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G線上の魔王【7】

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

む・・・。



 

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もう、朝か。

昨晩は、頭痛を覚えたものだから、ベッドでぐっすりと寝ていたな。

とにかく、昨日の夜は、じっくりと休んでいた。

久しぶりに浴槽につかって体を癒したり、たまっている洋服を洗濯したりと、おれにしては珍しく生活感溢れることばかりしていた。


爽快な朝だ。


頭も異様にすっきりしている。

秋元氏はおれがなんらかの精神病を患っていると勘違いしているようだが、そんなわけないじゃないか。

学園に行くとしよう。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「兄さん、オハー」
「おう、花音。 なんだ、迎えに来てくれたのか?」
「うん、いっしょにガッコいこうと思ってねー」
「おうおう、いいぞいいぞ」
「んー」


半歩詰め寄ってきた。


「なんだ?」
「兄さん、なんか機嫌いいね」
「そうかもな」
「なんで、なんで?」
「さあな・・・」


・・・つまっていた仕事が片づきそうだからかな。

東区の地上げ・・・ようやく目処がついてきた。


・・・って。

・・・あれ?

待て待て・・・なにが『目処がついてきた』・・・だ?

たいした進展もないじゃないか。


「どしたの? 考え事?」


椿姫に近づいて、椿姫の家庭を探ったまではいいが、それからどう動くべきかは決めかねていた。


・・・まあ、家庭の事情がわかっただけでも、目処がついたといえなくもないか・・・。


 

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「んー、なんかまた不機嫌そうな顔してるよー?」
「あー、わるいわるい、どうも寝ぼけてんなー」


おれたちは並んで歩き出した。


「兄さん、手ぇつないでいこー?」
「アホか・・・誤解されるだろうが」
「なに、誤解って」
「兄貴と妹がつきあってるとか・・・世間的にどうよ?」
「別につきあってなくても、手ぐらいつなぐよ?
わたし、カナダ行ってたときも、いろんな人といっぱい握手したよ?」
「ここは、外国じゃないんです」
「むー」


・・・・・・。


・・・。


花音はべったりとおれにくっついてきた。

 


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「ところで兄さん」
「なんだ、いきなり、すねたような顔しやがって」
「兄さん、最近、バッキーと仲いいみたいじゃない?」
「・・・まあ、そこそこ遊ぶようにはなったな」
「バッキーって、ぜったい兄さんのこと好きだよ」
「・・・は?」


思い当たるふしがないでもないが。


「興味ないね」
「ええ、ひどいよー。 バッキーがかわいそうだよー」
「本人にコクられたわけでもないのに、どうしておれが気を使わねばならんのか?」
「ひどい、ひどいー。 バッキーって、いい子なんだよ?」
「しっかり者ではあると思うがな」
「そだよー、掃除当番とかいつもやってるよ」
「ふーん、クラスのみんなに、おしつけられてるのか?」
「んー、よく知らないけど、ニコニコしながらやってるから、おしつけられてるってことはないんじゃないかなー?」


・・・いや、椿姫なら、おしつけられた仕事も笑ってこなすだろう。

 

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「それより、テレビはどうだ?」
「お、忘れっぽい兄さんにしては、よく覚えてるねー」
「いつなんだ? 時間があえば、おれも見たいし・・・」
「あさってだよ」
「え? マジで? 近いな」
「なんか前々からずっとオファーは来てたんだって。 のんちゃんが忘れてただけ」
「忘れるなよ。 テレビ局の人に迷惑がかかるだろう?」
「だって、スケートリンクの偉い人が勝手に決めたんだもん」
「出たくないのか?」
「んーん。 これでまた人気者だよ」


無邪気なもんだな・・・。

こいつがずっと無邪気でいられるよう、金を稼いでやらなきゃな。

花音も、金があったから、フィギュアスケートなんて金のかかるスポーツに打ち込むことができたんだ。


・・・・・・。

 

・・・。

 


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「あ・・・」


廊下で、白鳥とすれ違った。


「やーやー」


花音は、白鳥とたいして交流もないくせに、なれなれしく手をふった。

 

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「おはよう、白鳥」
「・・・おはよう、浅井くん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


どういうわけか、ただの朝の挨拶とは思えないほどの緊張感があった。


「なんだよ、素っ気ないヤツだなあ」
「あなたこそ」
「はあ?」
「昨日は、無視したでしょう?」
「昨日?」
「・・・覚えていないならいいわ」


なにを怒っているんだ・・・?


「どしたのー?」
「なんでもない。 どうやら、おれは白鳥に嫌われているらしい」


「え? そうなの、しらとりん?」
「・・・別に」
「兄さん、いい人だよー?」


花音には、権三の仕事を少し手伝うこともある、と話した程度だ。

まさか、椿姫の家族を家から追い出そうとしているだなんて、夢にも思わないだろう。

白鳥は、花音を見据えた。

 

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「そう、それで、いいんじゃない?」


ややあって口を開いた。


「それから・・・しらとりん、とか馴れ馴れしいこと言わないで」


・・・。


去っていった。

 

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「いやあ、見ているこっちがむずがゆくなるくらいの強気っぷりすね」


突如、タイミングを見計らったかのように、教室から宇佐美が顔を出した。


「アレは、ひどいツンですよ、ええ・・・」


なにやらうなずいている。


「のんちゃん、怒らしちゃったのかなー?」
「あんまり、気にするな」


おれたちは教室に入った。



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「うんうん、ファンキーのプリン買えないよねー。 夕方に行くと並んでるからねー」


栄一は、いつものように女子と戯れていた。


「でも、ボク、お店の人と知り合いなんだー」



「なになに、エイちゃん、また嘘ついてるのかー?」
「(げえっ! 花音)」


いつも通りの朝だった。

 

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「椿姫がいませんね」


・・・そういえばそうだ。


「珍しく遅刻みたいだな。
いや、珍しいどころか、おれの記憶がただしければ初めてだ」
「浅井さんは忘れっぽいので信用なりませんが、たしかに妙ですね」
「椿姫も人間だから、遅刻することもあるだろうさ」
「はあ・・・ただ、自分、違和感があるとスルーしておけないタチなんすよね」


考え込むようにうつむいた。

 

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「みんなー、わたし、テレビ出るよー!」


花音が両手を上げて、大騒ぎしていた。


・・・・・・。


・・・。

 


授業の終わりの休み時間。

椿姫はついに姿を見せなかった。



「なあ、京介、椿姫は?」
「うん、おれも変だなーと思ってたところなんだ」
「おいおい、テメーしらばっくれてんじゃねえよ」
「は?」

 

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「どうせ、オメーが昨日遅くまで、椿姫にギュッポギュッポしてたんだろうが?」
「・・・なにがギュッポギュッポだ」
「違うのか?」
「たしかにおれはチャラ男くんだが、さすがにまだ手は出してはいないぞ」
「どうだかねー、チクショー、おれもギュッポギュッポしたいぜー」


・・・しかし、どうしてここまで心根の曲がった人間が出来上がってしまったんだろうな・・・。

椿姫とは大違いだな。

いや、おれも人のことは言えんけど。

 

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「浅井さん・・・」


宇佐美が、のそりと現れた。


「いま聞いてきたんすけど・・・椿姫、無断で休んでるみたいです」
「無断で?」
「おかしくないすか?」
「おかしいな」


「まったくだよねー、いったい誰のせいなんだろうねー?」


「電話、してみてもらえませんかね?」
「電話番号知らんぞ」


・・・まあ、知っているんだが、栄一あたりにちゃかされそうだしな。


「携帯も?」
「あいつは、携帯持ってないんだ」


「ハイ、ボク提案!」
「なんだよ」
「これから、椿姫ちゃんの家におしかけるっていうのはどう?」
「授業は? さぼるのか?」


学園は出れるときに出ておきたいな・・・。


「ひとまず、電話してみましょう。 番号は先生に聞けば、わかるはずです」
「・・・やけに、心配するんだな? ひょっとしたらただの寝坊かもしれないんだぞ」
「椿姫には借りがありますから」
「借り?」
「ええ、アルバイトの件で助けてもらいましたから」
「ああ・・・」


・・・意外と義理堅いヤツなのかな。


「それにしても、椿姫め。
僧侶の分際でわたしの手をわずらわせるなんて・・・もし、何事もなかったら、ギュッポギュッポしてやる」


「じゃあ、ギュッポギュッポと電話しよう」

 

・・・こいつら、ギュッポギュッポて言いたいだけじゃ・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


先生から電話番号を教えてもらって、さっそくかけてみた。


「・・・・・・お」


すぐつながった。


コールが一回鳴るか鳴らないかのタイミングだった。


「はい、もしもし、美輪です!」


異変を察知した。


「もしもし! もしもし!」


ケータイから声が漏れているのだろう、宇佐美と栄一も顔をしかめた。

おれは、静かに言った。


「京介だ、なにがあった・・・?」
「あ、浅井、くん・・・?」


力の抜けていくような声が返ってきた。


「ど、どうしたの、浅井くん」
「そりゃ、こっちのセリフだよ。 学園はどうした?」
「あ、が、学園・・・?」
「ん?」

 

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「ん?」


「ん?」


「学園、そっか、今日、学園か・・・」


大きなため息があった。


「なんだよ、宇宙人にさらわれたみたいな声だしやがって」


「エテ吉さん、浅井さんのたとえって、ギャグなのかそうでないのかよくわからないときがありますよね」
「だよね、半スベりだよね」


・・・脇でごちゃごちゃうるさいな。


「なにがあったんだ?」


なにかあったのか、とは聞かない。

なにかあったに決まっている。


「な、なにが?」
「とぼけんなよ。
品行方正、成績優秀、才色兼備な椿姫ちゃんが学園を無断で休むなんて、なにかあったとしか思えないだろう?」


「椿姫って、クラス委員で、生徒会長なんすよね?」
「そだよ、たまに、すごい忙しくしてるときあるから」
「なんか、真面目を絵に描いたような設定っすよね。 なんか腹たつわ・・・」


椿姫は、またため息をついた。


「・・・なんでもないよ。 ちょっとカゼ、ひいてるの」
「カゼ? どうして連絡をしない?」
「それは、たまたま・・・えっと・・・わ、忘れてて・・・」

 


「なに話してんすかね・・・」
「うん・・・気になるよね」



「おい、椿姫、なに隠し事してんだよ」
「隠し事? してないよ? え、えっと・・・ゴッホ、ゴホッ」


泣きたくなるくらいヘタクソな演技の空咳だった。


「これ、アレすよね、コレがギャグシーンだったら、聴診器みたいのを浅井さんのケータイに当てることで、椿姫の声聞けますよね」
「宇佐美さんって、たまに頭悪いよね・・・」


おれは声のトーンを落とした。


「本当にだいじょうぶなのか?」
「うん、平気。 ごめんね、先生にはこれから連絡して謝っておく」


らちがあかなかった。


「そうか、椿姫はおれを信用してないんだな」


ぶっきらぼうに言った。


「え?」
「困ったときは、お互い様だろ? どうして話してくれないだ? 友達だろ?」


簡単だった。


「ごめん・・・」


椿姫のような純真な少女は、友情とか信頼とかいう言葉にすぐ揺れる。


「話してくれよ、おれとお前の仲だろう?」
「・・・っ」


電話の向こうで、椿姫の良心を痛めた顔が目に浮かぶようだ。


「ご、ごめん・・・家族の問題だから」
「家族の?」


どうも腑に落ちない。


「・・・家族の問題といっても、椿姫は、たとえば家の立ち退きの話はしてくれたじゃないか・・・」


つまり、それよりもっと重い問題が発生しているということだ。


「言えないよ・・・こんなこと・・・」


家族の誰かが亡くなったのか?

いや・・・それなら、そうと言えばいい。

なにか、おれの想像の範囲外のことが起こっているに違いない。

非日常的な、何かが・・・。


「そろそろ、休み時間終わるよ?」


おれは最後のつもりで言った。


「もう切るぞ、最後に聞くが、助けがいるか?」
「・・・・・・」


椿姫は答えなかった。

答えないが、向こうから通話を切るつもりはないようだ。


これは、つまり・・・。


「じゃあな・・・」
「あ・・・」


通話を切ると、ほぼ同時に授業開始のチャイムが鳴った。


「・・・どうでした?」


「どうだった?」


おれは思案した後、言った。


「とりあえず、椿姫の家に行く」
「要するに、椿姫の身の回りに何かが起こっているというわけですね?」
「ああ・・・椿姫が、壮絶に困るような事態が起こっている」
「授業はいいんすか?」
「・・・どうでもいいだろ」


「(さすが主人公属性持ちだぜ、友達のピンチには駆けつけるってかー?)」


「わかりました。 自分も、行きます。 ホントはさぼりみたいな真似はしたくないんですが」
「別に来なくてもいいぞ?」
「いえいえ・・・」


宇佐美は愉快そうに髪をかきあげた。

 

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「しかし、浅井さんも、普段は冷たそうにしていますが、中身はお熱い人ですねー」
「なに、ニタニタしてるんだ・・・とっとと行くぞ」


こいつらは、なにもわかっていない。

椿姫の身の回りに何かが起こった。

まず真っ先に思いついたのは、あの土地を巡ってのトラブルに巻き込まれたということだ。

おれは、あの土地の利権を握っている人間の一人として、いちはやく駆けつけて、状況を把握したいだけだ。


・・・・・・。

 

・・・。

 


 

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三人で電車に乗って東区までやってきた。


椿姫の家は、この近くだったはずだ。

 

・・・・・・。

 

 

 ・・・。

 

 


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何か、暴力沙汰が起こっているのなら、慎重に様子をうかがわなくてはな。



「椿姫ちゃーん!」


と思ったら、栄一が声を張り上げた。


「おいおい・・・」


「会いに来たよー!」


そのままの勢いで、チャイムを押した。


「・・・・・・」

 

束の間、静寂があった。



「椿姫は、さっきまで家にいたんすよね?」
「ああ、出かけたのかな?」
「とにかく、なにやらヤバそうですね」


宇佐美は、家の窓を指差した。


「カーテンが閉まっています」
「なるほど。 こんな昼間っから、カーテンを閉めなきゃいけない事情があるんだろうな・・・」


宇佐美の注意力に感心していると、不意に、家のドアが開いた。

 



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「・・・みんな・・・」


青い顔をしていた。


「家に、あげてもらおうか」
「え?」



「ここまで来させておいてイヤとは言わせんぞ」


別に、来させられたわけではないが・・・。


「だいじょぶだよー、なんでもボクに相談してよ。 そのかわり肉じゃがご馳走して」


そういえば、こいつが甘いもの以外のものをねだるなんて珍しいな。

椿姫家の肉じゃがは、かなりうまかったのかな?

 

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「ありがとう・・・とにかく、入って」


・・・・・・。

 


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居間に上げてもらうと、すぐさま親父さんが顔を出した。


「君たちか・・・」


どうしてこんな時間に一家の大黒柱が働きに出ていないんだ?

・・・自営だからか。

それにしても、何か妙だ。

居間には、椿姫と、親父さんと子供たちがいた。

母親はいない。

 

 

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「お母さんに、なにかあったのか?」
「え? ああ、お母さんは、寝室で寝込んでるよ・・・」


「・・・・・・」


宇佐美を見た。

鋭い目つき。

辺りを探るように見回している。


「椿姫の容態を心配してくれてありがとう。 でも、もう帰りなさい。 学園はどうしたんだい?」


親父さんの言葉も、あからさまにぎこちない。

電話の前に椅子を引いて、どっしりと座り込んだ。


「・・・・・・」


あれだけ騒がしかった子供たちも、いまは静かなものだった。

一人は寝ているようだが、一人はぼんやりと積み木をいじったり、もう一人は椿姫の足元にべったりとくっついていた。

活気がまったくなかった。


「あれ?」


栄一だけが、空気を読まずに素っ頓狂な声を上げた。



「あのガキ・・・じゃなくて、ほら・・・」


「ええ・・・」


栄一に同調するように、宇佐美もうなずいた。


「おととい探してた子がいないけど?」
「ひ、広明は、いま保育園だよ!」


広明になにかあったのか・・・。

それを口にしようとしたとき、宇佐美が静かに言った。


「広明くんだけが、保育園?」


たしかに、広明以外の子供たちは、ここにいる。


「・・・っ」


「椿姫、帰ってもらいなさい。 お友達には関係ないことだよ」
「わ、わかってるよ、でも・・・」


「お父さん、どうしてさっきから電話の前を離れないんですか?」
「なに?」
「お母さんはどうして寝込んでしまったんですか?
どうして子供たちは暗い顔をしているんですか?
どうして事情を話してくれないんですか?」


「ハルちゃん・・・」
「椿姫」


息を呑んだ。

まさかの可能性が頭をよぎった。


「誘拐、されたんだろう?」

 

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「ええっ!?」


「お父さん、あなたは犯人からの電話を待っているんですよね?
お母さんは、ショックで寝込んでいるんです。
あなたがたは警察にもまだ連絡していないし、犯人に連絡するなと言われているんでしょう?
どうしていいか途方に暮れているんですね?」


「うぅ・・・」


椿姫が、泣きそうな顔になった。


「昨日のことなの・・・」
「おい、椿姫!」
「わたしが、もっと早く、保育園に迎えに行ってあげていれば・・・!」


昨日というと、おれとコーヒーを飲んでその後か・・・。


「わたしが保育園に行ったら、もう広明は帰ったって言われて・・・」
「椿姫、もういい。 お前のせいじゃない」
「広明は、保育園から、ひとりで帰ることあるの。
前にも、わたしの迎えが遅れて、ひとりで帰ったことあるの・・・」


迎えが遅れたのは、おれのせいでもあるな・・・。

しかし、まさか、誘拐されただなんて・・・。

あまりにも突飛すぎる。

しかし、非日常的な不幸に合う瞬間なんて、そんなものなのかもしれない。


・・・。



「それで?」


この狭い家のなかで、宇佐美だけが、冷静だった。


「広明くんが誘拐されたと確信にいたったのはなぜだ?」
「ずっと探してたんだけど、広明、夜になっても帰ってこなかったの。
そしたら、いきなり電話があって・・・」
「相手は、息子を預かっているとでも言ったのか?」
「う、うん・・・たまたま、わたしが電話に出て・・・」
「広明くんの声を聞いたか?」
「いや、聞いてないけど・・・」

 

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「じゃ、じゃあ、誘拐されてないかもしれなかったり・・・?」
「しかし、現実、広明くんは帰ってきていない。
誘拐犯を名乗る人物から電話があった。 まず、誘拐されたとみて間違いはない。
気になるのは、広明くんの安否ですね」


それはきっと、宇佐美より椿姫のほうが気にしているだろう。


「お父さん、次に電話があったら、真っ先に確認してください」


いつの間にか、場の雰囲気が宇佐美を中心にして回っているような気がした。


「犯人の要求は?」
「それは・・・身代金は、五千万だって・・・それだけで・・・」
「そうか・・・なら、少なくともあと一度は、犯人はこの家に接触してくるな」


宇佐美のいうことは分かる。

五千万を犯人にどういう形で渡すのか・・・。


要するに身代金の受け渡しの方法を、まだ犯人は語っていないのだ。

しかし、誘拐か・・・。

本格的な犯罪だな。

いつもグレーゾーンの商売をしているおれでも驚いた。

ただ、ひとつだけ、絶対に阻止しなければならないことがある。


「て、ていうか、警察は?」


そう、警察だ。


「まだ・・・」
「警察には連絡するなと?」
「うん・・・連絡したら、広明を・・・っ・・・」


まあ、誘拐犯としては当然の処置だろうな。


「警察に連絡しようかと、悩んでいるところなんだ」
「だ、ダメだよ、お父さん! 警察に連絡したことが犯人に知れたら、広明がっ!」
「しかし、こういうのは警察に任せるしかないじゃないか」


「・・・・・・」


宇佐美は黙って、親子の会話を眺めていた。

おれは、変な警戒心を抱かせないように、落ち着いて言った。


「・・・警察は、ちょっと考えものかと」
「どうしてだい? 彼らは専門家だよ。
犯罪対策のプロだ。 僕らは、ただの一般人だ。 警察に任すべきじゃないか?」


親父さんは、あからさまに取り乱していた。

娘の友達に対する態度にしては、大人げなさすぎた。


「落ち着いてください、お父さん。
たしかに、あなたのおっしゃるとおりです。
犯罪が起きた以上、警察に通報するのが市民の義務といえるでしょう。
しかし、どうなんでしょう・・・」


おれは全力で説得にかかる。

・・・警察はまずい。

なぜなら、警察が出てくれば、犯人を挙げるべく、必ず椿姫の家を探る。

なぜ、犯人が、椿姫の家を狙ったのか、犯人の動機を調べてくるのだ。

すると、この一家が立ち退きを迫られているということが、捜査線上にあがる。

そのとき、確実に山王物産のデベロッパーと、浅井興行の名前が出てくる。

山王物産のような表向きクリーンな企業が、浅井興行のような暴力団フロント企業に関与していることが明るみになれば、今後の取引は中止されるだろう。

この街で、山王物産に見捨てられて生きていける企業などない。

当然、おれの地位も危ういものになる。

だから、なにがあっても警察の介入だけは避けなくては。


「警察を頼れば、確実に広明くんが返ってくるという保証はあるんでしょうか?」
「それは・・・いや、きっと警察ならなんとかしてくれるさ」


おれは残念そうに首をふった。


「僕の父の話は、前に軽くしましたね」
「ああ、たしか、金融や不動産も扱っている社長さんだとか?」
「昔は、刑事だったんだそうです」
「本当かね?」


権三は、過去、暴力団担当の刑事だったらしい。

マル暴の刑事がそのままヤクザになるというのは、珍しい話ではないらしいが、真実は定かではない。

さて、親の威光を借りたはいいが、ここからどう切り出すか・・・。


「これは、父から聞いたのですが・・・誘拐事件というのは、警察に通報すると・・・その、かなり、被害者がでているという話です」
「被害者?」
「ええ・・・」
「ひ、被害者って・・・そんな・・・」


「お、お父さん、やっぱり、警察はダメだよ」


おれは、嘘はついていない。

親父さんは、広明くんに危害が加わると思ったのだろう。

しかし、誘拐事件というものは、誘拐された人間はもちろん、脅迫を受ける家族も被害者なのだ。

家族が受ける心理的な痛みは計り知れないのではないか。

そういった意味で、誘拐事件が発生すれば、被害者は確実にでているといえる。


「し、しかし・・・警察なら、犯人を捕まえてくれるに違いない」
「犯人を捕まえればそれでいいんですか? 広明くんが帰ってくるのが、なによりの目的じゃないんですか?」
「うぅむ・・・」


親父さんは頭を抱えた。


「しかし、浅井さん」
「なんだ?」
「警察に連絡しなければ、広明くんが帰ってくるという保障もありませんよ?」


ち・・・。


「警察の介入にやたらこだわっていらっしゃるようですが?」
「いや、おれのパパが元警察官だからな・・・ちょっとでしゃばってみただけだ」
「そすか」


宇佐美は瞬きもせず、おれを見据えている。


「誘拐事件における警察の犯人検挙率は九十五パーセントだそうです」
「・・・・・・」
「残りの五パーセントも、とくに身代金を奪われたというわけではありません。
つまり、この国で警察を相手にして、身代金奪取に成功した犯人はいないということです」


・・・こいつ、なぜそんな知識を?


「なにが言いたいんだ?」
「警察を頼れば、少なくとも身代金は、ほぼ確実といえる可能性で返ってくるということです」
「五千万か・・・」


つぶやいたそのとき、閃きが訪れた。

あまりにも悪魔的な発想。

しかし、これで、椿姫の家を奪うことができる。


「どうしました、浅井さん?」
「い、いや・・・」


落ち着け。

おれは、目まいを覚えたふりをして、軽く頭をふった。


「ところで宇佐美」
「はい」


宇佐美はさっきからずっと、おれから目を逸らさない。


「誘拐事件についてもう少し詳しく知りたいな」
「はい」
「お前はさっき、少なくとも身代金は、という言い方をしたな?」
「はい」
「それは、つまり、身代金は返ってくるが、犠牲者は出ているという解釈でいいのか?」

 


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「鋭いですね」
「・・・っ」


瞬間、宇佐美の気配があからさまに変わった。

おれと栄一が職員室の鍵を盗んで、それを追求してきたときも雰囲気が違ったが、その比ではない。

もっと荒々しい、殺気じみたものすら感じた。


「浅井さんのおっしゃるとおり、犠牲者は出ています」
「・・・・・・」
「戦後から現在まで、通算で約百八十件の身代金誘拐事件が起こっています。
そのうち被害者の数は、三十人以上です」


「さ、三十人・・・?」

「二割がたの確率で、人質は命を落としているということになるな・・・」

「そんな・・・やだよ、お父さん、ぜったいダメだよ・・・」

「そうだな、二割とはいえ、弟の命がかかっているんだからな・・・」



さきほどの閃きが頭から離れない。

抵抗感はある。

しかし、誘拐犯にはぜひとも五千万を奪って欲しい。

五千万は大金だ。

この家にそんな貯蓄があるとは思えない。

ならば、銀行の類から金を借りるしかない。

そのとき、きっと、この土地を担保にせざるを得ないのだ。

五千万を犯人が奪ってくれれば、金は返せない。

すると、椿姫たちは家を出て行くしかないのだ。

そのためにも、警察に出てこられては困る。

ただ、さすがに、抵抗感はある。

おれは本格的な犯罪を肯定しようとしているのだ。


「日本で、警察に知られることのなかった誘拐事件というものが、発生していないとは限りません。
海外では、身代金誘拐を専門にした犯罪者集団がいるそうです。
彼らはプロで、被害者の家族が警察に連絡せずに、身代金さえ都合がつけば、ほぼ確実に人質を解放するそうです。
相手の出方をうかがってから、もう一度検討してみるというのはどうでしょう?」


宇佐美は、あくまで冷静だった。

冷静だが、心の芯の部分で、なにかが激しく燃え盛っているようにも見えた。


「椿姫もおれと同じで、警察に通報するのは反対なんだな?」
「うん。 だって、警察には連絡するなって言われたもの」


椿姫は、卑劣な誘拐犯の言葉すら真に受けているようだ。

誠実さというものは、ときに愚かさでしかないといういい見本だった。


「とにかく、君たちは帰りなさい。
なんにせよ、これは家族の問題なんだよ」


そういうわけにはいかない。

おれの邪な心は、こんなチャンスを棒にふってなるものかと、はやしたてている。


「お父さん、僕も協力させてください」

「浅井くん・・・」

「昨日、椿姫が広明くんを迎えに行くのが遅れたのは、僕のせいでもあるんです」
「それは違うよ! 浅井くんは関係ないよ」
「いいんだ、椿姫。
おれがお前にコーヒーおごってくれなんて頼んだから、こんなことになったんだ」


目を伏せた。


「それに、お父さん。 身代金はどうやって都合つけるんですか?」
「身代金?」
「警察を頼るにせよ、5千万円は用意する必要があると思うんです」
「そんな大金、うちには・・・」
「僕の父に頼んでみます。
事情を話せば、低金利でお金を貸してくれると思うんです」


もちろん、担保としてきっちりとこの土地を抑えさせてもらうが。


「それは・・・」


言葉に詰まったようだ。

進退窮まったのだろう、親父さんはうめき声を漏らしながら、何度もため息をついた。


「椿姫も、おれに任せてくれないか」


広明くんが誘拐されたことについて、責任を感じているという言葉に嘘はない。

・・・総和連合の息のかかった消費者金融のなかでも、なるべく善良な金貸しを選ぶつもりだ。


 

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「浅井くん、ありがとう・・・」


椿姫の目に涙が浮かんだ。

親父さんも、もう、それ以上は何も言わなかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

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「いやいや、さすがのオレちゃんも、シビアにひいちゃったぜー」


あのあと、犯人から新しい連絡があるまで、ひとまず解散となった。

宇佐美とは、東区の公園で別れた。

帰り道、宇佐美は、ひと言も語らず、ずっとなにかを考え込んでいる様子だった。


「そういえばお前、さっきはずっとだんまりだったな?」
「おいおい、オレくらい空気を読める男になるとよー、なんつーの、さすがに無駄口は叩かないっつーの?」
「お前くらい空気を読まない男もいないと思うが、とにかくこの件は黙っていろよ?」
「わーってるって。 ペットにすら言わねえよ」


不意に、栄一が立ち止まった。


「しかし、椿姫のヤツ、だいじょぶかね」
「なんだ、急に?」
「いやよう・・・さすがに誘拐って、マジ、サスペンスドラマかよっての・・・」
「おれも驚いてるよ」
「なんか、オレにできることないんかね?」
「・・・・・・」
「なんだよ、なんか変なこと言ったか?」
「いや、お前って、年上以外の女はメス豚とか言ってなかったか?」
「メス豚でも、オレ、ペット好きだし」


・・・よくわからんが、栄一なりに椿姫を心配してるんだな。


「帰るわ」
「おう」

 

・・・。


「そうだ、椿姫にプリンでも買ってやるか。
うん、あいつは単純そうだから、そんなもんでも喜ぶだろう、オレマジ優しくね・・・?」


ぶつぶつ言いながら、去っていった。


さて、おれもいくつか仕事があったな。

いや、その前に、権三のところに顔を出しておくか。

金貸しを紹介してもらわなければ・・・。

おれは南区に向かう電車を待った。


「・・・・・・」


しかし、栄一のようなヤツでも、根は善良なんだろうな。


・・・おれは、どうなんだ?

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


 

権三宅を訪れて、事情を説明していた。



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「・・・つまり、美輪椿姫の一家が、土地を担保に借金をすれば、すべて丸く収まるというわけです」
「・・・・・・」
「ですから、どこか5千万をすぐに用意できるような街金を紹介してもらえませんか?」
「・・・・・・」


権三は、おれの話しにうなずきもせず、どっしりと構えている。


「・・・お義父さん、いかがです?」
「・・・・・・」
「・・・お義父さん?」


重い口はずっと閉ざされている。


「・・・・・・」


空恐ろしさを覚え、生唾を飲んだ。


「誘拐、か」
「・・・・・・」
「犯罪だな」
「え、ええ・・・」
「警察に届けてもいいんだぞ?」


言葉とは裏腹に、声には威圧的な響きがあった。


「通報すれば、県警本部から捜査一課は特殊犯罪捜査系の刑事がやってくる。
連中は誘拐対策のプロだ。
誘拐ほど失敗の許されない事件捜査はないと叩き込まれている。
すぐさま捜査本部が敷かれ、三百人態勢で捜査に臨むだろう。
逆探知や音声解析などの技術的な進歩も目覚ましいし、なによりここの県警は警視庁との連携もうまくいっている。
まず、間違いなく犯人は挙がる。 身代金も奪われることはないだろう」


まるで、警察の内情を直接見てきたようなことを平然と言ってのけた。


「ええ、ですから、警察の介入は絶対に阻止したいのです」
「ほう・・・」
「身代金が奪われてしまえば、一家は家を出て行くしかないのですから」


言い切って、暗い気分になった。


「いいんだな?」
「なにがです?」
「犯罪を容認するというのだな?」


心の迷いを見透かされたよう・・・。


「それは・・・」
「誘拐は、最も卑劣な犯罪だ。
なんの罪もない市民を人質にとり、理不尽な要求を突きつける。
人質が五歳の幼児ともなればなおさらだ」


権三は、なにを言おうとしているのか。


「いいんだな、京介」


ぞくり、と背すじに悪寒が走った。

わかった。

権三はおれを試している。

おれの良心を問い、優秀な家畜かどうかを試しているのだ。

目の覚める思いだった。


「・・・正直なところ、抵抗感はあります」


直後、都会のビル風のような、不意の疾風があった。

目の前で火花が散った。

 

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「が・・・あ・・・!」

息が詰まり、急に何も見えなくなった。

口の中いっぱいに酸味が広がった。

力が入らない。

体を維持する力が全身の毛穴から抜けていくようだ。

頭に激痛が走った。

髪を捕まれている・・・?


「くだらん生き物だな、貴様は・・・!!!」


底無しに冷たい眼があった。


「善にも悪にもなりきれんのか!!!」


恐怖した。


血液が氷結したのかと思うほど、身が萎縮した。

狼狽、動揺、あらゆる負の感情が脳みそを一気に駆け回る。


「お前は、その美輪椿姫という女を助けたことがあるな?」
「ぐ、あ・・・え?」


何を言っているのかわからない――ただ、恐ろしい。


「スカウト会社にうちの名前を出した。 そうだろう!?」


そういえば・・・。


恐怖に、切れ切れになりかけた意識のなかで思い起こす。

たしか、椿姫がセントラル街でスカウトに引っかかったことがあった。

おれは、浅井興行の名前を出して、椿姫に手を出さないよう指示したのだ。


「なぜ、あのときは助けた」


揺さぶってくる。


「なぜ、いまさら良心に揺れる?」
「ぐ・・・あ」


ようやく解放された。


「いいか、京介。
俺についてきた時点で、貴様に待っているのは地獄だけだ」
「はい・・・」
「金がいるんだろう?」
「はい」
「お前の親の借金を、お前が返すんだろう!?」
「はい!」
「いくらだ!?」
「二億です!」


父、利勝の借金。

当時五千万だったはずの負債は、悪魔のような利息がついて、雪だるま式に膨れ上がっていた。

 

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「ならとっとと稼げ! たかが二億だ!」


そうだった・・・。

おれは親父の借金を返すために、権三に従ったのだ。

事情を知った連中は言う。

偉い子だね・・・お父さんのために・・・。

決して、美談などではない。

ヤクザに金を返すというのは、もっともシビアで、生きるか死ぬかの駆け引きなのだ。


二億。


個人が通帳に楽に入れられる金額ではない。

もたもたしていれば、借金はもっと重なっていく。


「わかりました・・・」


急速に、恐怖感が薄れていった。

金に対する禍々しいまでの執着心が、おれを突き動かす。

まだ、金庫には五千万しかないのだ・・・。


「東区の件はなんとしても、成功させます」


おれの表情に満足したのか、権三は深くうなずいた。

 

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「よし、人間の顔になったな」


腹を据えた。

椿姫のことは、もう考えない。

おれは、ただ、おれの道を行くだけだ。

その道が地獄に続いているということは、もちろん知っている。


・・・・・・。

 

・・・。

 


興奮したせいか、頭痛があった。

権三の家を出て、ふらついた足取りでセントラル街に向かう。

意識が混濁する。

頭痛に、身を任せた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――



・・・。



・・・・・・。




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ようやく頭痛が引いてきた。

意識が晴れていく。

複雑にからみあった意識が、バトン交代するような感覚。

おれは、つい最近になって、【浅井と名乗る京介】の存在を認識しつつあった。


我が、半身。


"魔王"であるおれが表立って活動していないとき、【浅井の京介】はおれに加担するように動いているようだ。

ならば、誘拐計画は、きっと成功する。


さて・・・。


おれは、携帯電話を操作する。

相手は無論、椿姫の家だ。

通話はすぐにつながった。


「警察に連絡していないだろうな?」


声色をある程度変えられる自信があるが、今回は、万全を期して、変声機を用いた。

地声を分析されると、厄介なことになる。

いま、電話の向こうに警察がいて、逆探知をしかけている可能性もある。


「し、してません!」
「本当か?」
「はい、本当です!」
「よし」


そこで、一度、通話を切った。

相手の言葉を真に受ける馬鹿はいない。

逆探知を成功させるには、約三分の通話時間が必要だという知識があった。

犯人から入電があると、刑事がN○Tの技術社員に連絡をいれ、椿姫家を含むエリアを管轄する交換機の回線をチェックさせる。

そして、あるスイッチの状態を確認することで、発信者がかけている場所を特定する。

通話時間の長さに応じて、どのエリアからかけられているのかといった大雑把な範囲から、特定の電話番号まで割り出せるようになる。

さらに、犯人が被害者の自宅とおなじ管轄エリアから通話している場合なら、回線の調査は短くてすむ。

遠距離からかけている場合は、複数の交換機を辿らねばならず、逆探知にかかる時間は延びていく。


だが・・・。


それは数年前までの話であって、最近は電子交換機やデジタル交換機が増えてきて、これを経由する場合は、どこからかけてきたのか瞬時に悟られてしまう。

おれは、もっとも安全と思われる策を取った。

いま、おれは、携帯電話からかけている。

移動しながら通話している以上、たとえ場所を特定されても警察が急行してくる前に逃げられる場合がある。

携帯電話そのものも、トバシ、と呼ばれる使い捨てで、使用者の確認など無意味だ。

おれは再び椿姫家にダイアルした。


「もしもし、美輪です!」
「いまからあと二回電話する。 その間に、メモを用意しておけ」
「え? えっ!?」


突然のことで、椿姫は気が動転しているのだろう。


「そちらからの質問は許さない。 いいな?」
「ゆ、許さないって・・・広明は? 広明の声を聞かせてください!」


通話を切った。

もし、横に刑事がいれば、椿姫に通話の引き伸ばしを指示しているはずだ。

なぜ、誘拐犯が、ご丁寧に被害者の質問などに答えてやらねばならないのか。

とにかく、場所を変えることにしよう。

いまの短い通話だけで、こちらのエリアを特定されるとは思えないが、万に一つということもある。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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自宅付近までやってきた。

ここまでくれば、さきほどとは別の交換機が通話回線をつないでいることだろう。

なんにせよ、警察の介入だけは避けなくては。

おれは携帯電話を操作する。

また、椿姫の悲鳴が聞こえた。


「もしもし! 広明は!? 広明は無事なんですか!?」


質問は許さないと言ったはずだが、心配で仕方がないらしいな・・・。


「身代金の受け渡し方法を指示する前に、もう一度だけ訊きたい」


おれはしつこいくらいに同じ質問を繰り返す。


「警察には連絡するな。
警察が関与している気配でもあれば、すぐさま取引を中止する。
当然、弟は返ってこない。 わかるな?」


警察の不介入――これは絶対の条件だった。

ドラマや推理小説の誘拐犯は、なぜ警察と戦おうとするのか。

もちろん、エンタテインメントとして話を盛り上げるためだ。

しかし、現実においては、警察の手を逃れて、身代金をせしめた誘拐犯は一人もいないのだ。

誘拐ほど割に合わない犯罪はない。

警察の影が見えれば、即座に取引を中止する。

そう決めていた。

犯罪を成功させるのに、もっとも重要なことは、引き際を心得るということだ。


「警察には連絡してません! だから、弟を返して!」


悲痛な叫びが、耳をついた。

もし、嘘をついているのなら、たいした演技力だ。


「よろしい、では、次の電話を待て」
「ま、待って――」


歩きながら電話を切った。

また場所を変えるとしよう。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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夜の海は静寂に包まれていた。

そろそろ向こうもしびれを切らしているころだろう。

これが、最後の確認だ。

通話がつながると、変換器を用いずに声色を変えて言った。


「もしもし、美輪さんのお宅でしょうか?」
「え、あ、は、はいっ!」
「私は捜査一課長の高野と申しますが、富田刑事をお願いできますか?」
「え・・・?」

 


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間があった。

おれは、全神経を耳に集中させた。


「え、け、警察?」
「どうされました?
富田は被害家族の担当として、そちらにまわしている女性刑事ですが?」
「あ・・・え? お、お父さん!?」


慌しい物音が聞こえる。


「お父さん、いつ警察に連絡したの!?」
「なんだって!? なんの話だ!?」


そのやりとりに、おれは満足した。

椿姫の反応からして、とても刑事がそばにいるとは考えにくい。

おれは再び変声機を使った。


「どうやら私のいいつけどおり、警察には連絡していないようだな?」
「あ・・・」
「少々お待ちください・・・などと言われたら、弟を手にかけているところだった」


警察が同僚を呼び出すのに、誘拐事件の被害者宅に電話をかけるなどありえない。

彼らは、当然、支給された携帯電話か無線を使用して連絡を取り合う。


「だ、騙したんですね!?」


よく考えればわかることだが、気が動転している人間相手には十分なトリックだった。


「今後もその心がけを忘れないことだ。
もっとも、そろそろ届く品物を見れば、警察を頼ろうなんて気は起きなくなるだろうがな」
「品物?」


椿姫の質問は無視する。


「さて、いまから身代金の受け渡しについて説明する。 メモの用意はいいか?」


逆探知の可能性がない以上、いまはゆっくりと話ができる。


「まず、身代金は株券で用意しろ」
「株?」
「明日の夕方までに五千万を当日決済で株券に換えろ。
五千万円として五万株だ。
銘柄は、山王物産系列の白鳥建設だ。
お前の通う学園の運営に金を出している会社だぞ」
「し、白鳥建設・・・は、はい・・・!」


日記が趣味というだけあって、なかなかメモを取るスピードは速いようだ。


「五千万円分の株券の用意ができたら、午後六時に宇佐美ハルをお前の家に立たせておけ」
「おハルちゃんを・・・?」
「その後は、宇佐美ハルの携帯電話に連絡を入れるまで、次の指示を待て」
「・・・っ」


書き取りに必死なようだ。

椿姫にとってはわけのわからないことばかりだろう。

だが、じきにわかる。


「以上だ。
午後六時に宇佐美ハルの姿が見えなかった場合、取引は中止する」
「ま、待ってください・・・!」
「指示通り動けば、弟は必ず返す。
私は誘拐のプロだ。 金さえもらえば、約束は守る。 わかったな?」


最後に飴を与えてやった。

身代金の受け渡しには、椿姫を指定するつもりだった。

椿姫を、こちらの指示通り動くように仕向けなければならない。

通話を切ると、おれはゆっくり海辺を歩いた。

人気はなく、肌寒い。

月は頼りない光を放ちながら水面に揺れていた。


・・・ここまでは、完璧といえるな。


おれはまた、頭痛を覚えた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

――――― 

 

 


 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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翌朝、いきなり携帯が鳴った。

おれは、たたき起こされた形になった。


「椿姫か・・・?」
「あ、浅井くん、ごめんね、こんな時間に!」
「・・・いま何時だ?」


何度か椿姫からの着信があったようだ。


「四時だよ。 ごめんね、どうしても相談したいことがあって」


まだ太陽も見えていない。

昨日は夜中の二時まで外出していたから、二時間しか寝ていない計算になるな。


「どうしたんだ?」
「広明を誘拐した人から連絡があって、五千万をぜんぶ株券にかえて明日の夕方までに宇佐美さ
んを家の前に立たせておけって、それで・・・」
「ちょ、ちょっと待て。 落ち着け。 落ち着いて話すんだ」


寝起きで、頭ががんがんする。


「・・・五千万を株券に換えろって?」


現金じゃないのか。


「うん、五万株だって」
「それで、銘柄は?」
「白鳥建設だって。 白鳥って、白鳥さんのことかな?」
「そうだよ。 白鳥の親父さんは学園の理事長だ」


しかし、なんで白鳥建設なんだ?


「明日の夕方までに宇佐美を家の前に立たせる、とか言ったな?」
「えっと、株券が用意できたらそうしろって」


これまた、なんで宇佐美なんだ?


「わからないことばかりだが、お前がこんな時間に連絡してきた理由はわかる。 金を工面したい
んだろう?」
「そうなんだよ、お父さんは株とかそういうの疎いみたいで。
銀行からお金を借りたこともない人だから・・・」
「そうか、警察には連絡してないんだな?」
「うん、ぜったいしないよ!」


悲鳴が上がった。


「なんだ、なにかあったのか?」
「夜の十時くらいにね、宅配が届いたの」


・・・嫌な予感がする。


「・・・中身はなんだったんだ?」


椿姫は、消え入りそうな声で言った。


「ひ、広明の、写真と・・・」
「写真?」
「それと、か、髪の毛・・・」
「・・・・・・」
「これって、警察に連絡したら、次はもっとひどいことをするっていう意味だと思う!」


椿姫の言うとおりだった。

髪の毛でよかった。

おれは、指かなにかかと思っていた。


「だから、警察の人は頼れないから、もう、どうしたらいいかわからなくなっちゃって、それで浅井くんに」
「わかった。 金はなんとかしてみよう」
「あ、ありがとう・・・」
「明日・・・いや今日か。 今日の夕方までに五万株いるんだよな?」
「うん」


聞けば、千株で五十枚必要らしい。


「すると、午前中に当日決済で買うしかないな・・・ただ、五万株も買えるかな・・・」
「難しそうなの?」
「一つだけ言えるのは、椿姫の親父さんに用意してもらいたいのは、五千万じゃ足りないってことだ」
「い、いくら必要なの?」
「いまから、白鳥建設の先週末の終値を調べてみるが・・・売買手数料と消費税を入れたら、もっと用意してもらわないとならんかもな」
「え、えっとお父さんに聞いたんだけど、一千万くらいは貯金あるんだって・・・」
「へえ・・・」


あの大家族を抱えてそんなに貯蓄があるなんて・・・真面目に堅実に働いてたんだろうな。


「わかった。 じゃあ、五千万、借りるとしよう」
「できそう?」
「たぶんだいじょうぶだ。
昨日の時点で、軽く話しは通しておいたから」
「銀行から借りるの?」
「いや、パパの会社の系列から。
いきなり銀行にお願いしても、午前中に五千万も貸してくれるとは思えないよ」


・・・まあ、警察の口添えがあれば、貸してくれただろうが。


「じゃあ、もう少ししたら椿姫の家に行くよ。
親父さんに、印鑑と土地の権利書を用意してもらうよう、お願いしてくれ」


さらっと言った。


「土地・・・?」
「ああ」
「えっと、それって、どういうこと?」
「悪いけど、それしかないんだ」
「土地を、どうするの?」
「五千万は大金なんだ。 担保なしじゃ、貸してもらえない」
「それって、もし、わたしたちがお金を返せなかったら、どうなるの?」
「土地は、お金を貸してくれた人のものになるから・・・」


直後、椿姫がおれの言葉をさえぎって言った。


「出て行くしかないってこと?」
「・・・そうなる」
「そんな・・・別の方法はないのかな?」


不安で仕方がないのだろう。


「たとえば椿姫がお金を貸す側だとして、お金を返してくれる保証もない人に、お金を貸すかな?」
「・・・それは、その人が信用できそうなら・・・」
「・・・は」


墓穴を掘ってしまったな。

椿姫なら、たとえ路上生活者にだって金を貸しそうだ。


「あ、ごめんね。 浅井くんを頼ってるのに、言うこと聞かないで・・・」
「いや、突然のことで、お前もパニクっているんだろう?」


おれは、はっきりと突きつけた。


「とにかく、問題は土地か、弟の命かっていうことだ」
「・・・・・・」
「金は命にはかえられないだろう?」


自分で言ってて、歯の浮くようなセリフだった。


「わかったよ。 お父さんに相談してみる」
「ああ、少なくとも朝七時くらいには連絡してくれ。
それ以上遅くなると、金の工面が間に合わなくなるかもしれん」
「いろいろありがとう、浅井くん」
「いいんだ」
「少し、安心したよ。 頼れる人がいるって、素敵なことだね」


電話の向こうで、また微笑んでいるんだろうな。


「なんか勇気づけられたよ、それじゃあね」


通話が切れた。


おれは何も感じない。


東区の開発は、山王物産に依頼された大事な仕事だ。


それだけを考えればいい。


「しかし、株か・・・」


詳しい人間に聞いてみるとするか・・・。


・・・。

 

 

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「もしもし、浅井です。 こんな時間にすみません・・・。
はい、ちょっと相場のことで、お伺いしたいことがありまして・・・」


白鳥建設の名前を出したとき、相手の反応が変わった。


「手を出さない方がいいって・・・え・・・あ、はい・・・売りに入ってるんですか・・・?
・・・理由はわからないんですか?
・・・そうですか・・・とにかく、値が下がり続けていると・・・」


となると、五万株は案外楽に買えそうだな。


「ありがとうございました。 ええ、父にもよろしく伝えておきますので」

 

・・・・・・。

 


しかし、白鳥建設になにがあったのかな。

不意に、白鳥の顔が思い浮かぶ。

あの、つっぱった態度。

気丈そうに振る舞っていて、誰かに助けを求めているような眼。


「・・・・・・」


・・・おれには関係ないな。

おれはまた、書斎に向かった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 


けっきょく、椿姫はおれを頼った。

頑固な親父さんも土地と息子の命とを天秤にかけたとき、ついに折れたらしい。

おれは午前中から、金の工面に奔走した。

五千万はあっさりと借りることができた。

権三を通して、裏事情を話しておいたし、なにより担保が申し分なかった。

借りた五千万と椿姫家の貯蓄は、親父さんが朝一で新設した証券会社の口座に振り込んだ。

夕方には、注文しておいた五万株の株券が、手元に届くだろう。

椿姫の家に向かう途中、また、嫌な頭痛を覚えた。


働きすぎなのかと思った・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「浅井さん・・・だいじょうぶですか?」
「ん? ああ・・・なんだ?」
「頭痛そうすけど」
「もう、平気だ・・・」
「そすか? なんかいつもと顔つきが違うような気がしますが?」
「そうか?」
「ええ、まるで悪魔に魂でも売ったみたいな・・・気のせいすかね?」



――売ったさ、とっくに。



順調にことが運んでいる。

身代金奪取は、必ず成功させる。

宇佐美め、邪魔はさせんぞ・・・。


「それにしても、どうしてわたしなんでしょうかね?」


午後六時。

指示にしたがって、宇佐美は椿姫家の前に立った。


「さあ、おれが聞きたいくらいだな」


宇佐美は、きょろきょろと辺りを見回している。


「ていうかどうして浅井さんも、わたしといっしょにいるんですか?」
「いや、かまわんだろ・・・」


くどいが、警察の気配を探るためだ。

たとえば、異常を察した隣の家の住人が、警察に通報しないとも限らない。

宇佐美の相手をするふりをしながら、近くに覆面パトカーと思われる怪しい車や、張り込みの刑事
がいないかどうかを探っていた。


「まあいいです。 せっかくですし、ちょっと考えませんか?」
「なんだ、おれたちの将来についてか?」
「・・・・・・」


冗談のつもりだが、宇佐美はいっそう険しい表情になった。

 

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「やけに、陽気ですね。 友達が大変な目にあっているというのに」
「だからこそだ。 おれたちまで、暗くなってどうする?」
「たとえ冗談だとしても、わたしのことをうっとうしく思っている浅井さんの冗談にしては、ちょっと違和感ですね」
「すまんな、面白くなくて」
「まあいいです。 ところで"魔王"はどうして、身代金を現金ではなく、株券で要求してきたんだと思いますか?」
「・・・ちょっと待て、"魔王"だって?」
「はい」
「犯人は"魔王"なのか?」
「おそらく」
「理由は?」
「犯人は、次の指示をわたしの携帯電話に入れてくると言ったそうじゃないですか」


・・・ほう。


「わたしが携帯を持っていることを知っているのは、"魔王"だけです。
"魔王"が、わたしに携帯電話をよこしたんですから」


・・・さすがに、馬鹿ではないな。

おれはさりげなく言った。


「おれも知っているが?」
「え? なにがです?」


不意に、とぼけたような顔になった。


「宇佐美が携帯を持ってるって」
「いや、持ってないっていいませんでしたっけ?
セントラル街で、貸してくださいって頼んだこともありましたよね?」
「寝ぼけてんのか? その二日後くらいに、お前は"魔王"と軽くやりあったんだろう? 話してくれたじゃないか?」
「・・・・・・」
「おい、宇佐美?」
「ああ、そうでしたね・・・忘れてました。 そうか、浅井さんも知ってますね、そうかそうか・・・」


納得したようにうなずいているが、探りを入れるような目だけが異様にぎらついていた。


「まあ、ついでにいうと、さっきからずっと辺りを監視しているんですが、誰も現れませんね」
「ふん・・・」
「車すら通りません」


宇佐美の言いたいことはわかる。

やはり、なかなか面白い女だな・・・。


「おれが"魔王"だとでも?」
「あ、いえいえ。 そんなつもりじゃないんですよ。
たとえば、こちらが気づけない位置から、望遠鏡かなにかで探られているとか、そういう可能性もありますからね」
「おいおい、おれたちはお互いを疑わないっていう協定を結んでいるんじゃなかったのか?」
「ええ、もちろんです。 浅井さんは、潔白ですよ」


言葉とは裏腹に、おれを疑っているようにしか見えないがな・・・。


「しかし、"魔王"って、学園生じゃないかなーとかノリで思うことあるんすよねー」
「へえ・・・」
「まあ、あくまでノリですけどね」
「根拠が薄いっていう意味か?」
「ええ、誘拐電話も夜にかかってきたそうですし、わたしと軽くやりあったのも日曜日でした」
「はは・・・ホントにノリだな。
"魔王"がたとえばサラリーマンだとしても、夜や休日は空いているだろう?」
「ああ、そっか。 それもそうすよね。 しかも、"魔王"は金持ちですもんね」


・・・こいつ。


「人を使って街のいたるところに落書きを残したり、広明くんを誘拐するのにもきっと車を使ったでしょう」
「・・・・・・」
「さらにいえば、身代金を株券で要求してくるあたり、相場の知識もあるみたいですしね」
「・・・・・・」
「そんな学園生、いるわけないですよね?」
「ふふ・・・」


笑いがこみ上げてくる。


「どうしました、なにがおかしいんですか?」
「いやいや、宇佐美は楽しいヤツだなあと思ってな」

 

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「マジすか。
自分、人に褒められるの慣れてないんで、あんまり甘やかさないでもらえますか?」



改めて、叩き潰してやりたくなったな。



「話を戻さないか?」
「ああ、はいはい。 身代金を株券で要求してきた件ですね」
「お前は、どうしてだと思う?」
「さあ・・・」
「隠すなよ。 宇佐美なりに気づくところはあるんだろう」


お手並み拝見といくか・・・。

 

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「まず、考えられるのは、持ち運びが簡単だからでしょう。
現金で五千万だと、一万円札が五千枚も必要です。
けれど、株券ならたったの五十枚にしかなりません」


株券は一部の例外を除いて、千株単位で取引する。

五万株も、千株単位にわけてしまえば、五十枚にしかならない。


「なるほどな。
犯人は身代金を奪って逃走したいわけだから、なるべく軽い方がいいんだろうな」
「しかしですね、単に軽くしたいだけなら、他にいくらでも方法はあるはずなんです」
「たとえば?」
「ダイヤモンドのような貴金属のたぐいに換えさせるとか」
「ふむ・・・」
「しかも、なぜ白鳥建設の株券なんでしょうね?」
「さあな・・・犯人は相場師で、白鳥建設の値が上がるとでも踏んでいるんじゃないか?」


宇佐美は、そこで一息ついた。


「妙なことはまだあります。
たった一日で五千万円を工面させて、さらに夕方には株券に換えさせるというのも、椿姫家のような一般家庭にはタイトな要求です。
犯人は、椿姫たちが株券を用意できなかったらどうするつもりだったんでしょうね。
あるいは、用意できるという確信があったのか、どう思います?」
「さあな・・・息子の命がかかっていると思えば、なんだってやると思ったんじゃないか?」


納得がいかないようだった。


「警察が関与しているなら、身代金の工面にも便宜をはかってくれたでしょう。
しかし、"魔王"は、警察にはぜったいに連絡しないよう忠告しています」
「そりゃ、警察の介入を喜ぶ奇特な誘拐犯なんていないだろうさ」
「浅井さんがいなければ、お金の用意は無理だったでしょうね」
「かもな。 犯人は、椿姫とその人間関係をよく調べているといえる」


宇佐美は、まばたきを二度、三度、繰り返し、最後に固く目を閉じた。

 


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「浅井さん・・・」
「うん?」
「これは直感ですがね」


目を開けた。



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「わたしは、この誘拐事件は、わたしに対する挑発なんじゃないかと思っています」
「ほう・・・」
「でなければ、わたしの携帯電話に次の連絡を入れてくるという理由がわかりません」


その通りだ・・・理由がなければ、いままで通り椿姫の家に連絡すればいいからな。


「さて、そろそろ、おれは帰るぞ」
「帰る?」
「すまんが、やることがあるんだ」
「そうですか。 いつ戻られます?」
「ちょっと明日の夜くらいまで、用事があるんだ」
「それは、もちろん、椿姫の危機よりも優先される用事なんですよね?」
「・・・きつい言い方をするな。 これ以上、おれになにができる?」
「わかりません。 ただ、椿姫は浅井さんを頼りにしていますよ・・・」
「ああ・・・なにかあったら、すぐに知らせてくれ」
「はい、真っ先に」


宇佐美に背を向けた。

宇佐美は、ずっと家の前でなにかを考え込んでいた。


さて、次は、どう動くか・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 ―――――



・・・。



・・・・・・。



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椿姫は畳の上で膝を折り、途方に暮れるようにため息をついた。


弟が誘拐されてからもう二日になるが、だいぶ会っていないような気がしてきた。

学園も、病気と称して休んでいる。

嘘をつくのは心苦しかったが、事情の説明などできるはずもなかった。


「椿姫、もう休んだらどうだ。 丸二日寝てないだろう?」


父親が憔悴しきった表情で言った。


「ううん、わたしより、お母さんはだいじょうぶ?」


母親の顔色は悪い。

昨晩、誘拐の事実を知ったときには、ふらりと倒れたのだ。


三人の弟たちは、別の部屋で寝かしつけておいた。

広明の所在に、泣いたりわめいたりと大変だった。

広明は祖母の家に行っていると嘘をついておいたが、勘のいい子供たちは、雰囲気で事の重大さを悟っているようでもあった。


明るかった家庭。

いつも笑顔が満ちていた。

体は弱いが料理のうまい母、ケンカばかりで騒がしい弟たち、頑固そうでいて娘にはめっぽう甘い父・・・。


――どうしてこんなことになったのか。


何度も嘆いた。

不運というには、あまりにも酷だった。

犯人はどうして、うちを狙ったのか。

なにより、どうして広明なのか。

いまごろ、どんなつらい目に合わされているのだろうか。

せめて自分がかわってあげたかった。


しかし、椿姫は家族の前で弱音をはくまいと心に決めていた。

一番つらいのは、大事にしていた土地に手をかけた父であり、腹を痛めて生んだ息子を奪われた母なのだ。

 


・・・。



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「きた・・・」


ハルがつぶやき、狭い居間に着信音が鳴り響いた。

犯人は、なぜかハルの携帯電話に連絡すると言ったのだ。


とっさにハルを見た。

落ち着いた動作で、携帯電話を耳に添えた。

どっしりと構えていた。

いつも学園で、柳の枝のように背筋を曲げている宇佐美さんではなかった。


「"魔王"だな?」


ハルがいきなり言った。

"魔王"とは、どういうことなのか。

ハルがふざけている様子はない。

椿姫には見当もつかなかった。


「ご挨拶だな。 なにをたくらんでいる?」


いったい、どんな会話をしているのか。

椿姫は混乱した。

まるで、誘拐犯と顔見知りのようなやりとりだ。


「・・・わかった。 椿姫にかわる」


急に名前を呼ばれて、椿姫の心臓が跳ねた。


「わ、わたし?」
「かわれと言っている。 以後、その携帯は、椿姫のものらしい」


それだけ言うと、ハルは携帯を差し出した。


椿姫は生唾を飲んだ。

通話状態になっている携帯を受け取る。

手が震えた。

また、誘拐犯と会話をしなければならない。

目をつぶって、電話に出た。


「もしもし、椿姫です・・・」
「調子はどうだ?」


相手は言った。

それまでのような機械的な声ではなく、男の肉声だった。


「な、なんのつもりですか?」
「警察に連絡しないでいてくれて、とても感謝している。 椿姫とは紳士的な取引ができそうだ」


妙な気分だった。

誘拐犯に下の名前で呼ばれるなんて・・・。


「身代金は用意しました。 次は、なにをすればいいんですか?」
「いいぞ。 私の言うことをきちんと守っていれば、弟は必ず返す」


誘拐犯は、続けて言った。


「まず、その携帯電話の充電が切れないよう 注意しろ。
電気屋コンビニエンスストアなどで、即席の充電器を用意しろ。
ちゃんと型が合うものを購入するんだ」


椿姫は、とっさに日記帳を開いて、犯人の指示をメモした。


「セントラル街に、大和屋という大きなデパートがあるのは知っているか?」


不意に尋ねられ、椿姫は混乱した。


「え、と・・・わかると思います」
「デパートの三階に、かばんを売っている店がある」
「は、はい」
「明日の午前中。 そこで、一番安いアタッシュケースを買え。 一万円もあれば買えるはずだ」
「ケース・・・」


メモを取るのに必死で、犯人の指示に疑問を挟む余地はなかった。


「無事に購入できたら、五十枚の株券を封筒に詰め、ケースの中に入れて、私に連絡しろ。
電話番号は、いま椿姫が手にしている携帯に入っている」


書き終えて、椿姫はようやく一息をついた。

椿姫は思う。

どうしてそんな回りくどいことをさせるのか。

警察にも連絡していないし、身代金はちゃんと引き渡す。

だから、弟を返して欲しい。


「あの・・・」


切実な思いが胸をついて口から出た。


「お金、払いますから。 あの、ちゃんと払いますから。 ですから・・・」


誘拐犯がさえぎって言った。


「弟はちゃんと返す」
「あ、はい・・・」
「ただ、私は取引に万全を期したいだけだ。
明日になって、お前がいきなり警察に連絡しないという保証があるのか?」
「しないです!」


思わず、叫んだ。


「どうして信じてくれないんですか!?」
「逆に聞きたいのだが、どうして信じることができるんだ?」
「しないものはしないからです!」


不意に含むような笑い声が聞こえた。


「なあ、椿姫よ」


ささやくような声が耳にまとわりついた。


「お前は面白いな」
「な、なにがですか?」
「お前が無条件で他人を信じるのは勝手だが、それを私にも押しつけないでもらおうか?」
「言っている意味が、よくわかりません」
「たいしたものだ。 私はお前のような人間は好きだぞ」


絶句した。

唖然として言葉に詰まった。

軽い錯乱状態におちいった椿姫に、犯人は告げた。


「父親にするか決めかねていたが、やはり、受け渡しには椿姫を指名するとしよう」


受け渡し。

つまり、明日、椿姫は身代金を運ぶ役目をあたえられたのだ。


「では、明日。 お前に会えるのを楽しみにしている」
「あ・・・っ!」


待ってと言いかけたが、すでに不通音が流れていた。


ひどい疲労感を覚えた。


ハルが顔を覗き込むように見ていた。



「だいじょうぶか?」
「・・・平気だよ、おハルちゃん」
「犯人はなんて?」


椿姫はメモをたどりながら、さきほどまでのやりとりをハルに教えた。

ハルは椿姫のたどたどしい説明を黙って聞いていた。


「携帯の充電器はあるぞ」


ハルが言った。


「この携帯電話は、もともと犯人からもらったものなんだ」
「ずっと持ってたの?」
「わたしにとって唯一の証拠品だからな。
いつかかってきてもいいように、充電は絶やさないようにしておいた。
そして、"魔王"もそういったわたしの行動を読んでいた」


椿姫は首をかしげた。


「"魔王"?」
「そう、"魔王"だ」
「"魔王"っていう人が犯人なの?」
「ああ・・・」


ハルは神妙にうなずいた。


「知り合いなの?」


尋ねると、一息入れるような間があった。


「知り合いというわけではないが・・・椿姫は、声に聞き覚えがなかったか?」
「え? 声?」
「犯人の声だ」


椿姫はもう一度思い起こしてみた。

犯人の、魅惑的で、自信に満ち溢れていそうな中性的な声を。


「い、いや、わかんないな・・・」
「どこかで聞いたことがないか?」
「そう言われても・・・」


男性の声など、普段は耳に覚えておかない。

第一印象に残っているのは、浅井京介の声だ。

京介は電話口に出たときなど、たまに冷や汗が出るほどすごみの利いた声を出す。

うっかり、京介の名前が口に上りかけて、椿姫は慌てた。


――浅井くんが犯人のわけがないじゃないか。


恥ずかしい気分だった。

京介の協力がなかったら身代金すら用意できなかったのだ。

土地の相談にも乗ってくれた。

京介は、ひょうきんな遊び人のふりをしているが、本当は優しくて頼りになる人だ。


不意に、クラシックについて熱弁をふるう京介の顔が思い浮かんだ。

胸が、熱くなった。


「まあいい。 ところで、明日は、わたしも協力させてもらいたいんだが」
「え?」


夢想にふけっていた椿姫は、いきなり目を覚まされた気分だった。


「犯人を捕まえる」


ハルは、決まっていることのように言った。

すると、それまで黙っていた父親が口を開いた。


「捕まえるって?」


父親は重い腰を上げた。


「それは・・・お金を渡さないっていうことかい?」
「極力、渡したくはありません」


その一言に、さすがに慌てた。


「ダメだよ! ちゃんと渡さないと、広明が!」


犯人は、言うことを聞けば広明を返してくれると約束したのだ。

ハルに詰め寄ったとき、父親が手で制した。


「椿姫、ちょっと落ち着きなさい」
「だって・・・」


ハルは小さく頭を下げた。


「驚かせてすまない、椿姫」
「・・・あ、わたしこそ、取り乱して・・・」


ハルは、椿姫を安心させるように笑った。

 

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「宇佐美さん、といったね?」
「ハルでいいですよ、お父さん」
「捕まえるって、君が、かい?」
「ええ・・・お金も、広明くんも返ってくる。 それが、最高の形だと思っています」
「たしかに、犯人さえ捕まえれば、全てうまくいくよ。
けれど、僕らは警察すら頼らないことに決めたんだ」
「犯人の言いなりになるということですね?」


ハルはどこか不服そうだった。


「たしかに犯人はたいした人物です。
幼児を誘拐し、髪を送りつけてくるという残虐性と、身代金を株券で要求するという、奇想天外な発想の持ち主です」


ハルはなにが言いたいのだろうか。

犯人の人物像など興味がない。

誘拐事件を引き起こしたというだけで、もはや恐怖の対象でしかない。


「そうだよ、そんな凶悪な犯罪者をどうやって捕まえるというんだい?」


父親の言うとおりだった。

 

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「犯人がどれほど頭の回る人物だとしても、ただ一点、姿を現さなければならない瞬間があります」
「それは?」
「身代金奪取のときです。
正体不明の犯人ですが、用意した株券を椿姫から受け取るときには、顔を見せざるをえないはずです」


たしかに、犯人は、椿姫に会いたいとまで言った。

ひょっとしたら、本当に、顔を合わせることになるかもしれない。


父親が首を振った。


「宇佐美さん、前に君が言ったとおり、身代金を渡せば広明が返ってくるという保証はどこにもないね・・・」
「わたしはむしろ、身代金を渡したが最後、広明くんは戻らないとまで考えています」


「なんで? 約束が違うじゃない?」


口をはさむと、椿姫はハルに見つめられた。


「犯人にとって人質とはリスクの塊だからだ。
解放したあと、犯人の顔や声を覚えていて、監禁されていた場所を警察に話すかもしれない」



「・・・浅井くんといい宇佐美さんといい、椿姫の友達はただものじゃないな」


父親は力なく笑った。

胸のうちでは激しい葛藤があるのだろう。

警察に通報もせず、凶悪犯の言いなりになり、守り続けてきた土地を担保にいれなければならない。

椿姫は、こんなに苦しそうな父を初めて見た。


「正直、どうしていいのかわからないんだ。
いますぐにでも受話器をつかんで警察を頼りたい気持ちもある。
ただ、それをやると確実に広明は返ってこないんじゃないかという恐怖も大きい」
「お察しします・・・」
「椿姫は、宇佐美さんの意見には反対なんだな?」


父の問いに、椿姫は即答をためらった。

罪悪感に似たものが芽生えていた。

自分は、ハルという友人より、得たいの知れない凶悪犯の言うことを聞こうとしている。


「ハルちゃん・・・」


ハルは目を伏せた。


「わたしに人の家庭の事情に口をはさむ権利なんてない。 ずけずけと勝手なことばっかり言って、本当にごめん」


胸が痛んだ。

勇者と名乗った少女は、最良と思われる行動を提案しているにすぎないのだ。

その気持ちを汲んであげたかった。


椿姫は、散々迷った果てに、ようやく言った。


「お父さん、ごめん。
やっぱり警察は怖いよ。
だってわたしは、犯人の声を直接聞いてきたもの、本当に怖い人だと思う。
警察だけはぜったいにだめだと思う」


父親は深くうなずいた。


「でも、ハルちゃんの言うことも、合っているように思う。 犯人を捕まえたいとも思う」
「椿姫・・・」
「だから、ハルちゃんには、自由にして欲しいな」


笑うと、笑顔が返ってきた。


「ありがとう」
「ううん、"魔王"をやっつけるのが、勇者様でしょ?」


つられて、父親も笑ってくれた。


「明日はだいじょうぶか、椿姫。 お前の身も心配だ。 できるなら、かわってやりたいが・・・」
「いいよお父さん、ありがとう」


父は椿姫を頼っていた。

長女として、いままでずっと、家族の中心的存在にあったのだと気づいた。


「よし、じゃあ、子供たちを起こしておいで。 ごはんにしよう、さあ、母さんも起きた起きた」
「自分もいっしょさせてもらえると、食費が浮いて大変うれしいのですが・・・」


「もちろんだよ、みんなで食べよう?」
「すいません、あつかましくて・・・」


夜は更けていった。


冬の暗い淵に立たされた家族に、ようやく一輪の花が咲いたようだった。


・・・・・・。

 

・・・。