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車輪の国、向日葵の少女【38】(終)

 


・・・
・・・・・・


久しぶりに見上げた夜空は、どこまでも高く、深い闇をつむいでいた。

「こっちだ!」

まさか、おれたちが逃げ出してくるとは思いもしなかったのだろう。
夜の学園内の警備は手薄だった。

牢獄から抜け出して、石階段を上った先で一人倒すと、あとは外まで一直線だった。

「みんな、平気か・・・!?」

お姉ちゃんはおれがおぶっているからいいとして、他の三人は体力の限界が近づいているのではないか?

「まだまだいけるよーっ!」

さちはひんやりとした夜の風を受けながら、大きく伸びをした。

「外はやっぱり気持ちいいねーっ!」

「ケンちゃん、どうするのっ、どうするのっ!」

みんな元気にはしゃいでいるように見えた。

「・・・・・・」

だが、一ヶ月もあんな場所に閉じ込められていたのだ。

おれですら、走っていてたまに足腰がふらつく瞬間があるというのに・・・。

ふと、周囲の状況を確認する。

遠くで、警報が鳴っている。

路上に我が物顔で止まっている警察車両が、ちらほらと目につく。

町にはまだ治安警察がうようよいるってことか。

 

・・・とっつぁんが、やられたことは、もう知られたかもしれないな。

それでも、やつらの指揮系がまだ機能しているのを見ると、さすがは法月の組織としかいいようがない。

 

・・・おれたちを見たら射殺するよう命じられてるんだったな。

ていうことは、とっつぁんは、おれたちがあの牢獄を抜け出すリスクもちゃんと管理してたってわけか・・・。

 

「いやいや、まぐれで勝てたようなもんだな・・・」
「健、どうやって、この町から脱出するというの?」

 

背中のお姉ちゃんが、耳元で聞いてくる。

おれは、三人を見渡して言った。

 

 

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「ここから逃げる前に、一つ確認しておく。
いま、おれたちはお尋ね者だ。
この町、いや、これからこの国でまともには暮らせないだろう。
ただ、恩赦祭のときを思い出して欲しい。

 

 

 

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さちの少しやつれた顔を見る。

「さち、お前は、この町じゃ稼ぎが悪いから、都会に行きたいと言っていた」
「そだね・・・」

 

「灯花は、料理を学びに都会に行きたいと言っていた」
「うん・・・ただ・・・」

 

なっちゃんも・・・」

 

言いよどんだ。

夏咲は両親が都会で働いていると言っていたが・・・。

 

「ええ・・・わたしのお父さんとお母さんは、もういません」

 

はっきりと、やや紫がかっている唇で言った。

 

「・・・つまり、みんなは、もうこの町を出る理由がないんだ。
おれにしても、生まれ育った町でのんびりと暮らしたいっていう気持ちがないでもない」

三人とも、神妙にうなずく。

「けれど、逆に言えば、おれたちは、どこにいたってやっていける」

そんな強さを身につけた。

「だから、一度この町を出ようと思うんだ。
近い将来、ここに帰ってくるかもしれないが、いまここに留まるには状況が悪すぎる。
みんな、それでいいか?」

「いいよっ!」

さちが即答する。

「町の外に出て、まなを探しに行こうよっ!」
「わかった。金のことなら任せろ」

「私も、賢一についていくよ」

灯花は汗をぬぐいながら、笑って言った。

「・・・ありがとう」


「ケンちゃんに、任せるよっ!」
「はは・・・なっちゃんは、どこにいたって楽しくやっていけそうだね」


「私は、当然賛成よ。都会の方が、今後の活動もしやすそうだしね」

全員の意思を確認したおれは、あごで行き先を示した。

「こっちだ。とっておきの逃げ道がある」

校舎の中から、こぞって現れる治安警察の姿が見えたのは、そんなときだった。

 

 

 


・・・
・・・・・・

 

日中だったら色彩豊かな紅葉が見られただろう。

「はあっ・・・はあっ・・・」

「っ・・・ふ・・・」

秋を迎えた夜の森には、肌寒い風が吹いていた。

「・・・っ・・・」
「健・・・っ・・・まだ、走るの・・・?」

背中で、もぞりと身体を動かすお姉ちゃん。

あれだけ法月に痛めつけられたのだ。

地面を蹴る振動が伝わるだけで、身体が痛むに違いない。

しかし、休むわけにはいかない。

ちらりと登ってきた山道を振り返る。

ライトの明かりが、暗闇にぼんやりと、けれど、無数に浮かび上がっていた。

・・・まずいな、すぐそこまで物騒な連中が迫ってきてやがる。

この中で一番体力があるのは・・・。

「・・・さち」
「・・・ふ・・・ん?」
「お姉ちゃんをおぶってくれ」
「え? どういうこと?」
「おれが、ここで、ヤツらを足止めする」

「えぇっ!?」
「健、足止めはいいとして、私たちは・・・?」

「この先に崖があるだろう」

夏咲を見据える。

「とりあえず、そこまで行って、待っててくれ」

「だ、ダメだよ。賢一も一緒に行こうよ・・・!」

「うるせえボケ。お前らみたいなクソの庶民がちんたら走ってるからだろうが」

「ふ、ふざけてる場合じゃないでしょ?」

「でも、ここで、のんびり話をしている場合でもないわ」

「行きましょう!」

・・・さすが、なっちゃん

「・・・ごめん、それしかないんだね」

灯花も、理解してくれた。

「よーし、お姉様はちゃんとあたしが背負っていくからねー!」

さすが元気系。

「・・・すまないわね・・・」

のそりとおれの背から降りる。

「じゃあ、みんな、あとでっ!」

「・・・・・・」

なっちゃんが、去り際におれを一瞥した。

「任せろ・・・」

 

 

 

 

・・・
・・・・・・

 

 

おれの装備は、牢獄を出るときに敵から奪った拳銃が一丁のみ。

茂みに潜んで、じっと耳を澄ます。

前方の草木がざわめいて、うっすらとライトを持つ右腕が見えた。

 

一人だ。

 

おれの前を横切ろうとしている。

その無防備な制服の背中が見えたとき、おれは息を呑んで膝に力を入れた。

 

「・・・っ!」

 

背後から飛びついて、地面に落し倒した。

ライトを持った腕をひねり上げ、後頭部から拳銃を突きつける。

そうして、問いただす。

「大音京子は知っているな? 学園の教員だ。
ちょいと検問所でもめたこともある。
処刑台のそばで、暴動を進めてくれた人でもある。知っているな?」

これを聞かなきゃ、灯花が安心して町を出られないだろうが。

「どこだ? 処刑の日、暴動が起こった後、どこに連れて行かれた?」
「・・・・・・」

さすがに、そう簡単に口を割らないか。

「この町の主だった人々は、中央へ連れ去られたのか?」
「・・・・・・」
「言うんだ・・・」

限界ぎりぎりまで低い声を、耳に撫で付けた。

「あまり、時間はやらんぞ・・・」

関節が軋むほど、腕を曲げる。

「もう、京子さんは、この町にはいないのかと聞いているんだ」

法月の、あの冷徹で対峙しているだけで震えがきそうなイメージを頭の中で作り出す。

「こんなもの、たいした情報でもなかろう?」
「・・・っ・・・そ、そうだ・・・もう、町にはいない」

これで、なおさら町を出なきゃいけなくなったわけだ。

「よろしい、では次の質問だ」
「なにっ・・・?」
「磯野って男がいるだろう。ほら、処刑会場でびぃびぃわめいていた、無駄に前髪が長いヤツだ・・・あいつはどうした?」
「・・・・・・」

男は、しばらく押し黙っていたが、やがて、一つしゃべるも二つしゃべるも同じだと判断したのだろう・・・。

「目下、捜索中だ・・・」

捕まってはいないんだな、良かった・・・。

「悪いね」

男は、短い悲鳴を上げて、地べたに動かなくなった。

そのときだった。

おれの目の前の木の幹が、すっと明るくなった。

・・・お仲間の登場ってわけか。

五人までなら、囲まれてもなんとかなる。

祈るような気持ちで、振り返った。

「やれやれ・・・」

暗闇の中、視認できるだけで十人はいた。

 

「・・・楽勝だな」

 

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 


・・・

・・・・・・


「賢一、遅いね・・・」
「しきりに鳴っていた銃声も止んだわね」
「・・・様子、見に行こうか?」

「ダメです。待ちましょう」

「でも・・・」
「夏咲は、待つの得意だからねーっ。逆にあたしは苦手。
ぐいぐい攻めちゃうもんねー」

「・・・し、しんぱいだよぉ・・・」

「・・・ったく、こんなにいい女たちを待たすなんて・・・しつけが足りなかったのかしら・・・」

・・・
「お待たせしました」

「でたーっ!」
「フン・・・」

「・・・っ・・・」

「賢一っ!?」

 

「し、心配すんな。
ちょっと頭を殴られて、肩と横っ腹に鉛玉をぶちこまれたくらいだ・・・」

「激ヤバじゃん!」

さちの甲高い声に、頭がぐらっとする。

「ヤバい状況はまだまだ続くぜ。あいつら、一度逃げて応援を呼んできてる・・・とっとと、おれたちもずらからねえと、な」

衝動的に、痛みにうずいた腹を手で抑える。

「ケンちゃん、手当てを・・・」
「している暇も、道具もないよ」

首を横に振ると、じんわりと右の肩口から痛みが広がっていく。

「・・・っ・・・こんなところまで来て、いったいどうしようっていうの・・・?」

お姉ちゃんも、気を張っているようだが、一度どこかで治療を受けないと、危ないだろうな。

おれはみんなの前に立つと、ふざけた笑みを浮かべた。

「さて、ここで問題です」
「え?」
「七年前の内乱で、仲間を見捨てて逃げ出した最低のクズ野郎、樋口健ですが・・・」

「・・・・・・」

「軍隊が町を占領してるってのに、険しい山々に囲まれた、この牢獄のような町から・・・」

「・・・・・・」

「どうして逃げ出すことができたんでしょうか?」

みんな、それぞれに、はっとしたような反応をする。

「さち、お前ならわからないか?」
「え? あたし・・・?」
「一緒に、洞窟探検しただろう?」
「・・・洞窟・・・」

「なるほどね・・・」

「灯花、この町の歴史を教えてくれよ・・・」
「え、え・・・。
だから、もともと金が採れるからって、罪を負った人たちがたくさん住み着いていて・・・」
「そう、人が切り開いた坑道があるんだ」

「・・・それが、町の外までつながってるっていうの?」
「ああ・・・昔の人も、必死だったのさ」

必死でこの町からの脱獄をはかったんだ。

「七年前、偶然見つけたんだ。
洞窟の入り口そのものはお姉ちゃんから教えてもらっていたが、まさかその奥に、抜け道があったなんてな」

・・・おかげで、死にぞこなった。

「行こうっ」

おれは、お姉ちゃんを背負うべく、しゃがんだ。

疲労のせいか、膝に、鈍い重みが走る。

「あ、け、賢一、あたしがおんぶするよ」
「・・・いや、さちは、先頭を歩いてくれ。洞窟には慣れてるだろ?」
「でも、ライトとか、専用のスーツやロープもなしでいけるの?」
「ライトはある。さっき敵から奪っておいた」
「・・・・・・」
「だいじょうぶ。ガキのころのおれが、なんの装備もなく最後までたどり着くことができたんだ」

たしなめるように言って、おれは、全員の目を一つ、一つ見つめていった。

みんな、これで最後だと・・・これで、この脱獄劇も終わるのだと、それぞれの瞳でかみ締めていた。

「行こう」

 

・・・
逃げるのではなく、未来に、進むために。

 

 

 

 


・・・
・・・・・・
秋を迎えて、洞窟内の温度もめっきり下がっている。

ひんやりとして、なお湿気を交えた風が、肌にまとわりついてくる。

足場は常に安定せず、グロテスクな色や形をした鍾乳石が歩みを妨げる。

「こんなの、超楽勝じゃんっ」

先頭を歩くさちが、楽しそうに言った。

こんな状況下でも、さちは、明るく、元気で、笑顔を絶やさない。

まるで、深い闇に包まれた洞窟に、光を差し入れるように、前に進んでいく。

 

不意に、あの夜の光景が思い浮かんだ。

 

 

 

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まなを守るために必死で筆を取った、少女のがむしゃらなまでの努力を思い出す。

 

・・・
「・・・っ・・・さち・・・」
「あいっ?」
「ば、馬鹿・・・振り向くな。すっころぶぞ」
「なになに? やっぱ、愛の告白ぅっ?」

背中で、お姉ちゃんがくすりと笑った。

「・・・まったく・・・何を言おうとしてたんだか、忘れちまったじゃねえか・・・」
「やっぱ賢一は、テレたときがかわいいねえ・・・」
「・・・もう、そういう挑発には慣れてきたんだからな・・・」
「うはははっ、成長したんだねっ」

笑いながら、おれに近づいてくる。

「あー、もう、超好き!」
「っ!?」
「あー、強引にでも奪っとくんだったぁっ!」

「さ、さち・・・?」
「さっちゃん・・・?」

「ちくしょーっ、略奪愛ブームだったかぁ・・・!」
「・・・・・・」

おれは、固まってしまったと思う。

場違いだ。

こんな、呑み込まれそうなほど深い闇の中で、さちは素っ頓狂なことを言い続ける。

「いやいや・・・あたしには、絵があるからねーっ」

さちは、震える吐息を闇に溶かしながら、うつむいた。

「・・・がんばってるもんな・・・」

おれは、いつの間にか口元を緩ませていたと思う。

すると、少女は、鮮やかな色彩を奏でる指を、おれに突きつけて、

 

「ビッグになって、まなに最高の絵を見てもらうんだっ!」

 

元気いっぱいに叫んだ。


初夏の日の記憶が、つい昨日のことのように感じられた。

 

 


・・・・・・。

・・・。

 


「賢一・・・だいじょうぶっ?」

かなりの距離を歩き続けた。

おれたちは、一度、洞床に腰を下ろして休んでいた。

灯花が、肩に手を置いてくれたのは、おれがうっかり眠りそうになっていたときだった。

 


地獄と化した食卓で、灯花は、恐れることなく優しさを振舞った。

 

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・・・

同じように、血が滲んで臭気すら発するおれの肩口に、ためらいなく手を添えてくれた。

 

「こんなところで寝たら、風邪を引くだけじゃすまないよ?」
「・・・あ、危ねえ、死ぬところだったぞ・・・」
「あ、私、命の恩人?」
「図に乗るな、ボケ」
「・・・むっ・・・」

 

すねたように、顔を背けた。

おれは、振り向いて欲しくて言った。

 

「そうだ・・・京子さんだがな・・・やっぱり、都会に連れ去られてしまったみたいなんだ」
「・・・そ、そっか・・・」
「でも、だいじょうぶ。必ず助ける」
「・・・う、うん・・・」

心配だっただろうに、地下牢獄を抜け出してから、まったくそれを口にしなかった。

きっと、おれたちの安全を優先してくれたんだろうな。

「この町を出て、都会に出たらさ、それはそれで、お前の両親にも会えるな」
「うん・・・会いたいね・・・」

ぎゅっと袖をつかんできた。

「な、なんだ・・・?」
「み、みんなが、休んでるうちに、言うねっ・・・」
「・・・・・・」
「し、知っての通りなんだけど・・・私、賢一のこと、好きだから」
「あ、ああ・・・」

 

・・・そうだったのか。

 

「でもね、賢一・・・」
「えっ?」

 

どぎまぎしているうちに、灯花の大事な一言を聞き逃すところだった。

 

「みんなと違って、私には大切な家族もいるから、そういう意味で、寂しくはないんだよ・・・」
「・・・うん・・・」
「私は、みんなが大切。賢一も、大切だけど、お母さんも大切。
友達も大切・・・選びようがないくらいに、大切なものが多いんだ・・・。
それって、ちょっとわがままだと思うけれど・・・。
損をすることもあるかもしれないけど・・・」

少女は、またあのときのように、世界の全てを許すような微笑を浮かべて、

 

「それでも、私は幸せなんだよっ」

 

迷うことなく言い切った。

 

お母さんとともに、ゆっくりと、自分の足で歩いていく。

真夏の夜、食卓の上で、灯花は、そう決断した。

 

 

 


・・・・・・。

・・・。

 


「はあっ・・・う・・・く・・・」
「・・・・・・」

お姉ちゃんの呼吸が細くなっている。

おれにしても、撃たれた横腹と肩が、じくじくとうずいて止まない。

ふらりふらりと、覚束ない足取りで、深淵の闇を進んでいくと、気が遠くなりそうだった。

 

「ケンちゃん・・・こっちだよっ」

 

いつの間にか夏咲が手を差し伸べてくれていた。

暗闇で、はっきりとは見えないが、夏咲のぬくもりだけは触れなくても伝わってきそうだった。

お姉ちゃんを支えているので、その手を握ることはできない。

 

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触れたいのに、触れられない。

 

 

・・・

そんな距離感があった夜に、おれは意を決したのだった。

夏咲の手が、深淵の闇にぼんやりと浮かび上がっている。

 

「そばに、いるよっ」

 

光に誘われるように、おれは真っ直ぐ進んでいくことができた。

 

「な、なっちゃん・・・洞窟は、どうだい?」
「え?」
「・・・なっちゃんなら、こんな場所でも暮らしていけそうだね」
「え?」

 

すっとぼけた顔が出た。

 

「・・・聞いてるんでしょ?」
「えへへ・・・」

 

はにかむような笑顔は、洞窟の壁にでも、花を咲かせそうだった。

 

「でも、やっぱり、みんなケンちゃんが大好きなんだねっ」
「・・・・・・」
「ふふふっ・・・ケンちゃんはさっ」
「な、なに?」

 

 

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「わたしを、何番目に好きなのかなぁっ?」
「・・・からかわないでよ」

くすくすと子供のように笑って、手を振っている。

 

「真っ暗だけど、ケンちゃんが、そばにいるねっ・・・」

 

不意に、確認するように言う。

 

「触れられなくても、伝わるんだねっ」
「ああ・・・」
「だから、ケンちゃんがどこにいても、わたしはだいじょうぶだよっ」
なっちゃん?」

 

すると、夏咲はまた、黄色いリボンを凛と揺らした。

 

「夏が来て、暑くなって、少しだけ雨が降って、田んぼは青々しくて、風が吹くと緑の匂いがして、ケンちゃんみたいな友達がいて・・・」

 

向日葵が枯れていく季節に、目の前で向日葵が咲いている。

 

「・・・なんにも変わらないけれど、それだけでもいいんだよ」

 

そうして、少女は、ひときわ鮮烈な瞳をくりくりと動かしながら、

 

「それだけでも、いいんだよっ」

 

二度、繰り返した。

町を一望できる思い出の崖で、おれはぬくもりをもらった。

夏の終わりに、それを返せて、本当に良かった。

 

 

・・・・・・。

・・・。

 

 

 

 

 

 

 


・・・。

・・・・・・。

 

 

・・・

頭上から、ゆるやかな風が吹きつけるホールまでやってきた。

「うぅ・・・ま、まだなの?」
「はあっ・・・っ・・・」

ひたすら洞窟を進んで、もうどれくらいの時間が経ったのか。

身体がひどく重く感じ、足を動かすだけで鈍い痛みが走る。

「はあっ・・・ふう・・・あと、どれくらい?」
「・・・っ・・・ちょ、ちょっと休んだほうが、いいんじゃないかな・・・」
「・・・行き止まりですね」

おれは、ぼんやりとした頭に過去の記憶を巡らせる。

洞窟は、途中に細かな枝洞はあれど、ほぼ一本道だったはずだ。

 

迷うはずがない。

 

「も、もしかしてさあ・・・この竪穴がまさかの出口?」

 

見上げれば、急傾斜の洞壁の上から、うっすらと光が差し込んでいた。

 

「じょ、冗談だよね? こんなの登れるわけないよ」

 

ざっと、五十メートルはある。

 

「け、健・・・他に道があるんでしょう?」

 

お姉ちゃんの苦しそうな吐息が耳にかかり、おれは急かされるように、周囲を見渡す。

 

 

・・・おかしい。

 

 

もうそろそろ自然の洞窟から合流した坑道に出るはずなのだ。

それを抜ければ、すぐにでも地上に出られる。

にもかかわらず、先へ進む通路が発見できない。

 

「・・・っ」

 

さちが、何気なく向けた光の輪の中を見たとき、思わず息を呑んだ。

大自然が作った洞窟とは違い、坑道はちょっとの地震で崩れたりガスが出たりと危険極まりないのだ。

落盤により形成されたのだろう、土砂が大量に堆積している。

 

「・・・あ」

 

夏咲も気づいたようだ。

 

「こ、これって、通路だったんじゃないの!?」
「・・・え・・・そ、そんな・・・」

 

次々と、絶望感が伝染していく。

 

「・・・っ・・・なんてこと・・・」

 

お姉ちゃんは、ずるりと、おれの背中から地面に滑り落ちた。

 

「・・・七年間か・・・」

 

じわじわと闇に蝕まれていくように、傷口の痛みが大きくなる。

背筋を嫌な汗が走るのを実感しながら、思考を働かせる。

 

・・・どうする?

 

引き返すか?

 

しかし、引き返してどうなる?

 

外には治安警察が、おれたちを見つけ出そうと殺気立っているのだ。

 

おれも、もうこれ以上は戦えない。

 

頭上を見上げる。

 

夜が明けつつあるのだろう、徐々に差し込まれる光が強くなってきている。

「登れませんかね?」
「・・・さ、さすがに無理だよ。この壁って、確かにつかめそうな窪みがたくさんあるけど、この高さを命綱なしで登ろうだなんて、途中で落ちたら死んじゃうよ?」

確かに、さちと一緒に登った竪穴の比じゃない。

傾斜は垂直ではないが、それでも七十度以上はあるだろう・・・ロープなしで登るような真似は自殺行為だ。

「・・・と、いうより、体力が持たないでしょうね。登りきる前に、力尽きるわ・・・」

「みんな、満身創痍・・・」

けれど、夏咲は口を止めない。

「はしごがあれば、登れませんか?」
「だから、どこにはしごが・・・」

さちの声をさえぎって、夏咲が指を指した。

ライトの光が何かに反射して瞬いた。

 

「これ?違いますかね?」

 

 

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あたかも地獄の底に垂れ下げられた糸のように、そのはしごはあった。

洞壁にもたれかかるように、ぶらりとつるされて、吹き込んでくる穏やかな風にゆらゆらと揺れている。

洞窟内の湿気は多いのに、錆びついていない。

 

「誰かが、ここを登ったんだ・・・しかも最近・・・」

 

わらにもすがる思いで、天を仰いだ。

 

「おーいっ!!!」

 

さちも同じ思いだったようだ。

ぱらぱらと、小石や埃が降ってくる。

え・・・?

何の冗談かと思った。

 


――「はっはっは! 森田よ、必ずここを通ると思っていたぞ!」

 


冗談にもほどがあった。

瞬間、おれは、傷口に響くほどの叫び声を上げていた。

 

「お、おのれ、磯野ーーーーーーっ!!!」

「は、はは・・・さすがです・・・!」

「い、磯野っ! なんでぇっ!?」

「僕だって、ケンがどうやってこの町を脱出したのか、興味があったのさ!
もともと、この町に坑道があるのは知っていた。
だから、この一ヶ月の間、僕はこの山の洞窟を調べに調べ上げた。
そうしたら、ここを見つけたってわけさ。
まったく、僕が体力ないのは知っているだろう?
真っ暗な洞窟を探検して怪物とバトルして、やっとの思いで、つい昨日、この竪穴を登って、ハシゴを設置することができたんだ」

要するに、おれたちが牢獄で法月とやりあっている間、磯野も戦っていたということか。

笑いが止まらないおれは、つい上に向かって言ってしまった。

「やるじゃねか、磯野。これで京子さんはお前のもんだ」

「・・・もうっ!」

「ただ、初デートで三国志の話はやめておくんだな!」
「僕に、色恋沙汰を説くとは、君も成長したね」
「・・・・・・」

 

「信じてたよ・・・必ずここまで来るってね」」
「・・・ありがとう・・・」
「さあ、登って来い。地上はもう夜明けだ。テントを張って、ご飯を用意して待ってるよ」

頭上からの光が、一段と強くなったような気がした。

「おい、磯野、そっちにロープかなにか、身体を固定できるようなモノはあるか!?」

おれは、お姉ちゃんを背負ってはしごを登らなければならない。

「怪我人がいるのか?」
「ああ、頼む」

磯野は、さちと洞窟に行ったときも、おれにサバイバルバッグを届けてくれた。

きっと、今もレスキュー道具を用意しているはずだ。

しばらく待つと、細長いひもが、ひらひらと落ちてきた。

テープスリングか・・・。

お姉ちゃんを背負い直し、身体を固定させるために、しっかりと巻いていった。

「じゃあ、一人ずつ登っていくんだ」

「ケンちゃんが、先に登ってよ」
「ダメだ」

手を動かしながら言う。

「はしごの一番下を見てみてよ。固定されてないだろ?
だから、誰かが下ではしごを押さえてないと、登ってるときにぶらぶらして危険だ。

みんなにはお勧めできない」
「で、でも、賢一は、璃々子さんを背負ってて・・・」
「ただでさえ、命綱なしでこの高さを登るのは危険なんだ。わかってくれ」

言い終えると、お姉ちゃんを完全におれの身体に固定させた。

これで、両手が使える。

「下を絶対に見ないで、ゆっくりと片足ずつ動かして登っていくんだよ?」

あまりに危険だが、やってもらうしかない。

「よーしっ、あたしから、特攻してみるよ」

はしごを片手でつかむ。

「ここを登れば、絵になるような綺麗な世界が広がってるのかな?」

肩越しに振り返って、聞いてきた。

その質問には答えられなかったが、おれは言った。

「お前なら、どこでだって、描ける」

さちは、ふっと薄笑いを放ると、壁に向き直って、あとは振り返らなかった。

灯花がハシゴの先端をつかむと、さちは一歩一歩、慎重に、けれど力強い足取りで登っていった。

落ちるなよ、さち・・・頼む。

「さっちゃん・・・」
「さち・・・っ・・・」

みんな目を閉じて、さちの無事を祈っていた。

ぎしぎしとハシゴが揺れる音や、散ってくる岩石がその都度おれたちを不安にさせる。

 

 

 

・・・
「・・・っ・・・どうやら、たどり着いたみたいね」

やがて、頭上から元気な声が降ってきた。

「着いたよーーーーっ!!!」

ほっと胸を撫で下ろした。

「よし、じゃあ、次は・・・」

「わ、私が行くよ・・・」
「得意のうっかりだけは、今回はかんべんしてくれよな」
「ぶっ殺すぞっ・・・」

そうして、灯花は胸にぎゅっと手を押し当てて言った。

「・・・だいじょうぶ。私には、守りたいものがたくさんあるから」

しっかりとした手つきで、ハシゴをつかんだ。

足をかける。

相当な距離を登るというのに、震えはうかがえない。

「・・・・・・」

数段登ると、夏咲がハシゴの先端をつかんだ。

「・・・がんばって・・・まだまだ、いじめたりないんだからね・・・」

お姉ちゃんの声に、頭上から笑い声が聞こえたような気がした。

だんだんと、その姿が小さくなっていった。

お姉ちゃんが、ぎゅっと顔を押し付けてくる。

不安なのだろう・・・できることなら、頭でも撫でてあげたかった。

 


・・・
「うわーーっ、朝陽がきれーーーいっ!」

はっとして、見上げた。

「確保っ!」

磯野が、崖を登りきった灯花をつかまえたらしい。

「よ、良かった・・・」
「さあ、次はなっちゃんだよ?」
「うん、上で待ってるねっ」

じっと、見つめてきた。

「すぐに、行くよっ」

すると、夏咲は、すっと歩み寄ってきた。

息を交わせそうな距離。

ぴとっと、頬に軽い口づけをしてきた。

 

「・・・えへへっ、大好きだよっ」
「・・・っ・・・」

 

背後から、お姉ちゃんの咳払いが聞こえてくる。

 

「じゃあねっ、あとでねっ!」

 

夏咲は、はしゃぐようにして、壁を登っていた。

おれはすぐさまハシゴを支えて、揺れを小さくする。

夏咲は気に登る猿のような軽快さで、ぐいぐい登り進んでいった。

 

「・・・はは、楽しんでいるのかな・・・」
「・・・かわいい子ね、本当に・・・」

 

自然と不安な気持ちにはならなかった。

 

「・・・・・・」

 

しばし目を閉じていると、様々な思いが闇の中に湧き出てくる。

みんな、ほとんど眠っていない。

牢獄に閉じ込められて、疲労は頂点に達していたはず。

にもかかわらず、誰も弱音を吐かなかった。

一人一人が、仲間のことを想っていた結果、ようやくここまでたどり着いた。

 

 

 

 

・・・
「やっほーっ! ケンちゃーーん!」


「・・・おおっ」

 

おれもお姉ちゃんも、思わず感嘆の吐息を漏らした。

 

「確保したぞ! さあ、最後だ!」
「早く上がってきなよーっ!」
「みんなで、ご飯食べよーっ!」
「ケンちゃーん!」

おれはうっすらと差し込んできた光に向かって叫んだ。

「待ってろ! すぐ行くっ!」
「・・・ん・・・やっと、ねっ」

お姉ちゃんの声にも活気がこもった。

おれは、一度呼吸を整え、お姉ちゃんが落ちないかどうか、もう一度確認した。

「ふう・・・」
「健、すまないわね・・・って、なんだか、謝ってばっかりかな?」
「でも、言ったろ? 昔にさ・・・」
「うん・・・?」
「将来は、あんたが私の前に立つのよって」
「・・・その通りになったわね・・・さすが、私の弟だわ・・・」
「おれは、借りを返しているだけだよ。
お世話になった人には、感謝の気持ちを返す。
そうやって、世の中が上手く回っていくんだな、コレが・・・」
「フ・・・ずいぶん、余裕そうじゃない?」
「余裕だよ・・・」

たとえ、肩と腹の感覚が無くなっていてもな。

「やっぱり・・・世界で一番、あなたの背中が安全ね」

遥か頭上まで続くグロテスクな洞壁の向こうで、なにやら騒がしい声が聞こえた。

みんな、勝ち取った自由を喜んでいるのだろう。

おれも、仲間に入れてもらうとしよう。

ハシゴに向かって、手を差し伸ばした。

 

 

・・・っ!

 


「健、危ない!!!」

「・・・っ!?」

 

とっさに、壁から飛びのいた。

 

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 

唖然として、ただ、暗闇の中を立ち尽くした。

 

理由はわからない。

 

何の前触れもなかった。

 

ただ、落下してきた鉄製のはしごが、勢いよく洞床に叩きつけられて、埃を四散させている。

 

「あ・・・き、切れた・・・のか?」
「・・・そうね、じ、事故があったみたいね・・・」
「おーいっ! 磯野ーーーーッ!!!」

 

衝動的な叫びが、洞窟の壁に反響する。

 

「・・・・・・」

 

けれど、なんの返答もない。

 

「なぜ、だ?」

 

さっきまで、地上であんなにはしゃいでいたって言うのに・・・。

 

「お前らっ! 冗談にしては、飛ばしすぎじゃねえかっ!?」

 

ずきりと、骨に響くような痛みが肩口から全身に向けて走った。

 

「ぐっ、お、おい・・・事故があったんなら、ロープのひとつでも降ろしてくれ!」
「・・・・・・」

 

お姉ちゃんの吐息が、不安に震えている。

 

「・・・・・・」

 

なにもわからない。

 

いつまでたっても、救いの声は降りてこない。

 

何度叫んでも、仲間は反応してくれない。

 

地上にいるはずの四人は、幻のように、消えてしまった。

 

朝陽はどんどん差し込んできているというのに、出口はすぐそこだというのに、先が見えなくなった。

 

ただ、脱出路が消えたという、圧倒的な現実だけが残された。

 

「健・・・引き返しましょう?」
「戻るって? あの町へ?」
「ええ・・・二人なら、そう目立たないだろうし、なんとかなるんじゃないかしら?」

 

・・・戻っても、治安警察の目からは逃れられないだろう。

町の正式な出入り口は、完全に封鎖されているに違いない。

町に戻るということは、牢獄に逆戻りするということだ。

ここまできて、それはない。

あと一歩なのだ。

おれは、唇をかみ締め、危うく折るところだった膝を奮い立たせた。

 

「健・・・?」

 

おれを制するような声を無視して、天を仰いだ。

竪穴の難度を見定めるように、じっくりと、光をまとい始めた岩を観察していく。

 

「・・・ま、まさか、健・・・?」

 

登はんには、かなりの激痛を伴うだろう。

激痛ですめばいいが、岩をつかむための肩や太もも、指先が麻痺したら終わりかもしれない。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい! この高さよ?」

 

途中で落下すれば、間違いなく背中から叩きつけられることになる。

それは、お姉ちゃんの確実な死を意味する。

 

「よく考えなさい・・・地上から反応がなくなったということは、この絶壁の上で、なにかよくないことが起こっているということよ!?」

 

わかっている、それくらい。

 

「危険に飛び込んでいくということなのよ!? たとえ登りきったとしても、無駄になるかもしれないのよ!?」

 

お姉ちゃんの言うとおり、地上では四人を黙らせるような悪いことが起きているに違いない。

 

つまり、仲間が危ないのだ。

 

おれは、迷うことなく岩の裂け目に手を差し込んだ。

 


「――二度も、逃げるわけにはいかないんでね」

 

 


・・・

 

 

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薄ぼんやりと明るい岩肌の先を目指して、腕を伸ばす。

素手で、しかも、確保ロープもなく行う登はんは過酷を極めた。

暗闇のそこかしこに死の予感が漂っている。

賢一は、傷の開ききった肩口の痛みに堪えながら、絶壁に挑んだ。

脱出には限界を越える体力を課せられた。

ごつごつした岩場をつかむ手のひらは、あっという間に擦りむけて、血を滲ませる。
身体を支えるために壁に押し付けた腹が、治安警察に撃たれた記憶を呼び覚まし、悲鳴を上げる。

額から流れる汗はいつでも目蓋に浸水し、そのたびに、賢一は刺すような痛みを目に覚えた。

 

――真っ直ぐに、見据えなければ。

 

心の中で、そう念じて、崖を登っていく。

けれど、目の前でまぶしい光がはじけて、一瞬、視界が闇に包まれた。
荒ぶる息を整えながら、激痛の走った指先をちらりと見る。

剥がれた爪の向こうで、黒ずんだ肉の色がうかがえた。

 

「健、健・・・」

 

震えるような吐息を首筋に当てつけられる。

姉は、先ほどからずっと、名前だけを呼び続けていた。
か細い声から祈るような感情が伝わってきた。
背負われているだけの自分が情けない。
自分など、ただのお荷物ではないか。

謝罪めいたすすり泣きが、耳にまとわりついて離れない。

落下の恐怖は、もちろんぬぐえるものではない。
姉の体重がいつでも、賢一の身体を闇の底へと誘う。

下を見ることはできないが、滑落すれば、十分に即死できるくらいの高さまで登り詰めているだろう。

そこで、賢一はふと思い立ち、むせ返るような岩石臭のなか、口を開いた。

 

「最高だな、崖登りってのは」

 

姉が、つぶやきに反応するようにうめいた。

 

「下を、見ることを、身体が許さねえじゃねえか」

 

あえぐような声が漏れて、姉はまた、弟の名前を繰り返し口ずさんだ。

過去を振り返らない。
そこには闇しか残っていないのだから。
けれど、未来にも、絶壁を登りきった先にも、暗闇が待ち受けているのだろう。

大切な仲間たちが、賢一の助けをいまかいまかと待っているかもしれないのだ。
時間との戦いだった。

ただ、焦っていたのではない。
賢一のクライミング技術は確かなものだ。
何度も足場を確認し、冷静に身体のバランスを整え、次の確保点を探していく。

 

 

運が悪かったとしかいいようがない。
血まみれの手のひらがつかんだ石筍が、もろくも崩れ去ったのだ。

不意打ちのような恐怖を味わった直後、賢一は崖を滑り落ちた。
闇のなか、空中に法り出される。


落下の衝撃と岩肌との摩擦が賢一の意識を奪っていく。
姉の意味を成さない絶叫が洞内にこだまし、行き場を失う。

 

―――お姉ちゃん!

 

何かをつかんだ。
それは岩の窪みだった。

全身に鞭を打たれるような痛みに耐えながら、賢一は落下を食い止めた。

目をゆっくりと開き、恐怖にぼやけていた視界を整えていく。

だいじょうぶだよ、お姉ちゃん・・・そう言えたと思う。
姉は声にならない泣き声を上げていた。
子供のころ、あれだけ大きく見えた姉が、いまはとても小さく、賢一の背中で震えている。

 

「健、健・・・も、もういい、もういいよ・・・」

 

堰を切ったように、悲痛な叫びが溢れてきた。

 

「私を、私を、おろして・・・お願いっ・・・」

 

私は、もういい。

 

もう無理。

 

私を置いていけば・・・。

 

健は生きて。

 

お願いだから・・・。

 

姉らしくなかった。

一瞬、怒りにも似た衝動が腹の底でうずいた。

けれど、賢一はそれでも優しく言い放った。

 

「忘れたのかい?」

 

体勢を立て直しながら続ける。

 

「おれは、お姉ちゃんを助けるって言っただろう」

 

姉が大学に行ってしまう、あの夏の日。

姉は忘れないわと確かに言った。

自分の弱さを思い知らされたのか、姉は沈黙した。

賢一は感覚の麻痺しだした腕を、再び岩の裂け目に伸ばした。

手首より先に、ほとんど力が入らない。

だが、つかまなければ。

歯を食いしばり、がっしりと岩肌をグリップする。

火照りきった上体をよじ登らせたそのときだった。

右足の感覚が無くなっていた。

動け、動けと、命令を送っても、身体はうんともすんとも言わない。

そんな馬鹿な。

姉を助けなければならないのに・・・!

愕然とすると、一気に洞窟の闇が濃くなった。

朝の光が差し込んでいるはずなのに、急激に、なにもかもが暗くなっていく。

 

またなのか。

 

冷たい壁に頭を押し付け、自分を罵った。

また、仲間を救えないというのか。

痛かった。

苦しかった。

悔しくて、悲しかった。

 


賢一はいつの間にか泣いていた。
泣く元気があるというのに、身体が意志を蝕んでいった。

 

――あきらめたくはない、

あきらめたくはないんだ!

 

 


・・・
ついに、賢一は姉を背負ったまま瞳を閉じてしまった。

ぽっかりと、どこかに浮かんでいるような心地よさが全身にまとわりつく。

 

 

・・・


「賢一っ、がんばれっ!」

 

さちだった。

 

けれど、瞳はもう、閉じてしまっている。

 


「けんいち、がんばれっ!」

 

灯花だった。

 

けれど、瞳はもう、閉じてしまっている。

 


「ケンちゃん、がんばってっ!」

 

 

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いくら夏咲の鮮やかな声が届こうとも、賢一はすでに、瞳を閉じてしまっているのだ。

 

それでも、彼を呼ぶ暖かな声は止まない。

 


・・・想うの。

誰かが呼んでいる。
息だけの、切れ切れの声だった。


・・・誰かを想うの。

それは、すぐそばから聞こえてくるようだ。

 

「こうやって瞳を閉じて、誰かを想うの」

 


――「しっかりしなさい!!!」

 

はっとして目を覚ました。

潤んでいたはずの瞳が、乾いていた。

姉の叱咤に、心臓が激しく高鳴り始めた。

得体の知れない熱が胸にこもっていく。

背中で咳き込みながら、姉は苦しそうに叫んだ。


――「もうすぐ、もうすぐなのよっ!!!」


賢一は登はんを再開した。

負けそうになっていた気持ちを奮い立たせ、確実に上に向かっていく。

麻痺を起した右足は動かない。

だが、登らなければ!


――「あきらめないでっ!!!」

 

姉が、牢獄で死の寸前まで痛めつけられていた少女が、叫んでいるのだ。

 

――「がんばれっ!!!」


爪のない指先が、これ以上岩と接触することを拒否する。

だがつかまなければ!

 

――「健ならできるっ!!!」

 

汗と埃と泥に見舞われた瞳が、痛い痛いと閉じようとする。

 

だが見据えなければ!


――「私の、弟でしょうーっ!!!」


この声援に応えなければ――!

何もかもが苦しい。

けれど、助けたい。

死なせたくない。

過去の罪が、どんなに心を闇に落とそうとも。

 

この車輪の国で・・・。

 

この先どれほど暗澹たる未来が待ち構えていたとしても。


胸が締め付けられる思いがして、賢一は最後の意志を全身に送った。


――それでも、進まなければ!

 

 

 

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

・・・
やがて、確かな手ごたえを感じると、瞳が地上の光を大きくとらえた。

 

 

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


崖を登りきると、そこには開けた草原が広がっていた。

七年前も、おれはこの近くで地上の匂いを感じていたのだ。

そう、七年前。

七年前、おれはこの近くで拾われたのだ。

 

 

あのときと同じように、法月将臣がそこにいた。

 

 

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「・・・・・・」
「・・・・・・」

すぐにでも落ちそうな意識で、辺りの状況をうかがう。

軍用ヘリが一台、磯野が張っていたらしいテントが一つ、そのすぐそばで夏咲たちが倒れている。

 

・・・先回りしてたってわけか。

 

声に出したつもりなのに、口が開かなかった。

 

さすが、とっつぁんだよ・・・やっぱり、殺しておくべきだったかねぇ・・・。

 

「・・・っ」

 

背中でお姉ちゃんも息を呑んだ。

 

「・・・・・・」

 

法月はじっとおれを見据えている。

牢獄でおれに足元を救われた法月は、その瞳の向こうに何を求めているのか。

おれを捕らえるつもりか、それともこの場で殺すつもりか。

 

「・・・登りきったか」

 

感嘆するような声を漏らした。

 

「そうか・・・登りきったか・・・そうか・・・」

 

確認するように何度もうなずく。

 

「・・・登りきっても、暗い未来が待ち構えていると知っていてなお、真っ直ぐに進んできたか・・・」
「・・・・・・」

 

法月は目を伏せた。

ゆっくりと、なにかを思案するような深いため息をつく。

 

「もはや、お前に教えることはない」

「ぇ・・・?」
「お前は牢獄で私を破った。そして、いま、私のもとを離れていく。
それだけのことだな」
「・・・・・・」
「森田よ、一つだけ、聞いておく」
「・・・・・・」
「これからお前は大事な姉とともに、この国に挑むのか?
それとも、日向たちとともに、自然体で、多くを望まなくとも幸せな人生を過ごすのか?」

 

法月の瞳はいつになく穏やかだった。

 

「・・・・・・」

 

おれは、目を閉じて、恩師の、おそらく最後となる質問の答えをさがした。

 

・・・おれが望むものは・・・。

 

 

・・・

おれは、言った。

 

「さあ・・・まだ、決めかねてますよ・・・」

 

唇が痛んだが、話さなければならない。

 

「・・・・・・」
「そんなことより、腹が減っててね・・・難しいことは、身体が満足してから考えるとしましょうや・・・」

 

すると、法月はおれの腹を読んだかのように言った。

 

「ふざけた返事だな」

 

そう言って、何かをこちらにむかって投げてきた。

それは、おれから奪ったはずのメモリだった。

 

「ど、どうして・・・?」

 

さすがに焦った。

 

「わからん・・・」

 

穏やかに言って、背を向けた。

 

「三郎の遺産は、息子に返さなければな・・・」

 

堂々と歩き去っていった。

大きな背中が、ヘリに近づいていく。

胸元に手が伸びていた。

法月が手首を放ると、何かが朝のまぶしい光に瞬いて、茂みに捨て去られた。

 


「・・・終わったわね・・・」
「ああ・・・ひとまずはな・・・みんなも、無事みたいだし」
「動ける?」
「みんなに、朝が来たって教えられるくらいにはな」
「ふふ・・・そう・・・」

 

お姉ちゃんは、また、ふっと耳に息を吹きつけた。

暖かい熱がじんわりと耳から胸に広がって、なんだか眠くなってきた。

 

「少しだけ、眠らない?」
「少しだけ?」
「そう、少しだけ・・・目を閉じて、みんなと一緒に休みましょう?」
「・・・お姉ちゃんが、そういうなら・・・」

 

おれはふらついた頭でうなずいた。

 

「おやすみ、健・・・よくがんばったわね・・・」
「おやすみ、お姉ちゃん・・・」

 

そうして、おれたちはほとんど同時に瞳を閉じていく。

たとえ、

おれとお姉ちゃんが、

いまにも死にそうなくらいぼろぼろになっていたとしても、
向日葵の少女たちが自由になろうとも、
社会にどんな変革が起ころうとも、
それでも、車輪の国に、朝陽は昇ってくる。

そんな当たり前なことが、腹立たしいようでいて、どこか愛しく思えた。

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

 

法月と治安警察が撤退し、町は穏やかな日常を取り戻した。

 

さちとともに行きていく。

 

そう告白したとき、あいつは飛び上がって喜んだ。

 

その日から、五年の月日がたった。

 

飛び上がって喜んだのは、おれも同じだった。

 

世界で最も権威ある文化賞の、絵画部門にさちが選ばれたのだ。

 

 

 

 

・・・

受賞後のパーティ会場。

 

各国の著名人が参列するなか、さちは飾られた自分の絵の前で大きくあくびをした。

 

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「ふー、なんか偉い人たちにたくさん囲まれて疲れちゃったぁー」
「おめでとう、これで、お前は歴史に名を刻んだわけだ」
「あたし、超ビッグになったわけだよね。なんか実感わかないなぁ・・・」
「・・・まあ、そういうものなのかもな」
「世界を制覇したから、次は宇宙かな? 魔界かな?」
「いくつになっても変わらないなあ・・・」
「あたしはあたしだかんねっ」


・・・そういうところが、改めて魅力的だなと思った。

受賞のきっかけとなった絵は、やはり、正義の象徴である向日葵だった。

さちは、ずっと向日葵だけを描いていた。

そう、ずっと・・・まなが、出て行ってから。

「・・・どしたの? 得意のシリアス?」
「お前こそ」

不意に、さちの目を見据えた。

「な、なに・・・?」

この五年間、常に笑顔で、元気を絶やさなかったさちだが、ときおり何かを思い出したように切なそうな目をすることがあった。

「なんだよ、なんだよっ?」
「いいや・・・とにかくおめでとう」

おれは、この五年間、死力を尽くしてまなを探した。

金や人脈を使いまくり、裏情報をかき集めた。

去っていった法月にすら連絡をいれた。

けれど、あの異民の少女の行方はつかめなかったのだ。

 

「あ、どーもどーも、三ツ廣です。さちでいいですよー」

 

おれがぼんやりとしていると、さちはまた、参列者と挨拶を交わしていた。

 

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「素晴らしい絵ですね」
「いやあ、まだちょっと引き締められたかなって思ってるんだけどねー」

「おい馬鹿。いきなりタメ口かよ」

「ふふ・・・かまいませんよ」

 

 

見たところ、ずいぶんと若い。

けれど、少女というには、あまりに精悍な顔つきをしていた。

 

「本当に、文句のつけようもありませんね」

 

その目、その瞳が尋常ではない輝きを放っている。

 

「失礼ですが、どちらさまですか?」

 

女性は口元に微笑をたずさえて答えた。

 

「とある南方の国の、王室主席秘書官をしております」
「南方の・・・」

 

つい、眉をひそめてしまう。

 

「実は、今日、お忍びで参りました」

 

南方の国の王室。

ダークサイドの情報を駆使しても、閉鎖された宮殿の様子まではうかがえないという。

 

「ていうか、お名前なんていうの? 友達になろうよっ」

 

すると、女性はまた笑った。

お腹を押さえて、心底おかしそうに笑っている。

 

「え? なになに? なにがウケたの?」
「・・・・・・」


「私は、アンテリアム・ド・ムァヌーと申します」
「なげーっ!」

 

はは・・・。

 

「ミドルネームがつくってことは、高貴な家柄なんでしょうね」
「いえいえ、とんでもない。後づけでいただいたんですよ。
もともと戸籍も身分証もない奴隷のような身分でしたから」
「そうですか、そうですか。お若いのに・・・いやあ・・・大変だったんでしょうね」

 

本当に、過酷な日々を過ごしてきたんだろうな。

 

「ふふ・・・本当に、賢一も変わりませんね」
「え? 知り合い? まさかの愛人?」

 

おれはさちを無視して女性に問う。

 

「どうして、今日はここに来られたんですか?」

 

いや、今日になってというべきか。

 

「こんな日が来るのを信じていましたから。
それだけを夢見て、いままで生き抜いてきましたから。
逆に言えば、この日が来なければ、私はずっとあなたたちと会うつもりはありませんでしたよ」

 

さすがに厳しいな。

 

「なんか二人だけで盛り上がってるよ・・・ま、いっか・・・」

 

さちはぴしっと、女性を指差した。

 

「名前長いから、そのへんテキトーでいいかな?」
「ふふ・・・あははっ・・・」
「えっとね、アンテリ? あー、なんか微妙・・・」

 

そうして、ようやく気づいたようだ。

はっとして、息を呑んだ。

さちは、恐る恐る、けれど精一杯の期待を込めた眼差しで言った。

 

「ま、まな・・・?」

 

まなは、間髪入れずに叫んだ。

 

「そうだよ、お姉ちゃんっ!」
「う、うそ・・・マジで・・・?」
「まな、お姉ちゃんに会いに来たんだよぉーっ!」

 

昔のように、舌足らずな声を出す。

 

その声に、さちは、固まった。

 

「あ、あ・・・」

 

震えだす。

 

さちは、この日のために、懸命に絵を描き続けていたのだ。

 

「会いたかったよ、お姉ちゃん」
「・・・っ・・・」
「やっぱり、まなの言ったとおりだねっ!」
「あ、う・・・うぅ・・・」


一筋の涙が頬を伝って流れ、そのあとはもう駄目だった。

ふらりふらりと、近づいて、わななく唇でなんとか言葉をつむごうとする。

まなも、その綺麗な顔立ちを涙で濡らしていた。

おれも姉妹の再会を心から祝福した。

あの夏の日、向日葵畑で別れた少女たちは、また泣きながら抱き合うのだった。

 

 

 

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「まなのお姉ちゃんは、すごいんだよーっ!」


「まなああああああぁぁぁっ!!!」

 

 

 


END