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Kanon【20】


倉田佐祐理編―


・・・。

 

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「もう調子はいいの、佐祐理さん」
「ええ。 ご心配おかけしましたが、おかげさまで佐祐理は元気ですよ」
「それはなにより。 安心したよ」


いつものように、丁寧な佐祐理さんの語調。

しかし・・・いつまでたっても、佐祐理さんは俺に対して敬語で喋るんだな。

もう隔てるものはなにもないぐらいに気を許し合っているはずだったし、もとより佐祐理さんのほうが先輩である。

敬語を使わずに話せないのか、と思えば舞に対しては普通に話している。

ということは俺が勘違いしているだけで、まだ佐祐理さんとの間には壁があるのだろうか。

そのことを考え始めると、気になって仕方がなくなってきた。


「しかし佐祐理さんって、いつまでたっても、敬語で俺に話すんだな。 先輩だってのにさ」


思い切って、俺は訊いてみた。


「あははーっ、そうですね。 かつて男の方に敬語で話さなかった試しはないですよ、佐祐理は。 一度の例外を除いては」


言って、佐祐理さんは俯いた。


「え、それって・・・もしかして・・・」
「弟の一弥ですよ」


俺はその答えを聞いて、拍子抜けする。


「はは、だよなぁ・・・てっきり昔付き合っていた野郎かと・・・」
「でも、もうその一弥も今はいないですから・・・。 だから、この世に佐祐理が敬語を使わずに話す男のひとはいません」
「いない・・・?」
「佐祐理が小学生のときに、亡くなってます」

 

・・・。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「もうすぐ、佐祐理はお姉さんだな」
「はい、おとうさま」
「もう佐祐理は来年からは小学生だろ? 一人前の自覚を持つには、いい機会だな」
「はい、おとうさま」
「次生まれてくる子が男の子であれ、女の子であれ、おまえを見て育つ。 それを努々(ゆめゆめ)忘れないようにな、佐祐理」
「はい。 いい姉でありますよ、わたしは」
「ああ、おまえなら大丈夫だ。 私だって心配はしていない。 ただ、念を押したかっただけだ」
「はい。 がんばりますよ、わたしは」
「ああ、寛大な気持ちを持ってして、迎え入れてやろうな。 この倉田家に」

 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

・・・。

 

「そっか・・・。 結構歳が離れてる弟だったんだな。 そりゃ可愛かっただろうな」


感想を言うのも躊躇(ためら)われたが、佐祐理さんがいつもの明るい調子で話していたから、俺も思ったことを口にしていた。


「ええ、それはもう可愛かったですよ」


それに対しても、佐祐理さんは何気なく微笑んでみせた。


「でも、その一弥が生まれてからは大変だったんですよ。 うちの両親は当時、多忙を極めていましたから」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「かずや、わたしがおねえさんだよ。 さゆり。 さ、ゆ、り」


それはわたしが『けいご』というものを使わずにおこなった、はじめての会話だった。

へんなきぶんだったけど、いげんを持て、ということで、おとうさまがわたしに命じたことだった。

かずやは、あーあー、と言うだけで、わかってるのか、わかっていないのかもわからなかった。

でも、わたしはお姉さんになってしまったのだから、ずっとこうして弟には接しつづけるのだ。

それからのおとうさまの口ぐせは、『いげんを持て。 甘やかすな』になった。

わたしは甘やかさないことが、いげんを持つ、ということで、そうすれば、弟の一弥が立派に育つのだと思った。


おとうさまのように。

おとうさまは立派だった。

いろんなひとから信用されていた。

信用され続けなければいけない仕事だったし、その仕事が続いているということは、信用され続けていたのだ。

そんなおとうさまに育てられたから、わたしもこんなに正しく育ったのだと思う。

自分ではよくわからなかったけど、わたしは人の大勢集まる場には、よく連れていかれる。

それは、大人ばかりの集まる場所だ。

おとうさまは、わたしに、『おまえのように礼儀正しい子だから、こういう場にも連れてこられるのだ』とよく漏らした。

じっさい、わたしはなぜだか、そういう場においては人気者だった。

大人のひとにちやほやされる。

頭をさげて、『ありがとうございます』といって、わたしは回る。

おとうさまもほめてくれる。

だから、わたしは自分を『正しい子』として、自覚することができた。

おとうさまやおかあさまが、いげんを持って、甘やかさずに育ててくれたから、『正しい子』になることができた。

だから忙しいおとうさまやおかあさまに代わって、わたしは一弥を『正しい子』にしなければならない。

立派にお姉さんをつとめて、弟といっしょに『正しい子』になるのだ。

一弥とふたりきりでいるときは、わたしはきびしくした。

甘やかさない、ということは、きびしい、ということだ。

きびしい、ということは、一弥にとっては、苦しいことだ。

泣き出すと、『めっ』としかった。

なきやむまで、ミルクはあげなかった。

それでも泣きやまないので、わたしはつらかった。

ほんとうは、すぐにでもミルクをあげて、頭をなでて、あやしてあげたかった。


「ごめんね。 ミルクのみたかったんだよね。 ほら、もうのんでいいよ、ごめんね」


そうすれば、とてもおだやかで、優しい気持ちになれると思った。

でも、そうしてあげることができなかった。

一弥を正しく育てたかったから。

だから、つらかった。

ずっとつらかった。

わたしも、一弥も。


一年、二年と年が過ぎ、そのぐらいから、一弥が言葉を喋らないことに家族が気づいた。

ひとが話す言葉の意味は、同じ歳ぐらいの子供程度には理解しているようなのだけれど、自分から言葉を発することがなかった。

病院通いが続くが、それでも喋ることはなかった。

一弥が幼稚園へ入園すると、その送り迎えは、わたしの役目となった。

おねがいします、と朝、預け、お世話になりました、と夕方、引き取る。

そんな繰り返しの日々が始まった。

一弥は、朝は元気がなく、夕方は、いつも泣いていた。

言葉が喋れないからといって、おとうさまは一弥を特別な教室に入れることをしなかったから、それでだろうと思った。

それはおとうさまのきびしさであると思ったし、わたしもそれが正しいと思った。

でもやはり、それはつらいことだった。

うっくうっくと声をたてず、しゃくりあげて泣く一弥を見ていると、とても暗い気分になる。

本当ならわたしは、一弥をなぐさめてあげたかった。

「なにか欲しいものある? お姉さん、買ってあげるよ。 水鉄砲とか欲しい? ふたりで撃ち合いしようか」


そう言ってあげたかった。

一弥には友達がいなかったから、なおさらだった。


「ほら、あの駄菓子屋寄っていこうか、お姉さんと」

いつも、一弥ぐらいの歳の子供たちで賑わう角の駄菓子屋。

立ち寄って、小さなカゴに駄菓子をいっぱい詰め込んで、それをふたり帰りしなの土手で食べたかった。

水鉄砲も一緒に買って、河原で水を汲んで、撃ち合いをしたかった。

「お姉さんはね、こう見えても運動神経いいんだよ」

ただ一弥と一緒に遊びたかった。

楽しいことをして過ごしたかった。

一弥も笑ってくれるだろうか。

笑ってほしかった。

見たこともない一弥の笑顔を見たかった。


「・・・・・・」


だけど、わたしはただ一弥の手を強引に引いて、その前を通り過ぎることしかしなかった。

わたしはなんてひどい姉だったのだろう。

わたしが今、両親に感謝しているように、本当にいつか、この子がわたしに感謝してくれる日がくるのだろうか。


一弥は体に不調をきたしていった。

それは登校拒否するように、あるいは、わたしの送り迎えを避けるように、休みがちになっていった。

もとより体が弱い子だったし、しばらくすればまたよくなるのだろうと思っていた。

しかしすぐにはよくならず、やがて一弥は病院に寝泊まりするようになった。

病院のベッドで眠る一弥は、あまりに弱々しく、哀れだった。

ただでさえひ弱だったのに、今の一弥は息も絶え絶えに、生きることに疲れ果てているように見えた。

「おとうさま。 ひとつだけお願いがあります」


だから、わたしは言った。


「なんだい、佐祐理」
「一弥の今の病気が治ったら、頭を撫でてあげていいですか。 よく頑張った、って。 そして、たくさんの駄菓子を買ってきてあげていいですか。 ふたりで食べてもいいですか」
「ああ、そうだな・・・。 そうしてあげてくれ。 きっと一弥も喜ぶ」
「はい」


良かった。

許してもらえた。

でもやっぱり、そのときのおとうさまは嬉しそうではなかった。


だけど、一弥の病状は一向によくならなかった。

わたしはどうすればいいのだろう。

日に日に一弥はやせ細っていくようだったし、わたしは見ていられなくなった。


一度だけ・・・

一度だけ、悪い子になろう。


昼の間に駄菓子屋でたくさんのお菓子を買い込んで、夜になると私は一弥の眠る病棟に忍び込んだ。

一弥は眠っていた。

一弥は眠っていても辛そうな顔をしている。

今にも泣き出しそうな顔だ。

もとからこういう顔なのか、わたしの記憶の中でも、ずっと一弥はこの顔だった。


「一弥」


わたしは名を呼んで、起こした。


「一弥、起きて」


その肩を揺り動かしてやると、ようやくうっすらと目が開き、わたしの顔を見た。

険しい顔だ。

また、叱られるのだろうか、と心配しているのだろう。

でも今日は、違う。

精一杯、一弥を元気づけて、慰めてあげるためにきたのだ。


「ほら、一弥、一緒に食べよ」


紙袋にぱんぱんに詰まっていた駄菓子を、布団の上に広げた。

一弥の顔はまだ気難しい。

わたしが何をしようとしているのか、わかっていなかったのだろう。

お菓子のひとつを剥いて、それを一弥に握らせる。

自分のぶんも剥いて、手に握る。


「一緒に食べよ。 はい、あーん、して」


ふたりで口を開ける。


「ぱくっ」


食べたのはわたしだけだった。


「一弥も一緒に食べるの。もう一回、言うからね。 はい、あーん、して」


ふたりで口を開ける。


「ぱくっ」


今度は一弥も食べた。


「おいしいね」
「・・・・・・」
「元気になったら、もっと食べようね、お姉さんと一緒に」


こくり。


一弥が頷いた。


わたしは嬉しかった。


「ほら、水鉄砲もあるんだよ」


紙袋から、色違いの水鉄砲をふたつ取り出すと、その片方を一弥に握らせた。


「水は入ってないけどね。 元気になったらふたりで遊ぼうね」


しゅこしゅこと引き金を引いて、わたしは空気だけがでる水鉄砲で、一弥を撃った。


「お姉さんはね、こう見えても本当は運動神経いいんだよ」


一弥が頷いた。


「楽しいこと、本当はね、いっぱい知ってるんだよ」

一弥が頷いた。


「一弥のこと、本当はね、大好きなんだよ」


一弥が頷いた。

わたしは俯いた。


しゅこしゅこ・・・。


一弥が、伏せるわたしの顔に向け、水鉄砲を撃っていた。

顔をあげると、一弥は、楽しそうに、無邪気に笑っていた。

そしてくぐもった、呻きに似た声がその喉から漏れ出た。

 

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「たのしいね・・・」


そのとき、わたしたち姉弟は、初めてふたりで遊んだのだと思う。

そして、それが最初で最後だった。


・・・。


「一弥も幸せだっただろう。 佐祐理、おまえという姉に恵まれたのだからな。 よく、いつも一緒にいてやってくれたな」
「そうでしょうか・・・」
「ん?」
「本当に一弥は幸せだったんでしょうか」
「何を言いたいんだい、佐祐理」
「わたしは・・・佐祐理というこの姉は、本当に良き姉であったのでしょうか」
「そう自虐的になることはない。 おまえの気持ちもわかるがな」


ちがう。

そのときわたしは答えを知っていたんだ。

正しいと思っていたことは、正しくなかったことを。

それは結果、というものを見てしまったから。

わたしは、一弥を笑わせてあげていればよかったんだ。

ふたり、笑っていられれば、幸せだったんだ。

もっとふたりで遊んで・・・

虫歯になるくらい駄菓子を食べて、風邪を引くぐらい水鉄砲で遊んで・・・

そんな日々に、一弥とふたりで生きていればよかったんだ。


・・・。

 

「佐祐理、また留守にするから、留守番よろしくな」「はい」
「いつもひとりにさせてしまって、悪いな」
「いえ、ひとりでも佐祐理は大丈夫ですよ」
「・・・佐祐理、自分のことを名前で呼ぶのはやめなさい」
「あ・・・はい」
「じゃあ、いってくるからな」
「はい」


その頃、わたしは自分のことを佐祐理、と呼ぶようになった。

それは自分を慈しんでのことではない。

その逆で、自分が他人のように、客観的にしか捉えられなくなったからだ。

ひとりであっても、一弥にあんなに辛く当たり続けた佐祐理だから、大丈夫ですよ、と別の自分が言っていたのだ。

ふわふわと、別の自分は上空を漂っていた。


・・・。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

その後、男のひとに対して、敬語を使わなかったことはありません。 今でも特別のままなんです。 その行為は」
「・・・・・・」


なんて答えていいかわからなかった。

ただ、悲しい佐祐理さんの過去をいきなり突きつけられて、俺は狼狽するばかりだった。


「あれ? 舞は?」


佐祐理さんがきょろきょろと辺りを見回して、舞を探した。


「あ、舞、居た~」


木の陰に揺れる黒髪が見えた。


その後ろに舞は直立して隠れていたのだ。


「舞、どうして隠れてるの」


そばまで駆け寄って腕をとると、その舞をずるずると引っ張ってきた。

 

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「佐祐理が悲しいお話するから・・・」


舞は泣きそうな顔をしていた。


「あ、ごめんごめん。 もうしないから」


つまり俺が佐祐理さんに対して、敬語を使うなと言うことは、その過去の辛い思いでと直面しろ、ということだったのだ。

佐祐理さんの胸の内も知らずに、そんなことをずけずけと言っていたのかと思うと、自分が嫌になるばかりだった。


・・・。

 


その日の、夜の校舎。

 

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「しっかしなぁ・・・佐祐理さんにあんな辛い過去があったなんて、びっくりしたな・・・」
「・・・・・・」


『奴』の訪れを待つ間、今朝のことが口をついてでていた。


「舞は知っていたのか?」
「以前にも聞いたことがあるから・・・」
「そっか・・・」
「私は・・・悲しいお話がきらい」
「誰だって好きじゃないよ」
「・・・・・・」
「しかし・・・よく立ち直れたな。 立派だよ佐祐理さんは」
「・・・・・・祐一」
「あん?」
「佐祐理を・・・助けてあげて」
「助けるって・・・どういうことだよ」
「祐一にも、敬語を使わずに話せるように」
「俺に・・・?」
「うん・・・」
「放っておいたほうがいいんじゃないのか。 別に俺だって構わないし・・・」
「祐一は、佐祐理が好きじゃないの」
「好きだよ。 だから、その傷に触れるようなことはしたくないんだよっ」
「・・・・・・」
「おまえがしろよ。 俺なんかよりずっと、佐祐理さんと長く一緒にいるんだからさ」
「・・・・・・」


舞が喋らなくなってしまった。

要らないことを話しすぎた、とでも後悔しているのだろうか。

俺も考えを整理したい気分だった。

佐祐理さんの友達として、何をしてやれるか。

してやるべきかを。


・・・。


翌日の放課後。

 

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「あ、祐一さんだーっ」


帰り際、舞と佐祐理さんに会った。

ふたりは鞄を持っていたから、帰るところだったのだ。


「おぅ、祐一さんだぞ」

 

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「・・・・・・」


「帰るところですか?」
「帰るところだぞ。 一緒に帰るか?」
「ええ、一緒に帰りましょうーっ。 ね、舞。 ・・・あれ? 舞は?」


探すと、タタタタッ!と全速力で走り去ってゆく舞の背中が、廊下の先に消えて見えなくなるところだった。


「あいつ・・・あからさまな気の遣いかただな・・・」
「はぇ~・・・舞、どうしたんだろう・・・」
「今日は、ふたりで帰ってくれってさ」
「あ、そうなんですか? はぇ?」
「俺が佐祐理さんとデートしたいって言ったから、ふたりきりにしてくれたんだよ」
「ふぇ~・・・祐一さん、佐祐理なんかとデートしたかったんですか?」
「ああ、したかったよ。 佐祐理さんは魅力的な女性だからな」
「あははーっ、祐一さんは佐祐理を買いかぶってます。 きっと幻滅しますよ」
「じゃ、確かめさせてくれるんだな?」
「祐一さんがそうしたければ。 舞も、今の様子だと、許してくれるみたいですし」
「じゃ、いくか」
「はい」

 

日が暮れるまでの時間を、ゲームセンターで過ごす。

佐祐理さんは、見かけによらず反射神経がいい。

初めてプレイするゲームであっても、数回ゲームオーバーになった後・・・

「あ、コツ掴みました」


と言ってのけ、言葉の通り、その後のプレイはまるで熟練者のものに変わる。

対戦ものでも、俺なんかでは相手にならず、店の常連客を相手に連勝を重ねてゆく。

そして負けた相手が機体から身を乗り出して、勝者の顔を確かめるなり、決まって驚愕した。

そこにはゲームとは縁遠いようなお嬢様が、ぽつんと座っているのだから。

その佐祐理さんのまわりには人だかりが出来、やがて応援団のように佐祐理さんにエールを送り始めた。

最後には佐祐理さんの親衛隊のようなものまで結成されていた。


「お嬢、一同は明日も、ここでお待ちしておりやす」

「あははーっ・・・明日は来るつもりないんですけど・・・」

名残惜しげな連中を置いて、俺たちは引き上げることになった。


・・・。

 

 

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「あははーっ・・・ひとりで楽しんじゃってすみません」
「いや、楽しかったよ、充分。 見ただろ? 連中の佐祐理さんへの惚れかた。 俺は誇らしかったよ」
「そんなことないですよ。 幻滅したでしょう?」
「まさか。 惚れなおしたよ。 これで佐祐理さんもわかっただろ。 自分の人を惹きつける魅力ってもんがさ」
「違いますよ。 ゲームが少しばかり上手かったからだけです」
「違うよ。 佐祐理さんが魅力的だからだよ」
「そんなことないです。 佐祐理は普通の子よりちょっと頭の悪い、ただの女の子ですから」
「佐祐理さんが自分のことをなんて言おうが、俺は佐祐理さん、大好きだからな」
「あはは・・・佐祐理も祐一さんのこと、大好きですよ」
「本当か?」
「本当ですよ、佐祐理は祐一さんのこと大好きですよ」
「じゃあ、敬語を使わずに話してくれよ」
「はぇー・・・・・・それはダメです」
「どうしても?」
「ええ・・・すみません」
「いや、謝ることはないけどさ・・・。 でもそうやって昔の傷をずっと引きずってさ・・・よくないと思うんだよ。 代わりになれないかな、俺が一弥の」
「一弥には・・・佐祐理しかいなかったんです。 祐一さんには、舞や・・・家族の方がいるじゃないですか」


言って、微笑む。


「大丈夫ですよ、佐祐理は」
「そんなこと言われても、わからないよ」
「あの話には続きがあるんです。 佐祐理は、一弥を失った後、手首を切ったんです」
「え・・・」
「傷はまだこうして残ってます。 とても深かったんです。 本気だったんですよ、佐祐理は。 一弥を失ったのは、佐祐理のせいだったんですから」
「それは・・・違うだろ」
「聞いてください。 そして佐祐理は出会ったんですよ」


その頃のわたしは空虚だった。

本当の自分は、自分の体の中にはなく、その上を飛んでいたのだから。

自分の体の中に自分が居てこそ、感動や驚きはあるのだな、と実感した。

離れて見ていると、本当、客観的で、人ごとのように思えてならなかった。

手首を切るのも恐怖はなかった。

切ったらどう、と下の自分に呼びかけてみたら、下の自分がそうしただけだ。


「あ、本当にやっちゃうんだ」


そう思っただけだ。

結構深く切ったみたいだったけど、死ぬにはまだ幾らか足りないみたいだった。

今度やるときは、もっと深く切ろう。

そんな勉強になった出来事だった。

春を迎え、わたしは進学した。

適当に受験した学校だった。

中学の先生たちは、もっと上を狙え、とうるさかったのを覚えている。

ただ、家から近い。

それだけで選んだ学校だったし、どうしてだか親も、そのことに対して反対はしなかった。

その頃、手首の傷はまだ痛かった。


新しい通学路、新しい校門・・・

抜けるとそこに、人だかりができていた。

新しいことはまだまだ続く。

人だかりの中心には同じ一年生の女の子がいて、そして犬に自分の手を噛ませていた。

おそらく犬はお腹を空かせていたのだろう。

にしても、異様な光景だった。

自分の手をすすんで噛ませるなんて。

だが、気づいてしまえば、わたしはダメだった。

女の子はただ優しくて、その優しさを犬に与えていただけだったのだ。

不器用だったけど、そこに居た他のひとは誰も気づいていなかったけど、わたしにはわかった。

わたしは駆けずにはいられなかった。

その子と同じ、奇異の目を浴びたとしても構わなかった。

そばまで辿り着くと、お弁当を取り出して言った。


「あの、手じゃなくて・・・良かったら佐祐理のお弁当、食べさせてあげて・・・」
「・・・?」


しばらくわたしの顔を見つめた後、黙ってこくりと頷いた。

その子はとても不器用なので笑わなかったけど、それでも喜んでいるのがわかった。

犬も、わたしの手作り弁当を食べて、ご満悦の様子だった。

そして、その子がわたしに顔を向けて言った。


「代わりにお昼、奢るから」


・・・。

 

昼は賑わう学食に、ふたりでいた。


「ふぇ~・・・いっぱいメニューもありますね・・・どれにします?」
「はい、牛丼」


選ぶ前に、その子がわたしに牛丼を差し出していた。
片方の手には、同じ牛丼。

ふたりで牛丼を食べよう、ということだった。

窓際の席で向かい合って、もぐもぐと食べる。


「変わってますね、川澄さんは」
「・・・?」


その女の子は、見かけはとてもとっつきにくい。

言葉数も少なく、何を考えているのかわからない。

一目まったく気にせず、今朝のようなことをするから、すでに新入生の中では変わり者扱いされているようだった。


「お礼」


突然そう言って、彼女は自分の牛丼の肉を、わたしの牛丼の上に積んでみせた。


「じゃ、今日からの友情の印に」


わたしは彼女の牛丼の上にさらに多くの肉を積み上げた。


「ありがとう・・・」


もぐもぐと彼女はそれを頬張った。

背中からは、彼女をからかう声が終始聞こえ続けた。
今朝の彼女の奇行を見ていた者たちだろう。

彼らは知らない。

この子の優しさを。

わたしは思った。

この子を幸せにしてみたい。

それは、一弥を失ってから、初めて抱いた他人に対する感情だった。

ずっと、他人になんて興味は湧かず、自分にすら冷めた目を向けていたというのに。

久しぶりに、胸の奥が温かくなった。

この子の学園生活はいきなりマイナススタートだったけど、それを本人はまったく気にしてはいないみたいだけど・・・


それでも、幸せにしてみたい。


そして、それは、わたし自信が幸せになる、ということだ。

温かな思いが胸に広がると、わたしは思い出していた。

ひとは、ひとを幸せにして、幸せになれる、ということを。

この学園での三年間の生活は、この子と一緒にいて、ふたりで幸せになろう。

それは、正しくなかった姉に一弥が教えてくれた、大切な『正しいこと』だったのだと思うから。

相手に幸せを与えて、みんなで一緒に幸せになる。

一生懸命に、幸せになろう。


・・・。

 

「出会ったんですよ、わたしが頑張れる目標と。 佐祐理はまだ・・・まだまだこれからなんです。 がんばってる最中なんです。 だから・・・もう少し待ってくださいね」


なんていうか、俺はただただ申し訳なかった。

そこまで話さないと、納得できなかった自分が恥ずかしい。

それは舞も知らないことだったのだろう。

伝えてやらないとな。

佐祐理さんはおまえのおかげで幸せなんだってさ、と。


「だから、いつかは言います。 それがいつになるかは・・・佐祐理はダメな女の子だからわからないですけど・・・。 いつか、きっと・・・。 おはよう、祐一くん。 って」
「ああ、待ってるよ。 別に急いでるわけじゃない。 ゆっくりいこうぜ」
「はい、祐一さん」


・・・・・。

 

・・・。

 

「こらっ、舞!」

 

 

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「・・・?」
「おまえ、俺が狙っていた最後の卵焼きをっ・・・」「・・・私だって狙っていた」
「俺は食い始めるときから狙ってたんだよっ」
「・・・私は学校に来るときから狙っていた」
「おまえ、たくさん食ってただろ。 俺は一切れとして食ってないんだぞっ」
「おいしいから」
「なら、俺にも食わせろっ」
「おいしいから私が食べたい」
「んな自己中な論理で納得させられるかっ」
「・・・・・・」
「あ、ゴリラが歩いてるっ」
「・・・?」


ひょい。


「わははは、バカめ。 ゴリラがこんなところにいてたまるかっ」


ぽかっ!


「いてっ」


ぽかぽかぽかぽかぽかぽかっ!


「こらこらこらっ、わかった! 返すから、返すからっ!」


そして、今、わたしは幸せだった。

そばには舞が今もいてくれて、祐一さんもいてくれて・・・

みんなでわたしの作ったお弁当食べて、笑いながらお話をしている。

それは・・・いつしかわたしが求めていた光景だったのではなかっただろうか。

ずっと、昔に求めてやまなかった光景。


・・・。

 

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『お姉さんはね、こう見えても運動神経いいんだよ』

『ほんとだったね』


『でしょ』


・・・。


倉田佐祐理編 END