セミの声で目が覚めた。
騒がしいやつらだ。
俺は朝の空気を思いっきり吸った。
生きている実感がした。
外では陽の光がアスファルトに当たり、キラキラしている。
もう、夏か。
本格的な夏が、この町に訪れたのだ。
剣術部が出来て、数週間が過ぎた。
桜木が加入し、道場での基礎練習を積み、それなりに部活らしくなってきたようだ。
はるかを筆頭に真面目に練習を続けている。
栗林は笑顔を見せることこそなかったが、しっかりと顧問の役目を果たしているみたいだ。
学園長は相変わらず、剣術部に対して冷たい視線を送っている。
いつでも廃部に出来るように画策でもしてるのだろうか。
俺はというと・・・。
たまに足を運んで、道場の外から練習を眺めていた。
少しずつ形になっていく彼女たちを、ただ遠くから眺めていた。
もう、俺の役目はここまでだという、達成感と若干の寂しさを抱えながら・・・。
そんな日々を淡々とこなしていく中、学園は夏休みに突入していた。
長くて短い、幸せな休日!!
だが、俺にとっては特にやることのない、暑い日々。
そんな俺の元に、沢村から連絡が来たのだ。
「椿先輩? 夏休みって何してますか? もしも、暇だったら付き合って欲しいんです」
付き合って欲しい!?
おいおいっ!
いきなり告白かよ!?
でも、付き合うなんて、そんな無理だぜ。
だって俺は・・・。
俺は・・・。
・・・硬派だからな!
「付き合うっていっても、そういう意味じゃなくて一緒に来てほしいところがあるんです」
なんだ・・・告白じゃないのか。
「私たち、剣術部で合宿に行くことになったんです。 是非、椿先輩にも同行していただきたくて、ダメですか?」
合宿だって?
どうやら剣術部は夏休みを利用して、集中稽古を行うことを決めたようだ。
その合宿に俺も付き合って欲しいということらしい。
俺は悩んだが、あまりにも強く誘われたため、断るに断れず、同行することに決めたのだ。
荷物をカバンにまとめた。
合宿所はこの町から随分離れた、海の見える田舎の村ということしか知らされていなかった。
田舎はあまり好きじゃない。
都会育ちの俺は『何もないところ』に弱いのだ。
といっても、ここだって大したものはないわけだが・・・。
そんなこんなで俺の夏休みは幕を開けたのだ。
・・・。
第三章 絆の行方
・・・。
「って、何時間、こんな山道を歩けばいいわけ? さっきから同じところをグルグル周ってる気がするんだが」
「もう! だらしないこと言わないの! 山なんだからしょうがないでしょ! ほら、歩いた歩いた」
合宿所はこの山を越えたところにあるらしい。
登りはじめて随分と経つが、一向に着く気配がない。
「なぁ? ちょっと休憩しようぜ!」
「休憩って、5分くらい前にとりましたよね? もう少し頑張りましょうよ」
「いいじゃん! ゆっくり行こうぜ~」
沢村は呆れた顔をしている。
「賛成! 休憩しましょう。 私、こんな道を自分の足で歩いたことなんてないわ。 一体ここはどこよ。 タクシーを拾いましょうよ」
「こんな山道にタクシーこねぇよ・・・」
俺たちは最寄りの駅まで電車でやってきた。
学園側からの援助は一切なかった。
神山グループからバスを借りるという話が出たが、栗林はそれを却下した。
その栗林は学園の仕事があるからといって、一緒には来ていない。
あとで合流するらしい。
合宿の目的は夏休み明けにある地区大会に勝つための練習だ。
その地区大会を勝ち抜けば、全国大会である「玉勇旗」に出場できる。
そこまでは考えていないだろうが、この合宿で少しでも強くなれたら・・・そういうことだろう。
俺はマネージャーという位置づけらしいが、この山道で早くも来なければよかったと思いはじめていた。
「それにしても、空気がおいしいです。 パクパク」
「佐田さん? あなた頭大丈夫? 空気がおいしいなんてそんなはずないじゃない・・・お、おいしい!」
「空気が澄んでるんだね。 私たちの町だと気づかなかったけど、田舎は凄いなぁ~」
「ここの空気を持って帰るわよ! お屋敷の人間へのお土産よ!」
レイカはビニール袋を取り出し、空気を詰め始めた。
「空気をお土産・・・新しいな」
「ねぇ? あそこにいる、綺麗な色をした鳥なんて名前なの?」
枝にとまっている鳥を指差した。
「そういうのは、リコが詳しいよな? 名前、なんていうんだ?」
「あの鳥さんは・・・知りませんけど」
「え? 知らないの?」
「知りませんよ。 あたし、喋れるだけで、別に動物に詳しいわけじゃありませんので」
「・・・」
「そんなことより、クマさん来ないかなぁ~。 逢いたいです」
「・・・佐田先輩、クマに遭ったら、私たち死にますよ」
「ヒカルちゃん、さっきから何食べてるの?」
桜木は座って何かをボリボリと食べている。
「これか? キュウリに決まってるだろ。 山で食べるキュウリは格別だな」
「おまえ、こんなところにまでキュウリ持ってきたのかよ」
「逆だ。 むしろキュウリしか持ってきていない」
担いでいたリュックにはキュウリがびっしり入っている。
何しに来たんだこいつらは。
「なぁ桜木? おまえが合宿所の場所知ってるんだよな?」
「知っている。 合宿所のある場所は私の故郷だからな」
「故郷? そうか・・・」
合宿所の場所は栗林が決めた。
どうやらそこは桜木が幼少の頃を過ごした思い出の場所らしい。
それを桜木は了承したようだ。
「どうしてここに来たんだ?」
あんな事故があった村には戻りたくないはずだ。
なのになぜ、桜木がそれを許したのか興味があった。
「もう一度、自分の剣を見つめなおしてみようと思ったんだ。 原点に戻って、何かを見つけたいんだ」
「いいかもしれないな」
「だが、それは建前かもしれないな。 本当はただ、私の育った場所にもう一度行ってみたくなった、それだけかもしれない」
桜木は優しく微笑んだ。
変ったな・・・。
俺はそう感じた。
・・・・・・。
・・・。
・
・
・
やっと合宿所に到着した。
古めかしい建物だが、なかなか風情があっていい。
俺たちはここで1周間、共に過ごす。
こんなに長い間、家族以外といたことがない俺は少しだけ緊張していた。
・・・。
合宿所に着くやいなや、みんなは道着に着替え練習を始めた。
てか、俺は何するかな。
ここで昼寝をするのも気が引けるし、練習でもみるか。
誰の練習をみよっかなぁ・・・。
ここは桜木だな。
俺は桜木の練習がみたくなった。
あれだけ強いんだ。
練習も特別に違いない。
「椿? 私に何か用か?」
「いや、練習を続けていいぞ」
「変なやつだな。 見ても何もいいことはないと思うが」
「いいから、いいから」
桜木は竹刀を振りはじめた。
綺麗な太刀筋だ。
丁寧でいて、しっかりとした力強い素振り。
これが、天才剣術少女と呼ばれた桜木の剣術か。
「あまり、ジロジロと見られるとやりにくいな」
「気にするなって・・・」
「暇なら椿も竹刀を振ったらどうだ?」
「・・・俺はいいよ」
桜木は竹刀を俺によこした。
仕方なく、俺は振ってみる。
よく分からずに、闇雲に振った。
「手が逆だ。 右手が上、左手が下だ。 基本的には左手でしっかりと竹刀を支える。 マネージャーのくせに、そんなことも知らないのか?」
「知らねーよ。 だって俺の専門は野球だからな」
「足はすり足が基本だ。 両方の足は軽く浮かせろ。 かかとをつけてはダメだ。 つま先で立つ。 そんなことも知らないのか?」
桜木は手取り足取り、俺に剣術のいろはを叩きこむ。
・・・俺が教えられてしまったな。
・・・・・・。
練習を開始してから何時間か過ぎた。
みんな、汗でびっしょりだ。
「そろそろ休憩にするか?」
「そうだね。 じゃあ、みんなで海に行こうよ!」
「海?」
合宿所の前は海が広がっている。
青く澄んだ海は、まさに夏を象徴していた。
「じゃあ、着替えて海辺に集合しましょう!」
・・・。
・
・
・
俺は一足先に海に向かった。
浜辺が焼けて、足がじんわり温かい。
海なんて何年振りだろう・・・。
「おまたせっ! わぁ~! 海だ! ひろ~い! みんな~! こっちこっち~!」
「わぁ~! 海です~! 魚さ~ん! 待って~!」
リコは海に突撃する。
「海ってはじめて来ました。 こんなに綺麗なんですね。 感動です」
「はじめて? マジかよ」
「ええ。 私、ずっと勉強してたから。 海になんて行く暇なんてなかったんです。 海に行くと試験に落ちるでしょ?」
「なんで?」
沢村は煌めく海を見て目を輝かせている。
「ヒカルちゃんって、泳げるの?」
「実は、・・・泳げない。 国営プールで溺れたことがある」
「そうなんだ! 意外だね。 なんか、ヒカルちゃんって、野生児って感じなのにね」
「鈴木さんは私をどういうイメージで見てるんだ?」
「ちょっと、海に入って見ない?」
はるかは強引に桜木の手をひっぱる。
「ちょっと、鈴木さんっ」
「佐田さん? パラソルを買ってきてちょうだい」
「パラソルですか? なんに使いますか?」
「陽射しが強すぎて、このままだと綺麗な肌が焼けてしまうわ」
「では、リコがパラソルになります! ホイッ!!」
リコはレイカに飛びついた。
「ブハッ! や、やめて~! く、くるしい・・・」
「なんだか、みなさん楽しそうですね。 ここ最近、つらいことが多かったから、いい息抜きになります」
「沢村も水に浸かってみたらどうだ?」
「私、水が苦手なんです。 なんだか怖くって」
「俺と一緒だな! 俺も水が苦手なんだよ」
「そうなんですか? 私たち、気が合いますね! でも、みんなの楽しそうな顔を見てるだけで幸せです」
「む、無理だ! 私を巻き込むな! はるか、一人で勝手に水と戯れてろ!」
「だめ~! せっかく来たんだから! あと、今、はるかって言ったでしょ?」
「言ってない・・・」
「いいえ。 いま、桜木さん、鈴木さんのことを呼び捨てにしたわ!」
「仲良くなった証拠です!」
「じゃあ、これで遠慮なく、私もヒカルって呼べるね!」
「・・・・・・」
「みんな! 海に入ってみようよ! ほら、沢村さんも行くよ!」
「え? 私もですか~。 でも~海に入ってもいいことないし~」
「行って来いよ」
「佐田さん? 私たちも行きましょ?」
「リコは犬かきが得意ですよ。 犬さんに教えてもらったです~」
「水着ないんだから、泳ぐなよ」
「・・・椿、助けてくれ」
「・・・諦めろ。 はるかは頑固だからな」
「・・・」
5人は海ではしゃぎあっている。
水を掛け合ったり、砂浜を走り回ったり・・・。
俺はそれを見て、微笑ましい気分になった。
少し前まで全くの他人だったこいつらが、今はこうして仲良くやっている。
それが不思議でならなかった。
これが、仲間というものなのか・・・。
俺が無くした絆なのか・・・。
・・・・・・。
・・・。
ゆっくりと太陽が落ち、海には闇が訪れた。
俺は5人が海で遊んでいる間に、料理を作った。
適当に魚を釣って焼いたり、山で採れた野菜をサラダにした。
「おーい! 出来たぞー」
「これ、宗介が作ったの!?」
はるかはビックリした顔をしている。
「たいしたことねぇよ。 ただ焼いただけだし」
「すごいです! 先輩って器用なんですね。 尊敬します」
「俺に出来るのはこんくらいだからな。 マネージャーだしさ」
「もう、お腹ペコペコよ。 佐田さん、はしゃぎすぎよ」
「レイカさんこそ、誰もいないからって素っ裸で泳ぐのはやめてくださいね!」
「だ、誰が素っ裸になったのよ!」
「うまそうな料理だな。 じゃあ、みんなで有り難くいただくとするか」
「じゃあ、俺、先に合宿所に戻ってるよ」
「一緒に食べないのか? 今日くらいいいだろ」
俺は躊躇した。
「分かった。 私たちも食べたらすぐに戻るね」
──「あなたたち、早く食事を済ませて就寝しなさい」
「栗林!?」
荷物を持った栗林が到着したようだ。
「明日から、朝6時に起床して稽古をしてもらいます。 じゅうぶんに睡眠を取るように」
「6時! ・・・無理です。 リコは8時にしか起きれません」
「あなたたち、ここに何しに来ているの?」
「ハ、ハイキング」
栗林はリコを無視した。
「地区大会に優勝するためよ。 これから地獄の特訓が待ってるわ。 そのつもりでいてね」
「あなた・・・さては地獄からの使者ね!」
栗林はレイカも無視し、去って行った。
「私、練習に耐えられる自信がありません・・・」
「じゃあ、俺もう行くよ。 んじゃあな」
俺は合宿所に戻った。
・・・。
・
・
・
俺は合宿所の寝室に戻った。
グーっとお腹が悲鳴を上げた。
俺はカバンから持ってきたクラッカーをかじった。
自分の料理も用意しとけばよかったな・・・。
ふと、窓から海を見た。
俺は海が嫌いだ。
あの日以来、ずっと避けてきた。
だけど、今日の海は違って見えた。
あいつらがはしゃぐ姿を見たからだろうか。
波の音が心地よかった。
ふあぁ~。
眠くなってきたな。
といってもここはあいつらの寝室だ。
さすがに一緒に寝ることは出来ないな。
俺はペンと紙を取り出した。
「先に寝る」
そう一言書き残して、俺は別の部屋で寝ることにした。
・・・。
畳の部屋に、布団をひいた。
狭い部屋だが俺一人なら十分すぎる広さだな。
「椿? もう寝たか?」
暗闇の中で声がした。
「桜木か? どうしたんだ?」
「メシ、うまかったぞ」
「それは良かった」
桜木は黙って立っている。
「どうした?」
「みんなとメシを食えないというのは残念なことだな」
・・・。
「もう、慣れてるよ」
・・・。
「みんな喜んでるようだ。 レイカなんて子供みたいにはしゃいでいた。 あの傲慢なお嬢様が大口開けて笑っていた」
「レイカも金持ちとはいえ、普通の子なんだよなぁ」
「リコも楽しそうだ。 意味不明な行動をとるが、しっかりとムードメーカーになってる」
「あいつは天然なのか計算なのかわからないけどな」
「沢村も生き生きしてる。 随分の健康的になったもんだ」
「人生勉強だけじゃないってことに気づいて良かったな」
「はるかも私たちをまとめてくれている」
「そうか・・・」
「・・・全部、お前のおかげだ。 それだけ、言いたかった」
「そんなことねぇよ。 俺は何の役にも立ってない」
「ありがとう」
「なぁ? 一緒に寝るか?」
「椿、その冗談、笑えないぞ。 ・・・じゃあな」
桜木は部屋を出ていった。
俺のおかげか・・・。
なんだかんだで、嬉しかった・・・。
・・・・・・。
・・・。
波の音が揺れて弾けた。
畳の寝ごこちが思いのほか悪かったせいか、いつも以上に早く目が覚めてしまった。
いつもの街とは違う景色に、好奇心が湧いてしまい俺は散歩に出かけることにした。
合宿所を出ると、すぐに海が広がっている。
靴を脱ぎ、チャプチャプと足を浸す。
寄せては返す波が、じんわりと冷たい。
俺は水平線の向こうをただ眺めていた。
・・・。
・・・・・・。
ん?
浜辺にポツンと人影があることに気付いた。
見なれた少女が正座をして眼を閉じている。
まるで瞑想する僧侶のようだ。
・・・桜木?
俺は気づかれないようにそっと近付いた。
・・・。
後ろからビックリさせてやろうかな・・・。
息を殺しながら、桜木の背後に近付いた。
・・・。
「気づかれたくなければもっと気配を消すことだな」
「げっ! よく分かったな」
「当たり前だ。 私は後ろにも目が付いているからな」
「マジかよ・・・って本当は薄めを開けてたんじゃねーの? 朝から、何やってるんだ?」
「精神統一だ。 ・・・カッコよく言えばな。 単に波の音が好きなだけかもしれないな。 こうしていると、落ち着くよ」
一人で暮らしてきた桜木にとって、この合宿は騒がしいものなのかもしれない。
だからこうやって、一人になる時間を作っているのだろう。
「わりぃ。 邪魔しちゃったみたいだな」
俺は合宿所に戻ろうとした。
「ここの海は昔と何も変わらない。 音も色も景色も私が小さかった頃のままだ。 変わるのはいつも、人の心だけだな」
「そうかもしれないな」
「なぁ椿。 ・・・私はセツナに負けてしまった。 油断したつもりはない。 実力で・・・負けたんだ」
「だな。 完敗だった。 でも、それはブランクってやつじゃないか? セツナはずっと練習してたんだ。 合宿が終わればすぐにまた勝てるよ」
「私は本当に勝てるんだろうか・・・。 今の私は・・・彼女を倒すだけの力も権利も無い気がするんだ」
暁セツナ。
桜木にとって宿命のライバル。
いや、ライバルなんてものじゃない。
セツナにとって桜木は大切な恩人を殺した、敵に他ならない。
桜木はもしかして、セツナに遠慮してるんじゃないか・・・そう思えた。
「剣術はスポーツだ。 戦争じゃない・・・」
「戦争? ・・・そうだな。 誰かの憎しみを受け止めようとすることはやめにする。 アドバイス、ありがとう」
「アドバイスなんてしてないけどな。 ・・・じゃあ、後でな」
桜木に手を振り、俺は合宿所に戻った。
・・・。
・
・
・
ん? 沢村か?
沢村は参考書を必死に読みながら、ノートを開き、ペンで文字を走らせている。
「まーた勉強か?」
「椿先輩! おはようございます! 今、剣術のことを色々と学んでいたんです」
沢村の顔はこころなしか、やつれているように見えた。
さては、徹夜で勉強したな・・・。
「何か分かったか?」
「気は大納言の如く、身は足軽の如し・・・ですね」
「なんだそれ?」
「これに載っていたんですけど、気品は大納言の如く高く豊かに持ち、身は足軽のように忠実に働けという教えです」
なんだかよく分からないが、大事な事らしく、沢村のノートには赤文字で書かれている。
「剣術の気構えと平素の修行の心構えを教えたものですね。 これはとっても重要なことです」
「なんか、テスト勉強みたいだな」
「私、自分でもビックリするくらい運動音痴だって気づいたんです。 だから、知識だけでもつけて先輩たちに追い付かないと」
沢村の焦りがヒシヒシと伝わってきた。
「偉いな、沢村は」
俺は沢村のひた向きさに、素直に感心した。
「偉くなんてないです。 私に出来ることは、このくらいしかないですから。 正直、怖いんです。 剣術をすることが」
「人はそれぞれだもんな。 足の速い奴がいれば、暗記がもの凄く得意な奴もいる。 沢村は沢村なりに頑張れ」
「椿先輩。 ・・・そう言ってもらえると、心強いです」
「でも、体を動かすことも大事だぞ。 もうすぐ練習がはじまる。 昨日よりちょっとだけうまくなれるように頑張れ」
「そうですね。 クヨクヨ悩んでいてもうまくなれませんもんね。 なんだか、少しだけ前向きになれた気がします」
沢村は参考書を閉じた。
「先輩、ずっと私を見ていてくれますか? 私がどんなに出来なくても見捨てないでくれますか?」
「当たり前だろ。 じゃあ、練習所に行くぞ」
沢村はニッコリと笑って、練習所に向かった。
・
・
・
俺たちが道場につくと、みんなは準備運動をしていた。
「沢村さん、遅いわよ。 早く着替えてきなさい。 すぐに練習を開始します」
栗林に言われ、沢村は慌てて着替えに行った。
「今日はどんな練習をするんだ?」
「準備運動をしながら、聞いてもらえる? 合宿の時間は限られているわ。 戻ったらすぐに地区大会が始まります。 あなた達はこの合宿中にそれなりのことを学んでもらうわ」
栗林の言葉に緊張が走る。
「剣術が甘くないことは前にも話したと思うけど、この合宿、死ぬ気で取り組んでもらいます」
「はい。 分かっています。 栗林先生、よろしくお願いします」
「まず、鈴木さんは桜木さんと組んで練習してもらうわ。 剣術の基本的な動きを体に叩き込むのよ」
「はるか、よろしくな」
はるかは真剣な顔で頷く。
「神山さんは沢村さんと練習してちょうだい。 私が指示を出すから、その通りにやってもらいます」
「なーんだ。 沢村さんが相手なの? 余裕じゃない」
レイカは沢村を下に見ているようだ。
「あたしは何をすればいいですか?」
「佐田さんは、面をつけて掛け声の練習をしてもらうわ。 あなたは剣術のルール自体分かってないでしょ?」
「ということは、あたしの相手は栗林先生ということですか? これは完全に貧乏くじです」
「みんな! 頑張れよ。 陰ながら応援してるぞ!」
栗林の指示通り、それぞれ練習を開始する。
はるかは桜木と対峙する。
桜木が見守る中、はるかは素振りを開始した。
「やぁ! めんっ! めんっ! めんっ!」
はるかは必死で竹刀を振っている。
それにつれて、桜木も素振りを開始する。
同じ素振りをしているのに、まるで別物にみえた。
素人の俺にすら簡単に分かるくらいの差がある。
桜木の竹刀は綺麗に力強く、振り下ろされる
が、はるかのそれは、どこかぎこちなく、不格好だ。
「鈴木さん! 竹刀を振りかぶって右足を出しながら、そのまま真っすぐ膝の位置まで振り下ろし、左足を引きつけなさい!」
「はいっ! 右足を出しながら、振り下ろし、左足を引きつける・・・。 めんっ! めんっ! めんっ!」
「そうよ! 同じように左足から下がりながら振り下ろし、右足を引きつけて! ・・・そう! それが素振りの基本よ!」
栗林の指示を的確に動きに反映させる。
「はるか、いいぞ! 大した運動神経だ。 随分と様になってきたな」
はるかの動きがみるみる良くなっていく。
右も左も分からずに闇雲にやってきたが、指導者のアドバイスでここまで変るものか・・・。
俺は改めて、栗林と桜木の凄さを実感した。
「ちょっと! 沢村さん、真面目にやってよ! どうして私が近づいたら逃げるのよ!」
「だ、だって怖いんですもん! 竹刀が当たったら、怪我しちゃいますよ!」
「そんなこといったって、竹刀当てないと一本とれないんじゃないの?」
「神山先輩~! 一緒に竹刀を当てないで一本とる方法を勉強しませんか~?」
「なんでこんなド田舎まで来て、勉強しなきゃいけないのよ! 私、はやく練習を終わらせてエステに行きたいんだけど! もう! 逃げないでよ~!」
「おーい。 おまえら、ちゃんとやらないと強くなれないぞ!」
沢村はレイカから逃げ回っている。
「あなたたち! 鬼ごっこをしろなんて指示は出してないわ! 沢村さん、逃げないで戦いなさい!」
「でも・・・。 あ~こんなことなら、大人しく生徒会長になれば良かった・・・」
「やる気がないなら、ここから出ていってもらってもいいのよ。 あなたみたいな人がいたら正直、迷惑だわ!」
「そうよ! 沢村さん、大人しく私に叩かれてればいいのよ!」
「そんな~」
沢村はそれでも逃げ回っている。
栗林は大きくため息をついている。
・・・こりゃ重症だな。
ふとリコを見ると、その場に倒れて突っ伏している。
「おいリコ! どうした?」
「く、苦しいです。 酸欠です・・・。 この被りモノが・・・重いです・・・」
リコはどうやら面の重さに耐えきれないようだ。
「佐田さん! あなたまだ何もやってないのに、疲れてどうするのよ! さっさと立ちなさい」
「重力がリコを苦しめます。 ・・・被りモノが変えることは出来ませんか? せめて可愛い猫さんの耳がついたものにすればやる気が回復する気がします」
「どこの世界に猫耳のついた面が存在するのよ。 ふざけてないで立ちなさい」
「ニャ~・・・」
「ニャ~ではありません! やぁ! よ。 剣術では掛け声は重要なファクターよ」
「ニャ~」
「・・・」
栗林は完全に呆れている。
・・・こっちもかなりの重症だな。
桜木とはるかは素振りをしっかりこなしている。
はるかの気合の入った声が道場にこだましている。
一方で、追いかけっこをしている沢村とレイカ。
更には、ぶっ倒れたまま居眠りをしているリコ。
なんだこれは・・・。
こんなことで強くなれるのかよ・・・。
栗林は冷めた目でその光景を眺めている。
まだ合宿二日目だ。
これからきっと強くなる・・・はず。
この合宿が終わるころには、みんな別人のような女剣士になってるはず・・・。
「むにゃ、むにゃ・・・これ以上は食べれません・・・」
無理だー!!
・・・・・・。
・・・。
「みなさん、そこまで! ちょっと休憩にします。 各自、水分はしっかり補給すること」
「ふぅ、やっと休憩ね。 もう、暑くてやってられないわ。 お父様にクーラーを設置するように頼まなきゃ」
真夏の道場は熱気を帯びていた。
古い建物のため、空調設備が整っていない。
真夏の暑さは体力をどんどんと削り、みんな汗びっしょりになってへばっている。
「はるか、なかなか筋がいいぞ。 しっかりと稽古をこなせば、それなりの剣士になれる」
「剣士って大げさだなぁ~。 まだ全然だめだよ。 体がついていかないの。 ヒカルには遠く及ばないよ」
「鈴木さん、休憩中に悪いんだけど、こっちに来てもらえる?」
「え? なんですか?」
「私が指導するわ。 あなたにはもっと、きちんとした練習が必要だわ」
はるかは栗林について、道場の隅にいく。
「星雲学園との交流試合の時に言ったこと、おぼえてる?」
「えっと・・・一足一刀の間合い・・・でしたっけ?」
「そうよ。 一歩踏み込めば相手を打突出来る距離であり、一歩退がれば相手の打突をかわすことのできる距離のこと」
一足一刀の間合い。
剣術の基本的な間合いのようだ。
「あなたがその間合いを体に叩き込んでさえいれば、あの試合、勝っていたわ。 今からそれを教えるから良く見てなさい」
栗林は竹刀を取り、自ら構え教えている。
はるかと竹刀を合わせ、色々と教えているようだ。
「次に剣術にとって重要なことは、足捌きよ 剣術の生命であると言っても過言ではないわ」
「確かにそうだ。 千変万化の技も結局は身体が伴わなければできないからな」
「なるほど」
「剣術の足捌きの基本は『すり足』よ。 バタバタと走ってはダメ。 右足が前、左足が後ろ。 この状態を常にキープして動くのよ」
栗林はすり足をやってみせる。
はるかは真剣な顔でそれを見ている。
「午後からは、道場の周りをずっと、すり足で歩いていなさい。 他の練習はしなくていいわ」
「ずっと、ですか?」
「そうよ。 それが出来ない人に、なにを教えても無駄だわ」
栗林は厳しく言い放った。
「随分と教育熱心だな。 どういう風の吹きまわしだ? まさか、はるかの潜在能力でも見抜いたつもりか?」
「潜在能力?」
栗林は表情一つ変えない。
「ところで、私にアドバイスはないのか? 私も一応、あんたの生徒なんだがな」
「残念だけど、あなたに教えることはなにもないわ。 あ、勘違いしないでね、いい意味でだから」
そう言い残して、栗林は道場を出て行ってしまった。
「すり足かぁ~。 知らないことがいっぱいだなぁ~。 これをマスターすれば確かに動きやすいかも」
俺は出ていった栗林が気になり、後を追った。
・・・。
・
・
・
栗林が海を見つめていた。
太陽がゆっくりと海に落ちていくのを、穏やかな表情で、ただ見つめて立っている。
あんな顔するんだ・・・。
いつも厳しい栗林が・・・。
俺に気付いたのか表情を戻す。
「監督らしいこと、するんだな」
「当然よ。 そのためにこんな所まで来たのよ。 それに、学園長から連絡があったわ」
「学園長から?」
「地区予選で優勝しなければ剣術部も廃部だそうよ。 予想していたことだけど」
「また無茶をおっしゃる。 優勝しなければ、あんたもクビか?」
栗林は不敵に笑いながら、頷いた。
「あなたにはどうでもいいことでしょうけどね」
「そんなことねぇよ」
波の音が俺たちの沈黙を演出する。
俺は栗林にどうしても聞きたいことがあった。
だが、ずっと聞けずにいたことを切りだした。
「なんで顧問なんて引き受けたんだ?」
栗林は気まずそうな顔をした。
「・・・理由なんてないわ。 剣術に復讐がしたいだけ」
復讐?
「新山学園の剣術部を憎んでいるわ。 毒をもって、毒を制するってところよ。 完全な私情ね。 あなたたちには悪いけど」
「あんた、新山学園の剣術部だったんだろ?」
「そうよ。 私は8年前、剣術部の主将だったわ」
主将?
・・・どうりで強いわけだ。
「玉勇旗に出場するほどの実力だった」
「玉勇旗? 全国大会か・・・」
「8年前の玉勇旗に、私たちがバスで向かったわ。 ・・・でも、そのバスは事故にあったのよ」
・・・事故?
「あの日以来、私は今でも剣術を恨んでいるわ。 これ、ずっと待ってるの。 忘れない為にね」
栗林は新聞の切り抜きを俺に渡してきた。
俺は記事に目をやる。
「・・・新山学園、生徒を乗せたマイクロバスが横転。 生徒十数名が重軽傷か」
俺は記事を読み進めた。
『全国剣術大会「玉勇旗」の開会式に向かっていた私立新山学園の剣術部のマイクロバスが横転し、生徒数十名が重軽傷。 運転していた、同学園剣術部顧問の男性教諭が意識不明の重体・・・。 晴れの舞台を前に起きた事故に対し、警察側は「プロのドライバーをつけなかった学園の責任は重大」とコメント。 学園側の管理責任を問う声は多い。 学園長の新山大九郎氏は、まだ状況が把握できていないとしてコメントを控えた。 尚、新山学園は昨年の玉勇旗で10連覇を達成しており、今年も優勝候補であったため同情の声が寄せられている』
俺は何も言えずにいた。
栗林はこのバスに乗っていたのか・・・。
「意識不明の顧問ってどうなったんだ?」
「彼はその事故がきっかけで、学園を去ったわ」
「・・・」
「幸い、私たち生徒はみんな軽傷ですんだ。 死者が出なかったのが奇跡だって警察は言っていた」
「良かった。 誰も死んでないのか・・・」
栗林はこの事故を悔やんで、剣術を嫌っていたのか?
「事故なら仕方ないだろ。 誰が悪いわけでもない」
「いいえ。 悪いのは私よ」
そう言うと、また沈黙が訪れた。
「ごめんなさい・・・あなたにこんなことを話すなんて、私、どうかしてるわね」
「別に・・・いいけど」
「なんだか、不思議な子ね・・・」
「え?」
栗林はそのまま合宿所に戻っていった。
事故か・・・。
栗林の気持ちは分からないが、それが重大なことだということは分かった。
・・・俺も戻るか。
・・・・・・。
・・・。
・
・
・
合宿所に戻ると何やら騒がしい声が聞こえた。
「いいこと! 今からトランプ大会を開始するわよ!」
昼の練習に疲れたのか、みんなそれほどノリ気じゃない様子だ」
「ちょっと! ノリが悪いわね! 今からババ抜きを始めるわよ!」
「う、うん。 みんな~、神山さんがトランプやりたいみたいだから付き合おう!」
やはりやる気がないようだ。
「そうね~、せっかくやるんだったら、何か賭けないと盛り上がらないわね」
「賭けですか? ダメですよ。 賭博は禁止されています!」
「固いこと言わないの~。 じゃあ、私は神山家の土地と車を賭けるわ! あなたたちは何を賭ける?」
「おい! やりすぎだろ」
「いいのいいの。 だって腐るほどあるもの。 ほら、あなたたちは?」
「じゃあ、私は店の野菜にしようかな」
「なんだと! それにキュウリは含まれるのか?」
「キュウリにこだわりすぎ!」
「その勝負、参加させてもらう。 私が賭けるのは・・・この髪飾りだ」
桜木は小さな可愛い髪飾りを取りだした。
「いいのか? それ」
「母親から貰ったものだが、どうせ私には似合わない。 それに、キュウリには代えられない」
「おまえにとってのキュウリっていったいなに?」
「じゃあ、私は参考書を賭けます。 数学と外国語と、国語です。 それから、この国の歴史書も」
「あんまりいらないな・・・」
「では、リコはミルティーchanのDVDを賭けます」
「それはちょっと欲しいかも」
「宗介は何を賭けるの?」
「俺? ・・・俺はいいや。 先に寝るよ」
「あなたやらないの? いるわよね~周りの空気が読めない人って」
「おまえに言われたくない・・・」
俺は席を立ち、自分の部屋に戻った。
・・・。
俺は部屋に戻り、布団に入った。
あいつら、楽しそうだな。
トランプか・・・。
そういえば何年もそういう遊びをやっていないことに気付いた。
どこかで、誰かと楽しくゲームをするなんて感覚を忘れてしまっている。
そのせいか、苦手意識が生まれているのだ。
決してワイワイやることが嫌いなわけじゃないのに・・・。
まあ、あいつらは楽しそうだし、それでいいか。
俺は所詮、付き添いの身だしな・・・。
ウトウトしかけた頃、枕元で声がした。
「先輩? もう寝ちゃいましたか? もしも、まだ起きていたら右手をあげてください」
沢村だ・・・。
俺はゆっくりと右手をあげた。
「良かった。 まだ起きてたんですね」
「どうした? もうトランプは終わったのか?」
「抜け出してきちゃいました。 先輩に話したいことがあって」
「話したいこと? なんだ?」
沢村は暗い声で呟いた。
「ここに来て、色々と練習してわかったんですけど、わたしがみんなの中で一番下手なんです」
「ババ抜きなんて運だろ?」
「トランプじゃなくて・・・剣術です」
「ああ」
「私はみんなの役に立っていますか?」
唐突で、ストレートな問いに戸惑った。
役に立っているのか?
わかりやすく重たい質問だ。
俺は答えた。
「当たり前だろ。 沢村がいなかったら剣術部は存在してなかったんだぞ」
「本当にそうでしょうか? 私なんて、いてもいなくても同じなんじゃないかって、練習していて思ったんです」
「そんなことないよ。 みんな沢村を必要としている」
沢村は半信半疑の顔をしている。
・・・。
「ちょっと! 沢村さん、こんなとこにいたのね! 早く戻りなさいよ。 あなたがいないとメンツが足りないでしょ! 行くわよ!」
レイカが沢村を呼びに来たようだ。
「す、すいません! すぐに戻ります!」
沢村の顔に笑顔が戻った気がした。
「ここにいてもいいんですよね・・・」
何か吹っ切れたような、そんな声だった。
・・・・・・。
・・・。
合宿3日目の朝。
さぁ~、今日も一日頑張るぞ~!
俺は珍しく気合を入れた。
といっても、俺が頑張れることはあまりないわけだが・・・。
・・・。
道場ではすでに練習が開始されている。
力のこもった声が響き渡っている。
そんな道場の片隅で、桜木だけは一人佇んでいた。
あいつ、練習しないのかな?
道場に風が吹き込み、桜木の綺麗な黒髪を揺らした。
桜木は手に持った竹刀をじっと見つめている。
憂いを帯びた瞳で見つめている。
風がもう一度吹き込んだ瞬間、その風に乗るように桜木は道場を出ていった。
俺は気になり、桜木の後を追った。
・
・
・
桜木はどんどんと山の中へ進んでいく。
どこにいくつもりだ?
俺は気づかれないように後をつけたが、すぐに桜木は立ち止まり、振り返った。
「別に深い意味はないんだけどさ・・・」
俺は誤魔化したが、桜木は見透かしたように言った。
「ついてこないでもらえるか? 一人で考えたいことがあるんだ」
怒りや苛立ちは感じとれなかったが、ここは桜木の言う通りにしたほうが良さそうだな。
「分かったよ。 だけど、あんまり重い荷物を一人で持つのは良くないぜ。 半分くらいは俺がもってやってもいいし」
桜木はフッと口を緩ませ、山道を進んで行った。
「気をつけろよ~。 クマが出たら死んだふりだぞ~」
消えていく桜木に手を振った。
まぁ、クマが襲ってきたとしても桜木ならやっつけるかもしれねぇな。
俺は道場に戻った。
・
・
・
道場に戻ると、はるかが昨日、栗林に言われた練習をしている。
道場に周りを、すり足で、ただグルグルと回っているようだ。
俺は、はるかに声をかけた。
「ねぇねぇ? それ疲れないか?」
「疲れるに決まってるでしょ? 何周回ったと思ってるの?」
「わかんねぇーけど」
「ちょうど、あそこに着いたら、134週目だよ。 頭グルグルしてきちゃった・・・」
「134週目! よく 覚えてんな」
「だって他にやることないから、とりあえず数だけ数えてみた」
「じゃあ、俺が話相手になってあげようか?」
「いいよ別に。 宗介と話してたら、気が散って練習にならないでしょ!」
「ご、ごめん」
はるかはそのまま、俺を置いてすり足で去っていった。
邪魔しちゃったかな・・・。
「椿くん? あなた何をしてるの? 暇だからって練習の妨害をしないでもらえる?」
「・・・すいません」
もしかして、俺って邪魔もの!?
そ、そんなぁ・・・。
俺はその場にしゃがみ込んでしまった。
「ちょっと! そんなところにいたら邪魔よ! 引っかかって転んだらどうするのよ!」
・・・。
俺はスゴスゴと道場に隅に退散して体育座りをした。
何しに来たんだろ・・・。
肩身が狭い・・・。
そうだ! みんなの道着でも洗濯しようかな・・・。
道場に掛っている道着に手を伸ばした。
「先輩、何やってるんですか!? その道義、どうするつもりですか?」
「いえ、その洗濯でも・・・」
「や、やめてください! 男の人にそういうことされるの嫌です!」
沢村は俺の手から道着を奪い取った。
いやらしい人間を軽蔑するような目で見てくる。
「変な気持ちじゃないんだけど・・・」
「宗介くん、ニタニタしていやらしいですね~。 何を考えてたんだか」
「ち、ちげーよ! 俺は少しでもおまえたちの力になりたくて・・・」
二人は疑いの目で見ている。
・・・もうやだ。
「あなた、また邪魔してるわね。 もう、ほんとにどういうつもりよ。 地区大会で優勝できなかったら、あなたも退学なのに」
しょぼん・・・。
「鈴木さんの練習でも眺めていたらどう? 退屈しのぎにはなると思うわよ」
はるかは相変わらず、グルグルと回っている。
「ここに来た時よりも、うまくなった気がする。 やっぱりはるかは才能があるんだな」
「そうね。 それは認めざるを得ないようね。 でも、鈴木さんには弱点があるわ」
「弱点?」
「剣士として、最も大切な事が欠如しているわ。 ・・・鈴木さんは優しすぎるのよ。 人一倍ね」
優しすぎる。
確かに、はるかはお人好しで誰にでも優しい。
それは、勝負をする人間にとっては弱点になるのかもしれない。
でも、その優しさは、はるかの良さだ。
俺はそう思った。
「佐田さん! 真面目にやってよ! どうしてバナナ食べ始めてるのよ!」
「お腹がすいては戦は出来ませんから。 パクパク」
「戦って・・・。 戦う気なんて最初からないくせに! さっきは野良犬に餌あげてたし、練習してよ!」
「まぁまぁ、そう言わずに、一緒にバナナでも食べましょう」
レイカはリコのバナナを奪い取り、一気に平らげた。
「モグモグ・・・。 もうこれで食べるものは無くなったわね! さぁ、勝負よ」
「実は、もう一本・・・」
「出すな!」
「おいおい、ケンカはよせよ」
「ケンカはしていませんよ。 神山さんが一人相撲をしているだけです」
「相撲? 誰が力士よ!」
「例え話だから落ち着けって」
やはりレイカは言葉をあまり知らないようだ。
「佐田さん! いいえ、この際、リコと呼ばせてもらうわ! リコ! あなたには決定的に足りないものがあるわ! それは勝とうとする気持ちよ!」
リコはポカンとしている。
「誰かに負けても悔しくないでしょ? あなた、そんなんじゃ、絶対に勝てないわよ。 試合に出たって負けるのがオチ。 私はそんなの嫌よ。 負けたくないもの」
「そんなつもりはないです。 リコも出来れば勝ちたいです・・・」
リコはオドオドしている。
「レイカの言うことも一理あるな。 勝たなきゃいけないわけじゃない。 でも、しっかりと練習して負けるのと、何もしないで負けるのは意味が違うぞ」
「・・・」
「佐田さん? またふざけているようね。 あなた、分かってないみたいだから、この際、はっきり言わせてもらいます。 この中で一番、見込みがないのは佐田さんよ」
栗林はキッパリと言い放った。
リコはその言葉に動揺しているようだ。
しょんぼりとして、黙って下を向いている。
そんなリコを見て、俺は言った。
「大丈夫だよ。 見込みがなくたって、練習すればどうにでもなる。 お前にだって、みんなと平等に可能性があるんだ」
「・・・可能性?」
リコは考え込んでいるようだ。
「諦めたらダメだ。 きっと大丈夫」
俺はリコの頭にポンと手をのせた。
リコは気持ちを戻し、レイカと稽古に戻っていった。
そのまま、4人は黙々と練習を続けた。
・・・・・・。
・・・。
陽が落ち、辺りが暗くなり練習は終わる。
クタクタになったあいつらのために、カレーを作った。
近くに農家があり、そこで働いている人が野菜を少しだけ分けてくれたのだ。
肉は手に入らなかったが、海で魚を調達した。
にんじん・タマネギ・じゃがいも・キノコ・・・。
それから、キュウリ・・・。
キュウリを手に取り、桜木のことを思い出した。
結局、練習には戻ってこなかった。
カレーにキュウリを入れるのは気が引けたが、桜木は喜ぶかもしれない。
俺は最後にスライスしたキュウリをカレーの鍋に投入した。
う~ん・・・。
なんだか、まずそうだな。
合宿所の扉が開いた。
「桜木か?」
どうやら桜木が戻ってきたようだ。
「おかえり。 遅かったな。 クマにでも襲われたんじゃないかって心配したんだぞ」
桜木は無言のまま、通り過ぎようとした。
「腹、減ったんじゃないか? ちょうど、カレーを作ったんだ。 食えよ」
「いい匂いだな。 ありがとう。 いただくよ」
なんだか、ぼうっとしている。
「おまえに良いこと教えてやろうか? このカレー、ただのカレーじゃないんだ。 なんと、キュウリが入ってるんだぞ!」
桜木は、うなずいたが、リアクションが薄い。
「おい、大丈夫か? キュウリだぞ! もっと喜べよ」
だが、あまり嬉しそうではないようだ。
「あ、桜木先輩、どこに行ってたんですか~! 私、すっごく探したんですよ~!」
「すまんな。 ちょっと、考えたいことがあってな」
「質問、いいですか? 私、桜木先輩に聞きたいことがあるんです」
沢村はノートを取り出した。
ノートにはたくさんの質問が書き記されている。
それを一つ一つ質問しては、その答えをノートに書き込んでいる。
「なるほど! そういうことだったんですね。 さっすが桜木先輩です。 ありがとうございます!」
「どうだ? 少しはうまくなりそうか?」
沢村は大きく頷いた。
「色々と剣術のことを調べているようだな。 よく頑張っているみたいだな」
「ほら、私、運動音痴ですから。 せめて、剣術の原理くらいは頭に叩き込んでおこうと思って」
「大事な事だ。 沢村がやっていることは、決して無駄にはならないよ。 今度、一緒に練習しよう」
「ほんとですか? でも、お手柔らかにお願いしますね。 先輩が本気出したら、かないませんから」
桜木もにっこりと笑った。
合宿のおかげか、それぞれの距離も少しずつ近づいているような気がした。
「今日はカレーですか? 椿先輩って、なんでも作れるんですね! 美味しそう」
「カレーは簡単だからな」
「そういえば、キュウリが入ってるって言ったな? ・・・ありがとう」
「お前が喜ぶかなって思ってさ」
桜木はまた、にっこりと笑った。
「じゃあ、みんなで食ってくれ・・・味の感想は明日聞くよ」
「あら? 桜木さん帰ってたのね。 こんな遅くまでどこに行ってたのよ! 心配してたのよ!」
レイカはプンスカしているようだ。
「ねぇ? 佐田さん知らない? さっきからどこ探しても見当たらないのよね~」
レイカは冷蔵庫の中を開けたりしている。
「そんな寒いとこにはいないだろ」
わざとらしく、戸棚を開けたり電気ジャーの中を覗いたりしている。
「一緒にいたんじゃないのかよ?」
「もう、あの人にはウンザリよ。 全然、やる気がないんですもの。 ボケればいいと思ってるのよ。 ふざけてばっかり。 一言、嫌味でも言ってあげようと思ったのに、いないのよ」
どこにいったんだろ・・・。
「もしかして、練習が嫌になって抜け出したりしてませんよね?」
沢村は心配そうな顔をしている。
まさかな・・・。
リコの荷物はちゃんとあるようだ。
「逃げ出すなんて、どういうつもりよ! 逃げたいのは、みんな同じよ。 私だって早くお屋敷に戻りたいわ。 ここのお風呂狭すぎるのよね~」
「俺、探して来るよ。 あ、おまえらはカレー食ってろよ。 腹減ってるだろ」
俺は部屋を出た。
・
・
・
ふと、道場に電気が付いているのが分かった。
消し忘れか?
俺は中を覗いた。
・・・・・・。
道場から弱々しい声が聞こえてきた。
蚊の鳴くような小さな声。
バタバタと小さな手が動いている。
あっちにいったり、こっちにいったり、小さな足が忙しく動いている。
倒れては、起き上がり、また倒れ、起き上がる。
息を切らして、何度も何度も小さな体がもがいている。
それでも必死で練習している、健気な姿がそこにあった。
「やぁ・・・。 めんっ・・・」
疲れ果て、肩で息をしている姿に心が揺れた。
思わず、俺の声が漏れた。
「がんばれ・・・」
その声に気づき、振り向く。
どこか見られたことに、照れを感じたような顔をした。
「宗介くん・・・いたんですね」
「練習してるとこ、邪魔しちゃったかな」
リコは竹刀をおろした。
下を向いて、何もしゃべらない。
「どうした?」
「何度やっても、ダメなんです。 どうしても、ヒカルさんみたいには出来ません。 やっぱり、あたしには剣術は合わないんでしょうか?」
しょんぼりとした声で言った。
「そうか。 合わないか・・・」
「人を殴ったりするのは、やっぱり怖いです」
「そうだろうな・・・」
リコの親は軍人だ。
今もどこかで、誰かを傷つけているかもしれない。
命を落としかねない戦場で、ただひたすらに生きている。
だからこそ、リコは暴力がたまらなく嫌いなんだろう。
それは、痛いほど分かった。
もう、これ以上は無理なのか?
無理はするな。
やめてもいいんだぞ。
そう、俺が言いかけた時だった。
「・・・でも、がんばりたいんです。 レイカさんやみなさんに、これ以上、迷惑かけたくないから」
力強い言葉だった。
そこには、はっきりとした意志を感じた。
「せめて、みなさんが、あたしのせいで笑われないくらいにはなります」
そう言うと、竹刀を構え、素振りをしてみせた。
・・・。
不格好で、情けない素振りだった。
どうしようもなく、弱々しい、小さな体だった。
だが、目は違って見えた。
小動物のようなクリっとした可愛い瞳の中に、小さな炎が灯っているように見えた。
そうか・・・。
リコだって負けたくないんだ。
もうやめてもいい・・・。
一瞬でもそう思った自分を恥じた。
「リコはウソばっかりつくから、信じてもらえないかもしれないですけど・・・いま言ったこと、ウソじゃないです」
一人、リコは笑った。
・・・・・・。
・・・。
合宿4日目の朝が、ここにやって来た。
俺は少し早く目が覚めた。
この場所に来て、目覚めが異様に良くなっている。
空気や水が都会とは違うと感じたのだ。
流れる時間は穏やかで、緩やかで俺の心をなごませた。
規則正しい生活・・・。
どこか昔を思い出すような、そんなゆっくりとした時間がそこにはあったのだ。
歯でも磨くか・・・。
ん?
桜木か?
大きな荷物を手に抱え、桜木が合宿所を出て行く姿が見えた。
あいつ、今日もどこかへ、一人でいくつもりなんだろうか?
後を付けることに少しだけためらいが生じたが、気になってしまい、俺は桜木を追っていた。
・・・。
・
・
・
昨日と同じように、桜木は険しい山道を登っていく。
今日こそは桜木に気づかれないようにするために、俺は精一杯自分の気配を消した。
消えろ・・・俺の気配っ!
心の中で呟いた。
見つかってしまったら、きっとまた追い返されるに決まってる。
桜木はそういうやつだ。
いつまでたっても秘密を持っている。
あいつはいつも、ひとりで戦っている。
今は、ひとりじゃない。
俺や、あいつらがいる。
桜木の心は、まだ開いてないのだろうか?
それが寂しくもあったが、それが桜木なんだと思った。
ゆっくりと後を追う。
・
・
・
黒い髪の少女はどんどんと深い森の中に足を進めていった。
この先に何があるんだよ。
桜木はここで生まれ育ったといった。
ということは、この険しい木々も、山道も通いなれた馴染みの場所なんだろうか。
・
・
・
さらに歩みは進んでいく。
マジでクマとか出てきたらどうしようかな・・・。
ナイフを持ったチンピラや、喧嘩慣れした不良とは何度も戦ったことはあるが、さすがに野生のクマとは戦ったことはない。
もう引き返すわけにもいかねぇしな。
俺は桜木の後を黙々とつけた。
一時歩くと、目の前の景色ががらりと変わった。
森を抜けた俺の目の前に、大きな滝が現れたのだ。
俺は目の前に現れた滝の雄大さに心を奪われた。
滝からの水しぶきと轟音響き渡る様はまるで別天地だった。
これが、滝か・・・。
テレビや雑誌で見たことはあったが、生で見るのは初めてだった。
高さ約30メートル程だろうか。
その頂上から、どうどうと音をたてて水が落ちている。
高い崖の上から一気に流れ落ちる水は、深い淵となった滝つぼへとぶつかる。
その滝つぼの中に物凄い勢いで流れ込む水と、その激流によって生じた気泡がはじけ、飛沫をあげていた。
・・・すげぇ。
流水の音が耳をつんざく。
振動がブルブルとお腹にまで伝わってきた。
小さな水の粒が、俺の頬に飛んできた。
桜木はゆっくりと滝のほうに近づいていく。
あいつ、なにをするつもりだ?
足を止めると、桜木はおもむろに服を脱ぎはじめた。
・・・え?
俺は目を疑った。
滝近くの岩の上で、一枚、一枚と桜木は服を脱いでいく。
これ・・・見ちゃまずいかな。
俺は視線を逸らそうとしたが、邪念を振り払えず桜木に視線を戻した。
上着を脱ぐと、下着をつけたしなやかで美しい体が現れた。
細くて綺麗な背中が俺を魅了した。
あいにく、後姿なのが残念だが、むしろ良かったのかもしれない。
下もゆっくりと脱いでいく。
・・・。
幸いなことに、滝の音の大きさのせいで気づかれることはないだろう。
下着しかつけていない、桜木が滝の前に立っている。
不思議な光景だ。
桜木は持ってきたカバンを開けた。
中から、修行僧が着る白装束のようなものを取り出した。
・・・なんだ?
桜木はそれに着替えていく。
俺はなにかで読んだことを思い出した。
滝水に打たれて行を積む・・・。
昔から、滝つぼには主がいると信じられている。
僧がやる修行のひとつだ。
着替え終わった桜木は、滝に向かって一礼した。
手を合わせ、目を閉じているようだ。
「はぁっ!」
わぁっ!!
突然あげた気合に俺は驚き、たじろいだ。
桜木はお経とも、呪文ともとれる何かを呟いている。
その様は、まるで修行に挑む僧のようだった。
ゆっくりと滝の前に進み、滝つぼに身を沈めていく。
滝の勢いは強い。
大丈夫なのかよ・・・。
入水していく桜木が心配になってきた。
それとは裏腹に、滝つぼにはいった桜木を上から水が襲う。
轟音を響かせ、桜木の脳天に滝は容赦なく降り注いでいる。
長い髪は濡れ、雫が滴り落ちる。
それでも微動だにせず、目を閉じ手を合わせじっと耐えている。
俺はその光景を、ただただ無言で見ていた。
次第に桜木の表情が穏やかになっていく。
徐々に苦しさが消えてゆき、水に打たれる感覚だけが残っているかのようだ。
滝という激しい水の中では雑念が湧く余裕すらなくなるのかもしれない。
桜木は雑念を振り払い、精神統一をするためにここに?
逆を返せば、それだけ雑念が混じっているという証拠なのだろう。
自分の弱さを振り払うように、ただただ滝に打たれているのだ。
そんな桜木を見て、俺はどこかいとおしく感じた。
そのストイックさに、俺は惹かれてしまったのだろうか・・・。
水勢はどんどんと激しくなっていくように思えた。
それと比例するように、桜木は自然と向き合い自然と一体化していっている。
・・・。
自然と調和している・・・。
その様は、都会でダラダラ暮らしてきた俺には想像も出来ない世界だった。
滝の水の音が響きわたり、風にのって飛沫が飛んできた。
頬に冷たさをおぼえた。
声をかけるスキなど、どこにも無かった。
俺はその場を静かに離れ、もと来た道を戻った。
・
・
・
道場に戻ると稽古は開始されていた。
相変わらず、はるかはすり足をしているようだ。
「調子はどうだ?」
「バッチリ! 見てよ、こんなに早く動けるようになったんだよ!」
「おぉ!」
素早い足取りで、道場内を動いている。
沢村もノート片手に必死で知識を叩き込んでいるようだ。
「かけ声って色々な効果があるんです。 自分を励まして、気勢を増したり、恐怖の心をなくしたり、相手に驚きや恐れを与えたり。 心気力の一致をはかったりもするみたいなんです」
「へぇ~。 ただ単に奇声を発してるだけじゃないだな」
俺は素人だが、みんなの姿を見て、剣術に少しずつ興味が湧いてきた。
ふと、リコを見ると汗をかきながら必死で素振りをしている。
「気合、入ってるな」
「佐田さん、朝から変なのよ。 自分から進んで練習してるの。 暇さえあればバナナを食べてた、あの佐田さんが・・・。 何かあったのかしら」
道場で居残り練習をしていたリコを思い出した。
「リコだって、色々と考えるところがあったんじゃないか?」
レイカはリコに近づいていく。
リコは素振りを止めた。
「今日は頑張ってるみたいね。 あなたにしてはやる気があるようだけど、何かいいことでもあったの?」
「別に何もないです。 ただ、みんなの足手まといにはなりたくないだけです」
「・・・そう。 あ、その、昨日はちょっと言い過ぎたわ。 ごめんなさい。 今日も練習の相手、してもらえるかしら」
普段、あまり謝らないレイカが頭を下げている。
リコもニッコリと微笑んだ。
良かった良かった。
チームワークも芽生えてきたようだ。
「神山さん? あなたには特別なメニューをこなしてもらいます」
「特別? いい響きだわ! そのメニューやらせていただくわ」
栗林はレイカを中央に呼び寄せた。
特別なメニューってなんだろ?
「私と掛かり稽古をしてもらうわ。 かかってらっしゃい」
どうやら栗林直々に稽古をつけるようだ。
レイカの顔が曇った。
とても嫌そうな顔。
栗林は竹刀を構える。
・・・・・・。
・・・。
バシバシと竹刀のぶつかる音が響き渡る。
あれからずっと、レイカは栗林に向かっているが一度もまともな打撃をあたえられず、時間だけが流れていた。
ヘロヘロになったレイカの動きはカメのように鈍くなっている。
「どうしたの? もう終わりかしら? こんなことで試合に出場しようなんてどういうつもりかしら?」
「はぁ・・・はぁ・・・もう、だめ・・・。 少し、休ませなさいよ・・・。 ティータイムよ! ティータイムをとらせて!」
「だめよ。 休憩時間は私が決めます。 あなたはまだ力が残っているわ。 それに、ここは神山家ではないの。 剣術の道場。 我がままは通用しないわ」
「特別メニューっていうから、わざわざやってあげたけど、これのどこが特別メニューなのよ! ただの嫌がらせじゃない」
レイカは完全にキレているようだ。
「別に止めたって構わないわ。 ただし、今のまま試合に出たらどうなるかしらね? あなたの嫌いな右近シズルには絶対に勝てないでしょうね。 10秒ともたないわ」
レイカの口がキュッと歪んだ。
「じゃあ、どうすれば勝てるのよ! あなた剣術のプロなんでしょ! その方法を私に教えなさいよ!」
憤慨し、栗林に噛み付く。
「ここからが、本当の特別メニューよ。 あなたには一つだけ技を教えてあげるわ。 ただし、全ての練習の時間をそれに当てること。 出来るかしら?」
レイカは頷いた。
一つだけ技を教える・・・。
合宿は限られた時間しかない。
その中で、あれもこれも手を出していては間に合わないだろう。
「あなたに教える技は、抜き胴よ。 それ以外の技は練習しなくていいわ。 抜き胴だけを徹底的に訓練しなさい」
「ぬきどう?」
「分かったわ。 一点豪華主義ってことね! まぁ私自身、豪華だから問題ないわ。 それで右近さんに勝てるなら。 私、やりますわ」
レイカはゆっくりと竹刀を構えた。
・・・。
・
・
・
4日目の稽古も無事に終わり、辺りは真っ暗になっていた。
俺は散歩に行って来ると言って、合宿所を抜け出した。
本当は散歩がしたかったわけではなく、朝から戻ってこない桜木が心配で探しに来たのだ。
まだ、あの滝に打たれているのだろうか。
それにしても、夜の山道というのは不気味だ・・・。
街灯もないせいか、闇がやけに、闇らしい。
・・・。
確か、滝はこっちだったよなぁ・・・。
記憶を辿り滝を目指した。
「椿? なにか落し物でもしたのか?」
背後から声がして、俺はビクッとなった。
・・・なんだ、桜木か。
「驚かすなよ。 そうそう・・・落し物しちゃったんだよね。 財布なんだけどさ~。 どこいっちゃったかな~」
俺は白々しく財布を捜すふりをした。
なんとなく桜木を探しに来たということは隠したい気持ちになった。
桜木は俺に近づいてきた。
「な、なんだ?」
「お前の後ろのポケットから見えてる黒いものは財布という名前じゃないのか?」
「え?」
俺は後ろに手を回す。
「あ、あった! なんだよ。 まさかポケットにあるとはなぁ~。 俺としたことが、とんだウッカリさんだぜっ!」
桜木は不審な目で俺を見ている。
「なぁ? 滝にうたれてただろ?」
「見られてしまったか。 まぁ隠すほどのことでもないがな。 明日もあの滝に行く」
「明日も? どんだけ滝が好きなんだよ」
「小さい頃、よくああやって滝に打たれて考え事をしていたんだ」
考え事?
「悩みがあるなら、みんなに相談しろよ。 そんなに頼りないか? 俺たちって」
「そういうつもりじゃない。 ただ・・・こればっかりは私一人の問題なんだ。 すまない・・・」
「あの滝、すげーな。 ドバ~って水が落ちてきてた。 生で見たのは初めてだから、興奮したよ」
「あの滝は昔から竜が住んでると言われてるんだ。 あの場所が、私は好きなんだ」
竜が住んでいる・・・。
この村に伝わる伝説だろうか。
「セツナは私を憎んでいるだろうな。 ・・・セツナには悪いことをしてしまった」
桜木はボソリと呟いた。
「わたしは、セツナに許されたいのか・・・許されるとして、どうすれば・・・」
桜木はぶつぶつと呟きながら、合宿所のほうへ歩き出した。
・・・。
セツナに許されたい・・・。
誰かに許してもらうことは・・・。
きっと難しい。
俺は痛いほど分かった。
・
・
・
合宿所の部屋に戻ると、まだ誰もいなかった。
桜木は、もう寝るといって床についた。
道場の方は明かりが灯っている。
終わったとばかり思っていた練習はまだ続いているようだ。
俺はボーっとその場に座り込んだ。
あいつら、どこまで頑張るんだよ。
・・・俺は少しだけ虚しくなった。
自分だけが成長してないんじゃないかという思いに襲われた。
俺は役に立っているんだろうか?
もしかして、ただの邪魔者になってはいないだろうか・・・。
不甲斐ない自分が腹立たしくなった。
あいつらの為に、何かをしてやりたい。
・・・ジレンマだった。
何にも熱くなれなかった、この数年間を振り返った。
こんな気持ちは久しぶりだった。
桜木は安らかな顔で眠っている。
桜木の安らかな寝顔を、俺は守れるだろうか・・・。
そんな、取りとめもない自問自答をしているうちに、レイカが戻ってきた。
目は虚ろで、衰弱しきっている様子だ。
随分と栗林にしごかれたようだ。
「おかえり。 疲れただろ? ゆっくり休めよな」
返事は返ってこなかった。
それだけヘトヘトになっている証拠だろう。
「俺は、自分の部屋に戻るよ」
部屋を出て行こうとした時だった・・・。
え!?
レイカが倒れ込むように、俺の胸にもたれかかってきた。
「お、おいっ」
「ちょっと、胸を貸しなさい」
心臓の動きが早くなった。
レイカは俺から離れようとしない。
それどころか、さらに顔を寄せてくる。
「ちょ、ちょっとばか、おれにこんなことしたら・・・」
俺は罪悪感に苛まれ、すぐに離れようとした。
が、レイカは一向に離れない。
レイカは疲れ切っているせいで、頭があまり、回ってないようだ。
レイカは俺にしな垂れかかってくる。
疲れているせいか、体全体を俺に任せているように思えた。
これは・・・まずいよな。
いや、きっとまずい。
「もう少し、このままでいさせて。 ・・・私、我がままかなぁ・・・」
俺はドキッとした。
その声が、いつもと違う色を持っていた。
誰にでも我がままで、勝気なレイカが、どこか女の子らしく見えたのだ。
立っているのもやっとのようで、俺を掴んで放さない。
レイカの顔がいつも以上に可愛く見えた。
綺麗な金色の髪が揺れる。
あんなに強がっていたレイカが・・・しおらしい。
「あったかいね・・・。 こうやってると、落ち着く・・・」
レイカの体温が、俺の中に伝わってくる。
が、後ろで寝ている桜木のことも気になった。
見られていたら・・・。
耳を澄ませば、桜木の寝息が微かに聞こえてくる。
・・・どうやら、熟睡しているようだ。
俺の胸の中で、レイカが呟いた。
「今日ね・・・私、凄く必死だったの。 もう、誰にも負けたくないから・・・。 だから、頑張ったの・・・」
甘えるような声だった。
「偉いなレイカ。 うん。 偉いよ」
俺はレイカの頭を撫でた。
レイカは微笑みながら言った。
「誰かに褒められるのって、こんなに嬉しいことなのね・・・」
小さい頃から、ちやほやされてきたはずのレイカが素直に喜んでいる。
それはレイカ自身が努力したという、なによりの証だった。
「もう少し、このままでいても・・・いいかしら?」
俺は黙って頷いた。
俺は何かに背いている。
でも、それでも良かった。
疲れ切ったレイカを癒やしてあげることが出来るのならば、それでいいと・・・。
レイカはさらに、顔を胸に埋めた。
「いままで友達なんて誰もいなかったから・・・どう接していいかわからないの」
「俺だってわからねぇよ」
レイカは強く、俺に抱きついてきた。
俺も、優しくレイカを抱きしめた。
「でもさ、こうやって慰めあうことを、自然に出来る関係が・・・それが友達なのかもしれないよな」
誰かが苦しい時、悩んでいる時・・・。
無償の愛で、誰かを助けることが出来たら・・・。
そんな感情を自然に表現することが出来たら、どんなに楽だろう。
レイカと俺は、どこかで似てるのかもしれない。
不器用で、人との付き合いが分からない・・・人種。
ぐったりとしたレイカを抱きながら、俺はそう思った。
「椿宗介って・・・優しいのね」
「・・・そんなことねぇよ。 俺は優しくなんかない」
「ううん。 あなたは優しい人間よ。 少なくとも、私なんかよりは・・・ずっと。 あなたが、ここにいてくれて、良かったわ・・・」
・・・。
・・・・・・。
あなたが、ここにいてくれて・・・良かった。
一言だったが、なにかが救われた気がした。
俺は強くレイカを抱きしめたくなった。
レイカの顔が、まぶしいくらいに輝いて見えた。
どこか、可愛らしく、いとおしい気持ちがあふれ出しそうだった。
俺も、誰かを求めてしまっているのだろうか・・・。
すっと、レイカの顔に近づこうとすると、レイカは俺から、ゆっくりと顔を話した。
レイカは満足したような顔をしている。
意識もしっかりしているようだ。
「誰かとつながるってイイモノね・・・おやすみなさい。 もう寝るわ」
そうつぶやいて、そそくさと、自分の布団に入って行った。
布団の中から、出て行って! の合図を送ってくる。
・・・やっぱ我がままだなぁ。
と、俺は思った。
と同時に、温かい気持ちがじわじわと満ちていくのを感じた。
・・・。