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車輪の国、向日葵の少女【27】


・・・
次の日、朝一番で電話がかかってきた。

電話に出たのは、京子さんだ。

「・・・・・・」

おれと灯花は、固唾をのんで見守った。

「ええ、わかりました・・・灯花に聞いてみます」

その言葉を最後に、京子さんは受話器を置いた。

「どうでした?」
「どうだったの?」

おれたちは、京子さんを囲む。

京子さんは息を詰める。

「えっと・・・つまり、幸喜が灯花の親権を取り戻そうとしているのよ」
「親権の回復、ですか」

昔は荒れていて、子供の親権を喪失させられた家庭でも、裁判所の許可があれば、親権を回復することができる。

けれど、そのためには裁判所の調査員が、大音幸喜の身辺や素行を調査する。

「いまは、二人とも、幸せな家庭を築いているそうよ」
「本当でしょうか? 京子さんに送りつけられてきた、あの手紙を見る限り、とても、幸喜さんが更生しているとは思えませんが?」
「幸喜はいま、レストランに勤めているそうよ」

そして、京子さんは、その店名を言った。

「・・・VIP御用達の超一流レストランじゃないですか」

おれも行ったことがあるのでわかる。

「お、お父さん・・・やっぱり、料理する人なんだ・・・」

灯花が、自分の記憶を納得させるかのように頷いた。

「あの手紙については、素直に謝られたわ。
どうかしてたって。酔った勢いで、とんでもないことを書いてしまったって」
「それで? いまの俺は、昔の俺とは違うから、灯花を俺に預けてくれと?」
「・・・そうね。佐知代さんも、保育士の仕事について、家庭は円満だそうよ」

親権を喪失させられるほど荒れていて、しかも灯花に虐待まで加えていた家庭が、よくそこまで再生したものだな。

・・・だが、役所の調査が入るなら、嘘はないのだろう。

「・・・困りましたね」

灯花を見る。

「な、なにが?」

事情がよく呑みこめていない様子だった。

「知っての通り、京子さんは、お前の本当の母親じゃない。
後見人っていう、お前の親権を任された、いわゆる親代わりなんだ」
「あ、うん・・・」
「だから、灯花の本当の両親が名乗り出て、灯花の親権を取り戻そうとした場合、京子さんはそれを拒否することができないんだ」
「え、えっと・・・ということは・・・?」

はっと、息を呑んだ。

「わ、私・・・都会に? お父さん、あ、幸喜さんと、佐知代さんっていう人たちと一緒に暮らすことになるの?」
「それはわからないが、少なくとも、お前の親権は京子さんから、幸喜夫妻に移る」
「じゃあ、義務も・・・?」
「そういうことだ。

今度は、京子さんじゃなくて、大音幸喜とその妻の佐知代さんの命令を受けることになる」

・・・だから、義務の解消手続きが遅延していたんだな。

灯花の親権を巡って、裁判所がごたごたしていたわけか。

「灯花、どうする?」
「え?」

「どうするとは?」

「あのね、こう言われたの。
幸喜は、親権の変更を申し出ているけど、灯花が私と一緒にいたいのなら、申請を撤回するって」

・・・良心的な計らいだな。

「え、えっと・・・?」
「良かったな、灯花。けっきょく、いままで通りだよ」
「ご、ごめん、私、複雑なの苦手・・・」
「お前、京子さんと一緒に暮らしたいだろ?」
「うん・・・」

だと思った。

「じゃあ、なにも気にすることはない。お前が、京子さんを選ぶなら、向こうも親権の回復を裁判所に申し立てないってさ」
「じゃあ、なにも変わらないってこと?」
「そうだな。無駄に冷や汗かかされたけど、幸喜夫妻もなかなか人間ができているというか・・・ねえ、京子さん?」
「確かにね。有無を言わさず、灯花を・・・その、取られてしまうかと思ったわ」
「えっと、難しいこと、なんにもないよね?
私が、お母さんと一緒にいたいって言えば、全部解決するんだよね?」
「そうだよ」

おれも、大きく息をついた。

「まったく、驚かせやがって・・・。
またとっつぁんの罠かと疑ったのは、おれだけじゃないだろう?」
「な、なに一人でぶつぶつ言ってるのよ?」
「はは・・・なごませようと思って」
「そ、そうよね、昨日はちょっとびっくりしたけど・・・」
「とっとと、朝飯にしましょう。軽いものなら、おれが作りますから」

そう言っておれは、台所に入った。

居間では、灯花と京子さんが、苦笑しあっている。

なにも問題はなさそうだった。

 

 

 

・・・
パンを焼いただけという質素なメニューの朝食が終わって、灯花はすぐに部屋に戻った。

「おーい・・・」
「あ、なによ・・・入って来ないでよ・・・」
「とんがるなよ。また、一人でギャグ漫画でも読もうってのか?」
「・・・・・・」

思った通り、元気がない。

「いきなり電話がかかってきて、ちょっと、びっくりしたよな・・・?」
「・・・うん、頭、混乱しちゃったよ・・・」
「どう思った?」
「どうって?」
「だって、お前の本当のお母さんとお父さんからの電話だぞ?」
「そ、そんなこと聞いてどうするのよ!」
「・・・・・・」
「あ、ごめん・・・私に、気を使ってくれてるんだよね?」
「思ってること、吐き出したほうがいいぞ?」

灯花は、京子さんが本当の母親じゃないと知ったときも、特に不満を漏らさなかったんだ。

灯花は、一瞬、目を伏せた。

「お父さん、やっぱり、優しそうだったよ・・・」
「そっか・・・」
「前も、電話かかってきたでしょ? そのときと同じように、私の名前を呼んで、いまにも泣き出しそうに、それでいて安心したように・・・」
「いいね」

とても、あの手紙を出した人物と同一の人間像とは結べないな。

「佐知代さん・・・に、聞いたんだけど、お父さんも、ちょっと心に傷を負っている人みたいで、たまに、おかしくなっちゃうこともあるんだって」

・・・もっともらしい理由ではある。
確か、京子さんと一緒に、暗い家庭で育ったんだったな。

「でも、夫婦で二人でがんばって、カウンセリングとか受けて、立ち直ろうとしてるんだって」
「お母さんは、どうだった?」

お母さんという言葉に、ぴくりと肩を震わせた。

「お母さん、佐知代さん・・・は・・・。
・・・なんだか、きりっとしてた。丁寧な口調で、はっきりと自分の言いたいことが言えてるって感じがした。
私が、おろおろしているのに、お父さんが普段はものすごくいい人だっていうことを強調してた」
「なるほどねえ・・・」

まともな人みたいだな。

「会いたくなった?」

灯花は、また視線を逸らす。

「お母さんが、なんて言うかな?」
「反対はしないだろうな・・・でも、家出だけはよせよ」

軽く笑って、灯花の笑みを誘う。

「・・・もう、バカな真似はしないよ」

京子さんが大事なんだな。

「なんかね、実感ないんだよ。
いままでずっと、のんびり暮らしてきたのに、最近になって急に、身の回りがごたごたしてる感じかな。
お母さんが、お母さんじゃないと思ったら、次は本当のお母さんが出てきて・・・。
ちょっと、休ませてほしい。落ち着いて、ゆっくり考えたいよ。
考えても、きっと答えなんて出ないんだろうけどね・・・」
「でも、京子さんと一緒に暮らすんだろ?」
「うん・・・お母さんは、お母さんだから。
いままでずっと一緒に暮らしてきたんだから。
甘いもの禁止されて、毎日お弁当ばっかりで、たまに怒られて、最近は一緒にゲームして・・・。
とにかく、一番実感があるのが、お母さんだから」
「じゃあ、いままでと、なにも変わらないな」

灯花は、満足そうに頷いた。

「そういえば、昨日は、残念だったな。京子さんの料理・・・」
「いいんだよ」

たしなめるような口調。
灯花は、京子さんの手料理を待ち焦がれていたはずなのに。

「ふぅーっ、ちょっと昼寝しよっかなぁ・・・」

疲れたのかな。

「ぐうたらしやがって・・・」
「うるさい、出てけ・・・」
「けっ・・・」

部屋を出るとき、灯花がベッドに飛び込む音がした。

本当に、疲れているらしい。

 

 

 

 

・・・
灯花が起きてきたのは、昼過ぎだった。

「灯花、具合大丈夫?」
「ん?」
「なんだか顔色が悪いわよ?」
「気のせいだよ」

灯花は身体の調子を確かめるように、首を回した。

「リンゴ、食べる?」
「ありがとう」

何気ない会話の中に、お互いを気遣うような優しさを感じた。

少し気になる事態もあったが、まだまだ大音家は和やかだった。

 

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「こんにちはー」
「お、いいところに」
「帰ります」
「なんでだよ!」
「歓迎されるとは思わなかったので」

ひねくれてんなあ。

「いや、ホント、優しさとか温もりとかやめてください」
「磯野くん、ラブレターは受け取ったわよ」

リンゴを切りながら、京子さんが言う。

「もちろん、結婚してくれるんですよね?」
「磯野、いいかげん、しつこい」
「しかし、京子さんも明確な返答をくれないんですよ」

「いや、しつこいくらいに無理だと言っているから」
「そこをなんとか」
「・・・もう・・・困った人ね」
「僕はね、京子さん。人前で言うのもなんですが、真性のドSなんですよ」

「はあっ!?」

「ですので、京子さんみたいな危うい人が大好きなんですよねー」
「危うい?」
「ええ・・・限りなく黒に近い灰色といったところですかね」
「まるで、容疑者のように言うのね」
「容疑者だなんて、とんでもない」

磯野にしては珍しく真面目な顔をして、京子さんを見据えた。

「世の中には法律では罰せられない罪を犯している人がたくさんいるんですよ。
この森田くんのように」

「なんだと?」
「そういう人を、なんというか知っていますか?」
「犬か?」
「・・・犬以下です」

 

「だ、だから私は、負け犬なんかじゃないわ・・・!」
「じゃあ、結婚してくださいよ」
「なんでそうなるのかしら・・・。
磯野くんと話をしていると、頭がおかしくなりそうだわ」

「帰れ!」
「そうだ、帰れ!」

今日の磯野は、なんだか気に入らないぞ。

 

「森田くんと、サシで話がしたいな」

 

おれを見て、軽くあごをしゃくった。

「いいだろう。表に出やがれ」

 

「け、ケンカはやめなさいよね・・・」


おれは磯野の後に続いて、外に出た。

 

 

 

・・・
「・・・さて、今日という今日は、お前を問い詰めてやる」
「クク・・・高等人の試験はどうだい?」
「なんで、そんなことをお前に話す必要がある?」
「気になるからだよ。親友として」

・・・なにをたくらんでるんだ?

「・・・ちょっと、灯花の監督が無駄に長引いているが、ほぼ順調だろうな」
「どうして、高等人を目指してるんだ?」
「さあな」
「気になるなあ・・・とっとと話せよ」
「じゃあ、お前の目的を話してもらおうか」
「僕? 僕の目的は、この国を転覆させることだよ」
「・・・おいおい、冗談でも捕まるぞ?」
「これが、冗談じゃないんだよね。
三郎さんが残した情報さえあれば、ある意味実現可能かもしれない」

「本気なのか?」

「・・・君にはぜひ協力して欲しいな」
「あきれたよ、磯野・・・。

前々からイカれた野郎だとは思っていたが・・・」
「ところで、京子さんのことなんだが」
「聞けよ!」
「あの人、相当無理してるんじゃないか?」
「・・・よくわかるな」
「だって、この前は異常にはっちゃけてたのに、今日は普通のお母さんだったぜ?
人格大丈夫なのかな?」
「お前が言うなよ」
「・・・とにかく、京子さんを支えてやってくれ」
「はいはい・・・わかったよ」
「僕はしばらく家にこもって、反乱の準備をしているから。
もう、僕の助けを期待するなよ」
「もとから、期待してねえよ」

「それじゃあな、『ケン』・・・」

 

「・・・・・・」

 

そうして、磯野は去っていった。

 

おれは、いい加減、確信した。

 

どういうわけか、あいつは、おれを知っている。

 

 

 

 

 

・・・
「今日のご飯、どうしようか?」
「あ、私が作ってもいい?」
「灯花が・・・?」
「うんっ。お母さんに食べてもらいたくて」
「そうね・・・ただ・・・」

何気なく、台所の辺りに視線を漂わせる。

「あまり、食材もないから、また今度にしてもらおうかしら?」
「久しぶりに、外食ってのはどうです? 商店街にでも行きませんか?」

京子さんに、助け舟を出してやる。

「それもいいわね」

「・・・・・・」

灯花は、おれと京子さんの顔を交互に見比べた。

「なら、賢一のおごりね」
「ち・・・言いだしっぺだし、しょうがないか」

 

 

 


・・・
夕焼け色に染まる商店街。

おれたちは、三人で寿司屋に入った。
以前、さちと、まなと、一緒に来たことがある。

あいつらは、死ぬほど食っていたが、この親子は違った。

小粋なのれんを押しのけて、店から出てきた。

 

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「そういえば、私、ウニとかいくらとかダメだったのよ」
「私も、マグロとか鯖とかぜんぜんダメ」
「おいおい、寿司屋に来たかいがなさすぎるぞ」

「だって、なんだか高級なモノが食べたかったんだもの」
「たまには、生モノもいいかなって」

「・・・おごりだと思って、いい根性してやがるな」
「それにしても、森田くんはお金持ちね」
「なんで?」
「さらっと、大金を出したじゃないの?」
「金はありますよ。お宅の娘さんを料理の専門学校にいかせるぐらいなら楽勝な金を持っています」
「そう? じゃあ、娘をもらってくれるかしら?」
「ちょ、ちょっと、お母さーん!」
「ふふふ・・・ちょっと、たちの悪い冗談だったかしら?」
「・・・もうっ!」
「なに赤くなってるの? ひょっとして本気なの?」
「そ、そんなわけ・・・!・・・くっ!
ほ、ほら、お父さんも料理上手なんでしょっ!?」
「あ・・・」

灯花が、慌てて口からこぼした言葉は、京子さんに重くのしかかったようだ。

「そう、みたいね・・・」
「ご、ごめん・・・」

灯花も、すぐに雰囲気を察する。

「どうして、謝るの?」
「あ、いや・・・お母さんは、お父さんと、あんまり仲が・・・」
「・・・いいのよ」

 

・・・急にギクシャクするなよ。

 

「さあさあ、帰りましょう。真夏とはいえ、日没は早くなってきましたからね」

けれど、京子さんは、自分の気持ちを抑えきれない様子だった。

「もし、そんなに料理を習いたいなら、幸喜に教えてもらうといいわ」
「え・・・それは・・・」
「・・・帰りましょうか」

・・・なんだか、義務に関係なく、この親子が心配になってきたな。

おれは、持ち帰り用の寿司をジュラルミンケースの中に入れて、親子の先を歩いた。

 

 

 

 

 

・・・
・・・・・・
家に変えると、電話が鳴っていた。

きっと、相手は大音幸喜だろう。

「灯花、出て・・・」

電話は、いつになっても鳴り止まない。

「あ、うん・・・お父さんかな?」
「だろうな・・・」
「じゃあ、はっきり言うね」

「・・・・・・」

「私は、お母さんと一緒に暮らすって」
「・・・・・・っ」

京子さんの唇がわなないたが、ついに、言葉を発することはなかった。

 

「――もしもし・・・大音です」

その瞬間、電話口から悲鳴のような声が漏れた。


――灯花、すまない!

「・・・あ、お、お父さんっ・・・!?」

大音幸喜は何度も繰り返した・・・すまない、すまない、すまない・・・。

謝罪の声が、受話器から漏れて、室内に響く。

「えっと、もう、いいよ・・・なにがなんだかわからないけど・・・。
私は気にしてないから・・・。
――え? 手紙? あ、うん、わかったよ。お母さんにも、私から言っておくね・・・。
うん・・・そ、そんなに謝られても・・・」

灯花の手が緊張に震えている。

「え、えっとね、お父さん・・・私、言わなきゃいけないことが・・・。
あ、うん・・・そうなんだ」

「・・・灯花」

そばに立つ京子さんは、不安に押しつぶされそうな顔をしていた。

「だ、だから・・・うん・・・うんうん・・・そ、そっか・・・。
・・・気持ちは、すっごいうれしいよぉ・・・。
えっとね、でも私は・・・え? ああ・・・すごいね、お父さん、有名なんだね。
・・・へえ・・・ただ・・・」

灯花は、なかなか切り出せないようだった。

「ああ・・・っと・・・そ、そんな、泣かないで・・・。
え? 私のため? わ、私のために、料理人に・・・?」
「・・・・・・」

京子さんが腰の辺りで拳を作り、何かに耐えるようにぎゅっと唇を噛んでいた。

「う、うん・・・そっか・・・」

灯花も、つらそうに、何度もため息をついている。

「あぁ・・・こ、困るよ、お父さん・・・えっと、えっとぉ・・・もう、謝らないで・・・」

灯花の眼差しがおれに向けられた。

困り果てていた。


―――【また、お父さんのケーキ食べたいなぁ・・・】―――


理想の父親が、電話の向こうで泣いているのだ。

それも、灯花のために。

「うぅ・・・うん、私も、お父さん、好きだよ・・・うん、信じてる・・・。
いまさら恨んだりとかしないよ、家族だし・・・」

・・・これは、長引くな。

「うん、料理はね、私も好きだよ。甘いものも・・・うん、うんっ・・・」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


通話は終わった。

灯花は、うつむいて、小さく言った。

 

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「・・・お母さん、ごめん・・・」

灯花は、言えなかったのだ。
自分が、京子さんを選ぶと。
京子さんは、何も言わない。
黙って、灯花を見つめるだけだった。


「寝ましょう」
「け、賢一もごめんねっ!」
「なにが?」
「だ、だって、私が早く決めないと、親権が決まらなくて、義務も解消されなくて・・・。
えっと、とにかく監督を長引かせちゃって・・・」
「気にするな」
「あぁ・・・こんなはずじゃ・・・」

頭を抱える。

そのとき、京子さんがゆっくりと灯花に近づいた。

「ごめんなさいね、家にお金がなくて・・・」
「え?」
「もう少し、よく考えてみなさい」
「な、なにを?」

京子さんはふっと笑った。

「私のように、料理もしない、家計も管理できない女と・・・。
優しくて経済力もある、血のつながった両親・・・」

灯花がごくりと喉を鳴らした。

「どっちを選ぶのかをね」

そう言うと、京子さんは静かに自室へ入っていった。

「あぁ・・・ど、どうしよう・・・」
「・・・・・」

灯花が、すぐさま、飛びつくような勢いで寄ってきた。

「・・・お、お母さん、怒っちゃったのかな?」
「怒ってはいないと思う」

悲しいんだろう。

「わ、私、お母さんに嘘ついちゃったよ・・・」
「・・・そういうこともある」
「で、でも、お父さんね、すっごいつらそうで・・・聞いていられなくて・・・」
「うん」
「一度はボロボロになった人生をね、私のためにがんばってくれてたんだって・・・。
立派な料理人になって、また私と一緒に暮らしたかったんだって」
「そっか、苦労したんだろうな」
「あの手紙はね、本当に、魔が差したんだって。
だから、やっぱり、すごい優しい人なんだよ!」
「そうだな。普段は優しいヤツほど、よく魔が差すもんだ。
新聞の三面記事を見てたらわかる」
「だから・・・私、もう、わけわかんなくなっちゃって・・・!」
「しょうがないな・・・とにかく、今夜は寝よう」
「あぁ・・・どうしよう・・・」

灯花は、もう自分のことしか見えていないようだった。

おれは、灯花を部屋まで送ることにした。

 

 

 

 

・・・
「・・・長引きそうだな」

持ち帰った寿司をテーブルの上に置いて、いつものようにぶつぶつと独り言をかます

「どうしよう・・・か。
灯花のお決まりのセリフが出ちまった以上、簡単には終わらないだろうな。
義務は、解消されたも同然だってのに・・・。
ただ、それでも、灯花は京子さんを選ぶだろうな。
でも、そのとき、京子さんが取る行動は・・・」

・・・うーん。

おれは、お茶を煎れながら思考を巡らし、ついに結論を出した。

「まあ、手を打っておくとしよう」

その日はあまり、寝付けなかった。

 

 

 

 

・・・
「おい、灯花。もう昼になるぞ?」

あまりに起きてこないので、様子を見に来た。

「うぅ・・・」

灯花は布団にくるまったまま、出てこようとしない。

「具合でも悪いのか?」
「・・・うん・・・もうちょっとしたら、起きる」
「なんか、欲しいものあるか?」
「・・・ビスケット」
「はは・・・寝起きでよく甘ったるいもの食えるな?」
「うるさい、その辺にあるから、取ってよ」
「はいはい・・・」

机の上にあった缶を、ベッド脇に置く。

「寝ながら食うなよ」
「あと、蜂蜜ジュース」
「それって、おれの?」
「うん。おいしい。うれしい。飲みたい」
「なんでカタコトになるんだよ。あれは、高いんだぞ」
「ちょぉだぁい・・・」

・・・急に甘えた声だすなよ。

「しょうがねえな・・・」

おれはこれみよがしに舌打ちをして、ジュースを用意してやった。

 

 

 

・・・
「灯花の様子はどう?」
「まあ、思ったよりは落ち込んでいないようですね」

京子さんは、ほっと一息ついて、肩の力を抜いた。

「あの子、私に嘘をついてしまったって、思ってるんじゃないかしら?」
「・・・昨日はそんなことを言ってましたね」
「気にする必要はないのに・・・」
「でも、本当に、灯花に選ばせるつもりですか?」
「ええ、もちろんよ」
「・・・もっと、あなたがプッシュしてみたらどうですか?」
「プッシュ?」
「私の娘は、誰にも渡さないわっ! って感じに・・・」
「・・・そうね」

気のない返事。

「でも、私も、灯花に嘘をついてしまったし」
「え? なんの話です?」
「おととい、料理を作るって言って、作らなかったから」
「そんな・・・嫌なことをぶり返さなくても・・・」

京子さんは頭を振った。

「灯花には自分の母親を選ぶ権利があると思うのよ」
「正論ですね」
「ダメかしら、こんな母親・・・」
「京子さん・・・あんまり寝てないでしょう? くまがひどいですよ」
「え? あらら・・・」
「顔洗って、出直して来てください。
ついでに、今夜は料理の一つでも、作ってください」
「料理を・・・?」
「嘘を嘘のままにしておくのもどうかと・・・」
「そ、そうね・・・やってみるわ・・・」
「約束しましたよー」

・・・とはいえ、本当に作ってくれるかどうかは、微妙なところだな。

 

 

 

・・・
「・・・おはよう、お母さん」
「お寝坊さんね。さっさと、顔洗ってきなさい。出かけるわよ」
「え? どこに?」
「買い物よ。食材を買いに行かなやいけないでしょう?」
「じゃ、じゃあ・・・今日は・・・」
「ええ・・・料理、作ってみるわね」

灯花の顔に花のような笑顔が広がっていった。

「い、急いで準備するねっ!」

駆け足で洗面所に入っていった。

「森田くんも、行く?」

・・・どうするかな。

「行きます。でも、ちょっと待ってください。
朝のダンスを踊って、俳句を一つひねって、むだ毛をチェックしますんで」
「置いていくわよ?」

 

 

 

 


・・・
「まだまだ、暑いねえ・・・」

灯花は、長袖だからな。

「クーラーでも買おうかしら」
「それ賛成」
「でも、お金なかったわ」
トイチで貸してあげますよ?」

「あれ? 日向さんじゃない?」
「おい、無視するな・・・って・・・なっちゃん
あ、なっちゃんだ。おーい!」

夏咲はスーパーの袋を手に掲げていた。

 

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「あ、みなさんおそろいで。どもどもです」
なっちゃん、買い物? なに買ったの? 教えて教えて」

「む・・・」

「・・・えっと、おかずとか、生活必需品とかですね・・・」
「買い物、好きなの?」
「えと・・・好きというか、しかたなく、ですかね・・・」
「ああ、わかるわかる。いちいち面倒だよね。
おれなんか、いっつも外食か弁当でさあ」
「は、はあ・・・」

 

「お母さん、買い物済ませちゃおうよ」
「そうね。先に行ってるわよ?」
「おれ、もうちょっと、なっちゃんと話してるわ」
「え? わ、わたしは・・・」

「行こっ・・・!」

灯花は京子さんの腕を引いて、スーパーに歩いていった。

「最近、どう? 変わったことない?」
「あ、いえ・・・別に・・・ぼーっとしているだけですから」
「遊んだりしないの? テレビみたり、漫画読んだりさあ。
灯花なんて、毎日ぐうたらしてるぜ?」
「いえ・・・ずっと寝てますから・・・」
「ああ、ひょっとして、おれウザい? ごめんね、暑いのに」
「あ、いや・・・ウザいってほどじゃないですけど、げ、元気だなぁって・・・」
なっちゃんが気になるんだよね。
まるで上京した息子を思う母親みたいに気になるんだよね」
「森田さんは、お母さんですか・・・」

ふっと、薄い目つきになった。

「お、大音さんは、お母さんと仲良さそうですね・・・」
「どうしたの、急に?」

・・・ひょっとして、うらやましいのだろうか。

「いや、別に・・・」
「別にって・・・」
「へえって・・・思うだけです。わたしには関係ないですから・・・」
「・・・・・・」

・・・言動が、切ないんだよなあ。

「よく似てますよね」
「そうかな?」

京子さんは神経質そうだが、灯花は、けっこう鈍い。

「顔とか、目鼻立ちとか・・・」
「そりゃ、親子だからな」

・・・って、あれ?

「ど、どうかしました?」
「いや、確かに、似てるは似てるよね。外見的に」

灯花は、大音幸喜と大音佐知代の子供だ。

大音幸喜は京子さんの弟。
ようするに、京子さんは、灯花にとってはおばさんに当たるわけだ。
なら、似ていてもおかしくはないか・・・?

「オーケー。なんでもない」
「それじゃあ、わたしはこれで・・・」
「送っていくよ」
「い、いいです、いいです・・・」

夏咲は、両手を突き出して、おれと距離を取る。

「そんなに、逃げなくても・・・」
「さようなら・・・」

「あ・・・」

去っていった。

「やれやれ、嫌われてるなあ・・・」

 

 

 

 

・・・
アスファルトの上でヤンキー座りをしていると、しばらくして、親子が店から出てきた。

「・・・おせえよ、ごら!」
「あ、なんかやさぐれてるヤツがいるよぉ!」

きひひっ、と小悪魔的な笑みを浮かべた。

「お母さんに、アイス買ってもらってたんだよー!」
「ちきしょー、おれもアイス食いてえ!」

「まるで、子供ね」

京子さんは、中身の大きく膨らんだ買い物袋を手に掲げていた。

「京子さん京子さん、この座り方、なつかしくないですか?
レディース時代を思い出しますよね?」
「だから、それは森田くんの勘違いだって」
「お母さん、こんなヤツ放っておいて、さっさと帰ろっ!」
「そうね」

「そうね、って・・・冷たいなあ」

 

 

 

 


・・・
「灯花・・・!」

京子さんが、突然大声を出した。

呼び止められた灯花は、台所に入る寸前だったのだ。

「ど、どうしたの・・・?」
「私が作るから、あなたは森田くんと遊んでなさい」

どうしても、灯花を台所に入れたくないらしい。

「私も、お母さんの手伝いをしたいよ?」
「それは、うれしいけど・・・」
「この前ね、賢一と川辺で練習してたの。けっこう、おいしくできたんだよ?」
「・・・・・・」
「その・・・昔、私がお母さんの料理の邪魔して、それで・・・勝手に、痛い目にあって・・・」

灯花は、左腕の火傷の痕を、ぎゅっと服の上からつかんだ。

「それで、お母さんが、私のこと心配して台所に入るのを禁止しているのは、わかるんだけど・・・もう、大丈夫だから・・・」
「灯花・・・」
「あ、でも・・・お母さんが、それでもダメって言うなら、私はいいよ・・・」

我慢するというのか。

「別に、義務を使った命令で、台所に入れないわけじゃないんだから、我慢する必要はないぞ」
「・・・いいの」

どうあっても、京子さんの意向を尊重するつもりらしい。

京子さんが、ゆっくりと口を開いた。

「・・・ごめんね、灯花。今日は、私が、がんばって作ってみるから・・・楽しみに待ってて?」
「なんでですか? 親子二人で、仲良く晩飯の用意をすればいいじゃないですか?」

どうにも灯花の味方をしてしまうおれがいる。

「そんなに、昔をぶり返してしまうのが怖いんですか?」

それが、灯花の望んでいないことと知りつつ、京子さんを説得したくなる。

「確かに、二人で、台所に入るっていうのは、火傷を負ったときと同じ状況なのかもしれないけど・・・」

どうにも、ひっかかる。

「事故だったんでしょう?」

京子さんは、あまりに、固執している。

「賢一、ちょっと落ち着いてぇ・・・」

気づいたときには、おれは京子さんを眼下に見下ろしていた。

慌てて、視線を外す。

「あのね、賢一・・・。
賢一は、特別高等人を目指しているだけあって、いままで、ものすごい速さで成長してきたのかもしれないよ?
賢一って、いつも、物事を理論立てて考えてるみたいだし、落ち込んでも立ち直りが早そうな・・・そんな強い人みたいだけど・・・」
「・・・え?」
「でも、私たちは、普通の親子だから。
もっと、ゆっくりなんだよ。私たちには、私たちのペースがあるんだよ」
「でも、火傷を負ったのは、もうずっと昔の話だろう?」

立ち直るのに、いつまでかかるんだ?

つい、京子さんを非難するように見てしまう。

その眼差しに気づいたのか、灯花がおれの腕をつかむ。

「賢一・・・」
「森田くん、ごめんなさい」
「・・・・・・」


・・・こりゃあ、どうしようもないな。

「いや、おれのほうこそ、急にでしゃばってしまって・・・」
「いいえ、あなたは、灯花が、不憫に思えたんでしょう?」
「・・・・・・」

軽く手を振る。

「じゃあ、ほら、とっとと、メシを作ってくださいよ。
言っておくが、おれは―――」
「グルメなんでしょう? まったく、あつかましいんだから」
「うるせえな。けちょんけちょんにするぞ」

そう言いつつ、テレビの前においてあるゲーム機を指差す。

「賢一、ゲームできるの?」
「おれにできんことはない。メシが出来るまで、遊んでやろうじゃないか」
「偉そうに・・・ぶっ殺してやる・・・」
「京子さん、お宅の娘がまた、凶暴なことを言ってますよ?」
「え? なんのこと? なにも聞こえなかったけれど?」

・・・もういいよ。

京子さんは、食材を持って台所に入り、おれたちはテレビの電源を入れた。

灯花は、京子さんの手料理が食べられるというだけで、うれしそうに表情を緩ませていた。

 

ゆっくりと、日が沈んでいく。

 

 

 


・・・
「しかし、殺伐としたゲームだな」

いわゆる、格闘ゲームというヤツだった。
操作は簡単だった。
選んだキャラクターによって性能や動きが決まっている。
あとは、タイミングに合わせて相手の裏をかいたり、行動を先読みして技を繰り出していけばいい。
ただ、注意を払わなければならないのは、テレビの画面ではなかった。

「ていっ!」
「あぶねえ、馬鹿!」

ここぞというときに、灯花がリアルでパンチをくれてくるのだ。

「この、このっ!」
「ば、馬鹿! 画面を見ろ!」
「うるさいうるさい! 直接賢一を殴ったほうが、すっきりするんだ!」

目が血走ってやがる。

「お母さん、ご飯、まだー?」
「無視するな! もう一度勝負だ!」

ガキにはつきあってられん。

台所からは、塩コショウの香ばしい匂いが漂ってきている。


―――『へ、下手な料理なんて、誰も食べてくれないのよ・・・』―――


かなり時間はかかっているようだが、京子さんもがんばっているようだ。

「賢一! ムカつく! 賢一! ムカつく!」
「うるせえっての! たかがゲームでムキになるな!
――ん・・・」


電話が鳴った。


「あ・・・」

電話の音に、一気に冷めていくおれたち。

「ど、どうしよう・・・」
「どうしようって・・・電話に出るしかないだろ?」
「灯花、私、いまちょっと手が離せないから・・・」
「うぅ・・・」
「ほら、昨日言えなかったことを、はっきり言ってみろ」
「そ、そうだよね・・・言わなきゃ、ダメだよね」

灯花は、ぶつぶつと呪文を唱えるようにつぶやきながら、電話を取りにいった。

・・・お母さんと一緒に暮らす、お母さんと一緒に暮らす、お母さんと、一緒に・・・。

「もしもし・・・あ、お父さん・・・。
あ、うん、いいよいいよ。昨日は、私も長話しちゃって・・・う、うん・・・それでね・・・あ、うん・・・。
え? お母さん・・・? うん・・・かわる? わ、わかったよ、ちょっと待ってて・・・」

灯花は保留のボタンを押して、一度受話器を置いた。


「・・・私?」

台所から、京子さんが心配そうな顔をして姿を見せた。

「えっと、お母さんと話したいって。いろいろ謝っておきたいって・・・」
「・・・・・・」

京子さんは無言で受話器を取った。

 


「・・・はあ・・・」
「お父さん、やっぱりつらそうだったか?」
「うん・・・とにかく、お母さんに謝りたいって。
そして、できれば一度会って話がしたいって・・・」

・・・かなり反省しているようだな。
京子さんは、静かに、驚くほど冷静に受け答えをしていた。

「ええ・・・あなたも変わったようね・・・そう・・・私は変わらないわ・・・。
いま、幸せなの? 一流レストランのシェフ?
働き者で優しい妻もいるの? すごいじゃないの、まるで別人ね」

少し、トゲのある言い方だった。
こういうときの京子さんは、まるで水の張り詰めたグラスのようでいて、見ていて落ち着かない。

「それで? 灯花も自分のところで戻ってくれば、完全な幸せを手に入れられるとでも思ったの?」


「お、お母さん・・・?」

だんだんと、京子さんの顔が強張ってきた。

「親権の回復を裁判所に申し立てておいて、どちらの親を選ぶのかを灯花に任せるなんて、ちょっとずるいと思わない?」

京子さんと幸喜さんとの間には、おれなんかにはわからない確執があるのだろう。

・・・それにしても、京子さん、大丈夫かな。

そのとき、おれの不安な気持ちが、まるで火に油を注いだかのように、京子さんが声を張り上げた。

「黙りなさい! あなたとの縁なんて、とっくに切れてるのよ!」
「ひっ・・・!」
「いまさら謝られても、許すことなんてできるわけないでしょう!」

台所からは、肉の焦げた匂いがしてきた。

「あなたが! あなたが灯花に義務を負わせたんでしょう!?
そして、そんな灯花を私に押し付けて逃げたんでしょう!?」

「お、お母さん、もうやめて・・・!」
「くっ・・・!」

京子さんは、勢いに任せて受話器をたたきつけた。

「はあっ・・・はあっ・・・」

灯花が京子さんにすがりつく。

「お母さん、ご飯食べよう? ねっ」
「・・・・・・」

呆然と、虚空を見据えている。

「今日は、野菜炒めなのかな? いい匂いがするねっ」

油のすえた、吐き気を催すような臭いの中、灯花は微笑んだ。

「そ、そうだ。ご飯炊いた? まだ炊いてないよね?
というか、炊飯器って家になかったよね? ハハ・・・。
うっかりしてたね・・・」

「・・・さい・・・」

「え?」
「早く、決めなさい」
「な、なにを?」
「なにをですって!?
わかるでしょう!? どっちの親を選ぶか決めろと言っているのよ!」
「・・・ぅっ・・・あ、そ、そっか・・・はは・・・」

肩をすぼめて、無理に笑った。

おれは親子を一瞥すると、台所に入り、つけっぱなしだったガスを止めた。

フライパンの上にのっているのは、とても料理とは呼べないものだった。

黒くくすんだ野菜の群れ、面影を残していない肉の塊。

「森田くん、それ、捨ててちょうだい!」

悲鳴のような声が、背後で上がった。

「そんな、豚でも食べないようなもの、誰が食べてくれるっていうの!」


「あ・・・わ、私・・・たべ・・・」

 

灯花が、何か言う前に、おれはフライパンの中身をゴミ箱に捨てた。

京子さんは、今日も料理に失敗した。

大音家の食卓は何も進まない。

ゆっくりとしたペースも何もなく、ただ、停止している。

むしろ、悪い方向に逆戻りしていっている。

「灯花、あなたが決めるのよ。自分で考えて、私と幸喜のどちらを選ぶのか決めなさい。
いい加減に、誰かにすがるような生き方・・・」

声が、止まる。
細い目をいっぱいに広げて、灯花を見つめる。

「あ・・・なっ・・・」

あえぐように言って、一歩、あとずさった。

弱い人だった。

二歩、三歩と、逃げていく。

「私の・・・私の子供じゃない・・・」

腰をひき、おびえきった目をして、食卓から姿を消した。

呆然と、たたずんでいる灯花。

母親に置き去りにされた少女は泣き出すかと思った。

灯花は震える息を整えようと胸を上下させていた。

わななく唇からは声も出なかった。

 

 


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

妙だ。

 

灯花を寝かしつけ、おれは思案に暮れる。
京子さんの、ひどくおびえた表情を思い浮かべる。
灯花のことを思いやっているようで、ふとしたきっかけで感情を抑えきれなくなる。
いつまでも過去を引きずり、娘に料理を作ろうとしない。
台所に灯花を入れようとしない。

「・・・不安定な人だ」

家の外観を眺めながら、もう一度、大音家のいきさつを考えてみる。

大音家は、もともと政府高官の家柄。
京子さんと弟の幸喜は、継母に冷遇されて育つ。
京子さんは大人になれない義務を解消されたと同時に、道を踏み外し、子供を一人堕ろす。

家出した幸喜は佐知代という女性と結婚し、灯花が生まれる。
幸喜は灯花に義務を負わせ、家庭が荒れ果てた結果、幸喜と佐知代は灯花の親権を失う。

灯花にとって叔母にあたる京子さんが、後見人として灯花の親権を得る。

そして、現在に至る。

灯花の本当の両親である幸喜と佐知代は、まっとうな仕事に就き、幸せな家庭を営んでいる。
彼らは灯花の親権の回復を申請しているが、灯花が京子さんを選ぶなら、申請を撤回すると言う。

「なんとも、複雑だな」

京子さんの心は、両親から受けたしつけの数々や、灯花を一人で育ててきたストレスによって、歪んでいるのは間違いない。
不意に、本当の母親と父親が現れて、ようやく和解しかけてきた灯花を連れて行こうというのだから、心中穏やかではないのもわかる。

けれど、いくらなんでも、弱すぎると思うのだ。

ひょっとして、まだなにか真実を隠しているのではないのだろうか。
灯花の監督が終わらないのも、大音親子が、本当の意味で更生していないからなのではないか。

「ふぅ・・・」

一服して、おれは真夏を少し過ぎた夜空を見上げた。

心の中で、姉に、もう少し時間がかかりそうだと、告げた。

 

 

 

 

 


・・・
・・・・・・
朝一番、おれはとっつぁんに呼び出された。

用件は、灯花の親権について。

京子さんと灯花を連れて部屋までやってきた。

 

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「・・・・・・」
「・・・・・・」

京子さんも灯花も、学園に来るまでの間、ずっと無言だった。

「早く解決していただきたい」

法月は京子さんをにらみつけた。

「娘の親権問題を巡って、森田の、特別高等人の試験が遅延しているのです」
「す、すみません」

恐縮し、頭を下げた。

家庭の事情ごときで、国家試験を遅延させている京子さんなど、法月にとって虫けら同然の存在なのだろう。

「いま、すぐに決めていただけませんか? そのために、呼び出したのです」
「そ、それは・・・」

「お待ちください。この家庭には、まだ問題が残っていまして、もう少しゆっくりと様子を見るべきかと・・・」

瞬間、樫の机が大きな音を立てた。

「個人ののろまな足並みにペースを合わせていたら、社会が成り立たん」
「・・・ひっ・・・」

本気でおびえている灯花。

法月は、杖を、灯花の眉間に向けるのだった。

「決めろ」
「あ、あ・・・」
「・・・・・・」

京子さんも、娘の危機にも関わらず、一歩も動けずに、恐怖に打ちひしがれていた。

「どちらの親だ? 大音京子か? 大音幸喜か?」
「ひ、ぃ・・・」
「お前は森田に迷惑をかけている。
お前の親は、人様に迷惑をかけてはいけないと、教え育てなかったのか?」

法月は、恐怖と暴力を用いて、灯花に決断させようとしている。

「わ、わぁ・・・わたし、私はぁ・・・」

灯花が喉を絞る。

「お、お母さん、お母さんが、いいですぅ・・・!」
「どちらのお母さんだ? 実の母親か?」
「ち、ちが・・・」
「京子か? いいのか、それで? 実の母親を捨てるというのだな?」
「・・・えっ?」
「悲しむぞ。血のつながった我が子に裏切られるのだからな。
お前のために必死で働いて、カウンセリングも受けて、人生をやり直したというのに」
「そ、そんな・・・」
「それでもいいのか?」
「あ、え、えっと・・・」
「京子も、ひどい人間だ。

なぜ、娘を本当の両親のもとに返してやろうとはしないのだ?」
「・・・・・・」

 

「決めろ」

 

おかしなことを言っている。
決めろと言いつつ、灯花の決断に揺さぶりをかけている。

「うぅ・・・ど、どうしよう・・・」

灯花は、おれと京子さんの顔を交互に見た。

「・・・あ、あなたの好きなようになさい」
「で、でも、でもぉ・・・」

おろおろと、小動物のように震えている。

 

「三日、ください」

 

おれが言うと、法月は全てを察したかのようにうなずいた。

「それまでに、お前が決めさせるというのだな?」
「はい。できなければ、試験は不合格ということでお願いします」
「よかろう。急げ」

ようやく、灯花に向けられた杖が地面についた。


「あ、も、もう帰っていいの?」
「うん。先に二人で戻ってな」

「し、失礼しました・・・」

親子は、寄り添うようにして退室した。

 

・・・

「何の真似です?」

扉が閉まった直後に聞いた。

「その気になれば、いま、灯花に決めさせることもできたでしょう?」
「娘の意思を尊重しただけだ」
「冗談はやめろ」

低く、鋭い声を出したが、法月は相手にせず、首を振った。

「そして、その意志が、脆弱なものであるという、その過程を、森田の後学のために見せておこうと思ったのだ。
あの娘はこれから迷い出す。どちらの親を選ぶのか。
正解のない問題に直面してあわてふためく。
高等人は、そんな愚かで歩みの遅い人間を導いていかねばならん」

・・・つまり、おれはまんまと、とっつぁんにのせられたってわけだ。

「三日以内だ。必ず決めさせろ。人に決断させられない人間は、人の上に立てんぞ」

おれは、拳を震わせながら、部屋を出た。

 

 

 


・・・
帰宅したとき、すでに灯花が電話に出ていた。

「う、うん・・・元気は、元気だよ・・・とくに問題はないかな。
ご、ご飯? うん。ちゃんと毎日、食べてるよぉ・・・。
いや、外食が、多いかな・・・あと、お弁当・・・う、うん。
・・・料理は、あんまりしないね・・・」

京子さんの姿は、居間には見当たらなかった。

「あ、甘い物が、好きかな・・・子供だし・・・あ、お母さ・・・えっと、あなたは?」

話し込んでいる。

「で、電話は、迷惑じゃないよ。お母さんも、止めないよ。
だから、いつでも電話してくれていいよ、いいけど・・・えっと・・・」

灯花の声に、迷いが見えている。
朝の法月の言葉が効いているのだろう。

「こ、子供とかいないの? そう、新しい子。私の妹とか弟とか・・・。
え? そ、そんな・・・そこまで私のこと・・・」

なんだろう?
どうやら、子供は作っていないようだが・・・。

「う、うん、会いたい。私も、一度会ってみたいよ・・・。
で、でも・・・お母さんが、ちょっと、悲しむかなって・・・。
う、うんごめんなさい・・・。
い、いいんだよ! 私、馬鹿だからなにも覚えてないよ!
ぎゃ、虐待なんて、そんなの、なかったんだよ、きっと・・・!」

向こうの両親は、虐待の事実を認め、誠心誠意、謝罪しているようだ。

「田舎町だからね・・・こっちの住所もわからなかったんでしょう?
だから・・・うん・・・気にしてないよ。
そ、そんな、いまさらだなんて思ってないよ・・・。
声、聞けて、うれしいよぉ・・・うん、二人とも生きていてくれて、うれしいよぉ・・・」

灯花はいつでも誰かにすがる。
いままで、親の命令に従うだけの人生だったのだから、それも仕方がない。

そんな少女に、いきなり大それた決断などできるのだろうか?

 

 

・・・
一時間近い電話が終わった。

「はあ・・・どうしよう・・・」
「どうだった?」
「ああ、賢一・・・」

小走りによってきた。

「わ、私、わかんなくなってきちゃった」
「うん?」
「子供、作らないんだって」
「理由は?」
「私が一番大事だから、私だけをしっかり育てたいんだって。
昔、私にひどいことをしてたから、せめて私を幸せにしてから、次の子供を作りたいんだって!」

まくしたてるように、一気にしゃべって。

「も、もちろん、義務なんか、使わずにだよ。
向こうに行くことになっても、義務はなくなるって」
「それは、当然だな」
「あぁ・・・がっかりするだろうなぁ・・・口には出さないけど、私に、そばにいて欲しいんだろうなあ・・・」

・・・少し、いろいろとふってみるか。

「ひょっとして、京子さんの悪口とか言ってたか?」
「い、言わないよバカ! そんな人たちじゃないんだよ!」

・・・信頼し始めているな。

「悪かった。じゃあ、向こうに行くか? お父さんに料理教えてもらえるぞ?」
「う・・・」

息を詰まらせた。

「台所に入れないんじゃ、いつまでたっても料理の勉強ができないぞ?」
「それは・・・そうだけど・・・でも、お母さん、京子お母さんが、私をいままで育ててくれたんだから・・・」

・・・京子お母さんときたか。

「そうだな。お前が、向こうに行けば、京子さんはひとりになっちまうもんな」
「・・・うぅ・・・」

うなり声を上げて、また大きくため息をついた。

「み、みんな一緒に暮らすっていうのはダメかな!?」
「京子さんの昨日の態度を忘れたのか?」
「あ・・・」
「幸喜さんと話をしただけで、人が変わっちまっただろう?」
「うまく、いかないね・・・」

おれまでため息が出てくる。

「どちらかを、選ぶしかないよ」
「う、うん・・・」

灯花は肩を落とし、覚束ない足取りで部屋に戻っていった。

 

 

 


・・・
「森田くん・・・」

灯花と入れ替わりに、京子さんが自室から出てきた。

「灯花、なんだって?」
「・・・・・・」

おれは発言をためらった。

「灯花なら、部屋にいますよ?」

どうして直接聞かないんだ?

「昨日のことを、怒ってるの? 灯花に向かって声を荒げてしまった私を」
「・・・あなたが、よくわからない」

顔をのぞきこむように見た。

「だって、ちょっと前までは、灯花を信頼して、肩の力を抜いて子育てしていくって言ってたじゃないですか?
なのに、私の子供じゃないだって? あれは、あんまりじゃないか?」
「わかっているわよ・・・」

ふてくされたように言った。

「でも、うまく感情のコントロールができなくて・・・」

うつむいた。

「なら、灯花を向こうの親に返しますか?」
「それはっ・・・!」

勢いよく顔を上げた。

「嫌なんでしょう? なら、灯花と向き合いませんか?
もう一度言いますけど、部屋にいますよ?」
「・・・あの子、怒ってないかしら? 私、軽蔑されてないかしら?」

・・・困った人だな。

「そういえば、そろそろ誕生日だそうですね?」
「え? ええ・・忘れていたけど・・・」
「ちょうど三日後ですよね? 灯花も楽しみにしていましたよ」
「そ、そう・・・少し、うれしいわね・・・」

頬に赤みが差した。

「もっと、うれしいって、灯花の前で表現したらどうです?
ギャグっぽくなってもいいですから。協力しますよ」
「・・・もう、そんな気分じゃないのよ」
「ついこの前までは、あらあらまあまあ、とか、バカ親っぷりを発揮してたじゃないですか?」
「・・・あれは、しょせん、お遊びだから・・・」
「遊びは大事ですよ。笑いもね」
「・・・・・・」

京子さんは、けれど、首をふって、自室に戻っていった。

ふと電話を見やった。

近くにいるのに、京子さんは灯花から遠い。

 

 

 

 

・・・
そろそろご飯の時間だ。

京子さんが、義務の解消を申請してからしばらくたった。

けれど、以前として、大音家の食卓に手料理が並んだことはない。

「京子さん・・・メシはまだですか?」

軽くドアをノックする。

「今日は、気分が悪いので、いらないわ・・・」
「じゃなくて、作ってくださいよ」

間ができた。

「・・・ごめんなさい、今日は」
「・・・・・・」


・・・
おれは、灯花の部屋へ。

「おーい。ちょっと出て来いよー」

やがて、ドアの向こうから、くぐもった声が聞こえてきた。

「・・・なに?」
「・・・炊飯器買いに行かないか? このままじゃ料理できないだろ?」
「・・・今日はいい。なんか、お腹痛い・・・」
「え? どう痛むんだ?」
「うるさい・・・」
「は?」
「いいから、あっち行ってよ」

・・・こりゃひょっとして、女性のアレではなかろうか。

「じゃあ、一人で買いに行くよ」

一人で買いに行って、一人で飯を食うんだろうな。

 

 


・・・

 

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「いただきまーす!」
「あーい!
って、なんで!?ここ、灯花の家だよね? なんで、家主がいないのにあたしたちが勝手にメシ食ってんの?」
「そりゃお前のパワーで、灯花を元気にしてやろうという、企画だからだ」
「うわ、そういうこと? いきなり炊飯器持って部屋に来て、ちょっとこいや、とかいうからなにかと思った」
「事情はわかったな?」
「灯花、元気ないの?」
「ちょっと、いろいろあるみたいなんだ」
「あたし、深いの苦手だよ。内面とか精神とか心の機微とか」
「いいからいいから。てきとーに話しかけてやってくれ」

さちは一瞬だけ、考えるように目を逸らした。

「ま、いっかー。あたしが絵を描いてるときも、灯花には応援してもらってたしねー」
「よーし、行け」
「うぃっ!」

 

・・・
さちはノックもせずに、灯花の部屋に突入した。

「こんちゃー」
「あ、えっ!?」

灯花は、突然の闖入者に驚いて、きょとんと立ちすくんだ。

「なになに? なんか悩みがあるの?」
「あ、え、えっと? どしたの、さち?」
「いいから、話してみ」

さちはどっかりと壁にもたれかかって、腕を組んだ。

「賢一、さちに何か話したの?」


「なにも聞いてないって。いいから、ほらっ、思ってること言いなよ。
あたしが、一番わかりやすく解決してあげるから」

「・・・えっと」

ためらいがちに、口を開いた。

「ほらほらほらっ!」

あきらめたように、ため息をつく。

「・・・私の、お母さんってね」
「うん」
「実はお母さんじゃなくて、本当は別のお母さんがいて、そのお母さんとお父さんが一緒にいればいいって思ってて、でもお母さんは寂しくなっちゃうだろうから、どうしようって話」
「・・・あ、うん。もう一回言って」
「えっと、だから、お母さんが二人いて、お母さんと、お父さんお母さんがちょっと仲が良くなくて、それでお母さんがいいのか、お父さんお母さんがいいのか、どうしようって話」
「・・・うん、だいたいわかった。ただ、ちょっともう一回言ってくれる?」
「ご、ごめん。私こういうの、筋道立てて話すの苦手で・・・」
「だいじょぶだいじょぶ」
「お母さんと、別のお母さん夫婦がケンカ気味で、私がどっちか決めなくちゃいけなくて、それで、お母さんのあれが、こうで、えっと・・・」
「灯花って、あたしより国語ダメなんじゃない?」

かもな・・・。

さちが手を叩いた。

「まあ、要するに、京子先生が灯花のお母さんじゃなくて、別の本当のお母さんと本当のお父さんのアレが、ちょっとまずい系で、そのへんシビアに、どーすんのってことでしょ?」

こいつも、ぜんぜんわかってねえぞ。

「そ、そう、そうなんだよ」

通じてる!

「どうすればいいかな?」

目の色を変えて、さちに近づく。

「よーし、そんなの簡単じゃん」

「え?」

「お金がある家を選ぼう!」
「こらこら・・・」
「向こうの家のほうが、お金あるのかな?」
「それは、そうだと思う・・・二人とも働いているらしいし・・・」

面白くなさそうに言う。

「でも、灯花も町を出たいって言ってたじゃん。
ほら、川辺で騒いだときさ。料理の専門学校に行きたいって。
やりたいことやろうとすると、お金かかるよー。
あたしも最近ギャンブルやめちゃったから、マジで貧乏だしね」
「そういう、お金に釣られて・・・みたいなのは・・・ちょっと・・・」
「なにそれ? 世の中にはお金より大事なものがあるっての?
そういう決まり文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠だよ?
コレ、偉い人の名言ね。
灯花がこの町を出るってのは、あたしも寂しいよ。
でも、人間、自分がやりたいことをやるのが一番だって。
一生懸命やってれば、そのうちきっとお金より大事なものがゲットできるんだって」
「でも、私、そこまで料理を・・・」

ふっと、すがるような眼差しをさちに注いだ。

「さちみたいに、そこまで真剣なのかどうかわからないし、才能だってあるかどうか・・・」
「いや、そのへん、あたしにもわかんないけどぉ・・・」

さちは場違いにも、楽しそうに笑った。

「好きならいいじゃん。やってみなって」

おれも灯花も、妙に気が楽になる笑顔だった。

「あ、なんか。ありがとね」
「へ?」
「こういうのって、みんな気を使ってうかつなこと言わないかと思ったけど・・・。
さちは、友達だもんね」
「いや、思ったことを情け容赦なく口にしただけだから」
「ふふ・・・」
「大変だろうけど、そういうのって、実は答えが決まってたりすると思うんだよねー」
「え?」
「あー、わかんない。とにかく、がんばれってこと」
「う、うん・・・よく考えてみる」
「んじゃ、あたし帰るね。あとは賢一とごゆっくりぃ」
「もう帰るのか?」
「ちょいと仕上げが残ってるから」

手を振って、足早に部屋を出て行く。

「あ、またねっ・・・」

 

 

・・・
「送っていこうか?」
「いい、いい。そんなことより、灯花についててあげなよ」

さちはなにやら険しい顔をしていた。

「どうしたんだ?」
「まずいこと言ったかなーって」
「そうか?」
「だって、最後さ、灯花があたしのこと気づかってくれたじゃん?
さちは、友達だもんねって」
「うん・・・」
「優しいよマジで。余計に悩ませちゃったかも」
「気にしすぎ・・・」

・・・だと思うんだが。

「家族の深そうな問題でしょ? けっこう追い込まれてると思うんだよ。
あたしだったら、あんたになにがわかんのよ! ってぶちキレてるよ」
「灯花、追い込まれてるか?」
「見た目より、ぜんぜんヤバそうだよ」
「そうか・・・ありがとう」
「んじゃね」
「またな」


さちは去っていった。

 

 

 


・・・
部屋に戻ると、さちの言葉が重みを増した。

「あぁ・・・はあぁ・・・」

灯花は、おれが部屋にいるのにも気づかずにふさぎこんでいる。

「灯花・・・」
「あぁ、けんいちぃ・・・」

ふらふらと近寄ってくる。

「ねえ、さちの言うとおりなのかな?
私・・・好きな料理するために、都会に行くべきなのかな?
で、でも、自分のことばっかり考えてていいのかな?
あ、いや、さちみたいに、才能があって、真剣ならそういうのもいいと思うんだよ。
ち、違う。

別にさちと私を比較してもしょうがないんだけど・・・な、なんていうか・・・よくわかんない・・・」

さちの言った通り、灯花はおれの思った以上に悩んでいる。

「・・・京子さんに、しないのか?」
「・・・わかんなくなっちゃった・・・」

完全に迷いだしたな。

「お母さんと一緒に暮らすつもりだったけど、向こうのお父さんとお母さんの声聞いてるうちに、なんだか、かわいそうになってきて・・・」
「かわいそうといえば、京子さんも、かわいそうになるぞ」
「そうなんだよ、だから困ってるんだよ・・・!」

泣きそうだった。

「お母さん・・・京子お母さんは、私をいままでずっと育ててくれたのに・・・」
「ただ、京子さんはちょっと不安定だが・・・?」
「疲れてるんだよ・・・最近はいろいろなことがあったから・・・」

 

・・・らちがあかないな。

いっそ、とっつぁんがやったように、誘導してやろうか。

三日以内に決めなきゃ、おれも不合格になっちまうんだ。

 

「賢一、どうしよう・・・? なにかいい方法ないかな?」
「・・・えっとな」
「う、うん! なに!?」

まるで、子犬が尻尾を振っているように見えた。

灯花をおれの思うとおりに動かすのは簡単だろうな。

「考え事は、朝にしたほうがいいぞ。夜は寝るもんだ」
「なにそれ・・・」

心底落胆したようだ。

「まだ日にちはある。京子さんと話したり、向こうの親に電話したり、料理を作ってみたり、いろいろやってみな」
「・・・賢一の、役立たず」

頬を膨らませた。

「はは・・・永遠に眠らせてやろうか?」
「いいよ、もう・・・」

灯花はベッドに、身体を預けた。

「じゃあ、また明日な」
「はあ・・・・・・」

部屋を出るおれの耳に、灯花の深いため息がこびりついた。

 

 

 


・・・
「森田くん、ちょっといいかしら?」

灯花を悩ませる親も親だ。

「炊飯器買っておきましたよ。あなたへの誕生日プレゼントです」
「あ、ありがとう・・・」
「なんです?」
「・・・灯花のことなんだけど・・・」
「そりゃ灯花のことでしょうね。ここで明日の天気の話されても」
「真面目に聞いてよ・・・」
「あのね、あなたの悩みなんておれから言わせれば、かわいいもんですよ。
おれなんかね、明日には世界が崩壊するんじゃないかって毎晩ガタガタ震えてるんですから・・・」
「もう・・・」
「これから、みそぎをするんです。邪魔しないでください」
「悪かったわ・・・私も、もっと心に余裕を持てって言いたいんでしょう?」
「さすが、一流大学卒。話が早い」

ひきつっていた顔に、若干の余裕が浮かんだ。

「京子さん、いまこそ、義務を使うべきですよ」
「え?」
「私のもとにいろと、命令するのです」
「ふざけないでよ・・・もう、義務なんかに頼らないって決めたのに・・・」
「楽でいいじゃないですか。やっちゃえ、やっちゃえ。
いつもの冷酷な顔で命令しちゃえ」

さすがに悪ふざけが過ぎたのか、京子さんは暗い顔になってしまった。

「義務で、灯花の自由を奪ってしまったわ・・・苦しめてしまった・・・」

誰に言うでもなく、ぼやいた。

「暗いなあ・・・」
「やっぱり、血のつながった母親のもとに返すべきよね?」
「どうして、そんなに自信がないんです? 最近は親子でうまくやっていたじゃないですか?」
「だって・・・」

・・・まあ、京子さんの過去を考えれば、理解できそうな気もするが。

「なんと言われようとも、私は灯花を傷つけてしまったから」
「うん? 火傷ですか?」
「そう・・・火傷を負わせてしまったのは私だし・・・」
「事故だから。しょうがなかったんでしょう?」
「・・・っ」

ぴくりと、肩が震えた。

・・・ん?

「もっと、私の親が、ちゃんとした親だったら・・・私も、もう少し・・・。
灯花にいい教育ができたのに・・・。
・・・親のせいにしても、始まらないのだけれどね」

おれはうなずいて、京子さんに灯花と同じ提案をする。

「寝ませんか? 考え事は朝にしましょう?」

京子さんは、まだなにか言い足りなさそうだったが、言葉が見つからない様子だった。
単純に、一人になるのが寂しいだけだろう。

「はあ・・・」

灯花と同じように深いため息をついて、自室に戻っていった。

 


・・・・・・。

 

・・・。

 

なんだか、この家には子供が二人いるような気がした。

 

 

 

 

・・・
「お、おはよう、お母さん・・・」
「おはよう・・・」

ぎこちない朝食は、ぎこちない挨拶で始まった。

おれが作った、ご飯の上にしょうゆをかけるという、シンプルな手料理に、親子は口をつけようとしない。

「あ、しょうゆ、足りなかった?」
「いいえ」
「ごめん、私もいらない・・・」

しょうゆご飯は人を選ぶ。
けれど、親子の食欲がないのは、しょうゆご飯のせいじゃなさそうだった。

「灯花・・・」

京子さんが、灯花に目線を合わせる。

「な、なに・・・?」

京子さんの機嫌をうかがうような上目遣いで、眼差しを受け止めた。

「えっと、今日の予定は?」
「そ、そうだね・・・ちょっと、気分が悪いから、好きなことやって過ごそうかなって・・・」
「また、マンガ? おこづかい足りてる?」
「うん、足りてるよ。いままでずっと、使ってなかったし・・・」
「・・・そう、ね。いままでお金の使い道を奪ってたのは、私よね」
「あ、違う! そういう意味で言ったんじゃないよ!」
「え、ええ。わかってるわよ。ただ、私がおかしかっただけ・・・」
「お、お母さん、ほんとに、どうしちゃったの? 疲れてるの?」

京子さんは、肩を落とした。

「なんでもないわよ・・・灯花こそ、疲れてない?」
「だいじょうぶだよ。それより、肩もみしてあげようか?」


「ああ、頼む。ぜひやってくれ」

 

おれは、腰を落として灯花に背を向けた。


「・・・いいわ。なんだか、恥ずかしいし」
「そう?」


「・・・・・・」

 

来客を告げる家のチャイムが鳴った。

 


「・・・これって・・・」

家に来たのは、宅配業者だった。

贈り物の小包は灯花に宛てられていた。

「どうやら、幸喜と佐知代さんからのようね」
「あ、開けてみてもいい?」
「ダメとは言えないでしょう」

京子さんは警戒したように腕を組む。

灯花は、ゆっくりと包みを解いていく。

中にあったのは、ピンク色のリボンが巻かれた、小さなハート型の小箱だった。

「お菓子かな?」

灯花の指が慎重にリボンを外して、箱の蓋を開ける。

「うわぁ・・・」

それは、ケーキの詰め合わせだった。

「て、手作りかな・・・?」

そういえば、箱には製菓ブランドの表記がない。

「食べられるのかしら?」
「え?」
「だって、都会からこんな田舎まで・・・日にちが経っているっていうのに・・・。
それに、いまは真夏でしょう?」
「だ、だいじょうぶだよ。バターケーキだし、ジャムとか塗ってないみたいだし・・・」
「きちんとビニールで個別に包装されてるし、酸化防止剤も入ってる」
「そ、そうね・・・ごめんなさい・・・」

「そんなことより、カードがついてるぞ?」
「あ・・・」

灯花はカードを手に取る。

「な、なんて?」
「えっと・・・読み上げるね・・・
――灯花へ。
いままで本当にごめんなさい。このケーキは、お父さんが焼いたものです。
よかったら、京子さんと食べてください」
「・・・・・・っ!」

一瞬、京子さんの顔に怒りの色が浮かんだ。

「京子さん?」
「な、なに?」
「いや・・・」
「じゃあ、みんなで食べようよ」
「食べよう、食べよう」

「私は、遠慮しておくわ」

「え・・・どうして?」
「食欲がないのよ・・・」
「まあまあ、そんなこと言わずに、ちょっとくらいいいでしょ?」

「・・・二人で、食べなさい。私はちょっと、仕事をしています」
「仕事?」
「そうよ。そろそろ新学期も近いでしょう?」
「い、一緒に、食べようよぉ・・・」
「忙しいのよ。またにして」
「仲良くしようよぉ・・・」
「っ・・・!」

京子さんは息を詰めて、自室へ入っていった。

「まあ、しょうゆご飯がまずかったんだろうな」

くだらないことを言った直後、京子さんが部屋から出てきた。

「あ、どうしたんです? やっぱりケーキが食べたくなったとか?」

京子さんはおれを無視して、灯花を見下ろすような格好で立ち止まった。

「お礼言っておきなさいね」
「え?」
「わかるでしょう?」
「あ、でも、向こうの番号わかんないよ・・・?」
「電話に履歴が残ってるでしょう?」
「そ、そっか・・・ごめん・・・」

「・・・京子さん、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」

「怒ってないわよ」

そうして、また部屋に戻っていった。

灯花はケーキの箱に視線を落としながら、また深いため息をついた。

 

 

 

 

・・・
けっきょく、ケーキに手をつけないまま、昼になった。

灯花は体調が悪そうに、ずっと居間のソファにうずくまっていた。

「灯花、電話しないのか?」
「・・・うん・・・」

気のない返事をして、身を起こした。

 

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「・・・・・・あ、もしもし・・・灯花です・・・あ、お、お母さん・・・?
うん・・・はは・・・お母さんはお母さんだから、呼び方はお母さんでいいんだよ・・・。
えっと、それより、ケーキありがとうっ。
うん、届いたよ・・・手作りなんでしょ? え? ああ、そうなんだ・・・いいね、そういうのも・・・。
あ、えっと、まだ食べてないけど、とりあえずお礼言っておこうと思って・・・。
うん・・・京子お母さんにそう言われたの・・・。
え? お母さん? うん、元気だけど・・・うん・・・・ちょっと、機嫌悪いかも・・・うん・・・でも、いつもつらそうだから・・・えっと、一回家出みたいなことして、ひどく悲しませちゃったことがあって・・・。
・・・うん、正直、いま、ちょっと悩んでる・・・。
え? 迷うようなら・・・お母さんを選べってこと?」

・・・察するに、京子さんを選べと、向こうが提案したんだろうな。

「う、うん・・・もうちょっと、考えてみるね。
あ、ありがとう・・・心配してくれて・・・うん、また電話するねっ・・・」

 

 


・・・
「・・・ふぅ」
「お母さん、喜んでたか?」
「・・・私を、お母さんって呼んでくれるの? って、言ってた・・・」
「迷うようなら、京子さんを選べって?」
「うん・・・いろいろ気を使ってくれてる・・・」

・・・でも、そんな気づかいが、逆に灯花を迷わせるんだろうな。

「あぁ・・・優しい人なんだよなぁ・・・」
「相手の人となりは、だいたいつかめたんだろう?」
「優しいよ、すっごく」
「一緒に、暮らしてもいいと思えた?」

すると、一瞬だけ返答に詰まったように、顔をしかめた。

「・・・まだわからないけど、やっぱり、会ってみたいとは思うよ」
「ぶっちゃけ、京子さんとどっちがいいよ?」

笑いながら聞いてみた。

「それは・・・。
そんなの・・・比べられないよ・・・比べたらいけないと思う・・・。
ああ、でも・・・比べちゃうんだろうな・・・」

また、ため息。

「ひとまず、ケーキ食べようか?」
「そうだね・・・」

灯花はケーキの小箱に手をつける前に、ちらりと京子さんの部屋を見た。

ドアは固く閉ざされていた。

灯花の電話の声は部屋の中にいる京子さんに聞こえていただろう。

 

 

 

・・・
「灯花、大丈夫か? 熱でもあるんじゃないか?」

どうにも、灯花の様子がおかしい。

ふらふらと居間を歩き回ったり、指を噛んだり、マンガを読み始めたかと思うとすぐに本を閉じたり・・・。

「ケーキ、おいしかったね・・・」

突然、思い出したように聞いてきた。

「・・・まあ、かなりな。さすが一流レストランに勤めているだけのことはある」
「あのケーキをお父さんが焼いて、お母さんの職場の子供たちに食べさせてあげることもあるんだって」
「あたたかい話だなぁ・・・」
「私も、そういうことしてみたいなぁ・・・」
「そういうこと?」
「私ね、別に料理そのものがすっごくしたいわけじゃないけど、自分が作ったもので人が喜んでくれたら、楽しいだろうなって思うの・・・」
「そういえば、やけに真剣だったもんだ。川辺で料理の練習したときも・・・」
「お母さんが私の料理食べてくれたら、喜んでくれるだろうなって・・・そう思うと、なんだか夢中になるんだよね・・・」

幸せそうに笑った。

「でも、台所に入れないんじゃなあ・・・」
「・・・・・・」
「いっそ、外で作って持ってくるってのはどうだ?」

灯花は首を横に振った。

「・・・料理が冷めちゃうのが、ちょっと・・・」
「なら、台所に入るしかないな・・・」
「うん・・・」
「でも、京子さんがダメだっていうんだから、しょうがないか?」
「うん・・・」

灯花は思考が停止したように、うなずくだけだった。

義務は解消されたようなものなのに、灯花の一番やりたいことだけは、いまだに禁止されている。

「困ったな・・・」

声をかける。

「なんか、うまくいかないね・・・」
「我慢するなよ」
「我慢なんかしてないよ・・・」
「いや、してるだろ。京子さんが嫌がるから、台所に入らないんだろう?」
「そうだけど、それは我慢じゃないよ」

怒ったのか、腕を組んで、おれを見据えた。

 

 

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「なに言ってるんだ? 料理したいんだろう?
温かいメシを京子さんに食わせたいんだろう?
でも、京子さんのせいで作れないんだろう?
我慢してるじゃねえか?」
「違う。仕方ないことなの!」
「おいおい、それを我慢っていうんだよ」

あやすように言うと、灯花は口を尖らせた。

「・・・いいよ、私はどうせ子供だよ・・・」
「あらら、認めちゃったよ・・・」

おれが笑ったときだった。

「でも、子供はね、我慢しないんだよ」

真っ直ぐな瞳が目の前にあった。

「だから、私は、我慢なんてしてないんだよ」

ひどい三段論法だが、妙な説得力を感じた。

「料理はしたいけど、お母さんが嫌がることはしたくないんだよ」
「だから、それは無理な話なんだって。
どっちかを選ばなきゃいけないんだよ」
「やだよ・・・全部上手くいく方法を考えたいよ・・・」
「全部上手くいくわけねえだろ・・・」


こんな世の中で。


「や、やっぱり、ダメかな?」
「ダメだろ・・・」
「いい方法ない?」
「ないよ・・・」
「賢一の、バカ・・・」

すねてしまった。

「まあ、わかった。とにかく、京子さんにお願いしてみるよ」
「でも、お母さん、きっと嫌がるよ?」
「それなんだがな・・・」

 

どうにも気に入らないのは、京子さんの態度だ。

どうして、あそこまで、灯花が台所に入るのを嫌がるのか。

 

「聞きづらいことだけどさ・・・」
「うん・・・いいよ、ひょっとして火傷のことかな?」

おれはうなずく。

「事故だったんだろう?」
「う、うん・・・私がね、お母さんの邪魔をしたのがいけなかったの・・・」
「邪魔って?」
「えっと・・・よく覚えてないけど・・・ケーキ作ってたお母さんの周りをうろちょろしてたら、いつの間にか私が火傷してて・・・お母さんが私を心配そうに見てて・・・でも私は、おろおろしてて・・・」
「なんつーか、もうちょっと整理して話してくれないかな?」
「だから、よく覚えてないんだって・・・!」

その一声で、ふらっと、灯花の身体が揺れた。

「と、とにかく・・・はあっ・・・私が・・・」
「どした?」

額に、うっすらと汗が浮かんでいる。

「わ、私が、全部悪かったんだよ・・・お母さんは私を心配してくれてたのに・・・。
私なんか・・・どうしよう、どうしようって、その場にうずくまってただけで・・・」
「気分悪そうだな?」
「へ、平気・・・お腹が痛いだけだから・・・」
「え? あ、ああ・・・」

生理痛か。

「ご、ごめん、ちょっと・・・」

口元を両手で押さえながら、洗面所に駆けていった。

「だいじょうぶか?」
「こ、来ないで!」
「お、おう・・・」


洗面所への立ち入りを拒否されてしまった。

おれは、その場でたたずんで、灯花の回復を待った。

 

 


・・・
「・・・ふぅ」
「落ち着いたか?」
「うん、もう、ぜんぜん平気」

顔色はそれほど良くないが、笑顔を見せる辺り、平気なのだろう。

「はあ・・・」

直後に、深いため息。

「悩むよなぁ・・・」
「ごめんね・・・早く決めないと、賢一にも迷惑かけちゃうのに・・・」
「気にするな・・・」

・・・って、こいつの性格からして、気にしちまうんだろうな。

「本当にごめんね・・・でも、私ってこういうの苦手で・・・」
「物事を決めるのが?」
「クラスでは委員長なんてやってるけど、みんなをまとめてるような感覚ないし・・・」

そりゃ、京子さんの命令で無理やりに、リーダーをやらされてたんだからな。

「いったい、どっちのお母さんを選べばいいのかな・・・」
「正解なんてないだろうな」

素っ気無く聞こえたのか、灯花が気まずそうな顔になった。

「あぁ・・・なんで、私が決めなきゃいけないのかな?」
「・・・・・・」
「これって、お母さんと、向こうのお父さんの問題でしょう?
だったら、そっちで決めて欲しいよ・・・」
「へえ・・・」
「だって、なんだか、ずるいよ・・・あ、いや・・・誰も悪くないことで、仕方のないことなんだけど・・・でも、なんで?」

灯花は心底うんざりしたように言った。

「なんで、私が・・・?」

逃げようとしている。

「誰かに、代わって欲しいよ・・・で、できることならねっ」

愛想笑いが、灯花の少しやつれた頬を滑り落ちていった。

「・・・灯花。
確かに、お前はある意味において、被害者だけれど・・・」
「や、やだな・・・冗談だよ。わかってるって。私が決めなきゃいけないことなんだよね?」
「・・・・・・」
「賢一に、決めてもらおうとか、頼ろうとか、そんな勝手なこと・・・か、考えてないよ?」

媚を売っているように聞こえるのは、きっと気のせいじゃない。

「灯花、お前にひとつ謝っておきたいことがある」
「え?」
「最初・・・そう、おれがこの町に来て、お前に出会ったとき。
おれは法月のとっつぁんからある命令を受けた。
被更生人と仲良くしろってね。だから、おれは学級委員長であるお前に近づいた。
お前はガキだから、おれが笑って話しかければ、きっとなびいてくると思った。
そしてその通りになった」


「な、なんなの、それ・・・?」

「言いたいことは二つ」
「おれをあんまり信用するなってこと。
いや、信用して信頼してくれてもいいけど、期待したり、依存したりするなってこと。
それから、自分で考えない人間は、考える人間に利用されて生きるだけだってこと。
利用されてる人間は気づかないだけ」
「け、賢一・・・?」
「決めさせてやってもいいんだよ? お前がとっつぁんに惑わされて、京子さんを研修に行かせたときのように。おれだって、ああいういやらしい話術のひとつやふたつ持ってるんだ。
でも、いやだろ?」
「・・・っ」
「いやだろ?」

灯花の瞳を見据える。

・・・腹を立てるかな。

「う・・・」

やっぱりな。

「うるさいよ! なにを偉そうに!」
「だから謝るって」
「もういいバカ! 賢一になんか、もう絶対に相談しない!」
「京子さんが研修に行く前も、そうやって、おれに八つ当たりしていたな?」
「・・・くっ!」
「自分で決めたんだって。これからは一人で生きていくんだって。
幼稚なことを言っていたよな?」
「そ、そうだよ・・・私は、自分で決められるもの・・・!」
「そうか。頼もしいな」
「け、賢一が、こんなに嫌なヤツだったなんて・・・」
「頼りにしてたのに、ってか?
おいおい、第三者のおれが、お前の苦しみや悩みの深さなんてわかるわけがないだろう?
どうしよう・・・って、すがるような眼差しを向ければ、こうしろよ・・・って、誰かが応えてくれるとでも?」
「こ、子供扱いしないで!」

灯花は肩をいからせ、どすどすと足音を立てて、自分の部屋に向かっていった。

部屋のドアが勢いよく閉じられた。

バタンという大きな音に、胸の奥が少しうずいた。

 

 

 

 


・・・
灯花は部屋に閉じこもったまま出てこない。

「灯花は?」
「ちょっと、ひどいことを言わせてもらいました」
「え?」

怪訝そうに、見つめてくる。

「京子さんのせいですよ?」
「な、なにが?」
「京子さんが、灯花をダメにしたんです」
「・・・それは、わかっているつもりよ・・・」
「・・・どうしてあんなに優しい女の子に育ってしまったんですかね?」
「森田くん、なんだかいつもと様子が違うわね?」

そりゃ、ちょっとホラーな感じに迫っているからな。

「・・・灯花、引きこもっちゃったと思いますよ」
「連れて来てちょうだい。遅くなったけど、そろそろ夕飯よ?」

おれは静かに首を振る。

「灯花は出てきませんよ。けっこうきついこと言いましたからね。
いまごろ、おれのわら人形でも作ってるんじゃないですか?」
「ふざけてないで・・・」
「ふざけてるのは、京子さんだろう? いい加減に夕飯ぐらい作ってくれよ。母親だろう?」
「・・・・・・っ!?」
「京子さんの手料理なら、灯花も部屋から飛んで出てくるんじゃないですかね?」
「・・・・・・」
「あなたの母親が、あなたの作ったシチューを食べてくれなかったって?
でも、灯花が、食べてくれないわけないでしょう?
なんで、そんなにびびってるんですか?」

おれがまくし立てるように言うと、京子さんは一歩あとずさった。

「私は、ただ・・・まずい料理で・・・灯花をがっかりさせたくなくて・・・」
「まずくたって、灯花は喜んでくれるっての!」

 

なんでそれがわからないんだ!?

 

なんなんだ、この人は!?

 

「・・・とにかく、作りましょうよ。ねっ?」
「あ、明日にしてくれるかしら?」
「今日できない理由は?」
「・・・今日は、その・・・そういう気分になれないのよ・・・」

おれはため息混じりに言った。

「・・・ケーキはおいしかったですよ。さすがプロってところですかね」
「やめて・・・」
「いらいらするなぁ・・・」
「明日、必ず作るから・・・!」
「絶対ですよ? 作らなかったら磯野と結婚してもらいますよ?」
「や、約束するわ」
「破らないでくださいね」

気が済むまで京子さんを追い詰めると、おれは一人で、コンビニ弁当をガツガツと食べた。

 

 

 

 


・・・
「よお・・・」

おれは、ノックもなく、灯花の部屋に押し入った。

「で、出てけ・・・」

語気に力がない。

「悩んでたのか?」
「・・・・・・」

灯花は口をへの字に曲げて、鼻をすすった。

「ちょっとは、考えがまとまってきたか?」
「・・・・ぅるさぁい・・・一人にしてぇ・・・」
「そんな、たるーい声出されても・・・」
「だって、わかんないんだもん・・・。
いくら考えても、けっきょく、どっちかを選ばなくちゃいけなくて、でも、それはどっちかのお母さんを悲しませることになっちゃって・・・」
「仕方ないだろ? 親同士が仲悪いんだから」
「仲良く、して欲しいよぉ・・・」
「向こうの親はともかく、京子さんが無理だろうな。
とても残り二日で修復されるような関係じゃなさそうだ」
「他人事だと思って・・・」

泣きそうな目でにらんでくる。

「他人事じゃないよ。お前がとっとと親を決めてくれないと、おれも試験に合格できないんだ」
「だから、相談に乗ってくれてるの?」
「それだけでもないが・・・」
「よ、よかったぁ・・・」
「え?」

 

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「私、賢一に嫌われたのかと思った・・・」

そう言って、一歩近づいてくる。

「おいおい、待て待て」

両手を前に突き出して、甘えようとする灯花を制止する。

「さっきまでの威勢はどうしたよ? ひとりで決めるんじゃなかったのか?」
「・・・・・・」

しょんぼりと肩を落とす。

・・・まったく、仕方のないヤツだな。

「明日さ、京子さんが手料理作ってくれるってさ」
「え? 本当に?」
「そのメシを食ってさ、ぱーっと決めちまおうぜ?」
「ぱーっと?」
「そうそう。お前、あんまり考えるのが苦手なんだろ?
だったら、もう、その場の勢いとかノリで世間を渡っていくような生き方にシフトしようぜ」
「ば、バカにされてるような気がする・・・」
「バカにしてないよ・・・考えなくたって、別に、幸せでいられるんだって」
「やだ・・・」
「なんで?」
「ちゃんと、自分で考えて、自分で選ぶの・・・」
「ふぅん・・・。
まあ、でも日数ないぞ? 明日と明後日しかない」
「明後日は、お母さんの誕生日・・・」
「誕生日ね。お前の決断によっては、京子さんにとってつらい思い出になるだろうな」

わざとネガティブなことを言ってみる。

「じゃ、じゃあ、明日中に決めなきゃ」
「ということは、今現在、お前は向こうの両親についていきたいと、内心では思っているということだな」
「な、なんで?」
「なんでって・・・京子さんを選ぶつもりなら、誕生日に告げてもいいだろ?」
「そ、そっか・・・そうなのかな?」
「さあ・・・けっきょくはお前の心次第だから」
「わかった。明日で決めるよ!」
「お・・・」
「どっちにしても、お母さんの誕生日はちゃんとお祝いしてあげたいから」

憂いを含んだ微笑を口元にたずさえ、軽くうなずいた。

「あ、でも・・・賢一・・・」
「なんだよ?」
「もし、私が明日になって決められなくても・・・その・・・賢一は・・・」
「・・・・・・」
「た、助けてくれるよね? あのときみたいに、お母さんが連れてかれたときみたいに、なんだかんだで、助けてくれるよね?」

 

おれは、正直、残念だった。

 

やっぱり、無理なのかな。

 

大人になれない義務を負った少女は、けっきょくは、誰かに頼るような人生を送り続けるのだろうか。

 

京子さんは灯花に依存し、灯花はおれに依存する。

 

きっと、京子さんの親も問題のある家庭で育ったんだろうな。

 

大音家には、誰の責任にもできない罪があって、永遠と連鎖を続けている。

 

「おれは、ね。灯花・・・。
お前らの家に居候させてもらって、それなりに楽しかったんだ。
やっぱり、家はいいな。おれも親父やお姉ちゃんに会いたくなったよ。もういないけど。
なんだろう・・・そういう楽しさやなつかしさをくれた恩を返すつもりではいるよ。
お前たち親子のためになることをしようと思っている」
「それって、助けてくれるってことだよね?」
「・・・できることはやるつもりだ」
「よ、良かった・・・安心だよ・・・」
「でも、おれなんかに期待しないで、明日にちゃんと決めるんだぞ?」
「うんっ。がんばってみるよぉ・・・」
「・・・おやすみ」

 

おれは部屋を後にした。

 

 


・・・
部屋を出た直後、京子さんにぶつかりそうになった。

「どうしたんです? まさか盗み聞きでもしてたんですか?」

「たまたま、通りがかっただけよ・・・」

あれ・・・?

「なんだか、顔色悪いですね?」
「・・・ええ、ちょっと、頭が痛くてね」
「夏カゼですかね?」
「心労じゃないかしら・・・」
「はは・・・」
「明日・・・料理、がんばってみるから・・・」
「お願いしますよぉ」
「・・・灯花が食べてくれないわけないわよね?」
「どんなまずい飯でも、喜んで食うでしょうね」
「森田くんを信じて、やってみるわ」
「おれじゃなくて、灯花を信じてください」

京子さんは、ふっと、笑った。

「そうね・・・灯花のためよね。
灯花が向こうに行ってしまう前に、せめて一度くらい、手料理をご馳走してあげたいわ・・・」
「まだ向こうに行くって決まったわけじゃないでしょう?」
「いいえ・・・なんとなくわかるもの。
だって、客観的に見たら、どう考えたって、あっちの親の方がまともでしょう?」
「あなたは当事者なんだから、客観的に見る意味はないですよ」
「それにしたって・・・」
「暗いなあ・・・」
「ごめんなさいね。もともと、幸薄そうな顔つきですから」

もう一度顔を見ると、やはり、体調が悪そうだった。

「寝たほうがよさそうですね」
「ええ・・・」

軽く微笑んだ。

その後姿を見て、明日は期待が持てそうだと思った。

 

「・・・どうなることやら。
察しのいいあんたはとっくに予想している通り、灯花は明日には決められないだろう。
どうしよっか?」

 

 

・・・・・・。

 

・・・。