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ゲームまるごと文字起こし

Kanon【6】


・・・。


1月15日 金曜日(成人の日)


目覚めるなり、その目と鼻の先に異様な物を発見して、俺は思わずおののいてしまう。

水気を失い、かすかすになっている不気味な直方体の物体・・・

豆腐だった。

水に浸けても元には戻らないだろう。

すでに傷んでいる。


(いつになったら懲りるだろうな・・・)


それをごみ箱に捨てて(秋子さんが見たら、びっくりするだろうが)俺は朝食をとりに部屋を出た。


・・・。

 

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「おはよう、祐一君」
「ああ、おはよう・・・」


「秋子さん、ご飯おかわり」
「はいはい」


「ふぁ~、名雪のやつはやっぱりまだ寝てるのか」
「今日は部活も休みみたいだから、好きなだけ寝かせておいてあげましょう」
「そうですね」
「お腹が空いたら、昼過ぎには起きてきますよ」
「しかし、よくあれだけ寝ていられるな」


「秋子さん、卵おかわり」
「はいはい」


「あれ? そう言えば、真琴のやつは?」
「あの子なら、今朝は食欲がないって言って、外に出かけていったみたいよ」
「そうですか・・・」
「心配ですか?」
「どうせ食欲がないのは、肉まんの食い過ぎです」


「秋子さん、お醤油もらっていいかな」
「はいはい」


「今日は面接だから、あいつの場合は少しくらい元気がない方が・・・」


「秋子さん、このお漬物すごくおいしいよ」

「・・・って、何やってんだ、あゆ!」

「おかわり」
「そうじゃなくて、なんでここにいるんだ!」
「・・・朝ご飯食べてるから」
「自分の家で食えっ!」
うぐぅ・・・」


「祐一さん、それくらいにしてあげてください」


「そうだよ」
「自分で言うなぁっ!」


「祐一さん、それくらいにしてあげてください」
「秋子さんも、庇わないでください」
「でもね、わたしが招待したのよ」


「うん」
「・・・招待?」


いまいち事情が飲み込めない。


「外にゴミを出しに行ったときにね・・・」


秋子さんが、その事情をとつとつと話し始める。


「その時に、偶然あゆちゃんが通りかかったのよ」
「うん。 通りかかったんだよ」


「それで?」
「一緒に朝ご飯でもどうですか?って」
「・・・それで?」
「それだけよ」
「秋子さん・・・」
「はい?」
「・・・道端で出会ったというだけで、朝食に招待しないでください」


ため息と一緒に吐き出す。


「賑やかな方が、楽しいですから」


頬に手を当てながら、それだけを言い残してキッチンの中に消える。

・・・なんというか、相変わらずの秋子さんだった。


「祐一君、秋子さんって料理なら何でも得意なんだね」
「お前も、少しは遠慮しろ」
「お腹空いてたから」


にこっと微笑んで、おかわりのご飯にしばづけをのっけている。


「大体、いつからこの家の朝食は和風になったんだ・・・」


昨日までは間違いなく、トーストにゆで卵だったはずだ。


「秋子さんが、パンとご飯どっちがいいですか?って訊いたから、ボクはご飯がいいって・・・」


それでわざわざご飯を用意したのか、秋子さんは・・・


「うちはファミレスじゃないぞ・・・」
「このしばづけ、秋子さんが自分で漬けたんだって。 料理上手な人って、羨ましいよね」
「お前はどうなんだ? 料理できるのか?」
「ボクも料理くらいは余裕でできるよ」
「やけに自信たっぷりだな」
「ボクにだって特技のひとつくらいあるもん」
「食い逃げか?」
うぐぅ、料理だもん!」
「料理・・・」
うぐぅ・・・」


あゆには悪いが、どっから見ても料理が上手そうには見えなかった。

しかし、見た目に反して、実は凄い料理の腕の持ち主という可能性も、全くのゼロではない。


「?」


不思議そうに首を傾げるあゆを後目に、運ばれてきた朝食を頬張る。

俺の朝食はご飯と焼鮭だった

確かに秋子さんは和食も絶品だった。


「いつか、祐一君をびっくりさせるような料理を作るもん!」


しかし、俺があゆの手料理を食べるなんてことが、果たしてこの先に起こり得るのだろうか・・・。

・・・ないな。

一緒に住んでいる名雪の手料理ならともかく、あゆの料理を食う機会があるとも思えない。


「・・・どうしたの?」
「残念だったな、あゆ」
うぐぅ、言ってる意味がわかんないよ」


頭の上に『?』を浮かべるあゆを後目に、俺は秋子さんの焼いてくれた鮭を頬張っていた。


・・・。


「あゆ、今日はこれからどうするんだ?」


朝食を食べ終えて、帰るというあゆを見送るために家の前までつき合う。


「ボクはこれから商店街だよ」
「まだ10時にもなってないから、ほとんどの店は閉まってるぞ」
「うん。 お店は閉まってても、歩道を探すことはできるから」
「探すって・・・」


『落とし物を探してるんだよ』


「まだ探してたのか・・・」
「うん。 見つかるまで頑張るよ」
「そっか。 見つかるといいな」
「うんっ。 応援しててね」
「ああ・・・」
「ばいばい、祐一君。 ご飯、おいしかったよって秋子さんに伝えておいてねっ」


今日は休みだから、俺も一緒に探してやろうかと思ったが、言葉にするよりも早く、あゆの姿は消えていた。


「せっかちなやつだな・・・」


もっとも、それだけ大切な物ということなのかもしれない・・・。


「見つかるといいな・・・」


外でじっとしていても寒いだけなので、そそくさと部屋の中に戻る。


・・・。


リビングに戻っても、まだ名雪の姿はなかった。

ぐっすりと眠って、部活の疲れを癒やしているのだろう。

チャンネル片手にテレビをつけてみたが、これといった番組もなく、すぐに消してしまう。

この街に引っ越してきて、1週間以上が過ぎていたが、まだ休みの日に気安く遊びに行けるような友人は居なかった。

つまり、暇だった。


(・・・名雪でも起こして遊ぶか)


一瞬、そんな考えも脳裏をよぎったが、さすがに可哀想なのでやめておく。


(俺も寝るか・・・)


今までとは全く違う新しい生活。

疲れていることは間違いなかった。


・・・。


「・・・・・・」


ベッドに横向けに寝転がって目を閉じてると、自然に眠りに入ることができた。


・・・・・・。


・・・。

 

「ふぁ・・・」


目を開けるとオレンジの光が眩しくて、俺は無意識に寝返りを打った。

どれだけ時間が経ったのかは分からないが、少なくともベッドで寝ころんでいると西日が気になるような時刻ではあるらしい。


「・・・・・・」


一番近い枕元の時計をたぐり寄せて、時間を確認する。

4時。

平日なら、丁度学校から帰ってくる頃だ。

体を起こしてベッドに腰掛ける。

静かだった。


「ふぁ・・・」


もう一度あくびをかみ殺してから、赤く染まる部屋を後にした。


・・・。


「・・・静かなはずだ」


家の中には、誰もいなかった。

名雪と秋子さんは、どうやらふたりで夕飯の買い物に出かけたようだ。

それでなくても広い家が、ひとりだと余計に広く感じられる。

俺はリビングのソファーに体を沈めて、テレビのスイッチをオンにした。

しばらくは普段見ることのない平日のテレビ番組を眺めていたが、それもすぐに飽きる。

名雪も秋子さんも、なかなか戻ってこなかった。

これといって出かける用事も思いつかず、結局、面白くない番組を眺め続けていた。


・・・・・・。


・・・。


「ただいま~」


やがて、玄関から名雪の声が聞こえてくる。

秋子さんも一緒のようだ。

 

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「あれ? 祐一ここに居たの?」
「ああ」
「今日は祐一の好きなカレーライスだよ」


嬉しそうに、買い物鞄を掲げて見せる。


名雪、晩ご飯の準備手伝ってくれる?」
「あ・・・はーいっ」


おそらくカレーの材料が入っている買い物鞄を持って、ぱたぱたとキッチンに入っていく。


「・・・・・・」


ひとり取り残されて、俺はそのままテレビ画面を眺めていた。

ドラマの再放送らしかったが、内容なんて分からなかった。


・・・。


夕飯後。

部屋に戻ろうとして、廊下に出ると、玄関に人影があった。


「ん?」


それは真琴だった。

急いで靴を履いている。

夕飯の間も俺とは目を合わさず、慌しく食べ終わると、ひとり食卓を後にしていた。

今日は面接があったはずだったから、その結果を訊かれるのが嫌で逃げているのだろう。


「おい、真琴」
「わっ」
「待て、わってなんだ」

 

慌てて出ていこうとする真琴の首根っこを捕まえる。


「あぅ、肉まんーっ」
「面接はどうしたっ」
「行ったよ」
「行ってどうした」
「面接したよ」
「して、どうした」
「落ちたよ」
「落ちたって・・・結果報告はまだだろ?」
「だって、もう帰っていいよ、って、面接の途中で」
「なにしたんだ、おまえ」
「なにもしてないよ」
「うそつけ」
「ただ・・・ウトウトってしちゃって、それでくーッて・・・」
「・・・・・・」
「・・・お店、閉まっちゃうよ」
「こいっ」


また引きずるようにして、真琴をリビングへと連れてゆく。


・・・。


「さて、真琴は何をしたい?」
「遊びたい」
「働くんだよ、ばかっ」
「そんな、怒鳴らなくても・・・」
「おまえなぁ、こうやって世話焼いてやってるんだから・・・」
「また選ぶの?」
「選ぶんだよ」


本立ての中から、アルバイト情報誌を引っぱり出してくると、それを再び真琴の目の前に並べる。


「ほら、自分で探せ」
「あぅーっ・・・」


真琴がいつものうなり声を連呼していると、興味津々の面もちで秋子さんが寄ってきた。

 

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「なに見てるの?」
「アルバイト情報誌ですよ」
「誰がアルバイト始めるの?」


「祐一」
「おまえだろっ!」
「あぅ・・・」


「え? 真琴がアルバイトするの?」
「ええ。 ただ遊んでるだけじゃ申し訳ないからって」


「そんなこと一言も言ってないんだけど・・・」


「じゃ、わたしの知り合いに紹介してもらいましょうか?」
「そりゃ、ちょうどよかったです。 どんなお仕事ですか?」


真琴の呟きを余所に、話は進展してゆく。


保育所をやっていて、いつでも人手が足りないそうなの」
保育所・・・」


俺はその仕事内容を思い浮かべながら、真琴の顔に視線を移す。


「あぅ・・・」


どう考えても、子供の相手をするほうではなく、真琴のほうが預けられそうな立場である。


「子供と遊ぶだけだから誰だってできるし。 それに保母さんはわたしの友達だから、何かあっても安心だし」


名案とばかりに秋子さんは両手を合わせている。


「できるかな、真琴に・・・」
「できるできる。 わたしが保証してあげる」


秋子さんに丸め込まれるようにして、真琴も首を横に振ることになる。

それは秋子さんの人柄によるところだ。

強引だけども、決して相手を不安にさせない。

その口振りは、はたで聞いていても一緒に落ち着いてしまうほどだった。

年の功というのか、俺もこのぐらいになれば、真琴に馬鹿にされずに済むんだろうな、なんてことを思う。

その晩のうちにも秋子さんが連絡をして、明日にも真琴はその保育所で手伝いをすることになりそうだった。

面接もなにもなく、いきなり明日から実地というわけでもある。


「はぁ・・・子供かぁ・・・」


うまく言いくるめられてしまった真琴は、終始不安げにため息をついていた。


・・・。


部屋に戻って気がつくと、もう10時を回るような時間だった。

俺は風呂に入るために部屋を出る。


・・・。


「うー・・・さみっ」


体の芯まで冷え切っている感じだ。

このまま熱い風呂に入ったら、素晴らしく気持ちよさそうだ。


「ん・・・」


向かう風呂場から真琴が出てくるところだった。

湯上がりなのか、頬を上気させていた。


「なんだ、もう出たのか。 今から入ろうとしてたのに」


そう言うと、何かを思い出したように含み笑いを漏らした。


「なんだ、不気味な奴だな・・・」
「いい湯だったわよ。 早く入ってくれば?」
「言われなくてもそうするよ」


そのまますれ違い、俺は風呂場へと向かった。


・・・。


脱衣所で服を脱いでいると、そこはかとなく味噌汁の匂いが漂っているような気がした。

今頃、秋子さんが味噌汁を炊いているのだろうか。

不思議に思いながら、俺は風呂場の戸を開く。


「なっ・・・」


そして予想外の異様な光景に俺は呆然と立ちつくす。

湯船に張られている透明なはずの湯が、濃い茶色の味噌汁と化していたのだ。


「おい、真琴ーーーっ!!」


俺はタオル1枚を腰に巻き付け、廊下に向かって叫ぶ。


「降りてこい、真琴ーーっっ!!」


怒鳴り続ける。


「どうしたの、祐一さん」


その声に秋子さんも、名雪も集まり始める。

そして、


「・・・おみそ汁」


あたり一面に立ちこめる臭気に、揃って漏らした。


「なになにぃーっ?」


最後に真琴が嬉しそうに現れる。


「真琴・・・」
「ん?」
「こんな大量の味噌汁作ってどーするっ!」


ぽかっ!


「あぅっ・・・イターイ!」

「すごいことになってるわねぇ・・・」


湯船を覗き込み、秋子さんが呆れたような声を漏らす。


「わっ・・・お風呂がお味噌汁になってる! 一体誰が・・・」
「おまえしかいないだろっ!」


ぽかっ!


「イターーーイッ! 証拠あるのーーッ」
「こんなバカなことを名雪がするのか、秋子さんがするのか、俺がするのかっ!」
「真琴だってしないよぅっ」
「おまえの悪戯以外に考えられるかっ。 俺だけならまだしも、他の人間にも迷惑かかることを少しは考えろっ!」
「あぅーっ・・・」


「一袋ぜんぶ入れたの?」
「うーっ・・・」
「こんなことしたら、飲めなくなるでしょ? 食べ物を粗末にしたらダメよ」
「うーっ・・・うん・・・」


秋子さんの説教が始まっていた。

家主である秋子さんにまで嘘を突き通す度胸はないらしい。

まったく中途半端な度胸である。


「しかしどうすんだ、これ・・・」


かき混ぜてみたりしている名雪の背中越しにそれを見下ろす。


「これから一ヶ月、ここから掬って飲むのか?」

「わたし、眠い・・・」


名雪だけは別のことを考えていた。


「はぁ・・・仕方がない、流すか・・・」


俺はチェーンを引っ張り、ぽんっと栓を抜いた。


・・・。


湯を張り直したのはいいが、味噌汁の匂いだけはとれず、その後に入った人間がことごとく味噌臭くなって出てきたのには閉口するしかなかった。


「みんな、おミソ臭い・・・」
「おまえのせいだろっ!」


ぽかっ!


「あぅっ・・・」


・・・。


テレビを見て部屋に戻ってくると、人の気配がしないかを確かめる。


「・・・・・・」

 

部屋には俺以外には誰もいなかった。

今夜は別の手でくるか。


夕べは見過ごしてやったが、防げるならその悪戯をひとつずつ事前に潰してやったほうがいいのかもしれない。


そうすれば、いつか諦めるかも知れない。

が、悪戯の方法なんてそれこそ無限大だ。

逆に言えば、それは一生続く、ということなのかもしれない。

その想像をしてしまって、思わずぞっとする。


「とっとと、寝るか・・・」


まさか、大人になってまでそんなことが続くとは常識的には考えられなかったし、もとより真琴との同居生活がそんなに長く続くこともないだろう。

あくまで身元が判明するまでの、短い付き合いでしかないのだ。


・・・。


しばらくの辛抱だろうな、と見切って、俺は床に入った。


・・・・・・。


・・・。

 


「・・・・・・」


ぶるっと身震いと共に目を覚ますと、俺は布団から抜け出し体を起こした。

時計に顔を近づけて睨み見ると、まだ深夜の1時を回ったところだった。


(トイレ、いっとこ・・・)


立ち上がり、部屋を出る。


・・・。


暗がりを足元に気を付けて歩いてゆく。


ごんっ!


足元ばかりに気をとられていたら、額を何かにぶつけた。


「イタイ~ッ」


それはそう叫んだ。

頭を上げると、そこには真琴の顔があった。


「なにやってんの、おまえ。 こんな夜中に」
「は・・・えっと・・・うんとっ・・・」
「おまえの向かっている先には俺の部屋しかないぞ」「えっ? あ・・・眠れなくて暇だから遊びにいこうかなって・・・」
「こんな真夜中にか・・・?」
「うん・・・」
「じゃあ、これはなんだ」


俺は真琴の手をとって、それを真琴自身に突きつけてやる。

その手には袋入りの中華そばが握られていた。


「あ・・・あぅーっ・・・お腹すいたから・・・一緒に食べようかなと思って・・・」


相変わらず分かりやすい嘘だった。

どうせ熟睡する俺の顔面にぶっかけようとでもしていたのだろう。


「うーっ・・・」

俺がどう反応するのか、追いつめられた子供のように気まずく待つ真琴。

そこで俺は中華そばを・・・


「それ、冷蔵庫に戻しておけよ」
「食べない? 食べないよね、あははーっ」


助かったとばかりに、真琴は安堵の息をつき、そして廊下をとてとてと引き返していった。


「早く寝ろよーっ」
「うんーっ」


見逃してやったのだから、今夜はもう大人しく寝るだろう。

俺も用を足すと、真っ直ぐ引き返して布団の中に引きこもる。

だが、俺は甘かった。


・・・・・・。


・・・。


べちょっ。


「・・・・・・」


顔面に冷たい麺の触感。

あいつの執念を思い知らされる。

俺もこうなれば自棄だ。

このままで寝続けてやる。

もし、寝坊して誰かが起こしにきたなら、その異様な光景に悲鳴をあげるに違いなかった。


・・・。

 

1月16日 土曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


朝から脱力するような目覚ましの音に起こされて、カーテンを開けてベッドから這い出る。

制服に着替えて、鞄の中身を確認して、そしてぐぅっと伸びをする。


「・・・土曜日か」


壁に貼ったばかりのカレンダーを見てから、部屋を出る。

そして、一週間の最後の日が始まった。


・・・。


「おはようござ・・・おわっ!」
「おはようございます、祐一さん」


食卓に顔を出すなり、机の上に異様な物体を見つけ驚いたのだが、それに対する秋子さんの反応はいつも通りだった。

相変わらず周りに流されない人である。


「・・・うにゅ」

「おわっ!」


突然、机の上の謎の物体がのそっと動き始めた。

 

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「・・・おはようございます~」


謎の物体が挨拶をする。


「・・・くー」


謎の物体は、寝ていた。


「・・・なんだ、名雪か」


机の上に突っ伏していたので、長い髪の毛が散らばって異様な物体に見えていた。


「・・・くー」

「しかし、俺よりも先に起きてるなんて珍しいな」


「わたしが起きたときもここに居ましたよ」


「・・・くー」


「それって、まさか・・・」
「テーブルに座ったまま、寝てしまったみたいですね」


「・・・くー」


「器用なやつ・・・」
「ごめんなさい、起こしてもらえますか?」
「・・・分かりました」


「・・・くー」


少し体を起こしていた名雪だが、力尽きたのかまた机の上にぽてっと倒れる。


名雪っ! 起きろっ!」


頭のひとつでも叩いてやりたいところだが、さすがに秋子さんの前で力技はまずいだろ。

とりあえず、体を揺する。


「うー・・・地震・・・だおー・・・」


だおーってなんだ、だおーって・・・。


「くー・・・」


すでに、何事もなかったように熟睡している。

今日の名雪は、いつにも増して手強かった。


「あまり寝ていないのかもしれないわね」


秋子さんが、俺の分のトーストを運んでくる。

確かに、昨夜は風呂が味噌汁になって大騒ぎだった。


「そう言えば、こいつは8時になると寝ていることがあるようなやつだったな・・・」


ため息をついて、そしてもう一度体を揺する。


「くー・・・」


慣れきってしまったのか、机に倒れ込んだまま、まったく反応なく眠り続けている。

さて、どうするか・・・。


俺は、作戦を実行することにした。

俺はおもむろに自分のトーストを掴んで、上に普段はほとんどつけることのないイチゴジャムを塗りたくる。

そして、食う。


「・・・イチゴジャム・・・」


思った通り、反応があった。


「今日のイチゴジャムは特にうまいな」
「・・・イチゴジャム~」
「さて、名雪の分のトーストも食ってしまうか」
「うにゅ・・・ダメだお~」


目を擦りながら、名雪が皿を掴む。


「・・・・・・」


そして、ふと俺と目が合う。


「おはようございます・・・」
「やっと起きたか・・・」
「うにゅ・・・」
「やっぱり眠そうだな」
「くー・・・」


というか、寝ていた。


「お母さん。 娘さんの頭にジャムを塗ってもいいですか?」
「ダメですよ、食べ物を粗末にしたら」


「くー・・・イチゴジャムおいしい・・・」


名雪は夢の中で朝食を食べているようだった。


「えらく都合のいい夢だな・・・」
「くー・・・お腹いっぱい・・・」
「よし、腹一杯だったら問題ない。 学校に行くぞ」
「うん・・・」


こくり、と頷く。

そして眠ったまま席を立つ。

ほとんど条件反射のようなものだった。


「というわけで、このまま連れていきます」
「お願いしますね、祐一さん」


「いってきますー・・・」


眠りながら手を振る名雪は、相変わらず平和だった。


・・・。


「よし、時間はまだある。 行くぞ、名雪
「くー」
「って、名雪まだパジャマじゃないか!」
「うん・・・」
「とにかく着替えろっ!」
「うん・・・」


頷いてパジャマを脱ぎ出す。


ぼかっ!


「・・・痛い」
「部屋で着替えてこいっ!」


大体、ここで脱いだって制服がないだろ・・・。


「・・・部屋」


呟いて、トイレのドアを開ける。


ぼかっ!


「・・・痛い」
「そこは部屋だけど服を着替えられるような場所じゃないだろ・・・」
「・・・くー」
「とにかく、自分の部屋で着替えてこい!」
「・・・自分の部屋」


確認するように頷いて、とたとたと階段を上がっていく。


・・・。


・・・・・・。

 

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「くー」


ぼかっ!


「制服だっ!」
「・・・制服」


もう一度頷いて、階段をのぼっていく。


・・・。


・・・・・・。

 

「くー」
「よし。 今度は上出来だ」
「くー」


まだ眠ったままの名雪を引っ張って、外に飛び出す。

 

・・・。


「わっ」


名雪が驚きの声を上げる。

どうやらやっと目を覚ましたらしい。


「・・・気がついたら家の外・・・?」


そりゃ驚くだろう。


「ちゃんと制服も着てるし・・・」


しきりに首をひねる。


「そんなことより、急がないと遅刻だぞ」
「でも、お腹はすいてる・・・」
「そんなことないぞ。 ちゃんと朝は食べただろ?」
「え?」
「イチゴジャムをうまそうに食ってただろ」
「・・・そう言えば、食べたような」
「だったら問題なしだ」
「うー・・・」


お腹を押さえながら、それでも俺の後ろをついてくる。

しかし、名雪の表情には、終始『?』が浮かんでいた。


・・・。


通学路を走り抜けて、一気に学校までの距離を稼ぐ。

「わたし、髪の毛ぼさぼさ~」


悲しそうな名雪を無視して、ひたすら急ぐ。


・・・。

 

「おはようっ」
「おはよう、北川。 今日も相変わらず同じ服だな」
「お前だってそうだろ」
「俺のは一見同じに見えるが、実は毎日着替えてるんだ」
「オレだって実はそうさ」
「嘘つけ。 どっから見ても寸分違わぬ同じ物じゃないか」
「裏側が違うのさ」
「俺なんか、つけてるボタンが・・・」


「・・・くだらないことで張り合ってないで、ほら、石橋が来たわよ」


「勝負はお預けだな。 北川」
「望むところだ。 相沢」


「仲いいね。 ふたりとも」


名雪は何故か嬉しそうだった。

2日ぶりの教室でクラスメートと挨拶を交わして、自分の席に荷物を投げ出すと同時に、チャイムが鳴った。

土曜日の短い授業が、何事もなく過ぎ去っていく。

4時間目の授業が終了して、そのままHRが始まる。

今日は特に話題もないらしく、1分程度でその時間も終わった。


「ふ~、1周間終わった」
「お疲れさま」
「とりあえず、風呂」
「ここ、学校・・・」
「だったら、メシ」
「わたしに言われても・・・」
「ノリが悪いぞ、名雪
「そんなこと言われても、わたし困るよ・・・」
「こんなことでは、立派な社会人にはなれないぞ」
「祐一、言ってることが無茶苦茶だよ」
「まぁ、冗談はいいとして・・・。 名雪、今日も部活か?」
「うん。 今日は帰るのも夜遅くなると思う」
「しかし、大変だな」
「うーん・・・ちょっとだけ大変かな」
「とっとと辞めてしまったらいいのに」
「わっ。 辞めるなんて考えたこともないよ」
「俺なら5秒で辞めるな」
「それは、早すぎ」
「しかし、よく続けられるな」
「頑張ってるもん」
「もしかして、何か弱みでも握られてるのか?」
「ないよ、そんなもの」
「どっちにしろ、俺には絶対にまねできないな」
「そんなことないと思うよ。 祐一ならできるよ」


笑顔で断言する。

いまいち根拠も希薄だと思うが・・・。


「それで、ゆっくりしててもいいのか?」
「あ。 ごめん祐一、わたし先に行くね」


時計を見て、慌てて鞄を持つ。


「またね。 祐一」
「また明日な。 名雪
「明日じゃないよ・・・」
「時間、いいのか?」
「あ」


小さく声をあげて、慌てて廊下に出ていく。


「さて、俺も行くか・・・」


・・・。


「・・・さて」


とりあえず廊下に出て考える。


「・・・帰るか」


特に用事も思いつかず、腹も減っていたのでまっすぐ帰ることにする。

家に帰ると、秋子さんの温かい手料理が待っていることだろう。

本当に、今まででは考えられない生活だった。


・・・。


家に帰って来て、まず部屋に荷物を置く。

昼を食べるために1階へ降りてゆくと、ちょうど真琴が帰ってきたところのようだった。

それで思い出したが、今日から真琴は保育所の手伝いを始めていたのだ。

にしては、帰宅が早いようだが。

リビングに赴くと、そこで秋子さんと真琴が話をしていた。


「おまえ、早いな」


「今日は、土曜日だし、昼までにしてもらったのよ。 みんなでお昼食べたいじゃない?」


真琴より先に、秋子さんが答えた。


「で、保育所の手伝い、どうだったんだ」
「あ・・・うん・・・楽勝よ、あんなもん」
「おまえ、子供を取り巻きにしてガキ大将気取ってるんじゃないだろうなぁ」
「そんなことないわよぅ、ちゃんと、コラって叱ったり、ヨシヨシって頭撫でたりしたもん」


「そう。 頑張ったわね」


俺がさらに言葉を返す前に秋子さんが、先に割って入っていた。


「うん、頑張った。 頑張ったから、ものすごくお腹すいちゃった」
「たくさんあるから、たくさん食べなさいね。 お野菜もね」


秋子さんの後について、真琴もキッチンへと消えていった。


・・・。


久々に買い物にでも出かけようかと思い立った。

未だ実家から持ってきたものばかりで生活していたから、本にしてもCDにしてもそろそろ飽きてきた頃だった。

その辺りの私物を一度整理して、夕方前には好きなものを買いに出かけることにした。

部屋に引きこもり掃除も兼ねて、散らかっていた私物を整理する。

それを終え、出かけようと思った頃にはもう3時を回っていた。


・・・。


出かけ際、真琴の部屋の前を通ったところで、そのドアががちゃりと開く。


「あれ? どこかいくの?」


そこから真琴が顔を出す。


「ああ。 ちょっと買い出し」
「ふぅん」
「一緒にいくか?」
「用があっても、祐一とはいかないっ」


誘ってもこれだ。

いつものように俺の好意を受け入れることなく、そのドアを閉ざした。

俺もそれ以上は執拗に誘わず、当初の予定どおり、ひとりで出かけることにした。

門を出て最初の角を曲がろうとした所で、べちん!と音がした。

今、出てきた家の方である。

振り返ると、門のところで真琴が転んでいた。

段のところで躓きでもしたのだろう。


「大丈夫か、あいつ・・・」


俺と目が合うと、ぱっと立ち上がって、家の中に引きこもってしまった。


「・・・・・・」


大したことはなさそうだったので、俺は気にせずに放っておくことにした。


・・・。


しばらく歩いていくと、背後から追ってくる気配に気づく。

一度、自動販売機に向かう振りをして、来た方向をちらりと見ると、わっ!と驚く真琴と目が合う。


「おいっ」


声をかける間もなく、真琴は身をひるがえすと、どこかへ走り去っていってしまった。


「・・・・・・」


困った奴である。

また悪戯でもしようと、後をつけてきているのだろう。


・・・。


それからも黙って歩いてみるが、真琴はずっとついてきているようだった。


「なに、ついてきてるんだよっ」


隠れる場所もないような大通りで、俺は振り返り、大声で言ってやる。

 

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「ち、違うわよぅ・・・ついていってないもん」


道のど真ん中で、困ったように真琴が言い訳をした。


「そうか。 じゃあ、次の角はどっち曲がる?」
「うんと・・・右・・・かな?」
「ならここでお別れだな。 俺は左にいく」
「えっと・・・あ、そう・・・じゃあね」
「ああ、夕飯までには帰ってこいよ」
「うん・・・」


・・・。


角を曲がると、駅前に出る。


「・・・・・・」


振り向くと、相変わらず真琴がついてきていた。

 

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「・・・どうして、こっちに来てんの、おまえ」
「え? あ・・・別の用、思い出したから・・・」
「じゃあ、俺が向こうにいく」
「うん・・・」
「じゃあな」
「うん、じゃあね」


真琴の脇を抜けて、逆方向へと歩き出す。

それで予定とは向かう方向が変わってしまった。

こちらの方向には一体何があっただろうか。

さすがに7年ぶりとなると、記憶もあやふやだった。


(まあ、それを確かめてみるのもいいか)


気楽に考えることにした。

もとよりそんな大事な用なんてない。


・・・。


「・・・・・・」


やはり、真琴は俺を追っかけてきていた。


「・・・どこに行きたいんだ、おまえは」
「わっ・・・奇遇・・・」
「見え透いた嘘をつくなっ」
「ほんとうだもん。 こっちに用があるのを思い出したの」
「はぁ・・・」


ぼりぼりと頭を掻きむしり、少し考えた振りをした後、提案した。


「帰る」


言って俺はきびすを帰した。


「えっ・・・どうしたの?」
「おまえが帰ってきてから出かけることにする」
「そんなぁ・・・真琴、夕御飯まで帰ってこないかもしれないよ・・・?」
「だったら、明日出かける」
「・・・明日も真琴、出かけるかもしれないよ・・・?」
「じゃあ、その次の休みだ」


帰路を辿る俺の後ろに、真琴もずっとついてくる。


「何か欲しいものあったんでしょ・・・?」
「ガキじゃあるまいし、我慢できる」
「・・・・・・真琴のせい?」
「ああ。 おまえのせいだ」
「・・・待ってよぅ」


真琴が俺の二の腕を掴んでいた。

俺は足を止めて、その真琴に向き直る。


「なんだよ」
「じゃあさ・・・真琴が帰る」
「・・・・・・」
「・・・それでいい?」
「おまえな・・・どうして、一緒に歩くっていう発想が出てこないんだよ」
「・・・え?」
「どうして同時に出かけたら、どっちかが帰らないといけないんだよ」
「こうしてふたりで外に出たんなら、ふたりで歩けばいいだろ?」
「・・・・・・」
「それじゃなんだ? 不意打ちできないって?」
「そんなこと・・・ないけど」
「じゃ、一緒に歩こう。 たまたま外で出会ったんだから」
「あぅーっ・・・」


俺たちは珍しく(というか初めてだ)肩を並べて歩いてみる。

実際そうしてみると、真琴の体が思っていた以上に小さいことを知る。


(こいつも、こうやっておとなしくしていれば可愛いもんなのにな)


そんなことを馬鹿らしいとは思いながらも考える。


「そういやさ・・・」
「うん?」
「おまえって、困ると『あぅーっ』って言うよな」
「え? そんなことないと思うけど・・・」
「そうか?」
「そうだって・・・」
「・・・・・・おまえ、さっき門のところで転んでたよな」
「べ、べつにっ・・・好きで転んでたわけじゃないわよぅっ・・・」
「そんなこと、わかってるよ」
「じゃ、なによぅ」
「大丈夫だったか」
「なにが?」
「怪我とかしなかったか、ってことだよ」
「怪我・・・?」
「どこも痛くないか?」
「あ・・・うん・・・だいじょぶ」
「そっか。 そりゃ良かった」
「うん・・・よかったかも・・・」


俺が心配しているのだって、素直には感じ取っていないようだった。

何か裏があるとでも勘ぐって、ずっと警戒を解かなかった。


「なに仏頂面してんだよ」


ぽむっ、と頭に手をおいてやると、わっ、と驚いて、それからようやく緊張を解いたのだった。


・・・。


べつに取り立てて用なんてなかったが、こうやって真琴と歩いているだけで、それは暇つぶしとしては楽しい気がした。

今までいがみ合ってばかりで、鬱陶しさばかりが先立っていたが、やはり真琴だって女の子である。

客観的に考えれば、女の子とふたりで散歩なんて、贅沢というものだ。


「ねぇ、どこ向かってるの?」
「さぁな」
「なにそれ・・・無責任」


俺の早足に合わせ、真琴は小走りについてくる。

出来る限り、河沿いの景色がいい道に進路をとった。

せせらぐ川面に落ちる雪を眺めながら歩くのが好きだった。

圧倒的な量の雪が、その水面に触れるたび、溶けては消えてゆく。

その自分まで吸い込まれてゆきそうな感覚が子供の頃から好きだったのだ。


グニュ・・・!

 

「あれ? なにか踏んだ・・・」
「ん?」


真琴が立ち止まり、足元を見ていた。


「仔猫だ・・・」
「よくそんなもの気づかずに踏めるな、おまえ・・・」
「こんなところで寝てるからよぅ」


真琴が当てつけがましく言い放つ。

仔猫は何事もなかったように、体を伸ばして欠伸をしていた。

 

「大丈夫のようだな」
「ほら、ネコの心配なんてしないで、雪が降ってくる前にいこうよ」


真琴が俺の背中を押した。

それで俺たちは再び歩き出す。


・・・。


うにゃぁ、と声がした。


「わぁ、ついてきてるっ」


振り向くと、真琴の足元に先程の仔猫がまとわりついていた。


「踏んだこと根に持ってるのかなぁ・・・」
「そんなふうに見えるか?」


ネコは鼻先を真琴のブーツに擦り付けている。


「見えないことない」
「無理して見るな。 普通に見れば、おまえに懐いてるぞ」
「うーっ・・・うっとうしい・・・」
「ほら」


俺はその仔猫を抱きかかえると、真琴の顔面に押しつける。


「わ、なによぅ」
「抱いてみろ」
「ヤだ」
「温かいぞ」
「寒くていいもん」
「いいから」
「ヤだ」
「帰りに肉まん買ってやるから」
「ほんとっ?」
「ああ、約束する」
「じゃ、ちょっとだけね」


そう言って、嬉しそうに仔猫を胸に抱く。

それが打算の笑顔であっても、今は仕方がないか、と思う。

こいつは人間不信のきらいがあるから、動物に対してのほうが心を開きやすいだろう、という俺なりの配慮だった。

はなから俺は嫌われているし、今のままの暮らしを続けるなら、真琴にとっても酷だ。

こういう触れあいで、少しでも考えが軟化すればいいと思う。


「わぁ、温かいよ」
「だろ。 って、おいっ!」

 

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「ん?」


真琴は仔猫を頭の上にのせていた。

仔猫のほうも、体を伸ばしきって居座っているのだから、それも不思議だ。


「ま、いいか・・・」


その部分が凹凸であったかのようにぴったりと馴染んでいたので、放っておくことにした。


・・・。


いつもとは反対側から商店街へと入る。


結局、遠回りをして、ここに辿り着いただけだった。

そして、やることも、いつものように真琴に肉まんを買い与えるだけだった。


「祐一も食べるの?」


袋の中身をのぞき、真琴が訊く。


「当然だ。 みっつも食う気か」


その中のひとつに手を伸ばして、鷲掴みにする。


「あぅーっ・・・」
「そいつにもやれよ」
「そいつ・・・?」
「頭の上にのっかってる奴だ」
「えぇ~っ」
「えぇ~って、なんだ。 ふたつもあるんだから、ちょっとぐらいいいだろ」
「食べるのかなぁ・・・」
「やってみろ」


真琴は半信半疑で、肉まんを持つ手をそろそろと頭上に乗るネコ目掛けて近づけてゆく。


ぱくっ!


「わっ・・・」


ネコは肉まんに飛びかかると、それを丸ごとくわえたまま、地面に降り立った。


「こらーっ! ひとつ丸ごと食べたらダメーーッ! 返しなさいよーーーっ!!」


真琴はしゃがみ込んで、地面に手をついてまでして、取り返そうと躍起になっている。


はぐはぐ・・・」


一方、当のネコはというと、素知らぬ顔で湯気の上がる肉まんを食べ続けている。


(同レベルというか・・・、ネコのほうが大人に見えるな・・・)

 

「おい、真琴」


一目もはばからず怒声をあげている真琴の首根っこを掴んで、起きあがらせる。


「わぁっ、なによぅ」
「ほら、俺の半分やるから、それぐらいにしておけ」
「うー・・・半分・・・?」
「半分だよっ、全部やったら俺が食う分がなくなるだろ」
「わかった」


はい、と早速手を伸ばしてくる。

子供扱いすると怒るくせに、子供と同じ方法でなだめられるところがまったく矛盾している。

でもそれで実際機嫌が直るのだから、こっちにしてみれば扱いやすいのだが。

 

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歩道橋の中途で、流れる車を見下ろしながら俺たちは息をついていた。


「さ、肉まんも食べたし、コイツはもう用ナシね」


その言葉を聞いて、俺は呆れる他ない。


「おまえ、すごいこと言うよな」
「すごいこと?」
「そこまで懐かれていて、よくそんなこと言えるな、ってことだよ」
「そんなことって・・・祐一はそうは思わないの?」
「なにがだよ」
「動物なんて、結局要らなくなったらポイって」
「そりゃそういうご時世ではあるけどさ、俺はそこまでは思わないよ」
「うそだぁ」
「ほんとだって。 そいつも、家に連れていけばいいよ。 他に家があるんだったら、出ていくだろう。 なかったら飼ってやればいい。 どうせ秋子さんも文句言わないよ」
「そんなの可哀想。 なまじ人に飼われて平和な暮らしを知るよりは、このまま野に返してやるべきよ」
「野ってな、おまえ・・・。 それにこいつ、野良猫じゃないぞ」


その人間に対する無防備さ、懐き方は、生まれた頃より人に飼われていた証拠だ。


「放したほうが、よっぽど危険だ」
「・・・・・・」
「おまえが面倒見ればいいじゃないか。 な」
「・・・・・・」


真琴が俺のほうをちらりと見た。

そしてふっと、真琴の手の中からネコが消えた。


「あ、おいッ!」


手を伸ばすが遅い。

ネコは眼下を通り過ぎる軽トラックの荷台にポテッと落ちると・・・


「うにゃあああああぁぁぁぁぁぁぁ・・・」


悲鳴と共に瞬く間に遠ざかっていった。


・・・。


「いっちゃった」
「いっちゃった・・・だってぇっ!? なにやってんだよ、おまえはぁっ!」


俺は憤りに任せて、真琴の上着の襟元を引っ掴む。


「あいつっ・・・あのまま飼い主の元どころか、遠いゴミ捨て場にでも捨てられたりしたらどうすんだよっ!」
「あのトラックの運ちゃんが拾ってくれるわよぅ・・・」
「そんな無責任な話があるか、ばかっ! おまえ、あれだけのことをしておいて、どうして冷静でいれるんだよっ!」
「な、なによ、あれだけのことって、大したことじゃないわよっ! 無責任も何も関係ないっ! 最初からそんな責任なんて負ってないものっ!」
「このぅ・・・」


俺は片腕を上げる。

そして・・・


「ばかぁっ!!」


殴る代わりに、出せる限りの大声をあげて蔑んでやった。

今、腕を振り下ろしていたなら、本気で殴ってしまっていただろう。


「は・・・ぅぐっ・・・」
「泣いたって、取り返しがつかないんだからなっ」
「いいもん・・・もう祐一のことはわかったから・・・」
「なにがだよ」
「もぅ、祐一となんか一緒にいないっ!」


どんっ!と体当たりをされ、不意をつかれた俺は、そのまま後ろ向きに倒れる。


「おい、真琴っ!」


尻もちをついたまま顔をあげたときには、真琴は小さな後ろ姿となっていた。


・・・。


結局当初の予定が買い物だったなんて、帰ってくるまで忘れていた。

それでも家に戻ってきた頃には、もう辺りが暗くなりはじめたような時刻だった。


・・・。


「おかえり」


居間へ顔を出すと、台所のほうから秋子さんの声が聞こえてくる。


「真琴、知らない?」


俺の顔を見て、そう訊ねた。


「え、いないんですか?」
「ええ、ドタバタと音はしてたから、帰ってきてはいたみたいなんだけど、もう一度出ていったみたい」
「・・・・・・なにやってんだ、あいつは」


俺はため息をついて、居間を後にする。


・・・。


そして真琴の部屋へと向かった。

真琴の部屋は、まるでがらんどうになっていた。


「・・・・・・」


あれだけ山になっていた漫画本や雑誌が跡形もなく消えていた。

いつもだらしなく広げられていた布団も、部屋の隅に丸めてある。


「どうしたの・・・?」

 

秋子さんが後ろに立っていた。


「あら、片づいてるわね」
「違うよ、秋子さん。 出ていったんだよ、あいつは」
「え?」


秋子さんは驚いてみせたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。


「でもまた、夕飯時になったら戻ってくるわよ」
「だといいけど・・・」
「なにかあった?」
「あったけどさ・・・俺は悪くないと思う」
「そう・・・でも、正しいことでも、その子にとっては触れられたくない傷であったりすることもあるのよ」
「・・・・・・」


あんなの常識だ。

あいつの生き物を物として扱うような考えに、同情の余地なんてあるわけない。


「電話かかってくるといいけどね」


ぽん、と俺の肩に手を置いて秋子さんが言った。


・・・。


結局真琴は夕飯時になっても、帰ってこなかった。

イタズラの電話ぐらいはあるかな、と思っていたが、それもなかった。

もとより、この家の電話番号を知らないのだ、あいつは。


・・・。


仕方なく3人で、遅い夕食をとる。

ただ真琴の分の、ひっくり返った茶碗が、その不在感を際だたせていた。


「大丈夫。 この家に居るのが飽きて自分の家に帰っただけだよ。 どうせ記憶がなくなっていたなんて嘘だったんだろうし」


俺はその言葉でみんなを安心させようと思った。

思っただけだった。


・・・。


静かな夜だった。


ギィ・・・


・・・ギィ・・・ギィ・・・

 

俺はその音に敏感に反応していた。

廊下を忍び歩く音・・・あいつに違いない。

みんなと顔を突き合わせるのが嫌で、こうして真夜中に戻ってきたのだろう。

それを悟って秋子さんも、玄関の鍵を開けておいたのだ、きっと。

俺は布団から抜けだし、廊下へと出た。


「・・・・・・あれ、起こしちゃった?」


目を擦りながらに訊く、名雪がそこにいた。


「・・・・・・いや、トイレ」


それだけを答えて、俺は名雪の脇を抜け、1階に降りた。

トイレの前に立とうが、何も出やしなかった。


・・・。