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ゲームまるごと文字起こし

AIR【25】

 

 

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月光が、降りそそいでいた。


名もない森の隅々まで、淡い光が満ちていた。

俺は思い出していた。

蒸し暑い社殿の夜。

神奈がつぶやいた言葉。

 

――『逢いたい・・・』

 

すべてはあの夜からはじまった。

あれからちょうど、一月が過ぎようとしていた。

霊峰高野山

金剛峰寺のふところに、俺たちはいた。


・・・・・・。

 

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「寺などどこにもないではないか。
どこまで行っても見たような森ばかりだ。
景色がかわらず退屈だぞ」
「・・・だまって歩け」


金剛峰寺とは、高野山にある幾百もの寺院をまとめて指す名だ。

高野山そのものも、同じように金剛峰寺と呼びならわす。


「もう高野の領内に入っているはずだ」


警護の者がいても不思議はない。


「さっきから同じところを回っている気がするぞ」
「気のせいだ、だまって歩け」
「・・・むぅ」


さっきから同じ会話を何度もしている。

 

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俺も何かおかしいと思いはじめていた。

山中で道に迷うのは、周りの景色に頼りすぎるためだ。

ここまで俺は、月を頼りに歩いてきた。

方角を間違えるはずはないのだ。

だが、何かが微妙におかしい。

夏の夜にはめずらしく、月は冴え渡っている。

満月にはほんの少し満たない月。


・・・・・・。


しんがりを歩いていた裏葉が、不意に立ちどまった。

 

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「どうした、裏葉」
「柳也さま、これを」


見ると、太い杉の幹に麻縄が巻かれていた。

そこから等間隔に、白い紙が垂らされている。


「注連縄(しめなわ)か」
「結界が張られているようですわ」

 

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「結界とは何だ?」
「不浄なものを入れぬための、仕切(しきり)のようなものでございます」
「不浄なものとは、どのようなものだ?」


「鬼とか怨霊とか大食らいの翼人とかだな」
「だれが大食らいかっ!」
「おまえだなんて一言も言ってないぞ」

 

「おしずかに」


鋭い声でたしなめられ、あわてて口をつぐむ。

裏葉は身じろぎみせずに、行く手の闇を見つめている。

息さえも止めているようだった。

やがてするりと袖を持ち上げ、一方を指さした。


「こちらでございます」
「わかるのか?」
「何とはなしにでございますが」


うっすらと微笑む。

思わず神奈と顔を見合わせた。

裏葉の行動には今も謎が多い。

しかし、信じられると思った。

裏葉の導きで、月光の森を進んでいく。

途中、いくつかの注連縄を見つけた。

月はある時は左に見え、ある時は右に見えた。

俺の感覚に従えば、同じ場所を堂々巡りしているようにしか見えない。

その時不意に、月が雲に隠れた。

 

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森の様子が変わった。

人が入ったことのない、原生林のようだった。

ねじくれた木々の枝が、行く手をふさいでいる。

湿り気を帯びた靄(もや)が、絹屑のようにたなびいている。

さっきまで歩いていた森とは、まったくおもむきが違った。


「薄気味が悪いぞ・・・」


神奈の声が、嫌にゆがんで響いた。

頭の奥に、ひどい圧迫感がある。

自分がまっすぐに立っているのか、それさえわからない。


「どういうことだ・・・?」
「結界の只中(ただなか)に入ったのでございましょう」
「結界の、只中?」


足を踏み出してみた。

濡れた羊歯(しだ)が足にからみつき、ひどく歩きにくい。


「どっちに進めばいいんだ」


つぶやいた時。

ひとすじの匂いが、鼻先をかすめていった。

鈍った頭がぴんと警報を発した。

この匂いだけは間違えようがなかった。

何かが焼ける匂い。

錆びた鉄と松明、汗で濡れた革と麻、そして血の匂い。

 

「とまれ、声を立てるな」
「いきなりどうしたのだ?」
「この先で戦(いくさ)をしている・・・」


靄の向こうから、甲高い声が聞こえる。


きん・・・かっ・・・


刀と刀が切り結ぶ音だ。


「近い・・・いや、遠いのか?」


音までの距離が、まったくわからない。

こんなことは初めてだった。

裏葉と神奈が、左右から俺に身を寄せてきた。

この二人に不安を悟られてはいけない。

それなのに、どうするべきなのか考えがまとまらない。


その時だった。


目前の闇が、どろりと溶け落ちた。


空間そのものが引き裂かれたような、強烈な違和感が襲った。


つぶりかけた眼を、無理にこじ開ける。


人影が見えた。


ぬらりと光る、刃物の切っ先も。

 

「走れっ!」


裏葉と神奈の背を押すように、靄の中に送り出す。


「裏葉、神奈を護れっ」
「はいっ」


裏葉がふところから短刀を引き抜いたのが見えた。


同時に、俺も抜刀する。

現れた人影は・・・三つ。

どれも身の丈六尺近い大男だ。

灰色の僧衣に、黒鞘の長太刀。

すっぽりと被った頭巾(ずきん)から、鋭い眼だけが覗いている。


「高野の武者法師か・・・」


金剛峰寺全山を守護する、僧形(そうぎょう)の荒くれ者たち。

勇猛で名高く、山岳で戦うのに慣れている。

おまけに、死んでさえ仏の加護があると信じられている。

できればまともには切り結びたくない相手だ。

武装薙刀(なぎなた)が二人、太刀が一人。


「田舎侍風情(ふぜい)が、どうやってここに入り込んだのだ」


薙刀をたずさえた一人が、頭巾ごしの野太い声で言った。


「浮かれて夜道を歩いていたら、野狐に化かされたらしい。
いや、どちらかというと野狸かな」
「何をっ・・・」


いきり立った僧兵が、ずいっと歩を進めた。

俺は刀を中断にかまえた。

掌の中で太刀を返し、刀背(むね)を上向ける。

不殺の誓いというやつだ。

乱戦になれば怪しいが、やれるところまでは峰打ちでしのぐ。

相手を見据えたまま、呼吸を落ち着ける。

全身の力を抜く。

微風になびく絹のように、己をゆるやかに保つ。

ふっと、気が乱れた。


「どうりやぁあぁあぁあぁ~~」


薙刀の僧兵が打ちかかってきた。

森の中では薙刀を振り回すわけにはいかない。

太刀では防ぎにくい踝(くるぶし)を確実に狙ってくる。

地面を蹴り、斜め前に跳んだ。

俺の足があった場所を、三日月型の刀が空しく刈りとる。

そのまま一気に間合いをつめる。

長柄物と戦うなら、勝法はひとつ。

相手の懐(ふところ)に入ってしまえば、穂先にある刃は無力だ。

不意をつかれた僧兵の眼が、驚愕で歪む。

刀の峰で、その胴を薙ぎ払った。


・・・ざすっ。


「ぐふぅ・・・」


巨体ががっくりと膝をつき、地面に崩れ落ちた。

残った僧兵たちの間に、ざわりと風が起こる。


「存外腕が立つぞ」
「小癪(こしゃく)な田舎侍がっ」
「こやつ、吾妻者ではないぞ」


俺の身なりを食い入るように見つめ、言った。


「うぬは何奴ぞ? 名を名乗れ」


あいにくだが、こっちは育ちが悪い。

何も褒美が出ないのでは、名を教えてもつまらない。


「名乗るほどのものじゃない」
「何だと?」
「参るっ」


相手が鼻じろんだ一瞬の隙に、次の行動を起こした。

狙いは敵の前衛、二人目の薙刀使いだ。


「・・・でえいっ!」


一閃目の突きを、横に跳ね飛びかわす。

そのまま回り込むように死角を狙う。

敵もついてこようとするが、木立が邪魔して薙刀を回せない。

だが、今度の敵はもっと利口だった。

俺が間合いに入った瞬間、ためらうことなく薙刀を捨てた。

そのまま腰の太刀を探る。

拔く手も早い。

俺は刀を振るわなかった。

勢いにまかせ、敵に肩口からぶつかっていく。


次の瞬間。


「ううっ・・・」


俺の太刀の柄が、僧兵の鳩尾(みぞおち)にめり込んでいた。

苦悶の表情を浮かべ、敵が地面にうずくまる。


残りは一人。


太刀を大げさに振りかぶったまま、おろおろと辺りを見回している。

一呼吸のうちに仲間がやられたのが、まだ信じられないらしい。


「うっ・・・うああああああぁっ・・・」


やぶれかぶれの足取りで、真正面から斬りかかってきた。

刀で受ける必要もなかった。

相手の太刀を体ごと受け流す。

すれちがいざま、首筋を峰で打ちつけた。


「・・・せいっ」


最後の僧兵は、悲鳴をあげる間もなく昏倒した。


・・・ぶんっ。


いつもの癖で太刀をふるい、ついてもいない血糊(ちのり)を払い落とした。

そして太刀を鞘におさめた。


「ふう・・・」


溜めていた息を吐き出す。

三人の僧兵たちは、毛皮を取られた熊のように地面にうずくまっている。

しばらくまともには動けないだろう。


「こりゃ、できすぎだな」


僧兵たちを一瞥(いちべつ)し、俺はその場を離れた。

神奈たちが向かったはずの闇を駆ける。

足下の草が泥のようにまとわりつき、ひどく走りにくい。

裏葉は『ここは結界の只中だ』と言った。

空間そのものを封じこめる呪術があると聞く。

法師や陰陽師(おんみょうじ)があやつる力だ。

靄はぶ厚くたちこめ、行く手が見通せない。

どこに向かって走っているのか、まったくわからない。

熱にうかされた時に見る、悪夢のようだった。


やがて。


まったくだしぬけに、人の気配を感じた。

背後からだった。

太刀を抜きざま、体ごと振り向く。

靄が切れ、視界に森が戻った。

だれもいない。

 

いや、違う。


神奈と裏葉の後ろ姿が、寄り添うように立っている。

二人の僧兵が、その行く手をふさいでいた。


「そこな女、高野は女人禁制ぞ」


無骨な手が伸び、神奈の袖をつかもうとする。

 

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「余に触れるでない、無礼者っ!」


澄みわたった声が、一瞬その場を圧する。

僧兵がぎくりと腕をとめた。


「手荒をするでない」


もう一人の僧兵が、威厳のある声で仲間を制した。

目前の少女の顔を凝視する。


「そっ、そなたはまさか・・・」


「神奈さま、お早くっ!」


短刀を目前でかまえたまま、裏葉が神奈を背でかばう。

ためらっている暇はなかった。


神奈備命随身柳也、参るっ!」


太刀を上段に振りかぶり、大声で叫んだ。

敵の注意をこちらに引きつけるためだ。

そのまま地を蹴り、敵中に飛びこむ。

二人の僧兵が、てんでに剣を抜いた。

柄尻に独特の装飾がほどこされた、直刃(すぐは)の剣だった。


「せあっ!」


気合いと共に、一撃目を放つ。


・・・きんっ。


刃金(はがね)と刃金が交わり、青白い火花が散った。


「・・・ふんっ」


もう一人の僧兵が、袈裟懸けに斬りつけてきた。

大きく上体を逸してかわす。

すかさず最初の僧兵が間合いに入ってくる。


・・・きん・・・かっ・・・きん!


「くっ・・・」


鍔迫り合い(つばぜりあい)では向こうに分がある。

鎬(しのぎ)を滑らし、刀身を引き剥がした。


「でえいっ」


間髪を入れずに、真横からの突きが迫る。

後ろに跳ね退き、これをかわした。


「・・・できるな、ぬし」


頭巾の下からうなり声が聞こえた。

俺も呼吸を整え、太刀を握りなおした。


・・・手強い。


額を汗が伝うのがわかった。

背後にはまだ神奈たちの気配があった。


「うしろを見るな、走れっ」


僧兵たちに相対したまま叫ぶ。

ためらった足音が動き、俺から遠ざかっていく。


「ぬしは神奈備命を追え。 結界を越えられたら終(しま)いぞ」


年長らしい僧兵が、もう一人に伝えた。


「させるかあっ!」


去りかけた僧兵に、斜め後ろから斬りかかる。


「邪魔立てするなっ」


振り向きざまの突きを、太刀で受け払った。

二対一での激しい切り結びが続く。

さっきの僧兵たちとは、明らかに格がちがう。

このままでは勝算は薄い。


となれば・・・


構えを上段に移した。


ざっ、ざっ、ざっ・・・


にじり足のまま、真横に動く。

二人の僧兵も、俺に合わせて位置を変える。

俺たちの頭上で、木々の枝がざわめく。

狙いの位置に達した時。

一気に勝負に出た。


「であっ・・・」


空気ごと両断するように、力任せに太刀を振るう。


だが、俺の刃は何も捉えず、切っ先が土を引っ掻いた。


次の瞬間、頭が無防備になった。

この隙を敵が見逃すはずがなかった。


「覚悟おっ」


直刃の剣が上段に振りかぶられた。


・・・がすっ。


鈍い音が、俺の頭上ではじけた。

僧兵は動きを止めていた。

必殺のはずの剣は、頭上に張り出した太い枝に食いこんでいた。


・・・だしゅっ。


俺の太刀の峰が、がら空きになった僧兵の胴を横なぎにした。


「ぬかった、わ・・・」


呪文のようにうめき、片膝をつく。

肩からもんどり打って、地面に巨体を沈めた。

主を失った直刃剣だけが、枝にぶら下がっていた。

残ったのは、年長の僧兵だった。

俺の長太刀と、相手の直刃剣。

それぞれの切っ先を二尺ほど離し、静かに正対する。

油断なくかまえたまま、僧兵は低くつぶやくように言った。


「うぬらは、なにをたくらんでおる。 八百比丘尼にはあわせまいぞ」


・・・やおびくに?


思う間もなく、間合いを詰めてきた。

体躯に似合わない、氷を滑るような踏み込み。

小細工が通用する相手ではない。

ただ、速い方が勝つ。


「ぬんっ・・・」

「せあっ・・・」


次の瞬間。


心臓を狙った直刃剣は、俺の左袖を突き通していた。

対する俺の長太刀は、敵の脇腹を捉えていた。

剣技に優劣はなかった。

最初から急所を狙わなかった分、俺の方が速かった。

それだけのことだ。


「ごふっ・・・」


にごった咳とともに、僧兵が地面に横たわった。


「ごふっごふっ・・・」


苦悶の表情を浮かべながら、体を返して仰向けになる。

助骨の下とはいえ、臓腑(ぞうふ)をまともに打ちつけられたのだ。

息をするのもつらいはずだ。

なのに、僧兵は俺に訊いた。


「・・・なにゆえに、情(なさけ)をかけた?」


真剣な声音に、驚愕がこめられていた。

自分が斬られていないことが、よほど不思議だったらしい。


「情をかけたわけじゃない」


俺はそう答えた。

僧兵の眼が、かすかに笑ったように見えた。

頭巾の向こうの唇が、何かを訴える。

読経とも呪詛ともつかない、虻(あぶ)の羽音めいたうなり声。


「闇を見るぞ」
「何だと・・・?」


訊ねかけた時。

 

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・・・ずきん。


鋭い頭痛に襲われた。

頭の奥の、いちばん深いところ。

汚泥のように、何かが浮かびあがってくる。

これは・・・

そうだ。

今と同じ光景を、俺は見たことがある。

真っ青に晴れた空。

蝉の声だけが響く山道。

童子の頃の俺。

踏みにじられた祈り。

血だまりの中に転がる、老僧の屍。

泣きじゃくる俺。

血塗られた刃。

殺されるはずだって俺。

殺せるのに、殺さなかった。

そして、ひとりになった俺・・・。

 

突然の殺気が、俺を現実に引き戻した。

もう一人の僧兵が、枝に食いこんだままの剣を抜き取るところだった。

そのまま打ちかかってくる。


「食らえっ・・・」


だが、僧兵の足元はまだおぼつかない。

一撃目をなんなく受け流した。

返す刀で敵の眉間(みけん)を狙った。

だが、その瞬間。

自分が真剣を振ったことに気づいた。

そのまま太刀を振り抜けば、僧兵は即死する。

 

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――『余を主とするかぎり、一切の殺生を禁ずる』


「くっ・・・」


両腕をねじ曲げるようにして、無理に太刀筋を変えた。

馬鹿げた行動だった。

一瞬の気の迷い。

それが命取りになることを、俺は知り抜いていたはずなのに。

太刀の刃は僧兵の肩口を撫で、そのまま空を斬った。

ひきかえに、俺の体勢は大きく崩れた。

自分から敵に背中をさらすことになった。


「ふんっ・・・」

 

 

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絹と肉が裂ける、嫌な音がした。

灼(や)けるような衝撃が、背を斜めに走り抜けた。

それで相手との間合いがわかった。

振り向きざまに太刀を振るう。


「・・・せりゃあぁぁあっ!」


渾身の気合いとともに、僧兵の肩口に刀背を叩きこんだ。


「ぐおあっ・・・」


僧兵は白目を剥き、その場に昏倒した。

だが、殺してはいないはずだ。

不殺の誓い。

俺と神奈が交わした、破ることのできない誓い。

背中が灼けるように熱い。

立っていられなくなった。

神奈たちを追わなければ。

必死でそう思っても、意識が遠のいていく・・・


・・・・・・。


・・・。

 


聞き慣れた声がした。


「裏葉、こっちだっ! はようせいっ」

「・・・柳也さま、しっかりなさいませっ」

 

・・・また戻ってきたのか、こいつらは。

俺の言うことはちゃんと守れと、あれほど言ったのに・・・。


「柳也どの、柳也どのっ! りゅう・・・」

「神奈さま、邪魔でございますっ」


絹を破っている音がする。

俺の止血をするつもりなのだろう。

目を開けた。

 

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神奈の顔が真正面にあった。


「・・・だれも、殺さなかったぞ」
「柳也どの、無事かっ」
「見た目ほどの怪我じゃない、心配、するな・・・」


自分の言葉とはうらはらに、血の気が引いていくのがわかる。

そうだ、こんなことをしている場合ではないのだ。


「手当ては、あとでいい・・・。
逃げろ、とどめを刺してあるわけじゃ、ないんだ・・・」


二人の僧兵が、すぐ向こうの地面に転がっている。

今にもむくりと動き出すような気がした。


「神奈さま、お手をお貸しくださいっ」


裏葉が着物の袖をまくった。

神奈もそれにならう。

二人の指が、俺の狩衣の襟にかけられた。

女でふたつで、ずるずると引きずられていく俺。


かなり情けないぞ・・・。


「馬鹿、俺はあとでいいって・・・」


年長の僧兵が、必死に体を起こそうとしているのが見えた。


「・・・待てっ、そこより先には行かせぬっ」


俺に向かって、何かを必死に呼びかけている。


八百比丘尼を解き放つ気か・・・?」


また『やおびくに』か。


何のことだよ、それは。


「ぬしらも、無事ではすまぬのだぞ・・・」


とっくに無事ではすんでないさ・・・。


・・・・・・。


そこで、気が遠くなった。

 

羽音が聞こえた。

輝く翼を広げた鳥。

ふわりと舞いあがる。

俺を残して。

決してたどりつけない所。

はるかな高みへ。

俺は後を追おうとして・・・。

そして、夢だと気づいた。

ゆっくりと目を開いた。


・・・・・・。

 

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深い森の中だった。

さやさやと鳴る梢。

たなびく霞(かすみ)に、陽光がけむっている。

辺りは静まりかえっている。

清浄な空気の芯に、かすかに水の匂いがする。

 

ここは・・・


極楽浄土、というやつだろうか?


人の気配はない。

 

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「お目覚めでございますか」
「・・・・・・」


人じゃないのか、こいつは。


「おはよう」


やわらかな草の上に、俺は体を横にして寝かされていた。

じくじくする痛みが背中を這いまわっていた。


そうか。


僧兵に斬られたんだった。

裏葉と神奈に、ここまで引きずられて・・・


「・・・血の痕(あと)は消したかっ?」
「はあ」


きょとんとした顔で、こちらを見返す。


「追っ手に血をたどられたら・・・」


上体を起こそうとしたとたん、激痛が走った。


「あつっ」
「ご無理をなさらずに。 まだ傷が閉じたばかりです」
「しかし・・・」
「ここなら心配はございません。 すでに結界を越えております」


昨夜の斬り合いが、断片として頭に戻ってきた。


――『ぬしは神奈備命を追え。 結界を越えられたら終(しま)いぞ』


僧兵さえ、ここには入れないということか。

あらためて自分のなりを見てみた。

狩衣は脱がされていた。

上体に真っ白な布が幾重にも巻かれている。

慎重に体を起こした。

首を巡らすと、木々の向こうになだらかな山陵があった。

山頂の近くで、なにかが光ったように見えた。


「神奈さまの母君は、あそこにおられます」


俺の視線を追って、裏葉が静かに言った。


「なぜそう思う?」
「勘でございます」


しれっとした顔で言う。


「そうか、裏葉の勘はいつもたしかだからな」


それ以上深く訊ねるのはやめておいた。


「神奈は?」
「泉で水を汲んでおられます」
「泉?」
「あちらにございます」


地面を探ると、右側に俺の太刀があった。

鞘ごと杖にして、立ちあがる。

裏葉が手を貸そうとしたが、手を振って断った。


「大したことはないさ」


痛みに歪みそうになる顔を、あわてて笑顔にする。

指、手首、腕、脚、どこも普通に動かせる。

背骨の髄(ずい)に刃は受けていない。

傷口さえ開かなければ、どうにか歩けそうだ。


「柳也さま、泉で傷口を清めた方がよろしいかと」
「手伝ってくれるか? 手取り足取りって感じで」
「ご自分でどうぞ」


つれない返事が返ってきた。


「これでも一応、怪我人なんだがな」
「わたくしは衣(ころも)をつくろっておきますので」


見ると、裏葉は俺の狩衣を膝の上に広げていた。

背中と袖の布地がばっくりと裂けてしまっていた。


「上等な仕立てが、こんなになってしまって・・・」
「衣にはやさしいんだな」
「衣の破れ目は、放っておいてもふさがりませんので」
「・・・・・・」


・・・・・・。


泉はすぐ近くにあった。

木々に隠された鏡のように、水面が空を映していた。

そのほとりに、神奈は立っていた。

 

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「あっ・・・」


俺に駆け寄ろうとして、ためらったのがわかった。


「元気そうだな」


俺が近づくと、小声で訊いてきた。


「もう歩いてよいのか?」
「傷口を洗いに来ただけだ」
「余でよければ、手伝うぞ」
「いや、一人でできる」


袴のまま、泉に歩み入る。

水は痛いほどに冷たく、膝までの深さがあった。

凍み入るような感触が、起き抜けの頭をひきしめてくれる。


「裏葉のところにもどれ。 傷口を洗ってる間は太刀が使えないから」


俺がそう言っても、神奈は岸辺を離れようとしなかった。

 

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「殿方も、人前で肌をさらすのは恥ずかしいものなのか」
「そりゃ恥ずかしいさ」


恥ずかしいわけではなく、神奈には傷口を見せたくなかった。

背中に刻まれた刀傷は他にもいくつかある。

すべて戦場から逃げ出す時に受けたものだ。


・・・やっぱり俺も恥ずかしいだけか。


「そうなのか、余と同じよの」


うつむき加減につぶやいてから、ふっと顔を上げた。


「柳也どの」
「なんだよ、あらたまって」
「余は柳也どのに『だれも殺めるな』と命じたが。 今思えば、あれは余の・・・」
「それ以上は言うな」


『不殺の誓いは、余の過ちであった』


その言葉だけは、言わせたくなかった。


『人を殺してもかまわない』なんて、この少女にだけは絶対に言わせたくなかった。

たとえそのために、俺が傷を重ねることになっても。


「昨夜はちょっと油断しただけだ。 次からはちゃんと・・・」
「強がりを申すな!」


叫ぶと同時に、神奈はなぜか瞳を見開いた。

自分の語勢の激しさに、自分で驚いているように見えた。


「いや、すまぬ。
ただな、余は・・・・・・。
・・・社殿を出た晩のことを覚えておるか?」
「ああ」
「あの折、先に言いつけを破ったのは余の方であった」
「そのことはもういいさ」
「あの時は、柳也どのが殺されてしまうと思うたのだ。
だがな、今は・・・・・・。

あの時とは、ちがう心持ちなのだ。
これは主として申しておるのではないぞ。
余は・・・・・・なんと申せばいいのか、よくわからん。
ただな、ただ・・・柳也どのに死なれたら、余は・・・。 余は・・・」


それから先に、言葉は進まない。

水の中に立っていると、あどけない顔がちょうど正面にある。

波紋のように揺らぐ瞳に、俺は笑いかけてやった。


「俺が死なないようにするなんて、簡単さ。
神奈が俺に『死ぬな』と命じればいい。
俺は忠臣だからな、主の言いつけは何でも守るぞ」
「では、余はおぬしに命ずる・・・」


いつもの調子で言いかけ、途中で止めた。


何かを考える。


そして、ゆっくりとこう言いかえた。


「これは命ではなく、余の願いである。 柳也どの、死なないでほしい」
「ああ、約束する」


主従の誓いではない。

神奈の心からの願い。

俺と神奈が交わした、はじめての約束。


これは・・・なんだろう?


ずっと昔に忘れたと思っていた、温かく包まれるような感覚。


それは俺の中で、常に闇と隣り合ってきた・・・。


と、神奈がぼそっと言った。


「なにか、話せ」
「はっ?」
「間が持たぬではないか・・・」


うつむき加減のまま、怒ったように言う。


「そうか、なら・・・つまらない話だけど、聞いてくれるか?」
「なんなりと申せ」


いつもの笑顔に導かれて、俺は話しはじめた。


「俺は親の顔を知らない」
「・・・なにゆえに?」
「たぶん、捨てられたんだろうな。
道端で泣いていたところを、雲水に拾われたんだ」


言葉にしてみると、それはひどく色褪せて感じられた。

神奈はしばらく無言だったが、やがてそっと訊いてきた。


「雲水とはなんだ?」
「旅の坊主のことさ。
行脚僧(あんぎゃそう)って言えば聞こえはいいけど、物乞いみたいなもんだ。
二人きりで、色々な土地を旅した・・・」


育ての親、と言えるほどの存在ではない。

ただ厳しい人だった、としか覚えていない。

どうして俺を助けてくれたのかもわからない。

経を唱える時以外、無駄口はいっさい開かなかった。

法名(ほうみょう)さえ、最期まで教えてもらえなかった。


「俺が五つかそこらの夏だ。
峠道で山賊に襲われてさ、雲水は一太刀で殺された」


神奈が瞳を見開いた。

激しい風が吹き渡り、泉の水面を乱していった。


「その雲水は、斬られたあとも祈ってたよ。
『自分を殺す者が浄土に行けますように』ってさ。
それでいて自分は、血まみれになって死んだ。
『刀の錆にするほどもない』って、俺は殺されなかったけどな・・・」


そして俺は、また道端に見捨てられた。

殺される価値さえない、ちっぽけな子供だった。

あれからずっと、俺はひとりだった。

生き抜くためならなんでもやった。

太刀を盗み、戦に加わった。

人も殺した。

祈りが神に届くなんて、考えたこともなかった。

目の前にいる、この少女に出会うまでは。

神奈はただすんなりとたたずみ、俺のことを見つめていた。

そして、こう言った。


「その山賊はさぞ悔やんだであろうな」
「へっ?」
「立派な高僧を殺めてしまったのだから、悔やむのが当然であろ?」
「立派な高僧だったかは、かなり怪しいけどな」
「なにを怪しむことがある?
雲水どのの祈りが通じたからこそ、山賊は柳也どのを殺さなかったのではないか」
「いや・・・」


説明しようとして、思わずたじろいだ。

神奈の瞳が深い。

つむぎだす言葉に、一片の疑いも持っていない者の瞳。


「そうか・・・」


思いもかけない感情が、闇の奥を照らすのを感じた。


そうだ。


間違っていたのは、俺の方かもしれない。


あの時俺は、たしかに救われていたのかもしれない、と・・・。


「もっと早く、それに気づいていればな・・・」


知らず、言葉がこぼれ落ちた。


「俺はきっと、別の道を歩いていたのに」
「それは困るぞ」
「なんで?」
「それでは余は、柳也どのに逢えぬではないか」
「そうだったな。
俺もな、神奈に逢えてよかったと思ってるよ」
「柳也どの・・・」


言葉が途切れる。

そのまま黙りこむ。

何かを決意したように。

きゃしゃな身体が、俺の方に近づいてくる。

その時はじめて、神奈が素足なのに気づいた。

ほのかに紅く染まった頬。

心なしか、瞳も潤んでいる。


「柳也どの、その、な。 その・・・」
「なんだよ?」
「この続きはどうするのか、ようわからんのだ。
だからな・・・あとの手筈(てはず)は、柳也どのにまかせるぞ」
「手筈って・・・」


さらさらと、衣が滑る音がした。

俺の目の前で、神奈は帯をほどき、衣の肩をはだけた。

そのまま、俺に近づいてくる。

爪先が水面に触れる寸前。


「あっ・・・」


裾を踏んでしまったらしい。

ぺたんとその場に座りこんだ。

 

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「恥ずかしいのだ。 はよう、せい」


きゅっと唇をむすぶ。

上目づかいに、俺の顔を覗きこむ。

きめ細やかな肌が、外気にさらされて震える。

背中にあるはずの羽は、まだ隠されている。

しかし、清らかな美しさは天の使いそのものだった。

手を伸ばそうとすると、神奈はびくっと身をそらした。


「触れる・・・のか?」
「さわらなきゃ何もできないぞ」


俺が言うと、観念したように正面を向く。

その仕草が、とてつもなく可愛らしい。

据え膳食わぬは男の恥、というやつだ。


だが、しかし・・・。


「これから俺がどういうことをするか、わかってるか?」


念のために訊いてみた。


「ばっ、馬鹿にするでないぞ。 万事こころえておるわ」


・・・全然こころえてないと見た。


「とりあえず、衣は全部ひっぺがして素っ裸にするぞ?」
「しっ、仕方あるまいの」
「その後は、触るぐらいじゃ済まないぞ」
「くすぐったいのか?」
「まあ、そうとも言うな」
「多少のことは我慢しようぞ」
「・・・我慢されてもそれはそれで嫌なもんだが」
「でっ、ではどうすればよいのだ?」


あられもない姿と途方に暮れた顔が、まったく噛み合っていない。


「どうすればって言われてもなあ・・・」
「・・・『天にも昇る心地』と聞いたのだが、まことではないのか?」
「そりゃ、その道の達人になればな」
「やはり修練が必要なのか・・・。 なにやら話がうますぎると思うたのだ」


それはこっちの台詞だっての。

考えてみれば、色恋にかけては神奈は呆れるほどに奥手かつ無知だ。

自分から男を誘えるはずがないのだ。

となれば。

入れ知恵をした達人がいるに決まっている。


「『天にも昇る心地』ってのは、だれに聞いたんだ?」
「むろん、裏葉にだぞ」


あっさり黒幕の名前を吐いたな。


「どう聞いたか、全部話してみろよ」
「うむ・・・。
実はな、昨夜、裏葉に話したのだ。
もしも柳也どのが死ぬようなことがあれば、余も生きてはゆけまいぞ、と」
「・・・・・・」
「むろん、護衛がいなくなるからではないぞ。
その、余にとって、柳也どのというのは・・・・・・」
「とにかく、俺の身を案じてくれていたわけだな」
「うむ。
余が打ち明けると、裏葉はこう申した。
身分や立場を忘れ、柳也どのに素直な心持ちを告げてみろと」
「そこまではまともな忠告だな」
「なおその際、決して『うつけ』とか『痴れ者』とは呼んではならんと」
「なにを今さらって感じだけどな」
「首尾よくゆけば、柳也どのは昔のことを語り出すから、だまって聞くようにと」
「・・・なんでわかったんだよ?」
「『殿方というのは、好いた女人には必ず昔語りをするものでございます』と申しておったぞ」
「・・・・・・」


完璧に読まれているだけに、ものすごく悔しい。


「柳也どのの話がおわったら、おもむろに衣の前をはだける。
この時、胸乳がもろには見えぬぐらいにするのが肝要だとか」


こまかな演技指導までつけてるし。


「あとは柳也どのにまかせれば万事うまくゆく、とのことだったが・・・。
どこか、まちがっておったか?」


裏葉に訊いた時点で、すでに致命的にまちがっている。


「とすると・・・。 柳也どのは男色が好みであったか」
「ちょっと待てっ!」
「ちがうのか? では・・・。 おお、そうだ」


何かを思い出したのか、ぽんと手を叩く。


「女好きでも益体(やくたい)なしな殿方もまれにあると・・・」
「人聞きの悪いことを言うなあっ!」


この分では、ほかにもなにを吹きこんだか知れたものではない。


「まったく、あの女狐め・・・」


裏葉なら尻尾の二、三本ぐらい生えていてもおかしくない。


「やはり衣をはだけすぎたか・・・」
「・・・こいつはまだぶつぶつ言ってるし。
・・・よし、わかったっ。
俺も男だってところを見せつけてやるから覚悟しろ」


森中に響きわたるような大声で宣言する。


「柳也どの、なにやら目つきがおかしいぞ・・・」
「誘ってきたのはおまえだぞ、おとなしく俺の毒牙にかかれ」
「柳也どのには毒があるのか?」
「男にはみんなあるんだ」
「は、初耳だぞ」
「実はな、他にもおまえの知らないものが色々とあったりするんだ」
「なっ、なんと・・・」


か細い肩にがっちりと両手をかける。


「こら、やっ、やめんかっ・・・」


顔を真っ赤にし、激しく身をよじる。

だが、男が本気になれば振りほどけるはずがない。


「やめよっ・・・やめっ・・・」
「やめろと言われてやめる男はいないぞっ」


そこで、俺は・・・。


「・・・裏葉っ、どうせまたその辺に隠れてるんだろ、出てこいっ!」


辺りを見回しながら、声を張りあげた。

 

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「お楽しみのところ、失礼いたします」
「楽しんでたのはおまえだけだっ!」
「神奈さま、ご無事でございますか?」


放心した神奈に走り寄り、てきぱきと衣を着せる。

 

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「・・・ようわからんが、うまくいかなんだぞ」
「あらあらまあまあ。 それは残念でございましたね」


「白々しすぎるぞ」


俺のつぶやきを無視して、裏葉は森の奥を手で示しながら言った。


「あちらに御膳の支度がととのってございます」
「そうか。 大儀であった」


そそくさと歩きだす神奈。


・・・あっさり飯に釣られていくわけな?


「柳也どの」
「なんだ?」
「その・・・」


まだ乱れたままの髪。

さっきの余韻が残っているような、ほんのりと上気した頬。


「・・・余は、柳也どのを怒らせてしもうたのか?」
「別に怒ってなんかないさ」
「ならよいのだが」


ほっとしたように頷き、手のひらを胸に添える。

その下にある小振りな膨らみを、どうしても思い出してしまう。

勢いにまかせてしまわなかったことを、すこしばかり後悔した。


「ささ、神奈さまお早く」
「うむ」


神奈の背を押して去りかけた裏葉に、今度は俺が声をかけた。


「・・・裏葉」
「なんでございましょう?」
「俺が絶対に手を出さないって踏んでたろ」
「分の悪い賭けではございましたが」
「・・・・・・」


二の句のつげない俺と、いつも通りの裏葉。


「・・・俺ほど人畜無害な男はないぞ」
「益体なしとも申しますわね」
「やかましいっての」


俺たちの会話の意味がわからず、神奈はただきょとんとしている。


「それではお先に。
これから神奈さまに房事をお教えいたしますので」
「頼むからやめてくれ」


「房事とはなんだ?」
「・・・おまえも訊くんじゃないっ」


・・・・・・。

 

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太陽は既に真南を過ぎている。

昼下がりの森に、以前ほどの熱気は感じられない。

吹き抜ける風も、秋の気配をたしかに含んでいる。

寒蝉(つくつくぼうし)が鳴いている。

自分の居所を、空に伝えるように。


「夏も終わりでございますね」
「そうだな・・・」


梢を通して、なだらかな山嶺が霞んでいる。

日が落ちたら、三人であの峰に向かう。

神奈は眠っている。

裏葉の膝で、すうすうと寝息をたてている。

裏葉はたおやかに微笑んでいる。

神奈の髪を指で梳きながら、ささやくように言った。


「昨夜は一睡もされませんでしたから・・・」
「そうなのか?」
「柳也さまのことが、よほど気がかりだったのでしょう」
「そうか・・・」


神奈の寝顔を見下ろし、言うでもなく言った。


「こうして見れば、なかなかの美姫(びき)なんだけどな」


とたんに裏葉ににらまれた。


「もとより神奈さまは、とびきりの美姫でございます。
つまらぬ虫が寄る前に、色恋の手管(てくだ)をお仕込みしなければ・・・」
「だからって俺を練習台に使うことはないだろ」
「なんのことでございましょう?」
「真顔でとぼけるなよ」


神奈はなにも知らず、すうすうと寝息を立てている。


「こいつはまだ女童(めわらわ)さ。
人形遊びやお手玉さえ、満足にしたことがなかったんだからな」


「う・・・ん・・・」


寝返りをうとうとしたらしい。

神奈が身じろぎした。

裏葉は神奈の頭にそっと手を添え、さりげなく膝に乗せなおした。

小さな唇が、幸せそうに動いた。

 

「・・・ははうえ・・・」


裏葉はただ、やさしく髪を撫で続けていた。

再会の時は近づいていた。


そして、別れの時も。


・・・・・・。


・・・。

 


日が落ちて、すぐに出立した。

雲がある様子もないのに、月は現れなかった。

それでいて、森の中はほの明るく、山道も苦にはならなかった。

神奈の足は早かった。

再会に気が急くのだろう。

傷を負った俺の方が、遅れがちになる始末だった。


そして・・・


俺たちは山頂に着いた。

木々の中央に、なにか小山のようなものがあった。

こけむした石が、人の背丈の倍ほどまで高々と積まれている。

かなり古いもののようだった。


「石塚?」


・・・にしては大きすぎる。

それこそ、中に部屋があってもおかしくない。

 

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「柳也さま、こちらを」


ひときわ大きな木が、石塚の脇にある森に立っていた。

幹の中央に、顔ほどの大きさの丸いものが結わえつけてある。


「・・・鏡?」


裏葉の方を振り向き、尋ねる。


「なんだと思う?」
「しかとはわかりませんが、いずれ呪法のたぐいでしょう」

 

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「こちらから入れるぞっ」


石塚の側方から、神奈の声がした。


「待てっ」


すんでのところで襟首をつかまえた。

神奈が飛びこもうとしたのは、人ひとりがどうにか通れるほどの穴だった。

氷室のような冷気が、黒々とした闇から流れ出してくる。


「まず、俺が様子を・・・」


言いかけたとたんに、きびしい声が飛んだ。


「ならぬ。
昼間、申したであろ。
柳也どのの身に何かあったら、余も生きてはゆけぬと」
「・・・・・・」


気持ちは嬉しいが、危険をたしかめるのが俺の役目だ。

なぜなら・・・。

ここに囚われているのは『悪鬼』かもしれないのだ。


「ここまで来たのですから、仲よく三人で参りましょう」


裏葉までもが呑気なことを言う。


・・・おまえは俺になにかあった時に、神奈を逃す役目だろうが。

だが、裏葉も神奈も退くつもりはないようだった。


「・・・わかったよ。 ただし、先頭は俺だぞ」
「よい。 おぬしにゆずろうぞ」
「では、参りましょう」


・・・・・・。

 

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洞穴に足を入れる。

墨を流したように、何も見えなかった。

足元を一歩一歩たしかめながら、慎重に進む。

頬を撫でる風から、行く手が空洞になっているのがわかる。

だが、いくら歩いても突き当たる気配はなかった。

この穴がこんなに深いはずはない。

これもまた、呪術のひとつなのか?


「・・・とまりなさい」


どこからか、声が響いた。


「近づいてはなりません」


凛(りん)とした女の声。


「わらわを戦に駆り立てるのなら、生きてはここを出られぬと知りなさい」


言葉の意味はわからない。

だが、持って生まれた威厳と気品は隠しようがない。

俺は居住まいを正し、闇に向かって呼びかけた。


「私は神奈備命随身、柳也と申す者です」
「同じく、裏葉と申します」
「おそれながら、神奈備命の御母君と推察いたしますが・・・」

 

・・・。


「かん、な・・・?」

 

「ははうえ・・・なのか?」


神奈の言葉を聞いたとたん、女の声に緊張が戻った。


「娘子を連れているのですか。
今度はどのように、わらわを誑(たぶら)かすつもりですか。
わらわに娘子などおりません。
わらわの娘は、とうに・・・」


「神奈さま、お召し物を」

 

いつもと同じ、冷静な声音が言った。

しゅるしゅると、布擦れの音がした。

なにをしているのか悟るのに、少々時間がかかった。

俺は片膝を地面につき、その場にかしこまった。

 


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光が満ちた。


洞穴全体が真っ白に滲んでいる


石を敷きつめた床で、自分の影が揺らいでいるのが見えた。

明るさに目が慣れてから、俺はおそるおそる顔を起こした。


そこには。

 

 

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翼があった。

神奈が衣をするりと落とした。

ためらうことなく、裸身をさらす。

きゅっと引き締めた口元。

ほっそりとしたその背中。

左右に広がる、一対の白翼・・・。

神奈とかわしたはじめての会話を、俺は思いだしていた。

 

――『そうだな。 なんたって神の使いだ』

――『唐天竺では鳳翼と呼びならわし、異名を風司、古き名では空真理ともいう』

――『肌はびろうど、瞳はめのう、涙は金剛石』

――『やんごとなきその姿はまさしくあまつびと』

 

なんて陳腐な言葉だったろう。

神々しいばかりの輝きの中央に、神奈の身はささえられている。


美しい。


そうとしか、言いようがなかった。

洞窟の奥に、ものものしい二重の鉄格子があった。

その向こうに、貴人が囚われていた。

神奈のことを食い入るように見つめている。

色のない粗末な衣に、痩せた身体を包んでいる。

憂(うれ)いに沈んだ瞳、ひどくやつれた頬、艶を失った髪・・・。

だが、間違えようがない。

神奈の母君だった。

神奈は裸のままくるりと振り向き、母君に自分の翼をさらした。


「余の背羽だ。
羽ばたくことも、飛ぶこともできぬが。
もしもこれと同じものを、持っておられるなら・・・」


だが、答えは返ってこない。

神奈の側にかしこまっていた裏葉が、俺の視線に気づいた。


「さあ、神奈さま」


宝物をしまうように、そそくさと衣を着せる。

減るもんじゃなしと思ったが、母君の面前とあれば仕方がない。


・・・・・。


辺りに闇が戻った。


「因果なものですね。
ふたたび我が子と逢う日が来ようとは。
『神などなし』と名づけた我が子と・・・。
神奈・・・立派になりましたね」
「はは・・・うえ」


・・・ごんっ。


「・・・痛いぞ」


「神奈さまっ、ご無事でございますか」


鉄格子越しでは、触れ合うこともできない。

母君をここから出すのが先決だ。

俺がそう考えた時。


「柳也と申した者」
「はい、ここに」
「神奈を連れて、すぐに山を降りなさい」


「・・・なぜだっ。 余が飛べぬからか?
余の背羽が上手に羽ばたかぬからか?」


必死で問い返す神奈を、俺はそっと手で制した。


・・・むにっ。


「・・・どこを触っておるか」
「胸だろうな、たぶん。 ・・・とにかく話は後だ」


どんな事情があるかは知らないが、俺だってもうあとには退けない。


「神奈、母君と一緒にいたいか?」
「・・・・・・」
「母君と一緒にいたいか?」
「・・・たいぞ」


「なりません!」


鋭い声に、神奈の身がびくっとのけぞる。

思いもよらなかった母君の拒絶に、気圧(けお)されてしまっている。


「もう一度訊くぞ、母君と、一緒にいたいか?」


ここまでの俺たちの道のり、そして俺たちの願い。

すべてをこめて、訊ねたつもりだった。

神奈ははっきりとこう言った。


「一緒にいたいぞ」


満足できる答えだった。

俺にも、そして裏葉にも。


「お聞きの通りです」


俺は闇の先に向かって言った。


「おそれながら、私どもは神奈様の随身です。
神奈様のご意向に従わぬわけにはゆきません」
「・・・わらわをどうするつもりですか」


その問いには裏葉が答えた。


「お母君にはここより出ていただきます。
そののち、神奈さまと末永く幸せに暮らしていただきます」


闇の向こうの気配が、絶句したのがわかった。


「柳也どの」
「はい」
「おぬしは利口者ではありませんね」


言葉とはうらはらに、声音がやわらいでいた。


「神奈様にも同じように叱られます」


「裏葉どの」
「はい」
「神奈のお守(も)りはさぞ大儀だったでしょう」
「おそれいりましてございます」


・・・・・・。


「おぬしたちのような人が世に数多ければ・・・。
わらわたちの運命(さだ)めも、変わったやもしれませんね」


おそらくそれは、憧れとも諦めともつかないつぶやきだった。


『おぬしたち』と『わらわたち』

人間と翼人。

そして、翼人たちの運命め・・・。


「柳也さま、お早くっ」


裏葉に急かされて、俺は我にかえった。

手探りで闇を進み、鉄格子に触れた。

曲げることも、切ることもできそうにない。


「格子ごと外すわけにはまいりませんか?」


壁の石積みはもろく、丸太で支えているだけだ。


「無理に外そうとすれば、天井ごと崩れる仕掛けだな」
「ここまで来て・・・どうにかならないのですかっ」
「鑢(やすり)で削るしかないか」


だが、それでは何刻かかるかわからない。


「これしきのもの、えいやっとお斬りくださいまし」
「無茶言うなっての」
「ええい、この益体なしっ!」
「その呼び方はやめろっっ!」


と、母君が静かに言った。


「この石塚を出た森に、鏡がありましょう」
「はい、たしかに」
「それを水に戻しなさい、月も戻りましょう」


・・・・・・。


・・・。

 


母君を残し、三人で石塚から出た。

大木にかけられた丸鏡の前に立つ。


「鏡を水に戻せ、か・・・。 泉に鏡を投げ込めってことか?」


裏葉は何も言わない。

月もないのに、鏡の表面はきらきらと輝いている。

 

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「やけに明るいの」


言いながら、神奈が指先で鏡に触れた。

雫が落ちたように、波紋が広がった。


「・・・ひぅっ」


あわてて指をひっこめる。


「なんと面妖な・・・」
「これは・・・」


裏葉を振り返ると、正解だという顔をしている。


「神奈、どいていろ」


するりと太刀を抜いた。

まだ背中が痛むが、腕を振るのに支障はない。

こころもち刀身を下げ、腕の力を抜く。

息を吐き、そして止める。


「せやっ」


鏡の中心に、刃を突き立てた。

青銅のはずの鏡がぐにゃりと曲がった。

そして水になり、地面に降りそそいだ。

 

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木々の枝から、銀色の光が射し込んだ。

中天で満月がこうこうと輝き渡る。

森は別の場所のようになった。

いや、おそらく今までが別の場所だったのだろう。

太刀をおさめ、背後を振り向いた。

石塚は消え失せていた。

純白の衣に身を包んだ女性が、何事もなかったかのように立っていた。

 

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「参りましょう」

素足のまま、歩き出そうとする。

その足取りがあまりにも危うい。

囚われて以来、おそらく野外を歩いたことはないのだろう。


「お手を・・・」
「近づいてはなりません」


走り寄った裏葉に、毅然とした声で告げた。


「この身はすでに穢(けが)れています」
「なっ・・・」


思わず声をあげた神奈にまで、きびしい視線を向ける。


「神奈、あなたもです。 わらわに触れてはなりません」


・・・・・・。


・・・。