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AIR【24】

 

 

 

社殿を脱出して、十日がたった。

 

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あいかわらず、街道をさけて山中を進んでいた。

暑さは増すばかりだ。

まとまった雨もなく、飲み水を確保するのも一苦労だった。

日中に休息をとり、涼しくなってから月の入りまで行動するようにした。

それでも、旅は順調だった。

神奈と裏葉が野宿に慣れてきたこともある。

神奈にいたっては、寝ることと食べることは社殿にいた時より快調だ。

追われているという意識はすでに乏しい。


・・・・・・。

 


午後の休息中。

俺は社殿から持ち出した地図を広げていた。

書き込んであるのは主要な街道と河川、それに寺社荘園ぐらいだ。

土地勘のない場所では、地形を読むのもむずかしい。


「ふむ・・・」

 

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「なにをむずかしい顔をしておるのだ?」
「このまま進むと、川につきあたる」
「渡ればよいではないか」


こともなげに言うが、この辺りの渓谷は案外深そうだ。


「川上に迂回するか。 それとも街道にでるかだな」


思案していると、横から裏葉が口をはさんだ。

 

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「街道を進むのがよろしいかと」
「川を越えれば国衙(こくが)が近い。 街道は人目が多いはずだ」
「なればこそでございます」


意味ありげに裏葉が答えた。


「人々が集まるところなれば、うわさもはなやかでしょう」
「・・・それもそうだな」


旅の目的は、逃げることから探すことに変わっていた。

問題は、神奈の母君の居所だった。

頼りはただ、『ここより南の社』という言葉だけなのだ。

女子共の徒歩(かち)とはいえ、もう十日も南に進んでいる。

この辺りで情報を集める必要があった。


「決まりだ。 街道に降りるぞ」
「・・・だからおまえが言うなっての」


「そうと決まれば、出立いたしましょう」


俺が荷を背負いなおした時には、すっかり準備はととのっていた。


・・・・・・。


・・・。

 

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街道ぞいは、今までになくにぎわっていた。
さまざまな装束の人々が、老若男女を問わずひっきりなしに行き来している。


・・・。

 

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「やけにうるさいの」
「市が立っておりますね」
「市とはなんだ?」
「品々を取り引きする場でございます」
「ほお・・・」


神奈は瞳をいっぱいに見開き、きょろきょろと辺りを見渡している。


「随分と大きな市のようですね」
「そうだな」


都より下ってくる産物が、主に商われているらしい。

ただの道ぞいにこれほどの市が立つというのは、意外な感じだった。


「見よ見よっ。 土器(かわらけ)が山をなしておるぞ」
「待て」


我を忘れて駆け寄ろうとした神奈の襟首を、すんでのところで捕まえた。


「いいか、大声をあげたりさわいだりするなよ」


釘を刺すと、大真面目にうなずいた。


「わかっておる。 余もそこまでおろかではないぞ・・・」


言ったとたんに、別の物に気を取られる。


「裏葉、あれは何だ?」
「烏梅(うばい)と申しまして、疝気(せんき)のお薬でございます。
以前、神奈さまがおいやがりになったものですわ」
「あの途方もなく酸っぱいやつだな。
それは何だ?」
「鮒鮨(ふなずし)でございますね。
以前神奈さまがつまみ食いされて、ひどくお中(あ)たりになったものです」
「あの時は死ぬかと思うたぞ。
では、これは?」
「白酒(しろざさ)でございましょうか。
以前神奈さまが度を超してめしあがり、たいそうお暴れになったあげくに・・・」
「・・・いちいちつまらぬことを申さんでよいっ」


俺はうんざりしながら、うしろを歩いていた。

かましいことこの上ない。


「神奈。 俺がさっき、なんて言ったか覚えてるか?」
「『大声をあげるな、さわぐな』であろ?」
「わかってるならすこしは黙れ」


「よろしいではございませんか」


涼しい顔で裏葉が言う。


「これほどの活気があれば、少々の騒ぎなどかき消されます」


・・・。


「裏葉、裏葉っ。 なんだこれは? まことに珍奇な形をしておるぞっ」
「瓢箪(ひさご)ですわ。 酒などを入れておくのに用います」


売り手の市女(いちめ)が、うさんくさそうな目で神奈を見ている。


「とにかく来い」


俺は強引に神奈をひっぱって、店の前から移動させた。


・・・・・・。

 

「そう急(せ)くでない。 痛いであろ」
「首に縄でもつけてやろうか・・・」
「おぬし、口やかましいぞ。 すこしは楽しまぬか」
「あのなあ、俺たちはお尋ね者なんだっての」
「この人混みで、だれが余を見わけるというのか?
身は骨張っておるし、どこから見ても村娘のようであろ」
「どうでもいいことを根に持つなよ。
わかった、俺が悪かったよ。
おまえは可愛い。
壮絶に凄絶に愛らしい。
目立って目立ってしょうがないぐらい愛らしいから、大人しくしててくれ」
「・・・いつものことだが、おぬしの言葉には誠意というものがないの」
「とにかくだ、ここで目立つ行動はこまる。
この人出なら、たしかに俺たちも目立たない。
でもな、それは忍び寄ってくる敵の姿も見分けにくいってことだ。
もしも不意打ちを食らったら、ひとたまりもない。
裏葉や俺が追っ手に討たれる姿、見たくないだろ?」


「おいそこの者、この白い棒杭(ぼうぐい)はなんと申すのだ?」


(・・・聞いちゃいねーし)


「清白(すずしろ)だよ」
「でたらめを申すでないぞ、無礼者。
すずしろといえば、かゆに入れる草のこと。
この図体では椀におさまらんぞ」
「・・・あんた、どこの御殿のお姫さまだね?」
「ここより十日も歩いた山の・・・ふむぐっ」


「いやこの娘、すこしばかり頭(おつむ)が足らず難儀しておるのだ」
「それはお気の毒なことで」


「むむふむ~。 ふむむむむふむ~ふむむむ・・・」


頭の足りない娘を笑顔ではがいじめにしたまま、そそくさとその場を離れる。


・・・・・・。

 

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「・・・ぷはっ。
だれの頭が足りんと申すかっ!」
「おまえ以外にだれがいるんだ。
裏葉も気をつかってくれ・・・」


言いかけて気づくと、通りすがりの見知らぬ親爺に話しかけていた。


「・・・いやしねーし」


きょろきょろと周りを見わたすが、裏葉らしい人影は見あたらない。

名が知れわたっている恐れもあるから、呼びかけてみるわけにもいかない。


「裏葉ーっ、どこにおるかーっ! 裏葉ーっ!」
「だああっ、やめろおっ!」
「むがーっ」


じたばたじたばたじたばた。


「あばれるなっ」
「うーっ」


がぶっ。


「いてててっ、噛むな噛むなっ!」


まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)である。


「・・・おぬしが狼藉(ろうぜき)ばかり働くからであろっ」
「いいからお前は二度と口を開くなっ!」


・・・・・・。

 

・・・。

 

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「暮れてきたな・・・」


溜息まじりに、俺はつぶやいた。

情報を集めるつもりが、神奈のお守りで半日おわってしまった。

裏葉はまだ現れない。

どうせそこいらで、新しい衣でも物色しているのだろう。

心配はしてないが、そろそろ合流しなければ夜になってしまう。

あれだけにぎやかだった市も、今は閑散としている。

市女たちが店をたたみ、ぽつりぽつりと去っていく。

夕陽が山際にせまり、喧騒(けんそう)も褪せていく。

昼間の熱気を惜しむように、蜩(ひぐらし)が澄んだ声をひびかせている・・・

・・・はずなのだが、聞こえるのは不機嫌そうな雄鶏(おんどり)のつぶやきばかりだ。


こっこっこっ・・・

 

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「おぬしのような不細工な鳥など、聞いたこともないぞ」


こっこっこっこっ


「そのように気ぜわしいさえずりでは、売れ残るのも道理というもの」


こっこっこっこっこっ


「時鳥(ほととぎす)も仏法僧(ぶっぽうそう)も、もっとおかしげに鳴くぞ」


こっこっこっこっくけ~っ


ばたばたばた、かぷっ。


「痛いぞ、指を噛むでない」


くけ~っ


「こら、つつくなと申すに」


くけ~こけ~っ


「むかっ。
鳥獣のぶんざいで余をせせら笑うとは無礼千万。
そのふざけた尾羽(おばね)、根こそぎひん抜いてくれようぞ」

 

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こけこっこ~~~~~~~~~~っ


羽のある者同士、楽しげに語らっている。


「頼むからやめてくれ。 そいつはうちでいちばん上物の尾長なんだ」


店の主もたいそう嬉しそうだ。


『頭の弱い可哀相な娘だ』と言ってはあるが、我慢もそろそろ限度だろう。


「こら、いいかげんにしろ」


神奈を鶏からひっぺがし、また歩きはじめる。


「次はどれを見るのだ?」
「次なんてない。 裏葉を探してから・・・」


言いかけて、か細い声が呼んでいるのに気づいた。


「・・・お武家さま」


痩せこけた物乞いが、道端にうずくまるようにしている。


「お武家さま、どうかお慈悲でございます」


・・・太刀を履いているだけで、『お武家さま』とは気前がいい。

俺が立ち止まったのを合図に、物乞いは口上を言いはじめた。


「三日前に郷(さと)を追われ、着の身着のまま逃れてまいりました。
老いはてたこの身では、これより先は歩くことさえままなりませぬ」
「戦か?」
「わかりませぬ」


悲しげに首を振る。

俺は警戒をとかずに、物乞いのことを念入りに見あらためた。

怪しい様子はないし、武器を隠しているようにも思えない。


「あらあらしき武者装束の一団にただ『立ち退け』とだけ命じられ、家屋敷はおろか田畑も召しあげられました。
村の者も散り散りとなり、私のごとき身寄りもない年寄りは、ただ途方に暮れるばかりでございます」

 

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「それは災難であったの」


物乞いさえも目新しいのだろう、神奈が身を乗り出すようにして答えた。

その顔を、物乞いはまじまじと見つめ返してきた。


「そちらの娘さまは、もしやいずれの高貴な血筋を引くお方では?」
「おお、そなたわかるか・・・」


勢いこんで答えようとした神奈を、あわてて目で制止する。

こほんと咳払いをして、神奈は言いなおした。


「断じてちがうぞ。
余はなにひとつ怪しいところのない、かわいらしい村娘であるぞ」
「・・・・・・」
「なにをぼさっとしておる。 この者になにか取らせるがよいぞ」


貴人の気安さで鷹揚(おうよう)に言う。


「なにかって言われてもなあ・・・。 扇子(かわほり)ぐらいしかないぞ」


たしなみで袖にしのばせてはいるが、開いたこともない

俺は扇子を取り出して、物乞いの前に置いてやった。


「たいした品ではないが、足しにはなるだろう」
「かたじけのうございます」


扇子を顔の前でささげもち、深々と平伏する。


「このご恩は忘れませぬ」


「達者で暮らすのだぞ」

 

そして俺たちは物乞いから離れた。

背後では、いつまでも伏して見送る気配があった。


「よいことをしたの」


上機嫌の神奈が言った。


「そうとは限らないけどな」
「なにゆえだ?」
「騙(かた)りかもしれないってことさ」


俺だって、食うのに困ればだましもすれば誉めもする。

物乞いの身の上話など、信じる方が馬鹿を見るというものだ。


「ほんにおぬしはうつけよの。
あの者が痩せ細っておったのは、相違(そうい)ないであろ」


当然の顔で諭されて、思わずうなってしまった。


「そうか。 なるほどな・・・」


神奈の言葉に素直に感心できたのは、これがはじめてのような気がする。


「しかし、腹が空いたぞ」
「・・・感心したそばからこれか」

 

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「神奈さまは育ちざかりでおれれますゆえ」
「もう『育ちざかり』って年頃でもないけどな。
どうせ育つんなら、尻ではなく胸の辺りをもっとこうぷっくりと・・・」

「やかましいわっ」

「自覚があるから腹が立つんだろ」

「・・・・・・」

 

ぽかっ。


「・・・いてて。 無言で殴るなよ」
「さわいで殴ればよいと申すか」
「そんなに乱暴だから、食っても食っても胸が小振りなんだぞ」
「そんなわけあるかっ!」
「大ありだぞ。 なあ裏葉」

 

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「・・・・・・」
「元気がないな、裏葉。 どうした?」
「・・・驚きにならないのですね」


突然の復帰をかるく流されて、かなりがっかりしているらしい。


「うわっ。
裏葉おまえ、いつの間に帰ってたんだ? ちっとも気づかなかったぞ」
「ほんに裏葉は神出鬼没よの」


「まことに白々しいお心づかい、ありがとうございます」

 

「で、どこに行ってたんだ?」
「足りない物などをあれこれと求めておりました」


裏葉は言いながら、腕にかかえた布包みを示してみせた。


「神奈さまにはおみやげが・・・」


ふところから取り出されたのは、ころりと丸い木の実だった。


「胡桃(くるみ)でございます」
「この季節にめずらしいな」
「さる杜(もり)に一枝だけ早成りした、縁起ものだそうです」
「ふうん」
「神奈さまの好物ですし、滋養もありますので」


「これはまた、ずいぶんと大きいの・・・」


言いながら胡桃を受けとり、茜色の夕空にかざす。

その仕草がやけに大真面目で、俺はまたも笑ってしまいそうになる。


「割ってみなけりゃ、中身はわからないだろ」
「そうか・・・」


神奈はうなずいたが、未練がましく胡桃をもてあそんでいる。

神奈に歩幅をあわせ、三人でならんで歩く。

三つの影がよりそい、道に長く落ちていた。

俺は裏葉の横顔に言った。


「買い物があったにしても、だまって行くことはなかっただろ」
「ほかに調べものもございましたので」
「調べもの?」


訊ねると、裏葉は俺の耳に唇をよせてきた。


「橋をわたった先に、関がもうけてあります」


『関』ときいたとたん、体内に冷たい緊張が満ちるのを感じた。


「本当か?」
「はい、まちがいございません。
若い娘だけを選び、衣をはだけさせ、背を改めておりました」
そうか・・・」


背中の羽をたしかめようというのだろう。


「俺たちが従っていることは、知られているようだったか?」
「供の者については、さほど気にかけていない様子でした。
しかしながら、神奈さまがおひとりで逃げ続けているとは思わないでしょう」
「そうだな」


うなずいてから、今後の方針を考えてみた。

このまま街道を進むわけにはいかない。

今夜は野宿し、渓谷を迂回する道を探さなければならないだろう。


「しかし裏葉、よく関に気づいたな」


俺が関心してみせると、裏葉はにっこりと微笑んでみせた。


「ここは市が立つにはいささか不便な場所でございましょう。
訝(いぶか)しく思っておりましたところ、『関止めがで市が移った』と小耳にはさみましたので、あるいはと」


こともなげに言うが、裏葉の勘と機転はやはり並大抵ではない。


「わかった、助かったよ。
山裾までもどって、そこで飯にしよう。
神奈、行くぞ・・・」


がりがりがりっ。


「・・・なにしてるんだよ?」


神奈は胡桃と格闘中だった。


「うがあ~っ。 なぜ割れぬのだっ」


がりがりがりがりがりっ。


「歯で割れるかっ!」
「うふふふ。 栗鼠(りす)のようで愛らしいですわ」
「笑いごとじゃないだろ。
だいたい裏葉がいなくなったから、俺がひどい目に・・・。
・・・・・・。
・・・裏葉おまえ、『市を見るなら神奈がいると邪魔だ』とか考えなかったか?」
「そんな不敬を思いつくのは柳也さまだけでございます」


丸丸とふくれた布包みを胸に、涼しい顔で答えた。


・・・・・・。


・・・。

 


山道にもどった時は、日没が近かった。

林の中は嫌にがらんと感じられた。

射光が木々を橙色に染め、闇を向かえ入れていく。

野営の場所をさだめ、背から荷を降ろした。

 

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「すぐに水を汲んでまいります」


竹筒を取り出した裏葉に、めずらしく神奈が言った。

 

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「余も手伝おうぞ」
「じっとしてろ。 怪我でもされたらかなわん」
「・・・・・・わかった」


いつになく神奈は神妙な様子だった。

俺からすこし離れたところで、言いつけられた通りにしている。

その様子が、どこか儚(はかな)げに見えた。


「・・・神奈?」
「ここにいるぞ」
「そうか・・・」


意味のない会話が、どこか照れ臭かった。


「遊ばせとくのも惜しいから、薪でもひろってきてくれ」


神奈が意外そうに俺のことを見た。


「・・・よいのか?」
「ああ。 ただし、俺から見えないところには行くな。
蝮(まむし)にも気をつけろよ」
「わかっておるわっ」


快活に答え、ぱっと走り出す。

思うところあって、その背中に声をかけた。


「ちょっと待て」
「なんだ?」
「胡桃を置いていけ。 割っといてやるから」


神奈はふところから胡桃を取りだし、俺のてのひらにぽとりと置いた。


「割るのはまかすが、食うでないぞ」
「だれが食うかっ!」


神奈が林の奥に走っていった。

薄闇の向こうで、髪に飾った響無鈴(こなれ)だけが西日にちろちろと光る。

離れるなと言ったのに、ずいぶん遠くにいる。

昼間の神奈は、本当に嬉しそうだった。

あれほど多くの人や物に接したのは、はじめてだったはずだ。

興奮が大きければ大きいほど、おわれば夢をつかむような心地になる。

今の神奈には、じっとしているのはつらいのだろう。

たぶんそれは俺も同じことだった。


「・・・・・・」


手のひらの中に、胡桃がある。

意識からそれ以外の事象を追い出す。

すうと息を吸いこんで、とめる。

下手投げで胡桃を放る。

同時に太刀を抜き放った。


かしゅっ。


かすかな音が夕闇をふるわせた。

流れのままに太刀をおさめる。

胡桃は両断され、地面に落ちていた。


「・・・ふう」


どうやら腕は鈍っていないらしかった。


「見事なもんだろ、裏葉」


木立の背後に呼びかけた。


思ったとおり、鳥の子色の衣が音もなく現れた。


「・・・おそれいります」


あいかわらず、裏葉の気配はつかみにくい。

こちらが神経を研ぎ澄ませていれば、かろうじて気取れるという程度だ。


「それほどの技を、どちらで?」
「こんなものはただの座興さ。
胡桃がひとつ割れたところで、今生(こんじょう)は渡れない」


裏葉は何も答えず、腰をかがめて胡桃を拾い集めた。


「それは神奈に渡してやってくれ。
太刀を使ったことは言うなよ。『胡桃も生物だ』なんてごねられたら困る」
「『余を主とするかぎり、今後一切の殺生を許さぬ』・・・ですか」


神奈の言葉そのままを、裏葉が繰り返した。


「その誓い、俺が本当に守ると思うか?」


たわむれに訊ねると、裏葉の表情が変わった。


「神奈さまにはかたく口止めされているのですが・・・」


そう前置きして、裏葉は言った。


「社を出奔(しゅっぽん)した夜のことを覚えておいででしょうか?
山中の沢筋で、柳也さまは『ここから動くな』とお命じになりました」
「ああ」
「あのあと、追っ手の呼び子を聞いた時、神奈さまは半狂乱でした。
『柳也どのが追われておる、余が出向かねば殺されてしまう』、と・・・。
わたくしが策略だと説いても、お聞き入れくださいませんでした」


あの雨の夜。

氷焔(ひょうえん)のような神奈の怒りを思い返していた。

俺を救いたい一心で、言いつけをやぶった神奈。

敵の命乞いを聞くことなく、太刀を振り下ろそうとした俺の姿・・・。


「そうだったのか・・・」


言葉が続かなかった。

左腰に吊った太刀の緒が、じんじんと疼(うず)いていた。

裏葉は微笑み、おだやかに言葉を続けた。


「おそれながら、柳也さまは不殺(ころさず)の誓いをお守りになるでしょう」
「なぜそう思う?」
「あの時、『その者を斬り捨てよ』と神奈さまが命じられたなら、柳也さまはどうなさいましたか?」
「・・・・・・怒っただろうな。 『人の生命をかるがるしく扱うな』って」
「そうでございますよね」
「大人は童子に範を示してやらないとな」
「そのとおりでございます」


いつかのように、ふたりして笑う。

その時、がさっと下草が鳴った。

振り返ると、神奈が俺たちのことを見ていた。


「何をしておる」
「ちょっと立ち話だ」
「夕餉の支度はどうしたのだ。 まったく益体もない・・・」


よほど腹が減っているのかと思ったら、どこか様子がそわそわしている。


「おまえこそ、薪を集めてたんじゃないのか?」
「あちらに見える村が、なにやら妙な風なのだ」
「妙な風?」


裏葉と顔を見合わせた。


・・・・・・。

 

神奈に急かされて、三人で林の端に移った。



「あれだ」


ついと、細い指で示す。

薄闇におおわれるように、小さな山間の村が見える。

なにかを用意しているのか、開けた場所に足場を組んでいるのが見えた。


「物見櫓(ものみやぐら)か・・・?」


神奈たちを奥に隠そうとして、裏葉の訳知り顔に気づいた。

 

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「あれは、祭のようですね」
「祭とな?」
「神さまに感謝と願いを届ける儀式でございますわ」
「あの村にも社があると申すか?」


勢いこんで訊ねた神奈に、裏葉がやんわりと首を振った。


「いえ、一口に祭と言っても色々なものがございます。
まつられる神もまた様々です。
あちらに見えますのは、火祭のようですね」


村人たちは、手に手に木切れを持ち寄っている。

男たちがそれを受け取り、櫓に運びあげる。


「あの櫓の最上にて、炎を焚いて祈ります」
「なにゆえにか?」
「ほんのわずかでも神さまに近づくため、でございましょうか」
「そうか・・・」


わかったのかわからないのか、あいまいに頷く。

夕風に乗って、囃子(はやし)の音が流れてきた。

祭がはじまったようだ。

うねるような鼓(つつみ)の拍子を、笛が追いかける。

雅楽(ががく)とはおもむきの異なる、にぎにぎしく素朴な節回し。

櫓の上に、ぽっと炎がともった。

またたきはじめた星を目指し、煙が昇っていく。

人々の歓声が、そのあとを追う・・・。


「ずいぶんと楽しげよの」


だれに聞かせるでもなくつぶやく。

自分とは無縁の幸せを垣間見る、隠者の口ぶりだった。

裏葉がさりげなく目くばせしてきた。

仕方なく、俺も目でうなずいてみせた。


「神奈さま、もっと近くでご見物なさいませんか?」
「よいのか・・・?」


輝かせた瞳を、あやふやに伏せる。

ここまで気後れした神奈を見るのははじめてだった。


「林から眺めるだけならな。 輪の中に入るのは駄目だぞ」


警護担当にとっては、これが最大の譲歩だ。

神奈はなにか思案していたが、やがて小声で言った。


「よい。 では、余を祭まで案内せよ」
「お供つかまつります」


うやうやしく頭を垂れる。


「途中で暗くなるな。 裏葉、手を引いてやってくれ」
「はい。 では神奈さま、お手を」


袖をととのえてから、神奈の右手をそっと握る。


「やさしすぎて、気色が悪いぞ・・・」


そんなつぶやきが聞こえた。


・・・・・・。

 

辺りに闇が満ちるにつれて、祭りの音がだんだんと近くなってきた。


「神奈さま、こちらならよく見えます」


裏葉が言った。

瞳を凝らした神奈が、思わず声をあげた。


「おお・・・」

 

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祭りはまさに酣(たけなわ)だった。

燃えさかる火櫓の周りに、たくさんの村人が輪をなしている。

ある者は空を仰ぎ、煙と炎の行方を追う。

ある者は一心に舞い踊り、衣の裾を滑らせる。

囃子はいっそう高く響く。

炎と闇が人々をひとつに結ぶ。

太鼓から続く寿(ことほ)ぎの調べが、天に還っていく。


「なにゆえにみな、あれほど楽しげなのだ」


それは素直な問いなのだろう。

舞い踊る人々から視線を外さず、神奈がつぶやいた。


「あの火の粉を浴びますれば、息災(そくさい)に過ごせるのだと聞きます」
「ああして羽目を外せば、日頃の憂(う)さもまぎれるってことさ」
「それだけではございません」


すかさず裏葉が口をはさんだ。

横目で俺をにらみつけ、『興醒めなことを言うな』と釘を刺す。


「みな、信じているのでございます。 願いは必ずや天に届くと


願いは必ずや天に届く。

そう聞いた時、神奈の肩がびくりと震えたのがわかった。


「だれが願いを届けるのだ?」


たじろいだ裏葉の顔を、濁りのない瞳が覗きこむ。


「余は神になど会ったこともないぞ。
幼きころより何遍(なんべん)もためしたが、余は空など飛べぬ。
社殿の屋根より飛びおりた折も、木の葉ほども浮かばなかった。
どんなに羽ばたいたとて、余の背羽は空(くう)を切るばかりだ。
余の背羽は、益体もないまがいものぞ。
余は願いなど、届けられぬ。
届けられぬぞ・・・」


ごうっと音を立て、炎が燃えさかった。

降りかかる火の粉に、笑い声がはじける。

神奈の瞳が紅蓮(ぐれん)を映し、どこかうつろに揺らぐ。

一度は振りはらったはずの日々が、神奈を責めさいなんでいる。


「神奈さま・・・」


心細げに震える背に、裏葉がそっと寄り添った。

粗末な袖で、神奈の身体を被う。

嵐に迷った水鳥が、こごえた雛を羽毛でつつむように。


「・・・祭りもそろそろ佳境だな」


俺は言うでもなく言い、神奈に歩み寄った。


「おまえも願っておけよ、ついでだからな」


きょとんとした顔で俺を見返す。

何を言われたのか、とっさにはわからなかったようだった。


「余も・・・余も、願うてよいのか?」
「あたりまえだろ」
「何をささげればよいのだ? 余は薪など持っておらんぞ」
「燃やす物なんていらない」
「あのように踊ればよいのか?」
「踊りもいらない」
「では、どうすればよいのだ・・・」


途方にくれて、俺を見返す。


「願いを心に想えばいいんだ。 それだけでいい」


神奈が押し黙った。

俺に教えられた通り、心をひとつにまとめようとする。

神奈が何を願っているのか、俺にはよくわかった。

見開いたままの、あどけない瞳。

その先に、神奈の願いはたしかにあった。

 

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幼子(おさなご)を抱き、幸せそうに笑う母。

温かな母の胸で、きゃっきゃとはしゃぐ娘子。

どこにでもあるはずの、どうということはない夏祭の光景。

神奈が瞳を逸らす。

目の前のものが信じられない、そう言いたげに。

神奈の頭にぽんと手を置いた。

つややかな黒髪を、そのままくしゃっとかきまぜる。


「そんな顔するな、おまえの願いはきっとかなう。
・・・きっとかなう、そうだよな、裏葉」
「・・・ええ、そうでございますとも・・・」


神奈を抱いたままの袖に、きゅっと力がこもる。


「裏葉、痛いぞ」
「・・・・・・」
「くすぐったいぞ・・・」


そうだ。

神奈の願いはきっとかなう。

俺たちが、かなえてみせる。


夜気にさらされたまま、俺たちはずっとそうしていた。

祭の炎はいつまでも、夏の夜空に照りはえていた。


・・・・・・。


・・・。

 

 

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翌朝。


日の出前に出立し、午後には峠を越えた。

関のあった村から山をひとつ越し、街道を離れた。

翌日も山中をすすみ、沢合いで野営した。

さしせまった危険を察したからではない。

神奈が市で目立ちすぎたので、念には念を入れてだ。

追っ手にとって、神奈はあくまで貴人の姫君だ。

山奥で野猿なみの暮らしをしているなど、思いもよらないにちがいない。

こちらから街道に近づかないかぎり、見とがめられる恐れはない。

俺はそう判断していた。


・・・・・・。


・・・。

 

午後。


俺たち三人は、櫟(くぬぎ)の木陰で涼をとっていた。

ひさしぶりの休日だ。

森の中には、降るような蝉の声が満ちている。


しかし、暑いというほどではない。

吹き渡す風も、どこか空(うつ)ろな気配をのぞかせる。

夏はさかりを過ぎようとしていた。

それなのに、俺は汗だくだった。

朝からずっと、面白くもない書を読み続けているせいだ。

『願いをかなえてやる』と大口をたたいたまではいい。

母君の居場所がわからないのでは、話にならない。

しかし、関がもうけられている以上、街道には近づきたくない。

となれば頼りは、俺が社殿から持ち出した文書だけだった。


「・・・もののけにむかひて物語りしたまはむとも、かたはらいたけ・・・。 これもちがうか」


ばさっ。


放り投げた書が、地面でぱらぱらとめくれた。

大きく伸びをしながら、視線をとなりに送る。

裏葉が身じろぎもせずに巻物をたぐり読んでいる。

 

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「裏葉、なにかわかったか?」
「いえ、これと言って」
「そうか・・・」


裏葉はつとめがら、仮名も真名も読みこなせる。

俺は読み書きの素養があるわけではない。

書状ぐらいならどうにかなるが、漢書はおおよその意味しかわからない。


「・・・こいつは役に立たないし」


じろっと見た先には神奈。

幹にもたれかかり、だらしなく寝ほうけている。

そのまわりには、遊びかけのおもちゃが散らばっている。

雛人形、竹細工、土鈴、笛、蜻蛉玉(とんぼだま)・・・。

すべてこの前の市で、裏葉が手に入れたものだ。

裏葉に遊び方を教わっては、夢中であれこれ試している。

俺もとばっちりを受けている。

ここのところ、休憩のたびに人形遊びにつきあわされていたのだ。

ちなみに俺の人形は、お姫さまにこき使われる家来の役だ。

しかも数が足りないので、俺のだけいいかげんな木っ端製だ。

人形界のこととはいえ、我が身が不憫でならない。


「・・・すう・・・すう・・・」


寝顔だけは大人しい。


「まったくおぬしはうつけよの・・・ぐう・・・」
「・・・・・・けなげに立ち働く家来に対してそのふざけた寝言はなんだこらっ!」


思わずつかみかかろうとして、冷ややかな視線に気づいた。


「・・・・・・」
「すまん、ちょっと取り乱した」
「お手を動かしくださいませ、柳也さま」
「わかってる」


しかたなく、次の書に取りかかる。


「ぐわあっ」


全部漢文だった。

頭をかかえながらも、たどたどしく読みはじめる。

しばらくすると、神奈がもぞもぞと動き出す気配がした。

 

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「・・・ふぁーっ。 よう寝たの」


大あくびと共に、木の根から腰をあげる。


「神奈さま、お目覚めでございますか?」
「うむ。 喉がかわいたぞ、水はないか?」
「はい、こちらに・・・」
「よいよい。 自分でしようぞ」


立ちあがろうとした裏葉を制して、竹筒を持ちあげる。


「んくっ、んくっ、んくっ・・・・・・ぷはぁ」


美味そうに飲みきって、特大の吐息をひとつ。


「やはり夏はこれよの」
「幸せそうだな、神奈」


嫌味のひとつも言いたくなる。


「おぬしはずいぶん薄幸そうよの。
ずっと書を読んでおったのか? 柄にもないことを・・・」
「そう言うおまえは読めるのか?」
「だれも教えなかったのだ。 読めるはずがないであろ」


意味もなく威張りながら言う。


「よく裏葉が放っておいたな」


俺がそう言ったとたん、裏葉の眉がぴくっと動いた。

 

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「放ってなどおきませんっ。
神奈さまが、『裏葉にだけは習いとうない』などとおっしゃって・・・」
「あれは裏葉の咎(とが)であるぞ」
「ひどいっ。 この裏葉が何をしたとおっしゃるのですっ?」
「歌集の件、忘れたとは言わさぬぞ」
「あれは神奈さまのお心を豊かにしていただきたいがため・・・」
「あの教えようでどこが豊かになるかっ!」

 

「・・・なんの話だよ?」
「以前、神奈さまに和歌をお教えしたおりのことでございます。
少々の苦労は手習いごとにつきもの。
それなのに、神奈さまときたら・・・」


「一日に百首そらんじるのが少々の苦労と申すかっ」
「全部で四千五百首あるのですから、ぐずぐずとはできません」


当然のように真顔で言う。

要するに以前、神奈にぶ厚い和歌集を丸暗記させたことがあるらしい。

ためしに想像してみた。


和歌を一日百首ずつ、四五日の間ひたすら覚え続ける。

しかも裏葉つきっきりでの手ほどき。


「・・・よく死ななかったな」
「うむ、それよ。
このままでは殺されると思うたのでな。
夜中のうちに起きだして、歌集全巻をかまどに放りこんでやった」


「おかげで、せっかくの古今六帖一具が朝餉(あさげ)の焚つけに。
あれだけのものを都合するのに、この裏葉がどれほど身をくだいたことか・・・」
「うむ。 あの日の飯はまことに風流な味だったぞ」
「そのような妄言をのたもうのはこの口でございますかっ」


神奈の唇に小指をつっこみ、左右にびろーんと伸ばす。


「ひゃっ、ひゃめんかふりゃは~」
「和歌のひとつも詠えぬ口など、無用の長物というもの」
「むっ、むひゃをひゅうでなひ~」
「いっそ縫いつけてしまいましょうか」


満面の笑みのまま、とてつもないことを言い放つ裏葉。


「にゃにほひてほるー。 ひゃほふにはすへんは~」


・・・助けろと言われても、俺だって命は惜しい。


「ひょっ、ひょのひゃくたいなひ~」
「・・・はっ」


そこで裏葉が我にかえった。

俺の視線に気づき、つっこんだままの指を慌てて離す。

 

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「もうしわけありません。 少々取り乱しました」
「いやいや、気にしなくていい」

 

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「・・・なぜおぬしがゆりゅすのだっ!」
「まだ言葉が変だぞ」
「むぅ」


伸びてしまったほっぺたに、両手をあてて揉む。

とにかく、こいつがいると仕事がはかどらないのは確実だ。


「手伝えないんなら、ひとりで遊んでろ」
「ひとりではつまらぬ」
「おもちゃならそこにいくらでもあるだろ」
「飽きたぞ」
「おまえなあ」


呆れていると、ふところからお手玉を取り出した。


お手玉だけは飽きないみたいだな。 下手の横好きというやつか」
「やかましいっ。
ここは邪魔が多いゆえ、あちらでやることにする」


裏葉の方をじろりと見てから、向こうの木まで歩いていく。

ううう、と悲痛な声が聞こえたが、気にしないことにしよう。


・・・・・・。


・・・。

 

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そんなこんなで。


何の成果もないまま、夕方になってしまった。

南の社の場所はおろか、俺たちがいた社のことさえどこにも書かれていなかった。

なぜそこまでして翼人のことを隠す必要があるのか。

それさえわからなかった。

代わりにわかったのは、翼人という存在がいかに謎めいたものであるかだった。

同じ書の中で、扱いがまったく正反対の場合さえあった。


――人に知恵と知識をさずけた、貴(たっと)ぶべき神。


――かつて地上に厄災をもたらし、人により掃討された悪鬼。


最後にあった古い書物には、こんな記述があった。

 

『鳳翼不老不死以其羽記天命』

 

「不老不死、か・・・」


思わず、神奈の方を見た。

地面に落ちたお手玉を拾い集め、また空中に投げている。

ここまで根気強い奴だとは思っていなかった。


「うがあっ。 なぜうまくゆかぬっ」


・・・ここまで不器用だとも思っていなかったが。

 

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「柳也さま、こちらはすべて終わりました」


俺のとなりで、裏葉が巻物のひもを結びながら言った。

何の成果もなかったことは、横顔を見ればわかった。


「『ここより南の社』だけじゃな・・・」


俺がつぶやくと、裏葉が問いかえしてきた。


「仮にでございます、南の社の翼人が母君だったとして、今もそちらにおられるでしょうか?
神奈さまは年ごとに社を移っておいででした。
とすると、神奈さまの母君も居所を移っているのでは?」


それは俺も考えていたことだ。


だが・・・。


「おそらく、それはないと思う」
「なぜでございましょう?」
「勘というやつだ」


ずっと胸に引っかかっていることがある。

衛士が打ち明けた最後の言葉だ。


――『母親は人心と交わり、悪鬼と成り果てた』


悪鬼と呼ばれるほどの存在を、連れ回すことなどできるだろうか?

そもそも、悪鬼とは何のことなのだろうか?

黙りこんだ俺を見て、裏葉がそっとつぶやいた。


「勘でございますか・・・」
「何か言いたそうだな」
「いえ。 柳也さまの勘は、いつもお確かですから」


例によって真顔で答える。


「とりあえず、俺の感が当たっているとしてだ。
南の社のありかがわからないことには、どのみち動きようがない」
「そうでございますね・・・」


そう答えたきり、考えこんでしまう。


「せめて神奈が何か覚えていればな・・・」


これほど話が早いことはない。

だが、謎を知るはずの本人に、鶏ほどのもの覚えもないのだ。

 

溜息をつく。


お手玉に興じる神奈を、しばし眺める。

 

 

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「おぬしはまた逸れるかっ」


三つ目のお手玉を手に、何やらこんこんと説教をしている。


「他のふたつの玉はいい具合に舞うというに、なぜおぬしだけそう不器用なのだ。
まったくおぬしはぐずでのろまよの、柳也」
「・・・お手玉にまで俺の名をつけるのはやめろっ!」
「やかましいぞっ! 気が散るではないか」
「いいからちょっと来いっ!」


俺が呼ぶと、ぶつぶつ不平をこぼしながらやって来た。


「何用か? 夕餉にはまだはやいであろ」
「食うことしか頭にないのか。
母君と別れた時のこと、なにかおぼえてないか?」


訊ねたとたんに、嫌な顔をした。


「覚えていないと再三申しておるであろ」
「母君のことでなくてもいい。 何でもいいから覚えてないか?」


顎に手をあてて、しばし考え込む。


「・・・何でもと言われてもの」
「最初にいた社の様子とか、旅の道のりとか、何かないか?」


藁にもすがる思いで、しつこく訊きなおす。

神奈はやっと、何かを思い出したようだった。


「幼きころは、社を移るのはまことにつらい旅であった。
乗りたくもない牛車(ぎっしゃ)に詰められ、歩くことも許されぬ」
「そりゃそうだろ」


徒歩(かち)で旅する貴人など、聞いたこともない。


「牛にも乗させてもらえなんだぞ」
「・・・乗ってどうすんだよ?」
「車の中は地獄のように蒸し暑いのだ。
せめて涼もうと衣を脱いでおったらな、見つかって大さわぎよ」
「おまえ、本当に貴人か?」


幼い頃のこととはいえ、まともな女子(めのこ)のすることではない。


「それにな、随身(ずいじん)の男が礼儀知らずの大うつけでの。
余が従わぬと、『おまえも金剛に封ずるぞ』などと脅してな」
「・・・金剛に封ずる?」
「聞きわけのない翼人は、昔からそうするものと決まっておるそうな。
あのころはもの知らずだったゆえ、それは脅えたものぞ」


遠い目をして言う。


「それはそうと、金剛とはなんだ?」
「今でも充分もの知らずだっての」


「金剛とは宝石でございます。
この世でもっとも硬く、また美しいものと伝え聞いております」
「金剛か・・・」


話には聞くが、実物を見たことはもちろんない。

神奈をと大人しくさせるなら、そのぐらい持ち出さないと駄目だろう。


「して、どうやって余をそれに封じるのだ?」
「そりゃ俺が知りたいぞ」


・・・・・・。

 

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「おまえのように大食らいで聞きわけのない翼人は、こうしてくれるっ」
「こっ、こらやめんかっ。 うあああぁぁぁ・・・」


あっという間に小さくなり、金剛に吸い込まれる神奈。

呪文ひとつで出し入れ自由。

かさばらず、持ち運びも手軽。

この上なく便利だ。

翼人警護者の間で大人気まちがいなしの逸品だ。


・・・・・・。

 

「・・・余はおぬしが今、この上なく無礼なことを考えておるような気がするぞ」
「気のせいだろ」
「・・・・・・」


ぽかっ。


「なにゆえおぬしから先に殴ってくるかっ」
「すまん。 殺気を感じたんで手が動いてしまった」
「こっ・・・」


その時、いきなり裏葉が叫んだ。


「・・・柳也さまっ!」
「なんだよ、いきなり」
「南の社というのは、神社とはかぎらないのでは?」
「ああ?」
「貴人を衆目から隠すには、襤褸(ぼろ)をかつがせましょう?
あるいは、袈裟(けさ)などを・・・」
「袈裟?」


神社ではなく寺院に隠すという意味か?

俺がわからずにいると、裏葉はするりと立ち上がった。

地面に放ったままの絵地図を広げなおし、俺の目前にかかげる。


「この辺りが神奈さまの社、こちらが都でございます。
斑鳩(いかるが)を越えて、さらに南に下りますと・・・」


裏葉の指が、地図の一点を示した。


「ここに金剛がございます」


正しくはそれは、広大な山群そのものを表していた。

俺は二の句がつげなかった。

裏葉が辿り着いた答えが、それほど突拍子もないものだったからだ。


――『意に従わない翼人は金剛に封じる』


金剛とは何のことか?

悪鬼を封ずるほどの力を持つ『社』とはどこなのか?

「・・・ここが真言の霊山。 高野山、金剛峰寺でございます」


・・・・・・。


・・・。

 

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その晩は、なかなか寝つけなかった。

何の気配もしないのに、心がざわついておさまらない。

 

やがて、妙な夢を見た。

神奈がひどく真剣な顔つきで、俺を覗きこんでくる。

背後に月がある。

濡れたような唇のあたりが、妙になまめかしい・・・。


「・・・柳也どの」


俺の名をささやいている。

 

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「柳也どの・・・柳也どのっ」


眼を開けると、本当に神奈の顔があった。

ほのかな月光の下でも、頬が上気しているのがわかった。


「・・・なんだよ」


木の幹に寄りかかったまま、俺はそう訊いた。


「柳也どのに、見てほしいものがあるのだ。
まだ、ちと恥ずかしいが・・・見てくれるか?」


ほっそりとした神奈の指が、着物の襟元に触れる。

そして、神奈は言った。


「ではゆくぞっ」
「・・・・・・それは何だ?」


神奈がふところから取り出したものを指し、俺は訊いた。


お手玉だぞ」
「・・・念のために訊くけどな。 おまえはこれから何をするつもりだ?」
「だからお手玉だと申しておるであろうが。 さっきな、三つきちんと舞ったのだぞ」
「・・・・・・」
「その目は疑っておるな。 まことだぞ、まことに三つきれいに回せたのだっ・・・」
「・・・・・・・・・おやすみ」
「寝るでないっ!」
「寝かせろっ! こっちはさっき寝ついたばかりなんだ」
「ええいっ、寝るでない寝るでない寝るでないっ!
主が秘芸を見せてやると申しておるのだ。
ひれ伏して拝見するのが臣下の努めというものであろっっ!」
「無茶苦茶言うなああっっ!」


深夜の森に絶叫がこだまする。

まさに悪夢のようだった。

このままでは埒(らち)があかないと思ったのだろう。

神奈が最終手段に出た。


「では、余はおぬしに命ずるぞっ・・・」
「わああっ。 待て待てっ!」


俺はあわてて神奈の口をふさいだ。

例の不殺の誓いだけでも大変なことになっているのだ。

この上、妙な誓いを増やされてはたまらない。


「ふむむ~。 ふむうむ~むむむうむぐむう・・・」


じたばたじたばた。


あばれる神奈を押さえつけていると、何だか空しくなってきた。

眠気など、もうとっくに失せてしまっている。


「・・・はいはい、わかったよ。
見てやるから、早めに済ませてくれ」


ぱっと手を離しながら、俺は言った。

神奈が俺をぎろりとにらみつける。

が、文句よりも先にお手玉を披露したかったらしい。


「よいか? よ~く見ておるのだぞ」


言いながら、俺の前にぺしゃりと座りこむ。

神奈がお手玉を持って構えた。

ぴんと背筋を伸ばした姿勢は、なかなか堂に入っている。


「それっ」


ひょい・・・ひょい・・・ひょ・・・。


「・・・あう」


失敗した。

二つ目を投げるのが早すぎて、右手がついていかないのだ。


「さっきはできたのだ。 もう一度するから、よく見ておれ」
「ああ、何度でもやってくれ」


お手玉を拾い集め、もう一度かまえなおす。


「・・・それっ」


お手玉は山なりに宙を舞い、右手はと渡る・・・。


「むっ・・・」


だが、左手が動かなかった。


「今度は溜めすぎだな」
「嘘ではないっ。 さっきは本当にできたのだぞ!」
「だれも嘘だなんて言ってないだろ。
落ち着けって、気を静めてやらないと、名人でもできないぞ」
「うむ、わかった。  ・・・すう・・・はあ」


大きく息を吸い、そして吐く。


「ゆくぞ」
「ああ」
「・・・今度こそ」


つぶやいて、お手玉を宙に放った。


ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。


お手玉は不器用ながらも、たしかに輪を描いていた。


「ほら、できたであろっ!」


だが、喋ったとたんに輪が崩れた。

お手玉が神奈の指先をかすめ、地面にぽとりと落ちた。


「・・・あ」


視線が宙を泳ぐ。

夢中でお手玉を拾い、もう一度投げようとする。

そこで、俺の視線に気づいた。


「さっきはもっと回せたのだっ」


噛みつくように言う。


「それだけできれば大したもんさ」
「慰めなどいらぬ」
「慰めで言ってるわけじゃない。
そこまでできるようになったのは、おまえが頑張ったからだろ」


言いながら、自然と笑みがこぼれてしまう。

神奈の様子がおかしかったからじゃない。

最初の時のことを思い出したからだ。

石つぶてかなにかのように、勢いよく宙を飛んだお手玉

あれから毎日、神奈は手習いを繰り返していた。

ここまで上手になるとは考えてもいなかった。


「あきらめが悪いってのは、すごいことだな」
「誉められておるのか、けなされておるのか、わからぬ」


困ったようにつぶやく。


「誉めてるんだって。 何にせよ、よくやったな神奈」


頭にぽんと手を置いてやった。

やわらかな髪の感触が、たしかに伝わってくる。


「・・・・・・もっと、上手になりたいぞ」
「毎日続ければ、きっと達人になれるさ」
「大げさよの」
「本当だって」


戸惑った神奈が、やがてぎこちなく微笑んだ。


「・・・余のお手玉、また見てくれるか?」
「ああ、俺でよければいつでも見てやるよ。
ただし、夜中はもう駄目だぞ。 裏葉が心配するからな」


俺の言葉に、こくりと頷く。


「わかった」
「じゃあな。 おやすみ」


神奈の後ろ姿が、闇の奥に戻っていった。

ひとりになると、虫の音がいやに淋しく感じられた。


「・・・・・・」


まあいい、寝よう。

木の幹に背中を預け、太刀を抱えたまま目をつぶる。

やわらかな眠気が波のように満ちてきた。

これならすぐに熟睡できそうだった。

 

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「おはようございます、柳也さま」
「・・・ぐをあっ!」


今度は裏葉の顔が真正面にあった。


「お二人で、楽しそうでございましたね~」


地獄の底から響いてくるような、重苦しい声音で言う。


「裏葉はひとりで寂しゅうございました」
「見てたんなら、来ればよかったのに」
「お呼びくださるのをずっと待っておりましたのに・・・。
神奈さまのお手さばきを間近で拝見したかったのに~」


よよよ、と泣き崩れる。

単にうらやましかっただけのようだった。


・・・・・・。


・・・。