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車輪の国、悠久の少年少女 法月編【6】

 

・・・


少女の手を引いて、ひとまず家まで帰ってきた。

これからどうすべきか?

本来なら、雑賀さんは、すでに州境を越えて首都に送られている。

私も、特別高等人として、明日からは法月に従わなければならない。

「なんだか、もうずっと帰っていないような気がしていました」

この少女と離れることはできない。

「電気はつけないようにしてください。私たちがここにいるのがばれてはまずい」

あのまま州境を越えて、二人で逃げるという手もあった。

しかし、州境の警備兵がすんなりと通してくれるとは思えないし、雑賀さんに逃亡生活を強いるのは心苦しい。

 

ならば、手は一つ。

 

法月アリィに逆襲し、ヤツに私たちの要求を飲ませるのだ。

雑賀さんの義務を解消させること。

特別高等人となった私の赴任先が、雑賀さんの住居の近場であるよう取り計らうこと。

 

無理なら、私は試験を降りるだけのこと。

特別高等人にならなくとも、国家の未来を変える方法はあるだろう。

 

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「阿久津さんの手、とても暖かいです」


まずは、この少女を守るのだ。

一人の人間も救えん男が、大それたことなどできるはずもないではないか。

「阿久津さん、どうされました?」
「ああ、いえ・・・なんでもないですよ。あなたは何も心配する必要はない」

微笑みかける。

「ところで、その阿久津という名前ですが・・・」
「はい・・・?」
「あなたは、出会ったとき、素敵な名前だと言ってくれましたね」
「ああ・・・なんとなく語感がいいかなと思いまして。
なによりも、親から受け継いだ名前ではありませんか?」
「・・・それも、そうですね」

法月将臣と名乗っては、この少女の失望を買うだろう。

「あの・・・よろしければ・・・」
「なんです?」
「将臣さんと呼ばせていただいてもよろしいですか?」

頬を赤く染めていた。

「かまいません・・・では、私も・・・その・・・」

喉を詰まらせた。

「みぃなさんと・・・」
「ふふっ・・・」

はにかむような笑顔に、胸が高鳴った。

「あの・・・雑賀・・・いえ、みぃなさん・・・」
「は、はい・・・?」


私の緊張を感じ取ったのか、少女も顔を少し強張らせた。

「いえ、疲れたでしょう? ひとまず休みましょう」
「わかりました・・・では、一緒に・・・」
「一緒に・・・」
「え?」
「ああ、いや・・・」
「将臣さん・・・?」
「・・・・・・」

しばし、見つめ合う。

「知ってのとおり、わたしはとても、情けないです」
「だいじょうぶですよ」
「もっと強くなって、将臣さんのお役に立ちたいです。
将臣さんのおそばにいる者として、恥ずかしくないくらいに・・・」
「その心意気だけで十分です」

申し訳なさそうに頭を下げる。

「もっと、将臣さんのことが知りたいです」
「それは・・・奇遇ですね。
私も、あなたのことがもっと知りたい・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

そっと手を伸ばす。

少女の肩に優しく触れる。

「・・・っ」

目を閉じて、唇を突き出した。

「んっ・・・」

抵抗なく受け入れてくれた。

「ああ、将臣さん・・・うれしい・・・」
「美しいですね・・・」
「んっ・・・ふっ・・・」

甘く、とろけるような感触。

「はあっ・・・あぁっ・・・んっ」

瞳も濡れていた。

みぃなさんと出会う前の私が今の状況を見たら、鼻で笑うだろう。
目的を見失った愚かな男だと。

 

 

 

 

 

 

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「クク・・・フフフ、ハハ・・・。
もろいなぁ、阿久津・・・!!!
もろすぎる・・・。
ひとつだけ教えてやろう。
お前の雑賀みぃなに対する感情は、私の手によって作られたものだ。
私は最終試験指導教官として、一本のストーリーを書いているに過ぎない」
「・・・どういう、意味です?」
「ラブストーリーだ」

 

 

 

 

・・・

 

法月の言葉が脳裏をよぎる。

「・・・・・・」
「将臣さん? 気分が優れないのでは・・・?」
「・・・いえ、だいじょうぶです。
柄にもなく緊張しているのかもしれません。
愛する人間に触れ合うという行為に」
「・・・ふふっ。将臣さんのような人でも、緊張することがあるんですね」

久しぶりに見た、私が憧れる優しい笑顔だった。
ただそこにいるだけで周りを和まし、荒んだ心を癒やしてくれる微笑み・・・。

法月の言葉に蝕まれそうになった心が晴れていく。
自分でも驚くほど自然に、私も笑顔を返していた。

「ええ、緊張しますよ。私は小心者なんです」

みぃなさんの唇を塞ぐ。

「ん・・・」

口という器官を介して、お互いを求め合う。交じり合う。

「ん・・・はぁ・・・」

潤んだ瞳が私を見つめていた。

「・・・いいですか、みぃなさん?」
「は、はい・・・」

返事を確認し、私はゆっくりとみぃなさんの襟を開く。

「あ、あの・・・将臣さん・・・」
「はい?」
「わたし・・・これまで親しく心を預けられるような方がいなくて・・・」
「ええ・・・」
「こういったことは、初めてなのですが・・・」

意を決したのか、もう一度瞳を閉じた。

「よろしくお願いします・・・」

私はもう一度口づけしてから言った。

「安心してください・・・」

一枚ずつゆっくりと、みぃなさんの衣服を脱がせていく。

「・・・うれしいです・・・」

頬を鮮やかな朱色で染めている。

初々しいみぃなさんの笑顔を見た瞬間、私の心臓が高鳴った。

「し、失礼します・・・」

一糸まとわぬ姿で、布団に静かに横たわった。


すぐ隣に愛する人がいる。


こんなに優しい温もりを感じたことは、今までになかった。


「初めてお会いした時には・・・まさか、このような関係になるとは思っていませんでした」
「私もです」

ただ高みだけを目指していた私が、こうして被更生人と結ばれるなど、想像できるはずがない。

「将臣さんがわたしを担当する高等人だと知った時、心が温かくなるのを感じたんです。

初めはただの憧れのようなものでした。
わたしなんかでは一生得られそうにない、優しさと強さを持った人に見えましたから」
「しかし、その第一印象はすぐに崩れていったでしょう?」

自嘲して笑う。

「私は優しくもなければ、強くもありません」

優しい人間ならば、みぃなさんの心を踏みにじろうとしたりはしなかった。

強い人間ならば、あなたの想いを知って迷ったりはしなかった。

しかし、みぃなさんは首を横に振る。

「そんなことはありません。
将臣さんは初めて会った時に感じた以上に、優しく強い方でした。
あの時に抱いた憧れは変わりません。
・・・なんだか、こうして言葉にすると照れますね」
「・・・ふふ。ありがとうございます」

軽く、みぃなさんに口付ける。

「ん・・・・・・ふぁ・・・将臣さん・・・」

頬を染め、みぃなさんは照れたような笑みを浮かべる。

「わたし、勝手に詞を書いていたことよりも・・・もっとひどい違反を犯してしまいました。
わたしのような義務を負っている人間が、誰かに特別な想い抱くなんて許されませんから。
でも、将臣さんをお慕いする気持ちを、抑えることができませんでした・・・」
「みぃなさん・・・」

私は愛する少女を安心させるように、しっかりと抱きしめる。

「大丈夫です。
みぃなさんは何も心配する必要はありません。
あなたのことは、絶対に私が守りますから」
「でも・・・」
「私の言葉が信用できませんか?」

目の前にいる愛しい少女の瞳を見つめる。

「・・・わかりました。信じます」
「ありがとうございます」

私はもう、自分が為すべきことがわかっている。

迷いはない。


「あの・・・」
「なんですか?」
「よろしければ、もう一度口づけを・・・。
将臣さんと触れ合っていると、心が落ち着くんです・・・」

まだみぃなさんの心の中には不安があるのだろう。

「はい」

もう何度目になるか割らない口づけを交わした。

柔らかく濡れた感触を味わう・・・。

「ん・・・ふ・・・・・・はぁ・・・」
「安心しましたか?」
「・・・はい」

 

私達はお互いを求め合った・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

 

 

優しい微笑み――

 


・・・この笑顔だ。

生まれ持っての気品ある笑顔。

私は出会ったときから、心惹かれていたのだ。

法月アリィの策略に乗せられたわけではない。

この感情は本物だ。


「将臣さん・・・好きです・・・」

暗がりのなか、私たちはどちらからともなく手を握り合った。

温もりと吐息を感じる、とても近い距離だった。

特別高等人として監視していたころとはわけが違う。

向かい合って寝そべりながら、私は、私生活を認められない義務を負った少女のすべてに踏み込んだような気がしていた。

 

 


・・・


・・・・・・

 

 


翌朝。

いつもの習慣からみぃなさんより早く目が覚めた。

身を起こし、大きく伸びをする。

真夏の陽光は透明に輝いていて、乾いた風がやけにすがすがしかった。

妙に、心が浮つく。

大げさな言い方をすれば、世界が変わって見えた。

「んっ・・・」

身じろぎしたかと思うと、すっと目が開いた。

「ああ、すみません、起こしてしまいましたか?」
「いえ・・・」

つたない足取りで迫ってくる。

「ああ・・・夢じゃなかったのですね」

私は、少女を優しく抱きしめる。

「とても、幸せです・・・」
「私もだ・・・」

そばにいるだけで、心地よい。

「で、でも、甘えてばかりでは、いけませんね・・・」
「うん?」
「もっと強くなって、将臣さんの・・・その、こ、恋人として恥ずかしくないような人間になります」

昨日もそんなようなことを言っていたな。

「気張らなくてけっこうですよ・・・。
あなたはそのままでも、十分に私の心を満たしてくれる」
「いえ・・・それじゃダメです・・・立派に、自立したいんです」

私は苦笑しながら、少女の頭を撫でた。

「しかし、なんというか・・・」
「はい?」
「どうでもいいことなのですが・・・我々はずっと敬語の関係なのですね」
「あはっ・・・」
「いえ、本当にどうでもいいことでしたね。
ただ、あなたが言葉を崩す瞬間を見てみたいと思っただけのことです」
「言葉を崩しては、義務の違反を問われませんか?」
「おっしゃるとおりだ・・・」

まあ、もうじき解消される義務だ。

「義務が解消されたとしても、わたしは、ずっとこんな感じだと思いますよ」
「ははっ、そうでしょうね」

笑ってしまう。

「なんですか? 馬鹿にされたんですか?」
「いえ・・・」
「もしわたしが言葉を崩すとしたら、それは本気で怒ったときですよ?」

からかうように言った。

「あなたが怒る姿など、想像もつかない」
「ふふっ、わたしも自分で言っておいて、想像がつきません」

ひとしきり笑いあう。

少女のすべてを肯定したくなるような楽しいひととき。

「さて・・・」
「あ、ご飯にしますか?」
「いいえ・・・」

私は黙って首を振る。

「・・・っ」

さすがに人の雰囲気を察するのが上手だ。

「帰ってきてからにします」
「将臣さんっ・・・」

上目遣いで、不安そうに見つめてくる。

「あなたは、私が帰ってくるまでここに隠れていてください。
しばらくの間、ここは安全です。
法月たちは、あなたが囚人に襲われて殺されたか、逃げ惑っているか、州境までたどり着いて保護を求めているかと考えているはずです」

まさか、自宅に戻っているとは思うまい。

「今日一日で、ケリをつけますので。それまでは、下手に動かないように」
「・・・・・・」

神妙にうなずいてくれた。

 

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「すみません、なにかお役に立てればいいんですが・・・」

すみません、というのも本当に聞き飽きたな。

「もっと自信を持ってください」
「えっ?」
「私は、あなたの手料理が好きでしたよ」

言って、背を向ける。

「も、戻ってこられますよね?」
「私は、勝算のない戦いはしない主義です」

分が悪くても、やらねばならない。

「わかりました・・・」

背後で、息を呑む音が聞こえた。

「お待ちしてます。おいしいキノコ、たくさん用意してますね」

 

振り返ることなく、家をあとにした。

 

 

 


・・・


「・・・・・・」

頭の中で、これからのことをシミュレートする。

今日、私は、手続きがあるとかで、法月に呼ばれている。

何食わぬ顔で法月の部屋に入る・・・ここまではいい。

その後、スキをついて法月を襲いかかり、拘束するわけだが、問題がある。

一つは、護衛がいる場合だ。

もう一つは、法月の拳銃。

昨日相手にした囚人の男とは勝手が違う。

私が妙な真似をすれば、ためらいなく撃ってくるだろう。

護衛がいれば、すきをうかがうことすら困難だ。

だが、やらなければなるまい。

法月は確かに、異常なまでに冷酷で頭の切れる女だ。

私の上手をいっていることは認めよう。

しかし、弱点はある。

慢心しているのだ。

我々を自分の手のひらで遊ばせているという慢心こそが、ヤツの最大の弱点だ。

自慢の拳銃さえ奪えば、ヤツの顔から余裕が消えるに違いない。

そのためには・・・。

 

 

 

 

 

・・・

・・・・・・

 

もうじきだ。

学園の中に入ってしまえば、作戦を練っている暇はない。

けっきょく、決めてに欠ける勝負になってしまった。

 

 

「必ず現れると思ったよ」

不意に背後から現れたのは三郎だった。

「どこ行くんだ?」

背中に健の姿はない。

「健はどうした?」
「前も言ったろ? キノコ狩りのとき親しくなったマダムが預かってくれてる」
「何か用か?」

三郎は薄く笑った。

 

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「これからてんてぇをブチ殺しに行くんだろ?」
「・・・・・・」

・・・前に三郎を反逆に誘ったとき、こいつは尻込みした。

信用はできんな。

「黙って健の面倒でも見ていろ」
「いやだね・・・」

・・・いったいなにがしたいのだ?

「まさかとは思うが、私に協力してくれるのか?」
「計画だけでも聞かせてくれよ」
「悪いが、お前を信用しきっているわけではないのだ」
「裏切らねえからさ・・・」

まっすぐな瞳だった。

「誓うよ・・・」
「・・・・・・」

私はため息をついて、一度天を仰いだ。

「将臣・・・おれはダチを三人も殺されてるんだぜ?」
「・・・・・・」
「頼むよ」

まあいいか・・・どうせ私は甘いのだ。

「前も言ったとおりだ。法月を急襲し、我々の要求をのませる。
すきを突いてヤツの拳銃を奪い、無力化させたところで交渉を開始する」
「どうやってすきを突くんだ?」
「私の演技次第だな」
「おれが協力すれば違うんだろ?」
「その場合は、不意を打てる確率が上がる」

私はすっと校舎を指差した。

「登はんは得意か?」
「おれは完璧超人だぜ?」
「ならばお前は校舎の外壁をよじ登り、法月の部屋の窓で待機していろ」
「なるほど・・・板張りの壁でつかみやすそうだし、短い時間なら登はんツールなしでも待ってられるかもな」
「私が合図したら・・・そうだな、なにかセリフを決めておこう・・・そのときに窓を破って現れてくれ。
それで、数秒単位のすきは作れるはずだ」
「数秒?」
「それだけあれば十分だ」

三郎は感心したようにうなずいた。

「即席にしてはよく思いついたな?」
「私はこの学園に来たときに、校舎の立地や周囲の地形を確認している。
そんなことより、どうするのだ? 協力してくれるのか?」

反逆が失敗すれば命はない。

「いや・・・そんなもんはさ・・・」
「うん?」
「最初から決めていたんだよ・・・」

しまった、と思ったときには遅かった。

「悪いな将臣・・・」

喉元がちくりと痛む。

熟練された動きで、抵抗を試みる暇がなかった。

私は、ナイフを突きつけられている。

「わりぃなマジで。でもおめえのその作戦じゃ無理だろ」
「・・・っ!」
「言ったろう? 女が待ってるって。
ダチを殺されようがおめえを裏切ろうが、おれはどうしても特別高等人にならなきゃいけないんだよね。
昨日逃げ回ってたってのは嘘でさ。
本当はてんてぇと取引してたんだよ」
「な、なんだと・・・?」
「将臣がてんてぇに歯向かった場合、お前を捕まえてきたらおれを特別高等人にしてくれるってさ。
歯向かいそうにない場合、みぃなちゃんとお前をくっつけるように仕向ければいいって言われたよ・・・そうすりゃ将臣は反逆してくるって」
「・・・だ、だから、詞の内容や、みぃなさんの危険を教えてくれたのだな・・・?」
「怒るなよ。てんてぇに言われなくたって、お前とみぃなちゃんはお似合いだって」

言いつつ、ナイフを構えたまま、私の腕を背中の後ろにねじり上げた。

「ぐっ!」

そのまま、縄のようなもので腕を縛っていく。

いまさら泣いてわめいても仕方ない。

「さあ、歩いてくれよ・・・」
「・・・貴様・・・」

・・・やりきれない。

こんな形で、敗北するのか・・・?

「どうにもならねえことは、どうにもならねえんだって」
「く、そ・・・」

歯軋りする思いだった。

だが、両腕を拘束されては、本当にどうにもならなかった。

 

 

 

 


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 


・・・

部屋には法月が一人だった。

「こういう展開になったか。ご苦労だったな、樋口三郎」
「・・・いや・・・」
「お前が阿久津を捕まえてきたということは、つまり雑賀みぃなは無事で、阿久津が私に牙を剥こうとしていたということになるな?」
「まあ、そういうことですね」


「阿久津よ、私は法月将臣と名乗ると言ったお前を信用していたわけではない。
だから樋口を使って保険を打っておいたのだ」
「・・・・・・」


「樋口は一度さがっていいぞ」
「え? でも?」
「安心しろ、ことが済んだらお前を特別高等人にしてやる」
「・・・しかし・・・」
「失せろといっているのが、聞こえないのか?」
「くっ・・・わかりましたよ・・・」


三郎は私を一瞥すると、しぶしぶ退室していった。

・・・やむをえんな。

 


扉が閉まると、部屋には私と法月だけになった。

法月は手を背中の後ろで拘束された私を見て、いつものように口元を吊り上げた。

「まったく、阿久津は素直じゃないな・・・」

手元の拳銃をちゃらちゃらと見せつけてくる。

「そんなに雑賀みぃなが大事か?」

私は押し黙る。

「家柄を取ったら何も残らないような無価値な女ではないか?」
「・・・私は、そうは思わない」

あの笑顔。

素晴らしい感受性。

私の両親を気づかってくれるほどの思いやり。

「男と女など、しょせんは穴と棒の関係にすぎん。
そんなものを愛だのと語るから人間が腐っていくのだ」

拳銃をかざしながら、一歩近づいてくる。

 

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「もう一度、聞くが・・・。そんなに、私が嫌いか?
私は異民だが、美貌には自信があるし、頭も切れる。
昨年の国際射撃試合では準優勝の成績をおさめている」
「・・・・・・」
「なによりこの若さで特別高等人の最終試験指導教官の地位に抜擢されたキャリアがある」
「・・・・・・」
「この国で、私より有能な女は絶対にいないぞ?」

瞳に妖しい光が打っている。

「考えな直せ阿久津。自分の将来を考えるのだ。
・・・頭のいいお前ならわかるはずだろう?」

私はゆっくりと頭をふった。

「法月先生、私は・・・あなたを」

挑むような目に言った。

「――スラムの豚同然だと思っています」

その瞬間、法月がかわいた笑いを漏らした。

「ク・・・」

唇を噛み締めながら、顔を歪ませていく。

私はその光景に仰天し、まぶたの裏がひきつっていくのを感じた。

「ふ、フフフ、ふはは、ふあはははははっ――――!!!」

高らかな笑い声が、耳を突いて、全身に戦慄をもたらした。

あまりにもおぞましい。

一人の人間が、いったいどういう人生をたどれば、このような顔つきになるのか。

まるで魔女のように裂けた唇が、ゆっくりと言葉をつむいでいく。

「せんせぇ、ちょっと嫉妬しちゃうなぁ・・・!!!」

声は呪詛となり、私の背筋を恐怖に凍えさせる。

「ここまで私の思惑通りになるとは・・・。
お前も知ってのとおり、あの囚人はお前たちの恋路を盛り上げるためのかませ犬に過ぎん。
わかっていながら、お前たちは恋に落ちた。
わかっていながら、どうにもならなかった。
素晴らしいラブストーリーじゃないか、阿久津・・・」

まがまがしい笑みを放るように、あごをしゃくった。

「実に、陵辱しがいがある」

この上なく楽しそうだった。

「これから雑賀みぃなを捕らえ、見るも無残な方法で処刑するとしよう」
「・・・し、処刑?」

やっとの思いで声を発した。

「そうだな。断頭台がいい」
「・・・そ、そんな無法が許されるとでも?」
「許されるさ。言っておくが、貴様が頼みの綱にしている法務省の役人など私の犬にすぎんぞ?」
「・・・なっ!?」
「そう・・・私の小便を飲んで喜んでいたな・・・クク・・・」

女の異民とあなどっていたか・・・。

「み、みぃなさんを何の罪で?」」
「まだわからんか?」
「・・・・・・」
「私は一度、お前の体を求めたことがあったな?」

・・・たしか、雑賀さんがキノコアレルギーに倒れた夜だ。

「お前の腰に手を回したとき、ちょっと仕掛けを打たせてもらったのだよ」
「・・・盗聴、ですか?」

法月は笑う。

「禁止されているはずの詞を書いておいて、許されると思うのか?」

・・・やはり、ばれていたのか。

「すべてわかっていたのだよ。初々しいセックスだったな、阿久津?」

唾を吐いてやりたい気分だった。

「それで、どうする阿久津?」

 

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すっと眉間に銃口を向けてくる。

「両腕を後ろに縛られて、拳銃を突きつけられる。
敗北はすなわち愛する女の死だ。
お前がこの危機的状況をどう切り抜けるのか見ものなのだが?」
「・・・・・・」

呼吸を整え機をうかがう。

「どうした?」

安全装置はすでに外れているのだろう。

「お前はこう思っている。この拳銃さえ奪えれば、目の前の高慢な女を黙らせることができると。
なぜならこいつはかよわい異民の女だ。
背も低いし腕力なら絶対に負けない。
拳銃を奪い、逆に銃口を突きつけてやる。
その上で、みぃなさんと自分を解放するよう脅迫する」

・・・まってくもってそのとおりだ。

「できるかな・・・?」

私は言った。

「できますよ・・・」
「どうやって?」
「私とあなたに、決定的な差があるからです」
「面白そうだ、聞こう」
「あなたはすでに権力の階段を上り詰めている。
けれど私はまだ階段の手すりに手をかけたところ」
「つまり?」
「あなたは、慢心しているということです」
「鋭い意見だ」

息を呑み、チャンスを待つ。

「差はまだある」
「ほう」
「あなたは私を殺さない。私を後続に置いて、利用しようとしているからだ」
「気づいたか?」
「それが慢心だと言っているのです」
「鋭い意見だが、やむを得ず発砲してしまう場合もあるかもしれんな?」

余裕の笑みを浮かべる。

そろそろ仕掛けるべきだ。

「阿久津よ、最後にもう一度だけ聞くが・・・。
私に従う気はないのだな?」
「最初にお会いしたときに言ったと思うのですが・・・」

ゆっくりと拳に力を込める。

「社会にはびこる・・・?」

わかっているではないか。

「あなたのような人間を捻りつぶしてやる、とね」

その瞬間、私は銃口から頭を逸らした。

法月の指先が引き金にかかるのがはっきりと見える。

だが同時に、腕が伸びていた。

「・・・っ!?」

後ろ手に縛られていたはずの腕が、不意に視界に入ったことで動揺が走ったのだろう。

 

 

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ほんのわずかな一瞬。

拳銃を握る法月の手を殴りつけた。

「ぐっ・・・!?」

自慢の拳銃は火を噴くことを許されず、宙に舞う。

床に落下した拳銃に腕を伸ばす法月。

腕を曲げ、完全に無防備な状態になる。

その背中を目がけて、右肩から体を当てる。

「ぐあっ・・・!!!」
「っ・・・!」

思いのほか軽い。

右肩に衝撃が走ると同時に、法月の肢体は床を滑るように吹き飛んだ。

私の目の前には黒い鉄の塊。

勝利を確信し、拳銃を拾い上げる。

「・・・ちぃっ!」

狙いをつけたときには、眼前に浅黒い肌が立ちはだかっていた。

 

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「ここまでですね・・・」
「・・・・・・」

荒々しい呼吸をお互いに交わしながら、にらみ合う。

「手が自由だったか・・・」
「三郎のおかげですよ・・・気づいたのはつい昨日のことらしいですがね」
「・・・・・・」
「私は三郎をあなどっていた。ヤツが私の誘いに簡単には乗らなかったのは、作戦が盗聴されている可能性を考えてのことだったのだ」
「たしかに、樋口は電子機械技術のスペシャリストだったな・・・」
「ええ・・・へらへらしているくせに、三十年は破られない暗号を作ることもできると言っていましたよ」
「特別高等人になって、惚れた女を助けるとか言っていたのだがな・・・」
「ヤツに惚れる女は、ヤツの助けなどいらないくらい強いんだそうです」

まったく、おかしな男だ。

「お前を縛りつけて現れたのは、私を慢心させるための作戦だったわけか」
「私と三郎の校門前でのやりとりをじっくりと盗聴していたのでしょう?」
「そのあとは、筆談か手話で手はずを整えたというわけか・・・」

口惜しそうにつぶやく。

「終わりですね、慢心したあなたの負けだ」

さきほどとはまったく逆の格好。

私が、法月の眉間に銃口を突きつけている。

「終わり・・・?」
「私の要求はわかっているでしょう?」
「雑賀みぃなの義務を解消しろと?」
「さらに、私の配属をみぃなさんの住居の近隣にすること」
「それは無理な相談だ」

そこまでの権限はないのか・・・。

「ならば、辞職させてもらいましょう。
私とみぃなさんの安全は保障させてもらいますよ?」

法月の顔から笑みが消える。

「最終試験で一人の合格者も出せなかったとあれば、私の地位も失墜する。
よって、それも却下する」
「この期に及んで、わがままなお人だ・・・」

ならば、国外逃亡するしかあるまいな。

「どうした? けっきょく私を殺して逃げるしか選択肢はないのだぞ?」

法月には、自らの死を恐れている様子がなかった。

「撃たんのか・・・?」

あきらめているような気配もないのは、さすがと言える。

「あなたを殺すことには、なんのためらいもない」

拳銃を握る腕に力を込めた。

どう間違っても弾丸を外す距離ではない。

「・・・・・・」

法月は鋭い目つきで、私のすきをうかがっている。

切れ長の眉毛が吊り上がる。

 


「どうした!? 撃て!!!」


・・・ならば望みどおりに!

 

「・・・っ!」


法月の顔が網膜に焼きつく。


身をかがめ、懐に入り込もうとしている。


素早い体術。


だが遅い。


私は指を引く。


引き金にかかった指を絞る。


絞る――撃った!

 

「・・・・・・ツ!?」

凝視した。

凝視してしまったというべきか。

一瞬が永遠とも思える、驚愕の時間。

たしかに引き金を引いたのだ。

アリィ・ルルリアント・法月の自慢の拳銃。

火を噴かないそれは、鉄くず同然だった。

 

「・・・ぐっ!」

直後、視界が明減した。

下腹部と顎先。

連続して突き抜けるような重い衝撃が走った。

 

 

景色が白い。

 

思考がまとまらない。

 

軽い脳震盪を起したのだと理解したときには、私は、すでに床に崩れ落ちていた。

 

 

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「固定概念だな、阿久津・・・」
「ぐ・・・な、あ・・・!?」
「拳銃には弾が入っているのが当たり前か?」

急所を正確に狙われたのか、体にまったく力が入らない。

「さ、最初から、弾の入っていない拳銃を突きつけていた、と・・・?」
「よく考えればわかることだったのにな」

諭すように言った。

「たしかに私は女だ。背も低いし腕力ではお前に勝ちようがない。
どうにもならない差があった。
ならば拳銃を使うか?
だが、私はお前を殺したくない。
局員連中を使ってお前を捕らえるのでは、決定的な敗北感を味わわせることもできない。
かといって、私一人が体術で正面きって戦えば分が悪い」

・・・ぐ、確かにそうだ。

「お前は、私が拳銃の腕におごっていると思っていた。
だから、必ず拳銃に頼って自分を追い詰めてくるだろうと考えていた」


・・・法月が私を殺したくないのであれば、発砲はしないはずなのだ。

それは、わかっていたはずなのに・・・!

「ならば、お望みどおり拳銃をくれてやればいい。
勝利を確信させてやればいい」

そのすき、その油断を見逃さなかったというわけか。

「つまり、この拳銃は最初からお前を慢心させるための道具に過ぎなかったのだよ」
「あ、会うたびに、し、しつように、拳銃をひけらかしていたのも・・・?」
「お前を、私の指定した檻に誘うためだ」

 

慢心していたのは、私だったか・・・。

 

「余裕ぶって私に拳銃を突きつけたりせずに、殴り殺しておけばよかったのに、な?」

すべては計算づく、か。

そのとき、室内のドアが開く音がした。

「ぐっ、将臣っ!」

わらわらと人が入ってくる。

三郎は拘束されているのか、苦しそうだった。

「ちきしょう、放しやがれ」

「樋口よ、お前もなかなかがんばったが、あと一歩だったな」
「くっ・・・てんてぇの盗聴に気づいたのによ・・・」

すると法月は愉快そうに笑う。

「私は、お前が私の盗聴に気づいている、ということに、気づいていた」
「じょ、冗談だろ・・・?」
「樋口の諜報関係に関する能力は知っていた。
盗聴電波の周波数も平易に設定していたから、お前は試験の途中で私の盗聴に気づくだろうと考えていた。
だから、必ずそれを利用してくると思った」

ぐっと、足の裏を私の背中に押し付けてくる。

「まだまだだな・・・」
「うぐっ・・・!」
「人間、相手をはめようと思っているときには、視野がせまくなるものだ。
自らの行動に固執し、それ以外の選択肢を取ろうとしなくなる。
私が唯一恐れていたのは、お前たちがなりふりかまわず、私に襲いかかってくることだった。
腕力にものをいわせ攻撃をしかけられれば、ひとたまりもなかっただろう。
だから、私は種をばらまいた。お前たちが策を練る種を。
盗聴であり、空の拳銃だった」

笑みを吐き捨てた。

「お前たちは無駄に頭を使った。頭のいいお前たちには、まだまだ教育が必要だな」

私の背中を蹴りつけた。

「そう、暴力という名の教育が・・・」
「ぐ、あっ・・・!」
「弱さという種に、暴力という水を撒いて、慎重に、花を愛でるように、時間をかけてゆっくりと、貴様らを更生させてやる」

 

苦痛のなか、私は敗北を覚悟した。

どう考えても、この状況を脱する方法がない。

けれど、あきらめるわけにはいかなかった。

・・・みぃなさん。

あの人だけは、守らなくては・・・。

あの人だけは・・・。

 

 

 

 

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

・・・

囚人を地下に飼っているとは聞いていた。

小説を読んでいたから、ある程度の事前知識はあった。

学園の一階。

通路を突き当たった壁の先に、この空間はあった。

 

 

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捕らえられた私たちは、狭い部屋に押し込まれていた。

夏場だというのに、薄ら寒い。

「・・・気味わりぃなあ・・・」

三郎は肩を抱きながら、牢獄を見渡した。

全体的に薄暗く、証明は、壁をくりぬいた穴に小さなロウソクが灯っているのみだった。

入り口の鉄扉には食器を通すための窓がついていて、部屋の隅には用を足すための穴もあった。

「・・・ふむ」

鉄扉は押しても引いてもびくともしなかった。

「完全に閉じ込められたな・・・」
「拘束されていないだけ、マシだけどな」
「うむ。脱出できる可能性はゼロではないな」

すると、三郎はほっとしたように笑った。

「よかったぜ。まだ、あきらめてないんだな?」
「先の敗北は、全て私の責任だ」
「おいおい・・・だから、そうやって全部てめぇが悪いとかいうのはダサいっての」
「いや、お前をあなどっていたのも、素直に謝罪したい」

 

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「・・・わ、わかったよ。かっこいいヤツだな・・・」

照れくさそうに、頭をかいた。

「それで? どうするんだ?」
「脱出する」
「んなことはわかってるよ」
「少し、様子を見たい」
「というと?」

腕を組み、前方の扉を見据えながら言った。

「おそらく、我々は、これから拷問を受ける」
「げぇっ!」
「法月に従うよう家畜のように調教されていくのだろう」
「おれMだから、拷問とか耐えられないよ・・・?」

冗談なのか本気なのか、三郎は震えている。

「だが、チャンスは必ずやってくるはずだ」
「その心は?」
「法月が、やはり、慢心しているからだ」
「そうかね?」
「間違いない」

断言しながら、私は自らの腰を手で探った。

ズボンの裏、内側のベルトに引っかかりを覚える。

親指の先程度の大きさの小機械をつまみあげ、口の先で言った。

「そうだろう、法月?」

発信機を壁に向かって投げ捨てた。

「必ず、脱出してやる・・・」


・・・みぃなさん。

 

 

閉じ込められてからしばらく、私は牢獄の壁を調べていた。

材質はもろい石で、隙間を埋めるように土が塗り固められている。

「どうだい?」
「どうやらこの空間は、地下をくりぬいて、天井が崩れないように補強しただけのようだな」
「どういう意味だ?」
「牢獄としてはお粗末な出来だということだ」

三郎はすっきりとしない様子だった。

「だとしても、素手で壁に穴を開けるのは骨が折れるだろうな」
「・・・そうだな」

なにか鉄製の道具があると便利だろう。

「しかも、穴を開けた先が出口につながっているわけでもない」

別の手を考えるか。

そのとき、鉄扉の向こうから、複数の足音が聞こえた。

「・・・てんてぇかな?」

三郎の予想通り、法月アリィが湿った風とともに、うっすらと顔をのぞかせた。

 

ごきげんよう

その瞬間、私は、法月に向かって走った。

考えることはない。

法月を殴り倒すのだ。

けれど、法月の背後に立つ女性の姿を確認して、足を止めざるを得なかった。

 

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「・・・将臣さんっ!」

みぃなさんは、法月の部下らしい男に、腕をとられていた。

「感動の再会だな?」

みぃなさんが、無事だった。

それだけで心が焼けるほどに熱くなった。

「みぃなさんを放せ・・・」
「放してもいいぞ。お前たちが私に危害をくわえないのであれば」

言いつつ、懐から拳銃を抜いた。

「今度はちゃんと弾を入れてある」

銃口はみぃなさんの頭に向けられていた。

「わかっていると思うが、阿久津と違って、この女を殺すのには、なんのためらいもないぞ?」

 

「おいおい、てんてぇ! やりすぎだろ?」

「この女には二つの罪がある。
一つ、禁止されていたはずの詞を書いたこと。
二つ、義務を解消しようとする意志がないこと」

法月は、いつもにやけた顔をしているが、言っていることは正論ばかり。

「いままでこいつを担当してきた特別高等人は、雑賀の家名を恐れて制裁を加えなかったが、私は違う」

そして、いつも本気なのだ。

「・・・わかりました」

私がうなずくと、法月は満足げに指で合図して、みぃなさんを解放させた。

「・・・あぅっ!」

突き飛ばされたみぃなさんは、薄汚い牢獄の床に倒れ込んだ。

駆け寄って、彼女を支える。

少女は安堵のため息をつきながら、私の手を握ってくる。


「あ、ありがとうございます・・・」

手が震えていた。

「・・・怖かったでしょう? もうだいじょうぶですよ」

ぎゅっと、握り締める。


「優しいなあ、阿久津は・・・」

銃口はいまだに、みぃなさんの頭に向けられている。

「銃を下ろしてください」

みぃなさんが怖がる。

「三郎も、いまはやめておけ」

隣で、密かに攻め手を練っている三郎に声をかけた。

「・・・わかったよ・・・」

ため息をついて、壁に背を預けた。

「・・・うぅ・・・」

みぃなさんは目をつむって、身を小さくしている。

 

「不思議だなあ・・・」

拳銃の向こうで、小首をかしげた。

「どうして、雑賀のような弱い女に、阿久津が惚れているのかな?」

一歩、こちらに近づいてきた。

「どこが魅力なんだ?」

「ひっ・・・!」

ゆっくりと腕を伸ばす。

「・・・う、あ・・・」

拳銃の先端が、恐怖に震える少女の額に突きつけられた。

「向日葵のような笑顔も、素晴らしい感受性も、暴力の前では無力ではないか?」

みぃなさんに言いながら、目だけを私に向けた。

「ま、将臣さん・・・っ・・・」

何度も、私の名前を祈るように呼ぶ。

「やめろ・・・」
「・・・・・・」
「私がなぜこの人を好きになったのか、あなたにはとうていわからないでしょう。
いや、私にもよくわからないのかもしれない。
だが、わからないからこそ、好きなのかもしれません。
そういう価値観がこの世にあるのだと、私は彼女を通して知ることができたのです」
「・・・ほう」

すると、退屈そうに、拳銃を下ろした。

「楽しみだなあ・・・」

うつろな目で言った。

「阿久津が、裏切るときが。
雑賀が、裏切られるときが」


「わけわかんねこと言ってんじゃねえよ。おれたちをどうする気だ?」

三郎は、しびれを切らした様子だった。

けれど、法月は自分に酔ったように続ける。


「雑賀みぃなに会えてうれしかったろう?」
「・・・・・・」
「そうだよな? 断頭台に送られているかと思ったものな?」

何も、言い返せない。

「すぐには殺さんさ」
「・・・・・・」
「期待すると、裏切られるということを教えねばな。
これから私はお前たちにいくつかの希望を与えてやろうと思っている。
そして、その度に、絶望もくれてやる。
すると、どんなに強がった人間でも、あきらめるということを学ぶ」

ふっと、笑う。

「私も、そうだった・・・」


背を向けて牢獄を出て行った。

気を取り直して、みぃなさんに声をかける。

「もう、だいじょうぶですよ」

肩をつかんで、顔を覗き込むように見た。

「・・・す、すみません、本当に・・・わ、わたし、怖くて・・・」
「ええ・・・もう安心ですよ」

目が虚ろだった。

「い、いきなり、銃を突きつけられて、ここまで歩かされて・・・何を言っても黙れって、怖い目つきでにらまれて・・・。
こ、こういう経験、初めてで・・・す、すみません・・・」

切れ切れの吐息で、なんとか言葉をつむいでいる様子だった。

「わ、わたし・・・どうなってしまうんでしょうか・・・?」
「だいじょうぶですって」
「こ、怖いよ・・・将臣さん・・・」

そっと抱きしめる。

少女の涙が肩に滴り落ちて、熱く広がった。

 

 


・・・

「落ち着きましたか・・・?」

しばらくたって、ようやくみぃなさんの震えが治まった。

「は、はい・・・取り乱して、すみませんでした」

ようやく笑顔を見せてくれた。

「すみませんね、将臣さんの足をひっぱってばっかりで・・・」
「いえ・・・あなたのそばにいられて、私はとても幸せですよ」

こんな、牢獄でも。

「がんばらなきゃ・・・将臣さんに嫌われないように、がんばらなきゃ・・・」

少女は自然と、私の顔色をうかがうようなことを口にしていた。

 


「おれのことは気にせず、いちゃついていいんだぜえ」

 

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「え、えっ?」
「まあ、エッチだけは、おれが寝ているときにしてくれよな」

 


「よくもまあ、この状況で軽口が叩けるものだな?」
「余裕だけが取り柄の男ですから」
「三郎の顔から余裕が消えたとき、我々は最大の危険を迎えているというわけだな?」
「んな暗いことばっかり考えてんじゃねえよ。
とりあえず暇だし、遊ぼうぜ」


「あ、遊ぶんですか・・・?」

私も呆れるしかなかった。

「おれたちはヤバい状況にあるけど、時間だけはたっぷりとあるじゃねえか?」
「正論だな」
「とりあえず、メシでも出ねえかなー」

 

陽気な三郎のおかげで、冷たい牢獄の空気が少し和んだ。

 

 

 

 

 

・・・

・・・・・・


「・・・それでさあ、璃々子はね、言葉を覚えるのが早いのよ」

一日が経過していた。

「璃々子ちゃんは、樋口さんの娘さんですか?」
「おれの遺伝子を受け継いでいるだけあって、優秀だぜ」

璃々子というのは、三郎が学生時代からつきあっている女性との間にできた子供らしい。

「いずれ、みんなでこの町に引っ越してこようと思うんだよね。
この町をメッカにおれのハーレム伝説が始まるのだ!」

わっはっはと、漫画の吹き出しのように笑っていた。

「そういえば、健は・・・安全なのだろうな?」
「健ちゃん、元気のない子だから・・・心配ですね」
「まあ、信頼できそうな人に頼んでおいたから・・・」

かくいう三郎も、不安を隠せない様子だった。

私は小さく笑った、

「まあ、私もいきなり父親になるとは思わなかったな」
「ですね。わたしも、お母さんになるなんて、びっくりです」

 

「おれになにかあったときは、頼むぜ」
「縁起でもない」


「そうですよ。樋口さんが拾ってきたんですからね?」


すると、三郎は首を振った。

「いや、おれって早死しそうだからさ」

口調は軽いが、冗談ではなさそうだった。

「でもまあ、おれが死んでも、健や璃々子は立派にやっていけると思うんだよね。
おれたちの意志は受け継いでくれるっつうの?」
「それはつまり、もし我々がここで法月アリィに敗北したとしても、子供たちは、また立ち上がってくれるという意味か?」


「まるで、向日葵のようですね」

ぼそりと、言った。

「種さえあれば、何度でも太陽に向かって顔を向けるんですね」

しきりにうなずいていた。

「だが、私はせめて自分のまいた種は、自分で処理したい」
「うん?」
「次の世代に期待する前に、やるべきことがあるはずだ」
「なるほど、そういう考えも大事だな」


「それは、困るな」

ぎぃっと、耳を突くような錆びた音とともに、法月が入ってきた。

お供の局員たちはいない。

けれど・・・。

 


「・・・健っ!?」

胸に赤子を抱えていた。

「不穏分子は根絶やしにせねばな?」

小さな首に、手をかけた。

「おいおい、やめてくれよ。悪行にもほどがあるっての・・・!」
「やはり、樋口は他人が傷つくのが痛くてたまらないタイプの人間だな」


「その子に何の罪がありますか? あなたのやろうとしていることは明らかに犯罪ですよ?」
「阿久津もそうだ。樋口と同じかそれ以上に優しい。
だが・・・」

口元を吊り上げながら、一歩進んできた。

 

「・・・ひっ!」
「お前だけは違うな」
「な、えっ!?」
「私にはわかる。お前は自分だけが助かればそれでいいと思っている」
「ち、違いますっ!」
「そうかな?」

今度は、私に目を向けてきた。

「こいつは、お前との約束を破ったのではないか?」
「あの詞は、私の両親を気づかってのものだったのですよ」
「だからなんだ? お前のことを愛しているならば、お前の出世を考えれば、筆が止まるはずなのだ」
「・・・・・・」

 


「なあ、雑賀みぃな、誰でもよかったのだろう?」
「・・・え?」
「お前は自分に優しくしてくれる人なら、誰でもいいのだろう?」

みぃなさんは、首を振り続ける。

「そうでなければ、お前の支離滅裂な行動の説明がつかん。
愛しているといいながら約束を破り、役に立たなければと言いながら怯えるだけ・・・これはどういうことなのだ?」
「うぅ・・・」

みぃなさんは、中傷にひどく弱い。

「生まれついての品格だが、感受性だかなんだか知らんが、阿久津をたぶらかすのはやめて欲しいな」

「いいかげんにしろ・・・!」

拳を握り締めて、法月に歩み寄った。

「お前が私を殴るより先に、赤ん坊の呼吸を止める自信はあるぞ?」

・・・それはわかっている。

「落ち着け阿久津。腹が減ったろう?」
「・・・・・・」

私たちは一日何も食べていない。

「これからパンを一切れ与えようと思う」

「もっとくれよ・・・三人いるんだぜ?」

法月は笑いながら首を振る。

「私には予想がつく。そのパンを食べるのは雑賀みぃなだ」
「・・・・・・」
「譲りあい、遠慮しあいながらも、けっきょく腹を満たすのはこの女だ。
すみませんねと口では謝りながら、パンを食う」
「・・・・・・」
「ずるいよなあ・・・?」

私は思わず叫んだ。

「卑怯なのは貴様だ、法月!」

「将臣、落ち着け!」

「ふざけたことばかりぬかして!」

気づいたときには、三郎が私の肩をつかんでいた。

 

「もろいなぁ・・・。
やはり、恋愛は人を盲目にして冷静な判断力を失わせる。
じっくりと、引き裂いていかねばな」

最後にみぃなさんを一瞥すると、健を抱えたまま部屋を出て行った。

扉がしまった直後に、食器口から小皿が差し出されてきた。

私は気を静めながら、皿に載った一切れのパンをつかんだ。

「みぃなさん、どうぞ・・・」
「い、いりません・・・」
「いいんですよ。法月の言葉など、気にする必要ありません」
「いらないです・・・とても、食べる気になれませんから」


「いいから食べなって。おれたちはカスミを食べても生きていけるんだから」
「いや、本当に・・・あ、あんなことを言われてこれを食べてしまっては、わたしは本当に卑怯者になってしまいます」
「卑怯者であろうと、私はあなたが好きですよ」


「ぐええ、くせえこいつ! 死ぬー!」

 

三郎は自らの首を締めておどけるが、みぃなさんは笑わなかった。

「さ、三等分にしましょう?」

 

「食べてください」

「食べなって」


なかば強制しているようだった。

「・・・うぅ・・・」

しばらく同じようなやり取りを続けた。

みぃなさんは目尻に涙を浮かべながら、パンをつかんだ。

「すみません・・・」

 

 

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。


また一日が経過した。

喉が痛み、目がすぐに疲れる。

だが、この程度で音を上げるはずもない。

 


「にしても、健が人質にとられたか・・・」
「うむ・・・手が出せんな」
「不幸なヤツだな、健も・・・」

私もうなずくしかなかった。

「そうだ、みぃなさん・・・」

ふさぎこむように膝を抱えていたみぃなさんに声をかける。

「なんでしょう・・・?」

元気がない。

「詞を書いてはいかがでしょう?」
「え?」
「気が紛れるのではありませんか?」

 

「いいんじゃないの? 暇つぶしになるよ」
「しかし、義務で・・・」
「この期に及んで、義務を気にする必要はありませんよ」
「・・・そうですか?」

少しだけ、うれしそうな表情を見せた。

「あ、でも・・・書くものがないです・・・」
「ペンと紙ならあるよ」
「え?」

三郎はにやにやしながら、ズボンの中を両手で漁った。

「おれの股間って、四次元につながってるから」

差し出されたのは、ボールペンと、手のひらサイズのメモ帳だった。

「汚いやつだな」
「うるせえよ」
「もっと役に立つものは入ってないのか?」
「のぞくな、馬鹿!」
「いや、本当に、隠し持っているものは他にないのか?」
「武器はないぞ。あとは、スプーンとペンライトくらいだな」
「・・・スプーンか」

・・・壁を削れないこともないな。

だが、削った先が脱出口になっているとは限らない。

 

私はもう一度、獄中内を見渡す。

ここに連れて来られたときも、方角を確認していた。

西側の壁を掘れば、おそらく校舎の裏手に出るはずだ。

でも、現実的ではないな。

何年かかるかわからん。

「ん・・・」

みぃなさんは壁を背に腰を下ろした。

ペンを握り締め、難しそうな顔をしている。


「完成したら、教えてください」
「・・・・・・」
「みぃなさん?」
「え? あ、はい」
「ははっ、もう没頭していたのですか?」
「す、すみません、なんだかうれしくなってしまって」

恥ずかしそうだった。

「できれば、詞の意味を解説してもらえると助かります。
私はそういうのに疎いものでね」


「官能的な詞だといいなあ・・・」


「阿呆が」


みぃなさんが気を持ち直してくれたおかげか、私たちはまだまだ余裕だった。

 

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。

 


おそらく、四十八時間ほど経過した。

その間に、少量の水が与えられるだけだった。

「頭を使うと、お腹が減るんじゃないですか?」
「・・・ふふっ、そうですね」

みぃなさんは、ずっと、メモ用紙とにらみ合いをしていた。

たまにペンを握る腕を動かしては、ため息を重ねている。

そのとき、鉄扉の向こうで音が聞こえ、私はみぃなさんに駆け寄った。

「紙を隠してください!」
「えっ!?」
「早く!」

扉が開いたのと、私がメモ帳を取り上げたのはほぼ同時だった。

「調子はどうかな?」

「元気だよ。元気だから、健を返してくれよ」
「フフ・・・こんな陽の当たらない場所に赤ん坊を閉じ込めるのはよくないぞ?」
「いいから、返してくれっての」
「しかし、あれは笑わない子だな?」

法月は取り合う気がない様子だった。

「・・・今日は、なんの用ですか?」
「うん・・・そろそろ、暴力の一つでも振るってやろうと思ってきたのだ」

凍てついた目をみぃなさんに向ける。

「なにを隠した?」

有無を言わさぬ問い。

「なんのことです?」

「貴様に聞いていない」

「・・・うっ!」

歩み寄りながら、法月は懐から拳銃を抜いた。

「正直に答えろ」
「う、あ・・・」

法月の視線が、みぃなさんの右手に注がれた。

「ペンを持っているのはなぜだ?」
「そ、それは・・・」
「よこせ・・・」
「はい・・・」

消え入りそうな声とともに、ペンを差し出した。

法月はそのペンを握りつぶすように、へし折った。

「なにをしていた?」
「・・・・・・」

・・・みぃなさん。

念を送るように、恐怖に震えている少女を見つめる。

「詞を書いていたのだろう?」

正直に答えてはいけない。

「どうなんだ?」

強烈な暴力が待っている。

「私の勘違いか? 書いていたのか、いないのか、どっちなんだ?
もし、自分を表現しようなどという意志をこめて、異民音楽の詞などを書いているのならば、制裁を与えねばな?」
「う、あ・・・」

青ざめた顔であとずさる。

「認めろ」
「い、いえ・・・その・・・わたしは・・・」

直後、銃口を少女の喉下に突きつけた。

「素直に認めれば、阿久津と樋口に食事を与えてやろう」
「あ、あ、ああ・・・」

みぃなさんは手足を硬直させ、床に爪先立ちになっていた。

「どうした? お前は殴られるが、阿久津たちは腹を満たすことができるのだぞ?」
「うぅ・・・」


「みぃなさん・・・」

目をつむり、恐る恐る口を開いた。

「か・・・」

ごくりと喉が鳴る。

「書いて・・・ない、ないです・・・」

少女は、嘘をついた。

「ほう・・・」

満足げに笑った直後、風を切るような音がした。

「あぁっ!!!」

法月の左手が、みぃなさんの頬を平手で打ちつけたのだ。

「私は、子供でな」
「いだっ!!!」
「子供は、嘘つきと臆病者が大嫌いだろう?」


「や、やめろっ!」

腕を伸ばすよりも早く、

「・・・っ!?」

銃口が目前にあった。

「いや、本当に不思議だよ阿久津・・・」
「くっ・・・」
「この女のどこが、いいのだ? 嘘つきの裏切り者ではないか?」
「う、うるさい・・・。
誰しも暴力の前では、自分の保身を考えてしまうものだ」
「そう言いながら、少し寂しかったのではないか?」
「なに?」
「失望を禁じえないのではないか? 恋人なら、たとえ自分がどうなろうとも、相手を助けるものだと思うがな?」
「黙れ」

短く言い切りながら、ついみぃなさんを見てしまった。

「た、助けて・・・」

少女はただ、恐怖からの解放を望むだけだった。

助けて、助けてと、呪文のように唱え続ける。

「フフ・・・阿久津よ、人間はいつまでも同じ感情をいだいていられないものだぞ?」

 


愉快そうに言うと、背を向けて去っていった。

「・・・・・・」

みぃなさんのどこが好きなのか、だと?

それは、まぶしい笑顔であり、素晴らしい感受性であり・・・。

指を折るように少女の魅力を募らせていく。



 

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「みぃなさん・・・しっかりしてください」
「うぅっ、ひっぐ・・・」
「もう、平気ですよ。すみませんね、私が詞を書くことを勧めたのがいけなかったのです」
「い、いえ・・・すみません、わたしこそ・・・」

充血した瞳からぼろぼろと涙が崩れ落ちてくる。

「わ、わたし、将臣さんと、樋口さんを・・・っ・・・」

すみません、すみませんと繰り返す。

この少女は弱い。

だからこそ、守ってやらねば。

だからこそ、愛しいのだ。

 

しかし、それは――。

 

私は、腹の底にふって湧いた感情を、唇で噛んで押しとどめた。


「すみません、わたし、ダメです・・・ダメな人間です・・・」

 


――それは、ただの自己満足ではないか。

 

 

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

 

 

五日・・・おそらく、五日たった。

ようやく十分な食と水にありつくことができた。

「ふー、生き返るぜ・・・」
「しかし、食事の量がこのペースだと、まずいことになるな」

手足が麻痺し、幻覚が見えるようになったら終わりだ。

「まあ、そうなる前に、ゴキブリでも食うか」
「たくましいねえ、将臣は」

私たちは強がるのだが、みぃなさんは違う。

「・・・・・・」

虚ろな目で、ぼんやりと立ちすくんでいた。

 

「元気だしなって」
「はい・・・」

声をかけても、短い答えが返ってくるだけ。

あれから一度も、詞を書いていない。

法月に殴られたことが、相当ショックだったようだ。


「わたしの、せいですよね・・・」


「え?」
「何が?」


「わたしが、阿久津さんを好きにならなければ、こんなところに閉じ込められることもなかったのに」
「それを言うなら、あなたを好きになった私にも責任はある」
「好き、ですか?」
「ええ」
「ほ、本当に?」

少女はとことん自信を失っていた。

私は黙って、みぃなさんを抱きしめた。

「・・・み、見捨てないでください・・・」

頭を撫でてやった。

法月が現れたのは、そんなときだった。

 

 

 

・・・


「朗報があるぞ」

健を抱いている。

「まさか、健を返してくれるのかい?」
「そのまさか、だよ」

さすがの三郎も、ぱっと顔を明るくした。

「ただし・・・雑賀がまた、私に殴られるわけだが?」
「い、意味がわかんねえよ・・・」
「簡単なことだよ。甘い阿久津に代わって、私が雑賀を成長させるための試練を与えてやるのだ」


「試練・・・?」


「雑賀が、この赤ん坊の親にふさわしいかどうか、試してやる」

言いながら、みぃなさんの顔を向けた。

「おい・・・」
「・・・ひっ!」
「子供を返して欲しいだろう?」
「は、はい・・・」
「返して欲しかったら、私の目を見てちゃんとお願いしろ」

法月はあごを引き、刺すような視線でみぃなさんを威圧した。

「う、あ、あの・・・」

唇が、目に見えるほど震えていた。

「おい、笑顔を絶やすな。貴様はそういう義務を負っているのだぞ?」
「で、でも・・・」
「黙れ」

にらまれていない私でも、戦慄を覚えるほどだった。

「どうした? ちゃんとお願いしてみろ、自分の子供だろう?」
「・・・っ、あ、あの・・・うっ!」

緊張のあまり吐き気を催したのか、口元を両手で覆った。

「なんだ、そのザマは? そんなことで、母親になれるのか?」
「わ、わたし、母親だなんて・・・そ、そんな・・・うぅっ」

もはや立っていることすらつらそうだった。

「なんだ? お前はこの子の親じゃなかったのか?」
「だ、だって・・・うぅ・・・け、健ちゃんは・・・ひ、樋口さんが、樋口さんが拾ってきた子で・・・」


「み、みぃなちゃん・・・」


いまの一言には、さすがに私も動揺を隠せなかった。


「む、無理です・・・わ、わたし、怖い・・・」


「・・・・・・」

 

うまく思考がまとまらなかった。


ただ、目を見て、子供を返してくれと言えば、それで済む話なのだが・・・。


いや・・・気弱なみぃなさんには、それすらも難しいのか。

けれど、健は三人の子ではなかったのか。

 

「クク、ハハハ・・・」


法月は愉悦に満ちた表情で吹き出した。


「かわいそうになってきたな」
「うぅ・・・ひっくっ・・・っ・・」
「雑賀みぃなよ。私も悪いと思うが、お前も相当な悪人だな。
いいぞ。こうやって悪を共有していこうじゃないか?」

直後、私に向かって健を放り投げた。

「・・・っ!」

とっさにタオルケットに包まれた赤ん坊を受け止める。

「くれてやる。なかなか面白い見世物だったぞ」

あきらかな余裕を見せた。

油断しているし、すきもあったのだろうが、反撃するには気分がまとまらなかった。


「ぐっ、す、すみません・・・将臣さん・・・すみません、すみません・・・」

私は、ぼんやりとみぃなさんのよく動く唇を見つめていた。

「だから言ったろう、阿久津? 私に従えと」
「・・・・・・」
「こんな女のために、お前の輝かしい人生を棒に振るのか?」
「・・・・・・」
「それは、この女にも魅力はあるのだろう。
だが、一皮剥けばこの通りではないか?」

私は、ただ黙って首を横に振るだけだった。

「暴力はいいぞ阿久津。人間の本質を暴いてくれる」

・・・人間の本質。

「・・・・・・」

みぃなさんの本質は、自分のことしか考えないただの弱い人間だというのか。

「だんだん、希望が絶望に変わってきたな」


誰も、なにも、言い返せなかった。

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

 

 

どれくらいの日々がたったのか。

おそらく二週間ほどだと思うが、確認するすべがない。

その間、みぃなさんは、ほとんど口を利かなかった。

生きる気力を失ったかのように、うなだれて膝を抱えていた。

三郎が健を懐きながら、ふと思いついたように言った。

「壁、おかしくねえか?」
「私も、同じことを考えていた」
「ここだろ?」

三郎が指差した西側の壁。

「補修したようなあとがあるな」
「しかも、ちょっぱやで直したって感じだな」

腰をかがめて、壁に目を凝らす。

周囲の壁の模様とは明らかに違う。

「這って進めば、人が通れそうなサイズだな?」
「掘ってみる価値がありそうだな?」

意気投合した私たちは、三郎の持っていたスプーンを握り締め、補修された穴の前に立った。

壁をくりぬいてみる。

土は意外とやわらかく、抵抗は少なかった。

・・・ここが補修されているということは、補修されるだけの理由があったということだ。

・・・おそらく、前にいた囚人が脱出を試みたのではないか?

・・・出口につながっているからこそ、補修されたのだ。

 

「将臣っ・・・!」


そのとき、扉の向こうで階段を降りてくる足音が聞こえた。

私はとっさにスプーンをポケットに隠した。

 

「・・・久しぶりだな」
「やあ、てんてぇ今度はなんだい?」
「いやなに、そろそろ、阿久津たちが脱出方法に思い至るころかと思ってな」

じっと、私を見た。

「と、思ったが、まだか・・・」

勝手に期待して、勝手に落胆したようだ。

「おい・・・」

声を後ろに飛ばした。

直後、開いた扉の向こうから怒号が飛んだ。

「い、いやだー! やめてくれぇっ!!!」

 

局員たちに両脇を抱えられながら姿を見せた男には見覚えがあった。

 

 

・・・あのときの、囚人だ。

必死の形相で、命乞いをしている。

「こ、こんなところに、また閉じ込められるなんて!!!」

背筋に緊張を覚えながら、法月を見つめた。

「お仲間に加えてやろうと思ったのだ」
「そ、そんな、先生の言うとおり、少女をさらったじゃないか!」
「うんうん、いい演出だったぞ」

・・・やはり、あのとき、あのタイミングで囚人が姿を現したのは、法月の手はずだったわけか。

「しかし、それだけでお前のような政治犯を無罪にする権限は私にもなくてな」

連続婦女暴行犯といったのは、私の焦燥感を煽るためか・・・?

「残念だが、またここで暮らしてもらおう」
「や、やめろっ! やめてくれっ!」

男は泣き叫びながら、捕らえられた腕を振り解こうとするが、どうにもならなかった。

「さて・・・こいつは一年もここに閉じ込められていた囚人だ。
じっくりと教えを請い、私を倒す計画でも練るといい・・・・・っ!?」

法月の顔色が変わった。

男が不意に足を震わせながら叫んだ。

「か、壁、壁だ!!!」

「・・・っ!?」

「ぼ、ボイラー室! 学園の、ち、地下・・・ボイラー室につながっている、か、壁!」

「黙れ・・・っ!」

鋭い一声が投げかけられたが、半狂乱に陥っている男の耳には届かなかった。

「か、壁だ!」

私と目が合った。

正気ではなかったが、それが逆に真実を訴えているようだった。

「す、少し、掘り進めば・・・!」

 

 

 

 

突如、銃声が鳴り響き、尾を引いた。

 

男が額から血を流し、床に崩れ落ちる。

 

法月アリィは、銃口を下ろす。

 

みぃなさんの、押し殺したような悲鳴が上がった。


「・・・とんだ、ハプニングだ」
「・・・・・・」
「ちっ・・・」

不快そうに顔を歪めると、お供を連れて去っていった。


「三郎・・・」
「ああ・・・」

私は死体となった男のそばに寄った。

死の恐怖に染まりきった顔に手をかける。

名も知らぬ、囚人。


「・・・っ・・・こ、怖い・・・怖いよぉ・・・」

みぃなさんのためを思って、体をひっくりかえして、うつ伏せの格好を取らせた。

「・・・壁、か」
「間違いないな」

掘った土は、用便を足すための深い穴に捨てればいい。

「問題は、どうやって気づかれずに掘り進めるかだな?」
「てんてぇがきたときに、穴が開いてりゃ、まずいよな」

不定期に現れる法月の目をどうやってごまかすのか。

「まあ、時間はある」
「だな、考えるとしようか」

私たちは思案に暮れる。


「・・・・・・」


健は、その間ずっと、私たちに挑むような目を向けていた。

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

 

おそらく深夜なのだろう・・・睡魔が訪れていた。

「・・・おれ寝るわ。健が泣かないように頼むぜ」

私はうなずいて、三郎から健を受け取った。

静かな子供だ。

泣きも笑いもしない。


「・・・っ、ひっく・・・っ・・・」


・・・むしろ、みぃなさんのほうが子供のようだった。


「さ、寒いよぉ・・・あったかいお布団で寝たいよぉ・・・」
「みぃなさん・・・」

そっと近づく。

「も、もう、放っておいてください・・・」

私は、このところずっと、寒さを訴えるみぃなさんを抱きしめていた。

「もう無理ですよ・・・将臣さんと樋口さんは、平気かもしれないですけど・・・わ、わたしみたいなお嬢様育ちの人間には、耐えられないです・・・」

寒さと飢えが、少女の体力と気力を限界まで追い詰めていた。

「き、嫌いに、なりました・・・?」

私は黙って、首を振る。

「嫌いになりましたよね、将臣さん?」

哀れだった。

「ほ、本当はわかってるんです・・・こんな自分、ダメだって、変わらなきゃって。
でも、無理なんです・・・怖くて、痛くて・・・」

私は、愚痴を続けるみぃなさんに向かって、赤子を差し出した。

「抱いてあげてください。寝つかないんです」
「え・・・?」
「あなたの子ですよ?」
「・・・ぅ・・・」
「三郎が勝手に拾ってきたにせよ、三人で名前をつけた子供じゃありませんか?」
「で、でも・・・わたしには健ちゃんのお母さんになる資格なんて・・・」
「泣き言は聞き飽きました」
「す、すみません・・・」
「その、すみませんというのも、もうやめてください」

さあ、と押し付けるように健を手渡した。

「うぅ・・・」

おどおどと手を伸ばし、やがて健の小さな体をつかまえた。

抱きしめる仕草は腫れ物を扱うようでいて、落ち着きがなかった。

「暖かいでしょう?」
「え?」
「生きてるんです」
「・・・・・・」
「あなたより絶対に、弱い生き物ですよ?」

少女は唇を噛み締めた。

「でも、泣きませんね。こんな状況でも」

瞳に涙が滲んだ。

 

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「な、泣いているの・・・泣いてばかりなのは・・・わたし・・・」

涙の粒は見る見るうちにふくらみ、重い液体のように頬を流れ落ちていった。

かわいそう、唇がそう動いた。

「・・・ご、めんね・・・」

私は少女を眺めていた。

優しい面立ち。

まなざしは弱いが、慈愛の光に満ちていた。

「ごめんね・・・健ちゃん・・・ごめんね・・・」

祈りを捧げるような表情に、私は、少しだけ癒やされるような気持ちになっていた。

「寒いよね、ごめんね・・・」

その温もりを逃すまいと、少女は、血のつながりのまったくない子供を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

 


けっきょく法月がもう一度現れるまで、壁に手を加えるのはやめておいた。

「ふむ・・・」

そして、その判断は賢明だったようだ。

囚人の男が死に際に叫んだことを気にしているのか、法月は部屋に入ると、まず周囲の壁をなめるように見渡した。

ごきげんよう、諸君」

誰も返事もしない。

「閉じ込められて、もうどれくらいたったと思う?」
「一ヶ月前後でしょう」
「素晴らしい。まだまだ頭は使っているようだな」

・・・なめるな。

「それで? そろそろ降参した方が得策だということを考えないのか?」
「いまはちょうど、あなたを殺す方法を考えていたところです」

殺気を感じたのか、法月の腕が、とっさに自らの胸元に伸びた。

「なるほど・・・少しだけ、阿久津をあなどっていたようだな。
この状況で、まだ陰りを見せないか・・・」


「おれも忘れてもらっちゃ困るぜ?」


「やはり一人くらい殺しておくか」


銃口をみぃなさんに向けた。


「引き金を引いてみてください。その瞬間、私は玉砕覚悟であなたに殴りかかることでしょう」
「右に同じ」


「やれやれ。長引きそうだな・・・」

私たちがいくらすごんでも、法月の優位は揺るがない。

じりじりと後退し、十分な距離を取ったところで、背を向けた。


「あ、あの・・・」

うめき声が上がった。

声の主は、赤子を抱いた少女だった。

「ま、待ってください・・・」

振り返った法月は、不思議そうな顔をしていた。

「おお・・・お前が、私たちと同じように、人に意見をする動物だということを忘れていたよ」

法月が言うように、少女は何かを訴えたいようだった。

「も、毛布を・・・一枚・・・」

たどたどしい言葉をつむぐ。

「い、いただけませんか・・・毛布を・・・あの・・・一枚・・・」

顔をうつむかせ、まなざしを床に落としたまま言った。

「・・・こっちへ来い。阿久津と樋口は少し後ろに下がれ」

「・・・・・・」
「・・・・・・」


私と三郎は一度顔を見合わせて、言われたとおりにするしかないと悟った。

「なんだって? もう一度言ってみろ」
「で、ですから・・・その・・・」
「こっちへ来いと言っている」
「は、はい・・・」

おずおずと足を伸ばした。

みぃなさんの胸に預けられた健は、眠っているようだった。


「き、来ました・・・」


法月は、いつにもまして苛立たしげに少女を見据えていた。

「毛布が欲しい、だと?」
「お、お願い、します・・・」
「理由は?」
「寒いから、です・・・」

かわいた笑いが吹き出て、同時に法月の右腕が振りあがった。

「・・・あぅっ!!!」

線の細い体が、飛ぶように床に打ちつけられた。

私が一歩間を詰めたときには、銃口が床で芋虫のように丸くなった少女の体を捉えていた。

「だめだろう、雑賀?」

「ひっ、あぁ・・・」

「もっと、他人に気を使えよ」

「ぐっ・・・ぁッ!!!」

「みんなが寒いのに自分だけいい思いをしようなんて、義務に違反しているにもほどがあるぞ」
「や、やめ、やめて・・・っ・・・!」

法月は笑う。

「おいおい、赤ん坊が押し潰されてしまうぞ?」

みぃなさんは、健に助けを求めるかのように小さな体を抱き込んでいた。

「・・・うぅっ、ゆ、許して、許してください・・・殴らないでっ・・・!」

泣き声に満足したのか、法月は暴力をやめた。

 


「み、みぃなさん・・・」
「やはり、雑賀は生かさず殺さずがよさそうだな?」

私に訊いた。

「この女が愛するに値しないとわかれば、阿久津の目も覚めるだろう」
「・・・・・・」
「よく見ろ。弱い者は、より弱いものにすがろうとするのだ」


「ぅ・・・健ちゃん・・・健ちゃん・・・」

みぃなさんは名前を呼び続ける。

一心不乱に、助けを求め続ける。


「こうなる前に、我々が裁いてやるのだ。
わがままな犯罪者どもが人に迷惑をかける前に鉄槌をくれてやるのが、我々の仕事だ」


つい、聞き入ってしまった。


「考えを改めろ阿久津」


「・・・・・・」

 

「お前は、間違っている」


思わず息を呑んだ。

返す言葉もなく、退室していく法月を見送ってしまった。

 


「・・・はあっ、はあっ・・・」

転がって震え続ける少女がいた。

痛めつけられた体に最初に駆け寄ったのは三郎だった。

 

私より、先だった。

 

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

 

次の日。

みぃなさんは部屋の隅で健を抱きながら、ずっと沈黙していた。

 

「将臣、重大発表」

三郎の吐息が荒れていた。

「おれちょいと病気っぽい」

額からたまのような汗が吹き出していた。

「三郎にしては、くだらない冗談だな」
「いや、おれってけっこうスベるよ?」

ときおり思い出したように、腹を押さえていた。

「いやまあ、たいしたことはないんだけどさ」

睡眠を妨げるほどの寒さ。

一日に一度出るか出ないかの食事。

空気はかび臭く、射殺された囚人の死体からは異臭が立ち込めている。

なにより長らく太陽の光を浴びていない。

これだけ不衛生が続けば、病気にならないほうが不思議なくらいだ。

「そろそろ、穴を掘ろうじゃねえか?」
「そうするか・・・」

不用意に入室してきた法月に襲い掛かる作戦もあったが、それは法月も警戒しているだろうし、三郎がこのような状態では難しいだろう。

「掘った穴を、どうやってカモフラージュするかだが・・・」
「どうするんだ?」

あまり、うまい手ではない。

「穴の入り口に、土の戸を作っておくのだ」
「土の戸?」
「壁の土は粘土質だ。掘った土を踏み固めれば、穴をふさぐ大きさの戸を作ることはできるだろう」


三郎は困惑したようだ。

「でも、ちょっと調べられたらばれねえか?
周りの壁と明らかに違うだろうし、土でつくった戸が穴にぴったりはまるわけじゃねえだろうから、隙間もできちまうぜ?」
「法月が現れたときは、戸を隠すように誰かがそこに座っているべきだろうな」
「うーん・・・それは、おれの役目かね?」
「いや、みぃなさんだ。いままでずっと法月のすきをうかがっていたお前がずっと座り込んでいるのでは、やや不自然だ」

くわえて、法月はみぃなさんが眼中にない。

「お前は、少しでも法月の注意力を奪うようにかまえていてくれ」
「おっけー、襲いかかろうとしてればいいのね?」

私はうなずいて、掘るべき壁の前にしゃがみこんだ。

「一応、鉄扉の前で耳を澄ましていてくれ」

三郎は意を察したようだ。

「てんてぇの足音に気づいたら、すぐ教えるわ」

昨日顔を見せたばかりだから、しばらくは現れないと思うが・・・。

私は状況を考える。

三郎の体調の不具合に、ふさぎこむみぃなさん。

楽観してはいけない。

この脱獄が唯一最初で最後のチャンスだろう。

穴を掘った先は、学園の地下ボイラー室につながっているらしい。

距離はそうないと信じたい。

囚人の男の死体を眺める。

彼が掘った穴を、急ぎで修復したのなら、壁はもろく削りやすいはず。

 


・・・やるか。

「三郎、体がきついのなら、私に与えられる分の水や食事を遠慮なく補給するのだぞ?」
「・・・なんだよ、友情か?」
「この作戦は、お前の協力なしには成功し得ない。
よって別に、友情ではない」

三郎は吹き出した。

「お前って、本音を隠すために、理屈っぽくなるのな」
「・・・・・・」

私は、舌打ちをするしかなかった。

「あの、本・・・」
「ん?」
「SF小説だ」
「ああ、あれがどうした?」

私は、スプーンを握り締めた。

「ここを出たら、続きを貸すのだぞ・・・」

 

 

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

 

三時間ほど作業を続けると、粘土質の戸が完成した。

これで、即席の偽装はできることになる。

牢獄の壁にぽっかりと開いた穴をすぐ隠せるように、戸を近くの壁に立てかけておいてから、私はまた穴を掘り進めた。


いつ、法月が現れるのかと、胸の詰まる思いだった。

予想通り、土壁はもろかった。

石材や老朽化したコンクリートを削り取り、少しずつ壁をえぐっていく。

掘った土を三郎に渡し、用を足す穴に捨てさせる。

狭い穴倉に身を入れ続けていると、多量の汗が吹き出て視界を侵食していく。

弱りきった腕の筋肉に活を入れて、必死に脱出口を作っていった。

しかし、一時間ほど懸命に土を掘り続けて、ようやく顔が入る程度。

・・・それは気の遠くなる作業だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・


牢獄で生活するようになって、どれくらいの時間が流れたのか、ついにわからなくなっていた。

壁に開けた穴のなかでの作業も、すいぶんと馴染んできた。

かなりの距離を掘り進んだ。

入り口からペンライトの光を差しても、奥が見えないほどだ。

 

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「どんなもんだ?」
「やはり、誰かが掘ったような形跡があるな。
だんだんもろくなってきている」

囚人の男は死に際に、少し掘り進めば、と言っていた。

ならば、もうすぐだ。

「今日の作業は終了にする」
「だいじょうぶか?」
「お前こそ」

蓄積された疲労が、限界を体に訴えていた。

作った土壁を穴の入り口にあてがう。

魔手が迫ったのは、疲れ果てて床にぐったりと寝そべったときだった。

鉄扉の向こうで、足音がする。

階段を降りてくる。


「現れたな・・・」

私は土の壁にうつ伏せになる。

この格好で寝ているふりでもしないと、服や顔面が必要以上に土にまみれている説明がつかないからだ。

「三郎、頼んだぞ」
「ああ・・・てんてぇの注意を引いてみせる」
「みぃなさん・・・」

みぃなさんには、指示のとおり穴の入り口にかがんでもらいたい。

けれど、返事はなかった。

「みぃなさん!」
「は、はい・・・でも、健ちゃんは、どうすれば?」

 

「健はおれが預かる」
「わかりました・・・」


うつ伏せになった私の頭上で、慌しい動きがあった。

 

「・・・早くしてくれ!」

 

祈るような気持ちだった。

鉄扉がゆっくりと開く。

みぃなさんは、どうやら指示通りに脱出口の前に座ったようだ。

法月の声が走る。

「なにやら、慌ただしかったようだが?」
「・・・っ」

私はもぞもぞと土を全身にこすりつけるようにして身を起こした。

「なんだ、ひどい顔だな?」

土まみれの私の体を笑った。

 

 

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「てんてぇ、頼みがあるんだがな」
「うん?」
「おれの女いるだろ? 子持ちの。そいつ元気かね? よかったら、連絡取りたいんだが?」
「お前が心の底から、私に服従を誓うなら許そう」
「そりゃ、できねえよ。てんてぇは、おれのダチをかなり殺したからな」

三郎は手はずどおりに、法月の注意を奪っている。

「・・・・・・」

ちらりと目をやると、みぃなさんは、膝を抱えてうつむいていた。

「顔色が悪いな? 寒いのか? 震えているぞ?」
「病気っぽい。死んじゃうよ、おれ?」

法月の目線は、一度もみぃなさんに送られることはなかった。

「それで? 今回も、我々の様子を見に来たのですか?」

法月は深くうなずく。

疲労困憊を極めて、そろそろ仲たがいを始めるころかと思ってな」

不意に、法月の視線がみぃなさんに注がれる。

みぃなさんの後ろには、我々の脱出口。

私は慌てて口を開いた。

「たしかに、あなたの言うとおり、みぃなさんと私の間には見えぬ溝ができつつあるのかもしれない」

すると、法月は愉快そうに私を見た。

「みぃなさんは、牢獄に閉じ込められて、あなたに暴力を振るわれるようになってから、ひどく変わってしまった」

私は芝居を打っているつもりだった。

「私も、いつまでも弱音を吐いてばかりのみぃなさんに同じ感情を抱いていられるものではない」

妙に、口が滑る。

「雑賀は変わったのではない。それが本性なのだ」

私は首を振る。

「だが、だからといって、あなたに服従するつもりはない」
「なるほど。雑賀みぃなはともかく、樋口の友人として無理か」

 


「うちのまちゃおみは、クールだが、中身は熱い野郎でね」
「では阿久津に免じて樋口の看病をさせよう。
そうすれば、阿久津は私の言うことを聞いてくれるのかな?」
「・・・それは」

返答に詰まった。

「どうした? 約束は守ろう。 樋口は必ず回復させるぞ?
そうしなければ、阿久津は逆上して、今度こそ私に従わなくなるだろうからな」
「・・・それは、そうでしょうね」

戸惑う。

逡巡を破ったのは、三郎の怒声だった。

「ふざけるなよ法月! お前に助けられるなんて死んでもごめんだ!」

三郎の顔に余裕はなかった。

友を殺害されたことに激しい怒りを覚えているのだ。

「将臣も、くだらねえ取引しようとするな・・・!」
「ああ・・・」

佗びを入れたい気持ちだった。

法月の誘いに乗るということは、つまり、法月の手の内で踊らされていくということだ。

「まあ、よく考えるのだな」
「黙れ」
「私もそうだった。牢獄に閉じ込められ、苦楽をともにした友人が、あまりの不衛生に高熱を出し、命を失うところだった。
だから、頼み込んで友人を助けてもらった。
妥協ではない。
憎い連中に敗北したわけではないのだと、自分に言い聞かせながらな。
もちろん、友人は樋口のように助けを拒んだ。
だが、どうにもならなかった。
敵に屈服した私は実にかっこうが悪いが、ともかく友人の命は救った」

諭すように言う法月。

私は冷静に反論した。

「あなたの友人は、助かった後、どうなりましたか?」
「鋭いな」

にらみつける。

「私と絶交したよ。しばらくは特別高等人として働いていたが、のちに秘密結社を作って内乱をもくろんだ。
現在は海外に逃亡している」

「だそうだ、将臣。てんてぇの言うこと聞いたら、絶交だぜ?」
「わかっている」


「しかし、心根の優しい阿久津が、耐えられるかな・・・?」

低く笑いながら、背を向ける。

「ではな。こちらは焦らず、じっくりとやらせてもらおう」


鉄扉に手をかける。

私は、脱出口の存在を気取られなかったことに、ほっと胸を撫で下ろす。

「あの・・・」
「・・・っ!」

なにを!?

「法月先生、あの・・・」

なにを馬鹿な!?

せっかく去りかけた法月の注意を引いてどうする!?

あなたの背後には我々の希望が隠されているのだと、怒鳴り散らしたかった。

「なんだ、またわがまましようというのか?」

法月は、すでにみぃなさんに興味を失ったように憮然としていた。

「清潔なタオルと、熱いお湯をいただけませんか?」
「・・・なに?」
「体を拭きたいんです。それから、紙とペンをください。
詞を書きたいんです。あと食事ももう少し増やしてください。とても足りません」

突然の主張に、法月も私も唖然としていた。

「み、みぃなさん・・・?」

劣悪な環境に耐え切れず、精神に異常でもきたしてしまったのだろうか?

「私が、お前の要望をかなえてやるなどと、考えているのか?」
「お願い・・・します・・・」

足が震えていた。

上目遣いに法月を見ている。

「詞を、書きたいだと?」
「はい・・・」
「あれだけ殴られたのに? 禁止されているのに?
そのせいで、阿久津に迷惑をかけたというのに?」

みぃなさんは黙ってうなずいた。

「不思議すぎる。理由を聞きたいのだが?」

すると、みぃなさんは、恐る恐る口を開いた。

「なんだか、いい詞が書けそうで」
「ほう・・・」
「ここでの生活で、ちょっとだけわかったことがるような気がして。
いままで着る物や食べる物に困ったことないですし、生まれたときからお姫様みたいに扱われて、学園のみなさんにもちやほやされてましたから、わからなかったんです。
だから、異民音楽の粗野で荒々しい感じが、わからなかったんです」

へへ、へへ、と少女は笑っている。

「わたし、いままで、人に嫌われないための詞を書いてたんだなって・・・だから・・・わたし・・・誰かのために、ふ、ふふ、誰かに訴えるような・・・喜んでもらえるような・・・」

正直、不気味だった。

 

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「ふてぶてしいにもほどがある・・・!!!」
「・・・っ!?」

法月の目に殺意の光が宿った。

「で、でも・・・あなたも、わたしたちと同じような境遇を経験しているのでしょう?
だ、だったら、わたしたちの気持ちもわかってくれるはず・・・きゃっ!」

みぃなさんの言葉をさえぎって、平手が飛んだ。

「お前たちの気持ちがわかるからこそ、同じ目に遭わせてやりたくなるのではないか?」
「うぅ・・・」
「先輩が後輩に、偉そうに同じ苦労を味わわせてやるからこそ、組織が成り立つのだ」

ぐっと少女の胸倉をつかんだ。

「わかったか?」
「うぐっ、あ、あうぅ・・・」

みぃなさんは涙に目を腫らしながら、床に膝をついた。

法月はみぃなさんを足蹴にして突き飛ばすと、今度こそ背を向けた。

「もし、次に妙な真似をしたら、殺してやる」

 

・・・

扉が閉まった。


私はみぃなさんに駆け寄る。

「・・・あ、うぅ・・・」

泣きはらすみぃなさん。

けれど、私の口から出た言葉は、少女への気遣いではなかった。

「どうして法月に声をかけたりしたんです!?」
「す、すみません・・・」
「あなたは黙って座っていなければならないんです。
法月の注意が脱出口に向いてしまうかもしれなかったんですよ?」
「で、でも・・・あの人は、わたしのことが大嫌いみたいで、わたしが、生意気なことを言えば、わたしに注目してくれるかなと思って・・・」
「・・・え?」

思わず目を丸くした。

「あなたなりに、考えた上での行動だったと?」
「い、いえ・・・よく考えていたわけではないのですが・・・」
「どっちなのです!?」

少女は私の責めに、すっかり怯えてしまったようだ。

「わ、わかりません・・・ただ、詞を書きたくて・・・つい・・・」
「・・・・・・」

目を閉じて、大きく息を吐いた。

 

「将臣、その辺にしておけよ」

「わかっている。みぃなさんに悪気はなかったと思う」

しかし、悪気がないからといって、溜飲が下がるものでもない。

この脱出計画が失敗したら我々は終わりだ。

なぜ、私の言うことを聞いてくれないのか。

わがままな人だ。

 


「穴掘りを再開します」

急がなければ。

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

 

声。


疲労にもやがかかったような頭に、声が届いた。

どうやら私は、牢獄の壁を背に、いつの間にか眠っていたようだ。

私はゆっくりと顔を上げる。

声の主の顔を確認して、私は色を失った。

「なにをしている?」

とっさに身を起こそうとするが、すでに全てが遅かった。

「動くな」

冷たい鉄の塊が、私の眉間を狙っている。

「あの壁は、なんだ?」
「くっ・・・!」
「なんだと聞いている」

そのとき私の口が、私の意志とは無関係に動いた。

「なんのことです?」

とぼけても無駄なのはわかっていた。

そして、私の焦りに追い打ちをかけるように、みぃなさんが脇から口を挟んだ。

「い、言います・・・正直に言いますから、殴らないでください・・・」
「みぃなさん・・・?」
「穴です。穴を掘って逃げようとしていたところなんです」

手足が震えていくのをはっきりと自覚した。

あっけない敗北。

あっけない裏切り。

「ゆ、許してください、将臣さん・・・。
でも、もう無理ですよ・・・どうにもならないんです。
わたし、将臣さんのお役に立ちたかったんですけど・・・これでも、がんばってたつもりなんですけど・・・」

そして、少女は、また、すみませんと言った。

「お姫様でもなんでもなくて・・・生まれついて、弱虫なんです・・・」

「みぃなさん!!!」

叫んだ。

憎しみを込めて。

私は、間違っていたのか。

法月の笑い声が耳にまとわりつく。

私は、この人を好きになるべきではなかったのか。

「すみません、すみません・・・」

気が触れそうだった。

絶望に身を任せ、わめきちらしていた。

悲しみで景色が歪む。

歪む。

みぃなさんに向かって手を伸ばす。

首を締めようとしたのかもしれない。


けれど、少女は、どういうわけか、出会ったときと同じような微笑を口元に携えていた。

最後に耳に入ってきたのは、意味不明な単語とリズム。

まるで、詞のようだった。


「・・・・・・ッ!!!」

 

・・・。


・・・・・・。

 

 


はじめに、三郎が鉄扉にもたれかかって眠っている姿が視界に入った。

ごくりと、唾を飲み込む。

突きつけられていたはずの銃口も、法月の姿もない。

肺が軋むほど大きく息を吐く。

ひんやりとした土壁の感触が背中にある。

脇から溢れ出る汗を無意識にぬぐっていると、ようやく意識が整ってきた。

・・・夢、か。

恐る恐る首を動かす。

「あ・・・」

少女と、目が合った。

 

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「起こしてしまいましたか?」
「・・・え?」

少女は穏やかな表情で、健を抱きかかえていた。

「なにかしていたんですか?」
「はい・・・」
「なにを?」

おもむろに少女が迫った。

先ほどの悪夢が頭から離れない。

「ペンが、ないもので」
「は?」

声を荒げた。

「健ちゃん、なんだか楽しそうなんです」
「なにを言っているんです?」
「にこにこと、笑ってくれるんです」
「だからなんです!? なにをしていたんですか!?」

つかみかからんばかりの勢いだった。

けれど、みぃなさんは、憂いを含んだ笑みを浮かべて言う。

「詞を、口ずさんでいたんです」
「・・・っ」

言葉が出なかった。

「わたし、気づいたんです。健ちゃんがなんであんまり泣いたり笑ったりしないのか」

みぃなさんはゆったりと健をあやすように腕を揺らしていた。

「きっと、わたしと同じなんです。
わたしと同じで、周りに気を使ってばかりで、自分のしたいことができないんです。
せっかく生まれてきたのに、お父さんもお母さんもいなくて、知らない人に育てられて、どうしていいのかわからないんです」
「・・・馬鹿な」

生後間もない赤ん坊に、他人を気づかうような認識があるはずがない。

「そんなはずがないでしょう?」
「いいえ、きっとそうです。本能で感じ取るんです。
泣いたりわめいたりしないで、わたしたちに迷惑をかけないようにしてるんです」

・・・ありえない。

「かわいそう・・・。かわいそうな健ちゃん・・・。
でもありがとうね。わたしの詞で喜んでくれて。
わたし、とても、うれしいよっ・・・」

目に力がないように見えるのは気のせいだろうか。

「詞、ですか・・・」
「ええ・・・」
「まだ、そういうことができるのですね?」
「どういう意味です?」
「いえ、こんな陽の光も当たらない獄中で、よくそんな呑気な真似を・・・」

とげのある言い方だったが、止まらなかった。

「そんなに詞が書きたければ、その辺の石でも使って書いたらどうです?」

もはや、我々が生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。

素晴らしい感受性など何の役にも立たないではないか。

「わたし、みなさんの役に立ちたいです」
「そうですか」
「健ちゃんと、樋口さんと、将臣さんの・・・」
「ええ、わかりましたよ。お気持ちはすごくわかりました。
ですから、指示したとおりに動いてくださいね」

法月が現れたとき、戸のかかった穴の前に座り込む。

それだけだ。

それぐらいやってもらわねば、話にならん。

「今度は、口を閉じてくださいね。あなたは黙っていればいいのです」
「がんばります」

私は頭を抱えながら、その場に腰を下ろした。

目を閉じる。

やがて、歌声が暗闇に反響した。

狂気じみているように聞こえるのは、私の感性の問題なのか。

けれど、ぽつり、ぽつりと、明るいうめきが混じっていた。

それは、ときおり幸福をもたらすように甲高く響いている。

私は、健の笑い声を初めて聞いたのだった。

 

 

 

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

 

「将臣、だいじょうぶか?」

穴倉のなか、入り口のほうから声がする。

正直なところ、苦しい。

目がかすみ、腕が震える。

牢獄の循環されていない腐った空気を吸い込むと、肺が軋むように痛む。

「はあっ、はあっ・・・平気だ」
「代わろうか?」
「いや、もう少しなんだ」
「どうしてわかる?」
「土壁を通して、機械的な振動が伝わってくる。
おそらくこの先にボイラー施設があるのは間違いなさそうだ」
「出口は、近そうだな・・・」
「ああ、もうすぐだ」

とはいえ、壁の質が変わってきている。

硬い岩に当たることが多く、スプーンが欠けそうになる。

そのとき、びきりと、腕に痺れが走った。

しくじった・・・長時間の酷使に、筋肉痛を起したのだろう。

再び法月が迫ってきたのは、苦痛に腕を押させていたときだった。

 


「将臣・・・!」
「きたか・・・」


言いながら、迅速に動いた。

手順は何度も確認して練習している。

まず作業に使っていたスプーンを穴の中に放り投げた。

次に、粘土の壁を戸に見立てて、壁に開けた穴をふさいだ。

法月が階段を降りる音が、刻一刻と大きくなる。

次に、穴と戸の間にできるわずかな隙間を埋めるために、三郎と二人で可能な限りの時間を使って土を塗り固めた。

靴音が近づく。

「もう限界だ・・・」

足音が一段と大きくなった。

三郎をあごでうながし、私は床にうつ伏せになって、土を体の前面に押し付ける。

ちらりと、穴の入り口を見る。

しまった、と思ったがもう遅い。

注意して見れば、すぐにでも異変に気づく。

ぽっかりと空洞が見える。

周囲の壁と、即席で用意した土壁の間に、遠めに見てもわかるほどの隙間が残っていた。

お粗末な偽装。

こうなったら、みぃなさんが隙間を体で隠すように、穴の前に座り込むしかない。

それぐらい、気を利かせて欲しい。

だが・・・なにをしているのか。

叫びたくなった。

私は悪夢を思い出さざるを得なかった。

法月の足音が止まった。


もう、扉の前にいるのだ。


「・・・うっ」


みぃなさんのうめき声だ。


「はあっ、はあっ」


呼吸と布擦れの音。


足がもつれているようだ。


鉄扉がもう開く。


少女は穴の前にいない。


緊張が最高潮に達すると、不思議と冷静になる。


まずいとしか言いようがない。


心臓の音が耳を痛いほどに震わせている。


立ち上がるべきか。


扉を開けた法月に襲い掛かる。


ヤツは間違いなく発砲してくるだろう。


扉が軋む。


錆びた鉄の音が獄中に少しずつ反響し始める。


どうする?


みぃなさんはなにをもたついている?


どうして?


難しいことなど命じたか?


急げ。


急いでくれ。


みぃなさん。


みぃなさん!


みぃなさん!!!

 

――!!

 

本能的に危険を感じ取ったのか。


不意に、健が声を上げて泣き出した。

 

「・・・・・・」

 

法月の息づかいが聞こえる。

 

「よう、てんてぇ、けっこう久しぶりだな。また、会えてうれしいっすよ」

三郎は手はずどおり、法月の注意をひきつけている。

「あんまりおれらを合格させるのが遅いから、役目を解かれたんじゃねえかと思っていたところなんだ」

法月は鼻で笑う。

「阿久津は、寝ているのか?」
「ちょい病気がちみたいだぜ? てんてぇの大好きな将臣が死んだらどうすんだよ?」
「この程度で死ぬなら、それまでの男だったということだ」

直後、背中で痛みが弾けて広がった。


「お、おいおい、人を踏むんじゃねえよ」


「起きろ阿久津」
「ぐぅっ・・・!」
「ぎゃーぎゃーと、よくわめくな」

健のことを言っているようだ。

「んつ・・・はあっ、はあっ・・・」
「雑賀みぃな」
「・・・つ・・・はあっ・・・」

声の方向から察するに、やはりみぃなさんは穴の前にいない。

「聞こえないのか?」

法月が呼ぶが、みぃなさんは応えない。

恐怖に震えているのか。

私はゆっくりと体を起こす。

 

「・・・何事ですかね?」

けれど、法月はいつになく真剣な顔をしていた。

「とぼけても無駄だ」

「・・・っ」

「あれはなんだ?」

あごをしゃくった。

「あれ・・・?」

「あの、壁を見ろ」

思わず唇を噛み締めた。

「この期に及んで、ふざけた真似を・・・」

敗北感が背筋を這い上がる。

「貴様らは、私の手のひらで踊っていればいいのに・・・」


・・・もう、これまでだ。


幸いにして法月は一人。


全力で襲い掛かれば、犠牲は私一人で済むかもしれない。

覚悟を決めて、法月を見据えた。


「やめるんだ」
「・・・・・・」

違和感があった。

「おい」

低く、殺気だった声は私に向けられているものではない。

「おい・・・」

凍ていついた視線は私に向けられてはいない。

健は狂ったように泣き続ける。

だから気づかなかったのか。

泣き声に混じって、先ほどからがりがりと、何かを削っているような音が聞こえていたのだ。

背後から。

「理不尽な炎・・・自由さえ奪われて・・・」

ぶつぶつと、何かを読み上げるように言った。

「貴様、いい加減にしろ」

言われている当人は法月をまったく気にかけていない様子だった。

「いい加減にしろと言っているのが、聞こえんのか?」

振り返る前に、法月の怒号が飛んだ。

「うるさいガキだな!!!」

魔女の一喝に恐れおののいたのか、健の泣き声はぴたりと止んだ。

そして、土を浅く削るような音も止まった。


――かわいそうじゃないですか。


声はかすかに震えていた。


――健ちゃんだって、泣きたいときには泣きたいんです。


けれど、恐怖に震えているわけではないのだと、はっきりとわかった。


私は、直感的に間違いに気づき始めた。


みぃなさんはたしかに臆病だった。

 

 

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『も、毛布を・・・一枚・・・』


たどたどしい言葉をつむぐ。


『い、いただけませんか・・・毛布を・・・あの・・・一枚・・・』

 

 


あのあと法月に痛めつけられたみぃなさん。

私はあのとき、何を見ていたのか。

必死に、我が子を守ろうとしていたのではないのか?

床に這いつくばりながらも、子供だけは殴られないように、体を丸めていたのではないのか?

そもそも、毛布を要求したのは健のためではないのか?

懺悔したいような気持ちが背筋を這い上がってくる。

 


『で、でも・・・あの人は、わたしのことが大嫌いみたいで、わたしが、生意気なことを言えば、わたしに注目してくれるかなと思って・・・』


壁にぽっかりと開いた穴の前に、みぃなさんはいない。

けれど、元々ちゃちな偽装だったのだ。

それならば、と少女は考えたのかもしれない。

 

 

 


・・・

『わたし、みなさんの役に立ちたいです』

 

 

 

 

 

 

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だいいち、保身しか考えないような人間に、あのような澄んだ目ができるものなのか?

 

 


『お前は、間違っている』


法月の言葉とは別の意味で・・・。

 

・・・私は、間違っていたのだ。

 

 


・・・。


・・・・・・。

 



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「許されると思っているのか?」

法月が苛立たしげに口を動かしている。

 

「次は、殺すといったはずだ・・・!!!」

 

法月の腕がみぃなさんの頭を容赦なく殴りつけた。

拳銃のグリップで、少女の美しい顔を再度打ちつける。

ふらふらと揺れる少女の頭。

やがて面を上げたときの美しさ。

まるで何事もなかったかのように口を開いたのだ。

私は動けなかった。

三郎もその場に固まっていた。

その声は、一瞬誰が発したのかわからなかった。

低く、鋭く、それでいて、汚らしくもあった。

だが、この上なく、高潔だった。

 

 

「黙れ、下郎・・・!!!」

 

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驚愕に息が止まった。

目を合わせることもできなかったのではなかったのか。

恐怖に震えて泣いてばかりなのではなかったのか。

だが、はっきりと見据えている。


「さがりなさい・・・!!!」

 

威厳に満ちたまなざしで、下の者に叱責している。

初めて見た。

初めて知った少女の素顔。

 

「それ以上の非道は、許しませんよ・・・」

 

雑賀みぃなは、憤慨していた。

 

「・・・き、さま・・・」

 

法月は完全に混乱しているようだった。

色のない、かわいた声で、何かをつぶやいている。


「・・・・・・」


少女は法月を無視して、左腕を動かし始めた。


か細い手に、切っ先の尖った石が固く握り締められていた。


「誰か来い・・・!」


不意に、法月が入り口に向かってどす黒い声を飛ばした。


すぐさま階段を駆け下りてくる複数の足音。


「何事でしょうか!?」

 

法月は獣のような目で、入ってきた局員たちに命令した。

 

「阿久津と樋口を取り押さえておけ」

 

がたいのいい男たちの間に、動揺が走った。

 

「早くしろ・・・!」

 

一喝のもと、局員たちは一斉に私と三郎につかみかかった。

三郎が、床にうつ伏せの格好で組み伏せられていく。

私は割れに返ったが、体が動かなかった。

背後から拘束される両腕。

一人の男に、羽交い締めにされていた。

なにが始まるのか、予想がつき始めていた。


「おい、やめろっ、法月っ、やめろおぉっ!」

 

直後、法月が怒りに青くなった表情で、みぃなさんの腕を蹴りつけた。

「・・・っ!」

壁に突き立てていた石がぶれて、切っ先が文字の軌道を外れた。

「痛いだろう・・・?」

「・・・・・・」

「どれだけ素晴らしい詞が頭に浮かんでいても、痛みからは逃れられんぞ?」

「・・・・・・」

また、一撃。

今度は肩に。

衝撃に制服が破け、赤く腫れあがった肌が露になった。

 

「怖いだろう? え? 本当は、怖いのだろう?

強気に振舞って見せているが、ただ、かっこうつけているだけなのだろう?」

 

法月は早口でまくしたてることで、余裕を取り戻しつつあった。

 

だが、少女は石を壁に突き立てた。

 

「怖いですよ」

 

憮然として言った。

 

「わたしはとても臆病です。
あなたに殴られるのが怖いです。痛いです。
本当は、いますぐにでも平伏して許しを乞いたいくらいです」

 

淡々と口を動かしながら、がりがりと岩に文字を書いていく。

 

「でも、これ以上、嫌われたくないんです。将臣さんに。
大好きな正臣さんに。
だから、少しくらいかっこうつけるんです。
弱くても、少しくらい役に立ちたいんです」

 

だから、どれだけ痛めつけられても、毅然としている。

石を握る指先を開かない。


「・・・ちぃっ!」

 

容赦ない暴行が始まった。

法月には理解できないのだろう。

力で人の心を折ろうと必死になる。

腕はもちろん、頭や肩を何度も拳銃で打ちつけた。

 

だが、無駄なのだ。

 

「・・・っ!!!」

 

みぃなさんは歯を食いしばり、懸命に暴力に耐えた。

 

「怖くないっ、怖くないぞっ・・・!!!」

 

とても、強かった。

 

「がんばらなきゃっ、がんばらなきゃっ・・・!!!」

 

弱さを認めた少女は、とても強かった。

 

「がんばって、将臣さんの役に立たなきゃっ・・・!!!」

 

私は声の限りに叫んだ。

力の限りに暴れた。


「やめろというのがわからんかっ!

離れろっ、みぃなさんから離れろっ!!!」

 

首に回った男の腕が動く。

が、すぐに別の男が私の頭をつかみ、引き摺り、ついには床に叩きつけた。

衝撃に目の前が赤く燃え上がったとき、法月の怒号が飛んだ。

 

「それ以上、くだらん詞などを書くのであれば、貴様は死ぬしかないぞ!」

 

いつも冷酷な微笑をたずさえていた顔が、憤怒に歪んでいた。

 

「ぐっ・・・し、ぬ・・・?」
「そうだ、死だ!」
「それは・・・」

 

肩で息をしながら、少女は鋭い目つきで法月をにらみつけた。

 

「それは、やりたいこともできずに生きながらえるのと、どちらが幸せなのでしょうか・・・?」
「な、に・・・」
「わたしがわたしであることが、そんなにいけないことなんでしょうかっ!!!」

牢獄の淀んだ空気を霧散させるような声だった。

めまいを覚えた。

私は、なんという愚か者なのか。

雑賀の家に生まれた姫君。

こんな素晴らしい女性が、私のような人間に好意を寄せてくれているのだ。

なぜ、疑った。

なぜ、勇気づけてやらなかった。

なぜ、いま、助けてやれない―――?

 

「放せっ、放せえぇぇっ―――!!!」

 

背筋とこめかみが、ぴくっ、ぴくっ、と脈打つ。

かまわなかった。

外道どもの牙からみぃなさんを救えるのであれば、血管が破裂しようとも、声帯が敗れようともかまわなかった。

体内に燃え上がる憤激の火柱に身を任せ、雄叫びを上げる。

両腕は押さえつけられ、ぎりぎりと反り上げられている。

使えるのは足。

ありったけの力を両脚に込める。

背中に乗った男たちを引き摺る。

歯を食いしばると、奥歯が噛み砕ける感触があった。

噛み締めた歯の隙間からうめき声を漏らし、法月に迫った。

 

「やめろっ、その人から手を離せ――」

「黙れっ」

 

後頭部から電流が走った。

目の前で火花が飛び散り、眼球がせり出した。

 


脳が揺れ、視界が揺れる。

あごが床に落ちる。

両手両足に麻酔でも打たれたかのように、力が入らない。

気を抜くと薄れそうな意識のなか、両目だけを見開いた。

 

「どれだけ・・・どれだけ、暴力を振るわれようとも・・・」

 

少女の白い腕は血にまみれていた。

 

「この詞が、訴えが、どれだけ陳腐なものでも・・・。
誰に、どうあざ笑われても・・・。
健ちゃんは、健ちゃんだけは、楽しんでくれたんです・・・。
だから、ぐっ・・・だからっ・・・」

 

少女の指先に力が入るのが、遠目にもわかった。

 

「この石だけは、放さない・・・。放すものか・・・!!!」


もういい。

もう、やめてほしい。


「ぐ、う、あっ・・・」


泣いて、許しを乞えばいい。


ヤツらは、みな、他人の分を知った態度が大好きなのだ。

なのに、どうして、愚直にあらがう!?

突き倒されても、足蹴にされても、なぜ、何度でも体を起こす!?


「あ・・・うぐっ、怖くない・・・ぞ・・・!」


賢くない。

 

どうして私の理解できないことばかりするのだ、あなたは・・・。

声が聞こえる。

三郎と健の悲鳴、法月の絶叫。

やがて鼓膜から遠のいていく。

みぃなさんの息づかいや、私を呼ぶ声が。

 

「将臣さん・・・将臣さん・・・」


私も名前を読んであげたい。


「これで・・・これで、いいんですよね?
これで、少しは、お役に立てましたかね・・・?」

 

消え入りそうな意識のなか、私は呪った。

眼前で暴行を受け続ける恋人を救うことのできない、無力な己を・・・。

 


「すみません、ね・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

鼻腔をかすめる淀んだ空気、冷たい土の床、泣き喚く赤子・・・見慣れた牢獄。
無抵抗な女性に暴力の限りを尽くした悪魔どもは去り、私はゆっくりと意識を取り戻した。

 

「将臣・・・気づいたか・・・?」

 

三郎が私の顔を覗き込むように見ていた。

傷だらけだった。

唇が切れ、まぶたが裂けて腫れ上がっている。

 

「みぃなさんっ」

 

上半身を起し、叫んだ。

激しい頭痛に襲われながら、周囲を見渡す。

土壁が目に付いた。

我々の脱出口は無事だった。

あれだけの人が入っていたにもかかわらず、誰も気にも留めなかったようだ。

 

それはすべて、あの少女のおかげ・・・。


「うっ、あ・・・」

 

命を賭した詞が刻まれた壁の下に、横たわる肢体がある。

おずおずともたついた足取りでそばに寄った。

 

目をつむっていた。

とっさに手を取っていた。


「みぃなさんっ!」

 

少女の手のひらに、熱はあった。

けれど、返事はない。

 

「みぃなさんっ、みぃなさんっ」

 

もう一度呼びかける。

けれど、返ってくるのは、肺を壊したとしか思えない不気味な吐息だけだった。

ひゅーっ、ひゅーっと音を立てながら、血の泡が意識を失った少女の唇から漏れている。


「い、きてる・・・」

 

口に出すと、もう限界だった。

少女の名前を叫びながら、すがるように手を握り締めた。

 

「私のっ、私のせいでっ・・・!!!」

 

閉じたまぶたの裏から涙が溢れてくる。

守ると言ったのに。

今にも息が耐えそうではないか。

 

なにが悪い?

 

いったいこの少女が、どんな罪を犯したというのだ?


「将臣・・・」
「なにも言うなっ!」

 

怒鳴ってしまった。

愚かにも、友人に八つ当たりをしてしまった。

 

「すまん・・・」
「いや、おれも、なにもできなかった」

 

私は息を整えながら、考えを巡らせていった。

どうする、どうすればいい、どうやって少女の命を救うのか。

もはや自分の出世や保身など頭から消えていた。

ただ、助けたかった。

少女には間違いなく、大掛かりな外科的手術が必要だった。

こんな田舎町では、設備がないだろう。

ならば、州境を越えるしかない・・・が。

 

しばらくして、私は口を開いた。

 

 

「法月に、従おうと思う」

 

 

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「ふざけるな!」

 

三郎は、私の発言を読んでいたかのように一喝した。

 

「考えてもみろ。なぜ、法月はみぃなさんを殺害しなかったのか・・・」

 

胸が痛んだ。

最愛の人が死にかけているにもかかわらず、冷静に口を動かす自分が信じられなかった。

 

「つまり、生かさず殺さずで、私を従わせる為なのだ。
みぃなさんの命を助けてもらうかわりい、私を屈服させるつもりなのだ」
「そして、お前は特別高等人になるってのか? 法月将臣として」
「・・・・・・」
「みぃなちゃんが、どう思うかね?」

 

出会ったときの会話が蘇る。

素敵なお名前ですね、と少女は言った。

そのとき、かすれた声が耳についた。

 

「だ、め、です・・・将臣さん・・・。
あの人に、負けない、で・・・わたしは、いいです・・・わたしは・・・」

 

意識が戻ったわけではなかった。

けれど、懸命にうわごとを繰り返す。

 

 


――お父さんと、お母さんの、名前でしょう?

 


思わず、頭を抱えた。

素人目にもわかる。

このまま放置しておけば、少女は間違いなく死んでしまう。

 

「わたしは、いいです・・・いい、ですから・・・お父さんとお母さんを、大事、に・・・」

 

みぃなさんは、自分が罪に問われるのを覚悟で、私の両親に対して詞を書いたのだ。

 

よく知りもしないくせに。

 

ろくでなしの父と身勝手な母に。

 

やがて、少女は、再び沈黙した。

 

「穴を掘ろう」

 

穴を掘り、治安維持局の局員の目を逃れ、学園を脱出し、州境を越え、みぃなさんを医者にみせる。

 

無茶もいいところだ。

 

賢い決断ではない。

 

私は、知らぬ間に、みぃなさんの影響を受けたのか。

 

考えなしの、愚直なまでの勇気に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

折れて使い物にならなくなったスプーンを放り投げ、真っ暗な穴のなか、土に向かって爪を突き立てる。

爪はすぐに剥れ、指すような衝撃が指先から突き抜ける。

が、痛みにも空腹にも疲労にもかまっていられない。

急がなければ。

みぃなさんの命がかかっているのだ。

もはや、法月の再来を見張っている余裕もなかった。

健の泣き声が響き渡るなか、三郎が削った土を外に出す作業を繰り返す。

三郎も体調が思わしくないのだろう、ときおり激しく咳き込んでいる。

 

「ま、まだか?」
「・・・・・・」

 

目前の大きな岩を取り除いたとき、すきま風が額を撫でた。

直後、石屑がぼろぼろと崩れ落ちる。

石屑の色が向こう側からの光に晒される。

白い消石灰のようだ。

漆喰壁に使われる原料。

つまり、この先に、別の部屋があるということだ。

ついに、たどり着いたのだ。

 

「出たぞ!」

 

思わず叫ぶと、三郎も歓喜の声を上げた。

私は身を翻し、掘り開けた穴蔵を戻る。

 

「やったな・・・」
「ああ・・・」

 

三郎は疲れ果てたのか、浮かない表情をしていた。


「逃げるぞ」
「うん・・・」

 

仰向けに横たわっているみぃなさんに駆け寄る。

 

「みぃなさん、あと少しの辛抱ですからね」
「うぅっ・・・」

 

ふっと、目を開けた。


「・・・はあっ、し、信じてます・・・将臣さんを、信じてますから・・・」

 

苦しそうに胸を上下させながら、言葉をつむぐ。

 

「だいじょうぶですよ。ここを出て、二人でのんびりと暮らしましょう」
「・・・う、うれしい、です・・・」
「そうだ、映画に行きたいと言ってましたね?
私は映画館などと浮かれた場所に行ったことがないもので、よかったら教えてもらえませんか?」

 

少女が気を失わないように、声をかける。

また目を閉じれば、二度と目を覚まさないような恐怖感が頭を離れない。

 

「じゃあ、こんな辛気臭い場所から脱出しますよ」

 

少女にはもっと似合う風景がある。

 

「ま、まだ・・・」
「はい?」
「まだ、向日葵は、咲いていますかね・・・?」

 

私は何度もうなずいた。

夏は終わりかけているが、この町の向日葵はまだまだ力強く太陽に向かって背筋を伸ばしているだろう。

 

 

・・・

 

「行くぞっ!」
「なあ・・・」
「なんだ、急げ」
「いや、ちょっと嫌な予感が走ったもんでな」
「お前の感が鋭いのは知っている。だが、我々は脱出するしかないんだ」
「そうだけどさ・・・」

なにを、躊躇しているのか。

「おい、三郎。とっとと健を・・・」

私はだんだん苛立ってきた。

「いや、てんてぇは、本当におれたちの脱出計画に気づいてないのかな、と思ってさ」

そのとき、みぃなさんが苦痛のうめき声を上げた。

可憐な唇が血の赤に染まっていく。

「早くしろ! なにをぐずぐずしてるんだ!」
「・・・・・・」
「三郎!」

 

殴りかからんばかりだった。

私の剣幕に驚いたのか、三郎はしぶしぶうなずいた。


「わかったよ・・・お前を信じる」

 

覚悟を決めたようだ。


「しっかり頼むぞ」

 

私たちは慌しく行動を開始した。

泣き叫ぶ健を黙らせ、みぃなさんを慎重に運ぶ。


・・・みぃなさん。

こんなところに閉じ込めてしまって申し訳ない。

私のせいでひどい傷を負わせてしまって申し訳ない。

あと少しです。

無事に逃げられたら、いくらでもあなたに尽くそう。

膝を折り床に這いつくばる。

祈るような気持ちで、私は脱獄のときを待った。

三郎の忠告を無視した私には、法月に対しての不安などまったくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

・・・・・・。


コツ、コツと石階段が鳴る、

やがて音は大きくなり、ひたと止まった。

 

鉄扉を軋ませて牢獄に入室してきたスーツの女。

 

法月アリィはもう何度目かの顔見せに、いい加減飽きはじめていた様子があった。

 

だが、今回は違う。

 

狭い牢獄。

 

見渡せば一目でわかる。

 

捕らえた愚か者たちがいないということに。

 

「・・・ふっ」

 

漏れ聞こえたのは、嘲笑の類だった。

 

「ようやく壁に穴を開けてくれたか」

 

喉から笑いが溢れ、止まらない。

 

「よく考えればわかることだったのにな。
なぜ、樋口のスプーンを没収しなかったのか、なぜ、わざわざ囚人を連れてきて脱出口を匂わすような発言を許したのか・・・」

 

演技だった。

 

ハプニングと言いつつ、慌てて囚人を殺して見せたのは、法月アリィの狡猾な罠だったのだ。

 

「たしかにあの穴は学園のボイラー室につながっている。
だが、ボイラー室を出た先には武装させた部下を配置している」

 

余裕の足取りで壁にぽっかりと開いた穴に近づき、奥の闇を覗いている。


「やつらは、また牢獄に逆戻り。
また絶望を味わう。また思い知る。私にはかなわないのだと。
これでいい。こうやって期待しては絶望させ、心を砕いていこう。
雑賀みぃなも、あの傷では助かるまい。
責任感の強い阿久津が、自分のせいだとわめきたてる姿が目に浮かぶ・・・。
壁に穴を掘っていることなど、最初から気づいていたさ・・・。
まったくもって、無駄死にだったな」

 

そうしてまた黒い笑いを撒き散らした。

 

「そもそも、あの臆病な女はただ、ヤケを起しただけだ。
私に刃向かい、血を流しながら正義をみせつけたつもりだろうが、けっきょく暴力の前にはどうにもならなかった。
あんな茶番を、あんな女を"強い"とか言う人間は、よほどの子供か、おとぎばなしが好きなのだろうな・・・クク・・・ハハハッ!!!」

 

 

声を上げたのは、法月がおそらく慢心の極みに達したときだろう。


笑いが萎縮していく。


法月が息を呑むのがわかった。


饐えた臭いのする牢獄。


誰もいないはず。


声を立てたのは誰なのか。

 

 

――もう一度言ってみろ。

 

 

声は、刺すような怒気を含んでいた。

 


――無論、私の声である。

 

 

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「・・・慢心しましたね」

 

動きは迅速だった。

法月には身構える時間はおろか、振り向く瞬間すら与えなかった。

 

「な、なんだと・・・」

 

法月の声から余裕が消えていた。

 

「穴を掘れば、そこから逃げ出したと思うのが普通ですね?」

「逃げたのではなく・・・?」

「その通り」

「死体のふりをしていたのだと・・・?」

 

殺された囚人。

血にまみれた服を着て、私は法月が現れるのをじっと待っていた。

 

「あなたのおっしゃるとおり、おかしいと思っていたのですよ。
スプーンが没収されていないのも、あなたが穴に気づいていないのも、囚人がヒントをくれたのも・・・。
そもそも、ここに入れられたときから、私と三郎が拘束されていないのも奇妙です。必ず罠があると思った。
一人でのこのこと現れたのが、あなたの慢心の表れであり、最大の敗因ですね」

「・・・樋口たちは、ボイラー室か?」

「死体と一緒にね」

 

法月の小さな肩が、震えだす。


「あ、ありえん・・・すべて読まれていたというのか、こ、こんな劣悪な状況で?
空腹と疲労は極みに達し、自分の女が死にかけている・・・。
そんな状況で冷静に考えをまとめられるはずが・・・」

 

私は狼狽した異民の女に向かって告げる。

 

「残念なことに、これが現実です」

「くっ・・・」

 

法月は自らの失言を恥じるように唇を噛み締めた。

 

「どうします? 私には自信がある。あなたが自慢の拳銃を抜くよりも早く、あなたの首をへし折る自信が」

「・・・・・・」


法月は抵抗する素振りを見せなかった。

無駄だとわかっているのだろう。


「私を人質にして、州境を越えるつもりだな?」
「察しがよくて助かります」

 

舌打ちが聞こえた。

 

「では、失礼しますよ」

 

背後から法月の腕を取った。

そのまま肩を押さえ、関節を極める。


「ぐあっ・・・!!!」

 

骨の外れる音がして、法月の右腕がだらりと下がる。


「や、やってくれるな・・・」

「やってくれる、だと・・・?」

 

 


激情が腹の底で煮えたぎった。

 


魔女め。

 


「いまの私の気持ちがわからんか、わかるだろう、わからないはずがない!」

 

 


こいつは私の最愛の人を傷つけたのだ。

 

 


「私は、貴様を・・・殺したくて、うずうずしているんだ・・・!」


法月の拳銃を奪い、それを突きつけた。


しばらくして、みぃなさんを引き摺りながら、三郎が穴から出てきた。


もう一度穴に入り、健を抱えて戻ってくる。



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「やったな・・・」
「みぃなさんは?」

 


「うぅっ・・・将臣さん・・・」

 

うっすらと目を開いた。

私に向かって、微笑もうとしてくれている。

けれど、表情には生気が感じられなかった。

 

「出るぞ!
私はみぃなさんを背負う。三郎は健を片手に抱いて、この拳銃を・・・」
「わかった、任せろ」

 

銃口を法月に突きつける。

その直後、どたばたと物々しい足音をたてながら、法月の部下たちがなだれこんできた。

 

「ほ、法月先生!?」

 

彼らは皆一様に、動揺し、狼狽し、驚愕していた。

腰の拳銃に手をかける者もいた。

 

「銃を抜くな。抜いたら貴様らの上司を殺す。
責任は重大だぞ? 名門法月の特別高等人。
どんな厳罰が科せられるか想像してみるがいい」

脅しは効果を見せた。

ヤツらはみな、指導者を失った羊の群れだった。

お互いに顔を見合わせながら、じりじりと後退していく。

「・・・・・・」

法月は押し黙り、折れた腕をかばうでもなく、じっと銃口を見据えていた。

 

「・・・抵抗は、せん」

 

ぼそりと言った。

 

「だが、阿久津よ・・・」

 

憑き物が落ちたように覇気がなかった。

 

「それでも、お前は我々の手からは逃れられん運命にある」

「ならば、その運命のレールを捻じ曲げるまでだ」

 

法月は瞳を閉じた。

観念したのか、余裕を見せているのかはわからない。


「・・・どうかな・・・やってみるがいい・・・」


ゆっくりと鉄扉に向かって歩き出す。

 

「どけ。こういう事態も想定していた」

 

困惑顔の局員たちを退かせながら、進んでいった。

 

こういう事態も想定していた、だと?

 

今度こそ、予想がつかない。

 

だが、なにがあろうとも進むのみだ。

 

私たちは、法月を先頭に歩かせ、牢獄の外を目指す。

 


「・・・うっ、あ・・・将臣さん・・・」

 

 

なにがあろうとも、この少女だけは救うのだ。

 

 

 

・・・