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AIR【22】

SUMMER編―




・・・。



空からなにかが降ってきた。

 

そう思った時には、もう避けようがなかった。



・・・どすっ。



なにか重いものの下敷きになった。

 

俺は地面に倒れ、そのまま空を仰ぐ羽目になった。



「・・・痛てててっ」

「・・・おぬし、なぜそんなところにおるのだ?」



重いものが言った。



「まさか・・・見ておったのか?」

「見えるのは空だけだ。

口を開く暇があったら、早くどいてくれ」



空から降ってきたそれは、あわてて立ち上がった。

 

打ちつけた腰をさすりながら、俺もゆっくりと身体を起こした・・・。




正暦五年 夏




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少女がいた。

 

きゃしゃな身体。

 

上等そうな絹の巫女装束

 

垂らし髪に響無鈴(こなれ)をからませている。

 

そして。

 

なぜか少女は、袴の帯を結びなおしていた。



「・・・・・・」

「・・・・・・」



目が合った。



「なにを見ておる?」

「空で着替えでもしてたのか?」

「・・・・・・」



気まずい沈黙がおとずれた。



「・・・おぬし、見慣れぬ顔だな」



俺の腰、鉄鞘の長太刀(ながだち)に視線をよこす。



「ああ。 今朝、着任したばかりだからな」

「名は?」

「正八位衛門大志、柳也(りゅうや)」

「性はないのか?」

「急だったからな。 名しかつけていない」

「どこから来たのだ?」

「ここの前は、若狭(わかさ)の辺りにいた。

家柄を訊いているのなら、俺にもわからん」

「そうか。 覚えておこう」



つぶやくように言って、また帯締めに没頭する。

 

その指がどうにもぎこちない。

 

どうもかなり不器用な少女らしい。



「人の上に降ってきといて、詫びのひとつもないのか」

「なぜ余(よ)が詫びねばならぬのだ?」

「随分と世間知らずだな。

だいたい、名をたずねておいて自分は名乗らないつもりか?」



帯にかけた手が、はたと止まった。



「知らぬのか、余の名を」

「知らん。 今会ったばかりだろう」

「そうか。 存外、知られておらぬものよの・・・」



面白そうにつぶやく。



「神奈だ」



少女はそう名乗った。



「神奈? それは奇遇だな。

俺が守護の命を受けた翼人の御名が、まさにその神奈という」

「・・・妙な男よの、ぬしは。

翼人をどのような者だと考えておる?」

「そうだな。 なんたって神の使いだ。

唐天竺では鳳翼(ほうよく)と呼びならわし、異名を風司(ふうじ)、古き名では空真理(くまり)ともいう。

肌はびろうど、瞳はめのう、涙は金剛石。

やんごとなきその姿は、まさしくあまつびと」

「・・・よくもまあ、美辞麗句を並べ立てたものよの」



呆れたようにつぶやく。



「ところでぬしは、なにをしておったのだ」

「別に。 ただぶらぶらと歩いていただけだ。

なにしろ、これだけの広さがあるからな。

護りをかためるなら、どこになにがあるか知っておきたい」

「それは殊勝な心がけよの」



誠意なく言いすてて、またも帯に手を戻そうとする。



「神奈」

「・・・初対面にしては、ぶしつけだの」

「おまえがそう呼べと言ったからだ」

「それで、何用か」



文句を言いたげだったが、先をうながしてきた。



「神奈は、この中はくわしいのか?」

「無論であろ。

この世のどこに、自分の住まう屋敷がわからぬ者がいるか」

「では、案内してくれ」

「なにゆえ、余が案内せねばならぬ」

「くわしいんだろう?」



神奈の眉がつりあがった。

 

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「いま一度尋ねるぞ。

なにゆえ、余が、おぬしを、案内せねば、ならぬ?」

「理由はふたつある。

社殿の事情にくわしそうだ、というのがひとつ」

「もうひとつは?」

「少々骨張っていようが、そこそこ見られた顔(かんばせ)の女に案内してもらった方が気持ちがいい」



俺を覗きこむ顔に、複雑な色が浮かぶ。

 

ほめられたのか、けなされたのか、判断がつきかねているらしい。



「・・・案内してやる。 ついてくるがよい」

「そりゃ、どうも。

あ、そこそこってのは、『さほど悪くもなし』という意味だ。

妙な望みは持つなよ」

「やかましいっ」




・・・・・・。

 

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中庭を望む廊下を、ならんで歩く。

 

貴人の住まいにふさわしい、端正に手入れされた庭だ。

 

神奈は笑いもせず、さらりと袖口をあげた。

 

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「装束だけは、このようにもっともらしいがな。

実際は牢獄とかわらぬ、庭を歩くことさえ、好き勝手にはできぬ。

なにゆえに、余は閉じ込められねばならぬのだ。

余はひとりでも生きてゆけるぞ・・・」



俺は誤解を思い知らされていた。

 

見たこともない表着(うわぎ)の意匠は、この少女の背に羽があるからだと気づいた。

 

どうやら俺は、自分が護るべき翼人をからかっていたらしい。

 

今更どうにもなるまい。

 

なりゆきに任せ、話を続けることにした。



「しかし、羽はどこにいったんだ? 切り落としたのか」

「めったなことを言うな。

しまい隠しておる、普段は人のなりと同じだ」

「なんだ、そうなのか。

どんなものが拝めるかと期待していたのにな」

「悪かったな。 期待をことごとく裏切るような女で」



まさしく彼女のなりは、翼人からはほど遠い。

 

それだけではない。



・・・さわさわさわっ。



神奈の尻を撫でてみる。

 


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「・・・なにをするっ!」



あわてて身をひるがえし、真っ赤な顔で俺をにらみつける。

 

その辺の娘となにひとつ変わらない。



「いや、いい形をしてたから」

「おまえはいい形をしておったら、いちいち触ってたしかめるのか」

「いい形をしている尻はそうそうない。

だから、めったなことでは触らない」

「・・・・・・ぬしほど無礼な男は、見たこともないぞ」

「無礼はお互いさまだろ」

「なにを申すかっ」

「さっき俺を下敷きにしただろ、その尻で」

「・・・・・・」



なにかを言おうとしたあと、呆れ顔で俺を見た。



「おぬしといると、羽を忘れそうになる」

「どういう意味だ、それは」

「言葉のとおりだ」



・・・・・・。




そこは屋敷の奥にある、こぢんまりとした屋敷だった。

 

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「余はここで暮らしておる」

「・・・・・・」

「どうした? はよう入るがよい」



いくら俺でも、貴人の御座にずけずけと踏みこむのは気が引ける。



「神奈さま、失礼いたします」



突然、女の声がひびいた。

 

俺の右手は太刀の柄を探していた。

 

まったく気配がしなかったからだ。

 

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振り返ると、女官らしき者が荷物をたずさえて立っていた。

 

俺は刀から手をはなし、神奈にそっと耳打ちした。



「あれは何者だ?」

「ここで唯一、余にまことからつかえる者だ」



「裏葉(うらは)と申します。 そのようにお呼びください」



そう言うと、女は手近な床に荷をそっと置いた。

 

やわらかそうな生地の夏衣で、神奈の着替えなのだろう。

 

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「あの、神奈さま。 そちらは・・・?」

「案ずるな、ただの曲者だ」



「どういう紹介だ」

「いきなり余の尻にさわったであろ」

「さわりたくなったものは、しかたがない。

さわられたくなければ、隠せばよかっただろ?」



・・・。


「神奈さま、いったいどのようなご格好で・・・」

「ちがうちがうちがうぞっ。

隠しておった、余はちゃんと隠しておったぞ」



あわてふためいてから、俺の笑いに気づく。



「見てのとおり、曲者で痴れ者だ。

裏葉も気を許すでないぞ」



こほんと咳払いをすると、何事もなかったようにそうつけくわえる。



「うふふふ・・・」

「なんだ、なにがおかしい?」

「恥じらう神奈さまのお姿が」

「恥も糸瓜(へちま)もあるものか。 余は憤慨しておるのだ」

「でも、お顔が赤うございますよ?」



ずばり言われて、その顔がさらに赤くなる。



「こっ、この者に作法を教えてやるがよい」



神奈は座敷を飛び出していった。

 

だんだん! という大きな足音が遠ざかっていく。



「・・・どっちがどっちに教えたらいいんだ?」

「さあ・・・」



裏葉と二人きりになってから、名乗っていないことに気づいた。



「俺は柳也という。

位は正八位衛門大志、ここには今朝着任したばかりだ」



しかし、反応はない。

 

じろじろと顔を眺めわたされ、なんとも居心地がわるい。

 

と、唐突にこんなことを訊いてきた。



「衛門さまは、どうして神奈さまのお尻にさわられましたか」

「どこにでもいる普通の娘のように思えたからだ」

「・・・でございますよね」



安心したように、何度も頷く。



「わたくしも神奈さまのお尻にはさわりとうございます。

わたくしが殿方であれば、そうしておりましたでしょう」



涼しい顔で、すごいことを言う。



「今度、手伝ってやるよ」

「機会がありましたら」




・・・・・・。



・・・。




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翌朝。



俺は正式に神奈備命(かんなびのみこと)警護の任についた。

 

俺の役職は大志という。

 

社殿の警護を指揮する立場だ。

 

名目上は、勅命を受け衛門府から派遣されたことになっている。

 

とはいえ、護手が二十名に満たないここでは、雑用をおこなうことも多い。

 

俺にあたえられた最初の任も、立番だった。

 

早い話が、ただの見張りだ。

 

真面目そうな若侍と対になり、正門を守る。

 

あたりは青々とした夏の山。

 

ときおり吹く風も、汗ばむ肌に心地よい。

 

半刻もしないうちに、若侍がうたた寝をはじめた。

 

俺は苦笑しながら、心中ではまったく別のことを考えていた。

 

運よく仕官の口を得たといっても、しょせん俺は無頼者(ぶらいもの)だ。

 

ことが起きれば、部下や上役に裏切られることもありえる。

 

己の置かれた立場を正しく把握すること。

 

俺のような身分の者が生き抜いていくには、それが絶対に必要だった。



・・・・・・。




非直の時間をつかって、社殿の様子をそれとなくうかがった。

 

社殿は、敷地全体を杉の板堀にかこまれている。

 

正門はもちろん、裏木戸にいたるまで寝ずの番がつく。

 

貴人を護るのだから当然の用心だ。

 

だが、人員の割り振り方に違和感があった。

 

見張りに必要なはずの、高みの櫓(やぐら)もない。

 

何者かが攻め入ってくることを想定しているのではない。

 

むしろ、内から外に出るのを警戒した配置に思えた。

 

最初の数日は立番が続いた。

 

神奈本人はおろか、おつきの女官さえ見かける機会はなかった。

 

五日ほどたったある日。

 

見覚えのある女官に声をかけられた。



・・・・・・。



俺は詰め所の奥で、ひとり事務をとっていた。

 

書状の文面を考えあぐね、もがき苦しんでいたというのが正しいが。

 

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「衛門さま」


「うおあっ」



あやうく、墨を硯(すずり)ごとぶちまけるところだった。



「にぎやかでございますね」

「そっちが静かすぎるのが悪い」



今度もまったく気配がしなかった。

 

仕事に気をとられていたせいもあるが、武士として体裁のいいことではない。

 

裏葉は俺の前の真っ白な紙を見て、なぜか目を丸くした。



「あらあらまあまあ・・・」

「どうした?」

「衛門さまは文(ふみ)をあぶりだしでお書きになるのですか?」

「あぶりだし?」

「橘(たちばな)の汁を筆にふくませ、文字をしたためますれば・・・。

万が一他人に文をとかれても、あら不思議」

「いや、あら不思議じゃなくてだな。

あぶりだしで書いたら、文を送った相手だって読めないだろ」

「『この文はあぶりだしでしたためた』と、墨ではし書きしておけば」

「・・・・・・」



完全に無意味だと思うが。

 

裏葉の顔をしげしげと眺めてしまった。

 

冗談なのか本気なのか、まったく読めないところが怖い。



「で、何用か?」



口調を戻して言うと、裏葉も居住まいをただした。



「社中の守警に関しまして、ご足労いただきたく・・・」



言葉をにごし、意味ありげに廊下に視線をやる。



「しかし・・・」

神奈備様御直々(かんなびさまおんじきじき)のお申しつけにありますれば」

「あいわかった」



これで形式はととのったというわけだ。

 

俺は筆をおき、床から腰をあげた。



「それはそうと、『衛門さま』はやめてくれないか?」

「なぜでございましょうか?」

堅苦しいのは苦手なんだ」

「なら、どのようにお呼びすれば?」

「柳也でいい」

「では柳也さま、まいりましょう」

「ああ」



・・・・・・。

 


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「おそかったではないか」



俺の姿を見つけるなり、神奈は不機嫌そうに言った。



「この五日、姿も見せずになにをしておったのだ」

「仕事をしてたんだ、仕事を」

「そのようなくだらぬもの、放っておけばよいであろ」

「・・・・・・」

「まったく、益体(やくたい)もない」

「益体ないのはおまえの頭だっ!」

「ほお。

曲者痴れ者のぶんざいで、余をうつけ呼ばわりするとは笑止千万」

 

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「まあまあ、神奈さま」



俺たちの様子を見かねて、裏葉が間に入ってきた。



「柳也さまも大人げない」



やんわりといさめられ、俺もやっと我にかえった。

 

最初に会った時以来、神奈と話しているとどうもおかしな調子になる。



「面目ない」

「うむ。 わかればよい」

「おまえに謝ったんじゃない」

「隠さぬでもよい、無礼はすべて赦(ゆる)してつかわすゆえ。

余はなんと寛大なことよの」

「・・・・・・」



なにを言っても無駄に思えてきたので、話題をかえることにした。



「で、俺になんの用だ?」

「まず座るがよい」



俺はその場にどっかりとあぐらをかいた。

 

着物の裾を合わせながら、裏葉もとなりに座る。



「余と二人だけではつまらぬと、裏葉がうるさく申すのでな。

特別にはからい、呼び寄せてやったのだ。

ありがたく思え」



「本当か?」

「もちろん、空言(そらごと)でございます。

神奈さまはこのところ柳也さまのお話ばかり。

何かにつけて『あの者は来ぬのか』とおっしゃるものですから」



裏葉が気をきかせて、執務中の俺に声をかけたらしい。

 

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「そっ、そのようなことは断じてないぞ。

裏葉はなにか勘違いをしておるのだ」



わめいている神奈を尻目に、裏葉が神妙なおももちで訊いてきた。



「やはり、ご迷惑でしたでしょうか?」

「いや、それはいいんだが・・・」



この三人で集まって、なにをしろというのだ?



・・・。



俺は想像してみた。

 

寝所に近い一室での密会。

 

そばにいるのは美しい翠髪(すいはつ)の女官と、やんごとなき貴人・・・。

 

神奈の顔を覗きこむ。

 

・・・・・。


貴人というより奇人か、これは。



「余はおまえが今、無礼なことを考えておるような気がするぞ」

「・・・とりあえず、姿かたちは放っておくとしてもだ。

せめてこのおかしな言葉づかいだけでもどうにかならないか、と考えてたんだ」

「余の言葉のどこがおかしい」

「まず、その『余』ってのがおかしい」



神奈の言葉づかいは、公家と武家の物言いがまじりあった独特のものだ。

 

身分としてはおかしくないが、男言葉なので珍妙なことこの上ない。



「わたくしがおつかえしました時には、もうこのようにお話しでしたから」



苦笑いしながら、裏葉が言う。



「では、余は余のことをなんと呼べばよいのだ?」

「『まろ』か『わらわ』だろうな」

「余は余であって、まろでもわらわでもないぞ」

「理屈になってないぞ」

「理屈などいらぬ」




「はあっ・・・」

「・・・なぜそっちで溜息をついている?」

「うらやましいのでございます」

「何が」

「そのように神奈さまと親しくお話しされる柳也さまが」

「これが親しく話しているように見えるのか?」



だとしたら相当に能天気な性質(たち)だ。



「ええ、見えますとも」



やっぱりそう答えるか。



「それに・・・柳也さまだけでございます。

神奈さまのご身分を知ったあとも、変わらぬままでおられるのは」



「たしかに。 変わった男よの」

「お前だけには言われたくないぞ」



口ではそう言ったものの、裏葉の言葉は俺に役職を思いおこさせた。



「そろそろ戻るぞ」



俺が腰を浮かすと、裏葉も立ちあがった。



「もうしばらく、お相手をお願いできませんか?」

「使いの者を待たせている」



もっとも、渡す書状はまだ白紙のままだが。

 

神奈はだまったままだったが、やがてぼそりと言った。



「また来るがよい」

「そう簡単にここに来れるようでは、俺の仕事ぶりが疑われる」



一礼してその場を辞そうとした時。

 

神奈の声が聞こえた。



「余は、変わりものであろうか?」

「俺と同じくらいにな」



俺はそう答えた。

 

神奈は安心したようだった。



「よいか、また来るのだぞ」



それだけ言って、そっけなく背中を向けた。

 

話の間じゅう、神奈に羽があるのを忘れていた自分に気づいた。



・・・・・・。



・・・。






退屈な任務が続いた。

 

慣れるにしたがって、社中の雰囲気もつかめるようになってきた。

 

気になることがあった。

 

守護職全体の士気が、あまりにも低い。

 

立番はおざなり、警邏(けいら)もお粗末なものだ。

 

女官たちも同じだ。

 

神奈の身の回りの世話さえ、定めどおりなされているか怪しい。

 

社殿につとめる者たちが、真面目に職務を果たす気がないことは明らかだった。

 

守護すべき者への無関心は、俺にとっては好都合だった。

 

俺は日に一度、神奈の座敷を訪ねるようになっていた。



「神奈、おまえ、本当に翼人か?」

「来て早々に、そのいいぐさはなんだ」

「みなの様子を見ていると、どうにも解(げ)せないことがある」



翼人は天からつかわされた存在、とされている。

 

飢饉や疫病にのぞんでは、霊力をもって加持祈祷をなす。

 

言ってみれば、神々と直談判できる存在だ。

 

巫女装束を身につけていても、普通の巫女とは位が天と地ほどちがうはずなのに。



「話に聞いていたのと、ずいぶん処遇がちがう」



そのことか、とでも言いたげに、神奈は溜息をはく。

 

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「余にもわからぬ。 昔からそうであったからな。

それに、余は神の使いなどではない」

「しかし、羽はあるんだろう?」

「羽があるからといって、神の使いとはかぎらぬ」

「たしかにそうだ。

竈馬(いとど)にも蟋蟀(きりぎりす)にも羽はある」

「おまえのたとえはいちいち気にさわる」



「藪蚊(やぶか)にも猩猩(しょうじょう)にも羽はございますね」

「なお悪いわっ」



神奈が振り向いた先で、裏葉がにっこりとほほえんでいた。

 

いつもながら、見事なまでに気配がない。

 


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裾をすべらせて畳にあがり、ささげ持っていた高坏(たかつき)をそっと置く。

 

こんもりと盛ってあったのは、真っ白な雪のかけらだった。



「その氷はどこにあった?」

「さきほど酒殿の前を通りましたら、その奥になにやら恐ろしげな冷気をはなつ小屋がありまして。

入ってみましたらあら不思議、夏の盛りだというのにこのような氷が」



「ほお。 それは奇怪なことよの」

「守護方にご報告せねばなるまいと思い、こうして持参いたしました。



「それは氷室(ひむろ)といって、冬に降った雪をたくわえておくための小屋だ」

「はあ、そうでございますか」

「ちなみにことわりなく氷室に入れば重罪だ」

「あらあらまあまあ」



「剣呑剣呑」



両人ともに、まったく反省の色なし。



「まったく、氷室びらきはまだ先だというのに」

「これはもともと神奈さまのためにたくわえられたもの。

それに、今さら戻しましても、氷室につく前に溶けてしまいます」



困ったように言うが、もちろんすべて計算の上だろう。



「まあいい」



俺が頷くと、裏葉は居住まいをととのえ、神奈に正対した。

 

まず自分が雪片を口にふくみ、それから高坏を神奈の前に置く。



「さあ神奈さま、どうぞ」

「うむ、大儀であった」



「やっぱりおまえが言いつけたな」

「無論であろ。

このような暑い日にひらかんで、なにが氷室か」



氷を指でつまみあげ、そのまま口に運ぶ。

 

薄桃色をした唇が、しゃくっと鳴った。



「つべたいのお。

柳也どのもためすがよい。 特に許してつかわす」



神奈備様への供物を口にするなど、到底許されることではない。

 

今さら説明するのも馬鹿馬鹿しく、俺はおとなしく頭を下げた。



「ありがたき幸せ」



雪片をつまみ、指がかじかむ感触を楽しむ。

 

外は蒸し暑い。

 

御簾(みす)の向こうを吹く風は、どこかまがまがしい気配をはらんでいる。

 

雪片を口に入れる。

 

しみるような冷たさは、俺の不安をほんの一時だけ忘れさせた。



「こうして三人で同じ氷をいただいておりますと、まるで・・・」

「寒空にたくわえももなく、軒下の雪で飢えをしのぐ死にかけた家族のようだな」

「たいそう楽しげなたとえでございますね」

「真顔で返すな、真顔で」



「・・・・・・」

「どうした。 氷の食いすぎで腹でも冷やしたか?」

「家族、とはどのようなものだ?」



答えたのは裏葉が先だった。



「そうでございますね、しいて申しますなら・・・」

 

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ぴとっ。



「このようなものでございましょうか」



神奈の背中ごしに、ぴったりと身をよせる。



「こらっ、この暑いのにはりつくでない。 はなれよっ」

「・・・・・・」



さびしそうに肩を落とし、座敷を出ていこうとする。



「まてまて、そこまで離れずともよい」



ぴとっ。



「だから、はりつくでないと言うておろうが」

「・・・・・・」



・・・・・・。



「まてまてまてっ、いちいち去ろうとするでない。

もどれ、ちこう寄れ」



ぴとぴとっ。



「・・・なぜおまえまで余にひっつく?」

「いや、何となくなりゆきで」

「ふたりとも余から離れよっ」



・・・・・・・・・。



「だから、ふたりとも出てゆくでないっ!」




「ああだこうだと注文が多い」

 

「まったく、まったく」




「そなたたちは余をからかっておるのだろう?」

「めっそうもございません。

家族とは、このように身を寄せあって暮らすものでございます」

「そうか」



「そうか・・・?」



何かがちがうような気がするが。



「そうでございますとも」



もう一度すり寄り、てれくさそうな神奈の顔を袖でつつむ。



「い、息が苦しいぞ」

「息苦しいほど身を寄せあうのが、まことの家族というもの」



ぎゅううううっ。



じたばたする神奈と、あくまでも笑顔の裏葉。

 

無理して見れば、仲むつまじい母子に思えないこともない。



「ふむむっ。 ふむむふむーむむむむむぅ・・・」



「この身には過分なおほめの言葉、恐悦至極にぞんじます」

「俺には『苦しいっ、息ができぬからはなせ』と言っているように思えるが」

「それは柳也さまのお耳がひねくれているのでございます。

ねえ、神奈さま」



「・・・・・・」

「神奈さま?」

「ぷはっ」

「あらあら、お顔が真っ赤」

「・・・だれの、せいだと、思うておるのだ?」



息もたえだえの神奈に、裏葉はしれっと答えた。



「神奈さまが可愛いすぎるのがいけないのでございます」

「まったく、裏葉のなす事はいちいちとっぴでいかん」



褒められてまんざらでもないのか、ぶつぶつ小声で言う。

 

神奈のことを見守っていた裏葉が、そっと俺に向き直った。



「まだむずかしい顔をされておいでですね」

「生まれつきだからな」



「つまらぬ。 余の前ではほかの顔をせよ」

「無茶を言うな」



神奈のことをうかがい見る。

 

知れば知るほど、神奈の心根は娘子と相違ない。



「神奈はいつからこんな暮らしをしている?」

「柳也さまがご着任されてからは、このような明るい暮らしぶりに・・・」

「そうじゃない。 社殿に住まうようになったのはいつからだ?」



「覚えておらぬ。

物心ついた時には、もう閉じこめられておった」



神奈の瞳がさっと曇った。

 

触れられたくないことだったのだろう。



「そうか」



俺はそれ以上の詮索をあきらめ、あぐらをかき直した。

 

高坏の氷はとうに水となり、ゆらゆらと波紋をたてていた。



・・・・・・。



・・・。




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妙な噂を知ったのは、その日の夕刻だった。

 

日没近く、裏戸番の引き継ぎをした。

 

山中の夜は早い。

 

向こうの山に日が落ちれば、暗闇が社殿をおおうまで四半刻もない。

 

松明(たいまつ)に種火を移していると、衛士(えじ)の不安げな様子に気づいた。



「何をそうおどおどしている?

これから非直という時に、心配事でもあるまい」

「衛門さまは、ご存じないので?」



ひかえめな口調に、非難の匂いを感じた。

 

守護職の態度は二種類あった。

 

あからさまに任を軽んじる者と、なにかを恐れるように息を殺し、奉公明けを待つ者。

 

この衛士は後者だった。



「話してみろ。 他言はしない」



うながしてやると、辺りをはばかるように喋りはじめた。



「みな、気が気ではありません。

神奈備様は、その・・・人ではありません。

みだりにふれれば、神罰が下るのではないかと」

「しかし、俺の見たところでは、神罰など信じている者は少ないようだが」



衛士は何事か考えたあと、さらに声を落として言った。



「かつてここより南の社に、翼人の母子が囚(とら)われていたと聞いております」

「囚われていた?」



思わず聞き返した。

 

『囚われていた』など、翼人を護る者が口にすべき言葉ではない。

 

だが、衛士はこう言葉を続けた。



「母親は人心とまじわり、悪鬼となりはてた、と・・・」



・・・・・・。



・・・。



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その晩。



不寝番を終え、詰め所にもどる途中だった。

 

だれもが寝静まっているはずの本殿に、新たな灯がともされた。

 

不審に思い、近づいてみた。

 

起き出してきたのは、神奈だった。

 

小さな燭台をかたわらに置き、階段(きざはし)に腰かける。

 

神奈は月を見上げているようだった。

 

冷たい月光に照りはえた頬が、白磁のようだった。

 

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「どうかしたか?」

「柳也どのか・・・」

「まだ夜明けには間がある。 身体にさわるから、早く寝ろ」

「そなた、今日はひとりなのか?」



忠告を聞こうとせず、逆に質問を返してくる。



「夜番の者が物病(ものやみ)で、床から起きない。 おかげで寝ずの番だ」

「そうか」



そのまま、神奈はだまってしまう。

 

俺はとっさに、声をかけられなくなった。

 

それほどまでに、表情がはかなげだったからだ。



「・・・柳也どのは、夢を見るか」

「夢か?」

「そうだ」

「たまにはな。 昔のことをときおり見るくらいだ」

「どんな夢か、聞かせてもらえぬか」



俺は昔見た夢をぼんやりと頭に浮かべた。



「・・・旅の空のことだ。

土地土地で会った人々や風物が、とりとめもなく現れる」

「旅か・・・。 ひとりでか?」

「そうだ」

「そうか」



月光の下で、眉根がかすかにゆらぐ。



「その夢は楽しげなものか?」

「・・・つらい夢だな。 どちらかと訊かれれば」

「つらい夢を見た後は、そなたはどんな心持ちになるのだ」

「雨雲、かな」

「雨雲?」

「降りだしそうな雨をかかえた雲だ」

「ならば、どうやって追いはらうのだ」

「雨雲は時が流してくれるさ。 ただ過ぎるのを待つだけだ」

「そうかもしれぬな」



かすかにふくみ笑い、俺を見あげる。

 

燭台の照りかえしを受け、童子のような瞳がゆれる。



「長雨もあるが、その時はどういたす?」

「長雨か。 そうだな・・・だれかに話し、うさを晴らすくらいのものだな」

「ならば、聞け。 雨が降っておる」

「俺には風雅な月夜に思えるが」

「たとえで申しておるのだ」

「・・・・・・」



何も答えずにいると、ぶっきらぼうな声音が命じた。



「そこでは声が遠い、ちこう寄れ。

だが、くっつくではないぞ」

「わかっている。

こんな夜更けに悪戯(わるふざけ)などしない」



ごんっっ!



「やっておるではないかっ」

「暗くて見通せなかっただけだ」

「まったく、益体もない」

「ここでいいだろ」

「よい」



満足そうに頷く。

 

月を仰ぎ、そのまま語り出す。

 

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「ちょうど、このような暗闇に、幼き日の余がすわっている。

なにも見えぬ、この身があるのかさえわからぬ。

恐ろしくて、さびしくて、それでも泣くわけにはいかぬ。

助けてくれとわめくこともかなわぬ。

そのような日々だ」



言葉を切り、だまって月を見つめる。



「だが、ひとつだけ温かい光を見る時がある。

おぼろげに浮かぶ、人の姿だ。

近づくと、光は消えてしまう。

余は追いかけようとする。

いつも、そこで目が覚める。

一度ではない、幾度も同じ夢を見る」



話の内容とはうらはらに、神奈は笑顔だった。

 

笑顔には、凶相を払う力があるとされている。

 

だとすれば、神奈の笑みは空蝉(うつせみ)にすぎなかった。

 

永劫の闇をともす、温かな光。

 

求めても求めても、決して得られるはずのないもの。



「柳也どのには、だれかわかるか?」

「神奈の母君(ははぎみ)だろう」



おそらく神奈は、その答えを予期していたのだろう。

 

風が吹きわたり、燭台の炎をゆらした。

 

黒々とした神奈の髪が、闇を払うようにふくらんだ。



「・・・余は、母の顔など覚えておらぬぞ」

「夢ってのは、どこかで見た景色を思い出してるんだ。

だから、覚えていなくても見ることはある」

「・・・どこかで見た景色?」



神奈が首をかしげる



「神奈も、母君から生まれたんだろ?

いつ離れたのか知らないが、お前は忘れてないんだ」



そう言ってなお、自分の笑みが苦かった。

 

俺は親の顔を知らない。

 

夢枕に現れたこともない。

 

だが、神奈は笑った。



「我が身が覚えておるのか」



自分の胸元に、そっと手のひらをあてる」



「ならば、悪い夢というわけでもないの」



また、風が吹く。

 

折り込まれた事実のように、沈黙が過ぎていく。



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不意に、神奈が言った。



「逢いたい・・・。

そう想うのは、我が身には過分なことか」



だれに聞かせるでもないつぶやき。

 

俺は何も言えず、おしだまるしかない。



「よい。 そなたのせいではない」



雰囲気を察したのか、神奈は慰めを言った。



「柳也どのは、己の責務を果たしておるだけだ」

「ああ・・・」

「余も己の責務を果たすとしようぞ。 寝間に戻る」



俺は一礼し、詰め所へと歩を進める。

 

だが、背後の気配はいっこうに動かない。

 

振り向くと、神奈が立ち尽くしていた。



「どうした?」



答えはない。



「さびしいのか?」



月光の加減なのか、瞳はうるんでいるようにも見える。



「泣いているのか?」

「ひとりは、つらい。

これほどまでにつらいとは、思うたことがない。

守護、大儀である」



その一言を残して、神奈は寝所へと消えていった。



・・・・・・。



・・・。




 

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翌朝。



出仕の前の打ち合わせの時だった。

 

上役は、思ってもいなかったことを伝えた。



「・・・神奈備命は五穀豊穣の願を唱えるべく、北の社にところを移すことにあいなった。

出立は土用の入り、大暑と定める。

みな、次の命(めい)が下るまで万端につとめよ」



以上である、としめくくりかけた時、ようやく事の重大さが飲みこめた。

 

神奈をここから別の社に移す、というのだ。

 

俺にはまったく寝耳に水の話だった。



「質疑がある」

「申してみよ」

「われらも、神奈備命につき従い、あらたな社へおもむくのか?」

「いや、荘園の世話もせねばならん。

われらはすべて残り、開墾の指示に従ずる事になる」



周囲の者たちが安堵の息を漏らした。

 

俺のような無頼者をのぞけば、ほとんどが百姓の出だ。

 

もとより、翼人の警護を納得している者などいない。



「納得できぬ。

翼人を守護せよとの命を受け、ここに赴(おもむ)いたのだ」

「その命は撤回される」

「なにゆえに?」

「先ほど申したであろうが」



不毛なやり取りが続けられた。

 

だが、俺の意向は受けつけられなかった。

 

守護役ではただひとり、毛並みのちがう俺を応援する者はいなかった。

 

通達が済み、一日の仕事がはじまろうとしている。

 

それにもかかわらず、俺は神奈の元へと走っていた。



・・・・・・。

 

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「神奈、聞いたか?」

「騒々しくもなる。

おまえが北の社に移ると、通達があった」

「ほう、もうそのような時期か」



神奈は驚きもせずに答えた。



「どういうことだ?」

「毎年そういったことがあるからの」

「しかし、俺は今朝まで知らなかった」



着任の時、俺の任期は決められていなかった。

 

事情をたしかめなかった己のうかつさを呪った。

 

しかし、俺がいきり立ったところで、決定を変えられるものではない。



「決まりは決まりだ。 柳也どのにどうなるものでもあるまい」



俺の心中がわかったのか、神奈が皮肉まじりに言った。



「だからといって、この処遇はあまりに・・・」

随身(ずいじん)は別に定め、社の者はここに残る・・・であろ?」

「知ってたのか?」

「いつものことであるからの」



呑気をよそおい、虚ろに笑う。



「ここで別れだ。 出立はいつ頃となっておる?」

「土用の大暑

「とすると、そう日もないの」

「いいのか?」



俺の問いかけに、神奈の瞳が動いた。



「なにがであるか」

「離ればなれになってもいいのか、と訊いている」

「仕方ないであろ」



返事はまるで別人のように生気に欠けている。



「裏葉とも、俺とも離れるんだぞ?」

「ほう、そなたは余と離れたくないか?」



ささくれ立った声音で挑発する。

 

せいいっぱいの虚勢は、俺にはただ痛々しいだけだった。



「先でも、変わり者はおる」

「俺と裏葉はいない」

「うぬぼれるでないっ! それほど余が弱く見えるかっ!」

「・・・・・・」

「おぬしがおらずとも、余は生きてゆける」



それは、はじめて会った時に聞いた言葉だ。



――『余はひとりでも生きてゆけるぞ』



そう言いはなった神奈のもうひとつの素顔を、俺は知ってしまった。

 

月光の下で俺に垣間見せた、意外なほどのもろさ。

 

あの時すでに、神奈は悟っていたのだろう。

 

いずれ自分がひとりで旅立つことを。



「強がるな」

「何だとっ」

「さびしかったんじゃないのか?」

「ちがう」

「なら、なぜ俺に胸の内を明かした?

さびしいから、母君に逢いたいんじゃないのか?」

「そうは申しておらぬ!

望んでも逢えぬものは、詮無(せんな)いことと申しておるのだ」

「なぜ逢えないと決めつける? お前の母君は死んだのか?」



一瞬で神奈の顔色が変わった。



「死んでなどおらぬ!」

「なぜそう言い切れる?」

「死んでなどおらぬっ。 そのようなはずがない!」



頬を真っ赤にし、駄々っ子のように首を振る。

 

神奈の気持ちは俺にもわかった。

 

夢の中で見た、淡く温かい光。

 

それさえもが幻だとしたら。



「母上はかならず・・・かならず、どこかで余のことを・・・」



そこから先は、言葉が続かなかった。

 

崩れそうになった威厳を、袖でおおい隠した。



「去れっ。 顔も見とうない」



俺は黙礼して、神奈の座敷を辞した。

 

いれちがいに現れた女官が、驚いてこちらを振り向く。

 

怒気は消しようがなかった。

 

自分がなにに怒っているのか、よくわからなかった。



・・・・・・。



・・・。



夜番の交代前に、俺は裏葉を訪ねた。

 

ちらかった部屋の中で、忙しくばたばたと立ち働いていた。



「何をしている?」

 

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びくりと肩を震わせ、こちらを振り向く。

 

声の主が俺だとわかると、裏葉は緊張をといた。



「ただいま取り込み中でございます。 ご用件はのちほど」



にべもなく言う。

 

裏葉は旅支度をしているようだった。

 

黒塗りの背負いつづらに、たたんだ着物をぎゅうぎゅうとつめこんでいる。



「おい」

「放っておいてくださいませ」

「どこかに行くのか?」

「ええ、そうでございますとも」



きっとした表情には、強い怒りがただよっている。



「なぜ、神奈さまとお別れせねばならないのですか」

「聞いたのか?」

「お仕えして、まだ半年も過ぎてはおりませぬ。

これからと思っておりましたのに、この仕打ちは理不尽にすぎます」

「ついていく気か?」

「あたりまえではございませんか」



なぜわからないのか、そう言いたげだった。



「出立まで時間がないとはいえ、今日明日に出るわけじゃないぞ」

「ですから、その前にお連れするのではありませんか」

「・・・逃げる気か?」



俺は呆れ果てた。

 

逃げればどうなるかぐらい、それこそ幼子(おさなご)でもわかる。



「女の足で逃げきれるほど、守りは甘くないはずだ」

「これでも足は達者(たっしゃ)ですので、ご心配は無用でございます」



溜息がもれた。

 

どうも最近多くなっているような気がする。



「ひとつだけ訊いていいか?」

「なんでございましょう?」

「なぜそれほどまでに神奈のことを案ずる?」

「同じことを、わたくしも柳也さまに訊きとうございます」



にっこりと問い返され、思わず言葉を失う。



「なぜだろうな・・・・・・強いて言うなら」

「強いて言うなら?」

「あいつほど、からかいがいのある奴はいない」

「・・・で、ございますよね」



声をそろえ、二人して笑う。



「先日の未明のことだ」

「はい?」

「神奈が月を見ていた。 母親に逢いたい、そう言っていた」

「・・・そうでございましたか。

わたくしが拝聴しましたのも、つい最近です。

神奈さまは本当に、柳也さまをお気に入られたのですわ」

「からかわれただけかもしれないぞ」

「それはございません」



自信たっぷりに言う。



「神奈さまは苛烈な性質(たち)であらせられますので、気に入らぬ者には見向きもされません」

「そうか」



そこで、出仕の時刻を過ぎていたことに気づいた。



「長居しすぎたようだ。 夜番に行ってくる」

「はい、お気をつけ下さいませ」



部屋を出ようとしたところで、大切なことを思い出した。

 

床にちらかった装束のたぐいを指さし、声を落として伝える。



「悪いようにはしないから、自重(じちょう)しておいてくれ」

「なにをなさるおつもりですか?」

「いや、ちょっとした約束を取りつけるだけだ」

「神奈さまんお御為(おんため)に、ですか?」

「いや、自分のためにさ」

「ご自分のために、ですか?」

 

俺はなにも答えず、ただ笑ってみせた。



・・・・・・。

 

・・・。





神奈に会う機会は、なかなか訪れなかった。

 

『自重しろ』と言った手前、裏葉の助けは借りたくない。

 

適当な理由をつくり、座敷に日参するが、そのたびに女官にとめられた。



神奈備様にあらせられましては、本日は御気分がすぐれないとのこと」

「あいわかった。

まだ臍(へそ)を曲げているのか・・・」

「はあ?」

「いや、何でもない」

 

・・・・・・。

 

あわててごまかし、俺は詰め所に引き返した。

 

・・・・・・。

 

・・・。



神奈への目通りもかなわず、日々がすぎていく。

 

守護の任が終わるというしらせは、社殿全体の緊張を取りはらっていた。

 

社中の者たちはみな、憑き物が落ちたように笑い、冗談をかわしあう。

 

神奈が社殿を去る三日前。

 

上役が辺りをはばかるように声をひそめ、言った。



「一両日中に、この社殿および神奈備命に関する文書、文消息(もんじょ、ふみしょうそく)のたぐいをすべて集めよ」

「つまり、神奈備様が出立される前に、と?」

「よけいな詮索は無用」

「それはなにゆえに?」



なおも食いさがろうとした俺に、上役はにべもなく言いすてた。



「貴殿は知らずともよいことだ」



廊下を歩きながら、俺はあることを考え続けていた。

 

手薄すぎる警護。

 

士気が落ちるままにまかせ、訓練さえしなかった上役。

 

神奈が去るのと時を合わせて集められる文書のたぐい・・・。

 

神奈の異動を知った日から感じていたきざしが、俺の中で確信に変わっていった。



これには何か裏がある、と。



・・・・・・。

 

・・・。

 

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大暑の前日。

 

その日の仕事を終え、俺は私室に引き籠もった。

 

明日、神奈はこの社殿を去る。

 

随身も餞(はなむけ)もない、さびしい出立だ。

 

向かう先がどこなのか、俺は知るはずもない。

 

衝立(ついたて)をまくように、湿り気を帯びた風が入ってきた。

 

夜半から雨になるな、そう思った。



「・・・・・・」

 

枕元に置いてある長太刀を持ちあげ、すらりと刀身をさらした。

 

銀色をした刃が、薄闇を吸うのがわかる。

 

今夜の手順を心中で整理してみる。

 

準備は万端にととのえてある。

 

邪念が忍び寄ってくる。



馬鹿げたことをしているぞ、頭の中でそうささやく声がある。

 

なぜ自ら重荷を背負おうとする? そうせせら笑う。

 

お前はひとりで生きてきたのだ。

 

これからもひとりで生きよ、と・・・。

 

両眼を閉じ、刃を鞘におさめる。




かちん。



切羽(せっぱ)が澄んだ音をたてて、心は決まった。

 

行動を起こしたのは、日没から半刻ほどあとだった。




・・・・・・。

 

・・・。




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「衛門さま、ご苦労様でございます」

「ああ、ご苦労さん」



宿直(とのい)の衛士が充分に遠ざかってから、気づかれないよう殿内に入る。

 

目指すのは、神奈の寝所だった。

 

無謀なことをしているのは、自分でもわかっていた。

 

神奈の寝所に入れる者は、裏葉を含めた数人の女官だけだ。

 

昼間ならごまかしようもあるが、夜ではそうもいかない。

 

発覚すればこの場で首が飛ぶ。

 

罷免(ひめん)という意味ではなく、ほんものの俺の生首が、だ。

 

足音をころし、慎重に歩みを進める。

 

だれにも見つかることなく、神奈の御座に入ることができた。



・・・・・・。

 

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夜風が入りやすいように、簾(す)は降ろしてはいない。

 

かわりに、屏風(びょうぶ)を立てており、外からは見せないようになっていた。

 

明かりが漏れていた。

 

寝所に歩を進める。

 

思った通り、燭台の火がともっていた。

 

きっと、遅くまで寝つけずにいたのだろう。

 

枕元にかがみこみ、耳元でささやいてみる。



「・・・おい、神奈。 起きろ」



寝具の下の体がごそごそと動いた。

 

面倒くさそうに寝返りを打とうとして、気配に気づいた。

 

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瞳が薄くひらき、俺の方を向く。



「おはよう」

「・・・・・・」



ゆっくりと首をめぐらし、部屋を見渡す。

 

自分の目前に、あるはずのないものを見つける。

 

つまり、この俺だ。

 

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「くっ、曲者っ!」 

「俺だ俺だ。 大声を出すな」



あわてて口をふさぐ。



「そうあばれるな、ちょっと話があるんだ」

「むーっ! むむむっ! むむむぐうむうむ・・・」



思いつくかぎりの罵詈雑言を並べているようだ。

 

それだけはわかる。



「別に怪しいことをしに来たんじゃない。

とりあえず、怒鳴るのだけはやめてくれ、わかったか?」

「むがむが・・・」

「わかったら、うなずいてくれ」



しぶしぶながら、神奈はうなずいた。



そっと手を話したとたん。



ぼかっ。



いきなり頭を殴られた。



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「余に夜這いをかけるとは、ふざけたまねをしてくれるの・・・」

「だから夜這いじゃないっての」

「言い逃れをするでない」

「ちがうって」

「なら、なぜこんな真似をっ・・・」

「約束をもらうためだ」



それだけを伝えた。

 

俺の声音になにかを感じ取ったのだろう。

 

神奈の顔色が変わった。



「約束・・・とな?」

「俺はこの社に奉公する者だ。 社殿の法をひるがえすことはできない。

でも、ただひとつ・・・、俺は役目がら、神奈備命の直命には絶対にさからえないことになっている。

もっとも、今までさんざんさからってきたけどな」



笑いながらつけくわえる。

 

神奈は笑わなかった。

 

俺がなにを言い出すのか、計りかねているようだった。



「だから、な。

おまえが『母君に逢わせろ』と言えば、俺はそのために命をかける。

神奈、主(あるじ)としての命を、俺に与えるか?」



神奈が絶句したのがわかった。

 

神奈がここを離れると聞いた時から、俺の腹は決まっていたのかもしれない。

 

ただ一言だけ、素直な心持ちさえ聞くことができれば。

 

おれは白刃に身をさらすことも厭(いと)わない。



「・・・・・・」

「選ぶのはおまえだ。 俺はこれ以上言わない」



その場に座り、返事を待つ。

 

ときおり、燭台の炎が揺れ、灯芯がちりちりと鳴った。

 

雨はもうそこまで来ていた。

 

ずいぶん長い時が過ぎたように感じた。

 

そして、神奈は言った。

 

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「・・・では、余はそなたに命ずる。 母上の元まで余を案内せよ」



てれくさかったのだろう、言い捨ててからぷいと横を向く。

 

それで、すべてが決まった。

 

腰にくくりつけた長太刀を床に置く。

 

膝をつき、拳を肩幅にそろえ、床につける。



「正八位衛門大志柳也。

神奈備様が命、違えぬ事を誓約致し候。

・・・礼儀だからな、一応だ」

「あいわかった。 諸処万端に務めよ」



儀式はそれで終わった。

 

足を崩し、どちらからともなく破顔する。

 

俺はふところから包みを取り出し、神奈に手渡した。

 

中には女物の草鞋(わらじ)が入っている。



「これをどこかに隠しておけ。

できるだけ寝ていろ、一刻たったら起こしに来てやるから」

「・・・なにゆえだ?」

「もうすぐ雨が来る。 見張りの気もゆるむはずだ。

それに、寝ておかないと体力がもたない」

「そうではない。 逃げきれると思っておるのか?」

「これでも刀で位(くらい)をもらったんだぞ?」

「嘘はつかぬ方が身のためだぞ」

「そうか?」

「おぬしが強いとも思えん」



言いきられては、苦笑するしかない。



「俺はおまえに仕える者だ。

だから、おまえの望みをかなえてやる」



そこで俺は目を細め、自信ありげに笑ってみせた。



「なにゆえ、余のためにそこまでする」

「さあ。 なぜだろうな・・・」



それは俺の、素直な心持ちだった。

 

神奈はなにも言わず、ただ俺の顔を眺めていた。



「それじゃ、あとでな」



衝立(ついたて)から向こうをうかがい、廊下に出ようとした時。

 

神奈がなにかを言おうとしたのを感じた。



「なんだ?」

「待って・・・おるからな」

「やけに素直だな。 さては惚れたか?」

「だれがそんなことを申したっ」

「本当に寝ておけよ。 あとあとつらくなるぞ」



神奈は素直にうなずいた。

 

俺は足音に気をつけながら、寝所をあとにした。



・・・・・・。



もうひとつ、訪ねるべきところがあった。

 

裏葉の寝間だ。

 

神奈の身の回りの世話は、ほとんどすべて神奈がこなしている。

 

そのため、神奈の寝所に近い座敷に、私室を設けてある。

 

足音を殺したまま、寝間に入った。



・・・・・・。



がらんとした部屋の中央に、寝具がたたんであった。

 

しかし、人影はない。



「裏葉、いないのか?」



目をこらし、だれもいない部屋を慎重に見渡す。

 

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「お待ちしておりました」

「うおあっっ」



暗がりの中に溶けこむように、裏葉がほほえんでいた。

 

貴人のそばに侍(はべ)る女官は、普段は邪魔にならないことを求められる。

 

それにしても、これほどまでに気配を消せるものなのか?



「俺の来るのがわかってたみたいだな」

「ことを起こすなら、もう今宵(こよい)しかございません」



にっこりと笑う。



「すでに旅支度もととのえてございます」



俺は、裏葉の背後にぼんやりと見えるかたまりを指さした。



「それが全部荷物か?」

「はい。

すべて神奈さまの御衣(おんぞ)でございます。

なにが入り用になるか、わかりませんでしたので」



葛籠(つづら)が十ばかり、小山をなしている。

 

その中に、子供が隠れられそうなひときわ大きな葛籠があった。



「その大きな葛籠は?」

十二単衣(じゅうにひとえ)一具でございます。

五衣(いつつぎぬ)の重ねもうるわしく、神奈さまにはたいそうお似合いになります」



・・・ちなみに衣ひとそろえでは、雑兵の武具一式より重い。



「置いていけ」

「なっ、なぜでございますか?」



大きな葛籠に取りすがり、真顔で問い返してくる。

 

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「神奈さまが母君とご対面するあかつきには、ぜひにもこれをお召しにと思っておりましたのに。

唐衣(からぎぬ)の色目もたいそう涼しげでございますのに~」



その場に見を伏せ、おおげさに泣き崩れる。



「泣きたいのはこっちだ。

・・・っと、待てよ。

神奈を母君に逢わせる件は、まだ話してないはずだぞ」

「柳也さまのお考えなど、お見通しでございます」



やはり嘘泣きだった。



その時。



二人同時に気配を感じた。



衝立障子をへだてた向こうに、何者かが身をひそめている。



裏葉がするりと身を寄せてきた。




「・・・のぞき見られております」



耳元でささやく。



「・・・そうらしいな」



俺も肩を落として応じる。

 

のぞき見の主は、どうやら裏葉の同僚の女官らしかった。

 

息を殺しているつもりらしいが、まったく気配が消せていない。



「夜這いに来たと思われたらしいな」

「そのようでございますね」

「どうにかして追いはらいたい」

「それでは・・・」



裏葉は俺の胸板に顔をすり寄せてきた。



「わたくしの腰に、腕をお回しください」



あっけらかんとした言いようだったが、さすがにとまどう。

 

しかし、手段を選んでいる場合ではなかった。

 

言われたとおり、衣の上から右手をあてがう。

 

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「ああ、柳也さま。 この時をどんなに待ちかねたことか」

「まだ夜明けまでは時がある。 二人して楽しもうぞ」

「柳也さまぁ・・・」



鼻にかかったような声音が、なかなか色っぽい。

 

せっかくなので、すこしばかり尻をもんでみた。

 

ふにふにふに。



「ああ、おたわむれを」

「よいではないか、よいではないか」

「ならばわたくしも・・・」



お返しとばかりに、袴(はかま)の上から急所をにぎられた。



「うぐおあっ!」

「うふふふふ」



あでやかに笑う裏葉・・・。

 

が、その動きがぴたりと止まった。



「・・・どうした?」

「・・・・・・」



裏葉は俺の股間に視線を落としたまま、軽蔑しきった口調で言った。

 

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「さては益体もない御逸物(ごいちもつ)」

 

救いようがないほど冷めた声が、部屋にがらんと響いた。



「つ、勤めで疲れておるのだ」



俺は情けなく言い訳する。



「ああくちおしや。

今宵はなすべきこともなさず、乳母(めのと)のようにただあやし寝とは。

ああくちおしや、くちおしや」



衝立障子の向こうで、小さな舌打ちが聞こえた。

 

続いて、廊下を歩き去っていく気配。



「・・・行ったらしいな」

「そうでございますね」

「本気でにぎるなよ、本気で」

「それはこちらの言い分でございます」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「話を戻そう」

「はい」

「あと半刻もしたら、俺は神奈を連れてここから逃げ出すつもりだ」

「わたくしもお供いたします」

「だが、本当にいいんだな? つらい旅になるぞ」

「覚悟の上でございます」

 

普段と変わらない声音で言う。

 

だが、それがどれほどの覚悟か、見極める必要があった。

 

右手を太刀の柄にそえる。

 

鞘から刀身をすべらす。

 

裏葉の首筋に、刃を当てた。



「見つかれば、こうなる」



俺の太刀は、儀仗用の平鞘太刀(ひらざやだち)とはちがう。

 

幾度となく人血をぬぐった刃だ。



「わかるか? たやすく人は死ぬぞ」



いかに気丈な女でも、白刃を前にして強情を貫けるものではない。

 

だが、裏葉はのほほんと言った。



「かまいません。

この身が朽ち果てようとも、わたくしは神奈さまにおつかえすると誓いました」



動揺はおろか、身じろぎひとつしない。



「神奈さまの御為なら、この命ささげようとも惜しくはございません。

すこしでも、神奈さまのお心がやわらぐのであれば」



おだやかな顔もそのままに、澄んだ瞳だけが俺を圧倒する。

 

そばで笑っているだけの、無垢で愚鈍な女。

 

俺は今まで、裏葉のことをそんな風に見ていた。

 

刀を鞘におさめた。

 

このようにして負けをさとるのは、悪い気分ではなかった。



「わかった。 一緒に来てくれ」



裏葉は心から嬉しそうに笑った。



「これでずっと、神奈さまのおそばにいられるのですね」

「ただし、荷は詰め直せよ」

「やはりこれではいけませんか・・・」



うしろの大荷物を、未練ありげに振り向く。



「身軽な衣だけでいい。

表着(うわぎ)は一枚だけ、笠(かさ)もいらないからな。

それから水と干飯、塩、脯(ほじし)、薬があればなおいい」



しぶしぶながら、裏葉はうなずいた。



「あとでもう一度迎えに来る。 それまでに身支度をととのえておいてくれ」

「わかりました」

「自分の着替えも忘れるなよ」

「あらあらまあまあ。 ちっとも気づきませんでした」



のほほんと答える。




「・・・・・・」



やはり俺は、ただの役立たずを相棒にしてしまったのではないか?



さっきの盗み見の一件を思い出した。

 

明日になれば、社は噂で持ちきりだろう。



『夜這いをかけた衛門どの、衣も脱がずに女房と共寝』



・・・・・・。

 

思わず頭を抱える。

 

男としてこれ以上恥ずかしいことはない。



「どちらにしても、ここにはいられなくなったぞ」

「それはけっこうなことにございますね」

「・・・本気で喜ばないでくれ、たのむから」



・・・・・・。



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表に出ると、雨が降っていた。

 

まとわりつく湿気に、額からじくじくと汗が吹き出る。



「・・・・・・」



軒先で雨をさけながら、遠くにけむっている山ぎわに目を向ける。

 

目指す先は、その山を越えたさらに先にある。



ざああああああ・・・。



不意に雨足が強くなる。



「・・・そろそろ刻限か」



私室に戻り、自分の荷を背負う。

 

入っているのは乾飯と薬のたぐい、そして幾冊かの文書。

 

闇と雨にまぎれ、もう一度神奈の寝所に上がった。



・・・・・・。



燭台の炎はまだ灯っていた。

 

だが、響いているいびきの質が前とはちがった。



「ぐう・・・ぐう・・・ぐお・・・」

「・・・・・・」



・・・まあ、不安と興奮で眠れないよりはましだが。



「神奈。 起きろ」



耳元でささやいてみる。



「・・・ぐう・・・すう・・・」



が、まったく起きようとしない。



ゆさゆさ。



肩をゆすってみる。



うっとおしそうに払いのけただけで、丸くなってしまう。



「・・・起きないか、こら」



むに。



頬をつまんでみる。



むにゅ~~~っ。



変にやわらかく、どこまででも伸びそうな気がする。



ぺちっ。



「・・・痛て」



手をたたかれた、しかも、寝たまま。



敵ながら見事な攻撃だ。



と思ったら、今度は何やら寝言を言いはじめた。



「・・・う・・・ん・・・ゆるして・・・たもれ。

入らぬ・・・入らぬというに・・・。

ゆるして・・・う・・・くっ・・・。

これ以上は・・・もう・・・。

もう・・・食べられぬ・・・」



むにゃむにゃ口を鳴らし、寝返りをうつ。



薄衣の裾をととのえるついでに、ぽりぽりと尻をかいている。



「・・・・・・尻かいてないで起きろぉっ!」



ぽりぽりぽり。



逆側の尻をかいて応じる神奈。

 


「かくなる上は・・・」



鼻をつまんでやることにした。



ふにっ。

 

しばらくそうしていると、なにやら苦しそうにもがきはじめた。



じたばた。



じたばたじたばた。



じたばたじたばたじたばた。



・・・ぐばっ!



よほど苦しかったのか、いきなり寝具をはねのけた。

 

枕から頭を上げ、上体を起こす。

 

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童子のような瞳が開き、俺の方を向く。



「おはよう」



指を離し、にこやかに挨拶する。



「・・・・・・」



状況がまったくわかっていないらしい。



ゆっくりと首をめぐらし、部屋を見渡す。

 

目前に俺の姿を見つける。



「・・・・・・」



ぱたり。



二度寝するなっ!」



また起きる。




部屋を見回す。



「・・・・・・」



ぱたり。




「三度目も同じかっ!」



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「柳也さま、手ぬるいですわ」

「どぐわあああっ!」

「しっ、お声が高い」

「裏葉、お前いつからそこにいたっ?」

「ほっぺたをむにっとおつまみになったあたりから」

「俺が迎えに行くまで待ってろと言ったろ?」

「そろそろ刻限かと思いまして。

それに、神奈さまおひとりでは着付けに手間がかかります」

「言われてみればそうだな」



この期におよんでまだ眠り呆けている神奈を見下ろす。

 

「とりあえず、こいつを起こしてからだ」

「奥の手がございます」

「・・・どうすればいいんだ?」



裏葉は意味ありげに微笑むと、神奈の頭の下にそっと両手をさし入れた。



ごいんっ。



鈍い音をたてて、神奈の頭が床にめりこんだ。

 

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「・・・痛いぞ。  なにをするか」



枕を抜き取っただけだが、効果は絶大だった。



「神奈さまにあらせられましては、今朝もご機嫌うるわしゅう・・・」

「これがうるわしい機嫌に見えるか?」

「はあ」

「まったく、もうすこしやさしく起こせぬのか」

「では、次からは力の加減を工夫いたしまして・・・」

「枕を抜くのをやめろと申しておるのだっ」



「掛け合いならあとでいくらでも聞いてやるから、早く支度しろ」



ぶつぶつ不平をこぼしながらも、神奈は素直に用意をはじめた。

 

その手がとまり、俺をにらみつける。



「・・・おまえはそこにいる気か?」

「あたりまえだ」

「余がこれからなにをするか、わかっておるのか?」



薄衣の裾をばたばたと振りながら詰め寄る。



「着替えだろ。 見ててやるから早くしろ」

「・・・・・・」



げしっ。



何か硬い物が飛んできて、俺の脳天を直撃した。



「~~~っ」



かなり本気で痛い。

 

額をさすりながら見ると、神奈の枕だった。



「今、角がぶつかったぞ。 ここんとこの角がげしっと」

「出ていけ、この痴れ者がっ!」



・・・・・・。



・・・。



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人影がないのを確認してから、三人で雨の中に歩みでた。

 

物音を立てないよう、小走りで壁ぎわに寄る。

 

神奈と裏葉も見様見真似で続く。

 

二人とも雨をいとわないのは、俺としても心強い。

 

高く組まれた板塀を見上げながら、神奈が言った。

 

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「これをどのように越えるつもりなのだ?」

「それぐらいは考えてあるさ」

 

目印をつけておいた所に、慎重に指をかける。

 

ぱきりと音を立て、一枚の羽目板が簡単に外れた。

 

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「いつの間にこのような細工を?」

「かなり前から準備しておいた。 いつでも逃げられるように」



「職務熱心なことよの」

「ほっとけ」



板堀の向こうは深い山だ。

 

背の高い藪(やぶ)が、水気を含んだ闇とからみあっている。



「神奈、先に出ろ。 段があるから気をつけろよ」



段といっても二尺たらずだが、地面の具合はほとんどわからない。



「これしき大したことはない。 馬鹿にするでないぞ」



神奈がいきおいよく飛び降りた。

 

がさがさと藪が音を立て、神奈の姿を隠した。



「裏葉、行け」



裏葉が穴の前に立った。

 

闇を流したような行く手の様子に、一瞬ためらう。




「急げ」

「はい」



裏葉が向こうへと飛び降りた。

 

それから俺は、板塀を元通りに直した。

 

すこし離れた塀際にある立ち木をよじ登った。

 

音を立てないように注意して、塀ごしの闇に身をおどらせた。



・・・・・・。



背丈ほどの藪にはばまれ、いきなり視界がきかなくなった。



「・・・猿(ましら)のようであったぞ」



神奈の声が、見たままの感想を伝えた。



「ほかに言い方はないのか?」

「ほめておるのだ。 喜ぶがよい」

「そりゃどうも」



適当に答えながら、腰の太刀をたしかめる。



「ここからしばらく道がない。足下に気をつけろ」

「これしきのところ、かるく踏み越え・・・うわっ」



・・・びちゃっ。



言っているそばから転んだらしい。



「あらあら。 ご無事でございますか?」

「これが無事に見えるか?」

「見えません、こうも暗いと。

表着が汚れていなければいいのですが・・・」

「・・・おまえは主より衣が大切か」

「あらもうこんなにびしょびしょに」

「こらっ。 妙なところを手探りするでないっ」

「神奈さまは悪戯がすぎます。 今からこれでは先がもちませんわ」

「だからさわるでないというに」

「ああやっぱり。 袴もこんなに濡らして、はしたない」

「やめい。 くっ、くすぐったいではないか」

「神奈さまがそんなにお動きになるからでございます」

「うくっ・・・もうやめろと申すに・・・くくくふっ」

「えいえいっ」

「くっ・・・ふはっ・・・やめ・・・っはあっ」



「・・・袴の裾を上げろ。 裏葉もだ」



「まあ。二人一緒になんて柳也さまったらいやらしい」

「まったく、鬼畜も同然よの」



「・・・意味がわかってて言ってるのか、おまえは。

歩きやすいように裾をまとめろと言ってるんだ」



「あらあらまあまあ」

「うむ。 もとよりそうすればよかったのだ」



「俺のうしろから離れるな、行くぞ」



・・・・・・。

 

・・・。