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Kanon【16】


川澄舞編―

 

~1月11日 月曜日の途中から~


・・・。

 

「じゃあ、どうしたいんだよ、おまえは」
「わたしは、予習復習をしたいだけだよ・・・」
「じゃあ、俺に今から・・・学校に行ってノートをとってこいと言うんだな」
「べつにそこまでは言わないけど・・・」
「いいよ。 いってくる」
「学校、開いてないよ、たぶん」


名雪は言い過ぎた、と思ったのか勢いを失くしてゆく。


「宿直の先生とか、いるんじゃないかな。 いなかったら、窓ガラスを割ってでも入ってやるよ」
「そんなのだめっ」
「ま、そりゃ冗談だ。 とにかく行ってみるよ」
「外・・・寒いよ?」
「いいよ。 ジョギングがてら、行ってくるから」
「・・・ほんとに?」
「ああ」

 

・・・。

 

部屋に戻りコートを羽織って、出てくると、まだ名雪はそこに立っていた。


「ごめんね」
「迷惑かけてるのは俺だからな。 自業自得ってことだ」


その脇を抜けて、俺は階段を降りた。


・・・。


外に出ると、強烈に冷たい風が衣服の隙間を縫って、地肌にまで吹き込んでくる。

俺は鼻の下までコートで覆い、駆け足で学校へと急いだ。


・・・。


校門を乗り越え、学校の敷地内へと入る。

だだっ広い前庭には常備灯だけが灯り、その向こうで巨大な校舎が虚ろな影となっていた。

その影に向かって、歩いてゆく。

昇降口に辿り着くと、ひとつひとつその入口を調べてゆく。

冷たい扉を手で押してみても、開くものはひとつとしてなかった。

1枚のガラスを隔てて下駄箱と、その先に続く廊下が見えているだけにやきもきする。

1階の窓を全部調べてやるか・・・

そう腹をくくって昇降口を降りると、別な場所にもうひとつ小さな昇降口があるのを発見する。

職員用のものだろう。

俺はそれに駆け寄って、扉を押してみた。


きぃ・・・


眠りから起こされたような軋みをあげて、それが開いた。

やはり、宿直の先生がいるのだろうか。

にしても、鍵が開いていたのでは、その意味がないと思うが・・・。


・・・。


自分の教室まで辿り着くと、そのドアに手をかける。

どこまでずさんな管理なのだろう。

入り口が開き、早朝一番で乗り込んだときのような、誰もいない教室が目の前に現れた。

静まり返った教室。

そして冷え切った空気が俺を迎えてくれる。

その教室を横切り、自分の机まで辿り着く。

なぜだかほっとする。

ようやく、現実との接点を見つけたような感覚だ。

あまりに、夜の校舎は異質だった。

目的のノートは容易く見つかった。

それを抱えると、足早にきた道を辿って、教室の出口へと向かう。


たん、と俺の足が廊下のリノリウムを叩いた。


「・・・・・・」


違う世界へと踏み込んでしまったのではないか。

俺はそう思った。

ここを通ってきたはずなのに、そこはもう俺の知る場所ではないような錯覚に捕らわれた。

顔をあげたその先に、幻想的な光景があったからだ。

非現実的、というほうが近かっただろうか。

でも俺には、その少女の不自然な存在が、その場に違和感のないものとして映った。

でも日常的ではない。

それを幻想的だと形容したのだ。

 

 

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少女は夜の校舎に立っていた。

一振りの剣を携えて。

 

「よぉ」


正面に立っているのだから視界には入っているだろう。

でも返事はない。

まっすぐ、俺の背中のその先を凝視している。

振り返ってみるが何もない。


「なにやってるんだ、こんな時間に」
「・・・・・・」
「演劇部の稽古か?」
「・・・・・・」


一向に返事はない。

俺は彼女の手に収まる剣に目を落とす。

真剣か?

・・・まさかな。

 

「さて・・・」


べつに彼女に用があったわけじゃなかったが、どうしてだか俺は彼女と話がしてみたかった。

少なくともこんな夜の校舎で人、それも女の子と出会うなんて奇跡的だ。

それだけでも話すに充分の価値がある。


「ひとりなのか? ひとりだったら、途中まで送るけど」
「・・・・・・」
「俺もこの学校の生徒だ。 忘れ物をとりにきただけで、怪しいもんじゃないぜ」


俺は両腕を開いてみせる。


「・・・・・・」


ちらりと俺のほうを向いた。

敵視とも、有効的ともとれない目だ。


「ほら、こんなところにひとりで居たら、何がでるかわかんないだろ?」


ガキッ・・・と音がした。

 

「ん・・・?」


音のほうを振り向きみるが、何もない。

温度の下がった校舎が軋みをあげただけだろう。

俺は女の子のほうへと向き直る。


が、その姿がなかった。

角度を下げた体が脇をすり抜けていた。


「おい、どうしたんだよ、いきなりっ」


その背中を追おうとすると、入れ替わり、何かが俺の体にぶつかっていた。


「なッ・・・」


浮遊感は一瞬だ。

次の瞬間には俺は左半身を強く壁に叩きつけられていた。

立っていた場所とはほど遠い位置で。


「ぐっ・・・」


気を失っていたかと思ったが、そうでもなかった。


失っていたとしても一瞬だ。

目を開くと、こちらへ剣を引いた格好で猛然と向かってくる彼女の姿があった。

 

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眼前へと迫ったとき、その刀刃が水平に薙れた。


ガギィッッ!!


異質な音。

目の前の空間が裂けた。

矢継ぎ早に大振りの剣がその空間の肩口へと振り下ろされていた。


ガンッ!!


刃はリノリウムの床に突き立っていた。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


すべての物音が止んでいた。


「・・・・・・」
「は、はぁっ・・・」


ようやく忘れていた呼吸をする。

耳鳴りが、やまない。

剣を持つ彼女は、壁にもたれ倒れたままの俺に一瞥をくれた後、何も言わずに背中を向ける。


「おい、待てよっ」
「・・・・・・」
「一体なんだったんだ、今のは・・・」
「・・・・・・」
「おい、待てって! こんなワケがわからないことってないだろ!?」


俺はその背中に向けて、そう捲くし立てた。

 

「・・・・・・」


彼女の足が静止した。

 

 

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「・・・・・・私は魔物を討つ者だから」


その一言だけが、清閑となった空間に残された。


・・・・・・。

 

・・・。

 


「ただいま・・・」

靴を脱ぐと、その先に待ちかまえていたように名雪が現れたところだった。


「どうだった?」
「戦利品だ」
「わ、ありがとう。 ほんとうに持ってきてくれたんだ」
「あれだけずさんな学校もないだろうよ。 今度は校長の机だって、持ってきてやるよ」
「そんなのいらないよ~」
「校長ごっこができるぞ。 チミ、退学ね。 とか言えるぞ」
「そんなのしたくないよ。 それよりも、お風呂沸いてるよ」
「おぅ」
「・・・あれ?」


名雪が俺の顔をまじまじと見ていた。


「なんだよ」
「どうしたの? 顔、腫れてない?」
「そっか?」


当ててみると、わずかに熱を持って形を変えていた。

廊下の壁にしこたま強くぶつけたところだ。


「思い出した」
「なにを?」
「魔物に襲われたんだった」
「魔物・・・?」
「そう、魔物だ」


判然としない顔のまま名雪を置いて、着替えをとりに部屋へと戻った。


俺は風呂に浸かりながら、痛みが増してきた頬に、校舎で起きた出来事が夢でなかったことをひしひしと思い知らされていた。

冷静になってみれば、それはあまりに日常からかけ離れた出来事で、湯に浸かっていながらも身震いするほどの恐怖を覚えた。

だが、また一方では胸を高鳴らせている自分も確かにそこにいた。

それは中心に居たのが、紛れもなく人間の少女であったからだろう。

夜の校舎、異質な空気、剣を持つ少女・・・。

明日目覚めたら忘れていろ、と言われても、できそうにはなかった。


・・・。


・・・私は魔物を討つ者だから。


彼女が口にすると、それは本当に聞こえた。


・・・。

 


~1月12日 火曜日の途中から~


・・・。


学食から校舎へと戻ったところで俺は足を止めた。

他の生徒たちは、そのまま旧校舎に続く渡り廊下へと姿を消してゆく。

俺だけぽつんと取り残されて、突っ立ったままでいた。

顔は、渡り廊下でない方、職員室や談話室が並ぶ廊下に向いていた。


そこには、曇り空を窓越しに眺めて立つ少女。

昼休みの喧噪から逃れるように、ひとり佇んでいた。


「よぉ」


俺はその見覚えのある顔に声をかけた。

 

 

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「・・・・・・」

一度は俺のほうに目を向けるが、興味ないといった感じで再び窓の外に視線を戻した。


「昨日は暗くて気づかなかったけど、3年生だったんだな、あんた」


ケープのリボンの色で見分けがつく。


「・・・・・・」

 

夕べと同じだ。

俺の存在には気づいているのだろうけど、まるで眼中にないようだった。


「魔物ってなに」
「・・・・・・」


核心すぎただろうか。


「今日は剣、持ってないんだな」
「・・・・・・」
「もしかして、夕べのこと忘れた? あそこに居合わせたの、あれ、俺だったんだぜ?」
「・・・・・・」
「かぁーっ」


俺は前髪を掻きむしる。

まるで会話が成立しない。


「返事だけでもしてくれよ。 『はい』か、『いいえ』でいいから」
「・・・・・・」
「覚えてるよな、俺のこと」
「・・・はい」
「いや、まんま『はい』ってなぁ・・・先輩なんだから、『そう』とか『そうじゃない』とか・・・。 ま、答えてくれたんだからいいけどさ・・・」


話の内容を変えてみるか。


「で、今日は何してんのさ」
「・・・・・・」
「昼は? もう食った?」
「・・・食べてない」
「あ、そう。 じゃあ、学食にでもいくか?」
「・・・・・・」
「ダイエットでもしてるのか?」
「・・・・・・」


次の質問を投げかけようとしたとき。


「ごめーんっ」


声。

こちらへ向けてだ。

見ると、同じ上級生らしき女生徒が慌ただしく駆け寄ってくる。

 

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「舞、ごめんーっ・・・って、あれっ?」


その女生徒は俺の存在に気づいて驚いているようだった。

それはこちらも同じで、目の前の無口な女(舞、と今呼ばれていたようだが)に友達がいたことに内心驚いている。


「えっと・・・お友達ですか、舞の?」
「彼氏だ。 全校公認のな」


「・・・・・・」


「ふぇー・・・」


「こらこら、否定しないから信じてるじゃないか、このひと」「そうじゃない」
「遅すぎるっ」


「はー・・・で、どういうお知り合いなんです?」


気を取り直したようにして、女生徒が俺は目を向ける。


「夕べ、この校舎で会ったんだ。 で、その時の話を少しな」
「それだけなんですか?」
「それだけだけど・・・」

 

知らないのだろうか。

彼女のあの姿を。


「じゃあ、一緒にご飯でも食べましょうか」
「はぁ?」


なんでそうなるんだ、という目で見返してやる。


「舞とお話してたんでしょう? でも今からご飯食べるんですよ。 だから一緒にどうかなって」


舞とは対照的に人なつっこい女性である。

よっぽど舞と話している人間が珍しかったのだろうか。

女性からのお誘いを断ってしませるほど、俺は満ち足りた生活を送っているわけではない。


「よし、じゃあ、一緒に食べるか」
「はい」
「で、どこで?」
「屋上です」
「屋上? 寒いだろ」
「屋上には出ません。 その扉の前、階段の踊り場です」


・・・。

 

四階からさらに階段をのぼったところまでくると、その場にビニールシートを敷き始める。

 

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「はい、どうぞーっ」


その上に、重箱のような弁当箱を並べて、両腕を開いてみせた。

ふたりとも、すでに腰を落ち着けている。

俺も靴を脱いで、彼女たちと同じように、その一端に腰を下ろした。


顔を見合わせると、まるで遠足のお昼のようで失笑してしまう。


「確かにこの季節、ここだったら、誰もこないよな」
「ヘンですか?」
「いや、いいと思うよ。 毎日が遠足みたいで」
「あははーっ、ですよね。 やっぱりご飯は机で食べるより、こうやって地べたに座って食べたほうが美味しいと思うんですよ」


確かにそう言われてみるとそんな気がしてきた。

もとより、女性ふたりに囲まれて不味くなるはずもなかったが。


「しかし・・・豪勢な弁当だな」


おかずの入った弁当箱がみっつ、ご飯だけのものがふたつ。

その統一感から、ひとりの人間が作ったことは明らかだ。


「これは誰が?・・・って、こっちが作るわけないか」
「ええ、佐祐理ですけど。 割り箸ありますから、どうぞ食べてくださいね」

佐祐理、とは彼女の名前なのだろう。

自分のことを名前で呼ぶ奴は好きじゃなかったが、彼女には嫌悪感を抱かせない自然さがあった。

ようはその一人称が合っている、ということなのだろう。


「じゃ、これ、こっちに置いておきますね」


色とりどりのおかずが盛られた弁当箱のひとつが目の前に置かれる。


「悪いね。 遠慮なく戴くことにするよ」

 

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と、俺たちが話している間に、舞はひとり黙々と弁当箱をつつき始めていた。

マイペースというか、なんというか・・・。


「そういや、名前も聞いてなかったな、お互い」
「あ、ごめんなさい。 倉田佐祐理(くらたさゆり)です」
「俺、相沢祐一


「・・・・・・」


「舞の名前は、知ってるんですよね?」
「いや、知らないから待ってるんだけど」

 

「ほら、舞」


「・・・・・・・・・川澄舞(かわすみまい)」
「ふぅん、川澄って言うのか。 舞、って下の名前で呼んでいいよな?」
「・・・・・・」
「『いい』か、『悪い』か」
「・・・いい」


「わたしも佐祐理でいいですから、相沢さん」
「わかったよ、佐祐理さん。 俺も祐一でいいからな。 佐祐理さんたちのほうが上級生なんだから、俺に敬語使わないでくれよ」
「そうですか? そうですよね、あははーっ」


しかし佐祐理さんの笑みってのは、場を和ます。


に比べてこっちは・・・


「・・・・・・」


場の雰囲気などお構いなしに黙々と食べ続けている。

が、その箸がふと止まる。


「・・・・・・?」


その目が・・・俺の前に置かれた弁当箱に向いている。


「・・・・・・」

 

こっちの弁当箱をつつきたくなったのだが、箸が届かないようである。


「どうした、取ってやるぞ。 何が欲しい?」
「・・・・・・卵焼き」


よしっ。


・・・と、なぜだか舞を喋らせると勝ち誇った気分になるのはなぜだろう。

俺は注文どおり、卵焼きを割り箸で掴んで舞の弁当箱の箸の上に置いてやる。

 

「・・・・・・」


やはりそれを無言のままに口に運ぶ舞。

その様子を見て、俺はあることを思いついた。

なら、こうすればどうだろう。


「・・・・・・?」

「・・・・・・」

「あの、祐一さん」
「ん・・・?」
「なにやってるんですか?」


弁当箱の縁を指先で摘んで移動させてゆく俺を見て佐祐理さんが不思議に思ったらしい。

というか、当然だ。

弁当箱が俺の周囲に集合しているんだから。

が、しかしこれで舞の箸の届く範囲からすべての弁当箱が離脱を果たしたわけだ。

現に、行き先を失った箸を硬直させた舞がこちらをじっと凝視している。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・タコさんウィンナー」


よっしゃーっ!


どうしてだかわからないが、タコさんウィンナーを言わせたのはデカい気がする。


「舞はタコさんウィンナー好きか?」
「・・・嫌いじゃない」
「よし、そうかっ」


差し出された蓋の上にタコさんウィンナーをのせる。

それをすぐさま箸で掴むと、頭からかぶりつく舞。


「タコが好きなのか? ウィンナーが好きなのか?」
「・・・ウィンナー」
「タコは嫌いか?」
「・・・さぁ」


「あははーっ」


会話として成立しているかはよくわからないが、俺と舞が話していると沙百合さんは終始笑顔だった。


・・・・・・・・・。

 

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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時計を見ると、午後8時。

その時間を見て、俺は思い出していた。

夜の校舎にひとり立つ少女の姿を。

俺はコートだけを持って折り返し1階へと降りる。

そして、リビングに顔をだし、そこにいた名雪に声をかける。

「出かけてくるから」
「え? どこに?」
「学校」
「また忘れ物?」
「雪辱戦だ。 魔物とな」


それだけを言って、一方的にドアを閉めた。

玄関に降りて靴を履くと、フードを頭からすっぽり被り、家を後にした。


・・・。


彼女はいる。

またあの場所に。

ただそんな気がした。


(はぁっ・・・俺もなんだか感化されてるよなぁ、あの雰囲気に・・・)


自分らしくないその行動原理にため息をつきながら、寒空の下、夜の校舎へと急いだ。

 

・・・。

 

無人の校舎は相変わらずシンとしていて、海の底を思わせる濃度の闇が支配していた。

ということは、彼女自身の存在はどうなるのだろう。

闇と同一か。

あるいは、また別のものか。


(くだらない。 どう見たって人間じゃないか、彼女は)


・・・。


昇降口で自分の上履きに履き替え、廊下を歩いてゆく。

新校舎の1階、窓から差す月明かりを足元に受けて、彼女はいた。

夕べと同じ格好だ。

もし俺が彼女と同じように剣を構えて持っていたなら、すぐにも物語のクライマックスが始まりそうだった。

だが残念ながら俺が手に掲げているのは単なるコンビニの袋だ。

「差し入れ。 コンビニのおにぎりだけど」
「・・・・・・」
「腹、空いてないか」
「・・・少し」
「そうか。 なら食え」


俺は取り出して、差し出す。


「・・・・・・」
「どうした?」
「・・・・・・剥いて」


剣は一時も手放せない、というわけか。


「そういうのってさぁ、刀身をしまう鞘とか腰に下げるんじゃないのか?」


おにぎりの包装紙を向きながらに話しかける。

 

「・・・さぁ」
「買ったとき、ついてなかったのか?」
「・・・さぁ」
「って、売ってるわけないよな、そんなものが」


夕べの一件で、舞の持つ刀身が偽物でないことは知っていた。
探せばその刃の切り込みが深く入ったままの床の一部が見つかるだろう。


「ほら」


のりに巻かれたおにぎりを指し出す。


「・・・・・・」


今度は『食べさせて』と言うかとも思ったが、あいた方の手で受け取った。

そして二度三度俺の顔とおにぎりを見比べた後、かぶりつく。


ぱりぱり・・・


乾いたのりの音だけが廊下に響いた。

なんていうか、完璧だった幻想世界にひどく所帯じみたモノを突っ込んでしまった気がする・・・。

当の本人は気にしたふうもなく、無心で食べてはいるが。


「今日も現れるのかな、あれは」


俺は昼間訊けないことを訊いてみる。


・・・もぐもぐ。


答える気がないのか、食べるのに熱心なだけか、返答はない。


少し待つか。


・・・。

 

・・・ミシッ。


音がした。

昨日までの俺なら聞き流していただろう、音。

 

「なぁ、舞・・・」


・・・もぐもぐ。


俺は思わずコケそうになった。

食うのに夢中で、聞こえてないのだ。

夕べは呆気にとられるほど敏感に反応したというのに。


サッ・・・


何かが視界の隅を走った。

それは見えた。

白く蠢くもの・・・。


「おい、舞っ・・・」

 

夕べのような不意打ちを食らったら、そうそう無事でいられるはずがない。

だがそれを狩るはずである舞は、おにぎりを食べるのに一生懸命だ。

なんなんだ、その状況は・・・。

俺は体を強張らせ、舞が気づいてくれるのを待った。


サーーッ・・・


近づいている。

振り返ることもできず、俺は黙っておにぎりを食べ続ける舞を見つめていた。


「・・・・・・」
「・・・・・・」

 

駄目だ・・・逃げよう・・・

 

そう意を決したとき・・・

 

・・・ミシッ!


すぐ背後に気配。

反射的に振り返ると、視界が白に埋め尽くされていた。


「うあぁっ!」


ガギッ!!


何かの音とともに、俺は床に転がっていた。


・・・。


そして顔をあげると、視界が元に戻っていた。


「え・・・」

 

舞が、剣を壁に向けて突き刺していた。


白い・・・布ごと。


そのまま視線を下げると、その布から人の半身が出ていた。


「あ、あぅっ・・・」


ぺらっと布をめくり、見慣れた顔が出てくる。

 

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「こ、殺されるかと思った・・・」


真琴である。


「なにやってんだ、おまえ」
「祐一をショック死させようと思ってついてきたのっ・・・途中までうまくいってたのにっ・・・。 なによ、この物騒な女はぁっ!」
「俺を殺そうとしたおまえが言うセリフか、ばか」


ぽかっと殴ってやる。


「あぅーっ・・・」


舞は白い布(カーテンだった)から剣を抜くと、片手に持ったままだったおにぎりの最後の一口を食べた。

なんの動揺もない。


最初から真琴の悪戯だとわかりきっていたような振る舞いだった。


「・・・・・・」


その舞が思い出したように真琴に目を向ける。


「おいで」
「え・・・? なに・・・?」


舞は近づいていった真琴の頭に手を伸ばす。


「って、何よぅ、年下だからって馬鹿にしてるのっ?」


それに気づいた真琴が感情剥きだしに怒鳴る。


「・・・・・・ただ、そうして欲しいかなって」
「思わないーっ!」
「そう」


「ねぇ、祐一・・・」
「なんだ」
「こいつ・・・アブナイわ・・・」
「だからおまえが言うな、おまえが。 ほら、どこのカーテンだか知らないけど、戻しておけよ」


カーテンを拾い上げて真琴に突きつける。


「めんどぃー・・・」
「自分で散らかしたら自分で片づける」
「あぅーっ・・・」


諦めてカーテンを抱え込むと、引きずりながらに引き返してゆく。


「昇降口のところで待ってろよ、一緒に帰ってやるからっ」
「うん」


階段を上っていったかと思ったら、すぐひょこっと戻ってくる。


「ねぇ・・・」
「なんだ」
「これ返すのもついてきて欲しいんだけど・・・」
「はぁ・・・」


よくもまあ、そんな中途半端な度胸で、夜の校舎にひとり隠れていられたものだ。

一度熱くなると、周りが見えなくなるタイプなのだろう。


「わかったよ。 ということだから、帰るな、俺」
「・・・・・・」


黙って頷く。


「じゃ、おやすみ」


俺は真琴の面倒を見るために、今日はそこで舞と別れた。


・・・・・・。

 

・・・。

家に帰り着いたのは、もう10時近くだった。

学校までの距離を往復するだけでも、四、五十分はかかるから、一日に二度も往復するなんてのは、相当な時間の浪費だとも思える。

それぐらいの時間を惜しむほど、忙しい身でもないのだが。


・・・・・・。

 

・・・。

 

~1月13日 水曜日の途中から~

 

・・・。


昼休みとなると、俺は屋上へと向かう。

すると、彼女たちに会える。


・・・。


「あ、祐一さん。 こんにちはーっ」
「また来ちゃったけど、おじゃましていいかな?」
「あははーっ、大歓迎ですよ」


佐祐理さんは本当に、人当たりのいい人である。


に、比べてこっちは・・・


「・・・・・・」


相変わらず、目もくれない。

俺が裸で座っていたって、淡々と弁当を食ってそうな気がする。


「舞、夕べはどうだった」
「・・・・・・」
「例のモノは出たのか?」
「・・・・・・」
「『イエス』か、『ノー』か」
「・・・・・・ノー」
「そうか。 出ない日もあるのか・・・」


「なんの話です?」
「舞のお通じの話だ」


「・・・・・・」


「はぇ~・・・。 舞・・・お薬あげようか?」


「こらこらっ、否定しないからまた信じてるだろっ佐祐理さん」
「違う」
「だから遅すぎるっ」


「あははーっ、冗談だったんですね」


相変わらず佐祐理さんの笑顔だけで場が保っている感じだ。


「温かい紅茶ありますけど、いかがですか、祐一さん」


その佐祐理さんが魔法瓶を手に勧めてくれる。


「お、いいね。 でも、コップがないんだけど」


ジュースの缶はあったが、まさかその中に注ぐなんてことはできないだろう。


「沙百合ので良かったら・・・」


佐祐理さんが言い出した途中で、にゅっと思わぬ方向から手が伸びてきた。

舞が、自分のコップを俺に向けて差し出していた。


「舞、いいの?」
「・・・後で返してくれたら」


「そうか、悪いな・・・って、まだ中、残ってるんだけど・・・」
「いい」
「・・・・・・」


まあ、これが舞なりの精一杯の誠意なのだろう。

夕べの差し入れのお返しのつもりなのかもしれない。

とりあえず半分も残っていなかったら、佐祐理さんに注ぎたしてもらう。


「待ってくださいね」


その際、魔法瓶の蓋を開けるのに、佐祐理さんは左手を庇っているように見えた。

怪我でもしているのだろうか。

よそ見をしているうちに紅茶は注ぎ終わり、蒸気とともにハーブの香りが鼻もとまで漂ってきた。


「いい香りがするな。 ハーブティーだよな、これって」
「ええ、毎日種類を変えてるんですよ。 たくさんありますから、遠慮せず飲んでくださいね」
「ああ、そうさせてもらうよ」


「・・・・・・」


気づくと、また舞が俺のほうに向けて手を伸ばしている。


「どうした、舞」
「・・・ノドが詰まったの」
「・・・・・・」


はは・・・。

俺はその手に、まだ一口さえつけていないコップを握らせてやった。

マイペースというか、まったく場の流れというものを汲まない奴である。

ごくり、と喉元を鳴らした後、自分の口をつけた跡さえ拭わないままのコップを戻してくる。

俺はそれを受け取り、逆方向から口をつけた。


「ほら、祐一さん、これ佐祐理の自信作なんですよーっ」


そんな不作法な舞の行動にも慣れきってしまっているのか、佐祐理さんは俺のためにおかずを選ってくれていた。

いつまた、舞が喉を詰まらせるかわからなかったので、俺は舞の手の届く位置にコップを置いて食べ続ける。


「しかし佐祐理さん、毎朝これだけのもん作ってくるのって大変だろ?」
「そんなことないですよ。 朝は早く起きてますから」
「弁当のために早起きなんて・・・寝不足にならないか?」
「夜も寝るの、早いんですよ。 もう11時には布団に入っちゃってますから」


11時・・・俺にしてみれば一日の中の一番の活動期に入る時間である。

すると俺が見ているような深夜のテレビ番組とは無縁だろうし、まったく俗に汚されていない佐祐理さんが別世界を生きる人間に思えてくる。

佐祐理さんって、いわゆるお嬢様なのかもしれない。


「佐祐理さんのお父さんって厳しくない?」
「はい? とっても優しいですよ?」


否定されはしたが、それはそれでお嬢様の答えであるような気もする。

舞も見るからにそうだけど、佐祐理さんにしても、普通ではない気がしてきた。

この中では俺が一番まともな学生に思えてくる。


「でも、昔は厳しかったんですよ。 そのおかげで佐祐理は真っ直ぐ育ちましたけどね。 それで、祐一さんのお父様は、厳しいんですか?」


まったく俺の質問の意味に気づいていない様子で、佐祐理さんが話を続けていた。


「いや、べつにそういうことで聞いたわけじゃないんだけど・・・」


俺は言いながら、コップに手を伸ばす。

すると・・・


がんっ!


思い切り何かに頭をぶつける。


「・・・痛い」


顔を上げると、無表情のまま額を押さえる舞がいた。

コップを取ろうとするタイミングがみごとに被ったようだった。

しかしちょっと、待て・・・


「俺は佐祐理さんと話しながら食ってたから仕方ないが、無言のおまえがどうして不注意で頭をぶつける」
「・・・・・・ヒクッ」
「よくわかった」


俺はしゃっくりをし始めた舞の手にコップを握らせてやる。


「明日からは、コップをもうひとつ持ってきますねーっ」


その様子を見ながら、佐祐理さんが苦笑していた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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(さて、今日もいくか・・・)


夕飯を食べ終え、部屋に戻るところでそう思い立つ。

コートだけ持って、再びリビングへ。


「出かけてくるから」
「え? 今日も?」


名雪が驚いたような声をあげる。


「ああ」
「夕べも負けたの?」
「いや、昨日は現れなかったんだ」


それだけを言って、一方的にドアを閉めた。


・・・。


いつものように、この近辺では唯一のコンビニに寄って、学校へと向かう。


・・・。

 

ガシャアーーンッ!


校門を抜けたところで、窓ガラスが割れるような音が聞こえた。

俺は咄嗟に駆けていた。

間違いなく、舞の身に何かが起きたに違いない。


・・・。


昇降口を抜け、土足のままで辿り着いた廊下は、一面ガラスの粉で覆われていた。


パキッ・・・


風が、またひとつ破片を落とした。


「怪我はないか」
「・・・・・・」


中央にうずくまっていた舞が身を起こした。

ぱらぱらとその体からガラスの粉が舞い落ちる。


「怪我はないか」


もう一度訊いた。


「・・・ないと思う」


そばまで寄ると、髪の毛の中にもガラスの破片が混じっているのが見えた。


「じっとしてろ。 払ってやるから」


舞の背後に回り、丹念にそれを払ってやる。


「で、魔物は・・・?」
「・・・もういない」
「そうか」
「・・・最近・・・」
「ん・・・?」
「・・・最近よくざわめくの」
「魔物がか」
「・・・そう」
「しかし」


俺は廊下の惨状を見渡し、ため息をつく。


「やっかいなことになってるな・・・」
「・・・・・・」
「ま、誰がやったかなんてバレないか」
「・・・・・・」
「今日はもう、とっとと帰ったほうがいいんじゃないか」
「まだ近くに居る気配がするから・・・」


俺はその言葉にとっさに身を固くして、次の言葉を続ける。


「そう言ったってさ、長居はまずいぜ・・・宿直の先生とかいるかもしれないし」
「・・・・・・」


関係ない、と言いたいのか。

ちらりと俺のほうを見た後、視線を逸らせた。


「大体おまえ、いつも何時まで居るんだ」
「気配がしなくなるまで」
「それって何時くらいなんだ」
「さぁ・・・」


俺たちが家でテレビを見ている間、舞はここに立ち続け、俺たちが風呂に入って寝ようかとする頃、帰宅するのだろうか。

そんなの学生の生活じゃない。

なんの楽しみがあるって言うのだろう。


「とにかく、帰るんだ。 わかったな」


俺はそう強く言い残して、その場を去ることにした。
舞にはうまく逃げ切る口実なり、手段があったのかもしれないが、俺にはその自信がまったくなかったからだ。

最後に振り返っても、舞は帰る様子もなくジッと突っ立ったままだった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

家に帰ってくると、リビングのほうから賑やかな笑い声が聞こえてきた。

中には真琴も混ざっているようで、女性陣でテレビのバラエティ番組でも見ているらしかった。

女3人寄れば、というやつで、加わらないのが無難だろう。

俺はひとり2階へと上がった。


・・・。

 


~1月14日 木曜日の途中から~


・・・。


昼休みになると、すぐさま席を立ち、学食へと向かう。

そこでまだ食べ飽きていないパンふたつに、おにぎりひとつを見繕い、折り返し階段をのぼってゆく。


・・・。


まるで日課となりつつある、舞たちと共にとる昼食。
おかしなことがきっかけで知り合った仲だが、今では不思議な居心地の良さを感じる。

佐祐理さんは人がいいし、舞は舞で喋っていて興味深いところが多い。

夜の件に関係なく、だ。

颯爽と階段を駆け上がり、いつもの場所に顔をだす。

・・・。


「・・・・・・」


誰もいなかった。

屋上に出たのだろうか。

この季節なかなか開かれることのない鉄製の重い扉を開け、突風のまともに吹き付ける屋上へと歩み出る。

「・・・・・・」

 

人の気配はない。


「佐祐理さーんっ! 舞ーっ!」


見えないところに居るのではないかとも思ったが、こんな寒さの中で一体何をしようと思うのだ、と自分の考えに呆れてしまった。

しばらく待ってみても彼女たちが現れる気配もなく、俺は階段を降り、教室に戻った。


・・・。


放課後。

パタパタと階段を駆け上がる名雪と別れて、ひとり廊下を歩いているとその先に見知った顔があった。

彼女がひとりで居るところなんて初めて見たから、近くに寄るまでそうとは確信できなかった。

でもやはりそれは、佐祐理さんだった。


「どうしたの、佐祐理さん」
「あ、祐一さん。 こんにちは」
「舞を待ってるの?」
「ええ・・・。 あの・・・」
「うん?」
「昼休み・・・待ってました?」
「ああ、ちょっとだけ。 来る様子がなかったから、とっとと教室に引き返したけど」
「ごめんなさい・・・」
「どうしたんだ? なんか元気ないみたいだけど」
「そんなことないですよーっ、あははーっ」


どう見ても空元気である。


「舞は・・・?」


そう聞いてみると、一瞬で表情が曇る。


「職員室です・・・」
「職員室・・・? あいつ、なにか・・・」


俺は言いかけて、思い出す。


「窓ガラスの件か・・・」
「・・・・・・」


佐祐理さんも知っているのか、黙ったままで頷いた。

「しかしどうしてばれたんだろう・・・」
「二度目なんです」
「え?」
「正確には三度目・・・いや、わからないです・・・。 だから、先生たちや特に生徒会からはずっと目をつけられていて・・・。 こういうことがあるとすぐ舞が呼び出されるんです」


確かに舞にとってみれば、夕べのような出来事は日常茶飯事なのかもしれない。


「でも舞は決して否定をしないんです。 ただ先生の説教を受け続けるだけ。 そして下される処分に身を任せるだけ・・・」
「前のときはどうなった・・・」
「停学です」


その言葉を聞いて、俺は愕然とするよりも先に腹が立った。

あいつは・・・舞は一体何をやってるんだ、と。

どのような濡れ衣であっても黙って流されるがままにその責任を負う。

その姿が嫌なほど容易に想像できてしまう。


「俺が話をしてくる。 あいつがやったんじゃないってなっ」


俺は半ば憤りに任せて、職員室のドアに手をかけた。

しかし・・・

どうやって説明すればいいんだ?

目に見えない何者かがやった、と言って納得してもらえるのだろうか?

俺の弁護が舞を救うことになるのだろうか?

だが、やらないよりはマシだ。

俺はドアを思いきって開けた。


「・・・・・・」


その向こうに舞がいた。

職員室を出ようとしていたところだった。


「舞・・・」
「・・・・・・」


無言で、突っ立ったままの俺の脇を抜けてゆく。


「おい、舞っ・・・!」


その肩を後ろからひっ掴む。


「・・・?」
「おまえ、まさかまた停学くらったんじゃないのかっ・・・!」
「・・・・・・大丈夫だった」


俺はその言葉を聞いて、一気に脱力する。


「用があるんじゃないの」


開け放ったままの職員室のドアに舞が目を向けて言う。


「ばか、あったのはおまえにだよ」
「・・・なに」
「たぁっ・・・もういいよっ」


「舞、祐一さんはね、すごく舞のこと心配してね・・・」


佐祐理さんが間に入ってそう言ってくれるが、俺はそれを手で制した。


「いいよ、佐祐理さん、もう・・・」
「・・・?」


舞は俺たちが何を言いたいのか、まったく意に介していない様子でわずかに首を傾げていた。


「気が抜けた。 帰るよ・・・」
「あ、はい。 さようなら」


・・・・・・。

 

・・・。

 

夕食後、束の間の休憩を経た後、俺は出かける支度をして、廊下へと降りる。


・・・。


「出かけてくるから」


居間に顔だけを出して、一方的にドアを閉めた。


・・・。


もしかしたら、今夜はいないかもしれない。

いや、いないほうが俺には有り難かった。

居たとしたら、そこまで愚かな彼女に俺は何て言っていいのかもわからなかっただろうから。

居なかったらいい。

『さすがに懲りたか』と、俺はきびすを返し、二度と夜の校舎には訪れなくなるだけだ。

 

・・・。


しかし、彼女は愚かだった。


「で、懲りずにまたいるのか」


廊下の先に立つ、舞に向けて俺は言った。


「・・・・・・」
「強情だよな、おまえは」
「・・・?」
「今から訊く質問に答えて欲しいんだ」


その愚かなほどを、計ってやることにした。


「・・・・・・」
「その魔物は・・・たくさんいるのか?」
「・・・・・・」
「イエスかノーだ」
「・・・イエス
「おまえに勝ち目はあるのか?」
「・・・・・・」
「いつか勝てる日がくるのか」
「・・・・・・イエス


俺はしばし考えを巡らした。

そして、ある決意をした。


「わかった。 ならいい。 おまえのその強情さが、無謀でないことがわかったよ」


この戦いには終わりがあるのだ。

無意味に自分の立場を危うくしているのではないらしい。

それならば、今は目を瞑ることにした。

すべてが終われば舞も普通の生活に戻れる。

穏やかな学園生活に戻る日がくる。

俺は、それまで付き合ってやることにした。


「・・・・・・」


そんな俺の決意にもまったく気づかない様子で、舞はいつもの表情でいた。


「よし。 じゃあ夜食タイムといくか」


そう言うと、こくりと頷いた。

俺は手に掲げていた袋から、寿司の詰め合わせパックを取り出して開封する。


「温かいもののほうが良かったかな」
「・・・寿司嫌いじゃないから」
「そうか、そりゃよかった。 相変わらずコンビニものだから味は保証できないけどな。 何がいい?」
「大トロ」
「んなものが、コンビニの寿司に入ってるかっ。 ネギトロで我慢しろ」
「・・・・・・」


俺の差し出したネタを黙って受け取ると、一口でそれを頬張り、頷きながらももぐもぐ咀嚼した。

不味くはない、といったところだろう。


「今日は静かだよな」


今朝は割れていたままだった窓ガラスを見渡し、呟いてみた。

それはすでに1枚残らず修復されていた。


「・・・・・・」
「・・・?」


舞の動きが止まっていた。


「どうした、舞」
「・・・・・・イクラにしとく」
「悩んでたのかっ!」


俺はまったく的外れな言葉に呆れながらも、所望通りのネタを差し出してやる。

舞はいつも通りでいた。

舞はいつだって、冷静だったのだ。


・・・・・・。

 

・・・。

 

「ただいま」


聞こえるか、聞こえないぐらいの声でそう言って、リビングの前を抜ける。

知らず足音を抑えるようにして、部屋まで戻ってくる。

やはり夜な夜な出歩いているというのは体裁が悪い。

かといって黙って出るわけにもいかず、出かけ際には名雪に声をかけてゆくようにはしているのだが・・・。

実際のところ、秋子さんはどう思っているだろうか。

言い咎められるまでは、このままでいいだろうか。

後ろめたい気もするが、いいだろう。

風呂の順番が回ってくるまで、ベッドで横になっていることにした。

 

・・・。

 


~1月15日 金曜日の途中から~


・・・。


休日だったけど、彼女はいるだろうか。

魔物に休日があったら笑える。

だから、居るだろう。

そんな生半可な日々に、彼女は生きていないはずだった。


・・・。

 

夜食を調達してから、誰もいないはずの夜の校舎に、いつものように忍び込む。

やはりいた。


「休日だってのに、ご苦労なこった」
「・・・・・・」
「ほら、差し入れ。 今日は豪勢だろ」
「・・・・・・」
「牛丼だぞ、牛丼。 舞は牛丼、嫌いか」
「・・・嫌いじゃない」
「そうか、そりゃよかった。 汁が多いほう、少ないほう、どっちがいい」
「・・・多いほう」
「お、通だな、舞は。 ほら、こっちだ」


舞は俺が差し出した牛丼弁当の入った袋を受け取る。


「冷めないうちに食おうぜ」


俺は自分の分を抱え込むと、壁にもたれるようにして腰を下ろす。


「・・・・・・」


が、舞は突っ立ったままだ。


「どうした?」
「・・・蓋を開けて」


やはり剣を手放したくないようである。

片手しか使えない舞に代わって、俺が舞の弁当を開封してやる。


「ほら」


舞があいたほうの手で牛丼を受け取る。


「・・・・・・」
「で、どうするんだ」
「・・・持って」

もう一度俺に牛丼を渡すと、舞は袋から割り箸を取り出し、それを割って手に持つ。


「で?」
「・・・・・・牛丼」
「どうやって持つんだ」
「・・・箸、持って」


舞の持つ箸と、牛丼を交換する。


「・・・・・・」
「箸はどうするんだ」
「・・・・・・」


牛丼と、俺の持つ割り箸を交互に見る舞。

同時に牛丼と箸の両方を持つことはできない。


「・・・・・・このまま流し込む」
「剣を一旦置けば、いいだろっ!」
「・・・・・・」


確かに足音もしないような奴が相手だ。

常に身構えていなければ、勝負にもならないだろう。

すると、そんなところへ差し入れなんかを持ってくる俺のほうが非常識なのだろうか。


うーむ・・・


もぐもぐ・・・

 

咀嚼する音が聞こえてくる。

見ると、舞は俺の隣の壁に立ってもたれ、箸で牛丼を食べていた。

手を下ろした位置には剣が立てかけてあった。

それは舞なりに考えた食事の摂取体勢というわけだった。


「おいしいか?」
「・・・おいしい」
「そりゃよかった」


俺も腰を下ろし、牛丼の蓋を開ける。

ぷーんと辺り一面に広がる肉汁の匂い。

何かをぶち壊しにしているような気がする・・・。


もぐもぐ・・・


相変わらず舞は、気にする様子もなく食べるのに夢中だが。

そうか、と俺は思い当たる。

もっとオシャレな食べ物を差し入れに持ってくればいいのだ。

ハンバーガーとか、アメリカンドッグとか、立って食っていても様になるようなものが良さそうだ。


「舞はファーストフードは好きか?」
「・・・・・・」


もぐもぐ・・・


「・・・・・・和食のほうがいい」
「そうか。 なら仕方がないな」
「・・・なにが」
「いや・・・」


立って食って絵になる和食なんてない。

みたらし団子とかだったら、まんま侍みたいで面白いかもしれないが。


「・・・・・・」


もぐもぐ・・・


「・・・・・・」


ギッ・・・


微かな音がした。


「・・・牛丼、お願い」


舞が牛丼から手を放した。


「えっ・・・うおっと!」


その落ちてきた牛丼を慌ててキャッチする。


「おいっ・・・奴が来たのか・・・!?」
「・・・・・・」


こくりと頷く。


「・・・頑張って・・・まだ食べかけだから」
「待てっ、それはこの牛丼を死守しろということかっ・・・!?」


タッ・・・


答えはなく、その姿が消えていた。


「・・・・・・」


ここはひとまず逃げるが得策か。

俺はふたつの牛丼を抱えて、舞とは逆方向へと走った。

階段まで行き着くと、踊り場まであがり、そこで俺は壁にもたれて息を落ち着けた。


「・・・・・・」


静かだ。

舞は戦っているのだろうか。

冷めゆく牛丼を見下ろし、俺はただ待った。


「・・・・・・」


コンっ・・・


小さな音がした。

その音が、自然の音なのか、それとも奴らがたてる音なのか俺には判断つかない。

だがひとつだけそれで思い出した。

奴らは・・・複数体、存在するのだ。

たとえ舞が追っているのが奴のうちの一体であれ、残りの連中は俺を襲うことが可能だということだ。


メリメリッ・・・


すぐ前の1階の天井・・・それが音をたてた。

まるで何かがぶらさがっているように。

俺は動けなかった。

まだ相手は俺に気づいていないのかもしれない。

だから動けばやられてしまう気がした。

それとも今、牛丼を捨てて逃げ出せば、逃げ切れるだろうか。

・・・俺は牛丼を持ったまま、階段を一気に駆け上がる。


・・・。


階段をのぼりきったところで、背中が押される感覚。

勢いに振られるようにして、身をよじった。

ぐぅん、と低い音をたて、その先の壁が地震でも起きたかのように揺れた。

心底恐ろしくなる。

偶然よけられたようなものの、後一歩でも遅ければ、その圧力は俺の体にかかっていたのだ。

硬直していた体を動かし、長い廊下を走り始める。

走り抜けた床がミシミシと音をたて、俺を追い上げようとしていた。

息が切れる。

振り切る自信がない。


・・・舞と落ち合うべきだ。

そう判断した俺は突き当りまでくると、今度は階段を一気に駆け降りる。

最後の十段ばかりを一気に飛び降りた時、手の牛丼が跳ねて腕から落ちたが、そんなことはもう構っていられない。


・・・。

 

「舞ッ!」


俺は1階に舞の姿を探した。

反対のほうの突き当たりに舞がいた。

その、剣を持たないほうの手が持ち上がり、そして指がくいくいと招くように動いた。

俺を呼んでいるのか、別の何かを呼んでいるのかわからなかった。

しかしどちらにしろ、その場に突っ立って居られるほど穏やかな状況ではない。

俺は舞に向かって駆ける。

その舞が体を低く落とし、前屈みの姿勢をとる。

床を這う衝動が、俺のふくらはぎを撫でる。

全速力で、舞の脇を抜ける。

そのすれ違う瞬間、舞は一歩を踏みだし、剣を薙いでいた。


ザギィッ!


飛び込んだ床の上から上体だけを起こし振り返ると、舞の振り抜いた剣が何もない空を引き裂いていた。


「・・・・・・仕留めたのか・・・?」


俺は喋って初めてノドが枯れているのに気づいた。


「いや・・・」


舞が剣を下ろす。


「・・・消えた」
「逃げられたってことか・・・?」


こくり、と舞が頷く。


「そうか・・・」


今の俺にしてみれば、逃げられるも仕留めるも同じことだ。

とりあえず落ち着ければいい。

深く息をついた。


「とりあえずはお互い無事でよかったな」
「・・・・・・」


舞は頷きもせず、俺の顔をじっと見ている。


「どうした」
「・・・・・・・」


俺は、はたと思い出す。


「・・・牛丼か」


こくりっ、と舞が勢いよく頷く。


「あんな状況で、おまえなぁ・・・。 ほら、向こう側に散乱している」


俺の指さすほうを振り返り、舞がわずかに落胆の色を見せる。


「まさか、俺より牛丼が無事だったほうがよかった、なんて思ってないだろうなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・思ってない」
「今、考えてただろっ!」
「・・・そんなことない」
「にしては、長考してたな・・・。 ま、牛丼はまた買ってきてやるよ」
「・・・・・・」
「それより、あれを掃除しないとな」


俺は掃除用具を探しにでかけた。


・・・。


戻ってくると舞の姿はなく、1階の廊下は森閑としきっていた。


・・・。

 


~1月16日 土曜日の途中から~


・・・。


目の前の角から、学校へ向かう生徒たちの波に合流した幾つかのグループの中に、見覚えのいあるふたりの後ろ姿があった。


名雪
「うん?」
「悪いけど、先に行っててくれるか?」
「うん。 それはいいけど、どうして?」
「知り合いを見つけたから、一緒に行こうと思って」
「そうなんだ・・・」


名雪は少し悲しそうだった。


「本当は名雪にも紹介したいんだけど、ちょっと取っつき辛い子なんだ」


ちなみに、実際はちょっとどころではない。

「うん。 分かったよ」


もう一度頷いて、先に走っていく。


「先に教室で待ってるよ」


手を振る名雪を見送って、偶然見つけた知り合いの方に歩いていく。


「よぅ、おふたりさん」

 

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「あーっ、祐一さんだぁ」
「おう、祐一さんだぞ」
「どうしたんですか?」
「俺だって学校はいく」
「じゃあ、おはようございます、ですね。 おはようございます、祐一さん」
「おう、おはよう、佐祐理さん」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509004052p:plain

 

「・・・・・・」
「で、こっちは相変わらず、と。 ま、期待もしてないけどな」


俺はふたりと並んで歩き始める。


「しかし早起きは三文の得とは、このことだよな。 朝から佐祐理さんと会えるなんて」
「じゃあ、佐祐理たちのためにも、これからも早起きして、この時間に来て下さい」
「ああ、努力してみるよ」


佐祐理さんの笑顔で言われると、本当にそうしたくなる。


「滑りやすくなってますから、気をつけて歩いてくださいね、祐一さん」
「ほら、こんなふうに気遣ってもらえるなんて、朝から幸せな気分だ・・・に比べて舞は、転ぶなら勝手に転べってな感じだな」


佐祐理さんの向こうで、まるで他人のように素知らぬ顔で歩く舞に話を振ってみた。


「・・・・・・そんなことない」
「じゃあ、どうしてくれるんだ?」
「転んだら、立つまで待つ」


「佐祐理さんだったら?」
「大丈夫ですか?って訊いて、手を差し出しますね、たぶん。 でも祐一さんは重いかな?」


「ほら、この差だぞ、舞」
「・・・・・・」

 

「あははーっ、舞にだっていいところ沢山ありますよ」
「あーあ、フォローまで入れられてやがる。 少しは佐祐理さんを見習えよ、舞っ」
「・・・・・・」


まったく無関心な様子ですたすたと先を歩いてゆく舞。


「昔からああなのか?」
「佐祐理がここに入学して、初めて会ったときから、そうでしたよ」
「なんだ、そうなのか? 昔はもっと明るくて、『あたし舞ーっ、ヨロピクーーッ!』とか言って回っていたのかと思った」
「そんな人、友達になりたくないです」
「いや、今の例は極端すぎだけど・・・。 でも初めて会ったときからあんなので、よく親睦を深めようなんて思えたもんだな」
「ええ。 初めて会ったとき、佐祐理は舞のことが好きになっちゃいましたから。 今、話しかけないと・・・この子と友達にならないと絶対後悔する、そう思ったんですよ」
「そうか。 そりゃよっぽと劇的な出会いだったんだな」
「そうですね」
「それになんだか・・・佐祐理とも似てると思ったんですよ」
「なにが?」
「なんていうんですかね・・・。 よくわからないですけど、背負っていたもの・・・でしょうか」


まるで正反対のふたりだと思えたが、第一印象だから、そんなふうにも取れたのかもしれない。


「祐一さんも、似てる感じしますよ」
「似たもの同士だってか? 俺は平々凡々と生きてきたからな。 なんにもないよ」
「ですよね。 雰囲気ですから、気にしないでくださいね」
「気にしないよ。 それで、舞と友達になってみて、やっぱりよかった?」
「あははーっ、そんなの答えるまでもないですよーっ」


ほんとう、幸せそうに笑うので、俺もつられて頬を弛ませてしまう。

この佐祐理さんにここまで好かれる舞の魅力ってのはなんなのだろう。

舞の左右に揺れるお下げを眺めながら、俺は考えてみる。

その姿が唐突にふっと消え、驚いてしまうが、なんのことはない。

そこが校門だったのだ。

校門を抜けたところで、人だかりが出来ていた。

何か、立ち往生しているといった様子だった。


「どうした?」


校内に入るに入れず、俺たちもその野次馬の中に加わる。


「なんですか?」
「さぁ・・・」
「あ、山犬ですね」
「え?」


よく見ると、昇降口近くに野生の出で立ちをした犬が唸りをあげてうろついていた。


「この時期は餌がないですから、たまに降りてくるんですよ」
「どうするんだ?」
自治会の方を待ちます」
「先生たちは手出しできないのか?」
「危ないですからね」
「って、言ってるそばから誰か出てきたじゃないか」


ジャージ姿の若手の教諭が、昇降口から降りてくるところだった。


「ふぇ~・・・先生ですね・・・体育教諭の」
「殊勝なこったな」


及び腰で野犬に迫る体育教諭の手には金属バットがあった。

その格好にそれでは、あまりに心許ない。

傍観を決め込もうとすると、舞がいないのに気づいた。


「そういや、舞は?」
「ほぇ・・・居ませんねぇ」


俺はその場に佐祐理さんを残して、いつの間にか声がしなくなっている(居たとしてもしないだろうが)舞を探した。

人混みとは離れたところ、植え込みの中にしゃがみ込んで何事か、いそしんでいた。


「舞っ」
「・・・・・・」


俺の声に立ち上がる。


「どうした」
「・・・うさぎさん」


振り返った舞の両手にちょこんとのるのは、彼女の言葉通りの雪で作られた真っ白なウサギだった。

ご丁寧に耳まで木の葉で仕立ててある。


「今、作ったのか?」


こくりと頷く。


「はぁ・・・みんなノンキなもんだな。 まあ、教室に入れないんだから、仕方がないか」


ぐるぅぅっ・・・うなり声が遠くで聞こえた。


「ん?」


すぐ野次馬どもがどよめきを上げた。


「どうした、佐祐理さんっ」


俺はすぐ佐祐理さんの元まで引き返す。


「先生が噛まれて・・・」
「言わんこっちゃない・・・」
「こっちに来ます」
「先生がか」
「山犬がです」
「なにっ!?」


気づくと、押し合いへし合い、校門の外へと逃げ走る群衆の中にいた。


「うぉっと・・・!」
「祐一さん、どうしますか?」
「訊くまでもないだろう、そんなことっ」


丸腰の俺たちに選択の余地なんかはない。


「おい、舞っ」
「・・・・・・」


そんな中、雪かき用のシャベルを持った舞がこちらへ向かって歩いてくる。


「ばか、今度は雪だるまでも作る気かっ! おいって・・・!」
「・・・・・・」


舞は俺の制止の声にも耳を貸さず、向かってくる野犬を見据えて立つと、そのシャベルを構える。

その体がふっと落ちたかと思えば、数メートル先に疾駆する姿としてあった。


ガキッ・・・!


鈍い音。

野犬が唾液を撒き散らして、宙にいた。


どむっ!


そのまま後ろ向きに、地へ落ちる。

きゅいん、と弱い鳴き声がした。

 

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「・・・・・・」


そして舞はシャベルを地面に突き立て、俺たちを振り返った。


「・・・お弁当」
「え?」


俺は訊き返した。


「お弁当」
「弁当がどうした」


舞が答えるよりも早く、佐祐理さんが駆けていた。


「・・・・・・」


俺はただぼぉーっとふたりの様子を見ていた。

佐祐理さんがふたりぶんの弁当を鞄から取り出すと、それを舞が押さえていた犬に惜しげもなく与えた。

犬は無心でそれを食い漁る。

ざわざわ・・・と、辺りが再び賑やかになっていた。


「あれ、3年のなんていったっけ・・・」

「川澄だよ、川澄。 下の名前は忘れた」

「まったくおっかないよな、あんな顔しておいて」

「ああやって、野犬を虐待して憂さ晴らししてるんだってよ」

「窓ガラスを割って、いたいけな生き物を虐めて、か」


「そのうち・・・」


「そのうち、なんだよっ!?」


俺は先輩か同級生かも判断つかない連中に向けて啖呵を切っていた。


「なんだコイツ・・・」


ぶつぶつと何か言い残して昇降口へと歩いていった。


・・・。

 

「舞」
「・・・?」


ごしごしと犬の頭を撫でている舞が顔をあげる。

いつもと同じ無表情だった。


「いいところあるよな、おまえって」


そばに座り込んで、同じように犬の体を撫でてやる。


「だから、そう言ってるじゃないですかーっ」


佐祐理さんはいつものように笑っていた。


・・・。

 

「お弁当、少なくなっちゃいましたけど、もしよかったら、今日も来てくださいね」


別れ際、佐祐理さんはそう言い残して、無言のままの舞と階段を上がっていった。

舞のいいところ、か・・・。

残された俺は、靴を履き替えながら考えていた。

そりゃ誰にもわからないだろうな。

あんな無作法なやり方じゃ・・・。

履き替えた上履きで、廊下を歩いてゆく。


・・・・・・。

 

・・・。

 

午後からの授業がない土曜日でも、佐祐理さんは舞とふたりで昼食をとる習慣があるのだという。

俺は鞄を背負い直すと、いつもの場所に向かった。


・・・。

 

「よぅ」

「祐一さん、こんにちはーっ」

「・・・・・・」


小さなスペースに敷かれた敷物。

その一端に俺も腰を下ろす。

その上に広げられていた弁当は、すでに半分ほどがなくなっていた。

べつに佐祐理さんが早弁したわけでもないし、授業が終わって俺がくるまでの短い間に舞が驚くほどのスピードでがっついたわけでもない。

今朝、犬に食べさせた分がなくなっているのだ。

それでも汚い部分はない。

舞が考えて、犬に分けて与えていたためだ。

舞にしては、気が利いていた。


「少なくてごめんね、舞」


佐祐理さんが、自分が悪いわけでもないのに謝っていた。


「佐祐理のぶんも、食べていいからね」


自分の前にあった、弁当箱を舞の前に差し出す。

そんなことをされては、俺だって放っておけない。


「じゃ、佐祐理さん。 俺のパン食えよ。 俺はおかず、ちょっと摘ませてもらうだけでいいからさ」


そう言って、俺の昼飯を佐祐理さんに押しつけた。


「・・・・・・」


すると舞が無言で、自分の弁当箱を手で押して俺によこした。


「舞、じゃあ、この祐一さんのパンあげる。 いいですよね、祐一さん」


佐祐理さんのパンが舞へ。


「じゃあ、この弁当を佐祐理さんにやるよ」


俺の弁当が、佐祐理さんへ。


「・・・・・・」


舞のパンが、俺に。


「じゃ、このお弁当、舞に」

 

さっ。


「じゃあ、このパン、やるよ」


さっ。


「・・・・・・」


さっ。

 

「はい、舞」


さっ。


「ほら、佐祐理さん」


さっ。


「・・・・・・」


さっ。


「舞っ」


さっ。


「佐祐理さん」


さっ。


「・・・・・・」

 

さっ。


さっ・・・さっ・・・さっ・・・


さっさっさっさっさっさっ・・・!


サササササササササササササササササササササササササーーーッ!!


気づくと、目にも止まらぬ速度で、弁当やらパンが唸りをあげて回転していた。


「こらぁーっ! 食べ物で遊ぶなーーっ!」


俺が叫んで、手を止めると、どどどどっ!と俺の前にあらゆる昼食の品が集まってしまう。


「・・・欲張り」
「回転を止めただけだろがっ!」
「食べる前に手が疲れちゃいました」


佐祐理さんが片手をぱたぱたと振る。


「どうしましょう?」
「三等分すれば、いい話だろ」
「そうですね」

簡単な話だった。

でも佐祐理さんは、わかっていて遊んでいたのだろう。


その後も、舞をからかったりして楽しく(舞は迷惑だっただろうが)昼食をとった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

夕食を食べ終え、しばらくのんびりと過ごす。

いつもの時刻になると、俺は出かける準備をして、1階へと降りる。


「わっ・・・」

すると居間から出てきた名雪と廊下ではち合わせになった。


「またでかけるの・・・?」
「ああ」


俺は玄関先にしゃがみ込み、靴を履く。


「・・・祐一」
「どうした?」
「気をつけてね」
「当たり前だ」
「うんっ」


納得顔ではなかったが、それでも笑顔で送り出してくれた。


・・・。


コンビニに寄った後、夜の校舎へ。


冷え切った空気が、揺らぎもせず固まっている。

それもその場に誰もいないか、あるいは、ずっと居たかのどちらかを示している。

俺が現れたことにより、にわかに空気が揺れ、人の気配が漂い始めた。


「今日は巻きずしだぞ。 相変わらずコンビニのだけどな」
「・・・・・・」
「巻きずしは嫌いか?」
「・・・嫌いじゃない」
「だよな。 寿司、好きだったもんな。 かっぱ巻きと納豆巻きとあるけど、どっちがいい」
「・・・・・・納豆巻き」
「俺が巻くか?」


こくり。


いつものように剣を手放せない舞に代わって俺が包装を解く。


「ほら」
「・・・・・・」


無言で受け取り、それに口をつける舞。


ぱりっ。


海苔の音。

さらに、納豆のなんとも言えない香ばしい匂いが辺りに広がる。


「・・・・・・」


まぁ、俺の差し入れによって幻想的な世界が一気に所帯染みてしまうのはいつものことだが・・・。

俺も壁にもたれて、かっぱ巻きを頬張る。


「なあ、舞」


もぐもぐ・・・。


「おまえって笑わないよな」


もぐもぐ・・・。


「笑えばいいのにさ」


俺は、朝の、思い出したくもないような野次馬たちの言葉をひとり反芻していた。


『・・・まったくおっかないよな、あんな顔しておいて』

『・・・ああやって、野犬を虐待して憂さ晴らししてるんだってよ』


「舞はさぁ、もっと明るくなるべきだよ。 そんな暗い顔してたらさぁ、もったいないぜ」


もぐもぐ・・・。


「なあ、舞。 聞いてるのか?」
「・・・・・・」


見ると、唇から食べかけの巻きずしに伸びる納豆の糸をどうやって切るか悩んでいる様子だった。


「なあ、舞っ」


俺はその糸を素手で断ち切り、上着の裾で払う。


「イエスはクマさん。 ノーはタヌキさんだ」
「・・・?」
「返答だよ、返答。 イエスのときは、はちみつクマさん、ノーのときはぽんぽこタヌキさんって言うんだ」


あまりに打っても響かない反応に呆れ、俺は勢いで思いついた案を口走っていた。

強引にでも、可愛い言葉を喋らせてみたくなったのだ。

こんなことしたって無意味なのはわかっていたが、俺の憤りが少しでも伝わればいい。


「・・・・・・」
「わかったな」


わかっているのか、いないのか、舞はまきずしをくわえたまま口をもぐもぐと動かしていた。


・・・。


「さて、今日はもう帰るよ」


何事もなく食べ終わると、俺は腰をあげた。


「・・・・・・」


俺のほうをちらりと見る舞の唇からは、まだ納豆の糸が垂れたままだった。


「おまえな、口ぐらい拭け」


親指の腹を舞の口の端に押しつけて、それを拭ってやる。


「・・・・・・」


べつにありがたくも思っていないのか、目すら俺に合わせない。

本当に、感情を表に出さない奴である。

・・・そうだな。

試してやろう。

胸を触られても感情を押し殺しきれるかを。

普通の女の子であれば、悲鳴のひとつでもあげて身を固くするものだが、この舞にそんなリアクションを期待するほうが愚かだろうか。

すると、触らせ放題にしておくというのか?


・・・。


よし、もしそうならそれで、舞が嫌がるまで俺は触り続けるぞ。

舞が感情を表に出すまでモミモミと揉み続けてやる。

あまり体裁が良いとは言えない決意を固くし、俺は舞と向かい合う。


「舞、両腕を後ろに回せ。 こういうふうにだ」


俺は応援団がとる起立の姿勢のように立った。


「・・・?」
「いいから」


疑問の表情を浮かべながらも、見よう見まねで、両方の腕を背中に回す舞。


「よし、そのままだぞ」


眼前に突き出された胸。

細い腰に似合わずその膨らみは大きい。

それをまじまじと眺めていると、これからの行為が想像以上に艶めかしいものとして感じられれ、気勢が削がれてしまう。

そんな邪念も振り払い、俺は思い切って舞の無防備な胸に手を伸ばした。


「・・・・・・」
「ぐぁ・・・」


あと半ばのところで、俺はうめいていた。


「・・・まだ触ってないんだけど」


冷たい刃が俺の喉笛にあてがわれていたからだ。


「触ろうとしていたの」


ぐっ・・・と刃先が皮膚を圧した。


「いや・・・し、してないっ! 何もしようなんて思ってない・・・だからその剣を引いてくれっ」
「そう・・・。 妙な気配がしたから・・・」


さすがというべきか、舞の感知能力は鋭敏すぎる。

ちょっとした悪戯心も見抜いてしまうのだ。


「じゃ、帰るよっ」
「・・・・・・」


いつもの無表情でも、怒っているようで恐い。

俺はそそくさと逃げるように退散を決め込んだ。


・・・・・・。


・・・。