*ゲームを読む*

ゲームまるごと文字起こし

Kanon【1】

当ブログは、私個人の趣味でゲームを"ほぼ全文"文字起こししています。

いわば、"読む体験版"です。

ローマ字入力・かな入力・親指シフトなど、タイピング練習も兼ねています。

誤字・脱字が多々あるかと思われます、ご了承下さい。

読んでみて、面白いと思ったゲームはぜひ購入し、ご自身でプレイすることを"強く"お勧めします。

ゲームは自分でやってナンボです!

 

 

KANON

-水瀬名雪編-

 

・・・。


雪が降っていた。

重く曇った空から、真っ白な雪がゆらゆらと舞い降りていた。

冷たく澄んだ空気に、湿った木のベンチ。


「・・・・・・」


俺はベンチに深く沈めた体を起こして、もう一度住まいを正した。

屋根の上が雪で覆われた駅の出入り口は、今もまばらに人を吐き出している。

白いため息をつきながら、駅前の広場に設置された街頭の時計を見ると、時刻は3時。

まだまだ昼間だが、分厚い雲に覆われてその向こうの太陽は見えない。


「・・・遅い」


再び椅子にもたれかかるように空を見上げて、一言だけ言葉を吐き出す。

視界が一瞬白いもやに覆われて、そしてすぐに北風に流されていく。

体を突き刺すような冬の風。

そして、絶えることなく振り続ける雪。

心なしか、空を覆う白い粒の密度が濃くなったような気がする。

もう一度ため息混じりに見上げた空。

その視界を、ゆっくりと何かが遮る。

 

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「・・・・・・」


雪雲を覆うように、女の子が俺の顔を覗き込んでいた。


「雪、積もってるよ」


ぽつり、と呟くように白い息を吐き出す。


「そりゃ、2時間も待ってるからな・・・」


雪だって積もる。


「・・・あれ?」


俺の言葉に、女の子が不思議そうに小首を傾げる。


「今、何時?」
「3時」
「わ・・・びっくり」


台詞とは裏腹に、全然驚いた様子もなかった。

どこか間延びした女の子の口調と、とろんとした仕草。

 

「まだ、2時くらいだと思ってたよ」


ちなみに、2時でも1時間の遅刻だ。


「ひとつだけ、訊いていい?」
「・・・ああ」
「寒くない?」
「寒い」


最初は物珍しかった雪も、今はただ鬱陶しかった。


「これ、あげる」


そう言って、缶コーヒーを1本差し出す。


「遅れたお詫びだよ。
それと・・・再会のお祝い」
「7年ぶりの再会が、缶コーヒー1本か?」


差し出された缶を受け取りながら、改めて女の子の顔を見上げる。

素手で持つには熱すぎるくらいに温まったコーヒーの缶。

痺れたような感覚の指先に、その温かさが心地よかった。


「7年・・・そっか、そんなに経つんだね」
「ああ、そうだ」


温かな缶を手の中で転がしながら・・・。

もう忘れていたとばかり思っていた、子供の頃に見た雪の景色を重ね合わせながら・・・。


「わたしの名前、まだ覚えてる?」
「そう言うお前だって、俺の名前覚えてるか?」
「うん」


雪の中で・・・。

雪に彩られた街の中で・・・。

7年間の歳月、一息で埋めるように・・・。


「祐一」
「花子」
「違うよ~」
「次郎」
「わたし、女の子・・・」


困ったように眉を寄せる。

一言一言が、地面を覆う雪のように、記憶の空白を埋めていく。

女の子の肩越しに降る雪は、さらに密度を増していた。


「いい加減、ここに居るのも限界かもしれない」
「わたしの名前・・・」
「そろそろ行こうか」
「名前・・・」


7年ぶりの街で、

7年ぶりの雪に囲まれて、


「行くぞ、名雪


新しい生活が、冬の風にさらされて、ゆっくりと流れていく。


「あ・・・うんっ」

 

・・・。

 


1月7日 木曜日


====================


夢。

夢を見ている。

毎日見る夢。

終わりのない夢。

赤い雪。

流れる夕焼け。

赤く染まった世界。

誰かの泣き声。

子供の泣き声

夕焼け空を覆うように、小さな子供が泣いていた。

どうすることもできずに。

ただ夕焼けに染まるその子の顔を見ていることしかできなかった。

だから、せめて・・・。

流れる涙を拭いたかった。

だけど、手は動かなくて・・・。

頬を伝う涙は雪に吸い込まれて・・・。

見ていることしか出来なくて・・・。

悔しくて・・・。

悲しくて・・・。

大丈夫だから・・・。

だから、泣かないで。

言葉にならない声。

届かない声。

「約束だから・・・」

それは、誰の言葉だっただろう・・・。

夢が、別の夢に染まっていく・・・。

「うん・・・約束、だよ」


====================

 

・・・。


バタンッ!


遠くから、勢いよくドアの閉まるような音が響く。


ドタドタドタ・・・。


直後、板張りの廊下を走るような足音が、冷たい空気を揺らしていた。

静かだった部屋に、遠くから近づいてくるような足音。


「・・・・・・」


まだまだ深い眠気に包まれながら、どこか夢の続きのようにぼんやりと布団にくるまる。


「・・・・・・」


今日はまだ冬休みだから、もっと寝ていてもいいはずだ・・・。

無意識にそう結論を出して、その考えを早速実行する。

目を閉じて、このままもう一度眠りの中に・・・。


ドタドタドタ・・・。


眠りの中に・・・。


ドタドタドタ・・・。


中に・・・。


「あっ・・・わたしまだパジャマだよっ・・・」


壁越しに、女の子の声が聞こえてくる。


「うー・・・本当に時間ないのに・・・」


切羽詰まっている台詞の割には、あまり大変そうな口調ではなかった。


バタンッ!


もう一度、扉が閉まる。


「・・・・・・」


部屋の中に、さっきまでの静寂が戻ってくる。

眠気はまだたっぷりとあった。

布団を頭までかぶり、体を丸めてすっぽりとそれの中に収まる。


・・・。


ゆっくりと意識が覚めていく。

このまま起きてもいいかもしれない・・・。

俺は布団から手だけを伸ばして、目覚まし時計を手元に引き寄せようとした。

・・・しかし、いつも目覚ましを置いている場所にはなにもなかった。

今度は布団から顔を出して、壁にかかっている時計で時間を確認しようとする。


・・・しかし、壁に時計はなかった。

というか、時計どころか何もなかった。


「・・・・・・」


閑散とした部屋に、何も物が入っていない家具・・・。


「・・・というか、ここどこ?」


重い瞼を擦りながら、ぼうっとする頭を懸命に振り動かす。


「・・・・・・」


静かな部屋を満たす、冷たく澄んだ空気。

馴染みのない部屋と本棚。

そして、遠くから聞こえてくる女の子の声。


「・・・そうだ」


意識が戻ると同時に、鮮明に蘇る記憶。

俺は、ほとんど無意識にカーテンを開け放った。


カシャッ!


不意に、真っ白な光が網膜に飛び込んでくる。

穏やかな朝の日差しと、目を閉じても瞼を突き抜けてくる銀色の光。


「寒いわけだよな・・・」


思わずそんな言葉が口をついて出る。

四角い窓の外には、一面の雪景色が広がっていた。

庭木の上も、向かいの屋根もその向こうも、視界に飛び込んでくるもの全てが、白一色に覆われていた。

吐き出した言葉も白く染まって、もやのように視界を遮る。

住み慣れた街と両親、そして友人に別れを告げて、俺はひとりこの街にやってきた。

やってきたと言うよりは、帰ってきたと言った方が正解かもしれない。

7年前までは、俺は確かにこの白く染まった光景を見ていた。

雪。

そして、7年ぶりに再会した、いとこの少女。

記憶の片隅でくすぶる思い出と、現実の少女の姿。

違和感を感じるほどに俺の中の記憶は鮮明ではなかった。

それでも、同い年のいとこの姿に、多少のとまどいを覚えたことは事実だった。


「とりあえず、今日中に荷物をなんとかしないと・・・」


明日からは、新しい学校での生活が始まる。

俺は鞄に詰めて持ってきた必要最低限の荷物から、今日着る服を取り出す。

残りの服は、身の回りの物と一緒に宅配便で届くはずだ。

送ったのが昨日だから、今日の午前中には届くだろう。

手早く服を着替えて、まず必要な物は暖房器具だな、とそんなことを考えながら、新しい自分の部屋を後にした。


バタンッ!


廊下に出るとほとんど同時に、隣の部屋のドアも開く。

 

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「お母さんっ、わたしの制服ないよ・・・」


中から顔を出した女の子が、困ったように呟く。


「時間ないよ~、時間ないのに~、どうしよう・・・」


と、ふと俺と目が合う。


「あ・・・おはよう、祐一」


にこっと微笑みながら、まるで今までもそうだったというように朝の挨拶をする。


「・・・・・・」


あまりに普通のリアクションだったので、思わず言葉が詰まる。


「ダメだよ、祐一。 朝はちゃんとおはようございますだよ」
「・・・おはよう」


少し戸惑いながら、言われた通り挨拶を返す。


「うん。 おはようございます」


7年ぶりに再会した、いとこの名雪は、間違いなく7年前の少女そのままだった。

たとえ、記憶の中の姿とは違っていても・・・。


「早いね。 祐一は今日までお休みなんだから、もっと眠っててもいいのに」
「そう思うんだったら、もう少し静かに騒いでくれ」
「うー、難しいよ・・・」
「いや、真剣に悩まれても困るけど・・・」
「・・・あっ」


思い出したように、ぽんと手を叩く。


「そういえば、時間と制服がないんだよ・・・」


その言葉通り、名雪はまだパジャマ姿だった。


「俺に言われても困る」
「うー、そうだけど・・・でもっ、でもっ」


よく分からないが、時間がないのは確からしい。


「祐一、わたしの制服知らない?」
「俺が知ってるわけないだろ・・・」


と、途中まで言いかけて、ふと思い出したことがあった。


「制服って、昨日も着てた変な服のことだろ?」
「変じゃないよ・・・」
「秋子さんが洗濯してたんじゃないか? 確か」
「・・・あ」


名雪も思い出したのか、踵を返して階段を駆け下りる。

しばらくして・・・。


バタバタバタ・・・。


「あったよ」


ハンガーにかかったままの制服を抱きかかえるように、階段を駆け上がってくる。


「でも、ちょっと湿ってる・・・」
「まぁ、そうだろうな」
「どうしよう・・・」
「コタツの中に入れておくとすぐに乾くぞ」
「そんなことしたら、しわになってダメだよ・・・」
「靴にドライヤーと並んで、冬場の生活の知恵だぞ」
「そんな生活の知恵、やだよ・・・」
「まぁ、着てればすぐに乾くだろ」
「うん、そうだけど・・・」


少し思案した後、決心したのか自分の部屋に入っていった。


「でも、今日はまだ冬休みなんじゃないのか?」
「うん、でも、わたしは部活があるから」


ドア越しに話しかけた声に、その向こう側から返事が戻ってくる。


「わたし、部長さんだから」


そういえば、そんなことを言ってたな・・・。

昨日、駅まで制服姿で迎えに来た名雪を不思議に思って訊ねた時の答えだった。

あの時、名雪と話をするのは7年ぶりだった。

顔も声もまったく知らない少女。

だけど、言葉を交わすにつれて、間違いなくこの見知らぬ少女は、昔一緒に遊んだいとこの女の子だと確信していった。

それから半日。

いつの間にか、お互いの緊張感がなくなりつつある。

言い換えれば、昔に戻りつつあるということだろうか。

もっとも、名雪は最初から緊張なんてしていなかったようだが・・・。


「やっぱり冷たいよ・・・」


部屋の中から情けない声があがる。


「肌に貼りつく・・・」
「我慢しろ」
「うー・・・」
「廊下だって寒いんだから」


よくよく考えると、名雪の着替えにつき合う理由は何もないのだが、成り行きでドアの前を離れづらくなってしまった。

まぁ、特に急いでいることもないので、別に構わないのだけど。

『なゆきの部屋』とかかれたドアプレートに背中を向けて、廊下の壁にもたれかかる。


「お待たせ」


ドアを開けながら、制服姿の名雪が出てくる。


「確か、時間もないって言ってたけど、急がなくていいのか?」
「うん。 全然よくないよ」


言葉とは裏腹に、口調はのんびりとしていた。

階段を降りる名雪に続いて、俺も階段を下る。


・・・。


「今からでも間に合うのか?」


俺はまだ、ここから学校までどれくらいかかるか知らないし、部活が何時から始まるのかも分からない。


「一生懸命走れば間に合うよ」


どうやら、かなりヤバイらしい。


「なぁ、名雪
「ん?」


玄関に座って、靴を履いている名雪が視線を俺の方に向ける。


「今日は、部活何時ごろに終わるんだ?」
「んと・・・今日は冬休み最後の部活だから、昼過ぎには帰って来られると思うよ」


少し考えてから、そんな答えが返ってくる。

ちなみに、名雪は陸上部らしいが、はっきり言ってとてもそうは見えない。


そのことを名雪に話したら、よく言われるよ、と笑っていた。


「だったら、帰ってきてから、ちょっと時間いいか?」
「うん、いいよ」


内容も訊かずに、笑顔で頷く。

こんなところは昔と何も変わっていない。


「だったら・・・帰ってきてからでいいから、俺の部屋を片づけるのを手伝ってくれないか?」
「・・・祐一の荷物、もう届いたの?」
「いや、まだだけど、たぶん今日の午前中には届くと思う」
「・・・女の子に力仕事させるの?」
「運動部の腕の見せ所だろ?」
「うー」


困ったように横を向く。


「運動部は運動部でも、わたしは走るの専門だよ」
「似たようなもんだろ?」
「ぜんぜん似たようなものじゃないと思うけど・・・」


俺もそう思う。


「でも・・・うん、いいよ。 祐一の手伝いするよ」
「悪いな。 そのかわり、空になったダンボール箱は全部名雪にやるから」
「いらないよ」
「秘密基地とか作れるぞ」
「作らないよ」
「今なら、ガムテープもつけるぞ」
「間に合ってるよ」
「とにかく、頼んだぞ」
「うん・・・。 分かったよ」


「・・・あら?」


玄関で固まっていると、背中から不意に声がかかった。

 

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名雪、まだいたの?」


リビングの扉を開けて、秋子さんが顔を覗かせていた。

俺の母親の妹。

つまりは、俺の叔母で名雪の母親でここの家主だ。

昨日までは、この家で名雪とふたりっきりで住んでいた。

俺が居候先を探していたときに、急な申し出を真っ先にふたつ返事で了承してくれたのは秋子さんだった。


「もうこんな時間だけど、今から間に合うの?」
「100メートルを7秒で走れば間に合うよ」


それは世界新だ。


「がんばってね」
「うん」


「がんばっても無理だって・・・」


「おはようございます、祐一さん」


すでに会話になっていない。

マイペースなところは、さすがに名雪の母親だった。


「おはようございます」
「祐一さん、いつの間に起きていたんですか?」
「俺は今起きたところです」
「朝ご飯、食べますよね?」
「いただきます」


「わたしの朝ご飯は?」
「もう少し早く起きたらね」


もっともな意見だった。


「お腹ぺこぺこ・・・」
「今日は昼過ぎには帰ってこられるんでしょ?
だったら昼は少し遅めにするから、家族全員で食べましょう」
「うん・・・」
「それで、もうこんな時間だけど大丈夫?」
「全然大丈夫じゃないよ」


どうやら、すでに諦めたらしい。


「えっと、行ってきます~」


ドアを開けると、その先は足跡さえついていないまっさらの雪の床が広がっている。

吹き込む風の冷たさが、部屋の中とは段違いだった。


「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「うんっ」


名雪の後ろ姿を見送ったあと、秋子さんがぽつりと呟く。


「もう少し早く起きてくれると助かるんだけど・・・」
名雪って、朝弱いんですか?」
「明日から、祐一さんも大変ですね・・・」


俺の問いかけの答えなのか、それともただの独り言なのか・・・。

それだけ言い残して、秋子さんはリビングへと消えていった。


・・・。


秋子さんが用意してくれた少し遅めの朝ご飯を食べ終わると、何もすることがなくなってしまった。

せめて食器の後片付けくらいはやろうとしたのだが、それでも秋子さんにやんわりと断られてしまったのだ。

結局本当に何もすることがなく、リビングのソファーに腰を下ろして見慣れない番組を眺めているしかなかった。


(チャンネルが少ない・・・天気予報の地図が知らない場所だ・・・しかも、雪のマークがたくさん・・・ぐはっ・・・最高気温が氷点下・・・)


つくづくこの場所が昨日まで暮らしていた場所とは違うということを思い知らされる。


(・・・俺はいつまでこの街で暮らすんだろうな)


俺がこの家に居候させてもらうことになった理由は簡単だった。

両親の仕事の都合で急遽引っ越しが決まり、ひとり暮らしを望んだ俺の意見は簡単に却下された。

そして、海外よりは国内を選んだ・・・と、つまりそう言うわけだ。

親戚が少ない家系に生まれてしまったことを恨みながら、時計の針の音さえ聞こえてくる静寂の中で、ゆっくりと時間が流れていった。


・・・。


「・・・ただいまっ」


しばらくして、玄関から名雪の声が聞こえる。

そして、下駄箱を開ける音に閉める音・・・。


「祐一、ただいま」


リビングのドアを開けて入ってきた名雪の声に、片手をあげて応える。


「お母さん、お昼の準備手伝うよ」


鞄を置いて、台所へ消える。


・・・。


「俺も手伝うぞ」
「祐一、料理できるの?」
「昔、カップ焼きそばの湯を捨てずにソースを入れたことがある。 さぁ、俺の仕事はなんだ?」
「お皿並べてて」
「了解」


数分後。

皿の並べ終わったテーブルの前で、ひとり先に座って何気なく名雪と秋子さんの背中を眺めていた。

他に何か手伝おうとした俺の申し出は案の定却下されて、結局料理が出そろうまで空の皿を眺めていることしかできなかった。


・・・。


「うぐ・・・食いすぎた・・・」


少し遅めの昼ご飯を食べ終えて、自分の部屋でベッドに寝転がりながら、見慣れない天井を眺める。


「祐一っ」
「うおっ!」
「うおっ、じゃないよ・・・」
「急に入ってくるなっ!」
「だって、祐一が部屋の片づけ手伝えって言ったんだよ」
「あ・・・ああ、そうか・・・」


そう言えば、そんなことを言ったような気がしなくもない。


「宅急便、届いてたよ」
「そうか・・・」


これでやっと、殺風景な部屋ともおさらばだ。


「たくさん届いてたよ・・・」


不満そうに眉をひそめる。


「たくさん送ったからな」


だから名雪に手伝いを頼んだんだ。


「じゃ、そういうことでがんばって2階まで運ぼうな」
「詐欺だよ~」
「ちゃんと約束通り空の段ボールはやるから」
「いらないよ~」


情けない声を上げる名雪を引っ張って、荷物が届いているという玄関に降りる。


・・・。


玄関に近い廊下には、いつの間にかふた桁近い段ボール箱が並んでいた。


「いっぱいあるなぁ」


しみじみと言う。


「祐一が送ったんだよ・・・」


とても不満そうだった。


「とりあえず、運んでしまうか」
「・・・大変そうだよ」


俺も手近な箱をひとつ持って、階段に向かう。


「・・・祐一」


と、後ろから名雪が呼び止める。


「どうした?」
「・・・持ち上がらない」


床に座り込んで、段ボールを持ち上げようと努力はしているようだが、それでも全く動く気配はない。

しかし、だからといって甘やかすわけにはいかない。

名雪はもはや貴重な戦力なのだ。


「気合だ!」
「無責任だよ~」
「変身だ!」
「そんなのできないよ~」
「やる前から諦めるな」
「うー」


上目遣いの視線で俺をじーっと見つめる。


「その箱が無理なんだったら、他の段ボールで試してみたらどうだ?」


中に入っている物が違うのだから、重さもまちまちなはずだ。


「・・・全部試した」


貴重な戦力は、全く役に立たなかった。


「・・・わかったよ。 じゃあ、2階に運ぶのは俺が全部やるから」
「・・・ごめん、祐一」


呟きながら、しょんぼりと呟く。


「でも、もうちょっとがんばってみるよ・・・」
「大丈夫か?」
「たぶん・・・」


言ってから、ゆっくりと段ボールに力を入れる。


「・・・あ」
「どうした?」
「・・・底が抜けたよ」
「ぐあっ」


バラバラと中身が廊下に散乱していた。


「・・・どうしよう」


貴重な戦力は、戦力どころかただの足手まといだった。

結局、運ぶ前にその段ボールと散らばった中身をかき集める作業が始まった。


「これなら持てるよ」


散乱したCDを数枚手に持って、名雪は嬉しそうだった。


(まぁいいか・・・)


なぜかそう思えるのだった。


・・・。

 

「こ、これで、全部・・・」


どさっ、とフローリングの床に段ボールを置く。

これで最後。

廊下にあった荷物は全て部屋に運んだはずだ。


「お疲れ様でした」
「・・・明日筋肉痛」
「大丈夫だよ」


何が大丈夫なのか分からないが、とりあえず頷いておく。


「それで、次は何をするの?」
「中の荷物を全部出して、片づけだな・・・」
「うん」
「でも、その前にちょっと休憩・・・」
「うん」


壁にもたれるように床の上に座り込んで一息つく・・・


「・・・」


・・・と、同じように床に座り込んでいる名雪と視線が合う。


「・・・祐一」


いとこの少女が俺の名前を呟く。


「不思議だよね・・・」
「なにが・・・?」
「祐一が、今わたし目の前にいることが、だよ」
「そうか?」
「うん」
「・・・まぁ、今回のことは急に決まったからな」
「それもあるけど、でもちょっと違うよ」


笑っているような、泣いているような、そんな表情・・・。


「だって、一度も連絡がなかったから。
祐一が、この街に来なくなってから・・・」
「・・・・・・」


そう・・・。

俺は7年前から一度も名雪と連絡を取ることはなかった。

どうして連絡をしなかったのか・・・。

特に理由があったわけではなかったが、強いて言うなら理由がないことが理由かもしれない。

手紙を書くにしろ、電話をかけるにしろ、やっぱり何か理由が必要だった。

だけど俺にはその理由がなかった。

そして、気がつけば7年・・・。

ただ、それだけのことだ。


「わたしは、ちゃんと書いたよ」
「そういえば、名雪から手紙が来たような気もする」
「よかった・・・届いてたんだ」


息を吐くように呟いて、表情をほころばせる。


「何も返事がなかったから、届かなかったのかなって思ってたよ・・・」
「いや、ちゃんと全部読んでたぞ」
「嬉しいよ」


理由がなかったから、俺は手紙も出さなかった・・・。


(・・・だけど)


貰った手紙に返事を出すというのは理由にならないのだろうか・・・。


「・・・どうしたの?」
「いや、なんでもない・・・」


・・・と、思う。


「そろそろ続きをやるか」
「うんっ」


頷く名雪と一緒に、まだ鈍く痛む腕を抱えながら立ち上がる。


「今度はちゃんと役に立つよ」


そんな名雪の言葉が、今は頼もしかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

「終わったね~」
「終わったな・・・」


思ったよりも時間がかかってしまったが、何とか部屋の片づけは無事に終わった。


「新学期に間に合ってよかったね」
「そうだな・・・」


ソファーに沈み込みながら、生返事をする。


「新しい学校、楽しみだね」
「全然楽しみじゃない・・・」


せめてもう1日休みが欲しかった・・・。


名雪、ちょっといい?」


キッチンから、秋子さんが顔を見せる。


「なに? お母さん」
「晩ご飯にロールキャベツを作ろうと思うんだけど・・・」
「材料、買ってくればいいの?」
「お願いね」
「うん。 いつものでいいよね」
「美味しそうなのを選んできてね」
「うん」


晩ご飯の材料はいつも名雪が買いに行っているらしく、言葉は少なくても会話は成り立っているようだった。

そのまま秋子さんはキッチンに戻ってゆく。


「というわけで、買い物に行くよ」
「誰が?」
「わたしと、祐一」


いつの間にか、数に入っていた。


「まぁ、買い物くらいつき合うけど・・・」
「嬉しいよ~」


部屋の片づけを手伝ってもらった、という手前もあるしな。


「日が暮れる前に行かないと」
「そうだな・・・」


おそらく部屋の中よりも数段寒いであろう外の空気を想像して、暗澹(あんたん)な気持ちになりながら、コートを羽織って外に出る。


・・・。

 

「・・・無茶苦茶寒いぞ」


屋外の風は、想像以上に冷たかった。


「歩いてると暖まるよ」
「・・・そうだといいけど」


・・・。


たっぷりと雪の残った街を、名雪と並んで歩く。

時折真正面から吹いてくる冷たい風に、思わず息が詰まりそうになる。


「そう言えば、昔もこんなふうに一緒に買い物行ったよね」
「そうだったか?」
「うん。 そうだったよ」


白い街。

そして、すぐ横には嬉しそうに笑顔を覗かせるいとこの少女。


「・・・そう言えば、あったかもしれないな」


昔、こんな光景が・・・。


「あの頃は、祐一が鞄持ってくれたんだよ」
「そこまでは覚えてない」
「うー」
「でも、まぁ鞄くらいなら持ってやってもいいぞ」
「ホント?」
「それくらいなら、な」
「うんっ」


はいっ、と鞄を差し出す名雪と、その鞄を受け取る俺。


「ありがとう、祐一」
「鞄を持ってもらったくらいで、そんなに嬉しいか?」
「うんっ。 嬉しいよ・・・」
「そういうもんか・・・」
「うん。 そういうもんだよ」
「やっぱり、よく分からない・・・」
「らくちん、らくちん」


笑顔の名雪を先頭に、商店街への道のりを歩く。


・・・・・・。


・・・。


やがて、寒さに慣れるよりも早く目的の商店街に辿り着いた。


「急いで買ってくるよ」
「じゃあ、俺ここで待ってるから」


名雪に買い物鞄を渡す。


「絶対に待っててね。 勝手にどっか行ったら嫌だよ」
「大丈夫だって」


それに、ひとりだと家に帰れる自信がない。


「それでは、行ってきます」
「ああ」


ぱたぱたと、ひとりで商店街の奥に消える。


「・・・さて」


名雪の後ろ姿を見送って、そしてしばらく街並みを眺めながら時間を潰す。

商店街の佇まいは、昨日まで暮らしていた街とさほど変わらない。

街が白い雪に包まれている以外は。


「それにしても・・・」


暇だ。

それに寒い。

歩いている時は少しマシだった寒さが、じっとしていると再び襲ってくる。

すぐに戻ると言っていた名雪は、案の定なかなか戻ってこない。

いつの間にか、俺の立っている周辺の人通りも多くなっていた。

所々に雪の残る商店街の通りを、買い物帰りの人が思い思いの方向へ歩いていく。

陽がゆっくりと傾いて、落ちる影が石畳に伸びる。

7年前にも、この景色を俺は見ていたんだろうか。

記憶の奥底にある、雪の思い出。

目を閉じてゆっくりと記憶を掘り起こす。

白い雪。

街並み。

いとこの少女。

そして・・・。


――「そこの人っ!」


「・・・え?」


突然の声。

そして、意識が現実に引き戻される。


「どいてっ! どいてっ!」


状況が分からないまま、気がつくとすぐ目の前に女の子がいた。

いた・・・というか、走っている。

手袋をした手で大事そうに紙袋を抱えた、小柄で背中に羽の生えた女の子だった。

・・・って羽?


うぐぅ・・・どいて~」


べちっ!

 

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うぐぅ・・・痛いよぉ~」

すっかり失念していたが、女の子は走ってる最中だった。

しかも、俺の方に向かって。


「ひどいよぉ・・・避けてって言ったのに~」


まともに顔からぶつかったらしく、涙目で赤くなった鼻の頭をさすっている。


「悪い悪い。 あんまり高速だったので避けられなかった」
うぐぅ・・・ボク、そんなに足速くないもん」
「いや、謙遜することはないぞ」
うぐぅ・・・」


どうやら鼻の頭を思いっきりぶつけたらしく、すっかり赤くなっていた。

目には大粒の涙まで浮かんでいる。


「ちょっとだけ痛そうだな」
「ちょっとじゃないよっ! 凄くだよっ!」
「悪い悪い。 目が悪いから見えなかった」
「さっきと言ってることが違うよぉっ」
「思ったより元気そうでよかった」
「ぜんっぜん、よくないよっ!」
「本当に悪い。 まさか、本当にぶつかってくるとは思わなかった」
うぐぅ~」


手袋をした手で鼻の頭を押さえたまま、女の子が立ち上がる。


「よかった。 もう何ともないんだな」
「・・・何ともなくはないけど、ボク急いでるからもう行かないと」


そして・・・。


「・・・あっ!」


思い出したように後ろを振り返る。


「と、とりあえず話はあとっ!」
「・・・え?」


俺の手を掴んで、そのまま引っ張るように走り出す。


「ちょ、ちょっと待てっ!」
「待てないよ~っ!」


・・・。

 

商店街の人混みをかき分けるように、奥へ奥へと入っていく。

俺の手を掴んだまま。


「いったい何がどうしたんだ?」
「追われてるんだよ・・・」


時折背後を振り返りながら、必死の表情で商店街を走る。


「・・・追われてるって?」
「・・・・・・」


それっきり口を閉ざす。

それ以上問いただすこともできずに、俺は引かれるままに商店街を走り抜けていった。


・・・・・・。


・・・。


どこをどう走ったのか分からない。

ただ、視界に飛び込んでくるのは少女の背中と、その背中についた羽だけだった。


「こ、ここまで来れば、大丈夫、だよね・・・」


膝に手をつきながら、はぁ、はぁ、と肩で息をついている。

吐き出される真っ白な空気が、あたりを埋め尽くしていた。


「大丈夫も何も、とりあえず事情を説明してくれ」


同じように息を吐きながら、少女に問い返す。


「・・・・・・」


問われた少女が、じっと俺の顔を見つめていた。

年齢は俺よりもずいぶんと下だろうか?

どこか幼さを残したような、小柄な女の子だった。


「・・・・・・」


しばらく黙り込んでいた少女が、ゆっくりと口を開く。


「・・・追われてるんだよ」


神妙な表情で、さっき確かに聞いた言葉をもう一度繰り返す。

不安げに背中の羽がパタパタと揺れていた。


「追われてるって、誰に?」


当然の疑問だと思う。


「それ以上はボクの口からは言えないよ・・・。
無関係の人を巻き込みたくないからね」


この状態ですでに思いっきり巻き込んでいると思うのだが、俺の気のせいだろうか?


「まぁ、言いたくないのなら別に構わないけど」
「・・・・・・」
「・・・ところで、この羽は何なんだ?」
「・・・はね?」


不思議そうに首を傾げている。


「はねって、なに?」


俺の言っていることが分からないというふうに、顔に『?』を浮かべる。


「背中についてるだろ?」
「背中・・・?」


首を傾げたままの体勢で、自分の背中を見ようと後ろを向く。


「・・・はね~」


・・・が、当然後ろを向くと背中の羽は前に来る。

さらに自分の背中を追いかけるように、右回りにくるくると動く。


「・・・うぐぅ


自分のしっぽにじゃれつく子犬のように、その場でくるくると回転する女の子。


「・・・うぐぅ・・・見えない」
「・・・・・・」


もしかするとそうではないかと薄々思っていたが、今なら断言できる。

こいつは変な奴だ。

間違いない。


「とりあえず、首だけ動かして背中を見てみろ・・・」
「・・・んしょ」


言われた通り、覗き込むように自分の背中を見る。


「・・・あ、ホントだっ」


無邪気に顔をほころばせる。


「羽があるよ~、可愛い羽~」


・・・やっぱり変な奴だ。


「で、何なんだこれは?」


白い羽を手で掴んでみる。

プラスチックのような、冷たい感触。

どうやら背中のリュックにくっついているらしい。


「羽だよ。 最近、はやりなんだよ」
「・・・変な物がはやってるんだな」
まぁ、流行なんてそんなものかもしれない。

・・・それにしても。


「・・・あ!」
「・・・どうした?」
「ごめんね、話はあとっ!」
「話はあとっ、じゃない!」


引っ張る腕を逆に引き寄せる。


うぐぅ・・・放してよ~」
「走る前に事情を説明しろ」
「でもっ、でもっ!」


切羽詰まったようにあたりをきょろきょろと見回している。


うぐぅ・・・と、とりあえずこの中に入ろっ!」


すぐ横のファーストフード店を指さす。

この中に逃げ込みたいらしい。

事情はよく分からないが、俺まで一緒に逃げる必要はないような気がした。

掴んでいた手を放すと、少女はすぐ横のファーストフード店の中に入っていく。

その姿を見送って、俺はひとりで商店街の中に立っている。

やがて・・・。

俺たちが来た方角から誰かが走ってくるのが分かった。


(・・・こいつか?)


少女の方を向くと、店の窓から怖々と外の様子を伺っている。

そして・・・。

その人影が、姿まで判別できるくらいに近づいていた。

背格好から考えて、どうやら男のようだった。


「・・・・・・」


傾いた太陽の光を背景に、辺りを見回すように走っている。

少し薄くなった頭に、いかにも人の良さそうな顔立ち。


「・・・・・・」


どっからみても、普通のおやじだった。


(・・・本当にこいつか?)


よく見ると、なぜかおやじはエプロンをしている。

他に人の姿はない。

女の子の方を見てみると、窓から離れて完全に身を隠している。

・・・どうやら間違いないらしい。

ちなみに、体は隠れているが羽が見えている。

やがて、そのおやじは諦めたのか、もと来た道を引き返していった。

羽が見えていることに、女の子もおやじも最後まで気づかなかったようだ。

しばらくして、女の子が怖々店から出てくる。


うぐぅ・・・怖かったよ~」


・・・そうか?


「しかし、あのおやじ、どうしてエプロンなんかしてたんだ?」
「たぶん、たい焼き屋さんだからだよ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・どうして、たい焼き屋がおまえを追いかけて来るんだ?」
「・・・それは」


言いづらそうに、俯いてもじもじしている。


「えっと・・・大好きなたい焼き屋さんがあって・・・たくさん注文したところまではよかったんだけど・・・」


何となく、話の雲行きが怪しくなってきたような気がする・・・。


「お金を払おうと思ったら、財布がなくて・・・それで走って逃げちゃったんだよ・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・もしかして、お前が一方的に悪いんじゃないのか?」
うぐぅ・・・仕方なかったんだよ~」
「どう仕方なかったんだ?」
「話せば長くなるんだけど・・・」
「どうせ時間はあるから、気にするな」
「複雑な話なんだけど・・・」
「大丈夫だ」
「実は・・・すごくお腹がすいてたんだよ~」
「それで?」
「それだけ」
「・・・・・・」


全然長くなかった。

しかも、複雑でもなかった。


「やっぱりお前が悪いんじゃないかっ!」
うぐぅ・・・」
「悪人っ! 偽善者っ!」
「ひどいよぉ~、そこまで言わなくても・・・」


拗ねたように、俯いてしまう。


「だって・・・ホントにお金なかったんだもん・・・それで・・・つい・・・」


聞き取れないくらい、声が小さくなっていく。

一応は、反省しているようだった。


「それに、後でちゃんとお金払うもんっ!」
「本当か?」
「ホントだもん」
「・・・まぁ、それだったらいいけど」
「うんっ!」


もちろんよくはないだろうけど、ちゃんとお金払って謝ったら許してくれるだろ・・・。


「あ、そうだ」


ぽんと手袋を合わせて、今まで大切そうに抱えていた茶色の紙袋を取り出す。


「わっ。 やっぱりたい焼きは焼きたてが一番だよね」


中から湯気の立ち上るたい焼きを、ひとつつまみ出す。


「・・・それはちゃんと金を払ったやつが言う台詞だぞ」
「ね、キミも食べる?」


すでに俺の言葉は耳に入っていなかった。


「・・・やっぱり、事情を説明して、返した方がいいんじゃないか?」
「はぐ・・・おいしいね」
「食うなっ!」
うぐぅ・・・」
うぐぅ・・・じゃないっ!」
「でも、たい焼きは焼きたてが一番おいしいって・・・」
「うまくても食うなっ!」
うぐぅ・・・」
うぐぅ・・・」
うぐぅ・・・まねしないでっ!」
「いや、さっきからずっと使ってるから」
うぐぅ・・・そんなことないもんっ」


拗ねたように、ふいっと横を向く。

重ね重ね分かりやすい女の子だと思う。


「もうたい焼きあげないもんっ」
「太るぞ」
「・・・うぐ」


たい焼きの頭をくわえたまま、動きがとまる。


「ボク、そんなの気にしないもん」
「だったら見ててやるから全部残さず綺麗に食べてみせろ」
うぐぅ・・・いじわるぅ・・・」


とりあえず、からかうと面白いということが分かった。


うぐぅ・・・」
「とにかく、やっぱり金はちゃんと払った方がいいぞ」
「お金持ってるときにちゃんとまとめて払うもん」
「・・・まぁ、それならいいか」
「うんっ。 約束だよっ」


さっきの拗ねた表情から一転、満面の笑顔だった。

ころころと表情が変わって、見ていてとてもおもしろい。


「だから、はいっ。 ボクからのおすそわけだよっ」
「俺はいらない」
「すっごくおいしいのに・・・」


残念そうに袋の中にしまう。


「お前は食わないのか?」
「・・・うん、やっぱりボクもいらない」


どこか寂しそうに俯く。

 

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「ボクはあゆだよ」


不意に女の子が顔を上げる。


月宮あゆ
「俺は祐一だ。 相沢祐一
「・・・祐一・・・君?」
「どうした?」
「・・・ううん、何でもないよっ」


泣き笑いのような複雑な表情。

それでもすぐにもとの元気な笑顔に戻る。

 

「じゃあ、これでさよならだねっ」
「そうだな」
「また会えるといいねっ」
「・・・いいか?」
うぐぅ・・・いいんだよっ」
「そうだな、会えるといいな」
「うんっ」


笑顔で頷いて、そのまま元気に手を振って走っていく。

傾いた夕日の中で、赤く染まる背中の羽が印象的だった・・・。


・・・。


(なんか、大変な目に遭ったな・・・)


見慣れない道を、うろ覚えの記憶だけを頼りにとぼとぼと歩く。


・・・。


ぐったりと疲れ果てて、やっと商店街の入り口に辿り着くことができた。

すでに人通りのまばらになった商店街。

 

「うそつき・・・」


その入口で、名雪が拗ねていた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

家に帰り着いたときには、すでに日が暮れていた。


「お帰りなさい」


キッチンから出てきた秋子さんが俺たちを出迎えてくれる。


「ずいぶんとじっくり吟味したのね」
「・・・・・・」


無言。


「何かあったの?」
「ちょっと・・・」
「ダメよ、喧嘩したら」


諭すように言う。

でも、その表情はどこか楽しそうだった。


「悪い、名雪・・・」


多分に不可抗力のような気もするが、素直に謝っておく。


「いいよ・・・。
わたしも昨日遅刻したから・・・おあいこだよ」
「・・・そうだな」
「うん」


いつもと変わらない笑顔で頷く。


「それじゃあ、すぐに晩ご飯にしますね」
「あ、お母さん、わたしも晩ご飯の準備手伝うよ」


秋子さんの背中を追って、部屋の中に入っていく。


(皿でも並べるか・・・)


俺もその後をついていく。

程なくして夕食の準備も整い、俺たちは昼に続いて遅い食事を済ませた。


・・・。

 

夕食を食べ終わり、リビングでくつろいでいると、名雪が眠そうに自分の部屋に戻っていった。

時間はまだ9時を過ぎたところだが、俺も特に用事がないので部屋に戻る。


・・・。


新しい部屋に、新しい家具。

部屋にテレビが欲しいところだが、さすがにそんなわがままは言えない。


(いつかバイトでもして買うか・・・)


そんなことをぼんやりと考えながら、ベッドで横になる。

まだここでの生活に馴染んでいるとは言い難いが、それでも少しずつ違和感は薄らいでいた。

名雪と秋子さんのおかげかもしれないな・・・。

今日で冬休みも終わり、明日から新学期が始まる。

知らない学校で、知らない教室で・・・。


(まだ早いけど、今日はもう寝るか・・・)


そしてふと、目覚まし時計がないことを思い出した。

朝は弱くないが、さすがに目覚ましがないと不安だった。


名雪にでも借りるか・・・)


腕時計で時間を確認する。

10時を過ぎたところだった。


(さすがにこの時間はまだ起きてるよな・・・)


・・・。


すでに真っ暗な廊下に、ひんやりとした空気が流れていた。

光が漏れているのは俺の部屋だけで、名雪の部屋はすでに静まり返っていた。


(もしかして、もう寝てるのか?)


ノックしてもいいものかどうか思案していると、不意に名雪の部屋のドアが開いた。


「・・・ふわ」


瞼を擦りながら、まるでまだ夢の中のようにふらふらと揺れながら名雪が出てきた。


名雪っ、ちょうどいいところに・・・」
「・・・おはようございます~」
「まだ夜だって・・・」
「・・・うにゅ」


謎の返事をしながら、ふらふらと廊下を歩く。

そして、ぱたっと壁にもたれかかる。


「・・・くー」


寝ていた。


「起きろっ!」
「うぐ・・・おはようございます~」
「・・・寝ぼけてるな、完全に」
「うにゅ・・・あれ? 祐一?」
「やっと目が覚めたか」
「わたし・・・寝てた・・・」


知ってる。


「どうでもいいが、寝ながら歩くな。 階段とか危ないぞ」
「うん、大丈夫・・・慣れてるから・・・」


大丈夫の理由が違うような気もするが・・・。


名雪、悪いんだけど目覚まし時計余ってたら貸してくれないか?」
「うん、いいよ・・・。 いっぱいあるから」


・・・なんでいっぱいあるんだ?


「何個あったらいいかな?」
「・・・1個でいい」
「うん。 ちょっと待ってて」


バタンッ。


・・・。


・・・・・・。


「お待たせ・・・」


扉が閉じて次に開いた時、抱えるように大量の目覚まし時計を持って、名雪が立っていた。


「どれでも好きなの貸してあげるよ」
「やけにたくさんあるな・・・これ全部目覚ましなのか?」
「本当はもっとたくさんあるよ」
「・・・趣味で集めてるのか?」
「ううん、そんなことないよ」
「・・・まぁ別にいいけど」


まさか、これだけ全部使ってるってことはないよな・・・?


「祐一、どれがいい?」
「どれって言われても・・・」


様々な形をした色とりどりの目覚まし。

中にはどう考えても目覚ましに見えない物もある。


「とりあえず、時間通りに起こしてくれるのならどれでもいいんだけど」
「わたしが選んでいい?」
「そうだな、名雪が選んでくれ」
「だったら、これ」
「・・・これってどれだ?」
「一番上の、白い目覚まし時計だよ」


名雪の視線の先にある目覚ましを、ひとつ掴み取る。


「しばらく借りてていいか?」
「うん、全然おっけーだよ」


残りの目覚ましを抱えたまま、窮屈そうに頷く。


「わたし、そろそろ寝るね」
「ああ、邪魔して悪かったな」
「ううん、いいよ」


微笑んだその表情は、やはりどこか眠たそうだった。


「じゃあ」


そのまま、自分の部屋のドアを開ける。


「・・・祐一」


部屋に戻ろうとする俺を、名雪が遠慮がちに引き留める。


「どうした?」
「夜は、おやすみなさい、だよ」


言って、ぺこっと頭をさげる。


「ああ、おやすみ」

 

・・・。


目覚ましをセットして、枕元に置く。

よく考えると、何時にセットしていいのかも分からないが・・・まぁ7時で充分だろ。


(それにしても、夜は特に冷え込むな・・・)


夜の空気は、家の中でも容赦なかった。


(寝るか・・・)


・・・。


冷たい布団の中に潜り込んで、そして目を閉じる。

新しい街での、新しい生活・・・。

そんな冬の1日が、ゆっくりと暮れていく・・・。


(・・・やっぱり寒い)


ゆっくりと暮れていく・・・。

意識が眠りに溶け込む間際、ひとりの少女の姿が脳裏をかすめていた・・・。

それが誰なのか分からないまま、俺は眠りについた。


・・・。