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AIR【23】

 

 

・・・・・・


・・・

 

 

俺が先頭をとり、濡れた下草を掻きわける。

すこしでも通りやすいよう草を左右に開き、ひたすら斜面を下る。

そのあとに神奈が続く。

後尾(しんがり)は裏葉が受け持った。

半刻ほど歩いただろうか。

足下が登り坂にかわった。

社殿があった山から、別の山稜に移ったのだ。

うしろを振り返ると、神奈がじりじりと遅れだしていた。

水をふくんだ装束が重いのだろう。

うっとおしそうに、全身をひきずっている。

やがて、斜面から尾根筋に出た。

 

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濡れた木々の間に、道らしきものがぼうっと浮かびあがっている。

漁師や樵(きこり)たちがのこした踏み跡だった。


「ここからは、すこし楽だぞ」


神奈をはげますように言ったが、返事はなかった。


「すこし休むか?」

 

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「・・・どうということはない。 はように、進まぬか」


言葉とはうらはらに、疲労の色が濃い。

俺は頭上に視線をやった。

木々が枝をからませる向こうから、雨は絶え間なく降り続いている。

深い山中ということもあり、辺りの闇はねっとりと濃い。

その時だった。

 

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「柳也さま」


裏葉が早口で呼びかけてきた。


「だれかが近くにいます」


一応様子をうかがってみるが、それらしき気配はない。


「雨音だよ。 心配ない・・・」


言い捨てかけて、俺もそれに気づいた。

木々の葉を通して降る雨音の向こう。

何か異質な音がかすかに混じっている。


「頭を低くして、物音を立てるな」
「柳也どの、追っ手か?」
「静かにしてろ」


辺りを見回そうとした神奈の頭をあわてておさえる。

三人で息を殺し、ただじっと身をひそめる。

濡れた林間に雨音だけがふくらんでいく。

やがて、それは訪れた。
五、六人分ほどの足音が、道のない斜面を整然と下ってくる。

革と木板が擦れあう、さりさりという音から、具足をまとっているとわかる。

社殿からの追っ手だろうか?

それにしては早すぎるし、現れる方向が逆だ。

足音はすこし離れたところを通り過ぎ、気づかれることはなかった。


「・・・動いていいぞ」
「ふう。 厄介なことよの」


軽口を言うが、舌の端にかすかな震えが覗いている。


「よく黙っていられたな」
「たかが足音であろ。 何を取り乱すことがある?」


「山を下っていきましたね」


溜めていた息を吐き出しながら、裏葉が言った。


「社の者たちではなかったな」
「なぜおわかりに?」
「こんな山中で乱れずに行軍(かただち)できるような奴らは、俺の部下にはいなかった」


俺の目が確かなら、さっきの兵たちは相当に場数を踏んでいる。

前触れなく出くわしていたら、やっかいなことになっていただろう。

そして、彼らが目指す場所はひとつしかありえなかった。


「どういうことでございましょう?」
「俺が案じていたより、一晩早く事が起こったらしい」


裏葉が訊ね返してくる前に、俺は立ちあがった。


「行くぞ」


休んで元気になったのか、荷のない神奈が真っ先に歩き出す。


「はようせい。 置いていくぞ」
「そっちは元来た方なんだが」

 

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「・・・おっ、おぬしは冗談もわからんのか」


必死で言いつくろうが、かなり苦しい。


「もちろんこちらだ。 では行くぞっ」


くるりと方向を変えようとして、神奈が立ち止まった。

木々の幹を通して見える遠景に、一心に視線をそそいでいる。


「柳也どの、あれは・・・」


神奈が指さしたその先。

黒々とした山肌の中に、炭火のように赤い光が見えた。


「あのあたりには社殿以外建物はない」
「・・・・・・」


神奈はただ、だまって光を見つめていた。

一生抜け出せないと思っていた檻(おり)の外に、神奈は立っている。

どんな心持ちになるものか、俺には見当もつかなかった。


「もうこのような遠くまで来たのですね」


俺は何も答えなかった。

光はだんだん強くなり、今はまるで野焼きのように赤々と照り映えている。

胸の内に苦いものがせり上がってくるのを感じた。

やがて、裏葉も違和感に気づいた。


「篝火(かがりび)を炊いているのでしょうか?」
「篝火だけではあそこまで明るくはならない。
燃えているんだ、社殿が」


神奈と裏葉が息を飲んだのがわかった。


「たわけたことを申すでない!」」


神奈が叫んだ。

しかし、俺の言葉が嘘ではないことは目前の光景が物語っていた。

恐らく社殿全体に火が回ったのだろう。

吹き上げる炎と煙が、山肌の一角を赤黒く染めあげていた。


「それでは、社の者どもは・・・」


神奈がつぶやくように言った。


「逃げ出してるさ。 俺たちみたいにな」


答えたが、それは嘘だ。

さっき山を下っていった兵士たちは、社殿から逃げる者を待ち伏せるための隊だろう。

そこまで念入りに包囲するのは、事情を知る者を皆殺しにするため以外に考えられない。

社殿の者たちは、もともと使い捨てにされる手筈だったのだ。

そう考えれば、すべての辻褄が合う。

 

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「そうか。 みな、首尾よく逃げ出しているであろうな」


自分を無理矢理納得させるように、神奈が言った。


「なぜこのようなことを?」


裏葉の声音も、かつてなかったほどに硬い。


「社でなにが起こったのか、知られたくないんだろうな」
「なにゆえにか?」
「俺にもわからない」


そう答えるしかなかった。

どんな秘密があるにせよ、俺たちが取るべき道はひとつだった。


「行くぞ」
「神奈さま、まいりましょう」


神奈はまだ社殿に見入っていた。


「神奈さま・・・」
「今行く」


瞳から炎を振りはらい、俺の背中に続いた。


・・・・・・。


・・・。

 


山中を一刻ほど歩いたころ。

行く手から、雨とはちがう水音が響いてきた。


ざああああ・・・


渓谷だった。

雨のせいでかなり増水していて、向こう岸には渡れそうになかった。

かと言って、引き返すわけにもいかない。


「どういたします?」
「沢にそって進むしかないな。 行くぞ」


俺が登りはじめると、裏葉と神奈も無言で続いた。

沢沿いでは濡れた岩が邪魔をし、軽々とはいかない。

まず神奈が遅れだし、続いて裏葉も遅れだす。


「がんばれ。 ここを越えれば楽になる」


呼びかけても返事はかえってこない。

神奈も裏葉も、ただ黙々と足を動かしている。

このまま沢沿いを進めば、いずれ神奈たちの体力が続かなくなる。

いずれ追いつかれる。

問題はそれから先だった。

社殿を襲った連中の目的は、まちがいなく神奈備命にある。

社殿を没落させたあと、奴らは神奈備命をどのように処遇するつもりだったのか?

手あつく保護するつもりなのか、生け捕りにするつもりなのか。

それとも・・・


「柳也さま」


我に返ると、裏葉が俺のとなりまで登っていた。


「今、灯かりが見えました」


半身をねじるようにして、背後を指さす。

木々の幹を通して、松明(たいまつ)の火がちろちろと見え隠れしている。

 

「あちらにも」
「向こうにも見えるぞ」


神奈は逆の山肌を指していた。

真っ黒な斜面のそこかしこに松明の光が散りばめられ、星のように見えた。


「三十・・・いや、四十人はいるな」


松明をかかげて大勢で追ってくるのは、こちらが反撃するとは思っていない証拠だ。

つけいる隙があるとすれば、そこだった。


「神奈、おまえはよほど人気があるんだな」
「そんな人気など、おぬしにくれてやるわ」


苦しい息を整えながら、さも迷惑そうに言う。


「なるほど、それがいいかもしれないな」
「どういう意味か?」


それには答えず、俺は神奈に正面から向きなおった。


「俺の言葉通りにすれば必ず生き残る。
・・・とりあえず、今はそう信じといてくれ」
「そのようなことはもっと頼もしげに言わぬか」
「根が正直なんでな」


「どうすればよろしいのでしょう?」
「なにがあってもここを動くな」


予想していなかった答えなのだろう。

神奈と裏葉が絶句した。


「二人でその辺に座って、のんびりしていればいい。
できるだけ音を立てずにできれば、なおいい」


俺は事もなげに付け加えたが、それには理由がある。

こんな状況でじっと動かずにいるとしたら、その恐ろしさは想像を絶する。

逃げ回っている方が、はるかに気が楽なのだ。


「・・・柳也さまはどうなさるのですか?」


そう問われて、俺は裏葉に向き直った。


「神奈の表着の替えがあるよな?」
「はい、言いつけられましたとおり、一枚だけ持参しました」
「悪いが出してくれ」


「ここで着替えろと申すのか?」
「いや、おまえが着るんじゃない。 俺が着るんだ」


・・・・・・。

 

急な渓谷を駆け降りる。

事は一刻を争う。

俺の動きが早ければ早いほど、神奈と裏葉を危険から遠ざけることができる。

濡れた岩や木の根に気をつけながら、ひたすら下流を目指す。

左手には神奈の表着を抱えている。

何に使うか教えていたら、裏葉は絶対に貸してくれなかっただろう。

やがて。

湿った風が、燈油松脂(まつやに)が焼ける臭いを運んできた。

俺の前方、松明の明かりが煌々(こうこう)と見えた。

川面をはさんで両岸の斜面を、十名ほどが登ってくる。

木立に身を隠しながら、集団の先頭をうかがう。

むずかしいのはここからだった。

相手に近づきすぎない場所から、こちらの姿をちらりと見せなければならない。

神奈の表着を開き、頭を隠すように被(かぶ)る。

裏葉が選んだ派手な色合いが、今は逆にありがたかった。

土を踏みしめる足音が近づく。

深く息を吸った。

 

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次の瞬間、俺は木々の隙間に身をおどらせた。

先頭を歩いていた兵士が、ぎくりと立ちどまった。

松明を高くかかげ、けげんそうに俺の方を見る。

そこで踵(きびす)を返し、鞘の間に逃げこんだ。


「いたぞ、女だ!」


興奮した怒鳴り声。


ヒュィ~~~~。


かん高い呼び子の音が、森中に響きわたった。

思惑通りだ。

木々を縫って斜面を疾走する。

重い足音が背後から追ってくる。

最初は沢から離れる。

追っ手をできるだけ大勢引き寄せるためだ。


「くそっ、存外足が早いぞ」

「見失うな、急げ!」


狩り場で鹿でも追うように、大声で指示を伝えあっている。


「・・・兵は手練(てだ)れでも、指揮がなってないな」


全力で逃げ回りながら、俺はそうほくそ笑んだ。

俺なら全員の松明を消させ、闇にまぎれて包囲網を張り直す。

暗闇で、このぬかるんだ足場だ。

具足(ぐそく)をつけた兵士では、兎一匹捕まえられないだろう。

目前に急な崖が現れた。

衣をかついだまま、足場をえらんで駆け登る。


ヒュィ~~~~。


また呼び子が響いた。


・・・ヒュィ~~~~。


どこか遠くで、別の呼び子がこたえた。


神奈と裏葉は大人しくしているだろうか?

ちらりとそう思ったが、今はたしかめる術がない。


「女がいたぞ、こっちだ!」


容赦なく声が飛び、別の追っ手を呼び寄せる。


「・・・そろそろだな」


俺は沢にとって返すことにした。

元来た斜面を転がるように下る。

追っ手の灯す松明が、時折肩越しに見えた。

ほどなく沢に着いた。

神奈と裏葉が待つ場所からはかなり下ったところだ。

上流では雨が強いのだろう、水音は勢いを増していた。

表着を地面に放った。

手近なところに、抱えるほどもある岩を見つけた。

腰を落として持ち上げ、水面めがけて放り投げた。


・・・じゃばっ!


濁流の真ん中に水柱が立ちあがった。


「女が沢に落ちたぞ!」


間髪を入れずに、俺はそう叫んだ。

真上の崖からすぐに反応があった。


「沢に落ちたらしい」

「この真下から聞こえたぞ」


続いて、藪をかきわける音。

俺は神奈の表着を両手でひろいあげた。


「悪いな、裏葉」


びりびりびり・・・


絹の布地を袖から乱暴に引き裂く。

帯のように細くなった布切れを、沢に近い木の枝にかけた。

残りの布は水面に流した。

こうしておけば、神奈はここから水に落ちたように見えすはずだ。

すべての細工を終え、沢沿いの崖をよじ登った。

岩陰に隠れ、聞き耳を立てる。

・・・。


「見ろ、衣の切れ端だ」

「みなを集めよ、はようせい」


ヒュィ~~~~ヒュィ~~~~ヒュィ~~~~。


呼子がひときわ大きく鳴り響いた。


「者共、ここだ!」

「・・・下流だ、ここより下流をくまなく探せ」


漏れ聞こえてくる指示に、俺はほくそ笑んだ。

今夜の雨で沢は増水している。

表着はまぎれもない神奈備命のものだ。

偽装とわかるまでに、うまくいけば数日は稼げる。


「・・・ここまでは上手くいったな」


呼吸を整えながら、ひとりつぶやいた。

だが、もうひとつ、済ませておきたいことがあった。

俺は腰を上げ、そっとその場を離れた。


・・・・・・。

 

慎重に気配を探りながら、ゆっくりと歩を進める。

やがて、数人の兵士が具足を鳴らし、坂を駆け下ってきた。

下草に身を隠し、これはやりすごした。

姿勢を低くしたまま、上流側に移動する。

すぐに別の兵士が歩いてくるのを見つけた。

単独で、松明も持っていない。

物音を立てないように注意して、兵士が通る道筋に先回りした。

木のうしろに身を置き、しずかに抜刀した。

そのまま息を潜める。

兵士は俺のことにはまったく気づいていない。

俺の元まであと十歩。

あと五歩。

脇を通り抜けようとした刹那。

俺は兵士の喉笛に刃をぴたりと押し当てた。


「・・・・・・!」
「大声を出すな」


答えのかわりに、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。


「太刀を捨てろ」
「・・・・・・」
「太刀を捨てろ」


声音を変えずに、重ねて言う。

兵士の手から黒柄の太刀が離れ、地面にどさっと落ちた。


「俺の問いに正直に答えろ。
そうすれば生命(いのち)だけは助けてやる」


兵士がかすかにうなずいた。


「なぜ神奈備命を追う?」
「知らぬ。 そう命じられたからだ」
神奈備命をどうするつもりだった?」
「どうもせぬ。 ただ捕らえよ、と」
「だれの命で動いている?」
「知らぬ」
「隠すとためにならない」


柄に力をこめ、刃を肌に密着させる。

雨と泥で汚れた兵士の頬が、ぴくぴくと引きつった。


「まっ、まことのことだ。 われらは何も知らぬ。
ただ棟梁(とうりょう)は、逆賊を討つためだと申しておった」
「どこから来た?」
「吾妻から」
「東国か・・・」


都よりはるか東に下ると、屈強な野武士をたばねた傭兵団があると聞く。

秘密裏に事を運ぶのには慣れた連中だ。

だとすれば、雑兵(ぞうひょう)がこれ以上の事情を知らされているとは思えなかった。


「わかった」


俺は兵士の喉元から刃を離した。

そのまま刀を上段に振りかぶる。

兵士は一瞬、呆気にとられたようだった。

俺の方を不思議そうに覗きこんだあと、自分がどうなるのか悟った。


「悪く思うなよ。
動かなければ、楽にあの世に行ける」
「ひっ・・・」


腰が抜けたのか、べったりと地面に座り込む。


「たっ、助け・・・」


その首筋を狙いすまし、俺は刀を振り下ろした・・・


「やめよっ!」


鋭い声がひらめいた。

俺はすんでのところで太刀筋を変えた。

目当てを失った切っ先が、地面に突きささった。

それを見た兵士が、兎のように駆けだした。

その手が転がっていた太刀に伸びる・・・


「くっ・・・」


俺はとっさに刃を返し、兵士の側頭を薙ぎはらった。


ごっ。


鈍い音がした。

声にならない悲鳴をあげて、兵士が地面に転がった。

俺は太刀をかまえ直し、体ごと背後を振り返った。

 

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そこに立っていたのは、神奈と裏葉だった。

俺は太刀を鞘におさめた。


「なぜここにいる?」


神奈は答えず、別の問いを返してきた。


「斬ったのか?」
「峰打ちだ」


峰打ちといっても、頭を鉄棒で殴られたに等しい。

しばらくは起きあがれないはずだ。

すぐ近くの地面に、兵士の太刀が落ちていた。

俺はそれを、斜面の下に蹴り飛ばした。

腹の中が、怒りと不甲斐なさで煮えくりかえっていた。

この二人は、どうして俺の指示通りにしなかったのだ?

どうせ恐怖でその場にいられなかったのだろう。

山中を闇雲に歩くこの二人を、もしも追っ手が見つけていたら・・・

もしもそんなことになったら、すべては終わっていたはずだ。


「裏葉、なぜあの場所を動いた?」
「もうしわけございません・・・」


「余が命じたのだ。 裏葉に咎はない」


きっぱりと言い放つ。

俺は神奈の様子がおかしいのに気づいた。

昏倒している兵士を見やると、神奈は俺に訊いた。


「おぬしはこの者を殺(あや)めるつもりだったのか?」
「そうしなければ、こっちの生命が危うくなる」


神奈に俺がつき従っていることを知られた以上、生かして帰すわけにはいかない。

俺にとっては当然の話だった。

だが、俺の答えを聞いたとたん、神奈の態度が一変した。


「恥を知れ、この痴れ者がっ!」


夜目に怒気がわかるほどだった。

俺はただ困惑していた。

神奈が何を怒っているのかわからなかったからだ。


「おぬしは先ほど、この者に『生命だけは助けてやる』と申したであろ?」
「聞いてたのか・・・」
「おぬしは、平気で嘘をつくのか?
おぬしは、平気で誓いを破るのか?」
「それは時と場合による」
「余との誓いも、時と場合によっては破ると申すか?
おぬしは、平気で・・・人を、殺めるのか?」


神奈はまっすぐに俺のことを見すえていた。

小さな唇がわなわなと震えていた。

 

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「そのような者に、余は護られとうない」


俺は自分のうかつさを知った。


――『神奈備様が命、違えぬ事を誓約致し候』


それは俺にとって、命をかけた誓いのつもりだった。

しかし神奈にとっては、単なる誓い以上のものだったのかもしれない。

神奈は雨に濡れたまま、無言で俺のことを見ていた。

そしてこう言った。


「余はおぬしに命ずる。
余を主(あるじ)とするかぎり、今後一切の殺生を許さぬ」


俺は泥に片膝をつき、太刀を鞘ごと面前に置いた。


「承知つかまつりました」


深々と頭を下げる。


「わかればよい」


こうして、二度目の儀式は終わった。

元通りに立ち上がる。

太刀を腰に差しなおしながら、俺は思わずつぶやいてしまった。


「・・・ひとりも殺さずに、この先切り抜けられると思うか?」


我ながら未練がましいが、切実な問いではある。

 

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「柳也さまでしたら、たやすいことのように思えます」
「簡単に言うなよ」


「おぬしは以前、刀で位を得たと申したであろ。
ぞんぶんに腕前をふるうがよい」
「全部峰打ちでか?」


溜息まじりに答える。


「うう・・・」


兵士がかすかにうめき声をあげた。

ようやく昏倒から覚めたようだった。

俺は兵士の具足を外し、紐でかたく手足を縛った。

ついでに、口に猿ぐつわをかませた。


「運がよければ解けるだろう」


運が悪ければ解けずにこの場で死ぬかもしれないが、俺はそこまで面倒見きれない。


「これで文句ないな?」
「よい。 大儀であった」


人の気苦労も知らずに、鷹揚(おうよう)に言う。

裏葉が身をかがめ、縛られた兵士の耳元でこう伝えた。


「このような不憫を強いて、もうしわけありません。
わたくしどもはゆえあって先を急がねばなりません。
あなたさまのお立場は推察いたしますが、わたくしどものことはお仲間には内密にしていただければ幸いと存じます。
お約束いただけますか?」


兵士が当惑しているのが、手に取るようにわかった。

無理もない。

この状況で『お約束』などと言われるとは、こいつ自身も思っていなかっただろう。

神奈と裏葉に見つめられ、兵士はこくこくとうなずいた。


「うむ。 敵ながら殊勝(しゅしょう)な心がけ、褒めてつかわすぞ」
「それでは、ご無事をお祈りいたしております」


木立の間に、ちょうど人ひとりが隠れられるほどの窪地があった。

俺はそこに縛ったままの兵士を横たえ、枯れ枝をこんもりとかぶせた。

仲間が探しに来ても、遠目では見つけられないはずだ。


「おぬしも早うせんか。 まったく益体ない男よの」
「あら柳也さま、神奈さまの表着はどちらに?」


「・・・捕虜の方が扱いがましだった気がするのは、俺の気のせいか?」
「なにか申したか?」
「いや、何でもない」


・・・・・・。


・・・。

 

 

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雨が止み、長い夜が明けた。

鳥の声が森にもどってきた。

高い枝の間から、朝の光が射しこんでくる。

たっぷりと水をふくんだ木々の幹が、清々しい香りを立てている。

高台に登り、辺りをうかがった。

青々とした山並みが、四方に広がっている。

追っ手の気配はどこにもなかった。

俺は斜面を下り、二人の元にもどった。

 

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「安心していいぞ。 追っ手の姿はない」
「本当でございますか?」
「ああ」
「首尾よく運んだようですね」


「やれやれだの」


安心して気がゆるんだのか、二人ともその場にへたりこんでしまう。

無理もない。

二人とも、一晩で動ける限度をとうに超えてしまっている。

特に神奈は、夜明けからしゃべりもしなかった。


「よし、ここらで休むか」


俺は見通しのよい木陰をえらび、木の幹に座りこんだ。

これ幸いとばかりに、神奈もそれにならう。


「ああ、お召しものが・・・」
「今さらなにを申すか」


着物は雨を吸い、袴には泥がこびりついてところどころ裂けていた。

裏葉にとっては目を覆いたくなるような、ひどいありさまなのだろう。

どこか遠くの幹で、熊蝉(くまぜみ)が鳴きはじめた。

暑くなりそうだった。


「・・・おぬしらはなにか忘れておらんか?」
「なにかと申されますと?}


「おお、そうだったな。
一晩歩いたご褒美だ。
詠(うた)うなり舞うなり好きにしていいぞ」
「ちがうわ、ちがうわっ。
なにか食わせろと申しておるのだ」
「身も蓋もない奴だな」


これだけ疲れきっていて、まだ食べる気力があるというのもすごい。

俺は苦笑いしながら、裏葉に言った。


「水と干飯(ほしいい)を出してくれ」
「はい、ただいま」


旅装を解いた裏葉が、荷物から干飯を取り出した。

いつものようにまず味をたしかめ、竹筒と一緒に神奈に渡す。


「神奈さま、どうぞおめしあがりください」
「うむ・・・」


竹筒をかたむけ、干飯に水をふくませる。

しばらくそのまま置いてから、口に入れる。


ぱくっ。

くにゅっくにゅっくにゅっくにゅっくにゅっ・・・


ごくん。


「・・・・・・不味いぞ」
「いらないなら俺が食うぞ」
「だれがいらぬと申した。 意地きたない奴よの」


俺の手をぴしっとたたく。

干飯をさらに水に浸し、不服そうのかじる。

俺と裏葉も食事をはじめた。

干飯が腹に落ちてから、自分が空腹だったことがわかる。

煮炊きができればましなものが作れるのだが、ここで火を使うのはまだ危険だ。


「いつぞやに食った鮑(あわび)は美味だったの」
「鯣(するめ)も鯛も、大変おいしゅうございました」


「・・・全部供え物だっただろ?」
「祭壇で腐らせるくらいなら、余の腹に納めるのが供養というものであろ」


「うふふふ」
「なにがおかしい?」
「こうして三人して干飯などいただいておりますと、まるで・・・」


「僻地に左遷され、くやし涙で飯を湿らせてるどこぞの公家さまみたいだな」
「たいそう風雅な喩えでございますね」
「・・・だから冗談を真顔で返すのはやめろ」


無駄口をたたきながら、飯をつまんでは口に入れる。


「神奈、食べたらすこしは寝とけよ」


話しかけたが、返答がなかった。


「神奈?」
「・・・くー」


干飯を食べかけたまま、すでに寝こけていた。


「育ちはいいんじゃなかったのか?」
「お疲れのご様子でしたから、無理もありませんわ。
神奈さま、こちらを枕に」


裏葉が神奈の体を支えるように導く。

神奈は素直に身をあずけ、頭を裏葉の膝に乗せた。


「・・・神奈さまのこんな安らかな寝顔、はじめて拝見いたしましたわ」
「よく寝たかったら体を動かすのがいちばんさ」
「たしかに、そうでございますね」
「裏葉も休んでおけよ。 あまり寝てないだろ」
「でも、柳也さまもお疲れでいらっしゃるのでは・・・」
「いいって、慣れてるから」
「戦(いくさ)に、ですか?」


それは裏葉の口から出ると、随分意外な言葉に思えた。


「ああ、そういうことになるな」


軽く頷く。

裏葉は遠慮がちに俺のことを見つめていた。


「柳也さま、ひとつお訊ねしとうございます」
「なんだ?」
「これからどちらに向かうおつもりですか?」
「とりあえず、南に向かおうと思う」
「なぜでございますか?」
「以前、社殿で噂を聞いたことがある。
ここより南の社に翼人の母子がいたらしい、そういう話だった」
「・・・・・・」


裏葉はただ無言で、俺に先をうながした。


「神奈は幼いころに母君と引き離されたのだと思う。
かりに、この話の子供が神奈だとすると・・・」
「神奈さまも母君も、かつてはその南の社に・・・」
「断言はできないが、今のところ手がかりはそれだけだ」


それはただの噂にすぎない。

『南の社』が今でもあるのかわからない。

たとえ本当に翼人がいたとして、それが神奈の母君であるかもわからない。

わずかな手がかりでも、今は当たってみるしかない。

ただ・・・。

気になることがあった。

俺に噂をうちあけた衛士の、不安にゆがんだ顔。


――『かつてここより南の社に、翼人の母子が囚われていたと聞いております』


そのあとに続いた言葉。


――『母親は人心と交わり、悪鬼と成り果てた、と・・・』


「柳也さま、なにかご心配ごとでも?」
「いや、何でもない」


あいまいに答えた。


「・・・裏葉も寝とけ。 俺のことはかまわないから」
「柳也さまこそ、お休みになってください。
わたくしは沢筋で休む機会がありましたから」
「そうだったな」


俺は太刀をかたわらに置き、木の根を枕に仰向けになった。


「見張りはまかせる。 一刻たったら、起こしてくれ」
「はい、承知いたしました」


たのもしげな声を聞いてから、俺は目を閉じた。

 

・・・・・・。


・・・。

 


 

それから数日の間、山中を進んだ。

追っ手の気配はまったくなかった。

神奈は沢に落ちて溺れ死んだと思ってくれていればいいが、さすがにそこまで楽観はできない。

亡骸(なきがら)が見つからない以上、執拗に探し続けるはずだ。

あの兵士が本隊に帰りつき、俺たちのことを報告するとも考えられる。

検問のことを考えると、街道を行くわけにはいかなかった。

たとえ追っ手はなくても、敵は別にあった。



――盛夏だ。

 

辺り一面に蝉の合唱が響きわたっている。

あたりまえだが、暑い。

風はそよとも吹かず、真上にある太陽は地表をこがす。

木々の色にみずみずしさを与える陽光も、今は憎らしいかぎりだ。


「暑いな・・・」
「柳也さま、しばしお待ちいただけますか」


うしろから裏葉が呼びかけてきた。

振り向くと、すこし間が開いている。


「あ、すまない」

 

・・・。



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二人のそばに近寄ると、神奈の顔色が悪かった。

頬といい額といい、汗が滝のように出ている。


「裏葉、水はあるか?」


裏葉は背から荷を降ろし、竹筒を振って中身をたしかめた。


「こちらにすこしございますが、あと一本は空のようです」
「悪いが、汲んで来てくれないか? ここを下ればすぐに沢があるはずだ」
「かしこまりました」


俺に水の入った方の竹筒を渡すと、裏葉は沢筋に下りていった。


「神奈、大丈夫か?」
「話しかけるでない。 頭にひびく・・・」
「熱気にやられたな。 ほら」


竹筒をひっくり返し、神奈の頭に水をかけてやった。


「なにをするかっ」
「体の熱を取るためだ」
「一言ことわってからにしろ・・・」


文句をつける間もなく、神奈はへなへなとその場にへたりこんだ。


「このまま溶けそうな心地がするぞ」

・・・。


「ただいま戻りました」


竹筒をからからと鳴らして、裏葉が戻ってきた。


「神奈さま、お飲み下さいませ」


竹筒に自ら口をつけ、それから神奈に差し出す。

沢から組んできたばかりの、冷たい水だ。


「んくっんくっんくっ・・・はふ・・・」


一息で飲み干した。

裏葉はただ、神奈のことを心配げに見つめている。

その顔が、夏山の風景とどこか合っていない気がする。


「・・・裏葉は暑くないのか?」
「先ほどから暑くてたまりません」
「しかし、汗をかいてないように見えるぞ」


事実、裏葉の額には汗の玉ひとつ見受けられなかった。


「主の見ぬ間に汗を流し、涼しげな顔をたもつのが女官のつとめでございます」
「そんな器用な真似ができるのは、おまえだけだと思うぞ」
「なにごとも修練でございます」


こともなげに笑う。

どうも裏葉が人ではないと思えてくるのは気のせいだろうか。


「ですが、神奈さまの暑気あたりはいかがいたしましょうか?」
「いかがと言われてもなあ・・・」
「このままでは、神奈さまのご体調がととのうまで動けません。
それに、まだ炎暑はなかばでございます。
たびたびこのような事になっては・・・」


言葉を濁したが、裏葉の言いたいことはわかった。

もう一度神奈の様子を見た。


・・・。

 

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やはり暑苦しい。

薄物とはいえ、単衣(ひとえぎぬ)を数枚は重ねているはずだ。

それに、この辺りの道は、ふもとの村人が山仕事に使うものだ。

この装束でうろついていたら、あからさまに怪しい。


「仕方ないな・・・。 裏葉、半刻ほどここで待ってろ」
「どうなさるのですか?」
「ちょっと探し物だ」


立ち上がりかけて、ふとつけ加える。


「裏葉、返品は受け付けないからな」
「はあ・・・」


裏葉の答えを聞かず、俺は山を駆け下りた。


・・・。



きっかり半刻後。

俺は目的の物をたずさえて、二人の元へと戻った。


「どこをほっつき歩いておった」


神奈の悪態で迎えられた。

さっきよりは調子がいいようだが、まだ顔が上気している。


「ふもとに村があったんで、ちょっとな」
「ことわりなく余から離れるでない」
「大事な用だったんだ。 大目に見てくれ・・・」


言いながら、俺は持っていた布の束をばさっと開いてみせた。


「・・・なんだ、これは?」
「知らないのか?
これは着物といってな、袖を通して帯を締めて使うものだ。
当世では獣(けもの)以外はたいていこれを身に着けているぞ。
身に着けないのが礼儀の場合もあるが、どんな時かは内緒だ」
「馬鹿にするでないっ」


「まあ、新しい御衣(おんぞ)でございますか?」


気の乗らない風の神奈をよそに、裏葉は目を輝かせている。

着物の生地を指でつまむと、はたと首をかしげた。

 

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「生絹(すずし)にしては風合いがやけにごわごわと・・・」
「麻(あさ)かなにかだろ」
「染めが朽葉色(くちばいろ)というのは、時節がらいささか不調法では?」
「この期におよんでまだ色にこだわるか」
「重ねを工夫して涼しげに見せればよろしいのですね」
「・・・重ねないでくれ、頼むから」


裏葉はまだまだ不満げだったが、顔には『早く着付けをしたい』と書いてあった。

思った通り、新しい衣の誘惑は強烈らしい。


「裏葉の分もあるからな」
「あらあらまあまあ・・・」
「二人で着替えてきてくれ。 俺はここで見張っているから」
「承知いたしました。 ささ、神奈さまこちらへ」


木々の奥に神奈を連れていこうとする。


「余はこのままでよいっ」
「せっかく柳也さまがお持ちくださったのに、ご厚意を無為になさるのですか?」
「余が命じたわけではないぞ」
「裏葉とて、神奈さまの喜ぶお顔を拝見したいのでございます」
「余を着せ替えて喜ぶのはおまえだろうが!」
「そのような聞きわけのないことを申されますと・・・」
「・・・むっ」


殺気を感じた神奈が逃げようとしたが、遅い。


「えいっ」


両袖で神奈の顔をおおい、そのままはがいじめにする。

裏葉の得意技だ。


「むむーむむっ、むむ~むむむーむ・・・」


じたばたじたばた。


必死で暴れているが、こうなったら逃れられるはずはない。


「それでは柳也さま、しばしお待ちを」
「ああ、しっぽりと楽しんでこいよ」
「お心づかいありがとうございます。 では」


こうして神奈は、林の奥にずるずると引きずられていった。


「・・・ほとんど山賊だな」


身ぐるみ剥がしたあとに別の衣を着付けるのだから、随分親切な賊ではあるが。

手持ち無沙汰なまま、梢の間から空を見上げる。


・・・平和だ。


「まだか?」
「まだでございます」


まあそうだろうな。


・・・・・・。


「・・・まだか?」
「今しばらくお待ちを」


そんなに悩むことでもないだろうに。


・・・・・・・・・。


「・・・・・・まだか?」
「あともう一息でございます」


お産じゃないんだから、そう気張らなくてもよさそうなものだが。


・・・・・・・・。


「おい裏葉、いいかげんに・・・」

怒鳴りかけた時、裏葉の声が困惑ぎみに答えた。


「ご用意はできているのですが、神奈さまが・・・」
「このような格好などせぬ、できぬ、見せられぬっ」


神奈は必死で駄々をこねているようだった。

押し問答のすえ、裏葉の声が低くひびいた。


「そのような聞き分けのないことを申されますと・・・えいっ」
「むーむーむっ。 むむむむ~む、むーむ・・・」


・・・結局またそれかい。


「お待たせいたしました」

 

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涼しい顔の裏葉が、神奈をともなって現れた。

神奈は頬といわず耳といわず、顔中を真っ赤にしていた。


「なぜこのような格好をせねばならんのだ」


粗末な袖をだらりと持ちあげ、情けない声を出す。


「よくお似合いでございますわ」


「似合ってるぞ、神奈」
「そ、そうか・・・?」


褒められれば、まんざらでもないらしい。


「ああ。 どこからどう見ても立派な田舎娘だ。
これで骨張っていてもごまかせるな」


ぽかっ。


とたんに鉄拳をくらった。


「人が気にしておることをっ」
「神奈さまったら、おかしいんですよ」
「馬鹿っ、それは申すでないっ」
「『似合いもしない衣姿は柳也どのに見せられぬ』などとおっしゃって。
神奈さまは可愛らしいゆえ、どのような衣でも必ずお似合いになりますのに」


あまりに自信たっぷりに言いきるので、神奈の方が戸惑っている。


「こっちの方が目立たないし、動きやすいだろ。
それに、すこしは涼しいはずだ」
「・・・・・・」
「にらむなよ。 そんなにいやか?」
「・・・ぅ」


洗いざらしの袖を見下ろし、情けない声をあげる。


「そういう簡素な着物の方が、おまえにはふさわしいと思うけどな」
「どういう意味か」
「かたくるしいのより、元気な方が可愛いってことさ」
「・・・妙な好みだの。
仕方ないの、我慢して着てやるぞ」


神奈がしぶしぶうなずき、衣替えはどうやら落着したようだった。


「ところで柳也さま、こちらの衣はどちらで?」
「・・・明かさないとだめか?」


裏葉はおだやかな笑顔のままで、じっと答えを待っている。

真相を知っていて、あえて黙っているという顔つきだ。


「川辺で籠(かご)に入れてあったものを、こっそりとな」
「盗ったのかっ」
「代わりに銭を置いてきたぞ」


この時勢に銭などもらって、うれしいかは別だが。


「失礼ながら、神奈さまの衣はすこしばかり丈が短うございます」
「あつらえたわけじゃないからな、我慢してくれ」
「わたくしの衣は、逆にすこし長うございます。
これは母子が身につけていた衣ではないでしょうか」


「・・・余は童女(わらわめ)の装束をまとっておると申すのだな?」
「わたくしは母御(ははご)のものでございますね」


うれしそうに目を細める。

神奈は怒ったような、てれくさいような、なんとも複雑な顔をしていた。


「・・・そうそう、神奈さまご覧くださいな。
このようなものが、衣の間にはさまっておりました」


裏葉が取り出したのは、丸く縫った布の玉だった。


「きっと、洗い物をする時にまぎれたのでございましょう」


全部で三つあるそれを、神奈に手渡す。


「なんだ、これは?」


三つの布玉をぐにゅぐにゅと揉みながら、不思議そうに首をかしげる


「俺に訊かれても、わからないぞ」


裏葉はただ微笑んでいる。

種明かしをしたくてうずうずしている感じだ。


お手玉でございましょうね」
「おてだま、とな?」
「やんごとなきご身分のお子が、いしなどりをするのに用います」
「いしなどりとはなんだ?」


「女童(めわらわ)のする遊びだ」


そのぐらいなら俺も知っている。

地面に石を置き、いくつ宙に投げ上げられるかを競うものだ。


「なるほど、布でつくれば怪我もしないってわけだな」


神奈がもてあそぶお手玉を、俺も横から眺めた。

端切れらしい粗末な布には、何度も縫いなおした跡があった。


『貴族の遊び道具』という裏葉の説明とちぐはぐで、可笑しかった。


「どのような身分の者にも、子は宝でございましょうから」


俺の顔に気づき、にっこりと笑う。


「これにはなにが入っておるのだ?」
「貝殻か小豆(あずき)のたぐいでございましょう」
「ほお、小豆か・・・」


お手玉のひとつを顔の前に持ちあげ、しげしげと見つめる。


「どこからも取り出せぬぞ」
「取り出してどうする?」
「取り出さなければ、食えぬではないか」
「・・・・・・」
「なぜだまる?」
「いや、なんでもない」



「神奈さま、お貸しくださいますか?」


神奈からお手玉を受け取り、右手の中で具合をととのえる。


「このように持ちまして・・・」


一つずつ左手に投げる。


ひょい・・・。


 ひょい・・・。


左手で受け取ったそれは、次が届く前に空中に投げ上げられる。

三つのお手玉がきれいな輪をえがいて舞う。

神奈は口をあんぐりと開けて、その様子に見入っていた。

ひとしきり見せたあと、裏葉はお手玉を両手で受け止めた。


「・・・お見事」
「恐れ入ります」


神奈はと見ると、なにやら固まっている。


「・・・余にもできるか?」


どうやらそれが訊きたかったらしい。


「そりゃ、やってみなきゃわからないだろ」


「すこしばかり習えば、必ずお上手になりますとも」


例によって、裏葉が根拠なく請け負う。


「まことにすこしばかりでよいのか?」
「はい」
「まことにまことに、すこしばかりでよいのだな?」
「まことにまことでございます」
「まことにまことにまことにまことに・・・」
「くどいですわ、神奈さま」
「・・・・・・」


今までにないぐらい、真剣に考えこんでいる。


「・・・では、今すぐ余に教えるがよい」
「今からでございますか?」


こまったように俺の方をうかがう。

神奈の暑気あたりと着物の調達で、すでに日も傾きかけている。

今から出立しても、大した距離は進めないだろう。


「いいさ、今日はここで泊まりにしよう。
みんな疲れがたまってるしな。 休める時は休んでおこう」

 

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「では神奈さま、これを」
「うむ」


神妙な顔で、お手玉を受け取る。


「お座りになった方が楽でございます」
「おお、そうか」


お手玉の習いがはじまった。


「まずは初歩の初歩でございます」
「ふむふむ・・・」
お手玉ふたつをこのように両手に持ちまして・・・」


真面目くさった裏葉の口上を聞きながら、俺はすこし離れた木の根に腰かけた。

荷袋をほどき、包みを取り出した。

油紙の中身は、幾巻かの書物だ。

翼人に関した資料のたぐいを集めろと命じられた時、密かに抜いておいたものだ。

社殿にあった書物は、これ以外はすべて焼かれてしまっただろう。

最初に手に取ったのは、古ぼけた巻物だった。

中は難解で、おいそれと読めるものではなかった。

次に手に取った冊子には、表紙にこう書かれていた。


『翼伐記』


表現のしにくい感情が広がった。

とりあえず、平易な部分を拾い読みした。

どうやら、過去にも神奈のように幽閉された翼人がいたと書かれているらしい。

数ページ飛ばすと、別の記述が目に飛びこんできた。


『羽の者、禍(わざわい)を招く』

『禍津日(まがつひ)の神、天雲の向伏す極みまで果つ』


翼人が災難を引き起こす神で、地上を消し去るという意味だ。

俺の知らないはるか昔にそのような事実のあったことが、こまかな字で書かれていた。

だが、それが真実であるかはわからない。


「ふむ・・・」


まあ、おいおい読み解いていくしかない。

冊子を閉じ、大きく伸びをした。

慣れないことをしたので、目元がじんとしてくる。

俺は立ちあがって、神奈たちに近づいた。


「どうだ、上達したか?」


お手玉をにぎったまま、神奈がびくっと振り向いた。

そのぐらい熱中していたということだろう。

対する裏葉は、なぜか疲れた顔だった。


「こっ、このぐらいたやすいこと」
「大きく出たな。
なら、ひとつ腕前を見せてくれよ」
[・・・・・・」
「どうした?」
「・・・余の腕前を見たいと申すのだな?」
「そうだって言ってるだろ」
「・・・・・・よかろう。
おぬしは余の忠僕ゆえ、特に見せてつかわそう。
おぬしはまことに幸せ者よの。
余の手さばきを見て腰を抜かすでないぞ。
三つの玉が疾風(はやて)のごとく、ぶんぶんと宙を舞うぞ。
そもそもお手玉というものは・・・」
「能書きはいいから早くやれ」


お手玉を右手に揃え、ものすごい形相で黙りこむ。


「・・・・・・」


精神を統一しているらしい。

なにやら嫌な脂汗をかいているようにも見えるが、名人ゆえの気取りというやつだろう。


「えいっ」

 

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裂帛(れっぱく)の気合いと共に、ひとつ目が宙を舞う。


ぶんっ。


お手玉は俺の頭を越えて、足下にぽとりと落ちた。


拾いあげて、神奈に手渡す。


「ちと手元が狂っただけだ。 次はきちんとするからよく見ておれ」
「はいはい」
「それっ・・・」


ぶんぶんっ。


「・・・すごいな。今度は二つともか」


もう一度、拾い集めて渡した。

神奈は黙って受け取る。


「力まかせではいけません。 ちょうど目の高さほどまで・・・」
「わかっておるっ。 やあっ・・・」


ぶんぶんぶんっ。


三つのお手玉は、はるか向こうの木の幹に次々と当たって落ちた。


「・・・・・・」


もはや感想を言う気力もない。

神奈は自分で立ちあがり、無言のままお手玉を取ってきた。


「習うて間もないのだ。 このぐらいできれば重畳(ちょうじょう)よの」
「自分で言うなっ」


すでに『初心者だから』などという言い訳ですまされる域ではなかった。


「なんというか・・・」

 

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「・・・あきれるほどにお下手でございます」


教えている間に疲れ果てたのだろう。

血も涙もない声音で裏葉が言った。


「やかましいっ。
すこし習えばすぐにできると申したのは裏葉ではないかっ」


懲りずにお手玉を両手でつかむ。


「ひとつから練習した方がいいんじゃないのか?」
「何度もそう申しましたのに、聞き入れていただけません」


「やかましいやかましいやかましいっ!
だいたい、この玉が悪いのだ。
余の手には大きすぎるぞ」
「これは童(わらわ)が使うものですので、そのようなことはございません」
「では小さすぎるのだ」
「大きさはちょうどいい按配(あんばい)です」
「では・・・」
「重すぎも軽すぎも硬すぎも柔らかすぎも甘すぎも辛すぎもいたしません」
「ではなぜ上手くいかぬのだ」


『下手だから』としか言いようがないが、ここは黙っておくのが吉だろう。


「あ~もうよいっ。 おぬしらは下がれ、気が散るっ」


言いながら、またもお手玉をかまえる。


「裏葉、行くぞ」
「はい、でも・・・」


未練ありげな裏葉の袖を引き、神奈から離れた。


「ああ神奈さまおいたわしや。
この裏葉が不甲斐ないばっかりに~」


主に暇(いとま)を言い渡され、裏葉はおろおろとするばかりだ。


「不甲斐ないんじゃなくて、お前が上手すぎるんだよ」
「はあ・・・」
「名人ってのは、案外教え下手なものだからな」


本当のことを言えば、神奈が名人級の教わり下手なのだが。


「とにかく、飽きるまでひとりでやらせるのがいいだろ」


俺はそう言い聞かせ、裏葉もやっと納得したようだった。


「俺はちょっと出かけてくるよ」
「どちらに?」
「村の近くの川に梁(やな)が仕掛けてあったんだ。 運がよければ何か捕れるかもしれない」
「その梁はどなたのものでしょう?」
「魚はだれのものでもないさ」
「・・・たしかに、そうでございますね。
それでは、わたくしは神奈さまの表着をつくろうことにいたします」
「もうぼろぼろだろ。 ここで捨ててってもいいんだが」
「・・・なっなっ、なんという不敬をっ!」
「ああすまん。 好きにしていいから」


・・・・・・。


・・・。


 

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獲物を持って戻った時には、もう日が暮れかけていた。

林間は別の世界のようだった。

年月をへた木々の肌で、刻々と光が褪せていく。

山鳥も蝉も、今は鳴りをひそめている。

やけに静かだった。

己の身が何時(いつ)にあるのか、わからないような心地がした。


やがて。


行く手から少女の声がした。


「うがあっ。 なぜできぬのだっ・・・」


「・・・・・・」

 

幽玄もなにもあったもんじゃないな。


「戻ったぞ」
「お帰りなさいませ」


裏葉は困り果てた様子で、神奈を眺めていた。


「ずっとやってたのか?」

 

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「ええ・・・。 お止めしても、お聞きくださらないのです。
社殿では童遊びなど、される機会がありませんでしたので」


その瞳には、母御(ははご)のようなやさしさが滲んでいるように見えた。

俺は持っていた獲物を裏葉に渡した。

わらひもを鰓(えら)に通した川魚、全部で八尾だ。


「山女(やまめ)でございますね。 まあまあ、どれも丸丸と肥えて・・・」
「塩をたっぷり振って、焼いてやってくれ」
「よろしいのでございますか?」


塩は体に必要なものだが、旅先では手に入れにくい。

また、追っ手のことを考えて、これまで焚き火を許したことはなかった。


「塩気のない川魚ほど味気ないものはないからな。
焚き火は炎を小さく、松のたぐいを炊きつけないようにしてくれ」
「承知いたしました」


裏葉は嬉々として火をおこしにかかった。

社を出てからずっと、食事に羹(あつもの)が出せないのを気にしていたのだ。


「・・・神奈、夕餉(ゆうげ)はどうするんだ?」
「勝手に食うておれっ! 余は忙しい!」


あいかわらずの調子でどなる。

神奈がここまで根気強いとは思っていなかった。

というより、負けずぎらいなだけか。


「・・・気のすむまでさせるか」
「ですが、めしあがっていただけなければ、お身体にさわります」
「匂いが立てばすぐに飛んでくるさ」
「・・・うふふ。 そうでございますね」
「神奈は食い意地がはってるからな」


「やかましいっ! 聞こえておるぞ!」
「怒ると手元が定まらないぞ」
「おぬしが妙なことを申すからであろっ!」


火打石が打ちあわされ、薪に火が移った。

裏葉は小刀をたくみに使って魚を下ごしらえし、枯れ枝から串を切り出した。

串を山女に通し、炎の周りに射す。

魚の脂(あぶら)が焚き火にじゅうじゅうと落ち、香ばしい匂いがただよう。

案の定、神奈がのこのことやって来た。

 

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お手玉はもうおわりか?」
「暗くて手元がよう見えぬ。 続きは明日にする」


すでに気持ちは魚の方に行っているようだ。


「ふむ。 今宵の献立は鯛か。
またずいぶんと痩せこけたやつよの」
「こんな長細い鯛があるか。 山女だ山女」
「どちらでもよい。 はように支度せい」
「こちらなど、ほどよく焼きあがってございます」


いちばん大きな魚を抜き、そっと身をちぎろうとする。

そこで俺は裏葉を止めた。


「なあ、裏葉」
「はい?」
「社殿じゃないんだから、もう毒見はしなくていいだろ」
「しかしながら、これがわたくしの務めです」
「まあ、気持ちはわかるけどな。
これからはできるだけ、何事も神奈自身にさせるようにしたい」


俺が言うと、神奈も身を乗り出してきた。


「余もそう思っておったところよ。
このようにちっぽけな魚では、余の食べるところがなくなってしまうであろ」
「・・・・・・」


裏葉はしばらく黙っていたが、手つかずの魚を神奈に差し出した。


「それでは神奈さま、こちらを」
「うむ。大儀であった」


ひったくるようにして受け取り、いきなり頭から頬張ろうとする。


「骨ごと食うなよ」
「わかっておるわ」


はぐっ。


腹の方から豪快に食いついた。

熱かったのか、少し眉をひそめる。


はぐはぐはぐっ、ごくん。


「川魚も美味いもんだろ?」


感想を言う暇も惜しいのだろう。

神奈は無言で山女にむしゃぶりついている。


「俺たちも食おう」
「はい」


三人で車座になり、焼いたばかりの山女に舌を鳴らす。

真ん中では温かな炎がゆらゆらと踊っている。


「柳也さま」
「なんだ?」
「このように山辺(やまのべ)で炎を囲んでおりますと、まるで・・・」
「姫君をさらって野に逃げたはいいが、あまりの世間知らずぶりに、やるんじゃなかったと後悔しているどこぞの色男みたいだな」
「たいそう野趣あふるるたとえでございますね」
「・・・たとえというか、ほとんどそのままだけどな」


「裏葉、おかわりを持て」
「はい、ただいま」


「食いたい串を勝手に取っていいぞ」
「まことか? では・・・」


ひょいひょいひょいひょいひょいっ。


「・・・一度に全部取るのはやめろ」
「まったくおぬしは意地汚いの」
「それはこっちの台詞だっ!」


・・・・・・。


・・・。