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G線上の魔王【13】

 


・・・。


宇佐美がおれの部屋を訪れてから、しばらく何気ない日々が続いていた。

椿姫たちは無念ながらも家を立ち退き、いまはおれの家の近くのマンションの一室に住んでいる。

椿姫も家事に忙しいのか、最近では、あまりいっしょに時間を過ごすこともなくなった。

なにより、おれのほうから距離を置くようにしている。

 

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「京介ちゃん、そろそろ部活しようぜ?」
「いや、議題がないじゃん」
「そうなんだよなー、お前、邪神だもんな」
「はあ・・・?」
「なんつーの? 前は花音だったじゃん?
復讐の相手がいないと、部活やる理由もないだろ?」
「最近、花音も学園休みがちだしな」
「スケートだかなんだか知らねえが、ちょっと生意気なんだよなー、あのアマァ」
「そんなにキレるなよ」
「いや、あいつは調子こいてるっての。 ほら、CM出てんじゃん」
「出てるな。 なんだっけ?」
「あれだよ、アイスのCM。 あと車な」
「あー、見たことあるかもな」
「あいつさー、テレビ受けするっつーか、まあ、それなりにかわいいじゃん。 手足なげえし」
「だから、人気あるんだろうな。 エージェントもついてるし、けっこうオファー来てるみたいだぞ」
「でもよー、ほら、実力はどうなんよ、と言いたいわけだよ。
んな、人気取りみたいなことばっかやってんじゃねえよ、とか思うわけだよ」
「おれも花音の実績は詳しく知らんが、人気と実力はある程度比例するもんじゃねえのかな?」
「だから、お前は甘いんだよ。 よし、わかった。 そこまで言うなら、オレがガツンと言ってやんよ」

 


「エイちゃん、おはよー!」

 


ひょっこり顔を出した花音が、栄一の肩をどんと叩いた。

 

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「や、やあ、花音ちゃん、今日も笑顔がまぶしいねー」

 


「よう、花音。 栄一がなんか言いたいことあるみたいだぞ」
「げっ!」


「んー、なにかな?」


栄一は腹をくくったのか、ずいっと花音の前に歩み出た。


「か、花音ちゃん、大会近いんだよね?」
「うん。 今年はあと三つあるよ」
「世界大会だよね?」


三つあるうちのメインが世界大会というらしい。


「それがどうしたの?」
「出れるの?」
「出るよ?」
「いや、出るよじゃなくて・・・次回は枠が一つしかないらしいじゃない?」
「うん、でも出るよ?」
「前回の世界大会は出られなかったじゃない?」
「あれは、棄権だよ?」
「そうだよね、腰痛めてたんだもんね」
「それがどうしたの?」
「次回の世界大会の日本選手の出場枠が一人しかないのは、花音ちゃんのせいじゃない?」
「そうなの? なんで?」
「世界大会の出場枠はさ、前回の成績で決まるわけだよね」


花音は、ぽかんと口を開けながらうなずいた。


「もし、花音ちゃんが出てれば、上位入賞確実だったわけでしょ」
「そだね」
「前回は三人も出て、そろいもそろってズタボロだったけど、それについてどう思う?」
「あー、それ、どこかで同じインタビューされたことあるよ。
なんとも思ってないよ。 他の人がどれだけ負けても、わたしは勝つから。 出場枠は一つで十分だと思うよ」

 

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「それが、おごりなんだよ、花音ちゅわん!!!」


急に、恐怖の大魔王の存在でも言い当てたかのように、コワオモシロイ顔になった。


「花音ちゃんは、日本のフィギュアスケートの将来を担うとまで言われた超新星なわけでしょ!?」
「言われたことあるね」
「なんで!?」
「なんでって・・・目立つからじゃないかな。 トリプルできるし」
「そうだよ、ジュニアのときからトリプルアクセルできたでしょ?」


・・・つーか、なんだかんだで、栄一ってけっこう詳しいのかな。


「キミは、去年のグランドシリーズも日本大会も制覇したのに、なんで腰とか砕いちゃうかな!?」
「うん、テレビとかじゃ言ってないけど、日本大会の公式練習のときにどっかの選手にどーんされたんだよ」
「え、うそおっ!?」
「ぶつかるのは、よくあることだよ。 うちどころが悪かったんだねー。
あのときはなんとか優勝したけど、終わってから大変だったねー」
「そんな他人事みたいに言わないの! とにかく、いまの日本のフィギュアは花音ちゃんにかかってるんだからね!」
「うんうん、スポンサーの人にもよく言われるよ。
三つあった枠が一気に一つになったもんだから、フィギュア人気そのものが心配されてるんだって」
「そんな裏事情はいいんだよ! ボクはキミに勝ってもらいたいんだよ!」


そこで、花音がにっこり笑った。


「わかった。 ありがとー、エイちゃん」


栄一の肩をぽんぽんと叩くと、背を向け、何事もなかったかのように机に突っ伏した。

栄一が、なにやら勝ち誇った顔をして言った。


「どうよ?」
「いやいやいや、お前、励ましてたから最後のほう」
「ガツンと、へこませてやったぜ!」


窓の外では雪がちらつくことが多い時期だが、学園はいつだって暖かい。


・・・・・・。

 

・・・。

 


「そういや、あったなー・・・」
「なにがすか?」
「いやいや、去年花音が、腰悪くして世界大会行けなくなったことを今思い出した」

 

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「どええ!?」


「いや、さすがにひくよ、京介くん」


「あのときの権三・・・あ、いやパパのキレ・・・いや落胆ぷりったらなかったな、花音?」
「パパ、いろんな病院連れてってくれたもんね」


おれも、なぜか病院送りにされるかと思うくらい、殴られた。

 

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「残念だったよね。 今年もちゃんとチケット取ってるから、応援行くね」
「あ、取れたんだね」
「栄一くんが、がんばってくれたみたい。
電話受付開始から取れるまでコールしたんだもんね?」


「じ、自分のぶんのチケは?」


宇佐美が、なにやら焦った顔で手をあげた。


「ないよ。 だって、宇佐美さんが転入してきたときには、もうチケット買ってたし」
「もう、売り切れすかね」
「当たり前だよ。 今年からちょっと落ち込んでるけど、まだまだ女子フィギュアは人気スポーツだから」
「そこをなんとか」


「当日券は・・・無理かな・・・?」
「しょうがないな・・・ちょっとネットオークションで探してみるけど、席によっては五万とか十万とかするよ?」


「あ、じゃあ当日券で」


花音がおれの腕を取って言った。


「兄さん、これから先の大会は全部来てもらうからね」
「これから先っていうと?」
「三つ全部だよ」
「えっと、なんだっけ・・・NKH杯と、ファイナルと全国大会か? 全部日本でやるのか?」
「今年は、ファイナルも日本だよ。 兄さんのチケットは特別に用意してるからね」
「え? ああ、家族だしな。 親族待遇か?」

 


「わ、わたしのぶんの特別チケは?」
「ないよ」
「勇者待遇じゃないんだ・・・」

 


「まあ、応援に行くのはいいけどさ」

 


「わたし、垂れ幕作ってくからね」
「椿姫、わたしも手を貸そう。 こう見えて裁縫は得意なんだ」


そういえば、着ぐるみ作ってたしな・・・。


「えっと、どうやったら世界大会に出場できるんだ? 枠が一つしかないっていうが」


おれにとって気になるのはそこだ。

花音は、いまだに一度も世界大会に出場したことがない。

やはり、一度くらいは出てもらわないと、箔がつかないというもの。


「これから先の大会で全部勝てば、間違いなく選ばれると思うよ」
「・・・そりゃそうなんだろうけどな」


「世界への切符はね、今回は全国大会の結果で一発決めするみたいだよ」
「へー、じゃあ、なにか? 全国大会さえ勝てばいいんだから、他の二つの大会は、そんなに意味ないわけか?」
「いちおう、ファイナルの結果も考えるみたいなことになってるけどね」


「こういうとプレッシャーかもしれないけど、テレビも新聞ももうほとんど花音ちゃんが世界に行くようなこと言ってるよね」
「この前のカナダで優勝したからね。 期待も大きいんだよ」


「まあ、おれとしては世界もいいけど、再来年のオリンピックで優勝を飾って欲しいな」
「お馬鹿だね、京介くんは」
「あ?」


「まったくです」


栄一に馬鹿扱いされただけでもショックなのに、宇佐美の便乗がなお腹立たしかった。


「世界に出れないと、花音ちゃんの場合、再来年のオリンピックにも出られないんだよ?」
「まったくです」


「は? 意味わかんねーよ。 オリンピックは再来年だろ? 来年の成績で決めろって話じゃねえの?」
「そうでしょ? ボクもそう思うし、そういう声も多いんだけどね」


「まったくで――」
「お前ちょっとうるせえんだよ」


宇佐美をどついて、栄一の語りに耳を傾けた。


「オリンピック代表選手の選び方は、前回のオリンピックが終わったときに決まったんだ。
前のオリンピックのときがさ、ポイント制っていうやつで、とっても揉めたんだ。
だから、今回、いろいろ悩んだみたいなんだけどね」
「え? 誰が悩んだんだ?」
オールジャパンフィギュアスケート連合」


「なんかゾクみたいすね。 なんで横文字なんすかね。
普通に日本フィギュアスケート連盟、でいいじゃないですか」
「ダメなの! そういうの出したら怒られるの!」
「あ、はあ・・・」
「あー、なんの話だっけ?」


「再来年のオリンピックの代表選手に選ばれるにはどうすればいいのかってこと」
「あ、そうだ。 もちろん、京介くんの言うように、来年のいまごろの成績が重要視されるんだけどね。
厄介な条件がいくつかあってさ?」
「厄介な条件?」


まるでおれのオウム返しを期待していたかのように、栄一が無知をあざ笑う顔になった。


「世界大会の出場経験が必要なの」
「あ、そうなの? じゃあ、なにか?
もし花音が来年の世界大会を逃したら、来年の成績がマックスハートだとしても再来年のオリンピックには出られないんだな?」

 

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マックスハートて・・・」


「いちいち若干スベりたがるよね・・・」


・・・うるせえな。


「そりゃ、ちょっとまずいんじゃねえか?
だって、次回の世界大会の日本選手の出場枠は一つだろ?」
「ひどいことにね」
「たとえば花音以外に調子の出てきた選手がいても、世界大会に出たことないもんだから、オリンピックに出られない選手が続出するかもしれないじゃねえか」
「もちろん、過去二季以内の世界大会出場経験だけどね。
日本は去年も一昨年も出場枠三つもってた強豪だったからさ。
まさか今期がこんなことになるなんて思ってなかったんじゃないかな」

 


「口はさんでごめんね。 その規定って、取り消しになるかもしれないんだよね?」
「だろうな。 いきなり日本が弱くなったものだから慌ててるんだろ」


栄一は我が意を得たりと、偉そうに大きくうなずいた。


「花音ちゃんにしたって、前回は棄権したわけだからね。
出場資格はあったんだから、まずだいじょうぶだろうね」


まあ、そんなもんだろ。

スポーツだ芸術だといっても、人気商売なわけだから。

数字の取れる花音をどこのテレビ局もスポンサーも押し出したいだろう。


「なんにしても、花音が全国大会で優勝すれば文句ないわけですよね?」
「ん、そういうことだねー!」


花音は相変わらず、真冬の陽射しの照り返しみたいなまぶしい笑顔で、元気よく腕を振り上げた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

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「なにやら、お困りのご様子ですね」


久方ぶりに呼び出されたが、染谷は相変わらず眉間に深いしわを刻んでいた。


「だから、君を呼んだんだ」
「左様で」


染谷の瞳に媚の色が浮かんだ。


「浅井花音を知っているだろう?」
「ええ。 私の妹ですよ」


冷たく笑うと、染谷は破顔した。


「面白い冗談だ。 あんな人気選手が妹なら、さぞ鼻が高いだろう?」
「いえ、手のかかる妹でしてね。
一度、身の程を思い知らせてやらねばと考えているところでしたよ」
「ぜひ、そうしてもらいたいんだがね」


目を光らせ、顔をこわばらせて染谷は言った。


「詳しくお伺いしましょう」


染谷は息をつめて、おれの目を見つめた。


「瀬田真紀子という選手を知っているかね?」
「たしか、前回の世界大会に出場したとか・・・その程度ですね。 あいにく芸術には疎いものでして」
「芸術!? フィギュアスケートが!?
あんなものはただのショービジネスだよ。 見世物小屋と変わらん」


はき捨てるように言う染谷に、しかし、おれはなんの感情も抱かなかった。


「瀬田は、うちが資本を出してるクラブの所属でね。 前回はいろいろと手を回して世界にまで出させてやったんだ」
「なるほど。 あなたに言わせれば、瀬田は子飼いの剣闘士のようなものですか。
いいでしょう。 私はあなたのそういった人の見くびり方に品のないところが好きだ」
「褒め言葉と受け取っておくよ。 それで、その瀬田なんだがね・・・」
「ええ・・・」
「今シーズンは調子も出てるんだ。 グランドシリーズのロシアでは二位だったしね」
「しかし、浅井花音の人気には及ばないわけですか」
「ご推察痛みいるね。 採点競技は人気が全てだよ。
たとえ瀬田が同じ演技をしても、審判も観客も花音に点を入れるだろうね」
「実力はどうなんでしょう?」
「瀬田も技術の堅実さなら花音に遅れを取るもんじゃないらしいがね、華がないんだよ」
「華とは?」
「わかりやすいのはジャンプだな。
花音はトリプルアクセルにくわえ、先のカナダ大会では四回転ジャンプにも挑戦している」
「成功したんですか?」
「両足で着氷して、さらにバランスを崩して手をついてしまったらしいな。
危うく史上初の記録が出るところだったよ」
「ほう、たしかに、大衆の興味を引く選手のようですね」


おれは苦笑しながら頭を振った。


「で、私になにをしろと?」
「わかっているくせに、ずいぶんと人が悪いな」


染谷は顔をゆがめ、おれに哀願するような口調で訴えた。


「高くつくのはわかっている。 しかし、君ほど頼もしい男もいないんだ」
「非合法な手口がお望みなら、あなたにもお抱えの連中がいるでしょう?」
「ヤクザどもも、今回ばかりは無理だ。
なにせ、浅井花音のバックに総和連合がついているのは周知の事実。 報道こそ決してされないが
ね」
「・・・ふむ」


心に揺れるものはあった。

先の身代金誘拐事件は、ほぼおれの勝利と言っていい結果になった。

けれど、いくらか危うい局面もあった。

椿姫の心境次第では警察も動いただろうし、セントラル街では宇佐美に腕をつかまれるところだった。

これ以上の『お遊び』は控えるべきなのだろうが、どうにも血が騒ぐ。


暴力団が背後にいるのならば、逆にいえば警察が出てくることはなさそうですね」
「少なくとも、ヤクザがすんなりデカに泣きつくことはないだろうね」


染谷の声は期待に弾んでいた。

おれは染谷を見据え、心のなかで念を押した。

・・・高くつくぞ。


「近頃、頭痛がひどいのですよ」
「頭痛? 医者にかかったらどうかね?」
「医者では治せません。 長年患っている持病でしてね」
「これは、驚いたな。 初めて君の人間らしい一面を覗いたよ」


なにやら恐縮するそぶりを見せる染谷に、おれは意図的に笑みを作った。


「ご安心ください。 お引き受けしましょう」


病状を理由に断られると思っていたらしい。


「いいのかね?」


しかし、すぐに狡猾な笑みを口元に携えた。


「花音は、君の家族なのだろう?」


冗談を言ったつもりらしい。


「家族と人間のクズとは、いくらでも両立します」


おれの顔があまりにも酷薄だったのか、染谷は目を丸くして口をすぼめた。


「私も救われない男でしてね。
策略を巡らし、人を陥れているとね、痛みが引くのです」
「救われんね。 まるで他人の生気でも吸って生きているようなものじゃないか」
「まさに」


うなずいて、黒い笑いを交換し合った。


・・・・・・。


頭痛は、ひいていた。

その夜は、いつもよりはるかに穏やかに、春の陽だまりのような眠りに落ちることができた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


有時を迎え、赤黒い地平線が、四角や三角の屋根に切り刻まれている。

 

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「兄さん、今日どうしてガッコさぼったの?」
「お前こそなんだ、こんな時間に」


浅井興行の事務所があるセントラル街からの帰り、自宅マンションの前で花音とばったり出くわした。

 

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「練習はどうした? もうすぐ大会だろ?」
「いまから行くよー、兄さんと一緒にね」
「え? おれも?」
「うん。 たまには観ててよ」
「いやいや、練習の邪魔をするわけにはいかんだろ」
「いいから」
「う、腕をつかむなっての」
「いいからいいから」
「お、おい! 抱きついてくんな!」
「ロシアの挨拶だよ?」
「うるせえ。 近所の目ってもんがあるだろうが」
「まったく兄さんは日陰っ子だなあ」
「おれはお前と違って目立つのが大嫌いなんだ」
「ほえー?」
「ほえー、じゃねえよ。
こんなところを、週刊誌にあげられてみろよ、大変なことになるぞ?」
「そうかな? いままで一度もプライベートな写真取られたことないよ?」
「あったんだよ!」
「ないよー」


・・・あ、そういえば、記事になる直前に権三が編集部に殴りこんで、もみ消したんだったな。

 

 

・・・。

 


「いや、まあ、なかったわ」
「変な兄さん。 ほら、行くよー? 来ないともっとくっついちゃうぞー?」
「・・・わかったよ、しゃーねーな」


渋々うなずいた。


「あ、言い忘れてた。 パパリンも来るって」
「え? マジで?」
「なんか兄さんにお話あるって言ってたよ?」
「バカ、それを早く言えよ」


おれたちは、一路スケートリンクを目指した。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

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「じゃあね。 休憩時間になったらいっしょにご飯しようね」
「ああ・・・」


花音は、長い足を見せつけるように軽快に去っていった。

おれは客席に至る入り口を探して、巨大な施設のなかに向かう。


・・・と、そのときだった。

 

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「ちわす」
「なんだてめえ・・・!?」
「今日も冷えますねえ」
上着羽織れよ。 ていうか、急に沸いてくんなよ」
「バイトはお休みですから」
「そうか。 よかったな。 だったら一人で遊んでろ」
「ちなみに浅井さんは、今日の学園はなぜにブッチされたんですか?」
「おれと会話を合わせる気がないのか?」
「あ、お仕事ですか、そうですか」
「・・・・・・」
「怒りました?」

 

 

おれは太いため息をついて、これみよがしに舌打ちした。


「実は、なぜ自分もここにいるのかわからないのです」
「記憶喪失かよ」
「いえいえ、しかし、記憶喪失の少女って、どうして美人で色白でいつも病院のベッドにいるような善人ばっかりなんですかね?」
「美人で善人のほうが、死んだときにドラマ的に泣けるからだろうが。 そんなことより、どっか行けよ」
「そういうわけにもいきませんでね。 さ、行きましょうか」


宇佐美はおれに背を向けて足を施設に向けた。


「あ、おい・・・!」


大会を間近に控えている今の時期は、一般客は来場できないはずだが・・・?


・・・・・・。

 

 

リンクでは、すでに何人かの選手が練習を開始していた。

衣装を着て滑走する選手も多く、さながら氷上に色のまばらな花が咲いたようにも見えた。

 

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「うわ、広いっすねえ・・・」


すんなり入場した宇佐美。


「爆弾でもしかけられたらどうするんですかねえ」
「お前、どうやって入ったんだ?」
「いや、別に、受付で事情を話しただけです」
「事情だ?」


宇佐美に詰め寄ったそのとき、後方の客席から声があがった。


「俺が呼んだ」

 

振り向くと、見知った悪漢の姿があった。



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「お前が、宇佐美ハルか?」
「・・・・・・」


宇佐美は、どういうわけか、まるで能面のような無表情を顔に浮かべ、ゆっくりとうなずいた。


「お義父さん、これは、どういう・・・?」


なぜ、権三が宇佐美を呼び出したんだ。


「つい先ほど、俺の家に一通の封書が届いた」


権三は、じっと宇佐美だけを探るような目で見据えていた。


「内容はざっとこうだ。
浅井花音が日本代表に選ばれた場合、花音の母親を殺す」


瞬間、息が詰まった。


「脅迫、というわけですか・・・?」


権三は、おれの問いには答えない。


「しかし、そういった手紙が届くのはよくあることなのでは?」


花音のことだから、ファンレターはもちろんのこと、頭のおかしい人間から怪文が来てもおかしくはないだろう。


「黙れ、京介」


一瞥され、おれは身がすくむ思いだった。

権三の態度は、おれがなにか失態を犯したときのものだ。

すぐに思案する。


「すみません・・・お義父さんのご自宅に届いたんでしたね」


考えてみれば、まずそこがおかしい。

花音の所属しているクラブではなく、なぜ、父親の自宅に宛てつけられたのか。

そして、この場になぜか宇佐美が呼び出されている。


「差出人は"魔王"だ。 わかるな、宇佐美?」
「・・・・・・」


宇佐美は、押し黙って、首を縦に振った。


「"魔王"について知っていることを話せ」
「・・・・・・」
「どうした? 京介が言うには、お前と"魔王"はただならぬ因縁があるそうだが?」
「・・・・・・」


口すら開かない。

相変わらず、一切の感情が欠落したような顔で、じっと権三を見つめ返していた。


「おい」
「・・・・・・」
「口がきけねえのか?」


権三の傍らに直立していたヤクザが、一歩身を乗り出した。

それを手で制する権三。


「"魔王"を追っているのだろう?」
「・・・・・・」
「動け。 尻尾をつかんだら俺に言え」
「・・・・・・」
「いいな?」


言い放つと、権三はおれたちに背を向けた。

取り巻きも権三の後に続いていった。


「おい、宇佐美・・・?」


権三が去ると、不意にスケートリンクに活気が戻ったように、コーチの掛け声や選手の氷を切る音が耳についてきた。


・・・まったく、なんてことだ。


宇佐美に、権三の存在が露見したのもそうだが、またしても"魔王"だと・・・!?


今度は、花音への脅迫?


いったい、何が目的だっていうんだ。


「宇佐美、なにぼーっと突っ立ってんだ」
「・・・・・・」
「おい、こら。 考えていることを少しは話せよ」
「・・・っ」


かすかにうめいた。


「い、いや・・・」
「なんだ?」


直後、雄たけびが上がった。

 

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「いやああ、びっくしたああああー!!!」
「・・・は?」


呆気に取られるおれ。


「びっくしたー、おぉぉおぉぉー、びっくしたー!」
「な、なんだなんだ、落ち着けよてめえ・・・!」
「いやいやいやいや、浅井さんっ!!!」


丸まった目が、自分は仰天していますと主張していた。


「な、なんなんすか、あの人は!? ええっ!?」
「・・・だからおれの親父だってば」
「うそでしょうが!? だって、アレ、モノホンじゃないですか!?
モノホンのコレモンじゃないですか!?」


しきりに親指で頬を切るような仕草を繰り返していた。


「いや、親父だから」
「だって、パパリンとか読んでたじゃないすか!?」
「あ、ああ・・・」
「パパリンってなんすか!? パパリンってレベルじゃないすよ!?
あれどう見ても親分じゃないですか!?」
「・・・そうだな・・・」


ひょっとしてこいつ、さっきずっと黙ってたのは、権三にびびってたからなのか・・・?


「いやあ、死んだふりをしてなんとかやり過ごしましたけどねー。
危なかったー、あの人絶対ひと殺したことありますよ」
「やっぱりびびってたんだな?」
「・・・し、心外な。 勇者とは勇気ある者のことです。 相手がモノホンの親分でもびびったりしません」


おれは軽く頭痛を覚えながら、宇佐美に言った。


「で、びびりながらも話は聞いてたのか?」
「ええ、まあ・・・」
「どう思った?」
「ですから記憶喪失の少女は美人に限るな、と」
「めちゃめちゃ記憶が飛んでるじゃねえか」
「え?」
「"魔王"だよ。 また"魔王"が暗躍してるってよ」
「それはまったく、笑い事ではありませんね。 さ、詳しく話してください」
「・・・・・・」


・・・こいつ、本当にだいじょうぶなのか?


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 


練習に明け暮れる選手たちを尻目に、おれたちは会話を続けていた。

 

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「いえね、今日の学園帰りにいきなり先生に言われましてね、浅井さんのお父さんが呼んでるって。 ミステリでしょう?」
「権三もいきなりだな・・・」
「権三さんというんですか。 ますますパパリンから遠ざかっていきますね」
「誰にも言うなよ」
「言えませんよ。 しゃべったら東京湾に沈められてしまいますからね」


いまどきコンクリ詰めにされるようなことはないと思うが・・・。


「それで、"魔王"のことだが・・・?」
「ええ。 現時点ではなにもわかりません」


きっぱりと言う。


「権三の自宅の所在を知っている人物こそが、"魔王"です」
「おおざっぱすぎるな。
幹部組員はもちろん、権三と付き合いのある人間すべてが容疑者になっちまうぞ」
「ええ、ですから、わたしは"魔王"じゃありませんね」
「んなことはわかってんだよ」
「さらにいえば、権三と花音の関係を知っていて、なおかつ花音が敗退すると得をする人物です」
「なら、おれも"魔王"じゃないな」
「そうなんすか?」
「もうこうなったらばらすが、花音の所属しているクラブは、おれの関係している会社が金だしてんだ」
「それが浅井興行ですか? いわゆるフロント企業というヤツだったんですね?
ヤクザが資金洗浄や、法律の目を逃れるためによく設立するという」
「厳密にいえば金を出しているのは浅井興行じゃなくて、権三が持ってる会社の一つなんだが・・・まあ、それはいいとしておれが"魔王"じゃないことはわかっただろう?」
「そうですね。 花音が負けたらなにかと損するのでしょうね」
「いわゆる、面子も丸つぶれだしな」
「妹を脅迫してなおかつ、自分の母親を殺そうだなんて鬼畜にもほどがありますよね」
「ああ・・・」


ひっかかるものがあって、口をすぼめた。


「えっとな、その、母親なんだが・・・」
「なるほど、浅井さんの実のお母さんではないんですね?」
「なんでわかった?」
「いえ、さきほどのお話では、権三さんはこう言われたのでしょう。 浅井花音が日本代表に選ばれた場合、花音の母親を殺す、と」


うなずいて、宇佐美の話の先をうながした。


「花音の母親を殺すということですが、もしこれが、"魔王"の脅迫文そのものだったとしましょうすると、少し表現が怪しいです」
「・・・なるほどな」
「脅迫状が、権三さんに宛てられているのならば、文面は『お前の妻を殺す』となりそうなものです。
ここで、たとえば『お前の妻』では文意が通らなかったとしましょう。
すると、花音の母親は、権三さんの妻ではないということになります。
母親だけど、妻じゃない、これはいかに・・・?」
「わかったわかった。 ・・・愛人だったんだよ、昔のことだけどな」
「花音は連れ子というわけですか?」
「いいや、権三と、その愛人の間にできた子供だ。 ちなみにおれが権三の養子なんだ」
「ぶっちゃけ似てませんもんね。 あなたと権三さんは」
「花音と権三は血がつながっているけど・・・?」
「いや、その辺は、ギャルはかわいくなきゃみたいな恣意的なオトナの力が働いているわけでして、わたしにはなんとも・・・」
「・・・ま、まあいい」


宇佐美に釘をさしておく。


「このことはぜったいに言うなよ。 花音はいまでも、自分が妾の子だなんて知らないはずなんだからな」
「わかってますって。 東京湾が血の海になりますからね」


恐怖にがたがたと震える素振りをみせた。


「で、そのお母さんは、いまなにを?」
「郁子さんと言うんだがな・・・」


おれはどうもあの人が苦手だ。


「おや? 花音ですね・・・」


ふと、宇佐美が後方の客席を振り向いた。

 

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「おーい、兄さん!」


手をふっていたので、おれも軽く手を掲げた。


「あれ? うさみんもいっしょなの?」
「うむ。 わたしもペンギンのはしくれだからな。 氷が恋しくなったんだ」


ふざけたことを言いながら、宇佐美の視線は、花音の脇にいる人物に注がれていた。



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「どうも、こんにちは」


穏やかな笑みを浮かべる。


「久しぶりね、京介くん。 元気だった?」
「ええ、郁子さんもお変わりなく」


ぎこちなく頭を下げる。


「花音の調子はどうです?」


尋ねると、不可解な間をおいて、ようやく花音にあごを向けた。


「だって。 どう、花音ちゃん?」
「どしてわたしに聞くのかな? コーチから見てわたしはどうなのってことだと思うよ?」
「あら・・・?」


また、一息入れるような間があった。


「そうなの、ごめんなさいね」


なにやら困ったように目尻を下げて笑った。


「わたしは絶好調だよ、兄さん」


不意に花音が取り繕うように言った。


「そうね、花音ちゃん」
「え?」
「だから、好調よねって」
「うん」

 


「だって、京介くん」

「あ、はい・・・」


どうにも郁子さんテンポには慣れがたいものがある。


「そんなことより夕飯の話しませんか?」


宇佐美・・・、こいつはこいつで会話を乱す。


「うん、お腹すいたー。 テラスでご飯食べよー」
「花音ちゃん、七時からまたジャンプの練習ね」
「え? また? 曲流して欲しいよ」
「そう・・・?」


ぼんやりとした顔つきになって、直後気を取り直したように言った。


ヒルトン先生がそう言ってたから」
「そうなんだ・・・じゃあ、やるよ」
「お願いね」
「うん、だからわかったよ」


花音の顔に困惑を通り越して疲労の表情が浮かんだ。


「じゃあね、京介くん。 花音も寂しがってるから、たまにはうちに顔を出してね」
「・・・すみませんね、いつも忙しくて、なかなか挨拶にも行けませんで」
「そんな堅苦しくなることないのよ。 私はあなたのお母さんじゃありませんけどね」


・・・当たり前だ!

思わず喉まで出かかった言葉を、すんでのところで飲み込んだ。


「では、ごきげんよう


・・・どうにも勝手が違うというか、調子が狂う。

いまにしたって一言多かったわけだが、それに気づいていないというかなんというか・・・。


「さ、兄さん、ご飯ご馳走してー」
「ああ・・・」
「あれれ? ほんとにゴチなの? 珍しいなー」

 

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「いやいやすみませんね、浅井さん」


ぼんやりと返事をしてしまったが最後、宇佐美のイソギンチャクみたいなもみ手が、目前に迫っていた。


「貸しにしておくからな・・・」


・・・・・・。

 

・・・。

 

三人で夕飯をともにすると、すっかり辺りは闇に包まれていた。

 

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「花音は夜遅くまで練習ですか。 大変ですねえ」
「九時くらいから筋トレしてランニングするみたいだな」
「ははあ、氷の上だけじゃなくて地面の上でもがんばらなきゃいけないわけですね」
「あのちゃらんぽらんな性格の裏で、そりゃ血の滲むような努力をしてるんだろうな」
「そんな花音を陥れようだなんて、まったく、"魔王"は最低の人間ですね」
「ああ・・・」


隣を歩く宇佐美が、ぼさぼさの髪から目だけを覗かせる。


「なんとしても、捕まえたいものですね」
「またお前がしゃしゃり出るのか?」
「今回は警察も頼れないでしょう?」
「む・・・そうだな」


"魔王"からの脅迫状は、権三宅に届いた。

権三はこれを挑戦状と受け取ったに違いない。

自らの力だけで、己に刃向かった愚か者を吊るし上げることだろうな。


「なにより、権三さんに動けと言われた以上、なんにもしなかったら東京湾ですからね」
「いや、別に権三はお前に期待しているわけじゃないと思うぞ」
「それはわかっていますよ。 現時点で"魔王"へのつながりがありそうなわたしを、とりあえず泳がせてみたいんでしょう」


・・・そんなところだろうな。


「警察を頼らせない辺り、椿姫のときと同じニュアンスを感じさせます」


宇佐美の顔が引き締まった。


「"魔王"はまた、わたしと『遊ぶ』気ではないかと」
「しかし、今度はそう容易くはないだろうな」
「ええ。 自分も雪辱を晴らします」
「いや、お前はともかく、"魔王"は、権三以下、有象無象の極道たちを完全に敵に回したわけだろう? 警察とやり合ったほうがまだ良かったとおれは思うがね」
「よほど、自信があるんでしょうね」
「お前も今回は自信ありか?」
「さあ・・・」


小首を傾げて、目の前のくそ長い髪の束を、いじりだした。

 

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「ひとまず、明日もう一度、権三にお会いしたいですね」
「・・・なぜだ?」
「封書が届いたときの状況なんかを詳しくお聞きしたいので」
「伝えておくが、もう権三にびびるんじゃねえぞ」
「耐性はついていると思いますが、浅井さんも同行してくださいね。
自分ひとりだと、ヘビににらまれた蛙みたいになってしまいますから」
「わかった。 じゃあな」


宇佐美に別れを告げると、スケートリンクを後にした。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

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「・・・って、なんでまだついてきてんんだよ」
「ですから、家が近くなもので」
「本当かよ!?」


静けさに溢れた住宅街で、思わず叫んでしまった。


「どこに住んでるんだよ?」
「ですからここをまーっすぐ行くと、細かい路地がありますよね」
「ああ・・・」
「その先を抜けると、コンビニがありますよね?」
「あるな」
「ま、コンビニは、おいといて・・・」
「関係ねえのかよ!」
「路地に入る前に信号がありますから、そこをひとまず右往左往・・・」
「もういいよ右往左往とか。 要するに教えたくないんだろ?」
「それなりに人間らしい生活はしていますんで、ご安心ください」


軽く頭を下げると、前髪が水面の葦草(よしくさ)のように揺れた。


「なんだかお前につきまとわれているような気がするな」
「ええ、自分は浅井さんのそばにいたいと常々思っておりますから」
「気持ち悪いな・・・」
「明日は、学園に出られますか?」
「出るよ」
「しかし、浅井さんがよくさぼられるのは、権三さんのお仕事を手伝っているからなんですね。
そりゃ、学園なんて行ってられませんね」
「誰にも言うなよ」
「もちろん言いませんが、浅井さんは本当に目立ちたがらないですね」
「うるせえ」


宇佐美としゃべっていると、いつの間にか自宅マンションのすぐ手前まで来ていた。


「今度また、お邪魔させていただきますね」
「来なくていいから」
「いえいえ、次はわたしの特技を披露しにうかがいますから」
「特技だ?」
「座禅です」
「お前が座禅を組んでる様子を見て、おれが面白いと思うのか?」
「跳ねますから自分」
「いいよ、気持ち悪いから」
「浅井さんは大のクラシック好きと聞いてますから、きっと満足されると思いますよ」
「あー、うるさいもう失せろ」
「はい、おやすみなさい」


宇佐美を無視して、マンションのエントランスに向かった。


・・・・・・。

 

 

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・・・宇佐美と話をしていると頭がおかしくなりそうだ。

真面目に取り合わないのが一番なんだろうな。


・・・。


顔を洗ってベッドに体を沈める。

一息ついて、今日起こった出来事をまとめようとしたときだった。

来客を告げる音色が鳴り響いた。


・・・また宇佐美か!

インターホンの画面を覗いて叫んだ。


「しつけえんだよ!」
「えっ! ご、ごめんなさい!」


インターホンの画面の向こうで、椿姫が身をすくませた。


「・・・すまん、椿姫か」
「ごめんね、忙しかった?」
「いいや。 なにか用か?」
「ううん。 ちょっとしたご挨拶だよ」
「挨拶?」


ピンとくるものがあった。


「引越しが終わったのか?」
「おかげさまでね」


純粋そうな目に、思わず目を逸らした。


「そうか。 とりあえず上がっていけよ」


オートロックの玄関を開放して、椿姫を招き入れた。


・・・。

 

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「お邪魔します」


なにやら四角い包みを差し出してきた。


「そんな気を使わんでもいいのに・・・」
「京介くんのおかげで、引越しもスムーズに終わったから。
あそこって、この辺にしては奇跡みたいに安いんだね」
「だな・・・」
「今度、遊びに来てね」
「ああ・・・」


曖昧にうなずきながら、決して椿姫の新居を訪ねることはないだろうと予感していた。

椿姫たちを田舎の家から追い出したのは、おれだ。

引け目を感じるほど弱くはないが、椿姫の前で友達然とした態度を取っていられるほど面の皮も厚くない。

椿姫は、他人だ。

ただの、金のない女だ。



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「えっと、お仕事、どうかな?」
「もう手伝わなくていいぞ。 ありがとな」


冷たく言った。


「それじゃ、おやすみ」


椿姫は、おれの声色にいつもと違うものを感じ取ったようだ。


「おい、椿姫」


玄関で靴を履き始めた椿姫を呼び止めた。

おれはとっさに言葉を失った。


「また、金のトラブルで困ったら相談してくれ」


なんの意味もなく、慰めにも自己満足にもならないことを口にしてしまった。


「ありがとう。 浅井くん」


呆然と、椿姫の後姿を見送った。


また、目まいがする。


吐き気すら覚える頭痛は、どういうわけか、決まったパターンにしたがって襲いかかってくる。


誰かを哀れんだり、同情したりすると、心が騒ぐのだ。


「仕事をしよう・・・」


つぶやいて、ふらついた足取りのまま、書斎にこもった。

その晩は、意識がはっきりとせず、夢遊病者のように深夜の外出を繰り返した。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 


寒さも手伝って、今朝は体も活動を拒否したかのように、がちがちに固まっていた。

 

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「さーむいねぇ」
「おう、お前が迎えに来なかったら、確実にさぼってたわ」

 

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「まったく、京介くんが進級できてるのが、信じられないよ」

 


「つーか、なんで栄一もいるんだ?」


栄一は、花音の肩に手を置こうとして、身長差に慌てだした。


「とにかく、ボクは花音ちゃんの専属コーチになったから」
「ちょっとちょっと、わけわからん遊びはやめろよ」
「花音ちゃんも了解済みだから」


「はい、コーチ」


コーチ呼ばわりされた栄一は、偉そうに胸を張った。


「なんでそんなことになったんだ?」
「きのう、エイちゃんと電話してたら、エイちゃんがけっこー詳しいことが発覚したの」
「詳しい?」


「スケートだよ。 ボクはね、ペットとスケートと三国志においては誰にも負けない知識を備えているんだ」
「ふーん」


つーか、こいつら、電話とかしてるんだな。


「これからは二人三脚でオリンピック目指すんだもんね」
「うんうん」
「花音ちゃん、学園にいるときは、ボクの指示にしたがうんだよ」
「はい、コーチ」
「じゃあ、ボクのかばん持って」
「ヤダ」


・・・いきなりダメじゃねえか。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「花音ちゃん、いつも寝てちゃダメなんだよ」


栄一の説教が続いていた。


「スケートしかない人になったらどうするの?」
「金メダル取ったらプロに転向するからいいの」
「だからダメなんだよ。
フィギュアスケートはメンタルなスポーツだよ?
人間性を養ってこそ、観客を魅了するような演技ができるってもんじゃないか」
「でも、のんちゃんエイちゃんよりテストの成績いいよ?」
「ボクはいいんだよ。 男だから」
「男だから?」
「男はね、糸の切れた凧のようなもんさ。 それで女が苦労する」


やたらハードボイルドなことを言っている栄一。


「まあ、わかったよ」
「そう?」
「うん、おやすみ」


毎朝のことで、机に突っ伏す花音だった。

 

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「ったくよー・・・」


栄一なりの憤怒の相で、おれをにらみつけてきた。


「どうなんよ、マジでこのアマは? ああっ? オメーの妹だろうが?」
「まあ・・・人の話を聞かないことにかけては天下一品なものがあるが」
「こりゃマジでやべえよ、オレちゃんがコーチとしてビシっと決めてやんねえと、道を間違えるぜあのアマは」
「いやいや、花音にはちゃんとした母親がコーチしてるじゃねえか」
「はあっ!?」
「だ、だから顔ちけえんだよ、なんだ・・・?」
「金崎郁子はもうとっくにコーチじゃねえよ」
「は? お前こそなに言ってんだ?」
「花音のコーチは名将ジョージ・ヒルトンだろうが」
「あれ? そうだっけ?
おれの断片化された記憶では、たしか母親がコーチをしてるのが珍しくて、それで花音も注目を浴びて・・・」
「オメーの頭はどんだけ断片化されてんだよ。
今シーズンからフィギュアスケート連合の要請でヒルトンが花音についてんだよ」
「いや、だって、花音も郁子さん・・・ママのことをコーチって呼ぶぜ?」


栄一が、あからさまな侮蔑をこめて、深いため息をついた。


「いいか、オメーのその要デフラグな脳みそにちゃんと書き込んどけよ?」
「お、おう・・・」
「花音みてーに才能がありそうな選手はよー、連合の指示でそれまでお世話になった地元の先生か
ら、時期を見てたいてい海外の実績のあるコーチに移籍させられるんだよ」
「ははあ、なるほどな・・・」
「でもよー、ガキのころからずっとお世話になってたわけだろ?
花音の場合は金崎郁子か? 愛があるわけだよ」
「わかったわかった。 コーチじゃなくなったからって、もうお払い箱ってわけでもないだろうな」


しかし、郁子さんも大変だな。

いきなり仕事を奪われたんだからな。

その辺の経済的フォローはあるのかね・・・どうでもいいが。


「で、そのジョージ・ワシントンってのはすごいのか?」
「ぬりいぃぃんだよっ! てめえ、わざと間違えただろうが!」
「ぬるいとか言うな」
ヒルトンはよー、半端ねえぞ。
選手時代にオリンピクックに二度出場してどっちも表彰台に上がってる。
四十年くらい前の世界大会では金メダル、翌年も銀。 引退してからは有名選手を次々に・・・」
「あー、わかったわかったすごいすごい」
「ぬりいぃぃんだよっ!」
「とにかく、その人に任せておけば花音も万全なわけだろ?」
「まあな」
「じゃ、お前なんかぜんぜんいらねえじゃん」
「オレはともかくお前がそれじゃ話になんねえよ」
「おれが?」


栄一はビシッと指を突きつけてきた。


「なんでテメーはそんなに興味ないんだ? 妹がオリンピックに行くかもしれねえんだぞ?」
「興味はあるってば」
「普通の親兄弟はよー、とにかく気が狂うくらい応援するらしいぜ?
娘がオリンピックに出るためなら学校だって辞めさせますってな勢いだ。
コーチの指導に口をはさむのもいるらしいぜ?」
「だから、興味あるってば。
あれだろ? スケートだけに、スゲー、トぶんだろ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ぬ、ぬりいぃぃんだよっ!!!」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


「わかったわかった、グランドシリーズってのは、いわゆる賞金戦で、選手権じゃないんだな」
「だから、必ずしも世界最強が決まるわけじゃないんだ。 棄権する選手もいるからな」


昼休みになっても、栄一の説教は続いていた。

 

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「なるほどですね。
花音は今後そのグランドシリーズのNKH杯とシリーズ決勝戦であるファイナルというのを控えてるわけですね」


なぜか宇佐美も勉学に加わっていた。


「で、今年最後に、日本最強決定戦である全国大会が行われるわけだな?」


「でも、世界大会は来年の三月ですよね? やけに間があきますね」
「その辺がアメリカとかと違うところでね、選手のコンディションにもブランクが出るってのに」


栄一は、なにやら我がことのように不満げな顔をしていた。


「で、もう一度聞きますが、世界大会に出るには、全国大会で優勝しなければならないんですね?」
「いちおう、現状の取り決めではそうなってるね」
「では、たとえばグランドシリーズファイナルで優勝しても関係ないんですね?」
「昨日も言ったけど、いちおう考えるみたいな曖昧なことになってるみたいだよ」
「と、言いますと?」
「たしか、全国大会で、一位と二位の選手の得点差が一位の選手の十パーセント以内だったらとか
そんな感じ」
「それは現実的に意味のある規定なんですかね?」
「あるよ、もちろん。 けっこう僅差で決まることがあるからね」


「ほう?」


「女子フィギュアはショートとフリー合わせて二百点いかないくらいだからね」
「なるほど、二位の選手と二十点くらいの差をつけなければ、世界への切符が確実とは言えないわ
けですね」


宇佐美がしきりにうなずく理由がようやくわかった。


「ファイナルで優勝すると、"魔王"のご機嫌もかなり悪くなるわけですか・・・」


「しかし、考える、ってのが実に曖昧だな」
「でしょ? なにかと腹黒いんだよね」


もし、花音が全国大会で優勝するとしても、ファイナルをおとしていた場合、二位の選手と大差をつけて勝たなくては、世界は怪しいってことか・・・。


「で、花音のほかに、強豪はいるのか?」
「んー」


栄一はらしくない仕草で、いっちょ前に腕を組んだ。


「瀬田真紀子かねえ・・・今年になって調子いいのは」
「ほほー、その人はどんくらいすごいんだ?」
「ま、花音の武力が90くらいだとしたら、瀬田は85くらいはあると思う」


「一騎打ちをしたら、ちょい危ないですね」
「人気だけでいったら、花音の戦闘力が1500で、瀬田は5くらいなんだが・・・」
「圧倒的ではないですか、我が軍は。
しかし、人気というのはちょろちょろ変動するもんでしょう?」
「瀬田もそこそこかわいいからねー。
いままで注目されなかったのは、先の世界大会でわけのわからん負け方したからと、バックについ
てるスポンサーかな」


「スポンサー?」
「よく知らないけど、瀬田は山王プリンセスホテル所属だよ?」
「・・・っ!?」


・・・面倒なことになったな。

東区の開発の件で、ついこの間まで良好な取引を続けていた山王物産が相手か・・・。


「そのスポンサーは、なんかやらかしたのか?」
「いや、もちろん噂だけどね。
前回の世界大会でさ、金の力で無理やり世界大会に出したとか・・・」
「根も葉もない噂か?」
「いいや、なんで瀬田なんだっていう意見は多かったよ?
連合は経験を積ませるためみたいなこと言ってたけど、それにしたってもっといい選手はいたからね」
「けっこう、いまでも騒がれてるのか?」
「いいや、もうぜんぜん」


おれもたいがい忘れっぽいが、世間もそういうことをすぐ忘れるんだろうな・・・。

 

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「みんな、なんの話ー?」


花音が、おれたちの輪に割って入ってきた。


「花音ちゃんのことを話してたんだよ?」
「え? まだコーチごっこ続いてたの?」
「続いてるよ。 君がその手に五輪をつかむまではね」
「もう、飽きたよ」
「飽きるの早すぎるんだよ! 君には集中力ってものが・・・!」
「四分は持つからだいじょうぶだよ」


四分は、フリースケーティングの演技時間・・・だったかな?


「たとえば、花音ちゃんはよく言われてるだろう? ジャンプは上手いけど、ステップシークエンスはどうなの?」
「それは、おいおい」
「おいおいじゃないよ、こっちがオイオイだよ!」
「だって、いまの採点方式だったらジャンプができれば他でちょっとミスしても平気だもん」
「だーかーらー!
極端にいえば、花音ちゃんは、ハドーケンができないのにショーリューケンばっかりうまくなっているみたいなもんなんだよ・・・!」


栄一コーチのお叱りはまだまだ続くようだった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

時間は午後四時を回ったばかりだった。

宇佐美がすぐさまおれを捕まえに来た。

 

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「では行きましょう」
「ああ・・・っと、権三の家だったな?」
「まさか忘れてたんですか? 昨日の話ですよ?」
「昨日はいろいろと忙しくてさ」
「ほう、どちらへ?」
「・・・いや、それも忘れたが・・・」
「一度、医者にいかれることをお勧めします」


・・・もう行ってるが。


「言っておくが、失礼のないようにな」
「礼儀作法には自信があります」
「そんな軽口かましたらマジで東京湾だぞ?」


やや緊張気味の宇佐美を連れて、南区に向かった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

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「同じ富万別市でも、ここは静かな街ですねー」


整った歩道の両脇にそびえる樹木に、参道を歩いているような印象を受ける。


「まったく、こんなところを身代金の受け渡し場所に選ぶはずがないんですよね」
「恨めしそうな顔すんなよ、本当にお化けみたいだぞ?」


しかし、もし、宇佐美がもう少し富万別市の地理に明るかったら、"魔王"の手口に気づけたのかもしれないな。


「ものものしいくらいにリッチな街並みですね」


宇佐美の言うように、柵や門に囲われていない家を探すのが難しいくらい豪勢な建物が続いている。


「白鳥の家もこの辺だぞ?」
「そういえば、ここ最近休んでますよね、彼女」
「家庭事情が大変なんだろうな」
「ふむ・・・」


人生の勝者が住むに相応しい豪壮な建物と、豊かな緑を宿す大きな木々を尻目に、おれたちは浅
井権三宅を目指した。


・・・・・・。

 

・・・。

 

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「うわ、これまたいかついすね。 庭に池のある家とか初めて見ましたよ」
「ちょっと黙ってろ」


インターフォンをコールすると、しばらくの沈黙の後、女中さんの声が聞こえた。


「やっぱり、神棚とか日本刀とかあるんでしょうねー」


どこかピクニックに行く前の子供のような顔をしていた。


・・・。

 

「京介です。 宇佐美ハルを連れてきました」


襖越しに呼びかけると、何かをしまったのか、棚を動かすような音が聞こえた。


「入れ」


・・・。

 

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広々とした和室に、浅井権三が座していた。

書き物の途中らしく、おれたちの姿を認めると、筆をテーブルに置いた。


「おい、挨拶しろ」


宇佐美の丸まった背中を叩いた。


「て、てまえ、生国と発しますは・・・」
「馬鹿! 仁義切ってどうすんだ!」
「あわわ・・・!」


パニックに陥りそうになった。


「続けろ」
「え?」
「お前は何者なんだ?」


権三は、値踏みするような目で宇佐美に聞いた。


「じ、自分は・・・その・・・」
「黙れ」
「はい?」
「どうも京介から女の、それも至極上等な雌の匂いがすると思ったが、お前だな?」
「えと、自分は、こんな髪型でもお風呂には毎日入っていまして・・・」


権三が押し黙り、おれも背すじを凍らせた。


「あの・・・頭くせーとか言われるヒロインじゃないんで・・・あの・・・」


おどおどと、しかしいつもの調子で口を動かす宇佐美に、ついに権三は・・・。

 

 

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「面白い女だ」


どういうわけか、ささやくように言って、唇の端に笑みすら携えた。


「そうやって、京介をたぶらかしているわけだな?」
「いえいえ、まさか・・・浅井さんとは、まだおててをつないだことも・・・」
「死に損ないの匂いがするぞ、宇佐美ハル」
「・・・っ?」
「恐縮しているふりを見せているが、腹の底じゃ極道なんて少しも怖くないって面構えだ」
「それは・・・」
「目線を外しているようで相手の様子を探っている。
それが証拠に、お前はついさっき俺が隠した拳銃の場所を知っている」
「え? え?」
「後ろの棚が気になるか?」


・・・そういえば、この和室に入る前に、引き出しを閉じるような音が聞こえたが。


「た、たしかに、あの、そちらの棚をチラ見してたのは、認めますけど・・・」
「では、なぜ、三段ある棚の一番下だけを見ていたんだ?」
「・・・・・・」
「音だろう? 最下部は一番重い音がするからな。 だいぶ音感も優れているようだ」


宇佐美は、しばし固まったあと、ゆっくりと背すじを正した。


「これはどうも・・・本当に恐縮しました」


いままでとは打って変わって、低く、絞り出すような声だった。


「無礼は"魔王"を捕まえたら帳消しにしてやろう」
「では単刀直入にお願いします。 "魔王"から届いた封書を拝見させてください」


権三はうなずいて、スーツの内ポケットから、茶色の封筒を取り出してこちらに放った。

宇佐美がそれを拾い上げる。


「・・・"魔王"」


宇佐美が"魔王"と口ずさんだ理由はなんのことはなく、裏面に、小さく"魔王"と書かれていたからだった。


「中を見させてもらいます」


すでに開封してあった封筒から、白い紙を引き上げた。


「手書き、ですか・・・」

 




親愛なる勇者と怪物殿へ――


大勢の犠牲者が出ることだろう。

浅井花音がオリンピックを目指す限り。

ある殺人鬼を野に放った。

名前は〈メフィストフェレス〉としよう。

戯曲ファウストに出てくる悪魔だな。

ゲーテつながりということだ。

すでに昨晩不幸な男が命を、散らした。

花音の周りにいる人間は次々に同じ運命を辿る。

とくに花音の母親に、ついては殺人リストから外れることはない。

忠告に耳を傾づくつもりがあるのならば、近日開催されるNKH杯でわざと負けろ。

さもなければ、また新たな死が生まれる。

一つ、アドバイスを。

まずありえないと思うが、國家権力に知らせた場合、報復は苛烈を極める。


追伸:例の株券は鼻紙に使わせてもらった。


                        "魔王"

 

 

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


宇佐美と額を寄せて文章を目で追っていった。


「どう感じた?」
「やけに汚い字ですね」


宇佐美の言うように、文字はひどく歪んでいた。

まるで幼い子供が書いたように、雑で癖の多い字が不気味でもあった。


「まさか、手書きですか・・・」
「手袋でもして書いたのか、指紋は残していないようだがな」


・・・たしかに、脅迫状である以上、文章には最新の注意をはらうはずだ。

新聞の切抜きを利用したり、パソコンを用いたりと、とにかく筆跡がばれないようにするのでは?


「わざと、雑に書いたんでしょうかね」
「それにしたって、警察が本腰入れて調べれば、この文章から"魔王"の特徴くらいつかめるんじゃないか?」
「あるいは・・・」


宇佐美は黙り込んで、眉間にしわを寄せた。


「ところで、内容から、すでに犠牲者が出ているということですが・・・?」
「昨日の夕刊を読んでないのか?」
「・・・え?」
「あるデザイナーが死んだ。 花音の衣装を手がけたこともある」
「・・・死因は?」
「自宅マンションの階段から足を滑らせて頭を打った。
目撃者はいない。 争った形跡もない。 事故の線で進めていると話を聞いた」


"魔王"が、突き落としたのか・・・。


「消印ですが・・・」


宇佐美がぼそりと口を開いた。


「市内からだな」
「当然、この手紙が投函されたポストの周辺は洗っているのでしょう?」
「徹底的にな」


宇佐美は指で脅迫状を叩いた。


「さらにこの『國』という文字ですがね・・・」


・・・國家権力に知らせた場合、とある。


「気づいたか」
「これは、現体制に不満を抱いた人たちが好んで使う漢字ですね」
「いま付き合いのある組織を通して、できる限り調べている。
だが、連中は自分たちの思想に共鳴しない人間には鎖国的だ。 時間はかかる」


つまり、"魔王"は、なんらかの政治思想を持った人間で、かつそういった団体に所属している可能性もあるということだ。


「どうも考えがまとまりません。 浅井さんはどう思います?」
「なにがだ?」
「なんでもいいからとにかくしゃべってください、ワトスン的な発言を」


ワトスン的な意味がわからなかったが、とにかく口を開いてみた。


「そうだな・・・"魔王"は、あまり程度の高い教育を受けなかったんじゃないかな・・・」
「ほほう?」
「たとえば、句読点の位置がちょっとおかしくないか?」


おれは該当箇所を指で示した。


『すでに昨晩不幸な男が命を、散らした』
『とくに花音の母親に、ついては殺人リストから外れることはない』


「ここなんだが、たとえば『すでに昨晩、不幸な男が命を散らした』とかのほうが読み安くないか?」
「ふむぅ」
「『とくに花音の母親に、ついては殺人リストから外れることはない』・・・これなんか、変だろ。
『とくに花音の母親については、――』じゃねえのか?」
「なるほどなるほど」
「あと、耳をカシヅク・・・とかいう表現も聞かない。 傾ける、だろ」
「ですよねー」


・・・なんかムカツクなこいつ。


「ちなみに浅井さんも国語は苦手とか?」
「お前もだろ?」
アインシュタインもです」


・・・ああいえばこう言う・・・。


「さしあたっていまやるべきことは、被害予定者のリストアップだと思うのですが?」
「もうやっている」


権三は、背後の書棚から一枚の紙を取り出して、宇佐美に差し出した。


「けっこうな数ですね・・・」


リストには、死亡したデザイナーを含め、郁子さんやコーチのヒルトン、振付師や大会の役員などの名前も連ねてあった。


「自分と浅井さんの名前もありますよ?」
「花音の周りにいる人間だからな・・・下手すると次はお前かも知れんぞ?」


当然、父親である権三の名もあった。

この数あるリストのなかで唯一殺害が確定しているのが、郁子さんというわけか・・・。


「これは頂戴してもよろしいでしょうか?」


権三は宇佐美の申し出を了承した。


「できれば、この脅迫状もお願いしたいのですが?」
「いいだろう」
「ありがとうございます。 封筒もセットでお借りしますね」


丁重にハンカチにつつんで、さらに鞄の中から取り出したクリアファイルに挟み込んだ。


「では、失礼します。 なにかわかりましたら、浅井さんを通してご報告します」


おれも宇佐美にならって一礼した。


「あ、すみません。 最後にひとつだけ」


振り返る。


「このことは花音には・・・?」
「もちろん話さん」
「ですよね」
「が、人の口に戸は立てられん。 そのうち知られてしまうだろうな」


「花音のオリンピック出場を決める全国大会は、いまから二週間後でしたっけ?」
「その間に二つの大会がある」


おれがそう答えると、不意に、宇佐美が眉を吊り上げた。


「長期戦になりそうですね・・・」


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

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昨日もそうだったが、宇佐美は、またおれのあとをついてくる。


「お前、権三が怖くなかったのか?」
「え? なんの話ですか?」
「とぼけんなよ、びびったふりしやがって」
「いえいえ、権三さんはわたしをかいかぶっていましたが、昨日は、完全に卵をかかえたペンギンのように固まってしまいましたよ」


・・・ペンギンは卵をかかえると、固まるのか・・・?


「ただ、たしかに、今日お会いして、いくらか気が楽になったのは本当です。
あの方は、恐ろしいですね。 平静さと荒々しさを兼ね備えている上に、相対していていつも監視されているような不気味な印象も受けます。
ただ、なんでしょう・・・無意味な暴力は振るわないというか・・・。
こっちのお肉がおいしそうに見えなければ襲い掛かってこないというか・・・。
利害関係が一致している限りでは、心強い味方だなと思いました」

 


・・・おれと似たような見かたをしているな。

 


「それはともかく、浅井さん」


不意に立ち止まった。


「浅井さんは、この事件をどう見ますか?」
「どうって・・・」


しばし、考えをめぐらせる。


「殺人予告だからな。 なんにしても花音が心配かな」
「花音は、どこに住んでるんですか?」
スケートリンクの近くだが?」
「お母さん・・・郁子さんと二人暮らしですか?
「それがどうした?」
「花音は、お父さんである権三といっしょに暮らしていないことに、なんの疑問も感じていないんですか?」
「さあ・・・まったく不満を覚えていないわけでもなさそうだが、そういった話を花音から聞いたことはないな」
「権三さんが、暴力団の親分であることも知らないんですか?」
「知らない・・・と思うな」


あるいは、知っているが興味がないようだ。


「花音は、変わった子ですね」
「宇佐美もな」
「自分が愛人の子であることにも、父親の職業にも疑問を抱かない、オリンピック候補の学園生ですからね」
「そういうふうに言われるとな・・・」


言葉に詰まった。


「なんにしても、人の命がかかっています」
「そうだな。 しかも、もう犠牲者も出ているときたもんだ」
「・・・警察は頼れないでしょうね」
「こっそり警察に密告したりしたら、"魔王"はもちろん、権三もぶちキレるぞ」
「脅迫状を、警察の専門家の方に預けてみたいものですが・・・」


おれは肩をすくめた。


暴力団は合法的な手続きを踏まなくていいぶん、警察より機動力に勝るものがあるんじゃねえか?」


宇佐美は苦笑いを浮かべる。


「あまりお近づきになりたくない方々ですが、今後、力を貸していただくことになるのでしょうね」


・・・。

 


話しこんでいると、家の前までたどり着いていた。

 

 

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「では、この辺で」
「間違っても花音には知られないようにな」


自分の母親の命が危ないとなったら、さすがに演技にも支障がでることだろう。


「花音は明日から学園も休みですよね? 大会前ですし」
「だったな。 あさってだったか? NKH杯は」


宇佐美は軽くうなずいた。


「さて、引きこもって、手がかりを探るとしましょうか」


背中を丸めて去っていった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

 

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シャワーを浴びて、パソコンと向き合った。

ふと思うのは、宇佐美が転入して以来、あまりに非日常的な事件が続いているということだ。


・・・かわいいぼうやおいでよおもしろいあそびをしよう。


謎のメールが届いたのはいつのことだったかな。

 


・・・。

 

 

 

 ・・・む。

 

どうも、最近は深夜の来客が多いな。

椿姫かな?

 


「やほー、兄さんっ!」
「花音か・・・」
「開けてよー」


大きな瞳をくりくりさせていた。

・・・しかし、このタイミングで花音か。

とりあえずオートロックを解除してやった。


・・・・・・。

 

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「やあやあ、いつきても兄さんちは広いねー」


なんの遠慮もなく上がりこんできた。


「お前来たことあったっけ?」
「ん?」
「あ、いや、あったな」
「なんだよ、また忘れんぼうなのかー?」
「うるせえな、何の用だよ。 大会二日前だってのに」


花音の顔に驚愕の表情が浮かんだ。

 

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「ええええっ!? 兄さんが、大会の日にち覚えてるなんて、どういうこと!?」


・・・そういえば、いままではほとんど興味がなかったからな。

このまえ観戦したのはいつのことだったか。

 

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「なにかやましいことでもあるんでしょう?」
「じと目で見るなよ」


恐ろしく勘のいいヤツだな・・・。


「まさか、バッキーかうさみんとつきあうことになったのかー?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。 んなくだらない話をしに来たのか?」
「んーん、お泊りしに来たの」


けろっと言った。


「え? マジ?」
「マジ」
「なんでまた」
「なんとなく」


頭痛を覚えた。


「ベッドが一つしかない」
「じゃあ、それはのんちゃんのもんだ」
「だから、一つしかないんだってば」
「いっしょに寝ればいいんだってば」
「あのな・・・」


どう言って聞かせたものやら・・・。


「お前、大会前だからコンディションとか大事な時期じゃねえの?」
「別に夜更かしするつもりはないよ。 ただこれから寝泊まりさせてもらえればいいの」
「まてや」
「あ、お風呂も貸して」
「まてっての」
「あと着替えるときは隣の部屋に行ってください」
「おめーよー! これからってなんだ、これからって! まさか住み着くつもりか!?」
「朝ごはんはしっかり食べるからね。 兄さんの手料理がいいです」
「おまえホントマジでB型だな」
「んーん、O型だよ」
「衝撃的だわ」
「周りとの協調を重んじるタイプです」
「よそへ行ってくれねえかな?」
「ヤダよ、のんちゃん、友達少ないもん」
「それはお前の性格が災いしてるんだ」
「バッキーは大変そうだし、うさみんの家は知らないの」
「栄一は?」

 

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「エイちゃんちはなんかヤダ」
「・・・・・・」
「あとは兄さんだけなんだよ」


なにやら困ったような顔をしていた。


「なんだよ、お前・・・」


少しだけ心配になってきた。


「まさか、郁子さんとケンカして家出してきたのか?」


コーチと選手の衝突というヤツだろうか・・・。


「んーん、ぜんぜん」


キレるわ、こいつ・・・。


「兄さんの邪魔はしないよ?
朝早く出てくし、夜は遅く帰ってくるから。 ね? いいよね?」


おれは・・・。

 

「帰れボケ」


ビシっと言った。


「イヤだボケ」
「オメー、兄に向かってボケとはなんだ!」
「兄さんが先に言った」
「うるさい、謝れ!」
「さ、ストレッチして寝ーよーっと」


おれをガン無視して、床に足を伸ばしだした。


・・・これはもう、折れるしかないのか?


「わかったよ、しゃーねーな」


これみよがしにため息をついた。

 

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「ありがと、兄さんっ」


でへへ、とだらしなく笑った。


「なんだかね、今回の大会はちょっといつもと違うの」
「ん?」
「なんていうかー、ふ、あん?」
「不安?」
「勝つのはわかってるんだけどー、ぷ、れっしゃー?」
「プレッシャー?」
「ていうことにしてよ、無理やり泊まりに来た理由」


・・・単純に、寂しかったということか?


「一つ、言っておくが・・・」


おれは花音のへらへらした顔を見据えた。


「書斎には絶対に入るな、いいな?」
「はい」


特に、理由を聞いてくることもなかった。

花音は、興味のないことに関してはまったく無関心なのだ。

瑣末(さまつ)なことにとらわれないことで、自分の時間を増やしているようにも見えた。


「兄さん、肩もんでー」


・・・やれやれ、おかしな毎日が始まりそうだな。

 

・・・。