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Kanon【11】

 

・・・。


~1月21日 木曜日の途中から~


今日は4時間連続で座りっぱなしだった。


「お疲れさま」
「・・・やっと昼休みだな」
「わたし、学食行ってるけど・・・祐一はやっぱり来ないんだよね?」
「・・・そうだな」


いつもなら、俺の向かう先はひとつだった。

この時期には誰も居ないはずの場所。

ただ一面の雪に囲まれた、寂しい空間。

だけど俺は・・・。


『ごめんなさい、です・・・』


「・・・今日は・・・。 ・・・やっぱり、学食には行かない」


自分でも、どうしてそう答えたのか分からなかった。

もう、あの場所には本当に誰も居ないと分かっているのに・・・。


「・・・悪いな、名雪
「ううん、いいよ」
「なんか嬉しそうだな」
「そうかな?」
「顔が笑ってるぞ」
「えっとね・・・。 祐一らしいな、と思ったんだよ」
「どういう意味だ?」
「わたしにも分からないよ。 何となく、だよ」


一度言葉を区切ってから、真剣な表情で俺の顔をじっと見る。


「でもね、今日の祐一、ちょっと元気がなかったから心配してたんだよ」
「・・・そうか」


そういえば、朝からそんなことを言っていたな。

自分ではいつもと同じでいるつもりなのだが、この名雪と秋子さんには通用しないらしい。


「・・・じゃあ、ちょっと行ってくる」
「うん」


・・・。


たくさんの生徒が、扉の前を通り過ぎていく。

そんな中で、俺だけがその扉を押し開けて外に出た。


・・・。


まず視界に飛び込んでくるのは、雪。

地面に、木の枝に、花壇に、見渡す限りの場所が白く覆われていた。


「・・・・・・」


足跡をつけることさえためらわれるような、真っさらの雪。

真上から降り注ぐ太陽の光が、雪の表面に乱反射していた。

寂しくて、冷たくて、そして誰もいない場所。

その風景の中に、白い肌の少女の姿はなかった。


「・・・・・・」


時間が過ぎていく。

見渡す光景は、影の位置が微妙に変わっていること以外、何も変化がなかった。


「・・・・・・」


・・・ざっ。


雪を踏む音。

変化のなかった景色が変わる。

 

 

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「・・・・・・」


その足音の先に、ひとりの生徒が立っていた。


「何やってんだ、こんなところで?」
「・・・寒いわね、ここ」


俺の問いかけに、質問を無視して答える。

短い言葉は、真っ白な息に変わっていた。


「こんな所、人の来る場所じゃないぞ」
「ほんと、そうよね・・・」


押し殺したような声だった・・・。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


それっきり、ふたりとも黙り込む。

また、時間だけが流れる。

さっきと同じ風景の中で、違うのは香里が立っていることだけ・・・。


「昼はもう食ったのか?」
「・・・まだ」
「今から学食に行くか? まだ少しは時間もあると思うけど」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・やめとくわ」
「・・・・・・」
「・・・だって」


香里が顔を上げると同時に、昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴る。


「・・・ね」


力無く微笑んだその表情が、どこか痛々しかった。


・・・。


俺と香里は別々の道で教室に戻った。


・・・。


午後の授業が終わり、そのまま放課後に突入する。

まっすぐ変える予定だったが、名雪の部活が休みということで、商店街に寄って帰ることになった。


・・・。


本屋で雑誌を数冊購入してから、名雪の催促で喫茶店に向かう。

いつもの店でイチゴサンデーを食べて、そして帰路についた。


・・・。


夕飯を食べてしまうと、特にすることもなくなってしまった。

テレビも、先週観た限りでは、これといって面白そうなものは放送されていない。

引っ越す前に観ていたドラマも、この街では、今週やっと第1話が始まったところだった。


(・・・寝るか)


すでに服は着替えていたので、部屋の電気を消して布団に潜り込む。


(・・・・・・)


考えることはたくさんあるような気がした・・・。

だけど、俺はわざと思考を閉ざして目をつむった。


・・・。

 

~1月22日 金曜日の途中から~


・・・。


「祐一、お昼休みだよ」
「知ってるって」
「お腹すいたね」
「朝、ちゃんと食わなかったからだ」


隣の席の名雪とそんなやりとりを交わしながら、ふと斜め後ろの席を見ると、そこはすでに無人だった。


「香里、また居ないな」
「・・・うん、そうだね。 学食にも来てないみたいだよ」
「・・・・・・」
「・・・祐一は、どうするの?」
「・・・俺は・・・悪いけど、今日も学食はやめとく」
「お昼も食べないの?」
「時間があったら食べる」


曇った窓を一瞥してから席を立つ。


「良かったら、祐一の分も買っておくよ」
「じゃあ、カレーパン」
「うん。 頼まれたよ」
「ふたつ」
「売り切れてたら知らないよ」
「頑張って走ったら大丈夫だ」
「うん。 分かったよ・・・」


渋々、といったふうに頷いたいとこの顔は、それでもどこか嬉しそうに見えた。


・・・。


昼休みの廊下。

学食へ向かう生徒の流れに逆らって、俺はひとりで鉄の扉を押し開けた。

僅かに開いた隙間から、屋外の冷え切った風が吹き込んでくる。

間違いなく真冬の、それも雪の街の気候だった。


・・・。


すでに見慣れたその場所は、いつもと変わらない佇まいを見せていた。

一面の雪。

そして、知っている顔。


「・・・・・・」


昨日と同じ場所に、美坂香里が立っていた。


「・・・相沢君」


表情以上に冷たい声で、俺の名前を呼ぶ。


「昼飯も食わずに何やってるんだ?」
「・・・分からないわ」


栞に似ていると思った。

外見よりも、その雰囲気が似ていると感じた。


「・・・栞は家で大人しくしてるのか?」
「・・・・・・」
「それとも、もう制服着て普通に登校してるのか?」
「・・・栞って誰・・・」


以前にも全く同じ台詞を聞いたことがあった。


「・・・あたしに妹なんていないわ」
「一言も妹だなんて言ってないけどな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・相沢君は知らないと思うけど・・・」


しゃりっ、と雪を踏む音がする。


「この場所って、今の時期はこんなに寂れてるけど・・・雪が溶けて、そして暖かくなったら・・・もっとたくさんの生徒で賑わうのよ」


記憶を辿るように瞼を伏せる。


「休み時間にお弁当を広げるには最高の場所・・・。 今そんなこと言っても、まったく説得力ないけどね」
「・・・それは、暖かくなるのが楽しみだな」
「その頃、あたしたちは3年生ね・・・」
「もう1回2年生って可能性もあるけどな」
「あたしはないわよ。 こう見えても品行方正で通ってるから」
「だったら、揃って3年だな」
「あたしがその時この学校に居たら・・・ね」
「転校でもするのか?」
「・・・そうね」


曖昧に首を動かす。


「この街は、悲しいことが多かったから・・・」
「・・・・・・」
「暖かくなったら、この場所で一緒にお弁当を食べるって約束したこと・・・。 そして、そんな些細な約束をあの子が楽しみにしていたこと・・・。 全部、悲しい思い出」


まるで独り言のように、最後の台詞を囁く。


「あたし、そろそろ教室に戻るわ」


しゃりっ、と雪が鳴る。


「ここは、寒いから・・・」


自分の足跡を辿るように、昇降口の方向に歩いていく。


「・・・寒いんだったら、来るな」


すでに雪の向こう側に見えなくなったクラスメートの姿を見届けて、俺も校舎の中に戻る。

その時、冷たい扉の向こう側に見た風景。

また、誰もいなくなった寂しい場所・・・。

雪上の足跡が、まるで傷跡のように残っている・・・。


「・・・・・・」


いつもと同じ・・・。

寂しくて・・・。

悲しくて・・・。

・・・そして、栞のことが本当に好きだったと言うことに気づいた場所。


「・・・・・・」


静かに扉が閉まり、そして休み時間の喧噪が戻っていた。


・・・。


~1月23日 土曜日の途中から~


・・・。


今日1日、美坂香里の席に誰かが座ることはなかった。


「・・・風邪かな」
「風邪ひいたって来るよ。 香里は」


机から視線を逸らしながら、神妙な表情で答える。


「香里って、学校に来るの好きだから」
「・・・そうか?」
「祐一、疑ってる?」
「だって、学校が楽しいやつなんかいないだろ・・・」
「香里は楽しいみたいだよ。 学校が。 それに、わたしも嫌いじゃないよ」


(・・・そう言えば、栞も好きだって言ってたな)


白い肌の少女の言葉を思い出す。

今俺が居る席に座って、眩しそうに空を見上げていた。


「・・・香里、本当にどうしたんだろう」
「どうせ、そんな大した理由じゃないって」
「月曜日になったら、来るよね?」
「そうだな・・・」


言葉にすると、自分で思っていた以上に曖昧な答えになった。


「・・・・・・」


思った通り、名雪が不安そうな表情を見せる。


「大体、休んでる理由が何なのかも知らないのに、はっきりと答えられるはずないだろ」
「・・・最近の香里、変なんだよ」


それは俺にも分かる・・・。


「香里、祐一に何か相談があるみたいだったよ・・・」
「俺?」
「・・・うん」
「相談だったら、俺よりも名雪や北川の方が適任だと思うけど」
「そんなことないよ」
「どうしてだ?」
「祐一は、きっと祐一が思っているよりずっと頼りになるよ」
「根拠は?」
「だって、祐一だもん」
「・・・なんか、言ってることが秋子さんみたいだな」


根拠なく言い切るところが似ていると思った。

でも、不思議と秋子さんの言葉が今までに間違っていたことは一度もなかったな・・・。


「じゃあ、わたし部活があるからもう行くね」
「大変だな」
「もう慣れたよ。 それで、祐一はどうするの?」
「俺も帰宅部があるから」
「頑張ってね」
「ああ」


最後に少しだけ笑顔を覗かせた名雪と別れて、俺はひとりで家路についた。


・・・。


部屋に戻って、制服のままベッドに仰向けになる。

少しの間、この微睡みを感じながら・・・。

気がついたときには、夜のとばりが降りていた。


・・・。


「・・・ふわ」


手で口元を押さえて、名雪が眠そうに息を吐く。


「・・・ちょっと眠い」
「寝ろ」
「この映画最後まで見てから・・・」


俺と名雪は、リビングで9時から放映されている洋画を見ていた。

ちなみに、正確には9時5分からだ。

秋子さんはついさっき自室に戻っていったので、リビングにはふたりしかいなかった。


「見てから・・・って、半分寝てるんじゃないか?」


パジャマに半纏を羽織った姿で隣に座っている名雪の方を見ると、


「・・・くー」


半分どころか、完全に眠っていた。


(・・・今日も部活だって言ってたもんな)


「・・・うにゅ」


安心しきった表情で安らかに寝息を立てている。

ちょうど映画はCMに入っていた。

壁の時計を何気なく見ると、10時を少し過ぎたところだった。

3分ほどのCMが終わり、映画が再開される。


「・・・あ・・・わたし、寝てた・・・」


どうやら目が覚めたようだ。


「映画・・・どうなったの・・・?」
「タイミングが悪かったな。 さっき真犯人が明らかになったところだ」
「・・・えっ? わたしも見たかったよ・・・って、そんな映画じゃないよ~」
「ちょっと寝てただけだから大丈夫だ」
「あ・・・そうなんだ」


安心した様子でテレビに戻る。


プルルルルル・・・


「電話?」


ふたりで同時に、リビングに置いてあるコードレスの電話を見る。

受信を知らせる赤いランプが、呼び出し音に合わせて点滅していた。


「いい、俺が出るから」


立ち上がりかけていた名雪を制して、代わりに受話器の前に立つ。


「えっと、水瀬だよな?」
「うん」


確認してから着信ボタンを押す。


「はい、水瀬です」
「・・・・・・」
「もしもし?」
『・・・相沢・・・君?』


ぼそぼそと呟いた声。

電話の雑音とテレビの音にかき消されそうな、か細い声。


「香里か?」


俺の声に、テレビの音量が小さくなる。

名雪が気を利かせてくれたのだろう。


『・・・うん』


さっきよりはっきりとした声。

美坂香里に間違いなかった。


「どうしたんだ?」
『あなたたちって、本当に同じ家に住んでたのね・・・』
「まぁ、親戚だからな」
『親戚ね・・・』
「で、なんの用なんだ? まさかそんなことを確認するために電話してきたんじゃないんだろ?」
『あたしは、そんなに暇じゃないわよ』


受話器の向こう側から、街の喧噪が聞こえる。

おそらく、公衆電話からなのだろう。


「だったらなんの用なんだ?」
『ちょっと話があるんだけど・・・今から出てこれない?』
「誰が?」
『相沢君が』
「寒いから嫌だ・・・」
『・・・・・・』
「と、思ったけど・・・まあいいや」
『・・・・・・』
「何時に、どこに行けばいいんだ?」
『・・・今すぐ、学校で』
「分かった」
『じゃあ、待ってるから』


ガチャッと、受話器の戻る音。

そして、ツーーツーーと発信音だけが聞こえてくる。


「・・・どうしたの?」
「悪い、ちょっと出かけてくる」
「うん。 行ってらっしゃい」


穏やかに手を振る名雪を残して、リビングを後にする。


「祐一」


後ろから、呼び止められる。


「力になってあげてね」
「・・・ああ」


簡単に身支度を整えて、そのままの足で外へ。


・・・。

 

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外は、当然のように闇の中だった。

風も強く、そして冷たい。


・・・。


街頭の明かりを頼りに、駆け足でいつもの通学路を走る。


「くそっ、寒いぞっ」


コートの上からでも突き抜ける寒風。


「やっぱ、断れば良かったかな・・・」


だけど、どうしても香里の言葉を拒絶することができなかった。

いつも通りの口調だった。

でも・・・。

放っておくと、香里が今にも泣き出しそうに思えたから・・・。


・・・。


夜の学校は、想像していた以上に寂しくて冷たい場所だった。

揺れる木々のざわめきと、揺らす風の足音。

歩道に配された街灯が青白く光り、足下をほのかに照らしていた。

閑散という言葉がしっくりくる。

閉ざされた昇降口。

闇に溶ける廊下のガラス。

浮かび上がる枯れ木の影。

ゆっくりと流れる薄黒い雲。


そして・・・。

 

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「・・・・・・」


街灯の下に、美坂香里がただ立っていた。

制服姿の香里が、俺の姿を見つけて視線だけを動かす。

真上からの照明に照らし出されて、落ちた影が四方に散らばる。

冷たい真夜中の風に揺れる影を押さえることもなく、無表情で俺の視線を正面から見据える。


「ちゃん来てやったぞ」
「・・・遅いわ」
「なんの説明もなしに呼び出しといていきなりそれかっ」


香里が動く気配もないので、俺の方から歩いていく。


「・・・ちょうど2週間ね」
「何が?」
「・・・色々と」
「頼むから、俺に分かるように説明してくれ」


香里が立っている光の輪に、俺も足を踏み入れる。


「2週間・・・いろんなことがあったよね」
「・・・そうだな」
「2週間なんて・・・あっと言う間・・・」


痛みに耐えるような表情で、微動だにせずに・・・。


「きっと・・・1週間はもっと短いでしょうね・・・」


俺がこの街に来てから、2週間。

名雪と再会してから、

新しい学校に通い初めてから、

香里と初めて顔を合わせてから、

そして、栞と出会ってから・・・。


「・・・・・・」
「それで、話ってなんだ?」
「・・・・・・」
「栞のことか?」
「・・・妹のこと」
「・・・・・・」
「あたしの、たったひとりの妹のこと」
「・・・続けてくれ」


妹。

今まで、かたくなに妹の存在を拒絶し続けていた香里の口から出た言葉。

その言葉の重さ。

そして、意味。


「相沢君、あたしに言ったよね・・・あの子のこと、好きだって」
「ああ」
「今でも?」
「ああ」
「・・・そう」


最初に香里がこの質問を投げかけた時と同じように・・・。

そしてそれ以上に、深い悲しみの表情で俯く。


「あの子、生まれつき体が弱いのよ」
「それは知ってる。 だから、ずっと学校に来ることができなかったんだろ?」
「あの子、楽しみにしてたのよ・・・。 あたしと一緒に、あたしと同じ学校に通って・・・。 そして、一緒にお昼ご飯を食べる・・・。 そんな、本当に些細なことを・・・あの子は、ずっと切望していたの」
「・・・・・・」
「あと1週間で、あの子の誕生日。 つぎの誕生日まで生きられないだろうと言われた、あの子の誕生日」


さっきまでと同じ口調だった。

感情の起伏を抑えて、淡々と言葉を紡ぐ。


「・・・・・・」


だから・・・香里の言葉の意味が分からなかった。


「・・・どういうことだ」
「言葉通りよ」


俺の言葉を待っていたかのように、呟く。


「あの子は、医者に次の誕生日までは生きられないだろう、って言われているのよ」


栞の明るい表情、

元気な仕草、

そして、雪のように白い肌・・・。


「でも、最近は体調も少しだけ持ち直していた。 だから、次の誕生日は越えられるかもしれない・・・」
「・・・・・・」
「でも、それだけ。 何も変わらないのよ。 あの子が、もうすぐ消えてなくなるという事実は」
「・・・そのことを、栞は知ってるのか?」
「知ってるわ」


・・・。


「・・・いつから知ってたんだ・・・栞は」
「もう、ずっと前・・・」


青白い外灯のあかりが、香里の姿を闇に浮かび上がらせる。


「去年のクリスマスの日に、あたしが栞に教えたのよ」


俺が初めて栞に出会った、ずっとずっと前から・・・。


「どうして、そんな話を俺にするんだ・・・?」
「あの子、あなたのこと好きだから」
「どうして、栞に本当のことを教えたんだ?」
「あの子が訊いてきたから」
「どうして、栞のことを拒絶したんだ?」
「・・・・・・あたし・・・」


いつも気丈にふるまっていた香里の姿は、そこにはなかった。

不意に、抑えていた感情が流れ出る・・・。

 

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「あたし、あの子のこと見ないようにしてた・・・。 日に日に弱っていくあの子を、これ以上見ていたくなかった・・・いなくなるって・・・もうすぐあたしの前からいなくなるんだって、分かってるから・・・」


俺の服をつかんだ両手が震えているのが分かった。


「普通に接することなんてできなかった・・・。 だから・・・あの子のこと避けて・・・妹なんか最初からいなかったらって・・・こんなに辛いのなら・・・最初から・・・最初からいなかったら、こんなに悲しい思いをすることもなかったのに・・・」


香里の嗚咽の声が、夜の校舎に響いていた。

流れる涙を拭うこともなく、ただじっと泣き崩れる。

妹の前では、決して見せることのなかったであろう姉の涙。


「・・・相沢君。 あの子、なんのために生まれてきたの・・・」


夜風にさらされながら、俺はその場所から動くことができなかった・・・。

香里の最後の問いかけに答えることもできずに・・・。

その言葉だけが、ずっとずっと俺の中で響いていた・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 



『あの子、なんのために生まれてきたの・・・』

 

 


1月24日 日曜日


「・・・・・・」


気がついたとき、周りの風景は全く同じ佇まいを見せていた。

開け放しの窓に、淡い色のカーテンが揺れている。

流れる生地の裾から、黒い風景が顔を覗かせていた。


「・・・・・・」


気怠く重い身体。

闇に瞳が慣れて、初めて自分が私服のままであることに気づく。

汗を吸収した生地は、ごわごわと身体を締めつけ、それでなくても不快な寝起きをさらに憂鬱な気分にさせる。

一瞬、ほとんど寝ていないのだと思った。

しかし、休みの日に1日中寝ていた後のような、頭の中身が鉛にすり替わってしまったような感覚。

そして・・・。


「・・・どうせなら、起こしてくれたらいいのに」


ドアの前に置かれたお盆。

その上にのった食器。

冷めてもいいように、わざわざおにぎりにしてくれている。

起きてすぐに食べられるようにとの配慮だろう。


「・・・・・・」


食欲なんてない。

ただ喉が乾いていることに気づいて、皿の横に置かれているコップを手に取る。

手に張りつくくらい冷えた水をしわがれた喉に流し込み、不意に周りを見渡す。

開いた窓。

揺れるカーテン。

秒を刻む時計。

静かな部屋。

本当に静かな部屋。

それこそ、気が狂いそうになるくらいに・・・。


『あの子は、医者に次の誕生日までは生きられないだろう、って言われているのよ』


不意に鎌首をもたげる言葉。

あんな表情の香里は初めてだった。

その短い言葉が意味する内容。

今までの、栞の言葉・・・。

元気な仕草・・・。

明るい表情・・・。

そのどれもが、たった一言で暗転する。

鉛入りの頭がずきずきと痛む。

夢。

そう思いたかった。

しかし、夢と現実の区別がつかないほど俺の意識は混濁してはいなかった。

コップを持ったままベッドに腰掛け、何をするわけでもなくカーテンを見つめる。

栞の誕生日まで、あと1週間・・・。


「・・・・・・」


コンコン・・・。


闇の静寂の中で、遠慮がちなノックの音が聞こえる。


「・・・祐一?」


問いかけるような声。


「・・・ああ」
「入るよ?」
「・・・ああ」


微かな音を立てて、扉が開く。

漏れる光。

廊下からの逆光に照らされて、名雪がひょこっと顔を出す。

 

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「わ・・・真っ暗だね」
「・・・ああ」
「とりあえず、明かりつけてもいい?」
「だめだ、灰になる」
「だったら、ドアも閉めるね」


バタンと扉が閉まり、部屋の中が再び闇に包まれる。


「わ・・・もっと真っ暗だね」
「・・・なんでまだ残ってるんだ」
「灰になるから」


呟いて、俺のすぐ横に腰掛ける。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


闇に慣れた瞳も、一度光を見てしまったせいで再び閉ざされていた。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・何がしたいんだ?」
「分からない」
「・・・・・・」
「分からないけど・・・でも、側にいた方がいいような気がして」
「・・・余計なお世話だ」
「うん、そうだね。 余計なお世話だと思うよ」


それっきり、お互い無言だった。

俺は何も言わないし、名雪もこれ以上詮索はしない。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


さっきまでと同じ静寂の中、時間だけが流れる。

だけど、そんな静寂が嫌ではなかった。

 

名雪
「ん?」
「ちょっと出かけてくる」
「外、寒いから気をつけてね」


立ち上がり、まだベッドに腰かけたままの名雪を残して、扉を開ける。


「祐一」
「なんだ?」
「そのおにぎり、食べてもいいかな?」


おなか空いたから、と照れたようにつけ加える。


「好きなだけ食べてくれ」
「うん」
「・・・それから・・・ありがとうな」


言い残して、俺は夜の街に飛び出した。


・・・。


あてがあるわけではなかった。

ただ、じっとしていたくなかった。

容赦のない冬の風。

真正面から吹き荒ぶ透明で冷たい風。

・・・雪が降ると吹雪だな。

澄んだ空。

光を散りばめた空。

思いつく限りの場所を、ただ歩く。


・・・。

 

栞と初めて出会った場所・・・。

栞を毎日顔を合わせた場所・・・。

栞と一緒に歩いた場所・・・。

そして、栞と最後に会った場所・・・。

 

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「ここは、夜の方が綺麗ですよね」


四方を取り囲む街灯のオレンジに照らされて、一人の少女が微笑んでいた。

地面に落ちる半透明の影が、少女を中心に四方に伸びている。


「俺は寒いから昼の方がいいな」
「残念です」


穏やかな表情のまま、くるっと俺に背中を向ける。

その前方には、光を浴びて輝く噴水が以前と同じ佇まいを見せていた。


「・・・噴水、こんな時間でもちゃんと動いているんですね」
「止めたら凍るからな」
「あ・・・それでなんですね」
「噴水は、見てると余計に寒くなるから嫌いなんだけど・・・どこかに栓とかないか?」
「そんなのないですよ。 あっても、止めたらダメです」
「・・・・・・」
「こんなに綺麗なんですから、見ていたいじゃないですか・・・。 ずっと、ずっと」
「・・・・・・」


いつの間にか、上空の風は穏やかなものに変わっていた。

肌をそよぐ風が、少女の短い髪を揺らす。

ストールの裾を手でなでつけながら、少女はただ闇の中で立っていた。

止まることのない水面を見つめながら、流れる風に身を任せながら。

やがて、ゆっくりと水の音が小さくなる。

中央の大きな水柱が消え、周りを取り巻く小さな噴水から新たな水の柱が幾つもの光をまとって水面を揺らす。

穏やかに、優しく・・・。


「祐一さん」


静寂の闇の中で、不意に俺の名前を呼ぶ。

真夜中の公園で、逆光に照らされた俺のシルエットを見つめながら。


「・・・・・・」
「・・・えっと」


一度言葉を止め、自分の心の中の葛藤を押し込めるように、もう一度強く俺の名前を呼ぶ。


「祐一さんには、謝らなければいけないことがたくさんあります」
「・・・・・・」
「そして、感謝しなければいけないことも、たくさん、たくさん・・・」


表情は分からなかった。

そして、あえて抑揚を抑えたような声。


「立ち話もなんだし、そっちに行ってもいいか?」
「・・・はい」


頷く栞は、俯いたまま背中を向ける。

俺は栞の背中を追いかけるように、噴水に向かって歩を進める。


「座ろうか」
「・・・・・・」


今度は無言で頷く。

背中を押すように、ゆっくりと少女の体に手のひらを重ねる。

栞は促されるまま、噴水の縁に腰を下ろす。


・・・。

 

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いつかの光景と同じように、俺もその横に座る。

ちょうどその時、止まっていた噴水が勢いよく水を吹き上げる。

静かな空間を揺らす水の音。

飛沫がコンクリートを濡らす。


「・・・寒いですね」
「栞は、寒いの得意だろ?」
「得意じゃないです」
「そうか? いつもアイスクリーム食べてただろ」
「アイスクリームは好きです」


一度、間を空ける。


「でも、この季節に食べるものではないです」
「そうだろうな」
「もっと暖かくなってから、食べたかったですよね」


淡々と紡ぐ言葉。


『あと1週間で、あの子の誕生日』


『次の誕生日まで生きられないだろうと言われた』


『・・・あの子の誕生日』


・・・。


「・・・話してくれるのか?」
「・・・はい」


視線を夜の公園に向けたまま、言葉を続ける。

聞きたくなかった。

知りたくなかった。

だけど、それが事実であるのなら、俺はその事実を知りたい。

栞の・・・俺が本当に好きな人の口から、直接。


「祐一さん、ごめんなさい」
「・・・・・・」


謝罪の言葉を、無言で受け止める。

今、自分がどんな表情をしているのか、俺には分からなかった。


「私、祐一さんに嘘ついてました」
「本当は風邪なんかじゃなかったんだろ?」
「はい・・・。 本当は、もっともっと、重い病気・・・たくさんのお薬を飲んで、もっとたくさんの注射をしても治らない病気・・・そして・・・お医者さんに次の誕生日を迎えることはできないって・・・言われて・・・」


言葉が曇る。


「・・・なんの病気なんだ・・・?」
「病名・・・ですか?」


初めて俺の方を見つめて、

笑顔で、

悲しいくらいの笑顔で、

 

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「えっと・・・覚えてないです」


にこっと微笑む。


「何か、難しい名前だったことは覚えていますけど」
「・・・・・・」
「だって・・・病名が分かっても・・・どうにもならないことに違いないですから。 だから・・・名前なんて、そんなの意味ないです」
「・・・・・・」


笑顔だった。

すべてを受け入れて、すべてを諦めて・・・。


「もうひとつ、謝らないと・・・」
「・・・・・・」
「私、祐一さんのこと、好きです」
「・・・・・・」
「たぶん、他の誰よりも祐一さんのことが好きです」
「・・・・・・」
「本当は、誰も好きになったらいけなかったんです。 誰にも心を開いたらいけなかったんです。 辛くなるだけだって・・・分かっていたから・・・」


言葉が出てこなかった。

俺の瞳をまっすぐ見つめる少女。


「でも、ダメでした」


綺麗な瞳だと思った。


「どんなに迷惑がられても、私は祐一さんのことが好きです」
「・・・・・・」
「・・・本当は、こんなこと言っても・・・何の意味もないのに・・・悲しくなるだけだって、分かってるのに・・・私・・・馬鹿だから・・・お姉ちゃんに嫌われるくらい・・・馬鹿だから・・・」
「・・・・・・」
「ごめんなさい、祐一さん・・・また、嘘ついてしまいました」


そして、いつものように、ただニコッと笑う。

この少女は、泣くことはないのだろうか・・・。

ふと、そんなことを思う。


「・・・それだけが、どうしても祐一さんに謝りたかったんです」
「・・・栞」
「はい?」
「・・・ドラマだと、これはどんなシーンなんだ?」
「・・・え?」
「・・・・・・」
「・・・そう・・・ですね・・・ありがち・・・ですけど・・・キスシーンです」
「お約束すぎるな・・・」
「そう・・・ですね・・・。 でも・・・私はそんなお約束は嫌いではないです・・・。 だって・・・お話の中でくらい・・・ハッピーエンドが・・・見たいじゃないですか・・・辛いのは・・・現実だけで・・・充分です・・・幸せな結末を夢見て・・・そして・・・物語が生まれたんだと・・・私は思っていますから。 ちょっと・・・かっこいいですよね・・・」


震える声で・・・。

精一杯の言葉を・・・。


「栞・・・」
「はい・・・」
「俺は、ドラマはあまり見ないけど・・・。 でも、今ここで・・・そんなありがちな場面を見てみたい」
「・・・・・・どうして・・・ですか・・・?」
「やっぱり、栞のことが好きだから」
「・・・・・・」
「ずっと一緒にいたいと思ってる。 これから・・・何日経っても、何ヶ月経っても、何年経っても・・・栞のすぐ側で立っている人が、俺でありたいと思う」
「・・・ホントに・・・ドラマみたいですね・・・」
「そうだな・・・」
「祐一さん、ひとつだけ約束してください」


視線を俺の方に向けて、そして一度区切った言葉を、もう一度続ける。


「私のことを、普通の女の子として扱ってください。 学校に通って、みんなと一緒にお昼を食べて・・・好きな人と、商店街を歩いて・・・お休みの日は、遠くまで出かけて・・・夜遅くなるまで遊んで、お父さんとお母さんに怒られて・・・でも、お姉ちゃんがかばってくれて・・・」
「・・・・・・」
「私は戻ることができるんです。 楽しかった、あの頃に・・・元気だった、ただその日その日を精一杯生きていた、あの頃に」


一瞬だけ覗かせた、泣き笑いの表情。

だけど、それもすべてを諦めた様な笑顔にとってかわられる。


「でも、1週間だけです。 1週間後の2月1日・・・私は、祐一さんの前からいなくなります。 それ以上の時間は、私にとっても、祐一さんにとっても、悲しい思い出を増やすだけですから・・・」
「・・・・・・」
「ですから、1週間です。 私の誕生日に、私は、普通の女の子であることを捨てます。 そのあとは、お医者さんの言いつけ通り、病院のベッドで静かに時を刻みます。 祐一さんとの思い出を、何度も何度も繰り返しながら・・・それでも、本当に私を受け入れてもらえますか?」
「・・・・・・」
「本当に、私のことを、普通の女の子として・・・笑って話しかけてくれますか?」
「約束する」
「ありがとうございます」


無邪気な笑顔が痛かった。

信じたくないであろう事実を突きつけられて、それでも精一杯生きることができる小さな少女。

事実から目を背けることもなく、真正面から受け止めること。

俺に、この強さがあるのだろうか?

もし、直視することのできない事実を目の前の突きつけられたときに、

俺は事実を事実として受け入れることができるのだろうか?

だからせめて、俺は栞をひとりにはしたくなかった。

好きだから。

本当に好きだと言える人だから。

夜の公園。

冷たい風。

ざわめく水。

街灯の明かり。

噴水の縁に座るふたり。


「一ヶ月早かったら、ちょうどクリスマスですね」
「そうだな」
「ちょっとだけ、残念です」


本当に残念そうに、それでも笑顔を続けながら、ゆっくりと目を閉じる。


・・・。


噴水が止まっていた。

静寂が夜の公園を包んでいた。

緩やかな水面に、二人の姿が映る。

抱きしめた少女の体は小さくて、

怯える小動物のように小刻みに震えていた。


・・・ゆっくりと、時間が動く。

・・・どちらからともなく、顔を近づけ・・・。

 

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初めて触れる、雪のように白い少女の唇は、柔らかくて、そして温かかった。


「あったかいです・・・」


すぐ間近で、栞が微笑んでいた。

そして、

この瞬間、栞は普通の女の子になった。

自分の精一杯のために。

1週間の間だけ・・・。

夜の公園。

また風が出てきたのか、見上げた夜空には雲が流れていた。


「えっと、それではこれで帰ります」
「大丈夫か?」
「大丈夫です。 私の家、この近所ですから」
「だったら大丈夫だな」
「もし、痴漢がでたら大声あげますから、助けに来てくださいね」
「誰も好きこのんで栞なんか狙わないだろ」
「そんなことないですっ。 そんなこと言う人、嫌いですっ」
「冗談だって」
「冗談でもひどいです」
「で、本当に送らなくて大丈夫なのか?」
「はい、本当に大丈夫です」
「そうか、じゃあ気をつけてな」
「それでは、また・・・」
「ああ、また明日な」
「はいっ」


頷いて、振り向いて、そして歩き出す。

遠ざかる栞の背中。


「・・・・・・」


闇に溶けるように。


「栞っ!」
「・・・・・・」


呼び止めた声。

もう一度振り返る栞。


「・・・・・・」
「何とかならないのか・・・」
「・・・・・・」
「もう、どうしようもない状態なのか・・・」
「・・・はい」


小さく、それでも確かに首を傾ける。


「本当に、どうしようもないのか・・・!」


それでも何かにすがるように、言葉を続ける。

それが、栞にとって苦痛にしかならないことを知っていながら。


「そうですね・・・」


雪のように白い肌・・・。


「奇跡でも起きれば何とかなりますよ」
「・・・・・・」
「・・・でも」


穏やかに微笑みながら、自分の運命を悟り、そして受け入れた少女が言葉を続ける。


「起きないから、奇跡って言うんですよ」


冷たく流れる風の中、

飛沫をあげる水の音、

俺は、栞の姿が見えなくなるまで、ずっとずっと闇の中に立っていた。


・・・。


1月25日 月曜日

 

・・・。


朝。

薄いカーテンから差し込む光を瞼の奥に浴びながら、微睡みの中を浮かんでいた。

長かった夜が明け、また、いつもの冬の日が始まる。

俺は鈍く痛む頭を擦すりながら、体を起こした。

確かに、睡眠時間は充分とはいえなかった。

時計を見ると、ちょうど7時半。

俺はベッドから抜け出した、カーテンを左右に開ける。

網膜に飛び込んでくる白。

痛いくらいの純白。

今日も、いい天気で・・・。

まるで、夢の続きのように・・・。


・・・。


「おはようございます、祐一さん。 名雪もおはよう」


名雪を引っ張って食卓に顔を出す頃には、すでに8時を回っていた。

楽しそうに朝食をテーブルに並べながら、秋子さんが出迎えてくれる。


「・・・眠い」
「寝るな」
「・・・おはようございます」


お辞儀、というか机に突っ伏す。


「・・・くー」


やっぱり寝ていた。


「何やってんだ・・・」
「・・・うにゅ」


返事なのか寝言なのか微妙なところだった。


「こんなところで寝てると、ジャムの中に髪の毛が入るぞ」
「大丈夫・・・」
「どうして?」
「ジャム、好きだから・・・」
「寝てるな。 完全に」


「祐一さん、今日は大目に見てあげてくださいね」


テーブルに散らばった髪の毛を後ろで束ねながら、秋子さんが穏やかに応える。


「この子、昨日は祐一さんが帰って来るまでずっと起きていたみたいですから」
「ずっと・・・?」
「でも、途中で寝てしまっていましたけど」
「そうですか・・・」


昨日のことでは、名雪にはずいぶんと心配をかけていたようだ・・・。


「どうしましょうか?」


すでに、朝食を食べているような時間さえなかった。


「どうするもなにも・・・」


「・・・くー」


「どうしましょうか・・・」


名雪は、間違いなく夢の中だった。


「わたしが起こしますから、祐一さんは先に行っていてください」
「・・・分かりました、お願いします」


熟睡中の名雪を秋子さんに託して、俺はひとり鞄を背負った。


「行ってらっしゃい、祐一さん」


・・・。


秋子さんに見送られて、ひとりで家を出る。

雪の残る風景を眺めながら、俺は寒空の下、学校への道を急いだ。


・・・。


朝食を抜いたためか、思っていた以上に早く学校まで辿り着いた。

この時間に学校へ来る生徒が一番多いのか、雪の積もった校門は制服姿であふれ返っている。

道すがら数人のクラスメートから声をかけられる度に、いつの間にかこの街に馴染んでいる自分に気づく。

俺がこの雪の街で生活を始めてから、3週間近くが過ぎていた。

色々なことがあった。

本当に、色々なことが・・・。


「おはようございますっ」


どんっ、と体当たりするように誰かが俺の背中にくっついていた。

首を動かして、視線を後ろに向ける。

 

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真冬の学校。

所々に残る雪。

雪溶けの水で湿った赤煉瓦の上に、ひとりの少女が立っていた。


「えーっと・・・すいません、嬉しくて体当たりしてしまいました」


よく知った少女が、見たことのない姿で申し訳なさそうに頭を下げていた。


「・・・・・・」


俺は、とっさに何も言葉を返すことができなかった。

ただ脳裏をよぎったのは、公園での言葉。


『最後にひとつだけお願いがあります』


『私のことを、普通の女の子として扱ってください』


『1週間、だけですけどね』


「・・・栞」
「はいっ」


真新しい制服に身を包んだ栞。

丁寧に両手を前で揃えて、綺麗な鞄を大切そうに抱えていた。


「今日から一生懸命お勉強です。 がんばりますっ」
「・・・そうか」
「そうだ、今日は一緒にお昼食べませんか?」


名案、という風にぽんと手を叩く。


「俺は、別に構わないけど・・・」
「それなら、4時間目が終わったら祐一さんのクラスに・・・」


不意に表情が曇る。

しかし、それも一瞬のこと。


「あ・・・やっぱり、学食で待ち合わせしましょう」
「そうだな・・・」
「それでは、私行きます」


ぺこっとお辞儀をして、生徒の流れに身を任せる。

そして、途中でくるっと振り返り、大きく手を振る。


「待ってますよっ。 遅れたら嫌ですよっ」
「ああ」
「祐一さんのおごりですよっ」
「ああ・・・ってちょっと待てっ!」
「冗談ですよっ」


一際大きく手を振る。

通りすがりの数人の生徒が、栞の姿をちらりと視界におさめて、何事もなかったかの様にまた歩き出す。

今の生徒には、栞の姿はどう映っているのだろうか?

俺は、何気なく昨夜の言葉を思い浮かべながら、歩き出した。


『奇跡でも起きれば何とかなりますよ』


『でも・・・』


『起きないから、奇跡って言うんですよ』


・・・。


幸い、名雪はぎりぎりのところで遅刻を免れていた。

 

『全速力で走ったよ』


そう言って、肩で息をしていた。

もしかすると、俺よりもよっぽど名雪の方が足が速いのかもしれない。


・・・。

 

1時間目、2時間目、といつも通りの風景が流れていた。

俺が転校してきてから3回目の月曜日の授業。

窓の外は雪景色で、黒板には白い文字が連なっている。

横を向くと、まだ眠たそうな表情の名雪の姿があった。

その後ろには、香里が座っている。

登校してきた俺に、普段と何も変わらない挨拶をした香里・・・。

昨夜、栞と出会わなければ、すべて夢あったと思えたかもしれない。

やがて、4時間目の授業が始まって、そして終わった。

俺は、名雪の誘いを断って、ひとりで学食へ向かった。


・・・。


いつもながら小綺麗な学食は、相変わらずたくさんの生徒でにぎわっていた。

冬の寒空の中、屋外で弁当を広げようという生徒は当然のように誰もいない。

おかげで、暖房が効いている学食に人が集まるわけだ。


「おーい、栞」


学食の入り口でそわそわしている栞の姿を認めて声をかける。

 

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「あ、祐一さん・・・」


安堵の表情で俺の方にやってくる。


「こんなところで待ってなくても、先に座ってたらよかったのに」
「緊張してしまって・・・」
「初めてなんです。 学食に来るの」


そう言って、怖々と学食の中を覗き込む。


「人が、たくさんいますね」
「そりゃな」
「お邪魔していいんですよね?」
「大丈夫だろ、制服着てるし」


というか、入らないと食べられない。


「そうですね、がんばってみますっ」


無意味に決意を新たにする栞を引っ張って、学食の中へ。

ちょうど向かい合わせの席が空いていたので、栞に座っていて貰う。


「栞は何がいい? 俺がとってきてやるけど」
「えっと、それでは、祐一さんと同じものでいいです」
「俺はカレー頼むけど?」
「・・・・・・」
「・・・どうした?」
「えっと、何でもないです・・・。 それでは、私もカレーお願いします」
「分かった。 ちゃんと席取っていてくれな」
「任せてくださいっ」


ぽんと自分の胸を叩く栞を残して、俺はひとり席を立った。

程なくして、俺と栞の目の前にカレーライスがふたつ並ぶ。

スプーンの柄をぎゅっと握りしめ、福神漬けののったカレーを見つめる栞。


「・・・おいしそうですね」


言葉とは裏腹に、どこか緊張した面もちだった。


「ここのカレーは、結構本格的だからな」
「・・・・・・」
「・・・?」


カレーを見つめる栞を不思議そうに見ながら、カレーを口に運ぶ。


「・・・いただきます」


俺にならうように、栞もスプーンを動かす。

鈍色に輝くスプーンをご飯に差し込み、ご飯だけをすくい取り、ご飯だけを口に運ぶ。


「・・・おいしいです」
「全然カレー食ってないだろっ」
「こ、これからですっ」


もう一度、スプーンを動かす。

スプーンを福神漬けの山に差し込み、福神漬けだけをすくい取り、福神漬けだけを口に運ぶ。


「・・・こりこりしてておいしいカレーですね」
「・・・栞、思いっきりわざとに見えるぞ」
「そ、そんなことないですよ」


みたびスプーンを動かす。


「次はらっきょうか」
「・・・そんなこという人、嫌いです」
「カレーがダメなんだったら、別のものにすれば良かったのに」
「・・・ダメ、ではないんです」


俯きながら、今度はカレーをすくい取る。

スプーンの先の方で、ほんの少しだけ。

そのまま口に運ぶ栞。


「・・・・・・」


スプーンをくわえたところで、栞の動きが止まる。

 

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「・・・うぅ~」


栞の表情が、見る見る涙目になっていた。


「・・・だ、大丈夫か?」
「・・・・・・」


うんうん、と頷くものの、やはり瞳は潤んでいた。


「・・・水、飲むか?」


差し出した水を、一気に傾ける。

コクコク・・・と喉を鳴らしながら、コップの水を半分くらい飲み干したところでテーブルの上に戻す。


「・・・ふぅ」


ほっ、と息をついている。


「どうしたんだ?」
「えっと・・・。 私、実は辛いの全くダメなんです・・・」
「からい、って普通のカレーだぞ」
「普通でも、私にとってはダメなんです・・・」
「家でカレーとか食べるときはどうしてるんだ?」
「・・・子供向けの、レトルトカレーを食べてます」
「・・・味気なくないか?」
「それくらいがちょうどいいです」
「しょうがは?」
「見るのも嫌です」
「わさびは?」
「名前を聞くのも嫌です」
からしは?」
「人類の敵です」
「アイスクリームは?」
「大好きです」
「だったら、アイスクリームでも食べとけ」
「はい・・・」
「買ってきてやるから」
「ご迷惑をおかけします・・・」


申し訳なさそうにうなだれる栞を残して、もう一度カウンターへ。

いつものアイスクリームを買って、すぐに栞の元に戻る。


「これだけでいいのか? さすがに腹減ると思うけど・・・」
「大丈夫です。 いつもあまり食べませんから」


嬉しそうにカップの蓋をあけて、木のスプーンでバニラアイスをすくい取る。


「この蓋についてるのは食わないのか?」
「食べないですよっ」
「もったいないな・・・こういう所の方がうまいと思うんだが」
「それは、貧乏性です」
「そうかなぁ・・・」
「そうですよ」


心底嬉しそうに、一口目を口に入れる。


「・・・うー」
「今度はどうした?」
「舌がひりひりします・・・」
「器用な奴・・・」
「うー」


情けない声を上げる栞。


「・・・時間はあるから、ゆっくり食べろ」
「・・・はい」


カレーライスを(ふたり分)食べる俺と、アイスクリームだけをゆっくりと食べる栞。

この不思議な取り合わせは、案の定、とても目立っていた。

周りに座っている生徒や、横を通りかかった生徒が、奇異の視線を送っている。

学年も違えば雰囲気も違うふたり。

だけど、周りがどう思おうと今のふたりは恋人同士だ。


「そうだよな、栞」
「はい?」


急に声をかけられて、訳も分からず『?』を浮かべながら俺の方を見る。


「えっと・・・すみません、お話を聞いていなかったんですけど・・・。 でも、私もそうだと思います」


口元に手を当てて、うんっと頷く。

その何気ない仕草が、本当に嬉しかった。


「しかし、ずっとアイスクリームばっかり食べてると牛になるぞ」
「・・・なんか、違いません?」
「そうか?」
「・・・うーん」
「でも、アイスクリームばっかり食べるわけにもいかないだろ?」
「それなら、明日はお弁当を作ってきます」
「弁当か・・・それもいいな」
「はい。 ちゃんと祐一さんの分も作りますからね」
「ああ、期待してるよ」
「はいっ、期待しててください」
「分かった。 味以外は期待してる」
「味も、期待してくださいっ」


拗ねたように横を向いて、


「そんなこと言う人、嫌いです」


直後、いつものように屈託なく笑う。

そこには、本当にいつも通りの栞の姿があった。


「・・・ところで、どうだ? 久しぶりの学校は」
「えと・・・ちょっとだけ疲れました」
「まぁ、そうだろうな」
「でも、楽しいです。 みんな、私が学校に来たことを喜んでくれます・・・。 嬉しかったです。 本当に、嬉しかったです・・・本当に、本当に・・・」
「・・・・・・」


楽しい昼休み・・・。

だけど、不意にそんな風景が虚構に思えて・・・。

栞の笑顔が遠くに見えて・・・。

日常が霞むように・・・。

風景がモノトーンになったように・・・。


「・・・どうしたんですか?」
「・・・いや、何でもない」
「ホントですか?」
「本当だって」
「なんか、怪しいです・・・」
「怪しくない怪しくない」
「やっぱりなにか怪しいです」


ころころと表情を変える栞。

最初に出会ってから、たくさんの栞の表情を見てきた。

無邪気に笑って、悲しそうに俯いて、怒って拗ねて・・・。

でも・・・。

泣き顔だけは見たことがなかった・・・。


・・・。


気がつくと放課後だった。

驚くくらい早く、時間が流れていた。

傾く夕日に目を細めながら、1日がこんなに短かったのだと初めて気づく。


・・・・・・。


・・・。


いつものように家に帰って、

いつものように夕飯を食べて、

リビングでテレビを見て、

風呂に入って、

そして部屋に戻るころには、今日もあと僅かだった。

何気なくカーテンを開ける。

窓の外には、ゆっくりと雪が降りていた。

街の光を遮るように、白い結晶が流れる・・・。

やがて・・・。

今日が終わり、明日が今日に変わった。


・・・。


1月26日 火曜日

 

・・・。


ゆっくりと、


ゆっくりと意識が集まっていく・・・。


瞼の裏から入り込む陽光がぼんやりとオレンジ色に浮かんでいた。

意識が戻ると同時に襲ってくるものは焦燥感。


寝汗を吸い込んで冷たくなった布団を剥がし、ベッドから起きあがる。


「・・・・・・」


いつもの朝。

カーテンレールの軋む音を聴きながら、凍った部屋に陽光を招き入れる。

暖色に照らされた室内。

凍った空気を溶かす日溜まりの中で、俺は身支度を整えた。


・・・。


「いいお天気・・・」


ぽーっと上空を見上げながら、ぽつりと白い言葉を吐き出す。

今日は(比較的)すんなり起きてくれた名雪と一緒に、いつものように水瀬家の門をくぐる。


・・・。


「天気がいいのは結構だけど・・・やっぱり寒いことに変わりはないな」
「風が穏やかだから、今日はずっといいお天気だよ」


空からの光を体で浴びるように、ぐぅっと体を伸ばす。

風はなかった。

雲もなかった。

端から端まで、一面の青。


「今日はきっといいことがあるよ」


雪の残った屋根の下、嬉しそうに歩く。


山羊座だし、B型だし・・・」


テレビの占いコーナーをじっと見つめながら、ニコニコしていた名雪の姿が思い浮かぶ。


「占いなんて信じるもんじゃないぞ」
「・・・そんなことないもん」
「大体、運勢が12個しかないって段階で嘘臭い」
「たまに13個あるよ」
「一緒だ」
「そんなことないよ・・・」


下を向いて、とぼとぼと歩く。

とても悲しそうだった。


「なぁ、2月1日生まれって何座になるんだ?」
「・・・知らない」
「ただでとは言わない」
「・・・イチゴサンデー」
「いくら何でも釣り合わないだろ・・・」
「それなら、イチゴクレープ」
「・・・まぁ、それくらいが妥当だな」
「確か、水瓶座だったと思うよ」
「今週の運勢は?」
「良かったよ」


山羊座ほどじゃないけどね、とつけ加える。


「・・・そうか」
「んと、2月1日って・・・祐一じゃないよね?」
「ああ」
「誰?」
「さぁ」
「内緒?」
「内緒」
「うー」
「さ、学校行かないとな」
「うー」


・・・。


少しずつ、同じ制服を着た生徒の姿が増えてくる。

何気なくひとりの少女の姿を目で探しながら、やがて校門に辿り着いた。


・・・。


昼休みの到来を知らせるチャイム。

 


「祐一」


待ちかまえていたように、隣の席から声がかかる。


「今日のお昼はどうするの?」
「うーん・・・」


今日は栞との約束がある。

もっとも、弁当を作ってくれるというだけで、どこで待ち合わせとかは決めてなかった。


「とりあえず学食に行くけど・・・」


たぶん、栞もそこに来るだろ。


「気をつけて行ってきてね」


ただ学食に行くだけで、気をつけてもないと思うが・・・。


名雪はどうするんだ?」
「香里とお弁当」


振り返った視線の先では、香里がふたり分の弁当を広げていた。


「・・・・・・」


香里と視線が合いそうになり、思わず避けてしまう。

 

「どうしたの?」
「いや、何でもない・・・じゃあ、行ってくるから・・・」


軽く手を振って、廊下の方に歩いて行こうとした、その時・・・。


「あの~、すみません~っ」


まだ喧噪に包まれる前の教室に、妙に緊張した声が響く。

教室にいた生徒が、一斉に声のする方を向く。


「あ、あの~」


クラス全員の視線を浴びながら、教室の扉を半開きにして、1年生の制服を着た女の子が首を出していた。

両手でドアにしがみつくようにして、恥ずかしそうに声を絞り出す。


「相沢さん、いらっしゃいますか・・・?」


「・・・お前、1年生に手を出してたのか」
「北川・・・いきなり誤解を招きそうなことを言うなっ」
「くそ、可愛い子じゃないか」


「・・・・・・」


香里が、複雑な表情で俺と女の子と北川を順番に見ていた。


「・・・あの~」


北川に触発されて、他の男子生徒も騒ぎ出す中、女の子の泣きそうな声だけが虚しく響いていた。


・・・。

 

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「は~、どきどきしました~」


並んで廊下を歩きながら、自分で自分の体を抱きしめるような仕草をする。


「やっぱり、上級生のクラスに行くと緊張しますね」
「緊張したのは俺の方だ・・・」
「そうですか? それならおあいこですね」
「・・・そうだな」


よく分からない理屈に頷き返しながら、胸元で抱きかかえられた弁当らしき包みに視線を落とす。


「ちゃんと、約束通り祐一さんの分も作ってきましたから」
「楽しみだな」
「・・・えっと、あんまり期待しないでくださいね」
「大丈夫。 俺は食い物だったら味は全然気にしない」
「・・・少しは期待してください」


悲しそうに俯く。


「もちろん、うまいに越したことはないけどな」
「はいっ」
「でも、なんでわざわざ2年の教室まで来たんだ? 昨日みたいに学食で待ってたらよかったのに」
「えっと・・・」


考え込むように、首を傾げる。


「憧れていたんです、こういうのに。 ・・・ただ、それだけですよ」


・・・。


おそらく、学食にしては広くて綺麗な方だと思う。

それでもこの時期になると、席はほとんどが埋まり、カウンターの前は生徒でごった返していた。


「やっぱり、人がたくさん居ますね・・・」


ぽかんと口を開けて、学食全体を眺める。


「突っ立ってても場所はとれないぞ」
「あ・・・はいっ」


慌てて走り出す栞。

つまずきそうになりながらも、俺の背中をひょこひょこと追いかけてくる。


「あ、ここが空いてますよっ」


栞が指さす先、ちょうど向かい合わせにふたり分の席が空いていた。


「よくやったぞ、栞」
「はいっ、がんばりました」


ぽん、と栞の頭に手を置いてやる。


「・・・あの、あの」


くすぐったそうに目を細めて戸惑う栞。

そんな仕草が可愛いと思った。

そして、どうしようもなく悲しかった。


「どうしたんですか?」


問いかける栞には答えず、席に着くように促す。

学食の小さな椅子に座り、そして調味料ののったテーブルにやけに巨大な弁当箱がふたつ並ぶ。


「ひとつが俺の分だな」
「両方とも祐一さんの分です」
「・・・は?」
「両方とも、祐一さんが食べてください」
「・・・食えないぞ、こんなに」


どう見ても、ひとつで普通の弁当の4倍はありそうな大きさだった。


「両方とも祐一さんのために作ったんですから、残さず食べてくださいね」
「・・・無理」
「食べてくださいね」


笑顔だが目が真剣だった。

マジだ。


「・・・栞の分は?」
「私は、いつもほとんど食べませんから。 少し食べただけでもお腹いっぱいになります」
「俺だって、そんなに食うほうじゃないぞ・・・」


巨大な弁当箱に、色とりどりの具が詰め込まれている。

しかも、それがふたつだ。


「どう・・・ですか?」
「どう・・・と言われても」
「ちょっと多かったですか?」
「・・・ちょっとな」
「ごめんなさい・・・。 作りたいおかずがたくさんあって・・・それで・・・」
「全部入れてみた・・・と」
「・・・はい」


しゅん・・・と俯く。


「まぁいいや、とりあえず食ってみるから」
「はいっ」


箸を受け取り、手近にあった卵焼きをつまむ。

そして、口に運ぶ。


「・・・・・・」


一連の動作を、真剣な眼差しでじっと見つめる。


「・・・どうですか?」
「うん。 ちょっと甘いけど、でもうまいと思う」
「よかったです~」


ほっと胸をなで下ろしながら、魔法瓶からお茶を注いでいる。

そのお茶を受け取り、喉を潤す。


「それでは、私もいただきます」


お互い、弁当箱に箸を伸ばしては、おかずを口に運ぶ。

その都度感想を言い合って、そして、また弁当に箸をつける。

もちろん箸を動かす回数は俺の方が遙かに多いのだが・・・。


「ふぅ、お腹いっぱいですぅ」
「俺もだ」


新しく注いだ熱いお茶で一息つきながら弁当を見ると、まだ半分以上がそのまま残っていた。


「もっと食べてください」
「無理」


即断で却下する。


「大丈夫です」
「根拠は?」
「祐一さんならできます」
「いや、マジで無理」


ある程度時間を置けば何とかなるかもしれないが、今の状態では一口も喉を通らない自信がある。


「祐一さんなら、本気になればカレーライス8杯分くらいは平気なはずです」
「そんなやつ人間じゃない」
「そんなことないですよっ。 いるかもしれないじゃないですか・・・そんな人が」
「少なくとも俺には無理・・・」
「・・・そう、ですか」


俯いて、まだ中身の残った弁当箱を見つめる。


「・・・ちょっとだけ悲しいです。 でも、おいしいって言ってもらえて嬉しいです。 もしちゃぶ台ごとひっくり返されたらどうしようかって、ホントに心配だったんです」


心底ほっとしたような表情で、コップの中のお茶を傾ける。


「栞、よく料理とかするのか?」
「えっとぉ・・・」


湯気の立ち昇るお茶をテーブルに戻して、困ったような、それでいて照れたような表情を見せる。


「実は・・・お料理も、お弁当も、初めて作ったんです」
「今日が全くの初めて?」
「あはは・・・そうなんです~。 ですから、食べられる物ができるか本当に心配だったんですけど・・・大丈夫だったみたいですね」


あはは・・・と照れ笑いを浮かべる栞。

その表情に、微かに憔悴の色が混じっていた。


「・・・ふわ~」


手のひらを口元に当てて、小さくあくびをする。


「栞、大丈夫か・・・?」
「大丈夫です~。 ちょっと眠たいだけですから~」


疲れたような表情で、それでも笑顔で・・・。


「ありがとうな、栞」
「これくらい、全然へーきです。 だって、すっごく楽しかったですから。 メニューを考えて、材料を買いに行って・・・。 お料理の本を見ながら、ひとつひとつ作っていくんです。 味見して、お弁当箱に詰めて・・・失敗もいっぱいいっぱいしましたけど・・・。 知ってますか祐一さん? 卵を電子レンジに入れると爆発するんですよっ」
「ああ、俺もやったことあるぞ」
「それと、アルミホイルをレンジに入れると花火みたいで綺麗なんですよっ」
「・・・それは、いくら綺麗でもやらないほうがいいぞ」
「それに、それに・・・あっ!」
「どうした?」
「すっかり忘れていました・・・」


そう言って、ごそごそと何かの包みを取り出す。


「実は、デザートも作ってきたんです」


どんっ、と第3の弁当箱が机の上に出現する。


「デザート・・・?」
「はい。 やっぱり食後はデザートですよね~」


嬉しそうに水色のハンカチをほどく。

中からは、今までと同じ大きさの弁当箱。

そして蓋を開けると、中には本当に色とりどりの果物がぎっしりと詰まっていた。


「ごちそうさまでした・・・っ」
「待ってくださいっ!」


立ち上がる俺の制服を、栞ががっしと掴む。


「・・・絶対に無理」
「まだ何も言ってませんよっ」
「・・・もう食えない」
「大丈夫です」
「・・・根拠は?」
「甘い物は入る場所が違うといいますから」
「俺は一緒なんだ~」
「そう・・・ですか・・・」


丁寧にひとつひとつ皮を剥いて、食べやすい大きさに切られた果物の山。

銀紙の器に盛られて、綺麗に並んでいる。


「あ・・・ほら見てくださいっ」


果物の盛り合わせに負けないくらいカラフルなプラスチックの楊枝を取り出し、デザートの山に刺す。


「うさぎさんですっ」


うさぎの耳に見立てて包丁が入れられたリンゴを、嬉しそうに掲げて見せる。


「左右の耳の大きさが違うぞ」
「・・・うー」
「こっちなんか、片方の耳がないぞ」
「・・・うー」
「まだまだだな」
「左右の大きさが違っても、片方の耳がなくても、ウサギさんはウサギさんですっ。 そんなこと言う人、嫌いですっ」
「冗談だって」
「冗談でも傷つきました」


ぷいっ、と頬を膨らませて横を向く。


「ひどいこと言った罰です。 せめてうさぎさんだけは食べてください」


まぁ、時間が経ったのでさっきよりは幾分か入るかもしれない。


「分かった、そのうさぎ俺がバリバリ食ってやろう」
「・・・なんだか嫌な表現ですけど、でも嬉しいですー。 私も、ちゃんと応援しますから」
「応援だけじゃなくて、できれば手伝ってくれ」
「分かりました、それではひとつだけいただきます」
「遠慮するな」
「遠慮します」


お互い楊枝を持って、リンゴのうさぎをつまみ口に運ぶ。

しゃりしゃりという音だけが聞こえる。

無言でリンゴをかじる。

ゆっくりと、ゆっくりと・・・。


「祐一さん・・・」
「・・・ん?」
「えっと・・・」


不意に栞の表情が曇る。

泣き笑いのような表情に、微かに涙が滲んでいた。


「作っているとき、楽しかったです・・・」
「・・・・・・」
「でも、好きな人に食べてもらっている時の方が、もっともっと楽しいですよね」


リンゴのウサギを頬張ったまま、今、この瞬間を心から楽しむように・・・。

涙の滲む目を細めて・・・。

精一杯の笑顔で何度も何度も頷いていた・・・。

 

「なぁ、栞」
「はい?」


リンゴをもごもごと頬張ったまま、栞が頷く。


「・・・なぁ、明日学校サボらないか?」
「どうしたんですか? 急に・・・」


こくんと飲み込んで、栞が不思議そうに俺の顔を見上げる。


「学校サボって、朝からずっと一緒にいよう」
「・・・・・・」


限られた時間、俺は少しでも長く栞と一緒にいたい。

それは、決して言えない言葉。

栞と約束したから。

栞のことを、普通の女の子として扱うって・・・。

だから、俺はこれ以上の言葉を続けることができない。


「・・・・・・」


栞の言葉をじっと待つ。

やがて、栞の言葉が続き、そして、昼休みを終了するチャイムの音。

また、1日が終わる・・・。


・・・。


1月27日 水曜日


・・・。


現国の授業が続いていた。

俺は適当に教科書を机の上に開いていた。

たぶん、授業内容とは関係のないページだと思う。

でも、そんなことはどうでも良かった。

もとよりまじめに授業を受けるつもりもない。

もっとも、最初から授業に集中できるとも思えなかったが・・・。


「・・・今日も、寒そうだな」


左手で頬杖をつきながら、揺れる木々を眺める。

その視界を、白い粉が一瞬だけ遮り、そしてまた同じ景色に戻る。

雪は降っていなかった。

おそらく、風にさらされて、屋上に積もった雪が舞い落ちたのだと思う。


「・・・・・・」


コツコツと黒板を白いチョークが叩く音。

他の生徒たちはまじめに授業を聞いているのか、それとも寝ているのか。

6時間目の教室は、静寂しかなかった。


「・・・・・・」


あと、15分。

教室の壁にかかった時計。

左手の腕時計にも目を遣る。

やはり、あと15分。

薄ぼんやりと漂う空気の中、俺は昨日の栞との会話を思い出していた。


『・・・なぁ、明日学校サボらないか?』
『どうしたんですか? 急に・・・』
『学校サボって、朝からずっと一緒にいよう』
『・・・・・・』
『時間があれば、いろんな場所に行けるし・・・』
『祐一さん』


俺の言葉を、栞が穏やかに遮る。


『そんなことを言うと、まるで・・・もうすぐ会えなくなるみたいじゃないですか・・・』


そう言って笑った。

最後の言葉。

俺は栞の顔を見ていない。

だから、その言葉を紡いだ時の栞の表情を、俺は知らない。


『明日の放課後、一緒に遊びましょう』
『・・・そうだな』
『約束ですよ。 放課後の校門で待ってますから』
『・・・・・・』


俺の思考を、現実のチャイムが遮る。

教室がざわめき、担任がやってきて、そしてホームルームも終わる。

長かった授業が終わり、これで放課後。


・・・。


「祐一、ほうきと雑巾どっちが好き?」


右手にほうき、左手に雑巾を持って、名雪が俺の前に立ち塞がる。


「・・・どっちも嫌い」
「嫌いでも、掃除当番だからちゃんとしないと」
「・・・マジ?」
「うん。 まじだよ」


笑顔で脅迫する名雪からほうきをひったくって、史上まれにみる速度でほうきがけを終わらせた時、

すでに栞との約束の時間は過ぎ去っていた。


・・・。


「遅いですっ」


待ち合わせ場所に顔を見せるやいなや、ふくれ顔の栞が待っていた。


「こんな、か弱い女の子を待たせるなんてひどいですっ。 そんな人、嫌いですっ」
「いや、悪い」
「ずっと待ってたんですよ」
「元気だな、栞」
「そんなこと言ってごまかさないでください」
「でも、そんな言うほど遅れなかったと思うけど」
「それでも、すっごく寒かったんですから」
「ごめん、悪かったよ」
「ふぅ・・・分かりました。 今日は許してあげます」


白いため息を吐きながら、くるっと後ろを向いて歩き出す。

雪を乗せた校門を通り抜け、雪の残る歩道に向かう。


「祐一さん、早く行きましょう」
「そうだな」


遅れた分は、ちゃんと取り戻さないとな。

先をゆく栞を追い越すように、俺も走り出す。


「あっ! 置いていかないでくださいよっ」


短い冬の太陽が、ゆっくりと地面に落ちていた。

あと5回太陽が沈むとき・・・。


「気合いで走れっ」
「わー、無理ですー」


この瞬間も、やがて思い出に還る・・・。


・・・。

 

学校を出てから商店街までの十数分。

風にさらされた雲が流れるように、空の色が変わっていた。

赤く染まる商店街。

赤い道。

赤い人。

赤い影。

赤い雪。


「わぁ~、綺麗ですね~」


無邪気に喜ぶ栞の体も、赤く染まっている。


「私、こんな夕焼け初めて見ました」
「夕焼けなんて、そんな珍しい物じゃないだろ」
「祐一さん、それでもムードっていうものがあるじゃないですか」


困ったように笑いながら、もう一度天上を仰ぐ。


「眩しいですね・・・」


うっすらと滲んだ瞳も赤く染まっていた。

たくさんの赤・・・。

少し薄い赤。

紫がかった赤。

黄色っぽい赤・・・。

幾通りもの赤。


「祐一さん」


腕を引っ張りながら俺の名前を呼ぶ。


「どこに行きます?」
「そうだな・・・」


さっきよりもさらに傾いた太陽。

あまりのんびりしている時間もなさそうだった。

とはいえ、穴場を知っているほどこの街での暮らしは長くはない。


「ウィンドウショッピングなんてどうですか?」
「そうだな、歩いているとなにか凄い発見があるかもしれない」
「凄い発見があるかどうかは保証しませんけど、でもきっと楽しいですよ」


掴んだ腕を引っ張るように、栞が夕暮れの街を歩き出す。


「よし。 何かいいものがあったら、俺が買ってやるぞ」
「わ。 ホントですか?」
「値段にもよるけどな」
「いくらくらいまでならいいんですか?」
「200円」
「・・・祐一さん、最初から買うつもりないですね?」
「でもな、手持ちの金がこれだけしかないんだ」
「そうなんですか?」
「ああ」
「それなら仕方がないですね」


本当はもう少し持っているが、この金は大切なプレゼント購入資金だ。

栞への誕生日プレゼント。

まだ何を買うかは決めていないが、栞の誕生日までにはなんとかしないとな。

しかし、そのためには栞が欲しい物をつきとめなければいけない。

しかも、本人に悟られないように。


「なぁ、栞」


とりあえず、遠回しに欲しい物を探ってみる。


「はい、なんですか?」
「仮に、宝くじで1億円当たったらどうする?」
「びっくりします」
「・・・・・・」
「だって、凄いじゃないですか1億円なんて」
「・・・それで、びっくりした後にどうする?」
「夢じゃないかどうか確かめると思います」
「・・・・・・」
「見たことあるんです。 そういう夢。 ほっぺたつねったら痛くなかったんです」
「・・・それで、夢かどうか確かめた後にどうする?」
「たぶん貯金します」
「・・・・・・」
「・・・あの・・・どのような意図のお話なんですか?」
「・・・いや、もういい」


遠回し過ぎたようだった。


「変な祐一さん・・・」


まぁいい。

時間はまだあるんだ・・・。


まだ・・・。


「あっ、あのぬいぐるみ可愛いと思いませんか?」


立ち並ぶ店の一軒を指さしながら、栞が声を上げる。


「でかいな・・・いくらくらいするんだ?」
「えっと・・・」


ガラスに顔を近づけて、値札を確認する。


「8000円・・・」
「結構高いな・・・」
「あ・・・でも、定価は50万円だそうです」


値札には赤で2本の線が引かれ、金額が書き直されていた。


「・・・もの凄い値引き額だな・・・」
「人気、ないんでしょうか・・・?」
「持ち主が謎の変死を遂げる呪われた人形、とか・・・」
「かっこいいですね」
「・・・そうか?」


時々、栞のセンスがよく分からなくなる。


「私、これ欲しいです」
「やめとけって、こんな呪われた人形」
「まだ呪われていると決まったわけではないです・・・」
「とにかく、もっとまともな物にしような」
「・・・祐一さん、まるで私のセンスがまともじゃないみたいな言い方ですね」
「とりあえず、次の店に行こうか」


先に歩き始める。


「・・・祐一さん、嫌いです」


言って俺の横に並ぶ。

その表情は、笑顔だった。


栞ちゃんっ!」
「きゃうっ」


突然、隣を歩いていたはずの栞の姿が、小さない悲鳴と共に消える。


うぐぅ・・・びっくりしたよ・・・」
「えぅ~、私もびっくりしました・・・」


地面を見ると、あゆと栞がもつれるように倒れ込んでいた。


「・・・なにやってんだ?」
「私、知らないです~」


ふらふらと立ち上がる。


「ということは、お前だな・・・」
「え? ボクはただ栞ちゃんに飛びついただけだよ」
「やっぱり原因はお前じゃないか!」
うぐぅ・・・挨拶だよ・・・」


「だ、大丈夫です・・・ちょっとびっくりしただけですから・・・」


スカートについた雪を、ぱたぱたと払っている。


「あゆ、せめて相手は選べ・・・」
「久しぶりに会えたから、嬉しかったんだよ」
「それで、何の用だ?」
「だから、久しぶりに会えて嬉しかったんだよ」
「つまり、用はないわけだな」
「そんな言い方、いじわるだよ」
「そうですよ、祐一さん」


ふたりして頷き合っている。


「またふたりでお出かけ?」


「まぁな」

「はい」


俺と栞が同時に頷く。

 

「祐一君と栞ちゃんって、やっぱり仲のいい兄妹みたいだね」
「違うぞ」
「そうなの?」
「俺たちは・・・恋人だ」
「わっ、そうなんだ。 ボク、知らなかったよ」


「私も知らなかったです」
「・・・って、何で栞が否定するんだ」
「冗談です」


「やっぱり仲いいね」


俺たちのやりとりをあゆは笑顔で眺めていた。


「それで、あゆは何をしてるんだ?」
「ボクは探し物だよ」


そう言って、力なく笑う。


「・・・まだ探してるのか?」
「うん。 もう少しで見つかるような気がするんだよ」
「そっか・・・。 見つかるといいな」
「うんっ」


「事情はよく分からないんですけど・・・がんばってくださいね」
「ありがとう、栞ちゃん。 ボク、がんばるよ」


元気に頷くあゆの表情に、どこか疲れが見て取れた。


「なぁ、あゆ」
「・・・ん?」
「疲れてないか?」
「全然そんなことないよ。 ボクはいつも元気だもん」
「・・・だったらいいけど。 あまり無理するなよ」
「うん。 心配してくれてありがとう。 ボク、そろそろ行くね」
「またな、あゆ」


「またです、あゆさん」
「うんっ。 ばいばい、祐一君、栞ちゃん


手を振って、そして走っていく。


「・・・・・・」


その姿をじっと見送る栞。

結局、プレゼントも決まらないまま、また1日が終わる・・・。


・・・。


1月28日 木曜日


・・・。


放課後になると、俺はすぐに教室を飛び出した。


・・・。


まだ人の少ない廊下を走り抜けて、昇降口に急ぐ。

靴を履き替えて、外に飛び出す。

1分でも早く、1秒でも早く・・・。


・・・。


「なんだ・・・今日は俺の方が早いと思ったのに」
「残念でした」


校門に背中をもたれるように立っていた少女が、ぴょこっと姿勢を正す。


「全速力で走ってきたのに、なんで栞の方が早いんだ」
「1年生は、今日5時間授業なんですよ」
「なんだ、そうなのか・・・って、だったら1時間以上もここで待ってたのか?」
「そうですね」
「昨日約束したときに言ってくれればよかったのに」
「実は、私も今日知ったんです」


寂しそうに笑う。


「そっか・・・」
「では、今日はどこに行きましょうか」
「よし、今日は思う存分商店街でデートだ」
「嬉しいですー。 ・・・でも、昨日も商店街でしたね」
「大丈夫だって、あんなに広いんだから、まだ行ってない場所がたくさんあるはずだ」
「そうですね」


今日こそは、栞に渡す誕生日プレゼントを買わないと・・・。

そんなことを考えながら、商店街に向かって歩き出した。


・・・。


「真っ赤です」


嬉しそうに夕焼けを眺めながら、栞が呟く。


「あ。 この辺りはまだあまり来たことがないですね」


この一角は、いかにも女の子向け、と言った感じの店が並んでいる。

ひとりだと、まず近寄らない場所だ。

しかし、女の子への誕生日プレゼントを探すのであれば、これほど最適な場所はないのかもしれない。

問題は、何をプレゼントするかだ・・・。

女の子への誕生日プレゼントなんか買ったこともないから、いったい何をあげたら喜んでもらえるのか全く分からない。

かといって、まさか本人に訊くわけにもいかないし・・・。


「祐一さん、あの店に入ってみませんか?」


栞が指さした店は、ぬいぐるみや人形が所狭しと並んでいた。


「・・・この店に入るのか?」
「ダメですか?」
「さすがに、男が入るのはちょっと・・・」
「そんなことないですよ。 祐一さんだったら、違和感ないです」


ぬいぐるみや人形と違和感がないと言われても、全然嬉しくない。


「だったら、俺はここで待ってるから、ひとりで行ってきたらどうだ?」
「そうですね・・・。 分かりました。 ちょっと言ってきますから、待っててくださいね」


言い残して、店に入っていく。


「ちゃんと待っててくださいね」


ひょこっと顔を出して、そして店の中に消える。

さて・・・。


「今のうちに、何か買っておくか・・・」


降って湧いた、プレゼント購入のチャンス。

しかし、一体どんな物を買えば喜んでもらえるのか・・・。


「祐一君っ」


うーむ・・・と思案していた俺の背中を、誰かがぽんと叩く。


「・・・なんだ、あゆか」
「なんだはひどいよっ」


不満そうだが、とりあえず無視しておく。


「うーん・・・」


目の前には、色とりどりに飾りつけられた店の入口がひしめき合っている。

まさに、誕生日プレゼントを買うには打ってつけの場所のようだった。

しかし、何を買うのかさえ決まっていない俺は、どの店に入ったらいいのかさえ分からない。


「無視~無視~」


構ってほしいのか、目の前でぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「悪いけど、今はあゆに構っている暇はない」
「いいもんいいもん! 今度祐一君に道で会ったら、こっそり羽つけるもん!」
「それだけはやめてくれ・・・」
「でも、どうしたの? 複雑な顔で考え込んでるけど?」
「・・・いや、ちょっとな」


こういう場合、まずは相手の特徴を考えてそれに合ったプレゼントを用意するものだと思う。

栞の特徴・・・。

アイスクリームが主食で、趣味は巨大な雪だるまを作ること。


「なぁ、あゆ・・・」
「うん?」
「誕生日プレゼントに、アイスクリームとシャベルを貰って喜ぶ女の子がいると思うか?」
「いないと思う」
「やっぱり、そうだよな・・・」
「どうしたの?」
「そうだな・・・ダメ元であゆの意見を訊いてもいいかもしれない」
「ダメ元・・・って言うのが気になるけど・・・うんいいよ、ボクで良ければ相談に乗るよ」
「女の子って、誕生日に何を貰ったら喜ぶと思う?」
「たい焼き!」
「それは、お前だけだろ・・・」


なんか、アイスクリームと次元が一緒のような気がする・・・。


「でも、とってもおいしいよっ」
「うまくても却下。 俺は女の子全般の意見を聞きたいんだ」
「じゃあ、お金」
「・・・お前、妙なところで現実的だな」
「だって、お金があったらたい焼きいっぱい買えるよっ」
「やっぱりたい焼きか!」
うぐぅ・・・だって・・・」
「・・・おまえの頭の中には、たい焼きしかないのか?」
「おいしいもん」
「うまくても却下だ。 もうちょっとましなもの・・・というか一般的な物、思いつかないか?」
「それは難しいね・・・」


俺は、誕生日プレゼントを訊かれて、たい焼きと答える方が難しいと思うが・・・。


「えっと・・・それで相手はどんな女の子なの?」
「どんな・・・といわれても困るけど・・・・・・アイスクリームが主食で、趣味は巨大な雪だるまを作ること」
「・・・アイスクリーム?」
「そんな女の子は、何を貰って喜ぶと思う?」
「・・・アイスクリームとシャベル」
「だろ?」
「う~ん・・・」
「う~ん・・・」


商店街のど真ん中で、ふたり揃って考え込む。

道行く人にとっては、かなり滑稽な様だと思う。


「・・・プレゼントする相手って、栞ちゃん?」


遠慮がちに、訊ねる。


「ああ」
「そっか・・・」
「・・・?」
「・・・他に、趣味とかないのかな?」
「他の趣味・・・」

 

・・・。


・・・あ。


「思い出した・・・絵を描くことが趣味のはずだ」
「それだよっ」


確かに絵を描く道具となると、色々と思いつきそうだ。


「よし、じゃあ早速買ってくる」
「うん・・・がんばってね」
「ありがとうな、あゆ」
「これくらい朝飯前だよ・・・」


栞が戻って来るまで、そんなに時間は残っていないはずだ。

その前に買っておいた方がいいだろ。

俺はあゆに別れを告げて、それらしい店に入っていった。


「・・・・・・」


その背中を、あゆが複雑な表情で見つめていた。

ショーケースに映った、どこか悲しそうな姿。


「・・・・・・」
「・・・どうした?」


その様子が気になって、店の入口で振り返る。


「何でもないよっ」


振り返った時、あゆは笑っていた。

いつもの笑顔で、穏やかに笑っていた。


「じゃあ、ボクも帰るねっ」


そう言い残して、その場所から走り出す。

夕暮れの長くて赤い影が、あゆの背中を追うように走っていく。

赤く染まった羽が、なぜか印象的だった。


「・・・・・・」


あゆの影を見送って、俺も店の中に消える。

店内で、スケッチブックと画材用具を一式買って、そして店を出る。

外に出ると、ちょうど栞が帰って来ていた。


「お待たせしました」


ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら、息を整える。


「ナイスタイミングだ」
「・・・はい?」
「いや、何でもない・・・」


俺は鞄の中に包み紙を隠して平常を装う。


「じゃあ、行こうか」
「あ・・・はいっ」


夕暮れの街で、今日もまた1日が過ぎていく・・・。

記憶の中に、赤く染まるあゆの羽が、今でも印象的に焼きついていた。


・・・。