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車輪の国、向日葵の少女【34】

 

・・・
清々しい朝。
多少痛みの残る身体をほぐすように、ベランダの前で柔軟体操。
いざと言うとき、痛みで動けませんでしたじゃ、間抜けだからな。

「よっ、ほっ、とっ、ぐぇっ!」

関節が軋みをあげた。

「まだ、完治じゃない、っか・・・痛てて」

ガバッ!

「お、なっちゃんが起きたか?」
「・・・・・・」
「おはよ、なっちゃん
「・・・・・・」
「今日からは自然に接してくれると嬉しい」
「・・・・・・」

のっそりと起き上がる。

「・・・・・・」

壁を見つめている・・・ようにみえた。

 

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「むにゃ・・・むにゃ・・・」

ふらふらと歩き出す。

「あー。久々に見た。寝ぼけてる姿」

多分、昨日泣きつかれた影響と安堵感のせいで、眠りが深かったんじゃないだろうか。

「にゃむにゃむ」
「にゃむにゃむ?」

口の端からちょいとよだれを垂らしながら、壁へと前進していく。

面白いので観察させてもらおう。

「うぅーっ。うぅーっ」

ふらふらふらふら。

ふらふら、ふらふら。

ゴチン!


「あぅっ!」

勢いよく額が壁にぶつかった。

そのまま転んで、布団に帰ってきた。

「あ、あぅあぅ・・・痛い・・・」

「おはようなっちゃん。目覚めの方はどう?」
「け、ケンち・・・。
も・・・森田、さん・・・おはようございます」
「・・・なんで?」
「え・・・」
「名前じゃ、呼んでくれない?」
「え、いや・・・でも・・・」
「そっか・・・」

・・・まあいいか。

「別にいいよ。全然全くちっとも気にしてないから」
「そう言いながら、ゆ、床にのの字を書かないでくださいっ」
「呼び方は、気にしないよ」
「は、はい。ごめんなさい・・・」
「だから、どうでもいいんだって」
「ごめんなさいっ・・・」
「・・・とりゃっ」

ぽこんっ。

「あうっ」

手元にあった薄い雑誌を丸めて、夏咲の頭を軽く叩いた。

「なにも悪くないんだから、謝る必要はないの」
「あ、は・・・はい・・・」
「おれ、腹減ったからさ、一緒にご飯食べよう」
「は、はい、すぐに用意しますね」

 

「・・・本音を言えば。
ケンちゃんって、呼んでもらいたかったな。
もっとも、そうなればさちにも勘付かれるかも。
三人のうち、二人にばれてるからな。
さちにばれるのも、時間の問題っぽいな・・・」

 

 


・・・朝食を取りながら、会話を弾ませる。

「いつも思ってたんだけどさ、なっちゃんの作る味噌汁、美味しいよね」
「そ、そうですか?」
「うん。愛情がこもってるからかな?」
「ぇえっ! ん、けほっ! けほっけほっ!」
「うわ、なっちゃん! ティッシュティッシュ!」

慌ててティッシュ箱を差し出す。

「こほこほっ・・・へ、変なこと・・・言わないで下さい」
「ちょ、ちょっとしたスキンシップじゃないか」
「うー・・・」
「うわ、このサラダも超おいしい!
トマトが舌に絡みつくっていうの? ねちゃねちゃしてて、ひどく舌に残る味でさ・・・ってこれ腐ってる!? 腐ってるの!?
・・・ごくんっ・・・」
「た、多分・・・ドレッシングの感触を勘違いしたのかと」
「うひゃあ、うまい、このねちゃねちゃ感がうまい!」
「ご、誤魔化してませんか?」
「この鮭なんて、もうご飯が進む進む。焼き加減が絶妙だね」
「それは・・・う、うまく焼けたなぁって・・・思ったやつです」
「焼き魚は、焼き加減一つだからなぁ。さっすがなっちゃん
「そ・・・そんな、普通ですよ・・・」
「ふふ・・・」
「あっ・・・」

目を見つめると、視線を外された。

「な、なんですか?」

恥ずかしそうに問い返してくる。

「やっぱり、なっちゃんには笑顔が似合うなってね」
「ひぇっ!
そ、そそっ、そ、そっ、そ、そんな・・・す!」
「ははっ、言えてないよ?」
「か、からかないでくださいっ!」

朝の出だしは快調だった。

 

 

 


・・・
いつもと同じ通学、けれどなにかが違う。

学園に近づくにつれ、周りの視線が集まっていた。

少しうつむいているけれど、夏咲は逃げない。

ちゃんと、おれの隣を歩いていた。

誰がどう見たって、一緒に登校している距離を。

「大丈夫?」
「は、はい・・・大丈夫です」
「そっか。でも、無理はしないで。
つらくなったら、いつでも助けになるから」
「はい・・・どもどもです」

ひそひそと、意地悪な声が浴びせられる。

・・・日向が、男と歩いてる。

聞こえよがしに、罵声をかける者もいる。

「あ、はは・・・色々、言われてますね・・・」
「気にしちゃだめだぞ。ああいうのは、かまっちゃダメなんだ。調子づくからね」
「わ、わたしは、大丈夫ですが・・・森田さんは、平気ですか?」
「・・・ふふ、おれは、もう、いじめられて泣いてたケンちゃんじゃないよ」
「は、はは・・・」
「む・・・」

背後から迫ってくる気配があった。

おれたちに何かするつもりなんだろうか。

「・・・なんだ?」

 

 

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「ひぃっ!」
「うわぁ!」

いつもの二人だった。

「な、なんだって・・・こ、声かけようとしただけだよぉ・・・」

半泣きになってしまった。

「なに、なに・・・あたしたち悪いことした!?」
「おれの背後に立ったからだ」
「きゅ、急に振り返ったと思ったら、すごく怖い顔なんだもん、びっくりしたぁ・・・」
「顔は生まれつきだ」

ちらちらと視線を投げて、周りの様子をうかがう。

さち、灯花、夏咲、いずれも義務にかかわりのある少女たちだ。

「今日は、なんかやけに注目浴びてるね?」
「お前の顔にチョコレートでもついてるんじゃないか?」
「ついてないよ!」
「アレでしょ? あたしらハブられてんでしょ?」
なっちゃんの隣を歩いてるからだよ」
「え? いっつも一緒に登校してたじゃん」
「登校はな。
でも、こんなに近い距離を一緒に歩いたことはない」
「は?」
「いっつも離れてたろ、おれたち」
「そういえば・・・日向さん・・・」
「あ、は、はい・・・」
「賢一と一緒に、色々がんばってるんだ」
「え、えと・・・」
「さすが賢一じゃん! 夏咲の心を開くなんてすごいじゃん!」
「おれじゃなくて、なっちゃんのおかげだよ。 ね?」
「え、あ・・・そ、そんなことないです・・・森田さんがいなかったら・・・今ごろわたしは・・・」
「いや、おれは後ろからサポートしてるだけさ。
義務を解消するのは、いつだって自分自身だから」

そう言って、さちと灯花に目配せする。

「も、森田さん・・・」
「だから、自分を褒めてやることも大切だよ」
「は、はぃ・・・」

「うんうん、仲いいねっ!」
「でも・・・森田さんの助けが、わたしにとっては大きいものなので・・・」
「そういってくれると、おれも、やる気が出てくるなぁ」

「・・・二人とも、いい感じだね」

そんなとき、不意にさちがおれに腕を組んできた。

「ねえねえ、二日も休んで二人でなにしてたのぉ?」

じとーっとした、嫌らしい目つき。

「な、なんだよ、いきなり・・・?」

「な、なにしてたのっ」

灯花も、腕を組んでさぐるような視線を投げてくる。

「なにって・・・別に・・・なぁ?」
「は、はい・・・なにも、です」
「ただ遊んでただけだよ」

「授業さぼって、遊んでたのっ!?」

あ、失敗した。

「・・・何して遊んでたの? もしかして、お医者さんごっことか?」

「そんなことするわけないだろ・・・」
「ですです・・・」

「・・・あれでしょう? 濃密なマッサージでしょう?」
「違うっての・・・なんなんだ?」

「なーんか、釈然としないのよねぇ」
「あー、私もぉ・・・なんかねぇ」
「なんか、悪さしたんじゃないよねぇ・・・?」

上目遣いで見つめてくる。

「んふふ、どこを見てるのかなぁ、賢一ぃ」
「はあっ!?」

胸を押し付けてくる。

「う、わ・・・」
「・・・さ、さっちゃん」

「お前、ちょっと離れろって!」
「あはは、えへへ、いひひひひっ!」

豊満な胸が、ギュッと谷間を作った。

「いや・・・その・・・」
「やっぱり、賢一は賢一かぁ。
あたしがいないとダメっぽいね」
「う、うるせえな・・・!」
「なによ、夏咲はいいのに、あたしには近づいて欲しくないの?」
「おれに近寄りたいなら・・・む、胸を寄せるなっ」
「なに? ダジャレ?」

「・・・変態」
「・・・・・・」

「み、みんなが引いてるだろっ・・・」
「あははは、賢一がテンぱってるから、そろそろ許してあげるねっ」

・・・た、助かった。

「でもさ・・・わかってるよね?」

耳元でささやかれた。

おれの愛情を確認しているのだろう。

夏咲は夏咲、さちはさちだ。

「ああ、わかってるって。だから・・・胸を押し付けるな」
「あはっ、バレた?」

今度こそさちが離れる。

「そ、そう言えば、お前らが一緒に登校してくるなんて珍しいな」

話題を逸らす。

「途中で会ったの」
「灯花ってば、またチョコレート食べてたんだよ?」
「ちょ、それは内緒って言ったでしょ!」
「ほどほどにしとないと、また京子さんに怒られるからな」
「そ、そんなこと分かってるってば。
ちょっと、朝ごはんが足りなかったから」
「足りなかった?」
「お母さんが作ってくれたんだけどね、ちょっと失敗したらしくて・・・」
「ちょっと?」
「結構・・・」
「かなり?」
「全部・・・」
「ま、まあ、練習中だからなぁ・・・」

おれたちは四人で、校門をくぐった。

 

 


・・・
昼休み、磯野から声がかかった。

「今日こそは、皆で遊ぼうと思う。どうだろうどうだろう?
すごい妙案だと思うんだけど?」

・・・妙にテンションが高いな。

「あたしはいいよー」
「私も大丈夫!」
「夏咲ちゃんは?」

「え、えっと・・・わたしは・・・」

全員の視線が集まった。

それでも、夏咲は逃げ出さなかった。

「わたしが、お邪魔しても・・・いいんでしょうか?」

「ふ・・・」
「もちろん、大歓迎だよ!」
「そうそう。賑やかになるよーっ」

「じゃ・・・じゃあ・・・」

ぴくぴくと眉毛を動かして、やがて意を決したように顔を上げた。

「その・・・わたしも、行きます・・・」

その瞬間、みんなが、心の中でガッツポーズを取ったことだろう。

「ふむ、結束も高まったところで、場所決めをしようか。
希望がある方、挙手をお願いします。
はい!」

「い、磯野くん・・・」

「川辺がいいと思うであります!」
「おお、珍しくボケなかったな・・・」

というわけで、おれたちは放課後に川辺で集まることにした。

 

 


・・・

 

 

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「いったん解散する? それともこのまま行くの?」
「一度帰った方がいいんじゃないか?」
「あたしは川辺で絵を描くから、丁度いいねっ」
「それじゃあ、私はバーベキューの用意でもしようかなぁ・・・」

なっちゃんは、なにがしたい?」
「わ、わたしですか? えっと、まだ考えてないです・・・」
「じゃ、帰りながら考えようか」
「はい」

「僕は、妖精さんと戯れようかな」
「お前の自由だから止めはしないが・・・みんなに迷惑はかけるなよ」
「あいにくと、僕は人様に迷惑をかけたことがないんだ」

 

「うそ言いなさい・・・」

ふっと、京子さんが廊下の角から現れた。

「どうしたの? なんだか賑やかね」
「け、結婚しましょう! 新婚旅行は二人で亀を取りに行きましょう!」
「ごめんなさい、また今度ね」
「では、いつ!?」
「灯花がお嫁にいって、子供を産んで、その子供が結婚したら、答えを返すわ」
「遅い、遅すぎます!」

くねくねと身体を捻る。

「それで、これからどこかに出かけるの?」
「うん、いいよね?」
「いいけど、あんまり遅くならないようにね」
「うん」

親子の会話を久しぶりに見たな。

「それじゃ、楽しんでらっしゃい」

笑顔で、おれたちを見送ってくれる。

「ああ、愛しの京子さん・・・」

磯野は、本当に切なそうだった。

 

 

 


・・・
水面に映る友人達の影は、恩赦祭を思い出させた。

しかし顔を上げてみればどうだ。

個々に清々しい顔をし、やりたいことをやれるようになっていた。

「さち、なにを描くんだ?」
「そうだね、今しか描けないものを描くよ」
「今しか描けないもの?」
「青い春を」

にかっと笑う。

「あ、あわわ・・・」

後方で、なにやらパニクってる奴一名発見。

「どうした」
「け、賢一ぃ・・・!」
「なんだ? バーベキューだろ? 肉でも忘れたか?」
「お、お肉は持ってきたんだけど・・・」
「持ってきたんだけど?」
「鉄板を忘れちゃったの!」
「・・・・・・」
「ど、どうしよう・・・」
「いや、もうそれどうしようもないから」
「い、今から取りに帰って・・・」
「やめとけ。そんなことしてたら、陽も暮れるし、時間ももったいない」
「みんなに、謝らなきゃ・・・」
「いつでも食えるさ」
「う、うん・・・ごめんね」

 

 

 

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「あ、あはは、あははははははっ」

 

声に振り向いてみると、磯野が一人川岸を走っていた。

あんまり見ないでおこう。

 



そっと岩に腰をおろして、みんなを柔らかくみつめる夏咲がいた。

「あ、森田さん」
なっちゃんは、結局なにをするの?」
「わたしは、これをもって来ました」
「ノート・・・に教科書?」
「二日間サボってしまいましたし、追いつかないといけないので」
「でも、せっかくみんなで遊びにきたんだしさ」
「はい、勉強はほどほどにしておきます。
わたしも、色々皆さんとお話ししたいので」
「あれ、でも・・・」
「はい?」
「二日分のノートはどうしたの? 誰かに借りた?」
「あ、はい。大音さんが家に戻るついでに、持ってきてくれたんです」
「灯花が?」

あいつ、もしかしてノートを持ってきたから、うっかり鉄板を忘れたのかな。

・・・ありえるな。

 

 


・・・その後、おれたちは一箇所に集まって、他愛もない話に花を咲かせていた。


「えっと、ここでこうすればいいんですか?」
「うん、そうそう。さすがね日向さん」
「いえ、大音さんの教え方が上手なんです」
「そ、そうかな」
「はい」
「えへへ・・・テストの点は悪いけど、勉強は苦手じゃないんだよ?」

テレたように頬をかいて、夏咲に次の問題を教えていく。

「いいねいいね。どんどん筆が進むよーっ」

両板を抱えたさちは、紙の上にしなやかに筆を走らせていた。

「絶好調?」
「なんかねぇ、こうやって楽しい空間で描いてると、すごく描きやすいよ」

「ふふ、ちゃんと僕を描いてくれてるんだろうね」
「いや、あたし、人物苦手だから・・・」

 

「大音さん、ありがとう」
「ううん、日向さん呑みこみが早いから」

どうやら勉強は終わったようだ。

夏咲が勉強道具を片付けた。

それを見計らっていたのか、さちが口を開いた。


「ねえ、夏咲」
「はい?」
「あんたもさ、早く義務を解消しなよ?」
「あ・・・」
「あたしたち、先に行ったりしないから。ちゃんと待ってるから」
「さっちゃん・・・」
「賢一が、絶対なんとかしてくれるから。だから、頑張って」

「そうだよ」

灯花も、同調した。

「私たち、応援してるからねっ。私ですらなんとかなったんだから、きっと大丈夫だよ」
「・・・はい・・・」


「僕からも一言、いいかな」
「は、はい・・・」
「・・・えっとね。・・・・・・・・・・・」

「なんか言え!」

「あ、はは・・・だいじょぶです」

夏咲はすっくと立ち上がる。

「皆さん、ありがとう。
わたし・・・わ、たし・・・。
が、がんばってみます・・・。
解消できるかどうか、わかりませんが・・・やれる限り、がんばってみます」

「ていうかさ、夏咲ってちゃんと義務を守ってるよね?」
「ああ・・・」
「なんで、いままでダメだったの?」
「きっと、いままでの高等人が意地悪だったんだよ」

それに、夏咲本人から義務を解消したいという意志がなかったからだ。

「だいじょうぶ、おれに任せろ」

「賢一は、頼りになるよぉ・・・」
「うんうんっ。あたしたちは知ってるからねっ!」

「よ、よろしく、お願いしますっ!」

その後、陽が沈むまで、おれたちは語り合った。

 

 

 

 


・・・
楽しさの余韻に浸りながら、二人並んで帰宅する。

「今日は、とても楽しかったです」
「・・・そっか。よかった」

自然と、おれに目を合わせてきた。

「・・・とても、いい人たちばかりです」
「そうだな」
「・・・・・・」
「頑張って、義務解消しような」
「・・・・・・」
なっちゃん? また、ぼーっとしないでよ」
「人を好きにならないようにすると、義務が解消されるんですよね?」
「え?」
「わたしの・・・義務です」
「まあ、そういう感じになるのかな」
「・・・そう、ですか」
「どうしたの?」

視線が外れた。

「なら・・・無理かもしれません」
「へ・・・無理って・・・?
さっきがんばるって、言ったばかりなのに・・・?」
「あ・・・戻ってきましたね」

目の前に、部屋のドアがあった。

なっちゃん・・・」

どうしたっていうんだよ。

 

 


・・・
「話してくれ、どういうことなんだ?」
「・・・・・・」
「急に、無理かもしれないだなんてさ・・・」
「そ、それは・・・」

おれの方を向いていた夏咲が、顔を背けた。

「え、えっと・・・だから・・・」

顔が赤い。

なっちゃん・・・」
「わたし・・・どうすれば・・・」
「心配ない」
「え・・・」
「おれの見る限り、なっちゃんに義務なんて必要ないよ」
「それ・・・本当ですか・・・」
「ああ、もちろんだ。
今までずっとその義務を背負ってきて、誰にも触れず、誰も好きになって来なかった。
これ以上どうしろっていうんだ?
安心していい。
おれが明日にでも、義務の解消を申請してくるから」

夏咲にというより、自分に言い聞かせていた。

「安心して。なっちゃんの義務は消えるんだ」
「・・・はい」
「そしたら・・・」
「・・・そしたら?」

そしたら・・・なんなんだ・・・?

 

「寝よっか?」
「はい・・・」

夏咲はただ、うなずくだけだった。

 


・・・
夏咲が寝付いた後、おれは作業を始めた。

夏咲の義務を解消するための、必要書類を作成する。

がんばると口にした、夏咲。

けれど、無理かもしれないとうつむく、夏咲。

いろいろな表情が水面に浮かぶ泡のように浮かんでは消えていく。

作業は明方近くまで続いた。

 


高等人試験も、終わりに近づいている・・・そう信じたい。

 

 

 

 

 


・・・
けっきょく、徹夜だった。

「若いうちから徹夜してると、ハゲるし早死にするし不健康だし、いいことねぇな」

書類をまとめ終えたところで、外が明るくなったことに気がついた。

横目で夏咲を確認すると、くぅくぅ眠っている。

「今のうちに、とっつぁんに提出してくるか」

玄関へ。


「ぅ・・・ん・・・。・・・・ぁ。
・・・森田、さん・・・?」
「起こしちゃった?」

物音を立てた覚えはないが、夏咲が起きてしまった。

 

 

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「え、もう、学園ですか・・・?」

足取りがおぼつかないまま、おれの元へ寄ってくる。

「おはようございます」
「おはよう。学園はまだだよ。まだ鶏も起きたばっかりだからね」
「え? どうしたんですか?」
なっちゃんが起きる前に持って行こうと思ってたんだけど。この書類」
「書類って、もしかして・・・」
「そ、なっちゃんの義務を解消するための書類さ」
「寝ないで・・・書いてたんですか・・・」
「善は急げって言うでしょ」
「す、すみません」

不安そうだな。

「なんの心配もいらないからさ、もう一度寝ててよ」
「わかりました。でも、無理はしないでくださいね」

・・・無理するようなことは何もないんだがな。

おれは学園の、特別指導室へと足を運ぶ。

 

 

 

 

 

・・・

・・・・・・

法月は昼夜に関係なくいつも同じトーンで話す。

 

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児戯に等しい

差し出した書類を一読して、あっさりと否定した。

「・・・なぜ、ですか」

張り上げたくなる声を必死に押さえ込む。

「そのままの意味だ」
「具体的な理由を聞かせていただきたいんです」
「田舎生活に慣れて、頭が鈍くなったな?」
「・・・生憎と出来が悪いので、わかりかねます」
「私情が入りすぎているのだ」

書類を突き返される。

「では、すぐに書き直し・・・」
「その必要はない」
「・・・おっしゃる意味が、理解できません」
「自分で考えろ」
「くっ・・・」

法月が、まるで家畜を見るかのような目でおれを見据えている。

・・・確かに、おれは必要以上に夏咲に接している。

それが文面に出たのかもしれない。

・・・けれど・・・。

「夏咲は、恋愛できない義務を負うような人物ではないのです」

法月は理屈求めているのに、おれは感情で話をしている。

「薄汚い結婚詐欺師や、異性の気持ちを顧みないような軽い女ではないのです。
それくらい、あなたにもわかるでしょう?」
「過去の高等人が残した調書によると、日向はいつも上目遣いで、その眼差しは、本人の意識するしないにかかわらず、男性をよくひきつけるという」
「そんな目つきになるのは、あの子が、人と触れ合うことに臆病になっているからだ!」
「ついで、日向はよく泣くという。男の前で涙を見せるなど、浅はかな女の常套手段ではないか?」

「おいっ!」

叫んでいた。

しかし、法月はあくまで涼しげだった。

「そういえば、お前は、恋愛関係が大の苦手だったな・・・」

とっつぁんは、すでにおれを自分の教え子として見ていない。

「女性関係において、感情的になる男は、見苦しいだけだぞ?」

おれは、明らかに、からかわれている。

「わかっていると思うが、担当の高等人でも、正当な理由なく日向に触れれば罰せられるのだからな?」

わかっていることを、確認する男ではない。

「・・・おれが、夏咲に近づきすぎているとでも?」

震える声で、言いたくもないことを告げた。

「それ以外に、どんな理由があるというのだ?
私が本気で、過去の無能な高等人が残した調書を信用しているとでも?」

やはり、そうか・・・。

「お前の過去を、私は知っている。日向夏咲が、お前の大切な友人だということもな」

特別高等人としての接し方ではないと、法月はおれを咎めているのだ。

「そして、日向が、お前に好意を持っているということも」
「え?」

唖然とするおれに対して、法月は淡々と語る。

「統計によると、人間が自殺する一番の理由は『孤独』だそうな。
義務を負って以来、誰にも心を開かず、独りで生きていた日向が、自殺しなかったのか、不思議ではないか?」

・・・確かに、いままでの夏咲に自殺の影がよぎらなかったとは言い切れない。

「日向は、二つのことに、期待していたのだ」
「二つ?」
「優しい両親と大切な友達」
「片方は私、ですか?」
「お前に会いたいと願っていたからこそ、日向はかろうじて、今日まで生きていられたのではないか?」
「・・・・・・」

・・・法月の話は、突飛なようでいて、無視できないものがある。

夏咲がおれに好意を抱いているからこそ、義務が解消されないというのか。

「しかし、法典によれば、恋愛の禁止は、厳密には、異性と接触しなければよいはずで・・・」
「恋愛の行き着く先は、性交渉だ。
少なくとも、社会の常識ではそうなっている。
よって、異性に好意を抱くという感情そのものが抑制されなければならない」
「・・・そ、そんな・・・」
日向夏咲が森田に好意を抱いている限り、一生義務が解消されることはない」
「そんな・・・馬鹿なことが・・・」
「いやなら辞職しろ」
「え?」
「特別高等人を辞職し、この町を出ろ。
あるいは死ぬがいい。
そうすれば、日向の義務もいずれ解消されるだろう」
「くっ・・・!」

高等人を辞職しなければ、夏咲は自由になれない。

夏咲を自由にしなければ、おれは高等人になれない。

この結果がわかっているから、夏咲の監督が一番最後に回されたのかもしれない。

一番の、難関だから。

おれの過去を知る法月が、この町を試験場に選んだのもそういう理由だったのかもしれない。

「日向に、近づきすぎたな」
「・・・幼馴染なのだから・・・大切な友達なのだから当然だ」
「どうしても、特別高等人を目指すというのなら、日向を被更生人として扱い、私情を挟まぬことだな」

・・・それができれば苦労はない。

「冷たくあしらえと言っているのだ」

できるわけがない。

「貴様には、現在恋人がいるのだろう?」
「・・・っ!?」
「それを、日向に打ち明けるのも手ではないか?
現実をつきつけ、ほのかな恋心など実らないと教えてやるのだ」
「・・・ご親切に、どうも」

法月は、聞こえよがしに舌打ちした。

「失せろ。
いまのお前は、若き経営者にして南方紛争を生き残った、あの森田賢一とは思えん」

 

 

 

・・・・・・。

・・・。

夏咲の部屋に、戻る気力はなかった。

学生の姿のない廊下で、おれは、ぼんやりと窓の外にケムリをふかしていた。

おれが教室に入ったのは、昼休みになってからだった。

「森田さんっ」

おれを見た夏咲が駆け寄ってきた。

「ごめん、遅れた。朝とか結構待っててくれたりしたんじゃない?」
「わ、わたしのことより・・・顔色が悪いですよ」
「え?」
「すごく、つらそうな顔してます」
「・・・おれも、ずいぶん、思っていることが顔に出るようになったな」

特別高等人の試練を受けていたときは、まるで人形のようだったのに。

「ど、どうしたんですか? ぶつぶつと・・・」
「ブツブツ言うのは、いつものことでしょ?」
「で、でも、いつもは誰かに話しかけるようにしゃべっているのに、最近は、なんだか、自分に向かってしゃべっているような・・・」
「おれも、とうとう壊れてきたみたいだね・・・」
「た、タバコは体に良くないんですよ?」

おれはふざけているのに、夏咲は本気でおれを心配してくれている。

「・・・なっちゃんが、いったいなにをしたっていうんだろうね?」

大きな瞳を覗き込む。

「あ、えっ・・・」

ろくに、人と目も合わせられない。

「リボンもこんなによれちゃって・・・」

すっと手を伸ばすと、

「ひっ!」

大げさに身をのけぞらせる。

「ごめんね・・・」

「あ、い、いいんですいいんです・・・このリボンは、ケンちゃんとお母さんの思い出がつまってるんです・・・だから、よれても汚れても、ずっとつけてようって思ってるんです」
「・・・そう、ありがとう。よく似合ってるよ・・・」
「えへへ・・・」

本気でうれしそうに、頬を赤らめた。

「それでね、なっちゃんの義務の解消についてだけど・・・」
「は、はい・・・」

上目遣いの瞳。

「え、えっと、今日の夜に、部屋に帰ったら話すね」

つい、タイミングを逃してしまった。

 

 

 

・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「なにか、あったんですか?」
「どうして?」
「今日一日、ずっと沈んだ顔をしてるので。
さっちゃんや磯野くんがふざけても、ずっと、つ、ツッコミを入れないでほうっておくなんて・・・」
「おれには似合わない?」
「・・・難しい質問です。でも、森田さんには、似合いません」
「そっか」

日が沈むと、気分も沈むな・・・。

「・・・帰ろうか」
「はい・・・あっ・・・」
なっちゃん!」

ふらっと夏咲の身体が揺れ、隣に立っていたおれの肩にぶつかった。

「だ、だいじょうぶ・・・?」
「は、はは、は、はぃっ!
だ、だだ・・・だだ、だいじょうぶですっ・・・」

飛び跳ねるように、おれから離れる夏咲。

「ご、ごめんなさい、ちょっと目まいがして、よ・・・よろけてしまいました・・・」
「いや、謝るほどのことじゃないよ」
「・・・は、ぁ・・・こ、怖かった・・・」
「・・・怖い?」
「あ、え、えっと・・・ごめ、ごめんなさい・・・!」
「謝らなくていいよ。本当に、謝らないで」

触れて、慰めてあげたい・・・そんな衝動が胸の奥でうずく。

肩が触れただけで、人間がどうしてここまで卑屈にならねばならないのか。

誰が、この子を、こんなふうにしてしまったのか。

 

――『よもや、何かよからぬことでもたくらんでいるのではあるまいな?』――

 

なぜか、数日前の、法月の声が頭の中で響いた。

 

 

 

 


・・・
あまり会話が弾まないまま帰宅した。

「そ、それで、どうだったんですか?」

ちらちらと、自分の胸や肩に目線を送っている。

義務解消の目処が立たなくなってしまったことを、話さなければならない。

「・・・だめだった」

首を振る。

「とっつぁんに、蹴られた」

すると夏咲は即座に言った。

「・・・それじゃ、試験に合格できないじゃないですか!」

自分の自由のことより、おれの将来が心配らしい。

「い、いちおう、聞かせてもらっていいですか?
どうして、ダメだったのかを・・・」

目線を向けてくるので、逆におれが逸らしてしまいそうになる。

「・・・理由は、その・・・」
「な、なんでも言ってみてください! わたし、がんばりますから!」

思わず、ため息が出た。

なっちゃんに・・・好きな人がいるから・・・だそうだ」
「っ!?」
「だから・・・無理なんだ・・・」
「わ、わわ・・・」

まるで、大罪を犯したかのように慌てふためく。

「わたしに、す、好きな人なんていませんよっ・・・!」
「でも、昨日は、無理かもしれないと・・・」
「あ、あれは、ち、違うんです! ちょ、ちょっと自信がなかったから、弱気になってポロっと出た言葉なんです。
誓約書、誓約書を書いてもいいです!
好きな人なんていないっていう誓約書を!」
「気持ちだけ、受け取っておくよ。ありがとう」
「ご、ご飯、作りますね!」

あたふたと、夏咲が台所に逃げていく。

一人になって、どうしようもない無力感が襲ってきた。

 

 

 


・・・
せっかく夏咲が作ってくれたご飯だが、どうにも味を覚えていない。

床に横になっていると、意識がまどろんでくる。

「森田さん・・・おきてますか?」
「あ、うん・・・なにかな?」

身を起こす。

「いませんから・・・」

さっきの繰り返しだった。

「わたしに好きな人なんて、いませんから・・・」

けれど、もう、慌てたり恥ずかしがったりしていない。

「わたしはただ・・・毎日を平凡に過ごせればいいんです・・・」

数日前の、夏咲に戻ってしまった。

「なんにも干渉しないで、なんにも期待せず、ただ、暮らしていくだけですから・・・」

あまりにあっけなく、また、心を閉ざしてしまった。

「ひっそりと、寮の庭に咲いている花のように・・・強く、生きたいです・・・」

それは、強さじゃないと思う。

なっちゃんが、水をやらなければ、庭の花はとっくに枯れているんじゃないかな?」
「花が水をもらって笑顔を返すように、わたしにも、誰かの助けがいると?」

不意に、まるで前もって用意していたかのような強張った口調になった。

「誰かに水をもらえなくても、自然の雨が降りますから」
「おれたちは、自然を切り開いて社会を発展させてきたんだよ?」
「わたしは、そういうのは嫌です。流されるままに、生きていくのが一番です」
なっちゃん・・・」

ため息が、足元に溜まっていく。

「・・・いらないんです・・・」
「え?」
「森田さんの、お水は・・・」
「そんな言い方、ないだろう?」

責めるような言葉に、自分の口をふさごうとしたが、遅かった。

「や、やっと怒ってくれましたね・・・」
「ご、ごめん」
「・・・いつも、わたしに気を使ってばっかりで、疲れませんか?
わたしは、たまに疲れますよ。いくら暇つぶしでも、寮のお花に水をやるのが、面倒になることもありますからね」
「もう、やめよう? なっちゃんらしくないよ?」
「・・・なっちゃんなんか、もういないんです」
「もうやめてってば」

おれが目を逸らすと、夏咲は無表情に言った。

「はい。おやすみなさい」

ひたひたと歩いて、部屋の隅に戻っていった。

「・・・おれ、なにがあっても、なっちゃんを助けるから」

 

 

 

 

・・・
ケムリを吸いに、外に出た。

・・・夏咲が、おれに嫌われようとして、あんなことを言うのはわかっている。

わかっていはいるが、わかっているだけに、ため息が出てしまう。

「・・・どうするかな・・・?」

おれが高等人を降りれば、夏咲は自由になれる・・・のか?

おれがいなくなったら、夏咲は悲しむだけじゃないのか。

義務が解消され、国が、他人に触れることを許しても、夏咲はきっと心を閉ざしたままなのだろう。

それは、自由ではない。

しかし、おれが高等人になる道を選ぼうとしても、夏咲が、おれに好意を抱いている以上、法月がおれの申請書を認めない。

・・・要するに、袋小路ってことだ。

ひょっとすると、発想の転換が必要なのかもしれない。

例えば・・・親父のように・・・。

「・・・っ」

親父のように、なんだというのか。

そんな、大それたことが・・・おれにできるのだろうか。

考えていても仕方がないな。

・・・さちの意見でも聞いてみるか。

 

 

 

・・・
「さち、いるか?」

コンコン。

寝ていたら帰ろうと思っていた。

「時間が時間だしな。帰るか」
「賢一?」

ひょっこりと顔を出した。

「起きてたのか」
「うん、ちょっと絵の修正してた。賢一はどしたの?」
「ちょっと寝つけなくてな」

 


「それで、あたしのとこに?」
「ああ。邪魔だったら・・・」
「邪魔なわけないじゃん」

満面の笑み。

「嬉しいよ、来てくれてさ」
「あ、ああ・・・」
「さ、入って入って」

 


・・・
「相変わらず散らかってるな・・・なっちゃんの部屋とは大違いだ」
「どーせあたしは、てきとーだよっ!」

とはいえ、描き上げた絵だけは、丁寧に画板に留めて、部屋の壁に飾ってあった。

「で? 夏咲のことだよね?」
「よくわかったな?」
「なになに、別れ話? あたしより夏咲が好きだって?」
「な、なんでそうなる!?」
「あはははっ! なに慌ててんの? ひょっとして、マジなのぉっ?」
「違うって」
「でもさあ、夏咲は賢一のこと好きだよ?」

ずいっと近寄ってくる。

「・・・やっぱり、そう思うか?」
「あたしの嫉妬を抜きにしても、そう見えるよ?」
「嫉妬してんのか・・・」
「だって、いくらなんでも、毎晩夏咲の部屋に泊まるのなんて変じゃない?
寝るときくらい、あたしの部屋で寝ればいいじゃない?」
「それも、そうか・・・すまん、そういうのよくわからんかった」
「あ・・・いや、いまの七割五分くらい冗談ね。
真剣に付き合うのは、賢一の試験が終わってからって思ってるからさ・・・」

小さく笑った。

「・・・それで、夏咲のことなんだが・・・」
「うん。賢一が好きなんでしょ? だから、いつまでたっても、夏咲の義務が解消されないんでしょう?」
「話が早くて助かる」
「・・・夏咲が賢一をあきらめればいいんだよね?」
「そうだな。つまり、おれたちの関係を夏咲に打ち明ければいいのかもしれない。
法月にも、そう、お勧めされたよ」
「おー、じゃあ、そうしようそうしよう!
それで一件落着じゃん!
・・・って、嘘だよぉ・・・」
「嘘か?」

さちは、珍しく大きなため息をついた。

「なんか、シャクじゃない? ずるいっていうか、フェアじゃないよ」
「どうしてだ?」
「あー、わかんないけど、あのとっつぁんのお勧めってのが気に入らないし、あたしが先に賢一をかすめとったみたいで、なんかフェアじゃないなって」
「いや、おれがお前を選ぶって、決めたことだから」

さちを不安にさせるのはよくないな。

正直な気持ちを言おう。

「おれは、夏咲の友達として、夏咲に悲しい思いはさせたくないんだ。
でも、おれは、お前が好きだから、やっぱり、つきあってるっていうことだけは、言っておくよ」
「よしなよ。あの子泣いちゃうよ?」
「それでも、言わなきゃ前に進めない」
「ちょ、ちょちょっと。それってさ、かっこいいようでいて馬鹿だよ」
「意味がわからん。さちにとって、うれしい話じゃないのか?」
「それは、そうなんだけどさぁ・・・」

さちは落ち着きなく指を鳴らす。

「えとね、昔さ・・・」

あー、とか、うー、とか、言葉にならないうめきを漏らしながら、さちは続ける。

「夏咲がさ、ちょっと捕まって帰ってきて性格が超変わっちゃったときにさ、あたし、なんにもしてあげられなかったんだよね・・・。
ギャンブルばっかしててさ、夏咲が一人ぼっちなのに、自分のことばっかりで、かまってあげなかったんだよね・・・」
「・・・引け目を感じているのはわかったが・・・?」
「だ、だからさあ・・・なんていうか、あたしが賢一に考える間も与えずに、迫ったじゃん? 部屋に住まわせてさ、エッチ誘ったじゃん?
いわゆるフライングってヤツかな・・・」
「いや、それもおれが決めたことだから」
「そう言ってくれるとうれしいけど・・・なんか、夏咲や灯花に悪いなって思ってたんだよ」

おれは眉をひそめる。

「どうも、噛み合わないな・・・おれがガキだらかな?」
「い、いいや・・・あたしも、混乱してるっぽい・・・」

お互い、煮詰まったようだ。

「うーん・・・こういう話、知ってるでしょ?」
「なんだ?」
「ほら、賢一の業界にさ、経営の神様みたいな人いるじゃん」
「ああ、一年ほど前に亡くなったが・・・」
「でさ、その人には愛人が十人くらいいたらしいじゃん?」
「うん・・・十人は多すぎるけど、そういうのが当たり前の世界だから」
「でもでも、その愛人たちはさ、その神様が死んだあと、口をそろえて言ったんでしょ?
あの人に愛されて、私は幸せでしたって」
「・・・揉め事のひとつもなかったらしいな」
「きっとね、『あの人に愛されるくらいだから、あなたも私と同じようにできる女なんでしょ』って感じに認め合ったんだと思うよ・・・」
「わからんなぁ・・・」
「いやね、ケンのおじさんの愛人一同もそうだったから」
「ぶっ!」

・・・そういえばそうだ。

あの人たちはいつでも、仲が良かったな。

「で、それがなんなんだよ?」
「だからさあ、あたしも、これから超ビッグな女になるわけじゃない?」
「ま、まあ・・・絵で、な」

こいつの言いたいことがなんとなくわかってきた。

 

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「要するに、賢一は夏咲も灯花もあたしも好きになっていいってことだよ!」
「・・・・・・」
「って、よくないかもっ!」
「どっちだよ!」
「ヤバイ! ノリですごい大人ぶっちゃったけど、それ超厳しい!」
「ちょっと、うるせえって、深夜だぞ?」
「ああ、でも夏咲ならいっかぁ・・・でもそれって、あたしの賢一への愛情疑われそうだし・・・。
わ、わかった! 夏咲なら許す! 一回くらいアレしても許す!」
「・・・・・・」
「って、許さないかもおぉぉぉっ!」
「・・・・・・」

ころころと表情が変わって、忙しいヤツだなぁ・・・。

「なあ、さち」
「あい?」
「お前、面白いなっ」

そういうと、しおらしくなるさちだった。

「お前の気持ちはわかった」
「そお?」
「ただ、やっぱり、お前とつきあってるっていうことは伝えておく。
だから、なっちゃんとはつきあえないんだってことも」
「本気?」
「ああ・・・」
「やめといたほうがいいって、特にいまは。
せっかく、最近になって夏咲も笑うようになったのに・・・」

おれは首を横に振る。

「それは、夏咲を騙すことになる」
「いや、ホント、空気読もうよ? いま言うことないって」
「いまじゃなかったら、いつ言うんだ?」

軽くにらみつける。

けれど、さちは引かない。

「そうして、夏咲に賢一をあきらめさせてさ、賢一はのうのうと特別高等人になるってワケ?」
「・・・結果そうなるかもしれないなが・・・」
「あたしも『賢一ってやっぱあたしのことだけ見てくれるんだぁ』って浮かれて、夏咲のことは『気まずいけどどうしようもなかった』とか言い訳するんだ・・・」
「・・・・・・」
「あたし、ヤダよ。やっぱ、それはずるい。あたしの気持ちが収まらない」

力強い瞳が目の前にあった。

この真っ直ぐな目で、絵を描いているのだと、おれは改めて衝撃を受ける。
「あたしが賢一のこと好きなら、他の誰が賢一を好きでも、賢一はあたしを好きでいてくれる」
「さち・・・」

そうして、さちは、ニッと笑った。

「試験が終わってさ、夏咲や灯花のこともちゃんと見てさ、その上で、それでもあたしを選んでくれるってんなら、改めてちゃんとつきあおうよっ」

何も言い返せそうになかった。

「だから、いまは、あたしたち、つきあってないよ」

自分より強い人間に対して、語る言葉は持っていない。

「あたしたちは、つきあってない。だから、賢一が夏咲に何を打ち明けても無駄だよ? あたしが認めないから」
「そこまで言うなら・・・」

軽く頭を下げた。

「おやすみ、さち・・・」
「夏咲をよろしく。大切な、お友達なんでしょ?」
「ああ・・・任せろ」

さちに背を向けた。

 

 

「うひゃー! 超でかいこと言っちゃったかも!
ま、まあいいや! 絵でも描こうっと! あたしにはコレしかないんだ!」

 

・・・・・・。

・・・。

「ど、どちらへ行ってたんですか?」
「起きてたんだ・・・」
「どこへ行ってたんです?」
「ちょっとね・・・」
「ひ、秘密ですか・・・」
「気になる?」
「別に・・・」

愚問だった。

「どうでもいいですよ・・・森田さんがどこに行こうとも、わたしには、関係ないことですから・・・」

夏咲はまた、部屋の隅で膝を抱える。

なっちゃん・・・」

呼びかけても返事はなかった。

「・・・どうでも、いいんです・・・」

恋愛感情を抜きにして、改めて、夏咲は放ってはおけないなと思った。

「必ず、助けてあげるからね」
「・・・・・・」

・・・夜は更けていく。

 

 

 

 

・・・

・・・・・・

羊が八万四千二十七匹・・・。

羊が八万四千二十八匹・・・。

牧場はすでに、白で埋め尽くされていた・・・。

「冗談・・・」

さすがにそこまで数える前には、眠りについていた。

「おはよう、おれ。
なっちゃんもおはよう」
「・・・お、おはよう・・・ございます」

暗いな。

起き上がって、夏咲を探す。

「・・・なにしてるの?」

隅っこに座って、膝を抱えていた。

それは、数日前までの夏咲の姿。

「・・・朝食、出来てますので・・・」
「あ、ああ・・・。
すぐ洗顔してくるから、朝食を食べよう」
「・・・わたしはいいので、食べてください」
なっちゃんは?」
「わたしは・・・いりません・・・」
「いや、いらないって・・・」
「いらないですから・・・」

膝を抱え込んで、何も喋らなくなった。

「・・・とりあえず顔を洗ってくるから。それから一緒に食べよう」

悔しさでいっぱいだった。

「どうするかねぇ、ぱぱっと問題解決したいねえ」

言葉の軽さとは裏腹に、気分は重い。

おれは一人で食事する。

夏咲は結局、物を口にすることはなかった。

なっちゃん、そんなんじゃ昼まで持たないぞ?
っていうか、昼も結構抜かすよね?」
「・・・平気です。
全然、平気です・・・」
「・・・そう」

出会ったときの夏咲に戻ってしまった。

「まじぃ・・・」

食事はなかなか進まない。

いままで一緒に暮らしてきた中で、最悪な雰囲気だ。

こんなに不味く思えるメシを食べたことがない。

「・・・ぃ。・・・・さむぃ・・・」
「寒い?」

夏が去りつつあっても、まだまだ蒸し暑い。

裸になったって、寒いなんて単語は出ないはずだ。

「寒い・・・」

身体が、小刻みに震えていた。

なっちゃん!?」
「寒い・・・」

何度も繰り返す。

「寒いって、どうしたの?」
「ぁ・・・」

初めておれの声に気づいたように、少しだけ顔をあげた。

「えっと・・・なんでもないです・・・」
「な、なんでもないって・・・」
「あ、いえ・・・ちょっと、寂しいことを言って、気を引こうとしただけです」

・・・また、わざと嫌なことを・・・。

「森田さん、心配しましたか?」
「え・・・そ、そりゃそうだよ・・・」
「ごめんなさい。ちょっと、からかってみました」

ここは、怒るところなんだろうか。

不安定な夏咲を。

・・・少なくとも、おれにはできない。

「・・・はは・・・」

 

 

 


・・・

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「・・・そういえばさ、ここの寮の管理ってけっこうずぼらだよね?」

いつものように、花に水をやる夏咲に声をかける。

「寮母さんも、一応いるんだろう?」
「いるにはいますが・・・めったにいらっしゃいませんから・・・」
「それなりに、大きな寮なのになあ・・・」

・・・そういえば、法月が言っていたな。

「・・・行方不明になった管理人さんがいるんでしょ?」

ぴくりと、夏咲の肩が震えた。

「・・・そうですね」
「って、なっちゃん、水あげすぎだよ?」

穴ができるくらい、勢いよくジョウロを傾けて水を注いでいた。

「・・・・・・」
なっちゃん?」

けれど、夏咲はおれを無視し続けた。

 

 


・・・
関係を作るのは難しいけど、壊すのは簡単だ。

夏咲はおれから、随分と距離をあけ、歩いていた。

背中は丸まり、いつも以上に小さく見えた。

「なあ、待ってよ」
「・・・・・・」
なっちゃんってば」
「・・・・・・」
「・・・早く、試験に合格できるといいですね」
「そのために、なっちゃんの協力が必要不可欠なんだよね」
「・・・そうですか」

いや、そこを流されると困るんだが。

「どうしたんだよ、そんなに距離をとってさ」
「べ、別に・・・普通だと・・・思います」
「ちょっと前までならね。でも、昨日なんか隣を歩いてくれたのに」
「・・・・・・」

最近、ちょっとは、背筋を伸ばして歩いてくれてたのにな。

また・・・背中はひどい猫背になってしまっている。

 

・・・
昼休みになっても、夏咲は動かなかった。

そんな夏咲を見かねたのか、さちと灯花が、そばに寄ってきた。

さちは、昨日のことなどまったく気にしている様子がない。

だから、おれも、努めて平静を装う。

 

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「賢一・・・?」
「なになに、なんか面白いことでもあったの?」

「最高に面白いぞ。なんせ、おれがトークショーするんだから」

「磯野みたいな真似しないで!」

「うおっ、あいつと同系列で扱われるのだけはいやだっ!
急遽、トークショーはキャンセルだっ」

「あははは、同類同類ー」
「バカ、やめろっての。あいつと同類扱いだけはいやだっ!」

「ほんとにもう、バカなんだから」

さちはケタケタと笑い声をあげる。

「あ、あの・・・」
「ん? 夏咲も賢一のバカさ加減に突っ込みたいの?
いいよいいよぉー」
「な、なにか面白いんですか、それ?」

確かに、ネタとしてはいまいちだったけどな・・・。

「へっ?」
「いえ・・・どうして笑ったのか、わからなくて・・・」

「賢一が磯野の行動に似てたからだよ」
「磯野くんの行動に似てたら、面白いんですか?」

「だって、変人じゃない」
「賢一もだけどね」
「そうだったのか・・・」
「あれ、でも賢一も変人なら、同じ変人の行動なんだから、変じゃないんじゃない?
だったら変じゃないような・・・。
あれ、あれれ・・・」

頭からケムリが吹き出しそうなほど、混乱していた。

「でも、根本的に違うんじゃない? だって・・・」

 

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「よかったわ。二人とも一緒にいてくれて」

「あ、お母さん・・・実は賢一と磯野・・・」
「ごめんなさい。ちょっと用事があるの。二人にね」

京子さんは、おれと夏咲に声をかけた。

「法月先生が呼んでるわ、至急特別指導室に来るように、ですって」
「・・・・・・」
「わ、わたしも、ですか・・・」
「ええ、そう聞いたわ」

行きたくないな。

「わかりました。わざわざありがとうございました」
「行こう、なっちゃん
「あ・・・は、はい」

「・・・大丈夫?」
「なにが」
「夏咲、頼んだよ?」
「ああ・・・」


振り返ると、さちだけではなく、灯花も磯野も心配そうにこっちを見ていた。

 

 

・・・
「森田です。日向夏咲をつれてきました」
「入れ」

 

「・・・・・・」
「大丈夫?」
「な、なにがですか・・・」
「怖いだろうけど、我慢ね」
「・・・は、はい」


「失礼します」

 

 

 


・・・
「今日は、どういった用件でしょうか」
「おまえに用はない。
が、更生の一環として活用できるならばと思い同席させている」

そうかよ・・・。

 

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日向夏咲」
「は、はい」
「前に出て、これを見ろ」
「はい・・・」

恐る恐るうなずいて、法月の前に立つ。

「この両名に、見覚えはあるな?」

机をスライドしてきた、古ぼけた写真。

そこには、中年の男女が写っていた。

「っ・・・!」

写真を見た夏咲が息を呑んだ。

「お父さん・・・お母さん・・・です」

「なっ・・・」

これが、夏咲の両親の写真!?

なぜ・・・今・・・。

「具体的な話は、一切聞かされていないようだが?」
「は、はぃ・・・」
「ふむ・・・」

動作の全てを見逃さないように、とっつぁんは夏咲を観察する。

「七年前に消息を経ってから、何一つ聞かされてはいないのか」
「・・・はい」
「実に心身ともに苦しんだのだろう」
「いえ・・・もう慣れましたから」
「そうか。しかし、情報を得られるならば得たくはないか?」
「・・・ぇ」
「先日、日向夏咲の両親に関する情報が、私の耳に届いたのだ」
「あ・・・本当、ですか・・・」
「聞くか聞かないか、それは日向自身が決めるのだ」
「え・・・あ・・・わたし、は・・・」
「別に、孤独を好むならそれでいい。
だが、情報だけでも知りたいとは、思わんか?」

ムカつく誘導だな。

「は・・・はい・・・じゃあ、聞くだけ・・・」

遠慮がちに、あたかも聞かなくてもいいような返答。

だが、夏咲の声には、目に見えて希望の意が含まれていた。

その姿を見たとっつぁんは、満足そうに頷いて、冷徹な一言を発する。

「両名は、内乱の折りで捕らえられ、収容所へと送られた」
「っ・・・」
「・・・・・・」

「だが、どんなことがあっても夏咲に会うのだと、両親は希望を捨てなかった。
家族愛とは、計り知れないものがあると思わないか?
苦しい収容所生活において、両名は笑みを絶やさなかったそうだ。
そして娘もまた、厳しい義務を持ちながら、異性に関わらず、関わらせずを貫いてきた。それは称賛に値する」
「そ、れで・・・二人は・・・?」
「こうして経緯を伝えることになった理由だが、実は先日収容所から連絡が入った」
「れ、連絡?」
「事実とは酷なものだ」

短く言葉をきった。

「収容所から入った知らせは、日向夏咲の両親が・・・」

分かりきった、ストーリー。

「刑期を終えることなく、死亡したとの知らせだった」
「・・・・・・」

夏咲はただ、うなずいた。

「死因なども知りたいと思うだろうが、残念ながら詳細は公開されなかった。
これで、おまえは本当の孤独となってしまったな。日向」
「・・・・・・」

こくりと、あごを引くだけだった。

「今まで一人でやってこれたのだ。なにも問題あるまい?」
「・・・・・・」

なにも、言わない。

「以上だ」

視線で退室を命じる。

「そう・・・ですか・・・」

芯の抜けた返事が、室内を漂う。

「・・・用件は、それだけで?」
「そうだ」

・・・そうかい。

いつの間にか、口の中で鉄さびの味がしていた。

なっちゃん、行こう」
「あ・・・はあ・・・」
「ここに、いたら、ダメだよ・・・ねっ」

「森田は残れ」

そのとき、おれの中でどす黒い衝動が弾けた。

「さっき、言っただろうが!? おれはオマケでよばれたんだろう!?
夏咲のそばにいさせろ!」

しかし、法月は動じない。

殺意を前にしても、いつものように、冷たい顔でおれを見下ろす。

「では、このまま言わせてもらうとしよう」

しまった、と思った。

「森田よ。よく観察していたか? そこの日向が、私の一語一句に耳を傾け、頷き、希望の念を込めていたことに」
「・・・・・・」
「興味のない素振りをしながらも、両親の無事を祈る健気な姿を」
「・・・・・・」
「両親が生きているかもしれないという可能性こそが、日向に残された最後の希望だったのだ」

法月は、夏咲にわざと、おれと法月が二人だけで話すような会話を聞かせている。

「人を愛することもできず、最も自分を愛してくれる両親を失ったのだ」
「・・・・・・」
「もはや・・・生きている価値などあるまい?」

法月のどす黒い声に誘われるように、夏咲は口元を引きつらせた。

「は、はは・・・」

ふらりと、夏咲の足が不自然な形に曲がった。

倒れるかと思ったが、次の瞬間にはしっかりと床に足をつけていた。

そうして、幽霊のように浮ついた足取りで、部屋を出て行った。

 


おれは、法月を向き合う。

「タイムリミットだ、森田。
お前は大音灯花の監督に時間をかけすぎたのだ」
「約束が違う・・・試験期間は無期限ではなかったのですか?」
「情勢の変化による、計画の変更というものだ」

・・・大人はすぐ約束を破る。

「そうまでして、おれを高等人にしたいのですか?」
「人の命は平等ではない。日向のためにも、しっかりと社会に貢献するのだ」

おれは、森田賢一だ。

一年半で会社を上場させ、地獄の南方紛争を生き残り、年間に十人出るかでないかの、特別高等人の最終試験までたどり着いたんだ。

「日向はお前の力の及ばない、不慮の事故で死んだ。
それは、原点の対象にはならず、お前は試験に合格する」

それがどうして、このような人でなしのいいなりにならなければならないのだ?

「いい感じに、天狗の鼻が伸びてきたな」
「言ってろよ・・・」

なぜ、法月が余裕でいられるのか、それはヤツの胸元が微妙に膨らんでいるからだ。

逆におれは、丸腰。

・・・この距離では、無理だ。

「失礼します!」

いまは退いておこう。

軍隊めいた、素早く洗練された動作で部屋の扉に手をかけ、外に出た。

「さすがにこの場で襲い掛かってくるほど、愚かではないか」

法月の挑発に、後ろ髪を引かれる思いだった。

 

 

 

 

 

・・・
昼休みは終わりを告げ、授業が始まっていた。

廊下は静まり返っている。

なっちゃん
「あ・・・」
「・・・戻ろうか」
「はい・・・」

なんと声をかければ、いいのだろうか。

「悲しくは・・・ありませんよ・・・」
「無理しなくていいよ」
「いえ・・・本当です・・・」
「なんというか、実感が沸かないんです。
お父さんたちとは、七年前から一度も連絡がとれていませんから。
たった七年なのに、写真を見るまで、記憶の顔は霧がかっていて・・・。
七年経ったからか・・・涙だってでてきません・・・」
「・・・・・・」
「けれど・・・ああ、違うのかもしれません・・・。
もしかしたら、わたしは悲しいのかもしれない・・・。
なにも、なにもかもなくなってしまいました。
ただ、心がぽっかりと、からからになってしまいました。
本当になにも、残っていないんです・・・」

苦笑は、笑顔に。

「特別高等人になったら、社会のためにがんばってくださいね」
「え・・・」

夏咲は教師に声をかけて、教室に入っていく。

 

 

 


・・・
京子先生が、教室を出ていった。

今日も放課後がやってきた。

「さち、起きろ。もう放課後だ」
「う・・・うむぅ・・・」

もぞもぞと活動を再開。

その間おれは、夏咲を探し出す。

「あ、なっちゃ・・・」

「大音さん」
「え・・・日向さんっ?」

周りの学生と話をしていた灯花は、飛び跳ねるように驚いて夏咲に振り返る。

「どうしたの?」

夏咲のほうから話しかけてくるなどと、思わなかったんだろう。

「お礼を、言っておきたかったので」
「え、え? ごめん、なんのこと?」
「先日、川辺でお料理を食べさせてもらいました」
「料理って・・・昨日はおじゃんになったよ?」
「あ、いえいえ、ずっと前の、恩赦祭のときです・・・」
「あ、ああ・・・お礼なんていいよ」
「それでもわたしはおいしかったので」
「美味しかった・・・そ、そう?」
「はい、とても。
大音さんなら、きっと素敵な料理人になれます。
料理・・・ありがとうございました」

丁寧に頭を下げた。

「そ・・・そんなに喜ばれると・・・うれしいな・・・」

テレる灯花にもう一度頭を下げ、今度はさちのところへ。

「さっちゃん、ちょっといいですか?」
「んぅ? あぁ、夏咲じゃん・・・どしたの・・・ふわぅ・・・」
「川辺で描いてるときの絵、とても綺麗でした」
「ど、どしたの急に・・・」
「この間は、向日葵畑で絵を描いてて、それもすごく綺麗でした」
「んっふふ。夏咲にも認められるってことは、あたしも結構やるかもねっ」
「これからも、絵を描くことをやめないで、頑張ってください」
「もちろんだよっ」
「はいっ」


「・・・・・・」


「賢一、どうしたの? シリアス?」
「いや・・・さちが笑ってるから」
「笑ってるっていうか、嬉しいんだけど?」
「嬉しい?」
「だって、夏咲があたしに話しかけてくれるなんて、滅多にないし。
それに、幸せそうな笑顔だったからさ。
ああ、賢一が頑張ってるんだぁって思えたし」
「・・・そうか」

さちと軽く話しているうちに、夏咲は磯野の前にいた。

おれは会話が聞こえる位置まで移動する。

磯野と視線が合った気がした。

「磯野くん」
「やあやあ、夏咲ちゃん。どうしたの?」
「えっと・・・長い間、苦労ばかりかけてしまって、すみませんでした」
「苦労・・・というと?」
「一人だったわたしの面倒を、見てくれてました。
本当に、どもどもでした」
「僕は介護心に溢れてるからね」
「はい。そう思います」
「え・・・そう?」

夏咲の切り返しが想定外だったのか、磯野の声がこもった。

「えっと、それじゃわたしは帰ります」
「うん、帰り道、森田くんに気をつけて」
「え? あ、あはは・・・わかりました」

教室を出て行く。

「森田くんは、帰らないのかい?」
「夏咲のことをどう思った?」
「聞かないで欲しいな。鳥肌もんだったよ」
「・・・鳥肌?」
「リアルの人間から褒められたのなんて、いつ以来だろ。
ふふ、嬉しいなぁ」
「そういう鳥肌かよ・・・」
「は?」

とぼける磯野を置いて、夏咲のあとを追った。

 

 

 

・・・
帰宅したおれに待ち受けていたのは、二人分の夕食。

おれが二人分食べるわけじゃない。

夏咲のぶんだった。

「いただきます」
「いただきます」

二人で食事。

それは、毎日おれが望んだことだ。

なっちゃん
「はい?」
「今日は、手が込んだ料理だね」
「あ・・・気付いてもらえました?」
「全部すごく美味しそうだもん」
「食費を変えないで、美味しくする方法です。
いつもは簡単に作ってしまいますから」
「灯花の影響かな?」
「そうですね。大音さんかも知れません。
見ていたら、わたしも美味しいものが作ってみたくなって」
「おれはね、なっちゃんの作る味噌汁はかなり好きだよ。
味噌汁なら、灯花にも負けないかもしれないね」
「そ、そんなことはないと思いますが・・・あ、ありがとうございます」
「こ、このコロッケは・・・。
衣がサクサクで、中ふっくら。それでいてしつこくない。
口の中で溶けてなくなるようですなぁ」
「なんか、料理番組の人みたいですね・・・。
そのコロッケはかなり上手に出来たと思うのですが、どうですか」
「いい感じじゃないかなーっ」

こんな光景を、今朝には、想像できなかった。

相当まいってるんだろう、夏咲は。

目だけは合わせず、楽しそうに振る舞い続ける。

「わたしのぶんも食べますか? コロちゃん」
「コロッケに愛称はいらないから。なっちゃんは食べないの?」
「作ってる時に結構食べてしまって・・・ちょっと飽きちゃってるんです」
「そう? なら貰おうかな」
「じゃあ・・・」

割り箸を使って、夏咲がコロッケを掴んだ。

その手がふるふると、コロッケをおれの皿に運んでくる。

震えてる?

なんとか無事、コロッケは移住成功。

「あっ・・・」

取り箸しか持っていなかった夏咲の手から、箸が落ちる。

「コロッケを落とすかと思ってたら、箸を落としたか。
想定外なことをしてくれるなぁ」

箸を拾い上げ、手渡そうとしたところに、震える腕があった。

「ぁ・・・」

震える手の平を、ぼーっと眺める夏咲。

「さ・・・寒い・・・」
「寒いって・・・なっちゃん?」
「・・・ぁぁ・・・」

苦しそうな吐息を吐き出す。

「寒い・・・」
「ちょっと、大丈夫か・・・?」

よほど手の平が冷えるのか?

異常を感じたおれは、夏咲の手を取ろうとした。

「っ!」

・・・すんでのところで手が止まった。

なっちゃん、平気?」
「え、あ・・・。
はい。大丈夫です・・・なんでも、ないです」
「なんでもないって・・・」

震えてるじゃないか。

「そっか。じゃあ問題ないな」
「はい・・・問題ないです」

問題がないわけがない。

 

 

 

 

・・・
「それじゃあ、お疲れ様でした」

就寝前、夏咲がぺこりと頭を下げた。

「お、おう・・・お疲れ」
「おやすみなさい・・・」

とことことかわいらしく歩いて、布団に向かう夏咲だった。

「あ、なっちゃん、ちょっといい?」
「はい?」
「・・・えっと、今日、法月が言ったことってね」
「あ、ああ・・・気にしてないですけど?」
「嘘はよそうよ」
「嘘じゃないです。
本当に、現実感がないんです。だから、気にならないんです」
「・・・なんにしても、おれたちがいるからね」
「はい?」
「おれたちが、ついてるから」
「な、なにがですか?」
「い、いや、聞いてる?」
「あ、あー、あー・・・はいはい、ごめんなさい」
「よかった・・・一瞬、いつもみたいに意識が飛んだのかと思ったよ」
「え? 誰がですか?」
「・・・・・・」

夏咲のボケは天然なのか、狙っているのか、永遠の謎だな。

「ごめんなさい、気を使ってもらって・・・」
「友達だから、当然だよ?」
「・・・ど、どもです」

きまずそうに、もともと逸らしていた目線を、あらぬ方向に移ろわせた。

「ん・・・? いま何か、部屋の外から物音が聞こえなかった?」
「き、昨日は、嫌味なことを言ってすみませんでした・・・」
「へ?」
「で、ですから・・・森田さんを不快にさせてしまって・・・」
「誰が?」
「・・・それ、わたしの真似ですか?」
「ふふ・・・なにも気にしてないよ・・・」
「わ、わたし・・・不安定ですね・・・」

自分でも、気づいてるのか。

「こ、こんなわたしでも、よろしくお願いできますか?」
「もちろん」
「ありがとうございます・・・」

そうして、もう一度おやすみなさいと告げて、夏咲は布団に入った。

寝静まるまで、夏咲は何度も寒い寒いとつぶやいてた。

その度におれが声をかけたが、平気だとしか言わなかった。

「不安定か・・・」

明日は、またガラリと対応が変わってるのかもな。

「・・・おやすみ、なっちゃん・・・」

布団にくるまって寝入っている夏咲に言う。

「今日は、大変なことがあったけど、それでもおれたちがいるから。
がんばって、いこうね・・・必ず、助けてあげるから」

おれも布団に入って目を閉じた。

夏咲の監督に終わりは見えない・・・。

 

 

 

・・・・・・。

・・・。

「どこいくのっ?」

布の擦れる音がして目を覚ますと、予想通り夏咲がドアの前で立ち尽くしていた。

 

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「・・・起きてたんですか?」

目を合わせてきた。

「それとも・・・起こしてしまいましたか?」

夏咲が、おれを見据えている。

「森田さんに気づかれないで、外に出られると思ったんですけどね」

やり場のない哀しみを、おれに当てつけている。

「もう、寝るんじゃなかったの?」
「崖に行くんです」

いつものおどおどした夏咲はそこにいなかった。

「今何時だと思ってるの? それは許可できないな」
「命令ですか?」

反抗的な声。

「お願いだよ」
「じゃあ・・・行かせてください」
「どうして? 理由を原稿用紙一枚に収めてください」
「・・・もう、意味がないんです」
「四百字もいらなかったね・・・」
「心が、からっぽになってしまったんです。
どうしようもないんです。全てがどうでもいいのに、どうしようもないんです。わかりますか?」
「わからないけど、あきらめないでほしい」

正面から、夏咲の眼差しを受け止めた。

「わたしは、最初からあきらめてました。
あきらめていたから、やってこれていたんです。
けれど、一度期待してしまった。
期待してしまったから・・・そのぶんよけいに寒くなったんです」

夏咲は首を振る。

何度も、まるで全てを否定するように。

「なにもかも、間違ってました。
誰とも仲良くしなければいいのに、仲良くしてしまいました。
だから、よけいに寒くて仕方がないんです。
さっちゃん、大音さん、磯野くん・・・お友達を作ってしまったこと・・・。
それから・・・それから・・・人を好きになろうと考えてしまったこと・・・。
だから、そのぶん、ずっと寒いんです・・・。
震えが止まらなくて、わたしの行動もめちゃくちゃです。
一度溶かしてしまった鉄が、もう、もとの形には固まらないように、うまく生きていけないんです」

うわずった声とは裏腹に、しっかりとした手つきで、ドアノブをつかんだ。

「命令で止められても・・・わたしは、行くかもしれません」
なっちゃん、待つんだ」
強制収容所に入れば、わたしの、いますぐにでもしたいことができますか?」
「できない」
「できないのなら・・・ちょっと、困ります・・・。
やっぱり、あの崖は大好きな場所ですから・・・ケンちゃんと、なっちゃんの、素敵な場所ですから・・・願うなら、あの場所で・・・」

おれは、奥の手を使うことにした。

「困るんだ」

冷酷に言った。

なっちゃんが協力してくれないと、おれ試験に落ちてしまう」
「・・・・・・」
「どうしてもというなら、明日一緒に崖に行こう?
不慮の事故で、どうしようもなかったことにすれば、おれの試験の点数もそれほど悪くならないと思うんだ」
「・・・そう、でしたね。
試験に合格、しないといけないんですよね?」
「ああ」
「そのために、頑張ってきたんですよね・・・」
「ああ、ケンのお願いだよ」

夏咲とはおれの口から出たケンという単語に、ぴくりと肩を震わせた。

「・・・ケンちゃんが、そういうなら・・・今日は、寝ることにします」
「ありがとう。さ、布団に入って入って」

おれは自分の布団に招いてみる。

夏咲は一度苦笑いしただけで、自分の布団に戻った。

「じゃあ、明日」
「ああ、おやすみ・・・」

 

夏咲が、布団を頭からかぶるのを確認して、おれは廊下に出た。

 

「おい、お前ら」

 

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「あっ」
「んっ?」
「おやっ」


やっぱり、いたか。

「一応、なんとかした」

「さすがっ!」
「お前らもさすがに気づいてただろ?」

「あ、当たり前でしょ?
朝にどよーんとしてて、放課後になったらいきなり話しかけて来るんだもん。
なんかあったと思うでしょう?」

「・・・この二人は僕より早く、この部屋の前で待機してたよ?」
「マジで心配だよ・・・」

「だから、任せておけって」

安心させるように、さちと灯花の肩を順にたたいた。

「頼んだぜ?」

みんなは、それ以上は何も言わずに、それぞれに去っていった。

「・・・あんたも知っての通り、おれは特別高等人を目指している。
でも・・・」

自嘲気味の笑みを漏らす。

 

 

 

 

・・・
おれの背後で、お姉ちゃんが、つられて笑ったような気がした。

お姉ちゃんなら、おれがなにをしても、褒めてくれる。

そんなことを考えながら、夏咲のそばで一夜を明かすことにした。

 

 

 

 

 


・・・
東の空が白み始めたとき、夏咲は何の前触れもなく、むくりと身を起こした。

そうして、ぼーっと壁を見つめる。

「眠れなかったの?」
「・・・・・・」
「そう、ですね・・・。
ちょっと、考え事してたら、朝になってました」
「どうする? まだ早い気もするけど」
「行きましょう・・・」
「・・・わかった」

夏咲が立ち上がった。

おれも急いで支度を済ませようと、洗面台に向かう。

「すぐ洗っちゃうから」

 

・・・
「む・・・蛇口の水が、いまいち出が悪いなあ・・・」

・・・ったく、さちの部屋でガスが使えなかったりと、この寮はホント鼻くそだな。

「森田さん・・・」
「ん、なに?」
「・・・・・・」
「呼んだよね?」
「・・・・・・」

とりあえず顔を洗うとしようか。

「この際だから、聞いてもらえますか?」

蛇口を捻ったところで、夏咲の口調が変わった。

「楽しい話かな?」
「・・・いいえ」
「きっぱり言うね・・・」
「身の上話ですよ。四年前でしょうか・・・」

うつむいたまま、ぼそりと口ずさんだ。

「長い、あまりに長い間、暗い密室に閉じ込められていたわたしの裁判は、あっけなく終わりました。
ぼーっとしている間に、いつの間にかわたしは制服を着て、バッジをつけていました。
この町に戻ってきたわたしは、警察の車から下ろされて、向日葵畑をとぼとぼと歩きました。夏でした。
風はじっとりとしていて、うだるような熱気を感じました。
景色が変わったなと思いました。
こんなに、わたしの視界はせまかったのかなと、慌てました。
だって、どうやっても、顔が上がらないんです。
無理して真っ直ぐに前を見ようとしても、視線の先に人がいると、どうしてもうつむいてしまいます。
ぼんやりと、わたしのリボンを手あかで汚した人たちの目つきが思い浮かぶんです。
たくさんの眼差しは、舐めるようでいて、いつもいらだっていて、なによりわたしの視線が気に入らないらしいのです。
仕方がないので、肩を落とし、背を曲げながら、町を歩きました。
ようやく家に辿り着きました。
お父さんとお母さんはいないけれど、大切な思い出が詰まった場所なのです。
夏の日は縁側から風鈴の音が聞こえ、冬になるとみんなで屋根の雪のけをします。
わたしは期待しました。たとえ一人ぼっちでも、お父さんとお母さんの匂いが残ってる。家族の家は残っているのだと。
けれど、玄関の木戸には、張り紙がありました。
赤く太い字で借家と書いてありました。
借家なわけがないのです。
わたしが生まれたときのためにと、お父さんとお母さんがお金を貯めて建ててくれた、ちょっと古いけど頑丈で木の匂いがする家なのです。
家の庭は荒れ放題でした。
わたしがいない間は、親戚の叔母さんに手入れを頼んでいました。
木の匂いは、誰かが捨てたゴミの異臭に覆われていました。
叔母さんとは連絡がつきませんでした。
しばらく家に隠れて住んでいました。どこにも行き場がなかったからです。
学園には行きませんでしたが、ご飯はちゃんと作りました。
お金は床下にお父さんが残したへそくりを使いました。
ある日、叔母さんがばったり現れました。
陽射しの強い午後です。
作業服を着た人を数人連れていて、家の改築がどうとか話していました。
叔母さんはわたしを見て、一瞬だけおびえたように後ずさりました。
叔母さんは、よく、わたしの目が大きくて怖いくらいに真っ直ぐだねと、引きつった笑みを浮かべていました。
でも、叔母さんはわたしを探るように見てきました。
夏咲ちゃんかい? 夏咲ちゃんなの? と、何度も聞いてきました。
聞くたびに、どこか安心していくようでした。
叔母さんの表情に余裕の色が見えたとき、わたしは家から追い出されていました。
背中に、犯罪者という言葉を貼り付けられて、寮に押し入れられました。
相変わらず顔は上がりません」




・・・
「ふぅ・・・ごめんなさい・・・」

夏咲はため息をついて、住みたくもなかった寮の室内を見渡した。

「いっぱいしゃべったね、ちょっとお茶飲む?」
「いいえ、行きましょう? 話はまだ続きますから・・・」

 

 

 


・・・
寮から外にでると、夏咲は水を汲みに行く。

崖に行く前に、日課である花壇への水撒きをしたいと言ったのだ。

おれは先に、花壇の前へと。

「な・・・」

昨日までと、まるで違う花壇がそこにあった。

「・・・っ。これは・・・」

花壇は、惨劇にまみれていた。

「お待たせしました」
「な、なっちゃん・・・」
「はい? ・・・あ」

夏咲も、花壇に視線を奪われた。

花がしぼみ、黒ずんだ葉が垂れ下がっている。

そこにあるはずの美しい花々は、季節の終わりを待たずして枯れていたのだ。

「・・・・・・」
「理由はわからないけど、これは何か・・・」
「わたしです」
「わたしですって・・・」
「また、水をやりすぎてしまいました。
気をつけてた・・・つもりなんですが」

ジョウロから、ぽたぽたと水が夏咲の足元に落ちた。

それは、夏咲が泣いているようでもあった。

「また、わたしは・・・わたしのせいで、花を枯らせてしまいました」

確かに、夏咲は幾度となく時間を見つけては水を撒いていた。

どんな花も、水を与えすぎれば枯れる。

「・・・ごめんなさい。でもまた、生まれてくるよね・・・?」

花に謝って、ジョウロを花壇に置いた。

そのまま時を止めたように、花を見つめ続けている。

なっちゃん・・・そういえば、話の続きは?」

目つきに危ういものを感じて言った。

夏咲はおれの声に反応し、ため息をついた。

「この寮には、本当にお世話になりました」


・・・
「寮での生活で一番怖かったのは夜です。
ここにはお父さんとお母さんの匂いも残っていません。
電気をつけても、あの密室の記憶が蘇るんです。
制服を着た怖い人たちのまなざしが。
ささいなことでも怯えました。
誰かがわたしを訪ねて、ドアをたたくと、ふっと、怖い人たちがよく机を殴り、椅子を蹴飛ばしていたことを思い出しました。
学園に通うことになりました。
嫌だったけれど、担当の高等人の方の命令で仕方なく、教室に入りました。
みんな、わたしのことをジロジロと見ます。
仕方がないことだなと思いました。
男の子はみんなわたしと距離を取ります。
しょうがないんです。
わたしの机は、人に触れないように隣の席から少し離されました。
それがわたしと、友達の距離でした。
これからそうやって生きていくのだと気づいたときには涙してしまいました。
すぐさま特別指導室に呼び出され、指導を受けました。
男性の前で泣いてはならない。服装は制服に限定する・・・なにより上目遣いでこちらを見るなと何度も怒鳴られました。
わたしは、上目遣いの視線を送っているつもりはないんです。
ただ、顔が上がらないんです。
それだけなのに、悪い噂は広まります。
目つきがあやしい、誘ってる・・・男の子がそう言い出すと、女の子もどこか楽しそうでした。
そうやって、クラスがまとまっていくんだなと、そういうことを知りました。
ただ、昔から仲の良かった友達がいたんです。
もともとクラスで一番人気があった女の子です。
なにがあっても話しかけてきてくれて、いつでもお昼ご飯を一緒に食べてくれました。
わたしはまた期待しました。
周りになにを言われても、真っ直ぐにこの女の子を信じようと決めました。
でも、それはそういうゲームだったんだそうです。
楽しいゲームです。
わかりますか?
わかりませんよね・・・わたしも、いまだにわからないんです。
突然のことでしたから。
わたしがずっと嫌いだったと、その子は言いました。
みんなから好かれていたわたしが。
誰もが正しいと思う人間を大嫌いな人もいるのが世の中でしょ、と言われました。
わたしが嫌いなのではなく、ただ面白がっているだけにしか見えないので、やめてくださいと勇気を出して言ってみました。
みんな、ばつの悪い顔をして次の瞬間には笑います。
担任の先生は、わたしをこっそり職員室に呼び出します。
いじめに負けるな、先生は味方だ、と言って、最後にわたしのリボンを注意します。
ヨレているよ、女の子らしくしなさい・・・。
無神経な人だなと、いろいろな意味で無神経な人だなと思いました。
けれど、人のことをそんなふうに見ているわたしもわたしだなと、暗い寮の部屋で膝を抱えて小さくなりました」

「・・・さちや磯野は?」

話がひと段落したところで、質問をしてみた。

「磯野くんは、ちょうど町にいませんでした。
さっちゃんは、いつも部屋で、ひとりで遊んでいたそうです」

・・・夏咲は、完全に独りだったわけか。

「そんなわたしを助けてくれたのが、寮の管理人のおじさんでした」
「おじさん・・・それが行方不明になったという・・・?」

夏咲はうなずいた。

「おじさんは、わたしを助けてくれたんです」

 


・・・
おれたちは、ゆっくりとした足取りで崖に向かう。

「もうすぐ、秋ですね」
「ああ。まだ青い葉はたくさん残ってるけど、もうちょっとしたら、全部赤に変わるよ」
「きっと、綺麗ですね・・・」
「そうだなぁ」
「っ!」

前を歩いていた夏咲の体が不自然に傾いた。

なっちゃん

おれは横からその体を抱き留めようとした。

だが・・・夏咲はおれを避けた。

「な、なっちゃん!?」
「だ、大丈夫です」

木の根に足を取られたらしい。

「ごめんなさい、わたし・・・ドジで・・・」
「・・・怪我はない?」
「・・・はい」

スカートについた土を手ではらう。

「おじさんも、よくわたしに触れようとしてくれましたよ?」
「優しい人だったのかな?」

夏咲はしばしの逡巡のあと、

「はい・・・」

と、迷いを断ち切るように言った。

「出会いはあっさりとしていました。寮の玄関です。
さっきみたいに、わたしが転びそうになったとき、おじさんがわたしを抱えようとしてくれたんです。
わたしはおじさんの手を避けた結果、足を怪我してしましました。
それがきっかけで、おじさんはわたしの世話をしてくれるようになりました。
ご飯を作ってくれました。一緒に食べてくれることもありました。
なにより、毎朝おはようと声をかけてくれるのがうれしかったです・・・。
雨の日は傘が部屋の前に添えてあります。
夜眠れない日は、お話をしてくれます。
おじさんの娘さんの話です。
若いころに先立たれてしまったんだそうです。
おじさんも寂しかったみたいです。
だから、季節の変わり目に風邪をひいて寝込んだわたしの手を、おじさんは握ってくれたんです。
ぎゅっと、指をからめて、明け方までそばにいてくれました。
当然、それは二人だけの秘密でした。
ばれてしまえば、わたしだけでなく、おじさんまで罰を受けることになります。
それが全ての間違いでした」

 


・・・
視界が開け、雄大な山景色が眼前に広がった。

標高が高いためか、山風は、すでに秋のように冷たかった。

「秘密を共有すると、人間関係は進展します。
わたしはいつしか、おじさんがお父さんのように見えてきたのです。
おじさんもわたしのことを娘だと言いました。
毎晩、一緒にご飯を食べました。
テレビを見て、お酒をついであげて、肩を揉んであげました。
わたしもおじさんも目を合わせて笑い合いました。
こんな毎日がずっと続けばいいなと思いました。
本当のお父さんじゃないけれど、暖かい家族になれたような気がしたんです。
おじさんは、わたしの頭を撫でてくれました。当然です。
お父さんなのですから。
髪をすいてくれます。
お父さんですから。
本を読んでくれました。外国ではこういう習慣があるんだよと、わたしの頬に口づけしてくれました。そういうときのおじさんはいつも饒舌でした。
息だけの声でまくしたてるように話します。
首筋を撫でられたとき、わたしはくすぐったくておじさんを突き飛ばしました。
もちろん冗談です。
けれどおじさんは、細い目を丸くして、わたしに頭を下げるんです。
必死に、焦りながら・・・。
ちょっと嫌だなと思ったことはあるんです。
だって、お風呂に一緒に入ろうって言うんですよ?
そんな年齢じゃないのに・・・。
拒むことはできませんでした。
おじさんは間違いなくわたしを必要としてくれていました。
心地いいものです。
必要とされるというのは・・・。
けれど、暖かくはなくなっていきました。
手を握ってもらっても、頭を撫でてもらっても、男の人のごつごつした骨の形だけが肌に伝わってきます。
おじさんの手が、わたしのお腹を触りました。痛かったです。
横座りになったときも太ももに手が添えられます。
肩が震えました。
おじさんとの毎日が苦痛に変わっていくのが悲しくて、それでもどうしようもなくて、ただ、本当のお父さんに会いたいと願いました。
わたしが自分をどこか客観的に見始めたときです。
夜中にこっそり部屋のドアが開きました。
ぎぃぎぃと軋んだ音に、心臓が飛び跳ねました。
わたしは布団で眠っていました。
眠っていたふりをしていました。
夏咲ちゃん、夏咲ちゃん・・・震える声がすがるように呼びかけてきます。
おじさんの吐息が首筋から耳にまで這い上がってきます。
わたしは目を固く閉じ、嵐が過ぎるのをただ祈りました。
そうして指がわたしの胸元にかかったとき、祈りが口からこぼれました。
その祈りのおかげかどうかわかりませんが、その夜は、もう何も起こりませんでした。
おじさんは、来たときの慎重さを忘れ、大きな足音を立てて逃げていきました。
真っ暗な部屋の中で、わたしは一人で泣きました。
期待するからこうなったのだと、大事なものを求めようとするから、悲しいのだと。
明日、おじさんが来たら、もうされるがままでいよう。
どうでもいい、からっぽなのだから・・・何も期待せず、何も信じず、楽に生きよう・・・。
けれど、次の日からおじさんは来なくなりました。
代わりに磯野くんがやってきました。
磯野くんはちょっと雰囲気が変わっていました。
おじさんのことを尋ねると、磯野くんは何も知らないと言いました。
知っている目で知らないと答えました。
わたしはまた泣きました。
磯野くんに感謝する気持ちが沸かないのです。
そのあと、磯野くんがいなかったら、わたしは確実に生きてはいられなかったと思います。
これで、お話も終わりです。
最後まで聞いてくれて、ありがとうございました」

身の上を吐露した夏咲の顔は、いやにすがすがしかった。

「森田さん・・・あの山を抜けると、どこに出るんですか?」

遠くに見える、山を指差した。

「鉱山のある小さな町にたどり着くよ」
「・・・世界は、ここだけじゃありませんもんね」
「そうだね、だから、一緒に旅でもしようか?」
「わたしはどこにいても一人なんです。
いじめられっ子はどこに行っても、いじめられるだけですから。
だったら、いなくても変わらないと思いませんか?」

おれは、ゆっくりと首を横に振る。

夏咲の哀しみを知ったおれは、今度こそこの少女を救うべく、慎重に言葉を選びながら口を開いた。

「祈りっていうのは、おれの名前かな?」
「えっ?」
「見知らぬ男の名前が出て、弱いおじさんはひるんだんだ」

――ケンちゃん、助けて。

「・・・っ・・・」
「おれは、ここにいるよ?
何度でも言うけど、樋口健はここにいるよ?」

ごめんね、逃げ出して。

「夏が来て、暑くなって、少しだけ雨が降って、田んぼは青々しくて、風が吹くと緑の匂いがして、ケンちゃんみたいな友達がいて・・・。
なんにも変わらないけれど、それだけでもいいんだよ・・・」
「・・・っ?」
なっちゃんの言葉だよ? ここで、鼻をたらしていたおれに笑いながら語ってくれたんだよ? 覚えてる?」
「わ、忘れました・・・」
「覚えてるんだね。だから、つらいんだね」

一歩、近づいた。

「それだけでも、いいんじゃないの?」
「な、なにがですか?」
「夏だよ? あっついね。雨もたまに降るね。
田んぼは青々しいじゃない? 風が吹くと気持ちいいね?」
「で、でも、ケンちゃんは変わってしまいました!」
「でも、友達だよ!?」

喉の奥から声を振り絞った。

「変わったら、もう友達じゃないのかい!?」
「ふ、普通はそうなんです!
人はすぐに変わって、お互いが合わなくなったら別れるんです!
だから信じたらダメなんです! 依存したら裏切られるんです!」
「なら、また信じればいい」
「っ・・・!?」
「どんなに人が離れていっても、どんなに人に裏切られても、また信じればいい。何度でも!」

そうして、もう一歩踏み込んだ。

「帰ろう?」
「ち、近づかないでください! 飛び降りますよ!?」
「飛び降りないよ。なっちゃんは、強い」
「・・・っ!?」
なっちゃんは、絶対に強い。
ガキのころのおれを助けてくれたなっちゃんは強い。
だから、簡単に命を投げ出したりしない。
おれは、そう信じてる」
「そ、そんな、そんなこと言われたら・・・っ!」
「帰ろう?」

おれは、ゆっくりと夏咲に背を向けた。

背後で、夏咲の荒い呼吸が聞こえる。

やがて、夏咲は叫ぶ。

期待するたびに絶望させられていた少女だからこそ。

 

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「信じるなんて言われたら、裏切れないじゃないですか!」


芯の入った一声は、まさしく夏咲の強さを象徴していた。

 

 

 

 

・・・