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AIR【11】

 

7月25日(火)

 

 

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朝。


目覚めると同時に、透明な青空が視界を被った。

眩しい。

目を細めて、辺りを見回してみる。


・・・・・・。


・・・。


間違いない。

ここは、もう観鈴の家じゃない。

久しぶりに、一人きりの朝。

眼を擦りながら身を起こし、肺に空気を満たす。

木立が吐き出す夏の匂いが、体中に満ちてゆくのを感じた。


・・・。

 


歯を磨き、出かける準備をする。

目的地は、もちろん米屋。

そろそろ腹の虫が鳴き出したので、急がなければならない。

ガラス越しに、待合室の壁に掛けられた時計を見ると時刻は午前十時を回って
いた。

この時間なら、店も開いているだろう。

俺は、いそいそとポケットに人形を突っ込み、駅前を後にする。


「っと、その前に、行くところがあるんだったな」


約束を思い出し、俺は彼女の家へと向かった。


・・・・・・


・・・

 

門の前にじっと、観鈴が立っていた。

 

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「よぅ」
「あ、おはよー。
遅いから・・・忘れてるのかと思った・・・」
「大丈夫だ、覚えてる。
あれだけ世話になったんだからな」
「恩返しなんだね・・・」
「そうだな」
「いこっ」
「ああ」



・・・・・・


・・・


夏の日差しの中を歩いていく。

学校に辿り着くまでの短い間、観鈴はひっきりなしに喋り続けた。

俺は適当に相づちを打っていた。


・・・。

 


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「ついた」
「急げよ。 まだチャイム鳴ってないだろ」
「うん」
「じゃあ、勉強がんばってくるね」
「ああ、頑張ってこい」
「見送ってくれてありがとー。 ばいばーい」


しばらく、手を振りながら元気に走っていく観鈴の背中を見送る。


それが見えなくなると、用がなくなってしまう。


「いくか・・・」


校門を離れた。




・・・・・・。


・・・。


 

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商店街に辿り着く。

相変わらずひとけはなくて、ただひたすらに閑散としている。


「しかし・・・。
ここの経営者たちは、どうやって生計をたててるんだろうな」


思わず余計な心配をしてしまう。


「はんっ。

俺に心配されるようじゃあ、お終いだぜっ・・・ぐはっ」


自分の言葉に、精神的ダメージを喰らう。

・・・しまった。

墓穴を掘った。


「っと、ひとりよがってる場合じゃないな」


今は、米屋に行くことが何よりも先決だった。

確か、米屋は商店街の端にあったはずだ。

急ごう。


・・・・・・


・・・


数十メートル歩いて、米屋の前に辿り着く。

店先には『新沼米酒店』と書かれた看板。

他の日用品なども取りそろえているのだろう。

店は大きく、ちょっとしたスーパーのようだ。



フィーーーン・・・



自動扉が開く。


どんっ!


「おっと」
「きゃっ」


どさっ。


店から出てきた年輩の女性とぶつかる。


「ご、ごめんなさい・・・」
「いてて・・・」


俺は女性が引いていたカートに、すねを打ち付けていた。


「あっ、た、たいへん・・・」


店で買った物だろうか。

女性は、妙におどおどした動きで、ぶつかった際にカートから落ちた重そうな
米袋を拾い上げている。


「・・・・・・」


その様子を、じっと見つめてみる。


(しかし・・・)


目の前の米袋を数えてみる。


・・・1。

・・・・・・2。

・・・・・・・・・3。


これが、カートに乗った米袋の数。

そして・・・。


「うっ・・・どうしよう・・・持ち上がらないわ」


・・・1。

・・・・・・2。


これが、カートから落ちた米袋の数。

合計5袋。


(・・・買いすぎだっての)


明るい大家族。

あるいは単に飲食店経営か。


「困ったわ・・・」


女性は、見た目20キロ入りの米袋を持ち上げることができずに、言葉どおり
困り果てている。


「・・・・・・」
「うーん・・・」


米袋を持ち上げようと何度も試みるが、一向にビクともしない。


「・・・・・・」


俺は、黙ってその横を擦り抜け、店内へと足を運ぶ。

背後から、女性と店員が会話する声。

どうやら、店員に手伝ってもらい、事なきを得たようだ。


「これからは、配達を頼むことをお勧めするぞ」


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。


米屋で米をもらい、来た道を引き返す。

足取りが、かなりふらついている。


「お、重い・・・」


俺は、米屋から数十メートル歩いたところで、すでに限界を迎えていた。


どさっ


20キロ入りの米袋を地面に降ろし、俺は診療所の前で力尽きる。


「ふぅ・・・」


米袋の上に腰を下ろし、ひとまず休憩をとる。

体中が、一気に重力から解放されたかのような軽さ。

額に浮かんだ汗を拭いながら、しばらくの間、ぼぅっとしてみる。

ようやく現れた幾つかの人影が、目の前を通りすぎてゆく。


(・・・・・・見られているな・・・)


人影が通りすぎてゆくたびに、その視線がちらちらと俺を覗いているのがわか
る。


・・・当たり前だ。


こんな場所で米袋をケツに敷き、ぼけっと座っている奴がいたら、俺だって見
る。


「と、なればだ・・・」


ごそごそと、ポケットに突っ込んでおいた人形を取り出す。


「・・・・・・」


人形と米袋を、交互に見つめてみる。


「これは、もしかしたらチャンスなんじゃないか?」


俺の中に、光明が射した。

俺は今、米袋という新たなアイテムを手に入れたことで、確実に人目をひいて
いる。

そう。

ここで、俺がやるべきことは、たったひとつである。

うまくすれば、米以外に一品おかずを買える金が稼げるかもしれない。

さらにうまくすれば、一気にこの町からおさらばできる金が稼げるかもしれな
いのだ。


「ウハハハハハ」


思わず高笑い。

文字通りウッハウハだ。

しかも、なぜかより人目をひいているような気がする。


「よしっ! やってやるぜっ!」


気合い一発。

俺は人形を地面に置いて、芸を始めた。



・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


激闘の2時間が終わった。

俺は真っ白に燃えつきていた。

セミの声が頭に充満し、アスファルトがとろけていく。

地面に転がっているのは、俺の人形。

ここは、本当に商店街なのか?

俺が見ている幻なのではないか?


「・・・・・・」


暑すぎて考えがまとまらない。

看板下に座り込む。

日除けの役にさえ立たない。

と思ったら、さっと影が射した。



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「・・・あいかわらず暇そうだな」


看板の持ち主様だった。


「お互いさまだろ」
「ふふ・・・それは甘いぞ」


勝ち誇ったように俺を見下す。


「私の方はな、今日は二人も患者さんが来てくれたんだぞ」


哀しい報告だった。


「二人とも、熱射病だったぞ」


哀しさ倍増だった。


聖に悟られないように、人形を素早くポケットに押し込んだ。

ゆっくりと腰を上げ、ズボンについた砂埃を叩いて落とす。


「なあ」
「ん? なんだ」
「あのコンビ、今日はいないのか?」


言うまでもなく、佳乃とポテトのことだ。


「ああ、散歩に出ている。
すぐに帰ってくると言ってたから、じきに会えるだろう」
「そうか・・・」
「なんだ。 妹の顔でも見たくなったのか?」
「いや、そういうわけじゃない」
「ふふ・・・実はな」


意味ありげな笑みを浮かべる。


「君が来たら必ず引き留めておくようにと、佳乃に言われているんだ。
高感度抜群だな、国崎君」
「・・・ちがう」


面と向かってそう言われると、恥ずかしいものがある。


「また明日って、言っちまったからな。 昨日、別れ際に」


昨日の午後、佳乃はずっと俺を見送っていた。

俺が見えなくなるまで、診療所の前にずっと立っていた。


「それだけの話だ」
「そうか・・・」


額に手を当てて、そのままなにか考えこむ。


「どうだ。 少し中に入らないか」


診療所の扉を顎でしゃくりながら言う。


「ああ、そうだな」


お茶でもよばれることにしよう。


・・・。

 



「・・・・・・」


ごしごしごし・・・。


「・・・・・・」


ごしごしごし・・・。


「そっちが終わったら、こっちの方も頼む」
「・・・わかった」


ごしごしごし・・・。


「ある程度拭いたら、そこのバケツでモップを洗ってくれよ」
「・・・・・・」


じゃばじゃば・・・。


「・・・・・・」


ごしごしごし・・・。

 

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「・・・なあ」
「なんだ」
「なんで俺がこんなことをしてるんだ」
医療機関は清潔第一なんだ」
「いや、そういうことじゃなくてだな。
なんで俺が、ここのモップ掛けをしなきゃならないんだ」
「なんでって、どうせ暇なんだろ、君は」
「暇ってわけじゃない。

これでもいちおう、目的を持って日々を過ごしてる」
「ほぉ、それは感心だな。
近頃は、目的を持たない若者が多くて困りものなのに」
「ふん・・・」


ごしごしごし・・・。


「それで、君の日々の目的とはなんだ?」
「・・・・・・」


ごしごしごし・・・。


「人には言えないことなのか?」
「・・・・・・そうだな。 そうかもしれない」


ごしごしごし・・・。


「そうか」
「ああ。悪いな」


言ったところで、とうてい理解されるとは思えなかった。

それに、俺自身が本当にそれを目的としているのか。

未だに結論を出しあぐねているのも確かだった。


だから。

俺は今、こうしてモップ掛けをしている。


「・・・って、おい」
「ん?」
「あんた今、体よくごまかそうとしただろ」
「なにをだ。 お手伝いマシーン」
「だれがマシーンだ」
「文句が多いな。 アルバイト君」
「・・・給金が出るのか?」
「美味しいお茶が給金だ」
「・・・・・・」


すたすたすた・・・。


「こら、下駄箱前はもう終わってるだろ」


どさっ。


モップを放り出し、ガラス扉に手をかける。


「俺は帰る。 止めても無駄だ。
じゃあな、達者で暮らしてくれっ・・・」

 


どーーーんっ!!

 


「ぐはあっ!」

 

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「たっだいまぁーーーっ」
「ぴこぴこぴこーーーっ」



「こらっ、おまえたち。
扉は静かに開けろと、何度言わせれば気がすむんだ。
元気がいいのは結構だが、少しは加減しろ」


「ごめんなさい~」
「ぴこ~」


「まあいい。

それより、国崎君が来てるぞ」
「えっホントっ! どこどこっ?」
「足元に倒れてるだろ」
「あーホントだぁ、なんかぐったりしてる~。 つんつん」



「・・・・・・」

 


「疲れてるんだろ。 慣れない勤労奉仕をしたからな」

「ふーん」
「ぴこー」



「・・・・・・」


 

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「あっ、起きあがった」



「・・・・・・」



「まだ向こうの隅が残っているぞ」



「・・・・・・」



転がっているモップを拾い、指示された場所まで移動する。


「・・・・・・」


ごしごしごし・・・。


「どうして往人くんがモップがけしてるのぉ?」


ごしごしごし・・・。


「・・・・・・」


その時、俺はやっと我に返った。


「あっ、わかったぁ。
お手伝いマシーン1号さんだ」
「・・・ちがう」
「じゃあ2号さん?」
「番号の問題じゃない」
「うぬぬ。 むずかしい~」



「佳乃、国崎くんになにか用事があったんじゃないのか?」
「あっ、そうだぁ。
往人くん、おさんぽ行こっ!」


・・・。

 




「・・・・・・」


次に気がついた時には、蝉時雨の中に立っていた。


「おっさんぽおっさんぽうれしいな~」
「ぴこぴこぴこ~」


横を見る。

 

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わけのわからない歌を合唱する、一人と一匹。


「今をもって、キミをおさんぽ特殊部隊工作員2号さんに任命するっ」
「ぴこっ!」


「ちなみに1号さんはあたしだよ~。
そして3号さんは往人くんっ!」
「・・・・・・」


任官拒否する気力もなかった。


・・・というか、どの辺が特殊で、何を工作する気だ?


「おまえ、今さっき散歩してきたんじゃないのか?」
「うんっ。 してきたよぉ」
「してきたよぉ、って、ほんわか言われてもな・・・。
またする気か?」
「うんっ。
おさんぽは楽しいから、ずっとしてても平気だよぉ。 ねっ、ポテト」


「ぴこぴこっ」



「ねっ?」


俺の顔を覗き込む。


「・・・・・・」



「ねっ? ねっ?」
「・・・・・・」


・・・。


こうなったらとことんつき合うか。

乗りかかった船だ、ここは覚悟を決めて、炎天下の散歩としゃれ込もう。


「どこに連れてってくれるんだ?」
「ふぇっ・・・」
「散歩に行くんだろ?」
「あっ、うんっ!」


満面の笑みでぶんぶんと頷く。


「あたしのとっておきの場所に案内してあげるよぉ」
「そんな場所があるのか」
「うんっ。
すっごく静かでねぇ、気持ちが落ちつくの」


この少女の口から、『気持ちが落ち着く』という言葉を聞くとは思わなかった


「そうだな・・・。 案内してもらえるか」
「うん、かしこまったよぉ。 ポテトも行こっ」


「ぴこ」



「よおし、出撃だー」



元気いっぱいに歩き出す。

本当に、静かな場所に着けるのか?

かなり心配だった。



・・・・・・


・・・

 

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「ぜんたーいとまれっ」
「ぴこぴこ」



「・・・・・・」



結局ここかい。

神社へと続く農道にかかった橋のたもと。

さらさらと水の流れる音が、橋の下から聞こえてくる。

山際に横たわる緑が、目に眩しい。

静かな場所と言えないこともないが。



「おまえのとっておきって、ここのことだったわけな」
「うんっ。
ひとけがないから、静かでいいでしょぉ?」
「・・・・・・」


たしかに、人通りは微塵も存在しない。


「でもな・・・」
「ん?」
「なにもなさすぎる」
「そんなことないよぉ。 ほら、あそこ、家っ」


二軒。


「外灯っ」


二本。


「ダメだよ往人くん、ぜいたくは敵だよぉ」


・・・贅沢と戦いに来たのか、俺は。


「・・・まあ、こういうのはキライじゃないけどな」
「ほんとっ?」
「ああ」
「よかったぁ。 キライって言われたらどうしようかと思ったよぉ」


はっと息を吐き出し、ほにゃっと微笑む。

欄干に身体を預け、川面を眺める。

用水路を兼ねているような、小さな小川だ。

水はよく透き通っていて、底の様子がよくわかった。

生き物がいれば、たぶん見えるだろう。


「じーーーーっ」
「・・・・・・」


生き物を探していた。


「あっ! あーーーっ!
カメっ! 今カメさんがいたよぉ!」
「・・・どこに?」
「ほらっ、あそこあそこっ!」


橋の上から、大きく身を乗り出す・・・。


・・・ずるっ。


「あっ・・・きゃああああああっ」

 



ばっしゃーんっ!

 



「きゅぅ~~~・・・」



「おいっ、大丈夫か」


欄干から小川を覗き込んだ。

 

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「アイタタタァ・・・」


とりあえず、大丈夫そうだった。


「だいじょうぶじゃないよお・・・」


腰をさすりながら、不満げに言う。

怪我もないようだ。

まだカメに未練があるのか、きょろきょろと辺りを見回している。

と、佳乃は俺の冷たい視線に気づいた。


「・・・・・・えっと・・・今日はいい天気だねぇ」


とてもわかりやすい誤魔化し方だった。


「水泳にはもってこいの日和だな」
「ぐさっ」
「服もよく乾くだろうし」
「ぐさぐさっ・・・」
「だからって、服のまま泳ぐのはいただけないな」
「ぐさぐさぐさっ・・・」
「まるで橋から落ちたマヌケみたいだぞ」
「はうぅ・・・。

もお・・・往人くんのイジワル~・・・」


スネてしまった。

からかいすぎたかもしれない。


・・・もうすこし、からかってやるか。


「ところで、佳乃。 大切な話があるんだが、いいか?」
「えっ?」
「おまえ、案外スゴいんだな」
「えええっ?」
「着やせするタイプなんだな、色は白なんだな。 夏らしくていいな」
「なっなっなっ・・・」


わけもわからず困惑しまくる佳乃。

俺はびしっと指摘してやった。


「透けている。 ぴったりと貼りついている。 形までよくわかる」
「・・・・・・」


胸元に視線を落とす。

ようやく自分の状態に気づいたようだった。

 

 

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「ひょ、ひょええぇぇーーーっ!!
うわわわわっ、い、いつから気づいてたのっ!?」
「ずっと前」
「ひーーーん、なんで教えてくれなかったのぉー」
「夏だから、開放的な気分に浸っているのかと思ってな」
「そんなわけないよぉー」
「そうだったのか・・・」
「往人くんのエッチーーーーーっ!」
「・・・・・・」


俺は悪くないと思うぞ、ちょっとしか。


「ひーーーん」


かぷっ。


「ん?」


足に何かがかぶりついてきた。

 


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「ぴこっ!」


「・・・・・・」


かなり激しく怒っているらしい。

俺が佳乃をいじめたと思っているのだろう。


「・・・わかった。 謝るからやめろ」
「ぴこ」


やめた。

素直ないい奴だ。

ご褒美に、首根っこをつかんで持ち上げてやる。


「ぴこぴこぴこっ・・・」


じたばたするが、遅い。

ぱっと手を離す。


ぱっしゃーん。


「ぴこ~・・・」


為す術もなく、川面を流されていく毛玉。

さようなら、ポテト。

俺は君のことを一生忘れない。


「ぴこー・・・・・・」

 

・・・・・・。


・・・。

 


結局、夕暮れまでここで暇をつぶしてしまった。

あの後勢いで、全員参加の水遊び大会になった。

それから佳乃と、とりとめのない話をした。

それも今は尽きている。

遠くの山際に、太陽が沈もうとしている。

薄闇が迫る中で、風の芯にだけ昼間の熱気が残っていた。

どこか名残惜しくて、俺は佳乃の横顔を見た。

 


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「服、乾いたか?」
「うん・・・」



「ぴこ~・・・」
「毛皮は乾いたか?」
「ぴこぴこっ」


佳乃の手首に視線をやる。

そこに巻いたバンダナだけは、まだ水をしたたらせていた。


「重そうだな」
「・・・重くないもんっ」


胸元を隠しながら、答える。


「ちがう、そのバンダナだ」
「・・・ふぇっ?」
「外して、しぼればいいんじゃないか?」
「えっと・・・」


視線を下げて、そっとバンダナを見る。


「これは、ぜったい取っちゃダメなの」


口調がいつもと微妙にちがった。


「・・・洗ってないのか、それ?」
「そんなことないもんっ」
「だいたい、不便だろ」
「もう慣れてるから」


ぽつりと答える。

黄色いバンダナは、身体の一部と言えるぐらい佳乃に馴染んでいる。

食事も雑用も、あの右手で普通にこなしていた。

佳乃はいつから、バンダナをしているのだろう?

あのバンダナの下には、何があるのだろう?

それを訊くのは、なぜだかためらわれた。


・・・。


バンダナにはもう、触れないでおこう・・・。


「さて、帰るか」
「うん・・・」


頷くが、この場を動こうとしない。

どこかもじもじしながら、俺のことを見た。


「往人くん」
「何だよ?」
「往人くんは、旅人さんだよね?」
「そうなるな」
「えっとね、今までどんなところを旅してたの?」
「いろいろだ」
「この町は、はじめてなんだよねぇ?」
「ああ。
できるだけ大きな街を回るようにしてたからな」


でないと、人形芸で生計を立てるなんてできやしない。

俺に必要だったのは、一人の友人ではなく、たくさんの他人だった。


「一人で、旅してたの?」
「ああ」
「家族って・・・いないのかなぁ?」
「いない」
「あっ・・・」


大きな瞳が、ざわりと揺らいだ。

「ごめんなさい」
「謝ることはないだろ。
俺に家族がいないのは事実だからな」


佳乃はしばらく、もじもじとためらっていた。

そして、こう聞いた。


「ひとりだと、淋しくない?」
「そうだな・・・」


旅先で、不意に思うことがある。

俺には何かが足りない、と。

いつの間にか、なくしてしまったものがある、と。

佳乃の言う『淋しい』とは、たぶん違うのだろう。


「ずっと続けてるからな。 もう慣れた」
「なんか、それって・・・。 すごく、かなしいことだよね」


そう言った佳乃の方が、悲しそうに見えた。


「あたしには、お姉ちゃんがいてくれたから。 あんまり淋しくなかったけど

「そうか」
「うん・・・」


ふたり、黙り込む。

霧島診療所のことを思い返していた。

佳乃と聖以外には、誰かが住んでいる雰囲気ではなかった。


「ぴこぴこ~」


緊張感のない音で、我に返った。


「うんうん。 お腹空いたよねぇ」
「ぴこっ」


「帰ろっ、往人くんっ」
「そうだな」

「水浴び大作戦実行部隊一同っ、これより帰還するっ!」
「ぴこぴこっ!」
「うんうん、本日は大戦果だったねぇ」
「ぴこー」


賑やかに行進をはじめる。

俺も後に続く。

もう一度、橋の方を振り返ってみた。


「・・・・・・」


来た時と部隊名が替わっているような気がした。



・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。


その夜。

 

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「・・・晩飯にするか」


俺は重い腰を上げて、脇においてある米袋の封を切った。

そして、袋の中に手を入れて、米の感触を味わう。

じゅうぶん感触を味わった後、飯盒を持ち出して、適当な量をすくい上げる。

それを、水道の水で軽く洗い、ぬかを落とす。

後は水加減。

飯盒の内側には目盛りがついているが、あまり気にしない。

水加減は、指の第一関節を目安にすればちょうど良いと聞いたことがある。

俺はその言葉にしたがい、水道の水を米の入った飯盒に注いだ。


「っと、あとは、こいつを固定する枝と石かなにかがあれば・・・」


がさがさと音をたてて、駅舎脇の草むらにわけ入る。

さすがは田舎町だ。

手頃な大きさの石と枝は、すぐさま見つかる。

俺は、意気揚々と飯盒を枝と石を使って固定する。

これで準備完了。

ちょっとしたキャンプ気分も味わえて、実は結構贅沢だ。

あとはこれを火にかければ・・・。


・・・。



「・・・・・・うっ」


火がなかった。


「・・・・・・悲しいっすよ兄貴ィ・・・」


そんなひと、俺にはいなかった。



・・・・・・。


・・・。

 

 


7月26日(水)

 

 

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駅での生活、二日目の朝を迎えた。


目覚めと同時に、耳の奥に響く蝉の鳴き声。

これはこれでなかなか辛い物がある。

憎々しいまでに青い空を見上げながら伸びをした。

歯を磨き、顔を洗って出かける準備を整える。


「さてと・・・」


観鈴のことが少し気になったが、いつまでも迎えに行くわけにはいかない。

どこかで区切りをつけないといけないんだ。

下手に長引かせて情がうつってしまうと、後々あいつのためにならない。

まあ、世話になった分だけの恩返しはしただろう。

俺は空に向かって伸びをすると、大きく息を吐いた。


気分を切り替える。


「今日こそ稼ぐぞ」


それは自分に言い聞かすための言葉だった。


・・・・・・。



・・・。




「ふぁ~~~あ」


いったい何度目のあくびになるのだろうか。

診療所の看板の前。

もはや定位置。


「暇だな・・・」


「ぴこ」


いつの間にか、ポテトが俺の膝の上に乗っかっていた。

 

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「おまえに話しかけたわけじゃないぞ」
「ぴこぴこぴこ」
「はぁ・・・」
「ぴこ?」


大あくびの次はため息。

 

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夏の空に目を向ける。

額から、汗が流れ落ちるのを感じた。

この町に降り立った時から、幾つの時が過ぎ去ったのだろう。

指折り数えてみる。


「・・・もう、八日目か」


気が重くなる。

このまま、俺はこの町で一生を終えてしまうのではないだろうか。


「がんばれ、俺」


励ましてみた。

虚しかった。


「ぴこぴこぴこ」


「・・・・・・」


「ぴこぴこぴこ」


俺になにかを訴えかけている。


「喋ってもいいんだぞ。 今なら、俺しかいないからな」
「ぴこ?」


俺の中に、ひとつの確信があった。

こいつは絶対に喋れる。

自分を犬に見せかけるために、わざと人間の言葉を喋らないだけだ。


「ぴこぴこ?」
「遠慮するな。
おまえが実は喋れるってことは、黙っておいてやるから」
「ぴこ~」
「カマーンッ、ポテト!」
「ぴこっ!」


大きく頷いた。

やった!

犬が喋る決定的瞬間だっ!


・・・れろん。


「・・・・・・」


「ぴこぴこぴこ」
「なんのつもりだ」
「ぴこぴこぴこ」


れろんれろ~ん。


何度も何度も、俺の頬をなめ回す。


「・・・楽しいか?」
「ぴこ」
「そらよかったな、さてと」


ポテトをむんずと掴んで、その辺に放り投げた。


(くだらないことをしてないで、もう一踏ん張りするか)


「よし」


自らに気合いを込め、立ち上がる。

 

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「おっ、諦めて帰るところか」


出鼻をくじくように、極悪田舎医師が声を掛けてきた。


「誰が極悪田舎医師だっ」


・・・声に出してしまったらしい。


「通りすがりの旅芸人に、無理矢理掃除をさせるのが極悪じゃないというのか
?」
「何だ、昨日のことを根に持っているのか」


さも、馬鹿にしたように言う。


「昨日の詫びだ、ほら」


と、手に下げていた何かを渡された。

手作りらしい巾着袋だった。

中はずっしりと重い。


「なんだこれは」
「弁当だよ」


耳を疑った。


「・・・今、弁当と言ったか?」
「そうだ」


ごくり。


喉が鳴った。


「私が丹精込めて作ったものだからな、非常に美味だ。
ツナサンドと鮭おにぎりのセットで、量も申し分ない。
おかずは五目春巻きとエビチリだ。
デザートも凝りまくってるぞ。
それを佳乃に届けてやってくれ」
「・・・おい」
「今日は朝から学年登校日なんだが、弁当を忘れていったんだ」
「・・・ちょっと待て」
「夏休み中は購買も食堂も開いていないし、さぞやひもじい思いをしているだ
ろうからな」
「待てこらっ! 人の話を・・・」

 

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「届けてくれるよな?」
「・・・迅速丁寧に配達いたします」
「よろしい」


まあいい。


この場は素直に届ける振りをしておいて、途中で・・・


「途中で食うなよ」


ぎくううううっ。


「し、失敬な奴だな君はっ」


高飛車に出てみる。


「・・・・・・」
「・・・すみません。 死んでもこのまま届けます」
「このぐらいで死なれても困るが」


一瞬でメスをしまい、苦笑いする。


「仕方ないな。君の分も作っておいてやる。
ただし、帰ってきたらだぞ」


それなら悪い条件ではない。


「承知した」


俺は頷いて、焼けた歩道に足を踏み出した。



・・・・・・


・・・

 

ぴっこぴっこぴっこ・・・。


「・・・・・・」


ぴっこぴっこぴっこ・・・。


「・・・・・・」


ぴっこぴっこぴっこ・・・。

 

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「・・・おい」
「ぴこ?」
「その音、なんとかならないのか」


まるで、俺の足音がぴこぴこ鳴っているようだ。


「だいたいおまえ、こんなところまでついてきて、聖に怒られないのか?」
「ぴこぴこぴこ」
「・・・そうか。 怒られないか」
「ぴこ」
「・・・・・・まあいい、さっさと行くぞ。 俺は腹が減ってるんだ」
「ぴこ」
「・・・・・・・」


ぴっこぴっこぴっこ・・・。


・・・ぴっこぴっこぴっこ・・・。


ぴっこぴっこぴっこ・・・。


・・・・・・・。

 



キーンコーンカーンコーン・・・。

 

校門に辿り着いた。

チャイムの音が俺を出迎えてくれた。

校門から中を覗いてみる。

夏休みとは思えないほど、学生たちでごった返していた。



ぐ~。



腹が鳴った。

さっさと届けてこよう。

ずかずかと校内に入る。


ぴっこぴっこぴっこ・・・。



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「・・・・・・」
「ぴこぴこ」


見つかったらパニック必至の珍獣をつまみ上げ、植え込みの影にそっと隠す。


「俺がいいと言うまで、ここを動くな」
「ぴっこり」


・・・。


「さてと・・・」


再び歩き出そうとする。


「・・・・・・」


どこに届けたらいいか、わからない。

通りがかった女学生三人組に、すかさず声を掛けた。


「おい、そこの人ちょっと」
「はい?」
「少し訊ねたいことがあるんだが・・・」


胡散臭そうに俺のことを見る。


「佳乃・・・霧島佳乃って子がどこにいるか知らないか?」


別の少女がすかさず言ってきた。


「かのりん?」
「そう。 かのりんだ」
「わたし、かのりんの仲良しクラスメート1号です~」


「ちがうよ、1号はわたし」


「えー、わたしも前に1号って言われたよー」


「・・・・・・」


俺をほったらかし、ごちゃごちゃともめ続ける少女たち。

番号が重複して、大混乱に陥っているようだった。


(・・・というか、仲良しのクラスメートにまで番号を振るな)


「・・・ども、お待たせしました」


ようやく結論が出たようだった。


「協議の結果、わたしが仲良しクラスメート1号ということになりました」

「2号です~」

「ぐすん。 3号になっちゃったー・・・」

 

「・・・・・・」


友達は多いらしい。

少し安心した。


「あいつの弁当を届けに来たんだが、どこに行けばいい?」


3人がいっせいに顔を見合わせた。


「・・・かのりん、まだ保健室かな~」


保健室?


「ちがうよー、風に当たりたいから屋上行くって言ってたー」


屋上?


「・・・あいつ、どうかしたのか?」
「なんかぶつぶつ言ったあと、きゅ~って倒れちゃって~」


「すぐに目を開けたから、ただの立ちくらみだと思うんですけど」



なぜだかわからない。

ただ、強い胸騒ぎがした。



「屋上だなっ・・・」


全てを投げ出し、俺は走り出していた。




・・・・・・


・・・

 


いきなり視界が開けた。

強い風が、鉄の扉をばたんと閉めた。

フェンス際に佳乃がいた。

驚いて、こちらを振り向く。

 

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「ふぇっ? 往人くん?」


俺を見るなり、ぱたぱたと駆け寄ってきた。


「なんで往人くんが学校にいるのぉ?
・・・あっ、そっかぁ」


ぽんと手をたたく。


「謎の転校生1号さんっ!」
「大ハズレだ」
「じゃあ2号さん」
「そのボケはもう飽きた」
「うぬぬ・・・」


かなり悔しそうだった。

だが、今は呑気に話している場合ではない。


「倒れたって聞いたぞ」
「ふぇっ、だれがだれが?」
「かのりんが」
「あたしっ?」


本気でびっくりしている。


「わわわわっ。 大げさだよぉ。
ちょっとくらくら~って来ただけなのに~」


首をぶんぶん振りながら、あわてて説明する。


「今でもたま~にあるんだよぉ。
あたし子供のころって、貧血ぎみだったから」


俺が思い出していたのは、この前の夜のことだ。

誰もいない神社。

佳乃は突然倒れた。

そして、なぜそこにいたのか忘れてしまっていた・・・。


「なあ、佳乃」
「ふぇっ、なにっ?」
「倒れた時のこと、ちゃんと覚えてるか?」


俺があまりに真剣な顔をしていたせいだろう。

佳乃はぷっと吹き出した。


「大丈夫だよぉ。 そんな顔しなくても。
しょっちゅう記憶喪失になってたら、たいへんだよぉ」


いつもどおりの笑い顔。


「そりゃそうだな」


話しているうちに、俺もやっと落ち着いてきた。

佳乃のクラスメートたちも、大したことないと言っていた気がする。

どうやら、俺の思い過ごしだったようだ。


「・・・往人くん、心配してくれたんだぁ」


俺の顔を覗き込むようにして、佳乃が言った。


「そうでもないけどな」
「だって、往人くん靴のままだよぉ」


足元を見る。

確かに、靴を履いたままだ。


「靴じゃいけないのか?」
「だってここ、学校の中だよぉ」


当然の顔で言うが、俺にはよくわからない。


「こういうところに来たのは、初めてだからな」


夜を過ごすために学校の敷地に入ったことはある。

だが、屋上まで来たことはなかった。

 

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四方を囲ったフェンスの上に、よく晴れた夏空があった。

電線や木立がないので、取り残されたように青かった。

佳乃が俺の視線を追う。


「空が高いねぇ・・・」


眩しそうに目を細める。

その仕草が、誰かに似ていると思った。

思い出そうとする前に、佳乃がのほほんと訪ねてきた。


「往人くんは、空って飛べないのぉ?」
「飛べるわけないだろ」
「だって・・・お人形動かせるし」
「関係ないだろ」
「ふぇっ? 関係ないの?」
「完璧に無関係だ」
「うぬぬ・・・」


真剣に考え込む。

俺にさえよくわからないのだから、当然か。

法術と魔法。

本来ありえないはずの力。

頭の中に、何かが引っかかっている・・・。


「・・・そう言えばお前、『あたしも魔法が使える』って言ってなかったか?

「ふぇっ、いつ?」
「堤防で会った時」


あまりにも自然に言われたから、今まですっかり忘れていた。


「あっ、あれのことぉ?」


大きな瞳をくりくりっと巡らす。


「あれはね、ちょっとウソ。
ホントは、今はまだ使うと反則で減点1なんだよぉ」


・・・仮免魔法少女だった。


「いつになったら使えるようになるんだ?」
「大人になったら」


・・・ものすごくアバウトな資格制限だった。


「いつになったら大人になるんだ?」
「そこはよくわからないんだけど・・・。
でもねっ、最初の魔法で何をするかは、もう決めてあるんだよぉ」
「何をするんだ?」
「えっとねー・・・ヒミツ」


・・・またそれかい。


興味を失う。


俺は空に視線を戻そうとした。


「あっあっ、ごめん往人くんっ」


すごいあわてぶりだった。


「えっと、1番はダメなんだけど・・・2番目なら、教えてあげる」
「別に聞きたくない」
「聞いてほしいのっ」
「本当に聞きたくない」
「うぬぬ・・・」


ちょっと腹を立てているらしい。


「聞いてもらわないと、お腹をバリバリッて突き破って出てきて、人類には太刀打ちできなくて。
そこらじゅうで繁殖しちゃって、さあタイヘンなんだよ~」


・・・地球が、地球が大ピンチだった。


「何だよ、2番目にしたいことは?」


仕方がないので、そう訊いてやった。


「えっとねぇ、えっと・・・空を飛びたいなって」
「そうか」
「・・・驚かないんだぁ」


不満げにつぶやく。


「話の流れからして、そうじゃないかと思ってたからな」



――『空を飛びたい』



誰もが憧れる、ちっぽけな願い。

だがそれは、絶対に叶わない願いのひとつだった。


「空を飛ぶのは、たぶんそんなに良いもんじゃないぞ。
風が当たって寒いぞ。
スカートの中も丸見えだぞ。
テレビ局とか自衛隊とかが出動して、大騒ぎになるぞ。
そのあと科学者に解剖されたりするぞ」
「へーきへーき、そんなの大丈夫だよぉ」


俺の懸念を明るく笑い飛ばす。


「だって、魔法だもん」


すごい説得力だった。



キーンコーンカーンコーン・・・。



潮風に乗って、チャイムが流れてきた。


「学校、まだあるのか?」
「うん、今から飼育委員会だよぉ」


そこでやっと、一番大事なことを思い出した。


「俺はおまえに弁当を届けに来たんだ」
「お弁当っ?」
「ほら・・・」


ない。


どこにもない。


というか、巾着袋をここに持ってきた記憶がない。


「・・・・・・」


自分の行動を思い返してみる。

佳乃が倒れたと聞いた後。

全てを投げ出し、俺はここまで来た・・・。


「なるほど」


ぽんと手を叩く。


「ここに来る前、地面に放り投げてきたらしい」
「それって・・・お姉ちゃんの手作りお弁当?」
「そうだ」
「あははは・・・はは・・・」


ひきつった笑いを浮かべる。


「お姉ちゃんにわかったら、タイヘンなことになるよぉ」
「・・・・・・メス一本か?」
「たぶん、4本」
「・・・・・・」




・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

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「すまなかったな、国崎君」


ことん。


食後のお茶が置かれた。

一口すすった。

美味だった。

少なくともお茶は。


「・・・不満そうだな」
「不満がないと思っているのか?」


弁当の件に関しては、円満に解決した。

俺が誠心誠意説明した結果、血を見ずに済んだ。

俺の分として作ってあった弁当を、もう一度学校に届ける羽目にはなったが。

炎天下の中を、学校まで2往復後。

待望の昼食がふるまわれた・・・。


「・・・この家では、客にソーメンしか出さないのか。
いちいち竹を組んで流すのか。
そして客は、いつでも最下流なのか」
「いちばん食べそうな奴が最後尾スタートという、鉄の掟があるんだ」
「あんたがほとんど食っただろ、しかも自分で流しながらバクバクと」
「人数が足りないんだ。
オフィシャルも競技に参加せざるを得ない」
「普通に食べればいいだろ、流しソーメンでなく」
「せっかく切り出してきた竹だ。
一回だけ使って捨てるわけにはいかないだろ」
「変なところで気を回すな」
「君に気を回しているわけではないぞ。
あの子が流しソーメンと言ったら、この家では流しソーメンなんだ」


きっぱりと言う。

聖は、佳乃の意志を第一に考える。

佳乃がその場にいるかは問題ではないらしい。

それは、単なる過保護や溺愛ではないのだろう。

神社で倒れた時、佳乃は無意識に言っていた。


――『痛いよ、お姉ちゃん』と。


「・・・よくあることなのか?」
「今年の夏はまだ2戦目だ」
「流しソーメンの回数はどうでもいい。 佳乃の立ちくらみのことだ。
子供の頃は貧血だったと言ってたが、今もそうなのか?」
「いや、あの子は健康そのものだよ。
少なくとも、身体的にはな・・・」
「身体的には・・・?」


問い返しても、返事はなかった。

湯飲みの中に映る自分を、聖は見つめている。

やがて、ゆっくりと言った。


「いや、大した意味はない」
「・・・・・・」


ふと、空気が淀んだのがわかった。

多分俺は、部外者が触れてはいけないことに踏み込んでいた。

それでもなぜか、訊かないわけにはいかなかった。


「・・・なあ」
「ん?」
「こういうことを訊いていいのか、わからないんだが・・・。
あんたたち、両親は・・・」
「ああ、そのことか」


あっさりとした切り返しだった。


「たぶん、君の想像どおりだと思う。
私と佳乃には、両親がいない。 今はもう、な・・・」
「・・・・・・」
「母は佳乃がまだ小さな頃に他界したし、父も二年前に亡くなったよ。
それ以来、私と佳乃は二人で生きてきた。
自分で言うのもなんだが、けっこううまくやってきたと思うぞ」
「・・・そうか」
「ああ、うまくやってきた。 今年の夏まではな・・・」


聖の寂しげな声が、診察室の白い壁に影を落とした。

今年の夏。

それはどこか特別な響きを持って、俺の耳にも届いた。

玄関の扉が開く音がした。


「・・・先生、おられますか? うちの子がちょっと・・・」


患者が来たようだった。


「はい。 少々お待ちください」


「俺はそろそろ帰る」


そう言って、ベッドから腰をあげた。

湯飲みを手早く片付けながら、聖が言った。


「・・・なあ、国崎君」
「なんだ」
「本当に、佳乃はいい子だよ。 無邪気でやさしい子だ。
誰とだって友達になれる。 どんな時でも、にこにこと笑っていられる子だ。
私の大切な妹だよ。 仲良くしてやってくれよな・・・国崎君」


そう言って、口元をゆるめる。


「また、明日な」
「ああ・・・」


俺は診察室から出た。


・・・。

 



相変わらずの、焦がすような日射し。

さすがに人形芸をやる気力はない。


「・・・・・・」

 

(・・・とりあえず、駅に戻ろう)



・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。



・・・温もりを感じた。

柔らかな温もりが、撫でるように額に触れる。

気持ち良い・・・。

心地良い・・・。

遠い昔に聞いた、子守歌のようで・・・。

幼心に聴いた、丘を流れる風音のようで・・・。



・・・・・・。


・・・。

 

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・・・目覚めると、ベンチの上。


時はすでに夕暮れ近い。

じりじりと肌を刺す西日が痛い。


ぐ~・・・。


腹が鳴る。


「・・・ずいぶん、長い間眠っていたんだな」


まだ赤くはないが、確かに傾いてる陽を見ながら呟く。

さて・・・今からどうしたものかな。

夕食には早い・・・。

金を稼ぎに行くには遅い・・・。

・・・・・・。


寝るか・・・。

それが一番カロリーも消費しないし、腹が減らなくて済む。

もう一度、ベンチに寝転がる。

その拍子に、ポケットから人形が転がり落ちた。


「お・・・」


大事な相棒を拾おうと手を伸ばす。


す・・・。


目の前で、人形が誰かの手によって拾い上げられた。


ゆっくりと視線を上げていく。

 

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「・・・・・・」


遠野美凪だった。


「・・・・・・・・・おはようございます」
「ああ、おはよう」
「・・・・・・・・・これ・・・国崎さんの?」


手にした人形を示しながら言う。


「まあな」
「・・・・・・・・・お友達?」
「それは失礼な物言いだとは思わんか・・・?」
「・・・・・・・・・ではお子さん」


俺は何者だ・・・。


「それは俺の商売道具だ。 言ってなかったか?」
「・・・・・・・・・」


少し考えてからコクリと頷く。

そうか、言ってなかったか・・・。


「・・・とても汚れていますね」
「ああ、ずいぶん長い間、こき使ってきたからな」
「・・・・・・・・・・・・・あ・・・」
「ん?」
「・・・お人形・・・目がなくなりかけてます」
「それは元々だから気にしなくてもいい」
「そう・・・」
「うん?」
「・・・・・・」


なにやら、思案に耽る遠野。

致し方なく、しばらくの間、答えが出るのを待つことにした。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 

・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。



「・・・あ」


(お?)


どうやら、答えが出たらしい。


「・・・国崎さん」
「なんだ」
「・・・お人形・・・直してさしあげましょうか?」
「どうやって?」
「・・・・・・・・・じゃん」


いきなり手に糸のついた針が現れた。

どこからどうやって出したのか、全然わからない。


「・・・貸してみてください」
「あ、ああ」


人形ともがれた目を渡す。

遠野は受け取るや否や、慣れた手つきで目を顔に縫いつけた。


「・・・どうぞ」
「・・・おぉ・・・」


その仕上がりは完璧だった。

トロそうに見えて、なかなかやるものだ。


「サンキュー」
「・・・・・・・・・」

 

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「・・・産休?」


・・・違う。


「感謝のサンキューだ」
「・・・感謝・・・・・・・・・ありがとう?」
「まあ、そうだな」
「・・・・・・・・・ありがとう・・・」


反芻するように呟きながら、俺の顔を見る。


「・・・ありがとう」
「・・・何で、俺に感謝するんだ」
「・・・ありがとうの・・・ありがとう」


一瞬、頭が混乱する物言い。


「・・・・・・ああ、ありがとう」


少し、頭の中を整理すると、ありがとうを返しておいた。


「・・・・・・ありがとうのありがとうの・・・ありがとう?」
「まあ・・・そう、なるかな」
「・・・じゃあ・・・・・・ありがとう。
・・・・・・ちなみにこれは・・・ありがとうのありがとうのありがとうの・
・・」
「遠野」


危険な香りを察知し、言葉を遮る。


「・・・・・・?」
「きりがないから、もうやめよう」
「・・・・・・・・・がっくり」


そう言って、少しだけ頭を傾かせた。


「でも凄いぞ、遠野美凪
「・・・・・・」


うなだれていた首を、ゆっくり起こす。


「・・・凄い?」
「ああ。 凄い」
「・・・・・・・・・えっへん」


そして、僅かに胸を反らした。


「・・・では・・・他にも直しておきましょうか」
「本当か? 頼む」
「・・・はい」


ちくちくちく・・・


細やかに手を動かし、修繕していく。


「・・・・・・・・・これできれい」


やがて、遠野が人形を抱き上げた。


「おぉ・・・」


二度目の、感嘆の息をつく。

受け取ってみると、各部をチェックしてみた。

取れそうな部分、ほつれていた部分、すべてが綺麗に補修されていた。


「すまないな・・・」
「・・・・・・・・・」


ぷるぷると、首を左右に振った。


「・・・このくらいお任せです・・・私・・・裁縫好きですから」
「でも、なんだか悪いな」
「・・・そう・・・思いますか」
「まあ、少しな」
「・・・それでは・・・ええと・・・かわりに・・・私からも一つお願いして
いいですか」
「ああ。 何でも言ってくれ」
「・・・・・・・・・なんでも?」


(はっ! しまった!)


「俺にできることなら、きいてやろう」
「・・・・・・・・・残念」
「・・・・・・」


いったい、俺になにをやらせるつもりだったのだろう・・・。


「で、お願いってなんだ」
「・・・はい・・・えっと。
・・・あとでみちるが来ると思いますので・・・伝えていただけますか」

「何をだ?」
「・・・私が・・・もう帰ったことを」
「帰ったことをって・・・」
「・・・はい。
・・・今日は早く帰らねばならないのです」
「そうなのか・・・わかった。 お安いご用だ」
「・・・お願いいたします」


ぺこりと頭を垂れる。


「・・・それと国崎さんにもひとつ、お伝えしたいことが」
「ん? なんだ」
「・・・実は・・・たいへん言いづらいことなんですが・・・」
「・・・なんだよ、かしこまって」


遠野の神妙な声に、俺は幾分背筋を伸ばした。


「・・・国崎さん」
「え・・・」


遠野が、不意に俺の胸元に鼻を寄せてくる。

長く艶やかな遠野の髪から漂う香りが、俺の鼻先をからかうようによぎった。


「・・・・・・・・・やっぱり」


ゆっくりと胸元を離れながら呟く。


「・・・国崎さん・・・お風呂に入っていませんね」
「ん? ああ、まあな」
「・・・・・・・・・汗くさいですよ」


がーーーん!


「マジか・・・」
「・・・・・・残念ながら」


自分の匂いをかいでみる。


「・・・・・・」


確かに、汗くさい。

考えてみれば、何日か風呂に入ってない・・・。

かといって、入れるあてがあるわけでもない。

体を洗わなければ、匂いはどんどん蓄積されていくばかり・・・。


「むむむ・・・」


悩む。


「・・・・・・・・・あの・・・」
「ん?」
「・・・シャワーでよろしければ・・・この中のを使えますよ」


駅舎を指さす。


「・・・実は私・・・こういうものを持っています」


じゃらっ、とポケットの中から鍵の束を取り出す。


「これ・・・この駅舎の鍵なんです。
・・・ちなみに・・・駅舎の中には駅員専用のシャワー室があったりします」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・えっと・・・・・・すごい?」
「なんで、そんなもん持ってんだよ・・・」
「・・・・・・・・・びっくり?」
「ああ。 まあな」
「そう・・・」


なぜだかわからないが、遠野は満足そうだった。


「・・・実は・・・父が以前、この駅の駅長をしていたことがあるんです。
・・・だから鍵を持ってるんですよ・・・私」
「それ、理由になってないぞ」
「・・・あれ・・・そう?」
「そう」
「そう・・・・・・・・・」
「・・・ま、風呂に入れるなら、なんでもいいけどな」


ヤバイ方向に話がいきそうなので、深く考えるのはやめにする。


「・・・ですね。
・・・では・・・この鍵は国崎さんにお預けします」
「いいのか?」
「・・・はい。
・・・駅にはひとがいた方が良いですから」
「よくわからない理屈だな」
「・・・そう?
・・・でも・・・本当のことですよ・・・それは。
・・・ここは・・・私にとって大切な思い出の場所ですから。
・・・そこが寂れてゆくのは・・・やっぱり辛いです」
「・・・・・・そっか。
そういうことなら、遠慮なく使わせてもらうぞ」
「・・・はい。
・・・中にボイラー点火用のライターがあると思いますので・・・使ってください」
「わかった」
「・・・火の取り扱いには注意してくださいね」
「ああ」
「・・・では・・・みちるのこと・・・よろしくお願いします」


ぺこりとまた頭を垂れる。


「・・・それでは」



そして、遠野は帰っていった。

俺は、その後ろ姿がみえなくなってから、鍵を使い、駅舎の中へと入った。



・・・・・・。


・・・。



シャワーを浴び終えると、俺はさっそく夕食の準備にとりかかった。

と言っても、さほど難しいことはなく、準備は簡単に終わった。

米を洗い、飯盒を火にかける。

後は、米が炊きあがるのをウキウキしながら待つのみである。

俺は、焦る気持ちを抑え、ひたすら待った。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。


「ん?」


背後から、誰かの視線を感じた。

俺を見つめている。

いや、睨んでいるかもしれない。

俺は、その視線を辿るように振り返った。

そこには・・・。


・・・。



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「・・・・・・」


オレンジ色の黄昏に、ぽつんと立ちつくすみちるの姿。


「み・・・、えっ・・・」


声をかけようとした刹那、少女の姿が霞んで見えた。

地上に浮かぶ蜃気楼のように・・・。

幻に咽ぶ、透明な涙のように・・・。

でも、それは一瞬のことで・・・。


「・・・・・・」
「みちる・・・?」


西日が、彼方の尾根をオレンジ色に染めていた。

長く伸びゆく影が、今日の終わり、明日の居所を探していた。


「・・・どうした、こんな時間に」


穏やかに、声をかける。


「・・・・・・・・・うん・・・あのね」


夢から覚めたばかりの、寂しい幼子のように・・・。


「・・・美凪・・・もうかえっちゃったよね・・・」
「ああ。 少し前にな」
「んに・・・そっか・・・」


悲しげに、肩を落とす。


「・・・・・・用事が・・・あるみたいだったからな」
「うん。 でも明日になったら、また会えるから」


そう言って、みちるは笑う。


「それよりね、国崎往人
「なんだ」
「うん・・・あのね・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・ありがとね・・・」
「え・・・」
美凪、すごく楽しそうだった」


彼方の稜線が、空の色に霞んでゆく・・・。


「・・・・・・見てたのか?」


夜が、足音を忍ばせながら、海辺の町に近づいてきている。


「・・・うん・・・みちるは・・・いつも美凪のそばにいるから・・・」


人々の姿が霞む黄昏。

誰?と訪ねたら、そこから誰の声が聞こえてくるだろうか・・・。

 

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そして、この空の彼方には・・・。


「・・・ずっとね・・・かんがえてたの・・・。
・・・いっぱいいっぱい、かんがえてたの・・・」


茜色の空に、言葉が解き放たれてゆく。


「・・・すこし、かなしいけど・・・でも、やっぱりこれでいいんだって・・・そう思ったの・・・」


遠い海風にあおられて、行き場をなくした鳥が一羽。


「・・・・・・なんのことだ」
「・・・・・・」


みちるは答えない。

ただ、寂しげに微笑むばかりで・・・。


「もうすぐ、一番星が見えるよ」
「え・・・」
「だから、みちるはもうかえるね」



そして・・・。


気がつけば、少女の姿は、夕空に黒く浮き上がった木立の隙間に消え入り・・・。


「みちる・・・?」

 

 

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・・・。

 

辺りを見回し、姿を探してみる。

でも、もうそこには誰もいない。

たったひとつ、そこにあったのは・・・。


「・・・・・・」


ベンチの横に置かれた、ストローがささったままの紙コップ。

俺は、石鹸水が入ったままの紙コップを手に取り、それをじっと見つめた。


「あいつ・・・」


ストローを取り、ゆっくりとその口を吹いてみる。

吹く息に合わせて、シャボン玉がストローの先でゆっくりとふくらむ。

シャボン玉が、夕暮れに向かって漂ってゆく。

ふわりふわりと、風に戸惑いながら漂ってゆく・・・。

俺は手の中に視線をもどした。

紙コップを足下に置いて、ベンチの上に寝転がる。

視界一面に、藍を抱き始めた空がひろがる。

視線をずらせば、飯盒の下で燃える炎が目についた。

炎は、夕暮れと同じ色をしていた。

その上では、生まれたばかりの一番星の輝きがひとつ・・・。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。