*ゲームを読む*

ゲームまるごと文字起こし

Kanon【7】


・・・。


1月17日 日曜日


その日も朝から静かだった。

あれだけ毎晩のように騒ぎを起こしていたその張本人がいないのだから、無理もなかった。

久々に充分な睡眠を取れたのはいいが、頭が重く、あまり気持ちのいい朝ではなかった。

寝すぎたのかもしれない。

着替えて1階へ降りてゆくと、すでに朝食は終わっていたようで、秋子さんと名雪はふたりがかりで洗濯に取りかかっていた。


「おはよう。 朝食、置いてあるから」


すれ違いざま、名雪が台所のほうを指さして、通り過ぎていった。

俺はひとり食卓に向かい、そしてひとり朝食をとった。


・・・。


午後になると、晴れていた空は重苦しい灰色の雲で覆われはじめた。

洗濯物を干していた秋子さんは、残念そうに窓からその様子を眺めていた。


「降ってきそう」

「・・・・・・」


俺もその場で足を止めていた。


「・・・・・・」
「あの、秋子さん」
「ん? どうしたの?」
「えっと・・・出かけてきます」
「そう。 温かくしてね」
「ええ。 夕飯までには帰ってきますから」
「じゃ、美味しい夕飯作って待っているわね」


そう言って、秋子さんは笑う。

玄関に降りて、靴の紐をきつく結び直すと、俺は冷たい外気へとその身をさらした。


・・・。


これといった用もなく、俺は商店街の中で時間を潰していた。

ただ、やはりこの目で確かめておかなくてはいけないことがあったからだ。

ゲームセンターの店先に設置されたゲームを何度も繰り返しプレイする。

コインが尽きた頃にはもう夕刻だった。

そして今日、何度目になるだろうか商店街の端から端を往復すると、ようやく探していたものの見つけるに至る。


(・・・・・・)


間違いない。

あの見慣れた背格好に服装はあいつ以外の何者でもない。


(元気そうじゃないか・・・)


真琴が、いつもい肉まんを買っていた店先に立っていた。

やはり自分の家に戻っていたのだろう。

家もこの商店街の近くにあるに違いなかった。

俺は安心した。

皆には虚勢を張り続けていたが、やはり胸の内では気が気ではなかった。

もしかしたら、帰る場所させわからないままのあいつを突き放して、路頭に迷わせてしまようなことになったのではないか。

そう気を揉んでいたのだ。

久しぶりに帰った家で、早速小遣いをせしめ、肉まんを買いにきたのだろう。

それで俺の用は済んだ。

真琴の元気な姿を見る。

それが目的で、ずっとこんなところで時間を潰していたのだから。

俺は声もかけず、立ち去ることにする。

もしまた偶然会うことがあったら、その時は肉まんでも奢ってやるとしよう。


「元気でな、真琴」


そう呟いてから俺は、背中を向けた。


・・・。


1月18日 月曜日


「・・・朝か」


いつものごとく目覚まし時計に起こされて、ベッドから這い出る。

眩しい朝の光を手で覆って、外の風景を眺める。

相変わらずの雪景色。

そして、いい天気だった。


・・・。


名雪ーっ、起きろーっ」


ドアを叩きながら、名雪の名前を連呼する。

少し間をおいてみるが、返事はない。


名雪ーっ! 今日から学校だぞーっ!」


さっきよりも激しくドアを叩く。


「・・・にゅ」


今度は、中から微かに反応があった。


名雪、起きたのか?」
「・・・起きたよぅ」


中から確かに返事があった。

しかし、名雪の場合はこれで安心できない。

名雪にとっては、寝ながら返事なんて朝飯前だ。


「本当に起きてるんだったら、今から言う質問に答えろ」
「・・・うにゅ」
「25+7は?」
「・・・さんじゅう・・・に・・・」
「今日は何月何日だ?」
「1がつ・・・18にち・・・」
「スリーサイズは?」
「上から・・・80・・・って、わっ!」


ばたんっ、と中から何かが落ちるような音がする。


「祐一、なんてこと訊くんだよっ」
「どうやら本当に起きたみたいだな」
「うー・・・」
「じゃあ、先に降りてるからな」
「うー・・・」


・・・。


洗面台で顔を洗って、そのまま食卓に顔を出す。

 

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「おはようございます、祐一さん」


と、いつものように秋子さんが朝食の準備をしながら微笑んでいた。

すでにテーブルの上には、サラダやジャムの瓶、そして殻を剥いたゆで卵などが、綺麗に並べられている。

名雪の話では、掃除や洗濯もほとんど秋子さんが朝のうちに片づけてしまっているらしい。


「今日もいいお天気ですよ」


こんがりと焼けたトーストを、俺の前に置く。

しかし、一体秋子さんは何時に起きているんだろうか・・・。

名雪と違って、秋子さんが眠たそうな顔をしているところなんて、俺は一度も見たことがない。

それは、真夜中に起きてきた時も一緒だった。

 

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「おはようございます・・・」


頭を押さえながら、名雪が食卓に顔を出す。


「どうしたの、顔が赤くなってるわよ?」
「ベッドから落ちた・・・」


「まったく、ドジだな」


何食わぬ顔で、トーストをかじる。


「祐一のせいだよ・・・いきなり変なこと訊くから・・・」
「変なこと?」
「ううん、何でもない」
「そう」


にこっと笑って、キッチンの奥に消える。


「訊いたけど、答えてくれなかっただろ」
「もう少しで言いかけたよ・・・」
「明日から、起こすときはこの手でいくか」
「やだよ」
「だったら、今、答えるとか。 そしたら、もう訊くこともないだろ」
「そんなの、人に言うようなものじゃないよ」
「俺なら言えるけどな」
「それは、祐一が男の子だからだよ。 わたしは女の子だから、やっぱり恥ずかしいよ」
「まぁ、冗談だけどな」


別に本当に知りたかったわけでもないし。


「・・・・・・」


しかし・・・。

そんなことよりも、名雪がちゃんと俺との関係を、男と女として見ていたことが驚きだった。

名雪のことだから、そんなものはまったく意識していないとばかり思っていた。


「どうしたの?」
「デコが赤いぞ」
「祐一のせいだよ・・・」


今まで気にもしていなかったが、よく考えると、俺と名雪の関係って不思議だよな・・・。

いとこで、

幼なじみで、

クラスメートで、

同居人で、

そして・・・


「ごちそうさまでした」


ぽん、と手を合わせる。


「やっぱり、イチゴジャムおいしいね」
「時間は?」
「うん。 今日は余裕があるよ」
「俺の起こし方がよかったからな」
「でも、もうやめてね」


釘を刺すように言って、席を立つ。

俺も立ち上がって、玄関に移動する。


・・・。


ばたばたと靴を履き替えて、外に飛び出す。

今日は時間があるはずなのに無闇に慌てているのは、染みついてしまった日頃の習慣である。


・・・。


「そう言えば、秋子さんって、ずっと家にいるのか?」


ふと気になっていた疑問を、隣でとことこと歩いている名雪に訊ねてみる。


「そんなことないよ。 ちゃんと仕事に行ってるよ」
「いつ?」
「わたしたちが学校に行ってる間だと思うよ」
「・・・そうだよなぁ」


さすがに、専業主婦と言うことはないだろう。


「それで、秋子さんってどんな仕事してるんだ?」
「どんな仕事してるんだろうね」


俺の問いに、名雪が首を傾げる。


「・・・もしかして、知らないのか?」
「うん。 わたしは知らないよ」
「マジか・・・?」
「うん」


秋子さんの仕事・・・。

想像できないだけに気になる・・・。


「今度、お母さんに直接訊いてみたらいいよ」
「そうだなぁ・・・」


曖昧に頷いて、雪の残っている通学路をゆっくりと歩く。

その先には、同じ制服を着た生徒が数人、グループになって登校していた。


「たまには、ゆっくり歩くのもいいよね」
「たま・・・じゃなくて、できれば毎日がいいな」
「そだね」


うんっ、と名雪が頷く。


「雪が溶けて暖かくなったら、きっと早起きできるよ」
「なんか、その台詞だけ聞いてると、俺が寝坊して困らせてるみたいじゃないか」
「そうだね」


屈託なく笑って、逃げるように走っていく。

学校の校舎は、もうすぐ目の前だった。


・・・・・・。


・・・。

 

これといったハプニングが起こることもなく、平和に授業風景が流れていく。


・・・。


名雪っ、放課後だぞっ」
「どうしたの?」
「いや、いつも名雪に言われてるから、今日は先手を打ってみた」
「祐一って、いつもあんまり意味のないことに一生懸命だね」
「ありがとう。 最高の褒め言葉だ」
「それで、本当にどうしたの?」
「暇だったら一緒に帰ろうと思って」
「ごめん、祐一。 今日も部活なんだよ」


本当に申し訳なさそうに俯く。


「いや、部活だったら仕方ないな」
「昇降口まで一緒に帰ろうよ」
「そうだな」

 

・・・。

 

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「あ」


昇降口の前で、名雪が足を止める。


「今年もやっぱりあるんだ」


名雪は、廊下の壁に貼られていたポスターを見ていた。


「何のポスターだ?」


きらびやかに光る大きなホール。

真っ白なテーブルやろうそく、そして豪華な食事が並べられているという、かなり現実離れしたポスターだった。


「虫歯防止のポスターか?」
「・・・どうしてこれが虫歯防止に見えるの?」
「真面目に訊き返されても困るけど」
「あさっての、学校行事の告知だよ」
「何の行事なんだ?」
「舞踏会」
「・・・名雪が天然じゃないボケを」
「ボケてないよ」


ポスターを指さす。


「ほら、書いてあるよ」


『平成11年度学園舞踏会』


「舞踏会って、学校行事だったのか?」
「毎年恒例らしいよ。 わたしは参加しなかったけど」
「どうしてだ?」
「だって、どう考えても場違いだもん」
「参加しなくてもいいのか?」
「自由参加だよ」
「それを聞いて安心した」


どう考えても、俺だって場違いだ。


「それで、その日は学校が休みになったりとかするのか?」
「ううん。 普段通り」
「何の役にもたたないイベントだな・・・」
「でも、その準備で明日は半日で学校も部活も終わりだよ」
「それは嬉しいな」
「あ。 わたしそろそろ行かないと」
「そうだな。 俺もとっとと帰るか・・・」


・・・。


「それじゃあね、祐一」
「ああ」

 

・・・。


部活に急ぐ名雪と別れて、俺はひとりで帰宅した。


・・・。


夕飯を食べて、テレビを見て、そして風呂に入る。

机に座って学校の宿題をあくび混じりに片づける。

宿題のプリントが全て回答で埋まる頃には、すでに深夜と呼んでも差し支えのない時間になっていた。


(・・・明日からに備えて、寝るか)


電気を消して、冷たい布団の中に潜り込む。

目を閉じると、その先は夢の中だった。


・・・。


1月19日 火曜日


朝、目が覚めると、眩しい光がカーテンの向こう側から射し込んできた。

それでも暖かさではなく寒さが先に立つのは、この街ならではだと思う。

手早く着替えて、そして部屋を出た。


・・・。


「祐一」


すぐ隣の名雪が、俺の顔を見上げる。


「今日は午前中で終わりだね」
「何が?」
「学校だよ」
「そうなのか?」
「うん。 明日の舞踏会の準備があるから」
「しまった! だったら、体操服なんかいらなかったんだ!」
「5時間目だからね。 あれ? でも、祐一、体操服なんて持ってないよ?」
「中に着込んでるんだ」
「暖かくていいよ」
「それもそうだな・・・」
「あ」


歩いていた名雪が、小さく声をあげて立ち止まる。


「・・・どうした?」
「時計、止まってる」
「・・・誰の?」
「わたしの腕時計」
「さっき、今日はまだ時間に余裕があるから、ゆっくり歩いても平気だもん・・・って言ってる時に見てた時計か?」
「だもん、とは言ってないけど・・・」
「もしかして、急がないとやばいんじゃないか?」
「かも」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


一度頷きあって、そして同時に走り始める。


「やっぱり走るのか・・・」
「健康にはいいよ」
「だといいけど・・・」


・・・。

 

「あ。 まだ人がたくさんいるよ」
「どうやら間に合ったみたいだな」

 

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「よお」


「北川君、おはよう」


「北川、今何時だ?」
「あと3分で予鈴ってとこだな」


何時かと訊いて残り時間が返ってくるあたり、わきまえていると言ったところか。


「やっぱり時計がないと不便・・・」
「帰りに商店街で換えてもらったらどうだ?」
「うん。 祐一も一緒に行こうよ、商店街」
「・・・そうだな、他に予定もないし」
「うんっ、決まり」
「でも、今日はおごらないぞ」
「うん、いいよ。 でも、やっぱりイチゴサンデーは食べるよ」
「甘い物ばっかり食ってると、虫歯になるぞ」
「大丈夫だよ。 ちゃんと食べる度に歯を磨いてるから」
「律儀なやつだな・・・」
「祐一は、ちゃんと磨いてる?」
「磨いてるぞ、たまに」
「たまに、はダメだよ・・・」
「大丈夫だって、そんなしっかり磨かなくても」
「祐一、さっきと言ってることが違うよ・・・」


「おーい、あんまり余裕ないぞ」


昇降口の方で、北川が手を振っていた。


「わ。 時間・・・」


慌てて時計を見る。


「・・・やっぱり、不便」


予鈴が鳴って、辺りを歩いていた生徒も、一斉に走り出す。


「俺たちも走るぞ」
「・・・うん」


・・・。


校舎の中に駆け込んで、大急ぎで靴を履き替える。


・・・。


「今日も間に合ったね」
「・・・って、ゆっくり感想を言ってる暇もないぞ」
「あ、先生・・・」


教室のドアを開けて、担任の石橋が入ってくる。


「全員、席につけ」


その声に急き立てられるように、バタバタと自分の机に戻っていく。

そして、いつものように朝のHRが始まった・・・。


・・・。


今日の授業は半日で終わり・・・。

となれば、どれだけの生徒が授業に集中しているかは、怪しいものだ。

ほとんどの生徒が、頭の中は放課後のことで一杯だろう。


「・・・・・・」


ふと、窓の外を見てみる。

屋根には雪が残り、木々は白い枝を残している。

時折、風の鳴る音が聞こえて、条件反射で体をすくませる。

教室の中はまだ穏やかだが、外は極寒の地だった。


(・・・それにしても)


机に頬杖をついて、ひとつあくびをする。


(・・・眠い)


名雪でなくても、そう感じる。


(・・・・・・)


名雪でなくてもそう感じるのだから、名雪当人はどうだろう・・・と横を見てみると、

 

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案の定、こくりこくりと揺れていた。


「・・・ふぁ」


それでも眠らないように、一生懸命授業に集中している。

さすがに放っておくのも忍びない。

俺はノートを1枚ちぎって、そして丸めた。

シャーペンでも投げようかと思ったが、さすがに刺さると大事だろう。


「・・・・・・」


そして、先生が黒板の方を向いている隙に、名雪にぶつける。


こんっ!


「・・・?」


寝ぼけたような表情で、きょろきょろと周りを見回す。

何が起こったのか分からないようだった。


(・・・これでよし)


そして、退屈な時間が過ぎていく・・・。


・・・。


「祐一、放課後だよ」


4時間目とHRが終わると、真っ先に名雪が駆け寄ってくる。


「今日も一日ご苦労様」
「まだ半日あるけどな」
「そうだね。 商店街に行って、時計の電池を換えないと。 祐一も一緒に行くんだよね?」
「ああ、どうせ暇だからな」


軽い鞄を持って、席を立つ。


「祐一、何も持って帰らないの?」
「持って帰ったって、使わないからな」
「それもそうだね」


名雪も、自分の鞄を持つ。

こっちは、俺と違って中身がたっぷりと詰まっていた。


「いこ、祐一」


促す名雪と、一緒に教室を出る。


・・・。


名雪と歩く商店街。

半日で学校が終わったので、陽はまだ高かった。


「あとで、おいしい物食べに行こうよ」
「また、百花屋か?」
「ううん。 今日は違うところ」
「なんだ、珍しいな」
百花屋のイチゴサンデーはすっごくおいしいけど、でも、たまには別のお店もいいよ」
「どっか、うまい店知ってるのか?」
「うん。 いろいろ知ってるよ」
「だったら、店は名雪に任せる」
「うん。 任されるよ」


すぐ隣を歩く名雪が、柔らかに微笑む。


「屋台のたい焼き屋さんなんてどうかな?」
「絶対にダメだ!」
「どうして?」


不思議そうに首を傾げる。


「・・・実は、たい焼きアレルギーなんだ」
「わっ。 そうなの?」
「たい焼きが半径1メートル以内に入ると、発疹が出るんだ」


とても嘘臭かった。


「・・・そうなんだ。 だったら仕方ないね」


しかし、名雪は信じていた。


「わたしもアレルギーだから、その気持ち分かるよ」


同情するように何度も頷く名雪


「それなら、別のお店考えとくよ」


しかし、我がいとこながら、変な性格だとつくづく思う。

これで、全然性格の違う俺と血が繋がっているのだから、不思議なものだった。


「困ったね。 どこにしようか・・・」
「・・・ところで、先に時計屋行った方がいいんじゃないか?」
「そうだね。 時計が止まったままだと不安だからね」


しばらく歩くと、目的の場所はすぐに見つかった。


「ちょっと待っててね、すぐに電池交換して貰うから」


言い残して、名雪が時計屋に入っていく。

俺も追いかけようかと思ったが、時計屋に何も用事がなかったので、素直に外で待っていることにする。


「・・・・・・」


しばらく待っていると、ぽんと背中を叩かれた。


名雪か?」

 

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「こんにちは、祐一君っ」


振り返ると、名雪ではなく、あゆが笑顔で立っていた。


「何だ、あゆか」
うぐぅ・・・何だはひどいよ・・・」
「てっきり、名雪だと思った」


しかし、よく考えてみると俺は時計屋の入り口を見て立っていたんだから、いきなり背後に回り込まれるわけがなかった。


「・・・なゆき?」


あゆが、聞き慣れない名前に首を捻っている。


「・・・食べ物?」
「食うな」


そういや、あゆは一度も名雪を顔を合わせたことがないのか・・・。


「秋子さん、知ってるだろ?」
「うん。 ボク秋子さん大好きだよ」
「秋子さんの、娘さんの名前だ」
「そうなんだ・・・」


あゆが感心したように頷いている。


「ちなみに、俺のいとこだ」
「もしかして、一緒に住んでるの?」
「そう言うことになるな」
「そうなんだ・・・」

 

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「お待たせ、祐一・・・?」


店を出てきた名雪が、あゆの姿を見つける。


「こいつが名雪だ」


あゆのために、簡単に紹介する。


「・・・・・・」


紹介されたあゆは、緊張の面持ちで名雪の姿を見ている。


「・・・・・・?」


そして、名雪は事情が分からず首を傾げていた。

とりあえず、俺がそれぞれを紹介する。


・・・。


「えっと、あゆちゃんって呼んでいいのかな?」


自己紹介が終わって、名雪が先に話しかける。


「うん、あゆちゃんでいいよ」
「わたしのことも、なゆちゃんでいいよ」
「・・・なゆちゃん?」


あゆちゃんと、なゆちゃん・・・。


「ややこしいから、やめてくれ」


「・・・うん。 やっぱり名雪さんって呼ばせてもらうよ」
「残念・・・」


名雪は、なゆちゃんと呼んで欲しかったらしい。


「あゆちゃんは、これからどうするの?」
「ボクは・・・ちょっと、ね」


寂しそうに笑う。


「何か用事でもあるのか?」
「・・・うん。 大切な用事」
「だったら、引き留めて悪かったな」
「いいよ。 話しかけたのはボクだから」


「今度、一緒にイチゴサンデー食べようね」
「うんっ。 またね、名雪さん、祐一君」


いつものように手を振って、パタパタと羽を揺らしながら走っていく。


「可愛い子だね」


あゆの姿が見えなくなると、名雪が楽しそうに呟く。


「誰が?」
「あゆちゃん」
「そうかぁ?」
「祐一、照れてるだけだよ」
「・・・・・・」


名雪は、時々人の考えを見透かしたような意見を言うことがある。

普段がぼーっとしてるだけに、余計そう感じるのかもしれないが・・・。


「わたしたちも、そろそろ行かないと」
「・・・そうだな」


いつまでも、こんな所にいても仕方ない。


「どこに行くか決まったのか?」
「まだ」


言ってから、再び動き出した腕時計に視線を落とす。


「だけど、歩きながら、考えるよ。 時間は、まだたっぷりとあるから」
「そうだな・・・」


見上げた空は高くて、遠くて・・・。

これで寒くなければ、散歩するには最高の条件だった。


・・・。

 

「・・・お腹いっぱい」


店から出たときは、すでに辺りは夕暮れだった。


「けっこううまかったな」


振り返って、今日初めて入った甘味処の店名をチェックする。


「うん、そうだね」


名雪も満足だったのか、こくんと頷く。


「ここだったら、また来てもいいな」
「でも、今度は百花屋さんに行こうね」
「イチゴのデザートがなかったからか?」
「うん」


さすがに、女の子の甘味屋に対するチェックは厳しかった。


「分かったよ。 今度は百花屋にしような」
「うん。 イチゴサンデー食べるの」
「じゃあ、今日はそろそろ帰るか」


この既設は、日が落ちるのも早い。

今から帰って、ちょうど日が落ちた頃に家につくだろう。


「ちょっと待って・・・」


名雪が、家とは反対の方向を指さしている。


「あと少し、寄りたいお店があるんだけど・・・」
「暗くなるぞ」
「大丈夫だよ。 祐一を一緒だもん」
「分かったよ」


俺は苦笑して、名雪のあとに続いた。


「ありがとう、祐一」


すぐ横で、いとこの少女が微笑む。

 

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「なんだか、デートみたいだね・・・」
「そうか?」
「うんっ」


俺には、仲のいい兄妹が一緒に買い物をしているようにしか見えないけど・・・。

もっとも、実際は兄妹ではなくて、いとこなんだけど・・・。


「このお店」


商店街の奥に数分歩いたところで、名雪が一軒の店の前で立ち止まる。


「ここって、どんな店なんだ?」
「何でも屋さん、かな」
「雑貨屋だな」
「うん。 そんなところ」


頷いて、名雪が先に店の中に入っていく。

ここで立っていても寒いだけなので、俺もその後ろに続く。

店内は、確かに何でも屋という風体だった。

名雪は、嬉しそうに色々な物を物色している。

しかし、俺にはこれといって興味のわかない物ばかりだった。


「あの目覚まし時計、ここで買ったんだよ」
「俺が借りた、余計に眠気を誘うやる気のなさそうな目覚ましのことか?」
「祐一、ひどいこと言ってる?」
「いや。 ただ、珍しい目覚ましだなって思って」
「わたしの、2番目にお気に入りの目覚まし時計だよ」
「だったら、1番はどれなんだ?」
「歯車に見える時計」
「歯車・・・?」
「すっごくおっきくて、文字盤が透明で、中の歯車が見えるの。 今度部屋に入ったら、探してみて」
「でも、どうしてそれが1番のお気に入りなんだ?」
「高かったから」
「・・・なるほど」


一番説得力のある答えだった。

名雪と一緒に、一通り店内を見て回る。

やがて、一周して元の場所に戻っていた。


「これで全部」
「うん。 そろそろ出よう」
「そうだな・・・」


・・・。


「結局、何も買わなかったのか?」
「欲しい物はあったんだけど、今月はお金がちょっとなくて」
「買い食いばっかりしてるからだ」
「そんなにしてないよ。 部活がないときだけだよ」
名雪は、バイトとかしないのか?」
「うー・・・部活があるもん」


確かに、あのスケジュールではバイトをしている余裕はなさそうだ。


「例えば、祐一が何かプレゼントしてくれるとか・・・」
「それは、夢のまた夢だな」
「ちょっと残念」
「だいたい、俺だって経済状況は名雪と似たようなものだ」
「わたし、これでいいよ」


そう言って、店の外の棚に置かれていた物を手に取る。

それは、ばら売りされた真っ赤なビー玉だった。


「安いよ、20円」
「ビー玉なんか、何するんだよ・・・」
「何もしないよ。 ただ持ってるだけ」
「まぁ、それくらいだったら、買ってやるけど・・・」
「ありがとう、祐一」


何がそんなに嬉しいのか、たったひとつのビー玉を、胸元で抱きかかえるように持っていた。


「ほら、20円」


十円玉を2枚、名雪に手渡す。

 

「うん。 買ってくるね」


大事そうにビー玉ひとつを抱えて、再び店の中に入っていく。


「やっぱり変なやつ・・・」


ビー玉1個貰って、何が嬉しいんだろう・・・。


「お待たせ」


ぴょこっと、名雪が戻ってくる。

手には、チェック模様の小さな紙袋に入ったビー玉があった。


「ありがとう、祐一」
「じゃあ、帰るぞ」
「うんっ」


頷く名雪と一緒に、ほとんど沈みかけた夕日を浴びながら、家路についた。


・・・。


夕飯を食ってしまうと、いつものようにやることがなかった。

ベッドに横になっていると、自然と瞼が下がってきた。


「・・・今日は、もう寝るか」


電気を落として、改めて布団に潜り込む。


・・・。

 

1月20日 水曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


「・・・・・・」


いつものように、やる気のない目覚まし時計に起こされる。


「・・・ふぁ」


大きくあくびをして、時間を確認する。

いつも通りの時間。

本当に、普段を変わらない朝だった・・・。


「・・・くー」


すぐ横で眠っている、こいつを除けば・・・。


「・・・何で、名雪が俺のベッドで・・・?」


パジャマに半纏を羽織った名雪が、俺の毛布にくるまって、気持ち良さそうに寝息を立てていた。


「・・・・・・」


はっきり言って、俺にはまったく見に覚えがなかった。


「・・・さて・・・」


このまま放っておくわけにもいかないので、とりあえず名前を呼んでみる。


「おい、名雪っ。 朝だぞっ」

「・・・くー」

名雪っ、起きろっ」


名前を呼んでも、まったく起きる気配すらなかった。

今度は、体を揺すってみる。


「おーいっ、起きろーっ」

「・・・う」


名雪が、小さく声を漏らす。

やっと、少しは目が覚めたようだった。

それでもほとんど眠ったまま、名雪がゆっくりと体を起こす。

 

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「・・・うにゅ」
「うにゅ、じゃないぞ・・・」
「・・・うにょ」
「うにょ、でもないって・・・」
「・・・・・・」


瞼を擦りながら、不思議そうに部屋の中を見回す。


「・・・・・・」


俺と、目が合う。


「・・・あれ? わっ。 ここどこ?」
「俺の部屋だ・・・」
「えっ! 祐一、まさか・・・」
「待てっ! 俺は何も知らないぞ」
「わたしを驚かそうとして、寝ている間に運んだんじゃないの?」
「そんなことするかっ」


だいたい、その、『驚かそうとして』って発想はどこから来るんだ・・・。

相変わらず、考え方が普通の女の子よりも少しずれてるよな・・・。


「それなら、どうして・・・?」


まだベッドに入ったまま、しきりに首を傾げている。


「・・・それに、何で半纏を羽織ったまま寝てるんだ?」
「え? あ、ホントだ」
「普通、寝る時って脱ぐよな・・・」
「うん。 もちろんだよ」
「だったら、どうして半纏を羽織ったまま、俺の部屋で寝てるんだ?」
「・・・わたしに訊かれても」
「・・・他に、誰に訊くんだよ」
「あ」


俺のベッドに座ったまま、ぽんと手を鳴らす。


「何か思い出したのか?」
「・・・わたし、真夜中に目が覚めたんだよ」
「それで?」
「それで、お手洗いに行って、部屋に戻ったら・・・」
「・・・・・・」
「祐一の部屋だったみたいだね」
「みたいだね、じゃないだろ!」
「寝ぼけてたみたいだね」
「限度があるだろ」
「困ったね」


まるで、他人事のような物言いだった。


「はぁ・・・。 もう分かったから、とりあえず自分の部屋に戻って着替えてこい」


こんなところを秋子さんにでも見られたら、大事だ。


「そうだね」


頷いたものの、名雪の動作は鈍かった。


「・・・しかし、普通は同年代の男にパジャマ姿なんて見られたくないんじゃないか?」
「どうして?」
「・・・どうしてって・・・見られて恥ずかしくないのか?」
「でも、服着てるよ」
「裸じゃなければ何でもいいのか、お前は」
「そんなことはないよ」
「そんなことあるだろ」
「やっぱり、わたしだって恥ずかしいよ」
「・・・そうは見えないけどな」
「それは、相手が祐一だからだよ」
「・・・・・・」
「祐一以外の男の人に見られたら、やっぱり恥ずかしいと思うよ」


そう言い残して、部屋を出ていく。


「・・・そういうものか」


確かに、俺たちは血が繋がってるからな・・・。

ほとんど、兄妹と同じようなものか・・・。

名雪の言うことも、もっともかもしれない。


・・・。


「おはようございます、祐一さん」


食卓に顔を出した俺を、秋子さんが温かく迎えてくれる。

秋子さんと朝の挨拶を交わした後、自分の席に座っていると、服を着替えた名雪が降りてきた。


「おはよう、名雪
「おはようございます・・・」
「今日は、いつもより早かったわね」
「うん・・・」


それでも眠そうな目を擦りながら、名雪の椅子に座る。


「祐一に、起こしてもらったから・・・」
「大変ですね、祐一さんも」


そう言って、ふたり分のトーストをテーブルに並べる。


「秋子さんだって大変だったでしょう?」


俺が来るまでは、秋子さんひとりだったんだから。


「わたしは、諦めてましたから」
「わたし、起こされたらちゃんと起きるよ・・・」


イチゴジャムを塗ったトーストをかじりながら、名雪が拗ねたように口を挟む。


「そうだといいけど」


目を伏せて、秋子さんがキッチンの奥に消える。


「・・・うー」


名雪は、不満そうだった。


・・・。


「今日は舞踏会だね」


俺たちには珍しく、ゆっくりと、木漏れ日の落ちる通学路を歩く。


「そっか、今日だったな」
「結局、祐一はどうするの?」
「どうもしない」


どう考えても、俺に舞踏会は場違いだ。


「そうなんだ」
名雪はどうするんだ? 出ないのか?」
「わたしは、柄じゃないよ。 それに、着て行けるようなドレスも持ってないし、ね」


名雪がドレスを着れば、場違いどころか相当似合うのではないかと思うけど、それは言わないでおく。

確かに、名雪の柄じゃないしな。


「でも、香里とか参加するんじゃないのか?」
「香里も出ないよ」
「そうか? いかにもあいつ好みの行事だと思うけど」
「そんなことないよ。 香里もわたしと一緒で、柄じゃないって言ってたから」
「そうなのか・・・何となく意外だな」
「香里って、目立つの嫌いなんだよ。 いつも明るく振る舞ってはいるけどね・・・」


・・・。


チャイムが鳴って、そして今日の授業は全て終了した。

今日も、極めて平穏無事な一日だった。


「祐一、これからどうするの?」
名雪はまた部活だろ?」
「ううん、今日はお休みだよ」
「そうか・・・。 たまには一緒に帰るか?」
「うん」


嬉しそうに頷く。


「商店街寄って帰ろ」
「そうだな、時間もあるし」
「うん」


同じ台詞。

だけど、さっきよりもさらに嬉しそうだった。


「あー、HR始めるぞー」


「じゃあ、詳しいことは後でな」
「うん」


・・・。


「楽しみだね」


学校を出て、俺たちは約束通り商店街に向かった。


「ホントに、楽しみだよ」


名雪は、終始にこにこしていた。


・・・。


放課後の商店街は、俺たちと同じような学校帰りの生徒で賑わっていた。

街灯の下や店の軒先に残った雪山が、傾いた日差しを浴びてきらきらと白く光っていた。

 

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「あのぬいぐるみ、可愛かったね・・・」
「そうだな」


俺には名雪の言う可愛いの基準が分からないが、とりあえず頷いておく。


「欲しかったなぁ・・・」
「俺が大金持ちになったら買ってやるぞ」
「うん。 期待してるよ」


赤く染まる街を、名雪と並んで歩く・・・。


「これで、何度目だろうな・・・」
「うん?」
名雪と一緒に商店街を歩いた回数だよ」
「えっと・・・」


名雪が、記憶を辿るように首を傾げる。


「たくさん、だよ」
「そうだな」


苦笑しながら、夕暮れの商店街を歩く。


「たまには、手でも繋いでみるか?」
「どうして?」


適当な冗談に、名雪が真顔を問い返す。

こういうところが、本当に昔のままだった。


「冗談だって」
「わ。 祐一、からかうなんてひどいよ」
「だから、冗談だって」
「ひどいよ~」


拗ねたり、笑ったり・・・。

表情をころころと変えながら・・・。

昔から良く知っている、いとこの少女と一緒に・・・


「繋いでみよっか」
「・・・え?」


俺が訊き返す隙も与えず、名雪が俺の手を取る。


「ちょっと不思議な感覚だね」
「馬鹿。 クラスのやつに見られたら困るから、やめろ」
「祐一が最初に言ったんだよ」
「だから、あれは冗談なんだって・・・」
「祐一の手、大きくなったね」
「だから、人の話聞けって」
「大きいし、それに、温かいよ・・・」


名雪が微笑む。

俺はどう返していいのか分からず、ただ夕暮れの街を歩いていた。

よく知っているはずのいとこの横顔が、どこか大人びて見えた。


「・・・祐一、お腹すいたね~」


しかし、それも数秒のことだった。


「あ。 あんなところに偶然、甘味屋さんがあるよ」


まるでたった今見つけたように、無邪気に店を指さしている。


「偶然も何も、いつも行ってる店じゃないか・・・」
「折角だから、食べていこうよ」


何がどう折角なのか分からなかった。


「今食べると、夕飯が中途半端になるぞ」
「ちょっとだけなら大丈夫だよ」
「秋子さんに怒られるぞ」
「うー」


名残惜しそうに、店先を見つめている。


「また今度、時間がある時、一緒に来ようか」
「約束」
「ああ、約束だ」
「やった、祐一のおごり」
「待て! 誰もおごるとは言ってないぞっ」


オレンジ色の光が眩しく感じるくらい傾いた夕日の中で・・・。

俺と名雪はゆっくりと家路についた。

繋いでいたはずの手は、いつの間にか解けていた。


・・・。

 

夕飯を食べて、リビングで適当に時間を潰したあと、俺は部屋に戻ってきた。


「・・・眠いな」


今日は、いつもよりも眠気があった。


「・・・ちょっと早いけど、寝るか」


明かりを落として、布団に潜り込んで・・・。

そして、目を閉じた・・・。


・・・。


1月21日 木曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


「・・・眠い」


名雪に借りた目覚まし時計で時間を確認する。

俺は、毎朝そうしているように、カーテンを左右に開け放った。

眩しい光。

白い景色。

そして、今日も雪の街で、一日が始まる・・・。


どん、どん・・・。


何度も名雪の部屋をノックする。

多少うるさいくらいでは、名雪は起きない。

それは、この数週間で身についた知識だった。

しばらくドアを叩き続けていると、やがて中から眠そうな声が聞こえる。

そして、カチャッ・・・とドアが開いて、中から寝ぼけ眼の名雪が顔を出した。


「・・・うにゅ」
「朝の挨拶は、うにゅじゃないだろ」
「・・・おはよ・・・祐一」
「ほら、起きたんだったら、とっとと着替えろ」
「・・・くー」


ぼかっ。


「・・・痛い」
「いいから、着替えてこい」
「まだ、このままでいいよ・・・」
「全然良くないだろ」
「わたし、この半纏お気に入りだから・・・」
「全然関係ないと思うけど・・・」
「猫さんのはんてん」
「それは見れば分かる」
「こっちの猫さんが、『いちご』で、こっちが『めろん』・・・。 この隅っこの猫さんが、『ぶどう』で、その横が『きうぃ』・・・」
「もしかして・・・全部に名前がついてるのか?」
「うん」


全部果物の名前で、しかも、何のひねりもアレンジもなかった。


「・・・相変わらず変なやつだな」
「猫さんが好きなだけだよ」


猫好きで、猫アレルギー。

猫が好きなのに、抱きしめることもできない。

確かに、かわいそうではある。


「わたし、着替えてくるね」
「ああ、できるだけ急げよ」
「うんっ」


・・・。


朝ご飯を食べて、いつもの通学路を名雪とふたりで歩く。

穏やかで、日差しが眩しくて・・・そして、寒い朝だった。


「・・・あ」


名雪が小さく声を上げる。


「・・・まさか、また猫か?」
「羽」
「・・・はね?」
「うん。 羽」


名雪の視線の先・・・。

道行く人影に混じって、白い羽が見えた。

どこかで見たことのある羽だった。

というか、羽なんてそうそう見るものでもない。


「おーいっ、あゆ」


俺の声が届いたのか、羽の生えた少女が、こっちに振り向く。

 

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「・・・あっ」


表情を綻ばせて、ぱたぱたと駆け寄ってくる。


「おはよっ。 祐一君、名雪さん」
「おはよう、あゆちゃん」


「あゆも、今から学校か?」
「うんっ」


何がそんなに嬉しいのか、元気良く頷く。


「だったら、途中まで俺たちと一緒に行くか?」
「いいの?」
「もちろんだよ」
「うんっ。 ありがとう」


いつものふたりにあゆを交えて、そして雪の通学路を歩く。

名雪をあゆはよほど気が合うのか、終始笑顔で話をしていた。


「そういや、前々から思ってたんだけど・・・」
「うん?」


名雪の方を向いて、ふと思ったことを口にする。


名雪、っていい名前だよな」


「あ、ボクもそう思うよ」


「・・・そうかな?」


意外、という感じで顔を上げる。


「何というか、イメージ通りの名前だ」
「わたしが?」
「いかにも『名雪』って感じだからな、お前は」
名雪って感じ・・・?」
「一応、誉め言葉だ」
「言ってることが良く分からないから、褒められてる気がしないよ・・・」


困ったように肩をすくめる。

確かにその通りだ。


「例えばだ、もしこいつが『名雪』なんて名前だったらどうする?」
「ボク?」
「まず、詐欺だな」
うぐぅ・・・どうして~」
「名前のイメージが違いすぎる」
うぐぅ・・・}


「でも、わたしもあゆちゃんはやっぱりあゆちゃんのほうが似合ってると思うよ」
うぐぅ・・・そうかな・・・?」


「あゆって聞くと、活発で元気で食い意地が張ってて口癖がうぐぅって気がするもんな」
うぐぅ・・・祐一君、いじわる~」
「俺じゃないって、世間一般の認識だ」
「そんな具体的な認識ないもんっ」


「あゆちゃん、学校は?」


ふと、思い出したように名雪が足を止める。


「あ・・・」


後ろを振り向く。


「・・・うぐぅ・・・行き過ぎだよ・・・」
「それなら、ここで解散」
「うん」
「またね、あゆちゃん」


「また来週な、あゆ」
うぐぅ・・・まだ木曜日」


悲しそうに、べそをかいて、手を振りながら来た道を引き返す。


「祐一、あんまりあゆちゃんにひどいこと言ったらダメだよ・・・」


あゆの羽が見えなくなると、名雪がため息をつきながら咎めるように言う。


「うーん・・・。 言うつもりはないんだけど、あゆの顔を見てると不思議とこうなるんだ」
「・・・・・・」


上を向いて、何か考え込んでいる。


「・・・それはきっと・・・」


何か言いかけて、言葉を飲み込む。


「どうしたんだ?」
「ううん。 何でもない」
「何か途中まで言いかけてなかったか?」
「内緒」
「ヒント」
「わたしが言っても仕方ないことだって途中で気づいたんだよ」
「ヒント2」
「ダメ。 ヒントはひとつだけ」
「ボーナスチャンス」
「ないよ。 そんなの」


鞄を持ち直して、少し早足で歩き出す。


・・・。


朝のHRは、いつものように滞りなく・・・は終わらなかった。


「・・・出題範囲は今配った通りなので、各自勉強しておくように」


手元にある藁半紙には、5科目分の出題範囲がびっしりと書かれていた。

突然の試験通達だった。

対象は全校生徒。

実施日は1月25日。

来週の月曜日だ。

しかも、どうやら1日で5科目全て実施するらしい。

5科目とはもちろん、国語、数学、社会、理科、英語のことだ。


「・・・なんで、この時期にテストがあるんだ」


石橋が出ていったあと、思い空気の漂う中、名雪に声をかける。


「・・・わたしに訊かれても」


名雪が、困惑顔で首を傾げる。


「去年もあったのか?」
「なかったよ」

 

どうやら、突発的な試験らしかった。


「とにかく、いきなりテストなんて言われてもな・・・」


しかも、すでに1週間を切っている。


「困ったね・・・」
「とりあえず今夜から勉強しないとダメだな・・・」
「そうだね・・・」


出題範囲のノートは名雪に借りて今日中にコピーして・・・。

その日の授業は、全て試験関連の話になった。

詳しい出題範囲や、テストの傾向などが、担当教師から通達された。


・・・。


「祐一、放課後だよ」


全ての授業が終わると、いつものごとく名雪が現れる。

しかし、その表情にいつもの笑顔はなかった。


「・・・テスト、嫌だね」


落ち込んでいる原因は、名雪も同じだった。


定期テストじゃないから、少しは気分が楽だけど・・・」
「でも、試験には変わりないからな・・・」
「そうだよね・・・」


ふたりして落ち込んでいると、香里が鞄を持って自分の席を立った。

 

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「香里、帰るの?」
「そう言う名雪は帰らないの?」
「わたしは、今日も部活・・・」
「テスト前でも部活があるの・・・?」
定期テストの前は、ないけど・・・」


今回は、中間、期末の定期テストではないので、部活はいつも通りあるようだった。


「・・・そうだ。 香里、勉強教えて」


名雪が、拝むように手を合わせる。


「人に教わるよりは、自分で勉強した方が絶対に効率いいわよ」
「分からないところだらけだから」
「そうね・・・あたしで良ければ、力になるけど」
「恩に着るよ、香里」
「それは、大げさだって」


表情を綻ばせながら、香里が教室を出てゆく。


「なぁ、名雪・・・。 香里って、もしかして勉強できるのか?」
「ずっと、学年で1番だよ」
「・・・は?」
「1年生の時から、ずっと1番だよ」
「・・・・・・」


思わず、香里の出ていった先を見てしまう・・・。


「凄いよね、香里」
「・・・・・・」


香里の、正直予想外の一面だった。


(・・・まだまだ、俺の知らないことだらけだよな)


そう、痛感した。


・・・。


部活に行く名雪と別れて、俺は借りたノートを持って商店街に向かった。


・・・。


コンビニでノートをコピーして、そのまま家路につく。


・・・。


夕食を食べ終えて、自分の部屋に戻る。

本来ならリビングでテレビでも見ている時間だが、さすがに今日からはそんな事をしている余裕はない。

ほとんど使っていない机に向かい、ノートのコピーと教科書を広げる。


「全然わからん・・・」


試験範囲に2学期の分が含まれていることが致命的だった。

受けていない授業のテストなんて、詐欺のようなものだ。

名雪に教えてもらおうかとも考えたが、さすがにこの時間はまずいだろう・・・。


「・・・どうしよう」


試験勉強以外のことで悩んでいると、微かにドアをノックする音が聞こえたような気がした。


こん、こん・・・。


今度は間違いない。


「・・・祐一、起きてる?」


遠慮がちに、名雪の声がドア越しに聞こえる。


「起きてるぞ」

「・・・開けるよ?」

「ああ」


ガチャッ・・・。

 

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「こんばんわ」
「どうしたんだ、こんな時間に? ノートなら全部返したぞ」


壁の時計で時間を確認すると、もうすぐ今日が終わるという時間だった。

どうしたんだというほどの時間でもないような気もするが、1日の睡眠時間10時間を誇る名雪が起きているのは奇跡に近かった。


「・・・テスト勉強、はかどってる?」
「自慢じゃないが、さっぱりだ」
「わたしも、さっぱり・・・」


はぁ・・・、とふたり揃ってため息を吐く。


「・・・祐一」
「ん?」
「・・・ひとりよりふたりだと思うんだよ」
「何が?」
「・・・テスト勉強、だよ」
「まぁ、そうかもしれないな」
「祐一、一緒に勉強しようよ」


思いがけない申し出だった。


「そうだな・・・色々と教えてもらいたいところもあったし」
「うん」
「それで、どこで勉強するんだ?」
「わたしの部屋に、テーブルも座布団もあるから、そこで勉強しよ」
「分かった、じゃあ準備して行くから先に戻ってていいぞ」
「うん」


ドアを閉めかけて、そしてぽつりと呟く。


「ふぁいとっ、だよ」


小さくガッツポーズ。


「ああ、頑張ろうな」
「うんっ」


心強い励ましの言葉を残して、名雪が部屋を出ていく。

俺も自分の筆記用具と教科書をまとめて、部屋を出る。


・・・。


薄暗い廊下に出て、名雪の部屋を小さくノックする。

俺と名雪の部屋以外からは光が漏れていない。

秋子さんも、もう寝ているのだろう。


「・・・祐一?」


カチャッ、と内側からドアが開く。


「来たぞ」
「・・・うん」


名雪に招かれて、部屋に入る。

 

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名雪の部屋は、やはりどこか雰囲気が違っていた。

何というか、やはり男の部屋と女の子の部屋では、こうも変わるのだろうか。

たとえそれが、いとこの部屋であっても・・・。


「遠慮なく座っていいよ」


名雪に促されて、机の前に座る。


「相変わらず、大量の目覚まし時計だな・・・」


部屋の棚は、様々な形の目覚ましで溢れかえっていた。


「たくさんないと、起きられないから」
「いや、たくさんあっても変わらないと思うけど・・・」


実際、名雪が目覚ましで起きたところなんて、この家に来てから、一度も見たことがない。


「祐一には感謝してるよ」
「そう思うんだったら、あと5分でいいから早く起きろ」
「そうだね」


名雪が微笑む。


「あと、あの目覚まし時計・・・」
「祐一に貸した目覚まし?」
「メッセージ、録音しなおしてもいいか?」
「わ。 ダメだよ」
「どうして?」
「苦労したから」
「苦労・・・って、たったの、ふたことじゃないか」


時間にして10秒もなかった。


「それでも、凄く苦労したんだよ。 わたし・・・機械とか苦手だから・・・」
「まぁ、別にいいけどな・・・」


あの目覚ましのおかげで遅刻したことが一度もないのが、今でも不思議だった。


「・・・祐一」


名雪が、辛そうな声で俺を呼ぶ。


「・・・わたし、眠い」
「まだ、勉強を始めてもいないぞ」
「・・・うん。 ・・・でも、眠い」


目を擦りながら、机を挟んで俺の向かい側に座る。


「もし、途中で寝ちゃったら、起こしてね」
「その時は、顔に落書きしてやる」
「わ。 寝てる間にいたずらしたら嫌だよ・・・」
「嫌だったら、勉強に集中するんだ」
「・・・くー」


ぼかっ。


「・・・痛い」


さい先は、とても不安だった。


・・・。

 



机に向かって、すでに2時間が経過していた。

途中、何度も名雪をたたき起こしながら、一応、勉強ははかどっていた。

 

 

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「・・・頭が痛い」
「知恵熱だな」
「・・・違うよ」


情けない声を出して、頭を押させる。


「祐一が、何度も叩くからだよ~」
名雪が寝るからだ」
「・・・だって、眠いもん」
「俺だって眠いんだ」


時間は、すでに真夜中の2時を過ぎていた。


「ふわぁ・・・」


名雪が何度目かのあくびをする。


「眠いよ・・・」
「気合いだ、気合いで切り抜けるんだ」
「うん・・・ふぁいとっ、だよ・・・」


真剣な表情で、再び机と向かい合う。


「うー」
「とりあえず、あと30分くらいで、今日はお開きにするか」
「うん」


1日目で飛ばしすぎて、あとが続かなかったら意味がないからな。


「でも、こうやって祐一と向かい合っていると、昔を思い出すね・・・」
「昔?」


名雪の言葉に、教科書から顔を上げて、いとこの顔を見る。


「・・・昔、ふたりで冬休みの宿題をしたことがあったんだよ。 その時も、今みたいにわたしの部屋で教科書を広げていたんだよ」
「・・・・・・」
「ちょうど7年前の・・・。 最後の、冬だよ」


・・・7年前。


・・・最後の冬。


その時のできごと・・・。


「・・・祐一、やっぱり覚えてないんだね」
「・・・・・・」


懸命に記憶を辿ろうとしても、すぐに真っ白な靄(もや)の中に隠れてしまう・・・。


「ごめんね、変な話しちゃったね」


申し訳なさそうに、名雪が謝る。


「・・・・・・」


どうして、俺はこんなにも忘れてしまったんだろう・・・。


大切な時間。


かけがえのない思い出のはずなのに・・・。


「きっと、悲しいことがあったんだよ」
「・・・悲しいこと?」


俺の心を見透かしたような名雪の言葉に、思わず訊き返す。


「悲しくて、心が潰れてしまいそうなくらい悲しくて・・・。 心が、思い出を閉ざしてしまうくらい、辛いできごと・・・。 そんなことが、あったのかもしれないね」
「・・・・・・」
「がんばろうね」


名雪の声が、弾む。


「テスト、がんばろうね」
「ああ・・・がんばらないと、な・・・」


約束通り30分経って、俺は自分の部屋に戻った。

最後の方は、ほとんど試験勉強は上の空だった。


・・・。


「・・・心が思い出を閉ざしてしまうくらい、辛いできごと」


それは、名雪の言葉。


「・・・・・・」


その言葉を、何度も心の中で繰り返しながら、やがて眠りの中に落ちていった・・・。


・・・。