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G線上の魔王【14】

  

・・・。


おれの邪魔はしないと言った花音だが、しかし早朝にたたき起こされるとは思わなかった。



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「おはよ、兄さんっ」


すでに私服に着替えていた。


「いまは五時半です」
「のんちゃんは、いまから出勤です」
「ソファで寝ていたおれの身にもなってくれ」
「ねえ、朝ごはんは?」
「夜中にパスタゆでといたから、てきとーに食え」
「やったー、ありがとー!」


・・・うるせえな、しかし・・・。

ちくしょう、なんだか目が覚めてきやがった。


「ねえ、兄さん、夜中まで誰とお話してたの?」


パスタを皿に盛り付けながら聞いてきた。


「なんだって?」
「電話してたんでしょ?」
「仕事関係だよ」


・・・誰だったかは、おれも忘れた。


「眠れなかったか?」
「ぜんぜん」
「あ、そ」
「そんなことより、のんちゃんミートソース苦手」
「黙れ、食え」
「ヤダ」
「おれがせっかく作ってやったモンを食えんというのか?」
「だって、前から嫌いだって言ってたもん。 兄さんがまた忘れてたんだ」
「ホントかー? おれの忘れっぽさを悪用してんじゃねえだろうな?」
「のんちゃんは、人に嘘はつかないよ」
「気も使わないけどな」
「そんなことないよ、兄さんのぶんもちゃんと取り分けてあげる」
「いや、おれ腹へってねえから・・・」

 

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「黙れ、食え」
「寝起きで胃が重いのよ」
「せっかくのんちゃんが、よそってあげたモンを食えんのかー?」


ずいぶんと騒がしい朝になった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

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「見送り、大儀じゃった」
「へいへい」
「ついでにスケートリンクまで送ってくれたまへ」
「いやでござる」
「あははは、ござるとか言うなよー」


・・・たまに茶目ッけを出すと、みんなどうしておれのことを馬鹿にするんだろうな・・・?


「ストーカーがいるんだよ」
「いきなり物騒だな」
「いきなりカメラ撮られたりするの」
「む・・・」
「練習帰りに会場の外で待ち伏せしてたこともあるよ」
「お前は有名人だということをもう少し自覚したほうがいいな」
「え?」


不意に、目を丸くした。


「のんちゃんが、悪いっていうの?」
「いや、悪かぁねえけど・・・なんつーのかな、目立つと注目されるわけで・・・」
「別に怖いことされなければ、写真ぐらいいいよ。
でも、ねちっこいのはイヤ。 ねちっこい人が悪い」
「・・・わかったよ、パパに言いつけてやれ」
「もう言った」


・・・そいつは、死んだな。


「まあ、セントラル街の近くまで送ってやる。 そこからタクシーを拾え」
「ありがとっ!」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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花音をタクシーに放り込んで、ようやく一息つけた。

まったく、身がもたないな。

頻繁に頭痛も襲ってくるし。


・・・えっと、なんでセントラル街に来たんだっけか。


「・・・・・・」


そうだ、今日は秋元氏のカウンセリングを予約してたんだ。

・・・だいじょうぶか、おれは。

まだ早い時間だったので、喫茶店で新聞を読みがてら時間を潰した。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「やけに顔色が悪いね」


正面で、秋元氏が豊満な体を揺らした。


「あまり寝てませんで・・・」
「寝てない? 寝られないのかい?」
「いや、夜中に妹が泊まりに来ましてね」
「じゃあ、寝ようと思えば寝られるんだね。 なら良かった」


・・・どうやら、重要な質問だったらしい。


「しかし、君の妹さんはすごいねー。 僕も応援していると伝えておいてください」
「はあ・・・」


そっけなく相づちを打つと、秋元氏が身を乗り出してきた。


「さて、前回はどこまで話したっけ?」
「自分の初恋についてだったかと」
「ぜひ聞かせてもらおうじゃないか、下手な冗談は身を苦しめるよ?」


にんまりと笑った。


「お父さんの話だろう?」
「いいですよ。 その話は」


顔を背けた。

汗の滲んだ手で、差し出されたカップをつかんだ。


「鮫島京介くん」
「なんです!?」
「にらまないでくれよ」


おどけるような態度が気に入らなかった。


「いいですか? おれはもう、そのことは考えないようにしてるんです。 そうしなければ、やっていられないからです」
「だろうね」
「だろうねって・・・!」


唇がわなないていた。


「あなたそれでも高名な医者なんですか!?
患者を挑発するような真似をしていいんですか!?」


しかし、秋元は平然としていた。


「だって、君はちゃんとした患者さんじゃないんでしょ?
学園をさぼる口実を作るために、ここに通ってるわけでしょ?」


・・・この野郎・・・。


「そのとおりです。 だから、てきとうに雑談でもしませんか?」
「君は目立つのが大嫌いだろう?」
「・・・なんですか、いきなり」
「さんざん世間の注目を浴びたわけだからね。 そうか、人の目が怖いか・・・」


おれはようやく秋元氏のペースに乗せられていることに気づいた。


「とにかく、もう父のことはよく知りません。 知りたいとも思わない」
「面会にも行ってないのかい?」


責められているような気がした。

親不孝者と、罵られている――!


「・・・一度も」


動機が激しい。


「いや、一度だけ、母さんといっしょに・・・子供のころ・・・しかし、おれは、なにもしゃべらなかった・・・」
「お父さんに、なぜ、あんなことをしたのか、聞いてみたいとは思わなかったのかい?」


押し黙る。


「京介くん?」


黙って、心を凍りつかせる努力をした。

何も感じなくなるまで、母さんと過ごしたあばら家の窓から見える雪景色を思い出した。


そして――。


「聞く意味がありませんから」
「・・・む?」
「なぜ、四人も殺したのか。 理解してどうなるというんです?」
「・・・京介くん?」


秋元が初めて余裕の表情を崩した。

おれが、笑っているからだ。


「しかし、父が人を殺めた真意は、おれにはわかる。
いや、おれだけは、わかっている。

わかってやらねば、父が報われない」


秋元が、眉をひそめた。


「殺されて当然の人間を、当然に殺したまでのことだ」
「京介くん、それは違う・・・」
「違うのはお前らだ。
が、多くは語らん。
お前らに父の潔白を説いても無駄だからだ。
おれはやる。
お前らは身を持って知ればいい」


突如、秋元が立ち上がった。

その瞳に、明らかな狼狽の色が浮かんでいた。


「今日は、ここまでにしよう」
「おや? まだ二十分もたっていませんが?」
「診察料は特別に割引してあげよう」
「それはよかった」


手を振って、悠々と退室した。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 



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「ふー、花音がいないと和むぜー」
「ほんと、学園は和むぜー」
「なんだよ、遅刻してきた分際でよ」
「いつものことだろ」


栄一が我が世の春を謳歌していた。


「今日はよ、宇佐美の野郎もいねえし、マジやりたい放題だぜ」
「ほほう」
「手始めに花音の机に、賞味期限が明日までのお菓子を入れておいた」
「え?」
「するとどうなる?
あいつはしばらくスケートで休みだろ?
帰ってきたときには食えなくなってるわけか?
ええっ? こいつは困ったな兄弟?」


・・・普通に、食わずに捨てるだけじゃねえか?


「しかし、京介ちゃんよー」
「はい?」
「そろそろ、宇佐美に復讐しないといけないんじゃねえか?」
「復讐、すか」
「ほら、あの、職員室に忍び込んだときのことだよ」
「ああー、はいはい。 鍵、盗んだときだな?」
「あのときは、ヤツのせいで、オレたちの完全犯罪が暴かれたわけじゃん」
「いやいやいや、あれはどう考えてもお前が勝手に自滅しただけじゃねえかな?」
「あー、どーすっかなー・・・どうやって地獄を見せてやろうかなー」


ない知恵を、必死になって絞っているようだった。

 

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「・・・ねえ」

 


「あ、白鳥さん、こんにちはー!」


白鳥が屋上に来るなんて、珍しいな。


「よう、白鳥。 学園の件は少し落ち着いてるみたいだな」


学園の理事長・・・白鳥の親父さんが世間や警察から容疑をかけられている件だ。

 

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「私は興味ないから」


興味ないわけがないだろう・・・。


「浅井さんのことだけど」


浅井さん・・・というからには、おれのことじゃなくて、花音のことだろうな。


「花音がどうした?」
「あなたに用はないわ」


一瞥された。


「相沢くん、チケット、どうやって取ったらいいの?」
「え? ビスケット?」
「・・・・・・」
「なーんちゃってー! えへへっ、ボク、甘いもの大好きだからねー」
「気持ち悪いわ」
「(んだと、コラッ!?)」
「インターネットで手に入れられると聞いたんだけど、やり方がわからなくて」
「いつのチケットがいいの?」
「明日の」
「明日のはもう無理だよ。 当日券しかないね」
「当日券は、直接会場まで行けば買える?」
「まず無理だけどね」
「そう」


用件が済んだのか、白鳥は踵を返した。


「おい待てよ、なんでお前がスケート観たがるんだよ?」
「別に。 浅井さんに来てって言われてたから考えてみただけ」


こちらを振り返ることもなかった。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ったく、なんだよ、あいつは」
「同感だね。 アイツはオレを怒らせたよ」


寒空の下、おれも栄一もふてくされていた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「じゃあ、明日、何時に会場に行けばいいんだ?」
「本当は昼から全部見てけと言いたいところだが、花音の出番は、だいたい八時過ぎくらいだ。 それまでには来いよ?」
「明日は、ショートプログラムだよな?」
「ああ、あさってのフリーのほうが、本番っちゃあ本番だ」


・・・わざと負けろ、か。


「じゃあなー」


栄一を見送って、ふと、脅迫状を思い出した。

負けるはずがない。

花音は、脅迫のことを知らないのだから。

郁子さんの身辺警備は、権三が固めていると思うが・・・。

宇佐美はなにをしているのかな。

思い立って電話をかけてみたが、通話がつながることはなかった。

おれはどう動くべきか・・・。

どうやったら"魔王"の凶行を止めることができる?

どうも現実に危機が迫っているという実感がない。

おれには"魔王"を捕まえたいという意欲が権三や宇佐美ほどないのだろうか。

すでに人が一人死んでいるというが、正義感が沸き立つようなこともない。

身の回りの人間に危害が加えられて初めて、慌てだすのだろうか。

・・・もし、そうなら、遅いのだろうな。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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革命が始まる予感があった。

"悪魔(メフィストフェレス)"は、セントラル街の奥まった路地にあるバーのカウンターで、"魔王"からの入電を待っていた。

腕時計の針が午後八時ちょうどを差した。

"悪魔"は、携帯電話のバッテリーを入れた。

"魔王"の指示だった。

普段からバッテリーを外す癖をつけておくべきだと。

そうすれば、そう簡単に居場所を追跡されることはない。


"魔王"からの手紙が届いたのは、三日前のことだった。

"悪魔"は大日本革新義塾の代表として、事務所の住所を堂々とウェブサイトに公開していた。

書き出しは、ある人間を殺して欲しい、とあった。

それは、時間と場所の指定まである詳細で緻密な殺人計画だった。

初めはよくある悪戯か共産党の罠かと思われた。

しかし、その後に続く"魔王"の主張――堕落した政治家や第四勢力への批判――を読み進めるう
ちに、並々ならぬ興味を覚えた。

句読点の打ち方が妙であったり単語の誤用が見られたりするところから学識はなさそうだったが、
その激情は"悪魔"の胸を打った。

そして、昨日の深夜に交わした電話のやりとりで、彼が同志であると確信にいたった。

彼は浅井と名乗った。

"魔王"と呼んでくれ、とも。

"魔王"は、電話のなかで、一人の男を殺したと告げた。

マンションの階段から突き落とした。

物陰に隠れて被害者の帰宅を待ち、不意をついて背中を押した。

単純だが、目撃者さえいなければ事故との区別は難しいという。

"悪魔"は、なぜ殺したと聞いた。

その答えが気に入った。


『彼がホモセクシュアルだから』


それは、"悪魔"の主張と共鳴していた。

偉大なる日本に同性愛者のような弱者は不要である。

聞けば被害者は、服飾を専門とするデザイナーで、ゲイであることをカミングアウトしたことで、マスコミの注目を集めていたのだという。

たしかに、死んで当然の人間ではないか。

行動力のある男だと思った。

国を憂う同志が増えたことは喜ばしい。


着信があった。

しかし、相手は無言だった。


「"魔王"か?」


こちらの声を確認するまで口を開かない。

その慎重さも気に入った。


「いい夜ですね」


若い。

が、愛国心を抱くのに年齢は関係ない。


「我々の力を借りたいのだな?」
「一人より二人のほうが、より祖国のために働けます」
「殺すのだな?」
「改革に犠牲はつきものでしょう」
「手紙にあったお前の計画は完璧だ」


"魔王"は、低く笑った。


「計画は完璧だが、まだ私のことを信用なさってはいないようですね?」
「同志を疑うつもりはないが、こういう話は腰をすえてじっくりとしたいものだ。
ひとまず一度会ってみないか?」
「申し訳ありませんが、お断りします」
「なぜだ?」
「お互いの顔を知らぬほうが、公僕の目も欺きやすいというものです」


一理ある。

共犯ではなく単独犯と思わせられるだけでも、警察の捜査を誤った方向に導くことができる。


「しかし、あなたのお気持ちもわかります」


"魔王"が言った。


「もう一人、殺してみせましょう。
それで、私が本気であることを理解していただければと思います」
「誰を殺るんだ?」
「外国人です。 我が国に、彼らの住まう場所などないということを教えてやらねば」
「心意気は賞賛に値する。 英霊たちもお喜びになるだろう」


頭の切れる男ではありそうだった。

意志も強そうだ。

冷たい声に狂気じみたものすら感じる。

問題は"魔王"の背後関係だった。

すなわち、それだけ大胆な計画を胸に抱きながら、なぜ自分を頼ってきたのか・・・。


"魔王"が、見透かしたように言った。


「私は、この殺人の末、声明文を起草して、堕落した日本人に訴えかける所存です。
しかし、私は個人で動いている。
いまの政治では少数意見は必然的に無視されるものです。
私は真に信頼できえる同志を求めていました。
威厳ある組織を。

しかし、どの政治団体も手ぬるい。
どいつもこいつも口だけです。 もはや話せばわかる時代ではないというのに」


口調はやがて力強くなっていった。

次の一言には、"悪魔"の心を震わせるものがあった。


「あなたは違う」
「・・・・・・」
「あなたのウェブサイトに掲げられた主張に確信した。
あなたは英雄だ。 私の声明文を託せるのは、あなたしかいない」


高揚した気分を落ち着かせようと、グラスに口をつけた。


革命の予感があった。


「一人殺すと言ったな。 いつ殺すんだ?」
「明日(みょうにち)です」
「詳しく聞こう」
「ええ、夜は長い・・・」

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

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「たっだいまー!」


夜遅く、花音が帰ってきた。


「やっぱり、居座るつもりなんだな。
郁子さんやヒルトン先生の許可は得てるんだろうな?」
ヒルトン先生はあんまりプライベートに関わらないの。
日本語もあんまりできないから、なんか気が楽だよ」
「郁子さんは泊まっていいって言ってんのか?」
「ん・・・OKだって。 明日は車で迎えに来るって」


ならいいが・・・。

どうも体が冷え切っているようなので、お湯を沸かしてやった。

 

・・・。

 

 


「お前、コーヒー飲めるよな?」
「うん、兄さんのコーヒーはおいしー。 でも砂糖は入れないでください」


・・・食い物にも気を使っているんだろうな。


「兄さんって、暗いよね」
「いきなり無礼だな」
「なに考えてたの?」


花音が勝つと死人が出るということを、考えていた。


「いやー、花音はかわいいなーと」


肩をすくめてみた。

また、小馬鹿にされるかと思ったが、花音は目を輝かせた。

 

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「ほんと? 二回目だね。 兄さんに好きって言われるのは」
「好きとか言ってねーけど・・・って、二回目?」
「兄さんと会って最初のころ」
「ああ・・・」


おぼろげな記憶をたどる。

一時期、花音が権三の娘だと知って、媚を売っていたことがあったな。

よく覚えていないが、そんときに、かわいいだの、好きだのとささやいたかもしれない。


「のんちゃんは、のんちゃんが好きな人が好きです」


・・・まさか、真に受けているとはね。

もちろん、おれだってこいつが嫌いではないが・・・。


「兄さんは根暗で、嘘つきだけど、のんちゃんのことは大好きです」
「はいはい」
「じゃなかったら、頼んでないのにコーヒーとか出してくれません。 ご飯も用意してくれません」
「・・・・・・」


・・・なにを馬鹿なことを。


「なんか元気出てきた。 明日はすっごい点数出しちゃうぞー」
「勝手に元気になってよかったな。 四回転もとっとと決めてくれ」
「あれはもうやめた」
「え?」
「今日のテレビ見てなかったの? のんちゃん、インタビューで四回転しないって宣言したんだよ」
「なんだよ、残念じゃねえか・・・みんな期待してたんじゃねえのか? なんつーの、必殺技だろ?」


花音はぷるぷると、子犬のように首を振った。


「あれはやるもんじゃないよ。
男の選手でも腰と膝にずしーんとくるらしいよ。
のんちゃんもカナダで試してみてコイツはヤバイって思った」
「飛んだが最後、その後の演技がぐだぐだになるってことか?」
「イエース」


少し気に入らなかった。


「ちょっと人気が落ちるんじゃねーの、花音ちゃんよー」


栄一みたいなしゃべり方だった。

 

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「んー、みんな新しい技が大好きだからねー」


口をへの字にして困ったように言った。


「でも心配ない。 けっきょく勝てばいいから」
「勝てるのか?
栄一コーチの話しによれば、お前は基本的なスケーティングの評価がかんばしくないとか・・・」
「ジャンプに比べればの話だよ」
「ジャンプねえ・・・」
「四回転を狙わないぶんだけ、トリプルをきっちり決めるから」


たしかに、四回転に失敗して転倒するよりは、トリプルを確実にこなしたほうが、得られる得点は高い。


「転ぶなよー、マジで。 選手がジャンプするときって、客も緊張するんだよなー」
「あれれ? 兄さん知らないの?
のんちゃんは、ジャンプはジュニアのときからほとんど転んだことないんだよ?」
「へー」
「アクセルはちょっとやらかしちゃったことあるけど、序盤のコンビネーションジャンプなんかは一度も転んだことないんだよー」


どうも、こいつはへらへらしてんな。


「ほら、瀬田真紀子さんだっけ? 今年は調子いい日本選手もいるわけだろ?」
「うん、今日、いっしょにインタビューされた。
瀬田さんかわいい。 でも勝つのはのんちゃんなのでしたー」


・・・なのでしたー、じゃねえよ。


「お前ちょっと、油断してんじゃねえのか?」


呆れながら言った。


「転んだことないからって次も転ばないとは限らんだろうが」
「・・・・・・」


不意に、花音の口元が引き締まったので、おれも口を閉じた。

黙り込んでいた花音が、小鼻を広げ、わずかに笑った。

 

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「転ばないよ」



「なに・・・?」


とっさに、息を呑んだ。


「わたしが、負けるわけがないの」


おれを見つめている目に現れた光を、いままで知らなかった。


「五歳のときからスケートやってるの。 バレエも習った。
みんなが遊んでる夏休みに合宿にも行くの。 CMにも出させられるの。 わかるかな?」


こわばった顔に、あるとも見せない呼吸。

押し殺すような語り口には、絶対の自信があった。

 

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「瀬田さんは、インタビューでわたしのことをライバルだと言った。 わたしに勝ちたいみたい。
そんなこと考えてるから勝てないの。 よけいなこと考えたらダメなの。
わたしは普通の学園生であることを求めなかったし、パパが怖い人なのもどうでもいいの。
パパと母さんが一緒に暮らしていないのも、理由があるんだろうけど、あえて聞かないの。
ショックを受けてる暇なんてないから。
兄さんもそう。
いろいろ隠し事があるみたいだけど、聞かれたくなさそうだから、わたしも興味を持たないの。
どうすれば得点が伸びるのか。 わたしはそれだけを考えてる」


感情移入のない平坦なしゃべり方に、思わず背すじが伸びる。

気圧されてしまいそうな眼光は、誰かに似ていた。


「去年の故障を心配するような声もあるけど、よけいなお世話。
テレビの人は視聴率を取るのが仕事。 わたしも数字を取るのが仕事。
誰よりも高い点数を取って、観客をあっと驚かせてあげるの。
感動したければすればいい。 握手もサインもしてあげる。
そんなことより勝利の瞬間がたまらないから、何千、何万回と練習してきた」


・・・忘れていた。


「わかった、兄さん?」


こいつは、浅井権三の娘だった。


「明日は来てね。 それが本当だって教えてあげる」


おれが学園では緊張感のない毎日を送っているように、花音もまたスケートリンクの上に本当の自
分を見出していた。



・・・。

 


花音は、言いたいことを言って満足したのか、いつものでれっとした顔に戻って脱衣所に消えていった。

おれはしばらく、その場に呆然と突っ立っていた。


・・・明日は、嫌でも観にいかなくてはな・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 




あの不敵な笑み。

過剰なまでの自信に溢れた目つき。

超満員のアイスアリーナ内で、おれは浅井花音の真髄を思い知らされることになった。

 

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「ナンバー46。 浅井花音、日本!」


観客席から盛大な拍手が上がった。

割れるような歓声に包まれながら、花音が氷上に踊り出てきた。

企業の広告が張られたフェンスに沿うようにリンクを半周し、やがて中央で静止し、ジャッジに向けて艶めかしい媚態を作った。

息の詰まるような静寂が張り詰める。

内壁に備え付けられた巨大なスクリーンには、花音の顔がアップで映し出されていた。

その表情にまるで別人を見ているようだった。

挑むようなまなざし。

引き締まった唇が計算されたメイクも手伝って、美しさを際立たせている。

普段の花音を知る人間からは想像もできないほど、覇気に溢れていた。

姿勢を落とし、日本人離れした長い右腕を左足の付け根あたりに添える。

まるで、腰元の剣の束に手をかけるような格好。

今から戦いにでも行くのかと思わされた直後、その妄想があながち間違ってもいないことを知った。

 

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踊るような木管楽器の調べから始まったのは、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』だった。

楽劇『ニーベルングの指環』に登場するワルキューレは、戦没した勇士たちを天界の城に導く使命
を帯びていた。

日本では戦乙女とも呼ばれる彼女たちは、鎧に身を包み、剣をかかげ、翼の生えた馬に乗って戦
場に赴く。

ファゴットやホルンが奏でられるころには、花音はまさしくワルキューレのような勇ましさで氷上を疾走していた。

速い、と思った。

他の選手と比べてもスピードが段違いだし、なによりリンクが狭く見える。

フェンスの端から端まで一気に到達したかと思うと、ゆるやかなカーブを描きながら、いつの間にか後ろ向きの姿勢になっていた。

氷を粉砕するような暴力的な破壊音があった。

さながら天馬の馬蹄。

直後、花音の肢体が空中で回転していた。

高く、滞空時間の長いジャンプは、本当に羽でも生えたようだった。

転ぶはずがないと花音は言った。

当たり前のように、着氷は完璧だった。

コマの軸のようにエッジを利かせて半回転すると、優雅に伸びた両手が翼を広げた。

連続ジャンプを終えた花音に豪勢な拍手が浴びせられる。

種類はよくわからないが、おそらく何度の高いジャンプを成功させたのだろう。

芸術的なジャンプであったことは、おれにもわかった。

花音の前に何人かの選手が跳んだのだが、たとえば、踏み切りまでの準備が異様に間延びしてい
たり、回転不足で降りてきて着氷し、氷の上で足を回してさもジャンプが成功したように見せてしまう選手もいた。

花音の場合、まず飛距離が違う。

弾丸のような速度が成せる技なのか。

しかし、たとえばテレビで走り幅跳びなんかを見ていても思うが、助走のスピードが上がれば上がるほど、ジャンプのタイミングは難しくなるはずだ。

かといってのろのろと滑ってきてジャンプされたのでは、素直に拍手は送れない。

失敗した他の選手にしてもそうだが、高さと飛距離を両立させるのは至難の業なのだろうな。

二度目のジャンプも難なく成功させ、花音は進撃を続けていった。

派手な振り付けのステップシークエンスが始まる。

上体の忙しい演技に目を奪われるが、よくよく観察してみると足元は実になめらかだった。

片足だけで細かいターンを繰り返してなお、スピードは落ちない。

優雅かつ正確無比なステップは、まるで戦姫が目にも留まらぬ剣舞を披露しているようにも見えた。

三度目のジャンプ。

今度は前向きに滑ってきてそのまま踏み切った。

氷の削り屑が血しぶきのように弾ける。

大言を吐いただけあって、見ている側としても安心感があった。

転ぶかもしれない、などとは少しも思わない。

見事な着氷を決めた花音に、会場は異様な熱気に包まれた。

が、それまでのような黄色い嬌声はまったく聞こえなかった。

感嘆の吐息と、驚愕のうなり声。

賛辞ではあるが、それは悪寒を覚えるような畏怖からくるものだった。

 

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妖艶だった。

スクリーンに映し出された花音の表情には、鬼気迫るものがある。

神に刃向かう敵勢を皆殺しにするのだ。

そもそも『ワルキューレの騎行』と聞いて、映画『地獄の黙示録』を思い出す客も多いのではないか。

不気味な陽気さを漂わせる指揮官のもと、大音量の『ワルキューレの騎行』にのせて、ヘリの上か
らベトコンの村を機銃掃射するシーンだ。

作曲者のワーグナーの人柄にしてもそうだ。

音楽史に残る偉人であることは間違いないが、その人物は悪名高い。

自己中心的な性格の持ち主で、浪費家なうえに周りは自分のような天才に出資するのが当然だと
決めつけていた。

ニーチェと親交のあった時期もあり、その思想にいたっては後世においてナチに利用されたほどだ
った。

天才ではあるが、暴君でもあった。

非日常的な光景の続く銀盤で、氷上の暴君が圧巻のフィナーレを飾ろうとしていた。

嵐のような回転速度のスピンを終えて、決めのポーズを取った花音。


・・・。


曲が収束すると、一呼吸おいて、地鳴りのような音が会場のそこかしこからせりあがってきた。

満場一致のスタンディングオベーション

おれも気づいたときには腰を浮かせて手を叩いていた。

たかが二分四十秒の間に、人の心を鷲づかみにする威勢があった。

発表された得点は明らかに異質なものだった。

波いる世界の強豪を蹴散らし、花音は一気に首位に立った。

歓喜に沸く客席。

去年の故障から見事に立ち直った姿に感動しているのだろう。

彼らは、本当の花音を知らない。

キス&クライと呼ばれる、結果を待つ選手たちが待機するスペースに花音の姿があった。

その顔がスクリーンに浮かび上がる。

パーソナルベストを更新した花音は、しかし、飛び跳ねて喜ぶでもなく、隣に座ったヒルトンコーチに抱きつくでもなかった。

ただただ冷徹に、ニヒルな笑みを口元に携えるだけだった。

インタビューアーがマイクを差し向ける。

花音は一言、


「明日もありますから」


と、つぶやくように言うだけだった。

腹の底に強烈な愉悦を隠しているようにも見えた。

まるで、今日の勝利が当然のものであるといわんばかりに・・・。


・・・・・・。

 

 

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「いやいやいや、栄一さんよー」
「いやいやいや、京介ちゃんよー」


外に出て栄一と椿姫と合流した。

真冬の外気が肌にひんやりと気持ちいい。


「お前さー、なんか花音のステップがどうだとかぬかしてたけど、実際どうだったんよ、すげえじゃねえか」
「やっぱりオレちゃんがきつく言ってやったからかな。 去年までの花音とは別人だわ」


「ほんと感動したね。 ぞくぞくしちゃったよ」
「選曲も良かったと思うんだよ」
「わたしもそう思った。
最初は怖い曲だなって思ったし、いつもニコニコしてる花音ちゃんには合わないような気がしてたんだけど・・・」

 

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「だんだん、ハマってきたと思ったら、いつの間にかこれしかないみたいな気分にさせられたわ」


栄一もよほど興奮しているのか、椿姫の前だというのに本性を現したしゃべり方をしていた。


「やっぱりヒルトンは偉大だなー。 コーチが違うとこうまで変わるもんかねえ・・・」
「そんなに違うのか?」
「違う違う。 去年までの花音はよー、なんつーの、どっちかっつーとキャワイイ系で売ってる系だったのよ」
「売ってる系だったんだ」
「元コーチの金崎郁子には悪いけど、花音にはああいう悪魔系が似合うよ」


「ちょっと怖すぎたけどね。 でも、ああいう花音ちゃんも素敵だよね」
「よくよく見たら、あいつ背も高いし手足も外人みたいに長いもんな」


「なんかの記事で読んだけど、ガキのころからバレエやって体柔らかくして、メシも自分で管理して食ってたらしいぜ」
「この分じゃ、明日も楽勝だな」


すると、栄一が突然、顔をしかめた。


「あー、それなんだけどよー」
「どうした?」
「明日のフリーな。
フリーのプログラムはあんまり評判良くねえんだわ。 プログラムっつーか、曲か?」
「え? そうなの?
今日が『ワルキューレの騎行』だったんだから、明日は『英雄』とかじゃねえの?」
「そう思うだろ? でもなに考えてんだか知らねえけど、今日のショートとは百八十度違う曲調なんだよなー」
「なんてヤツだ?」
「マニアのお前ならわかると思うけどよー・・・」


その曲名に、たしかにおれも首を傾げた。


「そりゃ、まずいんじゃねえの?」
「だろう? 今日のイメージじゃねえよな?」


「でも、花音ちゃんはそれで、この前のカナダ大会は優勝してるんだよね?
だったら、だいじょうぶじゃないかな?」


おれも椿姫に同意した。


「花音の技術は、ハンパないんだろ? だったら得点にはあんまり曲とか関係ないんじゃねえの?」
「ぬりぃんだよ。 スケートはよー、芸術だぜえ?
得点を決める要素には曲の解釈って項目もあるくらいだ。
実際、前のカナダじゃその辺がだいぶ弱かったらしいぜ?」
「じゃあ、変えればいいじゃん」
「だよなー。 なんでまたあんな曲なんだろうな。
噂によると元コーチの母親にまだ義理立てしてるって話もあるけどな」


「浅井くんはそういう話しないの?」


「そうだよ、なにか聞いてねえのか?」
「ぜんぜん」
「お前らホントに家族なのかよ・・・」


呆れ果てていた。



・・・。



「じゃあ、また明日ね」


「京介も、ちゃんと来いよー」


「おう・・・」


少し薄情かもしれんが、別におれが行かなくても花音はやり遂げるだろうな。

今日の演技を見て確信した。

花音にとって客の歓声などたいして意味のないものなのだ。

浅井権三が己のみを頼みとするように、花音もまた自分の実力を信じている。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。



 

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たしかに死人が出ていた。


夜、十一時。

"悪魔(メフィストフェレス)"は、西区の港に足を運んでいた。

黒ずんだ血が、携帯していたライトの光に浮かび上がった。

灰色の路面にまばらに模様を作り、点々と暗い海に続いていた。


――肺を一刺し、海に突き落とす。


"魔王"の冷淡な声を思い出した。

この辺りの海は冬になると流れが急になり、死体ははるか遠くの外海に運ばれるのだという。

発見されなければ殺人事件にはならない。

年に九万人も出る行方不明者のリストに加わるだけだ。

"魔王"は自らの殺人計画をそう力説していた。


"魔王"の指定どおり、岸辺の縁に運転免許証があった。

血の垂れたそれを拾い上げて名前を確認する。

"悪魔"は満足した。

この西洋人の職業はバレエダンサーだという。

日本には古来より由緒正しき舞踊がある。

敗戦後のアメリカの文化侵略しかり、こういった輩はすべからく我が国から排除されるべきなのだ。


――"魔王"は頼もしい男だ。


闘志が沸いてきた。

期待にこたえてやらねばなるまい。




「あの・・・」



不意に、背後から声をかけられた。

"悪魔"はとっさに、血染めの運転免許証をコートの内側に隠した。


「あの、すいません・・・」


ゆっくりと振り返ると、幽霊がいた。

懐中電灯の光が幽霊を照らす。

驚いて一歩あとずさった。


「あ、危ないすよ」


背後は海だ。

幽霊が腕を伸ばして踏み込んできた。


・・・足?

 

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よく見れば前髪が異様に長いだけの少女だった。

どこかの学園生らしく、胸にリボンのついた制服を身にまとっておいた。


「女学生がこんな時間までなにをしている」


嘆かわしいことに、近頃の女学生はまったく狂っている。

深夜に人気のない場所を徘徊するような非行こそが、犯罪を助長しているとなぜ気づかない。

襲われる側にも問題があるのだ。


「なにをしているんだ、貴様」
「あ、いえ、この辺は、ちょこちょこ来るんすよ。
考え事をするときはとくに・・・ええ、この先にちょっとした見栄えのする場所がありましてね」


ぼそぼそとはっきりしないしゃべり方だった。


「昔、大好きな人とお別れした場所でしてね。
この街は変わってしまいましたけど、この辺りだけは、大して変わってないなと、懐かしんでいたんです」
「名前を言え」
「あ、藤原則香です」


少女は長い前髪の隙間から、ぼんやりとこちらを見つめた。


「藤原、いまが何時だかわかるか?」
「・・・・・・」
「おい」
「え? ああ、十一時くらいすかね・・・」
「子供は家で寝てる時間だろ?」
「いちおう十八歳以上なんすけどね、これでも」


おどけるように言った。


「そんなことより、お怪我はありませんか?」
「怪我?」
「ええ、足元に点々と・・・」


血のことを言っているのだろう。


「私は知らん。 ジョギングをしていたらふと気になって調べてみた」
「はあ、そすか・・・」


疲れたようなため息をついた。


「私は帰る。 お前も夜更かししないでちゃんと帰るんだぞ」
「あ、お気遣いありがとうございます」


薄気味悪い風体には似合わず、深々と礼をした。


"悪魔"は少女の脇を抜けて歩き去った。


「あ、ちょっといいですか?」


呼び止められて立ち止まった。


「ミヒャエル・ユグムントさんとよくお会いします?」


"悪魔"は目を見開いた。

その男はよく知っている。

いま海の底だ。


「誰だって?」
「ですからユグムントさんです。 バレエの先生ですよ。 いま話題の浅井花音に指導したこともあるんです」
「そんな奴は知らん」


少女は残念そうに肩を落とした。

不意に不快感に襲われて聞いた。


「なぜ私にそんな話をする?」
「いえ、ジョギングされてたんですよね? ていうことは、この辺にお住まいなのかなと」


つまり、死んだ西洋人もこの辺りに住んでいたということか。

不信感が募った。

なぜ、この状況で見知らぬ少女が、死んだ男の話を始めるのか。


「自分、あの方のファンでして。 もし会ったら、サインもらっておいてください」
「いいだろう。 連絡先を教えろ」

 

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「マジすか、やったー! わー!」


少女はなんの警戒もせずに、携帯電話の番号を口にした。


・・・ただの偶然か?


"悪魔"はあどけない笑顔を浮かべた少女に、別れを告げた。


連絡先は控えた。


なにかあればすぐに始末してやる。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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いつものバーで"悪魔"はさっそく電話をかけた。


「死体を確認した。 見事なものだな」
「これで私を信用していただけましたか?」
「もちろんだ」


力強く言った。

電話の向こうの青年が本気であることは十分に伝わった。

いまこそ革命を遂行すべきときだ。


「では、明日だな」
「手順どおり、九時にお願いします」
「わかっている。
二度も殺人を犯したお前の計画だ。 きっと完璧なのだろう」


酒が進んだ。

"魔王"と祝杯をあげたくなった気持ちをぐっと堪えた。

聞けば、許しがたい女だった。

なんでもフィギュアスケートのコーチだった。

過去、オリンピックにも出場したことのある名選手でもあったそうだが、引退後は堕落した人生を送っているという。

名前は金崎郁子。

自らを引き上げてくれたフィギュアスケート連合を批判するような本を出版したかと思えば、ヤクザ者との逢引き疑惑まで囁かれた。

全盛期は細く美しい体をしていたらしいが、いまではぶくぶくと太り、収入にも無頓着で、娘の賞金を当てにするようなだらしない生活をしているという。

親として最低の人間だった。

このような親が一人でもいなくなれば、教育の未来は明るい。


「なにか質問は?」


不意に、"魔王"が問うた。

"悪魔"はしばし思案した。

先ほど出会った少女の顔が思い浮かんだ。


「やはり、顔を見られたら殺したほうがいいのか?」
「いい質問ですね」


感心するようなため息があった。


「場合によります」
「というと?」
「目撃者というのは非常に厄介な存在です。
特徴を覚えられた場合、警察が最新鋭の機器を使って、かなり正確なモンタージュを作成します」
「下手をすれば、私の顔が交番や地下鉄にばら撒かれるってことか?」
「しかし――」


間をおいて言った。


「目撃者というものはたいていの場合、事件の光景よりも事件で味わった感情を記憶しているもの
です。
犯人の持っていたナイフが恐ろしかったとか、警官の発砲に耳が割れそうになったとか、そういうことは覚えています。
しかし、たとえばその場で自分と同じように悲鳴を上げていた人物のことは、記憶からすっかり抜け落ちるものです」
「なるほど、周りと同化してしまえということだな?」
「もちろん、あなたがたいそうな肥満であったり、鼻の下にブドウのようなホクロがあるのなら話は変わってきますが・・・」
「安心しろ。 酒は好きだが、ビール腹には縁遠い」


"悪魔"は、やや身長はあるものの、どこにでもいるような風采の上がらない疲れた男だった。


「とはいえ、目が合ったら殺したほうがいい」
「目か・・・」
「目は最も感情を伝える部位の一つです。
あなたの瞳に異常を感じれば、相手はきっと忘れないことでしょう」


つまり、なるべく顔を伏せておけばいい・・・。


「なら、もう一人殺しておかなくては」
「む・・・?」


"悪魔"はもう一杯酒をあおってから語りだした。


「実は、さっき、港で妙な女に出くわしてな。 幽霊かと思ったよ。
ただの女学生だったが、膝まで届きそうなくらい髪が長かった。 お前が殺した男の話をされたぞ」


"魔王"は珍しく押し黙った。

沈黙に耐えきれず"悪魔"は続けた。


「藤原とか名乗ってた。 海に沈んだ男のファンらしい。 連絡先は聞いておいた」
「・・・・・・」
「なんだ、何を考えている?」


返答はなかった。

なにか気に触ることでも言っただろうか。

それともあの少女に心当たりでもあるのだろうか。


「ぜひ・・・」


やがて"魔王"がささやくように言う。


「ぜひ、殺してください」


"悪魔"はその口調に殺気を感じたが、それも一瞬のことだった。


「その少女こそ、あるいは最大の敵です」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「ふぃー、ただいまー」
「遅かったな。 もう一時近いぞ」
「コーチとお話して、ちょっと調整して、そのあとインタビューとかしてたら遅くなったー」


ぼけぇーっとした顔で荷物をソファの上に放り投げた。


「兄さん、なにしてたの? 魚くさいよ?」
「ああー、ちょいと料理でもしてやろうと思ってな。 魚さばいてたんだ」


どうもおれは貧乏性なのか、安売りしていたスーパーでさんまを十匹も買い込んでしまった。


「のんちゃん、もう食べたよ」
「だろうな。 明日の朝にでも食え」


余った分は、近所の椿姫にでもやるとするか・・・。

おれはコーヒーを煎れながら、ソファにだらしなく寝転がった花音に言った。


「今日、すごかったな」
「なにがー?」
「いや、お前」
「演技が? そう?」


きょとんとしていた。


「いや、余裕の一位だったじゃん。
二位のロシアの選手と二十点くらい差つけてたじゃねえか」
「あ、そうだっけ? じゃあ、それなりだね」


二位の選手のことなど、まるで興味がなさそうだった。


「今日のご感想は?」
「はい。 結果に満足せずに精進したいと思います」
「テレビ向けのコメントだなー」
「本当にそう思うんだよ。 だって、NKH杯は外国の選手も来るけど、世界で一番強い人が集まるわけじゃないもの」
「なんだよ、周りが雑魚ばっかりだったから、楽勝だったってか?」
「そんなつもりはないけど、けっきょくそーいうことかも」


無邪気に言われると、嫌味には聞こえなかった。


「のんちゃんは、世界一になりたいのです」
「はい」
「トップ、優勝、一番、最強、王様、そーいう言葉が好きです」
「わかりました」


おれは、花音がいつの間にかぐちゃぐちゃにしたソファーカバーを指差した。

 

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「わかりましたから、それ、直せ」
「ヤダ。 どーせすぐに、ぐっちゃにするから」
「ぐっちゃにするな。 どうやったらぐっちゃにならないか反省してみろ」
「王は、省みないものです」
「まだ王じゃねえだろ」
「兄さんにはかなわないなー」


しょうがないといった調子で、カバーをかけなおした。


「風呂入るか? 沸かしといたぞ」
「気が利くねー、やっぱり兄さんの家に来て正解だったなー」
「なんだよ、郁子さんだって風呂ぐらい沸かしてくれるだろ」
「うん、すごい、気を使ってくれるよ」
「・・・・・・」


花音の目にかすかに寂しそうな光が宿った。

 

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「コーチは、のんちゃんが世界一になることばっかり考えてる人だから。
いつもヘコヘコしてるよ、わたしに・・・」


なにもないフローリングにまなざしを落としていた。

ふと思い立って聞いた。


「そういや、明日の、フリーのプログラムさ・・・」
「んー?」
「なんかお前のイメージじゃねえんだけど、なんで?」


花音は、一瞬とまどったように口をすぼめた。


「・・・知らない。
コーチがヒルトン先生にお願いしたみたい・・・でも、知らない」


郁子さんのことをあくまでコーチと呼ぶ花音に、おれはそれ以上突っ込むのをやめた。


「んじゃ、いっしょに寝よっ!」
「寝ないから」
「のんちゃんね、なにかを抱っこしてないと眠れないの」
「わがままばっかり言うなよ・・・それだけはまずいっての」
「だいじょうぶだよ、誰も見てないよ」


・・・ったく、どうすりゃいいんだよ。

笑顔の裏にただよう影が少しだけ気になった。

・・・まあ、こいつが寝つくまで、隣にいてやってもいいかもな・・・。


しかし・・・。

 

「わりいけど・・・」
「えー!」
「とっとと彼氏でも作れや」
「兄さんがカレシだもん」
「はいはい・・・」


おれは書斎に足を向けた。


「あ、逃げたなー・・・もー!」
「とっとと風呂入ってこい」


・・・。


・・・・・・やれやれ。

書斎の椅子に腰掛けて、あくびをした。

花音はきっと、明日も勝つだろう。

すると、新たな犠牲者が・・・。

そう考えると、気分がめいるものがあった。

とはいえ、おれには打つ手はなさそうにみえる。

おれには・・・。


「っ・・・」


どういうわけか、まためまいがする。

秋元がよけいなことを言うからだ・・・。

くそ・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


「ふう・・・」


・・・それにしても・・・。

 

 

 

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予想外だ。

宇佐美と"悪魔"が、すでに接触しているとは思わなかった。

宇佐美は、どうして、夜の港に現れたのだ?

宇佐美には浅井権三もついているのだから、こちらの殺害予定者のリストアップくらいはしているだろう。

花音の関係者は、学園、スケート、親戚・・・少なく絞り込んだとしても、十数人になる。

そのなかから、ドイツ人のバレエダンサーをピンポイントで当ててきた。

ミヒャエル・ユグムントの所在は、たしかに西区の港付近ではある。

自宅を警戒していた宇佐美たちが、港で不審な動きを見せる"悪魔"を発見したのだろうか。


・・・なぜだ?


偶然か、よほどの強運か。

浴室から、水の滴る音とともに、声があった。

バスタオルはないのか、と聞いている。


・・・まったく図々しい女だ。


「いま用意する」


・・・明日が、楽しみだな。

宇佐美がどれほどのものなのか、お手並み拝見といこうか。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「兄さん眠そうだねー」
「お前はいつも元気だな」


翌朝、マンションの入り口まで花音を送り出した。

しばらくすると、高級外車が走り込んできて、路上の縁石すれすれに停まった。

 


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「おはよう。 京介くん」


郁子さんが、左側の運転席からのそりと出てきた。


「おはようございます、いい車ですね」
「そう? もう二世代も前の車よ」


・・・それにしたって、ファミリー向けの車が三台は買えるだろうな。


「そいじゃ兄さん、いってくるねー」


花音が、そそくさと後部座席に乗り込んだ。

助手席に人はいなかった。


「ごめんなさいね、私からも連絡しておこうと思ったんだけど、つい忙しくて」
「いえいえ」


花音のことだ。


「なにか言ってなかった?」
「いえ・・・とくには」
「私の悪口とか?」


長年作りこんできたような、奇妙な笑顔。

冗談なのか本気なのか、よくわからなかった。


「いやいや、がんばって世界一になるって言ってましたよ」
「ならいいけど」


たるんだ頬に思わせぶりに手を添えた。

そういえば、この人も昔はオリンピック選手だったんだよな。


「花音は甘えん坊だから、大変でしょう?」
「はあ・・・」
「でも、それがかわいいのよね」


どうにも居心地が悪かった。

はっきりとした理由はないのだけれど、なんとなく会話の弾まない相手だった。


「ねえ、行かないの?」


花音が窓から顔を出した。

不機嫌そうにも見えた。

いや、花音にしては珍しく顔に表情がないものだから、そう思ってしまうのか・・・。


「なにかあったら連絡してね」


軽く会釈すると、郁子さんは車に乗り込んだ。

静かなエンジン音を立てて車を発進すると、あとから黒いワゴン車が続いていった。

郁子さんの車を追うように現れたワゴン車には、こわもての男が二人乗っていた。


権三の手の者か・・・。


郁子さんを影ながら護衛しているのだろう。

しかし、たとえばスケート会場など。

関係者しか立ち入りを許されない場所では、どうだろうか。

いかにヤクザ者でもつまみだされるに違いない。

"魔王"が狙ってくるとしたら、そういう瞬間だろうな。

 

着信があった。


権三か・・・。


「もしもし、京介です」
「宇佐美はどうだ?」
「いえ・・・あれから会っていませんが」
「つれて来い、すぐにだ」


それだけで、通話は切れた。


・・・なんだ、いきなり。


舌打ちして、宇佐美に連絡した。


・・・。


「宇佐美でございます」


一回目のコールで電話に出てきた。


「相変わらず気持ち悪いヤツだな・・・なにしてる?」
「いまはフランス風の喫茶でカッファを頼んでいます」
「嘘をつけ」
「本当です。 新聞も読んでいます。 花音のことがでかでかと載ってますね」


宇佐美は昨日、会場には現れなかった。


「『氷上の戦女神!』とかなってますよ」
「お前も一度は観ておいたほうがいいぞ。 さすがにシビれるものがあった」
「あ、ちょっとすいません」


不意に、ごそごそと物音がした。


「なんだ? なにしてる?」


しかし、返事はなかった。

耳をすませると、かすかにカントリー系のBGMが聞こえてきた。

どこかの店内にいるのは本当のようだ。


「おい?」
「あ、えっと、なんですか?」


おれは用件だけを告げることにした。


「権三が呼んでる、急いで来い」
「マジすか・・・」


ふと、考えるような間があった。


「わかりました。 いまセントラル街にいましてね」
「ならおれもそっちに行く。 近くまで来たらまた連絡する」


宇佐美の了解を得て、おれは歩き出した。

今日は、わりと暖かい一日だった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 



呼び出してからしばらく待って、宇佐美と合流した。

 

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「なにしてたんだ?」
「もちろん尾行です」
「尾行? 誰をつけてたんだ?」
「それはまだ、なんとも。 怪しい人ではあるんですが、シロだったらご本人に迷惑がかかりますので」
「怪しいヤツだって?」
「昨日、ばったり出くわしましてね。
まだ事件に関係があるかどうか確信が持てないんですが、んー・・・どうでしょうー」


目をくるくる回していた。


「詳しいことを権三の前で話せ」
「もしかして、なんの進展もなかったらぶち殺されるんですかね?」
「かもな」
「ひええ・・・・・・え?」


宇佐美の顔が急に引き締まった。

見開かれた目が、おれの背後を凝視している。


「ど、どした?」

 


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後ろを向くと、背の高い女がいた。

光沢感のあるスーツが、冬の陽射しに異様に冴えていた。

口元に薄い笑みを貼りつけて、こちらを見ている。

女がゆっくりと歩み寄ってくる。

柔らかそうなストレートの黒髪が陽射しに輝いていた。


「なんだ・・・?」


背後の宇佐美に聞いた。


「・・・・・・」
「おい、宇佐美・・・」
「・・・・・・」


黙り込んでいるようだ。

まさか、宇佐美の言っていた怪しい人って・・・。

やがて女が言った。

 

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「久しぶりね、ハル・・・」


思わず、宇佐美を振り返った。


「・・・・・・ゆ・・・ゆ・・・」


・・・。

 

「ユキだああああああああああああっ!!!」


いきなり全力で逃げ出した。

めちゃめちゃ速い。

あっけに取られていると、いつの間にか雑踏にまぎれて見えなくなった。


「な・・・え・・・っ!?」


ユキ?


わけもわからずユキと呼ばれた女と目を合わせた。

対峙してみるとおれと同じくらいの身長があることがわかった。

切れ長の眉に、勝気そうな瞳。

花音のように日本人離れした長い手足。

手に黒いブリーフケースを掲げているところが、やり手のビジネスウーマンを想像させた。

 

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「こんにちは、私は時田ユキ。 あなたは?」


宇佐美を震え上がらせた女は、穏やかに聞いてきた。


「・・・京介、浅井京介だ。 お前は?」
FBIよ」
「なんだって?」


一瞬、本当なのかと仰天しかけたとき、次の質問が迫っていた。


「あなたはハルの恋人?」
「驚かせるなよ。 ただの知り合いだ」


時田はニッと笑うとブリーフケースを開いた。

 

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「これ、私の連絡先」


メモを渡された。


「ハルに伝えておいて。 私がまたあなたを狙ってるって」


瞳になにやら邪な光が宿っていた。

 

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「それじゃ。 また会いましょう」


言いたいことだけ言って、去っていった。

しばし呆然とする。


・・・狙ってる?

宇佐美の知り合いか・・・。



・・・。



「浅井さん、浅井さんっ!」
「お、戻ってきたか」


ぜえぜえと息を切らしていた。

 

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「ゆ、ユキは何か言っていましたか?」
「いや、お前を狙ってるって」
「げえっ!」
「なんだあの女は。 やたら美人だったが?」


宇佐美はぶるぶると首を振った。


「わたしの友達です」
「お前にも友達いたんだな」


宇佐美の友達というだけあって、かなりの変人なんだろうな。


「つーか、友達に狙われるってどういうことだ?」
「ユキが狙っているのは、わたしのビーチクです」
「ビーチク・・・? ああ、胸か」


とくに気にしたことはなかったが、宇佐美のそれはへたなグラビア女優よりも豊満だった。


「まあいい。 これ、連絡先な」
「電話をしろと?」
「・・・そんなに嫌なのか?」
「わたしのビーチクがこーなったのは、ユキのせいです」


・・・胸は揉まれると大きくなるというのは嘘らしいが・・・。


「だったら、このメモをなくしたことにしてやってもいいぞ」


めんどくさくなって言った。


「いえいえ、ユキに嘘は通じません」
「はあ?」
「くうう、これは大変なことになったぞー・・・」


額に汗を滲ませるほど慌てる宇佐美を初めて見たかもしれない。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

さすがの宇佐美も権三を前にしては、おとなしくなる。

さきほどまでの痴態はどこへやら。

真剣な表情で権三と向かい合っていた。

 

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「脅迫状によれば、今日の夜九時に人が死ぬ。 なにかつかんだか?」
「・・・それが・・・」


「宇佐美・・・はっきり言え」
「浅井さん・・・。
わかりました・・・では、これをご覧下さい」


言って、かばんの中から、例の脅迫状を取り出した。


「それがどうした?」
「この、封筒なんですがね・・・」


宇佐美は脅迫状の入った封筒を裏返して、テーブルの上に置いた。


「・・・これは?」


鉛筆でこすったような黒い跡があった。


「ちょっと気になる引っかき傷があったので」
「文字の痕跡か?」
「ええ、よくテレビで刑事がやるようなことをやらせてもらいました」
「もうやるな。 痕跡の大半が消える。 本来なら・・・」


権三が、なにか言いたげに、一瞬口を尖らせた。


「何か出てきたか?」
「謎の文字が・・・」


目を凝らす。

封筒の裏面には、漢字の『北』・・・それから、間を置いてカタカナの『ツ』・・・?


「北、とツですね」
「・・・なんだそれは?」
「おそらく"魔王"は、この封筒の上に紙をおいて、なにかを書いたんです」
「それは、そうなんだろうが・・・」


首を振った。


「権三さんはどう思われます?」


権三はわずかに目を細めたのち答えた。


「殺しのあった現場だ」
「どういうことです?」
「北欧ハイツ。 北区にある死んだデザイナーの自宅マンションだ」


「わたしと同じ意見です。 少し自信が持てました」
「続きがある・・・斉・・・斉藤だな。 これもデザイナーの名前だ」


殺害予定者の名前と住所の痕跡か・・・。


「まだなにかあるな・・・」
「ええ、それなんですがね」
「・・・子供の『子』、か?」
「はい、おそらく」
「よく見ると、斉藤という名前の横隣りに書かれているな。 文字が整列しているような・・・」
「なるほど、よく気づかれましたね。 ということは、これもやはり、次の殺害予定者でしょう」


すぐさま、花音の関係者をリストアップした表をみやった。


「子のつく名前は・・・紀子・・・ノリコ先生か」


栄一が一時期夢中だった女教師だ。


「それから、花音と親交のあった元選手の吉田喜美子さん」


資料によると引退後は、スケートリンクから十分足らずの場所で喫茶店を営んでいるらしい。

主にスポーツ選手相手の商売は、それなりに賑わっているようだ。


「あとは、郁子だな」


元愛人を呼ぶ声には、なんの感情の色もなかった。


「この三人のうち誰かが、殺される」
「そうですね・・・"魔王"の脅迫状にはそうありました」


『忠告に耳を傾づくつもりがあるのならば、近日開催されるNKH杯でわざと負けろ。
さもなければ、最終日夜九時にまた新たな死が生まれる。』


花音は、まず間違いなく優勝するだろう。

・・・となると、今日の夜九時に・・・。


"魔王"は、すでに犯行の準備を整えているのかもしれない。


「他に手がかりは・・・?」
「ここ、なんですが・・・」


宇佐美が差した先にははっきりと漢字が書かれたあとがあった。


「いとへん・・・紙か? その下にも人べんに・・・代かな?」
「いえ、袋でしょう。 紙袋です」
「紙袋だって?」


なにがなにやら・・・。


「あとは、その紙袋という文字のすぐそばにある数字ですかね」
「・・・ご・・・5?」
「5の前にもなにか・・・数字ですかね? あるようですが・・・ちょっと読めませんね」
「これは、いったい・・・?」
「わかりませんが、いまのところ思い当たるのは・・・」


「スケート会場内の客席番号だな」
「わたしもそう思います。 今日は女子フリーです。
スケート会場内はたいへんな賑わいです。 郁子さんの警護も難しくなるでしょう」


「そうか。 狙いは郁子さんだとすれば・・・この数字は会場の客席番号かも・・・」
「5番なのか、25番なのか、56番なのかはわかりませんが・・・」
「さらに数字の前にAからKまでのアルファベットがつくからな・・・」


イムリミットが九時として・・・大混雑した会場のなかで、すべての客席を調べている時間はあるだろうか。

いつの間にか、陽射しが強くなっていた。

時刻は午後二時くらいだろうか・・・。

縁側から声が上がった。


「お話中失礼します」
「堀部か」


男が低頭しながら部屋に上がってきた。


「これは、坊っちゃん、お久しぶりでございやす」


おれのことを坊っちゃんと呼んだのは、若頭の堀部だった。

組のなかでは権三の次に権力がある。

切れ長の目の奥で、いつもサディスティックな光をちらつかせている。

 

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「組長(オヤジ)の指示通り、若いのを三十人ばかりかき集めておきました」
「おう」
「いつでも動けます」


権三がうなずくと、堀部も心得たもので、礼だけして退室していった。


「兵隊はそろった」


さすがに権三の手際はいい。

あらかじめ自由に動ける部隊を編成していたんだろう。


「だが、会場内に入れるのは、よくて十人だろうな」
「いまから十人分のチケットを手に入れられるのが、まず、すごいです」


権三のことだ・・・会場周辺でチケットの転売目的でうろついている人間やダフ屋のケツを叩くつもりなんだろう。


「残りの人間は会場の出入り口を固めさせる。 郁子が出入りする関係者通用口はとくに。
宇佐美と京介は、中の人間と協力して会場内で該当する客席を調べろ」
「わかりました」


宇佐美も黙ってうなずいた。


「"魔王"の背格好だが」
「はい。 身長は高めです。 浅井さんくらいでしょうか。
髪型はとくに印象的なものでもありませんでしたね。
顔をはっきりと見たわけではありませんが、やや前髪が長めだったような気がします。
服装は・・・もちろんわたしが目撃したときの服装ですが・・・どこにでも売ってそうな黒いコートに、これまた街のサラリーマンが着てそうなスーツでした」
「あえて、だろうな」


あえて、自らを周囲に溶け込ませているというのか・・・?


「しかし、"魔王"ばかりを追っていると、思わぬ罠におちいるかも知れんぞ」
「おっしゃるとおりです」


「なるほど、共犯の可能性もあるからな」
「はい。 "魔王"は、封筒の上で、次の殺害予定者を紙かなにかに書いたと思われます。
それが自分への覚書なのか」
「それとも、共犯者への指示書なのか・・・そういうことだろう?」


"魔王"からの脅迫状にも、メフィストフェレスとかいう殺人鬼を野に放ったとかいう記述がある。


「しかし、どうにも・・・」


宇佐美は、また押し黙って眉をひそめていた。


「宇佐美、ところでお前は、誰を尾行してたんだ?」
「あ、はい、その話ですね」


「なんだ?」


軽く咳払いをしてから言った。


「実はですね、昨日、怪しげな人と出会いまして・・・・・」
「いつ? どこで?」
「西区の港ですね。 倉庫が連なっているような場所です。 時間は夜中ってところでしたが・・・。
男性が岸の縁でしゃがんでたんです。 目の前は海です。
真っ暗な海を覗き込んでいるものだから自殺かな、と思って声をかけましたら、妙に驚かれまして」
「そりゃ、お前が幽霊にでも見えたんだろうよ」
「年齢は三十ちょっとでしょうかね。 妙に無精ひげが濃かったような・・・」
「どこが怪しいんだ?」
「男性の足元で血が点々と海に続いていたんです」
「血か・・・」
「血についてはノーコメントでした。
が、地面には何かを持ち去ったような跡がありました。
あとで調べてみたところ、血の点が途中で途切れていた箇所がありました」
「何かって・・・?」
「わかりませんが・・・カード、でしょうかね。 四角い物だと思います。 そういう跡ができていました」
「その男が持ち去ったとは限らないんじゃないか?」
「いえ。 彼の懐中電灯を握る親指の先が、かすかに赤に染まっていました。
血染めのカードを拾ったと考えるのが自然です」


・・・よく見てるんだな。


「彼はジョギングしていると言ったんですがね、それも多分嘘です」
「そうだな・・・筒状の懐中電灯だろ? そんなもん持ってジョギングするヤツはあまりいないんいじゃないか?」
「あの晩は、なにか人に言えないようなやましい事件があったんだと思います」


おれたちのやりとりを黙って見ていた権三が、重い口を開いた。


「で、宇佐美はなぜ、そんな場所に行ったんだ?」


・・・それは、気になるところだな。

なにかつかんだのだろうか。


「あの近くに、被害者リストにあるバレエダンサーが住んでいますよね?」
「ミヒャエル・ユグムント・・・だな。 会って来たのか?」
「念のため訪問しましたが留守でした。
手元の資料にあるように、その方は、二ヶ月前に一時帰国しているはずですから」
「話はそれるが、それなら、そのダンサーに危険は及ばないだろうな」
「だと、いいんですけどね・・・」


権三が、いまだに宇佐美を見据えていた。


「それで、その怪しげな男を、今日の朝まで追っていたというわけです」
「話を聞く限り、今回の脅迫事件と、関係はなさそうだが?」
「ええ・・・とくに、これといった確信はないんですが・・・」


首をひねった。


「わたしがユグムントさんの名前を出したときに、やけに食いついて来たような気がするんです」
「食いついてきた? おれは知らなかったが、それなりに名前の売れているダンサーなんだろ?」
「いえいえ、藤原則香も知らない人が、ユグムントさんを知っているとは思えません」
「は?」
「名前を聞かれたので、憧れの芸能人の名前を出したんです」
「ひくわ、お前・・・」
「そしたらまったくの無反応でしてね。
一瞬、だだスベッたのかと思って死にたくなりましたが、どうも相手の様子が素でしてね・・・」


・・・まあ、普通は偽名だと思うだろうな。


「まあ、わらにもすがるってヤツです」
「その男の住所はわかったのか?」
「いいえ。 彼は朝までセントラル街のバーで飲んでいました。 帰宅する様子も見ませんでした」
「なるほど。 そんな長居するようなバーなら、きっと男にとって行きつけの店なんだろうな」
「ええ、そのバーさえ張っていれば、尾行はいつでも再開できます」


「話はわかった。 その男についてなにかあれば、人を割く」
「それでは、これで・・・」


一通りの話は済んだ。


礼をして権三に背を向けた。


「郁子は殺されてもかまわん」
「・・・なんですって?」


驚いて振り返ると、権三はまったくの無表情で言う。


「重要なのは、ホシを必ず捕まえることだ」


おれたちは警察ではない。

市民の安全など二の次なのだ。


「あの女は花音にとっても、もう不要な存在だ。 むしろこれから先は邪魔になる」


どこまでも酷薄な男だった。

想像もできないが、郁子さんとは、昔、肌を重ねた仲でもあるのだろうに。

ふと、母さんのことを思い出す。

浅井権三こそが、おれの母親を極貧の淵に追い込んだのだ。

鬼だった。

しかし、その鬼に媚びへつらうおれは、やり場のない鬱屈した感情をいつも溜めている。


・・・いつか、権三を、この手で・・・。


「浅井さん、どうされました?」
「・・・なんでもない」


おれたちは権三宅を辞した。


・・・・・・。

 

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「しかし、このお宅の警備もなかなかものものしいですね」


宇佐美の言うように、多数の人間が常に詰めていた。

家の前に一人、庭に三人。

それぞれなんらかの武器を携帯している。


「やはり、ヤクザさんの偉い人ともなると代わりのきかないお体なんでしょうね」

 

・・・・・・。

 

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「それにしても、ちゃんと手がかりをつかんでいたんだな」
「はあ・・・これで権三さんに役立たず扱いされなければいいんですが」
「脅迫状の書いてあった紙ではなく、封筒のほうに目をつけたのはなかなか筋がいいと思うぞ」
「ですかね・・・あまり褒めないでもらえるとうれしいです」


なにやら不満げな顔をしていた。


「あまり時間がないし、タクシーでも拾うか?」
「電車のほうが早いでしょう」


おれたちは足早に地下鉄の駅を目指した。


・・・。