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AIR【14】

 

8月2日(水)

 

 

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朝になっていた。

眠れなかった。

長い時間、俺は薄闇だけを見つめ続けた。

セミの鳴き声が聞こえだした。

ソファーの上で大きく伸びをしてから、一日を始めた。


・・・・・・。


・・・。


モップを取り出し、いつもそうしていたように床を磨く。

過ごしなれてしまった、日常。

朝の待合室は静かだ。

それも、いつもと変わらない。

モップ掛けが終われば、次は窓。

ブラインドを上げて、室内に光を招き入れる。

窓を開けると、セミの声が真っ白な壁に響く。

窓拭きが終わる。

窓を閉めて、クーラーのスイッチを入れる。

今日は客が来てくれるだろうか。

心配だ。

電気代だって、馬鹿にならないと思う。

せめて、還元できるだけの稼ぎがあればいいのだが・・・。


・・・・・・。


表に出る。

人通りは皆無だ。

まだ、朝も早いのだから無理はない。

気の早い何軒かの店は、すでにシャッターを上げている。

遠くの店で、見覚えのある店主らしき人物が、店の前に打ち水をしていた。


視線が合う。


軽く会釈をされた。

とりあえず、俺も会釈を返す。

打ち水を終えた店主が、店の中へと入っていく。

そして、誰もいなくなる。

陽射しがキツイ。

バケツを持ってきて、診療所の前に打ち水をする。

ぱしゃっ、と音がして、アスファルトの色が変わる。

もう一度、水をまく。

水しぶきに夏の陽射しがあたり、小さな虹ができた。

きれいだ。

そう思った。


・・・・・・。


扉の前に置かれていた朝刊を拾い上げ、待合室へ持ち帰る。

室内はクーラーの冷気が充満していて快適だ。

一仕事終えた充実感。

チラシが挟まったままの朝刊を、ソファーに放り投げる。

読む気はない。

それよりも、朝食のことの方が気に掛かる。

腹が減った。

早く起きてきてはもらえないだろうか。

聖の料理の腕だけは、文句のつけようがない。

佳乃の料理は食べたことがないが、そうひどいものではないだろう。


たぶん・・・。

 

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「おはよぉ~」


元気良く扉を開けて、佳乃が入ってくる。


「ぴこぴこぴこ~」


もちろん、ポテトも一緒だ。

 

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「おはよう・・・」


しばらくしてから、聖がのそのそと寝ぼけ眼を擦りながら入ってくる。

そんな姉の姿に、佳乃は笑い、俺は呆れる。


ようやく全員集合。


新聞を読もうとする聖を、俺と佳乃の二人がかりで急かす。

ぶちぶちと不満を漏らしながらも、聖はのそのそと朝食の支度をしに出ていく。


俺は佳乃の声に相づちを打ちながら、漂ってきた味噌汁の匂いをかぐ。

みんなで食卓を囲み、一日が始まる。

ある夏の一日。

ありふれた一日。

それがすべてであっても、構わないかもしれない。

 

・・・・・・。


・・・。

 

誰も来ない診療所。

正午になり、昼食を食べ終える。

揃って食後のお茶。

当然のように、俺は眠くなる。

でも、午後からは残ったカルテの整理をしなくてはいけない。

昼寝は、その後までお預けだった。

 

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「ねえねえ、往人くん」


湯飲みを手にしながら、佳乃が俺を覗き込んできた。


「今日ね、午後から時間ある?」
「時間?」
「うんっ、一緒にどっか行こうよ」


子供がオモチャをねだるときのような瞳だった。


「それは構わないが・・・」


ちらりと聖に視線を送る。


「ずずずずぅぅぅぅ」


無心に茶をすすっていた。


「仕事、終わってからでもいいか?」
「うん、いいよぉ」


目の前で佳乃が微笑む。


「・・・いや」


隣で、ことん、と湯飲みを置く音がした。

 

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「午後から、君は非番だ」
「非番?」
「ああ」
「どうして」


聞き慣れない言葉に、思わず問い返す。


「君は、よく働いてくれるからな。 特別休暇だ」
「・・・・・・有給?」
「もちろん」
「・・・そういうわけで、たった今暇になったぞ」


「うんうん、往人くんは現金だねぇ」


にこにこと笑う。


「ぶらぶら散歩でもするか」
「うんっ、それが名案!」
「いつもと同じだけどな」
「同じなのがいいんだよぉ」
「そうなのか」
「そうなのだぁ」
「でも、本当にいいのか」


聖の方を振り向き、念を押す。


「ああ。 客の相手は私一人でも間に合う」
「当然だな」
「・・・・・・」


・・・。


「それはどういう意味だ」


どうやら、また失言をしてしまったらしい。


「そういうわけで、後のことはよろしく」


「うわわっ、ちょ、ちょっと、往人く~ん・・・」


佳乃の腕を強引に引っ張り、出かけることにする。


「・・・逃げるのか?」
「逃げる」


言い切った。


「ふ・・・そうか」
「え・・・」


「佳乃」
「なに? お姉ちゃん」
「・・・楽しんでこいよ」
「うんっ!」


・・・・・・。


・・・。

 


「どこ行こっかなぁ」


「ぴこぴこぴこ」


佳乃とポテトを連れ立って、とりあえず商店街の出口を目指す。

生き先は決まっていない。

決める必要もない。


「あれれ? どうしたのぉ」


「ぴこぴこ?」


「・・・ん? なにがだ」
「なんか、元気ないねぇ」


「ぴこぴこ~」


「いや、そんなことはないぞ」
「うぬぬ・・・そうかなぁ」


「ぴこ~・・・」


「気にするな。 俺はいつだって元気だ」
「うぬぬぬ・・・」
「本当だぞ。
よぉく見ていろ、証拠を見せてやるからな」

 

ぴんぽーーーん。

 

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「うわーっ、いきなり人ん家のチャイム押したぁーっ」
「よしっ! ダッシュだっ!」


華麗に走り出す。


名付けて、ピンポンダッシュ


・・・そのままだ。


「うわわっ、ま、まってよぉー」


「ぴこぴこぴこー」


佳乃とポテトは俺の俊敏な動作についてこれず、立ち尽くしている。

 

『はーい、どなたー』

 

ヤバイ。

家の人が出てきてしまう。


「早くしろっ」


振り返り、佳乃とポテトを急かす。


「うんっ」


「ぴこぴこっ」


「あっ、霧島ですぅ」


インターホンに話しかけていた。

 

「・・・・・・」

 

すたすたすた。


走ってきた道を戻る。


「あれれ? 逃げないのぉ?」
「なんでやねんっ!」


びしっ、と裏拳を入れた。

がらっ、と玄関が開いた。


「あら、佳乃ちゃんとポテトじゃない」
「あ・・・」


見つかってしまった。


「こんにちはぁ」
「ぴこぴこぴこー」


笑顔で挨拶。


「なんでやねんっ!」


とりあえず、もう一度裏拳をかましておく。


「それで、なにか御用?」


「あっ、はい。
えっとですねぇ、実はピンポンダッシュを・・・」
「こらこらっ」


慌てて佳乃の口を塞ぐ。


「もがもが・・・」
「ったく・・・」


危機一髪だった。


「ピンポンダッシュ?」
「あ・・・」


危機は続いていた。


「ピンポンダッシュって、なんのこと?」


訝しげに首を傾げる。


「・・・・・・知りたいか」
「そうねえ・・・」


知りたくもなさそうだが、付き合いで頷いてくれる善良なおばさん。


「うむ。 では教えてやろう」


こほんっ、とひとつ咳払い。


「もがもが」
「・・・おまえは聞かなくてもいいぞ」
「もが・・・」


残念そうだった。


「そもそも、ピンポンダッシュとは、古代ギリシャの貴族達の間で行われた、由緒正しきスポーツなんだ。
ルールは至って簡単。
ピンポーンと言いながら走り続けて、先に息が切れ、言えなくなった方が負けだ。
というわけで、俺達はこれで失礼させてもらう。
ご静聴、ありがとうございました」


ぺこりとお辞儀をする。


「もが・・・」


ついでに佳乃の頭を掴み、お辞儀をさせる。


「よし、行くぞ」
「もがもがもが」


おばさんに手を振る佳乃を引きずりながら、場を離れる。


「ばいばい、佳乃ちゃん」


おばさんも、にこやかに手を振っていた。

とりあえず、作戦は成功のようだ。


「あんまり、イタズラしちゃだめよ」


・・・。


「・・・バレバレじゃん」


やはり、おばちゃんは侮りがたかった。


「もが」
「ぴこ」


・・・っていうか、俺って歳いくつだ?

 

・・・・・・


・・・

 

そして・・・。

 

俺達はこの場所に流れ着く。

 

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「やっぱり、ここが一番静かでいいねぇ」


欄干から身を乗り出して、体全体で風を受ける。


「静かなところなら、他にもたくさんあるじゃないか」


佳乃の後ろ姿を見つめながら、冗談交じりに言う。


「もぉ、往人くんはムードがないなぁ」


振り向いた佳乃の笑顔が、眩しい。

柔らかな髪が風にゆれている。

その向こうには空。

遠くの木立から、小さな鳥が空へと羽ばたいていった。

それを無言で眺める。

二人と一匹。

誰も口を開かない。


「・・・ねえ、往人くん」


ようやく、佳乃が言った。


「なんだ」
「うん・・・えっとねぇ」


顔の前で、ぴっ、と人差し指を立てる。


「いっこだけ、質問していい?」
「構わないぞ。 ずんずん訊きなさい」
「よーし、じゃあ、ずんずん訊くねぇ」
「ああ」
「えっとぉ・・・往人くんは女の子を探してるんだよねぇ?」
「いちおうな」
「その子って、空にいるんだよねぇ?」
「たぶんな」
「この町には、いないんだよねぇ?」
「そういうことになるだろうな」


・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

・・・それは、ずっと昔から。

・・・そして、今、この時も。

・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。


「ということは、やっぱりアレかなぁ」
「アレ?」
「うん・・・。
いつかは、この町を出ていっちゃうのかなぁ・・・」
「・・・・・・そうだな。
路銀が稼げれば、出ていくだろうな」
「うぬぬ・・・そっかぁ。 そうだよねぇ・・・」


佳乃の声がくぐもる。


「どうかしたのか」
「どうもしないよぉ。 あたしは、いつも元気だもん。
だからね、大丈夫だよぉ」


言いながら、ぐっ、と二の腕に力こぶをつくってみせた。

当然ポーズだけで、盛り上がるはずもない。


「うーん。 でもね・・・」


再び、肩を落とす。


「やっぱり、ちょっと寂しいかなぁって」
「・・・寂しい?」
「うん・・・。
せっかくこうして知り合えたのに、離れちゃうから」
「・・・・・・」
「でもでも、しょうがないよね。
往人くんには、往人くんの人生があるんだから・・・。
って、ちょっと大げさだったねぇ」


寂しげな笑い声。


「・・・・・・」

 

 

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俺は言葉をなくした。

だから、空を見上げた。

見失った言葉を、そこに求めるように。

 

 



「・・・・・・」


・・・・・・。


「・・・空に、行くよ」
「えっ?」
「あのね。
もしもね、あたしが・・・あたしが、ホントに空を飛べるようになったら・・・。
その人のこと、あたしが探してあげるね。
うわわわっ。我ながらすごいアイデアだよぉ」


悪戯っぽい瞳が、俺のことを覗き込んでくる。


「そうすれば往人くん、自分で探さなくていいよ。
お姉ちゃんと毎日お茶飲んで、ぐーたらしてればオッケーだよ~」
「・・・・・・」


・・・やっぱりぐーたらしてるように見えるのか、俺たちは。


「最低限、モップ掛けぐらいはしないと駄目だろうな」
「そっか。 往人くんバイトだもんねぇ。
でもあたし、いっしょうけんめい探すから、きっとすぐに見つかるよ。
どんな人なのかなぁ・・・」


眩しそうに目を細め、青空を仰ぐ。


「きっときっと、すっごくきれいな女の子だよね。
すらっとしてて、髪の毛がさらさらで・・・。
鳥の羽根みたいにふんわりしてるの」
「なぜわかる? 妖怪みたいな奴かもしれないぞ」
「そんなことないよぉ。
だって・・・きれいな人じゃないと、往人くんに似合わないから」
「・・・・・・おせっかいだな」
「おせっかいだよぉ」


いつものように笑った。


「・・・んんんっ。 ふう」


両手を組み、大きく伸びをする。

手首のバンダナが、風の中で揺れる。

もしも、佳乃があのバンダナを外す日が来たら。

その時、俺は・・・。


「往人くん、行こっ! ポテトもだよっ」
「ぴこっ!」

 

・・・・・・。


一人と一匹が、砂利道の向こうに駆け出していく。

俺も続こうとして、なぜかためらった。


「佳乃」


華奢な背中に声をかけた。


「なあに?」


変わらない笑顔が、俺を振り向く。


「もしかしたら、お前は・・・。
いや、何でもない・・・」
「なんでもなくないよぉ」


ぶすっと口をとがらせる。

髪に手を当てて、くしゃっとかきまわしてやった。


佳乃が笑った。

とても幸せそうに。


「ぴこぴこぴこ~」


ポテトも笑った。


幸せかどうかは、俺の知ったことじゃないが。

 

・・・・・・・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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一人になった時には、日が暮れていた。

今から行くところがあるからと、佳乃を先に帰した。

 

『遅くなったらダメだからねー』

 

そう言って、夕暮れの道をぱたぱたと走っていった。


ポテトも後をついていった。


普段の歩調に戻して、俺は歩き出した。


目指す場所は決まっていた。

 

・・・・・・


・・・

 

この町で一番空に近い場所。


石段を登り、背の低い鳥居をくぐる。

 

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誰もいない参道。

その奥に、こぢんまりとした本殿がある。

改めて見ると、そう古い建物でもないように思える。

独特の曲線を描き、そそり立つ瓦屋根。

その上の空は、燃えるように紅い。

薄闇を招くように、ヒグラシが鳴いている。

他に誰もいない。

参道を進み、軒先に入った。

粗末な木の階段が、一段ごとにきしむ。

木で組まれた鎧戸の隙間に、色の濃い闇が沈んでいる。

その向こうにあるはずだ。


輝く羽根。


佳乃が望んだ翼。


鎧戸に触れ、そっと力を込める。


「・・・閉まってる」


視線を下げると、錆びついた南京錠がかけてあった。

その横には張り紙。


『お賽銭はここからお入れください』

『お札はこちら』

『一万円札も使えます』

『お釣りは出ません』


・・・・・・。


田舎のくせに、セキュリティーが万全すぎる。

賽銭泥棒でも出没するのだろうか。

南京錠を手で持ち、左右にひねってみる。

びくともしない。


「どうしたものか・・・」


こじ開けるのは絶対に無理だ。

針金を突っ込んで開けようにも、その針金がない。

宮司に事情を話そうにも、この神社は無人だ。

こんな時、俺に超能力があったら・・・。


「・・・・・・」


あった・・・。

俺は手を触れずに物を動かせる。

直接は見えていない物も、動かせないことはない。

とすると・・・。

当然、錠前の中身だって動かせるのではないか?

我ながらすごいアイデアだ。

今まで思いつかなかったのが不思議なぐらいだ。

いや。

ちょっと待て。

もしかしたら俺の力って、悪用すればすごいことになるんじゃないか?


「・・・・・・」


これは人生の一大転機なような気がする。

今まで俺は、つつましく人生を歩んできた。

旅先で牛乳をくすねたり無意味に子供を泣かしたりもしたが、おおむね善良な生き方だったと胸を張って言える。

このまま善良に生き抜くか、別の一歩を踏み出すか。

俺の両耳で、天使と悪魔が交互に囁く。

ベタなネタだが、本当だからしょうがない。


・・・・・・。

 


要は鍵を開けられる道具を探せばいいのだ。

ヘアピンか針金、大歓迎。

神社の合鍵がダイレクトに落ちていれば尚可。


「・・・そんなものが都合よく落ちているわけないか」


暮れなずむ空に、俺のため息がとけ込んでいく。

すると、空が応えた。


「ぴこー」

 

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「ぴこぴこー」


・・・見慣れた犬っころだった。

何かを口にくわえている。

ポテトはぽてぽてと俺に近づいてくると、それを俺の前に置いた。

錆びついた鍵だった。

目の前の鎧戸には、錆びついた錠前。

いかにもジャストフィットだった。


イカした奴だぜ、マイブラザー!」
「ぴこぴこー!」
「冗談だ。 俺には犬畜生の舎弟はいない」
「・・・ぴこ~」
「気を落とすな。 家来にしてやるから」
「ぴこぴこっ!」
「契約金、吉備団子等は出ないので、各自で調達すること。
ちなみにおやつは300円以内だ」
「ぴこっ?」
「もちろんだ。 バナナはおやつに含まない」
「ぴこぴこっ?」
「うむ。 水筒の中身はスポーツドリンクでもOKだ」
「ぴこー」


契約がまとまったところで、早速作業をはじめる。

鍵を南京錠に挿し込み、慎重に回す。


・・・かちっ。


「おっ」


だが、錠前は外れない。

鍵をぐりぐりとこじってみる。

やっぱり外れない。


・・・ぐりぐりぐり。


もう少しで外れそうなんだけど、外れそうで外れない。


・・・ぐりぐりぐりぐりぐり。


・・・ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり。


・・・ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐ~りぐり。


「うがあああっ、イライラする~~~~~~~っ!
賽銭箱まであと少しだってのに~」
「ぴこ~」
「冗談だ冗談。
・・・本当に冗談だから、俺をそんな目で見るのは止めろ」
「ぴこぴこぴこー」

 

・・・・・・。


・・・。

 

悪戦苦闘すること、30分。

ついにその瞬間が来た。


かちん。


「よっしゃああっ」


澄んだ音と共に、鍵が動かなくなった。

押しても引いてもどうにもならない。


「・・・・・・こんなものはこうだあっ!」


南京錠に回し蹴りをくれてやった。


ぱきっ。


「・・・・・・」


鍵の先が折れて、鍵穴に残ってしまった。


「なんてことするんだこの罰当たりめっ!」
「ぴっ、ぴこ~・・・」


手近な奴に責任転嫁してみる。

何の解決にもならない。


「・・・・・・」


こうなったら、残る手はひとつだ。


「ずらかるぞ」
「ぴこっ」


家来と共に、一目散にその場を後にする。

俺たちの背中を押すように、ヒグラシが声を揃えていた。

無駄に切ない鳴き声だった。

 

・・・・・・


・・・

 

「ただいまー」
「ぴこぴこ~」

 

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「お帰り~。
あれ? ポテトも一緒だったんだぁ」
「ぴこー」


・・・。


二人と一匹で、待合室に入る。

薬品と消毒液、湿布の匂い。

ほっとしてしまう自分が、まだ少し照れ臭い。

診察室の灯りはついている。

だが、その向こうにいつもの気配がない。

 

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「聖は?」
「お客さんのところにお出かけー」
「隣町の人なんだけど、うちのお得意さんなんだよぉ」


診療所で得意先というのもなんだとは思うが、とりあえず頷いておく。


「帰りは遅くなるのか?」
「今日中には帰ってくるって言ってたけど」
「そうか」
「そういうわけなので~、今日はあたしがご飯作ることに超決定っ!」


無邪気な笑みを浮かべる。


「ポテトの分も作ってあげるねっ。
あれっ、いないー」


見回しても、ポテトの姿はなかった。


「まったく、気まぐれ風来坊だな」


自分のことは棚に上げて言う。

珍妙生物のくせに、ポテトはまるで犬のように頭がいい。

案外、俺たちに気を遣ってくれたのかもしれない。


「うわわわわわっ。 往人くんと二人っきりだよぉ。
どうしよぉ?」
「大丈夫だ、初めてでも、やさしくしてやるからな」
「・・・・・・」
「・・・もとい、ポテトの分まで俺が食ってやるからな」


楽しい食卓になりそうだった。


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

「往人くん、しっかりしてっ! 往人くんっ!」
「・・・・・・」


気がついたら、診察室のベッドの上にいた。


「・・・しっ死ぬかと思った・・・」


夕食の献立は、五目焼きそばだった。

聖が刃物を隠しているせいだろう、カット売りの材料を使っていた。

そのおかげか、見た目はなかなかイケていた。

多彩な食材同士が響き合い、えも言われぬ芳香を放っていた。

きっと隠し味にも凝りまくっているのだろう。

一口食べた瞬間。

背中に戦慄が走った。

新たなる味だった。

食物というカテゴリーを超越した味だった。

以前拾い食いした腐りかけのカレーパンに、よく似た味だった。


『往人くんだと、これじゃ少ないよね・・・』


自分の皿をものの5分で完食し、佳乃はすまなそうに言った。

そういうわけで、俺はモリモリ食べた。

ポテトの分まで食べた。

皿まで舐めた。

全てをたいらげた時、ふっと気が遠くなった。

きれいなお花畑の向こうで、誰かが俺に手招きしていた・・・。


「・・・・・・」


危ないところだった。

 

マジで。

 

心配顔の佳乃が、俺のことを覗き込んでくる。

 

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「佳乃・・・」
「往人くん・・・」
「お前、今までに料理をしたことがあるか?」
「えっと・・・この前ね、一回だけ」


超ビギナーだった。


「お姉ちゃんが包丁触らせてくれないんだもん。
怪我すると危ないからって」


予想するべきことではあった。


「料理の評判はどうだった?」
「えっとね。
お姉ちゃん、なんにも言わなかった」


悲しそうに答える。


「よくわかんないけど、そのあと三日ぐらい部屋に閉じこもっちゃって・・・」


霧島聖、全治三日。


「ポテトの分も作ったのに、ぜんぜん食べてくれなかったんだよぉ~」


駄犬ポテト、職務放棄。


「・・・・・・」

 

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「ぴこぴこ・・・」


いつの間にか、ポテトが帰っていた。

佳乃が夕食を作ると聞いた時、こいつはこいつなりに身の危険を察知したのだろう。

さすがは俺の義兄弟、大した高知能だ。


「ポテト」
「ぴこ」
「知ってて教えなかっただろ」
「ぴっこり」
「・・・・・・」


ベッドから降り、窓際に近づく。

ブラインドを上げ、窓を開け放った。

 

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深呼吸する。

ささくれ立っだ俺の胃袋を、夏の夜風が癒やしてくれる。

俺はポテトの首根っこをやさしく掴み、空中にそっと捧げ持った。


「お星様になれ~っ」


・・・ずぼむっ。


本場ニュージーランド仕込みのハイパントキックが炸裂した。

果てしない宇宙を行く、純白の毛玉。


「ぴこぴこー・・・」


ポテトは星に還っていった。


・・・・・・。

 

「・・・さてと」
「まだ動いちゃだめだよぉ」
「ここじゃ落ち着かないから、ソファーで寝る」


元気なところを見せるために、思いっきり伸びをする。

佳乃はしぶしぶ頷いた。


「お姉ちゃんが帰ってきたら、診てもらお」
「いや、いい。 こんなものは3秒で治る」
「いち、にい、さん」
「・・・・・・ごめん、今のうそ。 俺に胃薬をギブミ~」

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

眠っていたらしい。

ソファーに横になったまま、俺は辺りを見渡した。

観葉植物の葉。

壁にかかった複製画。

張り付いた闇が、元の色を消し去っている。

寝苦しい。

空気そのものが、かすかに熱を帯びている。

寝返りを打つと、シャツの背中が湿っているのがわかった。


「・・・・・・」


時計の秒針が、かちかちと動いている。

闇を食う虫がいるなら、こんな声で鳴くだろうと思った。

夕方のことが、頭の芯に残っている。

茜色の空と、鎧戸の向こうの闇。

神社に行ったのは、聖の話を聞いたからだけじゃない。

輝く羽根。

空にいる少女。

俺が旅を続けている理由。

俺以外には誰ひとり、納得できる者はいないだろう。

ただ、あいまいで、夢のような旅路。

母親に先立たれて以来、それが俺の生き方だった。


「・・・・・・」


わかっている。

空にいる少女のことなんて、俺は信じていないのかもしれない。

旅をする理由そのものを、俺は探しているのかもしれない。

他にどういう生き方があるのか、俺は教えてもらえなかったから。

自分に問いかける。

俺は何をしたいのだろう?

俺はどこを目指せばいいのだろう。

よくわからなかった。


・・・・・・。


かちゃり。

居間に続く扉が開いた。

それなのに、光が漏れてこない。

佳乃か聖なら、廊下の電灯をつけているはずだ。

人の気配。

足音を忍ばせている。

上体を起こそうとした時。

声が囁いた。


「・・・往人くん、起きてる?」
「ああ」


俺は答えた。

下半身をずらして、ソファーに座る。

佳乃は俺の真向かいに立った。

むき出しになっている肩が、肌寒そうだと感じた。

こんなに寝苦しい熱帯夜だというのに。

 

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「えっと・・・ホントにごめんなさい、でしたぁ」


ぺこっと頭を下げる。


「何が?」
「わたしが無理に勧めたから、食べすぎちゃったんだよね・・・」


・・・量の問題ではないような気もするが。


「次はポテトにも食べてもらおうな」
「そうだねー」


薄闇の中で、佳乃はどこか心細げに見える。

すぐに、その理由に思い当たった。


「聖は帰ってるのか?」


ぷるぷると首を振る。


「電話があったよ。
お得意さんのところに泊まるって」
「急患なのか?」
「ううん。 お酒飲んじゃったらしくて」
「・・・・・・」


往診に行った先で、酒を振る舞われたらしい。

田舎町だとそんなものなんだろうか。


「車で行ったわけじゃないだろ?」
「お姉ちゃん、お酒飲むとちょっとアレだから・・・」
「まさか、メス振り回すのか?」
「ううん、もっとすごいよぉ」
「・・・・・・」


・・・深くは触れないでおこう。


「聖の奴、何か言ってたか?」
「襲われないようにって」
「ポテトにか?」


夜になると凶暴化するのか?」


「ちがうよぉ、往人くんに襲われないように、だって」
「・・・・・・」
「となり、座っていいかなぁ?」
「襲われても知らないぞ」
「へーきへーき、だいじょうぶだよぉ。
んしょっ」


腰を下ろす。

よほど体重が軽いのか、ソファーはほとんど沈まない。

佳乃の横顔をうかがう。

少しだけ寄れば、肩が触れ合う距離にいる。

静かだった。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


・・・・・・。


・・・間が持たない。


「灯り、つけるぞ」


俺が立ち上がろうとした時。


「・・・やめてっ!」


佳乃が叫んだ。

小柄な身体を振り絞るような悲鳴。

何かが壊れかけたような声。


「あ・・・」


自分の口を指で覆う。

暗闇に瞳を泳がせる。

ありもしない助けを、そこに探すように。


「えっとね・・・怖いの。
ぱあって光るのが、怖いの」
「・・・・・・」
「自分でもよくわかんないんだけど」


小鳥のように、首をかしげる


「・・・いつからそうなった?」
「えっと・・・往人くんと会って、ちょっとしてから、かなあ」


昨日、聖から聞いた話が、実感として思い出された。


――『佳乃が羽根に触れた瞬間・・・辺りに光が満ち、何も見えなくなった・・・』


「・・・聖に相談したか?」
「そんな、大げさだよぉ」
「そのための医者だろ?」
「だって・・・心配かけたくないから」


視線を床に落とし、それでもきっぱりと言う。


「そんな遠慮してどうするんだよ」


お前のために、聖は医者になったのに。

だがそれは、俺が伝えるべきことではない。

佳乃は黙っている。

ほっそりとした指を、膝の上で揃えている。

佳乃が話しかけてくるのを待った。

二人並んだ隙間を、闇が満たしてくれるのを待った。

やがて・・・。

 

声が聞こえた。


「・・・訊いていいかなぁ?」
「いいとも。 ばんばん訊いてくれ」
「うんっ、ばんばん訊くねぇ。
昼間、橋の上で話したよね?
あの時往人くん、言いかけたこと、あったよねぇ?
『もしかしたら、お前は・・・』って言ったよねぇ?」


あどけなさの残る瞳。

かすかに宿った光の奥。


「あれって、もしかして・・・」


言い出して、聞けなかったこと。


――『もしかしたら、お前は・・・』


・・・俺の探している少女じゃないのか?


この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

それは、ずっと昔から。

そして、今、この時も。

同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。


「えっと・・・」
「・・・・・・」


俺は答えを返せない。

ずっと昔、まだ子供の頃。

佳乃は空に行きたかった。

翼がほしいと思った。

そして佳乃は、輝く羽根に触れた。

その時以来。

佳乃は変わってしまった。

だとしたら。


『これは佳乃じゃない。 別の誰かが、佳乃の振りをしているんだ』


だとしたら、佳乃はもう・・・。


「・・・うぬぬ。 往人くん、なんか深刻だよぉ」


茶化した言葉で、笑おうとする。

うまくいかない。

身じろぎした拍子に、肩と肩が当たる。

すぐに離れる。


「あのね、ホントはね・・・お姉ちゃん、電話でね、『今から帰るから』って言ってた。
あたしのこと考えて、夜は必ず帰ってくれてたから。
でも・・・それじゃお姉ちゃん、どこにも行けないから。
泊まってきていいよって、あたしから言ったの。
往人くんがいるから、大丈夫だからって。
初めて、自分からそう言ったの」
「・・・・・・」


こつん。


また、肩が触れ合う。

今度は離れない。

短く揃えた髪。

洗いたての匂い。

鼓動を感じようとする。

佳乃が今、ここにいる証を。


「えっと・・・えっと、ね。
往人くんは、旅人さんだから。
探してる人がいるから。
いつかはここを、出ていく人だから。
こんなこと頼んだら、いけないと思うけど。
往人くんが、よかったらだけど・・・」

 

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そして・・・。


「あたしのこと、もらってほしい。
あたしのこと・・・たしかめてほしい」


答えの代わりに。

俺はそっと、佳乃を抱き寄せた。


・・・・・・。

 

 


佳乃の部屋。

当たり前の日常を、佳乃が積みあげてきた場所。

カーテンの開いた窓から、ほのかに星明かりが射す。

だから、このままでいい。

佳乃がそう望むなら、暗闇でもかまわない。



「えっと・・・なんか、不思議。
別の人みたいに、見えるよ・・・」
「大丈夫だ。 俺は、俺だよ」



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佳乃が俺を見ている。

ほっそりとした身体の前で、両手をきちんと揃える。

それから、そっと目をつぶった。

佳乃の左の頬に、手のひらで触れた。

温かかった。

右の頬に、唇で触れる。

佳乃の左指が動き、俺の手にあてがわれる。

そこまでの距離を、確かめるように。

唇が重なる。

そして、離れる。

佳乃が薄めを開け、俺の首筋を見る。


「傷、まだあるんだね・・・」
「もうほとんど目立たないだろ」
「痛く、ない?」
「全然だ」
「でも・・・」


何か言いかけた唇を、もう一度唇で塞ぐ。

佳乃の身体を持ち上げた。

うろたえてしまうほど、軽かった。

そのまま佳乃を、ベッドに横たえた。

上衣の裾をめくろうとした。


「わわっ・・・」


あわてて、右手で胸元をおさえる。

その拍子に、バンダナが俺の指を撫でた。

俺はバンダナに触れた。

何年もの間、佳乃を守り、そして縛ってきたもの。

俺の手で、そっと解こうとする・・・。


「・・・ダメっ」


・・・。

 

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「ダメ・・・だよぉ」


跳ね起きた佳乃が、もう一度そう言った。

両足の間に手首を挟む。

それは自分自身ではなく、バンダナを隠すためだった。


「・・・・・・」


きょとんとした顔で、佳乃が俺をうかがう。

バンダナに、視線を落とす。


「これつけたままじゃ、ダメ・・・かなぁ」
「俺は、何もつけてない佳乃が見たい」


このバンダナを外さない限り、佳乃は佳乃にならない。

そんな気がしていた。


「これ取ったら、あたし・・・。
空、飛んじゃうかもしれないし・・・」
「空なんか、飛べなくていい」


お前はどこにも行かなくていい。

海辺の町で、ずっと幸せに暮せばいい。

いつまでも無邪気に、笑っていればいい。

そのためになら、俺は・・・。

腕を伸ばし、佳乃の手首に触れた。

佳乃はもう、何も言わなかった。

巻きつけられたバンダナを、俺は丁寧に解いた。

腐食した錠のように、あっけなく外れた。

 

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手首を取り、そっと持ち上げた。

傷痕なんて、どこにもなかった。

薄い皮膚のすぐ下を、確かに血潮が流れている。

怖いぐらいに、脈動が早鳴っている。

きっと、俺もそうなのだろう。

そのぐらい、佳乃は美しかった。


「きれいだ」
「・・・・・・」


俺のことを見つめたまま、ふさわしい言葉を探す。


「えっと・・・初めてだから、やさしく、してください。
・・・これって、ありがちだね~」


闇の中、はにかむ瞳。

だから、俺は誓う。


「約束する。
できるだけ、やさしくする・・・」


・・・・・・。


・・・。

 


8月3日(木)

 


風。

風が吹き渡る。

 

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黄金色の空。

天から舞い降りる。

あれは、幸せのかけら。

真っ白に輝く。

くるくると踊る。

だから、手を伸ばした。

渡そうとした。

いちばん、大切なひとに。

 


望んだもの。


ちっぽけな幸せ。


どこにでもある幸せ。


だから・・・。


ここは・・・。

 

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そうか、加乃の部屋だ。


カーテンの開いた窓から、朝日が斜めに入ってくる。


夢を見ていたような気がする。


思い出せない。


体を起こそうとして、違和感を覚えた。


何かが足りない。


大切な何かが。


「・・・佳乃?」


辺りを見回した。

床に散らかっていたはずの佳乃の服がない。

バンダナもない。

真っ白な光が、床一面にこぼれている。

その真中に、俺の人形だけが遺されていた。

視線を上げる。

ほんの少しだけ、窓が開いている。

爽やかな風が入ってくる。

その向こうに、夏空が広がっている。

当たり前のように。


「・・・佳乃つ!」


ベッドから跳ね起きる。

服を着ようとして、さらに重要なことに気づいた。

俺の服がない。

人形しかない。

パンツすらない。

俺ってもしかして素っ裸?

自分を見下してみる。


「・・・・・・」


大正解。


とんとん。


ドアがノックされた。


「・・・往人くん、入るよ~」


のほほんとした佳乃の声。


全裸で仁王立ちの俺。


がちゃり。


ドアノブが回った。


無慈悲に開いていく扉。


「・・・・・・」


大ピンチ。


よし、こうなったら・・・。

 

「きゃあああああああああああっ!
かのりんのエッチ~~~~~っ!」


先手必勝だった。

 

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「わわわわっ。 大声あげちゃダメ~っ!
お姉ちゃんに見つかったら、大変だよぉ。
解剖されちゃうかもしれないよぉ」
「・・・・・・」


一瞬で沈黙する俺。


「聖、帰ってるのか?」


小声で聞くと、こくりと頷いた。


「朝早くね、帰ってきたみたい」


そうすると、昨夜のことは知られていないのか。

とりあえず、胸をなで下ろす。


「ところで、俺の服は?」
「今洗ってるよぉ。
だから、乾くまでこれ着ててねぇ」


きちんと折り畳んだ衣類を手渡される。


「よく男物の服があったな」
「お父さんの服が、まだ残してあるから」
「・・・そうか」


深く考えず、着させてもらうことにする。

下着とズボンを身につける。


「そのTシャツね、往人くんに似合いそうなの、選んでみたよぉ」


佳乃が嬉しそうに言った。


「ちょっと小さいかもしれないけど・・・」


早速、佳乃の見つくろったTシャツを着てみる。

少し丈が短いが、贅沢は言えないだろう。


「往人くん、よく似合うよぉ」
「そ、そうか?」


どんな柄なのか、ドキドキしながら見下ろしてみる。


「・・・・・・」


胸元に『通天○』とプリントされていた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「おはよう、国崎君」
「・・・・・・」
「どうした? 朝から景気の悪い顔をして」


聖さんとお揃いだった。

っていうか、何枚あるんだこのシャツは?


「水を撒いてくる」


戸口に向かおうとした時。


「国崎君」


聖に呼び止められた。

いつにも増して、真剣な口調だった。


「わたしは医者であると同時に、佳乃の姉でもある。
だから、君に確かめておかなければならない。
わかるな?」


頷かないわけにはいかない。


「君は昨晩、佳乃の・・・作った夕飯を食べたか?」
「・・・・・・食べた」
「どうだった?」
「死ぬかと思った」
「そうか・・・」
「・・・・・・」


・・・・・・。


「いや済まない。 朝から深刻な話になってしまったな。
手術が必要なら、遠慮なく言ってくれ。
もちろん代金はいらない、医師として当然のことだ」


・・・その前に、姉としてちゃんと料理を教えてやれよ。


「お詫びに朝食はご馳走だ。 楽しみにしていてくれ」
「メニューは?」
「赤飯だ」
「・・・・・・」


そのギャグは直球すぎて笑えません。


「若い二人を祝福しようという私の気持ちがわからないとは・・・」

 

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いきなり4枚刃だった。

 


「冗談だ」
「そう言う前に、まずメスをしまえ」
「ああ、そうだった」


白衣の懐にメスを収める。


「今日も暑くなりそうだ。 水撒きは念入りに頼む」


俺に背中を向け、大股で歩き出す。

診察室の扉を開ける。


「君になら、任せられるな」


ぼそっと、そう言ったのが聞こえた。


・・・・・・。


午前中は、いつもの仕事をこなす。

玄関先に水を撒き、自転車置き場のゴミを拾う。


・・・。


モップ掛けの後、部屋じゅうの壁を拭く。

戸口に下がった『診療時間終了』の札を外す。

それから、診察室で暇を潰す。

相変わらず客は来ない。

この町の住人は、きっと健康なのだろう。


・・・・・・。


すぐ正午になる。

佳乃と聖と昼食をとる。

朝の余りものを、ああだこうだと言いながらそれなりに美味しく食べる。

それから、いつものお茶が出る。

 

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「ねえねえ、往人くん」


湯飲みをことりと置いて、佳乃が俺に言う。


「今日ね、午後から時間ある?」
「時間?」
「うんっ、一緒にどっか行こうよ」

 


「昨日も、同じセリフを聞いたような気がするが」


聖のつぶやきを無視しつつ、俺は佳乃に答える。


「ああ、いいぞ。 午後から、俺は非番だ」
「非番?」
「ああ」
「どうして」
「俺はよく働いてるからな。 特別休暇だ」
「・・・・・・」
「しかも当然、有給だ」

 

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・・・・・・。


「ごめんなさい。 有給じゃなくてもいいです」
「・・・・・・」
「明日からは毎日ちゃんとやりますから~」
「まあいいだろう。
その代わり、明日からは本当に毎日働いてもらうぞ」
「イエッサー!」


びしーっと敬礼する。

それから佳乃の方を振り向いた。


「で、今日はどうするんだ?」
「ぶらぶら散歩でもしよっ」
「いつもと同じじゃないか」
「同じなのがいいんだよぉ」


にっこりと笑った。


・・・・・・。

 


「行ってくるねぇ」
「遅くならないようにな」


いつものやりとり。

足を踏み出す。

日射しが強い。

アスファルトから立ち上る熱気で、町がゆらめいてる。

夏の盛りの午後。

散歩に行くには最悪の時間帯かもしれない。

ふと、佳乃が立ち止まった。

短い髪をふわりと揺らし、後ろを振り返る。

 

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「何見てるんだ?」
「ウチも古くなったなあって」


田舎町の、ちっぽけな診療所。

自転車が停まるためしのない駐輪場。

ガラス戸につけられた、すり減った取っ手。

剥げかけた白ペンキの壁で、光が踊っている。

お世辞でもきれいとは言いがたい。


「立て直せばいいだろ」
「そんなお金はないよぉ」


笑いながら、佳乃は視線を上向ける。

なだらかなトタン屋根の向こうに、真っ青な夏空があった。


「それにね、あたしはずっとこのままの方がいいなぁ。
お父さんとお母さんがいたころ、そのままだから」
「・・・・・・」
「じゃ、行こっ」


二人並んで、歩道を歩く。

通り慣れてしまった道。

店の名前もだいたい覚えてしまった。

というより、そのぐらい店の数が少ない。

すぐに町外れになってしまう。


「蝉の声がスゴいねぇ」


俺も耳を澄ましてみる。

どこかの庭の木立で、ミンミンゼミが繰り返し声を上げている。


「いつもと同じだろ」
「いつもと同じだけど、今日は特別スゴいよぉ」
「言ってることが矛盾してるぞ」
「うぬぬ・・・」


困ったように黙り込む佳乃が、子供みたいに見える。

いつもと変わらないこと。

それこそが、特別なことなんだろう。

俺もそう思う。


「夏はホントにいいよねぇ。
どこまでも、行けそうな気がするから」


・・・・・・。


・・・。

 

 

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「やっぱりここか」
「やっぱりここだねぇ」


ここまで来れば、風はぐっと涼しい。

橋の欄干に両腕を置く。

ちょろちょろと流れていく水面を、二人で並んで眺める。

それだけで、佳乃は幸せそうだった。


「・・・この町にだって、他に面白い所があるだろ?」
「あるよぉ」
「例えば?」
「えっとぉ。 例えばねー・・・。
えーっと・・・・・・・」


・・・・・・。


「・・・もういい。 俺が悪かった」


何も挙げられないのがくやしいのか、佳乃はまだ考えている。

その顔がぱっと明るくなった。


「あっあっ、そうだ!
来週の日曜日はねぇ、神社でお祭りなんだよぉ。
あたしは、あんまり行ったことないけど」


ぽつりとそう付け加える。


「それじゃ、この次の散歩は神社だな」


聖に休みをもらえれば、だが。

バイト代が前借りできれば、何か買ってやることもできるのだが。

久しぶりに人形芸をやる手もあるか。

あれこれ考えていると、佳乃が黙り込んでいるのに気づいた。


「どうした?」
「往人くん、来週まではいてくれるんだねぇ」
「そういうことになるな」
「そっかぁ」


ぽつりと、つぶやく。

それからまた、二人黙り込む。

強い日射しと川面の音だけに包まれる。


「えっとね、往人くん・・・。
お願いがあるんだけど、聞いてくれるかなぁ」
「俺に叶えられることならな」
「えっと、往人くんがね・・・」


続きを言おうとして、ためらう。


「往人くんが人形動かすとこ、見たいなぁ」
「なんだ、そんなことでいいのか?」
「うんっ、いいよぉ」
「わかった。 ちょっと待ってろよ・・・」


ポケットにねじ込んであった人形を取り出す。

しばらく触ってもいなかったそれは、怒っているように見えた。

地面に人形を置き、そっと念を込める。

狭い橋の上を、人形はひょこひょこと歩き出した。

今までになく絶好調だ。

取りあえず、橋の向こう側まで歩かせる。

くるりと振り返らせ、こっちに向かってダッシュ

そして三回宙返りっ!

くるくるくるっ。

着地も成功!


「ブラボーっ!」


感動の演技だ。

客の方を見る。

特に感動した様子はなかった。

人指し指をのばし、つんつんと人形をつついていた。


「・・・お客さんお客さん。
踊り子さんには手を触れないでください」
「だって不思議なんだもん」


・・・ひょいひょいひょい。

見えない糸を切るように、人形の上に平手をかざす。


「・・・何度も言うが、糸で吊ってるわけじゃないぞ。
もちろん、電波が出てるわけでもない。
ソーラーパワーでもない」
「うぬぬ・・・。
ほんものの魔法、だねぇ」
「そうだ。 本物の魔法だ」


俺は言った。

佳乃が嬉しそうに微笑んだ。

俺の口からそれを聞きたかった。

そう伝えるように。

だから俺は、もっとやさしく念を込める。

夏の日射しの中で、古ぼけた人形がくるくると踊っている。

動かしている俺の目にさえ、それは魔法のように思えた。

不意に、佳乃が言った。


「何のために、あるんだろうねぇ?」
「何が?」
「往人くんの魔法」
「そりゃ、人形を動かすためだろ」
「そうだけど、もっとホントの理由のこと」
「人形芸で生計を立てるため」
「そうじゃなくて~」


そう言われても、俺にはよくわからない。

俺にとってこの力は、あまりにも当たり前にあるものだった。

親から子へと、受け継がれてきた力。

それにどんな意味があるのかなんて、考えたこともなかった。

しゃがんでいた佳乃が、ゆっくりと立ち上がった。


「んしょっ」


危なっかしい仕草で、欄干に腰かける。


「また落ちるぞ」
「だいじょうぶだよぉ」


視線を遠くに投げる。

幾重にも折り重なった雲の峰が、別世界のように輝いていた。


「魔法ってね、誰かを幸せにするためにあるんだよ。
だとしたら、カッコいいよねぇ・・・」


首を傾げ、悪戯っぽい瞳で俺を見る。

両手の指を絡ませ、そのまま日射しにかざす。

バンダナが揺れる。

ずっと昔から、そこにあったかのように。


「あっ、そうだ!」


いきなり、佳乃が叫んだ。


「今日、餌やり当番だったんだ」
「ウサギのか?」
「トリさんも金魚さんもだよぉ」
「一日ぐらい食べなくても、死なないだろ」
「往人くんはそうかもしれないけどぉ」


ぶすっと、不満そうに言う。


「私服のままでいいのか?」
「夏休みだから、服はなんでもいいんだよぉ」


・・・前に正反対のことを聞いたような気もするが。


「・・・んしょっ」


欄干から腰を下ろし、地面に立った。


「わたし、先行くねっ」
「ああ、気をつけてけよ」
「あっそうだ。
往人くんの着替え、あたしの部屋にあるからねっ」
「わかった」
「じゃあ、またねぇ」


ひらひらと手を振る。

そうして、佳乃は駆けていった。

後ろ姿が陽炎に揺らぎ、やがて見えなくなった。


「・・・・・・」


まだ日は高い。

夕飯まで、どこかで暇を潰そうと思った。

考えておきたいこともあった。

俺は人形を拾って、ゆっくりと歩き出した。


・・・・・・・


・・・

 

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歩いたことのない道を、当てもなく歩く。

気がつくと、海辺に出ていた。

潮風がまともに頬にぶつかる。

うねうねと続く道を、波音を聞きながら進む。

 

そして・・・。

 

 

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バス停に着いた。

古ぼけた木のベンチ。

午後の日射しを、ヒマワリがいっぱいに受け止めている。

俺が最初に降り立った場所。

この夏がはじまった場所。

俺以外に、誰もいない。

古風な形の標識は、自分の役目を忘れきっているように見えた。

緑色のベンチに腰を下ろした。

 

長居をするつもりはなかった。

俺はこの町に長くいるつもりはなかった。

路銀が稼げたら、もっと大きな町に移るつもりだった。

 

本当は、路銀なんて要らない。

歩いてこの町を出ていくことだってできた。

そうしなかったのは・・・。


「・・・・・・」


もう一度、空を見る。

深く塗られた青色に、吸い込まれそうになる。

そして地上には、ヒマワリの鮮やかな黄色。

俺は思い出していた。

汗に滲んだ夏の夜。

バンダナを解いた、ほっそりとした手首のことを。

魔法なんてどこにもなかった。

佳乃の微笑みは、変わらずここにあった。

全ては杞憂だったのかもしれない。

俺はもう必要ないのかもしれない。

それでも、許されるなら・・・。

道の彼方で、何かがきらりと光った。

バスが来た。

古くさい、今にも故障しそうなバスだった。

標識の前で、がくりと停まる。

ドアが開いた。

中年の運転手が、俺のシャツの胸元を胡散臭そうに眺めた。


「兄ちゃん、大阪から来たのか」
「人を見かけで判断してはいけないぞ。
関西人のような外見の裏側に、正義を愛する心が隠れていることもある。
もちろん、その逆もある。
その真ん中辺りの場合もある」
「・・・兄ちゃん、変な奴だな」
「変なのは見かけだけだ。
って誰の見かけが変だっちゅ~ねん!」
「・・・・・・」
「・・・すみません。 大阪から来ました」
「そうか、長旅だなあ。 で、どうするんだ?」
「はい?」
「乗るのかい、乗らないのかい?」
「・・・乗らない。 ここで暮らすことにした」


俺はそう答えた。

俺にとっては、旅が日常だった。

旅をしない生活は、俺にとって新しい冒険と同じだ。

俺が勇気を持てば・・・。

この町はきっと、俺を受け入れてくれる。

そんな気がした。


「・・・そうか。
なかなかいい町だろ」
「そうだな」
「バスに乗りたくなったら、いつでも俺を呼んでくれ」
「ああ。 覚えておこう」
「達者でな」
「あんたもな」


排気ガスを残して、バスは走り去っていった。

男の美学を共有できる、粋な運転手だった。

今度バスを利用する時は、必ず彼を指名しよう。

傾いてきた太陽に向かって、大きく伸びをする。

俺は帰ることにした。

今はもう、我が家となっている場所へ。


・・・・・・


・・・

 

 

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商店街に戻ってきた時には、もう日が暮れかけていた。

長い髪を引きずりながら、歩道を大股で歩く。

書店のカウンターで、店主が暇そうにしていた。

軽く会釈すると、声をかけられた。


「兄ちゃん、大阪から来たのか」
「そのネタは終わったっちゅ~ねん!」
「ははは。
あんた、霧島診療所に新しく入った若い衆だろ?」
「そうだ」
「佳乃ちゃんにな、注文の本が入ったって伝えてくれるかい?」
「わかった。 伝えておこう」
「しかし兄ちゃん幸せだねえ。
美人姉妹のところに住み込みでバイトなんざ」
「ああ。 もう幸せの絶頂で酒池肉林でウハウハって感じの毎日だ」
「・・・・・・」
「・・・すみません。 ほんの冗談です。
本当は、凶暴な雇い主に解剖されやしないかと毎日カエルのようにビクビクしながら過ごしています」
「そうか。 佳乃ちゃんのことになると、聖さんおっかないからなあ。
まっ、がんばりな」
「ああ」


・・・・・・。

 

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「お帰り、国崎君」


待合室に入ると、いきなり聖がいた。

ソファーにどっかりと腰掛け、夕刊を読んでいる。


「佳乃は?」
「一緒ではないのか?」
「いや。 飼育当番で学校に寄ってる」
「当番は明日のはずだが」
「本人も忘れてたぐらいだからな。 臨時なんだろ」


言いながら、俺もソファーに腰かけた。

久しぶりに長く歩いたせいで、さっきから腹が鳴っている。


「晩飯はまだか?」
「用意はもうできている。
朝炊いた赤飯がまだ残っているんだ」
「調子に乗って一升も炊くからだ」
「君ならそのぐらい、ぺろりと食べてくれると思ったからな」
「最初は美味いが、飽きるんだあれは」
「わかった。 別のおかずも用意しよう」


そう言いながらも、台所に向かう気配はない。

俺は立ち上がり、びしっとこう宣言した。


「食後に重大発表をするぞ。
ちなみに、俺の将来に関わる大変シリアスな内容だ。
ついてはこのシャツでは困るので、着替えさせてもらうぞ」
「君の服なら佳乃の部屋にある。 勝手に入ってくれ」


面倒くさそうに答えた。


「わかった。 入らせてもらうぞ」


居間に通じるドアを開ける。

背中に強烈な視線を感じた。

振り向くと、聖がうらめしそうに俺のことを見ていた。


「なんだよ」
「昼間、佳乃に言われたよ。
『君の服には絶対さわるな』だそうだ。
まるで新婚さんのようだな」
「・・・・・・」


聖の口から聞くと、なぜか必要以上に恥ずかしい言葉だ。


「こうやって、私の元を離れていくんだなあ・・・」
「そして、あんたは売れ残るんだな」


予想されるメス攻撃に備え、逃げ出す体勢をつくる。

だが。

聖は何も言わず、視線を新聞に戻した。


「私はそれでいいさ。
あの子さえ幸せになってくれれば、それでいい」


・・・・・・


こんこん。


いないのはわかっていたが、一応ノックした。


「入るぞー」


扉を開け、中に入る。

 

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几帳面に片づけられた部屋を見渡す。

ベッドの脇に、畳んだ着替えが置いてあった。

間違いなく、俺のシャツだ。

料理はともかく、洗濯はちゃんとできるらしい。

っていうか、洗濯を大失敗できる奴がいたら見てみたい気もするが。

手早く着替えをはじめた。

頭からシャツをかぶった時、何かが床に落ちた。

きちんと折り畳まれた便せんだった。


・・・手紙?


便せんを開くと、鉛筆書きの丸っこい文字が並んでいた。

一目で佳乃の文字だとわかった。

中を読んでみた。


――往人くんには信じてもらえると思うから、これを書いています。
わたし、やっぱり空に行くことにします。
そうすれば、みんなが幸せになれるような気がします。
往人くんが探してる人にも、会えるような気がします。
いつになるかわからないけど、かならずその人をつれてきます。
それまで、ここに好きなだけいてくれると、うれしいです。
お姉ちゃんを助けてもらえると、うれしいです。
ホントはお姉ちゃん、すごくムリしてるから。

追伸 首のキズ、ホントにごめんね。

 

・・・・・・。


・・・。

 


「・・・聖っ!」
「どうしたんだ、血相を変えて」


手紙を聖に突きつけた。

無言で受け取り、読み始める。

やがて、聖は便せんをテーブルに置いた。

 

 

「・・・それで、君はどうしたいんだ?」

 


顔色ひとつ変えずに、聖は言った。


「決まってるだろ・・・」


言いかけた俺を、鋭い瞳が制する。


「佳乃が何を考えたか、君にもわかるだろう?
たぶんあの子は、自分の異常に気づいていた。
君の首の傷も、自分がやったものだと考えた。
このままでは、君を危険にさらしてしまうかもしれない。
・・・そう思ったんだろう。
だから佳乃は、君から離れようとしたんだろう」


金色の夕映えが、聖の顔を染め上げていた。

今までに見たことがないような、儚(はかな)い色をしていた。


「このまま君が佳乃の側にいたら・・・。
君の身に何が起こるのか、私も保証できない。
君自身で決めてくれ。
これからも、佳乃の側にいるか。
それとももう、佳乃には関わらないか」


・・・・・・。


「・・・・・・」
「答えないのか?」


俺は何も言わず、戸口の方に歩を進めた。

答えるまでもないぐらい、馬鹿馬鹿しい質問だったからだ。


「俺は佳乃を探す、必ず連れ戻す。
あんたはここに残っててくれ。
治療が必要になるかもしれないんだろ」


ガラス扉を開け放つ。

診察室に夕風が流れ込む。

靴を履いていると、肩越しに気配を感じた。


「頼む」


聖の声が聞こえた。


「あの子を・・・頼む」


泣いているようだった。

 


・・・・・・。

 

茜色の空があった。

いつもと同じ町角があった。

電信柱の影が、道を横切っている。

本屋の店主は相変わらず暇そうにしている。

何も変わらない、夏の夕暮れ。

何かが変わってしまっている気がした。

走り出そうとして、目的地がわからないことに気づいた。

佳乃はどこにいる?

俺は、どこを探せばいいのか?


バス停に行ってみよう。

どうやって行く気かはわからないが、佳乃は空へ行こうとしている。

そして俺の探している、空にいる少女をつれてくると。

つまりは、俺から遠ざかろうとしている。

この町を出ようとするならバスに乗るしかない。


間に合うか・・・。


俺は、バス停に向かって駆けだした。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

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走りながら、空を見上げた。

母親から聞かされたあの言葉が、耳に戻ってきた。


――『この空の向こうには、翼を持った少女がいる』

――『それは、ずっと昔から』

――『そして、今、この時も』

――『同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている』


ただのおとぎ話だと思っていた。

空にいる少女なんて、存在するはずがなかった。

それなのに、胸騒ぎが止まない。

ポケットにねじ込んだ人形。

存在するはずのない力を、俺は持っているのだから。

そのために俺は、旅を続けてこれたのだから。


息が切れる。


足がもつれそうになる。


それでも、止まるわけにはいかなかった。

 

・・・・・・


・・・

 

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夕日に赤く染まったバス停。

長く伸びる俺の影が一つ。

荒い息で、痛む胸を押さえながら、周囲を見回した。

誰もいない。


「違うのか」


目に映る景色は、まるで時が止まったように静かだった。

胸に穴が開いたような喪失感。

その穴を埋めるようにそそぎ込まれる不安。

ここじゃなかったのか?

それとも、もう行ってしまった後なのか?

バスの時刻表を見る。

1時間に一本・・・。

ローカル線ならではだ。

時間的に、さっき俺が話をしたバスの次は来ていない。

ここじゃない。

まだ佳乃はこの町の何処かにいる。

憶測の域でしかないが、それに賭ける以外なかった。

赤い空は、徐々に暗さを深めていく。


急がないと・・・。


空を埋めつつある闇が、佳乃へ続く道を閉ざしていく。

そんな気がした。


・・・。


「・・・神社だ」


少し考えれば、わかりそうなことだった。

手紙に書いてあったこと。

俺の望みを叶えるために、佳乃は空へ向かった。

この町で空にいちばん近い場所。

そして、佳乃がおかしくなった元凶。

首の傷痕がうずく。

急がないと。

 

・・・・・・


・・・

 

 

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橋を越える。

佳乃が好きだと俺に教えてくれた場所。

物静かなこの場所は、今は単に不安を加速させた。

茜色の空は徐々に闇に染まっていく。

細くなっていく道は、更にその視界を悪くする。

葉音さえ聞こえない左右の林。

胸に得も言われぬ焦りと不安が、積み重なっていく。

そんな気持ちを振り払うように走る。


・・・・・・


・・・

 

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薄暗い坂道。

眼下には町の灯りが点々と見られる。

行く手には鳥居が見えた。

その向こうには黄昏色に染まった空がある。

喉の痛みを我慢しながら、石段を駆け登る。


そして・・・。

 


・・・・・・

 

・・・

 

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神社に着いた。

この町でいちばん、空に近い場所。

佳乃ではない佳乃を、最初に見た場所。

ここに必ず、佳乃はいるはずだ。


「佳乃!」


薄闇に呼びかける。


「いるんだろ、佳乃!」


返事はない。

黒々とした森の葉陰に、俺の声が吸い込まれていく。

ぐるりと辺りを見回す。

どこにも人影はない。

神殿に近づき、鎧戸を確かめた。

この前来た時のまま、鍵は閉まっている。

戸の隙間から、中の闇を覗く。

誰かが入った形跡はない。


「ここじゃないのか・・・」


そんなはずはない。


「佳乃! いたら返事してくれ、佳乃っ!」


もう一度呼ぶ。

しかし、答えは返ってこない。

光が衰えていく。

それと共に、確信が揺らいでいく。

ここじゃなかったのか・・・?

一体、佳乃はどこに行ってしまったんだ・・・。


・・・・・・。

 

「学校だ・・・」


ひょっとしたら、本当に飼育当番なのかもしれない。

佳乃自身が俺に言ったんだ。

正直者のアイツが、そうそう嘘をつくことはないはず。

都合良く考えて、胸に沸き立つ焦りを、抑え込む。

確かめないと・・・。

拳を握り、俺は駆けだした。


・・・・・・


・・・

 


夕日を浴びて、赤く染まる道。

長く伸びる電柱の影。

潮の香りをはらんだ風が静かに吹いている。

そんな中を、一人走る。

喉の奥がズキズキと痛む。

頭も早まる鼓動に合わせて痛む。

それでも走る足を止めることは出来ない。

嫌な予感が止まない。

喉元に絡みつくような、疼きに似た焦り。


・・・。


学校にいることを願って走る。

この嫌な気持ちを、予感を単なる取り越し苦労で終わらせてくれ。


・・・・・・


・・・

 

 

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「はぁはぁ・・・」


学校にたどり着く。

汗まみれになりながら、赤い校舎を見上げる。

佳乃はここにいるんだろうか。

 

もし、別の場所にいるのだとしたら・・・。

学校の中を探し回っている間に、手遅れになってしまったら・・・。


「くっ・・・」


選択しがたい葛藤が、焦りを煽る。

そこに女学生三人組が校門から出てきた。


「ちょっとそこの人、スマン!」


声は反射的にでた。


「佳乃、霧島佳乃を知らないか?」
「かのりん?」
「そうだ」


「あ、この人、前のお弁当の人だ」
「あ・・・」


この三人、以前佳乃にお弁当を届けに来たときに声をかけた連中か。


「かのりんは見てませんよ」

「今日の飼育当番は私達だもん」


「くっ・・・」


十分な情報だった。

学校に佳乃はいない。

俺が礼を言うと、三人組はキャッキャと笑いながら去って行った。

飼育当番の事は嘘だった・・・。

そうなると、余計に焦りが生まれた。


よく考えろ・・・。

アイツは・・・佳乃は何をしようとしていた。

どこに行こうとしていた。


・・・・・・。


その後も何人かに声をかけ、佳乃の事を訊いてみたが、期待できる答えは返ってこなかった。

空の闇が濃くなった。


「佳乃・・・」

 


足が自然と校内へと向かった。


・・・・・・


下駄箱の横をすり抜け、校舎へ入る。

一階の橋から順に、ゆっくりと教室の中を覗きながら進んでいく。

そして階段を上り、二階を・・・。

続いて三階・・・。

渡り廊下・・・。

非常階段・・・。

学校中を歩き回る。

 

そして・・・。

 

 

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屋上へと続く扉を開けた。

空にはいくつも星が瞬いていた。

学校に佳乃はいない。

その事実だけが重く背中にのしかかってくる。


「佳乃・・・」


強い風が、俺の呟きを背中へと流した。


・・・・・・


・・・

 

 

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どこをどう歩いたか、覚えていない。

気がついたら、商店街にいた。

並んだ店先に、灯りがついている。

早々にシャッターを閉めてしまっている商店もあった。

街灯の周りを蛾が舞っている。

そのすぐ脇に、霧島診療所の古ぼけた建物がった。

短い階段を登る。

取っ手をつかもうとして、そのまま動けなくなった。

ガラス戸の隙間から、温かな夕食の匂いが漂っていた。

頭の中に光景が浮かんだ。

この向こうでは、聖が待っている。

身じろぎもせず椅子に座り、佳乃の帰りを待っている。

心配でたまらないのに、食べきれないほどの夕食を用意して。

出しかけた手を、俺は元に戻した。

 

・・・。

 

このまま、この町を出よう。

そう思った。

聖に合わせる顔がない。

佳乃がいないこの家で、俺にできることなんかない。

旅に戻ろう。

ひとりに戻ろう。

そうすれば、きっと忘れてしまうだろう。

この町のことも、佳乃のことも。


「・・・・・・」


本当は、わかっていた。

俺はもう、一歩も動けない。

佳乃がいなければ、どこにも行けそうになかった。

無言のまま、玄関口に座り込んだ。

目をつぶり、耳を塞ごうとする。

その時だった。

足元にまとわりつく何かを感じた。

 

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「ぴこぴこっ」
「お前か。
入れよ、聖が待ってる」


戸口を開けてやろうとして、ポテトの様子がおかしいのに気づいた。

羊のような毛玉が、妙に薄汚れている。

まるで一日中、何かを探していたかのように。

ポテトが道路に駆け出した。

ついてこいと言うように、俺の方を振り返る。


「佳乃が・・・いるのか?」
「ぴこっ!」


全てを忘れ、俺は走り出した。

 

・・・・・・


・・・

 


ポテトは容赦なく先を急ぐ。

俺は必死に後を追った。

真っ暗な山道を、一人と一匹で駆け登る。


・・・・・・


・・・

 

 

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そして結局、着いたのはこの場所だった。

ひんやりとした夜気が、参道の石畳を磨いていた。

闇に目を凝らす。

神殿の階段に、人影があった。

佳乃だった。

間違えようがなかった。

俺は駆け寄った。

佳乃を確かめるために。

佳乃の魔法を確かめるために。

佳乃は空に行こうとした。

俺がもう、当てのない旅をしなくてもいいように。

自分だけの幸せを、聖が探せるように。

みんなが幸せになるように。

みんなが幸せに暮らせるように。

その結果が、今。

俺の前に横たわっていた。

 

 

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「佳乃っ!」


バンダナは外されていた。

階段の上に、血だまりができていた。

佳乃は動かない。

瞳は閉じられている。

ただ涙だけが、静かに流れ続けていた。

夢のようだった。

全てが夢の中のように、瞬きひとつで消えてしまいそうだった。


「・・・佳乃っ!」


自分の叫びが、いやに遠く聞こえた。


「佳乃っ、しっかりしろ、佳乃!」


華奢な身体を抱き起こした。


「目を開けてくれっ! ・・・佳乃っ」


まだ温かい。

かすかな呼吸も感じる。

それなのに、俺にはわかった。

俺の言葉はもう、佳乃には届いていなかった。


・・・・・・。

 

 

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歯を食いしばり、俺は空を見た。

遠い星。

遠い町灯り。

確かにあったはずのものが、水面のようにかすんで見えた。


「佳乃・・・」


ここから、空に行こうとしたのか?

この町でいちばん空に近いここから、飛び立とうとしたのか?

俺が探すのがわかっていたから、日暮れまでどこかに隠れてたのか?

それからここに来て、ひとりでバンダナを外したのか?

みんなのために。

みんなが幸せになれるように。

それだけのために、魔法を使おうとしたのか?

ありもしない夏の魔法を。


「くそおっ・・・」


拳を地面に叩きつけた。

指から伝わる痛みだけが、俺を現実に引き留めていた。

血が煮えたぎっていた。

こんなことはもうたくさんだ。

そう言って、俺を責め苛んでいた。

 

「空なんか、飛べなくていい。
お前はどこにも、行かなくていいんだ・・・」


海辺の町で、ずっと幸せに暮せばいい。

いつまでも無邪気に、笑っていればいい。

そのためになら、俺は・・・。

腕を伸ばし、佳乃の手首に触れた。

佳乃はもう、何も言わなかった。

外されたバンダナを、俺はポケットに入れた。


「帰ろうな。 聖が待ってる」


佳乃の身体を、そっと持ち上げた。

誰もいない参道を歩き出す。

心配そうに、ポテトも寄り添った。

佳乃を家に連れて帰ること。

聖の元に連れて帰ること。

それだけが、俺たちに残された役目だった。


・・・・・・。


・・・。

 


8月4日(金)

 


風。

冷たい風。

海。

金色の海。

波が揺れる。

金色の波。

 

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一面の芒(すすき)の海。

誰かが踊っている。

粗末な着物。

風に袖が膨らむ。

長い髪が震える。

夕映えを背にして。

衰えゆく光を従えて。

指先にさえ、金色を宿して。

あどけない少女のように。


・・・・・・。

 

誰だ?

あれは・・・誰だ?

 

 

 

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目が覚めた。

古びた天井があった。

待合室のソファーに、俺は寝転がっていた。

モップ掛けしなきゃな・・・。

そう考えてから、射し込む日射しが夕陽なのに気づいた。


・・・今は、いつだ?


身体を起こし、ソファーに腰かける。

壁にかかっているはずのカレンダーを探す。

 

――8月4日。

 


「そうか・・・」


ゆっくりと記憶が戻ってきた。

昨晩俺は、意識のない佳乃をここまで運んだ。

すぐに聖が治療をはじめた。

俺は朝方まで起きていて・・・それからは覚えていない。

実感がわかない。

周りの景色ごと、夢の中にいるようだった。

診察室の扉が開いた。

聖が現れた。

疲れ切っているのが、一目でわかった。



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「どうだ?」
「出血は止まっている。 命に別状はないはずだ」
「そうか・・・」


命に別状はない。

今の佳乃には、無意味な言葉だった。

俺が何も言わないでいると、聖は淡々と先を続けた。


「手首に付着した血液を調べた。
間違いなく佳乃のものだった。 それなのに・・・。
外傷はどこにもないんだ。
その代わりに、手首の内側がひどい痣になっている。
君の首についたものと、同じ症状だと思う」
「意識は?」
「・・・・・・」


静かに首を振る。


「私にわかるのは・・・これはもう、私に治療できる範疇ではない、ということだ。
知り合いの病院になら、もっとましな治療設備がある。
そこに頼るしかない」
「それで佳乃は治るのか?
そこに入れれば、佳乃は元気になるのか?」


答えは返ってこない。

崩れ落ちるように、聖がソファーに座った。

天井を仰ぐ。

あるはずのない助けを、そこに求めるように。


「私は今まで、何をしてきたんだろうな。
妹を救うなんて言っておきながら、なにひとつできなかった。
こんな日が来ることを、ずっと恐れていた。
それでいて今、ほっとしている自分がいるんだ。
もうこれで、佳乃も私も苦しまなくて済む、と・・・」


それきり、黙り込む。

白衣の肩が震える。

俺が伝えられる言葉はない。

だから俺は、ポケットから人形を取り出した。

布の中に綿を入れただけの、古ぼけた粗末な人形。

ぽんぽんと形を整える。

テーブルの上に乗せて、そっと念を吹き込んだ。

ひょこりと立ち上がる。

丸テーブルに沿って、人形が歩く。

大げさなぐらい、元気いっぱいに歩く。


「・・・見事なものだな」


少しだけ、聖が微笑んだ。


「これには、種も仕掛けもない。 本物の魔法だ」
「信じるしか・・・ないだろうな」


笑い顔のかけらが、聖に戻ってくる。

だから俺は、人形を動かし続ける。

 

俺の魔法。

俺の母親は、これを『法術』と呼んでいた。

ずっと昔から受け継いできたものだと言っていた。


「・・・・・・」


頭の中に、何かが引っかかっている。

輝く羽根。

空にいる少女。

人形を操る力。

佳乃のために、俺ができること。

それは・・・。


「・・・考えていても、始まらないな」


俺は立ち上がった。

ポケットに人形をねじ込む。


「行くぞ」
「・・・どこに?」
「決まってるだろ、もう一度、神社に行く。
佳乃も連れていく。

佳乃を、取り戻すんだ」


・・・・・・


・・・

 

 

 

橋を渡った時だった。

 

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「少し待っていてくれ」


聖が言った。

山際にぽつんと家があった。

その家が氏子の総代で、代々神社の管理をしているということだった。

俺は佳乃を背負ったまま、何分かその場で待った。

神社の鍵を借りて、聖が戻ってきた。

そうしてまた、俺たちは歩き出した。

昨日は無我夢中で、疲れなんて感じなかった。

意識のない佳乃の重みが、今はずしりと背中に響いた。


「・・・代わろう」
「大丈夫だ」
「私が半分受け持つべきだ」
「わかった」


佳乃の身体を、慎重に受け渡す。


「・・・意外に重いな」
「だから言っただろ」
「そうじゃない。
昔は、ずっと軽かった・・・」


薄闇の砂利道を、とりとめのない話をしながら歩く。

 

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「この辺りの田んぼには、蛍が舞っていた。
この三人で来るのは、初めてだな」
「ぴこ~」
「そうか、三人と一匹だったな」
「ぴこぴこっ」


・・・・・・


・・・

 


鳥居の前に来た時には、とうに日が暮れていた。

石段を登る。

何度かの交代の後、今は俺が佳乃を背負っていた。

首筋の辺りに、眠るような息づかいを感じていた。


・・・・・・

 

・・・

 


「着いたな」


平板な声色で、聖が言った。

俺は無言のまま、神殿まで歩を進めた。

木の階段に視線を落とした。

誰かが拭き取ったのか、血の跡はほとんど目立たなかった。

聖が鍵を取り出し、南京錠を差し込もうとした・・・。


がちっ。

 

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「・・・何だ?」


がちがちがちっ。


鍵穴がおかしな具合になっていて、開けることができない。


「誰だ、こんな罰当たりなことをした奴はっ!」


「・・・・・・」
「・・・・・・」

敢えて黙っておくことにした一人と一匹。

借りてきた鍵を手に、悪戦苦闘する聖。


「・・・・・・こんなものはこうだあっ!」


全体重を乗せた回し蹴りが炸裂した。


ばきっ。


みしみしみし・・・


ずーん。


南京錠は鎧戸ごと吹き飛んでいた。


「行くぞっ!」


「・・・・・・」
「・・・・・・」


無言で続く一人と一匹。


神殿の中に踏み出した瞬間。


空気が、変わった。


汗ばんだ肌に、闇がまとわりつく。

外界の変化を知ることなく、何百年もの間ここに在り続けた闇。

それが守ってきた、たった一枚の光。


「羽根はどこだ?」


自分の声が、奇妙に歪んで響く。


「いちばん奥だ」


爪先で床を探りながら、慎重に歩く。

正面の闇の中央に、祭壇らしきかたまりがある。

かすかに光が滲んでいる。

そこに置かれているものが何か、知っていたはずだった。

それなのに、思わず目を見張った。


輝く羽根だった。


細かな羽毛のひとつひとつが、じんわりと光を発している。


「私が見た時は、こんなことはなかった・・・」


近づこうとした聖を、俺は左腕で制止した。

羽根は呼吸をするように、ゆるやかに明減している。


「これは、羽根じゃない」


もっと正確に言うなら、これは物質ですらない。


「これは・・・」


それ以上は、思い出せない。

俺の中で、何かが騒いでいる。

悲しい。

切ない。

懐かしい。

あらゆる感情が入り交じり、意識の奥からせり上がってくるのを感じていた。

佳乃の身体を、床にそっと横たえた。

それから俺は、羽根をつまみ上げた。


「あっ・・・」


聖が息を飲んだのがわかった。

しかし、何も起こらない。

俺は羽根を、佳乃の胸元に置いた。

佳乃の呼吸に合わせて、重さのない羽根がかすかに動く。

手をかざし、念を込める。

羽根そのものを動かすのではない。

口ではうまく説明できない。

この羽根の奥底に刻まれているものに、意識を繋ごうとする。


やがて。


羽根が震えはじめた。

新たな命を吹き込まれたかのように。

かまわず念を込める。

闇の色が剥げ落ち、風が巻き起こる。

聖が何かを叫んだ。


そして。


光が、はじけた。

風。

風が吹いてくる。

金色の海。

呼び覚ます記憶。

羽根は伝える。

やわらかな、女性の声音。

 

 


――「わたくしは、名を白穂(しらほ)と申します」

――「どうか、わたくしの話をお聞きください・・・」

 

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その年の秋は、それは美しかったのを覚えています。

野良仕事がおわると、わたしたちはきまって芒原(すすきのはら)に出ました。

夕陽に芒の穂がゆらめき、金色の海のようでした。

夫は腕に、八雲(やくも)を抱いていました。

わたしたち夫婦が、はじめて授かった子でした。

八雲には生まれつき、右の手首に醜い痣(あざ)がありました。

村人たちは不吉だと言いました。

この子は長くは生きられないだろうと言いました。

わたしたちは、気にも留めませんでした。

むずかる八雲を、夫からそっと預かります。

母から聞いた子守唄を、わたしは唄ってきかせます。

そうすると、八雲は泣きやむのです。

なのに、この日はちがいました。

八雲はさかんに手をのばし、何かをつかもうとするのです。

羽根でした。

真っ白な羽根が、夕焼けの中をゆらりと落ちてきました。

わたしは羽根をつかまえ、八雲に手渡してあげました。

その時でした。

羽根が輝きました。

八雲は笑いました。

夫も笑いました。

わたしも笑いました。

きっとこの羽根は、神さまがくださったお守りなのでしょう。

わたしは羽根に願いました。

この子がすこやかに、やさしく育ってくれるようにと。

ほかには願いなど、ありませんでした。

わたしは幸せでした。

夫と子供がそばにいてくれる。

それだけで幸せでした。

その秋。

戦(いくさ)が、はじまりました。

・・・・・・。

異国の軍勢が船をつらね、湊(みなと)に攻め入りました。

敵は軍船(いくさぶね)千艘、数万という大軍でした。

わが方の騎馬武者は、数千ほどだったと聞いております。

戦にさえ、なりませんでした。

浜辺の方で、雷(いかづち)のような音がとどろきます。

そのたびに馬がいななき、武者たちはなす術もなく討ち死にしていきました。

戦おうにも、矢の一本さえ射かけられないありさまでした。

村の男たちは、ひとり残らず駆り出されていきました。

わたしの夫も、連れていかれました。


「必ず戻ってくるから」


そう言って、夫は家を出ていきました。

ちぎれるぐらいに袖を振って、わたしは夫を見送りました。

八雲はなにもわからないのか、ただきゃっきゃとはしゃいでおりました。

それきり、夫は戻ってきませんでした。

敵の兵たちは、それは酷い仕打ちをしたと聞いております。

刃向かった者はすべて、みな殺しにされたと聞いております。

戦神(いくさがみ)をまつる八幡さまさえ、敵の手にかかり、焼け落ちました。

もはやこれまでと、みなが覚悟しておりました。

その夜のことです。

大風(のわけ)が吹きました。

その季節にはまれなほどの、それはすさまじい風でした。

夜が明けた時には、なにもかもが変わっていました。

湊を埋めつくしていた異国の軍船は、一艘残らず海に沈みました。

戦はおわりました。

村人たちは口々に言いました。

風の神さまが降り立って、敵を討ち滅ぼしてくれたのだ、と。

・・・・・・。

わたしはただ、夫の帰りを待ちわびていました。

あのひとが帰ってきたら、着物をつくろってあげよう。

あのひとの好物をつくって、ねぎらってあげよう。

あのひとはきっと、抱きよせてくれるから。

唇に紅をさして、うなじを剃刀でととのえて・・・。

かなわぬ夢であることは、わかっていました。

それでもわたしは、待ち続けました。

ある日、馬に乗ったお役人が村を訪れました。

輝く羽根を拾った者はいないか、そう聞き回りました。

羽根は穢(けが)れたものであるから、触れた者は名乗り出よ、そう命じました。

八雲は羽根で遊んでいました。

とても楽しそうに、遊んでいました。

わたしは八雲を抱き、羽根をふところに隠しました。

そうして夜のうちに村を離れました。

 

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荷船を乗りつぎ、住みなれた土地を後にしました。

乳飲み子を抱いての旅は、楽ではありませんでした。

幾日も幾日も、山深い道を歩きました。

わたしたちを受け入れてくれる土地が、きっとどこかにある。

そう信じて、旅を続けました。

そうして、この村にたどりつきました。

おだやかな村でした。

村人たちは、漁をして細々と暮らしを立てていました。

村はずれの丘の上に、古い社(やしろ)がありました。

わたしたちは、そこに身を寄せることになりました。

よそ者のわたしたちに、宮司(ぐうじ)さまはとてもよくしてくれました。

ここでなら、新しい暮らしをはじめることができる。

八雲とふたりで、幸せに暮らすことができる。

わたしはそう思いました。


・・・・・・。


それなのに・・・

 

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「・・・目を覚ましましたわ」


柔らかな声がした。

蝋燭の炎が、枕元で揺れていた。

額にそっと添えられる、温かい指先。


宮司さま、この子の具合は・・・」


今度は別の指が触れる。

老いて節くれ立った指。


「峠は越えたな。 じきに熱も下がろう」


男の声が答えた。


「しかし・・・。
村の者たちは、あなたがた親子が疫病(えきびょう)を持ち込んだと考えておる」
「そんな・・・」


誰かが見下ろしている。

心配そうな、悲しそうな顔。

元気だと伝えたかった。

それなのに、身体を動かすことさえできない。


「あなた方をここに招き入れたのは、過ちだった・・・」


男の声が続けた。


「この社は巫神(みこがみ)をまつっている。
巫神は、この土地に災いをなす者に徴(しるし)を与える。
ちょうど、この子のように」


老いた指が、右の手首を持ちあげた。

ちっぽけな手首。

その内側に、どす黒い染みのような痣(あざ)があった。


「この子は疫神などではありませんっ!」
「わかっておる。
しかしながら、村の者たちはそうは思わないだろう。
この子の痣のことを知れば、『神に差し出せ』と詰め寄るだろう・・・」
「この子を・・・この子を贄(にえ)にしろというのですか!」
「この土地では、そうやって災いを鎮めてきたのだ」


重苦しい沈黙。

男の声が諭すように言った。


「あなたはまだ若い。
この先、子をなす機会など、いくらでもある」
「前にお聞かせしたとおりです。
この子は、わたくしのいのちです。
あのひとが遺してくれた、たったひとつの宝です」
「あきらめなさい。
そうしなければ、もろともに殺されてしまう。
あなただけではない。
私の身も危うくなるだろう」
「・・・・・・」


静かな瞳。

こちらを見つめている。

袖が動く気配がする。

ほっそりとした手首。

喉元に絡みついてくる、柔らかな指・・・。


「ならばいっそ、わたしの手で・・・」


細い指に、力がこもる。

爪の先が震えているのが伝わってくる。

息ができなくなる。


・・・・・・。


目が見えなくなる。

痛みはない。

怖いとは思わなかった。

悔しいとも思わなかった。

ただ、悲しかった。

たまらなく悲しかった。

この人の笑う顔は、もう見れないんだ。

この人が唄う声は、もう聞けないんだ。

そう思った時。

ふっと、指から力が抜けた。


「できませんっ。
わたくしには、できません・・・」


暗がりの中で、何かが光ったのが見えた。

涙の粒だった。


「わが子を殺す母が、どこにおりましょう。
たとえ、わが子が疫神だとしても・・・。
たとえ、我が子が世を滅ぼすとしても・・・。
わが子を殺す母が、どこにおりましょうか。
どこに、おりましょうか・・・」


枕元に木桶があった。

粗末な化粧の道具と共に、剃刀が入っていた。

震える指が、その柄をつかむ・・・。


「わたくしが、身代わりになります。
どうか、この子だけは・・・。
この子だけは、お助けください」


「早まるでない・・・!」


男が駆け寄ったが、間に合わなかった。

剃刀の刃が、肌の上を走る。

幾重にも傷を重ねる。

そこにあったはずの痣を、覆い隠すかのように。

手首が血で染まる。

痩せた身体が崩れ落ちる。


「どうか、どうか・・・。 この子だけは・・・」


血だまりに、手首が沈む。

まぶたが閉じる。

涙だけが、流れ続ける。

失われていく命。

大切な人が、遠くに消えていく。

何の力もなく、なす術もなく見ていた。

そして・・・


光がはじけた。

 

 

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風が吹く。

羽根が震える。

最後の夢。

夢でない夢。

記憶でない記憶。

金色の海。

奥底に眠る。

それは・・・

たましいのありか。


・・・・・・。

 

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神社の境内だった。

色とりどりの屋台が並んでいる。

橙色ににじむ、提灯の光。

祭を楽しむ人々で賑わっている。

その中にぽつんと、佳乃が立っていた。

おろしたての浴衣を着て、手には風船を持っている。

そのせいか、どこか幼く見える。


「・・・お母さんっ!」


心細そうに、辺りを見回す。


「お母さん、どこっ?」


やさしげな声が返ってきた。

 

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「ここですよ」
「お母さん・・・」
「はいはい。 ここにいますよ」


佳乃は安心したようだった。

しかしその微笑みは、どこかぎこちない。

幸せな自分に、戸惑っているかのようだった。


「食べたいもの、ある?」
「もうお腹いっぱい」
「ほしい物はある?」
「ううん」
「もっと風船、ほしい?」
「ううん・・・」


そのまま黙り込む。

母親も何も言わない。

祭囃子の音色だけが、繰り返し流れている。


「お母さん」
「なあに?」
「えっとね・・・えっと・・・」


辺りを見回す。

自分の居場所を確かめるように。

そして、佳乃は言った。


「あたし、もう帰る。
お姉ちゃんが待ってるから。
お姉ちゃん、きっと心配してるから。
ポテトもいるから。
ポテトも心配してると思うから。
それにね・・・」


うつむき加減に打ち明ける。


「好きな人が、できたの。
ちょっと変わってるけど、やさしくしてくれるの。
女の子を探してるんだって。
空にいる女の子。
その子がね、あたしだったらいいなあって、ちょっと思ったけど。
でも、違うみたい。
あははっ、片思いだねぇ・・・」


笑おうとして、黙り込んでしまう。

母親はただ、娘のことを見守っている。

その輪郭が、じんわりと光にぼやけている。


「辛いのなら、わたしと来てもいいのよ。
あなたはいつまでも、甘えんぼだから。
わたしと一緒に、いつまでもいていいのよ。
ほら・・・」

 

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差し出された、手のひら。

佳乃が何より望んだはずの温もり。

心の奥で大切にしてきた、幼い日の印象。

佳乃はもう、それに触れようとはしなかった。


「えっとね、お母さん、ありがとう。
あたしはお母さんのこと、よく覚えてないけど。
あたしのためにお母さん、長生きできなかったのかもしれないけど・・・。
でも・・・あたしを生んでくれて、ありがとう。
それだけ、言いたかったの」


母親は何も答えなかった。

差し出した指が、わずかに震える。

ほんのわずかに、口元で微笑む。


「佳乃。
あなたには、羽根はないから。
辛くても、空には来られないから・・・。
そこで幸せに、おなりなさい」


・・・・・・。

 

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この子の可愛さ 限りなや

天にたとえば 星の数

山では木の数 かやの数

おばな かるがや はぎ ききょう

七草ちぐさの 数よりも

大事なこの子が ねんねする

ねんねんころりよ おころりよ

ねんねんころりよ

おころりよ

 

 

風。


冷たい風。


海。


金色の海。


波が揺れる。


金色の波。


・・・・・・。

 

 

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「ずどばーん!」


ばっしゃ~~~~~~~~~~~んっ!

 

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「・・・わわわわっ!
また強く押しすぎちゃった・・・往人くんっ、往人くん!」
「・・・・・・」


俺は辺りを見回した。

橋の上から、佳乃が心配そうにこっちを見ている。

左右にはなだらかな緑の土手。

頭をさすると、大きなこぶがある。

そして、全身水浸しだった。


「・・・ここは誰、俺はどこ?」
「よかったぁ。
頭打ってたらどうしよおって思ったんだよぉ」


・・・いや打ったぞ、たしかに打った。


「・・・ここはどこ、俺は誰?」
「そこは川の中、あなたは往人くん。
そうしてあたしたちはー、これからお祭りに行くのでありましたぁ」
「・・・・・・ノリが戻ってるな」
「えっ、そうかなぁ? なんか嬉しいよぉ」
「・・・いや、褒めてるわけではないんだが」
「早く行こうよっ。 日が暮れちゃうよぉ」
「まだ午前中だろ?」


いくらなんでも、待ち合わせ時間が早すぎると思う。


「そんなことないよぉ。
早い方が、ずっと一緒にいられるから」


逆光の中で、佳乃がくすっと笑った。

初めて会った時と、同じ笑顔だった。

橋から神社へと続く、いつもの道。

通い慣れた道。

ぱきんと割れそうなぐらい、空は澄んだ青色をしている。

その下を、佳乃と二人で歩く。

 

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「せっかく祭に行くのに、制服ってのが惜しいな」
「だって、餌やり当番だったんだもん」
「一度戻って、浴衣を着るとかだな」
「ダメだよぉ。
わたし、着物って似合わないから」
「そんなこともないだろ。
着物は寸胴な体型の方が似合うって言うしな」
「・・・・・・」
「ちなみに、俺の母親は着物も似合ったぞ」
「あっ、そうなんだ・・・。
・・・着てくればよかったかも、浴衣」
「・・・・・・」
「はじめてだよね。 往人くんがお母さんの話するのって」
「そうだったか?」
「そうだよぉ」
「・・・・・・」


・・・・・・。


「手首の痣、まだ残ってるのか?」
「まだちょっと、残ってるかも。
でもお姉ちゃん、もうすぐ目立たなくなるって言ってた。
そうしたら・・・」
「そうか・・・」


・・・・・・


・・・

 

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「提灯がぶらさがってるよーーーぉ!」
「叫ぶほどのことでもないだろ」
「そんなことないよ、絶叫ものだよぉ」
「・・・・・・」


理解不能だった。


「景色がにこにこして見えるねぇ」


飾り提灯の向こうに広がる風景。

正午に近い日射しを浴びて、瓦屋根も海もきらきらと輝いている。

年に一度の祭りの日を、祝っているように見えた。


「行こっ!」


佳乃が駆け出した。

すり減った石段を、一段飛ばしで登っていく。

すこし遅れて、俺も続く。

鳥居をくぐる。

 

・・・・・・


・・・

 

 

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「あれ~」


境内は、拍子抜けするほど閑散としていた。

昼食時のせいもあるのか、店主の姿が見えない屋台も多かった。


「まだ人が少ないねぇ」
「来るのが早すぎるんだ」
「あーっ、貸し切りだね~」


細かいことは考えず、楽しそうに言う。


「・・・ふっふっふっ、それは甘いぞ」


「そっ、その声は・・・」

 

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「私に声もかけないで行くとは、どういうことかな国崎君?」
「姑(しゅうとめ)の登場だった」


・・・ごつんっ。


「誰が姑かっ」
「不覚にも声に出してしまっていた」


「だって、お姉ちゃん仕事あるし・・・」
「仕事があっても、祭には来るぞ」


「・・・霧島診療所は年中無休じゃなかったのか?」
「もちろんその通りだ」
「今は誰が客の面倒を見てるんだ?」
「もちろんポテトだぞ」

 

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「ぴこぴこっ」


「・・・・・・やあポテト。
君はこんなところにいたのか」
「ぴっ、ぴこ・・・」


不穏な気配を感じ取り、後ずさるが遅い。

ポテトの襟首をむんずとつかまえる聖。

診療所がある方向の空に、大雑把に狙いを定める。


「私の代わりに病める人々を救ってくれ~っ」


・・・ぶうんっ。


「ぴこぴこ~・・・・」


大遠投だった。


「うわあ。
お姉ちゃんチタンヘッドで驚異の飛距離だよー」
「やっと私も佳乃に追いついたという感じだな」


「ふっ、まだまだ甘いな。
この前俺が蹴った時は、丸一日戻ってこなかったぞ。
なあポテト」
「・・・ぴこ~」


10秒で復帰していた。


「そんな顔するな。 おまえにも何か買ってやるから」
「ぴこぴこっ!」


超速で和解する一人と一匹。

・・・っていうか、マジでいいのか診療所は?


「・・・あつ、綿菓子っ!」


屋台を組み立ておわったばかりの綿菓子屋に、佳乃が走り寄った。


「すみませーん、いちばんおっきな綿菓子三つ・・・。
ポテトも綿菓子でいい?」
「ぴっこり」


「・・・えっと、四つください」
「今から開店だからなあ。 時間がかかるが、いいかい?」
「はいっ」


くるりと振り返って、今度は聖に言う。


「ちなみにお姉ちゃんのおごりだよー」
「仕方ないな・・・」


すぐに財布を出す、妹にはとことん甘い姉。


「・・・ちなみに君は自腹だ」
「俺に給料を払った覚えがあるか?」
「ない」
「ゆえに俺には金がない」
「私の知ったことではない」
「・・・・・・」


「往人くん、人形芸すればいいんだよ。
もうすぐ人がいっぱいになるから、いっぱい稼げるよ~」
「あれはしばらく休業だ」
「えっ? やめちゃうの?」
「いや、また気が向いたらな」


「それに、こういう所には所場代というものがある。
勝手に芸はできないんだ。
そうだよな、国崎君」
「ああ」


「うぬぬ。残念~」


眉を寄せて何やら考え込む。

でも、すぐに別のものに興味を奪われる。


「・・・ほらあっち! 飴細工やってるぅ!」
「こら、まだ作ってもらってるだろ」
「だって、見たいところたくさんあるんだもん」


「なら、先に見てていいぞ。
綿菓子は私と国崎君で受け取っておくから」


「うん。 行こっ、ポテト!」
「ぴこぴこっ」


・・・。


元気な足音がふたつ、参道をぱたぱたと走っていった。

 

 

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「子供みたいだな」
「あの子の夢だったからな。
家族みんなで夏祭りに来るのは」
「そうか・・・」


聖と二人で、綿菓子ができるのを待つ。

雲の切れ端のような真っ白な糸が、割りばしにまとわりつくのを見ていた。


「『力』は、戻らないのか?」


不意に、聖が言った。


「ああ。
あの時以来、どうやっても人形を動かせない。
他の物でも試したが、何も動かせない。
今までどうやってたかが不思議なぐらいだ」


その台詞は、自分自身への確認のためだった。

あの時俺は、たしかに佳乃の心に届いた。

『法術』の喪失は、おそらくその代償だった。


「済まない・・・」
「いいさ。 もともとそのための力だったんだ」
「・・・どういう意味だ?」


聖は妙な顔をしたが、俺は何も答えなかった。

佳乃の意識が戻った後、俺は三日連続で眠り続けていたらしい。

さんざん手を尽くして、聖が匙を投げかけた時、俺はひょっこりと目を覚ましたらしい。


「・・・あの子がどんなに心配したか、君は本当に自覚しているか?
もしも君が死んだりしたら、私は君を半殺しにしていたぞ」
「言ってることが滅茶苦茶だぞ」
「好きな者を残して自分だけさっさと死ぬなんて、私は決して許さない」


ふてくされたように、聖は言った。

白衣の上の静かな瞳は、怒っているようにも、笑っているようにも見えた。


「・・・本当に、危ないところだったんだ。
俺の力では、道をつなげるのが精一杯だった。
だから佳乃は、自分で帰ってきたんだ。
あれ以上強く、力を使おうとしたら・・・。
俺は跡形もなく、消えてしまったかもしれない。
あの羽根みたいにな・・・」


神殿の入り口を見た。

聖が吹っ飛ばした鎧戸は、きれいに修理されている。

その奥にあったはずの羽根は、今はもうない。

佳乃が目覚めた時、幻のように消えてしまっていたという。


「・・・で、今は何を祀(まつ)ってるんだ?」
「今でも羽根だよ。
ヒルかなにかのものを適当に飾っているらしい」
「普通、御神体がなくなったら、大騒ぎにならないか?」
「羽根の形をしていれば、何でもいいんだろう。
問題は御利益(ごりやく)があるかだからな」
「御利益、か・・・」
「・・・・・・」


・・・・・・。


「結局あの羽根は、何だったのだろう?」
「さあな・・・」

 

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空を見た。

雲が浮かんでいる。

風が渡っていく。

昔から変わることのない、真夏の青空。

絶え間なく降りそそぐ光の一粒一粒までが、確かに感じられた。


・・・・・・。


「綿菓子4つ、お待ち!」
「3つ分は私が払おう」
「・・・マジか?」
「大マジだ」
「・・・・・・すみません。 前借りさせてください」
「仕方ないな、ほら」


ちゃりちゃりーん。


「・・・・・・」


10円玉2枚だった。


・・・・・・。


・・・。

 

 

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「私はそろそろ診療所に戻ろう」
「え~っ、もう帰っちゃうのぉ。
これからが本番なのに~」


今まではリハーサルだったのか?


「私は正義の医者だからな。
病に苦しむ人々を放っておくわけにはいかない」


放っといただろ、今までさんざん。


「何か言ったか?」
「空耳だ」


「行くぞ、ポテト」
「ぴ、ぴこっ?」
「そうだ。 お前をお供に任命する。
ちなみにお菓子は300円以内、バナナはお菓子に含まない。
水筒の中身はスポーツドリンクでもOKだ」
「ぴこぴこぴこっ?」
「そうだな。 手作りクッキーは先生が預かるから、クラスのみんなで食べることにしよう」
「ぴこー」
「では行くぞ」
「ぴこっ」


連れだって歩き出す、熱血女医とその家来。

・・・と思ったら、なぜか戻ってきた。


「どうした、忘れ物か?」


聖は何も答えずに、屋台の前に立った。

そこでは色とりどりの風船が、ぷかぷかと風に浮いていた。


「親父、風船をひとつくれ」
「・・・どれ?」
「いちばん大きいものを頼む」
「これ?」
「いや、そっちのピンク色で耳付きのいちばん豪華なやつを」
「はいよ」


子供っぽい形をした風船を受け取り、1万円札で代金を払う。


「ほら」


妹に、風船を差し出す。


「わぁ・・・。
ありがとう、お姉ちゃん!」


はじけそうな笑い顔を浮かべながら、佳乃は風船を受け取った。

聖は、佳乃のことを見ていた。

佳乃の指にしっかりとからみつき、夏風に揺れる風船を見ていた。


「・・・夕飯は作っておくから、屋台のものを食べ過ぎないように」


そう言って、くるりと背中を向ける。


「なんかお姉ちゃん、お母さんみたいだねぇ」


何も答えない、聖の肩。

小刻みに震えはじめた。

そして、聖は走り出した。

その後を、ポテトが追いかけていく。


「お姉ちゃん、泣いてたみたい・・・」
「いや・・・。 嬉しかったんだろ」


・・・・・・。


・・・。

 

そして・・・

祭りが混みはじめた頃、俺たちは参道を抜け出した。

佳乃が案内してくれたのは、神社の裏手の草地だった。


・・・・・・。

 

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「こんなところがあったんだな・・・」
「ここは知ってる人、少ないんだよぉ。
・・・んしょっ」


スカートの裾を押さえながら、草の上にぱたりと寝転がる。

俺も佳乃にならい、その場に仰向けになった。

太陽はまだ高い。

時間はまだたっぷりある。

夏はまだ、たっぷりと残っている。

そして、その先には・・・。

視線を横にする。

佳乃の瞳に、空が映っている。

その上に、ウサギの形をした風船が浮かんでいる。

なぜだか俺は、笑い出しそうになる。

いつか佳乃が言った言葉。


――『魔法ってね、誰かを幸せにするためにあるんだよ』


その言葉が、もしも本当なら。

俺の魔法は、役目を終えたのかもしれない。


「えっとね・・・」


佳乃の声が聞こえた。


「ホントのこと、言うとね。
わたしも、ホントに魔法が使えるんだよ・・・」


布の擦れる音がした。

佳乃がバンダナを外した。

俺の手首に、それを巻き付ける。

結び目が、きゅっと締めつけられる。


「これを結ぶとね・・・この町のことが大好きになっちゃうの。
それでね、ずっとここにいたくなるの。
空にいる女の子のことなんて、すぽーんって忘れちゃうの。
それでね・・・」


そこで途切れた、言葉。

触れ合う、互いの唇。

夏の時間を閉じ込めるように。

佳乃の温もり。

佳乃の息づかい。

ためらうように、続きを囁く。


「ダメ・・・かなぁ?」
「その魔法になら、とっくにかかってる」
「・・・えっ?」


あわてて身体を起こそうとする。

その拍子に、指から風船が離れた。


「あっ・・・」

 

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風船が飛んでいく。

空の向こうへ。

俺たちが、決して辿り着けない高みへ。

俺は身を起こし、佳乃の隣に立った。

二人で見上げる空。

夏の日射しの中、ぷかぷかと旅立っていく風船。

子供の頃にあこがれた、空飛ぶ夢のように・・・。


「空には、あいつに行ってもらおう」
「うん。 そうだねぇ・・・」


佳乃は答えて、俺に微笑みかけた・・・


・・・・・・。


・・・。

 

DREAM編 霧島佳乃 END