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ゲームまるごと文字起こし

車輪の国、悠久の少年少女 番外編 南雲えりシナリオ

 

当ブログは、私個人の趣味でゲームを"ほぼ全文"文字起こししています。

ローマ字入力・かな入力・親指シフト等、タイピング練習も兼ねています。

※誤字・脱字が多々あるかと思われます。 【○少女 ✕処女 etc...】

最初の頃は頑張ってひとりで校正をしていましたが、横着な性格のせいで挫折。

その時間をゲームに充てたいので止めました。(開き直り)

これは趣味であって、お金貰ってるライターさんのお仕事とかじゃないのだぜ!

もし、このブログ?を読んで面白いと思った方は、そのゲームを購入してプレイしましょう。

ゲームは自分でやった方が楽しいよね!

 

 

 

 

車輪の国、悠久の少年少女 ―番外編― 南雲えりシナリオ

 

 

 

・・・。

 


「わざわざ海外まで電話をかけてきてくれたのに申し訳ないけれど、姉さんこれから学会なの」
「姉さんが忙しいのはわかってるよ」
「そう、なら切るわね」
「待てよ。 おふくろのことはいいのかよ」
「・・・手術にかかったお金は、振り込んでおいたでしょう?」
「お金じゃないよ、なんでわからないんだ。
おふくろ、もってあとふた月だって言われてるんだぞ」
「ええ、聞いてるわ」
「だったら、せめて一度くらい顔を見せてやってくれよ」
「無理よ。 本当に悪いとは思ってるけど、時間を作れそうにないの」
「なあ頼むよ、姉さんがどんなふうに世界で活躍してるかなんてわからない。
でも姉さんは変わったよ。
どいなかの漁村で育って、毎日俺と遊んでくれた姉さんは、いったいどこにいっちまったんだ・・・」
「・・・切るわね」


・・・。

 

弟の顔を思い起した。

泣き崩れるような声は、漁で培ったいかつい体格にとうてい似つかわしくなかった。

もう一度、弟の記憶をたどろうと試みた。

 

よく、覚えていなかった。


・・・。

 

その後、母親のあとを追うように弟が亡くなった。

潮の流れの速い海域で事故にあったという。

海上保安局の捜索も空しく、遺体は発見されなかったが、現場に残っていた遺留品、同船していた漁業組合員の証言から死亡と認定された。

組合員の話では、事故当時、弟は泥酔していてとても作業のできる状態ではなかったという。


  つまらない死に方だ。
  けれど、きっと私もつまらない死に方をするのだろう。


遺体のない葬儀を終えて、南雲えりはそう思った。

 

 

・・・。



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ずしりとした痛みがあった。

特に下半身、足首のあたりが熱を持ったようにうずいている。

誰かが、そこに触れている。

感触は男の手のひらだ。

いくぶんためらいを持ったような手が、えりの左足首を、二度、三度と押した。


ぼんやりとした意識のなか、えりは目の前の男の体を認めた。

浅黒い肌に、横に広い肩。

太い首の上に、まだあどけなさが残る顔があった。

思わず、言った。

 

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「紀彦?」


またたきを繰り返すえりに、男は驚いたように目を丸くした。


「誰だって?」


「あ・・・」


えりは口を開けたまま固まった。

固まりながら、間違いに気づいた。


「あなたは、誰?」


自分を覗き込んでいる男に、そう尋ねた。

なにをしているのかと続けようとしたとき、足首に巻かれた包帯が目についた。


「あんた倒れてたんだよ、山のなかで。
もう少しで熊の餌になるところだったぜ」
「倒れて・・・」


周りを見回しながら、えりは自分に起こった出来事を少しずつ思い出していった。

深い霧に迷い、崖から転落して川に突っ込んだ。

どしゃ降りの雨のなか山林をうろついて、そのまま力尽きたのだ。

けれど、どうして山越えなどという無謀な真似を・・・。

 

山越え?

 

――しまった!


理由に気づいて跳ねるように体を起した。

が、足首から湧いた灼熱の痛みに動きを止められた。

苦痛のうめきに取って代わるように声が漏れた。

 

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「さ、最終試験・・・」


急がなければ。

いったい、どれくらい時間を食ったのか。


「おいおい無理をするなって」


目の前の男が眉をひそめた。

えりは、焦る気持ちを落ち着かせるように冷静に訊いた。


「あなたが誰だか知らないけれど、まず二つだけ教えて。 今日の日付と、現在地」
「そんな怖い顔するなよ」
「早く」


押し殺すように言った。


「わかったよ、今日は・・・」


男は肩をすくめながら、えりの質問に答えた。

状況はえりに味方していた。

大雨に氾濫した川に流されたのが幸いしたのか。

この掘っ立て小屋は、ちょうど山の二合目に位置していて、最終試験会場の町までは、半日もかからない距離にあった。

日数的にも二日以上の余裕がある。

 

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「落ち着いたか?」
「あなたの名前を尋ねられるくらいにはね」
「俺は、野島」
「野島さんね。 ご職業は?」
「山林職員。 ここらの山の木を切ったり植えたりしてる」
「ふうん、ここに住んでるの?」
「住んでるわけじゃないけど、たまに寝てることはある・・・」
「ここがもし、あなたの所有物でないのなら、罪に問われるわよ?」
「なんだよ、あんた警察の人か? まるで尋問されてるみたいだ」
「そういえば、どこかで見た顔ね」


えりが笑うと、男――野島は、気を悪くしたのか顔を背けた。


「せっかく助けてやったのによ」


口をすぼめる仕草が妙に子供じみていて、えりは可笑しくなった。

たしかに、どこかで見た顔だった。

 

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「私は南雲えり。 ちょっと用事があって、田舎町に向かっているの」
「本当か? あの町にいくならバスを使えばいいのに。 身投げでもしたのかと思ったよ」
「女にはいろいろと事情があるの」
「なんだよ、それ」


変な女だと思ったことだろう。

えりは、ひさしぶりに血の通った会話をしている気分だった。


「腹、減ってないか?」


ぶっきらぼうに言う野島に、えりは遠慮なく応じた。


「ええ、とても」


野島は呆れたように口元をひきつらせた。


「ずうずうしい女だぜ。 助けてやったのに礼の一言もねえよ」


やはり初めて会った気がしない。

外見こそ粗暴そうだが、親しみやすそうな顔をしている。


「しょうがねえな。 歩けるようになるまで、面倒みてやるよ」
「悪くない提案だわ」


野島が危険な男ではないことはわかりきっていた。

えりに危害を加えるつもりなら、手当てをする理由がない。

足の痛みはまだ激しい。

少し回復するまでここに居座らせてもらおう。

窓の外は薄暗く、山林の豊かな緑をねずみ色の空が塗り潰すように覆っていた。

雨は一定の強さで小屋を打ち続けている。

過酷を極める特別高等人の試験のなかで、野島との出会いは、思わぬ珍事となりそうだった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

野島がまな板の上の魚を三枚に下ろしている。

近くの川で釣った魚だという。

ずいぶんと慣れた手つきだった。

えりはまた、心の深い部分で懐かしさを感じていた。


「手先が器用なのね」
「これくらい誰にだってできるだろうよ」
「私は苦手だわ」


調理はほとんど弟に任せていた。

生魚のざらざらとした鱗の感触がどうにも不快だった。

弟は見事な包丁さばきをえりに見せつけながら、嫁に行けなくなるぞ、と小言を吐き捨てていたものだ。


「あんた、学者さまかい?」
「どうしてそう思うの?」


小さな間が置かれた。

ごりっと音がして、魚の頭が胴を離れた。


「いやなんとなく、賢そうな顔してるから」
「身内に、私と似たような人でもいるの?」
「え?」


野島の視線が泳いだ。


「あたり?」


直後、野島と目が合った。

えりの心中を探るようなまなざしは、やがて大きなため息と一緒になって、足元に落ちた。


「姉貴だよ」
「よかったわ。
お母さんに似てるとか言われたら、どうしようかと思った」


えりは笑った。

野島は笑わない。

笑わずに包丁の切っ先を見つめている。

えりは訊いた。


「お姉さんが、学者さまなのね」
「よく知らねえが、農作物の研究をしていたみたいだな」
「へえ、素晴らしいわね」


うなずきつつ、えりは聞き逃さなかった。

してた・・・たしかに過去形だった。


「実家の緑をもっと豊かにするんだって、家を出て行ってよ。
朝から晩まで、何だ、研究所にこもりっきりでな。
三ヶ月に一度連絡取れりゃいいほうだったよ」


どこかで聞いた話だと、えりは思った。


「実家は、どこなの?」
「すぐ近くさ」


野島はある農村の名前を言った。

えりが、つい先日に通過した村だった。

畑ばかりが目について牧歌的な印象があった。


「昔っから植物が好きでな。
特に、向日葵だったか、姉貴の部屋なんか土臭くてよ。
足の踏み場もないくらいに植木があってよ。 まったくどうしろってんだ」


えりは想像した。

きっと野島は、いまみたいに悪態をつきながら、姉の残した植物の世話をしているのだろう。


「お姉さんが、大好きなのね」
「冗談じゃねえや」
「結婚してたの?」


野島はうなずいた。

えりのなかで、野島の姉に抱いていた親近感が大幅に遠のいた。


「葬式は都会にある旦那の実家でやったんだ」


その言い草に、違和感を覚えた。

野島は何か不満そうだった。

姉の葬式をその夫の家で執り行うのがどうして気に入らないのか。

しかし、えりは黙っていた。

他人の深い事情に首を突っ込みたくはない。

とくに、どこかで聞いたような話と、どこかで見たような顔を前にしては。


「魚、早くしてもらえないかしら。 鮮度が落ちるでしょう?」


野島は我に帰ったようだ。

小さく舌打ちをして、魚の背骨に包丁を沿わせていった。


「私の弟は漁師なの」


返事はなかった。

けれど、ちゃんと聞いている。

野島はどっしりとして、何事にも流されない大木のような雰囲気を漂わせる男だった。


「でも、安心して。 ちゃんと生きてる」


えりは、嘘をついた。

自分に言い聞かせたのか、野島を気づかったのかわからない、無意味な嘘だった。


・・・・・・。

 

それから、二人の会話は少なかった。

少ないが、乏しくはなかった。

ほどよく焼けた一匹の川魚を、四本の箸がつついている。

お互いを知り尽くしている人々が持つ特有の沈黙が流れていた。

まるで、家族のような距離だ。

えりは、そうつぶやいたが、野島は一瞥をくれるだけだった。

夜が訪れると、えりは毛布にくるまって眠りについた。

野島はえりに背を向けて、ごろりと床に寝転がった。

小屋に毛布は一枚しかなかったようだ。


・・・・・・。


・・・。

 


翌朝。

雨足はいっこうに弱まらないが、えりの足の痛みはだいぶひいていた。

野島の処置は、適切なものだった。

無理をすれば歩けないこともない。

あまり長居しては迷惑になるだろう。

短い出会いに別れを告げようと思ったとき、野島が小屋の戸口に立った。

 

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「どこに行くの?」
「仕事」
「こんな雨のなか?」
「そういうこともある」
「待って。 私も出て行こうかと思っていたの」


野島がこちらに振り向いた。


「雨だぞ?」
「そういうこともあるわ」


えりは小さく笑った。

野島は呆れたような顔でえりの傷ついた足首を見つめたが、それも一瞬のことだった。


「好きにしろ。
そこの棚に保存食と痛み止めの薬が入ってる。
雨合羽も持って行け。
まっすぐ東に進むと川に出る。
夜になる前に森を抜けるんだな」


淡々とした語り口には、不器用だが深い優しさが感じられた。

えりは、ふと、野島の背中が大きく見えた気がした。

ぼんやりと野島の後姿を眺めていると、不意に雨音が際立った。

山森の外気と入れ替わりに野島が小屋を出ていった。


・・・。

 

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「お礼、言いそびれちゃったわね」


つぶやきは誰にも拾ってもらえないはずだった。

けれど、えりの頭の片隅で声があった。


――姉さんは、自分勝手だからな。


えりは、ため息をついて身を起こした。

片足を引きずりながら小屋のなかを歩き回った。

野島の言ったとおり、食器棚のなかにいくつかの缶詰と薬品の瓶があった。

それを手にとって、小屋の出口に立った。

雨合羽は壁にかけられていた。

けれど、外に出るのはためらわれた。

野島のことが気にかかった。

見ず知らずの人間にここまでしてくれた。

足の痛みは無視できないものがある。

天候はさらに悪化しているようだ。

なにより、時間には余裕がある。

明日の朝に出ても十分に間に合う。

めまぐるしく思考が移ろい、気づいたときにはえりは手に持っていた物を棚に戻していた。

野島はいつ帰ってくるだろうか。

もしかすると、もう小屋には戻ってこないのかもしれない。

そう思うと、えりは一人になったことを否応にも意識させられた。

部屋の隅に古ぼけたラジオを見つけた。

静寂を紛らわせようとスイッチを入れて、床に腰を下ろした。

雑音交じりのニュースは暗いものばかりだった。

州知事の発注工事を巡る談合事件。

えりの故郷でも同じようなことがあった。

防波堤工事の業者の選定が知事選と絡み、知事の周辺から裏金が見つかった。

えりの弟は、またか、と呆れるだけだったが、えりは違った。

彼らの倫理観を問いたいと思った。

諸悪の根源を絶って、家族や村民たちに利益を還元したいと。

その夢が、手の届く範囲にある。


――特別高等人。


私情を殺し、鉄の意志を持って罪を裁く高等人の気質が、談合とは無縁と思われた。

実際、長い歴史のなかで特別高等人の汚職事件というのは、少なくとも表沙汰になったことがない。

えりは、思う。

家族の反対を押し切って、特別高等人を目指した。

家族のためを思って、特別高等人を目指していた。

家族の死に目も看取らず、特別高等人を目指している。

 

えりは、またラジオに耳を傾けた。

世間では、ある食品加工会社の社長が殺害された事件が話題になっていた。

容疑者はいまだ逃走中。

全国指名手配になっているが、えりがこれから向かう田舎町の近くで、有力な目撃情報があった。

特別高等人の最終試験への影響が懸念されているという。

それから試験の指導教官が盛大に発表された。

その名前を聞いて、えりは戦慄した。


――法月将臣。


いま最も注目されている特別高等人だった。

彼の功績の一つに、当時腐敗の進んでいた治安維持局を治安維持警察として編成しなおしたことが上げられる。

治安維持警察は国家の暴力装置として揶揄されたが、かの樋口三郎の大逆事件で著しい活躍を見せたことで、一躍名を馳せた。

法月はいろいろと疑惑の漂う男ではある。

特別高等人に許された超法規的手段を、主に暴力と恐怖に転じて対立する政治家や官僚を追い込んでいるらしい。

財界人としても有名で、法月は若いころ、当時交際中だった女性を見殺しにしてまで、財閥『法月』に婿養子となって取り入ったという。

 

とんでもない大物が出てきたものだ。

えりはそう思った。

けれど、なぜ、法月なのか。

最終試験はそれなりの長期間に及ぶという。

法月のような多忙な人間よりも、もっと違う人選があったはずなのだが・・・。


そのとき、ふと、ラジオに自分の名前を呼ばれた。

どうやら、現段階で残っている候補生の名前を読み上げているようだ。

気になるライバルの名前はいくつかあった。

けれど、大半はこの目で死亡を確認していた。

谷底に転落した者。

毒蛇に襲われて命を落とした者。

えりも危うく死にかけるところだった。

食糧不足が原因で、候補生の間で争いが起こったのだ。


最終試験までたどりつけるのは、一人か二人だという。

えりは、格別の期待をされていた。

ラジオのコメンテーターも、まるで賭けをするようにえりを大本命だと言った。

逆に大穴と呼ばれる男がいた。

森田賢一という最年少の青年だった。


――ああ、あの子・・・。


へらへらして、ことあるごとにタバコをふかしていた。

浮ついた言動で指導教官にたてついて殴られていた。

精神病でも患っているのかと思ったが、目だけは笑っていなかった。

 

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まあいい。

えりは腕を組んだ。

これから待ち受ける試練に挑むように唇を結んだ。

法月将臣だろうが、森田賢一だろうが、誰にも邪魔はさせない。

もう、失うものも、守るべきものも何もない。

ここまで自分勝手に生きておいて、いまさら来た道を引き返すわけにはいかないのだ。


・・・・・・。


・・・。

 


日が暮れるころになって、小屋の外で物音がした。

直後、小屋の戸が乱暴に開け放たれて、野島が滑り込むように中に入ってきた。


「熊にでも出くわしたの?」


野島の大きな体が荒い呼吸に打ち震えていた。


「まだ、いたのか」
「料理の一つでもご馳走してあげようと思ったのよ」


野島は鼻息混じりに軽く首をひねるだけだった。


「迷惑だった?」
「いや・・・」


何か言いたげだった。

野島の視線がさまよう。

えりは、はっきりと告げた。


「明日になったら出て行くわ」


野島は無表情にうなずいた。

えりは、野島が息を巻いて小屋に駆け込んできた理由を尋ねる気にはならなかった。


「そういえば、あなた、ここに戻って来てよかったの?
家のご両親が心配してるんじゃないの?」
「親はいねえよ。 足の悪い婆さまがいるだけだ」
「だったらなおさら帰らなきゃ・・・」


言いながら、えりは、野島が家に帰れない理由の見当がついた。

だが、黙っていた。

面倒なことに巻き込まれたくない。


「明日、出て行くんだな」
「ええ、それなりに急いでいるの」
「そうか・・・忙しいのか?」
「あなたのお姉さんと同じくらいに忙しいかも」
「そうか」
「ちょっと残念?」


野島は目を伏せるだけだった。

なにやら野島の様子がおかしい。

えりは話題を探した。


「ねえ、あなたが私を助けてくれたのって、ひょっとして私があなたのお姉さんに似ていたから?」


返答はなかった。

それ以上の会話をあきらめかけたとき、野島がぼそりと言った。


「姉貴は、あんたみたいにおしゃべりじゃなかったよ」
「じゃあ、年齢が同じくらいだったのかしら?」
「そうだな。 ついでに言うと、料理は上手だったよ」
「それは、私にプレッシャーをかけているの?」
「そんなつもりはないが・・・」
「じゃあ、どんなつもり?」
「うるさい・・・」


不意に会話は途切れた。

野島は疲れ果てたように床に腰を下ろした。


「それじゃあ、いまからご飯の用意でもしようかしら。
言っておくけど、期待はしないでね」


えりの料理は山菜を炒めた簡単なものだった。

野島は文句の一つも言わずに、黙々とそれを食べた。

昨晩よりも、確実に口数が減っていた。

何かを思い悩んでいるように、えりには見えた。


野島の異変をはっきりと感じたのは、深夜になってからだった。

眠っていたえりは即座に目を覚ました。

わずかな物音でも反応するように訓練を積んでいた。

覚醒を気取られぬよう、うっすらと目を開くと、ロウソクの明かりに、野島の顔が浮かび上がった。

野島は思いつめたような表情で、炎の揺らぎをじっと見つめている。

行動には落ち着きがない。

小さくため息をついてそのまま唇を噛む。

拳を握り締めたかと思うと、ゆっくりと指を広げた。

まなざしが開いた手のひらに落ちた。

おぼろげな目つき。

えりも、野島の視線を追った。

そして、野島のごつい手に握られているものに、目を見開いた。


白い。

消し炭のように白い塊。

不気味なまでの白さに驚愕し、思わず声を上げそうになった。


骨――。

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

翌朝早く、小屋を出ようとしたえりは野島に呼び止められた。


「頼みがある・・・」


声には切迫した響きがあった。

進退きわまった表情でえりの前に立つと、手を差し出した。

手のひらには、白い骨がのっていた。


「これを、俺の実家に持っていって欲しいんだ」
「それは、なんなの?」
「遺骨だよ、姉さんの・・・」


えりは腕を組んだまま、嘆息した。

野島の真意を探るように目を見据える。

けおされたように、野島が口を開いた。


「理由を聞かないのか?」
「理由?」
「どうして、俺が自分で骨を持ち帰らないのかって」


えりは小さく首を振った。


「言ったでしょう。 どこかで見た顔だって」


はっきりと気づいたのは昨日のことだ。

特別高等人の試験の最中とはいえ、時勢に疎いわけではない。

野島、と名乗っている目の前の男の顔はテレビで見たことがある。

昨日、ラジオでも報道していた。

 

彼は殺人犯だ。

 


「安心して。 弟に似ているという意味よ」


最終試験を前にして厄介ごとを抱えたくない。

いまから彼を逮捕して近場の警察に届けていたら、遅刻してしまうかもしれない。

野島が自分の実家に戻れないのは、警察が張り込んでいるからだろう。

指名手配犯が身を隠す場所は、まず身内の家だからだ。

野島は、昨日その現実にぶち当たって、小屋に逃げ戻ってきたのだ。


「変なこと言ってごめんなさい。 でも無理よ、急いでるの」


野島はえりの奇妙な言動に意を察したのか、震える声で言った。


「俺も、急いでるんだ。 もう、時間がない、時間の問題なんだ」
「悪いけど」


短く言い切って腰を上げようとしたそのときだった。

野島がえりの視界を覆うように前方に立ちはだかった。

眉間にしわを寄せ、苦しそうに言った。


「姉さんは会社に殺されたんだ」


野島の剣幕に、えりは息を呑んだ。


「・・・ちょっと、落ち着いて」
「聞いてくれ」


無視できそうな雰囲気ではなかった。


「わかったわ。 わかったから、少し離れて」


けれど、野島はまくしたてるように言う。


「調べてわかったんだ。
姉さんは朝早くから夜遅くまで毎日休みなく働かされて、寝る暇もなかった。
明らかに法律に違反している長時間労働で心臓を壊したのに、会社は証拠を隠しているんだ」
「・・・隠している?」
「労働時間を証明する資料を見せろって言ったんだが、うちは自己申告だからわからないってつっぱねられたよ」


えりは深くうなずいた。

労働による過労死と認められれば会社の不名誉になる。

遺族年金や葬祭料を支払わなくてはならない場合もある。


「自己申告って言われたのね? たしかに裁量労働制の場合は労働の実態を把握するのが困難
だから、なんとでも言われてしまうわ。
そもそも、あなたのお姉さんが自分から望んで長い時間働いていたのであれば、なおさら会社の責任を問いづらいわ」
「あんた、そういうことに詳しいのか?」
「・・・いや」


えりは首を振った。

特別高等人を介して、証拠保全手続きで資料を入手する手段があるにはある。

が、殺人の容疑をかけられているいまの野島にそれを教えても無意味だ。


「残念だけれど、どうにもならないわね」


けれど、とえりは思う。

えり自身、休みなく働いていた。

いくら弟にせがまれても休んでいる暇がなかった。

そういう人はきっとえりや野島の姉だけではないはずだ。

法律に違反する長時間労働は、仕事に励む社員にとっては暗黙の了解になっているのではないか。


「あなたのお姉さんは、あなたの実家の緑をもっと豊かにするんだって家を出て行ったのでしょう?
いわば自分の夢に向かってがんばっていたわけじゃない?
志なかばで倒れてしまったのはとても残念なことだけれど、もっと残念なのは、そのことでさらなる死人が出たことじゃないかしら?」


なだめるように言うと、野島は返す言葉を探しているのか、低くうなった。

獣の鳴き声のようにえりには聞こえた。


「殺すつもりは、なかった・・・」
「・・・そう」
「つい、かっとなって・・・」
「・・・ええ」
「赦せなかったんだ、どうしても赦せなくて、つい・・・」

 

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えりはもうなにも言わない。

野島の傷ついたような顔が、えりの弟と重なることを恐れた。

目を合わせないようにして、話の続きを待った。


「あんたの言うとおり、姉さんは熱心に仕事をしてたみたいだ。
自分から残業してたんだと思う。
立派だなって思ったよ。
近所に住むぐうたら働いてる連中に自慢してやったこともある。
うちの姉貴は志が高いってよ」


えりの弟も、そうやって、よく近所にえりの活躍を大げさに語っていた。

そうやって、寂しさを紛らわしていたのかもしれない。


「だから、姉さんの訃報を聞いたときには、しょうがねえんだって思うことにした。
やるせなかったけど、やりたいことをやって死ねたんなら、それもしょうがねえんだってな。
だから我慢した。 会社が姉さんを働かせすぎていたことも、しょうがねえんだって」


でもな、と続いた。

しゃくりあげるような声だった。


「わからなくなっちまったんだよ・・・」


ぎゅ、と音がした。

野島が遺骨を深く握り締めた音だった。


「俺ははっきりと聞いた。
葬式のときあいつらは笑いながら話してた。
姉貴は仕事中、いつも泣き言ばかりだったって。
実家に帰りたいって。
都会には緑がないって。
緑、緑って、田舎者丸出しだったって笑ってたんだ。
実家の家族には気を張ってがんばってるふりしてたみたいだが、実際使えねえ奴だったって」


野島のなかで、いろいろなものが壊れた瞬間なのだろう。

姉への信頼と憧れ。

会社の人間への忍耐が決壊し、凶行に及んだ。

えりに野島の気持ちはわからない。

わからないが、悲劇は起こった。


「そんな話を聞いて頭がおかしくなりそうだった。
だから、葬式が終わってあいつらを呼び出して問いただした。
あいつらは姉貴の悪口なんて言ってないって否定した。
でも俺は聞いた。
それでもあいつらは否定する。
でも俺は聞いたんだ・・・なあ、わかるだろ?」


わからない。

あまりにもわからなくなって、つい、えりの口が動いた。


「だから、死んだお姉さんの遺骨を故郷に持ち帰るの?
それは、あなたのお姉さんが実家に帰りたいって言っていたから?
ねえ、それはつまり、あなたのお姉さんが夢に向かってがんばっていたんじゃなくて、本当は嫌々働いていたって認めることにならない?」


野島の行動には矛盾があるように思えてならない。

自分の姉を中傷されて逆上したのはわかる。

だが、骨を持ち帰ったのでは、姉を中傷した人々の発言が真実だと認めることになる。

だいたい自分が殺人犯になったのでは、遺骨を持ち帰ることすら困難になるではないか。


あまつさえ、わかるだろう、とはどういう意味だ。


彼は自分が不幸の物語の主人公にでもなったつもりなのだろうか。

えりは、だんだん落ち着かない気分になってきた。

野島の無鉄砲な生き様は誰かに似ている。

誰だ。

そいつは自暴自棄になってつまらない死に方をした。

酒に酔って暗い海に沈んでいった。

誰だ、誰だ・・・。

 

ふと気づくと、野島が頭を垂れていた。


「頼むよ、南雲さん」


頼むよ、姉さんと聞こえた――聞こえてしまった。


「お断りよ。
あなたが本当にお姉さんを信じているのなら、骨は会社の地下にでも埋めてあげなさい」


鞭を打ちつけるように言うと、野島はひるんだ。

そして気づいた。

えりも、弟に自分の仕事を認めて欲しかった。

信じて応援して欲しかったのだと。


野島の巨体が震えていた。

唇がわなないている。

血走った瞳からいまにも涙が溢れそうだった。


「どうしてもいやだって言うんなら・・・」


えりは野島を見据えた。

野島もえりをにらみつける。

太い腕がえりの首にゆっくりと伸びる。

野島が言う。

あんたは俺が人殺しだって知ってる。

腕が迫る。

震える手がいびつに広がる。

伸び放題の爪。

細い喉を捕えようとする十本の指が、気色の悪い節足動物のように見えた。


だが、えりにはわかっていた。


「・・・ぐ、う・・・」


できない。

野島の指先は決してえりに届かない。

自分の正体を知られたからといって、人の首を絞めるような弟を、えりは知らない。


「悪かった。 なんでもない、悪かった・・・」


野島は床にひれ伏し、必死になって許しを乞った。

えりは、微動だにせず、短く言った。


「さようなら」
「待ってくれ。
少し待ってくれ。
こんなことをするつもりじゃなかった。
急いでるあんたに頼みごとなんてずうずうしかった・・・。
そうじゃなくて、おれはただ、あんたにひとつ、言いたいことがあるんだ・・・」


えりは立ち上がった。

心が凍りついて、得体の知れぬ怒りに顔が歪んだ。


「人殺しのいうことなんて、聞いてられないわ」


頭を踏みつけるように言うと、そのまま小屋をあとにした。

野島を振り返ることはなかった。


・・・・・・。


・・・。

 

 

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足の痛みは忘れていた。

野島を置き去りにするようにして小屋を出た。

冷たい雨が全身に重くのしかかる。

かまうことなく草を踏み分け、森を進んだ。


足取りは鈍い。

今日の午後から始まる試験に向けて気をやらなくてはならないのに、思考を切り替えられない。

頭の片隅に邪魔者がいるからだ。

頼むよ、頼むよと肝心なときに限って後ろから袖を引いてくる。


母が危篤だったときもそうだ。

海外で開催された国際学会において、ある条約を巡って重要な議論があった。

えりはこの国を代表する研究員の一人として会議に参加していた。

発言には並々ならぬ責任とプレッシャーがあった。

一歩間違えば諸外国を巻き込んだ大問題に発展する。

そんな緊張感のなかで、えりは神経をすり減らし、弟は無神経に連絡を入れてくる。


――どうしてわかってくれないの。


えりはいつも心の中で叫んだ。

どうにもならないものは、どうにもならないのだ。

だからそんなに責めないで欲しい。

問い詰めないで欲しい。

家族と仕事とどちらが大切なのか。

 

――論点が違う。

 

姉さんは自分のことしか考えてない。

 

――人の気も知らないで。

 

たまには帰って顔を見せてくれ。

 

 

――私だって帰りたい。

 

 

もうやめて、やめて、やめて・・・。


「辞めたい」


積年の思いが腹の底から溢れて漏れた。


「辞めたいが、辞めてどうなる」


慌てて歯を食いしばった。


もう、全てが遅すぎる。

もう、弟はいない。


特別高等人になる道をあきらめても、誰も幸せになれない。

後戻りは愚かな選択だ。

特別高等人になり、理不尽な体制に一石を投じる。

それが、弟へのなによりの供養ではないか。


「私は、正しい・・・」


自分を律すると少しだけ気が楽になった。

辞めたいなどと、いっときの気の迷いに身をゆだねてはならない。

ここでやけを起こしたら、それこそ野島と同じだ。

野島は姉の遺骨を故郷に持ち帰らなければならないのに、衝動的な殺人を犯し、さらに逃走中の山中でえりを助けた。

いったいなにをしているのか。

指名手配犯の身で、見ず知らずの人間を助けている暇などあるはずがない。

賢くない行動の繰り返しだった。

しかし、えりはまた戸惑う。

賢い選択をしているはずの私は、なぜこんなにも苦しいのか・・・。


野島のことを考えていると、何かが記憶の海の中できらめいた。

それはえりが幼いときのことだった。

えりは一人で砂浜にいた。

理由は覚えていないが泣いていた。

きっと弟と喧嘩でもして、家を飛び出したのだろう。

その日、両親は海が荒れるから近づくなと、えりに忠告していた。

けれど、えりは天気予報を信じて疑わない少女だった。

口を尖らせ、『きしょーちょー』が言っているのだからと、その道四十年の漁師の親に反抗した。


結果、えりは危うく命を落とすところだった。

穏やかだった波が爆ぜ、海風が怪物のように咆哮を上げた。

えりの小さな体は、あっという間に高波に呑まれ、海中深くに引きずり込まれていった。

どうして助かることができたのかと問われても、えりはいまでも思い出すことができない。

気がついて目を覚ますと、家の古びた天井があった。

弟がえりの顔を覗きこんでいた。

記憶が曖昧になるほどの恐怖のなかで、唯一覚えているのは弟の表情と、鼻についたような声だった。


ありがとうくらい言えよな、まったく――。


そのとき、ふと、足の痛みが蘇った。

まるでえりを責めるようにじくじくと肉を蝕んでいる。

お前は大切なことを忘れていると、訴えられているようだった。

 

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「私、お礼の一つも言わないで・・・」


野島が犯罪者であろうと、向こう見ずの愚か者であろうと、彼がえりを救ってくれたという事実は動かない。


――戻るのか?


まだ時間には余裕がある。

引き返して頭を下げるくらいの猶予はある。

そう思うと、えりはいてもたってもいられなくなった。

戻ってどうなるというものでもない。

野島は救われない。

それは、わかっている。

再び小屋に帰ってきたえりを見て、野島はいらぬ希望を抱くかもしれない。

頼みごとを聞き入れてくれるのかと歓喜する野島に、よけいな失望を味合わせてしまうかもしれない。

いまさら小屋に引き返すという選択は、とても愚かで残酷だった。

しかし、えりは立ち止まった。

足が痛い。

痛すぎる。

母と弟の顔が思い浮かぶ。

前へ進むにはあまりにも踏みつけてきたものが多すぎる。

えりは感極まって、ある種の錯乱状態に陥っていた。

肉体が精神を締めつけているのか、それとも精神が肉体を縛りつけているのか、痛くて、痛くて、もう、わけがわからない。


えりは身を翻した。

濡れた前髪から水滴が鼻筋を伝い落ちて、唇に滲んだ。

海にでも浸かったかと錯覚した。

大粒の雨は、冷たく、鬱陶しく、そして、少しだけ塩辛い。


・・・・・・。

 

・・・。

 


小屋の近くまで戻ると、すぐに違和感を覚えた。

周囲の雨音を破って声が聞こえる。

おそらく小屋のなかからだろう。

悲痛な声が森を突き抜けて、えりの心を激しく揺さぶった。

急いで小屋に駆け寄った。

木製の壁の向こうで物音がする。

野島のくぐもった声。

何者かと争っているようだ。

胸騒ぎが止まらない。

えりは入り口の戸に触れた。


そのとき、不意に向こうから戸が開け放たれた。

わかっていた。

遅かれ早かれこうなるのだと、わかっていた。

 

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野島が連れ去られていく。

脇を固められ、ずるずると足を運ばされている。


「そら、とっとと歩け」


えりは、呆然としているだけだった。

なんと声をかけていいのかわからない。

一人の警察官が、顔だけ振り向いた。


「あなたはなんです?」


明らかに不審に思われていると、えりは感じた。

雨のなか、人気のないはずの山中に女が一人。

説明をしなければならない。


「私は、特別高等人候補生の南雲えりです。
最終試験のため、山越えをしている途中です」


特別高等人の名前が出て、彼らも納得したようだった。


「これは失礼いたしました。
そういえば、もうじき試験でしたね。 ご苦労様です」


そのとき、野島と目が合った。

野島は何も言わない。

弟に見つめられているようで、えりは落ち着かなかった。


「どうかされましたか?」
「いえ・・・」


えりはぎくりとした。

野島と関係があったことを告げれば、面倒な事情聴取に発展するかもしれない。

えりには時間がない。

まったくタイミングが悪い。

逮捕の瞬間に出くわしてしまうとは思わなかった。

けれど、黙っていれば野島がよけいなことを言って、けっきょく関係が警察に知られてしまうかもしれない。

えりは、その場から早く逃げ出したい気分だった。


「この男を知っているのですか?」
「ええ、ニュースで」


野島から目を逸らした。

罪を犯したような後ろ暗い気持ちになった。


「お忙しいところすみません。
実は、小屋には誰かもう一人いた形跡があるのです。
この男をかくまっていた者がいるのではないかと考えているのですが、どう思われます?」


警察官は鋭く言った。

暗に、えりを疑っていた。


えりは考える。

警察に野島と数日過ごしたことを言うべきだろうか。

しかし、それでは、どうして野島を警察に届けなかったのかと責められる。

いままでの輝かしい経歴に傷がつく。

ニュースで見たと言ってしまった以上、小屋に滞在していたときには、野島が殺人犯と気づかなかったと言い訳するのは苦しい。


えりは切羽詰まった。

警察官の怪訝そうな顔が目の前にある。


「かくまってもらってなんかいねえよ」


野島が不意に言った。

警察官が野島とえりを交互に見た。


「そんな女は知らねえよ。
特別高等人が、試験の前に犯罪者をかくまってる暇なんてあるわけねえだろ」


えりは手足の震えを感じた。

試験前に犯罪者を助ける特別高等人はいなくても、逃走中に人を助ける犯罪者はいる。

えりの目の前で、全てをあきらめたように、うなだれている。


――なにをしているのか。


そろそろ田舎町に向かって山を降りなければまずい時刻だ。

遅刻は許されない。

指導教官はあの法月将臣だ。

間に合わなかった場合には、最悪殺されても文句は言えないだろう。

戻ってきて、ひと言、感謝の意を告げるつもりだった。

だが、やむを得ないではないか。

野島はえりが急いでいるのだと察してくれた。

その心を汲まずしてどうする。

いろいろな人を踏み台にして歩いていく。

大なり小なり、誰でも通る道に違いない。

それは、そんなに責められるような生き方なのだろうか・・・。


「おい貴様、なにを持っている?」


野島の腕が勢いよく捕まれた。


「は、放せ!」


野島が身をよじらせる。

何かを守るように、必死になって手をこじあけようとする腕を振り払う。

だが、無駄な抵抗だったようだ。


「骨・・・?」
「返せ!」
「なんだこれは? なぜこんなものを持っている?」


質問には答えず、野島は暴れ始めた。

だが、後ろからがっちりと羽交い締めにされて動けない。

それでも叫んだ。

返せ、返せ、返せ・・・!


えりは、もう見ていられなかった。

早くこの場から立ち去りたい。

別れを告げる言葉が喉まで出かかっている。


「あの・・・」


――試験がありますので。


「ちょっと、すみません・・・」


――私はこれで失礼します。

 

男たちがゆっくりとえりを見た。

苛立ったまなざしの群れに、えりは少しひるんだ。


「どうかなさいましたか?」


えりはまた、戸惑う。

身がすくみ、背中がこわばって、口がわななく。


野島がえりを見ていた。

えりは息を詰める。

強く瞬くと、弟の顔が点滅するようにまぶたの裏に浮かんでは消えていった。


「・・・気分でも悪いのですか、南雲さん?」


警察官の声が、耳の奥で泡のようにはじける。

嘔吐をこらえるように喉をすぼめた。

舌の付け根が、ゆっくりと喉のほうに吸い込まれていく。


前のめりになって、よろめいた。

怪我をした足の膝が、痙攣するように激しく震えていた。

立っていられない。

痛みにうずく足首に、何かがまとわりついてくるような気配を感じた。

ゆっくりと、確実に、えりの足を地面に縛りつけていく。

もがけばもがくほど、腰を下ろしてしまいたくなる。


「ちょっと、南雲さん、具合でも・・・?」


野島が見ている。

じっと見つめている。

海で命を失いかけた幼いえりが、助かって目を覚ましたときのように。

責めるように、心配するように、弟のように。


低く、うめいた。

奥歯がぎりぎりと鳴った。

みぞおちがひくついて、呼吸が浅く短く、乱れた。


ごめん――。


紀彦、ごめん――。

 

弟は亡くなった。

えりが殺したようなものだ。

特別高等人を目指す優等生のえりは、忙しさにかまけていつも自分に言い聞かせていた。


どうしようもなかった――。


けれど、えりは、こう言った。


人殺しの言うことなんて、聞いてられないわ――。

 

「なあ・・・」


野島がえりを呼ぶ。


「おいあんた、誰だか知らねえが、なあ・・・」


必死さを帯びた声が呼んでいる。

そして、人殺しが、無自覚の人殺しに、身勝手に言った。


「・・・ちょっとくらい、休んだらどうだ?」


その瞬間、えりの心は熱いもので満ちた。


「すみません・・・」


つぶやくように言った。

警察官が怪訝そうに眉をひそめた。


「すみませんが・・・」


ありがとう、と。

ただ、ありがとう、と。

 

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「その骨に触らないでください」


ひと言、それだけのつもりだったのに――。


「それは、私の弟の遺骨です」


野島が、目を剥いた。

えりが、胸を張った。

足の痛みが、ひいていった。


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

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小さな村だ。

誰かが事件を起せばすぐに知れ渡る。

人々は皆顔見知りのようで、野島の実家を探し当てるのは難しくなかった。


野島の祖母は穏やかで優しげだった。

身内から犯罪者が出て肩身の狭い思いをしているかと思ったが、表情にかげりは見えなかった。

事情を説明すると、すぐに庭に案内してくれた。

広すぎる庭だった。

色とりどりの草花や植木が、広大な敷地にざっくばらんにつっこまれて揉みあっていた。

植物好きの素人が手当たり次第に買い込んでは植えている、といった様子だった。

えりは、植物の群れをかいくぐるように庭に足を踏み入れ、適当な地面を見つけると、膝をついて土を掘った。

素手で作業をしていると、雨でぐずついた土が爪や指のあいだにこびりついた。

鼻をかすめる自然の匂いに、妙な懐かしさを覚えた。

ここは、えりの実家でもないのに、ひとつ土を掘り返すたびに、肩の力が抜け、心が安らかに落ち着いていく。

適度な深さまでたどり着くと、えりは遺骨をそっと穴の底に置いた。

そして、静かに土をかけていく。

静かに、静かに、砂時計をさかさまにするように、土へと、戻す・・・。


・・・。

 

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埋葬が終わった。

けじめをつけたような気がした。

えりのなかで、いろいろなものが、混沌の海をさ迷っていた。

それが、ようやく地に足をつけた。


「行こう・・・」


空を見上げると、初夏の太陽が高い位置に来ていた。

もう、試験には間に合わない。

間に合わないが、もう、どこにも逃げ場がない。

ふと気づくと、視界の片隅に向日葵があった。

黄色い花はとても背が高い。

より高い空をつかむように、背筋を伸ばしている。

青空に追いつけ追い越せと、がむしゃらに腕を伸ばしている。


雨露にきらめく向日葵が、とても輝いて見えた。

同時に、ああはなれないと思った。

えりは、向日葵の少女になるには、少しだけ、疲れていたのかもしれない。


「お休み」と言った。


お疲れ様、と明るい声が返ってきた。


野島のものとも弟のものともつかぬ声は、おぼろげながらもえりの心に響いている。

はしゃぐように、姉さん、姉さん、と響いている。

 


・・・。

 

END