*ゲームを読む*

ゲームまるごと文字起こし

Kanon【10】


・・・。


~1月16日 土曜日の途中から~


教室を出るときに時間を確認すると、1時ちょっと前。

栞との約束の時間まではあと少しだったが、これなら待ち合わせの場所までの距離を考えると、ちょうどいいくらいだった。


(一応、あそこも学校の中だからな・・・)


放課後の予定を熱心に話し合う下校途中の生徒をかき分けながら1階へ降りる。

いつものように、直接中庭に出ようかとも考えたが、今日は校舎の中に戻ることもないようだから、昇降口へ移動する。

靴を履き替えてから、一度外に出る。

少し遠回りになるが、校舎沿いに歩けば中庭に行けるはずだ。


・・・。


「・・・相沢君」


昇降口を出たところで、丁度香里と顔を合わせた。


「今から帰るところか?」
「相沢君もそうでしょ・・・」
「いや、俺はまだ帰らない」
「・・・そう」


どこか疲れたような表情だった。


「どうしたんだ?」
「・・・どうもしないわよ」
「そうか・・・?」
「そうよ・・・。 じゃあね」


素っ気なく言い放って、正門の方に歩いていく。

何か声をかけようかと思ったが、すぐに他の生徒の影に隠れて見えなくなってしまった。


「・・・まぁいいか」


香里の態度が引っかかったが、すぐに本来の予定を思い出した。

下校する生徒の流れに逆らって、中庭の方へ移動する。


・・・。


「あ、祐一さんっ」


俺の姿を認めて、栞が元気に手を振る。


「祐一さんっ、祐一さんっ」
「そんなに呼ばなくても気づいてるって」
「今日は土曜日で学校が半日なので、ちょっと嬉しいんです」
「休んでるんだから、関係ないだろ」
「そんなことないですよっ。 気分の問題ですから」
「しかし、それだけ元気そうだったら来週からは学校行けそうだな」
「・・・うーん。 それを決めるのは私ではないですから」
「医者か?」
「はい。 お医者さんです。 明日、病院に行きます」
「明日って・・・日曜日だろ?」
「そうですけど」
「休みなんじゃないのか?」
「そうですけど」
「どうやって診察してもらうんだ?」
「大丈夫です。 私はこう見えても常連さんですから」
「常連でも休みは休みだと思うけど・・・」
「もちろん冗談ですけど」
「・・・・・・」
「・・・えっと、私の親戚がお医者さんなんです。 だから、特別サービスです」
「なんか、つくづく病院と縁のある生活だな」
「ホントそうですね・・・」


ストールに触れていた手を、ぎゅっと胸元で握り締める。


「その格好、寒いんじゃないのか?」
「大丈夫です。 もう慣れました」


慣れても寒いものは寒いと思うけど・・・。


「しかし・・・俺たち何でこんな場所で待ち合わせしてるんだろうな」
「そうですよね・・・」


ふたりで顔を見合わせてから改めて辺りを見る。

放課後の喧噪さえ届かないような、静かというより寂れた場所。

雪だけに囲まれて、人を待つには最悪の立地条件だった。


「校舎裏でデートの待ち合わせしてるのって、私たちくらいですよね。 きっと」
「デートじゃないけどな」
「そうでしたね」


くすっと笑いながら、栞が歩き出す。


「今度は別の場所がいいですね」
「そうだな。 できれば学校じゃない場所がいい」
「考えておきます」


それから、少し首を傾げるような仕草で空を見上げる。


「今日はいいお天気です」
「そうだな」


同じように見上げた空・・・。

まばらに散らばる雲も、ほとんど風に流されることなく、その場で形を変えていた。


「そろそろ行きましょうか、祐一さん」
「じっとしてても仕方ないしな。 それでどこに行きたい?」
「私が決めていいんですか?」
「ただし、俺が知ってる場所にしか連れていってやれないぞ」
「知ってる場所ってどこですか?」
「商店街」
「他には?」
「学校」
「・・・他には?」
「居候先の自宅」
「・・・他には?」
「これくらいだな」
「・・・商店街でいいです」
「悪いな・・・俺、あんまり知らないから」
「祐一さん、もしよろしければ私が知っている場所に案内しましょうか?」
「さすがは原住民だな」
「・・・変な表現しないでください」
「それで、どこなんだ?」
「・・・無視しないでくださいー」
「冗談だって」
「ひどいですー」


ぷーっとふくれた顔がどこかおかしくて、そして可愛かった。


「えっと、それでどうする? どっちに行く?」
「私はどちらでもいいですから、祐一さんが決めてください」
「本当に俺が決めていいのか?」
「はい」
「だったら・・・栞の知ってる場所でいいぞ」
「本当にいいんですか?」
「俺が案内したって、どうせ商店街くらいしか行くところがないからな」
「・・・・・・」


口元に指を当てて、何かを考え込んでいる様子だった。


「やっぱり、今日のデートは商店街にします」
「どうしたんだ、急に?」
「私の知っている場所は、次の機会にとっておきます」
「まぁ、俺はどっちでもいいけど・・・」
「行きましょう、祐一さん」


俺の手を引っ張るように、嬉しそうに歩き出す。


「・・・言っておくけど、デートじゃないぞ」
「早く行きましょう、祐一さん」


もう一度同じ言葉を繰り返して、ふたり分の足跡を雪の上に残しながら・・・。

俺たちは、誰もいない中庭を後にした。


・・・。


土曜日の商店街といえば、場所に関わらず大抵の場合は学校帰りの生徒で賑わっている。

この街の場合も、その大抵の中に含まれていた。

 

f:id:Sleni-Rale:20200316185847p:plain



「わぁ・・・人がたくさん居ますね・・・」


驚いたような感心したような、そんな複雑な表情で佇む。


「確かに今日は多い方だよな」


この天気のせいもあるだろう。


「そうなんですか?」
「そうだと思うけど」
「私、あまり人の多いところに行ったことがなかったので、ちょっと新鮮です」
「でも、商店街くらいは行ったことがあるだろ?」
「ありますけど、こんなに人が多いときに来たのは初めてです」


そう言って人混みを見渡した栞の表情は、どこか楽しそうだった。


「行きましょう、祐一さん」
「そうだな。 人ばっか見てても仕方ないしな」
「それはそれで楽しいんですけど・・・」
「そうかぁ・・・?」
「はいっ。 そうです」


疑わしそうに問い返す俺に、栞は屈託のない笑顔で答える。


(そういうものなんだろうか・・・)


「あ」


商店街の一角を指さして、栞が声をあげる。


「あれって、ゲームセンターですよね?」
「そうだけど、そんなに珍しがるようなものか?」
「私、一度でいいですからゲームセンターでゲームをしてみたかったんです」
「・・・ということは、一度もやったことないのか?」
「中に入ったこともないです」
「・・・変なやつ」
「変じゃないですよー。 今までたまたま機会がなかっただけです」
「だったら、ちょっと寄っていくか?」
「はい。 お願いします・・・」


緊張した面持ちで、ゲーセンの入り口をじっと観察している。


「緊張しますね・・・」
「そうか・・・?」
「でも、私がんばります」


ぐっと両手を握り締める。


「・・・それで、何かやってみたいゲームとかあるか?」
「私、ゲームセンターにあるゲームはインベーダーを撃つゲームしか知らないです」
「栞・・・本当は何歳だ?」
「たぶん、祐一さんのふたつ下です。 私、早生まれですから」
「・・・ちなみに、今のゲーセンにはないぞ」
「え? そうなんですか?」


どうやら、ゲーセンに入ったことがないどころか、ゲーム自体もほとんどプレイしたことがないようだった。


「私、よく分からないので祐一さんに全てお任せします。 あ・・・でも、簡単なゲームがいいです」
「簡単なゲームか・・・」


最近のゲームはどれも操作が難解になる一方で、実は俺もほとんどついていけないことが多い。


「そうだ・・・これなんかどうだ?」


店先に置かれている大きな機械を指す。


「・・・これ、どんなゲームなんですか?」


栞が興味深そうにその筐体をじっと覗き込んでいる。


モグラたたきくらい知ってるだろ?」
「えっと・・・名前は聞いたことあります」
「・・・本当に名前しか知らないのか?」
「・・・はい」
「穴が一杯あいてるだろ? その中からモグラ出てくるから、それをこのハンマーで叩くんだ」
「・・・はい」
「時間内に、どれだけたくさんのモグラを叩くことができるか競うゲームだ」
「はい・・・」
「どうだ、簡単そうだろう?」
「・・・はい。 それなら私にもできそうです」
「じゃあ、やってみるか」


財布の中からコインを数枚取り出して、投入口にカシャカシャと放り込む。


「あ・・・始まりましたよ!」


液晶がきらびやかに点滅しながら、ゲームがスタートする。


「・・・緊張しますね」


ハンマーを両手でぎゅっと握りしめて、言葉通り緊張した面持ちで筐体を見つめる。


「・・・え、えっと」
「始まってるぞ、栞」
「わ、分かってます」
「その割には、思いっきりタイミングがずれてるぞ」
「わ、分かってます」
「・・・・・・」


ゲームスタートから数十秒後・・・。


「あ・・・終わってしまいました・・・」


栞が、悲しそうにゲーム筐体から離れる。


「・・・俺、0点なんて初めて見た」


栞は、予想を遙かに上回るくらい下手だった。


「・・・どーせ、私は反射神経ないですよ」
「いや、あそこまで完璧にタイミングを外すのはなかなかできる技じゃない」
「そんなこと言う人、だいっきらいですっ」
「冗談だって」
「冗談でも傷つきました」

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200316185912p:plain



「うん、祐一君が悪いよ」
「・・・誰だお前は?」
「誰だじゃないよ。 ボクだよ」


いつからそこに居たのか、あゆが会話に参加してくる。


「えっと・・・」
「お久しぶりだねっ、栞ちゃん
「・・・栞・・・ちゃん?」


戸惑うようにストールをぎゅっと握りしめる。


「あ・・・さっき祐一君が名前呼んでるのを聞いたんだよ」
「そうですか」


少し表情が軟らかくなる。

どうやら納得したようだった。


「えっと、お久しぶりです・・・」
「うんっ。 元気だった?」


緊張気味の栞に対して、あゆはまるで十年来の親友と再会したかのように話しかける。


「学校を休んでいますから、元気ではないですけど・・・」
「え・・・? そうなの?」
「風邪ですから、もうすぐよくなると思いますけど」
「それは大変だね・・・ボクも気をつけないと」


「あゆは大丈夫だ」
「どうして?」
うぐぅは風邪引かないって言うからな」
「言わないよっ!」


「あの・・・うぐぅって何ですか?」
「ううん、何でもないよっ!」
「そうですか・・・」


納得したように頷いたものの、頭には『?』が浮かんでいた。


「こんなところで何やってるんだ? あゆ」
「ゲームセンターに来てやることはひとつだよ」
「釣り銭泥棒か?」
「違うよっ!」


「ゲームですか?」
「もちろんだよ。 ・・・それで、祐一君たちは?」


「折角の土曜日だからな、栞と一緒に商店街を歩いているんだ」
「デート?」
「そう見えるか?」
「ううん、見えない」


「どういうふうに見えますか?」
「うーん・・・仲のいい兄妹、かな?」
「そうですか・・・」


「じゃ、俺たちはそろそろ行くから」
「うんっ、またね」


「失礼します」
「ばいばいっ」
「えっと・・・ばいばい・・・です」


相変わらずの羽をぱたぱたと揺らして、無意味に元気よくゲーセンの中に入っていく。

あゆと別れて、俺たちはまたふたりに戻った。


「・・・祐一さん、これからどうしましょうか?」
「まだ時間は大丈夫か?」
「全然平気です」


時計も見ずに答える。


「栞、日本語間違ってるぞ」
「今はいいんです」
「それもそうだな・・・」
「だから、全然平気です」
「時間いっぱいまで、商店街を歩き回るか?」
「歩くだけですか?」
「途中で何か食べようか」
「はいっ」
「言っとくけど、おごりじゃないからな」
「えー」
「俺、居候だから貧乏なんだ」
「冗談ですよ」


いつの間にか、すっかり機嫌もなおっているようだった。


「今日は私がおごりますよ」
「いや、それはさすがに遠慮しておく」
「どうしてですか?」
「恥ずかしいから」
「何いってるんですか。 今日はデートではないんですから、恥ずかしくないですよね?」


笑顔の栞が、くるっと回りながらストールを羽織り直す。


「・・・祐一さん。 本当に、時間いっぱいまでこうして居られたらいいですよね・・・」
「そうだな」
「はいっ」


元気よく頷いたその笑顔の向こう側に・・・。


「・・・どうしたんですか?」
「いや・・・別に・・・」
「・・・? 変な祐一さん」


笑顔の向こう側に・・・何があるというのだろう・・・。

突然ふってわいた形のない疑問。


「栞のモグラたたきよりはマシだ」


その答えどころか問いかけの内容さえ分からなくて・・・。


「そんなこという人、嫌いですー」


今はただ、雪のように白い少女の笑顔が温かかった。


・・・・・・。


・・・。

 

「・・・あ、もうこんな時間です」


赤く染まる街頭の時計を残念そうに見つめる栞の顔も、今ではオレンジに染まっていた。

夕暮れの風は穏やかで、薄い雲をゆっくりと押し流している。


「そろそろ帰らないと、真っ暗になるな」
「祐一さん、今日は本当に楽しかったです」
「俺も面白かった。 特にモグラたたきが」
「全然面白くないですー」


赤い笑顔のまま・・・。


「見ててください、私、密かに特訓して上手になりますから」
「栞、実は負けず嫌いだろ?」
「そんなことないですよっ。 祐一さんを見返したいだけですから」
「分かった、期待してる」
「本当に上手になりますから・・・」


真剣な表情で、そして上を向く。


「祐一さん、また今度ご一緒していただけますか?」
「そうだな・・・風邪が治ったらな」
「・・・・・・」
「・・・そうだな、約束だ」
「はいっ、約束です。 ・・・そう言えば、来週の火曜日が午前中で終わりって知っていますか?」
「午後から休みなのか?」
「はい。 なんでも、次の日に大きな行事があるらしくて、その準備だそうです」
「だったら、その日にまた遊びに行こうか?」
「私は大丈夫ですけど、祐一さんは予定ないんですか?」
「予定も何も、半日だってこと自体知らなかったんだから大丈夫だ」
「それもそうですね」


楽しそうにくすっと笑う。

 

f:id:Sleni-Rale:20200316185934p:plain



「それなら、来週の火曜日はデートです」
「時間と場所はどうする?」
「時間は、今日と同じ1時で構わないですか?」
「俺は大丈夫だ」
「それから、場所ですけど・・・」
「・・・ちなみに、デートじゃないぞ」
「商店街のどこか、にしましょうか?」


俺の言葉は、自然の流れで無視されていた。


「うーん、商店街はちょっと分かりづらいな」


少しだけ考えて、一ヵ所だけ待ち合わせできそうな場所を知っていることに気づいた。


「そうだ、駅前なんてどうだ?」


駅の場所なら当然覚えている。


「分かりました。 それでは駅前に1時」
「ああ」
「それでは、今日はこれで失礼します」


ぺこっとお辞儀をして、俺とは反対の方向に歩いていく。


「・・・・・・」


2、3歩あるいたところで、ふと振り返る。


「ばいばい、祐一さん」


少し恥ずかしそうに、小さく手を振る。


そして、そのまま走るように夕暮れの商店街に消えていった。


・・・。


~1月18日 月曜日の途中から~


・・・。


「祐一、お昼休み・・・」


いつものように名雪が嬉しそうに駆け寄ってくる。


「・・・なんだけど、香里知らない?」
「そこに居るだろ?」


俺の斜め後ろの席を指さすと、その場所はすでに無人だった。


「・・・あれ?」
「ね。 居ないでしょ?」
「ひとりで先に学食に行ったんじゃないか?」
「でも、それだったら一言くらい声かけて行くと思うよ」
「それもそうだな・・・」
「・・・祐一」


名雪が声を落として、囁くように名前を呼ぶ。


「どうした?」
「・・・ごめん、何でもない」
「・・・・・・」


俺の名前だけ呼んで用件を言わないことが流行っているんだろうか・・・。


「祐一、お昼はまた外で食べるの?」
「そうだな・・・」


いつの間にか、この不思議な習慣がすっかり板についていた。


「それじゃあ、またね祐一」
名雪はどうするんだ?」
「学食に行ってみるよ。 もしかすると香里も居るかもしれないから・・・」


言葉ではそう言っているが、名雪自身その可能性は少ないと思っているようだった。


・・・。


「よお」
「おはようございます、祐一さん」
「おはようございます・・・って時間でもないと思うけど」


冬場は一部例外を除いて誰も近づかない雪の中庭。


「実は、さっき起きたところなんです」


北風の吹き抜ける校舎で、その例外ふたりが雪の上で向かい合っていた。


「ちょっとだけ走ってきました」


にこっと微笑みながらストールの裾を合わせる。


「元気そうだな・・・」
「元気だけが取り柄ですから」
「病欠してる生徒の台詞じゃないな」
「冗談です」


首を傾げるように笑った少女の表情は、少し疲れた様子だった。


「何度も言ってるけど、あんまり無理するなよ」
「何度も言ってますけど、私は大丈夫です。 それに、こんなにいいお天気なのに家の中に居るなんてもったいないです」
「でも、いい天気は何も今日だけじゃないんだから・・・」


明日も同じくらい晴れるかもしれない。

あさってだって、その次の日だって、いい天気かもしれない。

それに、春になればもっと澄んだ空が見られるだろう。


「そんなことないですよ。 同じような晴れの日はこれからもあると思いますけど、今日と同じ日はもう来ないんですよ。 ですから、すっごくもったいないと思います」


真上から校舎裏に照らす太陽の光が、真っ白な雪を鮮やかに浮かび上がらせていた。

間違いなくいい天気だ。


「・・・でも、寒いな」
「・・・寒いですね」


見た目がどんなに晴天でも、この冬の寒さは隠しようがなかった。


「風も強いですし」


建物の合間を吹き抜ける風が、今日は一段と強かった。


「わ・・・飛ばされそうですー」


右手でストールを押さえて、左手でスカートの裾を持っている。


「今なら無防備だから攻撃すれば倒せるかもしれないな」
「わっ、何ですか攻撃って!」
「試しに雪玉でもぶつけてみるか」
「わーっ、そんなコトしたら祐一さんのこと嫌いになりますよっ」
「・・・俺は別に構わないけど」
「私は構いますっ」
「だったら・・・」


くすぐってみたら面白いかもしれない・・・。

とても意味がないどころか間違いなく栞が怒るとは思うが、この際なので気にしないことにする。


「どうしてにやにやしながら近づいて来るんですか~」


怯えたように一歩後ずさる。


「試しにくすぐってみようと思って」
「・・・本気で怒りますよ」


言葉通り、声が本気で怒っていた。


「もちろん冗談だ」
「・・・本当に冗談ですか?」
「本当だとも」
「・・・それならいいですけど」


表情を和らげて、少しだけ微笑む。


「・・・でも」


風に持っていかれそうになるスカートの裾を懸命に押さえる。


「今日は、ちょっと大変ですね・・・」


最初はまだ緩やかだった風も、今ではストールどころか栞の小柄な体が飛ばされそうな勢いで吹き荒れていた。


「・・・今日は、さすがにここで昼飯食うわけにはいかないよな」
「きゃあ! スカートが、スカートが!」


返事はなかったが、俺と同意見のようだった。

 

f:id:Sleni-Rale:20200316185954p:plain



「だったら、今日はこれで解散だな」
「あ・・・そうですね、仕方ないです」


残念そうに頷く。


「しかし、まだ風邪は治らないのか・・・?」
「・・・・・・もう少し、ですよ」
「もう少しって、どれくらいなんだ?」
「・・・そうですね。 ・・・次の・・・私の誕生日くらいです」


よく分からない例えだった。


「いつなんだ、その誕生日って」
「・・・2月1日です」
「・・・2月1日って、あと2週間もあるじゃないか」
「2週間も、じゃないです。 2週間しか、です」
「2週間も休むと、もう1回1年生をすることになるぞ」
「・・・大丈夫ですよ」


吹き荒ぶ風にかき消されて聞こえなくなるくらいの小声だった。


「祐一さん、明日の約束覚えていますか?」
「明日・・・」
「まさか忘れたりしてませんよね」
「・・・もちろん・・・覚えてる」
「良かったです」
「覚えてるけど・・・でも、ヒント」
「・・・何ですか、ヒントって」
「だったら、第2ヒント」
「・・・もしかして、覚えてないんですか?」
「・・・えっと」
「・・・覚えてないのなら、それで構わないです」


そう言って頷いた栞は、気のせいかもしれないけど、どこか寂しそうに見えた。


「変なこと言って、申し訳ありませんでした・・・」
「午後から遊びに行く約束だろ?」
「・・・祐一さん」
「・・・えっと」
「・・・覚えていたんですか・・・?」
「もちろん」
「・・・・・・」
「悪かった・・・ちょっと、からかっただけなんだけど・・・」
「祐一さん・・・本当に嫌いになります」


いつもの笑顔は、今の栞にはなかった。


「ごめん・・・悪気はなかったんだ・・・」
「私、ずっと楽しみにしていたんです・・・明日のこと・・・」
「・・・・・・」
「ひどいです」


俺の目を、真正面から見据える。


「・・・ごめん」


今まで気づかなかった。

栞が、俺との約束をどれだけ大切に考えていたか。


「・・・でも、いいです。 ・・・私もわがまま多いですから、これでおあいこです」
「ごめんな・・・本当に」


栞の真剣な表情を見ていると、さすがに軽率だったと思う。


「それに祐一さん、ちょっと間違ってます。 午後から遊びに行く、じゃないです。 午後からデートする、です」


そう言って顔を上げた栞は、間違いなく笑顔だった。


「それでは、今日はこれで帰ります」


こくんと首を傾げて、軽く目を伏せる。


「気をつけて帰れよ」
「大丈夫です。 それほど子供でもないですから。 それと・・・明日、楽しみです」


もう一度お辞儀をして、そのまま雪の上を歩いていく。

小さな足跡を残しながら、時々振り返っては小さく手を振っている。

その後ろ姿を見送って、俺は校舎の中に戻った。


・・・。


「・・・・・・」


扉をくぐって廊下に戻ってくると、廊下にひとりの女子生徒が立っていた。

校舎の中に生徒が立っていることなんて珍しくもないが、なぜかその子は俺の方をじっと見ていた。


「・・・あの」


思わず後ろを振り返る。

俺の他には誰の姿もなかった。


「・・・今、外から出てきましたよね?」


全く見覚えのない女の子だった。

制服のリボンが緑色なので、他人の制服を着ているのでなければ、1年の生徒だろう。

どうして見ず知らずの俺に話しかけてきたのか、見当がつかなかった。


「・・・あ」


ひとつだけ思い当たることがあった。


「大丈夫。 上履きの泥は外でちゃんと払い落としたから」
「あの・・・違います」


遠慮がちに俯く。

どうやら、上履きのまま外に出たことを注意したかったのではないらしい。


「・・・さっき、一緒にいた女の子・・・美坂さんですよね?」


かなり躊躇した末、やっとという感じで言葉を続ける。


「美坂って、栞のことだよな・・・?」


もしかすると、この子は栞のクラスメートなのかもしれない。

そう考えると納得できる。

学校を休んでいるはずのクラスメートが、何故か私服で中庭をうろうろしているのだから、不審に思っても当然だ。


「名前までは・・・ちょっと覚えていませんけど・・・」


申し訳なさそうに声を落とす。


「1回だけしか話をしたことないですけど、でも、さっきの人に間違いないと思います」
「・・・なんだ、栞のクラスメートじゃないのか?」


さすがに、クラスメートだったら1回しか話をしたことがないなんてことはあり得ないだろう。


「・・・いえ、クラスメートです」


伏し目がちに、首を横に振る。


「美坂さん・・・1学期の始業式に一度来ただけなんです・・・」


女の子の口から、予想していなかった言葉が漏れる。


「・・・一度だけ・・・?」
「本当に、それっきりだったんです・・・。 その後、美坂さんがどうして学校に来ないのか・・・先生も教えてくれませんでした・・・。 誰も知っている人の居なかった教室で、私に最初に話しかけてくれたのが美坂さんだったのに・・・。 ・・・最初の友達になれると思ったのに・・・」


その話の意味を理解するのに、数秒を要した。


『でも、病気で長期に渡って休んでいる女の子って、ちょっとドラマみたいでかっこいいですよね』


そう言って笑っていた。

屈託なく笑う少女の、その笑顔の向こう側にあるもの・・・。

いつか感じた形のない疑問・・・。


「・・・・・・」


いつの間にか、なかったはずの形がすぐ目の前に広がっていた。

しんしんと降り積もる、真夜中の雪のように・・・。


・・・。

 


~1月19日 火曜日の途中から~


・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20200316190014p:plain



「あっ」


駅前のベンチに座っていたストールを羽織った女の子が、俺の姿を見つけて元気よく手を振る。


「こんにちは、祐一さん」
「こんにちは」


ベンチの方に歩いていくと、栞も駆け寄ってくる。


「いいお天気になって良かったですね」


眩しそうに青い天上を仰ぐ。


「きっと、私の日頃の行いのせいですよね」
「だからこんなに寒いのか」
「わー、祐一さんがひどいこと言ってますー」


白い肌の少女が、頬を膨らませて非難の声を上げる。


「それにしても、何時から待ってたんだ? まだ約束の時間までは30分以上もあるだろ?」
「ええっと・・・。 確か、ここに来たのは10時くらいだったと思います」
「それは、早すぎ」
「あはは・・・やっぱりちょっとだけ早かったですよね」
「ちょっとじゃないぞ」
「でも、私は待つことは嫌いではないです」
「変なやつだな」
「わー、一言で片づけないでくださいー」
「普通、待つのが好きなやつなんかいないぞ」
「そうですね・・・。 でも・・・待つことさえできなかった人だっているんですよ」
「どういう意味だ?」
「意味なんてないですよ。 何となく格好良かったので言ってみただけです」
「・・・・・・」
「そろそろ行きましょうか?」
「・・・そうだな、ここで向かい合ってても仕方ないしな」
「寒いですし、ね」
「それで、どこに行く?」
「確か、約束しましたよね? 次は私が知ってる場所に案内しますって」
「そう言えばそうだったな」
「というわけなので、私が案内します」


ストールの裾を合わせて、ゆっくりと歩き出す。


「ここから歩いて行けるとことなのか?」
「そうですね、40分くらいはかかりますけど」


振り返って答える。


「私たち、いつも同じ場所で会っていましたから、たまには散歩もいいです」
「確かにそうだな」


俺も栞の後ろに続いて歩く。

平日の駅前は、まだまだ人通りもまばらだった。


・・・。


栞と並んで雪の道を歩いていると、どこか覚えのある場所に出た。



f:id:Sleni-Rale:20200316190032p:plain

 

「・・・祐一さん、この場所を覚えていますか?」
「確か、あゆが食い逃げして逃げ込んだ場所だな」
「そうなんですか?」


笑いをこらえるような表情で問い返す。

 

「それで、栞と出会ったんだよな?」
「はい」


穏やかに頷く。


「祐一さん、その時のこと覚えていますか?」
「ある程度は覚えてるぞ」


あゆと一緒に逃げてきたこの場所・・・。

小さな悲鳴が聞こえて、そして雪の上に座り込む少女と出会った・・・。

紙袋の中身を広げて、雪と同じくらい白い肌のその少女は、戸惑ったように俺たちを見ていた・・・。


「・・・運命」


栞がぽつりと呟く。


「確か、あゆさんがそう言っていましたよね」
「そうだったか? そこまでは覚えてないけど」
「私は全部覚えていますよ。 その日のこと、全部。 私にとって、本当に大切な思い出ですから」
「思い出って言うほど昔のことでもないだろ?」
「祐一さん・・・思い出に時間は関係ないです。 その人にとって、その一瞬がどれだけ大切だったか・・・どれだけ意味のあることだったのか・・・それだけだと思います」
「・・・そんなに貴重な時間だったか?」


思い返しても、いつものようにあゆをからかっていたという記憶しかない。


「だって、あの時の祐一さんとあゆさん、面白かったですから」
「そうか?」
「私、あのあと家に帰ってずっと笑っていました。 本当に・・・涙が止まらなくなるくらい・・・笑ったんです」
「あゆはともかく、俺は普通だぞ」
「そうですね」


楽しそうに頷いて、そして再び歩き出す。


「行きましょう、祐一さん。 目的の場所はまだ先ですから」


・・・。


それから10分ほど歩くと、林道が大きく開けた場所に出た。



f:id:Sleni-Rale:20200316190112p:plain

 

「ここです」


くるっと振り返って、満面の笑顔で大きく手を広げる。

その後ろで、さらさらと水の流れる音が規則的に聞こえていた。


「・・・こんな場所があったのか」


そこは、雪を実らせた木々に囲まれた、大きな公園だった。


「私のお気に入りの場所です。 しかも、誰もいないですー」


確かに、俺たち以外は全く人の姿がなかった。


「よく考えると、平日だもんな」
「良かったですね。 貸し切りですよ」
「野球だってできるな」
「雪合戦だってできますね」
「・・・・・・」
「雪合戦」
「何もこんな所に来てまで雪合戦しなくても・・・」
「ダメですか?」
「・・・勿論ダメじゃないぞ」


半分は開き直っていた。


「今日は両腕がちぎれ飛ぶまで雪合戦だ」
「わー、嬉しいですー」


文字通り手放しで喜んでいる栞を見て、ため息をつく。


「私、雪玉作りますね」
「・・・・・・」


せっせと雪をかき集めている栞の嬉しそうな表情。


「俺も作る」
「わー、それ私が集めた雪ですー」


そんな少女を見ていると、雪合戦もいいかなと思う。


「早いもの勝ちだ」
「わーそれ私が作った雪玉ですよー」


結局、腕はちぎれなかったものの、右手があがらなくなるまでは雪合戦を楽しんだ。


・・・。


「・・・さすがにちょっと疲れましたね」


噴水の縁にもたれかかるように座って、ストールを羽織り直す。


「しかし、平日の真っ昼間に誰もいない公園で倒れるまで雪合戦してる俺たちって、いったい何なんだろうな・・・」
「そんなの決まってます・・・」


栞が俺の方を向きながら、当然というように答える。


「デートですよ」
「なるほど・・・そうかもしれないな・・・」


同じように噴水に座って、栞の方を向く。


「風が気持ちいいです・・・」
「確かにな・・・」


運動して火照った体に、冬の冷え切った風が心地よかった。

仰向けに倒れるように空を見上げると、真っ白な雲の隙間から太陽が見え隠れしていた。

今、何時くらいだろうか・・・。

俺は時計を持ち歩かないし、それは栞も同じだった。


「そういや、腹減ったな」


正確な時間は分からないが、1時に待ち合わせだったのだから腹が減って当然だ。

しかし、この辺りに店があるとも思えない。


「そうですね・・・。 もうすぐ3時ですから」
「なんだ、時計持ってたのか?」
「持ってないですよ」


ほら、とセーターを捲って自分の腕を見せる。


「私、腕時計って苦手なんです」
「俺も、腕時計はしない方だな・・・」
「時計ならそこにあります」


栞の視線の先・・・。

公園の中程に、大きな街頭時計が立っていた。


「2時50分・・・」
「思ったより時間が過ぎてたんだな・・・。 道理で腹が減ってるわけだ」
「そうですね・・・。 そろそろお昼にしましょうか?」
「もしかして、何か食い物持ってきてるのか?」
「食べ物ですか・・・? ・・・お薬ならたくさんありますけど」


言いながら、スカートのポケットから薬瓶を取り出す。


「・・・いっぱいあるな」
「・・・えっと、これで全部ですね」


あっという間に、噴水の縁が薬屋の陳列棚になっていた。


「・・・食べます?」
「やばいだろ・・・さすがに」
「そうですよね」


・・・それ以前に、なんでこれだけの量がポケットの中に入ったんだ?


「全部で何十個あるんだ・・・」
「お薬以外にも他色々と入ってますけど」
「・・・どうやって?」
「それは内緒です」


口元にちょこんと指を当てる。


「それはいいですけど、お昼ご飯を困りましたね」
「全然よくないが、確かにな」


少し時間はかかるが、商店街に出るしかないかもしれない。


「えっと・・・たまにですけど、車で露天を開いてることがありますよ」
「この時期にか?」
「ですから、たまに・・・です。 一応、行ってみましょうか?」


自信なさげに立ち上がって、そして公園の奥を見る。


「日頃の行いが良ければ、お店開いてるかもしれませんよ」
「そうだな・・・。 今から商店街に行くのも大変だからな」
「私、日頃の行いはいいですから」


にこやかに歩き出す栞と一緒に、昨日まで知らなかった公園を奥まで歩く。


・・・。


「ほら」


嬉しそうに振り返った少女のその先に、露天の店がカラフルな傘を開いていた。


「簡単に何か食べて行くか」
「アイスクリームがいいです」
「俺は焼きそばにするけど、栞は何がいい?」
「アイスクリームのバニラがいいです」
「フランクフルトなんかうまそうだぞ」
「アイスクリームのバニラを食べます」
「おっ、お好み焼きもあるのか?」
「・・・・・・」
「しかも珍しく広島風だぞ」
「・・・祐一さん、嫌いです」
「でも、やっぱり冬といったらアイスクリームのバニラだよな」
「はい」
「・・・・・・」


結局、真冬の公園でアイスクリームをおいしそうに食べる栞の姿を横目に見ながら、焼きそばを頬張ることになった。

・・・何となく予測していた事態ではあったが。


「うぐ・・・おいしいです」
「そうだな」
「祐一さんも一口食べますか?」
「焼きそばにバニラは合わないだろ」
「食べてみたら意外とおいしいかもしれませんよ」
「・・・自分で言ってて、それは違うだろって思わないか?」
「食べるのは、私ではないですから」
「うわっ、ひでぇ」
「くすっ、冗談ですよ」
うぐぅ
「わ。 何ですか、それ?」
「秘密」
「そんなこと言うと気になりますよー」


誰も居ない場所で、真冬にアイスクリームを食べる少女と他愛ない話で笑い合う。

何気ないやり取りのひとつひとつが、栞の言う通り大切な思い出に還っていく・・・。


「祐一さん、顔に焼きそばのソースがついてますよ」
「うわっ、取ってくれっ」
「わー。 ストールで拭かないでくださいー」
「俺、ハンカチ持ってないんだ」
「そんなことする人、嫌いですー」


いつまでもこんな時間が続けばいいのに、と純粋にそう思えた。


・・・・・・。


・・・。


「そう言えば、栞って趣味とかないのか?」
「趣味・・・ですか?」


公園で簡単に昼食を食べた後、俺たちは商店街に向かって歩いていた。

時間はまだ3時過ぎ。

解散するには早すぎたし、俺たちもまだ遊びたりなかった。


「薬コレクションとアイスクリームを食べること以外に」
「両方趣味じゃないですよ」


ぷーっと膨れてから、そして考え込むような仕草を見せる。


「・・・趣味ですか・・・そうですね・・・」


暫く歩いて、ふと立ち止まる。


「私、絵を描くことが好きです」


言ってから、気恥ずかしそうに目を細めて照れたような笑顔を覗かせた。


「最近は描かなくなりましたけど、昔はスケッチブックを持ってよく絵を描きに行ってました。 今日の公園も、その時に偶然見つけたんです」
「絵って、抽象画とかか?」
「風景画です。 それと・・・似顔絵もよく描いていました」
「結構本格的だったんだな」
「まだまだヘタですけど・・・。 でも、絵を描いていると楽しいんです。 何もなかった真っ白な画用紙が、色とりどりの絵の具で埋まっていく・・・。 そして、最後にはひとつの風景がその中にできあがるんです」


いつの間にか、俺たちは再び歩き出していた。

編み目の張った枝の隙間から青い空が覗き、光に透けた雪がきらきらと光る。

雪の街でしか見ることの出来ない、どこか神秘的な、情景の中を歩く。

この風景も、栞はスケッチブックに描いたのだろうか・・・。


「でも、私ヘタですから、あんまり風景に見えないんです・・・。 似顔絵の方が得意です、私」
「今度見てみたいな。 栞の描いた風景」
「屋です。 恥ずかしいですから・・・」


顔を赤くして、足下を見る。


「だったら、自信のある似顔絵でいいぞ」
「・・・自信はないですけど」


本当に自信がなさそうに、声が小さくなる。


「・・・あ。 それなら、祐一さんの似顔絵描きます」


視線を戻して、俺の顔をじっと見つめる。


「それでいいですか?」
「俺なんかがモデルでいいのか?」
「そうですね、やめましょうか」
「うわ、ひでぇ」
「冗談です」
うぐぅ
「わー。 やっぱり気になりますー」
「やっぱり秘密」
「ひどいですー」


顔を見合わせてひとしきり笑った後に、栞が表情をほころばせたまま言葉を続ける。


「えっと、それで祐一さんの似顔絵、構わないですか?」
「俺は全然」
「それでは、今度スケッチブック持ってきますね」


やがて、雪の林道に出口が見えてきた。

そのすぐ先は、もう商店街だった。


・・・。


特に目的地があるわけではないが、栞とふたりで商店街を出て何気なく街中を歩く。


「ただ歩くだけでも楽しいです」


そう言って微笑んだ栞の言葉に心から頷く。

やがて、その視界の先に休日の校舎があった。


「さすがに静かだな・・・」


午前中で生徒は帰らされたので、校舎の中は無人のはずだ。


「・・・・・・」
「どうする栞? まだ時間はあるけど・・・」
「・・・そうですね」


何が見えるのか、校舎の方をじっと眺めているようだった。


「どっか、行きたい場所とかあるか?」
「・・・・・・」
「俺の知ってる場所で良ければ、今から連れていってやるぞ」
「・・・行きたい場所」
「・・・・・・」
「・・・学校」
「学校がどうかしたのか?」
「・・・学校に、行きたいです」


とつとつと言葉を呟く。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


校舎から視線を逸らすこともなく、どこか泣きそうな表情だった・・・。


「・・・・・・」


時折、笑顔の合間に栞が見せる表情・・・。

そして、そんな表情を覗かせたときの、栞の次の台詞はいつも一緒だった。


「・・・冗談です」
「・・・・・・」


見せたくない表情を笑顔で覆い隠すように・・・。


「・・・祐一さん?」
「学校行こうか、今から」
「・・・え?」


栞の小さな手を引っ張って、いつも通っているはずの校門を越える。


「わっ。 だ、ダメですよー」
「どうせ誰も居ないから大丈夫だって」
「でも、もし見つかったら怒られますよー」
「その時は走って逃げる」
「私、走るの速くないですよー」
「その時は俺がおんぶして逃げてやる」
「・・・ホントですか?」
「あんまり重いと無理だけど」
「わ。 失礼ですよー。 私そんなに重くないですー」
「だったら、大丈夫だ」
「・・・・・・」
「ちょっと校舎の中を歩くくらい問題ないだろ?」
「・・・そうですね。 分かりました」
「よし、じゃあ、日が暮れる前に行くぞ」
「はい」


複雑な表情で校舎を見つめる栞を促して、開いていた昇降口から中に入る。


・・・。


「本当に誰もいないな・・・」
「そうですね・・・」


こつこつとリノリウムの床を叩く音だけが長い廊下に響いていた。

生徒はもちろん、先生の姿させ校舎の中にはなかった。

「残ってる先生は、全員明日の準備で体育館の方に行ってるんだろうな」
「見つからなくて済みそうですね」
「俺は別に見つかってもいいけど」
「私は良くないです」
「そうだよな」


ふたり分の足音を残しながら、廊下をただ歩く。


・・・。


やがて、栞がひとつの教室の前で足を止めた。


「ここは・・・1年生の教室か・・・」
「・・・・・・」


開いたドアから教室の中をじっと見つめていた栞が、こくんと頷く。

そして、誘われるように教室の中へと入っていく。

ゆっくりと、本当にゆっくりと・・・。

まるでそこが思い出の場所でもあるかのように、栞が教室を歩く。


「・・・・・・」


教室の中程で足を止める。

 

f:id:Sleni-Rale:20200316190140p:plain



「ここが私の席・・・」


しかし、その机からは乱雑に中身がはみ出していて、とても女の子の机には見えなかった。


「今は、違いますけどね」


教室に入ってから、初めて栞が俺の方を向く。


「1学期の始業式の日。 ひとつ前の席の女の子に、思い切って話しかけたんです。 私もひとりだから、これから友達になろうって・・・そう・・・言ったのに・・・その子・・・喜んでくれてたのに・・・」
「栞のこと、ずっと気にかけてくれてたみたいだぞ、その子」
「・・・え?」


驚いたように、栞が俺の顔を見上げる。


「偶然会ったんだ、その女の子と」
「・・・そうですか」


すぐに視線を外して、また教室の中を歩き始める。


「・・・祐一さんの席はどこですか?」
「俺の座ってる場所か?」
「はい」
「俺は・・・」


コツコツと床を鳴らしながら、窓際の後ろの席まで歩く。


「ここだ」


一番窓際の、後ろから2番目の席。

2階と3階の違いはあるけど、同じ場所だ。


「・・・・・・」


椅子を引いて、その席に座る。

そして、四角い窓から、外の風景を眺める。


「これが、祐一さんの見ていた風景なんですね・・・」
「ここは3階だから、ちょっと見えるものが違うけどな」
「大丈夫ですよ・・・」


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200316190339p:plain



「この空は祐一さんと同じですから」


差し込む光に目を細めながら、どこまでも広がる空の風景を仰ぐ。

絶えず姿を変えながら、どこまでも流れていく雲のかけらを、雪のように白い肌の少女がただじっと眺めていた。


「今日はいいお天気ですよね」


ガラス越しに降り注ぐ、眩しいくらいの日差し。


「明日もあさっても、ずっといいお天気だったらいいですね」
「ずっとは困る人がいるだろ」
「だったら、今月中だけでもいいですよ」
「そうだな、それくらいだったらいいかもな」
「はい」


じっと窓の外を見つめたまま、時間と雲が流れていく。


「祐一さん」


やがて、ぽつりと呟く。


「分からない答えを探すために来ている」


それは、今までも何度か栞が口にした言葉。

どうして、毎日俺に会いに来るのか、訊ねたときの答えだった。


「それで、見つかったのか」
「まだですね・・・きっと・・・」
「・・・・・・」
「私、お姉ちゃんと違って、頭良くないですから」
「ひとつ訊いていいか?」
「・・・はい」
「・・・1日しか学校に来なかったって、どういう意味だ?」
「言葉通り、ですよ」
「本当なのか?」
「はい」


視線は窓の外を見たまま、まるで空のその先にある風景を見ているように思えた。


「新しい学校で、新しい生活が始まる、その日に・・・私は倒れたんです。 それっきりです」


窓に映る栞の表情は、ただ穏やかだった。


「本当は、その日もお医者さんに止められていたんです。 でも、どうしても叶えたかった夢があったんです。 お姉ちゃんと同じ学校に通うこと・・・。 お姉ちゃんと同じ制服を着て、そして一緒に学校に行くこと・・・。 お昼ご飯を一緒に食べて、学校帰りに偶然会って、商店街で遊んで帰る・・・。 生まれつき体が弱くて、ほとんど外に出ることも許されなかった、私のたったひとつの夢」
「・・・・・・」
「そのことを言ったら、お姉ちゃん笑ってました。 安上がりな夢だって・・・。 でも、そんな些細な夢さえ、私は叶えることができなかったんです」


窓に映る少女は、それでも穏やかで、

どこか諦めにも似た、そんな表情だった・・・。


・・・・・・。


・・・。


~1月20日 水曜日の途中から~


・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20200316190317p:plain



昼休み。

名雪と一緒に、北川も教室から出て学食へと向かっていく。



「・・・・・・」


結果的に、俺と香里だけ取り残される形になった。


「・・・・・・」


視線を合わせることもなく、同じ窓の外だけを見ている。


「じゃあ、俺も行ってくるから」
「相沢君・・・」


香里が抑揚のない声で呼び止める。


「・・・ひとつだけ答えて」


相変わらず外を眺めたまま、香里が小さく呟く。


「・・・その子のこと・・・好きなの?」
「・・・・・・たぶん、好きなんだと思う」


寂しげに雪の中で佇んでいた女の子・・・。

今、香里がそうしているように、悲しげに窓の外を見つめていた白い肌の少女・・・。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・そう」
「・・・・・・」


それっきり、黙り込む。

俺は、無言のまま香里の前から立ち去った。


・・・。


「祐一さんっ」


俺の姿を雪の中で見つけて、元気良く手を振る。


「ちょっとだけ遅刻ですよー」
「悪い。 ちょっと教室にいたんだ」
「ところで、今日は体育館で何かあるんですか?」


ここからは見えないのだが、栞が何気なく体育館のある方向を見る。


「何でも、放課後に舞踏会があるらしい」
「あ・・・昨日準備していた行事って、これのことなんですね」
「飾りつけとかしてたか?」
「凄かったですよー」
「大きなシャンデリアもありましたし、白い布もたくさん運び込まれてました」


両手を広げて、大きなシャンデリアを表しながらその時の様子を話す。


「ふーん、やっぱり本格的だったんだな」
「舞踏会って、ちょっと憧れますよね」
「だったら、今日の舞踏会に出たらいいじゃないか」
「わ、わ、わたしは全然ダメですよー」
「・・・どうして?」
「ドレスなんか、絶対に似合わないですし・・・」


恥ずかしそう自分のつま先をじっと見る。


「確かに、身長と胸が足りないかもしれないな」
「どうして人が気にしてることはっきり言うんですか!」
「気にしてたのか?」
「ちょ、ちょっとだけですけど・・・」


下を向いた表情が、真っ赤になっていた。


「・・・そんなこと言う人、嫌いです・・・。 って、祐一さん笑わないでくださいっ!」
「いや、悪い。 栞にも、普通の女の子らしい悩みがあるんだなぁと思って」
「当たり前ですっ。 こう見えても、私だって女の子なんですから・・・」


ころころと表情が変わって、本気で恥ずかしがっているようだった。


「それに、私だっていつかおっきくなります・・・」
「おっきくってことは・・・もしかして、胸の方を気にしてたのか?」
「祐一さん、嫌いですっ」
「それはそうと、昼ご飯食わないのか?」
「一言で話を逸らさないでくださいー」
「アイスクリーム買って来たんだけど」
「わ。 食べますー」


・・・。


「今日はスケッチブックを持ってきました」
「スケッチブック?」
「それと、道具も一式持ってきました」
「ああ、確か俺の似顔絵を描いてくれるんだよな?」
「ホントに、あんまり上手くないですけど・・・。 私、まだ修行中ですから」
「だったら、早く食ってしまわないとな」
「そうですね・・・。 もう、あんまり時間ないですし。 ごちそうさまでした」
「こめかみとか痛くないか?」
「どうしてですか?」
「いや、普通はこの時期にアイスクリームを食べたら痛くなるものだ」
「それなら、私はきっと普通ではないんですね」
「いや、そう言う意味でもないんだけど・・・」
「冗談ですよ・・・。 あ、祐一さん、動かないでくださいっ」


栞は、どこからともなく空色のスケッチブックを取り出していた。


「似顔絵だろ? だったら多少動いたって・・・」
「ダメですっ」
「・・・・・・」


表紙をめくって、真剣な表情でスケッチブックにコンテを走らせる。


しゅっ、しゅっ・・・。


休み時間の喧噪も届かない校舎裏に、紙の擦れる音だけが響く。

そんなゆっくりとした時間が、しばらくの間、流れていた。

でも、不思議とその時間が退屈ではなかった。


「・・・もう少しでできますよ」
「そういや、普段は誰を描いてるんだ?」
「そうですね・・・」


しゅっ、しゅっ・・・。


「家族、です・・・」


声が少し沈んだような気がしたが、スケッチブックに隠れて表情は分からない。


「でも、私がスケッチブックを持って行くと、みんな逃げるんですよ」
「どうして逃げるんだ?」
「モデルになるのが嫌みたいです・・・」
「確かに、長時間じっとしていないとダメだからなぁ」
「・・・出来ました」


ぱたん、とスケッチブックを閉じる。

 

f:id:Sleni-Rale:20200316190401p:plain



「お。 出来たのか?」
「・・・見ます?」
「もちろん見るぞ」
「・・・見ても、怒らないでくださいね」
「大丈夫だって」


スケッチブックを受け取って、栞の心配げな視線を感じながら表紙を開く。


「・・・・・・」
「どうですか?」


緊張の面もちで、俺の反応をじっと窺う。


「・・・栞」
「・・・はい」
「・・・正直、向いてないと思う」
「・・・やっぱり、そうなんですか?」
「ほとんど子供の落書きだ」
「・・・普通、本当にそう思っても、そこまではっきりとは言いませんよ」
「いや、正直に言った方が本人のためかな、と・・・」
「それでもひどいですー。 もう少し言い方があるじゃないですか」
「そうだな・・・。 だったら、味があるとか」
「・・・あんまり嬉しくないです」


俯いた顔が悲しそうだった。

もしかすると、家族がモデルになるのを嫌がった理由って・・・。


「祐一さん、もしかして失礼なこと考えていませんか?」
「い、いや、全然」
「なんか怪しいですよー」


栞はとても鋭かった。


「でも、折角だからこの似顔絵貰ってもいいか?」
「いいんですか、こんな絵で?」
「栞が俺のために描いてくれたものだからな、どんなのでも嬉しいよ」
「どんなのでも、という台詞が気になりますけど・・・でも、そう言って貰えると嬉しいです」
「それに、好きなんだったら、いつか上手くなるって」
「・・・はい」


栞の頭にぽんと手を重ねると、栞はくすぐったそうな表情で頷いた。


「・・・あ」


やがて、チャイムの音が中庭にも響く。


「昼休み、終わってしまいましたね」


名残惜しそうに微笑む。


「・・・栞」
「はい?」
「今日、もう一度会えないか?」
「わ。 祐一さんが誘ってくれるなんて珍しいですね」


それは、自分でも思う。


「それで、どうだ?」
「そうですね・・・」


口元に指を当てる仕草で、うーん・・・と思案する。


「えっと、大丈夫だと思います」
「だったら、放課後に・・・場所はどうする?」
「駅前でどうですか?」
「・・・うーん・・・やっぱりこの前の公園でどうだ?」


目的を考えると、あの公園が一番いいような気がした。


「分かりました。 それでは、4時に噴水の前で待ってます」
「ああ」
「楽しみです」
「じゃあ、またな栞」
「はい。 またです」


栞と別れて、駆け足で教室に戻る。


・・・。


チャイムが鳴って、俺はそそくさと帰り支度を始める。


「祐一、放課後だよっ・・・って、わ。 もう帰る体勢になってる」
「じゃあな、名雪
「う、うん」


戸惑う名雪を残して、俺は真っ先に教室をあとにする。


・・・。


「・・・あ、祐一さん」


噴水の前で、ぽつんと栞が立っていた。


「ここって、本当に人が少ないな・・・」
「穴場ですから」


とたとたと俺のところに駆け寄る栞が、大きく伸びをする。


「今日もいいお天気ですー」


青さを実感するように空を見上げる。

風は穏やかで、そして陽の光は確かに暖かかった。


「やっぱり、私の日頃の行いですよね」
「さて、雷雨になる前に帰るか」
「どうして、そういうこと言うんですか」
「冗談だ」


水の流れる音。

降り積もった雪が、微かな風にさらされて、白く舞っている。


「とりあえず座ろうか、栞」


噴水の縁に残った雪を払いのけて、そして、先に栞を促す。


「ありがとうございます、祐一さん」


栞は笑顔で頷いて、そしてゆっくりと腰を下ろす。


「ちょっと冷たいです」


困ったように微笑んで、俺の顔を見上げる。


「本当に、いいお天気ですね」
「そうだな・・・」


本心からそう思う。

間近で聞こえる水の音・・・。


「祐一さんも、座ってください」


白い吐息が流れる。


「私だけ冷たいなんて不公平です」
「・・・そうだな」


うなずき、栞のすぐ横に腰掛ける。

雪解けの湿ったコンクリートは、確かに冷たかった。


「・・・今、ちょっと思ったんですけど」


噴水の縁に、ちょこんと腰かけた栞が、ふと思い出したように顔をあげる。


「今の私たちって、ドラマでよくありそうなシチュエーションですよね?」
「栞、ドラマとか見るのか?」
「私、こう見えても放送されているドラマは全部見てますから」
「ちょっと意外だな」
「そうですか?」
「何となく、な」
「家にいると、本を読むかテレビを見るくらいしか、やることがないんです」
「それで、ドラマだとこれはどんなシーンなんだ?」
「・・・そうですね。 ありがちですけど、キスシーンです」
「お約束すぎるな」
「そうですねぇ。 でも、私はそういうお約束は嫌いではないです。 だって・・・お話の中でくらい、ハッピーエンドが見たいじゃないですか。 辛いのは、現実だけで充分です。 幸せな結末を夢見て・・・そして、物語が生まれたんだと、私は思っていますから」


どこか寂しそうに笑いながら、小首を傾げる。


「ちょっと、かっこいいですよね」
「栞・・・」
「はい?」
「俺は、ドラマはあまり見ないけど・・・。 でも、今ここで、そんなありがちな場面を見てみたい」
「・・・え?」


俺の言葉に、驚いたような、戸惑うような声をあげる。


「・・・どうして、ですか・・・?」
「栞のことが、好きだから」
「・・・・・・」
「ずっと一緒にいたいと思ってる。 これから、何日経っても、何ヶ月経っても、何年経っても・・・。 栞のすぐ側で立っている人が、俺でありたいと思う」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ホントに、ドラマみたいですね・・・」
「そうだな・・・」
「・・・祐一さん。 私、ダメです」


小さく、それでもはっきりと言葉を続ける。


「祐一さんの気持ちに、応えることはできないです・・・」


そこにあったのは、確かな拒絶の意志だった。


「・・・そうか」
「・・・私・・・今日は帰ります」


立ち上がって、スカートの雪も払わずに、頭を下げる。


「・・・・・・」
「・・・祐一さん」


背中を向けたままで・・・。


「・・・ごめんなさい、です」


そして、走り出す。


「・・・ごめんな、栞」
「・・・謝らないでください。 悪いのは、全部私なんですから・・・」
「・・・・・・」


お互い、言葉が続かなかった・・・。

やがて、栞の背中が見えなくなる・・・。


「・・・俺も、帰るか」


静かな公園に、水面を叩く噴水の音だけが響いていた・・・。


・・・。