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ゲームまるごと文字起こし

G線上の魔王【3】

 


・・・。

 

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「我々は生きているっ! 復讐するは我にありっ!
おれが天下に背こうとも、天下がおれに背くのは許さん!」


放課後の理科準備室。

おれは、雄叫びを上げていた。


「おい、愚民!」
「あ、はい」
「貴様の願いを聞いてやろうではないか」
「え、えっと・・・なんでしたっけ?」
「忘れてんじゃねえよ、花音だよ、花音に決まってんだろうが!」
「か、神・・・落ち着いてくださいよ」
「ヤツは調子に乗りすぎた。
その昔、人間が天まで届く塔を作らんとしたとき、神もいいかげんキレた。
それぐらいおれも怒っている」
「でも、たかが妹のいたずらじゃないすか?」
「家族で殺しあう神様なんていくらでもいるわ!」
「ほ、本気なんですか?」
「おめーよー。 わかるか?
たとえば夜中の一時から並んで朝十時にようやくゲットしたゲームをよー、おもしろいからとかい
うノリで傷モノにされたらおめーどうよ?」
「ま、また買えばいいじゃないすか?」
「黙れボケー!!
お前は自分のモノが壊されてないからそんなことが言えるんだ!」
「いや、神も昨日はぜんぜんおれにかまってくれなかったじゃないすか?」
「とにかく花音には相応の裁きを下さねばならん」
「わ、わかりましたよ。 どうするんですか?」
「クク・・・すでに策はある」
「え? さすがですね、神」
「おれは自分のもっとも楽しみにしているモノをぶち壊された」
「はあ・・・」
「目には目をだ。 花音のもっとも楽しみにしていることはなんだ?」
「え、お昼ご飯とかですかね?」
「ちげーよ、ボケ! てきとーなこと言ってんじゃねえよ」
「だって、ボク今日お昼食べてなくて・・・」
「体育だ体育!」
「あー」
「明日はバレーボールのクラス対抗試合らしいじゃねえか」
「ですね」
「それが中止となれば、花音もおおいに落胆することだろうな」
「なるほどわかりました。 闇討ちしてケガさせるんですよね?」
「おまえはなにもわかってない」
「あ、違うんすか?」


おれは頭脳を巡らせる。


「おれはもっと壮大に怒りをぶつける」
「は?」


おれはかぶりものを脱いだ。

 

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「おい、京介。 もっと具体的に教えてくれよ」
「簡単なことだよ」


もっともらしく咳払いをする。


「これから職員室に忍び込んで、体育用具室の鍵を失敬してくるのさ」
「体育用具室?」
「体育用具室には体育用具が・・・要するに、バレーボールがあるだろ?」
「なるほど。 鍵がなかったらボールが取れないな」
「明日のバレーボール大会とやらが中止になると思わないか?」


栄一がしきりにうなずいた。


「お前、すっげー悪だな」
「ああ、明日一日は、全学年で大迷惑だろうな」
「なにもそこまでしなくてもよくねえか?」


急に怖気づいたようだ。


「たとえば、花音の体操服を隠すとか、そういう策でもいいじゃねえか?」
「それだと容疑者がしぼられやすい。 真っ先にお前とおれが疑われるぞ?」
「ていうか、ヤバくね? バレたらどうするんだよ」
「バレなければいい。 バレなければ犯罪じゃない」
「クズの理屈じゃねえか・・・」
「お前にクズとか言われたくない」


口元を釣り上げる。


「で、だ・・・」
「まあ、わかったよ。 とっとと職員室行こうぜ」
「待てや。
いま職員室に行ったって、先生もたくさんいるだろ。
それに、体育用具室の鍵だって、いまの時間は部活の顧問の先生が持ってるに違いない」
「じゃあ、どうするんだよ?」


一息ついて言った。


「九時になれば部活が終わって、体育用具室の鍵も職員室に戻される。
先生方も、特に仕事がなければ九時くらいまでには帰る。
職員室に残ってるのは、戸締まりの確認を割り当てられた当番の先生だけだ」


そこで栄一が手を叩く。


「あ、今週の当番はノリコ先生だ」
「そうだ」
「ノリコ先生を計画に抱き込んで、鍵をゲットするんだな?」
「抱き込めるわけねえだろ。 教師が鍵を盗んだりしたら大問題だって」
「いや、ノリコはオレのいいなりだから」
「・・・・・・」
「・・・ごめん、嘘」
「話を続けるぞ」


眉間を指で揉んだ。


「九時を過ぎたら、職員室に行って、ノリコ先生が一人でいる姿を確認する」
「一人じゃなかったら?」
「まずだいじょうぶだと思うが、そのときは別の手を考える」
「わかった。 それで?」
「お前がノリコを職員室の外におびきだす。
そのすきに、おれが職員室に忍び込んで鍵を盗んでくる」
「鍵がどこにあるかわかるのか?」
「数学教師の机があるだろ? その後ろの壁にずらーっと並んでかけられてるよ」
「ああ、見たことあるな」
「ついでにマスターキーも盗んでくる。
たしか、同じ場所にあったはずだ。
じゃあ、わかったな? 一分もあれば終わるから、それくらいの時間は稼げよ」
「あ、ちょっと待って」
「なんだ?」
「役割を変えてくれよ」


なんだか困ったような顔をしている。


「・・・おれが、ノリコ先生をおびきだすのか?」
「うん・・・」


かわいらしく唇をすぼめた。


「お前、壮絶にふられたのか?」
「いや、そこまでひどいこと言われたわけじゃないけど」
「どんなことだよ?」
「栄一くんって、嘘つきなんだねって」


深刻そう・・・。


「傷ついちゃってるわけ?」
「顔を合わしたらテンパりそう」
「・・・・・・」
「お前の口から、オレがどんなに誠実キャラが教えてやってくれよ」
「無茶を言うなよ・・・」


しかし、な・・・。

おれがノリコ先生と顔を合わせるのは、ちょっと嫌だな。

おれが、夜遅くまで学園に残っていたという証言が出るのは、後々面倒なことになりそうだ。

椿姫も言っていたが、おれは放課後になると、真っ先に帰宅するキャラで通ってる。

できるだけ、不自然な行動は避けたい・・・。


「な? 頼むって」
「わかったよ。 しゃーねーな」
「さすが神。 一生ついていくぜ」
「お前がどれだけ浅はかでゲスなヤツか、じっくり語っておくわ」
「ちょっとちょっと!」


おれは軽く舌打ちする。


「いいか、注意しておくぞ」
「なんだ?」
「鍵を盗みに入る九時前後の時間、お前は、学園の誰にも見つかってはならない」
「どうして?」
「ちょっとは考えろよ」


頭を小突く。


「職員室から鍵がなくなったであろう時間はすぐに割り出される。
部活が終わる九時くらいから、明日の朝までの間だな。
つまり、その間に学園にいた人間全てが、容疑者なんだ。
当然、おれも疑われる。
疑われるが、おれはノリコ先生と一緒にいるから問題ない」
「あ、そっか。
もし誰かに見つかったら、どうして夜遅くまで学園にいたのかって、疑われちゃうもんな」
「わかったな。
お前は、今日、少なくとも九時前には下校したってことにしなくちゃならねえんだ」
「オッケー、わかったよー」
「まあ、時間が来るまで、ここで隠れていればいいさ」


おれは計画に不備がないかどうか、再確認する。

・・・もし、体育用具の鍵とマスターキー以外にも、体育用具室を開ける手段があったらどうだ・
・・?

まさか、推理小説みたいに鍵をぶっ壊して中に入ったりしないだろうが・・・。

まあいいか、しょせんはお遊びだしな。

鍵は、ことがすんだら、学園の郵便受けの中にでも入れておくか。

 

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「ヒヒヒ、これで花音も残念賞ってヤツじゃねえか。 気分いいねえ」


すっかり勝ち馬に乗った気分の栄一だった。

理科準備室に差し込む西日が、いっそう色を濃くしていった。


・・・・・・。


・・・。

 


九時十分に、おれたちは行動を開始した。

明かりが消えた廊下は冷え切った空気が充満している。

 

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「それじゃ、お前はトイレの用具入れのなかにでも隠れろ」
「わかった。 ノリコ先生を外におびき出したら、オレのケータイに電話くれるんだったな?」
「気づかれずに電話する。
もちろん、音が鳴らないようにしておけよ?」
「まかせとけって」
「窓際には立つなよ? 外から見られないとも限らんからな」
「まかせとけっての。 京介は心配性だなー」


・・・なんか不安になってきたな。


「じゃあ、頼んだぞ。 無事に鍵を盗んだら連絡をくれ」
「オーケーオーケー、そっこー連絡するっての」
「そっこーじゃまずい。
鍵を盗み、誰にも見つからないように学園からだいぶ離れてから連絡しろ」
「へいへいっ」


あくまで軽い調子の栄一。


「よし、行ってくる」


・・・・・・。

 

「ノリコ先生にちゃんと根回ししといてくれよ?」


栄一の軽口を背に、おれは職員室に向かった。


・・・・・・。


・・・。

 

 

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思惑通り、職員室にはノリコ先生だけが残っていた。


「こんばんは、先生。 ちょっといいですか?」


突然声をかけられて驚いたように身をすくめたが、すぐに大人びた笑顔を向けてきた。


「浅井くん、だったわね・・・? 遅くまで勉強してるのね」
「いやいや」
「あなたのことは聞いてるわよ。
出席日数はおもわしくないみたいだけど、成績も優秀で女の子からの評判もいいみたいじゃない?」


なかなか気さくな先生だな。


「あの、ちょっとお話が・・・」


言いながら、おれはさりげなく鍵のありかを確認する。

栄一に指示したとおり、数学教師の机の後ろの壁にずらりと並んでいた。


「どうしたのかしら?」


さて、きっちりと、職員室の外におびきださないとな。


「あ、ちょっとここじゃ、話しづらいんですよね」
「どうして? ここじゃだめ? 誰もいないわよ?」


不審がられるのも予想済みだ。


「・・・栄一のことで、ちょっとお見せしたいものが」
「栄一くん・・・?」


ノリコ先生の顔が強張る。


「見せたいものって・・・?」
「ちょっと、教室までついてきてもらえませんかね?」
「え?」
「お願いします。 来てもらえばわかります」


軽く頭を下げる。


「おれ、あいつから先生のことは聞いてるんですよ」


拳を握り、声を震わせる。


「栄一って、バカで腹黒いところあるんすけど、悪いヤツじゃないんですよ」


友達想いの好青年を演じる。


「だから・・・あの、お願いします」


しばらく間があって、ノリコ先生は椅子から立ち上がった。


「・・・しかたないわね」


・・・まずは予定通り。


・・・・・・。

 

 

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廊下に出ると、ポケットのなかで素早くケータイを操作する。


・・・栄一め、ちゃんとやれよ。


・・・・・・。


・・・。

 

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「えっと、こっちです」


ノリコ先生を先導して教室までやってきた。


「実は、栄一の机を見てやってほしいんですよ」
「机・・・?」
「はい、見てもらえばわかります。 あれです」


先生は緊張した面持ちで、栄一の机のそばまで向かう。

おれは、でたらめをしゃべる。


「どうです?」
「え?」
「いや、だから、たくさん書いてあるじゃないですか?」
「なにが? まっさらで傷ひとつない綺麗な机じゃない?」


おれは目を見開く。


「え? 何も書いてないですか?」
「書いてないわ」
「え、えっと・・・おかしいな・・・」


おろおろと目線をさまよわせる。


「栄一のヤツ、いつ、消したのかな・・・」
「浅井くん、どういうことか説明してもらえる?」
「実は、栄一って、いつも先生のこと思ってるみたいで・・・。
なんていうんすかね、愛の言葉、みたいな?
好きだ、とか、そういうこと机にたくさん書き連ねてるんすよ」


真っ赤な嘘だが、あとで、どうとでも言いつくろえる。


「・・・本当なの?」
「はい。 あいつ、意外にシャイっつーか、純情なところあるんですよね」
「そう・・・」
「すみません。 ぜひ見てもらいたかったんですが」


ノリコ先生はくすりと笑みを漏らした。


「まあいいわ。 浅井くんが友達想いなのはわかったから」
「いや、そんなんじゃないんですよ・・・」


本当に、そんなんじゃない。


「でも、本当に無駄骨でしたね。
せっかく、クラスのみんながいなくなるまで待ってたんですが・・・」


さりげなく、こんな時間まで残っている事情を裏付ける。


「ただ、栄一のこと、もう一度考えてやってくださいよ」


栄一のフォローも忘れない。


「気持ちはわかったわ。
でも、私、本当は他に好きな人がいるのよ」
「あ、そすか」


哀れ、栄一。


「ごめんなさいね」
「いや・・・」


そろそろ栄一もことを終えたころだろう。


「それじゃ、失礼します。
変な用事につき合わせてしまってすみませんでした」


ノリコ先生は微笑んで、おれを見送ってくれた。


・・・・・・。


・・・。

 

 

活気のある街とはいえ、今夜はひどく冷え込んでいる。

 

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「おう、京介、待たせたなー」


哀れな栄一がやってきた。


「首尾はどうだ?」
「ばっちりだ」


鍵を二本、目の前に掲げてみせた。

無事にマスターキーも手に入れたようだ。

鍵はおれが預かっておく。


「誰にも見られなかっただろうな?」
「だいじょぶだって」
「職員室でよけいなことをしてきてないだろうな?
たとえばノリコ先生の机を漁るとか」
「し、してねえって」
「お前な、ばれたら停学もありうるんだぞ?」
「信用しろよ」


不安が残るなあ・・・。


「まあいい。 明日が楽しみだな・・・」
「クックック、そうだな・・・」


セントラル街の雑踏に紛れながら、おれたちはほくそえむ。

明日の三時限目が体育だったな・・・。

花音の慌てふためく姿が目に浮かぶ。


「・・・ていうか、寒くね? 雪降るんじゃないのコレ?」


栄一は鼻をすすりながら、耳まで赤くして震えている。


「帰るわ、カゼ引きそうだし・・・」
「あ、ちょっと待て英一」


せっかくセントラル街に来たんだし、聞いておくか。


「お前さ、『坊や』っていうイベサー知ってるか?」


栄一は小首をかしげる


「あー、いま超有名だよね。
あいつらがやるイベントは当日チケット買えないって話じゃん。
いまじゃ、どこのハコからも引っ張りだこだって」
「幹部の名前って、わかるか?」
「なんか六人いるって聞いたよ?」
「リーダーは?」
「あー、よく知らんね。 たださ・・・」
「ただ?」
「リーダーは人前には出ないんだって。
普通、イベントやる前にはトップが挨拶するもんだけど、そういうのもないみたいだし」
「誰も会ったことがないのか?」
「さすがに幹部は顔知ってるんじゃないかな? でもなんでそんなこと知りたがるの?」
「いや、ちょっといま攻略中の女の子がクラブとか好きでさ」
「へー・・・京介みたいなチャラ男なら、オレに聞かないでも知ってるかと思ってた」
「いやいや、サンクスな」


トップは人前には顔を出さない、か。

だが、六人いるという幹部なら、誰かが顔を合わせていることだろう。

なら、話は早そうだな。

権三の組織が、幹部の一人でも捕まえて問いただせば、トップについて口を割る。

権三にとっては、顔に泥を塗られたようなものだから、尋問は苛烈を極めるだろう。

おれの出る幕もなさそうだ。


「じゃあ、また明日なー」
「おう、明日はちょっと遅れていくけどな。
朝一で病院に行かなくちゃならないんだよ」
「え? 精神科とか?」


栄一は冗談で言う。


「そうそう・・・」


けれど、おれは、本当にその手の人間に会いに行っている。


「いいなー、京介は、オレもいっぱい孕ませたいぜー」


産婦人科に行くのだと、勘違いしているようだ。

栄一は、今度こそ駅のほうに足を向けていった。

あいつも、外見だけなら天使のようにかわいいんだがな・・・。


「・・・・・・」


さて、頭を切り替えるか。

おれは二つ三つ、電話をかけながら、カイシャのことを考える。

表の看板を掲げている以上、警察の目を欺くためもあって、おれは非合法な仕事に手を染めていな
い。

ホテルやスナック、バーやクラブなどに、つまみやおしぼり、氷、トイレットペーパー、観葉植物
や調度品の絵画などを納品する。

一つ一つの商品は小さいが、まとまると大きな利益になる。

このセントラル街は若者の街として発展が著しい。

浅井興行のようなフロント企業にとっては、利権の宝庫といえる。

セントラル街では、浅井興行が最も多く利権を獲得しているが、近頃では関西の組織が再び目をつ
け始めているから、用心しなくてはな。


「・・・ええ、業界全体の売り上げは、市場がいわゆるあなた方の言葉でいう『混み合っている』
ほうが伸びるものですから、あまり、小谷商事さんを潰しすぎるのもよくないんですよ」


・・・他に、なにか懸案事項があっただろうか。


「ええ・・・私の父は怪物と恐れられていますが、浅井興行はモンスターじゃありませんから。
全てを滅ぼして喜ぶのは、コンピューターゲームのなかの魔王ぐらいでしょう」


・・・そういえば、白鳥水羽だったな。


「はい、いつもありがとうございます。 それから別件ですが・・・」


・・・白鳥も、おれみたいなガキがヤクザの下で働いていると知って軽蔑しただろうな。

いわゆる堅気、まっとうな仕事をしている人たちは、皆、おれの存在を知ったとき驚きを隠せない
ようだ。

だが、暴力団がガキを使うのは珍しい話ではない。

若く、体力があり、無知で向こう見ず。

なにより、なにかしでかしたとしても法律が守ってくれる。

暴力の尖兵として、これ以上の人材があるだろうか。

少し違うのは、権三はおれをただの鉄砲玉にはしなかったということだ。

体を張る代わりに頭を使わせられた。

出会ったときから食べ物や着る物など、生活に必要なものすべてをとどこおりなく与えられ、学園
にも通わせてもらった。

望むものはなんでも買ってもらうことができた。

ただし、おれにかかった金を、権三は逐一数字に残していた。

食費はもちろん、住まわせてもらった六畳和室の部屋代、机などの備品、流しっぱなしにしてしま
った水道代からたった一枚のティッシュペーパーまで、生活のあらゆる出来事を金に換算させられ
た。

その額面に、さらに、とんでもない利率の利息をつけて返せと迫られるものだから、それはそれは
頭を使わされたものだ・・・。


「はい、それでは、失礼いたします・・・」


通話を終えて、ぼんやりと街灯の下にたたずむ。

世の中のほとんどのことは、金で解決する。


たとえばこのセントラル街。

街並みを眺めていると、金のかかっていない景色を見つけるほうが難しい。

飛び交う携帯電話、ブランド物の洋服を着た女、年末が近づくと工事を始めるコンクリートの路面
・・・。

初冬の寒空すら、山王物産の息のかかったビル群に呑まれそうな勢いだった。


「踏み潰してやる・・・」


ぼそりと言った、そのときだった。


「寒いすね・・・」

 


「・・・っ!?」

 

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いつの間にそこにいたのか。

宇佐美がおれの眼前に忍び寄っていた。


「おう・・・宇佐美じゃないか、お前もけっこう遊んでるんだな?」
「あ、違います。 昼間も言いましたけど、バイトです、バイトの帰りです」
「へえ、なんのバイトしてるんだ?」
「それであの、ちょっとお願いなんすけど・・・」
「人の話を聞かないヤツだな・・・」


・・・どうも好かん。


「あ、すいません。
自分、よく人をダウンな気分にさせるみたいなんで。
ダウナー系の界隈ではブイブイいわせてるほうなんで」
「・・・・・・」
「いやあの、ホントは人ごみとか苦手なんすよ。
背すじとか丸まっちゃって下見て歩いてるもんだから、歩道の白線とかずっと数えちゃうんすよ」
「・・・だからなんだよ?」
「あ、果物屋です。 自分、主にバナナ売ってます」
「もういいよ、わかったよ。 お願いってなんだ?」


宇佐美は軽く頭をかいた。

 

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「携帯電話、貸してもらえませんか?」
「携帯? 持ってないのか?」
「はい、自分、電話とか苦手なんで」
「電話というか、コミュニケーションそのものが苦手みたいだな?」
「いやそれはないっす」


・・・身の程を知らない女だな。


「あの、バイト先に財布忘れちゃって、早く連絡しないとお店閉められちゃうと思うんで、すいま
せん唐突で」
「・・・・・・」


なんだか嫌な予感がするな。

このトリッキーな女なら、唐突にものすごい長電話をし始めたり、いきなりおれの携帯のメモリを
調べかねん。


「・・・ああ、悪いけどさ」
「はい?」
「おれも、いま持ってないんだ」
「持ってない?」


宇佐美は心底意外そうに目を丸くした。


「一時間くらい前に、落としちゃったみたいでさ。 いま探してるところなんだ」


動物を思わせる純粋そうな目が、二度、三度と瞬いた。



「それは嘘だ」
「・・・なに?」


宇佐美の視線が、ゆっくりとおれの目から右へ移ろっていく。


「寒いですよね?」
「・・・・・・」
「わたしなんか、耳まで真っ赤です」


・・・なるほどな。


「けれど、あなたは左の耳しか赤くない。
これはつまり、ついさっきまで、何かが右の耳に触れていたということだ」


・・・こいつ、妙に鋭いところがあるな。


「わかったわかった、悪かった。
ちょっと意地悪してみたかっただけなんだ。 そんなに睨まないでくれよ」

 

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「あ、いえいえ、自分も冗談です。
右の耳だけ寒さに強い体質なんで、とか言われたらギャグで終わってるところでした」
「・・・・・・ごめんな」


使い慣れた薄っぺらい笑顔を作った。


「・・・いえいえ」


宇佐美も君の悪い笑みを浮かべた。

携帯を差し出すと、宇佐美はすぐさま電話をかけ始めた。


「あ、バイトの宇佐美です・・・ええ、さらさらロングヘアの宇佐美です。
店長まだいらっしゃったんですね、よかったっす・・・」


また、やる気のなさそうな態度に戻ってしまった。

つくづく、変わった女の子だな・・・。

周りにいる人間を落ち着かせない天才というか・・・。

それとも、おれだけか?

宇佐美に見つめられていると、心の奥底まで見透かされるようだ。


「あ、どうも、終わりました」
「おう、財布あったか?」
「ありましたありました。
店が終わって、バナナを冷蔵庫にしまうときに、落としちゃったみたいっすね。
店長が拾っておいてくれましたよ」
「どんくさいヤツだな・・・」
「バイトでもかなりどやされてますよ、自慢じゃないすけど」


また気だるそうに頭をかく。


「それじゃ、このたびはお手数おかけしまして・・・」


背を向けようとした宇佐美に言った。


「本当は、なんのバイトしてるんだ?」

 

 

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「はい?」


宇佐美が振り返る。

少しうれしそうな顔をしているように見えるのは、おれの気のせいだろうか。


果物屋で働いてるってのも嘘だろう?」


・・・まったく。


「どういうことすかね?」


・・・なにが目的なんだ。


「バナナは風味が落ちるから冷蔵庫に入れたりはしない。 売り物ならなおさらだ」


・・・こいつはきっと、それを知っていてなお、おれにかまをかけてきている。


「あ、そうっすね、その通りっす、ばれちゃいましたか。
浅井さんって、賢いっすね。 なにげない会話のなかで嘘を見抜くなんて」


・・・ふざけたことを。


「はは・・・まったく宇佐美は面白いヤツだなー」


・・・要するに、最初からおれに携帯を借りる用事なんてなかったということだ。


「あ、いやいや、ホントすいません。 バイト先は内緒ってことで、ひとつお願いします」


・・・なぜ、おれに近づいてきたのだろうか。


「でも、せっかく浅井さんとたくさんお話できましたし、せっかくついでにひとつだけいいすかね
?」


・・・きた。


「ん? どしたー?」


・・・これが本題だ。


「いやたいしたことじゃないんすけど・・・」


直後、宇佐美はゆっくりと背筋を伸ばした。

 

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「"魔王"、知らないか?」
「は・・・?」


あまり聞き慣れない単語に、耳を疑ってしまう。

けれど、宇佐美は凛々しいまでの顔つきで、おれを見据えてくる。


「"魔王"って、なんだ? ゲームか?」
「ゲームといえば、ゲームかもしれない」
「意味がわからんよ。
ゲームの攻略ならネットで検索した方がいいんじゃないか?」
「インターネットで所在がわかるほど、簡単な敵じゃない」
「敵・・・?」
「敵だ」


さきほどまでの、のらりくらりとした雰囲気がまったくない。


「わからないか?」
「知るわけがないだろう」
「わたしは"魔王"を追ってこの街に来たんだ」
「・・・本気で言っているのか?」


だとしたら、少々頭がおかしいとしか思えない。


「要件はそれだけだ」
「え?」
「わたしは"魔王"を探している。 それを、お前に知っておいてもらいたかった」
「・・・・・・」


何も言い返せない。

だが、宇佐美の瞳には、決意を越えて、憎しみすら宿っている。


「邪魔をしたな・・・」


すっと踵を返すと、そのままセントラル街の雑踏に消えていった。


「・・・・・・」


宇佐美が"魔王"とやらを探している。

誰か、特定の人物のことを指しているのか。


・・・なにかが引っかかる。


宇佐美はおかしな女だが、頭がきれることは間違いなさそうだ。

ではなぜ、そんな正気を疑われるような話を真面目に語るのか。

しかも、おれに・・・。


「帰るか・・・」


考えがまとまるはずもなかった。

ただ、宇佐美ハル・・・自称『勇者様』だったな。

強気をくじき弱気をたすく、正義の存在。

そんな人間がこの世に一人でもいれば、ぜひお目にかかりたいものだ。

冗談でも気に入らない。

おれは、勇者になるくらいなら"魔王"になりたい・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

―――――

 

 

 

・・・。

 

 

・・・・・・。

 

 

 

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富万別市、中央区のセントラルオフィスは夜の闇に沈んでいた。
建ち並ぶ高層ビルは冷ややかさを備え、住民のいない街を見事に演出している。

野犬やホームレスの類さえ、夜のセントラルオフィスを敬遠していた。


一区画に、何百という数の有力企業のオフィスが顔を並べ、日中は、各界のセレブリティが出没す
る人気スポットとして脚光を浴びていた。

一部の経済誌には、富万別市のセントラルオフィスは東京丸の内に次いで日本経済の根幹を担って
いるとの評価もあった。

その中心にそびえ立つ、ひときわ高い建物があった。

地上五十階、地下六階の超高層タワービルである。

富万別市の全景を睥睨(へいげい)するように設計されているのは、なかの会社の社風に通じるとこ
ろがあった。


それは、日本有数の総合商社、山王物産の本社ビルだった。

眠りについたセントラルオフィスにあって、この商社だけは休みを与えられない。

世界各地の駐在員からの情報を、二十四時間体制で処理しなければならないのだ。


・・・。

 

 

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そのビルの最深部に"魔王"の姿があった。

あるはずのない地下七階。

隠された一室だった。

山王物産の内部にありながら、一部のごく限られた社員にしか立ち入りを許されていない。

存在すらも一般の人間には知らされていない部屋だった。


万全の保安設備が敷かれていた。

監視カメラに、金属探知機の類までが整っている。

唯一の出入り口は地上一階への直通エレベーターのみである。

有事には三重の強化ガラスが室内とエレベーターとを遮断するという念の入りようだった。


「この部屋では、たとえ人が死んだとしても、秘密裏に処理されるのでしょうな」


ひとりの男が言った。

ダブルのスーツに身を包んだ、中年の男。

整った頭に若干の白髪が見える。

胸につけた山王物産の社章バッジが、薄暗い蛍光灯に鈍い光を反射させた。


「こんな時間に呼び出してすまないね。
だが、私だって時間を割いているということを理解してもらいたい」


声は、痛烈な自負を含んでいた。

男の名は染谷。

事務取締役にして経営企画室室長という、社内では圧倒的な実力者だった。

染谷の指図ひとつで日経平均が変動し、軽い一言で首をつる人間すらいた。


だが、"魔王"はただ憮然として部屋の壁に背を預けていた。


「君が、経営企画室の影のブレーンとして我々に意見するようになって、そろそろ一年になるかね
?」


"魔王"はうなずきもせず、平然と構えている。


「はじめはどこの馬の骨かと思ったよ。
社長の推薦とはいえ、設立八十年の歴史を誇る山王物産に、よそ者が紛れ込んでいるのだからね」


前置きが長いのは、商社マンとしての性なのだろうか。

"魔王"は無感動に染谷を眺めている。


「たしかに、君の活躍は目覚しい。
君のおかげで、我が社はそれまで寡占市場だった軍事産業に食い込むことができた。
また、大幅な人員削減によっていわゆる大企業病からの脱却を計ることもできた。
さらに・・・」


賛辞はいつまでも続くと思われた。

だが、"魔王"はそのあとに続く染谷の本音を予期していた。

"魔王"はついに重い口を開いた。


「私の力は、もう不要だとおっしゃりたいのでしょう?」


静かな声は核心をついていたようだ。

染谷は、しばらく気圧されたように押し黙った。


「私の指図であなた方は動き、莫大な利益を得た」
「・・・あ、ああ」
「だが同時に、とても世間に公表できないような計画も断行してしまった」
「・・・我が社は、多くのリスクを抱え込んでしまったのだよ」
「私のせいで?」
「君の、その悪魔的な頭脳のせいで、だ」


染谷の唇が震えた。

"魔王"は知っている。

染谷がいかに巨大商社の権力者であろうとも、それは社内における権力にすぎないということに。

"魔王"が提唱してきた犯罪行為の前では、一介の素人にすぎないのだ。


「率直に言おう。 南米に飛んでもらいたい」
「暖かいですな」


"魔王"は薄く笑った。

染谷は取り繕うように言った。


「そこでしばらく身を隠して、ほとぼりが冷めるのを待ってもらいたいのだ」
「暖かいですな」


"魔王"は二度、繰り返した。


「そう、暖かい場所だよ。
現地では、豪勢な社宅を用意してある。 苦労はさせないつもりだ・・・」


"魔王"はゆっくりと首を振った。


「違います」
「な、なにが、違うのかね?」
「あなたが温室育ちだと言いたいのですよ」


染谷は舌を噛んだような表情になった。


「私を本当に邪魔だというならば、もっとやり方があるでしょう」
「やり方、だと?」

 

そのとき、直通エレベーターの扉が開いた。

白衣の男が入ってきた。

染谷の口元が歪んだ。

救いを求めるような目で、男を迎え入れる。

 

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「紹介しよう、こちらは桑島君・・・」


二十代半ばの青年だった。

色白で体も小さいが、目つきだけが異様にぎらついている。

企業より大学の研究室にいそうなタイプだった。


「我が社の新しいコンサルタントだ。
ボストンで勉強していたのを無理を言って来てもらったのだ」
「私の後任というわけか」


「大学ではゲーム理論を学んでました」


桑島がハスキーな声で言った。


「"魔王"と呼ばれているそうですから、どんな方かと楽しみにしてましたが、意外とお若いんです
ね。
ぼくは二十六ですが、ひょっとしてそれより下ですか?」
ゲーム理論の専門家にしては、自分の情報をぺらぺらとしゃべる・・・」
「あなたのことは、染谷室長から聞いてますよ」


"魔王"は染谷を一瞥した。

それだけで、染谷の顔に恐怖が広がる。


「く、桑島くんはすでに社内の人間だ。 君のことを話してもかまわんだろう?」
「社内の人間? なるほど。
山王物産ほどの大企業が、私のような得たいの知れない人間の手を借り続けるのは、居心地が悪い
のでしょうな」


「覇権交代というわけですよ。
山王はこれからぼくの手でクリーンに生まれ変わるんです」


過剰な自信に満ち溢れた言葉だった。

"魔王"はこの手の尊大な若者が嫌いではなかった。

かわいいぼうやだ・・・そう思って笑みをこぼした。


「なんだ、ぼくのどこがおかしいんだ?」
「君は秀才であるのかもしれない。 だが、実績はまだないのだろう?」


桑島は鼻を鳴らした。


「いいか、企業戦略は理論だ、実績なんてあとからついてくる。
最新の理論を持つぼくが、華々しい功績をあげるであろうことは、すでに数値的に証明されている
んだ」
「頼もしいな・・・」


"魔王"はゆっくりと、桑島のそばに歩み寄った。


「ひとつ、ゲームをしよう」
「ゲーム?」
「君が勝てば、私は潔く身を引こう。 採用試験と受け取ってもらってもかまわない」


桑島は語るに落ちたと言わんばかりに、笑みを作った。


「いいでしょう。 で、どんなゲームですか?」


"魔王"は不意に、左手を桑島の目の前に突き出した。

五本の指を伸ばし、手のひらを向けている。


「君も同じように指を広げてくれ」


桑島は言われたとおりに左手を差し出した。

 

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「ここに、私と君の分を足して、十本の指がある」
「"魔王"といえども、指は五本なのですね」


桑島はせせら笑うが、魔王は静かに言った。


「ルールは簡単だ。
これから我々は交互に、空いている右手を使って、この十本の指を折っていく」
「逐次手番ゲームですか。 かなりの得意分野ですよ」
「自分の番が来たら、指を二本折ってもいいし、一本折ってもいい。
ただし、指は私と君のを交互に折らなければならない」
「一本、あるいは二本ですね。
最終的に最後の指を折ったプレイヤーが勝ちというわけですか?」
「察しが良いな。 なにか質問は?」


その瞬間、桑島は低く笑った。

笑いを噛み殺したいのだが、相手が愚か過ぎて耐えられないといった様子だった。


「提案ですがね、魔王」
「なにかな?」
「ぼくが先攻でいいですか?」


"魔王"はうなずいた。

了承の意を得た桑島は、よりいっそう口角を吊り上げた。


「その代わり、私からも提案だ」
「なんでもどうぞ」
「各プレイヤーに与えられる制限時間は二十秒としようか」
「二十秒? 十秒もいりませんよ」
「十秒でいいのか?」
「ええ」
「本当に?」
「しつこいな。 さっさとやりましょうよ」


"魔王"と桑島は向かい合った。

お互いに左手の手のひらを向かい合わせ、指の伸ばす。


「では、ゲームを開始しますよ。 ぼくが先攻でしたね」

 

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言いながら、桑島は自分の親指を右手で折った。


「まずは一本ですね」


この場合は、"魔王"の小指を折ったプレイヤーの勝ちとなる。

 

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"魔王"は自分の親指を折った。

さらに桑島の人差し指も折る。


「君の番だ。 制限時間は十秒だったな」
「ふん・・・」

 

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桑島は余裕の表情で、"魔王"の人差し指を折った。


「一本でいいのかな?」
「ええ。 僕の勝利は決まっていますから」

 

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"魔王"は次も指を二本折った。

桑島の中指と自らの中指の順である。

直後、桑島が吹き出した。


「笑わせないでくださいよ、"魔王"」
「どうした?」
「これは、いわゆる先に十と言ったもん勝ちのゲームだ。
必勝法は、中学生でも知っていますよ」


笑いに痙攣する指で、桑島は自分の薬指に触れた。


「ぼくの薬指は、ゲームにおける七番目の指です。
このゲームは後ろから解いていけばいいのです。
自分が十本目を折るためには、七本目を折れば勝利が確定します」
「ほう・・・」
「七を折るためには四を、四を折るためには一を。
つまり、先行を取ったプレイヤーが必ず勝つんですよ」


"魔王"は黙って桑島の解説に耳を傾けていた。


「なぜならぼくが七本目の指を折った場合、"魔王"は八本目のみ、あるいは八本目と九本目の指を折ることしかできませんからね。
"魔王"が八本目のみを折った場合、ぼくは九、十と。
"魔王"が八本目と九本目を折った場合、ぼくは十本目を折ることができます」

 

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桑島は、そこで、ようやく七本目の指――自分の薬指を折った。


「君の語りが長いので、制限時間はとっくに過ぎてしまった」


"魔王"は冷静に言った。


「君の負けだと言いたいところだが、一度は許そう」
「さすがは"魔王"。 寛大な処置をありがとうございます」
「だが、二度はない。 ゲームを続ける」
「ゲーム続行ですって? ぼくの説明が理解できなかったのですか?」


残る指は、三本。


八本目――"魔王"の薬指。


九本目――桑島の小指。


そして十本目――"魔王"の小指である。


「あなたは馬鹿ですか?
ぼくが七本目の指を折った以上、どうやったって、あなたの負けなんですよ?」
「勝負というものは、最後までわからない」

 

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"魔王"は自分の薬指を折った。

次に、桑島の小指に手をかける。


「・・・わからない人だな。
染谷室長、これでぼくを認めてくれますよね?」


桑島が約束された勝利に酔い、染谷に媚びたその直後だった。


「――いっ!!!」


突如、桑島が鋭く鳴いた。

なにが起こったのかわからないのだろう。

けれど、驚愕の表情は徐々に苦悶の色を帯びてきた。


「ひ、ひぃっ、な、なにをっ!?」


狼狽する桑島とは対照的に、"魔王"はわずかばかりも動じた様子がない。


「綺麗に折れたろう?」
「・・・う、ああ」
「実際に経験したことがあればわかるだろうが、小指が折れても、さほど苦痛はないものだ」


桑島の顔は蒼白になっていた。

自分の指がありえない方向に曲がっている。

研究畑の桑島にとって、信じられない衝撃だったに違いない。


"魔王"はたしかに指を折ったのだ。


「さて、君の番だ。 制限時間は十秒でいいんだったな?」


桑島の返事はなかった。

膝を折り、なすすべもなく痛みに震えていた。


「どうした? 二度はないと言ったはずだぞ。
十本目、私の小指を折れば君の勝利ではないか?」
「・・・た、助けて・・・!」


もはや桑島の頭に、ゲームのことなど欠片もないようだった。

勝負はあった。

"魔王"は腕を下ろし、眼下にひざまずく弱小動物のような男に言った。


「君が戦略家として使い物になるかどうかは、初手で見極めがついていた」


"魔王"は勝ち誇るでもなく、続けた。


「君の言うとおり、このゲームは、先攻を取った者が必ず勝つゲームだ。
誰でも知っているが、誰でも知っているからこそ、裏を読まなければならなかった」


手の甲を額に当てながら、桑島の顔は激しく歪んでいた。

敗北を悟っているのだ。


「君はまず、初手で私の親指をへし折るべきだったのだ。
小指と違って親指はかなりこたえる。
だから私は二十秒の制限時間を提案した。
指を骨折した苦痛と衝撃に耐えるのに、二十秒程度の時間が欲しかったのだ」
「そ、そんな・・・なんのためらいもなく人の指を折るなんて・・・」」
「なんのためらいもなく人を傷つけることができなければ、企業戦略家は務まらない。
我々の一言で、会社が倒産し、一家が離散し、自殺する。
まともな常識のある人間にとっては、抵抗感のある仕事だ」


そのときになって、"魔王"は染谷を見た。

染谷は置物のように部屋の隅に棒立ちになっていた。


「染谷室長、おわかりか?」
「・・・う、うむ」


染谷の額に脂汗が滲んでいた。

いまさらながらに"魔王"の恐ろしさを思い知ったようだ。


「私が邪魔者で、企業にとって不必要だと判断したのならば、南米に飛ばすなどという暴挙はやめ
たほうがいい」
「・・・・・・」
「それは非常に手ぬるい選択だ。
なぜなら私にはまだ、この会社を使ってやるべきことがある。
私が会社にもたらした利益に見合うだけの報酬を受け取っていない。
不当な扱いを与えられるのならば、私は全力を持って山王物産に復讐するでしょう」
「わ、わかった・・・」


染谷はうろたえながら両手を挙げる。

"魔王"は詰め寄った。


「あなたはおっしゃったでしょう?
この地下室ではたとえ死人が出ても、秘密裏に処理されるのだと」
「わかったと言っているじゃないか・・・」
「私を殺しなさい。 それが一番確実ですよ」
「や、やめてくれ!」


"魔王"は人間がどうすれば従うのかを熟知していた。

"魔王"はなんのためらいもなく人を傷つけることができる。

けれど、染谷や桑島にはできない。

こういう決定的な差を見せつけてやるのだ。

偉大なる暴力の、その圧倒的な支配力を・・・。


「悪魔め・・・」


染谷の皮肉は、"魔王"にとって賛辞に過ぎなかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 

 

・・・・・・。

 

 

 

臨床心理学のカウンセラーと呼ばれる連中に捕まると、ちょっとやそっとじゃ解放してもらえない。

端的にいうと、心に問題の少しもない人間などいないからだ。

先生方は、おれから言わせれば、ただの"不満"にすぎないことに、ご大層な病名をつけたがる。

幸いにして、おれはまだ病院送りにはされていない。

だが、一時間に五千円のカウンセリング料は高すぎる。

本を読めばわかるような説教でお茶を濁すだけで金が入る。

魔法のようにぼろい商売だ。

 

・・・。

 

 

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「また、昔の話を申し上げればよろしいんですか?」


オフィス街のビルの五階にフロアを構える臨床心理研究所。

待合室を抜けた先にあるカウンセリング室で、おれは担当の先生と向かい合っていた。

十五坪以上の幅広いスペースに、ゆったりとしたリラクゼーションソファ、明るい色調の風景画、
茶系で統一された書棚や調度品が整えられている。

さりげなく流れる落ち着いた音楽からも、患者の心を癒す目的があるのはあきらかだ。


「もう、十回目くらいになるかな?」


穏やかな口調の秋元さんは、ふくよかな体を白衣につつみ、いつも暖かいまなざしを注いでくる。

秋元氏のプロフィールは、複数出版されている本の巻末で確認済みだ。

写真では一見して白い子豚といった印象の男も、アメリカ留学経験を武器に、都内有名大学の非常
勤講師と大学附属病院の精神科顧問を勤める相当なエリートだ。


「京介くん、いまだからこそ、本当のことを話すけれどね」


前置きが長いのは、もはや愛嬌と取れるほどに慣れてしまった。


「一年前くらいかな。
ちょうど、君が初めて私のもとを尋ねてきたときだね。
正直なところ、私は君の話を半信半疑に聞いていたんだ」
「そうですか」
「君は、なんと言ってきたんだっけ?」


自分がわかっていることを、何度も患者自身に話させるのが秋元氏の仕事らしい。


「僕は、僕と同世代の青年と比べて、どうやら価値観が違うようなのです。
みんなは、人を信じ、偉い人物を尊敬し、友人を助け、親を敬えと言っています。
けれど僕はそうは思わない。
人の心はお金で買える。
誰もが利益で動き、自分のことだけを考えているのだと」


秋元氏は脂肪にたるんだ首を深く縦に振った。


「人間には、誰しも良い自分と悪い自分が共存しているんだよ。
幼児は犬猫をかわいそうだと思って拾ってあげる優しい一面と、蛙の口に爆竹を入れるような残酷
な一面も持ち合わせているよね?
けれど、成長して情緒が整ってくると、悪い自分を理性で抑えられるようになる。
君はいままで、例えば人を殴ってやりたいとか思ったことはないかい?」
「ありますね。
返すあてもなく金を借りるヤツなんて、殺してやりたいとすら思います」
「けれど、実際には殺さない・・・そうだよね?」
「はい」


また満足そうにうなずいた。


「うん、ここが境目なんだ。
君が人格障害を持つ患者ではないことを示す、ボーダーラインなんだ」
「僕としては、ただの思春期の悩みにすぎないことだと思うのですが・・・?」
アメリカのとある大学教授がね、思春期におけるホルモンバランスの変化が、いわゆる不良少年
を作り出す要因ではないということを実験で証明しているんだ」
「けれど、実際に僕は不良少年と呼ばれても仕方がないようなことをしています」


秋元氏とは権三の紹介で知り合った。

だから、秋元氏はある程度、浅井興行でのおれの立ち位置を知っている。


「つまり、君が人の心は金で買えると思うようになってしまったのは、それなりの理由があるとい
うことだよ」
「それなりの理由とは?」
「それを、いまからじっくりと探っていこうじゃないか」
「はい・・・・・・」


本当に、ぼろい商売だな・・・尊敬してしまう。

おれが金を払ってカウンセリングを受けるのには、もちろん理由がある。

秋元氏のように精神科医の資格を持つ人間に"ある証明書"を書いてもらい、それなりの手続きを踏む。

すると、出席日数や必須単位などの、学園を卒業するために必要な条件が大幅に緩和されるのだ。

よく学園をさぼり、授業をまっとうに受けていないおれにとっては、とてもありがたい話だ。

当然、金はかかるが、おれは時間を買っているという感覚で、ひと月に一度ほど、ここを訪れるこ
とにしている。

もちろんおれは、秋元氏が疑うような人格障害なんて持ち合わせちゃいないが・・・。


「じゃあ、今日は、君がいまのお父さん、浅井権三さんに引き取られたいきさつについて、聞いて
みてもいいかな?」
「長くなってしまいますが、かまいませんか?」
「うん。 ゆっくりで、かまわないよ?」


壁にかかった時計を見る。

あと十五分で一時間だ。

かいつまんで話さなければ延長料金を取られるな・・・。


「簡単に言うと、僕の前の父が借金をしていたからです」


負債総額は五千万だったか・・・。

主な債権者は銀行やノンバンク、消費者金融だったが、まずいのは、権三の組とかかわりのある闇
金にまで金を借りたことだった。

おれと母と父は、権三の組のチンピラに激しいプレッシャーをかけられた。

もともと抵当権のついていた一戸建ての家からは、家具、家電などがすべて持ち出され、物という物がなくなった。

いまでこそわかるが、そういった押収品はバッタ屋と呼ばれる小売業者が叩いて買ってくれるのだ。


「母は病気がちでしてね。
ベッドがないので、よく冬服を敷布団にして寝ていました。
しかし、当時の僕が考えているほど、信用貸しというのは甘い生き物ではありませんでした」


たしかに、暴力団新法で、警察が民事に介入できるようにはなった。

被害者の会と呼ばれる対策コミュニティもあるし、インターネット上には、闇金の手口が事細かに掲載されている。

 

が、そんなもの、連中は屁とも思っていない。

一つ潰されればまた次が、それも潰されればまた新しい金貸しが、いくらでも兵隊を送り込んでく
る。

一時期流行った自己破産など、破産を申し立ててから免責が決定するまで一年近くの時間を要する。

その間に、身柄を抑えられれば終わりだ。

自宅、実家、知人の家、近郊のホテル、タクシー会社、新聞の販売所、日雇いの工事現場・・・。

カモに逃げられるのは、恥以外の何者でもない。

面子というものを異常なまでに気にする連中は、執拗に追い込みをかけ、獲物を必ず捕まえる。


「母の実家に逃げていた僕らは、あっさりと捕まりました。
北海道にまで追いかけてくるとは、本当に驚きました。
やつらは母にまで手を上げようとしました。
それをかばって、顔が曲がるくらい殴られました。
それからですね浅井権三とのつき合いが始まったのは」


再び時計を見る。

そろそろ一時間経つ。

学園にも行きたいし、とっとと退散するとしよう。


「なるほどね。 よくわかったよ」
「そうですか、では・・・」
「もう終わりにするかい?」
「ええ、ちょっと用事もありますし」
「わかったよ。 ただ浅井くん・・・」


秋元氏は柔和そうな目尻をいっそう下げた。


「いまの話だけで君という人間を理解するには、少々難しいね。
たとえば、浅井権三さんはどうして債務者の息子である君を養子にしたんだい?」
「先生、すみません、時間が・・・」
「ああ、いいんだよ、少しくらい。
君が、いつも一時間きっかりで帰るのは知っているからね。
お金を気にしているんだろう?」


・・・さすがに、人相手の商売をしているだけあって、見る目はあるようだ。


「・・・では、もう少しだけ」
「ありがとう」


おれはため息をついて言った。


「モノになる、と言われたんです」
「権三さんに?」
「チンピラにぼこぼこにされても、怯えた様子がなかったそうです」
「度胸が据わっていたんだね」
「何も考えていなかっただけでしょう」
「なんにしても、ヤクザに見込まれるなんて、たいした男だよ、君は」


・・・暖かい人だな。

いままで何度か、こういう人に出会った。

けれど、おれは何も感じない。

立派な人など、何も信用できない。

大学の講師や病院顧問の肩書きがあるエリートだろうと、金は要求する。

いまのように、時間がきても少しくらい料金をまけてくれることはある。

しかしそれも、余裕を見せて相手を懐柔させようとする手口なのではないか。

おれは動機に利害関係がなければ納得しない。

たとえ腹の底が知れても、わかりやすいほうについていく。

だからおれは浅井権三の息子になったのだろう。

あれほどわかりやすい悪漢は、そういない。


「権三は暖かい部屋と毎日三食の飯を与え、中学校を卒業させてくれました。
僕が将来は商社で働きたいといえば、金持ちだけが通える専門の学習塾に通わせてくれました。
体を鍛えたいとい言えば、ボクシングのコーチを紹介してくれました。
しかし、それは、もちろん、親心とか善意とかいう類のものではありませんでした。
権三は、僕にそういったことをしながら、いつも最後には必ずこういうのです。
『いいか、京介。 俺がお前にモノや金を与えるのは、お前を俺の手駒にするためだ』」


そのとき、秋元氏の顔が一瞬だけ翳った。


「『いつかお前が俺の寝首をかこうと思ったとき、一瞬でも迷いが生じるように仕向けているのだ』とね」
「・・・噂には聞いていたが、強烈なお父さんだね」
「わかりやすくていいと思いませんか?」


おれの問いに、返事はなかった。


「それでは、そろそろ・・・」
「ああ、最後にいいかな?」
「なんです?」
「君は、友達なんかから、よく忘れっぽいと、言われたりしていないかな?」


おれは眉をひそめる。


「・・・友達との約束をすっぽかすことはありますね」
「そう」


いままで一番深くうなずいた。


「なにか?」
「いや、君のような忙しい若者なら、うっかりすることもあるのだろうね」


明らかに、本音を隠している言い回しだった。

だが、こうやって、次回へのつなぎを作っておきたいのだろう。


「じゃあ、次回、また都合がついたら連絡をください」
「今日も、本当にありがとうございました」


腰を上げ、退室する。


・・・・・・。

 


廊下の受け付けで料金を払ったとき、不意にめまいが襲ってきた。


「・・・・・・」


気持ちを切り替えていこう。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

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・・・おれが忘れっぽいだって?

恨みだけは忘れんよ。

おれの命の次くらいに大切なバッハの新譜を、ノリでキズモノにされた恨みだけは。

花音め・・・思い知るがいい。


・・・・・・。


・・・。

 

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「兄さん聞いてよ聞いてよーっ」


登校したときには、すでに昼休みの時間だった。

花音が、口をへの字に曲げて騒いでいる。


「バレーボールできなかったんだよー」


どうやら、計画はうまくいったようだ。


「え? なんで?」


笑いをこらえながら聞いた。

 

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「なんだかね、体育用具室の鍵が無くなっちゃったみたいなの」
「もー、ホント、どこやっちゃったんだよー!」


鍵はすでに学園の業務用の郵便受けに入れておいた。


「そっかー、それは残念だったねーっ」


栄一も邪な目を輝かせていた。

 

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「けっきょく、マラソンになったんすよね。
この寒空のなかマラソンとか、思わず転校してやろうかと思いましたよ」
「なんだ、宇佐美も楽しみにしてたのか?」
「あ、いえ。
自分、基本スポーツ苦手なんで。
バレーボールみたいなボール関係は特に」
「球技というより、集団競技そのものが苦手そうだな」
「いやそれはないっす」


・・・身の程を知らない女だな。


「でも、花音ちゃん、今度の体育の時間に延期になっただけだから」
「のんちゃん、来週から三日間合宿だもん。 ガッコ来られないもん」


「残念だなー」
「残念残念っ」


おれは栄一と顔を見合わせて、勝利の余韻を味わった。

 

・・・。

 


「しっかし、誰が鍵を隠したんだろーなー」


・・・っ!


おれが驚きに言葉を失ったのと、宇佐美が口を開いたのはほぼ同時だった。


「どういうことすか?」


けれど栄一はいまだにニタニタしたままだ。



「いや、だから、あの鍵を盗んだのは誰なんだろうなーって」
「盗まれた?」
「うんうんっ」
「盗まれたなんて誰も言ってないっすよ」
「え?」


まずい、な・・・。


「なんで盗まれたと思ったんすか?」
「え? い、いや、な、なーんとなく・・・ハハハ」


「んー?」

「え? 宇佐美さん? 栄一くん?」


宇佐美は栄一に詰め寄る。


「エテ吉さん」
「え、栄一だって」
「エテ吉さんは、体育用具室の鍵を実際に見たり使ったりしたことはありますか?」


まずい・・・まずいぞ。


「鍵? 見たことなんて・・・ないよー。 鍵なんて先生が持ってるもんだからねー」
「なら、さっきはどうして『あの鍵』っていったんですか?」
「へ?」
「いいましたよね?
『あの』鍵を盗んだのは誰なんだろうなーとか。 普通は『その鍵』って言いませんかね?
実際に見たこともなくて、話に聞いただけのモノに対して、『あの』とか、使いますかね?」
「そ、それは、言葉のアヤってヤツじゃない・・・?」

 

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「エイちゃんが盗んだのかー!?」


花音が腕を振り上げた。


「ちょ、ちょっとボクじゃないよー!」


「か、花音ちゃん、落ち着いて!」


「・・・・・・」

 

「待てーっ!」
「あ、あわわっ!」

 

逃げる栄一、追う花音。

 

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「浅井さん」


宇佐美がいつの間にかおれを見つめていた。


「昨日はども」
「おう・・・」


・・・嫌な予感がする。


「聡明な浅井さんは、どう思います?」
「いや、おれ聡明じゃないし・・・」


まさかこいつ、おれのことを疑っているのか?


ち・・・。


この計画は、疑われないこと、容疑者を絞られないことが、最大の利点なんだ。

それを栄一のボケがあっさりとボロを出しやがって・・・。


「これって、ばれたら、シビアにまずいですよね?」
「そうだな・・・もし、栄一がやったんだとしたら、停学になったりしてなー」
「ですよね、うちのクラスだけじゃなくて、この学園全部の体育の授業で用具室が使えなくなって
しまったんすから」
「・・・・・・」
「ただ、エテ吉さんって、邪悪な心の持ち主ではありますけど、チキンはチキンだと思うんすよ。
スライムですし」


・・・やはり、おれを疑っている。

バレれば停学。

小悪党の栄一は、そんな危険を冒さない。


「なんだよ、おれが、共犯だとでも言いたいのか?」


宇佐美の口元が吊り上がる。

 

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「浅井さんには動機がありますからね」
「ほー、どんな?」
「CDに傷つけられましたよね?
お返しに、花音が楽しみにしてたバレーボールが中止になったら、愉快じゃないっすか?」


お見通しか。


「待てよ、おれだって、チキンだって」
「そすかね?」
「花音に復讐したいなら、花音だけをこらしめる手段を考えるって。
学園全体が迷惑するような、そんなテロリストみたいなことするかよ」
「木を隠すなら森のなか、ていうかペンギンを隠すなら群れのなかといいます」


言わない。


「容疑者をしぼりこませないために、犯罪の規模を大きくする。
なかなか手の込んだことをしてくれますね?」
「だから、おれじゃないっての。
おれのせいで今日の体育が潰れるなんて、ひどすぎるじゃねえか」
「今日の?」


・・・しまった!


「どうして『今日の』なんすかね?
明日になったら鍵は発見されてるんすかね?
まるで鍵が今日中に見つかることがわかってるような発言じゃないすか?」


・・・いや、待て、言い逃れはできる。


「さすがに明日も体育が中止になるなんてありえないだろ。
学園だって対処するだろうさ。
だいたい、おれは鍵が今日中に見つかるなんて、言ってない。
今日の体育が潰れると言ったんだ。 妙な誘導はやめろよ」


宇佐美はまた小さく笑う。


「それはそうかもしれませんね」
「わかってくれたか?」
「理解できないこともありませんが、まだまだ納得できるほどじゃない、と思いました」


しばし見つめ合う。

慌てることはない。

証拠はないんだ。

鍵もそろそろ見つかって、騒ぎも鎮火する。

栄一が夜九時に職員室にいたという証拠でもあがらない限り、この事件は闇に葬られる。


「そろそろ休み時間終わるよ?」
「ああ、寒いし、教室に戻ろうぜ」
「花音ちゃんも、もういいじゃない?」


花音は栄一を捕まえてネクタイを引っ張っていた。


「う、うぐぐ、ボクじゃない、ボクじゃないよー!」
「どうしてくれる! どうしてくれる!」

 

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「宇佐美さんも・・・浅井くんはみんなが迷惑するようなことする人じゃないよ?」
「私は正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言いたいだけだ」
「で、でも、お友達なんだし、疑っちゃダメだよ・・・」
「友達が間違っているのに、間違っていると言わないのは、悪だ」


合理的な女だな。

腹の底に不快感を覚える。

何者なんだ、いったい・・・?


「ていうか、椿姫、私のことは勇者と呼べと言ったろう!?」


なんか妙なところでキレてるし・・・。


「ご、ごめんね、宇佐美さん」
「だから、ちげーだろうが!」
「あ、あわわ・・・」


・・・昼休みが終わる。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


五時限目の数学の授業中。

そろそろ授業が終わろうかというとき、クラス全体がどよめきだした。

あの熱血数学教師が、先日のテストを返却しはじめたからだ。


「やったー、赤点免れたよー!」


バレーボールができなかったことも、すでに忘れているかのような明るい声が上がる。


「浅井くん、どうだった?」
「ぼちぼちかな・・・80点だったよ」

 

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「自分、100点でした」


呼ばれてもいないのに、宇佐美が言い放った。


「うわ、すごーい! 転入初日の試験だったのに・・・」


「前の学園はうちより授業、進んでたのか?」
「・・・・・・」


なぜか、頬を赤らめた。


「な、なんだよ、急に黙るなよ」
「ここで、まぐれだ、とか言うと、ちょっとかっこいいんじゃないかと思ってます・・・」
「・・・気味の悪いヤツだな」

 

「あ、先生!」


不意に隣の栄一が手を上げた。


「先生、ここあってますよ!?」


とことこと可愛らしい足取りで、数学教師のもとへ向かう。


「なんだ相沢・・・?」
「ここ、あってるのに、バツつけられてるんですよ」
「お、すまんすまん。 たしかにあってるな」
「ふー、これで、ぎりぎり赤点脱出ですよ」
「もっと勉強しろっ」


舌を出した栄一に軽くゲンコツ。

そんなやりとりを見て、何も知らないクラスの女子が、かわいいーとか笑う。

数学教師は退室し、授業が終わった。

 

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「エイちゃん、ずるしたんじゃないだろーなー?」
「してないよ、もうー」
「ホントかなー?
1を4に書き直したり、3を8に書き直したりしてないかなー?」
「花音ちゃん、いいかげん、ボクを信じてよー」


「おい栄一、見せてみろよ」


五行にわたる数式に、バツの上にマルがつけられている。

採点ミスがあったのは、花音の言うような安易にごまかせるような箇所ではなかった。


「浅井さん、鍵が見つかったそうですよ」
「急に話しかけてくるなよ」
「というわけで、自分、職員室に聞き込みに行ってきます」
「なにが、というわけで、だ」


宇佐美は猿のようなすばしっこさで教室から出て行った。


・・・。

 

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「京介っ」


栄一が小声で話しかけてくる。


「だ、だいじょうぶなんだろうな?」
「・・・あわてるな」
「でもよう。 あの宇佐美って女はオレたちを疑ってるんだぜ?」
「お前がこれ以上ヘタなことを言わなければ、ぜったいだいじょうぶだ」
「ば、バレたら停学だよな?」
「栄一よー、コレが火サスだったら、お前ぜったいおれに殺されてるぞ?」
「く、口封じかよ!」
「わかったな? 次に宇佐美になにか聞かれたら、狂ったフリでもしてごまかせ。
とにかく何もしゃべるな」
「わかった。 急に腹が痛くなることにする」
「モロ怪しいが、もう怪しまれてるから、それでよしとする」


・・・宇佐美め。

おれの計画、見破れるものなら見破ってみろ。


・・・・・・。


・・・。

 

 

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強い西日が教室に差し込んでいる。

本日最後の授業中、宇佐美はおれの前の席でじっとしていた。


「・・・・・・」


ぴくりとも動かない。


「おい、宇佐美」
「・・・・・・」
「おいっ、無視するなよ」
「犯行時刻がわかったんすよ」


背を向けたままぼそりと言う。


「いつだ?」
「昨日、最後まで残っていた先生に聞きました」
「ノリコ先生だな?」


宇佐美は軽くうなずく。


「昨日の夜八時半、バドミントン部の先生が部活で使用していた鍵を戻しに来たところまでは、体
育用具室の鍵は確実に職員室にあったそうです」


おれが職員室に入ったのは夜九時だ。


「ということは、鍵は、夜八時半以降になくなったということになるな。 それで?」
「今日の朝一番に、バトミントン部の先生が朝練習のために体育用具室を開けようとしたそうなん
です。
そのときには、鍵はもうなかったんです。
昨晩八時半にはちゃんとあったはずの鍵が、朝には盗まれていた。 どうしてでしょうね?」
「とことん盗まれたってことにしたいんだな?」
「体育用具室の鍵だけがなくなっているんならともかく、マスターキーまでなくなっていたんです。
昨日、マスターキーを使用した先生は誰もいないそうです。 ずっと職員室にあったそうです」


なるほどな・・・マスターキーは紛失したというより、盗難にあったと考えるほうが自然だ。


「犯人は、間違いなく、体育用具室を使えないようにしたかったのです」
「・・・そうなるな」
「犯行時刻は、昨日の夜八時半から十時までです。
十時にノリコ先生が職員室に施錠をしましたから」
「その間、職員室にはノリコ先生以外に誰かいたのか?」
「ノリコ先生の話を聞く限りでは、誰もいなかったそうです」
「じゃあ、ノリコ先生が犯人なんじゃないかなー?」


すると、宇佐美はやや不機嫌な声を出した。


「ノリコ先生に限らず教師が犯人なら、犯行のチャンスはいくらでもあります。
わざわざ自分しか職員室にいない時間を選んで鍵を盗む必要はありません」


・・・無駄だったか。

なにしろ動機がない。

体育用具室の鍵を盗んで、教師にどんな得があるというのか。


「浅井さんは、昨日の夜、なにしてたんすか?」
「昨日の夜・・・?」


・・・これは罠だ。

宇佐美はノリコ先生に事情を聞いている。

ノリコ先生は、昨晩のことを話しているだろう。

ヘタに嘘をついたら突っ込まれる。


「実は、栄一のことで、ノリコ先生と話をしてたんだ」
「聞いてます。 何時ごろでしたっけ?」


九時過ぎ、と言いたいところだが、腕時計もしていないおれが時刻を正確に言い当てるのも若干不
自然だ。


「さあ、覚えてないな・・・八時くらいかな?」
「九時過ぎだったそうですよ?」
「わかっているなら、聞くなよ」
「どうして、そんな時間に?
ノリコ先生に用があるなら、もうちょっと早い時間でもかまわないでしょう?」


さすがに不審に思ったか。


「浅井さんは、放課後になるとマッハで帰ることで有名みたいじゃないすか?」
「栄一のプライベートなことだから、ノリコ先生以外の誰にも聞かせたくないし、見られたくなか
ったんだ」
「六時でも七時でもよかったじゃないすか?
それぐらいの時間なら誰もクラスに残っていないでしょう?」
「教室にクラスメイトは、いないな。 だが、職員室には、他の先生が残っていた」


そこで、宇佐美が、少し黙った。


「まあいいっす。 浅井さんは、友達想いらしいすからね」


かわしたが、問題は次だ・・・。


「問題は、エテ吉さんの机ですよ」


やはりそこを突いてきたか。


「なんかノリコ先生への愛の詩が書かれていたはずだったとか?」
「ああ、そのはずだったんだが、な」
「でも、自分、エテ吉さんが、机に落書きしてるのを見たことないすよ?」
「お前は転入してきたばかりだからな」
「はい。 そうだと思って、他の人にも聞いてみましたが、やっぱり見たことないとみなさんおっ
しゃります」


・・・やむをえないな。


「わかったよ。 実は作り話なんだ」
「・・・そうきましたか」


なんとでも言え。


「おれはとにかく、栄一とノリコ先生をくっつけたかったんだよ。
だから、嘘でもいいから、栄一がノリコ先生を想っているってことにしたんだよ」
「浅井さんらしくないすね」
「なにがだ?」
「浅井さんなら、もっとうまくやるでしょう?
落書きを実際に書いておくとか、いろいろできたはずです」


・・・その通りだ。


「お前はおれをかいかぶってんだよ」


まさか、ここまで追求を受けるとは思わなかったな。


まあいい・・・ミスはミスだが、致命的なミスではない。


「なんにせよ、自分、こう思ってます」


宇佐美が後ろを振り向いた。


「あなたはノリコ先生を教室までおびき出したんです。
その隙に、エテ吉さんが職員室に忍び込んで、鍵を盗んだんです」


正論だが・・・。


「ふう・・・困ったな」


おれは余裕の笑みを浮かべる。


「そこまで言うんなら、なにか証拠でもあるんだろうな?」


宇佐美が押し黙る。


「おい、どうした? 推理ごっこもそのへんにしておけよ」


直後、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

その音に弾かれるように、宇佐美が不意に立ち上がった。

 

「証拠すか・・・」


クラス中の視線が、宇佐美に集まる。

宇佐美の顔は、少女とは思えないほど凛々しく、覇気に満ち溢れていた。

 

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「もちろん、ある」

「えっ?」

「なに?」


「昨日の夜、エテ吉さんが、職員室にいたという証拠が」
「な、に・・・?」


まさか栄一が、夜の校舎を徘徊している姿をうっかり誰かに目撃されたのか?


・・・いや、いくら宇佐美がかぎまわっていたのだとしても、さっきの休み時間だけで目撃者を探
し当てられるとは思えない。


・・・では、なんだ?


「エテ吉さん」
「え? え? ぼ、ボク、なにも知らないよ!?」
「ちょっといいすかね?」
「あ、お、お腹が! うああ、持病の盲腸がっ、あああっ!」


猿芝居が始まる。


「え、栄一くん! だいじょうぶっ!?」


騙されるのは椿姫だけ。

 

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「なになにどうしたのー?」

「・・・・・・」


花音だけじゃなく、白鳥まで騒ぎを遠巻きに見ている。


「い、いたいいたいっ、痛くて、ボク、なにもしゃべれないよー!」
「・・・・・・」


宇佐美は、栄一にはかまわず、栄一の机のなかを漁り始めた。


「おい、なにをして・・・?」
「ありました」


宇佐美が掲げたもの。

それは、さっき返してもらった数学の答案用紙だった。


「これが、証拠です」


おれは目を凝らして栄一の答案を調べる。

そして、背筋に戦慄が走るのを自覚した。


「気づきましたか?」


なんてことだ・・・。


「やはり、浅井さんは聡明すね」


なぜ、さっき気づかなかったのか!


「エテ吉さん、この問題、本当は間違えていたんでしょう?」
「え、えっ? どういうこと?」


「うさみん、そこは、採点ミスだったんじゃないの?」
「違う」


きっぱりと言い切った。


「これは、本当に間違っていた。
エテ吉さんが、正解に書き直したんだ」
「答案を返してもらったときに、答えをずるして直したっていうの?」

 

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「そ、そんなことしないよ、ねえ、栄一くん?」
「し、してないよ!」


そのとき、意外な声が上がった。


「してないわ。 私、見てたもの」


言いながら、おれに視線を投げる。

白鳥は、栄一の右、おれより三つ離れた席に座っている。

栄一を見てたというより、栄一の隣の席のおれを見ていたと言いたいのか?


「相沢くんが、へんなそぶりを見せていないことは確かよ」


けれど、宇佐美は首を振る。


「誰も、さっき書き直したとは言ってません」
「え?」


「じゃあ、いつー?」


・・・ダメだ。


「昨日の夜九時過ぎ」


・・・この窮地。


「誰もいない職員室で」


・・・何か、策は?


「この答案をよく見てください。
答えが直された箇所だけ、文字が崩れていませんか?」
「あ、ホントだ。 小さな穴も開いてるね」


「で、でも、それが、なんなのかな?
それでどうして栄一くんが昨日の夜に職員室にいたことになるの?」


宇佐美がうなずいた。


「知っての通り、テストというものは、必ず自分の机で答えを記入します。
床や他人の机では書けません。
けれど、エテ吉さんの机は、傷ひとつありません、綺麗なもんです。
ならどうして、こんなに文字がぶれたり、紙が破れて穴が開いたりしているのか?
おかしいと思ったんです。
この答案は、別の場所、別の机か床で書かれたのではないかと。
・・・どこで、書かれたのか?」


おれは、つい二日前のことを思い出す。

 

 

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・・・。


「わかりましたよ・・・やれやれ・・・」


鉛筆を握り問題に向かう。


「ええと・・・ここがこうだから・・・」
「浅井なら簡単だろう?」


おれの挙動を探るようにじっと見つめてくる。


「そんな見ないでくださいよ・・・って、あっ!」
「なんだ?」


鉛筆の芯が折れた。


「なんだ、じゃないですよ、先生。
この机ちょっとデコボコしすぎじゃないですかね?」


よく見れば、小さな穴がたくさん開いていたり、カッターでつけたような傷が無数にあったりした。


「教師の机ってのは、使い込むもんなんだよ」
「・・・んな熱血漢みたいなキャラ作んないでくださいよ。
文字がぶれて、おまけに紙に穴まで開いちゃったじゃないですかー」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


「答えは、職員室の数学教師の机にありました」


くそ、栄一め・・・。

職員室でよけいなことをするなと言ったのに!

無駄だと思うが、聞いてみるか。


「昨日の晩とは限らないだろう?
おとといかもしれないし、日中にこっそり職員室に忍び込んで答えを書き直しておいたのかもしれ
ない」
「あの熱血教師に聞きました。
テストの採点は、昨日の夜八時くらいに終わったんだそうです。
つまり、エテ吉さんが、自分の答案の得点を見ることができたのは、そのあとなんです」


自分の答えが間違っていると気づけなければ、正解に書き直すことは不可能だ。


「で、でもでも、栄一くんが、職員室にいたっていうのは、たしかなことなのかもしれないけど、
その場で鍵を盗んだとは限らないんじゃ・・・」
「そ、そうだよ、ボクはやってない、それでもボクはやってないよ!」


「苦しすぎると思いませんか?
犯行時刻に、あなた以外の誰も職員室にいなかったんすよ? 鍵を盗めたのはあなたしかいないん
です」

 


・・・終わりだ。

 

 

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「ぐ、うぅうう・・・!」


栄一が、救いを求めるまなざしを向けてくる。


「・・・当然、おれも怪しまれるわけだな?」
「はい。 エテ吉さんが職員室に忍び込んだ正確な時間は、ノリコ先生がエテ吉さんの姿を見てい
ない以上、浅井さんがノリコ先生をおびきだしていたときしか考えられません」


さすがというしかない。

 

「き、京介、おいっ!?」
「お前の頭の程度を考えに入れておかなかった、おれの負けだ」


おれはため息をついて首を振った。


「京介ぇえっ!」


栄一の怨嗟の声がざわめきだったクラスに響き渡る。

 

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「ふざけんなこの野郎! オメーを信じてたのによー!」
「うっさいわボケー! お前が全部悪いんじゃねえか!」


取っ組み合いが始まった。


「お前なんか神じゃない、クズだー!」
「誰がクズかー!?」

 


「に、兄さんっ!?」

「ちょ、ちょっと、ケンカは・・・」


・・・。

 

 

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「醜い仲間割れが始まりましたね」

「そ、そんな、兄さんが悪者だったなんて・・・」

「・・・・・・」

「せ、先生呼んでくるねっ・・・!」


走り去る椿姫、唖然とする花音。

おれと栄一の乱闘はいつまでも続いた。


「宇佐美さん、あなたって、実は賢いのね?」
「・・・・・・」
「どうしたの? 赤くなってるわよ?」
「いや、こういうとき、証明終了、とか言うと、かっこいいんじゃないかと思ってます・・・」

 


・・・。

 


その後、おれと栄一は職員室に呼び出された。

 

 

・・・・・・。

 

 

・・・。

 

 

 

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「あー、教頭にこってり絞られたなー」


椿姫と花音は、おれたちが説教をくらっている間、待っていてくれたようだ。


「停学にならなかっただけよかったね」
「ふん、おれの普段の素行の良さのたまものだ」


「反省しなきゃだめだぞー?」
「お前もだ。
お前がおれの CDをいじらなければ、こんなことにはならなかったんだ」
「もう、兄さんは根に持つ人だなー」
「うるさい、とっととスケートの練習に行けっ」
「はいはい、また来週ねーっ」


「わたしも帰るねっ」


足早に去っていく二人だった。


「けっ」
「ったく」
「あばよっ」
「おう」


しゃくれ顔で帰っていく栄一だった。

さて・・・明日は土曜か。

飲み屋や風俗が繁盛する週末は、浅井興行でもなにかとトラブルが起きる。

さっさと帰って、仕事の整理でもするか。


・・・・・・。


・・・。

 

 

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「冗談じゃありませんよ」


通話しながら制服を脱いで、私服に着替える。


「南区の屋敷と土地があるだろうが。
奇跡みたいに抵当のひとつもついていない。
借金まみれのあんたにしてはおかしな話じゃないか?」


ゲスな経営者は、たとえ自分の会社が火の車になろうとも、私財にだけは手をつけない。


「おい、遊んでるんじゃないんだ」


電話の向こうから悲痛な声が返ってくる。

いまはやめてくれと。

娘の結婚式なのだと。

まるで鬼だと、おれを罵る。

おれは何も感じず、口だけを動かす。


「娘の幸せをいい気分で祝えないのは、おれのせいか?」


相手は、ただ、うめく。

おれは、興味を失い、事務的に最後通告を押しつけた。

長電話を終え、書斎に入る。


・・・。

 

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パソコンを起動して、いくつかのニュースや、妙な値動きをしている株の銘柄をチェックする。

とくにおかしなことはないな・・・。

うちの学園の資本元である白鳥建設の株価も安定している。

メールのチェックも終わったし、今日はバッハでも聞いて早めに寝るとするか・・・。


「うん?」


一通の見慣れないメールがあった。

スパムメールだろうか?

こういうメールは、内容を確認せずに削除するのが基本だった。

けれど、件名が心に引っかかった。


――『The Devil』


悪魔・・・いや、魔王か。



「魔王からの手紙か、面白そうだ・・・」



マウスを操作してメールの内容を確認してみる。


『かわいいぼうやおいでよおもしろいあそびをしよう』


・・・なんだ?


たった一行のわけのわからない文。

まあ、わけがわからないからこそ迷惑メールなんだ。

おれはメールソフトを閉じて、背筋を伸ばす。

バッハのCDを手にとって、ケースを開封する。


「・・・・・・」


プラスチックのケースにかかった指が止まる。


・・・魔王?


シューベルトの『魔王』、か?


たしかに、『魔王』の和訳された詩には、さっきの一文と同じ意味の箇所がある。

不意に、軽い頭痛を覚えた。


・・・・・・。

 

 

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「"魔王"、知らないか?」

 

 

 

・・・偶然か?

ただの迷惑メールにしては、ちょっとタイミングが面白いな。

今度宇佐美に会ったら、話の種にでもしてやるか。

 

ん・・・電話だ。


「はい、もしもし」


特に相手の番号を確認しなかった。


「もしもし?」


返事がない。


「・・・誰だ?」


低い声で聞いた。


「あ、浅井くんだよね?」
「椿姫か・・・びっくりさせるなよ」
「びっくりしたのはこっちだよ」
「はあ?」
「浅井くんって、ぜんぜん声色が違うときがあるよね?」
「そうか?」


自分で意識したことがない。


「うんうん、この前、浅井くんのおうちに行ったときも、そうだったよ」
「自分の声は、自分じゃよくわからん」
「別人みたいだよ。 ちょっと怖かった」
「まあいいや。 どうしておれの携帯電話の番号を知ってる?」
「えっ? この前教えてくれたじゃない?」


・・・そういえばそうだったな。


「悪い悪い。 忘れてた」
「もう、ホント忘れっぽいんだから・・・」
「そんなことより、どうかしたのか?」


時計を見ると、すでに深夜の二時を回っていた。


「ううん、今日は大変だったね」
「今日?」
「体育用具室の鍵・・・」
「ああ・・・教頭先生にたっぷりとお灸をすえられたな」
「花音ちゃんのこと、まだ怒ってる?」
「いや、もうぜんぜん。 あれはただのお遊びだよ」


ほっとしたようなため息が返ってきた。


「そっか。 よかった、心配してたんだよ」
「なんだよ、そんなことで電話してきたのか?」
「花音ちゃんもね、ちょっぴり反省してるって言ってたよ」
「へえ・・・あのわがままで能天気な花音が、人に頭を下げるなんて珍しいな」
「きっと浅井くんだからだよ」


くすくすと笑った。


「で、なんの用なんだ?」
「え?」
「ん?」
「いや、用事なんてないよ」
「本当か?」
「どうして?」
「あ、いや・・・」


そうか・・・。

 

椿姫はただ、おれが心配だっただけか。

 

しかし、椿姫はおれを心配して、いったいどんな利益を得ようとしているのか。

 

おれの好感を得て、椿姫のなにが満足するというのか。

 

利害関係なしで人間は動かない。

 


「浅井くん?」
「・・・いや、すまん。 ちょっと寝てた」
「もうっ、ひどいよぉ・・・日記にメモしとこ」
「はは・・・」


妥当な推測としては、椿姫がおれに友人以上の感情を抱いているという線だ。

最近になっておれのことを知りたがるようになった説明もそれでつく。

しかし、それはただのうぬぼれかもしれないし、なんにせよ金にならない女に興味はない。


寝よう。


明日は朝一で、権三と会食だ。


「わかった。 わざわざありがとな」
「ううん、浅井くんと電話できてうれしかったよ」


本当に、うれしそう。


「・・・・・・」
「どうしたの? 眠い?」
「いや・・・」


・・・いるわけがない。


「お休み。 また今度、遊ぼうな」


椿姫の返事を待たずに、通話をきった。


・・・。

 

 

月あたり六十五万の賃貸マンション。

十八階からの眺望は素晴らしく、富万別市の全景がうかがえる。

浅井権三の庇護のもと、分不相応の大金を手に入れた。

鼻につく小僧との陰口は、いつの間にか、鬼子という評価に落ち着いた。


「いるわけがない・・・」


もし、神のように善良な人間がいるというのならば、なぜ助けてくれなかったのか。

 

あのとき、なぜ手を差し伸べてくれなかったのか。

 

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一枚の写真を手に取った。

収納の奥深くに、誰の目にも触れられぬよう隠している。

額縁にもいれず、ぞんざいに扱っていた一枚の古ぼけた写真。

若い、母の姿。

おれが、撮ってあげたのだ。


「・・・・・・」


写真を眺めながら携帯電話を操作する。

おれは膝を折り、恐縮する思いで通話がつながるのを待った。

十回目のコールのあと・・・。


「もしもし、お母さん?」


母は、相変わらずだった。


「うんっ、がんばってるよ。 はは、心配しないで・・・」


母は、矢継ぎ早に話しかけてくる。


「あー、そうそう。
仕送り、届いたよ。
うん、五万も入ってた。
ありがとうね。
・・・そうだね、冬服とか買うよ。
でも、あんまり気を使わないでくれよ。
彼女? 彼女はいないけど・・・まあ、友達はけっこういるよ。
そっちはもう雪かな?
そっか、こっちも、そろそろ降るんじゃないかな」


母は、急におとなしくなって、おれの声に耳を傾けている様子だった。


「・・・それじゃ、元気でね。 また連絡するよ」

 

・・・。


通話を終えて、おれは部屋の隅にある小型の金庫に近づいた。

暗証番号を入力し、鉄製の扉を開く。

一万円札の束が、おれを出迎える。

ざっと五千万はあるだろうか。

税金を抜けたあとの金額として、個人が自由に使える額としてはそれなりのものだ。

これを渡せる機会があるのだろうか。

真面目に働いて稼いだお金として、受け取ってもらえるだろうか。

息子の出世を喜ぶ姿が見られるのだろうか。


「・・・お母さん・・・」

 

・・・。