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車輪の国、悠久の少年少女 さちシナリオ【3】

 

・・・

 

 

それから数日間かけて、さちは下書きを終えた。

普通ならば、一日で描き終える。

それだけの時間をかけたのは、いつもより慎重に、丁寧に描いているからだろう。

何度も最初から描き直したという。

テーマを決めたはいいが、イメージ通りに描けないともいう。

さちが今回描く絵のテーマは『まな』だった。

まなにこの絵を見て欲しいから、まなに帰ってきて欲しいから・・・。

四年前と、同じテーマだった。

 


翌日。

 

 

 

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「・・・・・・」

 

さちは、黙々と作業に打ち込んでいた。

真剣な目つきで向日葵たちを睨み合いながら、慎重に筆を進めて風景を紙に表現していく。

鮮やかな色彩が、次々と浮かんでは滲んでく。

ついつい見とれてしまった。

 

ふと気づくと、見物客が集まっていた。


「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

いままでより人数は少ない。

彼らもまた、じーっ、と真剣な姿勢で眺めていた。

喫煙マナーに関しては厳しく取り締まろうと思っていたが、今回の人たちに限ってはそういうことはなかった。

大事な時期に邪魔をされてはたまらない。

さちは腕を組んで自分の描いた絵を見つめていたが、唐突にこちらの方へやってきた。

 

「・・・・・・」
「どうしたんだ?」

 

また、何か問題でも起きたのだろうか?

「休憩っ!」

バタンッ!

地面に敷いていたビニールシートの上に寝転がった。

「休憩するのはいいが、見物客の面前でそういうのはやめてくれ・・・恥ずかしい」
「へ?」

さちは目だけを動かして周囲を見渡した。

見物客の姿を捉えると、さちは慌てた様子でガバッと起きた。

さすがに恥をかくわけにはいかないと自覚したようだ。

「うぃーっすっ、元気してる? みんな!」

なんてあつかましいんだ。

「賢一。 ここの国の『こんにちは』、教えて」
「・・・・・・」

『こんにちは』を教えてやった。

さちも教えられた言葉で挨拶をした。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


微笑みながら挨拶を返してくれた。

どうやら、温厚な性格の人々のようだ。


「あたし、初めてここの人たちと会話したよっ。凄くない? 凄くないっ?」
「・・・うん、すごいすごい」

さちは妙にハイテンションだった。

「ひさしぶりだよね、こうやって人が見に来てくれるのってさ」
「・・・そうだな」

 

「・・・・・・」

 

「・・・? 何て言ってんの?」
「今は何をしてるんだ? って聞いてる」
「見ての通り、休憩中だよっ」
「そうそう。
・・・って違う。何の絵を描いてるのかってことだよ」
「それだったら、普通に賢一が答えればいいじゃない。
何であたしに聞くの?」
「さちが尋ねられたんだから、さちが答えるべきだろ」
「確かにそうだね・・・賢一、説明しといて」

結局こうなるか・・・。

おれは見物客に、さちが例の展示会に作品を出すことを話した。


「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

「頑張ってください、観に行くので期待しています・・・だと」
「ありがとーっ、やる気出てきたよ」


「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

「お前は三ツ廣さちか?」
「聞くまでもないじゃん!」
「おれじゃねえよ、この人たちが聞いてんの」
「普通に賢一が答えなよ」
「さちが尋ねられた。さちが答えなければならない」
「名前くらいであたしを通さないでよっ」
「すまんすまん」

この人たちはさちのファンらしく、テレビで見たことがあると言っていた。

さちは、それなりに有名人なのだ。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


「なになに? 何言ってんの?」
「んー、まあたいしたことじゃないって」
「やっぱ気になるって、何を喋ってるのか。 なんて言ってたの?」
「・・・おれとさちはどういう関係ですか? ・・・だ」
「答えは?」

一応、幼馴染と答えたが・・・。

姉弟
「そこは夫婦って言わないとNGでしょ! カットカット」
「まだ、夫婦じゃないだろ・・・」
「賢一ってば、まーだ迷ってんの? 男らしくガツンと言っちゃいなさいよ」
「既成事実を作ろうとするな」
「言っちゃえ言っちゃえ」
「やだ」
「弱虫!」
「何とでも言え。 痛くもかゆくも無い」
「『ケン』の弱虫ー」
「・・・・・・」

 

ケンとか言われると、ちょっと傷つくな・・・。

 

「あーっ! 外国語喋れない自分が悔しいよっ」
「そんなことより、まだ休憩してていいのか?」
「あっ、そうだった。 もう絵を描かなきゃ。
気分転換終わり! あと数時間ビビッと頑張るぞーっ!」

ビビッ、とねえ・・・。

 

 

 

・・・

・・・・・・


作業は夕方まで続いた。

帰る途中に外食をしてきたので、部屋に戻ったころにはすっかり夜になっていた。

 

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「ううーん・・・っと。今日も頑張ったよ」

さちは軽く伸びをして、ベッドへとダイビングした。

「お疲れさん」
「いつもより30倍増しで集中してるから、余計に疲れるんだよねー」
「・・・頑張りすぎだろ」
「賢一、マッサージお願い」

ベッドの上でゴロンと横になった。

「特に肩とか、氷みたいにコチコチになってるんだよね」
「やれやれ・・・」

おれはさちの元へ歩み寄り、マッサージを始めた。

「その体勢はやりづらい。身体を起こせ」

さちはベッドにうつ伏せになっている状態なので、おれは自然と馬乗り状態になっていた。

「いーじゃん、このままで・・・あっ、そこそこ・・・気持ちいい~。
賢一はなんでもできるから、最高のパートナーとして重宝するよ・・・」
「そりゃどうも」

 

もみもみもみ・・・。

 

「気持ちよすぎて眠くなってきたよおー」

 

グッ! グッ! グッ!

 

「イタッ! イタタタタッ・・・ちょっと賢一、何のつもり?」
「悪い悪い。人にマッサージしてると、おれのなかのちょっとだけSなヤツが目覚めるんだ」
「・・・腰とか背中とかもお願い」

 

さちのいいようにこき使われてるよな、今のおれ。

まあ、それでも、こいつがうれしいならいいか。

その夜のさちは、ずっと安心したようにおれに背中を任せていた。

 

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

 

 

さちは今日も絶好調だった。

色の下塗りがあっという間に終わり、次のステップへと入っている。

四年前と違って、時間には余裕がある。

さちも、じっくり作業ができると言っていた。

 


・・・が。


「あっつー・・・」

 

陽光が肌を突き刺し、うだるような熱気が辺りを包んでいた。

気がつけば、汗がじんわりとシャツを滲ませていた。

さちは大丈夫なのだろうか?

 

 

「・・・・・・」

さちは暑さに屈することなく、ひたすら絵を描いていた。

向日葵も熱気に立ち向かうかのように、天に向かって真っ直ぐ伸びている。

さちは真剣に向日葵を描く。

向日葵は姿勢を正し、風になびく。

互いに礼儀を尽くしているような光景だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

ここに来て一時間は経つが、さちは腕を止めることはなかった。

いつものペースを維持しつつ、時に早く、かつ大胆に重ね塗りをしてく。


――『素早く色の良し悪しを決められる、さちにしかできない芸当』


・・・そう、まなが言っていた。

おそらく、今の彼女のテンションは右肩上がりの状態になっているだろう。

秒単位で感覚が鋭くなっていき、分単位で完成時のイメージが浮かんでいく。

「・・・くっ・・・」

さちに変化が見られた。

暑そうに、額から流れる汗を拭っている。

おれは近づいて、タオルと飲み物を渡そうとした。

「・・・まだっ・・・」

低い声でおれを制した。

さちとの距離は十メートル。

それでもさちの声は、はっきりと聞こえた。

「まだ・・・いい・・・」

それだけ言うと、作業に戻った。

大丈夫か? と声をかけたかった。

しかし、声をかけるのはためらわれる。

ここはさちの言う通りにするとしよう。

 

 

 


・・・

さらに数時間たって、暑さが一番厳しい時間となった。

「・・・はあっ、はあっ・・・」

さちが汗を拭いながら、こちらの方へやって来た。

暑さに負けたのか、だるそうにしていた。

「あーだる・・・水、ちょうだい」

冷えているペットボトルを選び、さちに手渡した。

「んくっ・・・んくっ・・・んくっ・・・ぷはあっ」

続いてタオルを渡す。

「ん・・・ありがと」

さちはその場にぺたんっ、と座り込んだ。

「つらそうだが、大丈夫か?」
「あの時と比べたら、十倍はマシだよ」

 

顔色は悪くない。

日射病の対策もしておく必要があるな。

 

「賢一もよく耐えるよねー、この暑い中」
「鍛えてるからな。 それより、自分のことを心配しろ」
「あはは・・・四年前はどうってことなかったんだけどな・・・歳とってふぬけちゃったのかな?」
「・・・アホ、今年はめずらしく暑いだけだ」
「んー・・・そうだったのかあ」
「水とタオル、持ってくか?」
「いいよ。邪魔になるから、ここに置いといて」

さちは元気よく立ち上がり、再びイーゼルの方へと歩き出した。

「気合入れていくよーっ」

イーゼルの前でガッツを見せていた。

そんなさちと、目の前に咲いている向日葵を見比べてみる。

 

・・・何となくだが、どちらも元気系のオーラが出ていた。

 

 

 

 

 

・・・


・・・・・・


夕方になり、風も少しだけ涼しくなってきた。

さちは先ほどの休憩を堺に、休む素振りを見せなかった。

休んでしまえば全てが終わってしまう、とでも言わんばかりだ。

四年前・・・まなのときと少し似ていた。

違う点があるとすれば、ここが外国であること。

もう一つは、さちの背後に地元の人間がいること。

数人のギャラリーに混じって、風貌からして地元の人間ではない男がいた。

おれたちと同じ国の人・・・。

パリッとしたワイシャツにスーツ姿で、上着を右肩にかけていた。

左手には扇子を持ち、暑そうにパタパタと扇いでいる。

顔の半分はひげに覆われ、見ているこちらが暑苦しくなるほどだった。

男性はゆっくりとした足取りでこちらへやってくる。

他の見物客は、さちの様子を見守っていた。


「君・・・」

落ち着いた低い声だった。

「はい、なんでしょう?」

初対面ということもあり、柔らかく対応した。

「あそこで絵を描いているのは、まさかとは思うが、三ツ廣さちではないかね?」
「そうですが・・・?」
「ふむ・・・」

 

眉間にしわをよせ、睨むようにしてさちを見た。

目を細めるのは、夕陽がまぶしいからではなさそうだ。

 

「この暑い中、ご苦労なことだ」
「さちの知り合いの方ですかね?」
「・・・ふむ。
いまや国内では有名のようだが、このような所まで来て、何をしているのだ?」
「見ての通りです」
「よもや、お遊びではあるまいか・・・」

なんなんだろ、この人・・・。

「君は、こんな所で何を?」
「彼女のサポートやってます。 今は日向ぼっこの時間です」
「君の目から見て、彼女の絵はどのように見えるのかな?」
「とても魅力的です。見ていて楽しいっすよ」
「絵を描くときの癖は治ったかね?」
「クセ?」
「もちろん・・・私の絵を真似る癖だよ」

 

 


――『あたしが子供の頃に描いた絵ね、盗作って言われてたんだよ』

――『まっ、当時はガキんちょだったからね、しょうがないっしょ』

 

 

さちは過去に、そんなことを言っていた。

 

「あなたは、自分の絵を真似された、と思っているのですか?」
「周りが騒ぎ出したのでね、気になったのだよ。
そして実際に彼女の描いた絵を見てみたが・・・」

おれと目が合った。

「これは私の描き方を真似しているのではないか・・・と、思ったわけだよ」
「失礼ですが、あなたは画家の方ですか?」
「そうだが・・・」
「今日はどういったご用件で?」
「散歩の途中に彼女の姿が見えたものでね・・・気になっただけだよ。
ここも、昔と比べると少し風景が廃れてきたように見える・・・」

 

目を閉じ、軽く空を仰いだ。

考え事をしているようだ。

 

「・・・少し、彼女と話をしてみたいのだが・・・」
「今は無理です」
「いつ頃終わるかね」
「夜までには終わりますよ」
「では、終わるまで待つとしよう」


ぶっちゃけ、帰ってほしいんだけどなあ・・・。

今は大事なときなんだから。


「なにかあるんでしたら、おれから言っておきますよ?」
「・・・・・・」


仙人みたいなおっさんは、その場に立ち尽くし、動こうともしない。

ただ、画家の目は、さちの手の動きを捉えていた。

意地でも、さち本人と話をしたいようだ。

 

 

 


・・・


・・・・・・


日が暮れる前に、さちは絵をイーゼルを片付けた。

「お疲れさん」
「おつかれだよ、ホント・・・」

 

「お疲れ様」

 

「ん? だれ? この人?」
「さちの知り合いじゃないのか?」
「ううん。知らなーいっ」
「・・・・・・」

 

「覚えていないのも無理はない。
顔を合わせていたのは、わずか十分足らずだったからね」

 

「・・・ねえ賢一、ホントに誰なの、この人?」
「画家だ」

さちの目が輝く。

「スカウト?」
「・・・違う」

 

「さち君、話があるのだが・・・」
「ん? なになに?」

 

「あ、おい・・・」

 

なんか嫌な予感がするんだよな・・・。

あまり、このおっさんとさちに話をさせたくないような予感が。

「ちょっとくらい、いいじゃんっ。同じ国の人だし」
「んー・・・」

 

「君は、どうしてこんな所で絵を描いているのかね?」
「そんなの決まってんじゃん!
半年後の文化展示会に、自分の絵を出すためたよっ」

さちはおれの雰囲気を読もうともせずに、元気いっぱいに答えた。

すると、おっさんは、やはり仙人然として言った。


「君の絵では入賞はおろか、まともな評価すらもらえない可能性がある」
「なんか・・・いきなりケンカ腰だね」

さちもびっくりしたようだ。

「それってさ、私がまともな絵を描けないってことかな?」
「・・・私も君と同じように、文化展示会に自分の描いた絵を出したことがあるんだよ。
そして、批判を受けてしまってね。
それはもう、立ち直れるか不安になるくらいに・・・」
「それとこれと、どういう関係がある―――」
「さち君と私の絵は、似ているのだそうだ」
「・・・え?」

さすがのさちも動揺している。

「十二年前かな? 北島英伊賞を受賞したのは」
「・・・っ!」

 

顔が強張るのがわかった。

さちも気づいたようだ。

 

「つまりだね、君のためにも、ここで注意しておこうと思ったのだよ」
「・・・何を?」

 

「まあ、待って下さいよ。
彼女は今日も暑い中頑張って疲れていますし、シリアスな話はまた後日ってことで」

 

「賢一は黙ってなよ」
「え?」
「あたしに関することなんだから、聞く権利があるって」
「んー、まあ、そうだけどさ・・・」

いまのさちにいい影響を与えるとは思えないんだが。

「まあ、賢一は心配しなさんなって」

さちは余裕そうだが・・・。

「えーっと・・・何かな?」
「私がここで絵を描いて批判を受けたのは話したね」
「うん、話した」

腰に手を当て、さちはコクコクとうなずいた。

「つまり、私の絵はこの街で失敗したんだ」
「・・・・・・」
「そして、さち君と私の絵は似ている・・・いや、君が私に似せているんだろう」



そりゃねえだろ、おっさん。

さちの絵は、全て我流なのだから。

 

「・・・で、あたしの描いた絵が叩かれる、と」

 

さちは首を傾げる。

 

「あたし馬鹿だから、そこんトコよく分からないんだよね」


「さち・・・」


「あんたの絵は、失敗したんでしょ?
でも、今回のあたしの絵は失敗できないから」
「・・・なるほど」

 

ため息をついて、得心したようにうなずきを繰り返す。

呆れてんのかね・・・?

 

「しかし、一つ言いたいことがある」
「うん」
「私と同じ道を歩もうとしないでほしい」
「・・・・・・」
「今日は軽い警告で済ませることにしよう」

 

画家は登場のときと違い、素早い足取りでこの場から去っていく。

なんだか勝手なおっさんだな。

 

「・・・ふうっ・・・帰ろ、賢一」
「おう、あんま気にすんなよ」

 

 

 


・・・


・・・・・・


画家の突然の訪問で頭が一杯になったのか、さちは終始無言だった。

「これからどうする?」



 

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「どうするって、絵を描くに決まってるじゃん!」

 

おれが思うほど、さちは落ち込んでいないようだった。

 

「あのオジサンってさ、ここで絵を描いて批判された人なんじゃないの!?」
「・・・いや、そうだから」
「そっかそっかぁっ、なるほどなるほどぉっ!」

余裕そう。

「だいじょぶだいじょぶ、心配には及ばないよ。
あたし、やるときはやる女だからさ」

だいじょぶかね・・・?

「・・・もう少しで絵は完成するっ」

ぐいっと拳を握る。

「今、あたしは試されてるのよ」

顔を上げ、真正面からおれの目を見据えた。

「まなを取り戻す権利が、あたしにあるのかをっ。
まなを救えるほどの力が、あたしにあるのかを!」
「おおー、なんか、高校演劇みたいな独白」

 

ちゃかすと、にらまれた。

 

「なんにせよ、おれに言えることは一つだ。 さちに任せる」

 

絵を完成させ、まなを取り戻すことができるのは、さちしかいないのだから・・・。

あのおっさんの意見なんて気にすることはない。

 

「そうと決まれば、明日からハイに決めてくよーっ!」

 

明日から、さちの絵も佳境に入る。

何があろうとも、さちの満足のいく絵を描かせてやろうじゃないか。

それがおれの役割であればいつまでも、どこまでも・・・。

 

 

 


・・・


・・・・・・

 

 

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快晴、向日葵、さち。

三拍子揃って文句ないスタートだった。

「とりあえず現状だが・・・。
見物客数名、昨日会った画家はまだ来ていない。
絵については完成度八十パーセント、といったところ。
さち曰く、あと一週間かからないうちに終わるとのことだ」

 

残りの二十パーセント。

ここからが正念場なんじゃないか。

 

 

 


・・・

さちの集中力には脱帽した。

強い風が吹いても、そのまま描き続ける。

おれが五メートル以内に近づけば、間違いなく気づく。

夏に調子がいいときは、後方の様子も正確に捉えられるだろう。

さちの縄張り意識は野生並みだった。

周囲の風景と一体化するとは、よく言ったものだ。

 

「・・・・・・」

 

風がサアァッ、とおれたちの間を吹き抜けていった。

 

 


・・・・・・。


静かだ。


さちが真剣になればなるほど、この世界から音が消えていく。


さちがこの場を支配しているかのようだ。


体中の感覚がさちのものと重なり、風景がよく見渡せる。


クリアな光景を目にしている。


とても気持ちがよくて、さちがうらやましくなってしまった。

 


「静かですねえ・・・」
「・・・ええ」

 

見物客に話しかけられる。

さちは離れた所にいる、通訳の必要はない。

 

「今日は珍しく、雲一つない快晴です」

 

涼しい風が、そよそよと大地をなでていく。

 

「静かすぎて、暑さがどこかに消え去ったような気がしますよ」

 

この場にいる誰もが、落ち着いた口調で話をしていた。

 

「・・・・・・」


ゆっくりと時間が流れていく・・・。

日本という国に点在している、田舎町の風情に似た感覚。

昼なのに、夜の顔を持った空気が流れ込んでくる。

いつの間にか熱さを感じなくなっていた。

肌にまとわりつく熱い空気も、今なら気にならない。

 

「彼女は素晴らしい・・・」

 

おれは体を起こした。

 

「まるでこの世界の支配者のようだ」

「一人の人間がいるだけで、こうも違った風景の中にいられるなんて夢にも思わなかった」

 

言葉が通じなくても、絵は、周りの人々の心に届いていた。

 

「さち・・・頑張れっ」

 

 

 

 


・・・


・・・・・・

 

突然の出来事だった。

 

さちが真剣な顔つきでこちらへとやってくる。

 

おれは思わず身構えてしまった。


「・・・・・・」

 

眉間にしわを寄せ、おれと目が合う。

しん、と静まり返った雰囲気の中。

 

 

 


ぐうぅぅ~・・・。

 

 

誰かさんの腹の虫が鳴った。

 

 

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「ひひひ・・・疲れちった」

 

さちの緊迫感が薄れた。

同時に、日常の世界が戻ってくる。


「あちい・・・」

暑さを忘れていただけに、余計きつかった。

さっきの空間がよかったのに・・・。


「おい、さち」
「ん?」
「もう一度、絵を描いて来い」

 

暑いから。

 

「後で描くって。 それより、お昼ご飯」
「まあまあ、そう遠慮するな」
「いや・・・遠慮しないし」
「お前の分はこの人たちと一緒に食べてやるから」
「・・・どーしてもあたしに描かせたいの?」
「お前が絵を描いてると、世界が涼しく感じるんだよ。
いや、これマジで」
「あたしゃクーラーか!?」
「絵を描いてるときのさちってさ、マジモードに入るよな」
「マジモードね・・・否定はしないけど」
「そのときの怖さと、静けさが何とも言えないんだ。
いわゆる、夏に幽霊、冬にこたつとみかんだな」
「例えの意味がよく分かんないし・・・」

わかるだろ。

「今日はスペシャルメニューだ」
「具だけ凝ってるサンドイッチ?」

またか・・・という顔をしていた。

だから言ってやった。

「それは全部食った」
「はあっ!?」
「お前のぶんはこの人たちからの差し入れだ、ほれ」

バスケットを手渡す。

さちはきょとんとした表情で受け取った。

「ありがたく受け取れいっ」
「・・・ありがとう・・・」
「なあに、気にするな」
「あんたにじゃない!」

怒られてしまった。

「あんがとーっ」

さちの言葉を翻訳し、感謝の意を伝えた。

それに笑顔で応える見物客の方々。

微笑ましい風景だった。

 

「というわけで、頂くか」

 

いただきます、と手を合わせた。

「賢一は食べたんでしょ?」
「毒味くらいはしてやるぞ」
「あんたが食べたいだけでしょ」
「ぶっちゃけ。 腹減った」
「食べたばっかなのに?」
「実を言うとだな、サンドイッチは作ってきてないんだ。
昨日、この人たちが作ってきてくれるって言ってたからさ」
「他人任せにしてちゃダメでしょ」
「一緒に食べようじゃないか。 スキンシップだ」
「いつも一緒に食べてるじゃん」
「おれとじゃない。 この人たちとだ」

おれは目の前にいるさちファンの連中を見た。

「・・・・・・」
「たまには、こういうのもいいだろ」
「いーじゃんいーじゃん、スキンシップ!」

嬉しさのあまり、子供のようにはしゃいでいた。

さちはバスケットのふたを取り、中身を見た。

「なんだろ、これ。
なんか見たこともない食べ物だけど、なにこれ?」
「クレープも知らんのか・・・」

この人たちの食生活を疑うわけではないが・・・菓子を昼食にするとは驚きだ。

さすが芸術の街、侮りがたし。

「超イケてんじゃん、この食べ物! 甘くて美味しいしっ」

もう食べてる。

「がっつくな、太るぞ」
「やっぱ、疲れた身体には糖分だね。 元気が出るよッ」

聞いちゃいなかった。

パクパクとクレープを平らげていく。

「賢一、この作り方を教えてもらっといてっ」
「もう知ってるって・・・って、全部食いやがった!」

十個近くあったものを、さち一人で食べてしまった。

「さーて・・・もう一頑張りしてきますか!」
「・・・頑張れ」

おれが食べるはずだったクレープの分まで。

さちは再び絵を描きに出た。

「腹減った」

夜までなにもなしか。

「・・・・・・」

ぐうぅぅ~。

そんなとき、おれの目の前に新たな差し入れが出された。

紙袋の中に、数個のパンが入っている。


「どうぞ・・・」


さちは絵を描いている。

クレープ効果でテンションが高くなっているようだ。

さちの頭上に『♪』マークが見えているような気がする。

 

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「後が持ちませんよ?」
「ありがとうございます」


ガンバレ、さち。

 

お前は優しいサポーターたちに囲まれて幸せ者だぞ。

 

 

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

少しずつ、今日の終わりは近づいてくる。

先ほど、遠目でさちの絵をチラッと見てみた。

完成は近いな。

 

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サッサッと、と筆が休むことなく動いている。

今日も順調に進んできたようだ。

さちには、重ねる色に関する決断力と勘が十分に備わっている。

その能力には、毎度のことながら驚かされた。

素人のおれから見れば、ハラハラさせられる。

しかし、後になってからビックリさせられる。

実はこれで良かったのでした、と言える仕組みになっているのだ。

まさに三ツ廣マジック。


「・・・・・・」

 

――もっと早くから、絵を描き続けていればよかった。

――批判されたくらいで、もう絵を描きたくないなんて思わなければよかった。

 

さちは、そんな後悔をしてきたかもしれない。

 


・・・


さくっ、さくっ、さくっ・・・。

ゆっくりと草を踏む音が、こちらへ近づいてくる。


「今日の調子はどうかね」


おっさんの登場だった。


「・・・今日の調子はどうかね、と聞いたのだが?」


しょうがねえな・・・。

「画家としては後輩にあたる彼女に、今日はどんなアドバイスを?」
「後輩ねえ・・・。
私のところにも、弟子志願してくる者もいた。
しかし、何を考えているのかさっぱり分からんのだ。
ただ黙々と技術を磨き上げ、自らの名声のためにその腕を振るう」
「うん・・・?」

画家は、軽く頷いた。

「芸術の世界にはね、変人が多いのだよ。
芸術とは言わば、あらゆる思想を有形として物体化したものだ。
それを使い、わかりやすく周りの人間たちに表現しているわけなのだからね。
・・・そういうことなのだ」
「いや、わかんねえから」

つっこんでしまった。

「まあまあ、今日は、お引取り願えますかね?」

画家の前に立ちはだかった。

「もう時間ですので」
「彼女はまだ描いているが?」
「最後の仕上げみたいなものですよ。 すぐに終わります」
「それでも、ひとこと言わねばならぬ」
「いや、おれの話を聞いてよ」
「聞いているが?」
「うーん」

確かにこの人は、変人だな。

 

「二人とも何してんの?」


「もう終わりか?」
「今日はね・・・帰ろっ、賢一」


「さち君」

おれたちの会話に割り込んできた。

「君は、毎回どのようなテーマを掲げて絵を描いているのかね?」
「テーマ?」
「君は向日葵を中心に絵を描いているそうだが、向日葵にどのような意味を込めているのかな?」
「・・・・・・。
それは課題ってことで。 また次の機会にでも教えてあげるよ」

さちはおれの手を取った。

「ばいばいっ」

 

二人一緒に、この場から離れる。

背後から感じる視線を避けるようにして、ホテルへ向かった。

 

 

 

 


・・・


・・・・・・

 

「あと数日以内には終わるよ。 絶対」
「おおー、がんばれ。 楽しみだなぁ」
「賢一も大変だね、あたしのことを気にかけてさ」
「お前のことを思えば、このくらいどうってことない」
「いいねいいねー。 あたしに尽くしてくれてるって感じがするよー」
「実際、尽くしてるぞ?」
「昔から思ってたんだけどさ、あたしと賢一って結構お似合いだよね。

なんてーの? 性格がうまくかみ合ってるって言うのかな?」
「お前の暴走を止められるヤツは、そういないだろ」
「むふふ・・・あたしがSで、賢一がMだから?」
「そういう関係とは違う・・・」

どうしてこういうことに積極的なのか・・・。

「さて、明日に備えて今日は早く寝るよっ」
「そうだな、今日も疲れたろう」
「・・・と思ったけど、眠る前に派手に騒ぎたいなー」
「おいおい、寝ると言ったそばからそれかよ」

さすが元気系。

別に、付き合ってやらん事もないが・・・。

 

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「枕投げしよ」
「二人じゃ盛り上がらんだろうが」
「じゃあ、かばん投げっ」
「じゃあってなんだよ! 当たったら痛えだろ!」
「賢一投げっ」
「投げるなっ!」
「じゃあ、投げずに足を持ってぶんぶん振り回すヤツ」

ジャイアントスイング

砲丸投げの要領でやってみたいな。
最後はこう、ぽーんって」
「嬉々として言うんじゃない」

そんなパワフルなことをされたら、さちに幻滅しそうだ。

てかおれって、ストレス解消のための道具?

「あー・・・なんか最近ストレスたまってるよ」

やば、おれ殺されるよ。

「今回の遠征が終わったら温泉巡りの旅にでも行くかっ」
「考え方がジジ臭い・・・てか前にも言わなかった?」
「減るもんじゃないし。 いくら言っても構わんだろ」
「そういう問題じゃないと思うんだけどなあ」
「さあさあ、こんな無駄話してる暇があったら早く寝ろっ」

 

このままでは、夜更かしをしてしまいそうだ。

強引にでも話を進めないと。

 

「一緒に寝よーよっ」
「何か企んでるのか?」
「べっつにー・・・」
「そこで含み笑いなんか見せるなよ・・・」
「寂しいんだわ。 正直な話。
たまにはいいじゃん。あたしを助けると思ってさ」
「・・・まあいいか。 一緒に寝るか」
「・・・うん・・・」

着替えてから、二人で一つのベッドに入る。

そして、さちに背を向けて横になった。

「うふふっ・・・賢一の背中、広くてあったかいね」

 

さちが寄ってきた。

自分の心臓が優しく、とくん、と鳴った。

 

「あたし、頑張るからさ・・・応援お願いね」
「・・・」

返事の代わりにさちに向き直り、キスをした。

「んっ・・・」

暗くてもさちの表情が分かる。

不安。

震える瞳がそう語っていた。

さちを抱きしめる。

「ありがとう。 賢一のおかげだよ・・・」

 


・・・


・・・・・・

 

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「今日もビビッと頑張るぞぉーッ!」

おーっ、と両手を上げ吠えた。

気合十分、今日もイケイケオーラが出ている。

昼を前にして、太陽も高く昇っていた。

「まずはイーゼルを立てて、絵をセットして・・・。
ここで絵を忘れたら面白いんだけどね!」

ね! じゃないだろ、シャレにならん。

やけにハイだな、今日のさちは・・・。

「いつものことだが、元気だな」
「落ち込んでいるときには、元気が一番だってよく言うっしょ」
「落ち込んでいたのか?」
「あたしに限って、そんなことあるわけないじゃん!」

からかわれてしまった。

「賢一は落ち込んでいるように見えるよ」
「そうか?」
「そうなんだっ・・・て!」

バシィッ! と背中を叩かれた。

「・・・っつぅ・・・」
「あたしの元気を注入してやったから、賢一も気合入れなきゃ!」
「断言してやる。
今日のお前はハイだ。間違いない」
「ハイはハイでもハイテンション。 ブレーキの利かない暴走列車だね」
「緊急ブレーキぐらいはつけてくれよ?」
「その役割は、賢一だって」

わかってる? と目で訴えていた。

「時間の方は大丈夫なのか?」
「あっ、ヤバッ。 二分と三十六秒も損した」
「前から思ってたけどさ・・・それ、絶対計ってないよな」
「あったり前じゃん! あたし時計じゃないしさ」

とか何とか言いつつ、実はこれが外れたことないんだよな。

これ、ちょっと謎。

 

「さーて、今日もヨロシクッ」


向日葵に向かって、元気な笑顔を振りまいた。

さちの動作に合わせるかのように、向日葵も花弁を広げ、微笑んだような気がした。

 

 

 

 

・・・。


・・・・・・。


もう正午だろうか。

周囲の暑さがピークに達している。

おれは遠くからさちを眺めていた。

時折、口に手を沿え、しばらくしてからまた描き出す。

最後の仕上げでもしているのか、いつもより慎重な様子だった。


「調子の方は如何でしょうか?」


唐突に尋ねられた。

「順調ですよ」


「差し入れを持ってきました。さちさんと一緒にどうぞ」
「これはご丁寧に・・・ありがたくいただきます」


両手で受け取る。


「では、これで・・・」


せっかく来たというのに引き返していく。

「今日は、見学していかないのですか?」
「すみません。今日は用事がありますので・・・」
「そうですか・・・あと数日はここにいると思いますので、また来て下さい」
「はい・・・頑張って下さいね」


物悲しそうに去って行く。


「・・・いい人たちだな」


用事があるのに、差し入れを渡すためにここまで来てくれた。


「・・・ん? 終わったのかな?」

さちが首をコキコキと鳴らしながら、こちらへとやって来た。

 

 

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「今から休憩だよっ」

昼食の時間らしい。

おれは自分の作ってきた弁当と、先ほどもらった差し入れを取り出す。

そして、さちに対して右と左に分けて置いた。

「さあ、どっちがいい? 好きな方を選べ」
「・・・いきなりなに?」
「何となくだ・・・ちなみにこちらはビックリ箱」

さちに対して、右側のバスケットを指差す。

「そしてこっちが、太陽光に反応して爆発する時限爆弾」

もう片方を指差す。

「どっちがいい?」
「太陽光に反応して爆発するんならさ、時限爆弾じゃなくてもいいよね」
「そっすね」
「二人で分けて食べようよ」
「あ、うん・・・」
「もしかして、また差し入れ? 今日も来てくれたんだ」
「そのまさかだが・・・。
今日はこれから用事があると言って、去って行ってしまった。
ここまでしてもらえるお前は果報者だな。おれは嬉しいぞ」
「果報者って・・・何もそこまでしてないんだけどな」
「さちの絵が好きなんだろう。 理由はそれだけでいいじゃないか。
おれも、そのうちの一人なんだからな」
「へえ・・・」

さちが好意の目でオレを見つけてきた。

「賢一がそんなこと言うのなんて、初めてじゃない?」
「? 何が初めてなんだ」
「あたしの絵が好きだってこと」
「いままではさあ・・・『うん。いいかもな』・・・てしか言ってくれなかったし」
「・・・覚えてないな」
「賢一が覚えてなくても、あたしは覚えてるよっ」
「それくらい印象的だったよ、今のセリフ」
「そうか・・・」

なんか、さちに対していいことをしたような気がしてきた。

「昼からも頑張れそうだよ」
「そりゃよかった。 とりあえず、飯にするか」
「今日は何を持ってきてくれたんだろうね?」

さちが差し入れの入ったバスケットを開けた。

「おおーっ! 昨日と同じく、またあの甘いやつだよっ」
「クレープだっての。 いい加減、名前覚えろよな」
「ふむ・・・うまいうまい」

聞いちゃいなかった。

「おれの作ってきた弁当も食べていいんだぞ」
「うん!」

パクパクモグモグ・・・。

モグモグムシャムシャ・・・。

「あのー・・・さち?」
「ん? 何?」
「おれの作ってきた弁当も食べていいんだぞ」
「うん!」

モグモグムシャムシャ・・・。

「・・・・・・・・・」
「ごちそーさん、美味しかったよ!」
「・・・そりゃ良かったな」

一個くらい食べてくれたっていいじゃん。

「あっ、そういえば賢一の弁当・・・」
「どうぞっ!」

バスケットをササッ、と差し出す。

「美味しいからさ、見に来てくれた人たちに食べさせてあげたら?」
「あ、うん・・・」
「それじゃっ、また頑張ってきますたい!」

タッタッタッ・・・。

「・・・・・・」

結局、おれの作ってきた弁当には、一切手をつけてくれなかった。

 

 

 

 

 


・・・


・・・・・・


夕方が近づいてきたというのに、まだ暑さは続いていた。

じりじりと大地を焦がす熱線が、おれたちにも容赦なく降り注ぐ。

体力が秒単位で削られていくようだ。

「さちはよく頑張れるよな。おれより暑さに耐性があるんじゃないか?」

疲れている素振りを見せない。

真剣になればなるほど、暑さなど気にならないらしい。

「よしっ、ならばおれも真剣にさちのことを見守ってやろう」

あぐらをかき、さちのうしろ姿を見つめた。

「じーっ・・・」
「・・・・・・」
「じいーっ・・・」
「・・・・・・」

ここでまなが、賢一うるさいっ、て言うんだけどな。

「・・・・・・あちい」

さすがにキツイ。

真剣になったとしても、耐えられるものじゃない。

 

さくっさくっ・・・。

 

「・・・・・・」

 

ゆっくりと近づいてくる足音・・・。

 

「あー、めんどくせーな」

 

おっさんと対峙するのが。

だが、おれが相手しなきゃなー。

 

「まったくもって暑い。 こんな所にいて辛くないかね」
「鍛えてますから」

画家は扇子を小刻みにはためかせていた。

でも、豪快なひげのせいで、相変わらず暑そうに見える。

 

「相変わらず頑張りおる・・・」
「そういうあなたも、なかなかに暇人ではないですかね。
ここのところ毎日のように来てますよね?」
「・・・かもしれん」

得体の知れない苦笑い。

「だが、いい加減疲れてきたので、この辺でお暇したい」
「つまり、ここに来るのはもうこれで最後ですか?」
「そういうことだ。色々とやることがあるのでね」
「その暑苦しいヒゲでも剃るんすかね?」

皮肉った。

「そうだが?」

マジだった。

「・・・ええっと、なんすか? 今日はなんの御用っすか?」
「彼女に、忠告だよ」
「またっすか?
また、彼女の絵では無理、とでも言いたいのですか?」
「それも含め、色々とだ」

何を企んでいるのやら・・・。

とにかく、今日は帰ってもらうしかない。

さちの、今後のためにも。

「わかってるでしょうが、ここを通す気はありませんよ?」
「わかっているよ」

さちの方を見て、口元だけで笑った。

そのときだった・・・。

タイミングの悪いことに、さちがこちらへ来てしまった。


「賢一~っ、お水ちょうだい。
さすがにぶっ続けでやると疲れちゃたよ、あたしも歳だね」
「さち・・・」
「ん? どしたの? あー、また来てたんだ・・・」
「さち君」

画家が一歩詰め寄った。

余計なことを言わせてなるものか。


「さち、水だろ。ほらっ」

冷えたペットボトルをさちに差し出す。

だが、さちは受け取らなかった。


「・・・さち?」


「しつこいよね、今度は何?」
「最後に言いたいことがあったからね」
「最後? じゃあ、もうここに来ないの?」
「ああ、約束しよう。
・・・その代わりと言ってはなんだが、最後に一つ、君に言いたいことがある」

さちの顔がひきつった。


「さち、あんまり耳を貸すな・・・」
「賢一は黙ってなよ」


口だけでそう言い放った。

さちの目は、すでにおれを見ていない。

目の前の、画家を・・・。

自分と似ている絵を描いた、画家を見ていた。


「画家としてのまともな意見を欲しいなあ」


さちが期待の眼差しを画家に向けた。

すると、画家は、面倒くさそうに言った。


「もうひと重ねしてみなさい」
「・・・・・・は?」
「色だよ。塗りを、もう一つ重ねてみなさい」
「え? あ・・・は、はい・・・」
「この国は、私たちの国と違ってやや湿度が低い。
だから、あのままだと、質感の薄い絵が出来上がってしまうんだよ」
「・・・そ、そうなんだ」

 

驚いた。

つーか、おっさん、いいヤツじゃん。

その後、画家はさちにアドバイスを加えていった。

さちは、真剣に聞き入っていた。

 

 

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「・・・あ、ありがとう」
「礼を言われる筋合いはない。
私はただ、昔の自分を見ているようで、歯がゆかっただけだ」
「でも、マジでありがとう。 超助かったよ。 閃いたよ!」
「ふん・・・それでは、がんばりたまえ」


画家は去っていった。


「あー、びっくりした。 なんか嫌味言われるのかと思った」
「恥ずかしいが、おれもだ」
「でも、ホント助かった。 なんかちょっとピンと来ないものがあってさ・・・」

そっか、そっかとうなずいていた。

「いつもならもう帰る時間だが、どうする?」
「その前に一つ質問」
「どうぞ」
「まだ、新しい紙あったよね?」
「ああ。 不足が出ないようにたくさん買い込んだからな。
・・・って、まさか・・・」

こいつ、やる気か?

向日葵が元気に咲いていられるのも、あと十日ほどしかないぞ。

「また十日で描き上げるつもりか?」
「んーどうだろ。分かんない。
でも、それが実現できたら神技だよね?」
「いや・・・ありえんだろ」

思ったとおりだった。

さちは、また一から描きなおすつもりだ。

「なんでいちいち描きなおす?」
「いいアドバイスもらったしね。
それに、途中で少し失敗したかもしんないし、集中力が欠けたし」
「うーむ・・・ひじょーに心配だ」
「まあまあ、あたしに任せなって」
「しかしだなあ・・・」
「・・・いや、何とかするって。 これ約束」
「誰に約束だよ」
「賢一と、まな!」
「・・・そこまで言うなら、さちを信じよう。
・・・期待してるぞ」
「どーんと豪華客船に乗った気分でいてよっ」

 

 

さちは新たに絵を描くことになり、

 

ターゲットは同じくここの咲いている向日葵。

 

さちの最後の追い上げが始まる。

 


・・・