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ef - the first tale.【2】

 

Chapter 1. Miyamura MIyako
 "I'm here now.", ef - the first tale.

 

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雪でも降らないかな──

ふと、そんなことを考える。

雪のひとつも降れば、今年のクリスマスは思い出に残ってくれるような気がする。

せっかくのクリスマスなんだから、それくらいのイベントがあってもいいんじゃないでしょうか?

とか、思うわけだよあたしは。

ひとりで雪なんて眺めたって、ロマンもなにもないけれど。

街を歩いている人たちはみんな幸せそうだったな。

みんながみんな、幸せなわけないのに。

あたしの目が曇ってるのかもしれないけど、たぶん誰もが自分は幸せなんだって、自分を騙してるんじゃないだろうか。

みんな、自分を騙すのに必死だから──

誰も周りなんか見ていない。

あたしが泣いてても、みんな通り過ぎていく。


「ま、泣いてないけどね」

 

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いつの間にか街の喧騒を抜けて、気がつけばこんなところにいる。

人っ子ひとりいやしない・・・。


「ふーっ」


自販機で買ったばかりの熱い缶コーヒーを飲んで、一息つく。

ミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーは、甘くて熱くて最高に美味しい。

美味しいけど、どこかむなしい。


「そろそろ帰ろうかなあ」


腕時計に目をやる。

この辺りは別に物騒じゃないけど、さすがに女の子が一人歩きしていい時間じゃない。


「なんのために出てきたんだろ・・・」


あたしはため息をついてから、コーヒーを一気に飲み干し、近くにあったゴミ箱に放り込む。


「うしっ! 帰ろっ!」


ウォォォン・・・


「ん?」


遠くから低いエンジン音が近づいてくる。

原チャリかな?

こんな冷え込む日にバイクに乗るなんて、根性入ってるねぇ。

少しずつ、バイクのライトが近づいてくる。


・・・・・・え?


なにかまっすぐこっちに──


うわ、まぶしっ


目を細めたそのときだった。


──ッッ!!


「ひゃあっ!」


いきなり肩に衝撃が走ったかと思うと、あたしは地面に転がっていた。


「いったぁ・・・なに?」

 

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顔を上げると、既にバイクは数十メートルも先に行ってしまっている。


「なによ、もー」


バイクに衝突されたわけではなさそう。

お尻を少し打っただけで、他に痛いところもないし。


「って、ああーーーーーっ! ないっ! あたしのバッグ!」


肩から掲げていたはずのバッグがどこにも無い。


素早く立ち上がり、辺りを見回す。

街灯の頼りない光に照らされた地面に、見慣れたバッグの姿はない。

もしかして、もしかしなくてもさっきのバイクは・・・。


「どろぼーっ!!」


・・・。

 

 

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「・・・あん?」


教会の脇に停めておいた自転車に乗ろうとしたところで、妙な声が聞こえてきた。


「泥棒?」


ついさっき、バカみたいなスピードでバイクが走り抜けていったと思ったら、次は泥棒?

えらく騒がしい夜だな・・・。


「待ってーっ!」

 

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ばたばたと道の向こうから一人の女の子が駆けてきた。

夜道でもはっきりわかるくらい、その子は異様なくらいに慌てふためいている。

 

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「・・・・・・」
「あっ、ねえ、そこの人!」


うわ、俺に話しかけてくるか。


「なに?」


警戒しつつも、一応返事してやる。


「バイク見なかった!?」
「見たけど」
「どっち行ったかわかる!?」
「・・・あっち」


俺はバイクが走り去った方向を指さす。


「ありがとっ! あ、これ借りるね!」
「へ?」
「ひったくりなんだよ! あたしの大事なバッグ、盗まれちゃったの!」


言うが早いが、見知らぬ女は俺の愛車にまたがって、夜の闇の中に消えていった・・・。


「って、ちょっと待てよ」


ひったくりだかなんだか知らないけど・・・。

おまえは自転車泥棒じゃねえのか!

俺は舌打ちして、駆け出した。




 

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「・・・・・・・・・。


道路上に無惨な姿を晒す愛車を発見したのは、それから10分後だった。

よほど派手に転んだらしく、ハンドルやフレームまでがひん曲がってしまっている。

からからと空転を続ける車輪が痛ましさを誘い、ちょっと泣きそうになった。


「どうすればいいんだ俺は」


自転車の隣には、道路に大の字になって身動きひとつしない女が約一名。

個人的には愛車の状態を確認したいところだが、ヒトとしてはこっちの女のほうをどうにかするべきなんだろうな・・・。


「俺も一応、人の子だしな」


この女、マジでぴくりとも動きゃしねぇ。

ぱっと見たところ、外傷はないみたいだけど、頭を打ってるかもしれない。

さすがに死んでたら嫌だし、このまま放っておいたら凍死するかも。7


「おーい、あんた。 生きてますか?」


・・・・・・。


全然反応しないし。

軽く肩を揺すってみても、頬を叩いてみても一向に目覚める気配が無い。


「やばい。 もしかして本当にお亡くなりになってるんじゃ・・・。 しゃーねえな」


携帯を取り出して、119番をプッシュする。


ルルルルル・・・


『消防119番です。 火災ですか? 救急ですか?』
「えーと、怪我人です。 なんか自転車で転んだらしくて、全然身動きしないんです」
『場所はどこですか?』
「んと、ここは確か・・・」


・・・・・・


・・・


「・・・とりあえず、これでいいか」


通話を終え、携帯をポケットにしまう。


「もしかして、救急車が来たら、俺も付き添わなきゃいけないのかな」


そもそもの問題として、この人は生きてるのかっていうのがあるけど・・・。

一応、救急車が到着するまでに生死だけでも確認しておくか。

 

 

 

 

 

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意識は完全に無いみたいだけど、息はどうだろ。

女の子の鼻のあたりに耳を近づけてみる。


「なんかよくわかんねえな。 ・・・・・・ん?」


間近で顔を見て初めて気づいた。

この子、めっちゃ可愛くないか?

非常事態じゃなかったら、スケッチブックを取り出して一枚描いておきたいところだ。

いや、今やれることも特にないわけだし、スケッチしたっていいかも・・・。

背負ったリュックの中には常に鉛筆とスケッチブックが入っている。

よし、なにも問題は無い。

とりあえず、もうちょっとよく顔を見ておくか・・・。

 

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──ぱちり。


「うわっ!」


女の子のまつげの本数まで確認できそうな距離まで顔を近づけたところで、いきなり彼女が目を開けた。


「・・・・・・」
「あ、これは違う・・・」


なにが違うんだ、俺。


「・・・あれ」


女の子は二、三度まばたきしてから、むくりと身体を起こした。

 

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「えと、あたし・・・なにしてたんだっけ?」
「俺は知らないけど」


どうやら怪しい誤解はされていないようで、安堵する。

女の子は辺りをきょろきょろと見回し、壊れた自転車に目を留めた。


「・・・思い出した!」


ぽつりとそう言うと、彼女は突然走り出そうとした。


「ちょ、ちょっと待った!」


俺は慌てて彼女の手を取る。

 

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「・・・痴漢ならあとにして!」
「誰が痴漢だ!」


後とか先とかいう問題でもねえし。


「あたし、急いでるんだけど」


心底迷惑そうな言い方だった。


「バカか、あんたは。 今さっきまで気絶してた奴がなにをする気だよ?」
「バッグ盗まれたの。 だから追いかけなくちゃ」
「それはさっきも聞いたよ。 でも、バッグより命の方が大事だろ」
「うーん・・・微妙なとこだね」


おい、お嬢さん。 そこは悩むところじゃないだろ。


「とにかく、おとなしくしてたほうがいいって。 それに、もう救急車呼んじゃったんだから、あんたにいなくなられると俺が困る」


彼女はちょっと戸惑ったような顔をして、


「でもあたしが呼んでくれって頼んだわけじゃないし、それはあなたの都合じゃないかな・・・?」
「自分の都合だけ考えてていいのなら、怪我人なんか無視するよ!」
「うわっ、地も涙も無いね」
「血も涙もあるから救急車呼んだんだよ」
「あ、なるほど。 それは盲点・・・」
「・・・わかってくれて嬉しいよ」


俺は力無く言った。

ちょっと疲れてきたよ、俺。


「わかったけど・・・。 でもやっぱりダメ」


彼女はきっぱりと言い切り、ぱっと俺の手を振り払った。


「バッグにはお財布も携帯も入ってるし、あのバッグだってけっこう高かったんだから。 大事な物盗られて引き下がるなんて、やだもん。 あたし、絶対にあきらめない。 なんとしても捕まえてやる!」


今度は止める間もなく、彼女は走り出した。

本気でバカなんじゃないだろうか、あの女。

だいたい、犯人はバイクで逃げてるんだから、とっくに遥か彼方に行っちまっただろうに。


ピ~ポ~ピ~ポ~ピ~ポ~


「げ」


なんか、すっげぇ面倒くさい状況になってる。

救急車が来たら、俺が一から事情を説明しなきゃいけないのかよ。

なにも悪いことなんてしてないのに、なんでこんな目に・・・。

いや、それより。

あの女の子、放っておいて大丈夫なのか。

追いかけてる途中でぶっ倒れるんじゃないのか?

もし仮に運良く犯人を見つけたところで、バッグを取り戻せるとも思えない。

あの子はどう見ても腕っ節の強そうなタイプじゃなかった。

最悪、返り討ちってことも・・・。


「ちっ。 なんつー夜だよ、まったく」


ピリリリリッ、ピリリリリッ


「っと」


走りだそうとしたところで、ポケットの中の携帯が鳴り出した。


「あ、やばい。 ・・・やっぱあいつからか・・・」


ちょっとドキドキしつつ、歩きながら携帯を取り出して通話ボタンを押した。

 

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「はい」
『もしもし!?』
「はい、広野だけど」
『はい、じゃないでしょ! お兄ちゃん、今どこにいるの!?』


そんな大声出さなくても聞こえるっつーの。


「どこって・・・とある場所」
『全然答えになってないでしょ! まさかとは思うけど、約束忘れてるんじゃないでしょうね』
「忘れてない。 ただすっぽかしてるだけ」
『なにをあっさり開き直ってるの! ちょっとは悪びれるとかしたらどうなのよ!』
「お城の舞踏会に着ていくドレスが無いの」
『白雪姫か、あんたは!』


いや、シンデレラだろ。


『だいたい舞踏会じゃなくて、クリスマスパーティ!』


つーか、やばいな・・・。

そろそろマジギレしそうだ。


「実は今それどころじゃねえんだ」


後が怖いから、一応ごまかしておくか。


『・・・急な仕事とか入ったの?』
「いや、なんというか──」


遠くからばたばたと足音が聞こえてくる。

やばい、救急隊員の人たちかも。


「取り込んでるからまた今度な」
『また今度ってなによ。 ちょっと待ちなさい!』


ぷちっ


なにも答えずに俺は通話を切って、携帯をしまった。


「さて、と・・・」


急がないと、救急隊員の皆さんに捕まってしまう。

まったく、クリスマスなんてろくなことがねえよ。




 

本当にろくなことがない。

二度と会わないどころか・・・。

 

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「あれ、ついてきちゃったの? ダメだよ、ついてきても飼えないんだから」
「・・・俺はエサを貰った子犬か?」


あの子は、事故現場から数百メートル離れた路上にぽつんと立っていた。


「ついてきたんじゃなくて、救急車から逃げてきただけ。 事情説明すんのメンドイし」
「なーんだ。 つまんないの」


俺はこの子を楽しませてあげなくちゃいけないのか・・・?


・・・。

 

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「あー、夜の海って、なんだか落ち着くよね」
「なにを和んでんだよ」


俺は正体不明の少女と一緒に、夜の浜辺にいた。

なぜこんな状況になってるかというと。

あの後、女の子は危なっかしい足取りでふらふらと歩き出し──

俺もなんとなく彼女について行って──今、ここにいるというわけだ。

いったいなにをしてるんだろうな。

別にこの女の子を追いかける必要なんて無かったのに。


「というか、あんた、あきらめないんじゃなかったのかよ?」
「走りすぎて疲れちゃった。 あー、もうどうでもいいや」


お嬢さん、さっきの気迫はどこに行った。


「大してお金入ってなかったし、カードも今すぐどうこうできないだろうし、携帯も自宅とおばーちゃんの家の番号しか入ってないし・・・。 あのバッグも高かったけど、だいぶ使い込んでたから、そろそろ買い替え時だったし、ちょうどいいよ。 だから、もういいの」
「さっきと言ってることが全然違う・・・」


あきれたもんだ。

 

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彼女は本当にどうでもよくなったらしく、真っ黒な海に視線を向けて、ぼんやりとしている。


「あ、そうだ」
「はい?」
「さっきからきになってたんだけど、あなた、誰なの?」
「誰って言われても」
「名前は?」
「・・・・・・広野絃」


なんだかどうでもよくなっている俺は訊かれるままに答える。

 

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「ふーん。 ちょっと変な名前だね。 あたしはね、宮村みやこ
「そっちだって、ちょっと変わってるじゃん」
「そっかな? ああ、そうかも」


彼女──宮村みやこは一人で納得して、しきりに頷いている。

目の前には静かな波音を立てる海。

隣には文句なしに可愛い女の子。

しかも、クリスマスの夜。

今までの俺の人生にはあり得なかった、ドラマチックなシチュエーションではあるけれど、心は高揚していない。

むしろ、肉体的にも精神的にも疲労の極みにあるくらいだった。


「あたし、わからないんだけど、広野くんはどうしてこんなところにいるのかな?」
「どうしてって・・・そりゃあ・・・そうだ」


急に思い出した。

こいつのせいでクラッシュした我が愛車のことを。


「どうしてくれるんだよ、俺の自転車」
「じてんしゃ?」


宮村みやこは首を傾げる。

この女、もう忘れてやがる。


「あんたがかっぱらって、挙げ句の果てにぶち壊した俺の自転車のことだよ!」
「・・・おおっ」


宮村はぽんと手を打った。


「おお、じゃねえ。 あれはもう修理しても使い物にならねえぞ、たぶん」
「そういえば、あの自転車、どうしたの?」
「それは──」


あ。

しまった。

救急車から逃げ出すときに置き去りにしてきたんだった・・・。


「ちゃんと回収しておいたほうがいいよ。 あんなの、道路に置きっぱなしにしてたら人の迷惑になるし」
「ああ、そうだな、そのとおりだよ。 でも、あんたにだけは言われたくねえ」
「あははっ、そりゃそうだね」


宮村は明るく笑いながら言った。

こっちにしてみたら笑い事じゃないのですが。

決して安いもんじゃないんだからさ。

 

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「あのなあ・・・」
「もしかして、怒ってます?」


気がつくと、宮村が俺の顔をのぞき込むようにしていた。


「怒ってるわけじゃないけどさ」
「うーん」


宮村みやこは、腕組みしてなにか考えていたかと思うと、ぴょこんと頭を下げた。


「ごめん」


先ほどまでとはうって変わって、真摯な瞳を俺に向けている。


「大事なものだったんだよね? 本当にごめん」


なんだよ、この突然の変わり身は。


「・・・もういいよ」
「許してくれるの?」


宮村は、ぱあっと顔を輝かせて嬉しそうに言った。

感情がころころ切り替わるな、こいつ。


「もちろん弁償はしてもらうけどな」
「え~っ」


不満そうな声を上げられても、そこはさすがに譲歩できない。


「そりゃ当然だろ」
「財布を盗られて、無一文になった女の子にそれは無いんじゃないかな~と思うんですけど」
「それはそっちの事情だろ」
「えと、出世払いじゃダメかな?」


宮村は小首を傾げ、上目遣いで言ってきたけれど。

そんな可愛い仕草なんかでごまかされるほど俺は甘くない。


「あんたの将来なんて担保になるかよ」
「ひどっ・・・」
「今すぐ払えとは言ってねえよ。 連絡先を教えておいてくれればそれでいいから」
「うー、わかったよ・・・。 でもイタ電かけたり、『可愛い女の子の電話番号です!』とかネットに晒したりしないでね?」
「誰がするか、んなこと!」


それと、事実とはいえ、自分で可愛いとか言うな。


「油断のならない世の中だからね」
「むしろ、あんたの疑り深さが怖いよ」


宮村の携帯は盗まれてしまったので、彼女の自宅の電話番号を俺の携帯にメモリーする。


「よしっと・・・。 じゃ、後で連絡するから」
「はーい・・・」
「んな恨めしそうな声出すなよ。 んじゃ、俺はそろそろ行くけど」
「疲れたから、まだ動きたくないなー」


それは、俺にももうちょっとここに居ろって言ってるのか。


「俺だって暇じゃないんだけどな・・・」
「こんなに身体動かしたの久しぶりだからなー。 明日は筋肉痛かも」


無視しやがった、このアマ。

でも待てよ?

あんまり平然としてるから忘れてたけど、筋肉痛はともかくとして・・・。


「大丈夫なのかよ?」
「へ? なにが?」
「体調だよ。 どこか痛いところとか、吐き気とかないのか?」
「うんにゃ、全然」


本当かよ。

あれだけ完璧に、完全に気を失ってたのに。


「自覚症状がないだけかもしれない」
「言われてみると、お尻がちょっと痛いかな・・・」
「ケツのことはどうでもいいけど」
「あんまり良くないよ」


宮村は笑ってるけど、本当に大丈夫なのか。

真剣に心配になってきた。


「大丈夫だってば。 そんな不安そうな顔しなくても」
「気ぃ失って倒れてるとこ見てるし・・・」


さっき会ったばかりの女とはいえ、こうして会話を交わした相手に死なれるとさすがに寝覚めが悪い。


「あたし、気絶なんかしてないよ」
「思いっきり意識無かっただろ!」
「うそー。 全然記憶にないよ」


宮村は心外だ、という顔をする。


「そりゃ、気絶してるときの記憶があるわけねえ」
「あ、そっか」


いちいちこんなとこまで説明しなきゃいけないのか。

色々と面倒くさい女だな。

だいいち、俺はいつまでこいつに付き合ってるんだ。


「広野くん」


月のささやかな光の下で、彼女はかすかに笑っていた。

海から吹き込んでくる冷たい風に、彼女の髪がさらさらと揺れる。

髪を押さえながら、宮村みやこはゆっくりと唇を動かした。

 

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「ありがと」
「・・・なにが」
「心配してくれて、ありがとう」
「なに言ってんだ」


俺はぷいっと顔を逸らす。

人から礼を言われるのは好きじゃない。


「広野くんって、優しいんだね」
「うるせーよ」
「照れるな、照れるな」


宮村は馴れ馴れしく俺の肩を叩きながら言った。

くそ、なにかに負けたような気がするのはなぜだろう。


「その優しさに免じて許したげる」
「許す?」
「気絶してるあたしに色々イタズラとかしたでしょ?」
「してねーよ!」


"イタズラ"とか生々しい単語を使うな。


「だって、あたしが目開けたとき、ものっすごく近くにいたよね」
「あれはただ・・・息してるか確認してただけだよ」


ちょっと嘘だけどな。


「ちゅーしたりとか、女の子の口からはとても言えないようなトコ触ったりとかは?」
「してねえっつーの!」
「・・・男色のヒト?」
「それもちがーう!」


ああ、イライラする。


「あたしって、そんなに魅力なさげなの?」
「あのな・・・」


俺が紳士だという発想はないのか。


「あんた、変わった女だよな・・・。 変な女2号だ」


気を取り直しながら、俺はつぶやく。


「1号がいるの?」
「まあね」


教会で会った雨宮優子といい、この宮村みやこといい、今夜は奇妙な女の子と縁があるらしい。

雨宮優子に言わせれば、今夜は特別な夜らしいけど・・・。

なにもなくてもいいから、穏やかな夜よ戻ってきてくれ。


ち~ん♪


「おっと」


コートのポケットから聞こえてきたのはメールの着信音だった。

たぶん、またあいつからだろうな・・・。

 

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俺は携帯を取り出し、液晶画面をのぞき込む。


「・・・・・・」

『パーティすっぽかして、どこほっつき歩いてるの、バカ! 死んどけ!』


予想通りの人物から、予想通りの内容のメールが表示されていた。


「ふむ、『パーティすっぽかして、どこほっつき歩いてるの、バカ! 死んどけ!』か。 キツイね」
「おい、見んなよ」

 

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知らぬ間に宮村が近づいて、俺の携帯の画面をのぞき込んでいた。


「あ、ごめん。 つい」
「なにがつい、だ。 まったく・・・」


無防備に身体を寄せてくる宮村から離れながら、俺は携帯をしまった。


「今のが『変な女1号』さん?」
「ちげーよ。 なんつーか、ただの知り合いだ」
「彼女?」
「てめ、人の話を聞けよ」
「ハニー?」
「同じことだろ?」


知り合いだって言ってるだろうが。


「でも・・・」
「あん?」
「広野くんには、そうやって心配してくれる人がいるんだね」
「死んどけ、という台詞をどう解釈しても俺の身を案じてるとは思えない・・・」


メールの送り主──新藤景はまさか本気で『死ね』と言ってるわけじゃなかろうが、怒っていることは確かだろう。

マジギレした景は手負いの獣より怖いので、しばらく会わないのが得策だな。


「広野くん、違うよ」
「違う?」
「そういうことじゃないんだよ。 死んじゃえとかストレートに言える関係がいいなって言ってるんだよ」
「なにを言ってるのか、意味がさっぱりわからん」
「わかんなくてもいいよ。 あたしもよくわかんないし」


宮村みやこはそう言って──ほんの少し笑った。

ほんの少し、寂しそうに。

なぜ彼女がそんな顔をするのか──

知りたいような、知りたくないような。

でもきっと、知る必要のないことだと思う。

だから、俺はなにも言わない。


「返事はしなくてもいいの?」
「こういうときは下手に刺激せずに、相手が忘れるのを待つことにしてるから」
「弱気だね」


宮村みやこは俺を興味深そうに眺めていた方が、やがてふーっと大きくため息をついた。


「そろそろ行くよ」
「そうか」
「とりあえず、ばいばいだね」
「ああ、そうだ。 病院行ったほうがいいぞ」
「うん、考えとくよ」


宮村はどうでもよさそうに言って、歩き出した。

俺もその後ろをついて行こうとしたところで──

彼女は立ち止まった。


「あ・・・」
「?」
「雪だよ、雪──」
「え?」


視線を上に向ける。

雲に覆われた夜空から、はらはらと雪が落ちてきている。


「わーっ、すっごい」


宮村みやこは嬉しそうに笑いながら、舞い降りる粉雪を眺めていた。


「あははははっ」

 

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本当に嬉しそうに。

屈託のない笑い声を響かせながら。

くるくると、踊るようにして雪を戯れている。


ホワイト・クリスマスだね・・・」
「どうでもいいけどな」


そう、どうでもいい。

雪なんてただの自然現象でしかない。

なんでこいつは楽しそうに踊ってるんだろ。

俺は別になにも──なにも感じていない。


「ちょっといいと思わない? こういうの」


背中を向けたまま、宮村みやこは問う。


「特には」
「同じ気持ちで雪を眺められる人と一緒にいられたらなあ・・・」
「悪かったな、さめてて」
「ま、誰かと一緒にいられるってことで良しとしよう。 ひとりぼっちのホワイト・クリスマスなんて寂しいだけだもんね」


こいつ、自分を慰めてるな。

そう思ったけど、口には出さなかった。

宮村がロマンチックな気分に浸るのは勝手だし、わざわざ水を差すこともないだろう。


「時に、広野くん」
「なんでしょう」
「考えてみれば、家の鍵もあのバッグに入ってたんだよね」
「・・・だから?」


あ、嫌な予感。


「あたしの家って、今誰もいないの。 そうすると、少なくとも今夜は外で過ごさなきゃいけないんだよね」
「そうなるだろうな」
「思うに、女の子が一人で夜明かしするのは色々と危ないのではないかと」
「まさか、俺に付き合ってくれって?」
「毒を食らわば皿まで、って言うよね。 さ、行こ」


宮村みやこは振り返ってにっこりと微笑む。


・・・・・・

どうやら今年のクリスマスはまだまだ終わってくれないらしい。

そんな確かな予感とともに、俺は一歩踏み出した──

 

・・・。

遠くから声が聞こえる。

誰かが騒いでいる声。

なにか物を叩く甲高い音。

うるさい。

どっか行け。


──「起きろって言ってんでしょうが!」


どがっ!


「・・・・・・いってぇ」


頭が割れるように痛いというか、本当に割れてるんじゃないか?


「今のはなんだ・・・。 拳か蹴りか・・・?」
「カカトよ」
「どうりで一際ダメージがでかいと思った・・・」

 

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しかし、格闘技をやってるわけでもないくせに、こいつは年々技が光ってくるな。

ああ、末恐ろしい。

 

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「起きた?」
「・・・起きた」
「まったく・・・。 身体によくないから、机に突っ伏して寝るのはやめなさいって言ったでしょ。 人の話、聞かないんだから」


俺を見下ろしている制服姿の少女──新藤景はあきれ顔で言った。

 

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目をこすりながら時計を見て、愕然とする。


「・・・まだ7時じゃん」
「なにか問題でも?」


冷ややかな声にも俺は怯まない。


「ワタシ、寝たのは6時を過ぎてたんだけど・・・」
「それはお兄ちゃんの勝手でしょ。 そんなとんでもない時間まで起きてるのが悪い」
「こっちの都合も考えてくれるとありがたいんだけどな・・・」
「仕事もいいけどね、お兄ちゃんの本業は学生なんだから。 しっかりしてよ」


この態度がでかい女の子の名前は新藤景

俺が借りているこの家の大家の孫娘で、俺より1つ年下。

お兄ちゃんなんて呼んでくるけど、血のつながりは無く、まったくの他人。

一応、ガキの頃からの知り合いでもあるが。

要するに、知り合いの中年男を『おじちゃん』と呼ぶのと同じで、たまたま俺は年が近いので『お兄ちゃん』などと呼ばれているわけだ。

この歳になってまで、その呼び方はどうかと思うが、景は注意したところで素直に聞くようなタマじゃない。

ケジメはつけてるから、いいんだけどね。


「いつまで机にしがみついてるの。 さっさと顔を洗ってきなさい。 歯も磨くのよ」
「・・・・・・」


最初は妹分だったはずなのに、今では犬とその飼い主みたいになってるのはなぜだろう。

でもまあ、細かいこと気にするのはやめておくか・・・。


「その間に昼食作っておこうか。 どうせなにも食べてないんでしょ?」
「あー、いや、いいわ」


俺はぶんぶん首を振った。


「あんま腹減ってないし」
「朝食はちゃんと摂らないと。 寝不足な上にお腹すいてたら倒れるわよ」
「腹壊したら、結局お休みしなくちゃいけないじゃん」
「ふふふ・・・。 足させ動けば学校には行けるわよね」


景の瞳が危険な色を帯びる。


「いいえ、今のは忘れてください」


俺はまたもぶんぶんと首を振った。

景は絶望的に不器用で、野菜の皮むきひとつできない。

それどころか、目玉焼きすらまともに作れない奴のメシを食った日にはどうなるか──俺はよぉく知っている。

しかも、自分の料理下手を認めようとしないのが困ったところだ。


「ふん。 いつか見てなさいよ。 絶対美味しいって言わせてやるんだから」
「その自信はいったいどこから・・・」
「もうこの話は終わり。 ごはんいらないのなら、さっさと準備して」
「ハイハイ」


俺はぼりぼりと頭をかいて、ため息をつく。


「でもさ、今日は始業式なんだから、別に休んだってかまわないんじゃねえの。 締め切り近くて、大ピンチなんだよ」
「ピンチピンチって、毎月ピンチって言ってるじゃない。 ピンチってなによ?」
「実際そうなんだからしょうがないだろ」
「あのねえ。 お兄ちゃん、わかってますか?」


大げさにため息をついてから、景は言う。


「お兄ちゃん、出席日数めちゃくちゃヤバいのよ? 3学期は皆勤賞狙うくらいじゃないと、進級できないのよ?」
「そりゃわかってるけどさあ・・・」
「頭も成績も悪い。 根性も曲がってる。 その上、出席日数が足りないんじゃ、もう一度2年生やらせてくれって言ってるようなもんよ」
「根性は関係ないと思うけど・・・、来年度は景と同じクラスになれるかもな」
「そうならないように、ちゃんと学校行けって言ってるのよ!」


景は前髪をかき上げ、あきれたように深々とため息をつく。


「わたしだって毎朝起こしに来られるほど暇じゃないのよ。 朝練だってあるんだからね」
「そりゃわかってる」


景はバスケ部所属で、本人の弁によると1年生でありながらポイントゲッターとして活躍してるとか。

こいつは軽量小型でありながら、運動性は大変に優れているので、たぶん本当だろう。


「最初が肝心なのよ、お兄ちゃん。 今日休んだら、またズルズル休んじゃうに決まってるんだから」
「なんか俺って、登校拒否してるあかん子みたいだな」
「似たようなもんでしょ」


全然違う。

こっちにはよんどころのない事情ってもんがあるのに。


「もういっそのこと、学校やめちまうか・・・」

 

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「あん!?」


口調を豹変させた景が俺の胸ぐらをつかんで、揺さぶり始めた。

やばい、モードが切り替わってる。



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「あんた、なにふざけたことぬかしてんだよ! たいがいにしねぇと血ぃ見んぞ!」
「景、景。 言葉遣い、言葉遣い」
「はっ!?」


ぱっと景の手が離れる。

わざとらしく咳払いなどしつつ、景は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。


「おまえ、そのキレやすいところ、なんとかしろよ」
「あぅ、つい・・・」


景はずっと体育会系で、先輩方から様々な影響を受けているため、言動も性格もちょっとばかり漢らしい。

それに加えて・・・。


「で、でも、これはお兄ちゃんの毒舌の影響だし・・・昔からずっと聞いてるから」
「また人のせいにするし」
「それに、今のはお兄ちゃんが悪いのよ。 学校やめるなんてたわ言をいうから」
「本気にすんなよ、ちょっと言ってみただけだよ」
「それならいいけど・・・」
「だいたい、景がむきになることでもないだろ」


俺の言葉に、景は唇をとがらせる。


「わたしはね、お兄ちゃんより年下なのよ」
「知ってるよ」


その割にはずいぶん偉そうだけどな。


「ただでさえ同じ学園に通っていられる時間は少ないんだよ。 だから、今やめられたら・・・」
「・・・つまり、俺に留年してでも学園に残れって?」
「全っ然違う! ・・・やめられるよりは全然いいけど」


いったいなにが言いたいのやら。


「もういい。 さっさと準備して! さもないと学園まで引きずって行くわよ!」
「ふぁーい」


釈然としないものを感じながらも、俺はのろのろと立ち上がった。

しかし、朝っぱらからどたばたしてるよな。


・・・。

 



 

 

 

 

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学園への道をゆっくりと歩きながら、俺は大あくびした。

 

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「お兄ちゃん、始業式の最中に居眠りなんかしちゃダメよ」


横を歩く景が軽くたしなめてくる。


「始業式に出るかどうかも定かじゃねえな」
「なにぃ?」


ぎらり、と向けられる景の鋭い視線。


「冗談だって・・・。 けど、眠くなるに決まってるよ。 学園長、話長ぇからなあ。 老い先は短いくせに」
「もう、またそんな失礼なことを言う・・・」
「ホントのことだろ」
「まったく・・・。 でも、真面目な話、お兄ちゃんはちょっと考えたほうがいいんじゃないの?」
「なにを?」」
「学業と仕事の両立について」
「難しいテーマだな」
「考える価値はあるでしょ? ねえ、『新堂凪』先生」
「その呼び方はやめろって」


新堂凪──


それは俺のもうひとつの名前だ。

ペンネームと言った方がわかりやすいだろう。

ちなみに『新堂』は景の名字を借りてきてちょっと変更、『凪』は俺の姉貴の名前をそのまま借用した。


「でも、本当よ。 一回真剣に考えたほうがいいって。 きついでしょ、色々と?」
「そうでもないけどな・・・」
「仕事なんて、学生の内からやらなくてもいいんじゃないの? 学園生活には限りがあるんだし、今しかできないことってあるでしょ?」
「はは、青春は一度きりってか」
「真面目な話をしてんだよ!」
「だからすぐにキレるなって・・・」
「あんたが茶化すからでしょ! あんまりふざけてると、ばらすわよ!」
「ばらす? ばらされて、山に埋められるの?」


俺の返答に、景の目がすうっと細められる。


「へえ、そういう態度に出るのね・・・。 広野絃は一見、ただのダメ学生。 しかし、その正体は少女漫画家だったので──」


幸い、周囲に人影はなかった。

ほっとして、景の口を解放する。


「・・・ふぁっ!」


耳まで真っ赤にしながら、景は必死に自分の口を袖でぬぐっている。

そんな汚いものが触ったみたいにされると、ちょっと傷つく。


「も、もうっ、突然なにすんのよっ!」
「そりゃこっちの台詞だ。 誰にも言わないって約束だろうが」


少女漫画家であることを恥じてるわけじゃないけど、言いふらすようなことでもない。

それに、編集からも少女漫画の作者が男であることは、世間には知られないほうがいいと言われている。


「黙ってるかどうかはお兄ちゃんの心がけしだいです」
「それは、約束じゃなくて脅迫っつーんだよ」
「・・・さすがに連載やめろとは言わないけど、もうちょっとちゃんと登校してよ」


学園休んでも俺の進級が危なくなるだけだが、原稿が間に合わなかったら、読者に申し訳が立たない。

担当編集の怒りだって恐ろしい。

仕事を優先するしかないんだよ、景。


「・・・まあ、考えとくわ」


と、心にもないことを言っておく。


「うん、考えておいて」


景はこくりと頷き、にっこり笑った。

心なしか歩調も軽くなったかのように見える。

騙して悪いけど、おまえのご機嫌うかがうために、仕事放り出すわけにもいかないからさ。


「お兄ちゃん、年末もお正月も休まずに原稿描いてたんでしょ?」
「まあ・・・」
「まともな人間の生活じゃないわよ。 漫画家なんて、どいつもこいつもイタいわよね」
「そこまで言われる筋合いもねえよ・・・」


どうも景は最近、漫画そのものを嫌ってるみたいに見える。


「おまえさ、最近俺の漫画読んでる?」
「そりゃ読んでるに決まってるでしょ」


バカじゃないの、という顔をする景。


「でも感想とかほとんど言わなくなったな」
「わたしが言わなくても、読者からの手紙とか来るでしょ?」
「文通も可能なくらい少ないけどな・・・」


ああ、せつない。


「それに・・・」
「それに?」
「なんかいまさら感想とか言うのって・・・照れるもの」
「・・・そうか」


本当に照れてるだけならいいんだけどな。

景も昔は、俺が少女漫画を描いていることを心から喜んでくれていた。

未熟だった俺の作品も、景なりの拙い言葉で褒めてくれたものだった。

こやって、俺の仕事に文句を付けるようになったのはいつからだろう。


「お兄ちゃん、オーバーワークでどうにかしちゃったんじゃないの? 元からあまりまともじゃなかったのに、そのうち病院に連れて行かれちゃうわよ。 最近のお兄ちゃんは不審なところが多すぎ──」


ぽん、と景は手を叩いた。


「あ! 思い出した!」
「な、なんだよ、急に」
「クリスマス!」


景の人差し指がびしっと突きつけられる。


「え?」


『クリスマス』という単語に、ぎくりとする。

色々とろくでもないことがあった昨年のクリスマスは、未だに記憶に新しい。


「お兄ちゃん、せっかくわたしたちのパーティに呼んだのに来なかったわよね!」
「なんだ、そんなことか・・・。 今頃蒸し返されても」


そういえば、景は冬休み中は部活だの家族旅行だので忙しくて、一度も会ってなかったか。


「みんな、お兄ちゃんが来るのを待ってたのよ!」


確かに、景とその友達数人でのクリスマスパーティに誘われていた。

そして、当日になってばっくれました。


「クリスマスに待ちぼうけか。 なんかドラマチックじゃん」
「いいように言うな! 待たされたほうの身にもなってみなさい!」
「女だらけのパーティだったんだろ? んなもんに行けるかよ」
「でも、来るって言ったじゃないの」


景は恨みがましい目をする。

2週間も前のことを根にもたないでほしいな。


「違う、『行けたら行く』って言ったんだよ」
「それは『行く』って言ったのと同じよ!」


それはどこの世界のルールなんだろう・・・。

景があんまりしつこく誘ってくるもんだから、適当に返事しただけなのに。


「とにかく、パーティに集まってくれた子たちに謝っておいてよ。 わたしも気まずかったんだからね」
「ばっくれたのは俺なのに、なんでおまえが気まずくなるんだよ」
「いいから謝るの! ああ、電話でもいいから、ミズキにも謝っておいてよ」
「え、羽山に電話すんのかよ」


羽山ミズキは付属校のほうの生徒なので、顔を合わせる機会はほとんどない。

けど、あのやたらにテンションの高い小娘は正直言って苦手なんだよな・・・。


「当たり前でしょ。 あの子だってお兄ちゃんが来るのを楽しみにしてたんだから」
「・・・わかったよ」


当然、電話なんてする気はありません。

羽山のバカのことだから、もうきれいさっぱり忘れてるよ。

たぶん、きっと。

 



 

ここ、音羽学園の2年生にして、少女漫画家。

3年ほど前に少女漫画雑誌主催の新人賞を受賞。

短編を数本雑誌に掲載した後、1年前に連載枠を獲得し、月刊連載をスタート。

作品の人気は高くも低くもなし。

単行本は未だ一冊も発行されてない。

連載スタートと同時に実家を出て、マンションを経営している新藤という爺さんから部屋を借りて一人暮らしを始める。

締め切り間際は完徹で原稿をやってたりで、勉学と漫画の両立は厳しいものの、なんとかかんとかやってる最中。

以上がワタクシ、広野絃のプロフィール。


──そんな激動の半生を生きてきた俺は今、屋上に向かっていた。


朝のHRまでにはまだ時間があるが、教室で友達とだべっている暇はない。

でも、教室でいきなり漫画執筆を始めたりすれば、なんだかいじめに遭いそうな気もするし、正体もばれてしまう。

そこで──


俺はポケットから1本の古びた鍵を取り出す。

こいつの出番となるわけだ。





屋上は基本的に立ち入り禁止で、生徒は教師の許可を得た者以外は出入りできない。

もっとも、この寒い時期の屋上にわざわざやってくる物好きがいるはずもない。

人目を気にせずに作業をしたい俺にとって、ここは格好の場所だった。    

本っ当に、死ぬほど寒いけどね。

 

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「さてと・・・」


原稿はペン入れの真っ最中なのだけど、屋上に原稿用紙だのライトボックスだのを持ち込んで作業している風景はシュールすぎる。

そういうわけなので、次回分のコンテと設定を描くことにする。

これならノートと鉛筆だけでも作業できるし、もし誰かが現れても隠すのも容易だ。

床に座り込み、リュックから道具一式を取り出して、ついでにポータブルCDも用意する。

イヤホンを耳にはめこみ、再生ボタンを押す。

お気に入りのヴァイオリニスト、久瀬修一の曲が流れ始める。

気分が落ち着き、それでいて時には刺激もあって、インスピレーションが湧く──ような錯覚に陥ったりする。

なぜか彼の曲を聴きながらだと筆もスムーズに進む──ことが多いような気がする。

気休めかもしれないけど、なにはともあれ、俺の創作には久瀬修一の音楽は必要不可欠なものだ。

ストーリーだのコマ割りだのはすぐには思いつかない。

ひらめきが訪れるまで、悶え苦しみ、時には幻覚や幻聴に襲われたりしながらひたすらに考え続ける。

目を閉じ、キャラクターたちの姿を脳裏に浮かべる。

彼らがなにを思い、どう動くか──

ただそれだけを考える。

考えて、考えて──


・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・


・・・・・

 

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いつも、なにかが足りないような喪失感があった。

自分が見ている世界には色が一つ抜けているのではないか。

何色が抜けているのか、答えを見つけたくても見つからない。

焦りだけが、じわじわと心を蝕んでいく。

 

【それでもあなたは一度掴んだものを決して離そうとしない。 夢を叶え、更にその先を目指している】

「当たり前だろ」


突然の少女の声にも驚かず、俺は普通に受け答えしていた。

 

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【強いんですね】


俺は首を振る。


「バカだから、あきらめるってことを知らないんだよ」

【いいえ、あなたは強いと思います。 あなたの強さはいったいどこから来るのですか?】

「そんなの訊いてどうするんだよ」

【純粋な好奇心ですよ】

「好奇心もいいけど、観察したり推測したりするのも重要なことだろ。 なんでも質問すればいいってもんじゃない」

【あら、手厳しいですね】

「俺は優しくない人ですよ」

【そのようですね】


彼女は小さく笑う。


「俺が強いかどうかはわからないよ。 ただ・・・」

【ただ?】

「夢を叶えた人間には責任があるんじゃないかなと思ってる」

【それは、誰に対してですか?】

「・・・夢見ていた頃の自分に」


・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・

 

 

「・・・・・・ん?」


目を開けると、そこにはなにもない、普通の青空が見えた。

一度頭を振って、現実を確認する。

うん、俺がいるのは学園の屋上だ。

間違いない。

 

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「・・・寝てたのか、俺」


どうやら、コンテを描き始めてすぐに寝入ってしまったらしい。

当然、作業はまったく進んでないし、ひょっとしたら始業式も終わってしまったのかも。

いつの間にか音楽も止まっていた。

携帯を取り出して、時刻を確認しようとしたところで異変に気づく。


「おっと、お目覚めですか」


視線の先、屋上の緑に立っていたのは──


宮村みやこ──?」



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「おはよ」


あの夜の砂浜と同じく、凍てつきそうな風が吹くこの場所に、彼女はいた。


「あ、ああ。 おはよう・・・」


えーと。

なんでこいつがここにいるんだ?

しかも音羽学園の制服なんか着て。


「お、おまえ、なにしてるんだ?」
「なにって、広野くんと話してるよ」
「おまえ、音羽の生徒なの?」


ああ、声がうわずってる。

 

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「当たり前だよ。 制服着てるのが見えないかな?」


宮村はスカートの裾をつまんで、ちょこっと持ち上げてみせた。

ああ、太ももがそんなにも。


「制服姿もけっこうそそるでしょ」
「『も』ってなんだ、『も』って。 いや、確かにけっこう可愛──そうじゃなくて」


ああ、なんか動揺してるぞ俺。


「ちょっと落ち着け」


宮村みやこがここの生徒でも別になんの不思議もない。


「落ち着くのは広野くんのほうだよ」
「んーと、おまえがウチの生徒だっていうのはわかった。 でも、なんでここにいるんだよ?」
「完全に熟睡してたね。 こんなとこで寝てたら風邪ひいちゃうよ」


俺は、ぐるぐると首を回す。

風邪はともかく、変な体勢で寝てたので身体が痛い。


「眠りにくそうだったね。 ちょっと膝枕でもしてあげよっかなって思ったけど──」
「え」
「足がしびれそうだから、やめちゃった」


そう言って、宮村はからからと笑う。

・・・思いとどまってくれて良かった。

目が覚めたら膝枕されてました、なんて状況に置かれたら、どうリアクションすりゃいいのか。


「どうでもいいけど、おまえ、俺の質問に答えてねーぞ。 なんでここに?」
「決まってるじゃない」


宮村はこれでもか、というくらいの満面の笑顔を浮かべた。

悔しいことに──

なにが悔しいのかわからないけれど──

俺はその笑顔に一瞬、心臓が大きく跳ねるのを感じた。


「あたしはね。 広野くんに会いにきたんだよ」


要するに、宮村みやこはたまたま廊下で俺の姿を見かけ、後をつけてきたらしい。

 

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「見かけたんなら、すぐに声をかければいいじゃん」
「それはさあ、あれですよ」


どれだよ。


「心の準備とかあるじゃない。 あたしも女の子だし──」
「わけわかんねえ」
「クリスマスを二人っきりで過ごした人との再会だもん。 ロマンチックにいきたいじゃん」
「誤解を招く表現はやめましょう、宮村さん」


家に帰って鍵がないという宮村に無理矢理付き合わされて、朝までカラオケとファミレスのはしごをしただけだ。

そして、支払いは全部俺でした。


「それにしても、同じ学園の生徒で学年まで一緒だったなんてねー」
「俺、あんまりガッコ来ないからな・・・。 クラスメイトでも顔とか名前知らない奴がいるくらいだ」


同学年とはいえ、別のクラスの奴なんて知るはずもない。


「あ、一緒。 実はあたしもどこに出しても恥ずかしくないサボり魔だよ」
「ダメダメだな」
「うん、広野くんも同類なんだよね。 ちょっと嬉しいかな。 仲間、仲間♪」
「勝手に仲間意識を持たれても」


困る、と言いかけたところで宮村と目が合った。


「ところで、気になってることがあるんだけど」
「なんだよ」
「屋上って立入禁止だと思ったんだけど。 いつも鍵がかかってるって」
「ああ、そのことか」
「俺の姉貴がさ、この学園の卒業生なんだよ。 なんでも、ヘンな友達から合鍵をもらったんだって」
「へー」


宮村は感心したような声を上げる。


「そのヘンな友達からお姉さん、お姉さんから広野くんに代々伝えられた秘密の場所ってわけだね」
「そんな大げさなもんじゃねぇけどさ」


姉貴は入学祝いに金や物をやるのが惜しくて、苦しまぎれに合い鍵をくれただけだ。

一人になるにはいい場所なんで、ありがたかったけど。


「でもびっくりしちゃった」


宮村は檻の中の熊のようにふらふらしながら言う。

落ち着きのない女だ。


「屋上ってフェンスないんだね。 中庭から屋上を見てもわかるはずなのに、今まで気づきもしなかったよ」
「ああ、それは俺も驚いたけど、考えてみれば特におかしな話じゃないだろ」
「フェンスって転落防止のためだもんね。 人が出入りしない屋上にそんなもの必要ないか」
「そういうことだろうな」


たまに俺たちみたいなのが立ち入ることは考慮されてないんだろう。


「邪魔なフェンスがないのはいいねえ。 見晴らしがいいし。 それに──ふら~っと地面に吸い込まれそうになるなー」
「おい」

 

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宮村は無警戒に屋上の縁に近づいていく。

今にも彼女がその向こう側に消えてしまいそうな気がして──

 

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俺はとっさに彼女の腕を掴んだ。


「え、なに?」
「危ねえよ。 あんまりそっちに行くな」
「心配性だよね、広野くんって」
「おまえが危なっかしいんだよ」


あのクリスマスにも思ったことだけど、この宮村みやこはちょっとやばい。

普通の人が越えないラインを──またぐようなことはしないけれど、踏みつけるくらいは平気でやりそうな。

上手く言えないけれど、そんな感じがする。


「なんですか、その熱いまなざしは?」
「なんでもねーよ」


俺は宮村から手を離す。

彼女は俺に握られていた箇所を軽くさすって、微笑した。


「広野くん、またもや話は変わるんだけど」
「・・・なんでしょう」
「ごめんね。 実はあたし、見ちゃった」


ぎくり。


「そのノート」


考えてみれば、俺、完全に無防備だったんだよな。

コンテを描いたノートもそのまま・・・。


「もしかして、広野くんってば、ドリーム持っちゃってるの?」
「なんのことやら」
「照れない、照れない。 恥ずかしいことじゃないんだから」


・・・見られた以上は、とぼけても無駄か。

くそ、これまで家族と景以外には誰にも知られずにきたっていうのに。


「夢っていうか・・・。 俺、漫画家なんだよ」
「なにそれ、自称? 妄想?」
「事実だよ!」


こいつ、俺を漫画家志望の夢追い人だと思ってやがる。


「雑誌に連載持ってるプロなんだよ、これでも」
「・・・マジ?」
「マジっす」


宮村は興味深げに俺をじろじろと見ていたが、やがて感心したような表情をして、深く息を吐いた。


「どんな漫画描いてるの?」
「大ざっぱに言うと・・・少女漫画だよ」


彼女の目が大きく見開かれた。

ま、驚くのも当然だ。


「言われてみると、広野くんって女の子みたいな顔してるね」
「・・・・・・」


なにが言われてみるとだ。


「うわ、気づいてみたら、ますますそう思えてきた。 マジで女顔だね、広野くん。 ノーマルな男の子も道踏み外しそう」
「もうちょっと違うところに反応しろよ、おまえは。 同い年の、それも男が少女漫画描いてるって、けっこう衝撃発言だろ」
「うーん、あんまり漫画読まないから、漫画家って言われてもピンと来ないんだよね・・・。 あれ、なにやらご機嫌ななめ?」


宮村は俺を凝視しながら言う。


「女みたいと言われて喜ぶ男はこの世にいねえよ」
「ああ、子供の頃、『オカマ』ってあだ名をつけられてたんだね」
「誰もそんなこと言ってねえぞ」


そのとおりだけど。

宮村はくすくす笑って、意味もなくくるりと一回転した。


「けど、大したもんだね、広野くんは。 なんとなくだけど・・・わかるよ。 うん、つまりもうお仕事してるんだよね。 うーん」


俺を上目遣いで見ながら、宮村はしきりに感心している。

 

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「他人を褒めてる暇があったら、自分が褒められるように努力でもしてろ」
「うわ、偉そう」
「俺の漫画を読め。 偉そうな台詞がいくつも書いてあって、笑えるから」


俺がにやりと笑うと、宮村も笑顔を返してきた。

風が鳴っている。

揺れる彼女の髪とスカート。

空に近いこの場所で、俺たちはバカみたいに笑顔を向け合っていた。


・・・。

 

 

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ち~ん♪


メールか。

俺はペン入れをする手を止めて、机の上に置かれた携帯に手を伸ばす。


『明日は朝練あるから起こしに行けません。 ちゃんと起きて学校に行ってください』


ふむ・・・。


『追伸:さぼったら死あるのみ。 景』


「・・・・・・」


どうも景観は一言余計だな。

こんなので将来嫁にもらってくれる男がいるのかと不安になる。


「ま、俺が景の嫁ぎ先を心配してもしょうがないか」

 

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つぶやいて、原稿に目を落とす。

ふうー、白さが目にしみるな。

締め切りまでもう時間がないのに、この原稿の白さはいかがなもんだろう。

せめて誰かに手伝ってもらえばいいんだけど・・・。

俺にはアシスタントはおらず、背景はもちろん、ベタやトーンなんかの仕上げも全部一人でこなしている。

この音羽みたいな地方都市ではアシスタントを見つけにくいというのもあるし──

雇いたくても雇えない経済事情もある。


「やるしかねえんだよなあ」


ぱんっと頬を叩いて気合いを入れ、丸ペンにインクをつけて、さあペン入れの続きを──


ピリリリリリッ、ピリリリリッ


がくり。


「・・・人がやる気になってるところを、まったく」


再び携帯を取り上げ、おもむろに通話ボタンを押す。



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「はい、広野です」
『俺や』


ドスの利いた声が鼓膜に届く。


「・・・そのヤクザみたいな口調はなんとかならないのかよ、大村さん」


ただでさえ柄の悪そうな関西弁なのに。


『人の口の効き方にけちつけんなや。 それで、どうやねん』
「ペン入れがあと5ページ」


電話の相手、大村義彦は俺の担当編集だ。

年齢は聞いたことはないけど、たぶん30代前半から中盤というところ。

もともとは武闘派出版社で男気溢れる漫画雑誌の編集をやってたそうだ。

今の会社に移ってからは、なにを間違えたのか、少女漫画の編集部に籍を置いている。

ていうか、本当に書類の手違いで配属されたんじゃないのか?

口が悪く、おまけに性格も顔の作りも乱暴なこの男が、他の少女漫画家さんたちとコミュニケーションが取れるとは思えねぇ。


『ペンはええけど、新堂センセ。 それで仕上げは間に合うんか?』
「間に合わせるよ」
『なんやったら、臨時のアシスタント都合して、そっちに送ったろか』


ただ、大村さんは顔が悪い割に、仕事はできる。

たぶんもうアシスタントも手配済みで、俺が頷けば即座に音羽に送り込むつもりなんだろう。

でも。


「いらねーよ。 今までだって原稿落としたことないんだから、信用してくれよ」
『そうか、わかったわ。 おまえがそう言うんなら任せるわ。 ところで、ちゃんとメシは食うとるか?』
「今日は・・・ごはんと漬け物とみそ汁を」
『・・・あのな、封建時代の農民やないんやから、もっと栄養のあるもんを食えや』
「貧乏なんで、白いごはんを食べるのがやっとなんですよ。 そろそろ原稿料上がりませんかね?」


と、冗談めかして訊いてみる。


『それは前から言うとるやろ。 ギャラのアップは俺に勝ってからや』
「なんで漫画家が編集者に肉弾戦挑まないといけないんだ!」


学生時代はラグビー部でならしたという筋骨隆々な大村に、運動不足の漫画家が勝てるはずもない。


『男には、拳で掴み取らなあかんもんがある!』
「わけわかんねえよ!」


どうしようもねえな、このオッサン。


『まぁ、いつでも挑んでこいや。 それはさておいて』
「・・・まだなにか?」
『矛盾しとるようやけど、無理はすんなや。 おまえが倒れたって誰も得せえへんからな』


おや、心なしか優しい口調。

さすがにベテラン編集だけあって、飴と鞭の使い分けも上手いもんだが・・・。


「バカ言ってんじゃねえ! 無理しなきゃ間に合わねぇんだよ! 編集が生ぬるいこと言ってんな!」


俺は気を遣われるより、罵詈雑言を浴びせられているほうが気楽なタチなんだよ。


『ああ、そうかい! そやったら、死んでもええから原稿上げろや。 倒れるときは前のめりや。 ええな!』


それだけ言うと、大村さんは俺の返事も待たずに電話を切った。

まったく、作家を大事にしてんだが突き放してんだか。

俺は携帯を置いて、ペンを手に取る。


「言われなくたって上げますよ」


いい感じにプレッシャーもかかったしな。


・・・。


世の中がつまらないだとか。

自分はなんの取り柄もないだとか。

なにもしたくなくて、毎日だらだら遊びたい奴の言い訳でしかない。

俺は自分に言い訳したくない。

ちゃんと前を向いて進んでいきたい。

ただ──そう思う。


・・・。