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Kanon【5】

 

・・・。


1月12日 日曜日


====================


夢。

夢の始まった日。

木漏れ日の光が眩しかった・・・。

雪の感触が冷たかった・・・。

木の葉の香りが優しかった・・・。

そして・・・。

小さな子供が泣いていた・・・。

その泣き顔が、今も思い出せない。


===================

 

「・・・ふあぁ」


いつもの目覚ましに起こされて、カーテンを開ける。

白い光が眩しくて、今日も天気だけは穏やかだった。

服を着替えて鞄を持って、そして廊下に出る。

少し薄暗い廊下で、名雪の部屋をノックする。

名雪が一応起きたらしいことを確認して、俺は先に1階に降りていった。


・・・。


「祐一っ」


後ろで呼ぶ声がして、振り返ると真琴がしたり顔で立っていた。

 

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「夕べはぐっすり寝られた?」
「ああ、とても心地よくな。 なんだか、今朝は全身が活性化されたように快調だ」
「えっ? あれって・・・そういう効果あるの? 人には苦しいんだって思ってた・・・」
「あれ、ってなんだよ?」
「え? 真琴の殺虫剤」
「やっぱりおまえの仕業か」
「あははは、うそうそ。 知らないよ、なんにも」
「ばればれだぞ、おまえ」
「朝ごはん朝ごはん~」


真琴はそう言いながら、俺の脇をすり抜けて、とてとてと駆けていった。


「いったい、いくつなんだ、あいつは・・・」


その後を俺もゆっくりと追いかけた。


・・・。


台所には、すでに秋子さんと真琴の姿があった。

名雪の姿はまだない。


「・・・・・・」


相変わらず黙々と朝食に手をつけている。

まぁ、食事中にちゃぶ台をひっくり返されるよりはマシだ。


「おはようございます・・・」


そして、いつものように名雪の眠そうな声が聞こえる。


「早く食べて・・・おわっ!」
「・・・うにゅ?
「何だそりゃ!」


名雪は、巨大なカエルのぬいぐるみを抱きかかえていた。


「けろぴー」
「そうじゃなくて、なんでそんなの持ってきてるんだっ!」
「けろぴー」
「・・・・・・」


どうやら、完全に寝ぼけているようだった。


「・・・けろぴーは、ここ」


自分の隣の席に、けろぴーを座らせる。


「・・・くー」


それで満足したのか、名雪も自分の椅子に座ってそのまま眠っていた・・・。


「・・・変なやつ」


普段もどこか浮世離れした雰囲気のある名雪だが、朝はそれが1.5倍くらいになる。


「・・・・・・」


真琴が怪訝な顔で、並んで座る名雪とカエルを見比べている。


名雪。 早く食べてしまわないと、時間なくなるわよ」
「・・・う・・・ん」


間違いなく半分以上寝ているといった感じのゆっくりとした動作で、トーストにジャムを塗っている。

いつもは一緒には食べない秋子さんも、今日は俺たちと食卓を囲んでいる。

4人と1匹の、不思議な食卓風景だった。


「家族が増えて嬉しいわ」


のんびりと頬に手を当てて、穏やかに微笑む秋子さん。

この異常な事態も、秋子さんにかかればこの一言で解決されるらしい。


「・・・ごちろうさまでした」


いつも通り名雪が最後に食べ終わって、ここからが勝負だ。


・・・。


「よし、行くぞ名雪!」
「あ・・・。 ちょっと待って」
「どうした?」
「わたし、まだパジャマだよ」
「気にするな」
「すっごく気にするよ」
「じゃあ、5秒だけ待ってやるから着替えてこい」
「短いよ~。 部屋にも戻れないよ~」
「だったら7秒」
「一緒だよ」
「じゃあ、8時間」
「学校、終わるよ」
「普通に待っててやるから、できるだけ急げ」
「う、うんっ」


ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら、階段を駆け上がる。

ぱたん、と扉の閉まる音。


・・・。

 

「お待たせ」
「今度こそ行くぞ!」
「ちょっと待って」
「今度はなんだ?」
「・・・わたしのぬいぐるみがなくなってるんだけど」
「けろぴーは食卓で食事中だ」
「え? ・・・って、どうしてどのぬいぐるみがなくなったか知ってるの? それに、けろぴーって名前まで・・・」
「今度説明してやるから、今はとにかく急ぐぞ!」
「けろぴー・・・」


名雪は心配げだったが、それでも渋々ついてくる。


・・・。


外に飛び出して、すぐに残り時間の確認をする。


「走らないとダメだね」
「やっぱりか・・・」
「それも、一生懸命走らないとダメかも」
「マジか・・・?」
「多分」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


一瞬顔を見合わせて、そして走り出す。


・・・。


名雪、もう少し早く起きられないか?」


吐いた息が後ろに流れていく。

 

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「ずっと、努力はしてるんだけど・・・何かいい方法ないかな?」
「そうだな・・・寝ないっていうのはどうだ?」
「嫌だよ・・・授業中に眠くなるもん」


夜寝てても授業中は眠そうだろ・・・お前は・・・。


「大体、カエルのぬいぐるみなんか持って寝てる段階でダメだな」
「けろぴーは関係ないと思うけど・・・」
「今度俺が見つけたら、枕にしてやる」
「わっ。 そんなことしたらダメだよ」
「きっと、朝起きたら程良い薄さになってるな」
「絶対にダメだよ~」
「とにかく、もう少し早く起きるように努力だけはしろよ」
「う、うん・・・頑張ってみるよ・・・」


・・・。


「あ・・・予鈴だよ、祐一」


校門を目の前にして、無情にもチャイムの音が鳴り響く。


「諦めるな、まだ予鈴だ!」


校門付近には、すでに生徒の姿はなかった。

相変わらずの雪景色だが、もはや寒いなんて言っている状況でもない。


「とにかく走れっ!」
「うん。 走るのは好きだよ・・・」
「俺は嫌いだ・・・」


そのまま、昇降口になだれ込む。


・・・。


「ま、間に合った・・・」


ゴールに辿り着いたとき、幸いなことに担任の姿はまだなかった。


「よかった・・・」


名雪も静かに息を吐く。


「あー、全員席につけー」


ゆっくり休憩する暇もなく、朝のHRが始まった。

そして担任の話は、あっさりと終わった。

 

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「相変わらず、心臓に悪い登校のしかたしてるわね・・・」
「念のために言っておくが・・・好きでやってるわけじゃないぞ・・・」


ついさっきまで走っていたため、まだ息が整わない。


「相沢君、いいこと教えてあげようか?」
「・・・なんだ?」
「今日の1時間目は体育よ」
「・・・は?」
「体育よ」
「・・・マジか?」
「マジよ」


この世には神も仏もいないことに、たった今気づいた。


「ちなみに、更衣室があるから着替えはそこでね」
「はぁ・・・もうこうなったら倒れるまで走ってやる・・・」


・・・。


なかば開き直って、他のクラスメートに混じって教室を出た・・・。


・・・。


「祐一っ」
「・・・・・・」
「男の子は、体育の授業なにをしたの?」
「・・・・・・」
「わたしたちはバレーボールだったよ」
「・・・・・・マラソン
「・・・え」
「俺たちはマラソンだった・・・」
「・・・えっと。 ・・・だ、大丈夫だよ、次の時間は体育じゃないから・・・」
「それはなによりだ・・・」
「じゃ、じゃあね、祐一」
「・・・・・・」


逃げるように去っていく名雪を横目に見ながら、俺はそのまま机に突っ伏した。


・・・。


昼休みのチャイムを合図に、教室の中が喧騒に包まれる。


「祐一、昼休みだよ」
「なにぃっ! そうなのかっ!」
「・・・どうしたの?」
「いや、いつも素で返してたから、たまには大げさに驚いてみようと思っただけだ」


「平和ね・・・」
「悪かったな、平和で」


「香里も、お昼はどうするの?」
「学食・・・かな」

 

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「北川君は?」
「俺はいつも学食だ」


「威張って言うようなことじゃないと思うけど・・・」


「祐一は?」
「俺も学食でいいや」
「うんっ。 決まり」


「結局、いつものメンバーね・・・」


何か言いたそうな顔で、先に教室を出ていく。


「なんか、不満そうだなぁ」
「そんなことないよ。 あれは嬉しいときの顔だよ」
「そうなのか・・・」


・・・。


香里に続くように、俺たちも教室を出て学食に向かった。


・・・。


「・・・大盛況ね」


香里が思わず呟いてしまうくらい、学食は大勢の生徒で溢れていた。


「たくさんだね」


名雪がのんきに感想を言っている。


「これは、ここで食うのは諦めた方がいいな」
「蹴散らしたらテーブルのひとつくらい空くだろ」


「蹴散らさないの」


「仕方ないわね・・・パンでも買って教室に戻りましょうか」

「それしかないな」


「Aランチ・・・」
「買ってから教室で食ったらどうだ?」
「そんな恥ずかしい人いないよ」
「それもそうか」


結局、しばらくまっても席が空きそうにもなかったので、各人好きな物を買って教室に戻ることになった。


「待って、わたしまだ買ってないよ・・・」


「じゃあ、全員そろったところで教室に戻るか」


「わたし、まだ・・・」
「なんだ、名雪。 ダイエットか?」
「並んでたんだけど、違う列だったの・・・」


相変わらず要領が悪いというか、ぼーっとしているというか・・・。


「悪いけど、先に教室に帰ってるぞ」


この人混みだ。

関係のない俺たちがずっと待ってると、周りにも迷惑だろう。


「いいわ、あたしが待っててあげるから」

「オレも別に急いでないからな」


「ごめんね、ふたりとも」
「まったくだ」
「祐一も待っててくれるの?」
「いや、俺は先に戻る」
「・・・うん」
「食べずに待っててやるから」
「ごめんね、祐一」


・・・。


遅れてきた名雪たちと合流して、そのまま雑談をまじえての昼食をとる。

そんな時間は、チャイムが鳴るまで続いた。


・・・。

 

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・・・。

退屈な午後の授業・・・。

それも、あと2時間で放課後だと考えると、まだいくらか気分も楽になる。


・・・。


今日の放課後は、どうしようか・・・。

窓の外を眺めながら頬杖をついて、ぼんやりとした時間が過ぎていった。


・・・。


「祐一、放課後だよ」
「なにぃっ! そうなのかっ!」
「驚きかたが大げさだよ、祐一」
「冗談だ」
「それで、祐一、今日はどうするの?」
名雪はどうなんだ?」
「わたしはいつも通りだよ」
「なんだ、また部活か?」
「うん。 明後日はお休みだけどね」
「大変だな、本当に」
「うん・・・でも、好きで始めたことだから」


名雪のそういうところは、素直に偉いと思う。


「それで、祐一は?」
「そうだな、俺は・・・今日はまっすぐ帰る」
「うん。 気をつけてね」
名雪も、部活がんばれよ」
「うんっ。 ありがとう」


・・・。


手を振る名雪と昇降口で別れて、俺は宣言通りまっすぐ家路についた。

通学路を逆に辿っていると、前を見知った顔が歩いていた。


「真琴、 なにやってんだ?」
「おつかい。 豆腐買ってくるの」
「知ってるか? 豆腐は本屋で買うんだぞ」
「騙そうとしたってダメだからね」


したり顔で、そのまま商店街の方角へ歩いていく。


・・・。


家に帰ってくると、台所に居た秋子さんにただいまを言って、2階へと上がる。

名雪は部活なので、当然、部屋の前は静かだった。

さて、プライベートを満喫しよう。

といっても、テレビもない部屋では、できることは限られている。

だがテレビはつけているだけで、知らず知らずのうちに時間を無駄に潰してしまうものなので、この環境も永遠に続かないならば悪くはない。

俺はベッドにどむっと身を沈めると、床から読みかけだった本を拾い上げた。


・・・・・・。


・・・。


(・・・腹が減ったな)


時間をみると、まだ夕飯まではしばらくある。

少しぐらい腹ごしらえしておかないと、持ちそうもなかった。

腹ごしらえのあてか・・・。

とりあえず1階に降りよう。


・・・。


廊下に出てみて、真琴の存在を思い出した。


「真琴~」


俺はノックもせずに、真琴の部屋のドアを開く。


「真琴、いるのか?」

 

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いつもなにも、目の前の床に寝そべっている。


「うん・・・」


だらしなく生返事だけが返ってくる。


「なにしてるんだ」
「・・・・・・」


本を読むのに熱中しているようだった。


「お、いいもの食ってるじゃないか」


その手には、中華まんもある。

手元の袋を覗くと、まだひとつ余っていた。


「夕飯が食えなくなるだろ。 手伝ってやるぞ」


そのひとつを失敬する。


「あははっ・・・」


それに気づいているのか、いないのか、真琴は本を読みながらひとりで笑っていた。


「なんだ、それ。 マンガか」
「うん・・・」
「うわ、山ほど買ってきてるな、おまえ・・・。 どれだけ金使ってるんだ」


周りを見渡すと何もなかったはずの部屋には、すでに漫画本やら、雑誌が山積みとなっていた。

俺の貸した本なんて、底の底だ。


「食って寝て遊んで・・・いい生活だな、おまえ」
「うん・・・」


打っても響かない、というやつだな、これは・・・。

俺は中華まん(肉まんだった)を食い終えると、早々に部屋を後にした。


・・・。


「祐一ーっ!」


だんっ!とドアが開いた。


「おまえな、ノックぐらいしろ」
「祐一、持ってったでしょっ!」
「なにを」
「真琴の肉まんっ!」
「いや、持ってきてない」
「ウソだぁーっ!」
「本当だ。 その場で戴いた」
「その場って?」
「おまえの部屋。 おまえが本読んでる横で、ゆっくり味わって食った」
「えっ、いつの間にっ!?」
「いつの間にって、俺は何度もおまえを呼んだし、『食っていいか?』とも訊いた」
「真琴、なんて答えたの?」
「どうぞ、って」
「ウソだーっ、祐一、黙って持っていったんだぁっ!」
「だから、おまえが食っていいって返事したんだよっ」
「うーっ・・・とにかくっ! 真琴が本読んでるときに部屋に入ってこないでっ!」
「わかったよ」
「はぁぁ・・・肉まん・・・」
「おまえ、こんな時間にあんな重いものふたつも食ったら、お腹いっぱいで夕飯が入らないぞ」
「入るもん」
「小学生か、おまえは」
「肉まんーっ」


ばたんとドアを閉め、廊下をばたばたと走り去っていった。


・・・。


「なぜだか、夕飯までが長かった気がするぞ・・・」


ようやく食卓につく。

でも時間はいつも通りだった。


「よっぽどお腹がすいてたのね」


ご飯をよそってくれた秋子さんが最後に席についた。


「じゃ、いただきましょうか」


いただきます、とそれぞれに手を合わせてから、食事が始まった。


「あれ、豆腐ないじゃないか」


そのことに気づいて、俺は真琴の顔を見る。


「・・・・・・」
「真琴、おまえ、お使いにいってたんじゃないのか?」
「あぅーっ・・・売り切れだったの・・・」


こいつが『あぅーっ』と言うときは困っているか、焦っているときしかない。

同時に俺は、真琴の部屋に増えていた漫画を思い出す。


「じゃ、金は。 秋子さんに返したか?」
「あぅーっ・・・」


「秋子さん、返してもらいました?」
「まだだけど・・・」


となると、金の行き場はひとつだ。


「じゃあ、後でちゃんと金は返すんだな」
「う、うん・・・返すよ・・・」


「秋子さん、後は頼みますよ」


俺はあからさまに真琴の不正を目で訴えながら、浮きかけていた腰を下ろした。


「大丈夫よ」


相変わらず、秋子さんの大丈夫とは何を指してかはわからなかったが、ここは一家の主に締めてもらうことを期待するしかなかった。


「・・・・・・」


俺は憮然とした表情のまま、食事を再開した。


・・・。


「どうでした?」


夕食後、2階から戻ってきた秋子さんに俺は訊いてみた。

真琴と話をしてきたのだと思ったからだ。

だが俺の予想に反して、秋子さんは首を傾げてみせた。

 

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「え?」
「あいつの部屋に行ってきたんじゃないんですか?」「真琴の部屋? 行ったわよ」
「それで、どうでした?」
「それでシーツが洗い立てになったわよ」
「はい?」
「祐一さんのも、名雪のもね」
「シーツを・・・取り替えてきただけなんですか?」
「そうよ」
「真琴と話は?」
「それは二、三は言葉かわしたわよ。 真琴はどんな食べ物が好き?とか」
「じゃ、豆腐代の件には触れなかったんですか?」
「豆腐代?」


ふと考えてから、ああ、と思い出したように口を開く。


「お小遣いは、別に渡すからね、って言ったわ」
「・・・そうですか・・・」


秋子さんは今回の件を、事前にお小遣いを渡していなかったから真琴は豆腐が買えなかった・・・

そう、あたかも真琴のとった行動はごく自然のことのように受け取っているのだ。

秋子さんらしい、というか・・・それで名雪のような、のほほんとした子が育ってしまうのだろうな、と納得してしまう。

これでは真琴が懲りることはないだろう。

俺は夜毎の悪戯を思って、気を重くした。


・・・・・・。


・・・。

 

いつのまに寝入ってしまっていたのか。

布団もかぶらずに、ベッドの上で本を開いたまま、眠ってしまっていた。

時間を見ると、もう午前0時を回っていたから、このまま寝てしまおうと電気を消し、布団に潜り込んだ。


・・・。


ギッ・・・


ギッ・・・ギッ・・・

 

再び寝入ろうとしたところで、聞こえてくるのは誰かが廊下を歩く音。

こちらへ向かってくる。

となると、それは真琴以外に考えられない。


ガチャ・・・ぎぃ・・・


部屋のドアが開き、真琴が忍び込んでくる気配を感じる。


「あはは・・・」


耳元で嘲った笑い声がした。

好きにすればいい。

俺はどんなことをされたって起きない腹づもりだった。


ジョキッ・・・


耳元で聞き慣れない音がした。

それは何か厚みのある束をハサミで両断したような、そんな音だった。

続けざまに何が起きるのだろうと、神経を逆立てていたが、それっきり静かとなり・・・


ばたん。


出ていったのだろう、ドアをしめる音が低く響いた。

飛び起きるようなことがなかったことにほっとして、俺は再び眠りに埋没していった。


・・・。


1月13日 水曜日


===================


夢。

夢に終わりがなくなった日。

いつものように・・・。

いつもの場所で・・・。

ずっとずっと・・・。

ただ、待つことしかできなくて・・・。

それしかできなくて・・・。

だから・・・。

今も、待ち続けている・・・。


===================

 

「どわっ・・・」


朝目覚めて、俺は唖然とする。

枕元に、髪の毛が散乱していたからだ。

別に抜け落ちたのではない。

切り落とされたものだった。

となると、夕べの『ジョキッ・・・』という音は・・・


・・・。


部屋と飛び出し、一目散に洗面所へと向かう。

その途中で真琴の後ろ姿を見かけたので、とりあえずその頭を殴っておく。

洗面所に辿り着いた俺は、鏡に自分の顔を映し出してみる。


・・・もみあげの片方が無くなっていた。


「こらぁっ、真琴ーっ!」
「なによぅ」


すぐそこにいたのか、呼びかけに応えて現れた。


「おまえがやったんだろ、この髪っ・・・殴られたいのかっ」
「さっき殴られたわよぅっ」
「あ、そっか。 なら、反省しろ」
「反省なんかしないっ。 女の子殴るなんて最低っ」
「それだけのことをしてるだろっ、髪の毛を切られないだけマシと思え」
「こんなことなら、丸坊主にしておけばよかった!」


そう言い残して、どこかへと駆けていった。


「自慢のもみあげだったのに・・・」


俺は再び、思い気分で鏡と向かい合った後、名残惜しくその場を後にした。


・・・。


食卓にはすでにいつものメンバーが揃っていた。

最後に起きてきた名雪も、今日はまだ早起きした方だ。


「昨日は早く寝たからね」


ちなみに、早くとは7時のことらしい。

どうやら12時間がベストのようだ。


「祐一さん、ジャムつけないんですか?」


一通りの準備を終えた秋子さんが、自分のトーストを皿にのせてキッチンから出てくる。


「俺、甘いの苦手なんですよ」
「・・・おいしいのに」


名雪は不満そうだったが、すぐに自分のトーストにかぶりつく。

そのトーストには、いつものようにジャムがたっぷりとのっかっている。


「・・・・・・」


ふと見ると、秋子さんが何かを考え込むような仕草を見せていた。


「・・・甘くないのもありますよ?」

 

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「ごちそうさまでしたっ」


バタンッ、と名雪が席を立つ。


「ど、どうしたんだ? まだ半分以上残ってるぞ」


名雪の皿には、イチゴジャムの塗られたトーストがまだ原型を留めていた。


「・・・わ、わたし、お腹一杯だから」


明らかに動揺している。


「どうしたんだ? 名雪が残すなんて・・・」

 

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「祐一さん、こんなジャムなんてどうかしら?」


台所の棚から、大きな透明の瓶を抱えて秋子さんが戻ってくる。


「わたし、今日はこれでごちそうさまっ」


そのままバタバタと玄関に出ていく。


「先に表で待ってるから」


「・・・どうしたんだ・・・本当に?」


「どうしたんですか?」
「・・・さぁ」


さっぱり分からない。

よく分からないが、俺は自分のトーストを全部食べてから行くことにする。

全部といっても、それほど残っていないのですぐに食べられるだろう。


「祐一さん」


どんっ、とさっきの瓶をテーブルの上に置く。


「このジャム、試していただけませんか?」


鮮やかなオレンジ色をしたジャムだった。

中身はたっぷりと残っている。

オレンジかとも思ったが、甘くないと言っていたのでレモンかもしれない。


「甘くないのなら、構いませんけど・・・」
「たくさんありますから、遠慮なく全部食べてくださいね」


さすがに全部は無理なので、ひとすくいほどトーストに塗ってみる。

そして、食べる。


「・・・・・・」
「どうですか?」
「・・・これ、何ですか?」
「ジャムですけど」
「・・・何のジャムですか?」
「秘密です」
「・・・凄く・・・何というか、独創的な味なんですけど・・・」
「特製ですから」
「・・・念のために訊きますけど」
「はい?」
「・・・食べられる物ですよね?」
「ええ、もちろんですよ」


嬉しそうに表情をほころばせている。

秋子さんの性格を考えると、わざとということは絶対にないと思うけど・・・。

かなり複雑な味だった。

少なくとも、ジャムではないと思う。


「・・・ごちそうさまでした」
「まだたくさん残っていますよ?」
「今日は腹一杯なんです」
「・・・そうですか・・・残念です・・・」
「秋子さん・・・」


言葉通り残念そうに瓶を片づける秋子さんを呼び止める。


「はい、なんですか?」
「このジャムの材料、なんですか・・・?」


もう一度訊く。


「それは、企業秘密です」


意味深な台詞を残して、そのまま台所に姿を消してしまう・・・。


「気になるって・・・」


それ以上追求するのも怖くて、俺は先に出た名雪を追いかけるように家を後にする。


・・・。


「あ、祐一。 早かったね」
「逃げただろ・・・」
「えっと・・・何のことかな?」


とぼけているが、どうやらあのジャムのことを知っていたようだ。


・・・。


眩しいくらいの日差しが降り注ぐ通学路。

わずかに溶けかけた雪に陽光が反射して、少なくとも見た目だけは綺麗な風景だった。

写真やテレビでしか見ることがないと思っていた情景。

そんな中を、いとこの少女とふたりで並んで歩く。


「あのジャム、凄くうまかったな」
「えっ! うそ?」
「・・・やっぱりか」
「あ・・・」


名雪が、しまったという風に口元に手を当てる。


「あれ、何のジャムなんだ?」
「わたしも知らないんだよ・・・。 怖くて訊けなかった・・・」


名雪も同じらしい。


「でも、お母さんの一番のお気に入りらしいよ。 よくわたしも勧められるんだけど・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


はぁ・・・とふたり揃って白い息を吐く。


「・・・どうしたの?」


いつから居たのか、香里が不思議そうに俺たちの顔を見比べていた。


「あ・・・香里、おはよう」
「おはよう、ふたりとも。 朝からため息なんて、あんまり健康的じゃないわよ」


「うるさい、お前だってあのジャムを食ったら・・・」
「・・・え、あのジャムってまだあったの?」


香里の表情が引きつる。


「香里、知ってるのか?」
「昔、名雪の家に遊びに行ったときに・・・」
「そうか・・・」
「・・・・・・」


「・・・・・・」
「・・・・・・」


今度は、3人揃ってため息をつく・・・。


・・・。


「ついたよ」
名雪、時間は?」
「えっと・・・わ、まだ10分もあるよ」
「奇跡だな」
「そうだね」


「あんたたちの会話を聞いてると、奇跡が安っぽいものに思えてくるわ・・・」
「そうか? 俺たちがこれだけ余裕を持って登校できるなんて、まさに奇跡じゃないか」
「相沢君」


香里が俺の方を振り返ることなく続ける。


「奇跡ってね、そんな簡単に起こるものじゃないのよ」
「・・・?」
「冗談よ、さ、行きましょうか」


「・・・おーい」


何か言いたかったが、香里がさっさと歩いていってしまったので、仕方なく校舎の中に入る。


「なぁ、名雪?」


香里に聞こえないように、小声で名雪を呼び止める。


「うん?」
「今日の香里、機嫌悪いか?」
「そうみたいだね・・・」
「何でだろう・・・」
「そんなの分からないよ・・・」


つきあいの長い名雪が首を傾げているので、つきあいの短い俺に分かるはずもなかった。


・・・。


「それじゃあ、今日はここまで」


パタンッ、と持っていた教科書を閉じて1時間目の授業が終わった。


「・・・まずはひとつ、か」
「祐一っ、祐一っ」


椅子にもたれて、授業をひとつクリアした余韻を味わっていると、名雪が慌てたように駆け寄ってくる。

・・・といっても、1メートルも離れていないが。


「どうしたんだ?」
「今日、わたしが日直」
「だから?」
「手伝って、お願い」
「どうして俺がお前の日直につき合わないといけないんだ?」
「もうひとりの日直さんが、インフルエンザでお休みなんだよ」
「それは運が悪かったと思って諦めるんだな」
「お礼はするから。 ね」


両手を顔の前で合わせるポーズ。


「そうだな、条件次第では手伝ってもいいぞ」
「ホント?」
「その代わり、昼飯1回おごりな」
「うーん・・・ちょっと、わたしの方が条件悪くない?」
「だったら手伝わない」
「祐一、やっぱり冷たくなったね」
「俺は昔のままだって」
「そうかな?」
「大体、昔の自分なんて覚えてない」
「普通は覚えてるよ」
「そんなことないって」
「幼稚園の頃のこととか、何も覚えてない?」
「そんなの覚えてるわけ・・・」


・・・。


「・・・覚えてる・・・少しだけど・・・」
「ほら」
「・・・でも・・・」


ずっとずっと前のことは覚えてる・・・。

それなのに・・・どうして・・・。


「分かったよ」
「・・・え?」
「お昼ご飯1回で手を打つよ」
「あ、ああ」
「その代わり、しっかり手伝ってね」
「分かった・・・約束する・・・」
「ありがとう、祐一」


頷く少女の、幼い日の姿・・・。

やっぱり、はっきりとは思い出せなかった。


「それなら、今日のお昼ご飯はわたしがおごるよ」
「ああ」
「とういわけで、はい、黒板消し」
「入り口のドアにセットすればいいのか?」
「黒板を消せばいいんだよ」
「あんまり面白くないな」
「仕事だからね」


渋々黒板消しを持って席を立つ。

そして、黒板を全て拭き終わると同時にチャイムが鳴った。


・・・。


かわり映えしない授業風景を眺めながら、先生の話を右から左に聞き流している。

別に授業を受けるのが嫌なわけではないのだが、さすがに内容が全く分からない授業となると話は別だった。

先生も変わって、教科書もノートも新しくなって、授業内容も微妙に違う。


(3年になったら頑張る・・・)


自分にそんな言い訳をしながら、授業風景は過ぎていった。


・・・。


チャイムが鳴って、そして休み時間が到来した。


「やっと終わった」


机の中に教科書とノートを押し込んで席を立つ。

すでに数人の生徒は教室を出ていた。

おそらく学食組だろう。

完全に出遅れたことになる。


「祐一、わたしたちも行こう」


名雪は財布を鞄から自分のポケットに移していた。


「ああ、急いだ方がいいな」


古今東西、学食という場所はどこも混むものだ。


「あたしもつき合うわ」

「俺も」


結局、いつものメンバーで学食に向かうことになった。


・・・・・・。


・・・。


「今日は人いっぱい居たね・・・」


学食に行ってはみたが、結局空いている席は見つからなかった。


「雪降ってるからね、みんな動きたがらないのよ」


しばらく待っていたが、席が空く気配もなかったので、パンやサンドイッチを買って教室で食べることになった。


「わ。 雪降ってたんだ」


今更のように名雪が驚く。


「こんな日は温かい物が良かったな」


ビニールに入ったカレーパンを自分の机に放り投げる。


「飲み物くらい温かい物が欲しかったわね」


季節がらか、それとも地域がらか、自販機のホットは全て売り切れだった。


「いっぱい降ってるね・・・」


まだ窓の外を眺めていた名雪が、心配そうに空を見上げる。


「あの時みたい・・・」
「あの時って?」
「祐一を駅まで探しに行った時・・・」
「面白そうね。 その時の話聞かせてよ」


「全然面白くない」


「違うよ」
名雪は面白かったかもしれないが、俺は災難・・・」
「そうじゃないよ」


今やっと窓から視線を離して、俺たちの方を向き直る。


「・・・7年前の話だよ」
「・・・・・・」
「でも、うん、面白い話じゃないからやめとくね」


「だったら早く食べよっか」
「そうだね、お腹すいたもん」
「場所は、相沢君の席でいいわよね?」


「狭いから嫌だ」

「わたしの席もくっつけるよ」

「オレの席もくっつけようか?」
「出られなくなるからいい・・・」


結局、俺の机を中心に4人が集まる形になった。


「今日は腹減ってるから、もう少しちゃんとしたもんが食べたかったな」


ほとんど売り切れていたとはいえ、カレーパンひとつではさすがに保たないかもしれない。


「今度からお弁当にする?」
「弁当・・・って誰が作るんだ? 秋子さんか?」
「わたしが作るよ」


「そう言えば、名雪って時々自分でお弁当作ってたわよね」

「よくそんな時間あったな」
「下ごしらえは夜のうちにするから大丈夫だよ」


「でも、名雪がお弁当持ってくる日って、ほとんど遅刻だったわね」


「全然大丈夫じゃないじゃないか・・・」
「今度こそ大丈夫だよ」
「分かった・・・じゃあ、頼む」


「ホントに?」
「遅刻したらその日は弁当持参だ思ってくれ」
「分かったわ」


「・・・ひどいこと言ってる」


俺たちのやりとりを聞いていた名雪が、横で拗ねていた。


「・・・わたしだって本当に怒るもん」
「冗談だって」


「そうそう」
「・・・うー」


「とにかく、弁当は期待してるから」
「・・・うんっ、分かったよ」


やがて、予鈴を合図にばたばたと自分の席に戻っていく。

がらっ、とドアの開く音がして、薄暗い教室で午後の授業が始まる。

窓の外は相変わらずの雪景色。

帰りまでに止むといいけど・・・。

ぼんやりとそんなことを考えながら、時間は過ぎていった。


・・・。


「・・・やっと放課後か」


6時間目最後のチャイムを聴き終えてから、席を立つ。

今日は担任の都合でホームルームはないらしい。

つまり、事実上他のクラスに先駆けて放課後突入なのだが、教室を出ていくクラスメートの足取りは重かった。

もちろん、この天候が理由だ。


名雪、今日はどうするんだ?」
「わたしは今日も部活だよ」
「そういや次の休みは木曜日だって言ってたな・・・」
「一緒に、CD屋さん行くんだよね?」
「そうだったな」
「ちゃんと案内するからね」
「じゃあ、部活がんばれよ・・・って、こんな天気なのに部活あるのか?」


窓ガラスの向こうは、相変わらずの空模様と大粒の雪だった。


「体育館があるから」
「大変だな、部長も」
「でも、楽しいよ」
「楽しくても、程々にな」
「うん、気をつけるよ」


・・・。


下駄箱で靴を履き替えて、肩からずれ落ちてきた鞄を背負い直す。


「・・・・・・」


そして、薄暗い昇降口から身を乗り出して、空のご機嫌を窺う。

ほとんど黒に近いような雲。

数メートル先もはっきりと見えないような雪。

そして、凍えるような北風。


「・・・この中を帰るのは無謀だよなぁ」


ご機嫌は最悪だった。

朝は晴れていたんだから、当然傘なんて持っていない。

しばらく待っていても、とてもやみそうにはなかった。

俺は考えた末、少しでも早く帰ることができる方を選んだ。


(・・・帰ったら雪だるまだろうな)


一度ため息をついてから、絶え間なく降り注ぐ雪の中に飛び込む。

10分あれば後悔するかもしれない・・・。

外に出た瞬間、そんな予感がした。


・・・。


(・・・しまった、やばいくらい寒い)


後悔するまで3分もかからなかった。

しかし、この状態から引き返すこともできず、そのまま走り抜ける。

家の前に辿り着いたとき、靴はどろどろで体中に雪がまとわりついているという、かなり悲惨な状況になっていた。

家に入る前に雪を払いたかったが、落とすそばから積もるので、途中で諦めて玄関に飛び込んだ。


・・・。

 

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「お帰りなさい。 ご苦労様でした」


まるで旦那を迎える若奥様のような出迎えだった。


「・・・というか、秋子さんって何歳なんだ・・・」


永遠の謎のような気がした。


・・・。


しばらく読書に没頭していて、気づくと時計は10時を回っていた。

この時間だと、真琴が一番風呂を終えた頃だ。

二番目に入ろうと、俺は着替えを持って、部屋を出る。

案の定、パジャマ姿の真琴が正面から歩いてくるところだった。

 

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「ふんふーん」


やけに上機嫌で、片手で何かを操っている。

見ると、それはライターだった。


「没収」


その手をライターごと、むんずと鷲掴みにしてやる。


「わっ、なによぅっ。 ちゃんと秋子さんに許可もらって借りてきたんだからね」
「おまえがライターなんて持っていたら、ここいら一帯の家が燃えてなくなる」
「そんな放火魔みたいに言わないでよぅ」
「じゃ、なにするんだよ。 タバコでも吸う気か」
「あんな煙、誰も吸いたくなんてないわよぅ」
「言わないと、離さないぞ」
「何に使おうが、勝手でしょっ」


強引に俺の手を振りほどくと、逃げるようにして階段のほうへと駆けてゆく。


「次目覚めたときは、この世だとは思わないことねーっ」


そう言い残して、部屋へとその姿を消した。


「結局、悪戯に使うんじゃないか・・・」


放火魔とさほど変わらない。

だが、放火魔ほど計算尽くではないので、また墓穴を掘るのが関の山だと思うが。


・・・。


風呂に入った後、リビングでテレビを見る。

名雪に続いて、秋子さんも寝室へと姿を消した。

これからが一日の中で一番面白い時間帯になるというのに、もったいないと思う。


・・・。


ひとりテレビを見続け、部屋に戻ったときには、もう午前に2時を回ろうかという時刻だった。

消灯し、とっとと寝ることにする。


・・・・・・。

 

・・・。

 

ギ・・・ギ・・・


・・・。


ギ・・・ギ・・・


また音がする。

こんな時刻だというのに、あいつは・・・。

俺が寝静まるまで待っていたのだろうか。


・・・。


ガチャ・・・ぎぃ・・・


部屋のドアが開く。


「あはは・・・」


またも含み笑いをしている。

今回はライターを所持しているはずだから、悠長に寝ている場合ではない。

俺はいつでも飛び出せるように、布団の中で身構える。


「・・・・・・」


真琴は部屋に入ってくる気配はない。


「どこいったかな・・・」


ドアを半開きにさせたまま、ごそごそと何かを取り出している様子だった。


「あった・・・」


いちいち喋ってくれるので、わかりやすい。

シュッと、摩擦音がして暗闇の中、火花が散る。


(なにする気だ・・・?)


再びシュッと、音がして火がライターに灯った。

その明かりで、真琴が手に持っているものが判然とした。


(・・・花火!?)


その手にはごっそりとねずみ花火の束のようなものを持っていた。

真琴がその導火線に火をつけて、部屋の中にそれらを一気に放った。


「どわっ・・・!」


その場を去った真琴と入れ替わりに、俺は慌ててベッドから飛び出す。

そして、しゅるしゅると床で踊っていた花火をひとつずつ掴み上げると、半開きのままだったドアの隙間から廊下へと投げ放つ。


「わっ、なにっ・・・」


その廊下にはまだ真琴が居たらしい。

間もなく、一斉にねずみ花火が破裂するだろう。

俺はドアを閉ざした。


バンバンバンバンバーーーーーーーーーーンッ!!


「わぁーーーーっ!!」


真琴の悲鳴と花火の破裂音が交錯する。


・・・。


音がやみ、廊下に出てみると、涙を溜めた顔で真琴が尻餅をついていた。


「あぅーっ・・・び、びっくりしたよぅっ・・・」


火薬の匂いが充満していた。

電灯が点いたと思えば・・・


「今度はなにごと・・・」


呆れた顔の秋子さんが廊下に姿を見せていた。


「ご近所に迷惑でしょ?」


さすがに今のは、隣の家も起き出しているだろう。


「真琴」
「あぅーっ・・・」


秋子さんに睨まれて、真琴はいいわけも思いつかない様子だった。


「・・・花火だね」


その後ろから、名雪も顔を覗かせていた。


「花火?」
「うん・・・」
「花火は、みんなでやるものでしょ?」
「・・・・・・」
「だから何度も言うけど、何かしたいことがあったらわたしに言って。 無下にしないから」
「うん・・・」
「花火したかったの?」
「えっと・・・うん・・・」
「じゃ、今度、みんなでしましょうね」


そう言って、秋子さんは話をまとめた。

真琴は秋子さんの言うことに対しては、頷くことしかできないでいたから、すでに秋子さんのペースにハマっているのかもしれない。

なるほど、年の功である。

この調子で言い諭され続ければ、真琴の悪癖は治ってゆくかもしれない。

そんな期待を抱いて、俺は寝室へと戻った。


・・・。


1月14日 木曜日


====================


夢。

夢の中にいる。

喧噪が聞こえる。

遠くから、近くから。

さざ波のように、絶え間なく響く。

忙しそうに歩く大人たち・・・。

ベンチに座る、小さな姿に気づくことなく・・・。


====================

 

「・・・・・・」


目覚ましよりも少しだけ早く目が覚めたので、天井を眺めながら朝の微睡みを楽しんでいた。


「・・・そろそろ起きるか」


鳴ることのなかった目覚ましをオフにして、俺は部屋を抜け出した。

廊下の冷たい床を歩きながら、名雪の部屋まで行く。


名雪ーっ! 起きろーっ!」


ドアを殴打しながら、名雪の名前を叫ぶ。

こうでもしないと起きないのは先刻承知の上だ。


「・・・・・・」


ガチャと扉が開いて、中からパジャマ姿の名雪がぼーっと顔を出す。


「起きたか?」


歩いてドアを開けているんだから普通は起きていないわけはないのだが、しかし名雪は普通ではない。

 

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「・・・にんじん」
「人参?」
「・・・わたし、にんじん食べれるよ」
「・・・・・・」
「・・・にんじん、好きだもん」
「寝てるだろ、名雪
「・・・らっきょも好きだもん」


間違いなく寝てるようだった。


「・・・くー」


ぼかっ。


「うく・・・あ、あれ?」
「おはよう、名雪
「あれ? あれ?」


状況が飲み込めないらしく、きょろきょろと辺りを見回している。


「今日もさわやかな朝だな」
「なんだか頭が痛いよ・・・」
「それはきっと、二日酔いだな」
「わたし、お酒なんか飲んでないよ・・・」
「夕べ、一升瓶ごとがぶがぶ飲んでただろ」
「えっ」
「俺がコップについでやったら、こんなもんでちびちび飲んでられるかーって言って」
「ええっ、嘘だよ」
「しかも、酔った勢いで裸踊りまで披露してたな」
「わっ、そんなことしてないよっ」
「俺も驚いたよ」
「そんなもっともらしく冷静に言わないでよ~」
「じゃあな、名雪。 俺は先に降りてるから」
「わっ。 わっ。 何事もなかったように歩いていかないでよ~」


・・・。


真琴が鼻歌を歌いながら呑気に俺の脇を抜けてゆく。

夕べ、あれだけのことをしておいて、それを微塵も後ろめたいと感じていないような素振りである。

そういう奴を、傍若無人と呼ぶ。

彼らに欠けているものは何か。

それは往々にして、社会経験である。

あいつも、馴れ合いのない厳しい社会の場に放り込んでやれば、いかに人と人との関係が助け合いで成立しているかに気づくだろう。


さて・・・


後は、いかにしてその場を用意してやるか、だが・・・

俺は考えを巡らしながら、朝食の場へと向かった。


・・・。


「おはようございます、祐一さん」


食卓のドアを開けると、待ちかまえていたかのように秋子さんが笑顔で迎える。


「おはようございます」


黙々と朝食をかき込む真琴の横を通り過ぎて、自分の場所に座る。


「・・・・・・」


まるで昨夜のことなど忘れてしまったかのような態度だった。


「祐一さん、名雪の様子はどうでした?」
「今日はさすがに起きていると思います」
「ほんとうに、祐一さんが居てくれて助かるわ」


朝食の準備を進めながら、ゆったりと笑顔を覗かせる。

椅子に座るだけで、焼きたてのトーストと淹れたてのコーヒーが目の前に並ぶ。

両親共に朝早くから仕事に出かける今までの生活では、到底考えられないことだった。


「祐一、さっきの嘘だよね・・・」


すっかり目が覚めたらしい名雪が入ってくる。


「おはよう、名雪
「おはようじゃないよ~」
「もう二日酔いは大丈夫なのか?」


「二日酔い?」
「わぁ~、何でもないよ~」
名雪、コーヒーと紅茶 どっちがいい?」
「え? えっと、コーヒー」
「ちょっと待っててね」


なんというか、やっぱり秋子さんはマイペースだった。

でももしかすると、秋子さんは俺の冗談も全てお見通しなのかもしれない。

あの穏やかな笑顔を見ていると、そんな気もしてきた。


「祐一、もう変なこと言わないでね」
「俺はいつだって真面目だ」
「うん。 祐一、いつも真面目に変なこと言うから」


こっちもお見通しのようだった。


・・・。


廊下に出て、鞄を抱えながら靴を履く。


「わっ」
名雪、暴れるな」
「祐一が押したからだよ」
「俺は靴を履いているだけだ」
「わたしもそうだよ~」


決して狭くはないが、さすがにふたりの人間が同時に靴を履くには無理があった。


「今日は時間も余裕があるから、そんなに急ぐことないよ」
「そう言って、いつも途中で時間がないことが発覚するだろ」
「今日は大丈夫だよ」


・・・。


名雪、時間」
「まだ8時過ぎだよ」
「どうやら、本当に大丈夫そうだな・・・」


たまにはこんな日もないと、体が保たない。


「今日はゆっくりと、周りの風景を楽しみながら歩こうね」
「通学路の風景なんか、見飽きてるだろ」
「わたしじゃないよ。 祐一だよ」
「俺だって見飽きてる」
「嘘だよ」
「本当だ」
「・・・もしかして、昔のこと思い出したの?」
「全然」
「・・・そっか」
「何で名雪ががっかりしてるんだよ」
「わたし、がっかりなんかしてないもん」
「そうか?」
「これは祐一自身の問題なんだから」


意味ありげな言葉を残して、すたすたと歩いていく。


「別に、全部忘れてるわけじゃないぞ・・・」


名雪の煮え切らない態度に腹を立てながら、その後ろを追いかける。

この思い出の街に戻ってきて、1周間が過ぎていた。

だけどまだ・・・。

あの、雪の日のことが思い出せない・・・。


・・・。

 

「・・・あ」


いつもの通学路を歩いていると、名雪が小さく声を上げて立ち止まった。


「・・・・・・」


そして、じーーーーっと向かいの家の軒先を見つめている。


「どうしたんだ? また寝てるのか?」
「猫さん・・・」
「・・・は?」
「猫さんが居るよ・・・」


複雑な表情の先に、確かにこげ茶色の猫がうずくまっていた。


うにゃぁ~。


あくびでもするように、怠惰に一声鳴く。


「可愛い・・・」


頬を赤く染めて、とろんとした表情でじっと見つめる。


「可愛いよぉ・・・抱きしめたいよぉ・・・」


よく見ると、目が少し潤んでいる。

まるで世界一可愛い生き物を目の前にしたかのような名雪の反応だった。


うなぁ~。


当の猫(たぶん野良)は、名雪の反応などお構いなしにのんきに日向を楽しんでいる。


「なんか、かわいげのない猫だな」
「そんなことないよ! 祐一、おかしいよ!」
「・・・そ、そうか?」


名雪の普段見せることのない剣幕(それでもあんまり変わらないが)に、思わず一歩後ずさってしまう。


「あんなに可愛いのに・・・」


ちなみに、俺にはどこにでもいる雑種の野良猫に見える。


「わたし、行ってくる・・・。 祐一、止めないでね」
「別に止めはしないけど・・・って、ちょっと待て!」


今、不意に思い出した記憶があった。


「お前確か、猫アレルギーだろ!」
「うー。 そうだけど、でも可愛いもんっ」
「やめとけって、またあの時みたいにくしゃみが止まらなくなるぞ!」
「ねこーねこー」


名雪は潤んだ瞳で今にもノラの元に駆け寄りそうな気配だ。

猫の姿にこれだけ狂喜乱舞している名雪を引き留めるのも少しだけ心が痛んだ。


「ねこーねこー」


何より、あの名雪に対して狂喜乱舞なんて形容を使えることがなぜだか嬉しかった。


「ねこーねこー」


にゃーにゃー。


「ねこーねこー」


ふにゃーふにゃー。


「・・・どっちが動物か分からないな」
「わたし、人間」
「今見てると似たようなもんだったぞ」
「そんなことないよっ・・・あっ!」


少し目を離した隙に、いつの間にか問題の猫は姿を消していた。


「ねこー・・・ねこー・・・」
「これで良かったんだって」
「ねこー・・・ねこー・・・」
「ほら、行くぞ名雪
「・・・ねこー・・・」


名残惜しそうに、さっきまでノラが寝そべっていた場所を見つめながら、それでも渋々を歩き始めた。


・・・。


「・・・そういえば、わたしが猫さんアレルギーだってよく覚えてたね」
「忘れてたけど、今思い出したんだ」


名雪が野良猫を自分の部屋に連れ込んで、一晩中涙を流しながら一緒に寝ていたことがあった。


あれは・・・。


そう、ちょうど7年前・・・。


思い出が止まった冬・・・。


「よかったね」
「何がだ?」


名雪はいつも言葉が二言三言足りないので、どうしても問い返すことが多くなる。


「昔のこと、思い出して」
「思い出したって言っても、名雪が猫アレルギーだっていうつまらないことだけだぞ」
「つまらなくないよっ。 すっごく嫌なんだからっ」


無類の猫好きにして猫アレルギー。

確かに、不憫といえば不憫だ。


「猫さん飼いたいのに、ずっと我慢してるんだから・・・」
「そう言えば、お前ってカエルも好きだったよな?」
「うん」
「だったら、猫の代わりにカエルを飼ったらいいんじゃないか?」
「嫌だよ。 ぬるぬるしてるもん」
「・・・普通、カエルはぬるぬるしてるもんだ」
「ふさふさのカエルが可愛いの」


どうやら普通の女の子らしく、生き物のカエルは好みではないらしい。


「どうでもいいけど、あの真琴に着せたパジャマ・・・あいつ本気で嫌がってたぞ」
「わたしのとっておきだよ」


日常会話と同じで、趣味もどこか人とは違う道を歩んでいるようだった。


「あ~。 祐一、今すごく失礼なこと考えてなかった?」
「全然」
「なんだか怪しいよー」
「あ、そうだ」
「うん?」


突然立ち止まった俺をいぶかしんで、名雪が振り返る。


「悪いけど、先に行っててくれ」
「祐一は?」
「俺は、ちょっとコンビニに寄ってから行くから」
「残り10分だよ」


名雪が腕時計に視線を送る。


「大丈夫だろ。 毎日鍛えられてるからな」
「やっぱり失礼なこと言ってる~」
「じゃあ、またな名雪
「うんっ。 教室で会おうね」


・・・。


「・・・これで準備は整った」


俺は今買ったばかりの物を鞄の中にしまって、コンビニを後にした。

 

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「何の準備?」
「決まってるだろ、真琴を・・・」
「まことって、誰?」
「家に転がり込んでる自称記憶喪失の・・・って、何でこんなところに居るんだっ!」
「えっ、誰が?」
「お前だっ」
「ボク?」
「いきなり何の脈略もなく、ひとり言に入ってくるなっ!」
「さっきのひとり言だったんだ。 てっきりボクに話しかけてきたんだと思ったよ」
「どうして俺があゆに『これで準備は整った』なんて意味深な台詞で話しかけないとダメなんだ」
「そうだよね。 ボクも少しはおかしいかな、と思ったんだ」
「思ったんだったら、その先まで考えろ・・・」
うぐぅ・・・難しいよ」
「それで、こんなところで何をしてるんだ?」
「ボクは学校に行くところだよ」
「だったら、その茶色い袋はなんだ?」
「たい焼きっ」


予想通りの答えが、予想以上に元気よく返ってきた。


「あのたい焼き屋さんって、こんなに朝早くからお店出してるんだね」
「どうしたんだ、そのたい焼き?」
「貰ったんだよ」
「貰ったって、誰にだ?」
「屋台のおじさん」
「屋台って、あの屋台か?」
「うん。 ボク他のたい焼き屋さん知らないから」
「あのおやじ、もしかして記憶力ないのか?」
「違うもん」
「何が違うんだ?」
「ボク、謝りに行ったんだよ」
「お。 ちゃんと金を返したのか?」
「うん。 それでちゃんと謝ったよ」
「珍しく殊勝だな」
「ボク、いい子だもん」
「いい子は最初から食い逃げなんかしないぞ」
うぐぅ・・・あれは仕方なかったんだよ・・・。 だって、お財布持ってなかったんだもん」
「後でちゃんとお金払ったんだったらいいけどな」
「うん。 そしたらおじさんが、これ持っていっていいって」


見た目通り、人のいいおやじだったらしい。


「それか、ちょっとやばい趣味があるとか」
「うん?」


あゆが首を傾げているが、説明するようなことでもないのでそのまま流す。


「どうでもいいけど、なんで学校行く前に商店街をうろうろしてるんだ?」
「祐一君だってそうだよ」
「俺はどうしても今のうちに買っておかないといけない物があったから、仕方なくだ」
「ボクは、学校に行く前は必ず商店街だから」


言ってることがよく分からなかった。

通学路の途中に商店街があるということだろうか?


「それよりも、あんまりのんびりしてると、時間が・・・」
「うぐ?」
「食うなっ!」


あゆは、言っている側からのんびりしていた。


うぐぅ・・・これは貰ったんだもん」
「今から学校だろっ」
「学校は、たい焼きを食べてから行くんだよ」


どんな学校だ、それは・・・。


「祐一君も食べる?」


はいっと、ほかほかのたい焼きを差し出す。


「そうだな、たまには甘い物でも・・・って、そんな時間あるかっ!」
うぐぅ、どうして?」
「これから学校に行こうって時にどうして道の真ん中でのんきにたい焼き食いながら番茶なんかすすらないといけないんだ」
「番茶すするとまでは言ってないもん」
「とにかくだ、たい焼きは昼休みにでも友達と一緒に食ってしまえ」
「ダメだよ。 冷たくなるもん」
「だったらこうしてやる」


あゆの紙袋をひっ掴んで、雪の中に押し込める。


「わぁっ! そんなことしたらダメだよっ!」


慌てて紙袋を拾い上げる。


うぐぅ、ぐしょぐしょ・・・」
「これで冷たくなったから、今も昼休みも一緒だ」
「祐一君、どうしてそんな信じられないことするんだよっ!」
「これもあゆのためを思っての親心だ」
うぐぅ、中までぐしょぐしょ・・・」
「わかったよ、今度俺が買ってやるから。 だから今は学校だ」
「ほんと?」
「今度、時間のあるときにな」
「うんっ。 約束だよっ」


いつの間にか、満面の笑顔で頷いていた。


「じゃあね、祐一君」
「ああ。 気をつけて急げよ」
「ばいばい~」


ぶんぶんと手を振って走り去っていく。

名雪と違って、朝から元気だった。


・・・。


「・・・あれ?」


学校の敷地に入ったところで、ちょうどクラスメートと出会った。


「おはよう、相沢君。 今日はひとり?」
「いや、名雪が隠れてる」
「・・・どこにも居ないじゃない」
「巧妙に隠れてるからな」
「大体、何で隠れるのよ」
名雪の趣味なんだ」
「そんなの一度も聞いたことないわよ」
「まぁ、あいつも見かけによらず人には言えないような趣味を持ってるからな」


「・・・嘘教えないで」
「あ、名雪。おはよう」
「おはよう、香里」


「なんだ、本当にいたのか」
「今来たんだよ」
「・・・って、なんでお前の方が遅いんだ」
「うん・・・ちょっとね」


「この顔は、何か答えたくないことを訊かれたときの顔ね」
「・・・香里、余計なこと教えないで」


「・・・もしかして、猫か?」
「あ、チャイム。 急がないと」
「鳴ってないだろ、全然」
「でも、あんまり時間ないから、走った方がいいよ」


言い終えて、そのままパタパタと走っていく。


「さては、諦めきれずにもう一度猫のいた場所に戻ってたな・・・」
「あの子、猫が絡むとキャラクター変わるからね」


「本当にチャイム鳴るよ~」


遠くから名雪の声。

直後、予鈴の音が校内に響いていた・・・。


・・・。


俺は退屈な授業が始まると、机の中から1枚の履歴書を取り出す。

登校の途中でコンビニに寄り道し、アルバイトの情報誌と一緒に購入したものだ。

これで、真琴に社会経験の場を与えてやることができる。

まずは、提出用の履歴書の作成だ。

本人は身元不明であるから、偽造する必要がある。

表の名前、住所、経歴をちょちょいと適当に埋めてやる。

ついでだから、すべて埋めておいてやろうと、それを裏返した。


・・・書き終えたところで、俺はひとつ伸びをする。

授業の時間まで割いて、こんなことに躍起になっているなんて馬鹿みたいだったが、これも平穏なる生活のためだ。

前半さぼった分、残りの時間は授業に没頭することにした。


・・・。


「祐一っ、お昼休みだよ」
「知ってる」


「相沢君っ、お昼休みだよ」
「キャラクター違うぞ、香里」
「冗談よ」


4時間目に使ったノートを机の中に突っ込んで、体をほぐすように席を立つ。


「さて、今日はどこ行こうかな・・・」
「どこも何も、学食しかないと思うよ」
「学食飽きた」
「祐一、飽きるほど行ってないよ」
「俺は飽きっぽいんだ」
「それは知ってるけど、でも学食しかないよ、お昼食べられるところは」
「仕方ない、行くか」
「うんっ」
「・・・あれ? 香里と北川は?」


いつもなら一緒に行くと言い出すはずのふたりの姿がなかった。


「香里はすぐに出ていったよ。 先に行って場所取っておくって」
「北川のやつは?」
「その後をついていったよ」
「だったら、俺たちも急ぐか・・・」


さすがに場所まで取ってもらってるのなら、昼は学食で決まりだった。

もっとも、どのみち他に選択肢はないのだが。


「今日は何食おうかな」
「わたし、Aランチ」


元気良く宣言する名雪と一緒に、教室を出る。


・・・。


「祐一っ、放課後だよ」
「ふ・・・俺にはもうどうでもいいことさ。 俺はこのまま、このどこまでも広がる空の向こう側に・・・」
「どうでも良くないよ。 今日は一緒に帰るんだから」
「・・・・・・」


突っ込みも入れずにボケを止める名雪のこれは技だと思う。


「・・・それで、何の話だ?」
「放課後だよ」
「それは聞いた」
「一緒に帰るんだよ」
「誰が?」
「祐一が」
「誰と?」
「わたしと」
「どうして?」
「約束したからだよ」
「誰が?」
「祐一が」
「誰と?」
「わたしと」
「どうして?」
「約束したからだよ」
「誰が?」


「お前ら、突っ込むやついないのか?」
「いや、北川に期待してたんだ」


「北川君も、これから帰るの?」
「そのつもりだったけど、やっぱり学食でなんか食ってから帰るわ」
「そっか、残念」
「じゃあな」


そのままとっとと教室を出ていてしまう。

どうも、変に気を回されたような気がする・・・。


「どうしたんだろ、北川君?」


案の定、名雪は全く気づいていなかった。


「じゃあ、俺たちも出るか」
「うん、そうだね」


まだ教室に残っているクラスメートに挨拶をして、廊下に出る。


「・・・あ」
「どうした?」
「わたし、忘れ物」
「教室か?」
「うん。 持って帰らないといけないプリント、机に入れっぱなしだったよ」
「一緒に戻ろうか?」
「ううん、いいよ。 祐一は先に出てて」
「分かった。 じゃあ昇降口の前で待ってる」
「うんっ。 すぐに行くよ」


・・・。


パタパタと階段を駆け上がる名雪を別れて、ひとり昇降口で靴を履き替える。

真新しい名札の貼られた靴箱に上履きをしまって、そのまま外に出る。


・・・。


「やっぱ、寒いなぁ・・・」


石畳の通路に積もった雪を、白いため息混じりに眺める。

ひゅう、ひゅう、と建物の間を抜ける寒風に体をすくませながら、意を決して、じゃりっと一歩を踏み出す。


「相沢君っ」


と、背中から声がかかる。

昇降口の扉から手を離し、後ろを振り返る。


「相沢君も今から帰るの?」
「なんだ、香里か」
「なに思いっきりがっかりしてるのよ。 第一、この学校で相沢君に話し掛ける生徒なんて、まだ数える程だと思うけど」
「まぁ、な」
「どう? そろそろ新しい学校に慣れた?」


しゃがみ込んで靴を履き替えながらそんなことを訊ねる。


「ああ」
「ふーん・・・具体的には?」
「寝ても大丈夫な先生とダメな先生の区別がつくようになった」
「ふーん」
「なんだよ、そのふーんって言うのは」
「言葉通りよ」


いや、それが分からないから訊いてるんだけど。


名雪は今日も部活?」
「いや、一緒に帰るところだ」
「・・・そう」
「なんだよ、その意味ありげな呟きは」
「言葉通りよ」


だから、分からないって・・・。


「じゃあね、相沢君」
「ああ、またな」
「・・・・・・」

 

最後は無言で、校門をくぐって出ていってしまう。


「・・・わからん」


香里の態度に違和感を覚えたが、詮索しようにもすでに本人の姿はなかった。


「祐一、お待たせ」


走ってきたのか、少しだけ肩で息をしている。


「とりあえず、商店街だな」
「うん」


頷く名雪と並んで、学校を後にする。


・・・。

 

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「たまには、ふたりでゆっくりと歩くのもいいよね」
「いつもは大抵走ってるからな・・・」
「走るのも好きだけど」
「そうだな・・・」


放課後の商店街。

木曜日は閉まっている店が多くて、どこか寂しい雰囲気の商店街だった。


「祐一、商店街好きだよね?」
「そりゃ、嫌いじゃないけど・・・。 でも、改まって好きだって言うようなものでもないだろ」
「今日も夕焼けになるのかな・・・」


ふと立ち止まって、空を見上げる。


「うん。 いいお天気」
「寒いけどな」
「あと半年くらいの我慢だよ」
「そんなに続くのか・・・?」
「嘘だよっ」

 

ぼかっ。


「殴るようなことじゃないよ~」
「いや、悪質な冗談だ」
「うー・・・、悪質なのはいつも祐一の方だよ・・・」


不満げに頭を押さえる名雪の仕草が、妙に子供っぽくておかしかった。


「そうだ・・・。 祐一、明日はどうするの?」
「いつも通りだろ」
「いつも通りじゃないよ。 明日は学校お休みだよ」
「明日って、金曜日だろ?」
「金曜日だけど、成人の日だからお休みだよ」
「そうか、全然知らなかった」


危うく名雪を起こして学校まで走って行ってしまうところだった。


「それで、明日はどうするの?」


名雪が改めて同じ質問をする。


「ぼーっとしてる」
「ぼーっと・・・?」
「そうだ。 一日中ぼーっとしてる」
「祐一、もったいないよ」
「休みの日を半分くらいに寝て過ごしてるやつに言われたくない」
「寝てる方がぼーっとしているよりずっといいよ」
「いや、ぼーっとしている方がより建設的だ」
「うー」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・どっちもどっちだな」
「うん。 そうだね」


にこっと微笑む。


「そう言えば、お腹空いたね」


切なそうにお腹を押さえる。


「言われてみれば、そうだな」


もちろん昼は食べたのだが、そろそろ小腹が空いてもおかしくない頃合いだ。


「何か食っていくか」
「イチゴサンデー」


間髪入れずに返ってくる。


百花屋さんのイチゴサンデー」
「この前行った喫茶店だよな?」
「うん」
「今日はおごりじゃないぞ」
「えー」
「えー、じゃない!」
「うー」
「うー、でもない!」
「くー」
「寝るなっ!」
「さすがに冗談だよ」
「そんなことしてると、置いて行くぞ!」


「わっ。 待ってよ、祐一。 百花屋さん、こっち」


走り出した俺と反対方向を指さす。


「ちょっとした冗談だ」
「祐一、今本気で走ってたよ」
「俺はいつでも本気だ」
「うー、なんだか言ってることが矛盾してるような・・・」
「行くぞ名雪
「あ。 うんっ」


・・・。

 

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「ごちそうさまでした」


からん、と鉄のスプーンが空になったガラスの器に滑り込む。

たっぷりのイチゴとクリームがのっていた大きなパフェの器は、すっかり空っぽになっていた。


「しかし、そんな甘い物よくそれだけ食えるな」
「あと3杯は大丈夫だと思うよ」
「晩ご飯が食えなくなるぞ」
「あ、そうだね・・・」


頷いたものの、名残惜しそうだった。


「・・・祐一、あと1杯だけいいかな?」


俺は苦笑いしながらウェイトレスを呼んだ。


「ありがとうっ、祐一」
「この1杯だけだぞ」
「分かってるよ。 さすがにそんなには食べられないもん」


やがて、名雪の目の前にさっきと同じパフェが運ばれる。


「わたし、幸せ」


880円(税別)で幸せになれるんだから、安い物だと思う。


「いただきます」


嬉しそうに目を細めて、先の割れたスプーンでイチゴをすくい取る。


「うん。 やっぱりおいしい」


俺は、そんな名雪の幸せそうな表情を、コーヒーのおかわりを飲みながら眺めていた。


「今度こそごちそうさまでした」
「しかし、よく食ったな」
「・・・ちょっと苦しい」
「当たり前だ」
「えっと・・・次は、祐一のCDを探さないと」
「大丈夫か? 本当に苦しそうだけど・・・」
「うん。 大丈夫」


頷いて席を立つ。


「ちょっと遅いから、急いだ方がいいよ」


まだ苦しそうだったが、名雪がレジに向かったので俺もその後ろを追う。

大きな窓から外を見ると、陽は少しずつ西日に変わりつつあった。


・・・。


「良かったね、CD見つかって」
「しかし、わかり辛すぎるぞ、この店」


入り口が一目につかない場所にあるうえに、看板もなかった。


「今まで散々探しても見つからなかったわけだ」
「でも、諦めなかったら見つかったよ」
「まぁな」


CDショップの袋を鞄の中にしまいながら、名雪にもCDを貸してやろうと思う。


「やっぱり夕焼けだね」


見上げる名雪が、ぽつりと囁く。

名雪の顔も赤く染まっていた。


「帰ろっか、祐一」
「そうだな。 もうすぐ暗くなるだろうし」
「祐一、また来ようね」
名雪の部活が休みの時にな」
「うんっ」


・・・。


門をくぐり、玄関のドアを開ける。


「ただいま」

「ただいま~」


「おっ」


玄関では、真琴が靴を履いているところだった。


「どこいくんだ、おまえ」
「え? 商店街だけど・・・」
「なにしに」
「肉まん買いに」
「おまえ、金ないだろ」
「あるもん。 秋子さんにお小遣い貰ったもん」
「まったく秋子さんは甘いんだからな・・・」
「じゃあね」


靴を履き終えた真琴が腰をあげて、玄関のドアを開く。


「待て」


俺はそれを引き留める。


「なによぅ」
「ちょっと、戻れ。 話がある」
「暗くなっちゃう」
「んなこと構うかっ」


俺は真琴の首根っこを掴んで、居間まで引きずってゆく。


・・・。


「なによぅ」
「見ろ」


持っていたアルバイトの情報誌を机の上に広げる。


「なにこれ・・・」


その中の一冊を手にとって中身を覗く真琴。


「・・・字ばっかで面白くない」
「面白いもんじゃない。 だがこれで金が稼げる。 すると、漫画がたくさん買える。 すると面白いだろう?」
「お金もらえるの?」
「ああ、働くんだからな、真琴は」
「働く?」
「漫画とか肉まんとかたくさん買いたいだろ?」
「うん」
「よし、真琴はどんな仕事がしたい?」
「えっと・・・漫画読んでてもいい仕事」
「いきなりそんな甘えた条件出すなっ」
「だってぇ・・・」
「おまえみたいな奴は、24時間ぐらい直立不動で立たされるような仕事に就かせてやる」
「わぁーっ、そんなんじゃ、夕飯も食べに帰ってこれないよぅっ」
「ばぁか、そんな仕事があるか」
「そんなぁ・・・あると思うじゃない・・・」
「まあ、百歩譲ってこれぐらいかな」


俺は情報誌の片隅を指さす。


「ん?」


そこへ真琴が顔を近づけて内容を読む。


マンガ喫茶・・・ってなに?」
「大量に漫画が置いてある喫茶店だよ」
「読んでいいの?」
「いいわけあるかっ」
「なんだぁ・・・」
「でも、客がいない時とかは、特別に読めるかも知れないけどな」
「ほんとう?」
「さぁな。 店によると思うけど」
「で、なにするの?」
「ウェイトレスって書いてあるだろ。 客の注文を聞いて、飲み物や食い物を運ぶんだよ」
「ふぅん、飲み物も出るんだぁ・・・」
「おまえには出ないぞ」
「わかってるわよぅ」
「よし、ほら、電話で面接申し込め」
「えっ? 今からっ?」
「早いほうがいいだろ。 ほらっ」


不安げに眉をひそめている真琴を追い立てて、電話へと向かわせる。


・・・。


「えっと、あのっ・・・面接してほしいんですけど・・・うん・・・バイトのです・・・」


「うん、はないだろ、うんは」


「はい・・・わかりました・・・いきます・・・」


かちゃ、と受話器を置く。


「どうなった」
「明日の朝、10時にきてくださいって・・・」
「お、よかったな」
「はぁ・・・」


ぜんぜんよくない、といった様子で、肩を落としたまま部屋を出ていった。


・・・。


風呂に入り、歯を磨いた後、部屋に戻ってくると、俺はある違和感にとらわれた。

違う。

何かが違う。

部屋を見回してみる。


ベッドの下、カーテンの後ろ、本棚の影・・・。

クローゼット・・・。


「・・・・・・」


両開きの戸の隙間から、衣服の生地がはみ出ていた。

だが、それは俺の所持する衣服ではない。

緑色の生地に、カエルのプリント。


(こんなところに入って、隠れているつもりか・・・)


さて、どうしたものか。

・・・好きにさせておこう。


・・・。


俺は消灯し、布団に潜り込んだ。


・・・・・・。


・・・。


ペチッ。


思わず悲鳴をあげそうになった。

その唐突な冷たさと肌触りにだ。

なるほど、俺が寝静まるまでのクローゼットに身を隠すという作戦は正解だったわけだ。

今回ばかりは、ものの見事に不意打ちとして悪戯は成功していた。

ずりずり・・・と、何かが顔を這って、枕元に落ちた。

一体なんなのだろう?

電気を点けてみるまでわからなかった。

不意に、ばたんっ、とドアが閉まる。

作戦を遂行させた真琴が出ていったのだろう。

腹立たしい。

このまま寝入ってしまおう。

俺は再び目を閉じた。


・・・。