*ゲームを読む*

ゲームまるごと文字起こし

Kanon【19】

 

1月28日 木曜日

 

・・・。


窓を開けて、冬空を望む。

今日もいい天気だった。

澄んだ空気で深呼吸をして、俺は学校に行く用意を始めた。


・・・。


いつも通りの時間。

角から現れたのは、舞、ひとりだけだった。

俺はふたり一組で探していたから、最初それが舞と気づかずに無視してしまっていた。

俺が無視すると、舞から俺に声をかけるということもない。

だから、舞も目の前で突っ立っていたのだ。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「いるなら、早く言えっ」


ぽかっ、と顔面をチョップしてやった。


「・・・気づかない祐一がおかしい」


確かに。


「で、佐祐理さんは」
「日直」
「本当か?」
「・・・そう言ってた」
「まあ、昨日の今日だからな」


昨日の放課後、舞は佐祐理さんに対して『邪魔』と辛辣にも言ってのけているのだ。


「もしかしたら・・・。 俺達と顔を合せたくなくて、嘘をついて先にいったのかもしれないぜ?」
「・・・・・・」


そのあたりの可能性というのは、一番仲のいい舞にしか推し量れないところだと思う。


「・・・遅刻する」
「おっと、そうだったな」


ふたりきりと言っても、今は夜の校舎ではない。

一分一秒を大事とする登校の最中である。

登校する生徒の波に混じって歩き出す。


「おまえ、佐祐理さんに会ったら、フォロー入れておけよ。 俺から言ったって無駄だろうからさ」
「・・・フォロー?」
「そう、フォローを入れるんだ。 間違えて、チョップとか入れるなよ。 さらに険悪になるぞ」
「・・・必要ない」
「どうしてだよっ」
「佐祐理のためだから」
「そりゃわかってるけどさっ・・・」


舞も融通というものが利かない人間だった。

学校に辿り着くまでの間、どう説明しようが、舞を頷かせることはできなかった。


・・・。


「・・・・・・」
「じゃあな」


こくり。


・・・。


朝から佐祐理さんの笑顔を拝めなかったためか、調子が悪い。

ったく、早く仲直りしてもらいたいものだ。


・・・。

 

午前中の授業を終え、学食、さらにそこから最上階の踊り場へ。


・・・。

 

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・はぁ」


その場には、いつかのように舞がひとりでちょこんと座っているだけだった。

「やっぱり、避けられてるじゃないか、おまえ」
「・・・避けられてない」
「だって、いないじゃないか、佐祐理さん」
「・・・弁当はあるから」


どん、と手元にあった四段積みの弁当箱を中央に置き直した。


「いや、それが避けられてる、ってことだって」
「・・・先に食べていてって」
「佐祐理さんはきっとこないよ」
「・・・忙しそうだったから」
「それも口実だって」
「・・・日直だから」
「怪しいな」
「・・・・・・」
「ほら、探しにいこうぜ」


弁当箱の蓋を開けようとしていた舞を俺は制止する。


「ふたりで呑気に食ってる場合じゃない」
「・・・大丈夫だから」


朝と同じ言葉を舞は繰り返した。


「大丈夫じゃないだろっ。 おまえが邪魔だって言うからじゃないか。 だから、俺とおまえが居合わす場所には顔を出さないようにしてるんじゃないか」
「・・・・・・」
「おまえがいかないのなら、俺がひとりで話をしてくるよ」


そう言って、俺は階段を降りる。


「いかないのか」


その途中で、まったく動こうとしない舞を振り返る。


「・・・・・・佐祐理の邪魔になる」
「邪魔邪魔って・・・おまえの友情ってのはそんなもんだったのかよっ」


俺は呆れて、もうそれ以上は舞に構わないことにした。

「佐祐理さんのクラスは」


それだけを聞いて、その場を後にした。


・・・。


上級生の教室というものは、なんだか緊張するものである。

制服のポイントの色で学年がわかるから、俺は明らかに下級生だとわかる。

上級生からしてみれば、こんなところにその下級生が何用だ、と不穏に思うことだろう。

自分の教室に下級生が入ってきたら、そう思う。

俺は舞に教えられた教室のドアの前に立ち、中を覗いてみる。

だが、そこに佐祐理さんの姿はなかった。

仕方なく、前を行き過ぎようとした女生徒に話かける。


「あの、すいません」
「え?」
「えっと・・・」


佐祐理さんの名字ってなんだっけ・・・


「倉田さん、どこにいるか、しらないですか」
「倉田さん? 昼休みはいつもいないから、わからないけど、学食でお昼でも食べてるんじゃないの?」
「いや、それが見あたらなくて・・・」
「あ、そっか。 日直だったから、その仕事してるのかも」
「どこにいるか、わからないですか?」
「さあ、わからないわ」
「そうですか。 すみません」


一礼して、その場を去る。

日直の仕事ということは職員室とか、次の教科の資料室とか、そういう場所なのだろう。

となると、実際忙しいのだろうし、見つけたとしても長話はできないだろう。

俺は諦めて舞のもとに戻ることにした。


・・・。


「・・・・・・」


踊り場では、舞が弁当にまだ手をつけないで、待っていた。


「なんだ、先に食ってればよかったのに」
「・・・そういうわけにもいかないから」


ようやく、弁当の蓋を開けて、箸をとった。

実際、俺は舞と佐祐理さんのことで奔走しているわけだし、舞にもそれがよくわかっているのだろう。


「・・・・・・」


舞は俺が佐祐理さんとどんな話をしてきたか、気にならないのだろうか。


「佐祐理さん、やっぱ俺たちのこと、避けてるってさ」
「・・・・・・」


舞が箸を止めて、俺の顔を見ていた。


「・・・・・・と、俺は思っているだけで、佐祐理さんはいなかった」


ぷしっ。

箸で眉間を刺される。

新しい突っ込みだった(ただ箸を置くのが面倒だっただけだろうが)。


「とりあえず佐祐理さんが本当に日直で忙しい、ということだけはわかった」
「・・・最初から言っている」
「おまえは鈍感だから、信用できなかったんだよ」
「・・・・・・」
「とにかく、俺は佐祐理さんと話をしてみる。 だから、放課後の練習はナシな」
「・・・・・・」


ようやく、俺たちは遅い昼食にとりかかる。

そして、日直の仕事がそんなに忙しいのか、結局佐祐理さんが昼休みのうちに現れることはなかった。


・・・。


5時間目が終了したときのことである。

 

「祐一さんっ、ちょっといいですかっ」


ノートを片づけていたところに、声をかけられる。

名雪にしては口調がヘンだな、と思って顔をあげる。


「ぐあっ・・・」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509012116p:plain

 

「あははーっ」


佐祐理さんだった。

このひとにかかれば、一度入った教室は例え学年が違えど、自分のクラス同然なのだろう。

断りもなく、教室の最深部、俺の席の真ん前に立っているのである。


「出ようっ」


俺は慌てて、その佐祐理さんを廊下に連れ出す。


「佐祐理は教室の中でも良かったんですけど」
「俺が良くないっ」
「そろそろ、祐一さんのお友達にも顔を覚えて頂いた頃だと思ってたんですけどね」
「覚えられなくていいっ」
「そうですか?」
「そうですっ」


一度、教室を教えたが最後なのかもしれない。


「それで、どうしたの? 俺も佐祐理さんに話があったところなんだけど」
「あ、祐一さんも知っていたんですね。 さすがですねーっ」


佐祐理さんはひとりで的を射たように言っているが、俺には何のことを言っているかさっぱりわからない。


「じゃあ、一緒に見にいきましょうよ」
「よし、いこう」


なんだか知らないが、佐祐理さんのお誘いなら断る理由もない。


「それとも、祐一さんは、もう決めてあったりして」
「いや、決まっていないと思う」
「そうなんですか? じゃ、よかったです。 佐祐理も決まってないんです。 だから祐一さん、ふたりでひとつのものにしませんか?」
「それはいいかもしれない」
「でしょう?」


なにやら適当に答えているうちに、勝手に話が進行してしまっている。


「で、なんの話なんだ?」
「ふぇ? 誕生日の話じゃないですか」
「え? 佐祐理さんの? そりゃめでたい」
「違います。 舞のです」
「舞? それもめでたい」
「それで一緒にプレゼントを買いにいきませんか、って話をしてるんじゃないですか」
「あ、そうだったのか」


ようやく俺も話を理解する。


「別々に渡すより、そのほうがいいものをあげられると思いますし、舞も喜んでくれると思うんです」


そう言ったところで、チャイムが鳴り始める。


「じゃあ、今日の放課後、舞に内緒で買いにいきましょうね」
「ああ、了解」

手を振って、俺たちは別れた。


・・・。


ただ、俺は恥ずかしいばかりだった。

俺も佐祐理さんに話があるはずだったが、そんなものはもうどうでもよかった。

いくら舞に辛辣に扱われようが、結局佐祐理さんは舞のことが好きなのだ。

あんなことぐらいで三年間で築いた絆はびくともしない。

それが今の佐祐理さんとの話でよくわかった。

いや、そんなことはずっと前からわかっていたはずなのだ。

でも少し、ほんの少しだけ疑念を抱かせる材料が揃ってしまったから、俺はそのままに疑ってかかってしまった。


(これじゃあ、親友失格だな)

 

謝罪の意味も込めて、舞のプレゼント選びで、張り切ってやろうと思った。


・・・。


6時間目の授業が終わると、俺は乱暴に鞄をひっ掴み、即座に教室を後にした。


「わっ・・・」


すると、入れ替わりに教室に踏み込もうとしていた佐祐理さんが、飛び出してきた俺を見て声をあげていた。


「・・・いこうぜ、佐祐理さん」
「はいっ」


結局今日は佐祐理さんに付き合うこととなった。

どちらにしろ、放課後は佐祐理さんと話をする、と考えていたから、結果的には同じだった。

剣の訓練はお流れになったが、舞には昼休みに伝えてあるので、消化器を持ったまま中庭で待ち続けることもないと思う。


・・・多分。

 

・・・。

 

「にしても、なにが嬉しいんだろうな」


商店街に辿り着くと、当然のようにその話題を持ち出してみる。


 

f:id:Sleni-Rale:20200509012155p:plain



「なにをあげても喜んでくれますよ」
「なにをあげても素のまま、という気がするが・・・」
「はい?」
「いや・・・。 去年は何あげたんだ、佐祐理さん」
「去年はオルゴールです。 小さなブタさんがたくさん飛んでいる、かわいいオルゴールです」
「ブタが飛ぶ?」
「はい。 天使のブタさんなんですよーっ」
「・・・・・・」


頭の中で想像してみるが、可愛らしいとはとても呼べない代物になってしまった。

実際は売り物であるのだから、それなりのものではあるのだろう。


「・・・で、喜んでくれたのか?」
「はい。 とっても」
「かといって、『キャーッ、ウレシーッ!』とか言いはしなかっただろう?」
「ありがとう、って言ってくれました」
「そりゃ礼ぐらいは言うだろう。 それのどこが『とっても』なんだ」
「それが舞の精一杯の誠意なんですよ」
「そうなのか?」
「その証拠に佐祐理の誕生日には、山ほどの花束を抱えて家まえ持ってきてくれました」
「へぇ・・・」
「本当に山ほどなんですよ」


佐祐理さんは大きく手を広げて見せる。


「だから前が見えなくて、途中、何度も電柱にぶつかってきたそうです。 鼻が真っ赤でした」
「あいつはアホか・・・」
「でもそれが誠意なんですよ。 普通の人じゃ叶わないほどの誠意なんです」
「確かにな。 それはわかるよ」


俺はそんな舞の不器用な姿を思い浮かべて、思わず苦笑してしまう。


「うわべだけで喜んでいるひとよりも、よっぽど嬉しいんです、舞は」
「じゃあ、俺たちが贈りたいものを贈るのが一番ってわけか。 すべては誠意、ってわけだからな」
「そういうことです」
「何をあげたい?」
「そうですねぇ・・・祐一さんは?」
「研ぎ石」
「はい?」
「いや、冗談だから聞こえなくていい・・・」
「うーん、どうしましょう・・・」
「ここは思いっきり女の子らしいものがいいな」
「そうですね」
「ぬいぐるみだ。 それもこの商店街で一番デカい」
「わかりました」
「いいのか?」
「いいですよ」
「じゃあ、手分けして探そう。 商店街は広いからな。 佐祐理さんはそっちな。 俺はこっち側の店を回るから。 30分後に集合」
「はい」
「じゃあ、解散っ」


・・・。

 

30分後・・・


「なるほど・・・これはデカいな・・・」
「でしょう?」
「でもなんだかわからないぞ・・・」
「ですねぇ」
「俺の見つけたぬいぐるみは、これより一回りは小さいが、間違いなくキリンとわかる代物だった。 しかし・・・これはなんだ?」
「さぁ・・・」


大体、店構えからして謎で、なんの店かよくわからない。

骨董品やら、おもちゃやらごちゃ混ぜなのである。


「可愛くないな・・・キリンにしようか」

「待たれよ」


突然すぐ背後で声がして、俺は飛び退くように後ろを振り返った。


「アリクイじゃよ」


小さなお年寄りだった。

恐らくここの店主なのだろう。


「中でも約1.5メートルの馬鹿でかい図体を誇るオオアリクイじゃな。 大きな爪でアリの巣を掘りおこし・・・ミミズのような形の長い舌を出して、アリやシロアリをぺろぺろむしゃむしゃと仰山食べよる。 どうじゃな、可愛かろう?」
「今言ったセリフのどこに可愛く思える要素があるんだ」
「そうか、残念じゃな。 どのような若者にも愛されないとは、不遇な時代にぬいぐるみとされたもんじゃ・・・」
「文句はこいつを作ったメーカーに言ってくれ。 大体こんな不気味な生き物を実物大で作るほうがオカシイんだ。 佐祐理さん、いこうぜ」


「待って、祐一さん」


立ち去ろうとした俺を呼び止めた後、佐祐理さんは腰を低くして、背の低い店主の老人と顔を突き合わせた。


「あの、おじいさん」
「なんじゃな」
「このぬいぐるみって、そんなに人気ないんですか?」
「ああ、ないよ。 まったくない。 哀れなほどない」
「はぇ~・・・可哀想ですねぇ」


「おい、佐祐理さん・・・まさか・・・」
「これにしましょう、祐一さんっ」
「ぐぁ・・・本気か、佐祐理さん」
「大丈夫ですよ。 どんな子だって、可愛がってあげられますよ。 舞なら」
「ほんとかぁ? 空中に投げ捨てて、3枚おろしにされたりしないか・・・?」
「絶対大丈夫です。 舞もこの子も喜んでくれます」


「心優しいお嬢さんだね。 半額にまけてあげるよ」
「そりゃまけすぎだろう、ジィさん」
「いや、感動させて頂いたお礼だ。 もっていってくれ」


「よかったですねぇ、祐一さんっ」
「はぁ、良かったのか、悪かったのかよくわからないぞ・・・」
「よかったんですよっ」

 

佐祐理さんの押しに負けて、その巨大なアリクイのぬいぐるみを購入し、家路につく。

一晩でも一緒にいたいから、と佐祐理さんはそれを背中におぶって帰っていった。

アリクイが二足歩行で歩いているようで不気味な後ろ姿だった。

 

・・・。

 

巨大アリクイに脱力した俺は、そのまま家へと帰った。

剣の訓練がなかったため、今日は早めの帰宅となった。

夕飯を食べ、その後、自室でしばらく休息をとる。

いつもの時間となると、家を後にしていた。


・・・。


夜食は大体がコンビニで用意していた。

今日もコンビニに寄ろうとしたところで、その前に一台の軽トラックが停まっているのを見つける。

そこからは、香ばしい匂いが漂ってくる。

最近は見かけなくなったと思っていたが、こういったものはいつの時代も変わらない。

誘われるようにして、そこで本日の夜食を調達する。

そして新聞紙の塊を抱いて、夜の校舎へと向かった。


・・・。


「よぅ」
「・・・・・・」
「おまえの言う通りだった。 大丈夫だったよ」
「・・・・・・」


なんのことを言っているのか、舞もわかっているのだろう。

得意げともとれるような目で俺を斜に見た。


「疑った俺が悪かったよ。 お詫びに、久々の豪勢な夜食だ」


俺は手に持っていたものを舞に向けて放り投げる。


「石焼きイモだ。 熱いから気をつけろ」


さくっ。


舞が、新聞紙に包まれたそれを剣の先端で刺して受け止めていた。


「こら、食べ物を粗末にするな」
「・・・熱いって言ったから」

 

それを抜いて、手の中で転がした。


「イモだったら、舞も好きだろ?」
「・・・相当に嫌いじゃない」


昔から不思議なのだが、どうしてか女の子は一律に焼き芋が好きな傾向にある。

舞もそれに当てはまる、ということは立派に女の子の嗜好をしているということだ。


「ほら、転がしてないで、とっとと食ってしまおうぜ」


ふたりして、黙々とイモを食べ始めた。

それを食べ終わると、背中合わせに廊下に立つ。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・今日は現れるかな」
「・・・さぁ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・おなら、するなよ。 真後ろに俺がいるんだから」
「・・・祐一こそ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


遊んでる場合ではない。

じっとしていよう。

俺は弛みかけた集中力を再度引き締め、背筋をぴんと伸ばした。


サーーッ・・・


「・・・ん?」


気づくと、音がしていた。


「おい、舞・・・」


その背を肘で小突く。

 

「・・・するなら、離れて」
「違う、おならじゃないっ。 音がしないか」
「・・・水道から水が漏れてる」


どこにそんな確信があるのかは知らなかったが、確かに言われてみると水道から漏れる水の音に聞こえた。
舞は、ずっと前から気づいていたのだ。


「・・・もう少ししたらくる」
「どういうことだよ・・・。 つまり、そっちにいけば居るってことなんじゃないのか?」
「もう居ない」


舞は、音がする方とは逆に向いている。

じっと、その先を睨んでいた。


「・・・・・・」

 

ザーーッ!


今度は近くだ。

水道管でも破裂したかのような音。

恐らくトイレの中だろう。

放っておけば、水浸しになる。


「・・・舞っ」
「・・・・・・」


舞は頑として動かない。


「・・・見てきていいか」
「・・・よくない」
「・・・そうか、わかったよ」
「・・・・・・」


ザーーーッ・・・


その音が邪魔して、魔物の発生合図が聞こえないかもしれない。

そうなると、もう舞に頼るしかない。

もしかしたら、今目の前に奴はいて、その鋭い爪で俺の喉笛を掻き切ろうとしているのかもしれない。


ごくり・・・


唾を飲むが、その音だってあまり聞こえなかった。


「・・・ここにいて」


舞がそう言い残し、駆けていった。


「え・・・?」


振り返ると・・・


ざぐんっ!

 

宙に向け、舞が剣の切っ先をねじ込んでいた。

そして、そのままの勢いで舞の足が滑ってゆく。


「・・・!」

 

いや、違う・・・あれは勢いじゃない。

何かに引っ張られているのだ。


剣を引き込まれ、抵抗の余地もない。

舞の背が遠のいてゆく。

が、その途中で舞が剣を手放した。

なぜかはわからなかった。


「・・・・・・」


わからなかった。

舞は、俺に向けて丸腰で走ってきていたのだ。


「・・・祐一!」


俺は馬鹿だ。

気づくのが遅すぎた。

頭を打ち抜かれていた。

その衝撃は脳天を貫通し、眼球を激しく振動させ、足元へと抜けた。


「ぐ・・・」

 

仕方なく膝をつく。


立っていることなどできなかった。

目が見えない。

何か、熱いものが溢れ出ているのがわかった。


「祐一、しっかり・・・」

 

舞の手が、俺の手に触れた。

その手を握り返す。

温かい。


「祐一、介抱は後でいくらでもする・・・今は、その手のものを貸して」
「これか・・・」


握っていた木刀を手から放す。

ころん、と転がるはずだったそれは舞によって受け止められたのだろう、音はしなかった。

代わりに、風が感じられた。

舞の、匂いを帯びた風だった。


・・・。

 

「祐一・・・」


舞に呼ばれる頃には、視力も回復していた。


「・・・見せて」


舞の手が俺の頭をとって、柔らかな枕へと誘導した。

回りくどい言い回しをすることはない、膝枕だ。

すぐ目の先に舞の顔があった。


「・・・・・・」


舞の指が俺の目を片方ずつ大きく開ける。

その中を舞は覗き込んだ。


「・・・どうだ?」
「大丈夫・・・」


指が離れた。

そうすると、舞の顔も自然に離れ、少しだけ残念だった。


「そっか・・・奴らは・・・?」
「一体、仕留めた」
「あの木刀でか」


舞は顔を横に振る。

 

「・・・途中からは剣にかえた」


俺が倒れていたのは、短い時間ではなかったのだろう。


「・・・祐一、悪かった」
「なにが」
「・・・私が判断を誤ったから・・・」
「いや、そんなことないよ・・・。 俺がマヌケなだけだったんだ。 いつも足を引っ張ってばかりで悪いな」
「・・・・・・」
「それに舞が剣を捨ててまでして、駆けつけようとしてくれたのには感動したぜ」
「そう・・・」
「そうだよ」
「・・・・・・祐一」
「ああ」
「・・・そろそろどいて欲しい」
「・・・いや、おまえ、言ったよな。 介抱は後でいくらでもするから、って」
「・・・・・・」
「・・・だから、もう少し・・・ダメか?」
「・・・私は構わないけど」


少しだけ、我が儘を聞き入れてもらうことにした。

舞をこうして、年上の女性として感じられる機会など、滅多にないと思えたからだ。


・・・・・・。

 

・・・。

 

帰り際・・・

床が硬いのに、正座をし続けていたためだろう。


がんっ!


足を痺れさせた舞が、立ち上がった途端に廊下の壁に顔面から突っ込んでいた。

 

「・・・痛い、祐一」
「いや、俺に言われても困るが・・・」

 

・・・。


戦いで受けたダメージで足取りが重いが、どうにか家へと辿り着いた。

少しでも身体を休めるために、ゆっくりと風呂に浸かり、倒れるようにベッドへと入る。

しばしの休息だ。

明日には戦えるように・・・。

 

・・・。

 

1月29日 金曜日

 

今朝も少し遅かったようだ。

いつもの角を通り過ぎた先に、ふたりの後ろ姿を発見する。

佐祐理さんは、また夕べのように二足歩行のアリクイと化しているのかと思ったら、そうではなかった。

プレゼントのぬいぐるみは、持ってきていないようだった。

さすがにあの大きさでは、学校に内緒で持ってくるには目立ちすぎるからだろう。


「よぅ、おはようっ」


駆け足で追いつくと、そのままの勢いで、ぽん、と同時にふたりの肩を叩いてやった。

満面の笑顔と、いつもの無表情が振り向く。


「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・おはよう」


「うおっ、舞のほうが先に言った! しかも結構早かった・・・」
「あははーっ、成功ですね。 おはようございます、祐一さん」


「・・・・・・」
「舞が挨拶するまで、佐祐理もしない、って言い含めてあったんですよ」
「・・・もう二度とこんな約束しない」


舞が怒ったように、佐祐理さんを睨んでいた。


「なにをやってんだか・・・」


そんなふたりのやりとりを見ていると、本当に昨日の俺は馬鹿みたいである。


「で、佐祐理さん」


俺は佐祐理さんに耳打ちをする。


「ふぇ?」
「プレゼントはいつ渡すんだ」
「今は持ってきてませんけど、ちゃんと時間を合わせて今日中に渡せるようにします」
「了解」
「誕生会は、次の日曜にちゃんと開きますから、それにも出席できるようにしておいてくださいね」
「オッケー」


あくまでも予想だが、佐祐理さんが主催する誕生会となると、無茶苦茶豪勢であるような気がする。

参加者は、ドレスとかタキシードとか着込むのだろうか。

舞はゴンドラに乗って登場するのだろうか。


「ほら、また舞がひとりでいっちゃいますよ」
「おっと・・・おい、舞! 待てって」


俺たちは先をゆく舞をいつものように追いかけた。


・・・。

 

「それではーっ」
「おうっ」


「・・・・・・」

 

・・・。

 

学生の本文は勉強と、たまには殊勝なことを考えてみる。

実際は、ただでさえ苦手な科目な上に、ここのところ真面目に聞いていなかったからと言うのは秘密だ。

更に、真面目な態度が15分しか持たなかったことはもっと秘密だ。

・・・この教科は捨てよう。


俺はきっぱりと諦めた。


・・・。


今日は4時間目の授業が押してしまい、学食に向かうのが遅れてしまった。


・・・。


人波に揉まれながら、何とか目的のパンを獲得すると、俺は踊り場へと向かった。


「はい、どうぞーっ」


俺が腰を落ち着けるなり、弁当箱が並べられる。

それらは、いつもより豪華な気がする。

それでも、舞の誕生日というのは暗黙事項であるらしく、佐祐理さんの口からそれらしい言葉がでることはなかった。

まさか舞が自分から・・・


「・・・そういえば今日、誕生日だから」


なんて言い出すとも考えられない。

それ以前に舞は今日が自分の誕生日だということすら忘れているに違いなかった。

だから佐祐理さんはプレゼントのことも、誕生会のことも、本人には黙っていて驚かせるつもりなのだろう。

それで舞が心底驚くかどうかは疑問だったが、佐祐理さんがそうしたいのだったら、俺もそれに付き合うことにした。


「・・・そういえば」


珍しく無口な舞が自分から口を開いていた。


「・・・今日」


げっ、と佐祐理さんと俺が顔を見合わせる。


「・・・掃除当番だから」


がちゃん!


佐祐理さんが弁当箱に顔を突っ込みそうになっていた。

俺はすでにカレーパンのカレーの中に鼻を突っ込んでしまっていた。


「・・・?」


俺たちの反応に、舞が首を傾げるが、すぐ弁当を食べるのに戻る。


もぐもぐ・・・


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・そういえば」


再び舞が箸を止め、口を開いていた。


「・・・今日」


今度こそやばいっ、と佐祐理さんと俺が顔を見合わせる。


「・・・掃除当番だから、って今言ったっけ」


がちゃん!


「おまえは、ボケ老人かっっ!」


思わず思い切り突っ込んでしまう。

佐祐理さんも、さすがに今ので弁当箱に顔を突っ込んでしまったのだろう、鼻の頭をハンカチで拭いていた。


「・・・?」


当の舞は相変わらず、俺たちの反応に当惑するばかりだ。


「おまえ、俺たちをおちょくってるんじゃないだろうなぁ・・・」
「・・・おちょくってなんかいない」
「実際はそうなんだろうけど、タイミングが良すぎるぞ・・・」


「あははーっ・・・」


ようやく声が出た、といった感じで佐祐理さんが苦笑いをしていた。


・・・。


「それでは。 祐一さん」
「おうっ」


「・・・・・・」

 

ふたりと別れ、俺は後ろ姿が見えなくなるまで見送った。

さて、午後の授業が始まる。

俺も急ごう。


・・・。


(そういや・・・結局どうするつもりなんだろうな、佐祐理さん・・・)


詳しい話は聞かず仕舞いだった。

と、思ったところで俺は嫌な予感がした。


・・・。


その日最後の授業が終わると、教科書を放り出したままで、即座に教室を後にした。


「わっ・・・」


すると案の定、入れ替わりに教室に踏み込もうとしていた佐祐理さんが、飛び出してきた俺を見て声をあげていた。


「やっぱ、来ると思った・・・」
「ふぇ~、すごいですね、祐一さん。 佐祐理が来るのがわかったんですか? 予感的中ですね」


それが、『嫌な予感』だったとは口が裂けても言えない・・・。


「で、今日はどうするって?」
「えっと遅くなるかも知れません。 だから、祐一さんは帰っていてください」
「わかった。 どうせ帰宅部だからな」
「じゃ、連絡しますから、連絡先、教えてください」「おう」


佐祐理さんは忙しいのだろうか。

俺の家の電話番号だけ訊くと、ぱたぱたと駆けていった。

「・・・・・・帰るか」


俺も昇降口へ向け、歩き出した。


・・・。


俺はいつも通り夕方に家に辿り着くと、佐祐理さんからの連絡を待っていた。

本を読んだり、ぼーっとTVを見たりして、適当に暇を潰していた。

それでも電話はない。

何か用事でも出来たかと思い、先に夕食を済ませる事にした。


・・・。


晩ご飯を食べてからも電話はなかった。

中止にでもなったのだろうか。

そんなはずはない。

中止なら、佐祐理さんからその旨を伝える電話があるはずだ。

落ち着かずに、自室に戻ったり、リビングに降りたりと、家をウロウロとする。


・・・。


いつものように夜の校舎へ出かける支度をしてから電話の前に立つ。

・・・電話は鳴らない。

舞を放っておくわけにはいかなかったし、かと言って佐祐理さんとおの約束を破って家にいないわけにもいかない。


・・・いや、待てよ。

佐祐理さん自身は舞と最終的に落ち合うのだから・・・


俺は時計を見る。

いつもの・・・あの時間だ。


「・・・・・・」


嫌な予感がした。

それは、本当に不吉な予感だ。

佐祐理さんの連絡先はわからない。

となると、一刻を争う。

俺は衝動的に家を飛び出していた。

 

・・・。

 

走り出してしまってから、俺は後悔する。


違うな・・・


佐祐理さんなら、舞と落ち合う前に、必ず俺に連絡をとるはずだ。

プレゼントを渡すような、そんな状況で抜け駆けのように佐祐理さんひとり、舞と会ったりしないはずだ。

もしかしたら、俺は唯一危険を回避できる方法を自らの手で消してしまったのではないか。

俺は近くに公衆電話を見つけると、駆け込んで、テレホンカードを探す暇も惜しんで、硬貨を突っ込むと自宅へのダイヤルを叩いた。


「はい、水瀬です」


呑気な名雪の声がした。


「俺だよ、祐一」
「どうしたの、慌てて」
「俺に電話なかったか」
「うん、あった。 行き違いだったね。 祐一が出た後、すぐかかってきたよ」


内容を聞くのが恐い。

連絡を待つ、であってくれ、とただ願う。


「倉田さんって女の人。 今から学校に向かうので来てくださいって」


俺は自分の愚かさを突きつけられることになる。

知ってたんだ、佐祐理さんは・・・

夜の校舎に舞がいることを・・・


「これって、もしかして告白?」


揶揄するような名雪の声を遮って、俺は受話器を置いた。

何度俺は佐祐理さんや舞を疑ったら気が済むんだろう。

馬鹿すぎる。

馬鹿で馬鹿で馬鹿だった。

後、10分家を出るのを躊躇してさえすれば、よかったのに。

俺は外に飛び出していた。


・・・。


俺は校門の前に立つ。

夜の校舎はいつも通りの静けさにあった。

いつもそうだった。

俺が来るまでは絶対の静寂を守って・・・。

全速力で走ったため、息が上がっている。

それ以外の物音は何も聞こえない。

何もないはずだ。

ただ、舞が立っていてお腹をすかせている。

それだけのはずだ。

何も変わりないことを心から願って、俺は校舎に入っていった。


・・・。


「舞・・・」


舞は立っていた。

それもいつも通りだ。

何事もまだ、起こっていない。


「・・・・・・」
「舞っ・・・」


舞の顔はまだ見えない。

背中を向け、廊下の突き当たりの壁に向かっていたからだ。

 

「おい、舞、聞こえてるんだろ・・・?」


俺はその背に呼びかける。


「・・・・・・」
「なぁ、舞・・・」
「・・・・・・」


不意に舞の体がゆらりと揺れた。

そして、そのまま壁にもたれかかった。

その舞の向こう、一直線に突き当たりの壁が見渡せた。


「・・・・・・」


大きなアリクイのぬいぐるみが転がっていた。


・・・血の水たまりに濡れて。


「・・・・・・」
「・・・おい・・・舞・・・」
「・・・・・・」


舞の体は、完全に壁からずり落ち、床に丸くなって横たわった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

俺たちはお互い何も喋らず、佐祐理さんの運び込まれた病院へと向かった。

待合室で、黙ったまま医者の処置を待つ。

夜遅いこともあり、電灯は一部しか点灯させておらず、寒々しい雰囲気が更に気を滅入らせた。

やがて診療室から、白衣の男が出てくる。

医師の説明は簡単だった。

頸椎損傷。

しばらくは入院生活だということだ。

外傷が、傷として残らないということだけが、わずかな救いだった。


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509012340p:plain

 

病院から追い出された俺たちは、どうして良いかわからなかった。

先に立っていた、舞が黙って歩き出した。


「・・・帰るのか?」
「・・・学校」


その一言だけで、後は一切喋らなかった。

俺も黙って後に続いた。


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509012433p:plain

 

教室の中には、窓際の机に腰掛ける舞の姿があった。
月明かりを受けて、青白く光っているように見えた。
夜の舞はいつでも幻想的という言葉が似合う。


「祐一・・・」
「どうした」
「そばに来て欲しい・・・」
「・・・・・・」


俺は机の間を抜け、舞の居る窓際に立った。


「隣に座って欲しい・・・」
「狭いぞ」
「いい・・・」


ひとつの机にふたつの腰を並べる。


「どうした、舞」
「・・・・・・私のせいで・・・また佐祐理は傷ついた・・・」
「そう一概に自分を責めるな。 おまえのせいじゃない。 色んな不運が重なっただけだよ。 俺だって・・・軽率な行動で、防ぐ機会を逸してしまった」
「・・・・・・そして自分だけが・・・こうしてのうのうと傷つかずにいる」


舞は俺の言葉なんて、聞いていないのかもしれない。
ただ、一方的に自分を責め立てた。


「その代わりおまえは戦っているじゃないか」
「小さすぎる代償・・・」


なにを言っても今の舞には無駄だった。

あまりに自虐的になりすぎている。


・・・。

 

慰めの言葉も失った頃・・・


「・・・・・・」


舞が俺の肩に頭をのせた。

そして首筋に何かが当たった。

舞の唇だった。


「祐一・・・」


その首筋でくぐもった声。

息の熱が伝わってくる。


「私にはどうしたらいいのかわからない・・・」


どういう意味かわからなかった。

これからずっと先のことを言っているのか、それとも今、この時のことを言っているのか。


「祐一・・・」


熱は伝わり続ける。

舞の体が俺の体と密着していた。

彼女は、言葉もなしに、伝えようとしていることがある。

それが不器用でも、俺にはわかった。

ずっと一緒にいたからわかる。

傷ついた心を癒すために、彼女はそんなものを求めているというのか。

そんなもので覆い隠せるというのか。

俺が今ここでそれを与えてしまっていいのだろうか。

舞の求めているものはただひとつ。

傷だ。

佐祐理さんと同じように、傷を負いたいだけだ。

そんなもの、与えてしまってはいけない。

傷ついてみて、それで今だけ佐祐理さんと同じ境遇を味わって、何が変わるというんだ。

それで前に進めるのか。

前にすすめる強さが手に入るのか。

弱い自分が露呈されるだけではないか。

今、耐えることの強さを知ってほしい。

でも、今の舞では、ひとりでは耐えられそうになかった。

だから、俺は傷つけず、慰めることにした。

言葉もなく、その体に腕を回し、抱きしめた。

ずっと、強張っていた舞の体がやがて静かに崩れ、すべての体重を俺に委ねた。

その少女の体を、俺はずっと支え続けていた。

ずっとふたりでいたのだった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

いつもの登校風景だった。

学年もわからない同校の一群が、夕べのテレビの話題に花を咲かせている。

遠くから作り物のような笑い声が、耳に響く。

その間を、足早に俺は抜けてゆく。

これが普通だった。

俺の周りには、誰もいない。

転向してきてまだひと月も経っていなかったから、それは仕方がなかった。


・・・。


だが、どうしてだろう。

俺は正午になると、階段を上っていた。

屋上に続く踊り場。

しんとしていた。


「・・・・・・」


確かに俺はいたのだ。

かけがえのない、友達が。

いつも一緒にいて、楽しかった思い出があった。

転校してきたばかりだというのに、出会って間もないというのに、俺を親友だと言ってくれたふたり。

川澄舞と、倉田佐祐理

いつも一緒に飯を食っていて、俺たちはまるで・・・家族だったのに・・・

もう残り火さえ、そこにはなかった。


・・・。


ガラスが割れる音が遠くで聞こえた。

一度聞こえると、それは断続的に続けて廊下に響いた。

騒ぎ出す生徒と、絶え間なく続く破壊音。

俺は音のする階へと急いだ。


・・・。


階段を駆け降りると、すでにそこには人混みができていた。

野次馬は困惑と嘲笑の目で、騒ぎの原因を見ている。

人並みの壁をくぐろうとするも、なかなか通してはくれない。


「通してくれっ・・・! このっ、どけってんだよっ!」


ひっ掴みあいになりながらも、その中を抜けきると、闇雲に剣を振るう舞の姿があった。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509012519p:plain

 

「はぁぅっ・・・!」


ただ四方八方の障壁を打ち続ける。

教室のドアを叩き割ったかと思えば、無意味にガラスの一片も残らない窓枠をガシガシと叩いた。

汗か涙かわからないものを飛び散らせ、髪を乱し、休みなく破壊活動を続けていた。

何事かと集まり続ける生徒も、鬼気迫る舞の行動に怯え、誰も止めようとしない。

舞の目線が向けられた方の生徒は逃げまどい、空いたその場が新たに破壊される。


「舞っ!!」


俺は叫んだが、聞こえない。

完全に我を失い、自暴自棄となっていた。


俺はその振るわれた剣の中に飛び込んだ。

根本の部分が腰を打ち、俺は痛みに声を詰まらせる。

だが、舞を抱き留められた。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509012615p:plain

 

「馬鹿か・・・何度同じことを繰り返すんだ、おまえは・・・」
「はぁ・・・はぁ・・・」


悲痛に顔を歪め、中途半端に開いた口から荒い息を漏らしている。

俺の知らない舞だった。


「本当に俺をひとりにする気か・・・。 卒業までは三人でいるって約束したろうがっ」
「はぁ・・・はぁ・・・」


目を合わせようとしない。

俺はそんな舞の顔を強引に自分へと引き寄せ、鼻が触れあうような位置で言葉を伝えた。


「全部壊して・・・それでどうなるって言うんだ・・・。 すべてを失うだけだぞ・・・」
「はぁ・・・はぁ・・・」
「失いたいのか。 佐祐理さんや、俺や、一緒に作ってきたいろんなものを・・・」
「・・・・・・」
「答えろ、舞・・・」
「・・・・・・」
「失いたいのかっ・・・!」
「・・・・・・」


舞の目が、ようやく俺の顔を見た。


「・・・失いたくない」
「なら謝れっ・・・みんなに」
「・・・・・・」


俺は舞を抱いていた手を放した。


「・・・・・・」


ゆらりと亡霊のように皆の前まで歩いていくと、そこで立ち止まり深々と頭を下げた。


「・・・お騒がせしました。 ごめんなさい」


異様な、どよめきがあがった。


・・・。


ぐちゅぐちゅ・・・


舞が、好物のはずの牛丼をずっとかき混ぜる音だけがたつ。

俺が学食から運んできたものだった。

とうに冷めているに違いない。


「どうした、食欲ないのか」
「・・・・・・」


舞の目は、牛丼の中を見ていない。

ずっとその先の、違う場所を見ていた。

そこには悔恨の場面が繰り返し、ずっと映し出されているのだろう。

やりきれないのは俺も一緒だった。


「祐一・・・」


ぽつりとその口が俺の名を紡いでいた。


「なんだ」
「・・・今夜、すべてを終わらせる」
「そうか・・・」
「・・・手伝って欲しい」
「ああ、俺なんかで良ければな」
「・・・ありがとう」


ようやく舞の意志は正しい方向に向いた。

俺は親友としての責任を全うできたような気がしていた。

ひとりでは先に進めなくとも、こうして助けてやることができる。

でも、それは舞が自分で手に入れたものだ。

人を好きになる、ということは意識的なものではないはずだったから。


もぐもぐ・・・


隣を見やると、一心に舞が牛丼を食べ始めていた。


・・・。

 

部屋のベッドに寝転がり、天井を見続ける。

窓からは赤光が差し込んでいる。

外は綺麗な夕焼けだった。

もうすぐ始まる最後の戦いに向けて、今は何も考えられない。

時折寝返りを打ち、物思いに耽るが、思考の一欠片もまとまらない。

時計の音と、それと同調しない心音。

それだけが聞こえていた。

出来ることは、落ち着くこと。

あと少しで、終わる。

終わらせるのだ。


・・・。

 

いままでもそうだったように、これからもそうであるように夜の校舎は静かだった。

だが俺たちはその校舎の、いろんな姿を見てきた。

もう、俺たちを冷たい場所に置かないでほしい。

明日からは、穏やかにに俺たちhの学園生活を見守ってくれる姿であってほしい。


・・・。

 

「悪い。 もっと早くこようと思ってたんだけどな
「・・・・・・」


構わない、といったふうに舞が頭を振った。


「残るは何体だっけ」
「三体」
「三体・・・多いな」


これまでだって一晩で二体以上を葬れた試しはない。


「一晩で終わる数か・・・?」
「終わらせる」
「そうだな。 終わらせような・・・」


愚問だった。

俺たちは、終わらせる必要がある。

それだけだった。

それに夜は長い。

夜が白み始める頃にはすべてが終わっていることだろう。


「古いものだけど・・・」


舞が、刃を下に向け、剣を差し出していた。

見れば、舞は両手に剣を持っていて、それはその一方だ。


「・・・・・・」


俺はそれを受け取り、仔細に眺めてみる。

舞の持つものとは形が違う。

ゆるりと弧を描く片刃の剣、いわゆる日本刀である。
舞が、今の両刃の剣を持つ以前に扱っていたものなのだろう。

錆が目立ち年期を感じさせたが、研磨したての光沢があった。


「俺もやっと合格、ってわけか?」
「それはこれから」
「不合格だったら、死ぬよなぁー」
「合格だったらすべてが終わる」
「俺にかかってんのか?」
「・・・・・・」


舞の顔が横を向いた。


「終わったら牛丼」


ふわりと髪が棚引くと、タッ、という足音とともにその姿が消えていた。

どうか、穏やかな朝が迎えられますように。

風が、衝撃が吹き、俺も反対方向へ向き直っていた。


・・・。


しかし・・・不思議だよな、こいつらは。

本当に人に寄ってくるんだろうか。

それは第三者という人ではなく、もしかしたら、俺という個人なのではないか・・・?

これまでの状況だって別の人に置き換えても、その可能性は同じだけあると考えられるはずだった。

だが、なぜだか俺は、俺自身が狙われているという錯覚を覚えた。

錯覚であることを祈るだけだ。

こんな奴らに、恨まれて生きていられるはずがない。


「大体、何者なんだ、おまえたちは・・・」


ゆらりと揺れたような正面の景色に向けて、呟く。

剣を掲げて構える。

振り下ろしたときに、その先に捉えてさえすればいいのだ。

そうすればややこしくならないで済む。

三歩、正確には二歩と半歩、素早く踏み出したところで、床のリノリウムに向けて垂直に両腕を振るった。


ガッ!


「・・・・・・」


床を打ちつける手応えしかなかった。


・・・右かっ!


俺は剣を振らない。

慣性の法則に任せて、体を前のめりに倒す。

ばしッ!と、ぎりぎりの背中の空気が裂けるように音をたてた。

そのまま受け身の型で、体を一回転させ床を転がる。
起きあがったときには反撃のターンである。


左・・・!


俺は剣を薙いだ。

だがそれよりも早く懐にそれが居た。

がっ!・・・と、柄の部分に鈍い衝撃。

続けて、ばちっ!と目の前で何かが弾けた。

一瞬後には壁に片方の頬を押しつけて、不格好に倒れていた。

まだなお、頭の中を電気が走っているような感覚が続いている。

俺は体を裏返し、廊下のほうを向き直る。

気配はないが、今まさに眼前に迫っているのかもしれない。

俺は剣を杖代わりに上体を起こす。


・・・ひとまず退散だ。


俺は背を向け、階段を無様に駆け上がった。

一撃でも受けてしまえば、このていたらくだ・・・。

相手の攻撃をかわす、ということが何よりもの大前提であることを痛感する。


・・・。


口の中で血の味がする。

歯で切ったのだろう。

ぺっとノドに絡む痰とともに床に吐き捨てた。


「・・・・・・」


舞と落ち合ったほうがいいだろうか・・・

いや、どうせ足を引っ張るだけだな・・・。

少し休んで、そしてもう少しマシに動けるようになったら、戻ろう。

それこそ一体ぐらい仕留めてやらないと、なんのために居るのかわからないからな・・・。

だが、戻るまでもなかったのだ。

ピシッ・・・と石つぶてのようなものが俺の頬で跳ねた。


がッッ!!


・・・風圧!

その襲い来る空気の塊を切り裂くようにして、刃を薙いだ。

その途中まで差し入れたところで、俺の体が吹き飛んだ。

踵が床から浮き、バランスを崩す。

着地は腰からだった。

すぐ前屈みになり、迎え撃つ形をとる。


「・・・・・・」


次なる攻撃はない。

これが舞の言うところの、手負いにした、というやつなのだろうか。

今なお、奴の身を裂いた手応えが手に残る。

初めて生あるものを刃で裂いた感触に、気味の悪さを覚える。

だが奴は、人の情けなど知らぬ凶悪な存在だ。

人でもない。

一瞬の間をおいて、俺は再び闘志を漲らせていた。

ならば形勢は逆転した。

こちらが追う番である。

前傾姿勢のまま、走り出した。


・・・。


奴らの居場所は俺には感知できない。

音がするか、風が吹くか、そういう事象でそれと悟るしかできない。

だから、一度逃がしてしまえば、もう俺に奴を探す手だてはない。


しゅっ・・・しゅっ・・・!

 

俺の追走を受けてか、目の前を飛び石のように、音だけが跳ねて遠ざかってゆく。

速いっ・・・追いつけるかっ・・・!?

長い廊下、ただ闇雲に奴を猛追する。

そして眼前には、直角に折れる壁が迫ろうとしていた。

そこで奴に曲がられたら終わりだ。

人の足では、この速度でその角を曲がりきることなどできない。

あるいは速度を落としてみたところで、追いつけなくなるのは同じだ。

ならば、その角までに追いつく。

走り抜けたほうが速い。

そのままの前傾姿勢を保って、壁までの距離を一気に詰めた。

奴がその壁の手前で勢いをもろともせず、直角に折れた。


届くか!?


俺は片腕で、それを跳ね上げるようにして剣を薙いだ。


ビシッ・・・


もしそれに尾があるとしたら、触れたのはその尾の先だ。

わずかな手応えだけを残して剣が天井へと向いた。


・・・ズビュッ!


入れ代わりに、同じ軌道を逆に床へと辿る線があった。

冷静にその機を待ち構えていた舞が、通路の折れた先で剣を振り下ろした格好で膝を折ってしゃがんでいた。


「・・・・・・」
「やったのか・・・?」
「・・・・・・」


こくりとその頭が動いた。

いい追い込みだった、と褒めてくれるかとも思ったが、舞は黙ったままだった。

俺は精一杯のことをしたつもりだったが、舞にしてみればそんなものは取るに足らないことなのだろう。

なにより、とどめを刺したのは舞だ。

俺ではない。


「ふぅ・・・」


俺は息をつく。

結局痛感させられたのは、舞と俺との力の差でしかない。

今のように俺はどれだけ遮二無二なってみても、偶然奴らを傷つけるのが精一杯なのだ。


「・・・・・・」


いつだって、何気ない顔をしているにも関わらず、舞はすごいことをやってのけていたのだ。

学生の本文でもある部活動に打ち込んでいれば、その運動神経は日の目を見て世間を騒がせていたことだろう。

どうしてその舞が、今は名声とは逆の罵倒を浴び、生きていなければいけないのだ?

俺は下唇を噛み、その要因の駆逐へと思いを馳せた。


「これで残りは・・・何体だ」

舞に目を向ける。


「・・・・・・」


そのとき舞の異変に気づいた。

舞は剣の腹を床に沿わせて、しゃがんだままだ。 ずっとその格好でいる。


「どうした?」
「・・・・・・」
「どこか痛めたのか?」


俺は舞の正面で膝をついて、手を差し出した。


「上・・・!」
「え?」


パリンッ!と蛍光灯が割れた。

俺はとっさに床を転がった。

細かなガラスの粉が床に打ちつけられる寸前、舞が一刀し、重力を追い抜いて床に刃を突き刺していた。

シャンッ、とわずかに遅れて床にガラスの破片が散らばった。


「・・・よくよけた」
「そんなことよりっ・・・奴はどこだ?」

 

パリンパリンパリンッ!と連続して蛍光灯が割れる音が遠ざかっていった。


「追うぞ・・・!」


言うよりも早く舞の姿が消えていた。

が、いつものように疾駆する姿としては一向に現れなかった。


「え・・・」


舞の体は眼下に丸まってあった。


「おい、舞っ・・・」


腰をついたまま、立ち上がらない。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509012750p:plain

 

「おまえ、足を・・・」
「・・・・・・」
「見せてみろ」
「追う・・・」


剣を杖にして立ち上がろうとするが、それだって叶わない。


「動くなっ」


俺は舞を壁にもたれかけさせ、その足の関節に触れてみる。


「痛いか?」
「いや・・・」
「外傷はないけどな・・・中がどうなってるかは・・・」
「骨が腐っている・・・」
「え?」
「ような気がするだけ・・・」
「そんなことがあるわけないだろ。 びっくりさせるな」
「でも左腕は中から黒くなり始めてる・・・」
「まさかっ・・・」


俺は舞の手をとり、強引に袖を剥いた。

 

「・・・・・・」


暗くてよくわからない。


「・・・・・・」
「動かないのは・・・左腕と、両足か?」


こくり。


「よくそれで一体でも仕留められたもんだな・・・。 なんにしろ今日はここまでだ」
「戦う・・・」
「立てもしないのにか?」
「時間を置けば悪化する一方だから・・・」


なんだ、その病状は・・・

 

「そんなに大変なことになってるんだったら、医者に診てもらうんだ」


俺にはそれしか対処のしようが思いつかない。


しかし・・・


「祐一」


そうやって名前を呼ばれると、もうだめだった。


「私を助けて」


・・・。


「ぐぁっ・・・意外に重いな、おまえ・・・出るとこ出てるもんなっ」


ぽかっ。


「動くじゃないか、手・・・」
「・・・・・・」


俺は手負いの舞を背負い、廊下を歩いてゆく。

ぱりぱりと蛍光灯の破片が靴底で音をたてた。

日常的でないその状況にも慣れてしまっている。

もう、何が起きても驚かないでいられる気がした。


「左・・・」
「階段だぞ」
「上がって」
「・・・了解」


普段なら二段飛ばしでいく階段だったが、今は一段一段を踏みしめて上る。

体が揺れるたび、舞の髪の毛が俺の首筋をさらさらと撫でた。

いつもの、舞の匂いがする。

混じりけのない、石鹸の匂い。

どれだけ勇ましくても、匂いは女の子だった。


・・・。


俺がもうこれ以上一歩ものぼれない、という限界に達したと同時・・・


「・・・ここ」


ようやくそう舞が告げた。


「はぁ・・・はぁ・・・どこだ、ここ・・・」


そこhじゃ、いつも俺たちが昼飯を食べていた場所だった。

だが、夜の姿では、到底同じ場所だと思えない。

他の場所同様、異質だった。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509012839p:plain

 

「どうするんだ、こんなところで・・・」
「・・・・・・」
「追いつめられたら、終わりじゃないか。 逃げるにも階段じゃ、転げ落ちるしかないぞ・・・」
「・・・・・・」
「1階に降りたほうがよかったんじゃないのか・・・?」
「よくはない」
「そうか? まあ、百戦錬磨のおまえのことだ。 信じるよ」
「こんな窮地は初めてだけど・・・」
「恐くなるようなことを言うな」


舞を下ろして、一息つく。

舞の体と接触していた部分だけが、熱を持って汗ばんでいた。


「さて・・・来るかな」
「・・・来ると思う。 祐一がいれば」
「そうかい・・・」


舞は俺の名を言った。

やはりそれは、俺個人を限定するような錯覚を起こさせるものだった。

でも、俺以外でよくとも、この場合やはり俺の名を口にしていたのだろう。

緊迫した状況が、強迫観念を生み出しているのかも知れない。


「大丈夫か、体のほうは・・・」
「・・・大丈夫。 右腕だけはよく動くから」
「それは大丈夫というのか・・・?」
「たぶん・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「後は、何体だっけか」
「・・・一体」
「片づくかな」
「片づける」
「そうか・・・」
「・・・・・・」
「大体、奴らはなんなんだ?」
「さぁ・・・」
「そんなので、よく数だけは把握できるな。 背番号でも背負ってるのか、奴らは」
「さぁ・・・」
「でも、俺に寄ってくるってさっき言ったよな」
「言った」
「あれは・・・舞以外の第三者に寄ってくるんじゃないのか」
「私にだって寄ってくる」
「すると舞と俺に寄ってくるのか? 他の人間には」
「さぁ・・・試したことはない」
「そうか・・・」
「・・・・・・でも、祐一のほうが、私よりも強く魔物を引き寄せる」
「そら、好かれたもんだ。 そうなると、もうこの物語は俺ナシでは語られないものになっているってことだな」
「・・・囮役として」
「おまえってホント、人をコケさせるのに長けているよな」
「転けさせてなんかいない。 本当のことを言っただけ」
「確かに。 俺は剣先を触れさせることすら難儀しているからな」
「それでも、マシになってきている」


そういう言葉が、相手の気勢を削いでいるとは思わないのだろうか。


思わないのだろう。


舞は、極めて鈍感であるし、それ以上に相手の気を引くということに無関心なのだ。


「とりあえず束の間の休憩だ、座ろう」


舞も同意して、踊り場の冷たい床に腰を下ろす。

そしてひたすら、奴らの訪れを待った。


・・・・・・。

 

・・・。

 

「祐一」
「ん・・・?」
「・・・・・・」
「どうした」
「・・・・・・なんでもない」
「そっか・・・」
「うん・・・」
「・・・・・・」


・・・・・・。

 

・・・。

 


「・・・りんご」
「・・・ん?」
「・・・りんご」
「りんご、食いたいのか? あるわけないだろ、そんなもん」
「・・・違う。 りんご」
「りんご・・・?」


ご・・・


・・・しりとりか。

 

「おまえ、どうせ、すぐに自爆するんだからさ、暇つぶしにもならないぜ?」
「・・・自爆しないから」
「本当か?」
「・・・りんご」
「じゃ、ごりら」
「・・・らっきょう」
「うみうし」
「・・・しりめんじゃこ」
「違う。 ちりめんじゃこだろ」
「・・・じゃ、ちりめんじゃこ」
「こむらがえり。 って、ちょっと待て、ルールを勝手に無視するな。 おまえは、『ち』じゃなくて『し』だろ」
「・・・祐一は細かい」
「違うっ、おまえが適当すぎるんだよっ。 最低限のルールは守らないと、ゲームになんないだろ?」
「・・・・・・一理ある」
「はぁ・・・おまえはホントにオカシイ奴だよな」
「・・・それは、喜んでいいの」
「さぁ、微妙なところだな」


いつしか重苦しい空気は去っていた。

その場はもはや異質な場所ではなく、いつも俺たちが和やかに団欒していた昼食の場だった。

そこに居るのも、いつもの俺と舞だ。

それは絶対絶命のこの状況で、舞が意図して考え出した冗談だったのだろうか。

だったら、俺は舞を見直す。

すごい奴だな、と。

でも違うだろうな。

いつだって舞は意図せずそうしてきたはずだ。

それは舞の性格で、それに佐祐理さんや俺は惹かれたはずだったからだ。

佐祐理さんがこの場にいたなら、いつものように『あははーっ』と笑っているはずだ。

いつだって佐祐理さんは、愛想笑いなんかではなく、本当に楽しくて笑っていたのだ。


「あはは・・・」


俺も笑っていた。


カシンッ・・・!


小さいが、確かに聞こえた。


「きた・・・」


直後、舞がその小さな口を開いた。


「・・・・・・」


俺は密かに唾を飲む。


「まだ遠い・・・」


眼下の廊下、その突き当たりから奴は迫ってきているのだ。


カチッ・・・!


自ら撒き散らした蛍光灯の破片が細かく割れる音が、その訪れを克明にしている。

それは人の足で踏みしめる音ではなく、リズムでもなかった。

やはりそれは人ではないのだ。

得体の知れないモノと相対していることを再確認する。


「・・・・・・」
「どうするんだ・・・?」
「・・・・・・」
「俺がいくよ」
「いや・・・」
「いくのか・・・?」


こくり。


「動けないじゃないか・・・」
「・・・・・・」
「まさか・・・」


ガキッ!


一際大きな音が、すぐ眼下でした。

舞が立ち上がる。


「待て、舞・・・!」
「・・・・・・」


二歩、三歩と踏みだし、そして・・・


タッ!

 

跳躍した。

二十段以上はあろうと思われる高さを舞は一気に飛び降りた。

そして・・・

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013013p:plain

 

ザシィィィィィィィーーッッ!!


大きな弧を描いた剣先が、舞の全体重とともに階下に立ち籠めていた空気を両断していた。


「・・・・・・」


動くものはない。

物音もしない。


俺はその結果を見て初めて、舞の意を理解した。

もはやその脚で相手の懐に飛び込むことも、その腕で一刀両断することも叶わない舞に唯一残された策がそれだったのだ。

高みから飛び降りて、全体重をかけて斬る。

顔色ひとつ変えず、その決死の所行をやり遂げた舞に、俺は感服と呆然が入り交じった複雑な感情を覚えるしかなかった。

そして俺はもう必要のなくなった剣をその場に捨てると、階段を駆け降りた。


「・・・舞!」

しゃがみ込んだままだった舞の上体を抱きかかえる。

「まったく無茶しやがって・・・大丈夫なのか」
「・・・・・・失敗した」
「え・・・?・・・・・・ッ!?」


天地の判断がつかない。

当然だ。

入れ替わり立ち替わりしているのだから。

ドグッ!と壁に叩きつけられたところで、俺の体は跳ねるのをやめた。

人間の体がこうも容易く宙を飛ぶものだと初めて知った。

それもふたり分の体重が、だ。


「舞・・・」

 

咄嗟に固く抱いていた舞の容態を確認する。


「・・・・・・」


俺のほうに目を向けて、黙ったままに頷く。

大丈夫、という意思表示だった。

だが、俺のほうが大丈夫ではないようで、舞を庇ったためだろうか、利き腕の肩に激痛が走っていた。

しばらくは使い物にならないようだ。


「どうする、一時退却か・・・? だったら、背負って旧校舎まで走り抜けてやるぞ」


実際にこの体で舞を負ぶって逃げ切る自信なんてなかった。

ただ、その言葉を言い切る以外、俺がしてやれることなんてなにもなかったのだ。


「これ・・・」


だがそんな俺に舞は酷にも、剣を握らせたのだ。


「どうしろって言うんだよ・・・」


俺の剣は、踊り場に残してきた。

その代わりなのだろう。


「勝つことは考えないで。 受けるか、避けるか」
「おまえは・・・」
「・・・・・・」


舞が俺の腕を抜け、立ち上がった。


「・・・くる」


迫って俺も、残された左腕一本で剣を構え立ち上がる。

追い風が吹き始めた。

それは引いてゆく潮のようだった。

俺はそれに対峙して、丸腰の舞の前に歩み出た。


「そして中庭に・・・」


背中で舞の声。


「いつもふたりで居た場所へ」


振り返ったときには、舞の姿はなかった。

なにをしようとしているのかは知らない。

俺には舞の言う通り行動する以外、選択肢はなかった。

しかし自分の無事を優先するなら別に逃げ出したってよかった。

だがそんな考えは毛頭ない。

なにより俺の行動に規制がつくのは、『舞のために何かを為したい』その思いが前提にあったからだ。

今、舞のためにできることがある俺には、それを為すだけだった。


(あ、そうか・・・。 今の俺は、自分の無事よりも、『舞のためにできること』を優先しているんだな・・・)


それに気づいた。

単純なことだったけど、俺にとっては驚くべきことだった。

いつの間に俺はこんなにも舞のことが好きになってしまっていたのだろう。


・・・。

 

わざと剣を空振りさせ、相手を牽制した後、俺は壁に肩を擦らせるようにして廊下を駆け抜けた。

シャリシャリと細かな音が背中へと迫る。

くるかっ・・・!?

俺は地を蹴って、そして低く床に飛び込んだ。

足のふくらはぎの辺りに触れるものがあったが、衝撃には至らない。

滑り込んだ、その先の空間が大きく揺らぎ、波が頭上を通り過ぎていったことがわかった。

再び逆方向へと疾走する。

勢いに振られながらも手すりを掴んで態勢を立て直した後、一気に階段を降りた。

こちらは足を踏み外さずに降りることで精一杯だったが、奴は違うようだった。

踏み外す足さえも持たないのか、俺を突き落とそうかとするように、背を撫で続けた。

あるいはそれは、肉を断つ牙が、ぎりぎりのところで届いていない、というだけか。

落ちてくるようにして1階へと辿り着くと、俺は迷わなかった。

重心を移動させている暇などない。

廊下の横幅という短い距離を助走して飛んだ。

剣の柄が、窓ガラスを打つ。

激しい衝撃の後、俺は地に膝をついていた。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013135p:plain

 

ガラスの破片がその膝に食い込み、出血するのがわかるほどの痛みを覚えるが、気にしている暇もない。

すぐさま立ち上がる。

振り返ると、俺がくぐってきたよりも大きな穴を開け、迫りくる気配があった。

剣の背で受けるが、今の俺は片腕だ。


「ぐ・・・」


渾身の力で、俺はそれをいなす。

実際それによりいなされたのは自分の体のほうだったが、なんだって構わない。

逃げ切れれば、俺の役目は終わるんだから。

後はいつだって裏切ることのなかった、あいつを信じるだけだ。

剣の重心でそのまま振られるように向き直ると、俺は疾走を始める。

剣を持ってのそれは、思った以上にままならない。

右上も振れないため、バランスがでたらめだ。

剣を投げ捨てることにした。

ならば一矢報いよう。

振り返りざま、剣を振り抜いた。

刃が地面と水平となったところで手を放した。

つと、と驚くほど自然にその先の中空にそれは突き刺さった。

そのことにより、より明確にわかる。

奴の、追撃の様が。

ふるふると身を震わせ、その刺さった剣を捩(ねじ)った。

迫り来る速度はそれでも衰えることなく、俺との距離はあっという間に縮まってくる。

凶々しい気配がぼっぼっ、と積もった深雪を踏み鳴らし、猛然と迫りくるのがわかる。

奴の姿が見えないにも関わらず、その恐ろしい醜貌を想像させた。

足がすくむ。

逃げなければ。

今から思えば、その一矢は逆効果だったのかもしれない。

精神的に俺を萎縮させた。

足が本当に交互に動いているのか。

それさえも、もうわからない。

前を向いて、あがくようにして校舎の壁を後ろへ後ろへと送るだけだ。

そして、気は張っていたのだが、それでも背後からの衝撃は不意打ちとしか思えないほどのものだった。


ガキィッ!


胸の辺りが異様に反り返り、メキッと嫌な音を立てた。

意識が飛ぶ。

口から胃液が、吐く意志もなく零れる。

それで残されていた左肩にも力が入らなくなった。

受け身をとるすべもなく、顔面で地を滑った。

地面で体を捻り、もう起きあがることもできない俺は、克明に見ようとした。


・・・眼前に迫る絶望を。


だがその目に映ったのは、白く舞い降りるもの。

空高くにあった。


「・・・!?」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013344p:plain

 

「ざ・・・」


月明かりを受け、それは翻(ひるがえ)り・・・


「・・・せぃっ!」

 

ザシュゥゥゥゥーーーーーーーーーーーッッ!!

 

「・・・・・・」


そして人の姿となって地に降り立っていた。


後にはいつもの風景が、向かい合う舞と俺が居るだけだった。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「よぅ、舞」


俺は不格好に腰を地面に押しつけた位置から言った。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013424p:plain

 

「よぅ・・・祐一」


舞はそう俺の挨拶を真似してみせた。


「・・・ちゃんと来てくれた」
「来るさ」
「うん・・・」
「しかしおまえ、どこから落ちてきたんだ? まさか・・・」
「・・・屋上」
「嘘だろっ!?」
「嘘じゃない。 階段ぐらいの高さからでも今の私では斬ることができなかったから」
「かといって屋上って・・・」


あまりに発想が飛躍しすぎている。

まさか、討ち違えることも・・・


「祐一が考えるほど、浅はかじゃない。 魔物を討ったときの、衝撃というものを考えている」
「そんなこと言われても、俺にはよくわからないけどな・・・。 なんにしてもまったく、すごいよ、おまえは」
「・・・・・・」


舞の体がぶれた。

そして、そのまま掻き消えるように地に崩れ落ちた。

「舞っ・・・!」


俺は慌てて立ち上がり、駆け寄った。


「やっぱ、おまえ・・・!」


舞は立っていることもできないほどに、満身創痍だったのだ。


「おい、舞!」


抱きかかえ、そのぐったりしたような顔に呼びかける。


「祐一・・・」
「ああ、なんだっ・・・」
「・・・・・・」


その唇が小さく動く。


「・・・牛丼」


ごんっ。

俺は思わず舞に頭突きを喰らわしてしまう。


「・・・痛い、祐一」
「ばかっ、そんな状況かっ! 思わずトドメを刺してしまうところだったじゃないかっ」
「・・・お腹空いたから」
「そりゃ腹も減るだろうけどさ・・・」
「・・・祐一、買ってきて」
「おまえ、急患で病院に運び込まれてもいい容体なんだぞ」
「・・・休めば大丈夫。 牛丼食べたら帰れるから」

舞は身じろぎして、俺の腕から抜け出ようとする。


「とりあえず校舎に戻るか。 寒いもんな・・・」
「・・・・・・」


こくりと頷く。

俺は舞の肩を抱いて、歩く補助をする。

舞は頭を完全に俺の肩に預けた。

頬と頬が触れ合う。

俺が顔をその方に向けさえすれば、恥ずかしいばかりの状態になりそうだった。


「舞、あんまり顔を寄せるな。 キスしてしまうぞ」「構わない」


それが舞の回答だった。


「振り払うのも面倒・・・」


そのまま寝入ってしまいそうに、力無く付け足した。
俺は黙って、舞の吐く白い息を鼻先に感じながら、校舎へと戻った。


・・・。


廊下に入ってすぐの教室に、舞の体を落ち着ける。


「寒いだろ。 ほら上着


冷たい壁にもたれかかって座る舞の身を考えて、上着を脱いだ。


「祐一こそ、外にでるのに・・・」
「おまえが重かったから、汗かいたんだよ」


さくっ、と舞のチョップが俺の目の前で空振りする。
身を乗り出す元気もないらしかった。


「すぐ戻るからな。 大人しく待ってろよ」


上着を強引に舞の顔に被せてから、教室を後にする。


・・・。

 

まだ実感が湧かない。

すべてが終わったんだ。

腕を振り上げて飛び上がってもいいぐらいだ。

だが腕は上がらないし、飛び上がる体力もない。

でも、今から食べる舞との牛丼は、格別な味となることだろう。

舞は今日から普通の女の子に戻る。

だから、それはささやかな祝杯だ。

俺の大好きな舞と、舞の大好きな牛丼をふたりして肩を並べて食べる。

舞の鼻に飛んだ汁を俺が拭ってやったりしながら。

無意味に途中で丼を交換したっていい。

なんだっていい。

舞とふたりで仲良く食べられるのなら。


・・・・・・。

 

・・・。


そしてふたり分の牛丼弁当を抱えて戻ってきたとき、俺は自分の愚かさ、そして舞の執念を知ることになる。

誰もいない教室を前にして。


「もう一体、残っていたんだ・・・」


それを知る。


俺の計算違いじゃない。


舞は俺に嘘をついていたのだ。


でなければ、あいつはここで俺の帰りを待っていて、そしてふたりで仲良く牛丼弁当を食べ、帰路についているはずだった。

はずだったのに・・・


「舞っ・・・!」


牛丼を床に投げ捨てると、教室を飛び出していた。

廊下を走り、あらゆる教室を回った。

わからない。

どうして、舞が俺を残していったのか。

もう俺を必要としない理由があるのだろうか。

いや、でも・・・

今だってあいつは俺を好きでいてくれているはずだ。
自信を持ってそれだけは言える。

だから何か理由があるのだ。

俺がそばに居てはいけない理由が。

そうに違いない。

再び駆け出そうと足を踏み出したとき・・・


ずんっ・・・!

 

俺のこめかみを銃弾のようなものが右から左へと突き抜けていた。


不意に流れ弾を食らったときは、こんなにも腹立たしいものなのだろうか。

痛い以前に、驚いてしまう。

膝を床についた。

それも結構痛かった。


・・・。


風が吹いている。

窓を割ったせいだろうか。

りんと声がした。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013525p:plain

 

一瞬、細長い廊下があぜ道に見え、俺は自分の気が確かでなくなりはじめていることに気づく。

目の前には子供がいるのだ。

幼い女の子だ。

手負いだ。

肩から血を流している。

背中までぱっくりいっているのかもしれない。

過去にまで彼女の刃は届いたのだろうか。


「あ・・・」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013620p:plain

 

俺は彼女を知っている・・・。

その女の子は確かに見覚えがある。

でも、どうして彼女が傷ついているのだ。

そんな陰惨な過去など知らない。

彼女がそんな深手を負っていたことなどなかった。

なかったはずだ。

少女は、長い時を隔て、今俺の目の前に現れ、そして何を伝えようとしているのだろう。

俺が探しているひとと、何か関係があるのだろうか。


・・・待て・・・意識が混濁してきた・・・


誰かが俺に何かを訴えている。

それがわかる。

だがその手段はあまりに強引だ。

俺の手には負えない。

つまり、その受け取るすべが俺のほうにないのだ。

それは俺を傷つける。

人を傷つける。

鉄パイプを耳の穴に通すようなことはやめてくれ。

そんなものは通らないのだ!


がんっ!と激しく頭をぶつけたかと思えば、俺は冷たい壁に半身を預けていた。


「・・・・・・」


瀕死のようだった、少女の虚ろな目だけが脳裏に焼きついて、離れない。

だがそのおかげで、俺はひとつの疑問の回答に思い当たっていた。

俺をおいて、舞がひとりでいってしまった理由だ。


それは・・・


俺に知られてはいけない結果を求めている。


それしかない。


思い出してみればいい。


奴らを倒してゆくと共に、舞はその四肢の自由を奪われていった。

そのことに舞も気づいていたのだ。

だから、最後に訪れる結末も知っていた。

最後の一体を倒したとき、自らも共に絶命するという結末を。

だから最後の一体は止めを刺さず、手負いのまま見逃したのだ。

俺に嘘をついてまで。

少女の陰鬱な死のイメージは、そのまま舞の末路に直結していたのだ。


いや、イメージだけではない。

もっと根拠をもって、彼女はその場にいたはずだ。

 

祐一・・・祐一・・・!


また声が聞こえる。

やめてくれ。

もう俺のそばにこないでくれ。


頭が痛いんだよ・・・。

 

どうでもいいが、天井だけが見える。

どうしてだ?

いつの間に寝てるんだよ、俺は・・・

ジンジンと耳のあたりが痛む。


・・・祐一!

 

(わかってる。 もうやめてくれ。 後はひとりでやる)


俺は舞を追うことはしなかった。

手負いのコイツがそばにいる限りは、舞も無事なのだ。

それは少女。

ずっと昔に会っていた少女だ。

束の間の時を、あの場所で過ごした。


(そうか・・・この校舎は新校舎・・・。 そしてあの日の、あの場所は、旧校舎を背負っていたんだな)


俺は肘を床につき、上体を起こす。

関節の節々が軋むように痛んだが、動けないほどではなかった。

立ち上がると、俺は冷たい壁に体重を預けながらに歩き始めた。

場所なら見当がつく。

旧校舎の向こうに落ちる夕日の角度が思い出せる。

俺はこの子を連れて、帰るのだ。

あの時と場所に。

そこはいつだって、こいつらが帰りたくてやまなかった場所なのだ。

俺はもどかしいほどに言うことを聞かない体に鞭を打って、歩いてゆく。


・・・・・・。

 

・・・。


俺はひとつの教室の前に立ち、そのドアを迷いもなく開け放つ。

 

・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013715p:plain

 

笑い声がした。

小さな女の子の。

そう。

十年前のあの麦畑に少女はいたのだ。


・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013754p:plain



「あ・・・」


と少女は声をあげた。

声をあげたかったのはこっちのほうだ。

だって、その麦畑の中には何も見えなかったからだ。

そこから『あ・・・』なんて声が聞こえてきたら、びっくりするのはこっちに決まってる。


「あのさ・・・」


少女は麦の中から立ち上がると、こっちに向いて声をかけた。


「・・・遊びにきたの、ここに?」


恐る恐る、といった感じで少女は訊いた。


「いや、ちがうよ。 迷ったんだ。 このあたりは、まだよく知らないんだ。 でも、こんな麦畑があったなんて、おどろいたよ」
「・・・どこからきたの?」
「さぁ・・・向こうのほうかな」


よくわからない方向を指してみた。


「合っているかどうか、わからないや」
「じゃあさ・・・」
「うん?」
「遊ぼうよ」
「どうして?」
「遊んでるうちに思い出すよ、きっと・・・」
「そうかなぁ・・・」
「そうだよ、きっと・・・」
「じゃあ、そうするかぁ・・・」
「うんっ」


再び少女の顔がぱっと和らいだ。


その日以来、ぼくは彼女とよく遊ぶようになった。

夕日の町中を歩いていると、いつしかその場所に辿りついていたのだ。

麦畑は、広大な遊び場だった。

しゃがめばその姿を隠せたし、走れば麦の海を泳いでいるような心地よさがえられた。

少女はよく笑い、よく走った。


「他に友達はいないの?」


麦を倒して、寝転がっていたときに訊いた。


「うん・・・あたしは普通じゃないから」


最初はその意味がわからなかった。

どう見ても彼女は普通だったし、普の人以上に人なつっこく、こんなところでひとりで居る理由がさっぱり理解できなかったのだ。

しかし後にその理由は、彼女の口から語られることになる。


「あたしには不思議な力があるの」


少女は、もっと幼い時は違う町に住んでいたらしい。
その時に一度だけ出演したテレビ番組が放映された直後、その町を去ることになったのだという。

その内容がどんなものだったかまでは訊けなかった。

でも、その少女の口調からも、その番組が彼女をどんな扱いにしていたか想像がついた。

当時の超能力を持てはやすような風潮に影を落とさせる、食いものにするような内容のものだったのだ。

魔女狩りの魔女として出されたのが、彼女だった。

しかし、この土地にやってきても何も変わらなかった。

周囲から、の奇異の目と畏怖の念を背負い続けなければならなかった。

だから少女は、町の子供たちが集まるような場所を避け、人知れずこんな場所でひとりきり遊んでいたのだ。

ただ僕だけは町の人と同じような目では見なかった。

実際、その力を目の当たりにしてもだ。

ただ、へぇ、と思っただけだった。

恐いのとは違う。

ただ、不思議だ、とそれだけだった。


「それは祐一くんだからだよ」


それを口にして言うと、彼女は嬉しそうに答えた。


「ぼくが特別ってこと?」
「あたしにとってはね」


彼女が膝を曲げ、くるりと回転して立ち上がると駆けてゆく。

その追いかけっこの合図に、僕も飛び上がって後を追った。


・・・。


僕の背が高くなってくると、少女の姿が埋もれてよく見えないことがあった。

少女は背が低かったからだ。

追いかけっこにしても、隠れん坊にしても、それは不公平だったので、僕は彼女にハンディを付けることにした。


「おいで」
「・・・?」
「ほらっ」


ちょこちょこと近づいてきた少女の頭に、かぱっ、とカチューシャの飾り物をはめ込んだ。

大きな、ウサギの耳が垂れ下がる飾り物だ。

この間の縁日で手に入れたものだ。


「・・・ウサギさん?」
「そう。 ウサギは好きだった?」
「うん、好き・・・。 動物はぜんぶ好きだけど・・・ウサギさんがいちばん大好き」
「そう、よかった。 これで僕と一緒ぐらいの背丈だ。 逃げてみて」


少女がぱたぱたと走ってゆくと、滑稽なほど絶妙に、その耳だけが麦の上に揺れて見えた。


「オッケーだ。 これで勝敗の差が縮まるよ」


でも実際は勝敗の差なんてぜんぜん縮まらなかった。
もとより少女のほうが運動神経がよかったからだ。

なによりそんなことは関係なく、少女はその耳をいたく気に入ったようで、いつだってそれを付けるようになった。

それはそれで僕にとっても嬉しいことだった。

自分のプレゼントにしては、よく似合っていたからだ。


「ねぇ・・・」


ごろりと転がると、空を僕たちの形に切り取って見ることができた。

後はそびえる麦の壁だ。

僕たちだけの秘密基地に思えて、こうしてふたり居るのが僕は好きだった。

誰が脇のあぜ道を通りかかろうが、僕たちは発見できない。

だから、ふたりきりで話をするにはぴったりだ。


「あたし・・・自分の力、好きになれるかもしれない」


少女が告げた。


「そう。 それは良かった。 自分を好きになることはいいことだよ」
「祐一といたらね・・・」
「会って少しの僕をそんなに信用されても困るけど・・・」
「どうしてだかわかんないけど、そう思うよ・・・」「ふぅん・・・」


・・・。


結局その少女と遊べたのは夏休みの間の、二週間ばかりのことだった。

休みの間だけ、避暑地に遊びに来ていただけで、休みが終われば、こんな場所までひとりでは遠出してこれなくなる。

最後の日も、彼女は僕があげたウサギの耳をつけたままだった。


「さようなら」


僕は言った。


「さようなら」


彼女は無表情で言った。

生暖かな風が吹くと、背のいよいよ高まった麦と一緒にウサギの耳が揺れていた。


結局その女の子とはそれっきりだった。

ただ、ひとつ憶えているのは会わなくなった翌日の夕方、電話があったことだ。

宿泊先の電話番号を教えた覚えもなかったのに、それは確かに彼女だった。

背の低い彼女が背伸びをしながら電話に貼りついている格好が目に浮かんだ。


「ねぇ、助けてほしいのっ」
「どうしたのさ」
「・・・魔物がくるのっ」
「魔物?」
「いつもの遊び場所にっ・・・。 だから守らなくちゃっ・・・ふたりで守ろうよっ。 あたしたちの遊び場所で、もう遊べなくなるよっ」
「昨日は言えなかったけど、今から実家に帰るんだ。 だから、またいつか遊ぼうよ」
「ウソじゃないよっ・・・ほんとだよっ」
「魔物なんてどこにもいないよ」
「ほんとうにくるんだよっ・・・あたしひとりじゃ守れないよっ・・・。 一緒に守ってよっ・・・ふたりの遊び場所だよっ・・・。 待ってるからっ・・・ひとりで戦ってるからっ・・・」


それが本当の最後だった。

その後、少女がどうしたかは知らない。

ただ、もし、その嘘が現実となることを願う少女がいて、そのときより始まったひとりきりの戦いがあるというのなら、そこには最初から魔物なんてものは存在せず、ただひとつの嘘のために十年分の笑顔を代償に失い、そして自分の力を、忌まわしき力を拒絶することを求めた少女が立ちつくすだけなのかもしれない。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013857p:plain

 

一瞬の、ほんの数日の出会いから。

 


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509013950p:plain

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014032p:plain

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014104p:plain

 

・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014147p:plain



 

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


そして、今、出会ったときと同じようにして、舞はそこにいた。


「・・・・・・」
「やめろ・・・舞っ」
「・・・・・・」


聞こえているはずだ。

俺の姿が見えているはずだ。

この校舎で出会ったときと同じ・・・彼女の目は俺を見ていない。

だが、今なら彼女の見ているものがわかる。

俺の後ろで怯える、傷ついた少女。

それは彼女自身があの日に放った、力のひとつだ。

その、とぎれとぎれの息の音も今の俺には聞こえる。
力は今でも舞の肉体と繋がっているから、この弱々しい呼吸はそのまま舞の心の鼓動となるはずだ。

彼女の最後に残した生命は、自らの心の臓に違いなかったから。


「・・・・・・」


舞の手の中で柄が回り、剣が握り直される。

そして、体重を傾け、踏み込んだ。

自分の力と決別するために。


「舞っ!」


駆け出すその寸前で俺がその体を抱き留めていた。


もう何度も、こうして受け止めてきた体だ。

堅固な鎧を着て、柔な内面をひた隠しにしている。


「・・・祐一、邪魔」
「舞・・・。 魔物なんてどこにもいない。 最初からどこにもいなかったんだ」
「・・・・・・」
「おまえが生み出していたんだ。 おまえの力なんだよ」
「・・・・・・」
「終わりだ、舞」
「・・・・・・」
「終わったんだよ、おまえの戦いは」
「・・・・・・」


舞は何も答えない。

でも、俺は続けた。


「おまえは、あのときの遊び場所・・・。 ずっとこの場所を守っていたんだな・・・」
「・・・・・・」
「十年という長い時だ・・・。 ずっとひとりきりで戦ってきたんだな・・・」


十年・・・なんて膨大な時間だろう。

ただひとつの嘘のために、その笑顔を失い、十年間のしがらみに縛りつけられることになったのだ。


「・・・・・・祐一の言ってることはよくわからない」


あのとき、舞は願った。

魔物が本当に現れてくれたら、と。

そうすれば俺があの場所に居続けると信じて。

そして現れた魔物は、あの日の境遇を生み出した忌まわしき己の力、そのものだった。

それを否定し続けた人生が舞のこれまでだったんだ。

「終わったんだよ、おまえの戦いは」


俺はそう繰り返した。


「・・・・・・」
「今日からはあの頃の舞に戻るんだよ」


俺は寄り道をしてきていた。

名雪から受け取って机の中に押し込んであったそれは、偶然にもあの日の舞を飾っていたものだったから。


「・・・ほら」


上着のポケットに押し込んであったものを取り出す。

そして舞のすぐ正面まで歩いてゆき、あの日と同じようにその頭に飾ってやった。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014247p:plain

 

「よく似合う」


舞はここから始める。

止まってしまっていた時間をここから動かすのだ。


「・・・・・・」
「ウサギさんだぞ。 舞の大好きなウサギさん」
「・・・・・・」
「笑えよ、舞。 すべては終わったんだから」
「・・・・・・」
「・・・まだ一体、残ってる」
「もうそれも消える。 おまえが気づけばいいんだ
「・・・・・・」
「・・・そんな・・・急に言われても理解できない」
「俺とおまえは出会っていたんだ。 ずっと昔に」
「・・・・・・」
「短い間、俺たちはずっと友達だったようにして遊んだ」
「・・・・・・」


舞の目が、金色を映したように見えた。

その目にも同じように、あの日の麦畑が広がっているのだろうか。


「あの日の男の子は・・・みんなと同じように私から逃げた」
「違う。 舞、違うんだ。 おまえの力を恐れてなんかじゃない。 俺はおまえから逃げたんじゃない。 あれは、本当の別れだったんだ。 だから、こうして俺たちは再会して・・・。 あの日と同じようにお互いを好きになって、仲良くなったんじゃないか」
「・・・・・・」
「それに気づいたらいい。 もう終わりだ、舞」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・どうすればいいのかわからない」
「戻ればいいんだ、あの頃の舞に。 もう剣なんて捨てるんだ。 夜の校舎に訪れることもしない」


いつしか舞は、剣を持つ手を下ろしていた。

思えばその剣こそが、唯一舞がすがっていられたものなのだろう。

人が持つ力の象徴だ。

それを操って、人が持つべきでない力を断ち切りたかった。

それがどれだけ根深く、臓腑をも絡め取った茨でも、構わず食いちぎりたかったのだ。

心の臓ごと。

それほどに忌むべき力・・・彼女たちを舞は受け入れることができるのだろうか。

 

「時間がかかるかもしれない」


でも、受け入れられると信じている。


「佐祐理さんがいるし・・・。 それに舞がこうなったのは俺のせいでもある。 だから俺もずっと居るよ、舞のそばに。 ずっと一緒にな」


否定され続けて力も含めて、俺は舞を好きで居続ける。

そうすればきっと舞は、自分の力も許せる日がくる。


「・・・・・・剣は捨てられない・・・私はずっとこれに頼って生きてきたから」
「いや、捨てるんだ」
「・・・捨てられない」
「捨てるんだ」
「・・・剣を捨てた私は本当に弱いから」
「いいんだよ、それで」
「・・・祐一に迷惑をかける。 一緒にいてくれるという祐一に迷惑をかける。 それでも、祐一は構わないの・・・」
「構うものか。 それが女の子じゃないか。 これからは普通に生きろ、舞。 わからないことがあったって、俺がいつも隣にいて教えてやる」


そして舞はあの日から成長していない子供のままだった。

今でも隠れん坊や、動物園に思いを馳せる少女のままだ。


「映画館の入り方だって、ゲームのやり方だって知らないだろう? たくさん楽しいことがあるぞ。 一緒にやろう。 女の子ってのはそういうことをして楽しく生きるもんなんだぞ。 そして泣きたくなったら、泣けばいい。 弱くたっていいんだぞ、女の子は。 そうしたら俺が慰めてやる。 夜の校舎では非力だったけど、日常の中では俺はおまえを守ってやることができる」
「道端で泣いてしまうかもしれない。 ご飯食べてたら、不意に泣き出してしまうかもしれない。 それでも慰めてくれるの・・・」
「ああ。 道ばただったら、泣きやむまで隣に立って待ってやる。 ご飯中だったら、俺も食べるのをやめて舞と話をしてやる」
「それで泣きやんだら・・・冷めたご飯を一緒に食べてくれるの・・・」
「ああ、冷めたご飯だってなんだって食ってやる」
「夜中に泣き出して、泣いてしまうかもしれない・・・祐一の知らないところで、ひとりで泣いてしまうかもしれない・・・」
「寝るときも、おまえのそばにいる。 泣く声が聞こえたら、すぐに起きて、温かいものでも入れてやる。 そして、俺の知らないところになんて、舞はいかせない。 舞は、俺のずっとそばにいさせる」
「・・・・・・」
「そうだ、舞」
「・・・・・・」
「卒業したらさ、広めの部屋を借りてさ、舞と佐祐理さんと俺の三人で暮らしてみないか? 今度は佐祐理さんだけじゃなく、俺たちも飯作ってさ、当番制で。 そうやって家族みたいにさ、飽きるまで暮らしてみないか? 舞のこともずっと見守ってやれるし、絶対楽しいと思うぜ」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014338p:plain

 

「・・・本当に・・・?」
「ああ、佐祐理さんだってオーケーしてくれるよ。 後は舞さえよかったら・・・。 舞はそうしたいか?」
「・・・・・・アリクイさんのぬいぐるみ、持っていってもいい?」
「ああ、いいよ。 ブタさんのオルゴールもな。 思い出が詰まったもの、全部持ってくればいいんだよ」
「・・・・・・じゃあ・・・そうしたい」
「よし。 決定だ。 今から楽しみだな」
「うん・・・祐一・・・」
「ん?」
「・・・ありがとう」
「ああ」
「本当にありがとう」


舞がにわかに微笑んで繰り返した。


そして・・・


「祐一のことは好きだから・・・。 いつまでもずっと好きだから・・・。 春の日も・・・。 夏の日も・・・。 秋の日も・・・。 冬の日も・・・。 ずっと私の思い出が・・・佐祐理や・・・祐一と共にありますように」
「舞・・・?」


剣を自分自身に向け構えると、それを腹部に突き刺していた。


「・・・!!」


舞の体が崩れ落ちる。

重力に引き寄せられるままに。

俺は飛びつき、それを抱きかかえた。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014433p:plain

 

「舞っ・・・舞っ・・・!」


刃は腹部に深々と立ち入っていた。

血の流れが早い。

すぐ床をも濡らした。


「おまえ、どうしてこんなことするんだよ・・・。 ずっと、一緒にいくんだろっ!? 春も夏も秋も冬もっ・・・ずっと一緒に暮らしてゆくんだろっ!? そう今、約束したじゃないかっ・・・。 俺だっておまえのことが好きだったのに・・・大好きだったのに・・・。 いつだって、おまえは・・・自分中心で・・・なんだって、勝手に終わらせやがって・・・そんなのって卑怯じゃないかっ・・・舞・・・!舞っ・・・!舞っ・・・!!」


舞の体重が両腕にかかっている。

それはすべてだ。

どんな力も舞自身からは湧いてこない。

もう湧いてこないのだ。


・・・。

 

ぐしゅぐしゅ・・・

・・・ぐしゅぐしゅ・・・


納豆をかき混ぜる音かと思ったらそれは違った。

だってそれは朝食の場だったから、そう最初は思うのが自然だ。

でもそれが違うとわかると、俺は動揺してしまう。


「えっとさ・・・舞・・・」


とりあえず箸を置いて、舞と向き合う。

といっても、舞は俯いていたが。


「事前に知ってて、言い忘れていた俺が悪かったけどさ・・・でも、佐祐理さんのほうは仕方ないよ。 断れなかったんだよ。 先輩から頼まれたみたいだったから・・・そういうのってわかるだろ? そんな、いきなり前日に入れられるバイトなんてやめてしまえばいいって思うかもしれないけどさ・・・。 そこで堪えて、寛大に引き受けるってのが、やっぱり大人だと思わないか? 思わない? 思わないか・・・参ったな・・・」


ぐしゅぐしゅ・・・


「あ、今日の卵焼きはよくできてるな、って、話が違うよな・・・。 そんなに行きたかったか?」
「・・・うん」


鼻づまりの声が返ってくる。


「でも、ふたりきりでは嫌だろ?」
「佐祐理も一緒・・・」
「じゃあ、仕方ないな。 今日は見送ろう」

 

・・・。

 

「なっ」


・・・。


「うさぎさん・・・」
「うさぎさんは、また今度」
「ごりらさん・・・」
「ごりらさんも、また今度」
「きりんさん・・・」
「きりんさんも、また今度」


・・・。

 

ぐしゅぐしゅ・・・


「えっと・・・あのさ、舞」


・・・ぐしゅぐしゅ


「おまえの分の卵焼きも欲しい。 舞の作る卵焼きは、結構好きなんだよ、俺。 もらっていいよな?」


・・・。


「嫌? じゃ、仕方がない。 勝負だ」


・・・。

 

「負けたほうが、買ったほうに卵焼きを差し出す。 いいな?」


・・・。


「勝負はいつもの動物さんしりとりだ。 まずは俺からいくぞ。 しりとりの『り』から。 リス」


・・・。


「ほら、舞。 ス、だぞ」

 

・・・。


「舞っ」

 

・・・。


「・・・スカンクさん」
「ク・・・か」


舞の付ける『さん』は無視する。


「クジラ」


・・・。


「ラは難しいぞ。 できるかな?」

 

・・・。

 

「ライオンは、ンが付くぞ~」


・・・。

 

「・・・ラクダさん」
「お、やるな、舞。 じゃ、ダチョウ」


・・・。


「・・・ウミウシさん」
「はい?」
「・・・ウミウシさん」
ウミウシ? ウミウシって動物か? 牛の仲間じゃないんだぞ、舞」
「・・・わかってる」
「わかったよ。 じゃ、シカ」


・・・。

 

「・・・カルガモさん」
「げっ・・・」


そうなると俺はお手上げだった。

俺は『も』を回されて、答えられた試しはない。

そのときも例外ではなく、俺は負けを認めるしかなかった。


「ほらよ、舞。 戦利品だ、おめでとう」


俺は泣く泣く、自分の卵焼きを差し出すはめになる。

欲張ったために、朝食のおかずの要を失ってしまった。

これは大変由々しき事態である。

だが、言い出したのは他でもない自分自身であるから、まったく自業自得というものだった。


「・・・・・・」

 

舞はじっと、差し出された卵焼きを見つめていた。

そして何を思ったのか、その卵焼きを押し返してきた。


「卵焼きはいらない・・・」
「そうか。 じゃ、俺がもらうよ」


ことのほか安易に、奪還を果たせた。


「代わりに、私は・・・」

 

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014537p:plain

 

「・・・今日一日、祐一の占有権が欲しい」


舞は笑っていた。

今ならわかるけど、それは満面の笑みだと言ってもいい。

まだ目は、泣きはらしたあとで赤かったけど、涙はもう乾いていた。

ならば、もういい。

俺の役目も終わりだ。


「馬鹿なことやってるうちに冷めてしまったけど、さ、食おうぜ」


あのとき始まった三人での生活。

取り戻さなければいけないものは、十年という長い成長の時だ。

少女から始まった舞の新しい生活は、不安だらけで、気づけば舞は涙し、しゃくりあげるようにしてひとり鼻をすすりはじめていた。


ぐしゅぐしゅ・・・と。


でも、もうこうしてそばにいて、泣きやむまで待っていてあげられるひとがいるから、大丈夫。

少しずつ涙の量を減らしてゆけばいい。

すぐに普通の女の子に追いつく。

そうしたら、ずっと俺たちは笑っていられる。

佐祐理さんはいつも笑顔だったから、もっと楽しくなってしまったら一体どんな顔になるのだろう、なんて想像もつかない。

想像もつかないほどに、楽しく平穏な日々だ。


春の日は風。

縁側にふたり腰掛け、行きそびれた動物園の代わりに、日がな一日しりとりに興じる。


「・・・祐一、祐一」
「ん・・・」
「・・・祐一の番」
「ああ、悪い。 寝てたよ・・・なんだっけ」
ウミネコさん・・・」
「コ、かぁ・・・」


夏の日は太陽。

じりじりと灼ける公園のベンチで待ち合わせ。


「遅いな、佐祐理さん・・・」
「遅い、佐祐理・・・」
「しかし暑いな・・・」
「うん・・・暑い・・・」
「なんか買ってこようか。 アイスでも」
「祐一・・・いくの」
「ああ」
「じゃあ・・・私もいく」
「それじゃ、待ち合わせになんないだろっ」


秋の日は落ち葉。

拾ってきた彼はを栞にして、みんなでごろごろと読書にふける。


「舞、おまえさ・・・」
「なに・・・」
「そうやって眼鏡かけて読書してると、頭良さそうに見えるんだけどさ・・・」
「うん・・・」
「でも、読んでるのは日本昔話なんだよな・・・」
「・・・おもしろいから」
「そっか。 じゃ、次、貸してくれよ」
「・・・次、佐祐理だから」
「じゃ、その次」
「貸し出し期限が切れる・・・」
「わぁったよっ・・・自分で借りてくるよっ」
「隣で一緒に読めばいいのに・・・」


冬の日は雪。

また雪。


「おいっ、家が大量の雪ウサギに囲まれていたぞっ」
「・・・私が作ったの」
「かぁっ・・・おまえな、ここに住んでるのは俺たちだけじゃないんだぞっ。 みんなびっくりするだろがっ」
「・・・かわいいのに」
「あ、佐祐理さんも帰ってきたみたいだな・・・」


「わぁーっ、家のまわりに雪ウサギがたくさんいるよーっ」


「見ろ、びっくりしてるじゃないか」
「おかえり、佐祐理」


・・・。


・・・想像もつかないほどに、楽しく平穏な日々。

それに向かって俺たちは小さな営みの中で暮らしてるというのに・・・


なのに・・・


なのに俺の目から、涙が零れるのはなぜだろう。


「はぅっ・・・うっ・・・」


この胸の不安はなんなのだろう。


「はっ・・・うぐっ・・・」


この胸に抱いていた温もりが、確かにあった気がするのはなぜだろう。

それはとても大切なものだったはずなのに・・・

ずっとその温もりに触れていられると思っていたのに・・・


なくしてしまった気がするのはなぜだろう。

幸せな夢を見ていただけなのだろうか・・・。


「祐一・・・」


こと、と音がした。

それは箸を置く音。


「祐一・・・」


・・・舞か。

俺はおまえがそばに居てくれたら、それでいいんだよ。

そうしたら、もう不安にもならないんだよ。

もう何かを失った気がして、おびえることもないんだよ。


「祐一・・・」


居てくれるよな。


「祐一、泣いてるの・・・」


な、舞。


ずっと、そばに居てくれるよな。

 

「・・・代わりに私がしりとりを始めてあげようか」


涙がとまらない。

ぼたぼたと頬を伝って、顎から膝へ、涙が落ちてゆく。

ああ・・・始めてくれよ、舞。


「・・・・・・りんご」
「・・・・・・」


声がでない。

どうしてだかわからないけど。


「・・・ごりらさん」


舞がひとりで続ける。


「らっぱ・・・」


・・・。


「ぱいなっぷる・・・」


歌うように奏でられる舞のしりとり。


「・・・るびー・・・」


・・・。


「・・・びーだま・・・」


それは子守歌のようで、瞼が閉じてゆく。

舞の姿が涙で滲んでゆく。

いやだ・・・ずっと、俺は舞のしりとりを聞いていたい・・・


聞いていたいのに・・・


「・・・まり・・・」

 

・・・。


「・・・りすさん・・・」

 

・・・。

 

「・・・・・・すいか・・・」


・・・。


「・・・・・・・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 


「・・・・・・」


すべての音が消えていた。

闇に吸い取られてしまった音はもう取り戻せないのだろうか。

ただ目を閉じる舞が・・・


「舞・・・」


・・・。


俺はもう一度目を閉じる。

すると、驚くほどの量の涙が押し出されて落ちた。

もう目は開けたくない。

自分の描く未来の中で、笑っている舞や佐祐理さんに囲まれて暮らしていたい。

そうしていれば幸せだ。

もう胸を引き裂かれるような現実も見ないで済む。


そう・・・。


春の日も、夏の日も、秋の日も、冬の日も、舞の思い出と暮らそう。

楽しかった思い出だけを連れて、いこう。

そうすれば、何も辛くない。


すべてはここで終わってしまったけど・・・

充分幸せな夢を見られるだけのものを築いてきたのだから、俺は。


だから本当、良かった。


舞や佐祐理さんと出会えて。


良かった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014621p:plain

 

・・・祐一。


呼ぶ声がした。

それはあの日の声だ。

凛と耳によく響く。

そうか、隠れん坊だ。

隠れん坊の途中だったな・・・


・・・祐一。


掻き分けられた麦の向こうに舞の顔が覗いている。

ずっと前から見つかっていたのか・・・

じっと、俺のことを見つめていた。


・・・祐一。

・・・祐一はまいのことが好き?


ぶしつけだな。


それは今の舞か、それともキミか・・・?


・・・今の舞。

未来のあたし。


好きさ。

じゃなければ、俺は今こうしてキミと・・・思い出の中でキミと出会いはしないだろ・・・


・・・まいもね、好きだよ、祐一のことが。


それはキミがかい。

それとも今の舞がかい・・・

 

・・・両方。

ずっと祐一を必要としてたんだよ。


どうして。

たったちょっとの間だったのに。


・・・それが力だよ。


力・・・?

 

・・・そう、舞の純粋な力。

じぶんには『この人だ』って信じられる力。


俺がか・・・


・・・そう。

だから祐一は、あの日にも現れたんだよ。

・・・訪れてもいなかった、この場所に。

・・・祐一をよんだのは、まぎれもなく、舞のその力だから。

・・・あたしは生まれてしまったから、純粋な祈りから生まれてしまったから・・・

・・・舞と居続けなければいけなかったから・・・

・・・だから、それは希望。

・・・あたしも含めた『自分』を好きになってくれるひとが、この世界のどこかに居るという希望。

 

でもすべてはそこからはじまって、今、終わってしまったんじゃないか・・・

 

・・・でも、そのときから、はじめることはできる。

・・・十年という時間は、今からでも取り戻すことができる。

・・・舞は今もあの日の少女のままだから。


・・・。

 

・・・だからよろしく。 未来のまいを。

 

・・・。

 

・・・また会えれば、そのときも同じことを思うから。

・・・やっぱりこの人だ、って。


・・・。


・・・いい?


ああ・・・

 

・・・じゃあ・・・

・・・始まりには挨拶を。


誰に・・・

・・・そして約束を。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

ことことこと・・・


・・・ことことこと


「うさぎさん・・・うさぎさん・・・」


ことことこと・・・


ストーブにのせられたやかんが、いっしょに歌をうたってくれている。


「うさぎさん・・・うさぎさん・・・」


赤色のクレヨンが小さなかけらになって、もう持てなくなるといっしょにできた。


「できた・・・うさぎさん」


おかあさんにノートを見せる。


「上手にできたわねぇ」


おかあさんがわらってくれる。

そうすると、あたしはうれしい。

おかあさんは、ずっと病院のベッドで寝ていたから、からだがしんぱいだった。

だから、わらってくれると、元気になるようで、うれしかった。


「でも、うさぎの尻尾は丸いのよ。 猫のように長くないの」
「ふぇ・・・そうなの?」
「見に行けたらいいのにね・・・」
「・・・動物えん?」
「そう。 動物園。 動物がたくさん居るところ」
「・・・うさぎさん、いる?」
「居るわよ。 ゴリラさんも、ライオンさんも」
「・・・ゴリラさんも?」
「そうよ。 うぉーッ、ゴリラさんっ」


おかあさんは胸をたたいてみせた。

そのとたんに、せきこんだ。


「わ、おかあさん・・・」
「あはは・・・大丈夫よ。 ちょっと調子に乗りすぎちゃったみたい」
「うん・・・おかあさん、ゴリラさんみたいにつよくないんだから・・・」
「大丈夫。 そのうち強くなるからね。 そうしたら、舞を動物園に連れていってあげるから」
「ほんとぅ?」
「本当よ。 ずっと約束してたもんね」


おかあさんは、あたしを生んだことによって、体をわるくしてしまったんだとおもう。

ずっと昔から家の床でねていたからだ。

ふたりで外に出歩いたことなんてない。

おかあさんは、家の中を歩くのでせいいっぱいだった。

この病院にきてからは、歩くこともしなくなった。

窓からは、親子で見舞いにやってくるひとたちをよく見下ろせた。

いつかはああやって、おかあさんとふたりであたしもお日さまの下を歩けるのだろうか。

『大丈夫』だというおかあさんの言葉をしんじて、その日を待った。

ふたりで外に出かけられる日が・・・

そして動物えんという、動物さんがたくさんいる場所にいける日が、楽しみでならなかった。

でも、それからはいっこうに体はおこせなかったし、食べ物も食べなくなってしまったから、しんぱいでしかたがなかった。

ときたまやってくるお医者さんは、なにもしていかない。

ただ具合をみてゆくだけだ。

そして顔をしかめ、うーん、とか、むぅーとかうなるだけだ。

やるきがないのか、あたしはいつも後ろでおこっていた。

口にはださなかったけど、もっといい病院にうつったほうがいいと思ってた。


冬は雪。

病院のお庭にも、たくさんの雪がつもってる。

あたしはそれを山にしてあそぶ。

そうだ。

おかあさんとなら、これであそべる。

あたしはそれをたくさん服のすそにつめて、部屋へともどった。


「おかあさん、あそぼ」
「頑張って、持ってきてくれたのね」
「うん」
「じゃあ、いいものつくってあげようか」
「うん」


おかあさんが、雪をつかって、なにかを作りはじめる。

いけてあった、花の葉っぱも、つかった。


「はい」


できあがりを見て、あたしはおどろいた。


「うさぎさんだぁ・・・」
「雪でできてるから、雪ウサギっていうのよ」
「雪うさぎさん」


でも、うさぎさんの命はみじかい。


「あ、とけてきた・・・」
「この部屋はストーブがあるからね」


うさぎさんは水になってしまった。


「また、作ろうね、舞」
「うん」


またしばらく時間がたった。

あたしは部屋のまどから外をみている。

まだ雪はとけない。

その上を、親子があるいてゆく。

足あとがならんで、ずっとのびていく。

雪がふると、そのあとも消えていった。

ふりかえっても、おかあさんは目をつぶってねていた。

ここのところは、ずっとイタイみたいで、からだも起こせなかった。

まどの外に目をもどすと、いつも見ているふうけい。

さっきの親子はどこにいってしまったんだろう。

いいところ、かな。

つぎのひは雪がやんでいた。

それでも、夜のうちにいっぱい雪がふっていたらしく、まどからみえる地面はまっしろだった。


「舞・・・」


ねているはずのおかあさんの声がした。

ふりかえると、おかあさんは目を開けて、あたしのほうをみていた。


「・・・またイタイの?」

 

汗をいっぱいかいていたから、そう訊いた。


「ううん、大丈夫よ」
「よかった・・・」
「そんなことより・・・ね、舞」
「なぁに?」
「今から動物園、いこっかぁ、おかあさんとふたりで」
「ほんとっ?」


あたしはよろこんでみてから、気づいた。

おかあさんが、いけるわけないということに。


「・・・・・・」
「大丈夫よ、おかあさんなら。 舞と一緒にいたら、ずっと元気だから」
「・・・ほんとぅ?」


おかあさんの言葉は、いつだってしんじていた。

だから、今日はいつもより元気なんだとおもった。


「おべんとうは作れないけど、代わりにここからひとつ持っていこうね」


おみまいの果物のはいったかごをひきよせる。

 

「舞は、なにがいい?」
「バナナ」
「じゃ、バナナ持っていって食べようね・・・」


その中から,おかあさんはバナナを取った。


「いこうね、舞。 今日しかないからね・・・」


それを白い布でくるんで、手にさげて、おかあさんがベッドからはい出た。

あたしはそれをささえた。

おかあさんの体はおもかった。


「ごめん、大丈夫よ、舞・・・」


からだが軽くなった。

おかあさんがじぶんの足で立っていた。

でも、歩き出すまでにはすごくじかんがかかった。


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014717p:plain

 

病院の庭にはたくさん雪が積もっていて、太陽できらきらひかっていた。

その中をふたりで手をつないでゆっくりとあるいてゆく。

おかあさんの体重をささえてだったから、たいへんだったけど、それでもそれはあたしにとって、とてもうれしいことだった。

おかあさんと、ふたりでお日さまの下を歩いてるのだから。

それも、大好きな動物さんがたくさんいるという、動物えんに向けて。

心が、わくわくしないわけがない。


「うーっ・・・」


ずっとあたしは興奮していた。


「どうぶつえん・・・まだまだとおい?」
「そうね。 とりあえず病院をでて・・・バスに乗らないとね」


ときたまおかあさんは、足をとめて、手をついてしゃがみこんだ。

雪のうえだったから、つめたいとおもう。

息も真っ白で、いっぱいでていた。


「だいじょうぶ?」
「大丈夫よ。 もう少し待ってね・・・」
「さむくない?」
「うん、大丈夫よ」


あたしはおかあさんの手をにぎってみた。

とてもつめたかった。

 

「長いあいだ、横になってたから・・・おかあさん、体力なくなっちゃったみたい・・・」
「ちょっと休む・・・?」
「うん・・・ごめんね」
「時間、たっぷりあるから、いいよ」


ちかくにあったベンチにならんで座る。

おかあさんの吐く、あらい息はいっこうに落ちつかない。


「・・・・・・」


あたしは黙って、気長に待った。

まだまだ時間はある。

ゆっくり、ちょっとずつ、動物えんに近づいてゆけばいい。


くんくん・・・


気づくと、どこから迷いこんできたのか、いっぴきの犬さんが足元にいた。


「犬さんだよ、おかあさん」
「・・・・・・」
「おかあさん?」
「・・・なに、舞・・・?」
「ほら、犬さん」


手を伸ばすと、くんくんとその匂いをかいで、それからなめた。


ぺろぺろ・・・


「犬さん、かわいいねぇ、おかあさん」


ごしごしと頭をなでた。

するとうれしそうに、きゅうんと鳴いた。


「・・・・・・」
「ね、おかあさん?」
「・・・・・・そうね、かわいいわねぇ・・・」


ごしごし。


「・・・・・・」


おかあさんは目をつぶっていた。

くるしそうだった。

だからあたしはベンチをおりて、がんばることにした。

犬もきゅうんと鳴いて、おうえんしてくれる。

たくさんたくさんがんばった。

手がつめたくていたかった。

血がでてきそうなほどいたかった。

でもがんばった。


「おかあさん」
「・・・・・・」
「ね、おかあさん・・・」
「・・・・・・」
「おかあさん・・・」
「・・・ん・・・」


おかあさんがようやく起きた。


「・・・ごめんね、舞・・・ねてたみたい・・・」
「ううん、いいよ・・・でも、ほら・・・動物えんだよ」

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014758p:plain

 

あたしは手をひろげて、立っていた。

たくさんの、うさぎさんの中に。

もっと、いろんな動物さんがつくれたらよかったけど・・・

あたしは雪ウサギしかつくれなかった。

だから、うさぎさんだらけの動物えん・・・。

でも、おかあさんはよろこんでくれた。


「素敵な・・・動物園」


ずっとみたことのないようなうれしい顔をしてくれた。

そして泣いた。


「またイタイの?」
「・・・ううん、痛くないよ。 大丈夫」
「よかった」


おかあさんが涙を手でふいた。


「じゃ、舞・・・お昼にしようか・・・。 おかあさん・・・久しぶりに歩いたから、お腹すいちゃった・・・」
「ほんとぅ?」
「・・・うん」


おかあさんはずっと、なにも食べてなかったから、うれしかった。

おかあさんのとなりに座りなおして、白い布のつつみをうけとる。

そのなかから、バナナをとりだした。

犬さんがよってきた。


「犬さんにもあげるね、おかあさん」


それをむいて、犬さんに食べさせてあげた。

それをそのままあたしも食べた。


「はい、おかあさん」


むいたバナナをおかあさんにさしだした。


「・・・・・・」
「おかあさん、バナナ」
「おいしいよ」
「・・・・・・」
「・・・おかあさん?」


おかあさんは寝ていた。

でも、さっきとはちがって、うれしそうな顔だった。


「いたくなくなったのかな・・・。 ね、犬さん」


きゅうん。


はじめておかあさんと、おでかけ。

ウサギだらけの動物園で・・・

一匹の犬さんと遊んで、一緒にバナナを食べた。

楽しかった。


・・・。


そこからのことはよくおぼえていない。

気づいたときは、あたしは病院のろうかで泣いていた。

それは、おかあさんが死んでしまったことを誰にも聞かなくても、わかってしまったから。

さいごに、あたしの夢をかなえてくれるために、おかあさんは頑張ってくれたんだと知った。

ドアが開いて、足音がした。

親戚のおばさんが、どこかに呼ばれた。

あたしは椅子に座ったままだった。

座ったまま、ずっと泣いていた。

でも、希望だけは捨てなかった。

悲しくても、信じていた。

また、おかあさんは元気になると。

ただひらすら祈った。

元気になりますように。

また、あたしに笑いかけてくれますように。

また、一緒に動物園にいけますように。

また、一緒にバナナを食べられますように。

おかあさんが、ベッドの上で笑っている。

お医者さんと何か、話している。

よかった。

その日以来、あたしは普通のひとにはできないことができるようになっていた。

それは神様が、おかあさんを元気にさせるために授けてくださった力だと思った。

つよくつよくがんばって信じれば、叶う。

あたしだけは、そのことを知っていたのだ。

それからしばらくして、あたしは親せきのおばさんに連れられて、でかけた。

ついたのは、いつもテレビの中でみているような部屋だった。

そこで力を見せるように言われた。

いつまでも帰してくれなかったから、見せてきた。

それからは、あたしとおかあさんは、どこにいってもいじめられるようになった。

『あくまの親子』だと呼んで、いやがらせをうけた。

いつまでたっても、そんな暮らしはかわらず、あたしは自分のしでかしたことを思いだし、かなしくなった。

ぜんぶ、この力のせいだ。

でもこの力は、おかあさんを助けるためのものだったから、わるく思ってはいけない。

いたずらもひどくなって、つらい日々がつづいた。

おかあさんは、まだ元気ではなかったけど、それでもその病院を出ることをきめた。

そして、遠くの町へ引っこすことになった。

あたしはまだしらない土地に思いをはせた。

そこには希望があると信じた。

いろんな友だちができて・・・

この力も、また好きになれる日がくる。


きっと。


出かける朝、おかあさんは言った。


「お母さんの病気のせいで・・・あなたをこんなふうにしちゃったけど・・・でも・・・ずっと笑っていてね。 ひとりでも」
「うん」


あたしは答えた。

満面の笑みで。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509014927p:plain

 

そしてあたしはいた。

豊饒(ほうじょう)の秋、その季節の実りの中に。


(もうすぐ、来るよ)


そう『力』が言っていた。


「くるね」


あたしは答えた。

ずっと鼓動が止まなかった。

それは長い間、待っていたから。

自分と、そして自分の力たちを、全部受け入れてくれるひとの訪れ。

それをそわそわと、待ちわびていた。


(さぁ、迎えるよ)


「うん」


あたしたちは迎える。


・・・邂逅の時を。


「よぅ」


と俺は少女に声をかけた。


「はじめまして、かな」
「ううん、ずっと待ってたから・・・」


少女は胸の高鳴りを迎えるようにして言った。


「じゃ、取り戻しにいこうか」
「・・・・・・今度はどこにもいかない?」
「ああ、いかない。 俺たちはすでに出会っていて、そして、約束をしたんだからな。 ずっと、舞のそばに居るよ」
「・・・うん」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509015023p:plain

 

・・・十年の時を経て、今帰るから。


・・・きっと今なら帰れると思うから。


・・・受け入れてくれると思うから。


・・・最後のひとつ。


あたしという『力』のかけらを。


・・・最後に、それをこう呼んでほしい。


・・・そうすれば、その思いを全うできる気がするから。

 

・・・その名を・・・


・・・希望、と。

 


「はぁっ・・・はぁっ・・・!」


俺は走っている。

待ち合わせの約束をしていたのに、思い切り遅れてしまったからだ。


「もう終わってるかなっ・・・」


顔面に貼り付いてくる花びらを鬱陶しく払いのけながら、校舎脇の歩道を駆け抜けてゆく。


「はぁっ・・・もうすぐ・・・!」


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20200509015108p:plain

 

角を曲がるとそこは校門前。

案の定、というか、ものすごい人だかりである。


「うわ・・・ここから探すのかよっ・・・」


「あ、祐一さん!」


すぐ背後で声。

 

f:id:Sleni-Rale:20200509015153p:plain


振り返ると佐祐理さんがいつもの笑顔で立っていた。


「はぁ・・・間に合ったか」


俺は安堵の息を漏らすとともに、呼吸を整える。


「大丈夫ですか? そんなに急いで来なくても、いつまでだって待ってましたよ」
「はは、まさか本日の主役を待たせるわけにはいかないよ」
「佐祐理が主役ですか?」
「おう」
「あははーっ、なんだか恥ずかしいです」
「じゃ、いこうか、お姫様」
「はい」


佐祐理さんの手をとって、先導しようとすると、


ぽかっ!


後頭部を何者かにチョップされる。

この無言のツッコミは・・・


「あははーっ、残念。 本当のお姫様の登場ですね。 これで私は脇役です」


「よぉっ、舞」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509015244p:plain

 

振り返るとそこに立つのは舞。


「私だけ置いていこうとした」
「おっ、妬いてんのか、おまえ」
「そういうわけじゃ・・・。 ただ、これからやることがなくなる・・・予定、これだけだったし・・・。 それに・・・私も・・・動物園行きたい・・・」
「そうかそうか。 そういうことにしておいてやろう」


「祐一さんが舞を置いていくわけないよ。 佐祐理だって舞の祐一さんは取らないし」


ぽかっ!


今度は佐祐理さんの顔面にチョップ。


「おまえなあ、そんな反応したら、脈ありなのがバレバレだぞ」


ぽかっ!


今度は俺にチョップ。


「早く告白したらいいのに」


ぽかっ!


佐祐理さんに。


「そういうことに疎いからなぁ、こいつは」


ぽかっ!


俺に。


舞は右向いてチョップ、左向いてチョップと、忙しい。


俺は、顔を真っ赤にして、佐祐理さんとじゃれ合う舞の姿を微笑ましく眺めていた。


さて・・・


「いくか」


俺は来た道を振り返る。


もし夢の終わりに、勇気を持って現実へと踏み出す者がいるとしたら、

それは傷つくことも知らない無垢な少女の旅立ちだ。

辛いことを知って、涙を流して、楽しいことを知って、心から笑って、

初めて見る日常の中を生きてゆく。

そして俺はその少女と共に旅路をゆくらしい。

まったく、佐祐理さん共々、とんだ巻き添えを喰らってしまったものである。

そんな物知らずな物語のヒロインが・・・


「おいっ」
「・・・?」

 

f:id:Sleni-Rale:20200509015331p:plain

 

こいつだ。


・・・。

 

 

川澄舞編 END