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車輪の国、悠久の少年少女 法月編【5】

 


・・・

 

空気の澄み切った早朝。

三郎が健のおしめを取りかえながら言った。

「おい、今日は学園が休みだぞ」
「知っている。夏休みという休暇だ」
「年中遊んでいるおれには関係ないがな」

未だ眠りに落ちている雑賀さんをみやった。

「ちょっと二人で遊んできたらどうだ?」
「遊んでいる暇などない」

言って、眉をひそめる。

「今日で将臣くんの人生も終わりか」
「本当に終わるかもしれんな」
「おいおい頼むぜ」
「雑賀さんが、法月アリィを前にして平静を保っていられる可能性は、私の予測では10%以下だな」
「なんだよその数字」
「本来ならあきらめてしまいたい」

勝てない戦いは無意味だ。

「しかし、私の命がかかっている。
こんなところで、死んでたまるか」
「てことは、なにか策があるんだな?」

私は即答した。

「ない」

 

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「うそぉっ!?」
「しかし、ないでもない」
「どっちだよ!」

私は軽く周囲を見渡してから言った。

「テストそのものを無効にしてしまうのだ」
「え?」
「いいか三郎・・・」

私は秘めたる思いを打ち明ける。

 

「法月アリィに逆襲する」

 

三郎の顔色が変わった。

「ヤツはこう言った。最終試験はすべて自分に一任されているのだと。
だが、いくらなんでも三人の候補生を殺害し、雑賀さんに必要性の疑わしい暴力を振るい、囚人に逃げられ、町の住民に驚異を与えているのでは、少々度が過ぎるのではないか?」
「・・・・・・」
「もちろん、ある程度は揉み消しがきくとは思う。
だが、法月は異民の女性だ。この国での社会的地位は常に危ういものになっているに違いない。
最終試験の指導教官として、私と三郎まで不合格にしてしまっては面目が立たないだろう」
「・・・そうだろうな」

三郎は低い声でうなずいた。

「さらに私は、これまでの法月の悪行を詳細にノートに記している」
「そういえば、朝にノートをつけていたが・・・?」
「出世とは、現在の上司のポストを奪うということだ。
であれば、上司の失態を覚えておいて損はない」
「覚えておいて、どうするんだ?」
「報告する」
「報告? 誰に?」

怪訝そうな顔の三郎に、私は切り札の一つを披露することにした。

「政府高官の一人と知り合いなのだ。大学の講義に招かれたときに、取り入った」

あの方は、法務省の刑事局でけっこうな地位にあったはずだ。

しかも、好都合なことに、隠れた異民差別主義者でもある。

「つまり、てんてぇを強請るわけか?」
「脅しをかけられた法月は、証拠隠滅のため、そのときこそ私たちを始末しようとするだろう」
「でも、てんてぇは女で背も低い。腕力なら勝てそうだと?」

私は笑みを浮かべた。

「お前にも戦争経験はあるのだろう? 二人がかりなら、なおさら勝利の確率は上がる」
「なるほどねえ・・・」
「もちろん、私の報告がすんなりと受け入れられて法月が権力を失墜させるとは限らない。脅しが脅しとして成立しない可能性もある。
だが、10%にかけるよりは、こちらのほうがはるかに分がいい」
「ふぅむ・・・」

三郎は目を閉じて、思案するように腕を組んだ。

「お前、やっぱすげえな。まさか、そうきたか。
てっきり真面目にみぃなちゃんを更生させるのかと思ってたよ」
「与えられた課題をこなすだけでは、一流にはなれん」

自分でも少々図に乗っているとは思う。

だが、あの高慢な女を力で捻じ伏せられるかと思うと、心が沸き立つ。

「将臣が反逆を考えるのは、みぃなちゃんとラブラブになって、みぃなちゃんがてんてぇに殺されそうになってからかと思ってたぜ」
「笑えない冗談だな。追い詰められてからことを起こすのでは、無計画にすぎるというものだ」

言いながら、三郎に歩み寄った。

「では、計画を説明する」

けれど、そのときだった。

「ちょっと待てよ」
「ん?」

三郎はゆっくりと頭を振った。

「おれが手伝うなんて言ったか?」

返す言葉もなく、困惑した。

「おれは、てんてぇに刃向かったりしないぜ」
「・・・な、に?」

計算外だ。

「そんなヤバい真似はやめてくれよ。せっかく最終試験にまでこぎつけたのによ」
「三郎、冗談はよせ」
「ギャグじゃねえって。巻き込むなよ、おれを」
「馬鹿な。ありえん・・・!」

思わず口を尖らせた。

「お前は仲間を三人も殺されたのではなかったのか!?
法月アリィが憎くないのか!?」
「落ち着けって。ありえないことなんていくらでもあるっての」

三郎は必ず協力するはずだと確信していた。

「理由を聞こう。納得のいく説明をしてもらうぞ」

三郎は頭をかきながら目をそむけた。

「まあ、てんてぇに勝てるとは思わねえってのが、一番の理由かね。
ほらよ、治安維持局の局員も来てるじゃん?」
「そんなものは、作戦次第でなんとでもなる」

これから説明しようとしていたのだ。

「気づかれぬうちに、法月を急襲するのだ。
襲われるとわかっていなければ、ヤツも囚人を捕らえるために呼びつけた局員を自分の護衛にあたらせないだろう?」
「でも、てんてぇの拳銃さばきを見たろう? 逆におれたちは丸腰だぜ?」
「不意をつけばいい。例えば、三郎が会話をして注意をそらしている隙に、私が・・・」
「だからおれはヤダってば」
「・・・っ!」

私一人では、それこそ撃ち殺される可能性が高い。

だからこそ、三郎の協力が必要不可欠なのだ。

「とにかく、よそうぜ。なっ?」
「・・・・・・」

私は、大きく息をついた。

「お前は私を友人と認めていなかったか?」
「ダチだから、無謀な真似はよせって言ってるんだって」
「このまま雑賀さんがテストを受けると、私が殺されるわけだが?」
「いや、てんてぇはお前のことを気に入ってるみたいだし、だいじょうぶだって」
「そういうのを、楽観論というのだ」
「お前は殺されないって。
お前の言うとおり、てんてぇも誰かを合格させなきゃ立場がヤバいはずだし」
「・・・・・・」

どうやら私は、この男を見誤っていたようだな。

運だけで最終試験までこぎつけたという噂は、本当らしい。

「わかった。悪かったな」
「考え直してくれんのか?」
「考え直さざるを得んな」

こいつが、法月アリィに私の叛意を密告しに行くリスクを考えると、下手に動けん。

「まあ、もうちょい待てって。おれも考えてるところなんだよ」
「期待しておこう」

嫌味の一つも言いたくなるのを、ぐっとこらえた。

「ではな」
「あ、どこ行くんだよ・・・?」
「小便だ」

 

 


・・・まったく、私には人を見る目がない。

うかつに心の内を告げるべきではないな。

切り札ともいえる人脈のことまで話してしまった。

 

「ち・・・」

 

清潔な便所のなか。

私はまた、悩みの種を発見していた。

 

 

 

 

 

・・・

思案に暮れていると、時刻は昼を回っていた。

 

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「健ちゃんって・・・元気ないですねー?」


「・・・・・・」


「具合でも悪いんですかー?」

具合が悪そうなのは、雑賀さんのほうだった。

「一度、医者に見せたけどさ、とくに悪いところはなさそうだって」
「うーん・・・やっぱり、本当のお母さんがいいんですかね・・・」

寂しそうに抱きかかえる。

「ほらっ、高い高い、ですよー」

じゃれあう姿を、私はぼんやりと見ていた。

「ふふっ、ほら、笑って笑って・・・!」

あどけない仕草で、健をあやす。

見ていて、とても心がうずく。

私も、あんなふうに母親に抱いてもらったことがあるのだろうか。

けれど、健は怯えたような目つきで、黙っていた。

「あの・・・阿久津さん・・・」
「なんですか?」
「あ、いえ、怖い顔をなさっていらっしゃるものですから」
「気を使わなくてもけっこう」
「す、すみません・・・」

雑賀さんは、私がまた悪漢を演じ始めたのかと不安に思っているのだろう。

「明日は、法月先生にテストをしてもらうんですよね?」

沈黙が怖いのか、当たり前のように話題をふってくる。

「前のように、暴力を振るわれるのでしょうか?」
「おそらくは・・・」
「暴力って怖いですよね。
殴られたとき、頭を痛みだけが支配される感じで何も考えられなくなるんです。
わたし、どんなにがんばっても、暴力にはかなわないような気がするんです」
「・・・落ち着いてください。まだ殴られると決まったわけではありませんよ」

恐怖のためか、額にはうっすらと汗が滲んでいた。

「わたし、いままでほとんど手を上げられたことがなくて」

神職の家でも、さすがに暴力は振るわれないらしい。

「お嬢様みたいで、情けないです・・・」

本当にお嬢様なのだから仕方がない。

「雑賀さん・・・」

できるだけ優しい声を作った。

「外出でもしませんか? 悩んでいて解決策が浮かぶわけでもありませんし」

少女は突然の誘いに、戸惑いながらもうなずいた。

 

 

 

・・・

・・・・・・

 


のろのろと歩みを進めながらも、山中まで足を踏み入れた。

「いい景色だ」

隣を歩く雑賀さんも、少しだけ表情が緩んでいた。

 

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「珍しいですね」
「え?」
「いえ、阿久津さんが景色の話をなさるなんて」
「雨でも降りますかね」
「冗談も久しぶりに聞かせていただきました」

口元に手を添えて、上品に笑う。

「どうします? またキノコでも採りましょうか?」

からかうように言った。

「かまいませんよ、わたしは食べられないですけど」
「あのときは楽しかったですね」
「ええ・・・なんのお役にも立てなかったですけど」
「ええ・・・苦労しましたよ」
「ふふっ・・・」

出会ったときのような、明るい笑い方。

「やはりあなたは、笑顔が似合いますね」
「えっ?」

照れたようだ。

「ど、どうなさったんですか? 今日は?」
「別に? 普通だと思いますが」
「そ、そうですか・・・」

唇の両端を釣り上げながら、恥ずかしそうにうつむいた。

喜びを隠し切れない無垢な表情。

「で、でも、うれしいです。阿久津さんが、優しくしてくださって」


・・・ここ数日はつらくあたっていたからな。

「お会いしたときから、阿久津さんはずっと紳士的な方でした」

 

・・・それには、そういう態度が最も女性に安心感を与えるという計算もある。

 

「阿久津さんのような素敵な方は初めてです」
「そんなふうに褒め殺されるのは初めてです」

 

笑っている場合ではないのだ。

明日のテストを乗り切るための策を練らねければ。

だが、雑賀さんの顔を眺めていると、頭のなかにもやがかかったように、思考が鈍る。

いったいなんなのだろうな、この気分は。

昨日の夜からだ。

なにやら息苦しいような、切迫した感情が胸奥で渦巻いている。

 

「この先に、見晴らしのいい崖があるんです」
「・・・ほう」
「風が気持ちいいですよ?」

 

私は雑賀さんに従った。

 

・・・この複雑な気分にも決着をつけねば。

 

 

 

・・・

開けた丘に出ると、雑賀さんの言うとおり、吹き上げるような風が全身を撫でつけた。

 

 

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「なるほど・・・」
「どうですか?」
「どう、とは?」
「気持ちよくないですか?」

少女は、胸を張って風を受けている。

「・・・すみませんが、とくに感銘を受けるようなことはありません」
「でも、なんだか安心しませんか?」
「・・・いえ・・・風は、風ですから」

つまらないことを言ってしまった。

「申し訳ない」

けれど、雑賀さんは微笑みながら語りかけてくる。

「目を閉じて、両手を広げ、大きく深呼吸をしてみてください」
「・・・わかりました」


素直に言われたとおりにする。

 

視界が暗くなると、陽光の残滓が赤黒く網膜の裏に広がる。

 

腕を伸ばすと、当然、より多くの風圧を肌に感じた。

 

「どうです・・・?」
「・・・・・・」
「自然の息吹を感じませんか?」
「・・・・・・」
「力強い、大地の歌です」

 

詩的なことを、恥ずかしげもなく言った。

 

「・・・いや、申し訳ない。私にはさっぱりです」

 

目を開けると、苦笑しながら腕を組んだ。

 

「・・・さっぱりですか?」

 

雑賀さんも困ったように笑う。

 

「失礼ですが、あなたはこのような真似をして、どんな利益を得ているのですか?」
「利益・・・?」
「いえ・・・なんというか、なにが面白いのでしょうか?」

不思議な女性だ。

「それとも、私がおかしいのでしょうか?」

雑賀さんは、私の質問には答えずに、また口元に微笑をたずさえながら、目を閉じた。

「・・・楽しいですよ」

ささやくように言った。

「とても、落ち着きます」

そのとき、不意に言葉を失った。

鈍感な私には、山風に身を投じる少女の姿を、なんと形容すべきかわからない。

ただただ近寄りがたい気高さを感じ、一歩あとずさった。

「・・・あの・・・」
「はい・・・?」

声をかけるのもためらってしまう。

「・・・いえ・・・あなたは、その・・・感受性が豊かなのですね」

言っておいて、そのような感想しか持てない自分が恥ずかしくなった。

「うらやましいです。尊敬いたします」

世辞でも、媚でもない。

・・・いままで大勢の人間と出会ってきたつもりだったが・・・私は、狭い世界に生きているのだな・・・。

このような人が、作詞を志すものなのか・・・。

 

 

――『いえ、下品は、下品なのかもしれませんが、高度な技術で歌詞(リリック)を操るんですよ? 韻を踏んだり、言葉をひねったり・・・あれは一つのアートです』

――『書いているときは夢中なんです。唯一、誰の目も意識せずにすむ時間で・・・なんというか、わたしがわたしらしくいられるんです』

 

 


「・・・・・・」

私は雑賀さんの情熱の片鱗を思い知らされたような気分だった。


また、胸がうずく。


病んだように、激しく。

 


「・・・雑賀さん、ひとつお聞きしたいのですが・・・」


血液が沸騰していくようだ。


「昨日の夜のことです」
「遅くまでおつきあいしていただいて、ありがとうございました」


穏やかなまなざしが、全身にずしりと響く。


「最後に、あなたは、何を言いかけたのでしょうか?」
「・・・っ」
「なにやら大事なことを言いそびれた様子でしたが?」
「それは・・・」
「私に伝えておきたいことがあると、おっしゃっていましたね?」
「え、ええ・・・」


下唇を噛んで、視線をあらぬ方向にさまよわせている。

 

「ひょっとして、私も、あなた同じことを考えているのではないかという、予感があるのです」
「わたしと、同じ・・・?」
「先日から持て余している感情があるのです。非常に息苦しい」

ため息混じりに告げた。

「・・・っ」

雑賀さんも、緊張に喉を震わせていた。

「わかりました。
昨日の、続きを言わせていただきます。
わたしには勇気がなくて・・・どうしても、お伝えできなかったのですが・・・」

意を決したのか、一歩踏み込んできた。

「阿久津さん・・・」
「はい・・・」
「どうか・・・」

切れ切れの声。



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「どうか、あなたを・・・」

直後、私は腕を伸ばした。

「あなたを、お慕いすることを・・・」

懸命に振り絞った告白をさえぎって、少女の肩に手をかけた。

 

 

「ちょっとお待ち下さい・・・!」
「えっ・・・?」

 

困惑する雑賀さんを尻目に、私は背後に意識を集中させた。

・・・見られている。

何者かが、私たちを監視している。

即座に考えを巡らせる。

 

 

「法月先生の使いか?」

声を張り上げると、茂みの陰でざわめきが起こった。

「なんの御用でしょうか?」

現れたのはスーツの男だった。

長身で肉づきもいい。

男は懐から身分証を取り出して掲げて見せ付けてきた。

 


・・・治安維持局の局員だ。


「阿久津将臣、法月先生がお呼びだ」
「私を呼び出すだけなら、隠れている必要はなかったでしょう?」
「命令に従わないのか?」
「いいえ。これから、学園に向かわせていただきます」
「よろしい。確かに伝えたぞ」

 

軽く頭を下げると、男は隙のない足取りで去っていった。

 

 

 

・・・

「お仕事ですか?」
「ええ・・・大事な話をさえぎって申し訳ない」
「では、今晩にでも・・・また・・・」

残念そうな、それでいてほっとしているような、複雑な表情をしていた。

「山を降りましょう。足元に気をつけてくださいね」

 

 


・・・

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

・・・

「失礼します」

ノックをして、入室する。

夕陽に染まった室内には、法月のほかに、さきほどの局員、さらに三郎の姿もあった。

 

「デート中にすまなかったな」

 

挑発には乗らず、私は言った。

「私をいつから監視していたのですか?」
「今日の昼からだ」

悪びれた様子もない。

「テストを前日に控えて、進退きわまった阿久津が、そろそろ私に牙を剥いてくるころかと思ってな」
「・・・・・・」

とっさに三郎を見た。

「私の傍若無人な行動を上に密告されでもしたら、たまらんからな」

・・・なるほど、そういうことか。

「ついでに、局員の一人を私の護衛にあたらせることにしようかとも思う」

・・・三郎は、法月とつながっている。

「なぜなら私は、貧弱な異民の女だ。格闘になれば、阿久津に勝てるとは思えんからな」

もう一度、三郎を見据えた。

三郎は憮然としていた。

・・・まあいい、根拠もなく人を信用した私が愚かだったのだ。

「それで? 私を反逆の罪で捕らえるのですか?」



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かたわらにいる雑賀さんが息を呑んだ。

 


「フフ・・・そういきり立つな」

まなざしを机の上の拳銃に落として、続けた。

「阿久津と二人きりで話がしたいな」
「二人、ですか? しかし、雑賀さんを一人にするわけには・・・」
「そのために樋口も呼びつけたのだ」


「え? おれすか?」
「赤ん坊の世話もあるのだろう? 早く帰れ」

 


「了解っす。行こうか、みぃなちゃん」
「あ、はい・・・ええと・・・阿久津さん・・・」

 

不安そうな顔だった。


「また、夜に・・・」
「ええ・・・」

 

雑賀さんは三郎に手を引かれて去っていった。


「お前も退室しろ」
「よろしいのですか?」
「阿久津も馬鹿ではない。この場で私に襲いかかってこないだろう・・・なあ?」

 

確かに、ヤケを起こすには早すぎる。

男は静かに退室していった。

 

 

・・・


「さて、阿久津よ」
「はい・・・」
「明日のテストは万全なのだろうな?」

即答しかねる。

「万全ではありません」

嘘をついても仕方がない。

「やはり、無理だったか?」
「少女を神職の公務に復帰させるには、もう少し、じっくりと様子を見てみる必要があるでしょう」
「なるほどな。あの気の弱い無能な女のそばにいてやって、愛情を注いで励ましてやる必要があると?」

 

・・・無能だと?

 

「まるで、私が彼女の恋人のような言い方ではありませんか?」

 

私は、冷静さを失いつつあった。

 

「違うのか?」
「違います。私は雑賀さんを監督しているに過ぎません」
「だが、確実に心を通わせているだろう?」

心の内を見透かされているよう。

 

「同情を禁じえないことはあります」
「気を抜くと、雑賀みぃなのことを考えているようなことはないか?」
「・・・ありませんね」

 

ない。

ない、はずだ。

しかし、雑賀さんは、きっと私のことを心配しているのではないか。

いまごろ私の帰りを待ち焦がれ、夕食の支度でも始めているのではないか。

ぼんやりとしていると、低い笑い声が耳についた。

 

 

 

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「クク・・・フフフ、ハハ・・・」

 

法月アリィ特有の、陰気な含み笑い。

なにがおかしいのかと、尋ねようとしたときだった。

 

「もろいなぁ、阿久津・・・!!!」

 

部屋中の空気が冷えるような不気味な声だった。

 

「もろすぎる・・・」

 

首を浅く振りながら、迫ってくる。

 

「ひとつだけ教えてやろう」
「・・・・・・」
「お前の雑賀みぃなに対する感情は、私の手によって作られたものだ。
私は最終試験指導教官として、一本のストーリーを書いているに過ぎない」
「・・・どういう、意味です?」
「ラブストーリー、だ」

 

唇に舌を這わせた。

 

「雑賀みぃなが、この町に移送されたのはなぜだと思う?」

 

私は、わけもわからず首を振る。

 

「あのお嬢様は、阿久津に相応しい罪人だったのだ。
かたや恵まれない環境に育ち、自分だけを信じて環境を変えてきた屈強な男。
かたや格式高い良家に生まれ、周りに振り回されるだけの人生を歩んできた、かよわい少女。
最初は人の顔色をうかがってばかりの少女を見下していた男も、少女の境遇を知るにつれて同情し、自分にはない魅力を前にして狼狽していく。
あまり人に踏み込まれたことのない少女も、プライベートを監視するという名目で、いつもそばにいる男の野卑た強さに惹かれていく。
やがて二人は愛を歌い、結ばれる」

 

そこで一息ついた。

 

「だが、邪魔者がいる。そいつは非道にも、いつまでたっても少女の義務を解消させようとしない」

 

法月は愉快そうに自分を指差した。

 

「そのうちに、男は考えるようになる。
この少女がなにをしたというのか。どんな罪があるというのか。こんな理不尽な真似が許されていいのか。
いや、許されない。少女は何も悪くない。悪いのは高慢な女だ。
いいや、女を作り出した世の中なのだと」
「・・・・・・」
「男は女のために、我々に反逆する。
だが、奮戦空しく敗れてしまい、女は処刑されてしまう。
男は、自分のせいで愛する女が死んでしまったのだと、自責の念にかられながら、反逆を志した自分の愚かさを呪い、我々に従うようになる」

 

気だるげに息を吐いた。

 

「・・・という、筋書きだが、なにか質問は?」

 

私は慎重に言葉を選んだ。

 

「私には筋書きの良し悪しなど、わかりません」

 

言うと、法月は鼻で笑った。

 

「お前もどうせ私と同じ立場につくだろうから、教えておいてやるが・・・。
特別高等人の最終試験は、試験とは名ばかりの矯正プログラムなのだ。
人の気持ちを煽り、弄ぶ、死のプログラム」

 

・・・くだらない。

 

「くだらないだろう?」
「ええ、まったく・・・」
「だったら、一つ提案がある」
「・・・え?」
「ここでお前を合格にしてやってもいい」

 

さらりと、とんでもないことを言う。

 

「お前の読みどおり、私だって仕事なのだ。
だから、早い段階で合格者を出したいという気持ちがあるのだよ。
お偉方に目をつけられる前にな」

 

私は法月の言葉の一つ一つを吟味しながら言った。

 

「・・・私が合格して特別高等人になったとして、雑賀さんはどうなります?」

「義務は解消され、首都に逆走される」
「・・・三郎は?」
「樋口については、お前のあずかり知るところではなかろう?」

 

・・・それもそうか・・・気にかけてやる義理もないしな。

・・・しかし、雑賀さんは、あのまま実家に帰らされて大丈夫なのだろうか。

 

 

 

――『だって、家に比べれば、ここは天国なんです』

 


「・・・・・・」

 

私は、頭のなかで、自分の出世欲と雑賀さんの未来を天秤にかけた。

 

「どうした阿久津? お前はもっと権力を集めて、大勢の人間を従えたいのではないのか?
私のような人間を捻りつぶせるようになるまで、強くなりたいのではなかったのか?」

 

揺さぶりに動じたりはしない。

だが、異例の速さで最終試験を突破したとあれば、私の評価はまた上がるだろう。

しかし、この取引に応じれば、私は法月アリィに借りを作った形になるのではないか。

 

・・・それは、面白くない。

 

面白くないが、このまま明日のテストを受けても、勝算は薄い。

 

「魅力的なご提案ありがとうございます」

「・・・・・・」
「少し考える時間をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

法月はまた、薄く笑った。

 

「よかろう。よく、考えるのだぞ?
私の提案を受け入れることが、唯一最初で最後の、ハッピーエンドへの選択肢だ。
雑賀も死なず、阿久津も罪の意識にうなされることがない。
――頭のいいお前なら、わかるはずだ」


戯言を・・・。


「それでは、失礼します」

一礼して、部屋をあとにした。

 

 

 

 

 

 

・・・

「・・・・・・」

私が雑賀さんに抱いている感情が、作られたものだと?

自分でもなんと表現してよいのかわからぬ気持ちが、法月に演出されていたのだと?

法月の筋書き通りにことが運べば、雑賀さんは亡くなってしまい、私はヤツに屈服するしかないらしい。

 

なんとも癪にさわる。

 

そもそも、私は雑賀さんに対して・・・。

 

「・・・・・・」

 

 

 

・・・いや。

今夜、はっきりとさせてやる。

 

 


自分の気持ちを。

 

 

 

 

 

 

 

・・・

・・・・・・


帰宅すると、入れ替わりに三郎が家を出て行く。

「ちょっと、出かけてくる」
「こんな時間にか?」
「健を預かってくれそうな人が見つかってさ。ちょっと話をつけてくる」
「健を預けるのか?」

自分で育てるとか言っていたくせに。

「いやよう、なんだか、この試験も長引きそうな予感がするからさ」
「ほう・・・」
「おれとお前のピンチに健が巻き込まれないようにしておこうと思ってさ」
「危険があれば、お前が自ら守ってやらねばならんのではないか?」
「どうにもならないときもあるって、きっと」
「好きにしろ」

健は三郎の背中で、ぐっすりと眠っていた。

私たちのような無責任な親に拾われたことを哀れむ。

 

 

 

 

 

 

・・・

食事を済ませると、私と雑賀さんはなにをするでもなく時間を浪費していた。

 

「もう、休まれますか?」

 

ぎこちない動作で、部屋の明かりを消した。

 

 

 

 

 

・・・

「あの・・・」
「はい・・・」

私たちは、月明かりを頼りに、引き寄せられるように向かい合った。

お互いに、話すべきことがあるのだ。

「ええと・・・法月先生とは、どんなお話をされていたんですか?」
「・・・そのことなのですがね、雑賀さん」

私の声に重みを感じ取ったのか、雑賀さんの顔色が変わる。

「明日は、テストを受けずに済むかもしれません」
「え? なぜですか?」
「私は特別に、最終試験を合格できるそうです」

少女が言葉に詰まるのがわかった。

「それは・・・おめでとうございます」

賛辞とは裏腹に、不安そうに見つめてきた。

「試験は終わり、あなたは実家に帰るのだそうです」
「義務は、どうなるのでしょう?」
「なくなります。あなたも自由の身です」
「それは、急なお話ですね・・・」

明らかに、うろたえていた。

「しかし、そのお話はまだ正式に決定されたわけではありません。
選択権は私にあるそうです。
すなわち、このまま明日のテストを受けるのか、それとも全てをうやむやにして、一足飛びに特別高等人になるのか」
「・・・どうなさるんです?」

怯えたように言われ、私は唇を噛んだ。

「あなたの不安はわかります。あなたは実家には帰りたくないのでしょう?」
「は、はい・・・恥ずかしいことに」
「しかし、明日のテストで法月先生に認められれば、義務が解消され、けっきょくは家に戻ることになりますが?」
「それは、よくわかっているのですが・・・」

本当にわかっているのだろうか・・・?

雑賀さんを責めてやりたいような衝動に駆られる。

もっと、深く、踏み込んでみたい。

たとえ、少女を傷つけたとしても。

「いずれにせよ、もう、お会いできなくなるでしょうね」
「・・・そんな・・・嫌です・・・」

わがままな素振りを見せる。

 

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「前にも言いましたけど、わたし、ずっとこのままがいいんです。
ずっと、阿久津さんのおそばにおいてくださいませんか?
もう気づいていらっしゃるでしょうが、わたしは、あなたをお慕いしてるんです」

言い切ると目に涙を滲ませた。

不意を打たれ、私は徐々に平静さを失っていった。

「応えてくださらなくてもかまいません。
初めてなのです。こういった気持ちは。
ですが、本気なのです。
どうか・・・どうか、あなたを・・・」

震える息を吐きながら、苦しそうに告げた。

 

「あなたをお慕いすることを許してください」

 

いまにもその場に崩れ落ちそうだった。

線の細い体が、全身の勇気を振り絞っているかのよう。

私は努めて端的に言った。

 

「お気持ちはわかりました」

 

法月の予想は確かなものだった。

 

「では、私も、私なりに考えた自分の気持ちを伝えます」

 

少女は、かまえるように、けれど、目線だけは預けてきた。

 

「正直、非常に戸惑いました。
なにしろ、私にはこういう経験はまったくないものですから」

 

一生ないと思っていた。

 

「しかし、ようやく結論づけることができた。
いや、法月に選択を迫られ、強引に結論づけたと言うべきか」

 

腕を組み、高鳴る鼓動を理性を押さえつけた。

 

「私はね、雑賀さん・・・」
「は、はい・・・」

 

想いを告白し、緊張しきった顔。

あるいは期待している顔だった。

 

 

 

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「――あなたのような人間が嫌いなのだと思います」

 

びしりと、鞭を打つように言った。

 

「・・・・・・」

 

声も出ない様子だった。

 

「決めてはやはり、これです」
「・・・っ!」

 

ポケットから取り出したそれを見て、少女の顔がひきつった。

 

「今朝の朝に、便所で発見しました。これは、なんですか?」
「・・・あ、そ、それは・・・」
「なんですかと、聞いているんです」

 

威圧するように声をすぼめた。

 

「約束しましたよね?」
「あ・・・ぅ・・・」
「どんな約束でしたか?」
「も、もう・・・作詞はしないと・・・」

 

恐る恐る口を開いた。

 

「わかっているのに、なぜ書いたんですか?」
「え・・・そ、それは・・・」

 

狼狽の極地に陥った少女をにらみつける。

 

「これは、裏切りだ・・・!」

 

言い切ると、鬱積とした感情が喉奥からこみあげてくる。

 

「これを発見したとき、最初は許そうとも考えたのです。
なぜなら私はあなたに同情していたからです。
しかし、それは甘かった。
私は甘かった。
いや、きっと、いままであなたと関わってきた全ての人間が甘かったのでしょう。
だから、いまのあなたのような臆病な卑怯者が出来上がったのです」

 

少女の大きな瞳が、ひきつったように広がっていく。

 

「考えてみれば、あなたの行動はおかしなことばかりではありませんか?
そばにおいてほしいと言いながら、気持ちに応えてくれなくてもいいと言い、特別高等人の試験に合格してほしいと言いながら、自分の義務は解消しないでほしいと言う」

作詞はしないと約束したのに、隠れて筆を執っている。

「私の母親もそうでしたよ。ごめんね、と言いながら、家を出て行きました。
謝るくらいなら、出て行かなければよかったのです」

理屈に合わないことばかりだ。

「わがままにもほどがありませんか、あなたは?」

恫喝した。

「そんな人間に、なぜ私が好意を持たねばならんのだ・・・!?」
「あ、うぅ・・・」

どうすることもできず、目を濡らす。

幼稚な涙だ。

「確かに、あなたには、私にはない感受性がある。
人を和ませるような生来の気質と笑顔がある」

それに心惹かれていたことは認めよう。

「だが、私はあなたを受け入れられない」

でなければ、この心の落ち着きのなさが説明つかない。

「あなたのような人間は、生まれついて得ている幸福に満足していればいいのだ。自分を自立させようと、悩むなんて趣味を持たなくていい」

私には、悩む暇などなかった。

「さようなら」
「・・・っ!?」
「私は明日、法月先生の提案を受け入れて、特別高等人になります。
どうも世話になりましたね。達者でいてください」

 

雑賀さんはショックで動けない様子だった。

時を止めたように、足を床に張り付かせている。

溢れ出る涙を拭こうともせずに、立ちすくんでいた。

いつも人に気を使い、人の顔色をうかがってばかりの雑賀さんは、人に受け入れられないことが、この上なく苦痛なのだろう。

しかも、今回はとくに、好意を寄せていた男が相手だ。

 

「・・・・・・」

 

残酷な分析を終えて、私は床に腰を下ろした。

隠れて詞を書いていたことは、黙っておくとしよう。

本来なら懲罰ものだが、どうせ明日には担当から外れるのだ。

少女の期待と想いを踏みにじった。

それこそが、なによりの罪ではないか。

そう考えがなら、詞の書かれた紙切れをズボンのポケットにしまった。

 


「うぅ・・・あぁ・・・っ・・・」

 

 


泣き声はいつまでも止まず、耳奥の神経にからみつく。

私は、声をかけることもせずに、ただじっと、最後になる職務を遂行していた。

私は自分の気持ちに対して、正しい結論を下したはずだ。

けれど、こんなときにも一人になれない少女を見ていると、いつまでも、心が晴れなかった。

大嫌いなはずなのに、気になって仕方がない。

まったく、理屈に合わないことばかりだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・

・・・

 

 

 

 

 

 


・・・

「私の提案を受け入れると?」

翌朝早く、私は雑賀さんを三郎に預けて、法月に会いに来ていた。

「英断だよ、阿久津」

心の底から感心している様子だった。

「てっきり、昨日の夜は雑賀みぃなを抱きながら、私を倒す計画でも練っているのかと思っていたぞ」
「勝算のない戦いはしかけない主義です」
「主義? その程度のことで、主義とか口にしないほうがいいぞ。人間が安く見える」

口調には、馬鹿にしている様子はなかった。

「では、これからは、本気でお前に指導していくとしよう」
「よろしくお願いします」

 

・・・やはり、か。

法月の力で一足飛びに特別高等人になれば、以後、法月の庇護を受け、派閥に属することになる。

 

「さしあたって、阿久津の姓は捨てるのだな?」
「それは・・・」

返答に窮した。

「どうなんだ? まさか、ここまできて断るとでも?」

そのとき、どういうわけか、雑賀さんの顔が脳裏に浮かんだ。

「いえ・・・」

 

 

 

 

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――『阿久津です。阿久津将臣・・・』

――『ありがとうございます。素敵なお名前ですね』

 

 

 

 

「なんだ、どうした?」

軽い頭痛を覚える。

「戸籍に入るというのは、つまり・・・?」

 

 

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「お前と私が、夫婦の関係になるということだ」

 

・・・おぞましい。

 

「逆玉の輿、というヤツですか・・・」

 

皮肉を言ったつもりだった。

 

「私もそろそろ所帯を持っているというステータスが欲しいのだ。
この国にはまだ、母となり子を育むことこそが、女の道なのだという観念が根強いからな」
「子供、ですか」

不快感が声に出たが、法月は静かに笑った。

「安心しろ。私は子供が産めない体だ」
「・・・・・・」
「子供のころ、子宮をがんに犯されてな。それ以来、女であることを捨てることにしたのだよ」

 

・・・まあ、法月とて人間だ。

人それぞれ事情があるのだろうな。

法月は、女性としての幸せな未来を選べなかったのだ。

 

けれど、その瞬間である。

 

「ク・・・クク・・・ハハハ・・・。
もろいなぁ、本当に・・・ククク・・・」
「な、なにがですか?」

尋ねると、法月は両手をおおげさに広げた。

「冗談だよ、阿久津」
「・・・っ!?」
「お前は本当に優しいな。
ちょっと過去を晒せば、すぐ同情してくれる」


性悪め・・・。


だが、法月の言うとおり、私は甘い人間なのかもしれない。

だから、雑賀さんの力にもなれなかったのだ。

 


「阿久津よ・・・」

 


すっと音がしそうなくらい瞬時に顔を整えた。

「お前には才能があるが、まだまだもろい」

眉根を吊り上げ、命令するような口調で言った。

 

 

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「私に従え・・・!
そうすれば、本当の強さというものを教えてやる・・・!!!」

 

獲物が逃げることを許さない強烈な瞳があった。

私は、自分に言い訳するのに必死になった。

法月に敗北したわけではないのだと。

逆に利用してやるのだと。

 

「・・・わかりました」

 

 

 

 

 


――『あの・・・阿久津さん・・・』

 

 

 


「・・・名前は捨てるとしましょう・・・」

 

 

 

 

 

――『今日は、また一段といいお天気ですね・・・』

 

 

 


「これからは、法月将臣と名乗るとします」

 

 

 

 

 

――『阿久津さんを信じてます・・・』

 

 

 

 

 

ふっと、肩の力が抜けたような気がした。

法月は探るような目で、何度もうなずいていた。

 

「よろしい。では、早速さまざまな手続きに入るとしよう」

 

重さを感じさせない足取りで、机の前に立つと引き出しを開けた。

次の瞬間、法月の指先には、金色に輝くバッジがあった。

 

「まずはこれを与えよう」

 

無言でそれを受け取る。

 

「なにか、感想は?」
「つつしんで、特別高等人の任に就かせていただきます」

 

法月は満足げに笑った。

 

「これから着任の手続きがいくつかある。
明日、また呼び出すから、それまで待機していろ」
「雑賀みぃなの監督はどうしましょう?」
「もうしなくてかまわん。
昨日お前を監視していた局員がいたろう? 彼を補佐監督人として当たらせ、首都まで護送する」

補佐監督人は、特別高等人の激務を補うために臨時で任命される職務だ。

特別高等人の手足となって働く存在だが、罪人が義務をまっとうしているかどうかを監視する程度の権限しかない。

行動の責任は全て、補佐監督人を任命した特別高等人にある。

「それでは、失礼します」
「行動に気をつけるように。これからは、お前も我々側の人間なのだからな」

釘を刺してきた。

 

「しっかり頼むぞ・・・法月将臣・・・」

 

私は、手の中で特別高等人のバッジを握り締めた。

 

 

 

 

 

・・・。

・・・・・・。

 


「法月将臣、か・・・」

阿久津の姓に特別愛着があったわけではない。

だが、新しい名前には違和感を覚えてならない。

「まあ、すぐ慣れるか・・・」

一人ごちて、家路についた。

 

 

 

 

 

 

・・・

・・・・・・


「む・・・」

つい、いつもの習慣で、雑賀さんの家に戻ってきてしまった。

もはや、私は雑賀さんと他人同然。

帰るべき家ではない。

 

・・・しかし、別れの挨拶の一つでもするべきか。

 

「・・・・・・」

 

いや、なにをグズグズしているのだ私は・・・。

去ろう。

忘れるのだ。

決断力のない自分に嫌気が差して、踵を返した。

 

「・・・む」

 

振り返ると、昨日出会った男がそこにいた。

雑賀さんを護送しに来たのだろう。

 

「ご苦労さまです」

 

男は軽く頭を下げた。

「歩きですか?」
「州境までは」
「いまからだと、向日葵畑の道を歩いているあたりで、夜になると思われますが?」
「急ぎの命令ですから」
「では、道中くれぐれもお気をつけて」
「わかりました」
「頼みましたよ。彼女は、足が遅いし、体も強いとはいえませんから、無理をさせないように」

すると、彼は怪訝そうな顔をした。

「やけに、被更生人の心配をなさいますね?」

・・・それもそうだ。

「いちおう、いままで面倒をみていたわけですから、責任を感じているのです」
「ほう・・・」

私の口調に言い訳がましいものを感じ取ったらしい。

「まあ、そういうことにしておきましょう」

なんなのだ、私は・・・。

被更生人は、罪人なのだ。

彼の感覚がまっとうなはずなのに、どうにも気分が焦燥する。

 

 

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「・・・あ・・・」

不意に雑賀さんが姿を見せた。

「あ、あの・・・話し声がしましたので・・・なにかな、と思いまして・・・」

恐縮したように地面にまなざしを落としている。

「おー、帰ってきたか。そろそろメシだぞー」

 

「樋口三郎。ちょうど良かった。法月先生がお呼びだ」
「え? マジで?」
「早く行け」
「げー! なんか、超イヤな予感がするぜー!」

本当に、勘だけはいい男だな。

三郎に待っている未来は、決して明るいものではない。

 

「行かなきゃダメっすか?」

 

「往生際が悪いぞ」

 

「なんだよ、往生際って? やっぱ、やべぇんじゃねえか!?」

 

「いいから行け」

 

「く、くっそー、わかったよ・・・」

 

観念したようだ。

 

「みぃなちゃんを頼んだぜ、将臣・・・」

 

流すように言うと、そそくさと歩き去っていった。

 

 

「あ、あの・・・」

少女はまだ、私の顔を見ることすらできない。

私もなぜか、雑賀さんから目を背けたい気分だった。

 

「雑賀みぃな。これよりこの町から移動する。すぐに出発の準備をしろ」

 

命令すると、雑賀さんは目を丸くした。

 

「ど、どういう意味でしょうか?」
「意味などない。言われた通りにしろ」
「ちょ、ちょっとお待ちいただけないでしょうか?」
「命令に逆らうのか?」
「そんなこと急に言われましても・・・」
「・・・なんだ、罪人のくせに?」

 

冷たい目が、灯台の光のように機械的に動き、雑賀さんから私に向けられた。

 

「真面目に、この女の監督をしていたのですよね?」

 

男の言い分は正しい。

 

「私は不快です。なぜこの女に、私の命令を拒否する権利があるのですか?
女の発言には常に公然性が求められるのに、なぜわがままをするのですか?」

 

もっともな意見だ。

公の命令を拒否するというのは、主体性のある主張であり、個人的な意志だ。

少女は、もともと、嫌なことも嫌と言えない義務を背負っているのだ。

 

「私の監督不行き届きです」

 

・・・私は、やはり、甘かったのだ。

 

「雑賀さん、命令に従ってください」
「・・・っ」
「従わなければ、あなたに罰を与える」

 

言いながら、例えようのない無力感に襲われる。

 

「そら、とっとと準備をしろ・・・!」

 

男が雑賀さんの肩に手をかけた。

そのまま乱暴に少女を突き飛ばす。


「おい、手荒な真似をするな!!!」

 

気づいたときには、男の腕を捻りあげていた。

 

「ぐ・・・あ・・・な、なにをする・・・!?」

 

私は荒ぶる心を沈めようと、冷静に言った。

 

「・・・いや、申し訳ない・・・。
だが、被更生人に暴力的な制裁を加える権限は、あなたにはないはずだ」

 

そっと腕を放った。

 

「・・・阿久津さん・・・」

 

すがるような目で私を見ている。

・・・もはや、この場にはいられない。

 

「さようなら。お元気で」

 

捨て置くように言うと、自分の荷物を取りに家の中に入った。

けっきょく、雑賀さんと目を合わせることもなかった。

 

 

 

 

 

 

・・・

・・・・・・

 

 

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野宿をしようとして、川辺までやってきた。

川の水が真夏の陽射しを受けて黄金色に輝いている。

「綺麗な景色なのだろうな・・・」

雑賀さんなら、なんと表現するだろうか。

水をすくって一口飲むと、茂みのなかに寝転がった。

何気なく、ポケットから紙切れを取り出して掲げた。

雑賀さんの書いた詞が、達者な字で表現されていた。

私には、詞の内容が理解できない。

どうやら、愛情について謳われているらしい。

比喩や韻語が連続して使用されていて、何を訴えたいのか見当がつかなかった。

きっと、私に認められたいとか、振り向いて欲しいとか、そういう意味なのだろう。

 

・・・なんにせよ、雑賀さんは、約束を破ったのだ。

 

身勝手に書かれた詞は、内容までわがままなのだろう。

想像のなかで雑賀さんを悪者に仕立て上げることで、私はなんとか気分を落ち着かせていった。

 

ひどく、下劣な気分だった。

 

 

 

 

 


・・・。

・・・・・・。

 

思わず見上げてしまうほど月が大きい夜になった。

いまごろ雑賀さんは、州境にたどり着いたころだろうか。

三郎と健は・・・?

普段から寝つきの悪い私だが、その日は特に眠れなかった。

ポケットのなかのバッジを握り締める。

月の光を反射して、金色に輝いている。

・・・こんな簡単に特別高等人になっていいのだろうか。

客観的に見れば、雑賀さんや三郎を見捨てて、私だけが甘い蜜を吸おうとしている。

人を見捨てるのは、一度や二度のことではないが・・・。

「・・・・・・」

荷物の中に、SF小説があった。

気を紛らわすべく、樋口から借りっぱなしだったそれを、月明かりを頼りに読みすすめる。

 

脱獄の話だった。

無実の罪で投獄された男が、看守の目を盗みながら牢屋の壁に穴を彫り、ついには逃走に成功する。

主役はタフで頭の切れる男として描かれていて、好感が持てそうだった。

だが、私は、なぜか惨めな気持ちにさせられた。

話の中で、主役を裏切り、看守に賄賂を贈って自分だけ安全な場所に逃げた小物がいる。

私は、その小心者に、ささやかな共感を覚えていたのだ。

「裏切ったのは・・・雑賀さんと三郎の方ではないか・・・」

私は主役には似つかわしくないが、とにかく生き残ったのだ。

・・・なにが悪い?

父の死に無関心で、去っていく母を引き止めず、他の候補性を蹴落としてきた。

私はこれからもずっと、そうやって人を切って生きていくのだ。

せめて、もっと、力を持つまでは。

 

 

 

 

――『阿久津さんを信じてます・・・』

――『いつも、いつまでも、ずっと・・・』

 

 

 

法月の言うとおり、私はまだまだ弱い。

時期を待つのだ。

牢獄から出るタイミングは、いまではない。

 

いまではない・・・はずだ。

 

目が疲れてきたので、いい加減休もうと横になった。

けれど、茂みを踏み分けるような足音に目を覚まされた。



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「こんなところにいやがったか、探したぜ」

ひょっこりと顔を出した三郎は、手に銀色のジュラルミンケースを掲げていた。

「なにしてんだ、この野郎」


「それは私のセリフだ。法月に呼ばれたのではなかったのか?」

すると、急に辺りを見渡し始めた。

きょろきょろと動く首の後ろに、健の寝顔があった。

「ヤバい予感がビンビンしたんで、逃げることにした」

逃走中らしい。

「では、私がお前を捕らえるとしよう」
「おいおい、冗談はやめろって」
「私はすでに、法月に従う身だ」

さらりと言ったそのとき、三郎の顔つきが変わった。

「なんだと・・・?」
「お前に激怒されるいわれはないぞ」
「・・・なにか勘違いしてねえか?」

探るような目で言った。

「お前、てんてぇに反逆するとか言ってなかったか?」
「お前の協力があれば、やるつもりだった」
「根に持ってんのかよ」
「さあな・・・」

三郎はなにやらしきりにうなずいていた。

「こっそり家に帰っても誰もいねえからおかしいと思ってたんだが、みぃなちゃんはどこだ?」
「雑賀さんは、いまごろ州境を越えたところだろう」
「こんな夜中にか?」

安否を心配しているのだろう。

責めるように言われたので、私は口を尖らせた。

「せめてお前が送ってやればよかったじゃねえか?」
「・・・私はすでに、雑賀さんを監督する立場にない」
「なにテンパってんだよ?」
「私が動揺しているだと?」

だが、三郎の言うとおり、私の不安は声に出ていた。

「・・・みぃなちゃんとなにがあったんだよ」

今度は、心配している素振りをみせた。

「なにもない・・・」
「・・・・・・」
「ち・・・」

私は雑賀さんが便所に残していた紙切れを差し出した。

「彼女は私との約束を破り、異民音楽の詞を書いていた。だから、それをとがめたのだ」

三郎は紙に目を落としながら言った。

「嘘をつくときは、嘘の中に本当のことを混ぜておくといいんだってな?」
「嘘ではない」
「でも、全部じゃないだろ?」

私は観念した。

「彼女の好意を拒絶した。それだけのことだ」
「それだけのことって・・・おいおい・・・」

あきれたようだ。

「そんなに隠れて詞を書いていたことが許せなかったのかよ?」
「それもあるが、本質的な問題だ。私と彼女では相性が悪すぎる」
「もっとストレートに言ってくれよ。どこが気に入らないんだ?」
「それは・・・」

自分の感情を説明するのは苦手だ。

「他人に気を使っているように見えて、実はわがままなところだ」

弱いのだ。

そもそも、詞を書いていることが発覚すれば、監督不行き届きとして私が責任を追求されるという懸念は、彼女にはなかったのか?

私のことが好きなら、そんな真似はしないはずなのだ。

「まったく・・・おまえのせいで、また腹が立つ」

雑賀さんの顔が思い浮かんでしまう。


「さあ、お前を連行する。おとなしくしろ・・・!」


想像のなかの雑賀さんは、いつも微笑を絶やさない。


「・・・うーむ・・・」


三郎は顔を上げて、紙切れを掲げた。


「お前、これ、ちゃんと読んだか?」
「読んだ。どこからどう見ても、雑賀さんの字だ」

かまわず腕を捕まえるが、三郎は動じなかった。

「意味教えてやろうか?」
「意味だと?」

・・・詞の意味だろうか?

「深い、愛の詞だな、こりゃ・・・」
「・・・・・・」

どうせ、身勝手な内容なのだ。

「私が好きだとか、そういう内容なのだろう?」

舌打ちして言った直後だった。

「うぬぼれんなや」
「・・・なに?」
「おめえじゃねえよ」

三郎は私の腕を振り払った。

「こいつはな・・・、おめえの、おとんとおかんの幸せを願った詞だよ」

予想外のことに、私は言葉を詰まらせた。


「お父さんお母さん、元気でやってますか。息子さんは元気ですよ。いつもお父さんとお母さんのことを気にかけてますよ。
不器用で冷たく見える人ですけど、中身はとても優しい人です。
あなたたちをうらんでいる素振りを見せますが、それは本心ではないと思います。
なぜなら本当に冷たい人は、うらむという感情すら放棄するからです。
だから、安心してくださいね。
息子さんは素晴らしい人です。
彼はもっと強くなって、人助けをするんだそうです。
必ずあなたたちを迎えに来てくれるでしょう。
だから、心配しないで待っていてください。
お元気で、お元気で・・・」


三郎は余韻を持たすかのように押し黙った。


うっすらと背中の健が目を覚ます。

私は、いま、自分がどんな表情をしているのか、見当がつかない。

「だ・・・だから、なんなのだ?
雑賀さんが、私の父と母の、なにを知っているというのだ?
だいたい父は死んだ。
元気もなにもないではないか・・・馬鹿馬鹿しい・・・っ・・・!」

だが、彼女は私に代わって父の冥福を祈ってくれたのかもしれない。

「そ、そもそも・・・どんな内容であろうと、雑賀さんが私との約束を破ったことに変わりはないではないか?」

だが、彼女は約束を破ってでも書きたかったのかもしれない。

「馬鹿馬鹿しい・・・実にくだらん・・・」

私の怒りを買うとわかっていても、残さねばならないものがあったのかもしれない。

確かめなくていいのだろうか?

彼女をこのまま失っていいのだろうか?

思えば、雑賀さんはいつも人に気を使ってばかりだった。

 

私は踏みにじったのだ。

 

やっとの思いで打ち明けた想いを。

 


「みぃなちゃんは、無事かねぇ・・・」

私を哀れむような目で見ながら、ジュラルミンケースを漁りだした。

黒い物体を手に取る。

手のひらサイズの箱に、小型のアンテナが伸びている。

「それは、なんだ・・・?」
「こいつは受信機さ。盗聴用の」

言って、なんらかのスイッチを入れたようだ。

耳にあてて、なにやらうなずいている。

「なんか、慌しいな・・・」
「・・・・・・」
「局員連中が無線で連絡を取り合っているんだが、最近はずっとそれを傍受してたんだよ」

犯罪だぞ、と咎めかけたときだった。

「局員の一人から定時連絡が途絶えたらしいぞ」
「・・・・・・」
「・・・そいつは、ついさっきまで、被更生人を護送していたらしい・・・」
「・・・・・・」
「おい、聞いてるのか?」
「・・・・・・」

私はため息をつく。

「三郎・・・」
「え? な、なんだよ・・・おれを捕まえる気か?」

ゆっくりと首を振る。

「お前は健を連れて逃げろ。法月に捕まらんようにな」

おもむろに健の頭に触れた。

赤ん坊を目が合う。

弱そうだが、純真な瞳だった。

 

「三人の子だ。しっかり頼むぞ」

 

ぼそりとつぶやいて、三郎を見据えた。

 


「私にはやり残したことがある――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

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町の出口を目指し、私は地面を蹴り続けた。

雑賀さんたちはこの道を通ったはずなのだ。

女を連れている以上、足並みは早くないはず。

だが、雑賀さんを連行していた局員から連絡が途絶えたということは・・・。

最悪の事態を想定してかからねばなるまい。

 

 

 


――『そいつは連続婦女暴行犯でな』

――『急いで帰った方がいいぞ。ヤツはもう、お楽しみ中かもしれん』

 

 

 

「・・・・・・」

 

走りながら、私は、はらわたが煮えくり返る思いだった。

タイミングが素晴らしすぎる。

治安維持局の局員が十数人態勢で探しても見つからなかった囚人が、なぜ、いまこのときになって姿を見せたのだ・・・?

 

 

 

 

――『・・・面白い暇つぶしが浮かんだ』

 

 

 

・・・これは、ヤツの罠だ。

悪魔じみた演出の一環に過ぎないのだ。

わかっていながら、どうすることもできない。

・・・いまはただ、急ぐことだ。

 

 

 

 

 

・・・

・・・・・・


全力疾走に呼吸が激しく乱れ始めたが、足を緩めるわけにはいかない。

丸い月が私の背中を追いかけてくる。

 


「・・・っ・・・!」

・・・確か、ここら辺だった。

あの少女と出会ったのは。

 

 

 

 

――『お邪魔でしたか?』

 

 

 

 

そう言って、話しかけてきたのだ。

あのとき私は、どうにも調子が狂っていた。



 

 

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――『お優しそうな方ですね』

 

 

・・・とんでもない。

 

 

――『申し訳ありません。みなさん、そうおっしゃるのではないかと思いまして』

 


・・・あなたが、初めてですよ。

 


――『・・・惹かれるものを感じたのです』

 

 

 

 

・・・

どうか、ご無事で・・・!

 

 

 

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

私の願いが天に通じたのかはわからない。

 

「・・・っ!」

 

前方に人影が二つあった。

闇のなか、佇んでいるように見える。

辺りは虫の声しか聞こえないほど、静まり返っている。

よって、私の足音が、相手に聞こえていたとしても不思議ない。

 

 

 


「止まれ!」

 

やはり、私の接近に気づいて立ち止まっていたのだ。


・・・銃を持っている!?

おそらく、局員を襲撃して奪ったのだろう。

かまわず、距離を詰める。


「止まれと言っているのが、聞こえないのか?」


警告は無視する。


相手が何者か知らないが、この距離、この闇のなかで私に弾丸を当てることは不可能だろう。


やがて、うっすらと二人の顔が月明かりに浮かび上がった。

 

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「・・・っ!」

私の姿を確認した雑賀さんの顔が、一瞬、驚きに染まる。

「阿久津さん・・・?」
「雑賀さん、さがってください」

両手を上げながら、さらなる接近を試みる。

「この少女を担当する特別高等人だな?」

低く、鋭い声。

なかなか察しがいいようだ。

「銃を下ろせ。この通り、私は丸腰だ」
「悪いが、それはできん相談だ」

若い男だが眼光は鋭く、拳銃の構えは堂に入っている。

「ではこうしよう。私はお前には興味がない。人質を放すのであれば、この場は見逃すとしよう」
「状況をよく見ろ。お前は要求できる立場か?」


・・・思ったより、手ごわいな。

 

「代わりに私が人質になろう」

 

男は黙って、銃を向けてくる。

 

「聞け。州境を越えるために人質が必要なのだろうが、お前も知っての通り、私は特別高等人だ。私が州境の警備兵を退かせよう」

 

じりじりと問を詰める。

 

「信用できんな」
「ふん・・・一年も牢獄に閉じ込められて、人を信じられなくなったか?」
「ああ・・・まったく、実験だかなんだか知らねえが、性格が歪んじまったぜ。こんな少女を人質に取っちまうくらいにな」

 

ちらりと、雑賀さんを見た。

驚くべきことに、こんな状況でも口元を緩ませようとしていた。

笑いとも、恐れともつかぬ、いびつな表情・・・。

 


「狂ってるぜ、この世は・・・」

 

・・・雑賀さん、申し訳ない。

 

「町から逃げて、おれはこの国をぶっ潰す。邪魔はさせんぞ」

 

そのとき、私は、気づかれぬうちにもう一歩近づくことに成功していた。

もう少しだ・・・。

 

「一つ聞いてみたいのだが・・・なぜ、そんなに憤るのだ?」

 

罪を犯したのは自分だというのに。

 

「貴様らのように権力を間違った方向に使う人間への憤りだ」

 

拳銃を強奪し、少女を人質に取っている分際で。

 

「ほう・・・。
我々が、悪いと言いたいのだな?」

 

 


――そんなもの・・・。

 


「外道の逆恨みというのだ!!!」

 

 

夜の闇を裂くように、火花が瞬いた。

弾丸がこめかみをかすったが、かまわず男の腕をひねり上げる。

 

「・・・ちぃっ!」

拳銃が男の手から離れたその瞬間だった。

「っ!?」

完全に極めたと思っていた関節が、振りほどかれた。

「ぐっ!」

腹で鈍い衝撃が弾ける。

追撃を受けぬよう、とっさに間合いを取って身構える。


「はあっ、はあっ・・・」

「ふぅ・・・っ・・・」


・・・こいつ、戦争帰りだな。

明らかに訓練を受けた者の動きをする。

だが、もう息を切らしているあたり、スタミナはなさそうだ。

幽閉されていたのだから、当然と言えば当然だが。

ならば・・・じわじわと、追い込んでやる。

 

 

素早く、小刻みに左右からパンチを繰り出す。

 

「はあっ、ぐっ・・・!」

「・・・ふっ、はっ!」

右、左、右、右・・・フェイントを交えつつ、相手のガードをはがしていく。


「・・・くっ!」

 

不意に男のあごが上がり、ふらりとよろめく。

 

完全な隙を見逃すはずもなかった。

 


「・・・があっ!」


あご先に痛烈な一撃が入った。

一瞬、意識を失ったのだろう・・・男は糸の切れた人形のように地面に崩れる。

 

「く、く、そ・・・!」

 

立ち上がろうと腕を動かすが、どうにも力が入らないようだ。

 

「・・・・・・」

 

首の後ろあたりを手刀で叩きつけると、わずかに痙攣を繰り返したあと、完全に沈黙した。

 

武器になるかと思って、男が持っていた拳銃を手に取るが、弾がもうなかった。

 

 

 

 


・・・・・・。


・・・。

 

 


私は呼吸を整え、囚人の気絶を確認した。

 



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「あ、あぁ・・・」

雑賀さんは、呆然と立ち尽くしていた。

見たところ、乱暴された様子はなかった。

「・・・だ、だいじょうぶです。手荒な真似はされませんでしたので」

声が震えている。

「・・・助けていただいて、ありがとうございます」

軽くうなずいて、目をそむけた。

「あの・・・阿久津さん・・・」
「・・・・・・」
「わたし・・・義務を破ってはいませんから」

少女は、地面にうずくまった男を指差した。

「この方に町の外まで同行するよう求められましたが、わたしは、いつもどおりだったと思います」

そしてまた、お決まりの笑顔を見せた。

「普段どおりに、人の顔色をうかがって、へらへらとしていたので、この方は、気味が悪くなったそうで・・・え、えっと、それで、何もされずにすんだのだと思います」

なにが、言いたいのだろうか。

「義務は守っていましたから、阿久津さんの試験に響くことはないと思います」

少女は怯えていた。

「あ、安心してくださいねっ・・・ふ、ふふっ」

私はうつむいて、黙っていた。

黙って、胸奥から湧き出る得体の知れない感情を抑えていた。

「あ、阿久津さん・・・?どうされたんですか?
わ、わたし、まだ不快でしょうか?
そ、そうですよね・・・すみません、お手をわずらわせてしまって・・・。
で、でも、最後にお会いできてよかったです」

しゃくりあげるような声になった。

「阿久津さんに、一言謝りたくて仕方がなかったんです。本当に。
約束を破ってしまって、申し訳ありませんでした。
うじうじと泣いてしまって、申し訳ありませんでした。
こ、これからは、一人で、がんばっていきますんで・・・」

鼻をすすりながら、必死で私に対して許しを請う。

「どうか、阿久津さんも、お元気で・・・」

見え透いたやせ我慢を前にして、私はもう、限界だった。

 

「よ・・・」

「え?」


顔を上げて、少女の無事な姿を目に焼き付ける。



 

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「・・・よ、かった・・・」

切れ切れの息が、喉奥から溢れてくる。

「よかった・・・あぁ・・・よかった・・・」

少女の体は、細く、やわらかく、そして弱々しく震えていた。

「よかった・・・っ・・・本当に・・・本当に、よかった・・・」
「・・・あ、え?」
「怖かったでしょう?」
「・・・っ?」
「泣いても、かまいませんよ?」

少女に身を預けるように抱きしめた。

「私は、なにも不快ではありません。
あなたが無事であったことが、なによりもうれしい」
「ど、どうして・・・?」

ぴくりと身じろぎした。

「阿久津さんは、わたしが・・・その・・・嫌いだと・・・?」
「それは・・・」

私にも、わけがわからない。

「確かに、あなたは、かよわい人だ。嫌いといえば嫌いなのでしょう。
けれど、友は身近に。敵はより身近にという言葉がある・・・。
あなたは、私のそばにいるべきで・・・っ・・・い、いや、こんなことを言いたいんじゃない・・・」

唇を噛む。

「・・・気になるのです。ものすごく・・・!
なぜ、空を見上げたり、風を感じたりすることが面白いのですか?
なぜ、私の父と母に向けて詞を書いたのですか?
なぜ、私のことを優しいなどと言うのですか?
なぜ、あなたの笑顔は私の心を乱すのですか?」

まくしたてるように尋ね、大きく息をついた。

「その答えに納得がいくまで、私はあなたを放さない・・・!」

もう一度、熱を感じるほどに強く抱きしめた。

「そ、そばに、置いていただけるんですか・・・?」
「はい・・・」
「わたし、個性がないですけど・・・?」
「そんなことはない・・・」
「詞は・・・本当は、一人でお手洗いに行くことを許されたときから、ずっと書いていたんですよ?」
「・・・やけに長いとは思っていました」
「最初は、阿久津さんへの想いを書こうと思っていたのですが、どうにもうまくいかなくなって、阿久津さんの過去を聞いて、ようやくまとまった内容になったんです」
「・・・うちの父と母に代わって、礼を言います」
「約束を破ってしまって、申し訳なかったのですが、それでも、どうしても書きたくなってしまって・・・」
「・・・まったく、根のわがままな人だ」
「すみませんでした・・・そうでもしないと、自分が自分でなくなってしまうようで・・・数日前の阿久津さんは、とても怖かったし・・・」
「・・・いいわけは嫌いなんですがね・・・」
「で、でも、阿久津さんのお父さんとお母さんが、少しでも幸せであってくださればと、思いまして・・・。
すみません、よく知りもしないのに」
「・・・まったくですね」

けれど、込み上げるのは不快感ではなく、か弱い少女を守ってやらねばという愛おしさだった。

「こ、こんなわたしが、あなたをお慕いしていても、かまわないんですか?」
「・・・・・・」

胸がくすぶる。

はっきりと口にしてしまえと、何者かがささやく。

私は、その勢いに呑まれ、ついに打ち明ける。

 


「あなたが好きです・・・」

「・・・っ!」

言い切ると、気分が楽になった。

満たされるような思いが全身を駆け巡り、ぐずついた気分を押しやっていく。


「うれしい・・・です・・・。
ありがとう、ございますっ・・・」

震えると息を撒き散らしながら、顔をうずめてきた。

しばらくの間、お互いの体を確認しあうように、抱き合っていた。

少女のそばにいる。

結論づけてしまうと、気持ちがとても落ち着いた。

明るい月が、頬を伝う少女の涙を一筋照らしていた。

 

 

・・・。


・・・・・・。