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ef - the first tale.【4】

 

・・・。



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目の前には意味不明の数式がずらずらと並んでいる。

最後にあった選択問題の解答欄を勘で埋めた後、完全に手は止まってしまっていた。

教科書もろくすっぽ読んだことのない頭では、正しい答えなど導けるはずもなく。

後は、あきらめて寝るくらいしか手は残ってない。

こんなものが解けたところで、将来なんの役に立つのか──

なんてありがちなことは言わない。

だけど、解けなかったからって、教師連中に文句を言われる筋合いもないだろ。

そう思うんだけど、どうよ?


「どうよ、って言われてもなー」

 

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京介は興味なさそうに、首を傾げた。


「できるようになるまで教えるのが教師の仕事であって、それができてないんだから、むしろ俺が怒っていいんじゃないか?」
「人はそれを屁理屈とか逆ギレとか言うんじゃないの?」


この男は、話を合わせるということを知らないのか。


「なんにしたって、そのプリント終わらせないと帰れないんだろ? つまんないこと考えてないで、手を動かせば?」
「ちくしょう」


鬼の数学教師、茂野の授業でついつい居眠りしてしまったのが運の尽き。

んで、茂野が生徒に嫌がらせするためだけに作っている課題プリントを押しつけられたわけだ。


「こんなもんやってる場合じゃないのに。 さっさと帰らなきゃいけないのに」
「まぁ、頑張れよ」
「ちょっとは手伝おうとか思わないのかよ」


京介は見かけはかなりバカっぽいが、神のイタズラかなにかのせいで成績は抜群に良い。

この程度の問題など軽く解けるはずだ。

が、京介は小さく首を振った。


「おまえにはおまえの、俺には俺のなすべきことがある」
「本音は?」
「女の子ならともかく、男の手助けしたって、俺にメリットはない」
「ああ、そうだろうよ」


こんな奴を一瞬でも頼ろうとした俺がバカでした。


「つーか、おまえはなにやってんの?」


哀れな俺に付き合ってくれてるのかと思ったが、京介も用があって居残りしてるみたいだ。


「ああ、これ?」


京介は、なにやら得体の知れないものを書いていた紙をこちらに向けた。

 

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「なんだ、こりゃ?」
「絵コンテだよ」
「コンテ?」


言われてみれば・・・。

人間に見えないこともない物体と、みみずが這ったような字が書かれている。


「おまえ、可哀想なくらい画才がねぇな」
「完全無欠の人間なんていないんだよ!」


おや、珍しくむきになってる。

実は気にしてたのか。


「そりゃ、サラブレッドのおまえに比べりゃ下手くそだろうけど、映画のコンテなんてなにを撮ればいいかさえわかれば・・・おっと」


突然、京介は口をつぐんでしまう。


「余計なこと言ったかな」
「いーや、別に」


京介がわざわざ気を遣うようなことじゃない。

俺の家庭状況なんて、どうでもいいことだ。


「それより、それはなんの絵コンテ?」
「映研で、3年の追い出しやるんだけど、そのときに上映するショートフィルムのコンテだよ」


そういえば、京介は映研所属なんだよな。

2年近く付き合ってるけど、つい忘れそうになる。

去年の秋のコンクールで賞も取ったらしいが・・・真面目に部活やってるキャラクターにはまったく見えない。


「でもさ、映画でわざわざこんなもん描くのか?」


映画って、現場でカット割りとかアングルとか決めてると思ってた。


「プロでも描かない人も多いけどね。 俺はコンテ切ってるときに同時に編集してるんだよ。 短いもんだからこそ、現場に入る前にきちんとポイントを絞っておかないといけないし」
「え、ひょっとしておまえが監督すんのかよ」
「当たり前だよ。 俺以外に監督できる人間いないもん、今の映研は」


それは深刻は人材不足だな。

このちゃらんぽらんな男に、現場が仕切れるのか?


「ところで、いきなり話は変わるんだけど」
「なんだよ」
「おまえさ、D組の宮村と付き合ってんの?」


京介はなんでもないような顔をしている。


「・・・んなわけないだろ。 なんだっていきなりそんなこと言い出すんだ」
「部活やってる人間には、色んな情報が入ってくるんだよ。 本当かどうかもわかんないようなことまで」
「おまえ、他人の色恋沙汰には興味ないタイプかと思ってた」


京介は首を振った。


「なに言ってんの。 おまえは他人じゃなくて、友達だろ」


さりげなくなんてことを言うんだろう、こいつは。


「京介、おまえ、恥ずかしくないのかよ」
「はっはっは」


笑ってごまかすなっつーの。


「よーし、こんなもんか」


京介のほうは作業を終えたらしい。

もちろん、こちらは遅々として進んでいない。


「俺はミーティングあるから、部室行くけどさ」
「ああ、さっさと行っちまえ」
「けどさ、広野。 あんまり可哀想なことすんなよ」


一瞬、きょとんとしてしまった。

 

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「可哀想? 誰が?」


なんのことか、真面目にさっぱりわからん。


「自分で気づかなきゃダメだからな。 言わない」
「てめえ・・・」
「じゃあな~。 あ、そうだ」


と、立ち去りかけて、京介は俺の机のところでかがみ込んだ。

俺からペンを取り上げ、プリントに視線を落とす。


「えーと・・・なんだ、こんな程度か。 広野は本当にバカなんだなあ」
「ちょっと待てや」


京介は俺の文句など聞き流して、それから5分もかけずに。

俺が30分以上悩んでまったく解けなかった問題を、あっさりとやっつけてしまった。

そして、


「これで1つ貸しだな」


にやりと笑って、そんなことを言いやがった。


・・・・・・。


・・・。

 


京介が書いた答えを自分の字で書き直して提出し、ようやく俺は放免になった。

 

「うわ、寒っ・・・」


外に出ると、身を切るような風が吹きつけてきた。

この街は冬でもそれほど寒くはないけど、さすがに夕方近くになるとキツイな。

さっさと帰ろ。

しかし、それにしても。


「うーん・・・」


先ほどの京介の言葉を思い出す。

可哀想って、いったい誰が?

みやこ・・・じゃないだろうし、まさか俺でもないだろう。

いいや、俺は充分に可哀想か。

毎月毎月締め切りに追われて、学校も真面目に通わなくちゃいけなくて。

可哀想というか、これは自業自得かも・・・。

 

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「広野先輩!」
「うす。 部活中か」


運動着姿の景は、こくりと頷いた。


「先輩は? 居残りでもさせられてたの?」
「その質問は俺への挑戦ですか?」


部活もやってない俺がこんな時間まで学校にいる理由なんて、一つしかないだろ。


「いきなりケンカ腰にならないでよ」
「おまえは一人でなにしてたんだ?」
「海岸までの往復ランニングだったんだけど・・・みんな遅いから置いてきちゃったわ」


そう言う景は、ほとんど呼吸も乱れていない。

まだ1年のくせに、上級生たちを軽くぶっちぎりか。

相変わらず運動に関してだけはズバ抜けてるな。


「わたしは一番走らなくちゃいけないポジションだから、このくらい速くなくちゃ話にならないんだけどね」
「ケダモノのような脚力だな」
「なんだとこの野郎」


あ、またキレた。


「まぁ・・・頑張っとけ。 俺は一人寂しく家に引きこもって地味なお仕事だ」
「・・・・・・ん?」


景はわずかに首を傾げ、じーっと見つめてくる。

 

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「なんだ、景。 俺に見とれてんのか」
「なぁっ・・・! ち、違うわよ! なんで今更あんたに見とれなきゃいけないの!」
「むきになんなよ」


景はどうにも生真面目すぎるな。

あいつならこんな冗談はあっさりと受け流すぞ。


「そ、そうじゃなくて!」
「景、少し落ち着けよ。 すぐに浮き足立つのは最近のおまえの悪い癖だぞ」
「う、浮き足立ってなんか・・・」


景は何度か首を振って。


「あの、お兄ちゃん・・・」


あ、いきなりテンション落ちた。


「絃お兄ちゃんよね?」


俺が他の誰に見えるっていうんだ。


「とうとう頭おかしくなったか? 壊れちゃっても、俺は面倒見てやらねぇぞ」
「どうしてあんたはそういうことを!」
「おまえはなにを言いたいんだ?」
「そんなの、わたしだってわかってないわよ」
「自信満々になにを・・・もう俺、帰る」

 

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「先輩が」
「ん?」


踏み出しかけた足を止める。


「先輩が段々違う人に変わっちゃうみたいな・・・そんな気がしてしょうがないの」


まるでそれがいけないことのように──

景は、言った。


・・・・・・。


・・・。

 




 

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家に帰ると、不法侵入者を発見した。


「どうしておまえは、当たり前のような顔してウチにいるんだよ」
「んー」


しかもそいつは眠りこけていたらしかった。

唇の端についたよだれの跡がその証拠だ。


「あ、おかえりー」


が、どうやら寝起きはいいらしくて、すぐに明るい声を出した。

 

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「おかえり、じゃねえ。 どうやって入ったんだ、おまえは」


このところ、みやこは思い出したように我が家にやってくる。

でも、俺がいないときに潜り込んでたのは初めてだ。


「合い鍵を植木鉢の下に隠すのはやめたほうがいいよ。 簡単に見つかっちゃうからね。 本当、広野くんはおおざっぱすぎるよ」
「盗っ人猛々しいって言葉をご存じですか」
「あたしはバカだから、そういう難しい言葉はわかんないなー」
「・・・・・・。 もういい・・・けどおまえ、人のファイルを漁るのはやめてくれ」

 

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みやこの周りには、俺がファイリングした資料が散らかっている。


「暇つぶしに読んでただけー。 広野くんの原稿全部読んじゃったんだもん。 他に読むものがなくて。 エロい本もソフトなやつしかないし」
「おまえ、色々漁ってくれたみたいだな・・・」


その手の本も特に隠してはいないけどな。


「もっと凄いのが出てくるかと思って期待したのに。 数も少ないね。 男の子ってこういうものなの? それとも、もしかして広野くんって不能──」
「しばいたろか」
「こ、こわぁー」


わざとらしく怯えた声を出すみやこ。


「マジな話、俺が持ってるのは全部作画用の資料なんだよ」


だから、景だって文句を言ってこない。


「雑誌とか写真集とかは、けっこう不自然なポーズが多いから、あんまり漫画の資料にはなんないけどな」
「ふーん・・・割ともっともらしく聞こえるね」
「信用してねぇだろ」
「さあ、どうでしょう? それはあたしのみぞ知る」
「アホだな、おまえは」


みやこはちょっと意地悪そうに笑い、一冊のファイルを持ち上げた。


「でもさ、新聞とか雑誌の記事とかをスクラップしてるんだね。 さすが、漫画家さん。 ネタをストックしてるんだ」
「そっちは資料じゃなくて、ほとんど趣味かな。 ガキの頃から、面白そうな事件を見つけたらこまめに記事を集めてたから」
「嫌な子供だね」
「・・・我ながらそう思うよ」

 

みやこの相手をするのはあきらめて、とりあえず鞄を床に置いた。

できれば着替えたいけど、さすがにみやこの目の前でっていうのはためらわれる。


「あれ・・・? みやこ、おまえどうして私服なんだ?」
「あたし、今日学校行ってないもん」


なんで、とは訊かなかった。

行きたくないなら行かなかったに決まってるからだ。


「どうでもいいけど、おまえは人生ナメすぎだよ」
「広野くんは重く考えすぎだよ──っと」


勢いをつけて、みやこは立ち上がった。

 

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「広野くんも帰ってきたことだし、始めようかな」
「な、なにを・・・?」


俺はびくびくしながら言った。

気分屋のこいつは、なにをするかまったく読めないだけに恐ろしい。

また俺をどこかに拉致ろうっていうんじゃないだろうな。


「今日は遊びに来ただけじゃないんだよ。 ごはん作ってあげようかと思って。 広野くん、毎日犬のエサみたいなものばっかり食べてるんでしょ?」
「帰れこの野郎」

 

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「なんでっ!?」


みやこは大げさに驚く。


「俺は生涯、女の子の手料理は食わないと決めてるんだよ」


みやこにとっては、またいつもの気まぐれなんだろうけど、こればっかりは拒否しなければ。


「それはなにゆえに・・・」
「あれは春頃のことだったか・・・」
「おぉ、広野くんが語りモードに入った」
「まだ連載のペースが掴めなくて、コンビニに行く時間すらなく、毎日ろくに食わずにひたすら仕事していた俺の前に小さな悪魔が舞い降りた」


そいつが人間であった頃の名を、新藤景という。

 

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「奴は言ったよ。 『お兄ちゃん、このところ目に見えて痩せてきてるわね。 仕方ないから、わたしが食事作ってあげるわ』」
「──うんうん、それで?」
「できあがった食事は一見、まともな食い物に思えました。 しかし、それが罠だったのです。 せめて見た目に難があれば、俺もためらっただろうに・・・」


うわぁ、思い出しただけで全身に悪寒が。


「ああぁっ、広野くんの手足が生まれたての仔馬みたいに震えてる!」
「その後、僕は謎の腹痛で──いや、原因は明らかだけど、ともかく更に5キロ痩せることになったのです」
「あはははは!」
「ははははっ」


って、笑い事じゃねぇぞ。

マジで死にかけるわ、原稿落としかけるわで散々だった。


「けど、大丈夫だよ。 口に合うかどうかはわかんないけど、食べられるものはできると思うよ」
「・・・・・・」
「物凄くあたしを信用してないっていうのは、物凄くよくわかるよ」


そのような頭悪い喋り方をする女をどうやって信用しろと。


「大丈夫だってば。 それに」


みやこはぐっと拳を握りしめ、笑いかけてきた。


「それに、作っちゃえば広野くんは絶対食べると思うし。 けっこうお人好しだもんね」
「・・・なにを都合のいいように考えてんだ、バカ」
「へへ」


・・・。

 

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結論から言うと。

みやこが作ったメシはめちゃくちゃに美味かった。

山菜の炊き込みごはんに、大根と油揚げのみそ汁。

さわらの塩焼きに、鶏肉とおからの炒め物、豆腐とタマネギとカイワレのサラダ。

どの料理も、見た目だけじゃなくて中身も完璧で、むかつくことに「美味い」と言わざるをえなかった。


「ちくしょう、こいつだけは調子づかせたくなかったのに・・・」


俺が知る限り、最高度のいい加減さを誇る女がまっとうな料理を作れるなんて・・・。

あまりに意外すぎる展開だ。


「ん? なにか言った?」


なんと後片づけまで全部一人でやってしまったみやこが、キッチンから戻ってきた。


「なにも言ってねぇよ。 つーか、もう遅いんだから、さっさと帰れ。 俺は仕事あるから送ってやれないけど」
「なるほど、することが済んだらさっさと帰れですか」
「おかしな言い方をすんな!」
「広野くん、ちょっと怒りっぽいよね。 次はもうちょっとカルシウム重視のメニューにしようかな」
「また作りに来る気かよ!」

 

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じいっとみやこは俺の目をのぞきこんでくる。


「美味しかったでしょ? 美味しかったでしょ? 美味し──」
「ああ、美味かったよ!」


また言っちまった。


「でしょ」


満足したように、みやこは頷いた。


「そういってもらえると、作った甲斐があるよね。 やっぱり一人で作って一人で食べてても張り合いがないし」
「・・・・・・」


一人、か。

そういえば、俺ってこいつのことまだよく知らない。

家族のこととか、友達いるのかとか、全然──

 

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「どうしたの? 変な顔しちゃって。 熱でもあるのかな? どれそれ」


ずいっとみやこは身を乗り出してきて、額と顔を合わせようとした。


「なんでもねえよ」


俺はさっと身をかわして、みやこから距離を取る。


「ふうん。 それならいいんだけどね」


いいように遊ばれてる・・・。


「んなことより、俺、ホントに仕事しなきゃいけないんだけどさ」
「・・・広野くんはどうして少女漫画描いてるのかな?」
「いつものことながら、おまえは唐突だな」
「答えたくないとか?」
「いーや、別に」


それは、家族や編集部の人たちに何度もされた質問だし、もう慣れてしまった。


「たいそうな理由なんてねえよ。 ただ、描きたいから描き始めたんだ」


昔のことを少しだけ思い出す。

2段ベッドと、学習机が二つ並び、どこか甘ったるい匂いのする部屋。

 

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『お兄ちゃん、ほら、これも面白かったよ! 読んで読んで!』


あの狭い部屋からすべてが始まり──今も続いている。


「毎日毎日大変な思いをして、それでもやる価値のあること?」
「やってみなきゃ、わかるわけねえだろ」
「やってみて、ダメになったら? 誰から見たって、広野くんは無理が過ぎてるよ」
「本当にダメだってわかるまで、無理でもなんでもしてやるよ」


そこまで言ってから、俺ははっとした。


「あー、そうじゃないな。 なんて言えばいいのか・・・」
「そうじゃない、じゃないでしょ」


みやこは小さく首を振った。


「・・・おまえはさ、どう思う? できもしないことを無理してやってるバカに見えるか?」
「そんなことない!」


今まで聞いたことがないほど、凛としたみやこの声が頭に響く。


「一生懸命っていうのは、それだけで価値があるの!」


本当に、いちいちみやこは俺を驚かせる。

ここまで思いっきり否定してもらえるとは思わなかった。

かすかな笑みが、みやこの口元に浮かぶ。

 

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「・・・やりたいようにやればいいと思うよ。 うまくいって心の底から笑えるか。 失敗して痛い目に遭うか。 どっちに転ぶかわかんないけど、それも面白いしね」
「・・・・・・」


失敗するのは面白くないが。


「頑張るのもダラけるのも広野くんの自由だよ。 誰に何を言われたって、好きにすればいいんじゃないかなって、あたしは思うわけだよ」


みやこは。


「広野くんは、誰のものでもないんだから」


どうして、みやこはこんなにもあっさりと、俺の心を揺さぶれるんだろう。

他の誰にも──できなかったのに。


「・・・おまえの戯れ言には付き合ってらんねーよ」
「いいね、そのひねくれっぷり。 そういうの、好きだなー」

 

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俺はふいっと顔を逸らした。

こいつのあけすけな物言いは、ちょっとばかり効きすぎる・・・。


「そ、そんなことより──真面目な話、もう帰れよ。 それと、この際だから言っておくけど、一応仮にもここは仕事場なんだから、あんまりちょこちょこと・・・」


ああ、ちくしょう、なんで早口になってるんだ。

って、あれ?

みやこはきょとんとした表情を浮かべて、わずかに首を傾げた。

その視線は、なぜか俺の背後、部屋の扉のほうに結ばれている。


「ん?」

「その人、誰だっけ? 前にもどこかで見たことがあるような・・・」

「その人?」


俺はゆっくりと振り向いた。

そこには──

 

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「み、みや・・・みや・・・」


もしかして、また性懲りもなく夕食でも作るつもりだったのか。

手にスーパーの袋をぶら下げた景が、口をぱくぱくさせていた。


「みやみや? そういえば、昔はそんなあだ名を付けられたこともあったなー」

「あ、俺にもヒロヒロって呼ばれてた時代が・・・」


ばさり。

袋が床に落下した音に、のんきなことを言ってる場合じゃないことに気づいた。


「み、み・・・宮村先輩がなんでここにいるのよ!」


・・・・・・。


・・・。

 

 

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「それで、どうなったんですか?」
「どうもこうも・・・」
「刃傷沙汰ですか?」
「そこまでエスカレートするわけねえだろ! 期待に満ちた目をすんな!」


怒り大爆発の景は、買い物袋を床に叩きつけてそのまま帰ってしまった。

みやこはと言えば、何事もなかったようにその後もしばらく俺の仕事の邪魔をして、飽きた頃に帰っていった。

それだけのことなんだけど──


「景がクソ真面目で潔癖なのは知ってたけど、マジギレするとは思わなかった・・・」


間違いなく景は、俺がみやこを連れ込んだと勘違いしてる。

元々、仕事場として新藤の爺さんから借りてる家だし、景が感心しないのもわかるけどさ。


「あのー、話の腰を折るようで恐縮ですけど」
「折るな」

 

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「広野さん、平日の真っ昼間になにしてるんです?」
「それは・・・だってさ・・・」


学園で景と顔合わせるのが怖いとは言えない。

一応、俺も男の子だからプライドってもんがある。


「男の子なら、女の子を怖がってちゃダメじゃないでしょうか」
「・・・心でも読めんのか、あんたは」
「今、口に出してましたよ。 気をつけたほうがいいですよ、ささいな一言が破滅を招くことだってあるんですから」
「既に破滅が近づいているような予感もするんですが、俺」
「嫌な予感って、たいてい当たるんですよね♪」


人の不幸は蜜の味って本当なんだろうな・・・。


「だけどさ、なんでこんなことで悩まなきゃいけないんだ? 俺には他にやることいくらでもあるのに! なあ、どうしてだと思う?」
「言っておきますが、私はシスターじゃないですし、カウンセラーでもないので・・・。 悩みを持ちかけられても困るんですよね」
「なら、なんであんたは教会にいるんだよ」
「なんでもなにも、お仕事さぼって油売ってるだけですから♪」
「とんでもねぇ不良メイドだな」
「広野さん、いい感じに脳みそわいてますね」


そうかもしれない。

物事考えるのも、段々面倒くさくなってきた。

というか、いったいなにを考えればいいんだ?


「そうだよ、なにを悩むことがあるんだ? 俺はなにも悪いことしてないし、毎日真面目に仕事して、学校行ってるだけじゃないかよ」
「あ、思考停止に陥りかけてますね。 若いんですから、今の内に頭使っておかないとそのうち後悔しますよ」
「人が気分切り替えようとしてるのに、水を差さないでくれるか?」
「問題を先送りにしてもどうにもなりませんよ。 広野さん」


この雨宮優子も理解しにくいキャラクターだよな。

そもそも何者なのかってところからわからないし。


「なにを真面目な顔してんだよ、あんた」
「学校と仕事と夢。 それから、女の子のこと」
「?」
「全部別のことなんですよ。 どれか一つに手がかかるからって、他のことを疎かにする言い訳にはなりません」
「えーと、ごめん。 いまいちなにを言ってるのかわかんねえ」
「頭悪いですね」
「うるせーな、ほっといてくれ」


頭が良くないから悩んでるんだろ。

偉そうな口をきくんなら、それくらいは察してくれ。


「つーか、なんで俺があんたに説教されなきゃいけないんだよ」
「年上の言うことは素直に聞くものですよ。 特に私みたいな優しいお姉さんの言うことは。 そうでしょう、少年?」
「優しいお姉さんねぇ・・・」


それはある意味、昔から俺がほしかったものではあるけど。

この雨宮優子は絶対に"優しい"お姉さんじゃない。


「それに、実を言うと・・・」
「まだなんかあんのか」


雨宮は人の悪そうな笑みを見せ、なぜか俺の制服にじいっと視線を注いできた。


「なに見てるんだよ」
「また生意気な口をききますね。 私って、あなたの先輩でもあるんですよ」


雨宮はそう言って、胸を張る。


「え、音羽のOBなのか、あんた」
「それを言うならOGでしょう。 頭悪いだけじゃなくて、ものを知らないんですね、広野さんは」
「っ・・・、細かいミスをいちいち指摘すんな」


それはともかく、そんなところで雨宮と俺に繋がりがあるとは。


「本当に卒業生なのかよ・・・。 ちなみに卒業は何年前?」
「おっと、その手には引っかかりませんよ。 誘導尋問で歳を聞き出そうなんて」
「ちげぇよ。 まあ、いいんだけどさ・・・」


なんか、ただでさえやりにくい相手なのに余計にタチが悪くなったような・・・。


「広野さん、学校は楽しいですか?」
「さあ、どうだろうな」
音羽はいい学校です。 限りある学園生活、サボるのはもったいないですよ」
「別に音羽が嫌いだからサボってるんじゃねぇって」
「ああ、そうでしたね」


わかってて言ったな、この先輩さんは。


──音羽はいい学校、か。

そう言い切れるってことは、雨宮優子は楽しい学園生活を送れたってことなんだろう。


「ねえ、広野さん」
「なんだよ」
「ちょっとだけ先輩風吹かせましょうか」
「いっつも偉そうなくせに」


だけど、雨宮の言葉には聞くだけの価値があるのかもしれない。

錯覚かもしれないけど、今はなんとなくそう思える。


「なに、もしかしてさっきの話の続きか?」
「ええ」


雨宮優子はこくりと頷き、ゆっくりと口を開いた。


「大事なものは一つだけとは限りません。 あなたがほしいと思うもの、どれを無くしても後悔しますよ」
「・・・だから?」
「いいえ、それ以上は別に」
「あのなあ」


変なところで言葉を止めないでほしい。


「私は、ただ」


雨宮優子の口元がわずかに緩む。


「ただ、あなたにそのことをわかってほしいんですよ。 大事なものを無くさないためになにをすればいいのか。 そこからは、あなたが自分で考えることですから」


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

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授業が終わり、お昼休みになった。

クラスメイトたちは、机をくっつけたり、学食に向かったりで騒がしい。

あたしは別になにもしない。

お昼を抜いたって午後の授業に支障はないし。

いつもと同じ。

こうやって窓の外を見ていれば、そのうち喧噪は去って、授業が始まり、放課後になる。

毎日がそれの繰り返し。

というわけでもない。

だるくなったら帰っちゃうもんね、あたしは。

だるくなったら──    


「・・・だるー」


勉強は嫌いじゃないけど、押しつけられてやるのは好みじゃないんだよね。

だからあたしは帰るのだ。

勉強なんて、やりたいときにやるよ。」

 

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さすがにクラスの皆さんも慣れたもんで、あたしが鞄を手に出て行っても気にする様子すらない。

うんうん、いいことだね。

いちいち気にしてたら、お互い疲れるだけだもん。


「ふぅー・・・」

 

髪のリボンを直しながら歩く。

 

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──あたしは、実はな~んにも考えてなかった。

廊下の向こうから歩いてきた女の子が、あたしを見てなんとも言えない表情を浮かべたときにも、まだなんにも。


「あ・・・」


えっと、確か名前は広野くんに聞いたはず・・・。

とんとん、とこめかみの辺りを叩いてみる。

そうだ、新藤。

新藤景ちゃんだ。

まぁ、特に話すこともないけどね。


あたしは、なんのアクションも示さずに新藤景ちゃんの横を通り抜けようとした──のに。

 

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「み、宮村先輩!」


なんで声をかけてくるんだろう?


「なにかな?」


それでも、思わず返事をしてしまう。

新藤景ちゃんの両脇にいる、友達と思わしき女の子たちが戸惑ったような顔をしてる。


「少しお話したいんですけど、付き合っていただけますか?」


だけど、新藤景ちゃんは周りなんて気にせずに、まっすぐあたしを見据えてくる。


「その話は長くなるの?」
「かもしれません」
「なら聞きたくないな。 あたし、帰りたいんだよ。 のんびりしてたらお昼休み終わっちゃうもんね」


昼休みのどさくさにまぎれないと、先生に見つかる可能性がある。


「ちょ、ちょっと待ってください。 どうしていきなり帰ろうとしてるんですか、先輩は」
「お話したかったらついてきてもいいよ。 学校サボってでもしなきゃいけない話なら、ね」


・・・。

 




 

 

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「結局ついてくるんだね」

 

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「一度話しかけたら引っ込みがつかないじゃないですか」
「可愛いね」
「えっ!?」
「あなた、可愛い。 そんなことまで口に出さなくていいのに」
「わ、わたしはただ──」


それ以上なにも言えず、新藤景ちゃんは赤くなって口をつぐんでしまう。

景ちゃんは、鞄も持たずに後をついてきた。

生真面目な子みたいだし、たぶん話を終えたら学園に戻るつもりなんだろう。


「もしかして、実は皆勤賞だったりする? 今日まで」
「お察しのいいことですね、宮村先輩」


お、立て直した。


「もったいないことしちゃったね。 あ、でもどうなんだろ? 皆勤賞取ったらなにか出るのかな? 賞状とかボールペンとか」
「そんなことはどうでもいいんです!」


大声に思わず足を止めてしまう。


「じゃあ、なにがどうでもよくないことなの?」


同じく立ち止まった景ちゃんに向かって、あたしは言った。

嫌味にならないように、優しく抑えた口調で。


「そ、それは・・・」
「言いたいことはなんとなくわかるけど、そっちが自分の口で言わなきゃダメだよ」
「わ、わかってますよ」


すうっと、景ちゃんは深く息を吸い込んだ。


「広野先輩は・・・今が大事な時期なんです。 聞いてますか? あの人、本当に留年の可能性もあるんですよ。 成績は赤点だらけで、崖っぷち。 そもそも出席日数がこのままだと足りなくなるかもしれないんです。 だけど、今ならまだ挽回できるんですよ。 きちんと勉強して、きちんと授業に出れば3年生になれるんです。 だから、広野先輩をサボリに巻き込んだりしないでほしいんですよ」
「お互いに損したね」
「え?」


景ちゃんが、きょとんとした顔になる。


「皆勤賞をふいにしてまでするような話じゃないよ。 あたし、もっと面白い話が聞けるかと思ってたのにな」
「面白いとか、つまらないとかそういう問題じゃないでしょう。 おに──広野先輩の将来のことなんですから」


あら、怒ってる。


「それは広野くんが考えることであって、あたしたちみたいな他人が心配したって仕方ないよ。 違うかな?」
「他人って・・・」
「あなたと広野くんのことはよく知らないよ。 だけど、広野くんがどうするかを決められるのは本人だけ。 そうでしょ?」
「う・・・」


にっこり微笑むと、なぜか景ちゃんは顔を真っ赤にしてたじろいだ。


「学園に戻ったほうがいいよ。 今からなら6時間目にも間に合うんじゃないかな」


あたしはくるりと踵を返す。


「それとね、景ちゃん」
「・・・っ」


呼び方が気にくわなかったのか、景ちゃんが眉をひそめる。


「景ちゃんは素直になるところを間違えてるよ。 それに気づかないままだと、いつか自分を嫌いになっちゃうかもね」


景ちゃんは、なにも反論しなかった。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 



 

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「あなた、ずいぶんと人が悪かったんですね」
「別に、間違ったことは言ってないよ。 どうでもいいけど、立ち聞きは趣味が悪いんじゃないかな」


突然目の前に現れた女の子に、あたしは言った。


「趣味じゃないですよ。 偶然聞こえちゃっただけです」
「偶然? 最後まで聞いてたんでしょ、どうせ」
「年下の女の子をいじめてる人がいるから、あまり酷くなるようなら止めようと思っただけですよ」


この寒いのに、彼女はまるで温室にでもいるような穏やかな表情を浮かべてる。


「いじめたくなるほど、あの子のことは知らないよ。 ちょっと思ったことを言ってみただけ。 素直になれないばかりに──取り返しがつかなくなることってあるからね」
「あんな言い方じゃ、伝わりませんよ」
「あの子、怒ってたと思う?」


彼女は小さく首を振った。


「あっけに取られてただけでしょう。 たいていの人間は、あなたの前に立つと毒気を抜かれますからね」
「そっか。 それならよかった」


うんうんと、あたしはひとりで頷いた。


「それにしても、相変わらず神出鬼没なんだね。 それとも、もしかしてあなたってば迷子ちゃんなの?」
「うーん、迷子ちゃんはむしろあなた達だと思いますけどね」
「なんで複数形?」
「いえいえ、私はあなたほどあちこちブラブラしてないってことです。 お仕事がありますからね」
「今日はなんのお仕事?」
「ちょっと港のほうへ、たたみいわしの買い付けに」
「あなたって、真顔でつまらない冗談言うんだよね、優子」
「とか言いながら笑ってるじゃないですか、みやこ」


あたしたちは、軽薄な笑みを向け合った。

この女の子の名前は優子。

学校さぼって街をうろついてたときに出会って、何度も顔を合わせる内に会話を交わすようになった。

学生じゃなくて働いてるヒトみたいだけど、名前以外のことはほとんど知らなかったりする。

ううん。

本当はもう1つ、つい最近気づいたことが──


「あまり振り回したら可哀想ですよ・・・ん? どうかしましたか、みやこ」
「優子って──」
「私がなにか?」


優子は軽く首を傾げて、あたしをじっと見る。


「優子って、お仕事してるんならお金持ってるでしょ? あたしお腹すいちゃった。 ごはん食べさせてー」
「・・・なにを言いかけたのかは気になりますけど、追求してもどうせ喋らないでしょうね」
「だいぶわかってきたね、優子も」


今言うことでもないし──だいたい、どうでもいいことだから。

あたしにとって、優子はたまに街で会う、友達でもなんでもないお知り合い。

それ以上の存在になることを、あたしは望まない。


・・・・・・。

 

・・・。

 



 

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今日も今日とて、こなさなければならない作業は山のようにある。

学校さぼっておきながら、時間の無駄遣いもしちゃったしペースを上げていかないとな。

どうか、誰も邪魔しに来ませんように・・・。

祈りつつ、鉛筆を動かす。

キャラクターの数が多い上に、背景を細かく描き込む作風のせいで、とにかく手間がかかる。

自分で蒔いた種だけど、描いても描いても終わらないのはどうにかならんもんか。


「あー、くそっ」


漫画の原稿用紙ってなんでこんなにバカでかいんだ。

小さすぎても描きにくいけど、もっと適度なサイズにできなかったのか。

ああ、ダメだ。

なんだ、このキャラの顔は。

がしがしと消しゴムをかけて、歪んだ顔を消し去る。

このところ、いつもこうだ。

描きたいものと、描き上がったものの間の差が大きすぎる。

とにかく丁寧にやるしかないけど、あまりこだわりすぎても時間が無くなってしまう。

どこかで妥協する──プロっていうのはそういうもんかもしれない。

それはわかってるけど、焦る気持ちだけはどうにもならない。


ピリリリリリッ、ピリリリリッ。


「・・・・・・・・・そうか、こいつがいたか」


ピッ


「はい、もしもしー」

 

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「俺や」
『だからその口調を──まあいいや。 なんの用だよ』
「言わんでもわかっとるやろ。 調子はどないやねん」
『下書きがあと8ページ、かな』
「8ページぃ? おまえ、ペース落ちる一方やん。 いっぺん原稿遅れたらクセになるもんやけど、おまえもかい。 わかっとるやろうけど、あんまり上がらんようやったら、"お迎え"にいくで」


お迎え・・・。

つまり、拉致監禁のことらしいけど、このオヤジならマジでやるだろうな。


『うるせーな。 締め切りに間に合えば文句ねえんだろ。 つーかさ、締め切り前に原稿上げてくる作家なんかいるのかよ』
「そんなんおったら誰も苦労せんわーっ!! そうか、ケンカ売っとるんやな? そうか、そうなんやな!? おお、いつでも買うたるぞ!」


オッサン、相当苦労してきたみたいだな・・・。


『俺が悪かったから落ち着いてくれ、大村さん』
「そやな・・・。 メシはちゃんと食うとるか?」
『今日は納豆と目玉焼きを』
「朝メシやないんやから。 そんなんやったら、力でぇへんやろ?」
『作る暇も金もねぇもん』
「・・・広野は手ぇ速いんが取り柄やったのに、最近は遅すぎるんも、その辺に原因あるのちゃうのか」
『うっ・・・』


痛いところをつくなあ。


「おまえも確か、次は3年になるんやったな。 そろそろ考えたほうがええやろな」
『考えるってなにを?』
「あ、思い出したわ。 例の夏の増刊に掲載する短編のネーム、進んどるんやろな?」


俺が3年になったら考える事とやらはどこへ。

突然、話を別なところに飛躍させるからな、このオヤジは。


『もちろん、そんなものは忘れてたけど』
「忘れとったら、最終的に困るんは俺やのうて、おまえや」
『そうでした・・・』
「けっこう読者から要望あるんや。 "新堂凪"先生の読み切りが読みたいっていうんが」


けっこう微妙だな・・・。

今やってる連載がつまんないと遠回しに言われてるみたいで。


「ついでに言うとくけど、単行本の準備もそろそろやからな・・・」
『ついでで言うほど軽い話題じゃないような気がするんですけど』


単行本の話が大村さんから出たのはこれが初めてだ。


「やらなあかんことはなんぼでもあるわ。 せやから先に言うといてくれ」
『・・・なにを?』
「できんのやったら、できんって」
『できないっって言ったら、スケジュール見直してくれるのかよ』
「世の中、そないに甘ないわ」


だと思ったよ・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

いくつか業務連絡を聞いてから、電話を切った。

電話を放り、ついでに仕事も放り出して、ベッドに横になる。

 

「あーあ・・・」


まったく、なんで学生の内にデビューして連載まで取っちまったんだろ。


──なんて言わないけど、もう俺は疲れました。

なにもかもにがんじがらめにされてて、もう身動きが取れない。

時間は既になく、選択肢も限られている。

どれを選んでも、きっと失うものは大きいと思う。

だけど、もしかしたら──

あいつなら、俺も気づかなかったような選択肢を差し出してくれるかもしれない。

自由に、思うがままに生きているあいつなら──


「・・・アホなこと考えてる場合じゃねえな」


がばっと身を起こす。

今は妄想をたくましくしてる場合じゃない。

頭よりも手を動かせ。

悩むんなら、作品のことで悩んでろ。

読者と鬼編集が原稿を待ってるんだから。


・・・。

 

最初の一歩はなんだっけ。

なぜ走っているのかと訊かれたら、走るしかないからと俺は答える。

では、なぜ走り始めたのかと訊かれたら。


──答えられません。


「なにが答えられません、よ」
「へ?」

 

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耳元で聞こえた声に、ばっと顔を上げる。


「わっ」


驚くほど近いところに景の顔があった。


「び、びっくりさせないでよ、もう」
「・・・驚かせてるのはおまえだよ」

 

 

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大あくびをしてから、時刻を確認するために、机上の携帯に手を伸ばす。


「っと」


が、掴んだ携帯を取り落としてしまう。


「なにやってんのよ。 寝起きで力入ってないの?」

 

景が携帯を拾って、液晶画面を俺に向けてくれる。


「全然寝た気がしねえのに・・・もう朝かよ」
「だからわたしがいるんでしょ。 おはよう、お兄ちゃん」
「おはよぅ・・・おまえ、朝練は?」
「無いわよ」
「自主練は?」
「それもお休み。 だからこうして来てあげたのよ」


景はありもしない胸を張る。


「レギュラーのくせにそれでいいのかよ。 練習は毎日やんなきゃ意味ねえんじゃないのか?」


景は唇を尖らせる。


「好きで休んでるんじゃないわよ。 昨日の練習でちょっとトバしすぎちゃって、先輩に朝練禁止を言い渡されたんだもの。 今日の午後は付属校の子たちとの合同練習だし・・・後輩たちの前で変なところ見せられないから、休んどくの」
「おまえはいつも変だから無理だな」

 

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「それが最期のセリフだなんて、冴えないわね」


目がマジだ。


「ま、まぁ、たまには休んだほうがいいな。 おまえは加減を知らねえから」
「そうなのよね。 無理をしちゃうのはお兄ちゃんの影響かもしれないけど・・・。 我ながら困ったことだと思うわ。 ほんっとうに手加減ができなくて」


景がぽきぽきと指を鳴らす。

またもや流れる、不穏な空気。

ていうか、すっかり忘れてたけど──


「あの、景さん?」


俺がみやこを連れ込んだと勘違いして、怒り心頭に達してるんじゃなかったか?

ペンしか持ったことのない俺では、体育会系の景と取っ組み合いしても勝てる自信はないぞ。


「なんでさん付けなのよ、バカ。 まだ寝ぼけてるの、お兄ちゃん。 今日は打撃抜きで起こしたから、まだ頭回ってないの?」
「回ってる、回ってる」


俺は激しく首を振った。

景が記憶力ゼロのバカで良かった・・・。


「ならさっさと準備してよ。 どうせ、今日も朝ごはん抜きでいいんでしょ?」
「ああ、うん。 じゃ、ちょっと待っててくれ」


答えてから、おもむろに服に手をかける。

 

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「ちょ、ちょっと待って。 いきなり脱ぎ出さないでよ」
「ゆっくり見せてほしいのか?」


どがっ!


「いってぇ!」


飛んできたのは、なにが入っているのか、やたらに重い景の鞄。


「女の子の前でいきなり脱ぐなって言ってるのよ!」
「おまえ、マジで手加減しらねえな。 脳挫傷したらどうすんだ」


頭が割れそうに痛ぇ。


「刺激を与えれば頭よくなるかもしれないわよ」
「さも自分が賢いかのように言うな。 おまえだって、年中追試を受けてるようなおバカだろーが」
「し、失礼な。 追試なんてまだ3回くらいしか・・・」
「俺でも1年のときは2回しか受けなかったぞ」
「しまった・・・なにを正直に答えてるの、わたし」


景は頭を抱えて沈んでしまう。

まあ、景くらい運動ができれば少々バカでも許されるだろうが。


「だいたい、なにが女の子だ。 どこにいるんだ、そんなの」


さっと身構え、攻撃に備える。


・・・あれ?

またなにか飛んでくるかと思ったのに。


「景?」


景は思い詰めたような表情で、床を睨んでいる。


「え? いや、冗談だって。 本気にするなよ」
「・・・いつまでもわたしは妹みたいなものなのよね」
「は?」


妹みたいなものっていうのは事実だけど、今更気にすることか・・・?


「景。 おまえ、なにかあったのか?」
「なにも」


ぱっと景は顔を上げ、俺を睨みつけてきた。


「なにもないわよ。 わたしはいつもどおりよ」
「・・・そうか」


本当にバカだよな、景は。

漫画描きの観察力なんかなくても、強がり言ってるのはバレバレだよ。


・・・。

 

唸るような音を立てて、風が音羽の街を吹き抜けていく。

この街は普段から海風が吹きつけてくるが、今日の風はひときわ強い。

横にいる景はスカートの裾を押え、ゆっくりと歩いている。

 

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「・・・なによ?」
「なんでもねーよ」


わざわざ口に出すことでもないけど、思い出してみれば──

景って、昔はスカートなんて絶対に穿かなかった。

服装で区別しやすいように、景が意図的にそうしてた節もあるけど、基本的にはパンツスタイルを好んだからだと思う。

でも、最近では私服のときもスカートばかりのような気がする。

いつからこうなったんだろ?

ずっと近くにいたはずなのに、そんなこともわからない。


「お兄ちゃんさ・・・」
「ん?」


景は足を止め、真剣な顔でこちらを見据えていた。

まだ時間が少し早いせいか、通学路に他の生徒の姿は見えない。

 

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「もしかしてわたしってウザい?」
「うん」


どごっ!


「・・・ってぇ」


胃がえぐれるような痛みに、俺は思わずかがみ込む。


「冗談言える状況かどうか、空気くらい読みなさい」
「冗談だってわかってるなら殴るなよ・・・」


よろよろと立ち上がりながら言う。


「わたしは真面目なんだから、茶化さないで。 朝起こしに来たり、学校行けってうるさかったり・・・お兄ちゃん、うっとうしいと思ってるんじゃないの?」
「そう言われてもな・・・。 もう慣れちまったから」


割とどうでもいいというか。


「なんで、んなことを言い出すんだよ」


キッと景は俺を睨みつける。


「真面目な話をしたって全然聞いてくれないじゃない、お兄ちゃんは」
「んなことねーよ」
「いっつも忙しそうで、全然わたしの話なんか聞いてくれなくなったじゃない。 昔は、そんなんじゃなかった」
「そりゃあ昔とは違うだろ。 俺たちだって、ガキじゃねえんだから」
「それよ」
「それ?」
「どうして・・・。 お兄ちゃんは大人になるのが早すぎたわよ。 ずっとなんて言わないけど。 せめて、もうちょっとだけ一緒にいたかったのに」
「こんなに近くにいるだろ」
「そういうことじゃないの!」


一歩踏み込んでくる景。


「お兄ちゃんが漫画家になって・・・それに・・・、もうずっと前から遠くに感じられて。 今は、もう・・・」


そこで景は言葉を切った。

続きを待ってみたが、それ以上なにも言う気はないみたいだった。


「それはさ。 それは、おまえの思いこみだよ」


景はきっと、親しい人が周りからいなくなることを極度に恐れてる。

そうなってしまうのも当然だと思うけど・・・。


「そんなに簡単に俺はどっかに行ったりしねーよ。 おまえ、考えすぎ」
「・・・・・・そうね。 たぶんそうなんだと思う」


景は頷いたが、顔は納得していなかった。


「一度言いたかったのよ。 ただ、それだけ。 ごめんね、朝から変なこと言って。 忘れちゃってくれると嬉しい」
「そうか」


納得できないのは俺も同じだけど、これ以上話をこじらせることもない。

景をうながして歩き出そうとしたそのとき──


「広野くん、おはよーっ。 あ、景ちゃんも一緒だね」


恐ろしく場違いな明るい声が聞こえてきた。

 

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「このタイミングで出てくるか、おまえは」

「え? なにかまずかった?」


現れたみやこは、俺と景の顔を交互に見て、不思議そうな表情を浮かべた。


「まずくはねえけど・・・なんていうか、あれだ。 さっさと先に行け」

「わ、すんごい冷血っぷりだね」

「俺は冷たい奴だよ」

 

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くい。

突然、制服の袖を引かれた。

 

 

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「なにしてんだ、景」


まるで小さな子供のように、景が俺の袖を掴んでいた。

景は小さく首を振るだけで、返事をしない。

なぜだかわからないが、妙に気まずい空気が流れる。

さっきまで吹き荒れていた風も、すっかり凪いで、耳が痛くなるほどの静寂に包まれている。

どうしたらいいんだろう・・・。

いつもやかましいみやこまで、ぼーっとしたままなにも話さない。


「・・・なんでもない」


前触れもなくそう言うと、景はぱっと手を離した。


「あの、宮村先輩」

「あい?」


みやこのふざけた返事も気にかけず、景は真剣な表情を作る。


「この間はつまらない話をしてすみませんでした」


景はぺこりと頭を下げる。

・・・なんの話だ?


「つまらない話・・・? なにかあったっけ?」


こいつはすっとぼけたこと言ってるし。


「なにかって──!」

「景、人前だぞ。 キレるなよ」


小声で耳打ちする。


「・・・わ、わかってるわよ」


どうにかクールダウンした景は、みやこを睨むようにする。


「うん、今はそれでもいいんだわ。 今のわたしなんて、こんなものでしかないんだから」

「おい、景。 おまえ、本格的におかしいぞ」


なんというか、「怖い」っていうレベルまで来てるような。


「とっくにおかしくなってるわ・・・。 気づいてなかったのはわたしとお兄ちゃんだけよ」


どう見ても冗談を言ってる風じゃない。

俺の知らないところでなにかがあったみたいだけど・・・。


「わたし、先に行くわ」

「へ? ああ、うん」


景はほんの少しだけ笑みを浮かべた。


「宮村先輩、失礼します」

「あ、うん。 じゃあね」


小走りに景が去っていく。

 

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「本当に変だね、景ちゃん」


景の小さな背中を見送りながら、みやこはぽつりと言った。


「景だって、おまえにだけは『変』とか言われたくないと思うぞ」
「あたし、けっこう普通なんだけどなー。 たぶん、広野くんが思ってるよりずっとまともなのに。 広野くん、考えを改める気はない?」
「無理だな」
「ちぇー」


みやこは、なにもない地面を蹴るふりをした。


「でもさ」
「うん?」
「景ちゃんだって最初からわかってたんだよね。 だけど、わかってるから辛いし、残酷なんだよ。 バカが一番いいよ。 面倒くさいこと考えられないから、幸せだし、毎日笑っていられる」
「本物のバカが言うと説得力があるな」
「容赦がないね。 あたしにならいいけど、誰にでもそういうキツい物言いしちゃダメだよ」
「相手によって態度変えられるほど器用じゃねーんだよ」
「不器用だよね、広野くんも、あたしもみんな──」


みやこはふわりと笑う。

再び、風が吹き始めた。

乱れる髪を押さえつけながら、みやこは──


「この風はどこから来て、なにを運んでいくんだろうね・・・」


頭の悪いことをつぶやきながら、ぼんやりと道の先を見つめていた。

正面から吹きつけてくる風は、いつまでもみやこの髪を揺らせている。


・・・・・・。


・・・。

 


席につくと、自然にため息がこぼれた。


「はあ~、なんで朝からこんなに疲れなきゃいけないんだよ」
「よっ、広野。 元気かー」


ちょうど教室に着いたところらしく、鞄を手に京介が近づいてきた。

 

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「うるせえ、帰れ」
「朝一番から帰れるかっての。 宮村じゃあるまいし」
「余計に疲れるから、その名前を出すな」


って、ちょっと待った。


「おまえもみや──宮村のことよく知ってるみたいな口ぶりだな」


前に、何気なく「宮村と付き合ってるのか」とか訊いてきたけど、あれはとぼけてただけか?


「んん? ああ、まあな。 ちょっとあり得ないくらい可愛いからなあ・・・」
「? 歯切れ悪いな、おまえ。 もしかして・・・」
「いやいや、若さって怖いよな」


京介め、みやこにも悪い癖を出したのか・・・。


「ああ、でも安心しろ。 宮村はかな~り手強そうだったから、すぐに口説くのはあきらめたよ」
「なんでそれで俺が安心するんだよ?」


京介はにやりと笑っただけで、答えなかった。


「しかし、本当に見境なしだな、おまえは。 一回去勢したほうがいいんじゃねえのか」
「おまえの言葉に友情を感じられたためしがないよ」
「無いもんを感じるはずねえだろ。 寝ぼけるのもほどほどにしとけ」
「機嫌悪いな。 なんだよ、両手に花で登校しておいてその態度は。 女の子のほうに失礼だろ?」
「京介ぇー!」


俺は立ち上がって、京介の胸ぐらをつかむ。


「なーにをいきりたってるんだ」
「見てたんなら、声かけろよ。 俺があの二人に挟まれてどれだけ居心地悪かったことか!」
「そう言われても、第三者が入り込める雰囲気じゃなかったぞ。 ほら、見てみろ」


と、京介は愛用しているビデオカメラを取り出し、液晶モニターをこちらに向けた。


「客観的に見ればわかるだろうが。 おまえら、自分の世界作っちゃってたぞ」

 

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モニターに映し出されたのは、まぎれもなく俺と景、それにみやこ。


「てめーっ、傍観してただけじゃなくて撮影までしてやがったのかー!」
「カメラを構えてるときの俺は、おまえの友人の堤京介じゃない。 いい画を見つけたら撮らずにはいられない、生粋の映像マンだ」
「アホかーっ!」


俺はカメラを京介からひったくる。


「ああっ、なにするんだ」
「テープ没収。 状況も考えずに撮るなよおまえはっ」
「ちぇー」


なにを考えてるんだか、こいつは。


「でもさ、たまには必要なことだよ。 こうして、自分を客観視するのは。 自分の目だけじゃ見えなかったものが見えてくる」
「偉そうなことぬかすな、バカ」


なーにが自分の目じゃ見えなかったものだよ。

そんなもんが都合良く映ってるはずが・・・。


「俺のカメラを甘く見られちゃ困るね」


自信たっぷりな様子で京介は言い放ち・・・

俺はそれを否定できなかった。


・・・。

 

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自分の目では見えなかったもの。

見えなかったもの、か・・・。

そんなものはいくらでもあるだろうが。

カメラに映っていた俺は。

風の中で、みやこを見ていた俺は。

休み時間、トイレに行った帰りに自然と足がD組の教室に向かっていた。

D組にも知り合いが何人かいるし、別におかしなことじゃない。

ああ、違うな。

言い訳なんかしてられるか。

俺はたぶん、確認しなくちゃいけない。

今の俺に必要なこと、それは理解するということだ。

すれ違う生徒たちには目もくれず、D組の教室を目指す。

なにかをしようっていうんじゃない。

ただ、俺は──

D組の教室の扉は開いていた。


「・・・・・・」


どこの席に座ってるのかなんて知らなかったけれど、あいつの姿はすぐに見つかった。

誰と話すでもなく、頬杖をついて窓の外に視線をさまよわせている。

不思議と、寂しそうとは思わなかった。

そうしているのがすごく自然で──窓から差し込む光の中、ぼんやりとしているみやこは、まるで一枚の絵画のようだ。

ウチの親父や姉貴なら、この光景を見れば絵筆を取らずにはいられないだろう。

 

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教室から出てきた女子が、俺に胡散臭そうな目を向けてくる。


「と、ごめん」


女子の邪魔にならないように、一歩下がる。

視線を再び教室内に戻したとき、


「・・・・・・」

 

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みやこがこっちを見ていた。

ちょっと間の抜けたような顔で、口が小さく開かれている。

絵画が急に漫画になったみたいだ。

教室の中のみやこと、扉の外の俺。

現実の距離は変わらないのに、さっきよりもみやこが近くに感じられる。

絡まる視線、胸に湧き上がるなにか得たいの知れない感情。


キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。


鳴り響く無粋なチャイムの音。

だけど、俺とみやこは見つめ合ったまま。

みやこの顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。

世界が漂白されてしまったかのような感覚が、弾けるようにひろがっていった──


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

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ほとんど空っぽの鞄を手に立ち上がる。

京介は、早く部活に行きたいと言って、帰りのHRも受けずに出て行ってしまった。

よっぽど楽しいんだろうな、部活が。

他のクラスメイトたちも授業中とはうって変わって、イキイキとした顔をしてる。

俺はといえば、放課後になっても、解放された気分になれない。

家に帰っても労働が待ってるだけだからなー。

・・・俺が解放される日なんて来るのか?

連載が終わった日には自由放免だけど、できればそんな日はしばらく迎えたくない。


「はぁ~」


帰ろ。


とぼとぼと廊下を歩いていると。

窓の外から、やたらと威勢のいい掛け声が聞こえてきた。

運動部の連中はいつも元気だよなあ。

あの元気を俺にも少し分けてほしいくらいだ。


「あ、そうだ」


ぴたりと足を止める。

今朝は途中でうやむやになっちまったけど、景の様子は明らかにおかしかった。

何年か前から妙に赤面することが多くなって、普段からまともとは言い難いけど。

ただ、一応、俺は学園内での景の保護者みたいなもんだし・・・。

ちょっと顔だけでも見てくるべきか?


・・・。

 

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1年の教室に来るのも久しぶりだ。

去年まで俺もここにいたんだけど、今となってはちょっと馴染めないな。

馴染めなくてもどんどん行くけどね。

いちいち後輩なんぞに気を遣ってられるか。

ガラリ。

目当ての教室の扉を開け、後輩たちの不審そうな顔を気にせずに、奴の机まで近づいていく。

目標は帰り支度をしながら、近くの席の女の子と話している。

 

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「おい」
「・・・なにしてるの」


俺が席の前に立つと、景はぽかんと口を開けて俺を見上げた。


「よかった、まだ部活行ってなかったんだな。 ちょっといいか?」
「いいけど、堂々と下級生の教室に乗り込んでこないでよ。 みんなが何事かと思うでしょ」


景の言うとおり、教室に居残っている1年生たちは明らかに戸惑っている。


「別に何事でもねーよ。 じゃ、行くぞ」


ぐいっと景の手を引っ張って歩き出す。


「ちょっ、ちょっと。 お兄──先輩!」


・・・。

 

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「もうっ。 やめてよね、こういうの!」


階段のところまで来て、景は俺の手をぱっと振り払った。


「おまえは気にしすぎなんだよ」
「先輩が無頓着すぎるの! 変な噂とか立ったらどうしてくれるのよ」
「真っ赤になりながらなに言ってるんだ。 おまえ、病気じゃねーの?」
「・・・っ!


景は声にならない声を漏らして、うつむいてしまう。

 

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「悪い、悪い。 冗談だって」
「あんたなんて大っ嫌いよ・・・」


泣いてるんだか怒ってるんだか。

相変わらず難儀な性格だよな、景って。


「いつか吊るしてやる・・・」
「・・・・・・」


ど、どこにだろう・・・。


「もういい。 なによ、なんの話があるのよ。 まさか話もないのにあんな羞恥プレイをさせたんじゃないでしょうね!」
「おまえ、オンとオフが激しすぎるぞ」


さっきのも別に羞恥プレイじゃないと思う。


「先輩がスイッチ切り替えさせてるのよ! わたしのせいじゃない!」


しかも逆ギレしてるし。

ため息をついてから、ぽんと景の頭の上に手を置く。

 

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「だ、だからこういうことを──」
「ま、とりあえず元気なことは元気みたいだな」
「一人で納得しないでよ」
「元気ならいいんだけどさ・・・。 ついでだから1つ言っとくけど、おまえももうちょっと肩の力抜けよ」


景は、もっと自然に振る舞っていたほうがいい。

そう、あいつみたいに力が抜けた普通の笑顔を浮かべていたほうが──


「・・・わたしってそんなに片意地張ってるみたいに見える?」
「割と。 最近のおまえは特に。 自分でもおかしくなってるって言ってたじゃん。 おまえにも色々あるんだろうけど」
「無いわよ」


ぼそりと一言。


「色々なんてないわよ。 わたしがおかしいんだとしたら、原因なんて1つしかないわ!」
「なんだよ、原因って」


ばっ、と景は一歩引いた。


「うるさいわね、それくらい自分で──」


──「景せんぱーいっ!」


突然、階段の下から大声が響く。


「げ」

「ミズキ、来たの?」


景が少し驚いたような声を出す。

 

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「はい、あなたのミズキ、ここに見参です!」


今にもしっぽを振り出しそうなほど、羽山は嬉しそうだ。


「景先輩がなかなか来られないので、お迎えにあがりました!」

「そ、そう。 ごめんね」


そういえば、付属のバスケ部との合同練習があるんだったな。


「というわけで、練習に行きましょう。 もう皆さん、おそろいですよー」

「あのな、羽山。 まだこっちの話が──」

「なにか言いました?」


景に向けていたのとは正反対の表情を浮かべ、羽山は不機嫌そうに言った。


「俺はちょっと景と話が・・・」

「わたしの景先輩と勝手に喋っちゃダメです」

「んな無茶な」

「いつからわたし、ミズキの所有物に・・・」

「そういうわけですから、ヒロ先輩」


俺たちのつぶやきを無視して、羽山は景の手を取った。


「それでは~♪」

「・・・じゃあね」


複雑そうな顔で、景は小さく手を振った。

そのまま羽山に引きずられるようにして、去って行ってしまう。


「なんだかなあ」


うやむやになっちまったな。

羽山のバカ、タイミング悪すぎなんだよ。


「・・・でもまあ、いいか」


元気がないわけじゃないし、そのうちもっと話も聞き出せるだろ。

機会なんていくらでもあるもんな。


・・・・・・。


・・・。

 

 

 



 

 

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まずは全体のアタリを軽く取る。

このときの描線はとにかく薄く、手の脂で消えてしまうくらいに。

それから顔の輪郭を取って、鼻、口、眉、目と順番に顔のパーツを描き込んでいく。

少しずつ、少しずつキャラクターが姿を表してくるこの過程がたまらなく好きだった。    

なのに、いつの間にか高揚感をおぼえなくなってしまっている。

話を考えているときはともかく、下書きやペン入れはただの「作業」になってしまって久しい。

以前は、漫画を描くすべての過程を楽しめていたはずなのに。

こんな冷めた気持ちで手を動かすようになったのはいつからだ?

色々なことが重なって、鉛筆の動きは鈍る一方だ。


「・・・知るかよ」


ノロノロしてたら鬼が黙っていない。

ぐっと、鉛筆を握る手に力を込める。


それに、そろそろ──


ピリリリリリッ、ピリリリリッ

 

 

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「ほら来たよ」



業務連絡がそうそうあるわけでもないのに、大村さんは毎日電話を欠かさない。

この毎日の電話が、少なからずプレッシャーになる。

だからこそ、締め切りまでに原稿が上がるんだけどな。


「はい、もしもし──」
『もしもし・・・』
「ん!?」


予想に反して、聞こえてきたのはオヤジの野太い声じゃなかった。


ぱっと携帯を耳から話し、液晶画面に目をやる。

発信者は「公衆電話」と表示されていた。


「え、誰?」
『あたしだけど』
「なんだ、みやこか」


公衆電話からなんて珍しいから、誰かと思った。

 

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『うん。 広野くん、今なにしてる?』
「なにって、仕事してるに決まってるだろ」
『ちょっとお願いしたいことがあるの。 聞いてくれる?』
「なんだ、元気なさそうだな。 どうしたんだよ」
『・・・っ』


電話口の向こうで、小さく息が漏れるのが聞こえた。


『あのね、隣町に買い物に行ってたんだけど』
「買い物? それがどうかしたのか?」


またひったくりに遭って、帰れなくなったとか言うんじゃないだろうな。


『それでね、帰ってくる途中で・・・その、』


なぜか口ごもってしまう。


「言いたいことがあるんなら言えよ。 ちゃんと聞くからさ」


ああ、どうしてこんな優しい声を出す、俺。

景たちにだって常にキビしく当たってきたのに。


『電車でね』
「うん」
『痴漢に遭っちゃったの』
「・・・・・・」


なんだ、そんなことか──とか言っちゃいけないんだろうな。


「まぁ、なんつーか、大変だったな」
『すっごいムカつく。 あたしの許可も得ずに勝手に触るなんて・・・』
「犯人とっつかまえたのか?」
『できるわけないよ、そんなの。 男の人にはわからないだろうけど、めちゃくちゃ怖いんだからね』
「そうだろうけど・・・それで、俺はどうすればいいんだよ」

 

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『迎えに来て。 今、音羽の駅だから』
「・・・なぜそうなる?」


痴漢の話とお迎えと、どう繋がってるんだ。


『怖いの』
「は?」
『ひとりで帰るの怖いの! だから迎えに来て!』


なんつー勝手なことを・・・というか。


「待て待て、なんでよりによって俺に頼むんだ」


俺が忙しいことは知ってるだろうに。


「迎えに行くくらい、別に俺じゃなくたって──」
『なんで?』
「はい?」
『あたしは広野くんにお願いしてるのに、どうしてそういうこと言うの?』
「・・・・・・」


・・・。

 



 

で、断ることもできずに迎えに行っちゃったバカがひとり。

当のみやこはというと──

 

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「だいぶ風もおさまってきたねー。 今日は髪の毛ぐちゃぐちゃになるし、目は痛いしで大変だったよ」


さっきのしおらしげな様子はどこへやら。

楽しそうにすら見える。

もしかして、怖いっていうのはデタラメで、また例によってからかわれてるだけじゃないのか?


「もしかして広野くん、怒ってる?」


足を止めて、みやこは言った。


「呼べば来る便利な奴とか思われてなけりゃいいよ。 今回はたまたまだ」
「呼べば来ると思ってた・・・」
「待てやコラ」
「広野くーんゴー! って叫ぶとプールの水が割れて、そこからゆっくりと姿を」
「どこの巨大ロボだ、俺は」


だいたい、古いんだよ。


「んなことどうでもいいから、さっさと行くぞ」


と言っても、みやこは歩き出そうとしなかった。

さっきの悪ふざけはどこへやら、ちょっと真面目な顔になっている。


「おい」
「広野くん、晩ごはんはまだ?」
「・・・ああ」
「お礼に今日も晩ごはん作るから。 商店街に寄って買い物していこ」


つまり、俺の家に来るってことかよ。

後でまたみやこの家まで送らなきゃいけないってことで・・・。

面倒くさいけど、みやこのメシは正直魅力的だったりする。


「それはありがたいけど・・・なにを作るんだ?」
「シーフードカレーとかどうかな。 ちょっと時間かかっちゃうけど」
「時間はいいけどさ。 そういや、シーフードカレーって食ったことねーな。 美味いの?」
「美味しいよ。 エビとイカとホタテ。 それに、白身のお魚を入れるの。 あまり長く煮込まないのがコツなんだよ」


みやこは、心底嬉しそうな顔をしている。


「へえ。 つーか、おまえって魚好きなんだな」
「うん、大好き。 でも、魚のほうはあたしを愛してくれないんだよねー」
「なんだそりゃ。 魚に愛されても困るだろ」


というか、愛とか言うな。


「困る・・・かな?」
「俺なら、せめて相手は魚類より人類のほうがいいな」
「景ちゃんならもっといい?」
「・・・話を違う方向に持っていこうとすんな」


俺はそう言って、みやこに背中を向けて歩き始めた。

ついてこないなら、それでもいい。

今ここで景の話はしたくない。

 

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「絃くん」


絃くん?


「なんだよ」


それでも立ち止まってしまうのが、俺の甘いトコだ。


「手、繋ごうか」


振り向いた俺に、みやこは言った。


「やだよ、そんなの」
「本当に嫌なら諦める。 でも、照れてるだけなら・・・いいじゃん。 繋ごうよ」
「・・・・・・」
「本当に怖かったんだもん。 自分でも弱いなーと思うけど、ああいうの、何度経験しても慣れないんだよ」


何度も遭遇してるのかよ。

でも、まあ・・・狙われるのも無理ないか。

なんせこの外見だもんな。


「こういうときはね、あたしみたいにいつもひとりでフワフワしてる奴でもほしくなるんだよ」
「ほしいって、なにが?」
「ひとりじゃないって思わせてくれるヒト」


・・・やっぱり女はズルイ。

違うか、みやこがズルイんだ。


「おまえの言うことはいつも理解できねえ」


照れ隠しの言葉を吐きながら。

 

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俺は、ひったくるようにしてみやこの手を取った。


「・・・・・・はー」
「なにを呆けた顔してるんだよ」


なんでもいいからリアクションがないと、余計に恥ずかしいだろ。


「だって・・・本当に繋いでくれるとは思わなかったから」
「離すぞ」
「うわ、ダメダメ! 離したら一生恨んでやるー」



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そう言って、俺の腕にしがみついてきたみやこを振り払わなかったのは。

きっと、知らないうちに、こいつの気まぐれがうつったんだと思う。

そうに決まってるよ。


・・・。