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AIR【21】

 

8月10日(木)

 

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夜が明けて、朝になった。


空を見上げても、そこには星の光はなくて・・・。

どこまでも広がる、青い空だけが広がっていた・・・。

それは、とても美しい色をしていたけれど、とても悲しい色で・・・。

でも・・・それでも・・・。



――『ねえ、国崎往人
――『ん? なんだ』
――『あのね、さいごにみちるのわがまま、きいてもらえるかな』
――『・・・ああ。 なんだってきいてやるぞ』
――『にゃはは、ほんとかなぁ』
――『俺に、できることならな』
――『うんっ、だいじょうぶ。 国崎往人と、美凪にしかできないことだから』
――『そっか。 なら、安心だな』
――『にゃはは、あんしんあんしん』
――『で、なんだ。 わがままって』
――『うん・・・あのね・・・』
――『・・・・・・』


・・・・・・。


・・・。

 


「にゃはは、はやくはやくーーーっ」
「こらっ、そんなに引っ張ると、服が伸びるだろうが」
「にゃはははは、国崎往人がおそいからわるいんでしょー」


・・・・・・。

 

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「にょわ~~~、おサカナさんがいっぱいだ~~~」
「・・・本当だ・・・いっぱいいるね」
「うんっ。 いっぱいいっぱい」


くねくねくね。


「踊るなよ・・・」

 

「にゃはははは、くねくねくね~」


俺たちは、風を追いかけながら、緑の中を歩いた。

行き先なんて決めてはいない。

決める必要なんてなかった。

ただ、こうして三人で歩くことができたなら、それだけで満足だった。


・・・。


――『みちるはね、みちるの思い出がほしい。 誰のためでもない、みちるだけのしあわせな思い出がほしい』

 

(・・・思い出に、なってくれるといいんだけどな・・・)


俺は、陽射しの中ではしゃぐ二人を見つめていた。

何も、特別なことをする必要なんてなかった。

俺たちは、いつだってこの時が大好きだったから。

大切なひとたちといられる、この時が幸せだったから。

いつも通りの日常を送ることができたなら、それが幸せな思い出になってくれるはずだった。


・・・・・・。

 

 

俺たちは、木漏れ日がまだら模様をつくる山道を登った。

先頭を切って走るみちるに追いつこうとしたら、すごく息が切れた。


「こら、ちょっとは休ませろよ」


立ち止まり、膝に両手をついた。

 

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「にゃはは、だらしないなあ~。 ね、美凪
「・・・だらしない」


「やかましいっ」


「・・・あ・・・怒った」
「にゃはははは」


「ったく・・・」


呼吸を整えようと大きく息を吸い込む。

むせ返るような草いきれが、肺いっぱいに満ちた。

それは、夏の匂いだった。


「んにゅ、いくよー」


みちるが駆け出す。

木漏れ日に吸い込まれ、消えてしまいそうなその後ろ姿を見失わないように、俺は歩きはじめる。


「・・・行きましょう・・・国崎さん」


遠野が優しく微笑む。


「ああ」


俺は、その微笑みに答えて、小さく口元をほころばした。

 

・・・・・・。


・・・。

 

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神社に着くと、俺たちはみちるの提案で、かくれんぼをして遊んだ。

ひどく子供っぽい遊びだったけれど、構わない。

遊びを楽しくする基本は、童心に帰ることだ。

そして、俺たちは子供のままでいられることを願った。

すべての思い出を美しい形に変えることのできる、子供でいたかった。

見つけるために探し回り、見つかったら、互いに微笑みあう。

そんな関係でいられる子供でありたかった。


今は・・・。


せめて今だけは・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

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その日の夜は、三人で一緒に眠った。

遠野が持ってきたビニールシートを直接地面に敷いて、みちるを中心に川の字になって眠った。

ごろりと横になると、目の前に広がる星空が俺たちを抱きしめてくれているようだった。


・・・・・・。

 

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「おまえ、また家に帰らないつもりなのか」


からかうように、俺は遠野に訊ねた。


「・・・大丈夫です・・・母にはちゃんとことわってきましたから」


安らかな笑顔で、遠野は答えた。


「にゃはは」


そんな俺たちの間で、みちるが幸せそうに笑う。

柔らかな時間。

まろやかな、優しい時間がすぎてゆく。

すごしなれたはずの時間なのに、決して輝きを失わない時間。

俺は、ようやく自分がこの時間が好きだったのだと気づく。

一緒にいたいひとたちと・・・。

一緒にいたいと思ってくれるひとたちとともにある時間。


「ねえ・・・国崎往人・・・」


隣で寝そべるみちるが、遠野には聞こえない声で、囁きかけてくる。


「うん?」
「・・・えっとね・・・。
・・・美凪には・・・まだ内緒だよ」
「・・・・・・わかってる」


俺は、言葉の意味を理解して、みちるの頭を撫でた。


「・・・あの・・・どうかしましたか?」


俺とみちるの様子に、遠野が不思議な顔をする。


「にゃはは、国崎往人がね、美凪と一緒に眠れて嬉しいってさぁ」
「・・・・・・・・・ぽ」
「にゃはは、美凪がてれたぁ」


「こらっ、滅多なことを言うな」


ぽかっ。


「んにゅぅ・・・てれることないとおもうのにぃ・・・」
「・・・ぽ」


「おまえも、いつまで赤くなってるんだよ」
「・・・国崎さんも・・・ほっぺが赤いです」
「う・・・」


「にゃはははは」

 

・・・・・・。


・・・。

 

・・・その夜は、そうしてふけていった。

隣で、心から幸せそうに笑う少女たちの温もりが、いつまでも俺を眠らせようとはしなかった。

そして・・・俺も眠りたくはなかった。

眠りから覚めたとき、すべてが夢で、もう触れることの叶わないものになってしまいそうで・・・。

時の流れとともに忘れる以外にない、そんなものになってしまいそうで・・・。

俺は、少女たちの寝息を聞きながら、夜が明けるまで星空を見つめ続けた。


――『・・・美凪には・・・まだ内緒だよ』


みちるは、そう言ったけれど・・・。


(・・・・・・でもな、みちる・・・。 遠野もきっと・・・)


・・・・・・。


・・・。

 

 

8月11日(金)

 

翌朝、俺は二人のために朝食をつくることにした。

結局、一睡もしなかった俺は、陽が昇りきらない内に二人よりも早く寝床を這い出し、米を炊きはじめた。

陽が昇り、気温が上昇してくると、みちるよりも早く遠野が起きてきた。

 

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「・・・あの・・・お手伝いします」


俺の心中を察してくれた遠野は、自分がつくるとは言わずに、手伝うと言ってくれた。

たったそれだけの心遣いが、とても嬉しかった。


「じゃあ、みそ汁をつくってもらえるか」
「・・・はい・・・かしこまりました」


ぺこりとお辞儀をして、遠野はみそ汁の仕度をはじめる。


「・・・今日は・・・タマネギを持ってきてるんです」


バッグの中から大きなタマネギをひとつ取り出し、少しだけ嬉しそうな顔を俺に向ける。


「・・・みちるは・・・実を言うとタマネギが好きなんですよ」
「ほぉ・・・そりゃ知らなかったな」
「・・・ハンバーグも・・・みちるに言わせると、お肉よりタマネギが主役なんだそうです」


微笑みながら、遠野は寝息をたてるみちるを見つめる。


「・・・安上がりな奴だな、こいつは」


俺も、遠野と同じように、みちるに視線を送る。


「・・・そうですね・・・少し変わってます」


柔らかな微笑みが、みちるを包み込む。


「・・・んにゅ・・・たまねぎぃ・・・」


俺たちの会話が聞こえているのか、みちるが寝言を言った。


「ふ・・・」


そんなみちるの姿に、俺は小さな安らぎを覚えた。


「・・・・・・」


そして、遠野は少しだけ寂しげな顔をした。


「・・・では・・・支度を急ぎましょうか」
「ああ、そうだな」


みちるが目覚めたとき、そこにちゃんといつもと同じ日常があるように。

夢から覚めた少女が、目覚めたことに喜びを感じられるように。

俺と遠野は、二人で朝食の支度をした。

 

とん・・・とん・・・とん・・・

・・・とん・・・とん・・・とん・・・


ベンチの上にまな板を敷き、遠野はタマネギを刻む。

騒ぎはじめたセミたちの鳴き声に混ざって、安らかな音が夏の朝を奏でる。

俺は、その音を聞きながら、飯盒を火にかけて、米が炊きあがるのを待った。


・・・・・・。


・・・。

 



午後になって、俺は二人に人形芸を披露した。

みちるが、自分には二回芸を見せてもらったから、美凪ももう一回見ないと不公平だと言い出したから・・・。


「・・・・・・」


ぺこり。


芸をし終えた人形に、小さくお辞儀をさせる。

ぱちぱちと、ふたつの拍手。

 

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「にゃはは。 ほーじゅつって、すごいねぇ美凪


みちるが、俺の芸を見て無邪気に笑う。


「・・・うん・・・すごい」


遠野も、俺の芸に感心してくれる。


「そう言ってくれる奴が、もっといてくれたらいいんだけどな・・・」
「んに? いないの?」
「ああ。 悲しいことに、俺の芸にはひとを引き寄せる魅力がないらしい」


「・・・そんなことはないですよ・・・とても楽しいです」
「マジか」
「・・・大マジです」


こくりと頷く。


(・・・まずい・・・抱きしめてしまいそうだ)


欲求を辛うじて押さえ込む。


「・・・あまりに楽しいので・・・思わずこれを進呈」


ポケットから、白い封筒を取り出す。


「・・・久しぶりの進呈だな」


封筒を受け取り、ひらひらと動かす。


「・・・そうですか?」
「ああ。 なんか、久しぶりなんで、少し嬉しいぞ」
「・・・少しだけ?」
「う・・・」


もっと喜んでやるべきだろうか・・・。


「にゃはは。 国崎往人がこまってるよ、美凪
「・・・そう?」
「うんっ。 ほんとはね、美凪にちゅーしたいぐらいよろこんでると思うよ」
「・・・ちゅー?」



「こら、勝手にひとの心理を分析するなっ」
「にゃはははは」

 


・・・・・・・・・ぽ」

「おまえも想像するなよ・・・」
「・・・すいません・・・してしまいました」
「ったく・・・」


ぽりぽりと頭を掻く。


「とにかく、サンキュな」


御礼代わりに、遠野の頭を撫でてやる。


「・・・ぽ」


やっぱり照れた。


「よかったね、美凪。 喜んでくれたよ」
「・・・うん・・・良かった」

 

・・・・・・。


・・・。

 


夕方の屋上。

黄昏を迎えた町を、遠くに眺める。

山裾から聞こえてくるヒグラシの声に背中を押された潮風が、ゆっくりと凪いでゆく。

夕陽が微かに頭を覗かせていて、星が見えるまでには、まだ幾つかの時が必要だった。

 

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「少し、早くきすぎたな」
「・・・でも・・・この時間からきておかないと、一番綺麗な星の出を見逃してしまいます」
「一番か。 そら楽しみだな」


みちるに言葉を振る。

 

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「うんっ。たのしみっ」


みちるは、屈託のない笑顔で、沈む夕陽を見つめる。

遠野の話によると、一番星は太陽が沈む西の空に、まるで水平線を優しく撫でるかのように見えるという。

だから、俺たちは待ち続けた。

 

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「あっ!」


みちるが、水平線を指さす。


「にゃはは、見えたよーっ、美凪ーっ」
「・・・はい・・・ようやく御登場です・・・ぱちぱちぱち」


まだ夕陽の名残を残した西の空。

宵の空に現れた美しい輝きが、ささやかな歌を歌いはじめる。

歌は一つ、また一つと増えていく。

それは、小さな夏の一日を想う歌。

今日という日を、ともに終えることができる感謝の歌・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

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「・・・綺麗ですね」


しばらくの間、空が夜に移り変わるまで無言だった遠野が、柔らかな声をもらす。


「そうだな。 綺麗だ」


素直な思いが、口をついて出る。

言った後で少し照れてみたが、遠野とみちるは、ただ微笑みを俺に向けるばかりだった。


(それにしても・・・)


俺は、こんな言葉を口にするような人間だっただろうか。

世界の美しさに気づくことができる人間だっただろうか。


・・・いや・・・多分そうじゃなかった。

立ち止まり、ときには振り返り、日々を見守っていてくれる世界を見ようともしなかった。

それは、きっと哀しいことで・・・。

それは、きっとつまらないことで・・・。

でも、俺は取り戻すことができるかもしれない。

届くはずだったものに、ここからもう一度手を伸ばすことができるかもしれない・・・。


「・・・国崎さん」


遠野の安らかな声が、俺を繋ぎ止める。

 

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「・・・みちるも」
「んにゅ? なになに?」
「・・・えっと・・・これから・・・三人で願いをかけてみませんか」


制服のスカートが、恥ずかしげに風になびく。


「願いって、星にか?」


金網の向こう。

空にちりばめられた無数の光を指差す。


「・・・はい。
星の輝きが・・・私たちの心を綺麗に清めてくれますように」
「うんっ、いいよー。
にゃはは、おそうじきれいきれい、だね」
「・・・うん・・・きれいきれい」


二人は、息のあった調子で、金網越しの空に手を合わせる。


「・・・・・・」


でも・・・。


「・・・んに? 国崎往人はおねがいしないの?」


俺は、二人の後ろ姿を見つめていた。


「・・・・・・」
「・・・国崎さん?」
「・・・・・・なあ、遠野」
「・・・はい」
「本当に、それでいいのか」
「え・・・」


目の前の光景が、一瞬、陽炎のようにゆれた。


「本当に、全部を清めてしまってもいいのか」
「・・・・・・」
「・・・悪いが、俺はお断りだ。
俺は、自分の醜さも汚さも、全部抱えながら生きていたい。
せっかく、この歳まで生きてきたんだから、その歳月をチャラにするような真似はしたくない」
「国崎さん・・・」


そう思えるようになったのは、何よりこの町で過ごした日々。

手放したくないのは、何よりも三人で過ごした夏の日々。


「・・・おまえは、手放したいとおもっているのか」


ぐいっ。


「んにっ!?」


みちるの腕を引っ張り、遠野の前に据える。


「おまえは、こいつと過ごした思い出を手放したいのか」
「・・・・・・」


美凪・・・」


「答えろよ。おまえは、どうしたいんだ」
「・・・・・・」

 

「・・・いいよ、国崎往人。 美凪がこまってる」
「良くない。 だって、おまえは・・・」
「にゃはは、いいんだってば。
思い出は、きっとなくなったりしないよ。 ね、美凪


「・・・・・・」
「遠野・・・」
「・・・・・・だって・・・仕方ないじゃないですか」
「・・・仕方ないって・・・なにがだ」
「・・・すべては・・・私の罪から始まってしまったこと・・・」
「・・・・・・罪?」
「・・・・・・」


こくり。


「・・・私の罪・・・私の願い・・・。
・・・それさえなければ・・・誰も夢なんか見なくてすんだはずなんです。
・・・みちるだって・・・ずっとここにいられたはずなんです」
「・・・っ」


雲が流れていた。

壊れてしまいそうなほどの小さな風が、海に夜のとばりをおろしはじめていた。

夕凪の、穏やかな時間が終わりを告げる。


「・・・すみません」


美凪は口元に手をやり、そのまま屋上を出ていってしまった。

取り残される俺とみちる。

追いかける足が動かなかった。

風で服がなびき、パタパタと音を立てる。


「・・・やっぱり・・・あいつ、気づいているのか」
「・・・・・・そうだね・・・ずっといっしょにいたんだもん・・・」
「・・・そっか・・・そうだよな」
「やっぱり・・・みちるが美凪をくるしめているのかな・・・」
「馬鹿・・・そんなわけないだろ」
「んに・・・でも」
「心配するな。 あいつはお前のことが好きで仕方ないんだ・・・」
「・・・みちるも美凪が大好きだよ」
「大丈夫、あいつもそれはわかってる」


だからこそ・・・か。

二人の関係はきっと俺が思っているより深い。

もし、遠野がみちるの事を全て知っているのだとしたら・・・。

これから迎える全てを知っているのだとしたら・・・。


「・・・星・・・きれいだね・・・」


金網の向こうでは、小さな光がいくつも瞬いていた。

とても儚い光。

願いを向けるには頼りなく・・・。

でも見つめずにはいられない、光・・・。

まるで触れれば壊れてしまいそうな、少女の心の様に・・・。

 

しばらく星を眺めた後、みちると別れ、駅に戻った。

駅の待合室は電気が消えている。

どうやら遠野はもう床についたらしい・・・。

大きく息を吐き、肩の力を抜く。

どこか少しホッとした。

起きていれば、きっと屋上でのことを話さなければならない。

でも、いま遠野にその話をさせるのは酷な様な気がした。


一晩・・・。


ゆっくり時間をおけば、まだ話しやすいかもしれない。

俺はベンチに腰掛け、空を見上げ続けた。

そして星の瞬きに誘われるように、瞼をゆっくりととじていく。


明日・・・。


・・・遠野は話してくれるだろうか・・・。


・・・・・・。


・・・。

 




8月12日(土)

 

翌朝。


目覚めると、遠野の姿がどこにも見当たらなかった。

ベンチの上にひとり身を起こすと、忘れかけていた孤独感が、微睡みの残る思考に染み込んできた。


「ぅん・・・」


両腕を天に掲げ、大きく伸びをする。

全身が、一瞬だけ鋭利な槍にでもなったような感覚。


「こんな朝早くから、どこにいったんだろうな・・・」


いつもの場所には、まだ温かい朝食の用意がなされてある。

近づいて、飯盒のふたを開けると、朝の空気に形のない湯気がとけていった。


その隣。


綺麗に並べられた食器の上に、白いメモ用紙の切れ端。

遠野の書き置きが、柔らかな文字とともに夏の陽射しを受けていた。


『学校へいってきます』


たったそれだけの文字。


「夏期講習か・・・」


呟きながらも、遠野と顔を合わせることがなかったことに、安心している自分を感じる。

もう、さけることのできない目覚め。

もしかしたら、それを一番怖がっているのは、誰より俺自身なのではないだろうか・・・。

 

・・・・・・。


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・・・・・・。

朝食を食べ終えてから、駅前を離れる。

目的があるわけじゃない。

ただの散歩。

散策。

物見遊山。

遠い空の上を飛ぶ、一羽の白い鳥。

・・・カモメだろうか。

微かに聞こえる甲高い鳴き声が、やけに耳を痛めた。


「さて・・・どこへいくか」


考えながら、しばらく町を歩き回った。

でも、知っている顔には一度も会うことがなく・・・。

俺はただ、狼狽する雲のように、流れるばかりだった。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 



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・・・そして、辿り着いたのは、ひとけの途絶えた神社。

なぜ、こんなところに辿り着いたのかはわからない。

無意識のうちに・・・。

知り得ない、なにかに呼ばれるままに・・・。


「・・・・・・」


辺りを見回しても、目にはいるのは緑をたたえた夏の木々。

でも、どうしてだろう。

ここは、なにかが違うような気がした。

他の場所とは違う、異質な空気。

ひとの想いに似た、優しくも悲しい空気・・・。


「・・・おはよう」


「え・・・」


誰かの声が聞こえた。

俺は、一瞬の動揺のうち、その声に振り返った。

 

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「・・・・・・」


そこには、みちるの姿があった。


「よお、珍しいところで会ったな」


俺は、軽い挨拶をする。


「んに・・・」


でも、みちるは、なにやら困ったような顔をするだけで、俺の挨拶に応えようとはしなかった。


・・・・・・。


・・・。




そして、俺たちは歩いた。

出かけたときはまだ東の空に傾いていた太陽も、いつの間にか高く栄華を誇るようになっていた。


「なんで、あんなところにいたんだ」


俺は、隣をてくてくと歩くみちるに訊ねた。


「うん・・・。
あそこにはね、もうひとりの自分があるの」


それだけを言って、みちるはもう口を開かなかった。

だから、俺もそれ以上のことは訊かなかった。

互いに口を噤み、駅までの道のりを、寄り添うように歩き続けるばかりだった。


・・・・・・。


・・・。


正午をすぎ、俺たちは駅にふたり。

ベンチの上、お腹を空かせてふたり・・・。


美凪・・・かえってこないね・・・」
「ああ」


こうして、遠野の帰りを待ちわびたまま、どれほどの時がたったのだろう。

 

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「・・・・・・」
「・・・どうした」
「んに? ううん・・・なんでもない・・・。
そ、それより、おなかへっちゃったねぇ。
おなか、さっきからぐうぐういっちゃってるよ。 にゃはは」


自分のお腹を叩きながら、楽しそうに言う。


「くいしんぼさんの、国崎往人はどうかな~」


隣に座る俺のお腹に、みちるは耳を押しあてる。


「・・・・・・」


そして、そのまま動かなくなった。


「・・・みちる?」


俺は、膝の上に乗ったみちるの柔らかな髪を撫でてやった。


「・・・・・・ねえ・・・国崎往人
「うん?」
「あのね・・・おねがいがあるの」


・・・・・・。


・・・。

 


昼間の入道雲から発達したした雨雲が、茜色の空を覆い隠していた。

激しい雨が、大きな音をたてて町に降り注いでいた。

俺は、その中を彼女の下へと走っていた。

重い雨粒が体を打つと、軋むように心が痛んだ。

どこへ向かうべきか。

そんなことは決まっていた。


・・・・・・。

 

――『・・・お願い?』
――『・・・うん。

それって、きっと国崎往人にしかできないことだから・・・。 だから、きいてもらえるかな』


少女の傷痕を撫でるように、雨の中を走った。

跳ね返る水たまりが、靴を濡らす。

知らぬ間に靴の中にも水が入って、足を踏み出すたびに靴底が鳴った。

足音は、白く煙った町の中に吸い込まれて、すぐに手が届かなくなった。

だけど、それを追いかける必要はなかった。

俺は、雨の向こうに見える少女の姿だけを追い求めた。

激しい雨が、俺と彼女の隙間に降り注いでいた。

でも、その向こうには、きっと夏の青空が広がっているはずだ。

もし少女がその青空に気づかずにいるならば、俺は教えてあげたかった。

いつだって、俺たちは青空の下にいるのだということを・・・。


――『・・・美凪は、まよってるんだよ。
まだ、夢から覚めることをためらってるんだよ。
だから、美凪の夢を覚ましてあげて。
そうしないと、誰も前にはすすめなくなってしまうから・・・』

 


・・・白いリノリウムの階段を上った。

足跡は、水滴となって、俺の後ろに続いた。

暗い廊下。

非常階段を示す黄緑色の明かりだけが、薄闇に浮かんでいた。

 

きゅ・・・きゅ・・・


   きゅ・・・きゅ・・・



甲高い靴音が廊下に響く。

これで、いったい何段のぼっただろう。

振り返ると、下方は薄闇の中に隠れて、うまく数えることができなかった。


・・・どうでもいいことだった。

階段が、いったい何段あるのかを数えても仕方がない。

歩みを止めることなくのぼれば、いつかは終わるものだから。

いつかは、必ず辿り着くものだから・・・。

 

――『これが、最後のおねがいだよ、すごく自分勝手だけど・・・。
みちるの思い出が、いつも笑って思い出せるものにしてほしい。
だからね・・・』

 

・・・俺は屋上へ通じる階段の踊り場に辿り着いた。

鈍色をした鉄扉が、薄闇の中にたたずんでいた。

手を伸ばし、冷たいドアノブを回す。



かちゃ・・・



小さな音がした。

力を込めて押すと、軋んだ音をたてて、重い鉄扉がゆっくりと開いていった。


・・・・・・。


・・・淡い月明かりが、色の濃くなったコンクリートを照らしていた。

いつの間にか雨は上がり、雲の隙間からは星の瞬きが顔を覗かせていた。

そして、そんな星空を見上げる少女が一人・・・。

 

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「・・・ようやく雨があがりましたね」


雨に濡れ、遠い光を反射する足下に視線を落としながら言う。


「・・・知らない間に・・・雲の上は星空になってました。
・・・一日なんて・・・本当にアッという間ですね」


雨だれの音が、風を呼ぶように夜空の下で小さな音を奏でた。


「・・・そうだな」


応えると、遠野は小さな笑顔を俺に向ける。


「・・・私・・・この時間になるといつも思うんです。
・・・今日一日でやれたこと・・・もっとたくさんあったんじゃないかって」
「・・・・・・後悔か?」
「・・・・・・」


黙って、首を横に振る。


「・・・たぶん・・・違うと思います。
・・・それは・・・きっと後悔なんかじゃなくて・・・。
・・・今日できなかったから明日こそはと思える気持ち・・・。
・・・明日を夢見て眠る・・・幸福な子供の気持ちですよ」


・・・・・・。


「・・・なら、どうしてだ」
「え・・・」
「どうして、おまえは泣いてるんだ」
「・・・・・・・・・泣いてなんかいません」


目を逸らし、呟くように言う。


「馬鹿っ、つまらない意地を張るな」
「・・・・・・・・・つまらない?」
「泣きたいときに泣くのは、悪いことじゃないぞ」


触れたくて、そっと遠野の肩に手を伸ばす。


でも・・・。

 


す・・・



伸ばした手を、遠野は擦り抜ける。


「・・・遠野?」
「・・・・・・どうして」
「?」

 


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「どうして、つまらないんですかっ。
親友のために意地を張るのが、そんなにつまらないことですかっ」
「おい、なにを・・・」


いつもとは違う、遠野の声。


悲しくて・・・。

どこまでも切なくて・・・。


「ここで私が泣いたら、あの子はいつ泣いたらいいんですかっ。
あの子は産声さえあげることができなかったんですよっ。
泣きたいと感じることさえできなかったんですよっ」
「遠野・・・」
「なのに、いつも笑ってくれて・・・。
私の側にいつもいてくれて・・・。
いっそ憎んでくれたら、もうあんな夢を見なくてすむのにっ」


・・・・・・。


・・・。

 


それが、遠野の心の色だったと知るまで、どれほどの悲しみを彼女は背負ってきたのだろう。

あるはずのない温もりに身を寄せることしかできなくて・・・。

あるはずだった幸せな夢の中にしか居場所を保てなくて・・・。

でも、夢はいつか終わりの時を迎える。

いつかは覚めるものだから、夢は夢のままでいられる。

だから、俺は彼女の震える華奢な体を抱きしめた。

今、してやれることはそれだけだったから。

それ以上、言葉は意味を持つことがないと、知っていたから。

だから・・・。

俺は音のない場所で、高い星空の下で、遠野美凪を強く抱きしめた。

 

 ・・・・・・。



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「・・・いつも・・・同じ夢を見るんです・・・」


もたれかかるように、彼女は呟きをもたした。


「・・・すぐ側にあるはずの笑顔に手を伸ばしても・・・。
決して触れることができない・・・。
・・・何度も何度も手を伸ばしてみるけれど・・・そこに温もりはなくて・・・。
・・・泣いても叫んでも・・・指先には冷たい空気が触れるばかりで・・・。
・・・それでも・・・笑ってくれてるんです・・・。
・・・頭を撫でてあげたいのに・・・私も同じように笑いかけてあげたいのに・・・。
・・・でも・・・そこにいないから・・・触れられないんです・・・」


・・・胸の中。

雨に濡れた俺の服を握る遠野の手に、力がこもる。

背中に回した腕に、彼女の震えが伝わってくる。


「・・・・・・とお・・・」
「・・・・・・」


・・・いや、違う。


美凪・・・」


その、美しい名前を呼ぶ。


「・・・・・・はい」


俺の胸で、小さな返事が聞こえる。


「・・・・・・寂しかったか」


そう訪ねた。

それだけを訪ねた。


「・・・はい・・・」
「・・・そっか」


遠野を抱きしめる腕に、力を込める。

濡れた髪に手を触れて、確かめてみる。

この手放したくない温もりが、俺に言わせる。


「・・・なら・・・あいつを夢から覚まさせてやらないとな」


夢の終わりが、いつも優しい日だまりの中にあるように・・・。

いつまでも、いつまでも温もりと共にあるように・・・。


・・・・・・。


風が、遠い海の上を流れていた。

ようやく辿り着いた、故郷の上を流れていた。


「いつまでも夢の中にいたんじゃ、嬉しいときにも泣けないから・・・」



そう・・・。

夢の向こうに、大切なものをおいてきたから・・・。

忘れてきたのではなく、置いてきただけだから・・・。


「・・・もう・・・いいんですか」


ここにあるために、彼女が言う。


「・・・ああ。 もういいんだ」


だから、俺は彼女にそう言う。

少女の目覚めが、いつだって安らかなものであってほしいから。


「・・・なあ、美凪
「・・・・・・はい」
「おまえは、なにをしてやりたい?」
「え・・・」
「おまえは、大切なひとに、なにをしてやりたい?」
「・・・・・・私が・・・?」
「そうだ。 おまえ自身が、なにをしてやりたい?」
「・・・・・・私・・・」
「・・・・・・」
「私は・・・」


・・・・・・。


夢の終わり・・・。


覚めることなど、永遠にないとさえ思われた、遥かな夢の終わり。

目を、開けてごらん・・・。

そこになにが見える?

そこに誰が見える?

笑ってるかい?

笑ってるだろ?

それが、大好きだった笑顔・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


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――あたたかな、日だまりのような家だった。


美しい笑顔を絶やすことのない母。


すべてを包み込む、強さと優しさを持った父。


私は、この家が好きだった。


この家に生まれ、この両親とともに暮らせることが、とても幸せだった。


白い壁にかかった、背に羽を持つ不思議な少女の絵。


これが、私にとって最初の記憶だった。


まだ歩くことも喋ることもできない頃から、その絵はずっと同じ場所に掛けられてあった。


「ねえねえ、お母さん。
どうして、この子にはお羽があるの? どうしてみなぎにはお羽がないの?」


私は、何度も何度も同じ疑問を母にぶつけて、母を困らせてばかりいた。


「さあ・・・どうしてかな。
美凪も、いつかはお空を飛べるといいわねぇ」


母の答えは、決まってこうだった。


何も解答は得られない。


でも、そう言った後に母が見せる小さな笑顔。


それが、すべての答えだった。


本気で羽がほしいと思ったことなんてない。


もし私に羽があって、自由に空を飛べたとしても。


私は、すぐに飛ぶことをやめて、この家に戻ってきただろう。


大好きな両親がいる、この家に・・・。

 

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羽を持つ少女の絵は、私が生まれたときに父が買ってきてくれたものだった。


父は町の駅長を務める傍ら、天体観測を趣味に持つ、優しくて、とても夢見がちな人だった。


一番覚えているのは、夏の夕暮れ。


父に肩車をしてもらいながら聞いたヒグラシの声だった。


その声を聞きながら、私は父と一緒に空を見上げながら歩くのが好きだった。


父の肩にゆられながら見る遠い星の瞬きは、どんな宝石よりも綺麗だった。


それは、どんな温かい布団の中で見る夢よりステキな光景だった。


私は父の肩の上で、あの絵の中の少女のように星粒の隙間を自由に飛び回った。


羽なんて持たなくても、私はいつだって、空を飛ぶことができた。


「おとうさん、いちばんぼしだよ、いちばんぼし」


それを、どちらが早く見つけるかを競争していた。


結果は、いつも私の勝ちだった。


「すごいな、美凪は。 少しはお父さんにも勝たせてくれないか」
「だめ。 きょうそうだもん」
「ううむ。 美凪はお母さんより厳しいなぁ」


だけど、私は知っていた。


お父さんが、いつもわざと負けてくれていることを。


だけど、それを言葉に出したりはしなかった。


私と父は、そうして二人同じ星を眺めるのが好きだったのだ。


・・・・・・。


「ねえねえ、おかあさん。
ほんとにたいじょうぶ? いたくない?」


ある春の日。


母の大きくなったお腹に触れながら、私は心配げな眼差しで母の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫よ。 どうしたの、そんな心配そうな顔をして」


母は、そんな私の頭をいつだって優しく撫でてくれた。


「だって・・・」
「ふふ・・・このお腹はね、別に病気になったわけじゃないのよ。
神様に、少しだけ幸せをわけてもらったから大きくなったの」
「しあわせ? なにそれ?」
「お母さんやお父さん、そして美凪にとってもすごく嬉しいことよ」
「??」
「あら・・・ちょっと難しかったかしら」
「・・・えっとねぇ・・・うん・・・よくわかんない」
「そっか・・・わかんないか。

じゃあねぇ・・・これならどう?」


母は、壁に掛けてあったあの絵を手に取り、私の前に据えた。


「神様が、ひとつだけお願いごとを叶えてくれるとしたら、美凪は何をお願いするかしら」
「おねがいごと?」
「そう。 ひとつだけね」
「・・・ひとつだけかぁ・・・なにがいいかなぁ・・・。
お人形さんもほしいし・・・お洋服もほしいなぁ・・・」


私の頭の中は、様々なお願いごとですぐに一杯になった。


でも、その中でも一際まぶしい輝きを放つお願い事があった。


「・・・あ、そうだ」
「決まった?」
「うんっ。 えへへ・・・あのねぇ・・・みなぎ、妹がほしい」


私は、少し照れながら言った。


「ふふ・・・そう?」
「あのね、いっしょにね、おままごととかシャボン玉遊びとかしてあそびたいの」


それまで、私はそんなことのできるお友達はいなかった。


一人でいることが好きだったわけじゃない。


公園で遊ぶ子供たちの輪を遠くから眺めながら、いつだって『仲間にいれて』と声をかけてみたかった。


でも、できなくて・・・。


たった一言を言い出す勇気がもてなくて・・・。


だから、いつもおままごとやシャボン玉は一人でする遊びだった。


いつも一人で、何人もの役をこなさなければならなかった。


それを心から寂しいと感じはじめた頃の出来事。


「じゃあね、お母さんのお腹に触ってみて」


言って、母は私の手を持ち、その手を優しくお腹に当てた。


柔らかな鼓動と温もりが手のひらに伝わった。


「さあ、目をつむって。
そしてね、神様にお願いするの。
かわいい妹が生まれてきますようにって」
「?」
「ふふ・・・」

 

母は優しく微笑むだけだった。


私は意味を理解することができず、言われたままに目をつむった。


「えっと・・・。
みなぎは、いっしょにおままごとのできる妹がほしいです」


私は願った。


祈りには遠い、幼い子供のささやかな願い。


でも、とても真剣な願いを、神様に託した。


「これでいいの?」


目を開けて、母の顔を見上げた。


母は、私の目を見つめ、微笑みながら頷いた。


「きっと、神様は美凪のお願いを叶えてくれるわ」


今にして思えば、母はその時すでに、お腹に宿った子供が女の子だと知っていたのだと思う。


母が妊娠していると私が理解できたのは、それから少しの時が流れてからだった。

 

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やがて、季節は早足で夏を迎えた。


毎朝庭の木立で鳴くセミの声に目を覚まし、窓から差し込む陽射しに目を細めていた。


そんな季節。


私は、朝起きると一番に母のお腹の中にいる妹に語りかけることを日課にしていた。


たわいのない話だった。


「今日はあついね。
ずっとお腹の中にいて、くるしくない?
きのうの晩ごはんは、はんばーぐだったんだよ。
今日は、ずっといっしょにいてあげるね」


私は、妹が楽しんでくれるように、がんばって楽しい話を考えた。


でも、幼い子供が思いつく話なんて、今にして思えば大したことはない。


もしかしたら、妹は話を聞きながらうんざりしていたかもしれない。


でも、私は話し続けた。


たまに妹が母のお腹を蹴ると、楽しんでくれているのだと思い、私は嬉しくなった。


ずっと、ずっと、こうして話をしていたかった。


そして、早く生まれてきてほしかった。


そうすれば、話をするだけじゃなくて、一緒に遊ぶこともできるから・・・。


でも・・・。


その願いは、結局叶えられなかった。


あれは、その夏で一番暑い日だった。

 


朝。


私は、いつものように妹と話をするため、家の中を歩き、母の姿を探した。


母は、台所にいた。


朝食のおみそ汁の匂い。


私の大好きな匂いだった。


母は、その中で倒れていた。


冷たい床に横たわり、苦しそうな顔でうなっていた。


私は、どうしていいのかわからず、その場に立ち尽くすことしかできなかった。


そんな私の姿を見つけた母は、私が心配しないようにと、蒼い顔をしながらも、小さく微笑んでくれた。


「・・・だいじょうぶ・・・だいじょうぶだからね・・・」


そのときの母の声が、今も耳に残って離れない。


・・・・・・。

 

その後、どうなったのかは覚えていない。


気がつけば、私は父と一緒に病院の暗い廊下におかれたソファーに二人で座っていた。


父は何も言わず、うなだれ続けていた。


そんな父の様子が心配になって、私は父の半袖シャツの裾をくいっと引っ張った。


「・・・・・・」


だけど、父は何も言わなかった。


ただ、少しだけ私に顔を向けて、薄く微笑むだけだった。


悲しかった。


どうしてだか、よくはわからなかったけれど、父のそんな顔を見るのは初めてだったから、とても悲しかった。


・・・・・・。

 

しばらくして、母が入っている救急処置室の扉が開いた。


中から出てきたのは、顔に大きな青いマスクをつけたお医者さんだった。


父が立ち上がると、そのお医者さんは大きなマスクをとった。


想像よりも若い、お兄さんだった。


お兄さんは、父と二言三言話をした後、ゆっくりと首を横に振った。


「現在、母子ともに非常に危険な状態にあります」


難しくて、そのお兄さんが何を言っているのか、理解できなかった。


後になって知ったことだが、母はその時、重度の妊娠中毒にかかっていた。


私は、父の顔を見て、母が危ないことだけを悟ることができた。


きっと、お腹の中の妹が、おいたをしているのだと思った。


「おかあさん・・・だいじょうぶっていってたもん・・・・」


私は、夜になって病院に駆け込んできた親戚のおばさんに連れられて家に帰った。


父は、病院に残った。


・・・・・・。

 

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その夜。


私は、おばさんの目を盗んで家を抜け出し、駅まで走った。


私の知る限り、そこがもっとも星のよく見える場所だった。


私は、神様に願った。


おかあさんが、早くよくなりますように。


おかあさんが、どこにもいきませんように。


もし、妹が母を苦しませているのなら、私は姉として妹を叱らなければならない。


妹が、母をどこにも連れていかないよう、私は神様に願った。


もしかしたら、それは嫉妬や憎しみに近い感情からの祈りだったかもしれない。


私は、ほんの一時でも、妹を憎んでしまったのかもしれない・・・。


・・・・・・。

 

翌日になって、私は再びおばさんとともに病院へ向かった。


母は、違う部屋に移されていた。


病室にはいると、酸素呼吸器をつけた母が、ベッドの上で眠っていた。


・・・良かった。


母は無事だったのだ。


私の願いを、神様が叶えてくれたのだ。


私は安心して、ベッドの隣に座る父の背中に抱きついた。


母が無事だったことを、父と一緒に喜びたかった。


でも、父は喜ぶ私を見ても、昨日と同じ顔で微笑むだけだった。


「どうしたの、おとうさん」


背中にぶら下がりながら訊いても、父は何も言わなかった。


「みなぎね、きのう神様におねがいしたの。
おかあさんが、はやくよくなりますようにって。
きっと、神様がみなぎのおねがいをかなえてくれたんだよ」


私は父の喜ぶ顔を見たくて、『良い子だな、美凪は』と頭を撫でてもらいたくて、そうまくしたてた。


でも、父は何も言ってくれなくて、頭も撫でてくれなくて、ただ悲しい目を私に向けた。


どうして、そんな顔をするのだろう。


どうして、褒めてもらえないのだろう。


私は、良いことをしたはずなのに・・・。

 

・・・・・・。

 

それからしばらくして、母は家に帰ってきた。


嬉しかった。


また家族一緒に、楽しくて美味しいご飯を食べられる。


これで妹が生まれてくれば、もっと楽しい毎日になるだろう。


その日が楽しみだった。


・・・・・・。

 


だけど、いつまでたっても妹は生まれてこなかった。


病院から帰ってきたとき、母のお腹はもう小さくなってしまっていたからだ。


幼いながらも、それが何を意味しているのか、私にはわかった。


妹は、どこかへ行ってしまったのだ。


悲しかった。


もしかしたら、私が神様にお願いごとをしたから、そのせいで妹がいなくなってしまったのかと思った。


とても悲しかった。


この悲しみは、憎しみを抱いてしまった私に対する神様の罰だったのかもしれない。


でも、それ以上に悲しいこともあった。



母が、変わってしまったのだ。


・・・・・・。

 

――「今日の晩ご飯は、みちるちゃんの好きなハンバーグよ」


――「この服、みちるちゃんによく似合うと思って買ってきたの」


――「みちるちゃん、一緒にお風呂入ろうか」

 

母は、私のことを『みちる』と呼ぶようになっていた。


『みちる』とは、生まれてくる妹のために用意されていた名前だった。


「ちがうよ、おかあさん。 みなぎはみなぎだよ」


何度もそう言ってみたが、母が私を美凪と呼んでくれることはなかった。


妹は、どこかへ行ったわけじゃない。


妹はここにいる。


私が、みちるになってしまったのだ。


では、美凪はどこへ行ってしまったのだろう・・・。


・・・・・・。

 

父と母はよく喧嘩をするようになった。


とくに、真夜中。


私が眠った後に、よく台所から喧嘩をする声が聞こえた。


悲しかった。


仲の良かった両親が喧嘩をしていることが、何よりも悲しかった。


私は、布団の中で息を殺しながら、窓から見える星の光を見ていた。


怒ったらダメだよ、おとうさん・・・。


怒らないで、一緒に見にいこうよ・・・。


おとうさんの大好きなお星さまを見にいこうよ・・・。


今度は、お母さんと一緒におむかえにいくから。


だから、三人で行こうよ・・・。


きれいなお星さまをみたら、きっとけんかもしないですむから。


前みたいに、ずっと笑っていられるようになるから・・・。



・・・・・・。

 


・・・それから、しばらくして、父は家を出ていった。


私は、母と二人で家に残り、すっかり変わってしまった日常を送るようになった。


昔と同じままじゃあ辛いだろうからと、親戚の人たちが家を改築してくれた。


もう、父の面影はどこにも残ってはいなかった。


どこへ行ったのかもわからない父。


てもとに残ったのは、最後にくれた星の砂と、あの羽を持つ少女の絵だけだった。


私は、それでも父の姿を探して、毎日のように父が働いていた駅へ行った。


日が暮れて、夜空に満天のお星さまが輝くまで、私は父を待ち続けた。


父の同僚だった駅員さんが、そんな私を心配して、なんとか父と連絡を取ろうとしてくれたが、無理だった。


「ごめんよ、美凪ちゃん」


駅員さんは、謝ってくれた。


・・・・・・。


家に帰ると、私は『みちる』でいなければならなかった。


もう、この家に『美凪』はいないのだ。


でも、それでも良かった。


父がいなくなって悲しむ母が、『みちる』と私を呼ぶときだけは微笑んでくれたので、それでも良かった。


私は、母の笑顔を見るために、『みちる』であり続けようと思った。


でも・・・。


気が付けば・・・、私は笑えなくなっていた。


・・・・・・。


 

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そんな日々が過ぎた。


私は、いつの間にか小学生になっていた。


でも、相変わらずお友達はできなくて、ずっと一人。


もう父には会えないのだとわかっていながらも、私は毎日駅前で時を過ごした。


もう、おままごとはしない。


小学生になったんだし、それに、温かかった昔を思い出すだけだから。


私は、一人でずっとシャボン玉を飛ばして遊んだ。


ずっと一人で飛ばしていたおかげで、腕前はかなり上達した。


嬉しかった。


いろいろな大きさのシャボン玉を空に向けて飛ばすことは、とても楽しかった。


でも、やはり誰かと一緒に飛ばしてみたい・・・。


そんなある日のことだ。


私がいつものように駅前へ向かうと、いつも私が座るベンチの上に、一人の女の子が座っていた。


どうやら私よりも年下で、とてもかわいい女の子だった。


誰かを待っているのだろうか。


近づくことなく見ていると、ずっと長い間一人きり。


誰かを待っている様子もなかった。


だから、私は意を決して少女に近づき、その隣に座った。


少女は私の登場に少し驚いた様子を見せ、隣に座った私をちらちらと横目でうかがっていた。


でも、私は何も言い出すことができなかった。


勇気を振り絞って、隣に座ったまではいいが、こういう場合なんと声をかければいいのか、私は知らなかった。


・・・焦った。


思い沈黙が、幼い二人の間を流れた。


でも、この機会を逃してはならない。


どうしてそう思ったのか。


私は、この少女とお友達になりたいと思った。


・・・私好み。


いや・・・違う。


少女の雰囲気が、私にそう思わせた。


その感情は、限りなく郷愁に近いものだった。


後はきっかけである。


声をかけるきっかけさえ掴めば、私たちはお友達になれるはずだった。


悩んだ。


私は、生涯でこれほど悩んだことは、他にない。


そして、ひとつの結論を導き出した。


私は、おもむろにシャボン玉セットを取り出し、シャボン玉を飛ばして見せた。


「あ・・・」


少女が小さくかわいい声をあげた。


成功だった。


私は、だまって少女にストローを渡した。


そして、微笑みあった。


それだけでじゅうぶんだった。

 

「ありがとうっ」


その時の少女の笑顔を、私は一生忘れないだろう。


・・・・・・。

 

それからは、日が暮れるまで少女と二人でシャボン玉を飛ばして遊んだ。


かなり不器用なのか、少女は一度としてシャボン玉をうまくふくらますことができなかったけれど、楽しそうだった。


そして、私も楽しかった。


少女はとても元気で、私はすぐに少女のことを好きになった。


・・・。



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別れ際。


黄昏の中で、私たちは『また明日』と小さな約束を交わした。


「なまえ、おしえてほしいな」


と、少女が言った。


「みちるはね、みちるっていうんだよ」


少女は、元気良く自分の名前を言った。


それは、とても聞き慣れた名前だった。


悲しいはずの名前。


でも、少女にとてもよく似合う、ステキな名前だと思った。


「・・・私は・・・美凪


そう名乗った。


みちるは目の前にいるのだから、私は美凪でよかった。


美凪でいることができた。


嬉しかった。


その時、私は笑えた事に気づいた。


・・・・・・。

 

その夜。


家の中に変化があった。


いつもの場所にかけてあったはずの、あの絵がなくなっていた。


私は、直感的に思った。



『あの絵の女の子だっ』と。



あの絵の女の子が、私とお友達になってくれるために現れたんだと思った。


しかも、いなくなってしまったはずの妹の名前をもってである。


たとえ、それが勝手な想像で夢物語にすぎないとしても、私は嬉しかった。


幼い頃から、ずっとあの少女とお友達になりたいと思い続けてきたから。


妹と二人で遊びたいと、ずっと、願い続けてきたから。


私は、ようやく一人ではなくなったのだ。


もう一人じゃない。


その夜は、興奮して眠れなかった。


明日は何をして遊ぼうかと、そればかりを考えていた。


眠りたくなかった。


眠ってしまえば、起きたときにすべてが夢だったということになってしまいそうで、怖かった。


夢の中にいたかった。


覚めない夢を、ずっと見ていたかった。


ずっと・・・見ていたかった・・・。

 

・・・・・・。

 

 

  でも・・・


  私は夢から覚めなければならない・・・


  夢は夢のまま・・・


  決して思い出にはなれないから・・・


  ・・・ごめんなさい


  そして・・・

 

 

・・・・・・。

 


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「・・・往人さん」
「うん?」
「・・・明日・・・みちるに会わせておきたいひとがいるんです」
「あわせておきたいひと?」
「・・・はい」
「・・・まだみちるが持っていない・・・。
みちるだけの大切な思い出・・・。
・・・それをみちるにあげたいんです」
「・・・・・・そっか。 喜んでくれるといいな」
「・・・はい。
・・・往人さんも・・・おつきあい願えますか」
「当たり前だろ」
「・・・・・・そうですね・・・当たり前ですね」
「ああ。
ほら、さっさと帰ろうぜ、あいつ待ってるって言ってたからな。
あまり長い間一人にしておくと、寂しがっちゃうぞ」
「・・・・・・はい」

 

・・・・・・。

 


   そして・・・私は祈った・・・


   あなたの笑顔が・・・


   いつも暖かな日だまりの中にありますように・・・

 

 

・・・・・・。


・・・。

 


夜が明けた。


一日の始まり。

いつもと変わることのない一日の始まりだけが、そこにある。

いや・・・。

あってほしかった。

あってほしいと思った。

せめて、俺たちをとりまく夏の面影だけは変わることがありませんように。

いつまでも、この町で過ごした夏だけは忘れることがありませんように。

俺は、そう願わずにはいられなかった。

 

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「んに・・・おはよう・・・」


その日も、俺たちは同じ朝に目覚めた。


 

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「・・・おはよう・・・みちる」

 

「相変わらずだらしないな、おまえは」


俺は、寝ぼけ眼を擦るみちるの、乱れた髪を一撫でしてやる。


「・・・にゃはは・・・ねぐせぼんぼん」
「ぼんぼんじゃない。 さっさととかしてこい」
「んに・・・」

 

「・・・みちる・・・私がとかしてあげるね」

 

みちるの髪に美凪が優しく櫛をとおす。

ゆっくりと・・・ゆっくりと・・・。

まるで、一本一本の髪の毛を慈しむように撫でる。


「にゃはは・・・きもちいいな・・・」
「・・・そう?」
「うんっ」
「・・・じゃあ・・・もっとしてあげるね」
「やったー」


・・・・・・。


・・・雨露に輝く陽射しの中。

二人の少女が、楽しそうに笑っている。

それは、眩しい光景だった。

いつまでも見ていたい光景だった。

・・・どうしてだろう。

訪れることを知ってしまった別れ。

それが訪れるまでの時間は、どうしてこんなにも安らかで優しいのだろう。

泣き叫ぶことも、逃げ出すこともできるはずなのに・・・。

どうしてここにいたいと思うのだろう。

どうして笑うことができるのだろう・・・。


・・・・・・。


・・・その答えは簡単だった。

大切に思うひとたちといられることが、幸せだったから。

幸せだから、笑えるのは当たり前のことだった。


・・・・・・。


・・・。

 

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「・・・あのね・・・みちる」
「んに?」
「・・・今日はね・・・一緒に行っておきたいところがあるの」


その話を美凪が切り出したのは、日が西に傾きはじめた、午後のことだった。

いつものようにシャボン玉を飛ばして、いつものようにはしゃいでいた夏の午後。


「どこどこ? どこにいくの?」


期待に溢れた瞳で、みちるは美凪の腕に抱きついた。


「・・・・・・私のお家」
「え・・・」


みちるの動きが、一瞬戸惑いを見せた。

少女の瞳に、寂しげな影が降りるのが見えた。


「・・・晩ご飯・・・私のお家で食べようか」
「・・・・・・美凪のおうち・・・?」
「・・・うん・・・私のお家」
「・・・んに・・・」


みちるは、見て取れるほどの戸惑いを見せていた。

それは、当然のことなのかもしれない。

本当ならば、みちるにとって、そこは温かな自分の家だったはずの場所だ。

大好きな家族に囲まれて、大好きなハンバーグをたくさん作ってもらえる。

そんな、大切な場所。

そして・・・。

望んでも辿り着くことができなかった場所。

そこにみちるを連れていってあげたいと、美凪は願った。

決して同情なんかじゃない。

美凪にとって、みちるは大切なお友達だったから。

いつだって、大切な家族だったから。


「・・・んに・・・わかった」


みちるが頷く。


「・・・うん」


美凪は、微笑みながら、優しくみちるの頭を撫でる。


そして・・・。


みちるにとって、今日はどんな思い出になるのだろう。

どんな色をして、どこまで空に近づくことができる幸せになるのだろう。

俺なんかの祈りで、今日が素敵な一日になるのなら・・・。

俺は、すべてをなげうってでも、少女たちのために祈りたいと思った。


・・・・・・。


・・・。



家へと向かう道すがら、俺と美凪は、前を歩くみちるの後ろ姿を眺めていた。

寂しそうにも、悲しそうにも、そして楽しそうにも見えて、俺たちは言葉をかけることができないでいた。


きゅ・・・


服の裾が、何かを訴えるように握られた。

見ると、隣を歩く美凪が、不安を映した眼差しで俺の服を掴みながら、みちるを見つめていた。


「・・・私は・・・残酷な人間です」


美凪が、ぽつりと言った。


「・・・私は・・・これからみちるを傷つけてしまうかもしれない・・・。
・・・届かないものに手を伸ばせと言っているだけなのかもしれない・・・。
・・・でも・・・それでも連れていきたいんです・・・。
・・・一目会わせてあげたいんです・・・。
・・・大切なひとに・・・。
・・・ずっと大切に想い続けてくれたひとに・・・」
「・・・・・・」

 

それは、どんな想いだったのだろう。

ずっと、自分ではない存在を演じ続けてきた少女。

大切なひとの笑顔を守るためだけに、自ら悲しみの中に身をおきつづけてきた少女。

居場所を失い、自身を失い、それでも愛することをやめなかった少女。

もし今日が悲しみしか残さない思い出になったとしても、いったい誰が彼女を責められるだろうか。

責められるわけはない。

彼女は・・・遠野美凪は、いつだって、誰にだって優しかった。

その優しさで、誰もが忘れがちな想いを守り続けてきたのだ。

そして、俺たちは温もりの中にいた。

彼女の深い温もりの中で、安らかな日々を送り続けることができた。


だから・・・。


だからこそ・・・。

 

「・・・・・・」


俺は、服を掴む美凪の白く美しい指先に、そっと手を添えた。


「・・・大丈夫だ」


俺の微笑みは、彼女に届いてくれるだろうか。


「今日は、絶対に良い一日になる」

 

・・・・・・。


・・・。

 


・・・そして・・・みちるは、ようやく家に帰ってきた。

柔らかな風鈴の音が響く、食卓。

帰りを待っていてくれるひとたちがいる、温かな日だまりのような家だ。

俺は、それが幸せな光景だったと信じたい。

泣きたくなるほど幸せな、そんな夢だったと信じたい・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


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はじめは、みちるも戸惑うばかりだった。

大好きなはずのハンバーグを前にしても、それには手をつけず、手に箸を持ったまま、目の前にある穏やかな微笑みを、ぼうっと眺めているだけだった。


「あらイヤだ・・・。
私ったら、あなたのお名前を訊いてなかったわ」


そのひとは、優しく微笑みながら言った。


「ねえ。 おばさんに、あなたのお名前、教えてもらえないかしら」
「・・・んに・・・なまえ・・・?」
「そう。 お名前」
「・・・んに・・・」


みちるは、そのひとに尋ねられると、隣に座る美凪を上目遣いで見上げた。


「・・・・・・教えてあげて」


美凪は、とても優しい眼差しで、そう言った。


「・・・いいの?」
「・・・うん」
「・・・んに・・・」


美凪の微笑みに、みちるは小さく頷く。


「・・・あのね・・・」


それは、震えるような声だった。


「・・・みちるは・・・みちるっていうの」
「え・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・みち・・・る?」
「・・・うん」
「そう・・・みちるっていうの・・・」
「・・・・・・・・・んに」
「・・・・・・」
「あ、あのね・・・みちるね・・・」
「・・・・・・」
「みちる・・・ほんとはね・・・」
「・・・・・・」
「ほんとは・・・」
「・・・・・・・・・みちる・・・」
「・・・んに」
「・・・・・・・・・ふふ・・・とても良いお名前ね」
「え・・・」
「さあ、みちる。
ハンバーグ冷めちゃうから、早く食べてみて。 大好物なんでしょ?」
「・・・・・・」
「あら、どうしたの?」
「・・・んに?
う、ううん、なんでもない。 いただきまーす」

 

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「もぐもぐもぐ・・・」
「どう? おいしい?」
「うんっ。 すごくおいしい」
「ふふ・・・よかった。
あのね、このハンバーグはね、私が元祖なのよ。
私が、『美凪』につくり方を教えてあげたの。
ね、食べ比べてみて、どっちがおいしい?」
「どっちもおいしいっ」
「ふふふ・・・そう。 やっぱり、どっちもおいしいか」
「うんっ」

 

「・・・・・・」


・・・・・・。


・・・そうだった。

はじめから、何も心配する必要なんてなかったのだ。


「ねえねえ、これなに、これ」
「それはね、里芋の煮っころがしよ。 おいしい?」
「これもおいしいっ」
「ふふふ・・・よかった」


このひとにとって、『みちる』という名前は、とても大切な名前なのだ。

それが、たとえ悲しい名前だとしても。

思い出の中にだけ存在する名前だとしても。

このひとにとっては、愛しい娘の名前なのだから・・・。

だから、その名前をもつ少女を笑顔で迎えるのは、当然のことなのだ。

誰もが持ちえる、ありふれた優しささえあれば、それは叶うはずだから・・・。


「みちる。 私のハンバーグもわけてあげるね」


そのひとは、自分の分のハンバーグをみちるの皿にわけながら言った。


「いいの?」


みちるが、そのひとの顔を見上げる。


「うん。 いっぱい食べてくれると、とても嬉しいから」


そのひとは、とても暖かな微笑みで、みちるを包んだ。


「遠慮しないで、たくさん食べてね」
「・・・・・・あ・・・ありがとうっ」

 

・・・・・・。

 

  たくさんの温もりを感じていた・・・


  それは・・・とても優しくて・・・


  ずっと伝えたい言葉があった・・・


  生まれてくることはできなかったけど・・・

  
  とても永い時間がかかってしまったけど・・・


  でもそれでも・・・


  幸せだったと胸を張って言えるから・・・


  いつだって・・・ここに帰ってくるよ


  だから、今だけは・・・

 

 

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  さようなら・・・おかあさん・・・

 

 

・・・・・・。


・・・。


 

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・・・たくさんの想いがあった。

それは・・・とても優しくて・・・温かくて・・・。

ときには、胸が張り裂けそうなほど、悲しいこともあったけれど・・・。

でも、ずっと抱きしめていたい・・・。

そんな、大切な想いだった。

夜空を見上げれば、そこにはいつだって美しい歌声が聞こえる。

星粒の優しい光たちに抱かれながら、俺たちはここにいたことを幸せと感じることができるだろうか。

多くの悲しみを知り、多くの傷を抱え、多くの人を泣かせてきたかもしれない。

それでも、俺たちは言えるだろうか。

それでもなお、俺たちは真っ直ぐに前を向いていられるだろうか・・・。

 


・・・・・・。


・・・。


「・・・国崎さん」
「うん?」
「・・・みちる・・・喜んでくれましたよね」
「ああ。 喜んでくれた」
「・・・間違いではなかったんですよね・・・。
・・・今・・・こうして歩いているということは」
「ああ。 間違いじゃない」
「・・・・・・よかった」
「・・・・・・」

 

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・・・・・・。


・・・夜道を歩いた。

高台の神社へと続く農道を、神社に背を向けて三人で歩いた。

みちるは、はしゃぎ疲れたのか、俺の背中で小さな寝息をたてていた。

そして、俺と美凪は、そんなみちるの安らかな眠りを包み込むように、肩を寄せ合っていた。

辺りには外灯がなくて、足下がおぼつかなかったけれど、明るい月明かりと、星粒のような蛍の群が俺たちを見守ってくれていたから、平気だった。

前を向いて、歩くことができた。


・・・・・・。

 


「もぉ~、まってよぉ~」
「ほら、はやくいかないと、お祭りおわっちゃうよ」
「わかってるよぉ~」
「あはは、はやくはやくぅ」

 

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俺たちが向かう先から、幼い二人の少女が、楽しそうな声とともに駆けてくる。

母親につくってもらったのだろうか。

二人とも、着慣れない浴衣姿に走りづらそうだった。

そして・・・。

 

ふわ・・・


少女たちは、俺たちの横を駆け抜けていった。


・・・・・・。

 

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「・・・国崎さん・・・私・・・本当はずっとこのままでいたかったんですよ。
・・・ずっと・・・一緒にいたかったんです・・・。
・・・ずっと・・・おなじ風の中にいたかったんです・・・。
・・・他人が見たら、夢を見ていただけだと笑われるかもしれない。
・・・夢なんて、ただの幻だと叱られるかもしれない。
・・・でも・・・それでもかまわない・・・。
・・・だって・・・」


・・・・・・。

 


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「だって私たちは・・・」

 

懐かしい風が吹く。

安らぎを憶える優しい風が吹く。

遠い星の歌声と、月の囁き・・・。

醒めない夢の中で感じる温もりに身を委ねる。

目が醒めても後悔しないように・・・。

 

 

それが楽しい夢であるように・・・。

 

 


・・・・・・。


・・・。

 

 

そして、いつもの場所で、いつもの時が流れて・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

「・・・じゃあ・・・これは私が預かっておくね」


俺たちは、美凪の提案で、三人分の星の砂をひとつの瓶の中に詰めることにした。

その理由は三人ともわかっていたから、反論する必要なんてなかった。

星の砂は、持つ者を幸せに導いてくれるという。

だから、俺たちはそれをひとつにした。

俺たちにとっての幸せは、ひとつでなければ意味がないから・・・。

そして願いごとをする。

幸せを叶えて貰うために。

そう、俺達の幸せ・・・。


・・・・・・。



「あはは、こっちだよぉ」
「おねぇちゃん、まってー」

 

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麗らかな陽射しの中、笑い続ける仲のいい姉妹。


「往人くんも早くおいでよぉ」


そこには俺もいて・・・。


「はやく遊ぼうよぉ」


笑顔に満ち溢れている。

優しい風に包まれながら、穏やかな時を三人で過ごしていく。


「今日はなにをして遊ぶ?」
「しゃぼんだましようよ、しゃぼんだま」
「みちるはシャボン玉が好きね」
「しゃぼんだま、しゃぼんだまー」


・・・・・・。


同じ時の中で笑いあいたい・・・。


振り返ることもあるけれど・・・。


迷いから、過ぎ去った昨日を懐かしむこともあるけれど・・・。


踏み出す足先は、いつも明日へ。


愛おしい過去の思い出を糧に、俺たちは明日を目指して・・・。


幸せを願うというのはそう言うことだと思う。


・・・・・・。

 

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「にゃはは。 大事にしてね、美凪
「・・・うん」


遠野は瓶を大事に抱き締めながら頷いた。


「んにゅ~、お腹へったねー」
「もう昼か・・・確かに腹が減ったな」
「・・・じゃあ・・・ご飯を作りましょうか」

 

じゃん・・・と、どこから取り出したのか、フライパンとフライ返しを手に胸を張る。


「はんばぁぐぅーー!」


みちるが吼えた。


「・・・じゃん」


その咆哮に応えるように、やはりどこからかプラスチック製の容器を取り出しこちらに見せた。

俺はその容器を受け取り、蓋を開ける。

脇から覗き込んでくるみちる。


「おおおおおおぉ! はんばーぐだぁ!」


再びみちるが吼えた。


「・・・朝早く起きて仕込みをしました」


えっへん、と胸を張る。


美凪ー、はやくぅー、はやくはんばーぐー!」
「・・・はい」


喜ぶ犬の尾のごとく髪を揺らすみちるに、美凪は笑顔でうなずく。


「じゃあ、みちる。 飯ができるまで俺と遊ぶか」
「にょわ?」
「ボーっとしてるのもヒマだろう?」


俺はベンチを指指しながら言った。

指差す先にはシャボン玉用の石鹸水があった。


「どっちが上手にとばせるか勝負だ」
「んにっ! のぞむところだー!」


みちるは目をキラキラさせながら、拳を握り興奮した。


ベンチの傍らで、遠野が食事の準備を始めた。

そして俺とみちるは、お互い石鹸水入りの容器とストローをもって対峙している。

同時にストローを石鹸水につけ、空に向かってシャボン玉を作る。


・・・ぱちん。


膨らみかけたシャボン玉は同時に弾けた。


「ぬっ・・・
「んにゅ・・・」


もう一度挑戦。


「ふぅ~~~」
「ふぅ~~~」

 

・・・ぱちん。

 

「うぺっ」
「わぷっ」


・・・・・・。


「ふぅ~~~」
「ふぅ~~~」


・・・ぱちんっ。


「うぺっ」
「わぷっ」


・・・・・・。


「ふッ!」
「ふッ!」


・・・ぱちん!


「ぐおおっ! 目、目に石鹸がぁ!」
「にょわわ~! し、しみる~!!」

 

暴れる二人・・・。


「はぁはぁ・・・畜生、侮れねえぜシャボン玉」
「んにゅ~・・・うまくいかないよぉ・・・」

 

「・・・なぁ遠野」
「・・・はい?」
「シャボン玉飛ばすコツってあるのか?」
「・・・コツ・・・?」
「そう、お前上手に飛ばしてただろ」



美凪ー、おしえてー」
「・・・コツ・・・コツ・・・。
・・・優しくしてあげて下さい」


遠野は少し考えてから、ニコリと笑って言った。


「はぁ・・・優しくねぇ」


いまいちピンとこない。

みちるも難しい顔をして、俺の方を見た。

とりあえず、数をこなせばいつかは成功するだろう。


「とりあえずやるか・・・」
「んにゅ・・・そうだね」


俺たちは再び石鹸水にストローをつっこみ準備をする。


「・・・頑張ってください」


遠野が応援してくれた。


それからしばらく、“・・・ぱちん”と悲鳴が続いた。



いい匂いが鼻をついた。

忘れていた空腹感を呼び覚ますいい匂い。



「・・・食事ができました」



「お? できたか待ってたぜ」


「はんばーぐー!」


振り返る俺とみちるの顔は、石鹸水でテカテカだった。

それ見て笑う遠野。

つられて俺達も笑う。


青空に笑い声が響いた。

夏の空に。

高い雲に吸い込まれるように消えていく。

顔をタオルで拭いて、昼食を前にする。

ピクニック用のビニールシート。

その上にはハンバーグとご飯、そしてスープが並べられている。


「紙皿に紙コップ、さすが遠野、準備万端だな」
美凪えらいー!」


「・・・・・・・・・えっへん」


少しテレながら胸を張った。


「・・・冷める前に食べて下さい」


遠野がそう言ったときには、すでにみちるの口が動いていた。


はぐはぐ、はぐむしゃ、んぐむぐ・・・」」
「こら、いただきますをしてないだろ」


ずびっ!


「にゅぐっ! ・・・むぐむしゃ」


チョップくらいじゃ止まらなかった。


「・・・もぐもぐ」


気がつけば、遠野も箸を片手に、口を動かしていた。


「・・・いただきます・・・」
「スキありーーーっ!」


しゅぱっ!


「なに! あっ! 俺のハンバーグ!」


紙皿の上に乗せられていた、俺の分のハンバーグが綺麗に半分消えていた。


「んにゅ~、おいひい~」
「こら! 俺のハンバーグを返せ」
「んあぁ」
「うわっ、きたねぇな! 食ってる最中に口開けるな!」
「んぐんぐ・・・だって返せっていったから」
「くっ・・・」


俺が悪いというのか?


「・・・国崎さん」
「ん?」
「・・・よろしければ私のを・・・」


そう言って半分にわったハンバーグを差し出してくる。


「いや、いいよ。 とられた俺が悪いんだ。
それに一応まだ半分残って・・・」


と、皿の上を見てみると、あったはずのハンバーグ残り半分が消えていた。


「・・・・・・」
「んぐんぐ、もしゃもしゃ」


ずびっ!!

 

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「にゅぐしゅっ!」


今度のは少し強めにくらわしておいた。


「・・・すまんがわけてくれるか」
「・・・はい」


遠野は微笑みながら、俺の皿にハンバーグを移してくれた。


・・・・・・。


食事を終え、俺はベンチで残っていたスープをすすりながら、二人を眺めていた。

 

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「・・・いい? こうやるのよ」


綺麗な唇がストローの端に寄せられる。

そして次には、もう片方の端から無数のシャボン玉が飛び出した。


「おおぉー! たくさん出たー!」


空を舞うシャボン玉。

指先でそっと触れるだけで壊れてしまう、小さな夢。

初めて見たときに感じた儚さは今も変わらない。


「にょわ~、また出たー!」


飛んでいくシャボン玉を飛び跳ねながら追いかけている。

とても楽しそうだ。

遠野もそんなみちるを嬉しそうに見ている。


国崎往人もいっしょにやろうよー」
「おう」


俺はカップに残ったスープを一気に飲み干すと、隣に置いていた石鹸水入りのコップを持って立ち上がった。


「だれが一番たくさん飛ばせるかしょーぶだー!」
「そんな結果の見えた競争をしなくても・・・」
「にゅふふ~、国崎往人はみちるにまけるのがこわいんだ」
「お前だけには負ける気がしないな」


ちゃぽちゃぽと、ストローを石鹸水に浸けながら言う。


「・・・・・・」
「どうしたの美凪ー?」
「・・・負けちゃうかも」


その言葉は嫌味というものだろう。


「んにゅ~、みちるがいるからむつかしいかもねー」
「・・・・・・」


もし本気で言ってるのだとしたら、末恐ろしいガキだ・・・。


「じゃあ、とばしっこはじめーっ!」

 

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みちるの高らかな合図と共にシャボン玉選手権の火蓋は切って落とされた。


・・・空に向かって飛んでいく、大小さまざまな大きさのシャボン玉たち。

自分の居場所を探すように、フワフワと揺れながら虹色の体に周りの景色を写す。

どこか悲しい色をした景色達。

それら一つ一つがまるで夢のようで・・・。

触れることで簡単に壊れてしまう儚い現実に見えて・・・。


「ぐおおっ! 目、目に石鹸がぁ!」
「にょわわ~! し、しみる~!!」


俺たちは相変わらずシャボン玉を飛ばすことはできなかった。

それでも笑えた。

それでも楽しかった。

遠野が笑っている。

みちるが笑っている。

その笑顔が空を飛ぶ無数のシャボン玉に写っている。

たくさんの笑顔に包まれている。

今この時は現実で、夢じゃない。

だから・・・醒めることはない。

ずっと続いていくんだ。

ずっと・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


俺はまたベンチに座って二人を眺めていた。

必死になって、シャボン玉を膨らまそうとしているみちる。

 

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・・・ぱちん


「わぷっ」


顔はいつもの通り、石鹸水でテカテカだ。


「・・・みちる・・・こっちを向いて」
「んに?」


遠野がタオルでみちるの顔をやさしく拭いてやる。


「んにゅ・・・ん・・・んにゅ・・・」


嬉しそうに目を細めるみちる。

微笑ましい光景。


「・・・はい・・・もう一度」
「うん!」


顔を綺麗に拭いてもらったみちるは、嬉しそうに頷いてストローを口にする。


「ふぅーーー」


・・・ぱちん。


「わぷっ。 んにゅにゅ~・・・」


ごしごしごし・・・。


「ふぅーーー」


・・・ぱちん。


「わぷぷっ」

 

ごしごしごし・・・。

 

「ふぅーーー」


ぱちんっ。


「わぷぷぷっ」


すぐに顔はテカテカになる。


「・・・もっと優しく吹いてあげて」
「んにゅ・・・やさしく・・・?」
「・・・うん・・・やさしく」
「・・・やさしく」
「・・・ふぅー・・・って」


・・・・・・。

 

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「ふぅー・・・」


「お・・・?」
「あ・・・」


ぽわん・・・。


ストローの先から虹色のシャボン玉が一つ飛び出した。


「・・・にょわ~・・・」


シャボン玉はふわふわと空に向かって舞い上がっていく。

 

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「できた! 美凪できたよ! シャボン玉とんだよ!」


興奮しながら、大はしゃぎする。


「・・・うん・・・できたね」
「うわーい! シャボン玉シャボン玉ー!」


みちるのシャボン玉は、俺達三人が見てる中、ゆっくりと空へと浮かんでいった。

光と戯れるように、七色にその姿を変えながら。

どこまでも飛んでいきそうなシャボン玉。


ふわふわと・・・。


ふわふわと・・・。


一つの夢が空に還るように・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 



空を舞うシャボン玉が赤く色付き始めた。


「あっ・・・」


沈もうとしている太陽が、みちるの瞳にうつる。

それはとても悲しい色に見えた。


・・・・・・。



「どうした? シャボン玉はもう疲れたか?」
「・・・・・・」


「・・・みちる?」

 

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「・・・・・・そろそろ時間かな・・・」
「え・・・?」
「今日は楽しかったね」


みちるは笑顔で言った。

俺達はその言葉と、笑顔の意味にすぐ気づけなかった。


いや、本当は認めたくなかっただけなのかもしれない。

その笑顔が、あまりに幸せそうだったから。

なのに、触れれば壊れてしまいそうで・・・。

声を出すことも、近寄ることも出来なかった。

 

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「・・・ほんとに、楽しかったよ」


そう言ってストローに口を寄せ、シャボン玉を作る。

大きなシャボン玉を一つ。

俺達はそれをじっと見つめた。

 

大きなシャボン玉がストローからはなれ、空に向かった。

続いてその後を追うように、小さなシャボン玉がいくつか生まれる。

俺と遠野が見守る中、静かにゆっくりと空にのぼっていく。

 

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「星、またみんなで見たかったよ」




そしてその笑顔が消えた。


「・・・え・・・?」


辺りを見回す。

しかしみちるの姿はどこにもない。

まるで初めからそこには何もなかったように、夜気を匂わす風が静かに通り過ぎた。

空を舞っていたシャボン玉はもう一つもない。


 

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「・・・みちる・・・」


遠野が名前を呼ぶ。

でもそれに応える者はいない。



「みちる!」



悲鳴に似た声が辺りに響いた。

夢の終わりはあまりに唐突だった。

それは、この別れこそが夢なのではないかと思うほどに。

でも、みちるが姿を消してしまったのは紛れもない事実。

今この場所に俺と遠野の、二人しかいないことが確かな証拠だった。


「どうして・・・。
そんな・・・さよならもしないで・・・」


遠野は泣きそうな顔で、みちるの姿を求めて辺りを見回す。


「みちる・・・みちるっ!」
「・・・・・・まだだ・・・」
「え・・・?」
「まだ時間はある」


俺は空を見上げながら言った。


赤く染まり始めた空。


「・・・国崎さん・・・?」
「まだ時間はあるぞ。 星はでていない!」


あくまで勘でしかなかった。

みちるはまだ近くにいる。

そして俺達を待っている。

きっと最後の言葉を告げるために待っている。

俺達に、もっともふさわしい場所で。


「行くぞ!」
「・・・どこへ?」
「屋上だ!」


言いながら俺は遠野の手を引いた。

時間がない。

刻一刻と迫ろうとしている夕闇に背を向けて、俺達は走り出した。


・・・・・・。


・・・。

 

 



   夢・・・。

   幸せな幻想。

   夢・・・。

   望むこと。

   夢・・・。

   追いかけて止まないもの。

   夢・・・。

   この世界・・・。


目が醒めれば、そこに残る物は・・・?


幸せに触れることの出来た満足感・・・?


失った幸せに対する虚無感・・・?


抱き締め続けることの出来ないものは忘れてしまう・・・?


全てを・・・?


夢は思い出にならない・・・?


でも・・・。


みんな気づいている。


みんな知っている。


・・・本当は、夢の終わりを望む人間なんていないことを・・・。

 

・・・・・・。

 

地面に落ちる影がだんだんと長くなっていく。

沈もうとする夕陽が背中を押してくれていた。

夜の帳がおりるまで、あとどのくらい時間が残っているのだろうか。

俺達が向かう場所に、本当にみちるはいるのだろうか。

間に合うんだろうか・・・。

ぽっかりと空いた胸の穴に、様々な不安が流れ込んでいく。

決して醒めない夢の中にいることが出来たら、人は悲しむことなんてなくなるんだろう。

でも、前に進まないといけないから。

だから俺達は走った。

夢の終わりを受け入れるために。


・・・・・・。


 

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鉄製の扉を勢いよく開けて屋上に踊り出る。

世界は悲しい赤色に染まっていた。

空も、フェンスも、床も椅子も・・・。

 

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そして沈みゆく夕日を背に受けて彼女はいた。

フェンスの向こう。

こちらを見ている。

悲しさや寂しさ、辛さ・・・憂いに満ちた深い色をした瞳で。

遠い、手を伸ばせばそのまま消えていきそうな瞳で・・・。

いつもは頭の上でくくっていた髪はとかれ、風になびいていた。

その姿は、どこか遠野の面影を見せる。

かすかにみちるが微笑んだ。


「みちるっ!」


遠野が悲鳴じみた声を上げる。


「危ないから・・・そんなところにいたら危ないから・・・。
・・・こっちにおいで」


ゆっくりと首を横に振る。


「だめだよ。 もういかなきゃならないから」


瞳の憂いが増す。

でもどこか優しくて満足そうだった。

だからこそ・・・余計に切ない。

これから迎えるのは、紛れもない別れなのだから。

変わることのない夢の終わり。

風が吹き、髪がなびく。


「・・・今日までたくさん楽しかったから」


唇が震えた。


「いっぱい楽しかったから・・・。
・・・だから、もういかないとだめなんだ」
「今日までじゃない! 明日も楽しいから!」


みちるの声をさえぎるように遠野が叫んだ。


「明後日も! その次の日も! ずっと楽しくなるから!
だから、だから・・・」


たとえわかっていても・・・。

夢から覚める事を知っていたとしても。

この別れを笑顔で受け入れるなんてことは出来るはずがなかった。

泣きそうな声で手を伸ばす美凪に、みちるはゆっくりと首を横に振った。


「だめだよ・・・だめだよ美凪・・・そんな顔しちゃ。
美凪は笑わないとだめだよ。
じゃなきゃ・・・みちるが悲しいよ」


みちるは儚げに微笑みを浮かべた。

その言葉で遠野は、はっと何かに気づいたように息をのんだ。


「・・・みちる・・・」


フェンスの向こう側で少女は微笑んだ。

満足そうに。


美凪、たくさん笑えたよね。
みちるね、美凪の笑顔みるのが一番うれしかったんだよ」
「・・・・・・」
「たくさん、色んなことがあったよね。 たくさん、遊んだよね」
「・・・・・・」
美凪おぼえてる?
最初にみちるがシャボン玉をしたときのこと」
「・・・・・・」
「おもいっきり石鹸水を吸っちゃって、とんでもなかったよね。
すごく苦くてケホケホいってたら、美凪すっごく慌ててさ。
泣きそうな顔で、だいじょうぶ、って何度も何度も訊いてきたよね」
「・・・うん」
「ふたりでかくれんぼしたときは、みちるが美凪のことを見つけられなくってさ。
泣きそうになったら、美凪の方から出てきてくれたよね」
「・・・うん」
「初めて一緒に星を見たときは、たくさん色んな事を教えてくれたね。
すっごい楽しかったよ」
「あれは・・・全部お父さんから教えて貰ったことだから・・・」


静かに始まった二人の思い出話・・・。

俺の知らない二人の物語が、切なく紐解かれていく。

楽しかったこと・・・。

悲しかったこと・・・。

辛かったこと・・・。

時には喧嘩をして・・・。

そして仲直りをして・・。

・・・笑いあう。

どれも二人でしてきたこと・・・。

二人の足跡・・・。

大切な思い出・・・。

 

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「・・・私はみちるのお陰で、私でいられた・・・」


落ち着きを取り戻した遠野は、寂しそうな声で言った。

母親に忘れられた幼い頃。

『みちる』として笑わなければならなかった家庭・・・。

唯一の帰る場所・・・。

しかし“みちる”と出逢うことで“美凪”でいることができた。

美凪”として笑うことができた。

忘れてしまった笑顔を・・・。

美凪”の笑顔を取り戻すことができた。


「・・・でも・・・私はみちるに何をしてあげられたのかな・・・」


遠野の目には、涙が浮かんでいた。

 

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美凪はみちるに、大事なものをたくさんくれたよ。
美凪はみちるに、たくさん笑ってくれたもん。
みちるね、美凪の笑ってる顔好きだよ。
美凪の笑ってる顔をみると、心があったかくなるもん」
「私が笑えたのは・・・みちるがいてくれたから・・・。
いつもみちるが側にいたから・・・だから笑えたの・・・。
みちるがいなくなったら・・・私は上手に笑えない・・・。
きっとまた笑えなくなるわ・・・」
「大丈夫だよ。
大丈夫・・・美凪はちゃんと笑えてるもん」
「・・・え?」
「ちゃんとみちる以外の人に、笑えるようになってるもん」
「そんなことは・・・」
「ね、国崎往人


不意に話を振られる。


でも俺はそれに、ためらうことなく頷いた。


「・・・ああ、そうだな」


「・・・国崎さん・・・?」


遠野が驚いた顔で俺を見る。


「俺の前で見せた笑顔は、本物じゃないのか?
あれは、遠野美凪が俺に向けてくれた笑顔だろ?」


そう、俺は知っている。

遠野美凪の笑顔を。

あのやさしい微笑みが、遠野美凪の笑顔だと知っている。


「・・・・・・」
「そういうことだよ」
「私は・・・」
「ねぇ美凪国崎往人ー」


美凪の言葉をさえぎるように、みちるが声を上げた。


「約束しようよ」

 

「・・・?」

「約束?」


「そう、二人と約束。
というより、みちるのお願いかな」


フェンスの向こうで、にゃはは・・・と笑う。


「えっとね。 国崎往人・・・」
「・・・なんだ?」
国崎往人は大事な人をずっとさがしているんでしょ?」
「・・・ああ・・・」
「あのね、その子を見つけてあげて。
その子は、ずっと国崎往人が来るのを待ってるから。
遠い空の上で、ずっと悲しい夢を見続けながら待ってるから。
早く、見つけてあげて」
「・・・ああ、わかってる」
「みちるは、一足先にその子の所に戻るから。
美凪国崎往人にもらった楽しい思い出を持って、その子の所に戻ってるから」
「・・・ああ」
「それでね・・・国崎往人がその子を見つけたら、伝えてあげて欲しいの。
もっとたくさんの楽しいことを。
悲しい夢から、解放してあげて」
「・・・・・・ああ、約束だ」


俺はしっかりと頷いた。


「でね、美凪。 美凪は・・・笑っていて」
「・・・・・・」
美凪はいつも笑っていてね。
笑ってばいばいして・・・そしてそのまま、笑い続けて・・・。
美凪は、笑ってるほうがいいから。
みちるは、笑ってる美凪が大好きだから」
「・・・・・・言え・・・ない・・・。
・・・笑ってさよならなんて・・・。

言えない・・・」
「・・・・・・」
「・・・笑ってさよならなんて・・・」
「・・・美凪・・・」
「だって・・・もう逢えなくなるんだから・・・」
「大丈夫だよ。

みちるがいなくなっても・・・。
夢が覚めても、思い出は残るから。
思い出があるかぎり、みちるはいつも美凪と一緒だよ」
「・・・・・・」
「だから笑って。
みちるとの思い出を、ずっと楽しい思い出にしていてよ。
これは美凪にしかできないことだから」
「・・・・・・」
「ね」
「・・・・・・」
「・・・みなぎ・・・」
「・・・うん」
「約束だよ」
「・・・うん」
「今、笑ってる・・・?」
「・・・うん」
「本当に?」

 

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「・・・うん」


・・・。


「じゃあ笑い続けて・・・」
「・・・うん」
「そして・・・笑ったままばいばいって言って」
「・・・・・・」


・・・・・・。

 

「・・・美凪・・・」
「ねぇ・・・みちるも笑ってる?」
「うん、笑ってる」
「泣いてなんかない?」


・・・。

 

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「うん、泣いてないよ」
「別れは・・・辛くない?」
「うん、辛くない。
だって・・・笑ってるもん」
「うん・・・」
「笑顔は、人の心をあったかくしてくれるから」
「うん・・・」
「ずっとずっと笑い続けて・・・。
世界がたくさんの笑顔でいっぱいになって・・・。
みんなが、あったかくなって生きていけたらいいね・・・」


・・・・・・。

 

 

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「うん・・・」

 

星が瞬き、世界が眠りにおちていく・・・。

静かに吹く風がそっと夢の目覚めをささやきかけてきた。

手を伸ばしてももう届かない・・・。

抱き締めたくても触れることさえ叶わない・・・。

あまりに切ない夢・・・。

 


「みちる・・・ばいばい・・・」

 

・・・・・・。


・・・。

 

 


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・・・夏が、後ろ姿を見せはじめていた。

木々の隙間を擦り抜ける風が、空を目指す鳥たちの背を優しく押しているのが見えた。

白く雄々しい翼をひろげ、あの鳥たちは、どこへ向かおうとしているのだろう。

風だけが知っている、行ったことのない国まで、この想いを届けてはくれないだろうか。

いつかは、誰にでも辿り着くことができるようになるだろう、あの場所まで・・・。


 

こうして、ひとは幾つもの季節を歩んでいくのだろうか。

出会いの喜びと、別れの寂しさ。

その両方を慈しみ、抱きしめながら、俺たちは次の季節を待ちわびていた。

穏やかな夕暮れを見つめながら、今日という日に優しく微笑み、明日という日に、大切な夢を託す。

そうすることで、俺たちは前を見つめることができて・・・。

そうすることでしか、俺たちは生きていけなくて・・・。

俺は思う。

ひとは、変わってゆくことが悲しいんじゃない。

変わらなければ生きていけないことが、寂しいだけなんだ。


・・・・・・。


 

そして永かった夏が、ようやく終わろうとしていた。

あの忘れ得ぬ日々の中で、あれほど栄華を誇っていたセミたちの声も、今は疎ら。

潮風は優しく清々に、次の季節を迎える準備を急いでいた。

その片隅で、俺たちは肩を並べていた。

 

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「・・・やはり・・・行ってしまうんですね」
「ああ。
大切なことを伝えてやりたいひとがいるからな。
それに、それがあいつとの約束だから」
「・・・・・・・・・・そうですね。

・・・約束ですよね・・・」

 


俺は、この町を離れる決心をした。

夏休みの間、根気よく芸をし続けて、ようやくこの町を離れることができるだけの路銀を稼ぐことができた。

とは言っても、俺の芸が別段変わったわけじゃない。

いつか俺の芸を楽しげに見物してくれた幼い姉妹が、口コミで俺の話をひろげてくれたのだ。

相変わらずつまらないという客もいたが、美凪は『楽しい』と言って、いつも俺の隣で微笑んでくれた。


「いろいろと、世話になったな」
「・・・そんな他人行儀なこと・・・言わないでください」
「そっか。 悪い」
「・・・はい」
「で、おまえはどうするんだ」
「・・・私ですか?」
「おまえも、やっぱり約束を守るために・・・」
「・・・もちろんです」
「ふ・・・そうだな。 訊くだけ野暮だったか」
「・・・そうですね・・・ヤボヤボです」
「そっか。 ヤボヤボか」
「・・・はい。
・・・約束なんて交わさなくても・・・きっとそうすると思います」
「ああ」
「・・・国崎さん・・・」
「ん?」

 

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「・・・帰ってきて・・・くれますか・・・?」
「約束を果たしたらな、必ず」


俺たちは、別々の道を歩いていくことに決めた。

俺は、俺が交わした約束のために。

美凪は、美凪が交わした約束のために。

そして、三人で交わした約束のために。

でも、この別れは悲しくない。

寂しいけれど、悲しくはない。

俺たちは、もう知っているから。

たとえ、どんなに離れていようと、俺たちの間を隔てるものは、空気だけだということを。

そして、望みさえすれば、いつだって氷が溶けてゆくようにその距離を埋めていけるということを。


「・・・昨日・・・父から手紙が届きました」
「親父さんから?」
「・・・はい。
・・・本当に突然で驚きましたけど・・・とても嬉しかったです」
「・・・そうか。 良かったな」
「・・・はい。
・・・そして・・・そのことで往人さんに重大発表があります」
「おっ、なんだ」
「・・・聞いてビックリしてくださいね。
・・・手紙によると・・・なんと私には妹がいるそうです」
「え・・・」
「・・・私も・・・ちょっと驚いちゃいました。
・・・そして・・・父は一度その妹と会ってみないかと手紙に書いていました」
「へぇ・・・」
「・・・正直言って・・・少し戸惑いましたけど・・・。
・・・でも・・・会ってみることにします」
「・・・・・・そっか。 よく決心したな」
「・・・はい」

 

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そうして、温もりはひろがっていくものだから・・・。

そうして、幸せは増えていくものだから・・・。


「・・・でも・・・下心ありですよ」
「なんだ、そりゃ」
「・・・だって・・・だって・・・。

・・・その妹の名前は・・・」


・・・・・・。

 

 ・・・。


 

 

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夏の陽射しに彩られた場所。

少女は、ベンチの上でシャボン玉の練習をしている。

それが、私たちの合図だ。


・・・・・・。


・・・。

 


ぱちんっ。


「わぷっ」


少女はシャボン玉をうまくふくらますことができない。

でも、がんばって練習している。


「こんにちは」


私は、こう声をかける。

それが約束。


「んに?」


少女は戸惑った顔をする。

それがはじまり。


「シャボン玉、好き?」


私は少女に訊ねる。


「うんっ! 大好きっ!」


少女は笑顔でこたえる。


「でもねでもね、うまくふくらまないの」


少女が悲しそうな顔をする。


「そう・・・」


私は、優しく少女の頭を撫でる。


「じゃあねえ、お姉ちゃんが、教えてあげようか」


私は、自分のシャボン玉セットを取り出す。


「ほんとっ!?」


少女の大きな瞳が輝く。


「うん」


そして、私たちは一緒にシャボン玉遊びをはじめる。


「にょわ~・・・すご~い・・・」


少女は、私が飛ばしたシャボン玉を羨ましそうに見つめる。


「大丈夫。 すぐに飛ばせるようになるからね」


そう言って、私は少女にふくらまし方のコツを教える。


・・・ぱちんっ。


「わぷぷっ」


うまくいかない。


「んにゅぅ~~~・・・」


少女は目に涙を浮かべながら、顔についた水滴を拭う。


「んに! もういっかい!」


負けることなく、ふくらましはじめる。

あきらめることなく、何度も何度もふくらまし続ける。


・・・そうだ。


あきらめる必要なんてない。

失敗したなら、やり直せばいい。

手が届かないのなら、届く場所まで歩いていけばいい。

だって、私たちは・・・。

そうすることで、ようやくここに辿り着くことができたのだから。

そうすることで、思い出すことができたのだから。

誰もが持っているはずの、ありふれた優しさを・・・。

温もりとともに生きていけることの喜びを・・・。


「やったー! せいこー!」


少女が飛ばしたひとつめのシャボン玉が空を目指す。

どこまでも・・・どこまでも高みを目指して。


「じゃあ、これはがんばったで賞」


私は、少女にあれをプレゼントする。


「んに? なにこれ?」


少女は、不思議そうにプレゼントを受け取る。


「これはね、星の砂っていうの」
「んに? ほし?」
「そう。 きらきらの星。
形が似てて、星の赤ちゃんみたいでしょう」
「おぉ~、そういえばそうだねぇ・・・」
「受け取ってくれる?」


私たちの想いを・・・。


「うんっ! ありがとっ!」


私たちが生きた、夏の日の記憶を・・・。


そして・・・。


「ねえ、あなたのお名前、おしえてもらえないかな」
「んに? なまえ?」
「うん」
「にゃはは、いいよー。
あのね、みちるはね、みちるっていうの」
「みちる?」
「うんっ」
「そう・・・とてもステキなお名前ね」
「でしょ? にゃはは、みちるもこのなまえ大好きなんだよっ。
おとうさんがね、つけてくれたんだってっ」
「・・・・・・」
「ねえねえ、おねえちゃんのおなまえは?」
「私?」
「うんっ」
「・・・私は・・・。 私は、美凪よ」

 

・・・・・・。


そう。


はじまりは、いつだって小さな勇気から。

たった一言の願いから、幸せははじまるものだから・・・。


だから・・・。


「さあ、みちる」


だから、私は最後にこう言う。

 

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「お友達になりましょう」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

DREAM編 遠野美凪 END