようだ。
「お母さんね、私にあれこれいうんだけど・・・なんだかんだでやさしいと思うの・・・。
だって、ほら、私って運が悪くて、よくミスをするじゃない?」
・・・そりゃ、お前がただドジなだけで、運の悪さは関係ない。
「頭ぶつけたり、お風呂で寝そうになったときは、いっつもお母さんが助けてくれるの。
顔色を変えて、私の名前を読んでくれるの。
ご飯は作ってくれないけれど、いつも一緒に食べてくれるの」
「ほお・・・」
それはちょっと盲点だったな。
「私、ひとりでご飯食べた記憶があんまりないよ」
「いいね・・・京子さん・・・。
灯花の言うとおり、お前のことちゃんと考えてるじゃないか」
「でしょ・・・?」
軽く笑った。
「じゃあ、帰って粗末なメシでも食おうか」
「うん。三人でね・・・」
食卓に、母親の手料理が並ばない家庭はおかしい。
母親が、別れた夫のことを子供に話さない家庭はおかしい。
それは、おれのような第三者が勝手に決めつける常識というヤツであって。
「お母さんも、お腹すかしてるだろうねっ」
当人たちの笑顔の前では、余計なお世話というものだった。
ただ、それでもおれは、そんな笑顔がいつまでも続くとは思えなかった。
・・・・・・。
・・・。
「灯花!」
案の定、京子さんは家の前で娘の帰りを待っていた。
「あなた、どこでなにやってたの!」
猛然と駆け寄ってくる。
それに対して、灯花はすまなそうにうつむいていた。
「ごめんなさい・・・」
「謝らなくていいわ!」
「ごめんなさい・・・」
「だから、どこでなにやってたのって聞いてるでしょう?」
「ごめんなさい・・・」
「・・・ああ、もう、怪我はない?」
おろおろと、灯花の体を点検するように触れる。
「うん、平気・・・平気だよ、お母さん」
照れくさそうに笑う。
「さあ、メシにしましょう。
朝から何も食っていないんで、腹が減ってるんです」
「うん。私もお腹すいたよ・・・」
「待って」
ん・・・!?
不意に、京子さんの雰囲気が変わった。
「灯花、質問に答えなさい。 どこへ行こうとしていたの?」
姿勢を正して、灯花を見据えた。
「え、えっと・・・町の外へ出ようと・・・」
「出られるわけないでしょう!?」
声を張り上げた。
母親として、間違いを犯した娘を叱ろうとしている・・・?
それにしては、京子さんに余裕が無さすぎる。
「どうしてそう、あなたは無知なの?」
「む、無知って・・・」
「罪を犯した人はね、簡単に町から出られないのよ。 学園で教えたでしょう?」
「・・・わ、忘れてたの」
「自分から勉強しなさいってあれほど言ってるでしょう?
私に言われるがままに机に向かうから、効率も悪いし、いつまでたっても知識が身につかないのよ」
「京子さん、ちょっと落ち着きませんか?
夜も遅いですし、近所迷惑に・・・」
「森田くんは黙ってなさい!」
「・・・・・・」
「灯花・・・町を出てどうするつもりだったの?」
「そ、それは・・・。
お、お父さんに・・・会いに・・・」
「忘れなさいと、あれほど言ったでしょう!
どうしてお母さんの言うことが聞けないの!」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
「あなたは私の娘なのに、私の娘なのに、どうして、どうしてっ!?」
わめき散らしながら、あろうことか、手を振り上げた。
「やめろっ!」
止めようと伸ばしたおれの腕は間に合わず、冷たい手のひらが灯花の頬に打ちつけられた。
・・・。
『お母さんに悪いことしちゃったなあ・・・』
夜道を歩いているときの、優しげな表情が思い浮かんだ。
「ひっ・・・!」
その表情が、絶望に染まる過程をゆっくりと味わった。
「あ、あ・・・」
「・・・・・・」
震える灯花とは対照的に、京子さんは冷静だった。
恐ろしいほどに、冷静だった。
「やっぱり、あなたには、もっとしつけが必要ね。
義務を負っているのだもの。
もっと自由を奪われるべきよね。
そう。 そうだわ。 やっぱりね。
前々から甘い甘いと思っていたのよ・・・。
世の中に、社会に貢献できないような子供はただのお荷物。
大音家から、そんな恥ずかしい子供を出すわけにはいかないわ」
あまりにも不気味なつぶやきに、おれは言葉を失っていた。
その不気味さの、理由がわからないから、恐ろしい。
「今後、外出を禁止します。
友達と遊んではいけないわ。
そうね、口を利いてもいけないわ。
これから、あなたが会話してもいい人間は、私と担当の高等人である森田さん、それから法月先生だけよ」
「そ、そんな・・・」
「許可なく部屋から出てはダメよ。
トイレに行きたいときも、私に確認するように。
それから、一日一回、ちゃんと勉強しているかどうか成果を見せてもらいますから。
さぼってても、わかるんですからね。
娯楽は一切禁止。 あなたがこっそり聞いているラジオも、もう没収ね」
全部、知ってたか。
「食事は部屋に届けるから、いちいち居間に出てくる必要はないわ」
「そ、それって・・・ひとりで食べろってこと?」
恐る恐るたずねた。
「仕方がないでしょう?
あなたは寝る間も惜しんで勉強しなきゃいけないんだから。
そうそう、睡眠時間も一日六時間ね。
夏休みだからっていつまでもだらだら寝ていたらダメよ。
特別高等人を目指す灯花は、朝から晩まで勉強して、いい大学を出て、周りの人間から認められるような人間にならなければいけないの。
わかるでしょ?
いいわね? 森田さんもよろしくお願いします」
頭を下げられた。
「それじゃあ、早速部屋に戻りなさい。 勉強するのよっ!」
「う、うぅ・・・」
灯花は突然の母親の変化に、なすすべもない様子だった。
「返事をしなさい」
「お、お母さん・・・どうしちゃったの?
ごめん、ごめんなさい・・・。
勝手に家を出たこと、謝るから・・・。
そんなに、怒らないで・・・」
「いいから、部屋に戻りなさい」
「お母さん・・・」
子犬のような目で母親を見ている。
「森田さん、聞き分けのない娘を連れて行ってくれるかしら?」
・・・仕方がない。
「灯花・・・ほらっ」
「・・・うぅ」
灯花の肩を抱いて家の中へ。
ちらりと京子さんを見た。
「・・・っ・・・うぅ」
おれたちに背を向けて、呆然と立ち尽くしていた。
・・・。
灯花は部屋にこもったまま、出てこない。
いや、出てこられない。
京子さんも書斎に入ったきりだ。
・・・まいったな。
こりゃあ、灯花よりも京子さんに問題があるぞ。
いっそのこと、親権者適正研修に行ってもらって人格を矯正してもらったほうが良かったりして・・・。
なんて、な。
明日になったら灯花をとっつぁんのところへ連れて行こう。
灯花、落ち込んでるんだろうな。
・・・京子さんも。
・・・。