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ef - the first tale.【3】

 


・・・。

 

──「えらく眠そうだなぁ、広野」


休み時間、俺が机に突っ伏してくたばっていると、堤京介が声をかけてきた。

 

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「そういうおまえはいつも無駄に元気そうだよな」
「羨ましいか?」
「用がないならどっか行け。 おまえと遊べるような元気はねぇんだよ」


追い払うようにして手を振ると、京介はくっくっくと喉の奥で笑った。


「おまえ、なにやってんだか知らないけど、いつも疲れた顔してるよな。 もう長くないんじゃないの?」
「・・・・・・」


言われるまでもなく、俺自身が死の危険を感じている。

いつものことなのだけど、締切ギリギリで原稿を完成させ、出版社宛に送付。

そして寝る暇もなく、登校。

流れるような素晴らしいスケジュールだ。


「なあ京介」
「ん?」
「俺が死んだら、おまえは泣いてくれるか?」


徹夜明けのせいか、わけのわからないことを口走ってしまう。


「そもそも葬式に行くかさえわからないな。 先約があったらちょっと・・・」
「おまえに訊いた俺がバカだったよ」


こんな奴の相手してないで、ちょっとでも眠るか。


「それに、俺が泣かなくてもあの・・・なんだっけ? 女バスのちっこくて可愛い子。 あの子が泣いてくれれば充分だろ?」


なぜだろう。

 

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俺の遺影に向かって散々悪態をついている景の姿が目に浮かんだ。


「・・・成仏できそうにねえな」
「ぜいたくだよ、おまえは。 だいたい、想像してみろよ。 俺がおまえのために泣いてるところを」
「・・・気持ちわりぃな」
「だろ?」


京介はにやりと笑う。

本人は普通に笑ってるつもりだろうが、京介の笑みはどこか不敵に見える。

聞くところによると、この笑顔が魅力的などと世迷い言をいってる女子も少なくないらしい。

少女漫画を描いてる身でなんだけど、女の考えることはよくわからん。


「なんだよ、人の顔じっと見て。 そっちの道にでも目覚めたのか?」
「おまえには、いるのかよ?」


奴の戯れ言は流して、問いかける。


「は? なにが?」
「死んだら泣いてくれる奴」
「はっはっは」


汚ねえ、笑ってごまかしやがった。

前に、京介は彼女の有無を問われて、『今日はいない』と答えたらしい。

女には不自由してないみたいだが、長く深く付き合っている人間もいないんだろ。


「・・・泣くかどうかはともかく、おまえに寄ってくる女がいるっていうのは納得できねぇ話だよな」
「なんでだよ。 別におかしくないじゃん」
「いーや、おかしい。 毎度毎度、どうやって弱みを握ってるんだ?」
「脅迫なんてしてないっ!」
「なら、どういう手で人生あきらめさせてるんだ?」
「俺と付き合うと破滅するのかよ!」
「違うのか?」
「ちゃんと愛があるんだよ!」
「愛という名の幻想か」
「おまえは人をなんだと思ってるんだよ・・・」


つっこみ疲れたらしく、京介は弱々しくつぶやいた。


「でも、結局は別れちまうんだろ?」
「も、物事には終わりがあるんだよ・・・」


そりゃそうだな。


「・・・なんにしたって、寂しい人生だよな」
「まあ、それはそうなんだよなー」


なにをしんみりしてるんだか。

がらり。


「あれ、もう来やがった」


教室に入ってきたのは担任の教師だった。


「次はロングホームルームだっけ。 安心して寝られるな」
「寝るのかよ。 今日は進路指導がどうとか言ってたぞ。 進路志望アンケートも配るんだとさ」
「ふーん、そうなのか」
「ま、今日くらいは真面目に起きとけよ」


京介は苦笑しながら言って、自分の席に戻っていった。

志望アンケートって1年の頃から何度も書いてる気がする。

一応、音羽は名門だし、当然のことだけど。

これまでまともに書いたためしがないが、もう2年も終わり。

この時期になってまで、いい加減なものを書いたら呼び出しは必至だろう。

でも、真剣に書いたところで呼び出しをくらうのはほぼ確実。

真面目な調査で『漫画家』なんて書かれた日には、俺が教師でも怒るな。


・・・。

 

昼休みのことだった。


──「広野先輩」

 

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後ろからの呼び声に振り返ると、そこにいるのは神妙な顔をした進藤景。


「なんだよ」
「実はお願いがあるんですが」


景は、胸の前でぱんと手を合わせる。


「だから、なんだよ」
「お金、貸して」


まったく遠慮のない物言いだった。


「・・・俺、貧乏なのに」
「うん、知ってるけど、その上で言ってるのよ。 さあ、先輩。 さっさと出すもの出して」
「なんだ、その頼み方は」


バカにしてんのか、このガキ。

駆け出しである俺が、大した原稿料も貰ってないのを知った上での狼藉か。


「お昼代だけでいいから。 ちょっとお財布忘れちゃったのよ」
「おまえ、けっこうウカツだよな。 んなもん、友達にでも借りろよ」


わざわざ俺のところに来なくても。


「友達に借りを作るのってちょっと嫌なのよ」
「俺ならいいのかよ?」
「もちろん」


なぜか嬉しそうに頷いて、景は手を差し出した。

そんなに頼られちゃって、お兄さんも嬉しいよ・・・。

俺は渋々財布を取り出し、札を1枚、景に渡した。


「ありがと。 ちゃんと返すからね」
「あったり前だ。 利子も忘れんなよ」
「世知辛い世の中よね・・・。 いつからそんな銭ゲバになったのよ」
「あほぅ、冗談だ」


言いながら、ふと思い出した。

そういえば、つい最近もどこぞの誰かに貸しを作ってそのままだったな。

女の子相手に改めて取り立てをする気になれんかったから、放置してるんだけど。


「それで、これから食堂に行くんだけど・・・先輩も一緒に来る?」


なぜか赤面しながら、景は言った。

しかも妙にそわそわしてる。

このところ、景は変なタイミングで挙動不審になるんだよな。

なんだかわからんけど──


「行かねぇよ」


景の眉がわずかにつり上がる。


「わたし一人じゃないわよ。 友達も一緒よ?」
「余計にやだよ。 それならおまえと二人のほうがよっぽどマシなくらいだ」


ぱっと景の顔が輝いたかと思うと──更に顔が紅潮した。


「で、でも。 広野先輩なら女の子たちの中に混ざってても違和感ないわよ?」
「おまえ、最近手が早いだけじゃなくて、一言多いぞ」


人のコンプレックスに触れるような発言は控えていただきたい。


「あ」
「ん?」

 

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景が突然、あらぬ方向に目をむけ、つられるように俺もそちらに視線を送る。

廊下の向こうから一人の少女が歩いてくる。

なんの表情も浮かべず、速くもなく遅くもない歩調で歩いてくる彼女は──


「あれ、宮村」

「・・・ん」


宮村は俺をちらりと見ると、そのまま無言で歩き去っていった。


「なんだ、あいつ?」


まだ午後の授業があるというのに、鞄なんぞ掲げてどこに行くつもりなんだか。

ま、宮村がなにしようと俺には関係ないけど。

あいつにはあいつの事情があるんだろうし、口を挟めるほどの関係でもない。

図々しいと思われるのも嫌だしな。

くいっと俺の袖が引かれた。


「ん?」
「・・・お兄ちゃん、宮村先輩と知り合いなの?」
「ああ、ちょっと。 つーか、おまえは宮村のこと知ってんのか?」
「そりゃ知ってるわよ」


景は呆れたように肩をすくめる。


「2年の宮村みやこ先輩でしょ? 有名よ、あの人。 この学園で知らないのは広野先輩くらいでしょうね」
「あいつ、なにかやらかしたことあるのか?」
「違うわよ。 あの通りの美人だもの。 バスケ部の男の子たちもたまに宮村先輩のこと噂してるわ」
「ああ、なるほど」


宮村みやこは、確かに見てくれだけは良すぎるくらい良い。

そのうち、じっくり時間をかけてスケッチさせてもらいたいくらいだ。

原則として少女漫画には美しい少女が登場しなくてはならず、そのモデルとして宮村は申し分ない。


「それともう一つ」
「やっぱりなにかあるのか」


見た目はともかく、中身は問題ありそうな奴だからなあ。


「サボリの常習犯で、たまに授業に出てきても先生の言うことなんて完全に無視。 指名されても返事しないらしいわ」


本人もサボり魔だとか言ってたな、そういえば。


「だけど、授業に出てもそれとは。 えらくねじ曲がってんだな、あいつ」


あまり人のことは言えないが。


「お兄ちゃん、わたしからも質問があるんだけど」


あれ、心なしか不機嫌そうな口調。

なにか俺、悪いことしたか?


「宮村先輩とどういう関係なの?」
「どういうって・・・ちょっと話をする機会があっただけだよ。 別に友達でもなんでもない」
「ああいう人、先輩の好みでしょ?」


なぜか景の声には殺気すらこもっている。


「適当なこと言うなよ」
「何年付き合ってると思うの。 先輩の好みくらい知ってるわよ。 ああいう、ちょっと不思議系で、儚い感じのする美人ってモロに広野先輩のタイプじゃないの」


俺が描くヒロインは、そういうタイプが多いのは確かだ。

でも景は2つ間違ってる。

好みだから儚いタイプを描いてるんじゃなくて、とある女の子をモデルにすることが多いだけ。

それと、宮村は儚いってイメージからはほど遠いと思うぞ。


「違うの?」
「アホか、俺は熟女好みだよ」

 

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「デタラメ言うなっ!」
「痛ぇっ!」


景の鋭いローキックが向こうずねに炸裂。


「お、おまえ、もうちょっとおしとやかにできないのかよ」
「あんたがいらんこと言うのが悪い」


そうかい。

バットもへし折れそうなローが繰り出せるんだから、バスケ部なんてやめて、空手部にでも入れ。


「・・・でも、あまり関わらないほうがいいわよ」
「宮村のことか?」
「だって、ろくに学校にも来ない人なんて・・・胡散臭いじゃない」
「俺もそうだよ」


音羽学園で進級が危なくなるほどサボりまくってるのは俺くらいだろう。


「もちろん広野先輩もはたから見れば胡散臭くて、どうしようもない問題児だけど」
「そうなのかよ」


ちょっとショックだ。


「けど、広野先輩は遊んでるわけじゃないでしょ」
「宮村だってなにか事情があって休んでるのかもしれないだろ」
「なによ、宮村先輩の肩を持つの?」
「なんせ俺好みなんで」

 

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「バカっ!」
「ぐはっ!」


今度は脇腹にミドルが炸裂・・・。


「ぼ、暴力反対・・・」
「あんたは物わかりが悪いから、しつけには暴力も必要なのよ!」
「人を犬かなにかみたいに言いやがって・・・」


・・・・・・。


・・・。

 




 

 

 

 

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「ワンワンワンッ!」
「うおっ!」


突然、玄関先に鎖で繋がれていた犬に吠えられた。

噛みつかれるはずもないのに、俺は素早く犬から距離を取る。


「こういう凶暴な犬は、庭にでも繋いでおいてほしいよな・・・」


招かれざる客を追い払うのが目的だろうが、通行人の迷惑も考えてほしいもんだ。


──「でも広野さんはびっくりしすぎですよ」


「繊細なんだよ、俺は・・・って!」


ここにいるのがさも当然のような顔をして、ひとりの少女がそばに立っていた。

 

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「あ、雨宮優子!」
「ども♪」
「ど、どうも・・・」


なんとなく挨拶してしまう俺。


「よく私の名前を覚えていてくれましたね。 広野さんって人の名前なんかあっさり忘れちゃいそうな、酷薄な人に見えましたけど」
「・・・コクハクってなんだよ」
「要するに、『悪魔』ってことです」
「・・・なるほど」


言われてみると、確かにそうだ。

悪魔がどうこうじゃなくて、一度会っただけの女の名前を覚えてるなんて俺らしくもない。

でも、不思議と忘れられない名前なんだよな・・・。


「どうでもいいけどな」
「なにがです?」
「気にするな。 んなことより、あんたはなにやってんだ?」
「人さらいです」
「おおっぴらに口にすることじゃないな、それは・・・」
「あ、間違い。 人捜しでした」


舌など出しながら、雨宮優子は頭を下げた。


「つーか、わざとだろ」


俺をからかってやがるのだ、この女は。


「今日は割とあったかいですね。 天気もいいし、こういう日は冬も悪くないなって思いますね」
「おまえな・・・。 会話する気がないんなら俺は帰る」
「おまえっていうのはちょっと・・・。 優子って呼ぶことを特別に許可しますよ」
「俺が嫌だよ、名前で呼び捨てなんて」
「そんな他人行儀な」
「思いっきり他人だよ!」
「融通がきかないんですね、広野さんは。 まったく、最近の若い人にしては頭が固い・・・」
「若い人って、そっちのほうが俺より年下だろ」
「あら、そう見えます?」
「いくつなんだよ」
「広野さん、広野さん。 いいことを教えてあげます。 女性に年齢を訊いてはいけませんよ。 これ、世の中を生き延びるための鉄則です」
「生死に関わるようなことなのかよ・・・」


・・・。

 



 

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別に生死に関わるようなことじゃないんだから。

そう思うんだけどなあ、あたしは。

 

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手に持った進路志望アンケートに視線を落とす。

何度となくこの手の調査票は配られたけど、まともに書いたためしがない。

書くことがないとも言う。


「だって、やりたいことなんてないしさ」


つぶやいても、答えてくれる人はいない。

答えがほしいわけじゃない。

そして、答えを探そうとも思っていないのです。


「だから、こんなものはこうしてしまいましょう」


ぐしゃぐしゃと手の中でアンケートの紙を乱暴に丸める。


「ああ、せいせいした~」


後で先生になにを言われるかはとりあえず考えないことにしよう。


「さあ、宮村選手──」


さらに独り言をいいながら、5メートルほど先にあるゴミ箱に身体を向ける。


「大きく振りかぶって──」


だいたい、夢を記すにはこんな安っぽい紙切れはふさわしくないよね、うん。

自分を納得させ、しっかりと前を見据えて、狙いをつける。


「第一球──投げたっ!」


・・・。




 

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「あ、外れた」


放り投げた書き損じの紙が、ゴミ箱の緑にあたって、床に落ちてしまった。


「ちぇっ」


仕方なく、机から離れ、改めてゴミ箱の中に放り込む。

そのまま机には戻らず、倒れ込むようにしてベッドの上に横になった。


「ふう・・・」


さっきから次回の話のアイデアをまとめているのだけれど、ちっとも上手くいかない。

最初からスムーズにいったためしはないし、焦ったところでどうにもならないことはわかってる。

でも、締め切りがある以上、のんびりもしていられない。

いつもなにかに追い立てられている。

立ち止まってしまったら、そのなにかに捕まり、自分は壊されてしまうんじゃないか。

そんな錯覚すら覚えていた──

ふと今日の出来事を思い出す。


『・・・焦っているんですか?』


雨宮優子はそう言っていた──    


「・・・焦っているんですか?」


雨宮優子の口から脈絡なく飛び出した言葉に少し驚いた。

 

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「焦ってる? それ、俺に言ったの?」
「私は電波さんじゃないので、目に見えないなにかとお話したりはしませんよ」
「別になにも焦ってねえよ。 なんでいきなりそう思うんだよ?」
「なんとなく、ですね。 外れてましたか?」
「言っただろ、別に焦ってないって・・・」
「あら、残念。 私のカンってけっこう当たるんですけどね・・・」


口ではそう言いつつも、雨宮優子は特に残念そうではなかった。


「まあ、あなたくらいの年頃で焦りも迷いもないってことはないでしょうけど」
「んなことねえだろ。 のんびりかまえてる奴なんて、いくらでもいるんじゃねえの?」


俺の周りでも、京介なんか絶対なにも悩みはないと思う。

あの宮村だってかなりノーテンキそうだ。


「そういう人たちは顔に出ないだけですよ、きっと」
「・・・わかったようなことを言うんだな」
「私も通ってきた道だからでしょう」


すました顔で、雨宮優子は諭すように言った。

そういうもんかね・・・。

って、あれ?


「通ってきた道?」
「はい?」
「ちょっと待った。 あんた、マジでいくつなんだ?」
「あらあら、そんなに私に興味津々ですか」
「冗談言ってるんじゃねえんだけど」


この外見で、まさか本当に俺より年上?

「しょうがないですね。 特別サービスで、ちょっとだけ教えてさしあげましょうか。 あなたよりは年上ですよ。 人生色々、酸いも甘いも噛み分けてきてますから♪」


これまで聞いた中で、もっとも胡散臭い発言だな。


「というか、お仕事だってちゃんとしてますしね」
「仕事? あんた、働いてんの?」


今度こそ本当に驚かされた。


「学生かと思ってた・・・」
「あなたこそ、この間は職業柄とかなんとか言ってたのに、学生じゃないですか」


雨宮は制服姿の俺を軽く睨みつけてくる。


「それには込み入った事情があるんだよ。 仕事持ってる学生がいたって別におかしくないだろ。 あんたこそ、マジで社会人なのかよ」
「ちゃんとお仕事してますって。 見てのとおりです」
「見てもわからんぞ、全然。 むしろ見れば見るほど疑わしくなってくる」
「あらら」


心外だ、と言わんばかりに雨宮優子は憮然(ぶぜん)とした表情を浮かべる。


「ふうん、仕事ねえ」
「その関係で、これから人に会わなくちゃいけないんですが」
「よくわかんねえけど、なんの仕事?」
「うーん、なんとうか、基本的には人に奉仕するというか・・・まあ、小間使いみたいなものですよ」


奉仕。

小間使い。

若い女の子。

これらのキーワードから導き出せる職業といえば。


「・・・もしかして、メイド?」
「ふふふ・・・」
「メイドか、メイドなのかよ! ま、まさか『夜のご奉仕編』とかあんのか!」
「いいえ、ご奉仕は時間を選びません」
「いつでもオッケーってことかよ!」
「24時間、どんなときでも御用なんなりと」
「よ、要求はどこまで応えるの?」
「お望みのままに」


優雅に礼をする雨宮優子。


「そ、そういう世界って実在してたのか・・・」
「・・・一応ご忠告しますが、変なビデオの見過ぎじゃないですか、広野さん」
「うん、俺もそう思う・・・」


いいや、メイド物は集めてないけどさ。

焦っているかどうかはともかく、ちょっと脳がオーバーフロー気味なのは確かみたいだ・・・。


「広野さん、やっぱり疲れてるんじゃないですか? 少しはお休みして、自分をいたわったほうがいいですよ」


と、言われても困る。

休めるもんなら、とっくに休んでるっつーの。


「そんなもん、大きなお世話だよ」
「ええ、そうでしょうとも。 わかってて言ってますから」


雨宮優子はそう言って、にっこりと笑った。


・・・。

 



 

たぶん、雨宮優子がカンがいいというのは本当だろう。

 

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「・・・・・・」

ベッドから起き上がり、通学鞄から1枚の紙を取り出す。

進路志望アンケート。

ただ1枚のこんな紙切れに、意外なほどに動揺している自分がいた。

そろそろ進むべき道を決めなければならない事実。

漫画家として一生やっていくほどの覚悟なんて、まだできてないのに。

確かに、俺は焦ってる。

自分が進んでいく先にあるものが見えない。

いや、見たくないのかもしれないな──


・・・。

 



 

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今日も実にいい天気だった。

この青空をモノクロで表現しなさい、と言われたら可能だろうか。

・・・たぶん無理。

ずっと一人でやってるせいか、トーンワークはいつも大ざっぱだからなー。

もっと時間がほしい。

仕事に打ち込めるだけの、もっといいものを作るための時間が。

でも、本気でそうしたいのなら──


──「だーれだっ♪」


「むぐっ!?」


なんだ!?

いきなり目の前が真っ暗に──

っつーか、目だけじゃなくて鼻と口も同時にふさがれてる!


「むぐぐ・・・っ、ぐ~~っ、ぐうう!」


マジで息ができねぇ!


「さあ、誰でしょう?」


誰でしょう、じゃねぇって!


「ぐぐぐ・・・」


ヤバイ、意識が──遠のいて──い──


「あれれ? なんかぐったり・・・」


俺の人生──こんなところ─で。


「おーっと」


ぱっ!


「ふはぁっ!!」


解放されると同時に、大きく息を吐き出す。


「げほっ、げほっ・・・」


大口を開けて、必死に空気をむさぼった。

 

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「あ、顔色が初号機みたいになってる」
「て、てめぇなあ・・・」


すっとぼけた顔をしてる犯人を睨みつける。


「無理して喋らずに、ゆっくり呼吸したほうがいいよ」
「誰のせいでこうなってんだ!」
「もちろん、あたし♪」
「あたし♪ じゃねぇっ!」


やっと頭がはっきりしてきた。


「てめえ、妙に気安く近づいてくると思ったら・・・狙いは俺の命だったのかよ!」
「よくある可愛いいたずらじゃない」
「普通は目隠しするだけだろ!」
「え~っ、だって普通じゃ面白くないもん」
「おまえの楽しみのために殺されてたまるか!」


本当、なにを考えてやがるのかこいつは。

この前はなぜか無視されたけど、今日はめちゃくちゃ機嫌が良さそうだ。

この女はつかみどころがないよな。


「というわけで、改めてこんちはー」


そう言って宮村は、大抵の男なら恋に落ちてしまいそうな笑みを浮かべる。


「ああ・・・」
「広野くんがいてくれてよかった」
「は?」


これもまた、男心を揺さぶりそうな台詞だな。

揺れないけど。


「だって、あたし、ここの鍵の開け方知らないもん。 教室にUターンっていう事態もありえたからね」
「んじゃ、来るなよ・・・」


せっかく、一人で静かな昼休みを満喫してたのに。


「結果オーライだよ、広野くん」
「あー、そうですかい」


こいつくらい適当に生きてる人間も珍しいよな。

その気楽さがちょっと羨ましいけど。


「あれ、なーんか死にそうな顔してるね。 屋上でそんな顔してると、自殺志願者だと思われちゃうよ」
「おまえはどっから見ても自殺しそうにねえな」
「えー、そんなに褒められても困るよ」
「今の発言をどうやったら褒め言葉と取れるんだ?」
「なんでもいいように考えちゃうの。 頭が能天気にできてるからね、あたし」


驚くほどの真理を言って、宮村は笑った。


「はーっ、本当にいい天気だね。 こういう日は授業なんか受ける気しないよね」
「おまえは天候に関わりなく授業サボりまくってるんだろ」
「確かにあたしはサボり魔のヒトだけど、不良じゃないよ? ホントに」
「ま、ヤンキーには見えねえけどな。 学校嫌いなのか?」


宮村はうーん、とうなりながら考え込み始めた。

軽く訊いただけだから、深刻になられても困るんだけど。

・・・。


・・・3分経過。


「宮村、あのさあ」
「広野君、今日のお仕事は?」


突然、表情を緩めたかと思うと、妙なことを尋ねてきた。


「は? いきなりなにを・・・」
「いいから。 今日はお仕事詰まってて、早く原稿上げないと編集さんに血祭りに上げられるとかだったりする?」
「んな状態だったら学校来ねぇよ」
「じゃ、行こうか」


言うが早いが、宮村は俺の手を掴んで歩き出そうとする。

 

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「ちょ、ちょっと待て。 行くって、どこへ?」
「ここではないどこか~?」


えーと、実は前から疑ってたけど、今こそ俺は確信した。

この女は頭ワルイです。


・・・。

 



 

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「えっと、次はどこに行こっか」
「まだ回るのかよ・・・」


強引に学校から拉致られて、既に2時間ほどが過ぎている。

その間、俺は宮村みやこにあちこち引きずり回され、体力は限界寸前だった。


「やっぱり音羽って、歩いてるだけでも楽しいじゃん」
「ずっと住んでんだから、さすがに見飽きたよ、俺は。 もしかしておまえって、ここの生まれじゃないの?」


パシャ。


「生まれも育ちも音羽だよ。 ただ・・・」
「ただ?」


宮村は一瞬、何事か考えてから首を振った。


「ううん。 あたしはこの街、好きだもん。 別に飽きないよ」
「確かに、珍しい風景ではあるもんな」


どこからどう見てもヨーロッパ圏以外のなにものでもない。


「知らない人がこの街の風景写真とか見たら、『なんで東洋人がこんなにも!?』って思うだろーね」


東洋人って、あんた。


「でも、音羽だって元々は普通の街だったんだよね」


パシャ。


「震災あったからなあ。 戦争のときにも一回焼け野原になったらしいし、ついてねぇ街だよな」

 

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音羽は──俺が生まれる前に起きた震災と大火事で街としての機能をほぼ失ったらしい。

ただ、俺が物心ついた頃にはもう復興計画が進んでいて、震災前からの街並みはほとんど見たことがない。

だから、このヨーロッパ風の街並みが当たり前のもんだと思ってるんだよな。


「呪われてるみたいだよね。 街の守り神みたいなのっていないのかな?」
「そういう問題じゃねえだろ」


新藤の爺さんなんかは、戦時中や震災の頃の苦労話はちょくちょく語ってる。

というより、俺たちが酷いものを見なくて済んだギリギリの世代なんだろう。

俺とは歳が離れている姉貴なんかでも、震災と火事がちょっとトラウマになってるみたいだった。


「たぶん、街の構造とか防火体制にそもそも欠陥があったんじゃねぇの? よくわかんねぇけどさ」


パシャ。


「だから今までと全然違う街を作ったのかもね。 復興計画では色々あったみたいだけど・・・」
「そりゃ色々あっただろ。 わざわざこんな外国風の街にしたのも、それを売りにして人を集めるためだろうし」
「だろーね。 震災の後で音羽を離れちゃった人も多いだろうけど、この街並みに惹かれて引っ越してきた人も多そう。 というか、震災前より音羽の人口って全然増えてるみたいだよ」
「まさに計画側の思うつぼだな・・・他人事ながら面白くねぇけど」


観光客に姿もけっこう多いし、音羽の街はうなるほど金もってそうだ。

転んでもただでは起きないというか、災害を踏み台にして発展した街ってことだ、ここは。


「広野くんってば、やっぱりひねくれてるねー」
「ほっとけよ。 まあ、俺らには関係ねぇよ。 思いっきりどうでもいいことだな」
「ん?」


俺の言葉に、宮村はわずかに首を傾げた。


「広野くんは、この街が嫌い?」
「別に好きでも嫌いでもねえな。 暮らしにくいってことはないから、それで充分ってとこか」
「二人で歩いてると、景色がいつもと違って見えたりしないかな?」
「全然しません」
「むっ」


宮村は不満そうに口を尖らせる。

街はいつもどおりの見慣れた姿。

隣にいるのが、景じゃなくて宮村なのはけっこう大きな違いではあるけど・・・気にしないことにしよう。


パシャ。

 

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「ところで・・・さっきからなにしてるの?」
「見てのとおり、写真撮影」


俺は携帯を顔の前でぷらぷらと上下させる。


「最近の携帯にはカメラが付いてるんだよ」
「知ってる、それくらい!」


おお、宮村がツッコミに回ってる。


「まあ、最近というかもう何年も前からだけど」
「だから知ってるって! なんで写真撮ってるのって訊いてるのに」
「ああ。 いつかこの街を舞台にした漫画描こうと思ってるから・・・ちょこちょこ写真は撮りためてんだよ」


絵になる街であることは確かだから。


「せっかく遊んでるのにー。 仕事のこととか忘れようよ」
「時間を無駄にできるか」


留年の危機を懸けてサボってるんだから、これくらいのことはしないと。


・・・。




 

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「あのさー、そろそろ休憩しねえ?」
「休憩?」
「うん」


正直なところ、もう帰りたいんだけど。

宮村はかすかに首を傾げた。


「休憩か・・・」
「?」


なぜだか、宮村はまたも何事か考え込み始めた。

どうしていちいち妙なところで悩むんだろう。


「宮村?」
「うーん・・・。 だけどさ、あたしたち、まだ出会ってそんなに日も経ってないし・・・。 意外に思うかもしれないけど、そういうのは慎重にいきたいヒトなんだよね」
「あん? おまえ、なにを言ってるんだよ?」


話が噛み合ってねえぞ。


「え、だって『ご休憩』したいんでしょ?」
「そっちの意味じゃねえ!」
「あれ、そうなの? 男の子って、常時頭の中はそういうことでいっぱいかと思ってた・・・」
「あのなあ・・・」


いきなりなんつーことを言い出しやがるんだ。

いちいち人を驚かせやがって、この女は・・・。


「ついでだし、ホントに休憩していくか?」


できる限りの真面目な顔と口調で言ってみる。

もちろん本気じゃないけど、宮村はどういう反応を示すか・・・。


「でもこの辺って、ラブホとかあったっけ?」


そういう反応ですか。

宮村は、きょろきょろと辺りを見回している。


「駅のほうまで行けばいくつかあるぞ。 ボロいところばっかりだけどな」
「ふーん、そうなんだ。 知らなかったな」


だろうな。

何度も行ったことあります、なんて言われたらちょっと衝撃的だ。


「でも広野くんも行ったことないんでしょ?」
「・・・・・・」
「ないんでしょ?」
「・・・まぁね」


俺も京介に聞いたことがあるだけで、実際に行ったことなんてありません。


「でしょでしょ」


宮村は満足したように何度も頷いた。


「急ぐことはないじゃん。 まあ、その内ね」


いや、その内どうこうしようなんて全然思ってないぞ。


「さっきも言ったけど、あたしけっこう堅いから」


宮村はにこにこ笑って、ぽんぽんと俺の肩を叩いた。

なんていうか。

もし本気で迫っても、この女はこういうすっとぼけた反応しそうだな。


「ところで、わかってくれた?」
「はぁ? なにを?」


主語が抜けてるぞ。


「もちろん、あたしがどうして学校をサボるかってこと。 自分で質問しといて忘れちゃったの?」


確かに質問したけど、そんな内容だったかな。


「忘れっぽいんだなあ、広野くんは。 まぁいいけど、答えを教えてあげる」
「どうしても聞きたかったわけじゃないんだけどな・・・」
「だってさ」


俺のつぶやきなど聞こえなかったらしく、宮村は続ける。


「楽しいほうがいいじゃん」
「楽しい?」


宮村はずいっとこちらに近づいてきた。

 

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くそ、なんとなくムカつくが、やっぱりこいつはめちゃくちゃ可愛い。


「そう、学校で授業を受けるより、街に出たほうが──広野くんと一緒にサボったほうが面白いと思ったからだよ。 別に学校が嫌いなわけじゃないの。 退屈が嫌いなだけ」


それはほとんど学校が嫌いと同義じゃないだろうか。

というか、それを言いたいがために、俺をわざわざこんなとこまで引っ張って来たのかよ。


「自分で楽しいと思えることをやらなきゃダメだよ。 世間とか常識とかに遠慮してたら、人生楽しめないじゃん。 そうじゃない?」
「じゃない? って言われても困るけどさ。 実際問題、学校は行っとかないとまずいだろ」


俺が言えたことじゃないけど。

ふと、宮村がきょとんとした表情を浮かべた。


「あや、顔が赤いけど、もしかして病気?」
「違うわ」


俺は素っ気なく言って、顔を逸らす。

いつの間にか赤面してたのか。

そういえば、景以外の女の子とこれだけ長く話すのも珍しいかも。


「けど、まあ・・・。 広野くんがお疲れだっていうのはわかったよ」
「わかってくれたか」
「ときに広野くん、自転車は買った?」
「は? 自転車? 買ってねぇよ」
「じゃあ、今から買いにいこ」


待て待て。

全然わかってねえじゃねえか。


「俺は疲れてんだけど・・・」
「自転車ってどこで売ってるんだっけ?」


聞けよ、人の話。


「だいたい、買うっつっても俺は金なんか持ってないぞ」
「もちろんあたしが全部出すよ。 けっこうお金持ってるから心配しなくてもいいからね」

 

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偉そうに胸張られても。

つーか、制服の上からじゃわかりにくいけど、割と胸ありそうだなこいつ。

可愛くて胸もあるなんて反則──


「あ、視線で犯されてる」
「はっ!」


俺は慌てて宮村の胸元から視線を逸らす。


「うんうん、しょうがないか。 男の子だもんねー」
「だーっ、そうじゃなくて!」
「まあまあ、あたしは気にしてないから。 それよりも。 やっぱり色は赤がいいと思うなー。 なんか速そうだし」
「人を無視して話進めんなって!」
「うん?」


大声を出してみても、宮村はまったく動じた様子を見せない。


「いらねぇよ、チャリなんて」
「へ?」
「無いなら無いで、普通に生活できてるから。 どうせ毎日学校と家の往復しかしてねぇしな」


コンビニくらいなら歩いていけるし、特に問題ない。


「なら、自転車じゃなくて他のことにお金使おうか」
「えらい切り替え早いな、おまえは」
「広野くんがいらないって言うなら、問答しても仕方ないもん。 常に前向き、前向き」
「前ばかり見てて転ぶなよ」
「じゃ、なにしようか。 広野くん、どっか行きたいところとかやりたいこととか──」


──「ヒロせんぱーいっ!」


なにかを言いかけた宮村の口がぴたりと閉じられた。


「・・・よりによって、えらいのと出くわしたな」

 

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「こんにちはっ!」

「・・・誰?」

「えーと、なんというか、一応俺の後輩だ」


ぱたぱたと走り寄ってきたこいつの名前は、羽山ミズキ

付属校時代の景の後輩で、部活も同じだったらしい。

俺も付属出身だが、羽山は3学年年下なので、景を通じて何度か面識があるだけだったりする。


「でも、できればこいつとは面識を得ないまま生涯を終えたかったよ・・・」

「え、なにか言いました?」

「いや、なんでもねえ」

「それにしてもお久しぶりです、ヒロ先輩」

「あー、そうだっけ」


できればあまり会いたくないんだけどな。

嫌いじゃないんだけど、犬みたいにキャンキャンうるさいから。


「わたしは、今日は買い出しに来たんですけど」

「買い出し?」

「もっちろん少女漫画の補給ですよ!」


そういや、羽山ってヘビーな少女漫画好きだったな・・・。

景によると、俺の漫画も愛読してるらしいけど、もちろん羽山に俺の正体は教えてない。

教えたら、なにをされるかわからん。

最悪、ストーカー化もありうる。


「ヒロ先輩はなにしてるんです?」

「ただの暇つぶしだよ」

「わざわざ潰さないといけないほど暇があって、うらやましいですね♪」

「・・・・・・」

「ところで、ヒロ先輩。 こちらの方はどなたですか?」


なにがおかしいのか、羽山はにこにこ笑いながら、宮村に視線を向けた。


「えーと、俺の同級生で名前は宮村・・・下の名前、なんだったっけ?」

「・・・・・・」

「ん?」

「広野くん、今この瞬間からあたしを『みやこ』と呼ぶように命じます」

「なんだ、そりゃ」

「ヒロ先輩っ」


羽山がぐいっと俺の手を引っ張る。

 

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「おまえもなんだよ」

「言われたとおりにしたほうがいいですよ。 あちらの人、怒ってるみたいですから」

「怒ってる?」


ちらり、と宮村の顔に視線を送る。

確かにちょいと目つき悪くなってるけど、あれで怒ってるのかぁ?


「人の感情なんて、必ずしも表に出るものじゃないんですよ」


そんなことは、羽山に言われるまでもないけど。


「考えてもみてくださいよ。 名前忘れられたら、たいていの人は怒ります」

「俺は別に気にしねえけど」

「それはヒロ先輩はかなりアレな人ですから」


アレってなんだよ。


それに宮村だって、そんな細かいこと気にするタイプには見えない・・・けど。


「宮村?」

「・・・・・・」


あれ、もしかして俺の思い違いだったか。


「ほらほら、わたしの言った通りでしょう」


羽山は得意げになってるし。

景みたいにガキの頃からの知り合いならともかく、同級生の女子を呼び捨てにするっていうのは、少々抵抗が。


「あっさり名前を忘れられて、あたしの心は傷だらけになってしまいました。 もう、自分がなにをするかわかりません」


宮村は独り言みたいにぶつぶつ言っている。


「なあ、羽山。 これは脅迫だと思うか・・・?」


今度は俺が羽山に耳打ちする。


「だいたい、彼女を名字で呼んでることがおかしいんですよ。 ヒロ先輩も照れ屋なんだから」

「ああ、そういうもんか・・・って、彼女じゃねえよ!」

「えぇ!? そうなんですか!?」


すっとんきょうな声を上げる羽山。


「そんなわけねえだろ」

「あれれ・・・。 ヒロ先輩に彼女ができたなら、これで景先輩はわたしのものだー、と思ってたのに!!」


こいつ、異様なくらい景に懐いてると思ってたけど、まさか本気で狙っていたとは。

だけど、俺の彼女の有無と景はなんの関係も無いぞ。


「それじゃあ、話が違いますよ・・・がっかりです」

「なんで、俺の周りにいる女は勝手なことばかりぬかすんだろ」

「周りに女の子がいるだけで幸せじゃないですか。 わたしの従兄なんて、友達すらいませんよ♪」

「ほー」


それはなかなか寂しい人生だと思うけどさ。

人の幸せをおまえが定義しないように。

つーか、俺らで好き勝手に喋りまくって、宮村がついてこれな──


「・・・あれ?」

「はい?」


羽山がきょとんとした表情を浮かべる。


「宮村が消えてる・・・」

「ホントだ、いませんね。 ヒロ先輩、振られちゃったんじゃないですか?」

「だから彼女じゃねえっつってるだろ!」

「でもだからと言って、わたしに乗り換えようとかダメですよ。 わたしは景先輩オンリーですから」

「多くは望まないから、思い込みで突っ走るのだけはやめてくれよ・・・」


小さくため息をつく。

まあ、こんなバカのことは放っておくとして。

宮村はどうしちまったんだか。

ダメだ、あいつの考えてることだけはさっぱりわからん・・・。


・・・。




 

 

 

 

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「ちぇっ」


小さくつぶやいて、足下の小石を蹴飛ばす。

せっかく、疲れてるみたいだから気晴らしに連れ出してあげたのに。

つまらなそうな顔してたな。

なんだろ、要するにあたしがつまんない奴ってこと?

それが事実だと、由々しき問題だよね・・・。

なにが足りないんだろう。

まぁ、広野くんがオカシイ可能性もあるけど。

そうだ、なんだかんだ言っても、広野くんが悪い。

あたしはけっこう楽しかったもん。

歩き慣れた街も、いつもとどこか違って見えた。

もっと楽しいことが、この先もあるような予感すらあって──

なのにさ。


「無視されるのって嫌いなんだよね」


それなら、まだ悪口言われるほうがよっぽどマシ。

広野くんは酷い奴だ。

しかも、あたしの名前も忘れてたし。

あたしみたいな女でも、名前忘れられるのはやっぱり寂しいんだよ、広野くん。

・・・。

 



 

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「あー、眠てぇ」


コートで練習に励む景をぼんやり眺めながら、ぼそりとつぶやいた。

時刻は朝7時。

登校するにはまだまだ早い──というより、寝ていてもおかしくない時間だ。

しっかし、景はよく動き回るな。

さっきからまったく足が止まらない。

ドリブルしながらでもスピード落ちないし、シュートも全然ミスらない。

あれだけ汗まみれになってるのに、ちっとも動きが衰えないのはマジですげえ。


「あいつの動力源はなんなんだろうな」


あんなにちっこかった景が──今でも小さいけど、ともかくあの景も今では部活で大活躍できるようになったんだよな。

時間は流れてるなあ。

・・・でも、そろそろ景がバスケしてるところも見飽きちまった。


「ふぁあ・・・」


あくびも出るってもんだ。


「ちょっとお兄ちゃん」


景が、ボールを手にこっちにやって来た。

 

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「なに怒ってんだよ」
「人の練習見ながらあくびなんかしないでよ。 失礼でしょ」


朝っぱらから人をこんなとこに引っ張ってきて、これ以上なにを望むというのですか。

ちなみに今日、バスケ部は朝練がない日で、景は自主的に練習しているだけだ。


「ぼーっとしてないで、なにかやったら?」
「なにかって?」


そう言われても、景の練習にはついていけないし。


「そういえば、最近スケッチとかしてないわね」
「仕事以外で絵を描く気になれねぇな。 それに──」
「どうかしたの?」


俺は胸の前で手を組んで、ぐっと肘を伸ばした。


「いんや、特に描きたいもんもねぇしな」
「うーん・・・ま、いいけどね。 せめてその寝ぼけ顔だけはなんとかしなさいよ」
「ダンクのひとつも決めてくれりゃ、目が覚めるかも」
「できるわけないでしょ、そんなの」
「おまえ、チビだもんなー。 150センチくらいだっけか。 いったいいつになったら大きくなるんだ?」
「へぇ、そんなに無言の帰宅がしたいの?」
「軽いジョークじゃんか・・・」


背丈のことには触れないほうが賢明らしい。


「いいのよ、わたしは。 ボール運びとパスが仕事の、地味なポジショなんだから」


とか言いながら、景はけっこうな点取り屋だったりするらしい。

攻撃的な性格が、プレイスタイルにも出てしまうんだろう。


「だいたいお兄ちゃんは気合いが足りないわよ! せめて外ではしゃんとしなさい、しゃんと!」


これだから体育会系ってやつは。

熱血してりゃそれでいいと思ってやがる。


「仕方ないだろ、また朝まで仕事してたんだから」


31ページの漫画を描くために、100ページ以上のコンテを切って推敲(すいこう)したりしてるもんだから、時間も手間もかかってしょうがない。

そうやって描いたコンテも、下書きの段階で変えちゃったりするし・・・。

上手く無駄を省けるスキルを早く身につけないとな。


「おまえとは生活時間帯が違うんだよ」
「人間は、夜寝て朝起きるもんでしょ。 漫画家って人の道を外れた生き物よね」
「人外扱いすんなこの野郎」
「女の子に向かって、野郎なんて言うんじゃねえよ」
「それが『女の子』の言葉遣いかよ!」
「お兄ちゃんの前以外では使わないからいいんだよ!」
「そういう問題かよ!」


って、ダメだ。

こんなとこで、なにを不毛な論争してるんだ。


「んなことはどうでもいいんだよ。 おまえ、話があるとか言ってたよな?」


だからここまで引っ張ってきたんだろうが。


「・・・うん? ああ、そうだったわ。 つい、ここに来ると練習に夢中になっちゃって」
「運動バカ」
「神聖なコートを血で染めるのは気が進まないんだけど、仕方ないかしら」
「俺はなんにも言ってません。 練習熱心なのはいいことだと思う」


本当に、これだけの熱心さがあるからこそ1年でレギュラーも取れたし、点取り屋として活躍もできるんだろう。


「わかってるならいいわ。 それで」


景は小さく咳払いをして、口を開いた。


「お兄ちゃん、昨日、午後の授業さぼったでしょ」
「なにを根拠にそんなことを」


一応、すっとぼけてみる。


「昨日の放課後、借りてたお昼代を返そうと思って、お兄ちゃんの教室に行ったのよ。 そしたら、あの──ナントカっていう先輩。 名前忘れちゃったけど、あの軽そうな人が『広野なら昼休みに、行方をくらました』って教えてくれたわ」
「京介の野郎、いらんことを・・・」
「どうやらお兄ちゃんは、まだ自分の状況をわかってないみたいね」


──殺気。


「あれだけサボるなって言ったのに! どうしてわたしの言うことがきけないの!?」


おまえは俺のオカンか。


「わかった、わかった。 悪かったよ」


まあ、一応心配してくれてるわけだしな・・・。


「口ではなんとでも言えるわ」
「神様にでも誓えっつーのか? 別にいくらでも誓うけどさ」
「お兄ちゃんの誓いなんて信じられるわけないでしょ。 ある意味、わたしにとってお兄ちゃんは世界で一番信頼できない人間だわ」
「そこまで言うか」
「知ってるわよ。 あの宮村先輩と一緒だったんでしょ」


えらく詳しいとこまで調べがついてるんだな・・・。


「おまえ、俺のストーカーしてたのかよ。 早いとこ自首しとけ」
「そんなわけないでしょ! ミズキに聞いたのよ! 商店街で会ったんでしょ、あの子と」
「あー、そういえばそうだったな」


どいつもこいつもおしゃべりだな。

いや、羽山が人並み外れておしゃべりなだけか。


「わたし、宮村先輩には関わらないほうがいいって言ったわよね。 ほら、やっぱり困った人じゃない。 事情もわかってないくせに、お兄ちゃんを連れ出して・・・」
「おまえさ、よく知りもしない人間の悪口言うのはやめろよ」
「あっ・・・」


景は顔を赤くしてうつむいてしまう。

こいつは単純バカなので、正論にはあっさりとやられてしまう。


「ごめん・・・」
「俺に謝んなくてもいいけどさ。 宮村がろくでもない女なのも事実だし」
「・・・お兄ちゃんは宮村先輩のこと、よく知ってるの?」
「は? 知るわけねえじゃん。 初めて会ったのってクリスマスだぞ。 まだ1ヶ月も経ってねえのに」
「クリスマス?」


あ、やべえ。

 

 

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「わたしとの約束すっぽかして宮村先輩と会ってたの!?」
「そうじゃなくて。 すっぽかしたのは面倒くさかったからで、宮村と会ったのはたまたまで。 それに、会ったのは宮村だけじゃなくて、雨宮優子もそうだし・・・」
「お兄ちゃん。 怒らないから言ってみて」
「なにを?」
「何人、彼女がいるのよ!?」


めっちゃ怒ってるじゃん。


「彼女なんて一人もいねえよ」


京介じゃあるまいし。

だいたい、仕事と学校で死にかけてるっていうのに。

そんなもん作ってる暇があるわけがない。


「なら、雨宮優子って誰なのよ。 なんで、宮村先輩に加えて新キャラまで登場してるのよ。 なんで女ばっかりなのよ!」


そんな早口でまくしたてられても。


「俺が知るかよ・・・」
「雨宮って誰よ、何者なのよ。 年齢、住所、職業、経歴、前科の有無は!?」


いつからデカになったんだおまえは。

というか、なにを錯乱してるんだ。


「えーと、雨宮は・・・なんだっけ。 んー・・・と、そうか、メイドさんだったかな?」


なんか違う気もする。


「メイド? 変なゲームのやり過ぎじゃないの、お兄ちゃん」
「微妙に違うけど、雨宮と似たような反応だな・・・」


というか、俺にはゲームやる暇もありゃしねぇ。


「本当になんでもねえよ。 年上だとか言ってたし、俺とは別に接点もないんだからな」
「お、お兄ちゃんって年上好みだったの・・・?」
「おまえ、俺の話聞いてるか?」


どうやら、話のごく一部を除いて右から左に流れてるみたいだ。


「ああ、もうっ!」

 

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バンっと景は手にしていたボールを床に叩きつけた。


「もういい。 あんたなんか・・・死ねばいいのよ!」
「・・・本当に死んだら泣くくせに」


ぼそりとつぶやく。


「なっ・・・!」


お、耳まで赤くなってる。

思うに、こいつの赤面症は一生治らないな。


「泣くわけないでしょ、バカーっ!!」


・・・。




 


「あーっあーっ」


あのバカ、至近距離で思いっきり叫びやがって。

もう放課後だっていうのに、まだ耳が聞こえにくい。

難聴になったらどうしてくれるんだ。

と、耳を叩いたりしながら歩いていると。


「・・・お」


前を行くあの背中は。


「宮村ー」
「・・・・・・」


振り向いたくせに、宮村は返事ひとつしやがらない。

気まずい沈黙が続く。

くそ、いつだって泣くのは男のほうか。


「みやこ・・・さん」
「さん、を付けるのも無し。 今度から、さん付けても返事しないからね。 覚えておくように」


やっと口を開いたと思ったら・・・。

なんで俺、命令されてんだ?

 

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「あ、そだ。 昨日は黙って帰っちゃってごめんね」


おや、こいつが謝るとは思わなかった。


「気にしてないけどさ、どうしていきなり消えたんだ?」
「帰りたくなったから、帰ったんだよ」


それはそれは、わかりやすい理由で。


「でさ。 どうしよっか、今日も遊びに行く? 途中で帰っちゃったお詫びに、今度こそあたしがおごるよ」
「いきなりなにを言い出す」


みやこ──まあいいか。

こいつの名前を呼ぶ機会もそんなにないだろうからな。

みやこは、『?』と首を傾げた。


「遊ばないの?」
「そう毎日ウロウロしてられるか。 こっちは仕事があるんだよ」
「そういえば、広野くんって漫画家さんだっけ。 忘れてたよ。 あははっ」
「忘れんなよ」


同級生がプロの漫画家という事実は、みやこにはなんでもないことらしい。


「お仕事忙しいの?」
「そろそろ下書きを半分くらいは片づけないとまずいな。 最近、仕上げにかかる時間もどんどん増えてるし・・・後ろが詰まってるっつーか」


と、自分で言ってて、不安になってきた。

大作家ならともかく、俺みたいな三流漫画家が原稿落としたら──恐ろしくて想像もしたくない。


「そっか、大変なんだね」
「じゃあ、そういうことで」
「うん、行こっか」
「どこへ!?」
「広野くんのお家に決まってるじゃん。 漫画家さんの仕事場って一回見てみたいし」
「あのな、俺は見せ物じゃねぇぞ──って!」


もうさっさと歩いて行っちまってるし、あの女は!


「待てこら、ウチはそっちじゃねぇ! こっちだ、こっち!」


ぱたぱたとみやこが、小走りに戻ってきた。


「ごめん、ごめん。 つい先走っちゃった。 それでは、改めて」
「・・・・・・」


しまった。

そのまま行かせれば良かったのに、なにしてんだろ。


・・・。

 



 

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「けっこういいお家に住んでるんだねー」


本当についてきやがったよ。

一人暮らしって聞いても動じないし、上がり込んでくるし。


「中は意外とフツーの若者風だね」
「たいてい、どこもこんなもんだろ」


音羽の家の外観はどこもヨーロッパ風だが、内装はごく普通であることが多い。

もちろん、そのほうが生活しやすいからだ。

家の中で靴なんぞはけるもんか。

 

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「あ、お茶とかは出さなくていいからね。 気を遣われるの、好きじゃないから」
「頼まれたって出さねぇから安心しろ」


まさか長居する気じゃないだろうな。


「それにしても、おまえはちょっと警戒心足りないんじゃねえか?」
「へ? なんでー?」


わけがわからない、というような顔をする。


「一人暮らしの男の家だぞ。 それも、まだ面識も浅いっていうのに。 なにが起こってもおかしくない状況だろ」
「うーん、とうとうあたしも処女喪失か・・・よもや今日がその日になるとは思わなかったね」


いちいち面白い反応をしてくれるな・・・。


「冗談だよ、冗談。 でも、ホイホイついてくるなよおまえは」
「わかってるもん、あたしは」
「は? わかってる?」


にっこり、と宮村みやこはバカみたいな笑顔を浮かべた。


「広野くんはね、あたしに優しくしてくれる人なんだよ」
「おまえの頭はちょっとばかりおめでたすぎる」
「その切り返しはどうかと思うなー」


文句を言いながらも、みやこの顔はまだ笑っている。


「さっきも言ったけど、まだろくに話もしてない奴のことなんてわからねえだろ」
「わかるよ」


さらりとみやこは言った。


「あたしは、その人がなにを考えてるのか、どういう人なのかわかるんだもん」
「んなもん、そうそうわかるわけが──」


そのとき、俺は気づいた。

宮村みやこが、今までに見たことのない、翳(かげ)りのある顔をしていることに。

 

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「自慢じゃないけど、あたしは人を見る目はあるよ。 だって、あたしは、ずっと人の顔色ばかりうかがって生きてきたから」


低いつぶやきを、俺は確かに聞いた。


「おまえは──」
「ねえねえ。 ここの家賃とかって、自分で出してるの?」


何事もなかったかのように、みやこの声も表情もぱっと明るくなった。

みやこのことは、本当によくわからないけど・・・。

切り替えが早いというか、異常なまでの気分屋で、感情も行動も突然あらぬ方向に飛んでいってる。


「このお部屋、けっこう広いし。 高いんじゃないの?」
「ここの大家の爺さんとは昔からの知り合いなんだよ」


つまり、いちいち考え込んでたら、こいつとは話していられない。


「だから、ありがたいことにタダみたいな値段で貸してもらってんだよ」


爺さんは、小僧の身で一本立ちしようとしてる俺を妙に気に入ってくれてる。


「ふーん・・・」


みやこは物珍しそうに部屋を見回した。


「見ても面白いものなんてないだろ」
「うん、そうだね」
「・・・・・・俺、仕事したいんだけど」
「あ、どうぞどうぞ。 あたしのことは気にせずに」


ほだらかな顔でそんなことを言われても困る。


「あのな、一応だけど、掲載前の原稿は人に見せられないんだよ」
「男の子なら、細かいこと気にするのやめよ?」
「全然細かくねぇっ」


まともに人の話を聞こうとしないところだけは直せよ。


「けどあたし、ぶっちゃけた話、原稿の内容には興味ないんだけどね」


だと思ってたよ。

景や羽山みたいな少女漫画好きじゃなくても、多少の興味があればもっと俺に色々訊いてくるだろう。


「おまえ、漫画とか読まないのか」
「小説ならたま~に読むけど、基本はゲームだもん、あたしは。 やっぱり、娯楽はインタラクティブじゃないと面白くないね」
「漫画だって、一方通行ってわけじゃないと思うけどな」
「なら、広野くんが描いた漫画貸して。 雑誌に載ったやつとかあるんでしょ?」
「そりゃあるけど・・・」
「それを貸してくれたら、ソッコーで帰ってあげるよ」


にっこり笑って、みやこは言った。

そんな取引しなくても、俺には追い返す権利があると思うが・・・。

俺は立ち上がり、棚からバカでかい封筒を2通取り出した。


「とりあえず、短編を2本。 連載始まる前に描いたやつな。 単行本とか出てないから、原稿のコピーしかないけど、これでいいよな?」
「うん、上等。 それじゃあ、借りてくね」


あんまり知り合いには読ませたくないけど、これで帰ってくれるのなら我慢しよう。


・・・。

 

 

室内には、久瀬修一のバイオリンの調べが流れている。

物憂げな旋律の中にも確かな力強さを感じさせる鮮やかな演奏。

他には、鉛筆が紙の上を滑るかすかな音だけ。

落ち着いた、心地のよい空間。

心なしか鉛筆の動きもいつもよりもなめらかだ。

このペースでいければ、今回は締め切り前に原稿上げられるかもな。

今日もこのまま朝までノンストップで──


──バンッ!!


「おわぁっ!」


いきなりの音に振り返ると──

 

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「広野くん、広野くん!」

扉のところに、宮村みやこが立っていた。


「お、おまえ。 どうやって中に・・・」


あ、また鍵掛け忘れてたか、俺。


「それでもチャイムくらい鳴らせよ、おまえは!」



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「そんなことより! 漫画! 他に広野くんが描いた漫画あるの!?」


そんなこと、で済ませたくないけど、例によってみやこは話を聞かないだろう。


「短編があと3本と、連載分が何本かあるけど」
「それ貸して。 今すぐに」
「おまえ、そのために日も暮れた中、一人でこんなとこまで来たのかよ」


こくこくと頷くみやこ。


「・・・俺の漫画、面白かった?」


仮にも作家の端くれとして、訊かないわけにはいかないだろう。


「ううん、お話自体はベタベタの恋愛劇で、特に面白くはないんだけど」


グサリ。

ベタっていうのは編集に散々言われたし、アンケートでも書かれてたらしいけど、正面から言われると余計に傷つくな・・・。


「でもね。 なんていうのか、1コマ1コマの繋がりとか、風景の奥行きとかすっごく不思議。 あとあと、女の子の表情とかポーズとかが、固まってないというか、本当に動きの途中って感じっていうか・・・うまく言えないけど!」
「いや、なんとなく言いたいことはわかる」


物語そのものは平凡でもかまわない。

どこにでもありそうな身近な話を、絵と計算しつくした演出で印象づける。

それが『新堂凪』の目指しているものだし、みやこの感じ方はこっちの思惑通りとも言える。

・・・話がダメって言わないでほしいけどな。


「広野くん」
「はい?」


俺は、再び棚から原稿のコピーを取り出しながら答えた。


「広野くんは・・・すごいよ。 やっぱ上手く言えないけど・・・面白い。 それだけは確かだよ」


嘘だとかお世辞だとか。

疑うことなんて絶対にできないような、まっすぐな言葉だった。


「ねえねえ、今連載してるのってどんな話?」
「どんなって・・・」
「やっぱり一番新しいのが一番面白そうじゃん」
「そういうもんでもないけどな」


もちろん、『前の作品のほうが面白かった』と言われたくはないので、そうでありたいと思ってる。


「まあ、一言でいえば普通の学園モノ。 主人公の女の子はちょっと可愛いけど、割と平凡な女の子で・・・」
「うんうん」
「主人公には同じ学園に通ってる幼なじみが二人いて、一人は男で一人は女。 そのふたりともが、文武両道のハイスペックな学生なんだよ」
「つまり、幼なじみの男女三人の三角関係モノ?」
「一応、コアになるのはそこかな。 ま、二人の幼なじみも、他の学園の連中も変人奇人ばっかりで、そいつらが巻き起こすドタバタに主人公が巻き込まれていくっていうのが基本。 でも主人公は主人公でちょっと変わってて・・・。 異様に忘れっぽいタチで、トラブルに巻き込まれたり辛いことがあってもすぐに忘れて明るく笑えるって、それで──」
「ん? どうかしたの?」


突然言葉を切った俺に、みやこは少し驚いた顔をする。


「つーかさ」


どうでもいいけど、自作の解説するのって照れくさい・・・。


「あーっ、掲載された分も全部貸してやるからそれを読むのが一番早い」
「えーっ、せっかくここまで言ったのに。 もっと作者さんの口から聞きたいなー」


ずいっと乗り出してくるみやこ。

無邪気な笑みを浮かべた綺麗な顔が、息がかかりそうなほど近くにある。


「・・・ダメなの?」
「ダメっつーか・・・」


とりあえず離れてほしいけど、離れてほしくなかったりも。

くそ、こいつが人並み外れて可愛いことがなぜか悔しい。

・・・押し倒しちまうぞ。


「んー? どうかした?」
「いや、なんでもねえ」


そんなことができる度胸が、俺にあるもんか。


「なによ、なによー。 気になるなー」
「ちょっと黙れないのかおまえは」
「うーん、あたしが黙るのは寝てるときと食べてるとき。 あともう1つあると思うけど、そのシチュエーションはまだ未経験なんだよね」
「そのもう1つって、なんだよ」
「質問したのは、あたしが先だったよね。 答えてくれたら、教えたげる」
「いいよ、別に俺は聞きたくねーし」
「素直じゃないなー」
「うるせーよ」


──そういえば。


本当に、どうでもいいことだけど。

景以外の女の子を部屋に上げたのは初めてだな。


・・・。