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G線上の魔王【25】

 

・・・。

 

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息子へ


第一回公判を前に、お前に肉声を伝えたいと、お父さんは筆を執った。

父さんは死刑判決を免れないだろう。

だから、この手紙を殺人犯の言いわけと読んでもらってけっこうだ。

ただ、父さんが宇佐美さんに凶器を握り締めるにいたった過程を、偽らざる気持ちで残しておきたい。

父さんは北海道の漁村の三男坊として生まれ、進学のため上京し、大学卒業後はどうにか天下の山王物産に就職することができた。

経理担当部門に配属された父さんの毎日はめまぐるしかった。

山王物産のような大きな総合商社では扱っている商品の数が尋常ではないからな。

海外で買った商品を輸入して、加工して、輸送して、売って・・・そういったお金の流れを管理するのは大変な労力と神経質なまでの根気が必要だった。

ある支払い締め日に、仕入計上と請求書を目を皿のようにしてチェックしていた父さんはついに過労で倒れた。

しかし、倒れてよかったと思う。

富万別市の病院で看護士をしていた母さんとめぐり合えたからだ。

父さんは上司の目を盗み、なにかと口実を作っては母さんのいる病院に通ったものだ。

お前たちは、明るくて料理のうまい母さんしか知らないだろうが、職場での母さんは口下手で引っ込み思案なところがあった。

あまり人づきあいがうまいほうではなく、同僚との関係に神経をすり減らしていたようだ。

看護士の激務もあって、精神安定剤を服用していたと、あとになって話してくれた。

だが、知っての通り、父さんは直情型で、強引で、冗談好きのお調子者だった(この辺は京介に遺伝しているな)

出会ってから一ヶ月でプロポーズした。

商社で働く以上、遠からず、日本にはいられないと思ったからだ。

遊園地にでかけ、ホテルのレストランで食事をしたそのときに指輪を渡した。

母さんも父さんにまんざら気がないわけでもなかった。

白い肌が真っ赤に染まって、いまにも椅子からひっくり返りそうになっていたのを覚えている。

その翌日に実家までご挨拶に行って、あれよあれよという間に結婚までこぎつけた。

式場では花嫁泥棒と影でささやかれていたようだ。

結婚してすぐに、ドイツへの異動が決まった。

母さんは文句の一つも言わずについてきてくれた。

遠いヨーロッパの国で、すぐに子供ができた。

お前だ、わかるな?

難産だったという。

お前は足から出てきたそうだ。

産声が聞こえたとき、父さんは柄にもなく泣いてしまった。

お前は三歳になるまでドイツにいた。

遊び好きの男の子だった。

初めて覚えた言葉が「遊園地」だからな。

ドイツには移動遊園地しかないから、日本に帰って大きな遊園地に連れて行ってやったんだぞ。

「ボク、毎日遊んでたい。 ずっと遊んでる」

その言葉に、我ながら将来が不安になったものだ。

一方で、お前は秀才だったようだ。

小学校の知能テストで、なぜか父さんが学校に呼び出されたときには、鳶が鷹を生んだと母さんに言われたよ。

それから長らく、平穏な日々が続いたのはお前も知っての通りだ。

内弁慶の母さんと、お調子者の京介と、冷たそうでいて激情家の恭平の四人で、楽しくやっていたな。

おい、気づいているか?

数回の海外出張はあったが、盆や正月、お前の誕生日には、父さんは必ず自宅で過ごしていたんだぞ。

思えば、あのときが一番幸せだった。

宇佐美義則さんと出会ったのは、いつのことだったか。

山王物産系列の建設会社の営業課長をしている宇佐美さんは、いわゆるやり手の人だった。

富万別市外郭放水路は知っているだろう?

洪水防止のために地下に放水路を作り、雨水を貯水する施設だ。

完成すれば直下50mに世界最大級の地下空間ができあがるという。

宇佐美さんは、父さんと初めてあったその場で、外郭放水路の着工権利を自分の力で国からもぎとってきたと豪語していた。

侍のように背筋を伸ばし、凛としてしゃべる人だった。

父さんはこの国が注目する一大プロジェクトに向けて、本社から出向という形で、宇佐美さんとおつき合いすることになった。

もともと、宇佐美さんは顔見知りではないまでも知らぬなかではなかったのだ。

というのも、父さんが学生のころ、学生運動というものが流行っていて、父さんは宇佐美さんと同じセクトに参加していたんだ。

いまとなっては夢物語だが、当時の父さんはそれなりに危ない男だったようで、富万別市付近の活動家の資金を運用、管理するような日陰仕事を言ってに引き受けていた。(おかげで、最近になってもたまに公安の方が私のもとを訪れる)。

宇佐美さんとは、バリケードを作って大学に立て籠もった話などで、盛り上がったものだ。

しかし、宇佐美さんも父さんも、振り返ってみれば積極的な思想など何一つ持っていなかった。

あのときは病気だったと、酒を酌み交わしながらしみじみ思った。

つき合い初めて二週間ほどで、宇佐美さんの自宅に招かれるほどの仲になった。

自宅といっても、東区に建つ築二十年ほどのアパートだったのが意外だった。

彼はエリートだし、もっとそれなりに裕福な生活をしていてもいいと私は考えていたからだ。

「貯蓄はあるんだが、あまり家に帰らないものだから」

彼は笑いながら言った。

それはおかしい、と感じた。

彼には奥さんも娘もいると聞いている。

しかし、奥さんの名前を聞いて、私は納得した。

仰天して、嫉妬すら覚えたと正直に告白する。

かのヴァイオリニスト、三島 薫さんこそが、宇佐美さんの奥さんだったのだ。

彼は私を驚かそうとして、そのときまで黙っていたという。(もっとエンターテイナー気質というか、勿体つけた言い回しをするような人だった)。

お前にも話しただろうが、私は三島さんの大ファンだ。

たしかに彼女はモスクワだのニューヨークだのと、海外公演に大忙しのはずだった。

家に帰る暇がないのも当然のことだった。

不憫だったのは、娘のハルという女の子だった。

出世街道まっしぐらだった宇佐美さんは、それまで転勤や単身赴任も多かったようだ。

娘をあまりかまってやれなかったのだろう。

周りからも変わった子と評されていたようで、私がハルちゃんの部屋をノックしても、なんの挨拶もなかった。

代わりに、ヴァイオリンの調べが返ってきた。

「おじさんにはこの曲」と言って、G線上のアリアを弾きだした。

聞けば、お前と同じようにドイツで生まれ、五歳のころからヴァイオリンを学んでいるという。

母親譲りの、見事な旋律だったと記憶している。

そのとき、父さんと宇佐美さんは、はっきりと親友だったと言っていい。

ハルちゃんは相変わらず口も利いてくれないが、機会さえあれば京介や恭平にも紹介して、家族ぐるみのつき合いをしようと思っていた。

しかし、その機会は永遠に訪れなかった。

つき合いが深まるにつれて、宇佐美さんからは、麻雀に誘われることが多くなった。

連戦連勝する宇佐美さんは、自分が官僚一家の四男坊で、政治家になる頭脳とコネがありながら、今の会社で頑張っていると気分よく語っていた。

父親(有名な閣僚だった)や、兄たちを軽蔑するような発言に、私は危うさを覚えた。

決して、麻雀に負けたくやしさからではない。

あとになってわかったことだが、彼は、実家から勘当された身だったのだ。

しかし、彼は決して無能な男ではなかった。

外郭放水路の建設に向けて社内ではよく部下をまとめ、社外では先陣を切って下請け業者との折衝に乗り出していた。

予算の増資を申し入れるべく、親会社の染谷常務の執務室に単身一升瓶を持って乗り込んだのは、有名な話だった。

ユーモアと機知に富む宇佐美さんが、三島薫さんを口説き落とせたとしても不思議はなかった。

「鮫島さん、折り入ってお願いがあるんだ」

都内の料亭で待ち合わせを終わらせたとき、宇佐美さんはいつものようにもったいつけて切り出してきた。

「鮫島さんにとっても悪い話ではないと思う」

彼は近い将来、独立を果たしたいと言った。

それも山王物産の系列傘下に収まるのではなく、完全な宇佐美義則の会社としての旗をかかげるつもりでいた。

「この話をしたのは、鮫島さんが初めてだ」

熱っぽく語る宇佐美さんは、まるで子供のような顔をしていた。

たしかに彼は、自分の才覚を鼻にかけるきらいはあったが、その実力は社内外でも認められていた。

宇佐美さんならやってのけるだろうと、私は素直に応援したい気分だった。

「ぜひとも、鮫島さんにもついてきて欲しい」

半ば予想していたことだが、彼は私を新会社に誘うつもりだった。

いくらか出資してくれれば、役員として迎えたいと丁重に頭を下げてきた。

私は申し訳ない気持ちで、誘いを断った。

私には野心がなかった。

いまの会社の待遇にも満足しているし、なにより起業にかまける時間があればお前たちと過ごしたいと考えていたからだ。

「残念です」

宇佐美さんは言った。

「申し訳ない。 もうすぐ女の子が生まれますので」
「そうでしたか。 それはおめでとうございます。
待望の女の子ですね。 名前はもう決まっているのですか?」


清美と名づけた赤ん坊が、先天性の心臓病を患っていたことは、お前たちも知っていることだろう。

男臭かった我が家に初めて授かった女の子だ。

父さんのはしゃぎようはお前たちの嫉妬を買うほどだったと思う。

手のかかる娘ではあった。

週に二度は病院に通わなければならず、母さんも貧血で倒れたほどだ。

だが、お前も、ぎゃあぎゃあとうるさい歳の離れた妹のおむつを、すすんで替えてやっていたんだぞ。

心優しい男だと思った。

が、清美は亡くなってしまったな。

生後一年三ヶ月。

春の到来を感じさせる穏やかな日だった。

眠るように死んだと母さんから聞いている。

身内だけで行った葬儀のなかで、お前は少しも涙を見せなかったな。

「なんのために生まれてきたのか!」

晴天に向かって吠えたお前は、きっと神様をなじっていたのだろう。

清美が死んで一週間ほどして、宇佐美さんが三人の部下を引き連れて私を訪ねてきた。

彼らは喪服に身を包み、いきなりおじぎをしてきた。

「お悔やみ申し上げます・・・」

彼の声は涙に濡れていた。

顔を上げた宇佐美さんは、目を真っ赤にして、溢れる涙を隠そうともしなかった。

ああ、この人は清美のために泣いてくれたのだなと、私は素朴に感動していた。

彼は、清美が生まれたときにも、出産祝いとして子供服を贈ってくれていた。

私は宇佐美さんにすっかり気を許していた。

彼は暇を見つけては私を銀座の高級料亭に招いてくれた。

「なあに、女房がハルを連れてまたベルリンに行ってしまってね。 僕も寂しいんだ」

はにかむように笑う宇佐美さんを、私ははっきりと心の友だと信じきっていた。

「いくらほど、ご入用なんですか?」
「なんのお話です?」
「前におっしゃっていたでしょう。 独立資金のことです。
私でよければ、いくらか出資させていただきたい」
「そんな・・・とんでもない。 悪いですよ、鮫島さん。
あなたには大切な家族がいらっしゃる。 とても私のわがままにつき合っている時間などないでしょうに」
「はい。 大変申し訳ないのですが、いまの会社をやめて、宇佐美さんについていくことはできません。 しかし、せめて気持ちだけでも受け取っていただきたい」

私には清美の医療費のためと積み立てておいた五百万程度の預金があった。

それを、清美のために泣いてくれた親友に投資してもいいと、当時の私は判断してしまった。

もちろんお前たちの学費は別に用意していたし、一流企業に勤める父さんの収入から考えても、五百万程度ならと、油断していたのかもしれない。

「有難うございます。 このご恩は、何倍にもしてお返しします」

いま思えば、あのときの私は、清美が死んだことで判断力に乏しかった。

仕事でも瑣末(さまつ)なミスを繰り返していたし、家庭でも母さんにつらく当たってしまったことすらある。

だから私は、清美の遺書に線香を上げたその夜に、宇佐美さんの持ってきた出資を約束する念書にサインした。

二枚綴りの用紙の一枚目にだけ著名をした。

翌日には印鑑証明まで郵送した。

考えてみれば、なぜ出資に念書など必要だったのか。

二枚目の用紙の内容を読まなかった私に罪がある。

この一件は、おそらく裁判で検察が問い詰めてくることだろう。

山王物産の経理を勤めていた人間が、なぜ、こんな単純な詐欺に引っかかったのかと、私の常識を疑ってくるに違いない。

愚かな父さんを許してくれ。

それ以来、宇佐美さんと、食事をともにする機会がめっきり減った。

外郭放水路の建設事業と、自らの独立準備に追われ、忙しいのだと思っていた。

ある休日、家族でキャンプに出かけようとしていたときのことだった。

漆黒のスーツに血の色をしたシャツを着た巨漢が自宅を訪れた。

父さんは学生運動のときに、何人かの急進派の人たちと顔を合わせたことがある。

誰も彼も、異様な顔つきで、歪んだ思想に目をぎらつかせていた。

けれど、目の前の獣のような男の威圧感には及ばなかった。

「しめて、五千だ」

有無を言わさぬ物言いに、父さんは心底震え上がった。

間違いなくヤクザの取り立て屋だった。

大男は私の眼前に、一枚の借用書をつきつけてきた。

信じられなかった。

私はいつの間にか、加藤孝之という人の借金の連帯保証人にされていたのだ。

加藤の名前は知っていた。

宇佐美さんの部下で、私もいっしょに麻雀を打ったことがある。

父さんはわけもわからず、お引取りを願った。

彼は、その日は引き下がってくれた。

次は容赦しないと、彼の凍てついた目が言っていた。

不安そうに私を見上げる母さんの顔がいまも、目に焼きついている。

借用書の内容を見て、私は愕然とした。

元金が五百万の借金、それに信じられない金利がついて五千万にまで膨れ上がっていた。

私は借用書を片手に宇佐美さんの自宅に乗り込んだ。

三島さんとハルちゃんの姿はなかった。

代わりに、加藤孝之を含む三人の男たちと、宇佐美さんは呑気に麻雀卓を囲んでいた。

「鮫島さんを騙すつもりはまったくありませんでしたよ」
「私はあなたに五百万を出資すると言ったんです。
五千万の借金を肩代わりするつもりはない」
「しかし、あなたは、現実に借用書に著名してくださったではありませんか?」

宇佐美さんの演技はたいしたものだった。

まるで私がおかしいと言わんばかりに首を傾げていた。

もし、このときに、宇佐美さんが借用書に仕掛けたトリックに気づいていれば、私も殺人を犯すこともなかっただろう。

いまとなってもわからないのだが、宇佐美さんは二枚綴りの用紙に細工をして、五千万の借金の連帯保証人になる悪魔の契約書を隠していたのではないかと思う。

「とにかく、五千万です。 僕の部下の加藤のために、払っていただけるんでしょうね?」

一流商社に勤めるあんたに払えない額ではないだろうと、傲慢なあごが語っていた。

「これは犯罪ではありませんか、宇佐美さん?」
「よしてください。 どこにそんな証拠があるんです」
「これは詐欺です。 警察に訴えさせてもらいます」
「別にかまいませんがね。
その代わり、あなたが最近犯したミスの数々を、本社の染谷常務宛てに上申させていただきます」

宇佐美さんと染谷常務の蜜月は、もはや社内では知らぬものはいなかった。

宇佐美さんににらまれて会社をあとにした者の噂は、私の耳にも入っていたが愚かな私は彼を信じていた。

「それに、鮫島さん。 私を犯罪者というのなら、あなたもそうでしょう。
何度か赤坂の料亭で国土交通省の方を接待しましたね。 コンパニオンの女性も交えて。
あれはあきらかに過剰接待ですよ。 あのときの幹事は誰でしたっけ?」

麻雀卓を器用に指で回転させながら、勝ち誇るように言った。

「あのときは鮫島さんも大層楽しんでいらっしゃいましたよ」

部下の一人が笑っていた。

「奥さんがいながら鼻の下を伸ばしてましたね」

さらに笑いが連鎖する。

「起業の話は、嘘だったのですね?」

私は苦し紛れに言った。

「嘘ではありませんよ。
いずれ考えていることですが、いまはとにかく、外郭放水路という偉業に専念したいのです」

私は、生後まもなく人生を終えた清美のことを思った。

「あの、涙も、嘘だったのですね?」

あのときの宇佐美の顔を、私は絞首台に登ってもなお、呪うだろう。

「お引取りください。 いま勝負手が入っているところでね」

会社の顧問弁護士に友人が騙されたことにして相談を持ちかけたが、けっきょくのところ払うしかないという結論を突きつけられた。

預金を切り崩してもなお、五千万には至らなかった。

父さんは散財家ではないつもりだが、体の弱い母さんの医療費や、清美の手術代などが少なからず家計を圧迫していたのだ。

実家の両親に頭を下げ、親戚に白い目で見られているうちに、父さんのなかにどす黒い感情が芽生えた。

なぜ、私がこんな目に合わなくてはならないのか。

浅井権三という名の取り立て屋に土下座しながら、父さんは状況の理不尽さを胸のうちに溜めていった。

「とりあえず、二千万までは支払いました。 残りは、宇佐美さん、あなたが負担してください」

白昼堂々、会社でブリーフィングをしている宇佐美さんに食って掛かった。

宇佐美は、大勢の重役に囲まれながら、まったく動じなかった。

「場をわきまえてもらえませんか。 あなたの借金を、なぜ私が補填しなくてはならないのです?」
「よくもぬけぬけと!」

カッとなった私は、気づいたときには彼の胸倉をつかみ上げていた。

そして、それこそが、彼の狙いだった。

暴力沙汰を起こした私に味方をする者は社内にはいなかった。

一週間の自宅謹慎と、減俸が待っているだけだった。

泣き寝入りするしかなかった父さんは、自宅に帰ると、毎日清美の遺影と向き合っていた。

私は宇佐美への怒りと自分の愚かさに全身を震わせていた。

ともすれば、宇佐美が清美を殺したと思えるほどに、私の神経はささくれだっていた。(この辺りが、弁護士が私の心神耗弱ないし、心神喪失を主張する根拠となっているようだ)。

借金を払う目処が立たぬまま月日が流れた。

宇佐美は精力的に立ち回り、ついに事業部長にまで出世していた。

世界最大の規模を誇る外郭放水路

歴史に残る偉業を前にして、父さんの存在など、取るに足らないものだったのだろう。

なあ、息子よ。

こんな男を、私は赦すべきだったのだろうか。

お前たちにはすまないと思っている。

しかし、宇佐美は、清美の死を前にして偽りの涙を浮かべ、心で笑っていたのだ。

お前は葬儀のあと、天に向かって清美の死の理不尽さんを訴えたな。

「なんのために生まれたのか」と。

清美は、宇佐美に利用されるために生まれてきたのか?

違うだろう?

決行前に、私は宇佐美に不意に呼び出された。

遊興好きの宇佐美はノミ屋と呼ばれる違法賭博にどっぷりはまっていた。

一見、なんでもなさそうな喫茶店だった。

しかし、そこに集まっている客は、コーヒーを飲みに来たとは思えない、風体のみすぼらしい連中ばかりだった。

皆、興奮した面持ちで、テレビ画面に映る競馬場の中継を眺めていた。

「妻と娘には内緒ですよ」

陽気に言う彼を見て、父さんは言葉もなかった。

「お金にお困りのようですね」

誰のせいだと心底思った。

「園山組は知っていますか?」

富万別市を本拠とする広域暴力団の名前だった。

「建設業も長くやっていると、そっちの筋の方ともつきあいができるものでしてね」
「相変わらずもったいつけた言い回しですね。 なんの話ですか?」
「実は、一つ、仕事をお願いしたいのです」

それは、早い話が、業務上横領だった。

経理を担当する父さんを抱き込んで、ヤクザに甘い蜜を吸わせようというのだ。

「どうでしょう。
引き受けていただければ、厳しい取り立てをやめてもらえるようお願いしておきますが?」

薄い唇に酷薄な笑みが浮かんでいた。

私は気づいた。

この男は最初から、父さんをはめるつもりで絵を描いていたのだ。

借用書にサインをさせたことなど、序章にすぎなかった。

「宇佐美さん、あなたには善悪の観念というものがないのか?」

宇佐美は鼻で笑うばかりだった。

「鮫島利勝さん。 あなたはまず、名前で負けている。
勝利の反対は敗北ではありませんか。 敗者に道義を説かれる筋合いはないのです。
あの闘争の時代において敗北した連中に耳を貸す人間など、いまの時代にいますか?」
「我々はもう学生ではない。 一人の大人として、貴様に道義的責任を問うているんだ。
お前のやっていることは、闘争などではなく、ただ弱者をいたぶっているだけだ。
お前にも娘がいるのだろう? あのハルという少女が同じ目に合わされたらどんな気分だ?」
「まるで私が清美ちゃんを殺したような物言いですね。 ひどい人だ。
わざわざ部下を連れてお悔やみ申し上げたというのに」

おそらくその瞬間だろう。

私の殺意が、完全に固まったのは・・・。

「だいたい、あなた方夫婦は、出産に当たって年齢を考えなかったのですか?
高齢出産は危険を伴うことなど常識でしょうに」

宇佐美は賢い。

悪魔的な頭脳の持ち主だった。

私の罪を着実に突いてきた。

清美の心臓に異常が見られたとき、私は正直、自責の念に駆られていたのだ。

「私は、子供はハルしか作っていません。
ハルはあなたの子供たちと違って優秀な娘です。 私の遺伝子を引き継いでいるのですからね」
「つまり、悪魔の子か?」
「いいえ、天使ですよ。 親にとって子供はなによりかわいいものです」

あのハルというヴァイオリン弾きの少女になんの罪もないことはわかっている。

しかし、父さんは、この人の皮をかぶった鬼畜に思い知らせてやるには、娘を殺すしかないと憎悪に心を燃やしていた。

頭に、G線上のアリアが流れる。

人間の心は不思議なもので、ある音楽を聴くと、そのときの情景を思い返すことがある。

私にとってG線上のアリアは、もはや宇佐美への復讐のBGMとなっていた。

息子よ、お前G線上のアリアを聞くとき、お前は心にどんな風景を描くのか・・・。

 

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・・・・・・。

 

・・・。

 


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・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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この幻想的な風景が、人の手によって作られたとはにわかに信じがたい。

富万別市外郭放水路

その地下神殿と称される、巨大な超圧水槽。

富万別市の川という皮から取り込まれ、地下トンネルを伝った雨水がここにプールされる。

水は生命の源であり、ときに恐ろしい災害を引き起こす。

水害恐れた人間たちが、人智を結集して作り上げた防災施設。

同時に、宇佐美義則の悲願でもあった。


「父よ・・・」


もうすぐだ。

おれの耳にもアリアは届いている。

ヴァイオリンのG線は、力強く、親から子へ受け継がれている。


「もうすぐ、あなたを救ってみせよう・・・」


・・・・・・。

 

・・・。

 


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・・・。

 

・・・・・・。

 

 

 

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警察の監察医務院。

狭い部屋だった。

遺体が一つ。

薄明かりに浮かび上がる白い布の光沢。

間違いなく母です。

頭と胴体のバランスのおかしい[それ]に向かって、そう言った。

制服警官は、これでようやく解剖ができると、胸をなでおろしていた。


あの美しい母。


寒さに震えるおれを抱きしめてくれた母。

大男から身をていして守ってくれた母。

頭が、陥没していた。

それでも、間違いなく母だった。

うつ病と診断され、自宅療養していた母は、事故当日の午後七時になって身支度を整え、突然外出したという。

遺留品の中に、東京羽田行きの航空券があった。

東京行きの最終便に乗り合わせる予定だったようだ。

事件は母が空港に向かうバスに乗るべく、交差点を渡ったときに起こった。

信号は青だったという。

時速120キロの猛スピードで一台の車が突っ込んできた。

運転していた青年は逃走をはかったが、偶然付近を巡回していたパトカーがこれを追尾、逮捕に至った。

検査の結果、青年が酒を飲んでいたことが発覚している。

 

あのあと宇佐美や時田がどう逃げきったのか。

権三に牙を剥いたおれが、これから、どんな仕打ちを受けるのか。

 

すべて、どうでもいい。


母の遺留品の一つに、手編みのマフラーがあった。

おれはそれを握り締め、一人、暗い部屋でまなざしを床に落としていた。


誰か、教えて欲しい。

母に、なんの罪があったのか。

連絡こ受けていなかったが、母はおれに会いにくるつもりだったのだ。

おれは、迎えに行くべきだった。

もっと早くに。

権三のもとを離れてでも、母と暮らすべきだった。

権三に従い、闇の世界に名乗りを上げる。


なんと、幼稚な夢か。


傷ついた母と、静かに暮らす。

それが、おれのささやかな希望ではなかったか。


哀れな母さん。

殺人犯の夫を持ち、借金に追われて心を患い、最後には理不尽に撥ね殺された。


どこに、救いがあるというのか。

この世に天使など、決していない。

いるものか。

なぜなら、おれは、いま、憎悪を糧に正気を保っている。

母を殺した運転手を、どうやって殺してやろうかと、それだけを考えて、なんとか発狂を免れている。

毎度毎度の頭痛が凄まじいが、もはや痛みすら心地いい。


これは罰だ。


母さんを救えなかった、おれへの報い。

この頭痛に身を任せた先に、救いが待っているような気さえした。


「・・・フフ・・・」


笑いが、腹からとめどなくこみ上げてくる。

まかれた種が、雌伏のときをへて、地を割って出てくるようなすがすがしさがあった。


「"魔王"、か・・・」


いままでの不可解な事件を思い返す。

椿姫を巻き込んだ、身代金奪取。

浅井権三を狙った、車爆破事件。

思えば、椿姫は気に入らなかった。

権三のせいで、母のもとに帰れなかった。


動機は十分ではないか。

どれもこれも、おれはここぞという場面で体調を崩していた。

いまとなっては、あまりよく覚えていない。

秋元氏のもったいつけた診断。

宇佐美と権三の疑いの目。

ありえないと思いつつも、肯定したくなってきた。

ありえないこと・・・たとえば、母がいきなり事故で死ぬ・・・そういう理不尽なことはいくらでもあるのだから。


つまり、"魔王"がおれだとしても――。

 


不意に、インターホンが鳴り響く。

権三の使いだろうと思ったが、意外な人物だった。


「開けてください、浅井さん」


総和連合から目下逃走中の宇佐美だった。


・・・。

 

 

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宇佐美を中に入れてやった。

おれの変貌ぶりに、少なからず驚いているようだ。

なにしろここ数日、風呂にも入っていない。

 

「・・・こんなところにいたら、ヤクザに捕まるぞ」
「はい・・・それは、わかっているんですが・・・」
「ですが、なんだ?」


心がうずく。


おれは、宇佐美に対して、ある疑問を抱いていた。


それは、これまで努めて口にしないようにしていた、父にまつわる出来事だった。


「・・・ニュースで、事故のことを聞きまして・・・」
「おれの母さんが死んだからって、お前に何の関係があるんだ?」
「・・・それは・・・」


また、口ごもった。

おれに同情しているらしい。

気まぐれに、聞いてみた。


「お前は、宇佐美義則の娘なのか?」


宇佐美の呼吸が止まった。


「そうか・・・」


笑いそうになった。


「だから、いままでおれにつきまとってきたんだな」
「・・・っ・・・」
「父に代わって謝りたかったのか? それとも、よくも殺してくれたと、復讐の機会でもうかがってたのか?」


・・・。

 

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「・・・う・・・っ・・・」


突如、宇佐美の嗚咽が暗い部屋に響いた。


不快だった。


「なぜ、泣く?」
「・・・す、すみま、せん・・・」
「どこまでも気持ち悪いやつだな・・・」
「すみません、すみま、せん・・・」
「うるさい・・・」


けれど、宇佐美は涙をぬぐおうともしなかった。


「・・・お母さんが亡くなられたと聞いて・・・その・・・い、いてもたってもいられなくなって・・・」
「・・・なんだと?」
「い、いま、ユキと水羽はユキの自宅にいます。 警察の官舎です。
そこなら、権三さんの手の者もよりつけないと思いまして・・・」
「そうか。 それは考えたな。 だから、権三も静かなのか。
それで、どうしてお前だけがここに来たんだ?」
「で、ですから・・・浅井さんに、あ、会いたくなって・・・」
「おれに会いたいだと? 殺人犯の息子に会ってなにがしたいんだ?」


宇佐美はもともと奇抜な女だった。

するりと布擦れの音がした。

被害者の娘は、いきなり服を脱ぎだしたのだ。

 

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「わ、わたしでよければ・・・あの・・・」
「ほう、外道の娘は、売春婦でもあったか」
「す、きです・・・」


心臓を鷲づかみにされる思いだった。


「ず、ずっと・・・好きだったよ・・・」


それは、最低の告白だった。


「こりゃ傑作だ」


いまおれの部屋で行われているのは、純愛などとは縁遠い、最悪の陵辱劇だった。

宇佐美はおれを汚し、自らを貶め、全身を打ち震わせていた。


「ずっと好きだったって?」
「う、うんっ、うんっ!」
「殺すぞ、貴様」
「だって、だって・・・!」
「おれとお前が結ばれるなどありえない!
お前の父がおれの父になにをした!? ええっ、言ってみろ!?」
「でも、でもっ、それはわたしたちには関係ないはず・・・!」
「それは理屈の話だ! 父の無念を思えば、お前に心を許せるはずがないだろう!?」
「わたしはっ、わたしは、それでもあなたがっ・・・!」


宇佐美はいまにもその場に泣き崩れそうだった。

けれど、懸命に、赤く腫れ上がった目を向けてくる。

命そのものを燃やして、おれに挑んできているように見えた。


「好きですっ・・・だめだ忘れようって思っても、ずっと、ずっと好きでしたっ・・・!」


おれのことが好きだという気持ちが、本気なのはよくわかった。


「許して下さい! どうか、あなたを好きでいても、許して下さい!」


そこにいるのは、誰かに絶望的なまでの恋をしている知らない女だった。


「初めて会った、十年前から、わたしは、あなただけを想って、あなただけが忘れられなくて・・・!」


――十年前!?


ふと、

 

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「・・・・・・」

 


謎の光景。

遠い山の向こうでかすかに瞬いた雷光のように、記憶の闇を切り裂いた。

それも一瞬のことで、すぐにおれは憎悪に心を黒く染め上げた。


「そうか・・・お前は、おれを慰めにきたわけか?」
「す、すみません、浅井さんは同情なんて、大嫌いだと思いましたが・・・それでも、なにか力になれればと・・・」
「それも?」
「はい、好きだからです・・・」
「押しつけがましい純愛だな。 おぞましいことこの上ない」


なにが、勇者だ。


悪魔の娘め。


「わかった。 脱げよ」
「・・・はい・・・」


下着にかかった手はあきらかに強張っていた。

経験などないのだろう。

白く透き通るような肌があらわになる。


「ぬ、脱ぎました・・・」


おれの男性器は尋常ではないほどに張っていた。

宇佐美の身体に欲情したからではない。

父を殺人犯に追いやり、家庭を破滅させた人間の娘を犯す。

それは凄まじい魔力を秘めた誘惑だった。

父の無念もいくらかは晴らされるのではないか。

なぜか、目から涙が溢れる。

父から受け継いだ血の涙だと、自らに言い聞かせた。

泣きながら股を開く女と、泣きながら陰茎を屹立させる男。

まさしく悪魔の描いた地獄絵に違いなかった。


「・・・み、ちゃん・・・」


そのとき、宇佐美が、あろうことか、その名をつぶやいた。


「・・・ごめん、なさい・・・!」

 


「うせろ、宇佐美いぃっ――――!!!」

 

ひぐっ、と子供がしゃくり上げるような反応が返ってきた。


「これが、おれの最後の良心だ!」
「・・・ぐっ、うっ・・・!」
「次に会うときは、お前を犯すだけでは済まさんぞ!」
「あ、ぐっ、うぅうっ・・・」


わななく手足で懸命に服をまといだした。


「二度とおれの前に現れるな!」


次は、間違いなく殺す。

いまだって嬲り殺したい。

が、宇佐美は、亡き妹の名を呼んだ。

清美に、ごめんなさいと、どういうわけか心を込めて謝った。


「さようならっ!」


床を蹴飛ばし、室内の闇に転びそうになりながら、宇佐美は逃げていった。


あとに残る圧倒的なまでの静寂。


襲い来る耳鳴り、頭痛。


いま、このときを持って、おれのなかで"魔王"が目覚め出す・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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さて・・・。


すがすがしい朝だ。

時田の立て籠もり事件から、ちょうど一週間経過している。

おれはいま、自分がやるべきことを、自分に問うている。

玄関で物音があった。

扉が開く音。

土足で駆け上がってくる無数の靴。


「これはどうも、堀部さん」


おれは堂々と、殺気立ったヤクザの群れを出迎えた。


坊っちゃん、朝早くにすみませんね」
「いえいえ、どんな御用でしょうか?」


堀部は残虐な笑みを浮かべた。


「組長(オヤジ)があなたの首をご所望です」
「ほう・・・おれを、殺すと?」
「聞けば、坊っちゃんこそが、"魔王"だったそうじゃないですか」
「フフ・・・どうかな?」
「おやおや、しらばっくれてもダメですよぉ。
あのアイスアリーナの一件で、ほとんどクロだったんですから」
「なんのことで?」
「坊ちゃんには、いくら電話してもつながらなかったじゃないですか?」


・・・そんなことか。


「あの混雑です。 仕方がなかったでしょう。
僕だって、必死にあなた方と合流しようとしていたんですよ?」
「またまたぁ、やめてくださいよ。
つい昨日のことですがね、山王物産の染谷っていうお偉方に組長(オヤジ)がじかに会いに行きましてねぇ」


まったくうれしそうに語る。


「つい先日まで、浅井という名の相談役を飼っていたそうなんです。
若くて、頭が切れて、まるで坊っちゃんにそっくりだったそうですよ」


おれは、ニタリと笑う。


「ああ・・・染谷さんね・・・」


堀部も、口角を吊り上げた。


「認めるんですねえ?」
「さあ、まったく覚えがないなあ・・・」


瞬間、眼前に銃口があった。


「まるで顔つきが変わりましたね、坊っちゃん。 それがあんたの本性ってわけですかい?」


じりと、詰め寄ってきた。

この場で殺す気だろう。


「侘びの一言でもあれば、手前が承っておきますよ?」
「侘び?」
「坊ちゃんは、お義父さんに拾われて、ここまでなれたんじゃないですか?」


まったくその通りだ。

権三に拾われたおかげで、おれの人生は滅茶苦茶になった。


「さあ、なにもありませんか?」


・・・ふむ。

どうやって、この場を切り抜けるか。

敵は堀部以下、三人の骨太な男たち。

出口は完全に塞がれている。

窓から飛び降りようにも、ここは地上十八階だ。


となると・・・。


「なんですか、坊っちゃん?」
「いえ」
「まさかアクション映画の主人公みたいに、うちらに逆襲できるとでも思ってるんですか?」
「まさか・・・暴力のプロに暴力で歯向かうなんて馬鹿のすることですよ」


が、こいつらは、しょせんは権三の犬でもあるのだ。

しょせんは金の奴隷。

おれは、拳銃を持つ堀部の目を見据えた。

すなわち、必殺の気構えでこの場にやってきたのか、あるいは、どこかに交渉の余地があるのか。

本当に引き金を引くつもりがあるのか、それともただの威嚇なのか。


・・・よし。


「では、堀部さん、一つだけ」


堀部が目を細めた。


「父は、ただ、おれを、殺せと命じたのですか?」
「ただ・・・?」


おれは銃口に目線を合わせたまま、金庫を指差した。

父の借金のため、母の未来のために貯めていた金がそこにある。

いまのおれには、無用の代物だった。


「へへ・・・そうですね、中身のゲンナマも回収させてもらいますよ」


読みどおり、金の亡者は誘いに乗ってきた。


「やはりそうですか。 これは困ったな。 五千万以上はありますからね」
「じゃあ、それを開けてもらいましょうか」


勝ちを確信したのか、堀部が銃口を金庫に向けてしゃくった。


「わかりました」


金庫に近づき、ゆっくりと開錠の番号を押して、扉を開けた。


黄金の輝きに、目を奪われていることだろう。


「いやいや、坊っちゃんはなかなか交渉上手ですねえ」
「それはどうもありがとうございます」


振り返ると、堀部は、弱者をいたぶる前の至福の笑みを浮かべていた。


「で、そいつで、この場を見逃してもらおうっていう腹でしょう?」
「ええ、いかがでしょう?」
「だめですわぁ・・・!」


近づいた堀部の顔に、青筋が走った。


「ほんと、憎たらしい小僧だな、おい。 往生際が悪いんだよ、このがきゃあ」


間近で見ると、なかなか恐ろしいものだな。

おれは、こんな連中をあごで使っていたのか。

おれは言った。


「なるほど、いままでの非礼は心よりお詫び申し上げましょう。
しかし、この場はひとまずおれの勝ちです」
「なんだと!?」
「あなたは、おれに銃口を突きつけながら、金庫の扉を開けさせました。 この意味がわかりますか?」
「ああっ!?」
「さきほど、あのままおれを撃ち殺していたのなら、ただの単純殺人でした。
けれど、金庫を開けさせた上で殺せば、中身を盗ろうが盗るまいが、強盗殺人です」


堀部の、剃りこみすぎて形のない眉が跳ねた。


「おわかりか?
あなたみたいな悪党のことです。 まず、無期、いや下手すれば極刑もありうる」


堀部の視線がかすかに床に落ちた。


「あなたは生粋のヤクザ者でしょう、堀部さん。
オヤジのために、殺人を犯してムショに入るのならともかく、そこに強盗という汚名がついたら、たとえシャバに出れたとして、総和連合にあなたの居場所がありますかね?」


さあ、考えろ。

おれみたいな小僧のために、一生を棒に振るのか?

計算高い堀部なら、わかるはずだ。


「こりゃあ、一本とられましたねえ・・・」


ここが、人知れぬ山奥で、堀部以外の人間が銃を握っていたら、話は変わっていただろうな。


「こういうのはどうでしょう。 あなたがたが踏み込んだときには、すでにおれの姿はなかった」


堀部は舌打ちをして、またいつもの極悪フェイスに笑みを貼り付けた。


「わかりました」
「恩に着ます」
「で、坊っちゃん・・・」


最後のひと言は、さすが堀部だった。


「この五千のうち、いかほど包んでもらえるんですかね?」


もう、会うこともないだろうな。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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徒歩で移動中、着信があった。


「よう、椿姫。 どうした?」
「あ、なんか久しぶりだね。 元気かな?」
「ああ、実にすがすがしい気分だよ」
「学園、来ないのかな?」


学園か・・・懐かしい響きだ。


「ハルちゃんも、水羽ちゃんも、ユキさんも来てなくて・・・」
「へえ・・・寒い日が続いているからな」
「なにかあったの?」
「さて、おれは知らんな。 おれは仕事に忙しくてな。 いや、遊びか・・・」
「まあ、元気ならいいや。 そのうち学園にも来てね」


通話が終わる気配があった。


「ああ、椿姫」
「どうしたの?」
「いや、家族はどうだ? 仲良くやってるか?」
「うん、なんのかわりもないよ」
「悪かったな、あのときは」
「なにが? 浅井くんは、よくしてくれたじゃない?」
「いや、なんでもない。 じゃあな」


ばいばいと、椿姫は明るく電話を切った。

大家族一家か・・・。

家族がいるだけ、幸せというものだ。

金なんて、あとからいくらでも積み上げられる。


さて、どうするか・・・。


やはり、浅井権三か・・・。


車が爆破されたとき、死んでおけばよかったものを・・・。


よし・・・殺すか。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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その前に、ただ、一点、気になることがある。



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あの記憶。


あれだけが引っかかる。


十年前・・・と宇佐美は言った。

あの風景は、山王物産の本社ビル、その屋上ではないか?

幼少期、おれは、宇佐美と会っているのか?

確かめてみよう。

復讐は、それからでも遅くはない。

おれは山王物産のビルを目指した。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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夜が更け、活動の時間がやってきた。

おれはいま、最後の準備を済まし、山王物産をあとにしてきた。

浅井京介・・・いや、鮫島京介と宇佐美ハルは、幼少のころに交流があった。

二人とも、お互いの両親のことを知らずに、不器用な心の触れ合いを繰り返していたという。


「ふ・・・はは・・・」


笑える話だ。

十年ぶりの再開。

幼馴染が、ずっと片思いをしていたというわけか。

かなわぬ恋だな、宇佐美よ。

お前が、人並みの幸せを求めるなど、おこがましいというものだ。


「さて・・・父に残された時間はあとわずかだ」


最終計画を実行に移す前に、ぜひとも殺しておかねばならない男がいる。

おれは、その男に連絡を取るべく、携帯電話を手に取った。

コール音を耳に響かせながら、おれはすべての私情を廃していった。

いままで生かしてやったことをありがたく思え・・・。

通話がつながり、おれは言った。


「ご無沙汰だな。 この場合、どういう、挨拶が適当かな・・・?」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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宇佐美ハルは、単身、浅井権三の屋敷を訪れていた。

想い人に拒絶された少女にもう希望はなく、ただ母を殺した"魔王"を追い詰めるべく合理的にことを進めるだけだった。


ハルの突然の来訪に、浅井権三はぎょろりと目を向けた。

 

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「死人の匂いが強くなったな、宇佐美ハル」


"魔王"の仲間であるユキを逃したことで、ハルはこの場で権三にくびり殺されることも覚悟していた。


「ユキから聞き出した"魔王"の情報はすべてお話します。
ですから、ユキには手を出さないでいただけませんか?」


やはり、この街で浅井権三を敵に回して生きていけるはずがなかった。

ユキと水羽がいる警察の官舎を一歩出れば、権三の手の者が待ち構えている。

じわじわと獲物が弱るのを待つように、ユキへの監視は続けられていた。


「ユキが許されるのであれば、わたしはどうされてもかまいません」


頭を下げるのではなく、挑むように権三と向き合った。

この巨漢に媚は通じない。

背を見せるのではなく、腹を見せる覚悟がなくてはまともに相手をしてもらえないだろう。


「時田の娘については、ひとまずおく」


権三の興味は別のところにあるようだった。


「"魔王"の情報など、もはや必要ない」
「といいますと?」
「お前も知っての通り、京介こそが"魔王"だ」


ハルは、耳を疑った。


「京介は精神科医にかかっている。
話を聞いたところ、やつは、どうやら心因性健忘症という病にかかっているようだ」
「それは・・・どういう?」
「脳の組織に異常が生じ、突然過去の記憶がなくなったり、部分的に空白になる、非常に珍しい疾患だ」
「そんな・・・それは、なにが原因で?」
「ストレスの積み重ねだ。
そして、ストレスがあっても外に出せず、感情を押し殺すようなタイプに起こりうるという」


ハルは胸を詰まらせた。

京介の凄惨なまでの過去は、察するに余りある。

そして、学園では陽気に振舞う彼の仮面の奥を理解してあげられる友人など、これまで一人もいなかったのだろう。


「浅井さんは・・・京介くんは、"魔王"じゃありません・・・」


自らに言い聞かせるようにつぶやいた。

ハルは、口では京介を疑うようなことを言うが、内心では愚直なまでに京介を信頼していた。

とはいえ、身代金を奪い、権三の車を爆破した張本人が京介ではないと、権三を説得するに足りる根拠は見出せなかった。


「お前は、過去において、京介と接点があった」
「よくご存知で」


瞬間、怪物は目を見開いた。


「好いていたか?」
「はい」
「京介は?」
「・・・あのときは」
「そうか」


ふっと、権三から絶え間なく発せられていた豪気が緩んだように、ハルは感じられた。


「そうか」


と、権三は繰り返した。

ハルはただ、胃が縮む思いで、権三が京介に与えるであろう裁きを待った。

 

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「生けれども、生けれども、道は氷河なり」
「・・・・・・」
「人の生に四季はなく、ただ、冬の荒野があるのみ。
流れ出た血と涙は、拭わずともいずれ凍りつく」


それは、京介のことを言っているのか、それとも権三自身の生涯を表現しているのか、ハルには判断がつかなかった。

奥の襖から声があった。

権三が応じると、黒服が電話の子機を持って現れ、物言わず退室していった。

浅井権三は電話を受けて、しばし無言だった。

相手が何者で、どんな内容の話をされているのか、検討もつかなかった。


「京介よ・・・」


威厳を響かせ、言った。


「のこのこと現れれば、死ぬぞ」


それで、会話が途切れたようだった。

突如、権三が席を立つ。

ハルのことなど、もはや眼中にないようだった。


「あ、あの・・・!?」


権三は懐に拳銃を忍ばせ、傲然(ごうぜん)とした足取りで外に出でた。


獣が狩に発つ。


ハルに止める術はなかった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

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獲物が網にかかった。

二台のベンツが夜の港に急行してきた。

車から、頑丈そうな男たちが飛び降りてくる。

護衛の数は、六人か。

なめられたものだ。

装備はしょせん、ピストルの類の豆鉄砲だろう。

しかも、実際に人を殺したことがあるのは、六人のうちどれだけいるだろうか。

ヤクザとはいえ、実際に拳銃に触れ、遠い山奥で実弾射撃訓練に日々の時間を費やした者はそういない。

問題は、肝心の浅井権三が、フルスモークの車から出てこないことだ。

おかげで照準望遠鏡(テレスコープ)の十字線に、権三の胸をとらえられない。

しかし、機はいくらでもあるだろう。

平和な国に生きる彼らが、まさか二百ヤードも離れた廃ビルの屋上からライフルで狙われているとは思うまい。

おれの狙撃の腕は、そう威張れるほどでもないが、優秀なテレスコープが補ってくれる。

工学技師の手で入念な焦点調整が施されており、いったんあわせた照準は、おれの頭が多少ぶれたとしてもずれることはない。

ライフル銃を構え直すと、機械油の匂いが鼻をついた。

テレスコープのレンズを振って、状況を探る。

狩り場を港に選んだのは正解だった。

だだっ広く、標的がすぐに身を隠せる遮蔽物がほとんどない。


「・・・・・・」


一人のボディーガードらしき大男が、車の後部座席に向かって声をかけている。


オヤジ・・・ヤツの姿は見当たりません・・・。


静かな夜に、野太い声は響くものだ。

浅井権三は、間違いなくこの場に来ている。

用心深く、配下の者に周りを探らせているのだろう。

あとはどうやって、車の外にあぶりだすか・・・。

銃口に柔らかな綿布を巻きつけた棒を差し入れる。

狙撃前の掃除を終えて、薬室に五発の弾薬をこめた。

弾の先端は大半の防弾チョッキを貫通できるよう、セラミックのものに付け替えてある。

検出される薬莢をすぐ回収できるよう、ライフルの持ち運びに使った楽器ケースから、台所用のふきんを取り出しておいた。

スリングを左腕に巻きつけ、肘をしっかりと地面に固定する。

腕力ではなく、骨で銃を支えている感覚を確認すると、頬と右手の親指を銃床の引き金の上に押し当てた。

狙撃の準備はほぼ終わった。

海は穏やかで、風はかすかだ。

他にも、湿度や地表付近の小さな上昇気流まで考えをめぐらしてみるが、文句のつけようがなかった。

あとは権三の姿を確認し、照準を微調整するだけだ。

おれは権三が出てくるであろうベンツのドアに狙いをつけた。

そのとき、車のエンジン音が聞こえ、おれは再びレンズ越しに状況を偵察した。

タクシーが一台滑り込んでくる。

権三のベンツのそばにいったん停車すると、すぐに走り去った。

タクシーから降りてきた人影を見つめ、おれはほくそ笑んだ。

機風の影響を公式に当てはめ、テレスコープを再調整する。

重力の影響を相殺するべく銃身がわずかに上にかたむいた。


さあ、出て来い権三。


一発で仕留めてやる。


「・・・・・・」


しかし、どういうわけか気持ちが落ち着かない。

狩の前に高揚しているわけではない。

ましてや、母を追い詰めた怪物に同情しているわけでもない。



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その刹那。

おれの心の動揺を悟ったかのように、浅井権三がベンツから飛び出した。

猛獣を思わせる俊敏な動きで、身を低くかまえながら、走り出す。

 


「京介えええぇっ――――!!!!」

 


咆哮。

あろうことか、権三はこちらを向いていた。

まるで、ライフルで狙われているのがわかっていたかのように。

狙撃地点を予想していたかのように。


・・・なぜだ!?

狙撃を警戒していたことはある程度予想できる。

だから、ヤツは車から降りてこなかったのだ。


しかし、なぜ・・・!?

 

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考えるより先に、殺意が勝った。

テレスコープに、浅井権三の巨躯が映った。

傲然と、こちらを見上げている。


――いまだ、やれ!


怪物は、自ら死地にやってきたのだ!

 

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十字線が、浅井権三の胸部に焦点を結ぶ。


息を整える。


吸う、吐く、吸う・・・。


目に万力をこめる。


ひきつる目蓋。


定まる狙い。


引き金に指。


ほんのわずかな圧力をかけた。


――ライフルが火を噴いた。


澄んだ音が響き渡り、巨体の上半身が揺らいだ。

弾は肺からやや下に逸れた。

それでも必殺だろう。

弾心には微量の爆薬を込めてある。

いまごろ、あの怪物の内蔵は・・・。


・・・・・・。

 

なんだと・・・!?


「"魔王"よ、聞けっ!!!」


両足に根でも生えたのか。


「悪とは、いまだ人のうちに残っている動物的な性質にこそ起源がある!!!」


折れぬ膝に、猛る顔面。


血走った目玉がいまにも眼窩(がんか)から飛び出しそうだった。


「復讐に救いを求め、救いに悪を成さんとする貴様は、遠からず己が悪行のもろさを知るだろう!!!」


まるで、弁慶の立ち往生か。


絶命間近の野獣の咆哮に、身がすくむ思いだった。


「嗤おう、盛大に!!!」


次の瞬間、浅井権三の口から、大量の血が溢れ出した。


笑み。


流血の海に溺れながら、浅井権三は断末魔の哄笑(こうしょう)に命のともし火を費やした。


かたかた、かたかた、と耳元でライフルが震える。


いや、震えているのは、おれの腕だった。


二百ヤードも向こうにいる怪物が、なぜか、おれのはらわたを食い尽くしているような悪夢に襲われた。


・・・落ち着け!


おれが、ヤツを殺したのだ。


浅井権三は死んだ、間違いない!


そうだ、慌てることはない・・・。


最後の絶叫など、負け犬の遠吠えではないか。


嗤え、だと?


ふん、獲物を仕留めそこなったハイエナの痙攣のようなものか。


「ぐ・・・っ・・・」


どれだけ余裕ぶったところで、動悸がおさまらない。


生物としての格の違いでも見せつけられたか。


再びテレスコープを覗いたとき、おれははっきりと恐怖した。

 

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誰もいない――!?


王を失ったはずの獣どもは、微塵の動揺も見せず、さらなる狙撃を警戒して綺麗に散開していた。

ただ、地べたにどうと倒れた権三の躯があるのみ。


・・・まずい!


残りの標的をあの世への道連れにしてやる暇などない。


甘く見ていた。


日本のヤクザなど、がなりたてるだけが脳の馬鹿の群れと侮っていた。


彼らは親分の死にひと言も口を漏らすことなく、おれを探している。


指揮官を失ってなお機能する軍隊。


これでは、狙撃の瞬間、銃口が閃光を発する瞬間を見ていた者がいてもおかしくはない。


つまり、おれの位置は特定されていると用心していい。


すぐさまライフルを片づけ、撤退の準備をした。


・・・。

 

廃ビルの非常階段を駆け下りる。


音を立てぬよう慎重に、かつ迅速に。


ビルから出て、倉庫の影づたいに港から離れた。


まさに間一髪だった。


ヤツらは二人一組で、お互いの死角をかばいあいながら、いままさにおれがいた廃ビルへと突入していった。

連携の取れた動きは、特殊部隊のバディシステムを想起させた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

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「・・・はあっ、はあっ・・・」


これまでのどんな戦場よりも生きた心地がしなかった。

まさしく辛勝。

いや、おれ自身、どうして権三を仕留められたのかわからなかった。

権三はなぜ、車内にいる優位を捨てて、身をさらけ出したのだ?


・・・わからん。


しかし、悪魔はおれに微笑んだ。

母を追い詰めた怪物に復讐の鉄槌を下した。

満足するとしよう。


「さらばだ、浅井権三・・・」


さて、宇佐美。

次は、お前だ・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「む・・・」


ライフルの入った楽器ケースを置きに戻ったときだった。

背後の曲がり角。

おれと歩調をあわせるような足音。


・・・つけられている?


園山組か。

なんて対応の早さだ。

おれはしばし、尾行を確認するべく、道の角を何度も曲がり、やがて同じ場所に戻ってきた。


「・・・気のせいか?」


尾行者の影はなかった。

そもそも、園山組なら、尾行などせず、おれを見つけた時点で襲い掛かって来るだろう。

しかし、万全を期すべく、仲間を呼び集めているのかもしれない

この場は離れたほうがよさそうだな。

おれは一路、東区を目指した。


夜はまだまだ続く。

時刻はすでに深夜十二時を回っていた。


・・・。