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ゲームまるごと文字起こし

Kanon【13】


沢渡真琴編―


~1月9日 土曜日の途中から~


・・・。

 

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「誰だよ、おまえ。 ずっとつけていただろ」
「やっと見つけた・・・あなただけは許さないから」
「おまえのような奴に恨まれるような覚えはないぞ」
「あるのよ、こっちには・・・覚悟!」


さっ。


俺はそれをかわす。

ぶんっ、と今度はもう一方の拳が飛んでくる。


さ。


再びかわす。


ぶんっ、さ。


ぶんっ、さっ。


ぶぶんっ、ささっ。


ぶんっ、ぶんっ、ぶんっ、さっ、さっ、さっ。


・・・・・・。

 

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「はーー・・・ぜーー・・・ぜーー・・・!」
「なにやってんの、おまえ・・・」
「あぅーっ・・・」
「許さないんじゃなかったのか」
「お腹が空いてるからっ・・・それで調子がでないのよぅっ」
「そりゃ残念だな。 今がチャンスだっていうのに」
「うーっ・・・」
「・・・おいっ」


・・・。


よほど疲れていたのか、あるいは本当にお腹が減っていたのか、少女は気絶してしまった・・・。

俺は少女を背中におぶってそそくさと退散を決め込んだ。


・・・。

 

・・・・・・。

 


~1月10日の途中から~

 

・・・。


「じゃ、自己紹介といくか。 名雪から時計回りで」


「わたしは水瀬名雪。 名雪でいいよ」


名雪がそう言ってから、はい、と俺へ振った。


「俺は相沢祐一。 祐一でいいぞ」


俺も名前を告げて、はい、と少女へ振った。

 

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「・・・・・・」
「ほら、早く言え」
「記憶がないって言ってるのにぃ・・・」
「うーむ、リズムよく回していけば思わず口を滑らせてしまうかな、と思ってたのに、意外に慎重だな」
「そんなことしても、出てこないっ! 本当に記憶がないんだからっ」
「んなこと言っても・・・なぁ?」


「わたしは信じるよ。 記憶喪失だってこと」


名雪は少女の言い分を信じ切っているようだった。

女の子同士だったし、少女は名雪よりも年下のようだったから、名雪が庇ってあげたくなるのも無理はなかった。

なら、その虚偽を暴きにかかるのは得策ではない。

ここで名雪まで敵に回してしまえば、なんのために話し合いにきたのかわからなくなる。

ここは少女を家に帰すことだけを考えよう。


「おまえ、何か持ってないのか、財布とか」
「お財布はあるけど・・・」


俺の隣で名雪が首を横に振っていた。

調べてみたけど、何もなかった、と言いたいのだろう。

だが、念には念を押しておこう。


「どれ、貸してみろ」
「あっ・・・」


俺は少女の手からそれを奪い取ると、中身を取り出して床に並べてゆく。

徹底的に調べてやるのだ。


「・・・・・・ロクなものがないな」
「放っておいてよぅっ」
「千円札が3枚に、期限の切れたCD割引券が4枚、レシートが3枚、テレホンカードが1枚に・・・後は紙くずばかり・・・みごとに関係のないものばかりだな」


大体財布にしてみても、おかしい。

女の子が持つような小綺麗なものではなく、まるで落とし物をそのまま流用しているかのような無粋な代物だった。


「あ、写真」


ぽろりとお札の間から、ゲームセンターのプリント機で撮れる小さな12枚綴りの写真が床に落ちた。

友達ぐらい写っているだろう。

数少ない手がかりとなりそうだ。

俺は手にとり、のぞき込んでみる。

すると写真には、本人がひとりで写っていた。


「ぐあ・・・おまえ、友達はいないのかっ!」
「それ、記憶を失った後に撮ったやつだもの」
「何が悲しくて、こんなものひとりで撮る気になったんだよ・・・」
「だって、同じ歳ぐらいの女の子がみんな撮ってたから・・・」
「はぁ・・・」


俺は髪をがさがさと掻きむしる。

手がかりナシ、というわけだ。

無性に腹が立ってきたので、そのシールの1枚を剥がしてやる。


「ていっ」


そしてそれを持ち主の顔に貼ってやった。


「わぁ、なにするのぉっ!」
「おまえだっていう証拠だ。 それ貼って町を歩いてこい」


「同じ顔がふたつ並んでるだけだよ・・・」
「そうだったな、悪い悪い」
「あーあ、可哀想に・・・」


名雪がそれを剥がしてやり、少女に手渡した。


「あぅーっ・・・」


少女は、それを再びシールのシートに戻そうと必死になる。

だが一度剥がしたシールなんて、くっついたとしてもすぐ剥がれるに決まっていた。

それでもどうにか小さな枠に納め直すと、ほっとしたように、シートごと財布の中にしまい直した。

何がそんなに大事なのか、俺にはさっぱり理解できなかった。


「で、どうするつもりなんだ、これから」
「・・・記憶が戻るまで、ここに居る」
名雪、警察を呼べ」
「わぁ、なんでよーっ!」
「当然だろう。 行くあてのない身元不明の女の子を引き取るのは警察の仕事だ」
「待ってよぉ・・・そんなのヤだよぅ・・・何があってあんなところに居たのかわかんないし・・・」
「だから尚更じゃないか」
「記憶が戻るまでそっとしておいてほしい・・・だって恐いんだもん・・・」
「俺はおまえが恐いぞ」
「・・・そんなことないもん」
「だって、そうじゃないか。 覚悟!とか宣告しておいて」
「だって、それは・・・」
「なんだよ」
「唯一のあたしの道しるべだから・・・」
「道しるべ?」
「たくさんのことを忘れちゃってるけど、ただひとつだけ覚えていたことがあった。 それをあなたの顔を見たとき思い出したの。 コイツが憎い、って」
「・・・ものすごく迷惑な道しるべだ」
「うん・・・」
「ってことはなんだ、おまえは俺を知っている、ということなんだな?」
「たぶん・・・」
「でも俺はおまえを知らないぜ」
「・・・・・・」
「人違いだろう。 記憶喪失だというなら、尚更信憑性がない」
「でも、合ってるよ」
「どこに根拠があるんだよ」
「話していてますますそうだと思った。 絶対、あなたで合ってる」
「話したことまであるのか? 本当かよ・・・」
「ほんとう」
「いつだよ? そりゃ幼稚園の頃とかだったら、忘れてることもあるだろうけど・・・」
「うーっ・・・」


少女がジッと俺の顔を睨んでいる。


「どうした?」


ぼかっ!


少女の拳が俺の頬を捉えていた。


「いでッ、こらっ! いきなり殴るなっ!」
「やっぱり見てたら、ムカツくもの。 合ってる」
「どちらにしろ、こんな危ない奴とは一緒にいれないぜ。 却下だ、却下」
「あぅーっ・・・」


「な、名雪
「じゃあ、この家の最年長者であるお母さんに訊いてみる?」
「こらっ、あのひとに訊いたら、了承するのが目に見えてるぞっ」


・・・。


「了承」


「見ろ、一秒で了承されてしまったじゃないかぁ・・・」
「良かったね」


・・・・・・。

 

・・・。

 

~1月12日 火曜日の途中から~


・・・。


商店街へ行く途中でばったり出くわしたのは、真琴だった。

 

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「お、真琴。 どこいくんだ?」
「おつかい。 お豆腐買いに行くの」
「そうか。 ひとりで買えるか?」
「子供っじゃないんだから、買えるっ!」
「どう見たって子供じゃないか、おまえ」
「大人よっ!」
「そうか?」
「そうっ」
「じゃあ・・・俺のエロ本も頼む」
「エロ本?」
「知らないのか、エロ本を」
「どんな本? 面白い?」
「面白いというか、興奮するな。 ワクワクする」
「買ってきていいの?」
「そうだな。 金渡すよ」


俺は小銭を数枚取り出すと、それを真琴の手のひらにのせてやる。


「本屋の店員に、エロ本ください、って言え。 たくさんあったら、店員のお勧めでいいからな」
「うん、真琴も読んでいいよね?」
「おまえが大人だったらな」
「うん、真琴、大人だよ」
「じゃ、家戻ってるから」
「うん」


ぱたぱた・・・


嬉々として駆けてゆく真琴。

それを見送ってから俺は再び歩き始めた。


・・・。


家に帰ってくると、台所にいた秋子さんにただいまを言って、2階へと上がる。

名雪は部活なので、当然、部屋の前は静かだった。


・・・。


さて、プライベートを満喫しよう。

といっても、テレビもない部屋では、できることは限られている。

だがテレビはつけているだけで、知らず知らずのうちに時間を無駄に潰してしまうものなので、この環境も永遠に続かないならば悪くはない。

俺はベッドにどむっと身を沈めると、床から読みかけだった本を拾い上げた。


・・・・・・。


・・・。


「祐一ーーーーーっ!!」


遠くで怒声がする。

ということは、真琴が帰ってきた他に考えられない。

エロ本の買い付けを頼んでおいて・・・


「祐一、帰ったよーっ」


なんて愛想良く帰ってこられても、それはそれで問題だ。


どんどんどんどんっ!

 

階段を勢いよくのぼる音まで聞こえてくる。


どかどかどかどかっ!


ばんっ!!


すべての行動が、音だけでわかる。

最後の、ばんっ!!は、当然この部屋のドアを開け放った音でもある。


「よぉ、真琴」
「よぉ、じゃないーーーっ! 真琴になんて本買わせる気だったのぅっ!」
「買えたか?」
「買えないっ、買わないっ、買えるかっ!」
「すごい三段活用だな・・・」
「ものすっごい恥かいちゃったんだからぁっ! 店員のひとに説明されちゃったのよぅっ!」
「そりゃおまえが子供の証拠だ」
「そんなことないわよぅっ、女性が買う本じゃなかったもん!」
「いや、大人の女性なら平気で買えるはずだぞ」
「うそだぁ・・・」
「これでわかったろ。 公の場で証明されたんだから、自覚しろよな」
「あぅーっ・・・」
「・・・・・・」


俺は本に目を戻す。


「み、見かけが子供っぽいだけよっ!」


負け惜しみのようなことを言って、ドアを思い切り閉めていった。


「立派に言動も子供じゃないか・・・」


再び俺は読書に没頭する。


・・・・・・。


・・・。


まったく、あいつは拾ってきた野良猫のようなものだ。

慣れるまで時間がかかる。


(地道な努力が必要なのかもな・・・)


着替えを持って部屋を出た。

洗面所までくると、水の滴る磨りガラスの向こうの真琴に一声かける。


「真琴、入るぞーっ」


同時に服を脱ぎ、タオルで前を押させて入室する。

 

「・・・・・・」

 

 

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「よぉっ」
「・・・・・・」
「ほら、端に寄れ。 入れないじゃないか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・?」
「・・・きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!」


バシャバシャバシャーーーーーーッ!!


「うお、待てっ!」


石鹸やらシャンプーやら桶が飛んでくる。

これで追い出されては、まんま漫画の展開ではないか。

それは最初は恥ずかしいかもしれないが、慣れれば裸の付き合い以上に分かり合えるものはない。

俺は根性を出して、何が顔面にヒットしようが、強引に前進を続け、湯船に浸かってやる。


バシャアアーーンッ!


「おう、いい湯だ。 イツツ・・・鼻血が混ざってピンクの湯になっても驚くなよ。 ふぅ・・・ありゃ?」


返事がないと思ったら、真琴の姿は浴室にはなかった。


「おい、真琴ーっ?」


洗面所にもいないようだった。


「うーん・・・失敗か」


俺は自分だけゆっくり浸かってゆくことにした。


・・・。


風呂から上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら歩いていると、正面から髪を同じように湿らせた真琴がやってくる。


「お、真琴。 何も逃げることはなかったろう」
「・・・・・・」
「なんだよ。 そんなひねた顔して」
「うーっ・・・祐一みたいな非常識なのと一緒に暮らしてたんじゃ、顔も歪むわよぅっ」
「非常識って、ひとつ屋根の下で暮らしてゆくんだから、あれぐらいの付き合いはあっていいだろう?」
「あってたまックチュンッ!!」
マコピー語か?」
「あってたまるか!ってのと、クシャミが重なっただけよぅっ!」
「なんだ、湯冷めしたのか?」
「うーっ・・・あれから濡れた体のまま2階まで走っていったんだから、湯冷めもするわよぅっ」
「そりゃ喜劇だな」
「悲劇よっ!・・・クチュンッ!」
「これで鼻水拭け」
「あたしの髪の毛っ!」
「いや、それぐらいしか適当なものがなかったもんで、つい」
「あぅーっ・・・見たいテレビがあったら今夜中に見ておきなさいよぅ」


捨て台詞なのか、そう吐き捨てると俺の脇を抜けて居間の方へと歩いていった。


「・・・クチュン!」


くしゃみだけが角を曲がってからも聞こえていた。


「しかしアイツ、この家に来てからロクなことがないよな・・・。 あれだけ不幸な奴がそばに居ると、俺の不幸まで吸い取ってくれてる天使にも見えてくるぞ」


俺も湯冷めをしないうちに自分の部屋へと戻ることにした。


・・・・・・。


・・・。


~1月15日 金曜日の途中から~


・・・。


「なにやってんの、おまえ。 こんな夜中に」
「は・・・えっと・・・うんとっ・・・」
「おまえの向かっている先には俺の部屋しかないぞ」
「えっ? あ・・・眠れなくて暇だから遊びにいこうかなって・・・」
「こんな真夜中にか・・・?」
「うん・・・」
「じゃあ、これはなんだ」


俺は真琴の手をとって、それを真琴自身に突きつけてやる。

その手には袋入りの中華そばが握られていた。


「あ・・・あぅーっ・・・お腹すいたから・・・一緒に食べようかなと思って・・・」


相変わらず分かりやすい嘘だった。

どうせ熟睡する俺の顔面にぶっかけようとでもしていたのだろう。


「じゃあ、食うか。 俺も腹減ってたところだ」
「わ、本気っ?」


その反応はよほど、予想外だったらしい。


「ほら、こい。 生のままじゃマズイだろ」
「どうするの?」


俺はそのまま真琴の手を引いて、階段へと向かう。


「焼きそばにする」


ジャーーーッ!!


薄く引いた油の上に中華そばを入れると、大きな音がたった。

真夜中のそれは、一際大きく感じられた。

続けて、刻みたてのキャベツを放り込む。

焦がさないよう箸でかき混ぜながら、空いた手で塩コショウをパパッと振りかける。

水気がなくなり、焦げ目がついてくると、仕上げにソースをぶっかける。

そしてまんべんなくかき混ぜると俺はコンロの火を止めた。


「出来たぞ」
「あぅ・・・」


並べられた2枚の大皿の上に均等に盛ってから、俺は席につく。


「ほら、青のり」
「うん・・・」
「食えよ、ほら」
「うん・・・」


別に俺だって腹は減っていない。

しかし、顔面にぶっかけられる、あるいは真琴が少しだけ齧って無駄にしてしまうよりは調理して無理をしてでも食った方がマシに思えた。

それに真琴には、何より触れあいが大切だと思った。

何を理由に俺を嫌っているかは知らなかったが、第一印象なんてものは得てしてその人柄を知って大きく変わってゆくものだ。

そのいい機会でもある。


「うまいか?」
「うん・・・」


俯いたまま食べる真琴が口だけをもぐもぐと動かしていた。


「おかわりもあるからな」
「・・・そんなに食べらんない」
「じゃあ、夜食なんて言い出すな。 我慢できたんじゃないのか」
「うーっ・・・焼きそばは大好きだから・・・ちょっとでも食べたくなるの・・・」


ばつが悪そうにそう答える。

必死で言いつくろうとする姿は見方によっては微笑ましくも見える。


「じゃあ、肉まんを買い食いするのをやめて、焼きそばにすればいい。 あの辺りで、焼きそばのうまい店を見つけたんだ。 持ち帰りもできるぞ」
「肉まんは・・・もっと好きだから・・・」


さすがにここで好物の肉まんは譲れないらしい。


「そうか。 なら、仕方ないな。 焼きそばなら俺にも作れるから、いつだって言えよな」
「うん・・・でも・・・これ食べたら、しばらくはいいと思うけど・・・」


よほどお腹が空いていなかったのか、進みも遅く、そんなことを答えた。


「ま、作ったぶんはふたりで食べないとな」
「祐一も頑張ってよぅ」
「ああ、食うぞ」


俺も箸を手に取り、目の前の焼きそばと対峙する。

真琴に言っておいてなんだが、俺も見るだけで胸焼けがしそうな量だった。

さらにはフライパンにまだ、ひとり分ほど丸々と残っているのだ。

袋をいくつ開けただろう?

三つか四つだったと思うが、寝ぼけていたのでよくわからなかった。

よくもまあ、それで指を切り落とさなかったものだと今更になって思う。

焼きそばだけは作り慣れていたので、通い慣れた通学路のように条件反射的に作ってしまったのだろう。

一口食べてみると、味も悪くなかった。

だが、やはり全部は食えそうもなかった。


「うーむ・・・」


こと、と音がしてドアのほうを見やると、名雪が顔を覗かせて、眠そうに目を擦っていた。

 

「焼きそば・・・」
「食うか?」
「うん」
「ちょうど良かった。 作りすぎて難儀していたんだ」


三つ目の皿を用意し、それに盛る、


「お母さんも呼んでくる」
「おい、こんな時間に起こして、焼きそば食べる?って訊くのか?」
「うん」
「おい、待てって」


止める間もなく、名雪は廊下の暗闇に再び姿を消す。

あいつのことだ。

ほんとうに秋子さんをこんな時間に起こして、『焼きそば食べる?』と訊くのだ。


・・・。


そして案の定、というかこの家に住む人間はなぜにこうも呑気なのだろうか。

秋子さんもこの深夜、焼きそばを食べるために姿を現した。


「お茶いれるわね」


そう言って湯を沸かし始める。


「昨今、夕飯だってなかなか一家揃わないってのに、深夜の夜食にわざわざこうやって一家団らんが揃うかね、この家は・・・」
「仲が良くて、いいんじゃない?」


秋子さんが湯飲みを食卓に並べながら、のほほんと言う。

まったく平和な話である。

名雪にしてもそうだが、別に焼きそばにつられてこの場所に現れたわけではないだろう。

どうもこの家の人間は、こういった団らんに身を置くことがことのほか好きらしい。

真琴と俺が楽しそうにしているのを見て、夜な夜な食卓に集まってきたのだ。


「・・・・・・」


そんなことを知ってか知らずが、真琴はきょろきょろとみんなの顔を不思議そうに窺いながら、最後まで冷めた焼きそばとつついていた。

結局一家が寝静まることになったのは、夜中の3時を過ぎてからだった。


・・・・・・。


・・・。

 

1月16日 土曜日


・・・。


「おはよぅ、真琴」
「あぅぅ・・・」


いつものことだが、顔色が悪い。


「胸焼けか」
「誰のせいよぅっ・・・」
「自業自得だ。 これで懲りただろう」
「恨みが募ってゆくばかりよぅ」


真琴はそう一言吐き捨てて、その場を後にした。


「ったく、あいつは・・・」


叩いても反骨精神が増すばかりで、収拾の気配が一向に見えない。

違う対処方法を一考したほうがよさそうだった。


(秋子さんのようにうまくやれればいいんだけど、俺は舐められてるかなぁ・・・)


真琴の扱い方に頭を悩ませながら、朝食の場へと向かった。


・・・。

 


~1月17日の途中から~


・・・。


真琴が、いつも肉まんを買っていた店先に立っていた。

やはり自分の家に戻っていたのだろう。

家もこの商店街の近くにあるに違いなかった。


(・・・・・・)


しばらく見ていたが、一向に真琴が肉まんを買える様子はない。

一体何をしているのだろう。

何事か、店員に交渉をしている様子だった。


(金がないのに買おうとしてるんじゃないだろうなぁ・・・)


俺は財布を取り出して小銭と確かめてみる。


(仕方のない奴だな・・・立て替えてやるか・・・)


そう思い立ったとき、真琴が残念そうに肉まんの袋を受け取って、その場を後にしたところだった。

俺は入れ代わり、その店先を訪れ、店員に声をかけた。


「さっきの子、知り合いなんですけど、なんて言ってました?」
「え?」


パートらしきおばさんが俺の人相を確かめた後、答えた。


「ああ、どうにかふたつ貰えないか、って。 ひとつ分のお代で」
「かっ、またあいつは食い意地張って・・・。 ひとつ買えれば充分だろうに」
「・・・・・・」


呟く俺の前で、おばさんが用向きを待っていた。


「えっと・・・じゃあ、ふたつください」
「どれです?」
「肉まん」


当然のように俺は言った。


・・・。


やはり家はこの辺りなのだろうか。

肉まんの入った袋を大切そうに抱える真琴を再び見つけると、そのまま黙って後をついてゆくことにした。

記憶が戻っているという証拠をこの目に収めてからでないと、声をかけてはならないと自分を戒める。

なにより俺がここまで出向いてきて、確かめなければいけなかった事とはそれである。

秋子さんや名雪を安心させてやれる証拠が欲しかっただけだ。


「ん・・・」


真琴が足を急に止めた。


(家に着いたのか・・・)


俺は真琴の背中を向けた方向へと回り込み、その正面に立つ建物を見た。


(・・・・・・)


さっきまで俺が時間を潰していたゲームセンターだった。


(まったくあいつは・・・)

 

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真琴は、軒先に設置されたプリント機で写真を撮る女子高生をじっと眺めていた。

 

俺は向かいの店の、降ろされたシャッターにもたれて、その真琴を見守る。


(・・・・・・)


ぐぅ、と腹が鳴った。

俺はよほど手に持った肉まんを食べてやろうかと思ったが、もう少しの我慢だと辛抱する。

家に辿り着いた真琴に、最後にこれをプレゼントしてやる。

それだけを終えて家に帰れば秋子さんの夕飯が待っている。

それまでの辛抱だ。


(・・・早く帰ろうぜ)


ただ待ち続けた。

やがて、ふたり組の女子高生がその場を後にし、ゲームセンターの軒先は閑散となった。

真琴は左右をきょろきょろと見て、それから小走りで、プリント機の前まで駆けつけた。

そして、コインを投入し、ひとりきりで撮影した。


(なにやってんだ、あいつは・・・)


相変わらず、あいつの行動は理解し難い。


(金がないってのに、そこまでして撮るものなのかよ・・・)


やがて、仕上がった写真を大切そうに財布の中にしまい込むと、真琴もその場を後にした。

後には無人のプリント機が残るだけだ。


「・・・・・・」


思い出したように俺も真琴の後を追った。


・・・。


商店街を抜け、坂道になった住宅街を抜けると、やがて閑散とした山沿いの道路となった。

先をゆく真琴が、木々の茂る脇道へと折れ、鬱蒼とした山に踏み入った。


(なんだ? こんなところに入って・・・)


林道のような小道をしばらく登っていく。

迷わず、ただ黙々と登ってゆく真琴の足取りは、この先に本当に彼女の家があるかと思わせた。

しかしこの先に人家があるとは到底思えない。

近道だろうか。

だがひとつ山を越えようと思うと、その労力はよっぽど迂回したほうがマシなぐらいのものだ。

湿り気を帯びた落ち葉が足場を悪くしている。

と思ったら、遠く先をゆく真琴が俯せに倒れているのが見えた。


「・・・・・・」


滑って転んだのだろう。


(こんなところで転んだら汚れが染みになってとれないだろ・・・)


あうーっ、と言っている様が目に見えて、俺は失笑する。

真琴は起きあがると、体の汚れを払うのもそこそこに再び歩き始める。

距離をこれ以上つめないように注意しながら、俺も後を追った。


・・・。

 

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視界が一気に開けた。

眼前には広大な星空。

まるで宇宙に抜け出したような錯覚を覚える。

目線を下げると、なだらかに続く斜面の向こうに、隣町が見下ろせた。

山の中腹ぐらいなのだろう。

振り返れば、まだ木々は延々と高みへと続いていた。

俺は目を、再び開けた空間に戻す。

わずかに見覚えのある、風景だった。


「おっと・・・」


俺は思い出したように、真琴の姿を探す。

ここに踏みいってからは、見失ったままだった。


(まさか、後を追っていた俺に気づいて・・・)


そんなものは一瞬で杞憂だとわかる。

さらに開けた場所にでると、そのど真ん中に腰を下ろす真琴の姿を見つける。

何もすることなく、荷物を抱えこむようにして体を丸め、遠く町並みを眺めている。

休憩だろうか。

もちろん人家など近くにはなかった。


「・・・・・・」


もしかして、読み違えたのだろうか。

本当に記憶など戻ってなく、帰る場所すらないのに、俺は彼女を追い出してしまったのだろうか。


「・・・・・・」


それにこんな場所じゃ雨露さえしのげない。

行く場所がないにしても、もっとマシな場所が・・・

なんて言えた義理でもないか・・・。

持ち合わせだってそんなにはないだろうし、どうするつもりなんだろう。

にゃっ、と声がして、真琴の足元にあのネコが姿を見せた。


「あぅ・・・かじかんだ手、肉まんで温めてたら冷めちゃったよぉ・・・。 でも指、動くようになった・・・。 ほら、おいで」
「うにゃぁ」


ネコが真琴の膝の上にぴょんと乗る。


「ごめんね、冷めちゃったけど・・・お腹すいたでしょ? 半分ずつね」
「うにゃぁ」


肉まんの半分をネコに与える。

ネコはよほどお腹が空いていたらしく、それを無心で頬張った。


「・・・キミ、ネコなんだから、どっかで漁ってきてくれたらいいのに。 生粋の飼い猫なんだね」


真琴も自分の肉まんに口をつける。


「まだちょっとだけ中は温かいね・・・美味しい」


・・・・・・。


「はぁ・・・寒い・・・ほら、おいで」


ちょこちょこ・・・ぴょんっ。


「あは、温かい・・・」


・・・・・・。


「あたしたち、一緒だね。 同じ、邪魔者。 どこにもいけないんだね・・・」


・・・・・・。


「はぁ、寝ようか・・・夕べもキミを探すのタイヘンだったから寝れなかったし・・・はぁ・・・温かいお布団で、寝たい・・・ね」


・・・・・・。


俺がその前に立ったときには、真琴はまだ雪の残るような草地に身を委ねて目を閉じていた。

小さく、白い息がたっていた。


「おい、真琴」


声をかけても、起きない。

その小さな体を両腕で抱え上げて立つ。


「まったく、困った奴だな、おまえは・・・。 こんな寒いところで寝ていたら、どうなってたことか・・・」


とにかく見つかって良かった。


「ほら、帰るぞ。 おまえは俺たちの家族なんだからな」


その冷え切った頬に俺は囁いた。


・・・・・・。


・・・。

 

「わぁーーーーーーっ!」


深夜、耳をつんざく悲鳴。

俺はやれやれとベッドから上体を起こす。

その声の主はあいつ以外には考えられない。

温かな布団を抜け出して、冷たい床に降り立つと、部屋を後にする。


・・・。


「ここ、どこ~っ!? 真っ暗でわかんないよーっ! わっ!」


ごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろーーっっ!!


どすんっ!!


家中が揺れるような衝撃。

どうやらまた、階段から落ちたようである。


(よく転んだり、落ちたりする奴だな・・・)


追って階段を降りると、1階の廊下に電灯が灯り、いつもの騒動に秋子さんが起き出してきていた。


「あぅーっ、痛いよぉ、痛いよぉ・・・」
「どうしたんだ、真琴」


「大丈夫? 階段を降りるときは電気つけないと、危ないでしょ」


尻もちをついて足をさすっている真琴の周りに皆が集まる。


「そ・・・外で寝てたのに、起きたら真っ暗な部屋に・・・って、あれ?」


並ぶ顔ぶれを見て、真琴が目を大きく見開く。


「どうして、みんながいるの・・・?」
「そりゃ、みんなが住んでる家だからだよ」
「え?」


辺りをきょろきょろと見回す。


「わぁ・・・どうして、真琴・・・このお家に戻ってきてるの?」
「ここがおまえの居場所だからだろ」
「え?」


その言葉の意味が理解できないのか、きょとんと止まっている。


「ここが、記憶を失っている間のおまえの家なんだよ。 だから家出した悪い子は力尽くでも連れて帰ってくる」
「祐一が・・・運んできたの・・・?」
「ああ、そうだよ。 くそ重かったぞ」


そう吐き捨て、ひとり台所へと向かう。

真琴のために買って、そのままだった肉まんを俺は蒸し器の中に入れ、それを火にかける。


「あら、祐一さん、何してるの?」
「買ってあった肉まん、蒸し直してやろうと思って」
「じゃ、代わるわ」
「秋子さんは、別なもの作ってやってくださいよ。 どうせ、あいつのお腹の音を聞いて、やってきたんでしょ」
「そうね。 わかったわ」


・・・。


十数分後には、俺たちは夜食とは思えないような量の料理が並ぶ食卓で、顔を向かい合わせていた。


「・・・・・・ネコは・・・?」
「連れてきたよ。 おまえの部屋で寝てるよ。 でも、名雪には内緒だぞ」
「そう・・・」
「ほら、肉まん食えよ。 おまえのために買ってきてやったんだから」
「ほんと・・・?」
「ウソに決まってるだろ。 でもやるから、食えよ」
「うん・・・」


蒸したての肉まんを手にとり、それに小さくかぶりつく。


・・・もぐもぐ。


「・・・おいしい」
「だろ」


定例行事のようにもなってきた夜食会を済ませると、ひとりふたりと寝床へと戻っていった。

雪崩式に俺も退散を決め込む。


・・・。


「はぁ、明日は月曜だってのに、なに遅くまでやってんだか・・・」
「・・・・・・」


後ろには、冷たい足場だというのに、真琴が黙ったままで立っていた。


「ま、おまえが俺と一緒に居るのが嫌でも、我慢しろよな」


ぽむっ、とその頭に手を置いてやる。


「あのさ・・・」
「ん?」
「眠っちゃう直前にさ・・・」
「ああ」
「ほっぺたに温かい息がかかって・・・」
「そりゃ俺だ」
「うん。 それで、祐一・・・なんて言った・・・?」
「え? なんか言ったっけ、俺」
「覚えてないの?」
「えっと・・・南無阿弥陀仏・・・だったっけ?」
「真琴を勝手に殺さないでよぅっ」
「あ、悪い悪い。 不謹慎だったなぁ」
「はぁ・・・もういい。 寝る・・・」


ため息をつきながら、自分の部屋へと戻っていった。


「なんだ、おかしな奴だな・・・」


何が不服なのだろうか。

またあの様子では、寝込みを襲いに来かねない。

再び睡眠不足の日々が始まるのか、と憂鬱に思いながら俺も自室に戻った。


・・・。


1月18日 月曜日


・・・。


眠りが浅くなってきているのがわかった。

夢から夢へと渡り歩く感覚。

そんな中、誰かの息づかいが聞こえてくる。

ほのかな香りから、女の子の息づかいだと思った。

そばにある。

すぐ近くに感じていた。


・・・・・・。


ぺろっ・・・と舐められる感じがあった。

鼻の下あたりだ。

ぺろぺろっ・・・と繰り返し舐めた。

夢とはこうも都合のいいものなのだろうか・・・。

俺もそれを受け入れるように、口を近づけた。

ぺろぺろっ・・・と互いの舌が重なり合う。

相手が誰だかわからなかったが、そんなものは関係なく心地よいと思えた。


「・・・・・・」


一気に夢の世界から引き上げられるようにして、俺は目覚めた。

すると、すぐ目の前にネコの顔があった。


「・・・・・・」


冷静になって口の周りを手の甲で拭うと、べっとりと濡れていた。


「どわああぁぁぁーーーーっ! このネコとディープなキッスを繰り広げていたのか、俺わあぁぁっ! こら、真琴ーっ!」


俺はネコの首根っこを掴んで、真琴を探しに部屋を出る。


「あれ、祐一、おはよ」
「おまえな、悪質にもほどがあるぞ。 なんて精神的ダメージのでかい悪戯をするんだっ」
「なにが?」
「こいつ、仕掛けただろ」


だらりと無抵抗に四肢を伸ばしきったネコを突き出してやる。


「あぅ、どこにいったのかと思って探してたんだ。 よかった。 はい」


そう言って、手を伸ばしてくる。


「なにをぬけぬけと・・・」
「・・・? ほんと、夕べは大人しくしてた?」
「ならこいつの単独犯か・・・?」
「早く返してよ」
「返してって・・・いつからおまえの所有物になったんだよ。 歩道橋の上から投げ捨てたくせに」
「あれ、わざとじゃないもん」
「可哀想にな。 俺が可愛がってやろう」
「真琴に懐いてるんだから、真琴のものなのっ。 それにね、記憶失った後にね、助けてくれたネコが、この子のような気がするの」
「助けてくれた?」
「うん。 お財布とか、置いていってくれたような気がするの。 一匹のネコが。 思い返すと、この子だったかもしんない」


好きになってしまうと、そこまでいい方向に考えられるものなのだろうか。

それよりも、真琴の財布が自分のものじゃない、ということのほうが聞き捨てならない。

後で没収して、元通りの金額を入れ直しておいたほうが良さそうだ。


「だから、ほら、返してよーっ」
「おまえ、都合のいいときだけ自分のものみたく言いやがって・・・。 ちゃんとそいつに謝ったのか」
「謝ったよぅっ」


口だけではないのだろう。

夕べの丘での姿を見ていればそれがわかる。

反省なくして、歩道橋の上から消えたネコと、真琴があの場に居合わせるはずはなかった。

捨て猫に、家を飛び出した自分の境遇を重ねて見たのだろう。

悔恨(かいこん)を経て、想像できないほどの努力をして、あの場に居たのだと思う。

肝を冷やすような事態ではあったが、真琴に大切なことを教えることができた気がする。


「いい父親になるな、俺は・・・」
「早く返してよ、ほらぁ」


ネコを抱く俺の手を真琴がぺちぺちと叩いていた。


「うるさいな、ばかはどっちだ」


その顔面にネコを押しつけてやる。


「わぁっ」


それを慌てて受け取って、抱きかかえる。

 

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「あははっ、ふわふわしてる」
「当たり前だ。 トゲトゲしてたら、痛くて誰も飼わないだろ」
「うん、そだね」


朝食の場に向かう、俺の後ろに真琴もとてとてとついてくる。


「飼ってもいいかなぁ」
「秋子さんに訊いてみろよ。 一秒で答えはでると思うぜ」
「うん」


・・・。


「了承」


「わ、ほんとに一秒ででたっ」
「だろ」


「新しい家族がまた増えて、賑やかになってきたわねぇ」


ホームレスを拾ってきても、歓迎してもらえそうだ。


「でも、名雪には内緒ね。 あの子が猫を見つけると、やっかいなことになるから」
「やっかいなこと?」


「もし、名雪に発見されようものなら・・・」


・・・。

 

 

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「ねこー」
「にゃー」
「ねこー、ねこー」
「にゃー、にゃー」
「ねこー、ねこー、ねこー」
「にゃー、にゃー、にゃー」


・・・。


「・・・という、どっちが動物なのか分からない事態になるからだ」
「よく分からないけど・・・」


「とにかく、禁止ね」


同じ屋根の下に住んでいるんだから、いつかはばれると思うが・・・。

ま、そのときは、そのときか。


「うんっ。 あははぁっ、よかったねっ」


真琴は子供のようにはしゃいで、ネコの頭を撫でる。

手のひらを押しつけて不器用にグリグリと撫でるので、一週間後にはその部分だけ剥げてそうだった。


「ほら、何食べたい? 今朝は魚ないね。 わっ、こらっ」


ガチャン!

 

「え? ・・・アチィーーーッ!!」


ネコがみそ汁の碗を手ではたいて、中身を俺の膝下にぶちまけていた。


「こらっ! 火傷させる気かっ!」

「あらあら・・・」


俺は秋子さんから受け取った濡れ布巾でぽんぽんとみそ汁をふき取る。


「あぅーっ・・・」
「おまえがもうひとり増えた気がするぞ、俺には」


もしかしたら、真琴に猫を飼わせることは俺にとってはさらに悩みの種を増やすことになるのではないだろうか。

今朝のこともあるし、どうも偶然不幸が続いた、とは思えない。

だとしても、真琴が素直になる、というそれ以上のメリットがあるのだから、ここは俺が耐えておくべきなのだろう。

苦労してるな、俺は・・・。


「で、名前は?」
「え? 名前? そっか・・・まだないんだ」
「俺がつけてやろうか」
「あ、うん」


真琴が素直に頷く。

やはりペット効果は絶大なようだ。

ならば、真剣に考えてやろう。


「よーし」
「可愛いの、付けてよね」
「任せておけ。 こう見えて、女の子受けするツボは心得てるつもりだ」
「うん、任せるから」


真琴が期待に目を輝かせて、俺の発表を待つ。


「よし、そうだなぁ・・・」


即座に思い浮かんだ名前は・・・


「安田のネコ」
「真琴のネコだよ」
「いや、『安田のネコ』っていう名前のネコ」
「なんでーっ! そんなの他人のネコみたいでイヤーっ」
「そうか、ダメか。 じゃあ・・・おまえのネコ」
「え?」
「『おまえのネコ』っていうネコ」
「真琴が呼んだら、真琴のネコじゃなくなるーっ!」
「そうか、そうだな・・・じゃあ・・・肉まん。 おまえ好きだろ?」
「好きでも、食べ物の名前なんてやだぁっ」
「じゃあ、ピロシキ
「え? なに、それ」
「可愛いだろ? ぴろちゃん、なんて呼ぶととってもキュートで、超おすすめだぞ」
「うん。 可愛いけど、なんか由来があるんでしょ?」
「いや、ないぞ。 純粋に俺の内なる乙女心をくすぐる宇宙、その名も乙女コスモより生まれでたワードだ」
「ふぅん・・・なんだかよくわかんないけど、可愛いからいいや」


ネコを顔の前まで持ち上げて顔を付き合わせる。


「今日からキミは、ぴろだよ。 いいね?」
「うにぁ」
「わ、返事したっ。 気に入ったみたい。 よかった」


冗談で言ったのに、決定してしまったようだった。

ちなみにピロシキとはロシアの揚げマンジュウの名称である。

だから肉まん、という名前とさほど変わらない。

それを知ったら、また機嫌を損ねるだろうから、黙ったままでいよう。


・・・。


出かける時間になっても、名雪は朝食をとっているようだった。

俺は先にひとりで出かけることにする。

支度を済ませ、部屋を出ると、真琴が階段を上がってきた。


「あ、もう出かける?」
「ああ」
「待って。 一緒にいこっ」
「なら急げよ、あんまり時間ないから」
「うんっ」


自分の部屋に慌しく駆け込んでいった。


・・・。


玄関で靴を履き替えたところで、真琴がようやく2階から降りてくる。


「おまたせーっ」


その頭には、猫が乗っかっていた。


「おまえ、ネコを連れてゆくのかっ?」
「え? あ、うん。 どーして?」
「どーしてって・・・んなもの連れていってもいいのか、保育所に」
「いけない理由なんてあるの?」
「さぁ・・・。 普通はしないぞ、そんなこと」
「でも、真琴が面倒見るって言ったんだし、連れてゆく」
「おまえがいない間の世話ぐらい、秋子さんだって構わないって言うよ」
「でも、真琴も一緒にいたいし・・・」
「っと・・・時間!」


玄関先で呑気に話し込んでる場合ではなかった。


「いくぞ、真琴っ」
「わ、まだ靴、履いてないよっ」
「諦めろ」
「なにを?」
「靴履くの」
「それぐらい待ってよぅ!」


騒々しく家を出る。


・・・。


「つーか、おまえ、保育所っていきなりこっちじゃないのか」


俺は家のすぐ前で学校とは逆方向を指さす。


「え? あ、うん・・・」
「ここまでだな。 じゃあな」
「わっ・・・待って、遠回りしてくからっ・・・!」


俺の歩いてゆく方向についてくる。


「おまえ、そんな遠回りするような余裕あるのか?」
「走っていくから、いいの」
「そんな走ってまでして、遠回りしなくていいだろ」
「いいのっ」
「遅れて俺のせいにするなよっ」
「しないよっ」
「なら勝手にしろ」
「うんっ」


俺は速足で歩いてゆく。

真琴は半ば走って、それについてくる。


・・・。


「ねー、裕一」
「うん?」
「えっと・・・」
「なんだよ」
「・・・肉まんて、どうしてあんなに美味しいんだろうね」
「なに訊いてんだよ、おまえ」


横に並んだ顔をまじまじと見てやる。


「日常会話よ、日常会話っ」
「日常会話にしちゃ、返しづらい話題だぞ。 俺は肉まんの製造過程について、その美味しさの秘密を暴いて見せれいいのか?」
「そこまで話さなくても、おいしいね、とか相づち打ってくれるだけでもいいじゃないのよぅ」
「おいしいね・・・気持ちわるぅ」


俺は自分で言っておいて、その台詞に吐き気を催す。


「もぅっ、おいしい肉まんの話ししてるのに、気持ち悪ぅっはないでしょっ」


ぺちっ、と尻を叩いてくる。


「おまえが妙な話題を持ち出すからだ。 もっとノリやすい話題にしろ」
「じゃあ・・・どんなのよぅ」
「そうだな、プロ野球はシーズンオフだし、この時期話題といったらなんだろうな」
「冬は肉まん。 だから言ったのに」
「じゃあ、おまえは夏はスイカの話題で持ちきりなんだな」
「もぅ、極端っ」
「おまえは漫画ばっか読んでるから話題に乏しいんだよ。 ニュースとか新聞を見て、時事ネタに精通しておけ」
「ジジネタ・・・?」
「本当、一般常識に疎いよな、おまえ・・・」


どうせ真琴の頭には、たくさんのおじいさんが寄り合って井戸端会議を開いている絵が浮かんでいるに違いない。


(どんなネタだ、そりゃ一体)


「ね、ジジネタってなによぅ」


ダダをこねるようにして、俺の制服の裾を真琴が引っ張っていた。


「ジイさんが主に好んで話す話題だ」
「あ、やっぱり」
「んなわけあるかっ」


ぽかっ、と頭を小突いてやる。


「いたいーッ、どうして殴られないといけないのよぅっ」
「おまえがあまりに愚かだからだよっ」
「祐一だって、人が知ってて知らないことあるでしょーっ」
「そりゃあるけどさ、一般常識には精通しているつもりだぞ」
「また難しい言葉使って、逃げようとするぅ・・・卑怯だぁ」
「俺に幼児語使えってか」
幼児語?」
「おまんまとか、あんよとかだ」
「そのほうがわけわかんない」
「わかるだろ? おまえだってガキの頃があったんだから」
「そんなの忘れたっ。 真琴、記憶喪失だもん」
「都合よく記憶喪失を盾にとりやがって」
「そう、だから、難しい言葉もわかんないのね、真琴は。 記憶が戻ったら、祐一もびっくりするほどの秀才になっちゃうかもね。 勉強、教えてあげるからね、祐一」
「そりゃ頼もしい家庭教師だな」


これ以上逆撫でするまい、と俺は受け流しておく。

ここで言い合いなど始まって引き留められてしまうと、確実に遅刻してしまう。


「じゃあな」


俺が学校に続く最後の角を曲がったところで、そう別れを告げると、真琴が慌てたように辺りを見回す。

 

「えっ・・・? どこ、ここ?」
「ほら、もう学校だ」


俺はすぐ先に見える校門を指さす。


「わーっ、こんなところまで来たら道がわかんないっ!」
「一回駅前まででれば? そこ、ずっと真っ直ぐにいけばでるぜ?」
「間に合わないよーっ」
「なら、早くいけっ」


俺はその背中を思い切り押してやる。


「わーっ、なにすんのよぅっ」
「俺もギリギリなんだよ、後は誰かに道順でも訊きながらいけ」
「よくわかんないけどっ・・・急がないとっ」
「おぅ、がんばれよっ」


俺たちはそこで別れ、互いの目的地へと走った。


・・・・・・。


・・・。


その日の授業をすべて終えると、寄り道もせず、帰宅する。


・・・。


「ただいまーっ」


俺は玄関で靴を脱ぐと、スリッパに履き替える。


ぐにょっ。


「うニャッ!」


ネコだった。


「うわ、おまえだったのか・・・スリッパと見間違えた・・・というか、スリッパを履く習慣さえなかったな・・・」


俺はそのネコの首を掴んで持ち上げると、飼い主を探すことにした。


・・・。


「おーい、真琴ーっ」


居間にはいない。

台所では秋子さんが鼻歌を歌いながら夕食の支度をしていた。


「秋子さん、真琴は?」
「部屋だと思うわよ」
「どうも」


・・・。


俺は階段を上がって、一番手前の真琴の部屋のドアを開く。


「真琴ーっ、いるかー?」


訊くまでもなく、部屋の隅で膝を抱えて丸くなっているのが見える。


「おい、真琴。 あんなところにこいつを置いておいたら、みんながスリッパと間違えて履いてしまうだろ」
「・・・・・・」


返事がない。


「どうした、真琴。 具合でも悪いのか?」
「・・・ううん」


くぐもった声が返ってくる。


「遅刻して怒られたか?」
「・・・ううん」
「大きな口を開けて笑っていたら、鳥のフンが落ちてきて、偶然にも食ってしまったか?」
「・・・ううん」
「じゃあ、どうしてすねているんだよ」
「・・・保育所のお手伝い、辞める」
「どうした」
「だって、今度からぴろ、連れてきたらダメだって・・・」


ようやく顔をあげ、理由を口にした。


「なんだ、そんなことか」
「そんなことって・・・」
「だから真琴がいない間は秋子さんが世話してくれるって。 家に置いていけ」
「だって、一緒にいたいもん」
「おまえなぁ、常識をもう少し持て。 誰が一緒にいたくて、24時間べったりしてるんだよ」
「だって、だってぇ・・・」
「おまえは相変わらずガキだなぁ・・・。 いいか、ほら」


俺は部屋の中央で、ぴろを放してみる。

すると、タッ!と真琴の体を駆け上がり、すぐにその頭の上にのっかった。


「わぁ・・・重い・・・」
「いいコンビじゃないか。 そんなもの半日離れていたくらいで誰に邪魔できるもんでもない」
「そうなのかなぁ・・・」
「出会ったときからそうだっただろ。 そいつ、おまえによほど懐いているんだよ」
「うん・・・」


ちょっと安心したように、真琴はネコを胸に抱えて頬を寄せた。


・・・。


夜の10時を回り、風呂に入ろうと着替えを持って階下へ降りる。

浴室の前までくると、まだ誰かが入っているようで、ガラス戸が閉められたままだった。

仕方なく戻ろうとしたところで、リビングのほうから名雪と秋子さんの話声が聞こえてきた。

ということは、中に入っているのは真琴である。

・・・よし。

裸の付き合い再挑戦といこう。

俺は衣服を脱ぎ捨てると、颯爽と曇りガラスを開け放つ。

 

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「・・・・・・」
「お、ぴろも一緒だったのか。 ようし、お兄さんも仲間に入れてくれ」
「・・・・・・」
「ほら、端に寄れ。 入れないじゃないか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・ものを投げるんじゃないぞ」
「・・・・・・きゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!」


バシャバシャバシャーーーーーーーッ!!


「うお、待てっ!」


またも石鹸やらシャンプーやら桶が飛んでくる。

今回はそんな中、逃げ出す真琴を捕まえなければいけない。

俺は根性を出して、何が顔面にヒットしようが強引に前進する。

そして、真琴の肩を掴むと、逃げないように押さえつけながら湯船に浸かる。


バシャアアーーンッ!


「おう、いい湯だ。 ふぅ・・・ほら、肩まで浸かれよ」


掴んでいたままの肩を湯の中に押し込んでやる。

すると、ぶくぶく・・・と泡立つ音が聞こえてくる。


「えっ?」


見ると、俺が湯の中に押さえ込んでいたものは、溺れかけて泡を吹くぴろだった。


「うわっ、真琴の肩と間違えたっ、すまん、ぴろっ!」


湯の中から引き上げると、なんとか無事だったようで洗い場に降り立つ。

そして、にゃーっ!と悲鳴のような雄叫びをあげながら浴室から出ていった。


「うーん・・・失敗か・・・」


俺は自分だけゆっくり浸かってゆくことにした。


・・・。


風呂から上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら歩いていると、正面から髪を同じように湿らせた真琴がやってくる。

その頭の上には同じように湿ったままのぴろもいる。


「お、真琴。 何も逃げることはなかったろう。 あやうく、ぴろを溺死させてしまうところだったぞ」
「はぁ・・・いつになったら、祐一の非常識は治るのかしらっ」
「おまえに言われたおしまいだぞ」
「入り直してくるから、もうこないでよねっ」
「ああ、俺もこれ以上顔面に物をぶつけられたら、顔の形が崩れる」
「もとからでしょっ。 あぅ・・・また風邪引いちゃうっ」


とてとてと俺の脇を通り抜けていった。

結局怒らせてしまうことになったが、それでも以前のように激情をぶつけることはなくなったようだ。

それがわかっただけでも収穫なのだろうか。

とりあえず、よしとしておこう。

俺も湯冷めをしないうちに、部屋に戻ることにした。


・・・。

 

そろそろ寝ようかという、時刻。

ドアが唐突に開くと、とてとてと真琴が入ってくる。


「祐一、祐一ーっ」
「わ、おまえなぁ・・・ノックぐらいしろ!」
「だって、祐一もノックしないで入ってくるじゃない」
「そりゃ、おまえだからだ。 おまえに見られて困る何がついてる」
「女の子なんだからついてるっ! 着替え中だったりしたら、どうすんのよぅっ」
「素で通す」
「素で通さないのっ!」
「きゃーーっ!って驚くのか」
「それは真琴のほうっ!」
「裸見られて叫ぶには十年早いぞ」
「これでもちゃんと出るところ出てるんだからっ」
「どれ、見せてみろ」
「きゃーーーっ!」
「うるさいな。 何度も見られてるだろうに、何を今更」
「お風呂も今度覗いたら、警察に突き出すからねっ」
「突き出されるのは、おまえのほうだろ。 この身元不明家出少女が」
「あーっ、もうそんなこと言うんだったら、見せてあげないっ」
「だから見飽きてるって」
「なにをよっ」
「おまえの裸だろ」
「違うわよぅっ。 あーあ、あんな可愛いもの見られないなんて、祐一可哀想。 せっかく呼びに来てあげたのに」
「一体なんだよ、もったいぶりやがって」
「教えてやんない。 もー、ひとりで見るもん」
「待てって。 そこまで言っておいて言わないなんて、こっちだって気持ち悪いだろ」
「そんな平気で女の子の裸覗く人になんて言わない」
「じゃあ、謝るよ。 ごめん、二度としないからさ」
「ほんとう?」
「あぁ、本当」
「じゃ、教えてもいいかなぁーっ」
「おぅ、なんだ」
「うんとねぇ・・・」


・・・。


「・・・・・・なんだ、これ」


ぺろぺろ。


「なにって、ぴろのお食事」
「で、可愛くて卒倒しそうなものってどれだ」
「これ」
「なんだ、これ」
「だから、ぴろのお食事。 ミルク舐めてるの」
「んなことは、見ればわかる。 だから、おまえが言う可愛くてたまらないものってのはどれなんだ、と訊いてるんだ」
「これ」
「・・・・・・」
「可愛いでしょ」
「つまり、こうか。 おまえは、このネコの食事してる姿が、俺にもったいぶって言うほど可愛いものだって言うんだな?」
「うん」
「ションベンして、寝るか・・・」
「わっ、なによ、もぅっ!」
「あのなぁ、こんな日常茶飯事の出来事でいちいち感動しててどうすんだよ。 一日三度感動して過ごすのか、おまえは」
「だって可愛いんだもん」
「おまえアレだろ。 こいつが後ろ向きで隠れるようにして用を足してるときでも、可愛いーっ!とか思ってジッと見つめてるんだろ」
「あ、わかる・・・?」
「やっぱ、ガキだな、おまえ・・・」
「そんなぁ・・・だって祐一もこの子のこと嫌いじゃないでしょ?」
「そうだな。 じゃあ、今夜はここで一緒に寝ていいか?」
「えっ? でもお布団ひとつしかないし・・・」
「バカ、冗談だよ」


俺は真琴の頭に手をぽんとのせて、立ち上がる。


「ちゃんと宿題して寝ろよー、って、フリーターにはないか、そんなもの」
「・・・・・・」


俺は自分の部屋に戻って寝ることにした。


・・・・・・。

 

・・・。

 

ぎ・・・


・・・ぎ・・・


ぎ・・・


・・・物音がする。

結局安眠が許されたのは、真琴のいなかった間だけ、ということか。

面倒臭い。

悪戯するなら勝手にしてくれ、という腹で俺は寝たままでいた。


ぎぃ・・・ぎ・・・


ドアの前で音が止む。


ぎぃ~・・・


ドアが開いてゆく。

そして・・・


「ね、祐一ーっ・・・」


泣きそうな声がそこから漏れ出た。


「祐一ーっ、起きてよぅ・・・タイヘンなのぅ」


・・・。


「なんだよ・・・」


その悲痛な声色から、悪戯でないことがわかると、俺は渋々体を起こした。


「どうした」
「ぴろが・・・お腹壊してタイヘンなの」
「え・・・?」


・・・。


真琴の部屋に入ると、すぐ異臭が鼻を突く。


「ぴろ~」


暗がりの中、真琴がそう呼ぶと、よろよろとネコが歩いてきて、目の前でぶちぶち~と失禁した。


「派手にやらかしてるな・・・」
「あぅーっ・・・どうしよう・・・」
「おまえ、寝る前にミルクなんて飲ませるからだぞ。 冷たいままだっただろ」
「うん・・・」
「もう少し、こいつのことを考えろ。 可愛い可愛いだけじゃネコにとっちゃ迷惑だぞ」
「うん・・・」
「とりあえずケツを拭いて、タオルでくるんでやれ。 俺は部屋の掃除するから」
「うん・・・ごめんね」


・・・。


「ふぅ・・・」


見た目にだけは何事もなかったように掃除を済ませたが、匂いだけはしばらくとれそうもなかった。


「どうだ?」
「うん・・・落ち着いたのかな・・・」


真琴がしっかりとバスタオルに巻いたネコを抱いて、温めている。


「部屋は温かくしておいてやれよ」
「うん」
「じゃあ、俺は寝るからな」
「・・・・・・あ、ありがと・・・」
「おう、おやすみ」


ぽむ、と真琴の頭に手をのせてから、俺は退散した。


・・・・・・。

 

・・・。

 

1月19日 火曜日

 

翌朝。

出かけ際、玄関で靴を履いていると、昨日と同じように真琴が階段を降りてきた。

一緒にいくか、と訊くと、頷いてみせた。


・・・。


「おまえ、夕べは大人しくしてたんだな」
「え? あ、うん」
「体調でも悪かったのか?」
「・・・わからない。 許せない気持ちは一緒だけど、なんていうか・・・やる気なくなっちゃった・・・」
「それを懲りた、というんだぞ」
「そういうんじゃないよ、たぶん・・・。 でも、どうしてなんだろ」
「それって記憶なくしていることと、何か関係あるのかな」
「うん・・・あるかも。 思い出したら、ぜんぶ理由がわかるのかも」
「じゃあ早く思い出して、ぜんぶおまえの勘違いだってことに気づいてほしいもんだ」
「勘違いなんてしてないよ。 これは絶対」
「どこからその確信がくるんだか。 とりあえずは静かに眠れるようになったというんなら、嬉しいけどな」
「うん、大丈夫だと思う」
「悪戯さえしなければ、おまえも可愛いもんだしな」
「え・・・?・・・ほんとに?」
「そうだな。 後、口が悪いから、喋らなければ。 で、もう少し態度を慎ましくすれば。 後は、服装をもっと可愛くして、顔をちょっとイジればかな」
「ほとんどじゃないのよぅっ!」
「うーむ、確かに。 骨と臓器ぐらいしかまともに残ってないな」
「それ、どうやったって、可愛くないって言ってるのと同じじゃない・・・」
「いや、まあ、素質はあるってことだからな。 そんなに突っ込んで言うな。 お詫びにこれからはマコピーと呼んでやろう」
「よけいに腹立つわよぅっ」
「そうか。 そりゃ残念だ」


・・・。


しばらく無言が続いた後、先を歩いていた真琴が振り返った。


「あのさ、何時くらいに学校って終わるの?」
「うん? 今日は行事の準備があって、授業は午前中までだったな、確か。ラッキ~」
「そう・・・」
「なんだよ」
「聞いてみただけ」
「おまえ、バイトは何時に終わってるんだ」
「何時って決まってないけど・・・」
「楽なもんだなぁ。 順調にやってるのか?」
「う・・・うん」
「そうか。 頑張ってるんだな」
「・・・うん」


最後の角を曲がったところで、俺と真琴は別れた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

午前中の授業が終わると、下校してゆくクラスメートを横目に俺はモップを持って廊下に立っていた。


「とっとと終わらせてしまおうぜ」


同じ掃除当番の生徒が、俺の脇を駆け抜けていった。

午後からはどこへ出向こうかと浮かれていれば、これだ。

気勢を削がれた気分である。

俺も渋々手を動かしはじめる。

が、ふと窓から校門を見下ろして、俺は再び手を止めてしまう。

遠目にもそれとわかる、見慣れた服装の少女がそこに立っていた。


(真琴・・・なにやってんだ、あいつ・・・?)


きょろきょろと下校してゆく生徒たちの顔を確かめている様子だった。


(俺を待ってるのか・・・)


帰りに何か奢ってもらおうという魂胆だろうか。

それにしても、今日は風が強そうだった。

校庭では砂塵が舞っていた。


「ったく、寒いだろうに・・・」


「・・・・・・」


同じように真向かいで、その真琴を見つめていた女生徒がいた。

俺の呟きが聞こえたのだろうか、彼女は振り返って言った。

 

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「あなたの・・・お知り合い・・・でしょうか」


見知った顔ではない。

それもそのはずで、下級生のようだった。


「誰が?」


勘違いのないように、一応訊いてみる。


「あの・・・校門で待ってる子です」
「・・・ああ、そうだよ。 知り合いだ」
「・・・・・・あれは、あなたを待ってるのでしょうか」
「だろうね。 他にこの学校に知り合いはいないはずだし」


無論、名雪というもうひとりの知り合いが居るには居る。

だがそんなに仲がいい様子もないし、現状では俺を待っている以外には考えられなかった。


「そう・・・いい子そうですね」


その少女がわずかに笑った。

あまりに無表情を板にしたような子だったので、その小さな笑みであっても、それは少女を唐突に彩ってみせた。


「ああ。 いい子だよ。 不器用だけどな」


俺もそう答えて、笑った。

真琴の不器用さを思い返すと、本当に可笑しかったからだ。


「・・・・・・」


下級生の女の子が無言で、廊下の奥へと歩いてゆく。

階段に差し掛かると、そのまま階下へと消えていった。

別れの挨拶もなかったので、戻ってくるかとも思ってしばらく待っていたが、結局それっきり姿を現すことはなかった。

悪い子ではなさそうだったが、他人とは違う雰囲気を持つ不思議な子だった。

名前ぐらい訊いておけば良かったかな、と別に後ろめたくもなく思う。

ちょっとだけ、思う節があったからだ。

まあ、それはまた、会ったときでいいだろう。

同じ学校に毎日通っているのだから、今日限りというわけではない。

手狭に掃除を済ませて、俺は教室へと戻った。


・・・。

 

鞄を持って校門まで出ると、そこに窓から見下ろしたときと同じ格好で真琴が立っていた。


「なにしてんだ、おまえ」
「なにって・・・待ってたに決まってるじゃない」
「俺をか?」
「他に知り合いなんていないもん」
「うーむ・・・。 じゃあ、友達作りにいくかっ」
「わぁーっ」


手を引いて戻ろうとすると、真琴が悲鳴をあげて抵抗する。


「いいか、おまえに必要なのは友達なんだよ。 頑張ってつくれ」
「そんなぁ・・・どうやって言えばいいかわかんないよぅっ」
「いいから、いけっ」


どすんっ!


俺は真琴の背中を押して、校門を抜けてきた女生徒たちと鉢合わせにさせる。


「わっ・・・」

「なに・・・?」


いきなりの私服姿の女の子の登場に、3人組の女生徒が、戸惑ったように声をかける。

それでも相手が年下だと気づくと、表情をすぐ和らげた。


「えっと・・・あのっ・・・」
「うん」
「お友達・・・」
「お友達?」
「うん・・・」
「お友達になりたいの?」
「・・・・・・」


頷けばいいものを、真琴は俯いたまま、固まっていた。


「あぅーっ・・・」


そし我慢の限界に達したのか、いつものうめき声をあげた後、背中を向けて走り去っていった。


(ったく、あいつは・・・)


唖然としている女生徒たちの前を横切って、俺もその後を急いで追った。

 

・・・。


「おーい、真琴ーっ」


校門が見えなくなったところで、ようやく真琴に追いつく。


「うーっ・・・」
「そう、警戒するな。 俺ひとりだよ」


両腕を開いてみせると、安心して真琴は肩の力を抜いた。


「あぅ・・・」
「ほら、肉まん買ってやるから、ついてこい」
「うん」


・・・。

 

やはりいきなり見知らぬ女の子と引き合わせたのは、まずかったようだ。

真琴を傷つけるばかりで俺の思慮の浅さを露呈しただけだった。

謝罪の意味と機嫌取りを兼ねて、商店街で肉まんを真琴に買い与えてやる。

それをふたりで食べながら、ゆっくりと帰路を辿った。


「あ、雪・・・」


真琴が空を見上げていた。

その前髪にふわりと降りる白い精。

こいつにも、幸せを運んできてくれるといいんだけどな。

記憶が戻らない・・・自分が誰かもわかっていない真琴の境遇を俺は哀れんで思った。

出会ったときは、記憶喪失だという訴えにも俺は疑ってかかっていた。

だが、先刻のようなこいつなりの苦労を見ていると、そんな疑いも浮かばなくなっていた。


「冷たい」


ぷるぷると犬のように顔を振り、それを振り払う。

それがわざわざ運ばれてきた幸福を振り払ってるようで、なんだか見ていて心許ない。


「おまえは、一体誰なんだろうな」
「真琴は真琴」
「でもその名前だって、合っているかどうだか」
「うーん・・・でも、その名前だけを憶えてたの。 自分がそう呼ばれてたかはわかんないけど・・・」
「だろ。 沢渡真琴ね・・・おまえには勿体ないほどの名前だ」
「そんなことないよぅっ、真琴らしい、いい名前」
「いやいや、おまえだったら、そうだな・・・」


俺は冗談を言おうとしてやめた。

もし本当に真琴が真琴の名前じゃなかったら、それを知った時点で他人同士になってしまいそうで、恐くなった。


「真琴だったら、なによぅ」
「いや、おまえはやっぱ真琴だよ」
「だから、言ってるのに」
「ほら、肉まん食ってしまえよ。 話に夢中になってると、落とすぞ」
「あぅ」


最後の一口を放り込むと、指をぺろぺろと舐めて、それを上着の裾で拭いた。


・・・。

 

「ただいまーっ」
「あ、おかえり」


玄関を上がると、名雪が台所から出てくるところだった。


「お昼御飯なに?」


目ざとく真琴が訊く。


「オムライス」
「わぁーい、オムライスーっ!」


両腕をあげてばんざいする。


「おまえ、手荒ってこいよ。 うがいもな」
「うん」


素直に頷くと、とてとてと廊下を走っていった。


「本当、もう家族の一員ね」


その姿が角の向こうに消えてから、名雪が口を開く。


「そうだな。 どんな心変わりからか、最近は言うこともよく聞くし。 いい感じだよな」
「はぁ・・・裕一は呑気だよね」
「なんだよ、いきなり」
「祐一は知らないだろうけど、お母さん、いろいろと奔走してくれたんだよ」
「なんのことだよ」
「ほら、なぁんにもわかってない」
「悪かったな。 で、なんだって?」


俺は先を急がせた。


「あの子のね、親御さんをずっと探してるの」
「え・・・? 真琴のか?」
「うん。 警察も、当たってくれてる。 でも見つからないんだって。 捜索願も出てないみたい。 元からそういう家庭の子なのかもしれないね・・・」


名雪が目を伏せた。

重苦しい息を吐く。


「でもねっ」


ぱっと、俺に顔を向ける。


「もし見つかっても、お母さんはね、あの子に記憶がない間は、ここに置くつもりだって。 そう話してくれたの。 だから、私も祐一に話したんだよ」
「そうか・・・」


俺だけが馬鹿だったんだ。

それを痛感する。

秋子さんだって、目の前にいる名雪の親だ。

その名雪が失踪するなんてことになってはきっと四六時中、そのことで心を痛めることになるだろう。


「礼を言わないとな・・・」


「オムライスーっ」


角からいきなり真琴が現れると、そのままキッチンへぱたぱたと駆けてゆく。


「・・・・・・で、なんだっけ?」
「祐一も、あの子に家族がいることを忘れないでね、って言いたかったの」
「ああ、わかったよ」


・・・。


昼飯を食い終わった後、しばらく自分の部屋でくつろぐ。

これといった用はなかったが、怠惰に時間を潰すのも気が引けたので、出かけることにする。

その重い腰をあげたところで、部屋のドアが開いた。

この自分の目的しか見えていない乱入者は、真琴以外に考えられない。


「裕一、裕一ーっ」


案の定、その声である。


「ノックしろって言ってるだろっ」


そのほうを見て注意するが、明日には忘れているのだろう。

昨日だって、注意したはずだった。


「ね、マンガ読もうよ、マンガ」


両手には漫画本を山ほど抱えている。


「人を誘ってすることか、それが?」
「え? どうして?」
「ふたりで黙って読んでいて、何が楽しい?」
「ここ、おもしろいよーっ、て言いながら読むの。 楽しいよ」
「おまえはそれで楽しいかもしれないが、俺は楽しめそうもない。 悪いが、ひとりで読んでくれ」
「あぅ・・・そう。 うん、わかった・・・」


素直に頷くと、きびすを返して、部屋を出てゆく。


「・・・・・・」

 

相変わらず意味不明な行動をとる奴である。

気にせず出かける支度をして、部屋を出る。


・・・。


すると真琴も部屋を出てきたところで、俺の姿を見つけて、急いで寄ってくる。

今度は何事か。


「ね、紙飛行機つくって、飛ばそうよ」
「紙飛行機?」
「うん、紙飛行機。 今ひとりでやってたけど、うまく飛ばないんだぁ・・・」
「知るか、そんなこと」
「一緒につくらない?」
「作らない」
「あぅ・・・そう。 わかった・・・」


背中を向けると、とてとてと自分の部屋に戻ってゆく。


「・・・・・・」


どうやら真琴は俺の気を引きたいようだった。

出かけるところだったけど、その必死な様が可笑しくなって、俺は部屋に戻ることにする。


・・・。


その後も、真琴はひっきりなしに俺の部屋を訪れては、あれやこれやと遊びを提案した。

実際に俺の興味を引くものなど皆無だ。

無下に断ってやっては、次の訪れを待って、時間を過ごした。


・・・。


夕飯を食いながら考えてみると、一体俺は何をしていたんだ?と悔いるような一日だった。


・・・・・・。

 

・・・。


その夜は布団に入っても、なかなか寝付けず、寝返りを打つばかりだった。


・・・祐一も、あの子に家族がいることを忘れないでね、って言いたかったの。

昼間の名雪の言葉が罪悪感を帯びて、ずっと俺の頭の中にこびりついているような気がした。


沢渡真琴・・・」


俺はその名を口にしてみる。


「・・・・・・」


まどろんだような意識がそれを手伝ったのだろうか。

夢の中にいるような漠然と、なんの根拠もなしに古い記憶の中に視点を置いた。

そしてそこに確かにあった。

その名が。

あれは・・・小学生の頃だったろうか・・・


さわたりまこと・・・

 

音の響きだけ憶えている。

それはわずかに胸が躍るような、そして痛むような微妙な色彩に彩られていた。

俺が当時恋い焦がれていた女性の名だった。

それが今の彼女・・・真琴なのだろうか・・・?


・・・いや、おかしい。


彼女は三つも、四つも離れたような、上級生だったはずだ。

今の真琴が、彼女とはとても考えられない。

真琴はどう見ても、その逆で、俺よりか幾つか年下のはずだ。

でなければ、当時の彼女のことを知る人物か・・・


「・・・・・・」


俺の頭は、はっきりとした覚醒に近づいていた。

真琴と俺を結ぶ接点を見いだしたことに、興奮を覚えていた。


『さわたりまこと』、という女性・・・

もしかしたら、真琴はその『さわたりまこと』の女友達だったのではないか。

彼女から俺の話を聞いていて、それを自分の記憶として取り違えているのかもしれない。

多重人格とはそういう経緯で形成されることがあると聞いたことがある。

・・・まて、それもおかしい。

当時の『さわたりまこと』とは、俺は一言も口を利いていない。

それこそ高嶺の花のように、俺は遠くから見ているだけだったはずだ。

それに、彼女に恋いこがれているという事実さえ、俺は誰ひとりとしてうち明けたことがなかったはずだ。

それを第三者である今の真琴が、俺との接点として記憶の底から持ち出すのはおかしい。


・・・・・・。


そのことを知ることができた者・・・


あのとき俺の部屋に居たものと言ったら・・・それは・・・


「うにゃあ」


「どわあぁぁーっ!」


唐突に顔面に重石のようなものがのる感触を覚え、俺は飛び起きる。

電気を点けると、俺の枕元で丸くなり眠るぴろの姿があった。


「ねぇ、祐一ーっ」


続けざまに真琴がノックもなしに、ドアから顔を出す。


「ぴろ、来てない?」
「思いっきり来てるよ」
「あ、居た~っ」


断りもなく入ってきては、ベッドの隅に腰をちょこんと下ろす。


「勝手にこんなところで寝てるーっ」
「おまえの差し金じゃなかったのか?」
「なにそれ?」
「また悪戯に使おうとしてたんじゃないのか、ってことだよ」
「違うよ。 いきなりいなくなっちゃったの」
「おまえ、また嫌がるようなことしたんだろ」
「嫌がることなんてしてないよ。 温かかったから、お腹の中に入れて寝ようとしたの」
「おまえ、まだわかってないな・・・」
「どうして? ぴろも寒そうだったし、お互い温かいと思って」
「わかったわかった。 温かいだろうけど、あんまりそいううことを無理強いすんなよな」
「うーん・・・いいアイデアだと思ったのになぁ・・・ほら、ぴろ。 戻ろ」


つんつんと、真琴がネコの頬をつつく。


「もう起こしてやるな。 俺はいいから、おまえ、もう部屋に戻って寝ろ」
「え?それって、ぴろは?」
「ぴろは、ここで寝かしておいてやるよ」
「ヤだっ。 真琴もぴろと寝る」
「一日ぐらい、我慢しろ」
「じゃあ、真琴もここで寝る」


言って、俺の隣に潜り込んでくる。


「ぴろ、おやすみーっ」
「こらこらっ。ひとりで勝手に話を進めるなっ」
「くーっ・・・」
「おまえ・・・本気で俺の隣で寝る気かよ・・・」


返事なく、真琴は本当にすやすやと寝息をたて始めた。


(はぁ・・・代わりに俺が真琴の部屋で寝るか・・・)


布団を這い出ようとすると、真琴の手が俺のパジャマを掴んでいた。


「おい、真琴・・・」


言いかけて、俺は口ごもる。

ネコを寝かしておいてやれと言って、真琴を起こすというのも矛盾した話だった。


「・・・・・・」


まあ、相手が真琴だったらやましいこともないだろう。

そう考えることにした。

そしてそのまま布団の中に戻った。

ネコを真ん中に、川の字で寝る一家みたいで、なんだか可笑しかった。


・・・。