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AIR【16】

 

~7月24日(月)の途中から~

 

 

小さく息を吐いて、風に身をさらす。

変わらない潮の香りが、輪郭も持たずに辺りを漂っていた。


「さてと・・・」


肩の荷物を背負いなおして、海に背を向ける。



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「・・・・・・」
「!?」
「・・・・・・」


き・・・気づかなかった・・・。

一体、いつから俺の後ろにいたんだろう。


「・・・こんにちは・・・国崎さん」
「・・・こんにちは」


挨拶は返しておく。


「・・・どこかへお出掛けですか?」
「いや、そういうわけじゃないが?」
「・・・・・・・・・でも・・・」


そう言って俺の肩を指差す。


「ああ、この荷物のことか?」
「・・・・・・・・・泥棒さん?」


・・・失礼なことをサラリと言う。


「これは正真正銘俺の荷物だ」
「・・・・・・・・・・そうでしたか・・・申し訳ございません」


言ってペコリと頭を下げる。

とても素直だ。


「・・・では、やはりお出掛け・・・」
「お出掛けじゃなくて移住だな」
「・・・移住?」
「ああ、あの駅舎にしばらく住み込もうと思ってな」
「・・・・・・・・・あそこに?」
「ああ」
「・・・・・・」
「? なにかまずいことでもあるのか?」


無人の駅舎になら、誰にも迷惑をかけずに済むと思っていたんだが・・・。


「・・・いえ、問題なしです。
・・・やはり・・・駅には人がいた方がいいと思います」
「だな」


よかった・・・。

いきなり『あそこは夜になったら出るんです・・・』とか言われるのかと思った。


「・・・あの・・・」
「ん?」
「・・・・・・」
「?」
「・・・お食事などは・・・どうなさるんですか?」
「飯? ああ、自炊――・・・」
「・・・お弁当などはご入り用ではないですか?」
「作ってくれるのか?」


頭に浮かんでいた飯盒とお米券か霞む。

食事にオカズが加わるのを拒む理由などない。


「・・・・・・・・・私のお弁当でもよろしいですか?」
「ああ」


間髪入れずコクリと頷く。


「・・・・・・・・・・わかりました。
・・・お昼にお弁当を持って参上いたします」
「マジでいいのか?」


そう言いながらも、俺の目はきゅぴーんと光っている。


「・・・はい。
・・・お昼に・・・ここへ持ってきます」
「悪い。 世話をかけるな」
「・・・いえ・・・気になさらないでください」


遠野は微笑みながら言った。


「・・・それでは・・・また後で」
「ああ」


俺が軽く手を挙げると、遠野は会釈をして堤防をおりていった。

潮の香りの風が吹く。

これで今日の昼食の心配はなくなった。

田舎町の人情も捨てた物じゃないな。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

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その後、俺はいつもの商店街で大道芸をしたが、客はポテトのみだった・・・。

霧島診療所にて茶を馳走になった後、昼食でソーメンを勧められたが断った。

遠野との約束があったからだ。

佳乃はとても名残惜しそうにしていた。


・・・・・・。


・・・。


「・・・さてと、約束の場所まで行くか」


無人の歩道を、俺は歩き出した。


・・・・・・。


・・・。

 

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堤防の上にきていた。

遠野と会うため、しばらくの時をカモメたちの鳴き声に委ねた。

陽射しは、相変わらずキツイ。


ぐぅ~~~。


腹もキツイ。


「・・・・・・はぁ」


腰を下ろし、自分の愚かさを悔いる。

変に格好などつけず、ソーメンを食ってくればよかった。

考えるほどに、平衡感覚がなくなっていくかのようだ。

かなりヤバイのかもしれない。


「・・・早くきてくれ」


意識とは無関係に、口が勝手に動いた。


「・・・きちゃった」
「うわっ」


水平線の彼方から、海鳴りが聞こえたような気がした。


「い・・・い・・・」


俺の心臓も、ばくばくと鳴っていた。

 

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「・・・胃?」


・・・違う。


「いつからいたんだっ、おまえは」
「・・・・・・」


ちらっと自分の右手首を見る。


「・・・えっと・・・・・・およそ・・・二分二十秒ほど前」
「なるほど。 それは気づかなかったな」


ぽんっと手を打つ。


「って、おまえ、腕時計してないじゃないかっ」
「・・・?」


小首を傾げる。


「・・・・・・いや、いい。 なんでもない」


かなりヤバ気なので、深入りはしないでおく。


「・・・・・・・・・もしくは・・・二分三十秒と良い頃合い」


なにやら難解な補足説明をしているが、敢えて無視することにする。


「ずいぶん遅かったな」

 

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「・・・・・・・・・がっくり。
・・・無視されてしまいましたとさ」


落ち込んでしまった。

しかも昔話口調で。


「すぅ~・・・」


深呼吸して、心を落ち着かせる。

このまま、遠野ワールドにずるずると迷い込んではいけない。


ぐぅー・・・


「あ・・・」

胸一杯に空気を吸い込むと同時に、腹が鳴った。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


見つめ合う。


「・・・なるほど」
「・・・・・・」


少しはずかしかった。


「・・・お腹空いて・・・」


ぐー・・・


・・・・・・。


「・・・・・・・・・るんですね」


・・・かなりかっこわるい。


(早く飯を食わせてくれ・・・)


目で訴えかけた。


「・・・・・・」


(飯・・・)


「・・・・・・そう・・・」
「そうなんだな」


俺の魂の叫びは、遠野に通じたようだ。


「・・・わかりました」


こくりと頷く。


「・・・ではこれを・・・」


ごそごそとポケットを探る。


「ちがうだろっ」
「・・・・・・」


案の定、出てきたのは、例の白い封筒だった。


「・・・・・・」
「・・・・・・たくさん持っていても困りませんよ」
「そういう問題じゃないだろ」
「・・・・・・・・・大丈夫です」
「なにがだ」

 

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「・・・美味しいから・・・お米・・・」


感慨深げに呟く遠野さんだった。


「・・・日本人はお米族・・・」


らしい。


「はぁ・・・」


俺は、あきらめて彼女から封筒を受け取る。


「・・・・・・・・・泣いてる?」
「泣くかっ」
「そう・・・・・・」
「残念がるなよ・・・」


彼女は、何を期待していたのだろうか・・・。


「でも、まあ、サンキュな」
「・・・・・・・・・」


なにが? という目で俺を見つめる。


「これさえあれば、とりあえず明日から米だけは食える」


右手に持った封筒をひらひらと動かす。


「・・・・・・・・・・・・・・・うれしい?」
「ああ。 俺様ラッキーって感じだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・なるほど」


ごそ・・・。


ごそごそ・・・。


ごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそ・・・。

 

猛烈な勢いでポケットの中を漁り始めた。


ごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそ・・・。


ぴたっ。


一時停止。


「・・・・・・」


なにかを考えている。


「・・・・・・・・・あ」


ごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそ・・・。


今度は、通学カバンの中を漁り始めた。


ごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそ・・・。


ごそごそごそごそごそごそごそごそごそ・・・。


ごそごそごそごそごそ・・・。


ごそごそ・・・。


・・・。

 

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「・・・どうぞ」


ばさばさばさっ


「ぐはっ」


大量の白い封筒が目の前に現れた。


「何枚持ち歩いてるんだ、おまえはっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・およそ82枚」
「そらすごいな・・・」


こいつ、今、一瞬で数えやがった・・・。


「・・・すべて進呈」


ずいっと、封筒の大群を前に押し出す。


「・・・・・・・・・進呈返し」


ずいっと、封筒の大群を押し返す。


「・・・・・・・・・・・・」
「・・・うっ」


残念顔をされてしまった。


「じゃ、じゃあ、一枚だけな」


仕方なく、大量の封筒群の中から、一枚だけを抜き取る。


「・・・・・・・・・・・・おめでとうございます・・・ぱちぱちぱち」
「・・・・・・」


どうしよう。

お米券が一気に三枚まで増えてしまった・・・。


・・・・・・。


・・・。


「じゃあ、そろそろ行くか」
「・・・行く?」
「ああ。 もう、とっくに昼を過ぎてるからな」
「・・・・・・・・・どこへ?」
「・・・・・・」


ぐぅ~~~・・・。


「・・・・・・・・・そうでしたね」
「そうでしたな」
「・・・かなりぺこぺこ?」
「ああ。 自慢じゃないが、ぺこぺこだ」
「そう・・・・・・では・・・早々に出立です」
「そうだな。 そうしてもらえるとありがたい」


こくり。


「・・・みちるも・・・きっとぺこぺこです」
「・・・やっぱり、あいつもいるのか・・・」


こくり。


もちろん、とばかりに頷く。


「・・・あの子は・・・私の半身ですから」
「・・・・・・そっか」
「・・・はい」
「でも、俺がいてもあいつが喜ぶとは思えないぞ」
「・・・?」


どうして?とばかりに俺を見つめる。


「・・・気づいてないのか?」
「・・・?」
「気づいてないんだな・・・」
「・・・??」


どうやら、こいつは本気で俺とみちるが仲良しだと思っているらしい。

あの状況を見れば、一目瞭然だと思うんだが・・・。


「まあ、それはいい。
それより、食わせてくれるんなら、早く行こうぜ。
もう限界なんだ」


こくり。


「・・・では参りましょう」
「ああ」

 

・・・・・・。


・・・。

 

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フラつきながら、遠野に従うように歩き始めた。

アスファルトの上。

真夏の熱気が空腹に響く。

だが、俺は心象風景の中でお花畑を駆けめぐっていた。


「・・・国崎さん」
「なんだい」


返答もにこやかだ。


「・・・さっきの話・・・」
「さっきの?」
「・・・みちるは・・・きっと喜びます」
「ああ、その話か・・・だといいんだがな」
「・・・・・・」


ぷるぷると首を横に振る。


「・・・喜んでくれます・・・みちるは・・・国崎さんのこと大好きだから」
「嘘つけ」
「・・・嘘じゃないです・・・あの子・・・私といるときでも国崎さんの話ばかりします」
「悪口か?」
「・・・・・・」


ぷるぷるぷる。


首を振って、大きく否定する。


「・・・いつか決着をつけると」
「・・・・・・」


嫌なことを聞いてしまった・・・。


・・・・・・


・・・

 

「あっ、美凪~~~」


奴がいた。

 

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「・・・こんにちは」
「こんにちはーーーっ。
ねぇねぇ美凪、さっきね、一回だけ飛ばせたよー」


俺の存在など眼中にないかのように、みちるは満面の笑みを浮かべて遠野の腕に抱きついた。

その顔は、すでに水滴でてらてらと光っている。

どうやら、今日も無駄な努力を重ねていたらしい。


「嘘をつくのはよくないぞ」


皮肉を込めた。


「ほわ~っと飛んだよ、ほわ~って」


・・・無視された。


「・・・やったね」


遠野は優しくみちるの頭を撫でた。


「へへ」
「・・・じゃあ・・・がんばったで賞」


遠野はみちるに例の白い封筒を手渡した。


「わーーい、おこめおこめ」


・・・喜んでいる。


「・・・それとね・・・今日はもうひとつ」


再びポケットの中をごそごそと探る。


「・・・これもあげる」


ポケットから質素な包装紙に包まれた小さな箱を取りだし、それもみちるに手渡す。


「んに? なにこれ?」
「・・・よくできたで賞」


同時受賞だ。


「・・・開けてみて」
「う、うん」


がさがさがさ・・・


・・・がさがさがさ・・・


「あ・・・」


箱を開けたとたん、みちるの目が輝きを放った。


「・・・かわいい?」
「うん・・・かわいい・・・」


小箱から出てきたのは、親指にも満たない小瓶に詰められた砂。


「おぉ~・・・」


ものとしては、さほど珍しくもないだろう。

でも、みちるはそれをとても物珍しそうにしげしげと眺めた。


「でも・・・なにこれ」
「・・・星の砂」
「んに? 星?」
「・・・そう・・・きらきらな星。
・・・形が似てて・・・星の赤ちゃんみたいでしょう」
「おぉ~、そういえばそうだね」
「んに? しあわせ?」
「・・・うん」
「ほぇ~・・・そうなんだぁ・・・」


感嘆をもらしながら、みちるは何度も小瓶をひっくりかえした。

そのたびに、小瓶の中で、星の砂が小さな音をたてた。


さらさら・・・

  さらさら・・・


「おぉ~~~・・・」


小瓶を見つめるみちるの目が、徐々に輝きを増していく。


「これ・・・もらっていいの?」
「・・・うん・・・これからもがんばりま賞」


「やったな。 三賞独占だ」


皮肉を込めた。


「ほんとに、ほんとにもらっていいの?」


・・・無視された。


「・・・うん」
「あ、ありがとっ!」


みちるは、うれしそうに星の砂が入った小瓶を耳に押しあてながら、ぎゅっと握りしめた。


「へへ・・・さらさら」
「・・・・・・」


そんなみちるの姿を見つめる遠野の眼差しは、とても穏やかだった。

陽炎の隙間には、ありふれた優しさがあって・・・。

柔らかな日だまりの中には、小さな温もりがあって・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 

「んにゅ・・・そういえばさぁ、美凪


しばらくの時を、星の砂を眺めて過ごしたみちるが、おもむろに口を開く。


「これ、なに?」


・・・俺のことらしい。

しかも、顎で指された、『これ』扱いで。


「おまえなぁ・・・」


「・・・国崎さん」
「おまえも冷静にこたえるなよ」
「・・・?」


「ふぅ~ん・・・。
ま、なんでもいいけどね」


・・・なら訊かないでほしい。

 

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「なんでこいつがいるの?」


「・・・・・・・・・なんで?」
「・・・俺に訊くな」
「・・・・・・・・・冗談」


(つかれる・・・)


「ねえ、美凪
「・・・なんですか・・・ちるちる」


少女の名前が、いま変わった。


「あんまり、こいつに近づかないほうがいいよ」
「・・・どうして?」
「こいつ、地球人のふりしてるけど、ぜったい地球を侵略しにきた宇宙人だよっ」


すばらしく突飛な発想だった。


「・・・宇宙人・・・」


・・・そこで俺を見るなよ。


「でもね、だいじょうぶっ!
美凪のことは、みちるがまもるからねっ!」


ぽんっ、と小さな胸を叩いて背を反らす。


「・・・ありがとう」
「へへ・・・」


・・・人をダシにして友情を深めないでほしい。


「・・・ところで」
「・・・・・・なんだよ」
「・・・国崎さん・・・金星人?」
「違う」
「・・・・・・・・・火・・・吹いたり」
「ふかない」
「・・・・・・・・・じゃあ・・・脱皮とかは」
「しない」
「・・・それじゃあ・・・えっと・・・」
「悪いが、何もしない」

・・・。

 

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「・・・・・・・・・つまんない」
「なんで怒るんだ」
「・・・なんちゃって・・・冗談」
「じゃあな」
「あ・・・」


「にょあっ! 火星人がにげるっ!」


今度は火星人か・・・。

変幻自在だな、俺は。


「・・・お出かけ?」
「ああ。 俺は、からかわれるのは好きじゃない」
「・・・からかう?
・・・誰が誰をからかうんですか?」
「お前たちが、俺をだ」
「・・・?」

 

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「やーーーいっ、さっさとかえれーーーっ」
「・・・・・・」
「星にかえれーーーっ、もうもどってくるなーーーっ」
「・・・・・・」


くるり


「んに?」

 

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ぽかっ。


「にょろっ。 にゅぅ~~~・・・」
「おまえは黙れ」


いくらか溜飲を下げる。


「うぅ・・・くらくらするぅ・・・」
「・・・大丈夫?」
「だいじょうぶじゃないぃ・・・美凪がふたりいるよぉ・・・」
「え・・・分身・・・」


「しなくていい」
「・・・残念・・・がっくり」
「そんなことで残念がるなよ・・・」


「こらっ! 国崎往人っ! 美凪をいじめるなっ!」


ぽかっ。

 

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「にょぼっ。 にゅぅ~~~・・・」
「・・・もういい。
いつまでも、お前らボケボケコンビの相手はしてられない」


「・・・ボケボケ?」


「こらーーーっ! だれがのど仏だーーーっ!」

 

ぽかっ。

 

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「にょめれっちょっ。 にゅぅ~~~・・・」
「いい加減にしろ」
「うぅ・・・」


「・・・・・・・・・国崎さん」
「なんだよ」
「・・・本当にお上手です・・・ツッコミ」
「・・・はい?」
「・・・感服しました・・・」
「・・・・・・・・・少し激しいけど」


ぼそ・・・。


「・・・・・・なあ」
「・・・?」
「俺はツッコミとやらの評価をされにきたのか?」
「・・・・・・・・・」


ふるふると首を振る。


「・・・いいえ・・・たぶん違う」
「だったら、そろそろ頼む。 限界なんだ」
「・・・なにを?」
「・・・・・・」


ぐーーー。


「・・・・・・」
「・・・・・・・・・お食事にしましょう」
「ああ。 そうしてもらえると、ありがたい」
「・・・はい」


いそいそと食事の準備に取りかかる遠野。


「・・・いそいそ・・・」


とは言っても、ベンチの上にランチボックスの中身を並べるだけのことだったが・・・。


「・・・いそいそいそ・・・」


・・・・・・。


・・・。


もぐもぐもぐ・・・


・・・もぐもぐもぐ・・・


もぐもぐもぐ・・・

 

三人で、ベンチの上に広げられたランチボックスの中身を食する。

真夏の午後。

しかも駅前に備え付けられたベンチの上で食事。

改めて考えると、実に奇怪な行為をしている。


「ぱくぱくぱくっ」


みちるは、満面に笑みをたたえながら、一人で食糧不足を生み出していた。

 

「へへ・・・おいしいねぇ、美凪。 このお魚さんのフライ」
「・・・そう?」
「うん。 もっと食べてもいい?」
「・・・いいですよ・・・ちなみに・・・そのお魚さんは『アジ』といいます・・・開いてます」


本日のメインメニューは、それだった。


あじあじ開きぃ~~~ぱくぱくぱくっ」


ぼろぼろぼろ・・・


みちるは衣のカスを口端からこぼしまくりながら、再び悦楽の境地へと旅立った。


「・・・国崎さんも・・・もっと食べてください」
「もう食ってる」
「・・・では・・・召し上がれ」
「召し上がってる」
「・・・・・・」


・・・・・・。


「・・・お味は?」
「・・・ん」


親指をグッと立てる。


「・・・・・・・・・よかった」


・・・・・・。


・・・。

 

・・・時が、ゆっくりと流れていった。

それはただ、三人でいるだけの時間。

気がつけば、頭上にひろがる空が、いつの間にか赤く染まり始めていた。

夏の夕暮れ、黄金色の黄昏が舞い降りていた。

夕凪近くの微風に、木立が優しい葉擦れの音を奏でていた。

 

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「・・・夕焼け・・・綺麗です」


空を見上げながら、遠野が呟いた。


「そうだな」


空を見上げながら、俺は答えた。


「・・・今日は良い天気でした」
「ああ」
「・・・今夜は星がきれい・・・きっと」
「だといいな」
「・・・・・・・・・はい」


それは、とりとめもない会話。

遠くの山裾からは、カナカナと鳴くヒグラシの声。

そして俺は、隣から聞こえてくる遠野の柔らかな声に耳を澄ましていた。


「・・・国崎さん」


遠野が俺の名を呼ぶ。


「・・・国崎さんは・・・これからずっとここにいるのでしょうか」


まるで、独り言を呟くかのように・・・。


「・・・しばらくはな」


それが、どれほどの時間なのかはわからない。

水に溶けてゆく氷のように、ゆっくりとした時間かもしれない。

誰ひとり寄せつけることのない急流のように、刹那の時間かもしれない。

でも、どちらにしろ時間は確実に流れていて・・・。

とどまることを望むことすら、忘れ去っているかのようで・・・。

俺は、つけてもいない腕時計を見るかのように、眼差しを地上に戻した。


「・・・・・・」

 

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隣には、穏やかな微笑を浮かべる少女。


そして・・・。


「にゅふふふ・・・」


まるで、母親に甘えるかのように、その膝の上で眠る幼い少女。


「・・・ずいぶんと幸せそうに寝るなぁ、こいつは」


からかうように言う。


「・・・今日は・・・ご飯をたくさん食べました。
・・・だから・・・お腹一杯」


言いながら、みちるの頭を優しく撫でる。

遠い夕空の下を、一羽のカラスが子供を呼びながら羽ばたいていく。


「・・・・・・・・・どうされるのですか?」
「なにがだ」
「・・・・・・・・・晩ご飯とか・・・」


心配げに、ぽつりと呟く。


「大丈夫だ。 俺にはこれがある」


ポケットから、シャキーン!と白い封筒を取り出す。


「これさえあれば、とりあえず米は食えるぞ。
驚くなかれ、ただの白飯に飽きたときには、おむすびだ」
「・・・・・・」
「?」

 

反応がない。


「・・・・・・・・・では・・・今日は晩ご飯抜き?」
「なんで、そうなるんだ」


もう一度、シャキーン!と白い封筒をかざす。


「・・・・・・・・・だって・・・」


そっと瞳をふせる。

憂いを秘めた、ひどく悲しい瞳。

世界に満ちたすべての音を、すべて閉じこめてしまうかのような瞳。

そして、彼女は呟く・・・。


「・・・お米屋さん・・・もう閉店時間
「・・・・・・」
「・・・あ・・・すごい顔」
「・・・・・・」
「・・・あ・・・落ち込んだ。
国崎往人さん七変化でした・・・ぱちぱちぱち」


・・・二変化だ。


「そうか・・・閉店時間ってのは盲点だったな」


かなりショックな事実だ。

そんなものがあるなら、昼のうちに交換しておけばよかった。


「・・・・・・・・・後の祭り」
「う・・・」


結構キツイことを言う。


「・・・でも平気」


じっと俺の目を見る。


「・・・こんなこともあろうかと・・・お弁当を残しておきました」
「マジか」
「・・・はい」


こくりとうなずく。


ごそごそごそ・・・。


・・・ごそごそごそ・・・。


「・・・じゃん」


と、真新しい弁当箱を取り出す。


「・・・梅干し入りだから・・・まだへっちゃら」
「おお」


少女の後ろに、後光が射して見える。


「悪いな。 世話になりっぱなしで」
「・・・いえ・・・」


ぷるぷると首を振る。


「・・・気にしないでください」


小さな微笑みを浮かべながら・・・。


「そっか。 じゃあ、遠慮なく」


遠野の手から、弁当箱を受け取る。

重さから言って、量的には申し分なさそうだった。

これで、明日米屋に行くことができれば、なんとか暮らしていけそうだった。

本当にありがたい・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


 

7月25日(火)

 

 

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商店街に辿り着く。

相変わらずひとけはなくて、ただひたすらに閑散としている。

 

「しかし・・・。
ここの経営者たちは、どうやって生計をたててるんだろうな」


思わず余計な心配をしてしまう。


「はんっ、俺に心配されるようじゃあお終いだぜっ・・・ぐはっ」


自分の言葉に、精神的ダメージを喰らう。

・・・しまった。

墓穴を掘った。


「っと、ひとりよがってる場合じゃないな」


今は、米屋に行くことが何よりも先決だった。

確か、米屋は商店街の端にあったはずだ。

急ごう。


・・・・・・


・・・



数十メートル歩いて、米屋の前に辿り着く。

店先には『新沼米酒店』と書かれた看板。

他の日用品なども取りそろえているのだろう。

店は大きく、ちょっとしたスーパーのようだ。


フィーーーン・・・


自動扉が開く。


どんっ!


「おっと」
「きゃっ」


どさっ。


店から出てきた年輩の女性とぶつかる。


「ご、ごめんなさい・・・」
「いてて・・・」


俺は女性が引いていたカートに、すねを打ち付けていた。


「あっ、た、たいへん・・・」


店で買った物だろうか。

女性は、妙におどおどした動きで、ぶつかった際にカートから落ちた重そうな米袋を拾い上げている。


「・・・・・・」


その様子を、じっと見つめてみる。


(しかし・・・)


目の前の米袋を数えてみる。


・・・1。

・・・・・・2。

・・・・・・・・・3。


これが、カートに乗った米袋の数。

そして・・・。


「うっ・・・どうしよう・・・持ち上がらないわ」


・・・1。

・・・・・・2。

これが、カートから落ちた米袋の数。

合計5袋。


(・・・買いすぎだっての)


明るい大家族。

あるいは単に飲食店経営か。


「困ったわ・・・」


女性は、見た目20キロ入りの米袋を持ち上げることができずに、言葉どおり困り果てている。


「・・・・・・」
「うーん・・・」


米袋を持ち上げようと何度も試みるが、一向にビクともしない。


「・・・・・・」


しょうがない・・・。

目の前で困り果てているひとを見過ごすわけにはいかないような気がする。


(ラッキーだな。 俺は今、機嫌が良いんだ)


心中で呟きながら、足元の米袋を拾い上げる。


「うっ」


見た目以上に重い。


「ど、どうも、申し訳ありません」


必要以上に恐縮しながら、その女性はぺこぺこと頭を下げる。


「気にするな」


俺だって、責任の一端は担っている。


・・・しかし、重い。


どうにかこうにか、米袋をカートに乗せ終える。


「ふぅ・・・」


痺れて赤くなった手を、ぷらぷらと上下に振る。


「ありがとうございます。 力持ちなんですね」


女性が、柔らかな笑みを見せる。


「いや、これぐらいは大したことないぞ」


実は、かなり必死だった。


「まとめ買いするなら、配達を頼んだ方がいいんじゃないか」


カートに乗った五つの米袋に目配せをする。


「はぁ・・・私も、そうしたいとは思っているのですが・・・」


そこまで言って、女性は言葉を濁した。

その顔は、なぜか寂しそうで・・・。

いつかどこかで見たことのあるような顔で・・・。


「ま、好き好きだけどな」


俺は、目をそらすように店内へと足を運ぶ。


「・・・ありがとうございました」


背後から、消え入りそうな女性の声。

どこか聞き覚えのある声・・・。


「・・・っ」


ハッとして、俺は振り返る。

女性が、自動扉をくぐり、フラフラしながら店外へとカートを押しながら出ていく。


「・・・・・・」


フラフラフラ・・・


・・・フラフラフラ・・・


フラフラフラ・・・


・・・かなり、危なっかしい。


「・・・・・・ったく・・・しょうがないな」


頭を掻きながら、俺は踵を返し、女性の背を追いかけた。

 

「ほら、貸せよ」


女性に追いつき、カートを代わりに押してやる。

やはり米袋を五つも積んだカートは重く、女性の力ではキツイのがわかる。


(一袋20キロとして、それが五つ・・・・・・げっ)


計算すると、とんでもない重さだった。


「あ、ありがとうございます・・・」


相変わらず、女性は見ていて気の毒になるくらい恐縮を繰り返している。

まあ、見知らぬ男に世話になっているのだから、無理もないが・・・。


「で、どこまで押せばいいんだ」
「は、はい、あの・・・商店街の入り口に車を止めてますので・・・」
「わかった」


カラカラカラ・・・


・・・カラカラカラ・・・


カラカラカラ・・・

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

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「ふぅ・・・これで全部だな」


計100キロの米袋を車に乗せ終えて、額に浮かんだ汗を拭う。


「ど、どうもご親切に・・・」


ぺこぺこ・・・


「気にするなって。 旅は道連れ世は情けと言うだろ」


旅してるのは俺だけだが・・・。


「は、はい、そうですね」


ぺこぺこ・・・


「・・・・・・」


ぽりぽりと頭を掻く。


「まあ、これからは、まとめ買いの数を加減するこったな」
「はあ・・・娘が、お米を好きでよく食べるものですから、つい・・・」
「・・・・・・」


100キロの米を平らげる娘って、いったい・・・。


「でも、娘の喜ぶ顔を見られるなら、このくらいの苦労は平気なんです」
「・・・そういうもんか?」
「ええ。 そういうものですよ、母親というのは」


親馬鹿ですけどね、と女性は笑う。

その笑顔に、俺は遥かな記憶を思い起こす。


「では、私はこれで」
「ああ」


ぺこりと頭を下げてから、女性は車に乗り込み、エンジンをかける。


ブロロロロォォォォ・・・


ずぴゅーーーんっ。


巨大な砂煙を吐いて、女性が運転する車が、夏の陽射しの中へと猛スピードで消えていった。


「・・・・・・」


車に乗ると、ひとが変わるタイプだろうか・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


 

踵を返し、俺は再び商店街の中へと入った。


「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」
「・・・・・・」


どこからともなく、怪しい笑い声が聞こえてくる。


「見ていたぞ、国崎君・・・」
「・・・・・・」
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」
「・・・・・・」


・・・急ごう。

俺は、声を無視して、さっさと米屋に向かうことにした。


「こらこら、さも当たり前のように無視するな」


わしっと、後頭部をつかまれる。


「はぁ・・・なんだよ。 なにか用か」

 

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ため息混じりに振り返ると、そこには予想通り、あの女が立っていた。


「ふふ・・・おはよう、国崎君」


怪しげな表情で挨拶をされる。


「・・・なんだよ、その不敵な笑いは」
「ふふふ・・・いや、なに・・・。
そうかそうか・・・君と遠野さんは、もうそんな仲になっていたのか」
「はぁ?」
「うんうん、やはり、君はすみにおけないなぁ」
「・・・・・・」


なにやら納得した風に何度もうなずく女医がひとり。


「ふむ・・・これは、佳乃ももう少し焦らせないといけないな・・・」


ぶつぶつ・・


「・・・・・・おい」
「うん? なんだ、ラブラブハンター」


・・・妙なあだ名を付けられた。


(ラブラブハンター・・・愛の狩人・・・)


イヤすぎる・・・。


「あんた、さっきから何をひとりで納得してるんだ・・・。

忠告しておくが、朝っぱらから、かなり不気味だぞ」


ぽかっぽかっ。


「いててっ」
「不気味で悪かったな」
「く・・・二発もなぐるなよ」
「知るか」


・・・知ってくれ。


「まったく・・・遠野さんの母上には親切だったくせに、なんで私にはその態度なんだ」
「うん? 遠野の母親?」
「ああ。 さっき、カートを引いてやってたじゃないか。
見てたんだぞ」
「・・・・・・あれ、彼女の母親だったのか」
「だったのかって・・・もしかして知らずに手を貸していたのか?」
「ああ。 これっぽっちも知らなかったぞ」


そうか。

どうりで声に聞き覚えがあると思ったら、遠野の声か。

なるほど。

米つながりだ。


「なんだ知らなかったのか。 そうならそうと、早く言え」
「・・・・・・」


言う暇を与えなかった者が言う。


「じゃあ、いちおう覚えておけ。 あれが、遠野さんの母上だ。
優しくて、良い人だったろ?」
「まあな」


素直に同意する。


「・・・確かに・・・あんたほど悪人には見えなかった・・・」


ぼそぼそ・・・


「おい、今、なんて言った」
「いや、なにも申さなかったぞ」
「ふむ・・・そうか、空耳だったかな」
「ああ。 きっとそうだろ」


・・・ヤバかった。


「それより、確か遠野の母親って、具合が悪いとか言ってなかったか?」


できるかぎり冷静に、話題を変えてみる。


「えっ・・・」
「俺が見た限りじゃあ、とてもそうは見えなかったけどな」
「・・・・・・そうか・・・」
「ああ」


聖の反応が、心なしか鈍いような・・・。


「・・・・・・そうだろうな・・・」


不意に、聖の表情が曇りを見せた。


「ん? どうかしたのか」
「いや・・・」
「?」
「・・・・・・国崎君」
「なんだ」
「遠野さんの母上はな・・・別に、体が悪いというわけじゃないんだ」
「うん? どういう意味だ?
そういや、遠野も病気じゃないとか言ってたよな」
「うむ・・・まあ、病には違いないんだが・・・」
「?」
「・・・・・・」

 


・・・・・・。



・・・それ以上、聖は何も言わなかった。

俺も、微妙な空気の変化に、何も訊くことができなかった。

そして・・・。


「じゃあな。 私はそろそろ仕事にもどる」


それだけを言って、聖は診療所の中へと消えていった。

俺は、アスファルトの照り返しの中に、ひとり取り残された。


「・・・・・・」


胸の奥に、言い知れない感情が産声を上げる。

それは、ゆっくりと渦を巻いて・・・。

そして、やがて誰かの顔に変わってゆく。

誰の顔なのかは、はっきりと見て取れない。

でも、それは確かに誰かの顔で・・・。

見覚えのある顔で・・・。


「・・・・・・まあ、いい」


俺は、思考に折り合いをつけて、再び米屋に向かって足を踏み出す。

その足取りが重かったのは、単に空腹のためか。

あるいは・・・。


・・・・・・


・・・

 



米屋で米をもらい、来た道を引き返す。

足取りが、かなりふらついている。


「お、重い・・・」


やはり、お米券二枚を一気に交換したのは間違いだったかもしれない。

俺は、米屋から数十メートル歩いたところで、すでに限界を迎えていた。


どさっ、どさっ


20キロ入りの米袋をふたつとも地面に降ろし、俺は診療所の前で力尽きる。


「ふぅ・・・」


米袋の上に腰をおろし、ひとまず休憩をとる。

体中が、一気に重力から解放されたかのような軽さ。

額に浮かんだ汗を拭いながら、しばらくの間、ぼぅっとしてみる。

ようやく現れた幾つかの人影が、目の前を通りすぎてゆく。


(・・・・・・見られているな・・・)


人影が通りすぎてゆくたびに、その視線がちらちらと俺を覗いているのがわかる。

・・・当たり前だ。

こんな場所で米袋をケツに敷き、ぼけっと座っている奴がいたら、俺だって見る。


「と、なればだ・・・」


ごそごそと、ポケットに突っ込んでおいた人形を取り出す。


「・・・・・・」


人形と米袋を、交互に見つめてみる。


「これは、もしかしたらチャンスなんじゃないか?」


俺の中に、光明が射した。

俺は今、米袋という新たなアイテムを手に入れたことで、確実に人目をひいている。

そう。

ここで、俺がやるべきことは、たったひとつである。
うまくすれば、米以外に一品おかずを買える金が稼げるかもしれない。

さらにうまくすれば、一気にこの町からおさらばできる金が稼げるかもしれないのだ。


「ウハハハハハ」


思わず高笑い。


文字通りウッハウハだ。


しかも、なぜかより人目をひいているような気がする。

「よしっ! やってやるぜっ!」


気合い一発。

俺は人形を地面に置いて、芸を始めた。


・・・・・・。


・・・。



 

「・・・・・・はぁ・・・」


しばしの間、芸に精進した後、天に向かって小さく息を吐いた。


「うまくいかないもんだな・・・」


口端から、ため息まじりの愚痴がこぼれた。

あれほど気合いを入れたはずなのに、結局のところ、結果はいつもと同じ、散々だった。


「なんで、俺が芸を始めた途端に人通りがなくなるんだよ・・・」

 

もしかしたら、俺は見えない誰かの意思によって、この町に留められているのではないか?

そんなカルト的な考えが頭を過ぎる。


「・・・・・・帰るか・・・」


落胆にくれながら、人形を手に、ゆっくりと立ち上がる。

「こらーーー! 国崎往人ーーー!」
「うわっ!?」

 

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「んにゅ? どしたの?」
「く・・・。
う、後ろから大声を出すなっ」


不覚にも、心臓がばくばくと鳴っている。


「むぅ・・・なんで怒るのよぉ。
わざわざ、みちるが声をかけてあげたのにぃ」


かなり不満そうだ。


「馬鹿っ、あれは脅かしたというんだ」
「ばかっていうなーーーっ」
「やかましいっ」


ぽかっ。

 

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「にょるっ。 にゅぅ~~~・・・」
「いちいち大声をだすな」


またちょっとビックリしてしまった。


「うぅ・・・脳ミソがゆれてるぅ・・・」


みちるの頭が、左右に微妙な動きを見せている。


「・・・んに?」


はたと俺の手元を見る。


「なにそれ」


指さす。


「ん? これか?」


俺は右手に握ったままの人形を前に示した。


「にょわっ!」
「なんだよ」
「ばっちい人形ぉ~、ぺっ、ぺっ」


(こ、こいつ・・・)


精神に、かなりのダメージを喰らった。


「んにゅぅ・・・。
ねえ、ちょっとかしてみてみて」


ぐいっ、と強引に人形を奪い取られる。


「こらっ、なにするんだ」
「へへ~、いいからいいから」


楽しそうに笑みを浮かべながら、みちるは人形をしげしげと眺めた。

やはり、ガキはガキか。

人形を手にして喜ぶとは、なかなか可愛いところもあるじゃないか。


「むぅ~・・・見れば見るほど、キミはぼろぼろだねぇ・・・。
かわいそうに・・・アホの主人の下で苦労してるんだ・・・」

「しみじみと言うなっ」


前言撤回。

まったく可愛くないガキだ。

にしても、反論できないのが悔しい。


「んにっ! わかったっ!
みちるが、キミを助けだしてあげるよっ!」
「えっ!?」


少女の目に、使命感の炎が燃えあがった。


「にゃはは、んじゃあねーーー」


ぱたぱたぱたーーー。

窃盗犯が、陽光の中に向かって走り出す。


「お、おいっ、こら待てっ」


俺もその後を追って走りだす。

が、米袋をここにおいたままではいけない。


「く・・・」


力を込めて、俺は米袋をふたつとも肩にかつぐ。

総重量は約40キロ。

足を一歩踏み出すだけでも、かなりの体力を使う。

しかし、俺は少女を追いかける。


「うぐぐぐぐ・・・」


なんで、俺がこんな目にあわなきゃならないのだろうか。

真夏の風が、目尻に冷たかった。


・・・・・・。


・・・。

 



「にゃはははは、こっちだよーーーだっ」
「ま、待てよ、こらっ」
「にゃははははははは。
ほらほら、ふりふりふり~~~}
「ケ、ケツを振るなっ」
「にゃはははは、ひゃっほーーーうっ」


ぱたぱたぱた・・・


「く・・・」


ふらふらふら・・・


・・・・・・。


・・・。

 


「はぁ・・・はぁ・・・」


とことことこ・・・


「にゃはははは、もう降参かな~?」
「はぁ・・・はぁ・・・。
こ、この・・・わざわざ近づいてきて言うなっ」
「んに? 近づいちゃダメなの?
んじゃあ、わかった。 遠くにいくね」
「え・・・」


ぱたぱたぱたーーー・・・


「うおぉぉっ、しまったーーーっ」
「にゃははははーーー」

 

・・・・・・。


・・・。

 



「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
「んにゅぅ~・・・だらしな~い。 もう走れないの~?」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・ぜぇ・・・」
「んにに?」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
「こらっ、国崎往人
みちるが声かけてあげてるんだから、へんじしろっ!」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
「んににに? なんか、顔があおいぞ?」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
「もしかして・・・ほんきで、もうダメ?」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
「んに・・・だいじょうぶ?」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
「んにゅ・・・ごめん・・・はやく走りすぎた」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜ・・・はっ!」
「にょわっ!?」
「ちっ、はずしたっ」
「お、おにょれ~~~、国崎往人~~~。
だますなんて、ひきょーだぞっ!」
「やかましいっ! おまえが卑怯とか言うなっ!」
「んにゅぅ~、もうだまされないからねっ!」



ぱたぱたぱたーーー・・・


くるっ。


「この能なしやろーーーっ」



すたたたたたたたたーーーーーーっ。



「にょわっ! 加速しやがったーーーっ!」


・・・・・・。


・・・。

 

 

ぐいっ!

 

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「にょわっ!」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」


ようやく、みちるの、その両に結んだ髪の毛に手が届いた。


「ぜぇ・・・ぜぇ・・・。
やっとつかまえたぞ・・・くそガキ・・・」


どさっ。


担いでいた米袋を地面に投げ落とす。


「んにゅぅ~~~・・・」
「ほら、さっさと人形を返せ」


急かすように握ったままの髪の毛を引っ張った。


ぐい。


「んにゅ」


ぐいぐい。


「んにゅんにゅ」
「・・・・・・」


ちょっとおもしろいかもしれない。

さらに引っ張ってみる。


ぐいぐい。


「んにゅんにゅ」


ぐいぐい。


「んにゅんにゅ」
「・・・・・・」


ぐいぐいぐいぐいぐいぐい。


「んにゅんにゅんにゅんにゅんにゅんにゅ」
「おぉ~・・・」


これは、なかなかおもしろい。

もっと引っ張ってみよう。


ぐ・・・


がすっ!


「ぐはっ」
「こらーーー!! ひとのあたまであそぶなーーー!」
「ぐぅ・・・」


みぞおちを押さえながらうずくまる。


「むぅ・・・」
「い、いいから、人形を返せよ」


右手を差し出す。


「・・・・・・」
「さっさと渡せ」


差し出した右手を、みちるの目の前でぱくぱくと動かす。


「むぅ・・・わかったよぉ。
みちるがつかまったんだから、かえしてあげるよ。 はい」


観念したのか、みちるは素直に俺の右手に人形を・・・。


ずっしり・・・


(ん? 人形って、こんなに重かったか?)


右手を見てみる。


「・・・・・・」


ボルトだった。

しかも錆びていた。


「おい」
「んに?」
「俺をなめてるだろ、おまえ」
「なめないよ。 ばっちいもん」
「つれないことを言うなっ、じゃない、ふざけるなっ。
誰がこんなもんをくれと言ったっ」
「んにゅ? ちがった?」
「人形を返せと、はっきり言っただろうがっ」
「むぅ・・・そうだったかな」
「そうだったのだったっ」


・・・なんか、言葉遣いがおかしいぞ、俺。


「んじゃあ、そのボルトと交換ということで」
「おまえの瞳は何万だっ」
「なにそれ」


・・・俺も知らない。


「って、話をそらすなっ」
「んにゅぅ~~。
国崎往人は、さっきから怒ってばっかりだ。
そんなに怒るとハゲちゃうよ」
「・・・・・・」


それは嫌だ。


「いい子だから人形を返しなさい」


優しく言ってみた。

 

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「いやプ~~~」
「てめえーーーーーーっ!!!」


髪の毛が、三本ぬけた。


「にゃはははは」


再びみちるが駆け出す。


「待てっ、こらっ!」
「またないよーーーだっ」


ぱたぱたぱた。


ぼふっ!


「んにっ!?」


駆け出した途端、人にぶつかった。


「・・・あらあら・・・ずいぶんと賑やかですこと・・・」


(マダム?)


「あっ」



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「・・・・・・こんにちは・・・お二人さん」


マダムじゃなかった。


(また、妙な登場パターンをマスターしてやがる・・・)


「こんにちはー、美凪さーん」


俺がいるときとはうって変わった少女の笑顔。


「・・・こんにちは・・・みちるさん」


優しくみちるの頭を撫でる。

 

「へへ~。 今日はもういいの?」
「・・・うん」
「そっか。 んじゃあ、あそぼっ」
「・・・うん・・・いっぱい遊ぼう」


商談成立。


「待て待てーい」
「なに? 悪代官」
「誰が悪代官だっ」


「・・・悪代官・・・」


・・・復唱しないでほしい。

 

「遊ぶのは勝手だが、その前に俺の人形を返せ」
「やだ」
「返せよっ」
「やだもんっ、ぷいっ」
「お、おまえなぁ・・・」


いい加減、本気で腹が立ってきた。


「・・・人形?」
「ん? ああ。 いちおう大事なものなんだが、それを・・・。
こいつが盗みやがったっ」


びしっ、と音をたててみちるを指さす。


「・・・本当?」
「ち、ちがうよ、べつに盗んだわけじゃないもん。
あまりにもかわいそうだったから、みちるがたすけてあげたんだよ」
「・・・・・・・・・こう言ってますが」


「いい加減なことを言うな。
だいいち、俺は人形を不幸にしたおぼえなどない」

 

「・・・・・・・・・反論は?」
「だってだって、めちゃくちゃばっちかったんだもん。
美凪もみてよ、これ」


みちるは、遠野の前に人形をさしだした。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うわ」


豊かな表現力だった。


「・・・みちるの勝ち」
「やったーーーっ、ばんざーーーいっ」


ぴょこぴょこ飛び跳ねる。


「ばんざーーーいっ、じゃないっ。 勝手に勝敗を決めるなっ」


少女の歓喜に水を差す。


「・・・でも・・・この汚さは尋常じゃないです」
「そこまでのものじゃないだろうがっ」


ぐいっ。


「にょわっ」


言いながら、俺はみちるの手から人形を奪い取った。

えらくあっさりと奪い取れたものだ。


(はじめから、こうしておけばよかった・・・)


後悔しつつ、俺は人形を見やった。



「・・・・・・きったねぇ人形・・・」



・・・はっ!? しまった! つい本音が出てしまった。


「でしょ?
だから、みちるがきれいにしてあげようと思って」
「・・・なるほど」


「納得するなよ」
「・・・そう?」
「どんな理由があろうと、ひとのものをとるのは泥棒だぞ」


「むぅ・・・。
みちる、ドロボウじゃないもんっ」
「いいや。泥棒だ」
「ちがうもんっ!」
「泥棒」
「うぅぅ・・・」


もはや涙目だった。

今回のところは、これぐらいで勘弁してやるか。


「と、いうわけで、人形は返してもらうぞ」
「うぅ・・・どういうわけよぉ・・・」


「・・・・・・・・・あの・・・国崎さん」
「なんだ」
「・・・その人形・・・きれいにしたくはありませんか」
「ん? そりゃあ、きれいに越したことはないが・・・」
「・・・ですね」
「ああ」
「・・・では・・・私がきれいにしてさしあげましょう」
「いや、べつにさしあげられなくても・・・」
「・・・人形・・・かしてみてください」


すっ、と右手を差し出す。


「ああ・・・」


吸い込まれるように、その手に人形を渡す。


「・・・・・・・・・じゃん」


と、遠野は裁縫道具を取り出した。


「どこに隠し持ってたんだ、そんなもんっ」


一応ツッコんでおく。


「・・・とりあえず・・・この目がいただけません」


・・・やっぱり無視された。


「・・・たしか・・・パッチワーク用の布があったと思いますが・・・」


ごそごそ・・・


「ど、どこをごそごそしてるんだ・・・おまえ」
「・・・・・・・・・」


ごそごそごそ・・・


・・・ごそごそごそ・・・


ごそごそごそ・・・


・・・ぴたっ。


「・・・発見。 ・・・じゃじゃん」


と、布が眼前にあらわれた。

俺の法術なんかより、よっぽどすげぇ。


「ラーメンセットも頼む」
「・・・はい?」
「・・・いや、なんでもない」
「・・・?」


どうやら、なんでも出せるわけではないようだ。

次からは、ものを選んでから頼もう。


「・・・では・・・この布で目をつくります。
・・・よろしいですか?」
「ああ、よろしい」
「・・・では・・・はじめます」


じょきじょき・・・


布を人形の目の大きさにあわせて切り取る。


ぴとっ。


それを人形の顔に張りつける。


ちくちく・・・


縫いつける。


「・・・完成」


早い。


「ほぉ・・・大した手際だな」

 

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「・・・・・・・・・・ぽ」


照れた。


「じゃ、その調子でカツ丼セットも頼む」
「・・・はい?」


これも無理なようだ。

残念。


「・・・ついでに・・・中の綿も入れ替えておきましょうか」
「そうだな。 頼む」
「・・・はい」


じょきじょき・・・


人形のわきにある縫い目をほどく。


しゅぽっ。


中に詰まっていた、硬い綿を抜き取る。


ぎゅっ、ぎゅっ。


新しい綿を詰めこむ。


ちくちく・・・


縫いつける。


「・・・完成」
「すばらしい。
じゃ、五目焼きそばセットを頼む」
「・・・はい?」


・・・これもだめか。

なら、試しにこれはどうだろう。


「お米券を・・・」
「・・・どうぞ」


速攻で出てきた。

四枚目獲得。


(ひゃっほーーー、ラッキーーー)


無理矢理、喜んでみた。 心の中で。


(・・・・・・さむいぞ)


「・・・どうかしましたか」
「・・・いや、なんでもない」
「・・・?」


俺は黙ってお米券を受け取り、ポケットの中にしまった。


「あ~~~、いいなあ~~~」
「なにがだ」
「みちるもほしいっ!」


「・・・お米券?」
「うんっ! お米券っ!」


(・・・それは贅沢だな)


「・・・じゃあ・・・あげる」


(・・・経営者なのだろうか)


「ほんとっ!」
「・・・うん」


ごそごそ・・・


「・・・はい・・・進呈」


ポケットから白い封筒を取り出す。


「やったーーーっ! しんてーーーーっ!」


封筒を受け取り、小躍りする。


「・・・・・・」


遠野は、そんなみちるの姿を満足そうに眺めている。


「なあ、ひとつ訊いてもいいか」
「・・・はい?」
「お前、何枚持ってるんだよ、お米券」
「・・・・・・・・・およそ96枚」
「・・・そうか」


前より増えている・・・。


「・・・・・・・・・そんなことより」


ずいっと前に出てくる。


「ん?」
「・・・・・・」


ちくちくちく・・・


「・・・どうぞ。
・・・これできれい・・・お人形」


最後に細かい補修をしてから、遠野が人形を差し出す。


「ああ、サンキュ」


人形を受け取り、しげしげと眺めて見た。

美しい・・・。

まるで、ちがう人形のようだ。


「って、なんだ、この乙女チックな服は」


人形は、ひらひらのついたピンク色の服を着ていた。

実に雅である。

 

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「・・・・・・・・・かわいいかと思って」
「お、俺の相棒が・・・」


ますます奇怪な姿になってゆく・・・。


「・・・これなら・・・お子様たちの心もゲット」
「・・・・・・」


きゅぴーん!と音が出るほどの目つきで遠野を見る。


「マジか」
「・・・・・・」


心なしか、神妙な面持ちで、こくりとうなずく。


(本当にマジなのか・・・?)


「にょわ~、かわいくなったねぇ~」


遠野の横から、みちるが人形をのぞきこんできた。


「へへ~」
「・・・・・・」


なるほど。

確かに、お子さまの心をゲットしている。

と、言うか・・・。


「まだいたのか、おまえ」

 

がすっ!


「ぐはっ」


「いたらわるいかーーーっ」
「うぐぐ・・・」


今度の蹴り、胃袋を直撃した。


「・・・大丈夫ですか・・・国崎さん」


苦しみもだえる俺をよそに、遠野はえらく冷静だった。


「い、いちおうな・・・」
「・・・・・・・・・みちる・・・手加減はしてあげないと」


そういう問題じゃない。


「だってだって、こいつがムカツクこというんだもん」
「・・・そう?」
「うんっ。
だいたい、その歳で人形をもって歩いてるなんで、やっぱりヘンタイだよっ」


えらい偏見だった。


「・・・持って歩いてるんですか?」
「ああ、まあな」


正確には、ポケットにねじ込んでいるだけだが・・・。


「・・・・・・・・・なるほど」
「うん?」
「・・・よほど大切な人形なんですね・・・いつも持ち歩いているなんて」
「まあな」


なにしろ、俺にとっては唯一の金蔓だ。

これがなければ、俺は最低限の稼ぎさえ手にすることができない。

それに・・・。


「・・・大切な思い出のカタチ」
「え・・・」


遠野の呟きに、思いが止まる。


「・・・違いますか?」
「・・・・・・」


俺は、手の中の人形をじっと見つめる。


「・・・・・・そうだな。 そうかもしれない」


一瞬、俺の中を柔らかなものが通り過ぎた。

懐かしくてせつない、遠い何か・・・。


「そう・・・」


呟く遠野の口元が、小さくゆるむ。


「ん? なにか、おかしなことを言ったか?」
「・・・いいえ・・・言ってません」
「なら、なんで笑うんだよ」
「・・・・・・・・・国崎さん・・・とても優しい顔をされました。
・・・そのお人形の胸には・・・きっと幸せな思い出が抱かれているのですね・・・」
「・・・・・・」


遠野の声に、過去の光景を思い浮かべてみる。

でも、確実に思い出されるものは苦い光景ばかり。

思い出は、いつも手の届かない空と同じ色をしている。

蒼く儚い色で、いつも透きとおっている。

でも・・・それでも・・・。


「・・・それほどいいもんじゃないさ」

 

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夏の空・・・。

俺は、あそこに辿り着こうと、いつも手を伸ばしている。

触れたいものが、あそこにはあって・・・。

でも、手に触れるのは風の断片ばかりで・・・。


「そう言えばな」


ふと思い出すことがひとつ。


「今朝、おまえのおふくろさんに会ったぞ」
「え・・・」
「偶然知り合ったんだが、あの極悪医師に一緒にいるところを見られてな。
後になって、そのひとがおまえのおふくろさんだって、教えてもらったんだよ」
「・・・・・・・・・お母さん・・・?」
「ああ。
良かったな。 いいおふくろさんじゃないか」


――『娘の喜ぶ顔を見られるなら、このくらいの苦労は平気なんです』


あの時の、暖かな微笑みを思い出す。

俺が持っていないもの・・・。

俺が遠い昔に忘れてきてしまったもの・・・。


「そういや、おふくろさん、どこか具合が悪いんだったな」


俺が見た限り、とてもどこかが悪そうには見えなかったが・・・。


「大丈夫なのか?
今朝も、ひとりで買い物をしていたが・・・」
「・・・・・・平気です」

 

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俺は、遠野美凪という名の少女を見ていた。


「・・・母は・・・病気ではありませんから」


呟くように発せられたのは、あの日と同じ言葉。


「・・・身体的には・・・なにも問題はありません」
「・・・どういう意味だ」
「・・・・・・・・・こころ・・・」
「心?」


胸の奥に、なにかを感じる。


「・・・母は・・・夢を見てるんです」


夢・・・。

そこにある夢・・・。

白き翼とともに見る夢・・・。

青き空に見る夢・・・。


「・・・あのひとにとって・・・夢は現(うつつ)・・・。
・・・夢の向こう側にはなにもないから・・・・・・だから・・・現を夢で彩るしかない・・・」
「・・・・・・おまえ・・・」


少女の言葉の意味を理解することができなかった。

ただ、少女を取りまく空気が、悲しみの色に染まって・・・。

その空気が、柔らかく俺の肌に触れて・・・。


「・・・でも・・・・・・たとえ・・・あのひとにとって・・・私が夢の欠片だとしても・・・」


それが・・・たとえ、いつかは覚めるものだとしても・・・。


「・・・それでも私は・・・」
「・・・・・・」


・・・・・・。


「なあ・・・おまえの母親って・・・」


「ダメだよっ、美凪っ!」
「え・・・」


瞬間、陽射しに熱を帯びた空気が、震えたような気がした。


「そんなこと、言ったらダメだよ美凪・・・」


みちるの声に、時が再び流れ始める。

ゆっくりと・・・。

・・・ゆっくりと・・・・・・。

まるで、灯り始めたロウソクが、闇を優しく照らし出すかのように・・・。


「みちる・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・そうだね・・・ごめんなさい」
「・・・・・・うんっ」


少女が笑う。


「にゃはは、そういうわけでね、国崎往人


笑顔が、俺の目の前にとまる。


「うん?」
「えっとねー」
「なんだよ」
「ちょびっとだけ、ふんばってくれる?」
「ふんばる?」
「うんっ。
あ、うごかなくていいからね。 その場でいいから」
「あ、ああ・・・」


言われたとおりに、その場で下半身に力を入れる。


「準備はいい?」
「・・・なんの準備だ」
「んじゃあ、いくよー」
「いく?」


すっ、とみちるの姿が消える。


「・・・あ・・・国崎さんが危ない・・・」
「えっ」


と、気づいた時には、もう遅かった。


どごっ!


「ぐはっ」

 

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美凪がかなしむような話しするな、ばかーーーっ!」
「うぐぐぐぐ・・・」


結局、オチはこれか・・・。


「こんなヤツほっといて、かえろ、美凪
「・・・え・・・でも・・・」
「にゃはは、いいからいいから」


ずるずるずる・・・

・・・ずるずるずる・・・


みちるに引きずられてゆく遠野美凪


「・・・あの・・・さようなら・・・国崎さん」
「んべーーーーっ」

 

・・・・・・。

・・・。


去ってゆくふたつの影。


「うぐぐぐぐ・・・」


悶え苦しむひとつの影。


「く・・・なんで、俺がこんな目に・・・」


それは、誰にもわからない、世界の七不思議だった。


・・・・・・。

・・・。

 


痛みがようやくひいた頃合い。

俺は、朝の屈辱線とばかりに、商店街へと向かうことにした。

もちろん、右手には俺の長年にわたる相棒。

子供たちの心をゲットすべく改造された人形。


「・・・・・・」


・・・しまった。

服が豪華すぎて、ポケットに納まらない。


(この得体の知れない嫌な予感はなんだ・・・?)

 

・・・・・・。


・・・。

 

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激闘の2時間が終わった。

俺は真っ白に燃えつきていた。

セミの声が頭に充満し、アスファルトがとろけていく。

地面に転がっているのは、俺の人形。

お子さまに大人気なピンクのドレスも装着済み。

それなのに、収入はゼロだった。

というか、そもそもお子さまが通らなかった。

もう一度、人形を見つめる。

これは本当に俺の人形なのか?

ここは本当に商店街なのか?

俺が見ている幻なのではないか?


「・・・・・・」


暑すぎて考えがまとまらない。

看板下に座り込む。

日除けの役にさえ立たない。

と思ったら、さっと影が射した。

 

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「・・・あいかわらず暇そうだな」


看板の持ち主様だった。


「お互いさまだろ」
「ふふ・・・それは甘いぞ」


勝ち誇ったように俺を見下す。


「私の方はな、今日は二人も患者さんが来てくれたんだぞ」


哀しい報告だった。


「二人とも、熱射病だったぞ」


哀しさ倍増だった。


・・・その後、聖に佳乃とポテトが帰ってくるまで診療所で待つように言われ、モップ掛けの雑用をさせられた。


聖の淹れたお茶を飲み、佳乃とポテトを待った。


・・・・・・。


帰ってきた佳乃に誘われ、暑いなか散歩に付き合うことになった・・・。


・・・・・・。

 

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日が暮れるまでいつもの橋の下で遊んでから帰った。


・・・・・・・。


・・・。




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その夜。


「・・・晩飯にするか」


俺は重い腰を上げて、脇においてある米袋の封を切った。

そして、袋の中に手を入れて、米の感触を味わう。

じゅうぶん感触を味わった後、飯盒を持ち出して、適当な量をすくい上げる。

それを、水道の水で軽く洗い、ぬかを落とす。

後は水加減。

飯盒の内側に目盛りがついているが、あまり気にしない。

水加減は、指の第一関節を目安にすればちょうど良いと聞いたことがある。

俺はその言葉にしたがい、水道の水を米の入った飯盒に注いだ。


「っと、あとは、こいつを固定する枝と石かなにかがあれば・・・」


がさがさと音をたてて、駅舎脇の草むらにわけ入る。

さすがは田舎町だ。

手頃な大きさの石と枝は、すぐさま見つかる。

俺は、意気揚々と飯盒を枝と石を使って固定する。

これで準備完了。

ちょっとしたキャンプ気分も味わえて、実は結構贅沢だ。

あとはこれを火にかければ・・・。



「・・・・・・うっ」



火がなかった。


「・・・・・・悲しいっすよ兄貴ィ・・・」


そんなひと、俺にはいなかった。


ぐーーー・・・。


腹が鳴った。

目の前に米があるというのに、腹を膨らますことができない。

人生はきっと辛いことの方が多い。


「はぁ~・・・」


ベンチの上に寝ころびながら、人形を目の上にかざしてみた。

乏しい月明かりに代わって、夜闇を照らす、古びた蛍光灯。

その周りに群がる羽虫たちの奏でる音が、かちかちかち。

じっと人形を見つめる。


「なにが、お子様たちの心をゲットだよ・・・」


黄色みを帯びた光に浮かび上がる、ピンクのフレアスカート

・・・はっきり言って、不気味だ。

もともとが可愛い人形でなかったことは認める。

でも、敢えて言わせてもらうとすれば、もっと不気味だ。


「はぁ・・・」


ため息も出るというものだ。

遠野の甘い言葉を信じた俺が馬鹿だった。

確かに、いつもよりかは人目を引けたかもしれない。

とくに、子供ではなく大人たちの目は、普段とは比べ物にならないほど引けた。

でも、その目はまさしく奇異の眼差しと呼ぶに相応しかった。


『うわっ、きっしょ』てな感じである。


「・・・・・・脱がそう」


遠野には悪いが、いたしかたない。

俺は、ピンク色の服に手をかけた。


ぐい。


「あれ・・・」


ぐいぐい。


「ぬ、脱げない・・・」


ぐいぐいぐい。


ぐいぐいぐいぐいぐいぐい。


ぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐい。


「・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」


非常にまずい状況だった。


「あいつ、どういう縫い方をしやがったんだ」


もはや、俺の中で遠野に対する感謝の気持ちは消え失せていた。


「・・・・・・破こう」


そう決めた。


「んぎぎぎぎ・・・」


服の部分を握り、左右に引っ張る。


「んぎぎぎぎぎ・・・」


引っ張る。


「んぎぎぎぎぎぎぎ・・・」


引っ張る。


「んぎぎぎぎぎぎぎぎ・・・」



・・・・・・。


一時間後・・・。


「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」


ピンク色の服は、その愛らしさに似合わず頑強で、びくともしなかった。


「く、くそ・・・」


俺は苦い思いを噛みしめながら、服の縫い目を見てみた。


「・・・・・・嫌がらせか?」


びくともしないはずである。

幾重にも細やかに重ね縫われた糸は、縫い目が小指ほどの太さになっていた。

しかも、その糸は服だけに飽きたらず、人形の中心付近にまで達し縫いつけられていた。

これを無理に破こうとすると、人形の身体自体がバラバラになってしまう。

飛び散る内蔵のごとく、中の綿が飛び散る仕掛けだ。

ある意味、超人的な器用さともいえる。


「・・・などと、感心している場合じゃない」


とりあえず、ハサミで糸を切ることにする。


「ハサミ、ハサミ・・・」


バッグの中を物色してみる。


・・・・・・。

・・・あるはずがなかった。


「くそっ。 それなら、何かハサミの代わりになるものを・・・」


再びバッグの中を物色してみる。


・・・・・・。


・・・剃刀発見。


「これなら、もしかしたら・・・」


試してみる。


しゅ・・・しゅ・・・しゅ・・・


カキーン!


びしゅっ!


「うおっ」


速攻ではじき飛ばされた刃が、折れて俺の頬をかすめた。


・・・ヤバかった。


いつの間にか、俺は命をねらわれる存在になっていたらしい。


「はぁ・・・しかたない。
明日、遠野に頼んで直してもらうとするか」


人形を脇におき、ベンチの上に寝転がる。

疲れていた。

体が妙に重かった。

このまま目を閉じれば、すぐにでも眠りは訪れてくれそうだった。


「そういや、今日はやたらと動き回ったからな・・・」


昼間のことを思い出してみる。

思い出してみると、米袋の重みを全身に感じて、余計に体が重たくなった。

ゆっくりとまぶたを閉じる。

今夜は、夢を見るだろうか・・・。

 

俺は、現ではない、夢の世界に身を落とせるだろうか・・・。

 

・・・・・・。


・・・。