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Kanon【22】

 

1月17日 日曜日


・・・。


「おはようございます、祐一さん」


秋子さんが、まるで俺がこの時間に起きてくることを知っていたかのように微笑む。


「おはようございます。 いつも早いですね」
「祐一さんも早いですよ」


自分の椅子に座る俺の目の前で、秋子さんが温かそうなお茶をきゅうすで注ぐ。


「秋子さん、ボクにもっ」
「はいはい」


名雪、起こさなくてもいいですよね」
「起こしても、きっと起きないと思いますよ」


うぐぅ、このお茶熱い・・・」
「そう言えば、猫舌だったわね。 ちょっと待ってね、今お水を入れるから」


うぐぅ、舌がひりひりするよ~、お水飲んでもしみるよ~」


「いただきます」


用意された朝食に箸をつける。

そして、黙々と食事が進む。


「ごちそうさまでした」

「ボクもごちそうさまでした」

「それじゃあ、俺は部屋に戻ってますから」


がたんっ、と席を立つ。

そして、そのまま食卓を出・・・

 

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うぐぅ・・・。 祐一君、いじわる・・・」

本当に出ていこうとする俺を、たまりかねてあゆが引き留める。


「おっ。 あゆ、いつから居たんだ?」
「最初からずっと居たもんっ!」
「悪い悪い。 全然全くさっぱり気づかなかった」
うぐぅ


このまま何事もなかったかのように出ていく作戦は失敗に終わった。


「で、どうしてまたあゆがここで朝食を食ってるんだ?」

「また、わたしが誘ったんですよ」


食べ終わった食器を片づけながら、秋子さんがキッチンから出てくる。


「またこの辺りをうろうろしてたのか?」
「偶然通りかかっただけだよ」


「食事は、ひとりでも多い方が楽しいですから」
「それはそうかもしれないですけど・・・」


しかし、朝から同い年の女の子と一緒に食卓を囲むというのも、考えてみると貴重な体験なのかもしれない。


(同い年に見えないけど)


「祐一君、今日はこれからどうするの?」
「何も考えてない」


とぼけているようにも聞こえるが、本当に何も予定がないのだから仕方ない。


「だったら、ボクと遊ぼうよ」
「食い逃げごっこか?」
「違うもん!」
「俺はなにも予定がないけど、あゆはいいのか?」
「うん。 全然大丈夫だよ」
「しかし、遊ぶって言っても、俺はこの辺に詳しくないし・・・」
「映画なんてどうかな?」
「ビデオでも借りてくるのか?」
「違うよ。 映画館のおっきなスクリーンで見るんだよ」
「映画館か・・・そういや、長らく行ってないな」
「実は、チケットが2枚あるんだよ」


そう言って、四角い紙切れを2枚取り出す。


「なんだ、ずいぶんと手回しがいいな」
「それで、どうかな?」
「俺はさっきも言った通り、構わないぞ」
「うんっ、決まり」
「それで、映画は何時からなんだ?」
「えっと・・・」


しげしげとチケットを見つめる。


「5時からだよ」
「5時か・・・ずいぶんと時間があるな。 場所はどこなんだ?」
「駅前の映画館」
「だったら、4時半に駅前で待ち合わせにするか?」
「うん。ボクはそれで構わないよ」
「よし。 決まりだな」
「だったら、ボクはこれで帰るね」
「ああ。 じゃあ、またな」
「うんっ。 ばいばい、祐一君」


コートとリュックを掴んでパタパタと部屋を出ていく。


「・・・あゆと映画か」
「デートですね」
「変なこと言わないでください」

 

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「・・・でーと?」
「寝てろ」
「今起きたとこだよ~」
「しかし、珍しいな。 名雪が休みの日にこんな時間に起きてくるなんて」
「玄関で物音がしたから・・・」
「物音?」
「うん・・・。 誰かが、玄関で転んでドアにぶつかったような音と、それど、うぐぅ~痛いよ~って言う声」
「・・・・・・」


「よっぽど嬉しかったのね」
「いや、あいつのドジは昔からです」
「祐一さん、昔からあゆちゃんのこと知ってるの?」


秋子さんの何気ない言葉・・・。


「・・・そう、ですね」


もやのかかった記憶・・・。

その夕闇の奥にある思い出・・・。


「昔の、友達なんです・・・。 この街に居た頃の・・・」
「そうだったの」


微笑む秋子さん。


「もしかすると、ずっと祐一さんおこと、待っていたのかもしれないわね」
「・・・え?」
「何となくです」


もう一度微笑んで、そして、さっきまであゆが使っていた空の食器を持って、キッチンの奥に消える。


「・・・・・・」


あゆとの思い出がまだ曖昧な俺には、その言葉を否定することも肯定することもできなかった。


・・・。


朝食を終えて、自分の部屋で時間を潰す。

買ってきた雑誌を読みふけっていると、12時を過ぎていた。


「祐一。 お昼だよー」


1階から、名雪の声が聞こえる。

俺は、ぱたんと雑誌を閉じて、階段を降りていった。


・・・。

 

あゆとの約束まで、まだ4時間近く残っていた。

その時間を潰すために、俺は読みかけの雑誌に手を伸ばした。


・・・。


(・・・そろそろ行くか)

 

時刻は、4時を少し過ぎていた。

思えば、あゆと時間を決めて会うというのは、今回が初めてだった。


(いつも、何の脈絡もなく出会ってたからな・・・)


よく考えると、俺はあゆの連絡先も、あゆの家がどこにあるのかも知らなかった。


(もし、あゆの方から連絡を絶ったら・・・)


きっと、二度と会えないだろうな・・・。


「そろそろ行くか」


わざとらしく声に出して、俺は部屋を後にした。

キッチンに顔を出して、秋子さんに出かける旨を伝える。


「祐一」


名雪は、まだリビングでテレビを見ていた。


「おみやげ買ってきてね」
「なんで、ちょっと出かけるだけでみやげを持参しないといけないんだ?」
「言ってみただけだよ」


微笑んで、そして、いってらっしゃいと手を振る。

「パンフレットくらいは買ってきてやってもいいぞ」
「パンフレット・・・?」
「なんだ、不服なのか?」
「祐一、映画観に行くんだ」
「そういや、言ってなかったな・・・」
「うん。 初耳」
「知り合いと、駅前の映画館で映画を観るんだ」
「知り合いって、女の子?」
「多分な」
「多分?」
「確認したわけじゃないからな」
「駅前の映画館って、今何を上映してるか知ってる?」
「いや、全然」
「そうだと思った」
「何だよ、その意味ありげな笑みは」
「ううん。 何も」


もう少し問いただしたかったが、時間もなかったので早々に家を出る。


・・・。


「・・・やっぱり寒いよな」


生活には慣れても、この気候だけはどうしても馴染まなかった。


じっとしていると、コートを浸透するように寒さが伝わってわってくる。

閉まったままの家の門を開けると、その上に降り積もった雪がぱらぱらと中空を舞う。

水たまりが凍りつきそうな気候だが、水たまりなんて雪に隠れて見えなかった。


・・・。


毎朝通っている通学路を、いつもとは違う目的地に向かって歩く。

相変わらずの風。

そして、寒さ。

これで大雪が降っていたら最悪だが、日頃の行いがいいのか、天気自体は間違いなく晴天だった。

 

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「・・・あ、祐一君っ!」


ベンチに座っていたあゆが、俺の姿を見つけて立ち上がる。

人目を気にした様子もなく、体を大きく伸ばして手を振っている。


「もう少し、しおらしく待てないか?」
「だって嬉しいもん」
「そんなに映画が嬉しいか?」
「映画も楽しみだけど、やっぱり待ってた人が来てくれることが一番嬉しいよ。 それだけで、今まで待って本当に良かったって思えるもん」
「なんか大げさだな」
「ううん、そんなことないよっ」


ぴょこっとベンチから立ち上がって、俺の手を引っ張る。


「行こ、祐一君。 日が暮れる前にね」
「・・・そうだな」


手をひかれるまま走り出す。

リュックについた羽が、あゆの動きにあわせてひょこひょこと揺れていた。


「そういや、今やってる映画って、何か知ってるか?」
「ううん。 全然」
「何の映画かも知らないのに誘ったのか?」
「うん」
「・・・まぁいいけど」
「ボク、あんまり映画見ないから」
「俺だってほとんど見ないな」
「昔は、よく両親に連れられて観たんだけど・・・」
「昔って、どれくらい前だ?」
「小学生くらいの時、かな」


俺と会っていた頃だな。


「なんで見なくなったんだ?」
「・・・どうしてかな」


首をひねっている。


「あ! そんなことより、急がないと始まっちゃうよ」
「今、何時だ?」


基本的に時計を持ち歩かないので、今の正確な時刻が分からない。


「えっと、5時5分前」
「そろそろ中に入るか」
「うんっ・・・」


と、元気よく歩き始めたあゆが、突然凍りついたように動きを止める。


銅像ごっこか?」
「・・・・・・」


俺の声に何の反応も示さずに、じっと何かを見つめている。


「・・・・・・」


あゆのその視線の先・・・。

映画の告知用看板が大きく掲げられていた。


「これか、今日上映の映画って」


確か、去年公開されて怖いと評判になったホラー作品の続編だ。

一度観たいと思っていたから、俺にとっては好都合だった。


「・・・・・・」


まだ固まっている。


「どうした? 早く行かないと始まるぞ」
「・・・・・・」


やっぱり固まっている。


「もしかして、怖いのか?」
「・・・うぐぅ


泣きそうな顔で頷く。


「大丈夫だって。 どうせ言うほど怖くないから」
「・・・・・・」


ふるふる、と首を振っている。


「さ、行こうか」


固まったままのあゆの手を囲んで、そのままずるずると引きずって行く。


うぐぅ・・・やっぱりボクやめるっ!」
「とても面白そうじゃないか」
「で、でも、この映画『2』って書いてあるよっ!」
「そりゃ、続編だからな」
「ぼく、前作観てないからきっと見ても分からないよっ!」
「大丈夫、大抵こういう映画は前作を見なくても内容が分かるようになってるんだ」


うぐぅ、と悲鳴を残すあゆを、そのまま映画館の中に引っ張り込んだ。


・・・。

 

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「ちょっと物足りないな」
「・・・そうだね」


それなりに怖いシーンともなると、満員の客席から小さな悲鳴や息をのむような声が聞こえてくる。

それでも、想像していたほどではなかった。

もしかすると、話題になった前作のほうが遥かに怖かったのかもしれない。


「今度、ビデオでも借りて1作目も見てみるか」
「・・・そうだね」
「あれだけ嫌がってた割には、結構冷静だな?」
「・・・そうだね」
「・・・・・・」
「・・・そうだね」
「って全然スクリーン見てないだろっ!」


頭にかぶっていたコートを引き剥がす。


うぐぅ・・・!」


慌てて、コートで耳をふさぐようにかぶりなおす。


「・・・こ、こわかったぁ」


・・・何がだ?


「こいつ、完全に耳をふさいで横向いてるな・・・」
「・・・・・・」


俺は、客席から悲鳴が上がりそうなタイミングで、もう一度あゆのコートを引き剥がした。


うぐぅ~!」


客席の悲鳴を聞いて、あゆが悲鳴を上げる。


「お前、全然スクリーンも見てないだろ?」
「み、見てるもんっ!」
「ずっと横向いてるじゃないか」
「横向いてるけど、でも、見てるもんっ!」
「どうやって?」
うぐぅ~!」


もう一度客席から悲鳴があがって、おなじようにあゆも悲鳴を上げる。

客の悲鳴だけでこれだけ驚けるのだから、ある意味才能だと思う。


「・・・・・・」


俺はコートを引き剥がして、そしてあゆの手の届かない反対側の席に置いた。


うぐぅ~、返してよぉ~」
「折角の映画なんだから、せめてこの場の雰囲気くらい楽しめ」
うぐぅ~! いじわる~!」


客席から悲鳴が上がる度に、うぐぅ、とか、うぐぅっ、とか、うぐぅ~、とか言う声が隣から聞こえてくるが、無視する。

あゆはあゆなりに、立派に映画を楽しんでいるようだった。


・・・。

 

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うぐぅ・・・」


ぐったりとしたあゆが、ふらふらと映画館から出てくる。


「ボク、へろへろ・・・」


そりゃ、あれだけ泣き叫んでたら体力も尽きるだろう。

映画が終わって外に出ると、すでに辺りは真っ暗だった。


「しかし、結局一度も映画見なかったんじゃないか?」
うぐぅ・・・だって怖かったんだもん」
「あゆは大げさなんだよ。 普通に見てたらそれほどでもなかったぞ」
「・・・ボク、子供の頃から幽霊とかお化けとか全然ダメなんだよ・・・」
「それにしても怖がりすぎだ」
うぐぅ・・・」
「だいたい、普通こういうシチュエーションでは、女の子がキャーッとか言ってしがみついてくるものだろ?」
うぐぅ・・・そんな余裕なかったもん・・・」
「そんなだから、小学生の男の子に見られるんだ」
うぐぅ・・・見られてないもん。 ボク、女の子だもん」


目を潤ませて健気に反論する姿は、まぁ、可愛いと言えなくもないかもしれない。


「・・・もう、真っ暗だね」


あゆが、不安げに夜空を見上げる。


「じゃあ、今日はこれで解散だな」
「・・・うぐぅ
「今日は楽しかったよ」
「・・・え?」


思いがけない言葉だったのか、あゆが驚いたように俺の方を向く。


「いい日曜日だった」
「・・・・・・」
「ありがとうな、あゆ」
「・・・・・・」


少し戸惑いながら・・・。


「うんっ」


そして、恥ずかしそうに頷く。


「ボクも楽しかったよっ」


嬉しそうに手を振るあゆと別れて、俺はひとり家路につく・・・。

 

・・・。


うぐぅ・・・」


・・・はずだった。


「・・・どうしてついて来るんだ」
「・・・だって、怖いもん」


明かりの少ない夜の歩道を、きょろきょろと辺りを窺うように歩いている。


「ほら、ここでいいだろ?」
うぐぅ・・・」
うぐぅ・・・じゃない。 『いい』か『OK』か」
「どっちも一緒・・・」
「なんにしても、このまま俺についてきたって自分の家には戻れないぞ」
うぐぅ・・・」
「どうするんだ?」
「・・・帰る」
「じゃあ、ここでいいな?」
「・・・うん」
「よし。 じゃあまたな、あゆ」
「・・・ばいばい、祐一君」


力無く手を振って、不安げに歩いていく。

しかし、あの怖がりかたは、まるで子供だな・・・。

少しは、真夜中でも臆することなく人の部屋まで赴いて、ちょっかいをかける真琴を見習って欲しいものだ。


・・・。


(・・・それも嫌だな)


想像して、ちょっと寒気がした。


(・・・俺も帰るか)


陽が落ちると、外の空気は一気に冷たさを増す。

普通に吐いた息まで真っ白に染まって、夜風にさらされて流れていく・・・。


(じっとしていると余計に寒い・・・)


俺は、少し小走りで家路についた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

~1月19日 火曜日の途中から~


・・・。


「こんにちは、裕一君っ」


振り返ると、名雪ではなく、あゆが笑顔で立っていた。


「何だ、あゆか」
うぐぅ・・・何だはひどいよ・・・」
「てっきり、名雪だと思った」


しかし、よく考えてみると俺は時計屋の入り口を見て立っていたんだから、いきなり背後に回り込まれるわけがなかった。


「・・・なゆき?」


あゆが、聞き慣れない名前に首を捻っている。


「・・・食べ物?」
「食うな」


そういや、あゆは一度も名雪と顔を合わせたことがないのか・・・。


「秋子さん、知ってるだろ?」
「うん。 ボク秋子さん大好きだよ」
「秋子さんの、娘さんの名前だ」
「そうなんだ・・・」


あゆが感心したように頷いている。


「ちなみに、俺のいとこだ」
「もしかして、一緒に住んでるの?」
「そう言うことになるな」
「そうなんだ・・・」

 

「お待たせ、祐一・・・?」


店を出てきた名雪が、あゆの姿を見つける。


「こいつが名雪だ」


あゆのために、簡単に紹介する。


「・・・・・・」


紹介されたあゆは、緊張の面持ちで名雪の姿を見ている。


「・・・?」


そして、名雪は事情が分からず首を傾げていた。

とりあえず、俺がそれぞれを紹介する。


・・・。

 

「えっと、あゆちゃんって呼んでいいのかな?」


自己紹介が終わって、名雪が先に話しかける。


「うん、あゆちゃんでいいよ」
「わたしのことも、なゆちゃんでいいよ」
「・・・なゆちゃん?」


あゆちゃんと、なゆちゃん・・・。


「ややこしいから、やめてくれ」


「・・・うん。 やっぱり名雪さんって呼ばせてもらうよ」
「残念・・・」


名雪は、なゆちゃんと呼んで欲しかったらしい。


「あゆちゃんは、これからどうするの?」
「ボクは・・・ちょっと、ね」


寂しそうに笑う。


「・・・まだ、見つからないのか?」
「・・・うん」


あゆの落とし物。

その話が出たときのあゆは、決まって悲しそうな笑顔を覗かせる。


「祐一君たちは?」
「俺たちは、名雪の腕時計を直しに来たんだ」


「腕時計なら、もう直ったよ」


ほら、と腕時計を見せる。

確かに、秒針は動き出していた。


「それと、ほら」


今度は大きな袋を見せる。


「・・・何だ、これ?」
「目覚まし時計」
「また買ったのか・・・?」
「可愛い時計があったから」
「これ以上時計ばっかり増やしてどうするんだ?」
「目覚まし」
「起きないだろ、名雪は・・・」
「今度のは大きいから、明日からは大丈夫」


どこから来るのか分からない自信で、うん、と頷く。


「楽しそうだね」


あゆが、俺たちのやりとりを嬉しそうに聞いていた。


「・・・楽しそう、か?」
「だって、ふたりとも仲が良さそうだもん」
「そりゃ、いとこだからな」
「いとこでも、親子でも、絶対に仲がいいとは限らないよ」


確かに、あゆの言うことも、もっともな意見だった。


「祐一君に、名雪さんに、秋子さん・・・。 本当に、仲のいい家族だよね。 ちょっと、羨ましいかな・・・」


あゆの見せる、どこか寂しそうな表情。


「そうだ。 もし良かったら、これから遊びに来る?」
「え?」


思わぬ誘いだったのか、あゆが驚いたように訊き返す。


「お母さんも大歓迎だと思うよ」
「・・・・・・」
「どうかな?」
「でも、日が暮れちゃうよ・・・」


「こいつは怖がりなんだ」
「祐一君、説明しないで・・・」


「それなら、泊まっていったらいいよ」
「でも・・・」


あゆにしては、珍しく遠慮がちだった。


「祐一は?」


名雪が、俺に意見を求める。


「そうだな、泊まっていったらいいんじゃないか?」


名雪が乗り気なのに、理由なく反対することもないと思った。


「どうかな、あゆちゃん?」
「・・・本当にお邪魔していいの?」
「うん」
「・・・・・・」


「俺も構わないぞ」
「・・・・・・」


「お母さんも歓迎するよ」


確かに、あの人だったら手放しで大歓迎だろうな。


「・・・うん」

 

あゆが、こくんと頷く。


「決まり」


名雪も嬉しそうに頷く。


結局、うまい店にも寄ることなく、まっすぐ名雪の家に向かうことになった。


・・・。

 

「ただいま」

「・・・お邪魔します」


家に帰りついて、俺たちは揃って玄関に上がる。

広い玄関も、さすがに3人並ぶと窮屈だった。


「絶対に大丈夫だと思うが、念のために、秋子さんに承諾をもらった方がいいな」
「うん。 わたし訊いてくる」
「いや、俺が訊いてくる」


一応、俺の友達だからな。


「きっと、1秒で了承されるとは思うが・・・」


・・・。


「了承」


・・・。


「わっ、本当に1秒」
「なんせ、秋子さんだからな」


「秋子さんって、凄いね・・・」


あゆはしきりに感心していた。


「了承をもらったんだから、ここでじっとしてても仕方ないな」
「わたし、先に着替えてくるね」


とんとん、と階段を駆け上がる。


「そうだな、俺も着替えてくるか」
「ボクは?」
「先にリビングに行ってていいぞ。 俺たちもすぐだから」
「うん」

 

・・・。


私服に着替えてリビングに顔を出すと、まだ名雪の姿はなかった。

代わりに、秋子さんがキッチンから出てきて、あゆの相手をしているようだった。


「お帰りなさい、祐一さん」


さっきも顔を合わせたのだが、1秒だけだったので挨拶もしていなかった。

 

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「あゆちゃん、今日は止まっていくのよね?」
「・・・お世話になります」


あゆが、しおらしく頭を下げる。


「全然構わないわよ」


穏やかに微笑む。


「賑やかな方が、楽しいですから。 あ・・・でも、あゆちゃんの親御さんには連絡した方がいいわね」
「そうですね・・・」


「どうする、あゆ?」
「あとで、ボクが電話するよ」


「だそうです」
「それなら安心ね」


・・・。


「お待たせ」


少し遅れて、服を着替えた名雪も降りてくる。

さすがに4人揃うと、リビングも一気に賑やかになる。

しばらくの間、4人揃って他愛ない話に花を咲かせていたが、やがて、秋子さんが席を立つ。


「そろそろ、晩ご飯の準備をしてくるわね」

「あ、わたしも手伝うよ」


秋子さんと名雪が、隣のキッチンに消える。


「・・・ボク、何も手伝わなくていいのかな?」
「いいんじゃないか?」
「でも、悪いよ」
「あのキッチンに3人固まったって、邪魔なだけだ」
「・・・うん」


頷いたものの、やはり申し訳なさそうな表情だった。


「今のうちに、家に電話したらどうだ?」
「そうだね」


ソファーから腰を上げて、きょろきょろと室内を見回す。


「そこに子機があるだろ」
「こき・・・?」


首を傾げる。


「ほら、これだ」


立ち上がって、棚の上の子機を手渡す。


「あ、ありがとう・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・かけないのか?」


受話器を持ったっきり動かないあゆ。


うぐぅ・・・使い方がわからない」
「外線ってボタンを押して、あとは電話番号を押すだけだ」
「えっと・・・」


おぼつかない手つきで、確かめるようにボタンをひとつひとつ押していく。


「・・・・・・」


やがて、番号を押し終わったらしくて、受話器を耳に当てる。


「・・・・・・」


小さく、電話の呼び出し音が聞こえる。


「・・・・・・あ・・・れ?」


あゆの顔が、怪訝な表情に変わる。


「どうした?」
「あはは・・・押し間違えたみたい」
「自分の家の番号くらい、間違えるな」
「・・・うん」


もう一度、さっきよりもゆっくりとボタンを押す。


「・・・・・・」


再び聞こえる呼び出し音。


「・・・・・・出ない」
「留守か?」
「そうみたい・・・」


あはは・・・と笑いながら、受話器を戻す。


「どうしよう・・・」
「あとでかけ直したらいいだけだろ」
「そうだね・・・」


どこか煮え切らない様子で、もう一度ソファーに腰かける。


「祐一君・・・」
「ん?」
名雪さんって綺麗な人だね・・・」
「・・・そうか?」
「そうだよ。 ボク、びっくりしたもん」
「そうなのか・・・」


普段の天然ぶりを見ているためか、名雪が綺麗と言われてもいまいちピンとこない。

他人の目から見たらそんなふうに映るのか・・・?


「ボクも、もうちょっと大きくなったら、名雪さんみたいになるかな?」
「ならないな」
うぐぅ・・・即答・・・」
「こうやって瞼を閉じると、結果が浮かんでくるんだ」
「こないもんっ」
「第一、名雪はお前と同じ歳だぞ」
「え・・・?」
「俺と同じ歳だからな」
「そうなんだ・・・」


相当ショックを受けたようだった。


「そんなこと気にするなって」
うぐぅ・・・でも・・・」
「それに、あゆにはあゆのいいところがあるだろ?」
「どんなところ・・・?」


涙目で、すがるように俺を見上げる。


「電車に半額で乗れるだろ?」
「ぜんっぜんっ嬉しくないもんっ」
「何年経っても昔の服が着れるとか・・・」
「少しは成長してるもんっ・・・少しだけど」
「というわけで、気にするな」
うぐぅ・・・余計に気になるよ・・・」


フォローは逆効果だった。


「それに、どちらかというと名雪が変わり過ぎたんだ・・・」


中身は昔のままだが、その容姿は明らかに思い出の中の少女とは違っていた。

それこそ、他人が見て綺麗と形容するくらいに・・・。


「晩ご飯、できたよ」


隣のキッチンから、ひょこっと顔を出す。


「できたらしいぞ。 良かったな、あゆ」
「え?」
「実は、さっきからあゆが腹減ったってうるさかったんだ」


「あゆちゃん、お腹空いてたの?」
うぐぅ・・・そんなこと言ってないもん」
「今日はたくさん作ったから、遠慮なく食べてね」
「・・・言ってないもん」
「あゆちゃんの口に合うといいけど」


言い残して、食卓に戻る。


「・・・名雪さん、マイペース」
「まぁな」


俺たちも、食卓に移動する。


・・・。


名雪の言葉通り、食卓には豪華なメニューが並んでいた。


「わぁ・・・」


あゆが驚嘆の声を漏らす。


まるで、レストランでディナーを注文した時に出てきそうな料理が並んでいた。


「今日はちょっと張り切りました」


エプロンを畳んで、秋子さんがキッチンから顔を出す。


「・・・これ、全部秋子さんが作ったの?」
名雪にも手伝ってもらいましたけどね」
「・・・すごい」


純粋に感動している。


「冷めないうちに食べてくださいね」


秋子さんに促されて、4人で食卓を囲む。

最初は気圧されて遠慮していたあゆも、名雪や秋子さんと会話をしているうちに、緊張がほぐれてきたようだった。

それも、この親子の性格ゆえかもしれない。

やがて・・・。


・・・。

 

「・・・お腹いっぱい」

「・・・俺も」


まだテーブルの上には料理が残っていたが、4人ともこれが限界のようだった。


そのあとは、テーブルを囲んだまま雑談になった。


「わたし、お風呂入ってくる」


1時間ほど経過して、名雪が先に席を立つ。


「それなら、わたしはあゆちゃんが泊まる部屋を用意するわね」
「ボクも手伝うよ」
「でも、困ったわね・・・2階の部屋は全部塞がってるのよ」


「わたしの部屋は?」
「そうね・・・」


「だったら、名雪はどこで寝るんだ?」
「同じ部屋」
「ボク、それでいいよ」


「そうね、名雪の部屋に布団を敷きましょうか」

「修学旅行みたい・・・」


名雪は嬉しそうだった。


・・・。


風呂に入ろうと1階に降りると、廊下にあゆが立っていた。


「祐一君?」


あゆは、バスタオルと着替えのパジャマらしきものを持っていた。

 

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「これから風呂か?」
「うん」
「一緒に入るか?」
「や、やだよっ」
「冗談だって」
うぐぅ・・・びっくりした・・・」
「大体、俺だってあゆと一緒に入りたいなんて思わないぞ」
「複雑だよ・・・」
「あゆが入るんだったら、俺はあとでいいから」
「ボクが先に入っていいの?」
「あとの方が温かいからな」
「だったら、遠慮なく先に入るよ」


風呂場に続く、磨りガラスのドアを開ける。


「覗いたら嫌だよ・・・」
「大丈夫。 土下座して頼まれても覗かないから」
「・・・それはそれでなんか嫌だよ」
「じゃあ、覗こうか?」
「やっぱり嫌だよっ」


ばたんっ、とドアが閉まる。

ここで待っていても仕方がないので、俺は一度自分の部屋に戻った。


・・・。

 

こん、こん・・・。


自分の部屋でCDを聴いていると、遠慮がちにドアがノックされた。


「開いてるぞ」


リモコンでCDの電源を落として、ドアの外に呼びかける。

もとより、このドアに鍵なんてついていない。


「・・・祐一君?」


半分だけドアを開けて、あゆが中を覗き込む。


「どうしたんだ?」
「お風呂空いたから、呼びに来たんだよ」
「分かった」

 

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「お風呂、今ならまだ温かいよ」


廊下には、パジャマ姿のあゆが恥ずかしそうに立っていた。


「そのパジャマ、ちょっと大きくないか?」


袖の長さも、裾の長さも、少し大きいような気がする。


「ちょうどのサイズがなかったんだよ・・・」
「それ、名雪のパジャマか?」
「うん」


どちらかというとすらっとした名雪と、どっから見ても背の低いあゆとでは、服のサイズもかなり違うだろう。


「ボク、やっぱり小さいよね・・・」
「胸か?」
「違うよっ・・・」
「違うのか?」
「・・・違わないけど」


相変わらずころころと表情が変わって、見ていて面白い。


「お風呂っ、お風呂っ」


謎の歌を口ずさみながら、名雪が階段を駆け上がってくる。


「祐一、お風呂空いてるよっ」
「ああ、すぐに行く」


「あゆちゃん、先に部屋に入ってたら良かったのに」
「うん・・・」


「じゃあ、俺も風呂に行ってくる」
「うん」


「あゆちゃん、わたしの部屋はここだよ」
「うんっ」


「・・・ちょっと待て、あゆ」
「うん?」
「何で、風呂に入ったのにまだカチューシャしてるんだ?」
「・・・これ?」


頭の上の、赤いカチューシャを指さす。


「大切な人にもらった物だから」


言い残して、名雪と一緒に部屋の中に入る。


「・・・・・・」


廊下に取り残された俺は、とりあえず風呂場に向かった・・・。


・・・。

 

「・・・いい湯だった」


体も温まり、部屋で一息つく。


そして、そのまま布団に入る。

 

・・・・・・。

 

・・・。


・・・赤・・・


・・・。


・・・夕焼けの赤。


・・・・・・。


・・・赤い雲。


・・・。

 

・・・赤い雪。


・・・・・・。


・・・女の子。

 

・・・。


・・・指切り。


・・・。


・・・最後の言葉。

 

・・・・・・。

 

『約束・・・だよ』

 

「・・・・・・」


目を開けると、真っ暗な天井が見えた。

耳鳴りがするほど静かな部屋で、同系色に統一された家具が冷たい空気の中で佇んでいた。

コチコチ、と秒針の動く音させはっきりと聞こえる静寂の中で、俺は手を伸ばして目覚まし時計を探り当てた。


手元に引き寄せて顔を近づける。

青っぽく鈍く光る蛍光塗料の文字盤が、3時を指していた。


「・・・3時?」


わざと口に出してつぶやき、布団の中にもう一度潜り込む。


「・・・・・・」


最近は真夜中に目が覚めることなんてほとんどなかった。

どうして今日に限って・・・?

ほとんど眠っている頭でそんなことを考えながら、布団の中で丸まる。

 

・・・。


・・・そうだ。


・・・夢を見ていたんだ。


思い出した。


俺は、さっきまで夢を見ていた。


「・・・・・・」


だけど、夢の内容はほとんど思い出せない。

内容は分からないのに、その夢を見ていたことだけは分かる。

不思議な感覚だった。


(・・・どんな夢だ?)


思い出せない。


(・・・どんな夢だった?)


思い出せない。


何重にも靄がかかったように、さっきまで見ていたはずの情景が思い出せない。


屋外だった?


室内だった?


それとも、両方?


誰が出ていた?


俺ひとり?


他にも人がいた?


それとも、俺さえも出ていなかった?


・・・ダメだ、全く思い出せない。


(・・・まぁいいか)


夢の内容が思い出せないなんて、よくあることだ。


それをいちいち気にすることなんてない。

 

(・・・・・・)


朝まではまだ時間がある。


ゆっくりと眠っていられるはずだ。


(・・・の前にトイレ)

 

寒さで震える体を動かして、布団から這い出る。


簡単に上着を羽織って、それでも寒い夜の空気を実感する。


そして、廊下に通じる扉をゆっくりと開けた。


「わっ!」


廊下に出た途端、短い悲鳴にも似た声があがる。

 

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「わ、わ、わ、わっ!」

「・・・何やってんだ、あゆ?」

「わ、わ、わ、わ、わっ・・・って、祐一君?」
「なに驚いてるんだ?」
うぐぅ・・・びっくりしたよ・・・」


泣きそうな顔のあゆが、真っ暗な廊下に立っていた。


「まさか、こんな時間に人がいるとは思わなかったから・・・だからボクてっきり・・・」


よほど取り乱していたのか、よく見ると目にうっすらと涙が浮かんでいた。


「まさか幽霊が怖いって歳でもないだろ・・・」
「だ、ダメだよっ」
「なにが?}
「幽霊は、幽霊の話をすると寄ってくるらしいから、絶対に幽霊の話はしたらダメだよっ」
「・・・今、思いっきり自分で連呼してるだろ」
「わっ! ど、どうしよう・・・どうなるんだろ・・・」
「どうもならないから、とりあえず落ち着け」
「・・・う、うん」


バタバタと廊下でひとり騒いでいるあゆを、とりあえずなだめる。

あゆのせいで、眠気なんかすっかりなくなっていた。

うぐぅ・・・まだどきどきしてるよ・・・」


自分の胸に手を当てて、深呼吸するように息を吐く。


「で、どうしたんだ、こんな時間に?」
「・・・えっと」
「金目の物でも探してるのか?」
「違うよっ」
日課のいたずら電話か?」
「そんなことしないもん」
「だったら、トイレか?」
「・・・うん」
「なんだ、俺と一緒か」


なんで、トイレ行くくらいでこんな大騒ぎしてるんだろうな、俺たちは。


名雪さん、起きなかったかな・・・?」
「これだけ騒いだら、普通は目が覚めるだろうな」
「どうしよう・・・」
「大丈夫、名雪は普通じゃないから」


この程度の物音で目を覚ましてくれるのなら、誰も苦労はしない。


名雪さんって凄いよね。 お休みなさいって言ってから2秒くらいで寝てたよ」
「凄いかどうかはともかく、なんの得にもならない特技だな」
「そうだね・・・」


(・・・あ)


不意に、夢の断片が蘇る。


(・・・こいつが出てたような気がする)


寒そうに手を合わせている少女を改めて見つめる。


「・・・ど、どうしたの?」
「変な夢を見た」
「夢?」
「いや、別にたいしたことじゃないけどな」
「・・・ボクも見たよ、夢」


不思議そうに、暗闇の中から俺の方を見つめなおす。


「昔の夢だったような気がする・・・」
「昔って?」
「よく分からない・・・」


眉をひそめて、僅かな記憶の糸を辿るように思案する。


「祐一君が出てきたから、きっと7年前だよ」
「・・・・・・」
「・・・どうしたの?」
「いや、俺が見た夢もそんな感じだったなぁって・・・」
「偶然だね」


どこか嬉しそうに微笑みながら、ぽんと手を合わせる。


「どんな夢だったか覚えてるか?」
「木があったよ」
「・・・木・・・か?」
「うん。 でっかい木だったよ」


これくらい、と大きく手を広げてジェスチャーつきで表現している。

「・・・・・・」


何かが心の隅に引っかかっていた。

それは、些細な違和感。

思い出さなければいけないこと・・・。

7年前・・・。


「・・・祐一君?」


気がつくと、あゆが不安げに俺の顔を覗き込んでいた。


「・・・悪い、ちょっと考えごとをしてた」
「そんなことよりも、トイレ行かないの・・・?」
「あゆこそ、何で先に行ってこなかったんだ?」
「・・・・・・」
「もしかして、本当に恐いのか?」
「誰にだって苦手なものくらいあるもん・・・」
「分かったよ、ついていってやるから」
「・・・うん」


・・・。


できるだけ物音を立てないように、ゆっくりと階段を降りる。

名雪はともかく、秋子さんを起こすわけにはいかない。
明かりの灯っていない廊下も、目が慣れてきたのでほとんど苦にならなかった。

 

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「・・・お待たせ」


先に入っていたあゆが、出てくる。

そして、入れ替わりに入っていこうとする俺のパジャマの裾を引っ張る。


「・・・どうした?」
「・・・できるだけ、早く出てきてね」
「・・・どうして?」
「待っててあげるから、できるだけ早く出てきてね」
「待ってなくていいから、ゆっくり入ってる」
うぐぅ・・・」


まだパジャマを引っ張っていた。


「もしかして、ひとりでいるのが怖いのか?」
「・・・・・・」


パジャマを掴む手が、ぎゅっと強くなる。


「部屋に戻るくらい大した距離じゃないだろ」
「そんなことないもん・・・」
「直線距離で2メートルほどだ」


天井を指さす。


「直線距離なんて関係ないもん・・・」
「はぁ・・・分かったよ、すぐに出てきてやるから」
「5秒」
「できるかっ」
「1分」
「まぁ、急いでそれくらいだな」
「約束」
「分かったから、とりあえず手を放せ」
「・・・うん」


不安げに手を放す。


トイレに入ると、外からドアを叩く音や情けない声があがる。


うぐぅ・・・遅いよ・・・」
「部屋に帰ってたら良かったのに」


大体、1分あれば充分戻れると思うが・・・。

結局、寄り添うようにぴったりとくっついてくるあゆを連れて戻ることになる。


「・・・・・・」


そのまま部屋に戻ろうとして、ふと小腹が空いていることに気がついた。

我慢して寝てしまっても良かったが、あゆのせいですっかり目が覚めてしまっていた。


「・・・どこ行くの?」
「ちょっと腹ごしらえしてから戻る」
「えっ?」


当然のように誰もいないキッチンに入って、とりあえず電気をつける。

蛍光灯が数回点滅して、そして部屋が明るく照らされる。

すっかり闇に慣れた目には、眩しいくらいだった。

 

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「・・・・・・」
「やっぱりついてきたのか・・・」
「・・・だって」
「廊下の電気全部つけてもいいから、部屋に戻ったらどうだ?」
「・・・いいよ、もう眠たくなくなったから」
「それで、どうしたの?」
「ちょっと、夜食でも食おうと思ってな」
「うん」
「棚を開けたら、インスタントのひとつくらいは入ってるだろう・・・」


キッチンの中に入って、両開きの棚を開く。


「・・・・・・」
「何かあった?」


その下の棚を開ける。


「・・・・・・」
「祐一君?」


今度はその横の棚・・・。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・何もないぞ」


正確には、即席で食べれそうな物は何もなかった。


「考えてみれば、この家に来てからインスタントが出たことなんて一度もなかったな・・・」


ラーメンを食べたことはあったが、あれもインスタントではなく、秋子さんの手製だった。


「料理が上手すぎるって言うのも考えものだよな・・・」
「祐一君・・・」


遠慮がちに、あゆが声をかける。


「・・・ボクが作ろうか?」
「あゆって、料理できるのか?」
「できるよ、料理くらい」


そういや、前も自信たっぷりに豪語してたな。


「分かった。 お願いする」


これといって断る理由も思いつかなかったので、素直に頷く。


「うんっ。 ボクがんばるよ」


あゆの笑顔に一抹の不安を覚えながら、俺は食卓の椅子に座った。


「祐一君、エプロン借りるね」


当のあゆは、嬉しそうにエプロンをつけて包丁を握っていた。


「・・・・・・」


今更不安だとも言えないので、仕方なくあゆの料理を見守る・・・。

 

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・・・。


・・・・・・。

 

・・・・・・とん。


・・・。


・・・・・・。


・・・・・・とん。


・・・。


・・・・・・。

・・・・・・とん。


「・・・うー」


あゆの包丁さばきは、とても遅かった。

 

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うぐぅ・・・切れない」


しかも、全然切れていなかった。


「このニンジン、逃げるんだよ~」
「それは、ちゃんと押さえてないからだ」
「押さえてるよ~」
「だったら、切り方が悪いんだろ」
うぐぅ・・・もう1回やってみる・・・」


・・・。


・・・・・・。


・・・・・・とん。


・・・。


・・・・・・。


・・・・・・とん。


「・・・うー」

やっぱり遅かった。


うぐぅ・・・また切れてない」


やっぱりだった。


「ひとつ訊いていいか?」
うぐぅ・・・」
「今までに、包丁握ったことあるか?」
「・・・あるもん」
「どれくらいだ?」
「・・・2時間」
「・・・・・・」
「小学校の、調理実習の時に・・・2時間・・・」
「その時、何を作ったんだ?」
「ご飯とおみそ汁」
「ちなみに、今作ってる物は?」
「ご飯とおみそ汁」
「・・・・・・」
「ボク・・・がんばるから・・・」


決意を新たに、ニンジンに向かう。


「・・・がんばれ」


こうなったら、もう応援するしかなかった・・・。


・・・。


「切れた・・・」


エプロンを外しながら、あゆがため息をつく。


まな板の上には、バラバラの形に切られたニンジンが散らばっている。


「ニンジン1本に30分・・・」


しかも、皮を剥いていない。

 

「これを、一度別のお皿に移して・・・。 その間に、お鍋でお湯を沸かして・・・」


ひとつひとつ、作り方を思い返すように呟いて、危なっかしい手つきで料理を進める。


「沸騰したら、切った具を・・・」


皿の上の材料を、バラバラと煮立った鍋の中に・・・


「・・・って、待てっ!」
「どうしたの?」


どばどばどば・・・と鍋の中に緑色の葉っぱが注ぎ込まれていく。


「ニンジンの葉っぱは入れるな!」
「え・・・どうして?」


すっかり綺麗になくなった皿。

手遅れだった。


「どうしてって・・・普通ニンジンの葉っぱは捨てるだろ」
「え? ニンジンの葉っぱって食べられないの?」
「食べられるかもしれないが、普通は食べない」
「でも、こういう場所にこそ栄養がたくさん隠れてるかもしれないよ」
「・・・そんな、お婆ちゃんの知恵袋みたいな料理、嫌だ」
「もしかすると、ガン予防とかの思いがけない効果もあるかもしれないし」
「それは、変な健康番組の見すぎだ」
「食べられる物だったら、きっと大丈夫だよ。 うん、問題ないよ」
「・・・・・・」


大ざっぱな料理だった・・・。


「最後に、お味噌を入れて完成・・・」
「ちょっと待て!」
「どうしたの?」
「ダシ、入れたか?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・ダシって、何?」
「ちょっと、その味噌汁を味見してみろ」
「・・・うん?」


味噌を入れたばかりの味噌汁をすくい取って、息を吹きかけて冷ましてから一口飲む。


「・・・味がない」
「ダシを入れてないからだ」
「・・・ダシって、大切なんだね・・・」
「・・・・・・」
「・・・どうしよう・・・」
「もう、手遅れだろ・・・」
「ちょっと薄味だけど、飲む?」
「いらない」
うぐぅ・・・」
「もう、ご飯だけでいい・・・」
「うん。 ご飯はちゃんとできてるよ」


しゃもじを持って、炊飯器の蓋を開ける。


「わ」
「・・・どうした?」
うぐぅ・・・真っ黒・・・」


炊飯器の中身は、見事なまでに真っ黒にこげていた。


「・・・一体、どんな炊き方をしたら炊飯器でご飯を黒くできるんだ」
うぐぅ・・・普通だよ・・・」
「俺・・・やっぱり、寝る・・・」
「わっ。 待って、祐一君!」
「マジで眠い・・・」


すでに、空腹よりも眠気の方が先にあった。


「・・・ボク、まだがんばる」
「俺は寝る・・・」
「だったら、完成したら起こすよ」
「ああ・・・好きにしてくれ・・・」


あくびをしながら、俺は自分の部屋に戻った・・・。


・・・。


布団に入ると、あっという間に意識が遠のいていった。

 

・・・。


・・・・・・。

 

「・・・・・・」


駅前のベンチで、ひとりの女の子が座っている。


「・・・・・・」


時折寂しそうな表情を覗かせるその女の子は、ラッピングされた小さな紙袋を持っていた。


「・・・・・・」


やがて、前に立つ人の気配に、少女が顔を上げる。


「・・・あ」
「よぉ、あゆ」
「こんにちは・・・」


笑顔で声をかける。


「・・・祐一君・・・あのね、祐一君」


横に座っているあゆが、遠慮がちに俯く。

 

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「どうした?」
「あの・・・」


何か言いたそうに話を切りだして、そのまま黙り込む。


「・・・?」
「あの・・・」
「・・・・・・」
「あの・・・」


さっきと同じ言葉を繰り返すだけだった。


「もしかして、寝言か?」
「ボク、起きてるもん・・・」
「なんか、らしくないぞ」
「緊張してるんだよ」
「何だ、プロポーズでもするのか?」
「祐一君、会話が小学生らしくないよ・・・」


そう言って非難する視線は、それでも少し笑っているようだった。

 

「・・・えっとね・・・これ、あげる」


俯いたまま、小さな紙の袋を差し出す。

その袋は、赤いリボンで綺麗に包装されていた。


「・・・人形の、お礼だよ」
「別にお礼なんかいいのに」
「・・・よくないもん」
「分かったよ。 じゃあ遠慮なく貰うな」
「・・・うん」
「それで、これって何だ?」
「・・・ボクが焼いたクッキー」
「クッキーって、あの食べられるクッキーか?」
「・・・他にクッキーなんかないもん」
「いや、あまりにも衝撃的だったから動転してしまったんだ」
「ごめんね、似合わなくて」
「拗ねるなって、こう見えても素直に喜んでるんだから」
「そうは見えなかったよ・・・」


少し不満そうだったが、それでも、赤いリボンの袋を俺に手渡す。


「あんまりおいしくないかもしれないけど・・・」
「大丈夫だって、食える材料を使ってたらそんな無茶な物にはならないだろ」


その綺麗にラッピングされた包みを受け取って、リボンをほどく。

外側の包装の中には、もう1枚透明なビニールの袋が入っていた。

そして、そのビニールの中に、一口大の黒い物体が見えた。

 

 

「・・・・・・」
「どう?」
碁石?」
うぐぅ、クッキーだもん」
「黒いぞ」
うぐぅ、ちょっと焦げただけだもん」
「ちょっとか・・・?」
「焦げたの、外側だけだもん。 中はさくさくだもん」
「・・・そうかなぁ。 食べてみて」
「うーん・・・そうだなぁ・・・」


包みをほどいて、中から1枚の自称クッキーを取り出す。


「・・・見るからに碁石だよな」


試しにちょっとだけかじってみる。


ごきっ。


「・・・どう? おいしい?」
今の効果音を聴いて真っ先に訊ねることが味か・・・?」
「もしかして、おいしくなかったの?」
「いや、だから・・・」


俺は無理に笑おうとしたが、歯が痛くてそれは無理そうだった。


「無茶苦茶硬いぞ、これ・・・」
「嘘だよ。 そんなことないもん」
「嘘じゃないって。 ほら見てみろ」


さっきかじったクッキーを試しに割ってみる。

中までまんべんなく真っ黒だった。


うぐぅ・・・」
「な?」
「・・・ごめん、祐一君・・・」


しょぼん、と下を向く。


「ボク、次回こそはがんばるから」
「そうだな、がんばればきっとうまくできるって」
「うんっ」
「・・・でも、ひとつだけ訊いていいか?」
「なに?」
「このクッキーの作り方、どうやって覚えたんだ?」「テレビ・・・」


料理番組か・・・。


「・・・のCM」
「は?」
「おいしそうなお菓子のコマーシャルがあったから・・・」
「・・・もしかして、作りかた知らないんじゃないのか?」
「・・・そう、かも」
「・・・・・・」
「ボク、次回こそはがんばるから」
「いや、がんばらなくていい・・・」
うぐぅ・・・」
「・・・・・・」

俯いて悲しそうに佇んでいる女の子と、手元に残った黒こげのクッキーを交互に見る。

俺のために作ってくれたんだよな・・・。


「・・・あゆ」
うぐぅ・・・なに・・・?」


黙って、あゆの頭を撫でてやる。


うぐぅ・・・」


ありがとうな、あゆ。


素直に言えなかった言葉を心の中で繰り返して、夕暮れの時間は過ぎていった。


・・・・・・。


・・・。


1月20日 水曜日


・・・。


「・・・・・・」


目が覚めたとき、いつもとは違う感覚があった。

枕元の時計をたぐり寄せて、時間を確認すると、いつもより30分くらい早かった。

当然、目覚ましはまだ鳴っていない。


「・・・・・・」


俺は目覚ましのスイッチをオフにして、枕元に戻した。

本来なら、あと30分の微睡みを楽しみたいところだが、今朝はそんな気分ではなかった。


「・・・変な匂いがする」


どこかから、何かの焦げたような匂いが立ちこめていた。

もしかすると、早く目が覚めたのもこの匂いのせいなのかもしれない。

俺は手早く服を着替えると、部屋を抜け出した。


・・・。


廊下に出ると、その匂いは間違いなく強くなっていた。


「・・・・・・」


ひしひしと嫌な予感を感じながら、俺は階段を降りる。


「・・・・・・」

焦げ臭い匂い。

嫌な予感は、すでに確信に変わっていた。

鼻を押さえながら、キッチンへ・・・。


「・・・・・・」

食卓のテーブルには、たくさんの皿が並べられていた。

どの皿にも、何か黒い物体がもりつけられている。


「あ・・・」

「やっぱり、あゆか・・・」

 

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「おはよう、祐一君」
「もしかして、あれからずっとやってたのか?」
「うん。 がんばったよ」


包丁を握ったまま、にこっと笑う。


「それで、できたのか?」
「・・・うぐぅ・・・一晩かかっても、お味噌汁できなかった」
「それはそれで器用だな・・・」
「嬉しくない・・・」
「それで、まだ作ってるのか?」


いくつかの鍋は、今でもまだ火にかかっている。


「お味噌汁とご飯は、何度作ってもダメだったから、諦めたよ・・・。 今は、代わりに朝ご飯の準備だよ」
「・・・これが、朝ご飯?」


テーブルの上の皿には、丸くて黒い物体がのっていた。


「うん。 目玉焼き」
「・・・黒いぞ」
「ちょっと焦げちゃったけど、でも、目玉焼き」
「・・・硬いぞ」
「ちょっとくらい歯ごたえのある方がいいよ」
「・・・ナイフで切れないぞ」
「・・・・・・」
「大体、どんな調理方法を使ったら、目玉焼きをこんな状態にできるんだ?」
「・・・普通」
「普通じゃないだろっ!」

 

 

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「おはようございます・・・」


パジャマのままの秋子さんが、ドアの所に立って部屋の様子を窺っている。


「凄い匂いですね」
「・・・ごめんなさい」


秋子さんに言い咎められたと思ったのか、あゆが素直に頭を下げる。

 

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「・・・・・・」


秋子さんの後ろに、名雪の姿もあった。


「・・・わ」


台所の惨状を目の当たりにして、固まったように動かなかった。


「・・・真っ黒」


少なからず動揺しているようだった。


「あの名雪に動揺を与えるとは・・・やるな、あゆ」「うぐぅ・・・わざとじゃないもん・・・」


普通、やれと言われてもここまではできない。


「・・・これ、なに?」


皿の上の黒い固まりを指さして、当然の疑問を口にする。


「食ってみたら分かるぞ」
「・・・うん」


がりっ。


「・・・歯が痛い」


情けない表情で、口の中の物を出す。

勧めておいてなんだが、躊躇なく口に入れる名雪もどうかと思うぞ、俺は・・・。


うぐぅ・・・」
「見ろ、やっぱり食えないじゃないか」


「・・・祐一、わたしで試したの?」
「ほら、名雪だってひどいって言ってるだろ」


「・・・ひどいのは祐一君の方だと思うけど」


「朝ご飯、どうしましょうか・・・?」


秋子さんが、困ったように首を傾げる。

新しく準備しようにも、キッチンはあゆが散らかした食器や材料やらでひどい状態だった。

かといって、まさかあゆが準備した朝食を食べるわけにもいかない。


「・・・ごめんなさい」


もう一度、頭を下げる。


「困ったわね・・・」

結局、朝食は我慢することになった。


・・・。


俺と名雪が家の外に出る。


名雪、時間」
「うん」


昨日電池を入れ換えたばかりの腕時計に視線を落とす。


「・・・わっ」


驚く名雪


「ゆっくり歩いていっても、余裕で間に合うよ」
「そりゃ、30分も早起きした上に、朝飯も抜いたからな・・・」
「でも、あゆちゃん置いていっていいの?」
「大丈夫だろ。 それに本人が片づけをしたいって言ってるんだから」
「・・・うん」


頷いたものの、やはりあゆのことが気にかかるのか、家の方を振り返っている。


・・・。

 

「あゆちゃんって、どこの学校なの?」
「詳しくは訊いてないけど、この街の別の学校らしいぞ」
「そうなんだ・・・」
「何でも、私服登校OKらしい」
「そんな学校があったんだ・・・」
名雪も知らないのか?」
「うん。 わたしはこの街の学校って、ここしか知らなかったよ」


人けのない昇降口で靴を履き替えて、教室に向かう。


・・・。

 

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「・・・あれ?」
「おはよう、香里」
「おはよ、名雪


教室には、香里の姿だけがあった。


「香里が1番か?」
「・・・そうみたいね」


「香里って、いつもこんなに早かった?」
「それは、あたしの台詞よ」


「今日はちょっとな」
「ふーん・・・」
「焦げ臭くて目玉焼きが真っ黒で早起きできたんだ」
「・・・全然分からないんだけど」
「気にするな」


「香里は?」
「・・・何となく、ね・・・家にいたくなかったのよ」
「・・・?」
「こっちの話だから、気にしないで」


言い残して、自分の席に戻る。


・・・。


やがて、ちらほらとクラスメートが登校してくる。

その度に、俺と名雪が先に来ていることに驚いていたが、余計なお世話だ。


・・・。


午前中の授業が続いていた。

担当の先生が、黒板に一生懸命数式を書き写している。

舞踏会に参加する生徒にとっては数学どころではないのだろうが、参加しない大半の生徒にとっては何もない普通の平日だった。

チャイムが鳴って、これで休み時間。


「祐一、お昼休みだよ・・・」
「やっとか・・・」
「うん・・・」


「・・・どうしたの?」


ため息をつく俺たちを、不審に思ったのか香里が訪ねる。


「ふたりとも、元気ないみたいだけど」
「・・・腹が減ってるんだ」

「・・・わたしも」


「どうして?」
「・・・朝、食ってないんだ」

「・・・わたしも」


「それなら、急いで学食ね」
「・・・腹減って急げない」

「・・・わたしも」


「あんたたち、似たもの夫婦になれるわよ」
「・・・縁起でもない」

「・・・お腹空いた」


「買ってきてあげようか?」
「・・・よろしく」

「・・・眠い」


「パンでいいわね?」


やれやれといった感じで、財布を持って立ち上がる。

 

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「オレも手伝うか・・・」


ついでに北川も席を立つ。


「ひとりで大丈夫よ」
「いや、ついでだから」


何のついでか分からないが、先に歩いていく。


「・・・・・・」


仕方なく、その後ろをついていく。


・・・・・・。


・・・。

 

「お待たせ」


戻ってきた香里と北川が、どさどさとビニール袋に入ったパンを机に並べる。


「食べた分は、あとでお金払ってね」
「助かったよ、香里」


「北川君もありがとう」

昨日の夕飯以来の食い物を食べて、これで腹も少しは落ち着いた。


・・・。

 

放課後になってすぐ、俺はそそくさと撤退する。

ちょっとだけ体育館を覗いていこうかとも思ったが、面倒だったのでやめておいた。


・・・。

 

「・・・ただいま」
「おかえりなさいっ」
「とりあえず、風呂」
「ごめん、まだ沸いてないよ・・・」
「だったら、メシ」
「ごめん、まだこれからお買い物・・・」


「祐一さん、お風呂に入るんですか?」
「・・・入りません」


中途半端なボケは、突っ込まれないまま流された。


「これから、あゆちゃんとお買い物行ってきますから、お留守番お願いできますか?」
「それは構わないですけど・・・」


視線を、秋子さんからあゆに戻す。


「・・・何で、まだあゆがいるんだ?」
「今日は、ずっと秋子さんのお手伝いをしてたんだよ」
「たくさん、家のお手伝いをしてもらいましたよ」
「お小遣いも貰っちゃった」


「小遣い? いくらだ?」
「1回手伝うごとに、300円」
「お前なんか、3円で充分だ」
うぐぅ・・・何も買えないよ・・・」


「でも、本当に今日はあゆちゃんがいてくれて助かったわ」
「ボクで良ければ、いつでもお手伝いするよ」
「ありがとう、あゆちゃん」


「ずっと・・・って、もしかして、学校も行ってないのか?」
「お休み」
「お休みじゃないだろ。 水曜日なんだから」
「大丈夫だよ」
「ただ、さぼってるだけなんじゃないか?」
「ボクの学校は、休みたい時に休んでもいいんだよ」「そんな学校、あるかっ」
「あるんだもん・・・」


「祐一さん、疑ったら可哀想ですよ」
「秋子さん、少しは疑ってください・・・。 休みたい時に自由に休めるような学校が、あるわけないじゃないですか」


「あるもん・・・」


「あゆちゃんがあると言っているんですから、きっとあるんですよ」


穏やかに微笑む。


「分かりました・・・」


秋子さんにそう言われれば、納得する他はなかった。

「それでは、あゆちゃんとふたりで、晩ご飯の材料を買いに行ってきますね」

「行ってきますっ」


元気よく手を振ってから、秋子さんの腕を掴んで出ていく。


「もしかして・・・」


あゆのやつ、今夜も泊まるんじゃないか?


・・・・・・。

 

・・・。

 

1時間後、その不安は見事に的中することになった。
あゆは遠慮したのだが、名雪と秋子さんに押し切られる形になった。


・・・。

 

「・・・いい湯だった」


風呂上がりにくつろいでいると・・・。


こん、こん・・・。


不意にドアがノックされる。


「はい?」
「・・・ボク」
「あゆか? 開いてるぞ」


カチャ・・・と、ドアが開く。


「隙間から、光が見えたから・・・」


半分だけ開いたドアから、顔を覗かせていた。


「良かった、まだ起きてたんだよね?」
「こんな時間に寝てるのは、名雪くらいだ」


時刻はまだ10時過ぎ。


「・・・うん、そうだね」
「それで、どうしたんだ?」
「・・・ちょっと、入ってもいいかな?」
「別に構わないけど・・・」
「・・・うん」


ドアを開けて、あゆが室内に入ってくる。

 

 

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名雪のやつ、もう寝てるのか?」
「・・・うん。 10時になったら、すぐに寝ちゃったよ」
「10時か・・・あいつにしては遅い方だな」
「・・・そうなの?」
名雪はそんなやつなんだ」
「・・・・・・」
「それで、本当に何の用だ?」
「・・・祐一君とお話をしたかっただけだよ。 迷惑、だった・・・?」
「いや」
「・・・よかった」


ほっと息をつく。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・話をしに来たんじゃなかったのか?」
「・・・うん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」


頷いたっきり、また黙り込む。


「そういや、最初に会った時がこんな感じだったな」

俺が何度話しかけても、ただ黙ったままで・・・。


「・・・そう、だったね」
「もう、あれから7年になるんだな・・・」
「・・・うん」


7年前、商店街の片隅で、俺は偶然あゆと出会った。


「祐一君・・・その時のこと、覚えてる?」
「ああ、覚えてるぞ」
「・・・だったら・・・だったら・・・あの日のこと、覚えてる?」
「・・・あの日・・・?」
「祐一君が、このカチューシャをボクにプレゼントしてくれた日・・・」
「・・・・・・」
「祐一君が、自分の街に帰ってしまった日の、その前の日・・・。 その日のこと、覚えてる・・・?」


・・・。


「・・・・・・」
「・・・覚えてないんだね」


俺の沈黙を答と受け取ったのか、あゆが呟く。


「・・・ボクも、覚えてないんだ」
「・・・そうなのか?」
「・・・このカチューシャを貰ったことだけは覚えてるよ・・・・・・だけど、それだけ・・・」


赤いカチューシャを、あゆのために買った・・・。

それは、うっすらと思い出の中にあった・・・。

だけど・・・。


「・・・もしかしたら、祐一君は覚えてるかもしれないって、思ったんだけど・・・」
「・・・俺も、あゆだったら覚えてると思ってた」

この街に来て、忘れていた記憶は、名雪の言葉通りに少しずつ思い出していた・・・。


だけど・・・。


あゆとの思い出・・・。


それも、あの日のことが・・・。

まるで、その部分だけを意図的に切り取ったかのように・・・。


「よく考えたら、7年も前のことだもんね・・・覚えてなくて、当然だね」


・・・ふたり同時に?


そう言いかけて、言葉を飲み込む。


俺自身、あゆの言葉を信じ込みたかったのかもしれない。


「・・・そうだな」
「ごめんね、変な話、しちゃった。 覚えてなくても、忘れていても、祐一くんから貰ったカチューシャはここにあるし・・・それに・・・祐一君は、今、ボクの目の前にいるんだから」


微笑んだ少女の顔・・・。

昔のままの面影を残して、あゆが寂しげに笑っていた。


「しかし、折角、こんな時間に女の子とふたりっきりなんだから、他に何かやることもありそうだよな」
「わっ。 何てこと言うんだよぉ・・・」


真っ赤になって、下を向く。

相変わらず、からかうと面白かった。

俺は、もう少しからかって見ることにした。


「今だったら、どんな物音を立てても名雪は起きてこないだろうし、1階の秋子さんにも聞こえないだろうな・・・」
「・・・祐一君・・・冗談、だよね?」
「もちろん、冗談だ」
うぐぅ・・・びっくりした・・・」


大体、俺はあゆのことを女の子としては見ていないような気がする。


俺にとって、あゆは・・・。


「あれ?」


あゆが何かを見つけたように声をあげる。


「・・・もしかして、ここからベランダに出られるのかな?」


この部屋は角にあるので、窓がふたつついている。

その内のひとつを指さして、あゆが近づいていく。


「出られるみたいだな。 俺は一度も出たことがないけど」


この時期のベランダに出たいとは、さすがに思わない。


「祐一君、ちょっとベランダに出てみようよ」
「・・・どうして?」
「涼しそうだよ」
「寒いだろっ」
「お風呂上がりにはちょうどいいかも」
「湯冷めして風邪ひくのがオチだぞ」
「いいから、いいから」
「待てって、あゆ!」

俺の腕を取って、強引に引っ張っていく。


・・・。

 

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「ちょっと、寒いかな・・・」
「ちょっとじゃないだろ、ちょっとじゃ・・・」


夜のベランダは、想像していた以上の寒さだった。


「マジで風邪ひくぞ」
「5分だけ」
「3分」
「・・・うん。 じゃあ、3分」
「はぁ・・・分かったよ・・・」


ついたため息も、真っ白だった。


「・・・でも、どうして壁にそんなにもたれかかってるの?」
「・・・俺は、高所恐怖症なんだ」
「そうなんだ・・・」


あゆがニコッと笑いながら納得顔で頷く。


「実は、ボクも高いところ苦手なんだよ」
「・・・そうなのか?」
「うん。 でも、ベランダくらいは大丈夫だよ。 祐一君みたいに弱虫じゃないもん」
「・・・俺の高所恐怖症は、筋金が入ってるんだ」
「ここ、2階だからそんなに高くないよ」


楽しそうに、ベランダの外の風景を眺めている。


「ほら、3分経ったぞ」
「まだ、あと30秒残ってるよ」
「30秒くらい、いいだろ・・・」
「ダメだよ。 約束だもん」


結局、きっちり3分間、夜風にさらされることになった。


・・・。

 

「つき合ってくれて、ありがとう」
「どうせ、暇だったからな」
「おやすみ、祐一君」


小さく手を振るあゆが、名雪の部屋に戻っていく。


「・・・・・・」


その姿を確認して、俺も自分の部屋に帰った。

部屋の電気を落として、すぐ布団に潜り込む。

目を閉じると、完全な闇の中・・・。

昔の夢でも、見ることができればいいのに・・・。


・・・・・・。


・・・。