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車輪の国、向日葵の少女【28】

 

 

・・・
「お母さん、体調悪いって?」

 

朝一番、まだ夏の夜虫が泣いている時間帯に京子さんは不調を訴えた。

 

「どうも、熱が出ているみたいだな」

 

部屋に引きこもっていた灯花も、心配そうに部屋から出てきたのだった。

「だ、大丈夫なのかな?」
「軽く診ておいた。ちゃんと寝てれば、明日には回復してると思うぞ」
「やっぱり、疲れてたんだ・・・わ、私のせいだ・・・。
私が、おろおろとして、いつまでも決めないもんだから・・・」

震える腕で自分の両肩を抱いていた。

「・・・じゃあ、やっぱり、京子さんにするか?」
「・・・っ?」
「それは、ちょっと違うよな?」

灯花は、息を詰め、おれから視線を外したあと、小さく、けれどはっきりとうなずいた。

「昨日一晩で、少しは考えがまとまったか?」
「・・・うぅん・・・あんまり・・・」

やっぱりな。

「でもね、夢を見たの」
「京子さんの夢か?」
「お父さんとお母さんとお母さんが、三人とも同じ食卓でご飯食べてた。
最初は、みんなよそよそしかったんだけどね。
私が作ったご飯を食べてくれてるうちに、だんだん仲良くなっていくの・・・。
みんな、笑顔でね。楽しかったなぁ・・・」

それが、灯花の願望か。
恍惚とした表情を浮かべて、夢見心地でいる灯花に告げた。

「これは、とっつぁんの受け売りで、おれも、そして世の中の大人と呼ばれる人がたいてい知ってることだけど・・・」
「・・・え?」

やや、おびえた眼差し。

「世の中って、自分の思い通りにならないから。
全部うまくいって、みんなが幸せになることって、まず、ありえないから」
「わ、わかってるよぉ・・・」
「そう?」
「選ばなきゃ、ダメなんでしょう?」
「選べるだけ、まだいい方だと思わなきゃ」
「そ、そうだよね・・・お母さんなんて、子供のころはずっと、親に決められるだけの道を進むしかなかったんだもんね」
「京子さんも、幸喜夫妻も、お前に決断を任せている分、ある意味立派だよ」

そして、ある意味、無責任。

「どっちかを選ぶと、選ばれなかったほうが悲しい目に会うのは、仕方がないことなのかな?」
「仕方がないことだね。でも、そういうものだから。
選ばれなかったほうも、仕方がないことだと納得するから。大人ならね」
「そっか・・・しょうがないんだよね・・・」
「お前も言ってただろう? 森田賢一っていろいろな女の子にちょっかいだしてそうって」
「そういう人って嫌われるよね・・・」
「いつまでも優柔不断で、どんなときも八方美人でいられれば、楽だけどな」

灯花を見据える。

「わかった・・・ありがとう・・・」

納得した顔で、自室に引き上げていった。

 

 

 


・・・
「・・・・・・」

リビングに誰もいない朝が来た。
京子さんは熱を出して寝込んでいる。
灯花も、部屋から出てこない。

「今日は、朝食なしかな・・・」

大音家の台所には、テーブルも、椅子もあるのに、いまだ、肝心な手料理だけが並ばない。

・・・そういえば、食器類はあるのかな?

明日は京子さんの誕生日なんだから、きっと、灯花が料理を作ろうとするだろう。
必要なものを、そろえておきたいな。
そう思って、台所へ。

 

・・・
ゴソゴソと、流しの下や上の戸棚を漁る。

・・・包丁に、フライパンに、菜箸に、まな板に・・・。

・・・まあ、けっこうそろってるな。

おっと、例の果物ナイフも出てきたな。
京子さんもさすがに、持ち歩くのはやめたらしい。

・・・っと、こりゃ、なんだ?

おれが首をかしげて持ち出したのは、鉄製の薄いへらのようなものだった。

ひょっとして、これがケーキ作りに使う、スパテルってヤツかな?

「・・・・・・」

スパテルを戸棚にしまう。

 

 


・・・
「灯花ー」

ドアの前で、呼びつける。

「なに? ご飯ならいらないよ?」
「明日さ、京子さんの誕生日だろ?」

灯花はうなずいた。

「お前がどっちの親を選ぶにしろ、京子さんのために料理作ってみようよ」
「それは・・・楽しそうだけど・・・でも、お母さん、嫌がると思う・・・」
「京子さんも、明日くらい、台所に入れてくれるんじゃないかな?」
「うん・・・でも・・・」
「おれもお願いしてみるから。きっと大丈夫だって」

薄く笑ってみる。

「そ、そうかな・・・?」

頬がほんのりと赤くなった。

「京子さんの嫌がることはしたくないんだろうけど、結果、京子さんが喜ぶことなら、いいんじゃないか?」
「・・・そうだよね・・・いつまでも、お母さんの顔色うかがってても、ダメだよね・・・」
「あんま難しく考えるなよ。お誕生日パーティしようってだけなんだから。
楽しそうじゃないか? 京子さんのために、メシを作るってのが」

感情を煽ってみる。

「うんっ、わかった・・・お母さんが、喜んでくれるなら・・・。
でも、お母さんに台所に入れてって、頼むときは、一緒にお願いしてね?」
「わかったわかった。おれに任せろって」
「・・・一緒だよぉ?」
「約束するって」

 

・・・やっぱり、おれに頼ろうとするなぁ。

 

「そういうわけで、何作る?」
「メニュー?」
「得意料理は?」
「えっと・・・。
あぁ・・・ど、どうしようかな・・・得意なものっていうのはないんだけど・・・。
麺類とかはやだな・・・えっと・・・」

迷いだしたな。

「わかったわかった。カレーにしよう」
「えぇっ!? もっと豪華なものが・・・」
「いや、最悪台所に入れなかったときにも、カレーなら、川辺で作れるだろう?」
「そ、そっか・・・!」
「決まりだな?」
「でも、カレーかぁ・・・」

 

コノヤロ。

 

「せめて、シチューじゃだめ? カレーは、寝かさないとおいしくならないし・・・って、シチューもそういう性格持ってるんだけど・・・まだましかなって・・・」
「よし、シチューだ! 決定!」

手を叩いた。

「食材は明日買いに行こうな」
「うんっ。おいしいもの食べさせて、お母さんに元気になってもらおうっと!」
「じゃあ、明日を楽しみに、またじっくり考えてろ・・・」

そう言うと、灯花はまたため息をついて、自室に戻っていった。

 

 

 

 

・・・
電話が鳴ったのは、京子さんの様子を見て、部屋から出てきたときだった。

「灯花! 電話だぞ!」

灯花は、慌しく電話に出た。

「もしもし、灯花です・・・!」

名前から名乗るあたり、向こうの親だと直感していたようだな。

「あ、うん・・・お父さん? うんうん。電話ありがとう・・・」

表情こそ強張っているが、声には慣れが見えている。

「そ、そだね・・・ちょっと迷ってるかな・・・。
あ、そだ。ケーキおいしかったよぉ! うん・・・すっごくね・・・。
私もああいうの作ってみたいなぁ・・・え? 教えてくれるって・・・うん、うれしいよぉ・・・。
お母さん? お母さんはね・・・ちょっといま、体調崩したみたいで・・・うん・・・そんなに、心配ないみたいだよ・・・最近、悩み事が多かったみたいで・・・そう・・・。
うん・・・ちょっと、たまにだけど、お母さんも、よくわからなくなっちゃうことあるけど・・・でも、本当は優しくて、私のこと考えてくれてるんだよ?
だって、いつでも一緒にご飯食べてくれたし・・・私があげたプレゼントとか、ずっと大事に持っててくれたし・・・。
うん・・・仲直り、できるといいね・・・」

そこで、沈黙があったようだ。

「え? なあにっ? お、お母さんもよく体調崩すって!?
た、大変だね・・・だってお父さんもお仕事あるでしょう・・・?
う、うん・・・私がいれば・・・。
え? い、いや、いいんだよ! もっとそっちの事情を知りたいし!
ずるいだなんて、思ってないよ! 私は、自分で決められるから!
だいじょうぶだいじょうぶ! 今日中に決めて、明日には連絡するから!
私だって、もう大人だよぉ! そんな、心配しないでよぉ・・・」

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。


灯花は、それから、強気な発言を繰り返した。

 

親の前でかっこうをつけたい気持ちの子供がそこにいた。

 

 

 

・・・
「はあ・・・」
「無理しやがって・・・」
「ど、どうしよう・・・?」
「どうしようじゃねえだろ・・・今日中に決めるんだろ?」
「でも、向こうも思ったより大変そうで・・・」
「・・・そうか。でも、聞けば聞くほど大変な事情は出てくると思うぞ?
京子さんだってそうだよ。きっとお前には言えない過去をまだ、ひきずっているはずだよ」

そのとき、灯花が自分の髪を両手でつかんだ。

「あー、もう! わかんないよぉ!」
「おい・・・」
「決められない、決められない、決められない・・・!」
「ちょっと、落ち着けって・・・!」

取り押さえる。

「はあっ・・・はあっ・・・」
「やけになっても、しょうがないだろ?」

「私には、決められないよぉ・・・」

泣きそうな顔で言った。

「ぜんぜん、考えがまとまらないくせに、考えれば考えるほどみんなに悪い気がしてきて・・・」
「・・・悪いことなんて、なにもないよ。しょうがないんだって」
「うぅ・・・」

ぎゅっとおれの腕にしがみついてくる。

「・・・決めないと、賢一も困るんだよね?」

ふっと見つめてきた。

「わかった。もうちょっと、考えてみるよ・・・」

ゆっくりとしがみついていた手を離し、とぼとぼと、部屋に帰っていった。

「あんまり、腹に溜めるなよ」

おれの声が、灯花に届いたかどうかはわからなかった。

 

 

 

 

・・・
西の空が赤くなり始めたころ、京子さんが部屋から顔を見せた。

「・・・つらそうですね?」

京子さんはため息混じりに言った。

「迷惑・・・かけるわね・・・こんなときに・・・」
「薬飲みましたよね? 今晩じっくり寝れば、治ってると思いますよ」
「ありがとう・・・森田くんがいてくれて、本当に助かってるわ・・・」

ふっと笑う。

熱で弱って、本音が出ているのか、いまの京子さんからは、張り詰めた感じがしない。

「灯花は・・・?」
「まだ、悩んでいるようですね」
「やっぱりね・・・あの子は、優しいから、きっといつまでたっても決められないんでしょうね・・・」

そこで、熱っぽい咳をひとつ、ついた。

「なにか、食べられそうですか? おかゆでも作っておきますけど?」

すると、重そうに首を横に振った。

「今日、料理作るって、約束だったわよね?」
「え? ええ・・・しかし、無理でしょう?」
「・・・・・・」

眉間には深いしわをたずさえ、吐く息は色でもついていそうなくらいに重々しい。

 

「お母さん・・・平気なの?」

おれたちの会話が聞こえたのか、灯花が不安そうな顔で現れた。

「灯花こそ、だいじょうぶ? 無理してない?」
「無理なことなんて、なにもないよ・・・私が一番楽ちんなんだから」
「ごほっ・・・ら、楽ちん?」
「だ、だって・・・どっちの家に決めたって、きっと私は幸せに暮らしていけるから・・・」

京子さんがゆっくりと顔を歪ませていった。

「・・・私と、一緒にいて、幸せ?」
「うん・・・いろいろあったけど、いろいろあるからきっと幸せなんだよ・・・」
「ありがとう・・・私なんかに、気を使ってくれて・・・」
「・・・・・・」


「明日、京子さんの誕生日ですよね?」

 

頼むなら、いまだと思った。

「誕生日なら、お祝いしましょう。灯花が、シチューを作ってくれるって言うんです。
楽しみでしょう? だから、台所に入ってもいいですよね?
お願いします。灯花も、楽しみにしているんです。
ほら、灯花もお願いしろって」

肩をたたく。

「あ、お、お願い・・・」

京子さんは、黙っておれたちを見つめる。

「お願いだよぉ・・・おいしく作るから。ねっ?
お母さんに元気になって欲しいんだよぉ・・・」
「・・・・・・」

おれは京子さんの顔をじっと見つめた。

京子さんは息を詰め、少しだけ頬を膨らませた。

「森田くんも、策士ね。私が弱っているときに頼みごとをするなんて・・・」
「ばれてましたか・・・」
「いいわよ・・・」

「えっ? ほんとうっ?」

灯花に向かって、うなずいた。

「その代わり、気分が悪くなったりしたら、すぐに言いなさいね」

今度はおれに向き直った。

「お願いね」

・・・つまり、灯花をおれに任せたってことか。

「それじゃ、私はもう少し休むから・・・」
「あ、ありがとう・・・お母さん! 私、がんばるねっ・・・」
「その前に、お前は決めることがあるだろう?」

「ふふ・・・」

灯花の肩を小突いたおれを見て、京子さんは寂しそうに笑ったのだった。

そうして、彼女は居間から姿を消した。

「・・・良かったな、灯花」

けれど、灯花の表情は重い。

「でも、これで、私が向こうを選んだら・・・明日は、ちょっと気まずいことにならないかな?」
「それも、仕方がないことだよ」
「・・・最悪の、誕生日になっちゃったりして・・・。
あぁ・・・決めなきゃ・・・早く・・・」
「夕飯食うか?」
「いらない・・・部屋でまた考える・・・」
「夜になったら、部屋に行くな。 そのときまでに・・・」
「うぅ・・・」

 

逃げるように、部屋のドアを閉じた。

 

その後、おれは一人で、非常食を口にしていた。

 

 

 

 

 

・・・
ケムリを入れると、やはり気分が落ち着く。

 

・・・おれができることといえば、この家の真実を追求することだろうな。

 

灯花は、どちらの親を選んでも幸せだと言っていた。
灯花の両親、大音幸喜と大音佐知代が実際はどんな人物なのか。

これは、さっき都会の知人に連絡を入れて調べてもらうことになっているが、裁判所がからんでいる辺り、おそらく大丈夫だろう。

 

それから、京子さんだが・・・。
京子さんの不安定さに、おれは、未だに不安をぬぐえないでいる。

 

「そろそろか・・・」

 

灯花の様子を見に行くとしよう。

 

 

 


・・・
「入るぞ・・・」

「・・・っ」

ベッドの上に座って膝を抱えていた灯花。

「けん、いちぃ・・・」

おれを一瞥すると、ふさぎこむように頭を抱えてしまった。

おれは無言で、灯花の隣に座った。

「・・・決まったか?」

決まっているはずがないのに、聞いてみる。

「・・・だめぇ」

少女の声は、自分の弱さを隠すことも忘れていた。

「どうすれば、いいのかな・・・? どうすれば、みんなが悲しまずにすむのかな?」
「・・・・・・」
「わ、私には、決められないよ・・・だって、どっちの親も大事なんだから・・・かけがえのない、家族なんだから・・・。
なんで・・・なんで、私が決めなきゃいけないの・・・?
もともとはお母さんとお父さんの問題のはずなのに、どうして私が、決めなきゃいけないの?
・・・もっとゆっくりさせて欲しいよ・・・私は、もっと、普通なんだから・・・賢一みたいに頭がいいわけでも、さちみたいに行動力があるわけでもないんだから・・・。
どうして、こんなに、めまぐるしいんだろう・・・。
お母さんがお母さんじゃなくて、本当のお母さんが出てきて、ケンカしてて・・・息をつく暇もないよ・・・。
ただ、お父さんとお母さんが仲良くしてくれればいいのに・・・。
それって、そんなに難しいことなのかな?
弱いな・・・子供って・・・ふりまわされるばかり・・・」

 

ため息とともに、お腹を手で押さえる。

溜まっていた鬱憤を、いま、吐き出しているのだろう。

 

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「けんいちが、決めてよ・・・」

舌足らずな声。

「おい・・・」
「けんいちなら・・いいよ・・・きっと、なんとかしてくれる・・・」
「灯花、ちょっと待て。それはない」
「だって、だってぇ・・・もう、時間ないんだもん!」

いままで一度も見たことのないような幼稚な灯花の姿が、目の前にあった。

「灯花、あのな・・・」
「う、うんっ!」

灯花は、まるでおれが、素晴らしいアイディアの一つでも浮かんだと思ったらしい。

「・・・・・・」
「な、なに? 言ってぇ! 私、なんでも言うこと聞くよぉ!」
「本当に、おれが、決めていいのか?」
「・・・っ」
「おれが、例えば、京子さんを選べといったら、一生後悔しないか?」

さすがに、しばらくの逡巡があった。

けれど、灯花はやがてゆっくりと首を上げて、

 

「決めてぇ」

 

虚ろな瞳で、そう言った。

「世の中は、たとえどんな社会でも、知識と教養があって、決断力と行動力があるような、頭のいい人たちが支配してるんでしょう?
私のような頭の悪い人は、ずっと利用されて生きるんでしょう?
でも、気づかなければ、幸せだから・・・。
そういった頭のいい人たちに、いっつも責任を取ってもらえれば、すっごい楽ちんだから・・・。
それで、いいよ・・・」

ため息混じりにつぶやいた。

「私は、ただ・・・みんなが、そしてなにより私が傷つくのが、嫌なだけなんだよ・・・弱い、弱い、お子様なんだよ・・・」

 

もういいよ、もういいよ・・・震える声がしぼんでいった。

 

「・・・そうか」

 

決められないか。

 

「ごめんな。ろくなアドバイスもできなくて・・・」

 

灯花は黙って首を振る。

どんな話術を用いても、ここまで開き直って自分を晒してしまった人間を、すぐに変えることはできないだろう。

 

おれは、失敗したのだ。

 


―――【そして、その意思が、脆弱なものであるという、その過程を、森田の後学のために見せておこうと思ったのだ】―――

 


・・・まったく、法月の言うとおりになった。

 

―――【三日以内だ。必ず決めさせろ。人に決断させられない人間は、人の上に立てんぞ】―――

 

 

ここで、おれが灯花に代わって、親を決めてやることはできる。

「・・・灯花・・・」

決断を任されたおれは・・・。

 

 


・・・。

「灯花・・・」
「うん・・・気兼ねしないで、言ってみてぇ・・・決めないと、賢一にまで迷惑かかっちゃうでしょう・・・?」
「・・・わかった・・・」

おれは、自分の考えを述べることにした。

 


ノックがあったのは、おれがため息を一つついて、話を切り出そうとした瞬間だった。

「・・・まだ起きてるの?」

おれたちは、どちらからともなく体を離して、ベッドから降りた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

灯花は、気まずそうに京子さんを見ている。

きっとおれも、同じような顔をしているのだろう。

「部屋を暗くして、二人で密談? ふふ・・・仲がいいのね・・・。
青春ってやつかしら?」

上品に笑っている。

「ね、熱は引いたんですか?」

薄暗いのでよくわからないが、京子さんの頬は相変わらず火照っているように見える。

「ああ、熱はもう大丈夫よ。森田くんのおかげね」

 

本当だろうか・・・。

言葉の端々に熱っぽい吐息を感じる。

そして、なにより、おれは鼻がひくつくのを感じた。

 

「約束したでしょう?」

 

食べ物の匂いがする。

「・・・夜食に、どうかなと思って」

そう言うと京子さんは、ドアの影からお盆を持ち出した。

「食材があまりなかったから・・・お茶漬けね・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

「机の上に、置いておくから・・・おいしそうだったら、食べてね」

唖然とするおれたちの脇を通り、机の上に盆を置いた。

「それじゃ、おやすみなさい・・・っ・・・」

一瞬、息を詰めたのは、咳を我慢したのだろうか。

背を向けて、何事もなかったかのように、部屋の外へ足を向ける。

おれは、盆の上に乗った茶碗を見た。

それほど湯気のたっていないお茶漬けを見て、直感した。

この人は、おれたちの会話をドア越しに聞いてしまったのではないだろうか。

だから、せっかく作った手料理が冷めてしまったのだ。

けれど、彼女は部屋に入ってきた。

 

不安を押し殺して。


「お、お母さん、待って!」

灯花が母親の背中に向かって叫んだ。

「お母さん・・・わ、私・・・私・・・」

灯花の目から、一筋の涙が頬を伝っていく。

「ごめん、ごめんなさい・・・! 私、なんにも、なんにも決められなくて! 迷惑ばっかりかけて・・・!
頭悪くて・・・!」

そのとき、京子さんが振り返って言った。

「これは命令よ、灯花。よく聞いて」

思わず、灯花の胸についたバッジを見た。

大人になれない義務は、現在、その強制力を失効しているわけではない。

 

「あちらの親に、親権を返します。
あなたは大音幸喜と、大音佐知代の子供になるのよ」

 

はっきりと、迷いのない口調で告げた。

「ひ、ぅ・・・」

あえぐような声を漏らし、灯花は首を振った。

「大好きな料理をしっかり教えてもらいなさい。
本当の、血のつながった両親に、ね」

灯花の唇が何か言葉を発する前に、京子さんは部屋から出て行く。

「明日の誕生日、期待してていいかしら?」

去り際の表情は、爽やかなものだった。

 

 


「あ、あうぅ・・・うああ・・・!」

灯花はその場にうずくまって、しゃくりあげるような声を出した。

「・・・ああ、ど、どうしたら・・・どうして・・・どうして、こんなことに・・・!」
「・・・灯花・・・」

おれから言えることは、もはや一つだった。

「どうしよう・・・ど、どうしたら、いいかな・・・?」

「お茶漬けを食え」

「えっ・・・!?」

「冷めきってしまうぞ」
「あ、ああ・・・」
「ほら、どうした? せっかく、お母さんが作ってくれたんだぞ。
お前も、待ち望んでたじゃないか?」
「うぅ・・・くっ・・・!」

おれに命じられるがままに、のろのろと、お盆に手を伸ばした。

混乱しきった頭の中で、ただ、料理を食べることだけが救いであるかのように考え、箸を握った。

「お、おかぁさぁん・・・」

そうして、灯花は母親の手料理に口をつけた。

 

 

 

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

灯花は、嗚咽をこらえ、涙と一緒にご飯を流し込んでいった。

やがて、空になった茶碗を前にして、一言だけつぶやいた。

 


――おいしい。

 

悩みや不安から解放された灯花は、ベッドに倒れこむと、すぐに寝息を立てた。

 

子供のように無力で健やかな寝顔だった。

 

けっきょく、灯花は決められなかった。

 

京子さんが代わりに、決めてくれた。

 

親としての責任を果たしたのかもしれない。

 

おれの監督も、もう、終わる。

 

けれど、明日は京子さんの誕生日だ。

 

灯花と一緒に、盛大にお祝いしてやろう。

 

 


・・・おれにはまだ、やるべきことが残っているのだ。

 

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


・・・。

 

・・・・・・。


「ほら、灯花。朝よっ!」
「起きろ起きろっ!」

朝一番、おれは京子さんと、灯花をたたき起こしに部屋に来た。

「うぅ・・・お、お母さん・・・」

京子さんの顔を見て、ばつの悪そうな表情を浮かべる灯花。

「ほらほら、朝ごはん作ったわよ。さっさと、食べましょうよ」

 

おれは灯花の腕をつかむ。

「メシ食うぞ、おい。今日はパンだ。パンに牛乳に玉子焼きだ。
三人で食おうぜ?」
「あ・・・っ、で、でもぉ・・・」
「いいからいいから」

無理やりに部屋から連れ出そうとする。

手のひらを取った。

「・・・ば、バカ!気安く触らないでよ! しかもお母さんの前で!」
「ふふ・・・森田くんが灯花をもらってくれるなら、私はかまわないわよ」

ニヤニヤしている京子さんだった。

「お、お母さん、賢一を調子づかせないでよ・・・」

顔を赤らめる灯花。

 

おれと京子さんが考えていることは、同じだろう。

 

灯花を、あまり悩ませないことだ。

 

悩ませるすきを与えない。

 

おれは、恥ずかしさをこらえて、灯花の手のひらをぎゅっと握った。

 

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「わ、わわわっ!」
「おら、来いよ」
「は、離してっ!」

ジタバタ・・・ジタバタ・・・!

「もうっ! ちょっと顔洗ってくる!」

 

足早に部屋を出て行った。

 

おれは京子さんと向き合う。

 

「灯花、全部食べてましたよ・・・」

机の上に載っている、茶碗をすっと指差した。

「味なんて、わからなかったでしょうね」

苦笑交じりに言う。

「・・・でも、全部食べてましたよ。泣きながら、わけもわからず、ただ、がむしゃらに・・・」
「・・・・・・」

「おいしいって・・・」

京子さんは、うつむいて、一瞬だけ涙をこらえるように鼻をすすった。

 

 

 


・・・
朝食。

「いやあ、この家も今日限りかと思うと、なんだか物悲しいですねー」
「あらぁ・・・いつでも遊びに来てよ」
「いやいや、教師とその教え子が、仲良くしすぎるというのもどうかと思いますよ」
「じゃあ、磯野くんと遊んでもらおうかしらね」

「ぶっ・・・!」

それまで暗そうな顔をして黙っていた灯花が、急にパンを吹いた。

「どうしたの灯花? 行儀悪いわよ?」
「だ、だって・・・磯野なんかと・・・」
「磯野くん、ふざけてるけど、実は本気だと思うのよね」
「おれもそう思うな」
「わ、私は認めないよ! あんなつまらないヤツ!」
「そう? 楽しい子だと思うけど?」」
「ダメダメ。あいつは、お笑いというものがわかってないよ」

「なにを偉そうに・・・」

「なによぉ!? 私は、毎週ラジオ聞いてるんだからねっ!」
「じゃあ、ちょっと教えてくれよ」
「えっ・・・?」

息を詰めた。

「ああ、私も聞いておきたいわ」


「だ、だからほら・・・例えばね・・・」
「うんうん」
「・・・えっと、メガネが・・・いや、メガネを探してて・・・。
なんかすっごい必死になって探してて・・・メガネメガネって・・・師匠が・・・」
「ぜんぜん、面白さが伝わらないんだけど?」
「だ、だからぁ・・・実は、そのメガネがおでこにあったのよ・・・」
「その、うっかりっぷりは、お前の実体験か?」
「ち、違うって! そのあと、でこでこでこりーんって言うんだから!」
「それ、灯花が昔よく言ってたじゃない?」
「やっぱり、お前の持ちネタじゃねえか。しかも、わけわかんないし」
「くぅっ・・・! もういい! 笑えないのは教養の差があるからだよ!」
「なんだコイツ・・・?」

「ほらほら、さっさと、食べちゃってね」

 

 

 

 

・・・
「お、お母さん・・・体調、もう大丈夫なの?」
「大丈夫じゃね?」
「賢一に聞いてないよ!」
「今朝になったら、熱が引いてたわ。森田くんの看病のおかげね」
「賢一の看病?」
「夜通し付き添ってくれたのよ。汗を拭いてくれたり、水を飲ませてくれたりね」
「・・・・・・」

「あ、ありがとう・・・賢一・・・」

「別に・・・」

「ごめんね、私・・・自分のことでいっぱいいっぱいになってて、お母さんの面倒見てあげられなくて・・・」

また、落ち込みだした。

「まったくグズグズしたヤツだな。とっとと、メシの準備でもしろよな」
「・・・え? いま朝ごはん食べ終わったばっかりでしょう?」
「夕飯の準備でしょ?」
「あ、ああ・・・そっか・・・」
「買出しに行くぞ」

また手をつかむ。

「だ、だから触るなっての!」
「だから、お前のことは妹のように思っていると言ったじゃないか」

 

「ケーキ買ってきてくれる?」
「うん?」
「黙ってたけど、実は私も甘いものが好きなのよね」
「親子ですねぇ・・・」

そういえば、京子さんも甘いものを食べることを、親に禁止されていたんだったな。

灯花は面映そうに京子さんを見ていた。
一時的なものかもしれないが、灯花がいつも通りの雰囲気を整えてきた。

 

 

 

 

 

・・・
「まだまだ、暑いなあ・・・日の光がね、きっついんですよ・・・」
「ねえ、賢一・・・」
「あん?」

「・・・な、なんで、手離すの?」
「は?」
「う、家を出るときは、つないでたのに・・・どうして、いまは手離すの?」
「いや、別に・・・恥ずかしいし・・・」
「・・・・・・」

むくれてしまった。

「どうしたんだよ・・・?」
「いや、賢一とも、もうお別れなのかなって・・・」
「お前の監督が終わるだけだから、しばらくは町にいるよ」
「でも、家からはいなくなっちゃうんでしょう?」
「まあな・・・いつまでも居候するのも悪いし」
「別に、いいよ? 行くところないんでしょ?」
「・・・でもさ・・・お前も、都会に行くわけだろ?」
「あ・・・。
そうだね・・・もう、会えなくなっちゃうんだ・・・」
「仕方がないことだな」
「・・・っ・・・」

やばいな・・・また悩みだしそうだぞ。

「そうだ。昨日さぁ・・・」

おれがくだらないギャグを飛ばそうとしたときだった。

「今日は、お母さんの誕生日だもんね」
「え?」
「自分のことばっかり考えてちゃ、ダメだよね・・・」

自分を納得させるように、うなずいている。

「お祝い、してあげなきゃねっ」

てくてくと歩いてスーパーに向かう灯花を見て、おれはぼそりとつぶやいた。

「・・・我慢しやがって」

まったく、腹に溜めるヤツだ。

 

 

 

 


・・・
買い物を終えて、スーパーから出てきた。

おれは荷物を持たされている。

「お前よぉ、買いすぎだっての・・・」
「白ワイン・・・バター、小麦粉・・・全部、買ったよね?」
「だから、買いすぎだっての」
「本格的なのを作るんだよ!」
「だからって、なぜおれが全額を払わされるんだ?」
「だって、お金持ってるんでしょ? ちょっとくらい役に立ってよ」
「けっ・・・その代わり、うまいものを食わせろよ?」

おれたちは家路についた。

 

 

 

 

・・・
家の門の辺りで、京子さんに出くわした。

「おでかけですか?」
「ええ・・・ちょっと学園まで」
「お仕事?」
「夏休みも、もう終わりだしね」

小さくうなずいた。

「お母さん、私、これから、台所で準備始めるけど・・・」
「今から!?」

確かに、まだ昼にもなっていない。

「れ、練習したいし・・・キッチンを使ったことないから、火加減とかわからないし・・・。
いい、かな・・・?」
「ダメとは言えないでしょう・・・」


やっぱり、どうしても台所には入れたくないんだな。

・・・どうして、なんだろうな。

「京子さんも、早く帰ってきてくださいね」
「ケーキ買ってきたからね」
「ええ・・・ありがとう・・・」

ふっとおれに視線を投げた。

「森田くん、ちょっといいかしら?」
「はい?
わかってますよ。灯花の様子に注意しておけばいいんでしょう?」

小声で言う。

「さすがね・・・任せたわよ」
「まだ、何か?」
「実はね、法月先生に呼ばれたのよ」
「え?」
「例の軽犯罪の件で、改めてお話があるって」

京子さんを呼び出すための、口実だろうな。

「法月先生って、なにを考えているのか、まったくわからなくて・・・」

前にも、とっつぁんに呼び出されて、京子さんはちょっとおかしくなって帰ってきたことがあったな。

「京子さん」

不安そうな瞳を見据えた。

「今日は、あなたの誕生日です。灯花が待ってますから。
それだけを考えていてくださいね」
「わ、わかったわ・・・」

「賢一・・・?」

灯花が心配そうな顔で、突っ立っていた。

「それじゃ、いってらっしゃいませ」
「灯花も、火の元には十分気をつけるのよ?」

おれと京子さんは、さりげなく距離を取った。

「行ってらっしゃい・・・楽しみにしててねっ」

灯花の笑顔に見送られて、京子さんは去っていった。

 

 

 

 

・・・
「お母さん、台所入るねーっ・・・って、お母さんいないし・・・」
「なに一人で漫才やってるんだよ?」
「つい、いままでの癖で・・・」
「とっとと、用意しろ。シチューだろ?」
「ホワイトシチューだよ」
「なんでもいいよ・・・」

苦笑しながら、食材をテーブルに並べていった。

「あ!」
「なんだ?」
「食器とかあるかな?」
「ある。確認済みだ」

「あ!」
「なんだよ?」
「私、まだ手洗ってない」
「洗ってくればいいだろうが!」

なんなんだよ?

「ひょっとして、緊張してるのか?」
「う、うん・・・武者震いってヤツかな」
「わかったよ。手ぇ、握っててやる」
「それじゃ料理作れないでしょう!」
「わがままなヤツだなぁ・・・」
「ぶっ殺すぞ」

こんなやりとりも、なんだか懐かしく思えてくるな。

「後ろで見てていいか?」
「・・・いいけど? どしたの急に真面目な顔して」
「いやぁ・・・」

頭をかく。

「おれに、手伝えることがあればなんでも言えよ」

灯花は怪訝そうな顔をした。

「・・・じゃあ、とりあえず、バターとか冷蔵庫に入れて」

おれはうなずく。

「気分が悪くなったら言えよ?」
「なんで?」
「最近、おなか痛いってよく言ってたじゃねえか?」
「・・・い、言ってたっけ?」
「なに、ごまかそうとしてんだ?」
「なんともないよ!」
「・・・・・・」

 

「さぁっ、さっさと準備しないと・・・賢一にかまってたら、時間がもったいないっ」

いそいそと、腕をまくり始めた。

「がんばれよ・・・」

 

 

 

・・・
台所からは、包丁がまな板を叩く、小気味のいい音が聞こえてくる。

「ふん、ふんふん・・・るんるるんるーん♪」

楽しそう。

「あ、賢一、そろそろご飯炊いてー」
「おう。米を研げばいいんだな?」
「そうそう。まだ炊飯器のスイッチ押しちゃダメだよ?」
「しばらく水に浸しておくわけだな・・・」
「それから、小麦粉とバター出しておいて、あと牛乳も・・・。
ホワイトソース作るから・・・」

どうやら、ルーから作るらしい。
こんなに迷いなく、てきぱきと手足を動かしている灯花は久しぶりに見た。

・・・やっぱり、料理が好きなんだな。

本格的に教えてもらえば、いい腕の料理人になるんじゃないだろうか。

そういう意味で、京子さんの選択は正しかったのかもしれない。

 

「ん・・・どした?」

 

灯花が、流しの下でしゃがみこんでいる。

 

「あ、な、なんでもない・・・ちょっと鍋を取ろうとしたの」

 

流しの下の棚が開いていた。

 

「あるだろ?」
「うん・・・いや、棚の中にちょっと珍しいものがあって」
「ああ、スパテルってヤツか?」
「そう・・・っ・・・」

突如、灯花が息を詰めた。

「なんだ、どした?」
「で・・・」
「で?」
「でこでこでこりーん・・・」
「へ? 一発芸? なんで?」
「はは・・・あんまりウケなかったね」
「いや、びっくりした」

 

 

・・・

灯花は手に取ったスパテルを、棚に入れた・・・。

 


「ふぅ・・・ここからが、気合入れるところだからねー」
「よーし、じゃあ、おれが気合を入れてやる。
いいか! 迷わず作れ!」
「う、うん・・・?」
「お前もあんたも知っての通り、おれは悪魔だ。
言わないでいいことを、きっと口走る」
「は、はあ・・・?」
「真実はいつも残酷であり、けれど、それゆえに美しい」
「狂ったの?」
「逆境や試練を乗り越えたところに、本当の愛が芽生えるものだと、おれは信じたい」
「・・・き、気持ち悪いなあ・・・タバコの吸いすぎじゃないの?」
「信じていいか?」

ふっと見つめた。

「お前と、京子さんを」
「な、なんかよくわかんないけど・・・。
私は、お母さんも賢一も信じてるよ」
「うむ。良く言った。これで心置きなく、お前の監督を終われる」
「どういうことなの?」
「いやだから、お前ってさ・・・」

唾を飲み込んだ。

 

「実はちょっと、おっぱい小さいよな?」
「ん、なっ!?」
「よし言えた。どもらずにエッチなこと言えた。
おれも成長した」

 

「し、死んじゃえ! お前なんか駅の改札のアレに挟まれて死んじゃえ!」

 

 

 

 

・・・
夏空が少しずつ透明になって、秋を思わせるような赤色を滲ませてきた。

「うーん、いい匂いだ・・・コトコトと、煮込んだスープの匂いがする」
「あとは、ちょこっと弱火で煮込むだけ」
「完成か?」
「お母さんが帰ってきたら、サラダ作っておしまいだね」
「味は、だいじょうぶだろうな?」
「賢一には教養の差で味がわからないかもねーっ」

くふふふっと、笑っていた。

どうやら、会心の出来らしいな。

「しかし、真剣だったなぁ・・・珍しく」
「そ、そう・・・?」

照れたように、首をかしげる

「シチューをルーから作るのって、難しいんじゃないのか?」
「簡単だけど?」
「たまねぎとか、じゃがいもとか、ニンジンを、均等に切るのって難しくないか?」
「別に?」
「お前、計量カップとか使わなかったけど?」
「感覚だけど?」

・・・なんか、むしろおれがバカにされているような気がしてきた。

「まあいい、とにかくすごいんだろうな」

一瞬、絵を描いているときのさちを思い出すほどだった。

さちよりは、余裕そうに、楽しそうに料理を作っていたが。

「これってさ、誕生日プレゼントになるよね?」
「なるよ」
「お、お母さん、喜んでくれるよね?」
「だろうな」

すると、灯花は、はにかむように笑うのだった。

「・・・楽しみだなぁ・・・。
毎日、作ってあげたいなあ・・・。
私ね、気づいたの」
「うん?」
「どうして私が料理したいかって」

ふと、真っ直ぐな瞳が目の前で輝いていた。

「それはね、お母さんに喜んでもらいたいからなんだよ」
「そっか・・・」

でも、それは、もうかなわないんだろうな。

灯花が、都会に行ってしまうのだから。

「誕生日会が終わったら、向こうの親に連絡しろよな?」

灯花は、ゆっくりとうなずいた。

「仕方がない、ことなんだよね・・・。
でも・・・」
「・・・・・・」

灯花のつぶやきが、その先の言葉をつむぐことはなかった。

あとは、京子さんの帰りを待つばかりだった。

 

 

 

 

・・・
京子さん、遅いな・・・。

一服しながら、学園の方角に視線を注ぐ。

「っと・・・」

しばらくして、京子さんの姿を発見した。

足早にこちらに向かってくる。

とっつぁんに、なにを吹き込まれたのか、知りたいものだ。

「はあっ・・・ただいまっ」

息を切らしている。

「ひょっとして、途中まで走ってきたんですか?」
「ええ・・・待ち遠しくて」

笑顔に、若干の陰りがうかがえる。

「なんの用だったんですか?」
「昔のことをいろいろと聞かれたわ」
「昔の?」
「私の親のこととか、兄弟、それから幸喜のこととか・・・」
「全部、話したんですか?」
「いつの間にか話させられていた、といった方がいいわね」
「・・・嫌なことを、思い出したり?」

慎重に、瞳の奥を覗き込むように、聞いてみた。

「だいじょうぶよ・・・」
「・・・・・・」
「過去にどんなことがあっても、灯花はきっと、私を許してくれるわ」

落ち着いた声と、表情からは、京子さんのいつもの弱みを読み取れなかった。

・・・もちろん、京子さんの闇が、おれの想像も及ばないほどの、心の奥、深い深いどこかに根付いているのであれば、話は別だが・・・。

「さっ、おいしいシチューが待ってるわぁ!」

玄関に向かって明るく駆け出す京子さんの背中を見て、おれはひとまず安心した。


大音家の食卓が、ついに、食卓らしく振る舞える瞬間がやってきた。

 

 

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「さあ、食べて食べて!」

器に盛られたシチューは、程よい具合に湯気を立てている。
スープはとろりとしていて、ニンジンやじゃがいもの色と溶け合っている。

「いやあ、なんだか、涙が出てきますねー」
「そうね。シチューなんて本当に久しぶりだわ」
「思わず、二の足を踏んでしまいますよね」
「足というか口ね、食べるのもなんだか、もったいないわねぇ・・・」

「ちょっと、二人してごちゃごちゃうるさいよぉ・・・」

「ああ、緊張するわぁ・・・」
「おれもおれも」
「ついに、ついに、灯花の手料理を・・・」
「おれもおれも」

「しつこいなぁ・・・冷めちゃうよぉ?」

そんなとき、誰かの腹が鳴った。

「だ、誰よ!?」

京子さんだった。

灯花は苦笑しながら、言った。

 

「お誕生日、おめでとうっ!」

「いただきます!」

京子さんの目は少し赤くなっていた。

そうして、祈るようにぎゅっと胸の前で手を組んだ。

「ありがとう、灯花。いただきます・・・」

灯花の笑顔に見守られて、スプーンを手にとって、ゆっくりとシチューの中に沈ませていく。

京子さんの腕は、やや震えていた。

「ん・・・いい匂いね、本当に・・・」

半開きの唇の中に、スプーンが入れられた。

灯花の想いのこもったスープが、ごくりと、喉をつたっていく。

「どうかな? おいしい? おいしいかな?」
「・・・なんというか、言葉を失うわね」

頬を紅潮させていた。

「おいしいわ。もちろんよ・・・すごいわね、灯花」
「・・・っ」

京子さんの賞賛に、灯花は感無量というふうに、固まってしまった。

「いやあ、ここまでくるのに、いろいろありましたねえ」

シチューをすすりながら言う。

「本当に、森田くんには迷惑をかけたわね・・・」
「京子さんをプチ犯罪者に仕立て上げたり、灯花の風呂を覗いたり、いろいろすみませんでしたねえ。
いやいや、本当にいろいろあった。なあ、灯花?」
「う、うんっ・・・今度お風呂に入ってきたら、ひどい目にあわせてやるからねっ」
「いや、それにしてもうまいシチューだ。戦場でこんなものは食べられなかったからなあ」
「森田くんって、本当に南方紛争に参加していたの?」

京子さんがサラダに手をつけながら聞いてくる。

「お母さんお母さん、どうせウソだよ?」

灯花はニコニコと笑っている。

「クク・・・グロい死体をたくさん見たぞ。
陵辱シーンや拷問シーンも見たよ。
人間の皮膚が焼けるときってさ、ひでえ臭いがするんだよ。
っと、こんなときに話すことじゃないですよね」


本当に、どうして、今、なんだろうか。


「鍋料理でしたっけ?」
「え?」
「ほら、灯花が、火傷を負ったとき・・・」
「そ、それが・・・どうしたの?」

さすがに、京子さんもおれを不審に思い始めたようだ。

「いやだからね、戦争経験者のおれにはわかるんですが・・・」

眉をひそめる京子さんの瞳をはっきりと見据えた。

「灯花の火傷って・・・」

 

・・・熱湯なんかじゃない。

 

 

 

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「あれは、焼きゴテの痕だ・・・!!!」


反射的に席を立ったのは、京子さんだった。

 

椅子がテーブルにぶつかって、シチューの表面が波打った。

 

「こ、こんなときに、なにを言ってるの?」
「灯花は、真実をちゃんと覚えていましたよ。
そしてそれを忘れたことにして、我慢しているんです」
「だ、だから、何が・・・?」

ひきつった笑みを見て、確信した。

「ケーキを作っていたそうじゃないですか? 灯花がそう言っていました」
「ち、違うわ・・・あのときは鍋をやろうとして・・・急にお湯が吹きこぼれてしまって・・・それで・・・」
「じゃあ、どうしてこの家にスパテルがあるんですか?
あなたは料理をしないんでしょう?」
「・・・っ!」
「本当はケーキを作ろうとしたんでしょう? でも、作らなかった」

 

「最初は、大音幸喜が灯花にそういうことをしたんだと思っていました。
でも、あなたが、あまりに過剰に反応するから、どうしてもひっかかっていたんです」

台所を指差した。

「あなたは、灯花を台所に入れたくなかった。
その本当の理由は、まさしく、灯花がつらい過去を思い出さないようにするためであり、同時にあなた自身が過去を思い出したくなかったからだ。
スパテルを捨てなかったのは、触るのも怖かったからですか?
スパテルに触れて、自分の失態を思い出すのが恐ろしかったからでしょう?」


一歩、京子さんとの距離を詰めた。


「これといった証拠もなかったので、黙っていようかと思いました。
最悪の真実なんて知らないほうがいいですからね。
でも、京子さんは、灯花を向こうの親にやるみたいじゃないですか。
おれはそれが、納得いかないんだ。
どうしてなんですか?
ここまで愛されているのに、どうして簡単に娘を手放せるんですか?
そんなに物分りのいい、強い人でしたっけ?
違いますよね? あなたはどうしようもなく弱い人だ」

京子さんの表情が、徐々に歪んでいく。

「もちろん、灯花のことを想って、親権を手放すのでしょう。
裕福で血のつながった親子。
父親に料理を教えてもらうこともできる・・・そういう気持ちも確かにあるんでしょう。
けれど、それ以上に、あなたは怖いんだ。
いつ、娘が気づくのかと」


灯花が息を呑んだ。

おれは言った。

 

「あなたが、灯花の腕に熱を持ったスパテルを押し付けたんですよね?」


認めて欲しかった。


認めて、もう一度きちんと親子で向き合って欲しかった。

そうして、一瞬が永遠とも取れる沈黙のあと、京子さんは目を血走らせながら言った。

 

 

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「・・・そ、そうよ、私が、灯花を・・・」

 

眼光は爛々と鋭い光を放ち、口元の震えは止まらない。

「幸喜の家で虐待はあったけれど・・・わ、私も・・・あのとき、一度だけ・・・」
「・・・カウンセリングを受けていたのは、灯花じゃなくて、あなただったんですね?」
「だって、わ、私の子供じゃないんだもの・・・しょうがないでしょう?」

会話がかみ合わない。

「京子さん・・・?」
「ち、違うのよ・・・私は、私は・・・私がされたように、この子に同じことをしただけよ・・・。
この子が、私に、ケーキ作ってなんて言うもんだから・・・だから、私も・・・。
法月先生もね・・・さっき、私にこう言ったのよ・・・。
わ、私は最低の母親だって・・・ううん、ありえない・・・人間以下だって・・・灯花を向こうの親に返すのは、むしろ当然だって・・・」

おれは、読み誤ったかもしれない。

この人の罪の意識を、その混濁した深さを。

目の前にいるのは、おれも灯花も、そしておそらく京子さん自身も知らない、亡霊だった。

「京子さん、落ち着いて、おれの目を見てください」
「お、お母さん・・・?」

「冗談じゃないわ・・・」
「え?」
「・・・な、に?」

「私はね、こんな手料理なんて食べさせてもらったことないのよ」

吐息に、呪いでもこもったかのような重さがあった。

「冗談じゃない、こんな幸せ、冗談に決まってるわ・・・。
私が料理を作ったとき、家族のみんながそろってあてつけのように、外食したっていうのに・・・」

ぎりぎりと歯軋りの薄気味悪い音を立てている。

「お、美味しそうな、シチューじゃない、灯花。
よくできたわね・・・」


・・・・っ!

 

 

 

 

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「こんなもの、誰が食べるっていうの!」

食器の割れる音がした。

暑い飛沫が飛び散り、それは床を、京子さんの腕を、なにより灯花の顔を汚した。

「お母さんにこう言われたのよ! これで私の機嫌でも取ろうっていうの? こんなもので、親子になろうっていうの・・・ってね!」

「・・・京子さん、あんた・・・」

我が子に向けていい目つきではない。

「あなたは私の子じゃないの! 迷惑なのよ!
いっつも、自分では決められなくて、なにをするにも私に聞いてきて!」


突然の狂態。

 

灯花の用意した最高の手料理は、次々と器を失ってキッチンにぶちまけられる。

そこら中から熱気が湧き上がり、シチューの香りが立ち込める。

京子さんの誕生日は灰色に染まり、ささやかな食卓は地獄と化した。

「ほら見て御覧なさい! 最低でしょう!?
最悪の母親でしょう!?
こんな弱い人間がこの世にいるだなんて信じられる!?」

荒れた息を周囲に撒き散らし、獰猛な動きでテーブルを殴りつけた。

「でも、これが現実よ! あなたみたいなお子様にしっかりと突きつけてあげる!
精魂込めて誰かのためにがんばった結果が、むくわれないことなんて、世の中では当たり前のことなの!
現実が残酷だなんて、大人なら誰でも知ってるの!」

 

灯花は、魂が抜けたように呆然と、母親を見詰めている。


おれは後悔の念に打ち据えられながら、心の中で灯花に謝罪を繰り返す。

「森田くんも頭が良さそうでいて、実は相当なバカね。
知ったふうに私の罪を暴いてしまって」

 

 

・・・言わなければよかった。


「悪事を問いただして、英雄にでもなったつもりなの?」

真実など、知らせなければよかった。

「虐待は悪いことだ。虐待をする親なんて信じられない。
そうだそうだと皆が叫ぶ。
でも、そこには当人にしか理解できない深い闇があるのよ」

 

京子さんの闇は、虐待の連鎖というものは、おれのような赤の他人が決して触れてはならないものだったようだ。

 

「灯花、もうわかったでしょう?
私を選んではいけなかったのよ。
これで心置きなくこの家を出ていけるわね?
だいじょうぶよ? 向こうの両親は優しいから。
幸喜は私と違ってちゃんと更生したみたいだしね。
あなたの傷を癒やしてくれるわ」

驚いたことに、口元に薄笑いすらたずさえていた。

この人は、この状況を愉しんでいるのだ。

 

・・・
終わった、と思った。


大音京子は、心に深い傷を抱えていた。

 

おれのようなど素人では、彼女の闇を問いただすことはできない。

「ほら、行きなさい。
大好きな父親と本当のお母さんのところへ。
あなたの望んでいたことでしょう?」

そうしたほうが、良さそうだ。

灯花にとって、この母親は弱すぎる。

 


―――お母さん。

 


うっすらと、灯花が口を開いた。

 

 

 

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「おかわり、あるから・・・」
「え・・・?」

ゆっくりと、何事もなかったかのように、器にシチューがよそわれる。

「まだまだ、あるから」
「な、なにを言っているの? 食べないって言ってるでしょう?」
「うん、でも、お腹すいてるんじゃないかなって」
「ふざけないで!
わかったでしょう? あなたはここにいてはいけない子なの!」
「うん、でも、お母さんの誕生日だから」
「なに、バカなこといってるのよ!」
「うん、ごめんね」

 

「くっ―――!
ま、まさか、私を許すって言うの!?」
「許すとかじゃなくて、誕生日だから」
「憎いでしょう!? 嘘をつかれてたのよ!?
もっと、怒りなさい! どうして本音を言わないの!?」
「そういうのは、いやだから」


お腹が痛いと言っていた。


「お母さんは、悪くないよ」

 

台所でスパテルを見つけて、何かを思いだすように放心していた。

 

それをくだらないギャグで不器用にごまかそうとした。


「いい? 私は、あなたを傷つけたのよ?
子供を守るべき親が、逆に火傷を負わせたのよ?」
「それはきっと、私が悪かったんだよ」
「本当に、バカな子ね。
虐待を受けた子供はね、よく全てを自分のせいにするのよ。
あなたはその典型! 言いたいことも言えずに、ずっとお腹を痛めてるだけよ!」
「虐待なんて、なかったんだよ」
「あったのよ!!!」


金切り声と同時に、灯花が差し出したシチューの器に、痛烈な平手打ちが放たれた。

 


けれど・・・!

 

「お母さんを、信じてる」

また、あの瞳だった。

自分が必要だと思う人間に対して、揺るぎない信頼を寄せる真っ直ぐな瞳。

 

怖いほど、子供じみた眼差し。

 

「げ、現実を見なさい!
せっかくのシチューを飛び散らせたのは誰!?」
「お母さん」
「目の前であなたをいまにも殺しそうな顔でわめきちらしているのは誰!?」
「お母さん」
「私は、あなたの母親なんかじゃないのよ!」
「お母さんは、お母さんだよっ」
「黙りなさい! もう、戻れないのよ!」

 

こびりついたシチューがどろりと、笑顔の上で垂れていく。

灯花は、ただ、たんたんとシチューをよそおうとするのだった。

おれは首を振りながら言った。

 


「灯花、もういい・・・」

 

 

―――「あなたは私の子じゃないの!」

 


「この人の心は壊れてるんだ・・・」

 

 

―――「私なんか見限って、とっととあっちの親の所へ行きなさい!」

 


「無理なものは無理なんだ。仕方がないことなんだ」


灯花は、心をえぐるようなことを言われ続けて、涙一つ見せることがない。

 


――「もういいわ。あなたがどう思おうとね、昨日命令したでしょう?
あなたは大音幸喜の娘になるのよ」

 


くやしいが、それが正解だろう。


「命令は絶対だ。灯花、もういいから・・・」

すると、灯花は驚くほどあっさりと首を縦に振った。

「わかったよ・・・。
命令なら、仕方ないよね」

 

灯花はお玉から手を離した。

「そう・・・それでいいのよ・・・ようやく現実を思い知ったようね」
「・・・・・・」
「そうやって、少しずつ大人になっていきなさい。
失望して落胆して、残念だけど、仕方がないっていうことをたくさん経験しなさい」

 

それは、京子さんにとって、灯花への最後の教育とでも言うべきか。

 

「若いうちはなんでもできると思うのだけれど、どうにもならないことは、どうにもならないのだから」
「・・・・・・」

 

「さようなら、灯花」


見詰め合う親子。

おれはしばしの逡巡のあと、灯花の手を引いた。

「行こう、灯花・・・もういいんだ・・・」

 

そのとき、おれの手が強く振り払われた。

 

「やだ」

「な、なに言ってるんだ? 残念だけど、命令には逆らえないんだ」
「やだって言ってるでしょ?」
「命令を破れば、おれはお前を強制収容所に連れて行かねばならない」
「私は、ずっとここにいる」
「だから・・・」

灯花は笑顔のまま、言った。

 

「だって、向こうの子供になりなさいって命令されただけだもん」

 

はっと息を呑んだ。

 

「ここにいちゃいけないだなんて、言われてないよ?」

 

一歩、京子さんに向けて足を進めた。

 

「お母さんと暮らしちゃダメだなんて、命令された覚えはないよ?」
「そ、そんな・・・バカみたいな屁理屈・・・」
「法律上、私は向こうの子供になるけど、私の居場所はここなの。
お母さんと一緒に暮らして、そのうちに向こうの家族とも仲良くするの。
またみんなで、一緒にご飯食べるの。
私が作った料理で、みんなが喜んでくれるの」

 

・・・
「灯花・・・それは無理なんだって・・・」

―――「じゃあ、改めて命令してあげる―――!」


「私はここにいるのぉっ!!!!」

 

京子さんの声をさえぎって、灯花が腹の底から叫んだ。

「・・・そうやって・・・」

全身を震わせていた。

「どちらかを選ぶと、選ばれなかったもう一方が悲しむというのなら・・・。
世の中が、いつもそうやって、理不尽な選択を迫ってくるというのなら・・・仕方がないことだって、知ったふうに大人面するような社会なら・・・」

すっと、灯花の手が伸びた。

 

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「私は、一生子供でいい!」

 

ひときわ力強い声が、室内に響いた。


「そう決めたの!」


泣きながら、笑いながら、何かに対して憤っていた。

「お母さんが二人になって、なにが悪いの?
みんなが幸せになることを選んで、なにがおかしいの?
無理なんかじゃない。
ぜんぜん、簡単なことだよ」


母親の手を取り、まるで子供をあやすように言う。

「あ・・・っ・・・」

京子さんは、いつの間にか膝を折り、震えていた。

「お母さん、ゆっくりでいいよ。
私たちはゆっくりでいいから、きちんと自分のペースで進んでいこう?」
「そ、そんな・・・っ・・・ぅ・・・」
「過去に嫌なことがあって、いろんな人の心が傷ついて、それをいつまでも繰り返すなんて、もうやめよう?
お母さんは、そんなに弱い人じゃないよ」
「ち、違う・・・私は、私は・・・ダメな・・・」
「だって、私のお母さんなんだよ?
一人でずっと私を育ててくれたんだよ?
昨日は、がんばって夜食を作ってくれたんだよ?」
「ぐっ・・・うぅ・・・ひっ・・・」
「みんなで、仲良くしていこうよ。
私は、みんなの子供なんだよ。だから、そのうちみんなで、食卓を囲もうよ?」


全てを許し、全てを受け入れた、慈愛に満ちた微笑み。

 

灯花は親を選べなかったのではない。

 

選ばないという選択肢を、選んだのだ。

 


これ以上ない優しさを込めて。

 


「あぁ・・・灯花・・・灯花、灯花・・・」
「お母さんっ」

京子さんは、やがて声を上げて泣き出した。

大粒の涙が、鬱積した感情を洗い流すかのように、頬を伝って滑り落ち、床に淡いしみを作った。

 

「・・・っ・・・そ、そばに・・・そばに、いてぇ・・・」
「ここに、いるよっ」
「あ、あなたが、必要なのっ・・・!」
「ずっと、お母さんと一緒に暮らすよっ」

 


やがて二人は、どちらからともなく抱きしめあった。

親でもなく子でもなく、ただ、人と人が、お互いを必要とし合っていた。

 

まったく、おれのような他人には、立ち入るすきもなかった。

 

 


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

 

 


・・・
それから数時間後。

「ふぅ・・・掃除終わったぞー」

京子さんは、心身ともに疲れ果てたのか、自室で少し休んでいる。
灯花もちょうど、向こうの両親への電話を終えたところだった。
電話口の灯花は、てきぱきと、はっきりと自分の主張を伝えていた。

「お父さんとお母さん、今度、こっちに遊びに来るって」
「よかったな。料理を教えてもらえよ」

灯花は嬉々として言う。

「毎日、電話するんだぁっ」
「向こうの両親も、喜んでたか?」
「うんっ。もともと、お母さんとは仲良くしたかったみたいだしねっ」
「そっか・・・じゃあ・・・」
「うん?」
「いや、これで本当に最後だなと思って」

けれど、灯花の居場所は、ここに決まった。

灯花の親権は、大音幸喜と佐知代のものになるのだが、そんな法律上の意味は、今後大した問題ではないだろう。

「やっぱり、家を出てくの?」
「まあね」

これ以上、この家庭に水を差すこともないだろう。

灯花はようやくあきらめたのか、うなずいた。

 

「いままで、どうもありがとうね。賢一がいなかったら、私、ダメになってたと思う」
「いいや、お前は最強だよ」

おれはもう、必要ないな。

「じゃあ、ほら、最後に手伝ってよ」
「ああ・・・」

ふっと笑うと、灯花は髪をかきあげた。

まだ、日付は変わっていない。

 

「誕生日の続き、しようっ」

 

そう言って、自分の足で、ゆっくりと歩いていく。

 

―――台所に向かって。

 

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


・・・

・・・・・・


「失敗したようだな?」
「・・・まったく、余計なことを口走りましたよ」
「大音京子の弱さを暴いたか?」
「・・・灯花に、助けられました。
おれは、今回なにもできなかった」
「しかし、お前が罪を暴いたことによって、親子の結束が強まったのは事実だ。
お前のおかげで、大団円ではないか。
必要悪だったのだよ、森田」

気味が悪いんだよ、とっつぁん。

 

「どうでもよかったんだろう?」

 

一歩詰め寄った。

「灯花がどちらの親を選ぼうが、京子さんが狂おうが、あんたにとっては些細な問題だもんな」
「なぜ怒りを見せるのだ?」
「さあね・・・例えるなら、義憤ってヤツですかね。
あんたのように、人の上に立って社会の全てを操っているかのように、たかをくくっている人間に対しての」
「ほう・・・義憤か・・・」

思わず、法月の左足を見た。

 

倒せるのではないか?

 

おれは、もう、この男の指導など必要ないのではないか。

 

 

―――【私は、一生子供でいい!】―――

 


あんな強さが、おれも欲しい。

 


「ところで・・・こんなサービスを知ってるか?」
「え?」
「なんらかの事情で親を失っている金持ちを対象とした、疑似家族サービス。
クライアントの要望にあった偽の親をエージェントが演じて、電話や手紙を使って親睦を深めるのだ」

 

「・・・な、に?」


こいつ、まさか・・・!?


「大音幸喜と、大音佐知代は、果たして本当に、大音灯花の実の親だったのか? 気になるところではないか?」

「こ、殺してやる!!」


またか・・・!

また、まなのときのように、こいつは仕掛けをうっていたというのか・・・!

おれは荒らぶる感情とは裏腹に、冷静に呼吸を整え、法月をにらみつけた。

けれど、その瞬間、法月が不気味につぶやいた。

 

 

 

 

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――義憤などではない、そんなもの・・・。

「豚のひがみというのだ!!!」


鬼のような怒号がおれの耳奥を刺した。


「っ・・・ぁ・・・」

恐怖に呼吸が止まり、内蔵がみぞおちのあたりで軋むように痛んだ。

「そもそも、なぜ、そんな茶番につきあって、高等人の試験が遅延しなければならんのだ?」
「つ、作り話・・・?」

それもそうか・・・。

偽の家族サービスだなんて、そんな馬鹿な話があるか・・・。

 

「お前らはそうやって、すぐ、わかりやすい悪に飛びつく。
いつでも誰かに責任を取ってもらおうとする。
国が、資格が、こんな特許が、親が、信頼する友人がこう言ったから・・・すぐ、安心し、思考を停止する。
そのくせ、裏切られたときには、豚のようにわめき散らす」

 

要するに、おれはまだまだ法月の手のひらで遊ばれているというわけだ。

 

「わかりましたよ・・・今回ばかりは、あんたの言うことも、もっともだ」

 

灯花の、全てを許すような考え方は、いずれ大きな壁にぶち当たる。

例えば、非暴力主義を貫いた革命家の末路を見てもわかる。


こんな社会にはそぐわないのだ。

 

「お前には、まだまだ教育が必要だな」

 

・・・でも、それでも・・・。

「一度、自分を見つめなおしてみろ。最低な自分を、な」


おれは、灯花やさちのような人間が好きなのだ。


「・・・負けるものか・・・」

 

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


外に出て空を見上げると、夕陽の赤の混じった薄い青色に少し雲がぼやけていた。

 

そろそろ夏休みが終わり、ついに夏咲の監督が始まる。


おれは七年前を想い、すっと瞳を閉じた。

 

 

・・・