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G線上の魔王【16】

 

・・・。


翌朝すぐに、おれは郵便局に、母さんへの手紙といくらかの現金を送りにいった。

帰りがてら借りてきたDVDを花音の前で掲げた。

 

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「おら、ご所望の品だ」
「ごくろー」


花音の朝は早い。

休みだというのに、きちっと身だしなみを整えている。


「菓子とかいるか?」
「気が利くねー、でも水でいいです」


ぼけーっとしているようで、自分の体の管理はしっかりとやっている。


「んじゃ、おれは書斎にいるから・・・」
「いっしょにみよーよ」
「ダメだ」
「はい!」


物分りはいい。


「なんかあったら呼べよ」


DVDの再生ボタンを押して、書斎に向かった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


だいたい二時間くらいたったので、リビングに戻ってきた。

テレビ画面では、映画のスタッフロールが流れていた。
やけに静かだったので、てっきり寝ていると思ったが・・・。

 

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「見終わりました」
「おう、どうだった?」
「んー、泣いた」
「泣いてねえじゃん。 どうせ寝てたんだろう?」
「見てたよ。 最後、ママが死んじゃった。 やっぱりいい人が死ぬと悲しいねー」
「そうだろうな・・・おれは見てねえけど」
「ちょっと質問!」
「え? おれ?」
「この映画は、ママがいい人でしたが、もし悪い人だったらどうなるの?」
「どうなるの、とか言われても・・・ぐだぐだになるんじゃねーの?」
「ぐだぐだかー」
「たとえ死んでも、ふーん、って感じじゃね?」
「だよねー」
「・・・・・・」
「だよねー」
「なんだお前?」
「さーて、次はなにして遊ぼうかなー。 なにしたらいいと思う?」
「とりあえず昼メシ食いに出かけるか?」
「どこ行く?」
「さあ、セントラル街まで出るかねえ・・・」
「わかったー、用意するねー」


ばたばたと洗面所に駆け込んでいった。

・・・わがままなくせに、意外と受身なヤツだな。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


花音を連れて歩くと、どうにも居心地が悪い。

道行くギャルが指差し、サラリーマン風のおっさんもテンションを上げて口をすぼめる。

 

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「わりいけど、もう3歩くらい離れてくれねえかな?」
「イヤです」
「頼むよ、マジできまじいんだって」
「もうっ、兄さんは、根暗だなー。 そんなに注目されるのがイヤなのかー?」
「ああ、そうだよ。 ちっぽけな男だよ、おれは」

 

 

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「こんなんじゃデートできないじゃないかー」


プンスカしながら、おれのあとをついてきた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


けっきょく、いつも利用している喫茶店に落ち着いた。

それでもウェイターは、花音の姿を認めて目を丸くしていた。



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「ここ、兄さんと前来たねー」
「来たっけ?」
「一年前に」
「さすがに覚えてないわ」
「えー、あのとき、兄さんはのんちゃんに告白したんだよ?」
「嘘をつくな」


でへへ、とだらしなく笑いながら舌を出した。


「なに食う?」
「まかせる」
「言うと思ったわ」


てきとうに注文してやった。


「おい、てめー、なに寝てんだ」


いきなり目を閉じてやがった。


「あ、ごめん。 瞑想の時間だなーって」
「瞑想だー?」
「イメージトレーニングね。コレ、大事。 跳べるっていう自信がつくの。
踏み切り方、流れてる曲、跳んでるとき、着地、全部成功したときのイメージするの」
「もしかして、お前、授業中とかもよく寝てるけど、あれって・・・」
「うん、たいがいリンクの上にいるね、魂は。 ・・・魂?」


さすがにちょっと尊敬したくなってきた。


「お前って実はすごいヤツなのか?」
「うん、すごいよ。 のんちゃんが間違うことないもの」
「大胆なこと言うなー」
「そうかな? みんな人がなに言うかなんて、興味なくない? なにしたか、じゃない?」
「いやいや、お前くらい有名人だと発言一つでいろいろ言われるわけで・・・」
「だから兄さんは好き。
兄さんはぶーぶー言いながら、なんだかんだでわがまま聞いてくれるもん」


にへらーっとしながら、指でおれの頬を突こうとする。

それを払いのけて聞いた。


「お前がいつもスケートのことを考えているのはわかった」
「というか、スケートしか知らないしできないの」
「ゆるいなー、お前」


・・・まあ、自分のできることとできないことを知っているのはいいことだろう。


「なんで始めた?」
「コーチがやれって言ったから」
「ゆるいんだよ。 それだけかよ」
「それよく言われるなー。 みんなドラマ求めてくるなー」
「スケートとの運命的な出会いを期待してもいいじゃねえか」
「強いて言えば・・・」
「強いて言えば?」
「女の日本人でも世界一になれそうなスポーツだったからかなー」


ふむ・・・ぶっちゃけ外国人と日本人じゃ体格からして違うもんな。

 

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「やたら世界一にこだわるのは?」
「さー、それもコーチが毎日言ってたからかなー」
「郁子さんの英才教育のたまものか・・・」
「だって、毎晩寝る前にぜったい自分のオリンピックのときのこと話すんだもの」
「郁子さんは、たしか・・・六位くらいだったか?」
「金メダルだったはずだって言ってるよ。
当時はロシアとアメリカが仲悪かったから、とか」
「よくわからんぞ」
「ちょっと前まで、六点満点で審判の人が点数つけてたの。
いまみたいに技術を分析する人とかいなくて、審判の人の思い込みでたいがい決まってたの」
「へー、へー」
「コーチが言うには、アメリカの審判がコーチに高い得点つけそうだったもんだから、対抗してロシアの人が点数を下げたって」
「高い得点つけそうだったもんだからって・・・なんだそれ。
審判も点数を出すときはいっせいに出すわけだろ?
なんでアメリカの審判が高得点つけるってわかったんだ?」
「ロビージャッジングっていうのがあるの。
リンクの外で、大会の役員とか審判とかコーチとかが茶ぁしばいて雑談してるなかで、なんとなくわかっちゃうんだって」
「いや、それにしたってあからさまにおかしい点数つけたら、もう審判としての人生も終わりだろ」
「でも、国に帰れば英雄だって。 なんか怖いねー」
「怖いな。 いまの採点方式はだいじょうぶなのか?」
「どーかなー。 いま、その新採点方式に変わったばっかりだからね。
選手もコーチも審判の人も慣れてないからねー。 ぶっちゃけのんちゃんも、細かく知らない」


・・・おいおい。


「でも、一人くらいイタズラしても無駄だよ。 最高点と最低点をカットしてそのあと平均点を出すから」
「じゃあ、ジャッジの半分くらいがイタズラしたらアウトじゃん」
「のんちゃんが万が一負けたら、まずそういうことだね」


にっこり笑った。

あくまで自信があるようだった。

やがて、ランチセットのオムライスが運ばれてきた。

 

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「どれどれ、のんちゃんミシュランが星をつけてあげよう」
「なに採点する気だ、てめえ」
「まず兄さんの根暗度・・・星ゼロ」
「おれかよ」
「あ、兄さん、お箸とって」
「オムライス食うのに箸は使わないだろ」
「兄さんのツッコミ・・・星ゼロ」
「腹立つわ・・・」
「普通に言われたからね、いま」
「とっとと食えや。 おれも午後から予定あるんだ」
「はーい」


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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朗報が届いたのは、陽が暮れかかったころだった。

花音を帰宅させ、おれは会社の事務所で新鋭会の動向を探っていた。


「見つかった?」


電話をくれたのは、堀部だった。

もう権三には報告済みらしい。


「ええ、坊っちゃん。 ついいましがた、野郎の居場所(ヤサ)が見つかりました」


・・・もう見つけたのか!?

さすがというか・・・やはり、この街における連中の嗅覚は尋常ではないな。


「居場所は見つけたけれど、男は捕まえていないんですね?」


堀部は恐縮したように続けた。


「ざっと経緯をお話しますと、自分が目をかけてるシュウってのがいまして・・・」


堀部の話はこうだった。

シュウという名のヤクザが面倒を見ている闇金の、ある多重債務者が例の共犯者に見覚えがあると申し出た。

有力な情報があれば、借金の一部を免除してやると約束――あくまで口約束だが――していたもの
だから、金に飢えた亡者たちは血眼になって探したという。

場所は、おれのマンジョンのある中央区の外れだった。

今日の昼ごろ、シュウが辺りを探っていたところ、なんと獲物とばったり遭遇したという。

すぐさま後を追ったが、通りの角を曲がったところで逆に襲われ、男の行方を見失ってしまった。

その後、堀部が率いる捜索隊が付近の住民に鬼のようなプレッシャーをかけて聞き込みを開始した
ところ、ようやく男のアパートにたどり着いた。


「シュウは、頭にナイフぶっ刺されたみたいでしてねえ、ほんとまあ、・・・やってくれますわ」


堀部はいまきっと電話の向こうで残忍な笑みを浮かべているのだろうな。


「わかりました。 いますぐそっちに行きます」
「野郎は西条って名前(もん)です。
どこ行ったのかしらねえが、ばっくれられると思ってるのかねえ・・・」


どす黒い笑い声を中断するように、通話を切った。

すぐさま宇佐美に連絡して現場に向かった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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夜八時。

一通り、家捜しは済んだ。

安アパートの一室。

気味の悪い部屋だった。

一面の黒。

テーブルも、食器棚も、床に敷かれたじゅうたんも黒。

ガラス窓にも色紙を張って、明かりすら届かせない。

壁一面に張られた掛け軸には、達筆な文字で皇国がどうのと書かれていた。

本棚には、その手の本が大量に並べられていて、男の反社会的な思想に拍車をかけているようだっ
た。

全体として整理整頓が行き届いているのが、また不気味だった。



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「すみません、遅れまして」


宇佐美が息を切らして駆け込んできた。


「遅いな。 バイトだったのか?」
「はい。 今日ばっかりは休めませんで・・・で、どうなりました?」


おれはこれまでの状況を話してやった。


「なるほど、西条(さいじょう)というお名前で。 で、ヤクザのみなさんは?」
「いま堀部を筆頭に、東京駅まで車を飛ばしているところだ」
「東京駅? 新幹線ですか?」
「ああ、ヤツは博多に逃げるつもりらしい」
「博多っていうと明(みん)じゃないですか」
「福岡だ、バカ。 なんで五百年も昔の中国なんだよ」
「しかし、どうして行方がわかったんです?」
「さっきヤツの部屋を探っていて気づいたんだ」


堀部はもぬけの殻となった現場を荒らさずにおいてくれた。


「まず、金庫が空になっていたんだ。
蓋がががらっと開いていて、なかには三文判が一つ転がっているだけ。
さらにクローゼットも開けっ放しで服や下着なんかが散らばってた」
「なるほど、荷物一式持って逃げ去ったと。
で、どうして豚骨ラーメンの国へ逃げたと?」
「パソコンの電源が落ちていなかったんだ。 慌てていたらしいな」
「ふむ」
「それで、どうもネットをしていたらしくてな。 ブラウザが開きっぱなしになっていた」
「西条は逃げる直前まで、なんのサイトを見ていたんですか?」
「ぜんぜん関係のなさそうな芸能人のブログだった」
「まさか、藤原・・・でも、それはフェイクでしょう」
「そうだと思って、ブラウザの履歴を調べてみた」
「さすがです」
「そしたらJRのページに飛んだわけだな。
検索サイトの履歴とかいろいろ探ってみてわかったんだが、どうもヤツは博多行き新幹線の空席状況を調べていたみたいだ」
「いま、八時ですが・・・西条はもうとっくに新幹線のなかですか?」
「おそらくな。 ヤツは四時半には部屋をあとにしている」
「四時半? それまたどうして?」
「部屋にあった電話だ。 ためしにリダイヤルしてみたら、タクシー会社とつながった」
「なるほど。 会社に問い合わせてみたところ、西条は四時半ごろにタクシーを一台、アパートの前に手配していたんですね?」
「東京駅までタクシーなら一時間半ってところだろう。 途中で電車に乗り換えればもっと早い」

 

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「いま、八時ですか・・・困りましたね・・・」
「間に合うかどうかはわからないが、飛行機で先回りするために羽田空港にも何人か回してる」
「新幹線で五時間の道のりも、飛行機なら一時間半くらいですからね。
なるほど、博多駅待ち伏せするわけですね、さすがに浅井さんは手際がいい」


感心したようにうなずいて見せて、宇佐美は指を立てた。


「しかし、落とし穴がありますね」
「わかっている。 博多行き新幹線を調べていたからって、博多で降りるとは限らない」
「素晴らしい」
「西条が調べた新幹線の名前はわかってる。
ちゃんと横浜、名古屋、大阪などのすべての停車駅に人が向かってる」


浅井権三の園山組は一千人を越える巨大組織だ。

駅の改札口すべてを抑えるとかなりの人数になったが、仲間を一人傷つけられたヤクザ連中にとっては、どんな長距離移動も苦ではないらしい。


「ただ、西日本に逃げられるとなると、ちょっと厄介らしいな」
「ははあ、ヤクザさんには領土ってのがあるんでしょうね」


たとえば博多なんかでは、総和連合の人間もこの街ほど大胆に獲物を捕まえることができなくなるらしい。


「だからこそ、博多ですか。 めんたいこもおいしいですしね。 なかなか考えていますね」


言いながら、通り沿いに腰を下ろした。

 

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「なにやってんだ、お前!?」
「ゴミ漁りです」
「まさか、手がかりを探っているとでも?」
「ええ。 部屋のなかは浅井さんがしっかりと確認してくださったと信じていますので、自分はヨゴレ担当ということで」


腐乱臭のするゴミ置き場で、平然と袋を開封していく。


「ありました。 大日本がどうとか書かれたノートの端切れです。
この袋が西条の出したゴミですね。 なるほどやはり・・・」
「なにが、なるほどやはり、なんだ?」
「いえ、西条は、"魔王"に指示された内容以外では、わりと無防備なのではないかと思いまして。
"魔王"のレールの設計図はともかく、レールを敷いている人間がミスを犯していることに期待します。
とくにゴミです。 普通に生活しているぶんには気にもしないでしょうが、ゴミの山は証拠の山です」


袋の中に手を突っ込んで、中身を食い入るように見つめる。


「証拠の山って・・・西条はもう、新幹線のなかだぞ?」
「ええ・・・浅井さんの言うことには、いちおうの筋は通ってますね」
「なにか、おかしいか?」
「できすぎているような気がするんですよ・・・うわ、クサっ! お風呂たっぷり入んなきゃ・・・」
「おい、なにができすぎてるんだ?」
「うーん、パソコンの電源を消し忘れるほど慌ててたんなら、最初からつけなきゃいいのに、と」
「・・・・・・」
「芸能人のブログなんてフェイクをかましてくれたわけでしょう? 本当に慌ててたんですかね?」


たしかに、わざわざ自宅でインターネットをする必要はないな。

逃亡中にネットカフェかどこかでじっくりと新幹線の情報を調べたほうがはるかに安全だ。


「そもそも、新幹線の空席情報なんて調べますかね。
年末ならともかく、自由席なら立ってでも乗れますし・・・」
「・・・それはそうだ」
「しかし、西条の心理的になるべく遠くに逃げたいと思っていても不思議はないです。
人間、テンパるとなにするかわかりませんし」


おれも焦っていたのかもしれない・・・。


「すまん、手がかりを拾った気になって、油断していた。
博多方面に逃げたと思わせることこそが、"魔王"の狙いだったのかもしれない」


宇佐美は黙って首を振った。


その顔が不意に引き締まった。



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「・・・・・・」


一枚の紙を拾い上げた。


「浅井さんたちは、何時くらいにこのアパートに来たんですか?」
「六時過ぎだな。 堀部たちはもう少し早く来ていたはずだが・・・」


宇佐美は、ゴミにまみれた紙を凝視している。


「本日五時ごろ配達にうかがいましたが留守でしたので・・・とありますね」


・・・くそ、なんてことだ!


「不在票か!?」


宇佐美はうなずいた。


「不在票を捨てたということは、西条は少なくとも、五時過ぎまでは家にいたということです」


そうだな・・・おれの読みどおり、西条が四時半に家を開けたのなら、不在票はゴミ捨て場じゃなく、部屋の郵便受けにささっているはずだ。


「タクシーは囮か。 呼ぶだけ呼んで、帰らせたんだ」
「いえ、乗車して少しの距離を走ったところで降りたのでしょう。
そうしないと、タクシー会社の人も、浅井さんになにか言うはずです」


リダイヤルしたときに、タクシーの行き先を聞いておけばよかった。

・・・いや、さすがに警察でもない人間にそこまで教えてくれなかっただろうか。


「近場でタクシーを降りて、部屋に戻ってきたところ、不在票が入っていたというわけか?」
「ええ。 しかしこれは、大きな手がかりです」


・・・・。


宇佐美は不在票を手に、立ち上がった。


「まだ荷物を受け取っていないのなら、西条は、再びここに戻ってくるつもりなのだろうか」
「それは考えにくいですね。
ヤクザさんに追われているという事実は揺るがないのですから」
「ということは?」
「はい。 荷物の配送先こそ、西条の新しい潜伏先です」


宇佐美は携帯電話に、不在票を見ながら番号を押した。

 

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「あ、もしもし・・・ええ、伝票番号ですね、はいはい・・・265・・・」


どうやら配達中のドライバーに直接電話をかけたようだ。


「ええ、さきほど再配達をお願いしましたね。
あ、わたしは西条の妹です。 ええ・・・兄はどこに荷物を届けさせましたかね?
兄が忘れちゃったみたいで・・・。
はい・・・中央区の、プラザホテルですか、そうですか。
ありがとうございました・・・いえいえ、そのままそこに届けてください」


通話は終わった。


「プラザホテルだな?」
「ええ、わかりますか?」
「わかる。 すぐに人をよこしてもらう」
「お願いします。 出入り口をしっかり固めて、ぜひとも捕まえなければ・・・」
「じゃあ、とりあえずおれは権三にお願いしに行く」


堀部たちを誤った方向に誘導してしまったし、直接会って頭を下げなくては。


「わかりました。 それでは・・・」


宇佐美はさっそうと、夜道を駆けていった。

さて、おれも・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

 

 

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不安要素がないでもない。

おれの計画はともかく、それを実行する人間に問題があるかもしれない。

胸のうちで、携帯が振動した。


忠実なる"悪魔"――西条からだ。

 

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「私からのメールは削除してもらえましたか?」
「ああ、きちんとパソコンから消去した」


しかし、警察の力があれば、消去されたデータも復帰させることができる。

いずれ、西条の部屋にパソコンごと盗みに入るとしよう。


「ところでホテルはいかがですか? 気に入っていただけるとうれしのですが」


西条は、なにやら不安そうに早口でまくしたてた。


「気を悪くしないで欲しい。 
"魔王"の実力を疑うわけではないが、本当にだいじょうぶなのだろうか?」
「というと?」
「連中の嗅覚は生半可なものではない。
ヤクザどもは、すでに私のアパートを探し出しているだろう」
「でしょうね。 それを見越して、罠を残しておいたのではありませんか?」
「ああ、しかし・・・ヤクザどもは気づいてくれるだろうか?」
「あの程度のパズルが解けないのなら、それこそ恐れるに足りません」
「そう言われると安心する。 いや、すまなかった・・・」


安心するのはまだ早いかもしれんぞ。


「問題はありません。 お約束します」


お前が、いたらぬミスをしていなければな・・・。


「それで、次の計画だが・・・」
「ええ・・・お話の途中でしたね・・・」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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ハルはそれまで、ホテル沿いの歩道からエントランスの様子をじっとうかがっていた。

つい先ほど京介から連絡が入っていた。

京介は、自分は権三の相手をしなけらばならず、ホテルに来られなくなったが、かわりに近くにいる園山組の男たちを派遣するという。

道路脇のガードレールに持たれかかって、その辺の若者がそうするように携帯電話をいじっているふりをしながら、ホテルの入り口を監視する。

十時を過ぎて人の波がまばらになったころ、いかにもがらの悪そうな顔つきの男たちが十数人ほど現れた。

軽く挨拶を交わし、すぐさま部屋に乗り込む手はずを整える。

地下の駐車場、四つあるホテルの出入り口、そして非常階段に何人か割り当てて逃げ場を封鎖した。

男たちはよほど規律が行き届いているのか、文句のひとつも言わずにそれぞれの持ち場に散ってい
った。

すでにホテルの受け付けで、来客を装って西条の部屋を聞き出していた。


あとは突入するだけだった。

 

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ホテルの厳粛な大理石の廊下を歩きながら、ハルは考えを巡らせていた。


静寂が支配していた。

防音が行き届いているのか、居並ぶドアから少しも音が漏れていない。


――"魔王"はなぜ、西条と組んで動いているのだろうか。


共犯者がいれば、犯罪のバリエーションは多彩になる。

しかし、同時に、問題も抱えることになる。

知能犯の計画が露見するのは往々にして、頭の悪い足手まといが証拠を残すからだ。


わからなかった。


もちろん"魔王"のことだ。

西条が捕えられても、自分だけは逃げおおせる算段を整えていることだろう。

それにしても、共犯者は自らの計画の一部でも漏らすかもしれない。


――なぜだ。



・・・。




「ここだな・・・」


ふと、付き添っている男がぼやいた。

太った男だった。

丸太のような首に金のチェーンをだらりとぶら下げている。

いつの間にか、西条がチェックインした部屋の前までたどり着いていた。


ハルは小声で言った。


「ノックしてもらえますか? 自分がドアの覗き穴の前に立ちます」


ハルは西条に面が割れている。

とはいえ、ひと目でヤクザ者とわかる男よりはましだと考えた。


・・・。


スカートのポケットから取り出した白いスカーフを頭に巻いて、ささやかな変装を遂げる。

必要以上に顔を近づければ、向こう側からこちらの服装までは確認できないだろう。


太った男が、ドアの前に立って、拳を浅く握った。


ノックを――。





・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 


む・・・?



 

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「なにか、ありましたか?」


電話の向こうの西条に問う。


「いまノックがあった・・・」
「こんな時間に?」
「ああ、ルームサービスだろうか・・・」
「用心して、ドアスコープから相手を探ってください」


しばらく、西条の息づかいだけが聞こえてきた。


「女だな・・・若い女・・・」


女・・・?


「白い・・・帽子だろうか・・・服装はよく見えないな・・・」


まさか・・・。


「見覚えは?」


港で宇佐美と出くわしているはずだ。


「ない、な・・・」


曖昧な返事。

宇佐美の、あのふざけた髪型を思い返す。

計算してのことかどうか知らんが、あの化け物みたいな髪がなければ、少女の印象も一変する。


「届けものだろうか?」
「ありえない」


きつく言った。


「夜の十二時になっても配送して回る業者を、私は知らない」


おれの警戒心を察したのか、西条もさらに声を潜めた。


「どうする?」
「女がその場を立ち去る様子は?」
「ないな・・・じっとこっちを見てる。 微動だにしないと言っていい」


もし宇佐美だとしたら、なぜ・・・?


戦慄が走る。


どうやってホテルを探し当てたというのか。


「ひとつお伺いしたい」


これが、西条との最後の会話になるかもしれんな。


「室内のゴミはちゃんと処理されましたか?」
「もちろんだ。
部屋に残さず、ゴミ袋に詰めてゴミ捨て場に投棄した」
「・・・・・・」


ならば・・・。


「返事をして、ドアを開けてください」
「いいのか」
「ええ」
「わかった。 一度電話を切るぞ」
「はい」


打つ手がなかった。

もし、追っ手だとしたら、もはや逃げられまい。

当然、総和連合の極道どもが、ホテルの出入り口をかためていることだろう。

部屋に籠城したところで、時間稼ぎにしかならない。



・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


ノックを繰り返した。

しかし、五分、十分と待っても返事はなかった。

部屋に人がいる気配も、まったくない・・・。

内心の動揺をよそに、ハルはフロントに連絡を取った。

室内で人が倒れているかもしれない。

コールしてもつながらない。

とにかく、部屋のなかを確認したかった。

やがて、キーを持ってホテルのマネージャーがやってきた。


ドアが開いた。




――なぜ・・・?



ハルは、ひしひしと忍び寄る敗北感に唇を噛み締めていた。



・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

最悪の予想は裏切られ、再び着信があった。


「"魔王"、たいしたことじゃなかった」
「ほう・・・」


おれに電話ができるという状況だけで、西条の安全は理解できた。


 

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「フロントの者が、私が落としたパスポートを部屋まで届けにきてくれただけだった。 すまない」
「急いで荷造りしたからでしょうね。 なんにしても、何事もなくてよかった」
「どうしてこのビジネスホテルの場所がわかったのかと、肝が冷えたよ」
「いまごろ連中は中央区のプラザホテルに向かっていることでしょう」


杞憂だった。

つまり、おれは宇佐美を買いすぎていたというわけか。

宇佐美がたどりつけるのは、プラザホテルまで。

いま西条が宿泊している東区の安ホテルを割り出せるはずがなかった。


「あえてミスを装えと、"魔王"は言ったな」
「ええ・・・やつらは、アイスアリーナの一件で、あなたのことを侮っているでしょうから」
「"魔王"の助けがなければ、こうまで上手く逃げられなかっただろう。
よくとっさにあんな手を思いつくものだな?」
「今日の夕方に荷物が届く予定だとおっしゃったでしょう? それでどうにか助かりました」


不在票を使った罠。

宅配業者には、偽のホテルの名を告げさせた。

一度チェックインするだけで、実際には泊まらないホテル。

プラザホテルでの西条は、一度部屋に入ると、すぐさまホテルを出て、東区に向かった。

「私は今度こそ"魔王"の指示通り、すべてをやってのけた。
博多行きを匂わせるようなウェブサイトを巡り、検索エンジンにも履歴を残し、最後は芸能人のブログを開いておいた」
「そして、四時半にタクシーを手配した。
そこまでは、暴力団の人間でも、博多に逃げたと推測できるでしょう」
「けれど、実際にはタクシーはすぐに降りて、アパートまで戻る。 そして、不在票を手に入れる」


実際に留守じゃなくても、居留守を使う手はずだった。


「不在票をゴミ袋につめて捨てれば、私のミスを探していた連中が必ず探し当てて、宅配業者に連絡すると」


・・・そこまでが、宇佐美の限界だった。


「裏の裏をかいたわけだな」
「ヒントを与えてやるのです。 もっともらしいヒントを、相手の程度に応じて。
すると、ヒントから解答を得た『坊や』たちは自分の手柄に酔いしれて、本当の正解を模索しなくなる」


博多に向かったヤクザどもも、ホテルに向かった宇佐美もたいして変わらん。


「鮮やかなものだな、"魔王"」
「いいえ」


冗談ではない。


孔明空城の計はご存知でしょう?
一見裏の裏をかいた鮮やかな駆け引きのようですが、その実、撤退のためのつまらない策にすぎな
い」


事実、西条が総和連合に追われているという大局は揺るがないのだ。

こんな局地的な勝利など、どうでもいい。


「それでは、お話の続きをしましょう・・・」
「ああ、その、宇佐美という少女だったな」


おれは、冷たく言った。




「殺してしまいましょう」

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「ったく、そろいもそろって使えねーヤツらだなー!」


「すいません」


「すいません」


翌日の午後、栄一が偉そうだった。


「いったい、いつになったら、女紹介してくれんだよ、宇佐美さんよー?」
「ええ、ですから近日中に」
「もういい加減正体ばらしちゃうけどさー、オレちゃんって相当なワルなんだよ?
ええっ? 穴があったら入れたい年頃なんだよ!? もう待てないっつーの!」


たった二日でシビレを切らしたようだ。


「いや、まあ、おれもなんとか期待に沿うような女性を探してみるから」


「今日のところは、ご勘弁を」


しかし、やけに機嫌が悪いな・・・。


「なんかあったのか?」
「いやよう、昨日久しぶりに親父とメシ食ってたのよ」
「お前親父いたんだっけ?」



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「あれ? たしか施設で育ったとか聞きましたけど?」
「んなもんは、全部ブラフだよ。 ボクの親父はホテルのオーナーやってるよ」


「マジで?」
中央区のプラザホテルも、グランドホテルもトップオブトマンベツも全部、親父のもんだよ」
「嘘つけや」
「嘘だと思うんなら、今度一泊させてあげようか?」
「・・・・・・」


「・・・・・・」


おれは宇佐美と顔を見合わせた。


「マジっぽいっすね」
「ふんっ」


知らなかった。

たしかに、相沢という名のホテルオーナーの話は聞いたことがある。

しかし、目の前のこの栄一の親父だと誰が信じるというのか。


「それにしても、人のことボンボンとか言っといて、お前もかなりのボン太郎じゃねえか」
「オメーと違って親父は厳しいんだよ。 爬虫類禁止だぞ、うちは。 ありえなくね?」
「ふーん」
「それでその親父がよー、夜中の二時くらいに帰ってきたと思ったら仕事のグチを始めやがってよー」


「プラザホテルのことですか?」
「なんかさー、客の一人が消えたらしいんよ。
たしかにチェックインしてるんだけど、電話もつながらないし、住所もデタラメでさ、こりゃ警察もんだな、と思ったら、部屋のキーも宿泊代もベッドの下にあったんだってさ」


「けっきょく被害はなかったわけだし、警察には連絡しなかったんだな?」
「親父に言われたよ。
んなもんでホテルの評判悪くなったら客がこなくなるだろうが。
ついでにそんな現場の話をいちいちオーナーの俺様に上げてくんなってな。
オレに言わせれば、そんな仕事の話をいちいち息子に上げてくんなっつーの。
そりゃ、オレも非行に走るわ」
「いやいや、いいお父さんじゃないか。 ちゃんと勉強させてもらえよ」
「けっ、おめーら凡夫には理解できない悩みだろうな」


栄一は、いつまでもふてくされていた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「まんまとしてやられたわけだな?」
「ご迷惑をおかけしまして・・・」


授業が終わり、宇佐美と善後策を練っていた。


「西条についてだが・・・」
「はい」
「権三に聞いたところ、西条の大日本革新義塾とかいう組織は知らないらしい」
「よほど規模が小さいのでしょうか?」
「わからん。 その手の政治結社は無数にあるからな」
「では、組織の線から西条を追うのは難しそうですね」
「堀部たちは、また総力を上げて市内のホテルをしらみつぶしにあたってる」


ホテルだけじゃなく、ネットカフェや、地下鉄や橋の下などのホームレスの住処、テナントの入っていないビルの一室など、およそ人が住めそうな場所はすべて探している。


「西条はすでに、県外に逃亡している可能性もありますが?」
「わかっている。 ヤツも総和連合の恐ろしさを知っているはずだ。
権三の指示で、百人くらいは県外に向かわせているらしい」


現地の暴力団と折衝(せっしょう)して、"魔王"や西条についての情報を集めているようだ。

新鋭会との戦いも控えて、園山組は大忙しだ。


「・・・わたしにできることといえば・・・」
「吉報を待つくらいじゃないか?」


はっきり言って、失態を犯したおれたちは、煙たがられている。


「原点に返りましょう」
「ん?」
「花音は、NKH杯で優勝しました。
"魔王"のいいつけを無視した以上、母親の郁子さんの命が狙われているはずです」
「だからこそ、西条を探してるんじゃないか」
「ですよね・・・」


はっきりしないヤツだな・・・。


「今回の"魔王"は、ゲームの駒に西条っていう共犯者をそろえた。
共犯者を抱えるってことは、それだけリスクもあるんだろうが、それに見合うリターンもあるはずだ」
「つまり、共犯者がいて初めて成り立つ手口で郁子さんを狙っていると?」
「それしか考えられない。
"魔王"一人でできるなら、最初から共犯者なんて雇わない。
だからこそ、まだ西条は街にいるはずだと思うが?」
「やっぱり、そうですよね。
西条を捕まえれば、"魔王"の計画を破綻させられるかもしれない」


おれは鼻で笑った。


「なんだよ、お前。 ちょっと落ち込んでるのか?」
「いえいえ、まさか。 自分がナイーブになったのは、財布を落としたときとペンギンも交尾をすると知ったときです」


・・・やっぱりアホだな、コイツ。


「自分は、もう一度西条のアパートを漁ってみるとします」
「わかった。 勝手な行動は慎めよ」
「わかっています。 いちおうわたしも、被害者候補の一人ですからね」


宇佐美はそう言って、帰り支度を始めた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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元気な子供の声が飛び交っている。

"悪魔"――西条は、東区の公園のベンチに腰掛け、"魔王"からの連絡を待っていた。

小学校帰りの子供たちが、寒さをものともせず、我先にと砂場や滑り台を占領している。

西条は妹を思い出す。

西条に取り調べをした刑事のことも思い出す。

西条が首を締めたのだと。

ランドセルを背負ったばかりの愛らしい妹。

天使のような笑顔から、いつの間にか目玉がせり出していた。


お前が殺したのだ・・・。


違う。


・・・あれは、そう・・・死んだわけじゃない。

妹は西条が好きだった。

よくいっしょに手をつないで登校した。

風呂で全身をくまなく洗ってやった。

お休みのキスを欠かしたことはない。

つまり、好きに決まっていた。

なにが悪い。

花は一番美しいときにつむものだ。

殺したというより、西条のものにしたに過ぎない。

ただ、公僕どもがあまりにもうるさいので社会的制裁は受けてやった。

西条は成人するまでの長い間を、必ず柵のある施設で過ごした。


・・・。



"魔王"からの着信があった。


「・・・ご無事ですか?」
「こんな町外れの公園までは、連中も追ってこないようだ」
「油断なさらないよう」
「わかっている。 あと三人殺すまでは、街を離れられない」


殺し損ねた吉田貴美子。

フィギュアスケートの金崎郁子。

そして、宇佐美ハルという少女だ。

これからどんな殺人計画を打ち明けられるのかと、期待に胸をふくらませた。


「いま、アイスアリーナに来ていましてね」


"魔王"はどこか気持ちよさそうに言った。


「明日からまた、グランドシリーズファイナルという大会が始まるのです。
世界六ヵ国で開催された大会の、最後の決勝戦とでもいうべき華々しい内容です」


・・・なんの話だ、と口に出かけたが、水を差すようでためらわれた。


「しかし、しょせんは賞金戦です。
運営資金に困った国際フィギュアスケート連合が主催する見世物。
それが証拠に、昨シーズンの世界チャンピオンなどは、敗北を恐れ、自らの名誉を守るために出場を辞退するのも通例となっている」


西条は、ただ、相づちを打つしかなかった。


「昨年から導入された新採点方式も、フィギュアをつまらなくしている。
たしかに、不正を防ぐ意味で一定の効果をあげているのは認めよう。
問題は、プログラムだ。 いまのルールでは、ジャンプを跳べる回数も決まっているし、リンクの端から端まで見事なスパイラルを続ける必要もない。 その結果どうなったか。
どいつもこいつも似たような演技ばかりではないか。
減点を恐れ、挑戦的なプログラムを避けている。 派手な転倒など見なくなった。
いったいどこがフリースケーティングだというのか・・・」


"魔王"が珍しくため息をついたものだから、西条は不安に駆られた。


「たとえば私は、浅井花音よりも瀬田真紀子を評価する。 理由は基本的なスケーティング技術だ。
動きも曲にマッチして非常に美しい。 苦境を乗り越え、地味な努力を重ねていることがわかる。
しかし、回転数の多いジャンプひとつで順位がひっくり返ってしまった。
容姿がよく、受けのいい決め技を持つ人間が勝利する。
おかしな時代になってしまったものだ・・・」


西条は、ふと、同志の嘆きを悟った。

よく考えてみればこれまでもターゲットはすべて、フィギュアスケートに関係する人物だった。


「いや、申し訳ない。 つい、長話になってしまいました」
「"魔王"、ひとつ聞きたい」


疑問が喉を突いた。


「"魔王"はこの国の現状を憂い、革命を志しているのではなかったか?」
「・・・・・・」
「やけにスケートにこだわるのはなぜだ?」


疑惑は深まる。

そもそも、標的は悪党ばかりとはいえ、一般人だ。

なぜ政府要人や宗教団体の幹部といった巨悪が殺人リストにないのか。

そこまで考えて、西条は追求の手を緩めた。


「いまさらすまない。 頭の鋭いお前にしかわからない事情があるのかもしれんな」


理解者に嫌われたくはなかった。

"魔王"は自分の窮地を救ってくれた。


「いいえ・・・」


"魔王"が申し訳なさそうに言う。


「あなたの疑問はもっともだ」
「というと?」
「私はただ、フィギュアスケートの現状を嘆いているだけなのです。
金儲けに走った連中をこの世から抹殺したかった」
「・・・・・・」
「そのために、利用したのです、あなたを」


"魔王"は苦しそうに言った。

不思議と怒りは沸いてこなかった。

長らく忘れていた感情が胸に宿る。

そう、あれは、妹が西条の大切にしていた玩具を壊したときだ。

あのときも、妹は素直に頭を下げた。


「これまで協力していただいて感謝します」


携帯電話を持つ手が震えた。


「ひとまず西日本に逃げるとよろしいでしょう。
新幹線もいいですが夜行バスやフェリーを駆使したほうがより安全といえます。
福岡まで着いたらまたご連絡を。 台湾行きの船を用意しておきますので。
口座を教えていただければ逃走資金を振り込ませて・・・」
「待て、"魔王"」


思わず、言った。


「誰も降りるとは言っていない」
「しかし・・・」
「いや、やらせてもらおう」
「なぜです?」


西条は観念したようにため息をついた。


「私もお前を騙していたからだ。
大日本革新義塾などという組織は存在しない。
いや、あるにはあるが、代表も広報も作戦参謀も全部たった一人の構成員が兼任している。
つまり、私だ」
「なんと・・・」
「世間は私を異常者だと決めつけている。
しかし、お前は私を立てて、熱意のこもったメッセージを送ってくれた。
実力のない私を英雄だと言った」


迷いはなかった。

"魔王"の真の目的がどうあれ、彼が友人であることに変わりはないのだから。


「教えてくれ。 "魔王"が最も殺したいのは例の三人ではないのだろう? 真の標的は――」


西条はその人物の名を口にした。

"魔王"は短く、はい、と答えた。


「協力しよう。 さあ、指示をくれ・・・」


公園を駆け回る子供たちの嬌声は、いつの間にかやんでいた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


 

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「チース!」
「お前、おれの家に上がり込むことに慣れてきただろ」


夕食を終えたころ、いきなり宇佐美がやってきた。


「あったかいなー、この家は」
「ソファに丸まるな。 起きろ」


宇佐美は制服のまましばらくゴロゴロしたあと、起き上がった。


「いやそれにしても、まるで社会とのつながりを持とうとしない人の追跡は難しいですね」
「新しい手がかりでも?」


宇佐美は曖昧に首をふった。


「電話の請求書があってチェックしましたが、自分と同じくらい安い通話料でした」
「友達がいないってことだな」
「仕事はどうにも、日雇いの現場作業なんかがメインみたいですね。
ヘルメットと軍手も見つかりましたし、人材派遣会社に登録しているらしく、いくらか給与明細がありました」
「・・・収入が安定しているとはいえない生活か」
「きっちりした真面目な人物です。
風俗の会員証とか馬券の切れ端とかそういうのは見当たりませんでしたし、自炊のあともありました。
アイロンやズボンプレッサーもありました」
「でも、意外にそういうヤツほど、アブなかったりするわけか・・・」
「手がかりになりそうなのは唯一・・・」


そのとき玄関で物音がした。


「たっだいまー!」


花音には部屋の合鍵を渡しておいたのだ。




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「チース!」
「チース!」


いきなりなんだこいつら・・・。


「やあやあ、うさみん、よくいらっしゃいました。 汚い家ですがどうぞごゆっくり」


「おれの家だから」


「いや、せっかくだけど、もう帰るよ」
「え? おい・・・」


手がかりがどうとか言いかけておいて・・・。


「なんで? あそぼーよ」


宇佐美はなぜか、ベッドを横目で見ていた。


「でわ・・・」


そそくさと、背中を丸めて退室していった。

 


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「ねえねえ、うさみん、なにしに来たの?」
「さあな・・・暖取りに来たんじゃねえか?」
「そういえば、うさみんってあの格好で寒くないのかな?」


当然の疑問だった。


「まあ、あいつは変人だから」
「んー?」
「な、なんだよ、いきなり顔を近づけてくんなよ?」


花音の瞳におれが映っている。


「なんか隠してるなー?」
「はあ?」
「ソファが荒れてるぞ? うさみんとなにしてたんだー?」
「なんもしてねえよ・・・って、あれ?」


ソファの下に、宇佐美のものらしき携帯電話があった。


「あいつ、ここでゴロゴロしてたとき、落としたんじゃ・・・」
「ゴロゴロしてたの?」
「一人で勝手にな」


まあ、明日、学園で渡してやろう。


「んー、なんかおかしいなー。 最近パパもかまってくれないし。
のんちゃんの周りで事件が起こってるぞー、これは」
「パパは年末に向けて忙しいんだよ」
「コーチの周りに、パパの部下みたいな人がいるのもおかしいぞー?」
「へえ、そうなんだ・・・」


さすがに気づくか。


「コーチ、守られてるみたいだったよ? トイレの前までついてくるんだもん」


ここで下手な嘘はつけんな。


「なんでコーチが守られてるのかなー?
ヒルトン先生とか大会の偉い人とかならわかるけど・・・んー、兄さんどう思う?」
「知らねえな・・・それより風呂入って来いよ」
「さては、兄さんもグルだなー? のんちゃんを驚かせようったってそうはいかないぞー」
「気にするなよ。
そうだ、お前はスケートのことしか興味ないんじゃなかったのか?」
「あ、そうだった。 兄さんいいこと言うなー」


すぐ笑顔に戻る。

 

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「明日からファイナルだろ?」
「うん、女子はしあさってからね」
「よし、ならとっとと風呂入れ」
「はいっ」


ばたばたと脱衣所に駆け込んだ。


「・・・・・・」


あの切り替わりの早さがなければ、花音もここまで有名にはなれなかったのかもしれないな。

自分の演技ひとつに、実はいろんな人間の思惑がかかっている。

ジャンプの出来不出来で、観客の動員数やスポンサーのご機嫌も変わってくる。

さらにいえば、今回は脅迫事件までからんでいる。

そんな周辺の利害をいちいち気にしていたら、演技になるわけがない。

当然、練習に明け暮れて、まともな学園生活だって送れるはずもなかった。


しかし、本当にスケートのことしか考えない人間なんているわけがない。

機械ではないのだから。

花音は、あのゆるい笑顔の裏で、いろいろな興味に耐えている。

もし、母親の命が狙われていると知ったら・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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ハルは住宅街の路上を行ったりきたりしていた。

風はなく空気は乾いていた。

時刻は正午を回った程度で、昼食の支度を終えた主婦の姿をちらほらと見かける。

同じ角を三度Uターンしたとき、ハルは、やはり自分は張り込みには向いていないと思った。

コンビニの袋を持ってただの通行人を装うとしても、無理がある。

髪型はもちろん、平日の昼間に閑静な住宅地で学園の制服を着ているのも問題だ。

観察目標は、さっきから何度も前を通り過ぎた病院だった。

看板には内科、神経科とある。

張り込みの理由は、昨日の晩、西条のゴミ捨て場から見つかった病院の薬袋だった。

薬の仕様書のような紙も同封してあり、西条は神経系の病気を抱えていることがわかった。

一つのゴミ袋から薬袋が三つも出てきたことから、頻繁に通院しているものと推測した。



「寒いよぉ・・・」



望みは薄いかもしれん。

病院を変えられたらおしまいだからだ。

"魔王"の指図も入っているだろう。

西条の部屋を探索した結果、暴力団が病院を当たると予想しているに違いない。

それでもハルが一人で張り込みを続けているのは理由があった。

薬袋は、おとといの時点では見当たらなかったのだ。

"魔王"の罠にはまり、西条がプラザホテルに逃げたと勘違いしたあのときにはなかった。

薬袋が三つも出てきた以上、見落としたとは考えにくい。

つまり、薬袋は何者かが、後日に残したということになる。

堀部たちは、西条が部屋に戻ることはないと考え、アパートに人を残してはいなかった。

だから、何者かがアパートにやってきても誰もわからない。


――西条ではなく、"魔王"だろう。


ハルは、そう当たりをつけていた。

西条とは違い、いまだに顔も知られていない"魔王"なら暴力団の目を恐れることもない。

"魔王"が薬袋をあえて残したということは・・・。

ハルはそこまで考えて、また唇を噛み締めた。

先日の敗北の味がする。


――これも、なにかのお遊びなのだろう。



「寒いぃ・・・」



ていうか、補導されなきゃいいな・・・ハルは思った。


だいじょぶか、十八歳以上だし・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


その日、グランドシリーズファイナルが開催された。

スケートマニアの栄一は初日から始まる男子の試合を見るために、学園をさぼっていた。

 


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「おい椿姫、宇佐美は?」
「来てないみたいだね。 どうしたの?」
「いや、あいつ昨日、おれの家に携帯忘れていきやがったんだよ」
「そうなんだ。 わたしが、預かっておこうか?」


椿姫がそう提案したのは、おれもよく学園を休むからだろう。


「いや、いい・・・」


・・・宇佐美のヤツ・・・どうしたんだ?

唯一の手がかりをつかんだとか・・・。

まさか、一人で先走っているのか・・・?


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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"魔王"の言ったとおりだった。


西条はレンタカーの後部座席に一人でいた。

別で買ったカーテン越しの窓からこっそりと病院の様子をうかがっていると、例の少女がうろついていた。


名前は宇佐美ハル。


港で出会ったときには、藤原などと名乗った暴力団の手先だ。

あの幽霊のような髪型の少女こそ、"魔王"の最も警戒する存在だという。

ぼんやりとした風体や言動の裏に、たしかな知性を秘めているらしいが、どうにもピンと来なかった。

寒いのか、両腕で肩を抱きながら、住宅地を何度も往復している。

西条は"魔王"の忠告を脳内で反芻(はんすう)した。



――機があれば、殺せ。



『薬袋の罠に気づくのは、おそらく宇佐美だろう。 現場百遍と教えられる刑事ならともかく、暴力団の男たちは気づかない。 もうあなたがアパートに戻ることはないと考え、他を探している』


"魔王"の読みは当たっていた。

辺りをうかがってみるが、暴力団らしき人間の姿は見当たらなかった。


『あくまで機があれば、行動を開始してください。 宇佐美はヤクザ者を引き連れているかもしれない。

宇佐美一人に見えて、実は辺りに伏せているかもしれない。 最後に、襲い掛かるなら、まず宇佐美の携帯電話を奪い、増援を絶ってからことに及んでください』


宇佐美を車に引きずり込み、人気のない場所で殺害する。

死体の処理は"魔王"がやってくれる。


・・・さて、どうするか。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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とうとう宇佐美は登校してこなかった。

考えすぎだろうか。

宇佐美は学園には顔を出すようなイメージがあったが・・・。

連絡の取りようがない。

宇佐美のことは驚くほど何も知らない。

住所も不明だし、そもそも、一人暮らしなのだろうか・・・。

何気なく宇佐美の携帯電話を眺めたそのときだった。

 


――鳴った。



誰からの着信だろう。

表示された番号を、宇佐美は登録はしていないようだった。

椿姫や花音からではなさそうだ。

となると、時田ユキか・・・。

いや、宇佐美のあの様子では、きっとまだ連絡を取っていないのだろう。

おれのまったく知らない宇佐美の友人だろうか。

電話は鳴り止まない。

 

・・・よし。


思い切って出てみるとしよう。

通話ボタンを押す。



「・・・・・・」



ひとまず、黙っておく。

けれど、相手も無言だった。

相手は静かな場所にいるようで、まったく物音がしない。

息も殺しているようだった。

親しい友人ではなさそうだ――もちろん宇佐美の知人は変態が多そうだからなんともいえないが・・・。


お互いなにも言わないまま、数十秒が経過した。


らちがあかんな・・・。


「・・・どなたですか?」


相手は、さらに数秒の間をおいて言った。


「私は宇佐美ハルの叔父にあたるものです」


男の声。

年齢は三十くらいだろうか。


「この番号は宇佐美のものかと思いましたが?」
「ええ、僕は宇佐美の知人です。 宇佐美が携帯を落としたので預かっていました」
「携帯を落とした?」
「用件がありましたら伝えておきますが、お名前は・・・?」
「川島です。 またかけなおしますので」


それで、通話は途切れた。


・・・ふむ。


いまの会話のなかで不自然な点は・・・。


・・・そうだな。

あくまで推測だが・・・。

いまの男は叔父と名乗った。

このご時世、叔父に電話番号を教える子供がどれくらいいるだろうか。

いるとしたら、よほど親しい間柄なのではないか?


しかし、親しい叔父が、この番号は『宇佐美』のものかと・・・、などと苗字で呼ぶだろうか。

もちろん、なにか訳ありの関係なのかもしれない。

とはいえ、おれが話しかけるまで口を開かないほど用心深い叔父というのは、いくら宇佐美の知り合いでも変態すぎるのではないか?


ぱっと、思いつくのは、いまの男が西条だということだ。

宇佐美は港で、西条に自分の電話番号を教えている。

西条がなんらかの目的で、宇佐美に連絡を取ろうとした。



・・・なぜ?



西条は"魔王"と組んでいる以上、宇佐美の正体は知っているはずだ。

宇佐美を知った上で、なんらかの目的があって電話をかけてきた。


・・・わからんが、なるべく早く宇佐美を探したほうがよさそうだな。

いちおう、堀部に、すぐ動けるよう連絡を入れておくとするか。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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宇佐美はいま、携帯電話を持っていない。

西条はほくそ笑む。

宇佐美の友人らしき男が電話に出た。

宇佐美は携帯を落としたという。

最初、やけに無言だったのが気にはなったが、いまこの場で路上をうろうろしている宇佐美が電話を取るような様子はなかった。


機があれば殺せ・・・。


先程から何度か車を動かし、住宅地を巡回してみたが、ヤクザ者の気配はない。


よし、やるか・・・。


宇佐美は通りを曲がっていった。

しかし、どうせまた、道を引き返して戻ってくる。

西条は車を降りて、道の角に潜むことにした。

不意をついて、襲いかかるとしよう・・・。


・・・。



曲がり角に立つ電柱にもたれかかって、じっと耳を澄ませた。

 

コツ、コツ、と甲高い足音が聞こえてくる。


西条はコートのポケットを探った。

痴漢撃退用のスプレーだ。

顔面にまともに浴びせれば、相手はしばらく激しい涙とくしゃみにおそわれ無抵抗になる。


幸運にも辺りに通行人はいない。

宇佐美の足音が大きくなってきた。

"魔王"の計略にはまり、病院を張っていたのだろう。

西条を追う手がかりは、それくらいしかなかったのだから。

罠と知りつつ一人でやってきたその度胸は認めよう。

 

・・・。



きた。


もうすぐこちらの道に曲がってくる。


西条はスプレーを握りしめた。


宇佐美の目の前に突然現れるべく、通りに身を乗り出した。

 


―――っ!



はっとして固まった。


宇佐美ではなかった。


スプレーの噴射スイッチにかかっていた指が凍りつく。


しかし、すでに飛び出してしまった。


追っていた甲高い靴音は、宇佐美ではなく、サラリーマン風の男のものだった。


静かな車内で宇佐美を見張っていたものだから、靴音の判別がつかなかったのか。


男はいぶかしむような目で西条をにらみつけ、脇を通り抜けていった。



「あ、ども・・・」



前方で、おどけた声があった。

背中を丸め制服のポケットに手を突っ込んでいる。

西条は怒りに身を任せ、少女と向き合った。

 

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「お久しぶりです、前にお会いしましたよね?」


西条は動揺を悟られまいと、適当にうなずいた。


「なに持ってらっしゃるんですか? お化粧品ですか?」


スプレーのことだ。

少女はそれを警戒してか、半身になって、目だけをこちらに向けている。


・・・。


西条はスプレーをしまうと、相手の出方をうかがった。



「あ、サインどうです?」
「・・・サイン?」
「ほら、ユグムントさんのサインです。 バレエダンサーの。
もらえるっておっしゃってましたよね?」


いったいなんの真似だ。

顔が強張るのを自覚した。

まさか、西条が宇佐美の正体を知らないとでも思っているのか。


「そんな約束をしたかな、宇佐美?」
「え、宇佐美?」


少女はきょとんとして


「自分、藤原ですけど?」


と首を小さくかしげた。


「嘘をつくな」
「はい?」
「とぼけても無駄だ。 お前は宇佐美ハル。 暴力団の手先だろう」


西条は語気を強めた。


黙らせてやろうか。


しかし、間の悪いことに道路を挟んだ歩道で、主婦らしき女が二人、立ち話を始めていた。


「あの、どうしたんですか? 学生証見せましょうか?」

 

宇佐美は制服のポケットをまさぐり始めた。

 

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「あれ、どこかな・・・ちょっと待ってくださいね・・・いっぱいモノいれてるから」
「いや、いい。 勘違いだった」


西条は宇佐美の誘いに乗ってやろうと、手で制した。


「あの、あなたは探偵さんとかですか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「いやその、宇佐美って女を探しているのかなと。
前会ったときも、なんか血とか見ましたし・・・」
「探しているとしたら、なんだ?」
「はあ、いやまあ、自分に協力できることがあればと・・・」
「では聞きたい。 さっきからなぜ、ここら辺をうろついていたんだ?」
「え?」


不意に焦ったように目を見開いた。


「なんのことでしょう?」
「警察に連絡してやってもいいんだぞ」


宇佐美は観念したように、恐る恐る言った。


「いえ、実は、この近くにわたしの大好きな人の家がありまして」
「やっぱり、ストーカーじゃないか」
「すみません。
でも、その人のことは、ホント昔からでして、ええ、携帯の番号はおろか、メルアドすら暗記してます」


たいした演技だと西条は思った。


しかし、いつまでも演技を続けていていいのか・・・?

 

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「詳しく話を聞きたい」
「と、言いますと?」
「事務所まで来てもらおうか」


あくまで探偵を気取り、西条は言った。

そしてさりげなく周囲を見渡した。

主婦の立ち話が続いていた。


「いや、えっと、知らない人についていってはいけないと習ってまして・・・」
「なら警察に通報する」


そのとき、宇佐美の態度が一転した。

 


「警察に通報されると困るのはあなたじゃないですか、西条さん?」
「なに?」


とっさに、腕を離した。

詰問するような口調と視線に、西条の胸中に動揺が走った。

 

「"魔王"はお元気ですか? 先日はやってくれましたね?」
「なんの真似だ、宇佐美ハル」
「もうおしまいですよ。
浅井権三さんにケンカをふっかけた以上、法の裁きも期待しない方がいい」
「たいした自信だな。 私を捕まえてから言え」
「あなたはもうおわりです」
「くだらん」


・・・死ぬのはお前だ。

また道路の向こう側を見る。

もう、迷惑な主婦の姿はなかった。


「どうかいまのうちに自首してください。
警察に逃げ込むのが、あなたが唯一助かる道です」
「そんな話をしに一人でのこのこ現れたのか?」
「言っておきますが、わたしを捕まえようとしても無駄です。
誰にも話したことはありませんが、格闘には自信があります」


たいそうな口をききながら、腰を低く落とした。


「たとえば、あなたがいま懐に隠し持っているスプレーですが、まず風向きを考えましょう。
あなたは風下にいます。 この意味がわかりますか?」



西条は押し黙った。



「さらに、いまさら逃げようとしても無駄です。
わたしはこの辺りの地図を頭に叩き込んでいます。 あなたのような引きこもりとは違う」


たしかに、殺気めいたものを感じる。

年端もゆかない少女とは思えない目つきだ。

冷めた感じで、ゆっくりと理屈を詰めていくような口調は、"魔王"に似ていた。


しかし、宇佐美は愚か者だ。

こちらの武器がスプレーだけだと決めつけている。

おとといの日中、ヤクザ者が一人血を流したことを忘れている。

あのときの男は死んだだろうか。

ナイフで顔をえぐられて悶絶していた。


「わかった・・・私もこれまでということだな」


西条は呼吸を整え、コートのポケットのなかでしっかりとナイフの柄を握った。


「降参ですか?」
「ああ・・・」
「けっこうです」


寛容の言葉とは裏腹に、宇佐美の視線はまったく緩まない。

はっきりと、ポケットに隠れた西条の手に注視している。

だが、この至近距離では無駄なことだった。



――目があったら、殺したほうがいい。



不意に、"魔王"の一言を思い出した。

緊張に手が震えた。

ためらいはないが、人を殺すのに慣れるということはないようだ。


ナイフを浅く握り直す。

激しい動悸に胸が苦しい。

少女がわずかに目を見開いた。

はっと気づいたように視線を辺りに這わせる。

西条はとっさに判断した。



やるならいま――。



西条は殺意に身を任せた。


どういうわけか殺したはずの妹が宇佐美の顔に重なった。


その瞬間、タイヤが軋むような轟音に、ナイフを持つ腕に待ったがかかった。

 


――なんだ?



その筋の者が好むような高級車が急ブレーキをかけて、西条のすぐ後ろで停車した。

前方からも一台。

道路を完全に封鎖する勢いで続々と集まってきた。

スキンヘッドや角刈りの大男が、ドアを蹴飛ばし、三人、四人と飛び降りてくる。



・・・どうして・・・。


・・・そんなはずはない、なぜ・・・?




「こんのがきゃあ!!」


ヤクザが怒鳴りつけた。


「そこ動くんじゃねえぞ!!」


狐に化かされたような気分の西条は、たいした抵抗をすることもなく、すぐさまに腕という腕に頭や胸ぐらをもみくちゃにされた。



わけがわからない、こんな・・・こんなはずでは・・・。



西条はあっという間に組み伏せられ、容赦ない暴力を振るわれた。

 

 

 ・・・。



 

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「早く逃げるべきでしたね、西条さん」


頭上から声がした。


妹の声かと思ったが、そんなはずはなかった。

 

「な、なぜだ、宇佐美っ!」


西条は屈強な男たちに押さえつけられながら、それでも叫ばずにはいられなかった。


「いつ、どうやって、こんなっ! こいつらをっ! きさまあっ!」


宇佐美は困ったように首を回した。


「どうやって、と言われましても、携帯で連絡を取っただけですが?」
「携帯!?」
「ははあ、なんで逃げないのかと思ったら、そういうことですか。
わたしが携帯を一つしか持っていないと勘違いしていたんですね。
連絡手段がないから応援なんて呼べるはずがないと」
「二つ持っていたんだな!?」
「ええ、まあ。 いまどきの女子学園生は誰でも二つ持っています。
・・・というのは嘘で、もう一つの携帯は、あなたの飼い主から先月プレゼントされたものですよ。
まだ使用できるようなので、メールを打たせてもらいました」



――メール!



いつだ・・・そんな暇はなかったはずだ。


西条はくやしさに必死に脳みそを振り絞った。


「学生証を出そうとして、ポケットのなかを探っていたときだな!?」
「惜しい」
「なに!?」
「しかし、それでは、わたしはいまごろあなたに殺されていたかもしれません」
「いつだ!?」
「たぶん、あなたがここに来たときです。
日が暮れ始めたころに見慣れない乗用車が停車しているものですから、さりげなく中を覗いてみました」
「しかし、あの車はカーテンがあって、外から中の様子は見えないはずだ!」
「ええ。 あなたの顔までは見えませんでした。 しかし、人影くらいは見えました。
運転席ではなく後部座席に座っていたのが運のつきでしたね」


後部座席に座るようアドバイスしたのは、"魔王"だった。


「後部座席に座れば、運転手か誰か人を待っているふうを装うことができる。
付近の住民や通行人の目もいくらか緩和されます。
探偵も使う、張り込みの基本ですね。

そんな小さな作為が、逆に怪しいのです」


"魔王"が、裏をかかれたというのか・・・!?


なぜ"魔王"ほどの男が、こんな少女を気にかけるのか、ようやくわかりかけてきた。


「あなたの車は一向に発進する気配がありません。
狙いはわたしなのではないかと思っても不思議はないでしょう?
そもそも薬袋の罠から始まったのですから」
「襲撃すらも予期していたと・・・?」
「こんな住宅地です。
あなたが襲うとしたら、通りの角を曲がった瞬間でしょう。
そう思って、角を曲がるとき、わたしは必ず誰かと一緒でした」


よくよく思い返してみれば、宇佐美を待ち構えていたとき、靴音は一組しか聞こえなかった。

サラリーマン風の足音だけだった。

宇佐美はきっと、足音を殺し、逆に西条を待ち構えていたのだ。


「あなたと相対したあとは、適当なことをしゃべって時間を稼ぐだけでした」


愕然とした。


最初からすべて読まれていた。


視界が急速に暗くなっていった。


暗澹(あんたん)たる淵に立たされた西条の耳元で声がした。



――ないで・・・ちゃん・・・。



膝ががくんと折れた。

ずるずると力が抜けていった。

ヤクザ者の拳がまた顔面を弾いた。


惨めだった。


雨のように降り注ぐ暴力に、ただただ呑まれた。

彼らは同じ人間とは思えないほど、強靭で残虐だった。


怖い。


殺さないで欲しい。


また声があった。

 


――殺さないで、お兄ちゃん・・・。

 

 

「お疲れ様でした」

 


妹の懐かしい声は、不意に打ち切られた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


夜になって宇佐美が家にやってきた。

 


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「西条はどうなりました?」
「いま地獄にいる」


セントラル街にあるビルの地下に連れられて、拷問を受けているはずだ。

 

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「自分も、西条に聞きたいことがあるのですが・・・」
「今日は無理じゃねえか? やっと捕まえた獲物だ。
堀部がやたらニターッと笑っていたな・・・」
「お楽しみ中ってことですか・・・」


宇佐美は眉をひそめた。


「それにしても、いきなりメールが来たときは焦ったぞ」
「急いで欲しかったので」
「件名なしで、『へるふ』、だからな。 あとは病院の名前だけ」
「ヘルプよりも、緊迫感があったでしょう?」
「しかし、知らないメルアドからだったが、お前、よくおれのアドとか知ってたな。 登録してたのか?」
「いえいえ、ソラで言えます。 大好きな浅井さんですから」


気持ちわりいな・・・。


「話は変わりますが、最近、花音と同棲してんすか?」
「ああ・・・」
「花音は、どうすか?」
「どうもこうも・・・ちょっとおれたちの騒ぎに感づいてるかもしれんが、努めて気にしないようにしているみたいだな」
「いえいえ、今日殺されかけたわたしです。 そういうことを聞いているんじゃありません」
「はあっ?」
「ここでたたみかけますが、浅井さんは一月一日とかお暇ですか?」
「なにをたたみかけてんだ?」
「お暇ですか?」


・・・なんか有無を言わさぬものを感じる。


「一月一日って・・・元旦じゃないか」
「めでたい日ですね」
「いや、いちおう、おれってヤクザの息子なのよ。
どんだけ挨拶に回らなきゃいけないと・・・」
「ですから、ちょっとだけでよろしいんですがね」
「て、言われてもなあ・・・朝方・・・ようは四時とか五時とかみんな初詣が一段落したあたりなら、なんとかなるかもしれんが・・・」
「決まりですね」
「まてまてまて、なにが決まったんだ」
「ようは、わたしを選べってことです」
「もういい、帰れ」


変人との会話は疲れる。

 

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「でわ・・・」


のそりのそりと、すり足で玄関まで歩いていった。

ちらりとこちらを振り返ったとき、うすら長い前髪が揺れた。


「ふー、緊張したー」


なにやら解放感に満たされた様子で、宇佐美は去っていった。


「・・・・・・」


なんだ、あいつ?


もし、万が一・・・。


おれは恐ろしい想像をしてしまった。


万が一、あいつが、本当におれに気があるとしたら・・・。


いや、ありえん。


ぶるぶると首を振った。


やたらつきまとってくるからそう感じなくもないだけだ。


第一、宇佐美がおれに惚れる理由が見当たらん。


「馬鹿なこと考えてないで、仕事をするか・・・」



・・・。


 

やがて、花音が帰ってきた。

 

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「ふぃー、やっぱり兄さんちはいい匂いがするなーっ」
「おう、風呂沸かしといたぞ」
「やったー、兄さんだーいすきっ!」


いきなり抱きつかれた。

妙なことを考えていたせいか、おれは初めて意識してしまった。

花音という女を。

しかし、すぐに冷静になる。

どうかしている・・・。

権三についていった時点で、おれに幸せなどない。



母親にも満足に会えないのだから。



・・・。