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G線上の魔王【30】(終)

 

・・・。

 

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たったいま、漁船から、日本の領海を離れたと報告があった。

現在、父を海上で、別の船に引き渡しているという。

安堵した。

心の底から、ため息が出た。

ようやく勝ち得た安息。

長かった。

柄にもなく涙が出た。

徹底的に破壊つくした街並みに、もはや感慨すら覚える。

もう二度と、見ることのない景色。


時田警視正から、しきりに着信がある。

おれは電話に出て一言だけ告げた。


「協力を感謝する、警視正


静かに、通話を切った。


「全員、撤収準備は済んでいるな」


おれは、今回の地獄を演出するためにつきあってくれた仲間――大半は金で雇ったが――たちに別れを告げた。


「以上で、解散とする」


おれは独り――。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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「死にたくなかったら、そこをどけ」


おれはバスの運転席でうたたねをしている少年に銃口をつきつけた。

なんだてめえってな顔をしていたが、おれの後ろには本物の極道が三人ほど、鬼のような顔をつきつけていた。


いったいどこから窃盗してきた車両なのか。

二台の大型バスが、セントラル街の一つの通りを横並びに塞いでいた。

おれたちは、その一台の運転席に近づいて車両の奪取を試みた。

運転席に座っていた少年は、恐れをなして去っていった。


「堀部さん、あとは任せましたよ」
「わかりやしたよ。
なあに、キーがなくても、車を動かす方法はあるんですわ。 おい」


なにやらドライバーを持ち出して、子分に命じていた。

車両窃盗の手口は、見ないでおくとするか。


「浅井さん・・・」
「どうした、宇佐美?」


なにやら、考えるような顔をしていた。


「いえ・・・ぞろぞろと人が集まり始めましたよ・・・」


騒ぎを聞きつけたのだろう。

少年たちがぽつり、ぽつりと姿を現した。

そこに、ヤクザの一人が、空に向けて短機関銃を撃ちまくった。


「てめえら、目を覚まさねえか!」


ありったけの大声で叫んだ。


「もう警察が来るぞ! おれたちは終わりだ!」


とたんに少年たちの群れに動揺が走った。

彼らも疲れていたのかもしれない。

破壊という破壊、犯罪という犯罪を繰り返し、ふと我に帰ったときの恐怖を突いてやる。


「人質の居場所が知られた! 警察は容赦なこう踏み込んでくる!」


少年の国を作るなどと、馬鹿げた夢から覚めさせてやればいい。


「おれたちは利用されたんだ! 武器を捨てろ! 捨てないと警察に殺されるぞ!」


また、掃射があった。

 

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五十人以上の人だかりができていた。

誰かが声を上げた。


――あいつの言うとおりだ!


聞いたような声だった。

ひょっとしたら、改心した橋本かもしれない・・・などと甘いことを考えた。

ざわめきが際立っていた。

群衆はすでに、百人を越えていた。

少年たちだけではなく、中年や老人の姿も見えた。

思った以上に、生き残った人々は多いようだ。

それに危害を加えようとする者はいなかった。

暴徒たちは、すでに、保身を考え始めている。

背後でバスのエンジンがかかる音が響いた。

もう煽る必要もないようだった。

バスが建物の外壁を削りながらゆっくりとこちらに向かってくる。


封鎖が解かれる――!

 

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園山組の男が運転したバスはクラクションをふんだんに撒き散らしながら、人の塊に向けて突っ込んできた。

もう、暴徒もなにもなかった。

我先にと、外の世界へと飛び出していった。


――いまだ!


――助けて!


――警察に捕まりたくなかったら、逃げろ!


悲鳴と怒号があちこちで飛び交う。

こちらの異変に気づいた外の警官隊も拡声器やスピーカーを使って、叫び始めた。


――止まって下さい!


――走らないで!


無駄だった。

群衆は、津波のように押し寄せていく。

ジュラルミンの盾を持った機動隊員も、迫り来る集団にどう対処していいのかわからないようだった。

暴動でもデモでもないから、対応に困っているのか。

たしかに、逃げ惑う人々には、少年から老婆までいる。

サラリーマンにヤクザ者に外国人に学生に・・・とにかく、ありとあらゆるタイプの人間が、これまでセントラル街に閉じ込められていたのだ。

衣服をかき乱した少女や血まみれの青年もいる。

武器を手放した少年がもはや暴徒なのか一般市民なのか、まったく区別がつかない。

警察官が、誰彼かまわず捕まえようとしているが、逆にもみくちゃにされている始末だった。

応援を、応援を、などとしきりに叫んでいた。

そこに、人の波を割って現れる一団があった。

人数は二十人くらいだろうか。

他の警官とは明らかに異質な装備と服装をしていた。

脇に、物騒な銃を抱えている・・・多分、特殊部隊かなにかだろう。

彼らは、隊列を組み、中に突入してきた。

その、素早く訓練された動きは、群衆という嵐のなかにあって、一本の稲妻のようだった。

おれたちには目もくれず、あっという間に通りの彼方に走り去っていった。

向かう先は、おれたちが示唆した、ビジネスホテルの方角だった。


・・・これで、"魔王"も終わりだろう。


「・・・さん・・・浅井さん・・・!」


喧噪の中だったので、宇佐美の声が上手く聞き取れなかった。


「電話です・・・!」


電話?


いったい、この状況で誰からかかってくるというのか。

おれはひとまず、人ごみを抜けた。


「誰からだ?」
「・・・出てみれば、わかるかと・・・」


なにやら神妙な顔をしていた。

おれはためらいがちに、宇佐美から携帯を受け取った。


「もしもし・・・」


相手の声に、驚愕した。


「京介か・・・」

 

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とっさに、声が出なかった。

あたりの喧騒が、いきなり聞こえなくなった。


「京介・・・驚いているだろうな・・・」
「な、なんだっていうんだ、いきなり!?」


"魔王"は、これまで聞いたことのない穏やかな声で言った。


「最後に、少し、話がしたくてな・・・」
「え?」


心臓を鷲づかみにされる思いだった。


「父さんは、ついに釈放された・・・だからもう、思い残すことはない」
「なっ・・・!」


知らなかった。

警察は、"魔王"の要求を呑んだのか。


「そ、それで・・・?」
「いや・・・それだけだ」
「それだけって・・・」


おれは今の自分の気持ちをどう表現していいのかわからなかった。

憎い"魔王"のなかに、優しかった兄が混じって、わけがわからない。


「あ、あんた・・・まさか、死ぬつもりなのか?」


"魔王"は答えなかった。

答えないことが返事になった。

・・・そういえば、そうだ。

セントラル街を占拠したからといって、いったいどうやって逃げる算段だったのか。

規模が大きいだけで、ビルの立て籠りと変わらないのだ。


「いや・・・死ぬつもり、だったんだな」
「詮無いことだ」
「・・・っ・・・」


おれはそのとき、初めて、"魔王"の覚悟を知った。

彼は、たった一人で、これまで生きてきたのだ。

たった一人で、国家に挑み、そして打ち勝った。

自らの命と、引き換えに・・・。


「い、いや・・・それでも、お前は、大罪を犯した・・・」
「わかっている」
「大勢の人を殺し、欺いた」
「わかっている」
「赦されることではないだろう!」


いつしか、拳を握り締めていた。


しかし、"魔王"は・・・いや、恭平兄さんは、おれに許されるために声をかけてきたわけではなかった。


「お前が、封鎖を解除したんだな、京介・・・やればできるじゃないか」
「・・・・・・」
「そうか・・・強くなったんだな・・・」


胸が熱い。


声に出して叫びたかった。


「で、でもおれは、母さんを・・・」
「運命だ」


慰めるようなひと言に、もう限界だった。


家族が、逝ってしまう。


清美、母さんに続き、兄さんまで・・・。


「なんと、呪われた一家かな・・・」


自嘲していた。


「しかし、私とお前は違う」
「兄さん・・・」
「私は復讐にだけ生きてきた。
けれどお前には、ほら、隣にいるのだろう?」


宇佐美・・・。


「ああ、いる・・・いるさ・・・いまも、おれたちの会話に聞き耳立ててやがる・・・おれを心配してくれてるんだ・・・」


兄さんは笑った。


「私はその少女を許すことができなかった。
お前は許せ。 許して、復讐の業を断ち切るがいい」


おれは、もはや、なんと声をかけていいかもわからなかった。


ただ、無情に時が流れる。

 

かすかに粉雪が舞う。


「さらばだ。 京介・・・」


その直後だった。


夜だというのに、遠くの空が、赤く染まった。

黒煙が立ち上り、その方角から大勢の人が逃げ込んでくる。

警察の怒号が飛び交っていた。

ホテル・・・爆弾・・・かろうじて聞きとれた。

おれは携帯を耳に当てたまま、呆然としていた。


もう、なにもかも、忘れたくなった。


せめて、なにかひと言、かけてやる言葉はなかったのだろうか。


大勢の人にとって極悪人の"魔王"は、おれにとってはたった一人の兄だったのだ。


「兄さん・・・」


おれは再び、携帯のリダイヤルボタンを押した。


無我夢中だった。


つながるはずがなかった。


けれど、何度も、かけなおしてみた。


おれの腕をつかむ、髪の長い少女がいた。


「浅井さん・・・」


少女は、短く、けれど、厳しく言った。

 

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「――騙されてはいけません!!!」


宇佐美ハルの瞳に、憎悪がみなぎっていた。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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「フフ・・・」


さて、逃げるとするか。

おれは、京介が解いた封鎖地点にまで来ていた。

人の群れに溶け込み、あせらず、急がず外を目指す。


・・・誰が、死ぬものか。

ようやく父に会えるというのに。


まったく、勇者ご一行は大活躍だった。

思惑通り、特殊部隊をかのビジネスホテルへ誘導してくれた。

ホテル内には、多量の爆薬をしかけておいた。

突入半が今川の監禁されているドアを開けると同時に爆発するしくみになっている。

警察が発見するのは、焼け焦げた死体。

軍服を着て、皆、ご丁寧に武装している、テロリストの自決の残骸。

目的を達成した過激派が、特殊部隊の突入に観念して、自爆するというシナリオだ。

当然、おれたちの死体ではない。

そう、山王物産で捕まえた人質たちだ。

だから、あらかじめ、おれたちと同数の男性を確保しておいた上で、女を優先的に殺していったというわけだ。


彼らは、バスに乗せただけで、すぐホテルに戻させた。

京介たちが、人質がバスに乗り込む瞬間を写真に収めてくれたのは、僥倖だった。

焼死体をテロリストのものと照合するには、時間がかかる。

おれたちが、日本を離脱するくらいの時は十分に稼げる。

おれの顔を知っている者は、暴徒のなかにはいない。

宇佐美と京介くらいのものだ。

この人の嵐のなかであれば、外にいる警察も楽に振り切ることができる。

勇者に感謝しなくてはな。

おれは、まさしく、この瞬間のために、貴様と遊んでやっていたのだ・・・。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

「浅井さん、これは罠です・・・!」
「な・・・え・・・?」


兄を亡くした衝撃に打ち震えていたおれの腕を、宇佐美がしっかりと握る。


「どうも、うまくことが運びすぎていると思ったんです」
「ど、どういうことだ・・・?」
「"魔王"は、いつでもわたしを殺すことができました。 なのに、殺さなかった」


・・・。

 

 

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「わざわざわたしを山王物産の屋上に連れて行ったときから、"魔王"の姦計は始まっていたんです。
さも演出だのお遊びだの言いながら、わたしが、人質の居場所を探ることを予想していたんです。
"魔王"はわたしに銃口を突きつけて、屋上から突き落としました。
しかし、そのときは気づきませんでしたが、いま思えば、"魔王"は、きちんとわたしをゴンドラのある位置まで誘導していたんです。
それが証拠に、"魔王"はゴンドラにひっかかったわたしを殺しませんでした。
屋上から、いくらでも狙い撃ちにできたはずなのに」


・・・それは、そうかもしれない。

普通、人が落ちたなら、下を確認するはずだ・・・。


「それから、わざわざ明かりを全開にした大型バスを使い、これまた不自然なまでに明るい道を選んで、人質を移動させました。 それも、ゴンドラの上のわたしから見える方角です」


・・・そうだ、そんな都合のいい話があるはずがない。


「じゃあ、宇佐美は利用されていたってことか?」
「おそらく、わたしが助かることまでは予想してなかったでしょう。
けれど、携帯電話で、人質の居場所を浅井さんに伝えるぐらいはできると考えたはずです」


・・・。

 

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「次に、あのホテルで写真を撮ったときです」
「ああ・・・」
「なぜ、"魔王"は、もっと必死に追ってこなかったのでしょうか?」


おれは言葉もなかった。


「彼らはプロです。 山王物産のそばに隠れていたわたしを音もなく捕まえた彼らが、なぜわたしたちみたいな素人を取り逃がしたんでしょうか?」
「・・・たしかに、追ってきたのは"魔王"一人だった」


おれは、まんまと追っ手を振り切った気になっていたが・・・。


・・・。

 

「そして、この封鎖地点の防備のもろさです。
わたしたちが結束して解ける程度なら、警察も苦労もなく乗り越えて来ていたでしょう。」
「おれたちは・・・警察をなかに招き入れるために利用されたのか?」


宇佐美がうなずいた。


「見てください。 特殊部隊が人の群れを割るようにこちらに進んできたことで、さらなる大混乱が発生しています」


息の詰まるような大混雑。

どこを見渡しても人、人、人。

機動隊とOLと老人と警官と少年とホステスがごった返している。

騙されたと悟ったおれは、激しい怒りを燃やした。


「"魔王"が逃げるには絶好の機会だ・・・!」

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

「・・・予想以上の混乱だな・・・」


おれにとって、唯一の懸念はタイミングだった。

警察をホテルへ招き寄せるのは、交渉が成立してからだった。

もし、父の釈放を警察が渋っていれば、京介たちの大活躍はそのぶん、遅れることになった。

カメラや携帯電話のたぐいを取り上げ、監禁してやったことだろう。

もちろん、彼らが、おれの思惑通りに動かないことも想定していた。

その場合は、仲間の一人が裏切って人質の居場所を告げるてはずになっていた。

封鎖も、こちらで解除する予定だった。

しかし、二人は本当によくやってくれた。

まさか、宇佐美が生きているとは思わなかった。

強くなったな、京介よ・・・。

昔から、センチメンタルな甘さが魅力の男の子だった。

いまごろ、一人感動して涙を流しているかもしれんな。

出口に近づいたそのとき、背後の喧騒のなかから、声があった。


「"魔王"・・・!」


はっきりと、おれを呼んでいる。

振り返れば水商売風の女を挟んだすぐ後ろに・・・。

 

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・・・宇佐美!

気づかれたというのか。

たしかに、冷静になってあとを振り返り、事件の第三者のような目を持つことができれば、不審な点は見つかるだろう。

けれど、ヤツは、何度も死にかけたはずだ。

この命を懸けた極限状況のなかで、おれのたくらみを見破ってきたというのか・・・!


「お遊びが過ぎたな、"魔王"・・・!!!」
「くっ・・・!」


たしかに、少しだけ・・・。

宇佐美をかわいがりすぎたのだ。

おれの予想を凌駕する地点まで、勇者を成長させてしまった。


「警官の皆さん、あの男です! あれが、事件の主犯です!」


・・・まずい・・・!


宇佐美のうすら長い髪に目を引かれた警官が、いくらかおれに目を向け始めた。


――そこの男、止まりなさい。


パトカーのライトが、一斉にこちらを向けた。


機動隊員が盾を構えて、おれの前方に立ちはだかっている。


「おのれっ!!!」


策に溺れるとはこのことか!

おれは出口まで進みかけていた足を止めた。

反転し、退路を探す。

向かってくる人の波をかきわけ、邪魔な人間を撃ち殺した。

悲鳴が上がる。

警察官が、何事か叫び、銃を構えた。

かまわず、道路を封鎖していたバスに近づいた。

前方のドアが開いている。

エンジンをかけっぱなしにしていて、マフラーから白い煙が上がっている。

ステップに登り、一度背後に向けて、銃を乱射した。


おれはバスに乗り込み、窓ガラスを撃ち抜いた。

追ってきた警官にも命中したようだ・・・。

さらに、慎重に狙いを定める・・・。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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現場は、地獄と化していた。


"魔王"が、バスのなかから、銃撃戦を仕掛けてきている。

銃弾が飛び交い、ばたばたと人が倒れた。

倒れた人の上に、さらに人が倒れていく。


「浅井さん、銃を、銃を貸してください!」


宇佐美が血走った目で、おれにつかみかかってきた。


「ば、馬鹿! 落ち着け!」
「殺すんです! いましかない!」


狂気にとりつかれていた。


「あいつは、あなたを騙したんだ!!!」


汗と涙を飛び散らし、声高に叫んだ。


「卑劣に、お母さんを殺したんだ!!!」
「無茶を言うな!」
「憎くないんですか!?」
「ああ、憎いさ!」


ヤツは、最後の最後まで、おれを欺いた。


「でも、この場で、お前がどうにかできる相手じゃない!」


すでに、警察がバスに近づいていた。

遮蔽物を排除し、タイヤを撃ち抜いていた。

しかし、バスが動き出すことはないだろう。

道路にはまるで地獄の亡者のように人が溢れている。


「ぐっ、離して、離してください!」


死の願望にでもとりつかれているのか。

宇佐美は前進をやめようとしなかった。


「宇佐美、やめろっ!!!」


バスに近づきすぎている。

"魔王"が、バスの後方・・・おれたちのいる側の窓に近づいてきた。

テロリストのシルエットがバスの後部、非常口のあたりに見えた。


「逃げろ!!!」


「いまだ!!!」


――この馬鹿やろうが!


おれたちのせいで、警察が発砲をためらっている。

大混乱のなかでは、バスの包囲もままならないようだ。

 

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「あいつを殺して、ヴァイオリンを弾くんだ!!!」


呪われた勇者が、修羅の声を上げたとき、さらなる銃声があった。

バスの窓が撃ち抜かれ、血が飛び散った。


「がああっ――――!!!」


"魔王"の絶叫が夜を切り裂く。

さらに、車内がいきなり明るくなった。

 

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火柱が立ち昇る。

道路にしたたっていたガソリンにも燃えうつる。

大小、様々な爆発音が轟いた。

"魔王"の所持していた銃弾やら爆薬やらが暴発したのか。

火の手はバスのそばの建物や、街路樹に燃え移り、一気に火勢を増していった。

避難、避難、と警察が煽り、惨劇を加速する。

炎に包まれた車内。

断末魔の叫びが上がった。

"魔王"が、バスの外に出てくるのをはっきりと見た。

火だるまになりながら、道路に崩れ落ちる。

それでも拳銃を手放そうとしない。

なんという執念か。

悪鬼となって、ゆらりと起き上がり、こちらに向かって歩いてきた。


「あ、あ、あ・・・」


しかし、"魔王"はおれたちにたどり着くことなく、沈んでいった。


「逃げるぞ、宇佐美!」


それから先は、一気だった。


宇佐美を連れて、人の群れをがむしゃらに突破した。

様々な声が飛び交う。

警官の叫び。

女の悲鳴。

爆薬の破裂する音。

地を揺るがすような足音。

消防車のサイレン。

ふと、パトカーの横を通り過ぎたとき、無線機から漏れる声を耳にした。


――被疑者の死亡を確認しました。

 


・・・・・。

 


・・・。

 

 


どこをどう走ったのかわからない。

おれは、宇佐美を抱きすくめ、頭をなでた。

少女はずっと、おれの胸で泣きじゃくっていた。

ごめん、ごめんなさい、と己の蛮行を悔いていた。


「いいんだ、宇佐美・・・」


どっと、疲れが押し寄せてきた。


「えっ・・・」
「もう、終わったんだ・・・」
「・・・あ、え・・・?」
「終わったんだよ、ハル・・・」


宇佐美は、いきなり魔法の解かれたお姫様のように、呆然としていた。


「そう、なんだ・・・」
「ああ」
「そっか・・・」
「ほら、笑えよ。 助かったんだぞ」
「あ、う、うん・・・」


けれど、少女が頬を緩ませることはなかった。

とめどない涙を拭おうともせず、声に出して泣き始めた。

少女のまぶたに落ちた雪が、切なさを際立たせた。


「さあ、ハル・・・帰ろう」


おれは肩に回した腕に力を込めて、少女の嗚咽を受け止めた。


「帰って、クラシックでも聞こうぜ・・・」

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

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「しかし、てめえ、引きこもってんじゃねえよ」
「浅井さんだって、昨日は一日中寝てたじゃないですか。 病院行けって言ったのに」
「うるせえ」
「ぎゃあ」


あれ以来、宇佐美はうちに入り浸っている。


「すいませんね、すっかり彼女面しちゃって」
「・・・メシ作れ」
「あ、はーい」


宇佐美はいそいそキッチンに消えていった。

テレビをつける。

どのテレビ局も、先の封鎖事件をやっていた。


――国会議員今川恒夫の拉致に始まった広域封鎖事件は、おとといの朝七時に、今川および、人質数十名の死亡をもって、一応の収束をみるにいたった。

突入した警察は、封鎖区域にいた人間を拘束。

一般市民はその場で釈放、負債者は病院へ搬送、暴徒と思しき少年は取り調べ、罪状が明らかなものは緊急逮捕となった。

ただ、混乱のなかで逃亡し、身元が確認できなかった者が、一千名以上はいるらしい。

そのなかの一人がおれというわけだ。

でも、まあ、現場に残った映像記録やら、捕まった暴徒の証言から、そのうち警察から呼び出しがかかるだろうな。

実際、芋づる式に検挙されているようだ。

拳銃は捨てるに捨てれず、いまもコートのポケットに入れてある。

・・・警察に見つかったら厄介だ・・・その筋の方に引き取ってもらうとしよう。

恐ろしいことに、死傷者は二千人を超えているらしい。

そのなかに、ホテル内に閉じ込められていた岩井もいた。

彼は、重傷を負いながらも死を免れたようだ。

意識を取り戻した彼の証言から、警察は犯行グループの思惑を知ることになった。

主犯格の男は、生前"魔王"と呼ばれていたそうで、現在、詳しい調べを進めているらしい。


「いや、浅井さんも、そのうち逮捕ですね」
「うるせえよ」
「拳銃は捨てたって言ってましたよね?」
「ああ・・・」


嘘をついておいた。

正義漢の宇佐美に見つかったら、厄介だな・・・。

ああ、やだやだ。

権三が死んで、おれにはもう後ろ盾はない。

その権三だが、堀部以下、園山組の主だった者が参列できなかったという理由で、葬儀は一時見合わせられたようだ。

後日、また連絡が来るという。

被害にあった学生や教員も少なくなかったらしく、学園も一週間の休校となっている。


「しかし、お前、部屋でも制服なんだな」
「ええ、まあ。 同じ服、何着も持ってるんで」


ホントかよ・・・。


ふと、栄一から着信があった。


「おう、京介、生きてたか?」
「うん、まだ警察も来てない。 このまま逃げ切れねえかな」
「いや、無理じゃね。 オレもさっきまた、呼び出されたぜ?」
「はあ、そうなの・・・」
「いや、なんつーの、オレが警察を中に入れたようなもんじゃん、むしろ」
「そうかねえ・・・」
「いや、でも、お互い生きてて良かったな。 宇佐美も無事だって話だろ?」
「ああ・・・ぴんぴんしてやがる。 他のみんなはどうだ?」
「白鳥も椿姫もてめえらを心配してたぞ。 花音は?」
「ああ、あのテロのせいで、空港が一時封鎖になったらしい。
だもんね、まだ帰ってきてないよ」
「そっか、ユキ様なんだがな・・・」
「うん・・・・・・」
「どうも、警察に行ったっきり、帰って来ないんだわ・・・」
「そうか・・・」


二、三日は取調べだろうな。

まあ、時田も法廷に引き出されるような罪は犯してないだろう。


「お前も気をつけれよ」
「わかってる。
おれはビルの窓をぶち破ったり、発砲したり、クラブ燃やしたり、いろいろやらかしたからな」
「おいおい、お前ってついこの間、二十歳になったんだろ?」
「うん、去年の十二月な。 知る人ぞ知るおれの誕生日よ。 一人寂しく過ごしたぜ」
「ダブりすぎじゃね?」
「うるせえから」
「ばれたら、きっと死刑じゃん」
「ばれなければいい。ばれなければ犯罪じゃない」
「クズの理屈じゃねえか」


・・・お前にクズとか言われたくないが、まあいい。


「じゃあ、オレ、ペットの餌買いに行くから」
「あっそ。 いってらっしゃい」


外には雪がちらついていた。


「浅井さん、浅井さん・・・!」
「なんだ、ドタバタすんな」
「今日、バレンタインデーって知ってました?」
「え・・・?」


今日じゃなくね?


「今日、浅井さんの誕生日らしいじゃないですか」
「なにたくらんでんだ?」
「いやもう、アレですよ、お祝いですよ。 自分の誕生日含めて」
「はあ・・・」
「そこで、ほら、で、デートとか連れて行ってくれてもいいんじゃないですか?」
「こんな時間から?」
「ええ、ディナーとか」
「なるほど、メシ作るの失敗したのか?」
「すみません。 フォアグラのトリュフを作っていたんですが」


・・・もう、なに言ってんのかわかんねえよ。


「お前、自炊とかしてなかったんだな。 貧乏人のくせに」
「基本、カップラでした。 あと、もやし」
「もやしかよ・・・」
「じゃあ、決まりですね。 どこ行きます?」
「つってもなあ・・・セントラル街は無理だし・・・」
「西区はどうです?」
「・・・まあ、いいけど」
「ご飯を食べて海をみるわけですよ、二人で」
「砂浜じゃねえけどな」
「いいじゃないですか、昔、お別れした場所じゃないですか」
「不吉なこというなよ」


・・・しまった!

 

 

「・・・あ、う、うれしいです」


おれはコートを羽織った。


「おら、とっとと出る準備をしろ」


・・・・・・。

 


筋肉痛と打撲でひりひりする足を動かして、車を出した。

適当な洋食店で、宇佐美の所望するステーキを食った。

ガツガツ食うものだから、ムードも何もなかった。

そして、再び車を動かして港までやってきた。

 

・・・。

 

 

 

「うわあ、満点のほしぞらぁっ」
「いやいや、微妙に雪ふってっから」
「ムードでてきましたねっ」
「・・・あのな」


・・・。

 

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「浅井さん・・・」


そっと、身を寄せてくる。


「なんだよ、超さみいんだろ?」
「ばれましたか・・・」
「ったく・・・今度買ってやるよ・・・」
「本当ですか?」
「勘違いするな。 一緒に歩いてて恥ずかしいからだ」
「あ、それは、真面目にすいません・・・」


・・・いや、冗談のつもりだったんだが・・・。

 

「あのう・・・それで、けっきょく・・・」


言いよどんでいた。


「浅井さんのお父さんはどうなりましたか?」
「今、政府が身柄の引渡しを要請しているらしい。
でも、向こうの態度は固いらしい。 今回のテロには一切関知していないのだからと」


実際、父さんの乗った船は日本の領海を出て、その後の正確な行方はわからないらしい。


「きっと、また会えますよ・・・」
「だといいがな」
「お願いなんですが・・・」


宇佐美は唐突に真剣な顔になった。


「お父さんに会ったら、ぜひ、わたしのことを紹介してもらえませんか?」
「・・・・・・」


もし、おれが、いままでのおれだったら、この瞬間に、少女を殴り倒していたかもしれない。

けれど、人は、いつまでも憎しみを抱いてはいられないものらしい。


「いいよ・・・」


ぎこちなく言った。


「もし、会えたらな・・・」


宇佐美はなにも言わず、頭を下げた。

憎しみあいは、もう終わりだ。

"魔王"の死とともに、争いは終わった。


「お祝いをしよう・・・なんか知らんが」
「あ、すみません、バレンタインデーはあさってでした」
「そうか・・・じゃあ、あさってもだな」
「はい、自分、がんばってチョコ作りますんで」


期待できそうにないが、とりあえずうなずいておいた。


「寒いか?」
「あ、いえ・・・」


はにかむように笑った。


「もう、寒くはないです」
「・・・・・・」
「・・・いっしょにいてくれる人がいますので・・・」

 

思えば寂しい少女だった。

おれと同じよう家族を失った。

こいつを幸せにできるのは、この世でおれくらいだろう。


「来いよ・・・」
「あ・・・」


少女の身体から力が抜ける。

そっと腕を回す。

優しく優しく、水流に笹舟を浮かべるように・・・。


「んっ・・・!」

 

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「・・・・・・」
「・・・・・・」


甘い、口づけ。

二人で、求め合う。

お互いから欠けてしまったものを補いあおうとするように。


「京介くん・・・」


涙交じりの声で、ささやいた。


「好きです・・・」


言葉を返す代わりに、おれはさらに深く抱きしめた。

幼き約束を交わした少女。


――ハルを、離すまいと強く口づけた。


空から舞い落ちる雪はいずこかに溶けてなくなった。


ハルのG線の上にいた悪魔といっしょに――。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 



 

 

 

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・・・。

 

 

 


・・・・・・。

 

 

 

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この季節、なぜか、思い出したように連日、雪が降る。

今日は、バレンタインデーだった。

マンションに近づいたとき、オートロックのドアから人が出てきた。

軽い挨拶を交わし、エントランスに入る。


・・・。

 

 

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宇佐美は、いまごろなにをしているだろうか。

手作りチョコレートでも本気で作っていたら、笑える。

エレベーターを登り、部屋の前に立つ。

インターホンを押す。


「はーい!」


部屋のなかから、うれしそうな少女の声。


「早かったですねえっ」


どたばたと玄関に駆け込んでくる。


早く、会いたかった。


待ち遠しい。


換気口から、なにやら甘い香りが漂ってきている。


「いま、開けますよー」


ドアがゆっくりと開いた。

 

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そこには、どこか懐かしくすら思える少女の顔があった。

お帰りのキスでも期待していたのか、目を閉じていた。

おれは、ドアの隙間に足を挟み、言った。

 

 

 

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「――会いたかったよ、宇佐美」

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

そのときの宇佐美の顔をなんと形容したものか。

さながら、一度はふやけていた雪が、また凍りついていくようだった。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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・・・まったく、ハルのヤツ。

バニラエッセンスを買って来いだとか抜かしやがった。

かくしておれは、パシリとなって、商店街から戻ってくるところだった。


ふと、着信があった。

携帯はどこかに落としたので、新しいものに変えている。

取引先かと思って、いちおう出てみた。


「どうも、坊ちゃん」
「ああ、堀部さん・・・父の葬儀の日程は決まりましたね」
「ええ、それは、まあ、いいんですがね・・・」


・・・なんだ?


「いやね、坊ちゃんに聞いてもしょうがねえことなのかも知りませんがね・・・」
「ええ・・・」
「てまえの子分に、ミキヒサってのがいるんですがね、知りませんかね?」
「いや・・・名前も初めてですが・・・どうかしましたか?」
「そすか、ですよねえ・・・あの野郎、どこに消えちまったんだ・・・」
「消えた?」
「ええ、あの、セントラル街での事件以来、行方不明になっちまったんです」


胸騒ぎがする。


「最後に、その人を見たのは?」
「ええ・・・ヤツは、ほら、封鎖をとくためにバスを動かしたじゃないですか。
その運転を命じてたんですがね・・・」
「バス・・・」


はっとして、あのときの光景を思い返した。

おれはたしかに見た。

燃え盛るバスのなかから、火だるまになった男が・・・。


「・・・なんてことだ・・・」
「え、どうしやした?」
「く、詳しい話はあとで・・・!」


通話を切った。


すぐさま、ハルに電話をかける。


一回目のコール・・・ハルは出ない。


二回目のコール・・・ハルは出ない。


自宅でチョコを作ってるはずのハルから、まったく応答はなかった。


買い物袋を放り出して駆け出す。


「くそっ!」


あの火だるまになった男は、"魔王"じゃなかった。


バスの運転席にいたヤクザ者に拳銃まで握らせて、身代わりにしたのだ。

・・・そういえば、"魔王"が一瞬、非常口の窓に寄ったのをおれは見ていた。

警察と銃撃戦をするふりをして、バスの窓ガラスを破り、燃料を撃ち抜いたんだ。

そして、あの混雑を利用して逃走した。

おれたちが警察から逃げ切れるくらいだから、"魔王"には簡単なことだったろう。


急げ!


"魔王"は、生きている!

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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宇佐美ハルは、玄関先に立つ"魔王"の姿に心底恐怖していた。

とっさに、"魔王"から離れるようにリビングに駆け込んだ。


「初めて上がったが、なかなかいい部屋に住んでいるな」


"魔王"が、いつもながら余裕そうに言う。

ハルは、驚愕に目を見開き、キッチンのほうに後ずさりしていく。


「どうした、宇佐美。 声もないか?」
「・・・生きていたか」
「生きていたさ。 本当ならすぐにでも父に会いに行きたいところだが、やり残したことがあるのでな」
「・・・チョコレートでももらいに来たか?」


"魔王"は笑った。


「私のためにがんばったわけではなかろう?」
「・・・じゃあ、なんだ?」
「もちろん、お前に地獄を味わわせるためだ」


"魔王"が踏み込んできた。

その顔からは、生気のかけらも感じられなかった。


ハルはキッチンの奥に逃げ込んだ。

手探りでナイフを探す。

ない。

どこだ。

"魔王"が迫ってくる。

ハルは鍋をつかんだ。

蓋をあけて放り投げる。

ぐつぐつと煮える湯と溶けて液状になったチョコレートは、しかし、"魔王"の顔面に降り注ぐことはなかった。


「・・・どうした?」


"魔王"は、もう笑わない。

一切の感情を排除した表情にはなんの迷いもためらいも見出せなかった。


――死神のよう。


"魔王"がチョコレートにまみれた床に足を伸ばした瞬間を狙った。

死に物狂いで突進する。

"魔王"が身構えるが、かまわず体当たりした。


死神がわずかによろめいた。

顎を狙って拳を振った。

見切られていたようにかわされる。

ハルはバランスを崩して、リビングの床まで転がった。


「・・・終わりか?」


"魔王"は床に倒れたハルを、上から死人を見るような目で見つめていた。


これまでの"魔王"とは何かが違う。

遊んでいるのでも、弄んでいるのでもない。

もっと、凶悪で深遠な謀を秘めているようだった。


額から汗が噴き出す。

恐怖に震える手を握り締めた。


――仇が、いる!


自分の手で、殺しそこなった母の仇が、再び現れた。

天がくれたチャンスではないか。


ハルは立ち上がった。

憎悪を爆発させて、"魔王"の輝きのない双眸(そうぼう)を見据えた。


たとえ、刺し違えてでも――。


ハルは身構え、全身に力をみなぎらせた。


瞬間、一発の銃声が響いた。


"魔王"が身を悶えさせる。

肩口に命中したようだ。

血が飛び出て、スーツを濡らす。

撃った方向を見た。

京介が銃を構えていた。


続けざまにもう一発撃つ。


今度は当たらなかった。

"魔王"はうめき声もあげず、猛然と京介に突進していった。

 

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「"魔王"・・・!!!」


躊躇なく引き金を引いた。

しかし、たった数メートル先の標的にも弾は逸れていく。

"魔王"の腕が懐に伸びる。

黒い鉄の塊・・・拳銃を抜いた。

しかし、どういうわけかその場に投げ捨てた。

 

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「どけっ!」


腹に一撃を受けた。

体がくの字に折れる。

膝を突く前に、もう一度銃を振り上げる。

が、あっさりと手首をひねられた。

拳銃が床に転がった。

"魔王"は、おれを蹴り飛ばし、玄関へ走っていった。

 

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「京介くん・・・!」
「ハル・・・無事か?」
「わたしは、だいじょうぶです」
「おれも、へ、平気だ・・・」


折れそうになった膝をなんとか伸ばす。


「追いましょう!」
「あ、おい・・・!」


ハルはおれの脇をすり抜けて、外に飛び出した。


「待て!」


危険すぎる!


「警察を、せめて、園山組を呼び出すまで待て・・・!


手探りで床に落ちた拳銃を探す。


ない。


ハルが持っていったのか!


おれは"魔王"の落とした一丁の拳銃を拾い、ハルのあとを追った。

 

・・・・・・。

 


・・・それにしても妙だ。


"魔王"はなぜ、逃げたのか。

拳銃を抜いただけで、撃っては来なかった。

ハルを殺しに来たのではないのか。


・・・なぜだ・・・そしてどこへ逃亡するというのか。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

後ろから、しっかりと宇佐美の靴音が響いていた。


「・・・っ・・・」


肩をかすめた一発が、響いている。


「くっ・・・」


思惑通り、宇佐美はおれを追ってきている。


・・・足がふらつく。


もっと、人通りの多いところまで出るつもりだったが・・・そううまくことは運ばないか・・・。


さあ、京介よ・・・これが、最後の試練だ。


お前も地獄を味わえ。


おれは、会心などしない。


弟への情など・・・いや、情があるからこそ、このまま京介を赦すわけにはいかないのだ。


左手に、小さな公園があった。


遊具はなく、小さな砂場があるだけ。


"魔王"が最後をかざるには、ふさわしい遊び場だ。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 


宇佐美ハルを突き動かすもの。

それは、復讐心であり、ある種の強迫観念でもあった。

 

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"魔王"と聞くだけで、あのときの光景が蘇る。

銃声と悲鳴。

ちぎれた腕とはみでた内臓。

悪夢は加速する。

殺さなければ殺される。

だから、ハルは"魔王"を追う。

京介が落とした拳銃を片手に、発砲の経験など皆無にもかかわらず。


脳裏に"魔王"の声が蘇る。


「母は、最期までお前のことを案じていた。
娘だけは助けてくださいと、何度も頭を下げた」


"魔王"はハルを煽り、弄んだ。


「お前もそうだ、宇佐美ハル。 やっと私にめぐりあえた。 お前はただの死に損ない。
お前に必要なのは、愛でも友情でもなく、敵であり悪であり、そう仮託できる思い込みだ」


長い戦いのなか、"魔王"は勇者に呪いをかけていった。


「だから、ヴァイオリンも捨てたのだろう?」


まったく、悪魔は人の心の弱さにつけるのが上手い。

ハルはすでに、自制を失っていた。


・・・。

 

 

 

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決めていた。

もはや、誰の声も届かない。

追い詰めて、ためらいなく殺す。

だが、どうやって・・・?


すでに、ハルは、自分が拳銃を握っていることすら自覚していなかった。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

 

 

ハルと"魔王"を駆け足で追う。

あたりは閑静な住宅街。

不意に、前方を走るハルが、左に曲がった。

あそこはたしか・・・小さな公園があったはずだ。


だが・・・。


おれは、怯みそうになった。

ハルが道を逸れたとき、その横顔が見えた。

いつものうすら馬鹿のハルは、そこにはいなかった。

見たこともない恐ろしい表情で、獲物を狙っていた。

まるで、どこぞの神話か民謡を思い出す。

悪魔を追い詰めた勇者が、やがて悪に染まる・・・。


「そうか・・・」


おれは、そのとき、"魔王"の真の狙いに気づいた。

なんと壮大で、深いたくらみか。

頭を抱えたくなるのをこらえる。


・・・終わりだ。


ああ・・・。


思わず、空を見上げてしまった。


・・・。

 

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空に神様はいないと知りながらも、なぜ、おれは見上げてしまうのか。

これから、起こる出来事を想像し、思わず天を仰いでいる。


ハル・・・。


すまなかった。


復讐の連鎖を断ち切ったと思っていたのは、おれだけだったんだな。


業を終えたと思ったのは、おれだけだったんだな。


せめてもう少し、時があれば、わかりあえたかもしれない。


もっと、話をしていれば・・・。


――どうした、京介。


誰かが、ふと、耳元でささやいた。


頭上から拳を振り下ろされた気分だった。


おれに、そんな真似をするのは、あの怪物しかいない。


・・・・・・。

 

 

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おれをかばい、死んでいったあの男しか・・・。


ああ、わかったよ。


おれも、あんたを見習うとしよう。


長いつきあいだからな。


――そうか。


怪物は、ニタリと笑った。


おれは、いつまでも、あんたの息子なんだろうな・・・。


・・・。


おれは銃の安全装置を外し、迷うことなく公園まで駆け抜けた。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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「・・・どうした、宇佐美?」


おれは公園の中央に立つ大木の幹によりかかり、宇佐美の接近を待った。

宇佐美は、肩で息をしていた。

目つきが異常だった。

まさしく、おれの望んだ"魔王"そのものに変貌していた。


「さあ・・・」


見たところ安全装置は解除されている。

ちゃんと両手で構えている。

あとは、引き金を引くだけだ。

この距離ではどんな素人でも、まず、外しようがない。

あたりに人気はないか・・・しかし、銃声を聞けば、近所から人が飛び出してくるだろう。

宇佐美の拳銃を持つ手が震える。

逡巡に溺れているわけではない。

ようやく悪夢から解放される喜びに、心底安堵しているのだ。

その指が、引き金にかかった。


死ね――――!


髪を振り乱し、絶叫した。


その瞬間、宇佐美の後方から滑り込んでくる影があった。


・・・いいぞ。


もともと、宇佐美の腕を押さえるようなタイミングを京介に与えるつもりは決してなかった。


乾いた音が連続する。


腹に一発。


焼けるような痛みが広がる。


・・・そうか、こうなったか。


あの拳銃は素人でもわりと的に当てやすい。


撃たれた衝撃に目を細めながらもしっかりと見た。


背後からの銃声に驚いた宇佐美。

 

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落雷に打たれたかのように、その場に崩れ落ちた。


目が、かすむ・・・。


だが、これでもいい・・・むしろ・・・。


――我が謀は、成れり・・・。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

―――――

 

 

・・・。

 


・・・・・・。

 

 

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「"魔王"・・・」


ありったけの弾を撃ちまくって、"魔王"のそばに近づいた。

公園の土のうえに崩れ落ちたハルがいた。

すぐさま、物騒な拳銃を奪い、懐にしまった。

周囲の閑静な住宅地から、悲鳴が上がっていた。

警察を呼ぶ声がある。

おれを指差している中年の男がいた。

そんな光景を、満足げに眺める男が目の前にいた。


「・・・京介・・・よく、やった・・・」


おれには、なぜ"魔王"が自ら死にに来たのかわかっていた。

理由は一つしかない。


「父さんは・・・鮫島利勝は、亡くなったんだな?」


"魔王"は、ゆっくりとうなずいた。


「父は、心臓の持病を持っていた・・・知っているか?」


おれは、首を横に振った。


「だろうな・・・だからお前は・・・救われんのだ・・・」


いまにも閉じそうな目に、再び憎悪が募った。


「あんたは、予想してたんだな。
いや、最悪の事態を想定していたというべきか」
「・・・・・・」
「父さんを釈放させたまではいい。
しかし、父さんはもう歳だ。 長い船旅に耐えられるだろうかという懸念があった」
「不安は現実となった。 そう、私が殺したようなものだ」
「父さんには会えたのか?」
「いいや・・・遅かった」


背負いきれぬ悲しみをなお背負い、"魔王"は続けた。


「地獄でいくらでも父にわびよう・・・だが、あれで良かったとも私は考える・・・不当な判決を下したこの国に殺されるよりも・・・せめて最期に希望を持たせてやれればと・・・私はテロを断行した」
「そして、一方で、ハルを煽り立て続けた・・・」


かすかに笑った。


「ハル、か・・・」


笑いは、若干の吐血を招いた。


かまわず、言った。


「京介よ・・・なぜ、母のそばにいてやらなかった?」
「・・・・・・」
「私は、言ったはずだ。 母を頼んだと」
「・・・・・・」
「なぜ、あの借金取りの養子になどなった?」


答えようがなかった。


・・・極貧生活を脱出して母を迎えに行くため。


・・・浅井権三すら凌駕する金持ちになって一家を罵った連中を見返してやるため。


どんな答えも、鮫島恭平の前ではいいわけにしかならない。


「金、か・・・金、だろうな・・・金はいつでも戦いを招く・・・金は意志を持つ・・・戦争も、そうだった・・・」


ごほっと咳き込んだ。


「だが、金の奴隷になるような弱い人間が、私は、大嫌いでな・・・」


わかっている。


だからこそ、"魔王"はおれに引き金を引かせたのだ。


「あまつさえお前は、にっくき宇佐美の娘と恋をした・・・」


許せなくて、当然だ。


おれたちの幸せを許すには、仏のような度量がいるだろう。


「強くあれ、京介・・・お前は、償うべきだ・・・わかっているようだがな・・・」


だからこそ、おれも引き金を引いた。


「そこの少女は、お前と違って、柔軟ではなかったようだ・・・せいぜい目を覚まさせてやるんだな・・・復讐に意味はないと・・・」


自嘲の笑み。


「・・・くっ、ふっ・・・まさに、浅井権三の、言うとおりだったか・・・」


復讐に救いを求める愚か者の笑みだった。


「京介・・・っ・・・私を撃ち殺したお前がどうなるか、わかっているな?」


おれは、うなずいた。


「そうか・・・ならば、私を憎むがいい。 憎悪は、人を・・・」


いいかけて、己の失言を恥じるようにうつむいた。


「いや、愛も、また・・・」


・・・。

 

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なにか言いかけたまま、動かなくなった。


物言わぬ肉の塊に、雪が降り積もる。


同情はしない。


涙もでない。


"魔王"は、最期の最期まで、"魔王"だった。


邪悪で、卑劣で、狡猾な策を完遂し、逝った。


ふと、彼がクラシックを聞かないことを思い出した。


なぜか、そんなことだけが、悲しかった。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

だが、悲しみに暮れている時間はない。


「ハルっ・・・」


呼びかけても、意識を取り戻す気配がなかった。

こんなところで寝かせていては、カゼを引いてしまうだろう。

おれはハルを抱え自宅に向かった。

道行く人が、おれを指差す。

銃口をハルに向け、さも人質にしているような態度を取った。

 

・・・。

 

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暗い部屋。

ハルをベッドに寝かせ、おれは一人、考えをまとめていた。

視線の先には、ヴァイオリンケース。

ハルの母の形見だ。

もう一度、聞いてみたかったが・・・かなわぬ夢か。


夢・・・。


ヴァイオリニストという華やかな夢。


かなえさせてやらねば。


そばにいて、その夢を支えてやることもできないか・・・。


いや、むしろ、邪魔になる。


ハルは、いまでも、三島春奈というアーティストなのだ。


引退したというようなことを言っていたが、本心では続けていたいに決まっている。


つまり、おれがそばにいれば、マスコミの格好の餌食になるということだ。


彼らの恐ろしさは、おれも幼少のころ、身をもって知った。


だから、目立つのは嫌いだった。


いや、これからは、いやでも目立つことになるわけだが・・・。


すまない、ハル・・・。


もう一度、弾けるようにしてやると決意したおれなのに・・・。


もう、そばにはいてやれない。


――おれは、殺人を犯したのだから。

 

「んっ・・・」


パトカーのサイレンに目を覚ましたようだ。


おれはテラスに出て、携帯を駆使した。


・・・・・・。

 

「あー、ミキちゃんか・・・うん、お久しぶり・・・頼みがある。
うんうん、お願いするよ・・・最後の頼みなんだ。
ああ、椿姫って女がいるんだが・・・」


・・・。


「どうも、堀部さん。 申し訳ない、父の葬儀には行けなくなりました。
まあ、詳しい事情はニュースでも見ていてください。
それで、まあ、ちょっとお願いが・・・」


・・・。


ややあって、テラスの窓が開く音が聞こえた。

 

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「京介くん・・・?」
「やっと起きたか」


おれは努めて、冷たい声を出した。


「な、なにがあったんです?」


・・・よく覚えていないのか。


これは、幸いだ。


「もうすぐ、警察が来る」
「えっ!?」
「おれは人を殺した」


ハルがたじろぐ。


「ひ、人って・・・"魔王"、ですよね?」
「そうだ。 おれは出頭する」
「そんなっ!!!」


悲鳴と同時に、飛びついてきた。

 

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「ま、待って! 待ってください!」


必死に、しがみついていた。


「おかしいじゃないですか!」


溢れる涙を隠そうともしない。


「だ、だって、あれは、正当防衛じゃ・・・!?」
「馬鹿を言うな」


冷たく言った。


「ヤツは丸腰だった。 おれはいつでも警察を呼べた。
なのに、逃げるヤツをわざわざ追いかけて、撃った。 どこが正当防衛だ」


さらに、おれは銃を不法に所持していた。

これも、いつでも手放す機会があった。

ほぼ、間違いなく殺人。

それも兄弟を殺したのだから、罪は重い。


「で、でもっ、"魔王"は、極悪人で、死刑になって当然なんですよ!」
「それとこれとは話が別だ」


ハルがわかりきっていることで泣き喚いているのは、自分のせいだと思っているからだろう。


「そんな・・・だって・・・こんな、こんなことって・・・」


混乱し、あえいでいる。


「ご、ごめん、ごめん、なさいっ! わたしも、わたしも罰を受けます!」


おれは腹に力を込めて言った。


「何を言っている、宇佐美」


苗字を呼ばれて、不意に我に返ったようだ。


「お前がなにをした?」
「わたしが、わたしのせいで、京介くんが、引き金を引いたんです!」
「・・・・・・」
「わたしを止めるには、もう、間に合わないと思ったから、京介くんが撃ったんです!」
「・・・・・・」
「き、気づくべきだったんです! 罠だったんです!
あんな人目のつくような公園に逃げ込んで、さも力尽きたように木の幹によりかかるなんておかしいんです!」


ハルの言うとおり、"魔王"の計画は完璧だった。

ハルを誘い、おれにとって絶望的なタイミングを見計らっていたのだろう。

止める術は、おれが引き金を引く以外になかった。

"魔王"は、最初から、おれかハルを殺人犯に仕立て上げるつもりだったのだ。

おれは、ハルを殺人犯にするわけにはいかなかった。

こいつには、将来があるのだ。

ヴァイオリニストとしての、輝かしい未来が。


「わけがわからんな。 お前は、なにもしていなかったが?」
「わ、わたしは・・・銃を・・・あ、あれ・・・?」


記憶が曖昧なのだろう。


「銃だって? 別にお前は銃なんて持っていなかったが?」


説き伏せねば。


「・・・そんなはずは・・・」


道すがら、誰とも出くわさなかった。

ハルが拳銃を所持して"魔王"を追い掛け回していたところを目撃した者は、おそらくいない。


「で、でも、そんなはずは・・・!」
「お前は、なにもしていない。 いいな?」
「い、いやだ!」
「頼むからおれの言うことを聞け!」


目に力を込めた。


「や、やだ! いやだ! いやだ!」


駄々っ子のようにわめき散らす。


「す、好きなんだよ!」


・・・すまん。


「大好きなんだよ、ずっとずっと、好きだったんだよ!」


すまなかった。


「いっしょに、いっしょにぃ、いたいんだよっ・・・。
なんで、なんで? や、やっと、やっと、そばに・・・。
幸せに、二人っきりで、暮らせると思ったのにぃっ!
そばに、いられると、思ったのにぃっ!」


涙がこみ上げる。

が、流すものか。

ここで、泣き、ハルを強く抱きしめてはならない。

情に流されれば、足が止まる。


「そうか・・・おれのことを、そんなに・・・」
「うんっ、うんっ!」


不意に、

 

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――恋人とか、いるの?


――勇者はおませさんなんだね。 女の子のほうがそういうの興味あるって父さんが言ってた。


――いいから、いるの、いないの?


――いないよ。 そういうのは考えたこともなかったなあ。


――しょうがないわね、なら、わたしが結婚してあげるわよ。 また会えたらね。 覚えていたらでいいから。 わたし、これから引っ越すの。 運命の再会っていうのかな。 ロマンチックじゃない?


――引っ越す?


――そう。


――なんで?

 

『ヴァイオリンの勉強するの』

 

別れを告げる少女の泣き顔が、昨日のことのように思えた。


おれは、だから・・・。


だからこそ・・・。

 

・・・。

 

 

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突き放した。


「あ・・・」


置き去りにされた子供のような顔に背を向けた。


「そんなに好きなら、この先どうすればいいかわかるな?」
「え?」
「どうすれば、おれが一番喜ぶか、わかるな?」
「あ・・・や・・・」


わかるはずだ・・・この子は頭がいい。


「や、やだ・・・」


かすれた声で、おれを呼ぶ。


「いかないで・・・」


足を踏み出した。


おれたちは出会い、別れ、その繰り返しだ。


残酷なときの流れが、おれから思い出を奪い去った。


再び巡りあったとき、少女は大きく成長していた。


そして、もう一度、別れ。


「・・・京介・・・くん・・・お願い・・・」


今度は、もう会えない。


「もう少し、せめて、もう少しだけでも・・・!」


再会は、二度と、許されない。


・・・。

 

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「お願い、お願い、しますっ・・・!!!
神様! 助けてっ・・・彼を、助けてください! なにも、なにも悪くないんです!
京介くんは、なにもっ、なにもっ――――!」


嗚咽交じりに、泣きじゃくっていた。


少女の震える肩に、雪が落ち、あっという間に消えていく。


神様、神様、と祈り捧げるハルが、白い雪をまとって輝いていく。


善良な少女だった。


神様も、こんな美しい少女の祈りなら、聞き届けてくれるのかもしれないな・・・。


だが、なにも悪くないなんてことはない。


おれは大なり小なり罪を犯している。


椿姫や花音を筆頭に、大勢の人間を欺いて生きてきた。


母も、父も、兄も救えなかった。


"魔王"が命を懸けて残した最後の試練、受けてたとうじゃないか――。


「・・・京介くんっ・・・!!!」

 

・・・・・・。

 

 

すでに、マンションの前には、数台のパトカーが入り口を囲むように停車していた。

おれは両手を上げて投降の意志を伝えた。

二丁の拳銃も警察官の目に見えるような位置に置いた。

そのほか、あらゆる準備を済ましておいた。

二月十四日夜、おれは警察官に手錠をかけられることになった。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

 

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それから三日たった。

おれは、警察署内で連日、休む間もなく取り調べを受けた。

先日の封鎖事件の主犯格を殺害したと思しき男として、警察はおれを徹底的に調べ上げるつもりのようだった。

一度、自宅のマンションに連れられ、様々な写真を撮られた。

"魔王"を殺害した現場や、拳銃にもフラッシュが飛ぶ。

手錠をされ、腰紐をまかれ、おれは警察署の裏手にあった留置所に入った。

財布や携帯など持ち物は全て、警察に預け入れられた。

指紋をとられ、服を脱がされたあとは身体測定が始まる。

ベルトや靴紐などは取られて、40と銘打たれた指定のサンダルに履き替えさせられた。

居房に入って、鉄格子と金網のかかった窓を見上げると、不安が募った。

逮捕されてすぐに、弁護士に知り合いはいるかと聞かれていた。

いるにはいるが、権三の後ろ盾のなくなったおれに快く手を貸してくれるとは思えなかった。

けっきょく、警察が紹介してくれた当番さんとやらに任せることにした。

目に力のない疲れた初老の弁護士だった。

ぼそぼそとしゃべる口からは、やる気は伝わってこなかった。

その後、検事に会って、黙秘権だの弁護士を雇う権利だのを聞かされたあと、さらに留置所生活が続く。

取調べはいきなり厳しくなった。

何度も同じ質問を繰り返され、何度も似たような書類に指を押した。

どうも、刑事のなかでも、捜査一課の課長がじきじきにおれを取調べているようだった。

笑みを絶やさない中年の男だったが、まなざしは常に鋭かった。


「だいたいわかったよ・・・じゃあ、もう一回聞くがね・・・」


本当に、もう何度目かわからなかった。


「浅井京介くん・・・きみは」
「浅井ではありません。 鮫島です。 先日役所で離縁の手続きをしましたから」
「失礼、聞いていたね。
では、鮫島くんに聞こう。 君は、先の広域封鎖事件の主犯と目される "魔王"の弟だという」
「はい・・・疑いようがありません」
「ふむ、それについては我々も目下調べを進めている。
だが、そうすると、君は兄を殺したということになるね?」
「ですから、何度もそう言っているじゃありませんか」


刑事は机を何度か指でコツコツと叩いた。


「殺人事件の経緯はこうだ。
君が自宅に戻ると、兄が少女に暴行していた。 少女の名前は宇佐美ハルだったね?」
「・・・はい」


わずかに、動揺が走ったのを刑事は見逃さなかった。


「安心していい。 少女は未成年だ。 なにかあっても、世間に実名が公表されるようなことはない」


・・・しかし、少女Aなどと、煽り立てられることになる。


「続きをどうぞ」


老練な警察官とやりとりするには、胆力が必要だった。


「同棲していたのかい?」


嘘など通じまい。


「はい」
「だろうね。 あの日はバレンタインデー。 手作りチョコレートのあとが、床にこびりついていたよ」
「ええ、ですから、続きをどうぞ」


・・・なんだ?


狙いがわからなかった。


それとも、ただ、動揺を誘っているだけだろうか。


「少女の危険を察した君は、所持していた拳銃で躊躇なく兄を撃った。
ちなみに、拳銃は、どこで入手したんだい?」
「ですから、封鎖事件のときに・・・」
「そうだった。 だが、君はそれを、いつでも手放すことができた。
なぜ、警察に届け出るなりしなかったんだ?」
「知り合いのヤクザに売り飛ばすつもりでした」
「つい、忘れていたのでもなく?」
「はい。 先に話したとおり、セントラル街では、おれもいろいろとやったので、警察に関わるのが怖かったのです」


嘘はついていない。


刑事は深くうなずいた。


「君がセントラル街で行ったことが罪にあたるかどうかは、また後日、別の者が取調べを担当する。 さて、話を戻そう」
「はい」
「君の兄は、発泡にひるんだのか、マンションから逃亡をはかったという。
殺人鬼が逃走したのは、現場の指紋、血痕、足跡などから我々も確証を得ている」
「そうですか」
「けれど、君はそれを追いかけた」
「・・・・・・」
「なぜかな?」
「とっさのことだったので、よく覚えていませんが・・・」
「慌てていたと?」
「はい」
「慌てながら、自宅から百メートル先の公園まで追いかけ、木の幹によりかかっていた兄に向け、無我夢中で銃を撃ちまくった」
「はい」
「たしかに気持ちは察する。
君の兄は、稀有な凶悪犯だ。 殺さなければ殺されると思った君は、とても冷静ではいられなかった。
となると、検察官の対応も変わってくる。 言っている意味がわかるかな?」
「はい」


・・・たとえ殺人にしても、おれの精神がまともじゃなかったとすれば、罪は軽くなるだろうという話だ。

わずかに、希望が見えた。

が、刑事の目つきが変わった。


「すると、不信な点がある」


・・・なんだ?


「君は二丁の拳銃を所持していた」
「それが、なにか?」
「一丁は、殺人鬼が落としていったというね」
「はい・・・」
「たしかに、疑いはないようだ。
遺体から検出した指紋と、拳銃に付着していた指紋が一致している」
「ですから、それがどうしました?」
「わからないかな。 君は、拳銃を持ち替えているんだ」


はっとした表情が、表に出ていないことを祈る。


「君は自室で撃った拳銃を手放し、わざわざ兄が落とした拳銃を拾って外に飛び出した」
「・・・・・・」
「なぜかな? 君はほとんど錯乱していたんだろう? よくそんな余裕があったもんだ」
「・・・さあ、よく覚えていませんが・・・」
「君が自室で使用した拳銃には、すでに実弾が入っていなかった。
君はそれを知っていて、新しい銃に持ち替えたんじゃないのかな?」


そうか・・・ハルが持ち出した拳銃には、もう弾は、入っていなかったのか。


・・・どう答えていいのかわからなかった。


認めれば、おれの精神がまともだったという判断材料になるのだろう。


しかし、刑事の次の言葉がおれを凍りつかせた。


「事件の参考人として、君の彼女に事情を聞いた。 すると興味深い話が出てきた」
「・・・・・・」
「殺人鬼を追って部屋を飛び出したのは、自分だと、少女は言っている」


どんな言い訳も思いつかなかった。


「京介くんは、彼女のあとを追って、部屋を出てきたらしいが、どうなんだ?」
「・・・そうだったかもしれませんが、それが、なんです?」
「ここで、一つ、仮説を話そう。
君は、無謀にも殺人鬼を追いかける彼女を引き止めるべく、あとを追いかけた」
「・・・・・・」
「公園にたどりついた君は、殺人鬼と彼女が対峙している姿を発見した。
彼女の身の危険を察した君が、背後から駆け寄り、殺人鬼を撃ち殺した」


刑事は誘っている。


おれは、はい、そうです、と罠にかかるのを誘っている。


「しかしだ。 近所の住民の証言がある。
公園から『死ね』という女性の絶叫が聞こえたという」


・・・これまで、か。


やっぱり、警察を欺くなんて無理だったのか。


「君の彼女が叫んだのか、本人に聞いてみたが、覚えていないという答えが返ってきた。
なかなか正直で理知的な子だね。
まず嘘はついていないと思うのだが、状況から考えるに『死ね』と叫んだのは彼女以外にありえない」


手がこわばり、呼吸が浅くなった。


「すると、彼女には殺意があったと推測される。
君の兄は、その段階では、武器を所持していなかった。
さらに、君は言ったな。 兄は木の幹にもたれかかって、観念した様子だったと」
「・・・・・・」
「つまり、彼女の身に、危険は迫っていなかった。 先ほどの仮説は否定される。
彼女は兄を殺すつもりだった。 そして・・・」


おれの心臓は、いまにも耳から出そうだった。


「おそらく、彼女は、拳銃を所持していた」


めまいすら覚えた。


「彼女は、床に落ちた拳銃を拾ったかどうかは、よく覚えていないと言うが・・・」


がたがたと膝が震える。


「実際には、拳銃から彼女の指紋が検出された」


おれはなんとうい愚か者か!


なぜ、なぜ、指紋のことを考えなかった!


これでは、ハルが・・・罪に問われてしまう!


「が、指紋はあったものの、彼女が発砲した形跡はない。 拳銃はすでに弾がなかった。
殺意があったにしては、やや間抜けをいわざるを得ない。
彼女がそれだけ、錯乱していたとも受け取れる」


ああ、どうすればいいんだ・・・!?


「いずれにしても、拳銃を握り締め、逃げる敵を追い掛け回し、止めを刺そうとしたのなら、彼女を引っ張らななければならない・・・ああ、逮捕するという意味だよ」
「・・・なんの罪で?」


少し考えるようにして言った。


「目立つ容疑は銃刀法違反。
同棲していたのだから、君の部屋に拳銃があったと彼女も知っていただろう。
いくらでも捨てる機会はあったはずだ」


違う!


ハルは、知らなかった。


これも、浅はかなおれが招いた結果か!


「そのほか、過剰防衛・・・いや、殺人未遂に当たるか・・・詳しく状況を調べてみなければはっきりしないがね」


殺人未遂・・・!?


背筋を嫌な汗がつたう。


「さて、今の話を踏まえて、もう一度、君の供述を聞きたい」


どうする・・・どうすれば・・・!?


「どうした?」


やはり、無理だ。


ハルが、逮捕されてしまう。


ハルが撃ち殺したわけではないし、ハルは完全に錯乱していた。


だから、重い罪に問われることはないとは思う・・・。


でも、拳銃を持ち出した。


少女には未来がある。


前科者のヴァイオリニストの演奏など、誰が聞くというのか。


ハルの"魔王"に対するトラウマなど、誰もわかってくれないだろう。


マスコミは煽り立てる。


ハルの表面だけを見て、足をすくおうとする。


・・・ああ、拳銃なんてとっとと捨てておけばよかった。


・・・いや、"魔王"が拳銃をわざと落としていった以上、結果は変わらなかったのか・・・。


「どうしたんだ、急に黙りだして」


考えろ・・・。


唇を噛み締め、パニックに陥った頭に血をめぐらしていった。


負けるものか。


これは、兄の残した最後の罠。


「さあ、最初から、自供したまえ」


おい、と背後に立つもう一人の大柄な刑事が身を乗り出してきた。

それを、手で制止する目の前の刑事。


「君の自白は、裁判でも大きな証拠になるんだよ?」


・・・自白!?


なにかの本で読んだが、日本の裁判では犯人の自白ほど強力なものはないらしい。


いったん自白を認める供述書にサインをしたら、たとえ無実でも有罪になるとか・・・。


だが、現実はわからない。


わからない、が・・・。


――やるしかない。

 

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「まあ、つまりこういうことですよ、刑事さん・・・」


おれは突如、笑い出した。


「・・・まったく、あの女は使えない」
「あの女・・・彼女のことか?」


刑事の目が厳しくなった。


「おれがセントラル街から持ち出した拳銃にあの女の指紋がついているのはね、おれが握らせたからなんですよ」
「握らせた・・・」


刑事は首をふった。


「そんな話は、彼女から聞いていないが?」
「はっ、そりゃそうでしょう。
夜中に寝ているすきに、こっそりつかませたんだから」


心を、凍りつかせた。


「それが証拠に、あの女は、おれが拳銃を持っていることすら気づいていない」


・・・これは、事実だ。

裏を取られても問題はない。


「興味深い話が出たな。
それで、拳銃を握らせてどうするつもりだったんだ?」
「もちろん、"魔王"を、鮫島恭平を殺させるんですよ。
あの女は、常日頃から、"魔王"を恐れてましてね。
機会さえあれば、殺すんじゃないかと思ってました」
「ほう、君はなぜ、恭平を殺すつもりだったんだ?」
「少しは考えてくださいよ。 ヤクザの世界には仇討ちってのがあるんですよ」
「恭平が、君の元養父、浅井権三を殺したからか?」
「そう・・・権三は、おれの崇拝する男でした。
誰よりも強く、金に貪欲で、恐れを知らない。 まさに、理想の悪漢でした」


これも、いまとなっては嘘はない。


「だが、"魔王"を殺しておれがムショに入るなんて、なんだか割に合わないじゃないですか。
本当なら、ヤツが、自宅に来たときに殺しておきたかったんですがね・・・」
「たしかに、恭平が部屋に踏み込んできた時点では、正当防衛で裁判を争えただろう」
「だから、おれはあの女をけしかけたわけです。
だが、知っての通り、おれの拳銃にはすでに実弾が入っていなかった」


ここが、最大の難関だろう。

目撃者させいなければ・・・!

ハルが拳銃を所持していたことさえわからなければ!

ハルが、拳銃を持って公園までたどりついたとき、おれの知る限り、通りには誰もいなかった。

駆けつけたおれは、すぐにハルから拳銃を奪った。


頼む!


誰も、見ていないでくれ!


「あの女は、思惑どおり、恭平を追いかけて行きました。
殴るなりなんなりして殺してくれればよかったものを、怖気づいたのか、その場で気絶しやがったんです」
「つまり、少女は、そのとき・・・いや、一度も、自ら拳銃に触れてはいないと?」


言いながら、刑事は後ろの人間になにか指示を飛ばした。

裏づけを取りに、現場を捜索させるのだろう。


「まあ、そういうことになりますかねえ。
まったく、弾さえ入っていれば、拳銃を渡してやったものを」
「しかし、君にはもう一丁の拳銃があった。
それを、なぜ、狂乱する少女に手渡さなかった?」
「あの女は、おれの制止も聞かずに走り出しましてね・・・」


これも、事実。


「追いついたときには、すでに気絶してました・・・まったく、役立たずですよ、あいつは」


そのとき、後ろの大柄な刑事が、目を剥いた。


――この野郎!


ヤクザに勝るとも劣らない眼光で、おれをにらみつける。


おれも、ひるむわけにはいかなかった。


「少し、待て・・・」


刑事の目が、鋭く光った。


「なるほど・・・君はたしかに、浅井興行の影役として、生意気なことをしていたようだね。
泣かされた企業も多いと聞く」
「それが、なんですか?」
「では、聞くが、"魔王"が生きていたことをどうして知っていた?」


おれはとっさに頭脳をフル回転させ、刑事の思惑を推察した。


つまり、火だるまになったはずの"魔王"が生きていたことを、そもそもおれが知らなければ、ハルに拳銃を握らせておく意味がわからなかったのだ。


なぜなら、おれは、ハルに"魔王"を殺させるつもりだったのだから。


けれど、堀部に聞いたというのではまずい。


堀部から電話がかかってきた段階で、"魔王"の生存を知ったのであれば、ハルに拳銃を握らせておく余裕はなかったと突っ込まれる。


「無能な警察は見逃したようですが、おれは、見ていたんですよ。
バスが燃えるときに、脱出する"魔王"の姿をね」


あの大混乱のなか、おれたちが必要以上にバスに近づいていたことは、調べればわかるだろう。


「だが、あの混雑では見失ってしまった。
だから、おれは再度の復讐の機会を狙い、あの女に拳銃を握らせておいたというわけです」


刑事の顔が、徐々に憤怒に歪んでいく。


「あの女、あの女というが・・・少女はお前のことを心から愛しているようだったぞ?」


胸を突かれる思いだった。


鈍く重い痛みが全身を駆け巡る。


「お前を信じて、お前の帰りを待ち、慣れない手つきでチョコレートを作っていたんだぞ?」


ひきつりそうになった口元を、無理やり吊り上げた。


「そうですか・・・そんなに・・・はは、こりゃ傑作だ。
おれもジゴロの才能があるのかな」


胸が張り裂けそうだった。


「多少頭は回りますが、恋愛に関しては初めてでしてね、ヤツは・・・」


いやだった。


少女をなじらなければならない自分が、嫌だった。


胸張り裂ける思いで、言葉をつないだ。


「おれにとっては金が全てなんですよ。
あんな金にならない女は、殺人に利用するくらいしか使い道がなかった」
「貴様・・・」
「はは・・・なにが、手作りチョコレ――」


痛い。


ハルの笑顔。


おれにプレゼントするのを楽しみにしていた、あのあどけない笑顔。


だが、しゃべらなければ!


心に修羅を宿す。


生けれども生けれども、道は氷河なり。


人の生に四季はなく、ただ、冬の荒野があるのみ。


流れ出た血と涙は、拭わずともいずれ凍りつく――。


「手作りチョコレートだなんて、くだらん・・・」


瞬間、目の前に風が起こった。

背後に控えていた大柄な刑事が、おれの胸倉をつかんでいた。


――このガキが!


そうだ・・・もっと怒れ。


冷静さを失って、事件の詳細を追おうとするな。


「おいおい、いてえなあ・・・弁護士にいいつけるぞ」


おれは、引きずりまわされた挙げ句、床に叩きつけられた。


「ぐっ・・・!」


いいぞ・・・そうやって、見え透いた悪に飛びついて来い。


この悪は、ただの悪ではない!


あとはハルだった。


必死に、おれの潔白を訴えるかもしれないが、刑事の目には、たぶらかされたウブな女としか映らないだろう。


もう、後戻りは出来ないのだ。


警察の科学捜査が、ベテラン刑事の勘が、おれの嘘を見破るかもしれない。


しかし、おれはこの証言をくつがえさない。


裁判になれば、どんな判決が出ようとも控訴はしない。


結審すれば、事件は終結する。


ハルは、頭がいい。


きっと、理解してくれるはずだ・・・。


理解して、ヴァイオリンを・・・!

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

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警察に厄介になって、十日ほど過ぎた。

おれはまだ、留置所にいた。

ハルが逮捕されたという話は聞かなかった。

何度か、差し入れが届いていた。

手紙もあった。

差出人は様々だった。

おれはその日、取調べの合間を縫って、接見を許された。

拒否することもできるようだが、念のため確認したいことがあった。

ミキちゃんが仕事を果たしてくれたかどうか・・・。


「浅井くん・・・」


おれは陰湿な笑みを浮かべて、椿姫を迎えた。

 

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接見時間は二十分らしい。

手短にしたかった。


「・・・浅井くん、嘘だよね?」


この善良な少女を前にすると、心が折れそうになる。


「おいおい、冗談でこんな場所に入れられるかよ」
「だって、信じられなくて・・・」


・・・また、それか。


信じるだのなんだのと・・・。


思えば、最初におれの冷たい心に火をつけたのはこの少女だった。


「・・・おれは人殺しだ」
「嘘だよ・・・なにか、理由があったんでしょう?」
「ああ、ヤツは、浅井権三を、おれの養父を殺したからな。
その仇討ちってやつだ。 かっこいいだろ?」


おれは薄く笑った。

笑みがぎこちなくならないよう、続けざまに言った。


「お前の弟が誘拐されたときのことだがな・・・」


椿姫の顔が歪む。


「いまだから教えてやるが、おれは、とっととお前たちに家を出て行って欲しかったのさ」


よほどのショックを受けたのだろう。


「おれは善意でお前たち家族に協力していたんじゃない。 すべて、金のためだ」


椿姫はがたがたと震えだし、やがて言った。


「・・・ちょっと前にね、おうちに小包が届いたの」
「・・・・・・」
「中身、なんだと思う?」
「・・・・・・」
「お金だよ。 五千万はあるって、お父さんが言ってた」
「・・・・・・」
「送ってくれたのは、"魔王"だって。
いままでの罪を反省してるって添え状があったの」
「ほう・・・そりゃ、良かったな」
「うん。 お父さんも、宏明もみんな喜んでた」
「そうかそうか。 いや、めでたいじゃないか。 これも日ごろの善行のたまものだな」


突如、少女の顔が曇った。



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「でも、わたしは素直に喜べないんだよ」
「なに?」
「だって、それは・・・そのお金は・・・きっと・・・」


涙に濡れた目でおれを見据えてくる。


「なんだよ、"魔王"が反省してるって言ってたんだろ。 椿姫のくせに、人を疑うなよ」
「わたしはあの事件で、少しだけ変わったんだよ」


・・・ああ、知ってるよ。


少しだけ、人間らしくなったってか。

 

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「いいんだよ、浅井くん・・・」
「あ?」
「わたしたち、お友達だよね?」


悲しみにわななく唇を無理に開いていた。


「・・・だからね、殺人犯のお友達でも、平気だから」


―――っ!!!


「今日もね、おうちに、どこかの雑誌の人が来たよ。
学園での浅井くんの様子を聞かれたよ。
わたしね、こう答えたんだ。
浅井くんは冷たそうだけど、本当はとってもいい人ですって!」


涙が、頬を伝い落ちた。


「だから、平気なんだよ・・・」


どこまでも、どこまでも、馬鹿な女だ・・・。


おれをかばうと、今後世間からどんな目で見られるか・・・そういうことがわかっていないのだ。


「はっ、なんだよ、お前・・・」
「・・・なあに?」
「まさか、お前、おれに気があったのか?」
「・・・っ」
「だったら、残念だったな。 おれはお前みたいな女が大嫌いでね」


椿姫は時を止めたように押し黙った。


「二度と来るな。 お前の顔なんて見たくもない」


おれは看守に接見の終わりを告げるべく首を振った。


「浅井くん、待って!」


すまない、椿姫・・・。


「待って! 待ってよおお――――っ!」


さようなら、家族と仲良くな・・・。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

留置所では手紙のやりとりは自由だ。

といっても検閲は入るが、封筒と便箋さえあれば外にも出せる。

おれには、ぜひとも、手紙を出したい相手がいた。


・・・。

 

 

========================


岩井裕也殿


お元気でしょうか。

ご存じの通り、私は殺人を犯し、現在起訴を待つ身となっています。

山王物産のビルではお世話になりました。

あなたの勇気と行動力のおかげで私は死をまぬがれたのです。

あなたにぜひ、お願いがあります。

宇佐美ハルの面倒を見ていただけないでしょうか。

あなたは、山王物産の社員で、お父上も亡き染谷専務の後釜といわれるほどの重役と聞き及んでいます。

あの日、屋上でも申し上げたかもしれませんが、私と宇佐美ハルは、別に交際しているわけでもないのです。

少なくとも私にその気はありません。

ただ、あれは身寄りのない哀れな女です。

外道の私にもいくばくかの情がないでもありません。

よろしければ、かわいがってやってください。

ぶしつけなお願いですが、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

                              鮫島京介


========================

 

 


・・・これでいい。

岩井のような勇敢な男なら、ハルを幸せにしてくれるだろう。

経済力もある。

ヴァイオリンを学ぶには金がいるからな。

おれは願いを込めるつもりで、看守に手紙を渡した。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

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・・・さらに数日後、また接見を求められた。

椿姫の泣き顔を思い出していたおれは、もう、薄ら笑いを浮かべる余裕はなかった。

本当なら絶対に会いたくはなかったのだが、もう二度来ないよう、きつく言っておかなければならない。

 

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「兄さん、だいじょーぶ?」


声は軽いが、表情は重かった。


「世界をまたにかけるトップアスリートがこんなところに何の用だ?」
「んー、かまってほしいから」


そんな、甘えたひと言が、留置所の外の世界を思い出させる。


「ねえ、兄さん、すごい人気者じゃない?」
「人気者?」
「だって、大魔王をやっつけたんでしょ? なんでこんなところにいるの?」
「さあな・・・」


本気で理解できないらしい。


「いま、テレビじゃどこもかしこも、兄さんのことやってる」
「へえ・・・」
「のんちゃんなんか目じゃないくらい人気者だよ」
「・・・そうか、用は、それだけか?」


・・・。


直後、花音がそれまで堪えていた涙を開放した。

 

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「みんな、兄さんの悪口言ってるんだよ・・・!」


くやしくて、くやしくて、と漏らした。


「・・・兄さんが、ヤクザだとか、兄さんのお父さんのこととか関係ないことまで持ち出して・・・!」
「事実だ」
「犯罪者の息子も犯罪者って!」
「そんなもんだ」
「だって、だって・・・兄さん、目立つの大嫌いじゃない!?」


おれを哀れみ、泣いていた。

ありがとう、と言いたかった。

けれど、看守も見ている前では、下手なことは言えない。

おれは、ハルを利用した薄汚い男として生き続けるしかない。


「一つだけ言っておくぞ、花音」
「え・・・?」
「おれはもう、お前の兄貴じゃない」


こんなときのために、離縁しておいて良かった。

 

「だから、もう、お前とは会わない」
「な、なんで・・・?」
「会いたくないからだ」


おれに関われば、人気フィギュアスケート選手としての花音の名声が落ちる。

離縁したとはいえ、これまで、兄妹だったのだ。


「もう来るな。 来てもおれは接見を拒否する」
「や、やだよ・・・!」
「わがままを言うな!!!」


大声を張り上げたとき、背後に控えていた看守がおれをとがめた。


「頼むから・・・もう、来るな・・・」


頭を下げた。


「お前は、陽の当たる道を行け。 大勢の観客に感動を与えるのがお前の役目だ」
「・・・にいさぁん・・・!」
「さあ、行け。 お前はこんなところにいてはいけない・・・」
「・・・いいの?」


ぽつりと言った。


「それで、兄さんは、いいの・・・?」


おれはうなずいた。

花音は、泣きじゃくる。

いつまでも、いつまでも、悲しみに震えていた。


・・・もっと、かまってやるべきだった。


この少女は、まだまだ不安定で、大人になりきっていなかった。


もし、違う人生があれば、そのときは支えてやりたいものだ。

 

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「わたし・・・っ・・・わたし、が、がんばる、よ・・・」


看守が、接見の終わりを告げた。


・・・・・・。

 


・・・。

 

 

花音が来たその日、手紙が届いた。

目を覆うような汚い字に、差出人が誰かわかった。

 


========================


京介ちゃんよお、やってくれたじゃないの。

なんつーの、オレクラスの鬼畜もんになるとよお、面会とかしゃらくさいわけよ。

あえていかないわけよ。

だって、オレの顔を見たら、お前はたぶん泣いちまうだろ?

こうなったら、おまえは裏の世界でトップになれよ。

オレは表の世界でのしあがるから。

あ、あとよ、ついにノリコをモノにしたぜ。

マジで。

いや、マジだって。

マジだからよ・・・早く、出てこいよ・・・。


========================

 

・・・最後のほうの文字が、妙に歪んでいた。

おバカなあいつにしては、つまらないギャグだった。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

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すでにおれは、かなり参っていた。

連日に及ぶ取調べ。

留置所と地検を往復させられ、現場検証も数回行われた。

縄でつながれながら外に出るのは、正直、とても恥ずかしい。

あくまでおれの主観だが、どうやら、おれの自白を覆すような決定的な証拠は見つかっていないようだった。

もうそろそろ、規定の拘留期間が終わるはずだ。

そうすれば、少しは楽になると聞いた。


だが、まったく、堰を切ったように人が来る。

おれにとって、意外な女だ。

けれど、そいつが、一番手紙を出してきた。

わけがわからず、一度だけ会ってみることにした。

 

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「・・・浅井くん・・・」
「まさか、お前が来るとはな、白鳥・・・」
「来ちゃいけないの?」


口を尖らせていた。


「・・・まあいい、時田はどうなった?」
「いま、二人でアパートを借りて、一緒に暮らしてるわ」
「へえ・・・」


時田も、とくに、罪を問われるようなことはなかったみたいだな。


「わかった・・・で、何の用だ? お前はとくに、友達ってわけでもなかったはずだが?」
「・・・っ!」


そのひと言が、予想以上に、白鳥を傷つけたようだ。


「ね、姉さんから伝言・・・」
「うん・・・」
「『いったい、いつ、あなたにお金を払えばいいの?』って」


・・・金?

ああ・・・そういえば、立て籠もりの件で、そんなことを言ったな。


「おれが出て来るまで待て。 そして、必ず払えと伝えておけ」


白鳥は、ふてくされたような顔でうなずいた。


「あ、あと・・・」
「なんだ?」
「クラシックの鑑賞会・・・あ、ありがとう・・・」
「は?」
「つきあってくれて」


眉をひそめたそのとき、白鳥の体の芯が折れた。

 

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「あ、りがとう・・・助けてくれて・・・」


涙が目の前のアクリル板に飛んだ。


「あなたは、怖い人たちから、姉さんと私を、助けてくれた・・・」


・・・あの倉庫でのことか。


「ありが、とうって・・・」
「・・・・・・」

 

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「ず、ずっと言いたかった・・・」


顔を歪ませる白鳥の横顔に、胸が締めつけられた。


「い、いままで、言えなくて・・・ごめん」
「・・・・・・」
「わ、わたし、いつも、そうで・・・いつも、思ったこと言えなくて・・・」
「・・・・・・」

 

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「こんな、こんなことになるなんて・・・!」


後悔をかみ締めるように言った。

もしかすると、おれは、この少女とすれ違ったのかもしれない。

もっと、語り合えたのかもしれない。

だが、おれは、こいつを利用しようと考えていたのだ。

こいつだけではない。

椿姫も、花音も同じだ。

いまさら、間違えた過去に手が届くはずもない。


「話はわかった。 じゃあな・・・」
「・・・ま、待って、聞いてっ!」

涙に潤んだ瞳が、渾身の勇気に輝いた。


「あ、あのね、わ、わたし――――」

「看守」

「・・・あ、あなたのことが―――!!!」

「接見を終えます」

 

・・・。


おれは席を立った。

背後で、悲鳴のような声が聞こえた。

白鳥水羽の告白を受け止める余裕は、いまのおれにはなかった。


・・・・・・。

 


・・・。

 


二十一日目にしてついに、起訴となった。

刑事部長が読み上げる書面には、主に、殺人と銃刀法違反について書かれていた。

それから先は、停滞した時が流れた。

拘置所に入れられたおれは、その後、たんたんと裁判の経過を見守っていた。

全ての容疑を認めた上で、証言もはっきりしているせいか、はたまた弁護士のやる気がなかったせいか、法廷ではたいした争いはなかった。

手紙は、ばったりと来なくなった。

裁判の過程で、ハルの姿をひと目見られるかもしれないと期待した。

けれど、ハルは証人として出廷することもなかったようだ。

それはそれで、良かった。

拘置所内では、よく新聞や週刊誌を読んだ。

記事をくまなくチェックしたが、おれの事件でハルないし少女Aという名前は見当たらなかった。

一部の週刊誌周りは、堀部に、にらみを利かせてもらうよう、捕まる前に頼んでおいた。

それが功を奏したのだろうか。

堀部はなぜか、金回りも期待できないおれの言うことを聞いてくれていた。

拘置所の檻のなかでは、あまり四季を感じられなかった。

夏が来て、秋が来て、また冬が来る。

朝六時四十五分に起床とたたき起こされ、夜九時には消灯。

規則正しい毎日が続いた。

風呂には毎日入れてもらえなかったが、髪は切ってもらうことができた。

ほとんど坊主同然にされた。

あまりに似合わなさ過ぎて、ハルのことをバカにできなくなった。

ガンセン、タクサゲ、ネガイゴト・・・様々な専門用語を自然と身につけ、なにより挨拶が体になじんでいった。

暴力団の男、家庭内暴力の男、窃盗および放火の男、多種多様なアウトローと交流を持った。

飲酒運転で人を殺した男とは決して、口をきかなかったけれど・・・。

そして、事件発生から約一年後。

何度も訪れた地裁の法廷で、裁判長がいつもより険しい顔でおれを見下ろしていた。

判決が下る。

おれは、ただ、ハルを、想った。

けれど、それは、最期の想いだった。

これで、凍結される想い。

とある芸能雑誌の記事にあった。

三島春奈というアーティストが、再び活動を再開したという。

もう、思い残すことはなかった。


主文――。

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

 

 

 

 


「お世話になりました・・・」

 

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浅井京介は空を仰いだ。

黄金色に染まった二月の空。

八年前に見上げたのは濃灰色(のうかいしょく)の雲に覆われたうす曇の空だった。

天空から音もなく雪がちらついていたあの夜、京介は少女と永遠の別れを誓っていた。

二度目の別れから、もう八年も経っていた。


不意に、肩幅より広げた足を閉じた。

長い服役生活が、許可なく運動をしていいのかと、京介に問いかけていた。


京介は嘆息し、肺に堀の外の空気を大量に入れた。

よどみのない、澄んだ風が吹き渡る。

年を重ねた肌に、二月の乾いた風は冷たかった。


あの頃は、まだ暖かく感じた。

ふと、思い立ってしまう。

学園で、友人たちと馬鹿話に興じた日々。

自宅で大人相手に生意気な交渉をしていた日々。

卑屈に、目立たぬよう、笑われぬよう過ごしていた日々。

あの頃の京介は、弱い、金の奴隷だった。

浅井権三という巨魁の前でうろたえるだけの小僧にすぎなかった。


京介は、また空を見た。

雪がちらつきはじめた。

あの頃は、少女のまぶたに落ちた雪を見て、切なさに胸を詰まらせたものだった。


あの少女。

冷たい外道の道に、光を差してくれた。

幼き日の馬鹿げた約束が、唯一ぬくもりを与えてくれた。

初めて肌を重ね、一つになったとき、京介は紛れもない幸福に包まれた。


目を閉じた。

深呼吸を繰り返し、気を静めた。

振り払った。

天国のごとき安息は、もう、訪れない・・・。


目を開けた。

誰もいない。

孤独は、京介が望んだことだった。

彼は独り、歩みを進めることにした。

行くあてはない。

孤高な一匹狼のように、胸のうちに底知れぬ悲しみを秘めながら・・・。

 

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抜け殻の足を向けた先に、人影があった。

大きな影と小さな影。

親子連れか。

こちらに向かって道を渡ってきた。


京介の心は暗くなった。

刑務所内では女性や子供の声を久しく聞いていない。

親子は、手をつなぎ、楽しげに童謡を歌っている。

ときおり笑い声。

京介は虚ろな眼差しを地面に落とした。

早く、過ぎ去って欲しかった。


けれど、母子の声が遠のくことはなかった。

むしろ、近づいてくる。

そして、あろうことか、京介の前で立ち止まった。

 

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「はじめまして」


幼い声。

くりくりした瞳が京介を見上げていた。


「お久しぶりです」


平坦な、母親の声。

足元まで届きそうな髪が風になびいていた。

京介は、はじめ、返す声もなかった。

長い獄中生活で、少女との再会は何度となく夢見た。

その度に、己を戒め、苦しんできた。


もし・・・。


もし、刑務所を出て、少女に会うようなことがあればこう言おう。


心で何度となく繰り返していた言葉がある。


「おめでとう」


京介の牢には何者にも触らせない宝物があった。

市販のフィルムケースだった。

国内外はもちろん、獄中にまで響き渡っていた三島春奈の活躍記事が、ファイルいっぱいにスクラップされている。

美しい大人の女性に変貌した少女が言った。


「音楽がなくて、寂しかったでしょう」
「頭にバッハがいたよ」


少女が笑う。

京介は笑えなかった。

日向を行く少女と、肩を並べて笑い合ってはならない。

かたや実刑を受けた殺人犯、かたや世界を股にかけるヴァイオリニスト。

雪が、落ちる。

二人の間を隔てるように・・・。

京介の脳裏に、母と過ごしたあばら屋の窓から見える景色が飛来した。


「で、なにか用か?」


きついひと言に、少女は細めた。

かまわず、氷柱のような言葉を選んだ。


「警察から聞いたろう。 おれはお前を・・・」
「もういいんです」


ハルがさえぎって言った。


「もう、いいんです」


繰り返した。


京介は、ふっと嘲笑した。


白い吐息が、娘の眼前で霧散した。


「岩井裕也が、お前を助けてくれたんだな?」
「はい」


小さくうなずいた。


「そういう申し出はありました」


・・・申し出はあった?


京介は違和感を覚えながら、下劣な薄笑いを浮かべることにした。


「そうか。 それはよかったな。
お前がいまの名声を得られたのも、岩井のおかげだろう」
「感謝しています。 この子も可愛がってくれています」
「いまいくつなんだ?」


答えは、下から返ってきた。


「七つだよ、おとうさん」


危うく、そのさりげないひと言を聞き逃すところだった。


――お父さん!?


京介の時が固まった。


視線が、お父さんと声を発した子供に注がれる。


深まる確信。


似ている。


口元といい、顎先といい、小賢しい目元といい・・・。


「嘘を、言うな」


震える声で少女に言った。


「間違いがないことは、わたしが一番よく知っています」


きっぱりとした返しに、京介は狂乱した。


「あなただけです。 わたしには、あなたしかいないんです」


呪った。


天を。


気まぐれな神を。


残忍な悪魔を。


子宝を司る何者かをなじらねば気がすまなかった。


いや、どれだけ呪詛の言葉を投げかけようとも、目の前の現実が変わらないことに、京介は底なしの絶望を味わっていた。

殺人犯の娘が、またなにか言っている。


「おとうさん、頭なでて」


殺人犯の孫は、京介の冷たい手を求めていた。

ふらりと、吸い寄せられる、京介の腕。

やわらかい髪の毛。

幼子の頭にふれた。


ふれて、しまった――。

 

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瞬間、浅井京介の顔に修羅が宿った。


「違うんだ・・・!」


この子を、殺人犯の娘にしてなるものか――!


「京介くん、もういいんだよ・・・」


ハルの声が涙にかすむ。

京介の視界が涙にかすむ。


「・・・やめろ、違う・・・おれの子じゃ・・・」
「もう、泣いていいんだよ」
「・・・おれの、子じゃ・・・」
「お疲れ様」
「ち、が・・・あ・・・ぐっ・・・」


こみ上げる嗚咽に、それ以上の言葉が続かなかった。

幼子の頭に置いた手のひらが、はりついたように動かない。


「また、一からやりなおそう。 今度は三人だよ。 ねえ、京介くん」


京介の顔が失意に歪んでいく。

がああ、がああ、と狂人の叫び声があった。

復讐と憎悪の連鎖を断ち切ろうとした一匹の獣の咆哮だった。


「おとうさん、ずっといっしょだよ。 おかあさんも、いるよ。 わたし、ピアノしてるんだ。 ねえ、見て、聞いて」


娘が幸福を招くように、笑う。

笑い声がいつまでも、耳に残る。

おとうさん、おとうさんと、心を揺さぶる。


浅井京介は泣いた。

京介の歩んできた悪魔だらけの人生で、最後の最後に現れた穢れなき天使に、なすすべもなく泣くしかなかった。

やがてハルが娘の名前を告げたとき、舞い散る粉雪がはたとやんだ。

まるで、ずいぶんと早い春の訪れを察したかのように――。

 

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END