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AIR【8】

 

7月27日(木)



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目覚める。

ほこりっぽい天井があった。

昨夜は納屋で寝ることにしたんだった。

何となく、家に戻りづらかったせいだ。

相変わらず朝からセミの音がうるさい。

観鈴はちゃんと眠っているだろうか。


上体を起こす。


言葉を思い出した。


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『でもね、その夢が女の子を蝕んでいくの』

 

「・・・・・・」


首を振り、うち消そうとする。

うまくいかない。

一連の言葉は、俺の中に重く淀んでいた。

と、別の音がした。

誰かが玄関の引き戸を開けている。

観鈴だろうか?

まだ早朝だろうに、どこに行くつもりだろう。

俺は納屋から外に出た。

 

・・・

玄関前に回る。

 

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「ん・・・」


晴子だった。


「なんや、起きとったんかいな」
「あんたこそ。 仕事は午後からじゃなかったのか」
「仕事はしばらく休むことにしたんや」
「・・・・・・」


視線を下げると、晴子が手に持つものが目に入った。

それは、買い物にいくには大きすぎる鞄だった。


「なんだそれは」
「旅行鞄や」
「旅行・・・?」
「ふらりひとり旅や」
「どこへ・・・」
「温泉巡りや」
「マジか」
「ええ温泉が仰山あんねん。
温泉つかって、酒飲んで、ゆっくりすんねん」


こいつは・・・観鈴が今、どういう状態にあるか知らないのだろうか?

昨日、観鈴は一日中ベッドにいたというのに・・・。


「なに考えてんだ、あんたは・・・」


怒るよりも先に呆れた。


「なんや文句あるんか。 うちの勝手や」
「あいつは・・・観鈴はどうするんだよ」
「あんたに任せる。
・・・あんた、やるときはやるし、案外しっかりしとる。
美鈴も、あんたのこと好いとる。
せやから、うちがおらん間はあんたが面倒見たってや」
「・・・観鈴は今、夢を見ている」


自分でもわからないうちに、言葉が口をついていた。


「その夢が、観鈴をこんな風にしてるんだ」
「はあ? いきなりなに言い出すねん」
「そのうちに観鈴は、あるはずのない痛みを感じるようになる。
それから、観鈴は忘れていく。
俺のことも、あんたのこともな。
最後の夢を見終わった朝・・・たぶん、観鈴は・・・。
観鈴は死んでしまう」


自分の言葉が、嫌に空々しく響いた。

晴子の顔色が一瞬で変わった。


「・・・あんたなぁ。
言うてええ冗談と、悪い冗談があるで。
うちにはうちの事情があんねん。
あんたのタワゴト聞いとる暇ない」
「娘を置いて温泉に行くのが、あんたの事情か?」
観鈴はうちの娘やあらへん。 だから、行くんやないか」


・・・本当のお母さんじゃないから。

そうだ。

こいつには、もともと放棄する親の義務さえなかったのだ。

これ以上、話すことはなかった。


「・・・ほな、うち行くわ」


踵を返し、歩き出した。


「・・・・・・」


遠ざかってゆくその背中を、俺はずっと眺めていた。

その姿が消えた後、空を見上げる。

雲ひとつない。

また、暑い一日になりそうだった。


・・・・・・。

 

・・・。


観鈴の部屋に戻ると、ベッドはもぬけの殻になっていた。


観鈴・・・?」


俺は廊下に出て、観鈴を探す。

観鈴は台所に立っていた。

 

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「もういいのか、おまえ」
「うん、大丈夫。
それに朝食作らないと、誰かさんがお腹ぐぅぐぅ空かせちゃうし」


そう答えたが、顔色が悪い。

無理をしていることが一目で分かった。


「おまえ、寝てろよ。 俺が作る」
「いいって。
それにこういうことしてないと、本当に病人になっちゃったみたいだし」
「そうか・・・」
「うん」


観鈴がとんとん、と包丁の音を立てる。

勉強はできそうに見えなかったが、こういうことだけは得意そうだった。

勉強ができて、料理が苦手、というよりはよっぽどマシな気がする。

俺はその背中を見ながら、言わなければいけないことを言うために、機をうかがっていた。

 

食卓に座って、面と向かって言うよりは今言ったほうがいいだろう。


「そういや・・・晴子が出かけていった。
しばらく家を留守にするらしいぞ」
「うん、知ってる」
「なんだ・・・」


事前に伝えていたのだ。


「わたし、お母さん大好き」
「そうか」


それ以上話題に触れまいと、俺は口を閉ざした。

やがて、料理ができあがった。

ミートソースがかかったスパゲッティーと、いつもの目玉焼きだった。

観鈴の皿には、俺の半分しか盛られていなかった。

それさえ、観鈴は苦労して食べているように見えた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

観鈴、起きてるか・・・」


小声で言い、中の様子をうかがう。

鳥の羽ばたきのような音が、かすかに聞こえてくる。

引き戸を開け、中に入る。

観鈴がトランプのカードを切っていた。

 

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「寝てろって言っただろ?」
「さっきまで寝てたから」


札をならべながら答える。


「また変な夢、見たのか?」
「ううん、いい夢だった」
「空の夢か?」
「ううん。 今度は夜の森」


座り直し、俺の方を向く。


「森の中で、話をしてるの」
「誰と?」
「よく覚えてないけど・・・。
すぐ近くに、誰かが寄り添ってくれてた。
わたし、その人に『海って何だ?』って訊いた。
そうしたら、教えてくれたの。
海のこと、たくさん。
話してるだけで、すごく楽しかった。
言葉を全部包んで、いつまでもしまっておきたいって思ったぐらい。
そのぐらい、幸せだった・・・」


そっと瞳を伏せる。

その姿は、今も夢の中にいるように見えた。


「あんな夢なら、もっと見たいな」
「なら、寝てろよ」
「だって・・・もったいないよ。 きっと、夏は短いから」


きっぱりとそう言った。

俺は全く別のことを考えていた。

 

――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 

「・・・・・・」
「・・・往人さん、怖い顔」
「俺はいつでもこんな顔だぞ」
「にはは、そうだね。
それじゃ、大人しく寝るねー。
本当はまだちょっと身体がだるい感じだし」


散らかったトランプを、一枚一枚集める。

その動作が、やけに弱々しくて。

俺はこう伝えていた。


「海に行こう」


驚いたように、観鈴が俺のことを見た。


「往人さん、言ってることヘン。
寝ろって言ったり、遊びに行こうって言ったり」
「気が変わったんだ。 昨日、行けなかっただろ?」
「でも・・・」


瞳に不安の色が浮かぶ。


「行きたいんだろ?
まだ日も早いし、ゆっくり行けばきっと大丈夫だ。
俺が必ず連れていってやるから」


それで、安心したようだった。


「うんっ」


微笑んでこくりと頷く。


「それじゃ、外で待ってるな」


俺は廊下に出た。


・・・。


一人になると、とたんにあの言葉が頭に戻ってきた。

 

――『病みはじめてしまえば、それから先は早かった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

 

自分に言い聞かせた。

俺は観鈴を海に連れていく。

できないはずがない。

できないはずがないんだ、と。

 

・・・・・・。


・・・。

 

「いこっ」
「ああ」
「それじゃ、出発ーっ」


昨日と同じやりとり。

歩きだして、すぐに後悔した。

午後の日射しは強い。

アスファルトが溶けだしてしまいそうなほどだった。

一歩一歩を確かめるように、観鈴は歩いてゆく。


「ゆっくりでいいからな。 無理すんなよ」

 

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「うん、大丈夫。 ぶいっ」


ピースサインで元気なところを見せる。

その額を、汗の滴が伝った。

最初の角まで歩いたところで、観鈴は足を止めた。


「ちょっと待って・・・」
「ああ」


それほど衰弱しているのだろうか。

俺は肩を貸す。


「行こう」


観鈴の手を首に回させた。


「うん・・・ごめんね」


再び歩き出す。

日射しは容赦なく照りつける。

身をよせる観鈴の体は、熱く火照り、そして小さかった。

この小さな体で、どこまで行けるだろうか。

道の向こうが、陽炎に揺らいでいる。

どこまでも終わりがないように思えた。

海はこんなにも遠かっただろうか。


「暑いな・・・大丈夫か」
「うん、だいじょうぶ」


俺は頼りなさげに歩いていた観鈴の肩に手を回す。

そして、体重を支えた。

その時だった。


「あ・・・」


何か言いたそうに、観鈴が俺を見つめた。

その瞳が潤む。

頬を涙が伝う。


「ごめんね・・・すぐに・・・治るから・・・。
海は、また明日・・・。 にはは」


無理な笑顔は、すぐに歪んでしまう。

そして、俺は悟った。

俺は近づきすぎてしまったのだ。


「あ・・・うぐ・・・」


そうなってしまったら、もう止まらなかった。

俺の手を振り解き、観鈴は泣きじゃくった。

それは癇癪などではなく、得体の知れない発作そのものだった。

 

ここまでだった。

 

俺はただ、観鈴が泣き止むのを待つしかなかった。

頭上には晴れ渡った青空があった。

その対比が、俺をたまらなく不安にさせる。

明日はどこまで行けるだろうか。

もっと海に近づけるだろうか。

それとも、さらに遠のくだろうか。

 

・・・・・・。


・・・。



今日もまた、日が暮れていく。

抗いようもなく、時間は進んでゆく。

それがいいことなのか、悪いことなのか・・・それもよく分からなかった。

 

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「な、観鈴
「うん?」
「夕飯は俺が作ってやるよ」
「・・・・・・」
「何見てるんだよ」
「往人さん、やさしくなった」
「そうかよ・・・」
「うん、今までならそんなこと言い出さなかったよ」


・・・初めから、そうだったらよかったのに・・・。

そう続くと思った。


「・・・・・・」


けど、観鈴はそれ以上何も言わなかった。


「じゃ、作ってくるな」
「うん」


俺は立ち上がった。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

ぱたぱた・・・

観鈴はひとりでトランプで遊んでいる。

細い指先、いつもと同じ動作。

飽きもせずに、何度でも繰り返す。

気がつくと、観鈴が俺を見ていた。



「往人さんの知ってること、教えてほしい」


突然、そう言った。


「往人さんが探してる人とわたしの夢、関係あるんだよね」
「さぁな。 関係ないんじゃないか」
「だって、この前、わたしに訊いたよね。
夢の中のわたしに、翼があるかって・・・」
「あんなもの冗談だ。 忘れろ」
「ううん、往人さん真剣な目してたよ。
ね、教えてほしい」


すぐ隣に観鈴の真剣な目があった。

強くて、真っ直ぐな眼差しだった。


「・・・・・・」

 

俺は目を閉じる。

 

・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

 

・・・それは、ずっと昔から。


・・・そして、今、この時も。


・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

 

子供の頃からずっと聞かされていた、詩のような文句。

今ではその続きが分かっている。

 

・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

 

・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

 

・・・大人になれずに消えていく。

 

・・・そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す・・・

 

そして、予言めいた母親の言葉。


――『友達が近づくだけで、その子は苦しがる』

――『だからその子は、ずっとひとりぼっち・・・』

――『・・・それから、だんだん身体が動かなくなる』

――『あるはずのない痛みを感じるようになる』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『知っていたのに、わたしはなにもできなかった・・・』


両方をつきあわせてみれば、意味するところはひとつしかなかった。

なのに、認めようとしない自分がいた。

 

「・・・・・・。
これはわたしが、いろいろ考えて辿り着いた答え。
聞いてくれる?」
「・・・・・・ああ・・・」
「わたしの夢は、もうひとりのわたしなの。
その子には翼があって、きっと自由に空が飛べた。
それなのに、今、その子は苦しんでいるの。
だから、わたしに何かを伝えようとしてる・・・。
だから・・・わたし、がんばって夢を見る。
もっと夢を見れば、わかるかもしれないから。
その子がどうして苦しんでるのか。
そうすれば、その子のこと、助けてあげられるかもしれない」


いつもの笑い顔を浮かべる。

 

 

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「いい考え。 ナイスアイデア
そうしよーっと。 おやすみっ」


ばふっと、頭から布団を被る。

それを俺は、無意識に剥ぎ取っていた。


「馬鹿っ!」
「にはは・・・わたし、馬鹿だから」
「な、観鈴・・・」


慎重に言葉を選ぶ。


「おまえの言ってることは、正しいのかもしれない。
でもな、夢の中のおまえが苦しんでいるとしたら・・・。
このまま夢を見続けたら、おまえもそいつと同じことになるかもしれない」


・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

 

・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

 

それはもう、漠然としたイメージではなかった。

少女は空で苦しんでいた。

それはずっと昔から。

俺は少女を救うために来た。

それなのに、どうしたらいいのか分からない。


「・・・・・・」
「往人さん・・・。
わたしが夢を見はじめたのは、きっと偶然じゃないんだよね?」


俺を覗き込む。

なぜだか俺は、答えることができない。


「わたし、今年の夏は特別だって思った。
がんばって、友だちをつくろうって思ってた。
そうしたら、往人さんに会えた。
そうして、夢を見はじめた。
きっと全部、ひとつにつながってるんだよね」
「・・・・・・」
「だから、がんばりたいな。
この夏を、いちばん幸せにしたいから。
往人さんと出逢えた夏だから」


観鈴が俺のことを見る。

陰りのない、真っ直ぐな瞳。

俺はなんて答えるべきなのだろうか。


「・・・わかった」


俺はそう答えた。


「俺が手伝ってやるから」
「うん」
「・・・もう寝るぞ。 お前も寝ろ」

 


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 

それが本当だとして、どうやって止められる?

夢見ることを止めるなんて、誰にもできはしないのだ。


「・・・・・・」


俺にできることは、本当にないのだろうか。

ただそれだけを、考え続けていた。

 

 

7月28日(金)

 

朝。

観鈴の部屋。

ベッドの上で、観鈴は膝を抱えていた。

頬と目が赤い。

ずっと泣いていたようだった。


観鈴・・・」


駆け寄ろうとして、ためらった。

俺が触れれば、発作がぶり返してしまうかもしれない。

 

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「違うの」


観鈴は、ぷるぷると首を振った。

それで俺も思い当たった。


「夢を見たのか?」
「うん・・・」


小さく頷く。


「悲しかったの。
何度やっても、うまくいかなかった。
もう、時間がないのに。
やりとげなければいけないのに・・・。
それなのに、どうしても、うまくいかなかった・・・」


ころんと横になって、布団に顔をうずめる。

押し殺した声で、観鈴は泣いた。

どんな夢を見たのか、俺には見当もつかない。

ただそれは、確実に観鈴を蝕んでいる。

そして、俺は何もできない・・・。

 

気がつくと、観鈴は眠っていた。

泣き疲れたらしい。

俺は座り込み、壁に背中を預けた。

観鈴の長い髪が、寝息に合わせて震えるのを見ていた。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 


「・・・さん」


・・・。


「・・・往人さん」


・・・。


「往人さん」

 


・・・
目を開けると、夕方だった。

 

 

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観鈴がいた。

パジャマのまま、ベッドの上で上体を起こしていた。


「・・・起きてたのか」
「往人さん、すごくよく寝てた。
もう起きないかって思った」
「そんなわけないだろ」


こつんと小突いてやると、いつもの顔で微笑んだ。


「また夢を見たの。
今度はね、ちょっと楽しい夢。
ちょっと楽しくて、ちょっと悲しい夢」
「なんだよ、それ」
「夜なのに、空がすごく明るいの。
音楽と笑い声が聞こえて、たくさんの人が、輪になって踊ってた。
あれ、きっとお祭りだった。
みんなすごく楽しそう・・・。
でも、わたしはそれを遠くから見てる。
あそこは私の場所じゃないって、知ってたから・・・」


一度言葉を切って、視線を部屋に泳がせる。


「お祭り、わたしも行きたいな。
でも、ちょっと無理だね。
たぶん、お祭りは遠すぎるから」


決まり切った事実のようにつぶやく。


「・・・おまえなぁ。
夢の中でぐらい、もっと積極的になれよ。
友達をつくるとか」
「友達・・・」


小首をかしげて、俺のことを見る。


「友達、いるから」
「どこに?」
「友達。
往人さん、友達」
「俺は友達というより・・・なんなんだろうな」


自分でもよくわからない。


「にはは。
でも、往人さんナイスアイデア
次の夢で試してみるね~」


にっこりと笑う。

そして、言葉が途切れる。


「往人さん、いいかな?」
「ああ。 何だ?」
「やっぱり・・・海に行きたい」


俺は窓の外を見た。

梢の向こうに、真っ赤な空があった。


「今からか?」
「うん」


日没までには着けないかもしれない。

たとえ着いたとしても、何も見えないかもしれない。

それでも俺は、こう答えた。


「わかった。 行こう」
「それじゃ、着替えるねー・・・」


ベッドを降りようとする。


「・・・あれっ?」


どさっ。


観鈴は、そのまま顔から畳に落ちた。

まるで、動かない人形を地面に放り投げたようだった。


「鼻、ぶつけちゃった・・・にはは」


立ち上がろうとする。


「・・・あれ?
どうしちゃったのかな、足が動かないな」
観鈴・・・」
「でも、治るよね」


手のひらで足をさする。

そんな動作でさえ、見ていられないほど弱々しい。


「すぐには治らないかな? にはは」


一生懸命にさする。

俺は観鈴に駆け寄り、肩に手を乗せた。


「海になんて、いつだって行けるさ。
今日は休んでろ。 なっ?」
「ダメ。 今日は遊ぶって決めたの」


今までになく、観鈴は強情だった。


「トランプしよ。 往人さんとトランプ」


テーブルに置いたトランプのケースに手を伸ばす。


「届かない・・・」


俺は観鈴の身体を持ち上げた。


「わっ・・・」


鳥のように軽かった。

そのままベッドに降ろす。


「頼むから、無理しないでくれ」
「無理なんかしてないよ」


すぐにベッドから降りようとする。


「宿題、全然やってない。 数学と、英語と・・・」
「そんなことしてたら、治るものも治らなくなるぞ」
「・・・往人さん、ちょっと意地悪。
そうだ、絵日記つけないと」
「明日やればいいだろ」
「絵日記はためたらダメ。
天気とか、わからなくなるから。
それに、昨日のぶん、まだ書いてないし・・・」


上目遣いに俺のことをうかがう。

仕方なく、俺は頷いた。


「わかった。
どこにあるんだ? 俺が取ってやる」
「机の引き出し」


言われたとおりに引き出しを開け、ノートを取り出した。

ページを開けてみる。

無地のページに色鉛筆で描かれたそれは、子供の宿題そのものだった。


「他人の日記見たらダメ」
「本当に、ちゃんと書いてたのか」
「・・・今、意外そうな顔した」


俺は構わずページをめくった。


『往人さんと人形を探した』

『往人さんとテレビを見た』

『往人さんとジュースを飲んだ』

『往人さんと宿題をした』

『往人さんとクワガタをつかまえた』

『往人さんと・・・』


観鈴にしか価値のない毎日。

それには必ず、俺の名前があった。

そして一日の最後は、必ず『とても楽しかった』で締めくくられていた。

最後のページを見た。


『7月27日』


日付の下は、1行しかなかった。


『今日、往人さんが・・・』


たどたどしい筆跡が、そこで唐突に終わっていた。

多分観鈴は日記を書こうとして、途中であきらめたのだ。

俺が知らない深夜に始まった発作のために。


「・・・・・・」
「ちょっとって言ったのに」


俺はノートを閉じ、観鈴に手渡した。


「面白くなかったぞ」
「そうかな・・・自信作なんだけどな。
クラスの自由課題でいちばん楽しいの]
「こんなに『往人さん』って書いてあったら、先生に見せられないだろ?」
「ここ」


日記を開いて、一点を指さす。


観鈴アーンド往人さん」


得意げに笑う。


「いいか。
はっきり言って、おまえには日記を書く才能がない。
だから、これからはお前がやったことじゃなく、やりたいことを書け」
「でも、それ日記じゃない」
「いや、日記だ。
書いたことは全部、俺がかなえてやるから」


観鈴は長いこと、俺のことを見つめていた。

そして、こくりと頷いた。


「色鉛筆、ほしい」


机の上にあったのを、筆立てごと取ってやる。


色とりどりの鉛筆の中から、明るい色の一本を選んだ。


「それじゃ、書くね~。
まずねー、海に行きたい。
一日中、海で遊んで、へとへとになって帰ってくるの。
それからね、カラスさんに触りたい。
変なジュース、もっといっぱい飲みたい。
お祭りにも行きたいし・・・それから・・・」


・・・・・・。


紙の上を鉛筆が走る音だけが響いていた。

真っ白なページが、観鈴の夢でいっぱいになるのを見ていた。

 

 


7月29日(土)

 


朝。

寝返りを打とうとして、目覚めた。

背中にじくじくとした痛みが残っている。

網戸の向こうが眩しい。

今日も暑くなりそうだった。

俺は立ち上がり、観鈴の部屋に向かった。

 

・・・。


引き戸をそっと開けた。

観鈴は眠っていた。

寝息に合わせてパジャマの胸元が上下する。

きっと、夢を見ているのだろう。


・・・。


俺はそっと戸を閉めて、玄関に向かった。

 

・・・

日々の暮らしは様変わりしてしまった。

毎朝の登校がなくなった。

夜毎の、賑やかな宴会もなくなった。

 

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こうして外で立っていたとしても、観鈴が駆けてくることもない。

あいつは、ベッドで寝ているだけだった。

観鈴の日記のことを考えた。

この夏の計画が、無邪気に詰め込まれている。

いろんなことをしようと思った。

思いつくすべてのことをするつもりだった。

だが、なにひとつできずにいた。


「・・・場所を変えよう」


つぶやいて、俺は歩きだした。

 

 

・・・・・・


・・・

 

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商店街。

いつもの場所に陣取り、人形を地面に置いた。

これからプールに行くのだろうか。

通りの向こうに数人の子供がいる。

賑やかな笑い声が聞こえてきた。

夏は多分、彼らのものだった。

視線を巡らす。

霧島診療所の看板があった。

あの女医なら、きっと真面目に話を聞いてくれると思った。

本当はそうするべきなのだ。

だが、俺にはわかっていた。

観鈴に起こっていることは、常識の範囲を超えている。

あるはずのないものに、観鈴は囚われている。

だとすれば、救えるのは俺だけだった。

 

気がつくと、子供たちはいなくなっていた。

俺は人形に念を込めた。


とことこ・・・


誰もいない路上を人形が歩いてゆく。

不意に辺りが暗くなる。

見上げると、巨大な入道雲が空を覆っていた。

 

 

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ここからじゃ見えない場所。

今も観鈴は、その場所にいるのだ。

ひとりきりで。

地上から見上げれば、すべては絵空事だった。

どんな事実も知ることができない。

観鈴の中だけに、空は無限に広がっている。

観鈴ひとりが、雲の上をさまよっている。


(届かないんだよ、ここからじゃ・・・)


目線を戻すと、遠くで人形が倒れていた。

 

・・・・・・


・・・

 

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「お帰りなさい」


見慣れてしまった部屋。

観鈴はベッドの上で、トランプを広げている。


「わっ。 往人さん汗でびっしょり」
「今日も暑いからな。
こんな日に外なんて出るもんじゃない」
「そうだね。 にははっ」


静かな笑い顔が、どこか辛そうだった。


「身体、動かせないのか?」
「動かせることは動かせるけど、遠出は無理かな。
だから、海はまたお預け。 ふぅ・・・」


トランプの手を止める。


「それじゃ、始めるね」
「何を?」
観鈴ちんの、夢語りコーナー。
今朝見たのは、旅の夢」


無言でいる俺に、正面から向き直る。


「わたしは旅をしてた。 何かを探す旅。
森の中を、何日も何日も歩いた。
辛かったけど、わたし、がんばった。
大切な人たちが、側にいてくれたから・・・」
「・・・・・・」


夢の中の言葉を、俺は思い出していた。


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 

夢のことを話す観鈴は、無邪気そのものだ。

それが害になるとはどうしても思えない。


「なあ、観鈴
「うん」
「夢の中のおまえは、どこにいるんだ?
大切な人たちって、誰のことだよ?」
「よくわからないの。
考えても、もやがかったみたいになってる。
でも、覚えてるの」


きっぱりと言う。

観鈴の頭の中には、夢はイメージとして残っているのだろう。

もしもそれがはっきりとした形になれば、なにかわかるのかもしれない。

そう思う一方で、俺は確信していた。

観鈴にこれ以上、夢を見させてはいけない、と。


「今日の夢はこれでおしまい」


疲れたように溜息をつく。

その頬が少しやつれているのに気づいた。

今日はまだ、何も食べていないはずだ。


「・・・何か作ってきてやる」
「うん。 ちょっとお腹空いてるし。

でも、もう買い置きがないかな」
「ラーメンならまだあった」
「インスタントばっかりじゃだめ。
往人さん、ちゃんと食べないと力が出ないから。
今日は店屋物にしよ、ラーメンライスふたつ。
往人さんの分、ご飯をチャーハンにしていいよ」
「おまえはいいのか?」
「それじゃ、わたしもチャーハンにする。
往人さんとお揃い。 にはは」


嬉しそうに笑う。


「電話の下の引き出しにアドレス帳があるから」
「わかった」


俺が部屋を出ていこうとした時。


「往人さん」


呼び止められた。

何かを決意したような、そんな表情だった。


「往人さん、本当は知ってるんだよね。
わたしの夢が、わたしをこんな風にしてるって。
夢を見るたびに、わたしはだんだん弱っていって。
最後はきっと・・・空にいる女の子と、同じになってしまうって」
「そんなわけあるか」
「にはは・・・怒られちゃった。
でも・・・夢を見ないなんて、できないから。
わたしが思い出してあげなかったら、その子がかわいそうだから・・・。
だからわたし、がんばる。
往人さんも手伝って欲しいな」


観鈴の瞳が、俺のことをうかがう。


「もうひとりのおまえのことなんて、考えなくていい。
おまえはここにしかいない、だからまず、病気を治せ」
「わたしは・・・観鈴ちん
「そうだ、おまえは観鈴ちんだ」
「うん。 観鈴ちん、強い子」


にっこりと笑って、言った。


観鈴の部屋から廊下に出た。

とたんに、叫びだしたくなった。

俺は一体、どこにいるのだろう?

誰かが見続けている、長い長い夏の夢。

決して叶うことのない願いが、迷路の中をぐるぐる回っている・・・。

俺は知っている。

俺の奥底にある何かが、否定を許さない。

この少女は、決して海まで辿り着けない。

大人になることなく、はかなく消えていく。

そんな悲しい夢が、何度も繰り返されてきた。

それなのに・・・。

俺は無力だった。

 


・・・。

 

電話の下の引き出しを開ける。

アドレス帳の上に、観鈴の学校の連絡簿があった。

しばらく考えて、連絡簿をめくった。

神尾観鈴の、直後の出席番号を見つける。


(こいつなら・・・)


じーこじーこ・・・


ダイヤルを回す。


(頼む、出てくれ・・・)


祈るような気持ちで待つ。


――「・・・はい、川口ですけど」


観鈴ぐらいの少女の声。


「川口・・・茂・・・美か・・・?」


名簿の名前を辿々しく読む。


――「はい、そうですけど・・・」
「今、神尾観鈴の家からかけている。
おまえ、観鈴のクラスメイトだよな」
――「はあ・・・」


不審そうな返事。

無理もない。

誰ともわからない相手からの電話だ。

だが、なりふり構っている場合ではなかった。


「今すぐ、観鈴・・・神尾のところまで遊びに来てくれないか?」
――「ええと・・・すみませんが、わたし、これから家族で旅行に行くんです。
それじゃ・・・」
「・・・待ってくれっ!」


俺は叫んでいた。


「具合がよくないんだ、俺だけじゃどうにもならない。
誰かの助けが必要なんだ」
――「えっ・・・? 神尾さん、また泣いてるんですか?」


心配そうな声。


「わかるのか?」
――「クラス替えの時、近くの席だったから、仲良くなりたかったんですけど・・・。
神尾さん、泣いちゃって。
理由を聞いても、教えてくれなくて。
なんか、それっきり気まずい感じになっちゃって・・・」
「それは観鈴が悪いわけじゃないんだ。
とにかく、来てくれないか?」
――「でも・・・」
「頼む。 今すぐでなきゃならないんだ」
――「あの、失礼ですがそちらは、神尾さんの・・・?」
「俺? ええと、俺は・・・」


とん。

肩を叩かれた。

 

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振り向くと、パジャマのままの観鈴が俺を見ていた。


「受話器、貸して」


冷静な声で言った。

俺は無言で受話器を渡した。


「神尾です。
うん・・・そう。 そうだよね。 にはは・・・。
そうなんだ・・・うん。 来なくてもいいから・・・。
大丈夫だから・・・にははっ・・・待ってるね、おみやげ。
それじゃ」


・・・ちん。


受話器が元に戻された。

残ったのは、静寂だけだった。


「何やってるんだよ、おまえはっ!」


俺は観鈴を怒鳴りつけていた。


「なぜ自分からひとりになろうとするんだよ!」
「川口さん、いい人だから。
忙しいのに、呼び出したらいけないの」
「おまえと友達になりたいって言ってたぞ。
おまえのこと、心配してたのに・・・」
「うん。 知ってる」


いつも通りに、観鈴は言った。


「川口さん、すごくいい人。 みんなすごくいい人。
往人さんも、すごくいい人。 迷惑かけちゃいけないよね・・・にはは」


見ている方が泣きたくなるような笑顔。

俺は観鈴の両肩をつかんだ。


「嘘つくなよ。
友達が欲しいんだろ?
ひとりは嫌なんだろ?
やりたいことがたくさんあるんだろ?
誰かと一緒に、思いっきり遊びたいんだろ?」


観鈴は答えようとしない。

俺にももう、はっきりとわかった。

 

――『友達が近づくだけで、その子は苦しがる』

――『だからその子は、ずっとひとりぼっち』

――『病みはじめてしまえば、それから先は早かった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『やさしくて、とても強い子だったの』

――『だから・・・』

 

誰にも甘えることなく、誰にも迷惑をかけることなく。

ひとりで遊んで、ひとりで笑って、ひとりで夢を見て・・・。

そしてこの夏の中で、幻のように消えてゆく・・・。

それが、俺が探していた『空にいる少女』だった。

 

唇を噛みしめる。

観鈴の肩に置いた手を、そっと離した。

俺には何もできない。

何もしてやれない。

それなのに、観鈴はこう言った。

 

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「往人さんがいいな。

往人さん、友達。
往人さんがいてくれたら、他には誰もいらない。
迷惑かな・・・」


小首を傾げる。

観鈴の瞳はどこまでも澄んでいて、俺の姿を虚ろに映す。

 


こんなに近くにいる。

息づかいさえ聞こえる場所にいる。

それなのに、俺は天井を見上げていた。

観鈴は今も空に囚われている。

そして、今も苦しんでいる。

どうしてこんなことになってしまったんだろう・・・。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

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夕暮れ時。

観鈴の部屋にいた。

観鈴の好きな、恐竜のぬいぐるみ。

観鈴が使ってきた机やベッド。

全てがオレンジ色に染まる。

観鈴はベッドに座っている。

ここには、俺と観鈴しかいない。

何もしない。

何も食べない。

言葉さえ交さない。

ただお互いに、向き合って座っている。

行き止まりだった。

海辺の町で、いつの間にか入り込んだ迷路の奥。

もうすぐ、夜が来るのだろう。

広がる大気の向こうには、夕陽に光る海がある。

だが、そんなものは何の意味も持たなかった。

ここだけが、別の夏だった。

観鈴が存在できる場所は、世界の中でここだけだった。

ヒグラシの鳴き声が、クーラーの低いうなりに混じる。

色のない宵闇が、部屋の四隅を満たしていくのを見ていた。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

夜。


花火の音が響き始めた。

 

 

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「・・・あれきっと、隣町の花火大会」


暗がりの中で、観鈴が言った。


「見に行ったこと、あるのか?」
「ううん」


静かに首を振る。


「家の前に出れば、少しだけ見えるの。
わたしいつも、ひとりで見てた・・・」

 

空気を震わせるように、轟音が鳴った。

今、大勢の人が空を見ているはずだ。

一瞬で消えていく光を追いかけ、幸せに笑っているはずだ。


「見てみたいか?」
「ううん。
こうしてるだけで、きれいだってわかるから」
「そうだな・・・」


カーテンさえ閉じられた部屋。

薄闇越しに、観鈴の輪郭が浮かんでいる。

その中心にあるはずの笑顔。

たった一筋の光を、俺は想像しようとする。

 

――『その子を救えるのは、あなただけなのだから』

 

だとすれば・・・

俺にできることが、何かあるはずだ。

思い出さなければならない。

どんな些細なことでもいいから・・・

それだけを、考え続けていた。


・・・。


やがて、花火が尽きた頃。

観鈴が苦しみ始めた。

 

「あっ・・・イタタ・・・」


ベッドの上で、身体をくの字に折り曲げる。

不意に、雨だれの音が聞こえた。

パジャマの膝にこぼれる涙の音だった。

たじろいだ俺に、観鈴は言った。


「だいじょうぶ・・・だから・・・。 行かないで」


言葉を続けようとして、ぐっと息を飲む。


「どうして・・・みんな・・・。
わたしだけ・・・残して・・・」


喉から振り絞るような声。

感情を抑えることができないのだ。


「はぅっ・・・」


息を吸う間もないほどに、観鈴は泣きじゃくる。

 

こんなことが続いたら、無事でいられるはずがない。

 

心を通わせる者が観鈴をこんなにしてしまうのなら、俺は近くにいてはいけない。

 

今すぐ観鈴から離れなければならない。

 

観鈴をひとりにしなければならない。

 


・・・。

 

 

そんなことはもう、できはしなかった。

 

俺は観鈴のそばにいて、触れていたい。

 

抱きしめていたい。

 

そうしたかった。


「・・・・・・」


だからせめて、これだけでも。

観鈴の腕をとって、手を握る。

熱く火照った手のひら。

こんなにか細いのに・・・どれだけ苦しめばいいんだろうか。


「・・・往人、さん・・・」


観鈴が俺を呼んだ。

俺はそのまま手を繋いでいた。


「いいか・・・辛くても耐えろよ・・・。
俺がおまえのそばにいるから。
俺がおまえのそばにいたいから・・・。
・・・だから、耐えてくれ」


観鈴が息を飲む。

なんて残酷なことを、俺は言っているのだろう。


「・・・うん」


観鈴が返事をする。

そして、目を閉じる。

ゆっくりと呼吸をする。

 

・・・・・・。

 

紅潮する顔。

時々、息が止まったのかと思わせる。


観鈴、大丈夫か・・・」
「うん・・・だいじょうぶ」


ずっと、そのままでいた。

 

 


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

・・・
朝がやってくる。

 

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「やっと一緒にいられた・・・。
寄り添って、二人で一緒にいられた・・・」
「もう・・・大丈夫なのか?」
「ありがと・・・楽になったよ」
「そっか・・・」


握り合っていた手を離した。

汗ばんだ手のひらに、いつまでも観鈴の温かさが残っていた。

新しい光の中で、観鈴が笑った。


「往人さん、ずっと一緒にいてね」
「ああ、おまえが嫌がったって、そうしてやるよ」
「じゃ、ずっとずっと、一緒だね」
「ずっとずっと一緒だ」


観鈴の願い。

それで、何かが始まったようだった。

俺の中でも。

 

 


7月30日(日)

 


俺は空の下にいた。

観鈴が側にいた。

俺のことを見ている。

涙がぼろぼろとこぼれている。

夏の陽射しに溶けていく。

それなのに、体が動かない。


・・・。


観鈴が、あんなに泣いているというのに・・・。


「往人さんっ」


観鈴の顔が目の前にあった。

今にも泣き出しそうだった。


「ん・・・」
「よかった・・・もう起きないかと思った・・・」


毛布がかけられていた。

 

暑い。

 

それをはぎ取る。

もう日は高いらしい。

体を起こそうとして、顔が歪んだ。

背中から痛みが湧き上がり、全身が痺れる。

俺の体はどうなっているのだろうか。


「どうしたの・・・?」
「べつにどうもしない」
「どうもしなくて、そんな顔にならないよ・・・」
「もともとこんな顔なんだ」
「・・・・・・」


これ以上ごまかしてると、泣きだしそうだった。


「はぁ・・・」


俺は壁にもたれて座る。

しばらく立ち上がれそうにもなかった。


「ベッドに戻れよ」


俺はそう観鈴に言った。


「ううん・・・」
観鈴、ベッドに戻れ」
「往人さん、放っとけないよ・・・」
「俺は大丈夫だって。 ちょっと寝れば治る」
「わたしのベッド使っていいよ」
「な、観鈴。 あんまり俺を困らせるな」
「・・・・・・うん・・・」
「ほら」


観鈴に肩を貸し、ベッドに寝かせた。

仰向けになっても、観鈴はまだ不安そうだった。

額にうっすらと汗が浮いている。

俺のために無理をさせてしまったのだろう。


「少し眠れ。 側にいてやるから・・・」
「うん・・・」


観鈴はやっと目を閉じた。

俺は窓際に座り込んだ。

と、観鈴の唇が動いた。


「往人さん」
「何だよ?」
「わたしの・・・せいかな?」


・・・。

答えられなかった。

クーラーの低いうなりが、呪文のように響いていた。

病人が二名。

なにもできなかった。


やがて・・・。


ベッドから規則正しい寝息が聞こえはじめた。

きっとまた夢を見ているのだろう。

壁に手をつき、どうにか立ち上がることができた。

俺は観鈴の部屋を後にした。

 

・・・。

 

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扇風機のスイッチを押した。

青色の羽根が、がらんとした部屋の空気をかき回す。

じくじくとした背中の痛みが離れない。

たまらず、俺はその場に横になった。


「・・・なんだ、これは?」


今まで体験した病気や怪我とは、どこかが決定的に違う。

敢えて言えば、古傷が疼く感じに近い。

だが、心当たりはどこにもなかった。

俺はただ、考え続けていた。

誰かと親しくなると、観鈴は突然泣き出してしまう。

その様子を気味悪がって、みんな観鈴から離れてゆく。

観鈴のことを深く知った今、そんな単純な問題ではないと思う。

子供のように純粋な少女。

どんな時でも精一杯頑張ろうとする少女。

それなのに、観鈴はずっとひとりぼっちだった。

観鈴の側にいられたのは、晴子だけだった。

恐らくそれは、二人の間にある距離感のせいだった。

母の言葉が頭に閃いた。

それは俺が、敢えて思い出すまいとしていた部分だったかもしれない。

 

――『二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう』

――『二人とも助からない』

 

それは何を意味しているのか?

例えば・・・。

観鈴に近づいた者が、無意識に感じたのだとしたら?

観鈴といれば、自分もまた苦しむことになると。

今の俺のように。


――『病みはじめてしまえば、それから先は早かった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『知っていたのに、私はなにもできなかった』

――『誰よりもその子の側にいたのに、救えなかった・・・』

 

どうして救えなかったのか?

観鈴を助けようとする行為そのものが、観鈴を病ませていく。

そして、助けようとした人間も病んでいく・・・。

俺だって、本当は気づいていたのかもしれない。

二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。

そして、二人とも助からない。

それなのに、俺は観鈴の側に居続けた。

誰よりも観鈴の側にいたいと思った。

そして、俺までもが病み始めた。

他に何ができたというのだろう・・・?

身体を起こし、空を仰ぐ。

そこには、古ぼけた天井しかなかった。

全てはもう手遅れなのかもしれない。

俺たちの心は、近づきすぎたのかもしれない。

視線を戻す。

茶の間の隅に、俺の荷物が放ってあった。

結論は最初からそこにあった。

二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。

二人の心が遠ざかれば、まだ間に合うかもしれなかった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

気づいた時には日が暮れかけていた。

少ない荷物をまとめて、俺は立ち上がった。

昨夜、俺は観鈴の側にいた。

遠い昔のことに思えた。

色あせた陽射しの中に、観鈴の姿はあった。

俺を見つけると、安心したように微笑んだ。


「往人さん・・・」


夢の中にいるような顔で、俺に語りかける。

 

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「海に行きたいな。 砂浜で遊ぶの。
かけっこしたり、水の掛けあいしたり・・・」


観鈴が望むもの。

誰もが飽きるほどやったはずの、他愛のない子供の遊び。

たったそれだけのことさえ、俺は与えることができなかった。


「そして、最後に・・・また明日、って・・・。 でも、今は我慢。
その方が、海まで行けた時にもっと嬉しくなるから。
観鈴ちん、ふぁいとっ」


その笑顔に、俺は告げる。


「そろそろ、出ていこうと思うんだ」
「・・・え・・・?」
「最初はバス代を稼ぐまでだと思っていた。
けど、色々あって、長居になってしまったからな・・・」
「お金・・・まだ稼げてないよね」
「そんなものいらないんだよ。 最初からいらなかったんだ。
歩けばいいんだからな」
「・・・・・・ずっと、一緒にいてくれる・・・そう言ってくれた」
「悪いな。 そのことに関しては謝る。
性分なんだ。 俺は一ヵ所に留まっていられないんだ」


観鈴の目を見ずに言う。


「そんな・・・これからだって、思ってたのに・・・。
これからがんばろうとしてたのに・・・。
往人さんにいてほしいな・・・。
ずっといてほしいな・・・」


もちろん、すぐに納得してくれるとは思わなかった。

だから俺は、言葉を突きつける。


「な、観鈴
おまえが俺を苦しめているんだよ、わかるか」
「え・・・?」
「おまえはずっとひとりぼっちだった。
今、だんだん身体が動かなくなってきている。
心当たり、あるだろ?
このままいくとおまえは、あるはずのない痛みを感じるようになる。
そして・・・おまえは、全てを忘れていく。
いちばん大切な人間のことさえ、思い出せなくなる。
そして、最後の夢を見終わった朝・・・おまえは・・・」
「・・・・・・」


無言のまま、立ち尽くしていた。


「おまえが俺を選んでしまったからだよ・・・。
二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。
二人とも助からない。
これ以上おまえと居続けたら、俺のほうが先に倒れる。
だから、おまえから逃げることにしたんだ。
この町を出て、もうおまえと出会うことのない場所までいく」
「ひとりで?」
「ああ」
「やっと、ひとりじゃなくなったのに・・・」
「おまえには、ほら、晴子がいるじゃないか」
「そうだけど・・・・・・」


しばらく黙っていた観鈴が口を開く。

 


「じゃあ、仕方ないね。 仕方ないよね・・・」

 


そう繰り返した。

俺にはわかっていた。

 


『これ以上おまえと居続けたら、俺のほうが先に倒れる』 

 


そう言ってしまえば、観鈴は決して俺を引き留められない。

二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。

だとすれば、俺たちは、心を離さなければならない。

知り合ったばかりの頃の冷たさに、俺は戻らなければならない。

観鈴が追ってこないように。

観鈴が俺のことを忘れてしまえるように。

馬鹿な俺が考えついた、それが最後の望みだった。


「いつ、出るの?」
「今日」
「すぐ?」
「ああ。 今すぐだ」
「もう一晩だけ、泊まっていけばいいのに」
「・・・俺はおまえが寝ている間に苦しむんだよ」
「あ、そうか・・・。
うーん、じゃ、これでさよならだね・・・」
「そうだな」
「・・・・・・あのね、往人さん」
「なんだ」
「楽しかった、この夏休み。
往人さんと過ごしたこの夏休み・・・一番、楽しかった」
「そっか・・・」
「わたしもがんばれて良かった」
「そっか・・・」
「往人さん、わたしにできた初めての友達」
「そうだな・・・」
「きっと、往人さんいなかったら、もっと早く諦めてたと思う」
「・・・馬鹿。
これからも頑張るんだろ、おまえは」
「そっか。 そうだよね・・・にはは・・・」


枕元にあるトランプを、観鈴は並べはじめた。


ぱたぱた・・・


最後まで、観鈴はトランプをしていた。

俺はそれをじっと眺めていた。

その姿が観鈴を象徴していた。


「やっぱり、こうしてひとりで遊んでいればよかったんだね・・・」
「そうかもな・・・」
「・・・・・・」
「でもな、楽しかったよ、俺も」
「ほんと?」
「ああ。 観鈴と過ごせて良かった」


本心からそう思う。


「わたしもよかった」


ぱたぱた・・・


「じゃ、いくな、俺」
「うん」
「じゃあな」
「うん・・・ばいばい、往人さん」


トランプを膝の上に広げたままで、見送る観鈴


「ばいばい」

 

・・・。

 

俺は部屋を後にした。


・・・・・・


・・・


「さて・・・」


どこにいくか。

とりあえずはこの家から離れよう。

町を出るのは、明日か明後日か・・・。


「・・・・・・」


考えていると、ごそっ・・・と背後で音がした。

振り返ると、観鈴がいた。

 

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「どうした・・・」
「・・・・・・あのね、今朝の夢・・・。
わたし、ひとりぼっちで、閉じ込められてた。 淋しかった。
誰かが連れ出してくれるのを、ずっと待ってた・・・」


俺を真っ直ぐに見ていた。


「わたし・・・わたしね・・・一緒にいきたい。
往人さんと、一緒にいきたい。
ついていったら、ダメかな」
「・・・・・・」


俺は目を手で覆う。


「馬鹿か、おまえは・・・。
俺はこの家を去りたいわけじゃない。
おまえから、離れたいだけなんだ」
「・・・・・・あ、そうか・・・。
そう・・・だよね。
ごめんね。 また馬鹿なこと言って」
「まったくだ」
「じゃあ、ばいばい。 元気でね」
「ああ。
おまえ・・・頑張れよな。
ひとりでも、頑張れよな」
「うん、ひとりでもがんばる」
「おまえは、強いもんな」
「うん、わたし強い子」
「よし」


ぽむ、と頭に手を置いてやる。


「じゃあな」


その言葉を最後に、俺は観鈴に背を向ける。

角を曲がるところで最後に振り返ると、それに気づいて観鈴ピースサインをしてみせた。

健気にぴっと胸を張って手を伸ばす観鈴

それが最後の姿となった。

 

 

・・・。

 


歩きなれてしまった道を、ひとりで歩く。

結局、なんだったんだろう、この町で過ごした時間は。

俺はなにひとつできなかった。

すべてを投げ出してきた。

それなら最初から、こんな町に来るべきではなかった。

空にいる少女なんて、探すべきではなかった。


・・・・・・。


もう考えるのはよそう。

堂々巡りを繰り返すだけだ。

仕方がなかった。

そう割り切るしかなかった。

とりあえずは夜を明かそう。

明日のことは明日考えればいい。

今まで俺は、そうしてきたのだから。

考えがまとまると、俺は寝場所を探し始めた。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

 


7月31日(月)

 

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・・・

無気力に一日をやり過ごした。

何台かバスが、通り過ぎた。

俺がベンチで寝ているためか、いちいち停車してくれた。

結局誰も降りず、誰も乗せずにバスは去っていった。

もわっとした熱気とバスの残した排気に包まれる。

息を吸うと、潮の匂いが鼻をつく。

もう慣れてしまった匂いだ。

陽光は何にも遮られることなく、首筋を焼き続けていた。


「アジィ・・・」


そもそもこんな暑さの中、徒歩で隣町までゆくなんて、正気の沙汰じゃない。

夜の涼しいうちに出ておけばよかった。

それに・・・。


ぐぅ~・・・


「腹減った・・・」


なにもかもが、振り出しだった。

この町に初めて下車したときのことを思い出す。

通りかかった子供相手に、商売を始めて、人形を蹴られて・・・。

老婆に追い抜かれ、気を失って、そして、漁協組合で目を覚まして・・・。


(このままだと、同じ道を辿るな・・・)


そして出会い。

堤防の上で観鈴と出会った。

だが、それだけは繰り返すことがない。

結局、観鈴を海まで連れてくることはできなかった。

それはもう、俺の役目ではなかった。

潮風が吹いてくる方を見渡す。

もう、考えるのはよそう。

この町には二度とこない。

観鈴にも二度と会うことはない。

体の調子も良くなっている。

足も軽い。

観鈴だって、今頃けろりとしてるかもしれない。

俺は立ち上がる。

そしてまた座り直した。

そんなことを何度も繰り返した。

バスが停まっては、通りすぎていった。


・・・・・・。


・・・。

 

少し寝ていたのだろうか・・・。

子供達の声で目覚めた。

顔を横に向けると、小さな女の子が輪の中心になって、友達を遊んでいた。

日常的な光景だ

どこの町にもありふれた。

小さな女の子の笑顔が、観鈴と似ていた。


(あいつは、歳のわりにガキだったからな・・・)


いろんな友達に囲まれて、ずっと笑顔でいる。

じっと見ていた。


・・・。


そんなささやかな日常でさえも、手に入れることができなかったんだ、あいつは・・・。

ずっと切望していたはずなのに、結局得られなかったもの。

彼女は俺といたときだけでも、それを感じられていたのだろうか。

そして、母親もいなくなって、俺もいなくなって・・・。

ひとりきりになって、今、なにを思っているだろうか。

泣いていないだろうか。

でもあいつは、いつだって笑ってる奴だったから・・・。

きっとどれだけ苦しくても泣かないだろう。

 


再び目を閉じる。

 

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そうしてもなお、目に浮かぶ光景は一面の空だった。

声がした。

 

――『一緒にいく?』

 

・・・母の言葉。

ひとりだった俺を旅に誘う、あの日の母の言葉だった。

 


・・・。


人形を手に握っていた。

子供たちの遊ぶ声が聞こえ続けていた。

もう一度、目を閉じる。

賑やかな歓声が、幼い日の情景と重なっていく・・・。

 

 

 

――――


町の通り。

そこに人だかりが出来ていた。

大人たちの足の間をすり抜けて、一番先頭に出る。

そこに広がっていたのは、幻想的な光景だった。

ポール、ナイフ、鏡、リボン、懐中時計・・・。

いろんなものが宙に浮き、飛び交い、くるくると回っていた。

小さなサーカスのようだった。

けど、その中心には、女性がひとり。

彼女の舞いに合わせて、命を吹き込まれた小道具たちが空中を踊っている。

鳴り止まない歓声と、汗の臭いの中、じっと見つめていた。

小さな夢のような世界を。

人気がなくなった後、芸をしていた女性が幼い俺に向けて言った。


「こんにちは」


それが母だった。

ずっと俺は、古い寺に預けられていた。

唯一の家族であった母親は、俺をそんな場所に預けたまま、行方知れずになっていた。


「ね、わたしがお母さん。 あなたの母親」


唐突にそんなことを言われても、どんな感動も覚えなかった。


「この人形はね、ひとを笑わせる・・・楽しませることができる道具。
ほら、持って。 動かしてみて」


・・・・・・。


「こうするのよ。 指先を当てて・・・」


人形に指を押し当てる。


「思えば通じる。 思いは通じるから」


・・・・・・。


人形は動かなかった。


「今、往人はどう思ってる?
人を笑わせたいと思ってる?
そうじゃないと動かないよ?
動かしたい思いだけじゃなくて、その先の願いに触れて、人形は動き出すんだから」


何を言ってるのか、さっぱりわからなかった。

結局、動かすことはできなかった。


・・・。

 

「往人、来なさい。 こっちよ。
ほら、往人と同じ歳ぐらいの子供がいっぱいいるから・・・。
だから、その人形を持っていきなさい。
その力で、みんなを笑わせてあげるの。
わたしじゃ、ダメみたいだから・・・。
だからね、行ってくるの」


その必要がわからなかった。

だから、その中に放り込まれたとしても、人形を動かすことができなかった。


「往人」


誰もいなくなった後、ひとり立ち尽くしていると肩を抱かれる。


「往人は誰にも笑ってほしくない?」


・・・・・・。


「わたしは笑って欲しいな。 出会ったひとたち、みんな」


もし、そうなれば・・・。

それは、すごいことだ、と思った。

 

・・・。


それからの母はずっと一生懸命だった。

何かを教えようとしていた。


「この空の向こうには、翼を持った少女がいる。
それは、ずっと昔から。
そして、今、この時も。
同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。
そこで少女は、同じ夢を見続けている。
彼女はいつでもひとりきりで・・・。
大人になれずに消えていく。
そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す・・・。
わたしはずっと、旅を続けてきたの。
空にいる少女を探す旅。
わたしのお母さんも、お母さんのお母さんも、ずっとそうしてきた。
そしてみんな、その子に出会った。
とても悲しい思いをした・・・。
でもね、往人。
わたしはあなたにそれを強要はしたくないの。
あなたはあなたの幸せを見つけて。
ひとは自分の幸せを見つけるために、生きているんだから。
ね、往人」

 

 

・・・。

そして、一ヶ月が過ぎた。

母は俺に言った。


「これから、わたしは旅に戻る。 それがわたしの生業だから。
いろんな人たちを笑わせるのが、わたしの生きがいだから。
もし・・・もしね。
こんなわたしでも、家族だと思ってくれるなら・・・わたしはあなたを連れてゆくことができる。
けど、わたしにそんな権利なんてないと思うから、それはあなたが決めて」


初めて母と過ごした一ヶ月。

必死で、何かを教えようとしてくれた一ヶ月。

何かを得たのだろうか。

何もなかった。

今はまだ、ひとりきりの頃と変わらない。


・・・。

 

出立の朝。

支度を終えた母が、朝日を背に立っていた。

少年の俺はそれを寝起きの格好のまま、見ていた。


「わたし、行ってくる」


・・・・・・。


「往人は・・・ここに残る?」


・・・・・・。


「それとも・・・一緒にいく?
一緒に、いく・・・?」


俺は、うん、と頷いていた。

小さな頃の俺。

何も知らなかった頃の俺が、母の後をついてゆく。

母親とふたりで辿った旅路。

それは一年にも満たなかったはずだ。

小さな町に着くと、母は早速小道具を広げ、大道芸を始める。

大人も子供も目を輝かせているのを見て、俺は誇らしかった。

寄り添って眠る夜。

母の温もり。

初めての家族。

人形を借り、念を込める練習をした。

最初は全くやり方がわからなかった。

母は根気強く教えてくれた。

そうしてある夜、人形がひとりでに歩き出した。


「うまくできたね」


母はそう言って、俺の頭を撫でた。

俺はただ一生懸命に、人形を動かし続けた。

母が笑う顔をもっと見たい、その一心で。

そしてそれが、別れの始まりだった。

 

・・・。


夏の夜だった。

焚き火が燃えていた。

穏やかな声で、母が話している。


「・・・海に行きたいって、その子は言ったの。
でも、連れていってあげられなかった。
やりたいことがたくさんあったの。
でもなにひとつ、してあげられなかった。
夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・。
知っていたのに、わたしはなにもできなかった。
誰よりもその子の側にいたのに、救えなかった・・・」


一言一言、ていねいに語る声。


「女の子は、夢を見るの。
最初は、空の夢。
夢はだんだん、昔へと遡っていく。
その夢が、女の子を蝕んでいくの」


わからない言葉もあった。

でも俺は、一生懸命に話を聞いた。

大事なことを伝えようとしているのは、わかっていたからだ。


「最初は、だんだん身体が動かなくなる。
それから、あるはずのない痛みを感じるようになる。
そして・・・女の子は、全てを忘れていく。
いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる。
そして、最後の夢を見終わった朝・・・。
女の子は、死んでしまうの」


そこで一度、言葉が途切れた。

こみ上げてくるものを、必死で抑えているようだった。


「二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。
二人とも助からない。
だから、その子は言ってくれたの。
わたしから離れて、って。
やさしくて、とても強い子だったの。
だから・・・往人。
今度こそ、あなたが救ってほしいの。
その子を救えるのは、あなただけなのだから」


そうして、人形をそっと持ち上げた。


「この人形の中にはね。
叶わなかった願いが籠められてるの。
わたしのお母さんも、お母さんのお母さんも、ずっとそうしてきた。
衰えてしまう前に、この人形に『力』を封じ込めてきた。
いつか誰かが、願いを解き放つ時のために。
だからわたしも、願いのひとつになる」


俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「往人・・・」


呼びかけられると、どうしても視線を外せなくなった。


「今、わたしが話していることを、あなたは全て忘れてしまう。
それも、わたしが受け継いだ『力』のひとつ。
あなたが思い出さなければ、わたしたちの願いはそこで終わる。
これは本当なら許されないこと。
あたりまえの母親に憧れ続けた、わたしのわがまま。
あなたには自分の意志で、道を決めて欲しいから・・・」


俺の手のひらに、人形を乗せる。


「今からこれは、あなたのもの。
これをどう使うかは、あなたの自由。
ただお金を稼ぐためだけに、人形を動かしてもいい。
旅をやめてしまってもいい。
人形を捨ててしまってもいい。
空にいる女の子のことは、忘れて生きていってもいい。
でもね、往人・・・きっと思い出す時がくる。
あなたの血が、その子と引き合うから。
どこかの町で、あなたはきっと女の子に出会う。
やさしくて、とても強い子。
その子のことを、どうしても助けてあげたいと思ったら・・・。
人形に心を籠めなさい。
わたしはあなたと共にあるから。
その時まで・・・」


そして・・・信じられないことが起こった。

俺の見ている前で、母の体が透き通っていった。

まるで最初から存在しなかったように。


『さよなら・・・』


眩しそうな笑顔が、最後にそう言った。

そして、母は消え失せた。

気がついた時には、誰もいなかった。

残ったのは、ちっぽけな人形だけだった。

何事もなかったかのように、炎がちろちろと燃えていた。

俺は何も覚えていなかった。


・・・置き去りにされた。


少年の俺には、そう考えるのが精一杯だった。

人形を手に、母を探した。

来る日も来る日も、探し続けた・・・。

 

 

 


――――

 


・・・。


始まりは、母を探す旅。

もう一度母の笑顔を見たかった。

それだけだった。

母がいないことを受け入れた時、旅の目的は変わった。

母から教えられた言葉のかけらがあった。

この空に少女がいる。

彼女は終わらない悲しみの中にいる。

だから、その少女を笑わせてみたいと思った。

今度はそれを目的に、歩き始めた。

あの日、失ったもの。

それをもう一度見つけようとしていたはずなのに。

なのに、俺は人形を生きるための道具として見るようになっていった。

ただ口上を言って、子供たちの親から日銭を稼ぐようになって・・・。


・・・。

 

そして何度目の夏だろう・・・。

 

 

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この町で、ひとりの少女と出会った。

そいつはいつだって笑顔で俺のそばにいた。

青空の下で、続いてきた夏。

ずっと隣にいた観鈴

いつだって笑っていた観鈴

俺は見つけていた。

あの日、失ったもの。

あの日から、それを探すために生きてきて、そして、それを見つけていた。

俺はただ、笑ってくれる誰かがそばにいればよかった。

俺はそうして、ひとを幸せにしたかった。

自分の力で、誰かを幸せにしたかった。

そうしていれば、よかったんだ。

ずっと探していたものとは、そんなありふれたものだったんだ。

この手で笑わせてあげたいと思う存在。

海辺の町で出会った少女。

いつだって元気で、俺と一緒にいた少女。

あいつはいつだって、俺のそばで笑っていてくれたのに。

なのに今、俺はそれをなくそうとしている。

いつだって俺は気づくのが遅すぎる。

また失ってしまうのだろうか。


・・・。

 


・・・

「このお兄さん、さっきからヘンだよ」
「暑いから病気になっちゃったのかなぁ」


がばっ!


俺は起き上がる。


「わーっ!」
「きゃーっ!」


子供たちが散ってゆく。


「待てっ」


俺はその中のひとりを捕まえる。


「きゃーっ!」
「頼むっ、助けてくれ!」


頭を下げる。


「え・・・?」


女の子は驚いたようだった。

でも、逃げずにいてくれた。


「とりあえずこれを見てほしいんだ」


俺は人形を取り出す。


「あ、人形さん」
「今からこの人形さんが歩いてみせるからな」
「ほんと?」
「ああ」


俺はそれを地面に寝かせる。

そして、思いを込める。

人形がぴょこりと立ち上がった。


「わぁ・・・すごい」


とてとて・・・

歩き始める。

女の子は人形の動きをじっと見つめている。


「どうだ?」
「うーん・・・ふしぎ~」
「面白いか?」
「ふしぎだけど・・・おもしろくはないよ」
「だよな・・・だからな、助けてほしいんだ」
「なにを?」
「どうすれば、おもしろくなるか。
見ているひとが笑えるようになるか」
「うーん・・・。
ちょっと待ってね・・・みんなぁーっ」


女の子は友達を呼んだ。


「どうした、ゆりっぺぇ~」


どっから湧いてきたのか、その場にいなかった子供まで寄ってきた。


「あのねあのねー、このお兄ちゃんがねー」


いつか忘れてしまった、ひとを笑わせるということ。

それをもう一度取り戻すことができるだろうか。

俺は子供たちから、時間をかけて習った。

あまりに要領を得ない俺に、ああだこうだと文句を言う。

それでも子供たちは、見捨てることはしなかった。

皆、ひたむきに向き合えば、どれだけでも根気よく付き合ってくれた。


・・・。


そして・・・。

 

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とてとてとて・・・

ぽてっ。

何かにつまずいたように、人形が倒れた。

そのとたん、歓声がはじけた。


「今の、面白かった」
「そうか?」
「うんっ」
「どこが面白かった?」
「えっとね・・・。
ぜんぶ、おもしろかったよ」
「そうか・・・」


ただ笑わせるんじゃない。

誰かが笑ってくれれば、俺は嬉しい。

だから、一生懸命に動かす。

やっと思い出すことができた、母の言葉が響く。

 

――『人形に心を籠めなさい』

 

今ならできそうな気がした。


「もう、かえっていい?」


別の子が、泣きそうな声で訊く。


「お母さん、心配するから・・・」
「ああ。 悪かった。 サンキュな」
「ばいばい」
「ああ、ばいばい」


いっぱいに手を振りながら、子供たちは去っていった。

俺も出立の準備をする。

少ない荷物をまとめて。

 

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

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来た道を戻る。

自然に足が早まる。

観鈴と歩いた道。

観鈴が暮らした町。

息を切らして、角を曲がる。

見覚えのある風景が広がる。

いつまでも続く夏の中、たったひとつ足りないもの。

この町に降りたって間もない俺に、笑いかけてくれたひとりの少女。


――――

『浜辺にいこっ』
「・・・は?」
『浜辺。 そこ』
「・・・どうして」
『遊びたいから』
「・・・・・・」
『夕べ寝てましたよね、さっきの場所で。
よっぽど疲れてたんですね。
疲れはとれましたか?
今日は暇ですか?』
「・・・・・・」
『やっぱりダメかな・・・』


――――


・・・。


「いや・・・。
疲れもとれたし、今日からずっと暇だ。
だから・・・。
夏休み、めいっぱい遊ぼうな」
「うんっ」

 

 

 

・・・・・・。


・・・。


 

 

・・・暗い部屋に、クーラーの冷気が淀んでいた。

観鈴は眠っていた。

寝息さえもが苦しそうだった。

その顔を見つめる。

助けは来ないと諦めた人の顔に思えた。


観鈴・・・。 ここ、座るな」 


いつも寄り添っていた場所に、俺は腰を下ろす。


「戻ってきたんだ。
もうどこにもいかない。
おまえと一緒にいて、おまえを笑わせ続ける。
そうすることにしたんだ。
だからな、観鈴・・・起きろ」


肩をそっと揺する。


観鈴・・・俺だ」


根気強く呼びかけ続ける。


観鈴・・・」
「う・・・ん・・・」


すると、ようやくその目が薄く開かれた。


「・・・・・・」
観鈴、わかるか。 俺だ」
「・・・往人さん・・・」


か細い声。

もう何年も床に伏せている病人のようだった。


「辛いなら、そのままでいい。
いいか、これからおまえのために人形を歩かせてみせるから。
だから、よおく見てろよ。
コツ掴んだんだ。 絶対面白いから。
だから、また笑えるようになる」


人形を取り出し、枕元に置いた。

祈るように念を込める。


とてとて・・・

・・・とてとて・・・


「な、おもしろいだろ」


・・・・・・。

 

観鈴、見てくれてるか。
おかしいだろ」


・・・・・・。

 

観鈴はもう、目を開けていなかった。


観鈴、起きろよ。
見てくれよ。 それで、笑ってくれよ。
な、観鈴・・・」

 

 

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俺はその手を握る。

かすかな力で、握り返してくる。

その指先が冷たい。


「俺、やっと気づいたんだ。
俺はおまえのそばにいて、おまえが笑うのを見ていればそれでよかったんだ。
そうしていれば、俺は幸せだったんだ。
だから、俺はおまえのそばにいる。
もうひとりで、夜を越えることもない。
俺がいるからな。
俺が、笑わせ続けるから。
おまえが苦しいときだって、俺が笑わせるから。
だから、おまえはずっと、俺の横で笑っていろ。
安心して笑っていろ。
な、観鈴

 

・・・。

 

時間だけが過ぎてゆく。

俺は一度も、観鈴の元を離れなかった。

ただ心を籠めて、人形を動かし続けた。

 

観鈴・・・

俺は見つけたから。

一番大切なものを。

俺の幸せを。

だから、ずっとここにいる。

どうなろうとも・・・

俺が・・・おまえがどうなってしまおうとも・・・

ふたりはここにいる。

居続ける。

ふたりで幸せになる。


(な、観鈴・・・)

 

・・・・・・・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

まぶたの向こうで、白い光が揺らいでいた。

朝か・・・。

俺は目を開く。

けれど、そこに待っていたのは夜明けではなかった。

不思議な光景だった。

人形が真っ白に輝いていた。

それを薄く開けた瞳に映していた。

自分の意識が、人形に吸い込まれていくのを感じる。

温かい流れの中に、身体ごと包まれていく。

心が風に洗われるように、透明に透き通っていく。

なんなんだろう・・・これは・・・。

 

『・・・往人』

 

声が聞こえた。

 

『・・・今こそ、思い出しなさい』

 

懐かしい人の声だった。

 

『あなたのすべきことを・・・』

 

おぼろげになっていく意識の中で、俺は必死に観鈴の姿を求めた。

思い出すことなんて、もう何もない。

なすべきことなんて、俺は知らない。

俺はただ、こいつのそばにいたいだけなんだ。

ただもう一度、観鈴の側で穏やかな日々を過ごしたいだけなんだ。

ただ、観鈴を笑わせてやりたいだけなんだ。

もう一度・・・

もう一度だけやり直せるのなら。

そうすれば、俺は間違えずにそれを求められるから・・・。

 

(だから、どうか・・・。
観鈴と出会った頃に戻って・・・。
もう一度・・・観鈴のそばに・・・)

 

そして。


辺りに光が満ちた。

 

・・・。

 

 

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「どうしてだろ・・・。
もう起きられないと思ってたのに・・・。
もうダメだって、思ってたのに・・・。
・・・・・・往人さん?
往人さん、どこにいっちゃったの?
戻ってきてくれたんだよね・・・。
往人さん・・・。
ね、わたし、また元気になったよ。
まだ、がんばれそうだよ。
ね、往人さん・・・。
往人さん・・・」


・・・。

 

 

DREAM編 神尾観鈴 END