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ゲームまるごと文字起こし

Kanon【8】

 

・・・。


1月22日 金曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


・・・。


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


・・・。


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


・・・ん。


『朝~、朝だよ~』


・・・朝・・・?


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


・・・学校・・・?


「・・・起きないと・・・」


布団から手を伸ばして、目覚ましの頭を押す。

かちっ、と小さな音がして、部屋には静寂が戻った・・・。


「・・・マジで眠い」


重たい頭・・・。

そして、執拗にまとわりつく眠気・・・。

そのふたつと懸命に戦いながら、俺は体を起こそうとした・・・。


「・・・動かない」


しかし、体は言うことを聞かなかった。


「・・・もう少しくらいなら・・・大丈夫・・・」


涙でぼやけて見える天井を眺めながら、微睡みの中に身を委ねる。


気持ちよかった・・・。

まるで、夢の中にいるようだった・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

名雪っ、時間っ」
「えっと・・・」


慌てて、腕時計に視線を落とす。

 

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「一生懸命走れば間に合うよ・・・。 ・・・2時間目に」


思いっきり、遅刻だった。

一度顔を見合わせてから、全速力で走る。


名雪がいつまでも寝てるからだ」


吐いた息が、風景と共に後ろに流れる。


「今日は、祐一だって寝てたもん」
名雪なんか、毎日だろ」
「毎日じゃないよ」
「でも、ほとんど毎日だろ?」
「う・・・」


名雪は、言い返せなかった。


「しかし、秋子さんは大変だよな。 ずっと名雪の面倒を見てきたんだから」
「・・・うん。 わたし、お母さんのこと本当に大好きだし、それに、感謝もしてるよ」
「でも、ずっとふたりっきりで、寂しくなかったか?」
「・・・寂しくなんて・・・なかったよ」


その言葉とは裏腹に、表情は寂しそうだった。


「それに、今は祐一がいるもん」
「・・・・・・」
「ずっと、このままだったらいいのにね・・・」
「・・・なぁ、名雪
「なに?」
「・・・名雪って、好きなやつとかいないのか?」
「みんな好きだよ」
「そうじゃなくて、好きな男のことを訊いてるんだ」
「・・・好きな男の人・・・?」


記憶を辿るように、大空を見上げる。


「昔は、いたよ」
「昔って、どれくらい前だ?」
「小学生の頃かな」
「それで、どうなったんだ?」
「ふられちゃった」


あはは・・・と笑う。


「そいつとは、それっきりなのか?」
「・・・うん・・・それっきり・・・」


もう一度、力なく笑う。


「でも、名雪が好きだったのって、小学生の頃のそいつなんだろ?」
「・・・うん」
「だったら、今会っても全然変わってる可能性だって、あるだろ」
「でも、変わってない可能性だって・・・あるよ」
「それは・・・そうだけど・・・」
「・・・わたしは、変わってないと思う」
「・・・・・・」


それから先はお互い無言で、やがて、校舎の屋根が見えてきた。


・・・。


「・・・疲れた」


教室に滑り込むと、ちょうど休み時間だった。


「ついに遅刻だな、相沢」
「悪かったな・・・」
「しかし、1時間の遅刻とは豪快だな」
「昨日の夜、色々とあったんだよ」
「・・・色々?」


「うん。 色々とあったんだよ」
「・・・・・・」


「待てっ! 無言で去って行くな」
「やっぱりそういう関係だったんだな」
「だから、誤解したままで戻って行くなっ!」
「だったら、ちゃんと説明してくれ」
「分かったよ・・・。 名雪の部屋で、一緒に試験勉強をしていただけだ」
「・・・似たようなもんじゃないか」
「どこが」
「真夜中に、女の子の部屋にふたりっきりでいたんだろ? 充分、驚くような事態だって」
「相手はいとこだぞ」
「でも、兄妹じゃないだろ」
「同じようなものだ・・・」


やがて、2時間目の授業開始を知らせるチャイムが鳴った。


「じゃあな」


言い残して、北川が自分の席に戻る。

そして、授業が始まった。


・・・。


結局、試験と関係のない授業では、ほとんど眠っていた。

6時間目も寝てしまい、気がつけば放課後だった。



「・・・祐一・・・おはよう・・・」
「ああ、おはよう」

 

どうやら、名雪も同じらしい。


「今日も部活か?」
「・・・うん・・・急いで行かないと」
「だったら、昇降口まで一緒に出るか」
「・・・うん・・・そうだね」


まだ眠そうな名雪と一緒に、教室を出る。


・・・。


「それじゃあ、わたし部活があるから」


昇降口を出て、それぞれ別の方向に歩いていく。


「・・・あれ?」


歩きかけた名雪が、ふと立ち止まる。


「どうした? お金でも見つけたか?」
「・・・うさぎさん」
「うさぎ?」
「・・・うん、うさぎさん」


学校の敷地に植えられた芝生。

その白く染まった芝生を名雪はじっと見ていた。


「・・・・・・」


そして、近づいていく。


「・・・やっぱり、うさぎさん」


名雪の視線のその先・・・。

芝生の上に、白くて小さな固まりがあった。

小判型にまとめられた、雪の固まり。

その上に、葉っぱが2枚、耳に見立てて刺さっていた。


「雪うさぎ、か?」


雪の体に、葉っぱの耳。

そして、木の実でできた瞳は、真っ赤だった。


「・・・誰が作ったのかな?」


しかし、よく見るとその雪うさぎは、心ない生徒に蹴飛ばされたらしく、半分以上が崩れていた。

足跡まではっきりと残っている。


「・・・・・・」


その雪うさぎの元にしゃがみ込むと、おもむろに雪をかき集めだした。


「おい、そんなことしてると部活に間に合わないぞ」
「・・・でも、かわいそうだから」


崩れた雪をかき集めて、小判型にまとめる。


「・・・・・・」


直接雪を触っている手は、真っ赤になっていた。


「分かった、俺も手伝うよ」
「・・・ありがとう、祐一」
「お前はとろいからな、ひとりだと本当に遅刻するぞ」
「・・・うん」


学校の片隅で、雪うさぎを作る。

はたから見れば、滑稽な姿かもしれない。

 

「できたよっ」


葉っぱの耳を2本刺して、雪うさぎの形に戻った。


「でも、片方の目がないね・・・」


どこかへ飛ばされてしまったのか、それとも元からなかったのか、赤い木の実はひとつしかなかった。


「・・・そうだ」


何かを思いだして、ポケットを探る。

そして、小さな赤い玉を取り出した。


「祐一、これ使ってもいいかな?」


それは、この前買ってやった、真っ赤なビー玉だった。


「お前、本当に持ち歩いてたのか」
「うん。 だって、祐一からのプレゼントだもん。 大切な物だけど・・・でも」
「俺は、構わないぞ」
「ホントに?」
「片目だけっていうのも、かわいそうだからな」
「・・・うんっ」


頷いて、雪うさぎにビー玉をつける。


「・・・ちょっと、大きさが違うね」
「それぐらいは大目に見てもらわないと」
「そうだね」


新しく完成した、雪うさぎ。

その姿に、どこか懐かしさのようなものを感じた。


「わたし、そろそろ行かないと」


名雪が、雪を払って立ち上がる。


「そうだな、俺も帰るか」


人通りがばまらになった校門の前で、名雪と別れたあと、ひとり家路についた。

芝生の上には、小さな雪うさぎだけが、ぽつんと取り残されていた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

「・・・そろそろ始めるか」


風呂からあがって、鞄の中から普段は滅多に持って歩かない教科書を取り出す。

今日の目標は、国語だった。


「・・・やっぱり、名雪に教えてもらいながらの方が効率がいいな」


教科書や筆記用具を持って、部屋を出た。

幸い、名雪の部屋からはまだ明かりが漏れていた。


コン、コン・・・。


名雪の部屋を、ノックする。


「・・・・・・」


コン、コン・・・。


もう一度、ノックする。


「・・・・・・」


しばらく待ってみたが、返事はなかった。


「・・・もしかして」


部屋の中からは、物音ひとつしない。


「・・・名雪、開けるぞ」


一度断ってから、ドアを開ける。

 

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「・・・くー」


テーブルの前に座り、ノートを開いたままの状態で名雪は眠っていた。


「・・・やっぱりか」


予想通りだった。


「おい、名雪


体を揺すってみる。


「・・・うにゅ?
「勉強するんじゃないのか?」
「・・・え? 祐一?」
「ノックをしても返事がないから、きっと座ったまま寝てるんだろうと思って、起こしに来たんだ」
「・・・ふぁ・・・ありがとう・・・」


まだ眠いのか、あくび混じりの声だった。


「それで、できれば今夜も勉強を教えて欲しいんだけど」
「・・・うん。 いいよ」


名雪に促されて、その向かいに座る。


「わたしも、祐一がいてくれた方が助かるよ」
「お。 名雪も国語を勉強してるのか?」
「うん。 漢字を覚えようと思って」
「俺もそうなんだ」
「わ。 偶然だね」


名雪と同じ教科書を広げて、シャーペンを取り出す。

しばらくはお互い無言で漢字に集中していたのだが、そう長くは続かない。


「ふぅ・・・どうも進まないな・・・」
「ずっと詰めてるからね」
「ちょっと休憩を入れるか」
「それなら、頭がすっきりする、いい場所があるよ」
「すっきりする場所?」
「うん。 目も覚めるよ」


・・・。

 

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「雪で滑りやすいから、気をつけてね」
「おわっ」


言われたそばから、足を取られる。


「祐一、ご近所迷惑だよ」


闇の中、名雪が笑っていた。


「・・・戻ろう」
「わ。 まだ出たばっかりだよ」


ベランダは、ふたり立っても充分余裕があるくらい広かった。

そこから見える街並みは、すべて白く闇の中に霞んでいた。

そして、家の屋根だけではなく、ベランダにも、その手すりにも薄く雪が積もっている。

街灯の明かりもここまでは届かないので、名雪の部屋から漏れる光だけが全てだった。


「・・・やっぱり、戻らないか?」
「まだ、もう少しだけ」


ベランダから身を乗り出して、周りの風景を楽しんでいた。


「・・・・・・」


俺は、窓の近くで、そんな名雪の姿を見ていた。

ふと、名雪の幼い頃の姿が浮かんだような気がした。


「・・・どうしたの?」
名雪、もしかして髪型変えたか?」
「髪型?」


質問の意味が分からなかったらしく、首を傾げる。


「小学校の頃って、三つ編みじゃなかったか?」
「うん。 三つ編み」
「やっぱりそうか・・・」
「でも、ずっと三つ編みだったわけじゃないよ」


夜風に流れる自分の髪を触る。

闇に透ける名雪の髪は、長くて、綺麗だった。


「三つ編みは、1年くらいでやめちゃった」
「どうして?」
「うーん・・・どうしてだろうね」


俺から視線を逸らして、もう一度ベランダにもたれかかる。


「・・・祐一、この街に慣れた?」


それは、ずっと前に訊かれた質問。

ほんの数週間ほど前・・・。

だけど、ずいぶん昔のことのように思えた。


「そうだな・・・。 最初よりは寒いのも気にならなくなったけど・・・。 でも、やっぱり寒いな」
「当たり前だよ・・・」


くるっと俺の方を向いて、微笑む。


「わたしだって寒いもん」
「なんだ、そうなのか」
「ずっとこの街に住んでるけど、寒いものは寒いよ。 でも、わたしはこの街が好きだから・・・。 冬は白い雪に覆われて・・・春は街中に桜が舞って・・・夏は静かで・・・秋は目の覚めるような紅葉に囲まれて・・・そして、また雪が降って、大好きな冬が始まる。 この街、ならではだよね」
名雪は、冬が一番好きなのか?」
「うん」


こくん、と頷く。


「冬はね、特別なんだ」


遠くを見るように、思い出を懐かしむように・・・。

長い髪を、夜風に揺らしながら・・・。


「・・・そろそろ戻ろっか?」
「そうだな、まだまだやらないといけない範囲も、たくさん残ってるからな」
「目も覚めたし、ね」


・・・。


それから1時間ほどして、俺も自分の部屋に戻った。

眠気はあった。

だけど、その夜はなかなか寝つけなかった。


・・・。


そして、俺は夢を見た。

雪が降っていた。

目の前に、大きな建物があった。

雪の積もった木のベンチに座って、俺はただ泣いていた。

涙を拭った手は、小さな、まるで小学生のような手だった。

辺りに人影はなかった。

ベンチを照らす街灯だけが、唯一の明かりだった。

どうして泣いているのかさえ分からない。

どうしてこんな場所にひとりぼっちなのかも分からない。

だって、これは夢だから。

記憶の片隅だから。

昔の思い出の・・・。

7年前の思い出の、記憶だから。


「・・・やっと見つけた」


街灯の明かりに照らし出されて、俺の目の前に、ひとりの少女が立っていた。


「・・・家に帰ってなかったから・・・ずっと捜してたんだよ・・・見せたい物があったから・・・ずっと・・・捜してたんだよ・・・」

 

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「ほら・・・これって、雪うさぎって言うんだよ・・・。 わたしが作ったんだよ・・・。 わたし、ヘタだから、時間かかっちゃったけど・・・。 一生懸命作ったんだよ・・・。 ・・・あのね・・・祐一・・・これ・・・受け取ってもらえるかな・・・? 明日から、またしばらく会えなくなっちゃうけど・・・でも、春になって、夏が来て・・・秋が訪れて・・・またこの街に雪が降り始めたとき・・・。 また、会いに来てくれるよね? こんな物しか用意できなかったけど・・・。 わたしから、祐一へのプレゼントだよ・・・。 ・・・受け取ってもらえるかな・・・。 ・・・わたし・・・ずっと言えなかったけど・・・祐一のこと・・・ずっと・・・」


1月23日 土曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


「・・・・・・」


『朝~、朝だよ~』


「・・・・・・」


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


目覚ましから流れてくる名雪の声を、上の空で聞きながら、俺はただ天井を眺めているだけだった。

夢のかけら。

靄(もや)のかかった頭の中に、1コマの風景が残っていた。

その夢の意味するところを、俺はまだ知らなかった。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


「・・・そうだな」


まとわりつく気怠さを振り払って、俺は体を起こした。

目が覚めてしまえば、いつもと何も変わらない朝だった。


・・・。


「・・・あ、ちょっと待って」


靴を履きに玄関に出たところで、後ろから名雪に呼び止められる。


「時間、3分だけ」


お願いをするように、両手を合わせる。


「今日だって、そんなに余裕はないぞ」
「お願い、祐一」
「分かったよ。 じゃあ、今から3分」
「ありがとう、祐一」


・・・。


リビングに戻った名雪が、リモコンでテレビをつける。


「天気予報か?」
「占い」
「・・・占い・・・?」
「ちょうどこの時間に、来週1週間の運勢が出るんだよ」
名雪、占いなんて信じてるのか?」
「信じてるわけじゃないけど・・・」


やがて、番組の中の占いコーナーが始まる。


「・・・・・・」


信じてないと言う割には、真剣に画面を見ていた。

そういえば、名雪の誕生日っていつだっただろう?


「なぁ、名雪・・・」
「祐一、静かに」
「・・・・・・」


画面に運勢が表示されてるんだから、別にうるさくても問題ないと思うが・・・。


「あ・・・」


名雪が、小さく声を上げる。


「うー・・・今日から1週間の運勢、最悪だって・・・」
「そうなのか?」
「・・・うん」
「占いなんて気にするなって」
「・・・うん」
「それで、名雪の誕生日っていつなんだ?」
「祐一、わたしの誕生日覚えてないの?」
「・・・え?」
「昔、祐一がこの家に来た時、何度も誕生会やったのに・・・」


怒ったような拗ねたような表情で横を向く。


「12月23日だよ」


そのまま、ひとりで玄関まで出ていく。


「うー・・・やっぱり、占い当たってるかも・・・」


・・・。


「・・・あ」


いつもの通学路の先に、どこかで見たことのある羽が揺れていた。

 

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「あゆちゃん?」
名雪さん、おはよっ」


俺たちの姿を見つけて、あゆが走り寄ってきた。


「奇遇だな」
「うん。 ほんとだね」
「じゃあ、またな」
「うん・・・じゃないよっ」
「違うのか?」
「途中まで同じ道なんだから、一緒に行こうよっ」


「うん。 わたしも賛成」


「仕方ないな」


「祐一はこんなこと言ってるけど、本当は嬉しいんだよ」


「そうなの?」
「そんなことない」


「ほら、嬉しそうだよ」


ぼかっ。


「・・・痛い」
「くだらないこと言ってるからだ」
「・・・やっぱり、占い当たってるかも」


よく考えたら、来週の運勢なんだから、明日から有効なのではないだろうか?


「占いって?」
「今朝のテレビの占い」
「悪かったの?」
「うん・・・。 わたし、もしかすると、もう二度とイチゴジャムが食べられないかも・・・」


お前の不幸はその程度なのか・・・。


「その気持ち分かるよっ。 ボクもたい焼き食べられなくなったら嫌だもん」


どうしてお前らは単位がいちいち食い物なんだ?


「・・・おい、あゆ」


前を歩く名雪に気づかれないように、小声であゆを呼び止める。


「・・・どうしたの?」
「・・・お前からも、占いなんて気にするなって言ってやれ」
「うんっ、そうだね」
「さりげなく言うんだぞ」
「任せてよっ。 さりげなくは得意だから」


絶対に嘘だ。

と、思わず口をついて出そうになったが、別の言葉を言っておく。


「・・・頼んだぞ」
「うんっ」


必要以上に元気よく頷いて、名雪の元に駆け寄る。


「・・・そういえば、あゆちゃんって誕生日いつ?」
「え? えっと、1月7日」
「それだったら、わたしと同じ山羊座だよ」
「えっ! ど、どうしようっ! きっと何かよくないことがあるよっ!」


「どうもしなくていいから、おとなしく自分の学校へ行け」


案の定、あゆは何の役にも立たないどころか、逆効果だった。


「二度とたい焼きが食べられなくなったらどうしよう・・・」
「大丈夫だから、行ってこい」
うぐぅ・・・」


泣きそうな顔で、自分の学校へ向かう。


「・・・祐一、言い過ぎ」
「どうもあいつの顔を見ると、からかいたくなるんだ」
「・・・祐一、あゆちゃんのこと好きなんだよ」


思いがけない言葉に、思わず吹き出す。


「それは絶対にない」


断言してもいい。


「・・・・・・」


じっと俺の顔を見ていたが、やがて何も言わずに歩き出す。


「・・・どうしたんだ?」
「どうもしないよ」


それだけ言って早足で歩く。


「・・・・・・?」


いつにも増して変な名雪だった。


・・・。


今日は土曜日なので、授業は午前中で終わった。

たまの4時間授業だと、やけに学校が短く感じる。


「祐一」
「終わったな」
「わたしは、これから部活だけど」
「相変わらずだな、お前は」
「でも、土曜日だからできるだけ早く帰るよ」
「試験勉強だってあるしな」
「勉強してるよりは、走ってる方がいいかな・・・」
「ダメだ、早く帰ってこい」
「そうだね・・・」


・・・。


「あ・・・今日はまだ残ってるよ」


昨日の場所を、名雪が指さす。

芝生の上にちょこんと乗った、目の大きさの違う雪うさぎ。


「・・・良かった」


ほっとしたように息をつく。


「それじゃあ、わたしは部活があるから」
「ああ、またな」


名雪を見送って、ふと雪うさぎに視線を落とす。


「・・・・・・」


夢の中に出てきた雪うさぎ・・・。

夢の続き・・・。


「・・・帰るか」


微かな引っかかりを残したまま、俺は家路についた。


・・・・・・。


・・・。

 

「・・・今日は、社会と理科だな」


そして、明日英語を勉強して、これで何とか試験は大丈夫なはずだ。


「・・・今日も、一緒に勉強するか」


必要な物を持って、部屋を出た。


コン、コン・・・。


名雪の部屋に明かりが灯っていることを確認して、部屋をノックする。


「・・・祐一?」


今日は、すんなりとドアが開いて、中からパジャマ姿の名雪が顔を出した。

一瞬だけ、薄暗い廊下がオレンジに染まる。


「今日もがんばろうね」
「俺は、社会と理科を片づけてしまうつもりだけど」
「うん。 わたしもそれでいいよ」


テーブルの前には、すでに座布団が敷かれていた。


「今夜も、ファイトっ、だよ」


そして、今夜もふたりだけの試験勉強が始まった。

 

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「・・・名雪、実はずっと気になってたんだけど・・・」
「うん?」


理科の化学記号を暗記していた名雪が、顔を上げる。


「・・・そのシャーペン、重くないか?」
「ちょっとだけ」
「凄く使いづらそうなんだけど・・・」
「そんなことないよ。 わたしのお気に入りだもん」


どうやら、猫が入っていると無条件でお気に入りらしい。


「もしかして、腕を鍛えてるのか?」
「・・・そんなに重くないよ」


3日目ともなると、お互い勉強のコツも分かってきた。

名雪が何度か居眠りをして頭を叩かれた以外は、順調に進んでいた。


・・・。


「やっぱり、気分転換にはここが一番だね」


体をほぐすように、名雪がぐっと手を伸ばす。

確かに、ここに出てくると部屋の中にはない開放感があった。


「・・・でも、寒い」
「寒くないと、目は覚めないよ」
「確かにな・・・」


風は冷たいが、それほど強くはなかった。

雲もほとんどなく、夜空には星が瞬いていた。



「わたし、冬になるとよくここに出るんだよ」
「こんなに寒いのにか?」
「うん」


頷いて、手すりに積もった雪を手のひらで集める。


「ここなら、外に出なくても雪があるから。 だから、だよ」


名雪の手に積もった雪が、風に運ばれて舞い落ちる。


「わたし、雪は嫌いじゃないから」
「俺は、あんまり雪は好きじゃないけどな」
「それは、ちょっと違うよ。 祐一はきっと、この街が嫌いなんだよ」


まるで何かを見透かしたように、名雪が言葉を続ける。


「・・・間違ってるかな?」
「・・・いや、その通りだ」


俺は、この街が嫌いだった。

ずっと、拒絶し続けていた。

7年前の、あの冬から・・・。

今まで、ずっとこの街は嫌いだった・・・。

だけど・・・。


「・・・わたしは、祐一にもこの街を好きになって欲しいよ。 この街が大好きだった、あの頃の祐一に戻って欲しいよ。 ・・・ダメ・・・かな・・・?」
「分からない・・・」


それが、今の俺にできる、精一杯の返事だった。


「うん。 そうだね」


ふっと、名雪の表情が緩む。


「期待してるよっ」


月明かりの名雪が、今度は間違いなく微笑んでいた。

そして、そんな笑顔を見て、気づいたことがあった。

俺は・・・。

たぶん、名雪のことが好きなんだと思う・・・。

今まで、すぐ近くにあって、それでも見ないようにしていた答え・・・。

まるで霧が晴れるように・・・。

その答えが、今、目の前にあった。


・・・。


自分の部屋に戻って、布団に潜り込む。

眠気はある。

だけど、どこか寝苦しい夜だった・・・。


・・・。


そして、俺は今日も夢をみた。

雪が降っていた。

目の前に、大きな建物があった。

雪の積もった木のベンチに座って、俺はまだ泣いていた。

涙を拭う小さな手。

そして、目の前に少女の姿があった。


「・・・家に帰ってなかったから・・・ずっと探してたんだよ・・・。 ・・・見せたい物があったから・・・。 ・・・ずっと・・・探してたんだよ・・・。 ほら・・・これって、雪うさぎって言うんだよ・・・。 わたしが作ったんだよ・・・。 わたし、ヘタだから、時間かかっちゃったけど・・・。 一生懸命作ったんだよ・・・。 ・・・あのね・・・祐一・・・。 ・・・これ・・・受け取ってもらえるかな・・・? 明日から、またしばらく会えなくなっちゃうけど・・・。 でも、春になって、夏が来て・・・秋が訪れて・・・またこの街に雪が降り始めたとき・・・。 また、会いに来てくれるよね? こんな物しか用意できなかったけど・・・。 わたしから、祐一へのプレゼントだよ・・・。 ・・・受け取ってもらえるかな・・・。 ・・・わたし・・・ずっと言えなかったけど・・・。 祐一のこと・・・ずっと・・・。 ・・・好きだったよ」

 

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その瞬間、少女の差し出した雪うさぎは、崩れ落ちていた。


「・・・祐一・・・?」


戸惑うように、少女が俺の名前を呼ぶ。

さっきまであった雪うさぎは、地面に落ちて、すでに見る影もなかった。


「・・・・・・」


目が取れて、耳が潰れたうさぎ・・・。

差し出した少女の雪うさぎを地面に叩きつけたのは、紛れもなく俺の小さな手だった。


「・・・祐一・・・雪・・・嫌いなんだよね・・・」


涙を堪えるように、名雪が雪うさぎだった雪のかけらを拾い集める。


「・・・ごめんね・・・わたしが、悪いんだよね・・・」


違う。

名雪は悪くなんかない。

悪いのは・・・。

全部、俺自身なんだ・・・。


「・・・ごめんね、祐一・・・」


だけど、その言葉は声にはならなかった。

それ以上に深い悲しみが、その時の俺の中にはあったから・・・。

この街を、

雪を、

全て思い出の中から消し去りたいくらいの絶望があったから・・・。


「・・・祐一・・・さっきの言葉、どうしてももう一度言いたいから・・・明日、会ってくれる?」


涙を堪えながら、少女が健気に笑おうとする。


「・・・ここで、ずっと待ってるから・・・。 ・・・帰る前に・・・少しでいいから・・・。 ・・・お願い、祐一・・・」


堪えていた涙が、頬を伝っていた。


「・・・ちゃんと、お別れ言いたいから・・・」


そして、約束の日・・・。

ひとりぼっちで佇む少女の元に、俺は最後まで姿を見せることはなかった・・・。


・・・。

 

1月24日 日曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


「・・・・・・」


ベッドから起きあがって、しばらくの間、動くこともできなかった。

夢。

夢でみた風景。

あれは、間違いなく、過去の記憶だった。

閉ざされていた記憶の一部。

それが、目の前にあった。


「・・・・・・」


この街に来てからの名雪との何気ない会話・・・。

そして、他愛ないやり取り・・・。

その向こう側にあった、名雪の気持ち。


「・・・・・・」


自分が、どうしようもなく嫌になった。

忘れていたことが、悔しかった。


「・・・・・・」


俺は、服に着替えて部屋を後にした。


・・・。


「おはようございます、裕一さん」


朝の食卓には、秋子さんの姿しかなかった。


「おはようございます・・・」


椅子に座って、秋子さんに問いかける。


名雪、まだ寝ていますか?」
名雪なら、ほら、祐一さんの後ろですよ」


秋子さんの言葉で振り向いた先・・・。


「・・・ふぁ・・・おはようございます~」


たった今起きてきたのか、名雪が瞼を擦っていた。


名雪・・・今日、ちょっと時間あるか?」
「・・・うにゅ・・・テスト勉強・・・?」
「いや、一緒に遊びに行こうと思って」
「・・・でも・・・今日は、えいご・・・」
「たまの息抜きくらい、いいだろ?」
「・・・うーん・・・」


「行ってきたらどう?」


「・・・そうだね・・・うん、つき合うよ、祐一」
「じゃあ、あとで」
「うん」


・・・。


「でも珍しいね、祐一が誘ってくれるなんて」


遅い朝ご飯を食べた後、俺たちは家を出た。


「ちょっと、名雪と一緒に散歩したくなったんだ」
「そんなこと言っても、何も出ないよ」


うららかな日差しを浴びながら、まだ人通りの少ない朝の街を、名雪と一緒に歩く。


「それで、どこに行くの?」
「約束の場所」
「・・・約束?」


不思議そうに首を捻る。


「どうしようもなく馬鹿な男が、約束をすっぽかした場所だ」
「・・・祐一」
「俺は、謝らないといけないんだ・・・。 その女の子に、心から・・・」
「・・・・・・」


・・・。


お互い、言葉を交わすことなく目的の場所に辿り着いた。

朝の光がガラス張りの駅ビルに反射して、きらきらと輝いていた。


「わたし、この場所はあまりこないんだ・・・」


背中を向けたまま、名雪がゆっくりと歩き出す。


「この街から出ることもほとんどなかったし・・・。 それに・・・ずっと、待ってしまいそうだから・・・。 もう、来るはずがないって、分かってる人を・・・」


ベンチの前で、少女が振り返る。

 

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「わたし、馬鹿なんだよ。 昔のこと、ずっと引きずって・・・。 ほんと、馬鹿だよ」
「ごめんな、名雪
「・・・・・・」
「本当に、ごめん・・・」
「・・・ダメ・・・だよ。 ダメだよ、祐一・・・」
「・・・・・・」
「祐一に言いたかった言葉・・・。 もう、忘れちゃったよ・・・」
「俺は・・・」


今の自分の気持ち・・・。

この数週間、ずっと一緒にいて気づいたこと・・・。


名雪のこと、好きだけどな」
「・・・祐一?」
「仲のいい、いとことしてじゃなくて・・・」
「・・・・・・」
「ひとりの女の子として、俺は名雪のことが好きなんだと思う」
「・・・ひどいよ」


穏やかな日差しの中で、名雪がぽつりと呟く。

それは、確かな拒絶の意志だった。


「・・・今頃そんなこと言うなんて・・・ずるいよ・・・」
「・・・・・・」
「・・・わたし・・・分からないよ・・・。 ・・・突然そんなこと言われても、分からないよ・・・」


最後の言葉を残して、名雪の姿が消える。

俺は、その背中を追うことさえできなかった。


・・・。


自分の机に向かってから、数時間が過ぎていた。

明るかった日差しも、オレンジを経由して、今は闇の中だった。

机の上には、英語の教科書が開いている。

あの時以来、名雪とは顔を合わせていない。


・・・・・・。


・・・。


また、時間が進む。


コン、コン・・・。


ノックする音が、静かな部屋に響いていた。

窓を叩く音。

カーテンの外。


「・・・・・・」


ベランダに、名雪が立っていた。


・・・。


「ごめんね、寒いのに・・・」
「いや、もう慣れた」
「今日は、びっくりしたよ」
「・・・・・・」
「いきなり、あんなこと言われるなんて、思ってもみなかった。 もう、祐一があの冬を思い出すことは、ないって思ってたから。 だから、分からないっていう答えしか、出なかった・・・」


月の夜空を仰ぐように、名雪が背中を向ける。


「わたし・・・あれから考えたんだ・・・」


小さな声で、名雪が言葉を紡ぐ。


「ずっと、考えたんだよ・・・。 わたし、あまり頭は良くないけど、でも、一生懸命考えたよ・・・」
「・・・・・・」
「そして、出た答え・・・。 何度考えても、ずっとこの答えだった・・・。 わたしの答えは・・・」


後ろを向いたまま、名雪が言葉を続ける。


「イチゴサンデー、7つ。 それで、許してあげるよ」


名雪の髪が、風にさらされて揺れていた。

風に運ばれた髪が、月明かりに透けて見えた。


「祐一だけ、特別サービスだよ。 だって・・・。 わたしも、まだ・・・。 祐一のこと、好きみたいだから・・・」

 

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月明かりの下で、名雪の体を抱きしめる。

初めて触れた、いとこの体は、想像していたよりもずっと小柄・・・。

そして、暖かった・・・。


「祐一・・・ちょっと、苦しいよ・・・。 ・・・力、入れすぎだよ・・・」


7年前の少女・・・。

そして、すぐ近くにいる少女・・・。

ずっと重ならなかった、ふたつの面影が、

今初めて、ひとつになって見えたような気がした。


「・・・でも・・・」


雪の少女が、思い出の中と同じ表情で・・・。

白い光の中で・・・。


「・・・暖かいよ、祐一・・・」


穏やかに、微笑んでいた・・・。


・・・。


1月25日 月曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


今日は、久しぶりにすんなりと目が覚めた。

頭の重さも、体の気怠さもなかった。

清々しい朝。

そう言ってもいいかもしれない。


「・・・・・・」


俺は布団から這い出て、カーテンを左右に開く。

カシャッと小気味のいい音がして、薄暗かった室内が、光に包まれる。

昨日は早めに寝たので、今日の体調は万全だった。

試験勉強も、完璧とまではいかないものの、それなりにこなすことができた。

これも、名雪のおかげかもしれない。

俺は手早く制服に着替えて、そして光の差す部屋をあとにした。


・・・。


「あ・・・祐一」


廊下に出ると、ちょうど名雪が部屋から出てきたところだった。


「おはよう、祐一」


にこやかに挨拶をする名雪は、すでに制服に着替えていた。


「・・・どうしたんだ?」
「え? どうもしないけど・・・」
名雪がこの時間にちゃんと起きてるなんて、奇跡だ」
「ひどいよ・・・祐一・・・。 わたしだって、たまには早起きするよ」
「1ヶ月に1回くらいだろ・・・」
「だから、たまに、だよ」


鞄を持ったまま、首を傾げるように笑う。


「それに、今日はテストだもん。 あんなに一生懸命勉強したのに、これで遅刻したら嫌だよ」
「確かにそうだよな」


笑顔で頷きあって、そして階段を降りる。


・・・。


「あら・・・?」


俺と一緒に降りてきた名雪の姿を見て、秋子さんが驚いたような顔をしていた。


「おはよう、お母さん」
「珍しいわね、名雪がちゃんと起きてるなんて」


温かいコーヒーの香りに包まれた、3人だけの食卓風景。

 

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「今夜はお赤飯かしら・・・」
「お母さん、変なこと言わないで・・・」


微笑む秋子さんと、顔を赤くした名雪・・・。

そんな、本当に仲のいい姿を見ていると、いつまでもこんな時間が続いたら、と心から願う。


「・・・ごちそうさま」


名雪が最後に席を立って、そのまま玄関へ。


・・・。


「わっ」


靴を履こうとして、名雪がバランスを崩す。


「こらっ、俺にしがみつくな」
「狭いから、仕方ないよ~」
「ふたり同時に靴を履いてるから悪いんだ」
「わっ」
「だから、同時に出るなって」
「難しいよ・・・」


倒れたまま、名雪が情けない声を上げる。

昨日、あんなことがあっても、名雪はいつもの名雪だった。

そして、それが嬉しかった。


・・・。


「・・・ふぁ・・・眠い・・・」
「慣れない早起きなんかするからだ」
「・・・くー」


ぼかっ。


「・・・祐一、少しは手加減して」
「手加減すると起きないだろ、名雪は」


しきりに眠そうな表情を見せる名雪を促して、いつもの通学路を歩いていると、その先に白い羽が見えた。


「最近、よく会うよね」
「そうだな」


あゆも俺たちの姿を見つけて、駆け寄ってくる。


「ボクは、祐一君たちと会えるの、嬉しいよ」


いつものように、無邪気な笑顔だった。


「あれ? そういや、名雪は?」
「あ。 後ろにいるよ」


「・・・くー」


あゆが指さした先を見てみると、電柱にもたれて、名雪が眠っていた。


「あゆ、俺が許す。 名雪を攻撃しろ」
「ボク、そんなことしないもんっ」
「なにっ、そのカチューシャは武器じゃないのか?」
「そんなわけないよっ」
「投げて攻撃する武器じゃなかったのか・・・」
「投げたって飛ばないもんっ」


「・・・うにゅ」


あゆをからかっていると、どうやら自力で目を覚ましたようだ。


「・・・あゆちゃん・・・?」
「うん。 おはよっ、名雪さん」
「・・・おはようございます・・・」


まだ眠そうだった。


「今日はテストなんだから、がんばれ」


「祐一君の学校、今日がテストなの?」
「詐欺みたいな学校だろ」
「そこまでは言わないけど、大変だね」
「あゆの学校だって、そのうちテストがあるだろ?」
「ボクの学校は、そんなのないよ」
「・・・なくは、ないだろ」
「あっ。 ボク、こっちだから」


いつもの場所で、あゆと別れる。


「あゆちゃん、元気・・・」
「あれは、元気すぎるんだ」


やがて、俺たちの学校も見えてきた。


・・・・・・。


・・・。


「よし、それまで」


チャイムの音と同時に、テスト用紙が回収されていく。

これで、最後の英語が無事に終わった。


「終わったね、祐一」


今日はテストなので、5時間で終わりだった。


「これで、やっと試験勉強から解放されるな」
「でも、わたしは部活だよ」
「こんな日にも部活があるのか・・・?」
「うん。 一緒に帰れないのが残念だね」
「部活だったら仕方ないな」


結局、いつものように昇降口まで一緒に帰ることになった。


・・・。


「あ、そうだ」


名雪が、何かを思い出したように声を上げる。


「今日、お母さんに買い物を頼まれてるんだけど、もし祐一も欲しい物があったら、ついでに頼まれるよ」
「そうだな・・・。 だったら、コンビニで雑誌を頼む」
「どんな雑誌?」
「血湧き肉躍るような雑誌」
「・・・全然分からないよ」
「だったら、どきどきするような雑誌」
「・・・一緒だよ」
「だったら、いやらしい雑誌」
「えっちな雑誌?」
「まぁ、そうだな」
「うん。 分かったよ」
「じゃあ、頼んだぞ・・・って、素で流すな!」
「え?}


驚いたように振り返る。


「やっぱり別のにするの?」
「もしかして、止めなかったら本当に買ってきたのか?」
「うん。 頼まれたから」


やっぱり、どこか普通の女の子とは感覚が横に3ヤードくらいずれているような気がする・・・。


「それで、どうするの?」
「週刊の漫画雑誌でいいや」
「うん。 分かったよ」


そのまま部活に向かう名雪と別れて、俺も家に帰った。


・・・。


夕飯を食って部屋でくつろいでいると、ドアをノックする音が聞こえた。


「・・・名雪?」
「うん。 わたしだよ」
「入ってもいいぞ」
「良かった、まだ起きてた」
名雪じゃないんだから、こんな時間に寝たりしないって。 それで、どうしたんだ?」
「頼まれたもの、渡すのすっかり忘れてたんだよ」


そう言って、コンビニの袋に入った、漫画雑誌を俺に渡す。


「そういえば、頼んでたな」


俺も、そのことをすっかり忘れていた。


「ありがと、名雪
「どういたしまして」
「ちょっと待っててくれな、今、金払うから」


雑誌を机の上に置いて、財布から小銭を取り出す。


「・・・・・・」


ふと名雪の方を見ると、どこか落ちおつかない様子で、視線を泳がせていた。


「どうしたんだ、名雪?」


何故か、名雪がそわそわしているような気がした。


「・・・うん・・・ちょっと・・・。 わたし・・・着替えてきていいかな・・・?」
「着替えるって・・・何に?」
「普通の服・・・」
「?」
「・・・パジャマが・・・何となく恥ずかしくて・・・」
「いつもと全く一緒じゃないか」
「・・・そうなんだけど・・・。 ・・・どうしてだろ・・・祐一に見られると、恥ずかしいよ・・・」
「別に、いつもと変わらないと思うけど・・・」


それは、もしかすると名雪の俺に対する見方が変わったということかもしれない。

仲のいい兄妹から、恋人へ・・・。

俺は、そんな名雪を可愛いと思った。

そして・・・。


名雪
「え?」


俺は、名雪を求めるように、抱きしめていた。


「・・・祐一・・・」


戸惑いの言葉。

だけど、抵抗はなかった。


「嫌だったら、やめるから・・・」
「・・・・・・」


名雪の、心臓の鼓動が聞こえる。


「・・・わたしは・・・いいよ・・・。 祐一のこと・・・好きだから・・・。 祐一、だから・・・」


俺は、ゆっくりと、名雪の体をベッドに横たえた。


・・・・・・。


・・・。

 

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「・・・あんまり、わたしの顔見ないでね」


すぐ横に、好きな人の照れたような表情があった。


「・・・じっと見られると、恥ずかしいよ」


静かな部屋の中で、名雪とふたりっきりの時間・・・


「・・・わたし、このまま眠っちゃってもいいかな・・・?」


俺は、返事の代わりに名雪の頭を撫でてやる。


「・・・わ」


微かに戸惑いの色を見せる。


「・・・ありがとう」


安心したように、目を閉じる。

名雪は、俺に拒絶されても、ずっと俺のことを思い続けていてくれた・・・。

だけど・・・。

俺は、どうだろうかと考える。

もし、俺と名雪の立場が逆だったら・・・。

名雪が、悲しみに絶望して、俺を拒絶したら・・・。

俺は、それでも名雪を信じることができるだろうか・・・。

最後まで名雪のことを好きでいられるだろうか・・・

名雪の強さが・・・。

一途な思いが・・・。

俺の中に、少しでもあるだろうか・・・。


「・・・くー」


すぐ横で、安らかに寝息を立てるいとこの少女。

その寝顔をただ眺めながら、形の分からない不安だけが、俺の心をさいなんでいた。


・・・。


1月26日 火曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


・・・。


「・・・まだ眠い・・・」


ぼやけた意識の中で、いつもの名雪の声が聞こえる。

 

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「でも、あんまり時間ないよ?」
「・・・もう少しだけ・・・」
「ホントに、遅刻しちゃうよ?」
「・・・今日の目覚ましはやけに親切だな・・・」
「わたし、目覚ましじゃないよ」
「・・・眠い・・・」
「祐一、もしかして寝ぼけてる?」
「・・・うーん・・・そうかも・・・」
「それだったら・・・」


ガラガラガラ・・・。


何かが開く音・・・。

そして、冷たい空気が流れ込む。


「これなら、目も覚めるよね?」
「・・・寒い」


部屋にふたつある窓が、開いていた。


「祐一、もう時間ないよ」
「・・・うーん・・・」
「うーんじゃないよっ。 遅れるんだよっ」
「・・・もうちょっとだけ、寝る」
「そんな時間ないよ・・・」
「なくても寝る」
「起きないと、上に乗っかるよ?」
「どうぞ、ご自由に・・・」
「えいっ」


ばふっ、と布団の上に圧力がかかる。


「ぐあっ」


バタバタと手足を動かして、闇雲にもがく。

と、不意に重さが消えた。

もはや完全に眠りから覚めた俺は、布団を押し上げてベッドに腰かける。


「・・・マジで潰されるかと思った」
「ひどい~ひどい~」


見ると、制服姿の名雪が拗ねたように立っていた。


「わたし、そんなに重くないもん」
「ふぅ、死ぬかと思った」


やれやれ、と寝汗を拭う。


「だから、わたしそんなに重くないよ・・・」
「それで、時間は?」
「全然ないよ」
「マジか?」
「朝ご飯、食べる時間もないよ」
「・・・仕方ないな」


ため息をついて、それから3分後・・・。

いつもの通学路を、走っていた。

真っ白な息を背中に残しながら、全速力で冬の街を駆け抜ける。


「いい風だね」


悠長に感想を述べる名雪は、まだまだ余裕の表情だった。


「でも、珍しいね。 わたしの方が祐一よりも先に起きるなんて」
「そうだな・・・」
「ちょっとだけ、嬉しかったよ。 祐一よりも先に起きられて」
「喜ぶのは、ホームルームに間に合ってからだ」
「うんっ」


まだまだ人通りの少ない雪の街。

青空に照らされて透明に輝く雪の結晶。

アスファルトに浮かぶ水たまりを避けながら、学校に向かって走る。


・・・。


同じように走る生徒の背中を追い越しながら校門をくぐったとき、ちょうどチャイムが鳴った。


「チャイム~」
「分かってるっ」


開けっ放しの昇降口の扉に飛び込み、高速で靴を履き替える。

白く曇ったガラス張りの廊下を走り抜けて、

露の浮く階段を駆け抜けて、

一気に2階まであがる。

ここまで来ればもう少し。

階段で横に追いついた名雪を促して、教室の扉を開ける。

教室に入ると同時に、廊下の端に担任の姿が見えた。

どうやら間に合ったらしい。


「いい運動」


さすがというか何というか、名雪はほとんど息を切らしていない。

身だしなみを整えながら、自分の席に座る。

そして、今日も授業が始まった。


・・・。


「祐一っ、お昼休みだよ」
「腹減った・・・」
「朝、食べてないからだよ」
「とりあえず、学食で腹ごしらえだな」
「あ、ちょっと待って」


俺を引き留めて、そして鞄の中から何かを取り出す。


「なんだ、それ?」


ハンカチに包まれた、四角い箱。


「お弁当だよ」
「どうしたんだ、それ? 秋子さんが作ってくれたのか?」
「わたしが作ったんだよ」


ハンカチの包みをほどくと、中から弁当箱がふたつ顔を出す。


「ちゃんと、祐一の分も作ったよ」
「珍しいな、名雪が弁当を作るなんて」
「・・・祐一に、食べて欲しかったんだよ」
「遠慮なくもらうぞ」
「それなら、早速食べようよ」


そう言って、俺の席に椅子を持ってくる。


「ちょっと待て」
「うん?」
「もしかして、教室で食べるのか・・・?」
「もちろんだよ」
「・・・・・・」


教室で名雪と弁当(しかも名雪の手作り)を食べる姿は、とても恥ずかしいような気がした。


「どうしたの?」


・・・俺は、覚悟を決めた。


「よし、ここで食べるぞ」
「うんっ」


結局、俺の席に名雪が椅子をくっつける形で、食べることになった。


「お、うまそうだな」


色合いも、おかずもバランス良く整っている。

少なくとも、見た目はうまそうだった。

早速、ミニハンバーグを口に放り込む。


「・・・どうかな?」
「・・・・・・」
「・・・祐一?」
「・・・うまい」


思わず3秒間、間が開くくらいうまかった。

 

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「よかった」


ほっと息をついて、名雪も自分のおかずを口に運ぶ。


「うん。 上出来だよ」
名雪って、こんなに料理がうまかったんだな」
「だって、祐一が食べるお弁当だから」


恥ずかしそうに、下を向く。


「わたしの、本気だよ」


クラスの注目を浴びながら、そんな昼休みの時間は過ぎていった。


「なぁ、名雪・・・。 でも、何というか・・・恥ずかしくないか?」
「祐一、おかしなこと訊くね・・・。 恥ずかしいに決まってるよ・・・」
「・・・え?」
「恥ずかしいけど、でも、祐一とお弁当食べたかったんだよ」

 

最後は笑顔で、名雪が言葉を締めくくる。


(・・・まぁ、いいか)


何というか、この恥ずかしさも、それはそれで良いような気がした。

そして、休み時間も終わりを告げる。

最後のチャイムが鳴って、今日の授業も終了した。


・・・。


今日も部活の名雪と別れたところで、ふと教室に忘れ物をしたことに気づいた。

忘れ物を鞄に詰めて、再び教室を出る。


「祐一っ」


ひとりで廊下を歩いていると、不意に後ろから名前を呼ばれる。

 

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「今から帰るところ?」
「・・・・・・」
「どうしたの?」
「・・・誰だ?」
「わたしだよ~」
「ああ・・・名雪か・・・」
「当たり前だよ」
「髪型が違うから、一瞬分からなかった」
「・・・一瞬にしては、ずいぶん間があったよ」
「今、部活の途中か?
「うん。 ちょっと忘れ物して、取りに戻ってるとこ」
「俺も同じだ」
「うん、偶然。 それで、これからどうするの?」
「今日は、ちょっと商店街にでも寄っていこうと思ってる」
「そうなんだ・・・」
「何か、買ってきて欲しい物、あるか?」
「・・・そうだね、わたしに誕生日プレゼントを買ってきてくれるとか」
「どうしてそうなるんだ」
「わたしは、嬉しいよ」
「俺は嬉しくない」
「うー・・・祐一、けちだよ」
「あのなぁ・・・って、第一、名雪の誕生日って12月23日なんだろ?」
「うん。 あと1日遅ければクリスマスイブだよ」
「もう過ぎてるじゃないか・・・」
「わたしは、1ヶ月くらい遅れても全然気にしないよ」
「・・・分かったよ、名雪に何か買ってやるから」
「え? ほんと?」


最初に言い出した名雪が、一番びっくりしている。


「安い物しか買えないけど、それでいいか?」
「うん。 祐一が買ってくれるものなら、どんなもにのでも嬉しいよ」
「あんまり期待するなよ」
「楽しみにしてるよ」


名雪と別れて、俺はまたひとりで商店街に向かった。


・・・。


商店街を、特に宛もなく歩きながら、名雪へのプレゼントを探す。

しかし、いざ選ぶとなると、何を買っていいのか分からなかった。

結局、当たり障りのないところで、イチゴのケーキを買った。

そして、気がつくと辺りは夕焼けの赤に包まれていた。


「・・・・・・」


眩しいくらいのオレンジに覆われた街並み。

もの悲しい雰囲気が、賑やかなはずの商店街を包んでいた。

 

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ふと空を見上げてみる。

赤い雲。

赤い空。

そして、赤い世界。


「・・・祐一君」


呼び止める声に、視線を戻す。

 

「・・・祐一君」


もう一度、赤く染まった少女が、俺の名前を呼ぶ。

 

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「なんだ、あゆか」
「・・・・・・」
「久しぶりだな。 元気だったか?」
「祐一君、あのね・・・」


オレンジに染まる羽。

力なく、揺れる・・・。


「探し物、見つかったんだよ・・・」


言葉とは裏腹に、寂しげに呟く。


「良かったじゃないか」
「・・・うん」
「大切な物だったんだろ?」
「・・・うん。 大切な・・・本当に大切な物・・・」
「見つかって良かったな、あゆ」
「・・・・・・」


赤い雲の影が、地面の上を流れている。


「あのね・・・探していた物が見つかったから・・・ボク、もうこの辺りには来ないと思うんだ・・・。 だから・・・祐一君とも、もうあんまり会えなくなるね・・・」
「・・・そう、なのか?」
「ボクは、この街にいる理由がなくなっちゃったから・・・」
「だったら、今度は俺の方からあゆの街に遊びに行ってやる」
「・・・祐一君」
「あゆの足で来れるんだから、そんなに遠くないんだろ?」
「・・・・・・」
「また、嫌っていうくらい会えるさ」
「・・・そう・・・だね」


あゆの小さな体が、赤く染まって・・・。


「ボク・・・そろそろ行くね・・・」


夕焼けを背景に・・・。


「・・・ばいばい、祐一君」


あゆの背中が見えなくなるまで、俺はその場所から動くことさえできなかった。


・・・・・・。

 

・・・。


やがて、夜が来て、楽しかった一日が終わる。

こんな日常が、いつまでも続くとを、願いながら・・・。


1月27日 水曜日


「朝~、朝だよ~」


・・・。


「朝ご飯食べて学校行くよ~」


・・・。


「朝~、朝だよ~」


微睡みの中で、いつもの眠気を誘う声が聞こえる。


「朝ご飯食べるよ~」


ゆさゆさと布団の上から体を揺すられる・・・。


「・・・ん」

「学校行こうよ~」


名雪の声どころか、姿まで見える・・・。


「・・・いや、名雪が2日連続で俺より早起きするはずがない。 ・・・これはまだ夢に違いない」
「祐一、すっごく失礼だよ~」


ゆさゆさ・・・。


「・・・揺れてるけど、これは夢だ」
「わたしだって、早起きするよっ」


ゆさゆさ・・・。


夢にしては、感覚がリアルだった。


ゆさゆさ・・・。


「・・・まさか・・・本当に名雪か・・・?」
「うんっ」


制服姿の名雪が、元気に頷く。

開け放たれたカーテンからは、朝の眩しい光が差し込み、部屋の中を白く染め上げていた。


「・・・どうしたんだ、今日も?」
「どうもしないよ~」


楽しそうに微笑んでいる。


「白状しろ、名雪。 なんかたくらんでるだろ?」
「何もたくらんでないよ・・・。 はい、制服。 先に下で待ってるよ」


壁にかかっている制服を俺に渡して、そして部屋から出ていく。


「・・・ただ、ね」


ドアのところで立ち止まり、くるっと振り返る。


「祐一と同じことがしたかったんだよっ」


楽しそうに笑った表情が、素直に可愛いと思えた。

そして、そう思ったことが少しだけ嬉しかった。


・・・。


制服に着替えて、洗面所で眠気を洗い流す。

食卓顔を出すと、すでに名雪は自分の席に座っていた。


「おはよう、祐一」
「おはよう」


テーブルの上には、人数分の朝食がすでに並んでいた。


「なんだ、先に食べててくれてよかったのに」
「わたしはそんな軽薄じゃないよ」
「はいはい、俺はどうせ軽薄ですよ」


手をひらひらさせると、くすっと名雪が笑う。


「おはようございます、祐一さん」


コーヒーポットを持って、秋子さんがキッチンから顔を出す。


名雪、今日もひとりで起きてきたんですよ」
「お母さん、いちいち報告しなくていいよっ」
「静かなのもいいですけど・・・。 でも、少し寂しいわね」


俺のカップにコーヒーを注いで、本当に残念そうにキッチンに戻っていく。


「お母さん、賑やかなのが好きだったから・・・」
「あれは、賑やかを通り越していたような気もするけどな・・・」
「・・・祐一はいなくなったりしないよね?」
「俺は他に帰る場所もないからな」


淹れ立てのコーヒーを口に含みながら、焼きたてのトーストにバターを塗る。


「・・・うん」


名雪も、いつものようにイチゴジャムを塗っていた。


「おいしい」


そして、相変わらず幸せそうにトーストをかじっている。


「・・・・・・」


じっと名雪の食事風景を眺めていると、顔を上げた名雪と視線が合った。


「どうしたの祐一?」


その視線に気づいた名雪が、くすぐったそうな表情で俺の顔を見る。


「相変わらず幸せそうだな、と思ってな」
「うん、幸せだと思うよ」
「毎日同じ物で飽きないか?」
「うん、飽きないよ」


目を細めて、トーストをはぐっとくわえる。


「祐一もたまにはジャムつけたらいいのに」
「だから、俺は甘い物は・・・」


途中まで言いかけて、ふと名雪の笑顔と目が合った。

ただのいとこ同士だったはずの女の子。

7年前に離ればなれになって、そしてほんの些細な偶然で再会した。

それだけの関係だった。

今までも、そしてこれからもずっとそうだと思っていた。

だけど・・・。


「・・・そうだな、たまには甘い物もいいかもしれないな」


イチゴジャムの瓶をあけて、バターナイフを差し入れる。


「わ。 どうしたの祐一」
「どうもしないって」


これでもかというくらいジャムをのせて、きつね色のトーストに赤いジャムを塗る。


「何かたくらんでる?」
「俺がジャムを塗って何が画策されるって言うんだ・・・」
「うん、そうだね」
「俺はただ・・・」


名雪と同じことをしてみたくなっただけだ・・・。


・・・。


名雪が早起きしたおかげで、今朝は余裕を持って家を出ることができそうだ。


「奇跡だ」
「しみじみ言わないでよっ」


「ほんと、毎朝こうだといいんだけど」
「お母さんもっ」


靴を履き替えながら鞄と時間を確認する。

大丈夫そうだ。


「お母さん、今日もお仕事?」
「ええ、そうよ」


ちなみに、俺は未だに秋子さんが何の仕事をしているのか知らない。


「晩ご飯までには帰るわよ。 ・・・何か食べたいものとかある?」
「えっと、イチゴのケーキ」


「昨日も食っただろ、お前は」
「わたし、イチゴのケーキだったら、朝昼晩、毎食でもいいよ」


名雪は、本気だった。


「・・・わかったわ。 買っておきます」


呆れるように、それでも嬉しそうに秋子さんが頷く。

本当に仲のいい親子だと、改めて思う。


「それでは、行ってきます~」


玄関のドアを開けると、すぐ向こうは白く光る世界が広がっていた。


「行ってらっしゃい、ふたりとも」
「・・・お母さん」


ふと、名雪が振り返る。

 

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「どうしたの?」
「・・・気をつけてね」
「それは、わたしの台詞よ」
「うん・・・そうだけど・・・」


「急がないと、折角早起きしたのにまた走らないといけなくなるぞ」
「あっ、待ってよ~」


・・・。


「祐一、先に行くなんてひどいよ・・・」
名雪が、ぐずぐずしてるからだ」
「ぐずぐずなんてしてないもんっ」


そして、今日も・・・。

穏やかで、平凡で・・・。

そして、幸せな一日になると・・・。

その時の俺は信じて疑わなかった。


・・・。


幸せだった。

ずっとこんな時間が続いて欲しいと、心から願った。

限りある時間を、いつまでも名雪とふたりで歩きたかった。


・・・だけど。


・・・そんな穏やかな時間の終わりは、すぐ目の前にあった。


5時間目の授業中。

見慣れない先生が教室に駆け込んでくる。

それは、秋子さんが病院に運ばれたという知らせだった。

学校を早退して、俺たちは病院に急いだ。

その途中、俺たちは偶然、事故の現場を見ることになった。

原型をとどめていない車。

散らばったガラスの破片。

アスファルトに広がる、赤い染み。


そして・・・。

 

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潰れた、イチゴのショートケーキ・・・。

そのケーキが、7年前に俺が潰してしまった、雪うさぎの姿と重なる。

名雪は、その光景をただじっと見ていた。

言葉もなく、その表情からは何の感情も読みとれなかった。


・・・。


病院に着いても、俺たちは面会を許されなかった。

親族でも面会ができない状態。

それが何を意味するのか、俺にも名雪にも分かっていた。

担当医の話だけを訊いて、その日は家に帰った。

歩道を歩いていた秋子さんに、カーブを曲がり損ねた車が、そのままの速度で突っ込んだという話だった。

相手のドライバーは、幸いにも無事だったらしい。

でも、秋子さんは・・・。

結局、名雪は一言も口をきかなかった。


・・・・・・。


・・・。

 

1月28日 木曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


「・・・・・・」


こんな朝でも、いつもの時間に目が覚めていた。

不思議なものだ。


「・・・・・・」


冷たい部屋に、目覚ましの音だけが悲しく響いている。

まるで、夢のようだった。

昨日までの、幸せだった日々が夢なのか・・・。

それとも、昨日の悲しい出来事が夢なのか・・・。

今、目の前にあるものが現実・・・。

それだけは、決して変わりようがなかった。

同じ部屋なのに、昨日よりも広く殺風景に感じる。

そして、風の巻く音が、寂しげに響いていた。

ただ幸せだった時の終わり。

それなら、今日からは何が始まるのだろう・・・。


「・・・・・・」


俺は体を起こして、毎朝そうしていたように、制服に着替えた。

授業に集中できる自信はなかったが、今は、少しでもたくさんの人に囲まれた場所にいたかった。

ひとりだと、余計なことを考えてしまいそうだったから・・・。


・・・。


物音ひとつしない、薄暗い廊下。

『なゆきの部屋』と描かれたプレートのかかった扉。

その前に立つ。


「・・・・・・」


ノックをしようとして、ためらう。

このドアを開けたとき、名雪はどんな姿でいるだろうか。

悲しみに暮れた表情だろうか。

それとも、いつもと変わらない笑顔を覗かせてくれるだろうか。

せめて、表面上だけでも・・・。

声をかけずに行くのも、ためらわれた。

今、この家には、俺と名雪の、たったふたりしかいないのだから。


コン、コン・・・。


名雪の部屋を、ノックする。


コン、コン・・・。


しかし、中からの反応はなかった。


名雪、開けるぞ」


中に聞こえるような声で呼びかけてから、ドアノブを回す。


「・・・・・・」


しかし、ドアは開かなかった。

強く押しても、同じだった。

鍵がかかっている。


「・・・先、行くからな」


それだけを告げて、1階に降りた。


『おはようございます、祐一さん』


そう言って頬に手をあてる秋子さんの姿は、そこにはなかった。

それでなくても広かった食卓が、余計に広く感じる。

俺は、この家に来て、初めて自分でトーストを焼いた。

たったひとりで椅子に座って、普段はつけることのない、ジャムをつけてトーストをかじる。

この食卓を、4人が同時に囲んでいたこともあった。


「・・・けろぴーを合わせると、4人と1匹か」


『でも、少し寂しいわね』


そう言って微笑んでいた秋子さんの言葉が、今になって心に重くのしかかっていた。

ふたりだけで、この家は広すぎる。

トーストを食べ終わって、いつものように玄関に出る。


・・・。


時間ぎりぎりまで待っていたが、結局名雪は起きてこなかった。


「・・・そっとしておいてやるか」


ため息をついて、鞄を持つ。


「行ってきます」


誰にでもなく挨拶をして、俺は学校に向かった。

返事をする者など、当然のように誰もいなかった。


・・・・・・。


・・・。


いつもの授業風景を、どこか遠くの国の出来事のように感じながら、時間だけが、やけにゆっくりと流れていた。

隣の席には、誰も座っていなかった。

その後ろでは、香里が心配そうに名雪の机を見つめていた。

やがて、長かった6時間が終わった。


・・・・・・。


・・・。


「ただいま・・・」


靴を脱いで、玄関に上がる。

家の中は、まるで朝と同じ風景が凍りついてしまったように、静かだった。

キッチンにも人の気配はなかった。

朝、俺が使った状態、そのまま。


「・・・名雪、何も食ってないんじゃないか・・・」


留守番電話のボタンを押して、設定を解除する。

メッセージ件数は、0件だった。


・・・・・・。


・・・。


朝と同じように、名雪のドアの前に立つ。

手に持ったお盆には、あり合わせの物で作った、簡単な晩飯がのっていた。

とっくに陽は落ちて、もう、晩飯という時間でもなかった。


「おい、名雪


ドアを、ノックする。


「晩飯持ってきてやったぞ。 腹、減ってるだろ」


返事はない。

部屋の明かりも、消えている。


「おい、開けるぞ」


断ってから、ドアノブを回す。

しかし、部屋には、やはり鍵がかかっていた。


「晩飯、ここに置いておくから」


それだけを言い残して、固く閉ざされた部屋の前をあとにした。

自分の部屋に戻ると、明かりもつけずにそのままベッドに入る。

病院からの連絡はなかった。

つまり、悪くもなっていないが、良くもなっていない・・・。

それだけのことだった。

やがて、長かった一日が終わる・・・。


・・・。


目を閉じると、何か夢を見るかもしれないと感じた。

だけど、秋子さんの夢だけは、見たくなかった・・・。


・・・。


1月29日 金曜日


『朝~、朝だよ~』


・・・。


『朝ご飯食べて学校行くよ~』


・・・。


冷たい部屋に、名雪の元気な声だけが虚しく響いていた。

眠気はなかった。

ただ、疲れが残っていた・・・。

気怠い体を起こしてカーテンを開けると、外は雲ひとつない青空が広がっている。

せめて雨でも降ればいいのにな・・・。

そうすれば、思う存分、泣けるかもしれない。

澄み渡った空は、作り物のようで嫌だった。

全てが幻で、でも現実の中で・・・。


『朝~、朝だよ~』


夢の中にひとつだけ取り残されたように、目覚ましの音だけが空の青さにふさわしかった。


・・・。


静かな廊下。

窓から差し込む光が、廊下に暖かそうな日溜まりを作る。


『なゆきの部屋』


少し傾いてぶら下がっているドアプレート。

静かな部屋。

その前に、昨日と同じままのお盆が置かれていた。

中身もそのまま、まったくの手つかずで残っている。


「・・・まさか、本当にずっと部屋から出てないのか・・・」


ドアノブを回しても、扉は開かない。


「おいっ、名雪っ」


ドン、ドン・・・。


閉ざされたドアを、何度も叩く。

切迫した音が、静かだった廊下に響いていた。


名雪っ」


ドン、ドン・・・。


名雪っ!」


今の俺にできること・・・。

それは、ただひたすらドアを叩き続けることだけだった。

やがて・・・。


「・・・やめて」


部屋の中から、本当に消え入りそうな声が聞こえた。

力のない声・・・。

だけど、間違いなく名雪の声だった・・・。


「・・・お願いだから・・・やめて・・・」
「お前が落ち込んだって、仕方ないだろ」
「・・・・・・」
「お前まで倒れたら、秋子さんが戻ってきた時、絶対に悲しむぞ」
「・・・ごめん・・・祐一・・・」
「・・・・・・」


その言葉を最後に、名雪の声は、聞こえなくなった。


・・・・・・。


・・・。


授業中。

俺は、ずっと窓の外を見ていた。

名雪の言葉が、何度も何度も蘇る。


『・・・ごめん・・・祐一・・・』


そして、気づく。


(・・・まるで、あの時の冬と一緒だな)


絶望して・・・。

拒絶して・・・。

そして・・・。


(・・・全部、忘れて)


あの時と、ふたりの立場が入れ替わっただけだ。

俺と、名雪の立場が・・・。


(・・・・・・)


空は、どこまでも青くて・・・。

ゆったりと流れる雲は白くて・・・。

本当に穏やかで、そして暖かな・・・。

悲しい、空だった。


・・・・・・。


・・・。

 

明かりのついていない階段を、ゆっくりと上がる。

そして、名雪の部屋の前。


「・・・・・・」


お盆の上に置かれた料理が、半分くらいなくなっていた。


「・・・名雪


闇の中で、閉ざされた扉のその向こうに話しかける。


「・・・・・・」


返事はなかった。

しかし、ずっと閉ざされていたドアに、僅かな隙間があった。


名雪、入るぞ」


少し考えてから、そのドアを開けた。

その部屋は、完全に闇の中だった。

物音ひとつしない。

動くものの気配すらない。

以前に入った時とは、まったく同じ部屋であるにも関わらず、その空気の重さが違っていた。


「・・・祐一・・・」


ずっと動かなかった空気が、僅かに振動する。


「・・・出ていって・・・」


小さく呟く、名雪の声。

その先に、名雪の姿があった。

 

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「わたし・・・誰とも会いたくないから・・・」


闇の中に溶けるように、名雪がうずくまっていた。

自分の体を抱きしめるようにして、静かに存在していた。


「久しぶりだな、名雪
「・・・・・・」


現実全てを拒絶するような、沈黙。


「俺の作った晩飯、どうだった?」
「・・・おいしくなかった・・・」
「それは、冷めたからだ。 できたてで食べてたら、もっとうまかったはずだ」
「・・・温かくても、きっと一緒だよ・・・」
「そんなことないって、ちゃんと自分で味見したんだから」
「・・・・・・」
「今から、もう一度作ってやるから、今度こそできたてを食べるか?」
「・・・わたし・・・いらない・・・」
「そりゃ、秋子さんの手料理に比べたら・・・」
「・・・祐一、出ていって・・・」


秋子さんの名前が出た途端、名雪の態度が硬化する。


「このまま、ずっと避けるつもりか?」
「・・・出ていって・・・」
「秋子さんは、まだ助かる可能性だってあるんだ」
「・・・・・・」
「いや、絶対に助かる。 あのマイペースな秋子さんが、こんなことでいなくなるわけないだろ」
「・・・祐一、奇跡って起こせる・・・?」
「・・・・・・」
「・・・わたし、ずっとお母さんと一緒だったんだよ・・・。 ・・・何年も・・・この街で・・・この家で・・・。 ふたりだけだった・・・。 ・・・わたし・・・お父さんの顔、知らないから・・・。 ・・・ずっと、お母さんとふたりだけだったから・・・。 ・・・でも・・・お母さんがいてくれたから、寂しくなかったんだよ・・・。 今まで、がんばって来れたんだよ・・・。 ・・・それなのに・・・。 ・・・これで、わたしはひとりぼっちだね・・・」
「ひとりぼっちなんかじゃないだろ、名雪は。 学校に行ったら、友達がたくさんいるだろ? 香里や、北川や・・・俺だって、ずっと一緒にいる」
「・・・・・・」
「それに、秋子さんだって絶対に帰ってくる」
「・・・・・・」
「・・・祐一・・・」


月明かりを浴びた名雪の姿が、青白く浮かび上がる。

微動だにしなかった名雪が、小さく震えているのが分かった。

 

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「・・・ダメ・・・なんだよ・・・。 わたし、もう笑えないよ・・・笑えなくなっちゃったよ・・・」


無表情だった名雪の瞳に、大粒の涙が浮かんで・・・

せきを切ったように、溢れていた・・・。


「わたし、強くなんてなれないよ・・・。 ずっと、お母さんと一緒だったんだから・・・」
「・・・・・・」


流れう涙と、嗚咽の声が、静かだった闇の中を充たしていた。

涙の雫が頬を伝って、パジャマの生地に吸い込まれる。

俺は、それ以上言葉をかけることもできずに、ただ、名雪が泣きやむまで、その場所で見ていることしかできなかった。


・・・・・・。


・・・。

 

1月30日 土曜日


その日は、朝から雪だった。

窓の外を見上げると、灰色の空に、白い雪が舞っていた。

しんしんと・・・。

音も立てずに・・・。

絶えることなく、降り続いていた。

今までで、一番相応しい朝だった。

俺は、私服に着替えて、名雪の部屋の前にいた。

手には名雪に借りていた目覚まし時計を持っている。

そして、名雪の部屋をノックする・・・。


「・・・名雪


返事はない。


「俺は、今日一日、あの場所で待ってる。 ずっと、待ってるから・・・」


返事のない部屋に、一方的に用件だけを伝える。


「それと、この目覚まし時計・・・」


ことん、と部屋の前に置く。


名雪に、返すから」


部屋の前を離れる。


「じゃあな、名雪


名雪からの返事がないまま、俺は家を後にした。


・・・。


雪が降っていた。

傘の花が開いていた。

制服を着て、学校に向かう生徒たち。

そんな中を、俺は傘をささずに歩いていた。

真新しい雪がコートの上に降り積もり、そして、冷たい風がさらっていく。


・・・。


7年前の、約束の場所。

雪を避けて、人通りのなくなったその場所に、俺はひとりで立っていた。

半分以上雪に隠れたベンチ。

雪を払って、そして座る。


「まるで、あの時みたいだな・・・」


ほんの、3週間ほど前・・・。

俺は、この場所にひとりで座っていた。

大雪の舞う中、その時は珍しかった光景を眺めながら、名雪が来るのを待っていた。

ため息も白く染まる街で、数年ぶりに訪れたその場所で・・・。


「結局、2時間以上も待たされたんだよな・・・」


そして、1本の缶コーヒーを貰った。

確か、遅れたお詫びだった。


「・・・・・・」


しかし、今日はあの時とは違う。

絶望して、全てを拒絶した名雪

俺は、それでも名雪のことを好きでいられた。

名雪の支えになりたいと思った。

だから、俺はこの場所で待ち続ける。

7年前の、あの日と同じ・・・。

この、雪の舞う場所で。


・・・・・・。


・・・。

 

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街灯の照明が、ベンチの上を照らしていた。

陽は落ちて、辺りが闇に包まれても、雪はまだ、降り続いていた。

舞うような螺旋の雪が、青白い照明に照らされて、どこか幻想的な光景だった。


「・・・・・・」


すでに、辺りに人影はなかった。

何時間ここにいるのかも、わからなかった。

コートの雪を払うこともなく、ただじっと、待ち続ける。

今日が終わるまで、ずっと・・・。


「・・・・・・」


そして・・・。

時計の針が、真上を指して・・・。

静かに、今日が終わった。


「・・・・・・」


まだ、雪は降り続いている。

俺は、好きな人の支えになることすらできなかった。

絶望感と、孤独感が、俺をさいなむ。

名雪も、同じだったんだろうな・・・。


・・・。

 

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目を閉じると、幼い名雪の姿があった・・・。

ベンチにちょこんと座って、不安げな表情で、ただ流れる雪を眺めていた。

何時間も、何十時間も・・・。

約束の場所で、俺を待っていた。

だけど、俺は来なくて・・・。

少女は、いつまでもひとりぼっちだった。


・・・。


「学校、さぼってる人発見」


不意に、現実の声が重なる。

雪のカーテンの向こう側に、人影があった。


「・・・お前だって・・・そうだろ・・・」


絶望の先にあったもの。


「そうだね。 だったら、おあいこ」
「そうだな・・・。 これで、おあいこだ」



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「・・・うん」


雪の中に、雪を纏った少女が立っていた。


「でも、遅刻だぞ」
「走ってきたんだけど、ダメだったね・・・」
「おかげで、ずいぶんと待ったぞ」
「一生懸命、走ってきたんだけど・・・遅刻だったね」
「でも・・・」
「遅刻はしたけど・・・間に合ったよね?」
「もう少しで、帰るところだったぞ」
「寒かったよね・・・」
「それも、お互い様だ」
「・・・祐一・・・雪、積もってるよ」
「それだって、お互い様だ」


頭の上に、雪をのせて・・・。

目には、大粒の涙をたたえて・・・。

それは、本当に久しぶりに見る、名雪の笑顔だった。


「祐一・・・」


名雪の表情が、不意に崩れる。


「わたし、やっぱり強くはなれないよ・・・。 だから・・・祐一に、甘えてもいいかな・・・? 祐一のこと・・・支えにしても、いいかな・・・?」
名雪は、女の子なんだから」
「・・・うん」
「強くなくたって、いいんだ」
「・・・うん」
「俺が、名雪の支えになってやる」
「・・・祐一。 あの言葉、信じてもいいんだよね?」
「・・・ああ」
「わたし、消さないよ。 だから、ずっと証拠残ってるよ? それでも、本当に頷いてくれる? わたしに、約束してくれる?」
「約束する」
「・・・うん」
「もし約束破ったら、イチゴサンデーおごる」
「・・・ダメだよ、イチゴサンデーでも許してあげない」
「だったら、約束破るわけにはいかないな・・・」
「・・・うんっ。 祐一・・・順番、逆になっちゃったけど・・・遅れた、お詫びだよ・・・。 それと・・・わたしの、気持ち・・・」


"名雪・・・俺には、奇跡は起こせないけど・・・"


"でも、名雪の側にいることはできる"


"約束する"


"名雪が、悲しい時には、俺がなぐさめてやる"


"楽しいときには、一緒に笑ってやる"


"白い雪に覆われる冬も・・・"


"街中に桜の舞う春も・・・"


"静かな夏も・・・"


"目の覚めるような紅葉に囲まれた秋も・・・"


"そして、また、雪が振り始めても・・・"


"俺は、ずっと側にいる"


"もう、どこにも行かない"


"俺は・・・"


"名雪のことが本当に好きだから・・・"

 

 

 

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真っ白な雪に囲まれて・・・。

名雪の赤い唇が、そっと触れる。

雪にまみれた唇は、最初冷たくて・・・。

そして、温かった。


目を閉じると、そこにはひとりの少女が立っていた。

2本のおさげを揺らしながら、頭の上に、ちょこんと雪うさぎをのせていた。


「ほら・・・これって、雪うさぎって言うんだよ・・・。 わたしが作ったんだよ・・・。 わたし、ヘタだから、時間がかかっちゃったけど・・・。 一生懸命作ったんだよ・・・。 ・・・あのね・・・祐一・・・これ・・・受け取ってもらえるかな・・・? 明日から、またしばらく会えなくなっちゃうけど・・・。 でも、春になって、夏が来て・・・。 秋が訪れて・・・またこの街に雪が降り始めたとき・・・。 また、会いに来てくれるよね? こんな物しか用意できなかったけど・・・。 わたしから、祐一へのプレゼントだよ・・・。 ・・・受け取ってもらえるかな・・・。 ・・・わたし・・・ずっと言えなかったけど・・・祐一のこと・・・ずっと・・・好きだったよ」

 

「俺もだ・・・名雪・・・」


====================


夢。

夢が終わる日。

雪が、春の日溜まりの中で溶けてなくなるように・・・。

面影が、人の成長と共に影を潜めるように・・・。

思い出が、永遠の時間の中で霞んで消えるように・・・。

今・・・。

永かった夢が終わりを告げる・・・。

最後に・・・。

ひとつだけの願いを叶えて・・・。

たったひとつの願い。

ボクの、願いは・・・。


====================

 

 

・・・・・・。


・・・。

 

 


季節の風が、うつろいでいた。

変わることなんてないと思っていた街並みが、新しい色に染まっていく。

街を覆っていた雪は消えて、その下から様々な色が姿を見せる。

雪の衣を脱ぎ捨てた街。

風はまだ冷たくて、春と呼ぶにはまだ遠いけど・・・

それでも、確実に季節は変わっていた。


「・・・そろそろ、あいつを起こすか」


布団から抜け出して、カーテンを左右に開く。

その時、窓の外を何かが舞った。

それは、小さな桜の花びらだった。

 

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「おはよう、祐一」


廊下に出た俺を、制服姿の名雪が迎える。


「・・・名雪、熱でもあるのか?」


名雪が、俺よりも早く起きている。

しかも、すでに制服を着ている。


「・・・熱なんてないよ。 失礼だよ~」
「そうか、分かった。 俺が夢を見てるんだな。 早く起きないと遅刻だっ」
「・・・違うよ」
「だったらどうして?」
「今日から3年生だもん。 わたしだって早起きくらいはするよ」
「・・・名雪、夕べ何食べた?」
「祐一と同じ物だよ」


楽しそうに笑う、名雪の笑顔が嬉しかった。


「明日から毎日こうだと助かるんだけどな」
「まかせてよっ」


ぐっと小さくガッツポーズをする姿が、どこかおかしくて・・・。


「あ。 祐一ひどいよ。 笑わないでよ~」


そして、愛おしくて・・・。


「それにしても、本当によく起きられたな」
「うん。 目覚まし時計のおかげかな?」
「また新しい目覚まし買ったのか?」
「ううん。 買ってないよ~」


どこかいたずらっぽく笑う。


「・・・名雪
「ん?」
「まさか、あの目覚まし使ってるんじゃないだろうな・・・」
「おかげで、ちゃんと朝、目が覚めるよ」
「今すぐ消せ!」
「嫌だよ」
「俺が消す!」
「だ、ダメだよ祐一っ」


部屋に入ろうとする俺を、名雪が後ろから抱き留める。


「あんな恥ずかしいもの、いつまでも残しておくなっ」
「あ、やっぱり恥ずかしかったんだ」
「当たり前だっ」
「恥ずかしくても、あれは証拠だから、消したらダメだよ」
「あのメッセージを残しておくのはいいけど、目覚ましに使うのはやめろ」
「そしたらわたし、また明日から起きられないよ」
「その時は、また俺が起こしてやる」
「でも、毎日だよ?」
「毎日だって、起こしてやる」
「これから、ずっとかもしれないよ?」
「ずっとだって構わない。 何年経っても、何十年経っても、俺が起こしてやる」
「わ。 祐一、もっと恥ずかしいこと言ってるよ」
「悪かったな」



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「遅いと思ったら、なにやってるのふたりとも」
「わ、お母さん」
「わ、お母さん、じゃないわよ。 早く行かないと遅刻よ」


名雪、時間」
「わっ」


腕時計を見た名雪が、驚いたような声を上げる。


「時間、ないよ」
「何でないんだっ」
「不思議」


のんびりと首を傾げる。


「でも、走ったら間に合うよ」


そして、たおやかに微笑んでいた。


・・・。


空の青さが眩しかった。

そよぐ風が心地よかった。

そして、すぐ横を走る少女の笑顔が嬉しかった。


・・・。

 

 

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「どうして、新学期早々走ってるんだろうな、俺たち」
「わたしは、ちゃんと早起きしたよ」
「俺だって、起きたぞ」
「祐一が、ゆっくりしてるからだよ」
名雪が、のんきにトーストかじってるからだ」
「だって、お母さんのイチゴジャム、大好きだもん」
「秋子さんのジャムは、いつだって食えるんだから、遅刻しそうなときくらい我慢しろっ」
「・・・そう、だよね・・・。 ・・・お母さんのジャム、いつだって食べられるんだよね・・・」


名雪が、泣き笑いのような表情で眩しそうに空を見上げていた。


「・・・今度、あのジャムも食べてやれよ」
「それだけは嫌」
「薄情なやつだな」
「それなら、祐一が食べて」
「俺はジャムアレルギーなんだ」
「そんなの初めて聞いたよっ」


一瞬、横を走っていた名雪の姿が消えて、そして、背中に温かな感触があった。

 

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「祐一の背中、広いね」
「こらっ、重いだろっ」
「ひどいよ~、重くないよ~」


耳元で、名雪の楽しそうな笑い声が聞こえる。


「祐一、また同じクラスになれるといいよね」
「なれるさ、絶対に」


俺は、名雪の温かさを感じながら、頷いた。

俺たちは今、いくつもの奇跡の上に立っていた。

名雪と、この街で再会できたこと・・・。

名雪のことを好きでいられたこと・・・。

そして・・・。

秋子さんの穏やかな微笑みも・・・。

名雪の暖かな笑顔も、奇跡・・・。

たくさんの奇跡と偶然の積み重ねの上で・・・。


「きっと、同じクラスにだってなれるさ」
「うんっ。 嬉しいよっ」


ずっと、ずっと・・・。

今の時間を眩しく思いながら・・・。

遅い春は、もうそこまで来ていた。


・・・。

 

 

水瀬名雪編 END