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AIR【7】

 

7月24日(月)


・・・

 

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「もしかしたら、わたし、昔は空を飛べたのかなぁ。
ずっと、この空にいるの」


いつもの通学路で、観鈴はそう言った。


「おまえはいつも能天気だな。
もしかしたら、夕べも夢を見たのか?」
「見たよ。 すごく気持ちよく飛んでた」

 

 


・・・

「よいしょーっと」


観鈴は堤防の上にのぼり、両手を広げ、とてとてと歩き出す。

それで空を飛んでいる気にでもなっているつもりだろうか。

本当に幸せな奴だった。


「おい、危ないぞ」


つるっ。


「わっ」


ずでん!

 

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「イタイ・・・」
「だから言っただろ」
「が、がお・・・」


ぽかっ。


「イタイっ・・・どうして更にイタイ目にあうのかなぁ・・・」
「ほら、立て」


手を差し出してやる。


「うんしょ・・・ありがと」
「夢はいつもと変わりなかったか」
「ううん、少し違ってた」
「どんなふうに」
「同じだったけど、わたしがちがう気持ちでいた」


観鈴がもう一度、堤防にのぼる。

そして海に向かって、腰を下ろす。

その先には広い空。

そうすることによって、夢の世界を思い出しているのだろうか。

俺も隣に座る。

 

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「いつも通り、わたしの体が、空に飛んでいる。
足の下の雲はいつもより少なくて、海と陸が見渡せた。
白い波の線が、陸に押し寄せて、消えたりしてた。
自分が、本当に高い場所にいることがわかって、こわかった」
「そっか・・・」
「うん・・・」
「それでね・・・。
わたしはそこで悲しんでた。
ね、往人さん・・・どうして、わたし・・・空のわたしはあんな悲しい思いを
しているのかな。
あんなにきれいな風景で、すごく気持ちい風の中で・・・。
わたし、知りたい。 だから、ずっと空を見てた」
「・・・・・・」

 

 

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空に囚われた悲しみ。

それは、俺が想像する少女の姿と重なる。

空の遙か高みで、風を受け続ける少女。

その姿は、天使のような神々しさを持って俺の描く絵の中にいた。

白い少女の手足と、一対の両翼。

だが彼女に人と同じ感情があれば、それはあまりにも、悲しい光景だった。

ひとりきり、無限の時間の中に住む少女。

長い時間をかけて風は、彼女にどれだけの仕打ちを与えるのだろうか。

そして、その光景を、自分のこととしてこの少女は見ている。


「・・・・・・」


俺たちは立ち止まって、木の陰の中にいた。

セミの声が、ふたりの沈黙の間を埋める。

それぐらいに長く、俺たちは黙り込んでいた。


観鈴・・・」


先に俺のほうが口を開く。


「夢だろ。 おまえには関係ない。
おまえはいつものように笑ってろ。
・・・おまえが笑ってないとさ・・・」
「うん?」


どうしてだか、俺まで寂しくなる。


「とにかく笑ってろ」
「うん・・・」

 

 

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「ぶいっ」


・・・笑ってくれた。


「ジュースでも飲めばどうだ。 ノド、乾いたろ」
「ううん、いい」


言って、立ち上がった。


「じゃあ、いってくるね」
「ああ、居眠りすんなよ」
「うん。
お昼一緒に食べるから、ここで待っててね」
「ああ」


ぱたぱたと駆けていった。


「・・・・・・」


俺は考え事をするため、堤防に身を乗り上げる。

そして、汗の染みた背を海に向け、あぐらを組んだ。

 

空を見上げる。

・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

・・・それは、ずっと昔から。

・・・そして、今、この時も。

・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

それは母が、幼い俺に語った言葉だ。

子守唄代わりと言ってもいいぐらい、繰り返し聞かされた。


ただ・・・。


それだけではなかったはずだ。

この言葉を通じて、母は俺に何かを伝えようとしていたはずだ。

どうしても思い出せない。

なぜ忘れてしまったのだろう?

とても大切なことだったはずなのに。

 

――『ね、往人さん・・・。 どうして、わたし・・・空のわたしはあんな悲
しい思いをしているのかな』


観鈴が一瞬見せた、助けを乞うような目。


(俺だって何も知らないんだよ、観鈴・・・)

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

・・・

気がつくと、太陽が真上にあった。

正午のチャイムが響いてきた。

夏季補習の学生たちが、ぱらぱらと帰っていく。

待っても、観鈴は現れなかった。


(先に帰ったのか・・・?)


あいつは約束を破るような奴じゃなかった。

だとすると、他に用事でもできたのか・・・。

結局一時間ほど待って、俺は堤防を後にした。

 


・・・


・・・・・・

 

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玄関の引き戸を開ける。


観鈴、いるか・・・」


呼びながら廊下に上がる。

台所の方で、人の気配がした。

 

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「お帰りなさい。 ご飯、今できたとこだから」
「・・・・・・」


怒るより拍子抜けしていた。


「往人さん、汗びっしょり」
「走ってきたからな」
「そんなにお腹すいてたんだ」
「待ち合わせしただろ? 一緒に帰るって」
「あ・・・。
ごめん、忘れてた」


けろりと言い放つ。


「まったく・・・」
「おわびに、お昼はご馳走」


言いながら、俺の鼻先に皿を突き出す。


「往人さんの分は玉子四つ。 形も焼き加減も完璧。
早く食べないと、冷めちゃうよ」
「おまえなあ・・・」
「にはは」


まあ、無事なら文句もない。

俺は椅子に座り、素直に箸をつまんだ。

 

・・・。

 

 

食後。

鼻歌に混じって、食器を洗う音。

それが済むと、いつも通り観鈴が寄ってくる。


「往人さん、トランプ」
「ああ、おまえの持ってるのはトランプだな」
「トランプしよっ」
「俺は忙しいんだ」
「ぜんぜん忙しく見えない」
「考え事してるんだっての」
「考え事しながら、トランプ」


結局、観鈴のトランプにつきあう羽目になる。

俺は忙しいというのに。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

「・・・わたしの勝ちっ。 つまり、また往人さんの負け」
「念を押さなくていい」
「もう一回、やる?」
「・・・・・・やる」


負けず嫌いだった。

 

・・・・・・・。

 

 


「ふう・・・」


熱戦が終わった。

俺はほとんど負けていた気がする。


「麦茶飲もおっと」


言いながら立ち上がる。


「往人さんも飲む?」
「ああ」
「ちょっと待っててね」


ぱたぱたと台所に行く。

散らかったままのトランプを見て、俺は思い出した。

三日前、観鈴はこうして遊んでいて、癇癪を起こした。

いつでもああなるというわけでもないようだった。

晴子は言っていた。


――『小さい頃から、ずっとや』

――『誰かと友達になれそうになったら、ああなるねん・・・』

――『なんで治らへんのやろな』


専門的なことはよくわからない。

だが俺も、そういう女の子のことを聞いたことがあった。

あれは確か・・・。


「あっ・・・」


台所から声がした。

覗いてみると、冷蔵庫の扉を開けたまま、観鈴が困っていた。


「麦茶、作り忘れてた」
「ないなら水でいいぞ」
「わたしのお勧めは・・・」
「水だ」
「わたしのお勧めはねー」
「水にしてくれ」
「四角いパックに入っててねー」
「コップに入った、ただの水にしてくれ」
「・・・往人さん、付き合い悪いな」


ごそごそ。


「あれ? ジュースの買い置きも終わってる。 買いに行かないと」
「今からか?」
「夜に飲む分ないから。 往人さんも来てくれる?」
「まさか、あそこの自販機か?」
「あのシリーズ、他に売ってないから」


やはり、どろり濃厚だった。


「あんなもの好んで飲んでると、友達なくすぞ」
「往人さん、友達」
「・・・・・・」


しかたなく、俺も外出することにする。

 

 

・・・。

 


観鈴から少し間をおき、ゆっくりと歩きはじめる。

もう午後も遅い。

進むごとに、光が色を変えるのがわかった。

 

・・・。


・・・・・・。

 

海沿いまで来た時には、日が暮れかけていた。

 

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「夕焼け空も好き。 どこかに帰れそうな気がするから」


観鈴の影が長い。

髪が風に揺られ、きらきらと光る。

ずっと前にも、こんな情景を見ていたような気がする。

子供の頃、母親と旅をしていた時だろうか。

 

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俺は無意味に空を見上げる。

オレンジ色の陽を受けて、雲が流れていた。

なくしてしまったものの欠片が、夕闇の中に漂っている。

夜が来れば、それは痕跡も残さずに消えてしまうのだろう。


「この空の向こうには、翼を持った少女がいる。
それは、ずっと昔から。
そして、今、この時も。
同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている・・・」


言葉を口に出していた。

質問に答えるように、その続きが頭に浮かんだ。


   ・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

   ・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

   ・・・大人になれずに消えてゆく。

   ・・・そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す・・・

 


視線を地上に戻した。

何だろう、今のは?

忘れてしまう前に、頭の中でもう一度繰り返す。

 


『そこで少女は、ずっと同じ夢を見続けている』
『何度生まれたとしても、決して幸せにはなれない』
『彼女はいつでもひとりきりで』
『そして、少女のままその生を終える』
『そんな夢・・・』

 


意味を考えるには、あまりに抽象的すぎる。

夕暮れと観鈴の印象が重なり、そんな言葉になったのだろうか?

それとも・・・。

何かを思い出しかけている。

もっと大切な何かを。

鍵をかけられているように、頭の奥がきしむ。

何かが染み出してくる。

それは、悲しい予感だった。


「なあ・・・」


話しかけようとして、我に返った。

観鈴がいなかった。


観鈴っ・・・」


いた。

自販機に張りついていた。


「はぁ・・・」


溜息をつき、俺は走り寄る。


「あ、ごめんね。 新商品ないかなって。
あ、これ、前に飲んでおいしかった。 買ってかえろーっと」


財布を取り出し、中身を探り始める。

そんな観鈴の姿を見ていて俺は思う。


(わけがわからない夢の話なんて、こいつには似合わないよな・・・。 こう
いうことをしているときが、一番こいつらしくいい)


「ちょっと待ってね。 百円玉、なかったかなぁ」
「ああ、ゆっくりすればいい」


呑気に待ち続けることにした。

その俺の横で、観鈴はうなりながら延々と百円玉を探し続けた。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

 

 

・・・
俺はぼぅっとテレビを見ていた。

考え事をしなければならない。

観鈴の代わりに、俺が精一杯頭を使って考えるのだ。

けど、それは得意なことじゃなかった。

 

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「往人さん、トランプ」


風呂上がりの観鈴が寄ってきた。


「ト・ラ・ン・プ」
「それしかないのか、おまえは」
「うん。 だからトランプ」
「な、俺は今、なにをしてる」
「暇してる」
「テレビを見てるんだよ」


こういうやり取りも、日常的になってきた。


「何見てるの?」
「さぁ・・・」


実際よくわからない。

ずっと若い刑事が走り回っていた。


「退屈・・・」
「黙って、おまえも見ておけ」
「途中からじゃわけわかんない」
「最初から見ておけば良かったんだ」
「わたし、洗い物してたし・・・」
「そうか。 そら残念だな」
「トランプは?」
「これ終わったらな」
「夜遅くなっちゃうね」
「だな」
「眠くなる」
「明日があるだろ」
「うーん、そうだね・・・」


ようやく静かになる。

テレビの中の男が推理していた。


「謎は解けた! 犯人は・・・」


ぴしゅん・・・!

画面が消えた。


「犯人はだ~れだ」
「おまえだっ! おまえ以外、いないだろっ」
「正解。 消したのは観鈴ちん
「・・・・・・はぁ・・・観鈴ちんは困った奴だな」


俺は観鈴に向き直る。


「トランプしてくれるの?」
「ああ」
「うれしいな」


カードをケースから取り出すと、くりはじめる。


・・・。

 

どがーーーーーーーーーーーーーんっっ!!

 

「えっと、どうやってするんだよ・・・」
「うん、これはやり方難しいけどね、覚えるとすごくおもしろいよ」
「大変そうだな・・・」

 

どんどんどん・・・


がらっ!

 

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「帰ったで」
「おかえり。 早かったね。 もう少し早かったら、一緒にご飯食べられたの
に」
「かぁっ・・・」


観鈴に向かって顔をしかめる。


「あんた、呑気なもんやな・・・あれだけ心配させといて、自分は呑気にトラ
ンプで夜更かしかいな」


(・・・心配?)


言っていることの意味がわからなかった。


「おかげでこっちは、仕事がひとつふいになってしもた・・・。
はぁ・・・ほんま、観鈴ちゃんは困った子やで・・・」


ぱたぱた・・・

カードを並べはじめる観鈴


「ほら、あそぼ、往人さん」
「あ、ああ・・・」


「あかんあかん。 これからは大人の時間や。
子供は寝るんや」


「往人さん、わたしと眠たくなるまで遊んでくれるって・・・」
「そこまでは言ってないが・・・」

 

「居候は、毎晩うちと飲んでるんや。 な、居候」


ずずず・・・と晴子が顔を寄せてくる。


「今日はなんかうち、ムカついてるから、えらいことになってしまいそうや。
もう、スッポンポンになってしまいたい気分や~。
どない? 興味あるやろ?」
「恐ろしいぐらいに、ない」
「なんちゅー形容やねんっ!」


首を絞められる。


「く、苦しいだろっ」

 

「わーっ」


その騒動で、床に並べられていたトランプが無茶苦茶になっていた。


「はぁ・・・もういい。 わたし、寝る」


それを一枚ずつ拾ってから、観鈴は立ち上がる。


「おやすみ」


そのまま部屋から出ていった。


・・・。

 

 


「はぁ・・・」
「こら、酒臭い息を吐きかけるな」
「悪酔いしてるねん」
「見りゃわかる」
「気持ち悪いねん」
「なら、離れろ」


晴子はずっと、俺の襟元を絞めて、そして自分の顔を俺の額に押し当てていた


「あんたいくつや。 二十歳かそこらやろ」
「そんなもんだな」
「ほんなら、親の気持ちなんてわからへんねやろな」
「そうだな」
「うちもわからへん。 あんたとそないに歳、変わらへんさかいにな」
「あんたのさほど変わらないは、何十年かはしらないがな」
「ほんのちょっとやねん・・・」


ぎりぎり・・・


「絞めるなっ」
「はぁっ・・・あほらし」


俺を解放すると、その場にどっかりと座り込む。


「学校で癇癪起こすなんて、ここのところなかったんやで。
それもなー、誰かと遊んでたんやなくて、一人でいて泣き出したっていうねん


喋るたびに、甘ったるい酒の匂いが漂う。


「何があったんだ?」
「・・・あんた、あの子から聞いてへんの?」
「何も聞いてない」


俺が知る限り、今日の観鈴におかしなところはなかった。

堤防に寄らず、一人で家に帰ったことを除いては。


「また癇癪や。 学校で倒れたて、連絡入ったんや。
仕方あらへんから、うちがバイクで診療所に連れていって、そのまま家まで送
ってきたんや。
それからまたとんぼ返りや。 ええ迷惑やで、ほんま」
「・・・・・・」


全く気づかなかった。


「なんや、なんであんたが落ち込んでるねん」
「あいつのお目付役を頼んだのは、あんただろ?」


俺は観鈴の面倒を見ることを条件に、この家に厄介になっている。

それさえできないのなら、本当にただの居候だ。


「気にすることあらへん。 あんたにはもう無理や」


顔の前でひらひらと手を振る。


「あんたも見たやろ?
あの子は誰かと親しくなると、癇癪起こすんや。
あの子、あんたにべったりやからな。
癇癪止めるんはもうあんたには務まらへん」


その言葉で気づいた。

もしも観鈴が晴子のことを慕っているなら、ずっと一緒に暮らせるはずがない

観鈴は癇癪を起こし、晴子はそれを止められないだろう。

俺の考えを見通したように、晴子は言った。


「・・・うちはあの子に好かれてへんからなー、適任っちゅーわけや。
まったく、難儀な子やで」


自嘲するように笑う。


「はぁ・・・こんな不愉快な日は酒しかあらへん」
「もう飲んできたんだろ」
「付き合いやねん。 仕事のうちや。 飲もーっと」


ふらふらち立ち上がる。

俺は放っておくことにした。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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・・・

晴子は寝てしまったのだろうか。

それとも、ひとりで飲んでいる時は静かなだけか。

消灯してしまうと、虫の音と扇風機の低いうなり以外、物音をしなくなった。

青白い月明かりを伸ばしきった脚に受けて、俺はひとり考える。

 


・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

・・・大人になれずに消えてゆく。

・・・そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す。

 


思い出したばかりの言葉。

いつ聞かされたのかさえ分からない。

それは最初からあったかのように、俺の中に根を張っていた。

同じ夢を見続けている少女。

空にいる少女・・・。

空の夢を見続けていると、観鈴は言った。

俺と会う前、観鈴はひとりきりだった。

観鈴はいつでも子供のような奴だ。

 

そして。

観鈴の姿が、不意に消えてしまうように見えることがあった。

まるで空に溶け込むように。


「・・・・・・」


単なる偶然とは、どうしても思えなかった。

そして、最後の文句。


――『そんな悲しい夢を、彼女は何度でも繰り返す』


それは、観鈴が夢を見続けるということなのだろうか?

悲しい夢。

観鈴は言っていた。


――『どうして、わたし・・・空のわたしはあんな悲しい思いをしているのかな』


空にいる少女と、観鈴

それは同じものなのかもしれない。

空にいる少女の夢を、観鈴は見続けている。

そして、空にいる少女が見ている夢が、観鈴なのだとしたら。


――『観鈴はいつもひとりきりで、大人になれずに消えていく・・・』


浮かんできた言葉を、すぐにうち消した。

そんなはずはない。

あいつはひとりきりじゃない。

晴子だって、俺だって近くにいる。

あいつはいつだって笑っている。

こっちまで釣られて笑い出すぐらいに。


「・・・・・・」


俺は目を閉じる。

疲れているのだろう。

瞼は熱く、じわりと涙がにじんだ。

 

・・・

 

 

 

 

7月25日(火)

 


いつもの朝。

いつもの登校風景。

 

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「夏休みの登校って、少し寂しいね」
「うん?」
「だって、他に登校してるひと、いないから」
「そうだな・・・」
「ね・・・」


観鈴が俺の顔を見ていた。


「ん、どうした」
「ジュース、買ってもいいかな」
「あ、ああ。 好きにしろ」
「すごくノドかわいたー」


堤防から飛び降りて、自販機まで駆けていった。

 

――ずっと、探して歩いて・・・俺はここまでやってきた。


ちゅーちゅー・・・


気づくと、堤防の下で観鈴がジュースを飲みながら俺のことを見上げていた。


「なにか考えごとしてる?」


ストローから口を離して訊く。


「ん? ああ・・・」


――俺はずっとおまえを探していたのかもしれない。

――ずっと、ひたすら俺が探していたもの。


それが手を伸ばせば届く場所にあるような・・・そんな気がした。


観鈴


俺は観鈴に向けて手を伸ばしてみる。


「ん? 手?」


ぽん、と観鈴が俺の手に自分の手を当てた。

俺はそれを握る。

届いた。

こんなところにあった。

俺はそのまま堤防の上に引き上げる。


「わっ・・・と」


浜のほうに落ちそうになったところを、俺が支える。

小さな体。

暑さのためか、めまいがした。

俺は観鈴の体を離した。


「体は・・・大丈夫か」
「うん、ぜんぜん平気。
わたし、元気なのが取りえだから」


言って、潮風に向かって伸びをする。


「だよな。
おまえから元気とったら、何も残らないもいんな」
「それってひどいと思う」
「冗談だ」
「往人さんは・・・少し元気ない?」
「いや、元気だぞ。
いつだって、腹さえ減ってなかったら、元気なんだ」
「往人さんらしい・・・にはは」

 
俺たちは、それぞれの方向を向いた。


「ね、往人さん。
もしかして・・・またこの町、出ようとか考えてるかな」
「そうだな・・・近いうちにそうなるかもしれない。
そもそも、長居し過ぎた。
一ヵ所に腰を落ち着かせるのは好きじゃないんだ」
「それは慣れてないからだと思うな。
ずっといたらわかるよ。ここ、すごくいい町」
「ああ。 おまえみたいな呑気な奴にはぴったりの町だな」
「往人さんには物足りない?」
「そうだな」
「往人さん、いろんなところ旅してきて、いろんなこと経験してきてるんだろうし、・・・物足りないかなぁ。
でも・・・わたしはずっとひとりだったから、すごく楽しいよ」
「どうして。
いるだろ、友達のひとりやふたり」
「ううん、いないよ。
だって、わたし・・・ヘンな子だから。
往人さんも、知ってるよね。
友達になれそうになると、わたし癇癪起こして、泣き出しちゃうの・・・。
どうしてかわからないけど・・・小さい時からずっと。
そんなだから、みんな、わたしから離れてゆくの」


淡々と喋る観鈴は、全てを諦め、受け入れているように見えた。


「そうか・・・」
「うん」
「でも・・・それでも、おまえはひとりじゃない。 晴子がいる」
「お母さん?
お母さんはね、本当のお母さんじゃないから」
「え・・・?」


俺は振り返り、観鈴の顔を見た。


観鈴は、じっと海の向こう、水平線を見つめていた。

 

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「お母さんは・・・晴子さんは、本当は叔母さん。
わたしがヘンな子だから、押しつけられたの。
・・・すごくつらかった。
だって、押しつけられたほうに、わたしは迷惑かけるんだもの。
晴子叔母さんは嫌がったけど・・・。
結局わたしはここで暮らすことになった。
でも、晴子さんには自分の生活があったから・・・。
ひとつ屋根の下だけど、別々に暮らしてるの。
わたし、本当に邪魔者だから・・・。
ずっと晴子叔母さんにも、迷惑かけ続けている。
だから、何も言わない。 贅沢とか・・・。
迷惑かけないように、ひとりで遊んでたの。
ひとりでヘンなジュース探したり、トランプして。
にはは」
「・・・・・・」


俺は吹き出す汗を拭いもせず、立ち尽くしていた。

観鈴の背中には空が見える。

 

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いつだって遠かった空。


「な・・・観鈴
おまえは、この空にいるんだろ、今も・・・」


言ってしまっていた。

それが何を意味するのか、自分でもわからないまま。


「だったら・・・。
だったら、往人さんはどうする?
わたしと・・・友達になってくれるのかな」


照れたように笑う観鈴

風が吹いた。

チャイムが鳴り渡る。


「あ、いかないとっ・・・。 じゃあね、往人さん。
あ、これ持っていったらダメなんだ・・・はい」


寄ってきて、飲みかけのジュースを俺に手渡す。


「お昼一緒に食べようねー」


堤防から飛び降りて、駆けていった。

見上げれば、青い空。

それは、ずっとずっと遠い日から。

 

・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

・・・そして、決して大人にはなれない・・・

・・・そんな悲しい夢を、彼女は何度でも繰り返す・・・

 

 

 

・・・・・・。


いつもの夏の日だった。

午前中は堤防に寝転がり、日射しにじりじりと焼かれていた。

それから観鈴と家に帰り、昼飯を食べた。

午後からは人形芸。

昼下がりの商店街に、人通りはない。

人形もうまく動こうとしない。

考えるべきことが、俺には多すぎた。

 

そして・・・。

 

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・・・

気がついたら、夕焼けだった。

人形をポケットにしまい、俺は立ち上がった。

もうずっと昔から、ここでこうしているような気がした。

 


・・・。


・・・・・・。

 

夕食時。

俺はまだ考えていた。

ひとつだけ・・・。

ひとつだけ、観鈴に聞こう。

そうすれば、俺なりに答えを見つけられそうな気がする。


「食べ終わったら、散歩に行かないか?」
「ん? 散歩?」
「いや、おまえに行く気があるんならだけどな」
「・・・・・・」


箸を置いて、俺のことをまじまじと見る。

 

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「往人さんから誘ってくれるなんて、すごく意外」


観鈴は笑った。

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

 

「ホタルいないかな、ホタル。
お尻がぴかって光ってて、かわいいホタル。
往人さんは、ホタルとは友達じゃないのかなー」


はしゃぎながら、歩いてゆく。


「・・・・・・」


その後を俺はゆっくりと歩く。


「な、観鈴


呼びかける。

 

 

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「ひとつだけ、思い出してほしい」
「いいよ。 なにかな」


俺のほうに向き直る。


「えっとだな・・・その・・・」


こいつの無邪気な顔を見つめてだと、いいづらい・・・。

俺は顔を背ける。

その先には、堤防。

さらにその向こうには海が広がっているのだろう、波音が聞こえた。


「明日は海にこようか」


俺は別のことを言ってしまっていた。


「ほんとっ?」


目の色を変えて、腕を掴んでくる。

ますます顔が近くなった。


「あ、ああ・・・そういうのもいいかと思ってさ・・・」
「うんうん、すごくいい」


思い出せば初めて出会ったときも、こいつは浜で遊びたいと俺を誘ったのだ。

よっぽど嬉しいのだろう、跳ねるように駆けていった。

楽しみをひとつ作れた。

その代わりに、思い出してほしい。


「な、観鈴
夢の中のおまえには・・・翼があるか?」


俺は訊いていた。


「翼・・・?」


観鈴が振り返る。


「夢の中で、おまえは空を飛んでるんだろ?」
「あ、そうだね」


今気づいたように、つぶやく。


「でも、自分に翼があるかなんて、考えたことないよ」
「そっか・・・もういい」
「うん・・・。
でもどうして、そんなこと聞いたのかな」
「いや、なんでもない・・・」
「往人さん?」
「・・・・・・」
「ん? 何か考え事してるのかな?」
「あ、ああ・・・」


観鈴の声に俺は呼び戻される。


「いこうな、明日・・・海」
「うん」
「じゃあ、今日はもう帰るか」
「そうだね、はぁっ」


観鈴は大きく息を吸い込んで、吐いた。


「明日、楽しみ」


にっこりと笑った。

 


・・・。

 

 

 

7月26日(水)

 


静けさで目覚めた。

いつもの神尾家の茶の間。

蝉の声と、扇風機が回る音。

それ以外に物音がしない。

いつもなら、もうとっくに観鈴が起きている時間だった。

雲の上で寝返りを打つ。

背筋の辺りに、何か重いものが佇んでいるような気がした。

 

俺は起きあがり、爪先立ちで伸びをした。

 


・・・

観鈴の部屋の前に来た。


観鈴、入るぞ」

 

引き戸を開け、中に入った。

観鈴は両足をベッドの上に投げ出して、手でさすっていた。

 

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「どうしたのかなー。 なかなか元に戻らないなー」

「・・・どうしたんだ?」
「足が痺れたみたいになってる、んー・・・」


自分の足を不思議そうに眺める。


「昨日、歩きすぎたんだろ」
「そんなことないと思う。
この頃、朝はだいたいこんな感じだから。
前からたまにあったけど、いつもはすぐに治るの」
「ただの低血圧なんじゃないのか?」
「にはは。 そうかも」


また足をさする。


「・・・・・・」
「ん? なにか言った?」
「・・・いや」
「お腹すいたのかな?
朝ごはん、ちょっと待っててね。
すぐ歩けるようになると思うから」
「朝飯はいいから、寝てろ」
「でも、学校はいかないと。 それまでにはよくなるかな」
「・・・無理すんなよな」
「わたしね、遅刻は多いけど、欠席はしないんだよ」
「そらいい子だな」
「うん、ちょっといい子。 だからね、がんばって行く」
「そっか・・・すぐによくなるさ」
「うん、よくなるよ」

 

・・・・・・。

 

ちこちこと時計の針の音だけがする。

観鈴は黙って、足を揉んだりしていた。

その横顔には焦りの色が見える。

そろそろ事態の悪さに気づき始めたようだ。


「どうする。 病院いくか」
「ううん、だいじょうぶ。 もう少し、休ませてね」

 


・・・。


結局、授業が始まる時間になっても、観鈴の足はよくならなかった。


「うーん・・・授業始まっちゃった」
「もう気にするな。 行ける状況じゃない」
「そうだね・・・残念」
「一日ぐらい行かなくても、大して変わらないだろ。
今日は寝てろ」
「でも、お昼ご飯・・・」
「その辺のもの勝手に食べるから、心配するな」
「そうしてくれると、嬉しい」


パジャマの胸元に視線を落としながら、少し不安げに言う。


「本当は、ちょっと食欲ないかも」
「夏風邪だろ。 変なジュースばかり飲むからだ」
「それは関係ないと思う」
「じゃあな。 大人しくしてろよ」

 

 

・・・

俺は部屋を後にした。


台所に行き、水を一杯飲んだ。


「ふぅ・・・」


溜息をつく。

身体の芯が妙に疲れている。

 

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「イッター・・・」


晴子が現れた。


「頭いたいわ・・・どいてや」


俺をおしのけていく。

台所へ入ると、冷蔵庫から牛乳のパックを取り出し、それを口飲みし始める。

相変わらず呑気な母親だった。


「頭、ごっつイタイわ。 久々やわ、二日酔いやなんて。
でも、仕事やー。
一家の生計立てるために、頑張らんとな。 貧乏暇ナシや」
「・・・・・・」
「なんやねん」


その顔がこっちに向く。


観鈴を看てやってくれ」
「ん? どないしたん、あの子」
「具合が悪いんだ」
「はは・・・あれやな。 落ちてるものでも拾うて食うたんやろ。
小さいときも、かりんとうと間違えて、ヘンなもの食べそうになった子や。
口に入れる直前で叩き落としたったから無事やったけどなー。
あの子、ほんまにそそっかしいわ」


朝食をその牛乳だけで済ませて、居間まで戻ってくる。


「そしたら、うち昼まで寝るから、後よろしくな」
「顔ぐらいだしてやれよ」
「頭痛いねん、うち。
病人がふたり顔を突き合わせても、気が滅入るだけやろ?
それに、あの子もいまさらそんなんで元気でぇへん。
あんたがそばにおったったら、それでええやろ。
ほな、おやすみ」


その姿が廊下に消えた。


「・・・・・・」


晴子が残していった一言が、頭の中に引っかかっている。


――『あんたがそばにおったったら、それでええやろ』


拳を握りしめている自分に気づいた。

俺は何を苛立っている?

何を動揺している?

観鈴の姿を思い返す。

ただの夏風邪だ。

少し休めば、すぐに元通りになる。

その裏で、予感が頭をもたげる。

格子がついた窓の外で、梢が揺れている。

その向こうに編みこまれた、青空。

夏は続いてゆく。

今までずっと、そうだったように。

悲しみの気配なんて、どこにもありはしないのに。

 

・・・。

 

観鈴は上体を起こし、膝の上でトランプを始めていた。

 

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「トランプ、トランプっ」
「おまえさ、休んだんだからって遊んでないで、少しは寝たらどうなんだ」
「一日中、遊んでられる。 うれしい」
「だったら、休んだ意味がないだろ?」
「だって、眠りたくないもん・・・」


札を集める手を止め、ぽつりと言った。


「どうしてだよ」
「今朝の夢、ヘンだったから」
「空の夢じゃなかったのか?」
「ううん」


顔が曇る。


「空の夢だったけど・・・。 いままでと全然違った」


何かを思い出したかのように、観鈴の瞳が震えた。


「ぽっかりと月が浮かんでて、すごく明るかった。
わたし、空に昇ろうとしてた。
体中がずきずき痛くて動かないのに、ずっと高くまで昇ろうとしてた。
そうしたら・・・声が聞こえてきたの」
「声?」
「たくさんの人の声。
わたし、それでわかった。
みんなが、わたしを閉じ込めようとしてるって。
耳の中がわんわん鳴って、それ以上昇れなくなって、それで・・・」


その先は、何も言わなかった。

今まで聞いていた空の夢とは、似ても似つかないものだった。

話し終えても、観鈴はまだ不安げだった。

まるで、今にもその『声』が聞こえてくるかのように。


「もう、見たくないな・・・」
「ただの夢だろ。 気にするな」


頭にぽんと手を載せてやる。


「うん。 それじゃ、気にしないね」
「ああ。 しっかり安め」
「うん」


頷きながら、トランプに手を伸ばす。


「おまえなあ・・・」


観鈴がトランプを並べる音だけが聞こえてくる。

俺はどうすればいいか、それだけを考え続けた。

 

 

 

・・・。


・・・・・・・。


どのぐらい経っただろう。

全く物音がしないのに気づいた。

観鈴の方を見た。

膝の上にトランプを広げたまま、すうすうと寝息を立てていた。

夢を見ているのだろうか?

最初は空の夢。

それが悲しい空であることに、観鈴は気づいた。

そして今朝、夢が変わった。

観鈴は以前、夢は時間を遡っていると言った。

夢が突然変わったことは、何を意味しているのだろう?

次に観鈴は、どんな夢を見るのだろう?


「・・・・・・」


観鈴の頭ががくりと動いた。

起きてしまったらしい。

きょろきょろと辺りを見回し、俺を見つける。


「・・・わたし、寝てたんだ」
「夢、見なかったか」


起き抜けの瞳で俺を覗く。


「うん・・・見なかった」
「そうか」


答えると、観鈴は大きく伸びをした。


「よし、と」


てきぱきとカードを片づけ始める。


「往人さん、ヒマ・・・だよね?」
「ん? なんかあるのか?」
「うん。 海行こうと思って」
「そっか。 そうだったな」


それは約束していたことだった。

しかし今日の観鈴の体で、いけるのだろうか。


「浜辺で遊ぶの。
砂を掘ったり、波から逃げたりしながら」
「俺も・・・か?」
「いいよ、往人さん見ていてくれるだけでも」
「いや、いいよ。 約束だからな」

 

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「ほんと? うれしい」


満面の笑顔。

久々に見た気がする。

こいつはこうして何も考えず笑っているのが、一番可愛い。

ずっと、その笑みを見ていたいと思った。


「でもな・・・」
「うん?」
「今日じゃないほうがいいと思うんだ」


今の観鈴に無理をさせたくなかった。


「え?」
「おまえ、まだ具合悪いだろ。 良くなってからにしよう」
「うーん・・・」
「おまえ、楽しいことが待ってたら、頑張れるんだろ?」
「うん・・・そだね。 じゃ、明日いこうね」
「ああ。 そうなるように、頑張れ」
「うん」

 

・・・

観鈴が笑っていたのは、その話をしていた時だけだった。

結局は、観鈴はベッドに入ったきりで・・・。

なにひとつ、変わったことなどなかった。

 

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

 

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しんと静まり返る家。

晴子がいれば、まだ賑やかなのだろうが。

当然、夕食をつくる人間はいない。

一応、観鈴に訊いたが、食欲がないと答えた。

食欲がないのは、俺も同じだった。

俺の中に巣くってしまった予感をうち消す方法、それだけを探していた。

 

・・・。

 

日付が変わった頃、晴子が帰ってきた。

案の定、千鳥足で居間に現れた。

この女は、本当に酒が入るとダメになる。

それがようやくわかってきた。



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「ほら、土産や」


手には寿司折。


「今から飲みながら食うで~。
ん・・・観鈴ちんは、もう寝てしもたんか。
しゃあない。 ふたりで食うで。 皿出しや~」
「ひとりで食ってくれ」
「なんや、つきあい悪いやんか。
一緒に食おうや。 おいしいんやで、ここの寿司」
「食わない」
「・・・・・・。
なんで、そないなこと言うねん。
ひとりより、ふたりで食べたほうがおいしいやん。
お酒飲みながら、つつこ、な」
「・・・・・・」


ここにいたら、俺は何を言い出すかわからない。

この女に何を言ってしまうかわからなかった。


「な、うち今夜は機嫌えーねん。 楽しい夜になるでっ」


手を握られる。

俺はそれを振りほどく。


「あ・・・ショックや。 今、ごっつ傷ついたわ・・・」
「な・・・どうして、引き取ったんだよ」
「なにがや」
「どうして、観鈴を引き取ってしまったんだよ」
「なんや・・・あの子、話してたんかいな。
引き取ったんやない、押しつけられたんや。
嫌や、言うてんけどなー」
「そのせいで、あいつはあんたに甘えられないんだろっ!!」


一喝していた。


「・・・・・・うちなんかに・・・甘えたいわけあらへん、あの子が。
うち、ほんまの親やないから」
「そんなの関係ないだろ・・・。
あいつにとっての、親はあの日から、あんたひとりだけなんだよ。
自覚しろ・・・あんたが観鈴のただひとりの母親なんだよ」
「はぁ・・・」


晴子はため息をついて、頭を掻いた。


「んなこと今さら自覚持てるかいな・・・。
あの日から何年経ってる思うんや。
もう時間が経ちすぎとる。
なにも取り返すことなんて、できへんのや」


台所へと消えていった。

これ以上、言うこともなかったから、追わなかった。


「・・・・・・」


俺は居場所を失って、部屋を後にした。

狭いはずの廊下が、嫌にがらんと感じられた。


「・・・・・・」


頭を冷やして来ようと思った。

俺は玄関に行き、靴を履いた。

 

 

・・・。

 

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気づかれないよう、玄関の戸をそっと閉める。

田舎町の深夜では、人通りもない。

夜気は熱くよどんでいる。

家の中の方が、涼しいぐらいだった。

 


・・・


・・・・・・


あてもなく歩くと、海沿いに出た。

そのまま進む。

 


・・・


・・・・・・

 

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・・・

 

結局、着いたのはここだった。

堤防への階段を登り、どっかりと腰を下ろした。

波の音がした。

海の手前が砂浜になっている。

幾重にも打ち寄せる波が、しゅわしゅわと砂に吸い込まれる。

神尾家のことを思い出してみた。

海辺の町の、小さな一軒家。

子供の頃から、俺は母親と旅をしていた。

家族の温かさが染み込んだような、家での暮らしに憧れていた。

だが、あそこにあるのは、くたびれた生活の匂いだけだった。

観鈴と晴子は、ああやって暮らしてきたのだ。

お互いの隙間をじっと保ったまま。


・・・。


目を閉じて、波音に聞き入る。

何度でも、それは繰り返す。

頭の奥に耳を澄ます。

言葉が浮かびあがる。


――『海に行きたい・・・』


それは、観鈴の声ではなかった。

子供の頃に聞いた、なつかしい声。

 

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――『・・・海に行きたいって、その子は言ったの』

――『でも、連れていってあげられなかった』

――『やりたいことがたくさんあったの』

――『でもなにひとつ、してあげられなかった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『知っていたのに、わたしはなにもできなかった』

――『誰よりもその子の側にいたのに、救えなかった・・・』

 

 

一言一言、ていねいに語る声。

 


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 


わからない言葉もあった。

でも俺は、一生懸命に話を聞いた。

大事なことを伝えようとしているのは、わかっていたからだ。

 


――『最初は、だんだん身体が動かなくなる』

――『それから、あるはずのない痛みを感じるようになる』

――『そして・・・』

――『女の子は、全てを忘れていく』

――『いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる』

――『そして、最後の夢を見終わった朝・・・』

――『女の子は、死んでしまうの』

 

 

そこで一度、言葉が途切れた。

こみ上げてくるものを、必死で抑えているようだった。

 


――『友達が近づくだけで、その子は苦しがる』

――『だからその子は、ずっとひとりぼっち』

――『二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう』

――『二人とも助からない』

――『だから、その子は言ってくれたの』

――『わたしから離れて、って』

――『やさしくて、とても強い子だったの』

――『だから・・・』

――『往人。 今度こそ、あなたが救ってほしいの』

――『その子を救えるのは、あなただけなのだから』

 

 

・・・。


我に返った。

少しの間、眠っていたらしかった。


(夢・・・だったのか?)


語っていたのは、俺の母親だった。

確かに覚えている。

俺は母と、今の会話を交わしたことがある。

ただ、それがいつだったのか、どうしても思い出せない。

ずっと昔のようでも、ごく最近のことのようでもあった。

 


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく・・・』

 

 

そう言えば、観鈴は言っていた。

自分が見る空の夢は、時間を遡っている。

空気の流れや風の匂いでわかる、と。


(・・・まるで、観鈴みたいだな)


ぼんやりと考えた、その瞬間だった。

頭に亀裂が走ったように感じた。

問題は、次の言葉だった。

 


――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

――『最初は、だんだん身体が動かなくなる・・・』

 


今朝確かに、観鈴は言っていた。

足が痺れたみたいになってる、と。

もしも・・・。

もしも母の言葉が、本当に観鈴のことを言っているとするなら。

その次に来るのは・・・。

 

 

――『それから、あるはずのない痛みを感じるようになる』

――『そして・・・女の子は、全てを忘れていく』

――『いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる』

――『そして、最後の夢を見終わった朝・・・』

――『女の子は、死んでしまう』

 

 

・・・。

 

 

「・・・・・・」


違う。

そんなことはありえない。

母が話していたのは、空にいる少女のことのはずだ。

俺の母親が、観鈴のことを知っていたはずはない。

だが、偶然とは思えないほど、その言葉は今の観鈴と一致している。

まるで、外れようのない予言を辿るように。


「・・・どういうことだ?」


誰もいない闇に、俺はそう問いかけていた。

必死で記憶をたぐり寄せる。

なぜ俺はこんなことを覚えているんだ?

なぜ母は、こんな話を俺にしたんだ?

確かに、母はこう言っていた。

 


――『往人。 今度こそ、あなたが救ってほしいの』

――『その子を救えるのは、あなただけなのだから』

 

 

・・・
眼差しや息づかいまで、今でもはっきりと思い出せる。

ただ、どうやったら救うことができるのか、全くわからなかった。

俺は立ち上がり、暗闇の先を見つめた。

波音は続いていた。

そこにあるはずの海。

この町ではあまりにも近すぎて、誰も気にかけたりしない。

 


――『・・・海に行きたいって、その子は言ったの』

――『でも、連れていってあげられなかった』

 

 

観鈴を海まで連れてくる。

それは簡単なことのはずだった。

 

・・・