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G線上の魔王【26】

・・・。

 

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小学校の帰り道。

おれは父、鮫島利勝に会いに、父の職場を訪れていた。

しかし、忙しい父が、勤務中に子供の相手をしてくれるわけもなかった。

だったら、この高い建物の屋上に登ってみようと、幼心に思った。

五十階建ての超高層タワービル。

屋上からの景色は満点だった。

黄金色の空が広がっていた。

影絵のような雲が、ゆっくりと覆っていく。

ぼんやりと眺めていると、夕陽が頂に雪を残した山々の向こうに消えていった。

少年だったおれは、眼前に広がる絶え間ない空の美しさに、素朴に感動していた。

鉄柵の向こうに、そいつを見つけ出すまでは。

 

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「なにしてるんだ?」


そいつは屋上のはしに座り、空中に足を投げ出していた。


「ねえ、キミ・・・怖くないのか?」


そいつは、なにも答えない。

分厚そうな本を読んでいる。

当然、風は強く、何度もページが飛ばされていた。


「本、読んでるのか?」
「見ればわかるでしょう」


変なヤツだと思ったが、逆に興味が沸いた。


「なんでこんなとこで読むんだ? 危ないぞ」
「落ち着くから」


ぶすっとしていた。


「怖くないのか?」
「なにも」
「落ちたら死ぬぞ」
「肉や骨が飛び散るでしょうね。
でも、大丈夫。 ゴミ袋を用意してるから。
落ちるときはそれにくるまるよう努力するつもり。
清掃の人も、それで少しは楽ができる」


しゃべりながら、本のページをめくった。


「なんかわかんないけど、おかしなヤツだな・・・」
「わたしは、あなたたちと違うの。
あなたたちみたいに、世間とつながっていないと、孤独に発狂してしまうような連中とは違うの」


理解しがたいことを平気で言うようなヤツだった。


「キミって、女だったのか」


髪型からして男の子かと思っていた。


「悪い?」
「んーん。 わるかないよ」
「なんで?」
「え?」
「どうして悪くないと思ったの? 女の子なら普通、髪は長いでしょう? 常識を逸脱してるじゃない」


わけもわからず、おれは言った。


「えっとな、ボクは髪が長い子が好きだ」
「・・・ふうん・・・って、そんなこと聞いてないわよ」
「まあいんじゃないの。 髪が短くてもとくに困ることないでしょ」


笑うと、すねたように聞き返してきた。

 

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「あなたこそなにしてるの?」
「ボクは、父さんを待ってるんだ」
「お父さんは、ここで働いてるんだ?」
「え? なんでわかんの!?」
「あなたみたいな子供が、一人でこの商社のビルに入って来れるわけないでしょう」
「キミも子供じゃん」
「そうね」
「あ、待てよ。 てことは、キミのとーさんも、ここで働いてるんだな?」
「だったら、なに?」
「遊ぼうぜ」
「・・・・・・」
「ボク、暇なんだ」
「わたしは暇じゃない。 本を読んでる」
「なに読んでるんだ。 貸せよ」


ちらりと見た限り『罪と罰』と、表紙にあったような覚えがある。


「人は人を殺してもいいのか、悪とはなにか・・・興味ある?」
「ねえよ」
「じゃあ、向こういってて」
「名前なんていうんだ?」
「は?」
「キミの名前だよ」


妙な間があった。


「勇者」
「なんだって?」
「勇者」
「なに、勇者?」
「田中」
「田中勇者って、なんだそれ?」
「勇者じゃダメなの?」
「ダメじゃないけど・・・勇者っていうくらいなら、強いんだろうな?」
「もちろん」
「魔法使える?」
「グーテンターク」
「おお、すごい」
「グーテンモルゲン」
「おおおー」
「らんらんるー」
「どういう魔法なの?」
「わたしもわからない」
「なにそれ・・・」
「さ、帰ろうかな・・・」


・・・・・・。

 

・・・。

 


山王物産の屋上で、おれは幼き勇者との出会いをすべて思い出していた。


まさしく病気にかかっていたとしか言いようがない。


あんな、大切な記憶を封じ込めているなんて。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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さて、次は宇佐美だ。

権三を殺した興奮冷めやらぬまま、おれは東区に来ていた。

宇佐美義則の一人娘、その死に場所は前々から決めてあった。

 

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宇佐美は、時田ユキから、おれの情報を聞きだしたはずだ。

時田には、それなりにおれの活動を話している。

外郭放水路のこと、おれとつながる外国人勢力のこと、潜伏先の一つに泊めてやったことすらある。

どの情報も、時田が裏切ったときのことを想定して、おれの今後の計画に支障をきたすようなことはないが・・・。

ただ、宇佐美の今後の行動は読みづらいものになる。

しかし、相手の出方もわからないのならば、相手の動きを指定するようにこちらから働きかけるのが、戦略の基本だ。


「・・・ふむ」


・・・やはり、もう一度鬼ごっこをするかな。

最初に宇佐美に渡した携帯電話は、まだ使用回数が残っているかな・・・。

コールしてみる。

通話はすぐにつながった。


「よう、宇佐美。 ご機嫌いかがかな?」


宇佐美はうめいた。


「権三さんを殺したな?」
「フフ・・・ニュースで盛大にやっているのかな。 これでこの街も騒がしくなりそうだ」


関東総和連合で、もっとも力のあった園山組の親分の死。

闇社会の勢力圏が塗り替わることだろう。

浅井興行を筆頭とするフロント企業も終わりだ。


「時田ユキはどうした?
「・・・・・・」
「警察に自首しないのか?
不法侵入に殺人未遂・・・まだまだあるな。 立派な凶悪犯ではないか?」


時田ユキが捕まれば、当然県警の捜査一課にも動揺が走る。

父の時田彰浩は優秀な人物だという。

できることなら、戦いたくはない。

しかし、宇佐美は挑発には乗ってこなかった。


「何の用だ?」
「会いたい」


宇佐美が息を詰まらせる。


「東区の公園はわかるな。 もと椿姫の家の近くだ」
「・・・・・・」
「その近くに、とある排水機場がある」
「そこへ来いと?」
「正面から堂々と来られては困る。
こんな時間に、外郭放水路の見学はやっていないからな」
「裏口でもあるのか?」
「無数にあるさ。 この街を含む隣県の水の流れを一手に引き受けている施設だぞ。
親父から聞いていなかったのか?」


宇佐美は答えない。


「排水機場より西に二百メートルほど行った場所に、地下トンネルへの入り口がある。
もちろん、鉄柵に鍵がかかっているが、お前のために特別に開けておくとしよう」
「・・・それは、ありがとう」
「心配するな。 今の時期は水もない。 トンネルのなかは外より暖かいぞ」
「いいだろう」


なにをかっこつけているのやら。


「最後の闘いだな」


お前にとっての、な。


父と同じように、くびり殺してやるとしよう。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

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「さ、帰ろうかな・・・」


勇者と名乗った。

とくに理由はなかった。

視線の先に、たまたま勇者という文字があった。

たまたま、口にしてしまった。

少年に興味はなかった。

少年は、半ズボンのポケットを探った。

小さな懐中時計をつかんだ。

お気に入りの一品。

かわいらしいペンギンの柄が入っていた。


「もう、時間。 帰る。 それじゃ」


懐中時計を握り締めて、立ち上がった。


「おい、待てよ」


突きあげるような風があった。

すさまじい勢いで、ビルの合間を這うように登ってきた。

足をすくわれた。

バランスを崩した少女は、そのときになってようやく少年の顔を見た。


「危ない」


少年の腕が伸びた。

必死そうな表情も迫ってきた。

うめいた。

よろめいて、もがいた。

夕空に懐中時計の光が瞬いた。

落ちる、と思った。

死の間際。

冷静だった。

ゴミ袋を用意して、落下に備えなければ・・・。


・・・。

 

 

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耳元で少年の息づかいがあった。

空しか見えない。

いつの間にか背中を預けていた。

かばうように抱きすくめられていた。

少年のぬくもりを感じる。

恐怖よりも先に、恥ずかしさがあった。


「馬鹿野郎、危ないっていったじゃないか」


また吐息がかかった。

助けてもらったのだと、知った。


「懐中時計」


つぶやいて、ポケットを探った。

あるはずもなかった。


「そんなもん、落っこっちゃったよ」
「困る」
「命があっただけでも、よしとしろよ」
「やだ」


少年は、いいかげん、腹を立てたようだ。

少女から離れると、タコのように口を尖らせた。

少女は、また屋上のはしに寄った。


「あれ、お母さんからもらったの」


下をのぞきこむようにして見た。

地上五十階から落下した小さな懐中時計が、見当たるはずもなかった。


「大事なものだったのか」
「うん。 でも、あきらめる」
「いいのか」


少女は少年と向き合った。


「しょうがない。 ばらばらに砕けてしまっただろうし」


うつむいて、言った。


「寂しいこというなよ」


寂しいことを言ったつもりはなかった。

少女は、ただ、うつむいただけだった。

夕陽が、いたずらに少女の顔を寂しそうに見せたのか。


「わかったよ。 探してやるから、待ってろ」


少年は背を向けた。

わけがわからなかった。

探して欲しいだなんて、誰が頼んだというのか。


――いいって、言ってるのに。


けれど、少女は、少年を制止する言葉を口にできなかった。


・・・・・・。

 

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暗くなった。

呆然と、立ちすくんでいた。

そろそろ、ヴァイオリンの練習を始めなければならない時間だった。

待った。

闇は深くなり、屋上にも機械的な光が募った。

星は見えない。

強風が雲を運んできたようだ。

寒い。

ただ、待っていた。


屋上の扉が勢いよく開いた。

叫び声があがった。

こちらに向かって走りこんでくる影があった。

再び、うれしそうな声があがった。

声は、自分が発したのだと気づいた。

懐中時計は、無事だった。

小さな傷はあれど、秒針はきちんと時を刻んでいた。


奇跡だった。


まるで、魔法のようだった。

勇者が魔法をかけたのだと、少年は言った。

幼心に、暖かい火が灯った。

少女にはむしろ、少年のほうが勇者に見えてならなかった。

少年を見つめた。

優しそうなまなざし。

すぐさまありがとうと、言いたかった。

ひねくれた心が、それを許さなかった。

見つめられると、照れくさくて仕方がない。


「雪だ」


少年が、大きく腕を伸ばして空を見上げた。

目が逸れた。

チャンスだった。

いまなら言える。

胸がうずく。


「寒くないか。 ボクのコート着るか?」


また目が合った。

少年の思いやりに熱くなる胸。

反対に、こみ上げる羞恥心。


「わ、わたし、友達いなくて、お父さんもいつも仕事で忙しくて」


不意に、唇が浮ついた。

止まらなかった。


「引越しばっかりで。 そう、それで友達いなくて。
あの、それで、だから、みんなわたしのこと変なヤツだっていって・・・だから、友達いなくて、その・・・」


狼狽する自分を、初めて知った。

いつもはもっと冷静に、論理的に話をすることができる。


「あの、ほんと、驚くぐら友達いなくて・・・」


同世代の子供たちには無視されるばかりだった。

だからこちらも無視してやることにした。

"孤高"という単語を本で知った。

孤高でありたかった。


「ご、ごめん、ごめんなさい」


涙声で、詫びた。

内気で多感な子供の素顔が、じんわりと表情に滲んでいく。


我慢しろ、我慢しろ。


少女は自分に言い聞かせた。

どうせすぐに海外へ旅立つのだ。

少年とも、どうせすぐに別れるのだ。

孤高でいろ、孤高でいろ・・・。


「さよなら、もう帰る」


逃げ出した。

自責の念が胸を突いた。

駆け出したとき、少年が名乗った。


「おれ、キョウスケっていうんだ。 また、会えるよな、勇者」


少女は答えなかった。

ただ、思わず足が止まってしまった。

それが、答えになった。


――キョウスケくん・・・。


名前を心のうちで何度も反芻した。


雪が、積もってきた。


反対に、少女の心は雪解けを待っていた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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"魔王"に教えられたとおりの場所に行くと、なだらかな斜面の下にコンクリートの横穴がぽっかりと空いていた。

壊されていた鉄柵の間をくぐり、薄暗い通路をすすんでいくと、やがてハルは地下トンネルに降り立った。

広く野太い穴だった。

水害の際には、首都圏の雨水がすべてここを通るのだという。

ハルは、父、宇佐美義則のことを思った。

タバコの匂いと、麻雀牌の音。

それが、ほとんどすべての父の記憶だった。

ハルは母の薫に従って、海外を点々としていたからだ。

だから、鮫島利勝という人に惨殺されたと聞いても、実感が沸かなかった。

葬式の際に集まった父の同僚たちのほうが、涙を流していた。

父は慕われていたのだと、そのときは思った。


時を経て、父にも非があったことを知った。

違法賭博にどっぷりとはまり、鮫島利勝に借金の肩代わりをさせた疑いがあった。

ハルは母に連れられてドイツへ渡った。

世間の目を逃れ、体よく逃げ出したのだ。


――京介くんに恨まれても、仕方がないな。


なつかしい記憶。

両親のごたごたなど知らずに、山王物産の屋上で出会って、他愛のないことを語り合った。

少年京介は、明るく爽やかで勇敢な男の子だった。

ドイツで生まれ、日本の学校になじめなかったハルには、当時友達がいなかった。

けれど、京介だけは違った。

鮫島京介こそが、宇佐美ハルにとっての勇者だった。


"魔王"はどこだ。


ハルは暖かい思い出を振り払うように、母の仇の足跡をさぐった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「また、本読んでるのか?」


懐中時計を拾ってやった、次の日。

おれは再び山王物産のビルの屋上に来ていた。

ひょっとしたら、またあの勇者に会えるかもしれないと思って。


「また来たんだ?」
「うん、キミに会いに来た」
「そ、そうなんだ・・・ふうん・・・で、なにか用なの?」
「だから、遊ぼうって」
「なんでわたし?」
「さあ・・・」
「家族と遊んでれば?」
「とーさんは、仕事。 かーさんは、病院。 にーさんは、外国」
「外国?」
「うん、イギリスだって。 にーさん、すごい頭いいんだー」
「歳はけっこう離れてるのね?」
「んー、十くらい違うかなー。 キミはボクと同じくらいだろ?」
「だったらなによ・・・。
と、友達になってくれるっていうの?」
「もちろん」
「で、でも、わたし、来週にはニューヨークに行くんだ」
「なんで?」
「お母さんのお仕事についていくの。 わたしも前座みたいなことするの」
「なに前座って。 どんなお仕事?」
「大勢の前でヴァイオリン弾くの」
「ボクね、Gせんじょーのアリアが大好きなんだ」
「そうなんだ」
「とーさんがね、よく聞いてるから覚えたの。 最近のとーさん、そればっかり聞いてる」
「ふうん・・・だったら、今度、弾いてあげ・・・なくもないけど」
「あとね、『魔王』も好き」
「え、無視?」
「ガッコで習った。 なんか怖いけどかっこいい」
「『魔王』って・・・ふうん・・・」
「ねえ、帰ってくるんだろ?」
「ん?」
「ほら、ニューヨークから」
「まあ、いつになるかわからないけど・・・いちおう、日本に家があるから」
「なに、いちおうって」
「ん、別に・・・」
「なんか、さみしいのか?」
「え? なんで?」
「キミのとーさん、忙しいんだろ? ボクもなんだ。
ちょっと昔にね、妹がいたんだけど、死んじゃったんだ」
「そう・・・」
「清美っていうんだけどね、かわいかったなー。
でも、ボクんちは明るいよ。 たまに、にーさんも帰ってきてくれるし。
この前、ボクが写真撮ってあげたんだ。 ボク、カメラ使えるんだよ?」
「カメラくらい、わたしも使えるよ」
「今度、キミも撮ってあげるね」
「い、いいよ・・・なんで?」
「記念に」
「ヤダよ・・・わたし、女の子っぽくないし」
「いいから、今度、ボクのおうちにおいでよ」
「だから、ニューヨーク行くってば」
「いつでもいいからさ。 みんなでご飯食べよ。 住所教えるね・・・」
「考えておくけど、あまり、期待しないでね・・・」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


目の前に、暗いトンネルの入り口がある。

外郭放水路

泥水を引きずったような、足跡が複数あった。

まってろ、宇佐美・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 


耳を澄ませば、足音が遠く響いている。


宇佐美だ。

一人、か?

これは面白い。

警察に通報してもよさそうなのに。

つまり、ヤツはヒロイズムに酔っているということだ。

あくまで自分の手で捕まえたいらしい。

最も、警察の影が見えれば、おれが尻尾をまいて退散すると読んだ上での単独行動か。

なんにせよ、死にに来たということだ。

幼き勇者。

なんの力もないくせに、よくぞ執念深くおれを追ってきたものだ。

素直にヴァイオリンの世界で生きていれば良かったものを。


・・・終わらせてやるとしよう。


「宇佐美、こっちだ!!!」


おれは叫び、少女を死地へと誘った。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 


その後、勇者との再会を心待ちにしていたおれに、次々と転機が訪れた。

ある夜、家に警察から電話がかかってきた。

父、鮫島利勝が、殺人を犯し、警察に逮捕されたというのだ。

あのときの母の優しさと強さは忘れない。

どうしたの、と母に聞いたおれ。

なんでもない、とはにかむように笑ったのだ。

翌日から、学校に行くのが恐ろしくなった。

それまでクラスのリーダー的な存在だったおれの居場所はどこにもなかった。


『京介くん、だいじょうぶかい。 倒れそうな顔してるよ。 困ったことがあったらいつでも言うんだよ?』


担任の教師に、ホームルームで、そんなことを言われた。

大勢の友達の顔がひきつり、遠慮がちにおれを見つめていた。


『みんな、京介くんと仲良くするんだよ。 京介くんのお父さんと、京介くんは違う人だからね。 つまり、関係ないんだ。 応援してあげようね』


それが、いじめの引き金となった。

死刑という言葉が子供たちの間ではやり、昼休みになると縄跳びが机の上においてあった。

学校から帰ると、いつもは台所で料理をしているはずの母が、椅子にうなだれていた。

生気を失った顔でおれの帰宅を認めるとこう言った。


『学校で、なにも言われなかったかい?』


おれは必死になって、首に輪を描いたあざを両手で隠していた。

インターホンがひっきりなしに鳴り響く。

ドアを開ければ、マスコミのカメラが雲霞のように群がっている。

たきつけられる激しいフラッシュにめまいがした。


――おい、子供は映すな。


――あとできっておきますから。


――ねえ、ボク、ちょっといいかな?


――お母さん呼んできてもらえる?


彼らは肉の壁となり、幼いおれを圧倒していた。

ドアを閉めようとしても、大人たちの手が、ゾンビの群れのように詰め寄ってきた。

おれを逃がすまいと、足をドアの隙間にはさみこんできた。

そして、そんなほんのわずかな隙間からも、カメラを差し込んでくる彼らの執念に、おれはついに気を失った。

それから先は、苦痛の毎日だった。

幸福だった家庭に連日のように訪れるマスコミ。

言いたいことをいう近所の住民。

忘れたころに現れる、浅井権三という名の取り立て屋。

救いは、母と、急遽帰国してきた兄、鮫島恭平だった。

恭平兄さんは、おれを叱咤し、母をいたわり、亡き妹の遺影に線香を上げると、退学の手続きのため、一時イギリスへ帰国した。

しかし、不幸は重なるのか、兄は、ロンドン市内の爆破事件に巻き込まれ命を失った。


・・・。

 

 

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兄の葬儀。

地下鉄のホームに仕掛けられた強力な爆弾は、兄の肉片ひとつ残さなかったという。

父のいない葬儀は、母が喪主を執り行った。

限界だったと思う。

母の顔は、絶望の色に青白く染まっていた。

集まった親戚たちは、母を助け、手際よく段取りを進めてくれていたようだ。

しかし、彼らは好意の裏で、大罪を犯して社会的立場を失った父から、どうやって財産を搾り取ろうかという謀議をしていた。

父は、借金に苛まれながらも、自宅だけは売らなかった。

家は家族の砦。

そもそも、払ういわれのない借金に、なぜ、おれと兄さんと清美の思い出の詰まった家を売り払わなければならないのか。

しかし、親戚にはそんな道理は通じない。

借金返済のために、いくらか父に金を貸してくれた叔父もいた。

その叔父が坪あたり一千万の値のつく土地を奪い取るべく、先頭に立って人寄せから段取りから、精力的に尽くすのも当然だった。

兄の葬儀の場において、彼らの頭のなかには、死者への想いではなく、ただ、黄金の輝きだけがあった。


「京介くんも、大きくなったべなあ」


北海道の漁村で漁師をしている叔父が言った。

父の家系で、父だけが出世頭だった。

貧しい家庭に育った父は、猛勉強の果てに一流大学に入り、山王物産に入社したのだ。

兄弟たちからの僻みや金の無心は、相当なものだったろう。

それでも父は、月に十万ほど、実家への仕送りを欠かさなかったようだ。

積もり積もった仕送りの額面から考えても、叔父たちは父の味方であって当然だった。


「清美ちゃんは、残念だったべな。 利勝も、五十を間近に子供なんか作るから・・・」


おれは幼心に、親戚たちの良識ぶった顔の裏に潜む悪意を、はっきりと感じていた。

襖を隔てて、密談のひそみ声がする。


――利勝も馬鹿をしてくれたもんよ。


――昔から、わしらになんの相談もせんかったべさ。


――嫁さんも大変じゃ、なんでも富山のほうの分家の子供らしくての。
利勝と離縁せんと、家に残してもらえんとな。


――あの様子だと、利勝と別れる気はないようだの。


――だから、内地の女は怖いとあれほど言ったんだべよ。


――そだのう、不幸は重なっておるが、利勝の財産だけはあの嫁が握っておるからな。


――めんこい顔して、まっとうな子供も生めん体だったべ。


――わしに任せておいてけらっしょ。


――金か?


――家に迷惑かけた利勝から、ちょっとくらいもらってもバチはあたらんべよ。

 

・・・・・・。


僧侶の読経を聞きながら、どうして自分はこんなところにいるのだろうと思った。

つい先日まで、学校にはたくさんの友達がいて、家族はいつも明るくて、山王物産の屋上から見える空はどこまでも広がっていたのに。

留置所にいる父。

いまにも倒れそうな母。

肉片ひとつない、兄。

群がる金の亡者と、執拗なマスコミ。

どうして、八方ふさがりの地獄のような気分を味わい、くもの巣にからめ取られた虫のように、じたばたと苦しまなければならないのだろう。

周囲の視線やささやきに、びくびくしなければならないのだろうか。

部屋の隅で、膝を抱えてくすぶっていたおれを見下ろす影があった。


「京介くん、おっかさんにお願いしてもらえんべか」


姑息な微笑は、父の兄弟とは思えないほど似ていなかった。


「おっかさんに、実家に帰ってもらえんかの?」


遠まわしに、この家を明け渡せと言っていた。


「京介くんも、つらいべよ。 よその学校のほうがいいべよ?」
「ボクは母さんと一緒にいるよ」


場所もわきまえぬぞんざいな叔父に、おれは立ち上がった。


「利勝はの・・・おっとさんは、えらいことをしたんだわ。
そういうことをしたもんはよ、家族ひっくるめて、家を出て行くもんなんだべよ」
「父さんは悪くない・・・」


あっ、と声を上げて叔父は他の兄弟と顔を見合わせた。

諍(いさか)いには不慣れなくせに、狡猾に立ち回っているだけの連中だった。


「いいか、京介。 おっとさんは、四人も殺したんよ。 人殺しだべ。
おっとさんを信じるのはいいが、人殺しが悪くないと言ったらいかん」
「でも、でも、母さんも、父さんが大好きだもん」
「そりゃ、旦那が金さ持ってるからだべ。
そんなことよう言えんから、こうして身内が気を揉んでるんだわ。 子供にはわからんだろうがの」


叔父は脅すような顔になった。


「一方的ですまんがよ、わしの言うことを聞きなさい。
頼れる身内もおらんのだべよ。 母さんに苦労させたくないべ?」


おれはやり場のない怒りに身を震わせていた。


「わかったよ・・・」


お母さんに苦労をさせたくはない・・・そういう意味でうなずいた。

しかし、叔父たちは、おれを懐柔したのだと思ってほっと息をついていた。

母さんを想った。

一族に取り囲まれた話し合いの場で、母さんはなにを主張できるのだろうか。

たった一人で、自らの潔白と、正義を訴えても誰が信じてくれるのだろうか。

何ひとつ悪いことはしていないのに、理不尽だと子供心に思った。

弱くて無知な幼い自分が腹立たしかった。

父さんがいれば、こんなヤツらを殴りつけてくれるのに。

兄さんがいれば、饒舌な言葉で追い払ってくれるのに。


誰でもいい、助けて欲しい。


母さんの正義を代弁してくれる人がいれば、たとえ結果が同じであろうともどれだけ心強いことだろうか。

読経が終わって、おれはその場にうずくまった。

泣き顔を見られたら負けだ。

奥歯を噛み殺して、必死であらゆる重圧に耐えた。

奥の襖が、そろりと開いた。

 

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「お邪魔しまーす!!!」


いつ、ニューヨークから帰ってきたのか。

小さい体に信じられないほどの覇気を込めて、幼い勇者が乗り込んできた。


「兄ちゃんに、お線香あげに来ました!」


突然の乱入者に、一同の間にどよめきが走った。


「ど、どこの子だ!? 場所をわきまえなさい!」


少女と目が合った。

目に悔し涙を浮かべていたおれを見て、悟ったのだろう。

勇者は、ぐいと叔父を睨み潰した。


「場所をわきまえるのはお前らのほうだ!」


いかにも身内の不幸を聞きつけてきたというふうだった。


――まさか、清美ちゃん?


――馬鹿、清美は死んだと聞いておるべ。


――でも、兄ちゃんって・・・!?


大人たちは、ようやくここが葬儀の場だということを知ったようだ。

親戚の誰もが知らない子供が、いきなり沸いて出てきたのだ。

少女を見る顔が、幽霊を見るように青ざめていった。


「お前らよってたかって白いものを黒だとぬかし、おっかさんや京介くんをいじめるのか!」


少女の賢さと勇気に、涙が止まった。


「わざわざ天国から出張ってきたんだ。 ふざけたことぬかしたら、まとめて連れて帰るぞ!」


「そ、そんな・・・馬鹿な・・・」


さっきまで強欲に顔を歪ませていた叔父が、明らかにひるんでいた。


最高だった。


地獄のような場所に、勇者が助けに来てくれたのだ。


そのとき、母さんが初めて涙を流した。


あるいは母さんも清美が現れたと思ったのかもしれない。


頬を伝う涙は、悲しみだけに染まっているわけではなかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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――どこだ、どこにいる・・・?


広大な空間にそびえ立つ無数の柱に、"魔王"の影を探った。

耳が痛くなりそうな静寂のなか、まったく物音がしない。


ハルは自らが狩場にやってきたことを知った。

"魔王"が身を隠す場所はいくらでもある。

いままさに、銃で狙われているかもしれない。


「素晴らしい場所だと思わないか?」


どこからともなく"魔王"の声がした。

反響に反響を繰り返した声の居場所を探ることは容易ではなかった。


「お前の父、宇佐美義則も、地獄で誇らしげに自慢していることだろう」


感慨など沸かなかった。

呑み込まれそうなほどの暗闇は、まさしく"魔王"の住処のように不気味だった。


「鬼ごっこの次はかくれんぼか。 そろそろ姿を見せたらどうだ?」
「気が早いな。 勇者と魔王の戦いの前には、演出が必要だと思わないか?」
「お前とおしゃべりをするつもりはない」
「面白くないな、まったく」


じりと、靴音が鳴った。


意外と近くにいる。


ハルは耳を澄まし、わずかの物音も逃さぬ気構えで、暗闇を見据えていた。


音がした。

背後を振り返る。

コンクリートの破片が床に散っていた。


囮だった。


遊んでいるのか。


緊張に、わずかに呼吸が乱れた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


柱の影から宇佐美の様子をうかがう。



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問題は、宇佐美が丸腰かどうかだ。

まず、第一に飛び道具の有無。

海外経験の豊富な宇佐美のことだから、実弾を撃った経験もあるかもしれない。

この日本でどうやって銃を手に入れるか。

そして、この暗闇のなか、弾を当てることができたらたいしたものだが、万が一ということもある。

先ほど小石を投げたとき、振り返った宇佐美の全身を確認した。

腰の辺りに、拳銃を隠しているような角ばった輪郭は発見できなかった。

胸のふくらみに隠してあったりしたら面白いが、そんな場所から抜いている暇を与えるつもりははない。

とはいえ、ヤツはなんらかの武器を所持している。

宇佐美の右手の先に注目する。

だらりと下がっているようでいて、強張っている。

つまり、なにかあったときに、とっさに動けるように構えているのだ。

となると、右手の近く・・・スカートのポケットがもっとも怪しい。

どんな凶器か。

小型のナイフか・・・いや、痴漢撃退用のスプレーか、あるいはスタンガンか・・・日本には、ペン型のスタンガンすらあるというからな。

さて・・・。


「勇者に敬意を表そう」


宇佐美の反応はない。


「友人はおろか、警察にも頼らずに、たった一人でおれを追ってきた」
「よく言う。
警察の影でも見えれば、尻尾をまいて退散するつもりだったくせに」


・・・その通りだ、あくまでこれはいお遊びなのだからな。


「だから、私も、お前をライフルで狙撃したりはしない」
「余裕だな」
「ネズミを狩るのに、猟銃は用いないだろう?」


しかし、ネズミは厄介な病気を蔓延させる。」


「お前は、くびり殺すのが一番だと思ってな」


父と同じようにな。

そうすれば、おれも、少しは父さんと一緒の業を背負うことができるかもしれない。


地面を蹴った。


柱の影から影に向けて、跳躍する。


「・・・っ」


二度、三度と、移動を繰り返す。


「・・・っ・・・っ・・・」


宇佐美の呼吸が乱れていくのがわかる。

おれの言葉を鵜呑みにしていないのはさすがだ。

おれのスーツの裏には、拳銃が下がっている。

不用意に身をさらして突進してきたら、撃ち殺してやるつもりだ。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


今度は右。

豹のような素早さで、柱の影を渡りついでいる。


"魔王"のこちらを翻弄するかのような動きに、ハルは焦りを覚えていた。


命を懸けたやり取りなど、経験がないからだ。

ヴァイオリンをやめてから、空いた時間を空手に費やしたものの、"魔王"に通用するとは思えなかった。

いまが、"魔王"を倒す最大のチャンスだ。

なんの力もない少女と遊びたがるその心の慢心こそ、つけいるすきがある。

 

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機は、一瞬だろう。

隠し持ったスタンガンを再度確認する。

長さ十センチほどの凶器は相手の体に押し当てるだけで、電極部が出て連続スパークする。

電圧は50万ボルトと説明書にあったから、どんな大男でもまともにくらえば失神する。


ハルは"魔王"の動きに合わせ、接近を試みた。

さきほどまで"魔王"がいた柱にまで移動し、背中を柱に貼りつけた。

強張る右の手のひらが、汗にじんわりと滲んでいった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


何度か、お互いの居場所を交換し合うようなやり取りが続いた。

円形の広場。

等間隔に屹立(きつりつ)する柱。

似たような地形に、宇佐美の方向感覚は少なからず蝕まれていることだろう。

それが、証拠に、おれは宇佐美の背後をとらえていた。

もちろん、宇佐美は背後にもい気を回しているだろう。

距離にして五メートルほど。

飛び掛って、その細首をしめあげる。

可能か。

宇佐美は、おそらく、武器を隠し持っている。


だが・・・。

武器を持っているなら、なぜ、いま、手に持っていない?

ナイフにしろ、スタンガンにしろ、すぐさま応戦ができるよう、構えておくはずだ。

宇佐美は凶器を持っていないのか、あるいはそう思わせる狙いなのか。



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・・・・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・・・・。

 


「らちが明かんな、宇佐美」


問いかけたそのときだった。

それまで聞かなかった異質な響きがあった。


「・・・っ!」


カツン、と鳴ったそれは、おそらく宇佐美の制服のなかにある武器だろう。

柱の角にでもぶつけたか。


フ・・・。

 

おれは再び闇の中を走りぬけ、宇佐美と距離を取った。


「どうした、こっちだぞ!」


こうなったら、獲物が弱るのをじっくりと待つとしよう。


「はあっ・・・っ・・・!」


なんの訓練も積んでいない女学生の体力はいずれ尽きる。


「息が上がってきたな、どうしたどうした?」
「うっ・・・はあっ・・・はあっ・・・」


おれははっきりと後姿をさらしながら、柱と柱の間を縫うようにじぐざぐに駆け抜けた。

宇佐美はご丁寧に追ってくる。


「お前の執念はそんなものか!?」


どれだけ鬼ごっこを続けただろうか。

ちらりと後ろを振り返ると、宇佐美の顔が非常灯の明かりにさらされていた。

あごが、上がっていた。

右手に黒い凶器・・・おそらくスタンガンの類だ。


「はあっ、"魔王"・・・っ・・・はあっ・・・!」


足がもつれたその瞬間を見逃さなかった。


柱の角に足を引っかけたらしい。

前のめりに床に突っ伏す宇佐美。

宇佐美の右手から離れる黒い物体。


「ぐっ・・・!」


おれは身を翻し、猛然と倒れた宇佐美に迫った。


「うわっ!」


慌てて身を起こそうとした宇佐美に飛び掛り、押し倒す。


さあ、死ね――!


透き通るような白さを誇る首に、手をかけた。

 

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「うっ・・・あ、ぐっ!」
「どうした、勇者! 頭を使え!」


言葉とは裏腹に、脳に血がいかないよう万力を込めた。


「ぐっ、くっ、うぅうあああっ!」
「よく味わえ! お前の父もそうやって死んだんだ!」


徐々に、宇佐美の抵抗が収まってきた。


命を奪っている。


ある種の陶酔すら覚えた。


父、鮫島利勝は、少女ハルの死を願っていた。


そうしなければ、宇佐美義則という悪魔は思い知らない、と。


容赦などしない。


良心など痛まない。


このまま宇佐美の命を絶つ。

 

「う・・・あ、ああ・・・」


瞳からにわかに生気が失われていった。


反対に、おれの顔は歓喜に歪んでいることだろう。


父よ、できることならこの場を見て欲しかったぞ・・・!


おれは、ついに宇佐美を――――!


・・・。

 

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胸に迫る、なにか――。


思わずそれに目を向けた。


脳裏に飛来する、驚愕と後悔。


慢心していた。


凶器は一つだと、誰が言った!?


直後、屈辱に奥歯が砕けた。


「宇佐美いぃぃぃっ――――!!!」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 


雨のように降り注ぐ"魔王"の絶叫。


ハルはかまわず、最後の力をふりしぼった。


スカートのポケットに潜めていたもう一つの凶器。


握り締めたスタンガンは、完全に"魔王"の胸をとらえていた。


「地獄で母さんに詫びろ!!!」


母への思いを込めて、ヴァイオリンをあきらめた憤りを込めて、宇佐美ハルは腕を突き出した。


稲光にも似た閃光が瞬く、はずだった――。


目を疑った。


押し当てるだけで電撃が流れるはずだった。


故障か。


いや、違う。


"魔王"の胸のうちで、なにかが接触をさえぎった。


硬い、なにか。


市販されているスタンガンには、よく硬いものに対しては動作しない保護機能がついている。


――拳銃か!


再び別の場所に押し当てようと思いなおしたときには、遅かった。


「なるほどな・・・」


"魔王"の笑みが降ってきた。


「しょせんは市販のおもちゃだったか・・・」


力が抜けていく。


最後の武器も振り払われて遠くに飛ばされた。


「なかなかがんばったな、宇佐美」


首が、絞まる。


絶望が、ひしひしと募っていった。


「次は、どんな策を用意しているんだ?」


もう、策はなかった。


「そうか、もう遊びは終わりか。 楽しかったぞ・・・」


終わる。


なんの意味もなかった。


"魔王"への抵抗など、最後の最後まで遊びに過ぎなかった。


殺される。


父と同じように殺される。


首を絞められた体がその活動を終えようとしているのにつれて、意志も瀕死に近づいていった。


前後の記憶は曖昧だ。


頭のなかが真っ赤に染まり、生と死の境界が見えなくなったといえばいいか。


いまや完全に行き来自由になった状態になりかけていた。


苦痛の極みを通り越し、空を飛んでいるような高揚感すら覚えた。


開いた瞳孔、せり上がる眼球。


迫り来るあらゆる活動の停止・・・。

 

――京介、くん・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「勇者、昨日はありがとうな!」


葬儀に乱入した翌日、京介が屋上に現れた。


「ごめんね、勝手に妹さんのふりして」
「いいんだよ。 すごいかっこよかったよ!」


ハルは、そんな子供の小細工はいっときのものでしかないと予想していた。

けっきょく、彼らは家を出て行くことになるだろう。


「ボク、キミのこと大好きだ!」


屈託のないひと言が胸をついた。


言えなかった。


少女の父親こそが、少年の父をたぶらかし、挙句殺害された男だとは。

 

言えなかった。

 

これから世間の目を逃れるべく、海外に移住するだなんて。


「好き・・・?」


背筋をなめる冷や汗。

作り笑いを浮かべるつもりが、うまくいかなかった。


好き、という言葉の発する力に、口の中がからからになった。


「わたしが、好きって・・・京介くんは、ほら、お友達多そうじゃない?」
「うん・・・多かったんだけどね」


京介の声に、暗い影が落ちた。


なんと無神経なことを言ってしまったのか。


少女の鼓動は駆け足を始めていた。


「恋人とかいるの?」


あくまで平然を装って聞いた。

でも、本を持つ腕は震え、いまにも地上五十階から飛び降りてしまいそうだった。


「勇者はおませさんなんだね。 女の子のほうがそういうの興味あるって父さんが言ってた」
「いいから、いるの、いないの?」
「いないよ。 そういうのは考えたこともなかったなあ」


少年の口元が綻び、少女も安堵した。

いや、ため息をついている場合ではない。

ありったけの勇気をかき集めた。

決意を胸に、干上がる口内に息を送り込んだ。


「しょうがないわね、なら、わたしが結婚してあげるわよ」


笑顔を、作れない。


あふれるのは涙ばかり。


勢いに任せて少女は言った。


平然と、淡々と・・・。

 

「また会えたらね。 覚えていたらでいいから。
わたし、これから引っ越すの。 運命の再会っていうのかな。 ロマンチックじゃない?」
「引っ越す?」
「そう」
「なんで?」
「ヴァイオリンの勉強するの」
「また外国?」
デュッセルドルフ。 ヨーロッパね」
「そんな、やだよ・・・」


少年の声が曇った。


「寂しい?」
「当たり前だよ」


嬉しくて、胸が弾んだ。


「だから、ほら、また会えたら結婚してあげるって。
こういう約束って、大人に言わせれば恥ずかしいんだろうね。
でも、いいじゃない。 勇者からのお願い」


一息にしゃべり、しゃべったあとに言葉の意味を自覚した。

膝がかじかんだように震える。

大胆な告白に、体が悲鳴を上げていた。


「結婚・・・?」
「嫌なの?」
「本気なの?」
「ほ、本気よ」


今度ははっきりと声が震えた。

変な女の子だと思われただろうか。

図々しいと嫌われただろうか。

結婚だなんて、子供っぽいと笑われただろうか。

ああ、そういえば、京介くんは髪の長い子が好きなんだ・・・。


けれど、少年は、ハルの砕け散ったガラスの心を拾い集めるように優しく言った。


「わかった。 約束するよ」
「覚えていなさいよ。 わたしのお母さん、すごい美人なんだからね。
この意味わかるかな。 つまり、わたしもこれからすごい美人になるってこと」


そう、髪だって伸ばす。


少女は立ち上がって、少年を振り返った。


心で泣きながら、弾ける笑顔をぶつけた。


高鳴る胸のうちとは裏腹に、もう少年と会うことはないだろうという予感があった。

会えたとしても、そのときはきっと少年も大人になっている。

殺人犯の息子と、被害者の娘として再会することになるのだ。

京介くんは、きっと、わたしを恨むことだろう・・・。


かまうものか。


「約束ね」


また笑って見せた。

少年も笑顔を返した。


「わかった。 ヴァイオリン、がんばってね」


穏やかなまなざし。


優しい声音。


少年のすべてが哀しかった。


淡くはかない夢は、長い年月を経て時の流れに呑まれてしまうのだろう。


ずっと、このままでいたかった。


でも、これ以上少年の前にいると、笑顔を保ち続ける自信がない。


いまは、泣くものか。


悲しみにくれる時間は、これからたっぷりあるのだから。


「んじゃね、とりあえずフェリーでどこかの空港までいくらしいから。 気が向いたら港まで見送りに来てよ」
「うん、ぜったい行くよ」


夕空が、少年の頬を染め上げた。


こわばる唇を無理やり吊り上げて、少女は手を振った。


二歩、三歩と歩き出す。


振り返って、抱きつきたかった。


初めての想い人の胸の感触を想像しながら、少女は駆け出した。


涙に視界が霞み、嗚咽が風に流された。


見上げた空は、ちょうど冬から春に変わる色をしていた。


ハルは願いを込めた。


いつか、どこかで、約束は果たされる。


親のいざこざなど知らず、お互い無垢な天使として再会する。


冬ばかりの人生に、穏やかな春の到来を夢見た。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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「・・・くん・・・」


宇佐美がなにかぼやいている。


「京介、くん・・・」


瞳に涙すら浮かべていた。


まるで、おれの内なる良心をくすぐるように。


「・・・宇佐美・・・」
「あ、っ・・・きょうすけ、くん・・・」


わずかな頭痛を覚えた。


首にかけた手が緩みかける。


「・・・・・・」


殺したと思っていた甘さが、鎌首をもたげる。

 

――親は親、娘は娘。

 

宇佐美ハルという少女に、なんの罪があるのか。


「ぐっ・・・黙れ、宇佐美・・・」


けれど、京介を呼ぶ声はやまなかった。


「泣いてもわめいても、京介は現れんぞ!」


心を凍りつかせた。


そう、おれは"魔王"。


復讐に救いを求め、復讐にすべてを投げ出した男だ。


浅井京介と名乗った半端者とは違う!


もう一度、首に圧力を込めた。


今度こそ殺す。


おれはうめき、体をよろめかせながら、一つの生命を握りつぶしていった。


「――死ね、宇佐美っ!」

 

闇を掻き分ける足音があった。


荒い息づかいが、その男の必死さを訴えていた。


もう近くまで来ている。


おれの姿を探し当てたようだ。


そうか・・・尾行されていると思ったが・・・お前だったか。


家族を裏切り、浅井権三の養子となった男。


権三を釣る餌として、今日の夜半に電話を入れてやった。


取り乱したことだろう。


おれは死んだはずだからな。


裏切り者は殺してやる予定だった。


フロント企業フィクサーの真似事などをしていると知ったとき、おかしくて仕方がなかった。


弱虫のお調子者の分際で。


しかし、その男の足取りに迷いはないようだった。


電話をかけたときは、自分こそが"魔王"だと勘違いして、錯乱していたというのに。

 

「きょう、すけ、くん・・・」


ふん、そういうことか・・・。


おれが死線をくぐっている間に、穏やかな純愛を育んでいたわけか。


「やめろっ・・・」


そいつが言った。


「宇佐美に手を出すな・・・」


声色からは、なんとしても少女を守るのだという気概が感じられた。


「誰に向かってものを言っているのか、わかっているんだろうな?」
「ああ・・・」


よくも邪魔をしてくれるものだ。


京介ごときが・・・。


――このおれ、鮫島恭平に向かって。


・・・・・・。

 

・・・。

 


―――――

 


・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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いまでも思い出す。

あのときの言葉。

旅立ちの前に、海は穏やかな波を打っては返していた。

少女はいままさに、乗船しようとしていた。

おれは少女に聞いた。


「ねえ、名前なんていうの?」
「勇者は勇者よ」
「教えてよ」
「じゃあ、わたしが本当の勇者になったら教えてあげる」
「え? まだ勇者じゃないの?」
「うん・・・」


きっと、素直になれない自分を未熟だと感じていたのだろう。


「わかったよ」


おれは歯を見せて笑った。


「キミは勇者になるんだね」
「うん・・・」
「だったら、ボクは・・・」


だったら、ボクは・・・。


――おれ、浅井京介は。

 

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「勇者を守る、仲間になる!」

 


「京介えぇっ――!」


・・・。

 

「恭平兄さん・・・いや、"魔王"!」


一歩、詰め寄った。


「宇佐美を離せ。 お前の悪行もこれまでだ」


ぐっとおれを見上げた"魔王"。


瞳に、凄まじい憎悪を燃やしていた。


「これまで、だと?」
「すでに園山組の方々に連絡はつけてある。 お前は袋の鼠だ」
「なかなか手際がいいな。 養父を殺されて、家でめそめそ泣いているかと思っていたぞ」
「おれはもう昔のおれじゃない」


「きょうすけ、くん・・・」


宇佐美がおれの姿を認め、そのまま、ゆっくりと目を閉じていった。


「兄として、弟の成長を嬉しく思うぞ」
「兄さんも、生きていてくれてなによりだ。 爆弾で吹き飛ばされたんじゃなかったのか?」
「当時のロンドン市警の評判を聞いたことがあるか?
事故現場にパスポートを残しておけば、あっさりと死んだことにしてくれたよ」
「なぜ、そんなことを?」
「私はお前と違って、やることがあるのでな。
死んだことにしたほうが日本警察の目もごまかしやすいし、なにより・・・」
「なにより、浅井と名乗って触れ回ることで、おれに罪を着せるつもりだったんだろう?」
「正確にはアサイと名乗っていたのだがな。
まあ、それでも、権三を含め、大勢の人間がお前を"魔王"だと勘違いしてくれた」
「おかげで、動きやすかっただろうな。
あんたが権三の車を爆破したときは、みんなしておれを疑っていたよ」
「なあに、車に爆弾など、北アイルランドではよくある話だ」
「あんたはテロリストに与しているのか?」
「フフ・・・似たようなものかな・・・」
「だから、ライフル銃に軍用爆弾なんて物騒なものを扱えたのか」
「あんなもの、中東では十歳の子供でも使える」


恭平兄さんがいなくなって、長い年月が流れていた。

昔から冷たそうではあったが、内面にほとばしる激情を滲ませていた。

 

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「京介よ、お前はなぜ私に力を貸さない?」
「・・・・・・」
「よく聞け。 父はたったの四人、それも死んで当然の人間を殺して死刑になったのだぞ?
この国ではなんの罪もない幼児を惨殺しておいて極刑に至らない人間もいるそうじゃないか?」
「お前の目的は、父さんの釈放か?」
「いかにも。 この十年、そのために準備を重ねてきたのだ」
「準備だと・・・?」


おれは義憤のようなものを背筋に感じていた。


「椿姫の弟を誘拐し、権三を殺し、時田を裏で操っていたのも準備だというのか!?」


しかし、"魔王"は笑みを取り下げなかった。


「浅井権三は死んで当然ではないか。 母が心を壊したのは誰のせいだ?」


たしかに、それはおれも否定しきれない。


「椿姫はいい"坊や"だった。
穢れを知らぬ娘は簡単に悪に染まる。
もう少し時間があれば、時田と同じように仲間に加えてやったものを」
「・・・子供を集めて、なにをするつもりだ?」
「それを今話すのは面白くないな」


あくまで傲岸(ごうがん)。

昔から天才的な頭脳を持っていた恭平兄さんは、いまや才能を完全に悪い方向に開花させたようだ。


「京介、いまからでも遅くはない。 私に従え。 いっしょに父さんを救おうじゃないか」
「断る!」


強く、自分に言い聞かせるように叫んだ。


「おれがなぜ、お前に協力しないのか・・・」


宇佐美を見つめた。


幼き勇者。


孤独だったおれを救ってくれた。


たとえいっときとはいえ、春を感じさせてくれた。

 

「"魔王"、お前は、おれの女を弄んだ」


遊びと称して、椿姫や時田との友情を引き裂いた。


あまつさえ、いままさに、手にかけようとしている。


「もう一度言う。 宇佐美を離せ。 その少女がなにをした?」
「失望したぞ、京介よ・・・」


"魔王"はゆっくりと身を起こした。

 

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「お前は父の面会に足を運んだのか?」                                  

さすがに、痛いところをついてくる。


「父の無念を、なぜわかってやらない?」
「・・・・・・」
「過去の闇を捨て、都合よく生きようなどとは、おこがましいにもほどがある」


そのとき、おれの背後から無数の足音があった。


坊っちゃん、京介さん、などと巻き舌でおれを呼ぶ声があった。


「京介よ、この場はひいてやる」


おれを見下ろすように薄笑いを放つと、"魔王"は宇佐美を解放した。


宇佐美を人質にしても、組長の仇を討とうと躍起になっている園山組の連中には効果がないと判断したのか。


「だが、次に会うときは死を覚悟しておけ」


ぞっとするような怨嗟のこもった目の色だった。


「家族と人間のクズはいくらでも両立する。 仇の娘に惚れた男など、もはや弟でもなんでもない」


覚えておけ――。


"魔王"は闇の彼方に走り去った。


追うことはできなかった。


用意周到な罠が待ち構えている可能性もあったし、なにより、意識を失った宇佐美をこのままにしてはおけなかった。


「っ・・・」


暗がりでもはっきりとわかるくらいに、血の気を失っていた。


「宇佐美、おいっ!」


おれは宇佐美を抱きかかえ、軽く頬を打った。


「・・・っ・・・きょうすけ、くん・・・」
「だいじょうぶか?」


まさに間一髪だった。


「来て・・・くれたんだ、ね・・・。 やっぱり・・・京介くんは・・・」


ふらりと首を落とす。

再び意識を失ったようだ。


「わたしの、勇者・・・」


まるであの日、あのときの少女のようなあどけない顔だった。

そっと、手を握る。

冷え切った体に、そこだけ春の陽だまりのような熱を感じた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

―――――

 

 

 

・・・。

 

 

 

・・・・・・。

 


あれから宇佐美を背負って、地下トンネルを抜け、家まで連れ帰ってきた。


「ん・・・」


ベッドからうめき声が漏れた。


「起きたか?」


突如、がばっと、布団を蹴飛ばしてきた。

 

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「こ、ここは・・・天国ですか?」
「おれの家だ、馬鹿」
「なぜにわたしはこんなダサい服を着てるんですか?」
「お前のジャージだから。 わざわざお前の部屋まで行って取ってきたんだぞ」
「どうして、わたしのうちを?」
「時田と白鳥に聞いた。 家の鍵は勝手に拝借させてもらったぞ」


宇佐美の家はたしかに、このマンションのすぐ近くだった。

会社の倉庫らしき建物の二階を間借りしていたようだ。


「わたしの部屋に無断で入ったと?」
「ああ、安心しろ。 時田と白鳥も同伴だ」
「かわいいものがたくさんあって萌えたでしょ?」
「気持ち悪いぬいぐるみばかりでひいたわ」


モヒカン頭のペンギンがずらりと並んでいた。


「ユキと水羽はどこに?」
「二人とも帰ったよ。 明日は・・・いや、もう今日か・・・普通に学園に行くらしい」


宇佐美の顔色が曇った。


「しかし、ユキは・・・」
「ああ、警察に自首する前に、ノリコ先生にわびに行くらしいな」


時田の決意は固いようだった。


「でも、一人残される水羽はどうなります?」
「その辺はおれにもわからんよ。 まあ、あとで来るって言ってたから、話し合ってみろや」
「でも、こんな格好を人に見せたくないです」
「おれ、おれ! もう見せてるから!」


まったく、心配して損をしたな・・・。


「制服はクリーニングに出しておいたから。 明日まで我慢するんだな」
「ひとまずお礼を言っておきます」


ちょこんと頭を下げる。


「ありがとうございました」
「ああ・・・」
「ありがとうございました」
「なんで二回も言うんだよ」
「浅井さんが来てくれたなかったら、わたしはいまごろ極楽に旅立っていました」
「ふん、高くつくぞ・・・」
「それでは」


と、玄関へ向かう。


「お、おい待てよ、どこへ行く?」
「とくにあてはありませんが、ここにいてはいけないような気がしますので」
「・・・なぜだ?」
「なぜって・・・」


目を伏せ、唇を噛む。


「わたしは、あなたのそばにいてはいけないのです」
「親の因縁があるからか?」


さらっと言うと、宇佐美はしたたかにうなずいた。


「恨まれても仕方がありませんから」
「そうだな・・・おれが鮫島利勝の息子だと知って、よくもひょうひょうと現れたもんだ」
「すみません、ひょっとして気づいていないんじゃないかと思って、ラッキーとか思ってました」
「宇佐美とかいう名前にはピンと来てた。 けれど、まったく考えないようにしていた」


その結果、幼いころの約束すら記憶の彼方に飛んでいた。


「伸ばしすぎだから」
「え?」
「髪だよ」
「・・・・・・」


宇佐美が息を詰まらせるのがわかった。


「昔は、男の子かっていうくらい短かったのにな」
「お、覚えていたんですね・・・」
「ああ、結婚の話もな」
「あっ・・・」
「まったく、馬鹿馬鹿しい」
「ですよね・・・」
「ああ・・・」


しばし、見つめ合う。


葛藤はあった。


記憶のなかの勇者への憧れと、現在の宇佐美への気持ち。


少女はおれを救ってくれたが、宇佐美ハルは仇の娘なのだ。


「ま、ひとまず、ここにいろよ」
「いいんですか?」


なにやらうれしそうに声がうわずっていた。

おれも、なぜか高鳴る鼓動を感じていた。


「おい、宇佐美」
「あ、はい」
「シャワー浴びてこいよ」
「え、えっ!?」
「なにテンション上げてんだよ。 ずっと地下トンネルを駆けずり回ってたんだろ?」
「あ、そっすね。 頭くせーっすね、自分」


わたわたと、脱衣所に消えていった。

かくいうおれも、服を脱ぐ宇佐美の布擦れの音を、妙に意識してしまった。


おれの、女・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


夜明けにはまだ遠い季節だった。

悶々としながら三十分ほど過ごすと、宇佐美がひょっこり風呂から出てきた。

髪も勝手に乾かしたようだ。


「コーヒー牛乳飲みたいんすけど」
「・・・・・・」
「風呂上りですし、ぐいっと」
「・・・黙れ」


どこまでもふざけたヤツだな。


「変ったよな、お前」
「はあ・・・どのへんが?」
「いや、昔はもっと、なんつーのかな、突っ張ってたじゃねえか?」
「はあ・・・スカしてましたか?」
「そのしゃべり方もな・・・ホントに、あのときの勇者かよ?」
「まあ、あなたももっと素直で明るい子でしたけどね」


お互い様か。


歳月は人の性格を変えるが、人の想いはどうなのだろうな。


「で・・・お前は、その・・・なんだ・・・」
「ええ、あなたのことは、ずっと好きでしたよ」
「いや、そんなふうにさらっと言うから、ギャグかと思っていたんだ」
「そすか。 もうちょっとロマンチックな雰囲気で言えばよかったですね」
「別に、どうでもいいんだが・・・」


どうにも居心地が悪い。


「話題を変えよう」
「相撲の話でもしますか?」
「うるさいわ」
「実は空手は心得ありなのです」
「ほんとかよ?」
「黄帯ですが」
「なん級だよ、それ」
「"魔王"と格闘になって、荒っぽいことにはまったく向いていないことが発覚しました」
「髪がな・・・ケンカでつかまれたらアウトじゃねえか」
「しかし、浅井さんのお好みがどれほどのロングかもわからないので、切ろうにも切れませんでした」
「ほんと、馬鹿だな・・・」


しかし、妙に会話が弾む。


「あ、ひとつ、聞いていいですか?」
「あ?」
「浅井さんには、いま、どれくらいのイロがいるんですかね?」
「イロって・・・女はいねえよ」
「椿姫は?」
「まさか」
「花音は?」
「妹だぞ」
「水羽にユキ」
「なわけねえだろ」
「よく電話で話しているミキちゃんという方は?」
「あれは男だ。 ゲイバーのマスターをしてるが、金次第でどんな情報も集めてくれる。
ちなみに、おれのことはお気に入りらしい」
「そすか」
「なんだよ、まさか嫉妬してたのか?」
「ええ。 実は、ここぞというタイミングを見計らって浅井さんの家にお邪魔していたんです」
「・・・マジかよ・・・そういや、思い当たる節もあるな」

 

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「よく、数々の誘惑を振り切ってわたしを選んでくれましたね」
「なに嘘泣きしてんだよ」


選んだ・・・?

選んだ、のか?

こみ上げる羞恥心に、思わず宇佐美から目を逸らした。


「で、浅井さん・・・」
「なんだ、もじもじしやがって」
「じ、自分、シャワー浴びてきましたけど?」
「・・・っ」


思わず、宇佐美の体を意識してしまった。


「それは、つまり・・・」
「ええ・・・そういうの、苦手ですけど」
「なんだよ、経験なしか?」
「え、い、いや、あれですよね、ラブホテルには交換日記みたいなのが置いてあるんですよね?」


童貞丸出しの発言じゃねえか・・・童貞じゃねえけど。


「・・・えっと・・・どうなんですか?」
「まあ、次に会ったら、犯すだけじゃ済まさんと言ったからな」
「そ、そうでしたね・・・別に、いいですよ、京介くんになら、どんなマニアックなプレイされても・・・」
「き、京介くんって・・・呼ぶなよ・・・」
「あ、じゃあ、かわりにハルって呼んでもらってもかまいませんよ?」
「なにが、かわりに、だ・・・」
「残念です・・・」
「ひとまず、風呂に入ってくる・・・」
「あ、じゃあ・・・ベッドでお待ち申し上げていればいいんですかね?」


おれは半ば呆れながら、脱衣所に向かった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

風呂から上がると、いつの間にか部屋の電気が消えていた。


「おい、宇佐美・・・」


もぞもぞと、ベッドの布団が動く。


「ぐーぐー」
「寝たふりすんなよ、なにびびってんだ」


かくいうおれも、水をぐいっとあおって気持ちを静めた。


「座るぞ」
「・・・ひっ」
「お前な、おれだって、驚いてるんだよ・・・まさか、お前みたいな女を抱くなんて・・・」


おれは宇佐美の体に覆いかぶさるように、ベッドに横になった。


「あ、あわわ・・・な、なにか」
「なんだよ?」
「か、固いものがっ!」
「ああ、そういうもんだ・・・」


なぜか、心が猛る。

この少女を、おれのものにしたいという衝動が抑えられない。

それは、仇の娘を征服したいという感情ではなく、もっと優しく、穏やかな、なにかだった。

宇佐美の手が、おれのまたぐらに触れる。



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「う、うおおおおおおおっ!」
「うるせえんだよ!」
「びっくしたー! おーびっくしたー!」
「おいこら、逃げるな!」

 

おれたちはお互いを求め合った・・・。

 

・・・・・・。

 

 

・・・。

 

 


ことが終わり、しばし、宇佐美と抱き合うようにして身を横たえていた。

やがて、宇佐美がもそりと起き上がり、いそいそと服を着替え始めた。

 

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「しかし、よく、覚えていてくれましたね」


にっこりと笑う。


「ん、なにが?」
「十年も昔の話です。 屋上で誓い合った、二人で宇宙を手に入れるっていう・・・」
「そんな約束はしてません。
昨日、山王物産の屋上に行ってな。 そこで、岩井っていう人に会ったんだ」
「ああ、裕也さん・・・」
「知り合いらしいな」


岩井裕也。

山王物産に勤める若手社員だ。


「お前、その人の家族に世話になってるんだろ?」


父親は、宇佐美義則の部下だった。


「はい。 こっちに引っ越してきたとき、住む場所を紹介してもらいました。
もう返しましたが、少しだけお金も借りたことがあります」
「岩井の父親は、宇佐美の親父のことを尊敬していたみたいだな」
「・・・仕事場では、信頼の篤い人だったみたいなので」


気まずそうにうつむいた。


「それで、いきなり声をかけられたんだよ。 昔、ここで宇佐美って子と会いませんでしたかって。
岩井も、当時は親父に会いに山王物産に遊びに来てたらしいんだ。
それで、何度か、おれたちを見かけたらしい」
「聞いてます。 声をかけられて、無視したこともありましたから」
「なかなか誠実そうな男だったぞ」
「ええ、裕也さんはいい人です。 わたしに同情してくれています」


・・・なぜか、下の名前を呼んでいることが、気に触った。


「まあ、そいつといろいろ話しているうちに、思い出したわけだよ」
「浅井さん、あなた、心因性健忘症にかかっているというのは本当ですか?」
心因性・・・なんだって?」
「いきなり記憶が飛んだりするような病気だそうです」
「たしかに、物忘れはひどいが・・・」


おれは笑うしかなかった。


「よく頭痛がひどいと・・・」


・・・秋元がそういう診断を下したのだろうか。


「どうだろうな・・・医者ってのはなんでもご大喪な病名をつけたがるもんだろ・・・」
「とにかく、一度よく診てもらってください」
「まあ、暇があったらな。 これから、権三の葬儀やらなんやらで忙しくなりそうだから」
「やはり、お亡くなりになったんですね」


おれもいまだに実感がない。

まだ権三は生きていて、いまにも呼び出しの連絡でも来そうだった。


「少し、疑問があるのですが・・・」
「うん?」
「あなたが病気にかかっているという話は、権三さんから聞いたんです」
「会ったのか?」
「つい昨日の晩に、屋敷を訪ねました。 ユキを許していただけるようお願いに上がったんです」
「おいおい、権三がそんな頼みを聞くわけないだろう」
「しかし、すでに、権三さんの興味は、ユキにはありませんでした。
そこで、電話がかかってきたんです」
「あ、ちょっと待てよ、それって・・・」
「あの電話は、あなたからだったんですね?」


おれは昨晩の出来事を思い返す。


「山王物産をあとにしたおれに、いきなりある電話がかかってきたんだ。
おれは仰天した。 そいつは死んだはずの兄貴だったからだ。
"魔王"は、話があるから、港まで来いと誘ってきたんだ。
気が動転していたおれは、ひとまず権三に報告した。
おれは"魔王"じゃないってことを伝えたんだが・・・」


いま思えば、それこそが"魔王"の罠だったのだ。

つまり、"魔王"は、おれを餌に権三を港までおびき出した。

おれはもちろん、権三も殺すつもりだったのだろう。


「港では、どんな出来事が?」
「権三は、精鋭を引き連れて"魔王"を待ち構えていた。 さすがに罠だと気づいていたらしい」
「しかし、撃たれてしまった・・・」
「ああ、おれが、タクシーで乗り入れたとき、不意に車から出てきてな・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・え?」


宇佐美の顔が険しくなった。

 

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「遠くからライフルで狙撃されたと聞きましたが」
「あ、ああ・・・」
「権三さんは、浅井さんが現着するまで、車の中に身を隠していたんですか?」
「だと思うが・・・権三の車の窓はスモークがかかってるからな、狙い撃ちされることはない」
「では、なぜ・・・飛び出してきたんですかね?」
「わからんが・・・」
「わからない?」


責めるような、それでいて悲しそうな複雑な顔になった。


「そうですか」
「なんだよ?」
「いいえ。 きっと自ら身をさらけ出すことで、"魔王"の位置を探ろうとしたんでしょう」
「なるほどな。 たしかに、その後の部下の人たちの動きは凄まじく早かった。
さすがは、親分だな・・・勇敢というか、無謀というか・・・」
「・・・・・・」


じっと、見つめてくる。


「なんだよ・・・よせよ・・・」


指先がにわかに震えてきた。


・・・まさか、そんなはずはない・・・。


「たしかに、おれは、"魔王"がライフルで狙っていることも知らずにのこのこと現れたよ・・・でも・・・」


――京介よ、のこのこと現れれば死ぬぞ。


そのひと言が、鼓膜から全身の神経にいきわたり、愕然とした。


「ば、馬鹿な・・・ありえんよ・・・」


権三の最後は、いまも目に浮かぶ。


・・・。

 

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「お、お義父さん!」


怪物は、地面に倒れた。

瞳に修羅を宿し、ぐいとおれを見据えていた。


「寄るな」


駆け寄ろうとしたおれの膝が、小刻みに震える。


「す、すぐ、救急車を・・・!」
「黙れ」


手負いの獣の威圧感に、おれの体は凍りついた。


「・・・京介、よ・・・惜しかったな」


泡を含んだ血液が、口からこぼれ出た。


「・・・俺がもう少し早く死ねば・・・お前も親元に帰れただろうに」
「・・・死ぬなんて、そんな・・・」


信じられなかった。


おれの人生の前に、山のように聳え立っていた男が死ぬなど、想像もできない。


「"魔王"を、追え・・・子分どもには、そう言い聞かせてある」


たしかに、組長が死にかけているというのに、誰も看取りに来ない。

仁と義のはびこるヤクザ社会において、ありえない事態だった。


「こ、これが、あなたの作った組織だというのですか?」
「・・・"魔王"を捕まえれば・・・金ははずむと言ってある」


どこか愉しそうに言った。


金と権力になびかぬものなどいない。


死の間際にあって、浅井権三は自分の生き方が間違っていなかったのだと、満足しているのかもしれなかった。


「五千出す。 さあ、お前も行け」
「し、しかし・・・!」
「二億の借金を忘れたわけではあるまいな」


これから、死ぬというのに、なにが二億の借金か。

けれど、浅井権三の目は、地獄の底からでも回収に来るぞ、と雄弁に語っていた。


「失せろ、京介」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

「そんな・・・そんなはずがない・・・」


拳を握り締め、否定した。


「宇佐美、お前は権三を知らないから、そんなおとぎ話みたいな想像ができるんだ」
「・・・・・・」
「いいか、ヤツはな、初対面の人間を殴った席で、流血を見ながら酒をあおれるような男なんだぞ?」
「・・・・・・」
「その席でな、花音をてなずけるために、犯しておけなどと本気で言いやがったんだぞ?」
「・・・・・・」
「椿姫の弟が誘拐されたときも、おれを殴りつけてだな・・・」
「・・・・・・」
「花音のことも、いい金稼ぎの道具としか見ていなかったし・・・」
「・・・・・・」
「そ、そうだ、ヤツは、母さんを、おれの母さんに鬼のような仕打ちをしたんだぞ!?」
「・・・・・・」
「あの浅井権三がっ、あの神をも恐れぬ冷血漢がっ!」


・・・・・・。

 

・・・。

 


あの夜、タクシーから不用意に降りたおれ。

 

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突如、浅井権三が、猛然と迫ってきた。


驚いたおれは、とっさに身を伏せていた。


「京介えええっ――――!!!」

 


・・・・・・。

 

・・・。

 

 


「赦されるのか!?」

 

ありえない!


そんな生き様が、いや、死に様が赦されるはずがない。


「そんな妄想は、浅井権三に対する冒涜だ!」


否定しなければ、気が狂ってしまいそうだった。


権三に従った数年間。


一度足りとて、優しさなど見せなかった。


来る日も来る日も、金、金、金だ・・・。


金を生み出さぬ家畜は、殴られるだけ。


暗黒の哲学をおれに叩き込んでくれた養父を置いて、おれは走り去ったのだ。


「わかりました、五千ですね」


五千ですね――。


最後の言葉が、それだった。


最後まで、金の話だった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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「さん・・・浅井、さん」


おれを呼んでいる。


「泣かないでください・・・」


おれは床に跪き、両手を合わせていた。


「なあ、頼む・・・っ!」


手を合わせた先に、地獄の底で笑う権三がいた。


「穢れなき少年の瞳を、おれにくれっ!」
「・・・・・・」
「怖いお父さんが、最後の最後で息子をかばってくれたのだと、おれに信じさせてくれ!」
「・・・・・・」
「頼む・・・!」

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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権三よ、本当のところはどうなんだ!?

お前は、ただ"魔王"と決着をつけるべく、車から飛び出てきたのか?

それとも、それとも、まさかっ・・・!

脳天まで響く、獣のような叫び声。

ぐおお、ぐおお、と泣き叫ぶおれは、さながら腹をすかせた動物の赤ん坊だった。

しかし、父親は狩から帰ってこない。


いくら待っても、帰ってこない――。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

いつの間にか眠っていたようだ。

頭に柔らかい感触。

 

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「おはようございます。 もう、朝ですよ」


おれは、宇佐美の懐に抱きつくように寝ていたらしい。

異様に喉が渇いていた。

時刻はすでに朝の八時を回っていた。


「まずい!」
「どうされました? 学園に行かれるんですか?」
「権三の葬儀の段取りをしなければならん。
総和連合の大親分が出張ってくるらしいから、さすがに顔を出さなくては」


これから園山組はどうなるんだろうな。

堀部あたりが、五代目に就任するんだろうか。

それとも、別の組から組長代理を立てるのか。


「わかりました。 もう行かれるんですか?」
「ああ、夜には一度帰ってくる。 それまでゆっくりしてろ」
「残念です。 わたしの手料理をご馳走しようと思っていましたのに」


・・・なんかグロそうだな。


「じゃあなっ」
「あ、お見送りに」


玄関から飛び出すと、宇佐美も続いてきた。


・・・・・・。

 

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「・・・っと」


時田と白鳥。

エレベーターを降りてエントランスを抜けると、ばったり出くわした。


「おはよう、京介くん。 ハルはどうだった?」


冬の青空に負けないぐらいの笑みを浮かべていた。


「どうだったって・・・」
「食べたんでしょ?」


「姉さん、朝だよ?」

 

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「そうだ、場所をわきまえろ。 ひとの家の前だぞ?」


「あら、ハル。 いたのね」


前髪をなで上げる時田の仕草には、どこか物憂げな影があった。


「お義父さん、亡くなられたわね」
「ああ、おかげでお前らも、お天道様のもとを歩けるぞ。
これから園山組は跡目争いで大忙しだ。 お前らなんかに用はない」


「お母さんも・・・」
「ああ、死んだよ。 白鳥は、宇佐美から聞いたんだな。 ちなみに同情や慰めはけっこうだ」


「そうね、それはハルの役割だもんね」


やはり、どこか暗い。


「時田は、明日から留置所暮らしか?」
「フフ・・・ご挨拶ね」
「まあ、好きにしろよ。 おれの知ったことじゃない」
「ええ、好きにさせてもらうわ」
「まあ、わかってるだろうが、お前がパクられたところで、誰も得しないぞ?」
「・・・・・・」


・・・なんだよ、なにか言い返してこいよ。


「よく考えろよ、時田。
まず一番の被害者の白鳥理事長でさえ、お前に逆恨みこそすれ、ことが公になるのを望んでいない。 お前が自首したら、学園の占拠事件まで報道されるからな。
白鳥にしろ宇佐美にしろ、お前のことが好きみたいだん。
つまり、この事件に関わった人間はお前を訴えるつもりがないんだ。
警察も暇じゃねえんだ。 出頭したところで、けっきょく不起訴になるかもしれんぞ?」
「ノリコ先生と橋本くんは違うわ」
「ああ、そうだったな。
ノリコ先生はただ巻き込まれただけだし、橋本はお前の従犯だ。 その二人については、知らん」


宇佐美が口をはさんできた。


「ユキ、考えを変える気はないのか?」


「姉さん、思い直して。 ノリコ先生には、いっしょに謝ろう? きっと許してくれるわよ」


時田は苦い顔で、首を振った。


「・・・京介くんが言っているようなことは、ずっと考えていたわよ」
「へえ・・・」


おれはなんとなく頭にきていた。


「宇佐美は唯一の親友を失い、白鳥はまたひとりぼっち」
「・・・・・・」
「お前の父親の刑事もせっかく栄転したってのに、また田舎暮らし」
「・・・・・・」
「お前が自首して得るものは、ただの自己満足だけじゃねえか。 立派な正義感だな」


いつもは雄弁な時田が、黙っておれの話に耳を傾けていた。


「お前は罪を犯した。 そりゃ、教科書には時田自首しろって書いてあるよ。
しかし、獄中で罪を償った気になる前に、まず金を払え」
「・・・お金?」


さすがの時田も胸をつかれたようだ。


「お前のせいで、園山組の若い衆がてめえのシノギ放り出して駆けつけたんだ。
その人件費と、あの倉庫の一晩の電気代、慰謝料なんかも含めると・・・百や二百じゃきかねえな」
「・・・は」


時田の顔がひきつる。


「とにかく払うもの払ってからにしろ。
その前に警察に逃げ込んだりしたら、てめえの家族から回収させてもらうからな」


ちらりと、時田にわかるように、白鳥をにらみつけた。

 

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「冗談でしょう?」
「冗談かどうか知りたければ、いますぐ警察に駆け込んでみろ。
ちょうどおふくろも死んでな。 おれも気が立ってるんだ」
「・・・っ」


うめきを漏らし、じっとおれの全身を観察してきた。

得意の心理学みたいなもので、おれの真意を探っているのだろう。


「とりあえず、時田には"魔王"について聞きたいことがある。 逃げるなよ」


無駄話している時間の余裕はなかった。

三人を残して、権三の邸宅に向かった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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屋敷の周りに整列する、黒服という黒服。

おれは挨拶とガンの応酬にもまれにもまれ、ようやく門をくぐることができた。

そこで、葬儀の段取りを聞いた。

通夜は明日、告別式はあさって。

権三の遺体は、総和連合の幹部が亡くなったときによく使われる式場に運ばれていた。

おれは、関係者への連絡や、お返しものや料理の手配、供花の注文など・・・要するに雑用に追われることになった。

総和連合の最高幹部の方々と話をして、正直、緊張に胃がおかしくなりそうだった。

権三の死を表立って嘆く者は一人もいなかった。

同時に、彼らは、皆一様にどこかほっとしたような顔をしていた。

いかに浅井権三が、周りから疎まれ、そして畏怖されていたかがわかる。

さらに、そこかしこで飛び交う、"魔王"という言葉。

彼らには、"魔王"の正体が、おれの兄、鮫島恭平だということは知れ渡っているようだった。

葬儀が一段落したら、おれへの詰問が待っていることだろう。


・・・"魔王"。


おれはただ、黙々と、体を動かしていた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

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「お帰りなさいませ」


部屋に戻ると、当然のように宇佐美が居座っていた。


「ご飯になさいますか、お風呂になさいますか?」
「新婚ぶるなよ」
「一度言ってみたかったものでして」
「・・・って、なんか焦げ臭いな」
「はい。 イベリコ豚のソテーを作ろうと思って失敗いたしました」
「うんうん、火事にならなくて良かったですね」


もはや、ツッコむのもめんどくさかった。


「意外とお早いお帰りでしたね」
「ああ、また九時くらいになったら出るぞ」
「ちょっとの合間も、わたしに会いに来てくださったんですね?」
「・・・違うから」


まったく、なんでこんな女が気になるんだろうな、おれは・・・。


「おい、時田は何か言ってたか?」
「いえ・・・」
「ふうん・・・」


明日にでも、呼び出すとしよう。


「ひとまず魚焼いてますんで。 浅井さんはゆっくりしててください」
「おう・・・」


とはいえ、やることはたくさんある。

権三が亡くなったいま、浅井興行も店じまいだ。


・・・久しぶりに音楽でも聞くかな。


おれはCDラックを漁る。

悪魔的な曲がいい。

クラシックの分野で悪魔的といえば、早弾きによる超絶的な技巧を指すことが多い。

しかし、ここは、モーツァルトかな・・・悪魔が書かせたものらしいし・・・。


・・・ん。


「おい、宇佐美」

一枚のCDを手に取り、思わず呼びつけてしまった。


「お呼びでしょうか?」
「こ、これなんだが・・・」

 

 

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それは、おれのお気に入りの奏者のデビューアルバムだった。

弱冠十三歳の天才ヴァイオリニスト。


「ミシマ、ハルナ・・・」
「嫌なものを持ち出してきましたね」
「え?」


宇佐美を見つめる。

どことなく、面影がある。


「十三歳でこんな氷の上にいなくてもいいすよね」
「マジで?」
「マジです」
「ミシマ・・・三島って」
「はい」
「いや、待て。 この子はだな、あの三島薫さんの娘なわけだが?」
「ええ、わたしの母です」
「は?」
「いや、ホント、僭越です。 そのCDはいま現在、日本では売られていないはずなんですが」
「ちょ、ちょっと待て。 本気か?」
「これが恐ろしいことに、真実なんですよね」
「いや、三島春奈はだな・・・お、おれの好きなアーティストなわけで・・・」
ロリコンすね、浅井さん」
「春奈ってなんだよ、芸名か?」
「ですね。 母が、本名はやめておけと」
「なんでまた」
「ですからその・・・言いにくいんですが、わたしはいちおう殺された被害者の娘でして・・・このCDを発表した当初は、まだ幼女だったわけですし」
「幼女ってわけじゃねえだろうけど・・・」
「いえ、レコーディングのときは、12だったんです。 まだまだストライクゾーンです」
「む・・・なんでもいいが・・・いや、芸名なんて珍しいから、ついな・・・」


いまのいままで、宇佐美ハルが三島春奈だとは気づかなかった。


「で、あの・・・」
「はい」
「次のアルバムはいつごろになるんですか?」
「気持ちわるいっすね、なんか」


こいつに気持ち悪いとか言われるとなんか無性に傷つくな。


「もう出ませんよ。 レコード会社との契約もとっくに切れてますし」
「そうか・・・活動休止といいつつ、実質引退してたのか」
「ホント、ガキがなめんなって感じですよね。 親の七光りで半ば強引にCDデビューしたようなもんなんです」
「たしかに、お前の母親の薫さんはよ、チャイコフスキーで1位取ってから、ベルリンとかバーミンガムとかフィラデルフィアだのの楽団を飛び回って公演してたすごい人だったよ」
「ええ、ですから、母がすごいんですよ」
「だから、レコーディング方面でお前が目ぇつけられるのもわかるよ。 まあ、ぶっちゃけ容姿もいいって評判だったからな」
「あ、いまのところもう一度」
「え?」
「まあ、ぶっちゃけ・・・なんです?」
「まあ、ぶっちゃけこんな気持ち悪い女だったとは思わなかった」
「そすか・・・」


しょんぼりしていた。


「いや、でも三島春奈さんはよー・・・あ、いや、お前か。
お前は、ほら、ドイツの学生コンクールで優勝してるじゃないか」
「よくご存知ですね。 これだから浅井さんは恐ろしい」


深いため息が返ってきた。


「だから、それなりに実力も買われてたってことだろ。 こうして目の前にファンもいたわけだし」
「正直、あなたすごいマニアですよ。 いま自分なんて誰も知らないすから」
「じゃあ、とりあえず弾いてみてくれよ。 飯とかいいから」
「いやですよ」
「おれがこうして頭を下げてるのに?」
「・・・勘弁してもらえませんかね」
「お前、おれがどれだけ生演奏から遠ざかってるか知ってるか?」
「水羽とデートで行ってたじゃないですか?」
「ソロが聞きたいんだよ、ソロが」
「・・・いや、ほんとに・・・すいませんけど・・・」


・・・どうやら、本当に嫌みたいだな。

下手なものは弾けないというプライドでもあるのか。


「お前って、だからうちの学園に来たんだな」
「ああ、はい。 いちおう編入のときに芸能活動歴ありみたいな話は通してました」
「するとちょっとは出席日数が甘くなったりするんだったか?」
「ですね。 奨学金借りてますけど」
「ふうん・・・」
「なんすか?」
「いや、ようやく、お前のことがわかりかけてきたな」


やっと人間らしく見えてきたというか。


「じゃあ、ひとっぷろ浴びて出るわ」
「あ、そすか・・・自分の制服は?」
「ああ、忘れてた。 クリーニングに出してた」
「じゃあ、取りに行ってきます。 少し、街の様子も探ってみたいですし」
「街の様子?」
「ええ、"魔王"の動きが気になりまして」


それは、おれもだ。

いまが、束の間の安息の時間であることは、知っている。

ここ一週間で様々なことが起きすぎている。

母の死、権三の死、兄の暗躍・・・・・・。

そして、宇佐美ハルという、幼い勇者との再会。

だから、少しだけ・・・そう、少しくらい気持ちを整理させて欲しかった。


「あ、浅井さん、浅井さん」
「すまんが、夕飯は帰ってきてからにしてくれ。
極悪フェイスに囲まれっぱなしで緊張しまくりでよ、胃が縮こまってるんだ」
「いえ、お風呂なんですがね」
「うん? 先に入りたいのか?」
「い、いえ・・・そうではなくて・・・」
「なにあせってんだ?」
「わたしから言わせる気ですか?」
「さっぱりわからんが、背中でも流してくれるのか?」
「ビンゴです」


指を鳴らした。


「意外とつくすんですよ、自分」
「てめえで言うな」


・・・・・・。


浴室にて。


「つーか、髪整えてこいよ。 やたらぺちゃぺちゃしてうざったいぞ」
「は、はあ・・・」


ごしごしと、スポンジをこする。


「お、そのへんそのへん・・・あー、人に洗ってもらうと違うなー」
「ど、どうも・・・」


おれの背後で、しどろもどろになってる宇佐美。


たまに熱っぽい吐息がかかる。


「お前も、洗ってやろうか?」
「え、自分裸ですけど」
「知ってるよ。 さっきから胸が当たってるからな」
「こ、これは失礼しました・・・」
「とにかく、洗ってやるから後ろ向けよ」
「い、いえいえ。 わたしは結構です」
「遠慮するな」
「いや、遠慮とかじゃなくて」


宇佐美は、いそいそと浴槽に逃げていく。


「なんで逃げる」
「いえ、逃げているわけでは・・・」
「逃げてるだろう。 待てって」


湯に浸かろうとする宇佐美を、おれは浴槽の中まで追いかけ、後ろから捕まえた。

 

 

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おれたちはお互いを求め合った・・・。


・・・・・・。

 

・・・。