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G線上の魔王【22】

 

・・・。

 

おれと宇佐美は、時田の報告を受けて、真っ先に理科準備室に向かった。

 

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「落ち着きましょう、浅井さん」
「わかってる」
「人が消えるなんてありえません」
「ああ、時田は妹が心配で、ちょっとしたパニックに陥ったんだろう」

 

おれたちは、廊下を駆けて、理科準備室に飛び込んだ。

 


・・・。

 


たしかに、もぬけのからだった。

 

 

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「さっきは、取り乱してごめんなさい」
「いや、おれもいま驚いている」


「橋本のやろう、どこいったんだ!?」


栄一も落ち着きなく、室内をうろついていた。


おれはざっと、辺りを見渡す。


橋本が飲んだを思われるペットボトルと、紙コップが一つ、机の上に置かれている。

さらに、橋本が使っていたと思われる懐中電灯。

 

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「浅井さん、床に手錠が・・・」


白鳥の自由を奪っていたと思しき黒い手錠が、床に転がっていた。


「手錠を外したということは・・・」


時田が無念そうに、唇を噛んでいた。

失意に打ちのめされたのか、続く言葉が出てこないようだ。


「・・・いったい、どういうことだ・・・?」
「時間稼ぎだったのよ」


気を取り直したように時田が言った。


「車を用意させて、さも正面から逃げるように油断させておいて、こっそりどこかから逃げたんじゃ?」
「ありえない。 ヤツはまだ、校舎のなかにいる!」


おれは叫んだ。

そして、外の園山組の連中を動かした。

徹底的に学園を捜索する。


「出入り口はきちんと固めていた。 外に逃げられるはずがない・・・!」
「本当か? どこか穴があったんじゃないか?」
「穴?」
「たとえば、秘密の出入り口とかよ・・・」
「栄一、馬鹿な冗談は・・・」


ふと、悪寒が走った。


「・・・待てよ」


おれの顔は激しく歪んでいることだろう。


「そういえば・・・この学園って・・・拡張工事してるんだよな?」
「・・・ええ」


そうだ・・・。

 

それがもとで、こんな事件が起きているんだ。


「もう終わったのか?」
「いや、でも、ほとんど終わってるって」
「それは、どこだ?」
「まだ立入禁止だからよく知らないけど、一階に新しく通路ができてるとか・・・」
「その通路には、当然、窓もありそうだな?」


栄一も、たまらずうなずいた。


・・・くそ、なんてことだ!


「すまん、おれの手抜かりだ・・・!」
「しらなくて当然です」


「そうね。
学園の関係者か、水羽ならあるいは知っていたかもしれないけど」


橋本は、白鳥から秘密の抜け道を聞き出したってことか。

 


「なんにしても、追うしかない」


おれは戸口に手をかけた。


「あとはおれがやる。 お前らは帰れ」


ヤツが逃げたのは、いまから三十分ほど前だ。

辺りを大勢でしらみつぶしに捜索すれば、まだ追いつく。


「あ、オレも行く!」


おれの背後で、栄一が駆け出す音が聞こえた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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時田ユキは苦悶の表情を浮かべ、理科準備室の窓の向こうに広がる闇を見渡していた。


「やられたわ、ハル・・・」


背後のハルに向かってため息をつく。

すると同じようなため息が返ってきた。


「残念な結果になったね・・・」
「私がまずかったのよ」
「水羽の手錠が外されたこと?」
「そうよ、それが何を意味するかわかる?」


聡明なハルはすぐさま答えた。


「水羽が、橋本さんに協力したことになる。
そうでなければ、手錠を掛けた人質を連れて逃げるわけがない」
「足手まといになるものね」
「どうしてそんなことに?」


ユキは、頭を振った。


ストックホルム症候群よ」
「なるほど・・・」
「ストックホルミングはプラスの面が多いから、普通はネゴシエーターもそれを助長するように働きかけるの」
「でも、今回は違った」
「言い訳をするようだけれど、普通はこんな短時間でストックホルム症候群なんて発生しないわ。
過去の事例をみても、百時間とか、半年とか、そういった長い時間をかけられるのが通例なの」
「通例は、通例だったと?」
「水羽も、父親の理事長を快く思っていなかったわ。
つまり、同じ事情を抱える橋本くんに同調しやすいといえる。
私はそれを見誤っていたのよ」


背後のハルには、慰めの言葉もないようだ。


「人の心にマニュアルなんて当てはまらないってことね」


ユキはもう一度ため息をついた。


「まだまだ、訓練が必要だわ」


直後、ハルの声が背中に突き刺さる。


「いいや、ここまではすべて計算ずくだったはずだ」


ユキの全身が凍りつく。


「そうだろう、ユキ?」

 

・・・。

 

 


そうね、ハル・・・ユキは心の中で笑った。

 

笑いはすぐに表情に出た。

 


―――――あなたさえ、いなければね。

 

 


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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おれの『かわいいぼうや』が楽しいことをしていると聞いていたが、果たしてどうなったかな・・・。

まあ、それなりに楽しい詐術だとは思ったが、宇佐美相手には通じないだろう。

共犯とは、ボロが出やすいものだからな。

そういった助言をしてやるべきだったか。

まあ、親の助けなど必要としなくても、子供は育つものか。


「フフ・・・」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「どうしたの、ハル?」


ユキは薄笑いを背後に飛ばした。


「まるで、私が真犯人みたいな言い方じゃない?」
「事実、真犯人だ」


ハルは厳しく言った。


「最初から、すべてユキが仕組んでいたことだ」
「どうしたの、ハル。 私たちは親友でしょう?」


しかし、ユキは内心ではわかっていた。

一番の親友は、自分がおかしいと思ったことを決して曲げない。


「ハル、落ち着いてよ。
橋本くんは水羽を連れて、拡張工事のあった廊下の窓から逃げたんじゃないの?」
「違う」
「じゃあ、どうやってこの部屋から消えたっていうの?」
「普通に、一階のどこからでも逃げられたと思う」
「それは、おかしいでしょう。
京介くんのお仲間さんたちが、学園を取り囲んでいたのよ?」
「だから、取り囲む前に、逃げたんだ」


ユキは、半ば観念していた。

にもかかわらず、会話に興じたくもあった。


「橋本さんは職員室に忍び込み、ノリコ先生を襲った。
そこに駆けつけた我々を校舎の外に出すと、ノリコ先生を理科準備室の隣の薬品室に閉じ込めた」
「私が学園に到着する前の出来事ね。 続けて」
「その後、橋本さんは理科準備室に立て籠もるわけでもなく、さっさと逃げてしまう」
「ちょっと待ってよ。 橋本くんはここにいなかったっていうの?」
「そうだ。 さも、わたしたちを見下ろしながら交渉をしているように見せかけて、実際は別の場所で電話を受けていた」
「別の場所、ねえ・・・」


ユキは驚いたように肩をすくめた。


「じゃあ、この部屋で、懐中電灯がちらついていたのはどういうこと?」
「懐中電灯は橋本さんが学園を出る前に、この部屋に残していったんだ」
「でも、あなたも見たわよね? ライトが明滅してたじゃない?
懐中電灯が勝手についたり消えたりするの?」
「いろいろ方法はあると思うが、最も簡単なのは、あらかじめ残量の極端に少ない電池を入れておくことだ。
そうすれば、懐中電灯はついたり消えたりを繰り返して、やがて消える」


正解。


「初めは、この部屋のカーテンが閉まっていなかったから、不自然だとは思ったんだ」
「カーテン、ね」
「普通、立て籠もりをするなら、カーテンは閉めるだろう。
外から室内の様子を探られるかもしれないし」
「そうね、ちょっと不自然ね。 でも、それだけで疑われるものなのかしら?」


ハルは、太い声で続けた。


「ユキが到着して、カーテンの閉まっていない窓に向かって手を振っただろう?」
「ええ・・・反応が鈍かったわね」
「鈍いはずだ。 窓の向こうに、橋本さんはいないんだもの。
おそらく、あらかじめ決まった時間に電話をよこすように指示していたんだろう?」


あれは、ミスといえばミスだった。

もとはといえば、ハルが手を振ろうなどと言い出さなければよかったのに・・・。


「どうしても私と橋本くんが共犯ということにしたいみたいだけれど?」
「残念だけど」
「ノリコ先生はどうなの。
あなたは記録係だからちゃんと覚えているでしょう?」
「うん、隣の部屋から橋本くんの怒鳴り声がしたと、解放された先生は証言した」
「じゃあ、それはどう説明するの?」


しかし、ハルはひるまなかった。


「賭けてもいい。
いま、ユキのポケットに小型のICレコーダーか、とにかく録音した声を発することのできる機器がある」


ユキはおかしくなった。

まさに、その通りだった。

あらかじめ橋本の声を吹き込んだICレコーダー。

橋本が学園を出る前に、この部屋に残させておいたのだ・・・。


「でも、そんな録音した声くらいで、隣に人がいるって先生に錯覚させられるかしら?」
「だから、解放された先生に、ユキはあまり質問をしなかった」


まったく、ハルは面白い。

ユキが、怪しまれるかもしれないと思ったところを、すべて突いてくる。


「あれはおかしかった。
中の様子を知る唯一の人物を、なぜ聞き上手のユキが放って置いたのか」
「たまたまよ。 疲れていたのかも・・・」
「録音した声は、ひと言ふた言なんだろう? それなら、恐怖に震える先生を騙すこともできそうだ」


ユキは手を上げたくなった。


「わかった。 わかったわ。 それで、身体検査を始めようっていうの?」
「別にやらなくても、まだ証拠はある」
「ぜひ、聞きたいわ」
「この紙コップだ」
「差し入れた紙コップ? それがどうしたの?」
「ペットボトルの中身はなくなっていて、紙コップも少しふやけている」
「橋本くんがドリンクを紙コップに注いで、水羽が飲んだってことにならない?」
「でも、口をつけたあとがない」


・・・さすが。


「ドリンクはすべて、流しに捨てたんだろう?」


だから、理科準備室を選んだともいえる。


「これはユキと橋本さんが共犯でなければ成り立たない手口だ。
そうでなければ、ドリンクを差し入れしたり、ケースを届けにいったユキが、中の様子を偽る意味もわからない」
「ふう・・・」


ユキは降参したくなった。


「さすがね、ハル・・・」


ハルの視線を痛いほど感じた。


「認めるんだな?」
「やっぱり、あなたを記録係にしたのが間違いだった」
「だから、チームでやろうっていったとき、渋っていたんだな?」


ユキは、背後のハルにわかるようにうなずいた。

あの時点で、負けは確定していたようなものだ。


「お約束だから聞くけど、最初に怪しいと思ったのは?」
「ユキ・・・!」
「教えてよ、怖い声出さないで」


ハルは悲しそうに言った。


「バスケットボールの話をしていたとき・・・」
「やっぱりね」
「橋本さんがこう言ったんだ。 『ほらあのアイスアリーナを見ろよ』って」
「あのときは背すじが凍ったわ」
「そこの窓から、アイスアリーナなんて見えないはずなんだ」


ユキはそれを悟られまいと、窓辺に立っていたのだが、まったくの無駄だった。

橋本に足を引っ張られた形になったが、責任は自分にある。

彼はもともと単純な男だった。

黒板にいたずらする程度の、つまらない男。

そんな人間を、目的を持った冷静な立て籠もり犯に仕立て上げるのは、いささか無理があった。

調子に乗って初体験がどうのと本性を覗かせたときには、殴ってやりたい気分だった。


「いま、水羽は、アイスアリーナの見える場所にいるんだな?」
「そう。 橋本くんと一緒にね。 あらかじめ私が睡眠薬を飲ませて運んだのよ」
「・・・なんてことを・・・」
「だって、あれだけくだらない父親にまだ義理立てしてるのよ? 信じられる? どこまで人がいいのかしら」
「本当は、水羽も犯行に誘う予定だったんだな?」
「残念なことに、交渉決裂よ。
ある有名なネゴシエーターも家族だけは説得できないって言ってたわね」


言い切ると、振り返ってハルを見据えた。

 

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「ユキ、お金はまだこの部屋にあるんだろう? 隣の部屋か?」
「それを返したら、全部許してもらえるのかしら?」


ハルは押し黙った。

そのつらい表情に胸が痛む。

しかし、ユキは冷然と言った。


「許さないわよね。 あなたは、正義の勇者様だもの」


ハルは頭を振った。


「動機は、やっぱり理事長への復讐か?」
「たいしたことじゃないでしょう。 不正に受け取ったお金なのよ?」
「不正に受け取ったお金を、不正に泥棒していいのか?」
「警察も、ついに理事長を逮捕できなかったのよ。
だったら、誰が悪を懲らしめてあげられるの?」
「わたしは、それがユキでないことを願っていた」
「甘いわね、ハル。 善人は馬鹿を見る時代なのよ?」
「わたしは時代に生きているわけじゃない。
わたしはあくまでわたしの考えに基づいて生きている」


"魔王"と同じようなことを言う。

さすがは勇者といったところか。


「そこをどいてよ、ハル」


ユキはあごをしゃくった。


「どこへ逃げようというんだ?」
「そうね。 京介くんを敵に回したら、この街では暮らせそうにないわね」
「ユキ、聞いてよ」


ハルが両手を広げて立ちふさがった。


「聡明なユキのことだから、やむをえない事情があったのだと思う。
でも、ユキは間違ってる」
「ありがとう、ハル。
いろんな人に迷惑をかけたことは心苦しく思っているわ。
とくに、ノリコ先生には本当に悪いことをした。
京介くんたちは、いまごろ必死になって犯人を追っているでしょう」
「だったら・・・」


ハルの訴えをさえぎって言った。


「もう、遅いわ。 私はとっくに悪魔に魂を売ったのだから」


ハルの目に絶望の色が宿った。

その刹那、ユキはハルを両手で突き飛ばした。

 

ハルがうめく。

よろめいて、体勢をくずした。

足を払うと、長い髪が揺らめいた。

床に転がったハルを置き去りにして廊下に飛び出る。

すぐさま理科準備室の戸を閉める。

鍵を鍵穴に勢いよく押し込んでがむしゃらに回した。


一か八か。

 

「ユキ!」

 

 

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扉がきしむ。

ハルが無念そうに戸を叩きながら、わめいている。

運よく鍵が壊れたのだ。


「逃げるな! いまならまだやり直せる!」


ユキは普段からそうするように、薄く笑った。


「交渉において、怒鳴ったら負けよ?」


そう、やり直せるはずがない。

あとは振り向くことなく、暗い廊下を走り去った。

ハルの悲痛な声が、いつまでも耳に残った。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


宇佐美の連絡を受けて、おれは再び理科準備室に戻ってきた。

 

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「どうも、ご迷惑をおかけしまして・・・」


事情は聞いた。

時田が主犯だったこと、そしていずこかに逃亡したこと。

親友に裏切られた宇佐美は、それでも平然としているようだった。



「ユキを追いましょう」
「ああ・・・」
「あの状況で逃げるということは、ユキにはまだやり残したことがあるということです」


宇佐美の顔が、再度引き締まった。

 

 

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「水羽も、心配です」


もう時刻は深夜の二時を回っている。

理事長はすでに帰宅し、この件についてはもう一度話し合うことになっていた。

栄一はノリコ先生を送っていった。


「わかった。 全力で時田を探そう。
この時間に制服でうろついている背の高い美人だ。
街にいる園山組の人たちに声をかけてみる」
「すみませんね、いつも」
「まったくだ・・・あまり関係のないことでヤクザを動かしすぎると、本当に指をつめることになるぞ?」


宇佐美が力なく笑った。


「関係なくもないと思うんですよ」
「・・・え?」
「この迂遠なやり口。 人を弄ぶような犯罪。 誰かの入れ知恵とは思いませんか?」
「まさか、"魔王"?」
「わたしの考えすぎですかね。 そうですよね。
ユキが"魔王"とつながってただなんて、そんなはずないですよね?」


何も言えなかった。


「ユキのお父さんは、時田彰浩さんと言いまして、そりゃあ立派な方なんですよ。
警察の、警視正っていうものすごく偉い人なんですよ。
だからユキも、そんなお父さんの恩を仇で返すような真似はしないはずなんです。
ええ、そうです。
そりゃ、白鳥理事長には恨みもあるでしょう。
でも、脅迫して復讐するなんて、おかしいじゃないですか。
ユキは時田警視正の下で立派に育ったんです。
いまのお父さんでよかったと、自慢げに言っていたこともあります」


感情のたかぶりを抑えられないようだった。


「こんな根暗なことしなくてもいいじゃないすか・・・なんでまた・・・こんな・・・ユキならもっと考えて・・・そう、もっとうまく理事長を見返してやれるはずなんです・・・」


だんだん声が震え、手が震えてきた。


「おかしいですよ・・・あれはユキじゃない・・・」


宇佐美はただ、悪を求めているのだろう。

宇佐美の知る時田を宇佐美の知らない時田に変えた悪が存在しなければ、心が納得しないのだ。

悪への信仰だけが、唯一人を救う場合もあるのではないか。


「宇佐美・・・」


気の迷いか、宇佐美の肩に手を置いた。


「・・・・・・」


宇佐美は嫌がるでもなく、おれの体温を受け入れていた。

いつもうざったく、気持ちの悪い宇佐美が、いまはとても小さく、おれの手のひらにすっぽりと収まってしまいそうだった。

やがて夜は深まり、一等厳しい風が寒さを運んで窓を叩く・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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時田ユキは、ネオンが織り成す繁華街の雑踏に紛れ、善後策を練っていた。

計画通りにことが運んでいれば、いまごろ大金を持って、橋本と水羽の待つ安アパートに向かうはずだった。

悪いことは重なるのか、アパートの近くまで来たというのに、橋本と連絡がつかない。

なんらかのアクシデントがあったのか、とにかくいま、アパートに入るのは危険だった。


ユキは暗がりに寄って、ビルの壁に背を預けた。

制服姿は目立ちすぎる。


――"魔王"を頼るべきだろうか。


こうして追われる身となって、改めて"魔王"の周到さがわかる。

この街に潜伏しながらも、裏社会に根を下ろした園山組から見事に逃げおおせている。

"魔王"ならば、身の安全も保証してくれるだろう。


――でも、私は"魔王"の手下ではない・・・。


"魔王"から、今回の計画の立案にあたって、ささいな助言はあった。

あとは水羽を眠らせるための睡眠薬を調達してもらった程度だ。

いま思えば、まさに魔が差したのかもしれない。


きっかけは二年も前。

一つの電子メールだった。

相手は自らを"魔王"と名乗った。

ただの変質者のいたずらにしては、やけにユキの身の上を調べ上げていた。

私生児であること、母がすでに亡くなっていたこと、まるで探偵の身辺調査のような報告書を突きつけられて、ユキは"魔王"とやらに興味を覚えた。


何度かメールのやりとりをしたあと、田舎から単身で富万別市にやってきたユキは、好奇心から"魔王"と会うことにした。


・・・。

 

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そのクラブは、セントラル街の奥まった場所にあった。

入り口で名前を告げると黒と赤を基調とした広いVIPルームに通された。

天井にライトはなく、足元からの間接照明だけが頼りの薄暗い部屋だった。

なによりユキが眉をひそめたのは、店員から客に至るまで、ほとんどの人間が仮面をかぶっていたことだ。

性的倒錯者が使用するような切れ長のアイマスクや、派手な飾りのついたサテン生地のフード。

まるで中世ヨーロッパの絵画に出てきそうな、悪魔の被り物をしている者もいた。


「はじめまして、時田ユキ。 私が"魔王"だ。
わざわざ田舎から飛行機で来てもらってすまなかったな」


"魔王"も周囲の人間の例に漏れず、『オペラ座の怪人』を思わせるような白い仮面をつけていた。

ユキはとくに気にせずに、会釈した。


「お招きありがとう。 ずいぶんと素敵な場所ね」
「気に入ってもらえたかな。 ここではどんな地位の人間も子供になって遊ぶことができる」


そこかしこから、男と女の矯正が聞こえてくる。

酒をあおり、女をはべらせ、ふしだらな行為に興じている。


「それで、私になんの用? つまらない用事だったら、警察に駆け込ませてもらうけれど?」


仮面の向こうで、低い哄笑(こうしょう)があった。


「あちらにいらっしゃる御仁がわかるか?」


"魔王"があごを向けた方を見やると、ぶくぶくと肥えた中年の男がいた。

丸裸の下半身に紙おむつだけを履いて、ソファにごろりと転がっている。

そばに立つエプロン姿の女性が、まるで赤子をあやすようにガラガラと音がする玩具を振っていた。

その光景の異様さに、ユキは思わず目をそむけた。


「あちらは、警視庁の天上人だ。
夜は素敵なプレイに興じられているようだが、朝になれば正義の警察官として、私のような犯罪者を追い詰める。 面白いだろう?」


ユキは呼吸を整え、平静さを取り戻そうと試みた。

しかし、状況の異常さが、それを阻む。

 

"魔王"は目の前に高々と積まれた大金にはまったく触れようとしなかった。


「警察や暴力団への根回しなしで、こんな店が日本で営業できるはずがないだろう?
お父上に恥を掻かせるような真似はよすんだ」
「よく知っているわね、私の父が警察官だって」
「ああ、だからこそ、お前に声をかけた」


ユキは落ち着いて、"魔王"の声色と仕草を吟味した。

顔の表情が見えない以上、"魔王"という人物を知る材料は限られてくる。


「聞けば、時田は長年、犯罪心理学を勉強しているとか?」
「探偵でも雇ったのかしら?」


"魔王"はそんなところだと、うなずいた。


保護観察所に縁者を装って何度も通ったそうじゃないか。 なかなか楽しい子供だったようだな」
「ありがとう。 おかげで変な目で見られたけれど、いまでは友達もたくさんできたわ」


薄く笑いながら、"魔王"を観察した。

さきほどから二度、足を組み替えている。
手には話に合わせて開いたり閉じたりと、忙しない。


典型的な外交タイプだ。

ユキはそう判断した。

こういうタイプは論理や理屈を組み立てて判断を下す。

手を動かすとき、指先の一本一本に至るまで表現を忘れない。

かなり細心な男のようだ。

それが、ただの小心からくる落ち着きのなさなのか、それとも慎重を期すタイプなのか、ユキには判断がつかなかった。


「いろんな犯罪者と会って、どう思った?」
「どうもこうも、みんないい人ばかりだったわ。 私とよく遊んでくれたもの」
「彼らも寂しかったんだろう。 娘ができた気持ちだったのでは?」
「そうね・・・」


相づちを打ちながら、ユキは警戒していた。

さきほどから、会話の主導権を"魔王"に握られている。

"魔王"は一切自分のことを語らずに、ユキの心の領域に踏み込もうとしていた。


「ところであなたは、どうして"魔王"なの?」
「悪の権化としてわかりやすくていいだろう? そういう時田は、なぜカタカナでユキという名前なんだ?」


・・・やり手ね。

質問をさらりと受け流し、逆に質問を返してくる。

応酬話法を心得ていることから、企業のビジネスマンかと思われた。


「名前の由来は私も知らないわ。 お役所に届けるときにうっかりしちゃったんじゃない?」


ユキは戦略を切り替えることにした。

こういう外交的なビジネスマンタイプの人間を質問攻めにしても効果は薄い。

こういったタイプは、とにかく話したいのだ。

話し相手が素直に受け答えに応じるようになって初めて心を許す。

そうなれば、あとは勝手に自分のことを語りだす。


"魔王"がまた足を組み替えた。


「かわいそうだな。 子供は自分の名前を選ぶことができない。 実の父を恨んだことは?」
「それは、何度も」
「母の葬儀にも来なかったそうじゃないか?」
「ええ、あの夜は、どうやって思い知らせてやろうかと、それだけを考えていたわ」
「それをいま、実行に移そうとは思わないか?」


ユキは、わかるように声に出して笑った。


「フフ・・・クロージングをかけるには、早すぎるとは思わない?」


"魔王"も笑う。


「これは失礼。 時田に復讐を実行させることが私の目的ではないのだが、そう聞こえたのなら、すまなかった」


おどけるように手を広げ、もう一度、足を組み替えた。

ユキも微笑を浮かべながら考えた。

"魔王"は会話を切り出す直前に足を組みかえる。

この反応がなにを意味しているのか。

足を組みかえるという行為は、緊張を緩和させる場合が多いとされる。

つまり、嘘をごまかしているのではないか・・・?


「じゃあ、本当の目的をそろそろ教えてもらえる?」
「時田と、遊びたかった。 それじゃダメか?」
「こんな場所で遊ぶ趣味はないわ」
「わかった。 本当のことを言おう。 目の前に何がある?」
「お金ね。 何億あるのかしら」
「実は、あることをしてもらいたいんだ。 報酬ははずむ」
「聞くだけ聞いてみましょう」
「簡単なことだ」


そのとき、"魔王"が再び足を組み替えた。


「銀行口座を一つ作って欲しい。
そして、いずこかから振り込まれた金を、私に渡してくれ。 受け渡しは、この部屋だ」


ユキは確信を持って強く否定した。


「嘘はやめて」


"魔王"は言葉を詰まらせたようだ。


「銀行口座? なぜ私なの?
あなたは私の家庭環境から能力まで細かく調べ上げて、けっきょくはそんな誰にでもできるような仕事を任せようっていうの?」
「なにごとも、信頼関係というものがある。
まずは小さな仕事からお願いしたいと思っても不思議はないだろう?」
「いいえ、あなたは嘘をついているわ」


鋭い視線で、"魔王"の膝を射抜いた。

落ち着きのない長い足は、またもう片方の足に乗ろうとしていた。

"魔王"がうなずきながら余裕そうに言った。


「面白いな」


"魔王"は、ぴたりと手足の活動を止めた。

それからもおかしそうに聞いてきた。


「そうやって、人の心を探らねば、不安か?」


言いながら、両手の指先を合わせ、ソファに深く腰掛けた。

ユキは憮然としながらも、内心では焦りを覚えていた。

 

これまでとはまるで雰囲気が違う。

両手の指先を合わせるのは、威厳や威信を示す表現とされているが、この男はそれを知っていてわざとやっている。


「ちょこまかと手足を動かしていたのは、わざとね?」
「どうかな・・・」


今度は仮面から飛び出ている前髪を指で遊ばせた。

不安や自信のなさの表れとされているが、"魔王"が恐れを抱く理由はどこにも見当たらない。


「なんなのよ・・・!?」


思わず、いらついた声をだしてしまった。

"魔王"はそれを好機とばかりに、一気に身を乗り出してきた。

それはユキのパーソナルスペースを侵犯する距離だった。

まずい、と感じたときには、"魔王"の力強い声が迫っていた。


「私の仲間になれ、時田ユキ」


次の一言がユキの心をえぐった。


「そうすれば、その類稀な好奇心を満たしてやろう」
「・・・好奇心、ですって?」
「ごまかすな、時田。 罪を感じているのだろう?」


仮面が、にたりと笑ったように見えた。


「現に、お前がこれまで会ってきた犯罪者は、模範囚の善人ばかりではないか」
「だったら、なんなの?」


ユキは、言い返さなければ勢いに呑まれると危惧した。


「そうよ。 私が見てきたのは、刑期も半ばで仮出所してきた人たちがほとんど。
根がいい人なのは当たり前。 でもそれがなに? 何か悪いの?」


声のたかぶりを隠すことはできなかった。

それは、ユキがこれまで鍵をかけてきた心の病室だった。

 

悪いに決まっている。

 

興味から人を観察しようなどと、心から反省して出所してきた人たちに対して、失礼極まりない行為だった。

罪悪感にさいなまれるユキに、いつも悪魔はささやきかけた。

あのときは、子供だったのだから。

複雑な家庭環境に育ち、人を信じられなかったから・・・。

悪魔の王たる"魔王"が、そんなユキの心のすきを見逃すはずもなかった。


「なにも悪くない。 なにも悪くはないが、もったいないとは思う」
「・・・もったいない?」
「世の中にはもっと、おかしな人間がいる。
欲望に歯止めのきかなくなった真の凶悪犯や、嘘を真実と信じたまま話すことができる社会病質者。 目的のためなら手段を選ばぬテロリスト」


ユキの胸が、不覚にも高鳴った。


「時田はいずれ、父にならって警察官を志すのだろう?
ネゴシエーターの必要性は、近年になって日本でもようやく認められてきた。
お前はその卵だ。 いまから実地訓練をしておいて損はなかろう?」
「つまり、なんなの?」


ユキはしゃべるたびに冷静さを失っていった。


「あなたのお仲間になれば、いままで私が見たこともないような変人を紹介してくれるっていうの?」


仮面が、深くうなずいた。


「いくらでも」
「・・・そんな、嘘でしょう?」
「嘘かどうか、たしかめたくはないか?」


また、ユキは迷わされた。

返答に詰まっているうちに、"魔王"が言った。


「これから、ここで、ある外国人と会うことになっているのだが、いっしょにどうだ?」
「・・・外国人?」
「ああ、鼻毛を切らない習慣があるが、気のいい男だ」
「でも、犯罪者なのでしょう?」
「ただの商人さ」
「あなたは犯罪者って名乗ったわよね? 犯罪の密談を警察官の娘が黙って見過ごすと思う?」
「そう構えるな。 酒を酌み交わすだけだ。 そして、この金の一部を渡す」
「豪邸でも買ったの?」
「余裕が出てきたな。 乗り気になってきたと思っていいのかな?」


"魔王"が、またソファに深く腰掛けた。

ユキの胸のうちでは警鐘が鳴っていた。

同時に抑えられないくらいの好奇心が、病室の壁をがりがりと引っかいていた。


「お前は、なにも知らなくていい」


"魔王"が優しく言った。


「私が何者で、どんな商売をしていて、なにをたくらんでいるのか。
犯罪につながるようなことを一切知らずに、ただ貴重な体験ができる」


たしかに、"魔王"を知ってしまえば、犯罪を容認することになる。

それは、越えてはならない一線だった。


「どうかな、悪い話ではないと思うが?」


ユキは、悩んだ。

しかし、それは正確には悩んだふりにすぎなかった。


「訪問販売なんかでは、玄関のドアを開けさせたら、もう勝ったも同然らしいわね?」
「押し売りをする気はないがな」


"魔王"に会った時点で、すでに運命は決まっていたようなものだったのかもしれない。

もともとユキは、父親には黙って上京してきていた。

嘘をついたわけではないが、とにかく行き先を告げなかった。

きっと、これからも、そうするだろう。


「それで、"魔王"?」


肝心なことを聞かずにはいられなかった。


「親切に私の好奇心を満たしてくれるのはいいけれど、見返りに何を求めているの?」
「・・・・・・」
「私の父に関わるようなことだったら、お断りよ?」


父に迷惑はかけられない。

"魔王"は犯罪者だ。

警察官の父を利用しようとたくらんでいるのかもしれない。

ユキは毅然として、"魔王"をにらみつけた。


"魔王"は、仮面の向こうで、赤子に語りかけるようにゆっくりと言った。


「とくに見返りを求めているわけではないが、強いて言えば・・・」


"魔王"が仮面に手をかけた。


「魂、かな・・・」


冗談には聞こえなかった。

 

契約は成った。

 

素顔をさらした"魔王"からは逃れられそうになかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

その後は、だいたいひと月に一度、"魔王"との密会があった。

"魔王"の知人を交えた面談は、富万別市で行われることもあったが、不思議と日本海沿岸の福井や新潟の小村が多かった。

ユキは様々な人間を紹介された。

モスクワの闇市場を支配するチェチェン人、テログループの一員と思しきイスラム教徒。

"魔王"はよく漁港で現地の漁師からスーツケースを受け取っていたが、中身が何であるかの説明はなかったし、またユキも聞くつもりはなかった。

日本人の場合は、子供が多かった。

彼らは政治家や大企業の御曹司であると教えられた。

なんからの事情でお日様の下を堂々と歩けなくなった少年少女。

皆、一様に心に病をかかえていた。

彼らはユキにとってある意味逸材といえた。

自立支援施設にでも行かなければ面会できないような子供たちだったのだ。

ユキは、バラエティに富んだ普通ではない人々を次々と知っていった。

同情し、同調し、共感しながら、経験則を培っていった。

好奇心に歯止めが利かなくなるのに、そう時間はかからなかった。


何度も顔を合わせたものの、"魔王"の存在は依然として謎だった。

多くの資金を持ち、怪しげな人脈を開拓している様はいかにも"魔王"といった感じであったが、実際に犯罪の瞬間を目撃したことは一度もなかった。

かといって、心を許せる相手では決してなかった。

 

 

・・・。

 

 

 

 

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「まさか、ハルが追っていた人間こそが、"魔王"だったなんて・・・」


前の田舎の学園でも、ハルがなにかしら目的を持って、人を探していることは知っていた。

しかし、いくら仲良くなろうとも、ハルはユキに"魔王"のことを教えなかった。

ユキがそれを知ったのは、つい先日、"魔王"に利用されたらしき西条という男を尋問したときだった。


ユキは、"魔王"の連絡先――おそらく複数あるだろうが――を知っているし、間近で何度か相対している。

そういった情報をハルにもたらすべきなのか、しばし迷った。

迷っているうちに、今回の立て籠もり事件を"魔王"に吹き込まれた。

当初は理事長以外の誰にも迷惑をかけるつもりはなかった。

橋本の素性を明かすつもりもなかったし、ノリコ先生を巻き込むつもりもなかった。

水羽を説得した上で、立て籠もりを偽装し、理事長にささやかな復讐を遂げるはずだった。


――それが、なぜ、こうなってしまったのか。


答えはユキ自身の弱さにあった。

爆破事件を起こした"魔王"の関係者であることを、警察官の父に打ち明ける勇気はなかった。

ハルに、嫌われたくもなかった。

そもそも、理事長を脅して、いくらかの現金を受け取ったとして、いったいユキのなにが満足するというのか。


『気が済むではないか?』


"魔王"は、そう言った。

心にわだかまりを抱えたままでいいのかとけしかけてきた。


『理事長という最も制裁を受けるべき相手を放置したまま、優秀な警察官になれるとでも?』


もちろん、理事長には言いたいことは言わせてもらった。

母を捨て、葬儀にも出席しなかったことを、力の限りなじってやった。

けれど、理事長は形ばかりに頭を下げるのみだった。


『なぜ、理事長が反省しないのか、それは、時田に力がないからだ』


"魔王"の言う、力とは、純粋に暴力としてのバックボーンだった。


『あまりこういう大きなたとえは好きではないが、この世界を見てみろ。
軍事力の最も大きい国が、最も大きな発言力を持っている。
力のない人間がどれだけ素晴らしいことを言ったところで、一部の美談好きの人間しか耳を貸さない。 けっきょくは凶弾に倒れたり、多数派の迫害を受けることになる』


優秀なネゴシエーターの背後には、例外なく優秀な特殊急襲部隊がいる。


『私は子供が大好きでな。
時田のような優秀な子供が、話せばわかる時代を創り上げてくれると信じているが、いまはまだ早すぎる。
まだまだ数と、金と、握りこぶしがものを言う』


ユキは悪魔の誘いを甘受した。

思えば、"魔王"と二年もつき合って毒されぬはずがなかった。

"魔王"は常に冷静で、魅惑的で、そしてなにより若者の心を捉える刺激を備えていた。


その結果、ユキはハルを裏切り、水羽を傷つけ、暴力団に追われることになった。


――自業自得ね。


暗がりに踏み入る一つの影があった。

 

 

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「あら、水羽」


水羽は、憮然として、そこに立っていた。


「話は全部、橋本くんから聞いたわ」
「へえ・・・」


腕力には信頼のおけそうな男だったが、女相手と油断したのか。


「私を縛ってたロープ、ゆるんでたから。 すきをついて彼のナイフを奪ったの」
「すごいわね。 そんな度胸があるなんて知らなかったわ。
その勇気の一部でも、京介くんに向けられたら良かったのにね」
「・・・姉さん、本当なの?」
「なにが?」
「本当に、姉さんが学園で事件を起こしたの? 私の父を脅迫したの?」
「本当よ」


にべもなく即答した。


「そうしないと気がすまなかったの」
「それで、気はすんだ?」


ユキは曖昧に首を振った。

 

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「なに、その手?」
「困ってるんでしょう?」
「助けてくれるっていうの?」
「うん」


ユキは薄笑いを浮かべながら、ちらりと水羽の顔を見た。

嘘をついている顔ではなかった。


「自首、する気はないんでしょう?」


当たり前だった。

警察に出頭するくらいなら、ハルの制止を振り切って逃げたりはしない。

そもそも警察の介入を避けた一番の理由は、県警の捜査一課に務める父に知られたくなかったからだ。


「まだ、やり残したことがあるからね」


ユキは再び黒い炎を胸中に宿した。

けっきょく現金の入ったスーツケースは理科準備室に残してしまった。

つまり、ユキは苦労のわりに、なにも得ていなかった。


――もう一度、思い知らせてやらねば。


「まだ続けるのね?」


悲しみを押し殺したような水羽の声があった。


「水羽、どうして私が、いままであなたに会いに来なかったかわかる?」


わからないだろう。

わかるはずがない。

母の哀しみと苦痛を理解できるのは、ユキだけなのだ。


「なぜ、私のほうから、あなたたちに会いに行かなければならないの?
頭を下げるのはあなた方でしょう?」
「・・・・・・」
「まあ、わかってるわ。 水羽は悪くないもの。
それでも、水羽に会いに行くことは、母さんを裏切るようで気が引けたの」
「私も、姉さんに会いたかった。 でも、どこに住んでるのか知らなくて・・・」
「わかってるわよ。 わかってる。 そうね、水羽は何も悪くないわ」


ただ、無知に、平和に育っただけ。

ユキとは違う。


「さあ、おしゃべりはここまでにしましょう」


歩き出そうとしたユキに、水羽が手を差し伸べたまま言った。


「姉さんは、私を恨んでるの?」
「まさか・・・」


ユキはいつもどおり、穏やかな笑みで言った。


「あなたは大事な妹よ」


交渉人は、嘘をついた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「この近くで時田を見たって話を聞いたんだがな・・・」


おれと宇佐美は、真夜中のセントラル街に足を踏み入れていた。

 

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「さきほどちらりと聞こえましたが、ユキのほかにもう一人いたとか?」
「うん、橋本だろう」
「ということは、水羽は解放されたんでしょうか?」
「いや、待て。 ・・・女だと言っていたな」
「・・・つまり?」
「ああ、白鳥だろうな。 二人して、どこに逃げたのやら」


宇佐美が、一呼吸置いて言った。


「おそらく、ユキは、もう一度理事長を脅迫する気でしょう」
「可能性は十分にあるな。 けっきょく、金は奪えなかったわけだし」
「自分は、理事長のお宅にお伺いするとします。 ユキから電話が入るでしょうから」
「わかった。 おれは、引き続き、時田のあとを追う」


おれたちは散会した。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

 

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息も切れ切れになりながら、ユキは水羽をつれて夜の波止場(はとば)までやってきた。


「まったく、京介くんは怖いわね・・・」


あのあと、すぐに追っ手はやってきた。

その筋の者がセントラル街でユキに声をかけてきたのだ。

有無を言わさず手を引かれたものだから、振り切って逃げ出した。


二度、タクシーを乗り継いで追っ手をまこうとしたが、無駄だった。

タクシーは信号で止まるが、ヤクザ者は交通ルールを守らなかった。

どこまでも食らいついてくる。


「姉さん、どうするの?」


遠巻きに、巻き舌の怒声が聞こえてきた。

見つかるのは時間の問題だった。


「私に考えがあるわ、だからここまで逃げて来たの」


水羽の手をひいて、ユキは目的の倉庫を目指した。

倉庫の重い鉄扉は閉じられていた。

しかし、ユキは一度"魔王"と倉庫の中で会ったことがある。

入り口には番号を入力するタイプの鍵がかかっているが、ユキは"魔王"の押したその数字を記憶していた。

 

・・・。

 

 

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倉庫の中は薄暗く、かび臭い。

鍵をしめると、ユキは水羽と向きあった。


「こんなところで、何をしようっていうの?」


水羽の疑問はもっともだった。

ユキは不安に暮れる水羽を横目に、その辺の資材を結んだロープを手に取った。


「協力してくれるんでしょう、水羽?」


水羽の目が、はっきりと怯えた色に染まった。


「これは芝居よ、水羽」


唖然とする水羽を抱き寄せ、後ろ手にロープを結んだ。

水羽はうめき声を漏らすだけで、拘束を拒まなかった。


・・・。

 

 

 

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「いい顔ね、そのままでいて。 写真を撮るから」


ユキは携帯のカメラを構え、縛られた水羽に向けてシャッターを切った。


「姉さん、説明して・・・!」


少しは自分で考えろと言いたくなった。

これからなにが始まるかなんて、わかりきっているではないか。


「あなたを人質に、理事長に死んでもらうの」


ユキは水羽に、お前の親を殺すと断言した。


「私には覚悟が足りなかったのよ。 たった五百万くらいで許してあげようだなんて甘かった。
だから、ハルに見破られたんだわ」


水羽の目に、狂気に恍惚としたユキの顔が映っていた。


「ね、姉さん・・・本気?」
「あなたの父親が、私と母さんを家から追い出したときなんて言ったか知ってる? 知らないわよね?」


――のたれ死ね。


ユキは、はっきりと覚えている。

雪の舞い落ちる寒空の下、着の身着のままの格好で外に放り出された。

いま、水羽は恐怖に震えているが、あのときの寒さと将来への不安に比べればなんということもないだろう。


「やめよう、姉さん・・・そんなことしたら、姉さんだって・・・」
「少しは、私の役に立ってよ、水羽」


押し殺すような声には、水羽を黙らせるのに十分な迫力があった。


「姉妹でしょう?」

 


あまり似ていない妹だった。

 

外見もそうだが、中身がまるで違う。

 

ぬくぬくと育った証拠を示す厚ぼったい頬。

 

好きな男とろくに会話もできない甘ったるさ。

 

そんな平凡さが、ささくれ立ったユキの神経を刺激した。


水羽の首元を見やった。

 

妹は、後生大事に、姉からの贈り物を身につけていたようだ。


「私、寒かったのよ。 そのマフラーすら返して欲しいって思うくらいに」


水羽は絶句し、姉の目にいくらかの迷いもないことを知ると、もうなにも話さなくなった。


「さて・・・」


ユキは、携帯の画像を送信することにした。

 


――第二幕の始まりよ、ハル・・・。


・・・。