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車輪の国、向日葵の少女【37】

 

 

・・・

・・・・・・

翌朝、おれたちは出発前の最後の顔合わせをした。

「・・・という作戦だ。いいな!」

「まだ何も言ってねえよ!」
「伝わらないのか? 僕らには言葉なんていらないはずだろ?」

こいつはほっとこう。

 

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「一応分かってるけど、確認したほうがいいよね?」
「うっかり忘れられると困るしねー」
「うっ」

「うっかりさんなのは相変わらずみたいね。ふふっ」
「それじゃあ、あんまり時間もないし、さっさと手順を確認しよう」
「うん。まずみんなに念頭において欲しいのは、予定外に法月と会ったら逃げること」
「姉上の言うとおり、最優先事項は戦うことではなく、夏咲ちゃんを助けることだ」
「・・・ああ」
「夏咲ちゃんは学園の地下牢に幽閉されている。
地下牢までの基本的な警備は、私が見た限り健なら突破できると思う」
「フン・・・伊達に南方から帰ってきたわけじゃないからな」

「問題はあの怖い人だよね。とっつぁん?」
「そのためにあたしたちで注意をひきつけるんでしょ?
あたしの準備は、ばっちりだよー」
「私は、いまから用意しなきゃ」
「・・・そうね。フフフ・・・」

灯花とお姉ちゃんは、示し合わせたようにうなずいた。

「委員長もさちさんも、気をつけて下さいよ」
「まかしといて」
「だーいじょぶだってば」

・・・不安だ。

だけど、さちも灯花も、義務が解消されてからかなり強くなった。

「信頼していいよな」
「それはこっちのセリフだよ、ケン」
「さっちゃんと灯花ちゃんに手伝ってもらって、私が法月をひきつける。
その間に健が夏咲ちゃんを助け出す。
夏咲ちゃんの安全は磯野くんが確保する。
・・・そうして」
「おれが、法月と・・・」

喉を鳴らし、拳を握り締めた。

「健、大丈夫。きっとできるわ」
「ああ、ありがとうお姉ちゃん」

「よし、それじゃあここからは別々だ。
それぞれ準備して、夜の処刑時刻前には学園に行く、と。
みんな自分にできることをやろう」

「よーし、やっちゃうぞー!」

こんな状況でも底抜けに明るい声で、さちは真っ先に学園へ向かった。

「私も行くわ」
「忘れ物、ないだろうな?」
「うふふっ。もちろん!」

灯花も慌てる様子はない。

無論、内心は違うかもしれないが、落ち着いて学園へ向かった。

「お父さんの敵を討とう!」
「え?」
「なんて考えちゃダメよ」
「あ、ああ」
「それは私達の望むものじゃない」

目的を履き違えてはいけない。

まずは、夏咲を助けるんだ。

「お父さんの目指したものと、同じものを目指すんだよ」

そう言ってお姉ちゃんはやっぱり、かっこうのいい笑みを浮かべて学園へ向かった。


「ふうっ」

磯野はため息をついていた。

「どうした? ビビったのか?」
「おい、ケン」
「ん?」
「この七年間、後悔していたのはお前だけじゃない」
「・・・・・・」
「あのとき、俺に、さちさんの性格まで含めた冷静な判断力さえあれば、今こんなことにはなっていなかった」
「そうかもな。だが磯野・・・」
「分かっている。たら、れば、は意味がない。
この作戦は成功すると決めている。僕自身がね」
「なら大丈夫だろう」
「頼むぞ、ケン」

信頼の眼差しをおれに向けて、磯野も学園へと向かった。

「みんな、おれを信頼してるのか」

もちろんあのときとは違う。

なっちゃん、もう少しだけ待っててくれよ。

おれは、腰に軍用ナイフを差し、スボンのポケットに親父の遺産をしまってから、外に出た。

長らく愛用していたジュラルミンケースは、懐かしき我が家に置いていくことにした。

 

 

 


・・・
・・・・・・
しばらく町の様子を観察し、時間前には学園に着いた。

「とんでもねえ人ごみだな。物珍しそうな顔しやがって」

人を殺すんだぞ、分かってんのかよ。

校庭にはSF小説でしか見たことがない、処刑台がすでに設置されていた。

「さーてと」

おれは人ごみに紛れて、学園の教室から、一階の廊下、そうして地下牢の入り口へいたる最短距離を最終確認する。

面が完全に割れきっているおれだけに、さすがに目立つのはまずい。

さちも灯花も追われている身ではあるが、とっつぁんのことだ。
おれを徹底的にマークしているはず。

・・・おれ一人ではどうしようもなかったかもしれないけどな。


・・・

「・・・やべえ!」

慌てて人ごみに身を隠す。

「危ねえ、見つかるかと思ったぜ」

警官がきょろきょろと辺りを見回していた。

学園の門を一般開放するだけに、警備は厳重のようだ。

「ん?」

視線を感じた。

 

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「・・・・・・。
・・・もしかして」

「ちょっと待った」
「もり・・・むぐっ!?」

素早く口をふさいで物陰に移動する。

一度、人ごみを逆流して引き返した。

 

・・・
「京子さんも無事だったんですね」
「ええ・・・なんとか。そっちはどう?」
「状況は非常によろしくないですね」

警備は学園付近に集中していたようで、少し離れれば普通に会話していても大丈夫そうだ。

あまりゆっくりはしていられないが。

「灯花はどこにいるの?
もうすぐ日向さんの公開処刑が行われてしまうみたいだし。
何かするつもりなの森田くん?」

京子さんはそこまで一息でしゃべった。

「そうですね。まさかあそこで京子さんと会うとは思わなかった」
「それは私もよ。一体どうするつもりなの?」
「京子さん。灯花は無事です」
「ええ・・・わかっているわ。あなたと一緒なのだからね」

安堵の笑みが浮かぶ。

「だけど灯花は今から危険の中に飛び込んでいくことになります」
「それは、どういうことなの森田くん、説明して」
「灯花だけじゃない。おれも、さちも、お姉ちゃんも、みんな夏咲を助けるために今から行動します」
「お姉ちゃん?」
「そうです。ずっとおれを見守っていてくれた」
「璃々子ちゃんのこと?」
「・・・ええ、そうです」

京子さんは、泣きそうなまでに嬉しそうな顔をした。

「やっぱり京子さんも顔見知りなんですね」
「ええ、璃々子ちゃんとは都会にいたときに。でもお姉ちゃんって・・・」
「おれは樋口健。革命家、樋口三郎の息子です」
「あなたが・・・」

京子さんは、意外にもすんなりと受け入れてくれた。

「京子さん。樋口三郎の思想は姉の璃々子に受け継がれています。
おれは、樋口璃々子も含め義務を負っている人達の中には、この社会を変える、種を持つ人がいると思います。
だから今から戦います。その種を守るためにね。
といっても殴りあったりってのはおれだけですけど。
灯花やさちや夏咲、それにお姉ちゃんも、皆これから社会というものと戦うんだと思います」
「森田くん、三郎さんみたいね」
「え?」
「ふふっ。こんなことってあるのかしら」

京子さんは、何となく嬉しそうだった。

「私が大学に入ったきっかけは、樋口三郎の思想だったわ。
都会で内乱が起こる前は、よく璃々子ちゃんに灯花と遊んでもらったし」
「そうでしたか」
「璃々子ちゃんが樋口三郎の娘だと知ったのは少し後だったけど。
あなたが樋口三郎の息子だったとはね」
「京子さん、分かってもらえると信じてます。
おれたちは無駄に危険を冒すわけじゃない。灯花たちを、そして、おれを信じてください」
「日向さんを、お友達を助けようとしてる娘だもの。
それは間違ってないはずよ」

京子さんは穏やかに笑った。

「ありがとうございます。それじゃ、おれは行きます」
「私も行くわ。見届けたいの」

 

 


・・・
・・・・・・
再び学園へ。

京子さんと別れ、ひっそりとまた人ごみに紛れる。

「また人が増えてるな」

町の全員に参列するよう命令が出てたしな。

「皆予定通りに動いてくれてるかな?」

おれが京子さんに会ったように、予想外の展開に遭遇している奴がいるかもな。

まあり目立つ行動はしたくないが・・・。

「何でだろうな」

灯花を思い出すと、何となくほっとけないというか、心配になるおれがいる。

「まあ、あいつの役目はかなり危険だからな。
まさか、まだその辺でもたもたしてる、なんてことはねえだろうな」

何となく人ごみに紛れて灯花の姿を探してみる。

・・・いない、な。

「とりあえずは上手くいってるのかな、ん?
あれは・・・京子さんか」

二人は親父の起こした過去の内乱と、深い関係はないと思っていたがな。


――『私が大学に入ったきっかけは、樋口三郎の思想だったわ。都会で内乱が起こる前は、よく璃々子ちゃんに灯花と遊んでもらったし』


二人も戦ってたんだよな、親父とお姉ちゃんと一緒に。


おれだけが、逃げた。


「それは変えられない」


町は焼け、何も残っていなかったけど。

それでも向日葵が花を咲かせたように。


「変えられるんだ」


灯花もおれに教えてくれた。

どこまでも真っ直ぐな瞳がおれをとらえる。

さちも夏咲も、お姉ちゃんも。

「信じるってやつか」

気持ちのいい感覚だった。

「やってやるぜ」

 

・・・
遠目に教室や法月の部屋を眺めてみるが、室内の明かりはついていない。

・・・やはり、法月は、一階の地下への扉の前に陣取っているんだろうな。

おれは静かに時を待つ。

 

 

 

・・・

・・・・・・

夜の闇が深くなった。

制服姿の連中がなにやら叫びながら断頭台の周りをうろつき始めた。

「そろそろか」

夏咲を殺すための舞台が着々とできあがっていく。

「くっ・・・そっ・・・」

頼む、お姉ちゃん、みんな。

・・・・・・。

・・・。



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・・・
民衆の誰もが、肌寒さを感じていた。

空は澄み渡り、夜空には満点に星が輝いている。

秋が近いせいもあるが、会場にはもっと根本的に人々の心に根付くような寒気が漂っている。

人々を不安に駆り立てる舞台の幕開けが、どうやら近いようなのだ。

学園の校庭に、奇妙なステージが設けられている。

取り囲む群衆の目に、より罪人を晒しやすくするためだろう、腰の高さくらいの土台があった。

表面は石で固められ、端に階段が架かっている。

土台の中央には、上部を梁でつないだ柱が二本、間に木のブロックを挟んで建てられていた。

その先に斧が結びつけられており、柱に彫られた溝に沿って降下する仕組みになっているようだった。

見物人の誰もが顔を上げて止まない。

そうして、誰もが、首の裏をつい触ってしまうような悪寒を覚えた。

月明かりにぼんやりと浮かんだ刃が、いまかいまかと獲物を待ち構えている。

処刑装置のそばで警官が声を発した。

「みな静粛に! 静粛に!」

野太い声に反応するように、ざわめきが起こった。

会場の緊張感が高まっていく。

もともと、集められたのは、教員や派出所の駐在員、役所の所員など町の主だった人間やその家族だった。

中央から派遣された一部の役人を除き、彼らの多くは、七年前の内乱をかろうじて生き残った過去を持っている。

今日でこそ、この田舎町は向日葵の咲き乱れる美しい場所となっているが、穏やかな平和の影には流血の歴史があった。

内乱の後、町の中心に、遺族が慰霊碑を建立した。

外部から専門家を招いて設計された立派な慰霊碑だった。

当時、町の行政を兼ねていた特別高等人は、一度はそれを容認した。

けれど、石碑に刻まれた碑文を巡って、ささいな論争が発生した。


『過ちを繰り返してはならない』


この一文の主語が町の住民であるのか、それとも国家であるのか。

要するに、遺族たちは難癖をつけられたのだ。

口論は簡単に暴力に変化した。

死没者約五千人の過去帳が収められた石棺は足蹴にされ、女性の子宮をモチーフにした大理石の屋根は粉砕された。

町の出入り口である検問所でも、悲劇はあった。

現在でこそ動植物の検疫という名目が立っているが、過去は内乱の再発を防ぐために駐屯していた州軍の詰め所でしかなかった。

内乱によって、多くの子供が親を失った。

この町にも、国営の養護施設が設置されていた。

けれど、たったの数年で、施設は学園寮や農協組合の寮などに機能を移譲していった。

親兄弟を目の前で殺された結果、心的外傷を負った子供も少なくなかった。

もっともひどかったのは、異民の子供である。

社会が不安定であればあるほど、差別は加速する。

優先的に屋根のある場所を追われた異民の子供たちは、町の外を目指し、州境に近づいた。

そうして、二度と帰ってこなかった。

州軍の責任者は、子供たちの行方を知らないという。

町の史書にも何も記されていない。

ただ、山岳付近の向日葵畑で異臭騒ぎが起こり、大量の子供の死体が発見された。

それだけだった。

町民の胸の内には、国家に対する疑問がくすぶっていた。

しかし、いつでも暴力が目の前にあった。

従わなければすぐにでも殺されてしまうかもしれない。

現実はいつも強烈で、思考を停止させる。


反抗の芽は徐々にしおれていった。

ある役所員の記した檄文は埃をかぶり、ある農家の床下にある拳銃は錆びついていった。

七年という時間を経て、彼らは、社会に対する疑問を持たないように形成されていった。州軍が撤退し、恩赦祭が執り行われるようになると、感謝の念すら思い浮かんだ。


ひっそりと、卑屈に、かつ慎重に、生きながらえる。


家族を失い、住み慣れた我が家を焼かれたとしても、それはどうしようもなかったのだ。

 


「静粛に!」

もう一度一喝があった。

公開処刑は予定通りに執行される。義務違反を犯した罪人、日向夏咲は間もなくここへ到着する」

日向夏咲――その名を聞いて、とある少女が喉を鳴らした。

数年前、夏咲の信頼を裏切ったクラスメイト。

少年少女のささやかな退屈を紛らわすべく、夏咲を笑い者にした張本人である。

弱い少女だった。

何も死刑にすることもないのに・・・そう思っているのだ。

学園生活のなかで夏咲を殺しておきながら、少女はその罪に気づいていない。

そんな少女もまた、内乱で実の父を失っていた。

父は、正しいことをすると言って、樋口三郎とともに去っていった。

家族は皆、父を称賛した。

けれど、父は帰ってこなかった。

正しいことをして、死んでしまった。

幼いころの日向夏咲はいつも正しくて、気に入らなかった。

気に入らないが、こんな形で殺されなくてもいいのに・・・。

少女は断頭台を見上げ、気持ちを沈ませた。


台上にいる警官が勢いよく両手を上げた。

「歴史の証人となるべく集まった者たちへ、罪状の確認と特殊刑に至った経緯を説明する」

大仰な身振り手振りを加えて力説する姿は、まるで本番前の前座を務める道化のようだった。

「七年前の内乱の後、日向夏咲は異性を騙し続け多額の金銭等をせしめ、また言葉巧みに詐欺を働き多くの被害者を出した罪に問われ、それを自白により認めている」

小さな田舎町だった。

『恋愛の禁止』を義務付けられている夏咲は誰にでも知られている存在だった。

そうして、見物人の半数以上は、夏咲が冤罪だと、薄々感づいていた。

「その後、更生指導の元に社会復帰を目指すが、法典によって定められた内容を遵守する素振りを見せながら、心の底では異性に取り入る隙を虎視眈々と狙って今日に至る」

夏咲の担任を受け持ったことがある教師がいた。

神経質で知識にプライドをもっていることから、大音京子と仲が良かった。
非常に正義感の強い女性だった。
彼女は過去、夏咲がいじめを受けていたとき、夏咲を支えてあげたと自負している。
自分のおかげで、夏咲は毎日学園に通えていたのだ。
品行方正で成績も優秀。
にもかかわらず、義務が解消されないのは、きっと社会が間違っているに違いない。

浅はかな義憤を抱きながら、教師は腕を組んでじっとしていた。

「三日前、日向夏咲は、特別高等人候補生と身体的に接触し、また義務違反を犯し異性に好意を抱いていることを告白した」

夜のグラウンドに、さざなみのようなどよめきが湧き上がった。
あの日向夏咲が、自ら異性と接触したというのか。
いつもおどおどとして、まるで男性恐怖症のように見えたというのに。

「顔の表情、涙、立ち入る振る舞い、スキンシップ、服装の露出の計算、その他あらゆる感情を揺さぶる、狡猾で計算された言動は、今後の更生への希望を一切断ち切るものである」

人々は顔を見合わせて、様々な口を開く。

本当に、日向夏咲は冤罪だったのか。

担当の高等人に理不尽な義務を押し付けられていただけではないのか。

いや、実は、治安警察の言うとおりに腹黒い少女なのではないか・・・。

「本来なら強制収容所へ送還される状況ではあるが、我々国民を代表する特別高等人の選出試験において、日向夏咲は自らの義務解消のため候補生をたぶらかし、不当に義務より開放されるべく働きかけた」

治安警察が町を占拠したせいで、数日の間、不穏な日々を過ごしていたというのに、その罪は夏咲にあるような気運が高まってきた。

「この罪は極めて重い!」

いま、会場の誰もが、悲痛な過去を忘れている。

「従来の法典の枠をも超えるこの重罪に対し、我々国民の良識は毅然とした罪人への処置を求めるものである」

公開処刑という空想のような出来事が現実となり、人々の前に大きく立ちはだかっている。

「特別高等人、法月将臣様のご提案により、特殊系の執行が申請され、受理された」

噂は絶えない。

夏咲は悪い。

いや、正しい。

正しいが馬鹿だった・・・。


「そして今、ここに至ったものである」

いずれにせよ、もう、どうにもならない。

「間もなく刑が執行される。それまで静粛に待機せよ」

前演出の役目を果たした警官がゆっくりと壇上を降りた。

波が一度引くかのように、人々は示し合わせたように閉口していった。

観客たちの緊張がまもなく最高潮を迎える。

 


「冗談じゃないって!」

民衆の群れを割って歩み出る少女がいた。

「嘘ばっかじゃん。何言ってんの? 今言ったの全部、あんたらが仕向けたことじゃん」

三ツ廣さちだった。我慢ならないといった顔で、どよめく人々をおしのけ、ついに処刑台の前までやって来た。

「何だ貴様!」
「何だはこっちのセリフだよ。
何だよこれ? 夏咲が何したっていうのよ」
「三ツ廣さちだな」
「そうだよ」
「わざわざしゃしゃり出てくるとはいい度胸だ」
「友達を助けに来たんだよ」

数人の警官が、さっとさちの周りを取り囲んだ。

じりじりと距離を詰め、腰から拳銃を抜いた。

「へぇー、これがギロチンかい? ぜひ家の庭に欲しいな」

いつの間にか、壇上に近づいている男がいた。

銃口が一斉に、磯野に向いた。

彼はそれでも、ひょうひょうとして語る。

「僕は爆薬を持っているんだよ?」

治安警察は法月将臣によって訓練されているから、この程度のはったりで、動揺するとは思えなかった。

ただ、磯野はもう少し時間を稼ぎたかった。

「爆薬は時限装置つきでね、僕の意志とは関係なく、ボムだよ、ボム」

磯野を無視して、治安警察はさちの腕を取った。

「いたたっ! ちょっと」

「貴様もだ」

磯野にも詰め寄ってくる。

「前髪には触るなよ」

「黙れ!」
「うぐっ! ・・・っく、ふふっ、ははっ」
「何がおかしい?」
「・・・ぬが」
「あん?」

「・・・犬がキャンキャン騒がしいなあ・・・」

ぞっとするような目つきだった。

狂人じみた言動で連座を免れ、学園寮の管理人を行方不明にした男の恐ろしさが、そこにあった。

彼は、この七年間、誰にも媚びず、従わず、ただひたすら、樋口健の帰りを待っていた。
準備だけは怠らなかった。
夏咲を救出するための作戦を立てたのも彼だった。

幕が下りたのはそんなときだった。

学園の屋上から大きな幕が垂れ下がった。

描かれた向日葵が、風に揺れながら、眼下に広がる町民たちを、堂々と威圧している。

町民たちは突然の出来事に仰天して、垂れ幕に注目した。

 

「おっ! 出た出た。へへっ、やったね」

ざわめきだった集団の中で、さちは大きく伸びをした。
我ながらいい出来だと誇らしげだった。

抜群のセンスと、精緻を極めた技巧によって描かれた向日葵の絵は、会場の誰もが息を呑み、暗闇のなか、まじまじと見つめてしまうような傑作だった。

作業に費やせた時間は、たったの二日だった。
その間、少女は一睡もせず、一心不乱に絵を描き続けた。

画面の大きさは、普段さちが描いているサイズの比ではなかった。

それでも、手を抜くわけにはいかなかった。

今日の朝、別室で絵を描いているさちのもとに、賢一がやってきた。

間に合うのか。
一時間しかない。
あと、一時間で作戦を開始しなければならない。

賢一は、心配そうにさちを見つめた。

さちは少しだけ悲しくなった。

まなを救えなかった自分を思い出したのだ。
絵筆をぎゅっと握り締め、さちは、弱い自分を奮起させて言った。

――あと、一時間もあるじゃん。


・・・

【みなさん、私の声が聞こえますか?】

よく見れば、垂れ幕の向こうに人影があった。

ずっとそこに立っていたにもかかわらず、民衆は声を発した人物に気づかなかった。

さちの絵は、それほど人々の目を奪ってやまなかったのだ。


「さちさん、今のうちだ」

 

法月将臣によって地獄の訓練を受けているはずの治安維持警察ですら唖然としてた。

その隙をついて、さちと磯野は人ごみに紛れた。

 

【皆さん聞いてください】

手にマイクを持っているようだった。
グラウンドのスピーカーから落ち着いた女性の声が響き渡る。

 

 

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【私は樋口三郎の娘、樋口璃々子です。現在では、極刑を負っている身です】

極刑。

樋口三郎。

静まりかえっていた処刑場は、にわかに混乱の様相を呈し始めた。

校庭にいる全ての人間が、顔をうつむかせ、視線を向日葵の絵に逃した。


極刑を負った人間を認識してはいけない。
姿を見ても、声を聞いても・・・。

【久しぶりに、弟と共に故郷へ帰ってきました。入り口の向日葵は相変わらず綺麗で誇らしい限りです】

けれど、この状況では女性の声を聞かざるをえない。

【私はこの七年間で、たくさんのものを見ました】

人々は、親や教師に教えられたとおりに、聞こえないふりをするしかなかった。

【私は極刑を受けた身だったので交流をもつことはできませんでしたが、様々な考え方の人を見ました。色々な事件に出くわしました。そして、そのたびに疑問が湧いてきました】

そのうちに特別高等人が出てきて、女性を連行するだろう。

【なぜだろう? どうしてだろう? 何度考えても、社会の下す決定に納得できない私がいました】

しかし、向日葵の絵を見つめれば見つめるほど、訴えるような女性の声が耳に入ってくる。

【皆さんは、どうでしょうか?】

その問いかけに応えられるものはいない。

【考えて欲しい。浮かんだ疑問をうやむやにしないで欲しい。思いを言葉に乗せて欲しい。言葉が発せられたなら、耳を傾けて欲しい。そう思い、今この場に立っています】

そんなとき、どこかで野太い声が上がった。

女性の声を完全に無視し、予定通り公開処刑を執り行う旨を告げる。

人々はどよめきながらも、治安警察に事態の収拾を期待し始めた。

【私の見てきたこと、聞いてきたことを話します。私は、きっと皆さんの心が、私の言葉に共感する部分があると信じています。なぜなら、私はこの町に来て弟と共に、偽らざる感情をたずさえた真っ直ぐな瞳を見たからです】

卑屈に出来上がった町民たちにとって、樋口三郎の娘は迷惑な存在に過ぎなかった。

三郎のせいで様々な血が流れたのだ。

にもかかわらず、またしても、自分たちに何かをさせようというのか。

【どうか皆さん、私の声に耳を傾けてください】

冗談ではない。
罪人の娘のたわごとに耳を貸せば、平穏だった日常が崩されてしまう。

向日葵の絵から目を逸らし、それぞれにすがるような眼差しを、壇上にいる警官に向けた。

 

「待って!」

口うるさい少女がいる。

必死に頭を下げているが、巻き込まれるのはごめんだった。

「待ってください。皆、聞いてください」

沈うつとした会場に向けて、樋口璃々子は言葉を発し続ける。

 

 


・・・。

・・・・・・。


グラウンドの反対側の警備は、それなりにきつかった。

けれど、お姉ちゃんの声が聞こえた瞬間に、チャンスが訪れた。

「はあっ・・・っ」

一階の窓を慎重に割って、おれは教室に足を踏み入れた。

「ふぅー、潜入は成功か?」

まだ、おれの存在は誰にも気づかれていないはずだ。

その動きと足並みをそろえなければ・・・。

おれは、教室の暗がりに身を潜め、じっと時を待った。

お姉ちゃんの声が、耳に入ってくる。

 

 

 

・・・
璃々子は、極刑を負った過去を振り返りながら、たんたんと口を開いていた。

【私はかつて、足を怪我した異民の少年を見ました。彼は道端に倒れて動けず、じっとしていました。そこに女の子がやって来ました。そこに女の子がやって来ました。彼女は少年を見るや、すぐに家から救急箱を持ってきて包帯を巻き、医者へ連れて行きました。その女の子は、医者から嫌味を言われ、両親に叱られました。助けた少年はお金に変わりました】

様々な事件に遭遇した。
その度に歯がゆい思いをしてきた。

話しかけることもできず、手を差し伸べることもできない。
鬱積した思いを吐露するように、言葉を続ける。

【恋人を暴漢から守ろうとした青年がいました。彼は感情のあまり、相手に重症を負わせてしまいました。暴漢はその後、特別高等人候補生の医師による医療ミスで死亡しましたが、死因は青年の殴打とされました。
正当防衛は立証されず、青年は子供を持てない義務を負いました。
助けられた女性は彼と結ばれるため、すでに妊娠していた子供を堕ろしました】

それは、この町で起こった出来事だった。
会場の誰かが反応してくれることを期待した。

【私はこれが、間違っていると思います】

璃々子は、次々と、誰もが間違っていると思う事件を告げていった。

【病気がちな老人がいました。医者から死期を宣告された家族は、看病のため仕事の休暇を申請しました。この経験は皆さんにもあるはずです。無論却下されました。若い日の社会貢献度が高い老人でない限り、余生を家族と過ごすことはできません。無駄な時間として処理されますから。しかし、余生を幸せに遅れるのは特別高等人をはじめとする国の役員だけです】

国家の罪を暴いていく。

歪んだ社会が、いつでも個人に責任を負わせようとするということを、切々と訴えていった。

 


・・・。

・・・・・・。

「ふぅ・・・」

音も立てずに背後から忍び寄り、警備の人間を、気絶させた。

「ここまではお姉ちゃんの情報どおりか」

この先、道路を曲がった先に地下への入り口があるはず。

「お姉ちゃんから聞いていた情報によれば、道路の警備は四人・・・。
作戦が上手くいってりゃあ、外の人出が不足して応援に回っていくはずだが」

忍び足で廊下を移動する。

――「・・・極刑を受けた人間が、二人もこの町に・・・?」

ぼそぼそと話し声が聞こえる。
廊下の先を覗いてみた。

・・・まだ四人、いやがるな。

となると、まだとっつぁんも動いていない可能性が高い。

外と足並みをそろえて進まなきゃ、夏咲にたどり着く前にとっつぁんとご対面だからな。


―――階段前の教室が、地下への扉にも近くて、待機に向いてるわ。

・・・って言ってたな。

おれは、ひとまず身を隠す場所を探した。

 

 


・・・
【全ての学問は哲学からはじまりました。それはすべて、豊かに生きるためのものです。いかに己の生をまっとうするかを考えないのであれば、絵を描くことも料理をつくることも、人を愛することもすべて無意味です】

寒空の下、会場は、にわかに雑然とした気配を帯び始めていた。

何人かが、向日葵の絵を見るふりをして、屋上の人物に視線を注いでいる。

もちろん、治安警察の目が恐ろしいので、うつむいている者も大勢いた。

【我々は無意味なことに耐えて生きることはできません。無意味なこと、例えば、穴を掘って、その穴をまた自ら埋める。それがあなたの仕事だと、そう言われたらきっとみなさんは生きる力を失うでしょう】

人々の反応は様々だった。

早く終わらせて欲しいと不機嫌にぼやく者がいれば、思いつめたように唇をかみ締める者もいた。

【みなさんはどうお思いですか? 日々のみなさんの営みに、意味を見出せていませすか? 意味をつくらされていませんか? 気づかないうちに、穴を掘らされていないでしょうか? その穴を埋める毎日に満足させられていませんか?】

無意味なこととはなんだろうと、誰かが考えた。
それは、まさしく、いま、この状況ではないのか。
公開処刑などという野蛮な行為につき合わされている自分たちに何の意味があるのだろうか。

【この町は、内乱の時に一度焼かれ、皆さんの親族の方々にも多くの犠牲者が出たと聞いています。皆さんのご両親、あるいは祖父母の方々は、なぜ私の父、樋口三郎に協力してくれたのでしょうか?】

なぜと問われても、わからない。
ただ、樋口三郎は熱狂的な支持を受けていた。

それだけに、熱が冷めると非難の的になった。

町民たちは、目に見えない何かに流されるように、深い理由もなく三郎を賞賛し、また、根拠なく中傷してしまっていた。

【この町には多くの義務を負った人々が滞在しています。みなさんはご存知でしょうか? 彼らの多くは、内乱のずっと前から、我々の祖先が負っていた義務を継承させられた人達です。鉱山発掘の義務が形を変え、義務を負っている理由が捏造されました。ほんの、数十年前の話です】

突然の暴露に、会場に集まった数十名の被更生人が、一斉にざわめいた。

彼らの多くは、生まれたときから不当な義務を負わされていた。

無償で土木工事を請け負ったり、普通の人々よりも長い時間、兵役についたりしなければならなかった。


「僕でも知らないことだ! さすが姉上!」

雑然とし始めた集団のなかから、タイミングを見計らったような、煽り声が上がった。

治安警察が動いた。

扇動者を放っておいては、事態が大きくなる。

マニュアル通りに、機敏な動きで数名の警官が人々の群れに割って入った。

どけ、どけ、と乱暴に人の体をかき分ける。

それが大きな暴動につながる火種となることを、扇動者は知っていた。

【みなさんはご先祖様に対してどうお考えでしょうか? 余計なことをしてくれたもんだ、とお思いでしょうか? なぜこんな身に生まれたのかと、そうお嘆きでしょうか?】

被更生人たちは、それぞれに胸を痛めた。
原因は親にあるのだと教えられて育っていた
連座なのだから仕方がないのだと、罪を背負うのが当然のように意識づけられていた。

【私はそういった経緯と同様に連座制によって極刑を負いましたが、父を恨んだことも、生まれたこの身を呪ったこともありません】

女性の言葉が、真実かどうかはわからない。

ただ、樋口三郎の娘であれば、あるいは、この町の誰もが知らない情報を持っているのかもしれない。

彼らは、また深い理由もなく、降って湧いた社会悪が真実であることを期待した。

【私は父の言葉を直接耳にする機会が何度かありましたが、みなさんはご親族のお言葉を直接聞くことができず、別れ別れになってしまったと思います】

スピーカーから流れる声は、たんたんとしていながらも、奥底に力強い感情を隠しているようでいて、人々は、ある種の切迫感を覚えていた。

【ですが、先の内乱で倒れられた方、あるいは捕らえられてしまった方々の言葉は、最前線にて戦っていた父の元に手紙として届けられており、それを故郷に戻って伝えるよう、私に託されました】

璃々子の発言は巧みだった。
今度は、被更生人に対してだけでなく、会場にいる全員に関係のある内容だった。

【父から私へ預けられた手紙の数々は、私が極刑を負う際に没収されてしまいましたが、私はその手紙の内容をほとんど覚えています。忘れることなどできなかったのです】

すでに、人々は聴衆となりかけていた。

声が耳に入ってくるのではなく、声に耳を傾けていた。
失った家族の話を聞けるのかもしれない・・・そう考えるものが大半を占め、挙動の落ち着かない者が次々と現れた。

【今、ようやく、私の父とみなさんのご親族の間で交わされたやりとりをお伝えできます。どうか聞いてください。みなさんへの遺言です】

そのとき、ささいな衝突がった。
磯野を探すために群れをかき分けていた警官が、璃々子の声に、熱心に耳を傾けていた老婆を押し倒したのだ。


――処刑場に渦巻いていた熱気に、火がついた瞬間だった。

 

 


・・・。

・・・・・・。

外が騒がしくなっている。

おれはその場でじっとしながら、時機が来るのを待っていた。

「あっ! お疲れ様です!」
「報告しろ」
「異常ありません!」
「屋上へ向かう」

よし。

ついに、法月が地下扉の前から、姿を消す。

「ただ・・・どこぞにねずみを潜んでいるやもしれんな」

息を潜めて、法月がおれを発見してくれないことを祈った。

「たとえば、この扉に近い教室の中など・・・」


・・・お姉ちゃん!


「・・・森田は、いないか」


――階段前の教室が、地下への扉にも近くて、待機に向いてるわ。


・・・さすがは、お姉ちゃん。


――だから、絶対にそこで待機しちゃダメよ。


おれは、窓の外に一度身を潜めていたのだ。

「確認しておく。ここに、森田が現れた場合、お前たちの役割は?」
「時間をかせぐことです!」
「よろしい」

行った、か?


コツコツと杖の音が遠ざかっていく。

・・・行くなら、今しかない!

 

 

 

・・・

「みな静粛にせよ!」

つい先ほどまで、壇上で声高に演説をしていた警官は、ただの道化に成り下がっていた。

壇上に日向夏咲を連行してこられる状況ではない。

処刑場の状況は一変した。

制服を着た大男につかみかかる若者がいた。

声高らかに、国家を批判する女性がいる。

すぐにでも雰囲気に呑まれてしまいそうだった。

全ては、樋口三郎の娘のせいだった。

【お伝えします】

悲鳴と怒号が織り成す重層音のなか、璃々子が、町民の家族を告白していたのだ。

【三郎さんの元へ行く私を許して欲しい。私はこのまま命を落とす可能性もあるが、それでも未来のため、お前と、まだお腹の中にいる子が幸せに生きていける社会をつくるために、私は行くことを決意した】

人々は、名前を呼ばれるたびに、胸の奥をかき乱れる思いだった。
去っていった父や、兄、弟たちは、樋口三郎に満足していたのだ。

【ここに至って考えるのは、ただお前と子供の幸せだけだ。もうすぐ冬だから、風邪をひかないようにね。無事に子供を産んで欲しい。それでは、行ってきます】

亡くなった大切な人たちは、自分で決めて、戦場へ向かった。
引き止めても無駄だったのだ。
そんな彼らを、すがすがしい顔で送り出してやったことを、聴衆は忘れていた。

夏咲の担任を務めていた経歴のある教師も、逝ってしまった当時の恋人を思い出していた。
恋人は勇敢な男だった。
自分も、彼のように、正しく生きたいと思っていた。

「耳をふさぐなんてできるはずがないでしょう!」

ぼんやりとしていると、同僚の大音京子が間近で腕を上げていた。

固く握られた拳を見て、女教師は、なぜだか惨めな気持ちになっていた。

自分は、いつだって正しい。
大音京子よりも優秀な教員として学園や教育委員会から認められている。
では、どうして、自分は腕を組んで黙っているのだろうか。
足を震わせて、顔をうつむかせているのだろうか。

京子のそばに、一人の警官がいた。
手に持った警棒を京子につきつけながら、怒鳴り声を上げている。

京子は決してひるまなかった。
女教師は、それが不思議だった。

最近の京子は、抽象的で観念的な話題を避けるようになった。
夏休みが始まる前までは、よく二人で、盛り上がっていたというのに。

警官が警棒を振り上げ、次の瞬間には京子の肩を打ち据えた。

女教師は、知らぬ顔で腕を組んでいる。
頭の中の立派な知識で、あの角度で殴られれば骨が折れたかもしれない、などと、無意味な分析を始めた。

京子に、もう一度警棒が迫っていた。

女教師は、京子について考える。
近頃は娘とも仲がいいようだ。
よく笑顔を見せながら、暇があれば料理や家計の本ばかり読んでいる。
学生からの評判も自分とは比べようもなく高い。

そんな京子が羨ましかったのだろう。
目が合ってしまった。

女教師の腕が伸びた。

京子の肩をつかみ、振り下ろされた警棒からかばった。
気づいたときには、後頭部から痛みでぐらついていた。

京子が自分の名前を叫んでいる。

意識はむしろはっきりしていた。
高尚な哲学も、社会に対する口だけの批判も忘れていた。
馬鹿な行動に及んだものだ。
彼女は、どういうわけか、ささやかな満足感を覚えていた。

【お母さんへ。寒くなってきましたが、お体は大丈夫ですか?娘は元気でいるでしょうか? 元気が良すぎて転んだり、怪我などしていないか心配です】

璃々子は、とある少女の名前を叫んだ。

それまで足元に視線を落としていた少女は、弾かれるように向日葵の絵を見上げた。

向日葵は、どこかしら日向夏咲を思い出させて、気に入らなかった。
だが、目は逸らせなかった。
父親に話しかけられているような気がして、落ち着かない。

【もうすぐ娘の誕生日なので洋服を買ってあげたいのですが、都会の町は戒厳令がしかれていて出歩くこともできません。でも、それももうすぐとかれるでしょう。お母さんたちが安心して暮らせるようになるまで、私はこちらでがんばります】

だから、なんだというのか。
父親は帰ってこなかったのだ。
安心して暮らせるような社会にはならなかったのだ。
誕生日祝いの洋服など欲しくはない。

少女は周りを見渡した。
馬鹿ばかりだった。
親族の安っぽい遺言に呑まれ、興奮している。
感動のあまり涙を流すものすらいた。
そもそも、全ては屋上の女の巧妙な嘘かもしれないというのに。

負の感情を沸々とさせながら、少女は口元を歪めた。
今、会場のほとんどの人間が、公開処刑を批判している。
根拠のない義憤に駆られて、日向夏咲を助けろと叫んでいる。

けれど、自分は違う。
幼い頃、クラスメイトの誰もが日向夏咲を支持したが、自分だけは雰囲気に流されなかった。
あたしは頭がいいのだ・・・そう思うのだが、身体の震えが止まらなかった。

目の前に踏み荒らされたグラウンドの地面があった。
土の匂いがする。
かっこうのいい笑みを浮かべようと唇を曲げるのだが、どうにも上手くいかない。
舌の上にしょっぱい味が広がり、喉を下っていく。
寂しくて仕方がなかった。

父親に会いたかった。
けれど、大嫌いな日向夏咲に謝るまでは、大好きなお父さんに会えないような気がして、大混乱に陥った夜の校庭のなか、少女はいつまでもすすり泣いていた。


「貴様ら!」

校舎のなかから、ぞろぞろと警官が現れた。
法月将臣により、発砲許可は出ていなかった。

彼らは、無茶な指示を受けている。
冷酷なる上官である法月は、いったい何を考えているのか。
処刑場に暴動が起こったとしても、極力、死傷者をださぬように命じられていたのだ。

おかしな命令は、他にもあった。

万が一、法月将臣が倒れた場合、厳戒態勢を敷いて、森田賢一とその仲間たちを決して町の外に逃さぬこと。

そのリスク管理は、まるで公開処刑の失敗を予測しているようでいて、治安警察の士気を著しく下げた。

やむ得ず発砲を控え、群がる民衆を取り押さえようとするが、人数の差で、圧倒的に不利だった。

町民は、すでに暴徒と化していて、武装を制限されていては抑えられそうになかった。

 

磯野は不気味に笑う。

 

「このうねりはもう止められない。抗うことなどできない。あんたらのボスが言う、社会のうねりってやつだろ」

 

【私が見た、内乱で政府に意見を申し立てた人々は、みんな家族の幸せを考えていました】

「おかしいことなんてないわ」

【みなさんに生きて欲しいと、私は思います。望んだのは、生きる幸せを得ることなのです。決して生かされることではないのです】

そうだ、そうだと口々に民衆が叫ぶ。

公開処刑など誰も望んではいない。
疑問に思いながら、従わざるを得ないのが現実だと思っていたのだ。

【この町の向日葵は我々と共に、何度も、何度も踏み潰されました】

屋上から垂れ下がった向日葵に見下されながら、町民たちは、過去を振り返った。

人々は、ただ許せなかったのだ。
治安警察という国家権力に刃向かうことが、彼らにとって何を意味するのかわからないわけではない。
それでも、町を焼かれ。家族を奪われたという事実を容認できなかった。
公開処刑という無法を阻止することが、せめてもの正義であるように思えてならなかった。

【それでも、また生命が大地に根付きます】

璃々子は、父親の三郎のことを想った。

まともに葬ってやることもできなくて、申し訳なかった。
けれど、璃々子が言葉を発するたびに会場の熱意とうねりが激しさを増していくように感じられて、胸が締め付けられた。

 

――お父さん、見える? あなたの意志の種は、残っていたのよ。


【たとえ何度踏み潰されようとも、向日葵はまた、太陽へ向かって花を咲かせるのです】

 

――「ならばもう一度踏み潰せばよい」――

 

突如、屋上に姿を見せた男がいる。

マイクを握る女に、背後から音もなく近づくと、銃口を向けた。

「樋口璃々子。私が直接お前を黙らせねば愚か者どもは、静まらんようだな

法月将臣である。

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

「・・・っ」

もうあんまり時間がねえかも。

「とはいえ、ここまでは予定通りか」

四人を気絶させるってのは中々骨だぜ。

「とっつぁんは屋上まで行ったかな? ふうっ」

いまのうちに夏咲を連れ出さなければ。

おれは呼吸を整えて、扉を直視する。

「えっと、これか?」

磯野が偽造したおれの候補生カード。

「頼むぜ」

カードを通す。

「おっ!」

あっさりと鍵は解除された。

「・・・でかした、磯野。そして、親父・・・」

おれは軽口を叩いて奥へと進む。
地下へと通じる、学園には場違いな石造りの通路。

「こんなものをわざわざ夏休みの間につくるとは」

相当にイカれてるとしか思えねえな。

「もうすぐ行くよ、なっちゃん

おれはその通路を下っていった。

 

 

・・・それにしても、お姉ちゃんは無事だろうか。

法月は、お姉ちゃんを止めるために屋上へ向かったはず。

上手く、やりすごしてくれればいいが・・・。


・・・・・・。

・・・。

 

 


・・・
満点の星空。

民衆と治安維持警察が衝突し、その熱気が屋上まで伝わってくる。

少女は、法月将臣に背後から呼びかけられた恐怖で、足が震えそうになった。

けれど、自分が役目を果たせたことを知って、誇らしい気持ちでもあった。

「本当に屋上まで上ってきちゃった」

ゆっくりと振り返る。

「むっ?」

 

 

 

 

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「璃々子さん、そっくりでしょ?」

少しでも法月をひきつけておきたい。
全員の反対を押し切って、灯花は、時間稼ぎを申し出た。

「ほう・・・樋口璃々子は、下の放送室か」

公開処刑が始まる前に、学園に忍び込んだ灯花は、垂れ幕を持って、屋上へ向かった。
璃々子の服を着た灯花は、極刑を受けた人間のように見えて、治安警察に発見されたとしても、呼び止められることはなかった。

賢一は、灯花の提案に憤慨した。
確かに、法月を一度屋上に誘い出せば、その分だけ、賢一が夏咲を助けられる時間が増える。
けれど、それは、危険極まりない役割だった。
極刑の証を身につけるという大罪を犯し、一人で屋上にたたずむ。

事実、法月将臣を前にして、誰も灯花を助けに来られる状況ではない。

ただ、灯花は譲らなかった。
寂しい思いも少なからずある。
賢一の周りで、灯花だけが内乱の重みを知らない。

だから灯花は考えた。
絵が描けるさちの横で、頭のいい磯野の後ろで、考えて、考えて、考え抜いた。

平凡な自分にできることを。

日常生活のささいな決断にも戸惑うほど、歩みの遅い灯花が、仲間のためにできることを、必死で模索した。

そうして、最後まで折れなかった賢一に向かって、灯花は、やはり、優しい笑顔を向けるのだった。


――私が、自分で決めたことだから・・・。


「わ、私を捕まえても、この場はおさまらないんだからね」

言いながら、じりじりと屋上の縁へ向かって後ずさった。
屋上の柵に結びつけておいたロープを使って、下の階まで逃げなければならない。


法月は、突如、灯花に向けていた拳銃を下ろした。

「概ね予定通りか」

あっさりと、屋上から姿を消した。

「あ、あれ、あれれ?」

灯花は拍子抜けした思いで、その場に立ち尽くした。

胸に、一抹の不安がよぎる。

ひょっとしたら、法月は璃々子を止めにいくのではなく、地下牢に向かったのかもしれない。

少しでも、賢一の役に立ちたかった。

【手紙の続きをお伝えします・・・】

校庭では、民衆たちを奮起させるような声が漏れ続けていた。

 

 

 


・・・
牢獄の前、鉄製の扉の前まで来た。

「お疲れ様です」
「ご苦労さん」

「え? な?」

一瞬の戸惑いの隙に素早く背後を取る。

「お前で最後だな」

後ろから頸動脈を締め上げ、気絶させた。

「よしっと・・・」

おれは素早く警備員の懐を探る。

「よーしよし、あったあった。
これをとっつぁんが持ってる場合はどうしようかと思ったぜ」

・・・それにしても、上手くことが運びすぎているような気もするな。

暴動がおきているはずのグラウンドから、発砲音が一切聞こえないのも不自然だ。

まさか、全てがとっつぁんの罠なのか。

・・・いや、考えすぎだ。

おれは法月を越えられるはずだ。

「いま開けてあげるね」

大きな南京錠に鍵を差し込む。

 

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「え? ど、どうして?」

夏咲は夢でも見てるような顔をした。

「やあ、なっちゃん。お待たせ」

「け、ケンちゃん・・・?」
「詳しく話してる時間はないんだ。
さっ、行こう、なっちゃん
「ああ・・・ど、どうしてっ!?」
「ん? 何? 髭の剃り残しでもある?」
「ケンちゃん、ケンちゃん」

夏咲はおれに抱きついてきた。

「ケンちゃん、ううっ、ケンちゃん」
なっちゃん

・・・一瞬すべてを忘れそうになった。

マジで時間はねえからな。

なっちゃん、とにかく急ごう!」
「ケンちゃん。え? どう、するの?」
「まずはここを出るんだ。とにかく無事にここを出て、全てはそれからだ」
「そ、そうか。そうだね、ゴメンね」
「よし、じゃあこっちだ」

おれは夏咲の手を引いて、やって来た通路を引き返した。

 

「転ばないように気をつけて」
「うん、大丈夫」

この先までが一本道だ。

上に法月がいたらまずいが。

「大丈夫だよね、お姉ちゃん?」
「え?」

おれはそう信じて、通路を上がっていった。

 

・・・
「よしっ!」

誰もいない!

警備の連中もまだ気絶している。

なっちゃん、こっちだ」
「うんっ!」

夏咲の手を引いて廊下を走る。

なっちゃんは走るの早かったよね?」
「ええ、大丈夫だと思う」
「この廊下の先を曲がって、その先の教室まで行けば磯野が待機してるはず。そこまで走るよ」

多少警戒しながらも、一気に廊下を駆け抜ける。

窓の外では、お姉ちゃんの声が止んでいた。


・・・
無事に教室までたどり着いた。

「おおっ! 作戦通り」

教室の窓の向こうに磯野がいた。

 

「この窓から出ろ! 急げ!」

窓の向こうで磯野が叫んでいる。

「よし、ここまで来れば・・・」
「法月は屋上までおびき出したが、もうこっちへ向かってる。もたもたするな」

・・・わかっている。

 

なっちゃん、先に逃げて」
「え? ケンちゃんは?」
「早く!」
「で・・・でもっ・・・!」
「心配いらないよ」

夏咲の手のひらをそっと握る。

 

 

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「・・・信じてるねっ!」

「よし、夏咲ちゃんのことは任せろ」
「ああ、おれのことは心配するな」

磯野は、キャラに似合わず、珍しく安心しきったような笑みを浮かべると、

「・・・・・・」

夏咲を連れて、外の群衆に紛れていった。

おれは、最後の壁に挑まなければ。

このまま逃げるわけにはいかない。

灯花やお姉ちゃんの安全を確認していないし、なにより町のみんなを巻き込んでしまっている。

協力してくれた彼らのためにも・・・。

「・・・早かったな」

背後に向けて言った。

お姉ちゃんを止めずに、真っ直ぐにおれを捕まえに来たか。

「私を越えられれば一件落着、というわけか」

振り向くと、拳銃の安全装置が外される音がした。

 

 

 

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銃口はすぐ目の前にあった。

「樋口三郎の真似事か?」
「似た様なものかな」
「これは、国家に対する反逆だ」
「あんたを倒せば、おれたちの勝ちだ」
「お前を倒せば、外の暴動など簡単に鎮圧できる」
「できるかな?」
「慢心は、失敗を招くぞ?」

慢心じゃない。

武装は、ナイフだけか?」
「拳銃は音が出るんでね。ほとんどパンチとキックだけで、あんたの私兵をなぎ倒してきたわけだ」

それは、法月が相手でも同じ。

格闘に持ち込むことができれば、必ずおれが勝つ。

「お前は、今、こう思っている。

眉間に突きつけられた拳銃さえなんとかできれば、私を倒せると」
「ご名答。用心した方がいいぜ?」
「だが、私は、今すぐに引き金を引かない。なぜだかわかるか?」
「ここまで手塩にかけて育ててきたおれを、殺すのはもったいないからだろ?」
「その通り。貴様がこの状況をどう打破するのか、見てみたいのだ」
「慢心は、失敗を招くぜ?」

映画じゃないんだから、とっとと撃ってくればいいものを。

法月が銃口の向こうでおれを見据えている。

「質問しよう」
「どうぞ」
「私は常に、お前の先手を取って、いつでもお前を罠にはめることができた。なぜだかわかるか?」
「あなたが、常におれの考えを読んでいたからだ」
「どうして、そう思うのだ?」
「さあ・・・やっぱり、盗聴器のおかげですかね?」
「手品というものは、種がわかると腹立たしいものだろう?」
「ああ、おれは間抜けな観客だったわけだ」
「私は、恐ろしい。そういった固定概念が、お前に根付いていたから、お前は簡単に騙されたのだ」
「へえ・・・固定概念、ね」

そう、法月も、おれと同じ人間なのだ。

演出によって、圧倒的な存在感を見せつけているだけ・・・。

「それにしても、まったく隙を見せませんね」
「お前も、不用意に動いたりしないのはさすがだ」

・・・しかし、らちが明かないな。

「約束してもらえませんか? 弟子の最後のお願いです」
「聞こう」
「おれが、もし、負けても、みんなや町の人たちは許してやってほしい」
「それは、敗北宣言か?」
「そう受け取ってもらってもかまわないが、とにかくお願いしたい」
「町民は罪には問わん。公開処刑は、本来が非公式の行事であったため、我々としても、あまりことを荒げたくはない」
「どうもありがとうございます。
で・・・おれの仲間たちは?」

すると、法月は薄く笑った。

「もう一度、公開処刑を行う。そのときは、断頭台が五つ必要だな」

その声に、おれの中の何かが弾けた。

「・・・ずだ」
「・・・言ったはずだ、か?」

わかってるじゃねえか。

車輪の下にいる人々を、知ったほうがいいって。

そういう、おれの仲間たちに手を出したら、あんたを殺すって。

 

「覚えておいたほうがいいってな!」

 

叫び声と同時には、しかけなかった―――

なぜなら!


「健!」

さきほどから、教室の入り口でちらちらと姿を見せていた、お姉ちゃんと灯花が、法月の背後で、隙を作ってくれるのを待っていたからだ。

その誤差が、法月をして引き金を引くタイミングをワンテンポ遅らせた。

法月の黒目が右斜め後ろに移動した、まばたきほどの一瞬で、勝負は決した。

腕をつかみ、拳銃を払い落とした。

「・・・・・・っ!?」

関節技に持ち込まれるのを回避するべく、拳銃を拾おうとするより先におれの腕を振り解いたのはさすがというしかない。

だが・・・!

 

 

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一歩後退した法月。

足のバランスが悪いのだろう・・・左によろめく姿勢となった。

すでに腰からナイフを抜いていた。

法月に向かって一足飛びに迫る。

もちろん、いつかのときのように無防備な左側面から――!


え・・・!?

「あ・・・ぐっ・・・!」

左のわき腹に衝撃が湧きあがって、気づいたときには視界が明滅していた。

完全な、不意打ち。

誰からおれの名前を必死に叫んでいるが、思考が混乱していて上手く状況がつかめない。

「な、なんで・・・な、なぜ・・・!?」

急所を正確に狙った、致命的な一撃だった。

膝の力が一気に抜けて、肩が震え、吐息に嗚咽が混じる。

「う、ごっ・・・あ、ありえ、ない・・・」

考えられない。

あの間合いでは。

たった一つ、嫌な予感すら走らなかったある可能性を除いて。

 

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「固定概念だな、森田」

法月将臣は、片足だけで床に立っていた。

負傷しているはずの左足が、堂々と全身を支えている。

いつも法月の歩行を支えている杖は、その手にない。

左によろめいて見えたのは、必殺の回し蹴りを放つためだったのだ。

「じょ、冗談だろ・・・ぐっ・・・」
「・・・・・・」
「な、七年だぞ・・・?」
「樋口璃々子も、七年間、孤独に耐えた。ありえないことなど、世の中にはたくさんある」

ふと見れば、おれを助けに来てくれたはずのお姉ちゃんが、いつの間にか床に倒れていた。

「私は、足が悪い。お前はずっとそう思っていた。
だから、最後の最後で詰めを誤ったのだ」
「あぅっ・・・ぐ、あ・・・」

身体が、動かない。

「もう一度質問する」
「・・・っ?」
「私は常に、お前の先手を取って、いつでもお前を罠にはめることができた。なぜだかわかるか?」
「・・・お、おれの考えを、読んで、いたんじゃ・・・っ・・・?」
「森田の思考など、他人の私にわかるはずがなかろう?」
「ぇ・・・?」
「よく、我々のように人の上に立つ人間は、下の者に向かって、お前の思考は手に取るようにわかると言うが、実際はそんなことはない。
我々は、他人の思考を予測しているのではなく、思考を指定しているのだ」
「し、指定・・・?」

目が、かすんできた。

「森田たちがどんな作戦を立て、日向夏咲を救出しようとするのか、それは予測し難いものだった。
だが、必ず最後には私の弱点を突いてくると確信していた。
不自由な足を狙い、攻撃をしかけてくると思ったのだ。
私は、唯一、それだけに備えていた」
「は、はは・・・」

もはや、笑うしかない。

「お前はただ、私の指定した檻に、誘われたに過ぎない」

この化け物は、七年もおれを騙し続けていたのだ。

お姉ちゃんは、動かない。

おれも、動けない。

動かなければならないのに、意識は薄れていく。

「お前の、負けだな」

法月の問いに、うなずくかのように、おれのあごが下がっていく。

負け・・・?

負けとは、つまり・・・?

 

・・・おれは、誰も救えないまま、瞳を閉じてしまった。

七年前とは違い、罪の意識が心に根付く暇もなかった。

大切な仲間たちを、想う余裕も無かった。


・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

なにもかもがカビ臭い。

「・・・ぐっ・・・!」

目の奥で火花が散るような痛みがあった。

ふらりふらりと、視界が右へ左へと揺れる。

「・・・ちゃん・・・」

誰かが、おれを呼んでいる。

「けんいちぃ・・・」

どういうわけか、右の手首がひきつって痛んだ。

それに呼応するかのように、背筋にも痛みが走る。

ひんやりとた感触が尻にある。

全身に漂う気だるさに、足の筋を思いっきり伸ばそうとしたときだった。

「・・・っ!?」

 

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「健、起きた!?」
「賢一っ!」

「こ、ここは・・・」

四人の心配そうな顔の向こうに、薄気味悪い牢獄の風景があった。

何気なく手を伸ばすと、鉄製の音がして、腕は不自由な角度に曲がり、動きを止められてしまう。

呆然と、腕を見やると、手首の先に黒い鉄の輪がはめられていて、つながれた鎖が背後の壁にまで伸びている。

両腕とも、拘束されていた。

「ケンちゃん・・・だいじょうぶ・・・?」
「ああ、なっちゃん、また会えてうれしいよ」

一同を見回す。

「つながれているのは、おれだけか?」

「ごめん、どうやっても、素手じゃ、その鎖をはずせなかったんだよ」

爪の先が血で少し赤く滲んでいた。

「おいおい、その指は、そんなことに使うもんじゃないだろう?」

 

「・・・けんいちぃ・・・どこか、痛いとこない?」
「お前は?」
「へいきだよっ」

無理に笑う。

 

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「ここに入れられて、丸一日がたったわ・・・」

お姉ちゃんは、冷静に状況を説明してくれる。

「健が倒れたあと、私たちは順を追うように、法月に捕らえられたの。
外の暴動もあっさり収まって、主だった人たちは拘束されたようね」
「磯野や京子さんは?」
「お、お母さんは、私と一緒に捕まって、どこか別のところへ連れて行かれたの」
「磯野くんは、見てないよ。無事だといいけど・・・」

あいつは、なんとか逃げ切ってくれたのかもしれない。

「・・・そうか」

・・・つまり、おれは失敗したのだ。

最後の最後で、おれは詰めを誤った。

「でもっ、みんなまだ生きていてくれて、よかったです」

こんな状況下でも、夏咲だけは、希望を捨てていないようだった。

「・・・っ!?」

誰かが、牢獄に向かってきている。

嫌な音を立てながら扉が開き、湿気混じりの風が吹くと、法月将臣が顔をのぞかせた。

女性四人の前では余裕なのだろう、お供の警官も連れずに、一人で堂々と中に入ってくる。

足の動きに不自然さはなかった。

 

 

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「やあ、とっつぁん・・・ここはどこだい?
出してくれないか? ていうか、その杖はなんだ? 必要ないだろう?」
「威勢がいいのは、内心では恐れている証拠だな」

「・・・っ」

お姉ちゃんがじりじりと、法月に詰め寄っていた。

「よせ、お姉ちゃん!」

けれど、おれの警告は遅かった。

「ぐっ・・・!」

法月将臣は、手に持った杖で容赦なくお姉ちゃんの足を殴りつけた。

「・・・・・・」

殺意を持って、にらみつける。

「女を殴るなど、人間のすることではないか?」

「あぅ・・・ぐぅ・・・!」

床に丸まって、足を押さえるお姉ちゃん。

「だが、そういった決まり文句こそ、貴様らの大嫌いな社会が決めた固定概念ではないのか?」
「・・・都合がいいとでもいいたいのか?」

そんなとき、夏咲がお姉ちゃんをかばうように、法月の前に立った。

「やめてください!」

「そうだ、やめてよ!」
「・・・っ!」

夏咲に呼応するかのように、二人が法月をにらみつける。

「暴力振るうヤツは最低だよ! そこに理屈なんかないんだよ!」
「自分がやられて痛いことをどうして人にするの!?」

「そういうことで、わたしたちは、あなたのいいなりになりませんよ?」


口々に、あの法月を責める。

対面するだけで、怯えていたというのに・・・。

「実に、かっこうがいい」

さらっと、馬鹿にしたように言う。

「いまはいいな。いまは。かっこうつけることができる。
お前ら三人は痛くないのだから。お前らは殴られていないのだから」

そうして、法月は杖を振り上げ、

「あうっ・・・!!!」

あろうことか、またお姉ちゃんの横腹めがけて振り下ろしたのだ。

「・・・っ!」

自分たちが殴られると思っていた三人は、息を詰め、その場に立ち尽くした。

「私がなぜ暴力を振るうのか、それは、人間が身体という器に支配されているからだ。
どんな崇高な人間でも、殴られた瞬間には、脳を『痛み』だけに支配されるのだ。
三ツ廣もぼやいていたではないか? 体調が悪くて絵が描けないのだと」

「・・・っ!」

「大音も、お腹が痛くて機嫌が悪いと、森田に文句を言っていたではないか?」

「あ、あれは・・・!」

「日向など、髪をつかんでやれば、すぐ屈服する」

「・・・・・・」

「そうして、樋口璃々子だが・・・」

法月はお姉ちゃんを見下ろす。

「この七年間、私が最低限の生活の世話をしていた。
一日に一度は食事を与え、季節の変わり目には衣類も用意してやった。そうだな?」

「・・・くぅ・・・」

「何度も風邪をこじらせていた。身体の弱い女だ。
だから、殴りつければすぐに黙る。七年も孤独に耐え切った人間が、殴られただけで黙る。これが、現実なのだ。そうだな、樋口璃々子?」

「・・・っ」


お姉ちゃんは痛みに耐えるように、お腹を押さえ続けている。

「・・・で・・・」

床に顔を伏せながら、あえぐように言った。

「・・・なんだ?」

直後、お姉ちゃんは面を上げた。

「・・・なめないでっ、って言ったのよ!」

けれど、法月はお姉ちゃんの反抗を読んでいたようだ。

「実に、かっこうがいい。
だが、それもいまだけのこと。みんなの前でもあるし、にっくき私も目の前にいる。

まだまだ身体にも余裕がある」

背を向けた。

「弱さという種に、暴力という水をじっくりと撒いて、慎重に、花を愛でるように、時間をかけてゆっくりと、貴様らを更生させてやる」

去り際、法月はおれを見据えた。

「・・・・・・」

法月は、なんとしてもおれを屈服させたいらしい。

なっちゃん、お姉ちゃんを見てやってくれ・・・」

そうして、冷たく薄暗い牢獄での生活が始まった。

 

 

・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

 

法月が出て行ってから、二日ほど経過した。

牢獄内に光は差し込まないが、おおよそどれくらいの時間がたっているのかは、体内時計が教えてくれる。

おれたちは、身を寄せ合って眠り、暗闇に耐えていた。

「・・・お姉ちゃん、もうだいじょうぶ?」
「健こそ、ずっと座ってて痔にならない?」


「璃々子さん・・・まだはしゃいだらダメですよ?」

お姉ちゃんは、昨日一日、つらそうに吐いていた。

「うーん、抜け穴はないみたいだねーっ」
「お前の観察眼を持ってしてもダメか?」
「風が通ってるとか、ちょっと石壁のもろそうな部分とか、そういうの期待してたんでしょ?」
「そうそう、ほら、SF小説の脱獄モノでさ、トンネルを掘って逃げ出したりするじゃないか?」

「あと、あれだよね? 出された食事で鉄格子を溶かしていくんだよね?」」

・・・溶かせそうな鉄格子なんてないけどな。

「おーいっ! 腹減ったぞーっ!」

さちが元気いっぱいに鉄の扉を蹴飛ばしている。

おれたちは、丸二日間、水しか与えられていない。

おれたちの腹を減らす・・・法月は、おれたちの身体を攻めてくる。

 

 

 

・・・っ!

「うわっ、いきなり現れないでよっ!」
「・・・ほう、元気がいいのは三ツ廣だけか」

「おいおい、ダンスでも踊ってやろうか? この手枷を外してくれたらな」
「じゃあ、わたしがダンスの相手を」
「わ、私も踊れるよ? 私と踊ろうよ」
「・・・フフ」

「なるほど、この中で一番弱い人間は、やはり森田だな」
「・・・なんだと?」
「クスリを絶って、もうどれくらいになる?」

・・・そういうことか。

法月は、おれの前まで歩み寄ってきた。

「五年だ」
「なにが?」
「私と、樋口三郎が、ここにいた期間だ」


「えっ・・・!?」
「ご、五年って・・・!」
「そんなに長い間閉じ込められてたっての?」

おいおい、それってつまり・・・。

「そう。三郎も、あきらめたのだ。革命家に憧れ、社会変革を熱望していた青年も、一度はここで屈したのだ」
「・・・あんたもか? あんたも、あきらめたクチなのか?」

すると、法月はおれの問いかけを否定するでも肯定するでもなく首を振った。

「森田は、もっと早くあきらめる。麻薬のせいで、身体が言うことを聞かなくなるからだ」
「麻薬の使用を黙認していたのは、ひょっとして、こんなときのためかい?」
「それ以外に、どうして特別高等人が犯罪を容認する理由があるというのだ?」
「はは、参ったね・・・最高だよ・・それは知らんかった」

一瞬だが、背筋がぞっとした。

五年か・・・。

「では、また様子を見に来るとしよう」

「ちょっとちょっと、臭いメシくらい出しなさいよ!」
「人間は三日くらい何も食わなくても死にはしない。
もちろん、体力のない人間は危険かもしれないが・・・?」

「私のことかしら?」
「わかっているなら、話は早いな」

そうして、当然のように杖をしならせた。

「ぁっ・・・!!!」

「やめろぉっ!!!」

「ほう、もう怒鳴り声を上げたか」
「黙れ!」
「これはいい。森田があきらめるまで、おそらく一ヶ月もかかるまい」

「ぅぐ・・・っ・・・!」

お姉ちゃんは、また足を痛めつけられたようだ。

「だ、だいじょうぶよ、健・・・落ち着いて・・・」

「璃々子さんっ!」

夏咲が、お姉ちゃんをかばうように抱きかかえる。

「こいつはね、私が怖いの。七年も義務に耐えきった私が。
だから、私に暴力を振るうのよ・・・ふ、フフ・・・」
「その通り。この中で一番厄介なのは、まずお前だ。
次に・・・日向、か・・・」

法月の冷徹な瞳が、お姉ちゃんから、夏咲に向けられる。

「おい!!!」

「や、やめてよっ! もう出てけ!」
「私たちは、ぜったい、あなたみたいな人に負けないんだから!」
「・・・・・・」


夏咲が、法月の前に堂々と立つ。

殴れるものなら殴ってみろといわんばかりの姿勢。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

対峙している。

「はあっ・・・おい、法月。こっちを向きやがれ。
親父は五年耐えたんだってな・・・っ・・・。
だったらおれは、一ヶ月だ」
「一ヶ月で音を上げるというのだな」

おれは法月を見据えた。

「一ヶ月で、ここから抜け出してやるってことだ」

「ケンちゃん・・・」

すると、法月は薄く笑って背を向けた。

「手が震えているのにか?」
「・・・・・・」

 

「出て行けったら!」

法月はどっしりとした足取りで、部屋を出て行った。

「はあっ・・・」
「賢一、だ、だいじょうぶなの?」
「お、おれのことはいい、お姉ちゃんは?」

「私は平気よ・・・」
「いやいや、平気なワケないじゃん。ガチンコで足をやられてたでしょ!?」
「折れてはいないわ・・・わざと、そういう殴り方をしているのよ・・・。
ちょっと、痛むだけね・・・」

そのとき、それまで押し黙ってた夏咲が言った。

「・・・ひどい」

静かに、震える声で。

「で、でも、だいじょうぶだよ。賢一が、なんとかするっていったときは、絶対何とかしてくれるもの!」
「おーおー、その通りじゃん!」
「そうだね・・・ケンちゃんなら」

「・・・健?」

みんなが少し盛り上り始めたとき、おれは顔をうつむかせていたのだ。

「あ、ああ・・・」

顔を上げ、大きく息をついて、言った。

「任せろ・・・っ」

 

 

・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

 

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「よぉーし、今日もびりっとがんばるぞーっ!」

「・・・っ・・・っぐ・・・」

一日たった・・・と思う。

座りっぱなしの姿勢が続く。

「ケンちゃん。頭でも痛いの?」
「い、いや・・・ふーっ・・・ふーっ」
「ちょ、ちょっと! なに変態チックな息を吐き出してるのよ!?」

「キモーい!」

「はははっ! ウケただろ・・・?」

「フフ・・・さっちゃんは元気ね」

まだ、食料の配給はない。

「絵、描いてるときってさ、メシ食わないんだよねっ。
いまそんな感じ精神を集中させてるんだー」
「能天気なさちが、いまは頼もしく思えるね」

 

 

 


・・・っ!

薄気味悪い音がして、また法月が現れた。

「うわっ! また来たの? あんた実は超暇人なんじゃないのっ!?
言っとくけどねー、それ以上近づいてきたら、ぶん殴るよ?
あたし実は超強いんだからねっ」


「わ、私も、カポエラやってたんだよ!」

ふざけているようで、二人とも目は真剣だった。

法月は、さちの前に歩み寄った。

「絵を描いていると、腹が減らんのか?」
「そーだよ? なんか文句あるの?」
「にわかに信じがたい話だ。
だが、現実にはそういうことが起こりうる。集中力がなせる業というわけか?」

探るような目つきで、さちの顔を覗き込んだ。

「まな、という少女の行方を知りたくはないか?」

そうして、さちの集中力をかき乱すような発言をする。

「教えなよ・・・」

瞬時にして、さちの顔から余裕が消えた。

「いま、大変なことになっているそうだ」
「・・・もったいぶらないでよ・・・」
「お前のせいではないか?」
「・・・っ!」
「お前らは重大な勘違いをしているようだから、教えてやるが、まなという少女がこの町を去ったのは、私のせいではなく、三ツ廣のせいではないか?」

「さ、さち・・・聞いちゃ駄目だ!」

「絵は、できなかったのだ」

さちの眉がぴくりと震えたのを皮切りに、後悔の色が顔全体に広がった。

「怠けていたのだ。まなや、森田があれだけ期待していたのに、三ツ廣が怠けていた結果、絵が完成しなかったのだ。
これは変えることができない過去であり、逃れられぬ罪だ」
「だ、だから、あたしは・・・いま、毎日絵を描いて・・・」

「そ、そうよ! さちはがんばってるんだから!」


「けれど、まなはもう帰ってこない。
瓦礫の山に覆われた廃墟のような王国に奴隷として買われたのだからな」
「そ、そんなっ!?」
「貴様らは過去を忘れ、前向きに未来だけを見るような子供の理屈を振りかざすが、世の中には決して取り戻せない過去もあるのだぞ」
「・・・ぅ・・・っ・・・」

「さっちゃん!」
「あ、うん・・・だいじょうぶ、だいじょうぶだよ・・・こいつの話なんて嘘ばっかりなんだから・・・」

法月はさちに対して、手ごたえを感じたのか、満足そうにうなずいた。

「それから、大音灯花だが・・・」
「な、なによ・・・!?」

灯花は腕を組み、さちをかばうように法月の正面に立った。

「お前の母親の、親権者適正研修が一度中止になったことがあったな?」
「わ、私のせいだって言うの? 私がお母さんを研修に行かせたことを、責めようって言うの?」

・・・灯花にしては、回転の速い返答だった。

きっと、いつも心の奥で京子さんに対して申し訳なく思っていたのだろう。

けれど、法月は親子の固い愛情に楔を打ち込むような真似はしなかった。

「お前のせいで、莫大な税金が浪費された。それを追求する」
「な、え・・・?」
「研修のキャンセルによって、用意してあった施設の借り入れ費用やインストラクターの人件費が全て無駄になった。
「・・・そんなこと、私に言われたって・・・」
「税金というのは、国民が皆で出し合う金のことだ。
これくらいは知っているな?」
「こ、子ども扱いしないで!」

けれど、法月は灯花を馬鹿にするような声で言った。

「お前のせいで、どこぞの家庭の食卓から、晩御飯のおかずが一品減ったかもしれないのだと、言っているのだよ?」
「・・・っ!?」
「お前のせいで、ある父親は娘にプレゼントを買えなくなったかもしれないし、お前のせいで、ある母親は新しく子供を作ることを断念したかもしれない」
「そ、そんな・・・私・・・そんなとこまで、考えてなくて・・・」

「灯花、落ち着け。誰も、そんなところまで頭が回らないもんだ」

けれど、灯花は優しすぎるのだ。

「・・・ど、どうしよう・・・」

迷いの一声が、自然と口をついてしまった。

「大音の優しさなど、しょせんは目に見える者たちだけに与えられるものなのだ。そういうのを世間ではなんと言うか知っているかな、大音くん?」
「・・・・・・」
「偽善者、というのだ」

灯花が喉を鳴らし、一歩後ずさりかけたそのときだった。


「ごちゃごちゃと、ねちっこいわね?」

すると、法月はお姉ちゃんの声に即応した。

「安心しろ。貴様は殴るだけだ」

「やめてっ!」

「あぐっ―――!!!」

法月はかばおうとした夏咲を押しのけ、執拗にお姉ちゃんを殴った。

「ふむ・・・まだ医師に診断を受けねばならないほど、ひどい傷ではないな」
「やめてください」

静かに言って、夏咲が法月の腕を自らつかんだ。

法月に触れることを、恐れていない。

「一度は社会に絶望した分際で、ずいぶんと胸を張っているな?」
「・・・・・・」

じっと、声も立てずに、法月をにらんでいる。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

やがて、法月が夏咲の腕をふりほどいた。

 

「食事を与える」

 

 


・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

 

法月が退室した後、鉄扉の下の食器口から人数分のパンとスープが差し出された。

「はあっ・・・あ・・・ぅ・・・」
「ひどい。同じところばっかり・・・」
「・・・つぅ・・・」

お姉ちゃんは、立ち上がろうとしてまた床に崩れ落ちた。

「璃々子さん、無理しちゃ駄目です」
なっちゃん、お姉ちゃんを、た、頼むね・・・」

おれは荒い息をつきながら、石の壁に背を預けた。

「ほ、ほら、ご飯がでたわよ。みんなで食べましょうよ」
「そ、そだね・・・ほら、灯花も」
「う、うん。しっかり食べなきゃね」

「お、おれの分はいいから・・・お前らで食えよ・・・っ・・・」

腕を伸ばせる範囲で、ジタバタを動かす。

尻が痛いので、つま先を石床につけて、しゃがみ込むような姿勢を取る。

「ケンちゃん・・・?」
「ん、ん・・・? なに? ちょっと、運動しないと、ね・・・」
「ううん、どうして、笑ってるのかなって」
「あ、ああ、こういうときこそ、わ、笑うべきかなってね」
「ふふっ。じゃあ、わたしがケンちゃんに食べさせてあげるね」


夏咲の笑顔につられて、さちもこわばっていた顔を緩めた。

「やっぱ、賢一は、こういうときでも強いね」
「私が、食べさせてあげてもいいけど・・・」

「・・・もてるわねぇ」

「いや、マジでいらねえからっ!!!」

「・・・えっ!?」
「・・・ケンちゃん・・・?」
「そんな、怒鳴らなくても、いいんじゃない・・・?」
「・・・・・・」

おれは唇を震わせて、言った。

「あ、ああ、なんていうか・・・食欲不振ってヤツかな?
メシより、け、ケムリが、恋しい・・・みたいな?」

今度は、誰も笑わなかった。

みんな、ぞっとしたような目でおれを見つめている。

「とにかく・・・食べれるだけ食べましょう・・・」

 

 

・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 


・・・。

・・・・・・。

 


・・・おそらく、翌日だと思う。

「さっちゃん、いつもの号令をお願いします」
「え?」
「よーしって」
「あ、よーし、びりっとがんばるぞーっ」

飢えで体力を奪われているのか、いまひとつ、元気が足りなかった。

「・・・なんだか、寒くなってきたね」
「そろそろ秋ですからね。急に寒くなる日もあるでしょう」

・・・そうか、外は秋か。

「はあっ・・・はあっ・・・」
「ちょ、ちょっと、なっちゃん、お姉ちゃんを、み、観てあげてくれない?
具合が悪そうなんだ」

「賢一も、キマってるねえ・・・?」

さちは控えめにふざけてきた。

「うはははははっ!」
「う、ウケすぎだって・・・ハハ・・・」
「いやいやいや、おれなんかより、お姉ちゃんを・・・っ・・・!」

すでに、なっちゃんが、お姉ちゃんの額に手を添えていた。

「熱が・・・っ!」


くそっ―――!

「おーい!!! 法月ぃっ!!!」

全身を振り回すように、デタラメに動かす。

「け、賢一、ちょっと落ち着いて! 手首から血が出てるよぉ!?」

灯花が血相を変える。

けれど、おれは法月を呼びつけるのをやめない。

「ごらぁっ!!! お姉ちゃんが病気になってんだろうがあぁっ!!!」

「賢一!」

「はあっ・・・健、いいから・・・! 少し、黙りなさい・・・!」

腕を拘束している鎖をぎしぎしと軋ませ、分厚い壁に頭を押し付ける。

「ぐ・・・はあ、はあっ・・・はあっ・・・!」

そんなおれを止めたのは、夏咲だった。

「ケンちゃん・・・」

すっと、暴れていた手のひらを握ってくる。

「・・・・・・」
「ケンちゃん、がんばろうっ」

おれは、一度、がっくりと肩を落とした。

直後、あごで弧を描くように顔を上げる。

「だいじょうぶだよ。おれは絶対に負けないから」

はっきりと言った。

「信じてるよっ・・・」

笑顔が返ってきた。

「さ、さ・・・お姉ちゃんが寒そうだから、みんなお姉ちゃんに抱きついて暖めてあげてくれ・・・」

 

・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

 


・・・。

・・・・・・。

 


「はあっ・・・は、は・・・つつ・・・」

長い時間、牢獄内では、冷気とお姉ちゃんのうめき声が蔓延していた。

「・・・よし、みんな・・・起きてくれ」

お姉ちゃんに寄り添うように眠っていた三人に声をかける。

もぞもぞと、制服の布が擦れる音がして、みんなが目を覚ます。

 

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「よーし、朝だ。みんなよく聞け。これから作戦を説明する」
「う、ん?」

期待のこもった視線がおれに集まる。

「実は、これまでの毎日は、ずっとおれたちが置かれた状況を観察していた。まず、おれの腕を捕まえている手錠だが、こいつはカギ穴があるものの、カギがない。とっつぁんが持ってるんだろう。だから、おれは動けない。
この牢獄は、壁に抜け穴があったりダクトがあったりするわけじゃない。
出入り口は一つ。あの鉄の扉だけだ」

みんな、おれの発言に逐一うなずいてくれる。

「あ、あの扉が開く瞬間は、いつだ?」

「・・・法月が入ってきたときだけね」
「おれもそれしかないと思った。だから、あいつがここに入ってきた瞬間を狙う」
「危険すぎないかしら・・・? 法月もそれはわかっているのだから・・・ごっほ・・・室内に入ってくるときは警戒しているはずよ?」
「けれど、やってみる価値はある。武器もあるんだ」

「武器・・・?」
「ああ、おれのスボンのベルトを外してくれ。法月が入ってきた瞬間、ヤツの顔面めがけて、ムチのように思いっきりしならせるんだ」

おれは、そこで、数度咳を吐いた。

「ムチ、か・・・」
「はあっ・・・とっつぁんも、牢獄を用意しておいて囚人服を忘れるなんて、SF小説マニアの片隅にも置けないな・・・はは・・・」
「よ、よーし、あたしがやってみるよっ」

「いいえ・・・ムチといえば、私でしょう?」

青ざめていたお姉ちゃんの頬が、うっすらと上気した。

「・・・じゃあ、私が法月をひるませるから、そのときみんなでいっせいに襲い掛かりましょう」

灯花と夏咲も、やや戸惑った後、うなずいた。

「はあっ・・・ふう、う・・・あ、た、頼むぜ・・・目を狙うんだ・・・」

さちがおれのベルトを外し、お姉ちゃんに渡す。

「あの怖い人だって、そろそろ油断しているかもしれないしね」

灯花はそう言って入り口の近くに座った。

さちと夏咲もそれに続く。

お姉ちゃんは、鉄の扉の前で、耳を澄ますように目を閉じた。

あとは、法月が現れるのを、ただじっと待つだけだった。

「う・・・ぐ・・・」

 

 

・・・
けれど、いつまで経っても法月は姿を見せないのだった。

 


・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

 


「い、いま、どれくらい日にちがたったか、わかる人いる?」

朝なのか夜なのかわからない時間帯、灯花が首をかしげていた。

「あたしの体内時計では、ちょうど十五日だね」
「・・・十七日では?」

「・・・っ・・・たぶん、二十日だと思うけれど?」

「・・・ま、まあ、いいか・・・」

・・・
「はあっ! はあっ! はあっ!」

おれはまた、暴れるように手足を伸ばしたり曲げたりする。

「賢一、ちょっとうるさいって」
「だから、運動だって! いざというときに動けなくなるだろう!?」
「そんな、キレることないじゃない!?」
「悪いけど、軽く頭がいてえんだ。んな大声出すなよ!ただでさえ音が反響するんだからっ!」
「・・・・・・」
「はあっ、う・・・ぐ、あ・・・はあっ・・・ひ・・・法月の野郎・・・っ・・・なんで、ぱったり来なくなったんだよ・・・!?」

「・・・ひょっとしたら、外で何かあったのでは?」
「・・・はあ、ありえるわね・・・」

苦しそうに胸を上下させている。

お姉ちゃんの体力は目に見えて限界を迎えつつあった。

熱は引いたようだが、動いてもいないのに常に呼吸が荒い。

そろそろ勝負をかけないとな・・・。

「・・・早く、来やがれ・・・!」

おれの願いが通じたのか、扉の向こうから足音が近づいてきた。

「・・・っ!」

お姉ちゃんはベルトを持って、入り口付近で身構える。

足音が止まり、緊張の瞬間が室内の全員に訪れた。


・・・
けれど、開いたのは扉ではなく、下の食器口だった。

「ご、ご飯・・・かぁ・・・二日ぶりだね・・・」

灯花がぼやいたそのとき、不意に扉が勢いよく開いた。

「なっ・・・!?」

「やはりな」

現れた法月が、唖然とするお姉ちゃんの腕をとらえた。

「きゃぁっ!」

ベルトを強引に奪い取ると、お姉ちゃんを背後にいたさちと灯花に向かって投げつける。

二人とも悲鳴を上げながら、床に尻もちをついた。

「私がなぜ、森田のベルトを奪わなかったのか。
それはつまり、一つの希望を絶望に変えるためだ」

法月は夏咲に向かって言った。

「期待すると、裏切られるだろう?」

「・・・っ」

そうして、おれに向かって言う。

「これも、思考を指定していた結果だ」
「く、くっそ・・・!」

うかつにもほどがあったか。

「はあっ・・・っく・・・ま、まずったわね・・・」
「璃々子さん、璃々子さんっ!」

「危ないっ!!!」

 

・・・!

「あぁぁーーっ!!!」

 

「そして、私がなぜ樋口璃々子だけを執拗に痛めつけるのか。
それは、この場でもっとも体力のない人間であるからであり、森田の姉であるからだ」
「ぁぅ、ひ、っぐ・・・」

お姉ちゃんの目から涙が滲んでいた。

泣きたくないのに、身体が痛みに耐えかねたのだろう。

「はあっ・・・うぅ・・・お、おれの姉だから?」
「肉親を痛めつけられれば、私に屈するのも早まろう?」
「・・・あ・・・っち・・・っ・・・」

怒りで目の前が真っ暗になりそうだ。

「い、血はつながってないんだけどねぇっ」

法月は、震えながら顔を上げようとするお姉ちゃんを無視して、ただ、杖を振るう。
止めに入ったさちと灯花の腹に一撃だけ加えると、何事もなかったかのように機械的に、杖をお姉ちゃんの背中や足に打ち据える。

「さて、話せ。パスワードを」

パスワード・・・その単語に、はっとして気づいた。

おれのポケットに入れてあったはずの、メモリがない。

法月は、おれの身体を調べてなお、ベルトだけは外さなかった。

「パスワードを言え。言わねば殺す」
「ぐっ・・・あ、ぱ、パス・・・?」
「まだ女は三人いる。一人ぐらい死んでもかまわんだろう?」

おれは、法月の、その真の恐ろしさを思い出して心底震えた。

「や、やめろ、やめろっ!!!」

治安警察の真骨頂ともいうべき、理不尽なまでに非人道的な拷問。

「な、なんのことかしら・・・っ・・・!」
「頭を殴れば即死だ。私はいつでもお前を殺せる」

どうして、法月はパスワードをお姉ちゃんが知っていると確信しているのだろうか。

脳裏をよぎった疑問を問うひまもなく、お姉ちゃんが言ってしまった。

「ぁ・・・わ、忘れちゃったわ・・・」
「ほう、お前がパスワードを握っているのだな。
よろしい。忘れているはずがない。お前の記憶力は先日の演説で証明されている。早く言え」

「ど、どうして!? なぜ、わかった!?」
「この中の誰かがパスワードを知っている。
なんにせよ樋口璃々子を拷問にかければ、仲間の誰かが口を割る」

たんたんと言い放つと、またお姉ちゃんに向かって杖を振り上げる。

「ぅっ―――!!!」

くぐもるような悲鳴を上げて、床に血を吐いた。

その赤色が、うっすらと明かりに浮かび上がって、おれはかつてない焦燥に襲われた。

――お姉ちゃんが、死んでしまう・・・!

おれが、意味のわからない言葉でわめきたてたとき、法月の杖が、空中でぴたりと静止した。

「今日はこれまでにしておくとしよう」

「はあっ・・・えっ?」

法月の視線はおれではなく、夏咲に向けられていた。

「・・・・・・」

夏咲は、法月に触れるでもなく、戦っていた。

「かげりが見えるな、日向」
「・・・・・・」
「意志はあるのに、身体がついてこない。そんな目つきだ」
「・・・っ」

そうして、夏咲に限界まで顔を近づけると、耳に声を撫で付けた。

「夏は終わった。向日葵も、枯れていく季節ではないか?」

 

・・・


去っていった。

さちと灯花は声も立てずに床にうずくまり、お姉ちゃんは痛みで激しくけいれんしている。

牢獄の中に、切々と焦燥感が募ってきた。

 

 

・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

 

「・・・はぁっ・・・み、みんなだいじょうぶ?」
「・・・ん・・・」
「平気ですよ」

けれど、お姉ちゃんだけは声を上げる余裕もないようだった。

どう見ても、医者にかかる必要がある。

牢獄の壁にもたれかかり、膝を抱え、うつむいた頭を小刻みに震わせている。

「うぅっ、ぁっ・・・はあ、あ、あああ・・・く、クス・・・リ・・・」

「ケンちゃん、しっかりして!」
「・・・そ、そうだよ、私たちは、賢一だけが頼りなんだからね・・・」

「はあっ、わ、わかってるって! 心配するなっ!」

わめきながら、また全身を痛めつけるように動かす。

「ちょっと、璃々子さん、璃々子さんが・・・!」
「・・・っ・・・はあっ・・・」

少し前までは、荒々しいまでも、しっかりとした呼吸をしていたのに、いまでは細い吐息しか聞こえない。

「お、お姉ちゃん! お姉ちゃん!」

「な、なによ・・・き、聞こえているわよ・・・」

少しの間だけ顔を上げてくれた。

早く・・・早くお姉ちゃんを助けないと。

「そ、そうだ・・・そういえば、磯野は・・・!?」
「えっ? 磯野くん?」
「そうだよ、磯野は? 磯野が助けに来てくれるんじゃないかな・・・!?」

おれは指先を震わせながら言った。

「な、なっちゃん! なっちゃんは知らないかい?
なっちゃんを磯野に預けたでしょ? 最後まで一緒にいたでしょ?」

すると夏咲は、少しだけためらうように言った。

「・・・磯野くんは、警察の人が来ると、わたしより先に、山の方へ行きました」
「さ、先に・・・行った・・・!?」
「それって・・・夏咲を置いて逃げたってこと!?」
「・・・違うと、思います」

「き、きっと、なにか作戦があるんだよ・・・!」
「・・・っ!」

さちは磯野を疑った自分を恥じるように、けれど、不安をぬぐいきれないように、ゆっくりと唇を噛みしめた。

「・・・ぁ・・・ぅう・・・と、とにかく、現状で、あいつの助けを期待しても、しょうがなさそうだな・・・」

外の様子がどうなっているのかはわからないが、おれたち六人でようやくたどり着くことができたこの牢獄に、磯野がたった一人で乗り込んでこれる道理がない。

「はぁ・・・ぅ・・・健・・・」

お姉ちゃんは、それでも瞳に確かな光を宿らせていた。

 


・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 


・・・。

・・・・・・。


それは、おそらく、夜の出来事だと思う。

なぜなら、みなが寝息を立てているからだ。

 

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「け、健・・・」

お姉ちゃんが、切れきれな声でおれを呼んでいる。

「あぁ・・・な、なに・・・?」
「ドラッグ・・・ほ、本当にやっていたのね・・・」
「あ、ああ・・・ごめん・・・」
「どうして・・・?」

おれは、返答に窮した。

「・・・え、えっと・・・っ・・・おれの心が、弱かったから・・・」
「戦争で、覚えたの・・・?」


おれは申し訳なさそうに、何度もうなずいた。

「そ、それを、法月に利用されちまっているとは・・・は、ぁ・・・」
「・・・つらいのね・・・」
「お姉ちゃんこそ・・・っ・・・だいじょうぶ?」
「・・・・・・」
「お姉ちゃん?」

すると、お姉ちゃんは、ふっと力なく笑った。

「私が・・・こんなに弱いとは知らなかったでしょう?」
「お、お姉ちゃんは・・・っ・・・強いよ」
「本当に忌々しいわね、身体って。いま、健のそばにいくことすらかなわないなんて・・・」
「・・・・・・」


・・・助ける、絶対に。

 


「つ、次に、法月が来たら、私はまずいことになるかもしれないわ・・・」
「・・・っ・・・そんなこと言わないでよ!」
「でも、決して、パスワードは言わないから。
だいじょうぶ、お父さんの作った暗号はあと五年は破られないわ」
「お姉ちゃん・・・!」
「あれは、私たちの武器よ。決して渡さない・・・。
だから、お願いねっ。何があっても法月に屈しないで。
私の身体がなくなっても、意志だけは残るのだからね」
「そ、そんな・・・そういうのは、すごい嫌だぜ・・・。
意志だけを受け取るなんて・・・そんなかっこうのいい真似は、おれのようなヤク中のクズにはできそうにない・・・」
「健・・・」
「はあっ・・・あ、頭が痛くなってきた・・・うぅ・・・嫌なもんが、見えてきたぜぇ・・・」

ふらりふらりと頭を踊らせる。

「・・・・・・」

お姉ちゃんは押し黙って、じっとおれを見つめていた。

 

・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 


・・・。

・・・・・・。

 

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「さて、尋問を再開する」


法月が部屋に入ってきたとき、おれたちの誰もが床に座り込んでいた。

「皆、だいぶ、囚人らしくなってきたな」

「・・・・・・」

夏咲が、ゆっくりと立ち上がって、お姉ちゃんの前で両手を少し広げる。

「出てって下さい」
「そろそろ、終わらせようと言っているのだが?」
「出てって下さい!」
「どけ」
「どきません!」

にらみ合いが続く。

いまにも法月の杖が、夏咲の顔を殴りつけそうな雰囲気の中、おれは、ただ、見ているしかなかった。

「・・・っ、ほ、ほら、私がご指名なんでしょう?」

お姉ちゃんが、膝をがくがくと震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。

「お姉ちゃん、よせっ!!!」


・・・っ!

「・・・っぐ――!」

杖の先が、お姉ちゃんの肩を突いた。

「やめてくださいって言ってるでしょう!!!」

ついに夏咲は叫んだ。

灯花の顔は恐怖に染まっている。

さちですら、目を伏せた。


・・・っ!

「もう、限界のようだな?」
「ぅ・・・さ、さあ・・・それはどうかしらねぇ・・・」
「しかし、瞳にはパスワードだけは絶対に吐かないという光が残っている。私にはわかる。お前は秘密を抱えたまま犬死にしていくタイプの人間だ」
「へ、へえ・・・じゃあ、私を殴るのをやめてくれるのかしら?」
「お前を殴らなければ、日向が殴られることになるのだが?」
「ふっ・・・本当にどSね。あなたとはお友達になれそうにないわ・・・」


・・・っ!

 

「や、やめろぉっ!!!」

怒りで鎖が切れないかと、そんな夢のような逆転劇を想像する。

「うぁっ・・・!!!」

お姉ちゃんは、膝を折ることすら許されないほど、激しい殴打を受けた。

「本当のことを言おう。パスワードなど、どうでもいいのだ。
なぜなら、そのうち森田が改心し、私に情報をしゃべってくれるのだから」

それは、死刑宣告だった。

壁にはりつけにされたまま、お姉ちゃんは、短い悲鳴を上げ続けた。

「ぐ、あ・・・ま、待て! 頼む! やめろ、やめてくれ!!!」

おれは、必死で叫んでいた。

「ほら、森田が従順になりはじめたぞ」

腹が立つ。

けれど、苦痛にうめくお姉ちゃんを見せつけられては、泣き声も出るというものだ。

「・・・っく、やめてくれ、お、お前の目的はおれなんだろう!?」
「ようやくわかったか? では、全てをあきらめ、私に従うと言うのだ」
「・・・っ!」

「だ、ダメよ・・・健・・・!」

本当に、手足が震えだした。

「ケンちゃん!」

法月に従うということは、社会に屈するということだ。

「賢一!」

この町に来てみんなとともに培ってきた日々が、無駄になるということだ。

「けんいちぃっ!」

 


・・・
けれども、どんな矜持や友情も、命には代えられないのではないか。

お姉ちゃんが、子供のころからずっとおれを見守ってくれていたお姉ちゃんが、死んでしまうのだ。

優しかったお姉ちゃん・・・。

ずっと孤独だったお姉ちゃん・・・。

 

・・・っ!


おれは、お姉ちゃんの命を守りたいがために、喉を振り絞った。

「ふむ、危うく殺してしまうところだったな」

「―――っ!?」
「・・・ぇ?」
「殺すわけがなかろう? 森田の弱い心が壊れてしまうかもしれぬし、樋口璃々子を殺してしまっては、森田が私に恨みを抱き、国家に忠誠を誓わぬかもしれない」

そうして、法月は口元を吊り上げ、黒く、深い笑みを浮かべた。

「それは、本当の意味での屈服ではない」

誰もが、息を呑んだ。

目の前に存在する社会の権化ともいうべき、化け物を恐れた。

「あ、あ、あ・・・」
「こうして、大切な人間を生かさず殺さず痛めつけ、ゆっくりと、人間の意志とやらが挫けるのを待つとしよう」

「ふ、は・・・はは・・・」
「しかし、それも、もうすぐのようだな」

おれは、服従を口にするところだったのに、法月は途中でやめた。

要するに、サディストがおれを焦らしているのだ。

法月が去っていったあと、夏咲がおれの名前を呼んでいたが、おれはそれに応えずに、頭を抱えていた。

 

・・・だ、駄目かもしれない・・・。

・・・逃げられないかも・・・。

 


声に出した覚えはないのに、みんなの失望するような眼差しが、おれに突き刺さった。

 


・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

 

「ふっ、うぅ・・・あ・・・」

じたばたと手足をばたつかせる。

自分でも見苦しいと思うが、やめない。

「・・・あ、あああ・・・っぐ・・・スリ・・・ケムリが・・・ほしい・・・。ぱ、パイプ・・・くわえてえ・・・はあっ・・・」

お姉ちゃんは、冷たい床に伏せったまま、ほとんど動かない。

さちや灯花も、ふさぎ込むように膝を抱えて座っている。

「ケンちゃん・・・ケンちゃん・・・」

夏咲だけが、ぼんやりとおれの手を握ってくるが、まったく力が入らないようだった。

食事も、ほとんど与えられない。

牢獄内の空気は相変わらず、冷たく、かび臭く、気分が悪くなる。

どっしりとした岩壁からの圧迫感は、日に日に増していった。

「あ、う・・・は・・・あ・・・クスリ・・・ケムリ・・・すいてぇ・・・」

おれは、ぶつぶつと、うわごとのように、クスリ、クスリと繰り返す。

風が吹いた。

臭気が鼻先をかすめる。

こつこつと、石床を踏み鳴らしている男がいる。

 

「やはり、小説は小説でしかない。
こんな場所に閉じ込めておくだけで、罪人が更生するとは思えんな」

 

「・・・ぁ・・・うぅ・・・あふっ・・・」

「顔を上げろ、森田。今日で、一ヶ月だ」

「・・・っ・・・ひっ!」

喉をつかまれた。

「しまりのない顔だな。初めて私と出会ったときよりもひどい」

「ふっ・・・うぅぅ・・・」

口を動かすと、いつの間にか裂けていた唇が痛む。

「ケンちゃん!」

「・・・極限状況下においては、やはり女性の方が強いものだな」

「ケンちゃんは・・・絶対・・・わたしたち守ってくれるんです」

「・・だそうだが、どうだ森田?」

「あ・・・う・・・。
・・・り・・・く・・・くす・・・。
く・・・だ・・・さぃ・・・くす・・・クスリ・・・」

「欲しいのか、豚?」

かくかくと首を縦に振る。

「け、ケンちゃん・・・!?」

おれはうつむいて目を閉じた。

「三ツ廣」
「・・・っ?」
「七年前逃げた豚がここにいるが、なにか感想は?」
「・・・けん、いち・・・」
「今、皆が苦しい。劣悪な環境が飢えと寒さに耐えながら、状況を打破するべくがんばっているのに、樋口健は、クスリのことしか考えていない」
「け、けんいち・・・っ・・・」

さちのかすれるような声がおれの耳に届く。

「それでも・・・あたしは、けんいちを・・・信じてるよっ・・・」

さち・・・!

「素晴らしい。では、次に大音」
「・・・ぇ?」
「お前は、仲間を見捨てて逃げ出したような男に、子ども扱いされ、親の罪を暴かれ、偉そうに説教されていたのだ。
よく見ろ、あのどうしようもなく、だらしがない顔を」

灯花は、短い時間、返事をしなかったが、ぼんやりと、ずっと昔から決まっていたことのように言った。

「・・・けんいちを、信じてる・・・」

灯花・・・!

「では、当然、姉も弟を信じていると・・・」
「・・・うちの、弟を・・・なめないことね・・・」

お姉ちゃん・・・!

「ケンちゃん、大好きだよっ!」

夏咲・・・!

暗闇の中、みんなの顔が浮かんで来る。

守ると、もう逃げないと誓っていた。

七年前の贖罪を果たすのだと。

ただ、もう、おれは限界だったのだ。

少女たちが、これ以上苦しむのを見ていられない。

 

「ごめん、みんな」

 

得体の知れない衝動が、全身を這い回っていて、もうどうしようもないのだ。

 

「みんなも、もう、限界だと思う」

 

驚愕の視線が、おれに降り注いで、思わず目を逸らしてしまった。

向日葵の少女たちの瞳は、本当に真っ直ぐだ。

 

「特に、これ以上、監禁されていたら、お姉ちゃんが、死んでしまう」

 

誰も、何も言えない。

 

「う・・・あ・・・そ、そしてなにより、おれが・・・。
あ、ぐ・・・し、仕方がない。これは、仕方がないことなんだ。
な、夏が終われば、冬になる・・・けれど、もう一度、夏が来るじゃないか・・・まるで輪のように、回転し続けるじゃないか・・・。
お、親父も・・・は、はは・・・一度はあきらめたんだ・・・。
だ、だから・・・ごめん・・・!」

 

七年前の記憶が蘇る。

 

「ごめん、みんな!」

 

大切な少女たち。

 

「ぼ、ぼくには、やっぱり、無理だったんだよ・・・」

 

期待のこもった眼差しの群れが、やがて絶望に変わった。

 

「う・・・あ・・・ははは・・・は、ははっ・・・く、ははっ」

 

乾いた笑いを、牢獄内に響かせる。

白目をむいて、いつまでも、笑い続ける。

 

「クスリが欲しいのだな?」

「は、はい・・・」

 

従順な返事をする。

 

「よろしい」

 

おれの腕を拘束していた手錠が外された。

 

「・・・ひ・・・え?」

「私の声が、聞こえるか?」
「う、うあ・・・あああ・・・っく・・・」
「クスリが必要なのだろう?」
「く・・・すり・・・」
「ほら、立てっ!」

 

命令されるままに、ずるずると壁に沿って身を起こす。

 

「クスリ・・・を?」
「そうだ」
「ふふ・・・」

 

笑いが、止まらない。

 

「ふふふ・・・くくく・・・ははははっ!
う、うれしいですねえ・・・」
「そうだ。もっと喜べ!」
「ははははははっ!」
「結局は、こうなる! いくら人の意志が強かろうとも、肉体を精神が凌駕するなどありえんのだ! そうやって、私も三郎もあきらめたのだからな!」
「くくく・・・はははっ! 法月先生にはかなわないぜ・・・!」


「賢一、本気なのっ・・・!?」

「あはははっ! せ、センセー! おれは先生が大好きだぜぃぃえぇ・・・!」

「い、イヤ・・・こ、こんなこと、こんなことって!!!」

「ふ、あ、あんたについてきて、ほ、本当によかったですよ!」

「け、健・・・お願いっ、待って!!!」

 

そう、得体の知れない力が、背筋を上ってきて全身を震わせているのだ。

 

「ケンちゃーんっ!!!」

 

少女たちの声は、もうおれには届かない。

おれは、ただ、暴力的な衝動に身を任せているのだ。

 

「森田賢一! これで特別高等人の試験を終了とする!」

 

大好きな先生がおれの肩に手を置いた。

おれはもう、うれしくて、うれしくて・・・。

 

「せ、先生は、おれの前で、ずっと、足の悪いフリしてましたね?」
「そうだ・・・森田賢一は七年前から社会の歯車に組み込まれていたのだ!」
「・・・なんだよ」

 

何かが、沸点に達した。

 

「・・・む?」

 

かまうことなく、爆発させてやった。

 

・・・っ!

 

 

 

 

 

 

 

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・・・

「おれもなんだよ、とっつぁん・・・」

全ては、一瞬の出来事だった。

完全に反り上げた法月の腕。

おれの足は首の裏をとらえ、法月の呼吸を奪っている。

おれは荒れる吐息を抑え、法月に言い放った。

「最後の最後で、詰めを誤ったな?」
「・・・・・・」

法月は、逃れられないことを悟ったのか、身動き一つ取ろうとしない。

「いつも吸ってる甘くフルーティな葉っぱはさ、ただのハーブでね。
気分が落ち着く成分が含まれているから、気に入ってたんだ」
「・・・な、なんだと・・・?」
「調べたはずだ、と言いたいのだろう?」
「・・・・・・」
「それは、本か? インターネットか? ウンチク好きの誰かに聞いたのか?

いずれにせよ、そんなものお決まりの知識に過ぎない。
おれの持っているクサを没収しなかったのが、あんたの敗因だ。
世の中には、直接目で見て、触って、実感してみなけりゃわからんことがたくさんある。
身体を使ってな!」
「全て、演技だった、と・・・?
不意に笑い出したり、たまに頭のおかしな発言をしたりしていたのも・・・全て・・・?
あ、ありえん・・・お前は南方紛争で、心を病んでいたはずではなかったのか?

軍の記録にもそのように記してあったし、実際、貴様も・・・」

 

過去を確認するような声を聞いて、おれは法月将臣を越えたことを確信した。

 

「おいおいとっつぁん! これが、現実・・・だろうが!」
「・・・ぐっ!」

「今、ここで、おれが、あんたをねじ伏せている! それだけじゃ、ダメなのか!?」
「・・・・・・」

 

法月は、自らの失言を恥じるように、沈黙した。

 

「終わりだ、とっつぁん。あんたの負けだな」
「・・・私を倒したとしても、この町から逃げられると思うな」
「わかってるよ。あんたの私兵が町の出入り口をしっかりと固めているんだろう?」
「貴様らを見たら、すぐに射殺するよう命令してある」
「ご丁寧にどうも。だが、おれたちは、絶対に、脱出してみせる」
「・・・・・・」

法月は、長い間声を立てなかった。

おれは、その頭を見ていた。

整えられた後ろ髪の横から、法月の目がうかがえた。

いつも凍りついていた瞳に不思議な光が宿っていた。

全てを放棄し、全てをあきらめたような、その色、その眼差しを見つめていた。

 

「・・・やってみるがいい」


・・・
彼は、そう言って、瞳を閉じた。

 

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「ケンちゃんっ・・・!!!」

夏咲に続いて、さち、灯花とおれに抱きついてくる。

 

 

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「信じてた、信じてたよぉっ!」

涙を瞳に携えながら、おれの身体を確かめるように触ってくる。

「やっぱり、やっぱり、賢一は最後にはなんとかしてくれるんだね・・・!」

 

 

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「ふ、ふふ・・・さすが、ね」

この少女たちのおかげで、おれはここまでなんとかやってこれたのだ。

「さあっ! ここから出よう!」

お姉ちゃんのそばに駆け寄って、その細い身体を背負った。

「・・・っ、ごめんね、健・・・」
「いいんだ・・・」

おれは床に昏倒させた法月を見下ろした。

「殺さなくて、いいかな?」

姉に確認する。

「・・・好きにしなさい」
「さんざん、殺すとか言いまくってて、なんだけどさ・・・」
「わかってる。あなたは優しい子だもの・・・」
「馬鹿だからいい方に考えてしまったんだ。七年前、とっつぁんがおれを拾ってくれたのはさ・・・」
「・・・ええ、彼がお父さんとお友達だったからでしょうね」

背中に顔を預けてきた。

これで、いい。

真相はわからないが、とにかくおれが気持ちいいと思う行動をするだけだ。

「行こうっ!」

夏咲が先頭を切って、鉄の扉に手をかける。

さちが軽快に駆け出す。

灯花が笑顔でさちを追いかける。

そうして、一ヶ月もの間、おれたちを閉じ込めていた牢獄を後にする。

おれは、背中にお姉ちゃんのぬくもりを感じながら、走り出した。

 

・・・
車輪の国の、外に向かって。

 


・・・

・・・・・・