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G線上の魔王【18】

 

 

・・・。

 

・・・さて・・・。

 

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腕時計の針を確認する。

あと十五分ほどで八時だが・・・。

西条から連絡が途絶えたことをどう判断するか、だ。

計画をしゃべったか、しゃべったとしてもどこまで情報を漏らしたか・・・それが問題だ。

おれがニット帽をかぶっているという話は出したか・・・。


まあいい。

行動に移ろう。

 

 

 

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壮絶な死を与えてやる・・・。


・・・。


おれは、服の下に隠し持っていたニット帽を頭からかぶり、廊下を進んでいった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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会場内は大きな盛り上がりをみせていた。

いよいよ、花音の出番が近づいているのだ。

日本の期待を背負った優勝候補が、練習のためリンクに姿を見せた。


大歓声のなか、ハルは不意に肩をつかまれた。


坊っちゃん見なかったかい?」


堀部というヤクザだった。


「いいえ、連絡してもつながらなくて・・・」
「こんだけ混み合うと電波の状況も悪いみたいだな」


心配だった。

京介はかなり顔色が悪く、足元もふらついていた。


「もう時間がありません。 我々だけで探しましょう。
きっと浅井さんも、必死になって"魔王"を追っているはずです」
「黒のニット帽だっけ?」
「はい、なんとしても、阻止しなくては」


ハルは堀部と電話番号を交換した。

同じ電話会社だったからか、それとも機種の相性のせいか、かろうじて連絡は取れるようだった。

目を隅々まで這わせながら、ハルは人ごみを縫うように進んでいった。


・・・・・・。

 

 

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八時ちょうど。


練習中の選手たちは、思い思いに氷の上を滑走し、飛び跳ねていた。

練習風景を眺める観客も多く、選手がジャンプを成功すると拍手がそこかしこで上がる。

ハルが客席のリンクに近い位置まで来ると、目の前を花音が疾走していった。

目があった、とハルは思った。

しかし、花音の脳には、それがハルだと認識されなかったようだ。

集中しているのか、他の選手の動きすら気にしている様子はない。

客席をくまなく探し、振り返ったそのときだった。



――いた!



黒のニット。

あの後姿。

忘れもしない。

セントラル街ではあと一歩のところで取り逃した。

ハルは階段の上の通路を歩く男をしっかりと目で追った。

猛然と駆け出しながらも、堀部に連絡を入れるべく携帯電話を耳に添えた。

幸運なことに、通話はすぐにつながった。


「堀部さん! 聞こえますか!」
「見つけたぞ!」


足を動かしながら、聞き返した。


「見つけた?」
「いま追ってる!」


しめた。

ハルの足取りが軽くなる。

堀部のほうでも"魔王"の姿を確認しているなら、今度こそ・・・。


堀部が息を切らしながら叫んだ。


売店だ! ヤツはいま、売店にいる・・・!」
「――え?」


一瞬、頭のなかが真っ白になった。


なぜ?


思わず、立ち止まってしまった。

だって、いるじゃないか。

あそこに、"魔王"が――。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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ふ・・・。


いまごろ宇佐美は困り果てているだろう。

頼みの綱のニット帽が、この時間になって、そこらじゅうに現れだしたわけだからな。

囮はなるべく、おれと似た背格好の人間を選んだ。

この街には、海外から出稼ぎに来ている外国人のための、集落のような地域がある。

そこに金をばらまけば、喜んで雑用を引き受ける人間が集まる。

おれは彼らにチケットを渡して、ニット帽をかぶり、黒いコートを羽織って会場内をうろつけと命じた。

日本人の顔はみな同じに見えるというような連中だが、用心して顔はさらしていない。

渡した金も、番号不揃いの使い古された紙幣だから、まず囮からアシがつくことはあるまい。


さあ、どうする、宇佐美・・・?

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「また、ニット帽ですか?」


堀部の声は切迫していた。

会場の入り口付近に一人、トイレにも一人、黒のニットをかぶった男は、次々に沸いてきた。


――なんてことだ!


不安はあった。

"魔王"はなんらかの策略を講じてくるだろうとは思っていた。

西条を捕まえたことは、"魔王"も予測しているはずだからだ。


"魔王"はおそらく、西条がニット帽の情報を漏らした場合を想定して、このような手を打ってきた。


「いいえ、"魔王"は日本人です・・・ええ・・・」


落ち着け。

通路に溢れる観客と肩をかすらせながら、ハルは手近にいるニット帽を追った。


「そう人数は多くないはずです」


堀部に言いながら考えを巡らせる。

"魔王"は、外国人を囮に差し向けてきた。

もちろん、そこからアシがつかないようにするためだろう。

用意したチケットの枚数もそう多くはないはずだ。

オークションなどで何十枚も落札していては、さすがに目立ちすぎるというものだ。

ネットオークション用に複数のIDを用意していても、警察が調べれば同一人物だとわかってしまう。

なにより、これは、即席の策である可能性が高い。

本来なら西条一人に任せるはずの犯行だった。

それが西条のミスで計画を路線変更したのだから、準備の時間も限られていたはず。


「落ち着いて、一人ずつ、捕まえていきましょう」


選手たちの練習時間は、まもなく終わりを迎えようとしていた。

試合が開始すれば、観客は席に戻って通路の混雑は解消される。

しかし、その分、派手な動きはできなくなる。

ハルは警備員の視線を感じながら、ようやく目当てのニット帽の真後ろまでやってきた。



・・・違う。



横顔を覗くと、目の色が青だった。

ハルの接近に動じた様子もない。

ただうろついていろ、とでも命じられたのだろう。

念のため声をかけるが、溢れ出たアルファベットは、"魔王"の音色ではなかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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確認したところ、追っ手は宇佐美を含め十人といったところだった。

そろそろ演技が始まり、会場にも静寂が訪れるころだ。

ばたばたと駆けずり回っていると、不審者と思われる。

花音は三番目の滑走だから、演技が開始されるまで、あと十五分程度か・・・。

リンク上に花束が投げ込まれるまで、あと二十分足らず。

しかし、また鬼ごっことはな。

元気な女だ。


・・・せいぜい追いかけまわしてみるがいい。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

選手の登場がアナウンスされた。

大歓声のあと、潮が引いたように客席に静寂が訪れる。


そろそろ駆け足をやめなくては。


そう思うのだが、なかなかあきらめきれない。

花音の演技終了まで、あと二十分もないからだ。


また堀部から着信があった。


「こっちは三人! そっちは!?」
「二人です。 どちらも"魔王"ではありませんでした」
「まったくどうなってんだ、くそがっ!」


ハルは考える。

冷静に、冷静に、状況にのまれないように下腹に力を込める。


「こうなったら、花音嬢ちゃんの演技が終わった瞬間にリンクに飛び込むしかねえな。
なんとか嬢ちゃんは助けねえと」


そんなことをすれば、大きな騒ぎになるだろう。

ニュースでも報道される。

しかし、花音の命には代えられないか・・・。

そのとき、視界の端に、また黒のニット帽が見えた。

これで、六人目。


「おい、宇佐美ちゃん」


堀部がまた焦った声で言う。


「あんた、根本的に間違ってるんじゃないのか?」
「・・・はい?」
「いいか、"魔王"は西条が捕まったことを知っているわけだろう?」
「はい」
「なのに、ご丁寧にニット帽なんてかぶってくるか? 西条がゲロすることくらい予想してるだろ」
「それならば、なぜ、いま、この時間になって大量のニット帽が現れたんですか?」


ハルは六人目のニット帽の男を確認してから続けた。


「堀部さんのおっしゃるとおり、"魔王"は西条が計画を漏らしたことを予測しているでしょう。
だったら、一人で会場に現れればいいのです。
我々は、"魔王"の素顔を知りません。
それこそニット帽をかぶる必要もなければ、囮を用意する意味もないのです」
「・・・つまり、どういうことだ?」


・・・それが、わからない。

なぜ、"魔王"はわざわざ囮を舞台に上げてきたのか。

共犯者を増やせば増やすほど、どこかで完全犯罪に綻びが生じるはずだ。

この囮にはそういったリスクに見合うだけのリターンがあるはずなのだが・・・。


また、裏をかいているつもりなのだろうか。

いまごろ"魔王"はニット帽など脱ぎ捨てて、客席で悠々とフィギュアスケート鑑賞しているのか。

それならば、やはり、囮は必要ない。

現に、ハルたちが騒がしく走り回っていたものだから、警備員の目も厳しくなっている。

警備の雰囲気が変われば、"魔王"が爆弾を投げ入れて逃走する際の障害になるのではないか。


「ニット帽を追いましょう。 全員捕まえるんです」


――『かわいいぼうやおいでよおもしろいあそびをしよう』

 

最も考えられるのは、"魔王"が、また遊んでいるということだ。

椿姫のときもそうだった。

リスクを承知で鮮やかに身代金を奪ってみせた。

複数のニット帽のなかに"魔王"がいる。


――捕まえてみろということか。


一人目の選手の演技が終わったようだ。

高らかな拍手が波のようにせり上がり、また引いていった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


おれは道端のロッカーからリュックサックを取り出す。

中身はあらかじめ用意しておいた。

さる爆薬とコンピュータ制御の起爆装置だ。

便利な世の中になったもので、おれでも十分に操作できる。

かなり値は張ったが、人の命を奪えるのなら安いものだ。

歩きに歩き、移動を続けた。

時計を見る。

そろそろか・・・。

宇佐美も焦っているのだろうな。

焦りながらも頭脳はますます冴え、おれの姿を探そうとしている。

花音の命がかかっているのなら、当然だろう。

が、まだまだといわざるを得ないな。

これだけサービスしてやっても、おれを捕まえられないのだから。



・・・む。


「・・・・・・」


いかんな、少し遊びすぎたようだ・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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ハルの足が止まった。

警備員が近づいて声をかけてくるのとほぼ同時だった。

謝罪して追い払うと、すぐさま目の前のニット帽を追った。


これが最後であって欲しい。


堀部の話と合わせると、これで十人目だ。

これ以上の数の囮がいれば、時間的にも限界だった。

なぜなら、すでに花音の演技が始まっているのだから。


ワルキューレの騎行』がひんやりとしたアリーナに響き渡っていた。

何度も凄まじい音量の拍手が沸きあがっている。

花音の人気は、やはり絶大だった。


ニット帽に迫った。

腕を伸ばせば届く距離。

ハルは、"魔王"の背格好をもう一度思い出した。

記憶のなかにある長身で細身の男は、目の前の男と比べてそう違和感がなかった。


「すみません・・・」


ぴくり、と男の肩が震えた。


「"魔王"・・・か?」


少なくとも日本語は通じるようだった。

男はハルに背を向けながらも、通路を歩くのをやめていた。

左の肩にリュックサックをかけていた。


「"魔王"だな・・・?」


ハルは動いた。

男の腕をつかもうと手を伸ばす。

が、空を切った。


男は突然走り出す。


逃すまいと、床を蹴った。


・・・・・・・。

 

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無我夢中で追いかけ回し、ようやく男を廊下の壁際まで追い詰めた。

男は観念したのか、呼吸を整えながら、ゆっくりとこちらを振り返った。


整った顔立ちだった。

高い鼻に、暗く鋭い目つき。


「く・・・」


くやしさにうめき声が漏れた。

"魔王"ではないとわかった。

男は狼狽し、カメラは持っていない、などと言っている。

会場内に一般客がカメラを持ち込むのは禁止されている。

リュックのなかを見て確信した。

なんでもない、ただ花音の衣装姿を隠し撮りしたいだけの青年だった。


――どうする、どうすればいい?


ハルは立ち止まり、途方に暮れそうになる自分を必死で奮起させた。

花音の演技は終わる。

もう終わる。

やがて観客たちが一斉に立ち上がって手を叩く。

何も知らない花音は、四方の観客に礼をしながらリンクを軽く半周する。

そのとき投げ込まれる祝福の花束は、破滅をもたらす爆弾なのだ・・・。


このまま何もできずに終わってしまうのだろうか。


椿姫を失望させたときのように、母親が死んでしまったときのように・・・。


・・・。

 

 

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・・・おかしい。


ハルは土壇場で、集中力を取り戻した。

周囲の物音が一切聞こえなくなった。


そうだ、おかしいぞ。


思い出せ、そうだ・・・。


あの違和感。


脅迫状が届いたときから納得できなかった。

ハルはこの事件を最初から考え直した。

不審な点は、まるでジャングルに建てられた人工のビルのようだったが、やがて森林が成長するにつれて目立たなくなった。

刹那、ハルの思考回路が一本の線で結ばれた。


「――しかし、確証がない」


ハルは瞬き一つしなくなった。

まるで動けなかった。

やがて、観客のどよめきが上がった。

悲鳴にも聞こえる騒音のうねりが、ハルの耳奥の神経を蝕んでいく。


宇佐美の負けだ・・・ハルにはそう聞こえた。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


・・・少し遊びが過ぎたようだ。


危うく南区に向かう電車に乗り遅れるところだった。

アイスアリーナに長居をしすぎたということだな。

何事にも失敗の気配はつきまとう。


たとえば西条。

宇佐美を甘く見た結果、捕えられた。

共犯者を利用すれば、アリバイ工作をしたり、囮となって捜査をひっかき回したりと、たしかに犯罪のバリエーションは多彩になる。

同時に、共犯者は、リスクの塊だともいえる。

事実、西条は、おれの計画を漏らした。

西条のような最低な人間に、あれだけ優しく接してやったというのに、ヤツはおれを裏切った。

つくづく、共犯者などただの足手まといにすぎないと実感させられた。


ただ、おれは、笑わずにはいられなかった。

ほっとしているからだ。



西条がおれのフェイクを素直にしゃべってくれて――。


なぜなら、おれの本当の標的は花音などではなく・・・。




浅井権三、お前だからだ。

 

 

・・・。

 

 

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フィギュアスケート会場はすぐに出ていた。

あんなカメラだらけの場所に長居は無用だった。

途中の駅近くのロッカーから爆弾入りのリュックを拾い、急いで権三の屋敷にやってきた。

まったくもって悪魔はおれに優しい。

半ば予想・・・いや、期待していたことだが、権三の屋敷には抗争の真っ最中だというのにボディーガードらしき人物がなかった。

ここ一週間ほど、園山組を引っかきまわしてやった結果だろう。

まあ、権三の移動用のベンツの腹にもぐって、たった一分ほどの間、爆弾を設置するくらいだ。

警備の人間がいようと、やってのける自信はあったが・・・。


今夜九時、総大将自ら出馬される。

園山組にたてつく雑魚どもを完全に叩き潰すようだ。

これは裏社会の人間なら誰でも知っているような情報で、当然おれの耳にもはいった。

まもなく権三を迎えに、車が門の前に停車するだろう。

ドライバーが車を降りて、権三を呼びに向かったときを狙う。

権三も、よもやそんな殺され方をされるとは思うまい。

なぜなら、車を爆破するなど、ヤクザの手口ではないからだ。

彼らは、必ずナノリを上げる。

犯行声明を掲げて、正面から堂々と殺しにかかる。

敵のタマを取るならそういった手順を踏まなければ、箔がつかないのだ。

古風な新鋭会ならなおさらだろう。


問題は警察だった。

警察も、同じ理由で、権三殺しは新鋭会の手によるものではないと考えるかもしれない。

しかし、そこまでだ。

まず、おれが犯人だと示す証拠はなにも残らない。

ニット帽をかぶっているのは、ジョークの意味もあるが、髪の毛を現場に残さないようにするためだ。

もちろんオペ用のゴム手袋を着用し、指紋は残さない。

服の繊維は残ってしまうかもしれないが、いま着ているコートもズボンも、その辺のデパートで安売りしているようなどこにでもある品物だ。

まあ、そこまで用心しなくても、爆弾がいろいろな証拠物件を吹き飛ばしてしまうだろうがな・・・。

そしてここが肝心なのだが・・・。

権三が殺されたとき、最も怪しいはずの"魔王"はなにをしていたか?

フィギュアスケートの現状を憎み、その尖兵たる浅井花音にご執着のはずではないのか?

そのために、西条を利用した。

もっともらしくフィギュアスケートを批判してやった。

熱く語ってみせた新採点方式への批判など、実にありきたりなものなのだが、西条にはわからなかっただろう。

政治に対する意見もそうだ。

この国の将来など、おれはまるで興味がない。

映画の感想をのべるくらいの、無責任で無害なものでよければ語ってやれるかもしれんが、その程度だ。


おれはただ、おれの信念に基づいて行動を起こす。

行動が、完璧であればなおさらいい。



・・・む。


自動車が近づいてきている。

近場の家の高い堀の影に隠れ、様子をうかがっていると、ベンツが門の前に滑り込んできた。

スキンヘッドの大男がドアから降りて、屋敷のなかに消えていった。

 

 

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さて・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

 

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周囲に人の気配はなく、爆弾の設置はあっさりと完了した。

装置はちょうど八時五十分に起動する。

いまから十分後だ。

新鋭会の組事務所のあるセントラル街までは、急いでも車で十五分はかかる。

九時には現場に到着していなければならないだろうから、遅くても八時四十五分には車を発進するだろう。

となると、爆破は走行中で、付近の歩行者や対向車などにも被害が及ぶかもしれんが、まあ運が悪かったと思ってもらおうか。

生きている限り、理不尽な死刑も、ままあるということだ。


おれの父がそうであるようにな。


「・・・・・・」


真冬の冷え切った夜道を歩く。

浅井権三を殺すことに、なんのためらいもなかった。

権三は、殺してやらねば気が済まない存在だった。

母の心が壊れたのは、間違いなく権三の非道なまでの追い込みが原因だ。

医者もそう言っていた。

権三は、いま、新鋭会と花音に気を取られている。

獲物がすきを見せているなら食い殺されるのは必然だろう、権三よ・・・。


やがて、時計の針がまもなく八時五十分を指そうとしていた。

しかし、宇佐美も成長しない。

西条のゴミ袋を漁ってプラザホテルに向かったときも同じだ。

西条の口を割って、そこから得られたヒントに固執している。

大局を見れば、おかしな点はいくらでもあるというのに、つい目の前の手がかりをさぐってしまう。


・・・八時五十分。


ずしりと腹に響くような轟音があった。

権三宅の方向の空が明るくなるのを確認した。

近所から上がる悲鳴という悲鳴。

富万別市で最も平和で安全と思われる住宅地は、一気に狂乱した。



浅い地獄だ。


まだまだ浅い。



おれは窓やバルコニーから身を乗り出した人間の群れを軽蔑していた。



もうしばらく待て。


もっと面白いものを見せてやる・・・。


 

口元を引き締め、慢心せぬよう、自分を戒めた。


今回のおれの勝利も、戦略的に見れば、ささいなものなのだから・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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女子ショートプログラムは、すべて終了し、会場から出てくる人影もまばらになっていた。

おれの体調に呼応でもしたのか、携帯の調子が突如悪くなり、宇佐美たちと連絡が取れなくなった。

頭がふらついていてよく覚えていないが、おれはニット帽の男を追っていた。

しかし、人の波にのまれ、逃げられてしまった。

幸いにもアリーナ内で、爆破事件は起こらなかった。

花音の無事が確認されたときは、思わず肩の力が抜けたものだ。

"魔王"が失敗したのか、それとも宇佐美が阻止したのか。

不意に、周辺を歩くカップルの会話が耳についた。


――南区の住宅街で爆弾事件。


気になって、会話に耳を傾けた。


ヤクザ、組長らしい、抗争やってるからね、物騒ね・・・。


近場の公衆電話を探そうとしたとき、声をかけられた。


「浅井さん・・・」


鋭い目つきをした宇佐美がそこにいた。

 

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「いままで、どちらにいらっしゃったんですか?」
「いや、すまん」


おれは事情を説明した。


「心配してたんですよ。 倒れてるんじゃないかって」
「気にするなと言っただろう。 それより、いま大変なニュースが流れているみたいなんだが?」
「はい。 そうでしょうね」


宇佐美はいきなり背中を向けた。


「・・・どうした?」
「いえ・・・」


わずかに口元が震えていた。

 

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「すみません、ひどく悔しくて・・・」


おれは押し黙るしかなかった。


「こんな顔、あなたに見せたくなくて」


いつもの気持ちの悪い宇佐美とは明らかに違う。

苦渋の表情。

大きな声を出したいのを、やっと抑えているような自制。


「そのまま聞いてもらえますか?」


もはや、ほとんど知らない女の声に聞こえた。


「いまとなっては負け惜しみのようですが、最初からおかしいとは思っていたんです。
まず、第一の被害者です」


花音の衣装をてがけたデザイナーだったな。


「脅迫状では、さも"魔王"が殺したように書かれていましたが、実際のところどうなのかと引っかかってはいたんです。
階段から突き落としたくらいで、確実に死ぬと思いますか?
実際現場に行ってみました。 階段はたしかに急でしたし視界も悪いです。
しかし、らせん状の階段でして、たとえ転げ落ちても途中で止まるのではないかと思いました。
わたしは、これは警察の発表どおり、殺人ではなく事故なのではないかと過程しました。
"魔王"は、殺人を装った。 本当はたまたま事故死した人をさも自分が殺したように見せかけたのではないか。 確証は取れませんがね。
すると、次に殺人を装えそうな人物がいました。
二ヶ月前から帰国していて連絡の取れないバレエダンサーのユグムントさんです。
わたしは念のため、彼の不在を確認しに西区の港まで行きました」


・・・そういう推理を働かせていたのか。


「ユグムントさんを殺されたように見せかけたいのなら、自宅付近でなんらかの事件が起こるのではないかと思いました。
そこで、辺りをうろうろしていたら、西条とばったり出くわしたわけです。
そこで、不可解な事件が起こっていました。 海に続く血です。
西条がユグムントさんを殺したのかと思いましたが、彼のコートに血はついていませんでした」


ナイフで刺した現場をとらえたなら、西条は返り血を浴びているはずだからな。


「のちのち西条の荷物を物色してわかったことですが、西条はどうやらユグムントさんの外国人運転免許証を拾ったようなのです」
「免許証・・・」


おれはようやく口を開いた。


「しかし、おそらく偽造でしょう。
たとえユグムントさんが海に落ちたとして、どうして都合よく身分証が現場に残るんですか」
「"魔王"が、あえて残したんじゃ?」
「しかし、海に落とすということは、被害者の身元の判別を遅らせるためでしょう? とても考えにくいですね」
「では、"魔王"は、またしても殺人の偽装をしていたと?」
「はい。 しかし、それは我々には知らされないことでした。 西条は信じ込んでいたようですがね」
「"魔王"は、なんのためにそんなことをしたっていうんだ?」


西条しか知らない偽装殺人なんて、いったいなんの意味が?


「そこが、わたしにもわかりませんんでした。
しかし、この二件の偽の殺人こそが、今回の脅迫事件の全体像をつかむ有力な手がかりだったんです」
「手がかり・・・?」
「なによりもおかしいのは、"魔王"はなぜ、花音を直接脅迫しなかったのでしょうか?」
「・・・そうだな・・・」


権三の住所すら知っているのに、花音の住所を知らなかったとは思えない。

住所がわからなかったとしても、学園やスケート会場など、脅迫状を花音の目に触れさせる機会はいくらでもあったはずだ。


「家族なのだから、そのうちばれてしまうと考えていたのか・・・。
いや、それにしても、そんな悠長なことをする意味がわからんな」
「わたしは、また、"魔王"が遊んでいると考えていました」
「そうか。 椿姫の身代金のときもそうだったからな。 あえてお前に挑戦してきたんだ」
「しかし、実際は違いました。 "魔王"は本気でした。
緻密に計画を練り上げ、さもわたしと遊んでいるように見せかけて、我々を欺いていたんです」


宇佐美は、目を伏せ、敗北を噛みしめるように首を振った。


「"魔王"の本当の標的は花音ではなかったんです」
「なんだって・・・!?」
「間違いありません」


事実、花音は無傷だったわけだが・・・。


「"魔王"は巧妙に、自分がさもフィギュアスケート会場を狙っているように我々を誘導していました。
その最もな例が、西条です。 西条がよほど優秀な人物ならわかります。
けれど、西条は"魔王"にとって足手まといに過ぎませんでした。
けっきょくは、わたしたちに計画を漏らしています。
しかし、それこそが、罠だったんです。
西条が足手まといであればあるほど、"魔王"にとっては有能な犯罪者だったのです。
"魔王"はおそらく、西条がユグムントさんの殺害の件もしゃべると予想していたのでしょう。
おかげでますます、我々の目はフィギュアスケートに集まっていきました」
「でも、"魔王"は西条に優しく接して、忠誠を誓わせていたんだよな。
もし、おれたちが西条を捕まえられなかったり、西条が口を割らなかったりしたらどうするつもりだったんだ?」
「そこは、"魔王"も懸念していたことでしょう。
今回は権三さんとその組織もついていました。 暴力団の拷問に耐えられる人間などいないと踏んでいたのかもしれません」


そして、その読みは当たっていたわけか。

"魔王"は相手の程度に応じたマジックを用意してくると宇佐美は言っていたが、そのとおりになった。


「二日に渡る尋問の末、ユキの力も借りてようやく聞き出した"魔王"の計画です。
わたしは、ホテルに誘導されたときと同じ失敗をしてしまったんです」
「いや、おれもだ・・・そう落ち込むなよ。
お前がトスブーケを使った爆弾の投げ入れ方を解いたときは見事だと思ったさ」
「・・・・・・」


宇佐美は、哀しそうな目で、おれを一瞥するだけだった。



「どうも、ありがとうございます」


別に、なぐさめたわけではないが・・・。


「話はわかった。 言われてみれば、"魔王"が花音を陥れる理由がわからんな」
「わたしは、"魔王"がわたしの仲間を狙っていると勘違いしていました」


椿姫のときもそうだったわけだからな。


「では、実際に狙われたのは・・・?」


ふと、さきほどのカップルの会話を思い出す。


「はい。 その答えにたどり着いたのは、花音の演技が終わる直前でした。
"魔王"は、手の込んだ誘導を仕掛けてきましたよね?」
「ああ・・・」
「今回の事件で、最も振り回されたのは誰です?」
「お前と・・・」
「浅井権三です」


おれは息を呑み、喉を鳴らすだけだった。


「だからこそ、脅迫状はわたしと権三さん宛に届いたんです」


・・・親愛なる勇者と怪物殿へ・・・。


「実際、わたしも命を狙われました。 権三さんはどうでしょう?
いま別の暴力団とも敵対して大忙しですよね?」


まさか、"魔王"の牙が己に向けられているとは権三も思うまい・・・。


「ただ、それはあくまで推測でして、また裏をかかれているのではないかと疑心暗鬼にかられてしまいました。
それで、権三さんへの連絡が遅れてしまったことが悔しくて仕方がないのです」
「そんな・・・!」


声が割れた。


「じゃあ、南区の住宅街で爆破事件っていうのは!?」
「権三さんを狙ったものでしょう」
「信じられない」


あの権三が・・・死ぬだと!?


「権三に連絡はつながったのか?」


間に合わなかったというのか・・・!?

おれは、はやる気持ちを抑えられなかった。


「とにかく、おれは権三の家に行ってみる。 いや、病院か・・・くそっ・・・・・・!」


ヤツは鬼畜だが、それでもおれには、これまで生かしてもらった恩がある。

死ねばいいとすら思うこともあったが、実際こうなると・・・。


「お優しいんですね、本当は」
「ふざけたことぬかすな! 権三が死ねば、おれみたいなコバンザメ小僧も終わりなんだぞ!」
「安心してください、浅井さん」
「なに?」


宇佐美が、穏やかに言った。


「権三さんは、ご無事ですよ・・・」


手足の力が抜けた。

まばたきが止まらない。

おれは、安堵していた・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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その後、堀部が迎えにきて、おれと宇佐美はセントラル街の高級クラブに招かれた。


店内に一般の客の姿はない。


ホステスも席につこうとしなかった。



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「・・・俺が死んだと思ったか?」


巨漢が濃いウィスキーをあおりながら言った。


「・・・はい・・・よくご無事で」


低い笑い声が返ってきた。


「"魔王"は、迂遠(うえん)な策を弄するのは得意なようだが、殺しというものがわかっていない。
狩をしようと思うなら、自らも食われる覚悟で望まねばならん。
実際"魔王"は、俺の屋敷に乗り込んでくるのではなく、時限式の爆弾を用いて保身に走った」
「では、車に爆弾がしかけられていたことは、見抜いていたと?」
「いいや。 "魔王"の手口そのものは巧妙だと言わざるをえん。
証拠の一つも残していないのだろう。 どんな手段で俺を殺しにかかるのか、見物ではあったが予測のしようはなかった」


・・・見物ではあったが、だと?

自分の命だろうが。


「最初からヤツがおれの命を狙うことはわかっていた。
なぜなら脅迫状は俺に届いたのだから。
宇佐美が説いたような細々とした理屈はあとからつける。
読みどおり、不審な点はいくつもでてきた。
階段から突き落として殺すなど愚の骨頂というもの。
事故と殺人の区別がつかないほど鑑識(シキ)は甘くない。
他にも西条というかませ犬、不意に勢いづいた新鋭会のカスども。
だから、俺はわざと、自分の動きを知らせるような情報を裏に流した」
「では、今夜九時に乗り込みをかけるというのは・・・?」
「俺は旧態依然とした新鋭会とは違う。 獲物を狩るのに、なぜ声をあげねばならん・・・?」


極道にあって異端であることは承知していたが、こいつの哲学には理解しがたいものがある。


「お話中失礼します。 いま新鋭会の内藤組長が見えてまして」
「おう」
「組長(オヤジ)に面通しを願っていまして、どうやら手打ちを申し出てるようですが?」
「和睦したいのだな」
「ええ・・・指(エンコ)も詰めてきたようでして・・・」
「指などいらん。 金をもってこさせろ」
「それは・・・納得されないでしょう、組長にも面子ってもんが・・・」

 

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「納得させろ。 それが、俺に従うということだ。 できんのなら皆殺しにすると伝えろ」

 


組長自ら頭を下げに来たというのに、それを門前払いするとは・・・。

 


「というわけだ、京介。 "魔王"が車を爆破したころ、俺はここで酒を飲んでいた」


高みの見物をしていたわけか。

大局を見据えていたからこそ、そんな余裕をみせられるのだろう。


「わかりました。 とにかく無事でなによりでした」


もう話すことはないと、おれは一礼して戸口に向かった。



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「宇佐美」
「はい」
「わかっていると思うが、京介から目を離すなよ」
「・・・・・・」


宇佐美は、何も答えず、おれのあとに従った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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・・・。


詰めを、誤ったというのか・・・。

たしかに、標的の顔も確認せずにことに及んだのは失策だった。

少し、そう少しだけ、宇佐美と浅井権三を甘く見ていたというわけか。

潔く敗北を認めるとしよう。

失敗から学ぶことは多い。

浅井権三は、なかなかの大物だ。

一丁の猟銃では殺せぬか。

次は、必ず、仕留めてやる・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「たっだいまー」
「おう、今日もすげえ得点出したみたいだな」


花音は、えへへー、と頬を緩ませながら、手に持っていたバッグを開いた。

ぱたぱたと、衣服を詰めていく。


「・・・どした?」
「のんちゃん、もう帰るね、おうち」
「そうなのか? 別に、いてもかまわんが?」
「ありがとっ」


またにっこりと笑う。


「兄さんはうさみんとパパリンといろいろ忙しそうなので、気が散るのです」
「また偉そうな口をたたきがやって・・・」
「ごめんね、わがままで」
「なに・・・?」

 

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驚いて、花音の顔を見た。

あろうことか、瞳に涙を浮かべていた。


「わたしは、もう、こういうふうにしか生きられないから。
自分が一番すごくて、いつでも正しいって思わなきゃ、やってられないから。
ごめんね、もう、ばいばい」


突然の別れ。


花音の決意は固いようで、荷物を整理する手は止まらなかった。

 

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「・・・なにか、あったのか?」
「なにもないよ」
「でも・・・」
「なにもなかったから、今度こそ、踏ん切りがついたの」


そのまなざしは切なげで、おれを責めているようでもあった。

おれは花音の前で立ちすくんだ。

花音が、なんのためにおれを頼ってきたのか、もっと考えてやるべきだったのだろうか。


形だけの兄妹。


なにか、力になってやれることがあったに違いない。


「なんかね、毎日楽しかったよ。 帰ってきたら兄さんがいるって思うと」


おれはなにもしていない。


「ああ、家だなって。 味方がいるなって。 スケート以外にも世界があるんだなって」


おれは、狼狽し、焦燥し、苛立っていた。

吐き気のようなものが喉までこみ上げてきて、言わずにはいられなかった。


「いてもいいんだぞ」


花音に向けて手を広げた。


「すまなかった。
おれたちがお前に隠し事をしていたように、お前もそうやって胸になにかを溜めていたんだな」


しかし、花音は、あきらめきった口ぶりで言った。

 

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「氷の上がわたしの居場所。 だいじょうぶ。 納得してるから」


微笑みながら、おれの視線を穏やかに押し返した。


「わたしはわたしの道を行くよ。 オリンピック絶対行くから、見ててね」


花音はもう、心を塞いでしまっていた。

言うべき言葉がなかった。


「じゃあねぇー」


ふにゃりとした見慣れた笑顔の裏側を、もう決して覗かせてはもらえないだろう。


「あー、シャツの襟が曲がってるぞー」


細い指先が、おれの首にしなやかに伸びてきた。


「まったく、兄さんはぬけてるとこあるからなー・・・まったくもー・・・」


感情が昂ぶってきて言葉を詰まらせたようだ。

花音が、おれの身だしなみを気にしたことなどいままで一度もなかった。

ささやかな思いやり。

らしからぬものを残して、義理の妹は玄関へ出て行った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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冷たい潮風が肌を刺す。

漆黒の夜空には星が輝いて、さらなる冷え込みを予感させていた。


ハルはもう一度、事件を洗いなおしていた。

今回は、浅井権三の力を借りて、どうにか引き分けといっていい結末を迎えることができた。

非力さを感じている少女の胸のうちで、携帯が鳴った。

すぐさま闘志が募った。

鳴ったのは"魔王"から届いた携帯電話だった。


「・・・勝利の余韻を味わっているのか?」
「冗談だろう」
「それを聞いて安心した。 お前たちはまだ私を捕まえていないのだからな」


電話の向こうに意識を集中しながら、ハルは腰をかがめ、海の底を見やった。


「あの血は、動物かなにかだったのか?」
「近くのスーパーで魚を安売りしていたものでな」
「警察が調べればすぐに殺人なんて起こっていないことがわかる。 だから西条に確認させ、西条の口からわたしたちに告げさせたんだな?」
「そこまで考えていたわけではない。
私はただ、西条に力があるところを見せつけてやるつもりだった。
死体があがらぬ海などと、いかにも怪しげな嘘もついたが、彼は純粋だった。
換気扇に投げ入れるだけで店の人間をすべて殺せる劇薬を、簡単に作れると信じれるくらいに」
「C-5番の席にあった紙袋にガムテープで封がしてあったのは、西条のミスではなく、"魔王"の指示だな?」
「ふふ・・・気づいてもらわねば困るのでな。 いいヒントだったと思うが?」


ああ、まったく・・・。


ハルは心のなかで舌打ちした。


「おかげでわたしたちは西条を追うことに必死になった。
その間に、"魔王"はじっくりと西条を手なづけていったわけだな?」
「手なづけるという言い方は心外だな。
彼は、誰でもいいからかまってほしかった。 私はそんなかわいいぼうやと少しだけ遊んでやったに過ぎない」
「同じことだ」
「いいや違う。 彼は楽しかったはずだ。
私と出会ったことで、捨て鉢のような人生にようやく春が訪れた。
たとえ破滅が待っていたとしても、普段は味わえない興奮と期待を覚えていただろう」


ハルには"魔王"の次に続く言葉が予想できた。


「お前もそうだ、宇佐美ハル。 やっと私にめぐりあえた。 お前はただの死に損ない。
お前に必要なのは、愛でも友情でもなく、敵であり悪であり、そう仮託できる思い込みだ」


ハルは胸のうちをえぐられる思いだった。

顔がこわばり、息が浅くなっていく。


「だから、ヴァイオリンも捨てたのだろう?」


押し黙り、耐えた。

耐えるしかなかった。

憎しみをみなぎらせてなお、彫像のように立ち尽くした。


「まだまだかまってやる」


"魔王"は優しげに言った。


「けっして春の訪れない冬の遊び場で」


いつの間にか、不通音が耳に届いていた。


――ヴァイオリンか。


ハルはわき目も振らず、歩きに歩いた。

何も考えたくはなかった。

夜の闇を蹴飛ばし、苦痛のうめきを漏らし、怒り続け、呪い続け・・・唯一憎悪に身を委ねた。


そうしないと、一度は捨てた大切な玩具を、また手に入れたいなどと思ってしまいそうだから・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

―――――

 

 

 

 

・・・。

 

 


・・・・・・。

 

 

 

 

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「今回の一件、誠に申し訳ない」
「まさか、君が失敗するとは・・・」


染谷は、おれが花音を敗退させられなかったことを嘆いている。

もともと、スケートなどどうでもよかったわけだがな・・・。


「ただ、そう、悔やまれることもないと予言いたしましょう」
「なぜだ?」
「たしかに、浅井花音は全国大会で勝利しました。 世界行きも確定し、次はオリンピックでしょう。
しかし、あなたの子飼いの瀬田という選手も悪いものではない。
むしろ、心の強さは、花音より上とみました。 そう、遠くない将来、必ず春が訪れます」
「そんな慰めは聞きたくないが・・・いまは納得するしかないな」
「期待を裏切ったことはお詫び申し上げます」


染谷は不機嫌そうにおれを見つめていた。


「しばらく、謹慎いたします」
「そうかね?」
「ええ、体調もすぐれませんし・・・」


なにより、準備があるからな。


「わかった。 君の力がなくてもやっていけるとまでは言わんが、さしあたって、重要な案件もないことだし・・・」


これでいい・・・。

染谷との関係に距離を置くには、失敗を犯したというポーズが必要だ。

無能と思われなければ、おれを、そうそう野放しにするまい。


「それでは、ごきげんよう・・・」
「次に会うときは、いつになるかな?」


おれは、わからないと、首を振った。


本当はわかっていた。


次に会うのは、この会社が破滅するときだ。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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時計の針が十二時を指し、ついに新年を迎えた。

あれから、花音は勝ち進み、ついに世界への切符をつかんだ。

今月からしばらくアメリカに滞在するらしく、疎遠なつき合いになりそうだった。

花音は、心に危ういものを抱えていたようだが、杞憂だったのか・・・。


「・・・ふう」


それにしても頭がずきずきしやがる。

ヤクザの宴会につき合わされ、こっぴどくしぼられた。

さすがの権三も総和連合のなかにあっては神様を奉らねばならないようで、憮然としながら、儀式めいた行事に参加していた。


「さて・・・これから、二件ほど挨拶に回らないと・・・」


シャワーを浴びて、着替えを済まし、外出の準備を整えた。

 

「ん・・・」


宇佐美?


「おう、どうした?」
「あ、新年明けましておめでとうございます」
「ああ、おめでとう」
「んじゃ、行きましょうか」
「なんだって?」
「神社です」
「は・・・」


そういえば、思い当たるふしがあった。


「完全に忘れてたわ」
「いっしょにおみくじ引くって約束してくれたはずですが?」
「そりゃ、ないな。 おれの性格からして」
「とにかく待ってますわ」


強引に話を進めて、宇佐美は神社の場所を言った。


「わかった。 そこまで言うなら行ってやる。 でも、けっこう遅れるぞ」
「おっけーです。 でわ」


なんか、ソワソワしてきたな・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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元旦の朝五時。

 

ようやく宴会が終わった。

飲み会の席で、驚いたことが一つある。

まさか、白鳥の親父さんと顔を合わせることになるとは思わなかった。

建設業だけあって、多少は暴力団とのコネもあるということか。

娘をよろしく、などと言われたが、最近、白鳥のことなど頭の片隅にも置いていなかったな。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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宇佐美と待ち合わせたのは、この近くのこじんまりとした神社のはずだが・・・。

まさか、宇佐美と初詣とはな。

しかし、それにしてもどこで待ってるんだ?

連絡を入れてみる。

携帯はすぐにつながった。


「待ちかねましたよ」
「いや、いま、どこにいるんだ?」
「えっと、鳥居らへんです」
「って、言われてもな・・・」


まあ、あのうすら長い髪は目立つからなんとか探せるか。


「自分、超おめかししてますよ?」
「おめかしだあ?」


想像もできん。


「期待がふくらんできたでしょう?」


宇佐美も着物とか着るんだな・・・。


「わかった・・・って、あ」


あの、イカみたいな前髪は・・・?


「見つけた・・・そっちに行くぞ」

 

・・・。

 

 

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「・・・・・・」
「・・・・・・」
「あれ?」
「はい?」
「おめかしは?」
「してるじゃないすか」
「ジャージじゃね?」
「おめかしじゃないすか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・まあ、ちょっと中乃ブロードウェイ入ってますよね」
「いやいや中乃ブロードウェイに失礼だよ! お前のそれはただの部屋着じゃん!」
「おかしいな・・・めいっぱいキメてきたつもりなんですが」
「ったく、マラソンでもする気かよ」
「はあ・・・」
「第一、寒くねえのか? いま氷点下って話だが?」
「はあ・・・」
「そういえば、お前、いっつも学園の制服だったが・・・」

 

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「はあ・・・」
「あ、やっぱ寒いんか・・・」
「もうかれこれ二時間は待ってましたからね」
「いや、おれは悪くないぞ。 遅れるって言ったじゃないか」
「連絡あってもよかったじゃないすか」
「む・・・それは、そうだな。 すまん」
「せっかくのデートなのに・・・」
「気持ちわりいことつぶやくなよ」
「だって・・・」


・・・な、なんだこいつ・・・。


「す、すねてんのか?」
「けっきょく、自分の格好については、何点くらいなんすかね?」
「なんだいきなり?」
「何点なんすかね?」
「いや、わかんねえけど・・・」


宇佐美の体を上から下まで見る。

が、ジャージはジャージだった。

しかし、宇佐美も本気みたいだし、褒めてやったほうがいいのかもしれんな。

いやいや、それは自分を偽ることになる。

・・・どうしたものやら。


「これが美少女ゲーだったら、確実に選択肢でてますよ」
「うるせえよ」
「正解は二番の『手放しで褒める』でした」
「別に正解しなくていいよ」
「なんでそう、冷たいんすか」
「・・・な、なんだよ、変だぞ、お前」
「別に、いっすよ」


鼻をすすっていた。


「なんだよ、元気ねえじゃねえか」
「お腹がすいて力が出ないのです」
「あ、そういう腹づもりな」


ようやくピンときた。


「おれに飴だの甘酒だのおごらせようって腹だな?」


直後、宇佐美の顔がひきつった。



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「フフフ、フハハハハ、ふははははははははははっ――!」
「!?」


・・・。


「はあ・・・」
「笑い出したかと思えばウツになって・・・どういう芸だよ・・・」
「愛するものが、死んだときには、自殺しなきゃ、なりません」
「わ、わかったよ、おら、とっととお参り行くぞ」
「ここでさりげなく手を引いてくれるわけですよね?」
「・・・はあっ!?」
「だって、メチャメチャ混んでるじゃないすか」
「だから?」
「『は、はぐれると、い、いけないから・・・ハアッ、ハアッ』みたいな・・・」
「お前のなかでおれはそんなキモイのかよ」
「・・・・・・」
「なに見てんだよ」
「見ちゃダメなんすか」
「・・・い、いや・・・」
「手もつながない。 見てもいけない。 服も褒めてくれない」
「・・・・・・」
「お決まりの言葉はいつも、髪切れよ、だ」
「・・・・・・」
「まったく、自分は浅井さんのなんなんですか!?」
「いや、なんでもなくね・・・?」
「フフフ、フハハハハ、ふははははははははははっ――!」


ダメだ、こいつ・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


そろそろ夜が明ける。

 

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「おい、初日の出見ようぜ。 東はどっちだ?」
「お日様は西から登るのだ」
「天才うぜえよ」
「そんなことより、自分、大凶だったんですけど?」
「うん、おれはいま、非常に気分がいい」
「まさか、浅井さんも大凶すか?」
「なんでだよ。 大吉だ」
「まあ、自分も二回目は小吉だったんすけどね」
「二回もひいちゃだめだろ」
「三回目でやっと大吉が出ました」
「バチ当たるぞ、お前」
「にしても、寒いすねー」
「重ね重ね言うけど、その格好のせいだぞ」
「はあ・・・不評すねえ」


・・・なんか知らんが、マジでキメてきたつもりらしいな。


・・・あ、いやちょっと待てよ。


目を凝らし、宇佐美のジャージを見る。


「あれ、そのジャージって・・・」
「気づきましたか」
「ああ、ブランドモノじゃね? 三万はするだろ?」
「上下で二千円ですがなにか?」
「ですよねー」


見間違いだった。


「いやいや、気づきましたか、の意味がわかんねえよ」
「は?」
「いや、気づきましたかってなんだよ?」
「ですから、この服装の、良さに、です」
「そんな歯切れよく言わんでも・・・」
「じゃあ、ジャージの語源知ってますか?」
「知らねえよ」
ジャージー島の漁師さんの作業着から来てるんです」
「へーへー」
「いまじゃ、ベストジャージスト賞ってのもあるくらいです」
「へーへー」
「どうです? ちょっとはオシャレに見えてきたでしょ?」
「いやでもお前のは二千円だから」
「自分、そんなおかしいすかね?」
「うん、おかしいよ」
「具体的にどの辺が?」
「いや、だって、ジャージ着て街歩くなんて、ヤンキーかちょっと間違ったB系くらいじゃん」
「あとは仲間ユキエさんすかね?」
「あの人はドラマでそういう格好してたの! なにフフンて顔してんだ!」
「芸能人のファッションだと思って、参考にしてみたんすけどね」
「参考にするとこ間違ってんよ」
「はあ・・・」


宇佐美はため息をついて、がっくりと肩を落とした。

 

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「なんか、すいませんね」
「え?」
「いや、自分みたいの連れまわして恥かかせてしまったかなと」
「・・・・・・」
「ほんと、すいません」
「いや、別に・・・」
「・・・すいません」
「・・・・・・」


目を伏せ、申しわけなさそうに身を寄せてくる。


「浅井さんは目立つの嫌いなのに・・・」
「いや、気にしてねえよ」
「いえ・・・」


そのとき、目の前を通った人を避けたせいか、おれの胸に宇佐美の頭が触れた。



「あ・・・」
「・・・・・・」


宇佐美がおれに寄りかかるような格好。

 


「お、おい、宇佐美・・・?」
「すいません、浅井さん・・・」


震えていた。

 

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「もう少し、もう少し、このままで・・・」
「な、に・・・?」


いま、こいつ、なんて言った?


「お願いします、もう少しだけ・・・」


まさか・・・。


一気に全身の血液が沸騰した。


「お前・・・」


そういえば、なぜこいつは、おれを初詣に誘ってきたんだ?



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「ようは、わたしを選べってことです」


・・・。


・・・そんな、馬鹿な・・・。

 


「宇佐美・・・?」
「・・・・・・」


宇佐美は押し黙り、じっと何かに耐えていた。


「・・・・・・」


なんてことだ。


まさかまさかと思いながら、目の前にはそういう現実があった。


「本気だったのか?」
「・・・っ」
「お前、本気で、おれに気が・・・」


・・・。


「――超あったけえ」
「暖取ってただけかよ!!!」
「あぎゃあ!」

 

 

・・・。